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情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 ―インターネット接続端末機を扱う子どもたち― 久 保 千恵子 携帯電話からネット接続端末機へ進化したケータイは、ほとんどの高校生が持っている。ケータ イは情報も発信できる双方向のメディアであるが、そんなケータイとどのような付き合いをしてい るのか。また、学校の中で子どもの変化を敏感に感じている養護教諭はどのように見ているのかを 明らかにするため、高校生に話を聞いた。さらに、養護教諭へ質問紙調査を行った。その結果、高 校生にとってケータイは、肌身離さず持つものであり、友だちとの連絡、暇つぶし、親子の交流に生 かされていた。しかし、意識せずリスクに近づくこともあるので、保護者や学校はケータイに関心 を持ち指導していく必要がある。 キーワード:インターネット接続端末機、ケータイ、ネットいじめ、高校生、養護教諭 【はじめに】 1990 年代当初に、高校生のコミュニケーションツールとしてポケベルの大流行があった。その当 時、休み時間になると校内の公衆電話に生徒たちが並んでいるのをよく見かけたものである。高校 生たちは、 「0840(おはよう) 」 「724106(何してる?)」 「14106(愛してる)」 「3470(さようなら)」のよ うに、語呂合せで意味をつけた数字を送りあう「言葉遊び」の道具として使用し、新しいコミュニ ケーション文化ともいわれた。そして、1996 年には 1,078 万契約となりピークを迎えた。しかし、 ポケベルの流行は長く続かなかった。1996 ~ 1997 年にかけて音声通話とメッセージ機能を持つ携 帯電話と PHS が普及し始めると次第にポケベルは廃れ、いつのまにか公衆電話に群がる生徒はい なくなった。だが、その当時の携帯電話使用料は、高校生の小遣いで支払うのには高額であり自由 に使うのには限界があった。保健室では、 「今月、たくさん使ったから、親に自分で払いなさいと怒 られた。だから、バイト料で支払うしかない。今、金がない。」という話を生徒からしばしば聞かさ れた。バイトをしていない生徒たちは、親の許可する限度内の金額に収めるため、長電話をしない、 金額を確認し使わない時期をつくる、電話より安い料金設定のメールを使うなど工夫をしていた。 学校内では、授業中でも携帯電話をはなさない、業者から高額な使用料の請求された、生活の乱れ 東北大学大学院教育学研究科人間形成論研究コース博士課程後期 2 年 ― ― 25 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 から睡眠不足、遅刻、知らない人と安易につながるなどその影響は大きいと問題視されていた。け れども、今ほど携帯電話機能が進化していなかったためか、問題としながらも深刻に受けとめてい なかった傾向がある。 1999 年の年末、モバイル・インターネット端末である i モード型携帯電話が発売された。携帯電 話は、 インターネット端末機であるケータイに進化したのである。さらに、普及に拍車をかけたのは、 2003 年どれだけ使っても一定額となるパケット定額制が開始されたことにある。これは、携帯電話 使用料金で悩んでいた 10 代の若者にとって朗報であった。親子ともにインターネット端末機のリ スクを知らされる事もなく、安さと便利さからパケット定額制として契約したケータイはお買い得 なものとなったのである。さらに、パケット定額制は、パソコンで流行していたコンテンツをケー タイでも使用可能にした。ケータイのパソコン化である。このように営利企業は、もうけやすい 10 代の若者をターゲットにした大衆消費文化の中で、子どもとその親に疑いや考えさせる時間を与え ずに、ケータイを受け入れさせていったのである。 携帯電話の著しい普及は、コンパクトで持ち歩き可能で万能なインターネット端末機の普及でも あった。端末機は、ラジオやテレビ等の一対多の一方向な情報伝達ツールではなく、送受信者の両 方から情報発信ができる多対多そして双方向の伝達ツールでもある。無料に弱い 10 代の若者の特 徴を考慮して、コンテンツは無料が多い。だがその裏には、出会い系サイトや犯罪に結びつくよう な危険なサイトへリンクされている。これは、様々なコンテンツから情報を受信しケータイを使い こなすそんな 10 代の若者に、便利さと楽しみだけでなくコンテンツの指示どおりに無責任な情報を 発信させてしまう、そんなリスクを背負わせる道具ともなっている。従って、なにも知らない若者 たちは、業者の罠にはまり事件や心身を蝕む深刻な事態を招いている。近年、ネットやケータイに 関係した 10 代の若者たちの事件が頻発している。いくつかの代表的な事件を見てみる。 2004 年 6 月、長崎県佐世保市の小学 6 年生女児が、同級生をカッターで殺害する事件 1)が起きた。 事件の背景には、ネットでのやり取りがあったことが報道され、世の大人たちを驚愕させた。また、 学校関係者は、犯行が学校内の給食配膳時間に行われた事にも強い衝撃を受けた。さらに、ネット 上に書かれた文字を理解する上での誤解、そして過剰に反応し繰り返された嫌がらせ行為、つまり インターネットの持つ負の面を意識させた事件でもある。2006 年 6 月さいたま市の高校で男子生徒 が同級生から暴行を受けている画像が動画投稿サイトで公開されていた事件、2006 年秋ごろの同級 生のいじめシーンの動画や喫煙、飲酒をしている写真がインターネットに掲載されていた北海道立 白陵高校ネットいじめ事件、そして、2007 年 7 月兵庫県神戸市の私立高校 3 年生男子が校舎から飛 び降り自殺した事件が起きた。自殺生徒の遺書から、携帯電話のメールを使っての金銭強要のいじ めが明らかになった。学校での生徒への聞き取り調査では把握できなかったいじめが、警察の調査 による学校裏サイトへの書きこみや電子メールよって立件され、同級生の逮捕者が出た。これらの 事件は、学校裏サイトや掲示板そして投稿サイトへの無責任な誹謗中傷の書きこみ、さらに画像情 報を、いつでも誰でも 24 時間アクセス可能、無限にコピーが可能、そして消去できない数値化され たデジタル情報に転換させてしまったのである。被害者にとっては、周囲の限られた人間しか知ら ― ― 26 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) ない情報を載せたのは誰?という疑心暗鬼な気持ちと常時監視され、もう逃げられないという恐怖 感を同時に生じさせた。ケータイの普及は、いじめを陰湿化させ、被害にあった子どもに深い絶望 感をもたせる結果となった。さらに、 親や学校そして周囲の大人からもいじめを見えにくくさせた。 ケータイは、いじめを見えにくくさせただけではない。親の知らないところで、容易に危険人物 との接点を持つ場を提供した。2006 年 10 月長野県で小学 6 年生女児誘拐事件が起こった 17、18)。こ の事件は、公開捜査となり神奈川県小田原市で女児が保護されたことで、女児の言い分どおり誘拐 ではなくプチ家出事件となった。だが、問題は、女児が無職 31 歳の男性とケータイプリクラ遊びサ イトで知り合ったことである。さらに、失踪当日の朝、何も知らない父親が 31 歳の男性が待つ駅ま で女児を車で送り届けてしまったことである。親の知らないところで、子どもが簡単に危険な人物 とつながってしまう現状が今の社会である。2007 年 11 月青森県八戸市内のホテル内火災で女子高 校生が殺害され、同じ部屋に泊まっていた無職の 30 歳男性が殺人で逮捕された 17、18)。これも、万 能な端末機であるケータイが、無職の男性と女子高生をつなぎ、援助交際をしやすい場を提供して しまっている。下田博次 2)はケータイについて、「いつでもどこでも、時と場所を選ばず使う事が できる。一人で遊ぶのがおもしろくなければ、インターネット上のバーチャルな時空間でも、物理 的でリアルな時空間であっても、仲間を簡単に作ることができる。遊ぶためのお金がなければ、イ ンターネットで写真を売ったり、アフィリエイトしたりして小遣い稼ぎもできる。これまでの思春 期の少年少女ならば、 やろうと思ってもできないことができる。いや、考えもつかないことができる。 これまで、いけないといわれてきたことが何でもできる。史上最強のメディアなのである。」といっ ている。 このように、史上最強のメディアをあまりにも安易にそして無条件に子どもに与えてしまったの は、機械に苦手意識を持ち慣れ親しめないでいる親たちであった。けれども、企業は、リスクにつ いて注意を促し対策を積極的に親へ教えなかった。各携帯電話会社は、2003 年より「ケータイ向け フィルタリングサービス」 を無料で提供していた。だが、親の関心は、携帯電話使用料金であり有害 情報阻止には向かってなかった。親は、有害情報を簡単に見る事ができるなど分からなかったので ある。2006 年 11 月総務大臣がフィルタリング・サービス促進強化の要請をした事から携帯電話会 社は、契約時の親権者へのフィルタリング導入への意志確認、代理店などへの指導強化など実施す るようになった。2007 年春以降、 「お子さんのケータイにフィルタリング・サービスを使いません か?」と携帯電話会社からフィルタリングへの普及がはかられているが、親の意識はまだまだであ る。