...

あなたの中に潜在する、 真の成功と財運の扉を開く!

by user

on
Category: Documents
3

views

Report

Comments

Transcript

あなたの中に潜在する、 真の成功と財運の扉を開く!
JES 緊急レポート №12 2007.03.05
あなたの中に潜在する、
真の成功と財運の扉を開く!
真の成功とは何か?そしてお金との関係は…?
“本当の自分”を発見した時に、願望は実現に向けて働く!
(1)成功者の生まれない「成功法則」?
成功哲学、または成功法則というと誰を思い浮かべるだろうか。
ナポレオン・ヒル博士、アンドリュー・カーネギー、ポール・J・マイヤー、ロ
バート・キヨサキ…、巷では自己啓発や成功法則に関する書物が溢れ、高
額なテープ教材の販売、またはセミナーを開催しているところも数多い。
当社のメディア部門でも、過去に数多くの成功法則の教材制作を企業
から依頼され、制作プロジェクトの一員として加わったことがある。
主に当社が担当するものは、与えられた膨大な資料を分析し、それを中
心とした構成でビデオや音声メディアとして
仕上げるのが役割だ。
海外で出版されている成功哲学に関する
書物も数冊翻訳した。
多分、当社グループほど巷の成功プログ
ラムに関与している会社はないと思う。
中には販売価格が百万円近くするものもあった。
しかし私は、それらの与えられた材料に対して多くの疑問があった。
「このような情報だけで、果たして本当に万人に通用するだろうか?」
「これが法則だとしても、ほんの一部の特異な人だけに限られるのではな
いだろうか?」
「各人の持って生まれた性格や個性と、どう関係するのだろう?」
「ポジティブシンキング法や成功者の体験を聴いただけで、果たして個人の性格や考え方が変わる
のだろうか?」
「イメージを浮かべただけでもしそれが実現するなら、例えば誰かが、地球が爆発する夢や強いイメ
ージを浮かべた場合、本当にそれが実現するのだろうか?(笑)」
「海外の、それも時代を遡った環境、またはそれら時代の成功談で、果たして現代社会にも通用する
のだろうか?」…
仕事の一部を請け負ったとはいえ、泉の如く次々と疑問が湧いてくる。
勿論、これらの教材が全て無駄だと言っているわけではない。
成功者の考え方と自分の考え方の違いを知る上では、大いに参考になる部分もあるだろう。
しかし、これらの教材によって大成功を収めた人の話は、少なくとも私は聞いたことがない。
1
(2)一人一人の個性を無視した成功法則は実現しない
では一体、どこに問題があるのだろうか。
まず、自分なりにその問題点を思いつくまま箇条書きしてみた。
1.成功法則は人によって一人ひとり違うということ。
2.いくら人の成功談を聞いても、全て自分に当てはまるわけではないということ。
3.それぞれ各人の持った能力や適正、個性、環境、性格、職業までは網羅できないこと。
4.自分の欲だけでは実現しないということ。
5.成功というのは、実際は8割以上は運が締めているということ。
6.思いの発信、そして実際に行動しなければ何もつかめないということ。
7.その気になるのは一時的であり、いずれ熱が冷めたらしぼんでしまうこと。
8.成功は相対的なものが多く、比較検討していないこと。
9.自分なりの工夫、オリジナリティを持っていないこと。
10.自分の好きなことをやっていないこと。
11.楽してお金儲けができると勘違いしていること。
12.人の力を利用しようとしていること。
13.お客様の立場に立てないこと。
14 お金は好きだけれども、お客を好きになれないこと。
15.自分の可能性の範囲(阿弥陀九字)を知らないこと。
16.本当にお金が必要なのか、地位名誉が欲しいのか、また賞賛を受けたいのか、明確に自分を分
析していないこと・・・。
まだまだ挙げれば切りがない。
まずほとんどの成功法則で致命的なのは、人それぞれが天から与えられた「個性」や「性格」を無視
している。
消極的な性格の人に、「積極的になりなさい。積極的な性格に変えられなければ成功者になれませ
んよ」…と言っているようなものだ。
また、「1万人の聴衆の前で、上がらずに、緊張せずに、リラックスしてスピーチしなさい」と言っている
のと同じだ(当社取り扱いの DVD「EFT 心のトラウマから自由になる(ブレンダ・E・ダランパン女史)」
なら可能/P32参照)。
100万人に一人くらいできるかも知れないが、ほとんどの人はでき
ない。
誰もが積極的になれない性格だから困っているのだ。
誰もがすぐに行動できない性格だから困っているのだ。
人間は機械ではないから、プログラムされたからって、思うように自
分の感情をコントロールできない生物だ。
自己催眠や思い込み、またはイメージトレーニングによってある程
度はコントロールできるが、それらは一時的なものが多い。
勿論、小さな経験の積み重ねによって、徐々に自分をコントロー
ルすることはできるようになるが、一朝一夕とは行かないのが現実
だ。
2
(3)ホンモノとの出会い
私が巷の成功法則に対して疑問を持つのは、昔出席したある講演会で強烈な体験をしていたから
だ。
今から25年前、私がまだ独立する前のことである。
壇上で話すその講師は、いかにイメージの力が大切であるかを説き、目に見えないイメージが目に
見える形として様々な奇跡を起こすことを、多くの聴衆の前で見せてくれた。
例えば分厚い電話帳を簡単に引き裂いてみたり、名刺で割り箸を切
って見せたり、膨らませた風船にボールペンを通して、なんと風船の内
側に自分の名前を書いて見せたりもした。
大きな金属性スプーンも、ちょっと力を入れただけで、まるで飴細工
のようにグニャグニャ曲げてしまう。
まるでマジックさながらだ。
しかし、タネはない。
どう見ても普通のおじさんで、体重も人並み、そしてそれほどの筋力があるとは思えない。
しかも、その講師は片足が不自由なのだ。
「自分は巨大な岩だ!」とイメージすると、どんなに力持ちの相撲取りが押しても引いても、足は地面
に張り付いたままびくともしない。
こうしてあっという間に講演が終わり、帰りに友人がつぶやいた。
「面白いショーだったけど、名刺で割り箸を切ったところで、だからどうだって言うのかね?スプーンだ
ってペンチや万力を使えば簡単に曲がるのにね」…
確かにそうだろう。
しかし私は友人の批判に、「うん、うん」と頷きながらも違った意味でその光景を捉えていた。
「人間には皆、すごい力が埋もれているんだ!」と単純に感動していた。
講師はK先生と言った。
実は私は、ずっと何十年もその名前を忘れていた。
ただ、講義の中で説明した「思念動画否消行現」という難しそうな言葉だけは覚えていた。
(4)思念動画否消行現とは創造のプロセス?
