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政府支出理論の再考察
政府支出理論の再考察 一 山 本 昌 一 一 最近の政府支出理論は,価格理論や厚生経済学の応用として展開されて いるが,その端緒として特に重要な貢献をしてきたのが,サムエルソンや (1) マスグレイヴの某紙であろう.かれらの接近は,その後種々の形で一刻の (2) 発展がなされているが,同時にこれにたいする種々の批判的議論もなされ てきている.そこで本橋では,このようなサムエルソンやマスグレイヴの 接近にたいする批判的見解を中心として,その後の経過を振り返ってみた い. ]: (3) まず,サムエルソンの議論にたいしてはコルムの批判かおる.コルムは, サムエルソンの接近が民問部門と政府部門との叫係を理解するのに特に有 (1)特=にp. vietv A。Samuelson, “Diagrammatic XXXV Public "The of Econotnics and Exposition 111( Nov. Pure Theory Statistics, XXXVI of a Theory 1955), pp. 350-6; of Public (Nov. Expenditure," Re- 1954), pp. 387-9; of Public Expenditure," R. Λ. Musgrave, The ibid., Theory of Finance, 1959. (2)サムエルソンーマスダレイヴ型の政府支出理論の地方財政への適川として はC。M. Tiebout, "A PoliticalEconomy, D. B. Houston, tions and Grants," (May (3 )Gerhard Review Theory (Oct. "Metropolitan Multi-level XLIV(Nov. Pure LXIV Finance Governments," 1962), pp. Canadicin of Local 412-7 ; A Journal Eχpenditures, 1956), pp. 416-24: c. M. Reconsidered Review : Budget of Economics Breton, “A of Kco?iomics and " Journal Tiebout Theory of and B'unc- a?id Sta山itics, of Government Political Science, XχχI 1965), pp. 175-87などかおる。 Colm, “Comments of Economics on Samuelson's Theory a?id Statistics,χχχVII[ (Nov. −46 − of Public Finance," 1956), pp. 408-12. 政府支出理論の再考察 益なものでないとして種々の批判を加える.以下,それらを検討しよう. 1.まずコルムは,サムエルソンが民開財と公共財の区別を定義によって 示すことを批判する.コルムによれば,民間部門と政府部門との渋異は, これを定義によって決定すべきではなく,政府支出理論はある種の経済活 動がなぜ政府によって遂行されねばならないかを説明するものでなければ ならないという. この批判は,サムエルソンの接近にたいしてそれほど決定的な意味をも つとは思われない.民閥財と公共財との区別を定義で決定すべきでないと いう批判は,公共財にたいするサムエルソンの定義が現実の多くの公共財 についてあてはまらないという批判に心きかえることもできる.民問財と (1) 公共財の区別が定義忙よって示されて乱 それが現実性をもっていれば, 阻題はないけずである.のちに取り上げられるように,催かにサムエルソ ンの公共財の定義け現実の多くの公共財についてあてはまらないかもレn ない.しかし,大部分の公共財は,多かれ少かれ外部経済をもっ.サムエ ルソンの公共財は, 100%の外部経済をもつ典型的な場合である.そして, かれの関心は,外部経済をもつ公共財にたいする消荒者一投票者の貞の選 好が投票機構において表明されないため,その供給が最適水準に達しない という点にあるのである. 2. コルムは丿寸分性(divisibility)あるいは不可分性(indivisibility)は, 政府部門によって供給される財と民同部門によって供給される財とを区別 する八準ではなく,むしろそれは,価格機樹の利川できる財とそうでない 財とを区別するものであるという.