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イギリス上場会社の監査報告書における 重要な虚偽表示のリスクの開示

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イギリス上場会社の監査報告書における 重要な虚偽表示のリスクの開示
( 273 )57
イギリス上場会社の監査報告書における
重要な虚偽表示のリスクの開示実態
林
Ⅰ
研究の目的
Ⅱ
ビジネス・リスク・アプローチ
Ⅲ
監査報告書における重要な虚偽表示のリスクに関する開示要求
Ⅳ
関連研究のレビューと本研究の課題
Ⅴ
調査対象とサンプルの選択
Ⅵ
監査報告書における重要な虚偽表示のリスクの開示実態
Ⅶ
むすび
Ⅰ
隆
敏
研究の目的
財務諸表監査の計画と実施にあたっては,監査リスク・アプローチが採用されてい
る。監査人は,財務諸表に重要な虚偽の表示がある場合に適切に意見を限定できないリ
スク(監査リスク)を許容しうる低い水準に抑えるために,十分かつ適切な監査証拠を
入手することが求められる。したがって,監査リスク・アプローチでは,重要な虚偽の
表示が発生するリスクの識別と評価,および評価済リスクへの対応が重要な意味を持
つ。
イギリスでは,2012 年 10 月 1 日以降に開始する事業年度から適用されている監査基
準の規定により,上場会社等の財務諸表の監査報告書に,監査人が評価した重要な虚偽
表示のリスクに関する情報が開示されるようになった。これらの情報は,財務諸表利用
者が実施された監査の質を理解し,意思決定の質を改善するのに役立つことが期待され
ている。また,研究者にとっても,監査人によるリスク評価に関する貴重なデータを提
供するものである。
そこで,本報告では,イギリス上場会社の財務諸表監査報告書における重要な虚偽表
示のリスクに関する情報の開示実態を分析し,今後,日本の監査報告書にも導入される
可能性のある監査上の最重要事項(key audit matters)の記載に関する示唆を探りたい。
Ⅱ
ビジネス・リスク・アプローチ
国際監査基準や日本の監査基準と同様に,イギリスにおいてもビジネス・リスク・ア
58( 274 )
同志社商学
第67巻 第4号(2016年3月)
プローチ(事業上のリスク等を重視したリスク・アプローチ)が採用されている。ビジ
ネス・リスク・アプローチは,伝統的な監査リスク・アプローチよりもリスク評価の対
象を広げ,企業および企業環境を理解し,財務諸表に重要な虚偽の表示をもたらす可能
性のある事業上のリスク等を考慮すること,および財務諸表全体レベルと経営者の主張
レベルにおける重要な虚偽表示のリスクの評価と対応を求めること,経営者の主張(財
務諸表項目)からボトムアップで重要な虚偽表示のリスク評価を行うのではなく,俯瞰
的な視点から絞りこんでいくことに特徴がある。
ビジネス・リスク・アプローチにもとづく監査実施プロセスの第一歩は,内部統制を
含む企業および企業環境に関して情報を収集し,理解を深めることである。監査人は,
被監査会社および環境要因に関する理解にもとづき,重要な虚偽表示のリスクを識別,
評価することが求められる。
監査リスク・アプローチでは,財務諸表に重要な虚偽の表示が生じる可能性の高低に
応じて発見リスクの水準を決定し,これにもとづいて監査資源の配分(監査手続の種
類,実施時期および実施範囲)を決定する。したがって,監査リスク・アプローチにも
とづく監査の計画と実施においては,虚偽表示のリスクを適切に識別,評価すること
と,評価した虚偽表示のリスクに適切に対応することが肝要である。ビジネス・リスク
・アプローチでは,リスク評価の対象を広げ,重要な虚偽表示のリスクを識別,評価す
るにあたって,まず内部統制を含む被監査会社そのものおよび被監査会社に影響を及ぼ
す環境要因に関する情報収集を行うことが求められている。これは,監査人の判断が
個々の経営者の主張に集中する傾向があり,そのために経営者の関与によりもたらされ
