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一47一
フィッション㊥トラック年代測定研究会に出席して
(1980.9.10-12.イタリアピサ)
玉生志郎(地殻熱部)
楲潔
奕
I出発から到着まで
私にとって初めての海外出張たので前もって海外旅行
案内書三冊も買って読んでいたが実際出発となるとや
はり緊張するものである.海外旅行の三種の神器と呼
ばれるパスポート航空券現金には特に注意を払った.
成閏空港についてすぐ手荷物を預けた後昼食にレス
トランに入った.イタリアの本場のスパゲッティの味
と比較するため日本での最後の食事はスパゲッティ・
ミートソースとした.飛行機の出発時間は13:00であ
ったがチェック・インが2時間前より始っていたので
つい早目に入ってしまい中で大分退屈た思いをした.
私のフライト・スケジュールはまずモスクワ経由でロン
ドンまで行きここで一泊した後別便でイタリアのピサ
まで飛ぶコースだった・まずロンドンまでの飛行機は
アエロフロート・ソビエト・エアラインのもので軍用機
を改良したものだそうだが内部カミ狭いのには驚いた・
機内での案内はロシア語とロシア語なまりの英語でア
ナウンスされるのでほとんど聞きとれなかった.ま
た機内にはトイレの脱臭剤の強烈狂臭いカミ漂っていてカ
バンに臭いがしみついてしまった.
強い雨の降りしきる成田空港を飛びたった飛行機は10
分程で雨雲を抜け1時間もたたないうちに快晴の日本
海上に達した.そして2時間後には日本海を横断して
沿海州付近よりアジア大陸上空へ達した.この時見え
た海岸線は海の青と陸の非とを境する白い一本の線を放
していて大変美しかった・大陸に入ってしまうとしぱ
らくは起伏のゆるやかな山並が続く単調な地形であった
がまもたく大きく蛇行した川筋が見えてきた.自然
のままの河川がいかに大きな氾濫原をつくるものか目の
当りに見ることができ大いに勉強に放った.街はほと
んど見えなかった・このようなシベリア大陸を延々8
時間程飛行したわけであるが西へ西へ飛んだので陽は
なかなか便がなかった。機内での食事は東京時間で15
時半頃と2ユ時半頃(東京一モスクワ間)及び翌日の2時半
頃(モスクワーロンドン間)の三度あった.醸ではアエロ
フロートの食事やサービスは悪いとのことであったカミ
食事に関して言えば美味しい魚料理キャビアアイス
クリームなどが出て結構満足できるものであった.機
内はシベリア上空でか放り寒くなり毛布をかけ校いとい
られない程になったがしばらくたって暖房が強まり
ほっとした.
飛行機は東京を出発してからほぼ10時間30分程でモス
クワチェレメチボ空港に到着した・着陸する際見え
た異国の町は沼や湿原の多い平原にロッジ風の家並が
点々と並んだ童話的放情景であった.しかし飛行機か
ら降り立ってみると飛行場のあちこちに兵隊のような格
好をした衛視が立っておりものものしい雰囲気であっ
た.モスクワで給油のため1時間20分の待ち時間カミあ
ったのでリムジンでエアターミナルに入った.ここの
売店には様々なロシア人形ウォッカなどのアルコール
キャビアイクラ扱どの海産物故どカミ売られていた.
モスクワオリンピックの直後だったのでオリンピック
ムードカミまだ残っていた.休憩後再ぴリムジンで飛行
機に向った一しかし飛行機の整備カミ終らなかったよう
でバスの中で15分程待たされた.この間何のアナウン
スも泣くただただ待たされたのみである.日本では考
えられ狂いことでやはり国柄の違いを感じた・再び飛
行機に乗り込み夕闇せまるチェレメチボ空港に別れを告
げ飛行機は一路ロンドン目指して飛び立った.
モスクワから多くのアフリカ人が乗り込んできたので
初め不思議に思ったが考えてみるに現在アフリカ諸国
で共産主義国が多いことを思い出し一人で得心した.
