...

ヤマトの国の大地人 - タテ書き小説ネット

by user

on
Category: Documents
13

views

Report

Comments

Transcript

ヤマトの国の大地人 - タテ書き小説ネット
ヤマトの国の大地人
犬塚惇平(犬派店主)
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
ヤマトの国の大地人
︻Nコード︼
N1619BB
︻作者名︼
犬塚惇平︵犬派店主︶
︻あらすじ︼
エルダー・テイル日本サーバ、通称ヤマト。
あの︿大災害﹀以降、3万もの︿冒険者﹀を抱えるに至った、混沌
の地の一つ。
彼ら︿冒険者﹀は時にその圧倒的な戦闘能力で、時にその知恵で、
そして時に︿冒険者﹀同士のつながりで奇跡を起こす。
その奇跡は様々な形で世界を変えていく。そしてそれは今もなお、
1
続いている。
しかし、この物語の主役は︿冒険者﹀ではない。
この物語の主役は⋮︿大地人﹀
︿大災害﹀以降、様々な形で︿冒険者﹀達と関わることになった、
︿大地人﹀たちの物語である。
︵注意︶本作品は橙野ままれ氏作﹃ログ・ホライズン﹄の二次創作
です。
橙乃ままれ氏により二次創作が認められたため、二次創作
として執筆,投稿しております。
2
第1話 メイド︵元開拓民︶のサリア︵前書き︶
本作品はログ・ホライズンの二次創作です。
一部、作者独自の解釈が含まれる可能性があります。
また、本作品はオムニバス形式にて連載する予定です。
各話ごとに作品の主役が変更されますので、あらかじめご了承くだ
さい。
3
第1話 メイド︵元開拓民︶のサリア
0
暗闇の中、聞こえてくる悲鳴と雄たけびにサリアはガタガタと震え
ていた。
何故、こんなことになったのか。
ほんの数時間前まで、サリアのいる場所には、開拓村が﹃あった﹄
小さな開拓村だった。
ヤマトの片隅にひっそりと存在していたが故に領主の庇護は受けら
れず、
時にモンスターの襲撃を受ける。
怪我や病、そしてモンスターの襲撃で生まれたばかりの乳飲み子を
含めれば村人が
1人も死ななかった年などサリアが生まれてから1度も無い。
だが、それでも村は平和だった。
畑を耕し、牛と豚を飼い、苦労は絶えないがそれなりに幸せに暮ら
していたのだ、
今、この夜までは。
開拓村に終わりを告げたのは100を越える︿緑小鬼﹀の夜襲だっ
た。
圧倒的な数の暴力の前に、装備も錬度も決して優れているとは言え
ず、
なによりたったの8人しかいなかった自警団は全員死亡。
村を守る戦士たちを屠った︿緑小鬼﹀たちは略奪の限りを尽くし、
村人達は次々と殺された。
後に残っているのは、サリアのように、家に篭り、隠れたものたち
4
だけ。
だが、それすらも残忍な︿緑小鬼﹀たちは探し、見つけ出し、嬲り
殺しにしていく。
︵あたしも⋮ここで死ぬのかな?︶
恐怖を通り過ぎ、後に残るのは、ぼんやりとした絶望と諦め。
そして、来るべきときを待っていた、そんなときだった。
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!
!!!!!!!!
つんざくような悲鳴が突然上がった。
サリアはビクリと身体を震わせる。
明らかに先ほどと違う。悲鳴を上げているのは⋮︿緑小鬼﹀だ。
一体、何が起こっているのか分からないが、とにかく、
︿緑小鬼﹀が悲鳴を上げている。
︵な、なに⋮!?︶
その悲鳴はどれほど続いたのか⋮
後で思い返して見ると、ほんの数十分だったように思う。
悲鳴はやみ、村は夜の静寂に包まれる。そして。
﹃おい!誰か生きてるか!生きてるなら返事をしてくれ!
僕達はハ⋮︿D.D.D﹀の︿冒険者﹀だ!﹄
扉を叩きながらなにやら言っている、人間の声が聞こえた瞬間。
極度の緊張に包まれていたサリアは、緊張がとけて安堵と共に気絶
した。
あの悪夢のような︿緑子鬼﹀の襲撃事件のあと。
サリアはザントリーフ戦役に参加していた︿冒険者﹀に助けられ、
命を拾った。
そして生き残った僅かな村人たちと共に、︿冒険者﹀に連れられて
5
故郷を離れた。
連れてきた︿冒険者﹀はアキバの街をまとめる︿円卓会議﹀の筆頭
であり、
構成団員1,500を数えるアキバ最強最大の騎士団
︵少なくともサリアの理解ではそうなっている︶︿D.D.D﹀に
属する騎士の一部隊。
彼らは、今回の戦役の戦災孤児たちをご領主様に頼んで
マイハマにある孤児院へと預けることにした。
そして15歳になるサリアを騎士団の家事をこなすメイドとして雇
った。
それが3ヶ月前の出来事。
第1話﹃メイド︵元開拓民︶のサリア﹄
1
サリアたちの一日は日の出と共に始まる。
太陽が昇り、秋の遅めの朝日が窓から差し込むと同時に、サリアは
目を覚ました。
簡素なベッドの上で少しだけぼんやりしながら寝巻きである簡素な
ローブを脱ぎ、
枕もとの水差しで顔を洗う。
少し癖のある茶色い髪を濡らして櫛で軽く整えながらメイド服を着
終える頃には、
すっかり目は覚めている。
﹁おはようございますサリアさん﹂
﹁はい。おはようございます。アルフェ先輩﹂
同じように起き出し、朝の準備をしていた黄金色の髪と尻尾を持つ、
狐尾族である同室の先輩に朝の挨拶をする。
6
﹁ふふ、サリアさんはいつも元気ですね﹂
﹁えへへ。そりゃ、アタシみたいのは元気だけが取り得ですから﹂
﹁そうかしら?そんなことは無いと思いますけどね。サリアさんは
可愛いですから
⋮さて、今日は晴れですから、そろそろ行かないと﹂
﹁あ!そうですね。早く行かないと洗濯頭に怒られちゃう!﹂
挨拶もそこそこに、二人は朝の仕事に向かうべく、
袖を捲り上げながら部屋をでて、中庭に向かった。
﹁おはようございます!﹂
﹁おはよう!アンタの今日の分だよ!しっかり洗いな!﹂
中庭に着くと、先に着ていた洗濯頭にさっそくとばかりに大き目の
タライを渡される。
タライの中にたっぷり入っているのは、ざっと50枚ほどの男物の
下着。
泥と汗でかなり汚れたそれを持ち上げ、
城の内部を流れる井戸のある洗い場へ向かう。
同じように大量の下着を洗濯している数十人のメイド仲間たちと
共に井戸から水をくみ上げ、タライに水をはり、洗濯板を手に取る。
﹁うんしょ、うんしょ⋮﹂
開拓村では見かけなかった石鹸をたっぷり塗りつけた下着をゴシゴ
シとこすって
汚れを落としていく。
大量の汚れ物を洗い終えるまでには大体2時間かかる。
それまでサリアは一心不乱に洗い続ける。
ひたすらに。熱心に。とにかく汚れを落とすことだけを考えて。
﹁⋮よし、終わった∼﹂
きっちり2時間で、担当分の洗い物を干し終えたサリアは立ち上が
る。
﹁サリアさんも終わったみたいですね﹂
7
﹁はい。先輩﹂
サリアよりほんの少しだけ早く洗い終えたアルフェは、
いつものようにサリアを待っていたらしい。
にこりと微笑むと、サリアにいつものように誘いの言葉をかける。
﹁それでは、朝ごはんを頂きに行きましょうか﹂
﹁はい!﹂
2
︿D.D.D﹀の大食堂は一度に300人もの人間が食事をできる、
巨大な食堂である。
遅めの朝食を取る︿D.D.D﹀の︿冒険者﹀に混じり、トレイを
取ってカウンターに並ぶ。
﹁よう。サリアちゃん、元気か?﹂
﹁はい元気です!おはようございます、ガイゼルさん!﹂
﹁やっぱアルフェさん美人だよなあ。今度一緒に飯でもどう?﹂
﹁ふふ。考えておきますね﹂
並んでいる間、︿D.D.D﹀の︿冒険者﹀に気さくに声を掛けら
れる。
サリアやアルフェのような住み込みで雇われている︿大地人﹀は
1,500人の規模を持つ︿D.D.D﹀でも、50人ほど。
料理人などの通いの職人を入れても100人ほどしかいない。
規模を考えると異常に少ないが、それはアキバの街の
︿冒険者﹀の気質によるものだった。
︿冒険者﹀は平民のように基本的にある程度のことは1人で出来る。
︿大地人﹀の貴族だったら1人につき少なくとも3人は世話係がつ
くものだが、
︿冒険者﹀にはそれが無い。
︿冒険者﹀に取ってのメイドというのは、洗濯︵それすらも女性騎
士を中心に一部の︿D.D.D﹀の騎士は自分でやっている︶や廊
8
下、トイレの掃除のような
家門全体の仕事のために雇われるものなのだ。
そしてその希少性ゆえか、︿D.D.D﹀の︿冒険者﹀の面々はサ
リアたちに優しい。
最初は丁重すぎる扱いに戸惑ったものだが、しばらく暮らすうちに、
慣れた。
︵今日は何を食べようかな⋮︶
︿︿冒険者﹀﹀たちと話しつつも、サリアの思考は既に朝食の方に
飛んでいる。
目の前には、大量のパンと、簡単ながらも美味しい、何種類かの料
理。
︿D.D.D﹀の朝食は、バイキング形式を取っている。
各自が好きなものを取り、足りなくなった料理は順次追加する。
余った分は実地の戦闘訓練に向かうメンバーのお弁当に流用。
無駄が出ないよう色々工夫した結果、この形式に落ち着いたらしい。
少しして、順番が回ってきたサリアは塩を振った目玉焼きとカリカ
リのベーコン、
果物のジュース、野菜たっぷりのスープ、そして大き目のパンを二
つとる。
そしてちらりと隣を見て。
﹁いつも思うんですけど、先輩はそれで足りるんですか?﹂
野菜スープを1杯と、小さめのパンを1つ、
そして水だけ取ったアルフェを見て、尋ねる。
家事の仕事は、この世界では結構な重労働だ。
それだけにこの年上の先輩がこんな少ない食事で活動できると言う
のが、
俄かには信じられない。
食事時はいつも一緒だが、昼も夜も食べる量はそんなに変わらない
割に、
9
特に仕事に支障をきたしたりもしない。
サリアよりよっぽど体力もあり、仕事もこなせる。そんな
人だ。
それに、アルフェは少し困ったように答える。
﹁ええ。昔から小食でしたから﹂
出来る
﹁へえ∼、そうなんですか。もったいない。こんなにおいしいのに﹂
そう言いつつ、サリアはトレイに盛られた食事を見る。
見ているだけで唾がわく。
ここに並んでいるのはメイドになってからはほぼ毎日食べているも
のだが、
それでも充分に豪勢だ。
グゥゥゥゥゥ⋮
﹁⋮あう﹂
見てたらお腹がなった。恥ずかしい。
﹁た、食べましょうか!先輩﹂
それをごまかすように、大き目の声でサリアはアルフェに言う。
﹁ええ。そうしましょう。サリアさんも我慢の限界のようですし﹂
﹁⋮あう﹂
ごまかし切れなかったが。
3
朝の仕事を終えた後の食事の時間、大食堂に据え付けられた
最新式の機械時計が9時を告げるまでは、サリアたちの仕事は無い。
朝食とその後のひと時の休憩時間。
サリア達はいつも同じメイド仲間とお喋りして過ごしていた。
﹁最近、また涼しくなりましたね﹂
10
日課の朝の洗濯での水の冷たさを思い出しながら、サリアが話題を
ふる。
﹁ええ、この前のお祭りが終わってから、めっきり冷え込んできま
したね﹂
﹁だにゃん。あっちも最近は朝なかなか布団から出る気にならない
にゃ﹂
﹁⋮そう?まだ、秋の始まりくらいの寒さの感じ、だと思う﹂
彼女に答える声は、全部で三人。
いつもどおり、誰に対しても同じ丁寧な口調で返す狐尾族のアルフ
ェ。
猫人族特有の訛りを隠そうともしない、白い毛皮で覆われたタニア。
ボソボソと言葉を返す、狼牙族特有の量の多い黒髪をゆるく三つ編
みに結った、
タニアと同室のメイドであるクロ。
そしてそれに人間族のサリアを含めたこの4人は、雇われた時期と
部屋が近いお陰で、
メイド仲間として親しく付き合っている。
仕事の無い日が重なることも多い︵3日働くと丸1日、休みを貰え
る︶ので、
みんなで連れ立って遊びに行くこともある。
4人は種族と出身の壁を乗り越えた、友人同士だった。
現在、アキバの街で暮らす︿大地人﹀たちは、基本的に1種族が人
口の大半を占める
他の街では考えられないほど出身地と種族が多様である。
そうなったのは、アキバが豊かな街であり、様々なものや仕事が溢
れているため
でもあるが、それ以上に︿冒険者﹀が︿大地人﹀とはまるで違う考
えを持って
この街を統治していることが大きく起因していた。
11
アキバの街では8種族の誰もが同等に扱われる︵流石に数の上では
人間が多いが︶
アキバの街の︿冒険者﹀には少なくない数の異種族が含まれ、
その︿冒険者﹀の中には人間種で無い異種族であろうとも栄達した
ものが多くいる。
︿円卓会議﹀の11人の評議員にも何名か異種族がいるし、
︿D.D.D﹀でも団長こそ人間だがその片腕を務める副官とでも
言うべき
︿冒険者﹀は狼牙族の女性だ。
どうやら彼らは各種族には得意不得意の差異はあれど優劣は無いと
言う考えを
持っているらしい、と言うのが︿大地人﹀から見た︿冒険者﹀評で
ある。
それは︿大地人﹀に対しても同様であり、アキバの︿冒険者﹀達は
善の勢力であればどんな種族であっても差別することなく平等に接
し、
その扱いは公正明大だ。
その対応は本来尊ばれる立場の貴族や豪商には受けが良くないが、
国交
を結んだイースタル以北と砂糖などの貴重な品を
一方で虐げられる立場にあった異種族には暮らしやすい。
そんな噂が
盛んに交易をしているナインテイルを中心に広まり、
アキバの街はかつて以上に異種族と移民が溢れる、
ヤマトで最も活気と混沌が混ざり合う街へと変貌していた。
ひとしきり寒さについての談義をした後、ふと、
サリアは前にタニアが言っていたことを思い出し、タニアに尋ねた。
﹁そう言えば、この前の天秤祭で、すごくいい暖房を見つけたって、
タニア言ってなかった?﹂
12
﹁そう、それにゃ!﹂
サリアの言葉に、タニアは食いつき、嬉しそうにそのときの話をす
る。
﹁天秤祭が始まる頃には、もう寒くなり始めてたにゃ。
だから、なにか暖房が欲しいにゃと考えて、家具を探しに入った
にゃ。
この城は遺跡改造した城だから暖炉ついて無いし、本格的に寒く
なる前にと思って。
そして⋮あっちは出会ったにゃ。あの﹃こたつ﹄に﹂
﹁﹁﹁こたつ?﹂﹂﹂
聞きなれない言葉に、3人は首をかしげる。
﹁そうにゃ。灰と炭を入れてずっと暖かく保てるようにした壷に、
背の低いテーブルと布団を被せて上に板を置くのにゃ。
そうすると布団の中はずっとあったかなのにゃ。あれさえあれば、
寒い冬でもあれの布団に入ってやり過ごせば、平気なのにゃ!﹂
目をキラキラさせながら力説する。よっぽど気に入ったらしい。
﹁じゃあ2日目、お昼にタニアさんが遅刻したのは⋮﹂
アルフェの言葉に天秤祭でのことを思い出す。
あの村の祭りの何千倍も大きな祭りの間、サリアたちは特別休暇と
して
全ての家事が免除されたので、4人であちこちを見て回った。
あの時は確か、どこを見たいかで意見が割れたことから昼の鐘がな
るまでの間
自由行動として、タニアだけ盛大に遅刻したのだ。
タニアも同じことを思い出したのか、照れ笑いしながら返す。
﹁カイヨーキコーの家門の試供品体験会に行ったんだにゃ。
色んなものがあったけど、アレは特に素晴らしいものだったにゃ﹂
うっかり入ってしまったばかりになかなか出られず、おまけに昼寝
までしてしまい、
13
変なことに巻き込まれたんじゃないかとあちこち探してくれた他の
3人に迷惑をかけた。
それ自体は苦い記憶だがそれはそれだ。
﹁へぇ⋮じゃあ、買うの?﹂
サリアの問いかけに、タニアはしょんぼりと今まさに問題となって
いる点を答える。
﹁はうう∼、それが欲しいけど一番安いのでも金貨500枚するに
ゃ。
1ヶ月のお給金がほぼ全部吹っ飛ぶにゃ﹂
結構高いのだ。複数のアイテムを︿冒険者﹀独特の不思議な感性で
組み合わせることで
出来ているものなだけに。
それでも長く使う家具としてみたらそれなりにお手頃な価格なのだ
が、
やはり躊躇してしまうものである。もっとも。
﹁⋮別に、いらないと思う。秋の終わりでコレぐらいだったら、
多分冬になっても雪も積もらないくらいにしかならない﹂
﹁そりゃアンタはエッゾ出身だから寒いの平気だろうけど、
あっちはナインテイル出身なのにゃ!
ていうか雪なんて、ナインテイルじゃほとんど降らなかったにゃ
!﹂
寒さに強い同室の友人にはしっかり反論する辺り、買う気は既に固
まっているのだが。
﹁まあまあ。でも確かに考えておかないといけませんね。
冬が本格的に来たら、今よりもっと冷え込むでしょうし。
とはいえ、ずっと使う暖房ならそれ位するのは分かりますけど、
ちょっと戸惑う額なのも確かですね﹂
2人の友人をとりなすようにアルフェが言う。
アルフェの言うことにも一理ある。
今はまだイースタルの北部出身のサリアには余り寒いと感じられる
14
ほどではないが、
これからまだまだ寒くなるだろう。
そんなことを考えながら、ふと思いついたことを言って見る。
﹁う∼ん⋮あ、それだったら、みんなでお金を出し合って、1つ買
ってみる、とか?﹂
﹁それにゃ!確かにあの大きさなら4人くらいは入れるにゃ!
サリア、ナイスアイディア!﹂
﹁⋮みんなで買う、なら1人の分は金貨で⋮えっと⋮200枚くら
い?
それくらいならそんなに高くならないし、いいかも﹂
﹁そうですね、それじゃ今度のお休みにでも、みんなで見に行って
みましょうか﹂
サリアの提案に、タニアが真っ先に乗り、他の2人も支持する。
﹁そうだにゃ。確かお祭りのあとはダイハチ通りの家具屋で売って
るって言ってたにゃ。
サラマンダー式のお高いのは注文を受けてから作るしそっちは貴
族様と商人と
︿冒険者﹀の注文でいっぱいらしいけど、炭を使う安いのなら
注文して1週間くらいでできるって。とりあえず見に行ってその
後は屋台村で⋮﹂
そうして楽しい休日の予定をああでもないこうでもないと立ててい
ると。
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボー
ン、ボーン⋮
時計が9時を告げる。
﹁⋮時間。仕事行く﹂
﹁だにゃ﹂
﹁それじゃあ私は追加分のお洗濯を頼まれていますので、これで﹂
15
﹁私は今日はお掃除担当です﹂
サリアたちとて、曲がりなりにもプロのメイドだ。仕事はとにかく
真面目にこなす。
雑談を打ち切り、早速とばかりに本日の仕事に取り掛かるべく、立
ち上がる。
そして今日もまた、忙しい一日が始まる。
5
時刻は午後3時。
サリアはアキバの街を歩いていた。
向かう先は、小さな家門が運営する小規模な商店が立ち並ぶ一角、
通称屋台通り。
ここでサリアは調味料の買い物を頼まれていた。
肩からかけた大きい鞄には1,000枚ほどの金貨がずっしりと入
っている。
﹁えっと、お塩を3袋と、お砂糖を1袋、胡椒を1袋⋮
普通のじゃなくてしんしゅーみそ?万が一売ってたらってなって
るけど、
なんだろこれ?﹂
アルフェに教わり、最近簡単なものなら読めるようになった文字が
書かれた
メモを見ながら首を傾げる。そんなときだった。
﹁サリア?﹂
サリアより年上の、低めの男性の声。聞きなれた声に思わずサリア
は振り向いた。
そこに立っているのは、少し気が弱そうな、
困ったような笑顔を浮かべた、黒髪の青年。
軽くて動きやすそうな服を着て、腕の半ばまでを覆う篭手をつけて
いる。
16
﹁セガールさん!?うわ∼、お久しぶりです!﹂
青年を見て、サリアは笑顔で声をかける。
︿D.D.D﹀の一員⋮ましてあのとき助け出してくれた命の恩人
でもある彼に対しては、
警戒も何も無い。
﹁サリア、本当に久しぶりだね。半月ぶりかな﹂
いつもの困ったような笑みのまま、青年⋮︿冒険者﹀のセガールは
サリアに挨拶を返した。
セガールは︿D.D.D﹀に所属する武闘家である。
レベルは当然のように90。メイン装備は全て秘宝級でそろえてい
るし、
真のセガールならばコックが出来なくてはならないと言う信念のも
と、
サブ職業の料理人も極めている。
一見すると頼りなさげな青年だが、間違いなく一流の︿冒険者﹀だ
った。
﹁今度はどこへ行っていたんですか?﹂
久しぶりに会った嬉しさを隠そうともせず、彼女より少し年上の青
年に尋ねる。
その様子にセガールはいつもの、少し困ったような笑みを浮かべな
がら答える。
﹁ああ、ちょっと東北⋮イースタル北部を調べてたんだ。
帰還呪文で帰ってきたのが今日のお昼ごろ﹂
セガールとその仲間たちは︿D.D.D﹀の偵察兼遊撃部隊として
ヤマトの各地を旅し、
情勢を調べたりあちこちで人助けをしている。
それは彼が︿D.D.D﹀に加わる前からずっと続く、彼らの特長
17
による。
ハリウッド・アクション・クラブ
サリアが聞いたところによるとセガールはかつて、
︿H.A.C﹀と呼ばれる、
パーティー
小さいながらも戦闘を主とする家門の当主であったと言う。
6人規模の小隊としてはかなりの熟練と武功を積み上げた家門で、
そこそこに名も知られていたらしい。
︿大災害﹀の折に色々考えて今の︿D.D.D﹀に加わることを決
めた後も、
彼らの家門の家臣団で構成された部隊は昔からの拠点であるギルド
ホールで暮らし、
冒険も︿D.D.D﹀の支援を様々な形で受けつつも彼らの部隊が
独自に行う、
いわば情報提供者とその雇用主のような関係を築き上げていた。
﹁イースタルの北部ですか。えっと、どうでしたか?﹂
イースタルの北部。サリアの故郷があった地域だ。そこの情勢はや
はり気になった。
﹁うん。基本的には平和だったよ。︿冒険者﹀のクエスト攻略も大
分進んだお陰で、
もう︿緑小鬼﹀も殆ど出てない﹂
セガールの言葉にほっと息をついてサリアはため息をつく。
﹁良かった⋮﹂
サリアにとって︿緑小鬼﹀は憎むべき仇である以上に、恐怖の対象
だった。
それだけにその︿緑小鬼﹀がいなくなったと言う言葉は、彼女に大
きな安心を生んだ。
﹁ずっと冒険を続けて、たくさんの人たちを救ってくれたセガール
さんみたいな
︿冒険者﹀さんのおかげですね﹂
18
サリアの、感謝を込めた何気ない一言。だが、その言葉にセガール
は顔を曇らせた。
﹁⋮そうだね。うん。僕も︿大災害﹀前までのここ5年くらいは寝
る暇すら惜しんで、
ずっと冒険してた⋮他には、何もしてこなかった⋮﹂
まるで、酷く苦いものをかみ締めるように、セガールは言葉を吐き
出す。
泣きそうに見えるほど、酷く悲しそうに。
﹁⋮あの、私の言ったこと。なにか気に障りました?﹂
その様子はただ事ではない。
それを感じ取ったサリアはもしかしてセガールに嫌われるんじゃな
いかと言う
不安を持って、セガールに問いかける。
﹁あ、ごめん!なんでもない、なんでもないよ!﹂
サリアの様子に慌てた様子でセガールは否定を繰り返す。
苦りきった泣きそうな顔が消え、いつもの困ったような微笑みを浮
かべる。
サリアを安心させるために。そして、ポツリと呟く。
﹁⋮ただ、︿大災害﹀があってよかったなって思ったんだ﹂
﹁良かった?そうなんですか?﹂
サリアとて詳しいことは分からないが、︿冒険者﹀にとって、︿大
災害﹀は
文字通りの酷い厄災だったと多くの︿冒険者﹀が考えているのは、
知っている。
それだけに、サリアはセガールの言葉に首をかしげる。
セガールの言葉には、嘘やごまかしが感じられない。
本心から言っているのが見て取れた。
そんなサリアの様子を見て、セガールは目の前の少女に更に本心を
伝える。
﹁そうだよ。あれがあったから、僕にもなんていうか⋮
19
そう、生きていく目的が出来たんだ。それに⋮サリアを助けるこ
ともできた﹂
絶大な効果だった。本人に自覚はないが。
サリアのほほにしゅっと朱が走り、かっと頭に血が上る。
﹁え⋮あ⋮その、あ、ありがとうございます﹂
どもりながらも何とか言葉を返す。
﹁え?なにが?﹂
対するセガールはきょとんとしている。どうやら自覚はないらしい。
﹁い、いえ!なんでもないです!あ、そうだ!あたし、これからお
買い物しなくちゃ!﹂
とにかく話題を変えねば。そう思ったサリアはとりあえず言って見
る。
﹁買い物?何買うの?﹂
﹁はい!お塩とお砂糖、胡椒と、あと、しんしゅーみそって言うや
つです!
最後のは良く分からないけど!﹂
そうだ。謎の調味料も買いに行かなければならない。
確かふつうのおみそなら、行きつけの食材店に売ってた気もするが。
﹁信州味噌?⋮ああ、思い出した。最近長野⋮エチゴで作られてる
本格的な味噌だよね。
確か一膳屋が向こうの領主と短期醗酵を含めた技術提供する代わ
りに
格安で譲ってもらう契約をして作ってもらってる﹂
一方旅慣れた︿冒険者﹀であるセガールはその言葉だけで思い当た
ることがあったらしい。
サリアに詳しいことを教える。
﹁そうなんですか?﹂
﹁うん。ただまだ生産量が多くないのと、ミカワとアヅチって街でも
大ヒットしたお陰で、アキバでもなかなか手に入らないみたい。
アキバに来るまでに売れるし、たまに出回っても和食系の料理屋が
20
買占めちゃうみたいで﹂
﹁あ⋮そうなんですか⋮﹂
手に入れるのは難しそうだ。そう考えていたときだった。
﹁あ、でも⋮﹂
ふと思いついたように、セガールは肩に下げていた魔法のバッグを
ごそごそとあさり、
壷をとりだす。
しっかりと封がされていた跡が残った、小さめの壷だ。その壷から
は、余り嗅ぎなれない、不思議なにおいがする。
﹁これって⋮もしかしてさっき言ってたしんしゅーみそですか?﹂
その正体に思い当たり、サリアはセガールに問う。
﹁うん。今回の旅でエチゴに寄った時に、買ったんだ。
まだ少ししか使って無いから、あげるよ﹂
サリアの問いかけに頷きながら、サリアに壷を渡す。
中身が詰まっているらしく、サリアには少し重い壷。
﹁いいんですか!?これって結構お高いんじゃ⋮﹂
﹁いいよ。それにサリアだけのためってわけでもないよ。
︿D.D.D﹀には普段顔出さないし、こういうときくらい役に
立っておかないとね﹂
セガールはサリアに頷きかけ、もって行くよう促す。
﹁分かりました。それではいただきます﹂
﹁うん。それじゃ、明日にはギルドキャッスルにも顔を出すから﹂
ドキンッ
セガールが言った何気ない一言に、サリアの胸が弾ける。
﹁は、はい。お待ちしております!﹂
そしてサリアは笑顔でセガールに深々と頭を下げた。
21
真っ赤になった顔を見られたくなくて。
6
すっかり日が落ちた頃、夕食を食べ、︿冒険者﹀の方々が使い終わ
った後の
残り湯を使わせてもらった後、サリアたちメイドは眠るまでの間、
ヒカリゴケのつめられた火のでないカンテラ︵アキバでは結構安い
値段で売っている︶
で部屋を照らしつつ、それぞれに好きなことをして過ごす。
サリアの場合はクロと2人でアルフェとタニアから文字と計算を習
っている。
これからの時代、メイドと言えども学識がなくてはいけない時代と
は、
アルフェの弁である。
﹁今日は、楽しかったな﹂
勉強を終え、布団の中でまどろみながら、一日を振り返る。
いつものお仕事に、今度の休みの計画。久しぶりのセガールとの出
会い。
セガールから貰ったしんしゅーみそは︿D.D.D﹀の︿冒険者﹀
の料理長を歓喜させ、
彼が作った﹃とんじる﹄と言う豚肉としんしゅーみそのシチューは
素晴らしい味だった。
明日は︿D.D.D﹀にセガールも顔を出すし、今度の休みには4
人でお出かけだ。
﹁明日も、また良い日だといいな⋮﹂
惨劇から3ヶ月、今の生活自体がある意味起きながら見ている夢の
ようだと感じながら。
22
サリアは一日の活動を終えて、眠りについた。
23
第1話 メイド︵元開拓民︶のサリア︵後書き︶
本日はこれまで。
本作品のテーマはログ・ホライズンにおける、
大地人が主役となります。
もし、扱って欲しいテーマ等ございましたら、
要望等お願いします。
24
第2話 漁師のウィル︵前書き︶
第2話です。
本日は、アキバから離れた、島での物語。
今回のテーマは、大地人と冒険者の交流。
それではお楽しみください。
25
第2話 漁師のウィル
0
まだ日が昇ったばかりの朝の早い時間。
どこまでも続く青い海の上にウィルたちの漁船は浮かんでいた。
﹁網を上げるぞ!全員、配置につけー!﹂
﹁がってんだ!﹂
ウィルの掛け声に、22人のたくましく日焼けした男達が応える。
﹁せーの!﹂
掛け声を合わせ一気に網を引き上げる。
﹁取れたぞ!大漁だ!﹂
網の中には無数の魚。魚。魚。
いつもの倍はある、大漁だった。
﹁すげえや!これならダイハチの旦那衆も納得すんだろうよ!﹂
その結果に、男達は歓声を上げる。
だが、その歓声は、若い見張りの漁師の声で途切れた。
﹁鮫だ!鮫が出たぞ!﹂
遠くの波間に突き出た、藍色の背びれ。
それはぐんぐん速度を上げて、船に迫ってくる。
﹁網元、︿船喰鮫﹀︵メガロドン︶ですぜ!﹂
ウィルの傍らにはべる、ウィルより10ほど上の漁師、タッカーが
ウィルに言う。
︿船喰鮫﹀はこの辺りの海に住む、厄介なモンスターだ。
人食鮫を更にでかくした姿をしており、その名の通り、船を喰い壊
して中の人間を貪る。
奴に齧られ、叩かれて沈んだ船は多いし、そうなれば、ほぼ確実に
26
奴の餌だ。
﹁慌てんな!船を逃がすぞ!﹂
ウィルが怒声を上げ、漁師達を抑える。
その声にはまだ少年の殻を脱ぎきっていない青年とは思えぬほどの
迫力があった。
ウィルは齢19にして、荒くれ揃いで知られるハツシマ島の漁師を
束ねられるほどの
島で2番目の力量の持ち主。
アタミの領主様の親衛隊にも匹敵すると言う力は、ダテじゃなかっ
た。
その言葉に、漁師達も平静を取り戻し逃げる準備にかかる。だが。
﹁ダメだ網元!あいつ、はええよ!かわしきれねえ!﹂
追ってきてるのはどうやら︿船喰鮫﹀の中でもかなり大型の部類ら
しい。
かなり船足の速い漁船を捕らえ、確実に追ってくる。
﹁ちっ⋮しゃあねえか﹂
︿船喰鮫﹀くらい、この船の荒くれどもの力なら追い払えなくも無
いが、
それをやってる間に船が傷む。
まだ造って10年ほどしか経ってない大事な大事な漁船が痛むのは
忍びない。
故にウィルは決意した。間違いなく島で最強である彼女の力を借り
ることを。
﹁全員モリ持って来い!それと⋮ババアだ!ババア呼んで来い!﹂
恐らく今は船倉で、取った魚を仕分けているであろう彼女を呼んで
くる指示をする。
﹁へ、へぇ!﹂
慌てて頷くタッカー。
だが、その前に、低めの、だが確実に男の声じゃない声がかけられ
た。
27
﹁ちょいとうるさいよ!年はともかくあたしにゃあアカシアって言う
立派な名前があるんだ!ババア呼ばわりすんじゃないよ!﹂
そう怒りつつやってきたのは、荒くれだらけの船には似つかわしく
ない存在だった。
肩口で短く切りそろえられ、ポニーテールにまとめられた銀色の髪。
真夏の強い日差しをあびても一向に日に焼ける気配が無い、真っ白
な肌。
彼女は上には控えめな乳房を隠すようにぴったりした布をまとい、
両腕には不可思議な紋様が刻まれた黄金の腕輪を、腰には短い布を
巻いている。
短い布から伸びるのは、すらっとした細い足。
可憐な立姿は、人の身に化けた人魚の姫君を思わせる。
トライデント
だが、その、少女の正体を如実に語るものは、彼女の手の中にあっ
た。
サファイア
彼女が手にしているのは、彼女の背丈を越えるほど巨大な三叉槍
海をそのまま固めたような、透き通るような青石で出来たそれには、
一切の継ぎ目が無い。
まるで、金剛石の次に硬い宝石である青石の大岩から削り出したと
でも言うように。
明らかに人ならざるものの手⋮
海底に住まう、海の王が直々に彼女に与えたと言う三叉槍が彼女が
何者かを告げていた。
ハツシマ島にただ1人住む、︿冒険者﹀。
それがアカシアと言う女性だった。
﹁うっせえ!船には乗せてやってんだからきっちり働けババア!﹂
100人の男が見たら100人が美しいと言うであろうアカシアを
28
ウィルは怒鳴る。
ウィルを含め、ハツシマ島の人間ならばみんな知っている。
アカシアが既に75年生きていること。
︵あくまで彼女の自称だが、その知識の深さと慧眼は、
彼女が少なくとも見た目どおりの年でないことを告げていた︶
不老不死の存在たる︿冒険者﹀を体現した存在であることを。
﹁まったく、口の減らない坊主だ⋮ふん、あのサイズだとレベルは
45ってとこ
⋮ちょいと苦労するくらい、だね﹂
どこか楽しそうにウィルに軽口を叩きながら、這い出した背びれを
見て、瞬時に判断する。
﹁さすが姐さんだ!︿冒険者﹀の名前はダテじゃねえ!﹂
﹁頼みましたぜ!アカシアの姐さん!﹂
﹁ただし、海じゃあ何があるか分からない!あたしが戦ってる間は
離れてな!
もしあたしが負けたら、ちゃんと逃げるんだよ!あたしゃ死なな
いんだからね!﹂
盛り上がる野郎どもを尻目に、真面目な表情を作って、
アカシアは漁師たちにいつもの台詞を言う。
﹁分かってるよ!嫌味かババア!お前が負けるわけねえだろうが!﹂
その言葉が、ウィルを苛立たせた。ウィルは知っている。
目の前の彼女が鮫なんぞには絶対に不覚を取らないと。
﹁⋮っは!相変わらず口がなっちゃいないね!じゃあ、ちょっくら
行って来るよ!﹂
苦いものでもかみ締めたような顔のウィルにアカシアは少しだけ笑
い、
そのまま海に飛び込む。
⋮トプン
29
人の飛び込んだ音にしてはあまりに幽かな音。そして。
﹁相変わらずはええなあ﹂
﹁人魚でもあそこまで早くは泳げねえよ﹂
水中から一切顔を上げず、アカシアは泳ぎだす。
その速度は鹿が大地を駆けるのよりも遥かに早い。
﹁水ん中極めたって言うの、アレ絶対マジだよな﹂
アカシアは船に乗るようになってからしばらくした頃、
初めて︿船喰鮫﹀狩りをした時に、彼らに言った。
心配すんな。︿海女﹀を極めた自分は海ん中じゃあ陸の上よりずっ
と強い、と。
その言葉に嘘はなく、海の中ではあらゆるモンスターが彼女に狩ら
れる獲物となった。
﹁あ、始まった﹂
弾丸のごとく放たれた、巨大な三叉槍の突撃を喰らった︿船喰鮫﹀が
鼻面から血を流しながらのた打ち回る。
そして船を追うのをやめ自らの1/10程しかない小さな生き物に
力の差を教えてやらんと暴れまわる。
激しい波しぶきが舞う、1頭と1人の力比べ。それはおよそ5分間
続き、そして。
ドッパーン!
教えられる側にまわされた︿船喰鮫﹀が、空を舞った。
腹に人間つきの巨大な槍を突き刺して。
至近距離からの強烈な絶命の一閃。それはただの一撃で︿船喰鮫﹀
の体力を奪いきった。
﹁ひゃっほう!やりやがったぜ!これで姐さんの5連勝だ!﹂
海に落ち、腹を上にして浮かび上がった鮫の上に、勝者が立つ。
槍を引き抜き、海へと飛び込む。そして。
﹁ただいま。良い子にしてたかい?坊主﹂
30
﹁うるせえよ!つーかなんで鮫ごともって来るんだよ﹂
水中から抱え上げて鮫を船まで運んできたアカシアが、
鮫との戦いであちこちに出来た傷に魔法の傷薬を塗りこめながら、
こともなげに言う。
﹁ああ、コイツも持ち帰っておくれ。
茜屋さんが言うには、牙と皮が結構良い値段になるらしいんだ﹂
捨ててたと言ったら、物凄くもったいないと言われた。
売るアテがあるなら、絶対に持ち帰ったほうが良いとも。
﹁わーったよ!﹂
ウィルがやけくそ気味に答えた。
こうなっちまったら、断っても仕方が無い。
そんなことしたらこのババアは鮫を担いで島まで泳ぐ。
それくらいは出来るし、やることを知っていたから。
﹃第2話 漁師のウィル﹄
1
﹁こんにちは。大漁だったようですね﹂
ハツシマ島唯一の港に帰ると、まだ早朝にもかかわらず港には既に
男性が来ていた。
エルフ族特有の長い耳を持つほっそりとした男性だ。
その傍らには身の丈20m近い巨大なロック鳥が侍っている。
クエエエエエエエ!
