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地球の年齢論争
地 球 の年齢 論争 十 が 45イ ‐にf f定 サ 也球 の F 報令 意台二で あ る とい う こ とは, 数 卜F T前 ウとt ゴ か りで あ る。そ″しよ り とさオ も前 には, ダ ー ラ ィ ンや ケル ビン, ラザ フォー ドらを巻 き込 んだ 論 争 が , 過 去 3 世 紀 にわ た っ て, i 教 し く繰 り広 げ られ て い た。 その過程 で は, ナ也質学者 と物 理 学 者 のメ寸立 もあ っ た L . ノ ヾダ ッシ ュ 地球 は いつ 誕 生 したの か一 一 。 過 去 3 45億 年前,太 陽 が 最初 の熱 核 融 合 に 世紀 に もわ た る長 い 問, 科 学者 た ち を よる光 を銀 河 の彼 方 に灯 した時 , こ の 崩壊 した。 そ して今 で は,地 質学者 と 悩 ませ続 けた問題 であ る。 大主教 ア ッシ ャー に始 ま り, ハ ッ ト ン, ケ ル ビン卿 , ダー ウ ィ ン, ヘ ル ム 新 しい星 を取 り巻 くガ ス と塵 と微小 天 物 理 学者 との 間 の激 しい論 争 を通 じ, 体 が 激 し く渦巻 く雲 の 中 か ら,原 始 の 放 射性 元 素 を用 い た年代 決定 法 は世 の 地球 が 出現 した。 それ か ら 8億 年 を経 中 に広 く認 め られ て い る。 ホル ツ, ラザ フ ォー ド, ポ ル トウ ッ ド て,雲 はよ り秩 序 だ った太 陽 系 へ と進 な ど, 著 名 な地 質学者 や物理 学者 まで “ を も巻 き込 んでの , 激 烈 な 地球 年齢 "が の 推 定 合戦 繰 り広 げ られ た。 そ し 化 し,第 3惑 星 は固化 し始 めた。 ケル ビン卿 の推 定 はその論 拠 を失 い, 地 球 の年 齢 に関 す る論 争 を通 じて明 らか に され たの は結局 ,次 の こ とで あ 地 球 の年齢 につ い ての これ らの数 値 る。 す なわ ち,科 学 の発展 の方 向性 を の上 に,そ の後 の地 質学 と進 化 論 とが 決 め る上 で ,感 情 や直 観,既 得権利 と てほんの 数十年前, 放 射性 年代 決定 法 成 立 して い る。 実 際 に は これ らの数 値 い った ものが ,論 理 や 実験 な ど と同 じ に よ り, 地 球 の 年 齢 は 4 5 億 年 で あ る とい う こ とで, こ の 問題 は一 応 の 決着 は,人 類 の長期 間 にわ た る事 実 の蓄 積 の結 果 の一 部 なので あ る。 しか し, こ くらい重 要 な役割 を演 じて い る とい う を見 たの で あ る。 う した年代 的 な考 察 は,か な り新 しい 地 球 の年齢 に関 す る疑 間 は直観 的 に これ まで に登 場 した代表 的 な推 定 年 もので あ る。 実際 に,生 物 学 や地 質学 は,宇 宙 の構 造 や ,そ の 中 で の人 類 の 齢 は, ビ ュフ ォ ンが 1 7 7 9 年 に求 め た 7 は記述 的 な科学 で あ り,厳 密 な科 学 的 役割 につ い て の想 像 と同 じ くらい,永 万 5 0 0 0 年 , 1 9 世 紀 にケ ル ビン卿 が提 出 した 1 億 年, さ らに ガ イ キ ー は 1 億 議論 は,物 理学 に委 ね られ て い る。 し 遠 の疑 間 と思 われ るか も しれ な い。 実 たが って,過 去 150年 間 に,地 球 の年 齢 年以 上 で あ る と主 張 して い る。 この よ につ い て提 出 され た 2つ の推 定値 は, うに地球 の 年齢 に 関 す る科 学者 の 推 定 大 きな論 争 を引 き起 こ した。 際 多 くの文 明 にお いて地球 の創造 は, 宇 宙 の起 源 に関 す る疑 間 の一 部 として 取 り扱 われ て い る。 その結 果 「 宇笛 は 値 は数 限 りな くあ り, しか もその値 は まった くバ ラバ ラだ った。 こ う した後 , 物 理 学者 の 手 に よ って, 地球 上 の 岩石 に含 まれ る放 射性 元素 の 最初 の推 定値 は,ト ム ソン (William ThomsOn:後 の ケル ビン卿 )が 19世 孫己 ー ウ ィン に 提 出 した。 しか し,Cダ こ とで あ る。 何 度 も同 じこ とを繰 り返 す」 とい う宇 宙論 が 生 まれ た。 た とえばギ リシ ャ人 は,自 然 の歴 史 他 の地 質 学 者 に は永遠 に繰 り返 され る と信 じて い た。 量 を分 析 して, 年 代 を決 定 す る方法 が は, と うて い受 け入 れ られ る もので は マ ヤ人 た ち は,現 在 の宇笛 が作 られ る 導 入 され た。 この 方 法 でボル トウ ッ ド V5億 7000万 年 と い つ 年 は 9200万 ′ なか った。 ケル ビン卿 は,ち ょっ と考 前 に,同 じよ うな こ とが3114回 も繰 り えた だ けで は間違 いが な さそ うな計 算 返 され た と考 えた。漢代 の 中国人 の 多 代値 を求 め た。 その後 ,さ らに研 究 を を し,地 球 は 1億 年 前 に形成 され た こ くも,同 じよ うな考 え を もって い た。 進 め ,22億 年 とい う値 を導 き出 した。 とを示 した。 それ は,当 時 の 多 くの人 が 考 えて い た 「 地球 は永遠 に存 在 して 彼 らは,宇 宙 は2363万9040年 ご とに破 20世 紀 に入 り,地 質学者 もこの 物理 的推 定 法 の正 確 さを認 め る よ うに な り, その改 良 が続 け られ た。 その結果 ,最 (Charis Darwin)や い た」 とい う もの に反 して い た。 しか し地球 の年齢 に関 す る推 定値 は, 壊 され ,再 生 され る と信 じて い た。 ユ ダ ヤー キ リス ト教 の伝統 的見解 も, 地 球 と宇 宙 の誕生 を 1つ の事 件 として 新 の 技術 を駆使 す る こ とで ,地 球 最古 今世紀初 め に出現 した放射性 元 素 を用 結 び付 けて い る。創 世 記 の物 語 に基 づ の 岩石 は 38億 年前 につ くられ た こ と い た年 代 決定 法 に よ り,地 球 の 年齢 が い て,学 者 た ち は,ア ダ ム とイ プ以 来 な ど も確 認 され て い る。 数億 年 で あ る こ とが示 され た。 これ で , の世 代 交代 の 数 を計 算 した。 