Comments
Transcript
EineStudie租berFilmeYonW.WendersundW.Herzog R也
Akita University 秋 田大学教 育学部研 究紀要 人文科学 ・社会科 学部 門 5 2 pp. 81-87 .1 997 ドイツ表現主義映画の伝統 と現代 ドイツ映画 - ヴ ェ ンダー ス と- ル ツ オー クの映画が みせ る近代 精神 - の批 判 一 服 部 裕 Ei neSt udi e租be rFi l meYonW.We nder sundW.Her z og R也c kke hrz um nurz e l ge nge nde nFi l m Hi ros hiHATTORI Zus mmenf as s ung Abde n6 0 e rJ ahr e nf ange nj ungede ut s c heFi l maut or e nwi eWi m Wnde r sundWe r ne rHe r zo gni ti hr e m Sc haf f e nan.Tr ot zde rUnt e r br e c hungde rTr adi t i onYonde rde ut s c he ne xpr e s s i oni s t i s c he nFi l mkuns thatdi e ne ueFi l mge ne r at i ondi eNe i gungz um z i vi l i z at i ons kr i t i s c he nAus dr uc k,de rFi l meYoni hr e nVor g云nge r n be r ei t sc har akt e r i s i e r t e. Si ewur de nz ware he rvon Fi l me n de rf r anz Os i s c he n" ne ue nWel l e"bz w.von ame r i kani s c he nFi l me nde rvor ange ga nge ne nGe ne r at i onwi eJ.For dbe e i nf luBt ,Z e i ge ndoc hdi eReal i t ati n i hr e re i ge ne n" Fi l ms pr ac he" ,di es i eYonde name r i kani s c he ns ow i ef r anz 6s c he nFi l maut or e nunt e r s c he i de t . Si ez i e l e naufdi e" Fi l ms pr ac he" ,di ede nZus c haue rni c ht se r kはr t ,s onde r nal l e snurz e i gt ,wasi hne ne r m6gl i C he nwt i r de,i hr eFi l meal sReal i はtz ubel e be n. の ドイツ映画 の関係 をみれば, 欧米 の映画史のなか で当 は じめ に 時の ドイツ映画が もつ個性 が浮 き彫 りにな って くるO さ らにフ ァス ピンダーや- ル ツオー ク, それ にヴェンダー 1 960年代 後半, ドイツ映画 は長 い沈黙 をす て再 び 自己 ス らの 60年代後半 以降 のニュー ・ジャー マ ン ・シネマ と 表現 を始め るC長 い沈黙の後 とは, ドイツ映画 の第一期 呼 ば れ る一 連 の現代 ドイ ツ映 画 が どの よ うな系 譜 に あ 黄金時代 であ ったいわゆ る表現主義 映画 の時代以来 とい り,どの よ うな性格 を刻 印 されて い るのかが み えて くる。 う意味 であ る。 またそれは特 に ドイツ映画の場合, 時 々の ドイツ社 会 そ ワ イマー ル共和 国時代,つ ま り 1 91 9年 か ら 33年 まで の ものの深層 に触 れ る機会 を与 えて くれ るはず であ る。 の ドイツは, 巨大映画産業 を興 した- リウ ッ ドや 映画発 以下本稿 では,主 にヴェンダー ス と- ル ツオー クの映 祥 の地 フ ランス と並 んで ヨー ロ ッパ有数 の映画先進 国 で 画 に焦点 をあてて, ドイツ映画 史 を背景 に した現代 ドイ あ った。この時代 は 『カ リガ リ博士 』( 1 9年 )の ロベ ル ト ツ映画 の本質 に迫 りたい. ,『ドク トル ・マ ブゼ』 (22年 )や ヴ ィ- ネ 『メ トロポ リ ス』 ( 26年 )の フ リッツ・ラング, あ るいは吸血 鬼映画 の 22年)の フ リー ドリッヒ・ヴ イ 元祖 『ノスフェラ トゥ』 ( 表現主義映画の伝統 ルヘ ルム ・ムルナ ウ, それに- イ ン リッヒ ・マ ンの原作 を映画化 した彼 の 『 嘆 きの天使 』 ( 30年)の ヨー ゼ フ・フ ドイツ映画が 国有 の表現 ス タイル を確 立 す るのは, 第 ォ ン ・シュテル ンベ ル クや ア メ リカの グ リフ ィスの 『 素 一次世 界大戦 の敗 戦 と ドイツ革命( 1 ) に よって ドイツ第二 晴 らしき哉 人生 』( 23年)と同 じモテ ィー フなが らよ り社 帝 国が崩壊 し, ドイツ史上初 の共和 国 ( ワ イマー ル共和 会 派的 リア リズムの 『 喜 び な き街 』 ( 25年)のゲオル ク・ 国)が成立 したの と時期 を同 じ くしてい る。 