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EineStudie租berFilmeYonW.WendersundW.Herzog R也

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EineStudie租berFilmeYonW.WendersundW.Herzog R也
Akita University
秋 田大学教 育学部研 究紀要
人文科学 ・社会科 学部 門
5
2 pp.
81-87
.1
997
ドイツ表現主義映画の伝統 と現代 ドイツ映画
- ヴ ェ ンダー ス と- ル ツ オー クの映画が みせ る近代 精神 - の批 判 一
服
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の ドイツ映画 の関係 をみれば, 欧米 の映画史のなか で当
は じめ に
時の ドイツ映画が もつ個性 が浮 き彫 りにな って くるO さ
らにフ ァス ピンダーや- ル ツオー ク, それ にヴェンダー
1
960年代 後半, ドイツ映画 は長 い沈黙 をす て再 び 自己
ス らの 60年代後半 以降 のニュー ・ジャー マ ン ・シネマ と
表現 を始め るC長 い沈黙の後 とは, ドイツ映画 の第一期
呼 ば れ る一 連 の現代 ドイ ツ映 画 が どの よ うな系 譜 に あ
黄金時代 であ ったいわゆ る表現主義 映画 の時代以来 とい
り,どの よ うな性格 を刻 印 されて い るのかが み えて くる。
う意味 であ る。
またそれは特 に ドイツ映画の場合, 時 々の ドイツ社 会 そ
ワ イマー ル共和 国時代,つ ま り 1
91
9年 か ら 33年 まで
の ものの深層 に触 れ る機会 を与 えて くれ るはず であ る。
の ドイツは, 巨大映画産業 を興 した- リウ ッ ドや 映画発
以下本稿 では,主 にヴェンダー ス と- ル ツオー クの映
祥 の地 フ ランス と並 んで ヨー ロ ッパ有数 の映画先進 国 で
画 に焦点 をあてて, ドイツ映画 史 を背景 に した現代 ドイ
あ った。この時代 は 『カ リガ リ博士 』(
1
9年 )の ロベ ル ト
ツ映画 の本質 に迫 りたい.
,『ドク トル ・マ ブゼ』 (22年 )や
ヴ ィ- ネ
『メ トロポ リ
ス』 (
26年 )の フ リッツ・ラング, あ るいは吸血 鬼映画 の
22年)の フ リー ドリッヒ・ヴ イ
元祖 『ノスフェラ トゥ』 (
表現主義映画の伝統
ルヘ ルム ・ムルナ ウ, それに- イ ン リッヒ ・マ ンの原作
を映画化 した彼 の 『
嘆 きの天使 』 (
30年)の ヨー ゼ フ・フ
ドイツ映画が 国有 の表現 ス タイル を確 立 す るのは, 第
ォ ン ・シュテル ンベ ル クや ア メ リカの グ リフ ィスの 『
素
一次世 界大戦 の敗 戦 と ドイツ革命(
1
)
に よって ドイツ第二
晴 らしき哉 人生 』(
23年)と同 じモテ ィー フなが らよ り社
帝 国が崩壊 し, ドイツ史上初 の共和 国 (
ワ イマー ル共和
会 派的 リア リズムの 『
喜 び な き街 』 (
25年)のゲオル ク・
国)が成立 したの と時期 を同 じ くしてい る。 それ以前 に
ヴ イル- ルム ・パ ブ ス トとい った優 れ た映画作家 たち を
ももちろん ドイツ映画 は制作 されて いたが, 国際的 な映
輩 出 した。 第一次世 界大戦 で完膚 な きまでに叩 きのめ さ
画界 に説得 力 あ る作 品 を提供 で きるまでには至 っていな
礼, インフ レ と不況 に嘱 いでいた敗戦 直後 の ドイツに,
か った。大戦以前 は しば しば, 映画 に文学 的 な主題 を表
何 故 これ だけの優 れ た映画作家が誕生 したのか は興 味深
現す る媒体 としての価値 しか兄 いだ きず,「映画 を演劇 と
い疑 問であ る。 こ うした時代 背景 お よび社 会状況 と当時
文 学 の世 界に引 きず りこむ こ とに よって高 尚化 しよ うと
- 81一
Akita University
した」。(2) この試 み は映画 の もつ 表現 媒体 と して の独 自
[-
・] この失敗 に終 わ った [ドイツ]革命 まで
性 を無視 した形式 で実行 され たため, 映画制作 を可能 に
伴 った知 的興奮状 態 の一掃 は,価値 判 断 と因襲 につ い
す るのに欠かせ ない 「
大 衆 に よる受容 」
(
3
)
を兄 いだせ ない
ての古 い階級制度 の崩壊 後 に ドイツ人が耐 え忍んだ大
まま失敗 に終 わ った。 また ドイツ政府 は大戦 中, 強力 な
変動 を明 らか に してい る。 しば ら くの あいだ, ドイツ
敵 国ア メ リカの反 ドイツ ・キャ ンペー ンに対抗す るため
人の心 は,祖先伝 来 の習慣 を克服 し, 自己 を完全 に認
に, 国 が 3分 の 1を 出 資 す る 形 で ウ ー フ ァ 社