思念動画否消行現とは、目に見えない思い(イメージ)の発端から始まり、いくつかのプロセスを経て
必ず実現する…という、衝撃的な理論だった。
これは「創造の原理」であると思った。
「思」とは最初の思いである。
別な言い方をすれば「意思」、つまり発信である。
宇宙も一つの「意思」から創造された(前回の「緊急レポート№11」参照)。
「念」とはそれが強くなり、継続したものだ。
「動」と「画」とは、その念が動き出し、鮮明な「画像」としてビジョン(目に見えるカタチ)になる様を表
わす。
「否」というのは、そのビジョンを否定する思い、つまり「どうせ、自分にはできない」という消極的な思
いを表わしている。
3
「消」とは、その否定的な思いを消し去ることを表わす。
すると「行」である実際の行動が生まれ、そして「現実化する」…という理論だ。
まさに創造のプロセス、行動のプロセス、実現へのプロセスと言ってもいいだろう。
このことは私なりの理解で「叡智創出法」のビデオでも述べた。
例えばここに腕時計があるとする。
これを全てバラバラにして分解し、一つの箱に入れ、それをあらゆる方向に振ったとする。
さて何万回この箱を振ったら、このバラバラな小さな部品が偶然にはまって、ねじが締まり、秒針が止
まり、ガラスがピッタリはまって元の腕時計になるだろうか…という質問だ。
誰もが「それは不可能だ」と言うだろう。
確かにこれは不可能なことである。
なぜならば、振っているうちに、物理的に部品が摩擦で粉々になってし
まうからだ。
しかし、「時計を作りたい」という最初の意思(思い)が一つあったとする。
それが強いイメージで「念」となり、「動」となり、鮮明なビジョンである「画」
となる。
でも、「否」である「面倒くさい」とか「自分は無理だ」と思うとそこで挫折してしまうが、しかし諦めずに
その否定の思いを「打ち消す」ことができれば、具体的な「行動」、つまり時計の設計図を描いたり、部
品を集めたり、様々な失敗を繰り返しながらも、いずれは現実的にも腕時計は完成するだろう。
このように偶然では絶対に時計は完成しない。
宇宙も太陽も地球も人類にとっても同じことで、そこには歴然とした法則性と必然が存在しているの
だ。
ここで気付かれた方は多いと思う。
一番の難関は、「否定の思いを消す」作業である。
「自分にはできない」といったマイナス思考、ネガティブ、そして自信がなくなるような否定的な思いは、
人間の持つ一種の本能である。
つまり、「自己否定」もこの本能の中にある。
しかし、私はこのことを「虚偽本能」と呼んでいる。
自己否定は、神から与えられた人間本来の本能ではない。
危険や失敗を回避したいという、「自己防衛本能」の裏の姿である。
自分が失敗、もしくは負けることは誰もが嫌な感情を抱く。
傷付いたりもする。
惨めにもなるし、落ち込んだりもするし、第一、時間も無駄だと思ってしまう。
自己否定的な思いは、別な言い方で「自分への言い訳」、または「あきらめ」、「自信喪失」という。
虚偽なる逃避本能だ。
それらを果たして、自分自身で消し去ることなどできるのだろうか?
このことは、どの成功法則の本にも書かれてなく、大きな欠点でもある。
成功法則のほとんどは、「ネガティブではなく、ポジティブな考え方になりなさい。できないなら成功し
ませんよ」…と述べている。
ほとんどは「思念動画」までできるが、虚偽本能である「否」でくじけ、「消」ができないため「行」を継続
することができない。
よって「現」に辿り着くことができない。
4
だから、巷の成功法則では誰もが成功できない。
人間に自己否定の虚偽本能がある限り、成功哲学の権威である先生方が唱える「思考は現実化…」
しないのだ。
(5)「自己否定の消去」の後に奇跡が?
そしてこの講演から25年経ち、昨年ある人からの紹介でいきなり、「是非、K先生とお引き合わせした
いのですが…」と言う。
ちょうど「希望の法則」のインスピレーションを受けた頃だ。
最初は誰のことか知らなかった。
前にも言ったように、名前を忘れていたからである。
いつもながらにシンクロしている。
早速お会いすることになった。
K先生は、過去1万5千人以上のライナスセミナー(2日間)の卒業生がいるが、驚くことに誰一人も脱
落者を出さないことで定評があった。
巷の成功法則と違って、一人も「落ちこぼれ」を出さないのであ
る。
数々のメンタルトレーニング、イメージトレーニング、瞑想、成功
セミナーと関わってきた中で、このK先生の指導は群を抜いてい
た。
巷の成功法則の欠点「否」と「消」をカバーしている、メンタルトレ
ーニングの第一人者だったのだ。
そしてひょんなことから、この2日間と3日間のセミナーを当社で
ビデオ撮影することになった。
参加する方たちは、自律神経失調症、対人恐怖症、ノイローゼ、
登校拒否の学生、赤面症、自閉症(引き篭もり)、家庭内暴力、アルコール中毒、会社の社長、上場会
社の役員、外資系の美人秘書…など、それぞれ悩みや願望を持ち、多彩な顔ぶれであった。
皆、受講する目的も年齢も社会的立場も違う。
「病気の方々も多いので、なるべく顔はビデオで映さないように」と言われていたため、当社の社員:
佐藤タケシも参加させて頂き、彼を中心にカメラで追うようにした。
その撮影中、様々な衝撃的なシーンを見てしまった。
二日というのはわずかな期間である。
初日のほとんどの時間が、K先生の講義と体験(ゲーム)に費やされた。
トレーニングらしい時間はほんのわずかである。
そして、次のステップである3日間のセミナーは、全員が同じ部屋で寝て同じ食事をする。
年齢も学生から恰幅のいい社長もいるのに、皆まるで幼稚園の園児に戻ったかのように、楽しそうに
受講している。笑いも絶えない。
何十年も前から一緒にいる家族のように、男女とも心を許しあっている光景をまざまざと見せられた。
「自己否定の消去」の後に来るもの、それは奇跡の連続だった。
5
(6)本当の自分を発見することが成功法則の要!
その時、「素直」と言う言葉が浮かんだ。
偏った常識、偏った教育、偏った習慣、偏見、恐れ、不安、疑心、嫉妬、絶
望感、恨み…そういったものがまるでない状態になっているのだ。
つまり受講生の全てに、虚偽本能である「否定」の思い、「言い訳」、「あきら
め」がすっかり消滅していて、自信溢れた顔付きになっていたのだ。
皆、輝いていた。
虚偽本能が消滅した「本当の自分」を発見したら、
皆このように光り輝くようになってしまうのだ。
そして二日目、名刺1枚で割り箸を4本まとめて切る、スプーンを簡単に捻じ
曲げ、二つにねじ切る人も現れた。
「人橋」といって、痩せた女性が両側の椅子に足と頭を乗せ、体重が二倍近
くもある人が女性のおなかに乗ってもびくともしない。
3日間セミナーの初日に誰一人もできなかったことが、二日目に全員
できるようになっていたのだ。
皆、自信に満ち、目が輝いている。
小さな成功が、次の大きな成功を螺旋状に呼び込んでいるようにも見
えた。
「否定の思いを打ち消す」、それは、『本当の自分を発見することにある』、そう確信した。
本来自分にはない余計なものをくっつけて、それに対して執着し、大河の隅でクルクル回っている葉
っぱのように、悩み、苦しみ、もがいている姿は本来の自分ではない。
本当の自分とは、素直に物を見て、素直に語り、素直に喜び、素直に人を愛す。
苦しんでいる人がいれば励まし、達成したら共に喜び、欲しいものがあれば分け与える…。
反対に、物やお金に執着し、名誉や地位にしがみつき、人との比較で幸・不幸を分け、自分さえ良
ければと、蹴落とす競争社会…どちらが本来の人間らしい生き方だろうか?
天国と地獄の違い
天国も地獄も同じ食事内容が用意されている。
どちらも大きな皿に、食べ切れないほどのご馳走がテンコ盛りになっている。
その皿の横には、身長ほどの長い箸が置いてある。
好きなだけ食べて良いことになっているが、ただ一つ、その長い箸を使って食べることだけが条件だった。
地獄ではその箸が長過ぎるため、自分で料理を取っても口に届かず、イライラしながら怒り散らしている。
しまいに人のつかんだ料理を奪い合い、大喧嘩が始まる始末。
結局、食事の時間も終わり、皆、空腹でもがき苦しんでいた。
一方天国では、相手の好きなものを箸でつまみ、口元まで運んであげ、お互いに楽しそうに食べさせ合っていた。
天国や地獄というのは外界にあるのではなく、それぞれの人の心の中にあるものだということですね。
6
(7)原が、桑田が、中畑がスランプ克服!
