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地域に生きる。広告

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地域に生きる。広告
「地域に生きる。広告」
〜市民の市民による市民のための広告〜
275 研究所 菱川 貞義
仮説「多様な関係性が明日の広告ビジネスを創造する」
次代に有用な「広告ビジネス」とはどんなものであろうか。
あるいは、広告会社に勤める者にとって、今後に期待できるビジネスモデルはどのような仕組みになるであろうか。
わたしは、1990 年ごろ(地球温暖化防止京都会議 COP3 のプレイベントの仕事に携わったころ)から今日まで、
「広告も大きく変わらなければならなくなるだろう」という思いを徐々に強くしながら広告を創ってきた。そして、
2008 年からは社内ベンチャープロジェクトを立ち上げ、いくつかの新しいビジネスモデルの社会実験をはじめてい
るところである。
これまでのところ、わたしが考えている、
「広告ビジネス」における最も重要なキーワードは、
「関係性」である。次
代にふさわしい広告を試行錯誤しているなかで、広告の仕事を受注する、広告物の制作をする、商品・サービスの販
売促進を行う、といったあらゆるフェーズにおいて、得意先、消費者、協力会社等との関係がこれまでとは異なった
ものになってきた。これまでの広告屋の概念では語れない「多様な関係性」の築きによって、新しい広告ビジネスが
自然に生み出される現場は、まるでマジックを見ているかのような感覚もあるのだが、数年のうちには当たり前の広
告スタイルになっているかもしれない。また、メディアの使い方や表現方法はしごくオーソドックスなのだが、実際
の広告は関係者にとってひじょうに目新しい表現となっている。
そこで、本論では、
「多様な関係性」の築きによってつくられた広告が、いかに「明日の広告ビジネス」にとって有
望であるのか、について論じていくことにする。もしも、わたしの仮説がある程度正しければ、あなたがこれまでの
概念や成功モデルをすべて捨て去り、ある関係性の構築に力を注いだとき、新しい広告ビジネスがおぼろげながらに
現れてくるだろう。そのとき、一度捨て去ったこれまでの知見や技術が、周りから求められ生かされることになる。
1章「答えの無い時代」
「答えが無い」は、
「いろいろな答えが確かに存在するために答えをひとつに集約できない」と言い換えることもできる。
もともと社会のさまざまな問題は数学とは違い、要因が複雑に絡み合っているので、ひとつの答えに合意することは
むずかしいのだが、近年はさらに複雑さが急加速し、まさに混沌としている。
まず、現代社会の先進的課題の代表である「環境問題」に注目してみよう。行政や企業のさまざまな環境問題への取
り組みの現場において、広告会社として仕事を請け負いながら研究を重ねてきているなかで、共通する奇妙な課題に
遭遇してきた。それは、
「多くの環境問題はコミュニケーションなしには生活のなかで存在感が弱い」というものだ。
これは公害問題と比較するとわかりやすくなる。公害問題の場合は、ひとたび問題が発覚するとすぐさま社会全体が
合意し解決の方向に動きだす。しかし、環境問題では、例えば「地球温暖化の影響によって異常気象が多発化、大規
模化する」というときには、公害問題のようには事は簡単に運ばない。原因や加害者を特定するのが困難であるばか
りか、そもそも環境問題は目に見えないので、どのように社会生活に影響するかについて理解することすら困難であ
る。
「異常気象が多発化、大規模化すると、たちまち人類が地球に住めなくなってしまう」と考える人や、
「次の世代
に影響する」という人、さらには「自分が行動しなくても、そのうちになんとかなるだろう」と、問題にもしない人
も存在する。
このように、生活者どうしが合意していない環境問題を背景に、例えばエコ商品の宣伝を考えるとき、商品について
語る前に、
環境問題そのものについて少なからずコミュニケーションを図る必要が出てくる。ただし、エコといっても、
冷蔵庫や車の「省エネ性能」は例外だ。これは地球温暖化の問題である前に「家計に影響する」という生活者利益が
明確に合意されているので、すぐに商品の省エネ性能を語ることができる。その他の多くのエコ商品、例えばノート
1
の場合、「熱帯雨林を守るため一年草を原料とした紙を使っている」といっても、消費者は生活とのつながりがみえ
にくく、
「だから少し価格が高い」ノートを実際に購買する行動には現れにくい。つまり、エコビジネスを考えるとき、