1654年に サ イ エ ン ス 1980年 10月 号 96 一― ライ トフ ッ ト ( 」 0 1 1 1 l L i g h t f 0 0 t ), は ー 大 主教 ア ッ シ ャ の有名 な創造 の瞬 間 っ くりと冷 えつ つ あ る と考 えた。 そ こ こ と もな い し, い か な る終 わ りの兆候 で 彼 は, 地 球 の組 成 と類 似 した小球 を も予 想 で きな い」 と述 べ てい る。 の計 算値 を よ り正 確 に修正 した。 ュ リ 作 り, そ の 冷却 の割 合 を測定 , 地 球 の ウス暦 に よれ ば, メ ソポ タ ミア時 間 で 年齢 は7 万5 0 0 0 年で あ る と推 定 した。 現在 か ら2 6 万4 0 0 4 年前 の1 0 月2 6 日午 前 9 時 だ った と求 め たので あ る。 地 質学 的 な地球 年齢 の 推 定 地球 が , そ れ以 外 の宇 宙 とは まった しか しハ ッ トン と同時 代 の人 々 は, 地 質学 的 な期 間 とい う もの に興 味 を抱 ロモ ノ ソフ も ビュ フ ォ ン も, 地 球 の い た。 彼 らは, あ る特定 の場 所 の岩 石 絶対 年代 を厳 密 に求 め よ う とした数 少 と土 壊 の連 続 的 な地 層 は, そ れ らが つ な い科 学者 で あ る。 い や実 質 的 に は, くられ た順 番 を表 わ して い るので はな 彼 らだ けだ った とい って も過 言で はな い か と 考 え た。 1 9 7 0 年 代 に ス ミス い。 他 の , 1 8 世 紀 の 自然科学 者 たち は, V i l l i a l n S i n i t h ),はこ の 認識 を確 (ヽ く独 立 につ くられ た とい う こ とを最 初 この 問題 を真 剣 に考 えた として も, そ 固 た る もの に した。 す なわ ち, 違 う場 に主 張 した科学者 の ひ と りに, ロ モ ノ のす べ て を神 の手 に委 ね るか, あ る い 所 の 2 つ の地 層 で も, そ れ らが 同 じ化 ソ フ (ヽlikhail V LonionOsOv)が ↓ゝ は単 に, 地 球 も生 物 も途 方 もな い長 い 石 を含 んで い れ ば, こ の地 層 は同 じ年 る。 18世紀 半 ばの こ とで あ る。彼 は, 時 間 をか けて現 在 の状 態 に到達 した と 代 の もの と見 なせ る とい うので あ る。 地球 と宇宙 の形成 の間 に は,何 十万 年 考 え るか , の い ずれ か だ った。 もの 開 きが あ る と主 張 した。 1779年に この概 念 を発展 させ る こ とで, 自 然 ハ ッ トン ( 」 a m e s H u t t O 1 1 ) は1 7 7 5 科 学者 た ち はそれ ぞれ の地 層 の年代 を 記 録 し, 地 質 年代 の継 続 時 間 を推定 し 地 球 の年齢 を実験 的 に求 め よ う と した。 年, こ う した考 え方 を, 彼 の古典 的 な F 地球理 論』の で 中 , 「私 た ち は これ ま 始 めた。 しか し, 地 層 の形 成 に要 す る 彼 は,地 球 が 最初 の 高温状 態 か ら,ゆ で, す べ て の始 ま りの痕 跡 を発見 した 時 間 につ い て は, 大 まか な推 定 しか で ビュ フ ォ ン (COnlte de BuffOn)は, , , f 亨 !J や 中r/ 対 ノ i 宅ンと 与 ヴ 串 地 球 の 年 齢 に 関 す る激 しい 議 争 古 生代のイ し石 で武 装 した層仕学 者, グリフィス ( R たh a r d G 高付R h ) ヵく , 古 生物学者, フ ィリップス ( 」 ohn P h i l l i p s攻撃 ) の を受け流 しているところである。この浸画r よ1 8 4 3 年に描かれ た もので, これらの化石 を含んだ岩石層の相対的な年代についての論争 を, サ イ エ ン ス 1 9 8 9 年1 0 月号 務 ― ! 風 刺 した もの であ る。 この よ うな, さまざ まな年代 決 定 の 試 み は, 地 球 の 年 齢 を推定 す る うえで役 に立 った。 一 方, レ フ リー を務 め て い る地 質学 者 の マ ー テ ソン ( R o d e t t c k M u r c h に o n ) は , 古 生 代 の地 層 を示 す 一 種 の 陣 羽 織 を羽 織 って い る。 当時 はウ ィ リア ム ・トム ソン とい った) が 1862年,地 球 は 4億 ∼ 2000万年前 の い くこ とを知 って い た。 1 8 3 0 年に ライ エ ル ( C h a r l e s yIeフ 11) 間 のいつか ,形 成 され た と結 論 したの Fourier)の 熱 伝 導 理 論 を用 い て,彼 は, こ う した試 み に理 論 的考 察 を加 え は,地 球 の温 度 分布 が 時間 と共 にいか た。 ライ エル は,岩 石 層 や その他 の地 を聞 い てび っ くりした。ト ム ソ ンは斉 一 説 を証 明 で きな い として , こ れ を拒 質 学 的 な構造 が形 成 され ,侵 食 され , 否 した。 彼 をは じめ当時 の 多 くの物 理 レ に変 化 す るか を予 測 した (RNブ 「 ー イ ス ウ ェル フ リエ 変換 」 サ イ エ ン 再 び形成 され るの はい つ も,一 定 の割 学 者 た ち は,初 め地 球 は溶 けて い た, ス1989年 8月 号 参照 )。彼 は,太 陽 か ら 合 で起 こって い る と主 張 した。 しか し と信 じて い た。 その地 表 は冷 えて回 ま の熱 の効 果 や潮 汐摩 擦 の効 果 を考慮 し, 実 際 に は 自然 科学者 た ち はだれ も,ラ るが ,コ ア は相 変 わ らず溶 けて い る。 イ エル の考 え方 を応 用 して,地 球 の年 そ して地球 の内部 に い くほ ど温 度 は高 計 算結 果 の信 頼性 を よ り高 め た。 そ し て,地 球 の年齢 を2000万∼ 4000万年 の 齢 を計 算 してみ よ う とは しなか った。 地 質学 的 な過程 につ い て の デ ー タが , くな って い る と考 えた。 間 と推 定 した。 あ ま りに も乏 しか ったか らだ。 は,最 初 の状 態 か ら,現 在 の状 態 に ま しか しライエル は多 くの 自然 科学者 を説 いて,そ の主張 を斉 一 主 義者 に変 えた。斉 一 主義 とは,過 去 の地 球 にお で 冷 え るの に要 す る時間 を計 算 した。 