識す る珍 しい機会 に恵 まれ た。 それ は選択 の 自由 を享
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)を設立 し,国策的
受 し, 大気 には, その 自由 を捕 え, それ を内面的 な態
なキャンペ ー ン映画 を制 作 させ た。 ウー フ ァ社 は映像 表
度 の再 編成 にお び きよせ よ う とす る教 義 に満 ちて い
現 の質 を高め るため にオ 能 あ るプ ロデ ューサーや 技術者
た。(5)
を集 め たため, ドイツ映画 の表現技術 は飛躍的 に向上 し
たが, まだ個 々の映画 人が独 自の表現形式 と主題 を獲得
す るまでには至 らなか った。
『カ リガ リ博士』 以降の ドイツ映画 にみ られ る強 い 自
己表現へ の欲求 は, 表現主義 の表現形式 を得 るこ とに よ
彼 らが 自己表現 の欲求 を映画 とい う表現媒体 の なか で
って ス ク リー ン上 に実現 され る。絵画お よび文 学 の表現
91
8年 以降の こ とで
爆発 させ たのは,先 に述べ た とお り 1
0世 紀初頭 に始 ま り,第一次世 界
主義 は映画 に先 ん じて 2
あ る。戦争 に疲弊 した ドイツ人が,何 故敗戦 を境 に それ
大戦前 に ピー クを迎 える。 資本主義 の発展 に伴 う急激 な
ほ どまでに 自己表現 の場 を求 め始め たのか。 この疑 問に
工 業化 と第二帝 国時代 の権 威主義 的社会秩序 のなか で,
答 え るのは容易 い こ とではない。 しか し,具体 的 な個 々
社会 的並 びに精神 的抑圧 と精神 的退廃 にあえ ぐ ドイツの
の要 因 を挙 げ る前 に,近代 史の なか で ドイツ を他 の西欧
知 識 人は,民主主義 的 な新社会 の理 念 を文学や演劇 の な
諸 国 とは根 本的 に異質 な もの として きた ドイツ固有 の価
かに 「
新 しい人間」 を描 き出す こ とに よって獲得 しよ う
値観 の こ とは, 少 な くとも指摘 しておか なければ な らな
とした。 しか しそれ は,本質的 に単 に知 識 人に限定 され
い。 それは,宗教 改革以来プ ロテ ス タン ト地域 を中心 に
た抽象的かつ現実逃避 的 な芸術運動 に終 わ って しま う。
ドイツ人の精神性 を強 く規定 し続け て きた権威主義- の
表現 主義 か ら出発 したブ レ ヒ トも,後 にそれ を越 え る表
傾斜 を意味 してい るO(4) ル ター 派や カル ヴ ァン派 の教 義
現形式 を発展 させ, 大衆 を前提 とした演劇 に芸術性 と政
の根幹 をな してい る絶対的神- の人間の隷属 とい う世 界
治性並 びに社会性 を兼 ね備 えた独 自の形式 を付 与 してい
観が,1
9世 紀後半 に始 まるプ ロテス タン トの信仰 の後退
く。
後 に も, ドイツ人の権威 主義 的 な世 界観 に残 した影響 は
表現主義 は現実 的 には社 会 を変革す るほ どのエ ネル ギ
極 め て大 きか った。1
91
8年,政 治体制 におけ る権 威 主義
ー をつ くりだせ なか ったに して も, 民主主義 的 な体制 を
とい う重石 が ドイツ史上初 の共和制 の成立 に よってに表
求 め るその精神 と形 式 は 1
91
8年 以 降 の映画制 作 に引 き
面的 には取 り除かれ た よ うに思 われ たに も拘 わ らず, ド
継 がれ るこ とに な る。文学 では掴 み きれ なか った大衆 の
イツ社会 の権 威主義 的性格 は本質 的 には払拭 され なか っ
関心 を,大衆 時代 の芸術 としての映画 はおお いに喚起 す
た。 しか し, 君主制 の崩壊 に よって得 た 自由- の 目覚 め
る。再 び クラ クア- を引周 しよ う。
が, ドイツの知 識 人 を社会 の諸 問題 の根 底 にあ る権 威 主
義的世 界観 に立 ち向か わ るこ とに なったのは当然の帰結
表現 派の絵画 と文学 は, 第一 次大戦 前の数年 間に発
であ った といえ る。 ワイマー ル共和 国の極 め て不 完全 な
展 していたが,それ らが大衆 を掴 んだのは 1
91
8年以後
民主主義 と ドイツ近代 史 を一 貫 して規定 し続 けて来 た権
にな ってか らであ った。 この点 で, ドイツの場合 は,
威主義 が, ドイツ人の 自己表現欲求 を増幅 させ た根本 的
短期 間の戦時共産 主義 の あいだに,抽象芸術 の種 々の
な要 因であ った と考 え るこ とが で きるO
流れが真 の全盛期 を詣歌 した ソヴ ィエ ト ・ロシアの場
こ うした形而 上的 な基盤 的要 因の上 に, 第一次世 界大
合 とあ る程度似 か よっていた。革命 を起 こ した民衆 に
戦 の敗戦 と君主制 の崩壊 ,並 びに戦後 の混乱 とい った具
とって,表現派 は, 中産 階級的伝 統 の否定 と社会 と自
