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帝王の子犬は大志を抱く?

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帝王の子犬は大志を抱く?
帝王の子犬は大志を抱く?
眠り猫
!18禁要素を含みます。本作品は18歳未満の方が閲覧してはいけません!
タテ書き小説ネット[R18指定] Byナイトランタン
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁ノクターンノベルズ﹂﹁ムーンライトノ
ベルズ﹂﹁ミッドナイトノベルズ﹂で掲載中の小説を﹁タテ書き小
説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は当社に無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範囲を超え
る形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致します。小
説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
帝王の子犬は大志を抱く?
︻Nコード︼
N5766DN
︻作者名︼
眠り猫
︻あらすじ︼
﹁僕の身体を買ってください。なんでもします﹂
母親の心臓病が悪化して、手術のために1000万円必要なアキラ。
母子家庭で親戚とも疎遠のアキラには、逆立ちしても作れない金額
だった。
さい
高校を中退して、似た境遇の仲間と一緒に、ふらふらしていたア
キラの身に、突然降りかかってきた不幸。
思い余ったアキラは、六本木の帝王と呼ばれているSAIという男
1
の前で、土下座をして必死に懇願した。
六本木の帝王は、何も聞かずに1000万円ポンッと出してくれた。
その代償は、アキラが高校に復学し住み込みの家政夫として働く事
だった!?
さい
意外にも甘い条件に、感謝してもしたりないアキラは、懸命に六本
木の帝王SAIに尽くすのだが⋮⋮。
2
プロローグ
18時頃、そろそろ辺りは薄闇に包まれようとしていた。
六本木通りを歩いていたSAIの前に、突然、スタジャンにデニム
パンツ姿の少年が飛び出してきた。
一目でわかる端正で美しい甘い顔立ち。
どこぞのモデル事務所に所属しているか、アイドルの卵だろうかと
思った。
まだ年の頃は十代くらいだろうか。未成熟な幼さを感じた。
自分の前で土下座して必死に訴える。
﹁僕の身体を買ってください。何でもします。﹂と。
取り巻きが笑いながら﹁なんだよそれ?﹂﹁身売りか?﹂とはやし
立てる。
いたずらにしては手が込みすぎていた。
思わず﹁どういうことだ?﹂とSAIは尋ねてしまう。
顔をあげた少年は必死に、母親が心臓の病気で手術代が1000万
円必要な事。
金策のアテがなく困っている事。
仕事は選ばずなんでも必死にやるし、命令には絶対に服従する事を
切々と訴える。
売り物になりそうな甘いマスク、なりふりかまわず必死になれる捨
て身さ加減。
どれをとっても理想的だった。
面白い玩具が転がり込んできたと、内心SAIは心躍る気持ちだっ
た。
3
﹁いいだろう。立て。キャッシュでいいな?﹂
そうSAIが言ってやると、少年はぱあっと花が咲いた様に笑顔に
なる。
﹁ありがとうございます!本当に本当にありがとうございます。﹂
コンクリートの道に頭をこすりつけて礼の言葉を繰り返す姿は、十
二分にSAIの虚栄心を満たすものだった。
﹁マジっすかSAIさん﹂取り巻き達がざわめくなか、SAIは少
年の目線までかがんでやり、﹁顔をあげろ﹂と言ってやった。
おずおずと頭を上げた少年の塵にまみれた髪をSAIは払ってやっ
た。
﹁今からお前の所有者はこの俺だ。わかったな?﹂
﹁はい!ありがとうございます。これでおふくろに顔向けできます。
これからSAIさんに一生尽くしていきます。よろしくおねがいし
ます。﹂
そう言って少年はまたコンクリートの地面に頭をこすりつけて礼を
言う。
それから、あの六本木の帝王SAIが少年を買ったと、尾ひれがつ
いて噂が広まるのに、そう時間はかからなかった。
無責任な噂は留まることを知らず、SAIはそっちのケがあったの
かと下卑た輩の口にかかれば、ホモセクシャル的な人身売買話に仕
立て上げられ、六本木界隈では都市伝説になりつつあった。
そんな無責任な噂話から少年を守るため、SAIは少年を六本木界
隈から遠ざけ、都内の高校に復学させていた。
自宅に住まわせ、家事をはじめとした身の回りの世話をさせ、少年
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の適性を見極めようとしていた。
母子家庭で育っただけあり、少年の家事能力は手慣れたもので、特
に料理は何を作らせても絶品だった。
普段なら外食で済ませるところを、少年の手料理を食べるために、
いそいそと帰宅してしまうSAIだった。
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1
たかおかあきら
少年ことアキラは、フルネームを鷹岡明と言う。
17歳という微妙なお年頃だ。
一度高校を中退したものの、SAIのおかげで復学して、今は都
内の高校で2度目の高校一年生をしていた。
並みはずれた美少年だったが、幸か不幸か本人にはその自覚がな
い。
色素の薄い自然茶髪と、パッチリと二重の魅惑の瞳は見るものを
魅了した。
何度かモデル事務所や芸能事務所にスカウトされていたが、芸能
界は雲の上の世界と信じ切っており、自分などが通用する世界では
ない、との達観からすべて断っていた。
自己評価の低いリアリストのアキラには、何かの詐欺なのではな
いかと疑念が生じこそすれ、自分がイケているとは微塵も思わなか
ったのだ。
おそらく芸能界デビューしていれば、主演ドラマの一本や二本、
すぐに舞い込むだろうポテンシャルを持ちながら、完全に宝の持ち
腐れだった。
さいたに
そして今、アキラは六本木の帝王SAIの料理番兼ハウスキーパ
ーの仕事に邁進していた。
あつし
一方、六本木の帝王SAIと二つ名で呼ばれる男は、本名を才谷
敦と言った。
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今年で28になる。
身長189cmと上背があり着やせして見える。
古武道で鍛え上げられたソフトマッチョな肉体は、凶悪なまでに
セックスアピールを拡散していたが、当の本人は至ってストイック
だった。
顔立ちは釣り目がちの、きつめの美形という形容が最も相応しい
だろう。
大学時代のあだ名がSAIだった事もあり、親しい人間からはS
AIもしくはSAIさんと呼ばれていた。
大学時代にはじめた株と外貨FXで財をなし、それを元手に金融
業をはじめとして、手広く多角経営する実業家だ。
IT長者も多い六本木で帝王と呼ばれるのには訳があった。
SAIはもっぱら、資金繰りに行き詰った大企業や、IT長者を
相手に金を貸した。
返済に困った大企業やIT長者の資産を差し押さえ、次々に傘下
に収めていく冷徹な手並みは、六本木界隈では知らない者がいない
程だった。
金融映画として有名な﹁ミナミの帝王﹂になぞらえて、いつしか
﹁帝王﹂と呼ばれるようになり、それが独り歩きして六本木の帝王
SAIの伝説は不動のものになりつつあった。
六本木界隈で遊んでいたアキラは、自然と六本木の帝王SAIの
噂を耳にしていた。
あれがSAIだと仲間から教えられ、気が付くと無策に土下座し
ていた。
自分でも何を言っているのか、わからなくなるくらい、アキラは
とにかく必死だった。
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意外にもSAIは親身になって話を聞いてくれ、1000万円の
入った封筒を持って、母の入院する病院まできてくれた。
そして、﹁これは息子さんを住み込みの家政夫として雇うに当た
っての前金です。高校にも復学させますので安心してください。﹂
と名刺を出して挨拶し、アキラの母を安心させてくれた。
その上、高校の学費まで出してくれて、アキラはこれ以上感謝の
しようのないくらい深く感謝していた。
高校の授業が終わると、すぐに母の病院に寄り、急いでSAIの
マンションに帰ると、ネットスーパーで買った食材で、夕飯の仕込
みに入る。
夜7時には食べられるように時間を逆算して作り始めるのだ。
それと並行するように水回りの掃除をしたり、部屋をハンディー
ワイパーで掃除したり、細々とした雑用をこなす。
そして才谷のワイシャツにアイロンをかけ、靴磨きを終える頃に
は才谷が帰ってくる時間になるという訳だ。