る重要な虚偽の表示を看過してしまったのではないかという反省にもとづくものであ
る。
ISA(UK and Ireland)315「企業及び企業環境の理解を通じた重要な虚偽表示のリス
クの識別と評価」
(FRC 2013 a)によれば,重要な虚偽表示のリスクを識別し,評価す
る 基 礎 と し て,監 査 人 が 理 解 す べ き 企 業 お よ び 企 業 環 境 に は,以 下 が 含 ま れ る
(para.10)
。
(a)企業に関連する産業,規制等の外部要因
(b)企業の事業活動等
(c)企業の会計方針の選択および適用
(d)企業の目的および戦略ならびにそれらに関連して重要な虚偽表示のリスクとなる
可能性のある事業上のリスク
(e)企業の業績の測定と検討
これらのうち,企業目的および戦略ならびに関連する事業上のリスクについて,ISA
(UK and Ireland)315 では次のように説明されている。被監査会社は,産業,規制その
イギリス上場会社の監査報告書における重要な虚偽表示のリスクの開示実態(林) ( 275 )59
他の内外の要因の影響を受けながら事業活動を行っている。経営者は,これらの要因に
対応するために全体的な計画となる企業目的を設定し,その目的を達成するために事業
上の戦略を策定する。事業上のリスクとは,企業目的を達成し,戦略を遂行する企業の
能力に悪影響を及ぼしうる重大な状況,事象,環境および行動の有無に起因するリス
ク,または不適切な企業目的および戦略の設定に起因するリスクをいう(para.4)
。事業
上のリスクは,企業の事業運営,企業目的あるいは戦略の変化,または複雑性に起因し
て生じるものであるとともに,変化に対応する必要性を認識しないことからも生じるこ
とがある。事業上のリスクは,例えば,新製品またはサービスの開発に失敗すること
や,製品やサービスに欠陥が発見され,法的責任が生じたり,または評判に傷がついた
りすることから生じる(para.A 37)
。
事業上のリスクは,財務諸表の重要な虚偽表示のリスクを含む広義のリスク概念であ
るが,監査人が理解しなければならないのは,あくまでも企業目的および戦略に関連し
て重要な虚偽表示のリスクをもたらすであろう事業上のリスクのみである。事業上のリ
スクを理解することによって重要な虚偽表示のリスクを識別できる可能性は高くなる
が,すべての事業上のリスクを評価する責任を負うわけではない。事業上のリスクの多
くは,最終的に財務諸表に影響を与えると考えられるが,そのすべてが重要な虚偽表示
のリスクとなるわけではない(para.A 38)
。一方で,事業上のリスクはすぐに経営者の
図表 1
重要な虚偽表示のリスクを示す状況と事象
!経済的に不安定な地域における事業運営
!市場の不安定性に晒されている事業運営
!非常に複雑な規制を受ける事業運営
!重要な顧客喪失等による事業継続と流動性の問題
!資金調達に関する制約
!企業が事業運営している産業の変化
!サプライチェーンの変更
!新製品や新サービスの開発もしくは提供または新
規事業への参入
!新地域への拡大
!大規模な買収もしくは組織変更またはその他の通
例でない事象
!売却の可能性のある関係会社または事業セグメン
トの存在
!複雑な業務提携および合弁企業の存在
!オフバランス化,特定目的会社およびその他の複
雑な財務上の契約の利用
!関連当事者との重要な取引
!適切な会計および財務報告の技能をもった人材の
欠如
!主要な役員の退任を含む重要な人事異動
!内部統制の脆弱性,特に経営者が対応していない
弱点
(出典)FRC(2013 a, Appendix 2)に基づいて作成。
!企業の IT 戦略とその事業戦略との間の一貫性の
欠如
!IT 環境の変化
!財務報告に関係する重要な新規 IT システムの導
入
!企業の事業運営または経営成績についての行政当
局からの問い合わせ
!過去の虚偽表示,誤謬の履歴,または期末の重要
な修正
!期末の関係会社間取引および巨額の収益計上を含
!
!
!
!
!
