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吉見会の - ZTV

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吉見会の - ZTV
吉見会の「旬の旅
おいでませ
山口 2 日間」の旅行記です。
平成 27 年 7 月 12 日
藤井 忠男
「吉見会」とは、現役時代の職場の元同僚で結成した会で、最長老(84 才)の吉見さん
にあやかって命名したものです。9年前の平成 18 年 6 月に、75 才を迎えた会長が発案した
ことに呼応し、当初は 5,6 人の同僚が賛同してスタートしました。
会員も次第に増え、現在 12 名が在籍しています。以後、毎月 1 回の例会ウォーキングを
重ね、9 年過ぎた今月、遂に 100 回を迎えました。
この会の目的は、ウォーキングしながら神社仏閣・史跡を訪ね、歴史を勉強するという
もので、会員が月輪番幹事として、探索コースを立案し、案内もしています。
会員は大阪・京都・奈良・滋賀など近畿一円の広範囲に住んでいることから、自然な
流れとして、幹事になる月は、それぞれの会員住居地域周辺の史跡を案内することになる
ので、他の会員は「こんな素晴らしいところがあったんや!」と、新しい発見に嬉しく
思うことが多くあります。
地域柄、古代史跡が多く、例えば奈良では、飛鳥地方の古墳群や古寺、藤原宮跡・平城京、
山の辺の道、更に、聖徳太子にちなんだ寺院・史跡などや、京都では平安京以来の古寺社
・史跡、近江では、最澄の比叡山関連や戦国時代の史跡などなど、探索材料には困り
ません。夏の暑い月には、史跡めぐりの後、吹田市のアサヒビール工場や長岡京市の
サントリービール工場見学を織り込んで、喉の渇きを潤したりしました。
また 50 回目には、伊勢神宮参拝を兼ねて鳥羽・伊勢志摩一泊旅行をしました。
今回、100 回を迎えるに当たり、数か月前からメモリアル行事としてどうしようかと、
皆で検討を重ねたところ、平成 27 年の NHK 大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台、萩・松下村塾
に行きたいとの声が多くあがりました。
そんな時、たまたま私の家に届いた読売旅行社の企画 DM「旬の旅・おいでませ山口 2 日間」
に萩・松下村塾が入っていたので、渡りに船とばかり、これに決めようと他のメンバー
の同意を得ました。
吉見会 100 回記念
津和野、萩・長門の旅行記
(ここからの旅行記は、である調で表現します)
出発当日の 7 月 3 日、新幹線新大阪駅に 10 名の参加会員が集合。12 名の会員のうち、
2 名が腰痛のため欠席となった。
今回のツアーは、私たちメンバー10 名を含め 41 名だった。
バスツアーは新幹線福山駅からスタート。梅雨の真最中ながら、雨はなく薄曇り、気温
も快適で、楽しい旅の始まりを祝福してくれているようだ。
中国自動車道六日市インターより、国道 187 号線に出て一路北上。道沿いには、ねむの木
に薄ピンクの花が咲き、車窓を楽しませてくれる。島根県に入ると石州瓦の赤い屋根の家
が目立って多くなってきた。
昼前に津和野に着いた。津和野は島根県ながら、メンバーはここも山口県と思っている。
この町に面白いガイドのお兄ちゃんがいた。森鴎外旧宅と堀町を案内してくれたが、早口
で矢継ぎ早にユーモアが入り、綾小路きみまろさんの漫談並みに爆笑が起こる。
花菖蒲の季節なら、観光には最高だったろうに。
ふと森鴎外の「山椒大夫」を思い出した。龍巳会の中には、安寿と厨子王の劇をした思い
出がある会員がいる筈だね。
「鴎外村ふる里」で食べた津和野寿司は美味しかった。鯛の炙り身を混ぜ込んだご飯に
錦糸卵や山菜を散らしたちらし寿司と石州そば、更に炊き合わせや茶わん蒸しだった。
これも旅の大きな楽しみなのだ。
ここから萩市街への道は、地図を広げて見ていたが、どこを走っているのかさっぱり分か
らなかった。ただ日本海方面に流れる綺麗な川を左右に見ながらうねうねと走っていた。
相変わらず、道沿いには、ねむの花が咲いていた。山口県に入ったと判断できたのは、
道路のガードレールが白から橙色に変わってきたことだ。
添乗員もその説明をしてくれたし、ツアー客もなるほどと頷いていた。
山間部を走り車窓に人家が増えてきたなと思ったら、ほどなく松蔭神社の駐車場に着いた。
「えっ!観光バスが少ない!」と添乗員さんが叫んだ。ほんとだ!ラッキー!