実際に、このK先生のセミナーに受講した方々は、精神的な病気を自ら克服し、社会復帰を果たし、
また上場企業の社長にまで上りつめた人もいる。
スポーツ界で言えば、野球界の原辰徳、桑田真澄、中畑清、ゴルフの岡本綾子、
競艇の大西英一、柔道の山下泰祐選手などの有名人が数多い。
彼らが受講した時期と、スランプ克服の新聞報道、記録的な快挙を成した報道時
期とが全て重なっているというのも興味深い。
K先生自身、片足が不自由でありながらゴルフ大会で何度も優勝している。
「否定の思いを消す」…この数日間でいとも簡単に、意識もせずに全員が達成でき
るのである。
他の成功法則と違って、1億円の札束の写真をトイレに貼り、ベンツの写真等を部屋にペタペタ貼る
ようなことは一切しない。
無理して高級スーツを新調し、ブランドの高級時計をはめ、人の集まる財界パーティで名刺配りもや
らない。
イエス・バット方式とか、セールストーク集を読み漁り、人を動かすテクニックも使わない。
通帳にいくら貯まったとか、あの人はいくら稼いでいる…といった話もしない。
(8)運と成功法則は切っても切れない仲
また巷の成功法則は、人それぞれの「運」も無視している。
人生には確実にバイオリズムのような流れがある。
(2)の「一人一人の個性を無視した成功法則は実現しない」でも箇条書きしたが、成功法則は人によ
って一人ひとりが違う。
いくら人の成功談を聞いても、全て自分に当てはまるわけではない。
それは、各人の持った能力や適正、個性、環境、性格、職業まで
は網羅できないからだ。
そして一番の違いは、「運」である。
どんなに素晴らしい理論、哲学、体系、そして能力があったとして
も現実が伴わなければ何の意味もない。
その現実を左右するもの…それが運である。
どんなに頑張っても結果が伴わない、実現しない、失敗する…と
いう経験は誰にでもあるだろう。
例えば、常に成績は優秀で、「○○大学は合格間違いなし」と太鼓判を押された人でも試験に落ち
る人もいれば、反対に「高望み」と言われた大学に「まぐれ」で合格する人もいる。
同じ努力をしても、一人は認められ、一人は認められないことは、人生行路の中で誰もが経験してい
ることだ。
そう考えると運とは、一種の「えこひいき」の存在のように見える。
成功者と言われる九割以上が同じ言葉を言うという。
「私が成功したのは運が作用したからです」と。
この言葉は決して成功者特有の「謙虚さ」から出た言葉ではない。
7
勿論、人に言えない努力や能力もあったとは思うが、それらを抜きにしても明らかに「運」が作用して
いる以外、考えられないことが多い。
「運とは偶然の産物である。よって個人の努力や能力以外のところで働く」と断言し、偶然を科学する
世界的権威の研究者がいる。
(9)自殺まで考えた関教授の成功ストーリー
もうこの「JES 緊急レポート」でも何度も紹介した、神奈川大学の関邦博教授である。
教授との出会いも、昨年の私が「希望の法則」のインスピレーションを受ける頃に出会った。
教授は十数年前、友人の会社の資金繰りを頼まれ、保証人になったことがあった。
ところがその友人は突然行方をくらまし、その後会社は倒産、保証人であ
る教授が数億の借金を背負う羽目に陥る。
一時は自殺も考えたという。
実際に朝、何度も線路に立っている自分がいたという。
常識的に言って、一介の大学教授が払える金額ではない。
自己破産も考えた。
しかし教授は踏み止まる。
なぜこのような事態になったのか、なぜ自分だけがこのような思いをしなけ
ればならないのか、なぜこの苦しみが与えられたのか、もしその原因があると
すれば、それは一体何なのか…
あらゆる角度から考えた末、「これは運の作用だ」という結論に達する。
「よし、それならば、この運というものを徹底的に、そして自然科学的
に解明してみせる。それまでは死ぬのは延期だ!」と腹をくくった。
あらゆる私財を全て処分し、大学の職務以外に深夜まで通訳や翻
訳のアルバイトする生活が続く。
疲れ果てた体で家に帰るのは、いつも午前2時を過ぎていた。
それから和洋書を含め、図書館で借りた運に関するあらゆる書物を
明け方まで読む。
当時の一日の睡眠時間は3時間ほどだったという。
稼いだほとんどのお金は借金の返済、そして図書館に置いていない本代に充てた。
今までに読んだ本は既に10万冊を裕に超える。
こうして運のレポートをまとめている内に、教授の周りに異
変が起こり始めた。
まず、銀行のほうから利息の減率が提示された。
また、成功者の方々と矢継ぎ早に出会うなど、様々な不
思議な縁が連続して起こり始めた。
「潜水生理学の研究」が、海のノーベル賞といわれるトラ
イデント賞の金賞を獲得した(日本初)。
大学で研究していた臓器保存の画期的アイディアが浮か
び、その発表が一部の医学会で認められ、世界でトップの英国科学雑誌「nature」に掲載された(現
役の神奈川大学教授の中では初)。
8
乾燥しミイラ化されたラットの摘出心臓を、72時間保存後に拍動させるという、未来の臓器移植の革
命とも言える実験にも成功した(世界初)。
数々のスポンサーも現れ、いくつもの会社の顧問や役員
となり、教授に入ってくる毎月の収入は鰻上りに膨れ上がっ
た。
その自然科学と運の研究成果を大学の講義の中で話す
と、今度は授業を受けた学生が卒業後に社会で活躍し、
続々と成功者が生まれ始めた。
ある財閥の一人は「この自然科学と運のレポートは 1 千万
円以上の価値がある」と言い、実際に 1 千万円の小切手を
差し出した。
「運の科学レポート」を書き進めて行く内に、全てがとんと
ん拍子に回り始めたのである。
このレポートを一番理解している人、何度も繰り返し読んでいる人は関教授本人だからである。
(10)人生にとって最大の不運とは?
まさか大学教授が、「運」という非科学的で偶然が支配する研究をライフワークとされていることなど思
いも寄らなかった。
私に降りたインスピレーション「希望の法則」の中でも運は密接な関係を持っている。
私は今まで、運とは人間が自由にならない分野であり、それを解明することなど不可能に思ってい
た。
しかし私に降りたインスピレーションは違っていた。
「運も光や時間と同じく質量を持ち、人の人生、そして意識と深く関わっている一種の法則である」と。
そしてその直後に関教授と出会った。
質量があるとすれば、それは科学の範疇である。
よって、法則とも言える。
太陽は東から昇り西に沈む。
水をこぼせば床が濡れる。
それと同じように、運もこうすれば強くなり、こうすれば弱くなる…という法則があるのだ。
運が寄ってきていることを知らずに通り過ぎる人もいれば、それをうまくキャッチしてモノにする人もい
る。
それを見極められるかどうかが、実は一つの成功の法則なの
だ。
運は、努力や才能以上に重要な位置を占めている。
関邦博教授のまとめられた運の科学レポート「関帝廟導運王」
は、毎回読み進めて行くだけで、誰もが強運の持ち主へと変わっ
ていく不思議な力を持っている。
実は、最初の段階では明らかにどこかの本をまとめただけで、
「以前にもこれと同じ内容を読んだことがある」、「こういうことは知
っている」という節もたくさんあった。
9
なぜならば、関教授も最初から運の大家だったわけではなく、他の運に関する様々な著書の学習か
ら始まったからだ。
よって内容的には、それぞれの著者の考え方により、レポー
トとしてまとめて行く上で、つじつまが合わなかったり、矛盾し
ている箇所も多かった。
誤字脱字も多い(できる限り修正はしたが…笑)。
しかし、最悪に近い不運に見舞われた一人の人間が、ここ
まで強運になるまでの学習プログラムが、段階的に 1 節 1 節、
読み進めていく内に感じ取れる貴重なレポートなのだ。
勿論、莫大な借金を背負ったことなどのプライベートな話は
一切ない。
そして Vol.6辺りから、徐々に関教授のオリジナルも増えていく。
段階的に発展していった方が、学ぶ私たちにとっては容易で馴染みやすい。
一番すごいと思えることは、読み続けることで「運を呼ぶ考え方」「運を呼ぶ行動」に、知らず知らずの
内に変わっていくことである。
レポートに何度も出てくる言葉がある。
「人生にとって最大の不運は、死である」と。
死と向き合い覚悟した者でなければ絶対に書くことができない、重さのある究極の言葉である。
裏を返せば、「人生にとって最大の幸運は、今、実際に生きている」ことである。
生きているからこそ、今、私とこのレポートを読んでいるあなたとの間に「縁」が生じる。
全ては多くの縁によって幾十にも立体的に重なり合っているのが「人生の阿弥陀クジ」だと思う。
(11)神は存在するか?
