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ETA ホフマンの 『イグナーツ・デナー』 における消失

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ETA ホフマンの 『イグナーツ・デナー』 における消失
Kobe University Repository : Kernel
Title
E.T.A. ホフマンの『イグナーツ・デナー』における消失
する境界線 : 表象としての"es"を手がかりに
Author(s)
土屋, 邦子
Citation
DA,10:3-17
Issue date
2014
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81008753
Create Date: 2017-03-30
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.T.A. ホ フ マ ン の 『 イ グ ナ ー ツ ・ デ ナ ー 』 に お け る 消 失 す る 境 界 線
一表象としてのぷS“を手がかりに一
土屋
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はじめに
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刻 する従来の研
究では、変身や分身のモチーフに代表 されるように、ふたつの世界の対立と宥和l
への試み
について論証されたものが主流を 占めて きた。 1 しかし、ホフマン自身が作品の中で「阿者
の境目は、はっきり認、減していな 、
し J2と何度も強制しているよう に、彼にとって創作する
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lいは、どうすればふた つの世界の境問を読み手に意織 させずに、首l
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然一 体
│
燃の基本的 なf
とした物裕 世界 を生み出すことが できるかて'あ ったと 推療できる。
そこで本 論 では 、 区 ~J Ij のはっきりしないふたつの 世界、 すなわちホフマン独特の「幻視
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)J3 の見た加然一体とした世界に注目して、非人事1
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動詞の形式主加であ り
、
三 人物; 11' 性名詞の代名詞でもある "es“ l こ焦点を絞って、境界線の ì~í 去がどのようになさ れ て
いるかを考察する 。
ホフマンの作品 l
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滋 (Teu
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)、サタン (
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)、成法 (
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)、デーモン (
Damon)
や露塊 (
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t)、闘髭 (
Gespenst)、妖怪現象 (
Spuk) などのモチーフが消1
ちているだけでは
れないデモーニッ・ンュな力に駆り 立てられ、 向分のな思に J
支し
なく、登場人物が得体の知l
1!~ 意誠のうちに、とんでもないことをやらかしてしまうというシーンがよく出てくる 。
こ
の「悲!底的な何かJとして表象さ れているも のが、ホフ 7 ンの作品 では "
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“という月来 で表
現されており、これはカイザーが『絵聞と文学におけるグロテスクなもの~ (D
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人間的な、 つま り幽髭現象的な何かの 日'
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.への「佼
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.の尻界線を消去するこ とになると与えられる。4 カ
入 Jを意味し 、この侵入がふたつの 世
イザーはさらに fグロテスタなものとは『非人称的なあるもの』の表現であり、心邸!瓜量
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と述べて いる。 つまり 「
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也の怒さを抱いている者は、世界に対する懐疑が般底にあるの で疎外感を務 らせやすい。
その疎外!惑が、自然現象や心理現象に 触 発されて 1!l~ )む織を掃さぶり、デーモンの~を {!? り
て卜
1',',\' I":W に侵入する 。 それが 1~~ lM.現象的なエス (Es) である J
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と白うのである。
?! }体;の知 l れないものの侵入は『カロ胤幻位、作品集~ (
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仰附, 1
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4)
よりも『夜来 作品集~ (
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7
) の方に顕著に凡られる 。 例 えば、
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lann,1 8 1 5 ) ならあたかも生きているかのような人形のオリンピア、 UÆ 肢~ (
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s,1 8 1 7 ) なら生きて!fYJ き I.t\ しそうな絵、『石の 心臓~ (
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) なら今に
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lが通いそうに見える石の心!搬などが、幽設現象的な何かの佼人として挙げら
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三│殴かい I
れる 。命のないはずのものに命があるように見せかけることこそ、そのよ うな佼人に他な
らな い。 また、この侵入によって夜の │別に伐儲するものがろうそくの炎や月 明かりなどで
!!日 らされ、昼 r: IJ は眼が充分出11 れ絞しんでいる対象物が、突然、奇 g~ で珍しいものに変貌し、
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1れ る炎の中でよそよそしい外慨 を呈して │
創鎚じみて凡えて くるのである 。 その
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H悩や葛藤が矯らめく炎に虫なり、つかみどころのないもの、不気味な"es“と して
背後には .
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Zっている 。 このように『夜対作'
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UUには人間の階部を!!告 らし 1
1すために、不思議な
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) ものと奇妙な (
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ich) ものとが、なん
とも変な風 にからみ合った│止J
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が
繰
り 返し t
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かれているのである。 7
4zf命 では『夜jJt 作品 uu か ら 『イグナ ーツ ・ デナー~ (
信na
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81
6)を取り上げ る。
その |然、例入 の無意識レベノレで作動する欲望自体に光を当て、 "es“ を 下がかりに J1lW 車~の li~
去がどのようになされているかを明らかにしたい。 この作品を選んだ耳目白は、敬度で忠実
な司itl玄兵アン ドレスと、 ~J鬼と契約を結び!鐙術を!駆使しí7.i.!l成の日íi として伐附な所業 をなす
イグナーツ ・デナー(実は老ト ラパッキョの息、子)とい う対照的な 二人を主人公に して い
ることと、風 │
こも文化も全く巡うふたつ の都市(ドイツのプノレダとイタリアのナポリ) を
郷台にしていることの 二点において、作品の枠組みとしてすでに具体的にふたつの世界 が
似示されて いるからである。
L ホフマン作品に見るくもうひとつの世界>
ホフマン作品の受容においてよくいわれる くもうひと つの 世界 >8が どう い うものなの
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百り下に月1
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作の意図を事i
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明かしさせる手法はホ フマンの常1
王手段である。!
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m~段』のプロローグでは、エーパーハノレトの『類J定結論~ (
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Iき手も知っているはずだとして「理性によって依拠づけられない認、搬や欲望の表
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併で
現をひっくるめて奇 妙なと 古うのに対して、不思議なとい うのは、人 々がありえないとかl
きな いと凡なしている自然のよく知lられた力を越えたものなのだ。あるいは 1
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1然の通常'の道筋に
逆らうよ うなものを いうのだJと、号霊場人物に奇妙なものと不思議なものの区日1を知 らせた t
で
双方の「恐 ろしく 微妙に入り混じ った 稲」を始めるとい う例目え になっている 。 Vg.