飛行機が離陸してから約一時間程太陽は雲海の彼方の水
平線上に見え隠れしていたカミ大西洋に出た頃には完全
に没してしまい漆黒の世界となってしまった.モスク
ワから約3時間程でロンドン・ヒースロー室港上空に達
した.ロンドンは霧の都といわれる通り大変霧が多い
ため街燈はほとんどオレンジ色をしたネオンランプ(フ
ォグ・ランプ)を使っていた。そのため飛行機から見え
た夜景はいくつものオレンジ色をした直線曲線が綾を
恋していて見る人を飽きさせなかった.無事ヒース
ロー空港に着陸しチェックアウトも税関も簡単に済んだ・
ただホテルの送迎バス(コゥチ)乗場がわからず少しうろ
うろした・このコウチに乗りホテルに着いた時ノ・プニ
ングが起きた・コウチの後の荷物入れに入れたはずの
一48一
私の手荷物がないのである・考えられるのは途中で立
ち寄ったもう一つのホテルで誰かカミ間違って除してしま
ったという可能性である.そこでコウチの運転手に早
速引き返えしてもらい予想通り手荷物を探し出すことが
できた.そんなわけでこの目は初めてづくめの経験で
疲れてしまいホテノレについて入浴した後すぐ寝てし
まった.
翌朝は7時半に起きて部屋に備えつけの紅茶とチョコ
レートで朝食を済ませまたコウチでヒースロー室港に
向った、空港で十分待ち時間があったので軽食コーナ
ーで食事をしたり売店で若干のロンドンみやげを買った
りした・出発一時間前にチェックインして塔上案内カミ
あり次第すぐ並んだので禁煙席の窓側の座席をとること
ができた一イギリスの人達はイタリアのピサ(PISA)
をピザと発音していた.イタリアではローマ字読みと
なるのでピサが正しい発音である.ピサ行きの飛行機
は英国航室機でアエロフロートに比較すると明るく快適
であった.この飛行機は11時10分にヒースロー室港を
離陸し14時(現地時間)にはイタリアのピサ空港に到着
した・時差が一時間あるのでほぼ3時間程度かかった
わけである.途中飛行機からパリの街や飛行場が見え
た.またフランスとイタリア国境付近では雲海の中か
らアルプスの峰々が雪をいだいてそそり立っているのを
見て感激してしまった・ピサ室港着陸に際しても地中
海の青い海から美しい松林を通過してピサの赤い石造り
の家並を見た時はしばし見とれてしまった・いずれの
景色もフィノレムがなくなっていたのでカメラに収めるこ
とができず大変残念であった・ピサ室港で入国手続き
両替底とを済ませた後タクシーでホテルに向った.イ
タリア人はほとんど英語を話さないと聞いていたので
タクシーの運転手にホテル名を告げて理解してもらった
時はほっとした.無事ホテルについて宿泊手続きを済
せ部屋に落ちついたのは午後3時頃だった・
IIピサの街
まだ陽も高いのでピサ市内見物に出かけることにした.