当初、才谷は午前様で食事も外食ですませてくることが多く、夕
食はアキラひとりでいることが多かった。
だがある時、アキラの作ったビーフシチューを一口食べると﹁店
で出せるな﹂と、ビーフシチューのソースをバケットで拭って、全
部食べてくれた。
それからはアキラの得意な和食や中華、エスニック料理も披露し、
才谷はどれも美味しいと言って、一片も残らず食べてくれるので、
後片付けはたいそう楽なものだった。
才谷の仕事の事情によっては、夕食の時間が遅れる事もあったが、
事前に電話で遅れる旨連絡が来るので、それに合わせて食事を作る。
それ以外の時間は学校のレポートをやったり、試験勉強をしたり
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することが許されており、格段に楽な職場だった。
楽すぎて申し訳ないので、ついあれもこれもと手を出しては、﹁
そこまでしなくていい﹂と、才谷に笑われた。
9
2
アキラの母の心臓の手術は成功し、病院で療養生活を送っている。
SAIは折触れては、見舞いの花や果物持参で、アキラの母を見
舞ってくれて、﹁何かお困りのことはありませんか。遠慮なく言っ
て下さいね﹂と、気配りを忘れない。
アキラの母の入院中の諸経費を払っているのはSAIで、母はし
きりに恐縮し何度も何度も礼を言うのだった。
そして平穏な生活が続いていて、アキラはかろうじて高校二年に
進級していた。
もちろん、相変わらずアキラはSAIのマンションで料理番兼ハ
ウスキーパーを続けている。
夏休みを控えた6月初頭、SAIは唐突に言い出した。
﹁アキラ、俺とゲームをしろ。﹂
洗濯ものを畳んでいたアキラは、唐突なその台詞に手を止めた。
﹁ゲームですか?﹂
愛玩犬の様な瞳をしばたいてアキラは、SAIを見上げた。
SAIはアキラをパソコンの前に連れていくと、目の前で証券会
社のサイトにアクセスし、IDとパスワードを打ち込んでいく。
SAIはアキラに株のチャートの見方や取引を、いちから細やか
に数週間がかりで教えた。
そして、証券会社が主催している株のバーチャル取引サイトで、
教えたことをどの程度実践できるか試した。
アキラがほぼ理解したのを確認し終えるとSAIは、
﹁バーチャルではなく、本物の証券会社のサイトの、このIDでや
ってみろ。100万円を元手に、夏休みの期間中、500万円まで
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増やせたら、家政夫の仕事から解放し、おふくろさん共々、一緒に
生活できるくらいの資金は出してやる。﹂と言った。
﹁俺、SAIさんのお役に立ちたいんです。今の仕事も負担だなん
て少しも思ってないし、いきなりどうして。﹂
アキラにはSAIの真意は推し量れなかったが、自分がどうやら、
放り出されそうになっている事だけは理解した。
﹁ゲームだと言ったろう。俺を少し楽しませてみろ。お前が勝った
ら好きなところへ行け。本当にここに残りたいのなら、そうしても
いい。だが、ゲームに負けたら、ちょっとした罰ゲームをしてもら
う。命に関わることではないから安心しろ。これは命令だ﹂
不敵に笑うSAIにそこまで言われるとアキラは反抗のしようが
ない。
こうして、アキラの人生を賭けたゲームは幕を上げた。
アキラは朝6時に起きて朝食を作り、それをSAIと一緒に食べ
終わると、後片付けをしてパソコンの前に座る。
教えられたIDとパスワードを打ち込み証券会社のサイトにログ
インする。
アキラはSAIに素人のうちは9時半から取引に入れと言われて
いた。
朝9時からの30分間は1日の中で一番商いが活発で値動きの激
しい時間帯だ。
慣れないうちに手を出すと、あっという間に元手の資金を吸い上
げられ、夏休み最終日と言わず瞬殺でゲームオーバーになってしま
う。
だから、SAIが教えたのは一番やさしいデイトレードの方法だ
った。
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朝9時半の段階で、前日終値から15パーセント以上値上がりし
ている銘柄を抽出する。
その中で、平均売買高が1億円もしくは5000万円を超える銘
柄を抽出し、買い注文が売り注文の2倍から3倍以上の銘柄を見つ
け出す。
そして、その銘柄の本日のストップ高の値段から、3パーセント
下の値段まで上がったところで、100万円で買えるだけめいいっ
ぱいの株数を指値で買い注文を出す。
株の世界では、値段を指定して、売買注文を出すことを指値とい
い、いくらでもいいので、買いたいという注文方法を、成り行きと
呼ぶ。
とある銘柄の本日のストップ高が1030円だとしたら、100
0円まで上がるのを待つ。
そして1000円で指値買い注文を出し、1030円で指値売り
注文を出す。
こうすると素人でも、売買手数料を差し引いて、コンスタントに
3万円弱の利益を上げられる。
1日に何度もこれを繰り返すことをループトレードと言う。
だいたい素人でも1日辺り10万円から20万円以上の利益が得
られる。
SAIの教えどうりにアキラはコンスタントに利益をあげていた。
常日頃、自己評価の低いアキラだが、毎日数十万円単位で実入り
が増えていくにつれて、珍しく﹁なにこれ俺最強﹂な気分を味わっ
ていた。
そう途中までは。
それは夏休み5週目の金曜日の事だった。
午前中に目ぼしい銘柄で稼ぎ切って、午後の取引でもうひと稼ぎ
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と欲を出したのがいけなかった。
買った途端にナイアガラの滝の如く、勢いよく下落して、アキラ
は損を最小限に抑えようと、あたふたしているうちに、元手は89
万円まで下がっていた。
顔から完全に血の気が引いた。
もう少しで500万円に手が届きそうだったのに、ここまで下が
ってしまっては、あと5日足らずで500万円に到達できる可能性
は、ほぼゼロに等しかった。
うなだれて、どうしてもうひと稼ぎしようなどと、欲を出したの
かと自分を責めた。
ゲームに負けたら、自分はどうなってしまうのだろうかと思うと、
アキラは絶望的な気分になった。
こうして、アキラの長かった夏休みが終わった。結果は218万
円。
SAIはその結果を見て一言、﹁ゲームオーバーだな﹂と言った。
アキラは傍目にもわかるぐらい、がくりと肩を落としてうなだれ
ている。
そして、罰ゲームがあると聞かされていたアキラは、戦々恐々と
SAIを見上げた。
捨てられた子犬の様に目を潤ませて、じっとSAIを見つめてく
る。
なんだこの可愛い生き物はと、内心キュンとくるSAIだった。
だが、そんなアキラにSAIは言った。
﹁指定された場所に行って、指定された服を着たり脱いだりしなが
ら、カメラマンと適当にしゃべるだけの単純な作業だ。写真は向こ
うが勝手に撮るから、お前は自然体でいればいい﹂
﹁SAIさん、それって⋮⋮﹂
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アキラは呆然とする。
それは世間では、モデルと言われる仕事なのではないのかと、鈍
いアキラにも理解出来た。
自分がモデルなんて無謀すぎる。
つい口に出ていた様でSAIが笑った。
﹁才谷グループのCMに出てもらうためのほんの小手調べだ。せい
ぜい働いてもらうから覚悟しておけ﹂
アキラ本人にとってはほぼ死刑宣告に等しかったが、アキラのめ
くるめく運命の扉が開かれた瞬間だった。
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3
こうがかおり
SAIこと才谷と、大学時代からの女友達でカメラマンの高河香
は、アキラの手料理をつまみに宅飲み中だった。
﹁アキラくんがいればお嫁さんいらないわね。ああ、私も専業主婦
のお嫁さんが欲しい!﹂と、香は本音すれすれのジョークを飛ばす。
セミロングのウェービーヘアがとてもキュートで可愛らしい、黙
っていればとても美人で魅力的な女性だった。
才谷に言われて地図を片手に撮影現場まで行くと、可愛い系の美
人な女性カメラマンの高河香が、ニコニコと迎えてくれた。
緊張でガチガチのアキラに、香は大学時代の才谷の話を面白おか
つわもの
しく話して聞かせ、アキラばかりか、その場のスタッフ全員を、大
爆笑させた強者だった。
それからはアキラもリラックスする事が出来て、何回か衣装を変
えながら、撮影は進んでいった。
香の指示どうりに動いていき、シャツのボタンをはずした半裸の
ショットも撮影されたが、相手が女性のせいか、それほど抵抗はな
かった。
あっというまに香に心を掴まれ、意外にも撮影は終始楽しかった。
撮影が終わると、自然な流れで香は才谷のマンションまでついて
来た。