体 的 な要 因が重 な り,長 く続 いた権威主義 の抑圧 をはね
然 を 自由に形づ くる人間の力へ の信頼 を結 びつ け るよ
のけ たい とい う ドイツ人の欲求 は増大 す る。 それ は政 治
うに思 われ た。 こ ういった効 力のお陰 で,表現 派は,
的には前 に述べ た 「ドイツ革命」 に表現 され,芸術 的 に
その世 界の崩壊 に よって狼狽 させ られ た数 多 くの ドイ
は個 人の内面 を描 く映画 の なか に視覚 的 に表現 され る。
ツ人 に魔 力 を及ぼ しえたのであ ろ う。(6)
この よ うに ドイツ映画 は, その草創期 か ら強 い 自己表現
- の傾 きを特徴 とす るよ うに な る。 クラカウア- の表現
を借 りれば, 以下 の よ うに な る。
この よ うに ドイツの映画 人はその初期 の段 階か ら,義
現主義 の影響 を直接受 け るこ とで,明 らか に商業的 な映
画 の制 作 よ り制作者 自身の 自己表現 に重点 をお いた映画
8
2-
Akita University
制作 に努 め た。 そ して上記近代 ドイツ史の特性 と当時の
が いか に鋭 い批 判 眼 を もっていたかが よ くわか る
。
混乱 と希望 が錯綜 す る世相 の ため, 表現主義 映画 はその
表現 主義 映画 として 『メ トロポ リス』 な ど他 に も数 多
出発点 にお いて, テー マ と表現法 に関 して他 の国の映画
くの作 品 を挙 げ るこ とは で きるが, その 多 くは これ まで
にはみ られ ない深 い, しか し陰欝 な精神性 を獲得 す る。
述べ て きた映画 と同様 に, ドイツの歴 史的 ・社会 的現実
欧米諸 国か らその表現技術 と形式 を高 く評価 され た 『カ
を背景 として映画作 家 自身の内的世 界 をわれ われ にみせ
リガ リ博士』 は, しか し同時 に 「
気味が悪 い,不 吉 な,
て くれ る ものであ る。 いずれに して も表現主義 映画 は,
不健全 な」(
7
)
な どとい う印象 を与 えてい る。
その表現形式 は必ず しも リア リズムではないが,つねに
2年 に な る と, 同 じ主題 設定 で
『カ リガ リ博士』の後 2
時代 の状 況 を人間 の 内的世 界 に映 しだ して い る とい え
2本 の重要 な作 品が それ ぞれ別 々の映画作 家 に よって制
る。 この形式 は,60年代 後半以 降の 「ニュー .ジャーマ
作 されてい るo ムルナ ウの 『ノスフェ ラ トゥ』 とラング
ン ・シネマ」 と呼ばれ る世代 の映画作家 た ちに引 き継が
の 『ドク トル ・マ ブゼ』 であ る。 これ ら 3作 品はいずれ
れて い く。
も一 方 で絶対的 な権威 と権 力者 を, もう一 方 でそれ と戦
う理性 あ るいは愛 を描 き,最 終 的に後者 が前者 の狂気 に
打 ち勝つ こ とをみせ る。この よ うなプ ロッ トは明 らか に,
新 しい ドイ ツの映画作 家た ち
長 く続 いた封建体制 と権 威主義 も初 め ての共和制 とそれ
に伴 う民主主義 の成立 に よって克服 で きるはず であ る と
ナ チの時代 に よって断 ち切 られ ていた表現主義 映画の
い う希望 と,現実 には ワイマー ル共和 国に残 され た権 威
精神 は,1
960年代 後半 にな る とファス ピンダーや- ルツ
主義 的性格 を 目の あた りに した過去 の影- の不安 とが入
オー ク, それ に シュ レン ドル フや ヴェ ンダー ス とい った
り交 じった ドイツ人の内面 を反映 してい る. これ らの映
若 い映画監督 らの出現 に よって再 び息 をふ きか えす。映
画か らお よそ 1
0年 後,カ リガ リや ノスフェラ トゥの よ う
画市場 で 「ニュー ・ジャーマ ン ・シネマ」 と総称 された
な狂気 の独 裁者 が現実 に ドイツ を再 び支配す るこ とにな
新世 代 の ドイツ映画 は, それ ぞれ表現 技法 は異 なっては
るのは,歴 史の皮 肉な偶 然 ではな く, これ ら映画作家が
いて も, 当時 のいわゆ る- リウ ッ ド映画 とは本質的 に相
ドイツの暗 い未来 を予見せ ざるを得 ないほ ど,権 威へ の
違す る性格 を共通項 として もっていた。彼 らは共通 して
隷属 が ドイツ人の本質 であ った とい うこ とを意味 して い
「
映画作家」 としての 自意識 を明確 に もち, 自分 を反映
映画 的言
させ なが ら映画 を撮 って い る とい う意 味 で,「
る。
1
924年 以降 ドイツ経済 は落 ち着 きは じめ る。 ド- ズ・
語」(9
)
をさが し続けていた といえ る。 もちろん,これは戦
プ ランに よって ドイツの法 人組織 を連合 国の財政体 系 に
前 の ドイツ表現主義 の映画作家か らだけ受 け継 いだ伝統
組 み入れ たか らであ る。 ドイツ社会 は束 の間の明 るさを
ではない。映画 史の草創期, フ ランスの ジ ョル ジュ ・メ