それ以前 に ヴ イル- ルム ・パ ブ ス トとい った優 れ た映画作家 たち を ももちろん ドイツ映画 は制作 されて いたが, 国際的 な映 輩 出 した。 第一次世 界大戦 で完膚 な きまでに叩 きのめ さ 画界 に説得 力 あ る作 品 を提供 で きるまでには至 っていな 礼, インフ レ と不況 に嘱 いでいた敗戦 直後 の ドイツに, か った。大戦以前 は しば しば, 映画 に文学 的 な主題 を表 何 故 これ だけの優 れ た映画作家が誕生 したのか は興 味深 現す る媒体 としての価値 しか兄 いだ きず,「映画 を演劇 と い疑 問であ る。 こ うした時代 背景 お よび社 会状況 と当時 文 学 の世 界に引 きず りこむ こ とに よって高 尚化 しよ うと - 81一 Akita University した」。(2) この試 み は映画 の もつ 表現 媒体 と して の独 自 [- ・] この失敗 に終 わ った [ドイツ]革命 まで 性 を無視 した形式 で実行 され たため, 映画制作 を可能 に 伴 った知 的興奮状 態 の一掃 は,価値 判 断 と因襲 につ い す るのに欠かせ ない 「 大 衆 に よる受容 」 ( 3 ) を兄 いだせ ない ての古 い階級制度 の崩壊 後 に ドイツ人が耐 え忍んだ大 まま失敗 に終 わ った。 また ドイツ政府 は大戦 中, 強力 な 変動 を明 らか に してい る。 しば ら くの あいだ, ドイツ 敵 国ア メ リカの反 ドイツ ・キャ ンペー ンに対抗す るため 人の心 は,祖先伝 来 の習慣 を克服 し, 自己 を完全 に認 に, 国 が 3分 の 1を 出 資 す る 形 で ウ ー フ ァ 社 識す る珍 しい機会 に恵 まれ た。 それ は選択 の 自由 を享 ( Uni ve r s umf i1 mAkt i e nge s e l l s c haf t )を設立 し,国策的 受 し, 大気 には, その 自由 を捕 え, それ を内面的 な態 なキャンペ ー ン映画 を制 作 させ た。 ウー フ ァ社 は映像 表 度 の再 編成 にお び きよせ よ う とす る教 義 に満 ちて い 現 の質 を高め るため にオ 能 あ るプ ロデ ューサーや 技術者 た。(5) を集 め たため, ドイツ映画 の表現技術 は飛躍的 に向上 し たが, まだ個 々の映画 人が独 自の表現形式 と主題 を獲得 す るまでには至 らなか った。 『カ リガ リ博士』 以降の ドイツ映画 にみ られ る強 い 自 己表現へ の欲求 は, 表現主義 の表現形式 を得 るこ とに よ 彼 らが 自己表現 の欲求 を映画 とい う表現媒体 の なか で って ス ク リー ン上 に実現 され る。絵画お よび文 学 の表現 91 8年 以降の こ とで 爆発 させ たのは,先 に述べ た とお り 1 0世 紀初頭 に始 ま り,第一次世 界 主義 は映画 に先 ん じて 2 あ る。戦争 に疲弊 した ドイツ人が,何 故敗戦 を境 に それ 大戦前 に ピー クを迎 える。 資本主義 の発展 に伴 う急激 な ほ どまでに 自己表現 の場 を求 め始め たのか。 この疑 問に 工 業化 と第二帝 国時代 の権 威主義 的社会秩序 のなか で, 答 え るのは容易 い こ とではない。 しか し,具体 的 な個 々 社会 的並 びに精神 的抑圧 と精神 的退廃 にあえ ぐ ドイツの の要 因 を挙 げ る前 に,近代 史の なか で ドイツ を他 の西欧 知 識 人は,民主主義 的 な新社会 の理 念 を文学や演劇 の な 諸 国 とは根 本的 に異質 な もの として きた ドイツ固有 の価 かに 「 新 しい人間」 を描 き出す こ とに よって獲得 しよ う 値観 の こ とは, 少 な くとも指摘 しておか なければ な らな とした。 しか しそれ は,本質的 に単 に知 識 人に限定 され い。 それは,宗教 改革以来プ ロテ ス タン ト地域 を中心 に た抽象的かつ現実逃避 的 な芸術運動 に終 わ って しま う。 ドイツ人の精神性 を強 く規定 し続け て きた権威主義- の 表現 主義 か ら出発 したブ レ ヒ トも,後 にそれ を越 え る表 傾斜 を意味 してい るO(4) ル ター 派や カル ヴ ァン派 の教 義 現形式 を発展 させ, 大衆 を前提 とした演劇 に芸術性 と政 の根幹 をな してい る絶対的神- の人間の隷属 とい う世 界 治性並 びに社会性 を兼 ね備 えた独 自の形式 を付 与 してい 観が,1 9世 紀後半 に始 まるプ ロテス タン トの信仰 の後退 く。 後 に も, ドイツ人の権威 主義 的 な世 界観 に残 した影響 は 表現主義 は現実 的 には社 会 を変革す るほ どのエ ネル ギ 極 め て大 きか った。1 91 8年,政 治体制 におけ る権 威 主義 ー をつ くりだせ なか ったに して も, 民主主義 的 な体制 を とい う重石 が ドイツ史上初 の共和制 の成立 に よってに表 求 め るその精神 と形 式 は 1 91 8年 以 降 の映画制 作 に引 き 面的 には取 り除かれ た よ うに思 われ たに も拘 わ らず, ド 継 がれ るこ とに な る。