まず前もって手紙でラルデレロ地熱発電所の見学を依頼
しておいたENELのピサ事務所を訪ねてみようと思い
地図片手に出かけた.事務所のだいたいの方角をホテ
ノレのフロントで教えてもらい途中3人程の人に教えて
もらってたどりつくことカミできた.イタリア人はうわ
さにたがわず親切でお人好しである。私カミ道を尋ねた
時自分がわからないとなるとまわりの人にいろいろ聞
いて親切に教えてくれる。全くGraziemi11e(私が知
る数少ないイタリア語の一つで“大変ありがとう"の意
味)である.ENELでは日本から手紙を出した相手の
副所長GIovANN0NIと地質学者STEFANIの両人が暖か
く迎えてくれ所長まであいさつに出てきてくれた.そ
して9月15目(日曜目)にラノレゲレロ地熱地域へ案内して
くれることを約束してくれた.ついでにイタリアの地
熱に関する参考資料をいただいて事務所をあとにした・
この時16時半頃だったカミイタリアの夏はまだまだ陽カミ高
く暮れそうもないので市内の目抜き通りを通ってピサ
の斜塔の見学に出かけた.ガリレオがここで重力加速
度の実験をしたかと思うと感慨深かった・
斜塔は白い石灰岩で造られていたが長年の風雪で少し
色カミくすんでおり頂上に登る石段だとは擦りへって大
きく窪んでいた.この斜塔はもともとは真直に建てら
れたものであったが地盤の不等沈下により傾いだそう
である・最近また煩きカミ酷くなったということで日本
から技師を招いて修理しているとのこと
第ユ図ピサ市内を流れるアルノ川
であった.ここの頂上に登るとピサ市
内を広く見わたすことカミできる.この
そぱにあるドオーモは黒と白の大理石で
幾何学模様に組み合わされた美しい建物
である.内部に入ると正面に祭壇カミあ
りその上に美しいマリア像が描かれてい
た・天井には金色の模様が施されまわ
りの壁の上にはステンドグラスかあり
このガラスが外の夏の光を受けて輝いて
レ、た.ガリレオカミ振子の原理を見出し
たというガリレオのランプも天井から吊
り下げられていた.この隣にある洗礼
堂ではおもしろい光景に出合わ世だ.
申で見学していると入口にいた警備員と
一49一
おぼしき人が手をならして全員を静寂にさせた.そし
てテノールのいい声で和音をつくって口昌い出したのであ
る・この声が堂内一杯に調和音をつくり反響し合って
皆うっとりと聞きほれてしまった.オペラの国イタリ
ア狂らではの出来事であった・但し帰り際にはチップ
を要求された.
こん狂楽しい見学を済せた後ウィンド・ショッピン
グをしたからイタリア最初の夕食をどのレストランで食
べようか探した.市内にはレストランはあまり多くな
く立ち食い立ち飲みのバーとよばれる喫茶店がたくさん
目についた.あれこれ迷っているうちにホテルの近く
まできてしまい結局ホテルの近くのレストランに落ち
着いた・イタリア語ノ・ンドブック片手にまずワイン
とスパゲッティをたのんでみた・そうすると天びんの
ワインが1本パンとともに持ってこられた.これはと
ても一人では飲め狂いと思ったけれどももっと小さいび
んを欲しいとイタリア語で何というのかわから狂いの
で今日は無理して飲むことにした(後でわかったが小さ
いびんはピッコロと言えばよい)。スパゲッティは日本で
食べるものより一般にゆで方が少なく生の部分カミー部
残っているような感じであった・スパゲッティソース
は店の自慢の味付がしてあり店により皆違っていた.
スパゲッティの後がメインの食事となるのでメニュー
第3図ドオーモの内部,天井からガリレオの
ランプが下っている,
にいろいろ書いてある中から適当にこれと指さして頼ん1
てみたら結構おいしい食事にあたったのでゆっくり満
喫することができた・最後にフルーツとアイスクリー
ムを食べて合計3,000円程度だった.ともカ三く無事食
事ができたのでほっとした・明目からは安くておいし
い店を探すことにした.その日はあちこち歩き回り疲
れたのでそのままホテルに戻り早目に寝た一
策4図左手から洗礼堂
ド才一そ鐘塔(ピサの斜塔),
第2図ピサの斜塔
一50一
唖フィッション・トラック年代測定研究会
1978年8月米国コロラド州スノーマスで開催された第
芦同地質年代・宇宙年代・同位体地質学に関する国際会
議で初めてフィッション・トラック年代測定の分科会
が開かれた.そしてこの分科会に参加した人達の間で
フィッション・トラックに関する種々の問題を討論する
国際会議を1980年に開くことカミ話合われた.これを受
け初めてのフィッション・トラック年代測定研究会カミイ
タリア国立地質年代・地球化学同位体研究所の世話で
1980年9月10目から12目までの3日間イタリアのピサで
開催された.会場はピサの斜塔に近いガリレオ記念館
でピサ大学の構内であった(第5図).この建物は16世
紀末頃ピサ大学の天文台として建てられたもので19世
紀初めにはピサの斜塔同様地盤沈下のため一部崩壊した.