む非定型的または機械的に処理されない重要な取
引
借入金の借換え,資産の売却予定および市場性あ
る有価証券の分類のような経営者の意思に基づい
て記録される取引
新しい会計基準の適用
複雑な計算プロセスを必要とする会計上の測定
会計上の見積り等の重要な測定の不確実性に関係
する事象または取引
係争中の訴訟と偶発債務(例えば,製品保証,保
証債務,環境改善)
60( 276 )
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第67巻 第4号(2016年3月)
主張ごとの,または財務諸表全体レベルの虚偽表示のリスクにつながるかもしれない。
したがって,事業上のリスクが重要な虚偽の表示になるかどうかについては,被監査会
社の状況に照らして検討する必要がある。図表 1 は,重要な虚偽表示のリスクを示す状
況と事象の例示である。
Ⅲ
監査報告書における重要な虚偽表示のリスクに関する開示要求
2008 年のリーマン・ブラザーズ社の破綻を契機として発生した金融危機は,アメリ
カやヨーロッパにおいて,会計事務所の強制ローテーション制の導入と監査人によるコ
ミュニケーションの改善(監査報告書の改革)を中心的な論点とする制度改革の議論を
巻き起こした。イギリスでは,この問題は,会社のスチュワードシップ全般の有効性お
よびこれを支える監査の有効性に関する問題として捉えられ,監査基準の設定主体であ
1
る FRC は,コーポレート・ガバナンス・コード(UK Corporate Governance Code)に準
拠する会社の財務諸表に対する監査報告書について,2012 年 10 月 1 日以降に開始する
2
事業年度から適用される新しい監査報告規定を導入した。つまり,FRC による監査報
告書の改革は,コーポレート・ガバナンスの枠組みにおいて論じられ,監査基準との調
整により実現したものである。
3
ISA(UK and Ireland)700「財務諸表に対する独立監査人報告書」
(FRC 2013 b)は,
上場規則(Listing Rule)によって,コーポレート・ガバナンス・コードの適用に関す
4
る開示を要求されている会社か,または自発的にそれを選択した会社について,監査報
5
告書に以下の事項を記載することを要求している(para.19 A)
。
(a)監査人によって識別され,全般的な監査戦略,監査資源の配分,および監査チー
ムの作業内容の方向付けに最も大きな影響を及ぼした評価済の重要な虚偽表示の
リスクに関する説明。
────────────
1 コーポレート・ガバナンス・コード(従来はコンバインド・コードと呼ばれていたもの)の最新版は
2014 年 9 月に公表されたものであるが,本研究の対象期間に適用されていたのは 2012 年 9 月公表版で
ある。
2 監査報告書改革の背景,議論の経緯,アメリカ・イギリス・国際監査基準の改訂の概要については,井
上[2014]および松本・町田・関口(2014-2015)を参照されたい。
3 現在適用されている ISA(UK and Ireland)700 は,2014 年 9 月に公表され,2014 年 10 月 1 日以降に
開始する期間の財務諸表監査に適用されるものであるが,本研究の対象期間に適用されていたのは,
2013 年 6 月に公表され,(遡って)2012 年 10 月 1 日以降に開始する期間の財務諸表監査に適用された
ISA(UK and Ireland)700 である。
4 イギリスにおいて持分株式(equity shares)をプレミアム上場しているすべての会社は上場規則 9.8.6 R
(5)と(6)により,年次報告書および計算書類において,コーポレート・ガバナンス・コードをどの
ように適用したかを報告することが要求されている。
5 この他に,今般の監査報告書改革によって新たに監査報告書に記載されることが求められた事項とし
て,継続企業の前提に関する取締役会の言明に対するレビューの結果,および年次報告書におけるその
他の記載内容を通読し検討する監査人の義務に関する記述がある。
イギリス上場会社の監査報告書における重要な虚偽表示のリスクの開示実態(林) ( 277 )61
(b)監査人が監査の計画と実施にあたって重要性の概念をどのように適用したかの説
明。その説明には,財務諸表全体についての重要性として監査人が用いた閾値を
明示しなければならない。
(c)上記(1)にしたがって開示された評価済の重要な虚偽表示のリスクにどのように
対処したか,および,上記(b)にしたがって開示された監査人による重要性の適
6
用によってどのように影響されたかを含めて,監査の範囲に関する概要の説明。
7
上記(a)の評価済の重要な虚偽表示のリスクは,重大なリスク(significant risks)を
含めて,ISA(UK and Ireland)315「企業及び企業環境の理解を通じた重要な虚偽表示
のリスクの識別と評価」
(FRC 2013 a)の要求に従って識別されるが,重大なリスクお
よび他の識別したリスクのうちどれが上記(a)に該当するリスクであり,監査報告書
に記載すべきであるかは,監査人の判断により決定される。監査の過程でリスク評価を
相当程度に見直したならば,監査人は,その事実,およびリスク評価の原因となった事
情を開示するか否かを検討することになる(以上,A 13 A 項)
。
イギリスにおけるこのような新たな監査報告要求は,金融危機以降,約 5 年にわたる