商品そのものの質や環境評価といった問題と同様に、生活者の不確かな環境意識が大きな問題となってくるのだ。
もうひとつ、近代化を象徴しているのが ICT の発達による高度情報化だろう。ほとんど誰もが、インターネット上で
個人メディアを手に入れ世界中を舞台に情報を受発信することが可能となり、ひとつの問題に対して多様な視点を提
供している。
2章「多様性受難の時代」
次は、グローバル化の波と多様性の関係について考えてみる。わたしは NPO 法人合意形成マネジメント協会会員で
もあるのだが、そこで、合意形成において重んじられているのが、わからないことをわからないとする態度や、少数
意見あるいは意見を表明しない人の意見の存在で、意見そのものだけでなく、態度の多様性までも大切に扱われてい
る。しかしながらグローバル化の波はそれを許さない。グローバル化を推進する人々にとって、いちいち少数意見に
耳を傾けたり、ものを言わない人のことに関心を寄せることは得策ではない。
このように、多様性への配慮が希薄になると何が問題になるのか。わたしは、現代社会の、企業をはじめ、政治、教育、
医療等々、ほとんどすべての生業に変革が求められている根源的課題が、そこに潜んでいる、と考えており、その一
端を示すヒントとなる話題をいくつか次に提供してみよう。
【話題その1】
「うちの庭で・・」
だれかが、こう話しはじめたら、あなたはどんな庭を想像するだろうか?「・・子どもが迷子になった。
」と続くと、
たいていの日本人は、想像していた庭とは広さが違うことに困惑する。言葉の意味は、否応無しにその人が住んでい
る環境に影響される。逆に、いろんな環境の地域があるからこそ、多様な文化が形成されてきた、といえるだろう。
【話題その2】
「クジラを食べてはいけない」
このような問題についてグローバルな解は存在しない。地域ごとの歴史や文化から形成されてきた「地域らしさ」の
現れについてどのように扱うのがいいのか。
「クジラを食べてもいい」という地域は「牛を食べてもいい」という地
域と何かが違うのだろうか。
【話題その3】
「赤い色が好き」
「赤い色が好き」といった人に理由を尋ねて、
「むかし母が誕生日に買ってくれた靴が赤い色だったから」という答え
が返ってきたりすると、感性の問題でどうでもいいようなことだけど、個人にとっては譲れない価値があることがわ
かる。もっというと、個人にも地域についても、変えてはいけない価値が存在する。また、
「おらが村の酒が一番お
いしい!」というのはどこの村でも聞くことのできる台詞なのだが、
「赤い色と青い色のどちらがいいか?」と同じ
ように、どの村の酒が一番かを決めることはできない、と悟るべきだろう。
【話題その4】
「ICT が生活を豊かにする?」
これまで ICT(情報コミュニケーション技術)が社会にもたらしたものは何だったのか。パソコンやインターネット
が一般に普及し始めようとしていたとき、次のようなキャッチフレーズが社会に飛び交っていた。
「パソコンがあれば単純作業から解放され、あなたは創造的な作業に集中することができます」
「作業効率があがり時間にゆとりができ、余暇をもっと楽しむことができます」
「インターネット環境があれば、山奥でもどこに居ても都市住民と同じように仕事をすることができます」
さて、実際、現代社会はどうなったのか。パソコンが仕事をしてくれるのではなく、まるで我々はパソコンのために
働いているかのようになっている。また、インターネットとパソコンは昼夜を問わず休みなく稼働しており、インター
ネットの普及と連動して、
グローバル化と1極集中が加速し、1人(1社)しか勝てないような市場が形成されてきた。
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頭では「どこに居ても同じ情報が得られる」と思っていても、現実に皆が感じたのは「同じ情報なら他社より1秒で
も早く獲得しなければ」という強迫観念であって、大阪などの都市にあった本社機能を次々に東京に移す企業が後を
絶たない、という結果を生んだのではないだろうか。
これはまさに多様性の排除につながるものであるが、インターネットやパソコンといったものは本来、個人を強くす
るツールなのだから、多様性を失うのは道理に合わない。おそらく、これは ICT 側の問題というよりも、我々の ICT
の使い方にこそ変革が必要なのだろう。最近は少し変革の努力も垣間みることができる。
以上の話題からいえることは、およそあらゆる場面で多様性は重んじられなければならないが、グローバル化が進め