取 り戻 し, 人々 は小市民的安 寧が あたか も永遠 に続 くか
リエ スが興行 を優 先 した映画 ではな く, 自分 の撮 りたい
の よ うな錯覚 の なか にいた。 いわゆ る「
古 きよき時代 (
黄
映画 を撮 るために, 商業主義 的映画 の制作 を とお してフ
金 の 20年代 )」 であ る。 しか し現実 は まった く違 ってい
ランス映画産業 の基盤 を築 いた シャルル ・パ テの制作依
た。人々 は胸 の奥 にあ る不安 感 を無理 に押 しや るよ うに,
頼 に応 じなか った よ うに, 映画制作 はその初期段階か ら
危 うい小 市民的享楽 を会 っていた。 そん な世相 を見事 に
商業主義 的映画 と並 んで,興行 よ り自己表現 を優先 させ
表現 したのが,世 界的 な大 ヒッ トとなった『
嘆 きの天使 』
る映 画作 家 の伝 統 を もって い る。(10) その後 フ ラ ンス で
(
30) であ る。 この映画 は権 威主義 的秩 序 に安住 す る ド
は ジャ ン ・ル ノワー ルや デ ュ ビビ工 な どの よ うな偉 大 な
映画作家が映像芸術 の礎 を築 いた よ うに, ドイツにおい
イツ市民の本質 を, 愚直 な ギムナ ジウム教 師 (ウンラー
ト〉 の キャバ レー の唄姫 ロー ラ・ロー ラへ の悲惨 を恋 と,
ては上 でみ た よ うに表現主義 映画が独 自の社会批判 的 な
ウンラー トの権威 に抑圧 され なが らも彼 を蔑み陥れ よ う
映像 表現 を追求 したのであ る。
とす る生徒 た ちの悪殊 さの なか に描 いてい る。帝 国時代
映画作家 としてのル ノワー ル らの表現精神 は, フ ラン
の権 威主義者 ウンラー ト,彼 を陰険かつ残酷 にあ しら う
スでは ト)
)ユフォーや ゴダー ルの よ うな 「ヌヴェル ・ヴ
生徒や ロー ラ ・ロー ラ ら芸 人 た ちO ウンラー トの滑稽 な
ァ- グ」 と呼 ばれ た作家 た ちに受 け継 がれ た。 そ して ド
恋心 以外 は,彼 らは結局 は権 威 主義 的秩 序 の なか で 自分
イツの新世代 の映画作家 たち,特 にヴェンダー スは直接
の生 活の維持 に しか関心 を もちえない, いわば 「
愛が欠
的 には フランスの ヌヴェル ・ヴ ァ- グや フォー ド, ニ コ
落 した人間た ち」 として描 か れてい る。 ウ ンラー トに対
ラス ・レイそれ にサ ミュエル ・フ ラー らの よ うな商業主
す るロー ラ ・ロー ラの残酷 かつ無機 質 な冷 た さが,数 年
義 と自己表現 が調和 していた時代 のア メ リカ映画 の表現
後 に現実 とな る ドイツ人の異民族 に対す る冷酷 さ と重 な
形式 に強 く影響 されてい る。 この こ とに関 しヴェンダー
る とき,「ドイツ人の精神 的 未 熟 さ」
(
8
)
を示 した この映画
スは次 の よ うに言 ってい る。
- 8
3
Akita University
[
-・
]『パ リ, テ キサ ス』が完成 した とき, サ ム ・
問は, 自らナ チの時代 を体 験 し,一 貫 してナ チ と戦後 の
シェパー ドが それ を見 て, これ こそ真 のア メ リカ映画
ナ チ的 な もの を批判 し続 け た作家- イン リッヒ ・ベ ルに
だ, もう誰 も撮 れ な くな って しまったア メ リカ映画 だ
63
とって よ り,ベ ル 自身が書 い た『あ る道化 師の告 白』 (
といって くれ た ときは本 当に うれ しか った。 [・・・]
午) のナ チ を知 らない若 き主 人公- ンス ・シュニー アに
しか し,現在 ア メ リカで作 られて い るア メ リカ映画
とっての方が, よ り不可解 で許す こ とので きない問題 と
を見 る と本 当に悲 し くな ります。私 な どと比べ ものに
して心 に突 き刺 さるの であ る。 この よ うに,西 ドイツの
な らないほ どの財政 基盤 を持 ってい るのに, テ レビ と
戦後 第一世代 はいわば親 の世 代 との対立 の なか で成長せ
違 わない こ とをや って それ を裏切 って い る としか思 え
ざるをえなか った。(
これ は,前大戦 の責任 の所在 を未 だ
ないか らです。私 のや って い るこ とは, た しか に フラ
に明 らか に しきれず, それ に よって戦前 の世 界観 を今 に
ンスの ヌヴユル ・
ヴ ァ- グの伝 統 を継承 す るこ とです。
引 きず って きてい る戦後 の 日本社会 と ドイツ社会 との決
彼 らもまたそ こに 自分 を反映 させ なが ら, ア メ リカ映
定 的 な違 いであ る。
)彼 らに とっては,模 範 とな るよ うな
画 を撮 りま した。(ll)
父親 も母親 も存在 しなか った。む しろ敗戦 までの ドイツ
社会 の本質 を成 していた権 威 主義 的世 界観 を否定 す るこ
ナ チ時代 に よる ドイツ映画 史の断絶 の ため, 映画 の視