議論を経て 2014 年にまとまった国際監査基準における監査報告書改革に先立つもので
あるとともに,国際監査基準とは異なる情報開示を求めているという点で,注目に値す
8
るものである。
なお,FRC は,このような新しい報告要求を反映した監査報告書の具体的な例示を
公表することにより,監査報告書の革新を阻害するひな形が確立されることを懸念し,
具体的な例示は公表していない(FRC 2015, p.4)
。
Ⅳ
関連研究のレビューと本研究の課題
FRC(2015)は,本研究と同様に,イギリスの新しい監査報告書(2014 年 6 月から 9
月に公表された 153 社(うち 63 社は FTSE 100 構成銘柄の発行会社)
)の監査報告書を
詳細に分析し,重要な虚偽表示のリスクに関する記載実務について,以下を明らかにし
ている。
!監査報告書に記載されたリスクの個数は 1∼10 個であり,記載数が最も多い会社は
────────────
6 ISA(UK and Ireland)260「ガバナンスに責任を有するものとのコミュニケーション」(FRC 2014)15
項および A 11 項ないし A 15 項,ならびに ISA(UK and Ireland)600「連結財務諸表の監査−特別な考
慮事項」49 項をあわせて参照されたい。
7 わが国の監査基準にいう「特別な検討を必要とするリスク」と同義であると考えられる。
8 ISA 701「独立監査人の監査報告書における監査上の最重要事項の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン」
(IAASB
[2015]
)は,上場会社の監査人に対して,監査上の最重要事項(key audit matters)を監査報告書に記載
することを求めている。監査上の最重要事項は,「監査人の職業的専門家としての判断において,当年
度の財務諸表監査で最も重要な事項。監査上の最重要事項は,ガバナンスに責任を有する者に伝達され
る事項の中から選択される。
」
(para.8)と定義されている。
62( 278 )
同志社商学
第67巻 第4号(2016年3月)
Rolls Royce 社 で あ っ た。ま た,大 手 4 会 計 事 務 所 は す べ て,FTSE 250 社 よ り も
FTSE 100 社に対してより多くのリスクを記載している。
!PricewaterhouseCoopers の監査報告書の多くは,「収益認識における不正リスク」と
「経営者による内部統制の無視」のいずれかまたは両方を記載している。これは,監
査基準においてこの 2 つのリスクが「重大なリスク」とみなされているためであると
考えられる。
!監査報告書に記載されたリスクの全サンプル平均は 4.2 個である。事務所別では,
Deloitte & Touche は 4.0 個,Ernst & Young は 4.1 個,KPMG は 3.6 個と全体平均よ
りも少なく,PricewaterhouseCoopers だけが 4.9 個と全体平均よりも多かった。
!FTSE 100 社の監査報告書に記載されたリスクの平均個数は 5.0 個であり,FTSE 250
社の 3.6 個に比べて相当に多い。これは,FTSE 100 社は FTSE 200 社に比べて規模が
大きく複雑であることによると考えられる。
!監査報告書に記載されたリスクの合計個数(650 個)のうち 87% は,記載頻度が高
い上位 15 種類のリスク(のべ 565 個)である。
「資産の減損」および「のれん」が全
体の 23% を占めている。これに次ぐのが「税金」であり,その内容は国外での課税
問題と繰延税金資産の回収可能性である。また,
「金融商品」がわずか 3% であるこ
とは予想外であるが,金融商品の評価問題が「資産の減損」に含まれたことと,サン
プルに含まれる銀行が少ないことに起因しているのかもしれない。
!監査報告書に記載されたリスクに関する記述内容を個別に評価した結果,リスクの
61% は,相対的に一般的ではなく個別具体的な(granular)記述がなされており,39
%は標準的な文言を用いたかなり一般的な記述であった。会計事務所別にみれば,
KPMG が最も個別具体的で非定型のリスク開示を行っている。
本研究は,基本的に,FRC(2015)のサンプルを拡張した追試であり,リスクの記載
個数の分析,記載された重要な虚偽表示のリスクの分類・内容・性質の分析,および開
示例の分析を行う。
Ⅴ
調査対象とサンプルの選択
9
調査対象は,2014 年 8 月 31 日時点でロンドン証券取引所の主市場(Main Market)
10
にプレミアム上場しており,イギリス(Great Britain and Northern Ireland)で設立され
────────────
9 ロンドン証券取引所の市場には,規模が大きく設立後経過年数の長い会社が上場する「主市場」
,小規
模で成長性の高い会社が上場する「AIM 市場」
,投資のプロ向けの「公社債市場」
,および機関投資家
等の専門家を対象とした「投資ファンド市場」の 4 つがある。
10 ロンドン証券取引所の主市場には,プレミアム上場とスタンダード上場という上場区分がある。この区
分は上場要件の違いによるものであり,上場要件はプレミアム上場の方が厳しい。
イギリス上場会社の監査報告書における重要な虚偽表示のリスクの開示実態(林) ( 279 )63
図表 2
サンプルの選択
2014 年 8 月 31 日現在の上場会社