文学 では掴 み きれ なか った大衆 の イツ社会 の権 威主義 的性格 は本質 的 には払拭 され なか っ 関心 を,大衆 時代 の芸術 としての映画 はおお いに喚起 す た。 しか し, 君主制 の崩壊 に よって得 た 自由- の 目覚 め る。再 び クラ クア- を引周 しよ う。 が, ドイツの知 識 人 を社会 の諸 問題 の根 底 にあ る権 威 主 義的世 界観 に立 ち向か わ るこ とに なったのは当然の帰結 表現 派の絵画 と文学 は, 第一 次大戦 前の数年 間に発 であ った といえ る。 ワイマー ル共和 国の極 め て不 完全 な 展 していたが,それ らが大衆 を掴 んだのは 1 91 8年以後 民主主義 と ドイツ近代 史 を一 貫 して規定 し続 けて来 た権 にな ってか らであ った。 この点 で, ドイツの場合 は, 威主義 が, ドイツ人の 自己表現欲求 を増幅 させ た根本 的 短期 間の戦時共産 主義 の あいだに,抽象芸術 の種 々の な要 因であ った と考 え るこ とが で きるO 流れが真 の全盛期 を詣歌 した ソヴ ィエ ト ・ロシアの場 こ うした形而 上的 な基盤 的要 因の上 に, 第一次世 界大 合 とあ る程度似 か よっていた。革命 を起 こ した民衆 に 戦 の敗戦 と君主制 の崩壊 ,並 びに戦後 の混乱 とい った具 とって,表現派 は, 中産 階級的伝 統 の否定 と社会 と自 体 的 な要 因が重 な り,長 く続 いた権威主義 の抑圧 をはね 然 を 自由に形づ くる人間の力へ の信頼 を結 びつ け るよ のけ たい とい う ドイツ人の欲求 は増大 す る。 それ は政 治 うに思 われ た。 こ ういった効 力のお陰 で,表現 派は, 的には前 に述べ た 「ドイツ革命」 に表現 され,芸術 的 に その世 界の崩壊 に よって狼狽 させ られ た数 多 くの ドイ は個 人の内面 を描 く映画 の なか に視覚 的 に表現 され る。 ツ人 に魔 力 を及ぼ しえたのであ ろ う。(6) この よ うに ドイツ映画 は, その草創期 か ら強 い 自己表現 - の傾 きを特徴 とす るよ うに な る。 クラカウア- の表現 を借 りれば, 以下 の よ うに な る。 この よ うに ドイツの映画 人はその初期 の段 階か ら,義 現主義 の影響 を直接受 け るこ とで,明 らか に商業的 な映 画 の制 作 よ り制作者 自身の 自己表現 に重点 をお いた映画 8 2- Akita University 制作 に努 め た。 そ して上記近代 ドイツ史の特性 と当時の が いか に鋭 い批 判 眼 を もっていたかが よ くわか る 。 混乱 と希望 が錯綜 す る世相 の ため, 表現主義 映画 はその 表現 主義 映画 として 『メ トロポ リス』 な ど他 に も数 多 出発点 にお いて, テー マ と表現法 に関 して他 の国の映画 くの作 品 を挙 げ るこ とは で きるが, その 多 くは これ まで にはみ られ ない深 い, しか し陰欝 な精神性 を獲得 す る。 述べ て きた映画 と同様 に, ドイツの歴 史的 ・社会 的現実 欧米諸 国か らその表現技術 と形式 を高 く評価 され た 『カ を背景 として映画作 家 自身の内的世 界 をわれ われ にみせ リガ リ博士』 は, しか し同時 に 「 気味が悪 い,不 吉 な, て くれ る ものであ る。 いずれに して も表現主義 映画 は, 不健全 な」( 7 ) な どとい う印象 を与 えてい る。 その表現形式 は必ず しも リア リズムではないが,つねに 2年 に な る と, 同 じ主題 設定 で 『カ リガ リ博士』の後 2 時代 の状 況 を人間 の 内的世 界 に映 しだ して い る とい え 2本 の重要 な作 品が それ ぞれ別 々の映画作 家 に よって制 る。 この形式 は,60年代 後半以 降の 「ニュー .ジャーマ 作 されてい るo ムルナ ウの 『ノスフェ ラ トゥ』 とラング ン ・シネマ」 と呼ばれ る世代 の映画作家 た ちに引 き継が の 『ドク トル ・マ ブゼ』 であ る。 これ ら 3作 品はいずれ れて い く。 も一 方 で絶対的 な権威 と権 力者 を, もう一 方 でそれ と戦 う理性 あ るいは愛 を描 き,最 終 的に後者 が前者 の狂気 に 打 ち勝つ こ とをみせ る。この よ うなプ ロッ トは明 らか に, 新 しい ドイ ツの映画作 家た ち 長 く続 いた封建体制 と権 威主義 も初 め ての共和制 とそれ に伴 う民主主義 の成立 に よって克服 で きるはず であ る と ナ チの時代 に よって断 ち切 られ ていた表現主義 映画の い う希望 と,現実 には ワイマー ル共和 国に残 され た権 威 精神 は,1 960年代 後半 にな る とファス ピンダーや- ルツ 主義 的性格 を 目の あた りに した過去 の影- の不安 とが入 オー ク, それ に シュ レン ドル フや ヴェ ンダー ス とい った り交 じった ドイツ人の内面 を反映 してい る. これ らの映 若 い映画監督 らの出現 に よって再 び息 をふ きか えす。