そしてかれは,政府は,価格欧構の利 川できない財,すなわち不可分匠で特徴づけられる財を供給するだけでな く,公営企業の例にみられるように,価格機樹の利川できる可分的な財を (1 ) Stephen Enke, "More on the Misuse of Mathematics in Economics ΛRejoinder," Review of Eco7iomicsmid Stati球a, XXX\1 (May : 1955), pp. 131-3 およびJulius Margolis,“A Comment on the Pure Theory of Public Expenditures," Review of Economics and Statistics," XXXVIl (Nov.1955),pp. 347-9。 ………47 − 政府支出理論の再考察 も供給することを指摘する. コルムのこの批判もそれほど重要であるとは思われない.というのは, サムエルソンの分折の対象がもっぱら価格機構の利用できない財であるか らである.価格機役の利刑できる財を政府部門が供給すべきか民問部門が (1) 供給すべきかは,また別の分析を要する問題であると思われる. 3.コルムはまた,サムエルソンの接近が,振谷支出,規制,資源保駿の ごとき政策の問題を説明できないと批判する. これもまたそれほど重要な批判ではない.政府は分割不可能な財の供給 のほかに.種々の広範な活動を行うが,それらはサムエルソンの分析では 放憲に除外されているとみられる. 4.コルムによれば,サムエルソンの接近は政治的意思決定の問題にも関 心を払うが,これは経済学の範囲を超えている.各個人が消防をエンジョ イするなどと考えるのは認めがたい.これは,人閥生活の政治的側面を, 政治的現象の本質とは相容れない概念的フレームワークのなかになりに組 み入れることになる.民問財を手に入れるときには市場機役をつうじて選 好を表示し,公共財を手に入れるときには政治的機構をつうじて選好を表 示するという形で現実をとらえ,これら二つを結合することによって各個 人に最適の艮聞財と公共財の組み合わせを導き出すという純粋なモデルを 桧成することは,それ自休誤りではないが,その上うな接近が実際に有益 であるかどうかは疑問であるとされる. またコルムによれば,各個人は,自分の社会の政治がいかにあるべきか についてそれぞれある考え方をもっている.ひとびとは自分にとって望ま しい政治の姿だけでなく,他人にとっても,また将来の世代のひとびとに とっても,望宜しい政治のおり方を描いていよう.そして,ひとびとが政 府活勁の決定に参加すると告には,民開財を選択するときのように,単に (1)この問題についてはR. A. Musgrave, The Theory of PublicFinance, 1959, pp. 44-6(水下和夫監修・大阪大学財政研究会訳「財政理論」工, で取扱われている. 48 − 65-8頁) 政府支出l理論の再考察 個人的な見地からだけでなくて,社会的な観点加乱訟思決定を行うであろ う.それは,現実にそうだというのではなくて,むしろその上うに仮定す るのであるが,この方がより現実的な考え方であるとされる. コルムのこの批判は注目に値するもので,マスグレイヴがこれを取上げ (1) ている.コルムがいうように,個人は,政治的問題を取扱うときには,市 場で悦問財を購入するときのように,単に個人的ないし利己的にのみ行動 するのではなくて,社会的ないし利他的紅考効,をもつであろう.だから, 公共財を選択する場合の個人の行動は,通常の消費者行勁とは異なるであ ろう.そこでは,個人は利己的にだけではなく,利他的にも行動するであ ろう.この点け.薗かに,コルムが指摘するとおりであろう. しかし,ひとびとが利他的,社会的な動機にもとづいて公共財を選択す るとしても,その基礎にある各人の選好は依然として主観的なものであっ て,公共財に関する選好加悦間財の場合にくらべてより客好丿白であるとは いえない.消行者一投票者がどのように行動するにせよ,民主的柚会では, 予算計画を各個人の逃好から導き出す必要がなくなるわけではない,した がって,公共政策に関する問題を取扱うときの目人の行動の社会的側面を 強調する考え方は,サムエルソンのような個人土義的な接近と根本的に異 なるものではなくて,それを修正するにすぎないものである. 