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来賓特別講演「大きくはばたけ」 (PDFファイル)

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来賓特別講演「大きくはばたけ」 (PDFファイル)
埼玉大学入学式
2005 年 4 月 8 日
大きくはばたけ
有馬朗人
皆さん埼玉大学に御入学まことにおめでとうございます。心からお祝い申し
上げます。又御両親はじめ御親族の方々にもお喜び申し上げます。またこの入
学式にお招き下さり、新入生の皆さんにお話しさせていただく光栄を与えて下
さった学長の田隅三生先生をはじめ、埼玉大学の教職員の方々にお礼を申し上
げます。
皆さんの未来は輝きに満ち、洋々としているのです。このような将来をどう
切り開いて行くかは、まさに皆さん一人一人の努力によるものであると思いま
す。埼玉大学で大いに学び、大きく羽ばたいて下さい。その準備の手伝いを少
しでもできたらよいがと思いつつ私のつたない経験や失敗談を交えてお話をさ
せていただきます。
皆さんは人生の花の時代に立っています。そして一生は無限に長いと思って
おられるでしょう。私も 70 歳まではそう思って、その時々さまざまなことに立
ち向かって行きました。新しい問題に直面すれば、それを解決するためかなり
の時間を使いました。しかし 70 代も半ばになった現在、一生の時間は有限なの
だとつくづく悟りました。そのことに気が付くのが遅すぎましたね。一生の時
間は有限なのだということを早く認識していれば、時間の使い方をもっと工夫
したに違いありません。ですから皆さんに先ず時間の使い方を若いうちによく
考えて下さいと言いたいのです。
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そのため第一に大きな志と夢を持っていただきたい。一生とまで言いません
が、かなり長期的に何をやりたいかを早く決めて欲しいのです。そして自分の
人生にとって意義があると考える方向を定め、大きな志と夢を抱いていただき
たいのです。日本の理論物理学の親の一人であり、湯川秀樹先生に次いでノー
ベル物理学賞を受賞された朝永振一郎先生は、50 年前大学院の学生であった私
に、
「大きな夢を見ておきたまへ。今はその夢を実現できなくても、やがてでき
るようになるであろう。夢は大きければ大きい程よい。」と教えて下さいました。
皆さんにこの朝永先生の言葉をお伝えしたいと思います。
そのような夢の一例としてアインシュタインの話を申し上げましょう。先程
田隅先生がおふれになりましたように今年はアインシュタインが1.特殊相対
性理論の発見、2.光子説による光電子現象の解明、3.分子運動によるブラ
ウン運動の説明という、3つの大きな革新的な研究を発表した 1905 年から丁度
100 年目に当たります。そこで国際連合の主導により今年を世界物理年とし、物
理そして科学を推進するためさまざまな事業を行なうことにしました。このア
インシュタインは 16 歳のとき、光と同じ速度で走ったら光はどう見えるだろう
かという疑問を抱き、これを解くことを夢みたと言われています。相対性原理
はこの問題の解答であったのです。皆さんもそれに負けないような大きな夢を
見て下さい。生命の起源の解明でも良い。画期的に新しいエネルギー源の発明
でもよいのです。自然科学での夢の一例は今申しましたが、社会科学であれば
世界の国々の間にある貧富の差、即ち南北問題を無くそうとか、世界を平和に
しようという夢でも良いのです。
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皆さんは埼玉大学という優れた大学に入学されました。大勢の方々は愈々専
門の勉強が出来ると心を弾ませておられることでしょう。勿論大学は専門の学
問を学ぶ所です。しかしその専門を学ぶために、もう少し広く学際的にも学ん
でおく必要があります。例えば物理学を研究したいと思ったときに、生物学を
学んでおくことは、将来の研究の思い掛けない所で生きて来るかも知れません。
又社会科学を学ぼうとしている人々が、自然科学や数学を学んでおくことは、
単に知識が増す、常識が豊かになるばかりでなく、社会科学を進める上で自然
科学や数学が大きな力を発揮する可能性があります。人生のどんな段階でどん