船から降りてきた漁師に反応し、ロック鳥が鳴き声を上げる。
﹁ダイハチの旦那!大漁ですぜ!﹂
このハツシマ島に、アカシア以外の︿冒険者﹀が訪れるようになっ
たのは、
31
アカシアが着てから1ヶ月ほど後のことだった。
名は、鳥丸。いつもアキバの街から1時間ほどかけてこの島にやっ
てくる召喚術師だ。
この︿第8商店街﹀と言う家門に属する、アキバの街の︿冒険者﹀
商人は
この島で取れる魚に相応に高い値をつけて買い取っていた。
﹁ええ。素晴らしい。新鮮な魚は︿冒険者﹀に大人気ですからね。
おかげさまで料理が広まった最近はイースタルでも売れてますけ
ど﹂
丁寧に対応しながら、満載された魚を検分するために船に近寄って
いく。
そして近づいて、気づいた。船が取ってきた珍しい獲物に。
﹁⋮っと、それはもしかして︿船喰鮫﹀ですか?アカシアさんが?﹂
こんな真似が出来るのは、︿大地人﹀ではありえない。
鳥丸はそう判断し、アカシアに尋ねる。
﹁ああ、今までは肉が臭くて食べられたもんじゃないから捨ててた
けど、
コイツも売れるんだろ?﹂
﹁捨ててたんですか!?もったいない⋮﹂
そしてあっさりと帰ってきた答えに、鳥丸は目をむいた。
﹁私は食品専門なんでちょっと専門外ですがちょっと見せてもらい
ます
⋮万年牙が生えてますね。これなら皮と牙で⋮﹂
貴重なドロップを捨てられては商人としてはたまらない。
鳥丸はしっかりと検分し、それが貴重なお宝持ちであることを確認
する。
捨てられなかったことに安堵しつつすぐさま魔法の鞄から算盤を取
り出し、
珠算3級の腕前ではじき出す。そして出た答えは⋮
﹁へぇ。こりゃ驚いた。そんなになるもんなのかい?﹂
32
鳥丸の示した額は、モンスター1匹分としては、随分と破格の申し
出だった。
アカシアの言葉に鳥丸は頷き、答えを返す。
﹁ええ。︿船喰鮫﹀の皮は丈夫な皮製品とおろし金に使えますし、
︿船喰鮫﹀の牙は加工すると結構強いダガーになるんですよ。
特にレアドロップの万年牙から作るダガーなら90レベル環境でも
充分実用レベルですからね。需要はあります。
まあレアドロップなんで万年牙は基本的に滅多に出ませんし、
万年牙なしなら買い取り査定は今回の1/6ってとこですけど﹂
﹁へぇ。そんなもんなのか。じゃあ、今回は運が良かったんだね。
まあ、1/6でも1回の稼ぎとしちゃあ悪くないけど﹂
﹁はい。それじゃあ、引き取っていいですか?﹂
﹁ああ、持ってきな。どうせあたしにゃあ無用の長物だ﹂
アカシアが頷き、鳥丸に承諾の意思を伝える。
﹁はい。ではウィルさんには金貨で12,000枚。アカシアさん
には6,000枚となりますね﹂
﹁おう﹂
﹁ああ、ありがたく貰っとくよ﹂
そして鳥丸はこのときのために持ってきた金貨の袋を2人に渡し、
相棒のロック鳥に言う。
﹁ピースケ。先に運び出しといて。商店街のみんなが、新鮮な魚を
待ってるから﹂
クエエエエ!
一声承諾の意思を告げたロック鳥が船の上に用意された網ごと魚を
持ち上げ、
アキバの街へと飛び立つ。
ピースケの翼なら、アキバまで1時間。太陽が昇りきる前にアキバ
にたどり着ける。
33
﹁では、また頼みますね。
私はこれから牙と皮を剥がしてもって行かなければならないので、
これで失礼します。
あ、それと、アカシアさん。これどうぞ。プレゼントです。
アキバで仕入れて来た品ですよ﹂
鳥丸はそう言うと何かの入ったビンをアカシアに渡す。
﹁なんだこりゃ?﹂
覗き込んだウィルは首をかしげた。
ビンの中には、黒い水が入っていた。
この商人は人がいいから、多分それなりにいいものなんだろうが、
なんなのかは分からない。だが。
﹁おい⋮こりゃあまさか醤油かい!?﹂
アカシアが珍しく興奮して、鳥丸に問う。
その問いかけに、鳥丸は笑顔で頷いた。
﹁ええ、まだまだ代用レベルですけどね﹂
﹁ありがたいねえ。常々取れたてをわさび醤油で食べたいって思っ
てたところなんだ﹂
﹁ええ。だと思いまして﹂
﹁あんた、若いのに分かってるじゃないか﹂
2人して何か完全に通じ合ってる2人が気に入らない。
そう感じて、苛立ちながらウィルはアカシアに話しかける。
﹁おい、ババア﹂
﹁だからババアじゃなくてちゃんとアカシアって呼びな﹂
﹁こいつは一体なんなんだ?﹂
アカシアが受け取った黒い水の入ったビンを指差し、問いかける。
それに、アカシアは済ました顔で答えた。
﹁ああ、だから、醤油さ。魚をうまく食うためのものさ﹂
﹁うまく?塩焼きとか浜汁よりもか?﹂
思わず声が上ずる。
このアカシアが村のかかあ連中に、新しく分かったが自分じゃ作れ
34
ねえと言って、
うまい魚の食いかたを教えたのは、商人がやってくるようになる、
少し前のことだ。
初めて食った時は感動すらした。
今まで食っていた魚には存在しない﹃味﹄ってもんがあった。
それだけに、アカシアの言葉にはいやでも期待が高まる。
﹁ああ、うまい。と言うよりその2つも醤油さえ使えばもっとうま
くなるし、
生で食ってもいける。確か魚を捌くのは漁師ならできるんだろ?﹂
﹁まあ、そりゃあな﹂
漁師にとっては魚の加工も必須のスキルだ。
﹁だったら次の漁を楽しみにしときな。坊主に最高のメシ食わせて
やるよ﹂
そう言うと、アカシアは不敵に笑顔を向けた。
ごくり。思わずウィルたち漁師の喉がなった。
2
数日後。
﹁驚いたぜ。まさかショウユをかけただけの生の魚があんなにうめ
えとはな﹂
船の上で、ウィルはアカシアに正直な感想を漏らした。
びっくりするほど旨かった。
アカシアが山で探し出してきた辛い根っこと一緒に食うと、格別だ
った。
ちなみにウィル以外の連中はまだまだ食っている。
今日の獲物を喰い尽かさんばかりの勢いだ。
﹁漁師の特権ってやつさね。本当に獲れたてんときじゃないと、
あそこまでうまくはならないからね﹂
35
ウィルの言葉が嬉しかったらしい。
少しだけ照れつつも、誇らしげにアカシアはウィルに言った。
﹁やっぱり海にゃあ詳しいんだな﹂
流石は海に生きる︿冒険者﹀といったところか。
そんなことを思いながら、ウィルはアカシアに対する賞賛の言葉を
つづる。
そしてアカシアは。
﹁そりゃあそうさ。あたしは初島の漁師の娘だったんだからね﹂
ぽろりと、そんな言葉を漏らした。
その言葉に、ウィルは硬直し、それから、改めて問いかけた。
﹁⋮マジか?︿冒険者﹀なのに?﹂
想像の埒外だった。︿冒険者﹀に故郷があるなんてこと。
ましてやそれが、このハツシマ島だと言うことに。
ウィルの反応を見て、何かに気づいたのか、アカシアは黙る。
そして、少しして、ゆっくりと話し出した。
﹁⋮ず∼っと昔の話さ。なんせあたしが島を出たのは15の時だっ
たからね﹂
アカシアの脳裏には、随分と古い記憶が頭をよぎっていた。
本当に色々あって、古ぼけすぎて、もう余り思い出せないような、
60年分を。
﹁15?確かお前、前に年聞いたときは⋮﹂
﹁ああ、今年でもう75さ。15で島を出て18であの人と結婚し
て⋮55年添い遂げた﹂
都会の暮らしに憧れて、故郷を飛び出し、いっぱしに恋なんてもの
をして、幸せに暮らす。
そんな、あの頃から今までずっと、幾らでもあったよくある話を。
﹁添い遂げた⋮お前の旦那は今、どうしてるんだ?﹂
一方のウィルには、分からなかった。
なんで過去形なのかが。
﹁亡くなったよ。病気も怪我もボケもなくぽっくりと逝けたから、
36
まあ幸せさね﹂
アカシアの答えに、ウィルは更に混乱する。
当たり前と言えば当たり前の答えだ。
ただしそれを⋮︿大地人﹀が言ったのなら。
﹁⋮なんでだよ?︿冒険者﹀ってのは、ずっと年取らないんだろう?
だからババアだってその姿で⋮﹂
ウィルの、何気ない一言。
それを聞いた途端。アカシアが初めて動揺する。
分かっていた筈のことを、改めて突きつけられて。
﹁⋮あの人は、︿冒険者﹀なんかじゃなかったからね﹂
どういえば分かってもらえるのかは分からなかったから、ぼかした
答えを返す。
﹁︿冒険者﹀じゃない?まさか⋮︿大地人﹀だったのか?﹂
そして、2人の認識はずれる。
だが、アカシアはあえてそれを直そうとはしなかった。
そんなことをしたら、今までの島の連中との暮らしまで嘘になりそ
うな気がして。
﹁ま、似たようなもんさね。必死に働いて、あたしと2人で子供5
人育てて、
普通に年とって⋮孫と曾孫に囲まれて、死んだのさ。幸せだった
よ。
あたしも、あの人も﹂
だからせめて、あの人のことは正直に言った。
55年分のことまで嘘をつくのは、あの人に対する裏切りに思えた。
﹁⋮そっか。じゃあ、なんでババアは︿冒険者﹀になったんだ?﹂
ウィルのほうもまた、質問を変えた。
なんとなくだが、分かった。アカシアは本当にその人を好きだった
こと。
そしてその好きな人は⋮本当にいなくなったってことを。
﹁なんで、か。そうさね。強いて言うなら、寂しかったから、だろ
37
うね﹂
少し考えて、アカシアはその答えに達する。
﹁寂しかった?﹂
﹁ああ、そうさ﹂
頷いて、彼女が︿冒険者﹀になったときのことを思い出して語る。
そう、ほんの⋮1年と少し前の出来事を。
﹁子供どころか孫まで立派に育って、あの人も逝っちまって、
終わり
なんだなってね。
もう何も心配がなくなったらね、えらい寂しくなったんだ。
ああ、もう、自分は
あの人がいなくなって家に1人だったしね。
だから⋮とにかく新しく何かを始めたかったんだよ。
今まで知りもしなかったようなことをね。
そいで、そういうのに詳しい曾孫に色々聞いたりしてね。
⋮まさかこんなことになるなんて、思っちゃいなかったけど﹂
家から出るのも一苦労だったからこそ、アカシアは冒険に明け暮れ
た。
一応ギルドに席を置いているだけのソロプレイヤーだったが
アキバじゃそれなりに有名だった。
主に︿冒険者﹀としての功績以外のところで、だったが。
﹁そっか⋮じゃあ、ババアは何でハツシマ島に着たんだ?﹂
﹁ああ、そりゃあね。恥ずかしい話だけど、逃げたかったのさ﹂
あの日事態のことより、それからの1週間の間の方が、辛かった。
あのときのアキバの様子は、失った後、することもなく淀んでいた
頃が
思い出されてしまったから。
﹁逃げたかった?﹂
﹁ああ、大災害の後のアキバは酷い状態でね。いい若いもんが腐っ
た目をしてて
⋮あたしには耐えられなかった。
んで、逃げるとなったら、大災害前に来たとき気に入って、海が
38
綺麗だった、
この昔捨てた古巣しか思いつかなかったんだよ﹂
話が終わり、遠く、青い海を酷く眩しいものを見るように眺める。
潮の香りがする、美しい少女の横顔には、つぅっと一筋の涙。
ウィルにはその涙は何か、すごく綺麗なものに見えた。
﹁捨てた⋮島をか⋮﹂
ウィルは考えたこともなかった。海を、島を捨てるなんて。
だが、確かに分からないでもない。
︿大地人﹀の間では、︿冒険者﹀になるなんて、
平民が王様になる方がまだ可能性があると言われるくらい、とんで
もない代物だ。
そんな大層なものになるのなら、
いつまでもこの島で暮らしているわけには行かなかったのだろう。
そう納得し、ウィルは黙って、アカシアの話に耳を傾ける。
﹁そうさ。だから、故郷は簡単には捨てちゃいけないよ。
一回捨てると、拾うのには長い長い時間がかかるから﹂
その顔には、ウィルには良く分からない、色々なものが含まれてい
た。
長い歳月で、石が波で洗うわれるように丸くなった感情の数々。
それが若い少女にしか見えぬアカシアに、年輪を刻んでいた。
﹁捨てねえよ。つーか捨てられるか。俺は、網元だぜ?
捨てたら、海を愛して海で死んだ親父に顔向けできねえ﹂
つっ、と目を逸らし、ウィルは言う。
﹁⋮やっぱり男の子だねえ。親父さんの志とこの島、大切にしてや
んなよ。ウィル﹂
そんなウィルを見るアカシアの瞳は、とても優しい。
見たことがあった。それは母親が大人になった息子を見ているよう
な目だ。
そのことに気づいたとき、ウィルはそれが嬉しくもあり⋮何故か悲
しくもあった。
39
﹁ああ、もちろんだ。俺は、この島で生きていく。何があってもな﹂
とにかく、アカシアを喜ばせたかったのと、改めて決意するために、
ウィルはその言葉を口にする。
ここは、俺の海だ。
親父も、じいさんも、その前のご先祖さまもこの島で生まれて漁師
になり、
この島で死んだ。
どの道ずっとここで、漁をして生きていく。それだけは、確かなの
だから。
3
そして、日々は巡る。夏の終わりの、その日まで。
船は、いつもどおりに漁をした。そして、その終わり。
﹁おい⋮なんだありゃ⋮?﹂
異変に気づいたのは、見張りだけではなく、船の中の人間、全員だ
った。
﹁め、︿船喰鮫﹀⋮だよな?﹂
海から突き出した背びれ事態は、見慣れたものだ。だが。
﹁でかすぎる!なんなんだよありゃあ!?﹂
その海のように青い、突き出た背びれは、大人の背丈の倍ほどもあ
った。
明らかに異常な大きさ。今までのものとは明らかに違う。
﹁おお⋮おお⋮!あれは⋮!﹂
その背びれに、ただ1人、怯えた声を上げるものがいた。
老いた漁師は、かつてただ1度それを見たことがあった。
あの、全てを失った日に。
﹁じ、じいさん!?知ってるのか﹂
慌てた様子のタッカーに、老漁師は言葉を搾り出す。
﹁ああ、分かる。分かるぞ⋮ありゃあ、先代を殺した、海のヌシ⋮﹂
40
その言葉に答えるように、それは飛び上がった。
海を蹴り、空中を泳ぐのは、真っ青な鮫。
その青い姿は、明らかに通常の︿船喰鮫﹀を大幅に越える
巨大な帆船にも匹敵する大きさだった。
それが空中を泳ぎ終えて海へと戻る。
その瞬間。
﹁うわあああああ!?﹂
その巨体が巻き起こした大波が船を洗う。
みしみしと嫌な音を立て、船が悲鳴を上げる。
﹁と、取り舵だ!立て直せ!﹂
﹁がってんだ!﹂
そのまま横倒しになりそうになる船をウィルの命令で操舵係が必死
に持ち直す。
操舵輪がぐるぐる周り、船はなんとか倒れずに済んだ。
だが、漁師達の動揺は止まらない。
﹁あ、あの野郎、波を起こしやがった!やばいぞ!
あんなの何回もやられたら、確実に転覆する!﹂
﹁なんなんだよあのでかさは!?あんなん、どうしろってんだ!?﹂
﹁ああ⋮終わりじゃ、おしまいじゃ。なんもかんもあの時と同じ⋮
船は沈められ、ワシらは食われる⋮﹂
﹁⋮おい!茜屋さん!教えとくれ!︿船喰鮫﹀だ!だが、青くて⋮
でかすぎる!
少なくともあたしが今まで戦った奴の3倍はある!あいつは一体
なんなんだい!?﹂
混乱する漁師たちをよそになんとか平静を取り戻したアカシアは必
死の形相で
耳元に手を当て、虚空に叫んだ。その様子に、ウィルは見覚えがあ
る。
︿冒険者﹀が使うと言う、遠くの︿冒険者﹀と話をする魔法。
船が帰るとき、いつもアカシアは使っている。
41
つまりアカシアは誰か、他の︿冒険者﹀に助言を求めている。
それに気づき、ウィルはアカシアの言葉に耳を傾けた。
ディープ・ブルー
そのまま話を続けていたアカシアが顔を青ざめさせ、叫ぶ。
﹁⋮海の死神ジョーンズ?なんだいそりゃ!?アメリカ映画か!﹂
どうやら帰ってきた答えは、あのアカシアをも驚かせる情報だった
ようだ。
流されないように船にしがみつきながら、多分この場を何とかでき
る唯一の人間である
アカシアの言葉を聞き漏らさないようにする。
それ故にアカシアの言葉に、ウィルは硬直した。
﹁⋮多分こっちじゃ12年に1度?なんだってそんなもんが今出る
んだい!?﹂
老漁師のじいさんの言葉、先代を殺した海のヌシ。
そしてアカシアの言葉、12年に1度。
その二つがかみ合ったその意味は⋮
﹁おい、ウィル!いつもどおりだ!あたしが海に飛び込んであいつ
の相手をする。
だから⋮﹂
アカシアが必死な顔でウィルに言う。
明らかにいつもの自信に溢れた顔ではない。
むしろ、悲壮と言っても良い、青ざめた顔だ。
だが、ウィルはそれには気づかなかった。
﹁⋮全力で逃げろ。あたしだけじゃ逆立ちしても勝てない、
茜屋さんの情報だから、それは確かだ﹂
﹁嫌だ!親父はあいつのせいで!﹂
逃げろ。アカシアの言葉に、反射的にウィルは言葉を返した。
頭の中にはぐるぐると、色々な絵がめぐる。
あの日焼けして逞しかった親父の背中。
港で何日待っても帰ってこなかった船。
代わりに港に流れ着いた、船の残骸。
42
それにつかまり、黒かった頭を真っ白にしてただ1人帰ってきた漁
師。
彼の話を聞き、男泣きに泣く、船に乗っていなかった若い漁師の男
達。
やつれて、疲れた果てた顔をするようになった母親⋮
それら全てが、ウィルに言う。戦え、仇をとれ、と。だが。
﹁バカ野郎!﹂
唐突に、頭の中を巡っていた絵が消える。激痛と共に。
﹁⋮ってえな!何しやがる、ババア!﹂
頬にはくっきりと、小さな手のひらの痕が刻まれていた。
︿冒険者﹀の全力の平手は、ウィルを正気に戻すには、充分な威力
だった。
思わず睨み返したウィルは、逆にアカシアにまっすぐ見つめ返され、
言葉をつぐんだ。
﹁⋮命、粗末にするんじゃないよ。アンタはまだ若いんだ。死ぬに
は、早すぎる﹂
揺れる船の中で、アカシアはウィルに静かに言う。
﹁けど⋮﹂
もう、アカシアはウィルの言葉を聴いていない。
船の舳先に立ち、漁師たちに、大声で叫ぶ。
﹁いいかい、今、この場さえ逃げ切れればいいんだ!
アイツは強いが、必ず茜屋さんと︿円卓会議﹀が動く!
そうすりゃ必ず︿冒険者﹀の誰かがあいつを仕留める!﹂
﹁姐さん⋮﹂
﹁じゃ、ちょっくら行って来る⋮あんたらで、ウィルを⋮網元を支
えてやっとくれ﹂
泣きそうになっている男達を励ますように、アカシアは笑顔を形作
る。
そしてその笑顔のまま。
43
⋮トプン
槍を携え、静かに海に飛び込んだ。
﹁任しといてくだせえ!﹂
﹁野郎ども!アカシアの姐さんのためにも⋮この場は逃げるぞ!﹂
﹁おう!﹂
男達はもう、迷わなかった。迷ったら、あの人に怒られちまう。
全員の心が1つになる⋮ただ1人を除いて。
﹁あ、オイ待て!お前らアカシアを置いてくつもりか!
なんで逃げるんだ!?違うだろ!悔しくないのかよ!アイツが親
父達を!﹂
﹁黙れクソガキ!﹂
タッカーは若く新しい網元を立てるため、いつも敬意を払ってきた。
だが、今はダメだ。
駄々っ子のクソガキよりも大事なことがある。
﹁あっしらには生き残る義務があるんです!今、この船ごと俺らが
沈んだら、
誰がかかあとガキどもを喰わせるんですか!?﹂
そう、死ぬわけにはいかない。そのためには、見捨てなくちゃなら
ない。
それゆえの鬼の気迫だ。それに飲まれウィルは思わず黙り込んでし
まう。
そして。
﹁ああ!?アカシアさーーーーーーーーーーん!﹂
鮫の方を見ていた、若い漁師が思わず悲鳴を上げた。
その場にいた全員がそちらを見る。そして見た。
﹁あ、あああ、あああああああああああああああああああああああ
ああ⋮﹂
ウィルの、魚の群れを捕らえる鋭い目はそれを正確に捉えていた。
44
遥か前方、奴の血で赤く染まった海を。
そして⋮お返しとばかりに化物鮫がアカシアをくわえ込み、飲み込
む様を。
へたりこむ。ウィルは理解してしまった。幾ら︿冒険者﹀でも助か
らないと。
﹁畜生、あの鮫野郎!おやっさんどころか、アカシアの姐さんまで
⋮﹂
泣きそうになりながら、男達は全力で海域を離脱する準備をする。
これで逃げられなかったら、アカシアに顔向けできない。
﹁網元!逃げますぜ!﹂
タッカーの言葉が右の耳から入り、左の耳から漏れる。
その言葉を、ウィルは理解できなかった。
4
酷い状態だった。
あれから何とか逃げ切るまでに3度波を浴びて、船は半壊。
修理しなければ海に出るなど到底不可能。
第一、もし漁に出たとしても、あいつがいる。
あの青い化物が何とかならない限り、海に出ようと言う漁師はいな
い。
そして何より⋮
﹁おい⋮網元の様子はどうだ?﹂
タッカーが網元の下から戻ってきた、若い漁師に聞く。
﹁ダメです⋮あれから3日立つのに、ぼんやりして、腑抜けたまん
まです⋮﹂
しょんぼりと、若い漁師はタッカーに報告する。
﹁そうか⋮いや、当たり前かも知れねえな。網元は、アカシアの姐
さんのこと⋮﹂
45
網元に言ったら絶対に否定するだろうが、タッカーには分かってた。
網元が、アカシアの姐さんを見る目、それには見覚えがある。
タッカー自身が10年も前に、コロコロと丸くなる前の
かかあを見ていたときの目とおんなじだから。
そんな人を失ったのなら、そうそうは立ち直れない。
そんなことを考えていたときだった。
﹁タッカーの兄貴!大変だ!大変だよ!﹂
若い漁師が慌てた様子で駆けつける。よほど急いできたんだろう。
息が上がっている。
﹁⋮なんだ?何かあったのか﹂
その目には、隠しきれぬほどの喜びが宿っていた。そして、彼はそ
の言葉を叫ぶ。
﹁そ、それが⋮か、帰って来た!帰ってきたんですよ!﹂
周りより少しだけ豪華な網元の家。
そこでウィルは自室のベッドで泣き暮れていた。
﹁くそう⋮畜生⋮なんでだ。なんで助けられなかったんだ。
俺は⋮あいつの、アカシアのこと⋮﹂
目を開けると、あっという間に視界が滲む。
一体どれだけ泣いただろう。
もしかしたら、親父が死んだとき以上かもしれない。
﹁なさけないねえ。いい男がいつまでもぴーぴー泣くんじゃないよ
!﹂
ああ、そうだ。なんて情けない姿だろう。
親父やアカシアが見たら、きっとそう言う。幻のように、勝気な怒
り顔で。
そのことがまた、ウィルの涙を誘った。
そしてまた静かに⋮張り飛ばされた。
﹁いてええええええ!?﹂
なんだこの幻。いきなりぶん殴ってきやがった!
46
思わずウィルは睨み返す。腕を組み、ふんぞり返る、少女にしか見
えぬ⋮
﹁何しやがる、ババア!﹂
﹁はん。どうやら少しはマシな面構えに戻ったじゃないか!﹂
﹁うるせえ!って言うかなんで⋮え?﹂
思わずいつものやり取りが始まりそうになったところで、ウィルは
気づいた。
どうみても目の前に立ってるのは⋮
﹁⋮な、なんで?あの時確かにお前は⋮﹂
﹁まったく、人の話をちゃんと聞いてなかったね。さんざ言ってた
のに﹂
動揺するウィルに対し、あの日と同じ顔、同じ姿のままアカシアは
ため息をついて、
その答えを口にする。
﹁あたしゃ、死なない。常々、そう言ってただろ?それは、本当な
んだよ。
もしも死んだとしても、大神殿で︿冒険者﹀は蘇れるんだ。
そうじゃなきゃ神風特攻なんて死んでもごめんだね﹂
マジか。
あれ、マジだったのか。
って言うか、俺⋮泣き損?
﹁なん、だよ⋮クソ!あークソ!こっちはものすげえ泣いたんだぞ
!?
つーかそれならさっさと帰って来いよ!﹂
﹁無茶言うんじゃないよ!あたしゃアキバの街に強制送還されてた
んだ!
散々だったよ!事情聴取とかこの歳んなって初めて受けた!
しかも準備が終わるまで、帰るのは待てって止められるし!﹂
﹁準備?﹂
首を傾げるウィルにアカシアは苦笑して言葉を返した。
47
﹁まったく、お前はほんっとうに全然話聞かないね。ウィル。
言っただろ?︿円卓会議﹀が、動くって﹂
5
﹁すげえ⋮﹂
漁師達は、その光景に、思わず絶句した。
ハツシマ島の小さな港には、今までに無いほど異様な光景になって
いた。
空には鷲獅子や鷲馬、ロック鳥、飛竜などの空飛ぶモンスターの群
れ。
海には戦士海豚や頬白鮫、巨大エイと言った海のモンスターの群れ
と、
帆の代わりに巨大な車輪がついた、何隻かの小さな鉄の船。
そして港の陸地に降り立つのは⋮
﹁︿冒険者﹀、何人いるんだよ⋮100や200じゃないぞ⋮﹂
人間がいた。エルフがいた。ドワーフがいた。
猫人族や狼牙族、狐尾族や法儀族もいた。
多分ハーフアルヴもいるんだろう。
巴の紋章がついた、揃いのマントをつけた100人を越える一団が
卓を囲み、
作戦を話してあっている。
漆黒の鎧をまとう大男を中心にまとまった一団が派手に騒ぎ、
今年の海の死神は俺達が仕留めると豪語している。
アカシアにも負けぬ美少女たちが、1人の武士の少年を囲んで姦し
く騒いでいる。
戦士が多数混じっているにも関わらずどこか学者然とした連中が、
作戦が書かれているらしい紙束を読みながら不敵に笑っている。
金髪のエルフと、それに率いられた一団は、
48
既にそれぞれ空と海のモンスターに乗り、奴を探しに旅立った。
そしてそのどれにも属さぬ︿冒険者﹀が、それぞれの方法で始めて
いた。
アキバに降って沸いた、歯ごたえがある上級者専用の狩り︵クエス
ト︶を。
﹁アカシアさんが言ってた。1人1人がアカシアさん並か⋮それ以
上に強いらしい﹂
畏怖すら感じる光景だった。
︿冒険者﹀の聖地アキバの持つ、底力に。
﹁マジか。やっぱり︿冒険者﹀って⋮すげえんだな﹂
これを見せられては、もはやあの海の死神を恐れる気にはなれない。
間違いない、奴はすぐにでも命を落とすだろう。
この多数の︿冒険者﹀たちに狩り立てられて。
一方その頃、アカシアはタッカーが連れてきたとある男性の訪問を
受けていた。
﹁おや、茜屋さんじゃないか﹂
︿円卓会議﹀のギルドマスターの1人。茜屋一文字の介。
アカシアは海専門の︿冒険者﹀を志した頃から彼に世話になりっぱ
なしだった。
それだけに恐らくは年下であろう彼にも、相応の敬意を払っている。
茜屋は気さくに右手をあげ、アカシアに言う。
﹁よお。俺らも来たぜ。
奴の討伐適正人数にギリギリ足りない23人しか集まらんかった
がな。で、だ⋮﹂
にやりと笑って、言葉を切る。
﹁分かってるよ。一緒に組まないかい?﹂
アカシアも心得たものだ。ただ一言、言葉を返す。
﹁是非もないね。水中戦を極めた海マスターのアカシアさんなら
49
こっちから頼みたいくらいだぜ﹂
﹁ありがとうよ﹂
交渉成立。アカシアは茜屋と握手を交わし、共に小屋を出ていこう
とする。
﹁⋮行くのか?﹂
ウィルは、その背中に問いかけた、それだけだった。
﹁ああ、あたしゃこれでも負けず嫌いでね。恩と借りはきっちり返
さなきゃならない﹂
振り向かず、アカシアは答える。
﹁⋮そっか。じゃあ、頑張れよ﹂
﹁はっ、孫どころか曾孫みたいな泣き虫なんぞに心配される謂れは
ないね。
ま、今夜はお祝いだ。うまいメシでも準備して待っといてくれ。
ウィル﹂
返って来るのは相変わらずの減らず口。
そして、右手を上げ、アカシアは秋の匂いがし始めた海へと出かけ
ていく。
いつものように。
﹁⋮いっちまいやしたね﹂
﹁ああ﹂
ただ2人残された男たちが静かに話す。
﹁ねえ網元﹂
﹁なんだ?﹂
その顔には、苦笑にも似た、不適な笑み。確信めいた予感を2人で
共有する。
﹁今回の狩り、誰がアイツを仕留めると思います?﹂
タッカーが分かりきった答えを、ウィルに尋ねる。
﹁⋮決まってんだろ?﹂
ウィルはこれまた分かりきった答えを、タッカーに返した。
50
第2話 漁師のウィル︵後書き︶
本日はこれまで。
ついでに、簡単な設定話をば。
︿船喰鮫﹀︵メガロドン︶
海でたまに遭遇する、パーティーランクモンスター。
レベル分布は30∼50。
体長10∼15mの巨大な鮫で、船にダメージを与えて
破壊し、落ちた人間を食うことからこの名がついた。
基本的に︿冒険者﹀は対策しないと水中での行動に
大きなペナルティが発生するため、対策なしで挑むと
見た目のレベル以上に危険な相手。
ディープ・ブルー
海の死神ジョーンズ
ハツシマ島近辺の海に出現する、︿船喰鮫﹀の突然変異体。
全長が40mにも及ぶLv85のレイドランクモンスター。
あらゆる能力が︿船喰鮫﹀を大幅に上回っている他、
巨体で大波を起こし船を沈める能力を持つ。
ゲームでは毎年、﹃海の日﹄の昼12時に1度だけ
ポップする特殊モンスターであり、
1回の戦闘で終わる割に数十本に及ぶ万年牙や
腹の中に飲みこんだ貴重な財宝などを多数入手できるため、
海の上での戦いと言う特殊条件になるにも関わらず
実質1回勝負となる討伐はかなり人気があった。
51
別名﹃夏のボーナス争奪戦﹄
本作ではそれを反映して12年に1度現れる。
52
第3話 商人のルドルフ︵前書き︶
本日は、ちょっと変わった毛色の変わったお話。
とある商人のお話をお送りいたします。
舞台はちょっと離れて、ナインテイル。
彼の思い出話に少しだけ、耳を傾けていただけると幸いです。
53
第3話 商人のルドルフ
0
やあ、はじめまして、だったよね。
うんうん。紹介状は読んだよ。
はるばるサツマの街から来てくれて嬉しいよ。
僕の父さんの兄さんの嫁の妹の夫の息子の親友の娘の夫の弟。
それで合ってるよね。
いやいや、気にしてないよ?
僕が10年前にこのロングコーストの街に店を構えた途端に、
顔も知らない親戚がいきなり尋ねてくるようになったことくらい。
ついでに、君がどう見ても人間族にしか見えないのも⋮あ∼、ああ。
それで間に親友が挟まってたんだね。
誰が書いた紹介状かは知らないけどやるなあ。ま、いいや。
そう、見ての通りさ。僕は猫人族なんだ。珍しいだろ?
仮にもナインテイル自治領の城下町に大店を構えられた︿大地人﹀
の猫人族なんて、
僕の他は40年くらい生きてる僕でも聞いたことないし。
⋮いやいや。そんなにおだてなくてもいいよ。
僕だって知ってるさ。
これでもナインテイルとイースタルを行き来する、交易商人だもの。
世間の風の冷たさは、凍えるほど知り尽くしてるし、
僕ら猫人族がどう見られてるかくらい、よ∼く、知ってる。
54
商売なんぞできるはずがない畜生とか、他の異種族と比べても亜人
みたいで
気持ち悪いとか、猫人訛りが下品とか、僕も昔はよく言われてたし。
それにね、これはこれで悪いことじゃあなかったんだよ。
僕らは種族みんながとびきり亜人っぽかったせいで普通の街には
定住が難しかったから、僕らの家族はみんな字が読めるし計算だっ
てできる。
実は腕だって立つんだよ?
僕でも特に︿緑小鬼﹀の1匹や2匹くらいは何とかできるし。
ていうか、旅から旅で暮らそうと思ったら
それぐらい出来ないと生き残れないんだけどね。
まあ、そんなわけで、旅暮らしの貧乏芸人一家の生まれだった僕は、
こうしてナインテイルでも屈指の大商人に一代でなりあがり、
幸せに暮らしましたとさ。
おしまい。
⋮え?聞きたい?なんで?
騙されたのは癪だけど、どうせだから、転んでもただでは起きたく
ない?
面白いね、君。じゃあいいよ。話そう。
この僕の、商人ルドルフの成り上がり物語。はじまりはじまり∼。
﹃第3話 商人のルドルフ﹄
1
いきなりだけど、前半ははしょるね。
55
15歳で芸人じゃあ一生猫なのに負け犬ってことに気づいて、
一座の金目の物あらかた持ち出して行商始めたけど、
正直30代も目前のあの頃までは、しょっぱいままだったし。
まあ、才能はそれなりにあったと思うんだよ。
全部うっぱらっても金貨300枚にしかならなかった状態から初め
て、
野垂れ死にもしなかったし、財産だって金貨で1万枚まで膨れ上が
ってた。
失敗したり色々損をすることも多かったけど、それでも頑張ってた
よ。
まあ、それでも旅から旅の行商人のままだと
一生猫なのに負け犬だなあとは思ってたかな。
だからさ、賭けに出たんだよ。それで勝った。
そうして、とりあえず今の店を手に入れた。
え?賭けって何をしたかって?
それを教えるなら、まず色々説明しないと分からないかな。
君は、一応商人の端くれだろ?だったら分かるよね。
金も経験も何もない行商人が最初に選ぶ商売相手。
⋮そう、その通り。︿冒険者﹀さ。
まあ、今の︿冒険者﹀はあの頃とは色々違うけど、昔は良く言って
たよね。
最初の商売相手には、︿冒険者﹀を選べって。
うんうん。懐かしいなあ。
彼ら、交渉ってもんをしなかったからね。
必ず同じ値段で売ってくれるし、買ってくれる。
商品の質にけちつけたりもしないし、盗みも騙しもしない。
56
とりあえずの相手にはうってつけだ。
⋮まあ、時々化物みたいな凄腕の︿冒険者﹀の商人に物凄い勢いで、
儲けが出るぎりぎりまで買い叩かれたりもしたけど。
ま、それはさておき。
実はさ、彼らって、僕ら大地人相手に売り買いするものって限られ
てるんだ。
分かりやすく言うと、僕らが自力で何とか手に入れられる程度のも
のか
使い道のあんまり無いモンスターから取った素材くらいしか売って
くれない。
でもね、実際の︿冒険者﹀はそんなちゃちなものを鼻で笑えるくらい
とんでもないものを持ってるし、もし何とかしてそれを取引できる
ことになったら、
絶対に嘘はつかないし、足元を見たりもしないんだ。
15年ほど商売をやってて、僕はそれに気づいた。
それが、僕の成り上がり物語の第1章だったんだ。
さて、本題に戻ろうか。
10年前、このロングコーストの姫君がご病気で倒れられた。
どうも大陸の方から来た酷い熱病でね。どうやれば治るのかは分か
らなかった。
領主様付きの︿施療術師﹀も︿森呪遣い﹀もお手上げで、とうとう
お触れを出した。
なんでも良い。娘を助けられた者には、望みの褒美を与える。
いやはや、凄い騒ぎだったよ。
ナインテイル1の調剤師が貴重な素材をふんだんに使って、すごい
薬を作ったり、
57
領主様付きの施療術師より腕の良い施療術師がヒゴから来たり。
でもダメだった。
そこで、僕の登場だ。
あ、もちろん僕には薬を作る技術もとんでもない魔法も無いよ?