午後 3 時半を過ぎていたからかな。だから神社の境内や松下村塾もゆっくり見学できたし、
松下村塾の前で記念の集合写真も、順番を待たずに余裕で出来た。
私自身、ここへは小学校時代に遠足?で来て以来、実に久しぶりの見学だった。
NHK の大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台で取り上げられた所だし、同行の仲間は、ほとんどが
関西人だから、それぞれが感激していた。
この 2 日後には、松下村塾が世界遺産に正式決定したから、これからはどっと観光客が
増えることやろうね。見学時間が少ない中で、私たちグループは、伊藤博文の生家も
訪ねてみた。
一日目の観光はここまでなので、今日の宿泊場所の湯本温泉にバスは向かう。
途中、村田蒲鉾店へ立ち寄り、暫しのお買い物タイム。
萩から三隅までは快適な自動車専用道が通じていた。
長門市に入ると見慣れた風景が車窓を流れ、夕方 6 時前に湯本温泉の山村別館に着いた。
旅の汗を温泉で流し、7 時からの夕食は、名物「ふく会席」を前に祝杯をあげた。
その中の一品に魚の煮付けが出て、
「この魚はなんだろう?」ということになった。
従業員さんに聞くと「アラカブ」とのこと。仲間は「アラカブ?」と、聞いたことがない
名前だから、キョトンとしていた。私は九州に勤務したことがあるので、直ぐに納得。
この魚は、正式にはカサゴ、関西ではガシラという。福岡でアラカブなのだ。
ついでに言うと、大分ではホゴと言っていたし、子供の頃、長門ではボテコと言っていた
ような気がするけど、どうでしょうか?
気の置けない仲間ばかりだから、わいわいがやがやと、たわいも無い話題で盛り上がる。
しかし、100 回もよく続いたなあ。近畿圏の有名な史跡は、かなり網羅したが、まだまだ
行きたい場所はたくさんあるから、その近くに住む会員が幹事の時にリクエストしよう。
食後は、予め予約していたカラオケルームで、自慢の?のどを 2 時間ほど披露し合った。
二日目の朝食は 7 時からだったが、すばらしいお膳だった。たくさんの小鉢に少しづつの
料理が並ぶ。仲間はイカの刺身が美味しいことに感激していた。
関西人はイカ・タコ好きが多いのだ。
8 時に山村別館の従業員に見送られ、角島に向かう。途中、仲間から私の実家付近を通るの
か?などと聞かれたが、どの道を走って行くのか、私には分からない。
国道 191 号線(北浦街道)ならば近いはずだが、どうも山側の違う道を走っている。
日置辺りに入って、左側に JA 長門大津ラック倉庫があったので、どうやら新市地区辺り
を走っているらしく、道筋に日置運動公園の看板を見つけることが出来た。
この辺りで眺めた故郷の景色は、懐かしいしすばらしい。
水田には、生育した稲が青々と広がっている。秋の豊作を祈りながら車窓に見入っていた。
やがて、バスは粟野付近で海岸線に出た。この辺りに来ると、下関へ通学していたころに
見慣れた風景だからよく分かる。暫くすると、角島大橋まで来たが、空はどんよりと曇り、
霞がかっていて、初めて来た仲間たちは写真でのイメージとかけ離れているので、がっか
りしているようだ。海の色も晴天ならばコバルトブルーを見ることが出来るかもと、私が
事前に吹聴していたから尚更だ。
角島灯台公園では、僅か 20 分の自由散策だったが、公園に角島在住で、下関商業時代の
2 年下の溝口君が待ち構えてくれていた。彼は、私たち仲間と同じ金融機関に勤めたが、
定年後、生まれ故郷に帰って生活している。でも、私たち仲間とは、現役時代には面識は
ないようだった。
彼は、僅かな時間の中で、角島の歴史を詳しく説明してくれた。
旅行社の企画でも、ここではガイドのない場所だったので、とても勉強になった。
溝口君と別れて、バスは再び角島大橋を渡り展望台へ行き、つかの間の撮影タイム。
但し、空が霞んでいたので、角島は残念ながらうっすらとしか見えなかった。
