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赤ペン精霊の神剣ゼミでクラス最強の魔法剣士に

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赤ペン精霊の神剣ゼミでクラス最強の魔法剣士に
赤ペン精霊の神剣ゼミでクラス最強の魔法剣士になれま
した
森田季節
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
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このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
赤ペン精霊の神剣ゼミでクラス最強の魔法剣士になれました
︻Nコード︼
N1796DK
︻作者名︼
森田季節
︻あらすじ︼
とある高校のクラス全員が異世界の王国に転移させられてしまう。
彼らは魔法使いや剣士の素質を持っていたため、軍人の幹部候補生
として王国で教育されることになった。
ときすけ
その中の一人、島津時介は魔法も運動も苦手で、異世界でいきなり、
おちこぼれになりかける。
1
しかし、彼が王国で使っていた赤ペンには、魔法も剣術も教えてく
れる素晴らしい精霊︱︱赤ペン精霊が宿っていた!
赤ペン精霊の指導法は神剣ゼミ。かつて、このゼミで育った生徒が
神剣エクスカリバーを使えるまでに成長したからだという。
この学習により、時介の魔法の成績は大幅アップ。短期間で一気に
クラス一位になる。
﹁これ、精霊のゼミでやったことある問題だ!﹂
さらに剣士のスキルも精霊の特訓によりアップ。彼は魔法と剣技の
両方を兼ね備えた魔法剣士に成長する!
立派に成長した彼の周囲には自然と彼を慕う仲間や、恋に落ちる女
子も現れる。彼もその力をみんなのために使う。
神剣ゼミのおかげでクラス最強になって、学校生活も楽しくなり
ました!
2
プロローグ︵前書き︶
新作はじめました! よろしくお願いします!
3
プロローグ
国語の授業中だった。
俺たちは中島敦が書いた虎が出てくる小説を読んでいた。
教科書から黒板のほうに頭を上げた。
黒板がなかった。
代わりに美しいステンドグラスが見えた。
なぜか、俺たちは天井の高い大聖堂みたいな場所にいたのだった。
こうづき
ああ、夢かな⋮⋮。授業が退屈で寝落ちしちゃってたのかな⋮⋮。
でも、若くて美しい上月先生の授業を退屈に感じることなんてあ
りえないことのはずだぞ。声を聞くだけでも癒される。
しかも、ほかのクラスメイトや先生の反応が妙に生々しい。
﹁おい、これ、どうなってるんだ!﹂
﹁どこだよ、ここ!﹂
﹁ほっぺたつねったけど、痛いんだけど⋮⋮﹂
﹁先生、これ、何のドッキリですか?﹂
もちろん、ドッキリじゃない。
﹁私、こんなの知らないよ⋮⋮黒板消えちゃった⋮⋮﹂
4
上月先生もこうおっしゃっている。
やっぱり、夢じゃないよな⋮⋮。
しかもそのことを裏付けるように、大きな扉が開いて、いかにも
魔法使いといった雰囲気の男が出てきた。
長髪でまだ二十代半ばぐらいだろう。
女子の誰かが﹁かなりイケメン﹂と小声で言った。
﹁突然のことで驚かれているかと思う。実はあなた方の所属してい
た教室ごと、このハルマ王国に転移させていただいた﹂
身勝手なことをその男は言った。
﹁残念ながら、あなたたちは元の世界には帰れない。その代わり、
この国は相応の待遇をさせていただく﹂
﹁帰れないってどういうことですか! だいたい、どうしてこのク
ラスの生徒が連れてこられないといけないんですか!﹂
上月先生が突っかかっていく。ああ、生徒想いのいい先生だ。
﹁このクラスが選ばれたのは、あなたたちの世界の人は多くのマナ
を体に有しているからです﹂
﹁マナ? 魔力みたいなもののこと?﹂
上月先生、若いからマナって聞いて反応できるんだな。
5
﹁そうです。つまり、あなた方は立派な魔法使いや剣士になる素質
をお持ちなのです。国力維持のために王国ではそういった方々をこ
こにお連れしたという次第です﹂
﹁お連れしたって、これは誘拐ですよ! 警察に連絡しますからね
!﹂
﹁あなたの世界の警察にですか? どうやって?﹂
﹁それはもちろんスマホで⋮⋮⋮⋮圏外になってる⋮⋮﹂
そりゃ、そうだよな。普通につながったらおかしいよな。
﹁強引な手法をとったことはお詫びいたします。しかし、こちらの
世界に来てもらうための交渉をしようにも、あなたの世界で魔法を
使える方がほぼ皆無のため、通信ができないのです。もちろん素質
はあるので、こちらで勉強すればすぐに簡単な魔法は使えるように
なりましょうが﹂
﹁わかりました⋮⋮。ですが、生徒の安全は保証してください⋮⋮﹂
上月先生もこれ以上、文句を言っても無意味だと判断したらしい。
賢明な判断だと思う。
﹁当然です。こちらとしてはあなた方全員を王国軍の幹部にしたい
ぐらいなのですから﹂
俺は半信半疑で、その話を聞いていた。
こういうのって、あれでしょ、役に立たない生徒だという扱いを
受けた時点でていよく追い出されたり、場合によっては刺客を放た
6
れたりするんでしょ。
だって、国の外に出たおちこぼれは百パーセント、王国の悪口言
うし、最悪、他国に情報売るかもしれんし、生かすメリットないも
んな。
﹁なお、おちこぼれだからといって追い出すような真似はいたしま
せんので、ご安心ください﹂
まるでこっちの心を読まれたようなことを言われた。
﹁これは姫君の厳命なのです。人間を一方的に連れてきて、使えな
いなら始末するようなことをする国はいずれ滅びる運命だと。事実、
そういったことをしていた遠方の国が滅ぼされた例があります。ひ
どい労働環境は必ず雇用者側にも傷を与えるのです﹂
異世界も過去の経験を踏まえて、進歩しているのだろうか。
﹁というわけで、謁見の場にいらっしゃっていただけませんか? 王よりご説明がございますので﹂
俺たちのクラスはぞろぞろと大聖堂みたいな建物を出て、お城の
ほうに移動した。
なんか学校以外の場にクラス全員でいると、社会見学っぽさがあ
るな。
楽天的な生徒は﹁これで勉強しなくてすむんだな。ラッキー﹂な
どと言っていた。
たしかに俺たちはまだ高二だが、じわじわ迫り来る受験勉強をパ
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スして剣と魔法の世界に行けること自体は悪いことではない。
しばらくして、近衛兵みたいな剣士が﹁王のおなーりー!﹂と叫
んだ。
白いふわふわのヒゲをたくわえた王様が玉座に座る。
﹁ご足労をかけた。この国の礼も知らんだろうから、楽にしてくれ
てよい。ハルマ王国の君主、ハルマ24世じゃ﹂
あんまり権威主義的な王様じゃなくてよかった。
﹁一言で言うと、君たちには勉強をしてもらう。勉強こそが君たち
の仕事じゃ﹂
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プロローグ︵後書き︶
本日は4回更新の予定です。次は2話ほぼ同時に更新します。
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1 異世界でも授業
﹁一言で言うと、君たちには勉強をしてもらう。勉強こそが君たち
の仕事じゃ﹂
みんな、きょとんとした。
てっきり、魔王軍と戦ってくれとか言われるのではと思っていた
が、勉強。
﹁すでに王宮魔法使いのヤムサックが簡単に説明したかもしれんが、
君たちの体には大量のマナが入っておる。個人差はあるが、それで
もこの世界の平均よりははるかに多い。そのマナを魔力にそのまま
転用すれば魔法使い、運動能力に利用すれば立派な剣士になれる。
君たちは才能のかたまりじゃ﹂
どうやら、マナというのは個人が持ってる才能みたいなものらし
いな。少なくとも、魔力そのものではないらしい。
そこで、こほんと王様のハルマ24世は空咳をした。
﹁しかし、才能がどんなにあろうと、剣を持ったこともない男は二
流の剣士にも絶対に勝てんし、魔法の唱え方を知らぬ子供は程度の
低い魔法すら使いようがない。そこには教育が必須なのじゃ。なの
で︱︱教育を受けてもらうというわけじゃ﹂
このあたりの論理はけっこうわかりやすい。未経験者じゃさすが
に経験者に勝てないからな。
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﹁ちなみに元教師の人もいるようじゃが、その方も生徒の側になっ
てもらうのでよろしくな﹂
﹁えっ、私も教育を受けるんですか!?﹂
上月先生の戸惑った声に笑いが起こる。
﹁先生と同級生! いよいよ恋愛フラグ立ったか!﹂
﹁バーカ、先生を奪ったらほかの男子に殺されるっての﹂
﹁俺たちのアイドルは清いままがいい! むしろ、まだ清い体であ
ると俺は信じてる!﹂
なんか、しょうもない声が飛んでくるが、まあ、いつものことだ。
たしかに教師二年目の上月先生は俺たちのアイドルだからな。
﹁勉強場所はあとで案内するが、できるだけ君たちの学び舎に近づ
けておる。そこで魔法と剣技の勉強をしてもらう。競い合ってもら
うほうが伸びるので、テストも実施する。週に一日は休日も用意す
るし、その時は羽を伸ばしてくれい﹂
たしかに待遇はけっこういいな。
そのあと、生活の場である寮や起床時間や食事時間の説明などが
行われて、だいたいの話は終わった。
だが、解散の前に声がかかった。
﹁すいません、少しお時間をいただけませんか﹂
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俺たちと同い年ぐらいの女の子が玉座の横にまでやってきた。と
いうことは王族か。
みんなの目が釘付けになる。わかりやすいぐらいに正統派の美少
女だったからだ。彼女だと言われたら男子が百人中百人うらやまし
がる容姿だった。
﹁姫のカコです。このたびは皆さんに多大なご迷惑をおかけして申
し訳ありませんでした⋮⋮。せめて、皆さんの生活が困らないよう
に細心の注意を払いますので、どうかお許しください⋮⋮﹂
まるで企業の謝罪会見かというぐらいの平身低頭ぶりだった。
いえいえ、俺たち気にしてませんからと言いたいぐらいだ。
﹁カコ、お前、いつもながら王族なのに腰が低すぎるぞ﹂
王もさすがに困惑したらしい。
﹁いいえ、もしどこかの王国の村から子供を三十人さらってくれば、
もと
王国の評判は間違いなく地に落ちるでしょう。王国のためとはいえ、
人倫に悖る行為であることは認識しておくべきです﹂
こういう高位の人って性格悪いイメージあったけど、全然そんな
ことないな。間違いなく善人サイドだ。
これはなかなか暮らしやすい異世界生活になるかもしれないな。
待遇は本当によかった。
まず、寮は一人一室。広さで言えば六畳一間ぐらいだったが、三
人一部屋なんて詰め込まれ方をしてないだけマシだ。
飯も味付けは日本と違うが、ちゃんと三食出るし、風呂も寮の地
下に大浴場がある。
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これなら異世界でも生きていけそうという声がけっこう聞こえた。
しかし、問題は翌日から生じた。
そう、授業がはじまったのだ。
●
教室には俺のクラス三十人プラス上月先生を入れた三十一人分の
席がある。
席は名前順だったが、島津時介という名前はちょうど部屋のド真
ん中ぐらいだった。
ヤムサックという最初に俺たちが出会った魔法使いが魔法の教官
もやるらしい。
﹁では、出席をとるぞ。これからは教官と生徒の関係だと思ってほ
しい﹂
やがて、俺の島津時介の名前も呼ばれたので、﹁はい﹂と答える。
そのうち、全員分の出席がとり終わった。
﹁では、まず、筆記具を君たちに渡す。この世界ではマナペンとい
う筆記具を使う。君たちの世界では筆記具を大量生産していたよう
だが、この世界ではそういうわけにはいかないのでな。大事に使っ
てくれよ﹂
ヤムサックは木彫りの細い棒を取り出す。真っ赤なので結構目立
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つ。
たしかにペンみたいに握りやすいサイズだが、あれでどうやって
書くんだ。
﹁人間には必ず微量でもマナというものが流れている。このマナペ
ンはそれに感応して紙に文字が書ける道具だ。インクと違ってなく
なることがないので、いつまでも使える。では、各自一本、取りに
来てくれ﹂
こんな時、真っ先に行けないのが俺だ。
ヘタレと言えばヘタレなんだよな。
はっきり言うが、俺のクラスでの地位は高くない。
理由は俺にほとんど得意分野がないせいだ。
高校の成績は中の下というか、下の上といった感じ。
得意なスポーツもなくて、帰宅部。
顔は普通だと思うが、成績のせいで自信があまりないから覇気が
ある印象もない。
あと、クラスでの友達もほとんどいなかった。
これでヒエラルキー的に上に行けると考えるほうが無理がある。
高校にまでなると、いわゆるイジメみたいなものもほぼなくなる
が、俺みたいなタイプは単純にスルーされるのだ。誰からも注目さ
れずに生きている。
そういう後ろめたさもあって、マナペンを取りにいくのもほぼ最
後になってしまった。
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﹁おっ、かなりきれいなの選んでるじゃん!﹂
﹁これ、グリップ部分が握りやすかったんだよ!﹂
みんな、見た目も美しいマナペンを選んでるなか、俺が箱を見た
時にはボロっちいのが三本しか残ってなかった。
かなりの年代物だな⋮⋮。この世界でペンが消耗品じゃないとい
うのは事実なんだろう。
そして、まだ選んでなかった残り二人もペンをとっていって、俺
に残されたのは最後の一本になった。
ラスト三本の中でも一番ボロい。これ、力入れて握ったら、折れ
るんじゃ⋮⋮。
しょうがないか。
これにしよう。
ほら、残り物には福があるって言うしな。
きっと、このマナペンが一番いいんだよ。そういうことにしよう。
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1 異世界でも授業︵後書き︶
次回、残り物に福があったことがわかります。精霊が出ないと話が
はじまらないので、すぐに更新します。
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2 かわいい先生がいれば頑張れる︵前書き︶
今回、赤ペン精霊が登場します!
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2 かわいい先生がいれば頑張れる
﹁みんな、選んだな。じゃあ、魔法の授業を始めるぞ!﹂
こうして、俺たちのハルマ王国での授業がスタートした。
﹁つまり、魔法というのは現象魔法と概念魔法に大別され、さらに
細分化されていく。なお、国によっては、分類法を変えているとこ
ろもあるが、このため、他国の魔法使いと我が国の魔法使いでは使
用する魔法に違いが生じるといったこともあり︱︱﹂
授業内容は、思った以上に高度だった。
ヤバい⋮⋮。これ、いきなりついていけないかもしれない⋮⋮。
高校に入ったばかりの時に似てると思った。
俺がなんで成績が悪いのか。
進学校に進んでしまったからだ。
中学での成績はよかったから、行けなくもない学校だった。俺は
通信教育のゼミを受けていたが、そこでの勉強がかなり自分に合っ
ていたのだ。添削してくれる先生のアドバイスもすごく親身でうれ
しかった。
そこまで友達が多いほうじゃなくて内気な俺にとって、中学での
成績がいいことは一つの武器だった。そのおかげで堂々と振舞えて
いた部分もあるし、どちらかというとおとなしいタイプの奴とはよ
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く友達になれた。
だけど、高校に入ると、周囲は勉強ができるのが当たり前で、俺
は成績でも下になった。それで、自信を持てるものがほぼなくなっ
てしまったのだ⋮⋮。
間に休憩をはさんでの二時間の魔法の座学のあと、小テストが行
われた。
たとえば、こんな問題だ。
●問3 攻撃魔法において重要なのは︵ ︶と︵ ︶である。<両
方あって正解とする>
なんだ? 一つは多分、威力だよな⋮⋮。もう一つは何だ?
●問6 詠唱が速いが発音に難がある場合と、詠唱が遅いが発音は
比較的正確である場合、どちらのほうが威力が出やすいか。また、
一般に魔法使いは実戦でどちらのほうを選択するべきか答えよ。
ヤバい⋮⋮。まともに聞いてなかった⋮⋮。
●問9 炎熱に関する攻撃魔法を、名称で5つ以上答えよ。
えっ? そんなに名称あったっけ? ああ、 なんか言ってたな
⋮⋮。でも、個別に覚えてないや⋮⋮。
そして、ちりんちりんとヤムサックが小さな鈴を鳴らした。
﹁はい、そこまでー。採点をするから後ろから回してくれ。じゃあ、
休憩とする﹂
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休み時間の後半、ヤムサックがやってきて、教室の後ろに成績表
をいきなり張り出した。そんなたいした時間じゃないぞ。手際よす
ぎるだろ。
﹁やる気を促すため、成績は掲示するからな。覚悟しておくように﹂
俺の成績は20点中3点。
2点の奴がいるから最下位じゃなかったが、似たようなものだっ
た。
これはまずいことになったぞ⋮⋮。
︱︱と、ぽんぽんと肩を叩かれた。
上月先生だった。
﹁大丈夫、大丈夫。間違って悔しいところはかえって記憶に残るも
のだから。一緒に頑張ろう!﹂
ああ、先生、なんていい人なんだ! 結婚してほしい!
ちなみに上月先生は16点だった。八割方できているのか。やは
り、大人!
そして、今度はヤムサックが話しかけてきた。
﹁少年、くよくよする必要はないぞ。あくまで、これは座学の結果
だ。魔法にも実習があるし、剣技の授業もある。挽回するチャンス
なんていくらでもあるのだ﹂
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ああ、励ましてくれてうれしいんだけど。
俺、実技はもっと苦手なんだよな⋮⋮。
そのあと、昼食をはさんで、剣技の授業になった。
剣技はまた別の教官だった。いかにも剣士といった筋骨隆々の男
だ。
﹁教官のスイングだ。まずは木剣の素振りからな。正しい型を覚え
ないと強くなれんからな!﹂
素振りのあと、体力をつけるためということで、王城の庭を走ら
された。
こういうのは本当に得意じゃないので、かなり遅れてしまった。
ふらふらになって男子ではケツから二番目にゴールした。
教官が近づいてきた。怒られるかな⋮⋮。
﹁お前は体力がないんだな。まあ、それなら魔法使いを目指せばい
い。無理に剣士になるだけが道じゃないぞ﹂
﹁あ、ありがとうございます⋮⋮﹂
ぶっちゃけ励まされるほうがきつい。
俺、どっちもできないかもしれないんだよ⋮⋮。
日が経つにつれて、俺の成績がどれも悪いのがはっきりしてきた。
魔法の実技も微妙だった。なにせ魔法は大量の知識を詰め込んで
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それを実践するようなものだから、知識がうろ覚えではどうしよう
もないのだ。
クラスからはバカにされることはないが、その代わり、ほとんど
いない人扱いになっていた。俺が恥ずかしくてどこのグループにも
入れないこともあるが⋮⋮。
そんな中で上月先生だけがフォローしてくれた。
﹁最初は遅れをとることもあるよ。でも、諦めずにやればどうにか
なるから!﹂
その優しさが痛い⋮⋮。
でも、その時、妙案が浮かんだ。
そうだ、上月先生に補習をお願いしたらいいんじゃないか?
もうすぐ二度目の休養日︵つまり、日曜日みたいなもの︶が来る。
その時に部屋で二人きりで教えてもらうのだ。これって最高じゃな
いか!
﹁補習で二人きりとか絶対ダメだからな﹂
俺の横を通りがかった亀山って男子に言われた。ちょっとチャラ
いタイプだ。
﹁無能な奴がおいしい思いするのは、おかしいだろ。それが社会の
常識ってもんだ﹂
そうか、俺が先生と仲良くなった瞬間、俺は人畜無害から有害に
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ランクアップ? するのか。
ダメだ。ここでクラスメイトから絞められるようなことになった
ら、異世界で生きていけない⋮⋮。
﹁わからないなら、先生が教えてあげようか?﹂
﹁き、気持ちだけ受け取っておきます⋮⋮﹂
上月先生とのフラグが立てられない!
●
そして休養日になった。
男子も女子もグループで寮を出て、城下町を遊び歩いているらし
い。
俺はどこのグループにも属していないから、自分の部屋でじっと
していた。
草食系の雰囲気を出してる男子のグループに入れてもらうことぐ
らいはできるが、奴らはかなり勉強はできる。日本にいる時から大
学受験の話題を普通にしていた。俺がいたら、やっぱり場違いなの
だ。
それに少しでも勉強して追いつかないとまずいというのも事実だ。
異世界転移したのに、最下位の立場とか嫌すぎる。
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しかし、教科書を開いても、とにかく難しい。
この世界に来た時点で、こちらの言葉は認識できるし、言語も日
本語みたいに書けるのだが、日本語で書いてる教科書だって読む気
が起きないようなものだ。なかなかつらい。
﹁孤独だな⋮⋮﹂
誰か教えてくれる人がほしい。
こんな俺でも横にかわいい女の子や美人の先生がいてくれたら、
やる気だってアップするだろうに。
﹁教科書読むだけじゃダメだな。手を動かして覚えないとな⋮⋮﹂
俺は机に置いていた赤いマナペンをぎゅっと握った。
﹁あ∼、かわいい系でも美人系でもいいから先生来てくれ!﹂
﹁わかりました!﹂
白い煙のようなものが出た。これはおそらく魔法の効果が出た時
に発生するもののはずだ。授業で習った気がする。
そして白い煙が消えていったあとには︱︱ピンクの髪をした女の
子が立っていた。
﹁この赤ペンの精霊、アーシアが教えてあげましょう!﹂
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2 かわいい先生がいれば頑張れる︵後書き︶
本日、もう一度更新予定です。ブクマして頂けると大変うれしいで
す! 励みになります!
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3 赤ペン精霊アーシア
﹁この赤ペンの精霊、アーシアが教えてあげましょう!﹂
その子は間違いなくそう言った。
見た目の歳は俺とそう変わらないだろう。
ただ、かなり胸が大きい。というか、胸の大きさを誇るみたいな
ビキニみたいな布をつけている。
スカートもスリットが何本も入っていて、かなり艶めかしい。
格好だけ見ると、絶対に教師ではない。
でも、精霊と言っていたのだ。精霊と言われると、どことなくそ
ういう気もする。ゲームによってはイフリートやジンがこんな見た
目のものもあるし。
﹁あの、もしかして⋮⋮この赤いマナペンに宿っていた方ですか⋮
⋮?﹂
﹁そうですよ、時介君︱︱いや、もう大人と言ってもいい歳ですし、
時介さんと呼びましょうか。私はそのマナペンに宿りし精霊、アー
シアです。あなたの勉強して成績を上げたいという意思を受けて、
やってきました﹂
こんな奇跡みたいなことがあるのかと思ったが、魔法が実在する
世界なのだから、ありえないとも言えないか。
というか、実際に出てきちゃってるしな。
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﹁私はこれまでもこのマナペンを手にした人の成績を何人もアップ
させてきました。それで志望する職種についた人も多くいます。な
かには自然と自信が出てきて、友達が増えたり、恋人ができた方も﹂
﹁すごい! 日本にあったゼミの漫画みたいだ!﹂
﹁そして、中には神剣エクスカリバーに選ばれたという伝説の魔法
剣士までいるぐらいなんです。なので、この指導法を私は神剣ゼミ
と呼んでおります!﹂
﹁ど、どこかで聞いたことある名称だ⋮⋮﹂
﹁ここから先は、神剣ゼミの説明になりますが、参加されますか?﹂
﹁する、する! やります!﹂
﹁では、説明いたしますね。私のゼミはプリント方式です。覚えて
おかないといけない要点や間違いやすいところなどを毎日お送りし
ますので、ちゃんとやってくださいね。採点と解説の時には私が出
てきて、講義をします﹂
毎日やるのか。大変そうだけど、それぐらいやれば一気にクラス
の連中をごぼう抜きできるかもしれない。
﹁すでに授業ははじまっていますから、最初は授業のおさらいや復
習になりますけど、すぐにそれを追い抜いて教えます。あ、これ、
ゼミで見た問題だ! という反応を時介さんはすることでしょう﹂
﹁わかった! 俺、努力します! 絶対に成績を上げます!﹂
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﹁よーし! その意気です!﹂
アーシアは俺の頭を撫でた。
むずがゆいけど、悪い気持ちではない。
﹁冷静に考えてください。時介さんはみなさんと同じ学校に入学し
たんでしょう? ということは元々の能力にそこまで大きな差はな
いはずなんです。だから、コツをつかめば一気に伸びますって﹂
﹁た、たしかに⋮⋮﹂
俺だけが才能の面で極端にクラスで劣っていたなんてことは考え
づらい。
じゃあ、なぜ、俺の成績がずっと悪かったのか。
最初のうちの失敗を引きずっていたのだ。
それで、ずっとダメなのだとレッテルを貼ってしまっていた。
そんなもの、はがしてしまえばいい。
﹁俺、やるよ。クラスで一番になってやる!﹂
﹁その覇気、いいですね。若人はそうでなければいけませんよ﹂
また、アーシアは俺に微笑んでくれる。
﹁ですが︱︱クラスで一番になるのは過程です。私の授業の最終目
的はもっと別です﹂
一呼吸置いてから、アーシアはこう言った。
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﹁ずばり、魔法使いと剣士を両方極めてもらいます!﹂
両方だと!
俺たちは魔法使いか剣士、そのどちらかのスペシャリストになる
よう、教育を受けているはずなのに。
あえて、両方を極めるというのか⋮⋮。
﹁それってハードル高くないですか⋮⋮?﹂
キャリア官僚と野球選手に両方なれ的な難しさを感じる。
﹁難しいかもしれませんが、必ず達成できます。実際、魔法剣士と
いう職業があるんですから。王国に数名しかいないエリートの中の
エリートです。時介さんはこの魔法剣士になってもらいます! い
え、私がそこまで導きます! それが赤ペン精霊の役目であり生き
がいですから!﹂
アーシアの気分もかなり高揚しているようだった。
その気持ちが俺にも伝染する。
﹁わかった! やるぞ! 俺は成績上げて、見返してやる!﹂
﹁はい! やりましょう! まずは魔法の基礎からです。少しかっ
たるいかもしれませんが、基礎から確認をいたしましょう。必ず、
時介さんにとってプラスになりますから﹂
そして、アーシアの姿は消えた。
29
﹁あれ、どこに行ったんですか、アーシア先生?﹂
アーシアの姿は見えなかったが、その代わり、机にさっきまでな
かったものが置いてあった。
それは俺が中学生の時にやった通信教育みたいなプリントだった。
<魔法の基礎>
プリントの上段にはそう書いてある。
そのあとにはこう続いている。
<どうも、赤ペン精霊のアーシアです。今から私と一緒に勉強して
いきましょう。このプリントは私がしゃべっている体裁になってい
ますので、空欄をペンで埋めていってください。>
なるほど。そういうシステムなのか。
<どうして、しゃべっているような文体にしているかというと、こ
のほうが覚えやすいからです。ほら、教科書の文章ってカタいです
よね。カタいということは頭に入りづらいんですよ。もちろん、教
科書だからなんですけど、だったら参考書とかほかの媒体ならライ
トにしてもいいですよね。>
たしかに日本でも漫画になってる参考書とか、講義形式の参考書
とか売ってるよな。
それはずばりわかりやすいからだ。
教科書は読んだ人にわかってもらうために作っているはずなのに、
30
堅苦しいから、頭に入るのが遅いのだ。
<では、早速、魔法の基礎を考えていきましょう。
魔法とは、ずばり、体内にある︵ ︶を使って、物理法則とは違う
現象を起こすことですよね。>
これぐらいなら俺でもわかる。答えは﹁マナ﹂だ。魔法とはマナ
を使って、現象を引き起こすことだ。
俺はマナペンでマナと書く。
ちなみにマナペンは赤いが、書いたものまで赤色になるわけじゃ
ない。それは黒になる。
<さらにこの魔法は︵ ︶魔法と︵ ︶魔法に分かれますね。前者
は火や氷を起こす魔法で、こっちが一般的です。後者はかなりマニ
アックで、相当偉い魔法使いにしか使えないものです。いわば、こ
の世界のルール自体を一時的に書き換えるようなものですね。>
これは前が現象魔法で、後ろが概念魔法だな。
最初の小テストでよくわからなかったやつだが、こう聞けばまだ
わかる。
<魔法を発動させる時には、いくつかの要素があります。まず、︵
︶です。口に出すことです。>
これの答えは、詠唱だな。
<もう一つ大事なのが︵ ︶の集中ですね。なので、ぼうっとした
頭で魔法を使うと威力が半減したりします。>
31
これは精神の集中だろう。酔っ払ったら上手く魔法が使えなくな
るって、教官のヤムサックも言ってた気がする。
あれ。
想像以上にすらすら答えが出てくる。
明らかに授業よりわかりやすいぞ。
初歩だからっていうのもあるからなんだろうけど、このプリント、
本当によくできてる。
これなら、授業の序盤でつまずいていた所をすべてリカバーして、
さらにいろんなことを勉強できそうだ。
32
3 赤ペン精霊アーシア︵後書き︶
明日も複数回更新する予定です! よろしくお願いします!
33
4 赤ペン精霊の個人指導
三十分ほどで魔法のプリントはすべて終了した。
多少曖昧なところもあるが、最初ということもあって、まったく
手がつけられないという部分はなかった。
﹁ふう、終わったな﹂
すると、また白い煙が出て、アーシアが出てきた。
﹁はい! お疲れ様でした! 時介さん、どうでしたか?﹂
﹁すごくわかりやすかったです。不安が減ったっていうか﹂
﹁ですよね。そう、それが大事なんですよ﹂
うんうんとアーシアはうなずく。先生とはいえ、そういうおおげ
さなリアクションはむしろ子供っぽい。
﹁基礎っていうのは、勉強の土台になるものです。池の上に立派な
お城を作ることなんて不可能なように、基礎があやふやだとその後
に覚えた知識が全部、一時しのぎのものになってしまいます。少し
難しい表現を使うと、言葉では記憶できても本質的な理解は無理で
す﹂
﹁言いたいことはなんとなくわかります﹂
34
﹁なので、基礎をしっかりやるべきなのですが、ハルマ王国の学習
指導要領ではそこがテキトーなんですよね。なぜかというと、即戦
力になってほしいという思いから、生徒がついてきているかを無視
して、新しいことをどんどん覚えさせるからです﹂
学習指導要領って言葉を異世界で聞くとは⋮⋮。
﹁復習の代用を小テストで果たそうとしているぐらいですからね。
なので、テストでわからなかったことをちゃんと自主的に勉強しな
いと、わからないまま先に進んでしまうんです﹂
﹁そういえば、進むペースが早いなとは感じてました﹂
﹁でしょう。まだ授業も始まって二週間ほどですから、ついていけ
ている生徒のほうが多いです。高校の数学だって一年の最初のうち
はなんとかなってたけど、だんだんきつくなってきた⋮⋮そんな人
が多いんじゃないですか?﹂
﹁ていうか、高校って概念を知ってるんですね⋮⋮﹂
﹁私はマナペンを握った人の記憶などを理解する力があるんです。
なので、時介さんがどういう勉強をしてきたかもわかるんですよ。
だからこそ、その人にあった教育ができるんです!﹂
アーシアが胸を張る。
かなりの巨乳なうえに、小さな水着みたいなので押さえているだ
けなので、あまり張られると直視できない。少なくとも教育には向
いてないというか、けしからんな⋮⋮。
﹁はっきり申し上げましょう。最初の一か月はいいんです。乗り越
35
えられる人も多いです。ですが、このまま補習もせずに先へ先へと
進んでいけば、二か月目あたりから脱落する生徒が増えますよ。残
念なことですが、毎回そうなっていますので⋮⋮﹂
アーシアは教師としてはベテランらしい。精霊だから実は何百年
も教師をしているのかもしれない。それなら、たしかにベテラン中
のベテランだ。
﹁しかも、罰則があるわけでもないから、成績が落ちていった生徒
は徐々に後退していきます。それでも、そこそこの魔法使いや剣士
にはなれるでしょう。異世界から来た方のマナにおける才能はそれ
なりにありますから。でも、それなり止まりです﹂
﹁どうせだったら、もっと上を目指したいよな﹂
言ってから、驚いた。
授業開始二週間ですでに諦めかけていた俺が、こんな上昇志向的
な発言をするとは。
﹁もちろん、上を目指しますよ。私はそのための精霊なのですから﹂
にっこりとアーシアは微笑む。
先生に抱く感情としては不適切かもしれないが、ものすごくかわ
いかった。
というか、先生といっても、容姿的には俺とタメぐらいだし、し
かも、けっこうえっちい格好してるし、普通に恋愛感情抱きそうに
なるな⋮⋮。
上月先生の場合はあくまで相手は年上というのがあったけど、ア
ーシアの場合はそういう境界線みたいなのが薄いのだ。
36
﹁私の顔に何かついてます?﹂
﹁い、いや⋮⋮。あの、ちょっと質問なんですが、剣技のほうはど
うするんですか?﹂
そう、俺たちの授業は机の上だけじゃない。
剣技も強くならないと、魔法剣士なんてなれるわけがない。
﹁そちらもいずれやりますよ。でも、剣技は習得したものを活用す
るのにこういう机の勉強よりは時間がかかりますからね。まずは達
成感を味わえるほうをやるべきでしょ?﹂
﹁ですね。そのほうがやる気も出るし﹂
﹁まあ、ご心配なく。私のカリキュラムは完璧です。神剣ゼミでは
魔法だけでなく剣技も教えますから! そうでないと神剣に選ばれ
た魔法剣士なんて絶対生まれませんからね。というか成績が上がる
だけでなく人間的な成長まで目指してますからね﹂
理念まで崇高だった。
﹁さて、前置きはこのぐらいにして、今日の範囲をおさらいしてお
きましょう。最初だからほとんどできてますけどね﹂
たしかに初歩の初歩という感じだったので、さすがにアーシアの
解説もすぐに終わった。わかる・わからないの次元ではなくて、ま
ずは覚えろっていう次元のものだ。
﹁せっかくですし、過去の小テストで悩んでいた問題の解説をしま
37
しょうか。王国の授業はそこがテキト−なんで。私はちゃんとわか
るまで指導しますからね!﹂
﹁是非、お願いします! たしかに小テストって解説もほとんどし
てくれないんだよな⋮⋮﹂
おかげでよくわかってないものはよくわかってないままになって
しまっている。
﹁最初の小テストで悩んだ問題だとこういうのがありましたね﹂
机に新しいプリントが現れる。
そこには紛れもなく、最初の小テストの問題が書いてあった。
詠唱が速いが発音に難がある場合と、詠唱が遅いが発音は比較的正
確である場合、どちらのほうが威力が出やすいか。また、一般に魔
法使いは実戦でどちらのほうを選択するべきか答えよ。
﹁こういうのって、解答欄にどっちかだけ書いてもすぐ忘れるんだ
よなあ⋮⋮。原理がわかってないと結局、頭に定着しない⋮⋮﹂
﹁威力が出やすいのは発音が正確であるほう、まず、これは時介さ
んも理解していらっしゃいますね﹂
﹁こういう設問だと﹃難がある﹄みたいなネガティブな聞き方をし
ているほうが正解ってことはないような気がしたんですよね﹂
﹁素晴らしい! そのとおりですよ! 一般的にあまりよくないこ
とを書いているものは正解であることが少ないんです!﹂
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そりゃ、唱えるのが高速なら詠唱なんてどうでもいいんだとは教
育の現場では言いづらいよな。
﹁問題はその次ですね。どちらを選択するべきかです。これ、一言
で言うと問題が悪いんです。だって、授業内容からはわからないで
すもん。正解はとにかく詠唱が速いほうです﹂
﹁実戦だと正確性なんて二の次ってことですか⋮⋮﹂
﹁そうですね。でも、正確性が低くても威力を補う方法はいくつか
あるんです。上級の魔法使いはそういうものを併用します。そうい
うことに触れてない段階でこういう問題を出すこと自体が無意味で
す。なので、あまり気にしなくていいですよ。そのやり方は後日、
教えますから﹂
アーシアは片目を閉じて、俺に微笑みかけた。
こう、同い年のクラスメイトに指導されてる感じで照れくささが
あるな⋮⋮。
だけど、やわらかかった土台が硬いものになってきた印象はこの
授業だけでもある。
﹁それじゃ、本日はこのあたりとしておきましょう。だんだんと高
度なことをやっていきますからね﹂
﹁うん、今日はありがとうございました!﹂
そして、アーシアはぱっと掻き消えた。
39
異世界に来て、最も充実した一日だったかもしれない。
俺は自然と、教科書をまた開いた。
今だったら楽しく勉強できるはずだ!
40
4 赤ペン精霊の個人指導︵後書き︶
次回、赤ペン精霊の授業の効果が学校の授業にも出始めます!
41
5 神剣ゼミの効果
休養日が終わってからも、アーシアは毎日、夜になると俺の部屋
に現れた。
夕食を食堂で食べ終えて、部屋に戻ってきた頃の時間だ。
これまでは食堂での時間もあまり話す相手もいないので、暗い気
持ちでぼっち飯って感じだったけど、今は気分がかなり晴れやかだ。
なにせ、部屋に戻るとアーシアと会えるのだ。
この男子の中で、美少女に授業をしてもらえている奴が何人いる
だろうか。もしかすると、俺が最も勝ち組かもしれない。
俺の功績ではないし、威張れることでもないけど、気持ちが上向
きになってくると、自然に態度にも表れるらしい。
﹁なんか、島津、堂々としてないか?﹂
﹁この何日かで性格変わった気はするな﹂
﹁急に大人になったっていうか﹂
そんなどこかのグループの声が俺のところまで聞こえてくる。
今の俺には心に余裕があるからな。
まだ授業でやる内容のほうがアーシアに教えてもらうことよりは
先になっていたが、基礎がしっかりできたことで、その知識を元に
して解答まで導くことができるようになった。
42
一言で言えば、正答数が増えてきた。
一方で、授業にだんだんとついてこれず、点数が下がる生徒も現
れてきて、俺の小テスト順位が相対的に上がってきた。
その二週目の最後で、魔法の小テストは三十一人中二十二位。
まだまだ下のほうだと思うだろう。上位にいる奴は気にも留めな
いだろう。
でも、俺の中ではもっと上に行ける感覚がすでにあった。
それにわからなかった問題はアーシアに教えてもらっている。俺
は同じミスはもう一度しない。うろ覚えの奴とはわけが違う。
そして、その日のアーシアの授業で俺は、学校の授業に追いつい
た。
﹁あっ、これ、まさに今日やったやつだ!﹂
﹁そうですか。それはよかったですね。じゃあ、どれぐらい解ける
かやってみましょうか﹂
竜巻を起こす魔法の詠唱がうろ覚えだったので、そこを間違った
が、それでも授業よりは書けていた。
風よ、轟きとなりて、薙ぎ払え、渦を作り⋮⋮⋮⋮ここから先は思
い出せないが、まあ、今から覚えればいいんだ。
なお、魔法の実習自体はまだほとんどない。それなりの知識が前
43
提としてないと、何もできないからというのが理由だ。
実習は大半が剣技だ。ただし、剣技も技の名前だとか高名な剣士
の名前だとか、座学で覚えさせられることもある。
どうやら、ハルマ王国はガチでエリートを養成したいらしい。力
はあるけど知識はないって奴はダメと考えているようだ。
ちなみに、魔法でも剣技でもない、たとえばハルマ王国の歴史な
んてものも学ばされている。こっちの点数が高ければ、子供相手の
教員などの免許ももらえるらしい。
できたのはだいたい七割ぐらいか。小テストのあとに自分なりに
教科書を読み直したりしたので、その時よりできている気がする。
俺が問題を解いている間は姿を消していたアーシアが顔を出す。
﹁はい、お疲れ様です! では、まず採点ですね﹂
瞬時に俺のプリントに○と×が並ぶ。
﹁そこそこ、理解できているじゃないですか。覚え方が甘いところ
は私が教えていきますから。まず、竜巻の魔法詠唱ですね﹂
正解は︱︱風よ、轟きとなり、薙ぎ払え、渦を作り、巻き起これ 嵐ともなれ!
﹁後半をいつも忘れるんですよね⋮⋮﹂
﹁これ、覚え方のコツがあるんですよ。ブロックごとに分けて、頭
文字をとっていくと、カ・ト・ナ・ウ・マ・アラシ。そこで、﹃下
44
うまあらし
等な馬嵐﹄と覚えましょう。竜巻の詠唱は下等な馬嵐です﹂
﹁馬嵐って何ですか?﹂
﹁それは⋮⋮別に意味なんてないんですが⋮⋮じゃあ、馬の名前を
アラシということで。下等な馬のアラシが竜巻に巻き込まれるイメ
ージをしてください。アラシって名前なのに竜巻に巻きこまれると
か、あほっぽいでしょ﹂
ふびん
俺の脳内に不憫なアラシという馬が想像された。
でも、妙な光景を思い浮かべたのがよかった。
﹁これなら、忘れない気がする⋮⋮﹂
脳内に下等な馬アラシを思い浮かべて詠唱してみる。
﹁風よ、轟きとなり、薙ぎ払え、渦を作り、巻き起これ 嵐ともな
れ⋮⋮。言えた!﹂
﹁ほら、ちゃんと言えたでしょ! 語呂合わせは悪くないんですよ。
とくに詠唱なんて覚えるしかないものですから、早く覚えた者勝ち
です!﹂
ぎゅっと、アーシアが俺を胸で抱き締めてくる。あっ、それ、思
い切り胸が当たってる⋮⋮。というか、布地が少ないから、顔が胸
に直接当たってる⋮⋮。
﹁はい、じゃあ、次の問題に行きましょう。あれ⋮⋮⋮⋮なんでぽ
けっとしてるんですか?﹂
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アーシアは思春期の男子についてはそこまで詳しくないらしい。
﹁風よ、轟きとなり、薙ぎ払え、渦を作り、巻き起これ 嵐ともな
れ⋮⋮。風よ、轟きとなり、薙ぎ払え、渦を作り、巻き起これ 嵐
ともなれ⋮⋮﹂
俺は気持ちを落ち着けるために竜巻の詠唱を繰り返した。
そんな調子で、その日習った範囲の復習も終わった。
でも、まだアーシアの授業は続く。
﹁次はいよいよ授業より先に進みますよ﹂
﹁それを待ってた﹂
これこそ、ゼミの本領だ。
授業より先に授業内容をマスターすれば、はっきり言って負ける
わけがない!
またアーシアが一度消えて、プリントが現れる。
次の単元はより高度な魔法の詠唱だった。
そのまま覚えるには長いものもいくつもあったが、プリントの中
に語呂合わせの方法が書いてあって、頭に残るようになっている。
さらにプリントの中には、﹁教科書ではやらない高度なこともつ
いでに教えておきます﹂などと書いてある。
俺はクラスで誰も到達していない領域に行くのだ!
未知のところだから難しかったが、プリントが終わると、すぐに
46
アーシアが現れた。
﹁それじゃ、一つずつ確実に教えていきますからね。大丈夫です。
ここまで来れたんですから、時介さんは必ずやれますよ﹂
﹁はい、俺はやります!﹂
その日やった範囲はアーシアの講義のあとの確認プリントですべ
て正解まで持っていった。
﹁よし、俺はこの範囲をマスターした!﹂
﹁よくできました! 時介さん、覚えるの速いですよ!﹂
また、胸で抱き締められた。
けっこうアーシアはボディランゲージが激しい。
うれしいけど、興奮して忘れそうになるからそこは問題だな⋮⋮。
でも、これで来週以降、俺はクラスで一気に上位に踊り出られる
はずだ。
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5 神剣ゼミの効果︵後書き︶
次回は夕方あたりに更新する予定です!
48
6 小テストクラス一位
休養日の間も、アーシアは俺を教えに来てくれた。
というか、俺が頼んだのだ。
﹁たまには休む日もあってもいいですけどね。しっかり遊ぶのも学
生の仕事とも言えますし。めりはりさえついてれば遊んでもいいん
ですよ﹂
﹁今の俺は学校で上位に行くのが楽しみなんです。もっともっと、
勉強したい!﹂
﹁わかりました。では、私もお付き合いしましょう!﹂
アーシアのおかげで、俺は授業のかなり先まで理解を深めること
ができた。
そして休養日の次の授業。
今日は教官ヤムサックが授業でしゃべることもすごくよくわかっ
た。事前にアーシアに習っているからだ。
クラスの様子を見ると、困惑している奴が少なからずいる。
授業だけで理解しろと言うには難しい部分も多いからな。とくに
暗記が必要なことを授業で聞いた直後に覚えるのはかなりきついだ
ろう。
でも、俺は問題ない。
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﹁では、今日の小テストを配る。はじめてよしと言うまでは後ろを
向けておくこと﹂
プリントが行き渡ると、﹁はじめてよし!﹂の声。
プリントをめくる。
これ、神剣ゼミでやったやつだ!
俺は次々に空欄を埋めていく。
まず、知識を問う問題を終わらせる。こんなもの、とっくに頭に
叩きこんでいる。
考えて解く問題も、あっさり答えが出せた。
よくよく考えたら、授業を始めてまだ一か月ぐらいだ。問題が解
けるかどうかは、ほぼすべて知識があるかどうかで決まるんだよな。
応用できる次元のことなんてほとんどないだろう。
なので、その知識を万全にできている俺にはほとんど隙がない。
すごく手ごたえがいい。
もしかして、これ、ほぼ満点じゃないか?
一問だけ、どう解釈してもいいような問題がある。
●問17 氷の魔法を使う敵に対しては、より強力な氷の魔法で攻
撃するべきか、それとも炎の魔法で攻撃するべきか。その理由を書
50
け。
これ、単純に授業でやってないことをテストに入れてるんだと思
う。アーシアにいろいろ教えてもらった俺でも、答えられる知識が
ある気がしない。いわゆる悪問だ。
ひとまず、こう書いた。
より強い氷で攻撃するべき。氷に炎が必ずしも効くとは限らない
から。
多分、間違いになりそうだけど、まあ、いいや。
無事に小テストは終わった。
いつものように休憩時間の終わりのほうには、もうヤムサックが
テスト結果を教室の後ろに貼った。
さて、何位かな。
本当に一位になれるんじゃ⋮⋮。
一位 島津時介 19点
ほかに19点の奴はいないから、俺がトップだ。
思わず﹁よしっ!﹂と叫びそうになった。過剰に喜んだら、さす
がに嫌な目立ち方をしてしまう。そこは日本人らしく、謙虚にして
いないと。
﹁えっ、島津?﹂
﹁島津、急成長してない⋮⋮﹂
51
﹁島津君って、そんなに成績よかったっけ⋮⋮?﹂
クラスメイトから上がる戸惑いの声。
正直、うれしい。ドヤ顔したいぐらいだ。
だが、やっぱり俺が一位になったことは一つの事件だったらしい。
ちょとしたトラブルが起こった。
﹁おい、お前、カンニングしたんじゃないのか?﹂
そんなことを言ってきたのは亀山だった。髪を軽く染めてちょっ
とチャラいタイプの奴だ。ただし、成績はそんなに悪くない。
上月先生に教えてもらうのを阻止してきたこともあるし、ちょく
ちょく俺に絡んでくるな。
﹁お前、前も中の下あたりだっただろ。なんでこんなに躍進するん
だよ﹂
後ろには亀山の仲間もいる。俺が偉くなったのが気にいらないん
だろう。
相手をするのは面倒だけど、ここでうかつに引き下がると本当に
カンニングされたって認めたような結果になるからな。
それだけは避けたかった。
だって、これは赤ペン精霊アーシアと二人で勝ち取ったものだか
らだ。
52
俺が疑われるのなら、まだいい。けど、アーシアの功績を否定さ
れるのは許せなかった。アーシアは本当に純粋な善意で俺をこの成
績まで引き上げてくれたんだから。
﹁違う。これは俺がちゃんと勉強した成果だ。先週も少しずつ成績
が上がってただろ。最下位から一位になったわけじゃない。少し前
からはじめた自主的な勉強が、ついに復習から予習の側にまで進ん
だんだよ﹂
﹁だからって、こんなに変わるものか? 明らかに不自然じゃね?﹂
援軍でも出すみたいに、亀山の仲間たちも声を出してきた。
﹁だよな。スイッチでも切り替わったみたいだぜ﹂
﹁そこまでして上に行きたいのかよ﹂
こうなったら、俺も戦うしかないな。
﹁俺の席、教官からもよく見える席だし、カンニングなんてできな
いっての。イチャモンつけるなよ。お前は実力で今回は俺に負けた
んだ﹂
最後にわざと売り言葉をかけたら、亀山たちの顔が赤くなった。
激昂したか。
やっぱりな。俺を陰でバカにしてたのに、それに抜かれたのがち
ょっとした屈辱だったんだろ。
リア充系の奴からしたら、友達いなそうでしかも勉強もできない
となると、侮蔑の対象になるからな。バカにしても﹁でも、あいつ
のほうが勉強できるじゃん﹂ってブーメランが跳ね返ってこない。
﹁なんだよ! 知識だけで魔法の一つも使えねえくせによ!﹂
53
亀山がこっちにやってきた。
けど、その恐怖よりあいつの言葉のほうがちょっとこたえた。
たしかに、俺、まだまともに魔法は使えないんだよな。
それもしっかり学習していかなきゃ。知識は実践できてはじめて
意味を持つんだ。
最悪、一発ぐらい殴られてもいいかなと思った。
うかつに問題を起こせば、処罰されるのは亀山たちのほうだから
だ。殴ったほうが偉いだなんてことには絶対にならない。
﹁待て、待て!﹂
けれど、そこに教官のヤムサックが割って入ってきた。
﹁亀山、不審に思うのは勝手だが、せめて島津の答案を見てからそ
う言え。彼の答案にはこれ以降の単元の知識が垣間見えるものもあ
った。予習しているのは本当だ。詠唱内容のカンニング程度ならで
きても、習ってない知識まで前借りすることはできんからな﹂
見事な正論だ。
亀山たちは予期しない敵の攻撃に完全に言葉に詰まっている。
﹁それに、カンニングかどうかは、七週目から始まる本格的な魔法
の実習で確かめればいい。本当に覚えていないと何もできないから
な。学内成績がいいのに実習での成績があまりにもひどい場合は、
カンニングだったと思われても仕方ない﹂
﹁じゃあ、島津⋮⋮そこで勝負しようぜ⋮⋮﹂
54
亀山がそんなことを提案してきた。
顔はまだ悔しそうだ。おさまりがつかないからそんなこと言って
るな、こいつ。
﹁わかった。俺もカンニング扱いされないように、これからもいい
成績をとってやるさ﹂
いよいよ、魔法の実習に気合を入れないといけなくなった。
﹁今回の島津からは努力のあとが感じられた。今後もその意気でや
ってくれ﹂
教官に褒められた。素直にうれしい。
﹁ありがとうございます。得意科目がほしくて努力しました。ちな
みにどこを間違えてましたか?﹂
﹁問17の氷魔法についての設問だ。あれはできなくてもしょうが
ない﹂
やっぱり、悪問だったんだな。
﹁ああ、あと、君たち、六週目には魔法の中間テストもあるので、
それも忘れないように﹂
そうか、そんなのもあるのか。
﹁げーっ!﹂なんて悲鳴が聞こえてくる。テストが好きな高校生な
んて、そんなにいないからな。
でも、俺としてはむしろ気合が入った。
55
小テストは所詮小テストだ。前日にちょっと予習すれば切り抜け
られる。
中間テストでも一位とってやる。
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6 小テストクラス一位︵後書き︶
本日もう一回夜中あたりに更新します。
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7 魔法の練習
その日、小テスト一位だったことをアーシアに話したら、
﹁時介さん、おめでとうございます! 本当におめでたいです!﹂
いつも以上にアーシアに抱きしめられた。
しかも、その勢いに負けて、俺がベッドに倒れてしまったので、
いよいよまずい。これ、押し倒されてますよ! 教え子が先生に押
し倒されるって、完璧に事案ですよ!
しかも、アーシアは確信犯なのか、これが素なのか、ベッドでも
そのまま抱きついたままなのだ。これ、ラブコメとかだと﹁そ、そ
んな気持ちじゃないんだから!﹂ってヒロインがすぐに跳ねのくタ
イミングなんだけど⋮⋮。
﹁さてと、初の小テスト一位ですし、何かご褒美をあげましょうか
ね﹂
どきりとした。だって、いまだにベッドの上だぞ。健全な男子高
校生として、不健全で桃色なご褒美を期待しちゃうのはやむをえま
い。
しかも、アーシアが精霊だからなのか、体温みたいなものが明ら
かに人間より高くて、余計にむらむらしてくるというか⋮⋮。
まあ、ご褒美はまっとうなものだった。
58
﹁じゃじゃ∼ん、これです!﹂
俺に抱きつくのをやめて、立ち上がったアーシアは俺に指輪を渡
してきた。
青い石がそこに入っている。
﹁宝石? いや、ただの宝石ってことはないですよね﹂
﹁それは魔法使いがつけるアイテムで、マインド・リングと言いま
すね。その人がやる気だと、魔法の威力に少しプラスになるんです
よ。魔法使いは心理面も大事ですから。まあ、お守りみたいなもの
ですよ﹂
﹁ちなみにお高いものですか?﹂
﹁市販価格は一万五千ゴールドぐらいですかね。ずっと使ってると
割れますから、そしたら交換してください﹂
ここのお金の単位はだいたい円と同じぐらいの感覚だから、一万
五千円か。目が飛び出るほどの値段ではないな。
なお、ある程度のお金は王国から俺達生徒に支給されていて、そ
れで買い物をすることも可能だ。
また、中間テストのような区切りにあるテストの結果がよければ、
もらえるお金も褒奨として増額されるらしい。王国としては生徒の
労働はイコール勉学という扱いなのだ。
生徒は申請すればお金を借りることもできる。ただし、無利子だ
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し、国の軍人や役人になれば返還義務もなくなる。早速、お金を借
りて休養日に羽目を外した奴もいたという。
その日もプリントをして、そのあとにアーシアに指導してもらう
という形での授業をやった。座学としての内容も高度になってきた
と思う。
それでもアーシアの教え方が上手いし、それだけでなくて、覚え
やすい暗記法などもどんどん伝授してくれるから、とにかく効率が
いい。
実戦で使えそうな知識や戦法が増えてきている気がするし、一方
で魔法使いの歴史なんてものも範囲に入っている。
﹁この魔法使いの歴史に関する部分は教科書にはまだ出てきません。
ですが、プロの魔法使いが魔法使いの歴史を全く知らないというこ
とはありえませんから、将来のことを考えて、教養として知ってお
くべきですね﹂
﹁わかった。どんどん学ぶことにするよ﹂
﹁時介さんの理解度は本当にかなりものですよ。コツをつかめてき
たみたいですね。普通に、才能あると思いますよ﹂
﹁ありがとう。先生にそう言ってもらえると、さらにやる気になる﹂
もはや、得意科目は魔法の座学ですと言ってもいいぐらいだ。日
本の高校にいた時にこんなに楽しく勉強ができたことがあるだろう
か。
60
﹁そろそろ、魔法を使うことも、本格的にやってみてもいいかもし
れませんね﹂
﹁そう、それ!﹂
今日、教官のヤムサックに言われたことを思い出した。
﹁いずれ、授業の中で、魔法を使う実習もしっかりやるらしいんで
す。そっちの指導もしてもらえるんですか?﹂
﹁もちろんです!﹂
アーシアが胸を叩く。勢いよくその手が跳ね返った。もはやクッ
ションだ。
﹁優秀な魔法使いになれるようにとことん教え込みますよ! じゃ
あ、今からやりますか?﹂
﹁是非お願いします!﹂
ペーパーテストだけできて、本番では何もできませんなんて一番
恥ずかしいやつだからな。それだけは避けたい。
じゃあ、どうするかといえば、練習あるのみだ。
寮の外には演習場があるから、そこを使うか。室内でやって、炎
でも出て、火事になったら大変だからな。
﹁あっ⋮⋮でも、夜に寮から出るには許可が面倒くさいな⋮⋮。夜
間に出るの、認めてもらえるかな⋮⋮﹂
61
﹁じゃあ、私が連れていきますよ﹂
アーシアは俺の体をひょいとお姫様抱っこの姿勢で持ち上げると、
そのまま窓を開けて、飛び出した。
﹁えっ! ここ、三階なんだけど!﹂
そんなヒゲのおじさんのアクションゲームみたいに俺は丈夫じゃ
ないぞ!
﹁大丈夫ですよ。私、飛べますから﹂
たしかに、ぷかぷかアーシアは空中を浮いていた。
﹁ほ、ほんとだ⋮⋮。そりゃ、精霊だから飛ぶぐらいわけないのか
⋮⋮﹂
﹁空中浮遊、つまりレヴィテーションは、そんなに難しい魔法では
ないですし、基礎が身についたら覚えてみますか?﹂
﹁じゃあ、お願いしようかな⋮⋮﹂
実のところ、俺は上の空だった。飛行機ならともかく、こんなふ
うに空を飛んだことなんて当然ながらなかったからだ。
灯かりのついている窓を外から眺めるというのは不思議な光景だ
な。
﹁今の先生みたいに俺も誰かを乗せて空を飛ぶこともできますか?﹂
62
﹁もしかして、空中飛行を楽しみたい好きな人でもクラスにいるん
ですか?﹂
﹁いや、そういうんじゃなくて、俺、今、すごく感激してるから⋮
⋮こういう気持ちをほかの人にも体験させられたらいいんじゃない
かなって⋮⋮﹂
少し照れくさいことを言ってしまったからか、口数が多くなった
かな。
でも、どうせなら魔法も人のために使えたほうがいいよな。
﹁私、時介さんを教えられていることを光栄に思います﹂
しみじみとアーシアは言った。
﹁えっ? どういうこと?﹂
﹁私のほかにも赤ペン精霊はいるんですよ。でも、みんな成果主義
に凝り固まっているというか、成績を上げればなんでもいいって発
想の精霊が多くて⋮⋮。私も空しさを感じていたんです。成績以外
にも大切なものはあるだろうって⋮⋮。それを時介さんに逆に教え
られた気がします﹂
﹁俺も⋮⋮先生を教えられたとしたら、光栄⋮⋮かな﹂
やっぱり照れくさいな。しかも、お姫様抱っこされてるぐらいだ
しな。
これ、俺が抱っこしてるほうだったら、ロマンティックというか、
本当に恋に落ちちゃってたかも⋮⋮。告白してたかも⋮⋮。
63
﹁さて、演習場に着きましたね﹂
ゆっくりとアーシアは地上に降り立った。
﹁今から、魔法を出してみたいと思います。まずは炎です﹂
アーシアが右手の人差し指を立てる。
すると、そこから炎が上がった。
64
7 魔法の練習︵後書き︶
明日は二回更新の予定です!
65
8 すごい才能があった
いとも簡単にアーシアの手から炎が上がる。
﹁やっぱり、炎って基礎的なものなんだ⋮⋮﹂
ゲームでも攻撃魔法の初歩って炎系が多いもんな。
﹁そういうことになりますね。だからこそ、誰しもがここから入る
んです。攻撃魔法の習得を禁止されている聖職者なんかを除くと、
みんなこれを習います﹂
だが、そこでふと疑問が浮かんだ。
﹁そういえば、火を出す時も空飛ぶ時も先生は詠唱をしてなかった
気がするんだけど⋮⋮無詠唱で魔法って使えるんですか?﹂
授業では詠唱なんて不要だとは学んでないはずだが。
﹁いいところに気付きましたね、さすが時介さんです﹂
またアーシアは褒めてくれた。
﹁実は、これって高位の術者がやれる裏技みたいなものなんです。
ほら、わざわざ﹃焔よ我が指先にカンテラの如く灯るがよい﹄なん
て唱えるの、かったるいじゃないですか。それで、これができる人
はついつい省略しちゃうんです﹂
66
﹁高位ってどれぐらいの次元を言うんですか?﹂
﹁ヤムサックという教官の方ならやれるとは思いますが﹂
逆に言うと、教官クラスにまでならないとできないのか⋮⋮。じ
ゃあ、まず無理じゃん⋮⋮。
﹁ようはとことん意識を集中させることができればいいんですよ。
詠唱もしゃべることで雑念を考えられなくして、意識を集中させる
手段に過ぎませんから。それで詠唱内容を唱える魔法に近づけるこ
とで、発動する魔法をコントロールしているんです﹂
﹁じゃあ、詠唱をしたからそれに関する魔法が出るわけじゃないん
ですね⋮⋮﹂
﹁詠唱と魔法をイコールだと理解している人が多いですが、厳密に
は違うんですよ。でも、それは今はあまり重要ではないですね。さ
て、炎を出してみましょう。手を伸ばしましょう﹂
俺は右手を突き出すようにする。
﹁じゃあ、基礎的な炎の魔法、ファイアの詠唱をどうぞ﹂
﹁焔よ我が指先にカンテラの如く灯るがよい︱︱ファイア!﹂
ついつい勢いで最後に魔法名を言ってしまった。といっても、火
の英語名でしかないけど。
だが、残念ながら何も出ない。
67
﹁やっぱり、まだ出ないか﹂
冷静に考えればこんなことだけで火が発生したら火事が多発しそ
うだし、もうちょっと訓練がいるのかもしれない。
﹁次は、右の人差し指から炎が出るところを想像しながら、その指
に意識を向けてやってみましょう﹂
﹁焔よ我が指先にカンテラの如く灯るがよい︱︱ファイアッ!﹂
すると、ぼわっと、小さな火が指から出た。
﹁うぇっ? もう、出た!﹂
﹁おお∼! いいですね、いいですね∼! 上出来ですよ!﹂
ぱちぱちぱちぱち。アーシアが拍手をしてくれた。
﹁二度目で成功するとは思いませんでした。せめて二百回ぐらいは
詠唱しないといけないものだと⋮⋮﹂
﹁ぶっちゃけ、ここまですぐにできたのは、時介さんの筋がいいか
らです。そして、私の教え方もいいからじゃないでしょうかね﹂
そこは自分も褒めるんだな。実際、教え方、上手いけど。
﹁指先に集中というのがコツなんですよ。おそらく、学校の教官は
漠然と手に力を込めろとしか言わないと思います。それだと力が散
漫になるんで、時間がかかるんです。だって、片手の指って五本も
あるんですよ。分散だってしますよ﹂
68
﹁たしかに⋮⋮﹂
﹁その点、指先に限定すれば力は集まりやすくなります。しかも、
時介さんは直前に私が指先から炎を出した所を目撃しましたね。あ
れで、イメージは極めて鮮明になったはずです。だから、火を出せ
たんです﹂
なるほどな。アーシアの説明でかなり飲み込めてきた。
﹁なので、時介さんなりに魔法を使うポーズみたいなのを決めてお
くといいかもしれませんね。そういう型があると最初の習得が容易
になります﹂
詠唱をしながら、最後に右足を前に突き出し、同時に右手も突き
出すようにしてみた。
ボワワアアッ!
さっきよりかなり強い炎が上がった。
周囲が少し明るくなったぐらいだ。
﹁うわっ! けっこう大きい炎だな⋮⋮﹂
﹁おお! 本当にすごいですよ! もしかして天才ですか!?﹂
この反応はガチっぽい。アーシアもここまでの効果があるとは思
ってなかったようだ。
﹁いやあ、天才は言いすぎなんじゃないですか? あっ⋮⋮そうか、
69
日本から来た俺達はマナが多いらしいんだ。それのせいかな﹂
おそらく、燃料みたいなものが俺達には多く入っているのだ。だ
から、威力も大きくなりやすい。
﹁そうですか。異世界から来た人、恐るべしですね。でも、これだ
と本当にかなり効率よく魔法を使えるようになりそうですね。本格
的にやってみましょうか!﹂
そして、アーシアによる熱血指導が始まった。
熱血といってもあくまで熱意があるというだけで、失敗したら竹
刀で叩かれる的なものはないが。
そして︱︱一時間後。
﹁凍てつく氷の女神よ、我に力を貸せ! 心までも凍らせるために
! アイスバインド!﹂
俺の指先から一気に氷と霜が混ざったようなものが飛び出して、
演習場一帯が凍結した。
﹁うわぁ⋮⋮アイスバインドって初期魔法アイスをかなり使いこな
したあとに覚える魔法なんですけど⋮⋮﹂
アーシアはもう褒めるというより呆然としていた。
﹁まだ一時間しか経ってないんですよ!? こんなペースだったら
一週間後には教官の助手ができるぐらいまで成長しちゃいますよ!
? どうなってるんですか!?﹂
70
﹁俺に聞かれても困りますよ⋮⋮。多分、俺のマナが多いとか、先
生の教え方がいいとか、それと俺がそこそこ魔法に向いてたとか、
いろいろ運が良かったんじゃないですか?﹂
﹁どんな強運なんですか⋮⋮﹂
ぽかんとアーシアはしていた。
﹁じゃあ、空中浮遊︱︱レヴィテーションを今から教えますね。こ
れ、途中で墜落すると危ないからそれなりにマスターできるまで実
際の使用は避けてほしいんですけど、それでも時介さんなら十五分
もあれば絶対にマスターできますよ﹂
空を飛び上がるところをイメージしながら、俺はアーシアから教
えてもらった詠唱を行う。
﹁大地に逆らう鳥の自由よ、今少しだけ我に貸し与えよ︱︱レヴィ
テーション!﹂
ふわりと体が浮き上がった。
すぐにまた地上に戻ってしまったが。
﹁やっぱり⋮⋮。時介さん、イメージを作るのが異様に上手いんで
すよ。一発目から効果が出るっていうのがおかしいんですから﹂
﹁それって、ぼっちだと魔法が得意ってことか⋮⋮?﹂
休み時間とかあまりしゃべらないと、その分、頭の中でごちゃご
ちゃ考えたりするからな⋮⋮。
71
会話というのはしゃべる相手がいないとできない。かといって、
しゃべらない間も思考は続いている。だから、内省的な時間の使い
方にならざるをえないのだ。
すると、ぎゅっと、アーシアが俺を抱きしめてくれた。
﹁ぼっちじゃないでしょう? 時介さんには先生がついていますよ﹂
﹁うわ、それ、先生、反則です⋮⋮﹂
ほんとに惚れちまうよ!
72
8 すごい才能があった︵後書き︶
次回は夜に更新します!
73
9 ゼミをやったおかげでモテました
俺はアーシアに魔法の座学と実習の両方を学ぶようになった。
やっぱり、こういうのは両方やるべきだ。
座学だけではいまいち実感がなかったことも、魔法を使うように
なるとよくわかるなんてことも多い。その逆で、魔法を使うように
なったことで、語呂合わせなんてなくても呪文も忘れないほど口に
するようになった。
座学のほうでやるプリントも、どんどん進んでいるはずなのだが、
壁にぶち当たることはなかった。もちろん、俺の実力だけでなく、
アーシアの教え方がいいのもある。
そもそも、マンツーマンで教えてもらえるほど、ここには教官が
いないし、数少ない教官もほかの仕事もあって、時間がない。
だから、アーシアが俺の横についてくれているだけで、一種のチ
ート状態だとすら言えるのだ。
俺が魔法の座学の小テストでクラス一位になった日から、俺の独
走状態となった。
覚えるのが速くて八割方解ける奴はいるが、それでもほぼ満点が
取れるのは俺しかいない。
そんなことが一週間続いたので、亀山もカンニング疑惑など言っ
てこなくなった。
今では教官のヤムサックに﹁島津、これ、わかるか?﹂と授業中
74
に名指しで聞かれるまでになった。
﹁わかります。事前に結界を張っておくのが正解だと思います。た
だし、結界自体も敵の解呪魔法ディスマジックの対象になるので絶
対に安全とは言えませんが﹂
﹁それで正解だ。もう、お前はそのうち生徒というより教員になり
そうだな﹂
亀山みたいなチャラい連中は俺のことが苦手なのか、﹁ガリ勉で
偉くなって楽しいのかよ﹂とか言ってる時があるが、おおむね、ク
ラスからの評価も高くなっている。
ていうか、ガリ勉だろうとそれで実力を評価されたら楽しいだろ。
しかも睡眠時間を削ってるわけでもなんでもない。むしろ、巨乳の
先生と語らってるんだ。孤独ですらないからな。
最近だと、休憩時間に男女問わず、わからないところの質問を聞
かみごおりあこ
きにくる生徒がいるぐらいだ。
その日も上郡亜子さんが質問にやってきた。
﹁あのさ⋮⋮島津君、ここのところ、教えてほしいんだけど⋮⋮﹂
﹁ああ、これ、わかりづらいよね。俺も最初は手間取った﹂
手間取ったというのはゼミでプリントでやった時という意味だ。
別に俺は完全無双の天才じゃないから、最初にプリントで見て解
けないところもいくつもある。でも、アーシアに教えてもらって、
その都度、理解してきたのだ。
75
だからこそ、苦戦してる生徒の気持ちは割とわかる。みんな、つ
まずくところはほぼ共通しているからな。
﹁つまり、これは魔法の速度で相手に逆転することで相手を阻害す
るんだ。相手の魔法が発動する前に先に魔法を無効化する魔法をか
けておくってこと﹂
﹁ああ、わかったよ! ありがとう、島津君!﹂
人から感謝されるのって、なかなか気持ちいいな。
﹁なんだか、ここに来て三週間目あたりから島津君、変わったよね。
すごく落ち着いているっていうか﹂
﹁勉強して自信がついたんじゃないかな。そういうのが態度に出て
るんだと思う。俺の人格が入れ替わったわけじゃないから、それぐ
らいしか考えつかない﹂
﹁だから、なんだけど⋮⋮﹂
少し上郡さんは口ごもったが、
﹁島津君、かっこよくなってる気がする⋮⋮﹂
えっ? 女子にかっこいいって言われるなんてことがあるのか!
﹁俺、整形したわけでもないけど⋮⋮﹂
﹁自信ついたって言ってたでしょ。そういうの、多分、いろんなと
ころに現れてるんだと思う。偉そうにしてる感じもなくて、自然体
だし﹂
76
俺は中学の時、やってたゼミの漫画を思い出した。
ゼミをやって成績が上がるとなぜかモテるというか、好きな異性
との距離が縮まることがよくあった。
そんなの都市伝説だろ、勉強やってモテたら苦労しねえよと思っ
ていたが、そういうことが現実に起きようとしているのか!? い
や、かっこいいと言われるのとモテるのは概念としてずれてるけど。
そっか、成績も悪くて後ろめたい気持ちがあったもんな。そんな
気持ちで生きてたら、少なくともモテる可能性も確実に減少する。
そこが改善されたから、女子によってはかっこよく見えたりしたん
だ。
その日の授業後、俺は部屋でアーシアに会った時にそれを報告し
た。
ちょっと痛々しいかなと思ったが、これはアーシアのおかげなわ
けだし、お礼的な意味で言っておくべきだろうと思ったのだ。それ
にアーシアは俺の成長を我が事のように喜んでくれるし。
﹁へえ、それはよかったですね! たしかに時介さん、最初に会っ
た時より確実にかっこよくなってますもん!﹂
﹁そうなんだ⋮⋮。自分だと判断不可能だから、意外な感じですね
⋮⋮﹂
﹁でも、ちょっと悲しいですね⋮⋮﹂
そこで、アーシアは物憂げなため息をつく。
﹁せっかく、これまで時介さんを独占できてたのに、徐々にクラス
の女子が時介さんの魅力に気付いてきちゃいましたか⋮⋮﹂
えっ、それって俺に気があるってこと?
77
落ち着け、落ち着け⋮⋮。これはアーシアなりのリップサービス
だ。
それでも二割でも本心が混じっていたら、それだけでもすごくう
れしいけどさ。
﹁そういえば、もうすぐ中間テストですね﹂
そうだった。恋愛よりもそっちに気持ちを集中させないとな。
もう、三日後の六週目最終日に魔法座学のテストがある。
授業自体は王国の歴史とかほかのものもあるが、そういう授業時
間が短いものは期末テストみたいな時にだけやるらしい。
﹁一応、これまでも復習を兼ねてプリントを読み返してたりしたん
ですけど、おそらく問題ないと思います﹂
﹁そうですね。ぶっちゃけ私もあまり心配していませんが、模擬テ
ストもありますから、やってみましょうか﹂
アーシアが消えて、代わりに机に﹁中間テスト予想問題﹂という
ものが出てきた。
いつものプリント形式じゃなくて、高校でやったテストみたいな
形式だ。
﹁よし、じゃあ、やってやるか﹂
ちなみに点数は97点だった。
﹁少し難しめに作ったんですけど、これは楽勝でしょうね﹂
﹁ですね。もう、魔法の実習のほうに移ってもらえますか?﹂
78
その日も俺は実習を演習場でアーシアとした。
アーシアいわく、もう魔法使いとして働いてお金をとれる次元だ
そうだ。
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9 ゼミをやったおかげでモテました︵後書き︶
ゼミをやったらモテますよね。某ゼミの漫画もそういう展開ありま
すもんね。
次回も結構無双します!
80
10 最初から特別扱い︵前書き︶
日間12位ありがとうございます! これからも努力してどんどん
更新します!
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10 最初から特別扱い
六週目の最終日。
いよいよ、中間テストがある。
といっても、日本での中間テストみたいに科目数が多くはないか
ら、まだマシだ。実質、魔法座学というやつ、一つだけだ。その分、
授業スピードは速いので、日本の科目の中間と期末の両方の範囲を
さらに超えたぐらいはあるが。
さすがにこの日はみんな気分が重いらしく、教室も静かだった。
なにせ、これの成績次第では国から報奨が出ることが決まってい
るのだ。
これまでも週に五千ゴールド、だいたい五千円が小遣いとして与
えられていた。報奨が出ると、次のテストによる結果までこれが倍
になるという。
週に一万って月四万円の小遣いだ。バイトでもしてない限り、不
可能な額である。
これだけでも努力をするのに十分すぎるものだろう。
それに日本だと数学の成績が悪くても、たいていの場合、就職先
でその知識は使わなくてもやっていけるが、この世界では魔法がま
ったく使えないのはかなりリスキーだ。
もちろん、すでに剣士のほうに方向性を定めている男子もいるこ
とはいるが、たいていはそんな思い切った決断はまだできずにいる
82
はずだ。
そもそも、剣士なんて戦死のリスクも高い職業だし、気楽に選ん
でいいものじゃないよな。ものすごく剣技に素質があるならいいけ
ど、魔法使いが難しいから剣士にしますなんていうノリじゃまずい。
そんな独特の緊張感で包まれている教室だったが、俺はかなり落
ち着いていた。
一人だけ模擬試験をやってるわけだし、これでガチガチに固まっ
てるほうが変だ。
ヤムサックが全員の机に裏返したプリント三枚を置いていく。
﹁解答用紙は一枚、問題用紙が二枚だ。はじめてよしと言うまで裏
返しておくように。試験時間は一時間とする﹂
限りなく、日本の高校のテストと同じだな。
そして、テスト開始。
おっ! すらすら解ける!
問題は全体的に模擬試験でやったものより簡単だ。
模擬試験というのは本番より難しく作るから当然ではあるが。
最初の十分でほぼ勝ったなと思った。
まったく、手が止まらないのだ。答えも確信を持って書ける。出
題者がどういう意図でこの問題を作ったかすらわかるのだ。
83
全部解き終わった時点で、試験時間はまだ半分ぐらい余っていた。
ゆっくりと答え合わせを自分なりにして、あとは終了を待つ。
ラスト直前までマナペンを走らせる手の音が聞こえるから、みん
な手こずってるんだろうな。
﹁よし、やめ!﹂
ヤムサックの声が響いた。
そのあと、剣技の実習があった。といっても、テスト直後だから
体を動かせということで王城の敷地を走らされただけだったが。
そして教室に戻ってくると、成績表がまた貼り出されている。
一位 島津時介 98点
よし、無事に一位になれたな。
これでアーシアに勝利報告ができるぞ。
なお、以前に俺にケンカを売ってきた亀山は64点だった。すご
く悪いわけではないが、威張れる点数でもないな。
﹁ら、来週からやる実習で実力見せないと一緒だからな!﹂
いかにも負け犬の遠吠えみたいなことを亀山は言った。それ、自
分の箔が落ちるから言うのやめたほうがいいと思うぞ⋮⋮。
84
それに、むしろ、魔法実習こそ、俺の実力を試す場なのだ。
座学での範囲をはるかに超えて、俺は魔法を習得していた。
アーシアと、俺に才能があったおかげだ。
●
そして、魔法実習の当日。
俺たちは演習場に連れていかれた。
これまで俺がずっと夜にアーシアと練習をしていた場所だ。
そこに木の板が何枚も地面に突き立てられている。
いつものヤムサックだけでなくて、もう一人若い女性のサヨルと
いう人も助手としてやってきていた。
﹁初めまして、助手のサヨルです。魔法は人間の体と違って制御が
難しい場合があります。そういう不慮の事態に対処するのが主な役
目です﹂
少し事務的で冷たい印象だが、クールビューティーという印象で、
男子のウケはよいようだ。
銀色の髪に白いローブを着ているので、なんとなく氷の魔法に強
いように感じる。
﹁もちろん、指導もしていきますけど、ヤムサック教官の言葉を聞
いてもらったほうがいいかなと思います。魔導士は人によって癖が
あるのでオーソドックスな教え方ができる人のほうがいいので﹂
85
サヨルさんの話をヤムサックが引き継いだ。
﹁今日はファイアの魔法を練習する。板は魔法で燃やすことを前提
にしたものだ。自分の板を燃やし尽くせたものから、この授業は終
わりとする。火をぶつけるだけでは燃え広がる前にたいてい消えて
しまうからな。意外と時間がかかるぞ﹂
そっか、普通はそれぐらい時間がかかるのか。
俺は自分の前に割り当てられた板の前で詠唱を行う。
﹁焔よ我が指先にカンテラの如く灯るがよい︱︱ファイアッ!﹂
一瞬で激しい炎が板を焼き尽くした。
ファイアは初歩的な魔法だから、威力が強くてもこんなものだな。
﹁えっ!? なんだ、今の!﹂
﹁島津、もうやったのか⋮⋮﹂
﹁あんな火柱みたいなのが立つものなの⋮⋮﹂
ちょっと目立ちすぎたかな⋮⋮。けど、こんなのちまちまやって
もしょうがないからな⋮⋮。
すぐにヤムサックがこちらのほうにやってきた。
﹁島津、お前、これぐらいのことはもうマスターしているのか⋮⋮
?﹂
﹁自主的に練習してまして、炎関係の魔法ならフレイム、ファイア
ボール、ブレイズやメテオ、パイロキネシスあたりまでは﹂
86
ヤムサックは頭を抱えた。
ある意味では俺って問題児なんだろうな。
﹁パイロキネシスか⋮⋮。なあ、サヨル、お前は使えるか?﹂
﹁使えはしますけど、コントロールが大変なので実戦用というほど
では⋮⋮﹂
パイロキネシスは複数の場所で発火を起こしていく魔法だ。同時
にいくつも炎を出すので、精神集中が難しい。
﹁わかった⋮⋮。もう、この実習をやる意味がないな⋮⋮。サヨル、
お前が付きっ切りで面倒を見てやってくれ﹂
﹁わかりました﹂
少々、困惑気味だったようだけど、サヨルさんはうなずいた。
﹁これは次回から助手の人数を増やさなばならんな⋮⋮﹂
こうして俺はいきなり特別扱いということになってしまった。
﹁うわ、美人先生と個人授業かよ⋮⋮うらやましい﹂
そんな声が聞こえてきた。
しかも、ちゃんとした魔法使いとマンツーマンでやれるのは悪く
はないな。
一方、移動の際にちらっと亀山と目があったが、茫然とした顔を
していた。
あれは俺が出した炎を見たんだな。戦意喪失って感じだった。
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多分、これでやっかんでこられることも、もうないだろう。
88
10 最初から特別扱い︵後書き︶
次回は夜の更新予定です!
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11 助手は超えた
俺とサヨルさんは演習場から少し離れたところまで移動した。
演習場はちょっとした林みたいになっているところもあるので、
そこを通り抜けると、ほとんどその向かい側のことは見えない。
﹁あなたの様子を見せると、ほかの生徒のやる気をそぐから隔離さ
せてもらうわ﹂
やっぱり問題児扱いだな⋮⋮。
﹁わかりました。次は何をやればいいですか?﹂
﹁そうね。授業は授業だから順番に魔法を試してもらいましょうか。
次はフレイムを﹂
﹁わかりました。紅き炎の魂よ、今こそ熱を持ってこの世に現れよ
︱︱フレイムッ!﹂
ぼわあっと大きな炎が上がって、消えた。
フレイムはファイアよりは範囲や威力の大きな炎を出す。ファイ
アは火をつけるとか日常生活でも使えるが、フレイムになると業務
用という感じだ。
﹁やっぱり、きれいな炎が出るのね。ねえ、あなた、実はこの世界
で何年も魔法使いをやってたりしてないよね?﹂
﹁いえ、クラスまるごと連れてこられて二か月ぐらいですけど﹂
90
ウソは何も言ってない。
﹁だとすると、天性の才能としか言えないのか⋮⋮。じゃあ、次を
⋮⋮﹂
俺はサヨルさんが指定した魔法を順番に実行した。
当然、俺もあらゆる魔法が使えるわけじゃない。そもそも魔法に
は呪文の詠唱という概念があるので、それを知らないものは使いよ
うがない。アーシアの次元になると詠唱も不要になるらしいが、そ
の境地に達するのはもっと先だ。
とはいえ、初期の実習で使うような魔法はほぼ極めていた。
﹁ふぅ⋮⋮あなたの実力はわかった⋮⋮。こんなこと繰り返しても
何にもならない⋮⋮﹂
サヨルさんは深いため息をついた。
﹁授業内容を変更するから。今からあなたと私のパイロキネシスで
勝負しましょう。それで、先に燃やされたほうが負け。いわゆる模
擬戦闘よ。特定の魔法に限定したものは時々やるから﹂
﹁えっ! 教官と模擬戦闘ですか!﹂
いくらなんでもそれは荷が重いだろう⋮⋮。テストで百点とった
からといって先生より賢いということはほぼないようなものだ。
﹁このほうがあなたも学ぶところが多いし、それに、このままだと
教官として舐められそうだからね。私のほうが強いということを示
しておきたいのよ﹂
サヨルさんははっきりと理由を言った。
91
﹁つまり、調子に乗らないように締めておきたいってことですか?﹂
﹁そう受け取ってもらってもいいわ。奇跡的に初期の魔法はすぐに
マスターしたとしても、そのまま順調に成長するかは別問題だし。
これで調子に乗って勉強がおろそかになってもよくないでしょう。
生徒にはどこかで反省する局面が必要なのよ﹂
言っている意味はわかるが、これからやることが穏やかでないこ
とは事実だ。
﹁あの、体が燃えたらどうしたらいいんですか⋮⋮? 下手すると
死にますけど⋮⋮﹂
﹁あなた、どうせハイドロブラストぐらいは覚えてるんでしょ? 自分で消せばいいのよ﹂
ハイドロブラストは大量の水を敵に思い切り叩きつける魔法だが、
威力を下げて頭上にでも唱えれば、滝みたいなシャワーになる。
﹁ぶっちゃけ、覚えてます。使いこなせるかはわからないですが、
ウォーターの魔法ならいけますし⋮⋮﹂
﹁やっぱりね。だったら、何も問題ないことになる。そうでしょ?﹂
にやりとサヨルさんが笑う。
しまった⋮⋮。そんなの使えないと言っておけばよかった。正直
に答えすぎた。
しょうがないか。
﹁やります。やってみますよ﹂
もう、後には退けないし、順番に言われた魔法を唱えるだけより
92
は意義があるのも事実だ。
﹁わかってもらえてうれしいわ。ルールはさっき言ったとおり。パ
イロキネシスのほかは魔法を使うの禁止ね。移動は自由。相手の火
球をかわして、相手に当てれば勝ちということで﹂
パイロキネシスはいくつもの発火現象を同時に行う魔法だが、そ
の分、コントロールが難しく、相手が動き回ればかなり狙うハード
ルが高くなる。まして、相手の足下や服にぴたりと炎を発生させる
というのは相当難易度が高い。
なので、一種の球当てゲームが成立するのだ。動き続けることで
自分が喰らうリスクを下げられるし。
﹁それじゃ、はじめ!﹂
サヨルさんがそう宣言した。
早速、こっちも詠唱しないとな。はっきり言って、高い難易度の
魔法だから詠唱も長い。
﹁紅蓮の力は我の掌中に在り。踊るように戯れるように広がるがよ
い。それが燎原の大火となろうとも知らぬこと。炎が遊ぶのだ。や
むをえまい︱︱パイロキネシス!﹂
地面に小さな火がいくつか上がる。
けれど、サヨルさんからはかなり離れた場所だ。
やっぱりコントロールはできてないな。
向こうも同じ詠唱を行う。
93
どきりとしたが、俺の居場所とは数メートルはずれたところに火
が起きただけだった。
なんだ、教官も使いこなせてはないんだな。サヨルさんの場合、
教官助手だけど。
俺達は走りながら、呪文を詠唱して、上手く敵を燃やせるように
祈る。
これをマスターしたら、自在に離れた敵を焼き殺せるわけで、そ
んなものが気楽に使えるわけがないのだ。
でも、戦いながら、俺は感じていた。
これ、俺のほうがサヨルさんより精度が高い。
サヨルさんの近くで火を起こせてる。
あと、早目に決着をつけないと草が燃えて野火みたいに広がる恐
れがあった。まだまだ水系統の魔法で消せるだろうけど、いいかげ
ん決めておいたほうが無難だ。
走りながら、気持ちを落ち着ける。
アーシアが何度も言っていた。魔法は精神集中でその力が決まる。
炎が敵から沸き立つようなイメージを。
そして、それをできるだけリアルなものに具体化する。
リアル
あとは、本当に現実にするだけだ。
﹁紅蓮の力は我の掌中に在り。踊るように戯れるように広がるがよ
い⋮⋮﹂
94
魔法はゆっくりでいい。速さより、その分、効力を上げるほうが
大事だ。
サヨルさんはパイロキネシスを連投しているが、焦っているから
全然俺から離れたところから火が起こる。
﹁もう! 実習一日目の生徒に張り合われてどうしてるのよ、私は
っ!﹂
この勝負、俺が勝てる。
﹁⋮⋮それが燎原の大火となろうとも知らぬこと。炎が遊ぶのだ。
やむをえまい︱︱パイロキネシスッッッ!﹂
詠唱が終わった瞬間、炎がサヨルさんの靴から上がった。
﹁きゃっ!﹂
95
12 生徒のまま出世した
サヨルさんの靴から上がった炎はそのままサヨルさんの服に燃え
移る。
﹁きゃ、きゃあっ! こんなにすぐに広がるだなんてっ!﹂
これがパイロキネシスの恐ろしさなのかと俺も感じた。対策が何
もない奴なら、すぐに焼死させられてしまう。
いや、そんなことを考えている場合じゃない。
﹁み、水の魔法がパニックで⋮⋮出てこない⋮⋮け、消して! お
願い!﹂
そっか⋮⋮。自分に火がついてたらそうなるよな⋮⋮。
﹁水の精よ、我らをやさしく包むその力を今だけは猛きものに変え
て、強く強く叩き込め︱︱ハイドロブラスト!﹂
ハイドロブラストを斜め上に飛ばす。
すると、水がどばどばどばとサヨルさんにかかった。
すぐにその火は消えた。これで一件落着だと思ったのだが︱︱
服が燃えたうえにそこに水がかかって、サヨルさんはすっかりあ
られもない姿になっていた⋮⋮。
これじゃ、丸裸のほうがまだエロくないんじゃないかというぐら
いだ⋮⋮。
96
﹁恥ずかしいところ、見られちゃったわ⋮⋮二重の意味で⋮⋮。生
徒に負けるし、裸も見られるし⋮⋮﹂
﹁すいません⋮⋮そうだ、このカーディガンでも⋮⋮﹂
俺は制服の一部になっているカーディガンを脱いで彼女に後ろか
らかけた。
﹁ありがと⋮⋮。あの、あなたって何者なの⋮⋮? どんな天才な
の⋮⋮? 世間では知られてない暗黒魔法で何かと引き換えに力で
も得てるんじゃないの⋮⋮?﹂
﹁いえ、日々の予習と復習の成果ですけど⋮⋮﹂
アーシアのことをしゃべるとややこしいことになるからな。ここ
は黙っておこう。
﹁はぁ⋮⋮あなたのカリキュラムは今後、ヤムサック教官と話し合
うことにするから⋮⋮。悪いんだけど、教官のところに行って事情
説明して、服をもらってきて⋮⋮﹂
そりゃ、そうだよなと俺はヤムサックのところに行った。
俺の話を聞いたヤムサックはしばらく絶句していた。さすがに教
官助手が負けるということまでは考えていなかったのだろう。
その話が悪戦苦闘している生徒の耳にも入ったので、さらに話が
ややこしくなった。
﹁えっ、島津が教官に勝ったのか⋮⋮?﹂
﹁強すぎるだろ⋮⋮。百年に一人の逸材ってやつか?﹂
﹁そんなのに噛みついた亀山君が哀れよね。勝てるわけないじゃん﹂
97
あんまり、クラスでこういう目立ち方をするのもよくないと思う
んだけど、もう、しょうがないかな⋮⋮。
﹁島津、お前が希望するなら剣技の授業はすべて自習ということで
もいいぞ。それだけの魔法の才能を持っていて、剣士を目指す意味
などないからな。むしろ、授業でケガでもされるほうが王国として
も損失になる﹂
ヤムサックがそんな提案をしてきた。
たしかに剣技の実習はやたらと走らされるんだよな。まだ、真剣
すら握らせてもらってなくて、ほとんど筋トレにすべてを費やして
いる。
その提案に流されそうになって、思い留まった。
アーシアは俺を魔法剣士にまですると言っていた。
なにせ神剣ゼミは神剣エクスカリバーを使えるほどの魔法剣士を
目指すものだからだ。
それに剣技が苦手かどうかなんて俺にもわからない。今から剣技
を捨てるのは時期尚早だ。
﹁いえ、俺は剣技もやってみたいんで。授業はみんなと一緒に受け
ます。魔法使いも体力はある程度あったほうがいいでしょうし﹂
﹁わかった⋮⋮。ただ、もう少し話しておきたいことがあるので、
放課後に教官室に来てくれないか﹂
いったい何なんだろうと気になったが、サボるわけにもいかない
ので、俺は律儀に教官室の扉をノックした。
室内はそれなりに広いのがすりガラスの窓の数からでもわかる。
98
一種の職員室みたいなものなんだろう。そういえば、ここには入っ
たことないな。
﹁入ってくれ﹂という声がかかったので扉を開ける。まさに職員室
みたいに机が並んでいたが、その奥にちょっとした応接スペースみ
たいなソファがあって、そこにヤムサックが座っていた。
﹁はい、何の用で呼ばれたんですかね?﹂
どこの世界でも職員室は緊張する。
部屋にはほかにも教官がいた。見たことのない人もいるけど、お
そらく今後専門的な授業をしたりする時に担当で出てくるんだろう。
教官というのはポストの一つだから、メインの仕事は別という人が
いてもおかしくない。
﹁まあ、そこにかけてくれ﹂
言われたまま、ヤムサックの向かいの席に座る。
﹁島津、君は正直なところ、どこまで魔法を知っているんだ?﹂
﹁基本的に教科書で勉強できる範囲だけです。この世界に来た時に
実はあらゆる魔法の知識が入っていたとか、そういうチート的なこ
とは起こってません﹂
ウソをついてもしょうがないので、そのまま答える。
今後、アーシアから教わっていけばどうなるかはわからないが、
現状の俺は座学に関してはけっこう優秀な生徒止まりであって、教
える側に立てるようなプロフェッショナルではない。
魔法の実習にしてもそうで、覚えるのが速いとはいっても、やっ
ぱり教える側に立てる次元ではない。
﹁そうか。それで、君はまだ授業をクラスメイト達と受けたいか?﹂
99
なんだ? 飛び級でも提案されるのか?
﹁学ばなければいけないことがあまりにも多く残ってますから。今、
そういうことを免除されても中途半端な魔法使いになるだけだと思
いますが﹂
﹁なるほど。君の意向はわかった。このまま、クラスで授業を受け
てくれ。ただ、生徒のままで君の立ち位置だけ少し変えさせてもら
う﹂
﹁立ち位置を変える?﹂
何のことかまだよくわからない。
﹁君を教官助手に任命する﹂
﹁えっ!﹂
そんなものになるとはまったく思ってなかった。
﹁それって、事務作業的な仕事が激増したりとか、そういうことは
ないですよね⋮⋮?﹂
自由時間が減ると単純にアーシアに教えてもらえる時間が減って
しまう。
﹁あくまで形式的なことだ。君に何か仕事をやらせるということは
しない。これまでどおり、生徒として授業も受けていい。そうだな、
せいぜい、クラスメイトが困っていたら率先して教えてやる、仕事
といえばそれぐらいだな﹂
﹁なんで、そんなものにしてもらえるんですか?﹂
﹁⋮⋮魔法使いにも面子というものがあるんだ﹂
背後に誰かが立った。
いったい、誰だ?