あるのは必死に貯めた金貨1万枚くらい。
僕がやったことは、それで出来る範囲で凄く簡単なことなんだ。
ナカスに行って︿冒険者﹀に向かって依頼を出したのさ。
︿天上の雫﹀︵アムリタ︶求む。報酬は金貨1万枚ってね。
あのときの受付の人の驚いた顔は、見ものだったよ。
︿天上の雫﹀って知ってる?そうそれ。
大昔にアルヴが作ったっていう、吟遊詩人の歌とかに出てくる奴。
一口飲めばあらゆる病を癒し、死人でも蘇るって言う、すごい通り
越して嘘くさい薬。
これでも旅芸人の一座の出だったからね。そういう話にも詳しかっ
たんだよ。
いやさ、うまく行ったらもうけもの、くらいの気持ちだったんだよ
ね。
︿冒険者﹀は嘘つかないから、もし存在するなら偽物掴まされるこ
とは無いだろうって。
⋮うん。まさか依頼出して半日で自分で作って持ってくる
︿冒険者﹀が現れるとは思わなかった。
最近聞いたところによると、今、ヤマトの
︿冒険者﹀には30人くらいはいるらしいんだよ。
︿天上の雫﹀作れる人。いや本当に。
58
アキバの︿円卓会議﹀の評議員様とか。
流石に貴重なものだから、凄く高い。
作れる人から買うと3回分の一瓶で金貨8000枚くらいするって。
⋮いやあ、相場を知らないと苦労するよね。うん。
それで、︿天上の雫﹀を受け取ったあと、一応試して見たんだ。
ナカスまで僕の護衛で付いて来て、途中でモンスターと戦って大怪
我して、
本当に死に掛けてた猫人族の傭兵に、ほんの一口分けてあげた。
いやびっくりしたよ。本当に元気になるんだもん。
かすり傷どころか10年分の古傷も残らない状態で。
ほら、僕の家の執事。それがそのときの彼。
命の恩人だからって今も仕えてくれてる。ありがたいよね。
ま、それで色々確信したから、これぞアルヴの伝説の秘薬、
︿天上の雫﹀でございって触れ込みで領主様のところに持ち込んだ。
大丈夫だと思ってたけど、外れだったら縛り首確定だったね。
胡散臭い行商人でおまけに猫人族って時点で。
本当のところ、︿天上の雫﹀が使われたのは、
本当に最後の最後、あらゆる他の手段を試してダメで、
姫君が今にもお亡くなりになりそうになってたときらしいんだ。本
当にギリギリ。
で、その今にも死にそうだった姫君はたった一口で病気どころか
病に臥せっていた間に弱った足腰まで回復して、起きて立ち上がっ
たんだってさ。
残りの1回分は瑠璃の瓶に詰めなおされて今でも家宝扱いだって。
⋮金を大半使い果たして街一番の安宿に泊まってたところに、
領主様のところから親衛隊がやってきたときは、流石に命の覚悟を
したね。
59
ま、それで物凄く感謝されて、好きなものを何でもくれるって言う
から、
とりあえず街で店を構える許可と、薬の代金として金貨を10万枚
要求したんだ。
あっさり許可もくれて、代金も払ってくれたのは、流石はご領主様
って感じだよね。
んで、それを元手に始めたのが、今、僕がいるこの店ってわけさ。
まあ、それからの10年は、わりかし平和に暮らしてたかな。
10歳以上年離れた嫁さん娶ったのを皮切りに、
やたら僕を頼って来て定住した一族のせいでロングコーストが
猫の街なんていわれるようになったとか、
古くから街にいる人間族の商人の嫌がらせとか色々あったけど、
それくらい何とかできないと、成金は務まらないしね。
そんなわけで僕は店とキャラックを中古で一隻手に入れて、交易商
人になった。
猫人族ってのもあんまし気にならなくなってたかな。
なんだかんだ言っても今でもロングコーストのご領主様は僕の味方
だしね。
お触れを出したのは先代だけど、今のご領主様も
あの時助けた姫君を娶った、婿養子なんだ。
そりゃあ頭も上がらないよね。それに半年前のこともあるし。
そう、実は押しも推されぬ大商人の地位を手に入れたのは、たった
半年前なんだよね。
半年前。例の革命のあとのことさ。
2
60
僕はさ、交易商人として月に2度はイースタルに行ってる。
大抵はマイハマとナインテイルの各地を行き来して、
交易品を売り買いすることが多いかな。
⋮うん、ウェストランデだとナインテイルの猫人族でおまけに成金
って
びっくりするほど扱いが悪いんだよね。
もう同じ商人どころかそもそも善の勢力って見られてない感じ。
まあ、それに比べればマイハマは大分マシだったよ。
アキバも近かったお陰で異種族の︿冒険者﹀が行き来してたから、
種族の差で扱いが悪くなることもあんまりなかったしね。
で、まあマイハマとナインテイルをせっせと往復してお金を稼いで
いたんだけど、
そこで例の革命が起こった。
君、革命のことは知ってるよね。そう、︿冒険者﹀が、帰れなくな
った事件。
あの後、︿冒険者﹀は変わった。
やたら強いのはそのままだったけど、人間くさくなって、交渉が通
じるようになった。
まあ、最初は︿冒険者﹀は僕らのこと、なんか何してもいい存在み
たいに
思ってたみたいなんだけど、それはそれ。
交渉ができる。これ大事。
なにしろそれが、僕に御用商人になる道を示してくれたんだから。
マイハマで交易品を売り終わった後、僕は船でアキバに向かった。
そして、金貨を3万枚ほど持って、買い物にでかけたんだ。
今の︿冒険者﹀は交渉ができる。その一点に賭けてね。
61
行ったのは、アキバでも一番のドワーフの刀匠がいるって工房。
そこで僕は金貨3万枚を出して、言ったんだ。
﹁金はある。もしよければ僕に︿冒険者﹀の使う、
素晴らしい刀を売ってくれないだろうか?美しいお嬢さん﹂って。
え?ああ、そうなんだよ。
そのドワーフの刀匠ってのがどんな頑固な爺さんかと思ったら、
若い女の子だったんだ。
僕としては毛皮も無い女の子って言われても困るだけなんだけど、
人間族の基準だと可愛いんだと思うよ。
ドワーフ族の基準だとちょっと華奢かな。
まあ、︿冒険者﹀って不老不死だし、
年齢と性別が持っている力に一致しないもんだしね。
今はそれはいいや。
そう、交渉が通じるなら、今までは決して大地人には売らなかった
ような、
素晴らしいものだって交渉次第じゃ売ってくれる。
そう思って、言うだけ言って見たんだ。
元々僕はそういううまく行ったら大もうけって話、大好きだし。
うん。うまく行ったよ。
僕は無事、そのドワーフの工房で刀を買ったんだ。
金貨29800枚もする、凄い刀。
それでも店にあるなかじゃ、そこそこくらいの刀だってのにはびっ
くりしたけど。
もちろん僕が使うわけじゃない。
っていうか︿冒険者﹀以外じゃあ古来種かナインテイルの︿大地人
62
﹀一の剣豪、
ムサシ様くらいしか使いこなせないだろうね。あれ。
え?見たことある?ああ、そう言えばご領主様が特別に公開してる
んだっけ。
凄いよね。抜くとそれだけで雷光をまとい、輝きを放ち続ける刀と
か、初めて見たよ。
領主様も驚いて、ロングコーストの宝にするって言ってたしね。
ただ、やっぱり︿冒険者﹀と僕らの価値観って全然違いすぎて面白
かったな。
いやさ、刀を買う時にさ、別の刀の値段の基準聞いて見たんだ。参
考に。
あの刀よりどう見ても地味な、確かに綺麗だけど普通っぽい刀の方が
金貨49800枚もするのはどうしてかなと思って。そしたらさ、
言うんだよ。
﹁︿斬鋼刀﹀⋮︿雷光刃﹀より攻撃力⋮切れ味がいい。
それに︿雷光刃﹀は⋮ダンジョンでも光るから⋮
モンスターに⋮見つかる⋮ちょっと不便﹂って。
言われたときはびっくりしたよ。
︿冒険者﹀にとっては武器って完全に実用品なんだなーって。
どんな凄い武器でも彼らにとっては下は︿緑小鬼﹀から
上は︿火炎魔竜﹀までぶったぎるためのものでしかない。
とにかく切れ味と持っている魔法の力が全部。
見た目に拘る奴はかなりの変わり者。
そんな扱いだったんだ。
まあ、だからこそあんなに強いのかな?
63
分かると思うけど、僕らにとっては武器なんて
凄いものになればなるほど、お飾りになっていく。
そんな凄い武器持ってる人が武器持って戦ってる時点で、ほぼ負け
戦確定だし。
だから、凄い武器ほど年に1回取り出して恭しく振るくらいの儀礼
用とか、
美術品扱いで貴族様の家や腰を飾るためのものになる。
モンスターと戦うための実用品は、無骨で無粋な一般品で充分だし。
でも、︿冒険者﹀は違う。本気でその凄い代物を武器として振り回
す。
多分だけど、今まで貴族様が報酬として︿冒険者﹀に渡した
家宝の武器とか鎧とかも、実際に使われまくってるんじゃないかな。
最悪使いすぎでもう壊れてたりしてね。
⋮いや、実際ありそうだなあ。それ。
ま、とにかくあれを仕入れて売ったお陰で、僕も御用商人になれた。
そっちは実務は別の一族にやってもらってるけどね。
儲かるけど、面白く無いから。
3
3度目の話は、君も多分知ってるんだろう?
船いっぱいのサトウキビの茎をアキバに運んで、大もうけした話。
僕が﹃砂糖長者﹄って呼ばれるようになった由来になった話だしね。
もともとサトウキビの茎って、ナインテイルでも南の方で作ってる
んだけど、
そっちの人はさ、昔から嗜好品としてサトウキビの茎を齧るって風
習があったんだ。
64
果物とか食べるみたいに。僕もやったけど、甘くて美味しいんだよ
ね。割と。
で、まあそれと2回目のアキバ訪問が僕に大もうけのヒントをくれ
た。
2回目にアキバに行くときは、あのムサシ様も一緒だった。
なんでも、僕が仕入れてきた刀を見て、えらく感動したらしい。
全財産の金貨5万枚持って、私もアキバに連れて行って欲しいって
言ってきたんだ。
流石にナインテイル各地で領主様方相手に
剣術指南役続けてきてたお陰で、かなり持ってた。
で、例のドワーフの刀匠のところに連れて行って、
刀を見てもらうことになったんだ。
うん。凄かったよ。
どうもムサシ様から見ると、まさにお宝の山って感じだったみたい
でさ。
僕がダメだしした︿斬鋼刀﹀の価値を一発で見抜いたのは流石だと
思ったけど。
で、まあそこから先はムサシ様と刀匠と二人でって感じで、
僕はアキバの街を見て回ることにした。
なんていうか、空気が違うんだよね。
前はもっと淀んでいた気がしたんだけど、それが薄まってた。
活気もあるし、笑ってる人もいた。
なんでかなと思ってあちこち見て回って、僕はそれを見つけたんだ。
物凄い︿冒険者﹀の行列が出来てた。まあ、︿大地人﹀も少しはい
たけど。
んで、その先には一軒の店。
65
﹁いかがですかー!クレセントムーン4号店新作のクレープはいか
がですかー!﹂
そう、食べ物を売ってたんだ。
しかもびっくりするくらいの値段で。
普通の食べ物の10倍はしてたんじゃないかな。
君、クレープって知ってる?
一応うちの厨房にいる料理人にも確認したけど、そんなに難しい料
理じゃない。
料理人としての修行を少しでも受けた人間なら、
レシピがあれば誰でも作れるくらいの難易度なんだってさ。
おかしいだろ?そんなものが、びっくりするような値段で売ってる
んだから。
材料だって卵と小麦粉、生クリームだし、高いものも使ってない。
それで10倍の値段だよ?ぼったくりだと思わない?
⋮え?思わないって?
なるほどなるほど。君、結構頭良いんだね。
その通りさ。
少なくとも、あの日、あの時であれば、アレは全然高い買い物じゃ
あなかった。
なにしろ、あれはまだ︿冒険者﹀の秘密だった頃の料理の一つだっ
たからね。
買って食べたときには本当に美味しかった。
これなら僕なら普通の100倍の値段でも捌ききれるって思ったね。
で、こっから先は磨き続けてきた商売の勘が働いた。
そのクレープって、甘かったんだよね。
なのに果物は入ってなかった。一番安いのだったし。
生クリームと、生地だけのシンプルな状態。なのに甘い。
66
そこで閃いたんだ。確証は無かったけど。
これ、サトウキビの茎の味がするって。
よ∼く周りを見てみると、僕が食べたクリームは、
そのクレープって奴には全部入ってた。
つまり基本中の基本の食材らしいんだ。
そのときは、本当に小さな家門が独占してたみたいだけど、
秘密ってのは絶対いずれ漏れる。
その秘密を売り買いするタイミングが商売の秘訣って奴だってのは、
君にも分かってるだろ?
そして、サトウキビの茎ってのは、ヤマトじゃあナインテイルでし
か取れない。
もしも秘密が漏れれば、サトウキビの茎は絶対に売れる。
それこそ5倍でも10倍でも。ね?
⋮ま、サトウキビの茎ならイースタルのあちこちを回れば、
最悪損はしない程度で捌ききる自信もあったけどね。
後は、大体君の知ってる通りじゃないかな。
ま、僕がサトウキビの買い付けに行ってる間に
その家門が料理の秘密って奴をアキバ中に
完全にばら撒いたお陰で需要が爆発して
僕の荷物に50倍の値段がついたのには、笑いが止まらなかったけ
ど。
ちなみにその秘密をうまく使ったのか、その小さな家門はちゃっかり
︿円卓会議﹀の評議委員になってたんだよね。
よっぽど頭が良い奴が家門にいたんだろうなあ。
67
え?ムサシ様?ああ、あの後そのままアキバに住み着いたらしいよ。
何をしてるかは、僕もちょっと知らない。
4
ま、これで僕の︿冒険者﹀に支えられまくった成功譚は大体終わり
かな。
いや、今でも続いてるのかな。アキバの街は面白いよ。
あらゆる新しいものが次々作られてるし、行くたびに発見がある。
アキバに一族を1人置いているんだけど、
その子も会うたびに面白い話聞かせてくれるし。
確か僕の妹の夫の息子の妻の父親の弟の娘の夫の娘だったかな?
君と違って、親友とか幼馴染とか入ってないから、ちゃんと猫人族
だったよ。
メイドの修行をしたんだけど、ナインテイルじゃどこも雇ってくれ
ないにゃ
ってんで僕のところにきたんだよ。
僕の屋敷で働かせるか、どこか仕事を紹介してやって欲しいって
紹介状には書いてあったから仕事を紹介してやるって言って、
アキバに連れてって放り出した。
嘘は言ってないよ?
アキバの街のメイドの募集って基本的に種族と年齢不問で、
猫人訛りが酷くても大丈夫だし。
︿冒険者﹀の求人の元締めやってる︿大地人﹀向けの口利き屋に連
れてって、
好きなの選んで行って来なと言ったときは目を丸くしてたけどね。
最終的にアキバ最大の騎士団で雇われた辺りは、
真面目に修行してたんだろうなあ。
68
⋮ああ、そうそう。
君、やる気があるんなら、アキバに行ってみるのもいいんじゃない
かな?
君の事は気に入ったから、片道だけでいいならマイハマまで船に乗
せてあげるよ。
君だけなら金貨1000枚で。
君が乗ってきた荷馬車ごとなら金貨3000枚かな。
ちょうど今度、アキバで天秤祭って言う︿冒険者﹀のお祭りもある
らしい。
僕も出来るだけナインテイルの品物を積んで出かけるつもりさ。で、
どうする?
⋮分かった。商談成立だ。
君が、成り上がれることを祈ってるよ。
祈るだけなら、タダだからね。
69
第3話 商人のルドルフ︵後書き︶
いかがでしたでしょうか?
今回のお話は本編に少しだけ、絡めてみました。
70
第4話 孤児のテツ︵前書き︶
お知らせがあります。
本日より、残酷な描写タグを追加しました。
本日のお話は、少しそのような描写が加わりました。
あらかじめご了承ください。
71
第4話 孤児のテツ
0
この孤児院にいる奴は、大体2つに分けられる。
1つは、古株。
ずっと前からマイハマの街に住んでいて、親を失ったり、
親に捨てられたりした子供の成れの果て。
それはこのイースタル一でかい街であるマイハマには、
掃いて捨てるほどいる。
この孤児院は、神のお恵みって奴で子供を集めては、
15の大人になるまでは生きていける程度の
保護をくれちゃあいるが、それでもまだまだ足りやしない。
まあ、都会育ちのひ弱な連中だが、街には詳しい。
2つめは、戦災孤児。
この前の︿緑小鬼﹀との戦やその他のモンスターやらで
帰る場所と親を失った奴らだ。
これまたあっちやこっちからごまんと集められ、
まとめてこの孤児院に入れられている。
殆どが小せえ開拓村の育ちだけあって、身体は丈夫な連中だ。
ちなみに俺は、どっちでもない。
この孤児院でも毛色の違う連中の1人。
それが俺だ。
﹃第4話 孤児のテツ﹄
72
1
朝飯を食ってから、授業が始まるまでのほんの少しの休み時間。
俺たちは、孤児院の中庭で、向かい合っていた。
﹁行くぜ!今日こそ俺が勝つからな!﹂
俺より2つ年上で、大人顔負けのでかい図体を持つジャックが
剣の形をした棒切れで俺に飛び掛ってきた。
技も何もない、がむしゃらな突撃。
﹁はっ⋮甘えぜ!﹂
それに俺はにやりと大人の笑みを浮かべ、
慌てず騒がずゆっくりと木刀を振り上げる。そして。
﹁せい、やぁー!﹂
手にした木刀を素早く振り下ろした。狙うは、手首。
﹁ぐあっ、いてえ!?﹂
手首をしたたかに打ち据えられたジャックが棒切れを取り落とす。
チャンス!
﹁はぁ!﹂
気合を込め、ジャックの首元に木刀を持っていく。
当たる前に、木刀を止めて。
﹁これでまた、俺の勝ちだな﹂
にやりと笑って、言った。
﹁くっそう⋮年下の癖に⋮﹂
ジャックが悔しそうに負けを認める。はは。あめえぜ。
体力は俺よかあるんだろうが、年季が違う。
﹁はん。こちとらガキの頃から親父から︿武士﹀の訓練受けてんだ
よ。
ロクに剣も握ったことも無い奴に、負けるかっての﹂
そう言いながら、俺は腰元を指差す。
そこには、俺が8つの誕生日に親父から貰った、自慢の無銘刀。
73
黒い鞘に入れられたそれは、俺が︿武士﹀であることの何よりの証
だ。
﹁ああクソ。ずりいよなあ。俺なんて親父はただの農夫だったのに
よぉ﹂
どっかと地面に腰を下ろし、ジャックの奴はため息を吐いた。
戦災孤児上がりのこいつは、ちょっと前、俺が来るまではガキ大将
だった。
その地位を俺に取られて、喧嘩を売ってきたのが、俺達の腐れ縁の
始まりだ。
ま、なんだかんだ言ってもいい奴だし、友達だけどな。
﹁やれやれ。ジャックも懲りませんね。テツ君に勝つのは至難です
よ。
今ですら騎士の見習い、普通の兵士くらいの腕前はあるんですか
ら﹂
したり顔で言ってるエルフの名前は、ジョシュア。
この孤児院に3年も住んでる古株で、確かジャックと同い年だ。
弟が3人、妹が1人、同じ孤児院で暮らしてるせいか、
時々俺達の誘いを断って小さいガキと遊んでいる。
﹁⋮うん。テツ兄は⋮強い。ジャックじゃ⋮まだ無理﹂
姉貴に似た感じで淡々と喋るのは、ルリ。まだ9つの俺の妹。
そして。
﹁だ、だいじょうぶ?その⋮二人とも﹂
いつものように泣きそうな顔なのは、まな。
黒い髪に赤い髪留めをつけた人間族で、
古株でも戦災孤児でもない、例外の1人。
俺より1つ年下の10歳で、育ちが良いのか、
頭が良くて行儀も良い。
だが、すっげえ臆病で泣き虫の弱虫。
知らない奴に話しかけられれば俺の後ろに隠れ、
転べば痛いといって涙を滲ませ、
74
串に刺されて焼かれた魚を見ては、かわいそうだと言って泣く。
そんな奴だ。
しっかし、2人ともはねえだろ。
﹁おいおい。ちゃんと見てたろ?
俺がジャック相手に怪我なんざするわけねえっつの﹂
結局ジャックの棒は俺にはかすりもしなかったのを見てなかったの
か?
﹁おい!なんざは余計だろ!クッソ、いつか泣かす!﹂
ジャックがなんか言ってるが、気にしない。
﹁そうだけど⋮でも⋮﹂
まなは俺の言葉にたじろぐ。
一体なんなんだよ。はっきり言えはっきりと。
﹁⋮鈍感﹂
ルリがぽつりと言う。一体なんなんだ?
﹁はぁ。先が思いやられそうですよね。まなさん﹂
ジョシュアはジョシュアでなんか分かったようにため息ついてやが
るし。
まったく、本当になんなんだ?
そんな、仲間達のわけわからん言葉に首を傾げていたときだった。
﹁おや?真奈と⋮4人とも。まだこちらにいたんですか?
もう少ししたら、授業を始めますよ?﹂
おっさんが通りがかりに、俺達に声をかけてくる。
武器なんざ触ったこともねえだろうなって感じのひょろっと細っこ
い身体に、
短く切りそろえた髪。耳は長くて、どこか影が薄い感じがする。
﹁ああ、タークさん。大丈夫です。
もう少ししたら戻りますから。
ジャックがテツ君とまた戦いたがっただけですし、決着はつきま
75
したから﹂
ジョシュアがおっさんに今までのことをかいつまんで言う。
﹁ああ、またですか。2人とも、喧嘩なんかしちゃあ、ダメですよ﹂
おっさんはそう聞くと頷きながら分かったようなことを言う。
﹁喧嘩じゃねーよ。訓練だっつの﹂
﹁そうだそうだ!﹂
俺達が口々に文句を言う。
まったく、このおっさんは、男らしさってもんが足りてねえ。
おっさんは、本当の名前はタークという。
何ヶ月か前にふらっとまなを連れてこの孤児院を訪れ、
そのまま住み着いたって言う変わり種のエルフだ。
ジョシュアが言うには、とてつもない腕の︿筆写師﹀だっつう話だ
が、
普段はこうして、俺達が食うための作物を育ててる、
孤児院の外れに作った畑を世話したり、
俺達に勉強を教えたりして、とてもそんなすげえ人には見えない。
なんていうか、どこにでもいる、人のいいおっさんだ。
﹁はいはい。じゃあ、私は先に戻ってますよ。
真奈も、4人とも授業には遅れないように﹂
ため息を一つついて、おっさんは再び孤児院に向かって歩き出す。
﹁は∼い。いってらっしゃい、パパ﹂
まなが、いつものようにおっさんに手を振る。
﹁うん。行ってきます﹂
おっさんはそれに、本当に嬉しそうに、手を振って返した。
まなは、一応は、おっさんの娘だ。
まあとりあえずそういうことになってる。
76
正直度胸ってもんが欠落してるまながこの歳まで生きられたのは、
一見頼りなく見えてもおっさんがしっかり保護者やってるってこと
だろう。
⋮まあ、時々言いたくなるんだけどな。
おっさんとまなは、血のつながった、本当の親子じゃあない。
それは、うちの孤児院じゃあ皆知ってる。すっとろいまな以外。
だって考えりゃあすぐ分かるだろ?
エルフの親から人間族の子供が生まれるわけが無いことくらい。
ま、それはさておき。
﹁じゃあ、戻るか﹂
﹁おう﹂﹁ええ﹂﹁うん﹂﹁⋮ん﹂
俺達は頷きあい、孤児院に戻る。
もう少ししたら授業が始まる。
気がすすまねえが、サボると昼飯抜きの刑に処されるからな。
2
朝、飯を食ってから少ししたあとから昼飯までの間は、
授業の時間ってことになってる。
といってももう文字がちゃんと読める俺達がやること
︵読めない奴はみんなまとめてシスターマリアに教わっている︶は
教室で、俺達に1人1冊渡された数の秘術って本を読むだけだ。
時々地面や、貴重な紙に色々書いたりもするが、基本的には、読む
だけだ。
筆写師のおっさんがいるから、紙事態は割りと簡単に手に入るが、
やっぱりもったいないからな。
77
﹁分からないところがあったら、遠慮なくどんどん聞いてください。
それと紙とペンが欲しい人は言ってください。
最初のうちはとにかく書いて覚えるのも効果的ですから﹂
そんなことを言って、おっさんが教室をゆっくりと回っている。
みんなそれなりに真剣に、数の秘術を読んでいる。
それは俺達も一緒で、いつもの5人、同じテーブルに座って、
思い思いに数の秘術を読んだり、中身を書いたりしている。
﹁なぁ⋮俺、いつも思うんだよ﹂
脂汗を流しながら、数の秘術︵初伝︶の頭の方を読んでいたジャッ
クが、
顔を上げて言った。
﹁なんだよ?﹂
同じように、数の秘術︵初伝︶の真ん中らへんを読んでいた手を止
め、
さんすう
ってなあ⋮これからの俺の人生に、必要なのか
ジャックに目を向ける。
﹁この
な?﹂
﹁はぁ?なんだよいきなり﹂
また、いつものが始まったと思いながら、俺は手を止めて合いの手
をいれる。
﹁だってよお。開拓村のみんなは、こんなの出来なくて当たり前だ
ったぞ?
村長だって、足し算と引き算なら多分できたけど、
掛け算とか割り算なんてのはまあ、無理だったはずだ﹂
かなり必死になって、ジャックが開拓村では
必要なかったことを抗弁する。
﹁ああ、そりゃあ俺んとこも似たようなもんだったな。
姉貴とか、多分引き算も怪しい﹂
村にいた頃の生活を思い出し、俺も頷く。
78
﹁⋮テツも同じくらい。テツ、九九全部言えないし﹂
9歳にしてもうすぐ数の秘術︵初伝︶を読み終わるともっぱらの噂
のルリが、
顔を上げて横から口を挟んだ。
﹁うるせえよ!﹂
いいんだよ!︿武士﹀が8の段が言える必要なんざねえんだから。
﹁2人とも、そんなことはありませんよ!﹂
俺達の会話に、ジョシュアが割り込んでくる。
ジョシュアは俺達の中じゃあ特に頭が良いせいか、
授業の時間には、やたら張り切る。
ちなみにジョシュアが読んでいるのは、数の秘術︵中伝︶。
初伝が全部分からないと何かいてあるのかも分からないと言う、恐
ろしい本だ。
うちの孤児院でも、まだジョシュアとまなくらいしか使ってない。
俺も前にちらっと見せてもらったが、数字の下に線を引いて
更にその下に数字が書いてあったり、
数字の間にへんなぽっちが書かれてたりした。
なんでも地面の広さの出し方とか書いてある⋮らしい。
まあ、それはともかく。
﹁なんだよ。だって、こんなの出来なくたって困らねえじゃねえか
よお﹂
ジャックが口を尖らせて、言う。
それが間違いの元だった。
﹁いいえ。少なくとも中伝までは、あらゆる場面に応用が利く内容
ですよ!
例えば、面積。それがわかれば、村にある畑の広さが分かります。
そして、例えばこの教室と同じ大きさの畑から、
作物がどれくらい取れるかが分かれば、
79
それに広さをかけることで畑全体の、ひいては村全体の畑から
取れる作物の量が分かります。
そしてそれを働いている人数で割れば⋮﹂
﹁だああああ!待て待て!頭がこんがらがる!﹂
俺は、慌てて止めた。
ちなみにジャックは既に完全に理解を放棄したらしく、遠くを見て
いる。
﹁⋮なるほど。それは便利﹂
ルリはあの説明で分かったのか、おおいに頷いている。
やっぱり俺や姉貴よか頭良いんだなあ、ルリ。
そんな、妹の凄さにうんうん頷いていると。
﹁えっと⋮パパが言ってたよ。
奥伝までは、ぜんぶできるようにしておいたほうが良いって。
秘伝いじょうは⋮むずかしい学校いく気がないなら
半分しゅみって言ってたけど﹂
おずおずと、まなが言葉を挟んできた。
ちなみにまなは最初から数の秘術︵中伝︶を使っていた。
今はジョシュアと同じくらいのところを読んでいる。
﹁なるほど⋮奥伝はそんな内容なのですか⋮早く読みたいですね﹂
うわあ。
これ以上巻き込まれたら、たまらん。
ジョシュアのとんでも発言にドン引きしながら、
俺は慌てて数の秘術︵初伝︶に戻った。
数の秘術は書いたのは他でもねえおっさんである。
書き上げた原稿を、︿筆写師﹀のスキルで作った紙に転写して増や
し、
俺達に配っている。
なんでも最初はまなに勉強を教えるために作ったとかで、
80
俺やまなみたいな子供でも分かるように経験を生かして工夫した⋮
らしい。
まあ、あのジャックですら初伝なら何とか読めるってくらいなんだ
から、
簡単なんだろう。
ジョシュアも﹁人に分かりやすくモノを教えることを目的とした本﹂
って発想がいかに凄いか熱く語ってたことがあるし。聞き流してた
けど。
ちなみにこの数の秘術、中伝の更に上に奥伝と秘伝がある。
秘伝は余りに難しすぎて書いた張本人であるおっさん以外が見ると
頭が狂うと言われているとんでもねえ本だ。
まあ、それは流石に冗談だが、前に読んだことがあるって言う
シスターマリアに秘伝には何が書いてあるのかと聞いてみたら、
遠い目をして無言になってたから、
多分とてつもなく難しい内容なのは間違いないんだろう。
そんな風にして、一通り会話を終えたあとは、俺達は真面目に勉強
に取り組んだ。
そして。
カラーン⋮カラーン⋮
マイハマの大聖堂から、昼の鐘が聞こえてくる。
﹁ひゃっほう!終わった終わったあ∼!﹂
真っ先に反応するのは、ジャック。数の秘術を放り出し、食堂へ向
かう。
﹁おっしゃあ!メシだメシ!﹂
81
俺も負けてはいられない。立ち上がり、ジャックを追った。
授業なんぞより、メシ。それはいつだってかわらねえ。
3
昼メシを喰い終えたら、日暮れまで、俺達は自由に過ごせる。
ジョシュアが言うには昔は孤児院の子供みんなで畑の世話やら
孤児院の家事やら手伝っていたらしいが、
ここ最近急激にここで世話になってる孤児の数が増えたお陰で、
全員がやらなくても、良くなったらしい。
そんなわけでそれなりの年である俺達は当番を決めて、当番の無い
日は、
こうして自由に過ごすことが許されている。
さて、そんな自由時間。
その過ごし方は、様々だ。
ジョシュアはあの後、早く先を読みたくなったとかで、
数の秘術︵中伝︶を抱えて部屋に戻っていった。
目標は年が変わるまでに奥伝に進むこと⋮らしい。
あいつは一体どこに行こうとしてるんだ?
ジャックは、今日は当番だ。
開拓村で覚えた農業の技を持ってるから、基本的には畑仕事。
なんでもここの畑は痩せた町場の畑とは思えないほど、
作物の育ちがいいとかどうとか言ってた。
ルリは、同じ年くらいの女の子と一緒に遊ぶらしい。
まあ、ジャックの妹とかとも仲いいしな。アイツ。
そして、かくいう俺がどうしているかと言うと。
82
﹁478⋮479!﹂
ブンッ!ブンッ!
刀を抜き、素振りをする。
ラットマン
いつもは朝飯の前だけの日課だが、折角の暇を利用しねえ手はねえ。
孤児院の外れのこの森は、時々弱い鼠野郎が出るが、
俺の腕前ならどうとでもなる。
実際にこれまでに何度か襲われたが、全部撃退した。
俺は強くならなきゃならなかった。
親父の仇を取るために。
親父は、お袋と手を取り合い、たった2人でばけものと戦って、死
んだ。
ただ死んだんじゃない。姉貴と俺とルリをばけものから逃がすため
だ。
悔しいが、あいつらは、強い。
俺どころか、︿灰色熊﹀︵グリズリー︶でもたった1人で仕留めら
れる、
村一番の︿武士﹀だった親父すらも歯が立たないほど、強かった。
俺は、いつか、仇を取らなきゃならない。
そのためには、とにかく強くなる必要があった。
﹁499⋮ご、ひゃく!﹂
500回の素振りを終えて、俺は肩で息をして、整える。
まだまだだ。次は⋮
カシャッ
﹁誰だ!?﹂
83
小枝を踏んだ音に、俺は思わず振り返る。
そこには。
﹁ふぇ!?⋮ご、ごめんなさい⋮﹂
涙目で俺に謝る、まながいた。
﹁まな!?なんでついて来てんだよ!?﹂
思わず俺は声を荒げた。
この森は、これでもモンスターもいる、
危険な場所だってのを知らなかったのか?
﹁だ、だって⋮マイハマの森は︿鼠人間﹀がいるから、危ないのに⋮
テツが、1人で行っちゃうの、見ちゃったから⋮﹂
だが、予想に反してまなはここがどんな場所か知っていたらしい。
それが分かったら、俺は怒る気が失せた。
﹁⋮ったく。しょうがねえなあ﹂
こいつは、俺のことを心配して、ついて来ちまったらしい。
怖くて仕方ねえのに⋮しゃあねえなあ。
﹁はう!?﹂
ぽん、と。
ルリにやるみてえに頭に手を置いて、軽く叩く。
そして、まなに言ってやる。
﹁良いんだよ。俺は、武士だ。
ちょっとくれえの危ないことなら、どうとでもなる。
⋮ま、心配してくれたのは、ありがとうよ﹂
親父も言っていた。うれしいことをしてもらったら、ちゃんと礼を
言えって。
やっぱり、他の人に心配されるってのは、結構うれしいもんだ。
﹁う、うん⋮﹂
照れくさかったのか、まなが顔を伏せる。
﹁よっしゃ。今日はキリも良いし、少し休んで行くか﹂
なんかまなを見てたら、今日はもういいやって気分になり、
俺はどっかりと近くのでかい切り株に腰を下ろした。
84
﹁ほら、まな。お前も座れよ﹂
ぽんぽんと隣を叩いて、まなを促す。
﹁へうっ!?⋮う、うん。分かった﹂
なんか変な声を上げてから、まなは俺の隣にちょこんと腰を下ろす。
森独特の、緑の匂いが染み込んだ風が俺達をなぜる。
熱くもなく、寒くも無いこの季節の風は、特に気持ちがいい。
モンスターが出ないのなら、このまま昼寝でもしたいくらいだ。
長い長い冬が来る前の、一番いい季節。
それが秋だ。
まなも俺も、無言でその風を楽しむ。
﹁⋮ねえ、テツ﹂
少しして、まながふと、話を切り出した。
﹁なんだよ?﹂
隣のまなを見る。
まなは、真面目な顔をして。
﹁私⋮どうしたら強くなれるかな?﹂
あまりにも似合わないことを言い出した。
﹁はあ?﹂
余りに予想外の言葉に、俺は思わず大きな声が出した。
何の冗談かと思ったが、どうやら本気らしい。
まなはそのまま言葉を続けた。
﹁私⋮ダメな子なの。戦うの、こわくて⋮うごけなくなっちゃう。
私も、テツみたいに、なれたらいいのに﹂
そういうと言いたい事を言い終わったのか、まなが黙り込む。
俺はというと⋮なんていうか、呆れていた。
﹁⋮アホか﹂
思わず正直な本音ってのが口から漏れ出す。
そして、世の中の道理ってのを教えてやることにした。
85
﹁まな、お前はな、俺たあ違う。ただのガキで、女の子なんだ。
お前が、モンスターと戦うのなんざ、無理で当たり前だよ。
だからな、無理すんな。危なくなったら、俺が守ってやる。
だからさ⋮無理してあぶねえこと、するんじゃねえぞ﹂
当たり前のことを、当たり前に言う。
まなはただの女の子だ。
こいつが剣を持って戦うとか、ありえん。
そして、それでいいんだ。
戦うのは、男の、戦士の、俺の仕事だ。
﹁⋮うん﹂
そういう風に言ってると、まなも分かったらしい。
素直に頷いて、少しだけ、俺に近づく。
なんだかそれが気恥ずかしくて、俺は勢いよく立ち上がった。
﹁さってと⋮そろそろもどっか。
俺1人ならともかく、まなも一緒じゃあ⋮!?﹂
危ないな。そう続けようとしたときだった。
俺が、殺気に気づいたのは。
4
﹁ちっ⋮まずいな。鼠野郎だ﹂
一ヶ月に1∼2回、それくらいの遭遇率なんだが、運が悪い。
数は⋮多分3匹。弱い気配だ。
俺は腰の刀をすらりと抜き、まなに言った。
﹁いいか、まな。ここを動くんじゃねえぞ。大丈夫だから。
3匹くらいなら、俺でも倒せる﹂
86
早くも涙目になるまなに、あえて笑顔で、言う。
そして刀を構え、精神を統一する。
集中したことで、牙が伸び、尻尾が生える。
精神が研ぎ澄まされていくのを感じる。そして。
1⋮2⋮3!
ゆっくり数を数え終えるのと、鼠野郎どもが一斉に襲ってくるのは、
同時だった!
﹁⋮っと!いてえなこの野郎!﹂
2発までは交わしたが、3発目を交わしきれなかった。
鼠野郎の汚ねえ爪が、俺の服ごと、肌を切り裂く。
だが、その程度でまいる俺じゃあない。
そのまま、俺を攻撃してきた鼠野郎に斬りかかる!
1撃、2撃⋮3撃!
俺の太刀を3度受け、鼠野郎が倒れる。
キィィイ⋮
鼠野郎の方も、まさか俺みてえなガキに仲間が
あっさり斬り伏せられるとは思ってなかったんだろう。
明らかに戸惑い、動きが鈍る。
﹁パパぁ!助けて!テツが死んじゃう!﹂
一方のまなは、びびりすぎたのか、しきりにおっさんを呼んでる。
聞こえるわけねえだろ、こっから孤児院までどんだけあると思って
87
んだ、バカ。
﹁バカ!勝手に殺すな!﹂
2匹目に斬りかかりながら、俺はまなに怒鳴る。
いつもの俺なら正直3匹はきつい相手だが、不思議と負ける気がし
ねえ。
俺は見事に2匹目の鼠野郎を斬り倒す!
﹁はぁぁぁぁぁ⋮︿一の太刀﹀!﹂
そのまま、勢いに乗って、最後の3匹目に必殺の一撃を放つ。
通常の数倍の威力が乗った、武士の基本にして、奥義。
それをまともに受けた鼠野郎は。
キイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!
凄まじい絶叫を上げて、倒れた。
﹁どうだ⋮ざまーみろ!﹂
気分が高揚し、俺は勝利に酔いしれる。
まなを守れたことにほっとして⋮
﹁⋮嘘だろ?﹂
凍りついた。
キィ⋮キィ⋮キィ⋮キィ⋮
してやられた。
鼠野郎が最後に放った絶叫。
あれは仲間を呼ぶためのものだったらしい。
俺達は、囲まれていた。
88
数は、全部で16。俺が1匹片付けるのに、大体3発いるから⋮
⋮ちくしょう。やっぱ武士にさんすうは不要だった。
﹁⋮まな、逃げろ。逃げて、シスターマリア呼んで来てくれ﹂
顔だけは必死に冷静を装いながら、俺はまなに逃げるように言う。
﹁で、でも、テツ⋮﹂
まなは涙目になりながら、ぐずっている。
早くしろ。やつらが襲ってくるまで、時間が無い。
﹁いいから。ここは、俺が食い止める。だから、逃げろ﹂
頭の中によぎった予感を振り払いながら、まなに再度促す。
そうだ、怖がるな、俺。
﹁だ、だって⋮テツ、ここで1人なんて⋮死んじゃう﹂
まなが、涙を流しながら、俺の予想と同じことを言う。
ああ、だろうな。俺にも勝てる気がしねえ。
けどな。
﹁⋮いいんだよ。女子供を守るのは、武士の務めだ﹂
たとえ、その結果が、どうであっても。
腹はくくった。後は⋮戦うだけだ。
﹁来いよ、俺が相手だ﹂
そして、俺が自分でも驚くほど静かに奴らを呼んだ瞬間。
奴らは一斉に襲い掛かってきた。
5
﹁ちぃ⋮やっぱりきついな﹂
多勢に無勢。
まさに言葉どおりの状況だった。
89
俺は全身を爪でえぐられ、すでにぼろぼろだ。
10回は斬ったってのに、まだ一匹も倒せていない。
一匹斬ると、すぐに別の奴に入れ替わられてるせいだ。
しかも、悪いことは重なるもんだ。
﹁て、テツぅ⋮やだ!やだよぉ!﹂
まなが、一向に逃げようとしない。
滅茶苦茶震えて、すっげえ泣いてるのに、動かない。
腰が抜けてるわけじゃあなさそうなのに。
﹁バカ!なんで逃げねえんだ!さっさと行けよ!﹂
俺は、またまなに逃げろと促した。
このままじゃあ、俺だけじゃなく、まなまで危ない。
男にゃあ、命かけても女子供を守る義務がある。
それが、それを最後まで守り通して死んだ親父の教えだった。
だから、俺は、まなを死なせるわけにゃあ行かない。
だってのに。
﹁いや⋮やだから!テツが死んじゃうなんて、いや!いやだもん!﹂
まなは泣きじゃくりながらも、逃げようとしねえ。
それどころか、足を踏ん張って、しっかりと立ってやがる。
まるで⋮何かを決めたみてえに。
﹁だから⋮!?﹂
俺は言葉につまった。背中にさぁっと、鳥肌が立ったことを感じて。
これは、狼牙族の勘だ。今から、大変なことが起ころうとしている。
その予感だった。
﹁だから⋮﹂
まなが、空を指差した。
その途端。
﹁ライトニング⋮﹂
90
バチ⋮バチバチバチ⋮バチバチバチバチバチバチバチバチバチ!