才谷も了解済みだという。
﹁アキラは俺の嫁だ。やらんぞ﹂と酔いのまわりはじめた才谷が真
顔で言い、﹁家でこんな可愛い子が待ってたら、結婚したくなくな
るわよね。後は下半身の処理だけが問題ね﹂と香が言う。
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酒に酔った二人はこの調子でぶっちゃけトークをかまし続ける。
どこまで真に受けたらいいのか、わからなかったアキラだったが、
笑顔で聞き流すよう心掛けた。
二人のワインの進み具合から言って、今日は香さんは泊りだなと
冷静に見積もって、アキラはゲスト用ベットルームの備品を確認に
行く。
当初、才谷と香は恋人同士なのかと思っていたが、数々の歯に衣
着せぬぶっちゃけトークを聞いているうちに、二人は性別を超えた
親友なのだとアキラは理解した。
大人の男女関係は奥が深いとアキラは思う。
アキラの美貌と、料理の才能を独り占めしている現状を、SAI
は面白く感じていた。
だが、それで収まる器とも思えず、アキラ本人には内緒で、モデ
ル事務所や芸能事務所に、マネージメントの打診をしていた。
学業を優先しつつ、一番好条件で請け負う事務所にアキラを預け
るつもりで。
しっかりしていそうで、ドジっ子のアキラのフォローを、パーフ
ェクトにしてくれる事務所が望ましい。
SAI自身は高身長とそのルックスから、高校時代からバスケッ
トボールのスカウトや、モデルのスカウトを受けていた。
古武道をやっていたこともあり、バスケットボールまではとても
手が回らないと断り、モデルの仕事は容姿を売り物にする気が毛頭
なかったので断った。
そんなSAIが、アキラのモデルデビューを、後押しするのもお
かしな話だったが、選ばなかった可能性について、30代を目前に
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思うところがあったのだ。
やらずに後悔するよりは、やって後悔する方がいいというのがS
AIの見解だ。
株の件もそうだったが、あらゆる意味でアキラにはチャンスを与
えてやりたいと思っていたし、アキラの前では突き放した言い方を
していたが、初めてにしては頑張った方だと褒めてやりたかった。
もはや保護者のような気持ちでアキラを見ていた。
悪友の高河香などからは、﹁SAIはアキラくんに甘い。甘すぎ。
もう虫歯になっちゃいそう!﹂などと揶揄されるが、これまた無自
覚な才谷だった。
こちらが望む以上のレベルで家事をこなし、尽くしてくる、従順
なアキラを弟の様に可愛く思っていた。
目をかけて何が悪いというのだろう。
正直1000万円は安い買い物だったと思っている。
経営者で人件費の概念が常に頭にある才谷にとって、1000万
円は2∼3年分の給料︵人件費︶に相当する。
にも拘らず﹁一生尽くす﹂と、言い切った世間知らずのアキラに
対して、好待遇を与えてやるのは当然の配慮というものだ。
そういうと、香は﹁そもそも、見ず知らずの男の子に、1000
万円ポンとあげるところからおかしい﹂と言う。
香とこの話をすると、大概平行線で終わるのが常だった。
だが、言葉に遠慮のない香でも、デリカシーは持ち合わせていた。
アキラ本人の前でこれらの会話がなされる事は決してない。
香はアキラの前では、まるで弟に対する姉の様に振る舞っていた
し、可愛がっている様にも見えた。
だから安心して、アキラのいる家にあげられる、数少ない友人の
ひとりだ。
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才谷は、おこぼれに預かろうと群がってくる、ハイエナの様な連
中を見極め、使える人間や仕事の出来る者は、好き嫌いを度外視し
て重用した。
取り巻きは多くとも、はっきりものを言い合い、対等に付き合え
る友人を得るのは、才谷の場合案外難しいのが実情だった。
その点で才谷にとって香は貴重な人材だ。
アキラの最初の仕事を香に依頼したのも、その辺に理由があった。
案の定アキラともあっという間に打ち解けて、アキラは終始笑顔
を絶やさない。
女というより、二丁目のオカマバーのママを彷彿とさせる、処世
術を持つ香をリスペクトしてもいた。
﹁アキラ、おかわり!﹂ワインの切れた才谷の呼ぶ声に﹁はい!今
お持ちします﹂とアキラは慌ててワインセラーに走る。
牛飲馬食の二人によって、飛ぶようにロマネ・コンティが消費さ
れていた。
在庫に不安を覚えつつ、アキラは両腕に抱えられるだけのロマネ・
コンティを持ってリビングに入る。
すると香は飲み疲れたのか、よだれを垂らして爆睡していた。
﹁あれ、香さん眠っちゃいましたね﹂
リビングの絨毯の上にロマネ・コンティを置き、才谷にお酌をし
てから、アキラは香を抱いてゲストルームのベットに寝かせる。
リビングに戻ってきたアキラに、才谷は言ってやった。
﹁今日はご苦労だったな。被写体には辛口の香が褒めていたぞ。よ
くやってくれたな﹂
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才谷のその言葉にうっすら涙ぐんで、アキラは言った。
﹁はじめてのことばかりで、あれで良かったのか自分ではわかりま
せんけど、半分以上は香さんのおかげです。こちらこそありがとう
ございました。﹂
19
4
﹁アキラ、株は楽しかったか?﹂
一瞬のためらいの後アキラははっきりと答えた。
﹁はい、楽しかったです。もっと期間を頂けたら、必ず500万円
までいける自信がありました。﹂
それを聞いてSAIは笑顔になる。
﹁覇気が出てきた。いい傾向だ。よく尽くしてくれて、お前の事は
可愛く思っている。だが、良くも悪くも上昇志向が薄い。男として
は面白みに欠けていた。だが、夏休み中のお前は俺も楽しめた。お
前が教えた以上の事を、自分で創意工夫してしはじめた所が特に。
どうして5週目の金曜日買った株が下がったかわかるか?﹂
アキラは首を振ると﹁いいえ。わかりませんでした。SAIさん
の言うとおりに銘柄を選びました。買い注文もいっぱい入ってたの
に、いきなり買い注文が減って、もの凄い勢いで下がって﹂と答え
る。
﹁あの金曜日は、証券会社や投資ファンドが買ったはいいが、一向
に上がらない株を利益確定して手じまいする期間にあたっていたか
らな。週末金曜日の午後、月末、年末12月、年度末の3月に上が
っている株は、要注意だ。お前の様に中途半端に株を覚えた人間に、
株を買わせるために、意図的に釣り上げられた株価だったわけだ。
買い注文は多いが妙に買う気がなさげに、安価な数値に注文が集ま
っていたのに、気が付いていたか?あれは見せ板という﹂
﹁見せ板ですか?﹂
20
﹁そうだ、株価が上がると人も注文も集まってくる。人寄せパンダ
よろしく、わざと安値で買い注文を大量に入れて、買い板、買い注
文が多いように見せかける。そこに群がってきた買い注文に株を買
わせて、手持ちの株券をさばききったら、大量に出していた買い注
文をひっこめる。梯子をはずされた銘柄は真っ逆さまに落ちていく。
経験済みだな。この株価操作を見せ板という﹂
﹁はい、そんな事とは知らずに引っかかりました。﹂
アキラは悔しそうに拳を握りしめる。
﹁あの口座はあのままにしておく。また来年にでもやってみるか?﹂
SAIがそういうとアキラは顔を上げた。
﹁いいんですか?﹂
SAIは鷹揚にうなずく。
﹁男としてどうだった。野心を持つのは楽しかっただろう?﹂
SAIに問われてアキラは答える。
﹁はい。生まれて初めててっぺん取ってみたいと思いました。あん
な楽しい事ほはじめてです﹂
﹁いつもその心意気でいてみろ。この俺すらも利用して、お前がて
っぺんを取るところが見てみたい。﹂
そういってSAIは晴れ晴れと笑った。
﹁お前がモデルや芸能界の仕事に興味がわかないのなら、才谷グル
ープのCMを最後に、株一本に絞ってもいい。だが少しでも興味が
あるのなら、その世界でてっぺん取ってみろ﹂
SAIの台詞にアキラは歯切れが悪く答える。
﹁正直、よくわからないんです。今日は香さんのおかげで、なんと
かやり過ごすことが出来ました。でも自分が向いているのか、いな
21
いのかよくわからないし。撮影自体は楽しかったんですけど、株と
同じくらい楽しめるか自信がありません。﹂
さもありなんと、SAIは言葉を継ぐ。
﹁そうか、そうだろうな。期限を切ろうか。才谷グループのCM撮
影終了後に、お前の気持ちを聞かせてくれ。やめるならやめるで構
わないから。﹂
そのまま至ってナチュラルに引き寄せられて、SAIの唇がア
﹁わかりました﹂とうなづいたアキラの髪をSAIが撫でる。
厚みのある温かいそれに、アキラは硬直したまま、つかのま動
キラの唇に重なる。
アキラの思考が追い付かないうちに、唇が離れてSAIは、気
ナ・ニ・ガ・オ・キ・タ・ノ?