しかしその後修復され1942年にはガリレオ没後300年を
記念してガリレオ記念館として改装窓れた.現在ガリ
レオの著書手紙類はもちろんのこと科学吏に関する種
々の文献カミ保管されている.
研究会にはヨーロッパアメリカを中心に且5ケ国から
48人以上の参加者があった.日本からは筆者の他京
都大学の西村進氏と立教大学の鈴木正男氏カミ参加した.
研究会の討議はr熱中性子線量測定」r壊変定数」r標準
試料」r測定誤差」r測定技術」rフェーディンク現象と
その補正」r測定値の解釈」rα反跳核トラック」の8つ
の分野に分けて行われた.各々のテーマごとに招待講
演と研究発表が行われ各々の発表の後では活発な討論
第5図ガリレオ記念館,フィッション・
トラック年代測定研究会の会場と
なった.
第6図
講演要旨集の表紙,四つ葉のデザインはピ
サのシンボルマークからとったもので各葉に
はガラスや雲母中のトラック像が写っている.
カミあった.この研究会の講演要旨はオフセット印刷の
要旨集ができておりまた詳細についてはNuc1ear
Tracksv.5n.1/2に特集号として掲載される予定であ
る(第6図).研究会の様子は写真入りで地元新聞に紹
介されていた(第7図)・
以下各分野で議論されたことについて順次紹介する.
9月10目(午前)
(1)熱中性子線鐘測定
アメリカのCARPENTERは熱中性子線量測定がFT
(FissionT・a・kの略字で以下このように略記する)年代測定
において絶対値測定となっていることを強調するととも
第7図
新聞に掲載された研究会のようす,
に筆者と西村先生炉写っている.
写真中央上部
一51一
策1表湖Uの自発核分裂定数(1F)として今までに公表された値.
0i^1=〔一I〕Eτ`n“I“^一IO“S
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1〃岬。O・舳i・㈹5の
【u匝00^`1101.
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09W2"U明・州。-1“5・,
帖^雌旦8“淋。鉋^
n.7竺0.8
“OW2蜘・q."一i・{195η
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8.7主0,5
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P州`醐●od`ono眺
1“・・lo“岬剛
`E肌1H6.“o1.
1崎・〃"0・O。舳i・〔1960,
民^O■皿d1u日00^
9.`…11主O.05
舳・i㎝'・。'・帥'一。■凹㈹6η
IS11I"O日1o-o1.
'10.3全0.5
一“oo・・“岬`国一
5・lu[0L』o-oU6●国1.
8.56土0.22
舳,lo“"仙““m国0〔19`9一
一〇“竈u肚・≡“
3・3・一.0`州O帥.固.
5.3主O,8
肋。l・広。1“㎝8㈹州
PI蛆"I.o6.6ま0.8
川“¶"o加1{O州,
肌E15cH酬'杣冊1c彗
7.O!三〇.ユ1・
肚8'o1o皿仙帥{"舳
月。舵π5“81.・
6.8全O.6
」・・柵・0!1・・舳・“㈹71,
肌岬1仙^国M」o,1脈1雌
7.30ま0.16
"io■一"“■∼`●、Ω9州
1・酬Eo●^1.
6.82主O.55
附60・o一・o仙帥{19",
i^州舳'o岬㎜M
1.12主〇.,2
肌オ・o・。・州{他一5,
w州。h・“酊臣岬区
7.2竺0.2
脈9・05叩仙^`I9閉
刷固^oI1'1■O田IO^0
工1.弱全O.〃
一ho一・{・1・lo"f一,",
}・6・o嗜。^w^uIo飢。,.
10.1ま1.2
"・』m伽一u舳M`一{19",
一.0.洲眺“'1.
