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トーマス「ポストコロニアル時代の太平洋」

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トーマス「ポストコロニアル時代の太平洋」
■
_・トーマス「ポストコロニアル時代の太平洋」
国際書院2002年17-36頁)
ラリー。トーマス
(春日直樹編 『オセアニア。ポストコロニアル』
17
第1章
ポストコロニアノレH寺代の太平洋
ラリー・トーマス
1変わったもの,変わらないもの
,/(n
太平洋の人々は,これまで長い道のりを歩んできた。かって彼らは腰蓑を
まとい,’性的に制約がなく,にこやかで,不信心で無知な原住民だったが,
今では身なりを整え,十分な教育も受けて節度を保ち,歴としたキリスト教
社会を形成している。この変化について,より以前の白人が現地の住民に与
えた影響を軽視することはできない。だがそれは,主として初期の宣教師が
到着すると共にもたらされた。島の住民たちは,この宣教師たちが貿易商人
やそれまでに島へやって来ていた他の白人たちと違って,自分たちの習'慣や
言葉を習うことに誠実な関心を寄せていることに気付いていた。また,とて
も奇妙なことだが,他の白人の連中は現地人のもてなしを吸い尽くすまで濫
用することしか頭になかったのに,彼らときたら土地の女と遊ぶことにも興
味がないようだった。宣教師にとって,島の住民を邪教から救いの道へと導
きたいと思っている以上,彼らに対して持っていた関心は誠実な心からのも
のだった。そのことが功を奏して,彼らは住民や首長にうまく影響を及ぼす
ことに成功した。好首尾の成果が生まれるのは,首長を通してだった。宣教
師は,彼らをして徐々にその神々を破壊させ,その他いかなる形の崇拝をも
□
第1章ポストコロニアル時代の太平洋19
18
やめさせた。食人,’性的放縦,裸体は過去のものとなった。今や島の住民は,
きちんと衣服を身にまとうようになったし,セックスはただ子孫を増やすた
めだけのものであるとか,日曜日は礼拝の日として定められていると言うよ
ただそれが島民のものよりも格段と優れていることに賛成していれば良かっ
うになった。
やあこがれの対象となった。
スペイン人,イギリス人,フランス人,オランダ人,ドイツ人たちが入っ
てきて,太平洋の至る所に植民地をうち立てた。それは,買ったり売ったり
してゲームを進めるモノポリーのようで,それぞれが自分の獲得したものを
喜び,まだもっと欲しいという声も上がった。やがて植民地が確立すると,
先に宣教師たちのもたらした変化を,さらにつのらせる劇的な変化が起こっ
た。やってきたのは秩序,それも白人式の秩序だった。政府組織もあてがわ
れたが,それは島民の意向とは全く異質のもので,恐らくは混乱させるもの
ですらあった。法と規則も持ち込まれ,忠実に守られるべきものとされた。
最終的には人々もこの体制に慣れ,様々な方面でそれを好みさえしたが,そ
れは,そうすれば平和に暮らしていけるからだった。部族間の争いの時代は
終わった。その結果,平和を乱す者は誰でも,当局によってそれなりの方法
で処分された。この場合当局とは,白人のことだった。
植民地時代,街に仕事を持っていない島民は村に縛り付けられ,街に出た
いときや遠方の村とか島の反対側に住む親戚を訪ねたいときなどは,村を離
れることの特別許可を役人に請願しなければならなかった。それに,彼らは
村に戻ってくる日付をも知らせておかねばならなかった。人々はこの秩序に
,慣れ,その法律を甘受した。滅多にないことだったが,まれに蜂起が起こり
そうになると,それはその度に食い止められ,多くの場合抑止された。宣教
師たちは島の首長たちを支援し,首長たちはその返礼として,どんな民衆の
蜂起をも抑え込むために介入していった。白人は人を殺すことのできる武器
を持っていたし,また首長たちは,宣教師たちが太平洋を旅する探検隊や商
人の船から援助を受けるのをよく知っていた。島民たちにとって,白人の言
た。銃やその他の武器を始め,ほんのわずかな例でも挙げるとすれば,衣服,
自動車,コンクリートの家,水洗トイレなどが人々の注意を引きつけ,希望
結局,オランダ人とイギリス人は,島民に自分のことは自分で対処し,統
治させることに決めた。ドイツ人は,第二次世界大戦後,その権力と優位を
失った。逆にフランス人は,イギリス人が植民地に関して持っていたものよ
りも更に強い経済的,軍事的な動機を持っていた。彼らは今日も太平洋に残
る,唯一の植民t血権力である。
宣教師が太平洋に着いたとき,彼らは島民にとって新しい生活,新しい暮
らし,蒜しい,神港亨i持糧ぢず込/号だ。彼らは,新しい神がいかに島民を根本的に変
えてしまうか,またそれが島民の生活においていかに重大で,核心的な役割
を果迄武力鼠にっ.い孟理解しでいなかった。宣教師たちの持ち込んだこの神は,
今や紛れもないクリスチャンとなった太平洋島民の唯一神の座に納まってい
る。ところで,ヨーロッパの宣教師たちは白人だった。一般的な考えでは,
白人であるとは西洋人であることとみなされていた。それでも,宣教師たち
の説く神を受け入れるのは,島民たちにとって何ら問題ではなかったgそ海
鳶驫』熱jGL魚Qは,蟻ずしも西洋飽露の,ある!)は西洋人の生活様式を全
て鰯顛蔦息鳥点魚意味するわけではな魁。
採願式べき式ばらし上'ものが,全て西洋から提供されるものでなくてはな
ら蕊」L』摩`:急惠れば,繩その一方で,-好ましくなく邪悪で不愉快だと思ね壜れている
も9」銅で鴬…西洋と結口:つけて者えられる。西洋の文化と影響力は,太平
洋の島の文化と伝統のあらゆる側面に浸透しており,それを免れているのは,
恐らくある特定の伝統的な儀式だけである。老人や教会の聖職者,国会議員,
高校生から詩人に至るまで,あらゆる人が西洋文化の「悪い」影響について
ロにする。「我々の伝統的なやり方は永遠に損なわれた」と彼らは言う。人々
ロ■■⑪鈩-■■『■■■■
うことは全て良いことで,従わねばならないことだった。白人は最善のこと
は物質主義にとりつかれ,若者は老人を敬わずに侮り,ドラッグとアルコー
を知っていて頭が良いのだから,島民は白人が発明し獲得したものを見て,
ルは家庭を崩壊に追い込み,村の生活は刺激を失って,住民がどんどん都市.
