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わたしがあなたがたを選んだ

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わたしがあなたがたを選んだ
伝『亡びぬものを』との出会い
加していた近隣の信者た
あ る 日 の こ と、ミ サ に 参
ちが、
「神学生のために」
でした。高校1年の時です。幸
い に も、ク ラ ス に カ ト リ ッ ク 信
ペトロ
髙木善行神父
(サン・スルピス司祭会)
を 受 け 継 ぎ、司 祭 養 成 と
年半奉仕して
子女教育のためにそれぞ
年と
感 激 の あ ま り、涙 が と ま
大学神学部に編入。
カナダ・モントリオール
キャンパス)入学。
9月から病気療養。
院長を務めた。2000
により日本カトリック神
通夜は2月 日午後
年4月~ 年9月まで久
留 米 信 愛 短 期 大 学 学 長。 時 か ら、髙 見 大 司 教 司 式
司祭職を全うされた方で
り ま せ ん で し た。「 あ あ、
5月
年3月には
カ ト リ ッ ク に つ い て 種 々、質 問
わ た し の た め に、祈 っ て
で、葬 儀 ミ サ・ 告 別 式 は
年1月~
任。 年5月~ 年3月、 れ
1935年2月 日熊 福岡サン・スルピス大神
本生まれ。 年福岡サン・ 学院の養成者・教授に就
スルピス大神学院(現日
したものです。あまりしつこく
くれている信者がいる」
髙見三明大司教は「髙
木 神 父 様 は、日 本 の 教 会
本カトリック神学院福岡
質 問 攻 め す る の で、
「いっその
のノートルダム聖堂で司
者の生徒が一人いました。
彼に、 と ミ サ 後、祈 り ま し た。
こ と、一 緒 に 教 会 に 行 こ う 」 と
との思いで……。
年
日モントリオール
す」とコメントした。
言 っ て、教 会 に 連 れ て 行 っ て 伝
年
道師に紹介してくれました。
司祭叙階後も信徒の皆
さんの祈りに支えられ
1 9 5 6 年、志 願 者 と し て の
生活に入りました。わたしは家
年5月 日鹿児島県大島郡喜界
略歴 コンベンツアル聖フラ
ンシスコ修道会司祭。1931
びぬもの」を見い出しました。
ヤーで渡米。 年~ 年奄美へ
へ派遣。 年サバティカル・イ
で司祭叙階。 年4月奄美大島
ボ ナ ベ ン ツ ラ 神 学 院 入 学、 年
学院福岡キャンパス聖堂
行われた。
思います。出会ったたくさんの
葉に強められながら進みたいと
年 に 帰 国 し、 修道女という家庭で信仰
葛嶋秀信神父
方々への感謝に絶えません。
略歴 1963年4月 日新
上五島町生まれ。鯛之浦教会出
派遣。
身。
うちに教
年3月 日浦上教会で司祭
ジへ派遣。 年4月奄美修道院。
え導いてください》(詩篇 ・5) 叙階。
同年大司教秘書、 年ロー
日新上五島町生まれ。仲知小
教区・米山教会出身。
と、
《 祈 り、愛 し て い る な ら、こ
理、 年 島 原 主 任、 年 相 浦 主
マ留学、2000年から法務代
年から副法務代理兼任。
て、こ の 日 を 迎 え る こ と が で き
支えられ
皆さんに
ル ピ ス 大 神 学 院( 現 日 本 カ ト
大学へ。
留学、
その後、
パリ・カトリック
司祭会に入会するためカナダへ
年3月 日浦上教会で司祭
叙階。同年8月サン・スルピス
ためご迷
力不足の
としての
助 任、 年 黒 島 主 任、 2 0 0 5
年3月 日浦上教会で司祭
叙 階。 同 年 浦 上 助 任、 年 中 町
水ノ浦教会出身。
略歴 1963年 月 日五
島 市 生 ま れ。 貝 津 教 会 で 受 洗、
んの役に立てればと思います。
し た。 こ れ か ら、少 し で も 皆 さ
た。本当にありがとうございま
任。
の世での人間の幸福を見出して
使徒ヨハネ 中濱繁喜神父
略歴 サン・スルピス司祭会、 いる》との聖ヴィアンネーの言
長崎教区司祭。1962年5月
年4月から長崎・聖母の騎士
修道院。
アレキシオ 白浜 満神父
神様の
恵みと長
年3月 日浦上教会で司祭
叙階。同年長崎カトリック神学
ました。神学校で働いてきたこ
リ ッ ク 神 学 院 福 岡 キ ャ ン パ ス ) い ま す が、神 様 の お 恵 み と 信 者
崎教区の
年
間、司 祭
タート。
主 任、 2 0 0 7 年 深 堀 主 任、
れ ま で の 日 々、力 不 足 の 私 に 忍
院、 年土井ノ浦主任、 年大野
に養成者として着任。2012
年4月福岡サン・ス
「わた
しの恵み
耐してくださった神学生・神父
年4月から日本カトリック神学
ことばの深い黙想によ
様 方 に、感 謝 と お 詫 び の 気 持 ち
る 日 々 の 生 活 の 刷 新、 も応援をお願いします。
でいっぱいです。少しでもよい
が盛んに行われていた
付ける魅
少年の
心を引き
平本義和神父
広島(音楽研修)
、 年長崎カト
年西町助任、 年出津助任、 年
月 日浦上教会で司祭叙階。同
年3月 日浦上教会で助祭
叙階。同年中町教会付。 年3
略歴 1962年 月2日平
戸市生まれ。紐差教会出身。
に深く感謝します。
院院長。
が、そ の 指 導 者 の う ち で
日本の教会の刷新に努
養 成 者 に な れ る よ う、こ れ か ら
第一人者と評されていた
力的な司
リック神学院、2001年植松
アシジのフランシスコ
祭に出会
め る よ う に、と 呼 び 掛
い、
薫陶を受け、
その人生をなぞ
主任、 年木鉢主任、 年天神主
らマニラに追放された
右 近、マ ニ ラ で 生 ま れ
西坂で殉教した聖ロレ
ンソ(聖トマス西と十
五殉教者)
、
二人とも信
るような 年を歩んできたよう
任。 年から教区典礼委員会委
けた。
徒で信仰に忠実に生き
な気がします。弱さや貧しささ
員長兼任。
長崎から駆け付けた
信徒の一人は「長崎か
た 模 範 で す。 彼 ら に
えもみ業に取り込んでくださる
神 様 と、支 え て く だ さ っ た 方 々
り に 支 え ら れ て、今 日 ま で 司 祭
の皆さんからの協力・忍耐・祈
長兼任。
年から教区信仰教育委員会委員
年 神 崎 主 任、 年 大 曽 主 任。
れ。福江教会出身。
年帰国
年 3 月 日、南 山 教 会( 名
古屋)で司祭叙階。同年オース
トラリア管区に移籍。
方々のお
司 祭 代 理、 年 4 月 か ら 長 崎 南
ルド小神学院(名古屋)で指導
山学園で教鞭をとる。
人事異動・任命