7.i主O.6
織欄洲舳・仙1州!州
二㎝F!剛刑O刑蘭^雌S
6.9二〇.2
町80“伽・w5r榊1-I9州
肌齪SCHmo剋帥!CE
8.蝸1O.76
町i““ω"竃M“仰70,
570R!取
町1“・M国i・冊1・一19-2,
皿一酬I畑M
8.い10-17
塁、総[ζ㌻。ピn。…榊岬岬
8.7全0.6
町i皿㎞om^岬81・1,“舳,
淋6肚旦●一〇1.
8.;7主O.吻
町一〇㎞oHoo8661o“`19州
一H爬1.o杣HI≡R
7.0全0.28
町1o㎞。・日岬山岬山〔19州
削^『o^o^仙6L固。o日
町・皿“ハ“岬岬",
^^甑鰍。-81.
帖V肌脱S・10'17y…
に核断面積が熱中性子エネルギーのわずかな変化で大
きく変化する点について注意を促した.
アメリカのB0ELLsTORFFはFT年代測定原理から
考えて中性子線量測定用の標準試料としては金箔や銅箔
でなく天然ウランを含む試料を用いるべきであると述べ
た.
ω7
を6
・……
Σ
竃5
缶
〴
さ
竃3
……l
1…2
一
魍RAOlOCHEMlC^し◎RM.S,ANALYSIS
騒舳州・榊
§ε◎MP期1SONF1=州義GES曲◎AτlNGOF榊◎W属血AGESSAM
、灘
灘葦撞蓬。輩柴
旧
鰹・1腱…㌻
§
妻1割1劃
………、I
ll、
膿
11珊;lll
I
1'
鮒111
I
i
㈳
目
○旧ECTOEτERMINAn◎NS・
何
騒・・1・州・・舳
ε◎Mo具則SON戸τANOkOAr!Rb・S貫
義GES曲◎AτINGOF
KI,1◎W属血AGESSAMPLES
^V^LU1…SOISTRIBuτ工ON
戸
第8図第1表の2F値を図化したもの,
約
言草12
入.(〃7y一)
(2)壊変定数
イタリアのBIGAzzIは五丁年代測定において最大の問
題点となっている238Uの自発核分裂定数(λ・)について
総括的な話題提供を行った.彼は今まで報告されてい
る加値を測定手法別にリストアップするとともにそれ
を図示した(第1表,第8図).そして最近15年間では固
体飛跡法などでは7x1017yr■1付近の値直接測定法で
は8.5×10■工7yr■1付近の値が主に得
られていると指摘した.K/Ar法
やRb/sr法衣とですでに年代値の
わかっている試料でFT年代測定を
行い加を推定しようとする手法は
多くの人達により試みられたカミ得
られたh値は6.85×10-17yr■ユか
ら8.7×10-17yr■1まで大きくぱらつ
いている.これは各研究室間での熱
中性子線量測定の標準試料やFT年
代値のフェーディンク補正法カミ異な
っていることに起因していると彼は
指摘した.そして彼らの研究グル
ープは雲母・ウランサンドウィッ
チ法で加=(8.6土0.4)×10-17yr-1
という値を得たと述べた・
スイスのHURFORDとイギリスの
GREENは同一原子炉内でも熱中
一52一
部検出材で測定する方法
伍ass廿ackO帥9i蚊一U・C㎝c・。Ca1ib脆七iOn6舳餉町の二つに分けて議論した
Dos'沸「㍉ゴ2仙2脳二鴛;雪・竿各結晶粒のトラック密度が正規分布に近い
分布を示すなら平均値の標準偏差値は不確
皿eische-s帖・OO率0曲22・60ヰ3・39臥82かさを表わすよい指標となるがそれでも
敦敲
G1as・たえずStudentt因子をチェックすべきで
鵬一s脳96212軸3㌧畑。.79+。他0.82あると述べた.EDT法ではJ0HNsON
(93ラ)
McGEEandNAEsER(1979)により提案
N】ヨs-s月M.612、`129635.7㌧o.76寺.o㌧O.82
(891)されたρ。とρ宅の誤差の相関の他にρ。のみ
鵬一s醐'6帖31・18'O・^31曲十2.3◎に起因する誤差を考慮しなければ在らない
㈵
と指摘した.そしてEDT法での年代は
肋。㎜。ユ鵬鮎τ㎝d.se(ηo囮i鵬エ禍■u朝015(n批)トラック密度に基づくトラックアインク
The㎜4鵬u加㎝d◎se(m砒。鵬dva1鵬)呂。o.ggx1♂ラ`岬七)ロン年代カミよいと主張した.