映 画か らお よそ 1 0年 後,カ リガ リや ノスフェラ トゥの よ う 画市場 で 「ニュー ・ジャーマ ン ・シネマ」 と総称 された な狂気 の独 裁者 が現実 に ドイツ を再 び支配す るこ とにな 新世 代 の ドイツ映画 は, それ ぞれ表現 技法 は異 なっては るのは,歴 史の皮 肉な偶 然 ではな く, これ ら映画作家が いて も, 当時 のいわゆ る- リウ ッ ド映画 とは本質的 に相 ドイツの暗 い未来 を予見せ ざるを得 ないほ ど,権 威へ の 違す る性格 を共通項 として もっていた。彼 らは共通 して 隷属 が ドイツ人の本質 であ った とい うこ とを意味 して い 「 映画作家」 としての 自意識 を明確 に もち, 自分 を反映 映画 的言 させ なが ら映画 を撮 って い る とい う意 味 で,「 る。 1 924年 以降 ドイツ経済 は落 ち着 きは じめ る。 ド- ズ・ 語」(9 ) をさが し続けていた といえ る。 もちろん,これは戦 プ ランに よって ドイツの法 人組織 を連合 国の財政体 系 に 前 の ドイツ表現主義 の映画作家か らだけ受 け継 いだ伝統 組 み入れ たか らであ る。 ドイツ社会 は束 の間の明 るさを ではない。映画 史の草創期, フ ランスの ジ ョル ジュ ・メ 取 り戻 し, 人々 は小市民的安 寧が あたか も永遠 に続 くか リエ スが興行 を優 先 した映画 ではな く, 自分 の撮 りたい の よ うな錯覚 の なか にいた。 いわゆ る「 古 きよき時代 ( 黄 映画 を撮 るために, 商業主義 的映画 の制作 を とお してフ 金 の 20年代 )」 であ る。 しか し現実 は まった く違 ってい ランス映画産業 の基盤 を築 いた シャルル ・パ テの制作依 た。人々 は胸 の奥 にあ る不安 感 を無理 に押 しや るよ うに, 頼 に応 じなか った よ うに, 映画制作 はその初期段階か ら 危 うい小 市民的享楽 を会 っていた。 そん な世相 を見事 に 商業主義 的映画 と並 んで,興行 よ り自己表現 を優先 させ 表現 したのが,世 界的 な大 ヒッ トとなった『 嘆 きの天使 』 る映 画作 家 の伝 統 を もって い る。(10) その後 フ ラ ンス で ( 30) であ る。 この映画 は権 威主義 的秩 序 に安住 す る ド は ジャ ン ・ル ノワー ルや デ ュ ビビ工 な どの よ うな偉 大 な 映画作家が映像芸術 の礎 を築 いた よ うに, ドイツにおい イツ市民の本質 を, 愚直 な ギムナ ジウム教 師 (ウンラー ト〉 の キャバ レー の唄姫 ロー ラ・ロー ラへ の悲惨 を恋 と, ては上 でみ た よ うに表現主義 映画が独 自の社会批判 的 な ウンラー トの権威 に抑圧 され なが らも彼 を蔑み陥れ よ う 映像 表現 を追求 したのであ る。 とす る生徒 た ちの悪殊 さの なか に描 いてい る。帝 国時代 映画作家 としてのル ノワー ル らの表現精神 は, フ ラン の権 威主義者 ウンラー ト,彼 を陰険かつ残酷 にあ しら う スでは ト) )ユフォーや ゴダー ルの よ うな 「ヌヴェル ・ヴ 生徒や ロー ラ ・ロー ラ ら芸 人 た ちO ウンラー トの滑稽 な ァ- グ」 と呼 ばれ た作家 た ちに受 け継 がれ た。 そ して ド 恋心 以外 は,彼 らは結局 は権 威 主義 的秩 序 の なか で 自分 イツの新世代 の映画作家 たち,特 にヴェンダー スは直接 の生 活の維持 に しか関心 を もちえない, いわば 「 愛が欠 的 には フランスの ヌヴェル ・ヴ ァ- グや フォー ド, ニ コ 落 した人間た ち」 として描 か れてい る。 ウ ンラー トに対 ラス ・レイそれ にサ ミュエル ・フ ラー らの よ うな商業主 す るロー ラ ・ロー ラの残酷 かつ無機 質 な冷 た さが,数 年 義 と自己表現 が調和 していた時代 のア メ リカ映画 の表現 後 に現実 とな る ドイツ人の異民族 に対す る冷酷 さ と重 な 形式 に強 く影響 されてい る。 この こ とに関 しヴェンダー る とき,「ドイツ人の精神 的 未 熟 さ」 ( 8 ) を示 した この映画 スは次 の よ うに言 ってい る。 - 8 3 Akita University [ -・ ]『パ リ, テ キサ ス』が完成 した とき, サ ム ・ 問は, 自らナ チの時代 を体 験 し,一 貫 してナ チ と戦後 の シェパー ドが それ を見 て, これ こそ真 のア メ リカ映画 ナ チ的 な もの を批判 し続 け た作家- イン リッヒ ・ベ ルに だ, もう誰 も撮 れ な くな って しまったア メ リカ映画 だ 63 とって よ り,ベ ル 自身が書 い た『あ る道化 師の告 白』 ( といって くれ た ときは本 当に うれ しか った。 [・・・] 午) のナ チ を知 らない若 き主 人公- ンス ・シュニー アに しか し,現在 ア メ リカで作 られて い るア メ リカ映画 とっての方が, よ り不可解 で許す こ とので きない問題 と を見 る と本 当に悲 し くな ります。私 な どと比べ ものに して心 に突 き刺 さるの であ る。 この よ うに,西 ドイツの な らないほ どの財政 基盤 を持 ってい るのに, テ レビ と 戦後 第一世代 はいわば親 の世 代 との対立 の なか で成長せ 違 わない こ とをや って それ を裏切 って い る としか思 え ざるをえなか った。( これ は,前大戦 の責任 の所在 を未 だ ないか らです。