との方が,彼 らには倫理 的必 然 だ った。つ ま り父親 の権
覚 的世 界 (
つ ま り表現技法) にお いてはフ ランスの ヌヴ
威 を否定す るこ とは, ご く当た り前 の こ とだ ったの であ
ェル ・ヴ ァ- グや ア メ リカの映画作家 たちの影響下 にあ
る。
る として も,新世代 の ドイツの映画作 家 た ちはその主題
こ うした状況 の なか, ア メ リカ映画や フランス映画 で
設定 にお いてや は り固有 の ドイ ツ精神 を受 け継 い で い
育 った新世代 の映画作家 たちは, 自分 た ちの生 きてい る
る。 ヴェンダー スが い くら自身の フ ランス映画的 あ るい
社会 あ るいは世 界 その もの を疑 うこ とか ら自己表現 を始
はア メ リカ映画的性格 を強調 して も,文 明批判的 であ る
め たo なか で もヴェンダー ス と- ル ツオー クは言語 とそ
と同時 に社会批判 的 であ り, しか もそれ を内的世 界 を と
れ を使 う人間, それ に もの との三者 の関係,並 びに言語
お して表現す る主題 設定 はや は り ドイツ的, つ ま り表現
を介 しての人間同士 の コ ミュニ ケー シ ョンの あ りか た を
主義的 といわ ざるをえない。 これ は先 に挙 げ た他 の映画
描 くこ とに よって, 言語 の合理性 を基盤 に した人間 (
主
作家 たちに もいえ るこ とであ る。 フ リッツ ・ラングは 自
体 )中心主義 的 な近代 ヨー ロ ッパ精神 に疑 問符 をつけ る
。
らの映画 の本質 を,社会 の システムお よび文 明の両者 に
近代 ヨー ロ ッパ の歴 史 は, 人間が言葉 に よって ものつ ま
対す る 「
社会批評」にあ る と証 言 して い るの であ る。(12)戟
り自然 を合理 的 ・科 学的 に秩 序づ け よ う とす る試み に よ
後 の ドイツ映画不 毛 の時代 (13)に育 っ た新世 代 の ドイ ツ
って貫かれてい る。つ ま り人 間は, 自然 を言葉 の世 界に
の映画作家 たちは, ア メ リカ映画や フ ランス映画 をみ な
置 き換 え るこ とに よって 自然 を支 配す るこ とが で きる,
が ら成長 しなが らも, 映画表現 の主題 を とお して ドイツ
とい うのが近代 の科 学主義 で あ る。ベ ンヤ ミンの言葉 を
映画 の原点 につ なが って い る とい え る。
事物 の言語 を人 間の言語-翻 訳す る」
(
1
4
)
のが
借 りれば,「
人間主体 であ るこ とにな る。科 学的言葉 を獲得 した人間
は, もはや神 を必要 としな くな る。 なぜ な ら世 界 を秩 序
近代精神 に対 す る懐 疑
づ け る言葉 は, 人間が支 配 して い る と考 え られてい るか
らであ る。すべ てが言葉 の世 界の内側 にあ り, 人間は も
60年代 後半か ら 70年代 に大 人 に な った西 ドイツの新
の その ものでな く事 物 の代理 であ る言葉 を意味 として体
世代 に とって,
何 とも理解 しが た くそ して悲 しい こ とは,
験す る。 ここに事物 の一般化 と, 意味- の価値化 がお こ
自分 たちの両親 の世代 がナ チの時代 を許 して しまった と
るo呼吸 を し食べ,一 回限 り生 きそ して死 ん でい く一個
い う事実 であ る。戦後 の西 ドイツ社会 の最初 で最 大 の課
,「男」,「優 しいひ と」et
c.とい
の有 限な人間は,「人間」
題 は, いか に してナチ的世 界観 か ら脱却 し, ヨー ロ ッパ
う風 に一般化 され, 意味的存在 として言葉 の世 界の なか
諸 国に新 生 ドイツ として認め て もらうか とい う一 点 に集
に閉 じ込め られ る。 この よ うに事 物 と同様 にひ と りひ と
約 されていた。脱 ナチ化 は徹 底 していた。一 方 で学校 や
りの人間 も, 言葉が作 りだす秩序 (
制度) に統制 され た
街 そ して家庭 で も徹底 的 に否定 され るナチ ス ・ドイツ,
意味 としての抽象物 に な る。 ここで, 人間が言葉 -世 界
しか し も う一 方 では 自分 た ちの 父親 はナ チ の兵 隊 で あ
を支配 してい る とい う人間 自身の確信 は,単 な る幻想 に
り, ひ ょとした ら母親 は隣のユ ダヤ 人 をゲ シュ タポに売
す ぎない こ とが判 明す る。 自分 は一体何 なんだ ろ う ?こ
った こ とが あ るか もしれ ない とい う事 実。何 故 - ?ナ チ
れ は, 人間が どん なに主体 意 識 を もとうが,絶対 に解 消
を直接知 らない戦後世代 は この単純 な, しか し解 きが た
され ない疑 問 であ る。 自分 の実在 感, あなたの実在感,
い疑 問か ら解放 され るこ とはなか った。 この解 き難 い疑
そ して この ものの実在感 は -
- 84-
?