▼教区〔2月7日付〕
らもよろしくお願いします。
大浦小教区主任代行兼任
山脇 守師
略歴 神言修道会司祭。19
61年 月 日新上五島町生ま
りたいと願っています。これか
を傾けることのできる司祭であ
切に、
また、
声にならない声に耳
かげです。一期一会の精神を大
祈りのお
周 り の (日本管区へ)
。同年9月アーノ
神様の
お恵みと
使徒トマ 大川好洋神父
として歩ませていただきまし
惑をかけたことも多々あると思
年植松主任。 年から教区福音
ミサは 人の日本の
司教と多数の司祭が司
式 し、マ ニ ラ の 大 司 教
ル イ ス・ ア ン ト ニ オ・
右 近 に 倣 い、私 た ち も み
のだ」(Ⅱコリ ・9a)。主は
化推進部部長兼任。
略歴 1961年8月8日長
崎市生まれ。中町教会出身。
は働くようです。
た。今はガタガタ。ますます主
驚くほど弱さの中に働かれまし
日修練着衣。 年4月東京・聖
ペトロ
叙階記
念のご絵
に書いた
時 か ら、宮 原
祭叙階。 年サン・スル
族で最初の受洗者でした。修道
町生まれ。 年 月 日名瀬教
日午前
良治司教司式によりカト
ペトロ 瀧 憲志神父
院でのさまざまな難儀苦労も家
11
いました。ところが神学院での
《真理の
13
ミサに侍者として奉仕していた
年5月イタリア・アシ
の復活に多大な貢献をし
た髙木仙右衛門のひ孫と
て、今 日 の 喜 び の 日 を 迎
2 月 日 午 前 時、悪 ピ ス 司 祭 会 カ ナ ダ 管 区
性 リ ン パ 腫 瘍 の た め、久 (日本地区)に入会、
ロー
高 校 2 年 の と き、公 教 要 理 の
勉 強 に 週 2 日 通 い、ク リ ス マ ス
に 留 学。
リック大名町教会で執り
え る こ と が で き ま し た。 留米の聖マリア病院・聖
わたし
族 の 回 心 の た め に と、耐 え 忍 び
会で受洗。
・
14
して、6人の姉妹全員が
わ た し は、青 春 時 代 に 一
歳の
ました。わたしのために祈って
ヨハネ
75
マ・聖トマス大学神学部
前に受洗しました。司祭職へと
歳。
導 い て く れ た の は、洗 礼 を 授 け
冊の本との出会いで、「亡
とき洗礼
は
くれる人は誰も居ないと思って
母病棟で逝去。
た主任司祭でした。
を受けま
3月 日奄美市名瀬・大熊教会
した。
銀 祝
パウロ 紙﨑新一神父
68
16
58
はあなたに十分である。力は弱
ガタか
ら の ス
91
54
62
年4月聖母の騎士修道院に
志願者として入会。 年3月
金 祝
10
さの中でこそ十分に発揮される
キリスト教への回心の「キッ
カケ」は、故永井 隆博士の自叙
わたしがあなたがたを選んだ
2015年に叙階の節目を迎える司祭は、 周年(ダイヤモンド祝)
は大阪の安田久雄名誉大司教を含む 人、 周年(金祝) 人、 周
司祭叙階。同年7月兵庫・仁川
修 道 院、 年 4 月 聖 母 の 騎 士 学
園、 年4月聖母の騎士学園、聖
長、聖 母 の 騎 士 小 学 校 校 長。
4 月 愛 知・ 春 日 井 修 道 院 院 長、
月 大 分・ 由 布
67
81
年(銀祝) 人。長崎教区内では次の方々。
ダイヤモンド祝
母の騎士修道院、本河内主任、
中島 優 神 父
年 2 月 聖 母 の 騎 士 修 道 院、聖 母
年 4 月 小 長 井 修 道 院 院 長、 年
略歴
コンベン
会司祭。1928年4 月 日 五
ピオ
ツアル聖
の 騎 士 幼 稚 園 園 長、 年 4 月 小
母 の 騎 士 幼 稚 園 園 長、 年 7 月
フランシ
長 井 修 道 院 院 長、椿 原 中 学 校 校
東 京・ 赤 羽 修 道 院、 年 1 月 聖
スコ修道
島市岐宿町生まれ。4 月 日 水
ノ浦教会で受洗。
稚 園 園 長、 年
修道院(静養)、けがれなき聖母
月聖母の騎 士 修 道 院
衣。 年
の騎士聖フランシスコ修道女会
22
12
春 日 学 園 理 事 長、春 日 マ リ ア 幼
年4月聖母の騎士 修 道 院 入
会、志 願 着 衣。 同 年 月 修 練 着
付霊的指導司祭、2005年4
7
10
で有期誓願。 年4月 東 京 ・ 聖
36
19
11
母の騎士聖フランシスコ修道女
会付霊的指導司祭。
57
倣って生きていきた
い」と語った。
11
95
90
90
ユスト高山右近帰天400年
12
95
90
16
14
25
25
11
93
神戸文化ホールで記念ミサ
高山右近がフィリピ
ンのマニラで没して4
25
80
05
19
07 07
97
19
31
94
00年となった2月3
タ グ レ 枢 機 卿 や、駐 日
教 皇 大 使 ジ ョ セ フ・
列席した。ミサの説教
天 4 0 0 年 記 念 ミ サ 」 チェノットゥ大司教も
を務めた前高松教区長
の溝部 脩司教は、日本
のキリシタン時代には
90
95
日( 火 )、兵 庫 県・ 神 戸
15
27
97
95
17
92
文化ホールで「神のし
12
64
〒 852‐8113
長崎市上野町 10‐34
カトリックセンター内
TEL 095‐843‐3869
FAX 095‐843‐3417
振替口座 01880‐5‐2699
聖書を使った霊的指導
97
13
もべユスト高山右近帰
11
09
20
90
89
19
08 07
が 行 わ れ、約 2 0 0 0
人が集まった。日本カ
27
65
印刷所
株式会社 藤木博英社
〒 850‐0852
長崎市万屋町 5‐13
TEL 095‐821‐2146
FAX 095‐821‐2148
15
85
26
トリック司教協議会列
聖 推 進 委 員 会 主 催、大
阪大司教区共催。
51
25
73
85
88
58
27
65
68
82
26
25
11
61
10
13
95
96
12
99
19
10
60
50
57
ボナベンツラ神学院で終生誓
17 日(火)大浦天主堂
連続ミサ
月 小 長 井 修 道 院、け が れ な き 聖
◆3月
90
23 22
16 日(月)中町教会
16:00 講演 17:00 記念庭園祝福式
94
10
◆3月
51
15 日(日)秘密教会跡~浦上教会
13:00 聖母行列①(サンタ・クララ教会跡)
12:30 聖母行列②(聖マリア堂跡)
14:00 記念ミサ
79
発行人
大 水 文 隆
12
21
64
27
願。 年1月6日本河 内 教 会 で
日本の信徒発見 150 周年を記念する3日間
56
カトリック長崎大司教区
広報委員会
19
10
45
47
55
◆3月
昭和27年1月12日
昭和27年1月12日