5.サムエルソンの接近では,偏人が公共財と民間財のあいだで逃択せね ばならないということが典型的なものとみなされている.すなわち,個人 が公共財をより多く欲するならば,民開財をそれだけ断念せねばならない. これは,中間的な公共財についてはあてはまらない.この種の公共財は民 間財にしたがって動く.たとえば,自治水輸送を増強しようとすれ凪道路 を整備せねばならない.つぎに,政府の最終的サービスと悦同財とのあい だにはある種の相関関係かおる.生活水準が高くなれば,教育,娯楽施設, 市内の美化といった公共サービスに対する需要は増す.民間部門と公共部 (1 )R. A. Musgrave, op. cil., pp. 87-8. (邦訳, −49 − 127-30頁。) 政府支出理論の再考察 門とのあいだのこのような関係は,サムエルソンの接近では説明されてい ない.このため,かれの接近は,成長経済における民問部門と公共部門と の関係の分析に足を開いていない. コルムのこの批判には,論理的な混乱がふくまれているように思われる. まず,中間的な公共財にたいする需要は,見間財にたいする需要とともに 同じ方向に勤くというが,これは,見開財と中間的公共財とのあいだの柿 完関係のことである.つぎに,生活水準が高くなれば,つまり所得水準加 高くなれば,最終的公共財にたいする需要が増大するというが,これは公 共財需要にたいする所得効果と解釈できる.この所糾効果は,消費的ない し最終的公共財だけでなく,中間的な公共財にも問接に及ぶ.所得水筒が 高くなれば,所得効果をつうじて民間財にたいする需要だけでなく,最終 的公共財にたいする需要が増大し,これら民間財や最終的公共財の生産が 増加すれば,それにつれて巾問的ないし手段的な公共財にたいする需要が 高まってくる.コルムの議論は,このような民問財需要と公共財需要との 関運に開するものである.しかし,所与の資源のもとで,見開財と公共財 とをどれだけ生産するかは,やはりそれらのあいだの選択の問題である. この選択の背後には,単に公園のごとき消費財的公共財かパンのごとき見 問財かの考慮だけでなく,将来どれだけ交通量が増加してどれだけの足跡 の倍備が必要であるかの芳志もはたらくであろう.今期民閥財と公共財と のあいだにどのような割合で資源を投入するかは,このような配慮を法礎 とした選択の問題である.サムエルソンの描く公共財と民間財の無差別関 係もこのようなものとして理解さるべきものであろう. 以上,コルムの批判を検討してきたが,それはサムエルソンの接近を適 切に評佃iしていない部分もふくんでいる.コルムの批判は,広くサムエル ソンーマスグレイヴのタイプの政府支出理論にも向けられるはずのもので あるか,それによってそのようなタイプの接近が根本的に無効にされるわ けではなく,せいぜい修正を受けるにすぎない. 50 政府支出理論の再考察 皿 サムエルソンーマスグレイヴの接近の一つの特徴は,公共財がすべての ひとびとによって等しい数量だけ消費される財として収扱われる点であ る.そこで本節では,公共財の概念をめぐる問題を考察しよう. 公共財の典型的なケースは,サムエルソンが定義した「集合的消費財」 [!) (collective consumption goods)である.それは,すべての人々によっ て共同で消費されるので,ある人の消費が他の人々の消費を少なくするこ とはない.民問財の場合には,社会全体の消費(C)は,各個人の消費量 (Ci, C2,……, C,,)の合計である.すなわち> C=Ci十C2 +・‥‥‥-│G という関係が成立する.これに対して,純粋な公共財の場合には,各但│人 の消費量(Xu,忌,……,Xn)はすべて相等しく,それはまた,社会全 休の消背Li: (X)にも等しい.すなわち, X=Xi = X2 =……=x,,という 関係かおる.国防のごときは,その代表的な例であろう. このような公共財の定義にたいしては,エンケおよびマーゴリスの批判 (1) かおる.かれらによれば,政府によって供給される財のうち非常に多くの もの,たとえば,ハイウェイ,病院,図占:館,驚察,㈲方のごとき財は, サムエルソンの定義にあてはまらないという.これらの財が供給されると き,もしある人々がこれらを利用しなければし他の人々はそれらからより 多くの利益を亨受するであろう.サムエルソンのいう集合的消冊財は,民 間財と両極を構成するごくわずかの種類の財にすぎないという. このような批判は確かにもっともである.