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被害記録による首都圏の歴史地震の調査研究

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被害記録による首都圏の歴史地震の調査研究
3.3.2 被害記録による首都圏の歴史地震の調査研究
(1) 業 務 の 内 容
(a) 業 務 の 目 的
過 去 約 400 年 間 に 首 都 圏 で 発 生 し た 被 害 地 震 の う ち 、既 に よ く 知 ら れ て い る 元 禄 ・ 安 政
江戸・大正関東三大地震を除いた中から、問題とすべき被害地震を選定し、史料の発掘・
データベース化ならびに被害発生地点の現代地図上への照合作業から詳細震度分布図を作
成する。また、古史料が描き出す地震像から、震源位置や発生メカニズムを議論する。
(b) 平 成 2 0 年 度 業 務 目 的
昨 年 度 に 議 論 し た 文 化 九 年 十 一 月 四 日 ( 1812 年 12 月 7 日 ) の 神 奈 川 地 震 に 引 き 続 き 、
被害記録から取り上げるべき被害地震を選定し、史料の収集ならびにデータベース化作業
を 実 施 す る 。ま た 、照 合 作 業 か ら 詳 細 震 度 分 布 図 を 作 成 し 、そ の 地 震 像 に つ い て 議 論 す る 。
(c) 担 当 者
所属機関
東京大学地震研究所
役職
准教授
氏名
メールアドレス
都司嘉宣
(2) 平 成 2 0 年 度 の 成 果
(a) 業 務 の 要 約
江 戸 時 代 に 関 東 地 方 で 発 生 し た 2 つ の 被 害 地 震( 寛 政 二 年 十 一 月 二 十 七 日( 1791 年 1 月
1 日 ) の 埼 玉 県 地 震 な ら び 天 保 十 四 年 二 月 九 日 ( 1843 年 3 月 9 日 ) の 神 奈 川 県 西 部 地 震 )
について被害記録を収集し、データベースを作成した。また、得られたデータベースを基
に広域・詳細震度分布図を作成し、これら 2 地震の地震像について議論した。
(b) 業 務 の 成 果
既刊行の歴史地震史料の史料集として、東京大学地震研究所発行の「新収・日本地震史
料 」( 全 5 巻 、 別 館 含 め 22 冊 、 東 京 大 学 地 震 研 究 所 、 1981~ 1994) 1 ) が あ る が 、 こ の 歴
史 地 震 史 料 集 は ほ ぼ 1990 年 ご ろ ま で に 発 行 さ れ た 市 町 村 誌 に 基 づ い て 刊 行 さ れ た た め に 、
それ以後に発行された市町村誌に紹介された地震史料は収録されていない。そこで本課題
研 究 で は 、こ の よ う な 既 刊 の 歴 史 地 震 史 料 集 の 発 行 状 況 を 考 慮 し て 、関 東 7 都 県 の 各 都 立・
県 立 図 書 館 に お い て 1990 年 以 後 に 発 行 さ れ た 市 町 村 誌 を 対 象 と し て 、 新 た に 紹 介 さ れ た
地震記事を集積した。その全面的な整理、およびデータベース化にはいま少しの年月を要
す る が 、 今 年 度 に 取 り 上 げ た 寛 政 二 年 ( 1792) の 埼 玉 県 地 震 な ら び に 天 保 14 年 ( 1843)
の神奈川県西部地震のデータベース化、および詳細震度分布の解明作業には、今年度まで
に行った史料収集活動の成果を反映している。
1) 業 務 の 実 施 方 法
あ る 1 つ の 地 震 事 例 に つ い て 、い く つ か の 原 文 書 が そ の 地 震 の 状 況 を 記 録 し て い る 場 合 、
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1 対象地点、1 事象ごとに 1 枚の電子的カードを作成する。そして、少なくともその 1 地
点 で 、震 度 を 推 定 し う る 記 述 を デ ー タ ベ ー ス 上 に 原 則 と し て 現 代 語 で 記 載 す る も の と す る 。
このようにして得られたデータベースから、震度分布図を作成し、その地震像について議
論する。
2) 寛 政 二 年 十 一 月 二 十 七 日 ( 1791 年 1 月 1 日 ) の 埼 玉 県 地 震
五 日 市 増 戸 ( 東 京 都 あ き る 野 市 五 日 市 ) で は 、「 所 々 の 石 塔 、 石 地 蔵 倒 れ 」 と 記 録 さ れ