第三種郵便物認可
第三種郵便物認可
3 月1日(毎月1日発行)
20
1026 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
1カ月140
1カ月140
円 年間1,500円(
円 年間1,500円(
)
)
第
カトリック教報
(1)2015年(平成27年)
ることは、日本でも学ぶべき姿勢だと感じ
受け入れていこうとする精神が育まれてい
て生まれてくることを恐れるより、社会で
族は多いです。欧米では、子供が障害を持っ
その子によって喜びをもたらされている家
重 要 な 課 題 で す。 し か し 今、キ リ ス ト
思いがよく聞かれます。確かにそれも
信 徒 発 見 1 5 0 周 年 の 節 目 に、信 仰
の継承が疲弊しているという消極的な
常々感じています。
教会の活動の一端として知られたらと
会 を 代 表 し て、彼 ら の 活 動 が よ り 広 く
ダウン症の子供は純粋で優しく、天使の 扱っているものとしてあまり目立つこ
ような性質です。育ての苦労はありますが、 ともないかもしれません。しかし委員
子 た ち の 喜 び と 希 望、苦 悩 と 不 安 で も
ん で い る 人 々 の も の は、キ リ ス ト の 弟
「現代の人々の喜びと希望、
苦悩と不
安、と く に 貧 し い 人 々 と す べ て の 苦 し
のでしょう(
『福音の喜び』
な体験が待っていることも含んでいる
こ う 」 と 繰 り 返 さ れ る の は、そ の よ う
ンシスコ教皇が「教会から出向いて行
ます。カトリックはこうした現実の中で強
の心を現実に生きようとしている方々
あ り ま す。 真 に 人 間 的 な こ と が ら で、
信徒発見150周年と高山右近列福に向けて
く胎児の人権を守ろうと、初代教会から訴
が、地 道 に 活 動 し て い る こ と も 忘 れ て
― イエスの命を差し出すために ―
が不幸なためになかな か 人 間 ・ 信 頼 関 係 が
子は夜の仕事しかあり ま せ ん 。 ま た 生 育 歴
を見つけるには難しく、男子は肉体労働、女
は高校中退という学歴 の た め 安 定 し た 就 職
て き ま す。 ほ と ん ど の 若 者 は 中 卒、あ る い
「子供たちはボストンバッグ1つに1~
2枚の衣類とわずかな 身 の 回 り 品 で 入 所 し
境からくるものと感じ取っています。
者の精神的な不安定さは、おおかた家庭環
こ と を 伝 え て お ら れ ま す。 彼 女 も ま た、若
評価して生きること、尊厳を持って生きる
ない若者、成人、そして年配の方々に自分を
れ ま す。 現 場 を 通 し て、一 般 社 会 に な じ め
で、キリストの心を生きる信徒の方がおら
条理さで、独りで心痛めているのです。
自分が生き残っていることに、罪悪感や不
ズ・ギルト」ということばも耳にするよう
ている方々がいます。震災後、「サバイザー
なかったという罪の痛みを引きずって生き
います。近親者を失った遺族の心には救え
仰ぎ見ます」
( 章5節)
。不条理な苦
ま し た。 し か し 今、こ の 目 で あ な た を
慮の事故で亡くなった親しい人に対して、 た。「 あ な た の こ と を、耳 に し て は お り
に な り ま し た。 自 死 の み で な く、震 災 や 不
しみに身を置かされたヨブが最後にこ
しを体験したことを話してくれまし
みことばを通して神からの強い召し出
ます。スラムに出向きながらヨブ記の
践している長崎出身の宣教師がおられ
スラム街の人々と聖書の学び合いを実
た回勅『フマネ・ヴィテ』で大きな論
工的に出産制限する世相を強く否定し
た。 昨 年 列 福 さ れ た パ ウ ロ 6 世 は、人
を置く人々に向けて述べられてきまし
説 は 常 に 貧 し い 人 々、困 難 な 状 況 に 身
を経験します」
(同
も に 歩 み、世 と 同 じ 地 上 的 な 成 り 行 き
1)
。 ま た「 教 会 は、 …… 全 人 類 と と
のは何もありません」
(現代世界憲章
3.すでに動いている
「宣教する教会」
結べないために周りの 人 々 の 誤 解 を 受 け や
精神発達遅滞による粗暴行為などで離島
から 施 設に入 所 した 代の老 人は、幼 少 時
教区人権委員会委員長 川口
す い 子 供 た ち で す。」 こ う 話 し て く だ さ る
)
。教会の社会教
のは、何らかの事情で家族と一緒に生活す
私たちも目を向け、より支援する心を抱く
る教区民の方々がいるということ、そこに
共に、地道ながら社会の中で福音を実行す
フの無力感も絶えない と い い ま す 。 し か し
場は並大抵のものでな い で し ょ う 。 ス タ ッ
うです。その支えとな り 寄 り 添 っ て い く 現
境の中へボストンバッ グ 1 つ で 出 て 行 く そ
者 が い ま す。 そ し て 彼 ら は ま た、厳 し い 環
うと、定時制高校や夜間大学に進学する若
を乗り越えて自立して し っ か り 歩 ん で い こ
と漏らすのだそうです 。 そ の 悲 痛 な 気 持 ち
な活動を捧げておられ る 方 々 の 一 人 で す 。
的 な 気 持 ち に さ せ ら れ ま す が、実
ど と い う 報 道 も よ く 見 ら れ、絶 望
染色体異常結果の %が中絶」な
かされています。「新出生前診断の
現 代 社 会 で は、今 を 生 き る 人 間
の 生 命 も、生 ま れ 出 ず る 生 命 も 脅
ではないだろうと察します。
の関わりも並大抵の寄り添う姿勢
味わっておられます。もちろんこ
活動する中で洗礼を受けた恵みを
てくれました。キリスト者として
業 式 と あ っ て、出 席 者 は
が長崎コレジオ最後の卒
儀の中で行われた。今回
司 式 の も と、み 言 葉 の 祭
お い て、髙 見 三 明 大 司 教
午前
第 回長崎コレジオ卒 模範となってほしい」と
業 式 が、 2 月 日( 土 ) 訓 辞 を 述 べ、出 席 者 に は
未知なる荘厳さに感動すると看護師は語っ
貌していったのだそうです。そこに人間の
やかになり、
施設のムードメーカーにまで変
が、「 生 ま れ て す ぐ に 人 生 を 諦 め て い た 」 です。その彼の心がまた周りに対しても穏
親を知らず、すぐに乳児院に預けられ独
りで生きていくことを 余 儀 な く さ れ た 若 者
際に診断を受けることを避ける
特別な思いをもって別れ