2007 年 12 月総務省は、未成年者に対して原則フィルタリングを適用するよう要請した。その 結果、携帯電話会社は、サービスの運用方針の変更を行っている。具体的には、未成年者が契約す る時は親権者の同意書の提出、ブラックリスト方式のウェブ利用制限を原則適用、利用者が未成年 者と分かった場合はフィルタリングを適用していくようである。以前のように、野放し状態ではな くなる。だが安心し過ぎてはいけない。フィルタリングは、決して万能ではない。インターネット の情報層には、安心なホワイト・ゾーンと有害なブラック・ゾーン、そして判断が難しいグレー・ゾー ンがある。グレー・ゾーンの中に問題になっている学校裏サイト、ブログ、プロフ等が入っている。 ― ― 27 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 フィルタリングでグレー・ゾーンまで見られなくするかどうかは、親子の中で話し合わなくてはな らないだろう 16、18)。だが、根本的な問題は、誰が有害情報としてブラックリストを作っているかで ある。フィルタリング・サービスでは、各顧客の希望にそってブラックリストを作っているわけで はない。顧客によっては、必要と思われるものでもブラックリストに分類されていればフィルタリ ングで利用できないのである。若者たちは、大人にはない感性で超情報化社会を生きようとしてい る。しかし、安易な一斉のフィルタリングは、国や営利企業の都合で管理された情報の中に閉じ込 めようとしているともいえる。事件が起こったから、危険だから、そして教育上良くないからとい う名目で進められる情報管理は、若者をどこへ導くのだろうか不安を感じる。コンテンツの中には フィルタリングをはずす方法も書きこまれているようである。利益を求める企業と情報管理を進め たい国との間で、フィルタリングするか外すかをめぐりいたちごっこをしている実態がある。 では、情報産業社会の中で生きている子どもの教育に携わっている文部科学省は、どのように考 えているのだろうか。文部科学省は、平成 20 年 7 月 25 日 3)に “ 児童生徒が利用する携帯電話等をめ ぐる問題への取組の徹底について(通知)” を出している。通知では、日頃よりの児童生徒の携帯 電話等の利用実態把握に努めること、児童生徒の発達段階を踏まえ、方針を明確化し指針を作成、 指導を徹底させる。特に、小中学校では、学校への携帯電話の持ち込みを原則禁止とする。ネット いじめについては、 配布予定の「対応マニュアル」 や「事例集」を活用し、更なる取組の徹底を進める。 情報モラル教育では、 学校全体で取り組むとともに、家庭との連携を図りつつ、指導を行う。最後に、 有害情報に関する啓発活動は、入学式時の保護者説明会など効果的な説明の機会を捉えて有害情報 の危険性や対応作についての啓発活動を行い、児童生徒が使用する携帯電話等においてフィルタリ ングが利用されるよう努めることとある。今後、教育委員会の指示で学校現場は、この問題に取り 組んで行く事となるだろう。だが、使用についてのルールも決めずにケータイを買い与えた親の責 任はどうなるのだろうか?学校及び教師への権威が揺らいでいる反面、基本的なしつけさえも学校 へ依頼してしまう、気に入らなければモンスターペアレントになってしまう、そんな風潮の中で、 親の責任を曖昧にしてしまうことが危惧される。今日の学校は説明責任が求められている。従って、 学校でできること、できないことそして親ができること、できないことを明確に説明し、ともに協 力して子どもたちの環境を健全化していくように図らなければならない 16、18)。 著者が勤務している公立学校の保健室では、昨年の夏以降、友だちの付き添い者の中で、暇つぶ しにケータイでプロフを見て楽しんでいる生徒が増えた。また、学校裏サイトに誹謗中傷を書きこ まれた生徒からの相談があった。ケータイメールのやり取りで悩みを抱え込んだ生徒からの相談も 増えたことなどケータイに関係したことや悩みで来室する生徒が増えたことがきっかけとなり、日 頃は、うまく学校に適応しているように見える生徒たちであるが、教師や親がいないところで悩み を抱え込んでいるのではないかと考えた。特に、興隆をきわめている情報産業社会の中で、情報モ ラルやそのリスクそして対処方法を教わるその前に、便利で万能なネット端末機であるケータイを 手にしまえる現状は、自立できていない子どもにとって影響が大きく、悩みを深刻化させてしまう 危険性をはらんでいる。さらに、今の子どもたちは少子化の中で、各家庭で大切に育てられている。 ― ― 28 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) 欲しいものがあれば与えられる生活とともに、親や周囲の大人の気持ちを先読みしいい子を演じな ければならない強迫観念をもっている。わがままで自己中心、そして他律的な規範を重んじる子ど もたちは、十分に自己を成長させることができず自己形成が未熟である。そんな子どもたちは、大 衆消費社会の中でメディアの扇動にのりやすく、 大勢の他者と同じ行動をとり安心する 15)。これが、 ネットいじめなどの行為や掲示板への誹謗中傷の書き込みを増加させ深刻化させていないだろう か。 本研究では、パソコンやケータイが普及し、インターネットを使いこなすなど情報産業社会の中 で生きる子どもたちが、どのような影響を受けつつ生活をしているのかを考えることとした。 研究については、 1 双方向のインターネットメディアであるケータイとどんな付き合いをしているのか。 2 デジタル社会の中で、情報の数値化を推進しているネット端末機のケータイは、子どもたちの 自己形成にどんな影響を及ぼしているのか。 3 学校現場の中で子どもたちの身体とこころを見ている養護教諭は、子どもたちの変化をどの ように見て感じているのか。 以上の 3 点について明らかにすることを目的とした。 【研究方法】 1.対象及び期間 ⑴高校生への調査 ア 座談会 埼玉県の県立高等学校 2 年生女子 3 名を対象として、放課後に集まってもらい、携帯電話及び 保健室について話し合いを実施した。話し合いについては、調査協力に同意をした上で録音を 行った。録音時間は 43 分 38 秒であった。調査終了後、テープお越しをした。座談会の時期は、 2008 年 1 月下旬に実施した。 ⑵養護教諭への調査 仙台市内の義務教育学校養護教諭と宮城県の県立高等学校養護教諭を対象とした。 調査期間は、2008 年 2 月 12 日から 2 月末日とした。調査方法は、仙台市教育委員会ホームペー ジの学校名簿から無作為抽出した 91 校、宮城県教育委員会のホームページの県立高等学校名簿 から無作為抽出した 39 校、合計 130 校へ調査の主旨を説明した依頼状と養護教諭への無記名自 記式質問紙を各学校長宛に送付した。回収は、同封の返信用封筒にて郵送法とした。 回収数は 43 通であった。回収率は 33.1%であった。このうち、2 通は欠損回答があったため、 分析対象から除くこととした。従って、有効回収率は 31.5%である。 回答された養護教諭の内訳は、表 1 のとおりである。 ― ― 29 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 表 1 回答された養護教諭の内訳(人数) 小学校 中学校 高校 計 20 歳代 1 2 3 5 30 歳代 6 6 3 8 40 歳代 1 3 6 15 50 歳代 3 3 4 13 計 15 10 16 41 2.調査項目 ⑴養護教諭への調査 調査をするにあたり、2007 年 12 月から 2008 年 1 月にかけて、自主研修会の養護教諭の方々と話し 合い、調査項目を基本的な執務を問う内容とする自由記述とした。 ア 属性 校種 性別 年齢 経験年数(現在の勤務校、養護教諭として) イ 質問 問 1 視診・問診・触診について 問 2 子どもから学んだこと、今の子どもの特徴について 問 3 子どもたちとの会話の中で教えられたこと、考えさせられたこと、感想 問 4 IT 機器(パソコンやケータイなど)は、子どもたちの人間形成にどんな影響を 及ぼしているか? 問 5 子どもの事前情報のとり扱いについて 本研究では、5 つの項目を尋ねる質問紙の中で、問 4 の質問回答された自由記述を対象とした。 【結 果】 1 女子高校生座談会 43 分 38 秒の座談会を録音し、テープ起こしをした。 座談会の内容は、ケータイ所持、ケータイ使用、メール、インターネット利用、携帯電話使用料金、 友人関係、保健室とのかかわり、の 7 つの項目に分類した。 以下は、分類ごとに会話の内容をまとめた。 ⑴ケータイ所持 ケータイは、ないと無理なものと感じるほど高校生の生活に密着したものである。その状況につ いて、 「肌身離さず」 、 「寝ているときも持っている」、「持ったまま寝ちゃったり」 「近くのコンビニ にも絶対持って行く」 「出かけるときなかったらイヤじゃない」 「手にないと不安になる。かばんじゃ ダメ」 「学校に来て、1 日ケータイを家に忘れたということあり得ない」 「使っている時が一番安心す る」 と言っていた。 ⑵ケータイ使用 気になって勉強に集中できないため、テスト前や入試前に親が取り上げる状況について、「親に ― ― 30 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) とられる」 「それって普通なんだけど」 「高校生になってから親がそこまでしないんだけれど」 「よく された。