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幻の名窯 湖東焼

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幻の名窯 湖東焼
特集
彦根の100年×4
幻の名窯 湖東焼
え りゅう
江竜 美子(経済学部助手)
絹屋半兵衛の挑戦
湖東焼は、江戸時代の末期に彦根藩の城下で作られた「やきもの」
です。工芸品としての美術的価値の高さと希少性の点で、今では「幻
の名窯」と言われています。
湖東焼は、文政12年(1829)に、彦根の商人、絹屋半兵衛と伊万里
の職人によって生み出されました。半兵衛は、古着を扱う商人として
京都へ出向くおり、五条坂で美しいやきものに出会います。彼は、彦
根の地でこのようなやきものを作ってみたいと思い立ち、その実現に
情熱をかたむけます。彼は、やきもの作りという新しい事業を起こし
ていく過程で、若い職人を進んで採用し、職人とともに陶土を探した
り、新しい窯の建築や窯の温度の研究を行ったり、藩への資金の借用
などに奔走したり、夢に近づくためにあらゆる努力をしました。
それら試行錯誤のなかで、しだいに美しい作品が生まれ、十二代藩
主、井 伊 直 亮 の目にとまり彦根藩の召し上げになります。その後、
十三代藩主、井伊直弼の時代になると、窯場の規模の拡大や、各地か
ら優れた陶工や絵付師の招聘など、藩の窯としての経営改革や、後継
者の育成などの長期計画がたてられます。直弼の庇護のもと、湖東焼
金襴手芦雁図水指 鳴鳳作
彦根城博物館蔵
は、金襴手・赤絵金彩・色絵・染付・青磁など、細やかで美しい逸品が数多く作られ、黄金時代を迎えま
す。
けれども、このような時代は長くは続きませんでした。万延元年
(1860)、直弼は江戸の桜田門外で水戸の浪士達に暗殺されます。パト
ロンを失った湖東焼は藩の窯の歴史の幕を閉じることとなります。そ
の後、山口喜平らにより、民間の窯として維持されたものの、かつて
の面影は薄れていきました。
美しさの秘密
湖東焼の技術は、もともとは伊万里・瀬戸・九谷から導入されまし
たが、それらを超えた洗練さを達成したと言われています。素地の精
巧さ、薄手つくり、釉薬の肌の滑らかさ、発色の鮮やかさ。さらに、
大胆な構図や精緻な筆法は、やきものへの絵付という域を超えて、絵
画的な技巧を感じさせます。
赤絵金彩花虫図印籠 鳴鳳作
たねや美濠美術館蔵
これら名品といわれる湖東焼は、藩の窯であった約20年間に作られ
ました。彦根藩は、幕府にあっては大老職となる家柄であり、京都の
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朝廷に対しては、守護の内命をうけていたため、大名諸侯や宮家・公
卿との交際がしげく、礼物を授受する機会が多くありました。湖東焼
の用途は、この礼物であったため、彦根藩の格にふさわしい一級品を
生み出すための努力がなされました。天草石・柞灰・唐呉須という最
高級原料を使い、伊万里、瀬戸、京都から一流の職人が雇われ、湖東
焼を作りました。
写真の水指は、彦根藩お抱えの絵付師「鳴鳳」の作品です。もと京
都の寺侍だった彼は、妻子と弟と共に彦根にやって来ました。彦根城
下の東、現在の船町に住んで、北に広がる松原内湖や近くの川で、絵
付の合間に釣りも楽しんだようです。この水指は、その後、井伊家の
江戸屋敷にあったため、大正12年(1923)、関東大震災の火災で蔵の
なかで友箱とともに焼けたそうです。友蓋に残る赤い変色は、そのと
きのなごり傷です。
染付山躑躅図菓子鉢 一志郎作
(再興湖東焼)
また、写真の印籠は、女性のために作られたものです。描かれたカ
マキリは、害虫を食べてくれますので、大切な着物に密かに忍ばせ持
ち歩いたようです。どこかの姫君へのプレゼント用に作られたもので
しょうか。
湖東焼は、もともと生産の量が少ないうえに、明治28年(1895)に途絶えて以降、関東大震災・太平洋
戦争中の戦災などで失われたものも数多く、結果的に100年後の現代に残るものは、数少ない名品となり
ました。このような湖東焼を一度目にすれば、だれもがその美しさに魅了されます。井伊直弼も愛用した
数々の湖東焼は、今でも「彦根城博物館」や「たねや美濠美術館」で私たちは目にすることができます。
再興された湖東焼
昭和57年(1982)
、
一人の若い陶工が彦根にやっ
て来ました。彼は展示会で見た
「幻の名窯湖東焼」
に心動かされ、この彦根の地でもう一度、湖東焼
を作りたいと考えます。彼の名は中川一志郎。彼
は、絹屋半兵衛がたどった苦労と努力の日々を歩
み始めました。彼を中心として再興湖東焼を目指
す人たちの輪が広がり、地道な研究や復興に向け
た数々の活動が行われています。そして、美しい
作品がよみがえりつつあります。
現在、私たちは、絹屋半兵衛と湖東焼の足跡を、
携帯電話を利用した「ひこねまち遊びケータイ」
http://ub.shiga-u.jp/(パソコンからもアクセス
可)でたどることができます。また、幸田真音さ
湖東焼発祥の地(晒山)に立つ
中川一志郎さん
んの著著『藍色のベンチャー』
(新潮社刊、文庫版は『あきんど絹屋半兵衛』)で楽しく読むことができま
す。
参考文献:
『幻の名窯湖東焼』サンライズ印刷出版部 1996年
『湖東焼−盛衰と美』小倉栄一郎著 サンブライト出版 1985年
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