は意欲的に生きていこうと学び始めたそう
とい う 関 わ り か ら 始 め た ところ、老 人の 心
ろいろな音がこの世にあることを伝えたい
た自覚を持って皆の
オ生として養成され
神 学 院 で は、コ レ ジ
り、
髙見大司教は
「大
始 ま ろ う と し て い ま す。 特 別 な ケ ー ス を
方々を歩いて見つけていこうとする活動も
有志で、まずはホームレスや経済困窮者の
を生きる方々がすでにおられます。信徒の
キリストの心を心として、社会の中で福音
員 で 動 い て い ま す。 教 区 内 に は、こ う し て
難民移住移動者部門の活動など、ここで
はまだ紹介しきれない活動が人権委員会委
れた。家族や会員たちの
り、初 誓 願 式 ミ サ が 行 わ
三明大司教の主司式によ
ツ 山 町 ) に お い て、髙 見
2月 日(水)
、
純心聖
母会本部聖堂(長崎市三
な い 」 と 語 り、祈 り と 支
命であることに変わりは
崎教区にとって重要な使
学生養成はこれからも長
レ ジ オ に 引 き 継 ぐ が、神
恵みなしには不可能な生
とであり、
それは神からの
されたキリストに従 うこ
架上まで自分を与え尽く
誓 願 を 守 り な が ら、十 字
るという ことは、3つの
で巣立っていった。
は、晴 れ 晴 れ と し た 表 情
式 後、出 席 者 か ら の 祝
福を受けた2人の神学生
援を願った。
フたちであるとも感じています。フラ
え て く れ て い る の は、委 員 会 の ス タ ッ
体験ができればと思います。それを教
い る 立 場 か ら、関 わ り な が ら 神 を 見 る
で は あ る で し ょ う が、私 た ち も 聞 い て
です。特別な環境でのみことばの体験
して日々の動機づけになっているそう
の 人 々 と 接 す る 中 で、衝 撃 的 な 体 験 と
くとも豊かにみことばを味わうスラム
こ の み こ と ば の 出 会 い の 体 験 は、貧 し
す」とあいさつした。
たことを感謝していま
と励ましに支えられてき
ではありませんでした
しょう」
(
『福音の喜び』
えず宣教中である』ことを目指しま
なく、……地上のすべての地域で、
『た
の姿勢です。「現状維持にとどまること
現代の教皇まで受け継がれている教会
訴える姿勢の表れからでした。それは
プロールム・プログレッシオ』
題については深い関心を持って」
(
『ポ
して単なる権威的にでなく「人間の問
の立場をはっきりと宣言しました。決
同じ志で低賃金で奉仕 し て く だ さ る 職 員 と
長崎コレジオ
最後の卒業式
み旨を行う中での神の体験へ
ことは重要と考えます 。
人々は多いのです。受診率は %
を惜しんでいた。
感謝と賛美の祈りに包ま
き方である」と説いた。
介者であった老人に、
残された人生の中でい
佐世保地区では信徒の有志で、信徒家庭
の子供たちの無償奨学 支 援 「 ミ ッ シ ョ ン 友
以 下 で、検 査 の 異 常 結 果 を 受 け て
れ た 中 で、一 人 の 修 練 者
なくされていたそうです。当初、
施設でも厄
の会」の活動に取り組んでおり、年に1〜
2400人のうち110人が中絶
卒業生は、鹿児島教区・
大笠利小教区所属の田代
が初誓願を宣立した。
ム・カム・ホーム」の 施 設 長 ・ 川 井 健 蔵 氏
2人が進学しています 。 こ れ は 前 田 万 葉 大
しています。しかし納得して中絶
竜之神学生(写真右)と
時から大浦教会に 「 長 崎 コ レ ジ オ の 役 割 は
終 了 し、全 面 的 に 福 岡 コ
く 教 会 に とっ
て も う れしい
こと。修道者として生き
マリア・アウクシリア
里脇幸代(植松)
初誓願宣立者
が、多 く の 方 々 の お 祈 り
13
です。彼はキリストの 心 を 心 と し て 具 体 的
阪大司教が長崎教区司 祭 の 時 に 立 ち 上 げ た
を選びながら後悔している親も大
長崎教区・飽ノ浦小教区
まさ なり
の歩みは決して平坦な道
25
)と
ものです。この支援を 教 区 全 体 と し て 数 あ
勢います。このことを報告してく
14
2人を送り出すにあた
11
13
)
。
るミッション校と連携しながら、経済困窮
だ さ っ た 委 員 は、助 産 師 と し て 悩
り添っています。
97
会のみではな
家庭の子供支援につな げ ら れ な い か 委 員 会
社会の中で苦しい状況にあるのは、若者
純心聖母会初誓願式
では検討しています。
ミサ後の祝賀会で里脇
幸代修道女は「これまで
う 主 を 賛 美 し て ヨ ブ 記 は 終 わ り ま す。 議 の 中 に 立 た さ れ な が ら、カ ト リ ッ ク
40
髙見大司教は説教の中
で「誓願者の誕生は、
修道
2.耳にしていたことから
伝い以外は家に閉じ込められた生活を余儀
からの聴 覚 障 害 も あ り、未 就 学で農 業の手
昭人
“出向いて行きましょう”
これだけのことは知ってほしい ⑬
えていることも忘れてはなりません。
はいけないと思います。ブラジルで聖
33
ることができず、独りで働いて生きていか
1.キリストの心を生 き る 現 場 よ り
)
。
だけではありません。神から授かった尊い
書 学 教 授 と し て 教 鞭 を と る か た わ ら、 キリストの弟子たちの心に響かないも
~
生命は、人生の途上もそして終わりの時ま
自死で親しい方々を失った遺族の集い
で尊い。県内で精神病院看護師という立場 「 ゆ り の 会 」 の 方 々 も 地 道 な 活 動 を 続 け て
25
なければならない若者 を 支 援 す る 「 ド リ ー
42
所 属 の 西 田 祐 尚 神 学 生。
70
みの中にある母親の命の育みに寄
0.8
11
3 月1日(毎月1日発行) (2) 2015年(平成27年)
カトリック教報
1026 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
きで描かれて
いる紙芝居が
見つかりまし
た。 日 本 の 信
大曽主任 中濱繁喜
℡0959‐53‐1920
信仰教育委員会 委員長
記までご連絡ください。
ら っ し ゃ い ま し た ら、左
の方や心当たりの方がい
そ こ で、こ の 絵 の 作 者
を探しています。ご存知
いと思っています。
り、信 仰 教 育 に 役 立 て た
し て、新 し く 紙 芝 居 を 作
徒発見150周年を記念
「むかしの長崎」の
作者を探しています
信仰教育委員会の資料