Akita University
ヴェ ンダー スはベー ター ・- ン トケの同名 の小 説 を映
きるこ と」 の映像 表現 であ る。 この意味 で, ヴ ェンダー
画化 した 『ゴー ル キーパー の不安 』 の なか で, われわれ
スは形式が 内容 その ものにな る映画 を撮 ろ うとした とい
観客 におお よそ上 記 の よ うな考 え をみせ て くれ る。 自明
え る。
とされて きた近代 的 人間 と人間主義 が もつ危 うさを, ヨ
1
979年 にムルナ ウの 『ノスフェラ トゥ』の リメイ クを
,
ーセ∵7・プ ロ ッホ とい う分裂症 的人間の知覚 を とお して
- ウザ- の謎 』(
1
97
4)
撮 った- ルツオー クも 『カスバ一 ・
みせ て くれて い るのであ る。例 えば,他 の人間 た ち とコ
の なか で, 言葉 の問題 を基底 に した近代批判 を行 な って
ミュニケー シ ョンを営 む際, プ ロ ッホは世 間 では 自明の
い る。外 界か らまった く遮 断 され た地下室 で, 人間 との
こ と とされ て い るこ とを奇 異 あ るいは特 別 の こ と と感
接触 を一切 もたず に成長 したカスバ一 ・- ウザ- の 史実
じ,逆 に非常 に奇 異 な こ とを当然の こ との よ うに受 け入
を もとに した この映画 は, 人間が言葉 を学習す るこ とで
れ るo この映画 は終 始 この よ うに, 日常 の コ ミュニケー
世 界 を認識す る能 力 を身につ け るこ と, つ ま り社会 的人
シ ョンが よ くみれば とて も奇 異 な もの であ るこ とをわれ
間にな るこ とが,実 は人間 を社会秩 序へ 強制す るこ と,
われにみせ て くれ る。一夜 を共 に したゆ きず りの女性 を
人間の 自由 を奪 うこ と以外 の何 もので もない とい うこ と
殺害す る奇異 な出来事 は, あたか も自明な行為 のひ とつ
を意味 して い るこ とをみせ て くれ る。脅 え るこ とす ら知
であ るが ご と く,何 の説明 もその後 の展 開 もな くただ描
らなか った カスパー は, 言葉 を覚 え るこ とで恐怖や痛 み
かれてい るだけ なの もその一つ であ る。
を認識す る。 言葉 の学習 を とお して身につ けた人間 とし
ヴェンダー スの場合,描 かれてい る内容 でな く, どの
ての能 力 で も,例 えば 「
編み物 をす る能力」 は,女性 の
よ うにみせ るか とい うこ とだけが問題 にな ってい る。上
所業 だ として蔑 まれ禁 止 され る。 また,神 な ど一切 見 え
で述べ た言葉 に よる事物 の一般 化 あ るいは意味化 ではな
ない し感 じられ ない と言 うカスパー に,
神 父 た ちは人間,
く, 人間 を含 む事 物 の 「
実在 」 にいか に迫 るこ とが可能
つ ま り言葉 を解 す る存在 であれば神 が感 じられ るはずだ
か, とい う形式 こそが ヴ ェンダー スお よび- ン トケの 自
と迫 る。高 い教養 を身につ ければつけ るほ ど, カスパー
己表現 に とって最 も重要 な こ となのであ る。つ ま り作 品
には人間 として存在す るこ と,つ ま り言葉 を身につ けた
の形式 こそが, 内容 その もの なのであ る。 「〈フォルム〉
社会 的動物 であ るこ とは,「
転落」 としか感 じられ ない。
とい う概 念 も新 しい意味 の もとに,外被 としてではな く,
この よ うに して,- ルツオー クは近代 ヨー ロ ッパ文化 の
中身の いっぱいつ まった具 象的 で ダイナ ミックな, それ
本質 を根底か ら問い直 してい るのであ る。
自体 内容 の あ る,決 して 置 き換 え の きか な い あ る も
とはい って も, 人間が言葉 に依 存 した存在 以外 の何 も
の」(15)
であ る。これ は ロシア ・
フォルマ リズムの文芸理論
ので もない こ とも- ルツオー クは知 ってい る。 言葉 は秩
であ るが,- ン トケは 自らの創作が この理論 に依 拠 して
序 あ るいは制 度 として人間 を規定す る ものであ る と同時
)これ は,- ン トケ と
い るこ とを証 言 して い る。(16)っ ま Y
に, 人間は制度 を超 え る自らの言葉 ももち うる。 それ は
一 緒 に脚本 を書 き, 同方 向 を向いた創作活動 を してい る
芸術 であ り,社会 的人間にお さま りきらない 「自分 」 と
ヴェ ンダー スの考 えであ る ともいえ る。「
物事 の説明 を拒
い う余剰 をみつ け る行為 で もあ る。もっ と簡単 に言 えば,
否す るのは正 し く, その代 わ りそれ を見せ てや るだけで
「自由」であ るか もしれ ない. 言葉 を覚 えたカスパー は,
良 い」(17)とい うヴ ェ ンダー スの表 現形 式 その ものが,上
社会化 へ の調教 を強 い られ るが, 同時 に 自分 自身の言葉
で触 れ た言葉 の なか に世 界 を支配す る とい う近代精神 へ
をみつ け よ う とす る。「
嘘つ きの村」と 「
正直者 の村」か
の批判 を意 味 してい るのであ る。 説明せ ず提示す るだけ