ば進むほど多様性を重んじることが困難になっていく、ということになる。同じように思いが結果に結びつかないも
のとして、環境と経済の両立や、経済的ゆとりと幸せ、といった課題が思い浮かぶが、その根本原因を探っていけば、
たったひとつの社会の歪みに行き着くかもしれない。
3章「成功するビジネスを支える新たな関係性」
両立がむずかしい2つの目的を同時に実現することで魅力あるビジネスをつくる方法を説いた書に、
『ブルー・オー
シャン戦略(※1)
』がある。そこでは、
価格や機能などで血みどろの競争が繰り広げられる既存市場を「レッド・オー
シャン(赤い海)
」
、そして、競争のない未開拓の新市場を「ブルー・オーシャン(青い海)」と呼び、グローバリゼー
ションの潮流がレッド・オーシャンに拍車をかけている、とし、
「価値とコストはトレードオフの関係にある」という、
競争を前提とした戦略論の常識から解き放たれるためには、バリュー・イノベーション(コストを押し下げながら、
買い手にとっての価値を高める状態を意味する。コストを下げるためには、業界で常識とされている競争のための要
素をそぎ落とす。買い手にとっての価値を高めるために、業界にとって未知の要素を取り入れる。すると時が経つに
つれて、優れた価値に引き寄せられるようにして売上げが伸びていき、規模の経済性が働くため、いっそうのコスト
低減が実現する。
)が欠かせない、としている。また、発想の具体的方法として、さまざまな戦略グループを見渡す、
従来とは異なる買い手グループに目を向ける、感性志向を問い直す、時間軸を長くする、などを紹介している。
ここで、バリュー・イノベーションとは似て非なるアプローチで、ビジネスを成功させ企業活動を維持・発展させて
いる、興味深い企業経営者の事例を2つ紹介しておきたい。ひとつは山梨の向山塗料(株)の元社長・向山邦史氏で、
彼は、塗料にまつわる地球環境問題や長期不況の問題を抱えながら、常に右肩上がりの成長を目標に強引に社員を引っ
張ってきた。それは、企業にとって不可欠なものだと思ってきたが、自分の感情として耐えられなくなり、ついに、
会社の目標から「成長」という言葉を削除してしまった。変わりに掲げた目標は「毎年 10%業績を下げていく」と
いうものだった。同時に彼は社員との関係性を多様なものに変えていった。休みを劇的に増やしたり、増えた休みを
利用して社員といっしょに農的暮らし(自給自足生活)を実践したり、社長が社員と横の関係になって、ともに試行
錯誤で会社を運営していった。社員のほうは、新しい目標に戸惑いながらも、顧客との接し方は明確な変化をみせた。
例えば、工場の床の塗装を新しくしたい、との依頼に駆けつけた営業が、
「この床は塗装よりもタイルを貼ったほう
がいい」と言い、営業をせずにタイル業者を紹介して帰ってしまった。業績を下げていいのだから真に顧客のための
行動がとれたのであるが、このようなエピソードの積み重ねにより、会社の信用が大きくアップし、実際の業績は逆
に毎年成長を続けている。向山邦史氏は「新しい目標を達成することができなかった」と笑って話してくれた。
もうひとつは、
京都の(株)ヘルプの社長、
宗接元信氏の事例である。彼はごく普通の食品スーパーを経営していたが、
自分が食べたくないものを売ることに嫌気がさし、1983 年に当時はまだ珍しい自然食品専門のスーパーをつくった。
無農薬や無添加の食品を供給できる農家や業者が少なかったが、無理をしてコンセプトが崩れることを防ぐために「品
揃え」することをやめた。当時の店内はまるで災害時の陸の孤島のようだった、と宗接氏は振り返る。それから顧客
を増やす努力もやめた。変わりに生産者との関係と顧客との関係を重視した。社長以下従業員が生産現場に毎日のよ
うに通い、同時に顧客といっしょに環境保全活動を行ったりすることで、
「多様な関係性」を築きながら、生産者と
顧客をつなげていった。すると徐々に変化が現れた。顧客が新しい顧客を連れてきて、顧客が顧客に商品の説明をする。
あるとき新米(?)の客が店頭で虫食いの跡がある野菜のことで店員に食ってかかったとき、ベテラン(?)の客が「あ
3
なたは客である資格が無い」と諭したという。このような顧客の存在を肌で感じた農家が無農薬の米や野菜の栽培に
積極的に取り組む。当初 10 年ぐらい赤字だった経営が今では長期にわたり成長を続けている。
もちろん、バリュー・イノベーションは意味があるのだが、成功するビジネスを生み育むためには「社長と社員」と
か「メーカーと下請け」といった単純な関係とは異なる、曖昧で多様な関係づくりが不可欠ではないだろうか。