「主市場」以外の上場
「プレミアム上場」以外の上場
英国以外で設立
781 社から無作為抽出
−1,161
−381
−137
2,460 社
781 社
300 社
(内訳)FTSE 100
FTSE 250
その他
図表 3
70 社
137
93
図表 4
サンプルの業種構成
業種
サンプル(社)構成比(%)
製造業
サービス業
金融業
運輸・情報通信業
商業
不動産業
鉱業
建設業
電気・ガス業
89
54
52
27
23
23
16
9
7
29.7
18.0
17.3
9.0
7.7
7.7
5.3
3.0
2.3
合計
300
100.0
会計事務所
会計事務所
サンプル(社)構成比(%)
PricewaterhouseCoopers(PwC)
Deloitte & Touche(DT)
KPMG
Ernst & Young(EY)
Grant Thornton(GT)
BDO
合計
89
83
77
43
6
2
29.7
27.7
25.7
14.3
2.0
0.7
300
100.0
た会社 781 社から無作為に抽出した 300 社である(図表 2)
。年次報告書の収集作業は
2014 年 9 月から 12 月にかけて実施し,調査時点で入手できる各社の最新の年次報告書
をダウンロードした。
なお,会計研究では一般に,会計情報の特殊性から金融・保険業を営む会社は除外さ
れるが,本研究の目的は,監査報告書における開示内容の分析を通じて監査実務におけ
る重要性概念の適用実態を明らかにすることにあるので,業種は限定していない。サン
プルの業種構成は図表 3 の通りである。業種別の分析にあたっ て は,製 造 業 89 社
(29.7%)
,非製造業(金融・保険業を除く)159 社(53.0%)
,および金融・保険業 52
社(17.3%)という分類を用いる。
また,サンプル 300 社の財務諸表監査を担当している会計事務所を図表 4 に示してい
る。
Ⅵ
監査報告書における重要な虚偽表示のリスクの開示実態
ここでは,ISA(UK and Ireland)700 に準拠して監査報告書に記載された重要な虚偽
表示のリスクの開示実態を分析する。
64( 280 )
同志社商学
第67巻 第4号(2016年3月)
1.報告されたリスクの個数
図表 5 は,監査報告書に記載された重要な虚偽表示のリスクの個数を会計事務所別に
まとめたものである。
監査報告書に記載されたリスクの全体平均は 3.78 個であり,会計事務所別では相対
的に PwC の記載個数が多い。この結果は,FRC(2015)と整合している。また,DT
は個数のバラツキが少ないことが読み取れる。
次に,業種別にリスクの個数を整理したものが図表 6 である。
1 社あたりの平均記載個数は,非製造業(3.94 個)
,製造業(3.78 個)
,金融・保険業
(3.19 個)の順に多い。金融・保険業は,事業の性質や保有する金融商品の評価(公正
価値評価)などの影響で,重要な虚偽表示のリスクが多く記載されるのではないかと想
定していたが,予想とは異なる結果となった。
2.報告されたリスクの種類
図表 7 は,監査報告書に記載された重要な虚偽表示のリスクの種類と記載数を示して
いる。重要な虚偽表示のリスクは記述情報のため,その分類は主観的なものとならざる
をえない。リスクの分類にあたっては,FRC(2015, Table 5)の分類を参考にしつつ,
個別に内容を確認して決定した。
記載会社数が最も多いのは,
「のれん・無形資産」で 131 個(11.5%)であり,
「収益
図表 5
監査報告書に記載された重要な虚偽表示のリスクの個数(会計事務所別)
個数
全体
PwC
DT
KPMG
EY
その他
合計数
平均
標準偏差
最小
中央値
最大
1,135
3.78
1.37
1
4
10
386
4.34
1.48
1
4
9
316
3.81
0.99
2
4
6
252
3.27
1.44
1
3
10
155
3.60
1.29
1
4
7
26
3.25
1.28
1
3.5
5
300
89
83
77
43
8
標本数
図表 6
監査報告書に記載された重要な虚偽表示のリスクの個数(業種別)
個数
全体
製造業
非製造業
金融・保険業
合計数
平均
標準偏差
最小
中央値
最大
1,135
3.78
1.37
1
4
10
342
3.84
1.47
1
4
10
627
3.94
1.28
1
4
9
166
3.19
1.36
1
3
7
300
89
159
52
標本数
イギリス上場会社の監査報告書における重要な虚偽表示のリスクの開示実態(林) ( 281 )65
図表 7
監査報告書に記載された重要な虚偽表示のリスクの分類
リスクの分類
記載数
のれん・無形資産(うち,減損) 131(41)
収益認識
117
税金
95
経営者による内部統制の無視
90
資産評価(うち,減損)
80(34)
引当金
71
収益認識における不正リスク
71
退職給付
67
投資
53
棚卸資産
51
企業結合
48
不動産
34
非経常項目
23
営業債権
17
金融商品
17
継続企業
16
リスクの分類
原価の資本化
訴訟
表示・開示
鉱物・石油・ガス資産
仕入先への報奨金
情報技術
長期契約(工事契約を含む)
売却目的保有資産
リストラクチャリング
偶発債務
資産の処分
不正・誤謬・違法行為
保険負債
契約
経営者報酬
その他*
記載数
16
11
11
10
9
9
8
7
7
7
7
7
7
6
6
26
*