運の科学レポート「関帝廟導運王」では神を否定している。
なぜならば、神を認めてしまったら科学の論理展開は存在しなくなるからだ。
「全ては神の為せる業である」…と結論付けられたらその先、研究しようがない(笑)。
だが、運も法則である以上、神の領域に入らざるを得ない。
私は神を「宇宙の法則」として定義している。
関教授は神を否定しているが、ここで否定しているのは「宇宙の法
則」ではなく、人間の都合で作り上げた「虚像神」のことである。
簡単に言えば、神社でもらう「お札」や「お守り」の中に神がいると
錯覚しているようなものである。
人間は目に見えない存在に対し、カタチとして心の拠り所を求め
る。
旧約聖書では、モーセの兄であるアロンは、モーセがシナイ山に
登ってなかなか下りてこないため、民衆の不安を取り除くことを目的
に、黄金の子牛を作り、神への礼拝の対象にした。
神の偶像を見て怒ったモーセは、神から授けられた十戒石を民衆
に投げつけた。
イエスも生涯を通して、「教会を作って私を祭りなさい」とは一言も言っていない。
10
増してや、ピカピカの服を着た祭司や教会維持のために「いくら払ったら救われる(免罪符)」などとも
言わせるわけがない。
仏陀も同じである。
竹林精舎のような多くの僧たちの修行の場は提供してもらったが、どこかの新興宗教のように「私の
像を作り、大如来として祭りなさい」とは一言も言っていない。
天照大神にしても然りだ。
神は法則であり、同時に大宇宙・大自然に存在する万物の全てが神である。
「これが神です」と、決して形に表わせるものではなく、また特定の人
物を神格化したりするのを神は極端に嫌うのだ。
聖書の中で唯一、神が自己紹介している部分がある。
「私はアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。
初めであり、終わりである(ヨハネの黙示録22-13)。」
神仏は、全ての始まりと全ての終わりを制する者なのである。
これがなんと、日本の童謡(?)に語り継がれている「カゴメ歌」の中
に秘められていて、『夜明けの晩』の真意であることは誰も知らない。
これを教わった私のビジョンでは、「カゴメ歌」は弘法大師空海が作
ったものとされている。
詳細については、今後の私の講演会でも述べるつもりだ。
「運の科学レポート」は真っ向から神を否定している。
しかし関教授の文章からは、神の存在(=宇宙の法則)を間近に感
じるのは私だけだろうか?
運の科学レポートの見本誌も千円で用意しているので参考にされたい。
(12)成功とお金との関係
以前、ある健康新聞社から「お金について何でも良いから原稿を書いて欲しい」と依頼され、寄稿し
たことがある。
それを下記に抜粋したので参考にして欲しい。
“ツイテル”と言うだけで億万長者になる?
最近、斎藤一人氏の講演CDを聴いた。
毎年高額納税者の上位に名を連ねる億万長者である。
仕事は健康食品の販売。ダイエット食品“スリムドカン”を始めとして
ユニークな商品名が多い。
彼は独特なお金儲けの哲学を持っている。
“毎日、ツイテル、ツイテルと言っていると、本当に運が付いてきてト
ントン拍子に事がうまくいく”…というのがその一つだ。
販売員のほとんどの方がそれを実践し、売り上げ成績を伸ばしてい
るという。
彼は社員が 1 万回“ツイテル”と言うと表彰状まであげるらしい。
11
確かに言葉は大きな創化力を持っていると私も思う。
「今日はついてないな…」と言うより、「こんな小難で済んでオレはついてるぞ!」と思っていた方が遥
かに前向きだし、運もつきそうな気がする。
要するに、成功者と失敗者の大きな違いは、物事の考え方が前向き(+)か後ろ向き(-)か…だけ
の差のようだ。
成功の法則に関する類の本は巷に溢れているが、最終的にはどれもこれもこの一つにたどり着く。
斎藤氏が提唱しているように、何度も前向きな同じ言葉を言うことによって、一種のそれが自己暗示
的な要素を含み、最初は懐疑的であってもいずれは自分で “思い込む”ことで考え方も前向きに変わ
っていくということなのであろう。
しかし私は“ツイテル、ツイテル…”と唱えるにはやや抵抗がある。
何か、ヘンな霊が取り憑くような気がして?…(笑)
“ツイテル”よりも“ありがとう!”
私が“ツイテル”の復唱よりも実践している言葉がある。
それは“ありがとう!”である。
ある人にそれを伝えたら、「ありがとうよりも“お蔭様”が重要だ」と言った。
しかし、お蔭様という言葉は「蔭の力」、つまり先祖や自分を支えてくれる周りの人々に対して感謝を
表す言葉で、中国の「謝謝」に当たる。
「ありがとう」とは少し意味合いが違う。
「ありがとう」の原語は「有り難き」で、意味は「稀な現象が起きた」…ということである。
現象とは宇宙の法則のことである。
よって感謝する対象は人ではない(「Thank you」も人が対象だ)。
つまり、「希望の法則」とセットなのだ。
この“ありがとう”と“希望”という言葉には、“ツイテル”と“おかげさまで”よりも、もっと大きな力と即効力
があると思う。
例えばこんなことがあった。
会社の近くにいつも行くコンビニがある。そこのアルバイト店
員は、いつ行ってもやや無愛想な感じの女性であった。
私はどこでも、いつもお金を渡すとき、そしてお釣りを貰うた
びに、“ありがとう”と 2 回言うことが習慣になっていた。
お金を戴く方が“ありがとうございました”というのは当たり前
だが、お金を支払う側が“ありがとう”と言って渡し、お釣りも
“ありがとう”と言って受け取るのだ。(※実はもう一回“ありがとう”と言うのだが、それは後述することに
する)
ある日、弁当を買いに行った。
いつものようにレジに差し出すと、いつもの彼女は『ちょっとお待ち下さい』と言うや否や、お弁当コー
ナーに戻り、別な同じ種類の弁当と交換した。
私が「どうしたんですか?」と聞くと、『いえ、こちらの方が出来たてですから…』と答えた。
一日に数回配送されるのだから、古くても数時間の差でしかないと思うのだが、彼女は私に少しでも
新鮮なものを食べて欲しかったらしい。
12
決して私は誰が見ても男前とは言えない(笑)。
親子ほどの差もあるし。
些細なことではあったが、私はその日とてもいい気分で仕事ができた。
これが“ありがとう”の効果かどうかは別にしても、これに似たようなことが、私には普通の人と比べて
非常に多い。
金運を呼び込む 3 つ目の“ありがとう”
コンビニでお金を渡すとき、お釣りを貰うときに私はいつも“ありがとう”と言うことが習慣になっている
が、実はもうひとつ“ありがとう”と心の中でつぶやきながらあることを実践している。
コンビニのレジの前には、ほとんどあるもの(小箱)が置いてある。そう、ユニセ
フとか災害募金とか小銭がつまっている募金箱である。
私は受け取ったお釣り(10 円玉以下)は、全てこの募金箱に入れることにして
いる。
“ありがとう”と心の中でつぶやきながら。
何に対しての感謝かって?
勿論、自分が寄付させて頂けることに対してである。
『世界がもし 100 人の村だったら』という本がある。
健康、経済、環境、教育、社会情勢、その他あらゆる面から比べても、自分はとても恵まれた状態で
今この地球に存在していることが実感できる本である。
1 回の寄付がたったの1円の時もあるが、でもその1円でどこかの国の子供の命が救えるかもしれな
いのだ。
神は人間一人の髪の毛の数まで把握しているといわれる。
であるならば、この1円の重さも、誰がどんな思いで寄付したものかも知っているはずである。
“ありがとう”という思いで寄付する人は、100 人中いったい何人いるだろうか。
お釈迦様が説いた『貧者の一灯』の中に、お金持ちの持っている 100 万円よりも、明日食べることす
ら不安な人の1円の喜捨の方を神仏は喜び、数倍の価値があると教えていた。
それは、決して金額の多寡ではなく、それを行う人の心を神仏は計っていると私は確信している(よっ
て私の作ったCDドラマ「ふるさと」は1円からの賛助金で受け付けている…別紙「希望の法則」注文書
参照)。
実際に、世界の億万長者といわれるほとんどの方が自分の名前を伏して、恵まれない人たちに寄付
行為を行っていたことをご存知だろうか。
彼らは大金持ちになったから寄付をしているのではない。
貧しく、苦労している時から続けていた行為なのである。
そうした思いであったからこそ、運が神から与えられ、お金が向こうからやってくるような大富豪になれ
たような気がする。
お金は天下の回りもの?
