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ただいまご紹介に預かりました福山市のカイハラ株式会社の貝原でございます。
今までずっとお話になっている中で、繊維では非常に少ない例なんですけれど。我が社
は 1893 年 、 明 治 26 年 に 私 の 祖 父 が 備 後 絣 、 こ れ は 皆 さ ん ご 存 じ の よ う に 、 農 作 業 と か い
う時にモンペにして履いていた。それをスタートしまして。そして戦後、2 番目に書いて
あ り ま す 54 年 に 液 中 絞 り と い う の を や り ま し た 。こ れ は 、昔 、こ う い う 瓶 の 上 で 染 め て い
ました。そうするとインディゴ染料というのは、酸化して初めて青色になります。そうい
うことで空気を吸った染料が中に落ちてくると、染料の消費が非常に多くなるということ
で 、一 つ の ア イ デ ア と い い ま す か 、思い つ き で す 。今 現 在 、相 談 役 を や っ て い る の も の が 、
お風呂の中でタオルを絞って、そのまま上げるとこの中には水は入っていないですよね。
そういうことを利用して、瓶ではなくて、細長い長方形の槽を作りまして、中で絞ること
を 考 え ま し た 。考 え て 、こ の 染 色 機 を す る こ と に よ っ て 、以 前 の も の よ り も 染 料 が 20% 以
上助かるということで、この染色機を作って、そしてこれを備後地区、三尾地区に販売し
ました。
こ れ は さ っ き 一 人 で 絞 る よ り も 、う ん と 何 十 倍 も の 生 産 量 も あ る し 、そ う い う 意 味 で は 、
昭 和 35 年 に 備 後 絣 の ピ ー ク が あ っ た ん で す け れ ど も 、300 万 反 と い う 。そ れ に は 大 い に 役
に立ったのではないかと思います。
そしてその後、広巾絣とか、そういうものも、これも自社で考えて作りました。これは
ロ ー プ 染 色 機 。今 現 在 、デ ニ ム で は 、皆 全 て こ れ で や っ て い ま す 。こ れ も 1970 年 に 我 が 社
で初めて、日本で本格的なデニムは、ここからスタートということで、これも自社で考え
ました。
この絣からデニムへの転換というのは、その前に中近東のイスラム教徒の男性が履いて
いるモンペのようなものがあります。腰巻きのようなもの。これをずいぶん出していたの
で す が 、 昭 和 42 年 に ス タ ー リ ン グ ポ ン ド の デ バ リ ュ ー シ ョ ン に よ っ て 16% ぐ ら い 切 り 下
げになりました。そんなので、皆さんは今、スターリングポンドはどのぐらいかというと
200 円 ぐ ら い だ と 思 わ れ て い る の で す が 、そ の 当 時 は 1008 円 だ っ た の で す 。1008 円 が 860
円ぐらいになったということで、なかなかもう輸出が難しいという時に、ちょうどなんと
か新しい染色機で染めてくれないかと。どうもアメリカのほうではロープのような状態で
染めているということを、地元のジーンズメーカーさんや生地問屋さんから聞きました。
そ の 時 は 、 会 社 が つ ぶ れ る 一 歩 手 前 で し た 。 280 人 ぐ ら い の 社 員 が 、 ど ん ど ん 辞 め て い っ
て 、 150 人 ぐ ら い に な っ て い た と い う 時 に 、 な か な か 新 品 の 機 械 を 買 う お 金 も な か っ た と
い う こ と で 、こ れ も 自 社 で 全 部 作 り ま し た 。こ う い う ふ う に 建 物 の 梁 に も つ い て い る の で 、
この機械を壊してしまうと建物がつぶれちゃうという状態で、完全に中古の部品を買い集
めて、そして自社で設計して、自社で作ったというのが、この染色機です。そういう意味
では、ここに書いておりますように、絣からデニムにどんどん変わっていった。
そ し て ち ょ う ど そ の 時 は 、 皆 さ ん も ご 存 じ の よ う に 、 昭 和 42 年 か ら 45 年 と い う 時 は 、
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学生運動が非常に活発だったということと、そしてまたベトナム戦争の反戦運動というこ