私 のや って い るこ とは, た しか に フラ に明 らか に しきれず, それ に よって戦前 の世 界観 を今 に ンスの ヌヴユル ・ ヴ ァ- グの伝 統 を継承 す るこ とです。 引 きず って きてい る戦後 の 日本社会 と ドイツ社会 との決 彼 らもまたそ こに 自分 を反映 させ なが ら, ア メ リカ映 定 的 な違 いであ る。 )彼 らに とっては,模 範 とな るよ うな 画 を撮 りま した。(ll) 父親 も母親 も存在 しなか った。む しろ敗戦 までの ドイツ 社会 の本質 を成 していた権 威 主義 的世 界観 を否定 す るこ ナ チ時代 に よる ドイツ映画 史の断絶 の ため, 映画 の視 との方が,彼 らには倫理 的必 然 だ った。つ ま り父親 の権 覚 的世 界 ( つ ま り表現技法) にお いてはフ ランスの ヌヴ 威 を否定す るこ とは, ご く当た り前 の こ とだ ったの であ ェル ・ヴ ァ- グや ア メ リカの映画作家 たちの影響下 にあ る。 る として も,新世代 の ドイツの映画作 家 た ちはその主題 こ うした状況 の なか, ア メ リカ映画や フランス映画 で 設定 にお いてや は り固有 の ドイ ツ精神 を受 け継 い で い 育 った新世代 の映画作家 たちは, 自分 た ちの生 きてい る る。 ヴェンダー スが い くら自身の フ ランス映画的 あ るい 社会 あ るいは世 界 その もの を疑 うこ とか ら自己表現 を始 はア メ リカ映画的性格 を強調 して も,文 明批判的 であ る め たo なか で もヴェンダー ス と- ル ツオー クは言語 とそ と同時 に社会批判 的 であ り, しか もそれ を内的世 界 を と れ を使 う人間, それ に もの との三者 の関係,並 びに言語 お して表現す る主題 設定 はや は り ドイツ的, つ ま り表現 を介 しての人間同士 の コ ミュニ ケー シ ョンの あ りか た を 主義的 といわ ざるをえない。 これ は先 に挙 げ た他 の映画 描 くこ とに よって, 言語 の合理性 を基盤 に した人間 ( 主 作家 たちに もいえ るこ とであ る。 フ リッツ ・ラングは 自 体 )中心主義 的 な近代 ヨー ロ ッパ精神 に疑 問符 をつけ る 。 らの映画 の本質 を,社会 の システムお よび文 明の両者 に 近代 ヨー ロ ッパ の歴 史 は, 人間が言葉 に よって ものつ ま 対す る 「 社会批評」にあ る と証 言 して い るの であ る。(12)戟 り自然 を合理 的 ・科 学的 に秩 序づ け よ う とす る試み に よ 後 の ドイツ映画不 毛 の時代 (13)に育 っ た新世 代 の ドイ ツ って貫かれてい る。つ ま り人 間は, 自然 を言葉 の世 界に の映画作家 たちは, ア メ リカ映画や フ ランス映画 をみ な 置 き換 え るこ とに よって 自然 を支 配す るこ とが で きる, が ら成長 しなが らも, 映画表現 の主題 を とお して ドイツ とい うのが近代 の科 学主義 で あ る。ベ ンヤ ミンの言葉 を 映画 の原点 につ なが って い る とい え る。 事物 の言語 を人 間の言語-翻 訳す る」 ( 1 4 ) のが 借 りれば,「 人間主体 であ るこ とにな る。科 学的言葉 を獲得 した人間 は, もはや神 を必要 としな くな る。 なぜ な ら世 界 を秩 序 近代精神 に対 す る懐 疑 づ け る言葉 は, 人間が支 配 して い る と考 え られてい るか らであ る。すべ てが言葉 の世 界の内側 にあ り, 人間は も 60年代 後半か ら 70年代 に大 人 に な った西 ドイツの新 の その ものでな く事 物 の代理 であ る言葉 を意味 として体 世代 に とって, 何 とも理解 しが た くそ して悲 しい こ とは, 験す る。 ここに事物 の一般化 と, 意味- の価値化 がお こ 自分 たちの両親 の世代 がナ チの時代 を許 して しまった と るo呼吸 を し食べ,一 回限 り生 きそ して死 ん でい く一個 い う事実 であ る。戦後 の西 ドイツ社会 の最初 で最 大 の課 ,「男」,「優 しいひ と」et c.とい の有 限な人間は,「人間」 題 は, いか に してナチ的世 界観 か ら脱却 し, ヨー ロ ッパ う風 に一般化 され, 意味的存在 として言葉 の世 界の なか 諸 国に新 生 ドイツ として認め て もらうか とい う一 点 に集 に閉 じ込め られ る。 この よ うに事 物 と同様 にひ と りひ と 約 されていた。脱 ナチ化 は徹 底 していた。一 方 で学校 や りの人間 も, 言葉が作 りだす秩序 ( 制度) に統制 され た 街 そ して家庭 で も徹底 的 に否定 され るナチ ス ・ドイツ, 意味 としての抽象物 に な る。 ここで, 人間が言葉 -世 界 しか し も う一 方 では 自分 た ちの 父親 はナ チ の兵 隊 で あ を支配 してい る とい う人間 自身の確信 は,単 な る幻想 に り, ひ ょとした ら母親 は隣のユ ダヤ 人 をゲ シュ タポに売 す ぎない こ とが判 明す る。 自分 は一体何 なんだ ろ う ?こ った こ とが あ るか もしれ ない とい う事 実。何 故 - ?