きを封じられた。
もはや誰に聞いているのか、わからなくなるぐらい思考がぐる
あの唇が自分の唇にくっついた様な?くっついたよね?
つい口元に目線が行く。
寝落ちしているSAIをアキラはしげしげと眺める。
イ・マ・ノ・ナ・ニ?
絶するように崩れ落ちた。
そう結論付けて、上背はあるが細身のSAIを、なんとかベッ
SAIも相当アルコールが入っていたし、これは事故だ。
リアリストなアキラはそこで考えるのをやめた。
ぐる回る。
上からタオルケットをかけて、その場を後にする。
トルームまで運び込む事は出来た。
22
これがアキラの、ファーストキスだったことを、たぶんSAI
そうアキラは何度も自分に言い聞かせた。
たぶん大したことじゃない。
酒に酔ってキスくらい誰にでもあるのだろう。
翌朝二日酔いに苦しむ二人に、ミネストローネとチキンリゾッ
は知らない。
トの簡単な朝食を用意して、バタバタしているうちに、アキラの中
SAIはいつもとかわらなかったので、おそらく昨夜のキスは
でキスの事はうやむやになった。
SAIが酔っていて正体をなくす事は過去にもあったので、今
事故確定だった。
そう結論付けたアキラを手招きして呼び寄せたSAIは爆弾発
回もそうだったのだろう。
香がそれを見ていて﹁まさかとは思うけど、ヤッちゃったわけ
そう言ってアキラは逃げる様に家を出た。
﹁あ、あの⋮⋮俺気にしてませんから﹂
責任って何?とは怖くて聞けないアキラだった。
妙にきっぱりとSAIは言い切った。
﹁責任は取る﹂
言をかましてくれた。
﹁︵キスを︶した﹂とつぶやくSAIの左頬に平手が飛んでき
じゃないわよね?﹂と、ワントーン低い声で問いただす。
二日酔いの頭が痛んだが、自分のしたことを考えれば致し方な
た。
﹁アンタねえ、あの子未成年者なのよ!パワハラでセクハラな
いだろう。
23
んだからね。ああ、もう信じられない。アンタがここまで手が早い
SAIと香の会話は噛み合っていなかったが、お互いに勘違い
とは思わなかった﹂
﹁アキラくんは当面うちで預かるわ。アンタも頭冷やしなさい
したまま会話が進行していく。
こうしてアキラ本人の預かり知らぬところで、アキラの処遇が
SAIが香に深々と頭を下げる。
﹁世話をかけるな。﹂
ね。﹂
学校から帰宅したアキラを待ち構えていたSAIが、アキラに
﹁香さんのところへですか?﹂
決められて行った。
﹁すまなかった﹂とわびの言葉を言い、﹁当面、香の家で暮らして
くれ。責任の取り方はゆっくり相談の上で⋮⋮﹂と言いかけたとこ
ろで、﹁俺、気にしてませんから。責任を取ってもらうような事は、
﹁今回才谷のしたことは、セクハラでパワハラなのよ。慰謝料
言い合いになっているところに、香が迎えに来た。
思わぬ大事になったしまった事に焦りを覚えていた。
何もなかったじゃないですか!﹂と被せるようにアキラは言い募る。
香がとりなす様に言うとアキラは﹁酔ってちょっと口と口がぶ
だってとれるんだから。お互い冷却期間を置いた方がいいわ。﹂
つかっただけなんです。責任とかセクハラ・パワハラだなんて、そ
﹁だから、キスをしたと答えたが⋮⋮。﹂
﹁アンタ、ヤッちゃったって言ったわよね?﹂
香がきょとんとした顔で才谷を見る。
﹁え?﹂
んな大げさな話じゃないんです。﹂
24
香は事態を把握したのかトーンダウンして、﹁とりあえず二人
アキラが疑問符をいっぱいつけた顔で香の方を見る。
﹁あの⋮⋮、ヤッちゃったって何の事なんですか???﹂
憮然としてSAIが答える。
﹁俺、別に嫌じゃなかったですし。もうこの話は終わりにして
で話合った方がいいわね﹂と言い残して帰って行った。
SAIの中で﹁嫌じゃなかった﹂という部分だけが、何度もリ
もらえませんか。﹂
アキラはペコリと頭を下げるといつもの家事に戻っていった。
﹁俺、夕飯の支度がありますので失礼します。﹂
フレインしていた。
25
5
SAIが兼ねてから声をかけていた、サクラテレビと大和テレビ
のプロデューサーから、アキラの件で相次いで返事があった。
サクラテレビは二つ返事で、アキラを冬の火9ドラマの主人公の
親友役でと打診があった。
演技力もみずに、大口スポンサーにいい顔をする、サクラテレビ
には、若干の不信感を抱いた。
一方、大和テレビは﹁一度会ってみたい。﹂という。
大和テレビの方が信用できそうだとSAIは判断した。
アキラには大事なゲストを連れて帰るから、腕によりをかけて料
理を作ってくれと言っておいた。
テレビ局の人間だとはあえて伝えていない。
なつめしゅんいち
アキラは、SAIと大和テレビのプロデューサー夏目俊一を出迎
え挨拶すると、メインダイニングに案内した。
前菜にレンズ豆と細かく刻んだ玉ねぎを、塩コショウと上質なオ
リーブオイル、赤ワインビネガーで和えたシンプルなサラダを出し
てきた。
サラダを食べ終わるころ合いを見計らい、玉ねぎと白ワインのス
ープに粉チーズを振って持ってくる。
二人の食事の進み具合を見ながら、タイミングを外さず次々とパ
スタ、リゾット、メインディッシュの白身魚の香草ソテー、ラタト
ゥイユ、が運び込まれてくる。
最後にドルチェの、ティラミスとジェラートを盛りつけた皿を持
26
っていくと、夏目プロデューサーはどれも美味しかったと相好を崩
してアキラを褒めちぎった。
そして、よく気配りができていて、たいへん気持ちよく過ごせた
とも付け加えた。
﹁料理番組なんていかがでしょうか?﹂
夏目はずばりと本題に入る。
﹁料理番組ですか。それは面白い。﹂
打てば響くように相槌を打つSAIだった。
二人が何の話をしているのか、アキラには見当がつかなかったが、
皿に盛りつけたジェラートが溶けてしまわないか心配だった。
そんなアキラに夏目プロデューサーは、﹁君、料理番組をひとつ
やってみる気はないか?﹂と言う。
裏方の仕事だと思い込んでいるアキラは、﹁今は、高校に通わせ
てもらいながら、家政夫をしている身なので、アルバイトは難しい
です。﹂と馬鹿正直に答える。
﹁君の雇用主とは話がついているから、その点は安心してくれたま
え。﹂
夏目プロデューサーは、大和テレビの長寿番組﹁夏子のキッチン﹂
が終わる事を告げ、後番組のメインにアキラをと言う。
鈍いアキラにもことの次第がわかり、はじめて驚嘆する。
﹁僕なんて無理ですよ。テレビに出るなんてそんな⋮⋮﹂
すると夏目プロデューサーは﹁ここで見せてくれた仕事ぶりを、
カメラの前でも見せてくれればそれでいいんだ。難しく考えないで。
生中継や公開収録は原則ないから。﹂という。
いやいや﹁夏子のキッチン﹂の後番組だと言うだけで、のしかか
27
ってくるプレッシャーが、半端ないんですけど。
と、アキラは後ずさる様な思いでいた。
だが、ギャラの話が具体的になると、アキラは次第に真顔になっ
てきた。
株の実入りより大きな金額が提示された。
結局アキラはSAIに判断をゆだねた。﹁SAIさんが出ろとお
っしゃるのなら、俺テレビにでます。﹂
﹁決まりだな﹂﹁決まりですね﹂SAIと夏目が互いに右手を差し
出す。固く握手が交わされアキラの命運が決まった。