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2)で、ホフマンは分身 1
伴の古典的創造有で、彼の数ある作品の中でこのテーマを全く 1
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青示し
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か見ておこう 。 短縮『大 11毎日の夜の口 |倹~ (
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5) は貞淑な
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い息子を 故郷のドイツに残して イタリアを訪れた 主人公エ ラスムスが 、 フィレ ンツ
燈医者ダペノレ トッ 卜の被造物である高級娼婦の魔女 ジュ リエッタに魅了され、 二人
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の女 性 のr
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で引き裂かれてしま い
、 ジュ リエシタに よって 自らの鋭像を管われてしまう 物
語である。 ;
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t国の市民的秩序 と南国の誘惑という対立図式が l
際立つ作 I
県1であるが 、注目す
べきは、ホフマンがこの作品 の初めと終わりで、 創 作の手の 内を明 らかにしていること で
ある 。編者 の前口上 として 次のように述べら れ ている
。
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幻想作 l払について諮られ
旅の途上にある熱烈な崇拝者の日記によれば、またもカロ J
ているのであるが 、この男、どうや ら内而生活 と外部生活とをもうほとんど区別する
ことができないようである 。 しかし 、親 愛 な る 読 者 よ 、 あ な た だ っ て そ ん な 監 旦
」 皇並区出注Lなどはは っきり認識し ていないの だか ら、多分この担盟主があな たを続
奇妙な得体
き守寄せ 、あなたは何時 の間にか見たこともな い魔法の図にい て、 この 闘の f
れないものどもが他 ならぬあなたの外而生活に、当然のように踏み込んて‘きて、
の知 l
きっと背からの古し 吻 lり合いのように、あなたと大変親しく付き合いをしたがるでし
下線は号 I
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J者に よる)
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さらに迫仰 として次のように付け加 えられて いる 。
初、の人生にはあまりにもしばしば見知 lら/
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りと 目に見え、ずかずか入り込ん できて1
姿 の も の た ち (邑a
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Iしてくるのだ。 10
前 仁U=と迫イ
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)から 、ホフマンは、熱が下がれば忘れてしまう 旅 の熱狂家のうわごとを維か
が古き残したものである 、 と見せかけ て、高熱で うなさ れ怒'織が脱腕 とした l
瞬間に見た く
もうひとつの I
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寺、つまり迎性や合理!の支配する世界に戻った1
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寺に、
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み直したのだ、と 創作の手の内を I
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素早く追 体験 して他者 にl
るのである 。 問機 のことは 、『 プランピラ王女 ~ (
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)でも言われてい
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.J 高揚した精神 の見る幻影が、 まさに 消え去って 無に帰そうと す るあ わやの│
瞬間
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にそれを引っ 捕 らえて 、造型する ことに成功した こと がないわけ ではなく 、読者も多分ご
自分の経験からそれはご承知l
だろう が
、 この ような幻影を見ることので きる 幻視力を授か
ないものは無 く、
多くの重要な文学作品 では分身そのものが 中心主組にな って いると述べて いる 。
つまり 、この分身こそが旅の熱狂家の幻想や主
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、
の 世界の主人公であり 、くもうひとつの 世界〉
とは}
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j'(の熱狂家の見た幻想、夢想の世界である。
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艮なら、必ずこの幻影を本当に人生のなかに透視していて、それゆえにこ そその
実在を信じるのであるん
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またホフマンは くもうひとつの世界 >である惣像空間に堅固なリアリティーを付与する
ために、尖イ王の街や普通の市民を克明に附 き、数々の生々しい具象イメージを導入してい
吹きと
る。 そのために作品内では j
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佐怖とリアリズムという こ
mのパース ベ クティヴ
が相互に入れ主主わり、それが作品の'口絡をなしている。
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. 三人称中性代名詞 ・非人称動翻 の形式主語と して の"
回
“
ぁ:~1t、て、作品の具体的な分析に入る前に "es“の表現の歴史について触れておく 。 "回“は 三
人称中性代名詞以外の用法では、非人称!f
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J
r.司の形式主語として用いられ、自然現象、状況 ・
時l
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Iの経過、身体 ・心理状態や感覚の表現、 さらに主諮を 1
9
1俄にしない で出来事 を表わす
場合などに使用 される 。 ドイツ結表現で "
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“がどのように用いられてきたかを、本論に必要
と忠、われる範囲に絞り概観する。言語学的な観点からの考察ではないことを断っておく 。
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783) でカーノレ ・フ
「心理学的廊i!品、に法づく言語 J (
ィリッ プ ・モーリッツは「言諮そのものは人の心の刻印であり、人 間の心の内を忠実にtII
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き出すことが可能であるため、心理学と深い│
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りを持つJ12 とb、う観点に立ち、「この分野
の研究には、とりわけ非人称!f
9
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司がよさ検討材料になる Jと指摘している。 「例えば「 7
5が
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lる (
esdonnert)J という訪を耳にした H寺,まず浮かぶのは '~~I!t:~そのものであり、この雷鳴
を起こした行為者が~fIであるかを IRJ うことは稀 である 。 非人称動詞を Hh 、るのは、これに
よって表現される現象が、我々の身体ないし心による内的知覚の経路を通して感覚的に受
け止められ、その現象を起こした直接的な行為者が捉らえがたく "
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“でしか表現できな い場
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sdunktmichl と、私は考え る (
ichdenke
) を比
合 Jであり 13、「私には[…〕と思われる (
般した時、 I
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i者が正確さを欠くあいまいな判断 を示すのに対し、後者は自己の意思が明礁
である J 14 と述べている。 この│刻辿を 山本は『カーノレ ・フィリッ プ ・モーリッツ』の中で
「非人称的表現は人間の;
む、志によっては左右できない、あらゆる生命や自然現象を表象し
ている」と まとめている。 15
さらに、ニーチェは 『 主主惑の彼岸~ (
J
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山 ν
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,1886) で次のように述べて
いる。
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,1968,
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1
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刊
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5
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iJ l 元締 二 『カーノレ ・ フィリップ ・ モーリジツ~ ).::~ ~~社、 2009 年、 25 3 点 参 !札
6
思想というものは くエ ス(それ) >が欲する 1寺にやってくるもので、 く自我(われ)
〉が欲する時にくるのではない。 したがって 主語 くわれ >が述語 く思う >の条件であ
る、と主張するのは事実の歪 曲であるということだ。 つまり、それが思う (
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sd
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n
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のである 。 しかしこの くそれ (
e
s) >を、ただちにあの古くて良く知られた くわれ >だ
とみなすのは、控え目に言っても 一つの仮定一つの主張に過ぎな い。 まして直接的確
実性では決してない。要するに、この くそれが思う >ということさえ実は言 いすぎな
e
s
) >がすでに出来事の解釈を内容として含んでおり、出来事
のである。この くそれ (
そのものには属していないのである 。 16
デカ ノレ卜の「われ思う、ゆえにわれあり」の命題でよく知られる懐疑論の第一原理の隙立
e
sd
e
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t)Jと表記することで、文の主語に自 我 と して
に対して、ニーチェは「それが思う (
の くわれ〉の代わりに非人称動詞の形式主語くそれ (
e
s
) >を持 ち出し、形而上学批判の文
Jll~で自我の自明性そのものを否定したのである。この点に 関し てフロイ 卜は「 ニーチェは
われわれのありかたにおいて非人称的なもの、いわば自然必然的なも のをくエス>と い う
、 ニーチェの論考がグ ロデック
文法的な表現で│
呼ぶのを常としていた J 17 と主娠してお り
糾1分析理論の礎となったことは充分に考えられる 。
やフロイトに大きな影紗を及ぼし、粁i
心身 医学の父といわれるグロデッグは、 精神分析の泊1
1
始者フロイ卜の強い t
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Jめで『エス
の本ー ある女友達への 精神分析学的な 手紙~ (
DasBuchVOIl1Es:
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9
2
3) を著した。 この女友達とはフロイ卜に他ならないとされ、
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8 彼も そこで J
IJf~ される く エス > の存在を認め 、同年『自我と エス~ (
Das/chundd
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9
2
3
)を発表した。
精神分析の重要な概念である くエス>の起源につ いては諸説あるが 、今 日では、名前l
化さ
れた エス (
d
a
sEs)はグロデッグのオリジナノレだと考えられている。 19 その由来を彼は『エ
スの本』の中で、ゲーテの 中核思想「紳 なる自然 (
G
o
t
tNatur)J20 から者想を得たと明か
し
、 くエ ス 〉をニーチェの魁性批判の思位、 を背景に、 個 における主体の問題、生命 、 自然
というそれぞれのレベルにおいて考察し、生命現象すべてを司る存在であるとしたのであ
^。21
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S.