トム ソンの 仕事 は,無 限 に長 い時 間 彼 は,地 球 が 形成 され た時 の重 力 的収 とい う考 えで満足 して い た地 質学者 を 縮 が ,地 球 の熱 のす べ て を生 み出 した 悩 ませ た。 彼 らは,自 分 た ちの分野 に い て破局 的 な変化 や急激 な成 長 が なか と推 測 した。加 えて,若 子 の寄 与 が 太 干 渉 して きた この大胆 な物理 学者 に慣 った と考 え よ う とす る立場 で あ る。 す 陽 か らももた らされ る。 慨 したが ,そ の反論 を試 み る こ とは し きな いので, そ の推 定 値 は大 き くば ら つ い て い た。 フ ー リ エ ( J e Ba an p‐t iJ so ts e ‐ p l l 地球 の年齢 を求 め るため に トム ソン 地 質学者 と物理 学者 の 論争 なわ ち,岩 石 や化 石 か ら導 かれ る結 論 続 いて彼 は,地 球 が 熱 を どの くらい は,そ れ ぞれ の地 質学 的 な期 間 が 非 常 よ く伝 えるか,そ して地 球 を溶 か した トム ソンの計 算 は,理 論 と物 理学 の に長 い問,た ぶ ん数億 年 も続 くので あ り,あ るい は,あ る量 だ け温 度 を上 げ 基盤 に基 づ き,難 攻 不落 の よ うに見 え り, し たが つて地球 の年 齢 は さ らにそ るの に どの くらい の熱 が必 要 か を調 べ た。 しか し彼 の結論 は最終 的 に は,多 れ よ り数倍 も長 い とい う こ とで あ る。 た。彼 は,熱 力学 の第 2法 則 に よる と, 地球 はエ ネ ル ギ ー を真 空 で 冷 た い宇宙 くの点 で 間違 って い る こ とが 証 明 され た。 とはい え,定 性 的 な議論 に基 づ く に放 射 しなが ら,一 定 の割 合 で 冷 えて 地 球 年代 学 は,定 量 的 な方法 で決 め ら したが って 自然 科学 者 た ち は,ケ ル ビン卿 (グラ ス ゴー 出身 の物 理 学 者 で , なか った。 れ た値 に よってす ぐに覆 され る とい う, 概 念 的 な クー デ ター を起 こ した こ とで パ ター ソ ン ● ポ ル トウ ツ ド● .ホ _ム ズ 現 ● 在 の 推 定値 は,高 く評価 され よ う。 19世紀 の終 わ りまで, ト ム ソンの推定値 は,そ の他 の あ らゆ る試 み に対 す る標 準 値 として 位 置 づ け られ,そ の比 較 に用 い られ た。 ● ガイ キ ー . ジ ョリー はな く,生 物 学者 に も シ ョックを与 え た。Cダ ー ウ ィ ン は トム ソ ンの こ と 0 0 地 球 の年 齢 ︵ 年︶ トム ソ ンの結 果 は,地 質学 者 だ けで を,「その求 めた地球 の年齢 が ,内 気 な フ いに突 き刺 さる 自然 科 学者 に とって 『 憎 むべ き 厄 介 な問題 』 を もた ら した 『 妖怪 』」 と表現 して い る。 C.ダ ー ウ ィ ン を は じめ他 の 生 物 学 ● ビ主フ ォン 104 者 は,複 雑 な生物体 が 進化 す るに は, ア ッ シ ヤー 4000万年 は余 りに短 す ぎる と考 えて い 103 1750 1800 1850 さ ま ざ ま な 分 野 の 科 学 者 が 推 定 した 地 球 の 年 齢 1900 地 1950 2000 質学者 と物理学者は, 地球 の年齢が, 何 百回とい う人類の世代交代 に相当する程度の ものではな く, 数 十億年であることを明 らかに した。図中 の赤 い点は, 聖書の記述に基づ く地球 の年齢 の推定である。 1 7 9 5 年から1 8 6 2 年にかけてほ とん どの地質 学者は, 地 球 は永遠に存在 していたか, 少 な くとも測定できない くらい長いと考えていた。 98 た。 しか し,現 存 す る生物 も化 石化 し た生 物 もその進化 に要 した時 間 につ い て,ま った く独立 な計 算 法 の根 拠 を も た らして は くれ なか った。生物 学的 な カ レンダ ー は結局 の ところ,地 質学 に サ イ エ ン ス 1989年 10月 号 頼 って い たか らで あ る。 C ダ ー ウ ィ ンの強 力 な 支 持 者 で あ るハ ックス レイ ( T h O m a s H H u x l e y ) ブ リッジ大 学 の天 文 学 教 授 で あ る G ダ ー ウ ィ ン (George H Darwin)が は, トム ソンの 主張 の うちで , 最 も非 , 「 続 いて この論 争 に加 わ った。彼 は 速 いス ピー ドで 自転 す る溶 けた地球 か ら 難 を受 けや す い点 を攻 撃 した。 ハ ック 月 が生 まれ た」 と主 張 した。 そ して ト ス レイの主 張 は, ビク トリア朝 後期 の ム ソ ンの最初 の推 定値 は,地 球 の潮 汐 地質学者 が物 理 学 に感 じて い た侮 蔑 や , 彼 らが定量 的 な デ ー タに対 して抱 い て い た気 の進 まない 関心 を, 縮 図 に した 力 に よって地 球 の 自転 周期 が 現在 の値 よ うな もの だ った。 発 見 した。 で あ る24時 間 に減速 され る まで に要 す る時 間 と,極 めて よ く一 致 す る こ とを い った。 しか し,地 球 の 年齢 を測定 す る試 み のす べ て は,地 質学 的過 程 の時 間変化 の割 合 に基 づ くもので,そ の 数 値 は不 確 か な もの だ った。 したが って ,地 球 の 年齢 につ い て は 相 変 わ らず:疑 問 が 残 った よ うで あ っ た。「 地 球 や 太 陽 の 熱 はす べ て,重 力収 縮 の結 果 生 じる」 とい う主張 に対 して も,い くつ か の批 判 が 投 げか け られ た。 つ ま り,他 の エ ネ ル ギ ー源 の可能性 が 彼 は1 8 6 9 年, ロ ン ドンの地 質学会 の 会長演説 で 「 現 代 の地 質 学者 は もはや 一 絶対 的 な斉 主義 に こだわ って はい な 以 前 に も,ス ミスの甥 で ,生 徒 で もあ はなか った と主 張 した。 またあ る人 は, い だ ろ うが , そ の原 理 は まだ利 用 で き った フ ィ リップス (」 ohn Phillips)が, 地 球 の 内部 は今 で も溶 けて い る と主 張 る はずで あ るJ と 主 張 した。 そ して彼 地球 が 存在 して い たの は9600万年 で あ した (内部 が 液体 状 態 だ とす る と,熱 は トム ソンにつ い て, 次 の よ うに述 べ てい る。「数学 的考 察 過程 が い か に厳 密 る と主 張 して い た。 