その他は,アクルーアルズ(4)
,リース(4)
,株式報酬(3)
,組織再編(3)
,会計上の見積
り(2)
,関連当事者取引(2)
,法規制(2)
,その他(6)である。
認識」が 117 個(10.3%)
,
「税金」が 95 個(8.4%)と続いている。上位 10 種類のリス
クで全体の 72.8%,15 種類で 85.0% を占めている。リスクの分類および各リスクの記
載個数の相対的な多さは,おおむね FRC(2015)と同じである。
会計事務所別に見ると,記載数上位 10 リスクのうち,
「のれん・無形資産」
,
「収益認
識」
,
「経営者による内部統制の無視」
,
「収益認識における不正リスク」
,
「投資」および
「棚卸資産」について偏りが見られる(p<0.05)
。FRC(2015)も指摘しているとおり,
PwC の監査報告書は,多くの場合,
「経営者による内部統制の無視」
(全体の 86.7%,
以下同じ)と「収益認識における不正リスク」
(93.0%)のいずれかまたは両方を記載
している。その理由として,ISA(UK and Ireland)において,前者は検討することが要
求されており,後者は不正リスクとみなすことが明確に示されているためと考えられ
る。また,DT は「の れ ん・無 形 資 産」
(35.9%)と「収 益 認 識」
(38.5%)を,KPMG
は「のれん・無形資産」
(32.8%)と「棚卸資産」
(45.1%)を,そして EY は「投資」
(24.5%)を,それぞれ相対的に多く記載している。
さらに,業種別に見ると,記載数上位 10 リスクのうち,
「税金」
,
「資産評価」
,
「投
。
「税金」と「棚卸資産」
資」および「棚卸資産」について偏りが見られる(p<0.05)
は製造業において,
「資産評価」は非製造業において,そして「投資」は金融・保険業
において,それぞれ相対的に多く記載されている。
少し見方を変えると,重要な虚偽表示のリスクの多くは,資産の評価,収益の認識,
および負債の評価に関連づけて整理できる。資産の評価には,のれん・無形資産(131
個)
,資産評価(80 個)
,投資(53 個)
,棚卸資産(51 個)
,不動産(34 個)
,営業債権
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同志社商学
第67巻 第4号(2016年3月)
(17 個)
,金融商品(17 個)
,原価の資本化(16 個)
,鉱物・石油・ガス資産(10 個)
,
および売却目的保有資産(7 個)が関連する(合計 416 個,36.7%)
。収益の認識には,
収益認識(117 個)
,収益認識における不正リスク(71 個)
,非経常項目(23 個)
,仕入
れ先への報奨金(9 個)
,および長期契約(工事契約を含む)
(8 個)が関連する(合計
205 個,18.1%)
。また,負債には,引当金(71 個)
,退職給付(67 個)
,訴訟(11 個)
,
偶発債務(7 個)
,および保険負債(7 個)が関連する(合計 163 個,14.4%)
。
なお,その性質ないし内容に関する説明が記載されている 962 個のリスクのうち 475
個(49.4%)について,
「経営者の判断」が重要な性質として指摘されていることは,
重要な虚偽表示のリスクの特徴を表しているといえよう。
3.開示例の分析
次に,具体的な開示例を分析する。先述のとおり,ISA(UK and Ireland)700 は,
「監査人によって識別され,全般的な監査戦略,監査資源の配分,および監査チームの
作業内容の方向付けに最も大きな影響を及ぼした評価済の重要な虚偽表示のリスクに関
する説明」を記載することを要求している(para.19 A)
。
事例 1 は,ISA(UK and Ireland)700 の規定に従った重要な虚偽表示のリスクの典型
。
的な開示例である(監査人は DT)
事例 1:典型的な開示例
重要な虚偽表示のリスクに関するわれわれの評価
以下に説明する評価済みの重要な虚偽表示のリスクは,われわれの監査戦略,監査
資源の配分および監査チームの作業内容の方向付けに最も大きな影響を及ぼしたリ
スクである。
のれんおよび無形資産の帳簿価額
リスク:年度ごとの減損テストは,経営者の判断を相当程度に必要とする複雑なプ
ロセスであり,将来の収益性に関する仮定に基づいている。仮定の変化にもっとも
敏感に反応する資金生成単位(CGU)は,財務諸表注記 12 に記載されている First
Student CGU である。
われわれの監査は当該リスクにどのように対応したか:われわれは,財務諸表注記
12 にキャッシュ・フロー予測,割引率および成長率が具体的に記載されているの
れんおよび無形資産に関する減損モデルで用いられている経営者の仮定を評価し
た。われわれの監査手続には,過去の取引実績に関連づけたキャッシュ・フロー予
測のレビュー,適用された割引率の専門家を利用した検証,ならびに計算基礎のレ
イギリス上場会社の監査報告書における重要な虚偽表示のリスクの開示実態(林) ( 283 )67
ビューおよびインプットと市場データの比較を含む。さらに,われわれは,成長率
および割引率のような重要な仮定を外部のマクロ経済データおよび市場データと比
較検討した。われわれは,経営者が実施した感度分析を再実施し,その合理性を検
討した。
(出典)FirstGroup plc, Annual Report and Accounts 2014, p.150.