2
5.ニーチェは小文字で "
e
s
“と表記している。大文
字で "ES“と表記したグロ デッ夕、フロ イト、カイザーのようにそれをあえて名洞化し、さらに
高
官
官i
hを股 1
)
:
1するな図のなかったことがうかがえる。
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999,Bd.1
3,
S
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5
1
1
8 野1
:
[
1俊一 『エスとの対話』新l
曜社、 2002年
、 6頁参照。
1
9 木村敏「エスにつ いてープロイ
ト・グロデシタ ・ブーパー ・ハイデガー ・グァイツゼッカー」、
『木村敏著作集 7 臨床哲学論文J
I
U 弘文干上、 2005年
、 343
・
374頁参照。
2
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1
979,
S
.2
3
5
21 野 !日l 、i1í1掲 j~} 、 306・308 頁参照。
7
一方、フロイ卜は身体組織か ら発生する本能的欲求の無意識的衣現を "Es
“とl
呼び22、 そ
J
;
l)
l
1
1
に従い、
れをどんな組織も持たず、混沌としており、全体的意思も示さず、ただ快感 J
!!l(な織的 であり、現実 mU[11 を 無視 し、白抜 的 または |州史的な方法 Uil~ 状]形成や外信)によ
って満足 を求めるものであるとした。 23
4皮 は『快!~原則の彼岸~ (
Je
n
s
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山:d
e
sL川 I
p川 n
z
i
p
s,1 920 ) の c~, で f Es における祁ー i品れには
論理的 J
U
、考方法は通用せず、
"
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1
1
'
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1
観念に中
'
1
1
当するものは何もなく、社会'
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とな って 説れ、快楽駅員1
1
に支配
I
(
J
欲求のエネノレギーであり、それは i
i
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Y
J、欲動、
本 能(
糸
口1
1
を修正し、現尖の月l.Hi
I
I
を受け入れ、現
されている」と述べている。 24 ちなみに、快楽j
二~と折り合いをつけて人絡の公定を創fj 持する心理過程の原理!は、現実原則と 呼 ばれている 。
さらに、 11主は「快楽j京!'III の支配が 1!t~JJ: Jf&過程では持続していることは、成人 f最も 4J\ 空1:1:\、
白昼夢、遊戯、機知などの '
1
]で快感JJ)UI
[
I
に支配される 心理過緩からも分かる J と指摘して
J
が
、
いる 。おつまり、願望や欲llY
l
l
kも手 J
j
1V、発防であるJJt':や幻覚という]杉で同生産される
とすうのである 。 ホフマンの作品においては、似体の ~tlれない内而にうごめく何かが "es“ lこ
絡め ll~ られて、 |当分ででも 説明の つかないことをやらかしてしまう人 物像 をこの よS“ から彫
琢し、ホフマン作 l
f
bの典型的な }
fJJ}人物である f
}
,氏の熱狂家」を生み 1
:
¥
し、結果的に それ
;
U:r.tとなっていると言える 。
が彼の摘くパラレノレワーノレドの W
『絵 l
面と文学におけるグロテスクなもの』でグロテスク論を展開したカイザーは、ホフ
マンを始めとするロマン主義以降の多くの芸術家の作品を"
e
s
“を月干し、て分析している 。カイ
ザーは「人は死の不安よりも生の不安を感じた H寺に、現実世界 への疎外感を捗らせるもの
だ」と述べ、 1行事 l ' の危機が訴えられる俊市 j~1 には決まってグロテスクな芸術が ー |止 を風加
するとして、グロテスクなものを次のように定議している。 すなわちグロテスクなものは
包情的な術進として疎外された|止JfI.であり、不可解な、 ~ I' 人事:1 ; 的な あるもの(エス)の表
現である 。 それは 、 気まぐれに不合 ~1 な ものをもてあそぶ遊戯 で:,y) り、この l!l: においてデ
モーニシ、ンュなものを 1
呼び出 しつつ追い払ういわば1
1
7
被いの試みである 。 このデモーニッ
シュなや
,[
かで表象されているものこそが "
es
“であり、行為の主体が特定できない、 1
巨体不明
の、不気味で不可 角平 で ~ I三 人 |制的 な、つまり
f ,坐l 益現象 的 J な 何 かを衣現している、とカイ
ザーは主仮している。 この指摘は、本論で扱 う『イグナーツ ・デナー』がもともと
W
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区
1
2 Vg
.
lFreud,
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.,
S
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51
.W自干上とエス』 の L
J
'でプロイトは「自我と陵絞きでありながら無意
滅的な仮る郷し、をする心的なものを、グロデックのJrj認を借りてエスと 1
1
手ぶことにした b、」と述
べて いる。
2J Vg
.
lEb
d.