曇
第1章ポストコロニアル時代の太平洋21
20
に流れ込む。簡単で楽な仕事を選ぶのは,村に残って土地を耕すことよりも
人の気をそそる。西洋の文化やそのあらゆる影響力については,太平洋の島
喚社会やその指導者たちの間で絶え間のない論争が繰り返されているが,そ
けるのもよし,アメリカやカナダ,ニュージーランドで働く親戚から送金を
こで強調されるのは,いつも否定的な側面である。
受けるのも構わない。ただそのような場合にも,私たちはいつも「でも,や
きないと考えているからだ。西洋化に「屈し」て,それを受け入れることは,
自らの伝統的な文化を「放棄する」ことである。とは言え,外国の援助を受
けれども,それでは西洋的なライフスタイルと伝統的なライフスタイルの
はり違う」ということができる。そこには様々な違いがある。-彼らはあ
間のどこに境界線を引けばいいのだろう。私たちが今では洋服を着ていると
か,バスで旅行するとか,コンクリートやトタンの家に住んでいるとか,教
育を受けているというのは,その広い意味において,私たちがすでに伝統的
ちらで暮らし,私たちはここで暮らしている。あちらで彼らはお金をたくさ
ん持っているが,私たちはそうではない。あちらで彼らは二台の車を持って
なライフスタイルを脱却していることをはっきりと物語っている。ほとんど
片親を支援しているのにかかわらず,ここでは職が奪われ,子供の面倒を見
の村ではまだ伝統的な様式に則って生活してはいるものの,その一方で,輸
入された食料品や子供たちの教育に,また教会の新築や改築のために集めら
てもらうために,自分の母親に子供を預ける。しかしながら,実際あちらで
れた資金に多くを頼っている。
あって信頼できるが,ここでは,私たちは誰に対しても責任を負わないし,
西洋への同化の中でもっとも顕著な現象は,キリスト教の信仰である。こ
いるが,私たちには-台もない。あちらで政府は失業者に対してお金を払い,
の生活はこことそう変わるものではない。ただあちらでは,人はより責任が
誰も私たちに対して責任を負わないというだけなのだ。
のことは,最大級の皮肉と映るに違いない。私たちは,キリスト教の神を受
私たちはもはや,村に縛り付けられてはいない。私たちには街や都会,外
け入れていることは認めても,西洋の文化を受け入れたばかりか,それに基
国へ行くにしても,移動する自由があり,太平洋の島民は絶えず移動してい
づいて生活しているということを信じたくない。太平洋の島民は,西洋から
る。多くの人が,街ではきっと成功するという間違った考えを抱いていたの
入ってきたものとの間に,この愛憎織り合わさった関係を持つようだ。我々
で,太平洋の都市では人口が膨れ上がっている。言うなれば,夜の明かりに
は西洋から欲しいものを取り,嫌なものは捨てる。では,太平洋の島喚国家
蛾が群がるように,都市の明るい光は人々の心を魅了し,抗いがたい吸引力
においては,どうして大概のうまくいかないことに関して,西洋化がスケー
を持つ。そして都市は,村からやって来た者に対して,村が彼や彼女に与え
プゴートにされるのだろうか。ほとんどの島民は,強要されたわけでもない
ていた以上のものを提供する。村は閉所恐怖症を催すほどにまで小さくなり,
のに,前世紀に西洋の宣教師によって持ち込まれたキリスト教の道徳的倫理
若い人にとってそこには未来がなく希望もない。一定水準の小学校と中学校
と教義の上に生活を立脚させている。そのくせ,うまくいかないことと西洋
の教育を受けた若者にとっては,都会へ出ることが必須となっている。道が
化とを切り離して考えるのは難しいのである。
整備され,都会へ出るのが前より容易になった。もう挨っぽい砂利道を何マ
太平洋の島民は,西洋式のライフスタイルを全面的に取り入れ,享受して
イルも歩くことはなくなり,バスやタクシーがすぐ脇を走り,-ドルかそこ
いるのにもかかわらず,それを完全に認めたり,それに「屈して」しまった
らで街までの座席が確保される。川の向こう岸に住む人たちは,-ドル払っ
りはしない。というのも,西洋化することや西洋の人々自体が,不道徳で罪
てパント船で対岸まで渡してもらい,そこでバスかタクシーをつかまえれば
深く,無思慮で鈍感,粗雑で,どんな形態の文化をも欠くものであるがゆえ
よい。
に,太平洋やそこで暮らす人々の豊かな文化遺産を正しく認識することがで
第1章ポストコロニアル時代の太平洋23
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て汚く,人口過密で汚染されており,道路におさまりきらないほどの自動車
われているが,誰も意に介していない。時折,女が一人二人達補されるが,
警察もこの紛れもないキリスト教社会において,良き道徳的価値を守るため
に仕事をしているのだということを見せなけれならないのだ。一般の道徳や
信頼をも含め,あらゆるものに飛火して影響を与えてしまうシステムの堕落,
或いは堕落のように見えるものについては,あれやこれやの弁解が可能であ
であふれかえっている。都市計画を立てた者は,都市の人□が増えることと,
る。
2太平洋諸国の憂露