ナ チ れ は, 人間が どん なに主体 意 識 を もとうが,絶対 に解 消 を直接知 らない戦後世代 は この単純 な, しか し解 きが た され ない疑 問 であ る。 自分 の実在 感, あなたの実在感, い疑 問か ら解放 され るこ とはなか った。 この解 き難 い疑 そ して この ものの実在感 は - - 84- ? Akita University ヴェ ンダー スはベー ター ・- ン トケの同名 の小 説 を映 きるこ と」 の映像 表現 であ る。 この意味 で, ヴ ェンダー 画化 した 『ゴー ル キーパー の不安 』 の なか で, われわれ スは形式が 内容 その ものにな る映画 を撮 ろ うとした とい 観客 におお よそ上 記 の よ うな考 え をみせ て くれ る。 自明 え る。 とされて きた近代 的 人間 と人間主義 が もつ危 うさを, ヨ 1 979年 にムルナ ウの 『ノスフェラ トゥ』の リメイ クを , ーセ∵7・プ ロ ッホ とい う分裂症 的人間の知覚 を とお して - ウザ- の謎 』( 1 97 4) 撮 った- ルツオー クも 『カスバ一 ・ みせ て くれて い るのであ る。例 えば,他 の人間 た ち とコ の なか で, 言葉 の問題 を基底 に した近代批判 を行 な って ミュニケー シ ョンを営 む際, プ ロ ッホは世 間 では 自明の い る。外 界か らまった く遮 断 され た地下室 で, 人間 との こ と とされ て い るこ とを奇 異 あ るいは特 別 の こ と と感 接触 を一切 もたず に成長 したカスバ一 ・- ウザ- の 史実 じ,逆 に非常 に奇 異 な こ とを当然の こ との よ うに受 け入 を もとに した この映画 は, 人間が言葉 を学習す るこ とで れ るo この映画 は終 始 この よ うに, 日常 の コ ミュニケー 世 界 を認識す る能 力 を身につ け るこ と, つ ま り社会 的人 シ ョンが よ くみれば とて も奇 異 な もの であ るこ とをわれ 間にな るこ とが,実 は人間 を社会秩 序へ 強制す るこ と, われにみせ て くれ る。一夜 を共 に したゆ きず りの女性 を 人間の 自由 を奪 うこ と以外 の何 もので もない とい うこ と 殺害す る奇異 な出来事 は, あたか も自明な行為 のひ とつ を意味 して い るこ とをみせ て くれ る。脅 え るこ とす ら知 であ るが ご と く,何 の説明 もその後 の展 開 もな くただ描 らなか った カスパー は, 言葉 を覚 え るこ とで恐怖や痛 み かれてい るだけ なの もその一つ であ る。 を認識す る。 言葉 の学習 を とお して身につ けた人間 とし ヴェンダー スの場合,描 かれてい る内容 でな く, どの ての能 力 で も,例 えば 「 編み物 をす る能力」 は,女性 の よ うにみせ るか とい うこ とだけが問題 にな ってい る。上 所業 だ として蔑 まれ禁 止 され る。 また,神 な ど一切 見 え で述べ た言葉 に よる事物 の一般 化 あ るいは意味化 ではな ない し感 じられ ない と言 うカスパー に, 神 父 た ちは人間, く, 人間 を含 む事 物 の 「 実在 」 にいか に迫 るこ とが可能 つ ま り言葉 を解 す る存在 であれば神 が感 じられ るはずだ か, とい う形式 こそが ヴ ェンダー スお よび- ン トケの 自 と迫 る。高 い教養 を身につ ければつけ るほ ど, カスパー 己表現 に とって最 も重要 な こ となのであ る。つ ま り作 品 には人間 として存在す るこ と,つ ま り言葉 を身につ けた の形式 こそが, 内容 その もの なのであ る。 「〈フォルム〉 社会 的動物 であ るこ とは,「 転落」 としか感 じられ ない。 とい う概 念 も新 しい意味 の もとに,外被 としてではな く, この よ うに して,- ルツオー クは近代 ヨー ロ ッパ文化 の 中身の いっぱいつ まった具 象的 で ダイナ ミックな, それ 本質 を根底か ら問い直 してい るのであ る。 自体 内容 の あ る,決 して 置 き換 え の きか な い あ る も とはい って も, 人間が言葉 に依 存 した存在 以外 の何 も の」(15) であ る。これ は ロシア ・ フォルマ リズムの文芸理論 ので もない こ とも- ルツオー クは知 ってい る。 言葉 は秩 であ るが,- ン トケは 自らの創作が この理論 に依 拠 して 序 あ るいは制 度 として人間 を規定す る ものであ る と同時 )これ は,- ン トケ と い るこ とを証 言 して い る。(16)っ ま Y に, 人間は制度 を超 え る自らの言葉 ももち うる。 それ は 一 緒 に脚本 を書 き, 同方 向 を向いた創作活動 を してい る 芸術 であ り,社会 的人間にお さま りきらない 「自分 」 と ヴェ ンダー スの考 えであ る ともいえ る。「 物事 の説明 を拒 い う余剰 をみつ け る行為 で もあ る。もっ と簡単 に言 えば, 否す るのは正 し く, その代 わ りそれ を見せ てや るだけで 「自由」であ るか もしれ ない. 