,S
.25 1 つまり、フロイトは "Es“を !!l~ 立織とし、う極所論に組み込んでし まったために
"
e
s
“が多lJIの意味を持ち、あらゆる実態に普遍的に存在して相互に彩轡を与え合い、自然Jji.の諸
:
:
1
叫勿の;V
J
織を可能にするものであるという点を J
1落としていたのである。このことが 、その後の
E
s
“の起源とプライオリティーの│
制組 とともに、その概念が 'li:)'に般論のがJ
に
料利分析学において "
される足~r';1 である 。
24
Vg.
lEb
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,
S
.2
8.
f
25
r快感 Jj~.( 則IJ 、「現実原則 IJ はフロイトが判事l ' 分析:l!Jl,沿に おけるエネノレギー経済愉1下J 凡 J也 から仮
定した心的機能を支配する こ つの以JlII をいう 。 氏応TJ!他編集『 心:l!J1臨床大 J lj. gl!,~ ~::\")瓜館、
'
1
三
、9
71瓦参照。
8
1 992
兵一幽 益 物話~ (
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とb、うタイトノレで出版 されることになっ
ていたことをJ!fえると大変興味深い。
3
. Wイ グナーツ ・デナー』における "
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"
『イグナーツ ・デナー』は二郎併成にな って おり、 前半は、 フノレダの外れの森に住む猟
区兵アン ドレス・家が 、デナーが率いる総1
1
世団にy$き込まれ破滅に追い込まれてし
、 く物話
1
土
は 、ナ ポリに伐さ れた宗教J
品判所の記似によ って 、イグナーツ ・デナーの数奇な
で、後 '
i
運命が 1
9
1らかにされると い うものである。凶作品のあ らすじは以下のよ うにまとめら れる。
、
アンドレスは領 主のお供 でナポ リに行った時、百:Ul世に狙われたが、命懸けて側主を寸2り
その俊夫に術の .j~ f;t:ジョノ レ ジーナとのがi~\~ を J~・されて フ ルダに述れて川る 。 しかし、気候、
胤ヒの逃いと
1
m
慢の疲労で 1
5は衰弱しきってしまう 。そこへデナーが行商人の姿で現れ、
nl
復させる。
小関から 取り /
1¥
し た終でジョノレジーナ をI
長V
Jが 9ヵnになった H、
寺 デナーが再来し
Fどもをくれと哀願するが 2人は峻但した。2
年後、デナーは俗福な小作人の夜終になかば合迫 (~J にアンドレスを 加 担させる 。
さらに、 2
年後には次 V
Jが誕生し、その直後に決定的 な
可1
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'
1
ニが起きる。 i
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!
l
主の創l
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が時 1
1}'、放火され、
制 Eも惨殺されてしまったのである。 この1
1
j
¥、ア ン ドレスはジヨ/レ ジー ナの養父か らの i
l
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践を受け取りに、フランクフル トに U
W'
Jきフノレグを留守にしていたのだが、
,
'
I
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.
件
のγ
'
i
;
謀者
にされてしまう 。デナーは Jr
i守宅に大挙して押 しかけ、次男を虐殺し,心臓を切り 聞き、 I
I
l
を抜き 1
&る。 しかし紡 )
"
1は、デナーがフノレグとナポリを行き来しながら数々の忠行を働 い
ていたことが吋 l
司に館凡し、 一 l
床共々収監 され、公開処刑後に死体はがLかれることにな る。
先と ¥
¥
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jを結ん で
デナーは、アンドレスが残断な拷 /
1
¥
1を受けているのを見て観念し、!i!I:1
いたことまでtJJ
L
Iしたので、ナポリか ら宗教裁判所の記録が取り 号
寄せ られ た。 そこには 卜
1
説傑と恐怖 に満ちた災様な出来事が E記録されていた。
ラパジキョ ー肢のなした、数々のI
アンドレスは約 l 年 11日 の 収監後、 ~! I 'l が:1íE19 1 されて釈放される 。 が、直後にジョノレジー
ナが萎えるようにして死んで し、 く 。 アンドレスは、ある日、牢~,主にいるはずのデナーが 1腕
のl
rJ
で瀕死の状態でもが いているところを 、デナーとは分か らず通りすがりに助けてしま
い、家に辿れて削 る。 この H寺初めて、デナーが「ジョルジーナの父である j と告白する 。
l
この小説はプノレダとナポ リを舞台 にして いるの で、ここで、ホ フマンとイタ リアと の│
具
係を簡単に凡ておきたい。 後 J
UI
ロマン波以降世紀!伝換期│
に至るまでのドイツ文学には、イ
タリアの風 t
ゃJ
信史 と1
1M
妾な関りを持つ作品が多く凡られ、芸術家法のイタリア滞在体験
2
6
{刈えばシュタイネ yケはこの物符の紹介を次のように始めている。 「多くの怪淡物 J
I
fの要請号、
険制、 J
暗l
f
司、紋人 、人身御供、品i
i
1
事;めいたセレモ ニ一 、火の l
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:
去
、 l
翻彼現象、数々
主り 拠幣、 l
,
のイ川 然の ' I~ f'lー などのありそうにもな いあり とあら ゆる製紫からな って いる 。 何 よりもアンドレス
は
、 他の『夜米作品集』 の中の どの人物よりも、 J
iも得体の知れない、不合JlliでJ
.
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1な!