ある経済学者が言った。
「経済はお金が循環することで活性化する。よって、お金を貯めないでどんどん消費しなければお金
は自分のところには廻ってこない…」と。
13
確かに経済全般からすればその通りだろう。
水も雨から川になり、海に流れ、蒸発し、雲になり、そして雨となる。
地上に降りそそぐ雨によって植物は成長し、酸素を供給したり、
動物の食料となり、人間もその中で生きて行ける。
地球上の全ての生命肉体は死ねば水分は蒸発し、また雲にな
って新鮮な雨が降り注ぐ。
その雨で、私たちは喉を潤し、食物から栄養を摂取できる(イエ
スが最後の晩餐で言った「私の血と肉」はこの永遠の循環の意味
が含まれている)。
このように、大自然の全ては循環の法則によって成り立ってい
る。
しかし、お金は貯めないでどんどん使えば、本当に自分にまた
戻ってくるのだろうか?
その補償は?…ない。
生きたお金として使った場合のみ、確かにお金は循環し、大きな流れとなって自分のところにまた戻
ってくるだろう。
しかし、ただ単純に消費すればいいということではないのだ。
お金の重さ、大切さ、人の命さえ救うものになることを知らずに使うことを“浪費”と言う。
お金の気持ちになってみれば分かることだ。
無造作にポケットにしまいこみ、一体いくらあるかも知らず、どんな絵柄かも見ようともせず、入ったら
すぐに手放すこと(浪費)ばかり考えている人を好きになるだろうか?
果たして自分を大事に使ってくれない主人のところに、友達を大勢引き連れてまた戻ってきたいと思
うだろうか?
私は、いろんな人の手に渡り、酷使され、ぼろぼろになった汚いお札ほど愛おしくなる。
「今まで大変だったね。しばらく僕のところで休んでていいよ」と声をかけたくなる。
そしてしばらく休息させた後に、なるべく生きたお金として使うように心掛ける。
だからおのずと、“ありがとう”という言葉が出るのだと思う。
ボロボロのお札に対して。
「また疲れたら僕のところに戻ってきなさい」と…(笑)。
(13)成功は、“本当の自分”を知らなければつかめない
成功とは幸・不幸と同じで相対的(他との比較)なものとして考える人は多い。
「あの人より私のほうが成功している」といった比較による成功感とか、「あの会社よりも収入が多い」と
いった量的尺度や物質的尺度で判断している。
更に、どこからどこまでが成功で、どこからどこまでが失敗者だ…というラインはない。
成功を求める人たちは、みな、何らかのイメージや目標や夢を、漠然としたものや明確さを問わず持
っているはずだ。
「1 億円あったら成功者だ」「ベンツに乗って豪邸に住んだら成功者だ」「会社が株式上場したら成功
者だ」…。
では、マザー・テレサはどうか?
14
彼女は生涯を通してお金も豪邸もベンツも持っていないから、失敗者にあたるだろうか?
天才画家ゴッホはどうだろう?
苦悩にまみれた人生を送った後、彼の絵画が売れ
て名声を博したのは死んだ後である。
このように成功の尺度や定義は人によって様々だ。
しかし成功の定義は人それぞれ違っていても、何ら
かのイメージなり希望なり目標は誰しも必ず持ってい
るはずだ。
確かに、現在の自分と成功を実現した未来の自分
の間にはギャップがある。
そのギャップを埋める要因を考えてみよう。
ひょっとして、自分を成功させない何らかの阻害要因があるのかも知れない。
行動、努力、才能、人脈、時間、性格、法律、社会、家庭、環境…このように自己を第三者のように調
査することを「内省」と言う。
何が自分に不足していて、何が自分の未来を縛っているのかを調べてみるのだ。
不足しているものを補うのは意外と簡単だ。
しかし、自分の手足を拘束されて縛られている場合は困難を伴う。
なぜ困難なのかというと、ほとんどが「人のせい」と「あきらめ」になってしまっているからだ。
だからいつもそこで止まってしまう。
身体に鎖ががんじがらめの状態で巻き付いており、歩くときにはまるで、ガチャガチャ音を立ててるよ
うな不自由さを感じるだろう。
人間はもっともっと自由に作られたはずなのに。
しかし内省も突き進めていくと、誰もが最終的に気付くことがある。
「現在の自分を縛っているのは、社会でも会社でも教育でも常識でも家庭でもない」ということを。
外界の誰のせいでもなく、「自分自身」が自分を縛っているのである。
がんじがらめになった呪縛を解くのには、本当の自分を知り、解く勇気と決心が要る。
人によっては食い込んだ鎖を剥ぎ取るには痛みが走るときもある。
肉の一部、骨の髄まで鎖が食い込んでいる場合もあるからだ。
しかし、この鎖を縛りつけたのは誰か?
「自分自身」である。
現在の自分を作り上げたのは誰か。
これも明らかに、「自分」という存在なのである。
自分が自ら選択した人生の結果が現在の自分なのである。
このまま何もしなければ、未来も何も変わらず「このまま」である。
それに気付いてから、初めて成功に向かって本当の第 1 ステップが始まるのだ。
詳細に関しては私の講演会「希望の法則」で話して行きたい(別紙「希望の法則」参照)。
(14)自己を見つめる…欲と願望の違いとは?
自分を知らずに、われ先にと自分に無い物を求めてばかりいることを「欲」という(=偽我)。
自分を知って、自他に必要なものを求めることを「願望」という(=利自即利他)。
15
願望は全ての条件がそろえば誰でも実現するが、欲はなかなか実現しないものだ。
万一、欲が実現したとしても、後でその反作用、大失敗が必ず来ることになっている。
これも一つの法則だ。
ちなみに「希望」とは、自分を知り、大宇宙や大自然、そして他との調和を図りながら限りなく進化・発
展していく過程をいう(=真我)。
希望については私の講演会で話すとして、では、願望と欲の見分け方はどのようにしたら良いのだろ
うか。
願望には反作用がない。
あるのは「実現」だけである。
そしてより鮮明なイメージ、ビジョン、目標、計画が生まれてくるものだ。
前述した「思念動画」が容易にできてしまう。
心に引っかかりがない。
子供のように素直にイメージできる。
勿論、罪悪感や不安、恐れなどは存在しない。
達成したら和やかな顔も浮かぶ。
「何が何でも!」といった力みもあせりも生じない。
そういう状態になれたときには、「自己否定」の思いや「自分にはできない」といった自己卑下が少な
く、すんなりと行動に移せる場合が多い。
よって怠りなく継続も努力も工夫もできるし、実現の可能性も高くなってくる。
欲は勿論、これらの逆である。
欲は、思い浮かべただけで目つきが上がり、脂ぎった顔つきになり、不適な笑みになるだろう(笑)。
ネットワーク販売で、よく自分の通帳のコピーをこっそり見せて自慢する人がいるが、そういった方た
ち特有の顔つきである(注:ネットワーク販売が悪いというわけではない)。
また、自分の思い描くその内容を、第三者に堂々と公表できないことが欲でもある。
(15)セールス、ビジネスの究極の極意
「経済」とは「経世済民」…つまり、人々の喜びを広く循環させるもので、その中でお金儲けは決して
汚いものではなく、罪でも悪でもない。
中には潜在的に、「お金は汚いもの…」と考えている人がいるが、そう考えている人のところにお金が
寄ってくることはない。
自分のことを「汚らわしい、罪だ」という人のところにわざわ
ざ寄って行こうとするだろうか?
それと同じでお金も人を選ぶのだ。
インスピレーションによれば、自分ではそう思っていなくて
も、お金を「汚いもの」または「罪なもの」と思っている人の共
通点があるそうだ。
① 家計簿を付けていない。
② 現在、財布に入っている合計金額を知らない。
③ 通帳の合計金額を知らない。
④ 長財布を持っていない(お札を折る財布は×)。
16
⑤ お札の肖像画が誰なのか、すぐに名前が浮かんで出てこない。
⑥ お札の裏のデザインの記憶がない。
⑦ 財布に10万円以上入っていると不安な気持ちになる。
⑧ 古いお札、コインほど優先して使う。
⑨ お金が減るとホッとする。
⑩ 100円ショップで、いつも余計なものを買ってしまう(笑)。
ざっとこんなものだ。
5つ以上当てはまっている人は、知らず知らずにお金を嫌っているそうだ(実は私も7つ当てはまって
いた…笑)。
だからお金は寄ってこないし、すぐに家出(浪費)する。
これも一つの法則なのである。
信じ合う者同士と書いて「儲」と書く。
巷で言う「信者」とは意味合いが違う。
販売する者と購入する者同士がお互い信頼し合って始めてビジネスは成立するのだ。
「お金は好きだが、お客と会うのは嫌い」という人がいる。
これも同じで、お客を嫌いな人のところにはお客は寄ってこない。
いくら表面的に「ありがとうございます」とか、「またどうぞお越しください」と頭を下げても、相手の心に
は全く伝わらない。
そこには「信頼」がないからだ。
信頼とは、「相手を好きになる」ことから始まる。
相手を好きになって始めて信頼は生まれ、その発する言葉も態度も生きてくる。
お客の一人ひとりを好きにならなくて、絶対にお金が儲かるわけがない。
セールステクニックはたくさんあるが、それらは単なる小手先の話術でしかない。
余談:セールス撃退法?