まなの指に雷が走る。最初は弱く⋮だがどんどん強くなっていく!
集まった雷はまなのかざした指の上に大きな雲みてえに集まって、
物すげえ光を発している。
キィィィ!?
俺が、数が多すぎて歯が立たなかった鼠野郎どもも怯えている。
中には既に逃げ出そうとしている奴すらいる。
だが、そいつらが逃げ出す前に。
﹁ばすたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!﹂
目の前が、真っ白に、なった。
耳が、キーンとする。
なんだ⋮なにが、起こった?
俺が、何が起こったのかを理解する前に、目と耳が元に戻る。
そこは、地獄だった。
辺りに転がっているのは、全部で16もいた、鼠野郎だったもの。
今は、ただの、炭だ。
炭が、赤々と、燃えていて。
﹁よ、よがったよぉ∼﹂
俺を除けばただ1人、まったく怪我をしてないまなが、
涙を流しながらへたり込んでいた。
﹁ごわがっだ、ごわがったよおぉぉぉ﹂
91
泣きじゃくりながら、俺によろよろと近づいてくる、まな。
⋮そうか、そういう、ことか。
俺は理解した。今の、これがどういうことか。
まなだ。これをまながやった。
それがどういう意味なのか、俺には分かっていた。
まなは、まだ、泣いている。
そうだ、言わなくちゃいけない。
足が竦みそうになる、背筋が震える。
喉が張り付いたみたいにからからになって、目が痛い。
でも、言わなきゃいけない。俺は、まなに言うべきことがある。
︱︱︱いいか。テツ。男にはな、戦うか引くか、決めなきゃならん
ときがある。
逃げるときは全力で逃げろ。後ろもみずに、一目散にな。
けどな。もし戦うと一度決めたなら⋮絶対に引くな。
たとえそれがどんな相手であっても、だ。
親父の言葉が頭をよぎる。それが俺に勇気をくれた。
腹をくくったら、震えは止まった。俺の目はまっすぐまなを捉える。
さあ、あとは言うだけだ。そして俺は口を開く。まなに、その言葉
を言うために。
そして、俺はその言葉を⋮
﹁近寄るんじゃねえよ。この⋮︿冒険者﹀︵ばけもの︶が﹂
⋮言った。
92
6
言った。
言ってやった。
俺は、言ってやったんだ。
﹁⋮⋮⋮え?﹂
まなが⋮いや、︿冒険者﹀︵ばけもの︶が驚いて、涙を流すのをや
めた。
﹁ど、どうして⋮?なんで⋮?﹂
なおも近寄ろうとする︿冒険者﹀、だが、させねえ。
チャキッ
刀を抜いて、そいつにまっすぐ向ける。
﹁近寄るなっつってんだろ。それ以上近づいたら⋮斬る﹂
﹁ひぃ!?﹂
︿冒険者﹀が、怯えた声を上げた。
﹁よくも今まで、騙しやがったな﹂
戦うための力が俺の中からわいてくる。
いつの間にかまた、俺の毛は逆立ち、牙と尻尾が生えていた。
﹁ち、ちが⋮だましてなんか⋮﹂
なにがだ。白々しい。今の今まで力を隠していたくせに。
そう思ったらもうゆるせなくなって、俺はさけんだ。
﹁うるせえ!だったらさっきのはなんだ!?俺よりちいせえガキの
なりのくせに、
あの鼠野郎の群れを一撃で焼き払えるほどの、雷を生む魔法が使
える!
それこそなによりの証拠だろ、なあ︿化物﹀︵ぼうけんしゃ︶よ
93
ぉ!﹂
﹁⋮っ!?それは⋮でも⋮﹂
︿化物﹀︵ぼうけんしゃ︶が目を大きく見開いた。
ああ、やっぱりな。
︿化物﹀って言葉に反応しやがった。黒だ。
目の前のコイツは、︿化物﹀の⋮妖術師だ。しかも相当な腕前の。
親父でも勝てるかどうかってくらいの。
﹁モンスターの次は俺を消し炭にするか?いいぜ?やってみろよ!
だがな、俺はただじゃやられねえぞ!﹂
今の俺じゃあかなわねえかも知れねえが、命乞いなんざする気は無
い。
せめて戦って、死んでやる。
﹁やだ⋮!なんで⋮おねがい⋮やめて⋮テツ⋮
ねえ、いつものテツにもどってよぉ⋮﹂
俺の命がけの気迫に、︿化物﹀は圧倒されていた。
﹁いつもの⋮だぁ?ふざけるな!
手前の前で、油断なんぞするかよ。
︿冒険者﹀︵ばけもの︶が!﹂
俺はたたみかける。怖がるな、引くな。
そう、心に言い聞かせて。
﹁⋮うぇぇぇぇぇぇ⋮﹂
とうとうこいつ、泣き出しやがった。
どうしようもなくなったときのいつもの泣き方だ。
だが、もう騙されねえ。俺は油断なく、刀を構える。助けが、来る
まで。
そして。
﹁2人とも無事ですか!﹂
まるで図ったようにおっさんが慌てて駆け寄ってきて⋮
﹁⋮ああ、そりゃあ、そうだよなあ﹂
94
俺は絶望とともに声を吐き出した。
おっさんもまた、正体を現していた。
あの、ひょろひょろの身体を覆うのは、金属製の全身鎧。
右手にはでかくてすげえ重そうな戦槌。
左手には、水晶を削りだして作ったような、透き通ったでけえ盾。
それを完全に着こなして、疲れも知らずに軽々と走り回れるなんて
のは
⋮︿大地人﹀︵ひと︶じゃない。
当たり前の話だ。
︿冒険者﹀︵ばけもの︶の親は⋮
︿冒険者﹀︵ばけもの︶に決まってるじゃねえか。
おっさんは、俺達のほうを見て、かたまった。
﹁なぜ!?何をしているんです!テツ!﹂
﹁おい、おっさん⋮あんたも⋮︿冒険者﹀︵ばけもの︶だったんだ
な⋮﹂
殺気を抱えて、俺はにらみ返す。
たとえ力で敵わなくとも、舐められたら、ダメだ。
﹁ばけ⋮!?本当にどうしたんですか!?テツ⋮﹂
どうやら、おっさんはまだ事の次第を理解してねえらしい。
だから、俺は教えてやることにした。
今まで、孤児院のやつらにも、シスターマリアにも、
誰にも言ってなかったこと、ルリと俺の秘密を。
﹁どうしたもこうしたもねえよ。
おっさん⋮あんたなら、多分知ってるだろ?
俺はなぁ⋮⋮エッゾの生まれなんだよ!﹂
﹁⋮エッゾ?⋮まさか、ススキノの⋮!?﹂
少しだけ考えたあと、おっさんの表情がこわばった。
95
やっぱり知ってたんだな。畜生め。
そう思ったら、言葉が勝手に口から漏れ出していた。
﹁知ってるぞ。てめえらは、︿冒険者﹀︵ばけもの︶だ。
親父を笑いながら切り刻んだ、︿冒険者﹀︵ばけもの︶だ。
お袋を笑いながら焼いた、︿冒険者﹀︵ばけもの︶だ。
モンスターよりもたちが悪い⋮
人の皮を被った︿冒険者﹀︵ばけもん︶だ!﹂
あの日、俺は家族を失った。
ススキノから大地人狩りに来た︿冒険者﹀どもの手によって。
逃げられたのは親父とお袋が命がけで逃がしてくれた、ルリと俺と、
姉貴だけだ。
それから何とかして、姉貴とルリと3人でエッゾから逃げ出すまで
は、地獄だった。
﹁⋮覚えてやがれ。俺は、てめえらを⋮
︿化物﹀︵ぼうけんしゃ︶をぜってえゆるさねえ!﹂
そして俺は駆け出した。
悔しいが、今の俺じゃあ、︿冒険者﹀2匹相手するには、腕が足り
なさ過ぎる。
親父だって言っていた。逃げるときは、全力で、と。
﹁テツぅ⋮うぇぇぇぇぇぇ⋮﹂
﹁あ!?待ちなさい!テツ!﹂
2匹とも、とっさの出来事に対応できなかったらしい。俺は無事に
逃げ出した。
7
﹁なんでだよっ!?﹂
96
急がなくちゃならねえ。
︿冒険者﹀どもが戻ってくるまで、時間がねえ。
夕暮れの孤児院で、俺は特に親しい連中だけを呼んで、
この孤児院の秘密を明かした。だが。
﹁落ち着けよ、テツ。正直、いきなりすぎて信じられねえが、
おっさんとまなが︿冒険者﹀なのは別に悪いことじゃねえだろ﹂
ジャックは、少しだけ驚いたあと、腕を組んだまま、とんでもねえ
ことを言い出した。
﹁ええ、僕は知っていましたが、タークさんもまなさんもいい人で
すよ﹂
ジョシュアは、知ってやがった。
その上でひとしきり目をしばたたかせた後、寝ぼけたことを言って
やがる。
ダメだ。分かってねえ。俺は、再び分かってもらうために口を開い
た。
﹁だからそれが間違いなんだよ!ここは牧場なんだ!
あいつらが俺達を奴隷に仕立て上げるための!
いつかはあいつらは手のひらを返すぞ!
本性をむき出しにして、ひでえことも平気でやる!
そういう奴らなんだよ!あいつらは!﹂
そうだ。俺は知ってる。あいつらは、人の皮を被った、化物なんだ。
俺も含め、この孤児院の奴らは、あいつらに騙されてたんだ。なの
に。
﹁いい加減にしろ!︿冒険者﹀はな、悪い奴らなんかじゃねえ!
あの人らがいなかったらな、俺は︿緑小鬼﹀にぶち殺されて死ん
でたんだぞ!
死にそうだった俺達を助けてくれた人たちが、悪い奴らなわけが
ねえ!﹂
ジャックが、とうとう怒り出した。
顔を真っ赤にして、︿冒険者﹀が悪い奴じゃねえなんて、寝言を言
97
い始めた。
﹁テツ君の言うことも、完全には間違いでは無いのかも知れません。
︿冒険者﹀全てが善人とは限らない。むしろ悪い人がいるのは
当然かも知れない。
けれど、すくなくともタークさんとまなさんは悪い人なんかじゃ
ありませんよ。
⋮それに、僕にはこの孤児院に3人の弟と妹が1人います。
今の状態で兄弟全員で孤児院を出たら、間違いなく野垂れ死にで
すよ﹂
ジョシュアは、びびりやがった。
死ぬのが怖くて、︿冒険者﹀どもの奴隷になる道を選んだ。
ダメだ。こいつらは、今は、どうしようもない。
俺は諦めて、ルリの手を取った。なのに。
﹁⋮クソ!ルリ、行くぞ!﹂
﹁⋮ううん。行かない﹂
ルリは、俺の手を、振り払った。
なんでだ⋮なんでなんだよ!?
﹁ルリ!?﹂
思わず声を荒げる。だが、それにもルリは動じない。
いつものように、淡々と、言葉をはく。
﹁⋮村⋮おそったのは⋮︿冒険者﹀。それは、ゆるせない。
⋮でも⋮ススキノでわたしたち⋮助けてくれたのも⋮
イースタルまで連れてきてくれたのも⋮︿冒険者﹀﹂
俺は、言葉に詰まった。
ルリまで、そんな寝ぼけたことを言い出すなんて。
あいつらは、奴隷が欲しかっただけだ。
だから、ここまで連れてきたってのに。
﹁だから⋮それは⋮あいつらは⋮﹂
うまく口がまわらねえ。
クソッ!もう少し俺の頭がよければ良かったのに。
98
どうすりゃいいんだ?どうすれば、ルリに分からせられる?
そんなことを考えながら、次の言葉を探していると、
ルリがまた、言葉をはいた。
﹁大地人のどれい⋮ほしいだけなら⋮わざわざエッゾまで⋮こない。
近くにたくさんいる。だから⋮たぶん⋮いまはテツがまちがって
る﹂
淡々と、いつものように。静かに。
まるで⋮俺にいいきかせようとしているみてえに。
﹁⋮クソ!ああそうかい!わかったよ!俺は1人でも行くぞ!
アキバに行って、姉貴を助け出す!
逃げて、力を蓄える!いつか、あいつらに勝てるようになるまで
な!﹂
こうなったら仕方が無い。俺は、1人で逃げ出すことにした。
もう大人の姉貴なら分かってくれるはずだ。
アキバで、︿冒険者﹀の奴隷にされてる姉貴なら。
8
夜闇に染まった、アキバへと続く街道を俺はひた走る。
男は、戦うと決めたら、一歩だって引いちゃいけねえ。
そうだ。俺は戦うんだ。︿冒険者﹀︵ばけもの︶と。
﹁ぐあ!?クッソまたかよ!﹂
すっかり日が落ちて暗くなった街道は、思ったよりずっと走りづら
かった。
もう3回も転んだ。転びすぎたのか膝がさっきからじんじん痛む。
考えて見りゃあ今日はずっと戦いどおしだ。
疲れが出てるのか。
﹁⋮クソ!負けてられっか!﹂
99
こんなときは、気合だ!俺は両頬を叩いて走り出そうとした、その
ときだった。
krkrkrkrkrkr⋮
甲高い鳴き声が聞こえてくる。そして。
﹁⋮こんなときに!﹂
俺の3倍くらいある、馬鹿でかいコウモリが襲い掛かってきた。
﹁ああ、うるせえ!やってやるぜ!﹂
俺は刀を抜き放ち、コウモリに切りかかる。
ギャア!
まさか俺見てえなガキに斬りかかられるとは思っていなかったのか、
コウモリはまともに俺の攻撃を受けて、怯んだ。
よし、コレならいける!
そう思ったときだった。
バサッ!
コウモリが地面から、俺の手が届かねえところまで飛び上がる。そ
して。
キャアアアアアアアアアアアア!
強烈な衝撃波を持った叫び声を俺にぶつけてくる。
﹁ぐおっ!?﹂
腹をえぐられるような痛みが、俺を襲う。
100
﹁ちきしょう!汚ねえぞ!﹂
口では罵りながらも、俺は刀を振るって衝撃波を生み出す︿飯綱斬
り﹀を
コウモリに向かって放った。だが。
キャキャキャキャキャ⋮
コウモリは俺をあざ笑うかのようにそれをかわす。
⋮マジかよ。
キャアアアアアアアアアアアア!
再びの衝撃。俺の体力が限界近くまで減る。
間違いない。次に︿飯綱斬り﹀を撃つ前に、俺の体力は尽きる。
﹁ちっきしょう⋮!ここまで、かよ⋮﹂
最後まで諦めねえってのは、やっぱり難しいな。
空に浮かぶあいつを倒す手が無いのもそうだが、
それ以上に痛みで心が萎えちまって、これ以上戦う気力がわかない。
俺は、死を覚悟した。その瞬間だった。
﹁ライトニング⋮ばすたあああああああああああああああああああ
ああ!﹂
それは、まるであのときの再現だった。
コウモリの巨体が、空から降ってきた雷の雨に焼かれる。
ぎいいいいいいいいいいいいいい!?
黒焦げになり、息も絶え絶えとなって地に落ちるコウモリ。そこへ。
﹁はぁぁぁぁぁ!︿インパクト・スマッシュ﹀!﹂
駆け込んで来たおっさんが高々と振り上げた戦槌を振り下ろす。
101
ドゴォ!
戦槌の一撃は、モンスターの頭に当たり、叩き伏せる。
そしてモンスターは、完全に動きを止めた。
﹁テツぅぅぅぅぅ!﹂
コウモリを始末した、︿冒険者﹀が俺に迫ってきた。
そうか、次は俺の番ってわけか⋮させるかよ!
俺の心に、再び火がつく。刀を握り締め、思い切り振る。
﹁俺に、近寄るなあ!﹂
ザシュッ!
︿冒険者﹀の肩口に、傷が走った。真っ赤な血が、肩を染める。
俺の刀が、はじめて人を斬った。
モンスターとは全然違う手ごたえに、俺は震えた。だが。
﹁⋮テツぅ⋮よかった、よかったよぉ⋮テツが⋮しなないで、よか
った⋮﹂
普段は転んだだけで痛くて泣きやがるくせに⋮
刀で斬られたらもっといてえはずなのに⋮
⋮まなは、涙をこらえて、静かに、俺を抱いた。
⋮震えてる。
俺より、ずっと小さい、まなの身体が、震えていた。
それに気がついたら俺は、動けなくなってた。
カラン
乾いた音を立てて、刀が、俺の手から滑り落ちる。
102
﹁テツ君。聞いてください﹂
まなに抱かれ、動けなくなった俺におっさんが静かに言う。
﹁確かに、︿冒険者﹀には、悪い人もいます。
こちらで、余りに強い力と自由な世界に完全に倫理観をなくして
しまった、
それこそ化物のようになってしまった人だっています。
しかし、良く見てあげてください⋮真奈が、そういう人間に見え
ますか?
小さい頃から怖がりで、人見知りで⋮
それでもテツ君と仲直りしたくて必死な真奈が、まだ化物に見え
ますか?﹂
おっさんの言葉は、ただ静かで。
﹁おっさん⋮﹂
それに、俺は、何も言えなくて。
﹁テツ君のお父様とお母様が素晴らしい人だったのは、テツ君を見
ていれば分かります。
それを︿冒険者﹀に殺されたのなら、︿冒険者﹀を恨むのは、当
然です。
けれど⋮全ての︿冒険者﹀があなたの仇じゃないってことは、
どうか、理解してください。
⋮真奈が、そんな子じゃないってことだけは、分かってください。
お願いします﹂
そういうと、おっさんは深々と頭を下げた。
⋮クソ。
ああ、そうさ。そうだよなあ⋮
103
俺の腕の中で、ぶるぶる震えているのに、涙こらえて。
必死に泣くの我慢してるのは、ばけものなんかじゃねえ。
︿冒険者﹀︵ぼうけんしゃ︶で、すげえ妖術師のくせに。
弱虫で泣き虫の、まなだ。
それ以外の何者でもない。
俺は、観念した。
泣きそうなまなを静かに抱きしめ返し、頭を、なでた。
﹁⋮⋮てつうぇぇぇぇぇ⋮﹂
なんだよ。結局泣くのかよ。しょうがねえなあ⋮
俺はただ、まなを抱きしめ続けた。泣き虫が泣き止むまで。
⋮顔を真っ赤にして泣くまなからは、なんだかすこし、いい匂いが
した。
9
あの日、孤児院に帰った後、俺はシスターマリアとおっさんからこ
ってり絞られた。
罪状は、孤児院から勝手に抜け出したことと、皆に心配かけたこと。
おまけに死にかけたことまで追加だ。
罰として、便所の始末をやらされた。
100人ぶんの中身がたっぷりつまった重い便壷を、
わざわざ畑の側に掘られた穴まで運び、穴に中身を入れるよう言わ
れた。
何でこんな遠いところで始末してるのかはわからない。
多分罰だからだろう。
それが1週間。
その間ずっと、孤児院の連中にう○こ野郎だのなんだの言われまく
104
って、
俺のせんさいな心は大いに傷ついた。そして。
昼下がり。俺はおっさんに修行をつけてもらっていた。
﹁まだまだ!踏み込みが甘いですよ!
そんなに腰が引けてては守護戦士の防御を抜けません!
戦士職は最初はとにかく前に出る!
ただし真奈を守ることだけは絶対に忘れてはいけません!﹂
ただの棒切れと、なべのふた。
そしていつものよれよれの服のまま、
歴戦の戦士の顔で倒れふした俺に厳しい言葉をぶつける。
今のおっさんは︿冒険者﹀︵ぼうけんしゃ︶の秘術で力を弱め、
俺とどっこいどっこいの力しかないはずなのに、
何故か全然勝てない。俺は刀まで使ってるのに。
﹁クソ、おっさんずるしてねえだろうな!?本当に俺と同じ腕前な
のかよ!﹂
﹁バカにしないでください!
これでも私はブランクはあっても冒険者歴10年を越えるベテラ
ンです!
そうそう戦術も知らない素人に負けるわけがないでしょう!
悔しかったら、私から一本でも取ってみなさい!﹂
俺のプライドはズタボロだが、ここで負けっぱなしなんてなわけに
はいかねえ。
俺はさっきしたたかに鍋のふたで顔面殴られた時に吹き出した鼻血
を拭き、
立ち上がった、そのときだった。
﹁パパー!﹂
まなが手を振りながら俺たちの元に駆け寄ってくる。
﹁⋮おや、どうかしましたか?真奈?﹂
それでいきなり歴戦の戦士から頼りないおっさんに戻ったおっさん
105
が、
笑顔でまなにきく。
﹁うん。パパ。シスターマリアが、ちょっと来てください、だって﹂
﹁そうですか。分かりました。しかしそれくらいなら
念話で言ってくれればよかったのに。
まあ、いいでしょう。さあ、いきましょうか﹂
まなから要件を聞き、いつものようにおっさんはまなと一緒に行こ
うとする。
だが。
﹁ううん。私は、いかないよ﹂
笑顔でまなは首をふった。
﹁⋮⋮⋮え?﹂
たっぷり30秒は硬直して、おっさんはようやく言葉を吐き出す。
それに答えるようにまなは、笑顔のまま言葉を続ける。
﹁私はテツといるね。だからパパは、1人で行って﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮分かりました﹂
今度は1分くらい黙りこくったあと、おっさんは1人で歩き出す。
ものすごいどんよりとした気配を感じる。
なんていうか、晴れてんのにそこだけ雨みてえな。
﹁おいおい。いいのか?おっさん、すっげえ落ち込んでたぞ﹂
思わず俺はまなに聞いた。
こいつ、前はいっつもおっさんにつきまとってたってのに、どうし
たんだ?
﹁いいの。ママも言ってたもん。パパもまだ若いんだから、
いつまでも私にこだわってるようだったら、真奈も助けてあげて
ねって。
シスターマリアも、私にえんりょなんかしなくてもいいのに﹂
﹁はぁ?なんだそりゃ?﹂
106
返って来た答えに首をかしげる。
ダメだ。まなの考えるこたぁ時々分からん。
﹁ううん。なんでもない。それに⋮﹂
少年の苦悩をする俺に、まなは笑顔のまま、首を振る。
そして懐から綺麗なハンカチをとりだして、俺の鼻血を拭く。
﹁おい。なんか、顔赤いぞ?﹂
なんだ?熱でもあんのか?
俺はとっさに刀を持ち替え、右手でまなの額に触れる。
﹁う∼ん。熱は⋮なさそうだなあ﹂
﹁⋮ひゃう!?な、なんでもないよ!﹂
熱は無いのに、何故かまなは更に真っ赤になった。
どういうこった?
﹁わ、私いくね!おそうじのおてつだいしなきゃ!﹂
俺が考え込んでいると、まなは慌てたように走り出した。
﹁きゃう!?﹂
あ、こけた。
﹁ううううう∼⋮﹂
涙をこらえながらまた走り出す、まな。
一体なんだったんだ?
俺がそんなことを考えていると。
ガシャガシャ⋮
﹁やあお待たせしました。テツ﹂
おっさんが戻ってきた。
いつか見た鎧を着て、盾と戦槌を持った、完全武装で。
﹁⋮おい、おっさん﹂
俺は、思わず呆れて聞き返す。だが。
﹁テツ。貴方も強くなりました。
だったら、私も少しは本気を出さないと、失礼ですよね?﹂
107
あ、ダメだ。普段のおっさんのままなのに、
殺気が漏れ出してる上に目が笑ってねえ。
﹁なあに。いざとなったらシスターマリアだっています。
最悪でも骨の2、3本くらいで済ませますよ﹂
おい、さらっととんでもないこと言ってんぞこのおっさん。
しょうがねえ。俺は刀を構え。
﹁⋮わぁったよ!かかってこいや!クソ親父!﹂
半ば絶望的な戦いに、挑みかかった。
108
第4話 孤児のテツ︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみにLv的にはテツがLv15程度、まながLv50前後、そ
しておっさんは貫禄のLv90です。
それはさておき、簡単な説明。
実はおっさんはギルド所属だったり。
マイハマ第3孤児院
マイハマの郊外にある孤児院。
元々は15歳未満の20人ほどの孤児をエルフである元孤児のシス
ターマリアが面倒を見ている
小さな孤児院だったが、︿海洋機構﹀のメンバーでもあるタークの
伝手で
︿海洋機構﹀から出資を受け、ザントリーフ戦役を初めとした戦災
などで生まれた孤児を
︿冒険者﹀が連れてくるようになってから養う孤児の数が激増し、
現在は100人を越えている。
︵マイハマの街で浮浪していた孤児やこれ以上子供を育てられなく
なった親も
この孤児院の噂を聞いてやってくるようになった︶
シスターマリアが人格者であり、さらに︿海洋機構﹀の意向で学問
を教え、労働を最低限しか
課さない﹃現代日本の孤児院﹄レベルの待遇がしかれているため、
ヤマトの基準では
考えられないほど高待遇の孤児院となっている。
109
エッゾ移民
円卓会議成立後に行われた、ススキノ︿冒険者﹀のアキバへの移住
プログラムの際に、
救援部隊の︿冒険者﹀についてイースタルまでやってきた大地人た
ちのこと。
基本的にススキノの惨状に晒されてきたため︿冒険者﹀に対しては
不信感を持っているが、
結局は数週間に及ぶ移動の間、アキバの︿冒険者﹀と共に過ごすこ
とを選んだものたちのため
﹃︿冒険者﹀にも悪い奴といい人がいる﹄程度には割り切っている
人間が多い。
⋮どんな地獄でもススキノよりはマシ、と言うやけくそだった人間
も少なくない。
110
第5話 女将のマリーナ︵14代目︶︵前書き︶
今回のお話は、久しぶりのアキバの街が舞台。
ある意味貴重な﹃昔からいた﹄大地人の物語です。
111
第5話 女将のマリーナ︵14代目︶
0
徹夜で行われた臨時休業は、既に3日目の夜を迎えていた。
辺りは酷い惨状だった。
ゴミ箱にはぐちゃぐちゃになり、既になんだったのかも分からなく
なった廃棄物や
無茶な﹃加工﹄の結果、使い物にならなくなった食材が溢れて床に
までこぼれ、
洗い場にはこれまた汚れきった調理器具や食器が山ほど積まれてい
る。
そして、唯一綺麗に保たれた作業台の上には、所狭しと並べられた
冷め切った料理と、
たった1つのメニューを除いて全て横線で消された跡のあるメニュ
ー表、
羽ペンと墨壷、そしてそれら料理に下敷きにされているのは、
何度も読み返され、ぼろぼろになったチラシ。
そのチラシには、こう書かれていた⋮﹃︿円卓会議﹀設立のお知ら
せ﹄と。
﹁⋮もう10回目よ。今度こそ、うまく行きなさいよ⋮﹂
ごそりと。
ランプで照らされて薄暗い厨房に1つだけ置かれた椅子で、
死んだように呆けていた1人の少女が立ち上がった。
112
流れるような長い金髪と、どんよりとした、死んだ魚のような瞳、
死相の如く刻まれたくま、鼻筋がすっきりと通った、中々の美少女
だ。
細いながらも女性らしい丸みを帯びた体を揺らし、
傷だらけになった歴戦の戦士のような両の手でオーブンの取っ手を
掴む。
彼女はゆっくりと、頭で数を数えながら、オーブンを開ける。
﹃味付け﹄の失敗を4度、生焼けと黒焦げ、そして焼きすぎを5度
乗り越え、
ついに味付けと火加減と焼き上げにベストな時間を読みきった。
うまく行くことは確信すらあったが、勝負は最後まで分からない。
確信と不安を混じり合わせながら、それを取り出す。とりあえず見
た目は合格。
だが、問題は味だ。恐る恐る、ナイフで切り取り、齧る。
良く噛んで、特別製の自慢の舌で味わい、飲み込む。そして。
﹁よっし!この味なら店に出せるわ!﹂
成功を確認し歓喜と共に、羽ペンをとりメニュー表の最後の項目
﹃鶏の香草詰め丸焼き 金貨30枚﹄を消す。
完成した⋮﹃マリーナの宿﹄の全てのメニューが!
﹁アルフ!ちょっと着て!ついに終わったわ!﹂
﹁は、はい!⋮あのう、マリーナ。その、少し静かにしたほうが⋮
その、ご近所にご迷惑に﹂
従業員頭兼マリーナの婿であるアルフレッドが、言いにくそうに妻
でもある少女⋮
マリーナ=リバーサイドに苦言を言う。
﹁なに寝ぼけたこと言ってんの!?
113
私が黙ったくらいでこの街が静かになるわけないでしょ!
外に出てみてみなさいよ!︿円卓会議﹀ができてからこっち、
︿冒険者﹀が毎日毎日、夜中だろうとなんだろうとお祭り騒ぎし
てるでしょーが!﹂
それに、マリーナはきっぷの良さで知られた代々のマリーナの中でも
特に気が強いと言われている性格で、激しく言い返す。
﹁は、はひ!﹂
その強い言葉に、アルフレッドはたじたじとなった。
この家では、男の立場は弱い。
と、言うのもこのリバーサイド家では跡継ぎとなる娘はマリーナの
名を与えられ、
15歳になると先代から店を継いで婿を取り、宿と酒場を切り盛り
する、女将となる。
それがアキバの街が出来たと同時に作られたと言う、
スミダ川の側で200年以上続く﹃マリーナの宿﹄のしきたりだっ
た。
そしてそのしきたりは200年以上もの間、一切の跡継ぎ問題を生
まず続いてきた。
⋮13代もの間、生涯で娘1人しか授からない代わりに、
必ずその娘は無事に育ちきると言う、呪いにも似た奇跡によって。
そして現在、店を切り盛りしているのがこの店の女将、14代目マ
リーナである。
1年前、14代目マリーナが後を継ぐのを待っていたように流行り
病で亡くなった、
13代目マリーナに厳しく仕込まれた、︿会計士﹀と︿料理人﹀、
そして︿家政婦﹀の複合職、︿女将﹀の技量は︿大災害﹀直前の鑑
114
定の時点でLv47。
領主の屋敷で厨房頭とメイド頭が同時に務まる技量で、
17歳と言う歳を考えればはっきりと異常な腕前だが、
Lv90の職人だってごろごろいるこのアキバでは珍しくも無いレ
ベルでもある。
﹁とにかく、今日は寝るわ!その代わり、明日からはガンガン稼ぐ
!いいわね!?﹂
﹁は、はい!﹂
素早く言い切ると、マリーナはさっさと部屋に戻り⋮ベッドに気絶
するように倒れこむ。
夢の中で見るのは大きな満足感と達成感、そして不安。
彼女は、感じ取っていた。
このアキバの街が、大きく変わろうとしている、そんな息吹を。
アキバの街そのものがただの通過点で、ひたすらに外に向かうだけ
だった
︿冒険者﹀が内へと意識を向けている。
自らの手で自治を行い、法を定め、恐ろしいほどの勢いで
アキバの街を塗り替えようとしている。
それは古くからアキバの街に住まう︿大地人﹀であるマリーナにと
って、
決して人事で片付けられる話では無かった。
﹃第5話 女将のマリーナ︵14代目︶﹄
1
﹁マリーナ。鶏の香草詰め丸焼きと、揚げジャガイモ2皿、黒パン
115
1籠、
それとレモンとはちみつのジュースを4人前お願い﹂
﹁お∼い、女将さん、こっちはベーコンのシチューと鶏のから揚げ
1皿、
それと川魚の塩焼きを2尾頼む﹂
﹁女将さん。こちらのお客様、揚げ魚と揚げジャガイモの盛り合わ
せと
野菜の盛り合わせ、それと酒精入りのブドウジュースだそうです
!﹂
﹁はい、ただいま!﹂
一言答え、マリーナは猛然と動き出す。
丸焼きを下ごしらえしてオーブンに突っ込むと、
厨房を任せてる︿料理人﹀の使用人に砂時計4回半で取り出すよう
に指示を出し、
カウンターに舞い戻る。
カウンターの奥に備え付けられたかまどで温められているシチューを
手早くよそうと目にも留まらぬ速さでジャガイモを切り刻み、
鶏肉、魚と別の鍋の油の中に突っ込む。
こんがり揚がるのを待つ間に串に刺しておいた川魚を2尾、直火で
あぶり始め、
手を手早く洗ったあとに野菜を手でちぎって皿に盛り付け、
油からジャガイモを上げて盛る。
事前に作っておいたジュースを木製のカップに注ぎ、ブドウジュー
スの方には
ワイン︵単体では味なし︶を混ぜて、酔えるものに仕上げる。
そして出来上がる頃には⋮既に次の注文が来ている。
厨房仕事は所々アルフや使用人にもやらせるが、基本的には自分で
こなす。
116
それが、女将兼看板娘でもあるマリーナの矜持である。
マリーナは今、充実していた。
少なくとも︿大災害﹀のあと、円卓会議が出来るまで︿冒険者﹀相
手にひたすら
豆のスープ︵金貨2枚︶を出し続けていた頃より、大分マシだった。
﹁うま過ぎ。なにこれすごい﹂
﹁パネェ。マジで見た目どおりの味じゃん﹂
﹁な?な?驚きだよな。窓から良い感じのシチューの匂いが
漂ってきてさ、もしかしてと思ったら、大当たり﹂
﹁あ!?この野郎から揚げにレモンかけてんじゃねえよ!?
すいません、お姉さん、もう1皿追加でー!﹂
﹁なあ、ここの店って⋮確か︿大地人﹀の店ってことになんだよな?
マリーナの宿っつったら︿大災害﹀前からあったし﹂
﹁ってことは⋮え?この料理って︿大地人﹀の女将が自力で開発し
たの?