肺。r蝸1脚加㎝do.e(駅Mg62-va1鵬)デ1,Oヲ剛01㍉鮎)イギリスのGREENはEDT法では結晶
粒ごとのρ・/ρ七を表示すべきであると発言
知BraCk6tSSh◎“numberOfもτaCkCOun七ed.
した.
第9図熱中性子線量測定用の標準試料におけるトラック測定係数・フランスのCHAILL0UandCHAMBAUDETは実際にアパタイトのトラック密度
性子線束は時間的室間的に変化していることを強調し分布を調べてこれを数学的な確率分布モデルに対応づ
現在FT年代測定で最も良い方法はすでに年代値が明らげる試みをした.
かにされている標準試料といっしょに測定試料を中性子アメリカのMcGEEandJ0HNs0Nはρ。とρ{の誤差
照射しチェックすることだと発言した.の相関性について述べた.
フランスのSEL0andST0RzERはλE値としては物アメリカのZIMMERMANはFT法の測定誤差をコン
理定数として根拠のある8.5×10■・7前後の値カミ意賊ミピューターによるシミュレーションモデルで検討した
あり正しいと述べた.結果について報告した.
本目の討論終了後に会場の近くにあるイタリア国立
地質年代・地球化学同位体研究所の屋上でカクテルパー
ティーが開かれた(第ユO図)一ピサの斜塔に沈む太陽を
見なカミらのパーティーはすばらしかった.
9月佃目午後
(3)標準試料
アメリカのNAEsERはFT年代測定では中性子線
測定用と年代用の二種類の標準試料カミ必要で現在のと
ころ中性子線用としてはSRM962/963が年代用と
してはFishCanyonTuff(尾27.2m.y.)が各々利用で
きると紹介した・今後これらの標準試料を各研究室間
で相互検討するとともに新たな標準試料を用意する必
要カミあると述べた.
インドのVIRKとカナダのMcC0RKELLはSRM
612,962についてトラック測定係数(n・ut・on/t・・ck)を
求めたところHURF0RDandGLEAD0wにより報告さ
れた値と違う値を得たと述べた(第9図).
(4)測定誤差
ポーランドのBURcHARTはFT年代測定の測定誤差
をポピュレーション法(自発核分裂トラック密度ρ岳と誘導核
分裂トラック密度ρ{とを各々多数の結晶粒の平均値として求め
る方法POP法と略記する)と外部検出析法(ρ岳は測定試料
そのもので測定するがρ1は測定試料に密着させた雲母などの外
9月11目午前
(5)測定技術
オーストラリアのGLEAD0wは現在用いられている
第10図イタリア国立地質年代・地球化学同位体研究所で開
かれたカクテノレパーティr写真中央が筆者で左隣
はイギリスのDURRANI右隣はインドのSHARMA.