なことが役立つか予想が立ちません。そのような時困らないように広く学んで
おかれたら良いと思います。そして人生を豊にするために今のうち教養を学ん
でおかれることをおすすめします。先程田隅先生がおっしゃったように、この
ような教養教育において埼玉大学は大変な工夫をしておられます。特に専攻副
専攻制度はきわめて優れていると思います。このような制度を有効に使って下
さい。国内外の古典を読んだり語学を学ぶことは、若いうちに十分やっておく
べきです。社会に出てからはなかなか時間がとれなくなるからです。
私が皆さんと同じぐらいの年齢の頃のことを考えてみますと、少々暗い気持
ちになります。中学校3年生の時、日本は戦争に破れ、国としても最悪の時代
に入ります。私自身、家は戦災で焼かれ、父親は病死いたしました。国も、私
の家も貧乏のどん底でした。中学校(旧制)4年生から友人の家へ家庭教師の形で
母親を連れて下宿したのを皮切りに、高等学校・大学・大学院と、家庭教師、
農家の手伝い、区役所勤務、翻訳等々ありとあらゆるアルバイトをやりました。
自分だけでなく無職の母親と祖母の生活も助けなければなりませんでした。ア
ルバイトで疲れて学校は居眠りに行くようなこともしばしばでした。これは与
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えられた運命のようなものですから耐えておりましたが、今になって残念に思
うことは、十分に教養を学んでおかなかった、否学べなかったことです。そし
て専門の基礎の勉強も十分できず、基礎知識が今でも不足です。或る程度生活
が安定したときには、当面の研究や教育で忙しく、改めて教養や専門の基礎の
勉強を為直すことは不可能とは申しませんが、大変難しかったのです。止むを
得なかったと自ら納得していますが、よくもまあ不充分な知識で今日までやっ
て来たと、時々反省し恥ずかしく思います。
皆さんはこのような失敗はしないで下さい。十分な時間を持っていること、
それは若者の特権です。その時代に時間を浪費せず教養、専門基礎そして、ス
ポーツ、芸術、文学など十分に学び楽しんで下さい。その時先程申し上げまし
たように一生の志が立ててあり、大きな夢を持っていれば、それこそ鬼に金棒、
学ぶことへの方針もしっかり立てることができるでしょう。そして時間を有効
に使う計画をきちっと立て、実行して下さい。
専門の勉強に入ったとき、私は先ず一芸に徹することをお奨めします。教養
を広く身につけろと言ったことに矛盾するようですが、基礎的教養を学んだ後、
専門分野を選びそれを学び始めたら、先ずそれを徹底的に学び、それを職業と
して選んだら一芸に徹してその道の第一人者―オンリー・ワン―になるべくつ
き進んで下さい。その上で余裕ができたら横に幅を広げれば良いのです。中途
半端はいけません。この人はこの方面では第一人者だと言われるように進んで
下さい。
これからは今までより以上に専門家―スペシャリスト―が重要視される時代
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が来るでしょう。そして一般職、総合職でもどこか得意なものを持つ人が活躍
する時代に入るでしょう。
大学で勉強をすることは実に楽しいことです。今まで知らなかったことを学
び、経験しなかったことを経験する。それは楽しいことです。しかし若いアレ
キサンダーが「もっと易しく学べないか」と文句を言ったとき、その師アリス
トテレスが「学問に王道なし」とさとしたという有名な話があります。この物
語が教えてくれるように、学問をするとき辛いことがあり、困難につき当たる
ことがあるでしょう。でもその困難を越えて理解が深まったときの嬉しさ、醍
醐味は又格別です。それが学問の喜びです。しかし困難を克服する喜びは学問
だけのものではありません。スポーツでも芸術でもなかなか伸びず、壁にぶつ
かることがあります。それを更に努力して一段上に進むことは実に嬉しいこと
です。このことをきっと皆さん方はもう体得しておられると思います。大いに
苦しみそして楽しんで下さい。皆さんのように若い溌剌とした人々こそ何事も
楽しむことができ苦しみを克服する力を持っているのです。
室町初期の能役者であり能の作者でもあった世阿弥が、能に芸術論的基礎を
与えるため「風姿花伝」を書いています。これは単に能のみならず他の芸術に