女将凄すぎじゃね?﹂
﹁って言うか女将若いな。てっきりもっと歳行ってるのかと思った
よ﹂
﹁ああ、ずっと同じ顔⋮でもないのか、良く考えると。
バージョン上がるたびにこまめに変わってたんだよな、グラフィ
ック﹂
﹁前にサイトで見たけど、前世紀の拡張パックなしの頃とか
顔グラ完全に洋ゲーだったよ。今は⋮アキバっぽいよな、うん﹂
今、店を訪れているのは、大半が︿冒険者﹀である。
彼らの会話が所々わけの分からない話なのは、いつものことなので
気にしない。
と言うか気にしてたら、このアキバでは仕事なんて勤まらない。
117
マリーナの宿は今日も盛況だった。
腹を減らした︿冒険者﹀は味も良く、設備も整ったマリーナの宿に
つめかけ、
存分に腹を満たし、帰っていく。
既に先月の︿大災害﹀以降発生した、来る客みんな豆のスープしか
頼まない
豆スープ地獄が産んだ食堂の赤字はとうに消えていた。
︵最も宿全体で見れば帰れなくなった︿冒険者﹀が部屋を借りるよ
うになったため、
収支事態はとんとんだったりするのだが︶
そして夜。日がすっかり暮れた頃、マリーナの宿の食堂は営業を終
える。
﹁ありがとうございました。またどうぞ﹂
﹁ごちそうさん。また来るよ﹂
最後の︿冒険者﹀の客を送り出し、アルフレッドは深く頭を下げる。
宿屋の主人たるもの人当たりのよさは常に保たねばならない。
それが、マイハマで屈指の宿屋であった実家の教えだった。
⋮主人ではなく、入り婿だが。
アルフレッドはマイハマでも屈指の大店である宿の三男坊である。
既に30にさしかかり、子供も4人いる10以上年の離れた長兄と、
昔から頭が良くて、今はマイハマで文官を務める次兄がいる。
家督が回ってくることはまず無いから、次兄のように役人にでもな
るか、
適当な家の婿になるしかないことは物心ついて少しする頃には分か
っていた。
だからこそ、マイハマから離れたアキバの街の宿屋の娘との
縁談をあっさりと受けたのだ。
118
宿屋ならば自分の、宿屋の息子として鍛えられた
︿執事﹀の技術も生かせるし、親族のいないアキバの街なら
居候同然の三男坊として肩身の狭い想いをすることも無いから、と。
⋮もっとも、その嫁が生命力に満ち溢れた凄腕の女将だったのには
随分面食らったが、
それも結婚して2年近く経つ今となっては、いい思い出である。
それはさておき。
最後の客を送り出し、アルフレッドは宿屋の中に戻った。
まだまだこれから、後片付けを手伝わなくてはならない。
﹁ただいま。マリーナ﹂
﹁お帰り。ちょっと食堂の掃除でもしてて。私はみんなの分の晩御
飯を作るから﹂
厨房からは、なにやらいい匂いが漂ってくる。
かいだことのない匂い。多分新作料理を作っているんだろう。
昼はロクに食事も取らず、黒パンとスープだけで簡単に済ませて
働きづめだったせいか、余計に美味しそうに感じる。
﹁うん。分かったよ。さ、みんな、やろうか﹂
﹁﹁﹁はい、旦那様!﹂﹂﹂
日ごろの指導の賜物で声が揃った、使用人の女給たちに指示を出し
つつ掃除をする。
円卓会議成立後の毎日のマリーナの美味しい食事は、使用人にも受
けが良い。
彼女の努力と才能︵彼女に言わせれば、特別製の舌︶の賜物であっ
た。
﹁ふぅ⋮儲かるのは良いけど、毎日これだと、少しきついなあ﹂
一通り掃除を終えて、アルフレッドはぼやいた。
毎日がお祭りのときのように客で溢れる現状は、余り良くない。
使用人にも疲れが見えるし、マリーナも大分疲れがたまっている。
119
﹁お休み⋮は無理でももう少しゆっくりする時間がいるよなあ﹂
マリーナはほっとくと延々働き続けるし、なんてなことを考えてた
ときだった。
﹁なぁにぼやいてんのよ﹂
後ろからぽんと頭をはたかれる。
﹁あ、マリーナ﹂
﹁お疲れ様。夕食にしましょ。今日はちょっとピザを焼いてみたの﹂
﹁ピザって⋮確か、あの丸くて平べったい、トマトとチーズを使う
パン?﹂
アルフレッドの脳裏に、正確な姿が浮かぶ。
見た目は知っている。味は全部同じだった頃のことしか知らないが。
確か比較的庶民的な料理と言う位置づけだったはずだ。
﹁そ。前にクレセントムーンで作ってた料理だけど、
美味しかったから、作ってみたのよ。
すぐ焼きあがるから、さっさと席について頂戴﹂
それに力強く頷き、アルフレッドたちを食卓に促す。
ようやく納得が行くものが再現できて、マリーナは満足していた。
クレセントムーン。︿冒険者﹀が作った、新たな料理の始まりの店。
思えば豆スープ地獄に嫌気がさして、朝、山ほど豆スープを作った
あと出かけたとき、
︿冒険者﹀の行列と匂いに興味を引かれて並んだあの店との出会いが
マリーナの挑戦の原点だった。
あのときは本気で衝撃を受けた。
自分が今まで作っていたのがなんだったのかと自問自答し、
何が何でも自分でも同じものを作れるようになると決意した瞬間だ
った。
120
結局作れるようになったのは円卓会議の成立後⋮
アキバ中に新たな料理の方法が広まってからだったが、
加工前の素材の味を確かめ、色々試行錯誤したことは無駄じゃなか
った。
だからこそ、あれの料理を再現、或いは上回ることは、
マリーナにとって大事な目標だった。
﹁へぇ⋮それは期待できそうだね﹂
マリーナの力強い瞳を見て、アルフレッドも微笑む。
アルフレッドは知っている。
マリーナは、いつも自信を持って行動しているが、
特に自信があるときは、輝くような笑顔になることを。
﹁まぁね、さ、早くいただきましょう。熱いうちに食べると特に美
味しいわよ﹂
そして輝くような笑顔で、マリーナはみんなを促した。
マリーナの宿では、使用人も女将も区別無く、みんなで食事を取る。
それは、古くから子宝には1人しか恵まれない家系であるリバーサ
イド家で、
いつしか決まった慣わしだった。
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁いただきます﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
声を合わせて、神の恵みに感謝の意を示す。
元々は︿冒険者﹀の流儀だが、いつしか身に付いた作法だ。
今ではマリーナの宿では毎回の食事のたびに言っている。
そして一斉に食べ始める。
8つに切った、欠片を取り、口に運ぶ。
﹁⋮おいしいです、これ。本当に﹂
使用人の1人が漏らした言葉に、使用人たちが頷いた。
121
熱々のチーズのまろやかさとトマトの酸味が混じりあい、
更に肉の旨みやピーマンの苦味、スライスした玉ねぎの辛味が混じ
り、
昔食べていたものからは考えられないほどの複雑な味わいとなる。
それは、素晴らしい料理だった。
12人前で8枚ほど用意したピザがどんどん無くなっていく。
﹁⋮うん。美味しいよ、マリーナ。これなら店にも出せると思う﹂
良く味わって飲み込み、アルフレッドはマリーナに笑顔で言う。
﹁当然。じゃ無きゃまず私がみんなに食べさせようと思わないもの﹂
その様子に満足げに頷くマリーナ。
﹁そっか。うん。そうだね﹂
そんな様子のマリーナを見ていると、アルフレッドも楽しくなる。
︿大災害﹀が起きた直後の1ヶ月ほどの荒れてた時期を知ってるだ
けに、余計に。
﹁とはいえ、もうそろそろかな﹂
﹁そろそろ?﹂
唐突にマリーナが言った言葉に、アルフレッドは聞き返す。
﹁そ。多分だけど、もう少ししたら、うちの店の食堂も少しは落ち
着くと思うわ﹂
﹁⋮ああ、そうだね。僕もそう思う﹂
確信を持って予測する、マリーナに少し考えてアルフレッドも頷く。
﹁そうなんですか?﹂
なんだか分かり合っている2人に、不思議そうにメイドの1人が尋
ねる。
それに2人は同時に頷き、話し始める。
﹁最近、どんどん美味しい店が他にも出来てるらしいんだ﹂
商売柄、︿冒険者﹀が何をしているかの話しは、食堂にいても聞こ
えてくる。
既に︿冒険者﹀が、その発想を生かし、次々と新たな料理を生み出
122
していること、
そしてその中から名店と呼べる店もポツポツと現れ始めていること
を、
2人は知っていた。
﹁そうなれば、うちだけが儲かる、なんてことは無いわね﹂
設備と、才能溢れるマリーナと言うアドバンテージは少しずつ減っ
ている。
いずれは、このマリーナの宿に比肩する料理店も現れるだろう。
﹁ま、そういうわけだから、もう少しだけ、
使用人を増やすのは待とうと思うわ。
⋮あなたたちには、少し苦労をかけることになるけど﹂
使用人たちにお願いをしつつ、マリーナは考えていた。
ただ、待っているだけでなく、
これから先、どうするかを考える必要があった。
この街は、異常なほどに変革が早く⋮
変われないものはどんどん取り残されていくのだから。
2
円卓会議が成立して、はや2ヶ月。
2人の予想通り、マリーナの宿の食堂は、ある程度落ち着いていた。
相変わらず昼時になれば食堂は満杯になるし、
夕暮れ時もかきいれ時なのは変わらないが、
例えば今時分、昼と夕暮れの間くらいの頃は、
食事と言うよりはお喋りをするために連れ立ってやってきた︿冒険
者﹀や
1人でゆっくりする︿冒険者﹀を4∼5人迎えるくらいで、
あとはゆっくりする時間が取れるくらいには静かになった。
それは大半の︿冒険者﹀が規則正しい生活をしているため、
食事の時間も大体同じだからでもあるし、アキバの街中に
123
おいしい料理を出すライバルがたくさん出来て、
マリーナの宿の他にもたくさんの選択肢が出来たためでもあった。
そして、今日もマリーナは、使用人に頼んで買ってきてもらった
新作の料理を味わいながら、唸っていた。
﹁しっかしまさか、わざわざ魔法使ってまでお菓子を作るとは思わ
なかったわ﹂
︿冒険者﹀の技術⋮妖術師の魔法や、召喚術師の召喚獣を料理に使
う。
生まれてこの方魔法には縁が無かったマリーナには出てこない発想
だった。
アイスクリームと呼ばれる、甘く味付けたクリームを魔法で凍らせ
たそれは
ひんやりと冷たく、夏真っ盛りの今時分に食べると本当に甘くてお
いしい。
小さなカップ1杯で金貨10枚という値段も納得の味だ。
﹁やっぱ︿冒険者﹀を商売敵にすんのも楽じゃないわね﹂
︿冒険者﹀が︿冒険者﹀相手だけでなく︿大地人﹀相手にも商売を
するようになって、
更に︿大地人﹀の斜め上を行く知恵と技術を駆使するようになって
からと言うもの、
︿冒険者﹀は本当に手ごわい商売仇になった。
ともすると恐ろしい勢いで変革、発展するこの街に置いてかれそう
になる。
マリーナとてただ漫然と見ているわけではない。
新しい料理の開発には余念が無いし、︿冒険者﹀の良いところは真
似をすることもある。
︿冒険者﹀に戦いや冒険で勝てないのは道理だが、
124
店の経営で負けるのは女将のプライドに関わる問題だ。
﹁う∼ん。やっぱり儲けそのものはそんなに伸びてないのよね﹂
アイスクリームを食べ終えた後、帳簿を睨みながら考え込む。
売り上げは昔の倍はあるが、新しく増やした使用人の給金や、
今までは無かった支出のせいで、儲け自体は5割ほどしか伸びてい
ない。
もちろんそれでも充分と言えば充分だが、ただ漫然と見ているのも
問題だ。
そして、マリーナはいつものように考える。
﹁ねえ、マリーナ。実は、今日、君に贈り物があるんだ﹂
﹁贈り物?ふ∼ん。ま、後でね﹂
途中で、アルフレッドが何か言ってくるが、考えている途中なので
サラッと流す。
﹁あ、あっさりしてるなあ⋮帳簿かい?﹂
にべも無いマリーナの反応に若干反応に困りながら、
アルフレッドはマリーナが見ているものに目をやる。
﹁そ。う∼ん、やっぱ売り上げは伸びてるけど、支出も増えてんの
よね∼﹂
﹁支出?そうなのかい?でも食材の仕入れは余り変わってなかった
と思うけど﹂
日常の細々した雑務は大体把握しているアルフレッドは首を傾げる。
マリーナが作る、新作の研究分は確か店の余り素材を使ってるから、
増えたとしてもほんの微々たる量のはずだった。
﹁ま、ね。私もこれは予想してなかったなあ。やっぱ追加で買うし
かないわね﹂
考えて見れば当たり前なのだが、2ヶ月前までの常識から外れたか
らこその
変化であり、夏場に買うものじゃないので、
在庫を使い切りかけた今まで減っているのに気づかなかった。
﹁何が足りないの?﹂
125
そして、アルフレッドに1つ頷き返し、マリーナはその答えを言う。
﹁色々あるけど、やっぱぶっちぎりで足りないのはあれね。薪﹂
今朝方、ようやく気づいた、その答えに。
﹁えっ?た、たきぎ?﹂
カチンと。
アルフレッドの笑顔がこわばった。
だが、それに気づかず、マリーナは続けて言う。
﹁そ、薪。私の作る料理って基本的に火を使わなきゃ作れないから、
当然燃やすものが必要になんの。作成メニューから作ってた頃は
部屋を温めたりお湯つくるために暖炉にくべるだけだったから、
夏場なんてほとんど使わなかったんだけどね。
春先に買った分は、もう殆ど残ってないわ。あと1週間くらいで
無くなるわね。
⋮ま、別館の備蓄使えば、1ヶ月は持つから、その間に樵に頼ま
ないと﹂
別館。その言葉が出た瞬間、アルフレッドの背筋がぶるりと震えて、
伸びた。
﹁⋮べ、別館って、ろ、ロイヤルスイートの?﹂
思わずアルフレッドは聞き返した。震える声で。
それだけで、マリーナは察した。アルフレッドの失敗を。
﹁⋮そうよ。アレのために一応置いてある奴。
最後にロイヤルスイート使われたのは2年も前だし、
1泊で金貨800枚も払ってあそこに泊まろうなんて物好きな
︿冒険者﹀はまず現れないでしょ⋮ねぇ?﹂
言葉をつむぎながら、アルフレッドにまっすぐ目を向ける。確認す
るように。
﹁そ、そそそそうだね。うん﹂
確定。アルフレッドの様子に、マリーナは目を細め、言う。
﹁じゃ、薪、今のうちに取りに行こうか?﹂
そんなマリーナの言葉にアルフレッドは慌てて答える。
126
﹁ちょ、ちょっと待ってくれないかな?今すぐじゃなくても良いじ
ゃないか。
そ、そうだまだ余裕も﹂
﹁⋮ねぇアルフ?﹂
マリーナは目を細めながら、一言呟いた⋮額には青い筋が浮いてい
た。
﹁な、なんだい?﹂
﹁私ね⋮誰かが悪いことをしたら容赦なく叱るタイプよ﹂
あえて優しく、猫なで声で。それは、嵐の前の静けさだった。
﹁そ、そうだね﹂
アルフレッドは知っていた。この自分の嫁は常識外れで⋮
﹁けどね⋮悪いことして、さらにそれを誤魔化そうとしたら、
本気で怒るタイプでもあるの⋮﹂
﹁へう⋮﹂
怒ると物凄く怖いことを。
﹁⋮で?一体なにやらかしてくれちゃったの?一応聞いてあげるわ。
怒るけど﹂
既に予想は立っていたが、あえて確認する。
それに、水に落ちた子犬のように震えながら、アルフレッドは答え
た。
﹁⋮そ、その⋮マリーナが喜んでくれると思って⋮
使っちゃったんだ。ロイヤルスイートの⋮薪﹂
﹁⋮ああもうやっぱり!?何やってくれちゃってんのアンタは!?﹂
爆発。店に大きな声が響き渡った。
その声に、︿冒険者﹀たちもお喋りをやめ、2人の会話を黙って聞
く。
﹁ひぅ!?⋮お、お義父さんからマリーナはお風呂が好きだって聞
いたから⋮﹂
今は引退し、街場で暮らしている義父から聞いた話から、アルフレ
ッドはそれを決めた。
127
わざわざ自腹で宿代を出し、喜んでもらおうとしたのだ。逆効果だ
ったが。
ガタリ。
椅子がなる。
マリーナはそれに気づかず、アルフレッドを叱る。
﹁だからって、あんなところに1人で入って何が楽しいのよ!?
あそこ50人は余裕で入れるのよ!?﹂
マリーナはそのときのことを思い出し、険しい顔をする。
2年前、ロイヤルスイートを利用した客と言うのが、他ならぬマリ
ーナ自身であった。
結婚して女将を継ぐ直前、先代がマリーナにこう言ったのだ。
﹁この店の女将たるもの、一生に一度はこの店の最高のもてなしを
体験せねばならない﹂
と。
そして、まる3日、マリーナはロイヤルスイートで母を含めた
10人の使用人にかしずかれ、下にも置かぬ待遇を受けた。
あらゆることが自分ではなく使用人の手で行われるのだ。
食事、入浴、着替え⋮果てはトイレまで。
物心付いた頃から自分のことどころか客のことまで自分でやらされ
ていた
マリーナにとって、それはある意味トラウマものの体験だった。
それを思い出して背筋をふるわせていたせいでマリーナは、気づい
ていなかった。
︿冒険者﹀の目の色が変わっていることに。
128
﹁⋮ったく、沸かしちゃったものは仕方がないわね。
冷めてももったいないだけだし使用人のみんなにも⋮﹂
さっさとおぞましい思い出を振り払おうとマリーナは気を取り直し、
これからを考えた、そのときだった。
ガタガタガタッ!
︿冒険者﹀が一斉に立ち上がり、カウンターのマリーナに詰め寄る。
﹁なっ⋮!?﹂
突然のことに面くらい、マリーナは動きを止める。
最初に口を開いたのは、肩口で切りそろえられた金髪と碧眼の娘だ
った。
﹁あ、あのう!﹂
﹁はい?﹂
大きな声で話しかけられ、マリーナは思わず下がりつつ、返事を返
す。
﹁⋮私、借ります。ロイヤルスイート﹂
﹁は?﹂
いきなり降って湧いた、ロイヤルスイートの借主⋮
調度品からサービスから最高級過ぎて通常の部屋の
実に160倍以上もの値段となり、マリーナの宿では
一種の冗談として扱われている部屋を借りると言う︿冒険者﹀に、
思わずマリーナは首を傾げた。
幾ら︿冒険者﹀が金持ちと言っても、たった1泊で金貨800枚だ。
おいそれと出せる額ではない。
⋮そのはずなのだが。
﹁あ、ずるい!?私も、私も!この際相部屋でもいいから!﹂
﹁ちょっと、抜け駆け禁止!﹂
﹁しまったあ!?財布の中に300枚分しか入ってない!?
129
い、今すぐ銀行行くからちょっと待ってて!﹂
﹁え?なにごと?﹂
我先にロイヤルスイートを取ろうと詰め寄る︿冒険者﹀に若干引き
ながら、
マリーナは思わず呟く。
﹁だから、使わせてください。っていうか入らせてください。
あと、友達呼んでもいいですか?﹂
﹁え?そりゃ、泊まるならその間はお客さんの好きにしていいけど
⋮﹂
思わずマリーナがそう答えた瞬間。
きゃあああ!っと、悲鳴のような歓声が上がった。
︿冒険者﹀の異常なほどの興奮の意味は、その時点ではまったく理
解できなかった。
3
﹁いやあ、人生何が幸いするか分からないもんだね﹂
ほっと安堵しながら言うアルフレッド。
﹁うるさい黙れ﹂
それをマリーナは一言で切って捨てた。
マリーナの宿の別館はいまや女の園と化していた。
マリーナの宿が所有する川べりに建てられたそれは、
普段は貴族用の特別室兼物置として使われている。
そしてそこに、それはあった。
﹁はう∼。生き返る∼﹂
﹁タライとかじゃないちゃんとしたお風呂なんて、3ヶ月ぶり⋮あ、
涙が﹂
﹁やっぱ日本人は、お風呂よね﹂
130
﹁広い∼!足伸ばせる∼!っていうか泳げる∼!﹂
﹁泳ぐなこのアホ!﹂
﹁これはやばいわ。何時間でもいられそう﹂
﹁本当に?ここが⋮おおおおお!?﹂
﹁⋮あ、メグ?そう私。今からお風呂入りにこない?
⋮そうよ、かな∼り広い大浴場で、場所は⋮﹂
別館からは、︿冒険者﹀たちの歓喜の声が大理石に反響して響いて
くる。
﹁すみませ∼ん!ルーシーさんの紹介で来たんですけど⋮﹂
﹁はいはい。こちらです、どうぞ﹂
どうやらまだまだ増えるらしい。
それに応対するマリーナの笑顔は、若干引きつっていた。
スミダ川の水をくみ上げるポンプと、それを熱するボイラー。
50年ほど前に10代目のマリーナが機工師に依頼して貴賓用とし
て導入したのが、
ロイヤルスイートの大浴場である。
一度に50人は入れる巨大風呂は、マリーナの宿では
唯一の貴賓室の設備として作られたのだが、
︿冒険者﹀相手の商売で食っているマリーナの宿では使う人間はほ
とんどおらず、
また沸かしきるのにいつもの年なら冬場のマリーナの宿で使う
薪1ヶ月分を3日で使い切るほどの薪が必要と言うこともあり、
普段は使われない無用のオブジェクトと化していた。そう、今まで
は。
﹁⋮どうすんのよ、これ﹂
100を越える女性︿冒険者﹀の応対を何とか終えた後、
宿帳に書かれた名前に、マリーナは途方に暮れていた。
131
ロイヤルスイートの予約が1ヶ月先まで埋まっていた。女性︿冒険
者﹀の名前で。
どうやら︿冒険者﹀⋮特に女性の︿冒険者﹀にとって、
広いお風呂とは、金貨800枚以上の価値を持つものらしい。
﹁⋮どうしよう?﹂
血の気の引いた顔で、アルフレッドはマリーナに尋ねる。
売り上げが伸びるのは良い事だが、これからの労働を考えると、青
ざめざるを得ない。
﹁流石にこれを毎日沸かすのは、はっきり言って今の状態じゃ無理
よ。
薪は⋮まあ多少高くてもいいからって買えばいいけど、それを割
るのはねえ。
アルフが責任を持って毎回掃除と薪割りするとして⋮まあ、3日
で力尽きるわね﹂
予想通りのマリーナの言葉に倒れそうになりながら、アルフレッド
は言葉を返す。
﹁む、無理だよ!?今日だってお風呂を沸かすのに準備含めて3日
かかったのに!?﹂
︿冒険者﹀ならいざ知らず、ただの︿大地人﹀
⋮しかも生粋のマイハマ育ちの貧弱なぼうやことアルフレッド。
このロイヤルスイートのお風呂担当など、毎日やったら、死ぬ。
それが分かっているだけに、アルフレッドは激しく否定した。
﹁とはいえしっかりサービスするからお風呂はなしでって言っても
⋮多分通用しないわね。う∼ん﹂
さっきのことからするにそれを言ったら下手したら暴動になりかね
ない。
いっそ専用の使用人雇うか。なんてなことをマリーナが考えていた
ときだった。
﹁あのう⋮﹂
最初にお風呂から上がったのだろう。
132
ほかほかと湯気を立てた︿冒険者﹀が1人、マリーナに話しかける。
﹁なに?⋮っと、確かさっきロイヤルスイートを借りた、ルーシー
さんですよね?﹂
流石にこの騒ぎの元凶を忘れるわけもなく、
マリーナは宿帳で見た名前を思い出し、呼ぶ。
﹁はい。ルーシーです。一応︿冒険者﹀の召喚術師です﹂
そういうと︿冒険者﹀⋮ルーシーは深々と頭を下げる。
﹁いや、すみませんね。こちらの恥ずかしい事情をお見せしてしま
って﹂
︿冒険者﹀らしからぬ丁寧な対応に、思わずマリーナも身をただし、
挨拶を返す。
﹁ロイヤルスイートではうちの使用人が総出で精一杯おもてなしを
させていただきますので⋮﹂
お待ちを。と続ける前に、ルーシーは少し困った顔をしつつ、言う。
﹁いえ。それはいいんです⋮むしろされても困ります。
⋮それより、実は先ほどお話していた件ですけど、
私に手伝わせてもらえませんか?﹂
﹁はい?﹂
思わぬ申し出に、マリーナが目をぱちくりさせた。
数日後。
﹁しっかし⋮知ってたけど︿冒険者﹀って常識が通用しないわね﹂
ボイラーの中で赤々と燃える火蜥蜴を見ながら、マリーナは呟く。
﹁うん⋮これもそうだけど⋮
まさか、僕らに従業員として雇われてくれるなんて、思わなかっ
たよね﹂
﹁しかも仮にも円卓会議のギルドの1人が、ね﹂
そう、ルーシーは今、このマリーナの宿で特別従業員として雇われ
ていた。
ルーシー。円卓会議の評議員ギルドの1つ︿グランデール﹀に属す
133
る︿冒険者﹀で、
90ものLvを持ち、火蜥蜴どころか不死鳥だって呼べる、超高位
の召喚術師である。
マリーナの宿では今、ルーシーを1ヶ月、金貨3000枚で雇って
いた。
最初はルーシーはもっと安い金額どころか毎日お風呂使わせてもら
えるなら
タダでいいと言っていたのだが、結局マリーナが押し切った。
能力あるものをちゃんとした給金も渡さず使うのは道理に反してい
る。
それに、3000枚と言うのも、ロイヤルスイートの大浴場を1ヶ
月間、
毎日沸かした場合の薪代と労力を比べれば、大分安い。
更に料理などにも召喚術師の力を利用できることを考えれば、完全
に黒字だった。
﹁とはいえ、ルーシーさんもなぁんか言いたいことがあるみたいな
のよね﹂
あの、18歳だと言う少しだけ年上の︿冒険者﹀は
少し優柔不断で、言いたいことを言えないところがある。
﹁うん。やっぱりマリーナもそう思う?なんだろうね?﹂
その彼女が何か言いたいことがあるのは、
人を見るのが商売である宿屋育ちの2人には分かっていた。
﹁わかんないけど⋮しばらくは待ってみるしかないんじゃない?
多分、3日くらいで切り出してくると思うから﹂
そしてちょうど3日後。
﹁あのう⋮﹂
1日の仕事を終え、片づけをしていたマリーナに、ルーシーが話し
かけてくる。
134
﹁っと、ルーシーさん。どうかしましたか?﹂
﹁はい。実はご相談したいことが⋮少しいいですか?﹂
﹁ええ。言って見て。出来ることならお手伝いするから﹂
ルーシーはいわばこの宿の恩人とも言える存在だ。
大抵の願いであれば、答えてあげるのが筋だろう。
そう思い、ルーシーの答えを待つ。そして。
﹁実は、マリーナさんのお力をお借りしたいと思っているんです。
ホテルの運営に関して﹂
彼女は予想外のお願いをした。
﹁宿屋を?⋮ルーシーが?﹂
思わず聞き返したマリーナに、ルーシーは頷く。
﹁えっと、私だけってわけじゃなくて⋮
実は今、うちのボスがホテルを作ろうとしているんです﹂
4
夜。
ウィル・オー・ウィスプの灯りに照らされながら、
マリーナとアルフレッドの2人はルーシーと共にそこを訪れていた。
﹁ここです﹂
スミダの川の側。今、円卓会議がしきりに何かを実験している辺り
に、
廃墟となった、アキバの街には幾らでもありそうな遺跡があった。
﹁はぁ⋮ここって、遺跡ですよね?﹂
﹁はい。実はこの遺跡って、神代の頃はホテル
⋮宿屋として使われていたところみたいなんです。
うちのギルドで確認に来た時に、内装さえ何とかすれば使えそう
だし、
それならこれから需要も見込めるからって話になって、
135
グランデールのギルド資金で買ったんです﹂
アルフレッドの確認にルーシーは頷く。
﹁需要?どういうこと?﹂
マリーナの説明を促す。
﹁はい⋮あの、今、円卓会議で作ってる蒸気船は知ってますよね?﹂
﹁まあ、そりゃね。あれでしょ?
なんか帆が無くて、代わりに車輪がついてる、︿冒険者﹀の船﹂
昼間、たまにスミダ川を下っているのを見かける。
変わった概観だが、やたら早い。
あの車輪で水を漕いでいるらしいのだが、どうやっているのか原理
は不明の謎の船だ。
﹁あれ、最大で300人は乗れるんですよ。
ちょっと満員電車状態になりますけど、詰め込めば500人はい
けます。
アレが出来たら、マイハマとアキバの往復は凄く楽になります。
そうなれば⋮﹂
﹁⋮客が増えるわね。それも︿大地人﹀の商人が﹂
マリーナが考えて⋮言葉をつむぐ。
今ですら危険な陸路を使ってやってくる商人や
アキバの街に移り住む移民がひっきりなしなのだ。
安全な海路が確保されれば、さらに増えるだろう。
﹁はい。ほぼ間違いなく﹂
﹁なるほど、それで宿屋ってわけ?﹂
海路からの客が増えれば、当然宿屋の需要は伸びる。
もし、あの蒸気船が本格的に実用化されれば、充分考えられる話だ
った。
﹁そうなんです。うちはあまり大きいギルドじゃないし、
その割に初心者が三日月の次に多いギルドですから、
こうしてアキバの街でやることを見つけていかなきゃならないん
ですよ。
136
けど、︿大地人﹀向けの宿屋と言われても、正直どうすればいい
のかって
話になったとき、マリーナさんの話を聞いたんです。
それで最初は手伝ってもらうために頼みに行って
⋮お風呂と聞いて忘れてたんですけど﹂
どうやらそれで正解らしい。
﹁なるほどね。そういう話なら、手伝ってもいいわ。
私じゃなくて、アルフがだけど﹂
これなら対応できる。
そう思い、マリーナは承諾の返事を返した⋮
アルフレッドに話を振ることで。
﹁え?僕?﹂
アルフレッドが驚いた顔でマリーナに尋ねる。
それにマリーナは頷き返し、話をする。
﹁そうよ。私にはマリーナの宿の仕事があるし、
︿大地人﹀目当ての宿屋商売なら私よりアルフの方が詳しいでし
ょ?
使用人の選定とか、おもてなしの技術とか、出入りの商人の選び
方とか﹂
アキバの街で、女将として育てられて17年。
マリーナの感覚は一般の︿大地人﹀からは大分ずれ、むしろ︿冒険
者﹀に近い。
それは︿冒険者﹀相手ならプラスに働くが、
︿大地人﹀相手にはマイナスになりかねない。
だからこそ、ごく普通の︿大地人﹀の感覚を持っているアルフレッ
ドは貴重だった。
︵ママは、ここまで見越してアルフを私のお婿さんに選んだのかし
ら?︶
ありそうだ。そう考え苦笑する。
アルフレッドは時々ドジをやらかすが、基本的にはそつなく仕事が
137
できるし、
安請け合いはしない。
信頼できる、いいパートナーだ。結婚してよかったと思えるくらい
の。
﹁う、うん。それは、まあできるけど﹂
それはつまり、彼が出来るといえば、何とかできると言うことだ。
﹁よし決定。今日からあなたたちにアルフを預けるわ。アルフ、い
い?﹂
﹁⋮うん。分かった。任せてくれ﹂
夫婦になってはや2年。お互いの信頼関係もある程度は築けている。
だからこそマリーナはアルフレッドを信用し、送り出すことができ
るのだ。
5
それから2ヶ月。
︿冒険者﹀の経営する、グランデールの宿﹃ホテルリバーサイド﹄
は当たった。
リバーサイドの運営は、︿冒険者﹀と︿大地人﹀の意見の合体とでも
言うべきものだった。
1人の客に1人のメイドがつき、その日1日、
日常の雑用からアキバの街での道案内まで引き受ける。
食事は朝のみ。メイドが部屋まで運んで給仕を受ける方式と、
1階の大食堂で、自分の手で給仕し好きなだけ食べる方式
︵︿冒険者﹀はビュッフェと呼んでいた︶の2つから選べる。
宿屋に泊まると特典として、屋台村の店の商品が少しだけ値引き保
証され、
︵それ以上の値引きは商人の腕の見せ所である︶
138
別料金として1台あたり金貨20枚で、馬小屋に馬を、
地下に作った馬車置き場に馬車を預かるサービスもある。
︵商人にとって荷馬車は文字通り生命線であるため、
良い商人ほど安全な預かり場所には気を使う︶
⋮などなど。
使用人もアルフレッドがじっくりと時間をかけて選定した。
給金も相場の2割増しにしただけあってその質はかなり高く、
更にあらゆる種族のメイドを取り揃えて異種族の坩堝と化した
アキバの客筋に対応できるようにしている。
それで料金は抑えて1人あたり金貨50枚。
普通の宿よりは高いが、サービスでカバーすると言う方針である。
開店したのは1ヶ月ほど前。その頃から交易のために
船で来た船員や陸路を旅してきた商人に受けていたが、
例の調印式と共にオキュペテーが正式にアキバとマイハマを結ぶ
連絡船になると、客が倍増した。
予想外の、新たな客によって。
﹁父上。僕は、明日は生産ギルド街に行きたいです。
明日はそこで︿冒険者﹀同士の腕試し大会があるとのことなので、
見てみたいのです﹂
﹁いやよ。戦いなんてはしたない。
ねえ、お父様、それより私は︿じゅわいおくちゅーる﹀に行きた
いわ。
あそこには︿冒険者﹀が作ったきれいな宝石やドレスがたくさん
あるって聞くもの﹂
﹁ダメですよ。まだ、貴女にはちゃんとした宝石は早いわ。
それより、お義母様から︿冒険者﹀の肩こりの薬と、
139
メイド頭から﹃キッチンぶぅのとんかつソース﹄とか言う調味料を
頼まれているから、それを買わないと﹂
﹁はっはっは。まあ、いいじゃないか。全部行けば。時間はたっぷ
りある。
秋の収穫も終わったし、今年はアキバで小麦が随分と高く売れた
から、
しばらくは安泰だ。
それに、あと3日もすれば天秤祭が始まるんだ。
噂では2日目にはレイネシア姫もお顔を見せると言うぞ。
それまでは、ゆるりと滞在しようじゃないか﹂
食堂で夜の食事を終えた、華美ではないが、質の良い生地を使った
服に
身を包んだ家族が、本日の予定を立てている。彼らは、マイハマの
下級貴族。
小さな領地から一族が暮らせる程度の税を得て暮らしており、
暮らし向きと感覚は多少は贅沢をしながらも基本的には庶民に近い。
そんな人間が、アキバの街では普通に見られるようになっていた。
街から一歩出ればモンスターに襲われる危険があるこの世界では、
旅とは文字通りの意味で命がけだ。
商人や騎士などの旅をするものは、いつ死んでもおかしくないと言
う覚悟がいるし、
その心配を減らせるほどの護衛を持つのは、領主と言えるほどの大
貴族しかいない。
しかし、その事情は変わった。オキュペテーの登場によって。
蒸気船、オキュペテー。この船の主な積荷は︿冒険者﹀という﹃人
間﹄である。
︿冒険者﹀の多くは︿ダザネッグの魔法の鞄﹀を持っている。
手提げほどの大きさで、馬1頭分の荷を持ち運べる、魔法の鞄を。
140
そのため、下手に荷馬車を積むより魔法の鞄を持つ︿冒険者﹀を
多数乗せた方が効率がいい。
そんな話し合いの結果、生産ギルド連絡会は、以下の料金を定めた。
アキバ︱マイハマ間定期便。1日2往復。所要時間は片道約2時間。
運賃は、大人1人金貨100枚、12歳以下の子供1人金貨50枚
︵︿冒険者﹀、︿大地人﹀問わず︶
これが、生産ギルド連絡会も予想していなかった新たな変革の始ま
りだった。
オキュペテーは常にアキバとマイハマの間を移動する︿冒険者﹀を
多数客として乗せ、
必ず乗組員に火蜥蜴を召喚できる、高レベルの召還術師が含まれる。
その船旅の護衛の能力は、イースタル最大の領主たるコーウェン家
の護衛を勤める
精鋭騎士部隊の総力すら軽々と上回ってしまう。
それを裏付けるようにオキュペテーの上で死んだ人間はただの1人
もいない。
1度など、急な病で普通ならば間違いなく死んでいた老商人を、
たまたま乗っていた︿冒険者﹀が強力な治療魔法で助けたことすら
ある。
その事実は、アキバとマイハマを行き来する商人たちから、瞬く間
に広まった。
庶民でも何とか手が届くほどの料金と、それに見合わぬほど早く、
安全な移動手段。
これがマイハマの、旅をするほどの余裕はない下級貴族や裕福な一
般庶民に
141
﹃観光﹄と言う新たな楽しみを与えた。
アキバの街は、︿冒険者﹀の街。
彼らが作った娯楽は多岐に渡り、見て回るだけで1週間は楽しく過
ごせる。
1回の費用は一家族だと金貨で数千枚からともすると万単位に及ぶ
が、
これはそこそこ裕福な民や下級貴族なら蓄えを取り崩せば何とか出
せる額でもある。
そんなわけで正式に国交を結んだ調印式以降、彼らのような観光客
は増える一方だった。
そして、そんな彼らの宿として人気になったのが、船着場に近く、
そこそこサービスが良く、そしてサービスの割には安いと言う
ホテルリバーサイドである。
自前で馬車団や船を立ててやってくる大貴族には1人しか
宿の使用人のつかぬ宿など論外だが、
︵ちなみにそういう大貴族用の宿はアキバにもできたが、
1人当たり1泊で金貨300枚は取る︶
庶民や、それに近い暮らしをしている下級貴族ならば充分に許容で
きる宿だったのだ。
﹁しっかし、この街も、本当に変わったわねー﹂
そんな会話をしている家族を横目で見ながら、
何度目になるかも分からないくらい、認識を改める。
この街は、日々変化している。それを肌で感じる。
ただ。
﹁ルーシー、まぁた何か悩んでいるみたいなのよね﹂
ルーシーはマリーナの宿を手伝う傍ら、
142
リバーサイドでも様々な仕事に借り出されている。
それ事態は楽しそうなのだが、時々、
ふと気がついたようになにやら悩んでいるらしいのが見える。
﹁う∼ん。相談に乗ってあげた方がいいわよね﹂
ルーシーは遠慮がちなところがあって、自分から弱音を吐くことが
ない。
気がついたら、こちらから対処する。
それが2ヶ月で学んだ、ルーシーとの正しい付き合い方だ。
6
色々考えて、直球で行った。
仕事が終わった後、﹁何か、悩んでいることがあるの?﹂と聞いた
のだ。
どうやらそれは当たりらしく、ルーシーは外に出て2人きりになる
と、
話をきりだした。
﹁あの、マリーナさんは⋮その、嫌になったことはありませんか?﹂
ボソボソと⋮ルーシーは話し出す。
﹁なにが?﹂
﹁その⋮全部決まってることが﹂
﹁決まってること?﹂
﹁だって、そうじゃないですか。
生まれたときから宿屋を継ぐのが決まってて、名前もマリーナで。
アルフレッドさん⋮結婚相手もマリーナさんのお母様が決めたん
ですよね?
それって、悲しくないですか?自分では何も決められないなんて﹂
﹁う∼ん?⋮とりあえず、ルーシー自身の話を聞かせてくれる?
じゃないと何言っていいのかわかんないから﹂
143
今ひとつ何が言いたいのかつかめない。
この状態じゃ何言っても伝わると思えない。
そう考え、マリーナはまず話を聞くことにした。
﹁⋮聞いてくれますか?﹂
﹁ま、何が出来るかはわからないけどね﹂
﹁あの⋮私も旅館⋮宿屋の1人娘だったんです。
それで、子供の頃から女将になるのが決まってて、
許婚とかはさすがにいなかたけど、
お父さんもお母さんもそれを期待してて。
でも、私はそれが嫌で。
未来の先までずっと決まってるのが、凄く息苦しくて⋮﹂
﹁︿冒険者﹀になったと?﹂
宿屋の娘から︿冒険者﹀。
また随分とぶっ飛んだ話だと思ったが、黙っている。
宿屋で漏れ聞こえる話で、そういう話は聞いたことがある。
︿冒険者﹀は、実はもう1つ︿冒険者﹀以外の何かをやっていて、
もとの住処ではそちらをやっている。
与太話だと思っていたが、あながち間違いでもないらしい。
ルーシーは頷き、話を続ける。
﹁⋮はい。なんていうか、ここだけが息抜きだったんです。
だから、︿大災害﹀が起きたとき、凄く怖かったけど、少し、嬉
しかったんです。
ああ、もう女将にならなくていい。好きに生きれるんだって⋮
でも、こっちでホテルやマリーナさんの仕事をお手伝いしてたら、
本当にそれで良かったのかって考えてしまうようになって⋮﹂
言葉が小さくなっていく。
どうやら、コレが悩みのようだ。
﹁⋮う∼ん。とりあえず私が言えることは⋮あなた、宿屋が嫌いじ
144
ゃないわよね﹂
マリーナは情報を吟味し、ルーシーに聞く。
﹁え?ええ⋮﹂
困惑しながら、ルーシーは頷く。
嫌ならマリーナの宿を手伝うこともないし、
リバーサイドの仕事だってやりたいとは言わなかった。
﹁私は、宿屋の仕事って好きよ。
人の顔見て、もてなすこの仕事。きついなんてもんじゃないけど
ね。
子供の頃は、女将としてママから滅茶苦茶鍛えられたし。
遊ぶ暇も無いくらい、みっちりと。
けどね、それは女将になるのが決まってるから、ってわけじゃな
い﹂
少しだけ、思いをはせる。
もう、霞みかけている、昔のことを。
﹁違うんですか?﹂
ってね。
歴代のマリーナで最高なのは、いつだって﹃先代のマリーナ﹄
﹁リバーサイド家に伝わる家訓にはね、こんな言葉があるの。
だ
それは私も同感。未だにママを越えたなんて口が裂けても言えな
いし﹂
厳しい人だった。優しい人だった。
そして⋮誰よりも尊敬できる人だった。
その人の背中を見て育った幼いマリーナは、誰よりも彼女に憧れた。
﹁でも、それでマリーナさんは⋮いいんですか?