一53一
S・鵬・1ヒ・m・仁i・・fi・・i㎝ヒ…k二d汕㎎眺雌・εi餉
晦thOd
εxterna1Ex仁erna1工nternaユS:1一口g1e.ManyA皿nea1Geo匝ei=τy
S皿r三aCedeteCt0τ8urfaCeg【ai匝8grain66p・tτoCOrreCti00
Popu1atio羽1
Pop1』1a1=ion2
一一S,工一攻灸
S,I・・一気炎
Sμb1=racヒion1.・SlS+1.念`
Sobヒracl=ion2S,S+工・・'灸'
Ex仁Detec仁。τ1.工
2x仁.De1=ec1=or2S工
S灸・'
}禽0一
Re・e1:ch1=[o
剥
捨
S灸。・
・灸。}
0.5→.7
㎏一P・1i・㌔1一
距一poH3h2一
一ミ,S+工素一一
〇s.I'余】禽
第1!図
現在使われているフィッショ:■
トラック法の一覧表・
Sεspo肚帥e㎝s'甘ack8。工;hd㏄edtrack8。灸;卵P1ie6セ。εo竈肚ε鵬山。d。
一言doesnotapP1yεo{i8回g{od
FT法を5つの方法に分けてその内容を一覧表とし各
々の方法のもつ問題点を指摘した(第11図).Popu1ati㎝法とsubtraction法は各結晶粒のウラン濃度分布の
ばらつきがextema1detector法やre-etch法では
geOmetrycOrrectiOn(2πgeornetryと4πgeonletryと
の対応)がintema1surfaceを用いた方法ではエッチ
ングによるトラック分布の異方性が各々主要な誤差の原
因とたると指摘した.
クウェートのMALIKは不透明鉱物のトラック観察で
はレプリカ法が有用であると述べた.
イギリスのMOLD,BULLandDURRANIは明石中の
フィトロッカイト中のFTを測定して2・4Pu分布の一様
性を明らかにした・
インドのSAINIandSRIvAsTAvAは当目出席しなか
ったが講演要旨の中で藍晶石のFTについて述べている.
アメリカのB0ELLsT0RFは火山ガラスを用いた五丁
年代測定について述べた.
(6)フェーディンク現象とその補正
フランスのSTORTzERはFTのフェーディンク現象と
その補正法について紹介した.
アメリカのB0ELLsT0RFFは自発核分裂トラックと誘
導核分裂トラックの長さの比率から年代補正する方法に
ついて実際の実験例と一致しないとして批判をした、
イギリスのHAsHAMI-NEzHADandDURRANIはト
ラックのフェーディンクを補正する測定曲線の理論的根
拠について述べ実験値とよく一致するとした.
イギリスのGREENはトラック長の短縮率が結晶の方
向に大きく支配されていることについて述べた・
ポーランドのBURcHARTはアニーリング実験を数多
く試みてアニーリング効果が加熱時間と単純な直線関
係になら校いことを明らかにした・
9月11日午後
(6)7エーゲィング現象とその補正(続)
フランスのCARPENA,MAILHE,PoUPEAUandVINcENTはFTのモデル年代としてIsochrona1P1ateau
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慴
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chrona1FTAge.の三つをバターン化して紹介した(第
12図)・
イタリアのARIAs,BIGAzzIandB0NAD0NNAはガ
ラスのFT年代測定でSizecorrection年代値とp1ateau
年代値両方求めたが両者はよく一致していたと報告し
た.、
アメリカのM1LLERとドイツのWAGNERは黒曜石と
衝突ガラスのplateauagesについて紹介した.
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第12図加熱チェックをしたフィッション・トラック年代測
定での三つのモデル年代・
フランスのCHAILL0UandCHAMBANDET
はICPAとITPAを比較してみるとともにト
ラックフェーティングの理論的考察を行った.
アメリカのNAESERは大深度ボーリングコ
アのFT年代値からフェーディンク効果の見積
を行いアパタイトにおいては室内実験から予
想された値と大差ない値を得たと報告した(第
13図)・
オーストラリアのGLEAD0wandDUDDYも
また大深度ボーリングコアを用いてアパタイ
トのトラック消滅温度を検討してNAESERと
似たようだ結論牽得た;
本目の講演の終了した後一次回のフィッショ
ン・トラック年代測定研究会をいつどこで開催
するか討論された.本来なら1982年第5回地
質年代・宇宙年代・同位体地質学に関する国際
会議が東京で開催されるので次回は日本と狂
るところだカミヨーロッパの人達には大変遠く
感ずるようで気乗していなかった.一応1982年は日本
に集まれる人は集まって討論することにして研究会と
しては次回は1984年に北米フランスオーストラリア
イギリスなどのうちどこかで開こうということになった.