このことは『京都の企業はなぜ独創的で業績がいいのか(※2)
』においても、堀場製作所社長の堀場厚氏が次の言
葉で示唆している。
「京都の生活文化のなかには、白黒つけずに灰色を大切にするという文化があります。論理の積み重ねで、白か黒か
というわかりやすい言葉で理屈を述べるのではなく、白と黒との間にあるグレーゾーン、曖昧さを尊ぶのです。…な
ぜならば、経済の実体を動かしているのが、数字や論理では表現しにくい感情を持った人間だからです。」
さらに彼は、箱庭的企業環境の京都で、曖昧さを尊びながら独創的で付加価値の高い製品を生み出すためには、業種
を横断した横のネットワークが必要だ、と指摘している。
4章「超ローカルにおける関係性」
関係性の問題における、もうひとつの重要なキーワードとして「超ローカル」を掲げておきたい。2001 年に滋賀県・
NTT 共同プロジェクトのなかで、環境情報によるネットワーク・コミュニティを形成し、協働による市民の環境活動
を支援するウェブサイト「びわこ市民研究所」を運営したのだが、3年間でさまざまな関係づくりの社会実験を積み
重ねた。そこで得られた重要な成果は次の2点で、得られたノウハウは今日までさまざまなプロジェクトに適用、機
能している。
【成果その1】
「共創ビジョン」
古代湖・琵琶湖を中心とした環境先進県である滋賀というローカルエリアは、
「琵琶湖を守りたい」という行動テー
マを掲げればひとつにまとまり、市民の環境活動を活性化させるのは比較的楽な作業だと思っていた。しかし、実際
は北の地域と南の地域では琵琶湖に対する感情が異なり(例えば、琵琶湖の汚水は南部に溜まることから、南の人は
「琵琶湖が大変」というが、北の人は「琵琶湖は美しい」という認識でいる)
、また、ローカルといっても、県レベル
のコミュニティでは、理解者は増えても、具体的な協働はほとんど生まれなかった。そこで2年目からは町村単位、
あるいは流域単位のエリアを意識して活動をはじめた。このときの行動テーマは例えば、
「守山のホタル復活」や「西
の湖の葦刈り」といったもので、もちろん、その先には「琵琶湖を守りたい」とつながるテーマを設定した。すると、
コミュニティ内の市民にとってテーマが自分ごとになり協働が活発化した。このように、協働を生む力のあるテーマ
のことを、我々は「共創ビジョン」と呼んでいる。
【成果その2】
「ほどほどの関係」
「共創ビジョン」に加え、
「びわこ市民研究所」サイトには、参加者どうしをある関係性でつなぐためのデザインを施
した。それは、参加者の顔(似顔絵)
、実名、思い(のようなもの)の情報を参加必須の条件としながら、肩書きや
所属団体の詳細情報等は極力省く努力をした。いわば整理された無味乾燥的な情報ではなく、人間臭さ(各々の感
性)が漂う情報で、それが人と人をつなぐ働きを活性化させることになり、協働による環境活動が活発化した。さら
に、つなぐ力は強過ぎず、弱過ぎずのところをコントロールすることで、参加者は気軽に未知の活動(例えば、環境
活動未経験の学生が、
ほとんど定年退職者で構成されている NPO 活動に参加する)に飛び込むことができたのである。
このようなつながり方を「ほどほどの関係」と呼んでいる。今から見れば、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サー
ビス)の先駆けといえるかもしれない。
5章「関係性デザインによる新しい広告ビジネス」
4
会社でのわたしの役割は「新しい広告領域をつくる」ことにある。びわこ市民研究所や CSR 活動のコンサルティング
等で培ったコミュニケーション手法「関係性デザイン」を用いた、新しい広告ビジネスの最新事例を2つ紹介したい。
関係性デザインは、なんといってもプロセス設計が肝となるので、時系列に沿って説明することにする。
【事例その1】NPO による社会課題解決型広告
・
「京都府下の過疎高齢化集落を都市部との協働によるビジネスづくりで支援する」こ
とを目的とした、中間支援組織「NPO 法人いのちの里京都村」を、京都府、大学、広
告会社、ほか企業等からの個人参加で設立。
・農村部と都市部の協働を図るプラットフォームとして、専用のウェブサイトを開設。
・NPO が、農村部と都市部のお互いの利益に資する、新しくてブルー・オーシャンな
商品・サービスの開発(加工食品、ツアー、社員研修など)をコーディネート。
(ここから、ツアー商品を例にとって説明)
・過疎高齢化が進む大原(おおばら)
(有名な大原三千院の大原ではない)は、二十歳
以下の住民は中学生一人という集落で、農産物は少なくほとんど自家消費用で、景観