押し付けられて、苦しくないんですか?﹂
﹁いいも何も⋮最高じゃない﹂
断言する。
苦しくなかったとは言わない。けれど。
﹁最高?﹂
145
﹁ママはね、私を愛してくれた。
だからこそ自分が持ってる全てを私に叩き込んでくれたの﹂
もっと楽な道など、幾らでもあった。自分を育てるより、ずっと。
そして、口さがないアキバの大人から聞いて知っている。
13代目も迷いながら、その道を選んだこと。
﹁すべて⋮ですか?﹂
﹁そうよ。私が持ってる女将としての技は全部、ママから教わった
わ。
本当に感謝してる。忌み子の私を、立派なマリーナに育ててくれ
たもの﹂
生まれた頃から、マリーナは特別製の舌を持っていた。
それが、始まりだった。
﹁忌み子?﹂
﹁ああ、私ね、舌が特別製なのよ。ほら﹂
そう言うとマリーナはルーシーに対して舌を出して見せる。
密かなコンプレックス。この舌が無ければ、今の自分も無かったか
も知れない。
そう考えている、自慢の特別製の舌だ。
血色の良い、ピンクの舌。そこには⋮
﹁⋮え?⋮蜘蛛?﹂
中央には真っ青な丸い痣とそれを囲むように放射線上に走る、青い
線。
それがまるで蜘蛛のようにマリーナの舌を這っていて。
﹁もしかして⋮﹂
一瞬面喰らうが、この世界のことを思い出したルーシーが、それに
気づく。
とくちょう
他の種族と違い、パッと見では分からないが故に、忘れられがちな
設定
﹁14代目の私が初めてらしいのよね。ハーフアルヴのマリーナっ
146
て﹂
酷くあっさりと、マリーナは自らの種族を口にした。
﹁で、でもハーフアルヴって、たまにですけど、人間同士から普通
に生まれるって⋮﹂
﹁︿冒険者﹀だとそうでもないんだろうけど、︿大地人﹀だとね、
ハーフアルヴってあまり好かれないの﹂
忌み子。そんな呼び方が広まるくらいには。
﹁え、もしかして⋮差別とかですか?﹂
﹁そ。古い時代の、世界から光を奪った忌まわしき血族たるアルヴ
の先祖帰りとか、
魔に通ずる、善の種族に混ざりこんだ悪とか色々言われててね。
何かとんでもないことが起こる前兆なんてのも⋮あ、それは当た
りか﹂
苦笑する。今、こうしてルーシーと話しこんでいるのが、
とんでもないことの結果だったことを思い出して。
﹁ま、それはともかく、私がハーフアルヴだったから、
パパの家とか、おじいちゃんの家の人から言われてたらしいのよ
ね。
まだ若いんだから私にはマリーナの名前を与えないで次の子を作
れとか、
マリーナはどこか別から連れてきた方がいいとか、色々。
分からないではないわ、自分で言うのもなんだけど、
どうでもいい言い伝えは置いといてもハーフアルヴって生まれつ
き病弱で、
ちゃんと育たないことが多いのは事実だし。
けれど、ママとパパは全部押し切ったわ。
私にマリーナの名前をつけて、病弱だった私を本当に愛して鍛え
てくれた﹂
﹁愛⋮なんですか?押し付けることが﹂
どうやらルーシーは、厳しい女将修行が嫌になってしまったらしい。
147
それに気づき、どこか安堵する。
3年位前、あんなに苦労して女将の技を身に着けたのにアキバで婿
が見つからず、
マイハマからアルフレッドを婿に取ると聞いた時に、
自分も同じことを考えたことが少しだけあったから。
﹁そうよ。だってそうでしょう?ママの技術って、
自分が生涯賭けて築き上げてきた、いわば自分の塊よ?
それを惜しげもなく与えるなんて、愛してくれてなきゃ出来ない
わ。それに⋮﹂
女将になった今なら言える。
この自分こそ、先代、13代目マリーナが生きた何よりの証。
13代目の持っていたものは全部受け継いだ。
﹁それに?﹂
﹁私が継いだのは、ママの⋮マリーナの過去だけ。残りの今と未来
は私が作るわ﹂
後はそれを磨き、付け加える。
それが私の⋮14代目マリーナの使命だ。
﹁今と、未来⋮﹂
﹁そう。私は、マリーナの宿200年分を継いだ。
けれど、それをどう使うかは私が決める。
マリーナの宿は、永遠に未完成だから、そうしなきゃならないん
だって、
私は教わったわ﹂
﹁未完成⋮ですか?﹂
﹁そ。絶対に完成はしないの。完成したら⋮もう変われないから。
だからこそ、常に最高は先代のマリーナ。
今のマリーナは先代を越えるために精進して⋮
次代のマリーナの、大きな壁になる﹂
それは、アキバの街に娘1人連れて移り住み、
宿屋を始めた初代から連綿と受け継がれた、意思。
148
﹁壁⋮﹂
﹁そうよ。だから何かを為さなきゃならないのよ。
自分はこのマリーナの宿を、さらにいいものにしたって言える何
かを。
それを任されたの。初代から、2代目から⋮13代目の、ママか
ら﹂
より良くしようとする意思を忘れた宿屋など、マリーナの宿ではな
い。
そう思うからこそそれを彼女達は実践してきた、自分なりに悩み、
考えて。
200年以上前からその、ずっと未来まで。
﹁任された⋮﹂
﹁そうよ。具体的に、何をするかはまだ決めてない。
けれど、私が誰よりも愛し続けているマリーナの宿を、もっとよ
くしたい。
それだけは、確か。それさえあれば、何とかなるわ。
マリーナが作る、マリーナの宿は、永遠に未完成なんだから﹂
それは、︿大災害﹀が起ころうと何しようと変わらない。
その程度でどうにかなるほど、マリーナの宿はやわじゃない。
﹁ま、一応私からはこれくらいね。むしろ私が聞いてもらう立場に
なったわね﹂
思えば随分と語った気がして、少し恥ずかしい。
だが、コレで多分ルーシーには伝わるはずだ。
女将仲間の彼女ならば。
﹁⋮その、私にもできるでしょうか?﹂
どうやら思った通りらしい。
ルーシーは、悩みを吹っ切った顔をしていた。
﹁さあ?それは私じゃなくてルーシーが決めることでしょ?﹂
後は自力でなんとかするだろう。
それくらいの強さは持っている人だ。
149
そう判断し、マリーナはあえて突き放す。
﹁⋮ふふ、そうですね。考えて見たら、私も、結構好きなんですよ
ね。
人をもてなす宿屋の仕事も、うちの旅館も。
だから帰れたら⋮やってみようと思います。
私なりにつくっていくんです。未完成の⋮これから良くなってい
く旅館を﹂
どうやらマリーナの考えは間違ってなかったらしい。
ルーシーは、良い顔をしていた。
﹁⋮そ。まあ、頑張れば、いいんじゃない?﹂
もう、ルーシーは悩まないだろう。
きっと彼女自身の宿を作っていくはずだ。
﹁ふふっ、そうですね⋮これから先は私が作るか、そっか⋮﹂
かみ締めて、微笑むルーシーに、マリーナも嬉しくなり、
その言葉を口にする。
﹁そうよ。ま、とりあえずこれから先のことなんて分からないけど
⋮﹂
濃い、月の光の中、ルーシーの方を向き、言う。
﹁私の子供には、確実に言わせて見せるわ。
﹃歴代のマリーナの中で最高だったのは、私のママだった﹄って﹂
力強い、笑顔で。
150
第5話 女将のマリーナ︵14代目︶︵後書き︶
本日はこれまで。
ちなみにオキュペテーの連絡船設定は完全に捏造です。
151
第6話 生贄のヒメノ︵前書き︶
ご注意願います。
今回のお話には若干の俺TUEEE成分が含まれます。
テーマは﹁Lv90の冒険者が、本気を出すとどうなるの?﹂
2度目の登場となる彼らの冒険と、大地人の物語です。
152
第6話 生贄のヒメノ
0
バロン
魔界において、男爵の爵位を持つ魔族﹃氷雪の魔王﹄は、
奇妙な一団に追い詰められていた。
﹁イエー!俺の歌を聴けー!リーダー、ここは攻めの一手だぜ!
︿守護のセイクリッドソング﹀を︿剣速のエチュード﹀に変更だ
ぜ!﹂
腰から下げたレイピアを抜こうともせず、
強力な魔法の力を帯びたギターをかき鳴らしているのは、
髪を逆立てた、人間族の吟遊詩人。
戦場であるこの場には余りにも場違いに思えるそれは、
この奇妙な一団の力を普段以上に底上げしていた。
通常の吟遊詩人の歌の魔力を上回る力強さで。
︵馬鹿な⋮おされているだと!?貧弱なニンゲンどもに!?
この魔王たる我が⋮何故だ!?︶
頭の中では混乱しつつも、攻撃の手は緩めない。
轟音を上げ、2mを越える氷雪の魔王の剣が近くに陣取った格闘家
に命中する。
﹁っく!﹂
痛みを噛み殺し、格闘家が顔をゆがめながら数歩下がる。
その一撃は、確かに効いている。
もちろん相手とて強力な魔法の武具に身を固めているし、
その装備に相応しい実力の持ち主だ。
いかに魔族といえど兵卒程度ならば容易く屠る。
153
実際に共に連れていた従者どもはこの格闘家の手で早々にこの戦場
から姿を消した。
だが、それでも種族と爵位の差と言う絶望的な壁は存在する。
氷雪の魔王の攻撃を2,3撃も受ければこの格闘家とて絶命するの
は間違いない。
だが、既にこの格闘家は5度は死んでいてもおかしくない量の攻撃
を耐えていた。
﹁セガールさん!大丈夫ですか!?︿秘伝・脈動回復﹀!﹂
後ろから強力な回復の魔術を飛ばす、ドワーフの森呪遣いの援護に
よって。
﹁HEY!左がお留守だぜ!?デーモン・ロード!⋮︿ラニアス・
キャプチャー﹀!﹂
それを防ごうと魔封じの術を使おうとした瞬間、
隣に陣取った武士から鋭い突きが飛んでくる。
それは絶妙のタイミングで氷雪の魔王の鎧の隙間を縫ってのど元を
貫き、
魔術を失敗させた。
﹁このまま一旦タゲを取るぜリーダー!︿ターニング・スワロー﹀
!﹂
続けて二本の刀からそれぞれ放たれる、強烈な二連撃⋮計四連撃。
その攻撃は氷雪の魔王の鎧すら切り裂き、深い傷を残す!
﹁ありがとう、ミフネ!︿毒蛇の構え﹀⋮︿錬気突撃﹀!︿浸透双
掌﹀!﹂
武士の苛烈な攻撃により武士の方に気がそれたその瞬間、
魔力を帯びた強烈な体当たりからの両の掌の鎧を貫く一撃を受けて
氷雪の魔王がよろめく。
格闘家が氷雪の魔王の一瞬の隙を突いて、流れるように大技を繰り
出したのだ。
ご丁寧にも、相手の隙を付いた場合に効果を跳ね上げると言う
154
特殊な構えをとった上で。
﹁チャンス!︿インパクト・ショット﹀!﹂
追い討ちをかけるように後方に立つ全身鎧に身を包んだ女から、
狙い済ました巨大な機械弓の一撃が飛んでくる。
暴力的な加速と破魔の力を帯びた貴重なミスリルの矢が
よろめいて無防備になった氷雪の魔王の眉間を正確に叩く。
激しい音を立てて身に着けていた兜が吹っ飛び、
氷雪の魔王はこの世界において始めて、その素顔を晒した。
﹁ほほう、ここまでくれば後3割といったところだな!
畳み掛けるぞ⋮︿ソーンバインド・ホステージ﹀!﹂
同じく後方に陣取る、漆黒のマントを帯びたエルフの付与術士から
呪いの茨が伸びる。
﹁さあ、存分に攻撃したまえ!3人とも!﹂
﹁はい!︿獅子の構え﹀⋮︿両腕連撃﹀!﹂
﹁ボクはアタックスキル切れたから通常二連撃ね!﹂
﹁もう一発行くよ!︿インパクト・ショット﹀!﹂
戦士3人の攻撃が呪いの茨を次々と弾けさせる。
計5回。通常以上の大ダメージ。
とうとう氷雪の魔王は攻撃の勢いに負けて転倒した。
︵おのれ⋮!︶
顔に土をつけさせられた怒りと共に、温存していた本気の一撃を放
つ!
氷雪の魔王の持つ魔剣の魔力を開放し、辺りに猛吹雪を巻き起こす!
︵このまま凍りついて、死ね!︶
数十秒に及ぶその吹雪は、あらゆる物を凍らせる、必殺の一撃だ。
氷の魔王たる自分には一切効果が無いが、
脆弱なるこの世界のものどもには到底耐えられまい。
氷雪の魔王は勝利を確信した。
155
﹁うわ!?⋮一旦集合!悪いけどエアロはそのままダメージを受け
て!
ベル!継続ダメージは僕が抑えるから回復詠唱お願い!
︿竜鱗の構え﹀⋮︿仁王立ち﹀!﹂
﹁はい!みなさん、大丈夫ですか!?奥の手の︿癒しの神域﹀を使
います!﹂
﹁うおおお!?やべえー!?一気に削れるぜこれ!?
あ、あったまるには︿焚火のポルカ﹀だ!
やばっ⋮回復無かったら即死だった!サンキュー、ベル!﹂
﹁OOPS!?大技を使ってきやがった!返すぜ!︿リベンジ・ブ
レイド﹀!﹂
﹁さ、寒!?︿鎧の抱擁﹀!クリストファー!
こっちに避難!あんた回復きかないんだから!﹂
﹁う、うむ!リプリー、︿アイス・プロテクション﹀を追加詠唱す
る!
私の分まで耐えてくれ!﹂
﹁あんがと!任せといて!⋮くぅぅぅぅぅ!耐え切ったあああー!﹂
﹁残ったダメージを回復します!︿癒しの聖域﹀!
それとリプリーさんに︿秘伝・脈動回復﹀!﹂
だが、その一撃を、その一団はただの1人の死人も出さずに凌ぎき
った。
それどころか武士の放った︿返しの太刀﹀が更に氷雪の魔王を切り
刻む!
迸る痛みに耐えながら立ち上がり、体勢を整える、氷雪の魔王。
︵ば、馬鹿な⋮耐え切った⋮だと?︶
氷雪の魔王に走る動揺、それはすぐに驚愕へと変わった。
格闘家の一言によって。
﹁みんな、散開して!吹雪の効果範囲は任意空間発生型、範囲円形
10mだと思う!
156
離れておけば全員には行かない!クリストファー!﹂
﹁任せておきたまえ。ベルに︿アイス・プロテクション﹀を施すと
しよう!﹂
﹁はい!助かります!﹂
︵な、なに!?︶
相手が体勢は整っていく。氷雪の魔王の予想を越える範囲で。
吹雪による全員の傷は、既に森呪遣いの魔術で癒されている。
しかもたった一撃で相手は吹雪の特性を見破ったらしく、散開した
陣形を取る。
これでは例え再び吹雪を使ったとしても散発的な攻撃効果しか得ら
れず、
強力な癒しの術を使う森呪遣いに容易く癒されてしまう。
﹁みんな!﹂
﹁OK!丁度ボクのスキルも大体は戻ったところだ!決めるぜリー
ダー!﹂
﹁了解!とっとと仕留めて、あの娘を安心させてあげなきゃね!﹂
﹁よし!行っちまえ!リーダー!イエー!
とどめの3分間限定必殺︿星雲のガンパレードマーチ﹀いくぜえ
!﹂
﹁セガールさん、回復は任せてください!﹂
﹁︿アイス・プロテクション﹀!これで吹雪が来ても
後衛の一発即死は無い!このまま攻撃を続けたまえ!
私も参加する!⋮︿ソーンバインド・ホステージ﹀!﹂
﹁よし!このまま一気に仕留めよう!みんな!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁了解!﹂﹂﹂﹂﹂
あらゆる能力を高める最高難易度の吟遊詩人の歌を受けながら、
格闘家の号令と共に再び氷雪の魔王の前に立ちはだかり、
全力で攻撃を開始する格闘家と武士、
そして付与術士を守りながらも同じく攻撃する、守護戦士。
少し離れたところでは、吹雪に対しての防御魔術を施された森呪遣
157
いが、
怪我をした仲間を回復するタイミングをじっと待っている。
︵おのれ⋮おのれぃ⋮︶
再び付与術士の放った呪いの茨の爆発に包まれながら、
絶望と供に、氷雪の魔王は理解してしまった。
300年もの間、麓の村を恐怖に染め続けた自分が、
この貧弱なはずの冒険者どもに討ち取られるのは、
もはや時間の問題だと言う事を。
﹃第6話 生贄のヒメノ﹄
1
儀式は、目前まで迫っていた。
﹁すまぬ。すまぬ⋮﹂
父は泣いてばかりだ。
口惜しいのだろう。
母の忘れ形見であるヒメノを、生贄の一族の女最後の1人として、
氷雪の魔王に差し出さねばならぬことが。
﹁気になさらないでくださいまし。お父様。
これも⋮わたくしの定めでございますので﹂
そんな父に何度目かの慰めの言葉をかける。
流れるような黒髪、澄んだというよりは何も写していない、ガラス
のような朱の瞳。
頬に3本はしるは流麗な炎のような紅の紋章。
巫女の装束に身を包んだヒメノは、美しい少女だった。
﹁泣かないでくださいまし。わたくしの身で、街が救える。
これは、よきことなのですから﹂
自らの無力に声を殺し泣く父を見ている方が辛かった。
158
ヒメノ自身は、とうに心を凍らせ覚悟を決めていた。
まだ5つだった頃、覚悟を定めた母が山の迷宮へと消えて行った日。
姉と2人で、憔悴しきった父を見た日から。
300年前、冒険者が世に現れる前の暗黒の時代。
イースタルでも珍しい法儀族の街であるザオの街は、とある魔族の
襲撃を受けた。
氷雪の魔王と呼ばれるその魔族は、嵐のように吹雪を起こし、
氷に命を吹き込んで邪悪な生き人形として戦わせることで
当時、法儀族でも腕利きの戦士が集っていたザオの街をたやすく蹂
躙した。
街の半分を凍りつかせ、住人の8割を虐殺した後、魔王は言った。
村の巫女の腹より産まれし女を我に捧げよ。15年に一度。
さもなくば、村を滅ぼすと。
余りにも理不尽な話しだが、従うしかなかった。
それほどまでに、魔王は強大だった。
村で巫女を勤めてきた一族はいつしか﹃生贄の一族﹄と呼ばれ、
街の長となり、恐れながら奉られてきた。
よりどころを求めた法儀族が集まってザオはいつしか街となり、
街の住人も増えたが、その忌まわしき風習は300年たった今も続
いていた。
だが、それも、じき終わる。
姉が病に蝕まれ、命を落としたのは、半年前。
姉には、女の子はまだいなかった。
今や、この世に残った生贄の一族の巫女は、
159
結婚もしていないヒメノただ1人。
あの魔の王は、決して約束をたがえることは無い。
今を越えても、あと15年すれば、この街は滅ぼされる。
例え領主の軍といえども、あの恐ろしい氷雪の魔王には勝てまい。
それどころか、魔王の傀儡たる、氷の魔人形すら倒せない。
一方的に蹂躙されるだけだ。
だが、今ヒメノを生贄に捧げれば、あと15年は持つ。
その間に逃げ出すことが出来る。
街の民は、決めた。ヒメノを捧げると。
そして儀式の日は、訪れる。
︱︱︱ヒメノの運命が、大きく変わる日が。
2
儀式の日。街を生きながらえさせるための、大切な日。
それは、街へとやってきた。
怪しい冷気を纏った、少女の一団。
扇情的な純白の衣装を纏った美しい少女。
だが、彼女らには一切の表情が無い。
魔王の産んだ魔人形に、その様な無駄な機能は付いていない。
︿氷柱舞姫﹀︵アイシクル・プリマ︶と呼ばれる魔の従者。
たった1体でもこの街の警備団を皆殺しに出来るであろう力を秘め
た、
この街の恐怖の使者だった。
﹁オムカエニアガリマシタ。巫女サマ﹂
全部で5体ほどの舞姫が、街の広場でギクシャクと礼をする。
街の住人は、それを息を殺し、じっと見ていた。
﹁⋮はい。参りましょう。舞姫様﹂
文字通りの意味で氷のように冷たい手を取る。
160
そうだ。これでいい。コレで街は、あと15年命をつむげる。
どこか安堵すら覚えて、ヒメノが歩き出した、そのときだった。
カツンッ!
どこか乾いた音を立てて氷の舞姫の頭に、小さな石が当たった。
﹁ヒメノ姉ちゃんを、いじめるな!﹂
石を投げたのは、まだ小さな子供。
そう⋮姉の忘れ形見の男の子だ。
心が動くより先に、身体が動いた。
﹁お許しくださいまし!舞姫様!あの子はまだ何も分かっておらぬ
のです!﹂
舞姫に縋る。
ヒメノは言い伝えを知っていた。60年前の惨劇と同じ状況だと。
この魔人形は。
﹁⋮テキタイヲカクニン。抹殺、シマス﹂
どんな些細な敵対者であっても、決して見逃さない。
ヒメノの前に残像すら残し、舞姫が舞う。その足で、敵対者を砕く
ために。
かつて、カタパルトから放たれた大岩であっても容易く蹴り砕いた
と言う足。
60年前と同じならば、ごく普通の少年が受ければ骨すら残らない。
ヒメノはその光景を見たくなくて、思わず目を逸らした。
︵ああ、神様⋮だれか!お助けください!︶
とうの昔に縋るのをやめたはずの神に縋る。
無駄だと分かっていても止められなかった。
⋮その、はずだった。
161
ガガガッ!
少年を襲うはずだった舞姫が無様に転んだ。首から上を完全に消失
して。
街のみな、残った舞姫たちでさえもが、なにが起こったのか分から
なかった。
場違いな静寂が生まれる。そしてそれを切り裂く、声。
クェェェェェ!
遥か遠くから、ごく近くまで伸びる鳴き声が響く。
それは、一頭の鷲獅子だった。
鷲獅子が一頭、舞姫の頭上5mを越えていく。
﹁︿飛燕の構え﹀⋮︿飛竜脚﹀!﹂
その次の瞬間、正確無比な蹴りが、1体の氷の舞姫を襲った。
舞姫が2、3度跳ねながら、街の建物の壁に叩きつけられる。
﹁﹁﹁﹁エマージェンシー。テキタイソンザイヲ、抹殺、シマス!﹂
﹂﹂﹂
蹴りを受けた舞姫が立ち上がった瞬間、ぐるんと舞姫の顔が一斉に
それを向く。
それは、小柄な少女⋮法衣を纏ったドワーフの少女を抱きかかえた、
1人の黒髪の青年だった。
﹁⋮ベル。ごめんね。抱きかかえて飛んだりして。大丈夫だった?﹂
﹁は、はい!大丈夫です。むしろ嬉しいです!⋮って、あ!は、離
れてますね!﹂
舞姫たちを意に返さず、困ったような顔で少女に謝りつつ地面へと
降ろす、青年。
その青年にドワーフの少女は頬を赤らめながら、慌てて距離をとる。
162
その次の瞬間、舞姫の足が計4本、一斉に青年を襲う。だが!
﹁⋮っつう!やっぱり90レベルの攻撃4発同時は少しきついなあ﹂
反応はたったそれだけ。
真っ向から岩をも砕く蹴りを受けてよろめきながらも、
青年は倒れる気配を見せなかった。
﹁だ、大丈夫ですか!?︿秘伝・脈動回復﹀!﹂
慌ててドワーフの少女が、癒しの術を使う。
常識外れな超高位の魔術が、青年を包み、蹴られた傷を癒す。
﹁HEY!1人だけ格好付けはずるいぜリーダー!必殺⋮︿ターニ
ング・スワロー﹀!﹂
まだ状況が掴めず固まる住人の間を、疾風が駆け抜ける。
その疾風は無傷の舞姫を吹き抜けて⋮舞姫をバラバラに切り砕いた。
﹁おいおい!?少しだけ待ってくれって言おうとしてたのに⋮︿熱
狂のマーチ﹀!﹂
﹁⋮やれやれ、ミフネ。あと3秒待つ余裕も無かったのかね?︿キ
ーン・エッジ﹀﹂
鷲獅子から飛び、広場に降り立ったのは2人。
髪の毛を逆立てた人間族の青年が浪々と戦歌を歌い上げ、
漆黒のマントを纏ったエルフの青年が、黒髪の青年と疾風⋮
二刀を構えた人間族の武士に魔力の加護を与える。
﹁2人とも!私は上空から援護するわ!︿インパクト・ショット﹀
!﹂
上空では、鷲獅子に人間族の女性を乗せた全身鎧の女騎士が
巨大なクロスボウを構え、正確無比な射撃で先ほど青年が蹴り上げ
た舞姫を貫く。
再び舞姫の首から上が消失し、動きを止めた。
﹁リーダー、一気に決めるぜ!︿ファースト・ブレイド﹀!﹂
﹁ああ、とにかく今はさっさと終わらせよう!︿獅子の構え﹀⋮コ
ンボ︿七星連撃﹀!﹂
魔力を帯びた渾身の刀から放たれた、全力の一撃と、
163
目にも留まらぬ速さで放たれた、流れるような七撃。
それはあっという間に氷の舞姫を砕きちらした。
﹁⋮よし、戦闘終了!みなさん、大丈夫ですか?﹂
警戒を解き、街の住人に話しかける、困ったような笑みを浮かべた、
黒髪の青年。
それにヒメノを含めた全員が反応できずにいると、
広場の中央に、最後の鷲獅子が降り立つ。
﹁はいは∼い。アタシらは怪しいもんじゃございませんよ∼﹂
パンパンと手を鳴らしながら、リュートを肩から担いだ女性が街の
民たちに、言う。
﹁この人たちは⋮通りすがりの冒険者っすよ。
いやまあ、アタシはただのしがない大地人の吟遊詩人っすけど﹂
そう、女性が言った瞬間。
辺りは、蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
﹁ぼ、冒険者ですと!?﹂
町長でもあるヒメノの父が、驚きの声を上げた。
﹁そうっすよ。しかもそんじょそこらの冒険者じゃあない。
このイースタルに名を轟かせる英雄セガールに率いられた、
天下無双のハリウッド組っす!﹂
﹁リュミネ、それやめてってば!?恥ずかしいから⋮﹂
何故か堂々と言い放つのは、自らを大地人だと言う吟遊詩人。
それに反応するのは、一行の首領らしき、気の弱そうな⋮
彼女の言葉を信じるならば冒険者であるという黒髪の青年。
﹁⋮おいあれが⋮?﹂
﹁何かの間違いじゃないのか⋮?﹂
﹁だが、あの氷の舞姫を倒したんだぞ?あんな簡単に。しかも5体
も﹂
﹁じゃあ本当に⋮?﹂
さざなみのように、ざわめきが広がる。
みなが反応できなかった。
164
幾多の伝説を築き上げ、このヤマトを、ひいては世界を守り続ける、
異能の戦士。
このザオの街ではかすかに噂を聞く程度の遠い存在が現れたという
事実に。
︵ああ、これは一体⋮︶
普段、凍りついたように静かなヒメノの心にも、ざわめきが生まれ
る。
それが、彼らとヒメノが、初めて﹃英雄﹄たる冒険者と出会った瞬
間だった。
3
冒険者の首領であるセガールと、交渉役︵自称︶のリュミネは、
街の長の屋敷でも一番大きな応接間に通されていた。
道すがら、この街の事情を大まかに聞かされた他の冒険者たちは、
一応ヒメノを警護すると言って、別室に控えている。
﹁先ほどは本当にありがとうございました。
私は、このザオの街の長をしております、タツマと申します﹂
ザオの街の長、タツマは改めて礼を言った。
危うく失うところだった娘の忘れ形見を助けてもらったこと。
最後に残った愛娘を辛うじて差し出さずに済んだことを。
﹁一体なんとお礼を申し上げればよいのか⋮﹂
まさか、言葉だけで済ますわけにも行くまい。
タツマはセガールを見て、尋ねる。
それにセガールは頷いて、返した。
﹁お礼ですか⋮そうですね。まず、今晩は僕たちを街に泊めてくだ
さい。
万が一また、あいつらが来たら、僕たちで無いと対処できないと
思いますから﹂
﹁わ、分かりました。むしろこちらからお頼みます。是非、街でお
165
くつろぎください。
それで、他にはなにを⋮﹂
最初の冒険者の要求にとりあえずこの街で一番豪華な部屋、
すなわち自らの屋敷を提供することを心に決めた後、おずおずと、
タツマが切り出す。
この伝説の戦士に、家族の窮地を救ってもらった礼は、何を払えば
いいのか。
見当がつかなかった。
だが、セガールの言った言葉は、さらに予想外のものだった。
﹁とりあえずは、泊めていただけるだけで充分です。残りは明日、
成功報酬で貰います﹂
﹁成功報酬、ですか⋮?﹂
その言葉に、タツマは首を傾げる。
あの恐ろしい舞姫から孫を救った。
それ以上の成功があるのだろうか、と。
だが、セガールの口に昇ったのは、とんでもない言葉だった。
﹁はい。氷雪の魔王を倒した場合の報酬です﹂
さらりとなんでもないことのように。
セガールは偉業の成就を宣言したのだ。
﹁ま、魔王を打ち倒すですと!?﹂
タツマの顔が驚愕に彩られる。
︵おおっと!?いきなりとんでもないこと言い出したっすよこの人
!?︶
セガールたちに付きまとい始めて4ヶ月。
彼らの突拍子も無い言動にも少しは慣れたつもりだったリュミネも、
魔王を討伐するとなんでもないことのように言うセガールには、驚
きを禁じえない。
﹁はい。先ほど伺ったお話からして、その魔王を倒せばこの街は救
われるんですよね?
それとも、倒しちゃ何かまずいことでも?﹂
166
﹁い、いえいえ!?倒して頂けるならそれに越したことはありませ
んが⋮﹂
タツマの反応に、セガールは思わず聞き返す。
それをタツマは慌てて否定した。
﹁でしたら、まずは僕達で氷雪の魔王に挑もうと思います。
ダメだったら⋮他の冒険者の力を借りることになるかもしれませ
ん﹂
﹁ほ、他の冒険者⋮?﹂
﹁はい。︿D.D.D.﹀は協力してくれるでしょうし、
︿黒剣騎士団﹀と︿シルバーソード﹀ならば、
ザオの情報を流すだけで動くと思います。多分ですが﹂
﹁3つともアキバでも屈指の大騎士団じゃねえっすか!?﹂
セガールが口にした名前に、思わずリュミネが声を上げた。
︿D.D.D.﹀,︿黒剣騎士団﹀,︿シルバーソード﹀。
3つが3つともアキバに知らぬもののない大騎士団であった。
こう言ってはなんだが、リュミネの目から見れば、
ザオの街はお世辞にも豊かな街とは言いがたい。
むしろ冬になれば雪に閉ざされる、どちらかといえば貧しい街であ
る。
だが、セガールはそんな、こう言ってはなんだがしけた街を救うた
めに、
アキバでも屈指の騎士団が動くという。
セガールの主君筋に当たる︿D.D.D.﹀はまだ分からないでも
ないが、
他の2つが動く理由は、リュミネにも分からなかった。
﹁なんと⋮﹂
それはタツマも同じだったのだろう。
167
絶句してしまう。
﹁それで、成功報酬なのですが⋮﹂
気を取り直して、セガールが改めて言う。
︵きたっすね!なに要求するんすかね?
お金⋮は家門どころか1人1人が下手な貴族よか財産持ってるし、
長の地位⋮もこの人が欲しがるとは思えねえっす。
武具⋮も、この人らが使ってる装備が既に伝説の塊だし、
いっそヒメノさん⋮はありえないっすね。セガールさん、超奥手
っすから︶
魔王討伐。そんなとんでもない偉業に要求される報酬。
この、ザオの街が支払える範囲をどう考えても越えている気がする。
純粋に好奇心でもって、リュミネは耳をそばだてる。
﹁⋮はい﹂
タツマも、決意を込めてセガールを見る。
魔王を打ち倒し、街そのものを救うというとてつもない依頼だ。
どんな要求をされても答える必要があるだろう。
そう、考えながら。
そして2人が注目する中、セガールはその報酬を口にする。
﹁⋮魔王たちの持つアイテムは、僕らが全て貰います。いいですか
?﹂
﹁﹁⋮は?﹂﹂
はもった。
理解が、及ばなかったのだ。
﹁⋮あの、もしかして街の貴重な宝が取られたとかですか?
でしたらそれだけはお返しすると言うことにしても⋮﹂
思わず固まった2人に、申し訳なさそうに提案するセガール。
﹁⋮すみません。おっしゃる意味がよく分からないのですが﹂
わけがわからない。
右手で頭痛がしてきた頭をおさえながら、タツマは説明を求める。
168
﹁ですから、途中で出てくる舞姫や魔王を倒した時のアイテム⋮
財宝は、僕らが全部貰ってもいいですか?と⋮﹂
﹁いや、セガールさん。それを聞くのが既におかしいっすから﹂
思わず突っ込みを入れる、リュミネ。
﹁え?﹂﹁え?﹂
それに心底不思議そうな顔をするセガールと、本気でお見合いにな
る。
辺りに沈黙が、舞い降りた。
﹁⋮と、とにかく、それのどこが報酬かはさっぱりわからねーっす
けど
了承、オッケーっす!魔王をぶっ倒したら、
魔王の持ってるものは全部持ってってください!
タツマさんもそれでいいですね!?﹂
何とかして場をまとめねば。
そう考えた瞬間。
リュミネは強引に場を動かす、風となった。
﹁は、はい!よろしくお願いいたします﹂
リュミネに話しを振られ、半ば条件反射でタツマは床に手を着き頭
を下げる。
どう聞いてもタダで引き受けると言ってるようにしか聞こえないの
だが、
それでやっぱりやめますなんて言われたら冗談抜きで街が滅びかね
ない。
﹁うわ!?だ、大丈夫ですから頭を上げてくださいタツマさん!
⋮う∼ん。とはいえ言うだけ言ってみただけなんだけど、
本当に情報料タダで全部貰っていいのかなあ⋮
今回のクエストって多分ドロップだけで凄いことになるんだけど
⋮﹂
その様子に、タツマをなだめた後、なにやら納得いかなそうに呟く
セガール。
169
それに対しリュミネは。
︵⋮そして英雄セガールは言った。
﹁報酬は莫大な財宝。ただし討ち取るまでの間は一晩の宿のみで
結構。
そして残りは⋮我らが直々に魔王より奪うとしよう﹂と︶
半ば現実逃避をかねて、頭の中で、新たな歌を密かに作っていた。
︵⋮一体どこの勇者様っすか?いやまあ実際に冒険者なんすけど︶
作ってみて、ため息をつく。
吟遊詩人の歌ではむしろ必須といえる嘘、誇張なしでこれである。
この普段は気弱な青年が放ったにしては、余りに勇者すぎる台詞だ
った。
事実はときに物語より奇なり。
そんな師匠の言葉が、リュミネの頭をよぎった。
かくて、彼らハリウッド組は動き出す。魔王の討伐に向けて。
4
﹁魔王を倒すなんて、勝手に決めてきちゃってごめん!
一応、ドロップは全部貰っていいって約束してもらったけど、
みんなの意見も聞かずに決めて、本当にごめん!﹂
父との話しを終え、戻ってきた青年が言った言葉に、冒険者は口々
に言った。
﹁気にしないでください!この街の人たちが困っているなら、
助けるのは当然じゃないですか!﹂
最初に諸手をあげて賛成したのは、強力な魔法の力を秘めた
法衣を纏い、世界樹の枝から切り出したという魔力を秘めた杖をも
った
170
ドワーフの少女、ベルだった。
一見すると成人も迎えていない幼さを持ったベルだが、
彼女もまた冒険者。既に回復の技を秘伝まで極めた、最高位の森呪
遣いである。
﹁うむ。クエストのドロップ権すべてならば、条件としてはまあ悪
くない。
お人よしのリーダーとしては、上出来だ﹂
どう考えても悪条件にしか見えぬ内容に納得して頷いているのは、
夜会服型のローブの上から漆黒のマントを羽織った金髪のエルフの
青年、
クリストファー。
エルフであると同時に吸血鬼であるというクリストファーは付与術
士を極めている。
なんでも荒事では自ら手を汚さぬのが、高貴なる吸血鬼の美学なの
だという。
﹁だな。どの道話聞いた時点で報酬とか抜きで俺らが魔王狙うのは
確定だったし。
気にしなくていいぜ、リーダー﹂
﹁イエス。ボクらはイースタルのヒーロー、ハリウッド組だ。
ヒーローなら当然のことをしたまで、でいいだろう?﹂
人間族の2人、金髪の毛を逆立て、ベヒーモスの革で作ったという
鋲の打たれたジャケットを纏い、
ユーレッド大陸の西端に生えるという世界樹の幹から自らの手で削
りだした
ギターを持った吟遊詩人マスター、エアロ=スミスと
黒髪を後ろでまとめ、漆黒の武者鎧とアキバ一の刀鍛冶に打っても
らった
揃いの大業物を2本腰にさした武士マスター、ミフネ。
この2人も反対する気は無いらしい。
﹁う∼ん。ちゃんと交渉したら少しくらいは追加報酬貰えたような
171
気もするけど⋮
まあ、いっか﹂
最後に残ったひたすらに威力を高めた、ミスリルの矢を放つ機械弓
を駆り、
昔、別の魔王から奪い取ったという素晴らしい甲冑をまとう女性騎
士、
リプリーだけは少しだけ考えてみる様子を見せたが、結局はあっさ
りそれを承諾した。
﹁⋮いや、本当に魔王倒せるなら金でも地位でもヒメノさんでも、
大概のもんは喜んで差し出して貰えたと思うっすよ?﹂
赤い髪を邪魔にならぬよう三つ編みにして、
まとう装備も上等だがそこそこの街でなら買える程度のもの、
そしてリュートだけはエアロ=スミス作の、
決して切れぬミスリルの弦を使った逸品。
大地人の吟遊詩人、リュミネだけはそれなりに常識的な見解を見せ
たが、
正式にハリウッド組というわけではない彼女に、チームの決定権は
なかった。
まず、彼らが求めたのは、情報だった。
﹁よし⋮ちょっと連絡とって見るわ﹂
そういうと、リプリーが耳元に手を当てる。そして、一気に雰囲気
が変わった。
貼り付けたような笑顔。半オクターブ上がった声。
それはまさに⋮おばちゃんだった。
﹁もしもし∼。こんにちは。そちらは高山先生でしょうか?
私ですわ。去年までお世話になっておりました新山敏の母でござ
います。
ってあらやだ。念話に高山先生以外がお出になるはずもないです
わよねえ。
172
敏もね、﹁今の学校の先生より高山先生の方が良かった﹂
なんて言っておりましてね。
⋮あらやだ、私ったら。はいはい。ありましたよ。
実はですね、私ども、今ザオの街にいるんですのよ。
ええ、ここなら温泉に入ったりもできちゃうかな、なんて。
おっと。いけないいけない。
それでですね。こちらで珍しいモンスターに出会いまして⋮ええ。
︿氷柱舞姫﹀と言う、人間型モンスターですわ。レベルが90。
⋮そうなんですのよ。私も始めて見たモンスターですわ。
それで、高山先生は何かご存知でしょうか?
⋮ええ、なるほど。やはり今まではいなかった新種と考えるべき
ですわね。
そうなると、情報なし、と。ええ、大丈夫でございますよ。
ええ、それは助かります。ええ、それでは﹂
深々と頭を下げ、真顔に戻る。
﹁やっぱり、︿D.D.D.﹀でも情報を掴んでない、完全な新種
みたい。
とりあえず街の護衛には、丁度近くにいた召喚術師がいる︿D.