標準サンブノレについても討論されNAESERか提供し
ているFishCanyonTuffの他年代の若いものやガ
ラスのものが必要だということに狂った.
この目の夜は会場近くのOstrea“LaVecchiaPisa"で
会食となり9時から12時すぎまでにぎやかに行われた.
9月12目午前
(7)測定値の解釈
ドィッのWAGNERはFT年代値の解釈においてトラ
ックの熱に対する安定性の吟味カミ重要であると述べると
ともにその影響の度合から得られる年代は生成年代
冷却年代混合年代のいずれかに底ると指摘した(第14図).
アメリカのBRIGGSは大深度ボーリングコアの堆積岩中
のジルコンとアパタイトのFT年代値からその地域の熱
史を検討した.
京都大学の西村先生は凝灰岩や火山灰中のFT年代
では外来結晶の混入をチェックするため結晶年代の頻
度分布を検討する必要カミあると指摘した.
イギリスのDURRANI,BULLandGREENは明石のFT
年代の諸問題について紹介した.
オーストラリアのBERTAGN0LLI,PA叫,MARKand
BERTELはFT長をアニーリング温度の関数として表現
できることに着目しFT法による古地温測定法につい
て紹介した一
フランスのCARPENAはアパタイトのトラック消滅温
度を利用してフランス中央高地の構造時階の年代声明ら
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第13図地質年代スケールでのアパタイトのトラック消滅温度.
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第14図
フィッション・トラック年
代から得られる生成年代
冷却年代混合年代.
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かにした.
フランスのMAILHEはコルシカのサントピエトロ片
麻岩をジノレコンとアパタイトでFT年代測定して後退変
成作用の時期を明らかにした.
9月12目午後
(7)測定値の解釈(続)
筆者は特に若い火山岩のFT年代測定においてはgrain
bygrain法は適用不能となりtotalarea法を適用せざ
るを得ないことを強調するとともにFT法による九州
豊肥地熱地域での熱源評価の例を紹介した・
イスラエルのK0HNandEYALはアパタイト?
FT年代からシナイ半島の隆起時期と紅海の形成時期を
明らかにした.
インドのSHARMAandNAGPAULはアパタイトと
ガーネットのFT年代からヒマラヤのスラストの形成年
代を求めた.
アメリカのDOKKAはカルフォルニアのミロナイト
のFT年代測定を行い変成時期を明らかにした.
アメリカのZEITLER,TAHIRKHELI,NAEsER,J0HNs0NandLY0NsはFT年代からパキスタンの小ヒァ
ラヤ山脈の上昇速度を求めた.
(8)α反跳核トラック
イギリスの正三As肥MI-NEzHADandDURRANIは
α反跳核トラック密度かエッチング時間で大きく変化す
るのでHUANGandWALKERの計算法とは別の新しい
α反跳核トラック年代の計算法を提案した.
以上のよう匁多岐にわたる論文の紹介が放されて各
々について活発な討論が行われた・.参加者が50人程度
の小集会だったのでお互いの意見交換カミ十分なされて楽
しい集会であった・講演内容についてはそんなに目新
しいものはなく各国の研究者か日本同様解決の糸口
を求めて模索している様子がよくわかった。1982年に
は日本で第5回地質年代・宇宙年代・同位体地質学に関
する国際会議が開かれるのでそれまでに日本の研究者
も大いに研究を進めて世界をリ.一ドしたいものである・
wおわりに
フィッション・トラック年代測定研究会が終ったあと
イタリアの代表的た地熱地帯を一目訪ねることカミでき大
変有益でした・これについては別の機会に紹介したい
と思います.帰途はピサからローマまで電車にのり
ロープから日本までは行き同様モスクワ経由のアエロフ
ロートで戻ってまいりました.旅行全目程を無事終え
ることができ一安心いたしましたが一つだけ失敗しまし
た.それはピサのホテルの鍵をローマまで持ってきて
しまいローマのホテルから返送してもらったことです・
皆様もくれぐれも脚注意下さい.
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