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ふなばし おさんぽマップ 西エリア

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ふなばし おさんぽマップ 西エリア
おさんぽマップ西エリア
県立船橋
特別支援学校
船橋の「歴史」再発見コース ︿
湧水と歴史の町
西船橋出張所
-
念仏堂
﹀
山 中山法華経寺
※所要時間約3~4時間から一日コース(徒歩)
⑥中山競馬場→⑦常楽寺→⑧妙見神社→⑨葛羅の井→⑩宝成寺→⑪春日神
社と西図書館→⑫葛飾神社→⑬葛飾神社の池→⑭東明寺→⑮羽黒神社→
⑯二子浦の池→⑰二子藤の池→⑱多聞寺→⑲西部公民館・吉澤野球博物館→
⑳妙圓寺→㉑参道の商店街・黒門→㉒三門=赤門=仁王門→㉓日蓮宗 大本
①京成線「西船」駅~②正延寺→③成瀬地蔵→④八坂神社→⑤ゲエロの池→
http://www.funakan.com
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015
FUNABASHI POCKET GUIDE 014 FUNABASHI POCKET GUIDE
西船橋
出張所
二子浦の池
ふなばし 西エリア
おさんぽマップ
おさんぽマップ西エリア
-
日蓮宗 大本山
中山法華経寺
三門=赤門=仁王門
金蔵寺
③
犬山城主、成瀬正成の次男・之成が
この栗原の地を継ぎましたが、宇都
宮・吊天井事件に連座して切腹。そ
の跡を1歳の之虎が継ぎましたが5
歳で夭折。貞享4年(1687)、之成
の怨霊供養と夭折した之虎や地元の
子らのために、印内村・木戸内の名
主田中徳左衛門・忠左衛門の両人と
女性だけの念佛講中によって寄進さ
れた地蔵です。
街のあちらこちらに樹齢数百年の年輪を重ねる大樹が茂り、
清らかな水がこんこんと湧き出る景勝の地・葛飾。そこに
は、哀しい時代の定めに心を寄せた女性たちが建てた〝成瀬
地蔵〟
。悠久の歴史を今に伝える、ゆったりとした佇まいの
〝じゅえむの里〟。澄んだ湧水の溜まりに、群れて泳ぐ黒めだ
かの姿や、雑木に絡まるカラスウリの赤い実など、探し求め
ていた懐かしい自然の風情と先人の息吹が感じられる心安ら
ぐコースです。
http://www.funakan.com/
①
京成線
「西船駅」
(旧
「葛飾駅」
)
かつて駅名は葛飾だった京成西
船、 開 業 は 大 正 5 年(1916)
。
当時、駅周辺は葛飾郡葛飾町。
駅名改称は昭和 62 年(1987)
。
住居表示が西船となり東京の葛
飾区と紛らわしい・・などが理由。
北側には船橋市立葛飾小、葛飾
中学が
あり元の地名
「葛飾」
に愛着の地元住民
は違和感。駅名を元に戻す運動があり
ました。今、上野方面ホーム上に「葛
飾の由来」を示す説明板。駅名標には
「
(旧葛飾)
」
の表記があります。
②
正延寺
※ここから、踏切を渡らずバス通りを横切り、京成線沿いの小路をそのまま
進めば、
「房総古道・つばき道」
に至り、静けさとのどかな四季折々の風景に
出会うでしょう。
016 FUNABASHI POCKET GUIDE
④
八坂神社
神社の主神は須佐之男命。仏教
の祇園精舎の守護神・牛頭天王
を併せた祭神で “印内の天王様”
と親しまれ「神仏習合時代」の名
残りがあります。参道の右手に
は根元からニ本に立上がるヤブ
ツバキ。船橋銘木 10 選、
「夫婦
椿」の名で親しまれる見事な枝
振 り。 例 祭 は 毎 年 7 月 22、2
3日。2 点棒の神輿が渡御、ゆすり込みを行う。
※なだらかな坂道をさらに進むと、ゆったりとした佇まいに〝体が大きくて
力持ちであった「重右エ門(じゅえむ)の里」物語〟が重なります。モデルの居
宅は、この辺りと言われています。
⑤
明治41年(1908)
、延命院跡
に正覚寺と延命院が合併した寺。
本尊・胎蔵界五智如来像は、正
覚寺の地中より掘り起こされた
という伝承をもつ秘仏で、平安
時代の作と推定され、船橋市最
古級の仏像で県文化財に指定さ
れています。本殿前の左手樹木
の下に江戸時代の「十九夜講中」
(女人講中)
があります。
成瀬地蔵
ゲエロの池
ゲエロの池にはかつて、たくさ
んのホタルやウシガエルなど多
くの生き物がいました。溢れ出