この結 果 は,川 の は対 流 に よって運 ばれ る。 トム ソンは 推 積物 に よ る地 層 が 形成 され る割 合 か この こ とを考慮 して い なか った)。そ し で あ ろう と も, そ の結 果 につ い て, 全 ら計 算 した もので あ るが ,こ こで 用 い 体 として は とて も承 認 で きな い よ うな た割 合 は明 らか に間違 って い る。 1868 て また別 な人 は,侵 食 や堆 積 や塩 分濃 度 の デ ー タ に疑 間 を投 げか けた。 権威 を導 き出す こ とは許 され な い。何 ペ ー ジに もわ た って公 式 を並 べ て も, 用 い るデ ー タが いい加 減 で あ る限 り, 年 ,ス コ ッ トラ ン ド地 質調査所 の所 長 で あ るガ イキ ー (Archibald Ceikei) 前世 紀 の終 わ り頃 に は,地 質学者 は 一般 的 に ,地 球 は誕 生 以来約 1億 年 が は,侵 食 の証 拠 を注意 深 く調 べ ,地 球 経 過 した と考 え る よ うにな って い た。 そ こか らはっ き りとした結論 は得 られ は 1億 年以上 は古 くな い と結 論 した。 1899年,ダ ブ リ ン 大 学 の ジ ョ リ ー しか し彼 らは依 然 として, ト ム ソンの 主 張 とは和 解 して い なか った。 一 方 ト ハ ックス レイ はたぶ ん, 地 球 か ら放 (John Joly)は 初 めて,地 球 の年齢 を ム ソン はその 頃,そ の科学 的業績 に よ 射 され る熱 は, ト ム ソンが 考 えた よ り 測 る本 当 の意 味 で の新 しい地 質学 的 な つて貴 族 階級 に列 せ られ ,ケ ル ビン卿 ももっ とず っ とゆ っ くり放 射 され て い 方 法 を考 案 した。 彼 は海 の塩 の起 源 に と称 して い た。 ケ ル ビン は相 変 わ らず る と主 張 したか ったの だ ろ う。ト ム ソ つ いて考 え,そ れ らはす べ て,鉱 物 の ンは, 彼 の推定 が 控 え 目な もの だ と思 堆積 物 が侵 食 され ,水 に溶 け込 んで海 熱伝 導 の式 を い じ くりまわ して, も っ と短 い時 間 ス ケ ー ル を得 よ う とし,そ っていたが , そ の 数値 につ い て は確 信 に もた らされ た結 果 で あ る, と主 張 し の 間 ず っ と地 質学 的証 拠 につ い て は顧 を もて なか った。 た。 また,海 の塩 分濃度 は決 して減 少 み よ う とは しなか った。 さ まざ まな推 定 年齢 の 登 場 しな い と も主 張 した。 したが って ジ ョ リー は塩 分 濃度 を,地 球 の年齢 の推 定 ル ビンの物 理 的計 算 法 を うのみ に は し に関連 づ けて考 えた。 な くな って い た。 彼 らは 自分 た ちの方 な い」 と。 しか し トム ソ ン は もはや , ひ と りで 地 質学者 と論 争 を続 け る必 要 はなか っ 何 人 か の地 質学者 が , ト ム ソンの地 球 の 年齢 の考 えに同意 した。ト ム ソン ジ ョ リー は,毎 年海 に流 れ込 む水 と, 言 及 され たので あ る。 あ る人 は,地 球 はか つて溶 けた こ と 地 質 学者 た ち もこの頃 まで に は,ケ 法 に 自信 を もち (それ は,保 証 され た たので あ る。米 国 の天 文 学者 ニ ュー カ 流水 中 の単位 体積 当 た りの塩 の量 につ わ けで はな い の だ けれ ど),高名 な物 理 ム (Simon Newcomb)と ドィ ツの物 い て ,当 時 の最 もよい デ ー タ を集 めた。 学者 が 導入 した数 多 くの仮 定 に基 づ く 理 学者 ヘ ル ム ホル ツ (Hermann von Hdmholtz)ヵ S,星 雲 が 重 力 的 に収 縮 彼 は,塩 分 の 毎 年 の増加 率 を計 算 した。 論 議 よ りも正 しい と考 え る よ うにな っ そ して,海 の塩 分 濃度 にその絡 体 積 を て い た。 し,現 在 の太 陽 の大 きさにな る まで の か け,そ の積 を,毎 年 の増加 率 で割 っ そ して つ い に,互 い に その結 果 が 一 時 間 を計 算 し,論 争 にカロわ ったか らで た。 この よ うに して,塩 分 を含 む海 が 8000万∼ 9000万年 か けて つ くられ る と 致 す る よ うな,い くつ か の 年代 決定 法 あ る。彼 らは互 い に独立 に,(太 陽 が生 まれ る以 前 に は地 球 は存 在 しなか った 結 論 した。 に もわ た る厳 しい探 査 と調査 ,源 J定 と とす る と)地 球 の年 齢 の上 限 は 1億 年 で あ る とい う結 果 を得 た。 有名 な Cダ ー ウ ィ ンの 息子 で ,ケ ン サ イ エ ン ス 1 9 8 9 年1 0 月号 を発見 した。 地 質学者 た ち は,数 十 年 その後 の数 十 年 の 間 に,地 球 が 1億 分 類 の後 ,定 量 的 な科 学 の従弟 の 身分 年 前 か それ以 前 に形 成 され た とい う主 か ら,や っ と解放 され た こ とを感 じて 張 に 同意 す る地 質学 者 の数 は増 加 して い た。 じ量 の水 を解 かす の に十 分 な熱 を発生 す る」 と発表 した。 この時 に は,事 情 は まった く異 な って いた。人 々 は,ほ とん ど無尽 蔵 とも思 え る, こ の豊 富 な エ ネ ル ギ ー に注 目 したの だ った。 この エ ネ ル ギ ー は, ど こか らや って ー くるの だ ろ うか ? ラ ザ フ ォ ドとバ ー ネ ス (I=Oward T_Barnes)は ,そ の 源 を発 見 した。彼 らは,発 生 す る熱 宝 が ,放 射 され る ″ 粒 子 の数 に比例 す る こ とを示 した。 これ らの粒子 が近 くの 原子 と衝 突 す る と,粒 子 の運動 エ ネ ル ギ ー は熱 に変換 され るので あ る。 地 質学者 たち はす ぐに,熱 と放 射能 の関係 が ,地 球 の年齢 の決定 に重大 な 影 響 を及 ぼす で あ ろ う こ とを認識 した。 ケ ル ビンは,地 球 の熱 が太 陽,あ る い は初 期 の溶 けた状 態 か らや って くる と 仮 定 した。 この場 合,太 陽 に しろ,溶 一 けた状 態 に しろ,重 力 的 な収 縮 が 唯 の エ ネ ル ギ ー 源 で あ る。 