D.D.﹀の
別部隊を明日の朝派遣してくれるって言ってたけど⋮﹂
先ほど聞いた話を全員に伝える。
﹁やっぱり、ですか﹂
その答えにセガールも頷く。
セガールは冒険者歴5年。総冒険時間は実に30,000時間を越
える。
その自分ですら聞いたことの無いモンスターであれば、
まず新種だろうと当たりをつけていた。
そして、冒険者たちの作戦会議が始まる。
173
﹁あの、今回のって大災害以降初めて発生した事件、ってことにな
るんですよね?﹂
﹁そうなるわね。だから事前情報なし。私らが、アドリブで対処す
るしかない﹂
﹁やっぱ強えんだよな?その魔王って﹂
﹁イエス。舞姫のレベルから考えて、デーモンロードの強さは
最低でもLv90以上は確定だろう﹂
﹁とはいえ、対策は分かりやすいのよね。真冬のザオで発生するク
エストで、
氷雪の魔王なんて呼ばれてる相手が、炎吐いて来たら完全に詐欺
だし﹂
﹁逆に言うと、対策前提の強さだろうがな﹂
﹁とはいえやっぱり具体的なところまでは⋮
あ、僕が最初は1人で魔王と戦って死におぼ﹂
﹁﹁﹁﹁﹁却下!﹂﹂﹂﹂﹂
﹁もっと命を大切にしなさい。復活はリスクもあるって聞いてるで
しょ!?﹂
﹁そうだぞ。高貴なるものは命には特に注意するものだ。
惜しんで何もしないでは困るがな﹂
﹁そうですよ!私は、セガールさんが死んじゃうなんて嫌ですから
ね!﹂
﹁大体ソロでボスに挑んだらパターン変わる前に死ぬっしょ?じゃ
あ意味無いじゃん﹂
﹁セガールは1人で抱え込み過ぎだぜ。ボクらは花のハリウッド組。
ワンフォーオール、オールフォーワンって奴だ﹂
﹁⋮はい。すみませんでした﹂
セガールが謝ったところで方針決定。すなわち。
﹁じゃあ、明日の朝。後頼める人が来たら。
リュミネ以外の全員で出撃。みんなそれでいい?﹂
174
﹁﹁﹁﹁﹁賛成﹂﹂﹂﹂﹂
単身特攻。電光石火の突撃による撃破であった。
﹁いや、あんたらもっと葛藤とかないんすか?﹂
えらいあっさり決まった決死隊へのリュミネの突っ込みは、無視さ
れた。
5
一方その頃。
ヒメノは父に呼ばれ、仕事を申し付かっていた。
﹁冒険者様方が翌日までこの屋敷に滞在することとなった。
ヒメノ、お前が冒険者様方のお世話をなさい﹂
﹁⋮はい。分かりました。お父様。
誠心誠意、お相手をお勤めいたします﹂
床に手を着き、深々と頭を下げる。
﹁うむ。頼んだぞ。お前の命、ひいてはこの街の命運が、かかって
いる﹂
下手に機嫌を損ねては、大変なことになる。
失敗は許されない仕事だった。
﹁存じております。お任せくださいませ﹂
それにヒメノも決意を込め、頷き返す。
心が凍り付いているが故に、ヒメノにも理解できる。
この仕事が、いかに重要か。
そして、ヒメノは立ち上がり、冒険者たちのもとへと向かう。
話しに寄れば、冒険者たちはザオの街で用意できる限りの最高の料理
︵もちろん味がついたものだ︶を食べ終えて、各々くつろいでいる
という。
最初は⋮
175
﹁リュミネ殿よりお話しを伺いましょう。
冒険者様方の、お好きなものを﹂
そういうことになった。
そして10分後、ヒメノは屋敷の離れへと向かっていた。
今晩はそこにリュミネ殿を泊めるてはずになっていると、
侍従頭がいっていた。
そしてヒメノがそこへと向かうと。
﹁テンポがずれてる!音が半音外れた!弦がちゃんと弾けていない!
高音部の声がかすれてる!歌にはもっと心を込めて!
あと一々イエーってつけるな!やる気あるんすか!?﹂
﹁くっそ!むずいよこれ!つーかそんな簡単にできるかっての!?﹂
﹁泣き言言ってる暇があったら指の皮が破れるまで弦を弾くんす!
のどが嗄れるまで謡うんすよ!
でなきゃこの仕事が勤まるわけないっす!﹂
リュミネが、厳しくエアロを鍛えこんでいた。
﹁あ、あの⋮なにを?﹂
状況がよく分からず、ヒメノはリュミネに尋ねる。
﹁なにって⋮見ての通り、稽古っす﹂
それに一瞬でいつもの顔を取り戻し、リュミネはさらりと言う。
﹁リュミネ殿が、エアロ様を⋮でございますか?﹂
見比べる。確かエアロはリュミネより遥かなる高みにいる吟遊詩人
のはずだ。
だが、それにリュミネは大きく頷いて見せた。
﹁その通りっす。このままじゃダメなんすよ。
冒険者の吟遊詩人って、基本的にへっぽこっすから﹂
﹁へっぽこじゃねえよ!俺は秘伝だって3つは持ってるぞ!﹂
リュミネの断言に、エアロは抗議の声を上げた。
﹁んなこたぁひとっつも自慢になんねーっす!﹂
176
それに対して、リュミネは一喝。
下手な言い訳をしたエアロを据わりきった目で一刀両断する。
スキル
そして、怒りと共に言い聞かせる。
﹁⋮いいっすか?武器の扱いだの戦歌だのは、
吟遊詩人にとっては歌を求めて旅を続けるための、
ちょっと便利な小技っす。んなもんが幾らうまくても、
一番肝心な⋮弾き語りができないなんて許されると思うんすか?﹂
吟遊詩人の初歩の初歩である常識を。
﹁そ、それは⋮﹂
言いよどんだエアロに、リュミネはえぐり込むように言う。
﹁攻撃魔法の使えない妖術師!回復魔法の使えない施療神官!
それと同じくらいダメダメなんすよ!
弾き語りが出来ない吟遊詩人なんてのは!
んなことで吟遊詩人名乗るなんて吟遊詩人なめてんすか!?﹂
この自分とは桁が違う超高位吟遊詩人から、
歌を教えてくれといわれたときは何事かと思った。
そしてエアロが歌も演奏もど素人同然だと分かったときは、
怒りで前が見えなくなるほどだった。
﹁くぅ⋮﹂
こと
﹁そんなこったから、天秤祭の音楽フェスティバルの
冒険者部門があんな無様な醜態になるんすよ!?
なんすか何百人も街に吟遊詩人がいて、たかが盗剣士、
しかも︿黒剣騎士団﹀の戦バカなんぞに優勝かっさらわれるとか
!﹂
大地人部門は優勝含めほぼ全ての賞が歌を求めてヤマト各地、
果てはユーレッド大陸東端から海を越えてやってきた吟遊詩人が取
る、
吟遊詩人の独壇場だった。
実にハイレベルな大会で、若手では上位の実力者であるリュミネも
大いに刺激を受けた。
177
だからこそ、冒険者部門の残念さには余計に腹が立った。
﹁け、けどよ⋮﹂
﹁ああ聞いたっすよ!あれは﹁ゲンエキアイドル﹂だとか言う、
プロの歌姫だから仕方ないとか言う、わけわからない見苦しい言
い訳は!
プロっつったら吟遊詩人こそ真の歌のプロじゃないっすか!
旅の路銀を喉と指先で全部賄えるようになって
ようやく一人前と認められる、そういう仕事なんすよ!?
仮にも90レベルの吟遊詩人がんなへっぽこで、
この先歌で食っていきたいなんて言っていいと思うんすか!?﹂
だからこそ、その怒りを全て冒険者の吟遊詩人への厳しい指導に向
けることにした。
それが戦では完全に役立たずに成らざるを得ない自分の、せめても
の恩返しだと。
﹁⋮ぐっ⋮ああ、分かったよ!教えてくれ!リュミネ先生!﹂
﹁任せろっす!弾き語りなら師匠から喉と指先から
血が出るまで鍛えこまれたっす!さあ、続けるっすよ!﹂
そして、2人は再び練習を始める。
﹁⋮しつれいいたします﹂
入り込めない世界に、ヒメノがそっと去っていったことに、2人は
気づかなかった。
6
それから30分ほどして。
かぽーん⋮
︵いいのでしょうか?このようなことをしていて︶
ヒメノは屋敷に設けられた、温泉に浸かっていた。
もちろん、自らの判断ではない。
178
﹁ふぃ∼⋮骨身に沁みるわ∼。
家ん中に天然温泉があるとか、侮れないわねザオの街﹂
﹁そうですね∼。あったか∼い⋮こういうのって、いいですよね﹂
ヒメノと同い年くらいの女性と、成人を向かえる前くらいに見える、
幼い少女。
セガールの仲間である冒険者、守護戦士リプリーと森呪遣いベルで
ある。
女中より彼女達が屋敷の温泉にいると聞き、ヒメノはすぐに駆けつ
けた。
もちろん入るためではなく、お背中を流すためだった。
男性でも一向に問題はなかったのだが、たまたま入っているのは女
性だった。
そして、三つ指ついてお背中を流す旨を伝えたら⋮
﹁お背中って⋮いや、別に自分で洗うから、気にしないでちょうだ
い﹂
﹁どうせなら、一緒に入りませんか?ここ、あったかくて気持ちい
いですよ﹂
機嫌を損ねぬためにも断れるはずも無かった。
温泉に浸かることしばし。
﹁⋮そう言えば、この前、嫌なことがあったんですよ﹂
しばらく呆けていたベルが、唐突に何かを思い出したのか顔をしか
めた。
﹁嫌なことって⋮あ、まさかセガールがサリアって娘を
ギルドホールに連れてきたこと?﹂
あの日は一日中ベルがふくれっつらだったので、すぐに分かった。
案の定正解だったらしく、ベルはつらつらと文句を言う。
﹁う⋮それです。う∼、ずるいです。セガールさんと一緒にお出か
179
けなんて﹂
﹁お出かけなんて言ったら私ら、しょっちゅうじゃない。
こうして一緒に旅してるんだし﹂
﹁だって、こっちはいつも6人でパーティー行動じゃないですか!
なのにサリアさんは2人きりなんて、ずるっこです!﹂
まだまだ幼いという印象が抜け切らないベルに、
リプリーは娘が出来たような感慨を覚える。
⋮まあ、さすがにこんなに大きな娘がいる年ではないが。
﹁いいじゃないのよ。あの娘、アキバから出れないから
会えるの1ヶ月に数回くらいよ?
うちのリーダー様は基本的に遠征には全参加なんだし﹂
﹁それも不満です!私なんていつも冒険だと危ないからって言われ
て、
冒険に連れてってもらえるの、半分くらいなのに!﹂
慰めるつもりが、逆効果だったらしい。
そう言えばベルはアキバの街にいるときはカレンダーに色々書いて
いた。
セガールの帰還予定日には花丸が毎回ついていた気もする。カウン
トダウン付きで。
﹁いや、それは正しいわよ。
野宿と危険だらけの遠征なんて、毎回やってたら大変。
だからセガール以外はメンバーで編成を調整して、
連続出撃は出来るだけ避けてるんじゃない。
むしろちょっと驚いてるわ。
初心者のベルをちゃんと一人前扱いしてることに﹂
﹁むぅ⋮初心者じゃありません!私だってレベル90ですよ!﹂
︵レベル90なら脱初心者という発想が既に初心者なんだけどね︶
内心そんなことを考えながら、リプリーは教え諭す。
﹁ベルの場合、セガールについてってレベリングした結果じゃない。
大災害前で90になってたとはいえ1ヶ月も付き合うとか、
180
お人よしもあそこまで行くと一種の才能ね﹂
それでも回復の選択とタイミングだけは完璧になってるあたりは、
セガールの教え方が良かったのだろうとも思う。
それのお陰で大災害後でもセガールの監督下なら
それなりについていけているし、死亡回数も0のままだ。
﹁もう、なんなんですか!少しは慰めてくださいよ!﹂
とうとうベルがふくれっつらになる。
リプリーの態度が、ベルには不満だった。
﹁⋮う∼ん、というか、そもそもいつも言ってるじゃない。
セガールはお勧めできないって﹂
それに苦笑しつつ、いつも言ってる言葉を口にする。
﹁それが分からないんですよ!セガールさんは本当に良い人じゃな
いですか!
大災害前は顔怖かったけど、大災害後は全然だし!﹂
﹁そこが問題なのよ﹂
やっぱり分かってない。
彼女の倍は年を重ねてきているリプリーには、そのことが手に取る
ように分かる。
折角なので、ちゃんと説明することにした。
﹁いい、ベル。もしも私の娘が、まあ娘いないけど、とにかく娘が
向こうで
セガールを恋人として連れてきたら⋮う∼ん、まあ、立ち直るで
しょう、
お人よしこじらせたタイプの子だから、
別に大切なものができたら優先順位はちゃんとつけられると思う
し。
ま、それはとにかく交際を認めるわ。大切にしてくれるのは確か
だろうし﹂
一拍置いて、その言葉を口にする。
﹁⋮けどね。こっちのセガールだったら、絶対に別れろって言うわ
181
ね﹂
﹁なんでですか?﹂
強い断定に、流石に興味をひかれたらしい。
ベルは聞く体勢にはいった。
そしてリプリーは言葉を重ねる。
﹁すごすぎるからよ。
いい?こっちのセガールはまず強い。
ヤマトにいる格闘家の中では最強とは言わなくてもベスト10に
は残るほどの腕前ね。
料理人マスターなのもこっちでは大きいわね、
1人暮らし長いから実際の家事も得意だし。
そんな子が、顔もそれなりに良くて性格までいいのよ?完璧じゃ
ない﹂
﹁だったら余計に良いじゃないですか!?﹂
何が言いたいのか分からないらしいベルに、リプリーは尋ねる。
﹁⋮で、ベルは自分がそれとつりあう女の子だって自信持って言え
る?﹂
かなり意地悪な顔で。
﹁う!?⋮こ、これから努力します!﹂
﹁うわー。マジで若い子ならではの回答が帰ってきたわ。
はっきり言ってね、こっちのあの子と釣り合う女の子って本気で
化物よ?
それこそレイネシア姫とか﹂
﹁うえ!?そんなに!?﹂
レイネシア姫と聞いて、ベルは顔をしかめた。
アキバの街にいる、1つ年上の本物の姫君。
遠くから見てる分には憧れるが、
あれを目指せと言われたら正直腰がひける。
﹁だってそうじゃない?今のセガールは伝説のコック⋮
もとい伝説の勇者様よ。功績とかも含めると。
182
リュミネもこの前言ってたし、どっかの領主様が
セガールと婚姻結ぼうとしてるって噂もあるって﹂
﹁こ、婚姻!?結婚しちゃうんですか?﹂
結婚。ベルには流石に余りに遠すぎる言葉。
そんな話が出てきたことにベルは驚く。
﹁まだ、そういう声もあるってレベル。
本気で結婚させようとしてるってわけではないわ。
でも、もっと活躍したら分からないわね。
⋮例えば、魔王を倒してザオの街を救っちゃう、とかね?﹂
﹁ええ!?﹂
やっぱりそこまで考えが回っているわけもないか。
そんなことを考えながら苦笑して、教える。
﹁政治とか安全保障とか、そういうものに関わるレベルなのよ、
今、ここにいるセガールって。
90レベルで、それを余すところ無く使いこなして
適正レベルが90レベル以上のクエストを適正人数で突破できる
戦闘ギルド︿H.A.C﹀のギルマスって、大災害の後だとそう
いうことになるの﹂
ヤマトでも屈指の戦闘ギルドの幹部メンバー、それか伝説のプレイ
集団︿茶会﹀。
恐らくそれぐらいのスペックは要求される。
昔だったらば割と普通だったそれを為せるのは。
﹁うう⋮凄かったんですね、うちって﹂
ベルにも少しだけ分かったらしい。元︿H.A.C﹀の看板の凄さ
が。
﹁そうよ。だからね、釣り合うのも並大抵じゃないの。歌にもある
でしょ?
会えて、それだけで良かったと思えるうちはいいけど、
愛されたいと願ったら、地獄よ?
この世界そのものが敵に回りかねないもの﹂
183
それは、後に考えれば失策だった。
いつもカラオケで歌っていた曲だから、気づくのが遅れた。
﹁⋮?そういう歌があるんですか?﹂
きょとんと。
ベルは、リプリーに尋ね。
﹁あ、そう言えば結構古い歌になるのか。確か出たのが⋮あれ?﹂
それに気づき、リプリーは硬直した。
思わずベルに確認する。
﹁ねぇ、ベル?アンタ、今いくつだっけ?﹂
﹁えっと⋮この前14歳になりました!
セガールさんがケーキを焼いてお祝いしてくれて、嬉しかったで
す!﹂
いい笑顔で自分の年を堂々と言うベル。
その事実にすら軽くダメージを受けつつも、
確定した事実に更なるダメージを受ける。
﹁⋮ははは。生まれる前の曲かー。そりゃ知らないわ。
うわ、年を取ったってこういうとき実感するのね﹂
時は西暦2018年。
リプリーは実感した。恐るべき時の流れを。
がくりと落ち込む、リプリー。
それを見て、2人の会話についていけていなかったヒメノは
初めてフォローのために動き出す。
﹁⋮あの、おきになさらないでくださいませ。
わたくしも、年増でございますから﹂
お客様のためならば、自らの恥をもさらす。
それが、ヒメノの精一杯である。
﹁⋮そ、そうなのですか?私の目には随分お若く見えるのですが?﹂
どこか怯えるように、何故か敬語でリプリーはヒメノに聞き返す。
184
﹁はい。いずれ生贄となる身ということでなかなかご縁も得られず、
お姉様の看病をしているうちに、結婚が遅れてしまいまして⋮
とうとう今年は二十歳に﹂
立派な年増である⋮この、ヤマトでは。
﹁⋮ぶくぶくぶく﹂
﹁り、リプリーさん?リプリーさ∼ん!?﹂
リプリーは沈没した。悲しみにぬれて。
見事な、とどめだった。
7
︵大変なことをしてしまいました︶
あの惨劇から30分。
大いに落ち込み、明日早いからもう寝ると言い出したリプリーに手
を出せず、
ヒメノはそっと離れた。そして。
﹁お二方。どうぞご一献﹂
﹁オーウ。やはり武士にはサケが一番似合う﹂
﹁私はどちらかというとワイン派なんだが⋮こちらではこれも貴重
だな﹂
ミフネとクリストファーにエチゴから取り寄せた、街でも貴重なサ
ケを振舞う。
ヒメノは飲んだことは無いが、ザオの街の酒飲みの間ではかなり評
判で、
普通の価格の30倍もの値にも関わらず、良く売れているらしい。
﹁オリエンタルなビショージョのお酌でサケを飲む。これぞヤマト
の醍醐味!﹂
﹁ふむ、この辺りは随分と和風なデザインになっているな、そう言
えば﹂
︵良かった⋮お二方とも喜んで居られるご様子︶
185
先ほどの件で、余りで過ぎた言葉を紡ぐと危険な事に気づいたヒメ
ノは、
黙々とお酌に徹する。
そして、2人は、杯を重ねつつも、話を始める。
ホームタウン
いつしか、真面目な話しになっていた。
﹁しかしボクらがアキバを故郷に選んだのは、幸運だったな﹂
﹁⋮ふむ。そうだな。最も時々、イギリスが恋しくなるがね﹂
酒が入り、2人の口も軽くなっていた。
﹁ボクの場合は、ウェンだけど⋮しかし、残念なことになってるら
しい﹂
そういうと、普段はどちらかといえば陽気なミフネは顔を曇らせる。
その様子に、察したらしく、クリストファーは尋ねる。
﹁ふむ⋮例の、48番ホールからの来訪者の情報かね?﹂
﹁ああ、ビックアップルの冒険者だった奴から聞いたんだ。
暴動があったらしい。
今じゃススキノが可愛く見えるくらいの惨状だって。
だから、ここは凄く眩しく見えるとも言ってた﹂
48番ホールとはシブヤの街中の廃墟ビルの中に存在する、
ただ1つの妖精の環である。
登録
され、名実共に日本サーバに住む冒険者と
神がかり的な幸運によってここに転移してきた冒険者は、
即座にシブヤに
なる。
アキバの街全体でもほんの数十人だが、その幸運を掴んだ冒険者や
大地人は、
口をそろえて言う。
﹁﹃この世界で唯一自由と平和を手に入れた奇跡の街﹄か⋮言いえ
て妙だな﹂
﹁ああ、アキバは幸運だった。ヒーローがいたから。
186
でも世界は今、混乱している。ヒーローがいなかったから。
だから、ボクは︿H.A.C﹀にいられて幸運だと思ってる。
武士たるもの、ヒーローたるもの、少しでも世界を助けたい。
それにはここが最適だ﹂
願望はあった。そういう意味では自分はセガールと同じ側だと思っ
ている。
だからこそ、分かる。
仲間を誰よりも大切にし、
自分を犠牲に出来る彼こそ、リーダーに相応しい。
﹁なるほど。君らしいな。だが、同感だ。
幸いアキバの街のヒーローは︿円卓会議﹀がいる。
だが、イースタルのヒーローになりうるのは、私達だ。
セガールのお陰だな﹂
しれはクリストファーも認めている。
﹁⋮いいのかい?ヴァンパイア、ましてやドラキュラと言ったら、
悪役の代名詞だろ?﹂
そんなクリストファーに普段は努めて見せないようにしている
皮肉屋の顔を見せて、ミフネは尋ねる。
それにクリストファーは済ました顔で答える。
﹁いいさ。世界の影に紛れることが私の信条。
影すら生まれない闇の中では、いる意味がない。
それに、私も日本に来て知ったんだが、
ヴラド・ツペシュ公は、故郷を守るために異教徒を串刺しにした。
民を愛する良い王だった、らしいんだ﹂
﹁⋮はは、なるほど。それは知らなかった。
ダークヒーローというわけか﹂
﹁ああ、そうさ。ならば、そちらにも習わねばなるまい。
私の敬愛する俳優も、悪役を多数こなしたが、同時にジェントル
だったのだから﹂
しっとりとした時間が流れる。
187
ヒメノはただひたすらに酌を続ける。そして。
﹁ありがとう。美しいお嬢さん。そろそろお帰りなさい。
でないと、悪い吸血鬼の我慢も切れてしまうからね﹂
静かなジョークで、ヒメノは部屋を追い出される。
︵良かった。満足して頂けたようです︶
何とかうまく行って、ほっとした。
あとは、最後の1人。
︵セガール様⋮︶
一番大事な1人だ。
8
夕暮れを越え、夜闇に染まった中庭を、
ヒメノは歩いていた。
何でも食後、セガールは1人で鍛錬をしているという。
手には、手ぬぐいと竹筒に入った、水。
セガール様のご様子を見に行く。
そう言ったら、侍従長が渡してくれたものだ。
歩くことしばし。
そこにセガールは、いた。
無言。
それは、いつもとは違う無言の演舞だった。
目にも留まらぬ早さで構えが変えられ、
拳が舞い、足が蹴りぬき、肘がえぐり、膝が砕く。
︵すごい⋮︶
ヒメノは思わず息を呑んだ。
ヒメノとて巫女の家系として、相応の訓練は受けている。
だからこそ、分かった。
188
セガールが、真に英雄たる力を持つ存在であること。
そして、彼の舞姫との戦いの時すら、
倒すに足るだけの力しか出さなかったこと。
﹁ふぅ口伝ってどうやれ⋮ってうわ!?﹂
一通り演舞を終え、息をついたセガールは初めてヒメノに気づき、
驚きの声を上げた。
﹁ふわ!?あ、あの⋮セガール様、こちらを﹂
その驚いた声にヒメノも思わず驚き、間抜けた声を上げてしまう。
それに幽かな動揺を感じながら慌てて手ぬぐいと竹筒を差し出した。
﹁へ?えっと⋮ああ!?あ、ありがとうございます﹂
差し出されたものに呆然とし、考え、気づき、恐縮しながら
セガールは手ぬぐいと竹筒を受け取った。
汗を拭き、竹筒の水を飲む。
﹁⋮おいしいです。ありがとうございます﹂
にこりと笑いかけ、感謝の意を示す。
﹁いいえ。その様な御言葉、わたくし如きにはもったいのう御座い
ます﹂
その笑顔に、僅かに胸の疼きを感じながらも、
ヒメノはそっけなく返す。
﹁それよりも、何か他に、わたくしにご命令くださいませ。
どの様なことでも良いですから﹂
真っ直ぐにセガールを見る。
ヒメノとて覚悟は出来ている。
たとえ今、どの様な要求をされようと応える、と。
そして、セガールはしばし考え。
﹁それじゃあ⋮﹂
真っ直ぐに見つめ返し、ヒメノに頼む。
﹁見つけて置いてください。ヒメノさんが、これから、したいこと﹂
ヒメノの埒外の頼みを。
﹁したいこと⋮に御座いますか?﹂
189
何をさせたいのか分からず、思わず問い返す。
それにセガールは頷き返し、真顔で言う。
﹁はい。魔王は⋮僕等で、冒険者で何とかします。
ヒメノさんは、もう生贄になんか絶対にさせません。
⋮だから、ヒメノさんは、これからの、長い人生の続きを考えて
ください﹂
その瞳はひたすらまっすぐで、だからヒメノにも分かった。
︵ああ、この方は⋮︶
ヒメノが生きることを望んでいる。
﹁⋮分かりました。考えて見ます﹂
自然と言葉が出た。
それが英雄セガールの頼みであれば、応えねばならぬ。
内心のその言葉は、どこか言い訳染みているように感じられた。
そして、ヒメノの答えに満足したのか、
セガールは安堵したかのように笑みをつくる。
﹁良かった。コレで心置きなく⋮﹂
その微笑むセガールがごく一瞬だけ。
﹁⋮魔王を、狩りにいける﹂
ヒメノの目には、阿修羅のように写った。
9
そして翌日。
︿D.D.D.﹀から派遣された冒険者部隊に後を頼むと、彼らは
入っていった。
氷雪の魔王が支配する、雪と氷と死に満ちた、禁断の山へ。
﹁多分、終わるまでにはまる1日はかかると思います。
それまで、心配でしょうが、待っていてください﹂
そんな、言葉を残して。
190
彼らが旅立ってから、街は不気味な沈黙を保ち続けていた。
誰しもが不安だった。
果たしてあの英雄達は、本当に氷雪の魔王を倒せるのかと。
その強さは昨日、嫌と言うほど見せられた。
だが、禁断の山には氷の魔物が無数に徘徊し、
伝説によれば頂上にあると言われている氷雪の魔王の居城には
あの恐るべき舞姫が多数、侵入者を待ち受けて徘徊しているという。
そしてその主たる氷雪の魔王。
あの舞姫ですらただの下僕として使う、魔界の王である。
その強さは想像を絶するほどであるのは、疑いはない。
いかに英雄といえど、それをなんとか出来るのかは、大いに疑問だ
った。
その不安からの沈黙は、時間を追うごとに強くなり、
夜の帳が下りると最高潮に達した。
﹁あの⋮冒険者様がた、セガール様たちは、大丈夫なのでしょうか
?﹂
タツマが冒険者に尋ねる。
それに冒険者は首を傾げて、言う。
﹁う∼ん。五分五分⋮だと思います。
事前情報なしで適正レベル越えのクエストだから、
普通は失敗の可能性の方が高いんですけど、元︿H.A.C﹀で
すからね。
︿D.D.D.﹀の中でも小隊単位では最高クラスの実力者です
から﹂
正直な感想。それは冒険者ならではの視点に満ちたものだったが、
不安を解消する役には立たなかった。
︵⋮セガール様︶
そんななか、ヒメノはセガールのことを考えていた。
定めとは、覆せぬもの。受け入れるしかないもの。
191
それが、ヒメノの考えだった⋮はずだ。
だが、そう考えると、ヒメノの頭に昨日の演舞が閃く。
その早く、強き技の数々は、定めすら打ち砕いてしまうのではない
か。
そんなことまで、考えてしまうほどだった。
︵⋮セガール様は﹁見つけて置いてください。ヒメノさんが、
これから、したいこと。﹂と仰っていましたけど⋮︶
ふと、昨日のセガールの言葉が頭をよぎる。
何故かそれを考えると、ヒメノの心に、かすかに温かさが宿るよう
な気がする。
そのことを不思議に思っていた、そのときだった。
﹁あーもう!なにウジウジしてるんすか!?大丈夫っすよ!このア
タシが見込んだ、
天下無双のハリウッド組が本気で挑んでるんす!負けるなんてあ
りえねえっす!﹂
淀んだ空気をかき乱す、大きな声が響いた。
﹁あんたらは知らないかも知れないっすけど、あの人らはマジで凄
いんす!
⋮アタシがとっくり聞かせてやるっす!どうせ今夜は寝れやしね
えっすから!﹂
そういうと、愛用のリュートを構え、音楽と共に、語り始める。
透き通った、大きくて良く通る声と、絶妙な演奏。
まさに、一流の吟遊詩人の技だった。
彼女が紡ぐのは、リュミネが4ヶ月の間共に行動して集めた、新た
な伝説の数々。
彼女がイースタルの英雄と呼んではばからぬ、冒険者たちの物語。
出会いは、ザントリーフの小さな町だった。
192
町が200もの︿緑小鬼﹀の群れに襲われたとき、街に滞在してい
たことで
貧弱な城砦を何とかして守る傭兵として借り出され、彼らに出会っ
た。
彼らはたった6人で町で唯一の門の外に出て︿緑小鬼﹀の群れと一
晩戦い続けた。
それはリュミネの魂を揺さぶる光景だった。
吟遊詩人の本能に導かれ、城砦の上で撃っていた弓を投げ出して、
紙とペンを取り出し、克明に記録しだすほどの。
そして敵の︿緑小鬼﹀の隊長をセガールが見事討ち果たし、殲滅で
持って
戦いを終えた後、支払われた相当な額の報奨金を街の復興資金とし
て寄付し、
有り余る感謝のみを報酬として去っていった彼らを見たとき、
彼女の吟遊詩人の勘は大いに主張した。
出会えた。自分が紡が無くてはならぬ英雄譚の登場人物に。
それから、土下座までして必死に頼み込んだのは、間違いではなか
った。
彼らの旅に同行するようになってから、
彼女は幾つもの伝説を目の当たりにした。
鉱山の街では、鉱山の地下より湧き出した死霊の群れの原因を探り、
その王たる古代の死霊を打ち破って街に平和をもたらした。
湖のほとりでは、小さな村を沈めようとしていた海竜に挑み、
これを打ち倒して村を沈没から救った。
エッゾに程近いイースタルの北端では、
193
安全を求めて遠戚の領土を目指し亡命した、
冒険者嫌いのエッゾの皇女と彼女の護衛兼侍女を助けた。
その皇女を追ってやってきた、絶世の美貌と醜悪な男の声を併せ持
つ、
恐るべき美少女の暗殺者が率いる10を越えるススキノの悪しき冒
険者たちを、
時に逃げつつも全て打ち倒し、ススキノに送り返すことで護衛を果
たした。
魔境﹃サドの黄金魔宮﹄へと向かい、
伝説の金属ヒヒイロカネを手に入れてきたのは、
父の遺志を継ぎ、幻の刀を蘇らせたいと願う、
ドワーフの鍛冶屋の娘に頼まれてのことだった。
死の病に苦しむ父親を救いたいと願う領主の娘の頼みを引き受けた
ときは、
セガールの鞄からあっさりと伝説の秘薬である天上の雫が出てきた
という、
冗談みたいな話もあった。
彼らは行く先々で奇跡を起こしてきた。
そしてその奇跡は幾多の大地人を救い、彼らを笑顔にした。
英雄。それ以外の何者でもない、冒険者。
それが、リュミネにとってのハリウッド組だった。
文字通りの意味で、まるで見てきたかのように紡がれる、
英雄の歌に街は再び沈黙に包まれた。
誰しもが聞き入ったのだ、リュミネの渾身の歌に。
いつしか街の民の中から不安は消えていた。
彼らならきっと、やり遂げる。
194
それが、街全体の意思となった。
やがて、リュミネの手で紡がれた、
一晩中続いた英雄譚が終わり、夜が明ける頃。
後詰めに来ていた冒険者が、連絡を受ける。
﹁ああ、セガールさん、どうも。どうやら無事倒したみたいですね。
それで⋮え?幻想級?
⋮︿D.D.D.﹀のオークションに流すって、いいんですか!?
いや、︿H.A.C﹀に欲しがりそうな人いないのは知ってます
けど!
⋮分かりました。団長と三佐さんにも伝えておきます。
リキャスト10分とはいえ妖術師並の威力で範囲攻撃の吹雪が出
せる
固有スキル持ちの両手剣とか、多分両手剣使いなら欲しがる人は
幾らでもいると思いますから﹂
そして、冒険者は息を吸い、その言葉を口にした。
﹁ザオの街の皆さん!もう大丈夫です!氷雪の魔王は先ほど、
セガールさんたちが撃破したそうです!﹂
街は、歓喜に包まれた。
10
そして、彼らは帰ってきた。
﹁ヒメノさん、心配をおかけしてすみませんでした⋮
氷雪の魔王は、討ち取りました﹂
氷雪の魔王の首と、魔王が使っていたという氷の大剣を携えて。
﹁おおおお!?これがま、魔王の首級っすか!?さすがっす!てー
か顔こええ!?﹂
リュミネが怖がりながらも仔細に観察する。
195
恐怖と絶望に歪んだ、醜悪な魔王の首を。
﹁オーウ。昔からデーモンの顔が醜悪なのは当然ね﹂
﹁いやー、Lv93がお供引き連れて出てきたときは一瞬死を覚悟
したわ﹂
﹁そうだな。ボスがパーティランクなのは予想通りだったが、あの
レベルは罠だった﹂
﹁正直、あのダンジョン突破して一発撃破ってけっこ凄くね?
リーダーなんてとうとう今回のでレベル上がっちまったよ?﹂
﹁はい!やっぱりセガールさんは、最高です!﹂
﹁あちゃーまぁた始まったよ。いい、ベル?アイツに惚れると絶対
後悔するって﹂
﹁そ、そんなことありませんよ⋮﹂
冒険者の一団が、勝利の喜びに満ちた顔で、報告するのを、
ヒメノはどこか醒めた目で見ていた。
実感がわかなかった。
死すべき定めがこうも容易くひっくり返されてしまうなど。
︵いえ、セガール様ならば⋮︶
あの、真の英雄ほどの力を持つ彼ならば、運命など歯牙にもかけぬ
のだろう。
⋮自らと違って。
﹁あの⋮ヒメノさん、ちょっといいですか?﹂
そんなときだった、セガールがヒメノに話しかけてきたのは。
﹁はい⋮なんでございましょう﹂
﹁少し、向こうで話しをしたいのですが⋮いいですか?﹂
困惑したままのヒメノにセガールは確認する。
﹁はい⋮わかりました﹂
それにヒメノは頷いて、セガールについていった。
人気の無い場所。
そこでセガールは、懐から一振りの刀を取り出した。
196
﹁あの⋮これ、魔王が持っていたんです。余り古いものじゃないし、
あいつの持ち物にしては、あまりに場違いなものです。
だからきっと⋮ヒメノさんのお母さんのものだと思います﹂
﹁これは⋮﹂
それを見たヒメノの目が見開かれる。
それは、神祇官のために鍛えられた守り刀だった。
紅で染められた握りと鞘にかすかに見覚えがある。
鞘に入った状態でも、神聖な力を感じる。
﹁お母様⋮おかあさまの!﹂
それは、母がいつも腰に下げていた、一族に伝わる守り刀。
15年前から行方知れずになっていたものだ。
ヒメノの脳裏に鮮やかに母の面影が蘇る。
﹁きっと、ヒメノさんのお母さんは、アイツの元に連れて行かれた
ときに
戦ったんだと思うんです。⋮残ったお姉さんとヒメノさんを生贄
にしないために。
勝てないと分かってても﹂
そうだ。ヒメノは思い出した。
物静かだが、強い意志を秘めた方だった。
死すということを定めとして容易く受け入れる方では無かった⋮!
人前にも関わらず、涙が零れる。
一度涙が溢れると、もはや止まらなかった。
ヒメノは、セガールに縋りつくと、声を上げて泣き出した。
﹁⋮泣いてあげてください。ヒメノさんのお母さんのために。
そして、泣き終わったら⋮また、笑ってください。ヒメノさんの
お母さんの分まで﹂
抱きとめ、優しい言葉をかけるセガール。
︱︱︱見つけて置いてください。ヒメノさんが、これから、したい
こと。
197
︵見つけました。わたくしが⋮したいこと⋮!︶
その、困ったような笑顔は全てを諦め、凍りついていたヒメノの心
の中に、
ヒメノ自身でも御することの出来ぬ、熱い炎をともす。
もはやヒメノの瞳は、今や何も写さぬガラスのような澄んだもので
はなくなっていた。
それは生きるという意志と、情熱で燃え盛る、炎のような光を宿す
瞳となっていた。
それから。
セガールたちは一旦アキバの街に戻ると言って、街を去っていった。
冒険者の秘術を用いて、一瞬で。
ザオの街は救われた。たった6人の英雄によって。
それはザオの街で末永く語り継がれる、伝説の始まりだった。
それから1週間。
﹁あのー、本当に、いいんすか?﹂
ようやくこのザオの街の出来事を歌に纏め上げ、
次の街に向かう準備を終えたリュミネは、もう一度聞き返した。
﹁はい。父とも3日3晩、よく話し合い、お許しも頂きました。
本日より、よろしくお願いいたします。リュミネ様﹂
目の前には、長旅に耐える丈夫な装束と陣羽織に身を包み、
腰からは紅色の守り刀を下げた、旅支度を整えたヒメノがいた。
﹁かなり大変っすよ?旅路もそうっすけど、恋路も同じか、それ以
上に。
リプリーさんよく言ってるんすけど、セガールさんって、
憧れて見てるだけならともかく、実際に惚れたら地獄っすよ?
198
自分がモテるって自覚がそもそも無いから超奥手。
それにあたしが知ってるだけでもライバルはそろそろ2桁の大台
にのるっすよ?
ヒメノさん含めたら﹂
︵まあ、あたしについていくと言い出したのは、ヒメノさんが初め
てっすけど︶
内心その決意の固さに舌を巻きながら、リュミネは一応確認する。
﹁⋮覚悟の上にございます﹂
慣れていないのかぎこちない笑みでヒメノが繰り返す⋮
顔を、紋章以外の部分まで真っ赤にして。
熱く燃える、炎のような瞳で。
ザオの街で、純粋培養された生粋のお嬢様神祇官、ヒメノ。
一度思い込んだら、恐ろしく頑固な少女であった。
﹁⋮はぁ∼、しゃーないっすね。そうまで言われたら、連れてくし
かないっす。
では、改めて。アタシは人間族で吟遊詩人のリュミネっす。
Lvは、この前の鑑定したときは31だったっす。
これから、よろしくお願いするっすよ﹂
この3日間、毎日のように懇願され、旅立ちの日を迎えて、とうと
うリュミネは折れた。
とにかくこれからは仲間なので、改めて自己紹介をする。
﹁法儀族の神祇官、ヒメノと申します。段位は⋮鑑定に寄れば二十
と六にございます。
若輩ゆえご迷惑をおかけすると思いますが、なにとぞよろしくお
願いいたします﹂
リュミネに深々と頭を下げる、ヒメノ。
﹁じゃ、行くっすか。数日アキバで過ごしたら今度はフォレストヒ
ルに
行くっつってましたから、そこで合流できるはずっす﹂
﹁はい。よろしくお願いいたします﹂
199
そして、2人は旅立った。イースタルの英雄の軌跡を追い続けるた
めに。
その旅路の先になにがあるのか。
それはまだ、誰にも分からない。
200
第6話 生贄のヒメノ︵後書き︶
本日はこれまで。
⋮今回、レイドコンテンツでなしに幻想級が出たのは、
拡張パックの追加コンテンツ︵1回ぽっきり︶故ということで、ひ
とつ。
201
番外編 密偵のXXXX︵前書き︶
注意!今回のお話は、かなり残酷な表現が含まれます。
何しろこのお話しの主人公はかなりの外道。
余りにアレなので、あえて名前は秘密となっています。
⋮そして、余りにアレな話しのため、番外編。
まさにどうしてこうなった。
202
番外編 密偵のXXXX
0
⋮かぁー!