る豊かな水はその辺一帯の水田
や畑などに利用され、収穫した
野菜の洗い場にもなっていたと
伝わります。急激な都市化の波
に一時はゴミが捨てられるよう
な汚れた池になっていました
が、今は、地元住民、市民の憩いの場として整備され、池の名
前も
[ゲエロの池]
。ゲエロは
「カエル」
のこと。以前、ゲエロ溜(た
め)
とも呼ばれていたことからと言われています。
017
FUNABASHI POCKET GUIDE おさんぽマップ西エリア
おさんぽマップ西エリア
京成線「西船」駅~成瀬地蔵~八坂神社・
じゅえむの里~葛飾湧水群(ゲエロの池・
葛羅の井・葛飾神社の池・二子浦の池・
二子藤の池)周辺~中山法華経寺
中山競馬場
⑨
江戸時代から現・西船周辺の名所の
一つ。葛飾明神(葛飾神社の前身)の
御手洗の井。傍らに江戸の文化人・
大田南畝(蜀山人)筆の碑があります。
久しく忘れられていましたが、戦後
永井荷風が随筆「葛飾土産」で紹介し
有名になりました。道端には、船橋
名木 10 選の「ケヤキ」が、どっしりと
した容姿を見せています。
中山競馬場の始まりは明治 40 年
(1907)につくられた松戸競馬
倶楽部。後に陸軍省の接収を受け
幾多の変遷。昭和 12 年に日本競
馬会(現・中央競馬会 = JRA)に
統合されました。重賞レース有馬
記念は全国注視、ヒマラヤ杉のク
リスマスツリーは歳末の風物詩と
なっています。競馬開催時の入場
料は 200 円、場外発売時は無料。周辺には民間駐車場が多数あり
ますが多くは地元農家が経営しています。船橋は首都圏の貴重な新
鮮野菜供給地で、西船地区では小松菜、枝豆、ホウレン草、ネギが
栽培され【西船ブランド野菜】として小松菜、枝豆が指定されていま
す。競馬場賑わう土日には駐車場一角に「直売所」もあります。
⑦
常楽寺
⑩
南東向きの小高い場所で海が見
渡せたことから「海見山」とも言
われます。境内から、鎌倉時代
の阿弥陀三尊板碑、付近の墓地
からは、南北朝時代の板碑が出
土しましたが、現在、墓地の一
角で目にできるのは、脆く破損
した板碑です。
⑧
妙見神社
018 FUNABASHI POCKET GUIDE
曹洞宗 茂春山 宝成寺
宝成寺は曹洞宗の禅寺。宝冠釈
迦如来を本尊に創立は天正年
間。 家 康 江 戸 入 府 に 際 し 長 久
手の戦い、関ヶ原で軍功あった
成瀬正成に下総国葛飾郡栗原郷
に 4 千石を与えました。領地内
の法城寺の「法」を「寳(宝)」とし
「城」を成瀬の「成」に替え菩提所
としました。家康の子義直が尾
張徳川家創設に正成は後見役として尾張犬山城主となり栗原は
次男之成に譲りました。之成 39 歳で没し、跡目 1 歳の之虎が
家督を継ぐも 5 歳で夭逝。栗原藩成瀬家は断絶しましたが、明
治 9 年までの墓碑が在ります。本堂は平成 20 年落慶。前本堂
は犬山五代城主成瀬隼人正泰が天明9年建立のものです。
⑪
中世に下総を支配した豪族千葉
氏にかかわる神社であると言わ
れています。かつて大きな黒松
が神社境内にそびえていました
が、枯れ、樹齢 500 年の年輪
を刻んだ松の一部が奉納されて
います。
葛羅の井
春日神社と西図書館
京 成 西 船 駅 か ら 徒 歩 2 分。 J
R 西 船 駅 北 口、 国 道 14 号 を
越えて春日山と呼ばれる丘に
鎮 座 す る 春 日 神 社。 境 内 は 船
橋市の指定樹林で都会の喧噪
の中 4 , 351 ㎡(1 , 300 坪)と
広 く、 幹 周 り 3 m の 松 の 大 木
が何本もある別世界。
『 かつし
か田圃の記』石碑裏には「鳰(に
ほ)鳥の 葛飾早稲(わせ)を饗(にへ)すとも その愛(かな)しき
を外(と)に立てめやも」と、万葉集の恋歌が刻まれ古代のロ
マンを誘います。松林越しに郷土史料豊富、お洒落な図書館。
周辺の住所は「西船」ですが春日山だけは旧住の「印内町」です。
019
FUNABASHI POCKET GUIDE おさんぽマップ西エリア
おさんぽマップ西エリア
⑥
葛飾神社
⑮
JR西船橋駅北口千葉街道を市
川方面へ進むと、道路中央に大
きな街路樹があります。山側に
ある勝間田公園(旧勝間田池)の
隣にご鎮座が「葛飾神社」。御祭
神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