では,その都市とは,太平洋の都市とはいかなるものか。それは挨っぽく
人々が車を買うことを全く忘れていた。歩行者はあたかも自分が道を所有し
あまりに大きな権力がたった二,三人の手に渡ったのだろうか。それとも
ているかのように振舞い,ドライバーは自分こそが車の運転を心得ていると
ただ単に,植民者が去ってから,事態がますます悪化したのだろうか。恐ら
く実に多くの老人が,以前の植民地権力化におかれていたときの方がまだ良
考えているため,道はあまりに狭くなった。道の片側には田舎から出てきた
この道で人々が事故死する。そしてこの道こそが,美しい砂浜のリゾート地
いことがいろいろとあったのだから,はるかに良かったと言うだろう。犯罪
はほとんど起こらなかったし,病院の手当はもっと良かったし,教育の水準
も高く,街中はきれいに清掃されていた。そして,最も大事なことだが,そ
の当時は人々がもっと上品だったし,お互いのことやその所有物に敬意を払
から不法居住者の集落を隔てており,集落ではその曰に食べるための肉さえ
い,自分の環境に誇りを持っていた。
者たちの住まう掘っ建て小屋が立ち並び,道の反対側には美しい白砂の海岸
が伸びる。その真ん中では,ある道は舗装され,ある道は砂利のままだ。こ
の道を車があちらからこちらへ,こちらからあちらへと,所狭しと走り回り,
あれば,人々はそれなりに幸せなのだ。
しかしどうして事態はこうも変わってしまったのだろう。それはただ単に,
暮らし向きの改善や,増え続ける犯罪の抑制について見通しが立たないこ
我々の生きている時代のせいにしてすむことだろうか,それとも実際に,中
とから,人々はこれらの島国を治めている政府に対して,大きな不満を抱え
に-人か二人女をまじえた男たちのグループが国を動かし,管理する方法に
ているらしい。物乞いはありふれた光景となり,特に女と子供のホームレス
最近では彼らは疎外され,老人ホームはどこも満員だ。そんな中で彼らにで
ついて無知で何も分かっていないのか。或いは展望が欠如しているのか。そ
れとも,ただ何もないというだけなのか。私たちは西洋のどこかの国のよう
になったと自認することができようか。私たちが西洋人と同じ価値,同じ態
度,同じ癖や振る舞い,彼らの衣服のスタイルを取り入れたこと,私たちが
今や大家族では生活しにくいと感じていることなどはどうだろう。私たちは,
今ではもう自分で考えているほどには孤立していない。グローパリゼーショ
ンは障壁を破壊し,あらゆる形のコミュニケーションがそれを越えて接近を
可能にした。そのことだけを見ても,もはやいかなる国も,物理的には孤立
していようが,電子回路の上では孤立してなどいない。そしてこのことは,
きそうなことといったら,自分たちの孫の世話くらいで,子供は「たまたま
太平洋の,陸地よりも多く海に囲まれた私たちとて,例外ではない。
がよく見かけられるようになった。いつもは行き届いた心遣いをもって最上
の敬意が払われていた老人は,今では脇に追いやられている。彼らは人間的
な敬意が払われていた最後の砦だったが,今ではほとんど誰からも尊敬され
ていない。その代わり,金と権力と富を持つものが人々の尊敬を勝ち得てい
る。肉体的に虐待され,遺棄され,略奪されている老人について書かれてあ
るものを目にするのは,まれではない。かつては老父母を彼らだけで住まわ
せておいたり,老人ホームに預けたりする話など全く聞かれなかったのに,
できた」のだからと彼らの世話に委ねられている。売春はほとんど公然と行
南太平洋大学、を卒業して,教養科目や自然科学,社会科学を修得した人
第1章ポストコロニアル時代の太平洋25
24
は言うに及ばず,若者やより成熟した年代のたくさんの人が,エンジニアや
コンピューター操作,医療や法律,ビジネス,建築の資格を取って,海外の
留学先から戻ってきている。だから太平洋の国々では,これらの資格を持つ
人たちであふれている。ならば,人口が少なく,その割に大勢の資格を有す
る者たちが政策立案に当たっていながら,どうして国がまだ適切に運営。管
していたり,地方から都会への移動がエスカレートし続けていたりするのは,
また,不法居住者の集落や掘っ建て小屋が海岸線やマングローブの湿原や市
街地の周辺を汚染したり,犯罪率が非常に高いので,夜に外を歩けない都市
があったりするのは,いったい何の間違いによるのだろう。パプア・ニュー
ギニアの首都であるポートモレスビーの場合のように,太平洋のある地域で
理されているとは感じられないのだろう。これらの新たな卒業生たちは,す
は,自分の家にいながら事実上囚われの身であり,そこでは法も秩序も実質
でに統一,性の妨げとなっている他の人たちと同様,無気力になったり自己満
存在しないというのは,何がそんなにいけなかったのか。1987年にフィジー
足に陥っているか,または彼らのオーストラリアやニュージーランド,アメ
で二回も軍事クーデターが起こり,今も大規模な景気後退に直面しているの
リカ仕込みの考え方があまりに白人的で先進的であるがゆえに,私たちのよ
は,何がいけなかったのか。余りに多くの疑問があるが,大抵の場合答えは