それと前後するように、先日香が撮影していたアキラの写真が、
﹁カノン﹂という十代二十代の女性向けファッション雑誌に、掲載
されるやいなや、ネットを中心に火が付いた。
たかおかあきら
あの綺麗な男の子は誰?と誰かが書き込んでから、通っている高
校まで特定されるのはあっという間だった。名前は鷹岡明だという
情報までリークされる。
その上﹁夏子のキッチン﹂の後番組である、料理番組の﹁アキラ
の厨房﹂に出演するという前情報まで出回っていた。
それを受けて複数の雑誌から仕事のオファーが入り、アキラの周
辺は目まぐるしく変わっていった。
学校へ行けばクラスの女子にサインをねだられ、他学年の女子生
徒が数名で徒党を組んで、アキラを見物に来る。
全校集会にでれば、ひそひそとアキラの方を見ながら噂話に花を
咲かせる始末。
気の休まらない事このうえない。
28
他校の女子生徒と一部男子生徒に声をかけられ、﹁写メいいです
か?﹂と言われるに至っては、ほとほと困り果てた。
当初は﹁僕なんかの写メでいいんですか?﹂と、気さくに応じて
いたが、アキラは写メを断らないとネットで噂になってから、浴び
るように声をかけられ手に負えなくなっていた。
アキラがSAIに学校や登下校中の話をすると、﹁今度から写メ
は断れ。他は有名税と思ってあきらめるんだな﹂との、ありがたい
ご宣託が下った。
これもあのギャラのうちだと思うと、諦めの気持ちが湧いてくる
から不思議だ。
SAIは早急に、アキラにマネージャーをつける必要性を感じて
いた。
だがSAIの眼鏡にかなう、既存の事務所はなかなかみつからず、
やむなく自分の秘書のひとりを、アキラのマネージャーに暫定的に
みほさゆり
抜擢した。
三保小百合というマネージャーが、アキラに引き合わされる。
三保は名刺を出してアキラにさわやかにあいさつした。
黒髪ロングヘアが清楚な雰囲気をかもしだしていたが、芯の強そ
うなしっかりした印象を受けた。
﹁お世話になります。よろしくお願いします。﹂とアキラがペコリ
と頭を下げると、三保は笑顔で﹁こちらこそよろしくお願いします﹂
と頭をさげた。
29
6
﹁三保ちゃん、うまくやったわよね﹂
ながおあみ
一部上場企業群の中枢、才谷コーポレーションの秘書室で最年長
の長尾亜美が口火を切ると、女ばかりの秘書室は、ゴシップ雑誌も
真っ青な空間へと変貌する。
昼休みの秘書室では、才谷グループ社長で帝王と呼ばれる才谷敦
と、秘蔵っ子アキラの噂でもちきりだった。
そして、みごとマネージャーの座を勝ち取った、三保へのやっか
み半分の会話が交わされていた。
﹁マネージャーって、社長のお宅にも出入りするんですよね。六本
ほさかなつみ
木から乃木坂へ移ってからは、秘書でもお宅は知らされてなかった
のに。﹂
応じるように保坂奈津美が言った。
結婚適齢期の女子の集まりである秘書室は、室長をのぞき全員女
子であることから、誰かが社長のお手付きになるのではないか、も
いちばしん
っとはっきり言えば玉の輿に乗るのではないかと、互いに疑心暗鬼
だった。
今回のマネージャー抜擢で、三保が一馬身抜けたともっぱらの噂
だった。
SAIこと才谷敦は意外にガードが固く、過去にさかのぼっても、
一度も秘書との火遊びは知られていない。
というより女性の噂じたい聞く事はない。
唯一の例外は六本木じゅうを駆け巡った、少年を1000万円で
買ったという、にわかには信じがたい怪しげな噂のみだった。
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その噂の中心人物がはっきりと姿を現した今、才谷社長は同性愛
者なのではないかという、一部には定評のある話題が、ひっそりと
ではあるが口の端に登る様になっていた。
﹁アキラくんって、本当にきれいな子ですよね。最盛期のジャニー
ズのタレントにも、引けを取らないんじゃないかしら﹂と秘書の一
人が言う。
秘書室ではファッション雑誌﹁カノン﹂が回し読みされていた。
才谷コーポレーションの秘書室は、才媛揃いと有名だったが、ア
キラの美貌にかなう者は誰も居なかった。
まるいゆか
﹁やっぱり1000万円で買ったって本当なんでしょうか?﹂
新人秘書の丸井由佳が、確信をズバリとつく質問を投げかけ、秘
書室はシーンと静まり返った。
﹁社長に限ってそんな事は⋮⋮﹂という声がある一方で、﹁私、社
長の個人口座をひとつ、委任状を持たされて解約に行ったの。次期
とおのよりこ
がちょうど噂の出た頃なのよね。﹂という、秘書室で2番目に古参
の遠野頼子の説得力のある証言で、才谷社長が少年・鷹岡明を買っ
たのは確定なのではないかと、秘書室内での噂の方向性は固まりつ
つあった。
﹁あの社長がお金を出すとしたら、どうせ商売がらみでしょ。10
00万円の投資に見合う、リターンがこの子にはあると、見抜いた
先見の明があっただけで、間違っても情に流されたとかじゃないわ
よ﹂
長尾亜美のこの台詞で、噂の軌道修正がなされた。
﹁社長がゲイだって噂がありますけど、本当のとこどうなんでしょ
うか⋮⋮﹂
丸井由佳が怖いもの知らずにも話を蒸し返す。
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﹁社長に女性の影が一切ないのは事実だけど、ゲイとかそういうの
は、話が飛躍しすぎじゃない。ましてやこの、アキラくんと関係が
ふじいよしの
あるとかないとかは、見てきたわけじゃない訳だしね﹂
遠野頼子の台詞に、ずっと沈黙を貫いていた藤井佳乃が反応した。
﹁普通、みず知らずの男の子に1000万円出したり、ましてや一
緒に暮らしたりはしませんよね。普通の事情でないのは確かだと思
いますけど﹂
その一言でその場がシーンと静まり返る。
突いてはいけない場所を突いてしまった印象はぬぐえない。
微妙な空気が漂う中、昼休みが終わりを告げた。
一方、才谷社長宅の三保小百合は、マネージメント対象であるア
キラにコーヒーを出され、﹃私ここで座ってていいのかしら?﹄と、
微妙な気持ちになっていた。
キッチンはアキラの城の様で、容易に手は出しづらい。
でしゃばったと思われるのも気が引けるが、気が利かないと思わ
れるリスクもある。
一応﹁私がお茶をお入れしましょうか?﹂とは言ったものの、ア
キラに﹁俺の仕事ですから﹂と言われ、てきぱきとコーヒーを出さ
れてしまった。
これがまた美味しくて、三保は目を見開いた。
﹁美味しい⋮⋮﹂とつい言葉が漏れていた様で、アキラが笑顔にな
る。
才谷が﹁アキラの淹れるコーヒーを飲んでいると、その辺の店で
飲むコーヒーが不味くて困る﹂と、口を挟むと、アキラは照れくさ
そうにしている。
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なるほど、これがこの二人の空気感なのかと、三保は場の空気を
読みつつあった。
二人の間には、長年連れ添った夫婦の様な独特の雰囲気が漂って
いた。
最もアキラは初々しい若妻の様ではあるが。
どにちしゅくじつ
現段階でテレビ出演のほか雑誌数社のオファーが入っていた。