事実,公共部門はサムエルソ ッの定義に該当しない多くの財を供給している.しかし,サムエルソンや (1 )p. A. Samuelson, "The Pure Theory pp.387-9 および“Diagrammatic of Public Expenditure," op. cit。 Exposition of a Theory of Public Ex- penditure,"op. cit.,pp. 350-6. (1)S. Enke, op. cit.およびJ. Margolis, op. cit. −51− 政府文出辺論の再考察 マスグレイヴが関心を払う問題一 消費されるような財にたいする真の選好が表示されにくく,その結果,そ のような財の供給が最適の水準に達しないという問題一が,なくなるわ けではない.サムエルソンやマスグレイヴの分析の重点は,まさにこの点 にあるのであって,公共財の定義はむしろ第二次的な問題であるとみられ るべきであろう.かれらの理論が,公共財の不十分な定義を法礎としてい るからといって,それが無効となるわけではない.サムエルソンやマスグ レイヴによっても,すべての人に等しく消費されるという特徴が,公共財 の一部のものについてのみ妥当するものであることは認められている. マスグレイヴは,サムエルソンの公共財の定義が一部の財にしかあては まらないことは認めながらも,そのような財の供給に閲する議論の妥当す る範囲ははるかに広いことを指摘する.なるほど,公共財の多くのものが 特定の人々に利益を与えるようにみえるけれども,同時にそれは間接的に 他の人剣・こも利益か及ぶ場合が多い.つまり,多くの公共財は,外部径済 をもっている.このような外部経済を考慮にいれてくると,すべての人に 等しく消費される財を基礎とする議論は,公共財のきわめて広範な部分に (1) ついて,その妥当性をもつとされるのである. サムエルソンによる公共財の定義に開運して,注目すべき問題は,公共 財からの利益について「客岡的利益」と「主観的利益」とを区別する考え 方である.それによれば,純粋な公共財の消背量がすべての人について等 (2) しいというとき,それは公共財の「客紆バi勺利益」が等しいとされる.しか し,公共財の客観的利益にたいする人々の評価は異なるかもしれない.こ のとき,公共財の「主節句利益」は異なるとされるのである.たとえば, 開方を宗祖する人々もあれば,これを軽視する人々もあるというようなも のである.それは,囚防という公共財にたいする主観的評価のちがいであ (1)R. A. Musgrave, (2)A. Breton, "A Theory of Government op. cit.,p. 89.(邦訳, 130-1頁.) Economics and PoliticalScience, XXXI −52 − Grants," C・'anadianJournal 吋 (May 1965),p. 176. 政府支出理論の再考察 り,ここにいう公共財の「主観的利益」のちがいである. この区別は,応益課税の厳密な定義を与えるにあたって有益である.あ る公共財からの客観的利益が等しいからといって,すべての大に等しい課 税がなされるべきだということにはならない.たとえ客言句利益は同じで あっても,士観的利益は同じであるとはかどらない.輿の意味の応益課税 の定義にあたってIE 要なのは,主観的利益である.人々の公大財にたいす る主観的抑(i!liに応じた課税こそ,厳密な意味での応益課税である.客観的 利益が等しいからといって,すべての大に等しい税負担を課するのが,応 益課税とされてはならない. とはいうものの,この意味の応益課税を実行に移すことは容易でない. 各私1人の主観的評価に応じた課税を行うには,そのような主観的評価が知 られればならない.しかし,公共財の客観的利益は大剣でよって集合的に 消費されるという性質をもつから,各人はその代価を支払うことなしに利 益を受けようとするであろう.このような事情は,公共財にたいする人々 の八の上伽内評価の表明を妨げ,その上うな財の効率的な給付を│利難にす る. 純粋な公共財はすべての大の消費量が等しい財であると定義されたが, 公共財のすべてがこのような性質をもつわけではない.だから,公共財一 般の定義としては,上述の定義はかならずしも適当てない.