ら伸 び る 2本 の道 の交差点 で, ひ と りの通行 人がや って
で語 る映画 をつ くりたい とい う目標 だけ を 目指 して, ヴ
来 る。 その人が どち らの村か ら来 たのか を,一つの論玉
里
ェンダー スは数 多 くの映画 を撮影す る。 その代表 的 な作
学 的 な質 問文 で知 るこ とが で きるが, それは どんな質問
品が 『
ベ ル リン天使 の詩 』 (
1
987) と, その続編 の 『
時の
か とい う論理 学 の教授 の課題 に,カスパー は,「あなたは
異 にの って』 (
1
993)であ る。 見 るこ としか で きない, し
空 を飛ぶ蛙 をみ た こ とが あ るか ?」 とい う質 問文 を答 え
か し何 で も見 るこ とが で きる天使 の 目を通 して, 映画 は
る。教 授 は それ は論理 学的 な文 ではな く,単 な る叙述 に
ただベ ル リンの街 の人間 たち をみせ て い く。 しか し 「見
す ぎない と一蹴す る。単 な る- エ ピソー ドにす ぎない シ
るこ と」の行 き着 く先 は,「
参加 す るこ と」 であ る。 「
参
ー ンにみ え るが, これ は カスパーが言葉 の論理性 だけの
加 す るこ と」 とは 「
生 きるこ と」 であ る。痛 み を感 じ,
世界 (
秩 序,制度)か らはみだ した 自分 自身の言葉 -フ
寒 さ と暖か さを感 じ, 泣 きそ して笑 う。天使 ダ ミエル も
ァンタジー を獲得 しつつ あ るこ とを象徴 してい る。暴漢
カシェ ル も,生 きるため だけに天使 であ る自分 を捨 て地
に襲 われ死 にゆ くベ ッ ドの なか で, カスパー は 自分 だけ
上 に落下す る。彼 ら人間が生 きてい るこ との意味 ではな
の物語 を 自分 の言葉 で語 ろ うとす る。 その物語 はプ ロロ
く,生 きて い るこ とそれ 自体 を観 念 でな く映画 に映 って
ー グだけ で終 わ って しま うが, カスパー は 自由な存在 の
い るその人間 その もの実在 としてみせ るこ と,それが「
生
可能性 をそ こにみ る。一方,死 んだカスパーの脳 を解剖
- 85-
Akita University
す る外科 医 た ちはその一部 の 「異常」発達 を発 見 し, カ
であ る。つ ま り, ヴェ ンダー スが描 くのはた とえそれが
スパー とい う 「異常 な」 存在 の 「
科学 的」説明がつ いた
『
パ リ, テキサ ス』 の よ うにア メ リカであ って も, そ こ
と納得 し,安堵 す る。 そ してその 「
事 実」 を懸命 に書 き
に根 を張 ったア メ リカ人が振 るの とは違 うア メ リカなの
取 る書記。書記 に とって言葉 とは, 言葉 自体 に よって与
であ るo その意味 で, ヴ ェンダー スは 自分 の なか にあ る
え られ た秩序 を記録 として再確 認 し, それ を保 持 す る機
ドイツ人の部分 を完全 に捨 て るこ とはで きない。 この こ
能 しか もっていない。彼 は 自己主張が一切 ない言葉 で「美
とはヴェ ンダー ス 自身 よ く知 ってい る。彼 は次の よ うに
しい記録 」 を書 くこ とだけ を生 きが い, いや使 命 と考 え
言 ってい る。
て い る。 カスパー の解剖所 見に関 して満 足のゆ く記録 を
残せ た とい う充足感 を, その貧弱 な身体 いっぱいに, し
『ゴー ル キーパー の不安 』 の撮影 中に,私 は 自分 が
か し慎 ま しや か に表現 しなが ら歩 き去 ってい く書記 を映
ア メ リカ映画 の監督 では ない と悟 りま した。 ア メ リカ
す ラス ト ・シー ンは,静 か な不気味 さに包 まれ てい る。
映画の表現方法 は気 に入 っていたのですが, それ を踏
論理 学 の教授 も外科 医 も神 父 た ち も, み な この書記 が象
襲 す るこ とはで きない。 とい うのは, 異 な った文 法 を
徴 す る制 度 としての言葉 の枠 の なか に閉 じ込め られ た近
持 っていたか らなのです。 あ る意味 では二つ の対立す
代 的 な人間 た ちであ り, カスパー は新 しい可能性 を秘 め
る文法が存在す るの ですか ら, あ らゆ る映像 が衝 突 し
た彼 らのア ンチ ・テーゼ なのだ。
たのです 。(18)
ヴェ ンダー スの場合 と同様 に,- ル ツ オー クは言葉 (
令
理 的 な近代精神 ) に縛 られ た人間が 自己 を解放 す る新 た
「
文 法」 とは 「映画的言語」 の文 法,つ ま りいか にみ
な言葉 をみつ けだす可能性 を, 言葉 に よる説明 では な く
せ るか とい う映像 表現 の 「
文法」 であ る。 また, その文
みせ るこ とに よってわれ われ観 客 に気づ かせ て くれ る。
法 には何 をみせ るか とい う問題 も含 まれ てい る。 ヴ ェン
- ル ツオー クはそのゆ った りとした, しか し粘 り強 い カ
ダー スは結局 ,「いか にみせ るか」とい う映画表現 の本質
メラワー クで, そ こにあ る ものの実在 をあ ます こ とな く
を