学業優先のアキラは、活動が放課後と土日祝日に限られるので、
今のところその調整と、撮影現場への送り迎えおよび付き添いが三
保の仕事だった。
大和テレビの﹁アキラの厨房﹂は、毎回一人ゲストを迎えゲスト
の要望に沿った料理で、ゲストをもてなすという形式の番組だ。
実際のところ才谷のマンションで毎日している事を、カメラの前
でしているのと大差ない。
テレビ出演初心者のアキラに配慮して、極力しゃべらないですむ
構成になっている。
並みはずれて美形だが、普通の高校生の少年が、ひとたび厨房に
入るとキリリと凛々しく調理にいそしむ姿が、ギャップ萌えとなっ
て人気が沸騰していった。
大々的にCMを打った事も幸いし、初回の視聴率は17パーセン
トと好調な滑り出しを見せた。
以後も10パーセント代後半を維持し、料理番組としては成功と
呼べる数字だった。
学校が終わると、大和テレビの撮影スタジオに番組収録に行き、
しらいし
その合間に雑誌の取材や撮影をこなすのが日課になりつつあった。
本業の家政夫業は無期休業となり、新たに白石さんという、年配
の女性が通いの家政婦として雇われた。
アキラの城だったキッチンが、調味料の位置を変えるなどされて、
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他人のものになっていく様な錯覚を感じて、アキラは戸惑いを覚え
ていた。
さい
一方SAIは、ジョーンズ・ブラザーズという、米国のエンターテ
インメント企業を買収しようと、精鋭チームを編成していた。
みょうじたける
室長にはSAIがとりわけ目をかけている、26歳になりたての西
明寺武が抜擢されていた。
SAIとアキラはすれ違いが多くなり、二人ともマンションに寝に
帰る様な状態だった。
SAIは﹁アキラの厨房﹂を世界展開させる野望を持ち、上ばかり
向いていた。
一方アキラは日々のすれ違いを肌身で感じ、一抹の寂しさを感じて
いた。
些細な亀裂が大きなものになるまで、そう時間はかからなかった。
34
7
そんな中アキラが唐突に行方をくらましてしまい、マネージャー
の三保小百合はほうぼうへ病欠の連絡を入れ、謝罪に回っていた。
幸い﹁アキラの厨房﹂は撮り溜めした分があったため、番組に穴
をあけることはなかった。
アキラが行方不明の一報はSAIの耳にも入っており、SAIは
多忙の中自らアキラを探して回り、六本木のダーツバーでアキラを
発見した。
無精ひげが荒んだ生活を感じさせアキラは焦燥しきった表情を浮
かべていた。
そして、アキラはSAIの姿を見るなり、その場に土下座して﹁す
みませんでした!俺﹂と泣き出して言葉が続かない。
店内の客の視線がいっせいにアキラに集まっていた。
SAIはアキラの目線までかがんでやると、﹁すまなかったな﹂
と言葉をかけた。
叱り飛ばすこともなく、アキラの肩を抱くようにして立たせる。
罵倒されるよりもむしろアキラには堪えた。
乃木坂のSAIのマンションへ二人して帰る途中、どしゃぶりの
雨に降られてしまった。
二人はびしょ濡れでガクガク寒さに震えながら、マンションにつ
くなり浴室に直行した。
浴槽に湯をためる間、二人は濡れた服を次々脱いでいく。
そのままもつれるように、二人は大きめの浴槽に倒れ込む。
アキラがおずおずとSAIの唇に口づける。
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それが合図になった。
アキラは一瞬ごくりと息を飲むように動きを止めたが、覚悟を決
めたかのようにSAIに身を投げ出した。
終始SAIのリードでコトが進み、はじめて結ばれた。
ここに至るまで、アキラは真綿で首を締められる様に、精神的に
追い込まれていた。
毎日SAIに尽くす生活を送っていたのに、唐突にその生活が失
われて、砂を噛むような空虚さを感じていた。
テレビ局では極力明るく振る舞っていたので、誰も異変には気が
付く事はなかった。
家出した段階で、自力で家にはもう戻れないと自覚していた。
迎えに来て欲しいと、心のどこかで思っていたのだろう。
SAIの姿を視界に認めたとき、奇跡の様だと思った。
そして、反射的に身体が動いて土下座していた。
歓喜を感じた半面、許されない事をしてしまったという、自責の
念でいっぱいだった。
自分は1000万円で買われた身なのに勝手な事をして。
SAIはコトが終わってから、はじめて口を開いた。
﹁急ぎすぎたか。お前の気持ちも考えずに﹂
﹁いえ、俺が勝手をしてすみませんでした。﹂
そう言ってアキラが深々と頭を下げる。
﹁もう少し、一緒にいる時間を作る。すまなかった﹂
そう言ってSAIはアキラの肩をポンッと叩く。
アキラは極上の笑顔になって、甘えるようにSAIの胸に頬をこ
すりつける。
SAIは甘やかす様にアキラの髪を撫でてやっていた。
アキラは1000万円で買われた時からSAIの物だったが、S
36
AIが初めてアキラの物になった瞬間だった。
男同士とか同性愛がどうのとか、アキラにとってはそういう枠を
度外視して、なるべくしてこうなったという感覚が強かった。
喉につかえていたものが、やっと取れたような、落ち着くところ
に落ち着いた印象だ。
当人同士にしかわからない空気感で、強く結ばれた二人だった。
﹁アキラの厨房に、香港からゲストを迎える方向で、夏目プロデュ
ーサーと話し合いをしている。﹂
かた
SAIの言葉にアキラが素直に不安を訴える。
﹁香港の方なら舌が肥えてるんじゃありませんか?僕の料理大丈夫
でしょうか?﹂
﹁レシピも素材や調味料も、バックアップは怠りなくする。やって
くれるか?﹂
SAIの言葉にアキラが頷く。
﹁やってみます。力の限りを尽くします。﹂
アキラの言葉にSAIが笑顔になる。
﹁もう、勝手にいなくなるな。煮詰まる前に弱音を吐け﹂
そう言って、SAIはアキラをぎゅうと抱きしめた。
﹁はい、本当にすみませんでした。﹂
アキラは今日死んでも良いと思うぐらい幸せだった。
アキラは肺炎で入院したという建前になっていたので、﹁アキラ
の厨房﹂に復帰した際、番組スタッフから﹁もう大丈夫なの?体調
管理には気を付けてね﹂と言葉をかけられては、﹁ご迷惑おかけし
ました。以後気を付けます。﹂という会話が繰り返された。
ゲストにも日程の調整をお願いしていたため、アキラは楽屋をま
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わって詫びの言葉を言ってまわった。
大物女優にチクリと嫌味を言われた点を除けば、おおむねゲスト
は好意的な言葉をかけてくれた。
アキラと同年代のある俳優は、﹁冠番組抱えてるとたいへんだよ
ね。何しろ自分の代わりがいないんだもの。プレッシャーは半端な
いけど、やりがいはあるでしょ。お互い頑張ろうね﹂と励ましの言
葉をかけてくれた。
アキラは自分が逆の立場だったら、あんなにおおらかになれるか
なと考えた。
プロの人達は人間が出来ていて凄いんだなと、改めて感心してい
た。
SAIもそうだったが、他人に怒りを向ける前に、まず内省して