うな発展途上にある国民には適さないことから,欲求不満になっているのだ。
見いだせない。そして,しばしば住民は,「おかみ」で何が起こっているの
欲求不満はやがて無気力となり,そこから「じゃあ-体他に何ができるんだ?」
かについて,また,人々の税金が本来使われるべきところで使われていない
といった,開き直った自己満足が生じる。彼らはごろごろ転がって,朝一番
ことについて,新聞を通してしか知り得ない。外国からの援助については,
にメッセンジャーボーイが用意したカヴァ2)のカップを受け取るのだ。
その金の-部がどこに行くのか,あらゆる種類の憶測がたてられる。報道機
この論文が示すところの太平洋諸国,すなわち,クック諸島,フィジー,
関は,情報を漏らした角で政府に告訴され,直ちに報道の自由を抑制する新た
キリバス,マーシャル諸島,ナウル,ニウエ,パプア・ニューギニア,ソロ
な立法措置がとられる。人口の少ない小さな島々なのだから,それを管理す
モン諸島,トンガ,ツバル,バヌアツ,西サモアは,その中でも最大でそれ
るのはそれほど難しくはないはずだ,と人は思うだろう。大半の住民は従順
に見合った人口を持つパプア・ニューギニアを除いて,小さな群島を成し,
で,ただそこそこの住む場所と自分と子供のための食料,それに子供の教育
人□は少ない。これらの島々は,外国の援助によって生き延び,ある国は他
だけを所望し,あまり多くを欲しがらない。これらのものを持てる間は皆幸
よりももっとそれに頼っている。独立してまもなく新たな政府を創設した者
せで,破壊的な手段に訴える必要などありはしない。ところが実際のところ,
は,前の植民地統治者の残した制度を受け継いだ。これら新たな太平洋国家
その必要がますます起きているのだ。
の新たな指導者たちは,島の開発に打ち込んだ。すなわちそれを誰にとって
も安全で,健康的で,美しい場にしておくこと,そうして観光客や投資家を
3権力者と住民
引きつけるために,確実に設備を改善しておくことに。彼らは,心からそれ
に傾倒しているようだったし,またある者は更に上を行き,「新たな」国家
に対する愛国心とでも言うべきものを持っていた。
滑り出しは上々だった。が,やがて全ては滞り始めた。何が間違ったのか。
クック諸島やナウルやソロモン諸島などの国が破産したのは,何がいけなかっ
たのだろう。現在,太平洋の多くの住民が貧困ラインより低いところで生活
土地の者にせよ,海外からやってきた者にせよ,政府の指導者や投資家た
ちは可能性の話ばかりする。常に可能性はある。そう,可能性が。多くのこ
とが為され得るだろう。雇用を生み出して景気をあおるような,より多額の
投資が為される可能性がある。もし,より多額の投資が行われ,収入が生ま
れたら,生活の水準も改善されるだろう。しかし,あらゆることに対してもつ
第1章ポストコロニアル時代の太平洋27
26
と別の可能,性もある。その投資からたったの数人だけが矛U益を得る可能」性・
いからだ。なぜなら,とどのつまり彼らは国を動かしており,それはとても
投資されたお金が,何か「別件」に使われてしまった可能性。そして,それ
大きくて重大な職務なのだから。
が「誰かさん」のポケットに入ったという可能性も。
南太平洋の人々の間では,大きな不満がある。というのは,議員やら大臣
このように,住民が周縁に追いやられ疎外されてしまうのは,特権的な地
位に就く人々が更に特権を身につけて,ますます大きな富を手にする反面,
やらその他の役人などの選挙で選ばれた人たちが,一般の人々のことにあま
そうした特権の与えられていない人々は,己の生活水準を改善する手段も力
り関心を持たなくなってしまったからである。これは世界中どこへ行っても
量も持ち合わせないが故に,ますます貧しくなっていった結果である。生活
同じことだが,生活水準を改善したり犯罪と戦ったり,これの質を向上させ,
費が飛躍的に上昇するに従って,生活水準は下降するのだから,そこで悪循
あれを改良するといった公約が,常に選挙集会の中で言われながら,そのほ
環に陥ってしまう。
とんどが口先だけの約束にすぎない。当選者たちは,いったん選挙で選ばれ
新しい島喚国家の滑り出しはとても順調で,独立して十年ほどまでの問は,
るや,自分たちをその地位に就かせた当の選挙民のことなどは忘れてしまい,
数々の新しい開発と変化があった。一般的に皆満足しており,確かに世界に
しばしば無視してしまう。これらの当選した役人が自分のことしか気にかけ
誇示すべきものがあった。太平洋の島民は,その笑顔と親しみやすさで知ら
ていないのは,火を見るよりも明らかだ。彼らは権威があって,有力な地位
れており,友好的で愛想が良く,穏やかで,’性的に奔放であると思われてい
に立ち,このことを自分の家族や友人の利益のために使う。そこで発育する
る。要するに,太平洋は楽園なのだ。しかしこうしたことは,実のところ全
のは,新たなエリート,すなわちエリートの子供や友人,それに彼らの取り
て幻想である。太平洋の島民は,地球上で生活している他の人間と何ら変わ
巻きたちである。彼らは特権を持つ者となり,子供たちには奨学金が,友人