公共財−・般を 定義するとすれ凪 それはすべての大の消費量がかならずしも等しくはな いが,ある人の消費量がかならずしもそれだけ他の人々の消費量を減らさ (2! ない財であるといえよう. (3) 公共財は将干の次元で類別できる.たとえば,あるものは消費者からの が離によって類別で告る.この種の公共財は,消賞者に近いほど,消賢者に ( 1)R. A. Musgrave, op. cit.,p. 8.(邦訳, 10-1頁.) (2 )A. Breton, "A Theory of Government Grants ," op. cit.,p. 177.この 論文では公共財を呼ぶとき,「非民問財」(non-private good)という語 が用いられている. (3 )A. Breton, "A Theory of……," op -・-・・-53 − 政府支出理論の再考察 利用可能な数量は多くなり,消賢者から遠ざかるほど,消賢者に利用可能 な数量は少なくなる.消防,病院,公H, │a書館のごときものが,この種 の公共財であろう.これらの財から得られる客映的利益は,消賢者がそれ から贈れるほど,少なくなる. また,ある種の公共財の場合には,それを消費する人数がふえるほど, 個々の消賢者に利用可能な客観的利益が大きくなる.たとえば,予防接種 のごとき場合には,これをたったひとりが受けるときよりも,その社会の 住民全員が受けるときの方が,予防接種が各個人にもたらす利益は大吝く なる. Ⅲ 新しい政府支出理論にたいする最大の貢献者はマスグレイヴであるが, かれの所説の細部についてはその後若干の批判が出心れてきた.本節では まず,マスグレイヴの議論のうち問題の部分の概要を述べておこう. マスグレイヴによれば,効率的な予算を決定する問題には,二つの荒木 (1) (2) 的困州かおるという.第一は,消行者一投票者が社会的財にたいする真の 選好を表明しないということである/第二は,第一の困州能白銀されると して乱 なお残されるもので,それは次のようなものである.すなわち, 民問財の供給の場合には,与えられた所得分配を基礎として,ただ一つの パレート最適解に到達できるのにたいして,社会的財が導入される場合に は,与えられた所得分配のもとで,無数のパレート最適解か成立し,この ため,効率の基準によって単一の解を決定できないというものである.マ (1)R. A. Musgrave, op. cit.,p. 8.(邦訳,10……一一1頁.) (2)マスグレイヴにおいては,「社会的財」(social good)という言葉は,特 殊の便宜のため以外には,用いられない.そのかわりに「社会的欲求」 (social want)という言葉が用いられる.社会的欲求とは,すべての人々 に等しく消費されるような財によってみたされる欲求のことである.以下 に述べるマスクレイの分析では,社会的欲求をみたす財という意味で,社 会的財という語が用いられる.この語の意味は,サムエルソンの定義した 公共財と同じである. 54 政府支出理論の再考察 スグレイヴによれば,これは,社会的財が供給される場合に固有のもので (1) あるとされ,かれのくわしい分析で特に強調されている.マスグレイヴの 諭論にたいしてなされたのちの批判というのは,この点に関するかれの分 析にたいしてである. マスグレイヴの分析は,次のようなものである.開題は,消戮者一投票 者の莫の選好が既知である条件のもとで,民開財と社会的財のあいだに坂 適の資源配分を行うことである.図工,ⅡおよびⅢは,この問題を分析す るマスグレイヴの図解の複写である.各図の松軸には民問財の産出最が, (2) 社会的財 社会的財 社会的財 縦軸には社会的財の産出足が,それぞれとられている.図工のEFは変形 民間財 図 T[ 民間財 団 I[ 民間財 図 m 曲線であり,図ⅡとⅢには個人AとBの無差別曲線がそれぞれ描かれてい る. ocとODは,それぞれ,民開財のタームでの個人AとBにたいする所 得分配であるとされ,個人AとBにたいする分配比率OC/OEとOD/OE (3) は,民開財と社会的財の産出量構成に関係なく,不変であると仮定される. さらに,社会的財を供給しようとするとき,政府は,社会的財が生産さ れないときの各個人の厚生水準を下回るような社会的財の供給をしてはな (1)R. A. Musgrave, (2)R. (3)R. A. Musgrave、op, cit.,p. 81.(邦訳,119頁.) A. Musgrave, op, cit.,pp.81−2. (邦訳,119頁.)この仮定には問題 op. cit。