もし地 球 と太 す ぎな 部 ( 左上) は , 地 球 の年齢が 2 0 0 0 万 年 1 こ 地 球 の 年 齢 を推 定 した 科 学 者 た ち ケ ル ビン〕 ー ド( ト ウッ B e A r a m B B O m v O O d , 左 下) , 右と ボル いと推定 した。 ラザフォ ド( E r n e s t R u t h e t t o r d上) ー ムズ ( Anhur は, 地 球 の年齢が 1 0 億年以上 もあることを決定づける, 放 射年代決定法を考案 した。ホ H o i m e s , 右 下) は , これ らの方法 を人 々に認めさせ るために, 大 きく貢献 した。 陽 が ,十 分 な量 の 熱量 を供給 で きる多 量 の放 射性 物 質 を内部 に含 んで い る と した ら,こ の発 見 に よ り,ケ ル ビ ンや その他 の人 々が 提 出 した,地 球 の 冷却 を基 に地球 の年齢 を決定 す る方 法 は, しか し物 理学 者 は再 びす ぐに,地 質 1に 大切 なの は,放 射 性 元 素 その もの ー よ りも,α (アル フ ァ)線 ,β (ベ タ) す べ て誤 りだ つた とい う こ とにな る。 ー 1903年に G.ダ ー ウ ィ ン とジ ョ リ 学 者 の縄張 りに立 ち入 り,地 球 の年齢 線,γ (ガ ンマ )線 の放 射 で あ る (後 に が 初 めて, こ う した主張 を行 な った。 を計算 す る こ とにな った。 今 度 は,放 α粒 子 はヘ リウム の原子核 と同様 , 2 放射 能 は少 な くとも部 分 的 に は,地 球 射能 の研 究 が きつか けだ った。 1896年, つ の 陽 子 と 2つ の 中性 子 か ら成 り,β や太 陽 の熱源 に寄与 して い るか らで あ ベ ク レル (A Henri Becquerel)が , 線 は電 子 の放射 で あ り,γ 線 は電 磁 放 る。 しか し,果 た して地球 の内 部 に は, その現 象 を発 見 し, 1 8 9 8 年 に M キ ュ ー リー (Marie S Curie)と Pキ ュー 射 の光 子 に相 当 す る こ とが 発 見 され その差 が測 定 で きる くらい に十分 なJIと た)。 め て, 放 射性 リー ( P i e r r e C u r i e初 )が これ よ り少 し前 の1900年,カ ナ ダ の モ ン トリオ ー ル に あ る マ ギ ル 大 学 の の放 射性物 質 が 存 在 す るだ ろ うか ? 一 私 た ち はす で に,そ の答 えの 部 を 放 射性 元素 を使 った推 定 元素 で あ るポ ロニ ウム とラ ジ ウ ム を検 出 した。続 いて1 9 0 2 年と1 9 0 3 年, ラ ザ フ ォー ド ( E r n e s t R t i t h e r f o rソデ d)と ラザ フ ォー ドとマ ック ラ ン グ (R.K. 手 に して い る。 ド イ ツ,ウ ォル フ ェ ン ビュ ッテル の 2人 の学校 教 師,エ ル ス ガ イテ ル (llans ulius Elster)と タ ー (」 い くつか の McClung)は ,そ れ ぞれ の放 射 線 が 膨 ー 大 な量 の エ ネル ギ を運 ぶ こ とを示 し F.Geitel)は1901年,大 気 中 に放 射能 を 論 文 で , 放 射 能 の素過 程 につ い て説 明 た。 しか し彼 らの この論 文 は,放 射 線 検 出 し,そ の後 す ぐ,土 壌 中 に も検 出 につ い て研 究 して い る物 理 学者 や化 学 一 ー 者 の,ご く 部 の研 究 グ ル プ以 外 で した。 りで はな く,多 くの熱狂 的 な ア マ チ ュ 化 学元素 の原子 が 自発的 に変 化 して, は,ほ とん ど注 目 され なか った。 一 方 1903年,Pキ ュー リー とラボ ア アが ,放 射能 を含 ん だ雨 や雪 ,地 下水, 別 の元素 の原子 にな る こ とで あ る。 ジェ (Albert Laborde)が,「 ラ ジ ウム さ らに はナイ アガ ラの滝 の近 くの霧 に は毎 時 間 当 た り,自 分 自身 の重 さ と同 も,放 射能 を検 出 した。地 質学 者 た ち ィー (Frederick SOddy)が を与 えた。 彼 らは, 放 射能 の こ とを正 し く説 明 して い る。 す なわ ち放 射 台ととは, あ る 地球 の年齢 を決定 す る際 に, まず第 ま もな く,専 門家 で あ る科学 者 ばか サ イ エ ンス 1989年 10月 号 100 半 減 期 は数 十 億 年 か ら100万分 の 1 含 を発 見 した。 もしラム ゼ イー ソデ ィ ー の割 合 が正 確 で ,そ の形 成以 来鉱物 秒 まで,大 きな幅 が あ る。 ウラ ン, ト 中 か らヘ リウ ムが 逃 げな い (どち らも ト (Robert」.Strutt)は,多 くの岩 石 リウム,ラ ジ ウム は長 い半減 期 を もち, 真 実 か らの飛躍 が あ るが )と す る と, 中 に微量 の ラ ジ ウム を発 見 した。 実際 に はス トラ ッ トは,地 球 上 に一 様 に分 したが って地 球上 に現在 で も存在 す る。 一 方,短 い半減期 の元 素 は,一 時 的 に 存 在 す るヘ リウム量 か らサ ンプル の 年 布 して い るに して は多 す ぎる くらい 多 しか存 在 しな い。 つ ま り,岩 石 中 にあ 齢 を決 め る こ とが で きるだ ろ う。 ラザ フ ォー ドは,自 分 の もって い るフェル 量 の ラジ ウム を発 見 した (それ は,そ る特定 の放 射性 元素 が 存在 す るか しな グ ソナ イ トの年齢 が4000万年 で あ る こ の他 の放 射性 元 素 か らの寄 与 を考 え る いかが ,そ の年代 につ いて の手掛 か り 必 要 が な い くらい 多量 で あ った)。その を与 え る こ とにな る。 す なわ ち,放 射 とを突 き止 め,自 慢 した。 一 方 ボル トウ ッ ドは,崩 壊 系列 の最 放射能 だ けで も,地 球 内部 の 熱 をす べ 性 元 素量 の分 析 を通 じて,岩 石 の絶 対 後 の生 成 物 を探 そ う と思 った。放射性 て説 明 で きる くらい だ った。 彼 の仕事 年齢 が 求 め られ るので あ る。 元 素 が 崩壊 す るに つ れ ,最 終 生成物 の は もはや,地 球上 に放射 能 が 広 く分 布 して い る こ とを疑 わ なか った。 その濃度 に関 して い えば,ス トラ ッ る まで の時 間 の こ とで あ る。 に よ り,地 球 の年齢 は無 限 の 時 間 まで 放 射 性 元 素 は,そ れ ぞれ 固有 の崩壊 量 は年 々増 加 す る。 