どこも同じだとは思うが、当社JESには「社長」宛に営業の電話が頻繁に掛かってくる。
明らかにそれと分かる電話は社員が丁重にお断りしているが、中には私の知人を装い、個人名で掛
かってきた場合には、さすがに防ぎようがない。
電話に出ると、必死に商品を売り込もうと、しつこく私を説得する様が伺える。
私も社会人である以上、物売りの一人だ。
だから相手の立場も事情も良く理解できる。
よって、相手の勧めるがまま、全ての商品を買うことにしている。
『本当ですか!ありがとうございます!』と、必ずどこの営業マンでも喜んでくれる。
但し、一つだけ条件を付ける。
「1年後の今日のこの時間、もう一度あなたが電話を掛けてくれますか?その時に契約しましょう。そ
の代わり、その時以外の日には絶対に電話を掛けて来てはいけません。同じ会社の社員から掛かって
きても約束違反です。それさえ守ってくれれば、当日、その代金を用意しておきます」と。
今までどれくらいの営業マンにこれと同じことを言っただろうか。
全て買っていれば、少なくとも1億円以上の買い物になるだろう。
しかし、1年後に掛けてきた人は今までに一人もいない(笑)。
17
約束でもあるし、1年後の確実な客なのだから、むざむざ私のリストを他の営業マンの手に回されるこ
ともない。
セールスの電話をにべも無く、「お断りします!」「ガチャン!」と切ることは簡
単だ。でもこれは少なくとも相手の心を傷付け、お互い決して良い気分がしな
い。
すると相手に多少の怨みが生じ、私は罪を作ることになる。
罪を作れば反作用で運がなくなる。
しかし「1年後…」の方法であれば、ジョークとして捉えてもらえる部分が半分、
同時に、相手に期待と希望を与える方法にもなり、決して罪を作ることにはなら
ない。本当に1年後に掛かってきた場合は買うつもりだから。
しかし、1年後の手帳に付けているが、今までに一人も現れないことがとても残念だ(笑)。
過去、多くの営業マンの中でたった 2 人から葉書きを頂いたことがある。
1人は印刷された「退職のお知らせ」。1人は「約束を守れずにすいませんでした…」と小さく隅に書
いてあった。
話を元に戻そう。
常識的な儀式(挨拶・名刺の出し方・お辞儀の仕方など)やマナー(身だしなみ・相手優先の行為)さ
え身に付けていれば、小手先の話術などは必要ない。
口下手であろうが全く関係ないのだ。
要は、「お客を好きになれるかどうか」にビジネスの全てがかかっている。
自分に好意を持ってくれている人に人は寄ってくる。
人間が嫌いで自分が嫌いな人にも、お客は寄ってこない。
そういう波動を周囲に振り撒いているからだ。
お客が寄ってこないということは、お金が寄ってくることも儲かることもない。
このように、法則とは実にシンプルなものである。
「セールスマン」、「営業職」は、皆が一番やりたくない職種だと言う。
しかし世の中で、お客と一切会わない仕事などあるのだろうか?
プログラマー、技術屋さん、研究室に閉じこもる職業の方々であったとしても、少なからずお客と接す
る機会があるはずだ。
お客とは、自分の生活を支えてくれる方である。
直接消費者と接する職種でない方も、上司なり社長を通してお客と接している。
だとすれば、上司や社長が自分にとって「間接的なお客」と言うことになる。
お客である上司や社長を嫌いだったり、悪口を言ったりすれば、当然相手も嫌う。
そうなれば自分の出世にも響くし収入も増えない。
当然の理だ。
一杯呑み屋で上司への愚痴や悪口を得々と言う人がいる。
そういう時だけ、どんなに口下手な人も雄弁になる(笑)。
法則により、悪口で終始した場合に限り、それは天につばを吐く愚かな行為となる。
いずれ天に吐いたつばは自分に返ってくる。
よって、成功は絶対にない。
18
時には上司の態度や言動、理不尽な命令に頭が来ることもあると思う。
その時は徹底的に悪口を言っても良い。
少なくとも憂さ晴らし、ストレス解消になる。
毒をアースを通して流す行為でもある。
しかし、一つだけ条件がある。
決して悪口だけで終始してはいけない。
今後、どのようにその上司と接していったらよいか、上司との関係
が改善する方法がないか、もし上司の側に非があるならば、その非を気分良く改めてもらう方法はない
か、上司にも何らかの立場や事情があったのではないか、自分に全く非はなかったのか…を飲み相手
や第三者からアドバイスをもらったり意見を求めたりすることだ。
これで、悪口は悪口にはならず、愚痴にもならず、良き方向に発展していく。
セールスやビジネスの究極の極意は、「自分自身の本質を踏まえ、相手を理解し、相手を好きになる
こと」にあるのだ。
(16)
「希望の炎」と「希望石」が、願望や希望を実現させる強力な道具になる!
私が朝晩実行している一つの「儀式」がある。
儀式というと何やら怪しげなイメージを持つ方もいるとは思うが、人間はさまざまな儀式を儀式と思わ
ず毎日行なっている。
「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「いただきます」「ごちそうさま」…といった日常の挨
拶から始まり、謝るときやお礼を言うときに頭を下げる、励ましたいとき
や誉めたいときに拍手をする。
他にも、お宮参り、内祝い、成人式、結婚式、結納、婚約指輪、葬式、
入学式、卒業式、入社式、退職届、送別会、葬式、地鎮祭、お歳暮、
お中元、年賀状、お年玉、還暦、米寿、お彼岸、暑中見舞い、寒中見
舞い、引越しの挨拶…冠婚葬祭、礼儀やマナー、家訓、社訓、しきた
りも全ては儀式である。
実に多くの儀式に囲まれて私たちは人生を送っている。
儀式のほとんどは、「他者との関係」や「人生の節目」を主眼にしており、スムーズな人間関係を形成
するのに重要な意味と働きを持っている。
しかしこれらのほとんどは「人のため」または「人との関係」によるもので、「自分のため」に行なう儀式
は極端に少ない。
せいぜい日記やブログを書くか、神社で初参りするくらいなものだろう。
願望達成のためには、まず「自分を知る」ことが大事であることは何度も述べた。
本当の自分を知らなければ、「思念動画」の後にくる「否」を打ち消すことはできない。
よって思いや願望は実現しない。
ましてや、長時間座禅を組み、滝に打たれても、ほとんどの人は肉体的苦痛のみで、本当の自分を
知るどころか何も見えてこない。
「自分のために行い、誰でも容易にでき、更には願望達成の大きな要となる」方法がある。
万人に通用する成功法則の儀式「5色のローソク」と「遠赤セラミック」である。
19
(17)悩みは解決し、願望は必ず成就する!