それでも仲間たちは、数年前テレビCMで流れていた景色を思い出したようで「あれは、
この景色だったんだ!」と喜んでいた。
バスは、最後の観光地・仙崎、青海島へ向かった。大内山あたりから国道 191 号線へ出て、
懐かしい只の浜海水浴場を左に見ながら進み、やがて長門市街から仙崎へ入った。
バスは青海大橋の南詰付近に止まり、地元ガイドの女性と落ち合う。
ここからは、金子みすゞ通りウォークだった。
今回のツアー客には、みすゞファンが多く、この散策を楽しみにしていたようで、民家の
門などに掲げられたボードの詩を読みながら歩いていた。
遍照寺では、墓所に参拝し、次に、通りの中ほどにある旧JA倉庫に入った。
ここには市民のメッセージが書かれた蒲鉾板が壁面一杯に展示されていた。
ここで、ガイドさんがスイッチを押すと、壁面がライトアップされ、大量の大羽鰮と、
代表的な「大漁」の詩も浮かび上がり、一行から、どっと歓声が沸き起こり、しきりに
シャッターを切っていた。
駐車場に出ると壁面に巨大な肖像画が現れた。
ガイドから「この絵は何を使って描かれているか分かりますか?」との問いかけがあった。
一行は「っん?!」と、狐につままれた様子。
実は、12 万枚に及ぶ人の笑顔写真を張り合わせてあるとのことに、またまたびっくり!
近づいて見ると「なるほど!」とナットク。それにしても素晴らしい出来栄えだねえ。
次には、みすゞ記念館に入り、みすゞの部屋の復元や直筆原稿の額装展示などを、30 分
かけて見学した。私は過去にも何度かこの通りを歩いたが、ガイドさんの説明があると
全く違うね。目からウロコが取れたようだった。バスはショップ青海島に行き、ここから
船で青海島観光をする人たちを降ろした。私たちグループは船に弱い人が多かったので、
10 人全員がウォーキングで、海上アルプスを観光するほうを選んだ。
駐車場に着くと、早速「ラッパのショーちゃん」という面白い駐車場管理のおじさんの
出迎えを受けた。色々と芸達者で、地元では有名人としてテレビ出演もしたらしい。
昨年来た時も、自転車の「後ろ向き乗り」などを披露してくれたことを思い出した。
ウォーキングを開始するころに雲行きが怪しくなり、今にも雨が降り始めそうになった。
浜ではスキューバダイビングの講習らしきことをやっていた。
ここから、石段登りが始まったが、メンバーは日ごろからよく歩いているから、この程度
の坂道は大丈夫そうだ。第一展望所まで来ると、海上アルプスの奇岩が現れ、その絶景に
一同から歓声が沸いた。でも、霞がかかって遠景は望めない。
私は、第二、第三展望所まで行くと思っていたが、このツアーの青海島観光はここまで
だった。坂道を降り、駐車場に着くと再び「ショーちゃん」の芸が待っていた。
自転車の後ろ向き乗りを披露してくれた。
もっと見たかったが、時間の関係で、ネコの「ももちゃん」の見送りを受けて出発し、
今日の昼食会場の「海鮮村北長門」へ。着いて見るとここは以前、龍巳会の際、食事を
した思い出があるドライブインだった。昼食は「8 種ネタの海鮮丼」で、新鮮な魚、ウニ、
サザエなどが多くのっており、抜群の美味さに全員大喜びだった。
食後は、長門の名産品のお買い物タイム。メンバーは、私が薦めた蒲鉾や鶏卵せんべい
などをたくさん買い込んでいた。
ここで 2 日間の観光は全て終了した。午後 2 時ごろにバスは出発し、一路新幹線福山駅に
向かった。バスに乗って 20 分位経った頃から、な・なんと!雨が降り始めた。
観光中は全く雨に遭わなかったから、なんという幸運なんだろう。
4 時間かけた 6 時ごろ福山駅に着き、ここで各自弁当やビール・酒を買い込み、新幹線
の車中で、旅を思い出しながら夕食。新大阪でメンバーと別れ、家に着いたのが 10 時半
だった。皆さんお疲れ様でした。無事で帰着した 100 回記念・山口旅行バンザーイ!!
完
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