中学校の時」 「中学校の時にされた」という会話でわかった。特に、親の権限が尊重される 中学生時期は、親がケータイを預かるようである。大学入試 1 年前の今でも、ケータイを預かるこ とが親から言われていることも、 「親から最近言われる?」 「うん、その案はでているよ。もう、親 から。大安だから始めようって」 といった会話でわかった。 ケータイが気になってテスト勉強に集中できない状況では、アドレス変更をして友だちに変更の 連絡することでイライラした気持ちの転換をはかる。友達の集中心を惑わせ自分はちゃっかり勉強 をしてしまうなど、うまく利用している様子がわかった。 ⑶メール 会話では、 「今日も私、節約っていう字が分からなくなって、辞書で調べたの。本当に、何であん な簡単な基礎の字が書けなくなるのか。 」 「簡単なのが書けないよね」と言っていた。このように、絵 文字使用が多くなりがちなメールは、漢字が書けなくなると意識されていた。 メールは、長所として伝えづらいことが伝えられる、短所として文字の意味を誤解しやすい、こ のように長所短所の両面を併せ持っていることも意識されていた。 親子関係では、親のメールを見て夫婦仲の良い親に対して、思春期の子どもとして戸惑いちょっ と反発する姿が見えた。親子でのメールでは、 「わー、お母さんに負けたくないと言って 2 人で競争 してお父さんへメール送ったりして」 、 「親に怒られた後、ちょっと、今日は怒りすぎてごめんねっ てメールできたりすると何か口で言われると恥ずかしい、でもメールで読んだりすると一人でフ フって思えるから、そっちのほうがいいかなぁと思う。」と言っていた。メールをうまく利用して、 仲のよい親子関係を築いている様子がわかった。 友だちとのメール交換では、 「学校で会わない子とも、ケータイがあればメールするので友達の 輪が広がった」 と言っていた。友だちからのメールは、読んだらすぐ消してしまうのではなく、誕生 日メール、励ましメール、恋関係のメールで気に入ったもの、うれしいメールは保存をしておく。 また、友だちとの出会いや別れもメールが深く関係していた。別れは、ケータイの電話帳の記録を 消すことである。会話の中では、 「その人の存在を消すのと一緒で、電話帳消すときに、あー、これ で全部終わるんだなみたいな感じで、ピー消去という感じじゃない。」と言っていた。逆に、友だち になるきっかけは、ケータイのアドレスを聞くことである。聞いたアドレスへメールを送り、翌日 会ったときに明るく挨拶することが一連の流れとなっている。しかし、クラスメイトでも友だちで ない人は、アドレスを知らない。このように、ケータイのメールを通して、高校生の人間関係が形 成されていっている様子がわかった。 ⑷インターネット利用 ケータイの利用で、 「メールの返事を待っている間、ウェブを開いている。」 「ケータイいじってい ると、いつの間にか時間過ぎてて、寝れないみたいな」、「夜、無駄におきている。」、「暇つぶしにな る事がいっぱいあるよね。 」と言っていた。このように、ケータイの魅力は、暇つぶしであり、時間 が立つのを忘れさせてしまう万能な機械という点にある。 ― ― 31 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 今、いじめや事件の舞台となり問題視されている学校裏サイトでは、彼女たちの通学している学 校の裏サイトも存在しており、中傷の書き込みが多く一度中止された。しかし、すぐに新たな裏サ イトができた。プロフ・ブログ等の投稿サイトについては、「危ないとわかっていても、そこまで深 くならないと思っちゃう。 」 「テレビとか、たまにプロフの事を扱っていて、画像に普通に載せてい るって出されるとやばいと思うけど、実際自分たちがケータイをいじっていて飛び回っている時に 見ていても違和感ないよね。 」と言っていた。このように、自分の写真など載せることに違和感や抵 抗感はもっていないようである。しかし、立ち止まってリスクについて考えるとその危険性が見え てくるようである。 ⑸携帯電話使用料金 高校 2 年生の女子では、小学校高学年からで中学生にかけての時期に携帯電話を使い始めた。こ れは、2003 年のパケット定額制が開始される前後の微妙な時期であり、使用料金を気にしながらの ケータイ使用をした経験も持っている。使用料金が高額にならないための工夫として、アドレス変 更を紙に書いて渡す、月初めにメールをたくさん送るなどしていた。また、コンビニでカードを購 入するプリペイド・ケータイも使用していた。 パケット定額制になってからは、 「パケット代が、いくら使ってもここまで、どれだけ使ってもこ こまでという料金になってからは、本当に、全然気にしなくて使っちゃうようになって」と語ってい る。また、 「みんなブログとか使えるようになった。」というように、パソコンのコンテンツをケー タイで手軽に使用する現状が語られた。 ⑹友人関係 悩みがあるときの相談では、やはり友だちということである。その友だちについては、「自分が 悩んでいる立場だったとして、友だちに相談したらと考えると、もし相談とかされたら、うまいこ と言わないほうがよくないのかなぁと思うんだよね、あんまり」 「うまいこと言っても気休めってい うか、 なんなんだろうね、 そういう風にしか思えないから、きれいごと、所詮きれいごとじゃんと思っ ちゃうから、 言いたいことバシバシ言っちゃかもしれない。本当に仲の良い友達だったら」 「言って、 友だちの関係が崩れちゃうってと思ったら言えないけど、でも信頼が、信頼してれば結構言えたり するし、言ってもらっても、逆に、うれしいかな」と言っていた。苦言も言い合える信頼関係を持っ た友だち関係を求めていることがわかった。 ⑺保健室とのかかわり 保健室とのかかわりについては、 「ほんとにつながりない」 「ぜんぜんない」 「保健室って、用がな かったら、用がないと来ないよね」と言っていた。日頃から健康である生徒にとっては、「自分で決 断するんじゃない。体調が悪かったら帰る。 」 「大人です。」と言っていた。このように、体調が悪化 しても自分で決断することと受け止めていた。 悩みなどの相談ついては、 「保健室の先生には、言わない」 「保健室の先生には、絶対言わないな」 とあっさりと言われた。担任については、 「担任に一番言っても、何もしてくれなそうな気がする。」 「担任といっても SHR 出ているだけで、 普通の教科担任と変わんないもんね。」ということであった。 ― ― 32 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) では、養護教諭や担任をはじめとする教職員に相談しない理由として、「中学のとき保健室の先生 とか、1 年の時相談員さんで、2 年の時保健室の先生とかに話をしてたら、その先生を信じて話して いたつもりだったのに、全部担任とかに言って、すごく嫌だった。」 「相談員の人は、うちのクラスや 学校とか、何か相談のある人がいじめとかで相談したら、その担任とかそのクラスの人にさりげな く聞くんじゃん、全部ばれているらしかった。 」と言っていた。生徒は、秘密が守られると思い信頼 し話したことが他の教員にも伝わっていたという現実を体験を通し、教職員への不信感を持ってい るのであろう。また、 相談室は、 「誰でも気軽に立ち寄れるよね」 「行けたけど、相談はできないでしょ う。 」 「相談できない。誰もいない時に入って行ったら、すごくみんな見てたもの。廊下とか」と言っ ていた。相談室は、気軽に立ち寄れる場ではあるが、みんなが注視している場でもあり、相談でき ない場になっていた。 保健室にいる養護教諭について、 「保健室の先生は毎日いるから」 「保健室の先生の手が好きなん だけど、あったかくてね。 」 「いろいろ知識があるから、その人に見てもらっているんだという感じ なんじゃん。 」と言っていた。学校にいつでもいる存在、手の温かさや身体についての知識を持って いる存在であり、必要な時に頼れる存在として意識されていた。 2 養護教諭調査 養護教諭 41 名の自由記述は、コミュニケーション、心身への影響、使用法について KJ 法 22、23)を 用いて分類した。特に、コミュニケーションについては、46 個の記述があり多かった。この理由と して、携帯電話という機械は、音声を伝える道具から文字を伝え、画像を伝える道具となった。さ らに、インターネット端末機となり情報の受信だけでなく発信もできる便利な道具、つまりケータ イとなったことで、人との関係であるコミュニケーションに影響を及ぼしていると捉えられている ことがわかった。コミュニケーションに分類したものをさらに細かいサブカテゴリーに分けた。サ ブカテゴリーごとの記述数は、直接対面関係回避 15、対人関係拒否 9、いじめ 11、情報化社会 6、い い面 5 であった。次のカテゴリーは、心身への影響で文章数は 8 個であった。サブカテゴリーでは、 身体面 5 と心理面 3 であった。最後のカテゴリーは、使用法で文章数 5 であった。サブカテゴリーで は、ルール作り 3 と学ぶ機会(指導)2 であった。 結果は、表 2 にまとめた。 ― ― 33 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 表 2 IT 機器は、子どもたちの人間形成にどんな影響を及ぼしているかの自由記述分類 カテゴリー コミュニケーション 46 心身への影響 11 使用法 5 サブカテゴリー 校 種 べ つ 直接対面関係回避 15 高校 9、 中学 2、 小学校 4 対人関係拒否 9 高校 4、 中学 3、 小学校 2 いじめ 11 高校 5、 中学 1、 小学校 5 情報化社会 6 高校 1、 中学 2、 小学校 3 いい面 5 高校 2、 中学 2、 小学校 1 身体面 5 高校 1、 中学 2、 小学校 2 心理面 3 高校 1、 中学 1、 小学校 1 ルール作り 3 高校 0、 中学 1、 小学校 2 学ぶ機会(指導) 2 高校 1、 中学 0、 小学校 1 *数値は、記述された文の数である。 次に、カテゴリーごとの記述内容を詳しく見ることにする。 まとめはカテゴリーごとに表 3、表 4、表 5 とし、資料に入れた。 ⑴コミュニケーション ア 直接対面関係回避 これについては、15 個の記述があった。特に、高校勤務の養護教諭からの記述が多かった。 記述内容では、 「適当な感じで何とかなる雰囲気」、「勝手に思い込み解釈」、「苦手な人とは関 わらず、嫌なことから逃れる」 、 「相手のことを考えての言動がしにくい」など自己中心的な高 校生の姿が記述されていた。さらに、 「話の仕方がわからない、伝えられない」に対して「相手 に気を使いながら、自分の気持ちを伝える」と相反する記述があった。また、「顔をみて(目) 会話ができない」 、 「顔の見えない相手や不特定多数の人たちと接する」 「見ず知らずの人との 対話で、心を癒す」 など直接に生身の人と向き合い、傷つくことや面倒なことを避けていると捉 えられていた。 イ 対人関係拒否 9 個の記述があった。内容では、 「本音は対友人には言わない」、「会話を面倒くさい、表情を 出さず悟られないように」 と人への不信を表す子どもたちの姿が記述されていた。また、「無責 任であり、関係をシャットアウトするのも簡単」、「架空の関係を築くが、自分の思うようにな らなければ、いつでも関係を切る」 、 「一方的に発信」、「人の心も自分の思うように動くと思っ ているなど」 の記述で、自己中心的な子どものたちの姿を強く意識していた。 ウ いじめ 11個の記述があった。ここ1 ~ 2年、 ネットいじめが原因での自殺や傷害事件が発生している。 ケータイが普及し、多くの子どもたちが持っている現状では、どの学校でも起こりえる問題で ある。このため、 多くの記述があったのだろう。内容では、 「内容に傷つく子が、立ち直れない」、 「悪口を書くことで発散したり、 仲間を作っている」、 「自分本位の攻撃的な面が内在しているが、 ― ― 34 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) 自分への圧力には弱い」 、 「夜遅くまで自室(親の見えないところ)でメール、メールを使った嫌 がらせ」 、 「夜にメールで言い合い、翌日に顔をあわせてけんか」 「いじめの温床」などの記述が あり、問題の深刻さがうかがえた。 エ 情報化社会 6 個の記述があった。小学校では、 「すべてが短縮の世の中、じっくり考えること、行錯誤す ることができない環境で育つ」 、 「情報に振り回されすぎている」、中学校では、「画像上の情報 に過度にふりまわされている」 、 「家族関係が希薄、その埋め合わせに IT に頼る」、高校では、 「自 己決定できない子ども」 という記述があり、子どもたちが成長を経るごとに、自分自身を見失っ ていく姿が捉えられていた。 オ いい面 5 個の記述があった。ケータイは、問題ばかり強調されるが所詮道具である。使い方によっ ては、いい面を持っている。 「連絡を伝える」 、 「意思を伝える」など連絡手段として便利である。 また、 「ほしい物や情報がすぐ手に入る」といった道具でもある。具体的には、休みがちな子ど もと担任との連絡に便利であるといったいい面についての記述があった。 ⑵心身への影響 ア 身体面 睡眠不足、昼夜逆転の生活、視力低下などの問題が記述されていた。 イ 心理面 つながってないことへの不安と依存の問題が記述されていた。 ⑶使用法 ア ルール作り 親がしっかり管理すること、家庭や学校でルールを決めて使用させる必要があると記述され ていた。 イ 学ぶ機会(指導) ケータイは、親や教員世代が子どもだった時にはなかった。従って、ケータイの危険性は、 情報産業社会が生み出したものである。家庭のしつけや学校教育の中で、リスクを学ばせる機 会がなかったため、取り扱いや使用法を学ばせることは必要という記述があった。 【まとめ】 本研究の目的ごとに、調査結果をまとめた。 1 双方向のインターネットメディアであるケータイとどんな付き合いをしているのか。 ⑴高校生たちは、小学校高学年から中学にかけて携帯電話を使い始めた。 ⑵パケット定額制以降、インターネット端末機のケータイは、頻繁なメールの送受信、写真や動画 など多様な情報の送受信、暇つぶしのウェブ検索に使っていた。 ⑶学校裏サイトやブログ、プロフなどよく閲覧するが、必ず書き込みをするわけではない。 ― ― 35 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 ⑷ケータイは、肌身離さず寝ている時でさえ手に持つ、生活に密着した重要な存在。 ⑸依存、昼夜逆転、生活の乱れ、ネットいじめ、有害情報へのアクセスなどリスクがある。 ⑹暇つぶしとしてケータイのネットで飛び回っていると、リスクを意識せずプロフなどに自分の友 達の写真を違和感なく投稿してしまう。 ⑺リスクや情報モラルなどきちんと学ぶ機会がなかった。 ⑻友だち関係作りでは、友だちになるプロセスがある。まず出会いでアドレスを聞く。別れた後、 アドレスへメールを送る。翌日、会った時に速攻であいさつする。 ⑼友人でない人のアドレスは、クラスメイトでも知らない。 交友関係が広がっていると思っているが、意外と狭く限られた交友関係の世界にいる。 ⑽悩みは、友人に相談する。 ⑾友人からの相談では、 いいことばかり言うのではなく苦言も言える関係でありたいと思っている。 ⑿親子関係では、親の叱責も、後で謝りメールがくるとうれしくなることや誕生日メールを親子で するなど、娘と父との関係がぎくしゃくしやすくなる思春期の時期に、うまくコミュニケーショ ンをとれる道具として活用している。 ⒀勉強への集中に対して、ケータイは誘惑物である。ケータイ利用時間について、親が規制をかけ ようとしている。だが、 中学生ではないため高校生への規制は、簡単ではない。親子関係の信頼が、 親の規制に従うかどうかの鍵となる。 ⒁教職員への相談と信頼では、小中学校時代に話したことがばれているという経験もあり、信頼し て相談する気持ちはない。 ⒂健康であるため、保健室とのかかわりはあまりない。しかし、部屋の温かさ、養護教諭の手の温 かさ、身体について豊かな知識がもっているなど、いざというときに頼れる存在でとして養護教 諭を認めていた。 以上のように、双方向のインターネット端末機であるケータイは、日常生活に密着したものとし て自然に受け入れていた。ケータイにまつわる犯罪などが報道される中で、高校生はケータイに依 存し支配されていると考えがちであるが、テレビや新聞等で報道されるケータイのリスクについて も知っていた。しかし、ケータイのウェブサイトに夢中になっているときは、忘れてしまっている こともわかり、子どもたちだけに責任を負わせるのではなく、営利企業の問題も指摘し、改善させ ていかなければならない。また、親子の交流も深めるのにも有効な道具であるため親子の信頼関係 のもとで、使用について話し合いルールを決める必要がある。養護教諭や保健室に対しては、関係 ないと思っていても、いざとなったとき頼れる存在として肯定的に受けとめていた。 2 デジタル社会の中で、情報のデジタル化を推進しているネット端末機のケータイ は、子どもたち自己形成にどんな影響を及ぼしているのか。 ⑴ケータイは、肌身離さず持ち歩くもので、分身となっている。手にないと不安。 ⑵人とつながるため、暇つぶしのため、ケータイを開くことが多い。情報に敏感である。 ― ― 36 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) ⑶友だちと直接の関係を持っていると、ケータイ依存にならない。特に、友達の相談では、いいこ とばかり言うのではなく、毒舌や苦言を言ってあげられる信頼関係を築きたいと考えている。つ まり他者を受け入れようとする姿勢がうかがえた。 ⑷ケータイメールにより、友だちの輪は広がったと感じていたが、友だちでなければ身近なクラス メイトのアドレスも知らない。友だちと認める人以外は、排除してしまう傾向もある。 ⑸ケータイは、文字を伝える道具であり、身近にあるため、相手を無視した感情の捌け口として、内 面にある攻撃性を出しやすい。 反面、 傷つくと救われない状況を作り出し、人間不信を増進させる。 10 代の若者にとって、友だちは自分をうつす鏡である。信頼できる他者の友だちを持つことは、 自己を見つめることができるようになる。普通に成長している子どもたちは、肌身離さず持つケー タイに少し依存しながらも、上手に付き合い自己形成をしていることがわかった。だが、ネットい じめのリスクが伴うので、安心することなく親および学校は、ケータイのリスクを伝えていかなけ ればならない。 3 学校現場の中で子どもたちの身体とこころを見ている養護教諭は、子どもたちの 変化をどのように見て感じているのか。 ⑴コミュニケーションへの影響が多いと捉えていた。