「5色のローソク:希望の炎」と「遠赤セラミック:希望石」については、既にカラーカタログである「JES
健康通信」の15P と8P にも掲載しており、また先日の私の講演会「希望の法則」でも少し触れさせてい
ただいた。
その後毎日実行されている方の中で、通常では信
じられないほどの奇跡も報告されている。
方法はいたって簡単だ。
毎朝でも毎晩でも良いが、5色のローソクに火を灯
し、ただ黙ってその前にいるだけでいい。
ローソクの火が消えるまで、およそ20~30分ほど
かかる。
「遠赤セラミック:希望石」は、1個の場合は中心の
黄色の蜀台の下に置く。
5個お持ちの場合は、全ての蜀台の下に置いて欲しい。
偶然はないと言うが、専用の蜀台の底にぴったりはまるはずである。
「希望石」は地球からの、慈悲と愛の贈り物なのだ。
そうすることによって、きっと強力な調和とパワーを与えてくれ
るだろう。
ただしこの儀式を始めたら、最低21日間以上は続けて欲し
い。
1回でも休んだ場合は、またその日から21日間続けていただ
きたい。
この21日間の理由は「希望の法則」でも述べている。
朝でも夜でも構わないが、電気は消して行なったほうが良いだろう。
するとある日、必ずといって良いほど何らかの現象が起きてくる(時期は人によって違う)。
やってみれば分かるが、ただ炎の前にいるだけで、妙なリラックス感が漂う。
病気、経済、人間関係などいろんな問題を抱えた人、願望を実現したい人などに最適の道具になる
だろう。
「答えは全て内にある」と私が何度もしつこく話しても、実際に皆さんが体験しなければ意味がない。
続けていくと、何らかのアイディア、ヒント、インスピレーションも湧いてくるようになる。
この儀式を行なうについては、「宗教っぽい」と笑われる方もいるかも知れないが、どれだけすごいも
のであるかは、行なってみれば誰もが実感できるはずだ。
儀式は科学では説明できない。
言葉でその意味を、そしてその意義を説明することも難しい。
「これが成功法則や願望実現の要だ」と言っても、心や潜在意識の根底部分は、頭の中の脳細胞で
考えることではないからだ。
巷の成功法則の書物やセミナーによる言葉や科学、理論によって、今まで誰か一人でも成功した人
がいただろうか。
真の成功法則や願望実現は、それぞれの個性・特性に合ったそれぞれの基準があり、一定の法則
によって実現するのだ。
20
画一的な理論や哲学では成功もしないし、願望も実現しない。
ただ「やるかやらないか」だけの、頭を超えた世界があるのだ。
この儀式を行なうにおいて、自分にとってリスクとなるものはあるだろうか。
多少のお金はかかるが、それ以上の効果が期待できるはずだ。
少なくとも、何十万円も払う成功プログラムやセミナーと比べれば、格段に安い。
「本当の自分」を知るには、理論や理屈を越えた中にある。
言葉ではない。
第六感や本能、光、本質(イデア)といっても良い。
自分の心にへばりついたスモッグ、怒りや恐れや不安などの絡み合っ
た鎖や呪縛が、ローソクの炎によって溶け初め、本来持って生まれた自
由な心、全てのものから開放された心で、一条の希望の光が差し込んで
くるだろう。
まるで雲に亀裂が入り、広大な海原(あなたの可能性)に朝日が差す
ようなものである。
そして、「答えは全て内に存在する」ことを、どなたも確信できることを
期待している。
(18)5色のローソク「希望の炎」同封資料
次に、5色のローソク「希望の炎」の同封資料を掲載した。
参考までにお読みいただけたら幸いである(カラーカタログP15も参照)。
【希望の炎】
この5色のローソク「希望の炎」は毎晩、または毎朝上げることで、いつの間にか不調和なものが燃え
尽きてしまい、心の中に余裕も生まれ、自然とご自分の心が調和されてしまい、全てが良い方向に向
かっていくというものです。
心に余裕がない時、またはご自分の心を見つめなおしたい時に最適です。
また、第3の意思である法則に則った希望を叶えるのにも有効に働きます。
人生における助け舟、もしくは苦しい状態の時に浮き輪が投げ込まれるようなものです。
【並べ方と火の付け方】
5本の場合は、向かって左から次のように、専用の蜀台
に立てながら並べます。
緑 赤 黄 白 紫
火をつける順番も左(緑)から行ないます。
勿論、1回に1本ずつ、順番に上げる方法もあります。
【色の意味】
緑・・・叡智創出
自らの内在する叡智を引き出し、様々なインスピレーションや問題を解決する糸口を見つけ出す力
があります。学術増進、交通安全、身体健全の意味もあります。
21
赤・・・金運増大
商売繁盛や昇進、金融順行、借金返済、契約成功などの意味を持ち、特に金運を呼び込む力を発
揮させてくれます。
黄・・・大宇宙からの恵み
私たちは大宇宙の一部です。大宇宙との波動が合わなくなると、様々な災難や病気、トラブルに巻き
込まれます。意識と身体を取り巻くスモッグを取り除き、大宇宙からの恵みを受けやすくさせてくれます。
火難防止、五穀豊穣、病気平癒の意味もあります。
白・・・人間関係調和
家庭内の不和、職場でのいざこざ、友人や仕事でのもめごとは神経をすり減らし、対人恐怖症や赤
面症、自信喪失を招きます。そういった人間関係を調和し、また家内安全の意味もあります。
紫・・・自己実現
本来の自分の使命に目覚め、やるべき活動や行動ができるようになります。また能力開発や、心に
思う希望や夢や願いを成就させる働きもあります。
【上げ方】
なるべく5色同時に上げるようにして、専用の金色蜀台を5個並べて使うことが理想です(勿論、毎日
1本ずつでも構いません)。
そして、朝でも夜でも構いません。
5色のローソクから上がる炎の前にいるだけで、また、炎をただ見つめているだけで、自分の心の中
の雑念や固定観念などがローソクの炎と共に溶けていくのが分かります。
夜に上げるのであれば、今日一日を反省し、様々な執着や他からの邪念を焼き尽くすのに最適で、
明日への希望に繋がっていきます。朝に上げるのであれば、昨日までの良くない波動や邪念を焼き尽
くし、希望と喜びに満ちた一日を送れるようになります。
心の中が平和と安らぎ、そして愛と調和に満たされ、大宇宙意識からのパワーや波動を受けやすく
なり、もっとも自然体で、本来の自分を発見することもできるようになります。
別売りの「希望石(カラーカタログP8)」を「金色蜀台(カラーカタログP15)」の底にはめると更なるパ
ワーを発揮します。
希望石1個の場合は中心の黄色の底に、5個ある場合は全ての蜀台にはめてお使いください。
【上げる場所】
神棚、仏壇、そしてご自分の部屋など、もっとも自分の心が落ち着く場所で行なってみてください。
自分の進むべき道、方向性が分からなくなった時、また判断に迷った時、怒りや焦り、イライラが起き
た時などには、なるべく早く気持ちを落ち着かせ、切り替えることがとても大切です。
そんな時、わずか1日20分から30分、ただローソクの前にいるだけで、心がいつの間にか調和され、
正しい判断と方向性、そして良きインスピレーションが湧くようになります。
万一、波動の悪い部屋があったら、その部屋にもローソクを上げてみてください。
嫌な臭いがこもりがちなトイレでも構いません。
臭気の漂う場所、異様な臭い、悪臭がある場所は、一様に波動の悪い場所です。
そういった場所にローソクを上げることで、邪気を払います。
燃え尽きるまで20分から30分ほどかかりますが、最後まで立ち会う必要はありません。
但し、火の元だけは充分注意を払ってください。
22
【希望の炎による判断(5色同時に上げる場合)】
ローソクの炎の燃え方によって、宇宙からの様々な通信を受け取ることもできます。
黄色は「大宇宙からの恵み」ですから、健康とも深く関わっています。
ですから病気の人は5本同時に上げてみて、この5本の中でも、黄色の炎を中心に眺めるか、次に
述べている願を掛けるようにしてください。
5本の中の内、極端に早めに燃え尽きる、もしくは極端に長く燃え続けるローソクの色が、それだけフ
ル稼働して働いている証拠です。
病気の人は一般的に、黄色のローソクが5分以上早く燃え尽きたり、極端に長く燃え残ったりするの
ですが、中には他の色が極端に早く燃え尽きたり残っていたりしてしまう場合があります。
それは、病気の原因を指している場合が多いのです。
例えば、白のローソクが極端に早く燃え尽きるか、極端に長く燃え続けていたとしましょう。
その場合は、人間関係において何らかの原因が元になって病気になっているというわけです。
であれば、人間関係を調和すれば病気が消えていく・・・と判断します。
つまり、5本のローソク全てがほぼ平等に燃え尽きる状態、大体の時間の誤差がなくなっていくように