言葉 を覚 えたカスパー は, 良 い」(17)とい うヴ ェ ンダー スの表 現形 式 その ものが,上 社会化 へ の調教 を強 い られ るが, 同時 に 自分 自身の言葉 で触 れ た言葉 の なか に世 界 を支配す る とい う近代精神 へ をみつ け よ う とす る。「 嘘つ きの村」と 「 正直者 の村」か の批判 を意 味 してい るのであ る。 説明せ ず提示す るだけ ら伸 び る 2本 の道 の交差点 で, ひ と りの通行 人がや って で語 る映画 をつ くりたい とい う目標 だけ を 目指 して, ヴ 来 る。 その人が どち らの村か ら来 たのか を,一つの論玉 里 ェンダー スは数 多 くの映画 を撮影す る。 その代表 的 な作 学 的 な質 問文 で知 るこ とが で きるが, それは どんな質問 品が 『 ベ ル リン天使 の詩 』 ( 1 987) と, その続編 の 『 時の か とい う論理 学 の教授 の課題 に,カスパー は,「あなたは 異 にの って』 ( 1 993)であ る。 見 るこ としか で きない, し 空 を飛ぶ蛙 をみ た こ とが あ るか ?」 とい う質 問文 を答 え か し何 で も見 るこ とが で きる天使 の 目を通 して, 映画 は る。教 授 は それ は論理 学的 な文 ではな く,単 な る叙述 に ただベ ル リンの街 の人間 たち をみせ て い く。 しか し 「見 す ぎない と一蹴す る。単 な る- エ ピソー ドにす ぎない シ るこ と」の行 き着 く先 は,「 参加 す るこ と」 であ る。 「 参 ー ンにみ え るが, これ は カスパーが言葉 の論理性 だけの 加 す るこ と」 とは 「 生 きるこ と」 であ る。痛 み を感 じ, 世界 ( 秩 序,制度)か らはみだ した 自分 自身の言葉 -フ 寒 さ と暖か さを感 じ, 泣 きそ して笑 う。天使 ダ ミエル も ァンタジー を獲得 しつつ あ るこ とを象徴 してい る。暴漢 カシェ ル も,生 きるため だけに天使 であ る自分 を捨 て地 に襲 われ死 にゆ くベ ッ ドの なか で, カスパー は 自分 だけ 上 に落下す る。彼 ら人間が生 きてい るこ との意味 ではな の物語 を 自分 の言葉 で語 ろ うとす る。 その物語 はプ ロロ く,生 きて い るこ とそれ 自体 を観 念 でな く映画 に映 って ー グだけ で終 わ って しま うが, カスパー は 自由な存在 の い るその人間 その もの実在 としてみせ るこ と,それが「 生 可能性 をそ こにみ る。一方,死 んだカスパーの脳 を解剖 - 85- Akita University す る外科 医 た ちはその一部 の 「異常」発達 を発 見 し, カ であ る。つ ま り, ヴェ ンダー スが描 くのはた とえそれが スパー とい う 「異常 な」 存在 の 「 科学 的」説明がつ いた 『 パ リ, テキサ ス』 の よ うにア メ リカであ って も, そ こ と納得 し,安堵 す る。 そ してその 「 事 実」 を懸命 に書 き に根 を張 ったア メ リカ人が振 るの とは違 うア メ リカなの 取 る書記。書記 に とって言葉 とは, 言葉 自体 に よって与 であ るo その意味 で, ヴ ェンダー スは 自分 の なか にあ る え られ た秩序 を記録 として再確 認 し, それ を保 持 す る機 ドイツ人の部分 を完全 に捨 て るこ とはで きない。 この こ 能 しか もっていない。彼 は 自己主張が一切 ない言葉 で「美 とはヴェ ンダー ス 自身 よ く知 ってい る。彼 は次の よ うに しい記録 」 を書 くこ とだけ を生 きが い, いや使 命 と考 え 言 ってい る。 て い る。 カスパー の解剖所 見に関 して満 足のゆ く記録 を 残せ た とい う充足感 を, その貧弱 な身体 いっぱいに, し 『ゴー ル キーパー の不安 』 の撮影 中に,私 は 自分 が か し慎 ま しや か に表現 しなが ら歩 き去 ってい く書記 を映 ア メ リカ映画 の監督 では ない と悟 りま した。 ア メ リカ す ラス ト ・シー ンは,静 か な不気味 さに包 まれ てい る。 映画の表現方法 は気 に入 っていたのですが, それ を踏 論理 学 の教授 も外科 医 も神 父 た ち も, み な この書記 が象 襲 す るこ とはで きない。 とい うのは, 異 な った文 法 を 徴 す る制 度 としての言葉 の枠 の なか に閉 じ込め られ た近 持 っていたか らなのです。 あ る意味 では二つ の対立す 代 的 な人間 た ちであ り, カスパー は新 しい可能性 を秘 め る文法が存在す るの ですか ら, あ らゆ る映像 が衝 突 し た彼 らのア ンチ ・テーゼ なのだ。 たのです 。(18) ヴェ ンダー スの場合 と同様 に,- ル ツ オー クは言葉 ( 令 理 的 な近代精神 ) に縛 られ た人間が 自己 を解放 す る新 た 「 文 法」 とは 「映画的言語」 の文 法,つ ま りいか にみ な言葉 をみつ けだす可能性 を, 言葉 に よる説明 では な く せ るか とい う映像 表現 の 「 文法」 であ る。 また, その文 みせ るこ とに よってわれ われ観 客 に気づ かせ て くれ る。 法 には何 をみせ るか とい う問題 も含 まれ てい る。 