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抵の
力によ って孤立無径の状態に委ねられている。 L.lしかし、これらの夜的な要素がエンターテ
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293
9
が作風に色濃 く反映 されている 。ホフマンも、またイタリアに終生強い悩 1
1
;
tを胞 きながら、
也を踏むことはなかった。 にもかかわらず、彼 の作品 にはイタリアに │
刻するモ
ついに その j
チーフが繰り返し井川、 られている。彼にと って イタリ アは、 何 よりも 芸術の I
J
l
I
を 意味し て
いた。例 えば W
GIlI"r のジェズイッ 卜 教会 ~ (
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81
6
)や『クレス ペノレ顧
問 也~ (
RatKr
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,1
81
9) では、絵繭と音楽の図として拙かれている 。が
、 このふたつの物
却の結米が示して いる ように 、芸術の国イタリアは、病気や死と分かちがたく結びついて
いる 。『砂 YHでは、イタリア人の 11
,
'
r,布市売りと物磁!学者である教授が狂気と 死 をもたらす。
『廃屋~ (
Dasod
eHa!ls
,1
81
7) もイタリア人に小さな丸し、手鏡を民 ったことから物誌が始ま
,日常 j をもたらすものの象徴とな って
る。 このように 、ホフ マンにとってイタリアはけ 1
'
1
らの空想の産物 をイ タリアの光と j
彩に還元したと言えるだろう 。『大│晦 I
iの佼の 口
おり 、 1
│
倹』は主人公がフイレンツェに行ったばかりに、 二人の女性の 聞に引き裂かれ鋭似を容わ
れる請で、イタ リ アは自我に分裂をもたら し 分 身 を生み 出す 空 間 として、非日 ~:;:; を 体験 す
る場 として使われていることが分かる 。 また 、アン ドレスはナポリでジョノレジーナと 出会
い、 五Dli泌 さ れおli 帰 と い う Jf手で彼女 を ~!T JN か ら 放出 することになるが、 J~ 方を変 えればこの
前'fÞ\Í'は彼女に誘惑された ~Ji 栄と読むことも可能であり、ナ ポ リに く 間同 の 誘惑 > と い う~~:
l
床 も付与ーされていると 解釈できる。
Iiに眼を │
向けると、アン ドレスと ナポ リ出身のその安ジョノレジー
次に主な登場人物の名古I
ナと長刀ゲオノレタは名だけで外:がなく、さらに 9 ヶ月で祖父デナーに惨殺される次男には
寺、現実に存在したと思われる等身大の一家版として
名すら与えられていない。彼 らは当 H
、
子 トラバッキョには、姓だけでそれぞれに名は
拙かれているが 、老 トラパ ッキョ とその,g
やl
けられていな い。彼らは家族としての体をなさず、子どもは妖術を伝達する 道具 に過 ぎ
I
J
"
には、
ないのである。しかし、 旅の防人 を装い呉邦人 としてフノレダとナポリを行き来するI
息子の トラパッキョ には、作品のタイ ト
ノ
レにもなっている「イグナーツ ・デナー」 とい う
フルネーム が与えられている 。 そのな ,
*につ いては次誌で詳述する 。
3
.1
.妄惣への入り口 ・心理現象と しての "
e
s
"
以 |久 作品に添 って 心 J~H 現象と自然現象、時の経過そし て 知覚、感覚、 1!lt j低減という 観
l
UJ、
ら
、 "
e
s
“がどのように現実と非現実の境界線を消去して いるのかを考察する。
アン ドレス 一 家は頻発 す る 密猟や ì~.伐のため食街と悲惨を極めてし、 く 。 気候 風 土の溢い
と1¥
i!sの疲労で衰弱 してしまった妻、ンヨ ノ
レ ジーナのために 、下{
業が フノレダに民 l
十l
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か
けた問守 に次のような 出来事が起こる 。
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の足音のようなもの (1
) が、向こうから家の方に │
向
寺、アンドレスは 、突然人 1
この H
かつて来るのを耳にした。もし かした ら、その足音 (
2
) はこんなに早く 仰 って来ると
は忠われなかったが、 使j
干
l
人のものかもしれないと沼、った。だが 、犬が飛び出し てい
き激しく l
吠え立てたので、それ (
3)はきっと見知らぬ人に迷いないと思い直;して、 戸
口に1
Uてみると、 一人の背の
目玉
し
、やせた男がこちらへ近付
し
、 て来るところであった。
その男は灰色のマン トを身に付け旅行用の相子を目 深に被っていた。
アンドレスは人間の足音らしいものを 聞 b
、
たが 、その音の正体は不 Y
I
i
で気のせいかも しれ
ないという 心理 が (J
) て寸/
I
i写さ れ
、 (
2) では、もしかし たら F
倹かもしれないとしづ半信
半疑の 心持 ちがうかがえる。しかし 、犬が激しく l
吠え立てるので 、その 足音 らしきものは
3)に逃いないと 硝倍する。疑念、疑惑 をl
呼ぶあい まいな表現が頻繁に使われ、
凡知 らぬ人 (
E
この総晦ぶりが 、 どこまでが現実でどこ か らが妄相かわからない不気味 さをかもし 出 して
いると 言えるだろう 。
e
i
nFremder) と して、それ も貧相な旅の行
アンドレスの前に初めてデナーが 見知 らぬ人 (
商人の姿で現れ、彼らに 三つの頼みごとをする 。年に 二巨!
、行聞の途中 二、三泊させても
らうこと 、小函の保管、そして、特に最近このあたりの森には.i?i.世
l
!団が跳梁隙思して物騒
であるから、 街道 まで道案内 してほ しいと 言うのである。この道案内は実は、後にアンド
レスを盗賊団に引き入れ、金持ちの俊民、さらには伯爵家を 鈍 うための伏線であることが
徐々に 明 らかにさ れる。
デナーそのものをぷS“と表致することで 、得体の知l
れない存在 であることが表現される 。
凡知らぬ人の登場とは、 似れ親 しんで いない ものがアンドレスの日 常 へ侵入す ることを ~:、
l
床 し、この見知 らぬ人は アンド
レスを彼の目指'から疎外させ、現実と妄惣の境界線上 に
;
誘
いI
I
:
lす。境界線上 でどj税者 となったアン ドレスの 見たもうひとつ 世界 、妄先日、物語がここか
ら始まるのである。
3.
2
. 共鳴する 心理現象と自然現象の "e
s
"
境界線上に立たされ幻視者となったアン ドレスには世界がどのように見えたのだ ろうか、
次の 引 m
は、ジョノレジーナの f
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ニ
を係り切り、 デナーに強要 され陰鯵で荒涼とした森の1
[
"
を案内する シーンである 。
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Bd.
2
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1,
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2 以下この作品からの号 │
用はI
gna
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nn
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lと略記する。
2
7 E.
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.A.HofIl
l
1a
nn:旨11GZD白 川 町
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1
28
dem Gebus
chver
s
chw
anden
「このあたりは物騒なんて‘すよ (
4)
J と言いながらアン ドレスは、銃の幣 f
O<を起こし、
火と 一緒に慎重な足取り で見知 らぬ附人 の前 になって歩 いて行った。似 には 、 しばし
ば木立の 中でが さが さと い うもの背 (
6
) がするような気がした (
5)
。が
、 まも なく泣
くの方に真っ黒な~が い くつも 見 えた か と 思 うと、それはすくイ紫みの 'i J に ìì~ えた 。
もの 1
rの正体はデナー率いる .
W
o
i
J
I
車問一 l
床のものだろうと H
音示さ れ るが、この時点ではまだ
I~ I 般 にさ れず 、ぼやかして疑いがは っ きりと 解け ない工夫がなされている 。 まず 、木 立の
なかでがさがさという 管 を何度も │
測
し 、たように思う (
O
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en) とぷ記
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n) とぷS“を用い 、つづいて具体的にい くつかの政.つ 熱 な 姿 (日ns
J
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lとl
偲党 による認織の 混乱 を禾1
1
mし
して、不気味 さをよ り強制し ていること が分かる 。 t
呼び起 こさ せる表現である。 風雨や)
孔 の背に過剰 に反応 した感党が
つつ、 一磁 の共感党を 1
1!tttlff訟を 触発し、幻 聴や幻視を活性化 さ せ、 安組の}~'iにし てしまうと い う成り行きは、現
実 |止JfI. に 疎外J惑 を 抱き不 安定な 心耳目 状態にある人 間 によく見られる~象 で 、ホ フマンの 作
品を
J
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く
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イ トモチーフとして繰り 返し J
f
J
、
し られ ている 。 カイザーは この凱象を
q疑似 f
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気 (
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n)Jとl
呼び、 これらの人にあ っては人間的 なものが不気味なもの として現
れ、あたかもあるもの (
E
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) が、つまり米知 l
の非人 間的な袋が魂に釆り移 った かのよう で
ある」と述べて いる。 さらに 「自然現象や人 I
I
l
Iの前
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i
j
J
そして無意識はし、ずれも "CS“で衣象さ
れた lI~i に、その効果を 般大限 に発事Ilするものである J
2
9と強制
して いることは注 円に1
1
1
'
[する 。
孔の夜ふけ、 一大1]]件が起 こる。
デナーがアン ドレスの前に現われてから 3年目の秋のj
アン ドレスは、デナーから金持ちの小作人 の夜襲に参加するよう強要された。 その H
キr
M
か抗し、がた い力 (
wi
evQnwieunwider
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l
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rMacht)J30 に駆り立て られ て、負傷したデナ
ーを助け て しまう 。 しかし、これは前哨戦に過 ぎず吏なる大事件が起 こる 。デナー斗旬、る
総賊 111 が {1'll'l'H巨を |鴨緑した後、火を放ち 11'1 1W!を 1~ 容してしまったのてーある 。
3
.