特に、直接対面関係回避や対人関係拒否は、 人への信頼感を持つことなく、孤立と不安から、自己中心的な子どものたちの姿として強く意識 されていた。 ⑵ケータイが普及し、多くの子どもたちが持っている現状では、ネットいじめはどの学校でも起こ りえる問題である捉えていた。 ⑶子どもたちは、 大きく成長するごとにケータイとの付き合いを深めている。そして、悪い面として、 自分自身を見失っていく子どもの姿が捉えられていた。 ⑷ケータイは、問題ばかり強調されるが、所詮道具である。使い方によっては、便利といういい面 を持っている。 ⑸子どもたちの健康を管理・指導する立場として、身体面、精神面など心身への影響があり気にか けていることがわかった。 ⑹ケータイは、親や教員世代が子どもだった時にはなかった。従って、ケータイの危険性は、新た な情報産業が生み出したものである。学校教育の中でリスクを学ばせる、家庭のしつけとして親 子でのルールを作る、このように社会、家庭及び学校が連携する必要性を感じていた。 【考 察】 文部科学省は、平成 20 年 3 月に青少年が利用する学校非公式サイト関する調査報告書 4)を出して いる。この調査報告書の中にある中・高校生を対象とした調査結果では、次のような結果を報告し ている。学校非公式サイトの認知度は、3 割程度であった。認知経路は、同じ学校の友達や後輩が 6 割以上であった。また、学校非公式サイトの閲覧場所は、携帯電話では「休日」が 31.4%、「帰宅後、 ― ― 37 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 自分の部屋など、家族のいないところ」30.2%、 「友人・知人といるとき」24.9%であった。サイトは、 一人でみるか、友人と一緒に見るかのどちらである。さらに、学校非公開サイト閲覧の目的は、暇 つぶしが 8 割弱であった。著者の勤務校では、廊下などで休み時間や放課後にケータイを見せ合っ ている生徒たちの姿をよく見かけた。アンケート調査が実施された 2007 年 2 月ごろは、生徒たちは 何を見ているのかと思っていた。その後、生徒に直接尋ねたところ、写メールで送られた写真や動 画そしてプロフ又はブログなどを見せてくれた。およそ知っていたつもりでいたが、学校非公開サ イトもあったのかと改めて考えさせられた。学校非公開サイトの中では、「同じ学校の生徒のこと」 54.5%、 「同じ学校の生徒の悪口」47.2%、 「クラブ・部活動のこと」40.7%であった。生徒や先生の 悪口や暴言など 3 割強の人が不適切と思っていた。しかし、悪口や暴言が多いと思っても、暇つぶ しのために閲覧してしまう高校生が多いのだろう。学校非公開サイトで自分または友達が落ち込ん だ経験のある人は、2 割弱であった。落ち込んだ時に相談した人は、「友達」57.1%、「学校の先生」 10.7%、 「誰にも相談しなかった」42.9%であった。平成 19 年度の勤務校での保健室来室者統計及び 生活指導部教育相談での話し合いでは、数件のインターネットに関する相談があった。落ち込んだ 経験を持つ者の約 1 割が学校の先生に相談したという数値を参考にすると、勤務校での数件の相談 の背景には、その 9 倍のもの落ち込んだ生徒がいることになる。私たち大人たちがつかんでいる数 字の何倍もの子どもたちが落ち込んで悩んでいる状況に、驚くともに早急に対策をとる必要がある と感じた。インターネットやメールを使っている用途は、 「学校の友達とのメール交換」80.0%、 「学 校外の友だちとメール交換」 61.6%、 「ブログやプロフを見る」47.8%であった。インターネットやメー ル利用について家族と決めているルールは、 「利用できる金額」16.3%、 「利用時間」11.7%であった。 そして、今後の課題として報告書では、今後とも増えていくと思われる子ども達のネット遊びの多 様化のなかで子ども達自身による誹謗・中小、猥褻情報など有害情報発信を減らしていくためには、 特にサイト管理人や常習的書き込み者(ヘビーユーザー)のネット利用意識や能力を調べる必要も あろうと述べている。思春期は大人に隠れて危ない遊びをしたり、有害だと言われている情報に接 したりしたい時期である。それらの行為を全て駄目と抑え込んでしまうのは、別のところへ若者の エネルギーが向うだけであり、適切ではなかろう。携帯電話に関する知識については、圧倒的に子 どものほうが有利であることに注意すべきであると報告書は述べている。この文部科学省の報告書 を参考として調査結果について考察することとする。 1 女子高校生座談会 女子高校生座談会で、ケータイとのかかわりについて語られたことをまとめると、以下のように なる。ケータイの使用は、小学校高学年から中学にかけての時期である。今から 5 ~ 6 年前、つま り 2003 年開始の携帯電話使用料金パケット定額制になる少し前であった。彼女たちは、必要時以外 の無駄を少なくし、使用料金を抑えながらの携帯電話を使う経験を持っている。そして、中学・高 校生時期はパケット定額制である。携帯電話の機能は、通話とメールだけからインターネット端末 機へと進化し、“ 携帯電話 ” という呼び名から “ ケータイ ” へ変わった。機種変更をして新しい機 ― ― 38 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) 能を持つケータイを手にした彼女たちは、頻繁なメールの送受信、写真や動画そして絵文字などの 多様なメールの送受信、暇つぶしにウェブ検索と無制限に使用できる特権を得た。だから、ケータ イは、肌身離さず寝ている時でさえ手に持っているものとなり、生活に密着した重要な存在となっ た。だが、無制限のケータイ使用は、ケータイ依存、睡眠不足や昼夜逆転など生活の乱れ、ネットい じめ、有害情報へのアクセスなど子どもへの影響を大きくした。ネットで飛び回っていると、プロ フなどに自分の写真を違和感なく投稿してしまうというように、大事なプライバシーを安易にコ ピー可能で消去不可能なデジタル情報として送信してしまう。便利さの裏に潜む危険性について見 えなくなっていた。そのほか、彼女らの友だち関係作りでは、友だちになる過程としてまず出会い でアドレスを聞く。別れた後、アドレスへメールを送る。翌日、会った時に速攻であいさつする。 この流れが大事となる。では、ケータイを持っていない子はどうするのか。友人でない人のアドレ スは、知らないとのことである。クラスメイトだけでなく学校外の人ともメールでつながりあえる ため、交友関係が広がっていると彼女らは言っていた。だが、身近な存在のクラスメイトでさえ友 人でなければアドレスを知らずメールをしないとのこと、以外と狭く限られた交友関係の世界にい るといえる。親子関係では、親の叱責後、親から謝りのメールがくるとうれしくなることや誕生日 メールを親子でするなど、 娘と父との関係がぎくしゃくしやすくなる思春期の時期に、うまくコミュ ニケーションをとる道具として活用していた。このようなケータイと付き合う姿が、座談会から見 えてきた。 総務省は、 『通信利用動向調査報告書 世帯編』5)を毎年公表している。その中で機器別インター ネットの利用人口では、携帯電話のみが 2001 年 657 万人、2002 年 1061 万人、2003 年 1453 万人、2004 年 1511 万人、2005 年 1921 万人、2006 年 688 万人と数値が出ている。パソコンのみの人は。2001 年 2953 万人から毎年減少し 2006 年は 1627 万人となっていることから、インターネット接続の流れは、 パソコンからお手軽なケータイへ移行していることがわかる。また、内閣府が 2007 年に発表してい る『第 5 回情報化社会と青少年に関する意識調査』6)では、インターネットの 1 日平均利用時間とし て携帯電話でのインターネット利用は、高校生女子 124.4 分、高校生男子 91.7 分、中学生女子 78.9 分、 中学生男子 71.2 分であった。これは、高校生は 1 時間半から 2 時間ケータイでインターネットをやっ ていることであり、ちょっとした休憩時間やひまになった時間すべてを費やしていると理解すべき 数値である。また、メールの利用頻度では、高校生女子の 13.5%が 1 日 51 回以上、27.2%が 1 日 21 ~ 50回と回答していた。約4割が1日20回以上のメール発信をしている。座談会での女子高校生はケー タイを肌身離さず寝ている時も手に持っていて言っていたが、メールの利用頻度数値と比べても、 座談会の女子高校生が特別な姿ではなく日本の一般的高校生の姿であると言えるだろう。 また、座談会で出ていたメールアドレスの変更を頻繁にする行為であるが、石野純也 7)は、「メー ルアドレスに対する感覚も大人とは少々異なる。どちらかというと、自らの分身やあだ名のような 位置づけだ。 」 と言っている。例として 20 人程度のインタビューから「中学の時に入っていた部活の 活動がアドレスに入っているからそろそろ変えたいんですよね」 「普段はあんまり変えようと思わ ないんですけど、前に好きだった人のことが入っているから、いいかげん変えよって思います」と若 ― ― 39 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 者の言葉を紹介している。 頻繁なメールアドレス変更も、若者の特徴なのかもしれない。ケータイは、 気になってしようがないアイテムである。