なれば、現在とても全体が調和されてきているということになり、希望の実現に向けて着実に進んでい
るということになります。
何らかの弊害があったり、自分に問題があったりすると、ローソクの炎
が消えるまでの時間がバラバラになり、極端に長く燃え残る色があったり、
極端に早く燃え尽きてしまう色があったりします。
ありがとうございます
これもちゃんと意味があって、あなたの魂への宇宙からの通信なので
開始日 2007 年 1 月 1 日
す。
希望成就
五
四
三
二
一
痩せますように
良きアイディアが浮かびますように
仕事の契約がたくさん取れますように
五十肩が治りますように
娘が良い縁談に恵まれますように
希望成就
一
平成十九年一月一日
ありがとうございます
金運が増大しますように
23
開始日
【願掛けの方法】
このローソクを使って、願掛けすること
もできます。
ご自分の願いや希望を書いた紙を壁
か盾を用意して貼り付け、その前で5色
のローソクを上げてください。
紙の種類、筆やペンの種類は問いま
せん。
但し、願いは最大5つ以内にしてくだ
さい(右記を参照)。
複数の願いの場合は、頭には「希望
成就」「ありがとうございます」と横書きに
書き、願の内容は右から一、二、三・・・と
いう具合で記入します。
願掛けを開始する日付けも記入してください(西暦でも元号でも構いません)。
願いが一つの場合も、「希望成就」「ありがとうございます」と縦書きに書き、願掛けの内容は「一」と記
入します。
2から4つの願いの場合は、どちらのパターンでも構いません。
但し、途中で願の内容を修正したい場合は、必ず新しい紙に書き換えてください。
【21日間祈願】
この願掛けを行なう場合のみ、全部のローソクが消えるまでその場を離れてはいけません。
燃え尽きるまで20~30分ほどかかります。
目をつぶっていてもいいし、願の内容をひたすら読み上げてもいいし、達成したイメージを浮かべて
いても構いません。
また、ローソクの炎をただ漠然と眺めているだけでも構いません。
そして、「希望石」を蜀台の下に置くと、更にパワーアップします。
これを21日間継続することで、何らかの結果、あるいは回答なりヒントなり
が浮かぶようになります。
一日1回より、朝夜の一日2回行なった方が、より早く実現する可能性が
あります。
そして1本ずつ毎回色を変えて順番に行なうより、5本同時に上げたほう
が強力なものとなります。
21日間継続することに意味がありますので、途中で1日(1回)でも休ん
だ場合は、また振り出しの1日目から始めてください。
1本ずつ順番で行なう場合は、「今日は何色のローソクを上げるのか?」を必ず分かるようにしておい
てください。
そのためにも、5色同時のほうが間違いも少ないと思います。
また、途中で願の内容を変えた時、そして、上げ方を変えた時も振り出しに戻ります。
つまり 21 日間の間で、「なぜか違和感を感じる願がある」…と思った場合は、素直に書き換えてくださ
い。それは「虚偽の希望」を書いてしまったことになるからです。
「虚偽の希望」は絶対に叶わない希望になります。
ですからそれを省き、もしくは別な意味合いの願に書き直す必要があります。
このように願の内容を換える場合は、また新しい紙に書き換えて、新たに21日間継続します。
その内、本当の希望(第三の意思である法則に則った希望)が書けるようになり、実現の可能性が高
くなります。
願が一つでも達成した場合は、プラス1日を行なえばその段階で終了します(7日目で達成した場合
は8日目)。そして、最後の1回は心からお礼をいうために上げます。
お礼を言う相手は、神様でも大宇宙でも特定の人物でも構いません。
一番感謝したい方を対象に選んでください。
そして紙には、「実現」または「成就」と赤字で記入し、大切に保管しておいてください。
儀式は様々なルールがあり正確に行なう必要がありますので、不明な点があればお尋ねください。
【自己に内在する神性との出会い】
これらの方法は、自らの魂に内在する神性と大宇宙に存在する“絶対的愛“の意識との交流方法で
す。また現在つらい状況にある方は、心の中に「間(ゆとり)」を持たせ、冷静な判断ができるようになり
ます。願はなるべく「いつまでに」とは期限を決めないでください(但し、試験や入試合格祈願、契約日
などの場合は、その日付けも記入します)。
最終的に、あなたにとってもっともふさわしく、与えられるべき時に与えられます。
「時は天に委ねる」気持ちで行なってください。
※色別のご注文はできませんので、5色ともバランス良く上げてください。
24
(24)別紙「希望の法則」とは?
前回、又は今回の別紙「希望の法則」チラシをご覧になっ
てお分かりになると思うが、「希望の法則」というと巷の成功
理論を思い浮かべる人が多いと思う。
しかし残念ながら、今までの成功法則とは全く違う内容で
ある。
少し宗教っぽい(笑)。
しかし宗教は「宇宙を示す教え」と書く。
宇宙も毎日拡大している。
つまり、今日より明日、明日より明後日と怠りなく、そして
限りなく進化発展を続けている。
成功とは一時的なものではなく、限りなく発展を続けるものだと思うからだ。
成功の究極の姿をこの宇宙に見ることができる。
ならば、宇宙の法則を知らなければ、その法則に従って生かされている私たちは翻弄する。
知らないことは罪になる。
知らないで病気になり、知らないで貧乏になり、知らないで
苦しみ、知らないで不幸のまま死んでしまったら、それは生き
る使命を怠った罪になるからだ。
例えば、引力を知らずに、愚かにも手の真上から刺身包丁
を落とすようなものだ。
ズブッと手に刺さって、「どうして?なぜ?私だけが?」と思
いながらも、後で痛い思いをするのは自分自身だからである。
この世の法律とは違って、宇宙には情状酌量という文字はないように思う。
しかし、慈悲や愛によって作られた法則はある。
「オレは毎日頑張っているのに、生活がまったく楽にならない」とか、「人に親切にしてあげたのに反
対に恨まれた」とか、「何も悪いことはしてないのに癌になってしまった」とか…、実はこれが“法則を知
らない人”ということになるのではないだろうか。
大宇宙は法則によって全てが成り立っている。
そこに住む私たちも法則に従って生きている。
反対に法則さえ知れば、全ては良くなって行かざるを得ない。
「お金持ちになる法則」「健康になる法則」「幸せになる法則」
「頭が良くなる法則」 「人に好かれる法則」…誰もができて、誰も
がその通りになる法則があるとしたら。
冒頭にも書いたように、巷の成功法則であれば私はいくらでも
話すことができる。
実際はイメージ法、ポジティブシンキング法、成功者の体験談、そして自分の性格では苦手な行動
を強いられ、また環境が違いすぎて、ほとんどが挫折するものばかりだ。
全てが無駄というわけではないが、実際には万人に使えないものが多過ぎる。
使えないもの、効果のないことを話したところで全く無意味である。
私は無茶なこともしないが、無意味なこともしたくない。
25
うまく表現できないが、私が講演でお話しすることは、本来全ての方がそれぞれ持っている答えを自
ら導き出して頂こうというものだ。
本や情報から学ぶような方法ではなく、自分の本質(イデア)から出た、本当にやりたいことが見つか
るヒント、もしくはきっかけ、使命を悟る方法といってもいい。
「こうやればいつまでに皆さん成功しますよ」といった具体的なものではなく、「具体的な行動や智恵
や工夫は自分の中から見つかりますよ」というものだ。
そのための問題意識、きっかけをお話しするだけなのかも知れない。
何度も言うように、成功には一辺答な答えや方法などな
い。
しかし、基本的に知らなければいけないことはある。
それを「希望の法則」でお話している。
私は、「目に見えない真実の価値を、目に見える形として
アラワス。これが今回の使命である」…とのインスピレーショ
ンを昨年の7月に頂いた。
そして放り投げられた毛糸(意図)玉の糸を、1本ずつほ
ぐす作業を始めたのである。
今回も長いレポートになってしまい申し訳ございません。
後半にも商品の案内を含めましたが、お薦めしている商品は本当に良いものばかりです。
是非ご検討ください。
つたない私の話ではありましたが、是非、今後の人生の参考にして頂けたら幸いです。
別紙「希望の法則」チラシもどうぞ併せてお読みください。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
(JES緊急レポート取材班総責:本井秀定)
26
Fly UP