るところがない。私たちは,何らかの全く絶えてしまったわけではない豊か
たちには免許の取得や銀行からの融資の保証など,あまたの特別「措置」が
な文化遺産を今も持っているのだと主張することはできるだろう。しかし,
とられる。ではどうして我々は,利己的で国や住民の福祉について全く省み
それは確かに今日この時代においては称賛に値するが,私たちがそれをもっ
ない,指導者の「新品種」を抱えることになったのだろうか。
て,他の西洋世界よりも文化的,道徳的,精神的に優れているとして,尊大
住民の大半は社会的に省みられず,そして更に悪いことに,彼らは受動的
になるわけにはいかない。
な観察者にとどまっており,個人的な,或いは仕事の上における非難や報復
私たちは,それがどんな形の批判であれ,ともかく島のイメージをぶち壊
措置を恐れて,心の内を明かしたがらない。だがもっと悲しむべきは,これ
したり,これらの美しい島々を汚したりする批判に対して,極めて守勢の立
らの地位の低い人々は,自分の身の周りや自分の国で起こっていることに対
場をとる。私たちがここで聞きたいのは,旅行者たちがこの場所を愛し,休
して批判的であるために,自分の考えを述べることができないということで
暇を楽しんだということだけだ。どんな否定的な意見も不適切なものとして
ある。その代わり彼らは,仲間同士集まって,誰かの家でカヴァを飲むか,
見られ,せいぜい無視されるのが落ちだ。太平洋の島の指導者たちは,自分
バーで少々ビールをひっかけながら,官僚や役人の不平を言う。しかし,こ
の仕事にさえ気を留めておけばいいのであり,余所でどんな無秩序や不正が
れも家の中やバーの中だけの話である。というのも,私たちの文化の命ずる
幅を利かせていようと,他の島国のことには首を突っ込みたくないと思って
ところによれば,物事に明るく,しかも自分がしていることをはっきり認識
いる。
していると考えられている権力者に対して,楯突くようなまねはすべきでな
私たちは,西洋の国が私たちに対して持っているイメージを実現している。
第1章ポストコロニアル時代の太平洋29
28
それは,私たちが単なる第三-世界の国で,それに付随する様々な問題を抱え
ごく普通の西洋人が太平洋について抱くイメージは,平和,静寂,白砂の
ているというものだ。コロニアリストたちは恐らく,身の回りのことさえ十
浜辺,熱帯の椰子の木,それに透き通った青い海である。彼らが実際ここに
分にできない私たちのことを,物知り顔に廟笑しているのだ。彼らが見てい
来たとき,彼らはしばしばそれらと遭遇し,ただ単に興味を持つ。彼らは休
るのは,ずぶずぶと開発の泥沼に沈んでいく私たちの姿である。私たちは早
日を過ごすためにここにいるのであり,自分たちのやって来た楽園が抱える
く開発しすぎたのだろうか。私たちは自分の手に負えないものに挑んでしまっ
問題点について見聞を広めることには関心がない。ホテルの従業員やら,町
たのか。それとも単に,人口があまり急激に増えすぎたせいで,この増加に
や村の至る所に見かける人なっっこい顔や美しい笑顔は,彼らが頭の中に思
応じるだけの用意がないまま,人的物理的資産の欠乏状態におかれているの
い描いていたイメージを確かなものにする。ところが,そのホテルの従業員
だろうか。
たちの多くが,土地と教会の課す文化的な義務を果たしながら,同時に家計
不幸なことに,私たちも他の第三世界と同じようになってしまった。そこ
を統治する権力者は非常に大きな権力を手にしながら腐敗しており,住民を
をやりくりし,子供たちを養育するために奮闘していることについては,彼
らは見ようとしないのだ。
、無視し通しで,そこであえて口を開く者はごく少数派である。彼らはただも
のを言うことができるというだけで少数派なのだ。というのも,他の住民も
4伝統と西洋化のはざまで
彼らと意見を同じくしているだろうが,ただ怖くてものが言えないだけなの
だから。そこで問われるのは,では一体それはなぜかということである。
さて,ポストコロニアル時代の太平洋について語るということは,-体何
-体どうして人々は,□を開いて役人や政府官僚たちに,彼らを選出した
を意味するのだろう。それは植民者が去った後の太平洋を意味するのか,そ
当の選挙民に対して一切を弁明する責任を果たすように要請しないのだろう。
れとも元来太平洋のもので,植民者たちが取り残していったもの,そこに残
彼らに最も欠けているのは,この責任ではないか。実際のところ,権威を持
された残がいのことを意味するのだろうか。多分それはその両方,すなわち
つ者にこの責任を果たすよう要請するのは,非常に非太平洋的であり,ここ
コロニァリストが去った後の太平洋の文化と,太平洋の文化でそこに残った
でも異議を差し挟むことは許されない。異議を差し挾んだり,人々に弁明す
ものを意味するのだろう。そして恐らく,この二つを一緒にして,次のよう
る責任の履行を期待するのは,人々の考えるところでは西洋的な概念である。
に意味づけることも可能だろう。すなわち,ポストコロニアル時代の太平洋
その上,権力者に対してあえて異議申し立てする者など,誰もいなかったの