100
13 教官助手の生徒
俺がソファの後ろに顔をやると、教官助手のサヨルさんがいた。
しかも、ちょっと恨みがましい顔をしている。
﹁あっ、サヨルさん⋮⋮こ、こんにちは⋮⋮﹂
そうか、ここ、教官室だもんな。教官関係者はいるよな⋮⋮。
﹁島津教官助手、こ、今後ともよろしくお願いします⋮⋮至らない
点があったら言ってください⋮⋮﹂
顔を赤くしてサヨルさんが言った。銀髪と赤い顔の対比が鮮やか
だ。
﹁あ、はい、こちらこそよろしく⋮⋮﹂
そうとでも言うしかないよな⋮⋮。
﹁きょ、教官助手が教官助手に負けてもおかしくはない⋮⋮ですよ
ね⋮⋮?﹂
﹁はい?﹂
﹁おかしくないですよね!﹂
ちょっと、大きな声で言われた。
﹁はい! 普通です! おかしくないです!﹂
﹁な、なら、いいです⋮⋮﹂
いったい何のやりとりなんだ、これ⋮⋮。
﹁こほん﹂
ヤムサックが空咳をしたので顔をそちらに戻した。
101
﹁面子というのはこういうわけだ。一生徒が教官助手に勝ってしま
ったのでは、教官助手としては恥ずかしい。だから、同じ教官助手
ということにしたというわけだ。教官助手なら、もっと授業が進ん
だ時には優等生から抜擢されることもあるし、あまりにも異例とい
うほどではない﹂
﹁な、なるほど⋮⋮﹂
﹁もちろん、君に勝負を挑んだのがサヨルからだという話は聞いて
いる。君は売られたケンカを買っただけだ。それに対する咎めは何
もない﹂
そこはサヨルさん、ちゃんと言ってくれたらしい。悪い人ではな
いようだ。
﹁ちなみに、君の教官助手就任は本日頭付けだ。なので、君は教官
助手として教官助手と戦ったということになる﹂
﹁あれ? 教官助手に任命されたの、今さっき︱︱﹂
﹁お願いだから、朝イチで教官助手だったことにして!﹂
後ろからサヨルさんに懇願された。
﹁同僚だったことにして⋮⋮。恥をかかせないで⋮⋮。あなたの命
令、何でも一つ聞くから⋮⋮﹂
﹁軽々しくそんなこと言っちゃダメですよ! と、とにかくわかり
ました! わかりましたから!﹂
こうして、俺は教官助手に出世してしまったのだ。
﹁仕事が増えないようなら、いいです。やりますよ﹂
﹁あっ、そうだ。教官助手はこれを着てもらう。制服みたいなもの
だ﹂
102
ヤムサックが渡してきたのは、白いローブだった。サヨルさんが
羽織っているものと同じだ。
けっこうかっこいいが、これを授業中に着ると、俺だけ特別だぜ
って言ってるようなものだよな⋮⋮。
﹁これはずっと着てないといけないんですか?﹂
﹁そうだ。授業中も着ていてもらう。まあ、あれだ。学級委員みた
いなものだ。我慢してくれ﹂
しょうがないか。着ないといけない決まりなんだってクラスのみ
んなには言うか。
﹁あとね、教官助手になると、いくつか特典があるの﹂
後ろにいたサヨルさんが俺の席の横に座ってきた。
それから、俺の膝に何か本を置く。教科書なんかよりはるかにい
い装丁の本だった。
﹁これは王国図書館の教官だけが借りられるコーナーにある貴重な
魔道書。こういう本を私達は利用できるの。教官助手はあくまでも
プロの魔法使いだからね﹂
﹁なるほど。これはたしかにうれしいです﹂
ぱらぱらとめくっても明らかに専門的なことが書いてあるのがわ
かる。
まだ自分では理解も程遠そうだけど、面白そうという意識がたし
かにある。
﹁それと、給料が出るよ。月に十五万ゴールド。それ以外に別途、
仕事をこなしていくとその分のお金が発生するから﹂
﹁へえ、十五万ゴールド⋮⋮十五万っ!?﹂
103
給料としてはしょぼいかもしれないが、高校生にとったら文句な
しの大金だ。
なにせ俺達生徒は週に五千ゴールドもらえる程度だからな。月二
万として七倍以上。五階級特進ぐらいの気分だ。
﹁最低限のお金が出る助手のポストに居座って研究を続ける人もい
るし、どんどん仕事をしていって出世しようとする人もいるし、そ
れは人それぞれかな。あなたの場合はとりあえずは生徒を続けるだ
ろうからあまり関係ないだろうけど﹂
﹁十五万あったら何を買えばいいんだろう⋮⋮。ダメだ、額が大き
すぎて想像がつかない⋮⋮﹂
教官助手だなんて面倒なものにさせられたと思ったが、これだけ
お金がもらえるなら別だ。サヨルさんに感謝しないと。というか、
すぐ横にいるんだから言えばいいか。
﹁サヨルさん、ありがとうございます!﹂
﹁な、なんか、逆に腹が立つ⋮⋮。けど、あなたに負けた私が悪い
んだよね⋮⋮﹂
サヨルさんは肩を落としてため息をついてから、割り切ったよう
に、笑みを浮かべた。
﹁何かわからないことがあったら聞いてくれたらいいから。先輩の
教官助手としていろいろ教えてあげる﹂
﹁はい、よろしくお願いします!﹂
●
自分の部屋に戻った俺は、早速、アーシアに教官助手に任官した
104
ことを告げた。
もう、絶対に喜んでくれることがわかっていたからだが、やっぱ
り無茶苦茶喜んでくれた。というか、また抱きつかれて、またベッ
ドに押し倒される形になった。
﹁時介さん、これは偉大な記録ですよ! こんなにすぐに教官助手
になった人はいないはずです!﹂
﹁うん。でも、神童だと思ったら歳をとったらどんどん平凡になっ
ていったってケースもあるから、そうならないようにますます努力
しないとな⋮⋮﹂
﹁努力は人を裏切りませんよ!﹂
もし、最初にアーシアに会った時にそんなことを言われたら、い
や、それは努力で成功した人が言ってるだけで、努力してもダメな
人もいるだろうって言いたくなったかもしれない。
でも、今の俺にはわかる。正しい努力は結果もちゃんと伴うんだ。
つまるところ、努力の仕方次第なんだ。
そして、努力が報われやすい教育法をアーシアはずっとやってく
れていた。
﹁じゃあ、今日の範囲を出してください。俺、しっかりやりますか
ら!﹂
﹁はい! 今日からは治癒魔法について学びますよ! 治癒魔法が
使えるのは一部の魔法使いの方だけですけど、その分、もし使えた
らすごく重宝されますから!﹂
まだまだ、勉強しないといけないことは山のようにある。
一歩一歩、立派な魔法剣士を目指していこう。
105
14 先生らしいことをする︵前書き︶
意外な人が部屋に尋ねてきます。
106
14 先生らしいことをする
白のローブで教室に入ったら、当たり前だけど、やたらと注目を
集めた。
﹁えっ、島津、それ、何の服?﹂
﹁島津君、制服じゃないと怒られるんじゃない⋮⋮?﹂
そんなことをいろんなクラスメイトから言われた。
その都度、﹁生徒兼教官助手ってことにされちゃったんだ⋮⋮。
このローブは教官助手の制服みたいなもので、着ないわけにはいか
なくてさ⋮⋮﹂と答えることになった。
そのあと、授業時間中にヤムサックもそういう説明をしてくれた。
﹁︱︱ということで生徒の中に教官助手が生まれたわけだが、そう
いう前例がないわけでもないし、島津も生徒として活動を続けるこ
とを望んでいる。あまり変に持ち上げずに接してやってくれ﹂
ヤムサックの言葉はそれなりに俺を気づかってくれてるもので、
ほっとした。まあ、これまで授業を聞いてきて、そんな悪い人じゃ
ないのは知ってたけど。
﹁魔法のセンスがある者が早い段階で成長するということはありえ
ないことではない。そういった者をこつこつ基礎を積み上げた者が
どこかで追い抜いていく場合だってある。君達が今後、そうなって
いくことを願っているぞ﹂
107
そこは、ちょっと言いたいことがある。俺、ちゃんとアーシアか
ら基礎から知識を学んだから成長したんだよな⋮⋮。それがあるか
ら、上手く魔法の実習にも入れたわけだし。センスだけでどうにか
なったわけではない。
知識がないまま実習にいってたら、楽しくなくて熱意も入らずに、
全然実習もダメだったかもしれない。
でも、一般論として最初、勉強が苦手だった奴がそのあとに成長
するということはあるので、ヤムサックが伝えたいこともわかる。
たしか上月先生も最初の授業で言ってたけど、あの人、国語教師
なのに、高校時代は国語が一番嫌いだったんだよな。
それで嫌いななりに向かい合っているうちに、逆に大学ではまっ
ていったとか言ってた。
苦手だから選択肢の中から外す人もいるだろうけど、その逆もあ
るってことだ。致命的に向いてないかどうかなんて、高校生の時点
ではわからないことも多いだろう。
﹁では、本日も授業をはじめるぞ﹂
その日の授業でも俺は小テストで満点をとった。
これから習うことは一通り理解しているので、問題なくやれると
思う。
あと、好きでなったわけじゃないとはいえ、教官助手なのだから、
それぐらいはやれないと格好がつかない。
授業の数回分先まで知ってるだけというのは、全然褒められたこ
とじゃない。
108
ただ、授業外の時間は変化があった。
休憩時間とかに、俺に質問に来るクラスメイトが急増したのだ。
昼食の時間なんて、ほとんど補講みたいな状態だった。俺の席の周
囲を七人が囲んでいる。
日本のクラスではぼっち飯だったのに、それがこんなに大人数に
なったんだな。素直にうれしい。
﹁じゃあ、順番に質問に答えていくから。わからないところがあっ
たら、申告してほしい。魔法って露骨に積み重ねの勉強だから、わ
からないところを放置してると、どこかで詰むようにできてるんだ﹂
最初の質問は一週間ほど前に授業でやった範囲だった。
﹁相手に影響を与える魔法はそれだけ精神力が強くないといけない
わけだよね。だから、その分、魔力の消費も増える。とくに相手に
不利益な効果は魔力の消費も増える。きっと、人間は無意識のうち
に相手の悪意に反発しようとするところがあるから︱︱あっ﹂
俺が口を止めたから、みんな、何なんだろうと思っている。
﹁ああ、ごめん、なんでもない﹂
人間は無意識のうちに敵の悪意ある魔法には反発する︱︱こんな
ことは神剣ゼミでも教科書でも書いてない、つまり、自分が作り出
した概念だ。
でも、おそらく大きくは間違ってない。実際、回復してくれる魔
法に反発するメリットなんてないからな。
109
つまり、人に教えているうちに、さらにわかりやすい説明法を思
いついたってわけだ。
誰かに教えるということで知識がより深められるってよく言うけ
ど、本当なんだな。
もし、うろ覚えの部分があれば、そこは説明できない。自分がや
ったことがただの暗記だったのか、意味として理解できていたのか
がわかる。
教官助手っていうのは想像以上にいい役割だったのかもしれない。
﹁じゃあ、次の質問に進むけど、今のでわかった? わからないと
ころをわからないままにしてると絶対よくないから。恥ずかしいと
思う必要なんてないんだ。だって、生徒にわからないことがあるの
は当たり前のことなんだし﹂
ひろはた
﹁うん、まったくその通りなんだよね∼﹂
女子生徒の広畑さんがうんうんとうなずいていた。
﹁ただ、聞きづらい子がいるのもわかるんだよね∼。島津君、生徒
でもあるわけだから⋮⋮﹂
そっか⋮⋮。まあ、そういう考えもあるよな。我慢してくれとし
か言えないんだけど。
実際、亀山のグループは一人も俺のそばにいない。
それ自体は別にいいし、急にぺこぺこ頭下げられても気持ち悪い
けど、結果としてあいつらの成績が落ち始めているのを感じている。
わからないまま、次のことを学んでいくんだから、そりゃそうな
る。
110
でも、教師も教わる気がない奴に教えることまではできない。意
地を張るのを早くやめたほうがいいぞと心の中で思うぐらいしかで
きない。
そして、その日の授業も無事に終わった。
部屋でアーシアにまた一日の報告をすると、案の定、﹁ご立派で
す!﹂と褒められた。
本当にアーシア、褒めるの得意すぎなんだよな。あざといぐらい
に褒めて伸ばしてくる。
﹁時介さん、もう、どこに出してもおかしくない教師ですね﹂
﹁教師じゃないですよ。あくまでも教官助手です。アーシア先生み
たいな本職の教師じゃな︱︱﹂
︱︱と、こんこん、とドアがノックされた。
誰だ? いや、別にほかの寮生が来たとしても何もおかしくない
けど。
ただ、ここにはアーシアがいるんだよな⋮⋮。
﹁あっ、授業は夕ごはんからでもいいですし、今はほかのことにお
時間使っていただいていいですよ。空いている好きな時間に学習が
できるのが神剣ゼミのいいところですから﹂
﹁じゃあ、お言葉に甘えます﹂
ぱっとアーシアが掻き消えた。
ひとまず、誰が来たかを確認しよう。
ドアの真ん中ののぞき穴から見ると、意外な人がいた。でも、生
徒は生徒か。
111
ゆっくりとドアを開けた。
そこには元教師で今はクラスメイトの、上月先生が立っていた。
﹁上月先生、なんでここに⋮⋮﹂
﹁そ、その⋮⋮言いづらいんだけど⋮⋮﹂
やけに上月先生の顔が赤い。赤いどころか真っ赤っかだ。
もしかして、これは告白!?
﹁勉強、教えていただけませんか、島津、先生⋮⋮﹂
あっ、告白ではなかった。
112
15 先生に教える
﹁勉強、教えていただけませんか、島津、先生⋮⋮﹂
あっ、告白ではなかった。
むしろ安心したって言ってもいいけど。ありえない話だけど、今、
上月先生と付き合いでもしたら、とてつもなく男子からの目が冷た
くなる。男子全員の敵確定になる。あくまでも自分は生徒なので、
そういうのはつらい。
﹁勉強ですか? はい、別にいいですけど﹂
すごく、ほっとした顔になる上月先生。どこに緊張する要素があ
ったんだ?
﹁よかった⋮⋮。私もちょっとずつわからないところが増えてきて
困ってたんだ⋮⋮﹂
﹁わからないなら、休憩中とかに聞いてもらってもいいんですよ。
とくに昼食は時間もたっぷりあるんで、多分明日も補習みたいな時
間になるし﹂
﹁だ、だって、ほら、私⋮⋮元教師だから⋮⋮元生徒に聞くのって、
ちょっと恥ずかしい⋮⋮かなって⋮⋮。ご、ごめんね、勝手なこと
言って⋮⋮﹂
﹁いえいえ! そうですよね! 抵抗もありますよね!﹂
ちょっと前まで教壇に立っていた側だもんな。元生徒に教わりづ
らいよな⋮⋮。
113
俺は少し背筋を伸ばして、胸に手を置いた。
﹁わかりました。とことんレクチャーしますんで、わからないとこ
ろはどんどん言ってください﹂
それで上月先生の表情もちょっとゆるんだ。
﹁あっ⋮⋮ありがとう、島津君︱︱じゃないか、島津先生﹂
﹁いや、そこは島津君でいいですけどね⋮⋮。明らかに上月先生の
ほうが年上なんですし﹂
﹁と、年上って言っても数年ですから! 誤差です! まだ二十代
前半です!﹂
先生扱いして敬ったつもりなのに地雷を踏んでしまったらしい。
これ、正解が難しいな⋮⋮。かといって多分、露骨に生徒扱いして
も上月先生、嫌だろうしな⋮⋮。
ある意味、魔法の勉強よりはるかに難しい。
﹁ごめん⋮⋮ここで文句言ったら島津君⋮⋮島津先生も困るよね⋮
⋮﹂
﹁もう、そこは島津君でいいです! 毎回、言い直すの面倒でしょ
!﹂
﹁そうね、島津君﹂
﹁はい、それでいいです。じゃあ、奥の机で︱︱﹂
そこで俺は机を見て、ちょっとためらった。
寮の部屋はいわゆるワンルームなので、机の真後ろはベッドなの
だ。
二十代の女性を教える場所として適切なのか。いや、はっきりと
114
不適切だ。
﹁あの、勉強場所、俺の部屋が嫌ならほかの場所でもいいですよ。
ほら寮の階段横に丸テーブル置いてますし﹂
共用スペースに生徒同士がしゃべったりできるような空間が置か
れているのだ。たしかに誰かの部屋に毎度集まるというのではハー
ドルが高いからな。このあたりのことは王国側もよくわかっている。
﹁ここでいいよ。むしろ、ここのほうがいいかな⋮⋮﹂
顔を赤らめて目をそらす上月先生。これは本当に好かれてるのか
⋮⋮!?
﹁ほら、共有スペースだとほかの生徒の子も通るから⋮⋮。私が元
教え子に教わっているって茶化されるだろうし⋮⋮﹂
ですよねー。すぐに余計な期待を抱くのはやめよう。
﹁じゃあ、早速はじめましょう。習ってる範囲でなら多分どんなこ
とにも答えられると思います﹂
﹁うん、お願いするね、島津君﹂
にっこりと上月先生は微笑んだ。その笑顔、守りたい。
椅子が一つしかないのが難点だけど、そこは俺が立つことにした。
授業だって教師側が立って教えるわけだし。
上月先生は教育者だっただけあって、基礎的なことから次々に質
問してきた。
115
やる気があるのか、勉強のコツをつかんでるのか、どっちかだろ
うな。
魔法は知識も重要だけど、実践が前提なところはスポーツに近い。
素振りが雑では、テニスでいい結果が出せないようなものだ。
今の段階で基礎を鍛えようとすれば、魔法使いとして成功する可
能性も高くなる。
俺も休憩時間よりは気合を入れて教えた。自分の部屋で時間もゆ
ったりあるので精神的にも余裕がある。
神剣ゼミに書いてあったようなポイントもできるだけ加えていく。
これは俺のためでもある。口に出して人に教えれば、記憶の定着
率も強化される。
﹁すごいね、島津君。本当にすごい﹂
一段落ついたところで、上月先生にそう褒められた。
﹁本物の塾の先生みたい﹂
ちょっと、ぎくりとした。
もしかすると俺の教え方、アーシアっぽさが混じっているのかも
しれない。
塾の教師の教え方は学校の教師の教え方と比べると、相対的に実
践的だ。頭によく残って、役に立つことを意識している。
学校の教師は正統派というか、一つずつ事実をこっちに説明して
くるスタンスが多いが、あれだと生徒自体に興味や関心がないとな
かなか身につかない。
116
﹁上月先生にそんなふうに言われると照れますね⋮⋮﹂
﹁私もすっかり生徒になっちゃってたよ。教え子に教えてもらって
るってことも途中から忘れちゃってたぐらい﹂
﹁だって、歳も近いですからね﹂
﹁もう⋮⋮。わざわざそんなこと強調しないでよ﹂
上月先生はくすくすと笑って、俺も一緒に笑った。
そこそこきりのいいところまで教えたあたりで夕食を食堂で食べ
る頃合いになった。
﹁じゃあ、今日はこのあたりまでにしましょうか。一気にやりすぎ
てもまた忘れちゃいますしね﹂
﹁そうだね。また、島津君が空いてる時に来てもいいかな?﹂
﹁もちろん。だって、俺は教官助手ですから。勉強したい意欲のあ
る生徒は喜んで教えますよ﹂
﹁本当に、完璧に立場が入れ替わっちゃったな﹂
ショックを受けたふりをして、上月先生はいたずらっぽく笑った。
これ、確実に今日だけで好感度上がってるぞ。ほかの男子には絶
対に知られないようにしないと⋮⋮。
﹁ありがとうね、また来るから!﹂
上月先生が出ていったあと、机のほうに目をやるともうアーシア
が現れていた。
﹁なかなかきれいな方でしたね∼。もしかして、あの方に気がある
んですか?﹂
ちょっとにやにやしてアーシアが聞いてきた。
117
﹁う∼ん、はっきりそう聞かれると難しいですね⋮⋮。これはむし
ろ男子の本能っていうか⋮⋮﹂
若い女の先生が近くにいたら、みんなそこに意識がいくものだ。
それはそうだとしか言いようがない。
あと、なぜかわからないけど、アーシアにそう尋ねられた時、微
妙に切なかったのだ。
もしかして、この感情って⋮⋮。
118
16 先生が好きになった︵前書き︶
ちょっと恋愛展開にしました。
119
16 先生が好きになった
もしかして、この感情って⋮⋮。
︱︱悔しさなのか?
でも、悔しいって何に対する悔しさなんだ?
何かに負けたことをからかわれたわけでもないし。
それで一つの答えにいきついてしまった。
俺、アーシアに焼きもちでも焼いてもらいたかったんだ。
つまり、アーシアに気があるんですかなどと茶化されるというこ
とは、アーシアは俺のことを生徒としてしか見てないってことで⋮
⋮それは当然のことでしかないんだけど、ちょっと切なくて⋮⋮。
﹁あの、アーシア先生、いや、アーシア!﹂
あえて俺はアーシアを呼び捨てにした。
﹁俺、アーシアのことが、きっと⋮⋮﹂
アーシアは俺のくちびるにぴたっと人差し指を置いた。
それで俺の口は止まった。
﹁時介さん、そのお気持ちは本当にうれしいです。でも、私はあく
までも赤ペン精霊です。教師として時介さんを指導するのが役目で
す。特別な関係になってしまったら、教えることも教わることも難
しくなります﹂ 120
まさにその通りだった。
﹁もし、時介さんが教えることも何もないほどの偉大な魔法剣士、
それこそ神剣エクスカリバーを使えるような人になって、その時に
まだ私を愛してくれる心が残ってるなら、考えてもいいですよ﹂
アーシアは微笑んでいたが、その笑みは少し影があって、寂しげ
にも見えた。
﹁アーシア⋮⋮先生、今のはすっごく正しくて、すっごくズルいで
すよ⋮⋮﹂
こんなこと言われたら引き下がるしかない。教師として非の打ち
所のない回答、いや、解答だ。
﹁時介さんにご理解いただけたようでよかったです。あと、これか
ら先、時介さんは何度も恋をしていく時期ですからね。いつも近く
にいる私のことだけ考えると、視野が狭まっちゃいます。もっと、
どんどん恋をしていってください。それこそ、あの上月さんでもい
いです﹂
﹁そ、それは、まあ、今後の展開次第だから⋮⋮﹂
俺は気持ちを整理するために、頭を横に何度か振った。
﹁よし、今日の範囲をやるかな。先生、プリント出してください﹂
﹁もう、夕食を食べられる時間ですけど、いいんですか?﹂
﹁今からプリントやっても、夕食終了までには間に合うから大丈夫
です﹂
ここの食事は食堂形式で、一斉に同じ時間に食べるのとは違うの
121
で、三時間ほど幅があるのだ。
夕食の後はしっかり魔法の実習もしようと思った。
正直、これまで以上に気合が入っている。
教官助手になったからというのも大きい。もっと、どんどん成長
して恥ずかしくないレベルにまで到達したい。
その日は堂々と寮を出て、演習場に行った。教官助手だから、夜
間の外出も自由なのだ。図書館にこもって魔道書を寝るまで読むよ
うな人間もいるらしい。
俺は補助系の魔法を試していた。
補助系というのは相手の魔法を妨害したり、自分の力を強めたり
する、直接的な攻撃魔法とは違う種類の魔法だ。
まあ、自分を強化するのと相手を妨害するのとではあまりにも魔
法としての方向性が違うから、全部を補助系というのはすごく大雑
把なくくりなのだが、生徒はまず攻撃系魔法から一般的に学ぶので、
こういう区分が有効なのだ。
はっきり言って、こういう魔法は攻撃魔法より技術がいるので難
しい。
あと、もっと根本的に困ったことがある。
﹁これ、成功してるのかわかりづらいですね⋮⋮﹂
相手の魔法の威力を落とす魔法なんて、相手が魔法を使ってこな
いことには効き目がわかりようがない。
﹁発動していることは確かですから、大丈夫ですよ。このまま繰り
返していくことが大切です﹂
﹁先生の言うこともわかるんですけど、それでも視覚的にどれぐら
122
いの意味があるかわかったほうがやる気も出るんですよ﹂
たとえば炎なんて誰が見てもどれぐらいの力が出ているかがわか
る。それが達成感にもつながる。
﹁そうですね⋮⋮かといって、魔法の威力は数値的に計算すること
はできないですし⋮⋮﹂
ふと、少し離れた森でピカッと何かが光った。
﹁私は一度消えておきましょうか﹂
ぱっとアーシアがいなくなる。
俺は一人でその光のほうに向かった。
サヨルさんが魔道書を持ちながら、魔法の練習をしていた。
﹁あっ、サヨルさん、こんばんは﹂
﹁わっ! あなたも練習してるの!? そっか、こっちはあなたの
練習場所なのか。私はいつも城の裏庭を使ってるからね﹂
どうやらサヨルさんも夜はよく練習をしていたらしい。
そこで、名案を思いついた。
﹁そうだ、お互いに魔法の実験台になりませんか?﹂
﹁実験台? もうパイロキネシスで服を焼かれるのは勘弁だけど﹂
あのことがトラウマになってるのか、ちょっと警戒された。
﹁いや、魔法の威力を低下させる魔法︱︱ウィークネスを使いたい
んですが、効き目のほどが一人だとわからなくて﹂
123
﹁ああ、それで私にかけさせろということね﹂
﹁そうです。よかったら試させてください。その代わり、サヨルさ
んも試したいものがあれば、試してくれればいいですから﹂
﹁そうね、じゃあ、プロテクション・フロム・マジックをあなたに
かけるから、その後にあなたに攻撃魔法をかけてみるわ﹂
﹁げっ! それは自分にかけてみてくださいよ!﹂
プロテクション・フロム・マジックは敵からの魔法ダメージを軽
減する魔法だ。つまり、その魔法の効き目が悪ければ大ダメージと
いうことになる。
﹁いいじゃない。交代ばんこにやるってことで。あなたも同じよう
にプロテクション・フロム・マジックを試してもいいからさ。実験
台を用意するのが難しい魔法というのは事実だから、あなたの提案
自体は飲んでるし﹂
﹁たしかにそうか。じゃあ、それでやりましょう﹂
俺は早速、ウィークネスをサヨルさんに唱えた。
光みたいなものがサヨルさんに飛んだから魔法としては効いたら
しい。
それに対して、サヨルさんが攻撃魔法を唱える。
﹁あなたに向けて撃っていい?﹂
﹁何もないところにしてくださいよ。それで威力はわかるんですし
⋮⋮﹂
フレイムをサヨルさんは使った。
マッチよりは強い程度の火が手から出た程度だった。
124
﹁あれ⋮⋮フレイムの力がファイアより弱いぐらいになった⋮⋮﹂
125
16 先生が好きになった︵後書き︶
三連休、旅行先の宿が更新できる環境か少し不安なので︵ストック
自体はあります︶明日分の更新分は今日の夜に行う予定です。
126
17 同僚と接近
﹁あれ⋮⋮フレイムの力がファイアより弱いぐらいになった⋮⋮﹂
サユルさんがぽかんといている。
ということは効き目はちゃんとあったということだ。実戦でも用
いることができるだろう。
数回、サユルさんがフレイムを唱えると、四回目から元の威力に
戻った。
﹁効きはしたけど、あなたのウィークネスは三十秒ほどしか効いて
なかった。もうちょっと長く使えるようにしないと足止めにはなら
ないかな﹂
﹁そうですね。そこは使い始めたばっかりなんで、練習します﹂
﹁というか、もう補助系を使いだしてる時点でおかしいんだけど⋮
⋮。だいたい、半年ぐらい実習やってから取り組むようなことなの
に⋮⋮。ああ、才能がまぶしくてつらい⋮⋮﹂
﹁そんなに沈まないでくださいよ﹂
﹁これも、あなたのせいなんだからね⋮⋮。じゃあ、今度は私の番
ね﹂
サヨルさんがプロテクション・フロム・マジックを使う。
﹁我は形のない障壁を作り出す。故に形のないものからの責めに応
じることであろう︱︱プロテクション・フロム・マジック!﹂
127
俺の体が光の膜みたいなものに包まれる。
﹁じゃあ、次は攻撃魔法をぶつけるわね。大丈夫。フレイムを軽く
当てるぐらいだから﹂
﹁そうですね、言い出しっぺは俺だから甘んじて受けますよ﹂
恐怖心はあるが、これはしょうがない。耐えられる範囲のはずだ
し、盛大に燃えたら水の魔法で消火しよう。
炎がぶつかってきたが、体が燃えるような熱は感じない。ダメー
ジの次元では呼べないぐらいまで防ぐことができた。
﹁サヨルさん! これ、相当、いけてますよ!﹂
﹁はぁ、よかった⋮⋮﹂
サヨルさんが、ほっとため息をついた。
﹁実は私、補助系のほうが得意なのよ。なぜか自分に向いてるの﹂
﹁たしかにこれは教官助手のクオリティですね。こんなにしっかり
防御できるって、かなり魔法の精度が高いはずなんで﹂
﹁それって、遠回しにバカにしてない?﹂
ジト目でサヨルさんが見つめてきた。
﹁してませんって!﹂
ちょっと、サヨルさんは被害妄想が強いんだよな⋮⋮。
そのあとも二人で魔法の練習をして気付くことがあった。
サヨルさんは補助系魔法にかなり詳しい。俺が聞いたこともない
ようなものも、いくつも知っていた。それに効き目も相当な高水準
ばかりだ。
128
俺が言うと手前味噌だけど、やっぱり教官助手になっているだけ
あるんだ。これは人に教えられるレベルのものだ。
俺は補助系は入門直後というところだから、ものすごく参考にな
った。
二人の魔法使い同士でやるからこそ意味のある練習というのもあ
るんだな。この時間は確実に俺にもプラスになってる。
なんだかんだで一時間近くいろんな魔法を試したあと、サヨルさ
んはごろんと地面の上に寝転がった。
﹁ふぅ⋮⋮よくやったわ。こんなに魔法使ってたらくたくたよ﹂
いい笑顔でサヨルさんは笑っていた。
長時間のランニングを終えたあとという感じだ。
実際、魔法も何度も使っていればかなり体力を消費する。
俺もかなり疲れがたまっているのを感じていた。
﹁時介君、あなたも転がったら? よく星が見えるよ﹂
﹁じゃあ、お言葉に甘えて⋮⋮﹂
サヨルさんの横に仰向けになると、本当によく星が視界に入った。
疲れもなんとなく、大地に吸収されて楽になっていく気がする。
﹁サヨルさん、本当にたくさん魔法を知ってますね。よくそこまで
覚えたなと思いますよ﹂
とても実戦で使わないようなものまでわざわざサヨルさんは習得
129
していた。
﹁私はできるだけ多くの魔法を使いたいの。必然性はそんなにない
んだけど、私の趣味なのよ。魔法ってせっかく自由度の高いものな
のに、そこで特定のものしか使わないのってなんかもったいないで
しょ﹂
﹁コレクター精神ってことですかね﹂
﹁そんなところかな﹂
練習を一緒にしたおかげか、すごく自然にサヨルさんとしゃべれ
ていた。
﹁あなたも本当に筋がいいわ。これは才能なんでしょうね﹂
﹁そうなんですかね⋮⋮。俺にはわからないんですけど⋮⋮﹂
もし、褒めてもらえる場所があるとするなら、アーシアのほうな
んだけど、そこは黙っていよう。
﹁でも、才能以上にあなた、やる気がある。それが成長してる秘訣
ね﹂
﹁えっ⋮⋮﹂
俺はちょっと意表をつかれた。
というのも、アーシア以外にやる気を評価されたことなんてほと
んどなかったからだ。
クラスメイトもみんな俺に才能があるとか恵まれてるとか言って
たけど、意欲のほうはあまり目を向けてはこなかった。
けど、この人ははっきりとそっちを見抜いている。
130
﹁才能だけで突き進むタイプとあなたは違う。もっと堅実だし、慎
重だから。そういうことは私も教官助手だからわかるよ。だから、
こう言うね︱︱よく頑張ったね、島津君﹂
﹁俺,今、無茶苦茶うれしいです⋮⋮﹂
こんなくすぐったくなるような言葉があるだろうか。サヨルさん
は俺のタイプを的確に見抜いたうえで、しかもその部分を讃えてく
れたのだ。
﹁あなたの強さの秘密が努力だとしたら、まだまだ伸び続けるね。
だって、あなたは努力を怠るような人じゃないんだから﹂
そんなこと、言われたら意地でも努力しなくちゃならなくなるな。
参ったな、この人もすごい教育者だ⋮⋮。
それから、ふっと手をつかまれた。
横に寝転がっているサヨルさんに手を握られている。
﹁ふふふ、ドキっとした?﹂
横を見ると、いたずらっぽい笑みをサヨルさんがいた。
そして、あらためて気づく。この銀髪の人はものすごい美少女だ。
おそらく年齢もほぼ同じぐらいだろう。
﹁イタズラはやめてくださいよ﹂
﹁あなたが立派だからこういうことをしたくなるの。これからも、
一緒に頑張りましょう、同僚さん﹂
これはまずい。
アーシアに気持ちを告げようとしたばっかりなのに、今度はサヨ
131
ルさんに惚れそうになっている⋮⋮。
でも、しょうがない部分もある。
このタイミングで手をつないでくるとか、アリか? 思春期の男
子の気持ちをもてあそびすぎだろ。
﹁はい、一緒に頑張りましょうね、同僚として⋮⋮﹂
サヨルさんの顔を見ていると、照れているのがばれるので星のほ
うを見上げた。
実にきれいな星空だった。
今、リア充が爆発する魔法を唱えたら俺が爆死するな⋮⋮。
132
17 同僚と接近︵後書き︶
土曜日の更新が宿の設備的にできるか自信ないので、今のうちに更
新しておきます! 次回は更新できれば日曜に、もし無理だったら
月曜に更新します!
133
18 特進コース
アーシアにいろんな女性に出会う時期みたいなことを言われたけ
ど、その意味をこんなにすぐに実感するとは思わなかった。
これ、サヨルさんに完全に好意持たれてるよな⋮⋮。同僚的な意
味のものだとしても、もう一押しで多分付き合ってもらえたりする
と思う。
ダメだ、ダメだ。そんなあわよくばみたいな発想はよくない。そ
れに恋愛に時間をとっている余裕なんてまだまだに俺にはない。も
っと成長していかないと。
﹁あなたは私のライバルだから。負けないからね﹂
ライバルという言葉に少しほっとした。それなら恋愛的な部分は
ない。
﹁はい、俺ももっともっと強くなりますからね﹂
それから俺が部屋に戻ると、アーシアがすぐに出てきた。
﹁あの、時介さん⋮⋮いくらなんでもフラグ立てるの早すぎません
か? 私、時介さんがものすごい女たらしになるんじゃないかって
不安なんですが⋮⋮﹂
﹁フラグとか言わないでくださいよ。そういうのじゃないですから
⋮⋮﹂
﹁う∼ん、教育者として教え子が女性を喰いまくるのは困るんです
けど⋮⋮﹂
﹁だから、表現に問題がありますって!﹂
134
サヨルさんとの関係は信頼できる同僚、あくまでもそんな感じの
ものだ。多分⋮⋮。
﹁あ∼、これで時介さんが恋愛にうつつを抜かして勉強しなくなっ
たらどうしましょうか⋮⋮﹂
冗談半分だと思うけど、アーシアはそんなことを言った。
結論から言うと、そんなことには全然ならなかった。
俺はさらに自主的な勉強を加速させていったからだ。
理由は簡単だ。俺は教官助手だし、同僚にも期待されている。と
てもじゃないけど、手を抜くことなんてできない。
アーシアの俺の頑張りを見て、﹁これはもっとペースを上げない
といけませんね﹂と問題の量が少し多いプリントに変更したぐらい
だ。
授業のほうもいよいよ俺の無双状態になってきた。
ヤムサックが﹁子供のうちに大人が一人混じっているような状態
だな﹂と言ったことがあったが、それに割と近いかもしれない。小
学生の中に高校生が混じったぐらいのレベルの差は実際にあると思
う。
授業中に、関係ない魔道書を読む許可までヤムサックから与えら
れたぐらいだ。
﹁島津、君に合わせた授業をクラスでやることは不可能だし、復習
になるようなものすらまともに教えられん。好きな魔道書を読んで、
自分を高めてくれ﹂
135
﹁わかりました。たしかに授業だけだと効率が悪いので、同時に魔
道書も読むことにします﹂
授業の言葉にも耳を傾けつつ、魔道書にも目を通す。
まだまだ学ぶところは多い。しっかり学習していかないと。
そして、その日から、アーシアは授業内容を変更しないかと提案
してきた。
﹁特進コースのほうが時介さんは合っていると思います!﹂
﹁特進コース?﹂
大学受験でも控えてるみたいな名前だな。
﹁そうです。特進コースはあまりに優秀すぎて、普通の授業内容で
は合わない人向けのコースです。伝説と呼ばれるような魔法剣士を
養成するためのコースなので、早い段階から上級の魔法使いが使う
ような技術を学んでいきます﹂
俺は息をのんだ。
正直、やってやろうじゃないかという気持ちでいた。
﹁それでより強くなれるなら望むところですよ﹂
たとえば魔法の数で俺はまだサヨルさんに全然及ばない。
もっと成長できるところもあるはずだ。俺はさらに上を目指して
いきたい。
﹁ですね。もちろん、合わないようなら元のコースに戻しますし、
元のコースでも立派な魔法剣士になれるようなカリキュラムになっ
136
ていますからね﹂
﹁はい、なんていうのかな。楽しみながらやろうと思います﹂
失うものなんてないんだし、とことんやってやる。
そして、その日のプリントには冒頭からこんな文言が書いてあっ
た。
<魔法 特進コース その1 無詠唱による魔法発動
無詠唱で魔法を使うことは乱戦や激戦では必須の技能です。技術的
な方法が王国ではまだ確立されていないのですが、神剣ゼミではそ
のメカニズムを徹底分析! 確実に無詠唱が実現できるように教え
込みます! もちろん、高難易度な要素も大きいですが赤ペン精霊
と一緒に頑張りましょう!>
そっか、ついに無詠唱にとりかかるんだな。
書いてある内容もこれまでのものとはかなり違っていた。
<無詠唱に重要なのはイメージですが︵ ︶的なイメージよりも、
︵ ︶的なイメージのほうがいいです。大半の魔法使いは︵ ︶的
なイメージを作ってしまうんですよね。それだと無詠唱では意識の
集中が足りないことになるんです。>
これ、座学というより、実習を前提にしたことだ。
おそらく、これ最初の二つの空欄は前が︵抽象︶で、後者が︵具
体︶だろうな。
たしかに魔法というと、実体のあるものから離れていると思われ
137
がちだ。
魔法で起こす火や風は存在しているのは明らかだけど、それにし
たって形が箱や動物みたいにしっかりあるものではない。
プリント自体はそんなに難問はなかった。
これ、すべて実習の心構えが書いてあるだけだ。一つずつ、覚え
こむようにその内容を頭に入れていく。
<手や足を特定の動きにさせるといったことも無詠唱には効果的で
す。また、︵ ︶が文字として頭に刻み込まれている、そんなイメ
ージを持っていましょう。>
これは何だろう⋮⋮。
あとでアーシアに教えてもらうか。
ただ、本質的な部分はわかってきた。
つまりは詠唱の代わりになる意識の集中方法をいろんなことで補
っていくんだ。
詠唱をすると、自然と意識が一つにまとまっていく。だから、詠
唱という方法が魔法使いの間でよく採用されるようになったわけだ
が、それがいきすぎて魔法を使うこととは詠唱を行うことだと思わ
れてしまっているのだ。
詠唱とは、つまり、音にすること。
その最大の弱点は発音するからどうしても物理的な時間がかかっ
てしまうことだ。言葉の数が多ければ多いほど、発音に絶対に時間
を食う。
その要素をしゃべること以外で補えれば大幅な時間短縮になる。
138
よし、この基本を忘れないようにしよう。
139
19 無詠唱魔法
プリントを終えると、アーシアが出てきた。
﹁さあ、では、採点をしますね﹂
赤字で○と×が、ぱぱぱぱっと表示されていく。
﹁この﹃︵ ︶が文字として頭に刻み込まれている﹄っていうのは、
何が答えなんですか?﹂
﹁そこは﹃詠唱の文句﹄が入ります。頭の中に巨大な石板があると
考えてください。そこにその文句が全部刻まれてあって、一目でそ
れが見れる。そういうイメージが持てると、頭の中で見たことがそ
のまま詠唱の代わりになっていくんですね﹂
﹁あっ、なるほど。速読法みたいなものですね﹂
﹁ですね。間違ってないと思いますよ﹂
そのページに書いてある文字を読むのではなく写真の画像みたい
に見る方法で処理するのが速読法の基本であるはず。
そうか、たしかにそれができれば時間は短縮できる。
問題自体はだいたい正解だった。知識を問う部分がないからだ。
﹁このプリント、戦闘で使うための内容ですね﹂
﹁そうですね。そこが特進コースの特長です。なので、プリントも
このあとの実践編とセットみたいなものです﹂
140
﹁そっちもお願いします!﹂
俺は無詠唱の練習に野外に出た。
﹁あの、最近、かなり時介さんが注目されていますし、時介さん以
外に私が見えないような魔法を使っておこうと思います。ルール違
反をやってるわけでもなんでもないんですけど、私の説明が面倒そ
うですし﹂
﹁はい、それでお願いします﹂
﹁ではインヴィジブルを使っておきますね﹂
アーシアの姿が半透明になる。体の奥に木が見えていた。
﹁俺からは見えるってことでいいんですよね?﹂
﹁はい、大丈夫です。時介さんが見えるのは、最初から私の存在を
知っているからです。そうでなければ、目には映りませんよ﹂
原理はよくわからないけど、そこは魔法だから科学的に説明しよ
うとすること自体がナンセンスなんだろう。
﹁声は聞こえてしまうので、声もトーン落としてしゃべりますから
ね。ご了承ください﹂
﹁はい。わかりました!﹂
﹁まずは、ファイアから行きましょう。簡単な魔法を無詠唱という
ルールでおさらいするつもりでいきましょう﹂
141
よし、それぐらいならコツがわかればすぐにやれるはずだ。
︱︱そのはずだったのだが⋮⋮。
﹁あれ⋮⋮。何が悪いんだろう⋮⋮﹂
三十分後、あまりにも上手くいかないので、俺は草の上に腰を降
ろした。
無詠唱の魔法にずっと挑戦したのだが、灯かりの明滅一つ起きて
いない。
﹁そうですね、ちょっと休憩したほうがいいですね。意識が散漫な
状態でやれば成功率も当然下がってしまいますし。気持ちを落ち着
けて再度練習ですね﹂
アーシアはとくに残念そうでもないから、おそらくすぐに成功し
ないのは規定路線だったのだろう。
﹁無詠唱はいわば達人の技みたいなものですからね。一朝一夕には
いきませんよ。だからこそ、使えるようになれば、その時点で相当
な魔法使いだと認識されるわけです。しかも、たんなる自慢の種に
とどまらず、実際にとても有益な技術です﹂
﹁ですよね⋮⋮。三十分やるだけで習得できるなら、みんな無詠唱
で魔法を使うようになってなきゃおかしいですもんね⋮⋮﹂
わざわざ難しい特進コースにしたのだから当たり前かもしれない
が、初めて挫折らしい挫折を神剣ゼミで覚えた気がする⋮⋮。
142
あと、普通の練習と違って、無詠唱なのでもちろん声に出さない。
つまり、静かなのだ。じっと突っ立っているだけなので、自分でも
練習してるのかしてないのか、よくわからなくなる。
そっか⋮⋮。練習してるかどうかもわからなくなってるようじゃ、
魔法なんて発動するわけないや。
結果的に詠唱の価値を実感した。口に出すだけで自然と集中でき
ちゃうもんな。
﹁成果が見えないから大変ですよね﹂
俺の横にアーシアも座る。体操座りだ。こっちの世界だと違う表
現かもしれないけど。
﹁ですね。自分は何をやってるんだろって気になります⋮⋮﹂
﹁だから、無詠唱ができる人は少ないんですよ、時介さん﹂
トリックでも教えるようにアーシアがしたり顔で言った。
﹁無詠唱は形になるまで、ものすごくバカらしいことに感じるんで
す。しかも、あと何日、何週間、何か月、これを続ければ報われる
のかさっぱりわからない。なので、よほど覚悟のある人か、あるい
は自信のある人でないと、練習自体を投げ出してしまうんです。な
ので、無詠唱が使える人も限定されてくるんです﹂
目からウロコが落ちた気がした。
空しいから嫌になっていたけど、だからこそ、やる意義があるん
だ。その空しさをこらえたあとに、すごい収穫があるのだから。
﹁ちなみに、先生、これってどれぐらいかかりそうなものなんです
143
か?﹂
﹁ひとまず、一か月間の練習を予定しています。それで上手くいっ
てないなら、別の方法を試してもいいですし、無詠唱を後回しにし
てもっと別の魔法を覚えていくのに戻してもいいですから﹂
特進コースは誰でもがやりとおせるものじゃない。撤回するとい
う選択肢が与えられるのは自然なことだ。でも︱︱
﹁俺、とことん無詠唱を練習しますから﹂
俺はそう断言した。
﹁魔法の大原則は基礎がしっかりできてるほうがその後が楽ってこ
とだから。ここで無詠唱で魔法が使えるようになれば、結果的にそ
こから先の部分がずっと楽になるはずなんだ。だったら俺は我慢す
るよ﹂
ここまでがとんとん拍子すぎたんだ。そろそろ腰を据えてもいい
だろう。
それに、成長っていうのは正比例のグラフみたいにどんどんは行
かない。必ず、踊り場も出てくる。そこを粘れるかどうかもきっと
俺がもっと強くなれるかを左右する。
﹁うわ∼、時介さん、偉いにもほどがありますよ!﹂
アーシアが体を動かしたかなと思ったら、また抱きつかれていた。
そのまま、草の上に俺は倒れる。
あっ、精霊っていい香りがするんだとその時、不覚にも思った。
﹁高みを目指すために苦難を厭わない、もう時介さんは生徒の鑑で
す!﹂
﹁先生! こういうのは勘違いしそうになるからやめてくださいよ
144
!﹂
こんなに抱きついてくるのに、恋愛はしちゃいけないなんてひど
いにもほどがある⋮⋮。
145
20 無詠唱の特訓
練習は代わり映えはなかったが、ほかの部分はちゃんと変化があ
った。
まず、ゼミのプリントは実戦を前提とした効率のいい魔法の使い
方だとか、便利な魔法が何かといったことが問題になっていた。
これ、敵をいかに倒すかがそのまま問題になっている。
あと、授業も進んでいくわけで、そっちではまだまだ俺の無双ぶ
りが発揮されていた。
空き時間に教科書も確認しているが、当面は何も悩むところはな
さそうだ。
俺のところに授業内容を聞きに来る奴も相変わらず多いので、昼
食の時間はもう補習扱いになっている。昼食も説明しながら食べら
れなくもないサンドウィッチが中心になっている。
というか、この世界、サンドウィッチはちゃんとあるんだな。ま
あ、パンの間に何かをはさむ料理なんだから、誰か思いついてもお
かしくないか。
最近だと﹁島津君﹂じゃなくて﹁先生﹂とナチュラルに呼ぶ生徒
まで出てきた。一応、俺としては同級生として接してほしいんだけ
ど、立場が違うからしょうがないか⋮⋮。
クラスメイトとの距離自体は確実に縮まってるしな。
男女問わず、優等生グループは俺に気さくに話しかけてきてくれ
るようになったし、俺も壁も感じずにしゃべれている。俺に教わる
146
生徒みたいなポジションになっちゃった奴らとは話す時間が増えた
から、これも仲良くなった。
俺が先生の役目を果たしているからこそ、クラス内にある複数の
グループと仲良くなれているらしいのだ。これもすべて神剣ゼミの
おかげだ!
ただし、世の中、すべてが上手くいくとは限らない。日本に住ん
でた頃、読んでいたゼミの漫画では描かれない問題もあったのだ。
亀山とその仲間たちだけは、余計に俺と距離をとっていた。
きっとわからないところもあるだろうに、意地でも俺には頼らな
いらしい。
とはいえ、壊滅的にそいつらの成績が悪いわけでもないから、自
分たちの中で勉強はしようとしているんじゃないだろうか。
それなら別にいい。どんなクラスにだってそこまで教師にべった
りじゃない生徒はいるだろうし。
だけど、クラスメイトのほうからは注意をされた。
教官助手をやってまるまる二週間が過ぎた日のことだ。なので、
無詠唱の練習も二週間ほど経っていた。結果はまだ遠い。
﹁あのさ、島津先生、ちょっと気をつけたほうがいいよ﹂
たかさご
放課後、女子の中でも一番俺に質問をしてくる生徒の一人である
高砂さんが小声で言ってきた。ツインテールがよく似合っている子
で、男子からの人気も高い。
﹁気をつけるって何を?﹂
147
﹁亀山たちのグループ、先生を敵視してるみたい。あいつら、クラ
スのヒエラルキーの上だったのにそれを先生に持ってかれちゃった
から﹂
﹁といっても、寮住まいだから俺の部屋だけ放火するわけにもいか
ないし、大丈夫だと思うけど﹂
﹁だったらいいんだけど⋮⋮亀山たち、中学の時、グループでイジ
メみたいなこともしてたって言うし⋮⋮。首謀者は違う生徒だった
らしいけど、あいつらも何やらかすかわからないっていうか⋮⋮﹂
そういえば、市内の中学でけっこう問題になった事件があったな。
もしかして、怖いグループともつながりがあったのか。
﹁一応、気には留めとくよ。ありがとう、高砂さん﹂
﹁あっ、先生、もう呼び方、理奈でいいよー﹂
女子を下の名前で呼ぶ⋮⋮ちょっとドキドキした。
﹁わかった、理奈⋮⋮﹂
﹁うん、またね、先生!﹂
俺がリア充グループを新たに作ったなら、攻撃されたり恨まれる
のもわかるんだけど、先生って立ち位置だからなあ⋮⋮。ちょっと、
例外ケースな気がするんだけど。
その日の練習も俺は無詠唱を夜に行っていた。
しかも、アーシアとの練習の放課後︱︱寝る前にもう一度演習場
に出てやっていた。
絶対に無詠唱をものにしてみせる。その覚悟を示すためにもこの
三日ほど、寝る前にも練習を入れていた。
あと、集中力が必要なので、だらだらと長時間やるのは逆効果と
いうのもあった。
なので、アーシアとの練習時間自体は延長せずにすぱっと切り上
148
げて夜遅くに再度チャレンジする方法をとっているわけだ。
正直、もうちょっと成果が見えればいいんだけど、それがわから
ないのが無詠唱なのでしょうがない。そこに文句を言うのは、どう
してキャベツはキャベツの味がするんだと言ってるようなものだ。
炎一つまだ出せない。
プリントに書いてあったコツはすべて踏襲してるつもりなんだけ
どな。詠唱も頭にぱっと浮かぶようにしてるし。
足りないとしたら、まだ抽象的なイメージしか頭にないってこと
なんだろうか。とはいえ、炎は炎だからなあ。固体の炎なんて存在
しないし⋮⋮。
﹁あっ、まだやってるんだ﹂
かわにし
︱︱と、そこに川西という男子のクラスメイトが木々のほうから
顔を出した。
こいつは亀山のグループだから、ほとんど接点はないんだけどな。
それでも、夜に顔を合わせれば声ぐらいかけるか。
﹁ああ、ちょっと、特殊な魔法の練習をしてるんだ。なかなか難し
いんだけど﹂
﹁そっか。あのさ、オレの魔法で見てほしいものがあるんだけど、
いいかな﹂
﹁別にいいけど﹂
一対一なら勉強を教えてほしいってことなのかな。グループのし
がらみも今ならないしな。
149
﹁大地に割れ目を作る魔法なんで、下見といてくんない?﹂
言われたままに地面を見た。
そういう魔法は確かにある。地面系の魔法はそこそこ力を使うし、
ハードル高いはずなんだけどな。サヨルさんでもそうたいしたひび
割れは作れないし、俺も得意とまでは言えない。見た目はかっこい
いけど、まだ川西ができるような︱︱
ゴンッ!
鈍い音が耳の近くで聞こえて︱︱俺はそのまま意識を失った⋮⋮。
●
背中に痛みを感じて目が覚めた。
俺は縄で縛られて、口も糊のついた紙でふさがれていた。
﹁縛られてる気分はどうだ? 教官助手さんよ﹂
亀山が俺の正面にいた。その横にへらへら笑ってる川西も立って
いる。亀山と川西を入れて相手は四人。
川西に殴られて気絶してたのか⋮⋮。
けど、こんな奴ら、魔法でいくらでも︱︱
口が動かないことに気付いた⋮⋮。
150
21 犯人退治︵前書き︶
けっこう、バレバレな展開だったようですが、やっぱりこういう形
になりました︵笑︶。
151
21 犯人退治
口が動かないことに気付いた⋮⋮。
﹁お前がいくらすごいといっても、魔法を詠唱できなきゃ何もでき
ねえだろ。別に腕力が強いわけでもないし、こうなったらタダのガ
キだよな﹂
亀山が楽しそうに言った。
しまった⋮⋮。発声できないと魔法は発動しない。
ちょっとでも口を動かせればとあがいてみたが、徹底して口をふ
さがれているらしく、まったく動かない。むしろ、鼻をふさがれて
なくてよかったと思ったぐらいだ。そしたら、確実にもうあの世逝
きだった。
﹁俺はどうやってお前を殺すか考えてたんだよ。剣技の実習で刺し
殺すってのが最初の案だったけど、真剣の実習はかなり先らしいし、
それまでデカい顔されるのも腹が立つしな﹂
こいつら、本気なのか? 俺を殺したって証拠を隠すような方法
なんてそうそうないだろうに⋮⋮。自分たちの未来がどうなっても
いいってことなのか?
﹁お前が何を考えてるかわかるぜ。証拠が残るから殺せねえって思
ってるんだろ。お前の後ろ、何か聞こえねえか?﹂
水の音。
152
ほり
そうか! ここは川の水を引き入れている濠だ。
ここに沈められたら、そのまま死体は流されていく︱︱のかどう
か、流れの強さや流れる場所を細かく調べたわけじゃないけど、こ
いつらはそれで証拠が隠せると考えてるんだろう。
それで死体が見つかろうとどうなろうと、俺としては殺されたら
終わりだ⋮⋮。
﹁ここでリンチして殺した後に水に流してやるよ!﹂
ドゴッ!
脇腹を蹴られた。
むせることすら、紙がしっかり張り付いてるせいでできない。
ヤバいぞ⋮⋮。回避方法がない。もう、夜も遅いし、こんな時間
に出歩く奴もいないだろうし⋮⋮。
また蹴られる。
パニックになりそうな自分を叱りつける。
どうしていいかわからなくなれば、それだけ助かる可能性を考え
つくチャンスも減るんだ。
何か、いい方法があるはずだ。
痛みに耐えながら考える。
案はすぐに出てきた。
無詠唱の魔法。
153
それなら口が動かせなかろうといける。
炎よ、出ろ! こいつらを焼いてくれ!
必死に念じたが何も現れない。おそらく、こいつらは俺が何かや
ろうとしてることすら気付いてないだろう⋮⋮。何か画策してるっ
てばれないのはありがたくはあるが、それってつまり何も起こって
ないわけだ。
だよな⋮⋮。これまで無詠唱の魔法が使えたことなんてないもん
な。こんな土壇場で成功するほど、甘くない⋮⋮。
きっと、炎のイメージが抽象的なんだ。具体的でないとダメなん
だ。
だけど、具体的な炎というものがよくわからない。火事を思い浮
かべても効果はない。
悩んでいる間にも蹴られる。あと、数分のうちにどうにかしない
と蹴り殺されてしまう⋮⋮。
何か。
何かないのか。
そして、ふっと、頭にとあるものが思い浮かんだ。
炎︱︱という漢字。
いやいや、文字なんかじゃ⋮⋮。
154
待てよ⋮⋮。
漢字ってある意味、具体的と言えば具体的だよな。いろんな燃え
方の炎はあるけど、炎って漢字はそういう字だし、書き順も画数も
見た目もだいたい固定している。
炎という絵を描いてくれと言われて人が描く絵は千差万別だけど、
炎という漢字を知ってる奴に字を描かせれば、形もほぼ全部同じに
なる。
いけるかどうかはわからない。でも、燃えているもののイメージ
よりはマシだと思った。とにかく、試せ。
ファイアだと状況が打開できないかもしれない。
より威力の強いフレイムの詠唱文字を頭に思い浮かべて、さらに
炎という漢字をそこに加える。炎という漢字で埋め尽くす。
いけっ! こいつらを焼き尽くしてくれっ! フレイム!
俺の前か火炎が出て、その時、前にいた川西に直撃した。
﹁うあぁっ! 焼けるっ! 焼けるっ! 死ぬっ!﹂
出た。
今、間違いなく、俺は無詠唱で炎を出した。
﹁おい! どうなってるんだよ⋮⋮。口はふさいでるだろ⋮⋮? 詠唱なんて聞いてねえぞ!﹂
﹁その前に川西の火を消せ!﹂
﹁濠に入れろ! 濠だ!﹂
155
残りの三人が混乱する。俺を蹴る足も止まる。
やれる。同じことを繰り返せ。
よし、さっきと同じ要領だ。
頭に﹁炎﹂という形を思い浮かべる。
表意文字を知ってるからこそできる裏技だ。この王国の文字はア
ルファベットみたいな表音文字だからな。
亀山の横にいた多田っていうやつにフレイムをぶつける。
﹁うあぁっ! あちぃっ!﹂
すぐに多田が火だるまになった。
﹁何がどうなってんだ? 口はふさいでるし、誰か遠くから攻撃し
てきてんのか?﹂
﹁わからねえ! とにかくヤバいってことは間違いない!﹂
ラッキー。俺が攻撃してることすら、わかってないんだな。そり
ゃ、詠唱なしで魔法が使えるって発想がないもんな。
しかも、普通なら俺に意識が戻った時点で、その力を使ってるは
ずだ。なぶられてる途中にその力に目覚めたなんて考えつかないの
はしょうがない。
次は曽根だな。喰らえ。
逃げ腰だった曽根が燃え上がる。
﹁うあぁぁぁぁ! 水、水!﹂
そのまま、焼けながら濠に飛び込んでいった。
156
残りは亀山一人か。
もうすっかり亀山は怯えきっている。
﹁くそっ! こうなったら、島津、お前も道連れ︱︱﹂
バカ野郎。やられるのはお前だけだ。
ためしにフレイム以外も使ってみるか。
︱︱風よ、轟きとなり、薙ぎ払え、渦を作り、巻き起これ 嵐と
もなれ。
頭に詠唱を刻む。
そこに竜巻の漢字を置く。
ハリケーン!
魔法はまた、ちゃんと発動した。
竜巻が亀山を飲み込んだ。
詠唱で出したやつよりは一回り小ぶりに見えたが、亀山一人をつ
ぶすには充分すぎるサイズだ。
﹁た、助けてくれええええ!!!!!﹂
そんなこと言われても一度、竜巻に入っちゃったらどうしようも
ないんだ。
亀山はそのままはるか遠くまで吹き飛んでいった。
決着はついたな。
157
お前らのおかげで無詠唱を開発できたぞ。それには礼を言っとく
ぞ。しゃべれないけど。
ああ、でも、縛られてることは解決できてないんだよな⋮⋮。
158
22 サヨルさんの部屋︵前書き︶
ちょっと、フラグっぽいものが立ちそうです。
159
22 サヨルさんの部屋
亀山たちを倒した俺は空中浮遊の無詠唱を試みた。
ためしに﹁レヴィテーション﹂とカタカナを頭に浮かべたが、こ
れだと上手くいかなかった。
その次に﹁飛行﹂という文字を頭に浮かべて再度挑戦する。
ふらつきながらだが、ふわふわ体が浮き上がる。
おそらく、文字自体に意味がある表意文字のほうがイメージを凝
縮できるということだろう。レヴィテーションというカタカナの一
文字一文字に音以上の意味はないからな。
慣れてくれば漢字じゃなくても同じ効果が生まれるのかもしれな
いが、ひとまずはこの漢字作戦を使うことにしよう。
最初の無詠唱魔法が成功して十分も経ってないんだから、ここか
ら正確に、効果的に使えるようになっていけばいい。
さてと、窓のカギは閉めてなかったはずだから自室にも戻れるけ
ど、俺一人だと口の紙一つはがせないから、根本的な解決にはなら
ないな。
あと、先に連中に攻撃されたとはいえ、ボコボコに連中を打ちの
めしたから、それの弁明はしておかないと、こっちが悪者にされか
ねない。
だとすると、俺を信用してくれる人のところに行くか。
160
俺は教官たちが生活している建物のほうへふわふわ飛んでいった。
建物の前に警備をしている兵士がいてくれた。助かった。ゆっく
りと着陸する。
こっちの姿を見た兵士はもちろん無茶苦茶驚いて、誰かを呼びに
いってくれた。
そして、すぐにヤムサックとサヨルさんが出てきた。
﹁ひどい⋮⋮。ねえ、一体誰にやられたの⋮⋮?﹂ サヨルさんは俺の口と手足の自由を解放してくれた。痛みや傷が
伴わないように慎重に。
﹁生徒の亀山、川西、多田、曽根、その四人にやられました。後ろ
から頭を殴られて気絶してる間に拘束されてリンチにされてたんで
す。口もふさがれててボコボコにされました﹂
俺が話している間、ヤムサックは聞き慣れない魔法を詠唱してい
た。アザになっていたところの傷が消えた。回復系統の魔法らしい。
回復は魔法使いというより、聖職者が使うものなので、魔法使い
の習得は難しいらしい。それができるということは、やはりヤムサ
ックは相当な技術があるのだろう。
﹁でも、どうしてここまで来れたの? 飛んできたって警備の人か
ら聞いたけど⋮⋮﹂
ここで隠すのは無理だ。身の潔白を証明できないのも困るし。
﹁無詠唱で魔法を使ったんです﹂
﹁なっ! もう無詠唱を覚えたのか!﹂
161
ヤムサックが心底驚いたという顔で言った。
﹁本当です⋮⋮。ただ、元から使えていたんじゃなくて、むしろ、
リンチに遭って無詠唱で使えなきゃ死ぬというような状況だったか
ら⋮⋮。きっと土壇場だったのがよかったのかなと﹂
﹁なるほどな。命が懸かっていれば集中力も飛躍的に増大する。そ
れで壁を打ち破ったとしてもおかしくはないな。それにしても、魔
法を使い出して半年も経ってないのに、そんなことができるとは驚
くしかないが⋮⋮﹂
﹁無詠唱だなんて⋮⋮。私、一生できないんじゃないかって思って
たぐらいなのに⋮⋮﹂
サヨルさんはびっくりしているというより、落ち込んでいた。
﹁あぁ、後輩の島津君にまた水を空けられた気がする⋮⋮﹂
﹁サヨル、気にしなくていいぞ。島津が化け物なだけだ。君は普通
だ﹂
﹁教官、フォローになってません!﹂
その二人のやりとりでちょっと場もなごんだ。
﹁島津、君が負傷しているのは明らかだし、こんな持ってまわった
自作自演をする必要もない。ひとまず、君の言葉を全面的に信用す
る。それで、亀山たち首謀者はどこにいる?﹂
﹁亀山はハリケーンで吹き飛ばしたので居場所はよくわかりません。
残り三人はフレイムで焼きました。場所は城の隅、川を引き入れて
濠にしているところです。俺を殺した後、そこに投げ入れて証拠隠
162
滅を図るつもりだと言ってました﹂
﹁わかった。早速、兵士や教官を使って、そいつらを探させる。島
津、君はケガもしてるし︱︱﹂
ヤムサックはサヨルさんのほうに目をやった。
﹁サヨル、島津といてやってやれ﹂
﹁は、はい、わかりました!﹂
サヨルさんが背伸びをするようにして言った。
それからヤムサックはすぐにもろもろの手配に取りかかった。
﹁じゃあ、島津君、外にいるのもあれだし⋮⋮私の部屋に来る?﹂
﹁え⋮⋮あ、はい⋮⋮﹂
特殊な事態とはいえ、同僚の女の子の部屋に入ることになった。
サヨルさんの部屋は都市部の2LDKといった間取りだった。一
人で住むには充分な広さだ。
﹁そこのテーブルの椅子座ってて。お茶でも用意するから﹂
﹁あっ、すみません⋮⋮﹂
どうしても、部屋のものに目が行く。こぎれいな部屋だなと思っ
ていたら、棚の上に巨大な白いクマのぬいぐるみが置いてあった。
しかも一匹じゃなくて、五匹くらいある。よほどクマが好きなの
か⋮⋮。
﹁はい、お茶ね。私、健康に気をつかって、渋いお茶にしてるんだ
けど、渋いのが嫌だったら、砂糖を入れてね﹂
﹁はい⋮⋮。あの、クマ好きなんですか?﹂
163
お茶を持ってきてくれたサヨルさんに尋ねた。
すると、かあぁっとサヨルさんの顔が赤くなった。
﹁そっか⋮⋮。ここだとそれもばれちゃうのか⋮⋮﹂
﹁あっ、もしかして隠してたことでした⋮⋮?﹂
﹁私、北方の生まれで、そのあたりってクマがけっこう多くて、愛
着があるのよね⋮⋮。寝室にももっとたくさんあるし⋮⋮﹂
﹁誰にもしゃべらないんで、安心してください!﹂
偶然、人のプライバシーに踏み入ってしまった。
﹁じゃあ、これは私とあなた、二人だけの秘密⋮⋮あっ⋮⋮﹂
さらにサヨルさんの顔が朱に染まる。
﹁何よ、二人だけの秘密って⋮⋮ごめん、変な意味はないから気に
しないで﹂
﹁わかってます! わかってますから!﹂
なんだろう、この何とも言えない空気は⋮⋮。
ただ、そんなに不愉快なものでもない。
むしろ、サヨルさんの優しさを感じられるというか。
気持ちを落ち着けるようにお茶を飲む。たしかに渋いが耐えられ
ないというほどでもない。
サヨルさんもゆっくりとお茶を飲んで、ふぅと息を吐いた。
それから、また後輩を見守る先輩の目になって、
﹁また、よく頑張ったね、島津君﹂
164
こう言ってくれた。
﹁あんなふうに縛られて、きっと自分が殺されちゃうんじゃないか
って、怖くなったでしょ。そこで頭が真っ白になったら殺されてた
はず。君は最後まで助かるための方法を探して、だから、無詠唱な
んてことができて助かったんだよ﹂
165
23 事件の後片付け︵前書き︶
けっこう、先輩とフラグ立ってきました。
166
23 事件の後片付け
前に一緒に練習した時もそうだったけど、サヨルさんはいつも俺
の頑張り自体を褒めてくれる。
俺はそれだけで報われた気になる。
﹁本当に怖かったです。どうしよう、どうしようって思いました。
もしかしたら、ほとんど諦めかけてたのかもしれません。それでも、
どうにか生還できました﹂
﹁それが君の一番の才能だよ﹂
俺が飲んで減ったコップにまたサヨルさんはお茶を入れてくれる。
﹁君はもちろん魔法に恵まれてるかもしれない。異世界から来てマ
ナも多いかもしれない。でも、ちゃんと頑張れること、それが君の
才能﹂
﹁ありがとうございます﹂
ちょっと、涙が出てきた。
殺されそうになって、そこから抜け出して、安全が確保されて、
それから不意にこんなことを言われたせいだ。
﹁恐怖っていうのは少し遅れてやってくるからね。怖いことを思い
出したら泣いてもいいんだよ。ここで泣いても二人きりの秘密って
ことになるでしょ﹂
167
サヨルさんは席を立つと、俺の後ろに立って、ぽんぽんと肩に手
を載せた。
﹁俺、天才だとか超人だとかクラスで言われてますけど、ごく普通
の発想で生きてる人間なんです。だけど、泣き言も愚痴も人並みに
言える場所がなくて⋮⋮﹂
﹁だから、ここで好きなだけ言えばいいよ。私が先輩面できるのっ
て、こんなことぐらいだし﹂
やっぱり、サヨルさんって立派な先輩だなと心から思った。
こんなに後輩である俺の支えになってくれてるんだから。
俺はこれまで自分が強くなろう、強くなろうとしてきた。それは
何も間違ってないけど、まだその力を使って具体的に誰かを守るこ
とまではできていなかった。
誰かを守るために、いつかこの力を使ってやろう。
きっと神剣ゼミも、そんな心技体っていうか、心まで強い奴を育
てるためのカリキュラムなはずだし。
﹁先輩って本当に偉人というか、聖人ですね﹂
﹁今頃気付いた?﹂
冗談のように、サヨルさんは笑った。
どうしよう⋮⋮。サヨルさんと今、瞬間最大風速で結婚したすぎ
るぞ。
アーシアに告白まがいのことをしてから、そんなに時間も経って
ないのに尻軽にもほどがあるって思うけど、こんなこと言われたら
168
惚れそうになっても、そこはしょうがないだろう。
あと、恋愛感情とか色欲とかとも、また違うんだ。本当に結婚し
たい欲なんだ。
こんな人と家庭を持てたら絶対に幸せだろうってわかるっていう
か。
﹁今日はまだ事件の後始末が長引きそうだから、島津君、仮眠した
ほうがいいよ。体力的にかなり消耗してるでしょ﹂
たしかに、相当殴ったり蹴られたりしているせいか、体に熱がこ
もっている気がしている。そもそも、今、深夜だろうしな。このま
ま起きていたら明日に差し支える。
﹁じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか? ヤムサック教官が犯人
の事情聴取まですると考えたら、まだ時間かかりそうですし﹂
﹁うん、そうしなさい。あっちの部屋の、私のベッドを貸してあげ
る﹂
ベッドと言われて、ちょっと変な間が空いた。
しょうがない。年頃の男女二人しか、この空間にいないのだから。
﹁い、言っておくけど、一緒に寝たりはしないからね! わわわ私
は起きて、教官の連絡待ってるから! 二人とも寝てたら呼び出し
とかあった時に対応できないでしょ⋮⋮﹂
﹁で、ですよね! すいません! 変な意図とかは何もないですか
ら!﹂
﹁わかってるから! わざわざ言わないでいいから!﹂
サヨルさんのベッドに入ったけど、しばらくドキドキして眠るど
169
ころではなかった。
なんか、このベッド、いい香りがするし。香料でも焚き染めてる
のかもしれない。
当たり前だけど、年頃の女性のベッドで眠るなんて経験、ないか
らな⋮⋮。こんなことは神剣ゼミでも絶対に習わないことだ。
それでも疲労しているのは事実だったから、じきに眠りについた。
一時間ほど眠っていた。サヨルさんにヤムサックが来たと起こさ
れた。説明することがあるらしい。
﹁島津、君に危害を加えた生徒四人を探し出して、事情聴取をした
ところ、全員罪状を認めた。ケガも大きかったし、その理由を隠す
こともできないと思ったんだろう﹂
﹁ちなみに、全員生きてはいたんですかね⋮⋮?﹂
火傷は人の命を簡単に奪うからな。意識がはっきりしていても火
傷が元でそのまま死んでしまうことすらあるぐらいだ。
﹁もし、そのままにしていれば死んでいたかもしれないが、回復さ
せた。心配するな。あと、彼らもこのままでは助からないかもと思
って、余計に包み隠さずしゃべったところもある﹂
俺のほうが一方的に襲ったとウソをつくことも俺が縛られていた
以上、無理だしな。あいつらが証拠隠滅をはかれるような特殊な魔
法なんて使えるわけないし、逃げ道はないと考えたか。
﹁犯人が罪を認めたので、君のケガを証拠として残す必要もなくな
った。今から聖職者に回復してもらえ。あと、明日︱︱というか、
今日か、授業は休んでいい﹂
170
﹁わかりました。ありがとうございます﹂
一日ぐらい休んでも問題ないだろうし、そうさせてもらおう。
﹁あの、ちなみにあいつらの処遇はどうなるんですかね?﹂
厳罰を望む気まではないが、また教室で顔をあわせると明らかに
気まずいからな。
﹁彼らが行ったことは集団での暴行だ。全員退学のうえ、王城の外
に放り出す﹂
思っていた以上に重い罪だった。
﹁多少の金は出してやるが、それ以上の関わりは一切行わない。こ
こまで悪質なことをした者が人格を入れ替えるとも思えないしな。
いくら能力があったとしても軍などで働いてもらうことは難しい﹂
たしかに条件次第で平気で味方を売ったりしそうな奴と作戦を行
うことなんてできないか。
身から出たサビってやつだな。他人を理不尽に傷つけるならそれ
相応のリスクを背負わないといけないんだ。
﹁ああ、それと、君は今後も自主的に修練に励んでくれ。クラス単
位での教育ではまったく追いつかない﹂
﹁わかりました。せっかくなので無詠唱も活用できるようにしてみ
ようと思います﹂
﹁あとな、これはたんにもしかしてと思って言うだけだし、事実だ
171
からといって何の問題もないのだが﹂
ヤムサックは変な前置きをした。
﹁君は赤ペン精霊に教育を受けてないか?﹂
﹁えっ⋮⋮⋮⋮﹂
そうですとは答えなかったが、この態度だと図星でしたと言って
るようなものだな⋮⋮。
﹁古いマナペンに稀にそういうものが宿っていることがあってな、
支給するものの中にもそれがあるとかいう話は聞いたことがある﹂
﹁そっか、教官も知ってたんですね⋮⋮﹂
﹁といっても、精霊は邪悪な使用者の前には姿を現さないし、精霊
がいても成績がぱっとしないこともある。入熟した人間がすべてよ
い成績を収めるとは限らんだろ﹂
﹁たしかに⋮⋮﹂
﹁だから、仮に精霊がいたとしても、君の才能だ。誇っていい。だ
いたい、精霊だってこんなにすぐに無詠唱ができる指導はやれんは
ずだ﹂
たしかに、無詠唱も、どっちかというと俺がアーシアに自慢でき
るような成果だもんな。
俺はそのあと、聖職者の人に回復魔法リキュアをかけてもらって、
自室に帰った。
もう、すっかり空が明るみはじめていた。
172
24 休日の過ごし方
部屋に戻ったら、すぐにアーシアが出てきた。
俺も早く事情を説明しておこうと思っていたからちょうどよかっ
た。
﹁あの、なんで、夜に帰ってこられなかったんですか? 何か事件
に巻き込まれでもしたんですか⋮⋮?﹂
火傷はだいたい回復してもらったけど、状況だけでも異様ってこ
とはすぐに想像がつくからな。
﹁その心配の通りでした。今から話します﹂
俺の話を聞いている間、アーシアは﹁なんてひどい人達なんでし
ょう!﹂とか﹁時介さん、つらかったですね⋮⋮﹂とか﹁まさか、
無詠唱がそんなところで使えるなんて! おめでとうございます!﹂
とか、表情がころころ変わった。
﹁はい、無詠唱魔法を使えたのは本当に収穫でした。漢字を利用す
るのがこんなに効果があるなんて思ってもなかったし﹂
﹁ですね。そんな表意文字はこの世界にはないので、私も計算外で
した。こっちは現在使われているのは大半が表音文字ですからね﹂
たしかに中世ヨーロッパも当然アルファベットっていう表音文字
だったからな。この異世界も表音文字を使っている。
﹁それに時介さんが長らく使っている文字でなければ、存在を知っ
ていてもそこまで意識を高めることはできないでしょうし﹂
173
まさに俺にしかできない方法だったっていうことか。
﹁勉強って人によって必勝法も変わってくるものですからね。時介
さんは自分なりの必勝法をしっかりと見つけたんですよ。おめでと
うございます!﹂
ぽんぽんとアーシアが俺の頭に手を置いて撫でてくれる。すごく
いろんなことがあったからか、それぐらいであたふたするようなこ
とはなかった。
﹁それと、これも話しておいたほうがいいかなと思うんですけど﹂
ヤムサックに赤ペン精霊の存在が知られていることを告げた。
﹁ああ、なるほど。まあ、別にいいのではないでしょうか。クラス
メイトに知られるとズルだとか言う人もいるかもしれないですけど﹂
アーシアはとくに驚いた様子もないようだった。
﹁それに、いくら私でも時介さんほどの劇的な変化は狙って起こせ
ませんからね。時介さんは自分を誇っていいんですよ﹂
﹁それはほかの人にも言われました。まあ、まだまだやらないとい
けないこともあるし、偉そうにしてる暇もないんで、このままやり
ますね﹂
そう、無詠唱魔法をもっと実践しないといけないのだ。
﹁先生、今日、授業は休んでいい日なんで、無詠唱の練習を見ても
らえませんか?﹂
﹁わかりました! では、場所を移動しましょうか! ちなみにレ
174
ヴィテーションも無詠唱でできますか?﹂
レヴィテーションはすでに無詠唱でも使ったぐらいだったので、
難なくできた。
そして、演習場まで俺は無事に空を飛んでたどりついた。
基本的にこれまで詠唱アリでは問題なく使えていた魔法を順番に
無詠唱でやってみる、それを一つずつ試していく。
やってみた結果から言うと、攻撃系は無詠唱も比較的簡単に成功
して、補助系はあまり上手くいかないものも多かった。やって一時
間や二時間で判断するのは早すぎるかもしれないが。
﹁時介さんもここはこうなりますね。補助系の魔法ほど無詠唱でも
難しくなるんですよ。理由ははっきりしていて、補助系のほうがイ
メージを固めるのがより厄介だからです﹂
﹁ああ、わかります。俺も補助系だと漢字をどうしようかって思い
ますし⋮⋮﹂
炎を出すなら炎、氷を出すなら氷と、漢字をすぐに選べる。
でも、魔法の威力を低下させるウィークネスだと﹁弱体化﹂にな
るのか、﹁魔法威力低減﹂にしたほうがいいのかよくわからない。
そもそも弱体化とか低減とかがある種の抽象概念で、ぼんやりし
ている。道を歩いていたら、弱体化が落ちているなんてことはない。
あと、傾向として漢字の数が少ないほうが上手くいく気もする。
それもわからなくはない。意識を集中させる時に、極端な話、漢字
が五十文字も頭に浮かんでたらどこに集中させていいかよくわから
ない。
175
たとえば﹁魔法威力低減﹂という六文字のうち、﹁法﹂に意識を
集中させても無意味だろう。だって﹁法﹂という漢字が持つ意味に
自分が魔法で実行したいような要素は存在しないからだ。
となると、一字で﹁魔法威力低減﹂という意味を持つ漢字があれ
ばいいんだけど、そんなのあるわけないよな。
そのあたりのことをアーシアにも相談した。無詠唱なんて高度な
ことを相談できるのはアーシアだけだ。もし、クラスメイトに言っ
ても、調子に乗っている奴にしか見えないだろうし。
﹁そうですねえ、一度﹃弱﹄とか﹃減﹄とかいった漢字一文字でや
れるか実験してみてはいかがですか? 文字数は大幅に減るので、
補助系でも無詠唱ができる糸口になるかもしれません﹂
﹁意図はわかります。ですが⋮⋮﹂
ちょっと懸念点があった。
﹁弱くする魔法も減らす魔法なんてきっと無数にあると思うんです
が、一度、﹃弱﹄で魔法が使えたら、たとえば攻撃力を下げる魔法
を無詠唱で使おうとした時に困らないですか?﹂
そういう魔法を使いたいのにウィークネスしか使えないというこ
とになったら、まずい。似た意味の漢字を無数に知っていれば話は
違うかもしれないが、漢和辞典なんてこの世界にあるわけもないし。
﹁時介さん、じゃあ、色をつけてみましょう﹂
﹁色?﹂
176
﹁そうです。その文字に色をつけるんです。たとえば、ウィークネ
スなら赤色の﹃弱﹄、攻撃力を下げる魔法なら青い﹃弱﹄みたいな
感じで﹂
たしかにカラーバリエーションなら有名どころの色だけでも赤・
青・黄・緑・紫・白・黒・金・銀とけっこう数がある。これなら、
埋まってしまって使えないということもまずありえないだろう。
あと、イメージが色がつくことでより具体的になる。
たしかに現実世界で色のないものって存在しないものな。透明に
見えるものもあるけど、透明だって色の一つだと言えばそうだ。
﹁アーシア先生、それってかなり上手くいきそうです! 早速やっ
てみます!﹂
ひとまずウィークネスは黒の﹁弱﹂にした。魔法の効果的に敵に
マイナスイメージを与える印象があったからだ。
補助系魔法はそもそも発動がわかりにくいのだが︱︱
﹁時介さん、今、成功したと思いますよ!﹂
十五分後、アーシアがそう言ってくれた。
﹁やった! 色を付ける方法、早速効果があった!﹂
そこから先は速かった。
俺はまだ詠唱付きでも使ったことがない補助系魔法の一部も、無
177
詠唱で唱えられたのだ。
色を脳内で付けることで具体化がよりできたらしい。
まだ、詠唱アリで覚えるのよりは難易度が高いが、無詠唱で覚え
るのに慣れたら、これ、ほとんどの魔法を使えるようになるんじゃ
ないか?
178
25 無詠唱魔法を増やす
翌日、授業で顔を出したら、すぐに上月先生がやってきた。
﹁あの⋮⋮島津君、大丈夫だった?﹂
やけに心配そうに聞かれたので、最初いったい何かと思ったが、
亀山たちの一件が当然みんなにも説明されてるんだよなと理解した。
﹁俺のケガに関してはなんともないです。この世界には体力回復の
魔法もありますからね。大丈夫だから登校してきたんですよ﹂
﹁うん、それならいいんだけど﹂
そう言う先生の顔はまだすぐれないままだ。
﹁先生の教育が悪かったのかな⋮⋮。亀山君たちがまさかあんなこ
とをするだなんて⋮⋮﹂
そっか、先生にとったら、自分の元生徒の間で起きた暴力事件な
んだ。しかも、処罰された側は退学処分になってしまった。
こんな時に感心するのもおかしいかもしれないが、上月先生は本
当に生徒想いなんだなと改めて思った。
亀山のことなんて、悪いことをして罰せられたんだから、自業自
得だと言って思考停止することだってできるのに、決してそんな言
い方はしない。きっと本気で亀山たちのことを案じているんだろう。
﹁差し出がましいですけど、上月先生が心配することはないですよ。
179
あいつら、もともと素行が悪かったって話ですし、それが直らなか
ったってだけです。一度悪くなったら、先生の声も聞こえなくなっ
ちゃいますし﹂
﹁そ、そういうものなのかな⋮⋮?﹂
﹁ちょっと性格が悪いぐらいなら、数人がかりで俺を殺しになんて
来ないですよ。俺が殺されなかったのは、はっきり言って偶然みた
いなものですから﹂
自分で口にしても怖くなってきた。もし無詠唱ができなかったら、
とっくに死んでいたんだ。
﹁うん。わかった。たしかに、今、心配しても何も変わらないかも
しれないね。ここが日本だとしてもそんなことをすれば然るべき罰
は受けるはずだし⋮⋮﹂
上月先生もひとまず納得してくれたようだ。
クラスメイトが急に四人減ってしまったわけで、俺に対する反応
がどういうものに変わるか、実のところ、不安もあったのだけれど、
クラスの大半は俺に同情的で、居づらいような空気にはならなかっ
た。
逆に言うと、亀山たちはそれだけ孤立してたってことだな。それ
でどうしようもなくなって爆発しちゃったんだろう。
ヤムサックが授業のために現れたが、事件のことはすでに話して
いるからか、亀山についての処分には一言も触れなかった。
魔法実習の時間は、また俺だけサヨルさんと別メニューというこ
180
とになった。
まあ、俺が無詠唱で魔法を使ってるのをみんなに見せたら、教育
の妨げになるよな。じゃあ、声を出して魔法使う意味ないじゃない
かって思われかねない。
﹁無詠唱のことについては私も教えようがないから、補助系のもの
を教えるね。まずはドレイン・マジック。相手の魔法の力を奪える
なかなかイヤガラセ的な魔法よ。もっとも、よほど大量に吸い取れ
ないと実戦的な効果はあまりないけど。先に攻撃魔法で狙ったほう
がいいしね﹂
﹁サヨルさんって本当にいろんな魔法を習得してますね﹂
﹁私、変な魔法コレクターなの。でも、たくさん使えれば何か特殊
な状況に巻き込まれても戦えるかもしれないし、損はないよ﹂
﹁はい。それは俺も思います﹂
魔法を使っての対戦となれば、きっと攻撃魔法だけってことはな
いはずだ。ものすごくトリッキーな魔法で相手を封殺する奴だって
いるからな。
これは別に可能性だけの問題じゃない。
今、俺たちが習得しようとしているのはすべて現象魔法というも
のだ。魔法の大半、九割以上はこっちに分類される。攻撃系魔法も
補助系魔法も、こっちに分類される。
だが、ごく一部の魔法は概念魔法という、まったく異なるところ
に属する。俺も詳しいところはまだ勉強できてないが、何万人の敵
を相手にできるような大掛かりなものも含まれているという。ゲー
ムで言えばラスボス級のチートな魔法を使う奴に該当する。
181
そんなのを倒すには、攻撃力が高い炎や雷では役に立たないはず
だ。もっと、根本から魔法をぶっ壊す必要がある。なので、様々な
魔法は使えるほうがいいに決まっているのだ
さて、それで、ドレイン・マジックってことは、漢字で言うと吸
収か。﹁吸﹂って字を思い浮かべてみるかな。
よし、やってみよう。
﹁⋮⋮⋮⋮。⋮⋮⋮⋮、⋮⋮。ダメか、もう一度。⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ええと⋮⋮よくわからないんだけど、今は無詠唱でやろうとして
るってこと?﹂
たしかに傍目には謎の行動だよな。むしろ、行動してないように
見える。
﹁そうです。このほうが長い目で見ると効率がいいと思うんで﹂
漢字一文字だし、この魔法なら割と早く使えるようになるはずだ。
﹁わかったわ。無詠唱に関して指導しようがないし、島津君がやり
たいようにやって⋮⋮﹂
そして、十五分後。
何かこれまでと違う手ごたえがあった。
サヨルさんから光のようなものが抜け出て、俺の体のほうに入っ
てきた。
182
﹁これって⋮⋮ドレイン・マジックの効果ね⋮⋮﹂
サヨルさんはちょっと呆然としていた。
﹁こんなに短時間で実行できるものなのね⋮⋮。これだったら私も
無詠唱を試してみようかな⋮⋮﹂
﹁でも、殺されそうな目には遭いたくないでしょ?﹂
﹁ぜ、絶対嫌!﹂
じゃあ、こんなに短時間でものにするのは難しいと思う。アーシ
アだって命がけの特訓なんて絶対にやらないだろうし、無詠唱に関
しては俺は運が圧倒的によかったんだ。
﹁それじゃ、次は肉体強化の魔法を教えよっか。エンパワーメント
っていう魔法なんだけど﹂
その魔法もどうにか習得して、授業一つで俺は無詠唱二つ魔法を
新たに覚えることができた。サヨルさんにペースが化け物すぎるわ
とちょっと引かれた。そこは褒めてほしい。
﹁でも、この国もだんだん不穏になってきたし、あなたみたいな即
戦力が増えることは純粋に喜ばしいことなんだけどね。もちろん、
平和で実戦利用の機会がないことが一番なんだけど﹂
どちらかというと、そのサヨルさんの言葉が一番不穏だった。
﹁あの⋮⋮この国ってそんなによくない状態なんですか?﹂
﹁あっ、そうか、学生をやってるんじゃ政治情勢なんて全然教えて
もらえてないよね。そういう話はもっと後の学習課程にしてるから
183
なあ﹂
サヨルさんは少し考えていたようだが、﹁うん、わかった﹂とつ
ぶやいた。
﹁ちょっと、このハルマ王国の現状を教えてあげるね、島津君﹂
184
25 無詠唱魔法を増やす︵後書き︶
h
新作﹁﹁ああああ﹂って名前が最悪なので改名したら、レベル99
になりました﹂を開始しました! よろしくお願いします! ttp://ncode.syosetu.com/n9108d
k/
185
26 王国の情勢︵前書き︶
今回は今後の伏線的な話です。
186
26 王国の情勢
﹁今、ハルマ王国は公的には平和な状態にあるわ。周辺国とも戦争
もしていないし、それどころか、同盟関係を結んでるぐらい﹂
﹁ということは、非公式だとあまりよくない状態ってことですね?﹂
サヨルさんがうなずく。
﹁そういうこと。この国では王様は政治的混乱を小さくするために
存命のうちに子供に位を譲るのが一般的で、今の王様、ハルマ24
世もそろそろ王位を譲ることを検討されてらっしゃるわ。その候補
が一人に決まってはいないのよ﹂
少し、サヨルさんは声を小さくした。
あまり堂々としゃべっていいことではないのだろう。
﹁第一候補は長男の皇太子ね。ただ、この皇太子はあまり出来がよ
くないの。それで、カコ姫を王にすべきじゃないかという声も大き
いのよ﹂
俺たちがこの国に飛ばされてきた時にも出てきたお姫様か。王族
なのに腰が低くて、俺たち異世界から来た人間の待遇をよくするよ
うにとさんざん言ってきてた人だ。
えいまい
たしかにあの人はとても先見の明がありそうというか、英邁な君
主ってイメージがある。一回会っただけだけど、少なくとも権力を
かさに着るような人間ではない。
187
﹁それで、両陣営が対立してるのよ。自分が応援する側が王様にな
るかどうかは、自分の将来にも大きく関わるから当然、貴族や重臣
も力が入ってる。逆に言うと、大きく国が分裂する恐れもあるの﹂
﹁なるほど。意味はわかりました。そこでもしほかの国が介入して
きたりすると困りますね﹂
﹁やっぱり、あなたは優秀ね。その危険すらあるのよ。もし自分が
応援するほうが王になれば、大きな恩も売れるしね。とくに隣り合
ってるセルティア帝国は何か仕掛けてくるかもしれない﹂
その国名ぐらいはさすがにすぐにわかった。歴史や地理も多少は
アーシアのプリントで習っているのだ。
﹁セルティア帝国といえば、かつてこの大陸の大半を支配していた
こともある大国家ですよね﹂
﹁厳密には﹃元﹄大国家ね。今はハルマ王国と大差ない国力を持つ
一つの国家でしかないわ。昔の通例として、今でも君主は皇帝を名
乗り続けてるけど﹂
大国家が分裂して、いくつかの異なる国家になった。よくあるこ
とだ。そして、今の大陸も基本的にはそういう構図になっている。
現代人には大国家があったなんて意識はもう残ってないだろうが。
﹁かつての大国家が再び領土を拡大する野望を抱いていても、そん
なにおかしくないですよね﹂
﹁そういうこと。事態が激変することを恐れてか、ハルマ24世も
188
後継者を明言してないけど、だからこそ、さらにもめるかもしれな
い﹂
俺も声をこれまでより一段階落とすことにした。ここから先はい
よいよ不敬なことになるのはわかりきっていたからだ。
﹁そんな状態でもし、王様が殺されたりしたら大混乱になりますね。
次の王をどっちにするか決まってないわけだから殺し合いになる。
俺のいた世界でもそれで内乱に突入したケースを知ってます﹂
たとえば上杉謙信が急死したあとの越後とかな。二人の養子がつ
ぶしあって、国力が大幅に落ちた。どうにか統一した後もかなり弱
体化していて、危うく滅ぼされかけた。
﹁ほんと、そうなったら最悪ね。なんとか、今の状態が二年はもっ
てもらいたいんだけど⋮⋮。話はこれでおしまい﹂
サヨルさんはぱっと表情を明るいものに切り替えた。
現時点では漠然とした不安のレベルだし、すぐにどうこうできる
ものでもないしな。
しかし、自分を高めていくことしか考えてこなかったけど︵学生
だからそれが正しいことではある︶、自分が所属している国家自体
がトラブルに遭うってことも、たしかにありうるな⋮⋮。
でも、今は自分が強くなっていくしかない。俺が王様に何か言い
にいく権利も効力もないんだから。
できるだけ早く、補助系の魔法も多めに習得しておこう。それが
できるかどうかで柔軟性が変わってくる。
189
俺は再び、気合を入れなおした。
●
そして、授業のほうでも、もう一つ大きな変化があった。
それは剣技でついに木剣を使っての模擬戦が始まったのだ。
あくまで木剣だし、剣というより棒といったほうが正解に近いよ
うなものだが、それでも少しずつ剣士になるためのカリキュラムが
進んでいるのは事実だ。
これまではずっと木剣での素振りやランニングだった。つまり体
力をつけるメニューが中心だった。やっと、戦闘の真似事が始まっ
たのだ。
俺はそっちの方面は正直言って、まだ全然だった。
兜をかぶっていたとはいえ、初日から三発ほど頭を叩かれた。そ
れだけ隙が多いということだ。もし、戦場なら斬り殺されていたか
もしれない。
﹁どうやら、魔法の天才も剣技は難しいようだな。そのほうがみん
なもやる気が出てくれるから悪いことではないんだけどな。すべて
ぶっちぎりだとみんなやる気を削がれる﹂
そう言って剣技教官のスイングは笑っていたし、実際クラスメイ
トも﹁島津が弱くて、ちょっと安心した。剣技でも無双されたら勝
てるものが残ってない﹂とか冗談半分で言ってたけど、俺としては
当然こっちも強くなりたい。
魔法剣士になるには剣技も鍛えないといけないからだ。
190
だけど、それはあくまでも先のことだ。今は魔法を極めにかかっ
たほうが絶対にいい。中途半端になってしまうと、一番よくないこ
とになるからな。
無詠唱魔法もコツがわかってきたのか、かなりハイペースで習得
できてきている。
今、習得を目指しているのは、敵の魔法を無力化したり妨害する
タイプの補助系だ。これをしっかりマスターできれば、実戦でも相
手魔法使いに対して遜色なく戦える。少なくとも、勝てるチャンス
が生まれる。
周辺一帯のすべての魔法の威力が半減するとか、そういう魔法も
この世界には存在する。そんな広範囲に機能する魔法を使われた時、
攻撃魔法だけでは手の打ちようがない。
目指すは魔法使い対魔法使いの戦闘で勝利できる力だ。それがな
ければ、実戦に出ることはかなわない。出ること自体はできても、
相手の魔法次第で、あっさり殺される恐れもあるからだ。
しばらくは無詠唱での魔法数強化だな。
191
26 王国の情勢︵後書き︶
二日前に新連載はじめたばかりなのに、某ゲームのネタに乗っかっ
て﹁エレメンタルGO この世界で私だけ精霊の居場所が見える﹂
という出オチ的な連載を始めました︵笑︶。更新ペースがまずいこ
とになってますが、努力します! よろしければご覧ください! http://ncode.syosetu.com/n9585
dk/
あと、﹁﹁ああああ﹂って名前が最悪なので改名したら、レベル9
超ありが
9になりました﹂が日間4位になれました! http://nc
ode.syosetu.com/n9108dk/
とうございます!!! スライムともどもよろしくお願いします!
192
27 アーシアとの青春談義
俺の前に光の盾が現れる。
マジック・シールド︱︱敵の魔法による攻撃を防ぐ。防御範囲は
広くないが、自分に直撃するダメージをかなり軽減できるので、魔
法使い同士での戦闘ではよく使われるという。
﹁マジック・シールドが無詠唱で使えるようにまでなりましたね。
はっきり言って、もう戦闘をやっても構わないぐらいの力はついて
いるんじゃないかと﹂
その日の夜も俺はアーシアに魔法を見てもらっていた。
無詠唱が初めて成功してから一か月ほどが経っていた。魔法使い
としては一流とまでは言えないまでも実戦レベルには到達している
はずだ。
﹁もう、すでにプリントの内容では二年目の範囲もほぼ終わってい
ますよ。つまり、有事の際には戦場に出る許可がおりるぐらいの実
力ということです。二年目でひとまずの授業内容は終わりますから
ね。過去に召喚された異世界の方もここから先は個別指導というこ
とになります﹂
だんだんとアーシアの俺への態度も、生徒に対するものというよ
り、プロの魔法使いに対するものというのに変わってきた気がする。
俺も一から知らないことを教わるというより、技術的な向上に関
してのアドバイスを受けることが多くなったと感じている。
193
﹁でも、これぐらいのことができるようになってれば、そりゃ、戦
闘だってできるか。手前味噌だけど、この程度の魔法使いが一クラ
ス分いたら、かなりの脅威になる﹂
﹁あ∼、それはちょっと違いますね。たとえば、時介さんが元の世
界にいた時、テストでほぼ満点ばかり取っている人が全体の何割い
ました?﹂
﹁片っ端から満点なのが当たり前だったら、みんな最高学府に受か
るだろうし、全体の一割もいないんですかね⋮⋮﹂
﹁つまりそういうことですよ。授業内容はこのあたりまでだとして、
それをほぼ完璧にマスターできている生徒さんはほとんどいないん
です。そんな人でも魔法使いとして軍隊に編入されたりするんです﹂
大学入試で六割や七割の成績でも、たいていは合格ってことにな
るもんな。
﹁だから、時介さんは超優秀なわけです。時介さんのような力は二
年間の勉強を終えた後に、自主的にどうにか手に入れる範囲のこと
なんですよ。しかも、それだけのことを時介さんは無詠唱でやれて
いますから﹂
﹁ありがとうございます。これもアーシア先生のおかげですよ﹂
﹁う∼ん⋮⋮。うれしいお言葉なんですけど、一概にそうとも言え
ないんですよね﹂
アーシアは腕を組みながら苦笑してみせる。
﹁だって、時介さん、かなりの時間、自主練習につぎ込んでますよ
ね? 私が教えている時にはできてなかったことが次の実習には最
194
初からできてるってこと、最近とくに多いんですよ﹂
見事に見抜かれていた。
﹁あっ⋮⋮寝る前に時間を限ってやってます⋮⋮﹂
﹁やる気なのはすごくいいことなんですけど、睡眠時間は確保して
くださいね。体調が万全でないと実力も半減しちゃいます。そこは
ペーパーテストと同じですよ﹂
﹁はい、六時間半は寝ることにしてますから﹂
強くなりたいからっていうのもあるけど、単純に成長がわかると
張り合いもあって面白いんだよな。趣味とか娯楽とかいったもので
もある。
﹁では、今日はこれで終わりにしましょう。そのうち、これまでの
成果を確認する大型テストも実施しましょうかね﹂
﹁はい、望むところです﹂
それがある種の卒業試験になるのかな。
﹁ああ、それと、時介さんにはそろそろ言っておくべきかもしれま
せんが﹂
アーシアは少し真面目な顔になって、こほん、と小さな空咳をし
た。
﹁時介さんの実力がついてきたことで、なんらかの政治勢力が時介
さんに接触をはかってくることもあります。その時は細心の注意を
払ってくださいね﹂
195
﹁今、国が不穏だって話のことですかね?﹂
サヨルさんが前に語っていたことを思い出した。
﹁それもありますし、一般論でもあります。時介さんは成績優秀と
はいえ、まだ学生です。学生の本分は勉強することであって、政治
活動に身を投じることではありませんから。それに、なんらかの派
閥に入れば、敵対する派閥に命を狙われる恐れも増大しますし﹂
アーシアが本気で俺の身を案じてくれているのはすぐにわかった。
﹁過去に時介さんはクラスメイトに襲われましたよね。あれがもし
政治的なものだったら時介さんは殺されていたかもしれません﹂
﹁ですね。気をつけたいと思います﹂
﹁とはいえ︱︱﹂
そこでアーシアの表情がまた、からっとしたものに切り替わる。
やっぱりアーシアには笑顔のほうが似合うと思った。
﹁最後に決断するのは時介さんですからね。どうしても、自分はこ
うしなきゃいけないと思ったのなら、それを信じて行動すればいい
んです。だって、学生って青春の時期じゃないですか!﹂
ぐっと両手を握り締めてアーシアは力説する。
﹁そうですよ! 青春ですよ! 恋に情熱を傾けるのも、自分の夢
に突き進むのも、学問で上の上を目指すのも、どれだっていいんで
す! 燃え上がればいいんですっ! それが青春というものですか
らっ!﹂
﹁先生、面白いですね。あと、やっぱり先生って、同い年ぐらいに
見えるけど、長く生きてるんだなと思いました﹂
﹁へっ? どういうことですか?﹂
196
﹁だって、リアルに青春を過ごしてる人間って、そんなに青春を連
呼しないですよ﹂
すると、アーシアもそのピンクの髪に頬を染めた。あっ、こんな
ふうに照れることもあるんだ。
﹁お、おばさんってわけじゃないですからね! 精霊はこういうも
のなんですっ!﹂
ところで、恋と学問はどういうものかすぐにわかるけど、俺の夢
って何なんだろう。
単純に、今より強くなるとか成長するっていうのは目標や目的で
あって夢とは違うよなあ。
あっ、そうか。
誰かを守る力を手に入れること、つまり、誰かを守ることだ。
サヨルさんが後輩の俺を本気で心配してくれた時にそう考えた。
力は手に入ってきたと思う。問題は、それで具体的に誰を助ける
か、だよな。
もちろん、誰も助ける必要がないぐらいに平和だったらそれが一
番いいんだけどさ。
﹁時介さん、それでは今日のところはこれにて! また明日お会い
しましょう!﹂
ぱっと、アーシアは消えていった。
俺はアーシアの宿っているマナペンがポケットに入っていること
を確認して、一度部屋に戻ることにした。今日も寝る前にもうちょ
っとだけ練習するか。
197
28 自殺未遂!?︵前書き︶
実質的な新キャラが登場します。
198
28 自殺未遂!?