しかし、テスト前の勉強に集中しなければならない思う 心とケータイのメールを見たい、ウェブ検索をしたいなど遊びの誘惑に、葛藤を覚えた経験をもつ 若者は多いと推測される。座談会でも、その様子が語られた。親も子どもの葛藤を理解しているた めか、ケータイの利用時間を規制しようとしていた。ちなみに文部科学省の統計でも、親が子ども のケータイ使用について気になり規制をかける項目は、使用料金と利用時間である。有害情報の規 制としてフィルタリング・サービスは、よく理解されていなかったため気にされてなかった。子ど ものケータイの利用について藤川大祐 8)は、 「親に責任がある。」と言っている。その理由として、 「小 学生以下は本人名義で契約できず、中学生以上でも 20 歳未満の未成年者が契約する場合には保護者 の同意が必要です。高校生以下の場合には、保護者がケータイの料金を払っている場合がほとんど でしょうから、費用負担の面からも保護者が子供のケータイ利用に責任を負っていることは明白で す。 」8)と言っている。パケット定額制について「定額制が導入されている状況では、利用料金に関 するルールだけでは、子どものケータイ利用方法はほとんどチェックされません」8)といっている。 料金が定額だから安心とはいかないのである。ケータイ利用に関しては、料金や時間だけでなく、 有害情報から守るフィルタリングやリスクについて親子で十分話し合いルールを決めた上での利用 としなければならないだろう。文部科学省の報告書 4)では、思春期は大人に隠れて危ない遊びをし たり、有害だと言われている情報に接したりしたい時期である。それらの行為を全て駄目と抑え込 んでしまうのは、適切ではない。さらに、 「携帯電話に関する知識については、圧倒的に子どものほ うが有利である。 」8)といっている。親が一方的にルールを決めたのでは、反発を招くだけで逆効果 である。だからこそ、親子の信頼関係のもとに話し合い、ルールを決めそして守らせるそういった ことが必要となる。親は、IT 機器は苦手だからケータイは使わないと無関心でいるのではなく、 子どものケータイ利用をチェックできる最低限度の知識を学ぶ必要がある。親がチェックしている と思うと、危険なサイトにアクセスする、見知らぬ人と安易につながるなどの危険な行為は、主体 的にやめていくと考える。21 世紀の情報化社会は、よい情報もあるが青少年には有害になる情報も ある。危険だから有害だからとすべての情報に背を向けることはできない。善悪の判断を主体的に できる子どもを育てるべきである 16、18)。そういった意味で、一人でそして個室で好き勝手にケー タイを使わせない工夫が必要となる。親が子にメールを送る、子も親にメールを送るなどコミュニ ケーションの道具としてうまく活用すること、ゲームなども家族で一緒にやってみること、ケータ イのない時代で過ごした親世代の若いころを話す、家族での会話を増やし通気性を良くするなど親 子の信頼を取り戻し深める努力が重要となる。 2 養護教諭調査 コミュニケーションについての記述が多かったのは、やはりケータイが人をつなぐ、情報をつな ぐ道具であったからである。いつの時代でも若者たちは、仲間を求め仲間とつながることを求めて いる。そして、ポケベルや携帯電話を使いこなしてきた。ポケベルでは、数字での語呂合わせで連 ― ― 40 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) 絡を取り合うなど若者のコミュニケーション文化を作ってきた。だが、大人である教師たちは、生 徒の行動に眉をひそめ、取り締まることばかり考えていたのではないか。若者文化は、大人にとっ て理解できなく危険で不快な文化に映っていたのだろう。時代は移り、コミュニケーションの道具 であるポケベルは、携帯電話そしてケータイへと変わった。情報を送受信するネット端末機のケー タイは、便利であるがゆえの危険性を持っている。そして、ケータイを駆使する十代の若者への影 響として、人とのつながりの仕方を変化させてしまった。学校の教員集団の中でも教師とは異なる 立場の養護教諭は、子どもたちの心身両面の育ちと安全を守る役割 19、20)があり子どもたちの変化 に敏感である。だから、子どもたちのコミュニケーションの変化に気付いて “ おかしい ” と思った のである。特に、ほとんどの生徒がケータイを所持している高校の養護教諭は、切実な思いを抱い ていた。山口県公立学校養護教諭の川原真由美 9)は、知り合って間もない人間とは、まずケータイ のアドレスを交換する、一対一という条件下で情報交換が可能であるため、すぐに親密な関係を築 けると子どもは考えるがその関係は、ちょっとしたいきちがいで親密な関係に終止符を打つ。自宅 にケータイを媒介とする言葉で不快な思いをし、アドレス変更という作業で、いとも簡単にその関 係に終止符を打つ。自体躯にケータイを忘れると遅刻してでも取りに戻る。受信したメールの返信 が遅れることで、崩れてしまいそうになる人間関係の修復に時間と労力を費やすよりは、遅刻する ことを選ぶ。 」 と言っている。直接対面関係回避や対人関係拒否の記述と共通する内容である。女子 高生の座会でも頻繁なアドレス変更の話があった。本研究では、埼玉県の高校の女子生徒の座談会 と仙台市及び宮城県の養護教諭への調査であったが、山口県でも埼玉県の生徒と同様な行為があり、 宮城県の養護教諭と共通の認識を持つ養護教諭がいることがわかった。十代の若者文化は日本全国 共通であり地域性はない。従って、学校で子どもたちと接している養護教諭の認識も同じになって しまうのである。テレビやラジオ、新聞、インターネットなどのメディアの興隆は、人々の価値観 を一つにしてしまう 15)。また、交通網の発達に人も物を流れている。地域性はなくなり日本全国小 さな東京なのかもしれない。これも多様化であって多様化でない、一つの価値観に集約させてしま う高度大衆消費社会の特徴なのであろう。 コミュニケーションの情報化社会に分類した記述で、「自己決定できない子や情報に振り回され すぎている、 すべてが短縮の世の中、 じっくり考えること、試行錯誤することができない環境で育つ」 などがあった。これらの記述と心身への影響に分類した記述とを重ね合わせて考えた。なぜなら、 心身症の背景には、子どもたちの生きている社会環境が大きく影響し、身体の症状として表出され てないが心の奥には問題を抱えている、そういった子どもたちがたくさんいるからである。大阪府 教育委員会訪問指導アドバイザーである魚住絹代 10)は、学校現場で携帯電話にのめりこむ子どもの 姿が、まるで薬物中毒患者のような依存症を示していたことに驚いている。また、携帯だけでなく、 ゲームやネットにのめり込むうちに、短期間で生活を乱し、顔つきや物の考え方、価値観も変わっ てしまう子どもたちがいると言っている。これは、依存症および慢性疲労状態の子どもたちであろ う。さらに、 「メールに依存する子には、メル友が数十人います。人が信じられず、いつ終わるかわ からないから、次つぎと自分を受け止めてくれる相手をストックしておく必要があるわけです。こ ― ― 41 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 うした見捨てられ不安や対人不信が、いじめにつながることもあります。」とも言っている。人を求 める一方で、感情の起伏が激しく、関係が安定しない子たち、これはメール依存の子だけではなく、 摂食障害やリストカットなどの子どもにも共通するように思われる。情報化された社会だからこそ、 人々はつながっているようでつながらなく孤立している。そして、不安定だからこそ、みんなと同 じ価値を求め安心しようとしているのかもしれない。 中学校養護教諭の佐藤比呂子 11)は、同じクラスの生徒が同時に「吐き気がする」 「頭が痛い」 「気持 ち悪い」と保健室にやってきたことを紹介していた。原因は、ある生徒が大人には聞こえないモス キート音をケータイで授業中に流していたことにあった。モスキート音はネット検索すると、ダウ ンロードでき、聞くことできるようになっているとのことである。著者自身は、授業中にモスキー ト音を流されたという経験を持っていないが、大人には聞こえない音という点で自信がない。これ からは、内科的身体症状として処置していたことでも、もしかしたらケータイ及びモスキート音が 関係しているのかもと頭の隅に置いて対応しなければならない現実を知らされた。高校生は、ほと んどの生徒がケータイを所持している。文部科学省が考えているような、単に学校へのケータイ持 ち込み禁止と規制することはできない。生徒に説明し納得させなければならない。義務教育の中学 校では、高校生ほど普及はしていないので規制をすることも可能かもしれない。でも、校則での規 制では、安易であり隠して持ってくる生徒を増やすだけかもしれない。親子で使用についてのルー ルをしっかり決めること、そして学校は、親を支援すること、情報モラル教育でリスクをはっきり 教え、子どもたちに考えさせることが重要になっていくだろう。 3 ネットいじめ いじめ問題は、1986 年 6 月の東京都中野区の中学 2 年生鹿川君の自殺以降、大きくクローズアッ プされてきた。文部科学省もいじめ対策を次々と出している。しかし、いじめはなくなっていない。 パソコンやケータイが普及してからは、直接のいじめ行為からネットを通じてのいじめへ移ってい る。いじめは、教員などの大人が把握できにくいところで起こるようになった。