p. 8 fr. ( 邦訳,118頁以下ご) がある.それはあとで検討される. −55 − 政府支出理論の再考察 らないという制約条件がつけられる.偏人Aはその無差別曲線八上を任意 (1) に勁くものとする.この無足別間線八は,民問財ocと社会的財ゼロとい う組合せをふくむものとされる.変形面線EFによって生産の限界が与え られると,無差別│抽線ら上における鋲│人Aの位置に対応して,個人に利川 竹能な柚会的財と」叉問財の組合せが決まってくる.曲線MDはその上うな 組合ぜを示す.点wは,曲線MDが可能なもっとも高い無差別m線に接す る点であり,この点によって決定さ才七る社会的財OGと民開財OKという 数量は,佃人Aがその所得を民問財だけで保持するときよりもその厚生状 態を低下させずに,佃│人Bが獲得できるものである. 同じ手続きを,価!人Bをその無芳別iJ:ll線八に沿って勁かすことによって, 個人Aについて行うことができる.曲線JVCはその上うにして得られるも ので,個人Bがその無差別川│線八上を任意に動くとき,個人Aに利川可能 な社会的財と民問財の種々の組合せを示す.点?は,曲線NCが個人Aの 最高の無差別曲線に接する点であり,この点け社会的財OJと」元開財OQと いう組合せを決定する.この組合せは,個人Bの厚生状態を,かれがその 所得を全部民問財の形で保持するときよりも低下させずに,獲得できるも のである. 上述の分析で展開されたパレート最途点(点wや?のごとき)は, liiy の効用フロンティアとして示される.点到ま,個人Aが社会的財と艮開財 の組合せpをもつときのか才tの厚生の序数的水行と,個人Bが財の組合せ 7をもつときのかれの厚生の序数的水準を示す.また,点yは,個人Aが 社会的財と民間財の組合せyをもつときのかれの厚生水準と,個人Bが財 の組合せwをもつときのかれの厚生水準を示す.効用フロンティア上のそ の他の点は,当初の所得分配を変えることによって,得られる. 以上の分析よりマスダレイヴは次のように結論する.すなわちt帽vに (1)R。A. Musgrave, op. cit。p.82.( 邦几119頁うこの条件もマスグレイ ヴの分析の一つの問題点であり,あとて取上げられる. (2)R. A. Musgrave,op. cit., p.83より. (邦訳, 122頁より.) 一56一一 政府支出理論の再考察 おけるxyzという領域(ただし点zは除かれる. )八t会的財が給付され Aの厚生水準 Bの厚生水準 図 IV ないときの個人AとBの厚圭状態を示す点Zより乱個人A, Bまたは両 者の厚生状態を改作する無数の解を示す.これらの解のうちから選択する にあたって,政府は効用フロンティア上のある点を選ぶであろう.という のは, 舒上の点以外の点は,効用フロンティアに移行することによって, 総IS生か高くなる余地があるからである.問題は,効川フロンティア巧上 の点のなかからの選択であるが,それは資源配分に関するパレート最適の 条件にもとづいて行うことはできない.なぜなら,砂上の点はすべてパレ ート最適の条件をみたすからである.このため,そのような選択を行うに は,刎の翁準が必要とされる.しかし,この刎の浩mは倫理的な考慮によ って決められうるもので,経済分\斤の決めうる問題ではない.かくて,マ スグレイヴによれば,斑閥財の場合には,所与の所得分配を基礎として, 最適解か一浪的に決定されるのに対して,社会的財のI'--合には,所与の所 得分配の上に無mの最適解が成立するとされるのである. rv さて,前節で述べたマスグレイヴの議論の若卜の回屈点を検討しよう. 1.マスグレイヴは,社会的財を供給する場合には,所与の所得分配を基 礎にして,無数のパレート最適解が成立すると結論したが,それは社会的 財が供給される場合にのみ固有のものであろうか.いいかえれば,民開財 − 57 − 政府支出理論の再考察 だけが供給される場合には,所与の所得分配を基礎として,単一一の最適解 が得ら才1るであろうか.これが,マスグレイヴの分析にたいする・第一の問 題点である.もし,マスグレイ丿がいうように,民開財の場合には,単一 の最適解を決定でき,社会的財の場合に,それが不可能だとするならば, かれのモデルに民問財だけを用いるときに乱単一の最適解に到達できね (1) ばならないはずである.そこで,それができるかどうかを検討しよう. 図v√VIおよびⅦは,マスグレイヴの図解の二つの軸にいずれも民同財を ぐ2シ はかって,がれと同様の手続きを施したものである.