とで、ジーンズが一つの平和の象徴ということで、皆ジーンズを履いて反戦運動に出てい
たということで、国内でもジーンズブームが非常に活発になっておりました。そういうこ
とで、自社開発を行いました。
その時に、ジーンズというのは、ここに書いておりますように、本当に皆さん、たいが
いの人は持たれていると思いますが、ジーンズというのはボーダレスというか、国境がな
いものであり、そして年齢も関係ないし、季節も関係ないし、そして性別も関係ない。そ
ういう意味では、一番機能性のある衣料ではないかと思っています。
そ し て ま た 日 本 で は 、そ れ が 入 っ て き た 当 時 は 、ア メ リ カ か ら 中 古 の GI、米 軍 か ら 出 た
り、そしてまた日本の人がアメリカに中古を買いに行って、それを中古屋、ジーンズ屋で
売っていたということで、日本ではどちらかというとファッションとしてとらえられてい
まして。欧米では日常着、ましてや労働のワーキングウェアとして着ている。そしてまた
学生服という、そういうふうな労働着も、ワーキングという作業着がなかったんですね。
全てが自由だということで、そこで労働者の人、現場で働く人は、ほとんどブルージーン
ズを履いていたというところから、よく言われている「ブルーカラー」というのは、この
ブルージーンズから出ました。もちろんご存じのように「ホワイトカラー」というのはワ
イシャツから来たわけですけれども。そういう形でどんどん我々の日本にも浸透してきま
した。
こ こ に 書 い て あ る 、リ ー バ イ ス ト ラ ウ ス と い う 会 社 な ん で す け れ ど 、こ れ は 1850 年 に ジ
ーンズを始めた会社です。世界で初めてやったところです。そして一番世界でも有名なジ
ー ン ズ メ ー カ ー で す 。そ れ を 1973 年 か ら 我 々 も ス タ ー ト し た の で す が 、そ の 時 は 非 常 に 厳
しい品質の基準を持っていました。またここから我々は、ずいぶん学びました。我が社の
一つの考え方というのは、一流から仕入れて、一流へ売ろう。一流というのは、いろんな
情報とか品質とか量とか価格とか、いろんなものがあります。また今度は売ろうと思えば
品質も厳しいし、値段も厳しいしという、いろんなことがありますけれど。やはりまずは
非常に厳しいところ、それから一流のところから買って、そしてまた世界一のところに売
ろう。その当時はもちろん、このリーバイというのは、世界ナンバーワンのジーンズメー
カ ー で 、そ し て 世 界 ナ ン バ ー ワ ン の ア パ レ ル メ ー カ ー で も あ り ま し た 。そ う い う 意 味 で は 、
このリーバイに売るということが一つの大きなステータス。そしてまた「リーバイに売っ
て い る 」と い う こ と が 、結 果 的 に は ど こ へ も 売 れ る と い う 一 つ の 許 可 を 得 た と い い ま す か 、
そういう意味で、リーバイに売るということは非常にステータスになって、そしてまたず
いぶん出せるようになりました。
デニムは紡績からずっとこういう工程をとってやるんですが、今現在は、我が社は一貫
生産をしています。紡績という綿花を買って、生地まで作っています。製品は作っており
ません。生地までしか作っていないんですけれど。やはり皆さん見られて、ジーンズとい
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うのは、色なんていうのは、そんなに大したことはないだろうと思われるかもしれません
が 、 60 と か 70 色 ぐ ら い あ り ま し て 、 ア イ テ ム 数 は 500 ア イ テ ム ぐ ら い あ り ま す 。 昔 は と
にかく安くて量があったらいいとか、そういうことだったのですが、今現在はどんどん新
し い 商 品 、特 に 日 本 で の 物 づ く り を 我 が 社 は 徹 底 し て お り ま し て 、そ う い う 意 味 で は 、
「量
と 価 格 の 競 争 は 、 も う 世 界 で は で き な い 。」「 や は り 我 々 が 狙 っ て い く の は ハ イ エ ン ド の こ