,『ベ ル リン天使 の詩 』 (1987) を撮 るこ とに よって,
「
何 をみせ るか」 とい う課題 に直結 させ た。 それ は, フ
みせ て くれ る。 冒頭 の シー ンで, 強 い風 を受 けて左右 に
たわむ まだ青 いぶ あつ い麦畑。遠 く里 を見下 ろす丘か ら
リッツ・ラングが 『
伯林
一
大都会交響楽 』 (
1927) を
の長 い沈黙の シ ョッ ト。映画の ス トー リー とは直接 関係
撮 ったの と同 じ意味 を もってい るのか も知 れ ない。す で
ない, こ うした もの その もの をわれわれ の心 に刻 みつ け
に述べ た とお り,- ル ツオー クもムルナ ウの 『ノスフェ
るシー ンが, 説明の ないただみせ るだけの映像 で力強 く
ラ トゥ』 を忠実 に リメイ クしてい る。 ア メ リカ映画や フ
語 りかけて くる。 ここに映画が もつ表現 の独 自性,芸術
ランス映画の映画作家 たちに育 て られ た ドイツの新世代
性 が凝縮 されてい る考 え られ る。- ルツオー クは, 言葉
の映画作家 たちは,独 自の 「
映画的言語」 を自分 たちの
に よる説 明 を排 除 したあ くまで も美 しい映像 の なか で,
先 人 た ちの映画 の なか にみつ け たの であ る。
われ われの時代や社会 が抱 え る基底 的 な問題 を提 示 し,
注
そ して痛烈 に批判 してい るの であ る。
(
1) ドイツ革命は 1
91
8年 1
0月軍港 キールで起 こった水兵の
反乱に端 を発 し,たちまち ドイツ各地に伝播 した。なかで も
おわ りに
ベル リンとミュン- ンは革命運動の中心地 とな り, ミュン
以上 み て きた よ うに, ドイツ映画 は その初期段 階 の表
現主義 映画 に顕現 して い るよ うに, それ ぞれの時代 と社
会 に批判的に対時 し, とき として文 明批 判的 な性格 さえ
もそなえてい る。 この伝統 はナチ ス ・ドイツに よる断絶
- ンでは人民評議会政府が樹立 され労働者の共和国が宣言
される。
(
2
) クラカウ7-,ジー クフ リー ト:『カリガ リか らヒ トラー
,みすず書房,1995年,21頁
へ』
(
3) 拙論 『
映像文化に関す る一考察
- 大衆時代の芸術 と
に も拘 わ らず,戦後 の映画作家 た ちに受 け継がれ てい る
しての映画 -』参照,秋田大学教育学部研究紀要 (
人文 ・
戦後世代 は必ず しも直接 的 に表現 主義 映画 に育 て られ た
社会科学)
,第 52集,1997年
。
のではないに して も,彼 らが先 人 た ちの軌跡 をた どって
い るのは確 か であ るO特 にヴ ェンダー スの よ うにア メ リ
カ映画 を観 て育 ち,過去 のア メ リカ映画 を高 く評価 す る
映画作家 で も, ア メ リカ映画の表現形式 を我 が もの にす
るこ とはで きない。 それ はヴェ ンダー スが, 表現形式が
内容 その もの とな るよ うな映画 を撮 ろ うとしてい るか ら
- 86
(
4) 拙論 『
多様性のなかの ヨー ロッパ近代』
参照,秋 田大学総
99
6年
合基礎教育研究紀要第 2集,1
(
5) クラカウア一 二43頁
(
6) 前掲書 :6
8頁
(
7
) 前掲書 :5頁
(
8) 前掲書 :22
4頁
Akita University
(
9) 『リュ ミエール 1』: 『
パ リ, テキサ ス』で私 は最後のア
メ リカ映画 を撮 ったつ もりだ (
ヴイム・ヴェンダー スの イン
98
6年 ,3
4頁
語 」:『言語 と社会』所収, 晶文社 ,1
(
1
5
) エ イ- ンバ ウム, ボ リス :「
(
形式主義的方法)の理論 」
タヴュー),筑摩書房 ,1
985年 ,1
5頁
(
1
0
) 拙論参照 『
映像文化 に対す る一考察
術 としての映画
(
l
l
)
『ロシア ・フォルマ リズム論集』所収,現代思想社 ,1
971年,
一
大衆時代 の芸
-』
(
1
6
) Al
f
r
e
dHol
z
i
nge
r:Pe
t
e
rHandke
sl
i
t
e
r
ar
i
s
c
heAnf
e
ge
i
nGr
az.I
n:Pe
t
e
rHandke.
『リュ ミエー ル 1
』
,1
5頁
(
1
2
) 『
作家主義
一
2
3頁
映画の父たちに聞 く』, リブ ロポー ト,
1
98
5年 ,1
68頁
(
1
3
) ムルナ ウや ラングな どの重要 な表現主義映画作家 は,ナ
(
Hr
s
g.YonRai
mundFe
l
l
i
nge
r
)
,Fr
ankf
ur
tam Mai
n,
1
97
8(
s
t2004)
,S.21
(
1
7
) 『
天使 の まな ざし
(
1
8
) 前掲書,4
1頁
ドイツ映画復興 は新世代 の成長 を待つ以外 になか った。
(
1
4
) ベ ンヤ ミン, ヴ ァル ター
ヴィム ・ヴェンダー ス映画 を語 る』,
9
88年 ,44頁
フイルムアー ト社 ,1
チ を逃れてア メ リカに亡命 して しまっていたため,戦後の
:「言語一般 お よび人 間 の言
- 87-
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