部屋に戻る途中、共用スペースで勉強中だった高砂さんに三十分
ほど付き合って、復習の手伝いをした。
高砂さんはツインテールが印象的な快活な女子だ。真面目系グル
ープともリア充系グループとも仲がよくて、そのあたりにコミュ力
の高さを感じさせる。
﹁あ∼、なるほどっ! やっぱり島津先生は教え方が上手だね∼!
理奈、感激しちゃうよ!﹂
﹁そんなおおげさな。高砂さんの理解力が早いから、なるほどって
思えるんだよ﹂
﹁あっ、前にも言ったでしょ。理奈でいいって﹂
﹁り、理奈さん⋮⋮﹂
﹁その理奈さんっていうのも、姉御キャラみたいで変だし、理奈で
いいよ﹂
﹁⋮⋮理奈﹂
﹁うん、そうそう!﹂
まだクラスメイトの女子を下の名前で呼ぶのは抵抗あるな。うれ
しくはあるんだけど、上手く立ち回らないと男子の敵をクラスで作
りかねないし。とくに、高砂さん⋮⋮理奈を狙ってる人、多そうだ
し。
けど、彼女の人付き合いが多いのがコミュ力だけじゃないってこ
とは勉強を教えていてわかった。
理奈はすごく真面目で熱心なのだ。共用スペースで勉強を教えて
るのも彼女がそこで自習していたからだ。
199
この子なら信頼できるということを、きっとほかの女子も感じる
んだろう。だから、自然と人の輪が増えてくるんだ。
﹁島津先生、ありがとね! おかげで今日の復習が予定より一時間
近く早く終わったよ!﹂
﹁うん。勉強も大事だけど、睡眠もちゃんと取ってね。授業中に寝
ると意味ないからね﹂
高校生って羽目外して遅くまで起きる奴も多いけど、ここでそれ
で授業についていけなくなると、死活問題だからな。
﹁ほんとに島津先生、先生みたいなことを言いますな∼。でも、傾
聴に値するお言葉だと思うよ! しっかり寝るから!﹂
この調子だと、理奈も立派な魔法使いになれそうだな。
魔法にも才能ってものはあるんだけど、そもそもマナに恵まれて
るからこの世界に召喚された俺達は全員その時点で才能を持ってい
るのだ。だからこそ、そこから先は努力でかなりの部分が決まる。
部屋に戻ったら、すぐに寮の大浴場に入った。ちょっと遅い時間
だったからか、すいていた。
魔法の練習でありがたいところは汗をかかないところだ。これが
スポーツの練習だと寝る前にやったらまた汗ダクになる。
ひとっ風呂浴びたら、夜風を受けながら寮の外をぶらつくことに
した。散歩中に体が冷めてきたら、魔法の練習を少しして寝るつも
りだった。
せっかくだし、城の庭園を一周して戻ろうかな。
演習場の先には大きな庭園がある。植物園みたいなのも横に引っ
付いているが、なかでも中心部に湧き水でできているかなりのサイ
ズの池があるのだ。
200
湧き水があるから庭園を造ったというより、湧き水があるところ
に城を置いたというほうが正確らしい。湧き水があれば長く籠城し
ても水の便で苦しめられることはないからな。
普段は城で働く者の憩いの場なのだが、あくまでも軍事的な目的
を持っている場所なのだ。
その夜は月もよく出ていて、夜とはいえ、けっこう明るかった。
この世界の月は地球のものより、光が強く感じる。月自体が発光し
てるわけではないだろうから、光というのは意味として厳密には変
かもしれないが。
そして、ぶらぶらと池の周囲を歩いていたら、奥に人の姿が見え
た。
誰かが池に体をつけているのだ。
まさか、入水自殺?
俺はあわててそこに走っていった。そして、池の中に飛び込む。
水のはずなのに、全然冷たいと感じなかった。温水プールに飛び
込んだような感覚を受けた。まさか、湧き水って温泉なのか? で
も、あったかくても死ぬには問題ないよな。
﹁何があったかわからないけど、ちょっと待って!﹂
その腕をつかむ。すごく細い腕だった。
それで、その人物が俺と同年齢ぐらいの女の子で、しかも一糸身
にまとってない姿だということをようやく理解した。
201
でも、今はそれどころじゃない。
﹁まだ若いし、死ぬようなことなんて、そうそうないって! やり
直せるって! もう少しだけ考え直して!﹂
﹁は、離してください!﹂
﹁だって、入水自殺しようとしてるじゃないか! 離せない!﹂
﹁自殺なんて考えてません!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮え?﹂
夜に水に入っているから、てっきり自殺だと⋮⋮。
﹁あの、腕を離してください⋮⋮ませんか⋮⋮﹂
﹁あっ、すいません!﹂
俺はすぐに手を離した。これじゃ、かえってこっちが犯罪に及ぼ
うとしてたみたいだ。
そして、俺は改めて、その女の子を見つめた。
どこかで見たことがある。しかも、この世界に来てから、かなり
すぐに⋮⋮。
﹁まさか⋮⋮⋮⋮姫のカコ様?﹂
﹁そうです。カコです⋮⋮﹂
か細い声でつぶやいた後、姫は両腕で自分の体を隠した。
﹁は、裸、見ないでください⋮⋮﹂
202
﹁あっ、すいません⋮⋮!﹂
俺はあわてて目をそらした。目だけだと怪しまれそうなので、体
ごと横に向けた。
ずっと裸を見てしまっていた⋮⋮。お姫様だから当然かもしれな
いけど、傷一つない、透き通るような白い肌だった⋮⋮。まるで池
に住む精霊みたいだ。
というか、これ、姫に乱暴を働いたとみなされたら、もしかしな
くても死刑なのでは⋮⋮。
﹁あなたの口ぶりだと、自殺だと勘違いされたようですね⋮⋮。悪
気があったわけではないようですし、今回のことは不問にいたしま
す﹂
どうやら死刑は免れたようだ。俺は姫に向かって頭を下げる。
﹁あ、ありがとうございます!﹂
﹁だから、こっちは見ないでください!﹂
﹁ほんとだ⋮⋮すいません!﹂
どうしても礼を言う時は無意識に相手のほうを向こうとしてしま
う。
﹁あの、それで⋮⋮姫様はどうして、夜にこんな池の中に⋮⋮?﹂
自殺じゃないというのは事実としても、理由がさっぱりわからな
かった。
203
﹁その説明は服を着てから行いたいですね﹂
﹁それもそうですよね!﹂
たしかに裸の女の子と長話するの、おかしいよな。
︱︱と、そこにばたばたと侍女らしき二人の女性がやってきた。
﹁姫! 賊でしょうか! ︱︱その男が賊ですか!﹂
﹁すいません! 庭の奥を監視していて遅れました! ︱︱ええい、
賊め! 姫に狼藉を働いたか!﹂
侍女とはいえ、二人とも剣を抜いてきた。
しかも、すぐ首の横に剣が来て止まる⋮⋮。一歩間違うと斬り殺
される⋮⋮。
﹁違います。剣をおさめなさい﹂
姫の一言でひとまず命拾いした。
204
29 姫との出会い︵前書き︶
変な双子が増えました。
205
29 姫との出会い
﹁では、この男は何者なのでしょうか?﹂
﹁服装からして、教官助手のようですが﹂
侍女たちが聞いてくる。あらためて見ると、二人ともよく似てい
る。リボンの色が黄色と青なのを除くと、同じようなポニーテール
だし。
﹁自殺者だと勘違いされて止められました。事故のようなものです。
魔法自体はおおかた形になっていますから、もう出ます﹂
﹁﹁はっ!﹂﹂
侍女二人はすぐにタオルを用意して、池から上がった姫を拭き始
めた。
しばらく見ると殺されかねない状態が続くと思うので、ずっと真
逆を向いていた。俺もずぶぬれで風邪をひきそうだけど、しょうが
ない。風邪ですむならありがたいと思おう。
﹁それで、この男に見られたとして、いかがいたしましょう?﹂
﹁ここは口封じとして殺しておきましょうか?﹂
なんか、物騒な話をしているな⋮⋮。
﹁こちらの都合が悪いというだけで人を殺すような者が、国を統べ
ることなどできません。説明をしたうえで、黙っておいてもらうよ
うお願いいたしましょう﹂
206
﹁さすが、姫!﹂
﹁やはり姫は偉大なお方です!﹂
こいつらも、かなり調子がいいな⋮⋮。
﹁それに、死のうとしてると誤解して、池に飛び込んできた方です
よ。とても心根の優しい、人格的にも信頼できる方です。怪しむ要
素もありません﹂
よかった。そこは評価してもらえるらしい。
抱きついてきた変態と思われるか、命を助けようとした善人と思
われるか、雲泥の差がある。
﹁服は整えました。もう、こちらを向いていただいてけっこうです
よ﹂
その声に振り返ると、たしかに姫らしい豪奢なドレスを着飾った
女の子がそこにいた。
﹁う、美しい⋮⋮﹂
思わず、そう口走ってしまった。
﹁ありがとうございます。おもねりの心が見えない言葉はうれしい
ものですね﹂
姫は、ふふふっと微笑んだ。
テレビの中だけで見たことのある美少女アイドルが眼前に出てき
207
たようなインパクトがあった。
あずまや
﹁あちらに四阿があって、ベンチも置いています。そこでお話をい
たしましょう﹂
姫と侍女が歩いていくので、俺もそちらについていく。水をした
たらせながら。
﹁あなた、みっともないですし、これを使いなさい﹂
侍女の一人がタオルを出してきた。
﹁あっ、ありがとう。お返しします﹂
﹁返さなくてけっこうです。男が使ったタオルを姫に使うわけには
いかないですから﹂
なかなかきつい言葉だけど、それもそうか。姫だもんな。
たしかに四阿には三人は横に座れるベンチが向かい合って置かれ
ていた。
中心に姫が座り、両サイドに侍女が立つ。俺はその向かいに座っ
た。
﹁まず、こちらから自己紹介をいたしましょうか。といっても、わ
たくし、カコのことはご存じでしょうから、侍女二人を紹介いたし
ますね﹂
﹁タクラジュだ﹂と黄色のリボンをつけてるほうが言った。
﹁イマージュだ﹂と青のリボンをつけてるほうが続く。
﹁二人はどちらも過去に異世界から召喚され、学校の課程を経て、
わたくしの護衛に配属されました。どちらも立派な魔法剣士です﹂
208
魔法剣士⋮⋮。この二人が⋮⋮。
そういえば、この目で魔法剣士を見るのは初めてだ。
﹁あなたのお名前も聞かせていただけますか?﹂
﹁はい、異世界からやってきた生徒で教官助手をしている島津時介
と申します。先ほどはご無礼をいたしました﹂
その名前を聞いた侍女含めた三人が驚いたような顔になった。
﹁そうでしたか⋮⋮。島津さん、あなたの名前はよく知っています。
学校が始まって以来の天才だとか﹂
﹁いや、それは盛り過ぎだと思いますが⋮⋮﹂
謙虚が美徳の日本人なので﹁そうです、俺が天才です﹂とはさす
がに言えない。それに学校の中で優秀でも戦争で活躍してきたわけ
でも何でもないのだし。
﹁ですが、魔法を習い始めて数か月でもう無詠唱でかなりの魔法が
使えるとは伺っています﹂
姫様が耳ざといのか、情報が漏れるのがけっこう早いのかどっち
だろうか。
﹁それは事実ですが、その⋮⋮悪漢に襲われた時に偶発的に手に入
ったものですから⋮⋮﹂
﹁百人のうち九十九人は襲われてもそんなことにはなりませんよ。
島津さんのような有名人に出会えて光栄です﹂
﹁姫様に有名人と言われるのも変な感じですが⋮⋮。それで、姫様
は、あそこで何を⋮⋮﹂
209
ずっと俺を持ち上げられても話が進まないので、こっちから切り
出した。
﹁あれは⋮⋮魔法を使っていたんです﹂
その言葉にはとくに意外性は感じなかった。少なくとも、ただの
沐浴なら姫様なんだし、水を引っ張ってくればいい。
﹁エルドラードという魔法がありまして、それを使っていたんです。
水の中で行うほうが範囲が広がりやすいので﹂
﹁水の中でのほうが広がる? それって、かなり特殊な魔法でしょ
うか﹂
少なくとも、俺は聞いたこともない。
﹁あの、姫様、その魔法はあまり口外なされるべきでは⋮⋮﹂
黄色のリボンをつけた、タクラジュのほうが懸念を示した。
﹁構いません。そもそも、それを話さなければ理解もしていただけ
ないでしょう﹂
﹁まったくだ。タクラジュ、お前はそんなこともわからんのか。ア
ホか﹂
イマージュのほうが辛辣なことを言った。
﹁お前こそアホだ! 学校での総合成績はこちらのほうが上だった
!﹂
タクラジュがすぐ言い返す。
﹁なら、魔法剣士に選ばれるのが決まったのはこっちが三日先だ!﹂
210
イマージュも応酬する。
﹁ふん! 叙任されたのは同日だったから、イーブンだ! バカ!﹂
﹁バカと言うほうがバカだ! バカ、バカ、バカ!﹂
﹁じゃあ、お前もバカだし、しかもそんなに回数重ねてるからもの
すごくバカではないか! バカバカバカバカバカバカ!﹂
﹁何を言うか、カバみたいな顔をしおって!﹂
﹁お前こそ、カバみたいだぞ!﹂
ちなみに俺には二人とも同じ顔に見えるが⋮⋮。
﹁こほん、二人とも、お静かに﹂
﹁﹁はっ! 申し訳ありません、姫様!﹂﹂
そこだけぴたりと声が合った。
何なんだ、こいつら⋮⋮。
﹁タクラジュとイマージュは双子なのです。ですが、幼い頃からと
ても仲が悪かったそうです﹂
姫様が解説してくれた。全部、姫様に言ってもらうほうが早いな
⋮⋮。
﹁姫様、イマージュが自分が姉だとか言い張るからケンカになるだ
けです。姉はこちらなのに﹂
﹁姫様、タクラジュが言ってることは大嘘です。姉はこのイマージ
ュですから!﹂
ああ、ケンカしてる理由だいたいわかった⋮⋮。
どっちが姉かで、二人とも譲らないんだな⋮⋮。
211
30 レアな魔法の使用者
また、﹁﹁ふんっ!﹂﹂と双子の魔法剣士は腕組みして顔を背け
てしまった。
う∼む、姫の護衛が不仲でよいのだろうか⋮⋮。
﹁この二人は幼い頃からケンカをずっとしてきて、それでその才能
を開花させたんですよ。すぐ近くにライバルがいたというのは幸せ
なことですね。自分を磨くのにこれほど良い環境はないですから﹂
﹁なるほど。そういう考え方もできるんですね⋮⋮﹂
﹁生意気な妹を倒すために魔法も剣技も全力で学んだのだ﹂
﹁姉不孝な妹を倒すために魔法も剣技も全力で学んだのだ﹂
タクラジュとイマージュが同じようなことを言った。こいつら、
相手を出し抜くために相当気合入れて学んだんだろうな⋮⋮。
﹁さて、話を戻しますね﹂
こほんと姫様はかわいい咳をした。
﹁わたくしが使っている魔法が知られていないのは無理もありませ
ん。おそらく、教官助手の立場では、まだそれに関する知識も手に
入れられないでしょう﹂
﹁つまり、門外不出の魔法ということですね⋮⋮?﹂
ありえないことではない。すべての魔法が本に書いてあると考え
るほうが不自然だ。一部の魔法使いだけが伝承するような魔法もき
っとあるだろう。
212
﹁エルドラードという魔法は概念魔法なんです﹂
言葉では知っていたが、それの使用者に出会えるのはこれが初め
てだった。
概念魔法︱︱魔法の大半を占める現象魔法とは異なる、この世界
のルールを書き換えてしまうような魔法だ。
その分、使用者は極めて少ないし、おそらく教官のヤムサックで
も一つも使えないと思う。
﹁わたくしが使うエルドラードは怒りや憎しみといった負の感情自
体を抑えてしまうのです。より具体的に言えば、この城とその城下
一帯まで、突発的な暴力が起こりづらくなります。ほとんどの傷害
事件は、ついカッとなって相手を殴ったり斬りつけたものですから、
これでそれなりの平穏が保たれるというわけです﹂
﹁そんな広範囲に作用するんですか⋮⋮﹂
半径二十メートルとか三十メートルとかって次元じゃないぞ。
﹁たしかに広いですね。だから、この湧き水が出ている池で使って
いたんです。水自体がわたくしの魔法で聖別されますから、その水
が流れていく場所に影響が及ぶんですね﹂
なるほど。湧いた水もたまり続けるなんてことはなくて、どこか
に流れていくからな。
﹁もちろん、感情を完璧にコントロールすることまではできません。
あと、防げるのは突発的な怒りぐらいまでです。計画的な犯行や生
来的な悪心は、人間が理性で行っているものなので、止められませ
213
ん﹂
そうか、悪人が一切いなくなるような効果があったら、俺が亀山
に狙われることもなかったはずだもんな。
あいつらが俺を狙ったのは間違いなく当初から予定していたもの
だった。そういう頭で考えて選択された行動までは概念魔法も効き
目はないんだ。
﹁姫様はこのエルドラードを二日に一回は使用しておられるのだ。
すべては城と城下が平和であることを願ってのもの。その慈悲の心
に感謝するがよい﹂
タクラジュがドヤ顔で言った。
﹁事実、城下で起こる傷害事件は人口規模で見てもかなり少ないの
だ。その落ち着いた環境を求めて、この地に移り住む者も多いのだ
ぞ﹂
今度はイマージュが言った。どうやらどっちかが何か言うと、も
う片方も対抗してしゃべらずにはいられないらしい。
けど、こんな魔法が実在するなら、そりゃ、偉そうな顔をしても
いいだろう。まさに国民に貢献している魔法だからだ。
﹁姫が民を思いやる心をお持ちなのは感じていましたが、本当にそ
うだったんですね﹂
俺は心からそう言った。お世辞抜きでカコ姫は偉い。
﹁民のためにならないのであれば、王家は存在する意味がありませ
んからね。民を苦しめるだけの王家が尊敬を集めるというのは不合
理ですから﹂
214
わざわざ初対面の人間の前で、民などどうでもいいとは言わない
かもしれないが、姫が人格者であることは間違いないだろう。しか
も、口だけなんじゃなくて、この人の場合、有言実行している。
これは次の王様候補と目されるわけだ。
最低でもこの姫が王になって、国が揺らぐなんてことはそうそう
考えられない。
﹁ただ⋮⋮残念なことにわたくしがこの概念魔法を使うのは民のた
めだけではないのです⋮⋮﹂
姫の表情が曇る。
﹁どういうことでしょうか?﹂
﹁突発的な事件が起こりづらいということは、それでも何か事件が
起こった場合、それはかねてからの悪心が原因だということです。
その環境下で殺人事件があったとすれば、それは口封じだとか陰謀
だとかいったものとつながっていることがわかりますね﹂
かなり血なまぐさい発言が姫の口から飛び出した。
そして、姫は自分の胸に手を置いた。
﹁わたくしを除きたい者、あるいは父である王を除きたい者も、き
っといるはずです。そういう者の痕跡を早くに見つけ出すことがで
きれば、大きな事件を事前に防ぐこともできますから﹂
ああ、この姫様は理想論だけで生きてるんじゃなくて、現実も見
据えているんだな。
215
けど、一点だけ突っ込みどころがあった。
わざわざ言うのもどうかと思うけど、黙っておいていいことじゃ
ないんだよな。
﹁ですが⋮⋮そのことを考えていた姫様が俺に接近を許しちゃった
のって、まずくないですかね⋮⋮? そこで姫が、その⋮⋮身を害
されてしまったら、何にもならないというか⋮⋮﹂
姫の顔が真っ赤になる。
あと、それだけじゃない。侍女二人の顔はさらに真っ赤だ。この
二人にとっても護衛に失敗したわけだから、責任問題だもんな。
﹁その⋮⋮まさか庭の正面から堂々と賊が来るとは予想していなか
ったのだ⋮⋮。来るとしたら庭の奥、繁みにでも隠れているはずだ
と思って、そちらを警護していた⋮⋮。正面は妹のイマージュがや
ると考えていた⋮⋮﹂
﹁私も正面からバカ正直に賊が侵入すると考えていなかった⋮⋮。
正面は妹のタクラジュがやるとばかり⋮⋮﹂
こいつら、全然、連携取れてないぞ!
﹁姫様、今回の責任は妹のイマージュにあるので首を斬るべきかと﹂
﹁姫様、すべては妹のタクラジュが悪いので首を斬るべきです﹂
﹁お前ら、身内に責任押し付けて殺そうとするなよ! そこはかば
えよ!﹂
﹁﹁賊であるお前が言うな!﹂﹂
﹁なんで、そこだけハモるんだよ!﹂
とにかく、間違いないのはどっちかの責任にしても無意味という
216
ことだ。
217
31 秘密の警護任務
﹁ま、まあ、俺は実際、賊じゃなかったわけで⋮⋮だとしたら、庭
の正面は大丈夫だろうって二人の判断自体に間違いはなかったんだ
から、いいんじゃないですかね⋮⋮。今後は気をつけるべきだろう
けど⋮⋮﹂
タクラジュとイマージュの二人も顔を見合わせてどうやら納得し
たらしい。
﹁わかった⋮⋮。島津よ、なかなか気が利くな﹂
﹁島津は妹と違って頭の回転が速いな⋮⋮﹂
これって、解決したのかな⋮⋮。
﹁あ、ちなみに、わたくしも自衛の手段は講じていたんです。セイ
クリッド・ベルという補助系の魔法なのですが⋮⋮﹂
それは名前は聞いたことはあるが、まだ習得には至ってない魔法
だ。
しかし、それも使えるっていうことはこの姫様自体が上級の魔法
使いなんだろうな。でないと、概念魔法なんて使えないだろうし。
﹁ええと、たしか、悪意を持った者が近づくと甲高い音がする、一
種の警報装置ですよね?﹂
﹁ええ、そうです。範囲がそこまで広くないのと、自分が止まって
いる時でないと範囲から自分が出てしまうので、あまり意味を成さ
218
ないのですが、池で概念魔法を使う前には、まずそれをかけていた
んです﹂
つまり、甲高い音がしたら、すぐに侍女が気づいて助けに来ると
いうことか。
﹁そっか、俺は姫を自殺者だと勘違いして助けに行ったから反応も
なかったんですね⋮⋮﹂
﹁そういうことになりますね⋮⋮﹂
だとしたら、一応の防御態勢はとっていたってわけか。
﹁じゃあ、守りも意識していたんですね。失礼なことを言っちゃっ
てすいません⋮⋮﹂
﹁いえ、不備が今回、明らかになったわけですし、わたくし達の防
御網が甘いのも事実です! どうにかします!﹂
﹁しかし、島津よ、姫が概念魔法をお使いになること自体が機密な
のだ。そこからどのような魔法を使えるか推測もされかねん。なに
せ、概念魔法は貴重なものだからな﹂
イマージュが口をはさんできた。
﹁たしかに、大人数で護衛すると情報が広まるよな。警護が二人だ
けなのは機密保持の意味合いもあるんだろうし⋮⋮﹂
と、にやっとタクラジュが笑みを浮かべた。
﹁どうした、タクラジュ、気持ち悪い顔だぞ﹂
﹁黙れ、イマージュ。やはり、私は妹より頭の出来がよいようだ。
名案が浮かんだぞ﹂
219
タクラジュが視線を姫に向ける。
﹁姫様、この島津も護衛に加えればよいのです。天才と呼ばれてい
るぐらいなのだから、その実力は折り紙付きのはず。しかも、島津
が護衛に増えても秘密を知る者の数自体は変化がありません﹂
﹁なるほど⋮⋮。そういう手もありますね﹂
﹁ふん! タクラジュの割にはよいことを言うではないか﹂
あれっ⋮⋮。なんか、俺の意思を無視して話が進んでないか?
﹁よし、島津。我々と一緒に姫様を守ろう。ただし、池に体をおひ
たしになっているところを覗いたら容赦せんぞ。男が王家の女性の
裸を見るなど許されることではないからな!﹂
﹁ええと、その前に俺はまだ何も言ってな︱︱﹂
せめて、労働時間ぐらい確認させてもらいたいんだけど⋮⋮。い
つもこの時間ならこれなくもないけど、たとえば授業時間と重なっ
たら行きようがないわけだし⋮⋮。
﹁あの、島津さん、お力を貸していただけませんか⋮⋮?﹂
姫が手を胸の前で組んで、上目づかいで俺を見つめる。
正直言って、こんなに美しい人がこの世界にいるのだろうかとす
ら思った。
これはきっと、容姿的な理由によるものだけじゃない。カコ姫の
瞳はとても澄んでいる。この人は心も、この湧き水でできた池みた
いに透き通っているんだ。だから、女神のように美しいと感じるん
220
だ。
﹁わかりました﹂
とても断る言葉なんて出てこなかった。
﹁ありがとうございます、島津さん!﹂
ぱぁっと姫の顔が明るくなる。その表情もまた素晴らしく愛らし
く魅力的だった。
﹁あの⋮⋮護衛の時間教えていただけませんか? 俺は軍人じゃな
くて学生ですし、出れない時間もあります。それと、まだまだ甘い
ところも多いですから、腕を磨くことにも時間をとらないといけま
せん﹂
俺が中途半端な実力しか持っていなければ、護衛の意味もない。
だから、強くなる時間が確保できないのだったら、それはまずいの
だ。
本当は同意する前に言うべきだったのかもしれないけど、姫を悲
しませるような言葉を言う勇気がなかった⋮⋮。
それにしても、この世界、アーシアにしても、サヨルさんにして
も、カコ姫にしても、美女率が高すぎるんじゃないか? 遺伝子的
な問題なのだろうか。
﹁それだったら、おそらく問題はないかと思います。時間は今日と
同じぐらいのものですし、用が済めばわたくしもすぐに王城に戻っ
て眠りにつきます﹂
221
おそらく今が二十三時過ぎってところか。ならば、終わって、す
ぐに眠れば七時間睡眠は確保できるかな。
﹁わかりました。だったら、協力できるかと思います﹂
でも、せっかくだから、俺も少しだけ要求をさせてもらおう。
﹁その代わり、俺からもお願いがあるのですが﹂
﹁おっしゃってください﹂
﹁姫が習得なさっている魔法の一部、差し支えのないものでけっこ
うですので、俺にも教えていただけないでしょうか? 俺が見たと
ころ、姫は極めて有力な魔法使いであるようにしか見えませんので﹂
どうせなら、俺もこの機会に成長させてもらいたい。
俺は学生だ。学生はすべての時間を勉強に、成長に、充てるべき
なのだ。
﹁そういうことでしたら、構いませんよ。わたくしは教育の専門家
ではありませんが、それでよろしければ﹂
﹁我々も何か教えてやろうか﹂
﹁ふん。お前が教えられることなどなかろう﹂
なんか勝手に姉妹がケンカしそうだが、こっちは無視しよう⋮⋮。
﹁あと、この護衛の話は他言無用でお願いいたしますね。まだ、ど
こに敵が混じっているか把握できていませんから﹂
﹁はい、それはもちろん。あっ、すいません、一人だけ例外を作っ
てほしい人がいるんです⋮⋮﹂
222
俺は赤ペン精霊アーシアの名前を出した。
アーシアに伝えたかったというより、アーシアに一切の隠し事を
したくなかったのだ。
﹁ええ。けっこうですよ﹂
笑顔で姫は了承してくれた。
﹁だって、今のアーシアさんについて語る島津さんのお顔はすごく
真剣でしたから。島津さんがそこまで心を込められる方が悪心を持
っているとは思えません﹂
こうして、俺に秘密の警護任務が増えたのだった。
223
32 カコ姫の魔法
姫のことをアーシアに伝えたが、そこまで意外そうな反応は見せ
なかった。
﹁そうでしたか。たしかにこのお城はやけにほっとするというか、
何か魔法の力に守られているような印象があったんです。姫の概念
魔法によるものだったんですね﹂
﹁そういうのは魔法使いなら誰でもわかるものなのですか?﹂
アーシアは首を横に振った。
﹁そんなことはないですね。それなら、とっくに姫が何をされてい
たか周囲にもばれてしまっているはずですよ﹂
たしかに魔法使いなんて王城の敷地内にいくらでもいるはずだ。
﹁概念魔法というのは、一言で言うと、教育課程から切り離された
領域の魔法なんです。ですから、いくら魔法使いとして優秀であっ
ても、それを理解しないままということは充分にありえますね。む
しろそのほうが多数派です﹂
﹁そうなんですか。そういうことも含めて、教科書にも書いてない
んですよね。ただ、概念魔法は難しいといったことしか書いてない﹂
たしかに神剣ゼミですら概念魔法については具体的な言及がなか
った。
224
﹁私も概念魔法については教えることができないんです。一言で言
うと、教える資格がないんですよ﹂
﹁資格? 免許制度みたいなものがあるんですか?﹂
﹁う∼ん。そういうわけではないんですが、資格がない人から教わ
って、手に入れることは絶対にできないんですよ。あ∼、絶対は言
い過ぎですかね。超ド級の天才であれば、有資格者からの継承なし
で独自に生み出すこともできるかもしれませんが。どっちにしても、
資格ががない人は教えようがないのはおんなじですね﹂
それはさすがに俺でも無理だな。
俺は教わって自分の能力を伸ばすのは得意だけど、オリジナルの
魔法を次々に開発するほどの力はまだない。
それって、おそらく何十年も魔法について研鑽を積んだ奴が初め
て到達できるような次元の話だろう。
高校数学で高得点が取れるのと、数学者になって新しい数式を発
見するのとの違いみたいなものだ。
﹁とにかく、継承方法については実際に概念魔法が使える方から聞
くのがいいかと思います。その人のほうがより詳しく知ってる可能
性も高いですし。ただ、教えてくれる可能性は限りなく低いですか
ら、そこは期待しないほうがいいですよ﹂
﹁はい。それ以外にも俺の知らない魔法を姫はたくさん知ってるみ
たいなんで、それを一つ二つでも手にできたらって思ってます﹂
勉強の中には本などで学習していくことで手に入れられるものと、
人から直接に学ぶしかないものとがある。姫からは後者を学べれば
と思っていた。
225
夜の自主練習に関しては、姫を守る意味もあって、攻撃魔法を中
心に行った。とくによりピンポイントな範囲を狙えるように気を配
った。怪しい奴を確実に仕留める必要があるからだ。
護衛をやるからには学生なんですなんて甘えは許されない。まず
護衛を殺そうとしてくる奴もいるかもしれないし、敵を確実に倒す
力がないと話にならない。
そして護衛初日はすぐにやってきた。
姫が概念魔法を使う頻度が高いから当然と言えば当然だ。
﹁護衛の手順だが、まず何者かに追われてないかを確認し、その次
に姫様を守る者は残り、もう一方が庭園に怪しいものが潜んでない
かを確認する。それが終わったら、全員で姫様と一緒に庭園に進む﹂
タクラジュがそう説明した。ただし、リボンの色を交換されたり
していないことを前提にしているが。顔でタクラジュとイマージュ
の違いを見分けることはまだできない。黄色はタクラジュで青はイ
マージュと覚えている。
﹁島津にはまず庭園を調べるのについてきてもらう。そのあとで、
姫様のところに戻ったら、庭園を少し進んだところで待機し、入っ
てくる者がいないか監視してくれ﹂
﹁わかった。ちゃんとやるよ﹂
今度はイマージュのほうがヒモのついた小さなホイッスルを俺の
ほうに差し出した。
﹁何か危機があったら、これを吹け。厳戒態勢をとる﹂
﹁わかった。どうせなら吹かずにすめばいいんだけどな﹂
226
﹁今のところ、吹いたことはないな。そもそも夜に庭園を訪れる命
知らずな奴はまずありえないから、人間と遭遇することもほぼない﹂
﹁命知らず? それはどういう意味だ?﹂
﹁この庭園の池はかなり深いところもある。しかも湧き水のせいか、
水もかなり冷たい。もし、夜に一人で散歩でもして転落すると助か
らない。これまでも数名の溺死者が記録されていて、足を踏み外し
やすい夜の散歩はまずありえないのだ﹂
たしかに姫が体をつけていたのは例外的に浅いところだったよう
に思う。
﹁その溺死者がお化けとなって顔を出すという噂まであるぐらいだ
からな。まともな人間なら夜の散歩など絶対にせん﹂
﹁おい、イマージュ、そういう怖い話はやめろ!﹂
タクラジュが体を自分の腕でかき抱くようにして、文句を言った。
﹁タクラジュ、お前は怖がりすぎる。まったく、情けないな﹂
﹁しょうがないだろ! 目に見えぬ者は⋮⋮た、倒しようがないの
だからっ!﹂
やっとこの二人の違いがわかった。
﹁二人の見分け方、わかりましたでしょう﹂
姫様も楽しそうに俺のほうを見つめた。
﹁はい、今度から活用します﹂
﹁や、やめてくれー!﹂
タクラジュは本気で嫌がっているようだ。
﹁逆に言えば、だからこそ、姫様はこの庭園を使っているわけだ。
しょっちゅう誰かとかち合うような場所では秘密は守れんからな。
227
ここなら誰かと遭遇しても、相手がお化けと見間違う。姫様を見て
もきっと溺死者のお化けと思うだろう﹂
冷静に考えれば、夜にこんな水の中につかっている人間がいると
考えるわけないもんな。まして、お化けの話があるなら、それを信
じるはずだ。
姫をお化け扱いするのは不敬だけど、この場合、姫と気づかれな
いことが最重要なのだ。
これにて口頭でのレクチャーはおしまいだ。
ここからは実地で教わる番だ。イマージュと一緒に庭園を移動す
る。タクラジュは一人で庭園を進むのはあまり気が進まないらしい。
ただ、イマージュの動きはとにかく隙がなくて、気を抜くとどん
どん離されてしまう⋮⋮。
﹁島津、遅いぞ。動きにあまりにも無駄が多い!﹂
﹁そんなこと言われても⋮⋮﹂
これが魔法剣士の実力なのか⋮⋮。
俺はどうにかついていきながら、人が潜みやすい場所を教えても
らった。
これは実際の戦闘でも意味を持つな。ある種の訓練だ。ありがた
く活用させてもらおう。
228
33 姫様は偉大な魔法使い
庭園に潜む者はいないと判断して、俺とイマージュは姫とタクラ
ジュのところに戻ってきた。
今度は俺は庭園の中ほどで、合図があるまで周囲を窺う。
もし、勝手に姫のところに行って、また裸を覗こうものなら今度
こそ双子に殺されかねない。
お化けの話を聞いてからなせいか、たしかに庭園がどこか物寂し
げで不安をかきたてるものに見える。
水が透き通っているから浅く見えるが、これ、かなり深いんだろ
うな。透明度が高いと奥まで見えてしまうから、ここは浅いと錯覚
しやすいはずなのだ。
それと月明かりがある日は明るいが、それがなければ頼れる光源
はほぼ何もない。それで誤って池に足を踏み外すと、命取りになる
のもわかる。
人の気配一つしないなと思っていると、遠くから﹁終わったぞ。
来い!﹂という声がした。タクラジュかイマージュかそれだけだと
判断できない。
もう、姫は服を着替えていたが、わずかに長い髪が水につかった
ところだけ濡れていて、それで概念魔法を使っていたことがわかっ
た。
﹁ありがとうございました、島津さん。今日のようにまたお手伝い
をお願いできますか﹂
229
﹁はい。それと、もしよければ魔法の指南をお願いできませんか?﹂
﹁わかりました。では、まずはこのあたりからどうでしょうか﹂
姫が提案した魔法はすでに習得済だった。
﹁それなら無詠唱で使えます﹂
﹁本当ですか! やはり島津さんは天才なんですね⋮⋮﹂
概念魔法を使える人に天才って呼ばれても微妙な気分だな⋮⋮。
﹁少なくとも、現時点では姫のほうがはるかに偉大な魔法使いです
よ。下手をするとこっちが守られる側になりかねません﹂
﹁それはそうだ。王家そのものが偉大なる魔法剣士の系譜だからな﹂
﹁まったくだ。神剣エクスカリバーを自在に操ったという伝説的な
方を祖とする一族なのだから﹂
双子二人がドヤ顔で言ったが、そこにとても重要な情報が含まれ
ていた。
﹁えっ、神剣を王家が使ってたのか!?﹂
﹁うむ。伝説ではあるがな。ハルマ一世はもともと救国の英雄と言
われた魔法剣士で、その活躍から王国から新しい王になるよう勧め
られて、その地位についたと言われている。そのハルマ一世が魔法
剣士時代に使っていたのが、エクスカリバーという話だ﹂
﹁その所在はわからないが、現在の王室が高名な魔法使いの血を守
っていることは紛れもない事実。だからこそ、このように長い期間、
ハルマ王国は民に慕われて続いてきたのだ﹂
遠慮がちに姫もうなずいた。
﹁はい。わたくしも魔法をお父様から授かりました。その⋮⋮お兄
様よりわたくしのほうがこの魔法を受け継ぐには適しているからと、
概念魔法も⋮⋮﹂
230
﹁それが本当だとしたら、もう国王陛下は姫に王位を継がそうとお
考えなのでは⋮⋮﹂
言ってから少し口がすべっただろうかと思った。
﹁そのような簡単なことではないのだ﹂
タクラジュが渋い顔で言った。
それにイマージュも言葉を続ける。
﹁序列を乱すことになるし、そもそも皇太子に明確な落ち度がある
わけでもない。皇太子も魔法使いとしての実力はかなりのものだ。
何も出来ぬ愚人ではないからな﹂
こういうのは、すぱっと割り切れるものではないか。
﹁わたくしとしては、この国が平和であれば、王であろうとそうな
らなかろうと問題ではないのですが﹂
思った以上に姫は疲れているように見えた。これは概念魔法を使
ったせいだけじゃなくて、心労のせいなんだろう。
﹁さて、魔法の授業に戻りましょうか。それでは、こういった魔法
はご存じですか?﹂
姫がいくつか提示してくれた魔法の中には自分がまだ使えないも
のも含まれていた。
とくに強力な結界を張って、周囲一帯を守るサンクチュアリ・ラ
イトというものが含まれていて、たじろいだ。
﹁これってとんでもなくすごい魔法じゃないですか?﹂
﹁範囲はそこまで広くないですがね。ただ、使用できる魔法使いは
戦争で将軍や副将軍の地位につけられることが通例ですね。将軍が
231
すぐに殺されると指揮系統が乱れるので、そうそう死なない力を持
った者が抜擢されるのです﹂
イマージュが﹁たしかヤムサックはこれを覚えようと血眼になっ
ているようだが、まだ使えてないらしいぞ﹂と言ってきた。﹁まだ、
あいつは青二才だ。もっと意識を操る方法に長けてなければならん﹂
とタクラジュ。
それを教えられる立場にいる姫はか弱そうな見た目と違って、将
軍になってもおかしくない人物というわけだ。
よこし
﹁最初にわたくしがやってみますね。力を消耗するのであまり何度
もできないのですが。加護の光よ、今こそ心正しき者を邪まなる刃
と唾から守れ。正義の頌歌を地上から天にまで届けるために︱︱サ
ンクチュアリ・ライト!﹂
姫を中心に、ドーム状の光で俺たちが覆われる。いきなり温室に
入ったような、あたたかさを感じる。
﹁こういったものです。この魔法の難しいところは発動させたあと
も意識を上手くコントロールしないとすぐに効果が消えてしまうこ
とですね。先人の中には釣りに例える方もいますが、わたくしは釣
りをしたことがないのでよくわかりません﹂
これをいきなり無詠唱でやるのは無謀だな⋮⋮。
さすがに失敗ばかりで形にはならなかった。
難しい。けど、その分、一気に成長できるチャンスも秘めている。
十五分ほどで、イマージュが﹁もう、おしまいだ。姫もお疲れに
なる﹂と言ってきた。たしかに夜遅くだし、あまり姫が外にいるこ
232
ともよくはないのだ。
﹁また、今度お願いします、姫﹂
﹁はい、喜んで﹂
やさしく姫は微笑んでくれる。やっぱり、この人、ガチの聖人だ。
帰り道、あまり話題がなかった。ずっと黙ったままなのは気まず
いし、せっかくだし聞くだけ聞いてみようと思った。
﹁あの、概念魔法って、どうやって習得するんですかね?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
姫が口ごもる。聞いちゃダメなことだったかな⋮⋮。
﹁島津、ぶしつけになんてことを聞くのだ!﹂
﹁タクラジュ、やめろ。島津は本当に何も知らぬのだ﹂
なんだ、恥ずかしいようなことなのか⋮⋮?
﹁わかりました⋮⋮。お話しておきましょう﹂
姫の言葉は先ほどより小さくなっていた。
233
34 概念魔法の秘密
﹁概念魔法というのは、使用者からの身体的接触で初めて伝えられ
るものなのです。なお、ただ触れるだけではなく、お互いが呪文の
伝授を受けるという意識を共有しておく必要があります﹂
﹁使用者が少ない理由がそれでわかりました﹂
概念魔法というのは師匠的な魔法使いから免許皆伝を認められた
者だけが手にできる形式の魔法なのだ。
学校で習って、みんなで使いましょうというような魔法とは明ら
かにジャンルが違う。
アーシアが教えようがないといった意味もわかる。これはバトン
を渡すリレーみたいなものだから、アーシア自身が概念魔法を習得
していなければ、それを俺に伝えることもできない。
﹁使用者がよほど概念魔法を広めようとでもしない限り、使用者は
ごく限られた範囲で留まります。もっとも、よほど優秀な人間しか
受け取ることもできないと言われていますが﹂
﹁ありがとうございます。おかげで詳しくわかりました﹂
けど、どうして、姫は言いづらそうにしていたんだろうか?
﹁ち、ちなみに⋮⋮わたくしはお父様とのキスで、この概念魔法を
受け取りました⋮⋮。あくまで、もっと幼い頃のことですが⋮⋮﹂
234
あっ⋮⋮。身体的な接触のところをあまり言いたくなかったんだ
な⋮⋮。
まだ親だからいいけど、これ、師弟関係とかで聞いたらセクハラ
みたいな意味になりかねない。
﹁すいません⋮⋮。配慮が足りませんでした⋮⋮﹂
﹁別にいいです⋮⋮。知らないからこそお聞きになられたわけです
し⋮⋮﹂
﹁また、魔法のご指導のほう、お願いします⋮⋮﹂
﹁はい。島津さんはこの国の宝も同然ですから﹂
姫こそ間違いなく王国の宝なんだけどな。
俺は﹁失礼いたします﹂とゆっくりと礼をして、寮に戻っていっ
た。
●
夜に姫の護衛をするという生活パターンはそれからもしばらく続
いた。姫がエルドラードを使用するのは、あと何回で終わりという
ものじゃないから習慣になるのは当たり前だ。
その帰りに魔法を教えてもらっているのだが、これははっきり言
ってなかなか時間を食っている。
﹁わたくしは幼い頃より、こういったあまり一般的でない魔法を教
えこまれてきたものですから﹂
姫はそんなふうにおっしゃっていたが、たしかに姫の魔法につい
ての学習は、俺達用の教育指導要領とはまったく異質のものだった。
俺達は高校生という時期になって、初めて魔法に触れる。一方で
姫は物心つくかつかないかといった時からそれを教育される。
235
テニスの英才を育てるには幼児から慣れさせるというが、いわば
姫の魔法はそういうものだった。体に魔法がしみついているので、
それを人に教えるということに関しては、そう得意でもない。
だからといって、ここで逃げてもしょうがない。俺も食い下がる
だけ食い下がるつもりではいる。
ただし、時間の使い方については再考を必要とした。
魔法の座学や実習に関しては、ヤムサックから一切出ないでいい
と言われた。
ならば、その時間は何をしているかというと、サヨルさんと補助
系魔法の習得具合を確認しあったり、実戦についての動きについて
学んだりしている。
﹁じゃあ、模擬戦三度目ね。かかってきなさい! 紅蓮の力は我の
掌中に在り。踊るように戯れるように広がるがよい。それが燎原の
大火となろうとも知らぬこと。炎が遊ぶのだ。やむをえまい︱︱パ
イロキネシス!﹂
遠方からサヨルさんがパイロキネシスで俺の目の前を発火させる。
それに対して、俺は頭で﹁剛﹂という漢字を思い浮かべる。
光の盾が炎と自分の体の間に現れる。
マジック・シールド︱︱魔法の攻撃を防ぐ一般的な方法だ。
これを張りながら、前へ前へとサヨルさんのほうへ詰める。
もう行けると思ったら、サヨルさんのほうへ飛び込んで、その腕
にタッチ。これでクリアとなる。
236
敵の攻撃を防ぎつつ触れるぐらいまで距離を縮めるという訓練だ。
﹁うん。マジック・シールドの精度も上がってきてるよ! いい感
じ!﹂
サヨルさんも褒めてくれて、ほっとした。かなりハイレベルな魔
法も無詠唱でやれるようになってきている。
﹁最近、実戦形式の訓練多くないですか?﹂
これ自体はいい刺激になるからいいんだけど、背後の敵を魔法で
迎撃する訓練なんてものもやっている。ほかにも、わざと室内で魔
法を使ったりとか、漠然とした戦闘訓練という域は超えていると思
う。
﹁その必要性が生じる恐れが高くなっているからよ﹂
厳しい表情でサヨルさんは言った。
﹁この二、三ヶ月のうちに王国では政変が起こるよ。あなたは気付
いてないかもしれないけど、王城の気は露骨にきな臭くなってる。
王城に長くいるとね、そういうのは敏感にわかるの﹂
サヨルさんの目は演習場から城のほうに向けられる。
﹁もっと具体的に言うとね。ハルマ皇太子かカコ姫、どちらかが殺
される﹂
その言葉はもやもやした不安とは異質の気味悪さがあった。針で
ぐさりと刺されたような不快感を覚える。
﹁ハルマ24世が存命中にそんなことが起こりうるんですか? 政
237
敵を殺したことがばれれば、一気に不利な立場に立たされると思い
ますが﹂
﹁その国王が病気がちだったとしたら?﹂
不安がどんどん膨らんできて破裂しそうだ。
﹁公式発表では健康だということになっているけど、やけに咳き込
むことが増えているし、これまで使っていなかった杖をついて会議
の席に出るようにもなってるの。白髪もはっきりとこの一か月ほど
で増えている。急激に衰えているのよ。誰かが毒を盛っているので
はという噂すら立つほどにね﹂
﹁俺は王に会う機会がないからちっともわかっていませんでした⋮
⋮﹂
あなたのお父さんはもうすぐ死にますかと姫に聞くわけにもいか
なかったしな。
﹁毒が盛られているのかは知らないけど、いきなりばたっと倒れて
もなんらおかしくないの。そして、困ったことに、本人は公式発表
と同様にまだ大丈夫だと繰り返してる。そうやって、跡継ぎが決ま
らないままに王が死んだらどうなると思う?﹂
﹁内戦になります﹂
もう一人の後継者候補を殺せば、後継者は自分の側に絞られるの
だから。
﹁そういうこと。あなたは場合によっては学生ですと言い通すこと
ができるかもしれない。でも、戦場に出ないといけなくなるかもし
れない。だから、戦闘訓練をやってあげているの。死なないですむ
ようにね﹂
238
﹁ちなみに、サヨルさんはどちらの陣営に味方するつもりなんです
か?﹂
サヨルさんは少し迷っていたが、それからこう言った。
﹁言えない。あなたの秘密をすべて知ってるわけじゃないから。で
も︱︱﹂
そこでサヨルさんは反則みたいに笑った。
﹁私はあなたに死んでほしくはないな﹂
239
34 概念魔法の秘密︵後書き︶
新作﹁邪神認定されたので、獣人王国の守護神に転職しました﹂を
日間20位に上がってま
昨夜から更新開始しました! http://ncode.syo
setu.com/n3365dl/
した! 開始20時間で1000点超えました! よろしければお
読みください!
240
35 大型テスト
俺は心の底からサヨルさんと戦わずにすめばいいなと思った。
もし、彼女が皇太子側に立っていたら、俺は姫を守るために戦わ
ないといけないだろう。
もっとも、その内戦がいつ起こるかまったくわからないのだから、
あくまでも心構えをしておくだけだが。
剣技の実習中にすべてのカタがついてる可能性だってなくはない
のだ。
きっと、姫はサヨルさんが言っているようなことはすべてわかっ
ているんだろうな。
それでいて、俺にほとんど具体的なことを話していないってこと
は、過度に俺を巻き込みたくないってことだろうか。
直接聞くと無粋だから聞けないな。
確実なのは、今の姫は概念魔法を使っている場合じゃないだろう
ってことだ。
そんな調子で、政情は不安定らしかったが、俺を含めた学生の生
活には変化はなかった。
むしろ、授業まで中止なんてことになったら、異常が起きてます
と発表するようなものだからな。俺も剣技だとか昼食の時間だとか
には顔を出していたし、ほかの生徒に魔法を教える教官助手として
の仕事もごく普通にやっていた。
もっとも、普通にやってるつもりなだけだったが。
241
﹁島津君、最近何か不安があるよね﹂
上月先生に俺の部屋で教えている時にそう言われた。
﹁疑問文じゃなくて、それって、断定ですよね⋮⋮﹂
﹁だって、わかっちゃうもの。これでも、元は教師やってたんだか
ら﹂
ふんわりと包み込むような笑顔を上月先生は見せてくれる。それ
から、小さな手で俺の肩に手を置くと、そのままぎゅっと抱き寄せ
てきた。
﹁あの、これ⋮⋮教え子に対するスキンシップにしてもやりすぎじ
ゃ⋮⋮﹂
﹁だって、島津君、今の悩みは絶対に私に言えないでしょ。だから、
悩みを打ち明けて楽になるってことができないじゃない﹂
まさか、すべて知られているんじゃないかというような、上月先
生の言葉。
﹁島津君は極端に強くなったでしょ。その裏にはほかの人には言え
ない秘密だってあると思うもの。本来、そういうことって大人にな
ったらできるんだろうけど、もう島津君は大人にならないといけな
くなってる﹂
﹁だいたい、合ってます⋮⋮﹂
﹁そんな人をほっとさせようとしたら、これぐらいしかないかなっ
て。ほら、人って抱きしめられると無条件で心が安らぐらしいしね﹂
﹁ありがとうございます、上月先生⋮⋮﹂
教官助手としての期間は、上月先生の教員期間と比べるとずいぶ
ん短いものな。まだまだ教師としての部分だとかなわないか。
なお、俺が個別実習をしているとはいえ、上月先生の魔法技術も
242
かなり向上している。生徒の中ではトップクラスだ。
とくに最近では回復系統の魔法にも挑戦しているとかいう話だっ
た。この手の魔法は聖職者の領域であって、異世界から来た俺たち
には不利なものなのだが、先生はめげずに勉強しているという。
﹁あの、先生が回復魔法を習おうとしているって本当ですか?﹂
恥ずかしさをまぎらわすためにも、こう聞いてみた。
﹁挑戦してるだけで成功してないけどね﹂
噂自体は本当だったらしい。
﹁私の元教え子が傷ついた時、そういう魔法が使えたら助けてあげ
られるかもしれないでしょ﹂
マジで先生になるために産まれてきたような人だな⋮⋮。
﹁あんまり、こうしてちゃダメだね。先生も島津君を好きになっち
ゃいかねないから﹂
冗談だと思ったけど、先生はあんまり冗談って態度でもなかった。
﹁今日はこれで帰るね。ありがとうございました、島津先生﹂
﹁おやすみなさい、上月先生﹂
俺も丁重に頭を下げた。先生が出ていくと同時にアーシアが現れ
た。
﹁ずっと見てましたよね、アーシア先生﹂
もう、先生だらけだな。
﹁そうですね。むしろ、あれで上月先生を押し倒したりしない時介
さんの自制心の強さに感服です﹂
﹁最近、同時多発的にああいうことがあるんで⋮⋮﹂
サヨルさんとの距離感も同僚とはいえ、近すぎる気がするしな⋮
243
⋮。
﹁それに、きな臭い状況だから恋愛をしている気分にもなれないん
です﹂
﹁ですね。そう間違ってはいないと思います﹂
アーシアの顔からも笑みが消えている。
﹁ハルマ王国も長い歴史を有していますから、何度も政変がありま
した。それと近い空気を感じはしますよ﹂
﹁俺はどうしたらいいんですかね?﹂
﹁今の時介さんはもう学ぶべきことは学んでいます。一人前に行動
を決めることができますよ︱︱といっても、言葉だけでは納得がい
かないかもしれませんから、これまでの成果を試す大型テストをし
ましょうか﹂
アーシアは壁にかかっている時計に目をやる。
﹁今から二時間、大丈夫ですか?﹂
﹁はい、いけます﹂
俺の机に数枚のプリントが現れる。
突然のことだけど気負いはなかった。
なにせ、政変だって突然起こるのだから。それに対応できなけれ
ば意味などないのだ。
問題はどれも一見難しいようでいて、ちゃんとこれまでの知識や
考え方を使えば糸口が見つかるものだった。
しかも、いろんな単元で習った知識を複合的に使わないといけな
いものもある。テストとして実によくできている。
244
逆に言えば、テストとしてよくできてるってわかるぐらいに俺が
それを理解しているってことだ。
出題者の狙いが手に取るようにわかる。その時点で負けはない。
解答欄のズレがないかもその都度チェックする。魔法はわずかな
ズレで何の効力も発揮しないのが普通だ。テストでも妥協は減らし
ていかないといけない。
一時間とちょっとでほぼ完璧に解けた。
ただ、最後に魔法とはずれたような問題があった。
<下記の文に○か×で答えよ。
もし、戦闘で仲間を含めた自分たちが絶体絶命の時、命がけで味方
を守るべきである。>
テストとしては難しいとは思えなかった。
こういうの文意からして×なのだ。
けど、引っかかりはした。
﹁はい、もう終わりでいいですかね!﹂
全問解き終わった後、アーシアが姿を現した。すぐに俺の解答欄
に赤字で○が並んでいく。ことごとく正解ってことだ。
﹁満点です! 時介さん、見事に満点ですよ!﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁で・す・が﹂
そこでアーシアは俺の顔を覗き込むように見つめた。
﹁テストの知識は活用できないと意味がありません。必ず活用して
くださいね?﹂
245
﹁最後の問題もですか?﹂
﹁私は教え子に死ねと教えるような教育は認めませんから﹂
当然だというふうに、アーシアは言った。
246
35 大型テスト︵後書き︶
﹁邪神認定されたので、獣人王国の守護神に転職しました﹂が日間
1位になりました! 本当にありがとうございます! http:
//ncode.syosetu.com/n3365dl/ よ
ろしければこちらもご覧ください!
247
36 政変勃発
ビンゴゲームっていうものがある。
もっとも、ゲーム要素はあんまりない。指定された数字がカード
の中に入っていれば、そこに穴を開けていく。縦横斜め、どこでも
一列の穴がすべて揃えば﹁ビンゴ!﹂ということになる。
中央は最初から穴が空いていることになっているから、理論上は
最速四つ目の数字が決まった時点で一列が揃う。幸運な人間はそれ
にほど近い回数で列を揃えられる。
一方で不運な人間はまったく穴が開かなくて、残り一つで一列が
揃う状態︱︱つまりリーチだ︱︱でとどまってしまうことになる。
そして、その真ん中というのもある。
つまり、穴は空きまくって、ダブルリーチやトリプルリーチとい
う状態なのに、最後の一つの穴が空かない場合だ。
今のハルマ王国はきっと、このトリプルリーチだかなんだかの状
態だ。
気付いている者にとっては、王国が一日で瓦解するかもしれない
ような綱渡りの有様だとわかっている。
なのに、ラスト一押しが来ない。来ない以上は平穏であるように
振舞うしかない。
この状況がぶっ壊れるのはいつだ?
248
その不安を抱えながら生きている。
もうちょっと利口な人間は、﹁ビンゴ﹂が完成した時に上手く立
ち回れるようにと気をつかっているはずだ。
それが意味を持つかと問われれば怪しいところだが。
﹁今日もよろしくお願いいたしますね﹂
人が寝静まりだした午後十一時。俺はカコ姫と護衛のタクラジュ・
イマージュと合流する。
これが日本ならまだ寝てない人間はいくらでもいるし、働いてい
る人間だって珍しくはないだろう。だけど、異世界では夜に王城で
働く業務などはほとんどない。日が沈めば多くの人間の仕事は終わ
り、そして、そう時間を置かずに眠る。
だから、夜十一時は日本で言うところの深夜二時ぐらいの静寂に
包まれている。
﹁俺のほうこそよろしくお願いいたします﹂
姫は俺にとっての先生役でもあるのだ。これまでにもいくつも貴
重な魔法を教えてもらっている。すべてを使えるようになっている
かというと、それは別の話だが。
﹁では、今日も庭園の途中で見張りを頼むぞ﹂
そう、タクラジュが言った︱︱で正しいのか? 緑色のリボンを
しているぞ⋮⋮。
﹁業務内容はいつものとおりだ。だからこそ、いつものとおり、気
を引き締めてやるように﹂
そう、イマージュが言った︱︱のか? こいつは白のリボンだし。
249
﹁ああ、今日の私はイメチェンでリボンを黄色から緑にした。なの
でタクラジュだ﹂
﹁妹と同じく青から白にした。なのでイマージュだ﹂
﹁紛らわしすぎるからやめてくれ! リボンの色しか区別つく要素
ないんだから!﹂
﹁﹁妹と一緒にするな!﹂﹂
﹁そこをハモられても説得力のカケラもねえよ!﹂
姫がくすくすくすと笑っていた。こんな楽しそうに笑う姫の顔な
んて、なかなか見られないだろうな。
﹁ごめんなさい。この時間はわたくしも命のせんたくができるとい
うか、自分に素直になることができるのです﹂
この国中の人が姫の一挙手一投足に注目しているだろう。そこで
は言葉一つ気楽に使うことはできないはずだ。一言の愚痴が大きな
政治的意味を持ちかねない。
そんな状況に二十歳にも届かない女の子が置かれちゃ本当はいけ
ないのに。
﹁好きなだけ笑ってください。なんでしたら芸人の真似事だってや
りますよ﹂
﹁ありがとうございます、島津さん。ですが、それならタクラジュ
とイマージュで間に合っていますから﹂
﹁﹁えっ!? どういうことです!?﹂﹂
双子が素でショックを受けていた。
正直、いつも以上に和気藹々︵わきあいあい︶とした時間だった。
俺もこんなにリラックスできる時間はなかなかないと思った。でき
250
るだけこんな時間が続けばいい。
だからこそ︱︱怖かった。
人間が永遠に近いものを求めてしまう時というのは、たいていそ
れが貴重なものであるということを、どこかで感じ取っている証拠
なのだ。
殺気なんてものは今のところない。ごく普通に仕事をして、これ
までのように明日を迎えるんだ。
俺は庭園に立ち、異質な空気が生まれていないかを探る。
何かが侵入してくる気配はない。なのに、不安感が消えない。
突如、背後から殺気の塊を感じた。
とっさに振り向き︱︱直後にパイロキネシスを使った。
その判断は正解だった。槍を持った兵士が燃えていた。もし、わ
ずかでも逡巡すれば、その槍で突き刺されていた。
それだけじゃない。ほかにも兵士が同じように武器を持ってこち
らを狙っている。燃やした奴を除いて残り三人。
確実に息の根を止める必要があった。
無詠唱でパイロキネシスを使う。そいつらを焼き払う。
魔法での防御が一切できてないから、魔法使いではなく、純粋な
戦士なのだろう。純粋な戦士が土の中に潜っていただなんてことは
信じづらいが。
251
異変が起きている。
俺が笛を吹こうとした瞬間︱︱池のほうからも笛の音が響いた。
姫を助けなければ!
俺はすぐに池の側へと向かった。
すでに池の周囲では交戦がはじまっていた。
タクラジュとイマージュが剣を抜いて応戦している。タクラジュ
のほうは腕にいくつもの切り傷があった。あれは風の魔法で切り裂
かれたものだ。敵の中には魔法使いが潜んでいたのだ。
﹁島津! 敵だ! 我々はいいから姫を守れ!﹂
たしかに姫も数人に囲まれていた。何枚もの盾を実体化させるウ
ォール・オブ・シールズで急場はしのいでいるが、危機的なのは間
違いない。
炎で一掃するか? いや、姫も巻き込みかねない。それに敵の正
体を知れないままなのは得策じゃない。
コールド・マジック︱︱敵を足下から膝まで凍りつかせる。
ただし、これで安全が確保できたとは言えない。敵の一人がそん
なこと気にも留めず、フレイムの詠唱をはじめていたのだ。
詠唱より先に!
フレイムを無詠唱で使って、そいつを火だるまにした。
悲鳴をあげて、その男は燃え尽きて倒れた。
おそらくだけど、この数分で人生で初めて人を殺したんだろうな。
252
具体的に何人の命を奪ったのかはよくわからない。後悔の念みたい
なものはほとんどない。きっと、後悔する暇がないと俺自身が理解
しているからだ。
今の俺は後悔できるぐらいの落ち着きがほしいよ。
253
37 王位継承戦
俺は足を凍らされて動けなくなっている兵士に声をかけた。
﹁お前たちの黒幕を教えろ。ウソだと判断した時点で殺す。どのみ
ちお前は暗殺に失敗した時点で帰れるところはないんだ。正直に話
せ﹂
にらみつけたら、その兵士はすぐに顔を真っ青にさせた。これは
暗殺者としては二流だな。その分、情報を聞き出すのにはありがた
いが。
﹁俺達は⋮⋮皇太子の命でカコ姫の暗殺を企てた⋮⋮﹂
その情報にとくに驚きはなかったが、姫は顔を歪ませていた。兄
に殺されそうになっているとはっきりわかるのはつらいだろうな。
﹁それにしてはずいぶん軽はずみな犯行だな。もし、それが明るみ
になったら、皇太子の地位も危うくなるはずだけど。もちろん、王
様に注進してやるぞ﹂
変な話、ラッキーだった。向こうが先走って、自滅したようなも
のだ。これで皇太子の罪が明らかになれば、確実に廃嫡だか廃位だ
か、そういう言葉で説明される処罰が下るだろう。そして、次の王
には姫が文句なしの第一候補になる。
﹁その王様が死んだから、こうして暗殺に及ぼうとしたんだ⋮⋮﹂
背中に氷のかたまりを入れられたような気持ちになった。
﹁三時間ほど前にお隠れになられたという話が皇太子の元に届いた。
城から三十トーネル離れた離宮滞在中に容体が急変したとか⋮⋮﹂
254
トーネルというのは、この世界の長さの単位だ。だいたい、キロ
と大差はない。
﹁まだ公にはされていないから、今のうちに皇太子は姫を亡き者に
しようとした⋮⋮。我々にも作戦が指示された⋮⋮﹂
﹁だとしたら、注進する王様が不在ってことか⋮⋮﹂
もう片方の後継者を早々と殺してしまえって動きに出たわけだ。
つまり、兄と姫との全面戦争に突入するってことだ。
﹁もう一つ聞くぞ。皇太子はお前達以外にも何人も殺し屋を雇って
るよな?﹂
﹁俺も詳しく知らないが⋮⋮失敗が許されない作戦だ。何十人もい
るんじゃないか⋮⋮?﹂
なるほど。聞けることは聞けた。
﹁ありがとうな。こっちの陣営が勝ったら命は助けてやるよ﹂
そして、無詠唱でディープ・スリープという催眠作用を起こす魔
法をかけた。
意志が強い人間や魔法使いには聞きづらいのだが、こんな精神的
に消耗しきった人間じゃ防ぎようもないだろう。
﹁イマージュ、どこに籠もる? 城の隅に物見の塔はあるが﹂
﹁タクラジュ、お前はどこまでバカなんだ。そんなところ袋のネズ
ミだ。打って出て、皇太子を倒す﹂
﹁お前こそバカか。この人数で敵に突っ込めるか。皇太子は普段か
ら護衛の人間をわんさか置いている!﹂
255
籠城か、進軍か。
困ったことに、双子同士ではっきりと意見が分かれてしまってい
る。
﹁﹁姫様、ご決断を!﹂﹂
二人が姫に意見を仰ぐ。臣下としては正しい行為だけど、今の姫
にそれを決めさせるのは酷かもしれない。決断しようにも、もっと
材料がないとどっちがいいかなんて言いようがないだろう。
だから、助け船を出そうと思った。
﹁姫、ここは撃って出るべきです﹂
俺が進言する。
﹁島津さん⋮⋮ちなみにどうしてでしょうか⋮⋮?﹂
﹁おそらく、現在、姫の兄である皇太子は︱︱王が死んだこと、自
分が新しい王になったことを周囲に言いまわっているはずです。そ
こで多くの者が皇太子に従えばそれが真実になるからです﹂
姫がうなずく、そのまま俺は続ける。
﹁皇太子は王である自分に従って、﹃謀反人﹄である姫を殺せと叫
ぶでしょう。姫を殺してしまえば、それが間違いだったと言い出す
者もいなくなるのですから﹂
﹁それはわたくしもわかります。でも、それでは籠城をとるべきで
はない理由にはなっていません﹂
やはり聡明な姫だ。話が早くて済む。
﹁もし、姫が今のまま籠城すれば、自分こそ正統だと周囲に告げる
時間的余裕がなくなります。皇太子の言葉だけが広まることになる
んです。となると、日和見を決めていた連中が皇太子のほうが優勢
256
だと思って、皇太子側についてしまいます。ですから、積極的に立
ち向かって、自分を一方的に暗殺しようとした兄こそ、親族を殺そ
うとする極悪人であると喧伝しなければなりません!﹂
静かに姫は微笑みながらうなずいてくれた。
﹁島津さんの考えが正しいと思います。タクラジュ、イマージュ、
王城を目指します! まずは私たちが説得できそうな方のところに
行き、味方を募りましょう!﹂
﹁﹁御意!﹂﹂
道は一つに定まった。
あとはその道を信じて進むだけだ。
俺はポケットに入れていたマナペンをそっと握った。
アーシア、見ていてくれ。必ず、俺は生き残る。
そして、姫を守る。
君から学んだことを人を救うことに使ってみせる。
ゆっくりとしている暇はなかった。のんびりしていれば、皇太子
の側が権力を確立してしまう。そしたら、姫のほうにシンパシーを
感じている派閥も沈黙する危険があった。
﹁それではすぐに向かいましょう。ですが、その前に一つだけ︱︱﹂
姫はとても穏やかで慈悲に満ちたような詠唱の言葉を綴った。
タクラジュの切り傷が癒えていく。回復魔法の一種だ。
﹁姫様、本当にありがとうございます!﹂
﹁そういった言葉はすべてが終わったあとにお聞きします。まだ戦
いは続きますよ﹂
257
庭園から城に戻る途中、十人ほどの兵士や魔法使いが躍り出てき
た。
殺気を消していないから、味方じゃない。
﹁カコ姫、お命ちょうだいする!﹂
ふざけるな! 俺達も姫の前に出て、応戦する。
剣士たちに対してはタクラジュとイマージュが当たる。魔法使い
らしき連中には俺が当たる。
相手の詠唱が聞こえる。すぐに何が来るかわかった。
ファイア・ボールだな。
ラグビーボール大の火球が片っ端から飛んでくる。ただし、飛ん
でくるのは俺じゃなくて姫のほうだ。
厄介だな! マジック・シールドは自分の前に防壁を出すものだ
から姫を守るのには向いてない。
いいや、俺はこんな時の対策も確実に神剣ゼミで習った。
巨大な氷の壁を俺たちの前に作った。
グレイシャル・ウォール︱︱周囲を氷河と見まがう氷で埋め尽く
す魔法だ。
どこに火球がぶつかろうと、これなら姫のところまで届かないだ
ろう。
その間にパイロキネシスを使う。
離れたところに立っている魔法使いが炎に包まれた。
こっちが無詠唱で動けるとは思ってなかったらしいな。対応が遅
258
れた。
剣士のほうも双子コンビが斬り捨てていた。
ひとまず、この刺客たちはどうにかなった。
259
38 異国の刺客
﹁たいした手合いではないな。雑兵が手柄欲しさに突っ込んできた
ということか。イマージュのように粗暴な連中だ﹂
﹁命を粗末にしおって。タクラジュみたいに死んでかまわん命ばか
りではないのだぞ﹂
﹁お前な!﹂
﹁やるか!﹂
なんで、この状況で姉妹ゲンカできるんだよ⋮⋮。
﹁姫様、ここは皇太子の部屋を襲撃して、形勢を覆しましょう!﹂
﹁仮に皇太子が別のところに抜け出ていたとしても、こちらが有利
であると知らしめることができます!﹂
今度は双子で話が合ったな。だけど、それはあまり上策じゃない。
俺は首を横に振る。
﹁やめとけ。危険が大きすぎる﹂
双子がムッとしていたし、理由を続ける。
﹁仮に皇太子が部屋に籠もっているとしよう。だとしたら、そこに
は間違いなく精鋭が待ち構えてる。いくらなんでもこの少人数で戦
うのは危うい。皇太子が部屋を抜け出ているとしたら、ほかの場所
で状況を有利にするために動いてるだろう。部屋を襲撃してどれだ
け効果があるかわからない﹂
﹁では、島津さんはどこに向かうべきだと思いますか?﹂
実は俺も何が最善かと問われると、自信がなかった。城の政治情
勢を完璧に把握しているわけじゃない。ただし、これでも少しはサ
260
ヨルさんから聞いた知識がある。
﹁この国の軍隊はかなり中立的なんですよね? 俺はそのように言
われてるんですけど﹂
﹁はい。即位式を行った国王以外の命令で動くことは軍機違反です。
感触としてもわたくしの側にもお兄様の側にもついてはいません﹂
ならば、軍隊を味方につけるために動くのは無理だ。王だって後
継者争いの暴発を恐れて、とくに気を配っていたはずだ。
だとすると、軍隊の次にはっきりと軍事力を有する集団は︱︱
﹁教官達の住まう寮を目指しましょう。彼らがこっちについてくれ
れば、かなりの戦力になります!﹂
サヨルさんにヤムサックに、その他、直接の授業はまだ受けてな
いけど魔法使いが何人も在籍してるし、剣技の教官もかなりいる。
あそこをそっくりそのまま味方にできれば!
﹁待て。本当に教官達が仲間になってくれる確証はあるのか⋮⋮?﹂
﹁とくに彼らが姫様の派閥という話は聞いていないぞ⋮⋮﹂
タクラジュとイマージュが不安げな顔になる。
﹁その懸念はわかる⋮⋮﹂
もし、向かった先で教官が皇太子側について襲いかかってきたら、
死ににいくようなものだ。
だけど、決断をするのは俺じゃなくて、姫だ。
﹁行きましょう!﹂
毅然とした声で姫は言った。
261
﹁城の中枢部にこの人数で向かうよりは安全なはずです。それで教
官の方々と合流できれば勝機はありますし、もし彼らに攻撃された
としたら︱︱﹂
そこで姫はとても儚げに、同時に、とてもほがらかに笑った。
﹁わたくしの運命はそれまでということです。精いっぱい生きた結
果がそれなのですから、悔いることはありません。このドレスを血
に染めて堂々と死にましょう﹂
本当に肝が据わってる。
王になれるかはわからないけれど、間違いなくこの人は王の器だ。
﹁わかりました。姫、俺は姫のために命を懸けます!﹂
もしもサヨルさんと戦うことになったら、その時はその時だ。
とことん戦ってやろう。
双子の従者もうなずき合った。
不確定要素をゼロにはできない。ならば、可能性の高いところに
向かって進むだけだ。
教官の寮を目指すのはほかにもメリットがあった。寮は王城の中
心からは少しはずれたところにある。そりゃ、ど真ん中に寮なんて
作るわけがないからな。
皇太子が城をまず掌握しようと動いたとしたら、寮のほうにまで
は手が及んでいないかもしれない。
時間は差し迫っている。夜道をこそこそ歩く暇はなかった。俺達
は芝生や花壇の上を走って、寮へと急いだ。
しかし、また刺客が待ち構えていた。
262
黒い布をかぶった、いかにも暗黒の魔法使いといった連中が並ん
でいる。
こっちの行動パターンはお見通しってことか⋮⋮。危機を潜り抜
けるアイディアなどないし、力押しで通り抜けるしかないが。
﹁ここは俺が行く!﹂
魔法使いには魔法使いだ。接近戦ならタクラジュとイマージュの
剣が先に届くかもしれないが、少し距離が空きすぎている。
連中は聞いたことのない詠唱をはじめた。
何が起こるか読めない!
次の瞬間、火柱が地面から噴き上がり、完全に壁になった。俺の
行く手は阻まれる。
﹁これは、セルティア帝国の詠唱です!﹂
姫が叫んだ。
つまり、こいつらはこのハルマ王国ではなくセルティア帝国の魔
法使いということになる。あるいは、王国の魔法使いが帝国で学ん
だのかもしれないが、どちらにしろ結論は同じだ。
﹁皇太子め、帝国の手を借りていたのか!﹂
自分が王位につくために、帝国の力に頼るのか。それで国が乗っ
取られたらどうするつもりだ!
だからといって、今更憤っても仕方がない。
アイスバインド! 炎の柱を手から飛び出た氷と霜で鎮火する。
そのまま、距離を詰めていく。
しかし、半透明な壁に俺は思いきりぶち当たった。
﹁ちっ! 帝国の魔法まで把握できてないぞ!﹂
263
こんな補助系魔法は聞いたことがなかった。おかげで対処策もと
っさには出てこない。
﹁残念だったな。手の内がわからぬのでは何もできまい!﹂
黒いローブの一人が甲高い声で叫んだ。
﹁それはただの防御魔法ではないぞ。四方を囲んで次第に押しつぶ
す!﹂
まさかと思って、後ろに手を伸ばすと、そこに壁ができていた。
このままでは圧死する!
﹁これは多人数で同時にやらんと上手くいかんのだが、敵が少人数
の時には効果を発揮するのだ。まずは魔法使いから死んでもらおう﹂
俺は相手の魔法に干渉する魔法を探そうとした。しかし、壁が近
づくだけでなく、奥に向かって厚くなっているのを感じた。詠唱の
声がとめどなく聞こえてもくる。
これ、複数の魔法を何度も使うことで、ちょっと阻害するだけじ
ゃ脱出できないようにしてるんだ⋮⋮。口上を垂れている奴を入れ
ても魔法使いが五人いる。つまり、四方を固められるってことだ⋮
⋮。
﹁島津さん! 今助けます! その道に今、杭を立てて道を遮りて
︱︱きゃあっ!﹂
どこからか、弓兵が矢を放って、姫の真ん前に撃っていた。
姫も詠唱の余裕がない。
本当に手詰まりになってきたな⋮⋮。
264
39 皇太子のもとへ
敵はすべてこっちの動きを読んでいた。俺達が少人数だから、少
人数を確実に殺す部隊を用意した。それもセルティア帝国から魔法
使いを借りて。
やはり、王位のためなら先手を打って動かなければダメだったん
だろうか⋮⋮。姫と俺達は後手に回りすぎたんだろうか⋮⋮。
俺も一対一なら異国の魔法使いにも負けるつもりはない。だけど、
五対一じゃ限界があった。
圧迫感を覚えはじめた。このまま、つぶれてトマトみたいに⋮⋮。
味方とは違う悲鳴が聞こえた。
黒いローブの一人がかまいたちのような風でズタズタに切り裂か
れていた。
左側からの圧迫が消える。俺はそちらに抜け出た。
﹁島津君! 助けに来たよ!﹂
ローブの後ろにサヨルさんが立っていた。それだけじゃない。ヤ
ムサックを含む教官達だ。
﹁俺たちの側についてくれたんだ⋮⋮﹂
これなら行ける!
ほっとする暇もなく、俺は敵の連中に突っこんでいく。
265
奴らは火の玉を放ってくるが、マジック・シールドで防げるレベ
ルだ。
そして、確実に狙い撃てるところから、パイロキネシスを放つ。
向こうもマジック・シールドを使ったようだが︱︱今度は背後か
ら氷の刃で貫かれる。
サヨルさんが攻撃を放っていた。
﹁挟み撃ちじゃ、どうしようもないでしょ?﹂
潜んでいた弓兵も剣技の教官に斬り殺されていた。脅威は無事に
去った。
﹁みんな、姫の側についてくれるんですね﹂
それだけで俺は泣きそうだ。
﹁違うよ。私は同僚を助けたの。ほかの教官は教え子を助けたの﹂
サヨルさんがはっきりと訂正する。
﹁私達は政変なんて知らないわ。ただ、同僚や教え子が命を狙われ
てたら当然助けるし、姫が殺されそうになっていたら国に仕えるも
のとして武器をとるでしょう? つまり、そういうこと﹂
﹁わかりました。俺は運よく同僚に助けられたってことにしときま
す﹂
教官側としても、はっきりどちら側につきますとは明言しないつ
もりなんだな。もし、皇太子側が勝ったら粛清される。
それから、ヤムサックが彼らを代表して、姫のところで膝をつい
た。
﹁我々はこれから姫の命を狙った者を見つけ出すために動きます。
姫と行動を共にすることをお許しください!﹂
266
﹁はい。よろしくお願いいたします。わたくしも国家の安寧を脅か
す者は逮捕せねばなりませんからね﹂
もう、百人力と言っていいな。
口実はどうあれ、教官が俺たちの側についたのだから。
﹁きっと、敵は城の中にいるでしょう。今からそちらに向かいます。
ご同行をお願いいたします﹂
姫はほんの数瞬前まで命の危機にあったとは思えないほどに落ち
着いていた。
﹁島津さん、あなたはわたくしの護衛をお願いいたします﹂
﹁わかりました、姫﹂
●
俺達は進路を城の中心へと向けた。
おそらくだが、皇太子も慌てているだろう。あそこできっと姫を
殺す手筈だった。それが失敗に終わって、敵の数が増える結果にな
った。
﹁どうやら暗殺者はいるが、狙えないらしいな。イマージュのよう
に腰抜けらしい﹂
﹁この数だからな。目論見がはずれたのだろう。タクラジュのよう
に愚かだな﹂
こいつら、どこまでいっても仲悪いな⋮⋮。それでも、刺客の存
在を認識してるのはさすがだ。
姫の周囲は何人も手練れが囲んでいる。これでは一人や二人で隠
れていてもやり過ごすしかないだろう。
267
それでもまだ安心はできない。敵の数がこれですべてとは考えづ
らい。
予想は当たった。皇太子の部屋に近い門の前では魔法使いや剣士
が三十人はいた。中には、先ほど相手を下セルティア帝国の魔法使
いらしき者もいる。かなりの戦力だ。
逆に言えば、あの奥で皇太子がいると言っているようなものだっ
た。
﹁あの、皆さん、わたくしはお兄様と話がしたいのですが⋮⋮﹂
それはとても危険な話だった。一方で、それもそうだよなと思っ
た。相手は姫にとって兄貴でもある。会って、話をする時間ぐらい
はほしいだろうし、もしかしたら何かの誤解なのだと信じたいのか
もしれない。
﹁お兄様は弱いお人です。それにわたくしは真相をこの耳で聞く義
務があります﹂
﹁わかりました。俺がお守りいたします!﹂
門に烈風を叩きつけて押し開けると、俺と姫は皇太子の部屋へと
向かった。門の前にいた敵は、こちら側と戦うのでやっとのようで、
姫を狙う余裕はない。狙えるだろうかと隙を見せた者は容赦なく斬
り殺されていた。
﹁二人の従者をつけなくてもよかったんですか?﹂
﹁お兄様は攻撃に特化した魔法使いです。二人を近づけすぎては命
を奪われかねません﹂
ああ、これは後継者同士の会見ってだけじゃなくて、魔法使い同
士の会見でもあるわけだ。
268
部屋の前には護衛もいなかった。おそらく、すべて門の前に配置
したのだろう。ここで一人や二人だけ離して置いても、戦力が分散
してしまうだけだからな。
姫はいちいち丁寧にノックしてから、﹁妹のカコです。入ります﹂
と告げて、ドアを開けた。
一目で王族とわかる服装の男がそこに立っていた。姫の兄だけあ
って、顔立ちは整っているが、かなり傲慢な印象を与える。
﹁まさか、生きてここまでやってくるとはな。平時に仕掛けられる
だけの刺客をすべて振り払ってここに来られてしまった。こちらの
負けだ﹂
皇太子は両手を上げて、降伏のポーズをとった。
﹁君はカコの従者か。悪いがもう少しカコから離れてくれないか。
二人きりで話がしたい。魔法を詠唱しだしたりだとか不審に感じた
ら、すぐに魔法で攻撃してくれて構わない﹂
姫が﹁島津さん、すみません﹂とつぶやいた。姫の命令には従う
しかない。俺は下がって壁に張り付いた。
皇太子よりはどこからか暗殺者が潜んでないかのほうに気を配っ
た。ここなら、何かが動いた時、すぐにわかる。
﹁なぜ、セルティア帝国の手を借りるようなことをしたのですか?﹂
﹁この国の兵力では、もし帝国と正面からぶつかれば大敗する恐れ
があるからだ。この数年で急速に帝国は力を盛り返している。だか
らこそ、友好関係を築いているふりをしないといけなかった。これ
は正しい外交だよ﹂
269
皇太子は両手を挙げたまま話をしている。現状、すぐに姫に危害
を加えることは不可能だろう。本当にこのまま兄と妹の話で終わっ
てくれればいいんだけどな。
﹁もっとも、カコから見れば帝国に付け込まれる隙を僕は作ったこ
とになるんだろうね。決して、そんなことはないんだが﹂
﹁お兄様が何を言われたかわかりませんが、帝国は決して信用でき
ません。今は大丈夫でも即位にまで手を貸してもらったという弱み
を握られます﹂
﹁ならばカコが自分の手で即位させてやったと言い張ればいいのさ﹂
ん? 皇太子は何を言いたいんだ?
﹁カコ、これまでのことは謝罪する。兄である僕に王位を譲ってく
れないか?﹂
この皇太子、この期に及んで、王にしろって言うのかよ⋮⋮。
しかし、悪い発想ではない。姫はおしとやかな人柄だし、長幼の
序も守りそうだ。言うだけ言ってみる価値はある。
﹁どのみち、僕はカコの傀儡だ。それでも王にはなりたい。どうか
な?﹂
270
40 誰かを守る力
﹁どのみち、僕はカコの傀儡だ。それでも王にはなりたい。どうか
な?﹂
言葉はやわらかい。それでも、俺にはその緊迫しきった空気をは
っきりと感じ取れた。
この皇太子は最後の望みに懸けている。
そして、その緊迫感は殺意にもよく似ていた。
俺はそっと体を前に傾ける。すぐに姫の元へ移動できるように。
もちろん、魔法を使えば、そんなことはしなくても迎撃できる。
だからこそ、何かおかしいと思った。もし、俺が皇太子ならその
ための対策は立てておく。
後継者争いをわかっていた人間が魔法での狙撃に無関心でいるは
ずはないからだ。
﹁さあ、カコ、答えてくれ?﹂
姫は皇太子の顔を見据えていた。
それから、はっきりとした口調で、こう告げた。
﹁王の座をあなたに渡すわけにはまいりません。すべての民を守る
ため、わたくしが次代の王となります﹂
︱︱チッ。
皇太子が舌打ちした。同時に挙げていた手が腰の剣に伸びる。
271
﹁ならば、斬り殺すまでよ!﹂
俺は姫のところに飛び込む。
とっさのことで、魔法を準備する思考時間がなかった。こんな時
は足を動かすほうが早い。
間に合う自信はあった。姫にぶつかるように飛び込むと、そのま
ま体重を奥へ向ける。
肩を斬られた痛みが走ったが、逆に言えば︱︱姫は守れた!
やっと、誰かを守るために力を使うことができた。
当然、まだ終わりじゃないが。
﹁島津さん! 大丈夫ですか!﹂
﹁俺より姫の身を案じてください!﹂
﹁くそっ! 邪魔をしおって!﹂
第二撃を喰らう前に、頭に﹁炎﹂の漢字を思い浮かべる。
焼け焦げろ! 皇太子!
しかし、炎は上がったと思った瞬間、すぐに消えてしまう。
﹁帝国から最高品質の魔法防御の品を送られているんだ。その程度
じゃ、話にならんね!﹂
﹁やっぱりな! 俺を離したのはそのためだったんだな!﹂
﹁なんなら、斬りかかってくればいい。この身は刃物に対する備え
まではしてないからな。斬り捨てればお前たちの勝ちだ。もっとも
剣すら身につけてないようだがな!﹂
もし魔法で姫を救おうと考えていたらどうなっていたことか。こ
272
ういう奴はとことん信用しないほうがいい。
一度、心を落ち着ける余裕がほしい。グレイシャル・ウォール!
皇太子との間を氷の壁で覆った。これで、剣を防ぐ手立てぐらい
には︱︱
いらか
﹁紅蓮の焔よ、艶めかしく甍という甍を舐め尽くすがよい︱︱ファ
イア・ウェイヴ!﹂
聞いたことのない魔法の詠唱とともに氷がすぐに溶けて水になっ
た。
﹁これも帝国の魔法さ。攻撃魔法に関しては僕は本当に優秀なんだ。
おかげで他国の攻撃魔法までマスターしているぐらいさ! さあ、
二人まとめて焼き殺してやる!﹂
すぐに姫の真正面に立って、マジック・シールドを使う。炎の直
撃は防げるが、練習では感じたことのないような熱を感じる。
炎は周囲にも燃え広がりはじめる。これは長居はできないな。
﹁さあ、どうする? 僕をすぐに殺さないとそっちも巻き添えだぞ
!﹂
こちらの攻撃魔法は敵には効かない。しかも、俺は剣技や格闘術
の覚えがない。この状況で敵を倒すのはたしかにハードルが高すぎ
た。
それでも、やりようはある。考えろ、考えろ。
本番で使えなければ、これまで学んできたこともすべて無駄だ。
よこし
︱︱と、背後から姫の声が聞こえた。
﹁加護の光よ、今こそ心正しき者を邪まなる刃と唾から守れ。正義
の頌歌を地上から天にまで届けるために︱︱サンクチュアリ・ライ
273
ト!﹂
魔法のドームが俺と姫を包む。同時に心も少し落ち着いた。
﹁ありがとうございます、姫!﹂
﹁この窮地を招いたのはわたくしの責任ですからね。島津さんを守
らなければなりません! それはわたくしの義務です!﹂
ならば、姫を守るのは護衛である俺の義務だ。
やりようはある。よく頭を働かせろ。
﹁ふん! この程度の防御魔法、たいしたことはない! 偽りの法
は今こそ馬脚を現し、混沌の中に消えゆく、塵は塵に︱︱ディナイ
アル・スペル!﹂
ドームが消滅する。この男も魔法使いとして一流だ。わずかなり
とも油断できない。
﹁お前たちの守りなら、いくらでもはぎ取ってやるさ。僕のように
装備しているものではないだけ、不利だな!﹂
皇太子はほとんど勝ちを確信したように笑っている。
けれど、俺も少しばかりだが、姫のおかげで考える時間をもらえ
た。
皇太子は物理防御はできない。それは本人の口から確認済みだ。
俺は姫の側に顔を向ける。つまり、敵には背中を向けた格好にな
る。
﹁島津さん!﹂
﹁おいおい、そうやって姫をかばったつもりか? どうせ順番に殺
すだけだ!﹂
274
負けを認めたと思ったか? そんなつもりはないぞ。タイムリミ
ットはまだ来てない。
俺のポケットの中には例のマナペンが入っている。
アーシア、力を貸してくれ。
俺は自分の足元に向けて、暴風を起こす。
﹁きゃああっ!﹂
姫が飛ばされそうになって、声を上げた。すいません、ダメージ
はないんでちょっとだけ耐えてください。
そして俺はその風の反発で思いきり背後に飛ばされる。
皇太子のほうへ。
﹁なっ! 何っ!﹂
俺の意図に気付いた時にはもう遅い。
右肘を突き出して︱︱皇太子の顔面に直撃させる。
グシャッ! 骨を砕いたような感覚があった。
皇太子は剣を落として、両手で顔を押さえている。鼻の骨は最低
でも折れているだろう。
あんたは寝てろ。
右手に全体重をかけて頭をぶん殴った。
非力な魔法使いの一撃でもけっこう効くだろ?
その一打で皇太子は気絶したのか、床に突っ伏した。
275
40 誰かを守る力︵後書き︶
皇太子を撃破しました! 次回に続きます!
276
41 決着
﹁姫、ご無事ですか!?﹂
姫は何が起こったのかわからず少しぼうっとしていたようだったが、
すぐに人心地を取り戻して、
﹁は、はい! 島津さん、ありがとうございます!﹂
俺にお礼を言うと同時に水の魔法を詠唱しはじめた。この部屋の
火を消すためだ。
そうだ。すぐに外に戦勝報告をしないと。仮にまだ戦闘が続いて
いても、それで敵は戦いを諦めてくれる可能性が高い。
窓を開けて、﹁謀反人の皇太子を討ち取った!﹂と叫んだ。
おおかた、戦闘は終わっていたらしく、敵の生き残りがそれで剣
を捨てたりして、投降を認めた。王位継承の内乱はこれで完璧に終
わった。
﹁島津さん、危険にさらして本当に申し訳ありませんでした﹂
﹁いえ、あれも姫が味方の身を案じたからですよね。わかります。
何人もで踏み込めば皇太子の攻撃魔法で死者が出ていたでしょうか
ら﹂
姫は被害を最小限に抑えるために少人数で皇太子を説得しようと
した。結果的には戦闘になってしまったが。
かといって、あそこで腕に覚えがない者だけを送り込んでも、死
人が出るうえに最悪、皇太子が帝国に亡命するとか面倒なシナリオ
になるおそれがあった。
277
﹁とにかく、すべて丸く収まってよかったです⋮⋮つっ!﹂
戦闘が終わったせいで、皇太子に斬られた肩の傷を思い出した。
﹁島津さん! すぐに回復魔法をおかけしますね!﹂
﹁ひとまず、外に出て味方と合流しましょう﹂
タクラジュ、イマージュや教官達は犠牲者も出さずに敵をすべて
打ち倒していた。やっぱり実力のある人たちだ。皇太子も詠唱がで
きないように口をきつく縛ったうえで、牢に送り込むことになった。
現在、姫の関係者達が、王城に皇太子の謀反があり、それが鎮圧
されたことを告げてまわっている。皇太子がいないまま、皇太子派
が攻めてくることはまずありえないだろうから、こちらの完全勝利
と言っていいだろう。
﹁島津、よく姫を守ったな﹂
﹁剣技はともかく魔法使いとしてお前は一流の存在だ﹂
タクラジュとイマージュも手放しで褒めてくれた。
﹁ありがとう⋮⋮どっちがどっちかわからないけど⋮⋮﹂
﹁戦闘中にリボンがとれてしまってな﹂
﹁こちらも同様だ﹂
もう名札でもつけておいてほしい。
俺はというと、傷が思ったよりも深いということで、回復に特化
した聖職者が来るまで芝生の上に寝かされていた。姫の回復魔法だ
けでは全快できないほどだったらしい。
命懸けの戦いをしていたのだし、しばらくぼうっとしていてもい
いかなと目を閉じていたら、傷口に温かい光が当たるのを感じた。
そっか、聖職者が回復に来てくれたのか。
278
﹁傷、私の魔法でも少しはふさがってきましたね。よかった⋮⋮﹂
その声は聞き覚えがあって、俺は体を起こした。
﹁こ、上月先生!﹂
回復魔法を習っているとは言っていたけど、もう使えるようにま
でなっていたのか。でも、そんなことを言いだすより先に意識が別
のところに行った。上月先生は涙目だった。
﹁島津君、こんな危ないことをしちゃダメなんだから!﹂
先生は俺に抱き着いてきた。先生の涙が俺の傷がないほうの肩を
濡らした。
﹁たしかに島津君の力は戦争のためのものかもしれない。でも、そ
れで生き急がないで! 島津君の命を大切にして!﹂
﹁ありがとうございます、先生。それに、俺⋮⋮誰かを傷つけるた
めじゃなくて、守るために力を使えましたよ﹂
﹁えっ?﹂
俺は顔を離して、先生に微笑みかける。
﹁先生の教育のおかげで、俺は人の役に立てる存在になれましたよ﹂
上月先生は少しの間、毒気を抜かれたようになっていたが、それ
から顔を赤くして、
﹁もしかしたら、島津君は先生の最高傑作かもしれないね﹂
なんてことを言った。
﹁ちょっと、島津君との距離感がおかしくなってるね⋮⋮。このま
まだと元生徒だってことを忘れて、島津君のことをもっと知りたく
なっちゃいそう⋮⋮﹂
﹁先生、それって⋮⋮﹂
後ろで、﹁こほん﹂という声がした。
279
サヨルさんが立っていた。
﹁あっ、何でしょうか、サヨルさん⋮⋮﹂
俺と先生は無意識のうちに離れる。
﹁率直に聞くけど、あなたたち、二人は付き合ってるの?﹂
﹁いえ、私たちは⋮⋮元の世界で教師と教え子の関係だっただけで
す⋮⋮。生徒に恋愛感情を抱くようなことがあると、公平な教育が
できないのでそんなことはないようにつとめて⋮⋮﹂
上月先生の声がやけに硬かった。
﹁ふうん。それならそれでいいんだけど﹂
ぽんぽん、とサヨルさんは俺の頭に手を置いた。
﹁よく頑張ったね。偉かったよ、島津君﹂
こんな時、サヨルさんはやさしい姉みたいな表情で微笑んでくれ
る。
﹁はい。役目は果たせたかなと﹂
﹁ねえ、島津君、王国が落ち着いたら王都に買い物にでも一緒に行
こうか﹂
﹁ええ。それぐらいならいつでも﹂
﹁ふふふ、約束したからねっ﹂
そして、サヨルさんは元気よく俺のところから去っていった。
あれ、もしかして、今のって一種のデートの約束なのか⋮⋮?