当時 すで に,ラ ジ 引 き伸 ば され る こ とが示 唆 され た。 と 系列 を もつ 。 す なわ ち,放 射性 元 素 は, ウムが ウラ ンの崩壊 系列 の生成 物 で あ い うか,地 球 が 冷却 す る とい う証 拠 は 安 定 な元 素 に至 る まで次 々 と崩壊 し, る こ とは知 られ て い た。 1905年にボル 発見 されず ,年 齢 の推 定 は困難 にな っ 1つ の連 続 的 な元 素 系列 を構 成 す る。 トウ ッ ドは,鉛 が 最終 的 な生成 物 で あ た。 ウラ ンラジ ウム,ウ ラ ンア クチ エ ウム , る こ とを指摘 した。 トリウム 系列 な どが ,今 世紀 の初 め頃 ウ ラ ンか ら鉛 とい う仮 説 につ いて は, ラザ フ ォー ドもそれ を支持 す る別 の証 科学者 たちの コ ミュニ テ ィー は この 事態 に,二 面価値 的 に反応 した。 オ ッ クス フ ォー ド大 学 の ジ ョ リー とソラス Sollas)ヤ よ, ス トラ ッ ト (WVilliam」 にす で に知 られ て い た。 放 射性 元 素 を用 い た岩 石 の年代 決定 方法 は,放 射性 元 素 とその崩壊 系列 の 拠 を提 出 して い る。 彼 の論点 は次 の よ うな もの で あ る。 もし,ウ ラ ンが ラ ジ ウム に崩壊 し, 研 究 か ら発 展 させ た もので あ る。 ラザ フ ォー ドや放射 化 学者 の ボル トウ ッ ド ラ ジ ウ ム (当時 その原 子量 は225と考 え , こ の分 られ て い た)と 娘 元 素 が 5個 の α粒 子 (それ ぞれ が 4の 原子量 を もつ )を 放 自 らの推 定値 が 他 の もの に とって代 わ 野 の研 究 を開拓 した。 エ ー ル 大 学 を卒 業 した後 ,顧 問化学 出 した とす る と, こ の崩壊 に よって原 られ る こ とを歓 迎 したが ,公 式 に は相 者 と して ボル トウ ッ ドは,数 多 くの鉱 子 量 205の元 素 が生 じるだ ろ う。これ は 変 わ らず論 争 を挑 んで い た。 その他 の 物 サ ンプル ,な か で もウラ ンや トリウ 人 たち は,ケ ル ビンの地 球 の 年齢 か ら ム を含 ん だ鉱物 で あ るモ ナズ石 を分析 鉛 の原 子量 2069と ,あ ま り違 わ な い。 ボル トウ ッ ドは,ラ ザ フ ォー ドが初 解放 され るの を喜 ば し く思 った。 結 果 めて鉛 法 を用 いて岩 石 の年代 決定 の可 として,放 射 能 はケル ビンの理 論 的拘 した。 1904年,カ リス マ性 を もつ ラザ フ ォー ドの講 義 をエ ー ル大学 で受 けた 束 か ら人 々 を解 き放 った だ けで な く, 時,ボ ル トウ ッ ドの放射 性 元素 に対 す にその可 能性 を確 か めたの は化学者 で 地球 の年齢 を決 め る手 掛 か りを与 え る る好 奇 心 に火 が つ い た。彼 は崩壊 系列 こ とにな った。 の元 素 の 間 の 関係 を記載 し始 め た。 その年 の後 半 に ラザ フ ォー ドは,鉱 あ る。 1905年の終 わ りまで に,26個 の 異 な る鉱 物 試 料 を分析 し,9200万 ∼ 5 億 7000万年 とい う年代 値 を得 て い る。 岩石 中の 放 射性 元素量 の 分析 物 中 の ヘ リウム を測 定 す る こ とで,地 新 しい 方 法 の評 判 を落 とさな い た めに 今世紀 初 めの数 年 間,ラ ザ フ ォー ド とソー デ ィが ,放 射能 は実 際 に 自然 の 球 の 年齢 を決定 す る方法 を提案 した。 ラザ フ ォー ドは当時,そ れ は1908年に は, こ の 結 果 が公表 され なか った こ と 錬金術 で あ る こ とを提 唱 した時,放 射 証 明 され た ので あ るが ,次 の よ うに考 の ラ ジ ウ ム とウラ ンの比 が正 し くなか 性元素 に対 す る科 学 的熱狂 は,放 射 に えた。 ヘ リウ ム はあ る特 定 の崩壊 系列 ったか らで あ る。 対 す る熱狂 に とって代 わ る こ とにな っ 一 た。彼 らに よれ ば,放 射 性 元 素 は 定 の生 成 物 で はな く,2つ の電 子 と α粒 子 が 結 合 す る時 ,す べ て の崩壊 系列 で その理 由 は 2つ あ る。1つ は,ラ ジ ウム量 を測 定 す るため に ラザ フォー ド の割合 で 崩壊 し,異 な る化 学 元 素 に変 形成 され る。 が用 い た 目盛 りが狂 って い た こ と,も 化 す る。 この崩壊 率 の こ とを半減期 と う 1つ は,ラ ジ ウム の半減期 が1905年 い う。半減期 とは,あ る量 の放 射 性 元 素 ラ ム ゼ イ爵 (William Ramsay)と ソ デ ィー は,ロ ン ドンの大学 カ レ ッジで, か ら1906年にか けて,何 度 とな く修正 の原子 の半 分 が ,崩 壊 生 成物 に変 化 す ラ ジ ウ ムか らヘ リウムが つ くられ る割 され て い るか らで あ る。求 め る岩石 の の研究 に よ り,地 球 の 年齢 を約 1億 年 とした 自分 た ちの研 究 が 覆 され る こ と を心配 したる ケル ビン 自身 の感 情 も 2 つ に分 かれ てい た。彼 は,個 人 的 に は サ イ エ ンス 1 9 8 0 年 1 0 月号 (Bertram B Boltwood)が 能 性 を示唆 した と述 べ て い るが,実 際 は幸 運 だ った。 これ は,ボ ル トウ ッ ド 101 ボル トウ ッ ドは,も し毎 年 100億1問の ウラ ン当 た り 1個 の ラジ ウムが おj破す る とした ら,100億個 の ウラ ンか ら毎 年 1個 の鉛 が つ くられ るはず だ と推 測 し た。 ボル トウ ッ ドは この 関係 を法則 に ま とめ た。す なわ ち,岩 石 の年齢 は100 億 年 に鉛 とウ ラ ンの比 を乗 じた もの に な る。 この よ うに して彼 は,閃 ウラ ン 鉱 のサ ンプル につ い て,そ の比 が0.041 で あ る こ とか ら 4億 1000万年,方 トリ ウム石 につ い て の比 が0,22であ る こ と 地球 の姿 1500年 に ハ ン トー レノ ックス地球 儀 (左)を 作 った地 図作 成者 は,地 球 の 年 齢 を推 定 す るの に,聖 書 の 記述 を用 いた 。 その 計 算 間違 いは,80万 倍 以上 に も及 ,Sく 。 