3
.心理現象、自然現象に触発 された無意織の "CS“
ナポリの記録には、テデ,ナ一の仏
出i
生の品庇E
にまつわる事
剣錬|巨: 金術師、晃耳目立献いの術師、 m~誕百m愁 自ifi などという数々の呉綴な 1~1 と ともに 、
ある す
I
C件の一部始終が詳述 され ていた。それはあ る時
、 一度に大勢のi!
U突が老ト ラバッキ
ョから手に入れた楽を H
日用後、 急死したというものである 。 宗教裁判所が、右ト ラバッキ
箆が結託して いる ことを 1
i
J
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l
j
(
り;
捌ベを始めようとするが、その矢先に │
凶作の裁判
ョと 恐1
所が彼 と召 使 の老女を l収~してし まう 。 老婆は老 ト ラパッキョの 製造 した 俗泌を 小函 に 入
れて売りさばいて いたのだ。 二人には火刑 の判決が下された。
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I~I 分の行為の様拠を説 明 できな い という 無能 さの表現と読める 。 が、 また fi!t. j) の文学 的 表象
とも 解釈できるだろ う。 E.
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12
一方フノレダでは、 ,
.
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I!
(に狙 われ因鈎 を緩 めていくアン ドレス 一家の悲惨で陰惨と した 日
常 にトラパッキョという 偲倣上 の *'í'~'~ な人物 を 配 して別次 元の物認が 紡 ぎ 1-1\ されている 。 3 1
フノレネームを持つイグナーツ ・ デナーただ一 人 が ナ ポ リ とフノレダを 自 I:~I に往来することが
でき、 彼 にはふたつの 日t界 の jJ~ Jfi.総 を 消 去する 役割 が 担 わさ れて い ることが分かる 。
ところで、この作品においてフルダとナポ リにはどう い う意味が付与さ れ ているのだろ
4
4年に他殺された修道院 を
0
:
1
]
心に
うか。フ/レダは、知ボエプアティウスの弟子によって 、7
発展した主教 f
l
¥
l
r
i
として知lられる 。 健気で敬 j
長な事i
i
区兵アン ドレスはこのフノレダ l
也)Jにあ
る荒涼とした 山林に住んでいる 。一方、ギリシャの勉民都市 として 山発したナポ リは、ゲ
ーテの『イタリア紀行~ Ul
ol
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81
7) によると 、「さまざまな氏族が行き来する
地中 海の中で、とりわけ 風光 明断 で lr.U!愛で怒 らしやす い ために、 代 々 ~'HíHの -1:によって支
配され、持取される絶'1
1
と諭念、と主主従だけの都 市 となっていく 。 人口過剰で
、 物騒で秋斤・
が1
来たれることはがとしてなく 、夜はー稀 '
J
9
1い者 、一帯感賢 い者が我が物顔に係る 郷 う!
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小 説 の ~!ri;'干にふさわしし、 J ,
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なのである。 32 だ、からこそ 、 この地で ドク ト
ノレ・トラパジ
キョの l
鼠術に郎きがかかるという 仕掛、
けが
さi
三きてくる 。すなわち『イグナーツ ・デナー』
においてはフノレダとナポリという 対比の妙が生む効果が段大│
岐に発怖 され、それぞれの地
1
1
び、 さらに 、アン ドレスとデナーと い うこ人の対照的 な
名が持つイメージ以上の意味を f
人物像に、その新たなな l床 が投J;~ されていると言えるだろう 。
二人の人物像の愉郭がぼやけ、JJtJ
f
i
.線 上で府和 していくシーン、つまり心理
I
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現欽と 当
│然
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J
F
1する 。
現象、そして無意識が締然一 体 となり担'tJ
f
i
.
線が消失して U、く場而をもう 一節目f
頻死の状態でもがいているデナーを 、アン ドレスはまた今回 もなぜか通 りがか
脱獄し射でi
りに助けてしまい、家につれて 仰 って 必死で看病 してやる。 次のシーンは、デナーがアン
ドレスにジョルジーナの父であると 打 ち明け 「
わたしを 倣度なるキリス ト教徒 として1
'
1
'
'
と
和解させて死なせてくれ け と哀願す るので、毎晩二人でお祈り をすることにしたある夜
の1¥
来市である。
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一般に『カロ J
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¥幻忽作品集』以後の作品に、心理的現象へのホフマンの執心が顕務に凡
られる。たとえば『プランピラモ女』の「ほら 、お客さん、あなた方は皆そうなんだ。E
江
1
が正気、
1
可が丈夫で准り阿っている 1
1は、自分の手でっかめるものしか f
f
lじない。ところが村仲なり肉 体
なりが消化しきれない具物に突き当たって吃終仰天すると、今度は差し 出されるものなら何でも、
ガツガツ手を伸ばすJ というくだりは、 アン ドレスがデナーに巻き込まれていく 粉t
'
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J
(肉体的
経過に重なり、主体をなくした人 n
が 阿の前の対象物に巻き込ま れていく心耳1
1
を揃写して いると
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985,
Bd.3,
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.786
J2具体的な紀述を 2
-3'持げると、ゲーテによ ればナポリでは「あらゆる欠乏を忍ぶという彼ら
の恨本原則は、あらゆるものを与える気候によって擁護されている 」、「
単に生活せんがためでは
なく、享楽せんがために働いており、 '
)
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働 している時でも享楽しようとしている j、r
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侶は何ら
ことをせずに安楽な生活を送っており、上流の人身はその財産をただ官能的快楽や鎖沢な装いや
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気附らしのみに川いている J のである。JohannWolfgangGoet
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先
制I者
、
トラパッキョよ、縦揺非道な恐 1
Mめ
1 ここにまで来て怨ろしい妖怪じみた
仮る型!f.v
、
に及ぶとは、お前がその張本人だな (
7) !この私をどうしよ うって言うのか。
消えうせろ !もうお前には、私をどうこうするカなどありゃしないのだから !さっさ
と消えうせろ リ アンドレスは戸にカを込めてこう IUI びた てた 。 するとこの lI~í 、部屋
の中を馴り笑うような声 (
8) が突き抜けていき、黒い攻、で窓を激しく叩くような音が
した。 しかし、それは トラパッキョが言うように 、ただ雨が窓に激しく吹き付ける背
(
9)でしかなかったのである。 さらに、 部屋の 中をうなりながら l
吹き抜けたのは秋の
I
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¥
¥だった。 その形なき g
9
1恭な騒がし さがまたも 一段と激しくな ったI
l
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、ついに、グオ
ノレクが不安のあまり泣き 出し てしまった。
(
7)は意味的には i
j
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文の極恕非道な思!