﹁島津君、さっきの人って教官助手のサヨル先生よね?﹂
今度は上月先生が聞いてきた。
﹁はい、魔法実習の時とかによくいる人です﹂
﹁じゃあ、教師よね。教師が生徒に手を出すのは倫理的によくない
と思うんだけど⋮⋮﹂
280
どうも、先生的にはサヨルさんに思うところがあるらしい⋮⋮。
俺の周辺は戦闘が終わって、どちらかというとほっとした空気だ
が、少し離れたところでは馬が慌ただしく走ったりしていた。
そりゃ、そうだよな。王様が崩御して、同日に皇太子の反乱が鎮
圧されたわけだし⋮⋮。
けど、早馬が俺たちのほうにもやってきた。
﹁速報だ! 実は王がお亡くなりになったというのはデマであるら
しい! なんでも、今から離宮から王城にお戻りになるとか!﹂
えっ! それはどういうことだ!?
281
42 新たなる決意
王であるハルマ24世は夜中に離宮から帰ってくるなり、俺達、
姫側の関係者をまとめて謁見の間に集めた。
俺達は狐につままれたような気分だった。ぶっちゃけ、不可解な
点が多すぎる。もっとも、王もそれを説明するために呼んだらしい
が。
﹁皆には苦労をかけさせた。実は、これは国を一本化するための危
うい大芝居じゃったのじゃ。わしが死んだという一報を聞けば、息
子が動くかもしれんなと思ってな。帝国とつながっているという噂
はあったが、裏がとれなかった﹂
つまり、王は最初から皇太子を排除するために、自分が死んだと
いうデマを皇太子側だけに流したというわけだ。
城から遠い離宮で崩御したという話にしたのもデマだと確認され
づらくするためだろう。
そういえば、近頃の王は病弱で杖をついているという話だったが、
全然衰えている様子もなくて、足元はしっかりしていた。すべてデ
マのための布石だったらしい。
﹁わしが死んだと聞いた途端に兵を使って身内を殺すような人間に
は王位はやれん。まして帝国とつるんでおったとなるとなおさらじ
ゃ。カコよ、お前が殺される恐れもあったが、今、やらねば事態は
もっと深刻化すると思った⋮⋮﹂
王は姫に深く頭を下げた。自分の子供が死ぬかもしれない芝居を
やったのだから、罪悪感もあるだろう。
282
王族が一族間で殺し合うのはどこの世界でも珍しいことじゃない
が、やる側も平然とはしてられないだろうな。
﹁たしかに、わたくしがお兄様に殺されても、生きているお父様が
戻ってくれば、お兄様は妹を殺した犯罪者というレッテルを貼られ
て身分を剥奪されますね。王位は別の弟や妹のものになりますが、
少なくとも王国内の大規模な内乱は防げます﹂
﹁うむ、すべては国のためとはいえ、親としては許されぬことをし
た⋮⋮﹂
俺としてはその立場になったことはないから感想しか言えないが、
王族というのは業が深いなと思う。
﹁しかし、これで王国にたまっている膿は一掃できた。それだけは
間違いない収穫じゃ。カコよ、お前を皇太子に任命する﹂
﹁謹んで拝命いたします﹂
姫が王の前にひざまずいた。
﹁クーデターは短時間かつ小規模で終わったので、お兄様の派閥で
も実際に動いた者の数は知れています。できうる限り寛容さをお示
しになって、彼らが王国に対して変わらぬ忠義を誓うように取り計
らっていただければ幸いです﹂
﹁うむ。大半の者は利権のためにバカ息子と癒着していたのじゃか
ら、その利権が消えた今、素直にこちらに従うであろうしな﹂
こうしてハルマ王国は分裂の危機を回避して、一本化した。
﹁バカ息子を利用しようと考えていたセルティア帝国との関係はき
283
っと悪化するじゃろう。もしかすると、帝国と戦う日もそう遠くな
いかもしれぬ。その時には、お前達の力をまた貸してほしい﹂
今度の敵は国の外側か。
いよいよ、俺は戦争に出ていくことになるんだな。
でも、やるべきことは決まってる。
そばにいる大切な人を守る。それだけだ。
﹁それと、わたくしからもう一つお願いがございます﹂
﹁ふむ、カコよ、どうした?﹂
姫がちらりと俺のほうを一瞥した。
﹁わたくしがお兄様に斬り殺されそうになった際、身を挺して守っ
てくれた魔法使い、島津時介さんに勲章と爵位を。それぐらいしか
わたくしから報いる術がありませんので﹂
あっ、そういうのは考えてなかった⋮⋮。
﹁よかろう勇武勲章と、バカ息子の土地の一部を割いて子爵位を授
けよう。細かいことは追って通達する。島津殿よ、娘のために戦っ
てくれたこと、どれだけ感謝してもしきれぬぞ﹂
どうやら、近いうちに俺は貴族みたいな立場になるらしい⋮⋮。
﹁いえ、俺はやるべきことをやったまでのことですから⋮⋮﹂
﹁もし、カコが皇太子でなくて、政治的価値もない娘だったら、君
の妻にしてやってもよかったのだがな﹂
﹁お父様、おふざけが、す、すぎますから⋮⋮。れ、恋愛感情は冗
談に使うものではありません⋮⋮﹂
284
姫は顔を真っ赤にして、抗議していた。
多分、俺も顔は赤くなっていたと思う⋮⋮。
●
徹夜明けだが、頭は想像以上にはっきりとしていた。
今日の授業はさすがに中止だからすぐに寝てもいいのだけど、そ
の前に報告しておきたい人がいる。
マナペンを握り締めて、﹁出てきてください、先生﹂と呼んだ。
すぐにアーシアが部屋の中に現れた。
﹁とんでもない一夜でしたね。まずは、時介さん、本当にお疲れ様
でした﹂
﹁うん、とことんまで疲れました。だけど、魔法使いとしてやるべ
きことがやれたかなと思います﹂
﹁はい、魔法の力で人を守る︱︱あの時介さんの目標が見事に達成
されましたね!﹂
神剣ゼミをはじめたばかりの当初、俺は自分のため、上に行くた
めにしか勉強も魔法も考えてなかった。
それがある時から、人を守るために強くなろうというものに変わ
った。理由はそんなに複雑なものじゃない。アーシア、上月先生、
サヨルさん、それにカコ姫︱︱俺のことを見守ってくれる人のやさ
しさに触れたからだ。だから、俺も誰かを守りたいと思った。
でも、これで神剣ゼミは終わりじゃない。
もう、次のステップに進むべき時だ。
285
﹁アーシア先生、俺に今度は剣技も教えてください。もう、授業で
も木剣を使った練習がはじまってますし﹂
神剣ゼミは魔法剣士を育てるためのものだ。魔法使いだけでは足
りない。
﹁いよいよ、本格的に魔法剣士を目指すことにしたわけですね!﹂
アーシアは満面の笑みで喜んでくれる。
﹁はい! 誰かを守るには剣の腕も必要になってくるはずですから
!﹂
﹁どこまでも時介さんは優等生ですねー! もう、かわいすぎます
!﹂
それで何度目だろう。また、アーシアに抱きすくめられて、ベッ
ドに倒された。
その大きな胸が密着してくる。うん、もう何度目かって話だけど、
やっぱり平常心でいられなくなってくる⋮⋮。
﹁先生! これ、先生のことを先生って思えなくなってくるから、
やめてください⋮⋮﹂
﹁時介さんが立派なんですもん!﹂
くそっ⋮⋮。神剣ゼミに保健体育があれば⋮⋮!
⋮⋮⋮⋮いや、それじゃダメだな。ほかの教科に絶対に気持ちが
入らなくなる。
俺は悶々としながら、赤ペン精霊の愛の重さと残酷さを感じてい
た。
286
42 新たなる決意︵後書き︶
次回から剣士修行編に入ります! 魔法使い編、最後までお読みい
ただきありがとうございました! 明日は一日お休みをいただいて、
その次の日から43話に入る予定です。
287
43 剣士としてのスタート︵前書き︶
今日から第二部です。よろしくお願いします!
288
43 剣士としてのスタート
﹁剣だけに意識を向けてはダメですね。むしろ剣は添え物です。足
と体を動かして、結果的に剣がついてくるイメージでお願いします
!﹂
アーシアの声が、汗がにじむ俺の頭に染み入ってくる。その声も
意味として理解しているというより、無意識に音として処理してい
る感じだ。
﹁先生、こんな感じででてきますか?﹂
﹁まだ、硬いですね。体自体が硬いっていうのもあるかもしれませ
んね﹂
﹁それを直すのは難しいですね⋮⋮﹂
俺に剣の指導をしているのは、剣なんて一度も握ったことがない
ような美少女だ。
腕組みしているから、けしからん旨がさらに強調されてしまった
りして、指導者としてはまずいことになている。しかもビキニみた
いな布で隠しているだけだから、谷間なんてはっきり、くっきり見
える。ダメだ、ダメだ、そんなところに目がいってる時点で集中力
が足りてない証拠だ⋮⋮。
彼女はマナペンというペンに宿っている精霊、アーシア。少し浮
いているように見えるのは精霊だから実際に浮いているのだ。
﹁それじゃ、休憩に入りましょうか﹂
俺は息を切らしてすぐに芝生の上に倒れこむように腰を降ろした。
両手を後ろにやって体を支える。
289
﹁天才魔法使いと呼ばれた時介さんも、剣のほうはまだまだですね﹂
﹁こっちのほうは、あまり得意じゃないって覚悟はしてました⋮⋮﹂
日本にいた時から、体育でいい成績を残せたことなどない。もっ
とも中学ですごく得意で、高校で底辺になるなんて激変は起こりえ
ないだろうから、自分には向いてなかったとしか言えない。そのう
え、運動部に入ったこともないので、持久力も自信がない。
﹁結論から言えば剣技よりも、基礎体力をつけるほうが重要ですね﹂
﹁おかしいな⋮⋮。授業だとけっこう走らされてたはずなのに⋮⋮﹂
﹁剣を持っての動きに無駄が多いんですよ。だから、疲れちゃうん
です。もっとも︱︱﹂
ずっと笑みを浮かべていたアーシアだったが、そこでとびきりの
笑顔になって、
﹁私がとことんまで対策も教えちゃって、時介さんを強くしちゃい
ますから覚悟しておいてくださいね! 魔法だけでなく剣技も鍛え
る、これぞ神剣ゼミのモットーですから!﹂
﹁はい、お願いします!﹂
返事ぐらいは元気にしておこう。
●
しばらくの間、学校は休校状態が続いていた。もう五日目になる。
理由は単純で、教員たちが護衛役として王やカコ姫のそばについ
ていたからだ。授業よりも明らかに大切なことだから、しょうがな
い。
290
皇太子︱︱といっても今は廃嫡されているからただの罪人でしか
ないが︱︱が後継者争いをしていた姫を暗殺しようとして失敗して
からしばらくのうちは、王城も王都も空気がこれまでと違うものに
なっていた。
人の不安が伝染していって、どんどん広がっているという印象だ
った。
変な話、夜のうちに皇太子が仕掛けた暗殺は失敗に終わっていた
わけだが、まだ何か起こるんじゃないかとびくびくしていたわけだ。
もしかしたら、皇太子派の人間が大量に粛清されたり、失脚させ
られることになるかもしれない。その反動でカコ姫が攻撃される危
険も依然としてあった。
本来の次の王候補だったわけだから皇太子派は貴族の中でも少数
ではなかっただろうし、激変が走る可能性は実際のところ、いくら
でもあった。
なので学生にも遊ぶ気になれない休暇が与えられたというわけだ。
俺の場合は扱いとして教官助手なので、護衛役をやると言えばそ
っちにまわれただろうが、アーシアとの剣技の練習を選んだ。
剣士としても強くなれなければ、誰かを守りきれない︱︱今回の
内乱でそれを感じたからだ。
もし、魔法使いと剣士が戦った場合、遠距離からなら圧倒的に魔
法使いが有利だ。だが、一度、接近を許せば、その状況は容易に逆
転する。
皇太子が姫を殺そうと斬りつけた時、俺は身を挺することしかで
きなかった。追い込まれた状況を打開するには剣士の実力が必要な
のだ。
291
ただ、わかっていたことだけど、俺には体力不足という弱点があ
るらしく、まずはこれを克服しないといけないらしい。
ちょうど今、アーシアが何を指示するか考えている。
﹁じゃあ、夜はひとまず走りますか﹂
さらっとアーシアが言う。浮いてる人間からしたら、走る労力は
わからないだろうな⋮⋮。自分を強くするためだから、恨み言を言
っても何も始まらないけど。
﹁演習場を何周ですか? やるからにはどれだけでもやりますよ﹂
﹁いえ、走る距離はそんなに重要じゃないんです。もちろん、一ト
ーネルぐらいは走ってもらわないと体に身につかないですけど﹂
トーネルというのはハルマ王国内での長さの単位だ。一キロとそ
う変わらない。
﹁距離以外が重要ってことは、ランニングフォームですか?﹂
俺としてはそれぐらいしか思いつかないが。
﹁足を置く位置ですね。地面を見てください﹂
すると、暗い芝生の上にちょっとずつ間隔を空けて小さな光の円
が現れた。それがほぼまっすぐにずっと続いている。
﹁この円に足を置いていきながら走ってください。円の外側に足が
出たら失格です。ミス三回以下で最後まで走りきれたら、ご褒美を
差し上げますよ﹂
﹁こういう時、罰じゃなくてご褒美を提示するのがアーシア先生ら
しいですね﹂
﹁私は褒めて伸ばす教育ですから!﹂
292
楽しそうに子供っぽく胸を張るアーシア。さらに胸が強調される。
その姿でご褒美とか言われると、男子生徒としては妙な気分になる
な⋮⋮。
よし、やるか。今の俺は与えられた課題をこなしていくことで、
精一杯の状態だし。
走り出そうとすると、目の前にアーシアがやってきて道をふさい
だ。両手を広げて、とうせんぼの格好だ。顔もさっきより真面目で、
眉毛がハの字になっている。
﹁ダメです、ダメです!﹂
﹁えっ!? まさかの走る前からのダメ出しですか!?﹂
﹁準備運動をしてないでしょう! 足を痛めてしまったら、剣士の
練習すらできなくなりますよ! 運動の場合は机の上での勉強と違
って、練習でケガしちゃうこともありますからね!﹂
﹁あっ、なるほど。そういうことか⋮⋮﹂
本当に真面目な先生だなあ⋮⋮。
293
44 元教師と元教え子の関係
足の筋を伸ばす運動をして、それから軽くホッピングをした。
﹁これからも走る前は準備運動をしてくださいね。それをせずにケ
ガしちゃったら、きっと後悔しますからね∼﹂
二十四時間、アーシアは生き生きしている。こっちも準備運動ま
で気合が入る。
もし、アーシアみたいな先生が全国の学校に配置されて教えてた
ら、学生の学力も真面目度も上がるだろうな。
﹁はい、そこまで! もういいですよ∼﹂
いよいよ、走るほうに入る。自分のすぐ前に、円状の光とは違っ
た、スタートライン状になった光が現れる。ここから円を踏んでい
けってことだ。
﹁別にタイムを競うものではないですから、いつ出発してもらって
もいいですよ。ただし、完全に止まってしまったら失格です﹂
一トーネルぐらいなら、これまでも授業でさんざん体力作りとい
うことで走らされたし、途中棄権はないだろう。
俺はまず最初の円に右足を置く。
次の円にはさらに左足を持っていく。
その勢いを使って、さらに次の円にまた右足を運ぶ。
あれ? けっこうこの円の間隔広くない?
294
届かない距離ではないのだが、かなり大股で走らないときついと
いうか⋮⋮。
﹁うんうん、いいですね∼。そのまま、続けましょう! ここは我
慢して続けるところですよ!﹂
こう言われると耐えるしかないけど、体のほうは正直で、かなり
すぐに息が上がってきた。
そうなると、歩幅も乱れてきて、円の外側に足が来たり、手前に
足を置いてしまったりしはじめる。
﹁あっ、三回目のミスですね。次の失敗で今回のご褒美はナシです
ね﹂
もう、これはご褒美は諦めたほうがいいな⋮⋮。
その数回先でもう一度足がぎりぎりで届かなかった。
﹁あ∼、残念! ご褒美は次回に持ち越しです!﹂
それ以前に百五十メートル程度しか進んでないはずなのに、すで
に体がふらふらになっていた。体が大きく上下する。
﹁ギブアップします⋮⋮﹂
息が切れて、俺は芝生の上に転がった。
﹁まあ、一回目はこんなものですよね。お疲れ様でした﹂
アーシアは俺を叱ったりすることはないけど、褒められた結果じ
ゃないのは明らかだ。
﹁はぁはぁ⋮⋮。これ、無茶苦茶、円の間隔きつくないですか⋮⋮
?﹂
295
﹁でも、最初のうちはちゃんと足が届いてましたよね? 物理的に
不可能なことなんてやってませんよ﹂
﹁はい、それはわかるんですけど、無理をして走ってる感じで、す
ぐに体力が落ちてきて⋮⋮﹂
﹁そこは数をこなして慣れていってください。はっきり言って、小
股で走るよりは疲れます。疲れるからこその練習なんです﹂
ごもっともな意見だ。だけど、次の挑戦をするにはしばらく休養
期間がほしいな⋮⋮。
そのあとも似たようなところで息切れして、足が止まってしまっ
た。人間って、大股で走るとこんなにすぐに疲弊するのか⋮⋮。こ
んな動きやったことがないから気付かなかった⋮⋮。
﹁お疲れ様でした! それじゃ、今日はここまでです!﹂
﹁あ、ありがとうございました⋮⋮﹂
俺は疲れたので寮までレヴィテーションで飛んでいって、そのま
ますぐに風呂に入って魔法でもかけられたように眠った。
●
学校が休みな時期だからこそ、やる気のある生徒とそうでない生
徒の差が出る。
朝、図書館から借りてきた魔道書を読んでいると、こんこんとド
アがノックされた。
だいたい、誰かは見当がついていた。しょっちゅう、ここに来る
人がいるからだ。やっぱり、上月先生だった。
﹁おはよう、島津君。今日もお願いね﹂
296
﹁はい、俺が教えられることなら、いくらでも教えますから﹂
上月先生はもともと俺達が日本にいた時の国語教師だった。授業
中にこのハルマ王国に飛ばされてしまったので、そのまま俺達と同
じく魔法と剣技を習う学校の生徒ということにされたのだ。先生が
クラスメイトになったというわけだけど、生徒はほぼ全員が﹁上月
先生﹂と呼んでいる。
﹁今日、教えてもらいたいのは、この魔法を跳ね返すリフレクショ
ンというものなんですが﹂
リフレクションは上手く決まれば威力が高いが、一回きりで効果
が終わってしまうので、使うタイミングが難しい。
﹁はいはい。先生、かなり進んでますね。これ、ちょっとした戦闘
だったらできるレベルだと思いますよ﹂
最初から上月先生の才能がずば抜けていたわけではないはずだけ
ど、わからないところを勉強して着実に先に進んできている。
﹁私はこの魔法を自分にかけたいわけじゃないんです。ただ、仲間
の人に使えば、攻撃を一回は防げるから回復魔法の代わりになるか
なって﹂
﹁もう、上月先生は戦闘のことを考えてるんですね﹂
上月先生は転移してきた人間にとっては難易度が高い回復魔法を
すでに一部使えるようになっている。
﹁自分の元教え子に死人は出したくないですからね﹂
すごく真面目な顔をして、先生は言った。
﹁どうせ、島津君はこれからも危ないことをきっとするだろうし。
言っても聞かないだろうし﹂
297
﹁そんなことないですって否定したいけど、難しいですね⋮⋮﹂
王国とセルティア帝国の関係が今後悪化する可能性は高い。そう
なれば、なんらかの戦闘が行われるだろう。俺達学生はその戦争で
の即戦力のために育てられているわけだから、きっとそこに従軍す
ることになる。
﹁いつも島津君は危なっかしいことをしそうだから。それで、その
せいだからなのかもしれないけど⋮⋮﹂
少し、先生は言葉に詰まった。
﹁私、とくに島津君を守ってあげたいって、大切にしたいって思い
始めてる⋮⋮かな?﹂
先生の顔が赤くなっている。俺の顔もおそらくそれにつられるよ
うに赤くなっているだろう。
これって、まさか、愛の告白? 違うよな⋮⋮? ただ、俺が危
険なことをするから相対的に目が離せないとか、そういうことだよ
な⋮⋮?
﹁あ、ありがとうございます⋮⋮﹂
礼を言うのが正しいのかよくわからないけれど、そう答えた。
﹁うん、私も⋮⋮頑張るからね⋮⋮﹂
かなりその日の特別授業は、奇妙な空気のものになった。
でも、最近、先生といるとこういう変な空気になること、増えて
きてる気がするな⋮⋮。
298
45 姫とゲ−ム
その日は昼に姫に呼び出された。
現在、姫は警護の問題上、客人用に作られた石造りの建物にいた。
そこなら建物の周囲を護衛で固められるからだ。城の中だと棟続き
なので、どこか警護の甘いところから建物内部に侵入するというこ
とができなくもない。
俺が行くと、すぐに中に通された。姫は新たな皇太子としての所
領安堵の書類を作っているところだった。皇太子が変わったので、
その影響下にあった荘園などの混乱を静めて、安心させる必要があ
ったのだ。
﹁島津さん、ごきげんはいかがですか?﹂
﹁お疲れ様です、姫﹂
姫はほがらかな笑みを満面に浮かべて出迎えてくれた。
﹁わざわざ呼びつけてしまって、ごめんなさいね。まだ、外に出る
なと言われていて、退屈してきちゃったもので⋮⋮﹂
﹁いえ、俺も呼んでもらって光栄です﹂
﹁一時期と比べれば、かなり民心も安定してきたようですし、そろ
そろお城に戻れそうではあるんですが、タクラジュとイマージュが
もう少し待てと言うので﹂
姫の両側には同じ顔にしか見えない護衛が一人ずつ立っている。
黄色のリボンをつけているほうがタクラジュで、青いリボンのほう
299
がイマージュだ。
﹁よく来たな﹂﹁茶でも飲め﹂
ほぼ同時にしゃべられると、どっちがどっちかわからなくなるの
でやめてほしい。
﹁現在、城の警備に不備がないかの確認をしている﹂﹁それが終わ
れば、新体制に正式移行する﹂
﹁二人も姫の護衛だけじゃなくて、遊び相手にもなってあげてやれ
よ﹂
この二人、堅物そうだからな。ずっと、純粋にボディガードです
という顔でいられちゃ、姫も気詰まりになるだろう。
﹁﹁それが⋮⋮﹂﹂
なぜか二人同時にうつむいた。いったい何があったんだ?
﹁ボードゲームをやっていたんですが、二人とも弱すぎて勝負にな
らないんです﹂
珍しく得意そうに姫が言った。
﹁それで、島津さんに対戦相手になっていただきたくて、お呼びし
たんですよ。一局お願いいただけませんか?﹂
﹁はい、喜んで。でもルールは知らないんで教えてくださいね﹂
最初に出てきたゲームはいわゆるチェスだった。コマはリアルな
騎士や馬の彫り物になっている。ただ、コマの配置がちょっと違う。
また、一度相手からとったコマを使っていいというルールがあるの
だ。コマの形がフィギュア的なので攻めてる方向がはっきりわかる
のだ。
初戦はかなり初期から攻められてあっさりチェックメイトになっ
た。
300
﹁さすが、姫様!﹂﹁姫様、お強いです!﹂
ギャラリーのタクラジュとイマージュは当然姫様押しだ。
ただ、微妙に感覚がつかめてきた。
これって、チェスというより将棋に近いな。だったら、棒銀とか
矢倉とか将棋の戦法を使えるんじゃないだろうか。
﹁わたくしの勝ちですね。もう一局いかがですか?﹂
﹁はい、ぜひお願いします﹂
俺はとられたら終わりの王のコマを少しずつ移動させて盤の隅っ
こにまで持ってきた。
﹁えっ? こんな戦法見たことないですよ⋮⋮?﹂
姫が困惑している。どうやら将棋的な戦法は開発されてないらし
い。といっても、将棋とは似ていても違うゲームだから、効果的な
のかは全然わからないが。
その対局は姫が攻めあぐねている間に俺のほうが侵攻してチェッ
クメイトまで持っていった。
姫の戦法は先手必勝で攻め切るものだから、序盤を防ぎきられる
と、途端につらくなる。というか、守るのはおそらくあまり得意じ
ゃない。
それにしても、普段の性格とゲームの性格とかなり間逆だな⋮⋮。
意外と深層心理では攻め攻めの性格なんだろうか。
﹁俺の勝ちですね﹂
301
﹁なっ⋮⋮。わたくしが完敗⋮⋮﹂
姫はかなり落ち込んでいるようだった。
﹁もう一局やりましょう、島津さん! 次は勝ちますからね!﹂
﹁はい、いいですよ﹂
横から二人が﹁次は姫様に勝たせろ﹂﹁臣下として引き際を知れ﹂
と言ってきた。
だが、むっとした顔で姫が二人をにらむ。
﹁手加減なんてダメですからね! あくまでも全力勝負でやっても
らわないと意味がありませんから!﹂
二人も﹁﹁申し訳ありません!﹂﹂とぺこぺこ頭を下げていた。
﹁わ、わかりました⋮⋮。俺も気合入れてやりますから⋮⋮﹂
姫は攻略法をまだわかっていなかったようで、次の対局も俺が同
じ手を使って勝った。
﹁これで詰みましたね。俺の二勝一敗です﹂
姫が﹁ぐぬぬぬぬぬ⋮⋮!﹂という顔になっている。そうか、姫
ってこんな顔もするんだ。
﹁もう一回です、もう一回やりましょう!﹂
ムキになって姫が言う。なぜかカコ姫の新しい表情をたくさん見
ることになってるな。
﹁わかりました。では、次をラストにしましょうか﹂
結局、次も俺が勝った。
﹁ありがとうございました。そろそろ日も傾いてきそうですし、ご
政務にも影響が出るかと思いますのでこれで﹂
302
﹁ダメです! もう一回です! もう一回を要求いたします!﹂
あっ、これ、姫が勝つまでやめない流れじゃないか⋮⋮?
護衛二人も﹁あ∼、やっちゃったな﹂という顔をしていた。
﹁姫は無類の負けず嫌いなのだ﹂﹁だから保険として弱い我々がや
っていたのに⋮⋮﹂
そんなこと、わかるわけがない!
まあ、いいか。手を抜いて負けるようにすればいいだけのことだ
し⋮⋮。
しかし、わざと悪手を打つと、姫の目が厳しくなる。
﹁島津さん、今の手、おかしいですよね?﹂
﹁な、何のことでしょうか?﹂
﹁とぼけても無駄です。手を抜こうとしたことが表情の変化でわか
ります。わたくし、人の本心を見抜くのは得意なんです。王族であ
るわたくしの前で本音を言う方などほとんどいませんからね﹂
たしかに⋮⋮。
ということは、これって姫が実力で俺に勝つまで終われないんじ
ゃないか⋮⋮?
そのあとも俺が三連勝した。
日はほぼ沈みきっている。
﹁あの、俺はそろそろおいとましようかと⋮⋮﹂
﹁いけません! まだ勝負を続けてください! これは姫であるわ
たくしの命令です!﹂
303
姫の強権を使われた! 普段はそんなこと言う人じゃ絶対ないの
に!
その後、俺が疲れてきて、素でミスを連発しているうちに、やっ
と姫が勝った。
﹁やりましたわ!﹂
﹁姫、おめでとうございます!﹂
なぜか、俺まで全力で姫の勝利を喜んでしまっていた。
304
46 魔法剣士の指導
姫は時計を見て、固まった。想像以上に時間が過ぎていたのだ。
もう、夕飯を食べてもいい時間だ。
﹁ずっと、お引き止めしてしまって、本当に申し訳ありませんでし
た⋮⋮﹂
どうやらいつもの姫に戻ったらしい。
﹁いえいえ、姫の無聊を慰めることができたのであればうれしいで
すよ﹂
﹁あの⋮⋮ご迷惑でなければまた一緒に遊んでいただけませんか?﹂
﹁はい、お願いいたします﹂
俺がそう言うと、姫はほっとしたように胸を撫で下ろした。
﹁わたくしはしばらくたまっている政務に戻ります。二人は島津さ
んと一緒に散歩にでも行ってきたらどう?﹂
そこで一つ案を思いついた。
﹁二人とも、俺に剣の稽古をつけてくれないか?﹂
﹁ああ﹂﹁もちろん﹂
この二人に指導してもらえるなら、これまでゲームに耐えた価値
もあるってものだ。俺達はその来賓客用の施設の外にある庭に出た。
﹁では、稽古をつけてやるか。島津よ、来い﹂﹁いや、タクラジュ
は下手だ。私のほうがいい﹂﹁黙れ、妹。お前にどんな才能がある
305
?﹂﹁妹よ、お前こそ黙れ﹂﹁やるか?﹂﹁よし、やってやる﹂﹁
来い!﹂
﹁俺とやってくれよ!﹂
早速姉妹でケンカするのやめてほしい。本当にこの二人、仲が悪
すぎる。
あいまみ
結局、青いリボンのほうのイマージュと対戦することになった。
お互いに木の剣を持って相見える。
﹁さあ、どこからでもかかってきていいぞ﹂
イマージュが木剣を構えた途端、恐ろしいほどの闘気みたいなも
のを感じた。
なんだ、これ⋮⋮。イマージュはまだ立っているだけなのに、近
寄りがたい。
とても踏み込めなくて、俺は無意識のうちに一歩下がってしまっ
た。
﹁何も特別なことはしてないよな⋮⋮?﹂
﹁当然だ。魔法を使ったら練習の意味がないからな﹂
イマージュは涼しい顔で言う。実際、表情だけなら散歩中とでも
いった感じだ。けど、剣を持っているだけでただならぬ空気になる。
﹁剣士はある程度の技量に達すると、空気だけで相手を制すること
ができる。こうすることで、しょうもない輩は絡んでこんようにな
るから、便利だぞ。イマージュのものはたいしたものではないが﹂
タクラジュが解説を加えてくれた。
﹁さあ、踏みこんでこんと練習にはならんぞ。来い!﹂
イマージュのおっしゃるとおりだ。これは俺の頼んだことだから
306
な。
剣を改めて構えて、イマージュに向かっていく。
﹁うおおぉぉぉぉっっ!﹂
声を出したのは恐怖心を克服するためだ。
だが、次の瞬間、ぱっとイマージュが消えたように見えた。
︱︱と思ったら、肩をぱしんと叩かれていた。
小さな痛みが肩に走る。
﹁戦場なら斬り殺されてたな。もっとも、お前は魔法で応戦するだ
ろうから、こんな実戦は存在しないが﹂
イマージュの表情にはわずかに笑みも宿っている。
﹁いつ、動いた⋮⋮?﹂
間違いなくイマージュは自分の足で動いたはずだが、その始点が
わからない。気付いたら叩かれていた。
﹁言葉では説明しづらいな。剣を学んでいるうちにこういったもの
は自然と身につくのだが。出来損ないのタクラジュはしゃべれるか
?﹂﹁出来損ないのイマージュ同様だな。動いて斬るとしか言えん﹂
二人とも教官ではなくて、剣士なのだから上手く言語化できない
のは仕方ない。もっとも、言葉で聞いたからといって防げたり、真
似ができるものではないだろうから、やはり数をこなすしかないん
だろう。
﹁じゃあ、次を頼む。どこかでお前達の動きを盗んでやる﹂
再び、俺はイマージュと向き合う。
﹁うむ。お前は魔法使いだが、心がけは剣士のそれだ。さすが、姫
様のために飛び込んだだけのことはある﹂
307
イマージュは静かにうなずいた。
剣ではまだ青二才だが、イマージュはたしかに自分に敬意を持っ
て接してくれている。それが単純にうれしい。
﹁本当の殺し合いだと思ってかかって来い。どちらかが致命傷と考
える一撃を受けたら、一度そこで仕切りなおす。それの繰り返しで
やろう﹂
﹁わかった! よろしく頼む!﹂
今度はあまり自分から踏み込まずにイマージュの動きを観察して
やろうと思った。
イマージュの体が前に出る。
動いた! 今度は認識できた!
︱︱パシィィィン!
しかし、自分が剣で止める前にまた肩を叩かれていた。
﹁ど、どうなってるんだ⋮⋮?﹂
いつ、自分が斬られる間合いまで移動されたのかわからない。
﹁言っておくがテレポートなんて魔法を使ってはいないぞ。この足
で前に出て、お前に近づいただけだ。それ以上でも以下でもない﹂
テレポートは文字通りの瞬間移動だが、狭い範囲でしか動けない
し、間に壁などの障害物があると使えないので、使用頻度はそう高
くない。でないと、暗殺者がすぐに王の間に侵入してしまって、あ
らゆる国が大混乱になるだろう。
308
この姉妹二人は純粋な剣士ではなく、魔法剣士だ。ただ、攻撃魔
法をどんどん使うというようなタイプではなく、あくまでも剣士と
しての実力をより上昇させるために、補助的に魔法を使うことが多
い。
﹁もう一度、頼む。数をこなしたい﹂
﹁うむ。その心意気は買おう。さあ、行くぞ!﹂
それから先も十分以上、俺は剣を構えて、肩を叩かれまくった。
十分で何かつかめるほどの素質は剣のほうにないとは思っていた
が、本当に何もつかめないままだとつらいな⋮⋮。痛みもあるので
余計につらい⋮⋮。
﹁二人はこういう動きがいつ頃できたんだ?﹂
﹁練習をしているうちに、いつの間にかできていた﹂﹁ペーパーテ
ストの問題ではないから、ある日からできたというものでもないだ
ろう﹂
とにかく、練習あるのみってことか。
﹁だが⋮⋮﹂
イマージュが思案するように言った。
﹁こういうことは、もしも原理がわかっても、それを実行する体力
が必要であったりするからな。島津の場合はそれを頑張るべき時か
もしれん﹂
俺の頭に昨日のアーシアの特訓が浮かんだ。
しばらくは走るしかないのかな⋮⋮。
309
47 アーシア、褒めまくる
その日は姫に呼ばれたこともあって、部屋でアーシアと出会うの
が遅くなった。
﹁なかなか大変だったようですね。でも、それは時介さんが姫に信
頼されてる証しでもありますから、ポジティブに受け止めましょう
!﹂
﹁ゲームの相手をさせられてただけって気もしますけどね⋮⋮﹂
手を抜いて負けようかとも思ったけれど、そういうことだけ姫は
鋭いのですぐばれた。姫は人間に対する洞察力は相当なものなのだ。
なのに、なぜかゲームの盤面だとそれが働かないらしい。
﹁それで、ちょっと肩が腫れたようになっているのはなぜですか?﹂
﹁イマージュと特訓をつけてもらったんです。全力で叩かれたわけ
じゃないですけど、肩を何度もバシバシやられたんで⋮⋮﹂
俺は簡単に練習の話をした。
﹁なるほど∼。やはり、あの方たちはわかってらっしゃいますね。
そんな方を護衛に選んでいる姫もわかっていらっしゃいます﹂
何かアーシアは感じ入ることがあったらしい。
﹁イマージュの動きの秘密が何かわかるんだったら教えてください﹂
次に稽古をつけてもらう時は前回よりいい結果を出せないと恥ず
かしいというのもある。あと、俺だって見返してやれるものなら見
返してやりたい。すぐに実力差が逆転すると思ってるほど舐めては
310
ないが、一度ぐらいイマージュの攻撃を防いで、反撃に出たい。
﹁時介さん、剣技は魔法とはその点が違うんですよ﹂
ノンノンと指をかわいく振るアーシア。ただし、すぐにやけに真
面目な顔になって、
﹁たしかに魔法の場合は、知識が必須でした。知識ナシでは絶対に
魔法というものを使えませんからね。なので私が教えてあげること
ができればそれなりの意味があったんです﹂
こんな説明をはじめた。これは俺にちゃんとわかってもらおうっ
て時の顔だ。
﹁ですが、剣技の場合はそうではないんです。一言で言えば、知識
という形で知っていても今の時介さんは対処できません。むしろ、
余計な知識が成長の邪魔になることだってありえます。なぜかとい
うと、人間の体というのは意識しているとおりには動いていないん
です﹂
とにかく、アーシアが俺にわかってもらおうと頑張っていること
ははっきりとわかる。
﹁ここはもう少しこの私と付き合っていただけませんか?﹂
﹁先生にこう言われたら、断る選択肢なんてないですよ﹂
これまでアーシアを信じて裏切られたことなんてない。だから、
素直に特訓一緒にメニューをやるだけだ。アーシアと一緒に特訓を
積めば俺は必ず報われる。
﹁それじゃ、また走っていただきましょうか!﹂
その日も俺は大股で走って、くたくたになった。ただし、前日よ
りは長く走った。一日で体力がついたなんてことはない。つまり意
311
地だ。
﹁はぁはぁ⋮⋮少しでも成長してやるぞ⋮⋮﹂
結局、疲れて芝生に倒れこむわけだけど、まだ達成感があった。
少なくとも無様という感じはなかった。
﹁時介さん、すごいですよ! ちゃんとパワーアップしてきますね
!﹂
﹁昨日がしょぼかっただけっていうのもありますけどね⋮⋮﹂
﹁そんなことありません。はい、お水です﹂
アーシアの手にはいつのまにか水をたたえた銀のカップがある。
俺はそれを受け取って、勢いよく飲む。ちょっと口の横からこぼ
れたけど、たいした問題じゃない。だいたい、どうせ服は汗だらけ
だ。濡れてもかまわない。
﹁この水、おいしいですね﹂
﹁精霊が出す水ですからね。何の濁りもないものですよ。汗をかい
て水をたくさん飲むことは悪いことじゃないですから﹂
﹁でしょうね。さてと︱︱﹂
俺はまた立ち上がる。
﹁今日はもう一本いきますよ。余裕があったらさらにもう一本﹂
﹁時介さん﹂
アーシアは一瞬だけ、狐につままれたような顔になっていた。
﹁どれだけ真面目なんですか! 真面目すぎて褒める言葉がなくな
りそうですよ!﹂
微妙にアーシアに逆ギレされた。
﹁だって、俺、神剣を使えるような伝説の魔法剣士になるのが夢で
すから。そのための神剣ゼミなんですし﹂
312
きっと俺は達成感の虜だ。どんなに苦しくてもアーシアとやって
いけば強くなれる、すごい景色が見れる。そう思ったらつらくても、
しんどくてもやめられなくなるのだ。
﹁時介さん、本当に偉大な魔法剣士になれると思いますよ。無責任
かもしれませんけど、私がマナペンの精霊として保証します﹂
アーシアの目は笑っていなかったから、本音なんだろうな。
そのあと、三回は全力で走った。初日からの進歩という観点で見
れば悪いものじゃなかった。そのうち大股で走るのが当たり前にな
るだろう。
翌日、足に多少の筋肉痛は残っていたが、疲労というほどのもの
はたまっていない。
走るのが日常になってくればいい感じに成長できるはずだ。なに
せ日常化するということはそれが自然だということだから、努力し
ようという意識すらそこに入れなくてすむ。
その日も午前中に上月先生がやってきて、魔法を教えた。正直な
ところ、教科書レベルのことはもうほぼ完璧に理解していると思う
ので、あまり追加で教えることもない。
﹁ここからは実践ですね。仕組みはほぼ理解しきってますよ。仮に
知らないことがあっても、これまでの土台から考えていけば答えに
いきつくと思います﹂
﹁ありがとうございます。私もそんな気がしてたんです。壁が壊せ
たというか、これまでは暗記していたものが、なんでそうなるかが
ちゃんとわかったうえで覚えられるんです﹂
先生は高校生どころか小学生みたいに邪気のない表情でにっこり
313
と笑う。
﹁上月先生は誰に言っても恥ずかしくない目標がありますから。そ
ういう人間は強くなるんですよ﹂
先生は元生徒を守るために魔法を覚えようとしている。だから、
なんとなくで覚えてる奴より呑み込みがいいのは当然だ。
﹁それは体験談ですか?﹂
すぐにそう聞かれて、気恥ずかしくなった。
﹁一般論ということにしておいてください⋮⋮﹂
﹁じゃあ、そういうことにしておいてあげますね﹂
アーシアから見たら俺も上月先生も似てるんだろうな。
314
48 生徒から教官へ
上月先生が帰ってから昼食までは、自主的に剣を振っていた。正
しい握り方や振り方ぐらいは授業でやっているから間違いというこ
とにはならないだろう。
振っているうちに汗が額をこぼれ落ちる。
それでも気にせずに振り続ける。
まだ、まともに練習している段階に入っているのかもわからない
が、剣士としての技能は魔法使いのものとは質的に全然違うという
のをすでに強く感じていた。
魔法使いの勉強というのは学校の教科にすごく似ていた。知識を
増やしていけば、実践編はあるとはいえ、成長が約束されている部
分があった。階段を一段、一段昇っていく感覚がそこにはある。
それに対して、剣技は仏教における悟りみたいなものに近いと思
う。つまり、何かコツをつかんだ途端に急激に伸びるのだが、その
コツをつかむまではみんな五十歩百歩で似た場所でうろちょろして
いる気がするのだ。
おそらく、アーシアにしても学校の勉強にしても、魔法が先で剣
技が後になっているのは、それが理由だろう。成長が実感しづらい
内容ということはやる気にもなりづらいということだからだ。
もし、一か月やって何も改善された気がしなかったら、そこで諦
める人間は割と多いはずだ。一か月でダメなら二か月も三か月も同
じなんじゃないかと考えてしまう。
315
それに耐えるには自分は成長するという確信か、強くなりたくて
たまらないという意志か、どっちかが少なくとも必要になる。
自分の場合、教えてくれるのがアーシアでよかった。アーシアに
すべてを託そうという気になる。
あと、魔法剣士になるのが目標なのだから剣技を練習するしかな
い。時間がかかろうと、しんどかろうと、ほかにどうしようもない
のだ。
もう、そろそろ食事休憩だなと思っていたら、サヨルさんがやっ
てきた。
﹁よくやってるね。感心、感心﹂
サヨルさんは魔法分野の教官助手で、俺の同僚であり先輩だ。様
々な補助系魔法を使うことができる。攻撃魔法よりもそっちのほう
が得意なぐらいだ。
﹁あれ、王や姫の護衛はしないでいいんですか?﹂
教官達とはそのせいであまり顔を合わしていなかった。
﹁それだけ、落ち着いてきたってことだよ。ちょうど、島津君を探
してたの﹂
そう言うと、サヨルさんはぐいっと俺の手を引いた。
あれ、サヨルさんってこんなにボディタッチしてくる人だったっ
け⋮⋮?
﹁き、来て、島津君⋮⋮﹂
やっぱり抵抗はあるらしく、サヨルさんの顔が赤い。これはあま
り指摘しないほうがいいか⋮⋮。
316
﹁わかりました⋮⋮﹂
俺も従うことにした。そんなおかしなところに連れていかれるこ
とはないだろうし。
﹁もうすぐ授業は平常な体制に戻るからね。ハルマ王国のほぼすべ
ての勢力がカコ姫を皇太子として認めたから。もう、国内での争い
の可能性は消えたと言っていいわ﹂
移動中、サヨルさんがそんな話をした。
﹁王様のハルマ24世が生きていたっていうのが大きいでしょうね。
今の王様に逆らうことになると、明確な謀反者になっちゃいますし﹂
﹁そういうことでしょうね。そのために王は死んだふりまでしてた
わけだし⋮⋮やっぱり落ち着かないわね⋮⋮﹂
結局、途中でサヨルさんは手を離した。
﹁あっ、いくらなんでも一見さんじゃないんで、迷ったりせずにつ
いていきますよ⋮⋮﹂
﹁そうね⋮⋮。余計なことだったね⋮⋮﹂
どうも気まずい空気になってるな。というか、サヨルさんが気ま
ずそうなのだ。
﹁島津君の手⋮⋮男っぽくなったね⋮⋮﹂
﹁ありがとう、ございます⋮⋮﹂
全体的に落ち着かないな⋮⋮。
﹁それで、学校も休みがあったし、ちょうどいい機会だから新体制
に移ろうって話になっての﹂
﹁だから、教官助手の俺が呼ばれたってことですね﹂
俺は生徒と教官助手を兼ねてるので立場上教師側の話を聞く立場
にある。かといって、完璧に教える側の立場というわけでもないか
ら事後承諾的に話を聞かされるということだろう。
317
サヨルさんの話ですでに予想はついていたが、案の定、俺は教官
室に連れていかれた。いわゆる、日本における職員室みたいな場所
だ。
長髪の若い男が出迎えてくれた。日本だと絶対に教師に見えない
風貌だが、魔法使いとしてはなんらおかしくはない。教官のヤムサ
ックだ。
﹁わざわざご足労願ってすまない。今は君は剣のほうに力を入れよ
うとしてるみたいだな﹂
﹁話が通るのが早すぎますよ。誰から聞いたんですか?﹂
﹁姫の護衛と会う機会もある。だから、おかしなことはない。こち
らとしてはぜひ、魔法もより一層の研鑽を積んでもらいたいが﹂
﹁もちろんです。まだまだ成長するつもりですからね。空き時間に
は図書館から古い魔道書を引っ張り出してますし﹂
﹁わかった、わかった。まあ、茶でも飲んでくれ﹂
ヤムサックはすでにあたためていたポットからお茶を俺とサヨル
さんのカップに注いだ。
﹁それで話っていうのは何なんですか?﹂
たいした話だとは思ってなかった。ヤムサックもリラックスして
いるし。
しかし、それはちょっと甘すぎた。
﹁島津、お前に授業を担当してもらいたい。つまり、教官助手から
教官に格上げだ﹂
﹁え⋮⋮?﹂
カップを持った手が途中で固まった。
﹁俺がクラスメイトを教えるってことですか?﹂
﹁これまでもそういうことをしていたわけだから、そんなにびっく
318
りするほどのことじゃないだろう﹂
﹁いえ、違うでしょ。教官助手はあくまで手伝いって次元でしたけ
ど、教官ってなるとクラスメイトに堂々と指導するわけで⋮⋮﹂
﹁まさに堂々と指導してやってほしい。それが適任だと思って言っ
ている﹂
ヤムサックとしては突拍子もない意見ではないらしい。
﹁私ももう少し魔法に時間を割きたくてな。今回のクーデターで自
分の未熟さも痛感した。教師の時間を一部もらって、修練に当てた
い。たとえばお前のように無詠唱が得意ではないからな﹂
﹁その心がけはいいと思いますけど、どうして俺なんですか? し
かも現役の生徒が助手じゃなくて教官そのものをやるなんて、前例
あるんですかね?﹂
﹁ない﹂
即答された。
﹁ないが、それだけお前に実力があるということだ。もうお前は要
請学校の授業で習う範囲はすべて学び終えているだろう? むしろ、
生徒と距離が近い分、教えやすいはずだ﹂
むしろ、教えづらいだろ⋮⋮。数か月前までただのクラスメイト
だったんだぞ。今日から教師だと思えって言うわけだから。
﹁あの、剣技の授業はどうしたら?﹂
﹁それはそのまま生徒として受けてくれ﹂
とことん特殊なケースという扱いでいくらしい。
﹁というわけでお願いする﹂
最初から俺に断る権利はないみたいだ。
﹁わかりました。魔法部門の教官拝命いたします﹂
319
これで上月先生との関係が正式に逆転したな⋮⋮。
320
49 先生に先生を学ぶ
もう少し詳しく話を聞くと、全授業を俺がしないといけないとい
うわけではないらしかった。ヤムサックが手伝いに来てくれるもの
もあるし、原則サヨルさんがサポートしてくれるらしい。
あまりに俺が無理そうだったら、再考もしてくれるという。だっ
て、俺、教官としての専門的な教育とか受けてないからな。知識が
あっても教えるのが上手かは謎だ。
﹁その点は問題ないんじゃない? これまでもクラスの子に教えて
たりしてたでしょ?﹂
サヨルさんの中では不安がまったくないらしく、真正面から応援
してくれた。その応援がありがたいような迷惑なような⋮⋮。
﹁だいたい、サヨルさんはこれで納得がいってるんですか?﹂
﹁どういうこと?﹂
あまり具体的に言いたくないけど、言わないと通じないか。 ﹁いや、ほら⋮⋮サヨルさんのほうが先輩じゃないですか⋮⋮。俺
が教官になっていいんですかね?﹂
サヨルさんは笑って、俺の肩を少しだけ強く叩いた。
﹁何を言ってるの! あなたのほうが魔法使いとしてセンスがある
のは明らかじゃない。先輩とか後輩とかそんなこと気にしなくてい
いの!﹂
﹁だったら、よかったです﹂
なにせ、俺はクラスメイトに憎まれて殺されかけた過去があるか
らな。
321
﹁むしろ、気をつかわれた分だけ、腹が立つかな∼﹂
にやっと人の悪い笑みになっているから、これはふざけて言って
いるんだろう。
﹁すいません、これからも腹を立たせると思います﹂
なので、こっちもそれに応酬する。
﹁そうそう。それぐらいのほうがこっちも気楽だし。それに、そも
そも私は教官になるのが夢じゃないから、悔しくもないよ。私の目
的は勉強のほうだから﹂
そうか。ここに在籍している魔法使いがみんな教師を目的にして
るわけじゃないんだ。教官は魔法使いのポストの一つでしかない。
大学教授が大学生に教えたいためだけにやってるわけじゃないよう
なものだ。
﹁ということで、島津、頼むぞ。クラスメイトをしごいてやってく
れ﹂
﹁謹んで拝命いたしますよ﹂
そのあと、部屋でベッドにあおむけになりながら、授業でやる範
囲を読み直した。たしかに自分では問題なく理解している範囲だ。
それ以降の単元も見ても、無詠唱で使いこなせる魔法が並んでいる。
ただ、教えるとなると、また違う技術がいるよな。それでもやる
しかないんだが。どうせ、教えるのが得意かどうかなんてやってみ
ないとわからないことだ。
かがみ
﹁こまめに復習なさってますね。時介さんは生徒の鑑です﹂
アーシアが顔を出した。
宙に浮かんでいるので、ちょうどアーシアと目が合う。
322
﹁いや∼、急遽、教師をやることが決まったんですよ﹂
﹁教師? ああ、クラスの方を教えるんですか?﹂
﹁そうです、教官助手から教官に昇進というか︱︱︱︱あっ、そう
だ!﹂
目の前に教師のベテランがいるじゃないか!
﹁アーシア先生、教師の指導をさせてもらえませんか?﹂
﹁えーっ! そんなこと言われたの初めてです!﹂
そりゃ、レアだろうな。生徒が教師の勉強を指導してくださいな
んて言わないだろう。将来の夢は教師ですっていうのならありえる
だろうけど、生徒がリアルで教師になったので指導してくれという
のはまずないよなあ。
いつもなら、﹁任せてください!﹂と言うアーシアが今日は少し
及び腰だった。表情が困惑気味なのだ。
﹁う、う∼ん⋮⋮どうすればいいんですかね⋮⋮。私、神剣ゼミの
システムに則って、教えることはできるんですよ。それが仕事なの
で。けど、教師としてのあり方となると、よくわからないんですよ
ね。ほら、塾の先生と学校の先生って微妙に役割が違うじゃないで
すか﹂
﹁それは、ありますね﹂
塾というのは成績が最優先だし、極論、成績を上げるためだけに
存在すると言っていい。けど、学校の先生は人間としてもまともな
人間を育てるのが仕事だ。
323
﹁だけど、アーシア先生は学校の先生としても一流だと思いますけ
どね﹂
﹁う∼、褒めすぎですよ⋮⋮。私はそんなに万能じゃないですよ⋮
⋮。それに学校の先生ってマンツーマンじゃなくて、多人数を教え
ますよね。そこでもかなり変わるんですよ⋮⋮﹂
珍しく弱気なアーシア。これはこれでちょっと貴重だぞ。
﹁先生が普段気をつけてることとか教えてもらえればそれでいいで
すから﹂
﹁わかりました。で、では、いきますね。まず、生徒の前では先生
らしく泰然自若とした態度でいましょう
わざとらしくアーシアは胸を張る。
﹁次に、これはあくまでも私のやり方なんですけど、生徒がわから
なくても叱りません。叱られると、かえって萎縮しちゃう生徒もい
るので。何がわからないのか聞きますし、悩みがあれば教えてほし
いと何度もお願いしますね﹂
そのやり方は俺も教育を受けているからよくわかる。
﹁あの、質問です﹂
俺はメモをとりながら、挙手する。
﹁はい、何ですか?﹂
﹁生徒自体にやる気がなくて、全然勉強しないような時はどうした
らいいですかね? ほら、クラスには一人や二人、そういう無気力
な奴もいるじゃないですか﹂
どんな進学校でも、何もしないことが目的になっているような奴
は存在する。最も教師泣かせな存在と言っていい。
それは俺の一番の悩みと言ってよかった。やる気のない奴に教え
ることは簡単なのだ。やる気がない奴をどうやってやる気にさせれ
324
ばいい?
﹁だから、そういう人の対応は実はわからないんですよ∼!﹂
アーシアはお手上げとばかりに天を仰ぎ見た。
﹁先生でも無理なんですか? だったら、もう対処法はないな﹂
﹁私はマンツーマンの教え方に特化してるから打開策が作りやすい
んです。その子に寄り添うことができますからね。多人数教育だと、
落ちこぼれ系の子に焦点を合わせるのが難しいから、どうしてもこ
ぼれ落ちてしまうことがあるはずなんですよ﹂
﹁なるほど。言われてみればそのとおりかも﹂
どんな名物教師でも生徒を十割まともに育てるというのはきつい
だろう。
﹁もし、私が時介さんのようにクラス全員を教えることになったら、
できるだけ不公平のないことを心がけつつ、自分がわかりやすいと
思う授業をするだけですね。それで一部の人がついてこれないだけ
なら、補習などで対応してそのまま進むと思います﹂
﹁ありがとうございます。気が楽になりました﹂
八割が納得する授業でいいんだ。百点満点しか許されない先生な
んて続くわけがない。
﹁よかった⋮⋮。私もそう言ってもらえて、ほっとしましたよ⋮⋮﹂
今日のアーシアはやけに等身大に見える。
もしかすると、俺がアーシアと同じ教育者というものになるから
だろうか。
それから先も俺はアーシアにいくつも心構えを聞いた。多分、こ
れでなんとかなるだろう。八割が合格ラインなら道はある。
325
50 教師初授業︵前書き︶
50話到達しました! ありがとうございます!
326
50 教師初授業
そして、授業再開の日になった。
俺はヤムサックが入ってくる前の時間はごく普通に生徒として席
に座っていた。といっても、だらだらしてるわけではなくて、高砂
理奈がいくつも質問に来てたが。
上月先生ほどじゃないけど、理奈もかなり熱心に魔法を勉強して
いる側の一人だ。深くは聞いていないけど、魔法が使えないとこの
異世界では生きていけないと感覚的に気づいているんだと思う。
この地でニートとして生きるという道はほぼない。それで、靴作
りだとか鍛冶だとか特殊な技術がないなら、魔法を覚えこんでいく
ほうがいい。地頭というんだろうか、そういう部分で賢い生徒は生
き抜くための技術を学ぼうとする。
﹁あっ! そうか! ほんとに島津先生の教え方ってわかりやすい
!﹂
その理奈の言葉にどきりとした。今は半分冗談みたいなもので言
ってるんだろうけど、これがもうすぐ事実になる。自分もその事実
に慣れないといけない。
ヤムサックが入ってきて、談笑していた生徒も前を向く。
﹁みんな、久しぶりだな。ちゃんと復習をやっていたか? それを
やってたかどうかで、差が出るぞ﹂
おそらく、大半の奴は遊んでただろうな。自分が戦場に出るだな
んて意識はまだ薄いと思う。俺みたいにクーデターに直接巻きこま
327
れたような人間にしかこれはわからないだろう。
﹁それと、今日から授業の方針を変更したいと思う。島津、前に来
い﹂
俺はゆっくりと立ち上がって、できるだけ姿勢を保って教壇のほ
うに出た。自然と視線が俺に集中する。
﹁今後、魔法の座学と実習については島津に担当してもらう。教官
助手から正式な教官になったということだ﹂
教室がかなりざわつく。
﹁え、マジ?﹂﹁ついに教官なんだ﹂﹁才能ありすぎだろ﹂そんな
声がいくつも響いていくなかで、﹁お姫様、助けたらしいよ。今は
貴族なんだって﹂とかなり詳しい話までしている生徒がいる。
おかしいな⋮⋮。そんなこと言ってまわった記憶なんてないのに
⋮⋮。どんだけ噂って広まるのが早いんだ⋮⋮。
﹁みんな、静かに。ちなみに、島津がカコ姫様の側として戦ったの
は本当だ。姫からその活躍を賞讃されている。みんなもそのような
貢献ができるように努力してくれ﹂
ヤムサックは隠したりせずにすべて伝えるスタンスらしい。伝説
みたいに尾びれがついていくよりは最初に何があったか言ってもら
ったほうがいいかな。悪いことをしたわけじゃないんだし。
﹁それと、貴族というのも間違ってはいない。郊外の村二つを治め
る子爵という扱いになっている。なので、本来は敬語で話したほう
がいいのかもしれないが︱︱島津は嫌だろう?﹂
﹁当たり前です。こっちの生活は何も変わってないんだから、どう
でもいいですよ⋮⋮﹂
328
ヤムサックも子爵ぐらいの地位は持ってるのかと思ったけど、教
官と爵位は直接は関係ないらしい。
﹁では、島津、お前からもあいさつしろ﹂
﹁ええと⋮⋮教官になった島津です。といっても、剣技の授業は生
徒として参加しますし、先生扱いはしてもらわなくてけっこうです。
むしろ、恥ずかしいんで、そのままクラスメイト扱いでお願いしま
す⋮⋮。よろしく⋮⋮﹂
教壇のほうからクラスメイトの顔を見るのって落ち着かないな。
いずれ慣れてくるのかもしれないけど、まだダメだ。
そのまま、俺は授業に入ることになった。何をやるかは事前にヤ
ムサックから話を受けている。ちゃんと復習してない奴も多いだろ
うし、ざっと総復習に入る。
﹁俺の授業方針ですけど、ちょっとだけ難しいぐらいのを目指して
やります。その分、そこについていけば報われるようなものになる
かなと思ってます。わからないところはどんどん質問してきてくだ
さい﹂
塾っぽい進み方をやりつつ、こまめに振り返る形で。
ひとまず、これでやってみよう。問題があるならまたそこで試行
錯誤すればいい。
﹁この補助系魔法の詠唱は覚えてますか? はい、長田君﹂
﹁ええと⋮⋮それは⋮⋮わかりません⋮⋮すいません﹂
だろうな。自信なさそうな顔してたもんな。
﹁それだと、こっちは?﹂
開いた教科書の魔法名を指差して、それをすぐに閉じた。
﹁すいません、それもわかりません⋮⋮﹂
329
﹁はっきり言うけど、このあたりの防御に関するものを覚えておか
ないと、本当にいざという時身を守れずに死にますよ﹂
長田の顔が青ざめた。
こう言えば効き目はあるらしい。
﹁俺は戦場に出る破目になったから、そこで何が必要かもある程度
わかる。生き残るために必要なものを教えていくから、真剣につい
てきてほしい。もちろんやるかどうか決めるのはそっちですけどね﹂
少し長田の目が変わった。やる気になってくれたらしい。
そのあともとにかく生徒に問題を出して、休む暇がないようにす
ることにした。授業でやったことをクリアできれば、身を守れるぐ
らいにはしておきたい。
授業では好成績だけど、戦場だとすぐに死んだ︱︱というのが一
番バカらしくてみじめだ。授業についてこれば、それで一人前に近
い状態になるようにしたい。
俺は教師用に作ったノートに各生徒の課題を書く。
クラス全体の底上げをやれる範囲でやってみる。アーシアがやっ
ていたようなマンツーマン教育は無理だけど、それぞれの到達具合
を確認するぐらいはやれる。それがわかれば、次に何をやらせれば
成長できるかも判断ができる。
﹁じゃあ、神埼さんはこの部分の詠唱は全部覚えてきてください。
次、授業でやらせますから﹂
﹁え∼、それ、しんどくない?﹂
神埼千夏はあまり勉強熱心なタイプじゃない。見た目はけっこう
330
遊んでいるように見える。異世界でどう遊ぶのか謎だけど。
宿題出されたら普通はは嫌だから、そう思うこと自体はしょうが
ない。これがもし、ただの授業ならその発想でいい。
﹁あえて、やらないっていうなら止めないけど、戦場で死んでも責
任は持てないですよ﹂
﹁それって、おおげさじゃない?﹂
﹁判断は神崎さんに任せます。俺は課題出す。だけど、強制はしな
い﹂
もっと、幼児なら罰を与えて教育することもできるだろうけど、
自分たちはそういう歳じゃないし、強引に教えていって、恨まれる
のは嫌だ。なので、伸ばすための課題は出すが無理矢理やらせはし
ないという落としどころにする。
初日の授業はだいたい終わった。
各生徒の進み具合は把握できたと思う。あとは個別にやるべき課
題を出していくだけだ。
アーシアも俺を強制的にやらせたりはまったくしなかった。そこ
までやる権利はアーシアにはなかったし、多分俺にもない。
どうか、みんな自主的にやる気になってくれよ。
331
50 教師初授業︵後書き︶
50話に到達したので、少しペースを遅くしますが、しっかり書い
ていきます!
332
51 教育者と成功
その日の授業が終わったあと、昼食のために教官室に戻った。
教官の立場だと、教官室に食事を届けてもらえるサービスがある。
これまでは食堂で食べていたけど、システムを変えた。生徒の立場
になったクラスメイトと食事まで顔を合わせるのは、微妙にしんど
い。
﹁お疲れ様でした。なかなか大変だったみたいね﹂
にやにやとサヨルさんが笑いながら話しかけてくる。ちょうど隣
の席だ。
﹁何歳か下とかならいいですけど、タメの元クラスメイトですよ。
やりづらすぎますよ﹂
﹁そのうち慣れてくるって。ずっと初回みたいに緊張してたら長く
やっていけないし﹂
﹁そうなることを祈ってます﹂
食事はスクランブルエッグに野菜を油で炒めたもの、それとごわ
ごわしたパンだ。健康にはそこそこいいと思う。
教官助手とはいえ、先輩のサヨルさんと肩を並べているとリラッ
クスできる。
ただ、あまりくつろいでいる時間はなかった。
﹁島津先生、教えてほしいところがあるんですけど﹂
曽根啓太が教えを請いにやってきた。たしか、元野球部で学校の
成績も悪くなかったはずだ。今もこつこつ魔法の知識を積み重ねて
333
る。
﹁じゃあ、そこの椅子に座ってください。どこがわからないですか
?﹂
あかほ
曽根に教え終わったと思ったら、また別の生徒二人が来た。よく
教えてもらいに来る高砂理奈とその理奈と仲がいい一宮朱穂だ。
﹁つまり、こういうことだけど、理解できた?﹂
﹁先生、やっぱりわかりやすいよ! 完璧にわかっちゃった!﹂﹁
また、先生のところ来ます!﹂
やたらと褒めてもらえたので、説明には成功したんだろう。
そのあとも、三人、わからないところを聞きに来た。
これ、かなりハードワークだな⋮⋮。この状態で空き時間に魔法
と剣技の修練に時間を使うのか⋮⋮。だらだらしてると、すぐに時
間がなくなるぞ⋮⋮。
﹁大変でしょ? そうよ、本格的に教官になるとこういうことにな
るの﹂
また、サヨルさんがおちょくってきた。
﹁教官助手のサヨルさんにこのつらさはわからないですよ﹂
﹁あー! その言い方はひどいんじゃない!﹂
やられたので、やり返した。
魔法の実習に関してはサヨルさんとヤムサックに担当をしてもら
うことにした。
でないと、空き時間がなくなる。まだ、魔法は奥が深い。概念魔
法というはるかにハードルの高いものもある。敵がそんなもので攻
めてきた場合、応戦できないというのでは話にならない。
334
具体的に言うと、図書館にこもって魔法に関する文献を読みあさ
っていた。それと戦争について記した本だ。実戦で何が行われたか
を知る必要がある。
﹁思った以上に、剣士とセットで動いてるな⋮⋮﹂
冷静に考えればそうだ。剣士は接近戦、魔法使いは遠距離の攻撃
が得意だ。ならば、魔法使いを剣士が守るような布陣になってもお
かしくはない。
これはかなりタメになるな。戦争に関する本は軍事機密扱いで部
屋に持ち込めないものもあるが、できるだけ読み込んでおこう。レ
ベルアップに絶対に必要だ。
﹁魔法剣士が戦力として素晴らしい意味もわかってきた﹂
肩肘をつきながら、つぶやいた。
自分で自分の身を守りつつ、攻撃魔法を放つことができれば、一
個人が与える脅威は増大する。魔法剣士数人で敵の大軍を封じるこ
ともできる。その中から英雄が出てくることも道理だ。
﹁当分は、このまま魔法の教官をしながら、剣技では生徒をやるっ
ていう二重生活になるな﹂
その日も、イマージュと稽古をつけてもらって、アーシアの下で
大股で走った。
今日は半トーネルぐらいは走れた。つまり、五百メートルぐらい
だ。少しずつだけど、体力はついてきたと思う。とはいえ、やっぱ
り息が切れて芝生に倒れこんでいるので、あまりかっこよくはない。
﹁おお! だんだんと足腰が鍛えられてきてますね!﹂
335
わかってることだけど、アーシアは今日も褒めてくれる。この褒
めて伸ばすやり方は自分が教える時も絶対に実行しよう。よほどの
へそ曲がりじゃない限り、褒められてうれしくない奴はいないしな。
﹁足腰以上に、体が大股の運動に慣れてきた気がします。ようは、
こういう走り方が普通になるかどうかの問題なんじゃないかと﹂
アーシアがまさにご満悦といった表情に変わった。
﹁いや∼、教育者冥利に尽きますね∼。時介さん、無意識のうちに
わかってるじゃないですか。このまま続けてくださいね。きっと、
ある時、この走り込みの成果を感じるようになりますよ!﹂
﹁アーシア先生、けっこう盛ってきますね。それで、しょぼい成果
だったら俺も納得しませんよ﹂
﹁大丈夫ですよ。時介さんは私が想像する以上にいっつも進化して
きますから﹂
よかったところを探すの、上手い人だな。俺もこれぐらい、クラ
スメイトを褒めたら慕われるだろうな。
﹁ちなみに時介さん、授業第一回目はどんな感じでやったんですか
? これは純粋な私の興味です﹂
アーシアが仰向けになっている俺の顔をのぞきこんでくる。
﹁課題を一人ずつに与えて、それをクリアしていけば、ちゃんと成
長できるって教育方法にしました。その分、全体に教える時間は圧
縮します。一種の個別指導方式です﹂
﹁それはまた学校らしくないやり方にしましたね﹂
﹁広く浅くだと、サボる奴が増えるんで。でも、サボってばかりい
て、そのまま戦場に投げ出されるっていうのは可哀想だなって﹂
なるほどというふうにアーシアはこくこくうなずいている。
﹁新しいチャレンジですね。私は応援しますよ!﹂
﹁はい。どうせ、教育に成功なんて概念があるかもわからないし、
336
やるだけやってみます﹂
﹁おっ、﹃教育に成功なんて概念があるかはわからない﹄ですか。
これは名言ですよ! その通りです。少なくとも教育に完成なんて
ものはないですからね﹂
教官初日からやたらと評価されて、やる気になった。
翌日。二度目の授業。
俺は出した課題がちゃんとやれてるか、生徒を見て回った。
大半の生徒はちゃんと課題をやっていたが、中には明らかにサボ
ってたり、詠唱をやってみろと言われて全然できない奴もいた。惜
しいならともかく、全然できないってことは教科書を開きすらして
ない可能性が高い。
﹁神崎さん、出した課題やってないよね﹂
やる気なさそうな顔をしていた生徒はやっぱりやってない。
﹁忘れてました。すいませーん﹂
﹁じゃあ、今日はやってきてくださいね。いい?﹂
﹁はーい﹂
多分やってこないだろうけど、別に怒りはしない。怒ってやむな
くやるようなことだと、長続きしないし。
337
52 完走できた
ちなみに神埼千夏は三度目の授業でも課題をやってこなかった。
﹁忙しかったんです、すいませーん﹂
語尾伸ばしてしゃべるなよと思ったけど、それはどっちでもいい
や。
﹁じゃあ、次は必ず出してね﹂
﹁先生、怒らないんですね﹂
神埼がこいつ、怖くないんだなという顔をした。ある意味では舐
められているわけだけど、とくに腹は立たない。
﹁俺が神埼さんの親だったら怒るかもしれないけど、最終的に自分
の人生をどうするか決めるのは神埼さんだからね。俺には怒る権利
がない﹂
神埼はまだよくわからないというような顔をしていた。
﹁たとえば、もし、神崎さんが魔法以外の能力で生きていくつもり
で、それで問題ないんだとしたら、それでいいんだ。魔法は生きて
いくうえでの手段の一つにすぎないから﹂
﹁とにかく、先生がいい人っていうことはわかりましたー﹂
俺としては生徒に憎まれるよりはマシだなと思って、次の生徒の
課題点検に移った。
三度、四度と授業をやっていくうちになんとなくつかめてきた。
やる奴はやるし、やらない奴はとことんやらない。課題をこっち
が出しても、提出しない。たまに提出したとしても、見てすぐに何
か丸写ししたんだと気づく。多分、全然覚えてない。
338
教官室に戻った時にサヨルさんにそのことを話した。愚痴という
調子ではなく、単純な報告だ。
﹁あ∼、いつの時期もそうなんだよね。私も異世界出身だけど、私
の時の代もそんな感じだったし﹂
﹁やっぱり、そういう形になりますか﹂
これは集団のシステムなんだろうな。やる気のある奴もいるし、
やる気のない奴も出てくる。もちろん、罰則が怖ければ最低限のこ
とはやるだろうけど、あくまで最低限のことだ。
そして、強い罰則を与えるルールは今のところ、国にはない。
そんなことをしても、おそらく中途半端な知識しか身につかない
し、それでは軍人としては役に立たないので、強引にやらせるよう
なことはしないのだろう。
それにハルマ王国側からすると、一方的に人間を呼び出したとい
う弱味があるので、強く出れない部分もあると思う。
﹁しょうがないよね。だって、好きでこの世界に来たわけじゃない
し、好きで魔法を勉強してるわけでもないし。無気力になっちゃう
人も出るよ﹂
﹁ですね。ちなみにですけど、サヨルさんの代でやる気なかった人
は今、どうしてますか?﹂
﹁よくわからない。だって、学校の人間が卒業後どうしてるかなん
て、チェックしてないでしょ?﹂
﹁正論ですね⋮⋮﹂
中学卒業した奴がどこの高校に行ってどうしてるかなんて、細か
く調べたりなんてしないな⋮⋮。
﹁町でどうにか暮らしてるのが大半なんじゃないかな。女子ならそ
339
のまま結婚したケースもあったと思うし、そこから先はわからない
な⋮⋮。実力もないのに、軍人にしちゃっても、戦死することが多
いみたいだし﹂
﹁その人が生きたいようにやらせるってことですね﹂
﹁そもそも、全員を幸せにする教育なんてないしね。教師は生徒に
寄り添うことはできるけど、寄り添うだけだよ。最後にどうするか
は生徒が決めるしかない﹂
サヨルさんのスタンスはだいたい俺のスタンスと同じだった。
あらゆる人間に対応した教育っていうのは世の中に存在しない。
だから、どこを対象にしてもそこからはずれる人間が出てくる。
それをできうるだけカバーするために、個人に課題を出していく
通信教育寄りのやり方を導入したわけだ。一定の実績を上げられそ
うだとは思うけど、それにしてもやらない奴もズルをする奴も出て
くる。でも、それは不可抗力みたいなものだ。
あと、あんまり勉強勉強って言うと、生徒から嫌がられるしな⋮
⋮。俺は生徒でもあるので、そこから離れすぎるようなことはした
くない。
剣剣の練習はやっぱりまだまだこれからで、課題が多い。イマー
ジュと稽古をつけてもらっているけど、あれはレベルが高すぎて、
まだ活用できていない。
﹁やっぱり、文武両道っていうのは難しいんだな﹂﹁逆に安心する
よ。全部、島津君が完璧だったら自信喪失するし﹂
そんな声をよくかけられる。現状、模擬戦だと、まだ中の下って
ところだ。
340
ただ、アーシアいわく、まったく気にしていなかった。もともと
アーシアは滅多に不安な顔にならないというのもあるけど。
﹁なるほど∼。剣は真ん中より下ぐらいということですね。今はそ
んなところでいいですよ。焦る必要はまったくないです。走るのも
得意になってきていますし﹂
﹁俺が教師になってから二か月後に、一度、模擬戦をトーナメント
形式でやるんですよ。それで一回戦負けっていうのは恥ずかしいな
⋮⋮。期間は残り四十五日ぐらいですね﹂
本音を言えばそこまでにはもうちょっと強くなっておきたい。
﹁そうですね、それだけあればどうにかなってると思いますよ。と
にかく私の神剣ゼミのほうでは走ってもらいます。そこはまだ変わ
りません。早く一トーネル走れるようになってくださいね。ミス三
回以下ならご褒美もあげますからね!﹂
﹁じゃあ、それを目当てに頑張ります﹂
その日も、そこから演習場に出て、アーシアの出した円の中に足
を置いていって、走った。
全体の七割ぐらい走ったところで力尽きた。
﹁まだまだきついな⋮⋮﹂
﹁むしろ、これだけ走れたってことは、もうゴールが近いってこと
ですよ。あと三分の一ほどです!﹂
プラス思考すぎるだろうという気もしたけど、完走という目標だ
けならクリアできそうだ。
その日は思った以上に近かった。
三日目には俺は一トーネルを走り切った。最後のほうは足がふら
ついたが、どうにか乗り切った。途中からアーシアの﹁残り一割で
す!﹂という声が飛んできたのだ。そこまで来て諦めてたまるか。
341
﹁ゴールです!﹂という声とともに膝から崩れてしまったけど。
﹁どうです? これで剣士として強くなれてますか⋮⋮?﹂
円の外に出る回数は七回だったけど、この調子なら完全合格でご
褒美をもらえる日も近そうだ。
﹁もちろんですよ! 今の感覚を忘れないように、剣の練習をしま
しょう﹂
アーシアが木剣を渡してきた。
﹁今の感覚って、走った感覚ですか?﹂
﹁ですよ﹂
まだ、よくわからないまま、俺は剣の練習をした。
体力はないから、すぐに力尽きた。
これ、強くなってるのかな⋮⋮?
342
53 アーシアの特訓の意味
アーシアにやっと剣を渡してもらいはしたものの、走った直後で
はまともに練習できなかった。それに、練習といっても素振りだけ
だし、あまりどう変わったのかよくわからない。
大股走りに体力がついた以上のどんな効果があったんだろうと思
いながら、俺はまたイマージュに稽古を申し込んだ。
﹁島津のやる気だけは買うぞ。腕はまだまだだけどな﹂
﹁それが事実っていうのがつらいな﹂
﹁気に病むことはない。このまま私と特訓を続ければ、タクラジュ
を倒せる程度にはすぐに強くなる﹂
相変わらず、ライバル意識の強い姉妹だ。
練習場所は皇太子別邸の裏庭だ。現在、姫はこちらで政務をとっ
ているので、イマージュとタクラジュもここに詰めている。
その日は、学校の授業が魔法実習だった時に抜け出したのだが、
ちょうど姫とタクラジュも時間があったらしく、見学に出てきた。
﹁島津さん、拝見させていただきますね﹂
﹁イマージュ程度にはそろそろ勝てんとダメだぞ﹂
うわ、これでまた手も足も出ないのは恥ずかしいな⋮⋮。
﹁行くぞ。私がどう動くか見抜ければ防げる!﹂
イマージュはいつのまにやら俺に接近して、一太刀浴びせてくる。
魔法など何も使ってないらしいので、物理的に止められるはずな
343
のだが、まだその動きが理解できてないというのが現状だ。
いいかげん、止めるぐらいのことはできないとな。単純に、そん
なに何度も木剣でも叩かれたくない。
﹁参る!﹂
イマージュが突っこんでくる。
しかし︱︱その時はなぜかイマージュの動きがはっきり見えた。
それに合わせて、剣を出す。
ちゃんと剣と剣がぶつかって、イマージュが距離を置く。
初めて、まともに防げた!
﹁やった。ちょっとは進歩してる⋮⋮
﹁ほう、コツをつかめたか? それともマグレか? ︱︱参る!﹂
再び、イマージュが距離を詰める。
また剣を出す。
イマージュの剣を止める。
まだイマージュの勢いが強いから、一歩押しこまれたが、防げた
ことは防げた。
﹁やはり、前より動きが見えているようだな。やっと殻を破ったか﹂
イマージュも満足そうな顔をしている。師として弟子の成長が見
えたってところか。
だけど、なんでイマージュの攻撃がわかるようになったんだろう?
ただの慣れか? そりゃ、そういうこともあるだろうけど、もっ
と質的な変化があった気がする。
344
次はもう少し、イマージュの動きを意識してみよう。
﹁このままどんどん行くぞ!﹂
イマージュは途中まではごく普通に走りこんでくる。
そして、打ちかかる直前に︱︱︱︱大きな一歩で飛ぶように前に
出る。
その一撃もとっさに木剣を出して、またこらえた。
﹁今のはギリギリだが、これまでと比べれば確実に成長してるな。
いいぞ、島津!﹂
俺はほとんどイマージュの声は聞こえていなかった。
もっと大きな秘密に気付いたからだ。
﹁そうか⋮⋮わかった⋮⋮。なんで最初はイマージュが消えたよう
に感じたのかも、全部、全部⋮⋮﹂
大股で瞬間的に距離を詰める。それによって敵の間合いを破壊し
て一気に斬りつける、イマージュのやっていたことはそれだ。
そして、この大股移動を俺はアーシアにずっとやらされてた!
﹁俺はずっと剣をどう振るかとかばっかり考えてた⋮⋮。でも、そ
れよりもまずは体をどう持っていくかが大事なんだ⋮⋮。じっと止
まって戦うことなんてありえないんだから⋮⋮。相手の間合いに入
れないと剣は絶対に当たらない⋮⋮﹂
﹁おっ、何か悟ったようだな。殻をぶっ壊したか﹂
イマージュも面白そうに俺のことを見ている。
345
アーシアはまず、体が剣技に合うように動かせるようにあんな練
習をさせたんだ。そっちのほうがはるかに早く効果が出るから。
﹁イマージュ、俺からも打ち込んでいいか?﹂
﹁当然だ。どんどん挑んでこい﹂
俺は大股を意識して、イマージュに打ちかかる。
﹁うわっ! 速い!﹂
イマージュにはじかれはしたが、驚嘆のような声がその口から漏
れた。
﹁今のでいいぞ、島津! 今のを繰り返せ! これまでのお前が冗
談に感じるぐらい進歩している!﹂
﹁わかった! このままやる!﹂
近づくまでは小股でいい。攻めると決めたら、大股で飛ぶように
接近して剣を振り下ろす。
間合いから離れる時もできる限り、大股で戻る。中途半端な位置
にいるのは愚かだ。
大股移動に習熟すれば、どっちみちすぐに攻めの間合いに入れる。
かなり大きな動きのはずなのに息もあまり切れない。
そりゃ、かなり走ったもんな。一トーネル走ったのと比べれば、
こんな移動距離、たかが知れている。走り込みの効果がここで出て
るんだ。
﹁今日のお前は剣士の顔をしているぞ! よし、私ももう少し気合
を入れてやってやろう!﹂
また一気にイマージュが近づく。すぐに一撃!
これは食い止める。
だが、すぐさまイマージュが次の攻撃を繰り出す。
346
さらにどうにか防ぐ。
体が自然に動いている。敵の行動のカラクリがわかったことで、
判断がすぐにできる。
三発目、四発目。しっかり止める。
﹁おい、イマージュ! 何回打ち込んでいるんだ! これで島津に
負けたら姫様の護衛はクビだぞ!﹂
外野のタクラジュがヤジを飛ばした。
﹁そ、それが、思った以上に島津は体が動いてるんだ!﹂
結局、十数回、イマージュの剣を防御しきった。
もっとも、こっちから攻撃に出る余裕もなかったわけだし、腕に
割と強い一撃を受けたので、自慢できることは何もないのだけど⋮
⋮これまでと比べれば三段階ぐらい進歩したと思う。
﹁今日はこのあたりまでだな﹂
イマージュが終わりを宣言した。
﹁お前、本当に島津か? 魔法で強化でもしたんじゃないだろうな
?﹂
﹁この時間以外にも特訓はしてるからな。それのたまものだ﹂
﹁だとしたら、実に有意義な特訓だな。これから先も続けるといい﹂
やめろと言われてもやるさ。素振りしかしてなかったら、ここま
でイマージュと張り合うところまで絶対に来られなかっただろう。
汗が少し垂れてきた。こういうのって、運動を止めると、途端に
噴き出てくるんだよな。
﹁あら、島津さん、汗ですよ﹂
いつのまにか、姫が近づいてきて、俺の額にハンカチを当ててく
347
れていた。
姫の顔がすごく近くて⋮⋮その⋮⋮照れる。
﹁姫⋮⋮ハンカチが汚れますから、いいです⋮⋮﹂
﹁ハンカチはこういう用途のものだからいいんです。今日はよく頑
張りましたね、島津さん﹂
にこやかに微笑まれて、俺のやる気がさらに増した。
﹁いつか剣士としてもわたくしを守ってくださる日が来ることを楽
しみにしています﹂
そうだな、立派な魔法剣士にならないとな。
348
54 剣士の弟子
その日、大股で一トーネル走ったあとにアーシアに成果を話した。
今日は走ったあとに倒れたりまではしなかったので、体力面でも
ついてきたらしい。ようは体が慣れるかどうかだな。
﹁あの大股って、剣で踏み込む時の土台になってたんですね。イマ
ージュと戦ってる時にわかりました﹂
﹁ついに見つけましたか。私が思っていたより、全然早いペースで
すよ﹂
アーシアは俺の頭に手を置いて、撫でてくれる。
だけど、その手がこれまでよりちょっと上がっている気がした。
俺の背が前より伸びて、アーシアより上になってるせいだ。
﹁これを繰り返せば、剣士としての攻撃力が増すってことですね﹂
﹁そういうことです﹂
﹁いくら、剣技のほうが完璧でも、足腰がボロボロでまともに歩く
こともできないんじゃ戦えませんよね。逆に、剣技が無茶苦茶でも
相手のふところに踏み込んでしまえれば、あとは一撃を決めるだけ
です。瞬発的な運動能力があれば、剣士としていいところに行けま
すよ﹂
これ、キスしようと思えばキスできる距離だよなと思ったけど、
それは先生にするべきことじゃないから、自重した。
それで恥ずかしいからもう授業ができませんと言われても困るし。
﹁もう、走るのはこれぐらいにしてもいいかもしれませんが、厳密
にはこの大股走りで合格を出してませんし、そこまではやりましょ
349
うか﹂
﹁はい。不合格のままっていうのも負けた気がして嫌だし﹂
直後にまた一トーネル走るのは無理だから、そこからは剣を走り
ながら振るう練習をした。止まって素振りをやるんじゃなくて、勢
いの中で剣を叩き込む。
﹁ぴたっと静止した状態での剣は威力ももちろん低下します。型を
覚えるのには意味がありますが、実戦練習には実はあまり意味があ
りません。立ち止まったまま敵を攻撃することなんてないからです﹂
﹁それって、学校の授業を全否定してるような⋮⋮﹂
学校はずいぶん素振りをさせてたぞ。最初から素人が真剣で斬り
合うわけにもいかないだろうけど。
﹁それはしょうがないんですよ。師匠と弟子の一対一の関係じゃな
くて学校ですから﹂
俺が教官になったからなのか、今のアーシアと俺の関係は昔のそ
れとどこか違う気がした。たまにアーシアが同業者に向けて話すよ
うな言葉になる。
﹁全員にひとまず最低限のことを教えていこうとすると、素振りを
しろということになっちゃうんです。そして、とりあずの点数をつ
けて、伸びそうな人には君は素質があると言って、重点的にやらせ
る。それが学校のやり方ですね﹂
﹁つまり、一次選考みたいなものってことですか﹂
剣士に向いてるかどうか、おおざっぱなふるいにかける作業。
そんなことを考えながら、俺は踏み込んで斬るという動作を続け
ている。
勢いがつけば剣の威力は格段に上がる。
350
﹁そんなところですね。だから、今の授業はあまり真面目にやらな
くてもいいです﹂
﹁えっ⋮⋮。先生、それを言っちゃいますか⋮⋮﹂
学校の授業は適当でいい︱︱全国の塾の先生が言いたい言葉だと
思う。
﹁少なくとも、剣士になるためにはもっと意味のある練習法があり
ます。模擬戦などはたくさんやったほうがいいですけどね﹂
冷静に考えれば、弛緩した授業の空気で木剣を振るよりは、師匠
と練習を繰り返したほうが成長するに決まってるよな。
それを学校ができないのは教官の人数がそこに達してないから、
すべての生徒がそれだけの覚悟を持っているわけじゃないから。
たとえば俺が教えているのが﹁魔法使いになりたいから弟子にし
てください!﹂と言ってきたような奴だけだったら、もっと厳しく
教えることもできるし、相手だってもっとやる気になってるはずだ。
けど、学校は基礎的なことを全員にひとまず教えておく場だ。プ
ロフェッショナルを育てる場じゃない。
俺はプロに︱︱戦場で生き残れる魔法剣士になりたいわけだから、
それ相応のことをしないといけないんだ。
﹁授業を出なくていいかどうかはヤムサックに聞いてみます。絶対、
許可が出るでしょうけど﹂
ヤムサックとしたら、俺が魔法使いになるものと信じてるだろう
から、剣技の時間を休むと言ったって、それが問題だとは感じない
だろう。出席しないと卒業資格が与えられないわけでもないんだ。
351
﹁はい、今の時介さんなら個別の師匠がついてもいい頃合いだと思
いますよ。それで模擬戦だけ出て、好成績をとるのもなかなか趣向
としては面白いんじゃないですか?﹂
悪だくみのような笑みを浮かべてアーシアは言った。
﹁先生、それ、なかなか意地の悪い作戦ですね。でも、面白いです﹂
だったら、なおさらちゃんとした師匠を作らないとな。
●
俺は空いている時間に、イマージュの元を訪ねた。
俺と顔を合わせたイマージュ、それとタクラジュはすぐにいつも
と違うと感じ取ったらしい。相手の目でこっちもそれがわかる。
とくに変なことをしたわけじゃない。
それなりの決意でイマージュと会っただけだ。
﹁何か言わないといけないことがある、そんな表情だな﹂
俺は少しだけうなずいてから︱︱
﹁イマージュ、俺を正式に弟子にしてください! 授業みたいなペ
ースじゃなくて、もっともっと早く俺は強くなりたい!﹂
これまでの俺は、友達感覚でイマージュに稽古をつけてもらって
いた。
多分、それはイマージュも感じていただろう。不真面目にやって
たわけじゃないけど、それでも、どこかに甘えがあった。
強くなるためというより、このままではダメだからという焦りで
イマージュのところに来ていた。
しばらく、無言で向き合った後、
352
﹁わかった﹂
イマージュは笑みも作らずに了承した。
﹁ただし、強くなりたいというその希望は変えろ﹂
﹁えっ?﹂
﹁勝ちたい︱︱これに変えろ。漠然と強くなることを願っている間
はいつまでも強くもなれん﹂
目的は具体化しろ。
これって神剣ゼミで俺がアーシアから習ったことだ。
﹁はい! 勝つための技術を学ばせてください!﹂
俺は剣士の弟子になった。
353
55 師匠との稽古
イマージュとの稽古は俺が弟子になった瞬間から、途端に厳しく
なった。
﹁腋が甘い! そんなことじゃ、付け込まれる!﹂
﹁はい! わかりました!﹂
﹁あごをもう少し引け! 本番ではそこに刃物がやってくるぞ! 視線も泳ぎやすくなる!﹂
﹁はい! 気をつけます!﹂
弟子になった以上、タメ口なのはおかしいので、言葉も敬語にす
るようにした。タクラジュは﹁あんなのに敬意を表する意味はない﹂
と言っていたが、そういうわけにもいかないだろう。
﹁剣は基礎はできているが、基礎の基礎しかできていないな。学校
での教育はこれぐらいしかやらんのか﹂
イマージュは俺というよりは、学校のほうに不安を抱いていた。
まともな剣士からすると、すごく生ぬるく見えるんだろう。多分、
学生の職業体験みたいなレベルなんだと思う。
﹁信じられないかもしれないが、こんなものなんです。もちろん、
その中でも成績のいい奴が剣士になるわけだから、剣士まで進む奴
はもっと使えると思いますけど﹂
﹁それにしても初歩の初歩すぎる。そりゃ、農民の徴発兵ぐらいな
ら勝てるかもしれんが、まともな職業軍人が来たら、即座に斬り殺
されるぞ⋮⋮﹂
354
やはり、イマージュは実戦を前提にして考えている。
﹁基礎はできていることにする。さて、お前の剣で根本的に欠けて
いるものがあるが、それが何かわかるか?﹂
﹁経験とか、ですか?﹂
﹁そういう抽象的なものではない。﹃型﹄だ﹂
ずばっとイマージュは言った。
﹁いいか? 剣というのはやみくもに相手のもろそうなところをそ
の都度考えて狙うだけのものではない。素人なら、そういうことぐ
らいしか考えられんかもしれないが、実際には高度に体系化されて
いるのだ﹂
遠くで腕組みしているタクラジュがうなずいているので、ここは
姉妹の共通見解らしい。
﹁どういうものか見せたほうがわかりやすいだろう。﹃雷の運び屋﹄
流第五の型!﹂
そう言うとタクラジュはすぐさま流れるように剣を振っていった。
シュッ! シュシュッ! シャッ!
剣を振ると当然体が動くが、その動きを利用して次の動作に入る、
また素早く剣を薙ぐ。そこで生まれた動きがまた次につながる。文
字通り、流れているように一連の動作が見えた。
最後に下から斬りあげるように斜め上に剣を振るって、イマージ
ュは剣を鞘に収めた。
﹁おおっ⋮⋮!﹂
思わず、俺は拍手をしてしまった。たしかに学校での剣技の時間
355
とは質的に異なっている。というか、こんなことをやれる敵が出て
きたら、生徒は殺されるしかないな⋮⋮。
﹁弟子なのだから別に拍手はせんでいい﹂
﹁でも、イマージュはまんざらでもなさそうだぞ﹂とタクラジュが
笑いながら言った。
﹁余計なことを言うな!﹂
恥ずかしいのか、イマージュが声を荒げた。
﹁こほん⋮⋮。とにかく、拍手はどうでもいい⋮⋮。型の話をする
ぞ﹂
﹁は、はい﹂
﹁剣を振れば、言うまでもなく自分の姿勢はそれによって変わる。
ならば、その姿勢からの次に移りやすい攻撃も自然と決まってくる
わけだ。盤上で戦うゲームでも、なんらかの作戦に従ってコマを動
かしていくだろう? それと同じだ﹂
たとえがまずかったのか、姫の表情がぴくっと動いた。俺が勝ち
まくっちゃったからな⋮⋮。
﹁その姿勢で防御的要素もありつつ、攻撃的要素もある動きがいわ
ば最善の動きということになる。相手がそこからこちらを崩しづら
くなるわけだからな﹂
﹁そうか。ちゃんと守りも考えてるんですね﹂
﹁極論、守りが完璧ならば死なないからな。死なないということは
戦場においては負けないということに近い。命をおろそかにする剣
は、畢竟、弱い剣だ。そんな剣士は長くは生きられんからな。言葉
にすればすぐにわかる道理だろう?﹂
俺はうなずく。想像以上に合理的な精神でやってるんだな。
﹁なので、最善の手を並べていけば、自然と動きは一連の動作にま
356
とまってくる。それを﹃型﹄と呼んでいるわけだ。﹃型﹄もたった
一つしかないということはないから、その場に応じてどれにするか
選ぶが﹂
﹁﹃雷の運び屋﹄流第五の型と言ってましたね﹂
﹁そうだ。﹃雷の運び屋﹄流というのが私が継承している流派だ。
実はタクラジュとは違う。あいつは﹃翼モグラ﹄流というしょうも
ないものを使っている﹂
タクラジュが奥で文句を言っている。
多分、同じのを習うのは嫌だったんだろうな⋮⋮。
﹁私の流派は基本の型が七まである。そのあとに中級のが七、上級
のがまた七と合計二十一種を覚えることになっている。まずは基本
の七つを覚えていけ。それを覚えてきたら、やっと剣士と呼べるも
のになる﹂
﹁わかりました。やれるまでとことんやります﹂
﹁ああ、これができないと、お前は剣士じゃなくて剣を振り回して
いるだけだからな﹂
そのあとも体が硬いとか、動きが遅いとか、姿勢が悪いとか、い
ろいろと指摘されまくったが、初の本格的な稽古だったので気分は
かなりノっていた。
あと、これを続けるなら、剣技の授業なんて絶対に受ける意味が
ないな⋮⋮。
●
﹁やりたいことがあるので、剣技の授業は省略させてもらってよろ
しいですか?﹂
ヤムサックに言ったら、顔色も変えずに、
357
﹁ああ、かまわんぞ﹂
と、ものすごくあっさり了承された。
﹁お前の魔法の能力で、剣技の授業をやるほうが無駄だからな。む
しろ、こっちから止めておいたほうがよかったか?﹂
﹁いえ、剣技に興味がないわけじゃないんです。でも、授業だとど
っちみち効率が悪いなと思って⋮⋮﹂
﹁そうか。無駄と思うならやらんでもいいぞ。そんなもの使えなく
ても、お前は軍人として魔法で戦うことになるだろうからな﹂
この調子だと、俺が剣技をやる気はないと認識されてるな。まあ、
イマージュの弟子になったことはいちいち言わなくていいか。その
うち、ヤムサックの耳に入るだろうし。
ただ、クラスメイトからは﹁先生、剣技は向いてないからやめた
んですか?﹂と聞かれたりした。
﹁授業は出ないけど、模擬戦は出るつもりです﹂
と正直に答えておいた。
でも、まさか出るとは思ってないだろうな。
おそらくだけど、このペースで稽古ができれば、俺が圧勝できる
と思う。
358
55 師匠との稽古︵後書き︶
じわじわ強くなってきました。爆発させるところまでもうしばらく
お待ちください!