も応用できる優れた芸術論です。この中で子どもには自由に能を遊ばせて楽し
ませよ、12,3 歳からはその子どもの演じやすいところを見せ場としてやらせ、
元気づけながら、技術を注意深く育てなければならない。動作などもしっかり
と、確実に、謡なども文言をはっきりと調べ、舞も型をきちんと守って、念入
りに練習すべきであると、言っています。皆さんが小学校から高等学校までで
学んだことは、能と同じように、学問の基本的な型であったと言えます。そこ
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では正確にきちんと型を学び、充分に練習をしなければなりませんでした。
ところで皆さんの時代、即ち 17、8 歳の時期について、世阿弥は先ず「あま
りの大事にて」と言います。そして「この頃の稽古には、ただ、指をさして人
に笑はるるとも、それをばかへりみず、内にては、声の届かんずる調子にて、
宵、暁の声をつかひ、心中には願力を起して、一期の境ここなりと、生涯にか
けて能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。ここに捨つれば、そのまま能は
止まるべし」と言っています。
すなわちこの時期の学習は、人から何と言われようと頓着しないで、日夜練
習に励み、心には大きな願いをもって、自分がものになるか否かの瀬戸際であ
ることを認識して、これこそわが生涯の仕事だと能(すなわち学問)にかじり
つくほかに学習というものがない。この時期に捨てたら、能(すなわち学問)
はそれきりになってしまうであろう、と世阿弥は警告しているわけですね。
皆さんはそういう時代に入ったわけです。一生の間、同じ分野を学び研究を
続けるという人は、研究者を除いて少ないかもしれません。しかし学問の基本
的な型を学び、それを身につけておくことは、将来その知識を応用するとき役
に立つでしょうし、皆さんのこれからの生涯を豊にすることは明らかだと思い
ます。
今述べたことは能だけでなく学問やスポーツでも同じことです。一つのこと
を学ぼうと思ったら、そのことを先ず楽しむ。そして親しみが深まったらばそ
の基礎、すなわち型をしっかり学ぶ。このとき先程言いました困難につき当た
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ることもあるでしょうが、その辛さも楽しむつもりで克服する。そうすると自
由な天地が開けて来ます。皆さんは大学で専門についての基礎・基本即ち型を
先ず学びます。その上で自らの創造性・独創性を発揮することができるように
なると思います。よく基礎的なことを学ぶことを強制すべきでない。それは創
造性・独創性を育成する上で妨げになるという人がありますが、私はその考え
は正しくないと思います。きちっと基礎を学んだ上でその知識を更に発展させ、
時には常識と思われていることを否定して新しい飛躍をするというふうに創造
性・独創性を育てることができるものであると思います。
創造性や独創性を日本人は持っていないのではないか。物まねばかりしてい
るではないかと言われた時代がありました。これは明らかに間違っています。
浮世絵のような絵画、能、文楽、そして歌舞伎のような演劇、短歌・俳句のよ
うな文学、どれも日本人の創造性・独創性の産物です。前世紀の自然科学や技
術の発展で、日本人は大いに創造性・独創性を発揮してきましたし、今後も更
に一層創造性・独創性を示す機会が増していくでしょう。
ここで創造性について少し考えてみましょう。創造性とは新しい独創的な発
想を生み出すことであり、生み出す能力をいいます。今日のように知的社会で
最も必要とされる能力です。発明や発見に導く創造過程には 4 つの段階がある
と、イギリスの心理学者 G.Wallas は言っています。それは(1)準備、(2)孵化、
(3)啓示、そして(4)検証という段階です。第一の準備段階とは、解決すべき問題
についての論点や資料を探して努力する時期、次に一生懸命追究しても多くの
場合あまりうまく行かず行き詰まりを感じ、解決への努力を放棄してしまうよ
うにみえる時期があります。これが第 2 段階、すなわち孵化段階です。何もし
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てないようでも頭のどこかで考え続けているわけです。そうすると不意に解決