の 中 に、絵 と 文 章 が 手 書
紙芝居
日本二十六聖人
殉教記念ミサ
記念する日本二
で、こ の ミ サ で
のことを思うと)今は自
で来ました。(殉教者たち
る 年 で、皆 で
です」と話した。
サ に 参 加 で き、良 か っ た
が、今 年 も こ の よ う に ミ
と思うところもあります
大槌ボランティア募集
長崎教区評議会は東日本大震災復興支援に関し
て、大槌ベースキャンプ(岩手県上閉伊郡大槌町)
万
円▼聖ヴィンセンシオ・
円▼長崎ダルク
会信徒の火事
の火事
植松小教区(対馬)信徒
万円▼山友会(東
万円▼
万円▼宝亀教
応 え て い た だ く こ と、ま
り、
審議・選挙・審議、
髙
式による開会ミサに始ま
が 目 的 で、山 内 清 海 師 司
授・教会法)の同伴を得
庁立グレゴリアン大学教
会 長 久志ハル子
下窄 優美
副会長
総顧問 梅木 公子
中村 益子
〃 赤尾津奈恵
〃 審 議はイエズス会の
菅原裕二師(ローマ教皇
次の拝領者にカリスを手
司祭研修会
渡 さ な い、な ど が 確 認 さ
顧問選挙および課題審議
き課題について真剣に討
フ ァ ッ ク ス さ れ、修 道 院
届 け ら れ、支 え 合 い を 実
からは応援メッセージが
感しながら進められた。
講 師
中野健一郎師
仕 会・ マ リ ア 文 庫
万円▼
生活困窮者への支援とし
ア・ パ ウ ロ 会
万円▼一粒
万円。
▼福岡美野島司牧セン
た両形態による拝領の場
見三明大司教司式の閉会
らだと御血を拝領するこ
取 り 上 げ ら れ る と き は、 混乱なくキリストの御か
れた。その他『聖体授与
科 目
教 会
人くらい
十 六 聖 人、殉 教
由過ぎてこれでいいのか
万円▼長崎カトリック
て教区福音化推進部へ
万円▼モナ
聴覚障害者の会(長崎と
万円▼シ
万円▼入管収容
佐世保)各
の会
者への支援
の麦の会
ナピス会
ま た 同 評 議 会 は、一 菜
募金の支援先を次のよう
ター
万円▼
方法に関する指針』をテ
合、司 式 者 と 共 同 司 式 者
ミサで終了。
とができるようにするこ
【テキスト】カトリック教会のカテキズム
へのボランティアを引き続き募集し、協力を呼び
4
⃝月9日㈭~ 日㈬ (3/ 締切)
5
⃝月 日㈭~ 日㈬ (4/ 締切)
6
⃝月 日㈭~ 日㈬ (5/ 締切)
掛けている。
申し込みは所属小教区へ。問い合わせは教区本
部事務局(松尾)まで。
095‐842‐4450
昨年 月1日から今年
1月 日にかけてクリス
会信徒の火事
万円。
キストとして大司教が講
以 外 は、① 祭 壇 上 に 置 か
れた。
教、教 区 女 性 部 代 表 「女性部」の定義、各評議
話。この指針は「聖体を
れたカリスを自分の手で
日 に は 選 挙 が 行 わ 議 が 行 わ れ た。 総 会 中、
れ、左 記 の 会 員 が 選 出 さ 「ホットニュース」として
主任司祭が出席できる日
とを目指している」(1)。 の臨時の奉仕者に関する
会 長・ 総 顧 問 と 共 に、
決議事項の実現に会員一
同心を一つにして取り組
む こ と を 確 認 し、感 謝 の
うち閉会した。
永遠のいのち
眞浦健吾師
からだの復活
400年にあた
日本基督教団長崎古町教
礼 拝 終 了 後、参 加 者 は
中町教会の境内でお茶と
マス募 金の協力を呼び掛
浜 串 小 教 区・ 高 井 旅 教
会の藤井清邦牧師は、「日
に決め、
送金した。
▼水主町教会信徒の火
めに送金した。
万円▼広島土砂災
事
095‐842‐4460
貴い犠牲に感謝して
お 菓 子 を 囲 み、交 流 の 時
アフリカ・コンゴ・平和
害 200万円▼城山教
こ と が 求 め ら れ て い る 」 も の。 礼 拝 は、長 崎 教 区
間を持った。
里(釜ヶ崎) 万円▼東
け た 長 崎 教 区 評 議 会 は、 京) 万円▼大阪旅路の
学園校舎増設の資金援助
万円▼青
師 は、「 私 た ち は 神 様 に
会との関係と活動費、「日
受ける際の方法や動作を
取 っ て 拝 領 し な い、② 御
時を設定してほしいとの
法規の手引き』が配布さ
議員 人の出席を得て長
本カトリック女性団体連
通 し て、聖 体 拝 領 の 意 義
血に自分で聖体を浸して
一日の様子が各修道院へ
開催された。
要望もあった。教区本部
研 修 会 で は 主 に、原 則
として立って聖体拝領す
れ、精 読 し 司 牧 に 活 用 す
【テ ー マ】信仰宣言・信仰の歩み ――より良く信仰を宣言し、
キリスト者として歩むために
・下窄英知師:出エジプト記
歴史と教会一
が主催する「第4回長崎
教会へのお祝いの言葉を
から髙見三明大司教と神
日本大震災
招かれてここに集った」
崎市小江原の本部で行わ
盟」加入や神学生養成の
や聖体に対する信仰と尊
拝 領 し な い、③ カ リ ス か
第1部では教区本部 事
務 局 長 の 下 窄 英 知 師 が、
事務局は女性部への移行
るようにとの大司教の勧
罪のゆるし
谷脇誠一郎師
聖徒の交わり・マリア
る 高 山 右 近、そ し て
キリスト教一致礼拝
1 月 日( 土 ) 時、 を 持 っ て 心 を 合 わ せ、一
カトリック長崎大司教区 致に向かって歩んでいき
キリスト教一致礼拝」が
本の信徒発見150周
述べた。
父 ら、キ リ ス ト 教 協 議 会
2月2日までに集 まった
少年自立援助・ひまわり
本 田 嘉 宏 さ ん は、「 1 年
れ た。 今 回 は、会 長・ 総
の深堀茂子氏への質
献金への協力などについ
敬がしるしとして示され
ら 拝 領 し た 後、拝 領 者 が
女性部移行への経緯を 説
を、2017年度には完
る こ と、司 祭 は 聖 体 を 示
お告げのマリア修道会
・生涯養成委員長:創世記 26 ~ 50 章
150周年を迎える
「こ
長崎・第4回を中町教会で開催 いて語り、
致の動きにつ
本の信徒発見との間
れからも希望
大浦天主堂献堂と日
に は、「 日 本 と い う
国を考えさせるこ
と 」「 信 仰 生 活 の 中
という共通点があ
年」を迎えるカトリック
たい」と話した。最後に、
り、「 3 つ の 歴 史 の
この集いは、1月 ~
中町教会で開催された。
での堅忍」
「一貫性」 と長崎キリスト教協議会
点が一つの線でつな
日に全世界で行われる
がっている」と示し
た。そして「信仰を
し っ か り 持 ち、堅 忍 「 キ リ ス ト 教 一 致 祈 祷 週
か ら は 聖 公 会、日 本 基 督
約476万円を、
昨年度の