359
56 ご褒美をもらう
イマージュの弟子になった直後は大股走りの成績が落ちた。
﹁あれれ⋮⋮? おかしいですね。体はなじんでるのに、足がつい
てきていないですね﹂
アーシアもキツネにつままれたような顔をしていた。
﹁体力を無茶苦茶消耗してますからね。それのせいなんだと思いま
す﹂
イマージュの弟子になったことを告げたら、﹁ファイトです!﹂
と激励された。それと激励されただけでなく、タオルで汗まで拭か
れた。え、そんなことまでするの!?
﹁いや、汗ぐらい自分で拭きますって⋮⋮﹂
親にされるんじゃないんだから、これはちょっと恥ずかしい⋮⋮。
﹁いいえ、今日からは私が拭きます。これまでも汗かきすぎで、風
邪引くんじゃないかって不安だったんです! 先生に任せなさい!﹂
この調子だと抵抗しても無駄なので、俺はアーシアにゆだねるこ
とにした。アーシアと付き合ってる関係なら、まだむずがゆくもな
かったかもしれないけど。
﹁イマージュさんとの修行を考えると、私のほうの時間は短縮した
ほうがいいですかね? あるいは魔法のほうを中心にする方向に戻
しますか?﹂
﹁いえ、このままやります。先生が無意味なカリキュラムを組むこ
となんてありえないですから﹂
教師と生徒の関係は言うまでもなく、不均衡だ。教師のほうが偉
360
いっていうのは当たり前だけど、見通しって点でもそうだ。
俺は自分がこの練習でどういうふうに成長できるか、やってる最
中はわからない。もしかしたら、何の成果もないかもしれないのだ。
だから、生徒は教師を信託する必要性がどうしても生じる。
きっと、この人は自分を成長させてくれると懸けないといけない。
﹁わかりました! それじゃ、ミスが三回以下になるまで走ってく
ださい! ご褒美用意して待ってます!﹂
﹁先生は本当に生徒をやる気にさせるの上手ですね﹂
﹁それと同じぐらい、時介さんも教師をやる気にさせるのが上手で
すよ﹂
弟子になってからの稽古による疲労は三日ぐらいで克服できた。
また、一トーネルを走れるようになった。
それから一週間後。
また、いつものようにアーシアが出した円の光の上を走っていく。
今回は中盤を越えて残り三分の一というところでも、円の外に足
をはみ出してしまうことが一回しかなかった。
こんなにペースがいいことはこれまでなかった。だいたい中盤ま
でに三回、足が出て、あとはぐだぐだで、ラストのほうで足がつい
てこなくなってきて、足が届かなくなってくるのだ。
これ、もしかしたら、ミスを三回以内で抑えられるかもしれない。
すでに完走は当たり前の身だ。ミスの回数に意識がいくのは当然
だった。
﹁時介さん、すごいですよ! このままなら合格できますよ! 焦
らず、慎重に! どんな長い距離も一歩の繰り返しで踏破できます
! やれます! 負けるな!﹂
361
アーシアの応援にも自然と熱が入る。
本当に自分のことみたいに応援してくれるな。
言われて思い出したわけじゃないけど、慎重に、慎重に。一度体
のバランスを崩すとミスを連続して起こすからな。
とにかく、次の光の円に足を入れることだけを考えた。
残り二割ぐらいの距離まで来たな。感覚的にそれがわかる。
汗がしたたり落ちるが、いつものことだ。それで走れないわけじ
ゃない。
そろそろ足を止めたくなってくる。もちろん、止めたらその場で
失格だ。しんどいところで無理をしないと成長できない。
喰らいつくように走る。
﹁残り一割ほどです!﹂
アーシアからの声が届く。思った以上にハイペースだ。一歩一歩、
カウントダウンがはじまる。これまでにない変な緊張があるが、こ
れは悪い緊張じゃない。
けど、最後の最後でアクシデントが起こる。
汗が目に入った。しかも、ほぼ同時に両目に入りやがった。
目をつぶったら、距離感がつかめなくなる。痛いけど、心持ちさ
っきより長く跳ぶ感じで進む。
それでも意識が足に集中しないのが悪いのか、さっきよりジャン
プ力が落ちる。
足が円の手前についた。
362
﹁二度目のミスです!﹂
あと、二回ミスしたら終わりか。
気を取り直したいけど、それより目に汗が入ったのが気になる。
たいして進んでもないのに、もう一度足が届かなかった。
﹁三度目! 次のミスで失敗です!﹂
もう、こうなったら意地だ。
円の外側を芝生だと思うな。谷底だと思え。
一歩一歩、これが最後だという気持ちでやった。大股なんだ。走
る回数も知れている。ゴールはそんなに遠くない。
体は限界に近かったけれど、もう、ここまで来たら精神面の勝負
だ。
﹁合格です! 完走しましたね!﹂と言ってくれと願いながら、走
った。もう走ったという感覚もなくて、足を出してるだけという調
子だ。
そして、ふらつきながら何度目かの足を出した時︱︱
﹁合格です! やりましたね!﹂
アーシアの声が聞こえた。
﹁よかった⋮⋮﹂
石がなさそうなところに、大の字に倒れる。これが魔法使いだな
んて誰も信じられないような光景だ。
﹁おめでとうございます! はい、お水ですよ﹂
アーシアが出してくれたカップの水を飲み干す。そしたら、すぐ
363
に次が用意されたので、三杯飲んだ。これだけ水がおいしいと思う
時もそうそうないだろうな。
﹁ご褒美、忘れないでくださいね⋮⋮﹂
﹁はい。ちゃんと用意してきていますよ。私もこれを時介さんに渡
せてうれしいです﹂
そして、アーシアが倒れている俺に見せたのは︱︱鞘に収まった
一本の剣。
﹁これは精霊が祈りをこめた剣です。敵の攻撃魔法をいくらか防い
でくれます。武器としての威力もなかなかのものですよ﹂
﹁そういえば、俺、自分用のまともな剣、持ってなかったですね⋮
⋮﹂
﹁はい。なので、記念に用意しました﹂
俺はよろよろと起き上がって、その剣を受け取った。
思っていた以上に剣は重い。
抜いてみると、月明かりを受けて、刀身は美しく輝いている。
﹁これまで頑張ってよかった⋮⋮﹂
こんなふらついた体で扱うのは危ないなと思って、早目に鞘に戻
した。
いつか、この剣を思い切り振って戦う日が来たらいいな。
いや、こんなに振り回して戦わないといけない日が来たらよくな
いか⋮⋮。
364
57 ご褒美のおまけ
﹁それと、もう一つご褒美のおまけをあげたいなと思っています﹂
﹁おまけ?﹂
剣の装飾品でもくれるのだろうか。少なくとも剣よりすごいもの
じゃないよな。
どっちみち、かなり疲れているし、まともに思考する余裕はない。
﹁本格的なのは私も困るんですけど、ちょっとぐらいならいいかな
って﹂
なんだろう? さっぱりわからない。そもそも、こんなヒントだ
けでわかるわけもないのだが。
︱︱と、アーシアがさっと俺のほうに近づいてきて、
頬に短くくちびるをつけて、また離れた。
つまり⋮⋮頬にキス?
﹁えっ⋮⋮⋮⋮えええっ! キス!? 今、先生、キスしました!
?﹂
剣を持ったまま、俺は呆然としている。これでまともな心理状態
でいられる人間なんていないだろう。
もしかして、夢? そうだよな、こんなことあるわけないよな⋮
⋮。アーシアは教師で俺は教え子で⋮⋮。そうだよな? そうだよ
な⋮⋮?
365
﹁私は先生なので時介さんと付き合うことはできないんですが、ほ
っぺにキスするぐらいならいいかなと思って。ご褒美ということで、
許してくださいね﹂
むしろ、許すも何ももっとしてほしいのだけど。これ、日本の教
育現場なら絶対に問題になるけど、この世界には教育委員会も何も
ないからいい。
﹁先生、こんな破目を外したことするんですね⋮⋮﹂
﹁あ、あまり言わないでください⋮⋮。私も恥ずかしくなってきま
した⋮⋮﹂
時間差でアーシアは顔を赤面させだした。アーシアがものすごく
かわいく見える。こんな先生、反則だ。異性の魅力で生徒をやる気
にさせるのは多分、不純だろう。
立ったまま、起きたことを整理してられなくて、もう一度芝生に
寝転がった。落ち着いていられないのは俺も同じだ。
﹁もし、先生がこのご褒美の内容教えてくれてたら、俺、もっと早
く合格してたと思いますよ﹂
男はそのあたり現金だからな。好きな人がキスしてくれるなら、
リミッターがはずれる。
﹁それは教育者としておかしい気がしたので、不意打ちにしたんで
す。これが私の教育者としての理念と、時介さんにこたえたいとい
う気持ちの妥協点なんです。私に好きと言ってくれた時のことはう
れしかったですから⋮⋮。教育者としてその気持ちを受け入れるわ
けにはいかなかったんですが⋮⋮﹂
照れてるアーシアを抱き締めたいけど、そんなことをしたら俺は
アーシアを失うことになるかもしれない。それは怖くて、俺はこの
まま倒れたままだ。
366
﹁これからも、教えていってくださいね⋮⋮。俺も恋焦がれて勉強
がおろそかになったりしないようにしますから⋮⋮﹂
﹁はい。お願いしますね⋮⋮。今度からは剣士に必要な技術を教え
ていきましょう。特定流派の技みたいなものは教えられませんが、
剣士が持っていれば役に立つ知識は伝えられるはずです﹂
あと、三時間ぐらいここで倒れてないと切り替えるのが難しいけ
ど、本当に風邪を引きかねないから、レヴィテーションで空を飛ん
で帰った。
●
イマージュに剣を見せると、﹁これをどこで手に入れた?﹂とす
ぐに聞かれた。
﹁盗んだわけじゃないですからね。ある方からもらったんです⋮⋮﹂
﹁そりゃ、こんな剣を盗んだんだったら、すぐにばれるだろうから
な。そうか、お前によほど期待を込めている人間がいるということ
だろう﹂
﹁あの、俺は価値がよくわからないんですが、どれぐらいのものな
んですか?﹂
なんか、彼氏にもらったプレゼントの値段をすぐに確認する女み
たいで、よくないかもしれないけど、ぱっと見で価値のわかるジャ
ンルのものじゃないから、気にはなる。
﹁残念ながら、刀剣の鑑定はタクラジュのほうが得意なんだ。タク
ラジュに見せたほうがいい⋮⋮﹂
そういう点はタクラジュを認めてるんだな。
﹁もっとも、その他の大部分で私のほうが妹よりすぐれているから
な。そこは勘違いしないでくれよ﹂
ちゃんとイマージュが補足を加えた。
367
そこで、姫の部屋にいたタクラジュに剣を見せてみた。
﹁うはぁ⋮⋮これは⋮⋮なかなか⋮⋮﹂
タクラジュが剣を抜いて、刀身を見た途端、顔がにやけだした。
笑っているのではない。確実ににやけているのだ。
﹁うはは⋮⋮いい⋮⋮素晴らしい⋮⋮この冴えも実にいい⋮⋮よい
!﹂
﹁何度見ても気持ち悪いな。こんな妹を持って、私は不憫だ﹂
イマージュが汚いものを見るような目で、タクラジュに視線を送
っていた。
﹁信じられんだろうが、タクラジュがよい剣を持つと、ああなるの
だ。どうも高揚を通り越して興奮するらしい﹂
﹁最初に見ると、ちょっとインパクトあるな⋮⋮﹂
これ、剣によだれでも垂らされそうで、怖い。実際、ちょっと垂
れかけている。
タクラジュが剣を傷のつかないところにゆっくりと置いた。
わざもの
すると、途端に表情が引き締まったものに変わる。
﹁大変よい業物だ。しかも、保存状態も大変よい。持ち主は大切に
保管しておいたのだろう﹂
﹁ありがとうございます﹂
にやけ顔とは信じられないぐらい、まともなことを言われた。
﹁持ち主が大切に保存してきたものに、あまり価値をとやかく言う
のも無粋かもしれないが、軍人なら軍団長クラスが持つものだ﹂
想像以上に高級なものだった⋮⋮。
それって、走ったご褒美でもらえるランクのものじゃないよな⋮
⋮。高校生が学年トップになったら、親が新車買ってくれたような
感覚だ。
368
﹁価値を知っちゃったんで、かえって使いづらくなりました⋮⋮﹂
余計な傷とかつけたくないよな⋮⋮。慣れてない人間がやって、
折れたりしても取り返しがつかないし⋮⋮。
﹁少なくとも、まだお島津の腕ではこれを使うには値しないな。そ
れに見合うだけ強くなることだ﹂
師匠であるイマージュにそう言われた。
﹁まったくもってそのとおりですね。強くなりますよ﹂
俺のやる気が三割ぐらい上がった。
もう、剣士諦めますって絶対に言えなくなったな。
369
58 模擬戦が待ち遠しい
教師生活のほうもひと月ほどが経って、慣れたかどうかと言われ
ればかなり慣れてきた。
クラスの成績は、ヤムサックが教師をやっていた時より上がって
いるようだ。
﹁お前は教師としての才能もあるのかもしれんな﹂
ヤムサックに教官室で生徒の成績表を渡されて、そう言われた。
﹁個人指導中心にしましたからね。真面目にやる生徒は伸びるはず
です。それが目的だから当たり前と言えば当たり前ですけど﹂
﹁ただ、成績の悪い人間は相変わらず成績が悪いな。君ならそうい
う者をやる気にできるかなと思ったのだが﹂
ああ、そういうところが期待されてたのか。
﹁それは難しいですね。やる気のない生徒をやらせるなら、強制的
にやらせるしかないと思いますよ。やる気にさせる技術っていうの
は、魔法の能力とは別だと思うんで⋮⋮﹂
たとえば熱血教師みたいな奴ならやれるかもしれないが、そうい
うのがウザいと言う層もいるだろうし、これは難しい。
﹁わかった。君はこのまま続けてくれ。やる気のある生徒が伸びる
こと自体はありがたい﹂
﹁ありがとうございます。まあ、伸びたのは俺の能力が問題なんじ
ゃなくて、教えるシステムの問題ですけどね﹂
なので、もしヤムサックがそういうやり方を採用したなら成績も
上がるだろう。
370
﹁君自身の魔法もぜひ成長させていってくれ﹂
﹁はい、努力しますよ﹂
目下、剣技中心になってるけどな。
型の習得はイマージュのもとでちょっとずつ結果が出せてきた。
﹁まだキレはないが、動きはだんだんとそれらしくなってきたな﹂
イマージュもそう言って、うんうんうなずいている。これは進歩
していると考えていいだろう。
﹁島津、お前はそれなりに才能があるようだ。これまでちゃんとし
た師のもとで教えられていなかったので開花が遅れたようだな。い
や⋮⋮でも、お前は体力のほうはあるようだし、遠回りとも言えな
いか﹂
﹁あの剣をくれた人に鍛えられたんです﹂
﹁なるほどな。だとしたら私は二人目の師か。まあ、師によって教
え方も異なるからな﹂
イマージュはどことなく寂しげだった。
﹁おっ、イマージュ、自分が一人目の師でないことに妬いているな。
あさましい女だ﹂
見物していたタクラジュがまたからかってきた。
﹁余計なことを言うな! 殺すぞ!﹂
﹁島津よ、イマージュが頼りにならないと思ったら、すぐに私のほ
うに来い。妹よりしっかり教えてやるぞ﹂
﹁当分は大丈夫そうだから、そこはいい﹂
イマージュのおかげで俺は確かに強くなってるからな。自分でも
ある程度のことはわかる。
371
﹁そうだ。タクラジュ、お前の入ってくる場はない。このままいけ
ば、模擬戦では優勝が狙えるだろう﹂
実際、それぐらいはあっさり取るつもりでいた。明らかに俺の動
きはつい二週間や三週間前までと比べ物にならないぐらい、変わっ
ている。そろそろ最初の七種類の型はマスターできそうだ。
これで、やっと剣士として格好がつく。
﹁あとは、多くの対戦相手と勝負をして、感覚を覚えてほしいとこ
ろだが、それこそ模擬戦だな﹂
師匠は俺以上に模擬戦を待望しているようだ。
では、アーシアのほうとは大股走りが終わったあと、何をしてい
たかと言えば︱︱
﹁そうです。もっと、つよく打ってください! 躊躇しない!﹂
俺はアーシアの手に左手を当てる。
すると、アーシアが握っていた半透明の剣が落ちる。
剣が落ちると、またアーシアの手に半透明の剣が現れる。
﹁先生、手、痛くないですか?﹂
﹁そこが大丈夫じゃなきゃ、こんな練習してません! さあ、どん
どんやってください!﹂
俺がやっているのは戦場で敵剣士の剣を落とす練習だ。
ほかにも、敵の足をひたすら払う練習もした。
剣士に最も必要なのは勝つことだ。アーシアは俺に勝つための技
をどんどん教えていくつもりらしい。
﹁こういう技ははっきり言って邪道なんですけどね。でも、邪道と
言われてるということは効くということです。もし、戦場で相手の
372
剣を払い落とすことができれば圧倒的に有利でしょう?﹂
﹁そうですね。逆に言えば、それをされたら終わりですけど﹂
﹁優秀な剣士はそういったこともどこかで意識に入れてるものです﹂
俺は何度目の手を、アーシアの手にぶつける。精霊でも痛いのか、
グローブのようなものをしているし、俺もグローブ着用だけど、ア
ーシアを攻撃しているようなやりづらさは正直言ってある。
﹁もし、戦いたくない相手と当たっても戦場では戦うしかありませ
ん。後悔は勝ってからしてください! それができないなら時介さ
んが死ぬかもしれないんです!﹂
アーシアが真面目な顔で言う。
そう、俺が学んでいるのは殺し合いの場での技術だ。ためらいを
減らすことも学ばないといけない。
﹁でも、いい線はいっていると思いますよ。あとは、こういう技術
をいろんな対戦相手に試すことですね。人によって癖などもありま
すから。早く模擬戦が来ればいいですね﹂
俺は思わず、笑った。
﹁何かおかしかったですか?﹂
﹁模擬戦を早くやれって師匠のイマージュも言ってたんで﹂
これはとっとと模擬戦をやらないとはじまらないな。
じわじわと模擬戦の日程も近づいてきた。授業での内容は知らな
いが、そこに生徒︵もう同じ授業を受けることもないからクラスメ
イトと呼ぶのはおかしくなってきたよな︶が意識を向けているのも
だいたいわかる。
﹁先生、模擬戦は出るんですよね。そこで当たったら負けないから﹂
373
そんなことを言ってくる生徒もいた。
﹁魔法では勝ち目はないけど、模擬戦だったらこっちが圧勝するつ
もりでいますからね。剣士になるの目指してますから﹂
剣士側に照準を合わせてる発言をする生徒もいた。
﹁模擬戦だとあくまで生徒同士なんで、正々堂々とやろう。それに
こっちも多少は自主練してるんだ﹂
そう言っておいた。
そして、模擬戦の日がついにやってきた。
374
59 模擬戦開始
そして、模擬戦の日がついにやってきた。
会場は王国で御前試合などを行う時に使う場所だ。城の中庭に当
たる。なので、面している城の二階のベランダから試合を見下ろす
ことができる。
ちょうど、ベランダに王と姫の姿があるのが見えた。
さらに一階の観覧者用の席には師匠であるイマージュとタクラジ
ュもいた。来るとは聞いてたけど、これはつまらない勝負をしたら
無茶苦茶怒られるだろうな⋮⋮。
それと実はもう一人、俺がそうっと招いた客がいる。
アーシアが堂々とした態度で観覧車席に座っている。なお、服は
貴族っぽいものに変えている。
こそこそしていると逆にばれるから、ああやって試合に興味があ
る貴族ですよという顔をすることにしたらしい。たしかに不審に思
っている人間はいないようだ。
まあ、不審者という確信がなければ、﹁お前は誰だ﹂と聞きづら
いのかもしれない。有名な貴族とかだとかなり無礼なことになる。
どちらかというと、客席のほうに意識がいっているということは、
対戦相手はどうでもいいということだ。
俺に声をかけてくる﹁生徒﹂も多かったが、みんな、俺を強敵と
かとは考えてないらしく、気楽に声をかけてくる。
あれだな。運動会とかの余興にある父親だけの綱引きみたいなや
つだな。
375
それはそれでいい。ダークホースが出てくるほうが面白いからな。
やがてトーナメントの表が貼り出される。
きれいに三十二人の名前が書いてある。退学者みたいなのを入れ
ると、三十二人も生徒がいないはずなので、別枠で参加している人
間がいるようだ。過去の生徒で魔法部門に進んだ人間だというよう
な話が聞こえた。魔法使いになったが、やっぱり剣剣も学ぼうとし
てる奴がいるってことか。
俺の名前はかなり後半だ。ぶっちゃけ誰が優勝候補だったり、誰
が強いのかとかはまったく知らない。おそらく大差ないだろう。
そこに上月先生が声をかけてきてくれた。
﹁お疲れ様です。今日は出場するんですね﹂
﹁だって、このトーナメント表見たら、魔法使いになるつもりの生
徒も出てるでしょ。俺が出ないのはおかしいと思うんですよね﹂
﹁多分ですけど、弱そうな人は強そうな人と一回戦は当てられてま
すね。私も勝てないと思います﹂
上月先生も今ではかなり回復魔法を使えるようになってきていて、
この調子だとほぼ確実に魔法使いとして生きていけると思う。
﹁じゃあ、その敵を圧倒したら、お客さんは驚きそうですね﹂
﹁なかなか難しいですけどね﹂
その難しいことを覆すのが面白いんだよな。
当分、自分の番にならないから、試合を見学することにした。
審判は剣技の教官であるスイングが行うらしい。
376
木剣同士の戦いで、どちらかが明らかに優勢と判断した時点で勝
負アリとする。制限時間は一応三分と定めてあるが、それも差がな
いと判断したら、そのまま延長するという大雑把なものだ。
ちなみに男女は入り乱れてのものだ。実際、武器を扱ってのもの
だから、腕力の差みたいなものは縮まるだろうし、おかしくはない
のだろう。戦争になったら男女関係なしに戦うしかないしな。
さて、第一試合。といっても見学だけど。俺は一回戦十四試合目
だ。
すぐにわかった。
二人とも動きが遅い。
遅いというのは全部の動作がトロいという意味ではなく、攻撃に
踏み込む時の切れ味がないのだ。ぬったりと攻撃に転じたり、守り
に入ったりする。その間にどうしても隙が生じてしまう。
よく見てみると、どちらも隙だらけだ。いくらでも攻撃を打ち込
んで崩すことができるだろう。正直、泥仕合だ。
それでも剣道みたいに胴が入って、勝負はあったらしい。スイン
グが決着を宣言した。
その次の試合は高砂理奈だ。相手は中山という男子。たしか柔道
部だったから、中山のほうが有利だろうな。
理奈は魔法だとかなりの優等生なので、どうしても理奈のほうを
応援してしまう。けど、これはかなり手ごわい相手だろう。
防御の姿勢は理奈もよかったが、あくまでも防御だ。攻めること
ができないと、勝ち目はない。一方で中山は攻め続けることで、こ
のまま決着をつけるつもりだ。
377
中山も相手に反撃されてないから押しているように見えるけど、
攻めと攻めの間にブランクがありすぎる。あれを埋めていかないと
そこを攻撃されて、すぐに窮地に立ってしまう。
運動神経が悪いとも思えないので、素振りからみんなで教えるこ
との限界がこのへんなんだろうな。
一分近く、理奈も木刀で持ちこたえていたが、腕に中山の剣が二
回ほどぶつかって、そこで負けとなった。
﹁先生、負けちゃったや⋮⋮﹂
負けた理奈が俺のほうに来て、横に並んだ。ちなみに負けた人間
は負けた人間で試合をやらせるらしいので、これで今日の勝負が終
わったということにはならない。数をこなすこと自体が大事なので、
正しい発想だ。
﹁けっこう悔しそうだけど、もしかして勝とうと思ってたか?﹂
﹁防御の素質はあるって言われてたから、ワンチャンあるかなって
⋮⋮。残念ながら無理でした∼﹂
﹁防御はできてるけど、重心が後ろにいきすぎてるから、攻撃に出
ようがないんだ。もっと前に体を傾けて守っていれば、ぱっと攻め
こめるんだけど﹂
さっきの試合の解説をする。
﹁あと、斬ろうとしないで突くことを覚えたほうがいいな。そのほ
うが殺傷能力が高いことも多いし、隙も狙いやすい。振りかぶらな
いでいいから、自分の隙も減る。そしたら理奈ももうちょっとやれ
ると思う﹂
﹁先生、魔法を教える側なのに、剣技もよくしゃべるね∼﹂
理奈に笑われた。これ、あんまり信用してないな。
378
﹁けど、先生のアドバイスは正しいと思う。やっぱり先生はよく見
てるね﹂
﹁そうかもな。こっちもたくさん試合を見れて勉強になる﹂
生徒同士の戦いは欠点が目立つが、その分反面教師としてはあり
がたい。悪い例をいくつも見るから、どこを修正していけばいいの
かがわかる。
上月先生は五試合目に出て、これも相手の男子に二十秒ぐらいで
押されて、負けていた。先生、腰が最初から引けてたからな。もう、
魔法に専念したほうがいいけど、真面目だから剣技も一応やってる
んだろうな⋮⋮。
そのあと、負けた上月先生も俺の横にやってきた。
﹁全然ダメでしたね⋮⋮﹂
﹁上月先生、あんまり向いてないですよ﹂
﹁やっぱり、わかりますよね﹂
先生は苦笑した。自覚もあるんだろうな。
379
60 一回戦突破
試合は順調に進んでいった。
こういうのって、達人同士の戦いだと、ずっと決着がつかないだ
なんてこともあるんだけど、素人同士だと守りが甘いからすぐにど
っちかの攻撃が当たるらしい。
とくに一回戦は教官が素質があると思った生徒がぶつかり合わな
いように調整していることもあって、弱いほうがあっさり剣で叩か
れるというケースが多いらしい。
それなりに自信がある奴が、ここで一回戦負けだったら落ち込む
だろうし、まずは達成感を与えたほうがいいんだろうな。
勉強ならペーパーテストでいくらでも達成感を得られるけど、剣
は対戦相手の確保が大変だから。同じ練習相手とずっとやっても実
感が湧きづらいだろうし。
そういう組み合わせなのは、生徒もだいたい把握していたらしく、
負けた側もそんなに悔しがってないし、勝った側もそこまで喜んで
ない。下馬評どおりといったところなんだろう。
さて、十四試合目。俺の順番は思ったよりも早く回ってきた。
教官のスイングが名前を読み上げる。
﹁十四試合目。福崎対島津、前に!﹂
敵の目はかなり真剣だ。
﹁先生、悪いけど本気で行きますからね﹂
魔法の勉強はそこそこだけど、剣技のほうは優秀らしいな。これ
380
までの生徒と比べると、かなりサマになっている。
﹁そりゃ、そうだ。ここで手を抜いたら実力がはかれないからな﹂
﹁俺が勝っても成績下げないでくださいよ﹂
﹁それは勝ってから心配したらいいさ。そんなセコいことしないけ
ど﹂
俺に勝つ気でいるな。向いてないから剣技の授業をボイコットし
たと思われてるらしい。
﹁それでは、はじめっ!﹂
まずは攻め込まない。
こういうのは敵に打ちかからせるほうが対処しやすい。
時代劇とかで剣豪がともにじっと剣を持って、対峙しているシー
ンがあったりするが、あれは先に動いたほうがどうしても損だから
だ。
一度、動いてしまうと、そのあとの行動の幅がかなり狭くなる。
すると、一気に相手を倒せなかった場合、動きを読まれやすくなる
し、防ぎきれないところからの攻撃を食らうことにもなる。
もちろん実力差があるなら突っ込むのもアリだが、ここは待って
みようか。
﹁あれ⋮⋮。隙があんまりない⋮⋮﹂
構えもさんざんやってるからな。
﹁くそっ⋮⋮。攻めれば、攻めれば勝てる!﹂
福崎が走りこんできた。
あまりいい走り方じゃない。それじゃ、ちょっと足を駆けられた
らすぐに転ぶぞ。
381
相手を転ばせたり、武器を奪う練習はアーシアのゼミで仕込まれ
た。
戦場ではあらゆる技を使って生き残らないといけないからだ。
アーシアが見ているのがわかった。師匠も姫も見ているだろう。
恥ずかしい試合はできないな。
﹁先生、覚悟ォッ!﹂
振り下ろしてくる剣をいなす。
剣の動きに真っ向から逆らうのは難しいから、体をそらして、剣
の横に逃げる。
そこにこちらの剣を添わせると、自然とこちらの剣を伝って、敵
の剣が動く。相手の体がそのまま流れる。
そこを横からこちらの剣を当てていく。
パシィン!
膝に一発。
パシィン!
腰に一発。
パシィン!
腕にも一発。
最後に︱︱頭にも軽く一発。
﹃雷の運び屋﹄流初級第三の型。
相手のバランスを崩させて、下半身から順に斬っていく。
絶命させるだけなら首元でも狙ったほうがいいが、最初にこれを
決めればほかの敵に対する威圧効果として大きい。何箇所も傷を与
えられるということは実力差が離れている証拠とみなされるからだ。
実際は一回、大きく体勢を崩すことができれば、立て続けに攻撃
382
を決めることは可能だ。機械的に素早い動きを行うことで、敵を血
だるまにする。
これで俺の勝ちでいいだろうけど、これは殺し合いじゃなくて試
合だから審判に勝ち負けを決めてもらわないといけない。
呆然としている福崎の背後にまわりこんで、背中に木剣を突きつ
ける。
勝負がついてなかったら、これで背中をばしばし叩くだけだ。
しばらく、空気が止まった。
俺が止まってるんじゃなくて、周囲が理解するのに時間をかけて
いるらしい。
やがて、教官のスイングが、
﹁勝負あり! 勝者、島津っ!﹂
目を白黒させながら叫んだ。
観客のほうからちょっとした歓声が上がる。一回戦だしじっくり
見ていた人間の数は知れているだろうが。
アーシアはぱちぱちと小さな拍手を送ってくれていた。
あんまり騒がれるとばれるので、これぐらいがちょうどいい。
イマージュとタクラジュはまったく同じタイミングでこくこくと
うなずいていたので、ちょっとコントぽかった。
姫はベランダから、﹁島津さん、さすがです!﹂と声援を送って
くれた。
俺はゆっくり控えのほうに戻る。対戦相手の福崎はまだ何があっ
たかよくわかってないようで、茫然としていた。戦場じゃなくてよ
かったな。戦場だったら、もう死んでるぞ。
﹁先生⋮⋮今、俺、何かミスしましたかね⋮⋮?﹂
383
﹁ミスと言えるかわからないけど、攻め方が雑ですね。あれでは死
ににいってるようなものです。慎重さが足りないかな﹂
口調を教官の時のものに戻す。同い年で上から目線っていうのも
なんか嫌なので丁寧語だ。
﹁こんなに、打ち込まれたのははじめてです⋮⋮﹂
﹁じゃあ、打ち込まれないように用心するようにしてください。剣
士になるつもりなんだったら、余計に﹂
控えでは、やたらと声をかけられた。
﹁先生! もしかして剣も無茶苦茶強いんですか!?﹂
﹁あんなに高速の剣、見たことないです!﹂
﹁どんな素振りやってたんですか!﹂
まだ一回戦だからおおげさすぎる。
けど、この調子だともっともっと目立つことになりそうだ。
まあ、いいや。俺は俺で実戦の感覚をつかませてもらおう。
しょぼい試合をしたら、たとえ勝ったとしても師匠に怒られかね
ないしな。
残りの一回戦数試合もそう時間をかけずに終わり、残りは十六人
になった。
二回戦は休憩もはさまずに入るらしいから、またすぐにやること
になりそうだな。
さっきは待ってみたし、次は踏み込んで戦えるかどうかをやって
みるか。
384
61 トーナメント無双
二回戦は一回戦と比べると、だいぶマシな試合が多かった。
初戦は見込みがある奴同士の組み合わせがほぼなかったからだ。
二戦目が実質的な一回戦と言ってもいい。
やっぱり遅いけどな。
素振り自体は正しいが、攻撃に転じるような練習を充分にしてこ
れてないせいだ。次の動きへ進むのに時間がかかっている。
イマージュが﹁型﹂を重視していた理由もよくわかる。
﹁島津ふぇんふぇい、剣も使えるんですね⋮⋮﹂
理奈がまた俺の横にやってきた。今日は昼食は揚げパンが支給さ
れるらしく、それをもらってきて食べている。中には肉と野菜を炒
めたものが入っているので、それなりに栄養価は高い。
﹁食べながらしゃべるのは行儀悪いから、やめよう﹂
﹁でも、戦争のための実技でしょ。行儀も何もないよ﹂
﹁そうだな。まったくもって正論だ﹂
理奈とは正式に教師になる前から教えていたのでタメ口のほうが
合っている。
﹁魔法使いは接近戦が弱点だ。だから、それを解消するために特訓
してた。その成果が出せるかどうか今日で試してる﹂
﹁これでも先生に追いつこうとしてるんだけど、どんどん離されて
くなあ⋮⋮﹂
理奈が﹁はぁ⋮⋮﹂とため息をついた。もう、揚げパン食べ終え
たのか。早いな。
385
﹁追いつこうとするのは悪くないけど、自分が何のために強くなる
ための目的はちゃんと持ったほうがいいぞ。モチベーションになる﹂
ベランダの姫の顔を見た。
もし、また姫が命を狙われた時に、守れるような力がほしい。
多分、本気の殺し合いを一度経験してしまったからだろうな。
﹁やっぱり、島津君はものすごく大人になってるよ。そりゃ、先生
にもなれるよね﹂
﹁あんまり、それは実感ないんだけどな。まだまだ発展途上だし﹂
﹁決めた。やっぱり先生のことを目指す。それで先生が見えてる景
色を自分も見る!﹂
なんだか理奈をやる気にさせたらしい。生徒をやる気にさせたん
だから、教師としては悪いことじゃないな。
二回戦は八試合しかない。そう時間をおかずに自分の番になった。
相手は見たことのない顔だ。今回のトーナメントのために連れて
こられた卒業生だろう。
﹁あなたはもう教師身分を持ってるらしいですが、こっちも負けま
せんからね!﹂
﹁よろしくお願いします﹂
相手の気迫はどうでもいい。どんな気持ちで挑まれようと勝てな
いと意味がないから。
一戦目のせいで、ギャラリーの視線が濃くなってる気がする。さ
っきのがマグレだったのか、実力だったのか見たいんだろう。
審判のスイングはが﹁はじめ!﹂と叫ぶ。
最初はゆっくりと距離を詰めていって︱︱
一気に前へ跳ぶ!
386
これぞ、大股走りの成果だ!
バアァァァァァン!
敵の肩を思いきり叩いた。
そのまま敵は吹き飛んで、尻餅をつく。剣も手から離れている。
呆然と対戦相手が俺のほうを見上げていた。そこに怯えの色が混
じっている。
﹁ま、負けました⋮⋮﹂
ふるえた声で言われた。
﹁ありがとうございました﹂
俺は丁寧に一礼する。
うん。突発力は低くない。これならザコなら時間をかけずに倒し
ていける。
後ろを振り向いたら、やたらと歓声が待っていた。
﹁マジすごい!﹂﹁どこで修行したんですか!﹂﹁剣もチートかよ
⋮⋮﹂
最後の感想には訂正をさしはさみたいな。
チートじゃない。ちゃんと、特訓をやったおかげだ。教えてくれ
る相手はすごく優秀だったかもしれないが。
みんなに合わせた授業を続けていても成長は遅くなる。
俺はもっと早く強くなりたい。 次の試合で二回戦も終わり、残りは八人に絞られた。ここで休憩
時間がはさまれるので、俺も揚げパンを食べる。みんな、適当なと
ころに座りこんで食べている。俺も日陰に入ってパンをかじってい
た。
387
﹁あの⋮⋮島津先生⋮⋮その剣はどこで学ばれたんですか⋮⋮?﹂
教官のスイングに尋ねられた。
﹁イマージュ師匠と後は独学です﹂
﹁イマージュ⋮⋮ああ、姫の護衛か⋮⋮。その⋮⋮このままだと生
徒の心をくじいてしまいますので、少し手を抜いていただけません
か⋮⋮?﹂
﹁申し訳ないですが、俺もまともに戦った数はほとんどないんです。
全力でやらせてください﹂
﹁⋮⋮わかりました。その代わり、トーナメントのあとに私とやっ
てもらえませんか?﹂
生徒のためにも俺を負かしておきたいんだろうな。スイングから
したら、自分より島津のほうが強いと生徒にでも思われたら教えづ
らくてしょうがないだろうし。
こっちとしても願ったりかなったりだ。実力者とやれる。
﹁喜んで。ボコボコにしてください。そのほうがこっちも収穫があ
ります﹂
目的ができたので、トーナメントを通過点にできた。
三戦目は木剣で敵の剣を叩き落して、そのまま肩を叩いた。これ
で勝負あり。
このあたりで、﹁もう優勝は先生だな﹂という声が漏れていた。
やしろ
俺としても師匠のイマージュに恥をかかせずにすみそうだ。
準決勝も踏み込んで、相手の社を突き倒した。
その頃にはスイングも驚くことなく、こっちの勝利を宣言してく
れていた。
十五分ほど休憩をはさんで決勝戦になった。
決勝ともなると、観客の数もこれまでより増えている。
388
アーシアは何もしゃべらなかったが、視線を俺のほうに送ってい
るのが見えた。周囲の貴族たちは﹁どこの家の娘さんだろう﹂と話
をしていて、アーシアのほうが試合より気になるらしい。それもし
ょうがない。観客席でアーシアほど美しい女性はいなかったから。
その人に剣を叩き落としたり、剣を奪う練習をしてもらってます
と言っても、冗談としか思われないだろう。
決勝の相手は初戦で理奈を倒した中山だった。
じゃあ、とむらい合戦といこうか。いや、中山だって自分の生徒
だから、えこひいきはダメだ。そういう発想はやめておこう。
ここまで残ったってことは中山も筋はいいんだろう。あとは早く
いい師匠につくかだな。
最終試合、中山は自分から突っこんできた。
先手をとられたら、負けだと考えたんだろう。その考えは間違っ
てない。ただ、まだまだ雑すぎる。
﹁型﹂をしっかり見せつけてやるか。
389
61 トーナメント無双︵後書き︶
﹄の書籍化が決定いたしました
このたび、﹃チートな飼い猫のおかげで楽々レベルアップ。さらに
獣人にして、いちゃらぶします。
︵詳細は活動報告に書きました︶。ありがとうございました!
390
62 優勝した
中山の木剣は勢いはあった。でも、それは力で強引に相手を押し
のけるような剣だ。
︱︱そういう剣を使っていると、すぐに死ぬぞ。
そう、師匠に言われた。
ついでに言うと、アーシアにも﹁力任せにやると柔軟性がなくな
って複数の敵が出てきた時などに対応できなくなりますよ﹂と言わ
れた。
実戦で使うのは九割九分、真剣だ。もちろん鎧で武装している敵
を倒したいとか、そんなこともあるかもしれないが、基本は敵の急
所に当たれば強引に力を入れなくても、殺せるようにできている。
だから、大事なのは剣で圧倒する力よりも、確実に敵を斬れる判
断力だ。
さっと、剣を剣で受け流す。
そこから、俺は剣を敵の手に打ち込む。
︱︱パシィッ!
一度撃ったら、一歩離れて、肩を打つ。
さらに背中にも軽く一撃。
これでもし鎧がないという前提なら、俺の勝ちでいいと思うんだ
けど、審判はまだ納得しないらしい。
﹁それだけで致命傷とは限らん。まだ続けてくれ﹂
わかった。けど、それは中山に酷かもしれないぞ。あるいは格の
違いを見せつけてやってくれってことか。挫折しても這い上がるぐ
391
らいでないとやっていけないだろうし。
俺は再度踏み込む。
今度は敵の腕を打つ。
踏み込む勢いだけなら俺のほうがキレがある。
立て続けに打つ、打つ、打つ。
パニックになった中山がひるむ。悪いけど、戦闘中にひるんだら、
確実に終わりだぞ。
そこを俺は軽く、突く。
刺突は決まれば一撃で相手を殺せる。だから、実戦目的の﹁型﹂
には刺突が入っている。
鎖骨あたりを突かれた中山が思わず倒れる。
表情はすっかり怯えきっている。
俺は腰をかがめて、相手の剣をとる。文句なく自分の勝ちだと言
ってもらうために。
今度こそ審判は﹁そこまで!﹂と勝負を止めた。
﹁本格的に個人授業を受けたほうがいいぞ。でないと成長の速度が
遅くなりすぎる。君の問題じゃなくて、システムの問題だ﹂
ここまで勝ち上がったってことは絶対に素質はある。あとはそれ
を上手く伸ばせる場を用意すればいい。これはどっちかというとス
イングに言ったほうがいいかもしれないけど。
こうして、無事に俺は優勝した。
記念メダルがもらえるというので待っていると、姫が降りてきた。
﹁本日はお疲れ様でした。そしておめでとうございます﹂
紐のついたメダルを姫は手に持っている。とても晴れやかな顔を
392
している。
﹁ありがとうございます。なんとか剣でも姫を守れるようになりた
いと思っていますので﹂
姫を前にすると、やっぱり緊張するな。これだけ近くで見ると、
姫というか、天使といったほうが正しいんじゃないかってぐらいに
美しい。
ただ、アーシアとキスした人間がこんなのぼせたような気持ちに
なるって、ちょっとまずいんじゃないか。俺ってけっこう浮気性な
のかな⋮⋮。
さらに姫は俺に一歩近づいた。メダル授与のためだ。
でも、それだけじゃなかった。メダルを頭に掲げる時、姫はこう
言った。
﹁近いうちにわたくしは姫から王になります。王であるわたくしを
守ってくださいね﹂
そっと、俺にだけ聞こえるような声で。
﹁現在、お父様から少しずつ権限の委譲をしてもらっていて、自然
な流れで政務の引継ぎができるようにしていますから﹂
﹁姫が王になっても必ずお守りします。まだまだ剣は半人前なので、
ダメなんですけど⋮⋮﹂
﹁そのことですが、イマージュがあなたに話をしておきたいそうで
す﹂
もしかして、まずいことがあって、怒られるのかな⋮⋮。大きな
失策はなかったと思うが、相手が弱かったせいで、目立たなかった
だけかもしれない。
﹁まだまだ、島津さんは伸びますよ。今度は魔法も教えさせてくだ
393
さいね。王家で相伝しているものもありますから﹂
姫ははにかんだような笑みを最後に俺に見せて、去っていった。
たしかに、どうしても剣技の伸び代が大きかった分、魔法の学習
時間はちょっと短くなっていたかもしれない。それに魔法の場合、
剣技以上に実戦に近い形で力を試せないのもつらいところだ。
それはひとまず置いておくとして、イマージュのところに行かな
いと。
行くとイマージュとタクラジュがなぜか背を向けて、いがみ合っ
ていた。ケンカでもしたらしい。逆によくそれだけケンカできるな
と思う。
﹁師匠、何でしょうか?﹂
﹁模擬戦、ご苦労。でも、あそこまでしょうもないのでは訓練にも
ならんな。軍人とも稽古をつけるか。本当にしょうもないな。教育
カリキュラムを変えるべきだ﹂
﹁あの、師匠⋮⋮あまり生徒に聞こえると落ち込ませちゃうんで、
声はセーブしてくださいね⋮⋮?﹂
俺は教師でもあるので、生徒をバカにしすぎるのは倫理的に問題
がある。
﹁心配するな、イマージュのやつ、かなり褒めていたぞ。よくやっ
てると言っていた。さすが自分の弟子とまでしたり顔でつぶやいて
いた﹂
﹁タクラジュ! そういうことは黙っておけ!﹂
﹁ふん、お前へのイヤガラセのためならお前の約束など破るに決ま
っているだろう﹂
あれ、意外とこの師匠は甘いのだろうか?
﹁あ、そうだ⋮⋮。それでいったい何の用で呼ばれたんですかね?﹂
394
﹁ああ⋮⋮次にスイングとやるらしいな﹂
﹁あの教官も俺にいいようにされすぎると、授業自体の信用を失い
かねないし、せめて俺より強いってことをあらためて見せたいんで
しょう﹂
﹁現時点ではいくらなんでもスイングが勝つだろう。だが、自分よ
り強い者に当たったら負けるということをやっていたのでは、その
うち戦闘で殺される。話にならん﹂
言われてみればそうだな。最強になるまで誰とも戦わないという
わけにもいかないだろうし。
﹁そこで、強者に当たった時に勝つための技を教えてやる。別に反
則でも何でもない。まあ、いちかばちかやってみろ﹂
そして、イマージュは俺にそのやり方を教えてくれた。
なるほど。なかなかいい技だ。
﹁ありがとうございます。これを使ってみます﹂
﹁あくまで捨て身の技だから無闇にはやるなよ。それとお前、やけ
に剣を奪う技術に慣れていたが、あれは誰から学んだんだ? 前に
言っていた一人目の師匠か。ぜひ一度お会いしたいものだが﹂
﹁ええと⋮⋮ちょっと今、旅に出ていて、会えないんですよ⋮⋮﹂
アーシアに会わせると、まずいよな⋮⋮。
﹁剣をとったりするのはほとんど自己流と言っていいかも⋮⋮﹂
395
63 教官との勝負
﹁自己流? それにしてはきれいに武器を奪う定石ができている。
あんなにきれいに決まるものではなかなかないんだがな。今も師匠
とずっと訓練しているんじゃないか?﹂
﹁まあ、いいじゃないか。剣技について記した書物もいくらでもあ
る。それを見て学んだ者だって過去にいるさ。島津は勉強熱心だか
らそのクチだ。まして、敵が弱ければその技もよく決まる﹂
﹁そ、そうか⋮⋮? わかった、タクラジュの言葉を信じよう⋮⋮﹂
タクラジュ、ナイスフォロー! ひとまず、余計な追及は防げた。
ただ、イマージュが去ったあと、タクラジュがまだ残っていた。
﹁貸しにしておくぞ﹂
﹁えっ⋮⋮なんのことでしょうか⋮⋮?﹂
﹁書物の知識だけであんなにきれいに決まるわけないだろう。明ら
かにほかの誰かと訓練しているせいだ。あのバカはそんなこともわ
からんのか。どうしようもない妹だな﹂
﹁俺の師匠なんであんまりいじめないでやってください⋮⋮﹂
﹁妹はほかにも師匠がいることを妬いてるだけだ。会わせたくない
事情があるなら、会わせんでいい﹂
﹁ありがとうございます⋮⋮﹂
どこまでつかんでるのかよくわからないけど、助かったことには
違いはない。
そして、スイングとの模擬戦の時間になった。
当たり前だが、クラスメイト全員が試合に注視している。
396
相手のほうが格上なわけだけど、これで無様に巻けたら、それな
りに恥ずかしいな。
﹁島津、君は生徒とやらせても、もう意味のない次元まで強くなっ
ている。そこで教官として、勝負をさせてもらう。でないと、君も
自分の実力がよくわからないままだろう﹂
﹁そうですね、こちらとしてもうれしいですよ﹂
﹁とくにルールは設けないでいいだろう。つらくなったら終わりと
言ってくれ﹂
スイングが構えをとる。それだけで、生徒とは明らかに違う。生
徒は構えが固くてそこからの動きの連続がないが、スイングは微妙
に体を動かして、次の行動に移れる準備をしている。
﹁そちらから打ってきていいぞ。いや、勝負にそんなことを言う必
要はないか﹂
不用意に突っこんだら、すぐに負ける。さすがに慎重にならざる
をえない。最低でも反撃を防御できる自信がないと無理だ。
ちょうど、視界の先にアーシアが見える位置だった。
右手を握り締めて、﹁頑張ってください!﹂のサインを示してい
る。
わかってる。アーシアからもらったあの剣にふさわしいだけの戦
いをする。
足を踏みこんで、攻め寄せる。
スイングは防御しつつ、すぐに攻撃に移る。
﹁てえっぇぇぇい!﹂
こちらも剣を動かして防御。そこにさらに剣が来る。また、こち
らも防御。そこにまた攻撃。防御。攻撃、防御、攻撃、防御。
397
観衆からは﹁おおっ!﹂と声が上がる。たしかに、これだけ連続
した動きはトーナメントではなかった。
どっちも型を使ったうえで戦っているからだ。
自分にとって最もロスの少ない動きを選んで戦うことで、効率よ
く動くことが可能になる。
﹁うむ! やはり素人の体の動きではないな。なかなかやるじゃな
いか!﹂
褒められる程度に向こうに余裕があるということだ。こっちは防
げてはいるが、逆に言えば防戦一方ってことだ。
どこかで仕切りなおす必要があるが、大股で後ろに離脱するのは
前に出るより難しい。中途半端に引いてしまったら、そこをつけ込
まれる。
不意に、突きが来た。
どうにか、こちらの剣で軌道を止めつつ、軽く木剣を握って、離
す。咄嗟の判断だった。
﹁今のは決まるかと思ったが、運動神経自体がいいのか。素質もあ
るな﹂
考えてないところから突かれた。多分、イマージュとは流派が違
うんだろうな。
﹁自分が教えているのは確実に敵を殺すことに特化したものだ。な
ので刺突を多用する。仮に鎧を着ていても隙間はあるものだ。薄手
の革製鎧なら、貫通することも充分にできる﹂
﹁なるほど。専門的な技術はなくても、敵を殺せる技を学ばせるっ
てことですね﹂
実際の殺し合いではとにかく相手を殺したほうが正義だ。美しさ
398
など二の次になる。
﹁そういうことだ。こちらは軍隊流の剣技。そちらは﹃雷の運び屋﹄
流がベースだな。剣を洗練させることを重視している流派だから、
要人警護に当たる人間が学んでいるのが自然だ﹂
ということは、スイングとしっかり戦えれば大半の軍人とも戦え
るってことか。
こいつは軍人流の剣を徹底して学んで、教官にまでなっているん
だから。
さあ、もっと学ばせてくれ。敵の剣の動きに意識を向ける。
やたらと攻撃的な剣だ。強引にでも相手を屈服させるための剣。
おそらく、乱戦も想定しているんだろう。
﹁やはり、﹃雷の運び屋﹄流は防御が堅いな。普通は、もう敵がば
てるはずなんだが、余計な動きをしないので疲れない﹂
ここから今度はつばぜり合いのまま、押し込んできた。
これもこちらを疲弊させるための戦略だ。
﹁押し合いって、無茶苦茶体力を使うんですよね。体重を相手にか
けていくから。一種の我慢比べの要素があります﹂
﹁ほう。よくわかってるじゃないか。こうやって疲れたところを仕
留めてやろう﹂
スイングも目がマジだ。手加減して、いくらでも料理できるレベ
ルではないと判断しているわけだ。
イマージュの教えは厳しいけど、かなり身についてるな。まさか、
教官とここまで張り合えるとは思っていなかった。
おそらくだけど、イマージュがスイングとやり合えば、あっさり
勝てるんだろう。スイングも元は強かったのかもしれないけど、教
399
える側にまわっている間に戦う機会が減ったんじゃないか? 一方、
イマージュはタクラジュと姉妹でいくらでも訓練ができる。
外からは膠着状態に見えるが、まったく気は抜けない。そうする
と、一気に押し込まれて、体勢が崩れて回復できなくなる。
だが、少しでも考える時間がとれることは間違いない。
裏技を使えないだろうか。
ふっと、足払いをかけられそうになった。
これはかわせた。
﹁もちろん、魔法以外なら剣のほかの要素で勝負をつけてもいいか
らな。剣を奪うのも認める﹂
﹁はい、心得てますよ﹂
だとしたら、いよいよ裏技を使いたいところだな。
距離は近いし、やれなくはない。
俺はぐいっと重心を前に向けた。
400
64 教官に勝利
俺はぐいっと重心を前に向けた。
いいか悪いかで言うと、危ない作戦だ。上手くいなされるとバラ
ンスが崩れる。そこを狙ってくる可能性もおおいにある。
さっと、スイングが身を引いた。
これでバランスを崩せると思ったんだろう。
けど、それは計算済みだった。
むしろ、待っていた。
前に出てもバランスが崩れなければいい。足をすぐに出す練習は
アーシアから学んでいる。体の重心を中心ではなく、両足ごとの二
つの軸に分散させる。
これなら自然ともう片方の足が前に出て体が流れたりしない。
そして、前に出ながら、スイングの体に近づく。
スイングもこちらの剣に警戒して剣を引く。
そう、剣だけなら正しい戦略だろう。
でも、それだと剣しか防ぎきれない。
俺はすぐに拳を出して︱︱スイングのアゴを下から突き上げた。
これがイマージュから教えてもらった裏技だ。
接近できれば、相手を殴れるチャンスというのが生まれる。剣し
か考えてない相手に対しては、これがかなり有効なのだ。
剣は一時的なら片手で扱える。その間に別の攻撃を空いた手で仕
掛ける。
401
アゴを狙うのは、体を浮かすのと、脳震盪に近い状態を引き起こ
すため。
勢いだけならそれなりについている。体重も乗っている。
︱︱ドガアァァァァ!
いい音が鳴った。
スイングの目が一瞬白くなった。
そのまま、スイングに体重をかけて、浮きかけた体のバランスを
崩す。
そして、武器を持つ手に思い切り、叩きつける。
︱︱バシイィィィ!
スイングの剣を握る握力が弱くなるのがわかった。
すぐにそれを抜き取る。
捨てる。
そして、袈裟切りに斜めにぶっ叩いた。
よろよろと丸腰のまま、数歩スイングは後退した。
しばらく時間が止まったように、誰もがおし黙る。
ありえないようなことが起こったからだ。
﹁⋮⋮⋮⋮ま、負けた﹂
力なく、スイングが宣言した。
剣も落とした状態では、抗弁のしようがなかったんだろう。
402
途端に、すごい声援が俺を包んだ。
生徒だけでなく、見ていた貴族からも大きな声が飛んできた。
﹁素晴らしい!﹂﹁とんでもない生徒が現れたものだ!﹂﹁王に褒
賞を出していただくように進言しよう!﹂
あまり、すごいだろアピールをすると、スイングの立つ瀬がない
ので、俺は半笑いでその評価を受け止めることにした。
それに上手く作戦が決まったからいいようなものの、スイングに
押されている時間のほうが圧倒的に長かった。実力で上回っている
とは、まだ言えない。
今回は運がよかった。でもずっと戦場で幸運が続くかはわからな
い。まだまだ、精進だ。
﹁お手合わせ、ありがとうございました。自分の足りないところが
よくわかりました。今後とも、ご指導のほどお願いいたします﹂
﹁わ、わかった⋮⋮﹂
スイングを煽ってもしょがないので、ここはできるだけ謙虚に対
応する。
歓声の中を抜けて、俺はイマージュのところに向かう。その途中、
アーシアが小声で﹁よくやりました!﹂と声をかけた。長話をする
と、アーシアの存在がばれるので、目線を合わせるだけで応える。
イマージュのところに出向いたら、いきなり髪をくしゃくしゃ撫
でられた。
﹁な、何ですか、いったい!﹂
こんなスキンシップをやるような奴じゃないのに。
403
﹁いいじゃないか。めでたいんだから。一皮むけたじゃないか﹂
イマージュは満面の笑みを素直に作ったりはしないけど、これ、
無茶苦茶喜んでるな⋮⋮。
﹁見てて、わかったでしょう? 課題もたくさんあります! 主導
権は向こうでしたし、一つ一つ反省して改善していかないと⋮⋮﹂
﹁勝ちは勝ちだ。今日は祝いの席を開いてやろう。いい酒も飲ませ
てやる﹂
﹁いや、俺、酒は全然飲めないんで⋮⋮﹂
高校生って意識があるので、酒はずっと飲んでなかった。
﹁そんなことを言うな。お前はいい酒を飲んだことがないから、そ
ういうことを言うんだ。いい酒を飲めば感想も変わるだろう!﹂
その日の夜は、本当に祝宴になった。
あまり大々的にやると、スイングにねたまれそうなので、イマー
ジュの予約で王都の店の二階を貸し切りにした。イマージュ、タク
ラジュぐらいしかいないから、これで怒られることはないだろう。
﹁師匠がひどい割にはよくやっているな。お前はたいしたものだ﹂
﹁バカ者。師匠がいいから、島津は伸びたんだ﹂
﹁信用できない言葉は聞かないでいいからな﹂
タクラジュは俺を祝うためにいるのか、イマージュをおちょくる
ためにいるのか、怪しいところだ。
イマージュが高級な酒というのを注文して飲まされたが、経験が
浅いので美味いのかどうかわからなかった。ただ、けっこう甘めの
味なのはたしかだ。フルーツ酒か何かだろう。酔っても困るし、こ
れぐらいにしよう。
﹁さて、このまま気楽に宴会といきたいのだが、スイング戦でお前
にミスがあったのも事実だ。どこがまずかったのか、一点ずつ口頭
404
で説明してやる﹂
﹁結局、反省会なのか。でも、そのほうがうれしいですね﹂
本当に泥酔するような会だったら、時間の無駄だ。その間に﹁型﹂
の練習でもしたほうがいい。
﹁まず、序盤で攻めこまれたところだが、あれは付け込まれる要素
があったからだ。なぜかというと︱︱﹂
イマージュは一つ一つ的確に俺の足りないところを教えてくれた。
さらにそこにタクラジュの見解も加わる。双子とはいっても、タ
クラジュは﹃翼モグラ﹄流という別の流派だから、意見も変わって
くることがあるのだ。それだけ多面的に自分を見直すチャンスがあ
るわけで、すごくありがたい。
﹁いいか? 愚かな剣士の中には剣技は剣を振り回せばそれでいい
と思っている者がいる。そんなことは絶対にない。剣は突き詰める
と、極めて論理的なものになる。一切の無駄を省いていけば、それ
だけ強くなり、相手を圧倒することも増える。お前はそういう剣士
を目指せ﹂
﹁わかりました、師匠﹂
酒が入ったせいか、ほろ酔いで俺はうなずいた。
︱︱と、そこに二階の階段を上がってくる足音がした。追加注文
でもとりにきたのかと思ったけど、違った。
﹁おめでとう、島津君﹂
サヨルさんが笑顔でやってきた。
405
65 人生初体験
﹁おめでとう、島津君﹂
サヨルさんが笑顔でやってきた。
﹁ありがとうございます。サヨルさんも見てたんですか?﹂
﹁大会は見てないけど、教官同士の対決になるって聞いて、あわて
て見にいったの﹂
たしかにそれはそうか。そりゃ、すぐに話は広がるよな。
﹁まさか島津君が勝てるとは思わなかったけどね。やっぱり、島津
君はすごいよ。あこがれちゃうな。これまではライバルのつもりだ
ったけど、あこがれの人に変わっちゃった﹂
べた褒めされて、なんとも落ち着かない。
﹁サヨル殿、あんまり褒めすぎると弟子が調子に乗ってしまうので、
そのぐらいに⋮⋮﹂
師匠のイマージュが止めるぐらいの勢いだった。俺としてもイマ
ージュの対応がありがたいぐらいだ。
サヨルさんはあまり料理を食べなかった。もしかすると、すでに
食べてきていたのかもしれない。酒もイマージュとタクラジュの二
人と比べると少量だ。ただし、そのお酒を少量ずつ大人っぽく飲む。
その様子を見ると、サヨルさんが年上の女性なんだなと実感する。
﹁酩酊はできるだけ避けてるの。もし、ろれつがまわらなくて、詠
唱できなかったら恥ずかしいでしょ﹂
たしかに詠唱は発音が重要だから、そこがずれると何の効果も発
揮しない恐れはある。
﹁それを言えば、剣士も酔ってはいけないのだがな⋮⋮。タクラジ
406
ュのように酔っては⋮⋮うっ、頭が痛い⋮⋮﹂
剣士二人はかなり酒量が進んでいる。タクラジュはいつのまにか
酔って寝ていた。
﹁姫の護衛がこれだとダメですね⋮⋮﹂
近い立場なので俺も少々恥ずかしい。
﹁でも、それだけ今が平和ってことだから、悪いとも言い切れない
けどね。少なくとも今すぐどこかで戦争が起こるってことはないし、
反乱もなさそう﹂
サヨルさんは微笑ましそうに剣士姉妹を見つめていた。年齢はそ
う変わらないはずなのに、サヨルさんがぶっちぎりで大人に見える
な⋮⋮。
﹁ただ、うさんくさい人が王国の中に入ってきて、こちらを探って
はいるようだけど﹂
聞き捨てならない言葉が出た。
﹁たとえば、今日の観客席、正体不明の人間が交じっていたわ﹂
﹁えっ⋮⋮。例のセルティア王国の密偵とかですか?﹂
﹁かもしれないわね。全体的に薄着で南方風の雰囲気をした女性だ
ったわ。密偵にしては堂々としすぎている気もしたけど⋮⋮﹂
それ、絶対にアーシアだ!
たしかに精霊とはばれないだろうけど、怪しまれはするよな⋮⋮。
出自不明だもんな⋮⋮。
﹁あの⋮⋮おそらくですけど、その人は無関係だと思いますよ⋮⋮。
きっと、どこかの貴族の娘さんか何かでしょう⋮⋮﹂
﹁あれ、もしかして島津君、心当たりあるの?﹂
﹁いえ、面識はないんですけど⋮⋮貴族の娘さんがいるというよう
な話はあったかな、なんて⋮⋮﹂
407
﹁ふうん。たしかに貴族の隠し子だとか、これまで地方で暮らして
た娘が都に来たとか理由はいろいろ考えれるかな⋮⋮﹂
なんとかアーシアの件は解決しそうだ。
﹁けど、密偵が入りこんでこっちの情報を奪いに来るってことは十
二分にありうる話だから、注意してね。存在を知られないのが密偵
の仕事なわけだし﹂
﹁ですね。気をゆるめないようにします﹂
﹁とくに、島津君は今日の戦いで名を売っちゃったからね。密偵が
もし見ていたとしたら、必ずマークの対象になるよ。命だって狙わ
れるかもしれない﹂
強くなるということが注目を集めてしまうことだというのはわか
るが、はっきりと命の危険を言われると、ぞくりとする。
﹁本当に気をつけます⋮⋮﹂
﹁そうだね。それともう一つ、島津君に話したいことがあるんだけ
ど、できれば場所を替えたいな﹂
サヨルさんがはにかんだ笑みを浮かべる。いったい何だ? 全然
見当がつかない。
﹁わかりました。多分、ここの代金は師匠がおごってくれると思う
んで、先に出ましょうか﹂
イマージュも寝てるか起きてるかわからないぐらい、ぼうっとし
ていた。今、何かをしゃべっても絶対覚えてないだろう。
﹁師匠、先に出てもいいですか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮ああ、好きに⋮⋮していいぞ﹂
酔ってる人間のこととはいえ、了解は一応とったし、いいだろう。
408
でも、念には念を入れるか。
手帳の一枚を破って、そこに﹁弟子が先に帰ることを許可する﹂
と書いた。ちなみにアーシアの宿るマナペンだ。常に肌身離さず持
っているほうが安全だ。
﹁師匠、ここに名前を書いてください﹂
﹁⋮⋮⋮⋮お安い御用だ⋮⋮﹂
乱れた字で書いてもらった。これで何も覚えてないと文句言われ
ても許可は得たと言い張れるだろう。
﹁島津君ってそういうところ、慎重だね⋮⋮﹂
﹁慎重で悪いことはないでしょ﹂
サヨルさんと店を出ると、サヨルさんの横について歩いていくこ
とになった。どこに行くかは知らされてないので、追っていくしか
ない。
着いたのは小さな公園だった。きれいな彫刻が中央にある噴水が
あって、その水面に月明かりがきらめいている。
﹁いい雰囲気ですね。俺、夜はほとんど出歩いたことがないから全
然知りませんでした﹂
﹁島津君、夜はたいてい何かの特訓してたんだもんね。頑張ってる
から王都をめぐる時間もなかったよね﹂
﹁それで、いったい何の用ですかね? まさか噴水の水で何か魔法
でも︱︱﹂
サヨルさんが微笑みながら、俺の前に手を伸ばしてきた。
まるで握手でも求めるみたいに。
﹁あの、この手は何ですかね⋮⋮?﹂
409
﹁好きです、島津君﹂
﹁えっ⋮⋮﹂
不意打ちだった。そんなこと言われるだなんて考えたこともなか
った。
﹁言ったでしょ、島津君のひたむきなところを追ってたら、あこが
れに変わってきたって。島津君と一緒にいたら、私ももっと成長で
きそうな気がするの。もっと近くで島津君のこと、見させて、感じ
させてください﹂
どうしよう⋮⋮。
告白されたことなんて人生初だ⋮⋮。
410
65 人生初体験︵後書き︶
告白されちゃいました⋮。次回に続きます!
411
66 アーシアに恋愛相談
どうしよう⋮⋮。
告白されたことなんて人生初だ⋮⋮。
﹁もし、付き合ってくれるなら、この手握ってください。ダメだっ
たらダメで、このままの関係でいてもらえたらうれしいかな⋮⋮﹂
照れたように言っているが、サヨルさんも緊張しているのはすぐ
に伝わってきた。
﹁どっちにしても、早く決めてもらえるとうれしいかな⋮⋮。雰囲
気のいい場所にまで移動したけど、もっち近場のほうが心理的には
よかったかも⋮⋮﹂
男だったら、ここはずばっと言わないといけないところだ。でも、
どう、ずばっと言えばいいんだ?
俺の頭に浮かぶのはアーシアの顔だ。
過去にアーシアに告白して、まあ、振られた。それは事実だ。そ
のあと別の誰かに恋をしたとはっきり認識したこともない、これも
事実。
﹁あの⋮⋮サヨルさんの言葉に対して、俺もできるだけ、誠実に答
えさせてください﹂
﹁う、うん⋮⋮﹂
﹁俺、実は一度、ほかの人に告白したことがあるんです。その女性
は特別な存在の人で、俺とは付き合えないと振られちゃったんです
412
けど⋮⋮。俺は半分諦めながら、でも完全には諦めきれてないとこ
ろもあって⋮⋮そういう人間なんですけど、大丈夫ですかね⋮⋮?﹂
俺、おかしなこと言ってるよな⋮⋮。開示する意味のないこと、
言ってる気がする⋮⋮。
﹁あ、当たり前でしょ⋮⋮。私たちって年頃の男女なんだから、島
津君にも好きだった人がいるのが自然だよ⋮⋮。過去に好きな人が
いたから嫌いになりましたなんてことはないよ⋮⋮。島津君が今も
その人が諦められないから無理っていうのならどうしようもないけ
ど⋮⋮﹂
だよなあ⋮⋮。人生初のイベントでテンパっている。これを決め
るのはサヨルさんじゃなくて、俺のほうなんだ。
﹁すいません、サヨルさん、一日だけ時間もらえませんかね? 俺
の頭を整理してから答えを出したいんです﹂
これはいいよな? ラブレターだって時間的猶予はたいていもら
えてるもんな?
﹁うん、それだったら⋮⋮﹂
ぎこちなく、サヨルさんは手を引っこめた。
﹁明日の夜九時に演習場に行きます⋮⋮﹂
﹁わかった⋮⋮。九時だね⋮⋮﹂
サヨルさんも俺と同じぐらい困惑しはじめてる気がする。俺のせ
いで余計な迷惑かけてるな⋮⋮。
﹁じゃあ、私、先に帰るね⋮⋮﹂
﹁いえ、女性一人っていうのは危ないから一緒に帰りましょう!﹂
﹁それもそっか⋮⋮。密偵の話をしたのは私のほうだしね⋮⋮﹂
413
こんな気まずいまま、町を歩くのははじめてだ。
﹁ちなみに特別な存在の人だから断られたって言ってたけど⋮⋮⋮
⋮姫様のこと?﹂
﹁いえ、違います! そんなだいそれたことはしませんから!﹂
表現の仕方がまずかったな。身分違いの恋と思われたらしい。
カコ姫にときめいたことはないとは言えないけど、告白なんてう
かつにしたら、こっちが処罰される恐れだってある。姫にその気が
なくても、不敬だと聞いていた誰かが言い出すかもしれない。いく
ら俺でもその程度の常識はある。
﹁じゃあ、師匠役のイマージュさん?﹂
﹁それも違います! 全然関係ないです!﹂
﹁あ∼、今のはだいたい予想ついたよ。飲み会の席を見たけど、二
人の間にそういう空気、怖いぐらいなかったから﹂
念のため、ふっかけるだけふっかけてみたらしい。
﹁あくまで私の勝手な言い分だけど、私たち、けっこういいカップ
ルになれると思うんだよね⋮⋮。ほら、お互いに異世界出身で身寄
りもないから、家の格式とか体面にそんなに気をつかわなくていい
し⋮⋮立場が近いから職務上の秘密も話してかまわないし⋮⋮。こ
れが町娘さんと結婚したりしたら、島津君、奥さんに話せない秘密
ばかりになるよ﹂
﹁そうですね⋮⋮。恋愛のことをそこまで具体的に考えてなかった
かもしれないです⋮⋮﹂
アーシアを好きになったことは、近くにいる女性を見る余裕ぐら
いしか俺になかったという言い方もできる。
強くなることに必死になるしかなくて、色恋にうつつを抜かして
414
いる場合じゃなかった。
︱︱というのは言い訳かもな。じゃあ、高校生の時は色恋に生き
てたかといえば、そんなことないもんな⋮⋮。
生徒はある程度のお金を国からもらえるので、そのお金で王都で
できた恋人にものを買ってる男子生徒もいたはずだ。結局は行動力
の差だ。
でも、行動力があろうとなかろうと、告白に答えを出さないとい
けないのは事実だ。
じっくり考えよう。でも、じっくり考える時間はないんだけど。
●
部屋に帰ったら、アーシアのほうから俺の前に出てきた。
﹁いや∼、なかなか大変なことになりましたね∼。これぞ青春です
ね!﹂
他人事だからなのか、アーシアは無茶苦茶楽しそうだ。
﹁古来より神剣ゼミを続けていればモテると言われていたんですが、
それが証明されましたね。勉学に励む姿は人をときめかせるのです
!﹂
この場合、サヨルさんと仲良くなれたのは俺の魔法による実力の
せいだから、あながち間違いではないのかもしれない。
﹁あの⋮⋮先生、俺はどうしたらいいですかね⋮⋮?﹂
﹁時介さん、それはないですよ﹂
ジト目でアーシアに見られた。
﹁時介さんの人生に関わることなんですから、自分で決めないと。
415
サヨルさんだって、ほかの人に付き合えと言われたから付き合うこ
とにしましたとか言われたら、ショックですよ﹂
﹁いや⋮⋮別れろとか付き合えとか答えを求めてはいないんです⋮
⋮。ただ、先生の立場からアドバイスがほしいんです﹂
﹁なるほど。そう来ましたか。筋は通っていますね﹂
まだ、完全に納得してくれているわけではないが、何か言っては
もらえそうだ。俺としてはとにかく考える材料が少しでもほしい。
﹁そうですね∼。やっぱり、これは時介さんがよく考え抜いて決め
るべきですね﹂
﹁アドバイスくれないんですか!﹂
生徒がこんなに悩んでるのにそれはひどいんじゃないか⋮⋮。
﹁じゃあ、あえて言いますよ。時介さん、私に告白したことあるじ
ゃないですか﹂
﹁うっ⋮⋮﹂
俺は思わず部屋の中で一歩後ずさった。
﹁つまり、時介さんにとって私は完全なる第三者ではないんです。
そういう私が一般論のつもりで言っても、かつて告白されてごめん
なさいした人が語った言葉になってしまうんです﹂
﹁ものすごい正論で何も言い返せないです⋮⋮﹂
そこで、アーシアは空を飛んで俺の横にまで来ると、ぽんぽんと
肩を叩いた。
﹁だから、よ∼く悩んで答えを出してください。どういう結果にな
ったとしても、時介さんが今のベストを尽くしたのなら、それが時
介さんを成長させます。当然、それでサヨルという方が幸せになれ
416
ればもっといいですけど、そこは人と人の相性ですから﹂
俺もやっと決心がついた。
﹁わかりました﹂
417
66 アーシアに恋愛相談︵後書き︶
新作﹁織田信長という謎の職業が魔法剣士よりチートだったので、
王国を作ることにしました﹂の連載をはじめました! よろしけれ
ばこちらもごらんください! http://ncode.syo
setu.com/n8486dn/ 現在日間2位です!
418
67 交際することになりました
翌日の授業では、やたらと生徒に声をかけられた。
﹁先生、おめでとうございます!﹂﹁先生、私に剣技も教えてくだ
さい!﹂
﹁いや、剣技は剣技の教官がいるから、そっちに教えてもらってく
れ⋮⋮。俺もまだまだ人に教えられる次元じゃないから⋮⋮﹂
﹁でも、スイング教官に勝ったじゃないですか!﹂
決勝で俺に負けた中山が言った。これまでにないぐらいの尊敬の
まなざしを感じる。その視線を素直に受け止められないので、つら
い⋮⋮。
俺が威張れるほど剣で強いわけじゃないのは事実だ。スイングに
は賭けに出て勝ったが、あんなものを繰り返せるわけがないし、賭
けに出ないといけない時点で自分が不利ということだ。あれが一対
一の対戦形式だから勝てたが、戦争でスイング程度の剣士二人に挟
まれたら俺は絶対に殺されていた。
とはいえ、勝ったのも事実だから、あまり謙遜するとスイングが
もっと弱いと言ってるのと同じになっちゃうんだよな⋮⋮。どっち
に傾いても、スイングを怒らせそうで怖い。わざわざ教官なんて身
内に敵を作りたくない。
ただ、授業はいつもどおりだった。課題をやる奴はやってくるし、
やらない奴はやらない。
419
神埼千夏はもうずっとサボっている。完全に投げちゃってるらし
い。
﹁すいませーん、忘れました﹂
﹁じゃあ、明日はちゃんとやってね﹂
別に神崎が俺を舐めているわけじゃないのはわかる。神崎はつま
るところ、落ちこぼれなのだ。一定の割合で落ちこぼれの生徒は必
ず生まれてしまう。
これの問題はヤムサックとでも話しておこうか。
一方で成績が伸びている生徒は確実に増えている。出されたもの
をちゃんとやるタイプの生徒には成長できるだけの課題を少し多く
ても出していた。それについてくるから、実力もどんどんついてく
る。
﹁先生、魔法の演習で上位に行きました!﹂
課題の点検中、理奈が元気よく教えてくれた。
﹁うん、よくできました。これからも魔法伸ばしていけよ﹂
戦場でやっていけるだけのものを俺は教えていけばいい。
師匠のところに行ったら、すごく何か言いたそうな顔をしていた。
﹁お前な、一人で勝手に帰るようなことをするな﹂
俺はイマージュに書いてもらった紙を見せた。
﹁なっ⋮⋮。お前、こんなものを⋮⋮﹂
﹁絶対記憶にないだろうなと思って、書いておいてもらっていまし
た﹂
﹁ぬかりないな⋮⋮。さすが、私の弟子だ⋮⋮﹂
むしろ師匠が信用できなかったから、こういうものを用意したん
だが。
﹁昨日、お前は見事な戦果をあげたが、課題も多い。それを克服し
420
ていく﹂
﹁はい、お願いします﹂
もとよりそのつもりだ。スイングぐらい楽勝で倒せるようになっ
ていないと高名な魔法剣士にはなれない。せいぜい、ただの器用貧
乏ぐらいの立ち位置で止まってしまう。
﹁それと、﹃型﹄を覚えるのと同時に練習試合の数をこなすのが大
事だと思った。軍隊の剣士と練習試合をしていけ。すでにこちらか
ら、仲のいい将軍には話を通してある﹂
﹁ありがとうございます!﹂
正直、俺ももっと試合をやって、実戦の空気を磨きたかった。で
ないと、習った﹁型﹂を試すことができない。
ただし、その日は練習試合に行く前に、師匠にみっちりしごかれ
た。
﹁今日のお前は雑念が多いのか、キレがないな。何かあったか?﹂
﹁なくはないです⋮⋮﹂
きっちり剣に出ちゃってるのはまずいな。
雑念の原因ははっきりしていた。
その夜、俺は演習場に顔を出した。かなり時間より早く来たのに、
サヨルさんは待っていた。
﹁早すぎませんか?﹂
﹁私のせいで来てもらってるのに、待たせたら悪いでしょ﹂
サヨルさんは恥ずかしそうに笑った。これで平常心でいろってい
うほうが無理だよな。
俺も決めている答えを言うだけでも、落ち着かない。
だから、ちょっと思い切った行動に出た。
421
サヨルさんの手をさっと握る。
﹁きゃっ⋮⋮! 何? 何なの? 島津君?﹂
﹁手を握ってくれって昨日、言ってたでしょ﹂
﹁あっ⋮⋮﹂
サヨルさんの顔がはっとしたものになる。俺はできるだけ、かっ
こよく笑いかける。ここでかっこつけないで、どこでつけるんだ。
﹁付き合いましょう、サヨルさん。それが俺の答えです﹂
サヨルさんと二人でもっと高みを目指そうと思った。きっと、サ
ヨルさんなら俺を支えてくれるだろうし、俺もサヨルさんの心が折
れそうな時、支えられる自信があった。
﹁ありがとう、島津君⋮⋮﹂
サヨルさんの目に涙がたまる。声も涙声になっていた。
﹁二人の時は、時介って呼んでくれませんか?﹂
﹁じゃあ、私のこともサヨルって呼んでね。それと丁寧な言葉づか
いもやめで﹂
﹁サ、サヨル⋮⋮﹂
呼び捨てにするのって、かなりハードルが高いな⋮⋮。
この世界の交際がどういうものか、よくわからないので、事前に
アーシアにも聞いていた。貴族とか良家の出身者であればたいてい
は交際も制限されるが、逆に言えばそうでない立場であればある程
度の自由恋愛は許されているらしい。
ただし、それが結婚ともなると、主に財産や地位の問題に直結す
るので横槍が入る割合も高くなるらしいが、それは当たり前と言え
ば当たり前だろう。俺とサヨルさんの間にそんな問題は関係ないし、
だからこそサヨルさんも告白してくれたはずなのだ。
422
ひとまず、一緒に話をしたり、ごはんを食べたり、買い物をした
りしていればいいのだと思う。そこから先は、その場の流れで。
﹁じゃあ、時介、早速だけど教えてほしい魔法があるんだけど⋮⋮﹂
﹁別にいいけど、いきなりそれっていうのも雰囲気出ないな⋮⋮﹂
﹁だからって、すぐに、と、時介の部屋に行くっていうのも極端だ
と思うし⋮⋮﹂
俺も顔を赤くしていたと思う。それはあまりに性急だ。
﹁魔法、教えるぞ⋮⋮﹂
﹁うん、お願い⋮⋮﹂
全体的にぎこちなさがあるけど、これはそのうち解消されるだろ
う。そう、信じたい。
423
68 交際翌日
その日の夜、部屋に戻ったらアーシアにまたにやにや笑われた。
﹁サヨルさんはお連れしなかったんですね﹂
﹁ものには順序っていうものがありますよ。魔法の初心者がいきな
り無詠唱で概念魔法使ったら、おかしいでしょ﹂
﹁それもそうですね。ですが、最初の一歩は上手くいったみたいで
よかったです。異性との交際は人を成長させますからね。ただしお
酒みたいなもので変にはまってしまうと、その人の人生をダイナシ
にすることもあるので、注意が必要ですけど﹂
アーシアはやっぱり教育者的知見だなと思った。
﹁応援してくれているのはうれしいんですけど、勝手かもしれませ
んけど、先生に嫉妬してもらえたらもっとうれしかったですね﹂
サヨルと付き合ってからだから、軽口も叩けた。
﹁教師にそんなことを言ってはいけませんよ﹂
またいつものように笑顔でかわされる。でも、その日のアーシア
はちょっと照れたようになった。
﹁ですが⋮⋮私も先生じゃなかったら、時介さんと付き合えてたの
かなと思うことはあります⋮⋮﹂
﹁えっ⋮⋮。それって、どういうことですか⋮⋮﹂
それは反則だ。こっちがふざけたところで、そんな大事な言葉を
重ねてくるなんて⋮⋮。
﹁どういうことって、そのままの意味ですよ。私、時介さんのこと、
嫌いだったことなんて一度もないですから⋮⋮。すごく真面目で努
力家なの、ずっと見守ってきましたから⋮⋮。だから、ほかの人よ
りよっぽど時介さんのことを知ってますよ⋮⋮﹂
424
ほかの女性と交際するようになった日に、こんなことまともに言
い出すのって、どうなんだ。しかも、無意識のうちに言ってるみた
いだし。アーシアは魔性の女なのか。見た目の露出度は実際、高い
けど。
﹁風呂でも入って、頭冷やします⋮⋮。いや、風呂だとあっためる
のか⋮⋮﹂
﹁そうですね。あ∼、それと剣技のほうはこれから対戦を繰り返し
ていけば強くなると思うので、また魔法のお勉強をいたしましょう
か﹂
たしかに剣技については、あとは数をこなすのが大事かもしれな
い。アーシアが指導できるのは基礎的な部分が大きいし。もちろん、
大股移動を習得したおかげで、俺の剣も急速に成長したわけで、そ
れは確実にアーシアのおかげなんだけど。
風呂から戻ってくると、アーシアがナイフをくるくるっと投げて
は、手でキャッチしていた。
﹁精霊だから問題ないのかもしれませんけど、あまり危ないことは
しないでくださいよ﹂
﹁これ、切れないナイフですから。模造刀なんです。今日はこれを
使いますよ﹂
﹁魔法の授業をやるんじゃないんですか?﹂
こくこくとアーシアはうなずいた。それから、ナイフを持って︱︱
さっと俺のノド元にそのナイフを突きつけた。
﹁えっ⋮⋮アーシア先生⋮⋮﹂
まさかアーシアに攻撃されるなんて考えてなかったから、隙だら
けだった。
﹁こういうような時に、いかに魔法で状況を打開するかの授業です。
425
バカ正直に魔法使いを魔法で倒そうとする人だけじゃないですから
ね。敵国に刺客を放つなんていうのも基本です﹂
やっと意味が飲み込めてきた。
実戦向けの魔法実習ってことだ。
たしかにこれ以上、魔法の数ばかり増やしても戦いで使えなかっ
たら意味がないよな。
戦いで使えるかどうかというのは、詠唱を覚えているかといった
次元の話じゃなくて、様々に変化する戦争の局面で、ちゃんと価値
のある使用法を見出せるかということだ。
﹁剣技と同じで、魔法使いの戦いにも定石なるものはあります。こ
んなふうにやられたら、こうやり返せといったようなものが。たと
えば、こうやって正面から脅された場合は詠唱が短めのウィンドブ
ラストを素早く唱えて、まず敵を離します﹂
俺の場合は無詠唱だから、余計に敵の油断を誘える。
早速試してみた。頭の中で無詠唱の魔法を使う。
﹁アーシアの体が、風を受けて、ぐっと前に進む﹂
﹁室内だから、威力は加減しました﹂
﹁そうですね。そういうものを何種類かやってみましょう﹂
アーシアの授業がどこで終わりになるのかよくわからないけど、
少なくとも軍人として活躍するための知識や技能が神剣ゼミで増え
ていっているのは、わかった。
翌日、教官室でサヨルと会った。
﹁おはよう⋮⋮時介、君⋮⋮﹂
﹁おはようございます、サヨル、さん⋮⋮﹂
426
人前では呼び方を変えないといけないから、なかなか面倒くさい。
ちなみに昨日は効果的な攻撃魔法について指導した。
生徒に教えている身だからわかるけど、知識も能力もある人に教
えるというのはすごく楽だった。一を聞いて十を知るという言葉が
あるが、あんな感じで細かく言わなくてもすぐに理解してもらえる。
﹁私ももっと実戦で使える魔法を増やしていきたいからね﹂と、サ
ヨルは昨夜行っていたけど、はからずもそれはアーシアがはじめた
新しい授業とリンクしていた。
とはいえ、それは付き合っている時の話だ。今は教官同士、いつ
ものとおりの距離感で⋮⋮。
﹁あの、ヤムサックさん、生徒の成績のことなんですけど﹂
生徒の間で成績がかなり開いている。毎年のことなんだろうけど、
どうするべきなのか聞いてはおきたかった。それをヤムサックに説
明した。
﹁なるほどな。成績というより、授業態度の悪い者が一番の問題だ
な。ただ、どうしたらいいかと言われるとどうしようもない。軍隊
に入る時に、成績が悪い者には試験を課しているが、それでやる気
と能力が両方ない者が受けた場合、はじくようになっている﹂
対応もシステムで決まってるみたいだな。
﹁落第ってことですかね?﹂
﹁本気で魔法使いとして生きていくのが目的なら落第だろうが、そ
うでなければ違う道を生きるだけのことだ。最低限の年金は異世界
出身者に与えられるし、そこで新たな生活を送ってもらう﹂
﹁たしかに、それが一番いいんでしょうね﹂
魔法使いとして軍に入れば、命の危険も伴うからな。
﹁ところで話は変わるが﹂
427
﹁はい﹂
﹁お前たち、付き合ってるのか?﹂
さらっと、ヤムサックに言われた。
428
68 交際翌日︵後書き︶
先週から更新開始した﹁織田信長という謎の職業が魔法剣士よりチ
ートだったので、王国を作ることにしました﹂週間1位になりまし
た! ありがとうございます! http://ncode.sy
osetu.com/n8486dn/
429
69 課外訓練に向けて
﹁お前たち、付き合ってるのか?﹂
さらっと、ヤムサックに言われた。
ちょうどサヨルは席でお茶を飲んでいたらしく、かなりむせてい
た。
﹁な、な⋮⋮俺、何もほのめかしてないと思いますが⋮⋮﹂
﹁そんなもの、かもし出している空気でわかる﹂
そんなにあっさりばれてしまうものなのか⋮⋮。カップルらしい
ことなんて、まだ何もしてないのに⋮⋮。
﹁だが、教官同士で付き合うこと自体は何も問題はない。どんどん
親睦を深めてくれ。ぶっちゃけ、生徒に手を出されるよりはいい﹂
﹁生々しいことを言いますね⋮⋮。でも、教師と生徒って立場が対
等じゃないですからね⋮⋮。わからなくはないです⋮⋮﹂
もちろんそんなことは言わないけど、仮に俺がデートしてくれた
ら成績を上げてやるって言ったら女子生徒はそれに同意する可能性
はある。
そんな交換条件を出さなかったとしても、教官と付き合えばテス
トの答えを教えてもらえるかもしれないなどと相手が思うことはあ
りうる。ほかの生徒にばれても、特別に目をかけてるんじゃないか
と疑われるだろう。教師が生徒に点数をつけられる側にいる以上、
力関係は不平等なのだ。
430
﹁そういうことだ、いちゃいちゃしてもらってまったく構わん。た
だし、破局して気まずい空気を作ることは禁止だ。私にとっても迷
惑だ﹂
とことん実利的なことをヤムサックは言うな。それぐらい、サバ
サバした関係のほうがありがたいけど。
﹁ヤムサック教官⋮⋮その、私たちのこと、黙っていてくださいね
⋮⋮﹂
サヨルが念を押した。すぐに一人にばれた時点で早晩教官のみん
なにもばれそうな気がするが、発覚は遅くなるほうがいい。
﹁大丈夫だ。お前たちの恋仲にさして興味はない﹂
研究にしか興味がない大学院生みたいなことを言われた。
﹁それはそれで、なんだかイラっとする部分もあるんですけど⋮⋮
まあ、プラスにとっておきます⋮⋮﹂
たしかに、そこまでサバサバした対応をとられると、恋で盛り上
がっていた俺たちがすごくしょうもないことをしていたみたいに思
える。ほどほどに興味を持ってくれというのは、わがままだと思う
けど⋮⋮。
﹁さて、話は変わるが﹂
この人、ほんとに興味ないな⋮⋮。ヤムサックも年頃の男のはず
なのに⋮⋮。
﹁課外訓練の日程が決まった。我々も引率の教官としてついていく
ので、荷造りなどはしておくようにな﹂
課外授業? そんなのあったっけと思っていると、サヨルが紙を
貼ってあるボードをぽんぽんと叩いた。俺がわかってないと判断し
たんだろう。
そこには﹁課外訓練 場所:ヒョーノ山脈 日程:初冬月十六日
431
から四泊五日。ただし移動日を除く﹂と書いてある。
﹁山にこもって、いくつかの部隊に分かれて、そこで模擬戦争をや
るの。一年目の授業で学んだことの集大成と言ってもいいわ。途中
からは過去の卒業生で、今は軍に所属している者も参加する予定﹂
ちなみにこの学校でのカリキュラムは二年間あるが、毎年生徒を
召喚しているわけではないので、二年生というのが今、いるわけで
はない。
﹁もう、そういう時期なんですね﹂
なんだかんだで一年の間、いろんなものを学んだと思う。こっち
としては五年習ったぐらいの密度だったけど。
﹁あくまでも、私たちが教えたことは戦争目的のものだってことを、
ここで感じ取ってもらうの。逆に言えば、そこであまりにも向いて
ないと思ったのなら、早々に軍人になるのを諦めるのも選択肢の一
つよ。勉強が得意なことと、本番が得意なことは別だから﹂
﹁けっこう、大規模なことをやるんですね﹂
﹁教官になっててよかったね。生徒のままなら、薄汚い小屋に泊ま
って、夜も当番制で見張りをしたりする必要があっただろうから﹂
それは勘弁してほしいな⋮⋮。
課外訓練の件が発表された時の、生徒の反応は上々だった。
﹁修学旅行みたいなものかな? 王都から出てないから楽しみ!﹂
﹁温泉とかあるのかな?﹂﹁枕投げ、中学以来だな﹂
もう、完全に遊びに行く感覚だな⋮⋮。一応、訓練って言ってる
んだけど。
ヤムサックが﹁遊びではないぞ。早い段階で敗退したチームには
432
罰も課されるからな﹂などとちゃんと説明していたけど、どこまで
通じてるか怪しいところだ⋮⋮。
その課外訓練までの間、授業も実戦向けの内容を多くした。俺が
勝手にそうしたんじゃなくて、教科書もそういったことが中心に書
いてあるのだ。一年目の勉強を生かして、どうにかしろってことだ
ろう。
異世界から来た俺たちはマナを多く体に持っているから、これま
でに習ってきたことだけでも、マスターしていればかなりの戦力に
なるはずなのだ。それの発表の場だ。
課外訓練は教官にとっても大きな行事なので、サヨルとのプライ
ベートの時間をゆっくりとる雰囲気にもならなかった。とくにサヨ
ルは事前準備が割とあったらしい。こっちは高校生の年で向こうも
そんなに大差はないから、ちょっと子供っぽい恋愛でいいのかもし
れないけど。
その間、俺は軍隊所属の剣士と何度も勝負を行っていた。剣技の
ほうももっともっと高めておきたい。基礎はかなり身についている
ので、やっぱり実践の数を増やしたい。
最初、こっちが軍人の剣技に慣れてなかったので勝率は三割ぐら
いだった。流派が軍人のものと、イマージュのものと違うのだ。そ
れでも、勝率も一週間の間に五割ぐらいに上がってきた。
軍の指揮官からも﹁かなり素質がある﹂と言われたので、悪くは
ないのだろう。でも、王国の軍人と二回に一回程度しか勝てないの
では、本番で使うには危うい。まだまだ課題は多い。
アーシアの元では、相変わらず戦闘を前提として魔法の使用につ
いて学んだ。背後から剣を突きつけられても、動じることなく対処
433
できるようになってきた。これが無意識のうちにできるようになれ
ば完璧だとアーシアは言っていた。
そして、課外訓練の日がやってきた。
434
70 生徒にもばれる
﹁イノシシの肉って臭みがあると思ったけど、そうでもないな﹂
﹁血抜きが上手いのよ。殺したあと、すぐに処理ができるかどうか
で味がまったく変わるの﹂
俺とサヨルは引率している生徒たちの横でイノシシの肉を食べて
いた。味付け用の塩や香辛料がかかっているから、かなりスパイシ
ーだ。椅子はないので、切り株をお互いに椅子の代わりにしている。
﹁移動日は実習に含めないって書いてた気がするけど、これも実習
みたいなものだな﹂
移動中の食事は森に入って狩りをすることとなっていた。森や山
に潜伏する時の予行演習なんだろう。
教官はイノシシやシカを狩る必要はないのだけど、実験も兼ねて
イノシシもシカも一頭ずつ大きいのを仕留めた。
火炎をぶつけると、そのまま調理になってしまうから、氷の刃を
何本もぶつけた。
血抜き作業自体は地元の村人が手伝ってくれる。あくまでも手伝
ってくれるだけだ。野生動物を狩ることも含めて実習なのだ。
俺は全部村人に任せてもいいんだけど、せっかくなのでナイフを
使ったさばき方を教わった。いつ、どこで使うことになるかわから
ないし、単純にサバイバル体験みたいで楽しい。
﹁もう一回ぐらい、行きで狩りをするチャンスがあるよな。次はヤ
マイヌも狙ってみたいな﹂
435
﹁あ∼あ。なんか複雑な気分﹂
こっちは楽しそうなのに、なぜかサヨルの顔は晴れない。
﹁もしかして、サヨル的にはこういうのって野蛮だったりするのか
?﹂
﹁そういうことじゃないの。だって、私とのデートの時より、今の
時介のほうがずっと楽しそうなんだもん。私って狩り以下なのかっ
て思うわ﹂
サヨルは不服そうだけど、食欲はあるらしく、俺と同じ量を食べ
ている。
﹁デートって、王都に買い物に行ったぐらいだろ﹂
﹁そういうのをデートって言うの! あぁ⋮⋮男ってこういうとこ
ろが雑なのよね⋮⋮﹂
デートでの女性の楽しませ方とかも、アーシアから学んでおくべ
きだっただろうか⋮⋮。
﹁至らない点があったら謝るからな⋮⋮﹂
﹁あっ、そういうところがあったわけじゃないから、気にしないで
! 一緒に買い物して私はすごく楽しかったから⋮⋮﹂
あわててサヨルがそう言った。愛想尽かされたりはしてないらし
い。よかった、よかった。
﹁でも、時介も変わったよね。最初に生徒として会った時は、まだ
生徒って雰囲気が強かったけど﹂
﹁生徒だったんだから当たり前だろ﹂
﹁いちいち、横槍入れないで﹂
サヨルが頬をふくらませた。こういう仕草をすることがサヨルは
増えてきたと思う。多分、親愛を示すものだと受け止めていいだろ
う。
436
﹁その頃も、時介はすごかったよ。すごかったけど、まだ自分を成
長させることで精一杯って感じがあったの。けど、カコ姫様の件で
戦いがあった後の時介は⋮⋮なんていうのかな⋮⋮外を見る余裕み
たいなのが生まれてる。言い方を変えれば大人になったっていうか、
かっこよくなったっていうか⋮⋮だから、好きになったっていうか
⋮⋮﹂
サヨルの顔が赤い。これ、結局、俺のこと、全肯定してくれてる
んじゃないか⋮⋮。
﹁ありがとうな、サヨル⋮⋮。そう言ってくれると俺ももっと頑張
れるし⋮⋮﹂
﹁そんなにはっきり、ありがとうって言わないでよ。私も照れちゃ
う⋮⋮﹂
これ、外から見たらノロケだよな。あんまり生徒に見られないよ
うにしないと︱︱と思って、横を見たら思いきりツインテールの生
徒と目が合った。
理奈が俺たちのやりとりを見ていた。いつからかによるけど、偶
然通りかかったって感じじゃないな⋮⋮。
﹁あっ、高砂さん⋮⋮何か質問でもあるかしら⋮⋮?﹂
サヨルもわかったらしく、強引に誤魔化す作戦に出ることにした
ようだ。
﹁そうですね、質問というと⋮⋮﹂
あっ、なんとか回避できるかな⋮⋮。
﹁二人って付き合ってるんですか?﹂
回避不可能だった。
﹁そ、そういうことになるかな⋮⋮。はは⋮⋮﹂
437
サヨルは赤い顔というより青い顔になっていた。絶対に生徒間で
広まるもんな、こんなネタ。
﹁そうですか⋮⋮。島津先生を狙ってる女子多かったんですけど、
残念です﹂
理奈の口から聞き流せない話が出た。
﹁えっ、俺ってそんなにモテてたのか?﹂
ついつい聞き返してしまった。
この学年になるまで、スクールカーストではかなり底だという自
覚があった。被害妄想じゃなくて、事実のはずだ。成績も悪かった
し、部活も所属してなかったし。
﹁ここ数か月で、先生って急速にかっこよくなったからね∼。むし
ろ、理奈だってあわよくばって狙ってたぐらい。教官になったから
これは無理だって諦めたけど、むしろなってからのほうが好きにな
った子は多いみたい﹂
理奈は俺とサヨルのほうが近づいてきた。
えっ、俺って理奈にもそんな目で見られてたのか!