宇 宙 か ら見 た地球 (右)を 撮 影 した宇 宙 飛行 士 は ,地 球 の誕 生 が 45億 年前 であ る こ とを,放 射 年代 決定 法 に よ って知 って い る。 か ら22億年 とい う年代 を計 算 で 求 め た。 も しラ ジウム の半減 期 に もっ と正 m: な値 を使 えば,実 際 に は,ボ ル トウ ッ ドのサ ンプル の年齢 は約 2500万年 か ら 13億年 の範 囲 にあ る こ とにな る。 た と 年齢 は, これ ら 2つ の数値 に よって大 され る α粒 子 の 数 か ら求 め た もの と ほぼ一 致 した (ちなみ に,現 在 受 け入 え この よ うな修 正 を行 な って も,方 ト れ られ て い る この値 は1620年で あ る)。 い。と い うの は, ト リウムが 崩壊 す る 放 射性物 質 の崩壊 が 指 数 関数 的 に与 え こ とに よ り鉛 が つ くられ るが ,鉛 は同 られ る として, 1年 ご とに崩壊 して い くラ ジ ウム の割 合 は,ラ ザ フ ォー ドの 様 に,ウ ラ ンか ら もつ くられ るか らで を公表 した とき,彼 は同 じ岩 石 層 (そ れ らはお そ ら く同 じ地 質 年 代 を もつ だ 半減期 を用 い る と,27万 ppb(0.027%) は素 晴 ら しい もの だ った。 それ は,地 ろうが )か ら取 り出 され た鉱 物 中 の鉛 ― ウラ ン比 が ,驚 くほ ど一 で る こ 定 あ とな る。 球 の 年齢 が 少 な くと も,10億 年 はあ る とを観察 した。 彼 は また,鉱 物 中 の鉛 とん どす べ て の岩石 に ウラ ンlo億個 当 の量 は,鉱 物 の相対 年 代 が 増 す と,増 た り380個の ラ ジ ウム が 含 まれ て い る 加 す る こ とを観 察 した。 ろ過 され ,そ の を発 見 した。 したが って,毎 年崩壊 奇 妙 な こ とに, こ の偉 大 な仕 事 はあ こか ら鉛 が 出 て くる よ うな鉱 物 は,同 して い くラジ ウム の割 合 に,ウ ラ ンの ま り注 目され なか った。 ボル トウ ッ ド じ岩石層 の他 の鉱 物 よ りも低 い値 を与 える。 これ は,す べ て互 い に よ く一 致 中 の ラジウム量 の比 を乗 じる と,ウ ラ の論 文 は米 国 の主 要 な地 質学誌 に掲 載 ン100億個 当 た りの,毎年崩壊 して い く され た けれ ど,だ れ もその後 を追 い, する。 ラジウム量 にな る。 鉛 法 につ い て彼 の仕事 を さ らに拡 張 し き く変化 す る。 ラジウム 崩壊 に よ る推 定 ボル トウ ッ ドが ,彼 の1907年 の仕事 ラザ フ ォー ドとボル トウ ッ ドは,ほ リウ ム石 の場 合 に は,結 果 は正 し くな あ る。 に もかかわ らず ,こ れ らの結 果 こ とを証 明 したか らで あ る。 放 射 性 年代 決定 法 の 浸透 しか しボル トウ ッ ドは,い くつ か の 鉱物 で は,鉛 ― トリウム比 が 一 定 で は 崩壊 系列 よ りは平衡 状 態 にあ る と,正 の結 果 は,放 射 能 の重 要性 が過 大 に評 な い こ とも発 見 した。ト リウ ム の 最終 し く仮 定 した。 た とえば,ゥ ラ ンー 鉛 価 され過 ぎて い る とい う地 質学 者 の主 的 な生成物 が 何 で あ るか は,相 変 わ ら 系列 は,単 位 時 間 当 た りに崩壊 して い 張 に,影 響 を及 ぼす こ とす らなか った。 ず未知 の ままだ った。 したが って彼 は, 鉛 ― トリウム比 を無 視 しよ う と考 えた。 くウラ ン原 子 の数 が ,そ の時 間 内 に崩 地 質 学 者 た ち は地 球 で の放 射崩壊 の加 壊 す るラ ジ ウムの原 子数 ,あ るい はつ 熱効 果 を割 り引 い て 考 えた ばか りで な ウラ ン と トリウム の 両 方 を含 む鉱 物 の くられ る鉛 原子 数 に等 しい時 ,平 衡状 く,ケ ル ビンが 求 め た年代 の範 囲が結 測定 に影 響 を及 ぼす よ うな誤 差 が あ る 態 にあ る。 か もしれ な いか らで あ る。 ボル トウ ッ ドは,彼 の集 め た岩 石 の この平衡 を維 持 す るに は,半 減期 が よ う とは しなか った。 それ どころか 彼 局 は正 しい こ とを示 す ため に,そ の地 “ 質 学 的 デ ー タや物 理 学 的 デー タ を 料 "し た りした。 製 鉱物 の絶対 年代 を決 め るた め に,ボ ル トウ ッ ドは,ウ ラ ンー ラ ジ ウム の 崩 長 い放射 性 元 素 は,半 減期 が短 い もの よ り多 量 に 存 在 しな けれ ば な らな い ボル トウ ッ ドはそれ 以上 ,鉛 法 につ 壊 系列 を調 べ た。 最 も新 しい ラ ジ ウム (ウラ ンの供 給 は時 間 と共 に ゆ っ くり い て は論 文 を書 か なか った。 彼 は崩i壊 の半減期 は2600年 だ った。 この値 は ラ ザ フ ォー ドが ,ラ ジ ウムか ら毎 秒 放 射 と減少 す るが ,ボ ル トウ ッ ドは失 われ 系列 の研 究 に戻 り,放 射 性 元 素 の イオ る量 は無視 で きる と考 えた)。 ニ ウム (ウラ ン系列 の核 種 :Io)を 発 102 サ イ エ ン ス 1980年 10月 号 見 した。 ラザ フ ォー ドの 方 はそれ で も, 地球 の 年齢 を決定 す る仕事 を続 け,lo トリウム の崩壊 系列 も結 局 ,鉛 の アイ ツ トー プで終 わ る こ とが 明 らか に され 年 に 1回 くらい の割 合 で論 文 を発 表 し らの科 学 を再 構 成 す るの に関 わ る前 に , 彼 らが 心 か ら信 じられ る こ とを確 か な た。 もの に したい とぃ ぅだ けの こ とで あ る。 た。 しか し人 々 の興 味 を引 くこ とはな か つた。 一 方,ス トラ ッ トは191o年ま で ヘ リウム 法 の 改 良 に努 め,そ の後 こ の分野 か ら離 れ た。 しか しス トラ ッ トは,偉 大 な遺産 を 多 くの地球 科学者 に とって, これ ら の新 発見 は,放 射 性 元 素 を用 い た年代 決定 を よ り困難 に し,精 度 を悪 くす る もの の よ うに見 えたが ,ホ ー ム ズ は第 1次 世 界 大戦 の前後 の年 に も,地 球 の 残 した。彼 は若 い英 国 の地 質学 の学生 ホ ー ムズ (Arthur HOmes)に ,地 球 の 年代 学 に関 す る論 文 を続 々 と発表 して 年齢 を決 定 す る こ との面 白 さを吹 き込 情 報 を自分 の研 究 に取 り込 み,そ の結 ん だので あ る。