自己反省の言葉が出るところが、大物の特徴の様に思えた。
夏目プロデューサーからも﹁過密スケジュールで、無理させちゃ
ったかな。何かの時のためにも、元気な時に撮り溜めしちゃおうと
思うけど、やってくれる?﹂と言われていた。
﹁今回はご迷惑をおかけしました。今後こういう事のないように、
体調の管理には気を付けます。撮り溜めの件は了解しました。﹂と
アキラが頭を下げると、﹁人間だから絶対はないよね。息の長い番
組にしたいから、無理せずやっていってね。いざとなったら代役も
立てるから、あまり気負わないで﹂と、慰めの言葉をかけられた。
お前の代わりはいると暗に言い渡されたのか、額面どうりの意味
なのか悩むところだった。
38
8
奇跡が起きたのはそんなある日だった。
﹁アキラの厨房﹂に香港から招いたゲストである、往年のカンフ
ー・スター俳優のマイケル・リーは、大の日本びいきで知られてい
た。
マイケルの出したオーダーも、﹁日本のB級グルメが食べたい﹂
というもので、アキラはお子様ランチを大人っぽくアレンジしたワ
ンプレートで、様々な日本のB級グルメを堪能できる味のデパート
を心掛けた。
オマケに、アキラお手製のマイケルの似顔絵入りの旗を、オムラ
イスの頂点にさして出したので、マイケルも大喜びで、初めての海
外ゲスト回は成功のうちに終わった。
マイケルにすっかり気にいられたアキラは、マイケルが今度主演
を務めるハリウッド映画に、日本人少年料理人の役で出演してみな
いかと誘われた。アキラが目立つ見せ場も作ってくれるという。
思わぬ展開に夏目プロデューサーもSAIも目を丸くしていたが、
ビックチャンスなのは間違いなかった。
この段階でアキラは、SAIから米国のエンターテイメント企業
である、ジョーンズ・ブラザーズ買収予定の話を聞かされた。
その際、﹁アキラの厨房﹂の世界進出の野望も打ち明けられてい
た。
ハリウッドデビューは海外進出の良い足がかりとなり、マイケル・
リーの主演映画という事で、広くアジアの客層も見込める事を説明
された。
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自分の事なのに遠い世界の話をされているようで、アキラはポカ
ーンとしていたが、SAIが興奮した様子で熱心に話しているので、
﹁SAIさんのお役に立つのなら﹂という気持ちで快諾した。
﹁でも、会える時間は作って下さいね﹂というアキラの可愛いおね
おおごと
だりに、SAIは微苦笑しながら頷いた。
先日その件で、大事になるところだったのはSAIとて忘れてい
ない。
SAIはあれ以来、2日に1回程度30分でも1時間でも、時間
が出来るとアキラの番組収録に、立ち会う様になっていた。
当初こそ、番組スポンサー企業社長の直々のおでましということ
で、プロデューサーやディレクターが挨拶に来たり、大仰な扱いを
受けたが、回を重ねるごとに周囲も慣れていき、今では番組プロデ
ューサーに相対するのと同等程度には、砕けた対応になっていた。
SAIがなにより大仰な対応を嫌ったためである。
﹁帝王、今日も来てますね。﹂
番組スタッフの間でそっとLINEがかわされていた。
﹁アキラ君がよっぽど可愛いんだろうよ﹂
﹁そもそも帝王の売り込みで、この番組はじまってるからね。﹂
そんなメッセージのかわされる中、アキラは収録の合間に、SA
Iと話が出来るのをなにより喜んでいた。
﹁帝王が来るとアキラ君、みるみるうちにテンション上がるから。
わかりやすいよね。﹂
とチーフディレクターの菅野がつぶやく。
﹁やっぱりそういう関係なんですかね﹂
と、アシスタントディレクターの深見が応じると、菅野は肩を竦
めた。
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﹁芸能界じゃ珍しくないからね。ああこれオフレコだから﹂と菅野
が付け加える。
今回の才谷コーポレーションによるジョーンズ・ブラザーズの買
収話は、俗に言われる﹁敵対的買収﹂ではなく、話し合いによる﹁
さいみょうじたける
友好的買収﹂に当たる。
室長の西明寺武以下、精鋭チームのメンバーは渡米を繰り返して
いた。
相手方は買収話に興味は示したものの、まだ決定打に欠けるのが
現状だった。
だが、アキラのハリウッド映画出演で弾みがつけば、敵対的買収
をかけずに交渉が進む可能性が高くなる。
某IT企業によるテレビ局買収騒動で、一躍M&Aは有名になっ
てしまい、敵対的買収ばかりがクローズアップされるが、友好的買
収もそれなりに存在し双方円満に合意に至るケースもままある。
オーストリアの老舗企業ベーゼンドルファーを、日本のヤマハが
買収したケースでは、社風も含めて職人のひとりも切り捨てず、あ
りのままを受け入れるというヤマハ側の条件提示で、買収話が円満
に合意に至った。
帝王と呼ばれている才谷だったが、鷹岡明という少年を買ってか
らというもの、幸福な買収なるものが存在する事を信じる様になっ
ていた。
買った企業は必ず幸せにする。
社員のひとりに至るまで。
その理念を相手にどれだけ伝えきれるか、才谷の度量が試されて
いた。
41
42
9
自然豊かな武州の農家の畑に、根っから農家の出と思われる好々
爺が一人、黙々と農作業に励んでいた。
﹁先生、お久しぶりです﹂
SAIが声をかけると老人は農作業の手を止め、SAIの方を振
あつし
り返った。
あつし
﹁おや、敦君か!元気そうだね﹂と相好を崩す。
SAIの事を敦と呼ぶのは、両親が他界しているSAIにとって
は、もうこの老人だけになっていた。
﹁ちょうど休憩を取ろうと思っていたところだ。どうだね、一緒に
お茶でも﹂
老人はそういうと、近くの天然の湧水の湧く手洗い場で泥まみれ
の手を洗った。
﹁ありがとうございます。喉がカラカラだったので有難いです。﹂
SAIが応じると、老人はいかにも昔ながらの農家の風情漂う縁
側にSAIを誘った。
手慣れた様子で日本茶を煎れると、SAIに振舞った。
お茶うけに、老人お手製の漬物が添えられている。
日本茶を飲んで一息つくと、一通り畑の様子や作物についての世
間話に花を咲かせた後、老人がふいに言い出した。
﹁なにか悩みがありそうだね。言ってごらん﹂
SAIは微苦笑して﹁先生にはかなわないなあ﹂と、腰かけてい
た縁側から改めて正座に座り直した。
43
米国エンターテイメント企業ジョーンズブラザーズの友好的買収
話をすすめている事、弟のように目をかけ同居もしている少年アキ
ラの話、その少年がいろいろな経緯からハリウッド映画に出演する
事、その映画の配給会社がジョーンズブラザーズである事などを、
SAIは滔々ととりとめなく話した。
﹁友好的買収に手こずっているというところかな﹂
老人にずばりと指摘され、SAIは苦笑する。
﹁先方は興味は示したものの積極的とは言えない状況です。空回り
している感は否めません﹂
SAIの率直な弱音に老人は相槌を打つ。
﹁友好度が足りないのではないかな。ジョーンズブラザーズの社長
とは個人的に親交がある。ひとまず買収話は横に置いて、親しく付
き合ってみてはどうかな。私が取り持とう﹂