モテ期など一生来ないものと諦めかけていたのに。けど、サヨル
と付き合ってるから、その時点でモテ期だと気付けって話だよな。
﹁ほら、剣技のトーナメントで優勝したよね。あれでファンの人が
増えたんだよね∼。だって、いざって時に守ってくれそうだし﹂
﹁なるほどな。そういうことか。そういう成績で選ばれたほうが納
得はいく﹂
スポーツが強いとモテるみたいなのって本当なのかって思ってた
けど、効果はあるらしい。
﹁もちろん、それだけじゃないけどね。今の島津君、いい意味で落
ち着いているから。一人だけ大人の男って感じだもん﹂
438
理奈はわざと島津君と言った。
内容的にサヨルの言葉と近い。どうやら俺は変われていたらしい。
﹁こういう言い方はおかしいかもしれないけど、ありがとうな﹂
﹁こういう言い方はおかしいかもしれないけど、どういたしまして﹂
理奈と目が合って、二人で笑った。
﹁もし、サヨル先生と別れたら教えてね、島津先生﹂
冗談で理奈が言った。
﹁失礼なこと、言わないの﹂
これにはサヨルも苦笑いする。
﹁けど、男子もサヨル先生、狙ってる人多かったから、これは荒れ
そうだね∼﹂
にやにやしながら理奈が言った。
﹁えっ! なんで、私が生徒にモテるの!?﹂
サヨルは信じられないといった顔をしてたけど、そりゃ、ほぼ年
齢差のない女の先生はモテるだろう。
439
71 訓練場所に到着
そのあともサヨルは理奈にからかわれていた。サヨルも生徒に好
かれることに対する免疫はあまりないらしく、困ったような顔をし
ていた。
﹁私、生徒と付き合うってことを考えたことは一度もないしなあ⋮
⋮﹂
﹁じゃあ、俺はどうなるんですか﹂
自分の顔を指差す。
﹁あっ、本当だ⋮⋮。時介は別格というか、特別でしょ⋮⋮。あく
までも同僚枠ということで⋮⋮﹂
理奈はそんな様子を見て、さらに面白がっていた。こういうのっ
て、あたふたすると余計にいい餌食になるんだろうな。でも、どっ
しり構える余裕がないのは俺もサヨルも同じだ﹂
﹁理奈、ちなみに⋮⋮俺のこと、好きな女子って誰がいるの⋮⋮?﹂
﹁ちょっと! なんでそんなこと知る必要があるのよ!﹂
サヨルに怒られた。もっともだ。浮気しようとしてると思われて
も文句言えない。
﹁あくまで、参考にだ⋮⋮。誰だって気にはなるだろ﹂
﹁そんなこと知ったら、授業を公平にやりづらくなるでしょうが。
知らないほうがいいのよ﹂
それはまったくの正論だ。明らかに自分を好きな生徒を意識して
しまう。
﹁じゃあ、すごく遠いヒントだけ出すね。教師と生徒の関係ってす
ごく複雑だよね∼﹂
440
﹁全然、わからん﹂
﹁これ以上は言わないよ。遠いヒントって言ったしね。じゃあ、お
邪魔して悪かったから、あっち戻るね!﹂
理奈は手を振ってスキップするように足を動かして森のほうに消
えていった。よほど楽しかったんだろう。まさにコイバナだったわ
けだし、しょうがないかもしれない。
﹁高砂さん、真面目なんだけど⋮⋮こういう話は教師としてどう接
していいかわからないから、大変⋮⋮﹂
﹁気持ちはよくわかる⋮⋮。生徒と年齢差が近いと、こういう問題
があるな⋮⋮﹂
自分なんて近いどころか、クラスメイトだからな。もしかして過
去も似たような問題があったりしたんだろうか。
でも、明確な答えがあるものじゃないし、自然体でいくか。
﹁集合時間までまだあるし、ちょっと散歩でもしないか?﹂
食べ終わったので、サヨルの手をとる。
﹁そんな⋮⋮手をつないでるところとか、見られたら、また噂にな
るよ﹂
﹁それだったら心配いらない﹂
﹁どういうこと?﹂
﹁理奈にばれたんだ。百パーセント、話は広がってる。今更注意し
ても、すでに遅すぎる﹂
﹁そういうことか⋮⋮﹂
がっくりと肩を落としたサヨル。それから、吹っ切れたように笑
った。
﹁じゃあ、時介と森でもぶらつくことにするわ﹂
441
森の散歩はなかなか楽しかった。これまで以上にサヨルとも話が
はずんだ気がした。もっとも、色気のある話かというと、全然そん
なことはなかった。
﹁ヒョーノ山って、割とセルティア王国と近いけど、今回って敵が
入ってくることを想定しての作戦ってことでいいのか?﹂
﹁その可能性が一切ないというとウソになるけど、ヒョーノ山経由
の道はそこから先も山岳ルートが続くから主要な道ではないわね。
もっと南の低い山からの道が本命。そこには今も砦があって、兵が
詰めてるし﹂
﹁それでも、訓練には実戦に近いことをさせるって意味があるのは
事実だし、生徒も気合い入れてやってほしいけどね。敵が西から入
ってくる危険もあるし。あっ、おいしそうなキノコ!﹂
﹁気合い云々の説得力もぶっ飛んだな⋮⋮﹂
キノコは素人が選ぶのは怖いので、あまり触らないでほしい。触
っただけで手がただれるものもあることにはある。
﹁難しいところよね。本当はガチガチに締め付けてやったほうがい
いのかもしれないけど、王国も勝手に呼び出した負い目があるから
ね。もっと早い段階で軍人になるか、普通に王国で生きていくか、
決めてもらってもいいかもしれないけど、ある程度時間をかけない
と素質があるかどうかもわからないし﹂
﹁思い出作りも必要だしな。そのへんは俺たちのいた世界の学校も
一緒だった﹂
遊びと勉強のバランス。何が一番いいかは難しいところだ。
﹁まっ、教員としては生徒みんなが無事に帰ってくることを願って
ればいいんじゃない?﹂
﹁おっ! 教官らしいこと言った﹂
442
﹁何よ、その言い方! 教官なの! 生徒が好きじゃなかったら授
業を受け持たずに研究だけしてるって!﹂
ただ、散歩から戻ったら、その生徒たちに﹁どっちからアタック
したんですか?﹂などと早速女子生徒に尋ねられたが。
﹁本当に、噂が広まるのって速いのね⋮⋮﹂
サヨルがすぐに赤面してうつむいてしまい、さらに格好の的にな
っていた。サヨルももうちょっと耐性つけないと、今後きついぞ⋮
⋮。
●
ヒョーノ山脈には予定通りに到着した。雨が降ることもなくて、
よかった。
生徒たちも、かなり徒歩の時間が長かったのと、ものすごく険し
いということはなくても、それなりに登りの山道も歩いたので、す
でに疲弊の色が見えた。
まず、ヤムサックが班ごとに生徒を並べなおさせた。
﹁よし、みんな今から大切な話をするからな。心して聞け﹂
ヤムサックがいつもより心なしか大きな声で言う。
﹁今日から、模擬軍事訓練を行う。最初の訓練は、この山の中に潜
んで、敵の班と戦う。君たちはそれぞれ山小屋を拠点にしつつ、敵
と戦ってもらう。各班には旗を渡しておく。それを守り切れ。逆に
奪われたら、それまでだ。旗を敵にとられると班員は痛みを感じる
ようになっている。一種の呪いの魔法だな﹂
ろくでもない魔法をヤムサック、旗にかけてるんだな。けど、そ
443
ういう魔法がないと、斥候に出てたり、攻め込んでる班員が自分の
ところが負けたことに気づけない。ルール上、必要ではある。
班は赤の旗と青の旗のチームに分かれる。同じ色で連携しつつ、
相手を攻撃していく。
﹁日限は明日の正午までとする。ラッパを鳴らすからそれが合図だ。
負けた側で、かつ、最初に脱落したことがわかった班には池を一ト
ーネル泳いでもらうのでそのつもりで﹂
一トーネルというと、一キロだ。かなりハードな内容と言ってい
い。きつい、三分の一にしてくれといった声が上がる。
﹁ダメだ。最初に旗をとられたということは、戦場で最初に戦死し
たようなもの。すぐに死ぬ兵士には価値も薄い。下手をすると、そ
こから味方の士気が下がることもあるからな﹂
ヤムサックの言うとおりだろう。
訓練が甘々では意味がない。
こうして、訓練がはじまった。
444
72 一つになりました
生徒たちはそれぞれ自分の持ち場を目指して、山の中に分け入っ
ていった。
木が生い茂っている中に入っていって、やがて見えなくなる。
﹁一種の山岳ゲリラ戦をやるってことね﹂
サヨルが言った。山中での戦いとなると、そういうことになりそ
うだ。この立地を有効に使ったチームが勝つ。
﹁さてと、私たちはちゃんとした宿舎があるし、そっちで休んでお
きましょ﹂
サヨルが俺の手をとった。
﹁うん、生徒が実習してる時に休んでるのも罪悪感あるけど﹂
﹁その代わり、夜は生徒の応対で起きてないといけないの。今のう
ちに寝ておかないとあとが大変よ﹂
﹁そっか、夜に脱落する生徒もいるかもしれないもんな﹂
﹁まだ、今年はたいしたことないよ。来年度はもっと厳しい実習も
多くなるから。私も変な野草食べて、おなかをこわした思い出があ
るわ⋮⋮﹂
﹁そっか、経験者だよな。あんまり、サヨルって先輩って感じがな
いから﹂
﹁⋮⋮失礼なこと言わないの﹂
サヨルにちょっと手の甲をつねられた。
山の中にある割には宿舎の部屋はこぎれいだった。王都の宿と大
445
差はない。むしろ、景色がいいだけこちらのほうがお得なぐらいだ。
生徒たちが散っていった山と逆側は下に川が流れていて、深い渓谷
みたいになっている。その景色が宿から見渡せた。
ただ、そんなことより気にかかることがあった。
﹁サヨルと同じ部屋なんだ⋮⋮﹂
部屋の配置を見て、びっくりした、たしかに寝室は別々に用意さ
れているが⋮⋮。
﹁ここは王都の役人が宿泊するような宿だから、質はいいの。その
分、部屋数は少なくて、一人一部屋ってわけにもいかないのよ﹂
﹁もしかして、ヤムサック教官が余計な気をつかったのかな⋮⋮﹂
付き合っていることはとっくにばれているから、ありえないとは
言えない。
﹁実は私がお願いしたの⋮⋮﹂
顔を赤くして、サヨルが目をそらしながら言った。落ち着かない
のか、左の人差し指で頬をかいている。
えっ⋮⋮。それってもっと二人の距離を縮めようってことか⋮⋮?
やっぱり、もっとこちらから積極的にいかないといけなかったん
だろうか⋮⋮。急にがっついたらよくないと思って、ライトな対応
をしてたんだけど、逆効果だったかな⋮⋮?
たしかに付き合ってから、サヨルの部屋に行ったことも二回ぐら
いあったけど、すぐに帰っちゃったし⋮⋮。あれは失策だったんだ
ろうか。
446
﹁あの、サヨル⋮⋮俺、こういうことに慣れてなくて︱︱﹂
﹁二人のほうが勉強するのに効率がいいなと思って﹂
サヨルの視線の先には何冊も本が置いてあるテーブルがあった。
﹁こっちの地方だけで伝わっているって言われてる独自魔法の研究
資料。勉強会できない、かな⋮⋮?﹂
﹁あっ、そういうことか⋮⋮﹂
ほっとしたような、がっかりしたような。ちょうど半々ぐらいの
気持ちだ。
ただ、もう、意識は独自魔法という言葉に移っていた。
﹁あのさ、独自魔法っていったい何だ?﹂
そう言いながら古い本のテーブルに行って、ぱらぱらとめくる。
﹁ずっとずっと昔のことだけど、このヒョーノ山のあたりは一種の
独立国家だったの。そこに土着の魔法使いがいて、ハルマ王国とは
違った魔法を操っていたと言われてる。今はそんな連中は残ってな
いはずだけど、その魔法についての古写本はなくもないの﹂
﹁上手く、それを復元できればいい武器になるってことか﹂
﹁そういうこと﹂
なんだかんだで、サヨルも勉強熱心だな。
俺も独自魔法の研究資料をサヨルと一緒に読み進めることにした。
いきなり、詠唱が載っているだなんてことはなくて、魔法の特徴
が書いてある。一種の歴史書に近い。
﹁ヒョーノ山の魔法使いが声を発すると、兵士達がいきなり同士討
ちをはじめた︱︱けっこうえげつないことをやってるみたいだな﹂
﹁概念魔法ってほどじゃないけど、広範囲な魔法ではあるみたいね。
447
それと、気になる記述はこれ﹂
過去に読んだことがあるのか、サヨルはすぐに違うページを開い
た。
﹁どうも、ここの魔法は人間の感情を利用するらしいの。過去の伝
承からそういうことが裏付けられるって、ここに書いてある。極端
な思考の人間ほど、強力な魔法が使えるとか﹂
﹁片鱗だけだけど、けっこう、ヤバいにおいはするな⋮⋮﹂
﹁今にここの魔法が残ってないのも、そういう理由だと思う。危な
いから封印されたんじゃないかな。けど、威力が強いってことは、
上手に使えれば武器にもなるから﹂
﹁古代魔法の復活か。けっこう、とんでもないこと考えてるんだな
⋮⋮﹂
思わず、サヨルの顔を見つめた。
いつもより、サヨルが大人びて見えた。
﹁私があまり使えなさそうな魔法まで習得しようとしてたのも、こ
こと関わってくるの。半端な魔法の中には王都の主流とは異なる伝
来過程のものもあるかもしれないから。どこかで別の魔法体系を見
つける糸口になるかもしれない﹂
﹁正直言って、気の遠くなりそうな話だな⋮⋮﹂
﹁私もそう思う。何度か投げ出しそうになったよ。でも︱︱﹂
俺の手に、そっとサヨルは手を重ねてきた。
﹁時介とだったら、きっと乗り越えられると思うから﹂
サヨルの手は少し冷えていたけれど、心はそうじゃないとすぐに
わかった。
448
﹁お願いします、私の隣を一緒に歩いていってください﹂
﹁こちらこそ、喜んで﹂
どちらからともなく、くちびるを交わした。
二人で同じ本を読んでいたせいで、ちょうど近い距離にいられた
ことを感謝したい。自然とそうするのが正しい気がして、銀色の髪
と肩に手を伸ばした。
﹁サヨルのこと、もっと知りたいな﹂
サヨルは目を合わせるのが怖いのか、ちょっとうつむいたように
なって、
﹁いいよ⋮⋮﹂
とうなずいた。
そのあと、寝室の一つで、ゆっくりと愛し合った。
お互い、ぎこちないところがあったけれど、愛は深まったと思う。
﹁サヨルの肌って、本当に白かったんだな﹂
﹁男の人に見られたことないから、恥ずかしいな⋮⋮﹂
﹁それだったら、俺も同じだから、おあいこだ⋮⋮﹂
そのまま疲れて、同じベッドで眠りに落ちた。
449
73 ヒョーノ派魔法
目覚めたら、すぐ隣に裸のサヨルが眠っていることに気づいて、
すぐに眠けなど飛んでしまった。
﹁少し、さっきの本でも読むかな⋮⋮﹂
着替えて、この地方に残る魔法の資料の前でマナペンを取り出し
た。アーシアがすぐに顔を出す。
いつもと違って、やけに照れたような顔をしていた。
﹁時介さん、大人になったみたいですね⋮⋮﹂
﹁そのことは指摘しないでください⋮⋮。あと、教育者としてもど
うかと思いますよ⋮⋮。出てきてもらったのは、これについて聞き
たかったからです﹂
俺の視線は例の資料に向いている。
﹁いわゆるヒョーノ派という魔法ですね。公的には残っていません
ので、私はカリキュラムには組み入れてません﹂
そりゃ、残ってないものは教材にしようがないか。それならそれ
でいいんだけど。
﹁本当に残ってないと考えていいんですね?﹂
俺は念を押した。
﹁根拠がないから周囲には言ってないんですけど、この地方に入っ
てから胸騒ぎみたいなものを感じるんです。この感覚みたいなのは、
おそらく剣技をやって研ぎ澄まされてきたものなんですけど﹂
剣技は肉体を使うものだ。なので、鍛えていくと、空気の違いに
450
敏感にもなる。
イマージュがそんなことを言っていた。だから、熟練の剣士は暗
殺者の存在にもすぐに気づくようになると。
﹁俺の実力と経験だけじゃ、明確な脅威があるからなのか、たんに
遠い土地だから感じ方が違うだけなのかわからないのが困りものな
んですが﹂
﹁教材にできるようなレベルでは何も残ってない、私はそうとしか
言えないですね﹂
アーシアは顔をしかめた。
﹁ただ、本来、異なる魔法を使っていた土地に来て、ぞわぞわする
ということはあるかもしれません。体のマナはあくまで今、時介さ
んが使ってる魔法体系に慣れてますから、それ以外の土地では変な
気分になるのかも﹂
はっきりした結論は出ないけど、アーシアの意見が聞けただけで
もありがたい。
﹁それじゃ、また何かあったらお聞きしますね﹂
﹁はい!﹂
元気な声を出して、アーシアは消えた。
しばらくしてから、サヨルが出てきた。目が合った途端、お互い、
いろんなことを思い出してしまう。
﹁お、おはよう、サヨル⋮⋮﹂
﹁うん、おはよう⋮⋮﹂
●
そのあと、俺たち教官はヒョーノ山の郷土料理を食べた。夜は担
当の時間は起きていないといけないので、少し早い夕食だ。
451
ヤムサックは衣服についた枯葉を手ではたいていた。
﹁先ほど、軽く見回りに行ってきたが、どこもそれなりに真剣にや
っていたな。落とし穴を用意しているところあれば、剣士と魔法使
いでチームになって敵のほうに向けて進んでいるところもあった﹂
﹁負けた時の罰がそれなりに厳しいですからね。必死になってもら
わないと意味ないだろうし﹂
﹁あと、毎度のことだが、旗を土に埋めて隠蔽しようとして、痛み
が発生して苦しんでいる連中がいた﹂
ヤムサックがおかしそうに言った。たしかに旗を奪われなければ
負けではないというルールだから、隠してしまえばいいと考える連
中もいそうだ。
﹁まだ、脱落チームは来てないですね﹂
﹁メンバーは違っても戦略は自然と似てくる。例年、主な勝負は夜
になる。明るいうちは自分の姿も丸見えだから、正面突破をやる勇
気がある者は少ない。なんとかして、夜に敵を倒そうと考えるもの
だ﹂
やはり、人間の心理なのか、そのへんは共通してしまうものなん
だな。
﹁回復要員の聖職者にも巡回してもらっているし、この時間は問題
ないだろう﹂
誰もこの土地に違和感を覚えていたりはしないようだ。まあ、例
年のことなのだろうか。
夜十時からが俺とサヨルの当番だった。
452
屋外でサヨルがマジックライトの詠唱を行う。周囲を照らす魔法
で、俗にたいまつ代わりと言われている。
﹁ランタンだと虫が寄ってくるからね。このほうがいいの﹂
教員用のテーブルが置いてあるので、そこに座った。
ほかの教員が置いていった脱落者リストには赤と青の両チームか
ら一班ずつの名前が書いてあった。夜になると動きがあるというの
は本当だったらしい。
﹁じっと待っているのも退屈だから持ってきちゃった﹂
サヨルはまたヒョーノ派魔法の資料を用意していた。
俺はサヨルが読んでない冊子に目を通す。そこには、﹃古代魔法
継承者オンダ翁からの聞き取り﹄とタイトルが書いてあった。
﹁それは二百年前の本だけどね、ここの魔法を伝承してると主張し
てる老人がいて、その人から聞いたことをまとめたもの。ただ、真
っ赤なウソだって言ってる研究者もいるし、本当のところはわから
ない﹂
﹁もし、本当だとしたら、二百年前まで残っていたわけか﹂
﹁本当だったらね。その老人は聞き取りのあと、変死したらしいけ
ど、それも含めてできすぎた話だって言われてる﹂
たしかに作ったような話だけど、もしすべてが事実だとしたら、
少し気味が悪くはある。
︱︱老人はこのように語った。
﹃我々は憎しみを何世代も何世代も海水から塩をとるように煮詰め
てきた。それは一言で言えばこの国を滅ぼされた恨みである。その
憎しみが観念にまで変われば、魔法の契機になるのだ。とはいえ、
それにも疲れ果てた。もはや、ヒョーノ派の魔法が力を持つことは
453
ないだろう﹄
作り話と言う奴の気持ちもわかるな。この老人が肝心の魔法を何
も使っていないし。
しかし、伝承者がどれぐらいの数いるとか、集落からはずれた森
の洞窟で集まっていたとか、具体的な言葉で書かれている箇所もあ
る。
ふいに、強い悪寒がした。
冷たい風が吹きつけてきたような感覚だった。
﹁なあ、サヨル、今、変な風が来なかったか?﹂
﹁風? そんなの感じなかったけど﹂
俺も神経質になりすぎてるのかな。マジックライトの明かりをた
よりに本の続きを読むことにした。
しかし、それから二十分ほど後︱︱
﹁助けて! 助けてください!﹂
はっきりとそんな声がした。
454
74 謎の毒霧
﹁助けて! 助けてください!﹂
はっきりとそんな声がした。
女子生徒の魚住が走ってきた。命からがらというのがその表情か
らわかる。くちびるは青くなっている。
﹁いったい、何があったの?﹂
サヨルがすぐに魚住に近づいて、その体を抱えた。かなり魚住は
興奮しているし、それを落ち着かせる意味合いもあった。
俺の頭にすぐよぎったのは、模擬戦が激しくなりすぎて、本気の
殺戮戦みたいになったケースだ。
模擬戦でも真剣は使わずに木剣を使いはする。それでも、野営の
ためにナイフは持ち歩いているだろうし、魔法の威力が大きければ、
それで大ケガをすることだってある。
そのために回復役の聖職者が巡回するようにしているが、彼らが
気づく前に事が起こっていることだってありえた。
でも、魚住の話はもっと意外なものだった。
﹁変な霧みたいなのが発生して、その霧を吸い込んだ人たちがどん
どん倒れていって⋮⋮﹂
﹁そんな魔法、あなたたちは習ってないよね⋮⋮? 私も心当たり
がない⋮⋮﹂
﹁俺も知らない﹂
455
サヨルも俺もわからないなら、生徒が使った可能性は捨てていい
だろう。
﹁それで、その倒れていったところに怪しい魔法使いみたいな人が
来て⋮⋮これは何かおかしいと思って、口を押さえて、なんとか逃
げてきたんです⋮⋮﹂
ぞっとするような話だった。
﹁ど、どういうこと⋮⋮? 敵の魔法使い⋮⋮?﹂
﹁サヨル、そういう訓練の一環ってことはないんだよな? ほら、
緊急事態に対応するためだとか、なんとか⋮⋮﹂
﹁いくらなんでも、ありえないって!﹂
じゃあ、何者かが生徒を襲っているってことか。
事態は一刻を争う。
﹁わかった。魚住、君は教官の部屋をノックしてまわって、このこ
とを告げてくれ。俺とサヨルはすぐに現場に向かう﹂
﹁は、はい⋮⋮。場所はまともな道がないからわかりづらいんです
が⋮⋮このまま、まっすぐ行ったら、小さな川にぶつかるんで、あ
とはそこから川沿いに下っていったあたりです⋮⋮。でも、霧はも
うちょっと広がってるかもしれないけど⋮⋮﹂
﹁ありがと。とにかく、状況がわかるまでは森に近づくな﹂
俺とサヨルは夜の森に入っていった。
﹁時介、これを舐めてて﹂
サヨルに渡されたのはおはじき状の飴玉だ。
﹁それは相手からの魔法の効き目を弱くするの。霧に近づいた途端、
動けなくなったら、話にならないからね﹂
456
俺はその飴をすぐに口に入れた。
﹁こういう魔法ってどう対応すればいいんだ? プロテクション・
フロム・マジック? マジック・シールド?﹂
いくつか使える魔法の名前を並べた。
﹁そういうのは、主に攻撃魔法を防ぐものだからね⋮⋮。広範囲に
効き目があるものは具体的な対象を決めていないから、別の防御方
法が必要になるの。マジック・クッションって魔法ね﹂
﹁ああ、一応記憶にあるな⋮⋮。詠唱もギリギリ記憶にある﹂
無詠唱でやる必要はないので、走りながら呪文を唱えた。膜みた
いなものが体を覆った感覚があった。
﹁ダメ、ダメ! 走りながらだから、効果が中途半端になってるよ
!﹂
サヨルに腕をとられた。
﹁私がやるから、そこに少し止まってて! え∼と⋮⋮我を包み込
め、神聖なる護符のように、えっと⋮⋮一枚一枚積み重ねられた薄
絹のように⋮⋮ええと⋮⋮﹂
﹁おい、大丈夫か⋮⋮? そもそもうろ覚えじゃないか﹂
﹁これを使うこと、あまり想定してなかったんだもん⋮⋮。大丈夫、
今、思い出したから!﹂
どうにかサヨルは詠唱を最後まで言い切った。
たしかにさっきよりも分厚い膜に覆われた気がした。
﹁助かった。急がばわまわれって言うのが正しいかわからないけど、
防御は固めてから突っ込んだほうがいいな﹂
﹁生徒だけじゃなくて私たちの命もかかってるからね。アンデッド
ハンターがアンデッドになるようなことは避けないと。それに︱︱﹂
457
森の奥にサヨルは目をやる。
白い霧がだんだんとこっちにやってくるのが見えた。
﹁︱︱霧が広がってきてる。魚住さんがなんとか逃げ切れたぐらい
だから、毒性が強すぎるってことはないだろうけど⋮⋮﹂
﹁原因不明なのがタチが悪いな﹂
俺たちは一度、顔を見合ってうなずいてから、中に入っていった。
それは覚悟を決める儀式みたいなものだ。
﹁毒性が弱いっていうのは本当だな。体が動かなくなるってほどの
ことはない﹂
俺たちは霧の中をかき分けるように進む。
﹁おそらく、ある程度の魔法使いには効きづらいのと、防御手段も
講じてるからだろうね﹂
﹁これ、自然現象ってことはないんだよな? 毒の霧が出やすいと
か?﹂
﹁そんなものが出る場所で、訓練なんてしないって!﹂
その時、数人が倒れているのが目に入った。
近くに布が張って、テントみたいになっているから、ここで夜営
していたグループがやられたらしい。
﹁みんな、大丈夫か!﹂
動きは緩慢で衰弱しているが、意識はあるらしく、男子生徒の一
人がぼそぼそと﹁動けなくなった﹂と言った。
﹁魔法耐性をつける飴が効くかな⋮⋮?﹂
サヨルは順に飴を生徒の口に入れていった。
すると、気付け薬になったみたいに、少し生徒に生気が戻ってき
458
た。
ここはまず助けられる生徒を助けるべきだな。
﹁サヨル、君はこの班員を一度、森の外まで連れていってくれ。俺
はもっと先に行く﹂
﹁えっ! 一人で行くなんて危ないって!﹂
﹁大丈夫だ。まだ霧の影響はそこまで俺に来てないし。あと、教師
としてやらないわけにもいかないだろ﹂
しばらく迷っていたようだけど、サヨルもうなずいてくれた。
﹁絶対に戻ってきてね。というか、私がすぐ戻ってくるから﹂
﹁当然だ﹂
俺とサヨルは別れ際、パンとハイタッチをした。
飴の袋を受け取って、さらに先へと進む。
霧はさっきより濃くなっている。生徒の姿はない。それがいいこ
となのか、悪いことなのかは微妙なラインだ。もっと霧が薄いとこ
ろにみんないてくれればいいんだが。班で固まらずにばらけて行動
しているところもあるかもしれないから、捜索は難しい。
しかも夜なのがつらい。月明りはあるが、昼と比べればはるかに
難易度が高い。
︱︱と、何かがごそごそと動いているのが見えた。
﹁やめて、やめてっ!﹂
ほぼ同時にかなりはっきりとした悲鳴が聞こえた。
459
74 謎の毒霧︵後書き︶
別作品ですが、11月15日にGAノベルさんから発売する﹃チー
トな飼い猫のおかげで楽々レベルアップ。さらに獣人にして、いち
ゃらぶします。﹄の表紙や口絵が発表されました! 下記の活動報
告にて、表紙と口絵を公開しています!
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460
75 復讐の鬼
﹁やめて、やめてっ!﹂
ほぼ同時にかなりはっきりとした悲鳴が聞こえた。
俺はすぐにそちらに向かった。敵がいるのはほぼ間違いない。
理奈がローブをすっぽりかぶった何者かに襲われていた。
その制服はかなりはだけているというか、明らかに一部が切り裂
かれたようになっていた。月明りに照らされて、肢体がほの白く映
った。ということは、そこだけ霧が薄くなっているということだ。
﹁離して! お願い!﹂
﹁一発ヤらせてくれたら助けてやるって言ってんだろ! マジでぶ
っ殺すぞ!﹂
どこかで聞いたことがあるような声だ。魔法使いにしては言葉遣
いがやけに乱暴に聞こえる。
何を使う? 攻撃系の魔法だと理奈まで傷つけてしまう。
いや、水の系統なら大丈夫だ。ハイドロブラストを使えば。
すぐに脳内に﹁水﹂という漢字とその背後に呪文の文句を思い浮
かべる。
これぐらいならすぐに無詠唱で使用することができる。
︱︱だが、
461
魔法がなぜか出ない。
なんでだよ! 発動に失敗するような魔法じゃないだろ!
しょうがない。
俺はアーシアからもらった剣︱︱精霊剣とでも呼んでおこうか︱
︱を引き抜くと、そちらに走る。
﹁おい、やめろっ!﹂
その声にローブの男は﹁ちっ!﹂と舌打ちした。
それから、理奈からさっと離れた。
﹁いいところなのに邪魔すんじゃねえよ。ったく、なかなか上手く
いかねえな﹂
やはり、その声には聞き覚えがある。
しかし、向こうも同時に俺に気づいたらしい。
﹁ああ、まさかお前とここで会えるとはな。ある意味、ついてるの
かもしんねえな﹂
男は頭にかぶっているローブをはずした。
その顔は間違いない。俺がかつて倒した亀山だった。
亀山はもともと俺のクラスメイトで、成績が上がってきた俺を殺
そうと画策した。口をふさいで魔法が使えなくして、リンチを企て
た。
だが、無詠唱魔法が使えなければ死ぬという環境で土壇場で俺は
無詠唱魔法を使うやり方を編み出した。あとは亀山の仲間もろとも
叩き潰した。
それから先、亀山たちは退学になっていたはずだが︱︱
462
﹁お前がなんで、ここにいるんだ⋮⋮?﹂
﹁島津、お前に復讐するために決まってるだろ。お前の築いてきた
もの、とことんぶっ壊してやるからな!﹂
亀山の目は爛々と光っていた。何かに魅入られているようだ。か
つてのダルそうな態度の人間と比べると別人に見える。しかし、俺
に対する敵愾心だけははっきり残っている。
﹁けど、ここで戦うのは得策じゃねえな。一回、退いてやるよ﹂
そう言うと、亀山は背を向けて、森に消えていく。
追いかけるべきか? いや、その前に理奈を助けるのが先だ。
理奈は体を隠しながら、泣きじゃくる。亀山が消えて緊張の糸が
消えたのかもしれない。
﹁大丈夫か⋮⋮?﹂
﹁うん、ありがとう⋮⋮﹂
怖かったのか、理奈はそのまま俺にしがみついてきた。時間に猶
予はないが、すぐには理奈も心の切り替えができないだろう。しば
らくは理奈が泣くのに任せていた。
﹁この霧について何か知ってたら、教えてくれないか?﹂
﹁一時間半ほど前かな⋮⋮。やけに白い霧が出たなと思って、そば
にいた子が魂が抜けたみたいに、がくっと倒れていって⋮⋮怖くな
って霧が薄いところまで逃げてきたんだけど⋮⋮そしたら、亀山が
来て⋮⋮﹂
﹁あいつは何か魔法を使ってたか?﹂
﹁ううん⋮⋮こっちの体もあまり動かなくなってて⋮⋮力ずくで⋮
463
⋮﹂
﹁怖かったよな﹂
俺はそっと、理奈の肩を抱いた。
﹁怖かったけど⋮⋮島津先生が来てくれたから⋮⋮﹂
少しだけ、声が明るくなった。
そろそろ移動したほうがいいな。状況は考えている以上にまずい
ほうに向かっている。しかも、俺にはっきりと恨みを抱いている奴
が関わっている。
﹁理奈、落ち着いたら服を着て、教官のいる宿舎のほうに戻るぞ﹂
﹁それだと、ほかのみんなが助からないんじゃ⋮⋮﹂
たしかに難しいところだが、道さえわかればそう時間をかけずに
往復のできる距離だ。
まずは見つけた人間を確実に届けるほうがいい。
それと、おそらくだが、戦闘になる危険が高い。
﹁理奈を助けたらすぐにほかの人間も救助に向かう。だから、今は
戻ろう﹂
﹁うん、わかった⋮⋮﹂
理奈を連れて、道を引き返す。途中、班がどのあたりに布陣して
るかも理奈から聞いた。
まだ理奈の班は近いほうで、もっと遠くにいる班もあるらしい。
とっとと夜が明けてくれれば、まだ状況が把握しやすいが、夜の
間にというのはきついな。
途中、また霧が濃いところに出た。
﹁理奈、あまり吸い込むな﹂
﹁うん、わかった⋮⋮﹂
464
この計画、亀山一人での発案だろうか? たしかにこの訓練は年
中行事みたいなものだから、場所や日程の把握ぐらいは容易ではあ
る。
けど、これだけ規模の大きい魔法をあいつ一人が使えるようにな
るだろうか?
いくら、熱心に復讐のために努力したとしても無理がある。少な
くとも何か師匠のような存在がいるはずだ。
妙に生々しい気配を感じた。
覆面をした剣士が俺の前に立ちはだかる。
相手はすぐに抜刀する。すでに戦う意志は固まっているようだ。
﹁お前は何者だ?﹂
答えるつもりはないらしく、剣を持って、突っ込んでくる。
俺は再度、無詠唱でパイロキネシスを使おうとした。
けれど︱︱また魔法が発動しない。
いつもはあるはずの手ごたえみたいなものがないのだ。
いったい、どうなってるんだよ!
その間に敵は距離を詰めてくる。
しょうがないな。剣士として戦うか。
﹁理奈は離れててくれ!﹂
俺は剣を抜いて、敵と打ち合う。
すぐにつぶされるなんてことはない。ちゃんと剣で敵の剣を受け
られている。
465
激しい鋼と鋼の音が飛び交う。
466
76 帝国の計略
激しい鋼と鋼の音が飛び交う。
少なくとも押されているわけじゃない。俺の剣はものになっては
いる。
もっとも、成果を感じている場合じゃない。ここで確実に勝てな
いと意味はないのだ。
﹃雷の運び屋﹄流上級第四の型。
通常の踏み込みの後、さらに一歩踏み込む。
敵との距離を極限まで詰めて︱︱心臓を刺し貫く!
ザシュ!
肉に剣が刺さった、いい感触があった。
剣士の手から、剣がカランと足元の岩に落ちて、そのまま倒れた。
どうやら、勝てはしたらしい。
剣で人を殺したのは初めてだな。特別な感情は何も抱かなかった。
それ以上に状況が異常だからだろうか。
﹁敵の出自は不詳だな⋮⋮。ただ、亀山一人の単独犯ってことじゃ
ないのは確実か﹂
生徒とはいえ、三十人ほどがいるわけだから、敵も最低でも数人
で動いているだろう。
﹁す、すごいね、島津先生⋮⋮﹂
理奈はふるえながら言った。
﹁よし、先を急ぐぞ。宿までそう距離はないはずだか︱︱﹂
467
また、何かが近づいてくる気配を感じた。
すぐにまだ血がべったりついている剣を構える。
どんどん攻め込まれると厄介だな。今は一人ずつ斬ることを考え
るだけだ。
俺が飛び出てくる相手に斬りかかろうとしたその時︱︱
﹁待って、待って! 私よ、私!﹂
その姿はサヨルだった。
﹁ああ、よかった⋮⋮サヨルか⋮⋮﹂
﹁こっちも斬られなくて本当によかったよ⋮⋮。それと、この状態
のことが少しはわかったかもしれない﹂
﹁えっ!?﹂
サヨルは背中にかけているカバンから、年代物の本を取り出した。
そこまで重そうではないけど、わざわざこんなところに持ってきた
のか。
﹁なんで本なんて持ってきてるんだって顔してるよね。私だって理
解してるわよ⋮⋮。けど、気に掛かることがあって、あわてて持っ
てきたの。そしたら、大事な情報が書いてあったのを思い出したわ。
気力の弱い者を一時的に衰弱させる魔法がヒョーノ派魔法の中にあ
るって﹂
サヨルが該当ページをめくる。
たしかにそれらしい魔法についての記述が本にはあった。
﹁だとしたら、敵はヒョーノ派魔法の使い手か﹂
この土地で魔法を伝承していた者がいたんだろう。
468
﹁でもね、話はそう単純じゃないの。ここの森にはもう一つ、とん
でもない魔法がかかってる恐れがあるわ⋮⋮﹂
サヨルの顔が深刻なものになる。
﹁魔法が発動しなくなる概念魔法よ﹂
俺もそれがどれだけ恐ろしいかということはすぐにわかった。
﹁かなり高位の魔法使いがここに来てるってことだよな﹂
﹁そういうこと。魔法が森に入った途端、使えなくなってる。それ
も個別に止められてるのとは感覚が違う。それぐらいしか考えられ
ない﹂
﹁俺もそれは実感した。無詠唱の魔法がまったく発動してない﹂
﹁おそらく、敵は魔法を使えない環境で一気に勝負を決しようとし
てるわ。おそらく、概念魔法を唱えてる奴を除けば大半は剣士だと
思う。でなきゃ、意味がないからね﹂
﹁俺が今さっき戦ったのも剣士だった﹂
死体に視線を移す。
﹁推測だけど、あれはセルティア帝国の剣士ね。山中での戦いだか
ら、薄着にしてはいるけど、それでも上等なものを着てるのがわか
る。国の正規兵﹂
﹁この土地のゲリラ兵にしては、本格的すぎるってことだよな﹂
﹁そこから推測するに、敵の目的もおもむろだからわかってきたよ。
この霧は衰弱が目的で、殺すほどじゃない。おそらくマナに恵まれ
た異世界人の生徒をまとめて連れ去る気なのよ﹂
﹁誘拐ってことですか!﹂
理奈が声を荒らげた。サヨルは小さくうなずく。
469
﹁異世界人の能力は戦争において脅威だからね。それをまとめて連
れ去って、自国の軍隊に組み込むことができれば、敵の戦力も奪え
て一石二鳥よ。まったく言うことを聞かないなら殺しちゃえばいい
だけだし。親族すらこの世界にいないんだから、恨まれる心配もな
い﹂
﹁ひ、ひどい⋮⋮。理奈たちはモノじゃないよ⋮⋮。人間だよ⋮⋮﹂
また理奈の心が乱れてきた。恐怖が湧き上がってきたのだろう。
﹁ヒョーノ派魔法の伝承者が帝国を招き入れた、あるいは帝国に移
住した者がいる、どっちかが事の真相だと思うわ。そして、異世界
人を誘拐しようと動きだした﹂
だいたいの事情はわかってきたが、問題はこれからどうするかだ。
﹁サヨル、何か策はあるか?﹂
﹁時介、ここは今のうちに逃げたほうがいいわ。これが上策ね﹂
悩むことなく、サヨルは言った。
﹁私たちは敵の術中にはまっている。しかも魔法も使えない。無事
な生徒だけでも連れて、教官の宿舎に戻るべき。宿舎の中なら剣士
の攻撃を防御できるし、あのあたりなら森から離れてるし、魔法も
使えるかもしれない。霧も来てないしね﹂
﹁上策っていうことは、下策もあるってことだよな﹂
俺は剣を構える。
﹁敵のところに乗り込む。俺は剣士でもあるから、少しは活躍でき
るだろ﹂
470
﹁自殺行為だよ! 敵が何人いるかわからないのに!﹂
﹁このまま生徒がみすみす連れ去られるのを眺めるのは、教官とし
てダメだろ。のんびりしてたら、連れ去られる生徒の数が増えるだ
けだ。サヨルは理奈を連れて、戻ってくれ。あと、戦える教官がい
たら、加勢をお願いする﹂
選択肢は最初からないようなものだ。
﹁サヨルは魔法でしか戦えないから諦めるのもわかる。けど、俺は
そうじゃない。戦えるのに生徒を見殺しにしたような教官に、生徒
がついてくるか?﹂
魔法剣士というのは、まさしくこんな局面でこそ活躍する存在な
のだ。
ここで戦わなくて、何のために魔法剣士になったのか。
﹁あとな、俺、亀山と会ったんだ。この作戦はもしかしたら俺を苦
しめるために計画された可能性すらある﹂
だったら、俺がけじめをつけるしかない。
サヨルが俺の腕をつかんだ。
﹁だからって⋮⋮危険すぎるよ⋮⋮﹂
﹁ちゃんと生きて帰ってくる﹂
﹁根拠がないよ。しかも、魔法使いの私は何の協力もできないし⋮
⋮﹂
サヨルの苦しみもわかる。逆の立場だったら、とても行かせるこ
となんてできないだろう。だって、一緒に戦うとすら言えないのだ
から。
471
﹁わかってくれ、頼む﹂
サヨルは泣きながらうなずいた。
﹁もし、死んだら許さないからね⋮⋮﹂
472
77 荷馬車襲撃
﹁もし、死んだら許さないからね⋮⋮﹂
やっと、許しが出た︱︱と思ったら、サヨルに強引にくちびるを
奪われた。
おい、ここ、理奈もいるんだけど⋮⋮。
﹁も、戻ってきたら⋮⋮もっといいことしてあげるから⋮⋮。だ、
だから戻ってきなさい! わ、わかった⋮⋮?﹂
最後のほうはやっぱり恥ずかしいのか、消え入りそうな声になっ
ていた。
﹁言ったこと、後悔するなよ﹂
俺はサヨルと理奈に手を振ると、森の奥へと入っていった。
移動中、アーシアが姿を現した。おそらく、他人には見えない仕
様だろうけど。
﹁時介さん、男を見せましたね﹂
でも、その顔は割と厳しい。
﹁ただ、ここまでの無茶はあまり感心しませんね。敵についてわか
らないことが多すぎます﹂
﹁先生、多分、神剣エクスカリバーを使ってた英雄も過去に何度か
危機があったと思うんですよ﹂
﹁たしかに叙事詩にもそんな記述があったと思いますが、それが何
か⋮⋮?﹂
473
﹁英雄っていうのは危機をちゃんと乗り切ったから英雄なんです。
最初や二度目の危機で死んだら、それはただ死んだだけなんです。
だから⋮⋮俺もどっかで危機に立ち向かわないといけない﹂
アーシアは何を言うか迷っていた。迷いながら走る俺の横を飛ぶ。
﹁はぁ⋮⋮。時介さんがかっこよくなってることだけは確実ですね
⋮⋮。どうか、死なないようにしてくださいね⋮⋮﹂
どうやら説得は諦めたらしい。
﹁もちろん、そのつもりですよ。何十人も敵がいたら目立ちすぎる
し、おそらく敵の数はそこまで多くない。さっきの敵が能力的に平
均値とすれば、十二分に勝てます。それに︱︱﹂
俺は剣を握る手に力をこめる。
﹁これだけの得物を持ってる奴なんて、そうそういないですしね﹂
アーシアがくれたこの剣があれば、絶対勝てる。
﹁ご武運を祈ります。精霊は人間と戦うわけにはいきませんから﹂
手を組んで祈りのポーズをとって、アーシアは姿を消した。
人間の誘拐が目的としたら、敵の動きもある程度、想像がつく。
森の中、小さな細い道が伸びている。
そこでなにやら声がした。
﹁くそっ! 抵抗するな! とっとと乗れ!﹂
衰弱している生徒を敵兵が荷車に乗せようとしていた。
俺は魔法耐性がつく飴をもう一つ、口に入れた。敵兵も似たよう
なもので自衛してるんだろう。
﹁なあ、俺、かなりダルくなってきた⋮⋮﹂
474
﹁もっと我慢しろよ⋮⋮。お前まで乗せてたら、運べないぞ﹂
敵の数は三人。幸い、薄着でまともな鎧も着ていない。
ああいう荷車部隊が多くて三グループぐらいってところか。
一回三人運んで全部二往復できれば十八人。それなりの成果だ。
逆算すると、荷車部隊がだいたい敵は三かける三で九人。あと、
亀山とか、俺が殺した遊軍みたいなのを入れても、十五人程度かな。
倒せる数だな。少なくとも、ここで三人減らせる。
俺は敵に近づくに連れて、大股になる。
あくびをしている一人の首を後ろから刎ねた。
血を噴き出して、男の体が倒れる。
﹁なっ、て、敵か⋮⋮﹂
いきなりのことで動きが遅れた敵をまた斬り殺す。
師匠、なかなか上手くやってるだろ。
﹃雷の運び屋﹄流は敵を殺すことを目的にしている、純粋な戦争用
の武術だ。
とにかく敵を殺して、殺して、殺す。それにより、敵は怯える。
怯えた敵はさらに簡単に殺すことができるからだ。
仲間二人を殺された残りの一人はもう腰が引けていた。
イマージュが言ってたな。こういうのは厳密には敵ではない。自
分の流派では﹁非敵﹂と呼ぶと。戦意もない有様でまともな戦闘を
行うことは不可能に近い。だから、すぐに殺せる。
けど、俺はあえて敵の剣を持つ手を斬る。
剣が落ちた。これで無力化できた。
475
﹁なあ、お前らの仲間はどれぐらいいる?﹂
﹁大魔法使いササヤ様を入れて、十六⋮⋮いや、亀山って奴がいる
から十七か⋮⋮﹂
俺の数の読みはそんなにはずれてなかったな。
﹁そのササヤっていうのが帝国の魔法使いだな?﹂
﹁あ、ああ⋮⋮。ただ、かつてはこの地に産まれて、その後、帝国
に来たとかって話だが⋮⋮﹂
やはり、運搬部隊は雑兵と大差ないレベルだな。衰弱したのを運
ぶだけだからだろう。
﹁じゃあ、最後に聞く。残りの運搬部隊はどこだ?﹂
﹁もう一つはもっと奥の道を抜ける手筈だ⋮⋮。もう一つは、最初
から女を襲うことしか考えてないような奴だから、女を探し回って
るんじゃ⋮⋮。あと、もう一つあったような⋮⋮﹂
これで助かると思ったのか、兵士はぺらぺらしゃべった。
ある意味、軍紀を守らない奴らのほうが面倒だな。
﹁ありがとうな﹂
俺は兵士の心臓に剣を刺した。
かいばら
俺は近くの男子生徒に声をかけた。柏原という真面目系のグルー
プに所属していた生徒だ。
﹁なあ、大丈夫か?﹂
﹁う、うん⋮⋮。生きてはいるけど、体がすごく重い⋮⋮﹂
﹁どうやら死ぬことはないらしい。できるだけ霧を吸わないように
しのいでくれ。そのうち、救援部隊が来る﹂
476
俺はまた先を目指す。
森の中は一切人の手が入ってないわけではない。踏み固められた
跡もあるし、林業用の細い林道もあって、そういう道がやがて広い
道につながっている。
そういった道を荷馬車は通るはずだ。
一見、農民風の男たち四人が荷馬車を引いているのを見つけた。
﹁本当に大丈夫なのか⋮⋮?﹂
﹁報酬はがっぽりもらえるって話だ。多少の危険はしょうがねえさ﹂
ああ、地元民が金で懐柔されたのか。どっかで兵士に引き渡すん
だろうな。
今更遠慮してもしょうがないか。
俺は後ろから走りこむと、男二人の首を斬った。
﹁ひゃっ! な、何者!﹂
残りの二人もすぐに殺した。倒れた男からサヨルがくれたような
飴を大きくしたようなのが転げた。やはり、耐性をつけさせて使役
していたんだな。
﹁これが兵士の数に含められてるかわからないけど、誘拐だけなら
かなり阻止できてきたな﹂
荷車の中には、さるぐつわをされた生徒が入っていた。それを剣
で外す。
﹁しばらく、ばれないように隠れててくれ﹂
残りの荷馬車を探して、移動した。
477
78 復讐者との対峙
かみごおり
細い道をたどっていたら、やがて空の荷車を見つけた。
そっと、耳を澄まして、声が聞こえないか探した。
﹁おい、もうちょっと起きてくれよ﹂
そんな声が聞こえてきた。
いたみ
男の兵士たちが女子生徒二人の手と足を縛っていた。上郡さんと
伊丹さんだ。怯えた顔はしているが、声もほとんど出ないようだ。
﹁ったく、こんなにぐったりされたんじゃ、全然面白くねえじゃね
えか。ちょっとは抵抗してくれねえと⋮⋮﹂
﹁しかも、一人は亀山って奴が連れていっちまうしよ⋮⋮﹂
﹁けど、あいつと戦って勝てる気もしねえしな。変な流派だけど、
強いのは確かだよな﹂
亀山が? やっぱり、復讐のために特訓でもしたのか。
あいつが誰か連れ去ったっていうのも気がかりだけど、まずはこ
いつらを倒すのが先だ。
﹁やめてよ⋮⋮。こんなの、ダメなんだから⋮⋮﹂
上郡さんがふるえた声を出す。伊丹さんのほうはもう目を閉じて
いた。
﹁心配しなくても殺しはしねえよ。帝国に連れていくだけだ。その
前にちょっと楽しませてくれよ。なあ、エリートなんだろ、お前ら﹂
ちょっと、二人に敵が近すぎるな。片方がナイフを持ってるのも
やりづらい。
478
少し、小技を使うか。
俺は、荷馬車の近くで声を出す。
﹁おい! 敵にばれたぞ! 交戦中だから助けに来てくれ! そこ
にいると、どっちみち殺されるぞ!﹂
その声に男二人がびくっとしたのがわかった。
﹁なんで、こんなところまで敵が来てんだよ!﹂
﹁わざわざ、ひっそりしたところまで持ってきたのによ! あれ、
その制服は︱︱﹂
荷馬車のほうに来たところを順番に斬り殺した。
今更、卑怯もクソもないだろ。
﹁間に合ったかな⋮⋮? 間に合ってればいいんだけど⋮⋮﹂
二人はスカートを完全に切り裂かれていた。少し目をそらしなが
ら、拘束をはずす。
﹁あ、ありがとう、島津先生! 私たちだけじゃなく、上月先生も
助けてあげて!﹂
上郡さんが霧を吹き払うように、訴えるように言った。
﹁亀山が先生を連れて行っちゃったの! あいつ、絶対許せない!﹂
﹁上月先生が⋮⋮!? 亀山はどっちに行ったんだ⋮⋮?﹂
﹁た、多分だけど、そこを少し下ったほうだと思う⋮⋮。小さな泉
みたいなのが下ったところにあるの﹂
﹁すぐに行く!﹂
時間的余裕がない。斜面をほとんど落下するようにして、先を急
ぐ。
降りていった先に、たしかに水の音がした。
479
ばしゃばしゃとかなり激しい音だ。
亀山が上月先生の顔を水につけていた。
﹁あんたのことは絶対許さないからな!﹂
﹁おい! 亀山、やめろ!﹂
俺の声にやっと亀山は先生の顔を泉から出して、近くに投げた。
げほげほと先生はむせているから、少なくとも最悪の事態だけは防
げたらしい。
﹁ったく、何度も邪魔しに来るな。正義の味方気取りかよ﹂
亀山と対峙する。今、気づいたが、剣を二本帯剣していた。
﹁俺に恨みがあるのはわかるけど、先生は関係ないだろ!﹂
﹁あ? 関係あるよ。俺、一年の時から何度か付き合ってくれって
言ってたんだよ﹂
目が据わった顔で亀山がしゃべる。えっ、そんなことがあったの
か。
﹁当然、生徒とはお付き合いできないって言われたけどよ。まあ、
それは別にいいんだよ。でも、俺が出ていく前のこの女、明らかに
お前に恋してますって目をしてたからよ。結局、自分の都合かよ。
なら、嫌いってはっきり言えってんだ﹂
﹁はぁ? それは何かの間違いだろ⋮⋮﹂
俺は困惑した。まさかこんな事態でこんな気持ちになるとは思っ
てなかったが。
でも、そういえば、上月先生を個人的に教えていて、ほのめかす
ようなことを言われたことはあったような気が⋮⋮。
480
ただ、上月先生が口を押さえて、恥ずかしそうな顔をしていて、
まるでばれてしまったというような表情に見えて⋮⋮。
﹁ほら、見ろよ。それがいわゆる雌の顔ってやつだ。きっちりお前
に惚れてんだよ。元教育者っつっても全然公平じゃねえのさ。だか
ら、謝罪させようとしてたんだよ﹂
﹁ふざけるなよ。お前が先生を攻撃していい理由なんてどこにもな
いだろ!﹂
﹁わかった。じゃあ、お前を攻撃対象にしてやるよ﹂
亀山は上月先生を左手で抱えると、右手のナイフを突きつけた。
ナイフまで隠し持ってたのか。
﹁余計なことすると、どうなるかわかってるよな? こういうの、
一回やってみたかったんだよ﹂
どこまでも下衆な奴だな⋮⋮。
﹁島津君⋮⋮逃げて⋮⋮﹂
上月先生が涙目で言う。恐怖で口がふるえているのがわかった。
あるいはもっと複雑な感情で揺れ動いてるかもしれない。
﹁先生もつまんないこと言うなよ。こいつが逃げるわけないだろ。
ここで島津が出ていったら、あんたがどんな目に遭うかよくわかっ
てるだろうよ。なにせ、魔法が使えない空間なんだからな﹂
魔法が使えない空間であることを亀山はわかったうえでここにい
る、かなり厄介な状態だ。
﹁俺は学校を追い出された後、魔法使いそのものを憎んで生きてき
たんだ。で、魔法使いを殺すには何がいいかを考え続けた。その結
481
果が、帝国の側で戦うってことだったんだよ!﹂
帝国としては使い勝手のいいコマだろう。目的がはっきりしてる
わけだからな。
いや、落ち着け。ただの素人なら帝国も使おうとはしないはずだ。
おそらく、亀山はどこかで剣技を身につけている。
﹁俺と戦いたいなら、正々堂々とやれよ﹂
﹁は? 俺は復讐が目的であって、正々堂々とやるつもりなんてね
え﹂
亀山は手際よくナイフを操ると、先生の制服を切り裂いていく。
ブラみたいなものが見えた。
そこに亀山が手を入れようとする。
﹁やめろ!﹂
﹁それで誰がやめる? お前こそその物騒な剣を捨てろよ。上月が
犯されるところを見せ付けた後で斬り殺してやる。おっと、余計な
真似したら、とっととこいつを殺すからな?﹂
亀山を先生から引き離すのは必須だ。
亀山は人質である先生のことなんて何も考えてはいない。まった
くためらわず傷つけるおそれがある。
﹁さあ、剣を捨てろよ。でないと、安心できねえからな﹂
どうする?
ここで剣を捨てれば、打てる手が大きく減ってしまう⋮⋮。
何か、何かできることはないか?
482
79 因縁の決着
何か、何かできることはないか?
これまで師匠から習ったのは剣技ばかりだ。格闘術は全然わから
ない。敵を殴る技もあるが、それは剣技からの展開で行うことだ。
格闘術とは意味合いが異なる。
﹁ほら、うじうじしてねえで、決断しろよ! マジで刺すぞ!﹂
ナイフが先生の胸元に押し当てられる。
人質を取られた場合、そんなものの対処法までは学んでなかった。
実戦への備えが足らなかったか。
いや、人質を適切に救出する方法なんてものはないんだ。
戦争での正しい解法はおそらく人質を見捨てること。人質をとら
れるごとに戦闘が止まるのでは勝てるわけがないからだ。
これは戦争なのだから、先生を見捨てて、亀山を斬り殺しにいく
べきなのだ。それなら人質を抱えている亀山に負けることは絶対に
ない。
そんなことできるわけがないけど。
師匠とアーシアに甘いと叱られるかな。
俺は剣を捨て︱︱︱︱
﹁いてええええ!﹂
483
亀山の絶叫が俺の行動をさえぎった。
先生が、ナイフも恐れずにその亀山の腕に噛み付いていた。
﹁ふざけんなよ!、この馬鹿野郎!﹂
亀山が噛まれた腕でナイフを刺そうとする。
そのナイフを先生がつかんだ。
血がすぐにあふれたけれど、先生はナイフを確かにつかんでいる。
﹁ごめんね、亀山君! でも、今の私はあなたに負けるわけにはい
かないの! 私を守ってくれようとしてる島津君のためにも!﹂
先生が叫ぶ。
﹁島津君! 戦って! 島津君ならやれるでしょ!﹂
先生の言うとおりだ。
剣を捨てなくてよかった。俺にはまだやれることがある。
必ず先生を助け出す。
﹁亀山、勝負だ!﹂
剣を持って、走り出す。
﹁ちっ! なんなんだよ!﹂
亀山はナイフも先生も離すと、すぐに剣を二本抜いて俺と向き合
った。
484
やっぱり、二刀流か!
﹁亀山、お前をここで絶対ぶっ潰すからな!﹂
﹁はあっ? 剣だったら、俺もとことん練習してんだよ! そりゃ、
血のにじむような努力だったぜ! じゃなきゃ、帝国だって俺のこ
とを買わなかっただろうよ!﹂
たしかに亀山の剣は荒っぽくはあるが、その分の力はあった。動
きも悪くない。
すぐに踏みこんで決着をつけられるような相手じゃない。剣士と
言って何の問題もない動きだ。
﹁お前、こんなに剣が使えるなら、剣技を生徒のまま、極めてれば
よかったのに!﹂
つくづく、しょうもない選択肢をとりやがって!
﹁いいや、復讐に生きようとしなけりゃ、俺は弱いままだったね!
そこには覚悟ってものがねえからな!﹂
二本の剣を振るう割には無駄がない。おかげで攻め入る隙が一本
の剣の時より減る。
こんなことなら、あの時、炎で焼き殺しておくべきだったかもし
れないな。もう、後の祭りだ。とにかく、ここで亀山を倒す!
どちらも積極的に打ち合うから、乾いた剣戟が途切れることなく
響く。
﹁なんだよ! 島津、お前、剣までまともに使えるのかよ! 魔法
がなきゃ、すぐにお前なんて斬り殺せると思ったのによ! ほんと
にお前、ウゼえよ!﹂
﹁俺だって、お前とまた命懸けの戦いするなんて思ってない!﹂
485
あまりよくないな。体の大きさなら、向こうのほうが上だ。力任
せに戦えば、こちらがばてる。
手を押さえて、うずくまっている先生が見える。手からは血が流
れている。致命傷じゃないと信じたいけど、まずは俺が亀山を止め
ないと︱︱
﹁島津君! 大丈夫だから! 絶対島津君が勝つから!﹂
痛みに耐えて、先生は笑っていた。
﹁だって、こういうのは正義の味方が勝つって決まってるんだよ!
先生は教育者として、そういう結果を信じてるからね! だから、
心配しなくていいからね!﹂
ありがとう、上月先生。
もしかしたら、俺はここで先生を助けるために、剣を習ったのか
もしれないな。そんな運命まで信じたくなる。
よく見極めろ。
剣とペーパーテストは違うけど、共通点もある。
必ず、正解への糸口がある。
二本の剣を多くの剣士が使わない理由は何だ? すべての面で二
本のほうが有利なら、誰だって二刀流になる。弱点は必ずある。
剣が二本とも使える場所は守りも強い。正面からの攻撃には強い。
一本がはずれても、もう片方で防ぐなんてことが可能だ。
でも、それができない場所がある。
側面。
体の左右からの攻撃には両方の剣を使って、戦えない。
486
糸口はあったな。
左から、敵の右手のほうに回りこむ。
﹁させねえよ!﹂
亀山も弱点はわかっているらしい。すぐに体を向き直って、正面
で戦おうとする。
﹁魔法でも剣でもヘタレのお前なんかに負けてたまるかよ!﹂
﹁そんなことないよ!﹂
また、先生の声。
﹁今の島津君、ものすごくかっこいい! だって、惚れちゃったん
だもん! 女子は誰が見たって島津君を選ぶよ!﹂
ああ、くそ⋮⋮。彼女じゃない女子からの応援で、こんなに勇気
づけられちゃっていいのかな。
やる気が出た。
踏み込んでやるよ。
さんざんアーシアから走り込みやらされたからな。
これは真剣勝負。だから、絶対の正解はない。
最後は、勝ちを信じて一歩先に行くしかない。
アーシアが俺にウソを教えることなんてないから。
これまでよりも一歩先へ踏み抜く。
﹁なっ! こいつ、いつの間に︱︱﹂
487
お前が特訓したように俺も特訓したんだよ!
俺の刺突が、亀山の腕をとらえた!
肉をえぐった感触があった。
﹁ぐああああああああっ! いてえええ!﹂
亀山が両方の剣を落として、のたうちまわる。
勝負はあった。
488
80 精霊のルール
勝負はあった。
もはや、亀山は武器を持つ余裕はない。終わった。
でも、悪いけど、容赦はしない。
背中から袈裟懸けに斬った。
びくんと跳ねたように体が伸びあがってから、亀山が倒れた。
まだ息はあるが、治療をしなければ、死ぬだろう。
﹁俺の勝ちだな﹂
復讐のためだけに生きなきゃ、もっと違う生き方もできただろう
けど、究極的に生きるのが下手らしい。
俺は上月先生のところに行って、先生を抱き締めた。
﹁もう、敵はいないですから﹂
﹁私の血、ついちゃうよ⋮⋮。ここだとなぜか回復魔法が使えなく
て⋮⋮﹂
﹁俺はそんなこと、気にしません。それに先生の応援があったから、
勝てたんです﹂
あれで勇気をもらえた。ずっと一人で戦ってるとの違いが最後は
出た。
︱︱と、少し先生が顔を上げた。
次の瞬間、頬にキスをされていた。
﹁えっ! 先生、これって⋮⋮﹂
489
﹁ごめんね、彼女もいるのに⋮⋮。せ、戦闘のどさくさってことで
許して⋮⋮﹂
顔を赤らめる先生。か、かわいすぎる⋮⋮。童顔だし、下級生に
しか見えない。
ある意味、魔性の女だな、先生⋮⋮。戦場じゃなかったら、浮気
してたかもしれない⋮⋮。
﹁はっ⋮⋮、まだ⋮⋮終わってねえぞ⋮⋮﹂
亀山が息絶え絶えで声を出していた。ウソつけ。もうどう見たっ
て終わってるだろ。
﹁敵は俺だけじゃねえってことだ⋮⋮﹂
亀山はよろよろと体を引きずると、剣の上に手を載せた。そして、
動かなくなった。息を引き取ったのだろう。
その剣から何か煙のようなものが上がった。
そこから出てきたのは、長い白髭を生やした武人風の男。長い剣
を背中に背負っている。ただ、地に足を踏みしめるどころか、体は
宙に浮いている。
アーシアに近い何かだと思った。
﹁ふん、肝心なところで負けるようでは話にならんな﹂
髭の武人が言った。
﹁あんた、精霊だな?﹂
﹁いかにも。剣の精霊だ。それで剣をこの男に教えてやった。ここ
で負けるとは、我が弟子ながら情けないが。しかし、弟子の仇は︱
︱とらんとな!﹂
490
ものすごい殺気を感じた。
普通の人間とは比べ物にならない速さで精霊が突っ込んでくる!
これは人間が戦ってはいけない存在だと直感的にわかった。精霊
というのは人間を凌駕した存在︱︱
しかし、その精霊に向かって、紅蓮の炎が俺のあたりから噴き出
た。
一度、精霊が距離を置く。
いったい何が起こってるんだ!?
﹁時介さん、ご無事ですか?﹂
俺の前にアーシアが姿を現していた。
﹁えっ、アーシア⋮⋮?﹂
じゅんしゅ
﹁精霊は人間を直接傷つけるようなことをしてはならない。これは
精霊が遵守しないといけないルールなんです。それをこの精霊は明
らかに破ろうとしていました!﹂
﹁弟子の敵討ちだ。許せ、精霊﹂
﹁許せるわけがないでしょう! だいたい、その方があなたの弟子
というならもっと正しい方向に導きなさい!﹂
アーシアがこんなに怒りをあらわにしているのを初めて見た。
でも、アーシアは俺のほうに振り向くと、いつものように微笑ん
で、
491
﹁すぐに終わりますから﹂
と言った。
﹁精霊が精霊を殺すことなら問題はなかろう!﹂
男の精霊が剣を構えて再度突っ込む。
それに対し、アーシアは手を前に突き出すと︱︱
﹁消えなさいっ!﹂
そこから白い光線のようなものを撃ち放った。
その光が敵の顔に直撃する。
光が消えた後には、精霊の首がなくなっていた。
まさに雲散霧消といったように、残ったその精霊の体は影も形も
残らずに消失した。
﹁はい、終わりました。いやあ、極悪な精霊でしたね。極悪なうえ
に頭も悪いです。最初からルールを守る気がないとか困り者ですよ﹂
やれやれといった顔になるアーシア。もう、さっきの無茶苦茶な
力を使った印象はどこにもない。
﹁先生って、とんでもなく強かったんですね⋮⋮﹂
﹁でないと、先生もやれないじゃないですか﹂
それもそうか。普段は優しい先生のすごい一面を見てしまった。
けど、やっぱりアーシアは少しだけ抜けていた。
﹁あの⋮⋮島津君、その浮いてる人は誰なの? ちょっと服装が刺
492
激的なんだけど⋮⋮﹂
そこには上月先生がいたのだ。存在が見えなくなるようにする魔
法なんかも、アーシアは使ってない。
﹁あっ⋮⋮ええと、時介さんの友達のアーシアです⋮⋮てへへ⋮⋮﹂
﹁先生、それで誤魔化すの無理です⋮⋮﹂
結局、アーシアは自分の存在を丁寧に説明して、上月先生に黙っ
ておいてもらうようお願いしていた。
﹁秘密にしないといけない決まりとかはないんですけど、ほら、そ
れで皆さんから時介さんがズルをしたと思われたら癪じゃないです
か。時介さんみたいに優秀な生徒なんてまずありえないんですから。
二千年に一人の逸材と言っていいですよ﹂
﹁はいはい、わかりました、アーシアさん﹂
上月先生も空気を読んでくれた。
﹁島津君、ちなみにサヨルさんはこのことを知らないの?﹂
﹁はい、黙ってます⋮⋮﹂
﹁じゃあ、彼女も知らない秘密を私は知ってるってことだね﹂
上月先生がなぜか妖艶に笑った。やっぱり大人だな。こういう表
情もできるんだな⋮⋮。
さて、大きな危機は切り抜けた気がしてたんだけど、まだ終わり
かはわからない。
﹁ここに概念魔法を使った奴がいる。たしか、ササヤだったな。そ
いつを倒しに行く﹂
493
80 精霊のルール︵後書き︶
ツイッターなどでちょっと言ったのでご覧になった方もいらっしゃ
るかもしれませんが、
レッドライジングブックスさんにて書籍化が決まりました!
本当に僕も驚いています⋮⋮。マジでうれしいです!
ちなみに、下記のURLに書いています。
http://www.redrisingbooks.net/
赤ペン精霊の神剣ゼミでクラス最強の魔法剣士になれました
著者/森田季節
イラスト/ぼに∼
2017年1月23日発売予定
494
81 ササヤという魔法使い
先生とほかの女子には人目につかないところに隠れてもらって、
俺は最後の大ボスを探すことにした。
居場所は大方わかる。まず、ササヤはこの衰弱効果のある霧を使
ったうえで、魔法が使えなくなる概念魔法を使用した︱︱はずだ。
その逆なら魔法は霧を発生させられないからな。違う魔法使いが
霧のほうを出した可能性もあるが、魔法使用を使えなくする次元の
魔法を使用する術者なら、霧のほうも使えるはずだ。
ならば、霧が濃いほうに突き進めば、そこが目的地になる。
術者がその場から離れたとしたら、その時はその時。もっとも、
そう外すとは思っていなかった。
そして、獣道すらない深い森の中で、術者にたどりついた。
﹁あなたが首謀者のササヤか﹂
白髪の老賢者といった風貌の男が、ロッドを持って、そこに立ち
尽くしていた。
まるで亡霊かというほどに生気というものがない。
﹁まさか、ここまでたどりつく者がいるとは思わなかった。なにせ、
この濃度の霧では長くは戦えぬからな﹂
495
余計なことを教えられた。たしかに、発生源の真ん前まで来たら、
サヨルがくれた飴だけでは効き目が足りないほどに力を奪われる。
足下がふらついた⋮⋮。
﹁ちっとも荷車が戻ってこないが、そうか、君が片をつけたのか﹂
ササヤという男は怯えるようでもなければ、殺気を放つわけでも
ない。ただ、超然としていた。
その態度がいかにも大物の魔法使いということを感じさせた。
﹁血の臭いが君から漂ってくる。君はかなりやり手の剣士のようだ﹂
﹁あなたはこの地方の出身らしいですね。どうして、帝国に味方を
しているんですか⋮⋮? いや、おおかた答えのわかる質問をして
もしょうがないか﹂
むしろ、答え合わせをしてもらおうと思った。
﹁あなたの先祖は独自の魔法をこの地で使っていた。その結果、お
そらくハルマ王国に弾圧された。それを恨んでいる人間が今もけっ
こうな数、この土地にいる﹂
この土地に入ってきた帝国の兵士は一人や二人じゃない。でも、
作戦が実行に移されるまで、王国側はまったくあずかり知らなかっ
た。
ということは、この土地自体にグルになっている人間が一定数交
じっていたと考えたほうがいい。
﹁それで正解だよ。私の一族はずいぶんといじめられてね。ハルマ
王国を恨むなというほうが無理な話だ﹂
やはり、ササヤに殺気はない。もしかすると、この霧で俺が倒れ
496
るとでも思っているのだろうか?
ここで倒れたら赤っ恥だ。
くちびるを噛んで、痛みで耐えた。
﹁あなたの過去も、王国の過去もわからないですけど、俺としては
生徒が誘拐されるのを黙って見てるわけにはいかなかったんで、正
当防衛をさせていただきました﹂
﹁うむ、そのようだ。正直、そちら側にたいした剣士はいないと踏
んでいた。こちらの兵士でもどうとでもなると考えていたが、飛ん
だ目論見違いだ﹂
﹁降伏してください﹂
﹁そんなボロボロの体で言われても説得力はないなあ﹂
視界が急速にぼやけてきた。
それと同時に頭が割れるように痛くなる。
おかしい⋮⋮。これはさっきまでの霧とは違う。
﹁自分の周囲を瘴気で覆い尽くす魔法だよ。高位の人間を一人でも
道連れにできれば、それでよいと思っていたのでね﹂
そうか、生気も殺気もない理由がわかった。
この男は最初から自分で手を下す意図などないのだ。
﹁ヒョーノ派魔法は、積極的に戦場に出て、争うことそのものをよ
しとしない。魔法はもっと静かであるべきだとする。ただ、その考
え方を受け入れられなくて、多くの者が殺された。ずいぶん昔の話
497
だがね﹂
﹁復讐だけでは、何も生まれな⋮⋮﹂
義務
だな。私はこう
﹁別に復讐のために生きていたのではない。その証拠に殺気がない
のは君もわかってるはずだ。これはいわば
いう生き方しかできなかった。これがヒョーノ派を受け継いだ者の
仕事だ﹂
俺はその場に膝を突いた。
うかつだった。霧の効果を一種類と勝手に判断していた。
最初からこの男は追っ手を始末するためにここにいた。
くそっ⋮⋮。ここで終わるのか⋮⋮。
こんなつまらない罠にかかっておしまいになるのか⋮⋮。
﹁︱︱時介さん、落ち着いてください﹂
耳元で声がした。
﹁時介さん、ここが踏ん張りどころですよ! 先生、ちゃんと応援
してますからね!﹂
ああ、アーシアは見ててくれるんだな。
﹁それとも、こういう時はこんな言い方をしたほうがいいんですか
ね⋮⋮? 勝ったらまたキスしてあげますよ﹂
うわあ、男って現金なものだよなと思う。
こういうことを言われると頭に血がのぼる。
だけど、おかげで意識がさっきより明瞭になった。
俺がアーシアに抱いている感情が性欲なのかはわからないけど、
498
たとえば睡眠欲に性欲をぶつければ、三大欲求同士で勝つこともで
きる。
俺は剣を杖代わりにして、立ち上がった。
﹁悪いけれど、まだ死ねないんだ。神剣を使える立場になるまでな﹂
﹁なっ⋮⋮。これで再び立ち上がれるなんて、どんな精神力をして
るんだ⋮⋮?﹂
ササヤがわずかに焦った。
形勢が、少しずつ逆転しようとしていた。
精神力ってアーシアに鍛えられたっけ?
﹁いえ、どちらかというと、それは異世界から来た人に与えられた
ギフトですよ﹂
あっ、そうだ、そうだ。
﹁異世界出身者は、マナの量が多いんだ。だから、この程度なら耐
えられる﹂
499
82 前に出る力
﹁異世界出身者は、マナの量が多いんだ。だから、この程度なら耐
えられる﹂
﹁そうか、異世界出身者に国を守らせようとしているのだものな。
ハルマ王国という国は、いつの世も身勝手だ﹂
ササヤの言葉も一理あるけど、俺はわかったうえでこの国を守ろ
うとしているんだ。別に悔いはない。
ササヤはロッドを持つと、そこから鋭い刃が出てきた。
仕込み武器か。ロッドに見せかけた剣だ。
﹁まだ、ここを死に場所にするつもりはない。君はここで倒す!﹂
剣が迫ってくる。
俺は剣をさっと出して、それを防ぐ。
ほとんど無意識のうちに体が動いていた。
無意識って、そりゃ、そうだよな。さんざん剣の練習だって続け
てきたんだ。型だって覚えてきたんだ。
意識しないと使えない動きなんて、実戦で使いものになるわけが
ない。
戦闘になれば、いつのまにか反応してくれなきゃ意味がない。
体が瘴気に蝕まれているのは事実だろうから、とっとと決着をつ
500
けたいな。でも、そこは流れ次第だな。
まずは敵の攻撃を受けることに専念する。
実力のわからない相手に対して、最初からがむしゃらに攻めるの
はいい手じゃない。それだけ手の内をさらすことになるし、体の動
きも乱れる。イマージュから教わったことだ。
︱︱いいな? 相手が焦っている時はまずは守れ。いずれ、致命
的なミスが出る。
えせ
そんなことを言われたのを思い出した。それはどんな達人でもそ
うなのかと聞いたら、焦る達人などは似非だと言われた。
この勝負、心理的に俺が有利だ。
このままやればいい。
﹁どうして、倒れない! おかしい! 魔法は確かに効いているは
ずなのに! 帝国でも実験を何度かやって今日に挑んだのに!﹂
﹁帝国のザコと俺を一緒にしないでほしいな!﹂
この男、多少は剣が使えるようだけど、動きにキレがない。これ
なら、亀山のほうがよっぽど怖かった。
さてと、アーシアに教えてもらったことを試すか。
俺は頭をわざと下げる。
﹁やっと、魔法が効いてきたな。さあ、ここで死んでくれ!﹂
ササヤが俺のほうに向かってくる。
501
次の瞬間︱︱
俺は大きく前に踏み出して︱︱
一気に距離をゼロにして︱︱
︱︱敵の心臓を刺し貫いた!
振りかぶっていたササヤの剣がその場にぽとりと落ちる。
一撃で絶命したらしい。術者が死亡したことで霧が急速に晴れて
いった。
前に突撃する力は嫌になるぐらい特訓したからな。
﹁アーシア先生、成果が出ましたよ﹂
戦闘が終わったので、アーシアが顔を出してくれた。
﹁お疲れ様です。神剣ゼミが剣技で最も大切にしていることを時介
さんはしっかりものにしてくれましたね﹂
﹁はい、一対一の時に勝負を分ける、前に出る力ですね﹂
おそらくササヤはあの距離で俺が攻撃を仕掛けられると認識して
いなかった。間合いとして遠すぎたからだ。
だけど、大きく前に踏み出す特訓を続けてきた俺にとったら、あ
れは間合いの内だった。
相手に致命傷を与えられる距離が広いほうが強いのは必然だ。
﹁霧はなくなったけど、疲れはしたな⋮⋮﹂
俺はその場にばたんと背中から倒れこんだ。
502
これだけ命懸けの戦いを繰り返してきたら、疲弊もする。鈍器で
殴られたような倦怠感が体を覆っていた。今、眠ったら、十二時間
は確実に眠っているだろう。
﹁これで一件落着ってことでいいですよね⋮⋮? 新たなる敵が何
十人も来たら、どうしようもないですよ⋮⋮﹂
﹁今のところ、大丈夫みたいですよ﹂
﹁だったら、いいです﹂
アーシアが俺の横にしゃがみこむ。
﹁それにしても、時介さん、いくらなんでも成長が早すぎますよ。
剣技覚えて、数か月ですよね。おかしな速度ですよ﹂
﹁短期間で強くなるように特訓してますからね﹂
俺はほどほどの魔法剣士で終わるつもりはない。やるからには伝
説になるような領域を目指す。
﹁そうだ、ご褒美をあげないといけませんね﹂
アーシアがゆっくりと顔を近づけてくる。
﹁あの、今更言うのもおかしいかもしれないですけど、彼女いる身
分でキスされるのって、よくないですよね⋮⋮?﹂
これってサヨルに対する裏切りなんじゃ⋮⋮。
﹁じゃあ、こうしましょうか。私が強引にしたということで﹂
そう言って、俺の頬にアーシアは軽くくちびるを付けた。
やったこととしては、それだけだ。でも、やっぱりうれしかった。
﹁ありがとうございます、先生﹂
﹁ありがとうって言うと浮気になっちゃいますよ?﹂
503
そうか、あくまでも俺は拒否しないといけないんだな⋮⋮。
﹁さてと、私はそろそろ退場したほうがよさそうですね﹂
アーシアはさっと姿を消した。
それとほぼ同時にばたばたと足音が近づいてきた。
﹁時介! 大丈夫!?﹂
サヨルが息を切らせながら走ってきた。
﹁どうにか大丈夫ってところだな⋮⋮。余裕は全然ない⋮⋮﹂
俺はふらふらと手を挙げた。
そしたら上にのしかかられた。
直後に、くちびるに長い、長いキスをされた。
舌も入れられた。かき回された。
俺もそれに反応するみたいに、腕でサヨルを抱き締めた。
﹁もう、会えなかったらどうしようって⋮⋮思ってたけど⋮⋮よか
った⋮⋮﹂
﹁眠るつもりだったのに、サヨルのせいで、また気持ちがたかぶっ
てきちゃっただろ﹂
﹁こんなところで眠ったら連れて帰るのが大変でしょ﹂
それもそうか。
俺はサヨルに引っ張られて、重い体を起こした。
自分の体をこんなに重いと感じたのは生まれて初めてかもしれな
い。
504
83 戦争に向けて
生徒はケガをした者はいたものの、犠牲者はいなかった。
これは帝国側の目的が最初から誘拐だったからだろう。俺たちは
こことは違う世界から連れて来られたにすぎないし、寝返らせるこ
ともできると考えていたらしい。
ただ、心に傷を負った者はそれなりにいた。
まず、戦場の恐怖をはからずも生で感じた生徒が多かった。自分
が死ぬかもと思った奴が大半だっただろうし、それ以外にも俺が殺
した敵兵の死体を見て吐いた奴もいたようだ。
ヤムサックは﹁戦場のつらさを教える訓練ではあったが、ここま
でになったら困る﹂と言っていた。これじゃ、多くの生徒が軍人に
なることを諦めるだろう。
どこに敵が潜んでいるかわからないから、俺たちはすぐに王城に
戻った。
そして、俺はカコ姫に直々に呼び出された。
そばにはイマージュとタクラジュだけが控えている。
﹁島津さんが戦った敵の詳しい情報を教えていただけますか?﹂
姫は憂いをたたえたような表情をしていた。事の重大さを認識し
ているのだろう。
俺はササヤのこと、亀山のこと、それと亀山についていた精霊の
ことも簡単に話した。
505
﹁なるほど、そうでしたか。思った以上にいろんな敵とこの国は戦
わないといけないようですね﹂
姫はため息をついた。
﹁帝国だけでなく、顔に王国がやったことに対して怨恨を持つ者、
そして︱︱気味が悪いのが精霊です﹂
俺は姫の言葉にびくっとした。
﹁精霊は本来、人間に直接干渉はしないことになっているはずです。
しかし、それを精霊が破ればパワーバランスは一気に崩壊します。
精霊がそんな判断をしないことを祈るばかりです﹂
亀山のそばにいた精霊の件があるから、決して楽観視はできない。
﹁ですが、姫、今回は島津の活躍もあり、事件を阻止できました。
それは収穫ではないでしょうか﹂
﹁イマージュ、お前はバカか。いっぺん死んで再生しろ﹂
タクラジュが容赦なく罵倒した。
﹁なんだ、その言い方は⋮⋮。お前、島津が自分の弟子じゃないか
らひがんでいるんじゃないか? そうだ、そうに違いない!﹂
﹁今回、敵の主力はササヤも亀山もいわば王国から寝返った者だ。
つまり、向こうとしては失っても痛くないコマだったのだ。そして、
少数の兵でもそれなりの戦果を狙えることが今回の作戦で露呈した。
地方の村民の一部が今回、買収されて、兵士を事前に隠していたこ
とは明らかだ﹂
506
帝国に通じていた村民は洗い出されて逮捕された。もともと王国
に対してよい感情を抱いてない者もいる土地だ。ありえない話じゃ
なかった。
﹁タクラジュの言うとおりです。近いうちにセルティア帝国と戦争
になるでしょうが、敵は国境を接している土地で似たような作戦を
行うかもしれません。地元民の裏切りがあれば、部隊の全滅すらあ
りえるということがわかりました。気をつけねばなりません﹂
姫の言葉にイマージュは顔を赤くしていた。たしかにイマージュ
の発想は楽観的すぎた。
﹁︱︱とはいえ、島津さんの功績は偉大なものです﹂
姫はようやく笑みを浮かべてくれた。それだけでこれまでの苦労
がすべて報われた気になる。
﹁以前まで子爵の地位だったかと思いますが、伯爵に格上げさせて
いただきますね。味方の士気を高めることにもなりますし﹂
﹁あまり実感はないんですけどね⋮⋮﹂
ここは素直に受け取っておこうか。
ただ、イマージュの顔がやけに青ざめていた。
﹁師匠、どうしました?﹂
﹁わ、私はこれまで子爵だったのだ⋮⋮﹂
﹁はい、それがどうしました?﹂
﹁島津のほうが偉くなってしまった⋮⋮﹂
あっ⋮⋮。イマージュが俺の前に来て膝をついた。
507
﹁は、伯爵⋮⋮何か学びたいことがありましたら、何なりとお申し
付けください⋮⋮﹂
﹁気味が悪いんで、普通にしてください! 明らかに敬語、無理し
て使ってるし!﹂
今度はタクラジュも膝をついた。
﹁妹は無礼なので、これを機会に処罰してはいかがでしょうか?﹂
﹁なんでこのチャンスに双子を陥れるぞみたいな発想なんだよ!﹂
●
結局、俺は伯爵になり、行ったこともない土地がまた少し増えた。
それと、ほかにもいろいろと変化があった。
学校の授業内容が大幅に見直された。
一言で言えば、実際の戦争を前提にした授業が増えた。
王都郊外の、さすがに帝国の兵が入ってこないだろうというとこ
ろで軍事訓練を行ったりした。従来の授業ではもっと後にやること
だ。
それだけ戦争が近づいているということをこの授業の変化は意味
していた。
空気だけじゃない。ヤムサックがはっきりとこう言った。
﹁残り一か月の訓練の後、君たちに進路を決めてもらう。そのうえ
で魔法使いか剣士として軍人になることを希望した者は、すぐに戦
場に出すつもりはないが、戦争が激化した場合は戦場に出てもらう﹂
生徒たちがざわついた。
508
軍人になることと、戦場に出ることは大きな違いがあるからな。
﹁軍人を希望しない者に関しては無理に戦場に出すことはしない。
そういう者を出しても部隊の混乱を招くだけだからだ。君たちの希
望は尊重するので、よく考えて決めてほしい。そのうえで、できる
ことなら我々と一緒に戦ってほしい﹂
俺ももっと実戦に備えた訓練をしないとな。
その日の授業での演習の終わった後、俺は白い煙がくすぶってい
る野原を見つめていた。
フレイムで起こった火のあとだ。
変な話、自分が行くのはいいけど、顔を見知った仲間が行くのは
やっぱり気が進まないな。
︱︱と、後ろから抱きつかれた。
サヨルだ。
﹁絶対に死んじゃダメだよ、時介﹂
﹁サヨルもな。絶対に生き残れよ﹂
ぴりぴりした空気を紛らわすように、俺たちはお互いの体温を感
じていた。
509
83 戦争に向けて︵後書き︶
第二部 剣士編はこれにて終了です!
次回から第三部に入ります!
510
84 学校卒業
王都ハルマにも肌寒い日が増えてきた頃︱︱
俺は異世界出身者用学校の卒業式に出席していた。
ちなみに、教官としてではなく、生徒として。
どっちでもいいとヤムサックやサヨルには言われたけど、せっか
くだし生徒としてのほうを選んだ。今後、教官を続けるなら、教官
として卒業式に出ることはできるかもしれないからな。
ヤムサックが教官を代表して、無難なことを言った。
明日からみんなは別々の旅路につくとか、つらい時は学校での日
々を思い出してとか、そういったことだ。
こういう内容はどこの世界の学校でも大差はないらしい。おんな
じような思考回路の人間が集まっている社会だから、当然なのかも
しれない。
そのあとにカコ姫が王家を代表して、教壇に立った。
姫の登場に生徒たちも少しざわつく。
﹁皆さんもご存じのとおり、今年の卒業式は異例です。本来ならも
う一年、技術や訓練を魔法使いも剣士も磨いていただくつもりでし
たし、工房などに就職する場合や、一般社会に出る場合も、職業訓
練は行う予定でした﹂
姫の表情は申し訳なさそうに曇っていた。それもやむをえないと
511
言えなくもない。
﹁ですが、帝国との緊迫した現状を考えると、皆さんを早く軍隊に
配属せざるをえないという結論に至りました。どうかご容赦くださ
い﹂
そうなのだ。
帝国はいよいよはっきりと攻撃を開始しようとしている。
もう一年、王都で基礎を固めるという場合ではなくなった。正直、
成績優秀者はそれなりの戦力になるし、とっとと派遣するなり、王
都の防衛に当たるなりしたいのだ。
入隊初日から最前線で命を張る破目になるということはないよう
だけど、教育している余裕なんてないというのは事実だ。
﹁様々な道に進む方がいるとは思いますが、どうか皆さんの未来が
明るいものでありますように﹂
最後に姫がそう締めくくった。
姫自身が今にも戦場に出ていくような、そんな覚悟を決めたよう
な瞳をしていた。
そのあと、大きな部屋でお別れパーティーがあった。
俺が自分用のコップをとったところに、すぐに高砂理奈がやって
きた。
﹁卒業おめでとうございます、先生﹂
﹁間違ったことは言ってないけど、なんか変な日本語だな⋮⋮﹂
まあ、理奈はわかってて言ったんだろうけど。
512
﹁山での訓練の時は助けてくれてありがとう⋮⋮。本当に怖かった
から⋮⋮﹂
お礼を言う時に、どうしても嫌なことを思い出してしまうので、
理奈の顔が少し曇る。
俺たちのクラスは野外訓練中を敵に狙われた。多くの生徒が連れ
去られるところだったのだ。
﹁犠牲者が出なくてよかったよな。俺もほっとしてる﹂
みんなには言ってないけど、俺自身、高位の魔法使いと戦って死
にかけた。
﹁あれのせいもあって、軍隊に入るのは半分弱みたいだね。例年よ
り減ってるらしいよ。七割ぐらい軍に入ってたそうだから﹂
﹁そりゃ、あれだけ命の危険を感じたら避けたくもなるよな﹂
この世界の戦争は地球のものと決定的に異なるところがある。
それは魔法の有無だ。
たとえば、生命を奪うような魔法をいきなり相手に唱えられて全
滅︱︱なんてことも絶対ないとは言い切れない。そういったリスク
から完全には逃げられない。
まして、俺たち異世界出身者は即戦力として配置される可能性が
高い。それだけ死の危険も高くなる。軍に入るのをためらう者が増
えるのもしょうがないだろう。
﹁理奈は魔法使いに進むんだよな﹂
理奈はボディビルダーのマネみたいに両腕を軽く持ち上げた。
﹁うん。理奈、なかなか魔法は得意だからね。とくに風系と氷系は
出来がいいから。もうちょっと日常生活に使える補助系統が得意だ
513
ったら、商売してもよかったんだけど⋮⋮攻撃系はつぶしが利かな
いからね⋮⋮﹂
﹁まあ、理奈の成績なら下っ端としてこき使われることはないだろ
うから安心しろ﹂
異世界出身者の成績優秀者はもれなく国の魔法使いの立派な戦力
だ。
学校は教官も含めて魔法使いだらけだから錯覚しやすいが、魔法
使いというのはかなりのレアスキルだ。
軍隊全体から見たら魔法使いは一割以下、せいぜい五%いるかど
うかという数だ。
実際、魔法使い一人で兵士二十人を吹き飛ばすようなことだって
可能だから、割合としておかしくはない。ハルマ王国が魔法使い養
成を目指した理由もわかる。
今度はそこに上月先生がやってきた。
一人だけ二十代だから、童顔ではあるけれど、大人びたオーラが
ある。持っているコップにも葡萄酒が入っていた。
﹁お二人とも、卒業おめでとうございます﹂
﹁上月先生も卒業おめでとー!﹂
理奈がコップを上月先生のコップにぶつけた。乾杯はこの世界で
も同じルールだ。
﹁上月先生は回復魔法をほぼマスターできたんですよね?﹂
うれしそうに先生はうなずいた。
聖職者が幼いうちから覚える系統のため、異世界出身者には難し
い回復魔法を上月先生は重点的に学んで、この一か月で免許のよう
なものまで取得したのだ。
514
﹁今は法的には私も聖職者の一員ですね。軍隊に所属して各地を回
ることにはなるので、神殿でお祈りを捧げたりはしませんけど﹂
﹁じゃあ、どこかで先生のリキュアで助けてもらうことがあるかも
しれませんね﹂
﹁はい、そのつもりでいますよ。元教え子はみんな私が守りますか
らね!﹂
ちゃんとした目的を持っている人は強い、そう感じた。
教師の立場でもあったけど、やっぱり目的が決まっている人のほ
うが成績もよかった。
﹁そうだ、島津先生は、卒業生たちに何かないの?﹂
悪ふざけみたいなことを理奈は言ってきた。
たしかに、何かかっこつけたことを言わないといけないのか。
すると、ほかの生徒たちもにやにやしながら集まってきた。年齢
的には未成年だけど、この国の法律だと飲酒できるので酒が入って
る奴も多い。
﹁よし、みんなには成長するためのことをちゃんと教えてきた。そ
れを信じて進んでくれ。必ず、もっともっと上に行ける!﹂
515
85 軍人最初の任務
﹁よし、みんなには成長するためのことをちゃんと教えてきた。そ
れを信じて進んでくれ。必ず、もっともっと上に行ける!﹂
それぞれに個別の課題を出して、かなり成績を上げた自信はある。
きっと、いろんな分野でみんな活躍してくれるはずだ。
誰かが声を合わせようといったのか、﹁﹁先生ありがとうござい
ました!﹂﹂という声が響いた。
教官やっててよかったな、と俺は素直に思った。
俺は酒は全然飲まずに会場を出た。
後ろから、さっと彼女がついてきた。魔法使いは尾行スキルのよ
うなものも一応学ぶから見事なものだ。
﹁いよいよ明日から軍人ね﹂
サヨルが楽しそうに俺の横に並ぶ。
﹁あんまり危険のない部署だといいな。ちなみにサヨルも軍人の籍
は置いてるんだよな?﹂
ずっと教官としての姿しか見てないけど。
﹁まあね。学校が閉鎖されるから、どこかに飛ばされるかも。研究
は王都のほうがいいんだけど、王都にいたらいたで時介と離ればな
れになるかもしれないし、微妙なとこだな﹂
軍人になれば、彼女が王都にいるんで残りますだなんてわがまま
は言うまでもなく認められない。つまり、俺たちは別れないといけ
516
ないかもしれないってことだ。
わかってたことだけど、感傷的な気分で城内の庭を散歩した。ま
だ、日は出ているけれど、日が沈むのが早い時期だからそこまで明
るいという感じじゃない。
自然と、サヨルは俺に腕をからめた。
サヨルの体温を感じるのにもいくぶん慣れた。慣れた頃に離れな
いといけないとしたら、ひどい話だ。
﹁私が言えることは一つだけ。時介は慎重になればいい。慎重にな
れば、あなたが死ぬことなんてありえないから﹂
﹁うん、注意する﹂
﹁本当だよ?﹂
ぎゅっと、サヨルが体を密着させてきた。
﹁時介は少し勢いで走るところがあるから⋮⋮。私を置いて死ぬと
か絶対にダメだからね?﹂
サヨルの顔は真剣だ。そして、俺の性格もばっちり見抜いている。
これまでに何度も不安にさせたよなと、ものすごく申し訳ない気
持ちになった。
俺もサヨルの頭に手を当てて、ぎゅっと引き寄せた。
﹁ちゃんと誓うから﹂
﹁うん、ありがと⋮⋮﹂
吹きつける風はちょっと冷たい。けれど、サヨルといると暑いぐ
らいだ。
﹁ねえ、私の部屋、来る? 多少ちらかってるかもしれないけど﹂
517
﹁じゃあ、お言葉に甘えようかな﹂
その日は、サヨルの部屋でごはんを食べて、ゆっくり夜を過ごし
た。
●
翌日、俺は一人で軍人になった生徒の配属先発表を見に行った。
その前に一度、自室に戻って、アーシアを呼び出して話をしたけ
ど。
﹁いよいよですね、時介さん﹂
アーシアの表情も少し涙ぐんでいるように見えた。
﹁先生とは別れるわけでもなんでもないんだから、もっと楽しそう
にしててくださいよ﹂
﹁ですが、時介さんは神剣ゼミのカリキュラムをほぼ修了しました
からね。そういう意味でも旅立ちなんですよ﹂
﹁修了ってことは、生徒じゃないんですよね。先生と恋愛してもい
いんですか?﹂
﹁私が精霊だからダメです。というか、彼女いるのにそんなこと言
っちゃダメですよ。女の子を泣かせるようなことをしちゃいけませ
ん﹂
アーシアに怒られてしまった。
ある面、アーシアが真面目なおかげで助かった。アーシアに誘惑
されたら絶対に浮気してたところだ⋮⋮。
さてと、フラットな気持ちで配属を見に行こうか。
518
<島津時介、特務魔法使いに任命する。※なお、特務魔法使いの命
令権者は王である。>
こんなことが俺のところに書いてあった。
明らかに元生徒じゃない軍人たちも様子を見に来ていたが、俺の
欄を見て、ざわついていた。
﹁やっぱり別格扱いだな⋮⋮﹂﹁前回の野外訓練の反乱も一人で解
決したって話だぞ﹂﹁天才すぎて、誰の下にもつけられないのかも
な﹂﹁王が手元に置いておきたいんじゃないのか﹂
様々な意見が出てるようだけど、俺個人としてはずいぶん宙ぶら
りんだなというのが最初の感想だった。つまり、今日はどうしたら
いいんだろう⋮⋮?