策を思いつく。すなわち啓示―インスピレーション―が得られる。これが第 3
の啓示段階です。そしてそれをきちんと論理的に証明する。これが第 4 の検証
段階であると Wallas は言っています。
このような考え方は、私たち日常生活でも研究生活でも、そして創作活動で
もあることです。何か問題を解決しようとか、創作しようというとき、先ず問
題について今までどんなことが分っているかについて真剣に勉強する。でもそ
れがすぐには解けないことが多い。しかし常に心のどこかでそのことを考え続
けていると、不意にヒントが得られるのです。常に好奇心を持ち続け問題を求
め、それを解こうとすること、それが創造性の出発点です。この点でも常に学
ぼうとする精神が大切です。創作活動であれば、常に何か新しいことを表現し
てやろうという心構えです。皆さんは常に大きな志を持って、大きな問題を解
いてやろうと心掛けていただきたい。そうすれば自ずから創造力、独創力が育
つと思います。大学で学びながら、その基礎的知識を単に知識として終らさず
に、大きな問題を解決するために使って下さい。そして創造力を伸ばして下さ
い。それだけでなく大学時代にも大いに創造力を発揮して発見・発明・創作に
活躍して下さい。
このような努力を重ねて皆さんが将来大きな創造性を発揮されることを期待
しています。
話が大きく変わりますが、長い人生で何時も順風満帆と順調に物事が進むと
は限りません。うまく行かない方が普通です。しかしその時がっかりするだけ
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ではいけません。その不運を押し返し、運命を好転させるべく努力をして下さ
い。私も大学を出て研究生活に入りたく、あちらこちらの大学の助手の公募に
応じましたが、次々に不採用の通知が来て、がっかりして沈み込んだことが何
回もありました。でも捨てる神あれば拾う神ありです。かえって早く採用され
なくて良かったと、後で思ったことがしばしばでした。このように一生には何
回となくがっかりするような、うまく行かない時があるでしょう。しかし決し
てしょげないで下さい。その時期を過ぎれば必ず運が開けて来ると信じて突き
進んで下さい。
何かやろうとして失敗することもあるでしょう。それどころか年中失敗が続
くかも知れません。ですが失敗のまま、がっかりして終わってしまうのではな
く、その失敗の原因をよく調べて、失敗を成功の出発点にしていただきたいの
です。失敗は成功の源です。創造性・独創性についてお話しした時、一つの問
題をよくよく考えてから、それを忘れたかに見える時期を過ごす。しかしどこ
かでこの問題を考え続けていると、不意に解決することができる。この飛躍が
創造性・独創性と呼ばれるものでした。失敗もその原因をよく調べ理解し、心
のどこかで考え続けると、不意にその失敗を克服し、その問題を解決すること
ができるでしょう。要するにあきらめないことです。
決してあきらめないことが大切であることの例として、私自身が体験した卑
近なたわいないようなお話をしてみましょう。或る年イタリアの北辺の町トリ
エステの国際会議に出席しました。そこから帰る際、ヴェニスで一日遊んだ後、
フローレンスの大学を訪問する予定を立てていました。ヴェニスに朝早く着き、
一日見学をした後、空港行きのバスターミナルへ戻ろうとしました。所がヴェ
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ニスは運河の街で、その運河に掛っている橋はそれ程多くありません。運河の
向こう側にバスターミナルが見える所まで来たとき、その辺に橋が掛っていな
いことに気が付きました。大変あわてて走るように遠廻りしてバスターミナル
に着いたときは、フローレンス行きの飛行機に間に合うバスが出た直後でした。
そこでタクシーに乗ろうとすると、そのバスターミナルの掛員がタクシーでも、
もう間に合わないよと言います。
「それじゃどうすればいいのだろう」と相談す
ると、「次のバスで行け」と言うのです。「今出たバスでなければ間に合わない
と言ったではないか」と聞くと、
「そうだ。でも次のバスで行くから待ってくれ
るように、飛行場に連絡してやる」と親切に言ってくれましたので、それを信