彪 (
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n)指すが、)(法的には d
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r以下の
|品l係文を指している 。 続いて、 fif~ が笑っているのか分からないが 棚 笑 ( 8) が突き抜けて行
くように│
淵こえた。 が、それは秋の J
l
¥に来って慾を 叩きつける雨の音 (
9)が部屋の中を吹
き抜けて行 ったのだと 秘明かしされる 。 これは一種の幽君
主 現象で、自然現象が不安のため
に 刺激 に敏感になっている人 111J の感覚をより先鋭化 させ、~!\\意識 を隠さぶり、その結果ア
ン ドレスには幻聴と して噺笑が 1
mこえてきたのだと 解釈 できる 。 ないものがあるように思
われるのは、自然現象と共 I!!:~ した↑!?切j の嬬れに 、抑圧 されていた 無詰・ífft\!の発銀がおこり
"
e
s
“の勢!
戒が強烈になり幽訟を相起させたのである 。
このシーンは、 二人の主人公アン ドレ スとデナーが、 決定的な腕1
1
)
1に決:A:!
I
(
Jなやり方で
係 をよく示 しており、表部的に は反発しあうように凡
街桜に絡み合 って しまう共依存の │
品l
えても、お互いがそれぞれの存在を ~!lt 視 できない 椛成になっていることが分かる 。そ れは
アン ドレスの次のような行動にも見て取れる。 小作人を襲撃した H
寺、足に致命傷 を負って
V
J
けなくなったデナーを、 何か抗いがた いカに駆り 立てられ府に担いで逃亡したり 34 、デ
!
f
ナーが淵の中で瀕死の状態でもがし、ているところを、デナーとは分からず通りすがりに助
の位│
併は同等 であり、
けてしまったりするシーンである 。 35 すなわち、 二人の内奥の術切J
その術!f
Y
J
i
!
f
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:の波形も同じであり、反発 しあうのはベクト ルの│
古l
きが巡うに過ぎないと 言 え
J
係 にあり、デナーにまつわる トラバッキョ父子の物。
訴は、
る。二人は写真のポジとネガのI.l!i
アン ドレスの妄総であるとも考えられる 。そ れは、 アン ドレスの委ジヨ/レジ ーナは 、デナ
ーの娘で、あり、アン ドレスとデナーは、ジョルジ ーナを 中心 とした 三角関係とい う形で符
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暗。 2
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僚に絡みついていることからも分かる。 二人の同類1
3
、織は、ジヨノレジーナに与えられた「小
函」がさらに強固にしており、表現型は
n反対であるが 、人絡の核をなす部分、つまり 情
動 の 的~tが黙 って いると解釈できる 。
ゲオノレクは子ど もの直感で "
e
s
“の不気味さと、恐怖 を予知して泣き出したに逃いない。と
言 うのは 、 この直後ト ラバッキヨ父子に殺容を企てられるからである 。官
民 地 を継いだ伯悶
の甥は、 フノ
レ ダの森で起きたこれら 一連の出来事を記録し、城の公文書館に保管させた。
物話はここで終 る。
3.
4
.
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小函 J と"e
s
“
アンドレスが受 け取 った小函には誘惑の楽である脱法の飲み物と金銀の 宝飾品 のような、
人間の本能 を刺激 し情欲を起こさせるものがぎっしり詰まっている 。 この小{却を預かった
ばかりにアンドレスの運命が狂い出す。 「
不正な財産を平にするぐらいなら、むしろ空腹に
苦しむほうがまだましだと主仮するような健気で倣度な男であ った から、どのような誘惑
服務を忠実に勇敢に WJ
め上げていた J36 アンドレスが、内なる良心の
にも 抵抗し、自分の l
t
7とは袋版な行動に出 て しまっ たのである。
r
¥
1といわれるナポリ出身のデナーが持ち込んだ小函には、人 間の本問1
:
を象徴す る
前}務 の者
ものが浴れるほど入 って いる。 ここでいう本性 とは、フロイ 卜が"
es
“と呼んだ人 1
'
1
¥
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1
のm
l性 で
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J
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l倒l
不能な伏楽原則l
に支配されているがI
かである 。 フロ イトは「川
小
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卜
、
紡
紡i
選謹びのモ チ一フ J
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多J
川
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1され、女性における本質的な ものを象徴し、女性そのものであり、 それは巨匠む女、性
レ ジー
的な対象となる女 、破君事する女 である J37 と述べて いる。 これはアンドレスがジヨ ノ
ナと
I
U会い、子どもをもう け、身の破滅に追い詰め られる直前に彼女と死別する経過に重
なる 。 小函 には生の 欲[f~J にも死の欲即j にも つ ながるものが入 って おり、 エロスとタナ トス
の象徴とな っているので ある。
Bezi
ehung
sk
is
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)J とい う表
さらに、ビーダーマンによると ドイ ツ諸闘では「 関係 の箱 (
m
v、られているが、これは秘密にすべきことや私的
l
常生活の 中で驚くほど頻繁 l
こ
現が、 f
な事柄を含め、 二人の人 │
剖の附に生じる │
刻係全 体を指す表現であるとされている 。 38 この
ように小函 が使われた作 品と して 『 マ ドモワゼ/レ ・ ド・ スキュデリ~ (
Da
sFrau
l
ei
nv
onSc
ud
e
r
i
,
1 8 1 9 ) を挙げることができる 。 この 作品は見知 らぬ!I~が突 然真夜中に、小紛i をスキュデ リ
般に預けに来るところから始まる。『
イ グナーツ ・デナー』においては、小聞はアンドレス
とジ ヨ
/
レ ジーナ、ジョノレジーナとデナ一 、そ して アン ドレスとデナ一、さ らに、デナーと
父トラバジキョと い う、複雑な結びつきの象徴であり、 また 共犯 │
刻係を象徴す る役 目も但
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8 ハンス ・ピーダーマン『図説
世界 ‘ンンボノレ事典~ j
j
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代幸一欧修、八反官房、2007年
、 31
6
頁参照。
1
5
っているのである 。
務
担
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を 迎い払い、我が家か ら;
Jl
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を│
徐くために 、
イ"
1が
「ねにはよく分かつております。 i
私の似jめであるか使命であるか J39というアンドレスの&後の独 自は、「ト ラバッキョの小
閑をI
J
f
Jきもせずに 、そのまま 深い谷 J
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;に役げ姶てる (nahmTrabacchio'
sKis
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1)
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t)J行#)につながり、災いをもたらし
煽を 断固処分すること で欲出と i
副長に決心をつけたと 言える 。 しかし、それだけでは
た小 l
0)、 (
1
1)のよS“は、文法的には Trabacchio'
sKis
t
chenを指すが
、 "es“で凶き換 える
ない。 (1
ことによって立 '
J
.