﹁おっ、いたいた。我が弟子、ちょっと来てくれ﹂
イマージュの声が後ろからかかった。近衛騎士の身分はかなり高
い。軍人たちが自然と道を開ける。
﹁姫様がお呼びだ、特務魔法使い﹂
﹁俺の立場がだいたいわかりました﹂
姫の下について、独自行動をとれということだろう。
●
俺は姫の執務室に通された。そばにはイマージュと瓜二つのタク
ラジュが控えていた。
﹁特務魔法使い島津さん、今日からよろしくお願いいたします﹂
519
カコ姫がわざわざ席から立ち上がって礼をするので俺もすぐに頭
を下げた。
﹁いよいよ本職の魔法剣士として働く機会が来ましたね。開業した
ばっかりなんで、あまりハードじゃない役目をお願いしたいですけ
ど﹂
﹁一つ目の仕事はハードになるかどうか、現段階ではわかりません
ね﹂
少し意味深なことを言ってから、姫はさらに話しはじめた。
﹁わたくしはこれから、帝国との国境の町キルアネに向かいます。
一言で言うと、そこに集まっている兵士たちの士気高揚のためです﹂
﹁つまり、戦争がそこではじまるということですね﹂
姫は小さくうなずいた。
﹁そのキルアネに向かうまでのボディガードをイマージュ・タクラ
ジュとともにつとめていただきます﹂
﹁なるほど。たしかに特務魔法使いらしい仕事ですね﹂
やる気の炎が胸に灯った。
﹁必ず、ご無事に送り届けます﹂
520
86 特務魔法使いの変装
﹁必ず、ご無事に送り届けます﹂
あんまり軽々しくこういうことを言うのもどうかと思ったけど、
難しいかもしれないなんて言う権利自体が俺にはない。姫は何があ
ろうと守らないといけない。
﹁はい、わたくしも信じていますよ﹂
姫も俺を言葉のとおり、信じてくれているから大役を任せてくれ
ている。そこにボタンのかけ違いのようなものはない。
﹁では、島津のためにキルアネという土地について説明する﹂
イマージュが地図を広げた。
キルアネはちょうど帝国領のほうに突き出た台地上に立っている
町だった。
攻めようと思えば、ほとんどあらゆる方向から攻められる。逆に
言えば、ここを軍事拠点にできれば、帝国側を威圧する効果がある。
すぐに帝国側に、しかもいろんな方向に進撃できるからだ。
前線基地としては最適の場所だ。
﹁歴史上の戦争でも、ここの争奪戦が発端になったことが多い。軍
隊を入れて、敵に備える﹂
﹁わかりました。ハルマ王国の領土を通るなら、そう危険はないか
もしれませんが﹂
俺の言葉に対して、少しイマージュは黙った。
その視線は地図の、キルアネの手前、すごく細くなった土地に注
521
がれていた。
﹁台地に登って来られると、背後から分断されるかもしれない。そ
んな楽な仕事なら、お前を呼んでないと思ってくれ﹂
﹁言われてみればそうですね。この世界はレヴィテーションができ
る奴ぐらいいくらでもいるんだった﹂
いい緊張感が体の中を流れていると思った。
﹁ちなみにいつから出発ですか?﹂
﹁明日だ﹂
そう言ったタクラジュは何かかさばる服を腕に持っていた。
﹁その服は、もしかして変装用のものか何かですか?﹂
まさかあからさまに姫ですという格好で移動するなんてことはな
いだろう。
﹁お前は頭の回転が速いな。お前もこれを着ろ﹂
俺に向かってタクラジュが服を投げる。
それを俺は両腕で受け取る。布のくせにずいぶんずしりとした感
触だ。
﹁いったいどういう服ですかね。商人? 剣士の姿だったら変装に
ならないし。農民が長距離移動したらおかしいから、やっぱり商人
が順当かな。⋮⋮⋮⋮あれ?﹂
服を広げて、違和感を覚えた。
やけにひらひらが多いし、これって⋮⋮使用人の服。というか、
522
メイド服だ。
﹁そうそう、お前にはこれも渡さないといけないな﹂
またタクラジュが何か投げてきた。それは何かすぐにわかった。
金色の長い髪のかつらだ。
うん、つまり、そういうことだな。
﹁女装しろってことですね⋮⋮?﹂
﹁そうだ。武骨な剣士が横についていれば、貴人をガードしている
のが見え見えだからな。ならば、全員侍女であるほうが油断も誘え
る﹂
﹁わたくしも小金持ちの商人の娘という設定で服を替える予定です﹂
姫はいつもどおり真面目な顔だから、ふざけた要素はどこにもな
いんだろう。
﹁島津さんはどちらかというと中性的な顔ですし、それで誤魔化す
ことは十二分に可能かと思います。なにとぞよろしくお願いいたし
ます﹂
﹁姫のご命令は絶対ですから﹂
俺はちょっと引きつった顔で頭を下げた。
その日、アーシアに女装する羽目になった話をしたら、すごく笑
われた。
﹁なるほど! たしかに時介さんは女装には向いてる顔ですよ!﹂
アーシアは本当におなかを抱えて笑っていたので、腹を抱えて笑
うという慣用句って実際に起こることなんだなと思った。
523
﹁先生、教え子を笑いすぎですよ⋮⋮﹂
﹁すみません、だけど、それって時介さんがかっこいいっていう意
味でもあるんですよ。かっこよくなければ、女装も似合いませんし﹂
日本でも、男のアイドルが女装させられる企画とかはけっこうあ
ったけど、それと比べるのはさすがにおこがましい。
﹁まあ、褒めてもらってると素直に受け取ります﹂
ちなみにサヨルに言っても、やっぱり笑われた。
﹁明日から出発だからな。しばらくお別れだ﹂
﹁うん。けど、作戦のおかげでしんみりしすぎなくて、よかったよ﹂
だとしたら、女装にもそれなりの意義があるらしい。
●
翌日、俺は姫の部屋で変装をさせられた。
服を着て、かつらをかぶればそれで終わりかと思ったが、そんな
に甘くはなかった。
化粧もイマージュにされたし、歩き方や声の出し方の指導までや
らされた。
﹁女として不自然に見えたらかえって怪しまれるからな。見た目だ
けは完全に女に見えないと困るのだ﹂
イマージュが俺に口紅を塗りながら、そんなことを言った。
﹁正論だけど、どうも腑に落ちないな⋮⋮﹂
すでに商人の娘の姿になっている姫が、俺を見て、うんうんと楽
524
しそうにうなずいていた。
﹁よく似合っていますよ。侍女にしか見えません﹂
そう言われて、鏡に目を向けたら、たしかに背が高めのメイドが
一人、そこにいた。
﹁美しい⋮⋮かどうかはわからないけど、思ったよりもちゃんと女
に見えるな﹂
この顔を見ただけで、女装だと認識する奴はいないだろう。
肩やノドもメイド系の服だとある程度隠せるので、男の骨格を消
すことができる。この服装も意味があるようだ。薄着だと、どうし
ても男の体つきがわかってしまうからな。
﹁けど、この格好で帯剣してたら、変だったりしないですかね?﹂
﹁侍女といっても、護身用の武器ぐらいは持つ。長い旅路ならなお
さらだ。心配するな、我が弟子﹂
﹁師匠に女装させられるとは思いませんでした﹂
﹁今度、女装術も教えてやる。特務魔法使いには必要な技術だ﹂
俺はいったいどこに進んでいくんだろう⋮⋮。
525
87 帝国の襲撃
こうして、姫をキルアネに送り届ける部隊は王都ハルマを出発し
た。
王都を離れたのは、悲惨な結果になった野外訓練に続いて二度目
だ。途中までは前回の行程と同じなので、似たような景色のところ
を通った。
変装しているとはいえ、これは行軍だと思った。
なにせ歩く速度がかなり速いのだ。毎日五十トーネル以上歩いて
いる。
つまり、五十キロ以上軽く歩いているわけだ。
﹁姫、こんなに速く歩くものなんですか?﹂
姫は顔色一つ変えずにこのペースをついてきている。たいていの
日本人なら初日だけでギブアップしそうだ。
﹁はい。馬を使ったり、レヴィテーションを併用するつもりではあ
りますが、基本は徒歩です。国内の政情視察も兼ねていますので﹂
﹁王都だけを見ていても、わからない部分もありますからね﹂
王都はいわば、王国内で最も安定している場所だ。そこを守る兵
の質も高い。城下だってにぎわっている。
なので、そこだけしか知らないというのは戦争をするうえで問題
ではある。
526
実際、王都から離れるにつれて、町が貧しくなってくるというか、
規模が小さくなっている印象は受けた。もちろん、地方の中核都市
みたいなものはあるんだろうが。
﹁もし、帝国が攻めてきた場合、進路にあたる町は人が減っていま
すね﹂
﹁けど、まだ正式に戦争にもなってないのに﹂
﹁帝国が軍隊を集めているという話は商人経由ですでに広まってい
ます。あるいは意図的に帝国が流布しているのかもしれません﹂
戦争は水面下でとっくに始まっているってことか。
﹁これは姫にとって皇太子時代、最後の地方視察でもあるのだ﹂
タクラジュがそう説明した。
姫が小さくうなずく。
﹁それって、王に即位するってことですか?﹂
﹁本来ならもう王位をお父様からお譲りいただく予定だったのです
が、戦争があまりに近づいているので、戦争が終わるまではお父様
に続投していただくことにしました﹂
たしかに、王が変われば事務手続きだけでも膨大なものが発生す
るから、戦争を控えた状態でやることじゃない。手間取ることがあ
れば、敵にそこを突かれることにもなる。
旅自体は順調に進んでいった。
俺の性別もとくにばれることもなかった。それはそれで複雑な心
境だけど⋮⋮。
途中、休憩中などに何度か﹁べっぴんさんの一行だな﹂などと旅
527
人や地元の人間に言われたことがある。それって、俺も入ってるん
だろうか⋮⋮。
﹁島津はけっこう得意だな﹂
その日も旅人の視線をいくつかもらった後に、イマージュにから
かわれた。
﹁もしかして、元からこういうことをしていたのか?﹂
﹁やってません。コスプレもしたことないですし﹂
﹁こすぷれ?﹂
そっか、言葉が通じるわけないよな。
﹁仮装です。この調子だと、あと三日ぐらいで目的地につきそうで
すね﹂
﹁ああ。だが、妙に受けた視線が多い気がするな﹂
イマージュがびくっとするようなことを言った。
﹁心配するな。我々は戦うのが仕事だ。仕事に戻るだけのことだ﹂
もしかすると、すでにイマージュは剣士の勘で、このあと何が起
こるか把握していたのかもしれない。
二日後、俺たちはキルアネへと続く台地を歩いていた。
ゴールは近い。そのためか、当初より歩行速度もずいぶんゆっく
りになっていた。
﹁目的地に着く時間調整でもしてるんですか。それとも旅の疲れの
せいですか﹂
イマージュが俺にそっと耳打ちした。
﹁体力を温存しておいたほうがいいからだ﹂
528
それで何が起ころうとしているか、だいたいわかった。
森へと続く道を歩いていると、不意にいくつもの殺気を感じた。
︱︱俺の服にいきなり炎が灯った!
すぐにウォーターを無詠唱で唱えて、消火した。
炎による攻撃は基本中の基本だ。だから、対策もさんざんアーシ
アから教わってきた。
今度はぞろぞろと剣士が街道の両脇から飛び出てくる。
その数、二十ほどか。
﹁やはり、待ち構えていましたね!﹂
姫が叫んだ。すでに防御に関する魔法を唱えようとしたが︱︱
すぐに敵の解呪魔法ディスマジックが飛んでくる。
空の上だ。頭上にローブを着た魔法使い数人が浮かんでいる。
﹁師匠、どうします!? 完全に囲まれてますよ! ばれてたんで
すよ!﹂
﹁一概にそうは言えないがな。ばれてようとなかろうと、今、キル
アネに向かう人間は片っ端から始末しようという腹かもしれん!﹂
なるほどな。ありうる話だ。
カタギの人間がキルアネに入る可能性は低いかもしれないし、仮
にそうだとしてもそんな連中を殺しておけば、悪い噂が立ってキル
529
アネは孤立する。どのみちセルティア帝国としてはプラスに働く。
俺は剣を抜きながら、一度、ゆっくりと唾を呑みこんだ。
これまでの学習の成果を活かすべき時だ。
アーシアから魔法使いとしての、剣士としてのあり方も教わって
きた。
敵の集団と対峙した時、最初にするのは、頭目を見つけること。
多くの場合、頭目が消えれば指揮系統は混乱する。それは敵の弱
体化と同じだ。
や
﹁相手の魔法使いの女はこちらで防ぐ。地上の者たちは侍女を殺れ
!﹂
空に浮かんでいる魔法使いの男が叫んだ。
あいつが向こうの頭目だな。
こっちもレヴィテーションで浮かんで、攻め込むか。
いや、魔法の防御がない状態で不用意に飛べば、敵の攻撃魔法で
狙い撃ちにされる。
落ち着け。こういう時、ヒントは戦場にある。
ペーパーテストの文章に解答のヒントが隠れているのと同じだ。
そうだ、頭目はこう言っていた。
相手の魔法使いの女、侍女。
つまり、姫以外は魔法使いだと認識してない。
だったら、やりようはあるな。
530
87 帝国の襲撃︵後書き︶
24日から連載を開始した﹁若者の黒魔法離れが深刻ですが、就職
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531
88 返り討ち
俺はイマージュに小声で言った。
﹁師匠、剣士のほうは頼みました。俺は魔法使いをやります﹂
それに対してイマージュは俺の胸をこんこんと二回叩いた。
OKの合図だ。もう、イマージュとの関係も長いから、こういう
サインで情報伝達ができる。
すでにタクラジュは敵の剣士を突き殺していた。
さらにタックルをかまして、倒れた敵の鎧の隙間に剣を入れて、
刺す。
タクラジュの剣は﹃翼モグラ﹄流だ。
俺がイマージュから習った﹃雷の運び屋﹄流とは細かい戦い方が
かなり違う。最初のうちは二人の表情がうり二つだから、区別がで
きなかったが、今だとその動きの差がよくわかる。
﹁足が隙だらけだぞ!﹂
タクラジュが敵の足をとって、転倒させた。﹃翼モグラ﹄流は足
下をとにかく狙う。もともと、敵がこの流派の人間を足を攻撃して
くるモグラにたとえたのが名前の起こりらしい。剣技というよりは、
敵を殺すこと自体を目的にした流派だ。
たいして、﹃雷の運び屋﹄流はもうちょっとオーソドックスだ。
ただし、一撃必殺を狙うことが多い。何度も剣を浴びせるのは、あ
532
まり美しいこととは考えない。
一瞬の隙を突いたイマージュの一撃で敵の首が飛んだ。
まさに流派の名前のとおり、雷。
相手が死んだと気づかないうちに殺す。
地上では双子が優勢だ。その間に俺は魔法使いに狙いを定める。
上空の魔法使いたちは姫と魔法を打ち消し合っている。
両者、ともにディスマジックが飛ぶ。
魔法使い同士が対峙すると稀にこういうことがある、これはアー
シアにも教えてもらったし、軍隊志願の魔法使いの授業でも最後の
ほうにやった。
相手の魔法を妨害し続けて、状況が変転するのを止める。不確定
の要素の多い時には、こういう守勢に入るのがベターだ。
しかし、敵の魔法使いは見たところ、四人いる。とすれば、四人
相手に姫一人が対応できているわけで、やはり姫の実力がかなりの
ものであることをはからずも証明していた。
﹁くそっ! 剣士たち、魔法使いの女を狙わないか! 何のために
それだけ集まっているのだ!﹂
特定の敵魔法使いだけがしゃべっているから、だいたいそいつが
頭目だとわかる。ならば、一気に決めるか。
俺はレヴィテーションを無詠唱で行う。
あとは一気に真上に向かって上昇する。
533
﹁なっ!? あの女も魔法使いか!?﹂
これ、俺が女だと認識してるな⋮⋮。
微妙な気分だけど、どうでもいいや。それも含めて、いくつもの
事実誤認がお前らの敗因だ。
敵のディスマジックがかけられる前に︱︱頭目に斬りつける。
これこそ、無詠唱の強みだ。相手が心構えを固める前に動ける。
続けざまにもう一度、剣を放った。
まともに斬られた男は地上に落下していった。最低でも意識を失
って、自分に対するレヴィテーションの効果が途切れたわけだ。
よし、まだ俺は浮かんだままだ。ほかの奴はディスマジックを唱
えるのが間に合ってない。
こうなれば、戦力を削れるだけ削る。
詠唱を行おうとした奴から突っ込んで、剣を心臓に刺す。
またそいつも悲鳴を上げながら、地上に落ちていった。
魔法使いは接近戦に追い込まれたらおしまいなのだ。詠唱より先
に殺される。
だからこそ、こいつらは空中に浮かんだんだろうけど、こっちの
戦力を見誤ったな。
﹁こやつ、、魔法剣士か!? となると、守護されていたあの女は
そんな大物!?﹂
今頃、気づいても遅いな。
そう叫んでいた魔法使いは突然の炎で火だるまになった。
534
﹁わたくしも援護します!﹂
姫がパイロキネシスを放っていた。炎を遠隔操作して発生させる
魔法だ。敵を確実に排除する時に効果を発揮する。
そいつにとどめの一撃を剣でお見舞いして、最後の一人も魔法を
唱えられる前に斬った。
そこに再び姫のパイロキネシス。敵の同じ魔法より、明らかに姫
のほうが威力が大きい。
空の敵を減らせば、あとはどうということはなかった。
﹁姫、フレイムで焼き払ってください!﹂
﹁わかりました!﹂
魔法に耐性がない剣士は上級の魔法使いを前にすれば、まず勝ち
目はない。姫の炎を受けてひるんだところを双子姉妹がきっちりと
打ち漏らさずに数を減らしていく。
地上のメインは双子に任せる。俺は上空から逃げようとする敵を
見つけて、パイロキネシスを放つ。
﹁ひあっ! 熱い! 熱い! 体が燃え⋮⋮﹂
戦線離脱しようとした男が燃え尽きていった。
俺たちのことを報告されると厄介だからな。
結局、そう時間が経たないうちに最後の一人が姫に胸より下を凍
り付けにされて、戦闘は終わった。
535
﹁問います。あなたたちはセルティア帝国の方ですか?﹂
敵を討ち果たした後は情報収集にあたる。戦場の基本を姫は熟知
している。
﹁は、はい⋮⋮王国攪乱の部隊です⋮⋮。なんでも話しますから命
だけは⋮⋮﹂
﹁ほかにこういった部隊はいるのですか?﹂
﹁おそらく、この土地にほかにもいくつか⋮⋮。ただ、情報漏洩を
防ぐために、部隊長以外は全体の情報を知らされていませ︱︱﹂
タクラジュが剣で兵士の首をはねていた。
﹁つまり、とっととキルアネに向かうべきにしくはないということ
ですな、姫﹂
﹁ですね。今さら、引き返してもしょうがありませんし﹂
死体の山の中でも姫は毅然としていた。
四人だけだけど、なかなか強力なパーティーだなとあらためて思
った。俺もゆっくりと地上に戻ってくる。
﹁我が弟子、いい判断だったぞ。あそこで、魔法使いを蹴散らした
のが大きかった﹂
イマージュが褒めてくれた。
﹁師匠の教え方が上手かったんですよ﹂
それにイマージュはすぐにこちらの作戦を理解して反応してくれ
たし。
﹁お前たち、静かにしろ﹂
536
タクラジュが俺たちを制した。
姫が死んでいった者たちのために鎮魂の言葉を紡いでいた。
もし、平和な時代なら、こんな戦場に身を置かなくても済んだだ
ろうに。人間は生きる時代を選ぶことはできないっていうのは本当
だ。
﹁さて、すぐに旅を続けましょう﹂
姫の言葉に一同はうなずいた。
537
89 キルアネに入る
そこからの道は敵の妨害はなかった。
あるいは街道ごとに一か所、敵の部隊が設置されているのかもし
れない。いくらなんでも返り討ちを前提にいくつも部隊を送り込む
ほどには、向こうの兵力も潤沢ではないだろう。
キルアネは小さな町のはずなのに、やけに活気よくにぎわってい
た。
兵士が増えて、一時的に人口が増えたので、その兵士用に行商人
がやってきたりしているのだ。
﹁ここは平時なら、人口三百人ほどの小さな町なのです。すでに千
五百人、いえ、二千人は兵が集まっているはず。このにぎわいも複
雑な心境ですね﹂
姫がそう述懐した。
﹁言葉は重いですけど、俺、姫を見て少し安心しました﹂
﹁どういうことです?﹂
﹁表情自体が明るくなってるのがわかりますから。味方の本拠地ま
で来れて、ほっとされているんですよね﹂
俺の言葉がなれなれしいと思ったのか、タクラジュが何か言いた
そうにしていたが、姫が笑みを浮かべて制した。
﹁そうですね。やはり、わたくしも命は惜しいようです。そんなと
ころを的確に見抜かれてしまいました﹂
﹁必ず、この戦い、勝利に導きましょうね﹂
538
姫は少し迷っていたようだったが、俺の手に手をそっとかぶせる
ように置いた。
﹁姫、島津相手にそれはやりすぎでは⋮⋮﹂
タクラジュは怒るというより、びっくりしているらしかった。男
に対するボディタッチとしては姫の身分からすると過剰なんだろう。
俺も騎士の立場として、姫にそんなことをされて、どぎまぎした。
それだけで、姫の誠実さとけなげさが痛いほどに伝わってくる。
こんなに真摯な表情の瞳を俺は見たことがあるだろうか。
﹁島津さん、あなたのおかげで気持ちもやすらぎました。これから
もよろしくお願いいたします﹂
﹁よ、喜んで⋮⋮﹂
手を離された後も俺は、まだ脈拍が速くなっているのを実感して
いた。
やっぱり、姫だよな。神聖不可侵な雰囲気が近くにいるだけで伝
わってくる。
﹁あれが姫様の放つオーラだ。一生、つかえたいと思うだろう?﹂
イマージュがそう言ってきた。
﹁今なら師匠のその言葉がおおげさじゃないってわかりますよ﹂
そのあと、俺はたんなる一侍女を装って、日用雑貨を売っている
露店の商人に話を聞いてみたが、中にはここに来るまでに帝国に襲
われた行商人もいるらしい。帰りの移動も大人数で行って、リスク
を避けるつもりだなどと言っていた。
539
行商人は兵士ではないが、こちらの兵士に物を売っている以上、
王国に利する行為をしているわけで、セルティア帝国の兵士が攻撃
する対象に入ってしまう。商人といえども、命懸けなのだ。
﹁ありがとうございます。いい情報が入りました﹂
﹁お嬢ちゃん、男みたいな声だな。ノドでもやられたか? それと
も、女装男娼かい?﹂
ああ、軍隊がいるところ、そういうのもいるんだな。数が増えれ
ば、いろんな趣味の奴が出てくるだろうし。
﹁いえ、れっきとした召使いですから﹂
それだけ言って、その場は離れた。
俺たちはキルアネ総督のところにあいさつに出向いた。おかげで
ようやく女装から解放された。
総督といっても、軍服が似合う軍人というより、魔法使いだった。
四十歳ほどの男で、ヤムサックみたいに髪が長い。
﹁よくぞ、ここまでおいでくださいました。必ずや、味方の士気も
ついしょう
高まるでしょう。これで帝国の軍も恐るるに足りません!﹂
﹁追従の言葉はいりません。現況を正しく教えていただければけっ
こうです﹂
姫の言は鋭い。総督がひるみかけたほどだ。
本当に姫は立派だ。知性と勇気を合わせ持っている。逆に言えば
こんな英明な人が前に立たないと国が危ういほどに、王国に余裕が
ないということでもある。
540
﹁詳しいことはまだわからないのですが﹂
総督の声が小さくなる。
﹁帝国側は、概念魔法を扱う魔法使いを利用して、大掛かりなこと
をやるつもりのようです。具体的に申しますと、概念魔法コンテイ
ジョンを放つために動いているとか⋮⋮﹂
俺にとっては聞いたことのない魔法だが、姫は顔を歪めた。それ
から、俺と侍女の二人に説明をしてくれた。
﹁コンテイジョンというのはいわば疫病を発生させる魔法です。範
囲は町一つほどだとか﹂
それだけで背筋が寒くなる。なんて、とんでもない魔法だ。
けど、この世界の町って人口も知れてるし、人の交流も狭いから、
まだマシなんだろうか。いや、そんなに甘くはないか。
﹁それを、たとえば、軍隊が集結しているこのキルアネなどで使わ
れたら⋮⋮王国の防御は崩壊しますよね?﹂
俺の言葉に姫がうなずいた。
総督が再び言葉を接ぐ。
﹁ただし、敵国に入っていた商人やスパイから聞いた話だと、すぐ
に動きがあるわけではないようです。この概念魔法が使える魔法使
いは、帝国の中でも隠者の森という中にいる特定の聖職者だけです。
現在は隠者の森教会にいる第一巫女のみのはず﹂
そりゃ、そんなものを多数の奴が使えたら、とっくに連発してる
か。
541
﹁第一巫女は魔法の戦争利用自体を教義から避けております。とい
うより、彼らの教会ができた理由が、危険な魔法を集めて管理して
封印してしまうことにありました。脅威になる魔法が不断に政治抗
争が行われている帝都近辺にあっては国がもたないと考えたのです﹂
﹁その話は聞いたことがあります。ですから、かつて偉大な魔法使
いが隠者として深い森にこもったと﹂
総督の顔がそこで一段階青くなった。
﹁まだ詳細は確認できておりませんが、帝国はその第一巫女を付近
の領主の城に連行して、コンテイジョンを使うように迫っていると
か⋮⋮。やり口も騙し討ちに近く、三十名ほどの高位の魔法使いで
抵抗を抑えるという念の入れようとか⋮⋮。このあたりの数字はど
こまで信がおけるかわかりませんが﹂
それが事実なら、その第一巫女を解放しないと、かなりよくない
ことになるかもな。
542
89 キルアネに入る︵後書き︶
現在、1月の刊行に向けて作業中です! お待ちください!
543
90 敵国へ入る
姫は総督の話を聞いていた時には物憂げな顔になっていたが、や
がてまた次代の王らしい毅然とした表情に変わった。
﹁その情報の確度はどれぐらいのものですか?﹂
﹁少なくとも、帝国側から流した誤情報であれば、王国が連行した
などというものではなく、第一巫女が進んで協力したなどと言うの
ではないでしょうか。内容的にあまり帝国に好ましいものとも思え
ませんし﹂
しかも、コンテイジョンという危険な概念魔法が使えるようにな
ったというものでもない。どうも、流言にしては中途半端な印象が
ある。
それだけですぐに真実と断言することもできないが、何の根拠も
ない話とは考えづらい。
﹁複数人の密偵や行商が隠者の森教会に異変があったようだとは報
告しています。その部分は少なくとも事実かと﹂
﹁わかりました﹂
短く姫は答えると、イマージュ、タクラジュ、俺の順に視線を合
わせた。
それだけでおおかたの意図はわかった。あとは答え合わせをする
だけだ。
﹁わたくしは、帝国にある隠者の森教会に行ってみようと思うので
すが、わがまま聞いていただけませんか?﹂
544
姫はおしとやかなくせにこういうところはとにかく果敢だ。兄と
争った時も、俺と二人で兄の部屋に入った。よく言えば勇気がある
し、悪く言えば危なっかしい。
そんな姫に付き合うのが特務魔法使いの職務だ。
﹁俺は賛成しますよ﹂
姫に笑いかける。とくに迷いもしなかった。
﹁すでにここまでも変装してきましたから、それを流用すればいい
だけですし。それに、上手く事が運べば、敵国の中にこちらの協力
者を作ることもできそうです﹂
姫もそこを重要視しているんだろう。
﹁隠者の森教会というところが、優秀な魔法使いの集まる場である
ことは確かでしょう。そこが俺たちの側につけば、戦局は絶対有利
に運ぶ﹂
﹁ええ、守勢に回ったままでいるつもりはありません。敵国がもめ
ているなら、少数でも内側から崩すことができます﹂
姫がうなずく。第一巫女の救出も大事だが、むしろ大切なのは教
会に恩を売ることだ。
﹁ただ、侍女二人がこんな無謀に見える作戦に納得してくれるかは
わかりませ︱︱いてっ!﹂
こつん、とイマージュに頭を叩かれた。
﹁島津、私たちは姫の命令に従うのが役目だ。否ということはあり
えない﹂
﹁バカな妹の言葉と違って聡明な姫のご叡慮だ。それを信ずるのみ﹂
この二人が姫の侍女に選ばれている理由がわかった。
545
常識的にはここは絶対止めるところなのに止めないんだから。
﹁わかった。全員共犯だな﹂
敵国に潜入する、どうせならそれぐらいスリリングな仕事のほう
が楽しい。
﹁姫に従わないものは不敬罪だからな﹂
﹁何のために魔法剣士をしていると思っているんだ?﹂
イマージュとタクラジュが順に笑いながら答える。
﹁ううむ⋮⋮姫殿下は本当にご無理をなさいますな⋮⋮﹂
総督はそんなの責任とれないぞとでも思っているのか、悩ましげ
な顔をしていた。それが普通の反応だ。ぜひ行ってきてくださいと
は言えまい。
﹁ご心配なく。わたくしが勝手な判断で向かったことにいたします
から。それに、今が帝国の土地をこの目で見ておく最後のチャンス
かと思いますし﹂
姫の目は帝国なんかより、もっと遠いところを見据えていた。
﹁わたくしが王になったら王都を離れることもままなりませんので﹂
これは決死の作戦でもなんでもなく、皇太子の遊覧なのだ。
﹁わたくしが王になった時、帝国がハルマ王国領に併合されている
かはわかりませんが、少なくとも隣接した土地にはなりましょう。
そこを知っているのと知らないのとでは大きな違いがあります﹂
﹁総督としては、お留めする権利もありませんので⋮⋮﹂
﹁はい、あなたはあなたでこのキルアネを死守してください。わた
くしの本来の目的は、ここの士気高揚ですからね﹂
546
姫はちゃんと自分の役割を覚えておられたようだ。
わずかにやわらかくなっていた表情は、また武官のような硬質な
ものになる。
﹁この場ではっきり申しておきます。帝国軍も全力で来るでしょう
からかなり厳しい戦いになるでしょう。ですが、王国もこのキルア
ネを見捨てることは絶対にありません。そのつもりで防衛に励んで
ください﹂
﹁はっ! この総督に選ばれたこと、身に余る光栄と受け止めてお
ります! 絶対に帝国に膝を屈することのない者しかこの役目は授
からぬはずですから﹂
王国としても、ここを守れるという判断のもとにこの総督を選ん
だわけだから、よほどの大物なんだろう。
﹁言わなくてもわかるかと思いますが、王国とキルアネの道が閉ざ
されるぐらいのことは起こりうるかもしれません。一時的に孤立す
ることもあるかもしれません。それでも、必ず王国は援軍を送り込
みます。そこまで耐え抜いてください﹂
俺たちが途中で襲われたように、帝国はキルアネと王国本土との
通路を封鎖する程度のことはやってくる可能性がある。
それはキルアネを落とすより楽だし、キルアネを攻め落とすにし
ても低地の帝国領から高台にあるキルアネに攻めかかるより、段丘
がつながっている側から攻めるほうが効率もいい。
﹁それも覚悟の上です。すでに十分な量の兵糧は集めています。魔
法使い同士の応戦にも対応できます﹂
総督が胸を張った。光栄と言ったのはウソではないんだろう。彼
547
の顔が紅潮しているように見えるのは緊張というより高揚といった
ほうが近い。
﹁ならば、わたくしの役目の半分は終わったようなものですね。ほ
かの兵たちにもわたくしの声を届けるとしましょうか﹂
晴れ晴れとした顔の姫を見ながら、俺は思った。
この姫と一緒なら、退屈することは絶対ないだろうな。
548
90 敵国へ入る︵後書き︶
別作品ですが、現在連載中の﹁若者の黒魔法離れが深刻ですが、就
職してみたら待遇いいし、社長も使い魔もかわいくて最高です!﹂
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が最初の仕事編がちょうど終わりました︵現在25話まで連載中で
す︶。 n7498dq/
よろしければこちらもお読みください!
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91 姫の演説
翌日、キルアネを守備する兵たちが城の中庭に集められた。
実際の守備が空っぽになるということはないだろうから、全部で
はないはずだが、それでも相当な数だ。王都がここを重要視してい
ることがよくわかる。
このキルアネは舌状台地の先端部分に当たる。
キルアネが失陥すれば、帝国はここを橋頭保代わりに一気に王国
の領土に侵攻できる。攻める側も守る側も真っ先に目がいく土地な
のだ。
そんな守備兵を見下ろすようにカコ姫が顔を見せる。
姫のそばにいた侍女二人が﹁姫様のおなりである!﹂と大きな声
を出した。
守備兵たちが一斉に頭を下げた。高みから鎧の背中がずらっと並
ぶ。
俺は当たり前のように会話してるけど、こういう反応が普通なぐ
らい特別な存在なんだなとあらためて思った。
﹁皆さん、顔を上げてください﹂
姫のよく通る声に兵たちが顔を上げる。
﹁このキルアネという城は王国にとって王都の次に大切な場所です。
皆さんだけでなく、王都の民すべてが心を同じくして戦っています。
ある者はこの城のために食糧を作って。ある者は神に祈って。そん
な気持ちを届けるためにわたくしが王の代理としてやってきた次第
です﹂
550
姫には間違いなく、王者の威厳があった。
優しさと力強さを合わせ持った声に兵たちが聞き入っている。俺
としては姫の護衛なので、兵たちを観察していてもいけないのだけ
ど、その特別な時間に素直に身を置きたいという気持ちもあった。
﹁わたくしはこの城にやってくる途中、帝国の敵に襲われました。
数は二十人ほどであったでしょうか﹂
その告白に兵たちがざわめく。穏やかじゃない情報だ。きれいご
とが並ぶはずの場にふさわしくない。
﹁ですが、わたくしとその従者たちは傷一つ負うことなく敵を打ち
倒しました。ですから、わたくしはここにいるのです﹂
その言葉に不安になりかけた兵の顔がまた明るくなる。
﹁ハルマ王国の兵の力は敵よりはるかに強いものです。過去も、彼
らはわたくしの兄に取り入り、さらに辺境の土地で王都の士官候補
生をまとめて誘拐しようとしました。それらはすべて失敗に終わっ
ています。王国が帝国に負けたことは一度もありません。胸を張っ
て、敵を食い止めてください﹂
どこからともなく、﹁王国万歳!﹂﹁姫万歳!﹂といった声が出
はじめ、すぐに兵たちの中に広がっていった。
﹁帝国はずる賢いキツネのような国ですから、また何か小細工を仕
掛けてくるかもしれません。それでも王都も王もあなたたちを見捨
てることはありえません。王都ハルマが父親なら、このキルアネは
息子です。絶対に守ります。我が国の勝利まで守り抜いてください
551
!﹂
大きな歓声の中、姫が後ろに下がった。歓声はしばらくやまなか
った。
﹁本当に見事な演説でした、姫。俺なんて泣いちゃうかと思いまし
た﹂
これで彼らは王国を裏切ったりはしないだろう。危険を冒して皇
太子である姫がやってきたということに彼らは勇気づけられたに違
いない。
イマージュとタクラジュは少し涙ぐんでさえいた。
﹁彼らは王国のために命を懸けるのです。わたくしもそれに応えて
あげないといけません。それが王族としての責務です﹂
これだけの若さで、ここまで重圧を背負って平気なのは、教育の
せいもあるかもしれないけどそれ以上に姫の素質なんだろうな。
いわゆる、王の器ってやつだ。
﹁さて、責務は果たしましたし、次は帝国に潜り込む番ですね﹂
危険な作戦を姫は笑顔で言った。
﹁姫、もしかして楽しんでいませんか?﹂
﹁本音を言うとそうです﹂
あっさりと姫は告白した。
﹁王城の奥で、遠方の土地の戦況だけ聞いて一喜一憂しているだな
んて、馬鹿らしいと思いませんか? それならこの目とこの足で見
てきたほうがいいじゃないですか﹂
こんなに生き生きとしている姫の顔を見たことはないと思った。
﹁わたくし、冒険物語を読むのが趣味だったんです。平和な時代に
552
姫をやるより、よっぽど向いているのかもしれませんね。王都から
一度も出たことがないなんて人生は勘弁です﹂
﹁それぐらい、おてんばなほうが姫と見破られないのでいいかもし
れませんね﹂
﹁ドレスももっと丈を短くしたほうが商人の娘といったふうに見え
るかしら﹂
姫はふわふわと広がったスカートをたくしあげた。はしたないと
注意する前に恥ずかしいから目をそらした。
﹁タクラジュとイマージュはどう思います? 王族でないように見
えますかね?﹂
﹁姫はどのような姿をしてもお似合いです﹂﹁姫、お美しいです﹂
お前ら、そういうこと聞いてるんじゃないと思うぞ⋮⋮。
その日、宿所に充てられた部屋のベッドで、俺はマナペンを取り
出した。
登場したアーシアは少しご機嫌斜めのようだった。
﹁時介さん、危ない橋を自分から渡りすぎです。先生としては複雑
な気分です﹂
﹁卒業生が活躍してるんだから、大目に見てください。それに魔法
剣士は戦時中でないと活躍しようがないですから﹂
俺の言葉は正しいと判断したのか、アーシアは﹁それはそうなん
ですけどね∼﹂とため息をついた。
それから、いきなり俺の頬を両側から手ではさんだ。
﹁な、なんですか⋮⋮﹂
553
俺をのぞきこむアーシアの顔はかなり真剣だ。
﹁大事なことだからよく聞いてください。帝国は王国より精霊の数
が多い土地柄です。なかには以前、時介さんを襲おうとしたような
卑劣なのも混じっている危険があります。どうかお気をつけくださ
い﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
たしかに亀山に余計ないことを吹き込んでいた精霊は恐ろしい奴
だった。アーシアがいなかったら殺されていた。
﹁はっきり言って人間との戦いなら時介さんはかなりやれるはずで
す。しかし、精霊となると格が違います。私も精霊に対しては加勢
はしますが、どうかご注意くださいね﹂
俺はこくこくとうなずいた。
﹁私からは以上です﹂
最後にアーシアは笑顔で俺の頭をゆっくり撫でた。
俺、彼女もいる身なんだけど、アーシアからしたら教え子を撫で
るぐらいは普通なんだな⋮⋮。
554
91 姫の演説︵後書き︶
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555
92 帝国領を進む
翌朝、俺たちは帝国の領地に踏み入いった。
辺境地帯は原野が広がってるようなところも多く、侵入自体は容
易だった。それに商人などの移動はごく普通に行われている。俺た
ちもそれにならった形だ。
ちなみにもう女装はしていない。かえってうさんくさくなる。
目指すは隠者の森教会。そこで第一巫女の安否を確かめる。
教会とはいえ、敵の土地には違いはないし、多少、危なっかしく
はあるが、第一巫女が捕らわれているかどうかもまだはっきりとは
わかっていない。たどりつくまでに状況が変わっている可能性もあ
る。
帝国に入っても風景などはほとんど代わり映えしなかった。看板
に書いてある文字も隣り合ってるせいか、割と近い。
歩いて一時間ほどでなだらかな山を越える峠道に入った。ここを
抜けると本格的に帝国の土地という空気にもなる。
﹁あまり外国という気もしませんね﹂
﹁そうですね。だからこそ、わたくしも帝国と殺し合いなどしたく
ありません﹂
姫もどうせなら、もっと平和な時代がよかったと思ったかもしれ
ない。それこそ、堂々と旅行ができるような時代だ。
帝国からしたら完全に敵国の工作員なんだけど、敵の襲撃は全然
556
ない。本当にただの旅人と思われているのか、一般民衆は戦争も他
人事なのか、拍子抜けするほどあっさりと進めている。
ちょっとばかし、上り坂であることを除くと、困難らしい困難も
ない。
﹁ずっと、こんなに楽ならいいんだけどな﹂
俺は白い地図を見ながら言った。
﹁バカか﹂﹁バカめ﹂
﹁なんで姉妹揃って、バカ扱いなんだよ⋮⋮﹂
師匠として説明責任があると思ったのか、イマージュが俺の横に
並んだ。
﹁おおかた、お前は地図だけを見ているのだろう。そういえば、そ
こまで地理について勉強する時間もなかっただろうしな。旅の者か
ら話を聞く機会も限られていたはずだ﹂
﹁だから、どういうことなんだ?﹂
﹁おそらく今日中にわかる﹂
その日、アップダウン自体は多かった。のぼって、少しくだって、
またのぼってといったふうにじわじわ高度が上に来ている感覚はあ
る。
そして、日暮れ前、峠近くの展望台からの景色を見て、俺はイマ
ージュが言っていたことを理解した。
山並みがどこまでもどこまでも続いているのだ。
その底に小さな村があるように見えるが、詳しいことはわからな
い。
557
﹁これ、ほとんど山じゃないか⋮⋮﹂
人が住むのに適した広々とした場所がほとんどない。
あらためて地図を出した。それもよく見ると、山が多いとか書い
てある。
これ、日本の地図でもたまにやる間違いだ。直線距離は短いから
らくだと思ったら、やたらと急な坂だったとか。
山だらけの地形だと、地図で示すのも難しいのか、少なくとも見
ただけで山が多いとわかるような描き方にはなってなかった。
﹁そういうことだ。帝国が他国から独立されていった理由もわかる
だろう? これでは統治は難しい﹂
たしかに、こんなの森の中にでも隠れられたら、何人がかりでも
無理だよな。
﹁実のところ、山を抜けて平野部に行く道もあることはあります。
けれど、隠者の森教会はそちら側にはありません。むしろ、山や森
をいくつも越えた先になりますので﹂
﹁平野部を経由したほうが結局近いとかってことはないですか?﹂
﹁平野部はそれだけ監視も厳しいですからね⋮⋮。見つかる危険性
ははるかに高くなります﹂
姫の言葉を聞いて、自分の選択肢は使えないと諦めた。秘密工作
員が見つかりやすいところを通るわけにはいかない。
﹁なんとか村にまで入って泊めてもらいましょうか﹂
﹁姫が野宿などありえませんから﹂﹁イマージュ、姫ではなくて町
娘だぞ。まあ、町娘は姫のように豪華な宿で泊まるべきだが﹂
558
そのうち、イージーミスでばれそうだけど、今のところは会う人
が少なすぎてどうにかなりそうだ。
●
初日は戸数十五軒もないような寒村に泊まることになった。
宿もないということだったので、家の一つに泊まることにした。
役人が来た場合に宿泊施設として使う広めの家があったのだ。
お金は事前に帝国の硬貨を用意しているので、それを支払う。
これ、思ったより長い旅になるかもしれない。
﹁サヨルとか心配してるかな。そりゃ、心配するよな⋮⋮﹂
部屋は三部屋しかなかったので、俺、姫、姉妹で一部屋ずつとっ
た。
といっても、見張りをやるから自由時間以外は姫の部屋に行って、
双子のどちらかと周囲を警戒することになる。
その空き時間に自分の部屋に戻ってくるといったほうが近い。
この調子だと隠者の森教会までまだまだかかる。そこにたどりつ
いたとしても、無事に帰ってこれるかはまた別だ。
いざ、旅に出てみると不安もつのってきた。とはいえ、事前にそ
う感じたからといって、やらないといけないことは同じだった。
俺はアーシアのマナペンを握り締める。
このまま、何事もなく進めますように。
﹁また、抱きつきますか?﹂
559
後ろにアーシアが現れる。マナペンを握ったから出てくるところ
だと思ったよな。
﹁いえ、恋人の名前をつぶやいた後に、ほかの女の子に抱きつくっ
ていろいろ最悪なんで⋮⋮﹂
﹁それもそうですね。ところで、この村、思ったより危ないかもし
れませんよ﹂
さらっとアーシアが言った。
﹁それって、どういうことですか!﹂
﹁静かな村とはいえ、生活感がなさすぎな気がするんです。ただ、
具体的に攻撃されてるような感じもしないのですが﹂
アーシアの言葉が怖くて、姉妹と一緒に交代に起きて番をしてい
たが、とくに何もないまま朝になった。
何もなくてよかった。また早朝から俺たちは旅を再開した。
560
92 帝国領を進む︵後書き︶
来月の書籍化に向けて現在作業が佳境に入ってます。よろしくお願
いします!
561
93 ループする魔法
とくに刺客に会うようなこともなく、旅は進んだ。
たしかにこんな森の中を何人も刺客を配置して防ぐのは効率が悪
すぎる。仕方のないことなのかもしれない。
二日目から山の道はさらに険しくなったが、ペースが遅くなった
りすることはなかった。
﹁隠者の森教会という名前がいかに説得力あったかわかります﹂
﹁ですね。わたくしも改めて帝国が土地に恵まれていないことを実
感しています﹂
姫もかなり汗をかきながら進んでいる。レヴィテーションぐらい
は全員が使用できるが、四人が揃って空を飛んでいる光景はあまり
にも目立つ。
﹁姫、隠者の森教会まではあと七日ほどの道のりです﹂とタクラジ
ュが言った。山道を一週間と考えると地獄だけど、ゴールが見えて
いるだけマシだ。
その日は戸数十五軒ほどの寒村に泊まった。
初日と似た小さな村だ。たくさんの人口なんてこんなところで養
えないから山には必要最低限の人数しか暮らしていないのだろう。
翌日も似たような単調な道を歩いた。
俺は現在位置を確認するのも疲れてきたので、先頭に立つタクラ
ジュについて歩いていくだけだ。
562
地味に剣が重い。食糧も重い。かといってどれも必需品だ。
﹁タクラジュ、今どれぐらいまで来た?﹂
﹁あと七日ほどの道のりだな﹂
﹁わかった。まだけっこうあるな⋮⋮﹂
それからも山中の強行軍は続く。なんとかその日のノルマを達成
しては小さな村で荷物をおろす。
夜の番で姉妹が入ってくることもあるので、念のためアーシアは
呼び出してない。
タクラジュと番をする時間になった。とはいえ、廊下に立ってい
ると不自然だ。今回は姫の部屋で姫とイマージュが眠っているので、
俺とタクラジュで見張りをする。見張りは一人でいいような気もす
るのだけど︱︱
﹁お前が姫に不埒なことを働かないように見張るのだ﹂
ということらしい。それぐらいは信用してほしいところだけど、
しょうがない。
まったく寝てないわけではないが、やはり体がだるい。
﹁ふあ∼あ、教会まであと何日だ?﹂
﹁お前もちゃんと地図を確認しろ。七日ぐらいだろう﹂
なぜか、違和感があった。
なんか、ずっと、あと七日と言われている気がする。
﹁なあ、タクラジュ、俺たち、立ち止まってたりしてないか? 本
当に進んでるのか?﹂
﹁お前は何を言っている。毎日、歩いているんだから進んでいるに
563
決まっているだろうが﹂
そう、進んでいるという意識はあるのだ。
問題は距離が減っていないように感じることだ。
﹁すごく不自然な感じがする。もう、俺たちは教会についてていい
ぐらいなんだ。それぐらいは歩いた!﹂
﹁おい、島津、いくら歩きたくないからって訳のわからんことを言
うな。あぁ、やはりあのバカ妹などに教育させるべきではなかった
か⋮⋮﹂
けど、不自然である理由を証明するのって、どうすればいいんだ
ろう。
ほっぺたをつねってみたけど、目が覚めたりはしない。
﹁タクラジュもつねってみてくれないか?﹂
﹁かまわんが、痛いぞ﹂
きっちり痛かった。
俺の勘違いだろうか。あとでイマージュと見張りをする時にでも
聞くか⋮⋮。
そのあと、イマージュがタクラジュに起こされていた。ちなみに
ほっぺたつねって起こしていた。一種のイヤガラセなんだろうか。
﹁お前の番だぞ、しっかり見張りをしろ﹂
﹁わかった、わかった﹂
寝起きのイマージュは全然魔法剣士らしさがなく弱そうだ。髪の
毛も解いているから、別人みたいに見える。
564
﹁弟子に寝起きの顔を見られるのは落ち着かんな⋮⋮﹂
キャラに似合わず照れた顔をするイマージュ。無防備な表情でち
ょっとこっちも気恥ずかしくなる。でも、今はそれどころじゃない。
﹁師匠、妙に長く旅をしてないですかね? 全然距離が縮まってな
いように感じるんですけど﹂
﹁まさか。お前は変な心配をするな。あと、たったの七日で着く。
とっとと寝てきたほうがいいぞ。疲れもたまってくるからな﹂
﹁なあ、何日か前も残り七日って聞いてた気がするんだけど⋮⋮﹂
﹁ったく。じゃあ、夢だったら何でもしてやろう。望むことを言え﹂
これは説得不可能だな⋮⋮。
しかし、違和感を証明するのって、現実問題として極めて難しい
な。
たとえば、全世界で俺だけが違和感があると言い立てたところで、
変になったと思われるのがオチだ。これは個人的な感覚だから、他
人には伝わらない。
いっそ、自分をパイロキネシスで焼き尽くすか?
いや、危険が多すぎる。絶対にここがおかしいという根拠がなけ
れば、そんなことはできない。
それに、異常があるように感じさせる魔法を使われている可能性
だってある。
まずいな。これ、悪魔の証明みたいだ⋮⋮。
﹁ほら、ここにいないで自分の部屋で寝ろ。せっかく三部屋取って
るんだからな。寝ればたいていの悩みは解決するのだ﹂
565
すごい能天気なことを言われたけど、ここに突っ立っていても無
意味なのは事実か。
意気消沈して自室に戻ってきた。
ふと、ポケットに入れているマナペンに意識がいった。
﹁そうだ、先生なら知ってるんじゃ⋮⋮﹂
俺はすぐにマナペンを握る。頼れるのはもうアーシアしかいない。
﹁先生、至急出てきてください!﹂
けど、アーシアの姿はまったく出てこなかった。
強く力をこめるが、同じことだ。ぶんぶん振ってみても意味はな
い。
﹁アーシアが消えた⋮⋮?﹂
愕然として、力が抜けて、その場に座りこんだ。
ずっと同じようなことを繰り返してるってことよりも、こっちの
ほうがショックだ。
アーシアに見放されて、俺はやっていけるだろうか⋮⋮。
また、この世界に来たばかりの時みたいにおちこぼれになるんじ
ゃないだろうか⋮⋮。
いや、なんでだ。
ここがおかしな空間だと疑ってるなら、どうしてアーシアがいな
いことも疑わないんだ?
冷静に考えろ。
566
アーシアが生徒である俺を見捨てることなんてあるだろうか?
答えはすぐに出た。
そんなことは絶対にありえない。
アーシアが出てこないということは、この世界は現実じゃない。
仮説が浮かんだ。
この世界を作っている奴がアーシアを知らないとしたら?
アーシアの設定は造りようがない。
567
93 ループする魔法︵後書き︶
1月22日刊行の表紙ができました! 活動報告をご覧ください!
568
94 深すぎる夢からの脱出
冷静に考えろ。
アーシアが生徒である俺を見捨てることなんてあるだろうか?
答えはすぐに出た。
そんなことは絶対にありえない。
ならば、これは現実じゃない。やはり、俺たちは同じようなこと
を繰り返している。
もし、ここが現実じゃないとして、ならば、どうやってそこが抜
け出す?
すでにイマージュたちにも違和感は説明している。だけど、違和
感っていうのは個人の感覚によるものだ。俺がおかしいと思ったか
らといって、ほかのみんなが納得するかどうかはまったく別の問題
だ。
ほかの人間に頼ってもダメだとしたら、俺がまずはここから出な
いといけない。
出るっていうことは、いなくなるということだよな。
たとえば俺がいない場所では、俺が夢を見ることも原理上、起こ
りえなくなる。
答えは出た。ずいぶん、野蛮な方法だけれど、その分、効き目は
あると思った。
俺は剣を抜く。
569
アーシアが俺のためにくれた、俺には立派すぎる剣だ。軍団長ク
ラスが持つものとタクラジュは言っていた。
これが夢としてアーシアが出てこない原理まではまだわからない
が、この世界不自然であることだけは確実だ。
その剣を俺は胸に思い切って︱︱︱︱突き刺す。
恐怖心がないわけはない。
けれど、そうしないと先に進めないのではないかと思った。
これも一種の試練だろ。
ちくっと最初の痛みが走った時には意識が飛んだ。
●
目を開いた先に、驚愕の表情を浮かべた男がいた。
﹁なっ! もう、夢から覚めたというのか!﹂
ああ、やっぱり夢だったんだな。
それで答えが出た。俺は床に寝そべっていて、その横には姫様と
イマージュ、タクラジュも倒れている。
﹁おかしい⋮⋮。たしかに魔法は完全にかかったはず。そんなにす
ぐに起きられるなんてことが⋮⋮﹂
﹁あんたの魔法は一つだけ、問題があった。この世界の住人でない
ものに影響を与えることができなかったんだよ﹂
そんなことをしゃべっていた時には、イマージュが立ち上がって、
570
その男を押さえ込んでいた。
イマージュの動きはさすが姫の侍女だけあって、素早い。あっと
いう間に床に男を倒す。
﹁集団で同じ幻覚を見せる魔法だな。おい、お前は何者だ!﹂
首に手をかけられて、男はげほげほとむせていた。
﹁それと魔法もな。ずいぶん奇妙な魔法を使うようだが、とっとと
種を教えろ!﹂
﹁は、話す! 別にこちらはそなたたちを殺すつもりまではない!
本当だ、信じてくれ!﹂
すでに立ち上がっていた姫が﹁解放してあげてください。確かめ
ないといけないことが多いので﹂と告げた。
﹁命拾いしたな。もし、次に奇妙な魔法をかけよううとしたら、そ
の前に首をはねてやる﹂
男はその場の全員に共通の夢を見せる魔法を使ったと話した。複
数人を巻き込むことで、醒めづらい夢を作れるらしい。
といっても、一度効いてしまえば、二週間ほど眠ったりもするら
しいので、もはや夢というべきかも怪しい。目覚めなくする魔法と
いうほうが正しい。
﹁複数人をまとめて同じ夢を見させることで、夢の中のリアリティ
は極めて、高くなる。お前たちの頭はそれが夢だと気づけなくなり、
ずっとそこをさまようことになる﹂
たしかに脱出に動いたのは、俺だけだった。それだってアーシア
571
のことがなかったら気づけなかっただろう。
﹁むしろ、どうやって夢と認識できた? 外部からの干渉なしに起
きることなど⋮⋮﹂
俺もその説明を聞いて、アーシアが出てこなかった理由を悟った。
﹁欠けているものがあって、絶対におかしいと思えたんだ。だから、
夢の中で自殺してみた。俺が不在の夢は存在しないだろ﹂
アーシアは精霊だ。だから、集団催眠のような状態の対象にでき
なかった。
なので、夢の内部には登場しなかったらしい。
﹁無茶苦茶だ⋮⋮。この魔法、デュアル・ワールドの中で自殺する
ということは、現実に自殺するぐらいの恐怖心があるはずなのに⋮
⋮﹂
﹁俺だって確信が持てないとできなかったさ。それより、お前は何
者だ? 帝国の魔法使いか?﹂
だとしたら、どのみち生かしておけないだろうが。もう一度同じ
魔法をかけられて気づくかどうかわからないし。
﹁私は⋮⋮隠者の森教会の者だ⋮⋮﹂
俺だけじゃなく、全員があっけにとられた声を出した。
﹁どうして、隠者の森教会の方がこのようなことを⋮⋮?﹂
姫も呆然としている。
こっちはむしろ救援に向かおうとしていた側なんだから当たり前
だ。
572
﹁隠者の森教会を抜けるには山道を越えていくことになる。そこで
待ち構えていれば、帝国の魔法使いの一群をとどめることができる。
だから、集落にこもって待ち受けていた﹂
﹁待ってください! わたくしたちは帝国の者ではありません!﹂
姫が叫ぶ。そこで俺たちは大きな誤解に気づいた。
隠者の森教会側からしたら、自分たちの拠点を目指してやってく
る者は味方よりも先に敵に思えるんだ。
﹁では、あんたらは何者だ? 教会に所属する人間の顔はおおかた
覚えている。ただの商人の娘とその護衛がやってくるとは思えん﹂
﹁わたくしたちは、帝国に敵対するハルマ王国の者です。隠者の森
教会の現況を知るために、向かっていたところです。第一巫女が捕
らわれて、概念魔法コンテイジョンを使わされそうになっていると
いうのが本当であれば、看過できませんからね﹂
今度は男があっけにとられた顔をする番だった。
そして、その場に平伏した。
﹁ご無礼を働いてしまい、申し訳ない。そして、虫のいいお話です
が⋮⋮第一巫女様をお助けくださいませ⋮⋮﹂
573
95 隠者の森へ
﹁ご無礼を働いてしまい、申し訳ない。そして、虫のいいお話です
が⋮⋮第一巫女様をお助けくださいませ⋮⋮﹂
こちらの疑いが晴れたのはいいけど、男の言葉には不吉な意味合
いが込められている。
﹁第一巫女が捕らわれたというのは、事実なのですか?﹂
﹁さようです⋮⋮。ただ、コンテイジョンのような特別な魔法は、
隠者の森の祭壇でしか行えないもので、残った者で祭壇を必死に守
っているところです﹂
男の話では、第一巫女は領主と会談する際に、村に訪れた時に拘
束されたという。
帝国側としてはそれでコンテイジョンが使えると思っていたよう
だが、実際は隠者の森自体が特殊な環境で、そこからでないと強大
な概念魔法も届かないという。
たしかに、帝国領内から王国の土地に概念魔法を打ち込むという
のは、いくらなんでも離れすぎている。常識的に考えれば射程範囲
外と言えるだろう。
﹁帝国はあわてて隠者の森教会を攻撃しようとしましたが、こちら
の魔法使いも一人や二人ではありません。必死の抵抗を見せて、敵
を食い止めております。帝国側も精鋭は王国に対して投入したいの
で、なかなか効果的な手がとれていないようです﹂
574
たしかに隠者の森教会を攻撃するとなると、それは内乱だからな。
そこに数を割いている場合じゃないとでも思っているのかもしれな
い。
﹁わかりました。ここまで来て引き返すつもりはありません。隠者
の森教会まで案内いただけませんか?﹂
また疑われて、あんな魔法を食らったら困るからな。
しかし、王国の者とばれないようにしていたら、帝国の兵と思わ
れて攻撃を食らうなんて、皮肉としか言いようがない。
﹁承りました。ところで、あなた方は王国の軍隊ということでよろ
しいのでしょうか?﹂
姫が自分は何者かということを伝えた。
その男はまた呆然とする羽目になった。
﹁まさか、カコ姫様がこのような土地に⋮⋮﹂
信じられないという顔をしているけど、それが正常な反応だと思
う。かなりとんでもない作戦をやっているという自覚は俺たちにも
あったし。
﹁少数で帝国に入り込んで、なおかつ、それだけの戦闘力を持つと
なると、使えるコマも限られてきますからね。ならば自分でその役
を引き受けてしまえばいいと思ったのですよ﹂
﹁なるほど⋮⋮。カコ姫様の名声は帝国にも聞こえております。む
しろ、帝国はだからこそ姫を除こうと何か画策していたという噂で
すが﹂
﹁ですね。心の弱い兄が誘惑に乗ってしまいました﹂
殺されかけたとはいえ、実の兄だからか、姫は少し寂しげだった。
575
﹁事情はわかりました。こちらとしては味方が増える分には大歓迎
です。我々は自分たちから戦争に加担することは長らくしてこなか
ったのですが、何かご協力できることがあれば、お手伝いできるこ
ともあるかもしれません﹂
これで攻守同盟が結べれば最高だけど、そこまで期待を上乗せし
なくてもいいだろう。まずは第一巫女がさらわれた危機をなんとか
しないとはじまらないし。
俺たちは翌日、男︱︱ヌアンゴというらしい︱︱と共に隠者の森
へと向かった。
途中、何箇所も結界的な魔法が張ってあって、ヌアンゴが解除し
ながら進んでいった。
﹁ちなみにこのまま皆さんだけで教会の森を目指しても、間違いな
く同じように足止めらされたでしょう﹂
とすると、俺たちは時間的にはロスの少ない方法をとれいたのか
もしれない。もちろん、そんなのは結果オーライもいとこだけど。
隠者の森教会は山中の道を延々と何日も何日も歩きとおした先に
やっとあった。
レヴィテーションで飛んでいきたかったが、そこにも結界みたい
なものを張っているところがあって、それなりに危険だという。
そのあたりの防御態勢はある意味、徹底しているな。一国家とや
り合おうとしてる集団ってどんな連中なんだ。
町に入る時の小さな関所のようなところを抜けると、そこにはこ
じんまりとした山里が広がっていた。山里には霧がかかっていて、
576
隠れ里という言葉が思い浮かぶ。
といっても、さすがに一つの集落という規模ではない。全部入れ
れば三百人程度はいるだろうか。
﹁ここは争いから距離を置いた魔法使いたちが暮らす土地です。さ
あ、こちらへどうぞ。代表のところまでお連れします﹂
村の中でもひときわ立派な尖塔のある建物に俺たちは案内された。
隠者の森教会というぐらいだけど、たしかに教会のような印象が
ある。事前に王国で聞いていた話では聖職者の集まりという話だが、
もっと牧歌的な村といった印象だった。
出てきた女性も、聖職者のようなローブをまとっていた。まだ若
い。二十代なかばほどだろう。髪は後ろで編み上げていた。
﹁長旅お疲れ様でした。第二巫女のラクランテと申します。第一巫
女が不在のため、隠者の森教会のリーダーをつとめております﹂
姫がこちらを代表してあいさつをした。
﹁ハルマ王国の王女、カコです。わたくしたちの目的は一つ、コン
テイジョンが使われる危険を事前に防ぐことです﹂
平和を守るためとか、帝国の圧政から救うとか、そういった口当
たりのいいことは姫はわざと言わなかった。うさんくさい言葉はか
えって相手の信頼を損なう。
﹁概念魔法は連続して使えるものではないとは思います。それでも
拠点となる都市で疫病が発生して、それが帝国の魔法という話が広
577
がれば、多くの兵士は恐慌状態になって、戦争は遂行できないでし
ょう。なんとしても、止めねばと思い、隠密のようにしてやってき
ました﹂
﹁ですね。まさに概念魔法はあまりにも危険ですので、我々の先祖
が魔法が外に出ないようにこの教会を作ったのです。しかし、かえ
ってそれを帝国に狙われたというのは心苦しいものですね﹂
ラクランテさんは悲しげにため息をついたけれど、まだ気丈なも
のが残っている気がした。リーダーというからにはただ弱々しく泣
き言を言っていればいいという立場でもないんだろう。
彼女はすぐに強い目で姫を見つめた。
﹁率直に申し上げます。第一巫女の奪還作戦にご協力ください﹂
﹁もとより、そのつもりですよ﹂
姫も迷わずに答えた。
578
96 教団との手合わせ1
﹁その意志ははっきりと確かめさせていただきました。一国の指導
者となられる方としてとてもご立派だと思います﹂
ラクランテさんは厳しい表情のまま、姫を讃えた。
﹁しかし︱︱まだ、皆さんの魔法使いとしての実力を確認できてお
りません。もし、頭数として加えるに足らないのであれば、我々だ
けで作戦は遂行いたします。それで王国の姫が身まかるというよう
なことはあってはなりませんので﹂
タクラジュが無礼だと思ったのか前に出ようとしたが、姫がとど
めた。
﹁そうお考えになられるのも当然かと思います。わたくしも命を落
とすつもりは毛頭ありません。まずはこちらの実力を見極めていた
だければ幸いです﹂
ここにいる人たちは俺たちのことを何も知らないに等しいし、こ
っちも相手の実力がよくわからない。
﹁では、こちらで教会の者と手合わせをお願いできますか?﹂
場所を移る際、イマージュが声をかけてきた。
﹁こういう共闘は必ずまず力関係をはっきりさせようとする。完全
なる対等な関係などというものはないからな﹂
﹁おっしゃりたいことはわかります。上下があいまいなままでは、
指示を出しづらいですからね﹂
579
﹁ふん、イマージュの言うことはもっと多人数での共闘の場合だろ
うが。四人しかいないこちらが主導権を握れる可能性などない﹂
またタクラジュが文句を言ったが、これも正しいとは思う。
けど、それもあくまで一般論だ。
﹁どうせなら、四人でも主導権が握れるぐらいのことをしてやりま
しょうよ。そうでなきゃ面白くない﹂
姉妹二人が顔を見合わせた。
﹁そうだな﹂﹁妹より骨がある奴であってほしいものだ﹂
二人は思った以上に楽しそうな顔をしていた。実は俺も同じだ。
自分の全力を見せる機会ってほとんどなかったんだよな。ここの教
会の人間なら相当な使い手だろ。
森を抜けたところに。木々に囲まれたテニスコートみたいな空間
があった。
そこに何人か、教会の関係者と思われる者が集まっている。ただ、
聖職者らしい服装の者はいないから、村人のように暮らしてるのか
もしれない。
﹁そちらに合った対戦相手をこちらもお出しします。剣士の方が多
いようですが﹂
﹁わたくし以外はみな、魔法剣士です﹂
姫がラクランテさんに説明する。
むね
﹁イマージュとタクラジュは二人で連携して戦うことを宗としてい
ますので、二人同時でやらせていただけませんか?﹂
﹁なるほど、双子ならではのチームワークということですね﹂
580
ラクランテさんの言葉にちょっと笑い出しそうになってしまった。
むしろ、ちょっと﹁ぷっ⋮⋮﹂と声が出た。
﹁おい、島津﹂﹁言いたいことはわかるが、反応で示すな﹂
﹁すみません。じゃあ、双子ならではのチームワークをお願いしま
すね﹂
ものすごく二人が嫌そうな顔をした。絶対、連携とか無理だろ。
﹁まず、タクラジュを片付けてから私だけで敵を倒す﹂
﹁敵を攻撃すると見せかけてイマージュをつぶす﹂
﹁いきなり同士討ちかよ!﹂
敵のほうも二人組が出てきた。中年の男二人だ。どちらも帯剣し
ているので、最低でも剣士ではあるようだ。
﹁教団側からは、マルガとクーウィーという者が相手をいたします。
どちらも長らく魔法剣士として戦ってきた者です﹂
解説役はラクランテさんがするらしい。名前を呼ばれて武骨そう
な男二人が頭を下げた。
﹁王国側のタクラジュだ。ルールを教えていただきたい﹂
﹁木剣で五分やりあっていただきます。意地を張る場でもありませ
んし、それだけやれば自然と優劣はわかるかと﹂
ラクランテさんの言葉は丁寧だが、表情からこちらを少し侮って
いるようなところが感じられた。こちらが少人数なのは間違いない
ことだし、ある程度はやむをえないかもしれない。
あるいは帝国に屈していないことにそれなりの誇りを抱いている
のだろうか。
581
実は俺もガチでやる二人の戦いを見たことは少ない。なので、か
なり興味があった。実戦で手を抜いていたことはないだろうけど、
それだと敵との差がありすぎて、力の神髄を見る前に終わってしま
うのだ。
王城の中でも、姫の護衛をやる立場上、そんなに力を見せびらか
す場も作らなかった。少なくとも、二人が同時にやるというのはな
かったと思う。
今回は敵も使い手のはずだし、期待が持てる。
審判役はラクランテさんがやるらしく、﹁はじめてください﹂と
手を振り下ろした。
教団側の二人組は、なにやら符丁めいた言葉をぶつぶつつぶやい
た。攻撃時のサインなんだろう。
そして、二人で声をあげながら襲いかかってくる。
走りながら男たちがそれぞれ呪文を詠唱する。
二人の動きが圧倒的に加速した。さらに剣がオーラのようなもの
で包まれる。あれは強化系の魔法か。
﹁付近の仲間すべてに効果がある魔法ですね。それをお互いに唱え
ることで速さと攻撃力両方を効率よく高めたようです﹂
姫は冷静に戦闘を眺めている。俺もその横で話を聞いていた。
﹁たしかにこれなら二人で戦うメリットがありますね﹂
﹁でも、まあ、元の威力が知れています﹂
582
珍しく、姫は不敵な笑みを浮かべた。
﹁この勝負、こちらが勝ちました﹂
タクラジュはぶつぶつと魔法の詠唱を行う。防御らしい態勢にも
入らない。
イマージュも大差はなく、ぶつぶつと詠唱を小声で行っていた。
﹁なんだ、なんだ! 魔法剣士のくせに戦う気持ちもないのか? 覇気が感じられんぞ!﹂
バカにするというより叱咤するように敵の一人がしゃべった。
しかし、そんな男の表情はすぐにこわばった。
目の前の大地がせり上がって壁になる。
﹁なっ! こんな短時間でっ!﹂
その壁を回避できずに二人の剣士が激突した。
583
96 教団との手合わせ1︵後書き︶
本年最初の更新です。1月21日にレッドライジングブックスさん
より書籍化去れます。よろしくお願いします!
584
97 教団との手合わせ2
その壁を回避できずに二人の剣士が激突した。
しかし、その時にはもう大きくイマージュが飛び上がっている。
否、これはレヴィテーションだろうか? でも、こんなタカが滑
空するように移動できる魔法ではないはずなんだけど⋮⋮。
﹁あれはレヴィテーションにウィンドバインドを組み合わせたもの
です。一対一で強敵と戦う場合だけに使う手法ですね﹂
姫にとっては不思議な手法でもなんでもないらしい。
もう、敵の背後にイマージュは回り込んで、首元を木剣で突いた。
﹁うごあっ⋮⋮﹂と濁った声を出して、男の一人が倒れる。
さらにすぐそばにいたもう一人の男と対峙する。こちらは覇気が
感じられないとしゃべっていたほうだ。この男は、なんとか態勢を
立て直しているから、それなりにやるらしい。
﹁くそっ⋮⋮。ああも早く、大地に関する魔法が効き目を持つとは
!﹂
﹁はっきり言うぞ。見通しが甘すぎる。ああやって突っ込んできた
時点で、お前たちは魔法を剣の補助に使うタイプの魔法剣士だとわ
かった。わかってしまえば、それだけのことだ。手の内はわかる。
一方でお前たちはこちらがどういう魔法剣士かわからないまま。勝
手に不利になってどうする﹂
これだけ真面目な表情のイマージュは長らく見た覚えがない。い
や、真面目というか、殺気を放っているのだ。俺を鍛えてくれた時
585
とも、また態度が違う。
﹁何を! まだ、勝負は終わってな︱︱﹂
その言葉を発する前にイマージュが木剣を敵の体に叩きこんでい
た。
胸を撃たれた敵はそのまま吹き飛んでいく。
﹁勝負などとっくに決している。それがわからないということは、
それだけ力量がないということだ﹂
ぱんぱんとイマージュは落ち着いた顔で手を叩いた。
おい、これ、強すぎるんじゃないか⋮⋮? 結局、本当の実力は
よくわからないままだ。
﹁イマージュ、お前はなんでもかんでも説明しすぎだ。はっきり言
って痛々しいぞ。恥ずかしいぞ﹂
﹁タクラジュこそ、もっとタイミングよくウォール・オブ・アース
を唱えていれば、直撃させて、それだけで戦闘不能にできた。ずれ
たから一手間増えたんだ﹂
また、いつものように軽口を叩きだしたけど、教団側はざわつい
ていた。
﹁二人が完敗した⋮⋮﹂﹁勝負にすらならなかったぞ⋮⋮﹂なんて
声がする。
なにより、ラクランテさんが唖然とした顔をして、口を半開きに
していた。そんな結果は想定してなかったという顔だ。
﹁魔法剣士といっても、いくつかのタイプがありますね。一つはあ
くまでも剣が主流で、その補助に魔法を使用する者。教団側の方は
586
そうだったようですが、イマージュとタクラジュはそうではありま
せんので﹂
姫の言葉は二人への信頼で満ちている。
﹁イマージュとタクラジュはあくまでも、一流の魔法使いです。そ
の魔法使いが剣も使えるんです。もっとも、剣だけでも負けるつも
りはないですが﹂
﹁な、なるほど⋮⋮。お見事です⋮⋮﹂
ラクランテさんはすごく居心地が悪そうだ。
教団側の人間が負傷した二人を運び出している。
﹁これ、二人とも、伝説の魔法剣士の力量なんじゃないですか⋮⋮
?﹂
神剣を使う資格もあるんじゃないか。
﹁それはいくらなんでも盛りすぎですね。それ以上のものがまった
く想像できないような次元でなければ神剣を扱う魔法剣士とは言え
ません。二人は一流の魔法使いですが、頂点とはまだ言えませんか
ら﹂
俺ももっと上を目指さないとダメだな。こんなところでのんびり
してられない⋮⋮。
﹁では、次の試合は、どちらの方が﹂
姫が俺のほうをちらっと見た。姫を先に戦わせるなんてことはあ
りえないからな。
﹁俺がやります。島津時介、魔法剣士です。よろしくお願いします﹂
﹁わかりました。こちらも選りすぐりの者を出しましょう⋮⋮﹂
俺はイマージュから木剣を受け取る。
587
﹁師匠って、やっぱり強かったんですね﹂
﹁敵が弱いだけだ。覇気を出すまでもない。というか、覇気がどう
とか言う奴は二流だから、気にしなくていいぞ。精神論に向かう前
にもっと基本的なことを磨け。バカか。敵が何してくるかわからな
いのに、なんで二人して突っ込むんだ。魔法剣士なんだから、魔法
で迎撃するわ。あほか。かといって別に剣技もたいしたことないし。
やっぱり、あほだな。この教団の中では強いから勘違いしてるだけ
だ。あほ﹂
あほって言いすぎだろ。
けど、わかりはする。敵の動きはおおざっぱすぎた。これが戦争
なら殺されている。
﹁多分、次の敵はもうちょっとマシなのが来るだろう。だから、師
匠としてアドバイスをしてやる﹂
ぽんとイマージュが俺の肩を叩く。
﹁徹底して魔法で攻撃しろ。剣は補助手段程度の発想でいい﹂
﹁それ、剣の師匠に言われるの、なんか悲しいですね⋮⋮﹂
﹁これを実戦だと仮定したら、最も勝算の高いやり方で立ち向かう
べきだ。勝算が高いということは生き残る可能性も高いということ。
接近する前に攻撃できるのが魔法の利点だ。剣はその勝算をさらに
高めるために使え﹂
多分、これが剣士としてのアドバイスならまた変わったことを言
われただろう。事実、イマージュは俺の﹁剣士の師匠﹂であって、
﹁魔法剣士の師匠﹂じゃなかった。
﹁肝に銘じます。そして、必ず勝ちます﹂
588
勝てない魔法剣士も剣士も何の価値もないからだ。練習でならい
い勝負だったと言って納得してればいいが、実戦で負ければすべて
を失う。
﹁そうだな。お前が使える攻撃魔法で最もいいものを使え﹂
俺はうなずいて返答の代わりにする。
もう、敵は出ていたからだ。あまり待たせると悪い。
ずいぶんと白髪の多い壮年の男。歴戦の傭兵といった容貌で、顔
に無数の傷がある。とても魔法を使うようには見えない。
﹁そちらの一行はみんな、やけに若いな。若い者には負けないよう
にせんとな﹂
表情は落ち着いている。空気だけで熟練者だってことはわかる。
敵に不足はないようだな。
﹁よろしくお願いしますね。実戦経験も少ないので、胸を借りるつ
もりでいきます﹂
589
98 物量の差
﹁よろしくお願いしますね。実戦経験も少ないので、胸を借りるつ
もりでいきます﹂
ラクランテさんが﹁はじめてください﹂とさっと手を振り下ろす。
すでにやることは決まっていた。
パイロキネシスを打つ。
すぐさま炎が敵の周囲から起こる。
敵は驚いた顔をしたものの、おそらく帝国側で使われてる詠唱を
ぶつぶつ唱えた。内容は詠唱からおおかた予想がつく。マジック・
シールドが敵の周囲に現れて、身を守る。
別にそれでいい。
すでに俺は次の手に移っている。
今度は俺の手から真横に雷撃が伸びる。
チェイン・ライトニング︱︱けっこう高度な攻撃魔法だけど、相
手に対しての危険が大きいので練習では使い勝手が悪かった。
ここに出てくる敵ならそれで死ぬってことはないだろう。
ぶつぶつと男はかなりの速さで追加の詠唱を行う。
マジック・シールドを二重にして、それに備える。それが定石だ
ろう。マジック・シールドは一度使えばそれで攻撃をシャットダウ
590
ンできるものじゃない。せいぜい、自分に鎧を一枚追加するような
もので、威力はゼロにはできないし、こちらの攻撃を受ければ目減
りする。
雷撃が男の周囲で四散する。直撃とまではいかなかったらしい。
男は苦痛に身をゆがめたが、まだまだやれそうだ。ちょっとした
痛みってところだろう。
まだ、こっちは手を休めない。といっても、ほとんど何もしてな
いように見えるだろうけど。
パイロキネシスを、また男の背後で放つ。それと目の前にも大き
目の火柱を。
魔法剣士なわけだから、接近を思いとどまらせる。
﹁くそっ! いつの間に詠唱しているんだ!﹂
男が困惑を口にした。どうやら俺の歳で無詠唱をやっているとい
う発想はないらしい。
無詠唱に決まってるだろ。試合中は言わないけど、しゃべると精
神集中が乱れて、無詠唱が失敗しやすくなる。
俺は魔法剣士だけど、変な話、魔法だけで勝てるならそれでやっ
ていい。
師匠のイマージュが言ったのはそういうことだ。剣というのは接
近戦用のもの。当然、自分が傷つくリスクも高くなる。使わずにす
むなら、使わないほうがいいわけだ。
591
ひとまずはパイロキネシスは連投する。もう、これぐらいならか
なり使えるし、敵の思考時間を奪える。
向こうはこっちが突っ立ったままだから、気味が悪いだろうな。
けど、向こうだって、動けずにそのばで戸惑っているだけだ。マジ
ック・シールドをしているから、その外部に出られないのだ。
さて、今のうちに次の手に入るか。
こっちは徹底して攻撃魔法しか使わない。その真価を試すのが今
だ。
相手の足下で地割れが起こる。
これも俺の無詠唱だ。地面が無茶苦茶になって、復旧が面倒だけ
ど、使っちゃダメなんてルールは聞いてないからな。
﹁ちっ! これでは防げん!﹂
男は頭を下げて目の前の炎の中に突っ込んで駆け抜けた。
正しい戦略だ。躊躇すればそれだけ不利になる。
すぐに水系統の魔法を唱えて、頭にかぶった。
その判断も悪くない。やはり、それなりに対戦の数をこなしてる
のか、動きには無駄がない。もっと大きなミスがあれば、ここまで
防ぐ前にとっくに俺が勝っていた。
けど、攻めに転じる程度の実力はないな。
まだ、向こうは何も攻撃ができてない。防御することで精一杯だ。
一対一ならこれで問題ない。一発逆転につながる要素の魔法がない
という根拠はないから、相手を封殺する方法が使えるならそのほう
がいい。
592
﹁はぁはぁ⋮⋮ようやく攻撃を抜けきったぞ⋮⋮﹂
少し、さっきより敵との距離が縮まっていた。そのせいか、男の
目に力が宿った。剣で仕留めようとい腹づもりだとすぐにわかった。
魔法使いの目と剣士の目の違いも区別がつくようになってきた。
だったら、いよいよたいして怖くないな。
剣で攻めてくる時に隙ができる。
男が突っ込んでくる。待っていても不利になるだけだとわかって
いるんだろう。攻撃に転じたと言えなくもないけど、それしかでき
ないとも言う。
俺は無詠唱で割と単純な魔法を唱える。
水を凍結させる魔法だ。
凍らせるのはすでに男が火を消すためにたっぷりかぶっている水。
﹁あっ⋮⋮﹂
走りこんでいた男の動きが止まった。
体が上手く動かなくなったのだろう。そのまま、前のめりに転倒
する。
これを狙っていた。相手が攻めにまわれば、防御の余裕が消える。
確実に仕留められる。
﹁あの、ここで、チェイン・ライトニングを使ってもいいですか?
危険なようなら、負けを認めてほしいんですが、どうですかね?﹂
俺は男にではなく、ラクランテさんに尋ねた。
593
雷撃は命を奪うリスクがまったくないとは言えない。かといって、
これで剣を持って近づけというのはナシだ。これがまっとうな対戦
である以上、接近するという愚は犯せない。
あくまでも、勝ちにこだわるのが、この勝負のルールだ。相手も
第一巫女を奪還しにいくつもりなら、敵に出くわしたら容赦なく殺
すだろう。
﹁わかりました⋮⋮。こちらの負けでけっこうです⋮⋮﹂
ラクランテさんは青白い顔で敗北を認めた。これで、俺の勝ちが
決まった。
﹁まさか、あなたは無詠唱の魔法の使い手なのですか⋮⋮? いっ
たい、どこでそれだけのものを⋮⋮?﹂
﹁一度、殺されかけたことがありましてね。その場で覚えました﹂
ラクランテさんは絶句していた。この人たちから見ても、異常な
ことなんだろう。まさに殺し合いの中で魔法を覚えたとなると、こ
の人たちの理念からもずれるだろうし。
﹁あんな目には二度と遭いたくないですけど、こうやって役に立つ
力を手に入れられたんで、そこは感謝してますよ﹂
それからポケットに入っているマナペンをぽんと叩いた。
﹁それと、立派な師に恵まれたんです﹂
594
98 物量の差︵後書き︶
本の発売日、近づいてきました! 21日にレッドライジングブッ
クスさんより発売されます! よろしくお願いします!
595
99 防御に特化した魔法使い同士の争い
それからポケットに入っているマナペンをぽんと叩いた。
﹁それと、立派な師に恵まれたんです﹂
﹁立派な師、ですか。それはとてもよい方とのご縁に恵まれたんで
すね﹂
ラクランテさんはその答えで納得したらしい。説明だけなら、そ
う突飛な内容でもないはずだ。まさか、その師匠が精霊だとは思わ
ないだろうけど。
﹁そうか! 島津、お前の気持ちに感動したぞ! これからもいい
師匠でいるからな!﹂
イマージュが自分のことだと思って、やけに喜んでいた⋮⋮。ま
あ、喜んでもらって損することはないし、それでいいかな⋮⋮。
さて、これで俺たちが二勝したわけだが︱︱
﹁ラクランテさん、この戦い、いかがいたしますか?﹂
姫がほとんど表情を変えずにそう尋ねた。バカにしたような態度
を見せて、関係を悪くさせてもいけないので、正しい対応だ。粛々
とやるべきことをやるのがこの場合、正解だ。
﹁そうですね、もう皆さんのお力が確かなものであるということは
嫌というほど思い知りましたが︱︱せっかくですし、私ともお手合
わせ願えますか?﹂
596
﹁はい、喜んで﹂
謁見中にするような、どこか事務的な笑みを姫は浮かべた。
﹁姫の本気が見られるのか。これは儲けものだな﹂
イマージュが心底うれしそうにしている。侍女がその反応なのも
当然と言えば当然か。姫がばりばり戦闘をやるわけないもんな。
一方で、教会側のギャラリーはずいぶん張り詰めた空気を出して
いる。
﹁恥ずかしい戦いをしてしまいました⋮⋮﹂
俺と対戦した男も責任を感じているのか、うなだれている。
﹁かまいません。あなたたちの敗北は教会すべての敗北ですから。
すす
むしろ、第二巫女として、教会を任されている私の責任ですよ。な
ので︱︱多少は汚名を雪ぐつもりでいます﹂
向こうもかなり気合いが入っているらしいな。
﹁それではお手合わせ願いますね﹂
姫とラクランテさんが仮の戦場に出て、互いにうなずき合う。
静かに、最終試合は幕を開けた。
はじまりが静かなら、戦闘も誰もいない山中の湖面みたいに、動
きがなく行われた。
両者はともに補助系と思われる魔法を詠唱しだす。たまに発光が
起きたりして、魔法が発動していることはわかるが、一歩もそこか
ら動かない。
597
﹁姫様と同じタイプの魔法使いか﹂
イマージュも真剣な眼差しで様子を伺っている。
それはタクラジュも同じだ。うんうんとうなずいている。
﹁まずは自分の守りを徹底して固めているな。隠者の森教会は戦闘
を好まないというし、こういうタイプの者が指導者側に来るのは自
然だろう﹂
俺も姫の魔法はわかる。マジック・シールドに、サンクチュアリ・
ライトに、防御に偏重した魔法の連投だ。さらにグレイシャル・ウ
ォールで物理攻撃への対処もしている。
敵も半透明な膜みたいなものを張る魔法を続けているから、似た
ようなことをやっているんだろう。
両者、身を守ることに徹している。おそらく、どちらも大将の立
場だからだろう。自分が負けないための工夫がまず必要になる。
けど、ここからどうやって攻めに転じるんだろう?
両者は見つめ合って、出方を伺う。
こういうのは先に仕掛けるとしばしば不利になるから、膠着する
かもしれない。
﹁ご立派ですね。隠者の森教会に加わっていただきたいほどです﹂
﹁うれしいお言葉ですね。あなた方も王国側で参戦していただきた
いですよ﹂
﹁帝国に抵抗しているという点では同じですが、積極的な戦争は我
々の考えに反しますので﹂
﹁ですね、実に残念です﹂
ふっと、寂しげに姫が笑った。
598
﹁まったくです。なので、第二巫女として、ひとまずこの戦いを終
わらせましょうか。︱︱碧空の中に一つの穴あり﹂
聞いたことのない詠唱? のあとに、ほとんど白に近い火球みた
いなものが飛ぶ。
攻撃魔法としては弱そうだし、それじゃ状況の打開にはならない
だろうに。
しかし、その火球はグレイシャル・ウォールの氷の壁をすり抜け
て、何かが割れる音を生み出した。
﹁マジック・シールドが破られた?﹂
姫も不思議そうな顔をしている。一方、ラクランテさんは同じ詠
唱を続けている。また白い球が飛んでいく。同じように何かが壊れ
る音。
﹁あのラクランテとかいう女、姫様の装甲を順番に解除しているな
!﹂
﹁イマージュよ、それはこういった魔法使い同士の定石だ。驚くと
ころなどないだろう﹂
﹁違う! あいつの詠唱は極端に短い! あんなもので補助系の魔
法を一つ無効化することなんて、普通はできんのだ!﹂
イマージュの言葉にタクラジュも何も言い返せなかった。
たしかに戦局がラクランテさん優勢に変わってきている。
﹁この魔法自体はたいしたものではありません。ただし、私は相手
の魔法の穴がわかるんです。その穴にこの球を入れれば、魔法はあ
っさり解除できます。攻撃魔法も威力のないものにできますよ﹂
ラクランテさんも余裕が出てきたのか、自分の魔法を披瀝しだし
た。
599
﹁師匠、そんなことができるんですか?﹂
﹁わからん。しかし、あの女がウソをついているようでもないらし
い。あの女の特殊な才能だろう⋮⋮﹂
姫はほとんど聞いたことのない魔法の詠唱を行っている。守りが
薄くなっている分、次の防御を整えないといけない。
﹁このまま、あなたの魔法をすべてはぎとったあとに攻撃に入りま
す。あなたのようなタイプには負ける気はいたしませんね﹂
何重にも張っていた姫の守りが一枚一枚奪われていく。
姫もそれに対応して、何度かマジック・シールドを張ったりした
が、詠唱速度では間に合わない。
﹁さて、そろそろ攻撃に移りますが、負けを認めますか?﹂
しかし、姫は首を振った。
﹁こちらも少しずつ中断を交えながら行っていた詠唱が完成しまし
たので﹂
姫の顔には、勝利の確信めいた笑みが浮かんでいた。
600
99 防御に特化した魔法使い同士の争い︵後書き︶
発売日が近づいてきました! 21日にレッドライジングブックス
さんより発売となります! よろしくお願いいたします!
601
100 姫の攻撃魔法︵前書き︶
今回で100話目です! ありがとうございます!
602
100 姫の攻撃魔法
﹁こちらも少しずつ中断を交えながら行っていた詠唱が完成しまし
たので﹂
姫の顔には、勝利の確信めいた笑みが浮かんでいた。
ラクランテさんの表情がゆがんだ。
﹁中断していた詠唱が完成? まさか⋮⋮。詠唱は一息ですべてを
唱えないと効果など発揮しないはずです﹂
たしかにラクランテさんの言葉のほうが正しいように思える。
俺がアーシアから習った内容にも分割可能だなんて話はなかった。
﹁ええ。特殊な事例です。なにせ、特殊な魔法ですから﹂
そして、姫はゆっくりと右手を突き出して、瞳を閉じた。
﹁喰らい尽くしなさい、マジック・エクリプス!﹂
すると、ラクランテさんを守っていた魔法の壁にぽつぽつと奇妙
な穴が空きだした。
その穴は次第に大きくなり、魔法の壁を蝕んでいく。
﹁な、なんですか、これは? どこから攻撃を受けているのかわか
らない⋮⋮﹂
第二巫女の顔からついに余裕が一切消えうせた。わけのわからな
い魔法で自分の防壁が侵食されているのだ。不安でたまらないだろ
う。
603
彼女も何もせずに立ち尽くしていたわけじゃない。一般的な解呪
魔法であるディスマジックの帝国の詠唱ととおぼしきものを口にし
ていた。
けれど、詠唱は効き目を持っていない。
さっきの白色の球を出して解除を試みたが、そもそも、これも上
手くいかない。
﹁どこを狙えばいいか、これじゃわからない!﹂
﹁無意味ですよ。すでにこの魔法は発動してしまっていますから。
あとは進行するだけです﹂
姫は静かに魔法の説明をしていく。
﹁この魔法は相手の魔法に寄生するものなんです。実はとっくに元
になる魔法は詠唱していました。ただ、続きを唱えていかないと効
力を発揮するには至らないんです。いわば、続きの詠唱でこの魔法
の根は育つんです﹂
その腐食はどの穴からも進んでいって、やがて穴のほうが大きく
なっていく。
けれど、壁を破壊するだけでその魔法はとどまらなかった。
ラクランテさんの顔の一部が緑色に変わったように見えた。
まるでカビが彼女にやってきたようだ。
﹁これは補助系の魔法に寄生して最終的には術者にも攻撃を加えま
す。発動までに時間がかかるのが難点ですが、長引いた戦いの間に
こつこつ、こつこつと積み立てていたんですよ﹂
604
最後に、姫は毅然とした態度で、﹁さあ、収穫の時です﹂と言っ
た。
魔力でできた腐食作用が敵に届きはじめた。
﹁ま、負けでいいですっ! 力が、力が奪われます!﹂
ラクランテさんが必死の声で叫んだ。
﹁いいんですか? 別に命に別状がある魔法ではありませんよ。敵
のマナを消耗させて、一時的に疲労させる程度の意味しか持ちませ
ん﹂
﹁いえ、負けで、負けでかまいません!﹂
その瞬間、第二巫女の敗北が確定した。
威厳も何もない負け方で、見ている俺も同情したくなった。力が
届かず、やむなく負けたというものではなくて、ほとんど逃げるよ
うなものだった。教会側の人間もいたたまれないような顔をしてい
る。
﹁島津、あれが姫様のやり方だ。よく覚えておけ﹂﹁自分たちも戦
慄している﹂
イマージュとタクラジュも硬い表情をしていた。イマージュが続
ける。
﹁だが、姫様は決して残忍なお方ではない。こういった決着をつけ
たということは、なんらかの意図がおありなのだ﹂
﹁こちらが主導権を握れるだけのものを見せないといけないですか
らね﹂
﹁それもあるが、それだけではないかもしれないな﹂
605
結局、姫は自分の魔力を分け与える魔法でラクランテさんに魔法
を供給するという形をとった。それで、マジック・エクリプスの効
果も終わったのか、相手も生気が戻ってきた。
﹁は、恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね⋮⋮﹂
ラクランテさんも、もはや平伏するしかないようだった。ここで
取り繕おうとすれば、かえって仲間からの信用も失いかねない。
﹁あなたの実力はたいしたものです。簡易に魔法を解除する技術も、
生半可な才能でできることでもありません。しかし、戦ってみて感
じました。自分が追い込まれた場合、途端にどうしていいかわから
なくなってしまいますね。一言で言えば、戦場での経験が足りませ
ん。あるいは、戦場での恐怖の経験がない﹂
姫ははっきりと教会の人間たちを見据えながら、言った。
﹁隠者として生きていれば、戦場で死闘をやることもないでしょう。
しかも、防御に徹したものであれば、なおさらです。しかし︱︱こ
れから第一巫女を奪還するために戦いに出るつもりなら、それでは
足りません。冷静さを決して失わないように﹂
﹁わかりました⋮⋮﹂
ラクランテさんは従容とこうべを垂れた。
﹁今の戦いも別に勝機があなたになかったわけではありません。け
れど、見たことのない魔法で戦うこと自体から逃げようとしてしま
った。戦場でそんなことを言えば、殺されるだけです。どうか戦う
心まで捨てないでくださいね﹂
606
そこで、やっと姫は微笑を浮かべた。
ああ、姫は相手に反省を促すためにあんなことをしたのか。
﹁皆さんの実力は第一巫女を助けられるだけの力はあるかとおもい
ます。あとは、心がけと作戦に時間を使う番ですね。わたくしも立
案に参加させていただいてよろしいでしょうか?﹂
もはや、ラクランテさんに突っぱねることなんてできるわけもな
かった。
﹁どうか、第一巫女を救うために、手を貸してください。あらため
てお願いいたします。我々は幽境にいることで、かえって自分たち
はすぐれた者だと思い違いをいたしておりました⋮⋮﹂
第二巫女以外のその場にいた人たちも頭を下げた。
﹁はい、王国とあなた方の利害は完全に一致しています。わたくし
とその仲間も全力で奪還作戦に協力させていただきますよ。ただ、
もし、まだ時間があるのであれば⋮⋮﹂
姫は少し顔を赤くした。
﹁かなり疲労もたまっていますので、今日はいいベッドを用意して
いただけませんか? こちらも強行軍だったもので⋮⋮﹂
その日の夜は、客人待遇で俺たちはもてなされた。
607
100 姫の攻撃魔法︵後書き︶
そして、21日に書籍版がレッドライジングブックスさんより発売
になります!