ヴ ェン - ル ツオー クはそのゆ った りとした, しか し粘 り強 い カ ダー スは結局 ,「いか にみせ るか」とい う映画表現 の本質 メラワー クで, そ こにあ る ものの実在 をあ ます こ とな く を ,『ベ ル リン天使 の詩 』 (1987) を撮 るこ とに よって, 「 何 をみせ るか」 とい う課題 に直結 させ た。 それ は, フ みせ て くれ る。 冒頭 の シー ンで, 強 い風 を受 けて左右 に たわむ まだ青 いぶ あつ い麦畑。遠 く里 を見下 ろす丘か ら リッツ・ラングが 『 伯林 一 大都会交響楽 』 ( 1927) を の長 い沈黙の シ ョッ ト。映画の ス トー リー とは直接 関係 撮 ったの と同 じ意味 を もってい るのか も知 れ ない。す で ない, こ うした もの その もの をわれわれ の心 に刻 みつ け に述べ た とお り,- ル ツオー クもムルナ ウの 『ノスフェ るシー ンが, 説明の ないただみせ るだけの映像 で力強 く ラ トゥ』 を忠実 に リメイ クしてい る。 ア メ リカ映画や フ 語 りかけて くる。 ここに映画が もつ表現 の独 自性,芸術 ランス映画の映画作家 たちに育 て られ た ドイツの新世代 性 が凝縮 されてい る考 え られ る。- ルツオー クは, 言葉 の映画作家 たちは,独 自の 「 映画的言語」 を自分 たちの に よる説 明 を排 除 したあ くまで も美 しい映像 の なか で, 先 人 た ちの映画 の なか にみつ け たの であ る。 われ われの時代や社会 が抱 え る基底 的 な問題 を提 示 し, 注 そ して痛烈 に批判 してい るの であ る。 ( 1) ドイツ革命は 1 91 8年 1 0月軍港 キールで起 こった水兵の 反乱に端 を発 し,たちまち ドイツ各地に伝播 した。なかで も おわ りに ベル リンとミュン- ンは革命運動の中心地 とな り, ミュン 以上 み て きた よ うに, ドイツ映画 は その初期段 階 の表 現主義 映画 に顕現 して い るよ うに, それ ぞれの時代 と社 会 に批判的に対時 し, とき として文 明批 判的 な性格 さえ もそなえてい る。 この伝統 はナチ ス ・ドイツに よる断絶 - ンでは人民評議会政府が樹立 され労働者の共和国が宣言 される。 ( 2 ) クラカウ7-,ジー クフ リー ト:『カリガ リか らヒ トラー ,みすず書房,1995年,21頁 へ』 ( 3) 拙論 『 映像文化に関す る一考察 - 大衆時代の芸術 と に も拘 わ らず,戦後 の映画作家 た ちに受 け継がれ てい る しての映画 -』参照,秋田大学教育学部研究紀要 ( 人文 ・ 戦後世代 は必ず しも直接 的 に表現 主義 映画 に育 て られ た 社会科学) ,第 52集,1997年 。 のではないに して も,彼 らが先 人 た ちの軌跡 をた どって い るのは確 か であ るO特 にヴ ェンダー スの よ うにア メ リ カ映画 を観 て育 ち,過去 のア メ リカ映画 を高 く評価 す る 映画作家 で も, ア メ リカ映画の表現形式 を我 が もの にす るこ とはで きない。 それ はヴェ ンダー スが, 表現形式が 内容 その もの とな るよ うな映画 を撮 ろ うとしてい るか ら - 86 ( 4) 拙論 『 多様性のなかの ヨー ロッパ近代』 参照,秋 田大学総 99 6年 合基礎教育研究紀要第 2集,1 ( 5) クラカウア一 二43頁 ( 6) 前掲書 :6 8頁 ( 7 ) 前掲書 :5頁 ( 8) 前掲書 :22 4頁 Akita University ( 9) 『リュ ミエール 1』: 『 パ リ, テキサ ス』で私 は最後のア メ リカ映画 を撮 ったつ もりだ ( ヴイム・ヴェンダー スの イン 98 6年 ,3 4頁 語 」:『言語 と社会』所収, 晶文社 ,1 ( 1 5 ) エ イ- ンバ ウム, ボ リス :「 ( 形式主義的方法)の理論 」 タヴュー),筑摩書房 ,1 985年 ,1 5頁 ( 1 0 ) 拙論参照 『 映像文化 に対す る一考察 術 としての映画 ( l l ) 『ロシア ・フォルマ リズム論集』所収,現代思想社 ,1 971年, 一 大衆時代 の芸 -』 ( 1 6 ) Al f r e dHol z i nge r:Pe t e rHandke sl i t e r ar i s c heAnf e ge i nGr az.I n:Pe t e rHandke. 『リュ ミエー ル 1 』 ,1 5頁 ( 1 2 ) 『 作家主義 一 2 3頁 映画の父たちに聞 く』, リブ ロポー ト, 1 98 5年 ,1 68頁 ( 1 3 ) ムルナ ウや ラングな どの重要 な表現主義映画作家 は,ナ ( Hr s g.YonRai mundFe l l i nge r ) ,Fr ankf ur tam Mai n, 1 97 8( s t2004) ,S.21 ( 1 7 ) 『 天使 の まな ざし ( 1 8 ) 前掲書,4 1頁 ドイツ映画復興 は新世代 の成長 を待つ以外 になか った。 ( 1 4 ) ベ ンヤ ミン, ヴ ァル ター ヴィム ・ヴェンダー ス映画 を語 る』, 9 88年 ,44頁 フイルムアー ト社 ,1 チ を逃れてア メ リカに亡命 して しまっていたため,戦後の :「言語一般 お よび人 間 の言 - 87-