用して次のバスで飛行場に行きますと、着いた時間は飛行機の出発時間を 10 分
も過ぎていました。しかし飛行場でチェックインすると、
「あの飛行機だ。待っ
ているからすぐついて来い。」と空港の掛員が車で飛行機までつれて行ってくれ、
無事飛行機に乗ることができました。その後もこのようなことが 3 度 4 度とあ
りましたが、決してあきらめずに最後まで努力すると不思議に間に合うもので
あると、私は信念を持っています。このように何か困難にぶつかったとき絶対
あきらめないことが大切ではないでしょうか。あきらめればそれで終わりです。
でももう一息努力してみると思い掛け無くその困難が克服できるものです。
次に自分が正しいと思ったら、まわりの人が何を言おうと、「考えを変るな」
ということについて私の体験をお話ししてみましょう。原子核には電子を出し
て、違う原子核になる、原子核のβ崩壊という現象があります。高等学校の物
理や化学でβ崩壊を学んだ人が大勢おられるでしょう。原子核の構造について
確立している標準的なモデルがあり、それを使ってβ崩壊の寿命を計算するこ
とができます。ところが実験値はこの理論値よりもずっと長いことが分りまし
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た。1972 年私と仲間の市村宗武さん(現在東大名誉教授)、清水清孝現上智大
学教授と協力して、或る効果を考慮に入れてこの寿命が長くなることの説明を
しました。ところがその後、原子核の中の中性子や陽子が時々△粒子という状
態に化けるので、β崩壊の寿命が長くなるのだという説が提案され、またたく
間に世界中の原子核物理学者の大部分がこの説を信じてしまいました。にもか
かわらず私は、私たちの考えが正しいと信じ、あらゆる国際会議などの機会に
主張しました。1982 年アメリカ・コロラド州のテルューライドという所で行わ
れた国際会議でも、一番始めの基調講演で私は、私たちの説をその裏付けも含
めて発表しました。しかし多勢に無勢、最後のまとめ(concluding remarks)では、
私が牢屋に入れられた漫画が示されました。有馬はあんまりうるさいから牢屋
に閉じ込めておこうと言うわけです。しかしその後も私は、△粒子説への反証
を挙げて反論を続けました。遂に 1997 年東京大学の酒井教授のグループが、実
験で私たちが正しいことを証明してくれました。こうして正しいことが明らか
になるまで実に 20 年以上かかりました。自分が正しいと思ったことは世界中の
人が否定しても信じ続けて下さい。本当に正しいならばいつかそれが証明され
るでしょう。
自然科学ではこういうことはよくあります。今日でこそ大陸移動説はよく知
られているし、認められていますが、ヴェーゲナーが 1912 年に多くの証拠を集
めて提唱したにもかかわらず、彼の死んだ 1930 年には殆どの研究者が否定して
いました。しかし戦後 1967 年頃から、大陸移動説はプレート・テクトニクス論
によって疑いのないものになりました。
もっと一般に世の中で何かしようとすると、それを認めてくれないどころか
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反対されることがしばしばあります。遂には批難されることがあります。私も
実に多くの場合に批難の的になりました。特に何かを改革しようとするときで
す。でも自分が正しいと思ったら、めげずに進んで行って下さい。
しかし逆に自分の考えが間違っていることが明らかになることがあります。
自然科学であれば実験事実で否定されたり、明らかに理論構成や、計算によっ
て間違っていることが判ることがあります。そのときは素直に誤りであること
を自ら認めれば良いのです。君子豹変して良いのです。ちっとも恥ずかしいこ
とはありません。孔子は「過てば則ち改むるに憚ること勿(な)かれ」と論語
で言っています。
さて私は自分が正しいと信じていることは、誰がどのように批判しようと、
信念を曲げるなと申しました。と同時に明らかに誤っていれば君子豹変せよと
言いました。もう一つの発想の転換について考えてみましょう。一つの問題を
解こうとしたり、何かを作ろうとするようなとき、一つの考えを推し進めても、
どうしてもうまく行かないことが起こります。このようなときとるべき方法が
あります。それは方向転換をすることです。全く違った考え方をしてみるとか、