た 被 害 記 録 が 残 さ れ て お り 、震 度 は 5 強 で あ っ た と 推 定 さ れ る 。ま た 、蕨 宿 北 町 (埼 玉 県 蕨
市 )で は「 所 々 の 墓 所 石 塔 大 半 倒 れ 、砕 け も あ り 」と 記 録 さ れ 、震 度 5 強 で あ っ た と 見 積 も
ら れ る 。 川 越 の 喜 多 院 ( 埼 玉 県 川 越 市 小 仙 波 町 ) に は 、「 内 陣 棚 鏡 倒 れ 、 御 瑞 籬 そ の 他 外
れ破損場所多し。大破場所多し。御宮本社御屋根西北の角崩れ落ち」と記録された史料が
残 さ れ て お り 、 同 様 に 震 度 5 強 で あ っ た と 推 定 さ れ る 。 ま た 、「 阿 部 侯 廟 所 御 宝 塔 等 曲 が
り 」( さ い た ま 市 岩 槻 区 加 倉 )、「 奥 土 蔵 は ち ま き 二 間 ほ ど 、 大 壁 一 坪 ほ ど 落 ち 、 左 官 へ 見
積 も ら せ た 。 老 女 弁 天 壁 少 々 落 ち る 」( 江 戸 浅 草 )、「 西 の 丸
橋 杭 添 え 木 御 堀 内 へ 落 」( 江
戸城)と記録された史料から、これらの地域は震度 5 弱であったと見積もられる。このよ
う に し て 得 ら れ た 寛 政 二 年 十 一 月 二 十 七 日( 1791 年 1 月 1 日 )の 埼 玉 県 地 震 に よ る 広 域 震
度 分 布 、 被 害 発 生 域 の 詳 細 震 度 分 布 図 を そ れ ぞ れ 図 1、 図 2 に 示 す 。 こ の 地 震 の 被 害 発 生
域 や 遠 方 地 域 で の 有 感 震 度 分 布 は 、1931 年 の 西 埼 玉 地 震 に 類 似 し て い る 。ま た 、こ の 地 震
が 天 明 小 田 原 地 震( 1782)の 9 年 後 に 発 生 し た 点 に も 着 目 し た い 。西 埼 玉 地 震 (1931)は 大
正 関 東 地 震 (1923)の 8 年 後 に 発 生 し て お り 、 神 奈 川 県 西 部 で 地 震 が 発 生 す る と 、 数 年 の う
ちに埼玉県を被災域とする内陸地震が起きるのには、何らかの法則性がある可能性も考え
られる。
次に、得られた震度分布図から地震のマグニチュード、震央位置について議論する。松
村 ( 1969) 2 ) は 震 度 5 の 半 径 r5 と 本 震 の マ グ ニ チ ュ ー ド と の 間 に
log r5 = 0.5M 5 − 1.85
の 関 係 が 成 り 立 つ こ と を 導 き 出 し た 。図 2 か ら 、震 度 5 の 領 域 の お お よ そ の 半 径 r5 は 25km
程 度 と 見 積 も ら れ 、 こ の 経 験 式 に よ り 推 定 さ れ る マ グ ニ チ ュ ー ド は 6.5 で あ る 。 ま た 、 そ
の 震 央 位 置 に つ い て 緯 度 経 度 0.1 度 格 子 点 を 基 準 と し て 推 定 す る と 35.6°N、139.5°E と 推
定される。
3) 天 保 十 四 年 二 月 九 日 ( 1843 年 3 月 9 日 ) 神 奈 川 県 西 部 地 震
天 保 十 四 年 二 月 九 日 ( 1843 年 3 月 9 日 ) に 神 奈 川 県 西 部 か ら 、 山 梨 県 道 志 村 、 お よ び
静岡県御殿場地方を被害域とする内陸地震が発生した。その広域震度分布を図 3 に、被害
地域の詳細震度分布を図 4 にそれぞれ示す。
以下に、この地震の被害発生地点の状況を述べる。神奈川県松田町寄(やどろぎ)およ
び 萱 沼 で 、石 垣 ・ 堤 防 の 崩 れ 、3~ 15cm の 地 割 れ を 生 じ た 記 録 が 残 さ れ て い る 。神 奈 川 県
津久井町青野原では、
「 石 塔 石 灯 籠 残 ら ず か し ぐ 」と い う 記 述 が 残 さ れ て い る 。静 岡 県 御 殿
場市山之尻では、
「 地 蔵 堂 、天 王 宮 破 損 、蓮 静 寺 破 損 多 」と あ る 。八 王 子 で は「 庭 3 間( 約
5m) 地 割 れ 、 馬 死 あ り 」 と あ り 、 小 田 原 で は 「 下 級 武 士 の 住 む 幸 田 橋 長 屋 破 損 」 と あ る 。
このほか、東京都町田市小野路の小島家文書に「川付近は残らず地割れ、家よろひ」と記
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された記録が残されている。これらの地域の震度はいずれも 5 強であったと推定される。