とは,太平洋の文化と伝統的ライフスタイルのうち,植民者たちが去った後
だ。
に残され,移ろい変化してしまったもののことである。
全てこういった次第なのだが,私たちは自分のやっていることに関して弁
コロニアリストたちが去ってから,それが必然的なことのように見える変
明できる人物をなぜ権力者のうちに持たないのかという問題と,今なお直面
化がたくさん起こった。けれども,太平洋の文化に影響を与えた多くの変化
しなくてはならない。私たちはいつまでも植民地主義や西洋化を,言い訳や
のうち,絶えず表に現れ,特に年輩者の間で重要な主題としてあり続けてい
スケープゴートとして用いているわけにはいかない。全ての市民が利益を得
るのは,敬意(respect)の問題で迄る゜敬意というのは,太平洋の文化に
る方向に進歩し発展していくために,私たちはもっと大胆になって立ち上が
生来的なものである。お互いに対する敬意,年長者に対する敬意,首長に対
り,役人にその責任を果たすよう要求していく必要がある。
する敬意,宗教に対する,教会に対する,そしてその長老に対する敬意,指
、
第1章ポストコロニアル時代の太平洋31
30
導者に対する敬意,そしてとりわけ土地に対する敬意がそれだ。もし敬意が
てしまう。しかしながら,人が伝統的な義務を振り捨てるのは,非常に困難
なかったら,そこには衝突が起こる。ところで,どんな形のものであれ,現
なことである。なぜなら,好むと好まざるに関わらず,それが彼らの文化な
状を乱すか,その秩序を脅かす衝突は,なんとしてでも回避されなければな
のであり,それを取り除くことはできないのだから。それは一生ついて回る
らない。これを避けるために,全てが落ち着くまで,対話と十分な量の議論
不安の種のようなものだ。
が為される。そしてこの議論の中で,人々は過去のことを思い出す。なぜな
それゆえ太平洋の文化は,人々に始終義務を負わせる伝統的な慣習に満た
ら,今日を形づくったのは過去なのだから。過去こそが現在の行動と伝統を
されている。だが彼らは,これらの'慣習に大きなプライドを持っている。な
決定し続けている。しかし,過去が暴力と部族間抗争に彩られる一方で,そ
ぜなら,彼らが誰であるかということを決定するのは,彼らの文化なのだか
れら全てを乗り越えるために多くのことが為されてきた。
ら。それは彼らのアイデンティティである。それは彼らに自信と自尊心を与
現在において過去とその重要』性を思い出そうとするのは大変難しいことだ
える。
ということが,分かってきている。過去の思い出,以前からあったことの思
太平洋の人々は,多くの葛藤に見舞われている。過去を忘却することなし
い出は,現在との間に軋礫を生み出す。太平洋に伝わる伝統を実践すること
に現在に対処すること,享受してはいるが逆説的に否定している西洋式ライ
や文化の義務を果たすことは,人々の日常生活のうちで,重要且つ意義深い
フスタイルを,かなりの程度まで生活の中で実行していると認めることがそ
部分を成していた。人はプライドと満足感を持って自分の義務を果たしてお
れである。太平洋の島民が,伝統的な義務の遂行と西洋的なライフスタイル
り,皆それを議論の余地なく受け入れていた。生まれてから死ぬまでの問,
の実践の上にまたがってたち,両者にうまく対処できているという事実は印
あらゆることのためには作法というものがあって,それぞれがある目的を持っ
象的である。ただ単に,西洋的なライフスタイルには何の義務を果たすこと
ており,重要なものだった。また人の一生の間には,他にも移しい数の儀式
も期待されていないからという理由でこれを実践し,伝統的な生活から「逃
があり,そのそれぞれがある一つの重要な働きをしていた。
避」することは,あらゆる点で容易に見える。人は匿名になり,人混みに紛
過去が現在との間に持つ軋礫は,伝統的な文化の実践が,今日の時代では
れて自由になれる。
もはや何らの目的を持つとも思われないというところにある。それは活力の
鍵はバランスをとることにある。もっとも,それを見いだすのは困難だが。
大半を失ってしまった。もし何かあるとすれば,それは必要なものではなく,
太平洋の島民が事業を興そうとしている試みに,このバランスの追求を重ね
むしろ重荷としてみられている。全てが金銭的な条件から評価される昨今で
合わせて考えることができるだろう。この場合,先住のフィジー人が事業に
は,ものの値段は本来特定の個人によるよりもむしろ共同体の中で生み出さ
乗り出そうとしているフィジーの状況が,ちょうど良い事例となる。フィジー
れるものなのに,財政的な支払いの如何によって,多くの家庭が家計に打撃
はまさに多民族,複合文化社会で,インド人がビジネスを,フィジー人が政
を被り続けている。このことは,伝統的な文化的事象を実践することが持つ
府を運営することが公然となっている国である。近年,フィジー人の指導者
重要性を永続させていこうとする組織の怒りを買うことになる。かくして,
の側から,先住のフィジー人もビジネスの面でインド人と張り合い,そうし
一方では伝統的な儀式がまだ重要であって,太平洋の文化の中でもその位置