そして、ネットい じめが始まってからは、陰湿化が加速させている。ネットいじめについて、藤川大祐 8)は、「子ども が家にかえってからも、攻撃がやみません。子どものケータイに中傷メールが届き、ケータイを見 ていない間も掲示板などで中傷発言が飛び交います。休みなしに攻撃が続くことは、いじめられる 子どもにとって相当な負担です。他方、いじめる側は、自分が攻撃をしたいときにだけ攻撃すれば よいので、常にいじめのことを考えている必要さえありません。ネットいじめはいじめられる側の 負担を増やし、いじめる側の負担を減らしているのです。」と言っている。また、渋谷哲也 12)は、 「ホー ムページを利用したネットいじめは、日常の行動が逐一書き込まれる可能性を秘めている。実際に 書き込まれるかは別として、書き込まれるのではないかという恐怖心を抱くようになる。」と言って いる。このように、ネットいじめは深刻さを増すばかりである。ネットいじめの背景にある若者の 心理を考えてみる。古賀徹 14)は、 「いじめは、いじめられる者の追放を目的としているのではない、 いじめられる者を追放することなく積極的に囲い込むからこそ、むしろ事態は深刻化するのである。 ― ― 42 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) いじめはいじめられる者との関係の切断ではなく、いじめられる者を中心に展開するゲーム、もし くは濃密なコミュニケーションの一種なのである。」と言っている。囲い込む装置としてまたはいじ めをゲームとしてしまう装置としてネットは好都合である。さらに、ケータイというネット端末機 が、手軽にそして身近にある環境がいまの社会である。いじめられる者にとって、直接のいじめ以 上に逃げ場を失わせ深い絶望感を抱かせているのである。 ネットいじめを可能としてしまった社会は、テクノロジーの高度な発達によるものである。そし て、テクノロジーは、物を中心とした産業から情報を中心とした産業へ転換させてきた。情報がお 金を生み出し、人を操るようになったのである。この社会の動きは、ケータイの普及により十代の 若者を営利企業のサイトへ導くことになった。若者は、ケータイメールの回数や返信のスピードを 競うなど目に見える数値で人とのつながりを実感している。さらに、友人の情報や悪口をネタとし た「祭り」 で盛り上げる群衆になることで、一体感が増進され自己の存在を確認しているのである。 また、1990 年代のバブル崩壊以後、失速した日本経済を立ち直らせるため国は、規制緩和を実施し グローバル社会に適応できる方向へと舵が取られた。その結果として、リストラや派遣社員の急増、 勝った者と負けた者の差ができ格差社会が出現したのである。一部のエリート以外はすべて負け組 となる今日の社会で、 昔のような一生懸命勉強して学歴をつければ幸福が保証されるわけではなく、 成果主義のもとで人々の連帯意識は断ち切られ孤立感を強めている。人々は、イライラや不安を募 らせいる。社会のひずみは弱いところへ向かい、子どもへの虐待、家庭崩壊、地域社会の崩壊、自殺 者の増加へとつながってないだろうか。教育改革が進行している学校もいじめや不登校の改善は進 んでいない。教員の病気療養による長期休職者は増加している。だが、学力向上の対策として学力 テストの導入、授業時間確保とアカウンタビリティ(説明責任)のもと書類作成業務の増加、多忙化 の中で教員は子どもと接する時間が少なくなっている。子どもたちは親や教員、その他の大人と話 し合う体験がなくなっている。さらに、不審者の存在は、公園や空き地で子どもが遊ぶことをでき なくさせ、子ども同士の交わりを少なくさせた。こんな環境は、人とのコミュニケーション不足や つながりをなくさせる社会となっている。ネット端末機のケータイは、子どもにとって大人たちを シャットアウトできる秘密の基地である。子どもの自由な世界で、未熟な子ども同士感情をコント ロールすることができない中で、ちょっとした誤解からネットいじめがエスカレートしていく。さ らに、日本の子どもの世界に広がる同調圧力は、同調できない異質なものを排除しようとして、い じめが始まるとも言われている。同級生や友だちの些細な異質性を見つけ、イライラや不満をネッ トに書き込むことで解消させようとしているのかもしれない。養護教諭が記述してくれた、「悪口 を書くことで発散」 、 「自分本位の攻撃的な面が内在しているが、自分への圧力には弱い」、「面と向 かって話さないので、相手の立場にたって考えることができにくい」、「言葉で傷つく、微妙なニュ アンスが伝わらない、友だち関係も複雑」 「夜遅くまで自室(親の見えないところ)でメール、メール を使った嫌がらせ」 「夜にメールで言い合い、翌日に顔をあわせてけんか」 「そのときの感情で打っ てしまう」 「いじめの温床」 「内容に傷つく子が、立ち直れない」 「いじめが発生」 「プログに書き込ま れたことで、身体症状を訴えてきた」 は、危機感の表れであると思う。異質な他者を排除してしまう ― ― 43 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 群衆にさせないよう大人は、 子どもたちに注意を向け指導していかなければならない。まずは、ネッ トの世界に対して、大人たちをシャットアウトし無法地帯の隠れ家にさせないためにも、危険な営 利企業を見張ること、誹謗中傷・暴言・猥褻な内容などチェックする体制を整えることなど、大人た ちの本気さを子どもたちに見せることが必要であろう。さらに、学校は、子どもたちが自主的に、様々 な情報について考え判断し選択できる能力を育てなければならない 21)。それは、異質の他者を排除 せず受け入れることにつながる。世界は、より一層の大衆消費そして情報産業の興隆さらにブロー バル化の方向に進んでいる。だからこそ、多様な価値観と共存できるように、人々は立ち止まって 考えること、他者を尊重し自己を尊重するシティズンシップの教育 21)が求められているのだろ考え る。 【おわりに】 生徒数 1000 人弱の学校では、けがをしたとき以外、保健室は関係ない場所と子どもに思われてい る。だが、実際の保健室は、次から次へと来室者が絶えない場所である。いつも誰かしら、けがを したり体調を悪くして、保健室にやって来る。それだけではなく、心理精神面の悩み、ただ何とな く安心を求めてくる子もいる。生徒保健委員活動で来てくれる子もいる。身長や体重を計りに来る 子もいる。従って、休み時間、昼休み、放課後と保健室は大賑わいである。さすがに、授業時間にな ると誰もいなくなるので、養護教諭はホッとする。だが、生徒がいないときが、心理精神面の悩み を抱えた子の話を聞く時間である。また事務的な仕事を処理する時間でもある。毎日が、ただ忙し く終了している。そんな保健室にやって来る生徒たちから様々な情報がもたらされる。クラスや教 科担任の様子そして子どもたちの人間関係、若者の流行についてまで、直接聴かされることもあれ ば、友だちの付き添いで来室した生徒同士の話から知ることもある。そんな中で、ケータイの使わ れ方やネット掲示板への誹謗・中傷の書き込み、言葉の暴力、いびつな人間関係、親子でのルールな どインターネットに関することが何度も話題になった。養護教諭として、親や教員のわからない、 知らないところで何かが起こっているかもと考えた。保健室に来る生徒の話が、本研究のきっかけ である。先行研究としてインターネットやケータイについて調べると、目まぐるしく変化している 業界であることを知った。そして、わかっていると思い込んでいたことは、大間違いであることを 知った。便利さの裏にあるケータイの危険性、生徒たちは危険性と背中合わせのところでケータイ を楽しんでいることも知った。文部科学省は通達を出し、ケータイへの指導を徹底させる意向であ るが、どこまで徹底できるか疑問が残る。通達では、学校現場に入学式後の保護者会などで親への 啓蒙を図ることを求めている。だが、入学式当日は忙しく、保護者も疲れた中でどのくらい話に関 心を抱くか疑わしい。一度ではなく、 何度も繰り返し言い続け、情報を流すことかもしれない。ケー タイは情報産業社会が生み出した新しい道具である。だからこそ、もっとしっかりと営利企業の責 任追及と指導監督を国はするべきである。親は、わが子への責任を果たすため、子どもと話し合い、 親子の信頼関係のもとに使用ルールを守らせていく必要がある。学校は、校内へのケータイ持ち込 み禁止を言うだけでなく、危険性や使用方法そして困ったときの対策、相談場所など情報機器に伴 ― ― 44 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) う知識を親や子へ伝えて、子どもたちが自主的に考え選択できるよう支援をしていくべきである。 情報産業社会を生きていくためには、親、学校、行政がそれぞれの責任を果たすこと、協力し合うこ と、知識を得て知恵を生み出すことが何よりも求められているのだと考える。 本研究では、元気で明るく生活をしている普通の高校生からケータイについて話を聞くことで、 ケータイとほどほどにうまく付き合っているいまどきの子の状況をつかむことができた。この結果 から、普通の生徒でもリスクと危険あわせの実態をどのように指導していくか、そして親とどうよ うにつながることが子どものリスク回避になるのか、人間らしく生きるためには情報産業とどのよ うに向き合うべきかなど今後の課題として学校現場に生かしていくことを考えていかなければなら ないだろう。 