と し か で き な い 。」と い う こ と で 、今 現 在 や っ て お り ま す 。そ う い う 意 味 で は 、皆 さ ん ご 存
じのように繊維というのは、労働集約的な産業と思われるかもわかりませんけれど、この
デニムは、どちらかというと装置産業です。
先 般 も 、 こ こ 3 年 以 内 に 150 億 円 ぐ ら い 投 資 を し て 、 紡 績 と 織 り の 工 場 を 新 し く 作 り ま
した。やはり物を作っていく上で、さっき言いましたようにボーダレスな商品ですから、
日本だけ売っていてもダメなわけなので、海外との競争力がなかったら、我々は日本で残
れないという意味で、今ここにありますように、日本の繊維産業というのは、どんどん縮
小 し て お り ま す 。 日 米 繊 維 交 渉 と い う の が 71 年 に あ り ま し て 、 ニ ク ソ ン シ ョ ッ ク が 8 月
15 日 に あ っ た 年 で す が 、 そ の 当 時 ア メ リ カ に ず い ぶ ん 輸 出 し て い ま し た 。 そ の 翌 年 の 72
年 が 沖 縄 返 還 さ れ た 年 で す が 、結 局 、日 本 の 繊 維 産 業 は 、
「 縄 を 買 っ て 糸 を 売 っ た 」と い う
一つの例えで言われるように、その時に打撃を受け、それ以降ずっと縮小に歯止めがかか
らず、今は風前の灯火のような形になっています。
特 に 繊 維 製 品 に つ い て は 輸 入 品 が 約 90% 。 約 36 億 点 が 輸 入 品 に な っ て お り ま し て 、 国
内 で は 約 3 億 点 。と い う こ と は 39 億 点 、日 本 の マ ー ケ ッ ト に あ り ま す 。と い う こ と は 1 億
3000 万 人 い る わ け で す か ら 、そ れ で 割 り ま す と 、1 年 間 に ソ ッ ク ス を 除 い て 、あ と の 全 て
を 1 点 と し て 数 え ま す と 、1 人 が 30 点 買 っ て い る こ と に な る ん で す 。ど う で し ょ う か 。1
年 に 私 は 30 点 以 上 、 買 っ て る と い う 人 が お ら れ ま す か 。 ど う で す か 。
たぶん女性の方とか、そしてまた子どもさんを持たれている人は、それは今年着たもの
は成長していますから、その翌年は買わないということで買われていると思いますけれど
も 、基 本 的 に は 、こ の マ ー ケ ッ ト に は 商 品 は 有 り 余 っ て い ま す 。そ う い う 状 況 の 中 で 、我 々
は競争していかなければいかんということでやっているわけですけれども。
やはり日本のマーケットというのは、世界で一番厳しい目を持った消費者なんです。だ
けど、もしそうではない消費者であったら、我々、繊維は日本でのものづくりは難しいの
ではないか。労務費とか、いろんな面ではとてもじゃない、日本は勝てるわけがない。そ
ういう意味で、先程どなたかおっしゃっていたように、日本人というのは非常にきれい好
きだし、そして手先も器用だし、そしてまた厳しい目を持っている。だからものづくりを
し て い る 社 員 は 、 一 歩 会 社 か ら 出 れ ば 消 費 者 な ん で す ね 。 そ う い う 意 味 で は 、「 自 分 達 が 、
常に社内でもそういうふうな目で見てくれよ」ということををよく言っておりますけれど
も、そういう意味では日本人の目というのは非常に厳しい。皆さんも海外に行かれてもそ
うだと思いますけれども。
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たとえばタクシーのシートが布でシートカバーしてあるようなタクシーは、世界にはほ
とんどありません。どうやってさわらないようにしようかというようなところがたくさん
あるわけですけれど。そういう意味では、日本人というのは非常に細かい。
だ か ら 我 々 と し た ら 、日 本 で の も の づ く り を や っ て い く 上 で 、い つ も 考 え て い る こ と は 、
高 付 加 価 値 と い う こ と を よ く 言 わ れ ま す 。だ け ど 私 は 、
「 高 知 加 価 値 」だ と 。要 す る に 頭 を
使わないと、手間のかかる、労働集約的な形での高付加価値というのは、日本でのものづ