てビジネスを広く一般に行き渡ったものとする必要がある,という声が揚がっ
を失っていないと熱烈に議論する,いわゆる「旧学派」の人々がいるかと思
てきた。たくさんのフィジー人がビジネスへの参入を試みたが,そのうち失
えば,他方で若い世代の人々は,喜んでそのような負担を手放し,去っていつ
敗した例の方が成功した例よりも多い。そうした失敗は,フィジー人の無力
第’章ポストコロニアル時代の太平洋33
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さに起因するというよりも,むしろそのシステム自体に原因がある。彼らを
アイデンティティになるのだと言われ,もう一方からは,これらのI慣例を維
-つに結びつける文化や義務の持つ意味は余りに強く,彼らはそこから「逃
持し,継続させるのは実際的でないし,それゆえ古い,慣例など忘れて,「ヨー
れる」ことができないし,たとえそう望んだとしても,排斥されることを恐
ロッパ式」のやり方に従った方がよろしい,その方が簡単で込み入っていな
れている。
いのだから,と言われる。このような状況を,人はどのように見極めるのか。
贈与と分配の文化が余りに強く染みついてしまっているので,フィジー人
世界中の人が洋服を着ているから,それがより魅力的になるのだし,誰もも
は自分の食べ物を,それが最後の一切れであっても,本当にそれを必要とし,
う腰蓑をつけないから,余計にそれが魅力的ではなくなるのだ。このジレン
おなかを空かせている人には喜んで分け与える。ビジネスにおいても同様で,
マを克服するのは困難である。両者の均衡を望んだり見出したりすることよ
もし誰かが何かあるものを求めてやってきたとしたら,彼らは渋々ではあっ
りも,むしろ生活の中でどちらか一方へ近づくことの方が容易である。
てもそれを差し出すだろう。それは,そうすることが期待されているのだか
太平洋の島では,決断と政策立案に関わる指導者や公務員たちが,西洋の
ら。そして少しでも返してもらう心づもりでいると,嫌な目で見られる。文
官僚主義的な流儀を心得ている。経済的に,また「自立して」生き残るため
化的な義務とは,このことに尽きる。すなわち,嫌だというのは,フィジー
には,彼らは西洋諸国の援助や支援に頼ってこなければならなかったからだ。
的でない。だから,もしフィジー人が小売店の形で小さな店でも経営しよう
これらの指導者や,多くの場合西洋で教育を受けた公務員たちは,西洋的な
ものなら,遅かれ早かれ親戚や友人たちのツケが高額に達しているのに気付
交渉の技量に関して,非常に「はしっこく」なった。彼らは,朝家を出ると
き,しかも彼らがその債務を支払わないということが分かるだろう。カユといっ
きに,生活の中の伝統的な部分を全て後に置いてきて,ファックスや電子メー
て,恥ずかしくて取り立てにも行けないのだ。早晩,彼は出納の帳尻を合わ
ル,それに国際的なドナーとの精力的な会合が支配するオフィスへと出かけ
せることができなくなり,ついには店をたたむことを余儀なくされる。西洋
る。彼らは,白人たちが我流の進め方でビジネスに携わり,伝統的で太平洋
的な概念による店や会社の経営は,フィジー人の伝統的,文化的義務と大き
式の,島の流儀というものを何も理解していないと主張するだろう。しかし
く食い違うのだ。
ながら島の指導者は,西洋の強国が弱小国を援助してくれることを期待して
それゆえ,フィジー人がビジネスに成功しようと思えば,西洋的な概念と
フィジーの文化的伝統のバランスを見出すことが不可欠となる。断ることを
いる。たとえ,西洋側の設定した,ある一定の条件に従わなければならない
としても。
身につけ,そのための勇気を見出すのは難しいことだが,だめなものはだめ
歳月がたつにつれて,変化の過程はますます劇的なものになってきている。
と言える強さを持っていなければならない。成功したフィジー人は,その困
その起点は昔に遡ることができても,太平洋の島喚国家が海外からの援助を
難な方法を身につけた人である。なぜなら,成功への道のりの半分は,西洋
大量に受け始めた頃から,それははるかに激化している。援助は高く評価さ
的な方法を採ることにあるので,それを身につけると,最終的には必ず成果
れながら受け入れられている。援助があれば,小さな島喚国家であっても,
を上げるからである。
この上なく必要と感じている開発を持続させることができるからだ。開発に
しかし,バランスを維持するとなると,それを見いだすこととはまた話が
よって,人々が生活の改善とみなしていることが生じるので,新しい開発は
違う。バランスを維持するためには,真剣な考察や内省や状況の見極めなど
いつも歓迎される。-私たちには,バスや車の走る,良い道路が必要で
を必要とする。だが一方からは,文化と伝統は重要なものであり,おまえの
ある,もうその道のりを歩くには,余りに遠くなってしまったから。私たち
[
第1章ポストコロニアル時代の太平洋35
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には,良い医療機関が必要である,伝統医療はそれほど信頼できないから.
