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モデル8 女性は全員一般職の時代から 20 年。 長く続けるには、なすべき
モデル8 女性は全員一般職の時代から 20 年。 長く続けるには、なすべきことを 淡々と積み重ねるバランス感覚も必要です。 日本郵船株式会社 定航マネジメントグループ業務チーム チーム長 宮本教子さん ました。たとえば船の運航の担当になったら、 担当する船のスケジュールや寄港地を決め、積 み荷を集めて実際に運航し、帰港後、収支の計 算をして上に報告するところまで一連の流れ を全部、自分で仕切るわけです。しかし総合職 と違って、一般職には業務研修などは一切あり ません。入社したとたん、はじめての仕事を任 されるのですから大変です。周りの人たちも忙 しくて、手取り足取り教えてくれるわけではな いので、とにかくわからないことは自分から担 当部署の人に聞いたり、上司に相談したりして、 やりながら覚えていくしかありませんでした。 最初から仕事を任されて 懸命だった新入社員時代 私が就職した昭和 58 年は、女子大生の就職 はとても厳しく、4大卒の女性は就職先を見つ けるだけで大変という時代でした。そうした中 で、当社は一般職で4大卒の女性を募集してい た数少ない会社のひとつでした。当時、船会社 は最も景気のいい時代で、本社だけでも同期で 80 人くらいの女性社員が入社したのです。私 自身、最初から船会社を志望したとか、国際的 な仕事がしたいと思っていたというよりも、説 明会に行ったら雰囲気がよかったので試験を 受けたという感じでした。 その頃はまだ、男性の総合職に対して、女性 は全員、一般職での採用でした。ただ、それま で一般職は補助的業務が主だったのですが、私 が入社する2、3年前から女性の活性化を図ろ うということで、4大卒の女性の採用が開始さ れたり、 「お茶汲み」が廃止されたりしていま した。 ちょうど会社も女性を単なる 「職場の花」 としてではなく、仕事の担い手として本格的に 活用していこうとし始めた時期だったのだと 思います。男女雇用機会均等が施行される前で したので業務上も女性は基本的にアシスタン トとして、男性とペアで仕事をするようになっ ていました。 私の場合はさらに、入社後、配属された北米 課がパイロットケースとして、女性にも男性と 同じような仕事をさせようという取り組みを していたので、アシスタントとしてではなく、 最初からある程度、仕事を任されることになり シンガポール駐在を機に総合職へ転換 その頃の船会社にはまだまだ男性中心の社 会のイメージもあって、支店の方から「新入社 員の女のくせに」と言われたり、お客さまから 「女では話にならないから男を出せ」と言われ たりすることもありました。ただ会社じたいは 海外の企業に触れる機会が多いので、海外で女 性が活躍する姿も見慣れていましたし、女性を 活用していこうという進歩的な姿勢もあった のだと思います。 私自身は、最初から仕事を任されたことが面 白くて、入社後は本当にがむしゃらに働きまし た。毎日、残業は当たり前で、会社もこちらが 働きたいといえば、働けるだけ働かせてくれた のです。しかし入社5年目くらいからでしょう か。ふと立ち止まってみると、一生懸命働いて も相変わらず一般職のままだし、将来的な展望 71 もない。もしかしたらずっとこのままなのでは ないか、という不安も感じるようになりました。 同じ時期に入社した男性がどんどん上にいく のに、女性はお給料もなかなか増えない。そう した処遇に対する不満も、女性社員の間にはあ りました。 ちょうどその頃、一般職の上に新しく準総合 職という職種ができたので、試験を受けて準総 合職に転換しました。仕事じたいは以前から総 合職に近い内容のことをしていたので、準総合 職になってもそれほど変化はありませんでし たが、お給料が少しでも上がるなら、という気 持ちでした。 結局、北米課には7年いて、いろいろな仕事 を経験させてもらいました。その後、企画部を 経てカリブ中米共同運航事務所に出向。平成 10 年からシンガポール駐在を命じられました。 海外赴任は本当にうれしかったですね。しかし 本来、自分は転勤をともなわない準総合職です から、 「転勤させるのであれば、きちんと総合 職にしてください」と会社に言って総合職にし てもらいました。前任者に次いで2人目の女性 の海外駐在員でした。私はこうした女性の待遇 改善などについても、会社に対して比較的積極 的に、かつストレートに発言してきたと思って います。 それは自分のためでもありましたが、後に続 く女性のために少しでも働き易い環境を残し ていきたいという気持ちからでした。 シンガポールは、より現場に近いところで世 界の経済に直結した仕事ができる、面白い職場 でした。そこで3年半ほど営業の仕事をした後、 平成 14 年から本社に戻り、定航マネジメント グループのチーム長になりました。自分として はどちらかというと現場でからだを動かして いるほうが好きなので、今は、これから管理職 としてどういう形でやっていけばいいのだろ うという戸惑いもあります。その一方で、簡単 にはギブアップできない、頑張って次の人たち に道を開いていかなければ、という思いもあり ます。 現在、職制上は一般職と総合職は一本化され て区別がなくなり、研修にしろ配属にしろ、女 性にも平等にチャンスが開かれるようになり ました。後輩の女性たちには、それを前向きに とらえて頑張ってほしいと思っています。ただ、 女性は真面目で頑張りすぎてしまうところも あります。これまで、真面目で頑張りすぎてし まう人ほど、途中で挫折して辞めてしまった例 72 もたくさん見てきました。逆に長く働き続けて いる女性たちの多くは、淡々と働いてきた人た ちのような気がします。私自身、最初は特に長 く続けようとか、偉くなろうとか思っていたわ けではなく、一生懸命やって気がついたら 20 年たっていたというのが実感なのです。ですか ら女性が働き続けるには、頑張ると同時に適当 に力を抜くこと、男性と何もかも同じにするの ではなく、時には女性のよさも出しながらバラ ンスよく働くことも必要なのかもしれません ね。 <略歴> 宮本教子さん 日本郵船株式会社 定航マネジメントグループ 業務チーム チーム長 昭和 58 年入社。営業第一部北米課配属。企 画部を経て平成5年よりカリブ中米共同運 航事務所へ出向。その後、在来船事業部ア フリカ南米東岸チームを経て、平成 10 年よ りシンガポールの現地法人NYK kship (Asia) Bul Pte.Lt d.勤務。平成 14 年に帰国し現職に。