くりというのはできないのではないかと思っていまして。そして先程言いましたように、
我 々 繊 維 産 業 も 、ど ち ら か と い う と 装 置 産 業 化 し て い る 。だ か ら 頭 を も っ て 、ま た 今 度 は 、
ハードも世界で戦えるようなことをしていかないと、日本でのものづくりというのは非常
に難しいと思っていまして。常に我々は製品の設備の更新をやっております。また我々の
会 社 の 考 え 方 と し て「 設 備 投 資 = 減 価 償 却 」。こ れ が 日 本 の 税 制 の 中 で は 、一 番 節 税 で は な
い か と い う こ と で 現 在 や っ て お り ま し て 。 だ い た い 年 間 20 億 円 と か 20 数 億 円 の 減 価 償 却
を未だにやっております。
我々の会社はプライベートカンパニーですので、そういう意味では赤字になっても、別
にどうこういうことはないので、配当をやめればいいし、役員の賞与をやめればいいわけ
な の で 、そ う い う 意 味 で は と に か く 目 先 で は な く て 、ロ ン グ タ ー ム の も の を 見 て 、考 え て 、
ものづくりをしていかなければいけない。そういう意味でのプライベートカンパニーの強
みというのは、パブリックカンパニーとは違う面がある。だけどプライベートカンパニー
の場合は、どうしても資金力が乏しい。それをいかにして銀行さんとか、機械を買う場合
は商社さんなんかの長期手形とか、5年とか7年とかいう形で、それをカバーしなければ
いかんとは思いますけれども。
しかしそういう中で、とにかく我々は、この染色機もそうだし、自社で考えて機械も作
る。もちろん織機とか紡機は作りませんが。しかしそれにかかわることについては、自分
達でやれるものは全て自分達で物づくりをしようということを考えています。それを実践
しているし、そういうことをすることによって、たとえば機械メーカーから全部買っちゃ
うと、何か故障したら、機械メーカーの人に来てもらうのに半日以上、1日以上待たなけ
ればいかんということが起こってきますけれど、自分達でそういうふうな機械を製作した
り修繕したりができると、夜中でもそれを修繕できる。そうすれば停滞している時間が少
なくて済むという意味で、とにかくできるだけ我々の手でやれるものはやっていこうとい
うものの考え方をしております。
ま た 、ジ ー ン ズ と い う の は 世 界 で 25 億 本 ぐ ら い 売 れ て い る と 言 わ れ て い る ん で す け れ ど 、
我 々 は そ の 25 億 本 の 、 一 番コ モ デ テ ィ の と こ ろ で は な く 、グ ー ン と 上 の ハ イ エ ン ド の と こ
ろしか狙えないということで、そういう中でのものづくりを、これからもやっていき、同
時になんとしてでも日本でのものづくりを続けていきたいと思っています。
そのためには、やはりさっき言いましたように、海外に出て、輸出をやっていて一番良
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かったなと思うのは、海外から日本を見れたことだと思います。我々は海外と競争相手の
ところも話をしたり、それからまた工場見学をしたり、お互いにやったわけですけれど。
その中で、じゃあ自分の位置はどこなんだ。そしてまた世界で残るためには、自分がどう
したらいいかということを海外から見れたということが一番良かったなと思っています。
そういう意味でも、どうか皆さんも自分が売りたいものを、そしてコンセプトをお客さん
に常に伝える。そしてまたその分の反応をいろんな形で言われる。要望を言われる。それ
を聞くという意味で「ダイレクトマーケティング」というのが一番大切ではないかなとい
うことで、英語ができるのが、これは商売がよくできるとは思いませんので、そういう意
味でも、日本でちゃんとした基盤を築かれているところは、間違いなく海外でも通用する
と思っていますので、どうか皆さんと一緒に、日本でのものづくりをして、海外に羽ばた
いていきたいと思います。私の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
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