l
,
的
に
はそれ以上のものにな って いる のである 。 つま り、併てたのはただ
の小 l
勾でなく、 小函て
、象徴され るものすべてのもの 、W
'
I
えば内なるテ'モーニジ‘ンュなもの、
人 1I
1
に疎外感 を起こさせるグロテスクで不気味で奇妙で得体の),,
1
れ ないもの、本能や欲望
'
,
I
'
f
!
V
J、自分 を誘惑して追を誤らせるそれらすべてを捨てたのである。
にまつわる t
エピ ローグ 「
アン ドレスは周託の 1
!
慢、
し 朗 らかな老後を楽しみ、どのよ うな 敵刻 する ノJに
0
:1
*し、小闘が
も倣城されることは無か った のである J40 は、w.が生まれ変わったことを :
「死と 再生」のシンボノレにな って いる こと が分かる 。さら に、引用 (1
0)、 (1
1)で 1
>
>
1らかな
ように、 小函という固有名前を
mv
、るよりも よ “でi
泣き換 えた方が、より淡い多必的 な物 J
l
T
│
止
界 を生み I
:
Uしていることも見て 取れる 。
S
4
'ちなみに、函に象徴的な意味 をJ1!わせる必裂
42
43
、
し られている。
st
en や、女性名詞の Kis
t
e が月j
の無い シーンでは、男性名前│
の Ka
おわりに
『仮公作品集』 には、本;
t
f
uで扱 った『イグナーツ ・デナー』の他に 7 制が収め られてお
1
¥
1のデモーニツ、ンュな附 t
{
:
i
)
に焦点が当 てら れ ている。
り州、どの作品にも陰惨で妖気保う人 1
この人 |制 のデモーニシシュな IIJ~官 11 がどのように表象されているかを考察する ために 、 まず 、
ホフ マン作品独特 の 「幻視者」の凡たふた つ の世界について分析 した。 それはリ アノレな射
実 lJl芥 と、ロマン派 的 怪奇さを 備 えた mJJ~ 尖 I'I(J な妄f,fll比JJI- である 。 そして 、 11 Jj) 人物が、
ある H
キは現実 世
J
J
I
-にいるかと j
Eえば、次 の,}
,
J
j而 では芸5
1
目、世界 にいるというシーンが、 何度
も繰返 される複雑 な構成になっているが 、読み手に i
主和感は ほとんどない。 それは、読み
手に 、ふたつの世界の越境が、何時 どの時点 でなさ れたのかを感じさせない附写の工夫に
あると考えられる。本論では『イグナーツ ・デナー』の 中でよS“が多用されていることに沌
│
守し て、その工夫がどのようになされているかを考察した。結論とし て次の ことがコえる。
この作品においては、 "es“が、択のわからないデモーニッシュなノ]に駆り立てられ、自分
39
I
gna
zDenner
,
S.1
09
40
Ebd
41 木作 IWrl:I: 1 には|羽を意味する 111 誌が雌~UJ するが、下記の註 42 および註 43 で/f\した 2 箇所以外
は、すべて 田、
でi
l
lき換え可能な中十1
,
名澗の Kistchen並びに Ka
st
c
hen1
,
使J
Iされている。
42 I
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4J E
bd.
,
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4" W
砂9
H、『 ;
J
i
版
』
、 W
GIIITのジェズイ y ト教会』 、 Wi止襲倣~ (DasMajoraf,1817)、『皮j
丞』、『サ
ンタ トウス~ (
Da
sSancf
L
/
s,1
81
7)、『石の心臓』の 7縦であ る。
1
6
の
,U
:
,
1
2
.に反し無意臓のうちにとんでもな いことをやらかしてしまうという 、主人公を併か
す
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道的な作I
かの登場するシーンを、ごく 自然に衣脱することを 可能にしている。同時に、
"es“ の使 JTI は行為の主体が 特 定できない、 ~~ト{本 の 知れ ない正体不 明 の、不気 味 で不 , if!伴 な r l狙
ι射線的」な何かの A~!;~.への侵入をi&:fJI.する5;;!J J;IHr.J な手法になっており、この人 !l rJ:(7-1'E を
作かす倣源的 なものの F
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;への侵入が、ふたつの 世界 の境界線 をI
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j去し 、ホフマン独特の
不気味な │
止
界 を生み出し ている。
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以七の深い
さらに、モチーフやシンボノ
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“に位き 換 えることによって、字}
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物 ;t.t f詮! 1/ rJ の 1I.'i 写が 可能 になっている。 例 えば 、
アン ド レスが 、 !ß~ き 物 が綜ちたように 思い
切って「トラパッキョの 小 闘を I
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lきもせずに、そのまま深い谷底に投げ総てる (
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すると、次のように考えら れる。 災いをもたらした小函を断悶処分する ことで、 欲望i
と,
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iJ燐に決析をつけただけではなく 、ここに凡 られる I
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を析すが、 "
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泣き換えることによって怠味的にはそれ以上のものになって いるのである。
恰てたのはただの小闘でなく 、小園で象徴 され るすべて のも の、つまり 、内 なるデモーニ
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1に疎外l
惑を起 こさ せ るグロテスクで不気味で合唱
妙で斜体の知れないも
ッシュなもの、 人 1
の、本能や欲望に まつわる 村t
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、自分を誘惑 してi
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lを誤らせ るそれらすべてであると言え
副長のシーンで繰返される "
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“は、それまでに作品中 に、非人.
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る。この j
して頗 IJI した "es“ と 二重写しとなり、 ~tH本 の Ãll れないものの存在を |旅立たせ、ホフマン作品
独特の現実と空忽が i
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!然一体 となった不気味な 世界 を生成することに寄与しているのであ
る。
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