事例 1 に示されているように,重要な虚偽表示のリスクの開示では,一般に,リスク
の性質ないし内容と当該リスクへの対応が説明されている。1,135 個のリスクのうち,
その性質ないし内容が記載されているリスクは 962 個(84.8%)
,監査人の対応が記載
されているリスクは 1,075 個(94.7%)である。なお,リスクに対応した結果について
の言及は見られなかった。
先述の通り,FRC は,新しい監査報告書のひな形(定型)が確立されることを懸念
して,具体的な記載例は示していない。何をもって定型化の程度を判断するかは難しい
ところであるが,今回のサンプルを分析する限り,会計事務所ごとに例えば事例 2 およ
び事例 3 のような定型文が用いられているものの,そのパターンや会社数はわずかであ
り,記載の定型化はそれほど進んでいないように思われる。
事例 2:リスクの性質ないし内容に関する定型文の例
!税務上の争点および偶発租税債務に関連する判断と見積りを経営者に要求する納
税見込額。これは,多くの法域における事業活動,移転価格税制その他の税にか
かわる法制の複雑性,および税務事項について規制当局と合意に達するまでに要
する時間のために,われわれの監査において重点を置く重要な判断を含む領域の
1 つである。
(税金,KPMG,3 社)
!被監査企業集団の確定給付年金制度に関して行われたいくつかの重要な見積り,
および企業集団の財政状態および経営成績に大きな影響を及ぼす可能性のある未
認識債務の評価に用いられた仮定と見積りにおける変更。
(退職給付,KPMG,7
社)
!ISA(UK and Ireland)により,われわれは,すべての監査において財務報告にか
かる内部統制を経営者が無視するリスクを検討するように要求されている。この
リスクは予測不可能な性質を有しているので,われわれは,このリスクを監査上
の特別な考慮を必要とする重大なリスクとして評価することを求められている。
(経営者による内部統制の無視,GT,3 社)
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同志社商学
第67巻 第4号(2016年3月)
(注)文末の括弧内は,リスクの種類,会計事務所,および同じ文章が記載されている
会社数を示している。
事例 3:リスクへの監査人の対応に関する定型文の例
!われわれの業務には,ISA
240「財務諸表監査における不正に関する監査人の責
任」によって経営者による内部統制の無視について要求されている特定の監査手
続を含むが,それに限定されない。これらの監査手続には,手作業による仕訳入
力のテスト,経営者の見積りにおける判断と仮定の評価,通常の営業活動外での
重要な取引のテストを含む。
(経営者による内部統制の無視,GT,4 社)
!われわれは,財務諸表注記 xx に記載されている繰延税金資産の認識を裏付ける
将来課税所得の稼得見込みに関する仮定と見積りの適切性をテストした。われわ
れは,繰延税金資産に関する開示の適切性のみならず,これらの仮定とそれを裏
付ける予測と見積りを検討した。われわれは,設定された引当金の適切性を評価
するための税務当局との通信記録のレビューを含めて,繰延税金資産の認識およ
び税務処理の起こりうる結果の評価に関して,事務所内の税務専門家と共に作業
した。
(税金,DT,2 社)
!当該リスクに対するわれわれの対応は次の通りである。
・レベル 1 とレベル 2 の投資の期末評価額を独立の情報源と照合した。
・評価手法に関する説明を求め,インプットを検証することにより,レベル 3 の投
資に適用された評価手法の適切性を検討した。および,
・当期の委託手数料について,契約上の取り決めに基づいて独立した再計算を行
い,インプットと元データを照合した。
(金融商品,EY,2 社)
(注)文末の括弧内は,リスクの種類,会計事務所,および同じ文章が記載されている
会社数を示している。
このような状況において,会計事務所別にみれば,PwC が最も定型的な記載を行っ
ている。先述の通り,PwC の監査報告書は,多くの場合,
「収益認識(における不正リ
スク)
」と「経営者による内部統制の無視」のいずれかまたは両方を記載している。
PwC が監査を担当したサンプル 89 社のうち 72 社(80.9%)は,収益認識・内部統制
ともに記載されており,うち 1 社はこの 2 つのリスクしか記載していない。収益認識・
内部統制ともに記載されていない会社は 6 社(6.7%)
,収益認識のみ記載されている会
社は 5 社(5.7%)
,内部統制のみ記載されている会社は 6 社(6.7%)である。このよう
な記載状況も定型化の 1 類型であろう。