考え方を反対にしてみるとか、始めから考えなおすとかの方法です。或は解こ
うとしている問題を捨てて他の問題に移っていくことも新しい発展の契機を与
えてくれることがあります。これは研究だけではありません。文学作品を作ろ
うとしているとき、あるアイデアではどうしても平凡になってしまい満足でき
ないことがあります。そのようなとき思い切って発想を変えることが大切です。
ニュートリノ天文学を開いて 2003 年のノーベル物理学賞に輝いた小柴昌俊
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さんの場合を考えてみましょう。素粒子物理学の一つの理論によりますと、安
定と思われている陽子も何億年かの寿命で崩壊するらしい。そこでこれを実験
で証明しようと小柴さんは、神岡鉱山の中に大きな水槽を置き、それを弱い光
を測定する光電子増倍管で囲みました。そして陽子崩壊が伴う光を測定して、
陽子の寿命をきめようとしました。しかしあまり画期的な結果は得られません
でした。そこで小柴さんはこの装置を用いて太陽などから降ってくるニュート
リノの測定をしようと発想を転換しました。その結果 1987 年 2 月に超新星の爆
発に伴うニュートリノを発見するというまことに画期的な結果を得たのでした。
陽子崩壊の測定からニュートリノの測定に切り換えた、この発想の転換が大き
な成功を生んだわけです。時には一つの考えに固執しないで柔軟に考えること
が大切です。正しいという信念を持ったらどこまでもそれに固執しなければな
りません。しかしそうでない場合には柔軟な、物にとらわれない自由さを持っ
ていることが必要です。
話題を大きく変えましょう。皆さんの中には母国を離れて埼玉大学に留学し
てこられた方もおられるでしょう。私も 1959 年 29 歳の時アメリカのシカゴ郊
外のアルゴンヌ国立研究所に研究員(research associate)として就職し、原子核
の理論物理的研究をしました。初めての外国生活であり、緊張した日々を送り
ました。1959 年といえば、日本は敗戦のため経済的に苦しく、あちらこちらに
空襲のため破壊され焼かれた所が残っている時代でしたから、アメリカの繁栄
振りに驚きました。そのような時代でしたからシカゴやその郊外にいる日本人
はきわめて少なく、心細い気持で研究生活を送っておりました。つい 14∼5 年
前まで敵国であり、しかも敗戦国から来た人間を差別するのではないかと心配
していましたが、研究者仲間は勿論、一般の市民たちも私や家族を全く平等に
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扱ってくれました。このような体験から私は日本人学生諸君が留学生の方々を
温かく迎え、心からの友人になっていただきたいと思うのです。又留学生の皆
さんも日本の文化の良い面を見て、学ぶべきものを学んでいただきたいのです。
日本人の学生諸君も留学生の皆さんから、それぞれの母国の文化を学んで欲
しいのです。我々はそれぞれに異なった文化、伝統、風習、考え方を持ってい
ます。それをお互いに理解し合うことは大切なことです。世界には自分たちの
ものと違う文化がある。それも自分たちの文化と同じように美しく素晴らしい
ということを知ることは、自分自身の心を豊かにします。又異なった考え方の
人々と議論し合うことはお互いの視野を一層広げてくれることでしょう。そし
て文化の違い、育った環境の違いはあるが、その違いに比べて、人間としての
共通性の方がずっと大きい、例えば喜怒哀楽は本質的に共通しているというこ
とを理解することでしょう。それこそ異文化交流の最大の目的です。人間が文
化や人種の違いを越えて、理解し合い協力し合って、平和共存をしてゆくこと
こそ、人類の将来にとって最も重要であり、緊急に進めるべきことではないで
しょうか。
今日は皆さんの入学式という素晴らしい機会に、私のつたない経験を踏まえ
て、さまざまな視点から、人間の生き方についてお話しさせていただきました。
皆さんが大きな志と希望を持って埼玉大学で学び、将来世界に大きく羽ばたい
て行かれることを心よりお祈りして、私の話を終わらせていただきましょう。
御清聴有難うございました。
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