【引用・参考文献】 1)文部科学省 長崎県佐世保女子児童殺害事件を受けての文部科学省の対応 2)下田博次 『学校裏サイト』東洋経済新報社 2008 年 3)文部科学省 児童生徒が利用する携帯電話等をめぐる問題への取組の徹底について(通知)20008 年 7 月 25 日 4)文部科学省 青少年が利用する学校非公式サイトに関する調査報告書 平成 20 年 3 月 5)総務省 『平成 18 年通信利用動向調査報告書 世帯編』 2007 年 6)内閣府 『第 5 回情報化社会と青少年に関する意識調査』 2007 年 7)石野純也 『ケータイチルドレン』ソフトバンク新書 2008 年 8)藤川大祐 『ケータイ世界の子どもたち』講談社現代新書 2008 年 9)川原眞由美 子どもの心とからだと言葉に触れる保健室『保健室』No.137 2008 年 10)魚住絹代 ケータイに依存する子、しない子はどこが違うのか『保健室』No.137 2008 年 11)佐藤比呂子 見えない聞こえないケータイ被害の怖さ『保健室』No.137 2008 年 12)渋谷哲也 『学校裏サイト』晋遊舎ブラック新書 2008 年 13)加藤芳正 高度大衆社会の「いじめ」と「いじめ問題」教育学年報 5『教育と市場』 1996 年 14)古賀 徹 啓蒙原理といじめ 教育学年報 5『教育と市場』 1996 年 15)富田英典 後期青年期のメディア戦略とサブカルチャー 教育社会学研究第 76 集(2005) 16)有元秀文 『ネットいじめ・言葉の暴力 克服の取り組み』教育開発研究所 2008 年 17)長谷川元洋 『子どもたちのインターネット事件』東京書籍 2006 年 18)渋谷哲也 『ケータイ・ネットを駆使する子ども、不安な大人』長崎出版 2005 年 19)藤田和也 『養護教諭が担う「教育」とは何か』農文協 2008 年 20)藤田和也 『保健室と養護教諭 その存在と役割』農文協 2008 年 21)小玉重夫 『シティズンシップの教育思想』白澤社 2006 年 22)川喜田二郎 『発想法』中公新書 2006 年 23)川喜田二郎 『続・発想法』中公新書 2008 年 ― ― 45 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 【資 料】 表 3 コミュニケーションについての記述内容 ア 直接対面関係回避 ・ 「なんとなく」適当な感じでなんとかなるという雰囲気(高) ・話の仕方がわからない、伝えられない(高) ・何でもメールで片付け、勝手に思いこみ解釈する(高) ・人間関係が上手に作れない(高) ・人間関係の希薄(高) ・メールやブログなどを通して表現する機会が多いため、相手のことを考えての言動がし にくくなっている(高) ・顔の見えない相手や不特定多数の人たちと接してばかりいる(高) ・ケータイ(メール)に一喜一憂(高) ・メールで告白、メールで別れたり(高) ・メールでワンクッションおいて、相手に気を使いながら、自分の気持ちを伝える(中) ・全く顔の見えない見ず知らずの人との対話で、心が癒されたり苦手な人とは関わらず、 嫌なことから逃れる(中) ・悪影響(小) ・人との触れ合い(小) ・人も顔をみて(目)会話ができない(小) ・人として感情、生身の人間同士の触れ合い、会話、などが少ない(小) イ 対人関係拒否 ・無責任であり、また、関係をシャットアウトするのも簡単(高) ・一人でも時間を過ごせる、人間関係がしばられる(高) ・架空の関係を築くが、自分の思うようにならなければ、いつでも関係を切る。 (高) ・一方的に発信している(高) ・本音は対友人には言わない(中) ・人間形成の希薄化(中) ・数字が動いていくように、人の心も自分の思うように動くと思っている(中) ・会話を面倒くさい、表情を出さず悟られないように(小) ・相手の表情が見えないところで、一方的な話し方、文章になりがち(小) ウ いじめ ・内容に傷つく子が、立ち直れない(高) ・いじめが発生(高) ・悪口を書くことで発散したり、仲間を作っている(高) ・自分本位の攻撃的な面が内在しているが、自分への圧力には弱い(高) ・面と向かって話さないので、相手の立場にたって考えることができにくい(高) ・言葉で傷つく、微妙なニュアンスが伝わらない、友だち関係も複雑(中) ・夜遅くまで自室(親の見えないところ)でメール、メールを使った嫌がらせ(小) ・プログに書き込まれたことで、身体症状を訴えてきた(小) ・夜にメールで言い合い、翌日に顔をあわせてけんか(小) ・そのときの感情で打ってしまう(小) ・いじめの温床(小) エ 情報化社会 ・自己決定できない子ども(高) ・家族関係が希薄、その埋め合わせに IT に頼る(中) ・画像上の情報に過度にふりまわされている(中) ・ 「物につかわれない」 「情報を選択する」能力が養われることを望む(小) ・情報に振り回されすぎている(小) ・すべてが短縮の世の中、「じっくり考えること」 「試行錯誤すること」ができない環境で 育つ(小) オ いい面 ・連絡の手段として使えば便利(高) ・意志を伝える手段として便利(高) ・欲しい情報がすぐに手に入る(中) ・いつでも誰かと連絡がとれる、新しい情報が手に入る(中) ・学校を休みがちの子どもと担任が携帯メールでこまめに連絡(小) *(高) :高校養護教諭、(中) :中学校養護教諭、(小) :小学校養護教諭の記述である。 ― ― 46 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 57 集・第 1 号(2008 年) 表 4 心身への影響についての記述内容 身 体 面 ・睡眠不足や昼夜逆転(高) ・生活習慣の乱れ(睡眠不足)や視力の低下(中) ・夜遅くまで起きている原因(中) ・体力低下(小) ・眼科校医から、視力について話す(小) 心 理 面 ・依存症(つながっていないと不安) (高) ・いつでも誰かとつながっていなければいけない不安(中) ・IT 依存症(小) *(高) :高校養護教諭、(中) :中学校養護教諭、(小) :小学校養護教諭の記述である。 表 5 使用法についての記述内容 ルールつくり ・保護者の管理の下に使う(中) ・正しい使い方を教え、家庭、学校等でルールを決めて使用(小) ・保護者がしっかり管理(小) 学 ぶ 機 会 ・取り扱いについては、「学ぶ機会」がない(高) ・使用についてきちんと指導する必要(小) *(高) :高校養護教諭、(中) :中学校養護教諭、(小) :小学校養護教諭の記述である。 ― ― 47 情報産業社会の中で生きている子どもたちについての一考察 Consideration about children living in information industrial society ―The children treating a terminal unit of the internet― Chieko Kubo (Student, Graduate school of education, Tohoku University) Almost all high school students have a cellular phone which evolved into the internet terminal from a simple cellular phone. Today, the cellular phone becomes the interactive media which can also send information. The how do they use such a cellular phone? And what do think some yogo teachers who feels a child's change sensitively in the school the present student's situation? I inquired various situations of high school students snd conducted a survey of yogo teachers in order to answer these question. As a result, I found out about the fact that high school students were always carried their cellular phone and efficiently employed it in connection with a friend, killing time, and parent and child's exchange. However, a guardian and the school need to have concerring about the celluar phone and to teach their children and students to use it properly because they sometimes approach some risks unconsciously. Key word : The lnternet connection terminal unit, Net bullying, Cellular phone, High school student, Yogo teacher ― ― 48