ご と 交 互 に、昨 年 は 川 棚
1月 日(土)から
日(土)
、
お告げのマリア
万円▼
と 強 調、こ の 知 恵 と 勇 気
教団などの聖職者ら 人
繰越金と合わせて次の被
人余
前 に し て、髙 見 三 明 大 司
と 説 教 し、感 謝 の 思 い を
修 道 会 第 8 回 総 会 が、代
万円▼声の奉
教 主 司 式、司 祭 団
り の あ い さ つ と し て、髙
跡 ま で の 約 6 ㌔ を 歩 き、 分かち合った。また終わ
教会から東彼杵・乗船場
見大司教が教会の分裂の
会信徒の火事
2月1日(日) 時 か
ら、長崎教区主催、長崎南
の恵みを聖人たちを通し
が 祭 壇 に 上 が り、式 が 進
▼長崎ホー
クリスマス募金・一菜募金報告 ム レ ス を 支 援
地区評議会担当による 日
て祈るようにと語った。
められた。
万
本二十六聖人殉教祭が 西
毎 年、早 岐 教 会 と 合 同
で巡礼しているという川
万円
坂公園で行われた。
棚教会(二十六聖人の一
塾援助
する会
今年は日本の信徒発 見
1 5 0 周 年 を 機 に、長 崎
災地や困窮者の支援のた
間」に合わせ実施された
市によって修復された ば
日本基督教団長崎教会
人、ル ド ビ コ 茨 木 に さ さ
げ ら れ た 教 会 ) の 議 長・ 主任牧師である福田英樹
の 共 同 司 式 の も と、各 地
そこでミサがあげられま
のうちに一貫して生きる
かりの二十六聖人記念 碑
からの巡礼者約200 0
した。今年は西坂を訪れ
「女性部」と「聖 体 拝 領 」 疑 応 答 の 形 式 で 進 め
て、共 通 理 解 が 欠 け て い
ることを明らかにするこ
髙見大司教は説教の 中
ら れ た が、女 性 部 へ
ることが指摘された。ま
と、および、信者が不安や
お告げのマリア修道会総会
人が祈りをささげた。
2月2日(月)、「婦人 の移行が円滑でない理由
会 か ら 女 性 部 へ の 移 行 」 として、移行する目的、す
た、組 織 に 関 わ る 重 要 な
と「 ミ サ 中 の 聖 体 拝 領 」 べての女性を対象とする
議題が教区評議会総会で
明。 当 初、教 区 評 議 会 承
しながら「キリストの御
了した。
て、新 会 期 に 取 り 組 む べ
の 2 つ を テ ー マ と し て、
認のみで移行できると の
了したいとしている。
からだ(御血)」と言い、 め を も っ て、研 修 会 は 終
キリスト者
川端志範師
教会の特徴
10
司祭研修会が大司教館 で
判 断 か ら、司 祭 団 へ の 説
拝領者は「アーメン」と
手引き』
『司牧に関する
明 が 不 足 し、小 教 区 に 混
第2部では昨年 月
日に発効した『日本にお
・川口昭人師:創世記 1 ~ 25 章
10
30
けるミサ中の聖体拝領の
修了式
・澤田豊成師:出エジプト記(後期公開講座)
82
長野宏樹氏
・髙見大司教:モーセ五書概論(創世記・出エジプト記)
17 20 15
生涯養成委員長
小共同体
【講師が担当する内容】
11 14
10
15
15
15
50
第二バチカン公会議と
近代日本の教会
髙見三明大司教
要理教育
信仰教育委員長
【テーマ】創世記と出エジプト記 【テキスト】聖書
31
月 日
10 月 10 日
17 日
24 日
11 月 7 日
14 日
21 日
28 日
12 月 5 日
12 日
1月 9日
16 日
23 日
30 日
2月 6日
3月 6日
月 日
科 目
講 師
4 月 18 日 神を知る道・神の啓示
山川 忠師
25 日 神の啓示の伝達・聖書
Sr. 片岡瑠美子
日本の教会史①
5月 9日
神への人間の応答
16 日
下窄英知師
信条・唯一の神
23 日
Sr. 片岡瑠美子
日本の教会史②
6月 6日
全能の父なる神
13 日
岩本繁幸師
創造主
20 日
岩下和樹師
人 間
27 日
Sr. 片岡瑠美子
日本の教会史③
7月 4日
岩下和樹師
堕 罪
11 日
9 月 12 日 イエス・キリスト(受肉)
頭島 光師
19 日 イエス・キリスト(死と復活)
Sr. 片岡瑠美子
日本の教会史④
26 日
中野健一郎師
聖 霊
10 月 3 日
月 日
講 師
生涯養成委員長
7 月 16 日
下窄英知師
9 月 10 日
川口昭人師
17 日
澤田豊成師(公開講座)
未定
下窄英知師
10 月 8 日
川口昭人師
15 日
生涯養成委員長
29 日
下窄英知師
11 月 5 日
川口昭人師
12 日
生涯養成委員長
19 日
月 日
講 師
4 月 16 日 髙見三明大司教(概論)
川口昭人師
30 日
下窄英知師
5月 7日
生涯養成委員長
14 日
川口昭人師
21 日
下窄英知師
6月 4日
髙見三明大司教
(公開講座)
11 日
生涯養成委員長
25 日
下窄英知師
7月 2日
川口昭人師
9日
信仰養成講座・A年度(土曜日 19:00 ~ 20:30)
聖書講座(木曜日 19:00 ~ 20:30)
24
乱を招いたことを陳謝 し
教区生涯養成委員会
10
15
FAX TEL
10
10 10
27 29 25
50 50
15
50
25
た。研修は髙見三明大 司
聖書講座・信仰養成講座のご案内
38
27
24
50
50
50 50
50
15
12
14
18
30
❖場
所 カトリックセンター2階講堂
❖聴 講 料 聖書講座 13,000 円 信仰養成講座 16,000 円 *聴講もできます(1科目 1,000 円)
❖申 込 期 間 2015 年 3 月 16 日(月)~ 4 月 15 日(水)
❖申 込 先 〒 852-8113 長崎市上野町 10-34 生涯養成委員会 Tel.095-841-7731 Fax.095-841-7732
2015 年度
14
(故舟越保武氏制作)を
3 月1日(毎月1日発行)
12
11
1026 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
カトリック教報
(3)2015年(平成27年)
先祖の力強い信仰に倣
会 を 支 え、迫 害 に 耐 え た
0周年を迎える日本の教
堅信をゴールで は な く ス タ ー ト に 小 教 区 合 ( 奈 留 小 教 区 ・ 中 学 2 年
わ せ て 中 生 ) は、「 信 徒 発 見 1 5
な毎日を過ごす。勉強会
タ ー の 所 長 を 務 め、多 忙
ある神言修道会聖書セン
ラジル南部サンパウロに
の よ う な も の で す。」 ブ
ば大きなドア
て い く、い わ