老人の言葉にSAIは目を見開く。
さいたにあつし
﹁先生のお手を患さわせてしまって、何と言ったらいいか。感謝し
ます!﹂
SAIこと才谷敦は深々と頭を下げる。
今では農家の好々爺に見えるこの老人は、かつては留学していた
オックスフォードの人脈を駆使して、日英・日米外交に尽力してい
た元・通産官僚であり、かつては総理大臣の懐刀と呼ばれてもいた。
欧米企業のエージェント業務にも手を染めていたため、闇のフィク
とうやまこうざぶろう
サーなどと二つ名で呼ばれたこともある、一言で言って重要人物だ
った。
名を遠山光三郎という。
SAIと遠山の出会いは話すと長くなる。
SAIが高校時代の学校帰りに、パン屋のアルバイト募集の張り
紙を見た事がきっかけだった。
44
当初時給750円で週3日16時から20時までの4時間働く契
約だった。
だが、週の残りの4日間16時から20時まで働いていたバイト
の少年の素行が悪く、オーナーの遠山の一存で辞めさせてしまった。
次のバイトが見つかるまでの間、困っているようだったので、S
AIが繋ぎのバイトを引き受けたことから、急速に親しくなった。
当時高校生だったSAIにとっては、遠山はバイト先のオーナー
にすぎず、目をかけてもらい可愛がってはもらっていたものの、そ
れ以上の付き合いはなかった。
ましてや、闇のフィクサーの側面は垣間見ることすらなかった。
状況が変わったのはSAIが大学に入学してからだった。
遠山がSAIに﹁ゲームをしよう﹂と持ち掛けてきた頃から、S
AIにとって遠山は株や外貨FXの師匠になった。
ちょうどSAIがアキラに持ち掛けたように、夏休みの期間中に
100万円を元手に500万円まで増やすゲームに手を染めた。
SAIは元手の100万円を1000万円まで増やして見せたこ
とから、遠山はSAIにより一層目をかけるようになっていた。
徐々にパン屋のオーナー遠山の、もう一つの一面を垣間見る機会
が増え、SAIの遠山を見る目も変わっていった。
呼び方も﹁オーナー﹂から﹁先生﹂に変わり、元手の100万円
が1億になった頃、遠山の勧めで株の売買をするための法人企業を
設立する運びとなり、大学在学中にSAIは既に社長と呼ばれる身
分になった。
それ以降も節目節目で遠山の的確なアドバイスがあったからこそ、
SAIは現在の地位を築くことができたといっても過言ではない。
かつて、いっかいの政治家を総理大臣にまで押し上げ補佐した、
遠山の才知と人脈が惜しみなくひとりの青年に注ぎ込まれていた。
子女に恵まれなかった孤独な老人が、手慰みに育て上げたのが六
45
さいたにあつし
本木で帝王と呼ばれるSAIこと才谷敦だった。
遠山とSAIは思考回路がよく似ていた。
双方とも人を育てることに深く興味があった。
母子家庭で育った才谷にとっては、遠山は父親代わりでもあり師
匠でもあり、年の離れた親友でもあった。
アキラに初めて会ったときに、才谷は運命の様なものを感じてい
た。
第一印象から、こいつは信頼できる育ててやりたい、遠山に受け
た恩義をこの少年を育てることで返したいという思いがあった。
同居してからよりいっそうその気持ちは強くなる一方だった。
最終的には養子縁組すらも視野に入れていた。
SAIは昔から女性への興味が薄く、積極的な同性愛者ではなか
ったが、より同性にシンパシィを感じるタイプであったため、キス
や性の初体験は同性が相手だった。
だが、男なら誰でもいいという訳ではない。初体験の相手は古武
道の兄弟子だった青年だ。
兄のように慕っていたその青年に身体を求められ、拒むという選
択肢は最初からなかった。
性に淡白なSAIは、性交がなければないで平然としているタイ
プだったが、相手次第では、より深く繋がりたいという思いもなく
はなかった。
29年生きてきて性交渉を持ったのは二人だけだった。
それが、古武道の兄弟子とアキラだった。
容姿や社会的地位を考えれば、いくらでも女性が寄ってきそうな
ものだが、女性のアプローチに致命的なまでに鈍感な才谷は、絶妙
なタイミングで女性のアプローチをかわしてしまい、結果として女
友達が増えていった。
46
こうがかおり
高河香もそのくちだったが、幸か不幸か才谷はそのことを知らな
い。
遠山はいまは第一線を退いて、半隠居の様な暮らしぶりだったが、
今回のように昔の知人が訪ねてきた時にだけ、ふっと過去の顔を垣
間見せる。
以前は、夫人とともにこの武州での楽隠居を楽しんでいたが、数
年前に夫人を亡くしてからは、めっきり老け込んだ印象だ。
両家の親同士が反対する中、大恋愛の果てに結ばれた夫人だった
ので、さもありなんとSAIは思っていた。
折に触れては訪れるようにしていたが、ここ2年ほどは仕事がの
っている時期で、思うように武州まで足を運ぶことが出来なかった。
電子メールのやり取りは時折あったが、深い話にはならず、お互
いの近況報告に終始するのが関の山だった。
遠山もSAIも、深い話は直に膝を交えてするタイプだったので、
こうして久々に再会して積もりに積もった話は尽きることがなかっ
た。
あつし
﹁敦君が他人と住む気になるとは意外だったな。アキラ君といった
か、会ってみたいものだね。﹂
遠山がしみじみとそういうので、SAIはアキラの家庭環境や人
柄から芸能界の仕事のことまで、とりとめなく話していた。
﹁最近はテレビを見ないものだから、すっかり芸能界には疎くなっ
てね﹂
遠山が苦笑しながら言うので、SAIは持参したノートパソコンで
アキラの動画を見せた。
﹁これは、目の覚めるような美少年だね。性格の良さが顔つきに表
れている。こういう子には海千山千の芸能界は厳しいのじゃないか
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ね﹂
遠山がうなるように言うと、SAIは﹁その点はマネージメント次
第だと思っています。﹂と応じた。
SAIは常に目を光らせて、アキラが活動しやすいように細心の注
意を払っていた。
﹁アキラが望むなら、行きつくところまで、押し上げてやりたいと
思っています。﹂
あつし
SAIの言葉に遠山は笑顔になる。
﹁敦君がそこまで思い入れている子が、いい子の様で安心したよ。
ハリウッドの映画もきっと上手くいくだろうね﹂
遠山の言葉にSAIが微笑む。
﹁そのためにも、ジョーンズブラザーズはぜひ傘下に収めたいので
あつし
す。﹂
﹁敦くんの気持ちはよくわかったよ。私もできる限りの援助はしよ
う﹂
遠山が鷹揚に頷いて改めて確約すると、SAIは再度深々と頭を下
げた。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://novel18.syosetu.com/n5766dn/
帝王の子犬は大志を抱く?
2016年10月30日12時40分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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