個人Aはその無佐刎 曲線吋上を任意に勁くものとしよう.すると,変形曲線との阻係から,個 人Bに利灯可能な民問財1と2の組合せを示すi:l↑㈲として,M£が得ら れる.この点を図珊とJXでもう少し説明しよう.図剔は図vに個人Aの 無麓別曲線吋 力行冷込まれたものである.い訓囚人Aがその無差別曲線 上の一点£に位置すると想定しよう.そして,H 'LUで問まれる部分を,図 良甘熟2 民間財2 ○ 民間財1 民間財1 図 VI な【 VI IXの岫の上に移そう,HOUという図形がそれである.これは,個人Aが その無ズ別曲線i±.の一点£に位置するときに,個人Bに利朋可能な民問 (1)この点はA. M.Sharp and D. R. Escarraz/A Reconsideration of the Price or Exchange Theory of Public Finance,”Southern・Econofnic Journal,XXXI (Oct. 1964), pp. 132−9によって指摘された. (2 )A. M.Sharp p. 137より. and D. R. Escarraz,"A Reconsideration of……,゛゛op.cit。 58 政府支出理論の再考察 財1と2の無数の組合せを示す.ところで,個人Bはこのなかからもっと も高い無差別Illl線に接する組合せを選ぶものとみられるから,個人Aの位 置£に対応して,Bに利用可能なある一つの組合せ,たとえば7が決まる. このような手続きを,個人Aの無差別曲線fのすべての点について行うこ とによって得られるものが,図Ⅶの曲線MB'である. これと同じ手続きを,個人Bがその無永別曲線河上を勁くものとして, 適用したものが,図VIの曲線NOである. 民間財2 0 D C E 民間財1 囚 V 民間財2 民間財2 H 0 C 民間財1 0 U 民間財1 図 \i 図 ]X (I(l線MDとNOは,それぞれ,マスグレイヴの図解における曲線MDと NCに対応するものである. −59 − 政府支出理論の再考察 個人Aが個人Bの厚生状態を悪化させることなしに保持しうる民問財1 と2の数景は,それぞれ, OQとOJであり,また,個人Bが個人Aの厚 生を低¨下させずに保持しうる民 問財1と2の数量は,それぞれ,OGとOK である. m 民問財だけを川いた分丿斤で展開されるパレート最遡点け,図Xにおける 効用フロンティアとして示される.これは,図Ⅳと同じようなものである. 点OCpと外は, 図Ⅳにおけるjrとyと同じ意味をもつ.ただ,この場合には, 二つの民間財の供給されるべき数浪がどれだけであるかが問題にされてい る. らy-p りという領域(ただし点勾は除かれる)は,個人A, B,ま たは両者の厚生状態を点貼(この点では民間財2は供給されない. )に おけるよりも改作するところの可能な無数の解を示す. Aの厚生水準 iiT i.W Bの厚生水準 図 X このように,マスダレイヴのモデルが,社会的財と民開財が朋いられる 場合にも,民[川財だけが用いられる鳩合にも,無数のパレート最適解にぶ つかることが示される。したがって,マスグレイヴの結論一一すなわち, パレート最適解が無数にあるという結論一一は,社会的財が導入される場 合だけでなく,民間財だけが供給される場合にも,あてはまることになる。 マスグレイヴがかれのモデルから,単一の最適解に到達できないと結論す ることは正しいが,それが社会的財が導入される場合に特有のものである (1)A. M. Sharp and D. R, EscarraZ, “A Reconsideration of……,’op. cit。 p,138より. −60 − 政府支出理論の再考察 というのは,適当ではないであろう.民問財だけのモデルの場合にも,単 一の最適解には到達できないのである. 2.マスグレイヴの分析では,社会的財と民間財の産出量構成とは関係な く,当初に与,えられた所得分配が不変にとどまると仮定される,しかし,か れの川いるmmにおいて所得分配を貨幣タームで定義するのは石当でない ように思われる.かれのモデルでは,所得分配を表わすのは,財の物理的数 浪ではないだろうか.すなわち,解かpであるときには,旧人Aは民問財を 00だけ,個人Bは八問財をORだけ,そして社会的財は両者ともOJだけ, それぞ汗分配されることになる.また,解wのときには,個人Aは民問財 をOSだけ,勤│人Bは八問財をOKだけ,そして柚会的財け出者ともOGだ け,それぞれ于ぺこ入れることになる.