イギリス上場会社の監査報告書における重要な虚偽表示のリスクの開示実態(林) ( 285 )69
また,
「収益認識」リスクの性質ないし内容については,
「ISAs(UK & Ireland)は,
経営成績の目標達成について経営者がプレッシャーを感じることを理由として,収益認
識には不正リスクが存在すると仮定している」旨の記述が 77 社中 61 社(79.2%)で用
いられており,
「経営者による内部統制の無視」リスクの性質ないし内容については,
「ISAs(UK & Ireland)は,われわれに対して経営者による内部統制の無視を検討する
ことを要求している」旨の記述が 78 社中 70 社(89.7%)で用いられている。さらに,
「経営者による内部統制の無視」リスクへの監査人の対応について,
「われわれは,従業
員が不適切な行為を内部通報するための体制整備を含めて企業集団の全般的な統制環境
を評価し,上位の経営管理者および企業集団の内部監査担当者との面談を行った。われ
われは,不正による重要な虚偽表示のリスクの存在を示す経営者による偏向に関する証
拠を得るために,財務諸表に関連する重要な会計上の見積りと判断を検証した。
」旨の
記述が 78 社中 53 社(67.9%)で用いられている。しかし,
「収益認識」リスクへの対
応については,このような定型的な記述は見られなかった。
Ⅶ
む
す
び
本稿では,イギリス上場会社の監査報告書に記載された重要な虚偽表示のリスクに関
する情報の開示実態を分析した。
監査報告書に記載されたリスクの個数を会計事務所別にみると,相対的に PwC の記
載個数が多く KPMG が少ないこと,および DT は個数のバラツキが少ないことが確認
された。この結果は,FRC(2015)と整合している。また,記載個数を業種別にみる
と,1 社あたりの平均記載個数は,非製造業,製造業,金融・保険業の順に多いことが
明らかとなった。金融・保険業が一番少ないのは予想外の結果であった。
監査報告書に記載されたリスクの種類については,
「のれん・無形資産」
,
「収益認
識」
,
「税金」の順に記載会社数が多く,上位 10 種類のリスクで全体の 72.8%,15 種類
で 85.0% を占めている。これらの結果もおおむね FRC(2015)と同じである。
最後に,開示例の分析により,重要な虚偽表示のリスクに関する記載では,一般に,
リスクの性質ないし内容と当該リスクへの対応が説明されていることが確認された。ま
た,記載の定型化については,いくつかの定型文が用いられているが,そのパターンや
会社数はわずかであり,定型化はそれほど進んでいないように思われる。ただし,PwC
の監査報告書は,多くの場合,
「収益認識(における不正リスク)
」と「経営者による内
部統制の無視」のいずれかまたは両方を記載しており,かつ,これらのリスクの性質な
いし内容および監査人の対応について,かなりの割合で定型文を用いていることが明ら
かになった。
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このような記載状況が時の経過とともに定型的・画一的な記載に変化するかどうかは
興味深い論点であり,追跡調査を行いたい。また,重要な虚偽表示のリスクに関する開
示内容のうち,とくに監査上の対応に関する記載について十分な分析を行うに至ってい
ない。これらは今後の課題としたい。
(付記)本稿は,日本学術振興会科学研究費補助金交付研究「企業リスク情報開示のダイバージェンスの
実証と当該情報の監査の保証水準の計測」
(研究代表者:内藤文雄,課題番号:25285144)の研
究成果の一部である。
参考文献
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,『監査報告書の新展開』同文舘出版。
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林隆敏[2016]
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『商学論究』第 63 巻第 3 号(2016 年 3 月発刊予定)
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松本祥尚・町田祥弘・関口智和[2014-2015]
,「監査報告書の改革」
『企業会計』第 66 巻第 9 号,62-65
頁(第 1 回)
,第 66 巻第 10 号,88-94 頁(第 2 回)
,第 67 巻第 2 号,116-121 頁(第 6 回)および第
67 巻第 3 号,62-67 頁(最終回)
。
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