どうも早い所では20日ぐらいから発売になるそうです。活動報告
にも書いております! よろしくお願いします!
608
101 久方ぶりの告白
力試しの戦闘のあと、俺は宿泊用の一人部屋に通された。
すぐにカギをかけて、マナペンを取り出す。
アーシアは出てくるなり、ぱちぱちぱちと拍手をしていた。
﹁おめでとうございます! 大勝利でしたね!﹂
﹁ありがとうございます。うれしいですけど、でも、これで慢心せ
ずに頑張ります。そこまで強い相手でもなかったですし﹂
対戦相手には悪いが、無詠唱の攻撃魔法を撃ちまくるだけで主導
権を握って、決着がつくということは、単純に実力差で俺が上だっ
たということだ。
﹁戦略も戦術も何もなくて勝てる相手ばっかりってこともないでし
ょうから、気をつけたくはあります。もっと変な使い手が出てこな
いとも限らないですし。それこそ、カコ姫もラクランテさんも、常
識が通用しない戦い方をしてました﹂
﹁あ∼、あれですね。たしかにそろそろ時介さんにしっかりお話し
するべきですよね﹂
アーシアはちょこんとベッドに座る。ここ数日は見ていなかった
分、その豊満で妖艶な体にどきりとする。たしか、人間って旅先だ
と余計に心が不埒な方向に行くって言うし、気をつけないと。
﹁話って何ですか? まだ、ああいう特殊技術のカリキュラムが残
609
ってたとか?﹂
﹁いえ、私のカリキュラムにはないです﹂
首を横に振るアーシア。
﹁だからこそ、特別授業なんですけど、一定以上のレベルになっち
ゃうと、魔法使いは得意技というか、独自技術を持っちゃう人が多
いんですよ﹂
﹁ああ、そのへんはだいたいわかります﹂
スポーツマンでもプロのレベルだと明らかにフォームがおかしい
人とかいるからな。ものすごく変なバットの構え方する打者とか、
腕を変な曲げ方して投げる投手とか。
﹁で、そういうのって独自のものなんで、教えようがないというか、
みんなに教えると、かえってレベルが下がってしまうようなところ
があるんです﹂
﹁やっぱり、スポーツと同じだな⋮⋮。その点もわかります﹂
変則的な動きは、文字通り原則とは違うので、一般化できないの
だ。
﹁というわけで、授業内容には取り入れませんでした。とはいえ︱
︱魔法使いとしての腕を磨いていけば、時介さんなりの戦術とか得
意な魔法の組み合わせとかいったものが生まれてもそれはおかしく
ないわけです﹂
俺はこくこくとうなずく。
﹁自分から変な技を作ろうとして作るものでもないと思うんですけ
ど、いずれ時介さんなりのいい戦法が生まれればそれはいいことで
すね。時介さんなりのいい戦い方を見出してください﹂
610
﹁わかりました。なんか、授業というかアドバイスって感じですけ
ど﹂
﹁はい。だから、特別授業と言ったんですよ﹂
アーシアはまたぱちぱちと小さく手を打った。
﹁時介さんは私が教えるべきことはひととおりマスターしてるんで
す。戦争のない時代なら、このまま立派な魔法使い、いえ魔法剣士
として一生安泰なんです。戦争が近いってことで、多少はしょった
部分もありますけど、それでどこかが不完全ってところもないです
し﹂
昔の俺なら、アーシアは褒めすぎるくせがあるから、割り引いて
考えようとしたと思うけど、これはそのまんま受け取っていいんだ
ろうなとわかる。
﹁なので、もう時介さんは生徒じゃないんです。卒業生なんですよ。
いわば対等な間柄です。私は恩師と言えば恩師ですけど﹂
唇に手を当てて微笑むアーシア。
その卒業生という言葉にふっとある記憶がよみがえった。
﹁じゃあ、先生は、ううんアーシアは俺と付き合ってくれてもいい
ってことですか?﹂
俺は一度、アーシアにはっきりと告白をした。最初から受け入れ
てもらえるだなんてことをまったく考えてない捨て鉢の告白だった。
その時は、教師が生徒と付き合うのは無理だと言われてしまった。
すごくスマートで、残酷な断られ方だった。
611
教師が生徒と付き合ったら、もうそこに教育の関係は作れない。
かといって、嫌いだと断ってしまえば、それもぎくしゃくしたもの
が残る。アーシアはそれをわかっていて、教師と教え子の立場を持
ち出したわけだ。
でも、そこでアーシアはこうも言った。
立派な魔法剣士、たとえば神剣エクスカリバーを使えるような魔
法剣士になったら考えてもいいと。
﹁俺はとても伝説的な魔法剣士ではないです。でも、優秀な卒業生
かそうでないかで言えば、優秀なほうだとは思います。今の俺とな
ら釣り合うでしょうか?﹂
アーシアから笑みが消えた。むしろ、ちょっと怒っているように
見えた。口がへの字になっている。
それから俺に近づいて、ぱちんとデコピンをした。
﹁時介さん、サヨルさんと付き合っているでしょう? なのに、そ
んなことを言うのは彼女にとても失礼ですよ。めっ!﹂
ああ、やっぱりそういうふうに逃げられちゃったよな⋮⋮。
﹁いてて⋮⋮。だから、はっきりと﹃今、付き合ってください﹄と
は言わなかったじゃないですか﹂
﹁それはそれでダメです! つまり、私を試すようなことをしたっ
てことなんですから!﹂
デコピンのあとも、顔を俺に突き出して、叱る表情になっている
アーシア。それはそれですごくかわいいし、胸元が危ういのが問題
だけど、そんなことを指摘したらもっと怒らせちゃうからダメだな。
612
﹁ですね⋮⋮。浅薄すぎました。でも、サヨルと別れるなんて気持
ちはなかったんです。ただ、先生に認められた男になれたか、知り
たかったっていうか⋮⋮﹂
﹁そういうことなら最初にそう言ってくださいね。それなら、簡単
にこっちも言えますから﹂
あきれた顔の後にアーシアは笑みを浮かべる。
﹁時介さんはご立派になられましたよ。何のしがらみもないなら、
付き合ってあげてもいいぐら︱︱あっ、いけませんね。こういうこ
とを言ったら私も悪い女になっちゃいます⋮⋮﹂
そこで、思わせぶりなこと言っちゃうのがある意味、アーシアな
んだよな⋮⋮。可能性みたいなのを残さないでほしい!
﹁そうですね、もう時介さんは卒業なさったわけですし、これから
は対等なお付き合いをしましょう﹂
そして、アーシアは自分の顔を指差す。
﹁これからはいつでもアーシアと呼んでくださってけっこうですよ﹂
﹁ア、アーシア⋮⋮﹂
いざ呼んでいいと言われるとかえって照れてしまうな⋮⋮。
613
101 久方ぶりの告白︵後書き︶
書籍、レッドライジングブックスさんより発売になりました!
活動報告にも特典情報一覧など書いておりますので、よろしくお願
いします!
614
102 姫の不安
﹁ア、アーシア⋮⋮﹂
いざ呼んでいいと言われるとかえって照れてしまうな⋮⋮。
﹁はい、よろしくお願いしますね、時介さん!﹂
こうして、俺とアーシアの関係性はまた違った段階に入っていっ
たらしい。
そのあと、一人で少しの間、たたずんでいると、コンコンとドア
をノックされた。
入ってきたのは、カコ姫だ。
﹁少しの間、失礼してもよろしいでしょうか?﹂
いかにも遠慮がちに手を体の前で重ねるようにして、カコ姫は言
った。
﹁あっ、はい。もちろん⋮⋮﹂
でも、いったい何の用で来たのか、見当がつかない。
あるとしたら、作戦の相談だろうか。双子の侍女は抜けてるとこ
ろがあるから、二人には知られないほうが上手くいく策なんてのも
あるのかもしれない。
演技ができない人間には最初から、演技をすると言わないほうが
相手を出し抜けるってことはある。敵を欺くにはまず味方からとい
うやつだ。
615
一人部屋なので、椅子が一つしかない。俺はあわてて、その椅子
を勧めた。
﹁立っていてもいいんですが⋮⋮﹂
﹁そういうわけにはいきません!﹂
いくらなんでも次の王様になる人を立たせるのはまずいだろう。
俺は窓際の壁にでも寄りかかっておく。
最初、姫は部屋の中に視線を送っていた。そんなに珍しいものは
ないと思う。違う国ではあるけど、すぐ隣の地域だからたいした差
は感じられない。
こっちからは何を言えばいいかよくわからないし、必然的に無言
の時間が流れる。
﹁楽にしておいてください︱︱といっても、やっぱりわたくしがい
ると難しいですね﹂
カコ姫が苦笑する。俺もそれに合わせて、同じような表情になっ
た。
﹁もちろん、ここまで連れてこられてるってことは俺も信用されて
るからだとは思うんですけど、これでも男なんで、姫一人でいらっ
しゃると気はつかいますね﹂
﹁ごめんなさい。でも、わたくしとしてはここが落ち着くんです﹂
どういうことだろうと思っていると、姫が立ち上がった。
それから、俺のベッドにごろんと横になる。
﹁ちょっと、姫様!﹂
こんなところを、イマージュとタクラジュに見られてはどんな目
616
に遭うか。
﹁わたくしは時介さんを信じていますから、何も怖いことはないと
考えていますが﹂
いたずらっぽくカコ姫は笑う。そうやって、俺をからかうのは反
則だと思う。
﹁当然です。俺にはそういう勇気はないですよ。戦場に出るのとは
また別の勇気ですから﹂
﹁じゃあ、勇気があったら襲うんです?﹂
今日の姫様はやけに攻めてくるな⋮⋮。
﹁口がすべりました。俺は腐っても、姫の護衛ですし、その役目に
誇りを持っていますから、どうぞ、ご安心ください﹂
さっきはアーシアを試すようなことをしてしまったけど、サヨル
に不実を働くようなことはする気はなかった。
今は戦時中だ。サヨルはまさか俺より危険な任務にはついてない
と思うけど、それでも平時よりはずっと恐ろしい時間を一人で過ご
しているはずだ。俺ができることは、任務を終えて、笑顔で王国に
帰還することだ。
﹁それで⋮⋮どうしてここに?﹂
結局、姫がいる目的はわからないままなのだ。
﹁休息ですよ。とても疲れましたので﹂
天井を見上げている姫の表情はいつもと比べると、ずっと幼く、
年相応に見えた。
﹁あの戦いのことですか?﹂
617
﹁それももちろんあります。ラクランテという方は決して弱くはあ
りませんでした。だからこそ、こちらが強者であることを示さねば
なりませんでしたから。なかなかの腹芸をやりましたよ﹂
つまり、芝居疲れということか。
よく忘れてしまいそうになるけど、姫の年齢というと日本では別
に責任を背負わないでいい歳なのだ。社会に出ているということす
ら、事実上ないだろう。アルバイトぐらいはしているかもしれない
けど、それは人に使われているだけで、責任を背負うとは言わない。
こんなに若ければ、責任の経験年数だって短いに決まっている。
だとしたら、無理は必ずどこかに出る。
﹁しかし、のんびり息抜きをするなら、イマージュとタクラジュが
いるんじゃないですか?﹂
普通、こういうのって同性のほうが楽だと思うけど。女子高でも、
無茶苦茶みんなだらけてるっていうし。
﹁こういうのって初対面が大事なんです。あの二人には毅然とした
為政者の姿で接してしまいました。今更あまりだらけてしまうと幻
滅されてしまいそうで⋮⋮﹂
﹁それはないでしょ。あの二人はそんなにセコくないですし、それ
はた
と、幻滅する権利なんてあの二人にはないですよ﹂
姉妹同士で傍から見てたら幻滅するようなこと、さんざんやって
るからな⋮⋮。
﹁ごめんなさい、今のは自分をよく作りすぎていました﹂
変なところで姫に謝られたと思った。
﹁わたくしはあの二人には自分をよく見せたいんですよ。その時間
618
が長すぎて、変える勇気がないんです﹂
両腕をだらんと垂らして、たしかに姫はリラックスしているよう
に見えた。落ち着ける場所にこの部屋がなるなら、それでいい。
﹁わかりました。どうぞ、ごゆるりと﹂
俺も、腰をずるずるずらして、絨毯に直接座り込んだ。あんまり
姫を見下ろすべきでもないし、これのほうがいいだろう。
休みたいのに、ずっとしゃべるのも悪いから、俺も黙っていた。
時間の流れもいつもより遅いように感じられた。
それで五分だか、十分だかが経った頃だった。
﹁これからの第一巫女の奪還作戦ですが﹂
姫がいきなり言った。
﹁はい。作戦会議ですか?﹂
﹁本当のことを言ってしまうと、怖いんです﹂
姫は俺のほうに顔を向けて、切なげな目を向けていた。
打ち明けたいことってこれかとすぐにわかった。
﹁ここに来ることを決断した時は、気持ちがたかぶっていました。
ですが、いざ、実行に移すことが近づくと、生きて帰れるだろうか、
時介さんやタクラジュやイマージュは大丈夫だろうか、いくつもい
くつも不安が重なってきて⋮⋮﹂
俺はゆっくりと立ち上がると、
﹁失礼しますね﹂
619
姫のベッドの横に腰を下ろした。
620
102 姫の不安︵後書き︶
本も21日にレッドライジングブックスさんから発売になりました。
よろしくお願いします!
621
103 第一巫女救出計画
姫のベッドの横に腰を下ろした。
﹁こんな言い方おかしいかもしれませんけど、俺、むしろ安心しま
したよ﹂
﹁安心、ですか?﹂
姫が不思議そうな声を出した。
﹁はい、そうです。だって、俺たち、かなり危険な作戦に挑むんで
すよ。それで恐怖をなんら感じてないほうがおかしいと思いません
か? そこで怖くないとしたら、心がないのか、ものすごく心が丈
夫なのか、どっちかしかないじゃないですか﹂
﹁そうかもしれませんね﹂
﹁俺はどっちのリーダーも嫌ですよ。だって、リーダーと意思の疎
通がはかれないですから。何を考えてるかわからない人の下で働く
のは、少なくとも、俺は嫌です。つまらない仕事ならともかく、命
を懸けるような仕事ならね﹂
﹁つまり、わたくしはこのままでいいと?﹂
姫の顔は見えないけれど、どういう顔をしているかはだいたいわ
かった。
﹁そうです。不安があるからこそ冷静になれることだってあります。
痛みだって、死の危険を人間に理解させるためにあるんですから。
それがなきゃ、もっと簡単に人は死んでるはずですよね。不安だっ
622
て、きっとそういう効能があるんですよ﹂
俺の手に何かが触れた。
姫が手を伸ばして、俺の手をつかんでいた。
﹁ありがとうございます。少し勇気をもらえました﹂
﹁護衛役としての任務を果たせたようで、なによりです﹂
そのまま姫はしばらく眠りに落ちたらしかった。俺は三十分ほど
そのままベッドに座っていた。
●
﹁んっ⋮⋮あっ、わたくしは眠っていたんですね﹂
しばらくすると、姫は目を覚ました。起きたばかりの顔は、戦闘
をしていたのと同一人物とは思えないほど、ぼんやりしている。
﹁姫、ちょっと無防備がすぎますよ。男の部屋のベッドで寝ないで
ください﹂
王国でこんなことをされたら、本当に俺の首が飛ぶところだ。
﹁信用できない方のベッドではありませんから﹂
すぐにそう返されると、俺としても扱いに困る。
﹁そう言っていただけるのはうれしいんですけど、こっちとしては
生殺しでつらいですね⋮⋮﹂
﹁さて、本題のほうに入りましょうか。奪還作戦のことでいくつか
案があるのですが、時介さんの言葉を聞いておきたいなと思いまし
て﹂
なるほどな。たしかに、そっちこそ﹁本題﹂だ。
623
﹁失敗すれば犠牲者が増えますからね。自分だけで決めるのは荷が
重いんです﹂
だから、その片棒を担いでもらおうかなと思って︱︱と姫は笑っ
た。
﹁こっちとしてはたまったものじゃないですけど、やらせていただ
きますよ。姫には逆らえませんからね﹂
発想としては大きく三つがあった。
まず第一巫女が捕らえられている領主の屋敷を正面から攻撃する
案。
次に、領主の屋敷近辺で暴動が起こってるように見せかけて、領
主の屋敷から人間を出して、その隙に侵入する案。
最後に、ばれないように領主の屋敷に潜入する案。
﹁もともと、隠者の森教会の方々は正面突破を前提にしていたよう
ですが、わたくしたちに完敗したことで、こちらの意見も無視でき
なくなりました。違う方法を行うことは可能です﹂
かなり手痛く俺たちに負けたからな。そういう意味ではこちらを
試す行為が本当にあとに影響してきている。
﹁時介さんは率直にどう思います?﹂
﹁まず、正面突破は危険すぎます。この調子だと、敵の戦力も明確
にはわかってないでしょうし、そもそも、第一巫女を人質にされた
らどうします?﹂
こちらの目的が敵の殲滅ならそれでもいいかもしれないが、第一
巫女を奪還できなければ何の意味もない。
624
﹁領主屋敷の間取り図ぐらいはわかっているんですけどね。地下の
独房に入れられているだろうとのことです﹂
﹁地下となると、いよいよ強行突破は難しいですよ。攻撃が上手く
いっても、すぐに第一巫女のところに行けなければ人質に取られる
リスクは高いです﹂
﹁次に、どこかで陽動作戦をとりますかね﹂
﹁それもどこまで効果があるかは怪しいですね。なにせ隠者の森教
会が攻めてくるなんてことは、向こうも絶対に考えているでしょう
から。姫をほったらかしにして出てきてくれるっていうのは甘い考
えですよ﹂
どっちも希望的観測が強すぎて、採用できないと思う。
﹁では、また時介さんが女装して潜入でもしますか?﹂
くすっと笑いながら姫が言う。
﹁そんなことするわけな︱︱待てよ﹂
不本意なことではあるけど、発想としては悪くないかもしれない。
﹁俺一人っていうのは勘弁願いたいですが、入り込む手立てとして
はいけるんじゃないですかね。もう少し、考えてみましょう﹂
﹁あら、時介さん、乗り気なんですか?﹂
﹁乗り気なのは、救出計画のほうですからね⋮⋮?﹂
得体のしれない男が何人も入り込むのは難しいだろうけど、それ
が年頃の女性なら相手に恐怖心や警戒心をさほど与えずにすむ。
俺は姫と計画を練って、おおかたの方向性を決めた。
625
侵入をベースにして、そこにいろんなものを足せばいい。
ラクランテさんも、その案を了承してくれた。
可決された案は最終的にかなり具体的かつ複合的なものになって
いた。これなら、十二分に成功させられるだろう。
夜、イマージュとタクラジュも呼び出されて、俺たち一行はあら
ためてラクランテさんたちに頭を下げられた。
﹁作戦にはあなた方のご協力が不可欠です。どうかよろしくお願い
いたします﹂
﹁言うまでもないことです﹂
姫は為政者らしい落ち着いた態度で言った。
﹁それに、これは人助けではなく、自分の国を守るための作戦なの
です。だからこそ、わたくしたちも絶対に抜きませんからね﹂
626
104 第一巫女救出
作戦当日、隠者の森教会に近い町で小さな火災が起こった。
それ自体はすぐに消し止められたが、不穏な空気が町を包みはし
た。
そして、その日の夕方。
領主の城に一台の馬車がやってくる。
その馬車は御者も含めて全員、若い女に見えた。自分はお家争い
があって、逃げてきた令嬢である、匿ってほしいと代表者の女が答
えた。
たしかにその女性は令嬢という言葉に誤りがあるとも思えないほ
どの美貌だった。
そして、涙ながらに﹁助けてほしいのです⋮⋮。わたくしの屋敷
は焼かれて⋮⋮お母様も殺されて⋮⋮﹂と訴える。
﹁父親は、隠者の森教会とつながっていました。それでわたくした
ちが彼らにつながることをやめるように言ったために、こういった
ことに⋮⋮﹂
町において火災が起きていたという話は領主も聞いていた。とな
ると令嬢が狙われたのも、その抗争の一部だったのだろうか。
まだ歳の若いおおかた二十代と思しき領主は、その令嬢を見て、
ほうけたような顔になりながら、そう考えた。
﹁どんな待遇でもけっこうです⋮⋮。かくまってください⋮⋮﹂
627
念のため、教会に詳しい者に聞いたが、隠者の森教会の幹部など
と彼女たちの顔は一致しなかった。
とてもこんな力の劣った方々を追い出すようなことはできません。
ここで保護いたしましょう︱︱そう領主は言った。
●
﹁なかなか上手くいきましたね﹂
別室に移されると、令嬢︱︱いや、姫が言った。
ちなみに俺も女装させられて侍女ということになっている。その
ほうが、姫と別室にされたりしない分、ありがたいけど。
﹁若くて美しい女性が助けてくれと言えば、向こうも助けるしかな
い︱︱なかなか危ない賭けでしたけどね﹂
﹁ですが、賭けには勝ちました。隠者の森教会の敵ということは自
分たちの味方だと彼らは考えたでしょうし、火災が起きたのは間違
いなく事実ですからね﹂
別働隊にいくつも火を起こさせていた。領主の城から離れた町で
あれば、警備もゆるい。いくらでも火ぐらいはつけられる。
﹁しかし、こっちも相当怪しかったですけどね﹂
﹁とりあえず、かくまってもそう危険がないほど弱そうに見えたの
でしょう。さて、ここから次の動きを待ちましょう﹂
姫と一緒に侵入したイマージュとタクラジュはもともと侍女なせ
いか、服を少し替えるだけで通用した。
﹁どうせなら、ここで暴れたいがな﹂
628
﹁イマージュはバカだな。どうせなら敵を分散させたほうがよいだ
ろうが﹂
そう、敵を分散させるのだ。
一時間後、ラクランテ以下隠者の森教会を名乗る者たちが城の近
くの町を包囲し、立てこもる。
領主はこれを看過するわけにはいかない。全力でつぶしにかかる
ため、兵を出した。必ず、こちらが本命だと思っただろう。
けど、そうじゃない。
俺たちは魔法使いたちが出ていくのを窓から確認した。
だいたい二十分が経過した頃、姫が立ち上がる。
﹁さて、やりましょうか!﹂
﹁はい、姫!﹂
まずは領主を捕まえる。鎮圧に出ているかと思ったが、室内にい
たところをあっさり発見できた。
﹁おや、あなた方、何かありましたか?﹂
すでに入室前に姫は詠唱を唱えおわっている。
スリープ・マジックがすぐに領主を襲って、意識を奪った。
ほかの者もとっととイマージュたちが気絶させる。
向こうがこちらの正体に気づきだした頃には城の占拠はぼ終わっ
てた。
あとは、すぐに地下室のほうに向かう。警護兵みたいなのはとっ
とと片付けて先に進む。
629
﹁敵の数が少ないし、みんな教壇のほうを片付けに出てるな。そう
でないと困るんだけど﹂
そして、地下牢には、特殊な結界の上で、第一巫女が監禁されて
いた。
牢には椅子があり、その上で第一巫女はぼうっと座っている。見
た目はどこにでもいるおばさんだけど、やけに神々しい雰囲気があ
る。
その封印の結界も姫の解除に関する魔法一つで外部からはあっさ
りと解除することができた。ただ、あまり聞いたことのない魔法だ。
﹁使用頻度が低いものも幼いうちに覚えこまされましたからね。わ
たくしが来て、正解でした﹂
結界が解かれても、まだ第一巫女は信じられないといった顔をし
ていた。
﹁まさか、本当に助けが⋮⋮?﹂
﹁はい、助けに参りました。あなたを守ることは国策として必要で
したので﹂
﹁国策⋮⋮つまり、あなたたちはハルマ王国の方ですね﹂
向こうもすぐに気づいたらしい。
﹁それにしても、この牢の魔法は相当に難解なものでしたのに﹂
﹁それは内側からの話ですよ。第一巫女様も外側から壊せるはずで
す﹂
630
第一巫女は否定もしなかったから、それぐらいのことはできると
いうことか。多分、姫と同程度の実力はあるんだろう。
﹁たとえ命を絶つことになっても概念魔法を使うつもりはありませ
んでしたが、助け出してくれたことに感謝いたします﹂
﹁感謝には早すぎますよ﹂
姫が手で制した。
﹁このことが知られた時点で、魔法使いたちがまたあなたを狙いに
やってきますから。それに勝てないようでは何もはじまりません﹂
まったくだ。
ミッションはやっと半分ってところだろう。
俺たちは街道を大回りするような形で、隠者の森教会を目指して、
無事にたどりついた。遅れて、ラクランテさんたちの部隊もやって
きた。一部に負傷者もいる。
﹁途中で、挙兵した者がおとりとわかって、敵は引き返していきま
した。かなりの難敵です。やはり、帝国の中でも上級の者が派遣さ
れているようです﹂
﹁第一巫女の監視が重要なのは明らかですもんね﹂
すぐにラクランテさんはその場で膝をつく。
﹁第一巫女を奪還していただき、本当にありがとうございます﹂
けど、その表情はまだゆるんでいなかった。
彼女もこれから敵が来ることを知っているからだ。
﹁さあ、ここからが本番ですね﹂
631
105 帝国側の襲撃
俺たちは魔法の結界を築く作業を行った。
これで敵の動きをある程度でも止める。
ラクランテさんの話によると、かなりの数の魔法使いがこのあた
りに配置されているという。場合によっては、そのまま帝国から王
国側への前線に送り出されるらしい。つまり、前線基地的な意味合
いも持っていたようなのだ。
﹁それだけ大変な戦いになるということですね﹂
姫の表情も固くなる。
けれど、すぐにその顔がやわらかくなった。
﹁その分、ここで勝てば、戦局全体が王国側に傾く可能性もありま
す。ここは負けられません﹂
俺もうなずく。
﹁ですね。やってやりましょう﹂
集落への入口は限られている。そこを完全にシャットダウンする
ことは不可能じゃない。第一巫女もすぐに補助系魔法の使用に力を
使いはじめた。
このおばさんは、徹底して補助系が中心の魔法使いらしい。いわ
ゆる、普通の攻撃魔法はまったく使えないという。
632
呼子みたいに敵の魔法使いが近づいてきただけですぐに反応があ
る罠も道沿いにしかけた。これでやれることはやるだけだった。
﹁どうせならとっとと来てほしいですね﹂
姫はそう言った。その意味もわかる。いつ来るかわからないのに
待ち続けるのは心臓に悪いし、落ち着かない。
﹁けど、どうせならずっと来てくれないんだったら、それが一番い
いですよ﹂
俺の発言に姫は笑った。攻め込むのを諦めてくれれば、隠者の森
教会は平和ですむ。かといって、ずっとここに住めるのかというと、
微妙なラインだけど。俺だったら、とっととどこかに引越すだろう
が、ここにずっと住んでる人からしたら無理なのかな。
俺たちの予想では一日か二日以内に敵が来るはずだったのだが、
なんと五日経っても誰も来なかった。
﹁マジかよ。こんなに誰も来ないだなんてありうるか⋮⋮﹂
その日は俺とイマージュ、ほかの教会の人間が見張りをやる当番
だ。教会の集落に入る出入口が見えるところを見張る。
﹁諦めたのか? それならそれでいいんだがな﹂
﹁師匠、それは甘すぎると思いますよ。ここに関係者がいることは
向こうも知ってるでしょうし﹂
﹁しかし、それならどうして敵は攻めてこない? うんともすんと
も言わないままだぞ﹂
ふっと、嫌な予感がして、空を見上げた。
﹁うん? 上空に何かがあるのか?﹂
633
﹁いえ、空から攻められたら困るなって﹂
﹁空も一応の結界は張っているはずだぞ。レヴィテーションを使う
奴もいるからな﹂
﹁ああ、そうか。空を飛ぶ奴はごく普通なんですね⋮⋮。じゃあ、
抜け道にすらならないのか﹂
しかし、その時、土砂崩れのような大きな音がした。
いったい、何かと振り返ったところには巨大な地割れができてい
た。
その地割れから何かが出てくる。
悪夢かと思った。
それは魔法使いたちだった。
﹁ずいぶんと手間がかかりましたが、地下から行くことにしました
よ﹂
ヒゲを生やした三十歳ほどの魔法使いが前にいた。おそらく、そ
れが数人の魔法使いの中での代表者だろう。
いや、数人なんて次元じゃない。さらに魔法使いたちがどんどん
地割れからやってくる。
﹁モグラみたいに地下からやってきたのかよ⋮⋮﹂
﹁別にモグラになったわけじゃないですよ。地面透過の魔法を使い
ました。かなり特殊な魔法なので時間はかかりましたが﹂
甲高い音がする。
634
セイクリッド・ベル︱︱敵に反応すると警報を起こす姫の魔法だ。
地上に出てきたせいでやっと反応があったってことか⋮⋮。
﹁さて、とっとと皆殺しにさせてもらいますよ﹂
そして、男は素早く詠唱を行いはじめる。くそっ、すぐに動かな
いと!
けれど、俺が無詠唱で唱える前に、イマージュが飛び出していた。
敵はかろうじて剣戟をかわしていたが、血の気が引いた顔をして
いた。
﹁ちっ、はずしたか﹂
﹁なんて、無茶苦茶な人ですか⋮⋮。危ないですねえ⋮⋮﹂
男は距離をとって、仕切りなおした。
﹁僕の名はエルトミ。帝国の魔法使い序列では第二位のつもりです。
ただし第一巫女のように味方につかない者は除きますが﹂
とんでもないのが来てしまったな⋮⋮。
﹁島津、ここは私と二人でやるぞ。ほかは使い物にならない﹂
実際、教会の人間は腰がひけてしまっていた。戦うという意欲自
体がないんじゃ、どうしようもないな。
部下なのか同僚なのか知らないけど、魔法使いたちは地割れから
出ていくと、教会に散っていく。第一巫女のほうは個別に守っても
らうしかないな。
635
まずは俺たちはこのエルトミって奴を倒すしかない。
こいつらは絶対に俺たちをそっちにはやらないだろうから。
冷たい瞳で男はこっちを見て笑っている。これは人を殺すことに
慣れている目だ。
﹁どうやら骨があるのはお二人だけのようですね。久しぶりに全力
でやらせてもらいますよ﹂
636
106 帝国の魔法剣士
俺はイマージュと視線を合わせる。しゃべって、作戦会議をやる
時間はないから、それで間に合わせる。
まず自分が前に出る、とイマージュの目は語っていた。
詠唱の時間を相手に与えない。それが基本中の基本だ。問題はそ
んな基本でどうにかできる敵とはとても思えないってこと。
これまでも危険な戦いは何度もあったけど、敵がこれだけ忌々し
いのは初めてだ。
亀山とかなら、単純な悪意で満ちている。少なくとも何を考えて
いるかがわかる。
このエルトミって奴は考え自体が読めない。
﹁﹃罪には罪、罰には罰⋮⋮﹄﹂
エルトミはすぐに詠唱をはじめる。聞いたことのない詠唱で何が
起きるかよくわからない。
﹁させるか!﹂
イマージュが突っ込んでいくが、その前に体が止まった。
﹁なんだ⋮⋮急に体が重⋮⋮﹂
その体には魔法でできたとおぼしき綱みたいなものがからみつい
ている。
﹁これはアンガーチェーンと言いまして、憤怒の心を持つ者の体を
拘束するものです。普通は守る側が使う補助系の魔法なんですが、
637
こんな使い方もあるんですよ。範囲は僕のごく近辺だけなんですが﹂
この場で怒りの感情を持ってない人間なんてまずいない。武器を
使っての攻撃はこれでほとんど無効化される。
﹁くそ⋮⋮。こんな子供だまし、打ち消⋮⋮﹂
﹁これの拘束のいいところは、口も上手く動かなくなることなんで
す。つまり、まともに詠唱もできない。極端に詠唱が遅くなれば、
詠唱は詠唱と認識されずに力を持たないというわけです﹂
したり顔でエルトミが言う。
とことん魔法になれているという様子はその態度からすぐにわか
る。
﹁さあ、すぐに死んでいただきましょうか。﹃妄念は今、熱を帯び
て⋮⋮﹄﹂
また、エルネスが詠唱を行う。おそらく高熱で敵を焼き殺すよう
な魔法だ!
﹁イマージュ、待ってろよ!﹂
俺は無詠唱でハイドロブラストをイマージュめがけてぶつける。
その水が蒸発していってイマージュに届く前に消えた。
やはり、熱波でも起こしたらしい。
﹁ほう、君は無詠唱を行うのか。いやあ、なつかしい﹂
エルトミの体から火球が飛んできた。詠唱のタイミングはなかっ
たはずだぞ。
ハイドロブラストで防ぐ。
638
威力はたいしたことないから、それで十分に防げた。
﹁僕も無詠唱はできるんですよ。しかし、構造が特殊な魔法はやは
り詠唱をやらないと精度が無茶苦茶になってしまう。これでも真面
目に魔法を学んできたんですよ﹂
帝国のナンバー2という言葉が本当かわからないけど、それぐら
いスムーズに魔法を使う奴だとは思う。苦労して戦っているという
よりは楽しくやっているって感じだ。
﹁あんたたちの目的は第一巫女なんじゃないのか?﹂
その場にいるのは、ほぼエルトミだけだ。ほかの教会の人間は違
う魔法使いたちに止められている。
﹁そうですが、ここで有力者の数を減らせば、それだけ戦争が有利
になりますからね。この戦争、決して多くの兵士を投入しての総力
戦にはなりませんよ。魔法使いで、さらに言うと魔法使いの質で決
まります。魔法使いの数ですらない﹂
自分で言って、エルトミは自分でうなずいた。
﹁だから、僕がここに出てきたというわけです。ザコで攪乱作戦を
何度やっても意味はありませんから。一気に叩き潰させてもらいま
すよ! あなたたちも王国の有力者でしょう?﹂
それはわからなくもない。小学校の時やってたシミュレーション
ゲームがあったのだけど、強力な武将を前に出して、そいつらで無
双していくと、勝てちゃうんだよな。
あまりにも人間間の能力差がありすぎる場合は個人プレーという
戦争になさそうな展開でどうにかできる。
639
魔王って概念があるところだとそうなるんだろう。
﹁さて、あなたのほうから相手をさせていただきましょうか﹂
そして、また詠唱をさっと唱えていく。
こちらも無詠唱でパイロキネシスを撃つがすべてかわされた。
詠唱をしながらとはいえ、動きはものすごく軽やかだ。どうやら
戦闘自体に慣れ切っている。
エルトミの手に半透明な巨大な鎌が握られる。
巨大も何も刃の部分だけで三メートルはある。あんなもの、振り
回される人間はいないはずだ⋮⋮。
﹁大きいからびっくりしてますよね。ですが、魔法で作った武器は
重さというものがないから、問題ないんですよ﹂
たしかに、重さがないなら理論上はどんな大きさの武器でも扱え
るだろう。そんなものを作ることに魔力を使うことになるだろうけ
ど⋮⋮。
﹁実は僕は魔法剣士なんです。あなたも剣を持っているし、そうな
んじゃないですか?﹂
ばれているわけか。
﹁そうだよ。島津時介、王国の魔法剣士だ!﹂
俺も剣を抜いた。
アーシア、力を貸してくれ。ここは絶対に勝たないといけない。
爆発音のようなものが遠くでも聞こえる。集落中で争いが起きて
640
いる。
ここでこいつらに勝たないと、結局、王国に攻め込まれる。
641
107 罠を張れ
俺は剣を持って、構える。
﹁島津時介か、ああ、異世界から来た人間か。この世界の人間の名
前じゃないですね﹂
﹁ご明察だ。まあ、今は骨の髄まで王国の人間だけどな!﹂
さて、どうやって戦うか。接近したら、イマージュみたいに動け
なくさせられる。
魔法の効力はわからないが、半径三メートルぐらいは危ないと思
っているほうがいい。
だとしたら、剣はとどめの一撃ぐらいにしか使えない。基本は魔
法でやり合う。でも、まさか単純な攻撃魔法で倒せる相手じゃない
よな。
正直なところ、これだけの次元の魔法剣士と戦った経験がほぼな
いから、どうやるのがいいのかはわからない。わからない以上は待
つしかないか⋮⋮。
だいたい、この世に実在しない魔法でできた武器なんてものの動
きを想像して戦うことなんてできない。やっぱり、まずは防御だな
⋮⋮。
﹁君の考えていることはよくわかりますよ。ここは守りに徹するし
かない︱︱そういうところでしょう。この鎌がどんなふうに使われ
るか判断ができないから﹂
642
﹁ああ、そうだよ! さすがに命知らずに突っ込むほどバカじゃな
いんでね﹂
﹁それじゃあ、こっちから動かせてもらいましょうか!﹂
ふわっと浮き上がるようにジャンプした。いや、本当に浮き上が
っている。レヴィテーションぐらい無詠唱で使えるはずだ。
俺もレヴィテーションをかけておく。そこは敵と同じ条件にして
おくほうがいい。
﹁さあ、受けてみなさい!﹂
鎌が大きく振り上げられて、そのまま振り下ろされる。
やっぱりリーチが桁外れだな。ここは剣で止めるしかな︱︱
﹁か、かわせ! し、島津!﹂
イマージュが叫ぶ。魔法のせいでしゃべりづらくなっていたのが
よくわかる苦しそうなしゃべり方だったけど。
直感的にそれを信じないといけないとわかった。
体を強引にひねって、かわした。
すぐにまた敵の攻撃が来ると思ったので、ファイアボールを撃ち
まくる。
これで、敵も一度退く。
また仕切り直しだ。
﹁このまま殺せると思ったのに、惜しかったですね﹂
643
試し斬りのようにエルトミはそのあたりの木に向かって鎌を振る。
最初はすり抜けて、二度目でその木が切断されて倒れていった。
﹁この鎌は実体に干渉する状態と干渉しない状態をオン・オフでき
るんですよ﹂
血の気が引いた。
もし剣で受けようとしてたら、その剣はすりぬけたうえで俺を斬
るように実体化させられていた。
けど、そんなことをこいつが言うってことは、この男は自分の勝
利をすでに確信してるってことだろう。
舐められてるな、俺。
でも、悲しくはない。むしろありがたい。そこに隙が宿る。
どこかに隙があるはずだ。それを狙え。
案は一つ浮かんだ。
けど、リスクが高すぎる。できれば使いたくないけど、使わずに
勝てる方法も現状、思いつかないな。まあ、最終手段ってことにし
とくか⋮⋮。
﹁アンガーチェーンは特定の場所にしか固定できないので、一度解
除しておきましょうか。今みたいに邪魔をされるのも嫌ですし、も
っと確実に﹂
イマージュの体に自由が戻ったらしい。イマージュ自身が驚いて
いたのでわかった。
644
それとほぼ同時に、かくっとイマージュの意識が飛んで倒れる。
﹁睡眠の無詠唱魔法か﹂
﹁そういうことです。このほうが一対一という感じになるでしょう
? さあ、このまま行きますよ!﹂
敵の攻撃を回避するしかないとわかった時点で、俺の動きも決ま
ってくる。
動きを高速化する魔法で早めつつ、とにかく回避する。
その間に、いかに敵に気づかれないように無詠唱ができるかを考
える。
こいつは今日はじめてここに来たわけだ。細かい地形はわからな
いはず。
﹁魔法剣士のくせに逃げ続けるんですか!?﹂
エルトミはそう挑発しながら、無詠唱で攻撃魔法も連打してくる。
ほんとに悪夢みたいな奴だ。でも、これが魔法剣士の一種の理想的
な戦い方なんだろう。
戦況は圧倒的に俺が不利。わかってたことだけど、剣士としての
腕前も向こうのほうが上だ。上というか、鎌に重さがないとか言っ
てたからその時点で反則だ。そんな敵に打ち勝つ方法なんて俺は知
らない。
﹁どうしました? まったく防戦一方のようですが? やはり王国
の魔法剣士はこんなものですか?﹂
たしかに向こうが快哉を叫びたくなるぐらいに俺のほうが押され
ていた。
645
それでもパニックにならなかったのは、アーシアのもとでいろん
なことを学んできたからだと思う。
必ず、どんな問題にでも答えを導き出す糸口はある。少なくとも
俺はそう信じている。これまで学んだ知識を使えば答えには絶対た
どりつける。アーシアのプリントはそうだった。
実戦でもそれは変わらない。
布石は打った。これは無詠唱が本当に役に立った。
あとは、上手く相手をおびきよせるかだな。
必死に攻撃をかわして、俺は距離をおいたところで、少しふらつ
く。
後ろに倒れそうになるところを剣を持ってないほうの手で支える。
だとしても重心は完全に背後にいっている。
疲労困憊なのは事実だ。どのみちこんなことになっただろう。
﹁これで終わりですね!﹂
エルトミが自分も真上から一気に落下しながら、鎌を振り下ろす。
間違いなく物を斬れるように実体化させて。
﹁さあ、死になさい!﹂
しかし、その鎌が﹁見えない何か﹂にはじかれる。
その直後、﹁見えない何か﹂にエルトミが直撃した。
646
﹁ぶほっ!﹂
濁った声をあげて、エルトミの体が跳ねた。
647
108 意外な再会
﹁ぶほっ!﹂
濁った声をあげて、エルトミの体が跳ねた。
そのまま少し横の地面に叩きつけられる。
どうやら足が曲がっているし、そもそも、鎌が手を離れて吹き飛
んでいる。
﹁なっ⋮⋮いったい何が⋮⋮?﹂
﹁よく見てみろよ。といっても見れないだろうけど﹂
俺はその何もないように見える場所を指差す。
﹁あそこにはとがった大きな岩があるんだ。俺はそれをインヴィジ
ブルで消した﹂
インヴィジブルは通常、自分を消す魔法だけど、物を消すことも
理論上はできる。
エルトミは無詠唱でインヴィジブルを解除した。
そこには巨大な岩が一つ土壁からはみ出るようにして存在してい
る。
地下からここに出てきた人間にはそんなのわからないだろう。
﹁こんな小手先の技で僕に傷を⋮⋮﹂
﹁戦場では勝てばいいんだよ﹂
648
俺はすぐにエルトミの前に立つ。
やっと相手に恐怖の色が灯ったのがわかった。
その鎌も今は手を離れている。
﹁ま、待ってください! もう一度正々堂々と︱︱﹂
俺はひと思いにその剣を心臓に突き刺した。
エルトミはゆっくりとその場に倒れる。悪いけどすぐにファイア
ボールで焼き払う。特殊な魔法で致命傷にならないようにしていて
も、なんらおかしくないから。
これで大物は一人片付けられた。
エルトミが死んだせいか、ぱっとイマージュも覚醒した。
﹁まさか、お前、勝ったのか⋮⋮﹂
﹁敵の油断を突けました。俺、いい弟子でしょ?﹂
ほかの帝国側魔法使いもエルトミが死んだことに気づいたのか、
動揺しているのがわかった。ここから攻めに転じられそうだ。
でも、まずは︱︱
﹁第一巫女のところですね﹂
俺とイマージュはすぐに第一巫女のほうを目指して進んだ。
今回のボスに当たる奴は片付けたから大丈夫だと思いたいが、ま
だまだ強敵もいるかもしれず、気は抜けない。
●
649
集落はそう広くはないから、急げば間に合うと思った。というか、
そう思いたい。
﹁まさか、連中も第一巫女を殺しはしないだろう。そんなことにな
れば、もう教会を自分たちに協力させることなんてできないからな﹂
﹁とはいえ、そんな理知的な奴らばかりかもわからないので、安心
はできないですけどね﹂
とにかく、早いほうがいい。
炎や氷が飛び交っているのが遠目に見えてきた。
少なくとも間に合ってよかったとも言えるし、すでに敵を片付け
ているわけでもないからこれからが大変だとも言える。
敵の数は四人ぐらいか。俺が加勢すればどうにかなるかな。
すでにパイロブラストを撃つ準備はしていた。あまりに遠方だと
コントロールが難しい。接近して、一気に敵そのものを発火させて
決着をつける。
﹁エルトミって奴は倒したぞ!﹂
まず、敵の動揺を誘って、一人目を発火させる。
続けざまにもう一人。
これですぐに終わるだろう。
﹁くそっ! どこから無詠唱かっ!﹂
もう一人はイマージュが一刀のもとに斬り捨てた。
﹁よかったな、ザコだぞ、島津﹂
650
﹁そうみたいですね!﹂
残り一人は半狂乱になって、ナイフを抜いて第一巫女のほうに迫
っていく。
何か壁を張ってもらえれば助かるだろうが、大丈夫だろうか。
まずいな、角度的に攻撃魔法が第一巫女にも当たる!
しかし、すぐに敵の前の地面が盛り上がって︱︱
そびえたつ高い壁みたいになった。
その壁はさらに伸びていき、そのまま敵のほうに倒れて︱︱
ものの見事に押しつぶしてしまった。
﹁さすが第一巫女様ですね。防御しつつ、攻撃もやるってことです
か﹂
しかも、純粋な魔法の防壁と違って物理的な土壁を作るから、敵
の補助魔法でも無力化ができない。武器を持った敵に対しては最善
の選択と言っていい。
﹁いえ⋮⋮これは違う方が唱えたものです⋮⋮﹂
となると、誰だ? イマージュがやったのなら、そう申告しそう
なものだし。
﹁どう? なかなかの腕前でしょ﹂
ここで聞こえるはずのない声を聞いたと思った。
でも、間違いじゃなかった。そちらに顔を向けると、サヨルさん
がいた。
651
﹁えっ⋮⋮なんでサヨルが、ここに⋮⋮。道にでも迷いました?﹂
﹁あのね⋮⋮どんなに方向音痴でも帝国に足を踏み入れることはな
いわよ﹂
じゃあ、理由はたいして残っていない。いや、道に迷ったという
のはいくらなんでも冗談だったけど。
﹁あいつらの空けた穴を通って、そのまま追いかけてきたの。ここ
に来れば、時介たちと合流できると思ったけど、正解だったわね﹂
﹁え⋮⋮でも、それだと事前に帝国に来てたことになるけど⋮⋮﹂
まさか今回の作戦をやってた敵が王国からわざわざやってきたと
は思えないし。
﹁そう、帝国に来てたの﹂
楽しそうにサヨルがうなずいた。
﹁あなたと合流して、帝国を倒す作戦ためにね﹂
サヨルの目は冗談を言っているものじゃなかった。
﹁帝国といっても一枚岩じゃないわ。だから、トップの魔法使いと
皇帝を倒せば、この戦争も終わる。そして、それだけの魔法使いが
もう帝国には来てるってわけ﹂
652
109 帝都侵入作戦
﹁帝国といっても一枚岩じゃないわ。だから、トップの魔法使いと
皇帝を倒せば、この戦争も終わる。そして、それだけの魔法使いが
もう帝国には来てるってわけ﹂
やれやれ。
この作戦が終わったら、もうちょっと安全な王国に戻ると思った
んだけどな。
けど、どうせ戦争を終わらせないと安全な時代はやって来ないわ
けだから、同じことか。
﹁ここまでよく無事に来れたよな、サヨル﹂
﹁危ないところも何度かあったけどね⋮⋮。帝国の東側は人口も少
ないし、どうにか見つからずに来れたわ。それと補助系魔法は詳し
いから、それで一つ一つ乗り切ったってこと。この穴をくぐってく
るのだって、それなりに危険だったんだから﹂
だよなあ⋮⋮。かなり難易度高い作戦だぞ。
﹁恋人として言うけど、こういうことはあんまりしてほしくないな
⋮⋮﹂
俺がそう言うと、サヨルが近づいてきて、俺の頬をつねった。
﹁痛い、痛い! なんだよ!﹂
﹁その台詞、そっくりそのまま返すからね! だいたい時介が帝国
に潜入するから、あなたに会いにいくためにこれだけ体張ったんだ
から!﹂
653
サヨルの目が赤くうるんでいる。
これはマジなやつだ。
﹁おいおい、彼女を泣かすというのは感心しないな﹂
イマージュがにやにやして言った。確実に楽しんでるな⋮⋮。
﹁ごめん、すぐに連絡することができなくて、多分王国の西の果て
からかなり遅れて伝えることになったと思う⋮⋮﹂
﹁わかってくれたらいいの。第一巫女の件も解決したようだし、次
は帝都に乗り込むからね﹂
完全にサヨルはやる気だ。
﹁それ、無茶があるんじゃないかな⋮⋮。相手の本拠地だけど﹂
﹁敵もそう思ってるわ。だから付け入る隙がきっとあるわ﹂
戦争を終えるとすれば、皇帝を倒さないといけない。
想像を絶するぐらい難しいことに思えるけど、何か打つ手はある
んだろうか。でも、このまま両陣営で長く戦うよりいいという気も
する。
﹁あの、少しよろしいでしょうか﹂
第一巫女がこちらに声をかけていた。
﹁私たちの力を使えば、帝都にパニックを起こすぐらいはできるか
と思います﹂
﹁まさか、概念魔法コンテイジョンを帝都に使うんですか⋮⋮?﹂
コンテイジョンで疫病を発生させれば、帝都は機能停止するかも
しれない。しかし、それは言うまでもなく、隠者の森教会の理念を
654
踏みにじるものだ。
もちろん、帝国にひどい目に遭ったから、その意趣返しというこ
ともあるのかもしれないけど、そういうこと言い出すような人たち
には見えないしな。
﹁それはできません。罪のない方を数え切れないほどに殺すことに
なりますから。個人的には継承してきたことすら、後悔しているぐ
らいですよ﹂
﹁じゃあ、どういう方法で⋮⋮?﹂
﹁大規模な魔法にはたいていの場合、劣位魔法というものがありま
す。おおもとの魔法を覚えるための前段階の魔法です。コンテイジ
ョンにもそういうものがありまして︱︱つまり、人を殺傷するよう
な力は持ち合わせていません﹂
だんだんと意味がわかってきた。
﹁隠者の森教会の人間が結集すれば、皆さんを城に入れることぐら
いはできるでしょう﹂
●
そのあと、俺たちは姫やラクランテさんとも合流した。各自、侵
入してきた敵を倒していたらしい。
第一巫女の話は早速伝えられた。
異論は出なかった。
姫が俺たちの代表者として、こう言った。
﹁行きましょう。敵方の重要な魔法使いであるエルトミを倒せまし
た。このままなら、帝国を崩壊させることも可能かと﹂
655
﹁無論、リスクもありますが、よいですか?﹂
そうラクランテさんが確認する。ある意味、第一巫女を救出する
よりよほど危険だからな。
姫が俺のほうを見た。
﹁島津さん、率直に聞きます。どうしますか?﹂
﹁俺が決めるんですか?﹂
﹁攻撃魔法に関してはあなたのほうが私よりすぐれています。最前
線に出るのはあなたになるでしょう﹂
断るならもっと前に断っていた。
﹁俺はやります。完全に本気ですよ﹂
ゆっくりと姫はうなずいた。
﹁ならば、私も迷いません。必ず成功させるよう、計画を練りまし
ょう!﹂
俺たちは帝都を陥れる作戦を考えた。
帝都の地図などは教会側から提供してもらった。どこで仕入れた
のかわからないが、皇帝のいる宮殿の間取り図まであった。
﹁私たちは本当に抵抗するしかなくなった場合は、帝都に攻め入る
覚悟でいましたから。不服従に対する弾圧には、剣を持って挑む︱
︱言うまでもなく最後の手段ですが⋮⋮﹂
第一巫女が諦めたように言った。
﹁帝国の刺客を倒してしまった以上、このまま無事ではすみません。
確実に第二第三の刺客も来ます。ならば、帝国に打撃を与えるしか
ありません﹂
656
たしかにそのとおりだ。国とやり合ってる限り、敵は無数にやっ
てくる。
﹁俺たちもやります。絶対に帝国を落とします﹂
俺も決意を固めた。
657
110 帝都到着
俺たちは帝都へ入る旅に出た。というより、集落から逃げ出した
といったほうが正しい。
適度に変装して、三々五々、帝都へ向けて進んでいく。
道は、隠者の森教会のメンバーが詳しかった。人通りがまずなく、
かつ歩いているからといって怪しまれない、ほどほどの道を教えて
もらっている。
俺は姫に、イマージュ・タクラジュ、それとサヨルと行軍してい
る。
途中、王国の情勢がもちろん気になるので、サヨルにいくつも聞
いた。もちろん、大きな声では聴けないが。
﹁王国は善戦していると言えるわ。ただ、それは結局、剣士同士の
小競り合いなのよね﹂
サヨルはさばさばとした調子で言った。
﹁強力な魔法使い一人で戦局なんて簡単に覆るからなんとも言えな
い。ただ、魔法使いは魔法使いで今のところは食い止めてるわ。向
こうも本当に優秀なのは自国にとどめてるし。でないと私たちみた
いなのが来たら終わりだからね﹂
たしかにとそうだ。魔法使い一人を誰も止められないなんてこと
もこの世界だとある。だとしたら、帝都のあたりに重要な魔法使い
は固められるのか。
658
﹁といっても、一気に帝都が落ちるなんて誰も思ってないわ。こっ
ちが狙うのはそこ。その油断﹂
●
帝都は王国の王都より二回りは大きかった。
ただ、活気があるかというと、怪しいところがある。こぎれいだ
けど、人通りはそうでもない。
﹁かつてはもっと人口があったけど、帝国の規模が小さくなったこ
とで、人も減ったらしいわ。そのせいか全体的に陰気なのよね﹂
サヨルの言葉は的を射ていると思う。どうも、負の空気みたいな
ものを感じる。
それと、戦時中だからか、軍人の数が多い気はする。とはいえ、
威張っているのでもなく、得意そうなのでもなく、やっぱり幸薄そ
うな顔になっている。
その帝都の北に城がそびえている。平地ではなく、小高い丘をそ
のまま要塞化したような建物だ。
あれに侵入して、帝国を落とす。
平地じゃない城に潜入するのは難易度も高いけど、それでもやる。
敵もまさかいきなり城が攻撃されるとは思わないはずだ。
﹁まずは、教会の人たちと合流しましょう﹂
姫は町娘のおのぼりさんというキャラでうろちょろ帝都を歩いて
いる。ここに姫が紛れ込んでいるだなんて信じている奴はいないだ
ろう。
﹁じゃあ、合流する時間まで一度各自、別れましょ﹂
ずっと団体で動くと変なので、俺とサヨルは姫の一行から分離す
659
る。
せっかくなので、ふらっと酒場に入って、酒とつまみを注文した。
昼から飲んだくれているのがけっこういた。
一般市民の話を聞く場としては悪くないだろう。
﹁戦争はこっちが勝ってるのか?﹂﹁勝ってるとしてもこっちの暮
らしにゃ関係ねえよ﹂﹁それもそうだな﹂
そんな話が聞こえてくる。
﹁まさか帝都まで王国の兵士が攻め込むだなんてことはないよな?﹂
﹁まあ、この帝都にはザイン様がいらっしゃるからな。ザイン様ほ
どの魔法使いはいないって話だ﹂
それが帝国最強の魔法使いってやつかな。
﹁そうそう、精霊付きのザインに任せればいいのさ﹂﹁まったくだ﹂
客の声に引っかかるものがあった。
精霊付き?
それってアーシアみたいな精霊を持ってるってことか?
絶対にないこととは言えない。公言するのも黙っているのもその
人間の自由だし。
その精霊がまともな奴ならいいんだけど、亀山の件もあるからな。
邪悪な精霊が力を貸しているとしたら、すごく厄介だ。
ザインという名前に関しては、サヨルからも少し聞いていた。実
力者の魔法使いであることは間違いないらしい。けど、精霊付きな
660
んてのは初耳だ。
﹁あのさ、そのザインってどれぐらいすごいんだ? 田舎から来て、
全然知らないんだ﹂
俺も情報収集に入る。
﹁ああ、いいぜ。ザインは帝国の学校でトップの成績を修めてたん
だ。まだ若かったと思うけどな﹂
﹁精霊の声を聴くことで、どう戦うのが最適なのか、すべてがわか
るんだとよ。まあ、誰の目にも見えないからウソかほんとかはわか
らないけどな﹂
やっぱりアーシアに似た存在だろうか。
俺はポケットを服の上から押さえた。
そこにマナペンが入っているのだ。
﹁精霊を知ってる魔法使い同士の戦いになるのかもな﹂
似たものを倒すっていうのはあまり楽しい話でもないけど、しょ
うがないか。
心配いりません、というアーシアの声が聞こえた気がした。
うん、ここまで来れたんだ。このまま先生を信じて最強の魔法剣
士になってやる。
帝国を倒すぐらいのことができれば、神剣を扱えるだけの魔法剣
士ってことになるだろう。
﹁おい、何をぼうっとしてんだ。話聞きたいんじゃねえのか?﹂
661
﹁あ、悪い、悪い。もう一度話してくれないか?﹂
俺はザインという人間の顔を頭に思い浮かべた。
いつのまにか自分とよく似た顔になっていた。
662
111 帝都を飲み込む魔法
その日の夜、最初から取り決めていた宿に関係者が一緒に泊まっ
た。
表面上は赤の他人だ。人前ではあいさつもかわさない。
隣にはサヨル、一つ上の階には姫たちが泊まっている。その他、
教団の関係者も何組か泊まっている。第一巫女も泊まっている。こ
こに来るまで、極端に腰を曲げて、いかにも無力な老婆という格好
でいた。
魔法で誤魔化すこともできなくはないが、魔法に詳しい者がいる
と、かえって露見しやすい。なので、別の人間を変装などで演じら
れるなら、そのほうが安全なのだ。
教会の話だと、ここの宿はあまり今の皇帝をよく思ってないらし
いから、怪しまれても大丈夫だろうということらしい。おそらく、
帝国にしょっ引かれない程度に立場の悪い者を泊めていたのだろう。
犯罪者御用達の宿みたいなのはある。
明け方、俺たちは起き出して、第一巫女の部屋に入った。
決行する俺たちと教団の人間を含めて二十人ほどだ。ただし、第
一巫女は直接乗り込むわけではない。潜入するのは十五人ほどとい
うことになる。
人数を確認していたラクランテさんが﹁全員揃いました﹂と第一
巫女に告げた。
663
﹁では、今から皆さんに魔法を受け付けない魔法を唱えます。皆さ
んの力なら影響はほぼ受けないはずですが、念のためです﹂
第一巫女が順番に特殊な詠唱を行っていく。
これから唱える魔法が特殊なので、それ専用の対策魔法が備わっ
ているらしい。それだけ広範囲に影響を与える魔法だからだろう。
それから、第一巫女はコンテイジョンの威力が弱いものに当たる
魔法を唱えはじめた。
﹁毒を煮詰め、煮詰めて、呪いへと転じよ。これこそ救いの一つな
り⋮⋮﹂
聞いただけでもわかる。その詠唱は長く、そして異様だった。唱
えるだけで、十五分ほどかかっただろう。
その間、誰も声を発しなかった。そもそもみんな寝静まっている
時間なので、あまり声を出せば怪しまれるというのもあるが、第一
巫女の集中力が自然と伝わってきたのだ。とても余計な音をたてる
ことなんてできない。
今唱えているのは厳密には概念魔法には当たらず、それを一般の
魔法で代用しているものらしいが、概念魔法が特別なものだとよく
実感した。
張り詰めた精神状態でないと、こんなものを唱えて、成功させる
ことはできないだろう。
そして、最後の言葉が唱え終わった時︱︱
部屋全体に、いや、帝都全体に何かが広がったような感覚があっ
664
た。
第一巫女の意識とでも言うべきものが、外に拡散したというか。
力を使い果たしたように、第一巫女はふらついた。それをラクラ
ンテさんが近づいて支えた。
﹁やるべきことはやりました。目覚めた頃、帝都の人々は自分たち
が特殊な病に犯されていることに気づくでしょう。今の私のように
体も自由に動かぬはずです。私の場合はたんなる疲労ですがね﹂
第一巫女はしんどそうではあったが、何かをやり遂げたというよ
うな顔もしていた。もしかすると、人生最大の仕事をしたぐらいの
ことは考えているかもしれない。
﹁わたくしたち王国のためにありがとうございます﹂
姫があらためて礼を言った。
﹁いいえ、これは教会どころか、帝国のためでもあるのです。この
戦いで帝国が勝利したところで帝国の民が潤うようなことはありま
せん。民のためにならない争いなら、止めても構わないでしょう﹂
第一巫女は強い目をしていた。帝都全体の人間を衰弱させるなん
て魔法はそれなりの覚悟がないと使えないだろう。
数名の教会の人間が、第一巫女を保護してどこかに潜伏すると言
った。もともとの手筈どおりだ。第一巫女とばれれば、帝国ももは
やなりふりかまわず、命を取りに来る可能性が高い。
﹁それじゃ、我々も行くか﹂﹁イマージュよ、こんなところで死ぬ
なよ﹂
665
双子もいつもよりも気合いが入っているように思える。国を滅ぼ
しに行くだなんてプロジェクト、なかなかないもんな。
﹁では、一気に攻め込みましょう。この戦いで決着をつけるのです﹂
カコ姫の言葉に俺たちはうなずいた。
王国に勝利を届けてやる。
●
朝になると、まず第一巫女の一団が宿をチェックアウトした。こ
こからが本番の俺たちは時間差で、宿を出ていく。
宿屋の人間もふらつき気味だった。効果はしっかりとあるらしい。
町を歩くと、明らかに空気がおかしい。中には道端で動けなくな
っている人間もいる。まさしく、疫病が一気に町を襲ったみたいだ
った。
これを魔法で形にするなんて、どれだけ異様な力かわかる。しか
も、コンテイジョんなら威力はもっと大きいはずだ。帝国が力を利
用したくなるはずだ。これで、敵の拠点でも襲えば、戦局ははっき
りと変わるだろう。
いろんなところから、誰かの呪いだとか、魔法使いの攻撃ではな
いかといった声があがっていた。後者のほうは正解だ。ただ、こん
な魔法があると本気で思っているのかは怪しい。とにかく帝都が異
常な攻撃に見舞われたのだ。
俺たちは城の裏手のほうにまわる。
いくらなんでも正面突破は無理があるからな。
666
丘にある城へと続く道を進んでいくと、途中に不自然な小屋があ
る。いや、小屋は不自然でもなんでもないが、小さな小屋を三人の
兵士が警護しているのは不自然なのだ。
ここが俺たちの目的地だ。
667
112 城に潜入
丘にある城へと続く道を進んでいくと、途中に不自然な小屋があ
る。いや、小屋は不自然でもなんでもないが、小さな小屋を三人の
兵士が警護しているのは不自然なのだ。
ここが俺たちの目的地だ。
一度、草むらのほうに隠れる。
﹁本当にこんなところにそんなものがあるのか?﹂﹁ないなら、警
護の兵士がいつわけがないだろうが、イマージュのバカめ﹂﹁お前
だけには言われたくない言葉だな!﹂
こんなところでケンカするのってすごいな⋮⋮。ある意味、徹底
して平常心でいられているってことだ。
﹁この人たち、いつもこうなの?﹂
サヨルはそんなにやりとりに慣れてないのか、あきれていた。
﹁おおむねそうだ。どっちが姉かでずっと対立してるんだ﹂
その声に警備の兵の一人が気づいたらしい。
﹁おい、誰かいるのか?﹂
ヤバい。もうちょっとタイミングを見計らうべきなのに。
でも、とくに問題はなかった。
すぐに姉妹二人が突っ込んでいく。
668
タクラジュが近づいてきた警備の兵に。
イマージュはその間に残っている二人の兵のほうに。
兵士たちが声をあげる暇もないうちに、二人はもう剣を抜いてい
る。
まず、タクラジュが兵士の首をさっと斬っていた。
イマージュは敵兵の鎧の隙に剣を刺し貫く。
それとほぼ同時に氷の刃を打ち込んで、もう一人を血祭りにあげ
ていた。
敵は助けを呼ぶことも、警告することもできずに、絶命した。
つまり、これぐらいの敵は強行突破でいいということだ。
﹁第一巫女の魔法を喰らっていたな。動きがもたついていた。無理
につとめていたのだろう﹂
﹁休んでいれば、死なずにすんだのにな。まあ、人生そんなものだ﹂
双子は淡々と仕事をこなして、小屋のほうに近づく。錠などはか
かっていない。当たり前と言えば当たり前か。でないと、いざとい
う時、使い物にならないからな。
開けてみると、中には地下へと降りる階段が一つついている。
﹁教団が入手した情報は本当だったみたいですね、姫様﹂
こういうのを見ると、胸が高鳴るというか、わくわくしてくる。
まさしく隠し通路だ。
669
﹁こんなふうに兵士が数人で守っているぐらいですから、割と知ら
れていてもおかしくはないでしょう。詰めが甘いのか、最初から核
心部に入れない仕組みなのか﹂
﹁どのみち、入ってみればわかりますよ。正門から進んでいくより
はマシでしょう﹂
俺たちは階段に入っていく。
通路に光はないから、ライトの魔法で照明にする。
一番前は双子が警護をするからと立った。俺は追撃を警戒して一
番後ろにつく。いずれ、兵士が殺されているのは発見されるだろう。
途中から階段はかなり上りになった。
城は高台にあるからそうでないと困る。二十分は階段を進むと、
ようやくどこかに抜けた。
ごく狭い石造りの隠し部屋だ。どこにつながってるかまでは教団
は知らなかったが、とにかく隠し通路は実在した。
何かこそこそ走っている。ネズミだった。そんなに珍しいものじ
ゃないが︱︱
﹁ネズミがいるってことは、ここは食糧貯蔵庫か、台所のあたりっ
てことね﹂
サヨルの読みは正しいだろう。わずかに何かが焦げたにおいがす
る。
﹁これ、台所隅の隠し部屋だな。普段はカギがかかってるけど、逃
げる時にはずすんだろ﹂
扉の隙間から外の光景が見える。厨房の様子が確認できた。
人数はそう多くない。おそらくだけど、第一巫女の魔法が強く聞
いた奴が休んでいるのだろう。料理を作らないわけにもいかないの
670
で、ここにいる連中はしょうがなく出てきたんだ。男女が数人ずつ。
武装はしていない。
扉をそっと開こうとするが、カギで動かない。
﹁魔法で吹き飛ばすしかないわね﹂
サヨルの発言はけっこう豪快だ。
﹁最終手段はそれだけど、できれなもっと搦め手から攻めたいよな。
でなきゃ、集中的に狙われる。台所の人間を殺すのも気がひけるし﹂
﹁なら、インヴィジブルで姿を消せば?﹂
﹁だとしても、いきなり扉が開いたら、異様だろ。本質的な解決に
なってない﹂
﹁そろそろ動きがあるはずです。それを待ちましょうか﹂
姫はぎりぎりまで引き付ける気はらしい。教団の別動隊頼みだ。
﹁あんなザコで何かできるの?﹂﹁経験は知らんが、たいして強く
ないことは確かだな﹂
姉妹のセリフはおおむね悪い。二人とも圧勝してるからな。
﹁ここは彼らを信じましょう。あの方たちを悪く言っても何もはじ
まりませんから﹂
姫の言葉に二人が恥じ入る。気持ちもわからなくはないが、貴重
な仲間だ。一人で戦うことを思えば、ずっと安心できる。
果たして、ちゃんと仕事はしてくれているらしい。
急に台所の空気がおかしくなった。
﹁賊が入ってきたんだって!﹂﹁こんなに調子が悪い時に⋮⋮﹂﹁
671
とにかく逃げろ!﹂
台所の人口がすぐに減っていく。よし、教会がやってくれたな。
人間がいなくなったところで、俺は氷の刃で錠に当たる部分をス
パッと切った。
問題なく扉は開いた。やっと城内に入ってこられた。
﹁時介、あなた、また魔法のキレが増してきたんじゃない?﹂
﹁かもしれない。あまり自覚もしてないんだけど﹂
図面はある程度頭に入っている。あとは皇帝のいるところを目指
すが︱︱
﹁やはり、ここからは二手に別れましょう﹂
姫がそう提案した。
その話は事前にされていた。
﹁ですね。皇帝がどこにいるか、判然としない部分があります。逃
げようとするかもしれないし﹂
﹁そちらは島津さんとサヨルさんでよいですね?﹂
サヨルもうなずいていた。
﹁どちらが皇帝を倒すか競争ですね﹂
サヨルが笑いながら軽口をたたく。
672
113 帝国最強の魔法使い
俺とサヨルは台所を出たところを右に移動する。
一言で言うと、王のプライベートな空間に入っていくルートだ。
一方で姫とイマージュとタクラジュは廊下でつながった砦のほう
に移動する。
もし、皇帝が城にこもろうとしたら、そちらに向かうはずだ。
もっと違うルートで逃げようとしたら、その時はその時だ。すべ
ての通路を封鎖できる人数じゃないし。
そうだとしても、城を落とすことができれば、帝国に衝撃を与え
ることは絶対にできる。王国に勝てないと思い込ませることは十二
分にできるだろう。
ちなみに門のあたりでは教会の人間が暗殺者よろしく控えている。
馬鹿正直に正面から逃げるなら、そこを狙撃させる。
インヴィジブルで体は消して、少しずつ先に進む。
非戦闘員の貴族たちや女官たちがかなりの数、兵士に先導されて
逃げていくのに出くわした。戦えない人間が残っていても邪魔なだ
けだから、その判断は正しい。
﹁けっこう人がいたらしいわね。この調子だと真っ先に出ていった
んじゃない?﹂
﹁どうかな。皇帝が城を留守にするのは国の体面にもかかわるから
な。偉大な魔法使いがいるなら、籠城を計画するかもしれない﹂
﹁そのあたりは皇帝の性格次第ね﹂
673
サヨルがさばさばした声で言った。緊張はしているだろうけど、
それが顔に現れたりはしていない。サヨルもかなり危ない橋を何度
も渡ってきている。むしろ、ここまで来ている時点で、とんでもな
い度胸だ。
﹁帝国最強の魔法使いと言うと、ザインって奴だよな﹂
﹁そうね。とにかく大天才って言われてるらしいけど、真偽のほう
は不明。多少は盛ってるかもしれないし﹂
﹁俺とどっちが強いかな?﹂
正直なところ、何割か試してみたい気持ちもあった。
﹁ぷっ。時介らしいわ﹂
サヨルは笑ってから、ぽんぽんと俺の肩を叩いた。
﹁きっと、時介のほうが強いわ。恋人の私が保証するから﹂
じゃあ、俺もサヨルに恥をかかせないように、勝たないといけな
い。
逃げていく貴族の一人が﹁火の手が上がったらしいぞ!﹂なんて
ことを言っている。別動隊もかなり大々的に仕掛けているらしい。
その貴族も青息吐息という状態だった。これも第一巫女の魔法のお
かげだろう。
﹁これは明らかにおかしい! 王国が攻めてきたのだ!﹂﹁だが、
いつ王国の連中が入ってきたんだ!﹂
みんなパニックになってるな。これなら、本当に国を滅ぼせるか
もしれない。
奥へ進んでいくにつれて、人の数は減ってきた。まだ残っている
者は逃げるのを諦めているのか、最初から逃げ道を知っているのか
674
のどちらかだろう。そのどちらかの判断は少々難しい。
﹁それにしても、想像以上に魔法使いが少ないな﹂
インヴィジブルぐらいすぐに見破られると思っていたが、魔法使
いに遭遇することがない。こちらとしてはありがたいからいいけど。
﹁大半の連中はほかのところに向かったんじゃない? こっちに私
たちが攻め進んでることなんて知らないはずだし﹂
﹁そうかもしれないけど、それにしてもいないんだよな﹂
﹁この調子だと、ハズレみたいね。すでに皇帝ももぬけの殻でしょ﹂
﹁それならそれでいいし、もしかしたら大当たりかもしれない﹂
なんとなく、そういう空気を感じていたのだ。
そして、その読みは当たったらしい。
がらんとなった広間に男が一人立っている。二十代後半ぐらいの
容姿だ。目の色はやけに青い。
﹁ここから先は通せんぞ。インヴィジブルをしている二人﹂
あっさりばれたな。俺とサヨルはインヴィジブルを解いた。
﹁あんたが、ザインって魔法使いか?﹂
﹁いかにも。ザインと申す。皇帝陛下を守る役を仰せつかっている﹂
﹁ということは、あんたの先に皇帝がいるってことだな﹂
ザインがこくりとうなずいた。
﹁まあ、ここより奥へ進めることはないが、どうということはない。
ここで我が勝つかどうかで、帝国の命運も決まろう﹂
675
﹁第三の道もあるぞ。あんたらが降伏してくれれば、皇帝の命を奪
うまでのことはしない﹂
﹁それはないな。帝国第一の魔法使いとなった以上は、ここで戦う
のが筋というもの﹂
ザインという魔法使いはほとんど表情を変えない。
とてもつまらなそうな顔だ。目の前のことをこなすことしか興味
がないようだった。
手でサヨルに下がっていろと伝えた。悪いけど、サヨルが戦える
相手じゃない。サヨルも成長してるとは思うけど、それでも無理だ。
﹁わかった。ここは時介に任せる﹂
サヨルも相手がヤバいというのはわかっているのだろう。
﹁島津時介、ハルマ王国の魔法剣士だ﹂
﹁ここまで来るとは、痴れ者か、大物か﹂
﹁どっちでもいいさ。それより、あんたに聞きたいことがあるんだ﹂
ここなら秘密にする必要もないからな。
﹁あんたは精霊を使ってるのか?﹂
﹁然り﹂
あっさりと、ザインは答えた。
そして、ザインの背後に背の高い男の魔法使いが現れる。
いや、あれは精霊だ。存在感がアーシアによく似ている。
﹁精霊のトリンドです。ずっと、ザインとともにありますよ﹂
676
丁寧な口調で精霊は名を名乗った。
﹁主人のザインのために全力を尽くす覚悟です﹂
677
114 二対二
﹁主人のザインのために全力を尽くす覚悟です﹂
わかった。じゃあ、俺も見せないとな。最近、あまり活躍させら
れてなかったし。
マナペンを取り出して、ぎゅっと握る。
アーシアが姿を現す。
﹁まさか、精霊同士で出会うことになるなんて思いませんでしたよ﹂
アーシアは落ち着いた声で言った。今すぐ戦うというような空気
とは違う。
﹁ああ、時介にも精霊がいたんだよね﹂
サヨルはほとんど驚いていない。ある程度の予想はついていたん
だろう。
﹁ただ、こんなに服装に露出度が高いとは思わなかったんだけど⋮
⋮﹂
﹁そこは黙っていてくれ⋮⋮。別に俺の趣味とかじゃない﹂
﹁あれ、私の格好、そんなにまずいですか⋮⋮?﹂
過去に何度もそう言っただろ。俺だけの特殊な審査基準じゃない
って。
さて、そんなしょうもない話をしている場合じゃない。
678
﹁あんたが精霊を使って人を攻撃するなら、こっちも精霊に手を借
りたいと思うんだけど、どうかな? そこはフェアにやりたいんだ﹂
アーシアが戦ったのは精霊と戦った時だけだ。それが精霊の矜持
と言っていい。
﹁では、二対二でやろう﹂
ザインの言葉にトリンドという男の精霊もうなずいた。
さて、勝負といくか。
一世一代の大勝負だな。
﹁時介さん、相手は本当に強敵です。絶対に油断はしないでくださ
いね﹂
﹁油断できるような敵じゃないですからね﹂
これまで戦った誰よりも恐ろしい存在だということが直感でわか
る。
俺は剣を前に突き出す。剣で決着をつけることになるかわからな
いが、一つの覚悟のしるしだ。
﹁参る!﹂
ザインの手からばちばちと電流が走ったかと思うと、その電流の
ようなものがこっちに走ってきた。
詠唱の時間はなかったから、無詠唱か!
俺もすぐに目の前にマジック・シールドを張る。
とにかく、ダメージを軽減しないといけない。
しかし、そのマジック・シールドが消滅する。
679
ザインかトリンドのどちらかによって、排除された!
次のマジック・シールドを張る前に電撃が俺の体に直撃する!
それだけで意識が飛びそうになった。
けど、同時にあたたかな熱も感じた。
﹁大丈夫ですか、時介さん!﹂
回復系の魔法をアーシアが唱えていた。
それである程度はダメージを相殺できた。まったく無傷というわ
けにはいかないが。
﹁二対二ということは二人で一人を倒しても問題はないということ
だからな﹂
ザインがつまらなそうに答える。
﹁ああ、まったくそのとおりだな﹂
こっちも負けてられない。パイロキネシスを︱︱
その前に今度は竜巻が突っ込んでくる。
今のは間違いない。精霊からの攻撃だ。
逃げようとするが、足が地面に張り付いている。
﹁時介さん、また何かやられてます!﹂
アーシアが叫ぶ。
﹁アーシア、マジック・シールドを!﹂
マジック・シールドをかけてはもらったけど、これは威力をゼロ
にするものじゃないから、多少のダメージが来る。
680
﹁ねえ、時介! ほんとに大丈夫なの!?﹂
サヨルが心配そうな声を出す。
﹁なんとかする。しなきゃいけないんだ⋮⋮﹂
こいつら、二人揃って攻撃に来る。厳密な役割はない。いや、二
人がどういう役割でもこなせると言ったほうが近い。
﹁なんだ、お前たちは二人での連携に慣れていないな。それでは勝
てんだろう﹂
ザインの言葉に俺はくちびるを噛んだ。
たしかに俺とアーシアは二人のコンビで戦うだなんてことはして
こなかった。
それを繰り返してきた敵のほうがこの勝負、有利なのかもしれな
い。
だからって負けただなんて言えないけどな。
勝つしかないんだ。
﹁先生、なにかいい策とかありますか?﹂
﹁ごめんなさい。私も生徒の方と一緒に戦うという経験はなくて⋮
⋮﹂
アーシアが首を振る。
﹁いえ、いいです。どうにか戦いながら勝つ方法を考えます﹂
とはいえ、ここは向こうのホームグラウンドで、こっちはどうい
う環境かすらわかってない。
どこに打開策があるかな⋮⋮。
681
落ち着け。勢いだけで勝てる相手じゃない。
テストと一緒だ。わからない時は一息ついて、状況の把握につと
める。
必ず、どこかに解法への手がかりはある。
だったら、まずは落ち着けるようにしないとな。
﹁先生、しばらく守りに入ってもらえますか? 俺も守ること前提
でやります﹂
﹁はい、時介さんを全力でサポートします!﹂
ザインとトリンドはまた、すぐに攻撃魔法を唱えにかかる。あれ
は氷を叩きつけるやつだな。
俺とアーシアは接近して同時にマジック・シールドを張った。
二枚張りなら、ダメージもほぼ軽減できる!
策は成功した。少し腕が切れたぐらいだ。
﹁攻めるのを諦めたようですな﹂
精霊のトリンドが言った。
﹁力の差を感じ取ったのだろう。このまま攻めるぞ﹂
ああ、好きなだけ来い。これだけなら長期間耐えられる。
﹁守っているだけでは何もできない。傷は増えるから追い込まれて
いくだけだ﹂
勝手に言ってろ。何かするチャンスを絶対に見つけてやるからな。
682
115 授業の成果
戦況だけ見れば、それは完璧なワンサイドゲームだった。
ザインと精霊のトリンドは徹底して攻撃魔法をこちらにぶつけ続
けてくる。
向こうが息が合っているのはすぐにわかる。そもそも魔法使いが
二人がかりで攻めてくればかなり手ごわい。先手を取って攻撃を仕
掛ければ、相手の防御ももう一人が解除することで、確実に通すこ
とができる。
しかも二人揃って無詠唱で魔法が使えるから、速度でもまず負け
ない。シンプルだけど、その分隙が少なく、裏をかかれることも少
ない強力な戦法だ。
一方で、俺とアーシアは一緒に戦ったことはない。アーシアが戦
ったのを見たことはあるが、あれは俺が見ていたにすぎない。ペア
での戦いはぶっつけ本番だ。
あくまでもアーシアは先生という立ち位置を崩さなかった。だか
ら、敵に精霊が出てきたといったような緊急事態を除けば、生徒の
戦いには干渉しない。
プロのテニスのダブルスに、打ち合わせもしてない二人組で挑む
ようなものだ。まともにやっても勝ち目は薄い。
だから、俺とアーシアは近くに寄って防御だけに徹することにし
た。
683
マジック・シールドは自分の前に防御の幕を張る魔法だ。接近す
れば二人を同時に守れる。
防御しか考えないなら、連携がとれてなくてもやることが決まっ
ている分、どうにか動ける。
もっとも、マジック・シールドはあくまでも防御力を高めるよう
な効果しかないから、これでノーダメージにはならない。だんだん
追い詰められてはいく。
向こうもそれをわかっているから、この攻撃を続けて、こちらを
追い込もうとする。
﹁こういった精霊とのタッグとは戦ったことがなかったのですが、
そう手ごわくはありませんね﹂
トリンドという精霊が感想を述べた。
なにせ全然こっちが攻めてないからな。
﹁もう⋮⋮。なんか、こういう時、いい補助系の魔法ってないの⋮
⋮? ないわよね⋮⋮。そんな便利なものあれば使ってるわよね⋮
⋮﹂
サヨルは不安そうに柱に隠れて見守っている。ゲームでもそうだ
ったよな。後半の敵には力で押すほうが結局有利なんだ。小手先の
魔法では状況は打開できないことが多い。
﹁時介さん、私、やっぱり教師ですね。知ってることを教えること
はできるんですが、未知の状況で最善の方法を見出すのは苦手です
⋮⋮﹂
アーシアも苦しんでいるのはよくわかった。本来、戦うための存
在じゃないからな。
684
でも甘えたことは言っていられない。今更降伏はできない。
﹁大丈夫です。解法は俺が見つけますから﹂
どんな問題にだって必ず解き方はある。それを見つけろ。
俺は魔法剣士、敵のザインは魔法使い。そこに何か手はないか。
ああ、そうか。
すごく単純なことだ。
ザインに剣士の要素はない。だったら剣士として俺が立ち向かう
のが一番いい。
﹁先生、少しずつでいいです。敵との距離を詰めます﹂
﹁はい、それはできますけど﹂
﹁あくまでも、ちょっとずつでいいです。向かっていると思わせな
いほうがいい﹂
﹁わかりました。生徒の言葉を信じます﹂
俺たちはそこから﹁攻勢﹂に出た。
といっても、敵にはそんなことわからないだろうな。
間合いを詰めてる以外は何も変わってないんだから。
攻撃を防いでは前に、防いでは前に。
﹁主人、敵が近づいてきているようですが﹂
精霊のトリンドが状況の変化に気づいたらしい。
﹁とくに問題はない。むしろ、魔法を喰らう感覚が短くなって、敵
685
の傷が増えている。このままボロボロになってくれれば、こちらが
勝つ﹂
ザインの判断も正しい。マジック・シールドで止めるのが間に合
わなくなってきて、ダメージは離れている時より多い。
このままだと、早晩、力尽きる。
向こうがそう思うのも当然だ。魔法使い同士の戦いならそう思う
だろう。
俺は小声でアーシアに囁く。敵の魔法の攻撃で、相手には聞こえ
てはいないだろう。
﹁もう一つ、奥の柱まで進んだら出る。押してください﹂
﹁はい!﹂
じりじりと前にほとんどすり足みたいに進む。
そして、作戦開始地点に到達した。
俺は一気に突っ走る。
﹁うおおりゃあああっ!﹂
﹁ふん、遠すぎます﹂
﹁吹き飛べ﹂
二人揃って、爆撃の魔法でこっちを叩き潰そうとする。
それはマジック・シールドだけで防ぐ。
防ぎ切れてはいない。体力の半分は削られている。こんな調子じ
ゃ、普通はたどり着く前にやられる。
686
そう、普通だったらな。
そこでアーシアが魔法を唱える。
またマジック・シールド︱︱じゃない。
﹁行ってください、時介さん!﹂
風を俺の背中にぶつける。
この追い風で俺は一気に加速する。
でも、まだ足りない。これだけじゃザインに届く前に、次の爆撃
を喰らって吹き飛ばされる。ザインの表情を見ればわかる。
この間合いなら問題ないと思っているからだ。これまでの戦場で
もそうだったんだろう。
だけど、今回は違う。
俺の歩幅がいきなり大きくなる。
さんざん、アーシアに練習させられた大股移動だ。
これで敵に短時間で接近する。
やっと異常に敵が気づいた。
﹁主人、援護します!﹂
トリンドが魔法を放って、俺を吹き飛ばそうとする。
そのファイアボールか何かの一撃は︱︱
大きくそれる。
トリンドに接近したアーシアが思い切りその体を引っ張っていた
からだ。
687
﹁よ、余計なことを!﹂
﹁時介さん、やってください!﹂ もちろん、やるさ。
ザインも焦りながらも魔法を放とうとする。
それを撃てば向こうの勝ちだ。
けど、その前に︱︱
俺の一撃がザインを斜めに斬り裂いていた。
688
115 授業の成果︵後書き︶
クライマックスなのでちょっと更新頻度あげます!
689
116 戦争終結
俺の一撃がザインを斜めに斬り裂いていた。
ザインは驚愕の表情のまま、床に倒れた。
一撃で絶命したらしい。
俺はその心臓のあたりに剣を突き刺す。実は生きていたなんてこ
とがあったら困るからだ。俺たちは絶対に勝たないといけない。
﹁ま、まさか⋮⋮主人が⋮⋮﹂
トリンドもまだ事態を信じられないという顔をしている。
﹁俺は魔法剣士なんだ。あんたのご主人様は魔法使いとの戦いばか
りやってただろ。だから、距離感が甘かった﹂
けど、まだ終わりかはわからない。精霊のほうが残っている。
﹁あんたはやるか?﹂
トリンドは首を左右に振った。
﹁いえ、主人がいなくなった以上、自分がこの世界に干渉する考え
はありません。精霊の世界に帰りましょう﹂
そう言うと、トリンドは足のほうからゆっくりと消失していった。
それを見届けてから、俺は剣を杖代わりにして、ぜえぜえ息を吐
いた。
690
﹁ぎりぎりだったな⋮⋮。ぎりぎりでも勝ててよかったけど⋮⋮﹂
すぐにそこにアーシアが抱き着いてきた。
﹁時介さん! やりましたね! きっと時介さんの名前は伝説にな
りますよ!﹂
﹁うん、先生、ありがとうございます﹂
けど、少し気になる視線があった。
サヨルがこっちをじぃっと見ている。
﹁あの、喜びの抱擁だから大目に見てもいいんだけど、彼女がここ
にいるんだよね﹂
﹁だよな﹂
俺はアーシアから離れると、ゆっくりとサヨルのほうに向かった。
恋人らしく、ぎゅっと強く抱きしめ合った。
﹁本当に怖かったよ、時介が死んじゃうかと思った⋮⋮﹂
﹁俺もこうして立っていられて、サヨルと抱き合えててうれしい﹂
あらためて思った。やっぱり俺の恋人はサヨルなんだ。
先生と恋人になっちゃダメだな。
さて、もう一仕事だけしないといけない。
﹁皇帝を探さないとな﹂
﹁そうね。皇帝がいなくなれば、戦争も終わるわ﹂
俺たちは城のさらに奥へと進んだ。
691
アーシアは役目を果たしたからとまたマナペンに戻った。俺とサ
ヨルの二人の行軍だ。
まともな抵抗はもうなかった。
あっさりと、皇帝も見つかった。
﹁セルティア帝国皇帝、お命ちょうだいいたします﹂
命乞いをしていたけど、俺は気にせずに斬った。
﹁悪いけど、奇襲なもので捕虜にする余裕もないんですよ﹂
これで主戦派は一掃されただろうし、きっと和平交渉が進むだろ
う。
●
そのあと、俺たちは皇帝を討ったことを告げてまわった。
それで抵抗を示していた敵も逃げていったのか、隠者の森教会の
別動隊と、姫とイマージュ、タクラジュの組とも合流できた。
﹁終わったのですね﹂
﹁はい、姫、やりました﹂
﹁ありがとうございます﹂
ぎゅっと、姫に手を握られた。
﹁これで平和になりますかね?﹂
﹁必ず、平和にしてみます。そこから先は姫の仕事です﹂
692
帝国は皇帝が殺されたことで完全に混乱に陥った。
少なくとも戦争を遂行できる状態ではなく、臨時で皇帝となった
皇族が戦争の中止を宣言した。その男は厭戦派の人物だし、このま
ま和平交渉に入るだろう。
俺たちは第一巫女たちとも合流した後、小さな別れの宴を開いて、
王国への帰途についた。
途中、帝国の兵士たちが引き上げていくのを目にした。戦争終了
の通達が届いたのだろう。
﹁久しぶりに王国に帰れますね﹂
﹁わたくしもほっとしています。でも、退屈な日々になってしまう
かもしれません﹂
姫が冗談を言って、くすくすと笑った。
俺たちが王都に戻った二週間後、正式に両国の間で戦争の終結が
確認された。
王国は領土の一部と賠償金を手にすることになった。王国の完全
勝利だ。
王都に戻ってしばらくは、連日連夜、元生徒と教官の同僚から祝
福された。
とくに理奈と上月先生は泣きながら喜んでくれた。
二人で、俺の部屋に来た時はちょっとびっくりしたけど。
﹁おめでとう!﹂﹁おかえりなさい、島津君!﹂
693
なし崩し的に二人に抱きつかれたけど、これは浮気ということに
はならずにノーカンですましてもらえるだろう。
694
117 神剣獲得
戦争終結から三か月後。
ある程度、戦後処理の目途がついた頃のことだ。
新王カコ1世の戴冠式が厳かに行われた。
父親であるハルマ24世がもう娘に王位を譲っても問題ないと判
断したからだろう。
﹁姫⋮⋮いえ、新王陛下万歳!﹂﹁長らく仕えてよかったです!﹂
イマージュとカクラジュの二人も泣いて喜んでいた。
俺も感動していた。なにせ数々の危機を乗り越えての即位だもん
な。ちょっとでもボタンを掛け違ってたら、姫は死んでいたはずだ。
﹁前王陛下、わたくし、早速執り行いたい儀式があるのですが﹂
儀式後の晩餐会で、そう新王は早速、前王に言った。
﹁いったい、なんじゃ?﹂
﹁王家が持っているあの剣を、英雄に渡したいのです﹂
●
戴冠式の一週間後。
俺はできうる限りの正装で、その場に臨んだ。
目の前には、カコ1世がいる。
695
その手には立派な大ぶりの剣がある。
﹁王家が秘蔵してきた神剣エクスカリバーを国を救った英雄に下賜
したいと思います﹂
﹁本当に俺でいいんですか?﹂
﹁王が決めたことですから﹂
俺は丁重にそれを受け取った。
これで、神剣ゼミを完遂できたと言っていいよな。
﹁あの、それと⋮⋮﹂
小声で王が言った。顔がちょっと赤い。
﹁今はまだサヨルさんとお付き合いをされていらっしゃるのですよ
ね?﹂
﹁え、あ、はい⋮⋮﹂
正直に答えただけなのだけど、妙な罪悪感がある。
﹁わかりました、これはサヨルさんとよく話し合ってみたいと思い
ます⋮⋮﹂
﹁そ、そうですか⋮⋮﹂
俺のいない間に決まることを俺がどうこう言うのもおかしいしな
⋮⋮。
﹁このあと、英雄には王都の凱旋パレードを行っていただきますの
で、そのつもりでお願いいたします﹂
今度はいたずらっぽい顔になって、新王が言う。
696
﹁えっ⋮⋮そんなの、まったくの初耳なんですけど⋮⋮﹂
﹁王の命令です。よろしくお願いしますね﹂
そのあともいろいろと面倒な手続きとかがあって、ようやく解放
されたのは夜もけっこう遅くだった。自分の部屋に戻る。この部屋
ももうすぐもっといい部屋に変わるらしい。
さて、お風呂に入る前に︱︱
俺はマナペンを取り出す。
どうせ抱きつかれるだろうと思っていたから、最初からベッドの
前に立っていた。
やっぱり抱きつかれて、ベッドに俺は倒れた。
﹁おめでとうございます、時介さん!﹂
﹁先生のおかげです。神剣をいただきました。まだ、実戦で使った
ことはないですけど﹂
﹁これで私ヶ教えられることは完全になくなっちゃいましたね∼﹂
﹁そんなことないですよ﹂
俺はすぐにアーシアの言葉を否定する。
﹁まだまだ知らない魔法もたくさんありますし、立派な神剣を使え
る魔法剣士にもなりたいですから、だからお願いします﹂
俺は真面目な顔で、もう一度言う。
﹁お願いします、先生﹂
俺が神剣を使う立場になったからこそ、はっきりと確認しておき
697
たかった。
俺を放して、アーシアはゆっくりとうなずく。
俺もベッドから起き上がる。
﹁教師と生徒じゃなくて、大人が大人にアドバイスするという形な
らいいですよ﹂
これで目的の一つは終わった。
あとは、もう一つのほうだ。
﹁それと⋮⋮これ、サヨルに全部話して、許可を得たんですけど⋮
⋮﹂
俺は視線をそらしつつ⋮⋮いや、視線そらしちゃダメだな。しっ
かりとアーシアを見据えた。
﹁キスまでならいいって⋮⋮。ア、アーシア、俺が生徒じゃないな
らいいかな⋮⋮﹂
アーシアはくすくすと笑って、もう一度抱きついてきた。
そのままキスをされた。
神剣ゼミを無事に終えたご褒美ということにしておこう。
698
117 神剣獲得︵後書き︶
赤ペン精霊は今回で終了です。これまでお読みいただきありがとう
ございました!
以下、あとがきを次回分に書いておきます。
699
あとがき︵本編ではありません︶
赤ペン精霊、最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回はあとがきということで、ネタバレ的なことも書いていきます
ので、ご注意ください。
この話はかなり最初のほうの段階から、
1 魔法使い編
2 魔法剣士編
3 帝国との戦い編
という、大きく分けて3つの章で進めるということに決めていまし
た。
幸い、そのうち﹁1﹂にあたるものが、レッドライジングブックス
さんから書籍化されました。
﹁2﹂以降はまだはっきり決まってはいないのですが、難しいかも
しれません⋮⋮イマージュとか1巻で出てないイラストのキャラデ
ザを楽しみにしてくださっている方がいらっしゃいましたら、申し
訳ないです。
この話を書きはじめてから気づいたのですが、設定上、チートはチ
ートなんですがあくまでも勉強したりして強くなるという部分があ
るんですよね。
そのため、どうしても強くなっていく過程をじっくりやらないとい
けないので、とくに﹁2﹂にあたるところなどで苦心しました⋮⋮。
700
あと、キャラの名前は主人公の島津時介は関係ないのですが、ほか
のキャラの多くは兵庫県の地名をもじりました。
アーシア ↓ 芦屋
カコ姫 ↓ 加古川
みたいな感じです。自分の場合、全部の名前を英語圏の読みにした
り、フランス語圏の読みにしたりといった統一を破綻なくできる自
信がないので、それっぽい横文字にしてしまうことが多いのですが、
その時に何の統一性もないのも名づけづらいので、こういう形にい
たしました。
ちなみに個人的に一番気に入っているキャラはイマージュです。ど
っかでまた使いたいキャラですね。
この設定はこうしたほうがよかったなとか︵たとえば彼女を決めて
しまうとハーレムがしづらくなったなとか、魔法の設定が強すぎて
戦記物にしづらいなと︶、いろいろと反省材料もあるのですが、そ
ういうものも含めて、今後の作品に生かしていければと思います。
お読みいただきありがとうございました!
701
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n1796dk/
赤ペン精霊の神剣ゼミでクラス最強の魔法剣士になれま
した
2017年3月23日23時53分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
702
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