と、彦火火出見尊(ひこほほこ
でのみこと)に熊野大神。元は
葛飾村本郷に鎮座していました
一郡総社の葛飾大明神が始まりでしたが、明治時代後期の神社
整理令を受けて大正 5 年に現在地にありました熊野神社と合祀
されました。社殿は、船橋市名木 10 選、堂々とした枝振りの
見事な黒松を背景にしています。
⑬
葛飾神社の池
国道 14 号線から南面への下り
坂道の一角にあり、こんこんと
わき出る澄んだ泉に思わず歓
声。手を叩くと、竹林や水草の
植え込みの奥から、整然と並ん
だ大きな鯉たちが神の使いのよ
うに現れます。
⑭
東明寺
国道 14 号線の北側に位置する
東明寺は室町時代末、弘治 3 年
(1557)誓譽上人の開基と伝わ
る浄土宗の古刹。本尊阿弥陀如
来を初め脇座円光大師、薬師如
来像を奉ります。薬師如来は珍
しい古仏で行基菩薩の作と伝え
られ、部田薬師如来と刻した古
碑や木版画があります。部田は
小字名でかつて寺下の水田を「薬師下」とも言ったと云います。
薬師仏、十二神将を安置していて山号は薬王山、院号が神将院。
古くから人々の信仰を集めています。
020 FUNABASHI POCKET GUIDE
羽黒神社
東明寺の坂道を登ると二子村の
鎮守、氏神さまの「羽黒神社」。
羽黒権現とも呼ばれますが明治
時代の中頃現在地に移されたと
伝えられます。この神社はその
昔、二子村の「羽黒講中」の人々
が出羽三山に参拝、羽黒山の行
者によりこの地に勧請されたと
伝えられます。神社整理令で周
辺の小さな神々を合祀。妙見菩薩は室町時代、弘治 3 年創建と
される東明寺に祀られています。広く手入れされた静かな境内、
幹太く高い樹木の梢を見てゆったりとした気分になります。
※リタイヤの方はここで、電車に乗れます。
⑯
二子浦の池
国道 14 号線沿いには「葛飾湧
水群」と呼ばれる幾つもの湧水
がありました。二子浦の池もそ
の一つですが、都市化の激しい
中、今は “湧き水” から「溜り水」
でしょうか。それでもホッとす
る空間になっています。平成5
年、船橋市は「エコシティ」とし
て国の指定を受けて、都市の開
発と自然環境のバランスよい共存計画をさまざまに試み、今は、
船橋市の「環境共生まちづくり条例」に基づき「二子浦の池」も東
中山湧水池保存会により維持管理されています。
⑰
二子藤の池(藤棚の池)
鎌倉時代からの古刹、多聞寺の
向い側の
「藤棚の池」。この一帯、
街道に沿って東西に溜め池が並
んでいました。昭和 20 年代後
半までは水田へのひき水や水稲
の種籾(たねもみ)を浸けて発芽
を促すタナヤ(種井)として利
用され「タナヤの池」とも呼ばれ
ました。溜はいずれも良好な湧
水を誇り田畑や生活に密着した存在です。
「二子藤の池」の名は
は藤の古木に由来します。春になると行われる、溜さらい、川
さらいではウナギ・コイなどが大量に獲れ、それを魚屋に売っ
て慰労会の費用とした、とも言われます。
021
FUNABASHI POCKET GUIDE おさんぽマップ西エリア
おさんぽマップ西エリア
⑫
多聞寺
鎌倉時代末期の永仁 6 年(12
98 年)
、日蓮の直弟子・日伝上
人の創建と伝えられる多聞寺。
平成 16 年から檀家によって老
朽化した本堂の建て替えの話し
合いがもたれ平成 20 年 10 月
に本堂は新築完成。今は、さら
に境内や墓地などを整備し 22
年春、お釈迦様の誕生日に近い
4 月 10 日、落慶法要が盛大に営まれました。山門を入るとかつ
て毘沙門堂がありましたが解体されて、毘沙門天は本堂の然る
べくところに安置されています。二子浦と呼ばれていたこの辺
りは日蓮上人が鎌倉への布教の船出をしたと伝えらています。
⑲
西部公民館・吉澤野球博物館
千葉街道・国道 14 号線沿いの
西部公民館は船橋市で最も古い
公民館の一つですが、平成 20
年 4 月に児童ホームと老人憩い
の家を併設、3つの機能を持っ
た複合施設となりました。住宅
密集の中山地区で市民活動の場
として親しまれ利用者が多くあ
ります。隣接の財団法人吉澤野
球博物館は「東京六大学野球」にスポットをあてた博物館です。
一階の第一展示室には明治初期からのアマチュア野球の資料な
どを豊富に展示。二階は美術展示室で財団所蔵作品の常設展示