や体験コンテンツは豊富にあるものの、観光ビジネスをやるには、なんといっても人
材が不足していた。そこで、
ビジネスとして取り組んでくれる都市部の企業等とのマッ
チングを進め、旅行会社、音楽アーティスト、料理人等が Win-Win で参画した。
・旅行会社の場合、
「カニ食い放題ツアー」などのパッケージツアーはまさにレッドオーシャン商品で、逆に誰も行っ
たことがないような集落ツアーはブルーオーシャン商品だが、情報も窓口もなく、これまでは雲をつかむような話だっ
た。しかし、課題を解決するプラットフォームを得て障壁がなくなった。
・京都市を拠点に世界中で活躍しているインド音楽グループの場合は、「日本ではまだまだマイナーな音楽なので話題
をつくりたい。また、コンクリートのなかより大地に足をつけて演奏したい」ということで、バスの乗客として参加
しながら集落でコンサートを実施する企画が生まれた。
・すると、集落内の大原神社から、境内の絵馬殿を舞台として無償提供の申し出があった。
・また、地元だけでは食事の提供も困難だったところ、ネパールの料理人から、大原の伝統料理とネパールの伝統料
理のコラボレーションでツアー客をもてなす提案があった。
・さらに、地元の猟師から、
「獣害対策で狩猟している鹿なら住民よりたくさんいる」という話があり、食材のひとつ
に鹿肉を加えた。
・こうして京都駅からの日帰りツアー商品が完成し、告知チラシをつくった。これを、すでに築きあげられたネットワー
クに放り込み、それぞれに配布してもらった。また、さまざまな主体が自主的にフェイスブックなどでツアー参加を
呼びかけた。新聞広告も考えたが、各メディアが事前に取りあげ
てくれたため不要になるという、おまけがついた。
【事例その2】新聞紙上を舞台とした表彰広告
・公益財団法人淡海文化振興財団の「未来ファンドおうみ」に、
地域で活動する NPO を表彰する「日本の元気なきずな」基金を設
置。
・地味な活動の PR と支援を望む NPO からの申請を受け付け、審
査委員会が受賞団体を選定。受賞団体の活動を紹介する記事を
10d で制作。
下 5d を応援枠とし、多くの地域の市民(住民、商店、企業等)が
受賞団体への寄付金と媒体費用を拠出した。
終章「広告はこれから、だ」
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事例の広告を見てみれば、
「市民の市民による市民のための広告」ということができる。広告会社も、一市民として
活動のプロセスに参加しながら、
ビジネスを展開した。そこでは「広告主と広告会社」とか「生産者と消費者」といっ
たものとは違う、
「多様な関係性」が育まれていった。そして、
「多様な関係性」が、新しい、ブルー・オーシャンな
商品を開発し、顧客を創造し、営業や販売促進活動を行ったのである。
自然には築きにくくなった「多様な関係性」をいかに育成していくか。つまり、関係性をいかにデザインするか、が
ビジネスの成否を左右する世界なのである。これは、人と人とのコミュニケーションをいかに図っていくか、という
手法そのものであり、コミュニケーションのプロである広告会社の役割は大きい。
広告をとおして、人と人とのつながり方を変えていくことができれば、ブルー・オーシャンな市場をあちらこちらに
創造するお手伝いができる。
「そんなのは広告とはいえない」という声が聞こえてきそうだが、ちょっと待ってほしい。社会情報学博士の北田暁
大氏は著書『広告の誕生(※3)
』で広告の変容をするどく考察し、次のように結論づけている。
「情報領域の境界設定に対する啓蒙的管制から解放された広告は、一つの論理的帰結として、《広告である/ない》と
いう差異すら曖昧化し…ついに広告は人びとの生活世界の中に滑り込むことに成功するのだ。」
望むと望まないにかかわらず、広告は、風景の一部となり、市民のひとりとして、広く社会や生活とかかわっていく
のだろう。
ならば、本論で示してみせた「明日の広告ビジネス」は遠い話でもなく、回り道でもなく、自然に帰結する、将来の
広告の姿なのかもしれない。
【参考文献・引用文献リスト】
(※1)
W・チャン・キム/レネ・モボルニュ(有賀裕子訳)(2005)『ブルー・オーシャン戦略』(ランダムハウス講談社)
(※2)
堀場厚(2011)
『京都の企業はなぜ独創的で業績がいいのか』(講談社)
(※3)
北田暁大(2008)
『広告の誕生』
(岩波書店)
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