したがって,礼会的財と民問財の産 肝則帽戊の如何にかかわらず,ブ辻│の分配率が, AについてはOC/OE, BについてはODノOEのままにとどまると仮定するのは,石当でないよう {!) に思われる. 3.マスグレイヴの分冊では,当初に適正な所什分配が与えられ,これを 基礎として(民開財だけが供給されるときの各個人の厚生水草を低下させ ることなしに)・<■]l会的財の供綸を導入しようとするとき,無数のパレート 侃石解にぶつかる.そして,これらの解のなかからの選択は,社会的ノゾ生 関数によって決定される. ノル かし,このモデルには問題かおる.まず,柚会的厚化関数が決定され なければ,当初における適正な所得分配も決定できない.さらに,このモ デルでは,社会的厚生関数が決定されると,所得分配と,才……│.l会的財と民問 財とのあいだへの資源配分とは,同時に決定されると考えるべきである (2) (3) う.このことをi図x[で示そう.横組と縦軸には,それぞれ,個人AとBの (1 )A. M. Sharp and D. R. Escarraz, "A Reconsiderati)n of……," op. cit、, p,136, footnote 12による. ( 2 )G. R. Sparks, "Professor Musgrave's Theory of Public Expenditures," Canadian Jo附nrnalof Economics and PoliticalScience,XXX (Nov. 1964), −61 − 敢府支出理論の再考察 厚生水準がとられている.曲線LMは,民pi財だけが供給される場合に変 形褒によって規定される効用フロンティア,曲線PQ尺Sは,社会的財が導 入される場合の同様の効用フロンティアである.社会的厚生関数が, 八や Izのように与えられると,社会的な最適解はそれらと効用フロンティアと 個人Aの厚生水準 M S ¨ イ囚人Bの厚生水準 図 XI の接点に決まる. PQRS上のうちQRという範囲は,社会的財の海入がそ の社会のだれの厚生状態をも悪化させてはならないというマスグレイヴの 制約条件をみたす.しかし,社会 的厚生関数と効用フロンティアPQRSと の接点は,Q尺の範囲内にあるとはかぎらず,図XIIで示されるように,社 個人Aの厚生水準 M S 個人Bの厚生水準 図 廷 pp. 591-4・ (3 )G. R. Sparks,“Professor Musgrave's Theory −62− of……,”op. a7.,p. 593より. 政府支出理論の再考察 会的厚生関数の性質によっては,それ以外の点てあることもありうる.し たがって,社会的財と民開財とのあいだへの資源配分は,社会的財が生産 されないときの所得分配を基礎として社会的厚生関数によって決定される というよりも,社会的厚生関数が決定されると,所得分配と資源配分とは 同時に決定されると考えるべきである. 以上,マスグレイヴの分析に関するお干の回題点を検討してきたが,最 後にその結論を付け加えておこう.マスグレイヴは,民開財だけのモデル では最適解か一義的に決定されるのにたいして,公共財をふくむモデルで は,経済的基準によっては最適解が決まらないことを強調したが,むしろ次 のように考える方が治当のように思われる.民開財だけが生産される場合 には,無数のパレート最治解のなかから選択する基準,すなわち社会的厚 生関数があたえられるならば,政府は所得分配を所俗移転によって調堕し さえすれば,市場機樹によってただ一つの最適解か実現されるということ であり,他方,社会的財が導入されると,競争的市場機構は社会的財の最 辿給付水準を決定できないということである.社会的財の最適水準を確保 できないのは,社会的財がすべての人々によって等しく消費されるという 性質をもつため,人々はそれにたいする真の選好を表明しかいからであ る.社会的財の給付に固有の特徴は,無数のパレート最m解か成立すると いうことではなくて,社会的財にたいする真の選好が表示されないという (1) (2) ことである.これは,すでにサムエルソンによって示された点てある. (1) G. R. Sparks, "Professor Musgrave's Theory (2) p. A. Samuelson, "The Pure Theory of……7 −63 − of……、' oP.cit. op. cit、