彼 はその後 , この問題 の研究 をひ と りで続 けた。 ホ ー ム ズ は, 果 を よ り厳 密 な形 に して い った。 彼 の 彼 の その後 の産 業 界 や ,ダ ー ラム大 学, エ デ ィ ンバ ラ大 学 で の長 い経歴 を通 じ て,放 射性元 素 を用 い た年代 決定 法 の 重 要性 を説 き,最 終 的 に は,地 質学者 にその重 要性 を認 め させ た。 い つた。 彼 は,ア イ ソ トー プ に関 す る 成 功 に よ り,放 射 性 元 素 を用 い た年代 決定 に対 す る公 然 た る抵 抗 は徐 々 に撃 破 され て い った。 しか し,そ の 方 法 の 支持 を得 る まで に は至 らなか った。 エ ー ル 大 学 の地 質 学 の教授 で あ るバ レル ( J O s e p h B a r r e l l )ヤ だ ナヤ ま例 タトだ っ その必 要性 が ,は た して 明 らか にな る だ ろ うか らJと 述 べ て い る。 論 争 はう い に1926年,ホ ー ム ズ たち の勝 利 に終 わ った。 この年,米 国科 学 ア カ デ ミー 国家研 究評 議会 に,地 球 の 年齢 に関 す る委 員会 が 設置 され た。 ホ ー ム ズ は この 問題 に関 す る数 少 な い専 の 門家 ひ と りとして この委 員会 に加 わ り,そ の報 告書 の約 70%を ひ と りで書 き上 げた。 委 員会 は全 員 一 致 で,放 射 性 元 素 に よ る年代 決定 法 が ,唯 一 の, 信頼 で きる地 質学 的 な時 間尺度 で あ る こ とを認 め たの だ った。 報 告 書 は明解 で,詳 細 な証 拠 を数 多 く挙 げて い る。放 射 能 に関 す る定 数 は 1930年まで は,ホ ー ム ズ とジ ョ リー た。 彼 は1917年,放 射性 元 素 を用 い た が 年代決定 の技術 に精 通 した,た った 2人 だ けの地 質学 者 で あ った。 しか し 確 固 た る もの にな り,鉛 の 同位体 は計 年 代 決定 の結 果 と調和 的 な,地 質学 的 な歴 史 を再 解 釈 した。 バ レル は,地 質 算 に簡 単 に組 み込 まれ ,崩 壊 生成 物 が ジ ョ リー は,そ の有効性 に は疑 間 を も つていた。 ホー ム ズ はそ うで はなか った。 彼 は 学 的 な仮 定 が 一 様 で はな く,周 期 的 に その 強度 を変 えて い る こ とを強調 した。 ヘ リウム 法 よ りも鉛 法 の方 が ,信 頼 が お ける と考 えた。 1911年,彼 は多 くの この こ とは,現 在 の地 質学 的 な変 化 の 割 合 が ,斉 ― 主 義者 が 主張 す る よ うに, 過去 へ の道標 で はな い こ とを意味 して 岩石試 料 を調 べ ,最 古 の もの は16億年 い る。 前 の もので あ る と計算 した。 彼 は;自 つ い に,抵 抗 は弱 ま り始 め た。 1921 分 が 用 い た岩 石 資料 は,そ れ が つ くら 年,科 学 の 発展 の ための 英 国連 合 の会 れ た時 に は,そ の 内部 に鉛 を含 まず , 議 で地 質学 者 ,植 物 学者 ,動 物 学者 , す べ ての鉛 はウラ ンの崩壊 で つ くられ , 数学者 ,物 理 学 者 を代 表 す る講 演者 が , その間,岩 石 中 か らの鉛 や ウラ ンの移 地球 の 年齢 は数十億 年 で あ る こ と,放 動 はまっ た く起 こ らなか った と考 えた。 これ は正 当化 され る とい うよ り,信 念 に近 い ものだ った。 2年 後 ,ホ ー ム ズの 批判 者 た ちが 喜 ぶ よ うな 2つ の新 しい進展 が あ った。 1つ はア イ ツ トー プの発 見 で あ る。 ア イ ソ トー プ とい うの は,化 学 的性 質 は 同 じ原 子 で あ るが ,原 子量 (中性 子 と 陽子 の数 )力 S少 し異 な る もの で あ る。 時 間 の経 過 と共 に失 われ な い よ うな鉱 物 が ,注 意 深 く選 ばれ た。 ラザ フ ォー ドとボル トウ ッ ドに よって開拓 され , ホ ー ム ズが 発 展 させ た放 射 年代 決定 法 はつ い に,地 質学 者 の祝福 を受 けたの で あ る。 彼 らは地球 の始 ま りの痕 跡 を 発 見 しただ けで な く,地 質学的 な歴 史 のすべ ての 年代 を決 め られ る とい う未 来 を も手 に入 れ たの だ った。 地球 の 年 齢 は 45億 年 過 去 60年 間 に,鉛 年代 決定 法 はよ り 射性 元 素 を用 い た年代 決定 法 の技術 と, 複 雑 にな り,最 近 の技術 は地 球上 最 古 地 質学 的 な それ とは, どち ら も役立 つ の 岩石 が38億 年前 につ くられ た こ とを こ とな どを認 め る発 表 を行 な った。 し 明 らか に した。 これ は,地 球 の団体 地 か し,両 者 の和 解 の ための具体 的 な手 表 が 少 な くと も, この頃 か ら存 在 して い た こ とを示 して い る。 しか しこの時, 続 きにつ い て は,計 画 が 立 て られ なか った。 渦巻 くガ ス と塵 の 雲 か ら太 陽系 が生 ま 依 然 と して互 い に懐 疑 的 で,警 戒 し 合 って い たの は驚 くに当 た らな い。 ソ れ た こ とを意 味 す るわ けで はな い。 た とえば,鉛 は82個の 陽子 を もつが , ラス は 1億 年 よ りも長 い地球 の年齢 は 決 して認 め なか った ろ う。彼 は 「 地質 その原 子 量 は195か ら214までで あ る。 1955年,カ リフォル エ アエ 科 大学 の パ タ ー ソ ン (Clair PattersOn)と の 彼 仲 間 が 初 めて 隕石 の年齢 を決 め,そ れ 学 者 は物理 学 者 が 彼 らに与 えた年代 に 第 2の 進 展 は,個 々 の放 射性 元 素 の崩 を基 に太 陽 系 の 年齢 を推 定 した。 は まっ た く関 心 が な い。彼 らはそれ が 壊生成 物 を特定 す る物 理 法則 が 発見 さ ちな み に,最 近 の 隕石 の 年代 決定 に 長 い の か 短 い のか は どうで もよ い こ と れ た こ とで あ る。 この 法則 に よる と, よれ ば,地 球 の年 齢 は45億年 とい う こ で,彼 らが 本 当 に望 んで い るの は,彼 とにな って い る。 (松 井孝典 訳 ) サ イ エ ンス 1 9 8 9 年1 0 月号 103