を行っています。開館日:火、水、土、日曜日(夏期・年末年
始は休館) ※入館料 大人 500 円
⑳
妙圓寺
日 蓮 宗 の 東 照 山 妙 圓 寺。 寛 文
10 年(1670)の開山。本堂に
出世開運の神として有名な毘沙
門天像と大宮権現像を祀り、霊
験あらたかな毘沙門天として近
在に有名です。毘沙門天は伝教
大師作とも言われ、文化庁の調
査では「国宝級ではあるが関係
文書がなく惜しい」と言われま
した。江戸時代のこの辺りの名主・御代川伝兵衛の供養塔もあ
ります。
022 FUNABASHI POCKET GUIDE
㉑
参道の商店街・黒門(総門)
下総中山は法華経寺の門前町。JR駅
ホームからは眺望よく赤門の屋根が見え
ます。駅前から北に商店が並び国道 14
号を越え京成の踏切を渡ると総門が立っ
ています。朱塗りの三門に対して黒塗り
で『黒門』と呼ばれますが、形式は江戸時
代の高麗門。控柱に支えられた本柱、屋
根は銅板葺き。このほど総費用約 1 億円
で保存修理完成。黒門前までが船橋市で
黒門からは市川市です。商店会も船橋・
中山商店会と市川・中山参道商店会です。
市川側は電柱が撤去され、電線を地中へ
移設し、参道も整備されました。船橋側も安全と景観の向上の
ため近く工事予定です。
㉒
三門=赤門=仁王門
三門(さんもん)は朱塗りのため
に通称「赤門」と呼ばれていま
す。 何 度 も 災 害 に 見 舞 わ れ 現
在の赤門は大正年間に再建され
たものです。左右に仁王像が置
かれ「仁王門」とも呼ばれていま
すがその広壮な姿は関東でもま
れ。扁額(へんがく)の『正中山』
は江戸時代、寛永三筆の一人、
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の筆で、法華経寺にはこの他、
光悦の書いた扁額「祖師堂」
「妙法花経寺」
「通本」があります。三
門前の石碑
「南無妙法蓮華経」
のヒゲ題目、金文字が眩しい。
㉓
日蓮宗 大本山 中山法華経寺
法華経寺には祖師堂をはじめ、
法華堂や四足門など多くの国指
定重要文化財があり、
「聖教殿
(しょうぎょうでん)」には『立正
安国論』や宗祖・日蓮の著書な
ど貴重な国宝、重文が保存され
ています。鬼子母神は子育て、
安産祈願で名高いが、加賀藩主・
前田利光公寄進の五重塔は春は
桜、秋は紅葉など、どの季節も絵になります。平成 11 年から
始まりました「中山薪能」開催時には、重要文化財の五重塔をラ
イトアップ。
「骨董市」
も年二回開かれ、
「朝市」
も定着。お寺を中
心に地域活性化、文化振興を図っています。
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FUNABASHI POCKET GUIDE おさんぽマップ西エリア
おさんぽマップ西エリア
⑱
かつて栗原郷と呼ばれた旧葛飾町一帯は江戸時代の大
名成瀬家の領地。家康の側近で後に尾張犬山城主の成
瀬正成はじめ正成婦人や成瀬家代々の墓碑。
024 FUNABASHI POCKET GUIDE
1915 年(大正 4)船橋海軍無線電信所創設。大平
洋戦争の時、真珠湾攻撃部隊に「ニイタカヤマノボレ
1208」の電文発信が知られている。
行田公園
旧日本海軍無線基地跡
船橋無線塔記念碑
古作の「桜並木」
競馬場南側、県道の松戸 原木線と葛飾、行田線を結
ぶ「印内 古作線」は東西 800 m。両側 120 本の桜
で【さくら道】と呼ばれる。
宝成寺 成瀬氏の墓
市内唯一大名関係の墓
中山競馬場
田村能里子の壁画
季々遊々(1989年)
1986 年文化庁芸術家在外研修員で中国滞在の田村
能里子さんは 1988 年、西安のホテル唐華賓館にニ
都花宴図。季々遊々は 2 作目。縦 1.8m ×横 14.8m
写真は部分
平成 20 年 10 月落慶の本堂、格縁や竿縁を入れない
「鏡天井」に市川市在住の画家、櫻庭春来さんが仏を
守護する生き物と伝わる「龍」を描いた。
宝成寺 本堂
天井画「雲龍図」
平成 2 年に競馬場の改修で、広くファンに親しまれて
いた「旧正門」を復元。
025
FUNABASHI POCKET GUIDE おさんぽマップ西エリア
スポット
中山競馬場
メモリアルゲート
おさんぽマップ西エリア
クローズアップ
Fly UP