た安逸の特権を抱え込んだまま,それに甘んじている。彼らは自らが手本と
それに,それをうまく執り行える人間がほんのわずかになってしまったか,
なって,音頭をとるようなことはしない。それと言うのも,人々がそうあっ
或いは皆死んでしまったから。私たちが仕事を持つことができ,コンクリー
てほしいと思っていることは,彼ら指導者たちが期待していることではない
トの家に住むことができるように,産業を興すことが必要である,漁師になっ
のだから。しかしながら,人々は指導者について声を潜めて不平を言いつつ
て,椰子の葉で屋根を葺いた家に住むのを,皆が望んでいるわけではないの
も,自分たちの指導者とその振る舞いや職務執行の仕方を,おとなしく受け
だから。しかし,中でも最も重要なのは,私たちが学校で教育を受けるため
入れている。ところが指導者の方はというと,もしそれがそなわっていれば
のあらゆる条件をそなえているということだ。でなければ,この市場経済の
自分自身を改善し,人々と国家のために力を注ぐことにつながっていくはず
世界で,どのようにして生き残ることができよう。全てこれらのことは,開
の,内部を見据え,問題点を打ち出していく能力に欠けている。
発の名の下に行われる。
太平洋の詩人や作家たちは,独立後間もない頃の作品の中で,かって太平
太平洋の島民は,自分たちのライフスタイルを味わい,享受している。共
同体の意識と情緒は人々を心丈夫にし,自信を持たせる。共同体の中で暮ら
洋に生じ,そして今なお起こり続けている様々な変化を嘆き悲しんでいる。
すのが生活の習'償だったし,今日においてもそれはだいたい継続しており,
祖父母が自分の周りに子供たちを集めて昔話を語って聞かせるような,物語
永久的なものとなっている。時として,特に都会にその中心をおく会費制の
りの時代は終わった。年長者たちは,若者の敬意の足りなさとか,自分たち
系統が見られることもあるが,それでも広範な家族の制度は,依然として強
の文化と慣習に対する関心や知識の欠如,また,彼らの不遜な態度やその服
力に機能している。
装などにはぎょっとさせられる,といって責めたてる。これらの変化や若者
伝統的な義務を果たすには,働いてお金を稼ぐ必要がある。たくさんのお
に一般的な品行は,時代の変遷によるものとされ,中でも特に西洋化にその
金を持ったり稼いだりするようになればなるほど,多くの寄付を求められる
原因があると考えられている。
ようになるが,もしそれを断ると,共同体から疎外されることになる。そし
太平洋の島々が新たに独立したとき,そこで起こっている様々な変化に対
て共同体から排除されることは,自分のアイデンティティを失うのも同じこ
して,一旦それを受け入れると自分自身の一部を失うことになるのだから用
とで,自分は誰でもなくなってしまう。参加することは帰属することで,太
心するよう,人々に呼びかける者が誰もいなかった。たとえ周囲にそのよう
平洋の島民は帰属することを望んでいる。彼らが自分のアイデンティティを
な警告を発する人がいたとしても,開発への移行の方がもっと魅惑的だし,
見出し認識するのは共同体においてであるのだから,彼らにとって共同体に
誰も人の言うことに耳を傾けたがらなかったので,聞く耳を持つ者もなかっ
属するのは重要なことなのだ。だが,ここにジレンマがある。彼らはあえて
た。もちろん全く皮肉なことなのだが,私たちは西洋の流儀に馴らされて初
西洋のあらゆるものを全面的に採用することによって,自分のアイデンティ
めて,自分の文化を正しく評価できるようになる。だが,そのころにはもう
ティを無くしているのだろうか。そうするしか仕方がないのだ。太平洋の社
遅すぎる。なぜなら,私たちは西洋文化の良いところばかりを求めるあまり,
会と文化においては,正道を踏み外し,変化してしまったあらゆることを西
他方で自国文化を理解し,その真価を認識することができなくなっているか
洋化のせいにしているにもかかわらず,彼らはそれを受け入れ,生活の中で
らだ。では,我らが指導者たちはどうだろう。悲しいことに彼らは,伝統の
実践している。今日の世界において,数々の大規模な変化に直面しながら,
大切さを口先だけは説き,それを信奉してはいるものの,西洋が与えてくれ
いかにして文化的アイデンティティを保持し続けるか。このことは,太平洋
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の指導者や島民たちが答えを出していかなくてはならない懸案である。
私たちは,自分たちが世界中の他の誰とも異なっていることを誇りに思う。
特別な場合や大事な儀式などにおいては,伝統的な』慣習の軸となる部分をい
まだ保持し,存続させているということが,私たちの特長である。このこと
は,科学技術の発達した資本主義のこの時代に,太平洋はまだ独自のものを
持っているということを,世界中の人々に印象づけている。なぜなら,世界
の大方のところでは,ただ伝統の記憶をかろうじてとどめるに過ぎないのに,
太平洋の人々は自分が誰であるかを認識し,自分たちの豊かな文化的遺産を
誇りに思っているからである。
(後藤正憲。訳)
訳注
1)南太平洋大学UniversityoftheSouthPacific
フィジーの首都スバに本部を置く国際教育機関。1970年に発足し,クック諸
島,フィジー,キリバス,ナウル,ニウエ,西サモア,ソロモン諸島,トケラ
ウ,トンガ,ツバル,バヌアツがその加盟国となっている。
2)カヴァKava
オセアニア地域に広く分布するコショウ科草本性潅木Pipermethysticumの
一般名称であり,その根から作った飲料の名前。儀礼の際に飲用したり,薬用
または享楽としても飲む。
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