「聖書は生
活の中に入っ
うと車で市場に駆け付け
働者のため食糧を集めよ
学 生 が ス ト に 参 加 し、労
のたびに授業は中断。神
イキが始まりました。そ
政 権 下、労 働 者 の ス ト ラ
まるで違っていた。「軍事
と日本とでは社会環境が
キリストがここにおられ
た。 そ し て、
「受肉した
格差を生んでいると知っ
すうちに社会の在り方が
く よ う 言 わ れ、共 に 過 ご
体に行って若者たちと働
か ら、貧 民 街 の 基 礎 共 同
ん で す。
」さらに管区長
貧しい人たちを通して聖
皆、
親しみを持っている。 ておこう と思って。祭 壇
同体を経験した方なので
「フランシスコ教皇様
はアルゼンチンの基礎共
階された。
手に、
「これは実家に置い
1カ 月の 休 暇 は 郷 里・
神ノ島へ。新しい聖書を
生きていくものだから」
人、成 人 4 人 の 計
人々とみことばを分かち、共に歩む
日、司 祭 に 叙
年発行。注解に南米社会
月
が 反 映 さ れ、貧 民 の た め
年
修道女が殺される現実も
の 聖 書 と い え る。「 た だ、
中ノ瀬重之神父
神 言 修 道 会、旧 約 聖 書
学者。神ノ島出身、 歳。
報告に持ってきました。
」
に両親の位牌があるから
ない。教会は歴史の中で
れている」
と召命を確信。 ずれ書きかえないといけ
い、キ リ ス ト の 証 人 と な
のため地方に行くこと
書 を 読 む、そ ん な 教 皇 様
ム
人が髙見三明大司教に
ります」と決意を表明し
ですね」とも語る。8年
ラ
よって堅信の恵みにあず
た。また保護者代表で感
も。北部バルサスでは年
る 」 と 感 じ、キ リ ス ト 者
かけチームで編さんした
ス
かった。
謝のあいさつを述べた鍋
として何をすべきかが次
ポルトガル語の聖書が昨
見てきた。「人のために生
聖霊の働きは止まってい
ミ サ の 終 わ り に、受 堅
者代表の葛島奈保さん
ミサの説教で髙見大司
教 は、混 乱 す る 世 界 情 勢
内誠次さん(浦頭小教区) 2 回、各 地 か ら 集 ま っ た
ていました。最初はその
第に分かっていった。不
式が行わ
に 触 れ て、「 今 日 ま で 一
行 動 が 理 解 で き ず、学 長
安 定 な 情 勢 の 中、司 祭 や
れ た。 8
生懸命学んできたこと
ル の 基 礎 共 同 体 は、聖 書
跡 を ゴ ー ル に で は な く、 ことばを味わう。ブラジ
は、「 親 子 と 共 に こ の 秘
を読み、現実を見て、実践
も先生も許可しているこ
下五島地区合同堅信式
は、キ リ ス ト の 愛 と 平 和
スタートにして頑張って
と に 対 し て『 な ぜ 』 と
人
を 実 行 し、伝 え る 人 と な
ま い り ま す 」 と、家 族 で
するという3つの段階を
学生
るためです。どうぞたく
た ど り、常 に 聖 書 と 現 実
ブラジルで
さんの人の幸せに貢献し
成長することを誓った。
きてこそ人生の本当の喜
回オルガンと祈り
また昨夏行われた沖縄
平和学習に参加した高校
は2010年から長崎コ
主堂で行われた。同ミサ
1 月 日、髙 見 三 明 大
司教主司式により大浦天
― 香典返し ―
員を募集しています。連絡は下記まで。
人 々 が 寝 食 を 共 に し、み
てください」と受堅者を
思った。先生に言わせる
びがある。人のために生
師( 土 井 ノ 浦 )
、3 位
(三井楽・貝津)
。
竹谷 誠師
▼第
聖歌
「うわさにさそわれ」
他。オルガン・霜坂秀一
生 が、対 馬 丸 や 高 江 ヘ リ
長崎カトリック神学院
代表 マリア 中村 夏子
励ました。
~
パッドなどについて報
レジオと長崎カトリック
男性団員募集
1月 日(日)、福江教
会で下五島地区合同堅 信
を照らし合わせている。
うして倫理(倫理学)の
1978年、 歳の時、 と、『 社 会( 経 済 学 ) が
同修道会ブラジル管区の 分からないのにお前はど
た。 映 画 の 中 に は、体 外
呼び掛けに応じて現地の
津市や佐
人工受精を肯定するよう
賀 市、県
なナレーションや産婦人
内では佐
映画「うまれる」上映会
な い の で、こ の 聖 書 も い
科医のコメントもあっ
きることによって生かさ
た が、そ れ ら に つ い て は
ことを言うのか』だった
世保地区からも幅広い年
神学校に編入。ブラジル
齢 層 の 参 加 が あ り、い の
告、
「無関心であっては
2月8日(日)カトリッ
ク セ ン タ ー に お い て、教
いけないと感じた」と感
教会の教えに反するもの
ランシスコ平和メッセー
で あ り、倫 理 的 に 受 け 入
日(水)の午後、 ジ」
講演では、
今年のメッ
ちへの関心の高さが示さ
ンサート〟が2月
れた。
想を述べた。
区家庭特別委員会・青 少
セージのテーマ「もはや
年委員会共催による映 画
カトリックセン
〝神父さん〟
、シ ス タ ー
そして小中学生によるコ
れ ら れ な い、と の 説 明 が
奴 隷 と し て で は な く、兄
ン サ ー ト で は、満 員 の 会
0人が集った。
について学ぶ一日となっ
時 の 2 回 行 わ れ、約 3 5
小雨交じりの寒い日 に
も か か わ ら ず、佐 賀 県 唐
「 食 べ て 祝 お う。 こ の 息 子 は、死 ん で い た
(ルカ ・
のに生き返り、いなくなっていたのに見つ
ぶどう園
ターホールで開催
弟姉妹として」が取り上
場 に 美 し い 歌 声 が 響 い 「信徒発見150年を記
平和メッセージ
&コンサート
げ ら れ た。 岩 崎 師 は、人
念して」 3月 日㈫
時、麹 町 教 会( 東 京・ 聖
あった。上映後には日本
され、400人以上が参
た。最後に髙見大司教以
イグナチオ教会)
。曲目・
「うまれる」(豪田トモ監
1回目は工藤秀晃師
(青少年委員長)、2回目
督)の上映会が 時と
加した。
を所有物とするエゴの中
下、参 加 者 全 員 で「 花 は
教区平和推進委員会主
催、恒 例 の〝 教 皇 フ ラ ン
で生み出される現代の奴
咲く」を合唱した。
カトリック司教団メッ
隷、そ の 事 例 と し て 労 働
セージ『いのちへのまな
者 と 移 住 者 を 挙 げ、
「教
は古木眞理一師(家庭委
岩崎晋吾師(浦頭小教
区主任)による「教皇フ
会 は、社 会 の 中 で 貧 し い
員長)のあいさつから始
人の頃、大神学校に入学することを悩み、 を 分 け て も ら う と 家 を 離 れ、父 と の 絆 を