震 度 5 の 範 囲 は 円 で は な い が 、 震 度 5 の 範 囲 と 等 し い 面 積 と な る 円 の 半 径 ( 23km) か ら
松 村 ( 1969) 2 ) の 式 に よ っ て 推 定 さ れ る マ グ ニ チ ュ ー ド は 6.4 と な る 。 ま た 、 そ の 震 央 位
置 は 35.5°N、139.2°E と 見 積 も ら れ る 。こ の 神 奈 川 県 西 部 地 震 の 十 年 後 の 嘉 永 六 年( 1853)
に は 「 嘉 永 小 田 原 地 震 」 が 発 生 し て お り 、 神 奈 川 県 西 部 地 震 ( 1843) は 、 そ の 広 義 の 前 震
をしての意味を持つ可能性がある。
(c) 結 論 な ら び に 今 後 の 課 題
江 戸 時 代 に 関 東 地 方 で 発 生 し た 2 つ の 被 害 地 震( 寛 政 二 年 十 一 月 二 十 七 日( 1791 年 1 月
1 日 ) の 埼 玉 県 地 震 な ら び 天 保 十 四 年 二 月 九 日 ( 1843 年 3 月 9 日 ) の 神 奈 川 県 西 部 地 震 )
について被害記録を収集し、データベースを作成した。また、得られたデータベースを基
に 広 域・詳 細 震 度 分 布 図 を 作 成 し た 。史 料 に 基 づ い た 寛 政 二 年 十 一 月 二 十 七 日( 1791 年 1
月 1 日 )埼 玉 県 地 震 の 震 度 分 布 か ら 、震 央 位 置 お よ び マ グ ニ チ ュ ー ド は そ れ ぞ れ 、35.6°N、
139.5°E、 M6.5 で あ っ た と 推 定 し た 。 ま た 、 天 保 十 四 年 二 月 九 日 ( 1843 年 3 月 9 日 ) の
神 奈 川 県 西 部 地 震 は 震 央 位 置 が 35.5°N、 139.2°E、 マ グ ニ チ ュ ー ド が 6.4 で あ っ た と 推 定
した。
(d) 引 用 文 献
1) 東 京 大 学 地 震 研 究 所 :「 新 収・日 本 地 震 史 料 」
( 全 5 巻 、別 巻 と あ わ せ て 全 22 巻 ), 1981
- 1994.
2) 村 松 郁 栄 : 震 度 分 布 と 地 震 の マ グ ニ チ ュ ー ド の 関 係 ,岐 阜 大 学 教 育 学 部 研 究 報 告 ,自 然
科 学 , 4, 168-176, 1969.
(e) 学 会 等 発 表 実 績
学会等における口頭・ポスター発表
なし
学会誌・雑誌等における論文掲載
なし
マスコミ等における報道・掲載
なし
(f) 特 許 出 願 , ソ フ ト ウ エ ア 開 発 , 仕 様 ・ 標 準 等 の 策 定
1)特 許 出 願
なし
2)ソ フ ト ウ エ ア 開 発
なし
3) 仕 様 ・ 標 準 等 の 策 定
なし
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(3) 平 成 2 1 年 度 業 務 計 画 案
引 き 続 き 、江 戸 開 府 以 来 400 年 間 に 首 都 圏 で 発 生 し た 被 害 地 震 に つ い て 、史 料 を 収 集 し
データベース化作業を実施する。また、得られた震度分布図から震央位置やマグニチュー
ドなどについて推定する。
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図 1.
寛 政 二 年 十 一 月 二 十 七 日 ( 1791 年 1 月 1 日 ) 埼 玉 県 地 震 の 広 域 震 度 分 布 。
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図 2.
寛 政 二 年 十 一 月 二 十 七 日 ( 1791 年 1 月 1 日 ) 埼 玉 県 地 震 の 詳 細 震 度 分 布 。
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図 3.
天 保 十 四 年 (1843)神 奈 川 県 西 部 地 震 の 広 域 震 度 分 布 。
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図 4
天 保 十 四 年 (1843)神 奈 川 県 西 部 地 震 の 詳 細 震 度 分 布
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