人々の小さな声を敏感に
(同教会オルガニスト)
。
シスコ平和メッセージ&
自ら断ちました。良い人間に更生したの
受 け 止 め、出 向 い て い く
神父さんとともに歌うコ
で も な い、た だ た だ 自 分 の 惨 め さ を 知 っ
べきである」
と指摘した。 〈第 回召命祈願ミサ〉
紹介と販売が行われた。
会 い に 行 く と、多 く の 助 言 を い た だ き ま
た 息 子。 そ の 息 子 の 帰 り を、お 父 さ ん は
さ ま と 私 の 間 に つ な が る 糸 は、罪 を 犯 す
谷 あ り、ジ グ ザ グ し
ゆ る し の 秘 跡 は、こ の お 父 さ ん の 元 に
た り 迂 回 し た り …。 帰 る こ と の で き る、恵 み の 機 会 で す。 神
神学院が合同で実施。長
◦鍋内フイコ様(福江)
力 長崎交響楽団、
長崎・セントポール姉妹都市委
員会、
純心女子学園、
浦上教会
ま り、「 い の ち の 尊 厳 」 ざ し 』( 2 0 0 1 年 ) の
) し た。 こ の 神 父 様 は 新 井 満 の『 苺 』 と
片 時 も 絆 を 切 ら ず、首 を 長 く し て 待 っ て
と断ち切られます。しかし赦されて糸が
崎コレジオはこの2月に
催 長崎県新演奏家協会
協
短 信
い う 小 説 に T 神 父 と し て 登 場 し、「 神 は
▼聖香油ミサ 3月 日
時 分、
浦上教会。
幸福だけで出来てい
も う 一 度 結 び 合 わ さ れ る と、神 さ ま と 私
閉 校 し た が、今 後 も 長 崎
㈫
る道がないのと同
の距離は縮まり、結び目は太くなります。
故アントニオ鍋内清一様
◦道向トミ子様
(三井楽)
いました。
様、不 幸 だ け で 出 来
逆 説 的 で す が、何 度 も 繰 り 返 さ れ る た び
カトリック神学院を中心
故トマ道向秀雄様
◦永尾マチエ様(福江)
故ペトロ永尾八十吉様
〈司祭団マラソン大会〉
1 月 日、 人 が 参 加
右の方々からご寄付・ご
し、
五島市で開催された。
芳 志を賜り ました。お礼
とご報告を申し上げます。
主
かったからだ。」 わせ
ている道もないって
に続けられる。
家に帰る幸せに導かれますように。
感 謝
こと」と。
に、ますます神と私の距離は縮まり、
絆の
「回心」はギリシャ語で「メタノイア」
。
文 字 を 逆 さ ま に 読 む と? こ の 四 旬
節、多くの方が洗礼の恵みに気づき、
父の
糸はますます太くなっていきます。
章 ) は「 慈 し み 深 い
(次回から江夏国彦神父)
内 容 「レクイエム」
(モーツァルト作曲)
「千羽鶴」
(大島ミチル作曲)
ミートセンター
㈲ナカムラ
石 碑
文字彫刻
墓地工事
リフォーム
墓地分譲
連絡先 長崎県新演奏家協会
℡ 080 - 4281 - 5298 森山(夜のみ対応可)
メール [email protected]
佐世保市柚木元町 2401-10
祈念音楽祭で、
共に歌ってくださる男性団
19
TEL(0956)
46-1998
FAX(0956)
46-1984
200g 600g 900g 1400g
上記4アイテムの品揃え
全国配送(有料)いたしております。
8 月 2 日(日)浦上教会で開催される平和
17
お肉のご用命は
~原爆犠牲者の鎮魂と恒久平和への願い~
平和祈念音楽祭 in 長崎
フェイスブック
https://www.facebook.
com/shigeyuki.nakanose
◆
62
[email protected]
◆メール
31
中村手造り
活動紹介ページ
www.cbiblicoverbo.com.br
30
ボロニアソーセージ
長崎市被爆 70 周年記念事業
◆
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私たちは紆余曲
折、七 転 八 倒 し な が
昨 年 月、映 画 俳 優、高 倉 健 さ ん が 亡 く 直線を描かない」という言葉を残してい
しあ
なられました。19 7 7 年 公 開 の 映 画 『 幸
ます。「人生は山あり
福の黄色いハンカチ』は、刑務所に入り離
婚まで考えた夫と、夫の帰りを待ち続けた
妻の物語です。共演 し た 武 田 鉄 矢 さ ん に あ
る 夜、健 さ ん は「 こ の 映 画 の テ ー マ が 分 か
るか」と尋ねました。「分かりません」と答
えると、健さんはこう言いました。「『お帰り
なさい』だ。家に帰って、扉を開けて、『お
帰りなさい』の声が ひ と つ す る 。 そ れ が 人
生でどれほど幸せか を 山 田 洋 次 は 描 き た い
ら、こ の 地 上 で 旅 を 続 け て い ま す。 そ の
寮の舎監だった神父様は、夏や春の休みに、 の た と え 」( ル カ
目 指 す と こ ろ は、本 当 の 安 ら ぎ と 幸 い の
んだ。おまえもやが て 分 か る 」 と 。
(浦上教会)
待 つ、天 の お 父 さ ん の 懐 で す。「 放 蕩 息 子
中野健一郎神父
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10
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居場所が分からなくなり、悩むときが人
にはあります。私が 大 学 生 の 頃 住 ん で い た
みことばにふれて 115
父 の 物 語 」 と 呼 ば れ ま す が、息 子 は 財 産
15
5
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1位 川原昭如師(大司
教館)
、2 位 鶴 崎 伸 也
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15
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長崎が好きで度々い ら し て い ま し た 。 社 会
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3 月1日(毎月1日発行) (4) 2015年(平成27年)
カトリック教報
1026 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
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