相ッ変わらずまぢいなあ。ここの酒は。
つーか昔のまんまで味ねえじゃねえかよ。
あん?﹁︿冒険者﹀が言うには水みてえな酒がうまい﹂だあ?
これのどこがうまいんだよ?
文句あるならよその店いけ?わぁってるよ。
けど仕方ねぇだろ?
︿冒険者﹀進入禁止の路地先にあって、
夜中もやってるこの店くらいだからな。
俺らが好き勝手話せるような場所はよ。
しっかしここも客減ったよな。
⋮いや、客って言うか、数が減った、か。
﹃密偵殺しの街アキバ﹄の異名はダテじゃねえよなあ。
ヤマトの裏社会で名を知られた連中が次々アキバで廃業してるから
なあ。
フォーランドの﹃人喰い﹄にエッゾの﹃狼王﹄、
あと﹃情報屋﹄のジジイも廃業したらしいぜ?
は?ちげえよ。廃業だ廃業。︿冒険者﹀に殺られたんじゃない。
アキバで暮らしてるよ。
つーか今更︿冒険者﹀なんぞに殺られるような奴は裏社会で名前残
せねえっつの。
203
何年この世に︿冒険者﹀がいると思ってんだ。
多分︿冒険者﹀は存在すら知らねえよ。
まあ、んなこと言ってる俺も廃業するしかなさそうだけどな。
アイギア最後の生き残りなんて言ってても終わるときゃああっさり
だったな。
まあ、いいか。
おい、少し俺の話に付き合えよ。
愚痴りたい気分なんだよ。このクソッタレの街に対して。
いいだろ?
﹁お客様は神様です﹂なんてふざけた言葉が今のアキバの流儀らし
いからな。
番外編﹃密偵のXXXX﹄
1
最初に廃業決め込んだのは﹃人喰い﹄の野郎だったな。
フォーランドの化物と恐れられた殺し屋っつうか喰らい屋な。
かれこれ30年で多分1000は喰ってるんじゃねえかな。
うん?フォーランドはとっくの昔に滅んだだろって?
ああ、そうだよ。あそこはニンゲンが住むにゃあ過酷過ぎる。
化物だらけの化物島だ。
だからよ、﹃人喰い﹄もニンゲンじゃねえ。
文字通りの意味でモンスターだ。
確か⋮︿化身巨人﹀︵スプリガン︶だったな。
あの︿冒険者﹀でも6人がかりでしとめるような、結構やばいモン
スターだよ。
204
だが、人喰いはこう言っちゃなんだが、ニンゲンどもと共存した。
あの手のモンスターの中じゃはぐれモノだが、やたら頭が良かった
らしくてな。
ウェストランデで後ろ暗い連中と手を結んだんだよ。
﹁気に入らない奴はいないかい?僕が、食べてあげるよ?﹂ってな。
お前は知らねえかもしれねえが、︿化身巨人﹀ってのはな、
人間族のガキに化けられるんだ。
一度化けちまえば、︿冒険者﹀にだって見分けはつかねえ。
ま、化けてる間は力も人間族並まで落ちるけどな。
ターゲットに何とかして近づいて、油断したところをぶち殺して、
ごくん。
それで終わりって寸法だ。
そんで30年もやってるんだから、大したもんだぜ。
実はかれこれ10年くらい前によ、人食いの野郎と組んだんだ。
人間族の真似なんざ当たり前にできる俺が使用人、んで人食いが俺
の弟。
それで潜り込んでな。
結果?聞くまでもねえだろ?その哀れな豪商は一家丸ごと一晩で奴
の腹ン中。
俺は金目のものをごっそり。いい商売だったぜ。
そんときにな、聞いたんだよ。なんでニンゲンばっか食うんだって。
そしたらよ、あいつこう言いやがった。
﹁理由?決まってるだろ?うまいからさ。ニンゲンの作る食べ物は、
不味すぎる﹂
まあ、確かにあの頃の食い物は味ねえからな。
それに比べりゃニンゲンの血や脂の味は奴にはマシだったんだろう
な。
そう、マシだった。
205
それがアイツが廃業決め込んだ理由だからな。
ほら、例の円卓会議が出来た頃から、
この辺りで味のあるメシが出回るようになっただろ?
あいつ、円卓会議が出来て5日目に匂いに惹かれて入った、
川辺の宿屋で出された鶏の丸焼きがえらい気に入ったらしくてな。
毎日食いに行くようになった。⋮アホだろ?
まあ、そんなガキが毎日3人前はある鶏の丸焼きを1人で食ってる
のに
スルーしてるあの店の女将も大概だがな。
それ以来﹃人食い﹄の奴は普段は数ヶ月に一度、その辺の︿大地人
﹀の密偵とか
いなくなっても誰も気にしない奴喰ってたのに、それにはまってか
らはさっぱりだ。
たまにモンスター以外何も通らないような場所行って
モンスター退治してるらしいぜ?
そんで戦利品売り払って金稼いで、メシを食うんだとよ。
てめえじゃ作れねえから。
どこの︿冒険者﹀だよお前。
見たかったら簡単だぜ?
昼時、スミダの川のそばの宿屋か、橋のたもとに出来た、
豚の揚げ物食わせる店。
あそこで物凄い嬉しそうに1人で鶏の丸焼きか
山盛りにした豚の揚げ物食ってるガキ。
そいつこそ﹃人喰い﹄だ⋮
いや今は﹃鶏喰い﹄とか﹃豚喰い﹄とか言ったほうがいいのか?
多分ニンゲンは二度と喰わねえんじゃねえかな?
﹁アキバの料理と比べたら、他のものは全部、カスだ﹂
とか抜かしてたっつうから。
206
2
エッゾの﹃狼王﹄も、長年続いた名門の割に、あっさり名前捨てち
まったな。
元々﹃狼王﹄ってなあな、エッゾの狼牙族どもの長なんだよ。
エッゾ中の狼牙族とつながってて、そいつらを纏め上げてる。密か
にな。
元々あの辺りは寒いのに強い狼牙族が多かったんだが、
人間族がエッゾ帝国を作っちまった。
それから色々とぶつかりあうようになって⋮戦になった。
戦が起こったのは凄え昔だが、かなり酷い戦さだったらしいぜ?
亜人どものせいで暮らせる場所が減って、お互い生きるのに必死だ
ったからな。
まあ、最後は数に勝る人間族が勝った。
それ以来人間族がいい場所を分捕り、狼牙族は
強いモンスターが多い僻地に追いやられ、
生き延びるのに前以上に必死にならなきゃいけなくなった。
︿大地人﹀の癖にガキにすら武器持たせて鍛えてるとか、
強い奴は熊狩れるとか、あのあたりの狼牙族はかなりやべえぜ?
アイギアほどじゃねえけどな。
ま、そんな状況だからな。狼牙族の方もまとまる必要があった。
だからいつからか自分らの中で一番つええ奴を決めて、
密かに王と呼ぶようになった。それが﹃狼王﹄ってわけだ。
﹃狼王﹄の代替わりとか、かなりすげえぞ?
なにせ﹃狼王﹄狙いの強いやつらがサシで殺しあって
207
最後に勝った奴が王ってシンプルなルールだ。
降参は一応ありだが死人もバンバン出る。
ま、腕ばかりじゃなくて頭もそれなりに回るけどな。
一部エッゾの好事家貴族に密かにそれ見せて金取ったり、
あれこれ裏仕事引き受けてる連中もいたらしい。
ま、そんなろくでも無いことやってたからな、
エッゾの裏社会じゃあ大分知られた存在だった。
狼の武士には気をつけろってな。
俺も15年前、2代前の﹃狼王﹄をうっかり敵に回したときは大変
だった。
あいつら、群れで襲ってくるからな。
ま、最後は俺が奴等の本拠地に忍び込んで
﹃狼王﹄に2発ほど︿絶命の一閃﹀叩き込んで
仕留めてやったら代替わり始めやがったから、
その間にトンズラしたけどな。ま、それはいいや。
んで、その﹃狼王﹄の連中な、いつかは帝国奪って
俺らの国にしてやるって息巻いてたんだが、
残念なことになぁ。肝心の帝国がなくなっちまった。
アキバに住んでるなら知ってるだろ?
︿冒険者﹀に襲われまくってな、あの辺りは、
︿冒険者﹀のクズどもの楽園になっちまったよ。
クズといえど︿冒険者﹀は︿冒険者﹀だから、半端なく強い上に不
死身だ。
あっという間にまともな統治なんぞ不可能になった。
あいつらも最初はざまあみやがれって手を叩いて喜んでたらしいん
だけど、
そのうちとうの自分らも襲われるようになって、焦りだした。
まあそりゃそうだ。
208
幾らあの辺りの狼牙族が強いっつっても、︿冒険者﹀と比べちゃあ
なあ。
ただ、今の﹃狼王﹄はおつむの方も優秀でな。
密かに狼牙族をアキバに潜り込ませるようになったんだよ。
ほら、秋ごろから少しずつやってただろ?
アキバのでけえ騎士団で作った部隊をススキノに送り込んで、
移民希望の︿冒険者﹀をアキバまで護衛するって奴。
そいつらについてきた︿大地人﹀ってのは結構多いんだが、
そんなかにあいつら、ススキノに逃げ込んだ狼牙族を紛れ込ませた
んだ。
んで、色々調べたり働かせたりして、これからを決めた。
エッゾは捨てる。これからはアキバで暮らすって。
元々ひでえ土地で何とか生き延びてきた連中だけあって、
あいつらは強い。群れになればエッゾからアキバまで
女子供守って来るのくらい、お手のもんだ。
ススキノの︿冒険者﹀も数減ってるから、
うまく迂回すれば会わずに移民もできるってな。
実際今の﹃狼王﹄も一緒の第一陣なんざ、
女子供入れて200人もいたのに、
旅で死んだのたったの20人っつうんだから、半端ねえよ。
まあ、普通だったらんなことしたら
アキバに着く前にイースタルの領主連中にぶっ殺される。
なにせ相手は100人からの武装した連中だ。
ほっといたらトンでもねえことになる。
しかし、そこがあいつらのワル知恵ってやつでな。
怪しげな狼牙族で自称移民でも、アキバに行くっつったら、
領主連中もそうそう文句はいえねえんだよ。
209
例の条約があるからな。
下手なことして︿冒険者﹀と戦うなんて、真っ平だってな。
まあ、あいつらもその辺はわきまえてモンスター殺して
その肉を食うとかして、略奪はまったくしなかったらしい。
まあ、アキバの︿冒険者﹀は亜人どもはともかく
善の勢力相手に略奪するのは無茶苦茶嫌うからな。
これから世話んなる奴等の心象悪くしたくなかったんだろう。
噂だがすでに何百人もこっちに向かってきてるらしい。
まだまだ送り込むんだろうな。
エッゾにゃあ数千人くらい狼牙族がいるから。
んでこの前の祭りの後、ようやく着いたやつらはアキバの近く、
アメヤ街道のすぐ近くに、村作りやがった。
円卓会議にも届けは出したらしいんだが、二つ返事で認められたっ
てさ。
一応モンスターもいる場所だったはずだが、ほぼ狩り潰したんだと。
今じゃうじゃうじゃ戦士のいる狼村なんざモンスターもちかよりゃ
しねえ。
いまんところは残った廃墟改造しただけの城と掘っ立て小屋が並ぶ
汚えところだが、エッゾから着いた残りの移民連中とか、
噂聞きつけたイースタルやウェストランデの狼牙族も集まって、
そろそろ街って言ってもいいくらいのでかさにはなってる。
アキバの街にも相当数狼牙族送り込んで、色々仕事させてるらしい
ぜ。
︿冒険者﹀は雇うときに種族気にしねえってんで、
金稼ぐにはもってこいっつってな。
ただ、最初はどんな汚い仕事でもやるつもりだったらしいんだが、
そっちのアテは外れたみたいだな。
210
まともな仕事だけで食ってけるくらい稼げるから。
んでその金でアメヤの村を暮らせる場所にする準備したり、
次の収穫までのつなぎの食糧買ったりしてるみてえだな。
後はどっかの︿冒険者﹀の家門と組んで、特定のモンスター狩って、
肉だの皮だの売る商売やったり、︿大地人﹀の行商護衛したりして
る。
んで、﹃狼王﹄は今じゃ﹃アメヤの村の村長様﹄だと。
次の代から腕っ節じゃなくて頭の良さで決めるって。
⋮あいつらな、今はいつかアキバの︿円卓会議﹀に俺らの、
狼牙族の席置いてやるなんて言ってるらしいぜ?
方向性がエッゾ帝国ぶっ潰すから俺らの国は自力で建てるに変わっ
ただけで、
狂いっぷりは相変わらずなんだよなあ。あいつら。
3
﹃情報屋﹄は他の2つと比べりゃあ、普通だな。
その辺の騎士くれえならサシでも負けねえだろうけど、もうジジイ
だしな。
だがな、ある意味一番敵に回したくない密偵だったな。
いや、密偵とも違うか。
﹃情報屋﹄のやつはな⋮吟遊詩人なんだよ。
ほら、天秤祭でやってた音楽の祭りでやたら張り切ってたしてたジ
ジイ。
︿大地人﹀部門で第2位だったとか言う話だったな。1位?知るか。
まあ、この道一筋60年とか平気で言い放つとんでもジジイなんだ
が、
60年もイースタルでのたくってただけあって、あらゆる情報にや
たら詳しい。
211
自分の足で稼ぎ出した情報も豊富だし、
奴の弟子やら弟子の弟子やらが腐るほどいる。
そいつら全員、旅から旅の吟遊詩人だ。それぞれが情報持ってる。
⋮そう、﹃情報屋﹄ってえ名前の通り、あのジジイの情報網は半端
ない。
あちこちで捨て子や貧民の孤児拾っては吟遊詩人として育ててたお
陰で、
弟子どもからは師匠とか言われて尊敬されてるが、ありゃかなりの
狸ジジイだぞ。
いやさ、20年以上前、まだ密偵仕事始めたばっかの頃によ、
ヘマしてやばいことになったんだよ。
幾ら俺が強くても、社会丸ごと敵に回して生き残るなあ、難しい。
そんでにっちもさっちも行かなくなったとき、﹃情報屋﹄に助けて
もらった。
あちこちに声かけて、一応は俺も一息つけた。ここまでなら、美し
い話だ。
⋮そのとき﹃情報屋﹄に要求されたのが
﹁アイギア滅亡の真相﹂じゃなかったらな。
分かるか?あのジジイ、俺を嵌めやがったんだよ。
俺から話しを聞くためだけに。
それがやつのやり口だ。
﹃情報屋﹄はいい歌作るためならどんなことでも平気でかます。
面白そうな話持ってる奴からは俺にかましたみてえに何が何でも聞
きだすし、
悲恋の歌作りたきゃ2人の仲引き裂くようなこともする。
死んだ方が盛り上がるって思ったら、死ぬように持ってかせる。
その方が歌にしたとき面白いからってだけで、
212
現実の方捻じ曲げやがんだよ。マジで。
で、こいつも廃業した。
もう年だったとか色々あるけど、決め手になったのは、あいつの弟
子らしい。
いやな、最後に育てた弟子が謡う歌が、儂より面白いとか言ってた
んだよ。
情報源が違いすぎるともな。
ああ、その弟子な、イースタルの英雄とか呼ばれてる︿冒険者﹀に
取り入って、
そいつらの冒険を歌にしてるみたいなんだよ。
⋮まあ、俺が働いてる騎士団の正騎士部隊なんだけどな。
﹁まさか人生の最後の最後で﹃事実はときに物語より奇なり﹄を
思い知らされるとは﹂
とか言ってしょぼくれてな。
今はアキバで︿冒険者﹀相手に歌の伴奏やったり、
歌教えたりしてるらしい。
生涯で相当数の弟子育てただけあって、
教えるのやたらうまいんだよな、あのジジイ。
ま、そんなわけでヤマトでも名を知られた密偵どもが次々廃業して
な、
アキバは密偵殺しの街なんて呼ばれるようになった。
⋮あん?俺?その化物みてえな連中全部知ってるとか何者だって?
しゃあねえなあ。ついでだから話してやるよ。
ただし、他には漏らすなよ。あと、長えぞ。
213
4
俺は、さんざ言ってるがアイギアの生まれだった。
アイギアって知ってるか?ウェストランデの山ン中にある、
狐尾族の村でな、今じゃあ﹃亡霊の村﹄っていわれてる場所だ。
狐尾族の集落の割には栄えてたな。血塗れだったけど。
あそこはな、俺がガキの頃は﹃影の村﹄って言われててな、
ウェストランデ密偵の原産地だったんだよ。
もう、盗みだろうが殺しだろうがこなせるよう村のガキを仕込む。
んでウェストランデの貴族に汚い仕事こなす腕を売る。
確か貴族どもは﹃忍び﹄とか呼んでたな。
ガキの頃から徹底的に仕込むから、1人1人が精鋭の兵。
特に長はお前本当に︿大地人﹀かって聞きたくなるくらい強かった。
仕込む途中や貴族からの仕事でどんどん死ぬけど、
それを上回る数、ガキ作ってな。
村の民には狐の面を被せて、名前もつけやしねえ。
俺もそうよ。今の名前は密偵になったあと、適当に俺がつけたやつ
だ。
んで、その忍びになることで喰ってたのがアイギアだったんだが、
あるとき、風向きが変わった。
半蔵⋮代々アイギアの長はそう呼ばれるんだが、
そいつがな、18年前までフォーランドを支配してた死霊の王と手
を結んだ。
﹁生と死を操り、その身を︿冒険者﹀にする秘術を与えてやろう。
︿冒険者﹀の肉体とアイギアの技を使い、
214
ウェストランデをその手におさめたくは無いか?﹂
そう言われて。
半蔵の奴も最初は半信半疑だったらしいんだが、
捨て駒に実際やらせてみて、マジだと分かった。
年はとらねえ育ちははええ。
とどめにゃ死んでも村に密かに作った魔法陣からまた生えてきやが
る。
こうなりゃあ、まさに︿冒険者﹀⋮無敵の化物の誕生だ。
そうなりゃあウェストランデにへこへこする必要もねえ。
半蔵は自分も含めたアイギアの民全部、偽︿冒険者﹀に変えて、
ウェストランデの国盗りを始めやがった。
吟遊詩人どもが﹃服部半蔵の野望﹄とか呼んでる、一代反乱劇の幕
開けだ。
あん?ってことはお前も︿冒険者﹀なのかって?
⋮いや、違うな。
確かに俺も含めたアイギアの民は育ちも早いし、
年もとらねえが、一番肝心な能力が足りなかった。
死んでも、蘇る。それはいい。だがな⋮不完全なんだ。
俺も理論は余り分からねえが、
蘇るたびにハクって奴がどんどん減るらしい。
そうなるとおつむがぶっ壊れて最後にゃ
命令を聞くだけのクグツになっちまう。
そうなるまでに耐えられる回数?たったの2∼3回だよ。
つまり命がほんの数個増えただけなんだよ。
もっとも、身体だけなら無限に蘇るけどな。
それが分かって、俺らは恐れた、
215
クグツに成ったら死んだも同然だからな。
だが、半蔵にとっちゃあ都合がいい。
何しろ奴に取っちゃ心がねえから今以上に
死ぬの怖がらねえ、無敵で不死身の兵隊だ。
つーかそれが分かってからだよ、
半蔵が俺らを今以上に死ぬように仕向けるようになったのは。
悪いことは重なるもんでな。
ウェストランデの貴族連中、自分らじゃ手に負えねえってんで、布
告を出したんだ。
︿冒険者﹀たちに、俺らを村ごと潰せってな。
本物の︿冒険者﹀と、偽物の俺ら。
絶対に俺らが勝てない戦争の幕開けだ。
もちろん、そんな簡単に負けたわけじゃあなかった。
俺達は︿冒険者﹀のつくる百人隊⋮
この前のザントリーフの戦でも作られた
最強の︿冒険者﹀騎士団を3度も撃退した。
数に頼んで捨て駒同然に︿絶命の一閃﹀乱発して、
村のあちこちに仕掛け作って、村で育てたモンスター放ってな。
だがな、次から次へとやってくるんだ。
3度目が終わる頃にはアイギアの民は殆どが半蔵のクグツになって
た。
それにな、俺は奴らが不死身の︿冒険者﹀だっての、
あの戦のときにとことん思い知らされたぜ。
3度の戦いのうち、一番被害がでかかったのは、2度目だった。
半蔵がズタボロに追い詰められながら
何とか敵の団長が率いる最後の小隊しとめた時だ。
そんときにな、今にも死にそうになってる団長がこんなこと言って
216
んだよ。
﹁⋮大体情報は集まりましたね。これなら次回は攻略できるでしょ
う﹂
あいつら、死にそうになりながら、
もう次に襲うときのこと考えてんだ。
本質が違いすぎる。本気で怖かった。
そんな状態だからな、4度目の襲撃受けたとき、俺はアイギアを見
限った。
どう考えても死なす気で、たった1人で偵察に出されたんだが、そ
んときに逃げた。
普通はな、んなことやったら村の掟に従って処分される。
見せしめに10人でも20人でも死ぬまで密偵ぶつけられて、殺ら
れる。
けどな、俺はそれは心配してなかった。
なぜかって?
⋮遠目で確認したら、その4度目の連中な、
あの2度目に襲ってきた連中とまったく同じ顔ぶれだったんだ。
実際俺が逃げ出した次の日だよ。
半蔵が仕留められてアイギアが滅亡したのは。
⋮いや、滅亡はしてねえのか。
今でもアイギアの民は生きてる。
﹁村に入るものは、殺せ﹂
その、半蔵の最後の命令を守り続けるクグツどもが、今でも襲って
くるからな。
年もとらず、揃いの狐の面をつけて、忠実にな。
5
217
それからはまあ、ヤマト中回って色々やった。
盗みも殺しもお手のもの。
アイギア仕込みの技もあったしな。
ただ、絶対に死なないようにしてた。
死んだら消えるですまねえ。
アイギアで永遠に彷徨う羽目になるからな。
んで、それから25年して、俺は依頼を受けた。
因果なことに相手はウェストランデの大貴族。
そいつがな、︿冒険者﹀が円卓会議なんぞ作って
不穏な動きを見せてるアキバに潜入して、
情報を集めて来いってな。
俺は引き受けた。報酬が良かったからな。
そんでアキバに潜入して⋮
かつてアイギア滅ぼした騎士団のところに、使用人として潜り込む
ことにした。
︿大地人﹀の口利き屋の鑑定は俺のたった20レベルっきゃねえ
サブ技能の方を鑑定させることで乗り切り、肝心要の暗殺者の技は
隠しきった。
⋮んだけどなあ。
あいつらさ、雇い入れる使用人は全員顔を合わせて決めるんだ。
団長とか、幹部級の騎士様とかそうそうたる顔ぶれで、
たかが使用人ごときをな。
それでよ、俺の番が回ってきたんだが⋮
な∼んか、やばい雰囲気なんだよなあ。
みんな俺の方見て、不思議そうな顔しててよ。
218
なんなんだとか思ってたら、団長が答え教えてくれた。
﹁⋮拝見したところLv63の暗殺者のようですが、今までご職業
は何を?﹂
いやあ、あんときゃ焦ったね。
︿冒険者﹀の奴ら、普通に見えるみてえなんだよ。
俺が職を2つ持ってるのも、かたっぽがアイギア仕込みの暗殺者な
のも。
とはいえ、俺もダテに何十年も生きちゃいねえ。
とっさに生き残る算段考えて行動を取った。
懐に呑んだ苦内抜いて﹁覚悟!﹂とか叫んで︿絶命の一閃﹀。
相手は団長、アイツなら間違っても死ななそうだったからな。
どういうことかって?考えてもみろよ。
アキバ最強の騎士団の騎士6人相手に俺1人で勝てるわけねえだろ。
演出だよ演出。次につなげるための。
⋮まあ、まさかその団長に無傷で弾かれるとは思わなかったがな。
いやさ、質問した時点で密かに使ってたらしいんだ。
︿ストーン・オブ・キャッスル﹀っつう、守護戦士の奥義。
流石に自慢の一撃が完全に防がれたときは唖然とした。
だが、すぐに次に移った。
あんまし黙ってるとそのまま黙って殺られそうだし。
3人がかりで押さえつけられながら、叫んだんだよ。
﹁おのれ!村の、アイギアの仇!﹂
ってな。もう迫真だったぜ?涙とかボロボロ流してな。
あいつらの顔が一斉に引きつるのが見えたし。
219
⋮団長だけは眉一つ動かさなかったけど。
﹁⋮MAJIDE?﹂
妙に低い声で女が話しかけてきたからな、色々言った。
お前らがアイギアを滅ぼしたとか、今でも仲間が無念で彷徨ってる
とか、
最後の生き残りとしてお前達と戦う義務があるとか、
そのためにウェストランデの密偵になったんだとかそりゃもう。
適当に。もちろん、嘘だ。
そもそも俺、25年も前に生き残りたくて逃げ出したくらいだぜ?
あんなクソッタレの故郷に今更未練なんぞあるわけねえだろ。
アイギア密偵は死ぬのなんざ日常茶飯事。
10人行きました、8人帰ってきました。上出来ですね。
なんてのが普通の場所だぜ?
死んだ間抜けの仇討ちなんざ命賭けてできるかっつの。
アイギア最後の生き残りってのも少しでも腕を高く買わせるための
ハッタリよ。
むしろあの時あいつらがとどめ指さなかったら村の掟に従って
殺されてクグツにされてたんだから、感謝してえくらいだぜ。
なんてことは、おくびにも出さねえ。
あいつら戦闘の経験値はやたら豊富でも人生の経験値ってのが足り
てねえからな。
騙すのは意外に簡単なんだ。
﹁いかん!全俺会議的に無罪放免主張!ついでに完全雇用希望!﹂
﹁むむむ、故郷に殉じ、単身特攻するその精神はあっぱれ!
是非とも寛大なる措置を求めるでござる!﹂
﹁ククク⋮あの時我らが滅ぼした村の生き残りか⋮
220
ミロード
え、これ俺らが完全に悪者じゃね?﹂
﹁いかがいたしましょう?隊長。
逃がすとまた襲ってくるかも知れませんが、
原因が私達にもある以上、殺すのは心情的に⋮﹂
﹁⋮では、監視もかねて採用で。ただし、次はありませんよ?﹂
﹁採用MAJIDE!?﹂
まあ、そんなわけで、捕まっちまってしょうがねえからって顔しつ
つも
無事雇用されたってわけだ。
5
それからはもう、実に真面目にお仕事こなしたぜ?
使用人の仕事こなして、後から入った同室の開拓民上がりのガキに
文字教えてやるとかして使用人とも仲良くなって、
騎士団の秘密盗んで、時々思い出したように
分かりやすく殺気を騎士連中にぶつけて。
お陰で騎士連中の間じゃあ密かにかつて騎士団に故郷滅ぼされて
復讐に燃えるアイギア密偵の生き残り、ってことになった。
他の︿大地人﹀の使用人には秘密だけどな。
俺の高すぎる暗殺者技能とかも簡単にスルー。
レベルが違いすぎるから警戒も全然されねえ。
むしろ少しは警戒しろって思ったくらいだ。
そんでしこしこと情報集めて、まとめてた。
もちろん、文章になんぞのこさねえ。
俺の頭の中にだけ、残した。
情報を持ち帰るのは、丁度騎士団の監視が薄くなる祭りの日。
その日にウェストランデの他の密偵と合流。
221
そして見事にお仕事完了。
⋮の、はずだった。
最後の最後にやらかしたのは、本当に失策だった。
あれのせいで俺は、密偵を廃業するしかなくなったからな。
⋮しっかしなあ、合流に来たウェストランデの使者が
あの騎士団の連中に襲われるたあなあ。
いやさ、最終日に姿をくらましたとき、
同室のガキが騎士団の騎士に探してくれって言ったらしいんだ。
⋮それ、マジでやるか?たかが︿大地人﹀の使用人の頼み聞いて。
俺のために4人も割いてよ。
んで俺を街の外で見つけたとき、あいつら勘違いしやがったんだよ。
使者を俺を始末しようとする、密偵だって。
まあ、完全にカタギの雰囲気じゃなかったし、
俺と対峙するためってんで、精鋭を5人も連れて俺を囲んでたから
な。
勘違いするのは分かる。
けどよぉ、やるならやるでしっかり殺せっつの。
﹁彼女は拙者たちのもはや仲間!
手を出すのなら拙者たちがいつでも相手になるでござる!﹂
﹁仲間MAJIDE!﹂
﹁⋮相手は西の大国か⋮面白い。我らが獲物には、相応しい﹂
﹁それは流石にどうかと思うけど、全俺会議的にも助けるで全会一
致だこの野郎!﹂
とか散々ぶちのめした後に言われたら、俺、完全に裏切り者じゃね
えか。
使者はすげえ目で俺のこと睨みながら、後悔するなよとか言って去
るし。
222
⋮ウェストランデ丸ごと敵に回して、俺が生き残る道は、
齧りついてでもあいつらについていくことしか無くなった。
コレで﹃アイギアの雌狐﹄と呼ばれた俺も密偵としては廃業。
これからは、ただのしがない使用人決定だよ。
⋮おっと。もうこんな時間か。
そろそろ帰るぜ。夜が明ける。
風の匂いからして、今日は、晴れだしな。
ああ、今働いてる騎士団でな、決まってんだ。
晴れた日の朝は全員で騎士団の連中の股布洗えって。
これでも俺は騎士団じゃあ出来るメイドで通ってるんだよ。
朝まで飲んでて遅れましたは、通用しねえ。
じゃ、勘定はここに置いていくぜ?
⋮しかしよ、ここは本当にやばい街だ。
﹃生き延びる根性﹄って奴をどんどん削っていきやがる。
﹃生きる気力﹄なんて生易しいもんじゃない、
何がなんでも生き残ろうとする、意思。
そういうもんが無くなっていくんだよ。
そこまでやらなくても生き延びられるから。
毎日、ちゃんとしたメシが出てくる場所で木の根を齧る奴がいるか?
あったかい布団がある場所で、野宿しようとする奴がいるか?
充分に何でも持ってるのに、他の奴から殺して奪おうとするか?
そういう話だよ。
223
俺や俺の言った連中は特殊だが、普通の密偵だって次々廃業してい
る。
人食いみてえに居心地が良すぎてこの街に定住決め込んだ奴。
表の顔としてやってたはずの商売が面白くなっちまった奴。
抱いた女にガキ作られた程度で、カタギになるの決め込んだ奴。
密偵になるしかなかったようなクズのくせに、
クズじゃない生き方を手に入れちまった奴ら。
そんな、連中。
いつだったか、アキバの街でよ、狐尾の女を見かけたんだ。
尻尾と耳丸出しで赤子抱いて、嬉しそうにしてるんだけど、
そいつ、やっすい白粉の匂いが骨まで染み付いてやがんの。
売女だよ売女。生まれが悪くてロクな生き方選べなかった類の。
そんな奴があっさり⋮なんてえの?普通の生活手に入れてやがんの。
文字も計算も出来ねえのに︿冒険者﹀の店で雇われ女給やって、
女手一つでガキ育てるとか、考えられねえよ。
この街以外じゃ。
なんかそれ見たら⋮ちょっと泣けてきた。
っと、湿っぽくなったな。じゃあな。気が向いたら、また来るよ。
224
番外編 密偵のXXXX︵後書き︶
本日はこれまで。
最後に、津軽あまにさん。キャラをお借りしました。
事後報告となり、申し訳ありません。
225
第7話 修道女のマリア︵前書き︶
本日お送りするのは﹃大人の物語﹄です。
かつて書かせていただいた、子供達の物語のもう一つの側。
このお話は﹃第4話 孤児のテツ﹄とリンクした内容になっていま
す。
あ、ちなみに全年齢対象です。その手の描写は一切ありません。
226
第7話 修道女のマリア
0
︱︱︱出会いは、夏の始まろうとしていた頃だった。
マイハマ郊外にある孤児院。
そこで朝の礼拝の準備をしていたマリアは、礼拝堂の扉を叩く音を
聞きつけた。
﹁朝早くにすみません。旅のものですが、娘が熱を出してしまいま
した。
少しだけで良いので、こちらで休ませて頂けないでしょうか?﹂
扉の外からは、落ち着いた雰囲気の男の声が聞こえてくる。
﹁そうですか。それは難儀したことでしょう。
今、扉を開けますので少しお待ちください﹂
そう言うと、マリアは礼拝堂の祭壇から、この孤児院にある中では
最も高価な宝物⋮
死霊や悪魔を祓う力を秘めた、銀製のメイスを取り出し、腰に下げ
る。
このご時世、女手一つで孤児院を預かる身としては用心を怠っては
生きていけない。
そして、いざと言うときの備えもできたと判断し、マリアは扉を開
け⋮
マリアは驚きの余り目を見開いた。
﹁ああ、ありがとう。感謝いたします。ほら、真奈、ついたよ⋮も
う、大丈夫だ﹂
227
﹁パパぁ⋮﹂
熱で苦しそうに息をする、黒髪の人間族の少女を背中に抱いている
のは、
エルフ族の騎士だった。
年のころは今年で24になるマリアより少し上。
短く刈った金髪の髪と少し細めの、優しそうな青い瞳。
首から下は分からないが、恐らく筋骨隆々、というわけではないだ
ろう。
だが、明らかに異常な存在だった。
灰姫城の宝物庫にもあるかどうか分からぬくらい素晴らしい全身鎧
を身に纏い、
腰からは孤児院のメイスなど比べ物にならぬほど強い魔法の力を秘
めた
メイスを下げている。
右手だけで軽々と少女をささえ、左手には水晶を削りだしたと思し
き盾。
見れば彼らのそばには一頭の馬⋮足が8本もある、異形の駿馬が彼
らを見守っていた。
その余りにも異常な存在に、マリアはただ1つだけ、心当たりがあ
った。
﹁あ、あの⋮貴方はもしや、アキバの⋮﹂
﹁はい。冒険者です。私はターク。こちらは、娘の真奈と言います﹂
それが、出会いだった。
﹃第7話 修道女のマリア﹄
228
1
幸い少女の方は、大したことは無かった。
﹁旅の疲れが出たのでしょう⋮恐らく、半日も眠れば良くなるかと﹂
﹁そうなのですか⋮良かった。体力は今の方があるはずと過信して、
無理をし過ぎたようですね﹂
マリアの見立てに、ほっとため息をつき、タークは頬を緩めた。
﹁無理⋮ですか?﹂
﹁はい。少しでもアキバから離れたくて、一昼夜走り続けました﹂
そしてさらりと余りにも無茶な旅路を語る。
﹁一昼夜!?それは、無理をし過ぎでは!?﹂
アキバからマイハマまで、普通ならば陸路だと早馬でも3日はかか
る。
危険な魔物が出る場所を避ければ、もっとだ。
﹁ええ。そうですね⋮真奈には、無理だったようです﹂
反省するタークにはまったく疲れの色が見えなかった。
﹁あのタークさんは⋮?﹂
﹁ああ、私は慣れていますから。
昔のようにとは行きませんが、まだ1日2日の徹夜くらいならば
⋮﹂
そのことを尋ねたら、タークは更になんでもないことのように、
常識外れのことを言った。
﹁シスター。この人、だれ?﹂
﹁きしさま?⋮でも、まちにいるきしさまと、ちがうよ?
シスターとおなじエルフだし、やさしそう﹂
﹁騎士じゃないよ。アキバの冒険者様だって﹂
﹁すっげー!あんな鎧、初めて見たぜ!?やっぱ冒険者様は、違う
なあ⋮﹂
229
﹁⋮ねぇ、ぼうけんしゃさまって、つよい?﹂
﹁おう、強いぞ。前に吟遊詩人のジイさんが歌ってたのを聞いたこ
とがある。
恐ろしい亡霊の村の500もの亡霊たちをたった100人で打ち
破ったって﹂
﹁あなた達!少し静かになさい!﹂
いつの間にか集まり、口々に騒ぐ孤児たちに、マリアは静かにする
よう言う。
﹁申し訳ありません。ターク様。お騒がせしてしまい﹂
﹁いいえ。気にしてませんよ。子供が騒がしいのは当然です。
それに、コレぐらい元気な方が楽しくなります﹂
恐縮するマリアに、タークは朗らかな笑顔を向ける。
どうやらそれは本当らしく、嫌そうな顔を見せることもない。
﹁しかし、ターク様に何か粗相があっては⋮﹂
﹁いえいえ。それこそ気にしないでください⋮というか、様付けも
いりません﹂
どうやら本当に気さくな方のようだ。
そう、判断し、マリアは何とか力を抜く。
﹁では、タークさん、とお呼びします。
汚い場所ですが、どうぞ、お好きなだけ滞在ください﹂
心からの誠意を込めて、マリアは言った。
﹁え!?よろしいのですか!?しかし、そうなるとお礼は何を⋮﹂
﹁いえ、お礼などお気に﹁ぼうけんしゃさま!﹂﹂
鋭い声が、マリアの声に被せられた。
その声の主は⋮
﹁リノン!静かになさい!﹂
最近、双子の片方を不幸な事故でなくした、幼い孤児の少女だった。
230
リノンは、マリアの鋭い声にも、黙らず、舌足らずの口でその言葉
を言った。
﹁どうか、シノンのかたきをうってください!なんでもします!
あの、けがらわしいラットマンたちを、たいじしてください!﹂
ボロボロと、泣きながら。
﹁⋮どういうことですか?マリアさん?﹂
﹁あの⋮実は⋮﹂
その様子に尋常でないものを感じたのだろう。
タークがマリアに尋ねる。
仕方なしに、マリアは数ヶ月前の出来事を説明することにした。
数ヶ月前、すぐ近くの森に住む︿鼠人間﹀が彷徨い出て、
修道院にやってきたことがある。
ほんの数匹で、最終的にはマリアが退治したのだが、
その間に襲われたシノンは、助からなかった。
﹁あの、お気になさらないでください。シノンのことは、不幸な事
故だったんです。
これまでも何度かあったことですし⋮﹂
絶句するタークにマリアは慰めの言葉をかけた。
マイハマの街場から離れたこの孤児院では、よくあることだった。
マリアとて悔しくないわけではない。
だが、かつて騎士の傷を癒す従軍司祭として騎士団に籍を置き、
戦の心得もあるマリアであっても、
数百以上の︿鼠人間﹀を全て退治することなど、不可能だった。
﹁リノン、良く聞いて。冒険者様とい﹁分かりました。お引き受け
します﹂﹂
マリアが言い聞かせようとする言葉が、再び遮られた。
231
﹁タークさん!?﹂
﹁あの森にいる︿鼠人間﹀は⋮全ては無理かも知れませんが、出来
うる限り、
私が責任を持って退治しましょう。シノンさんの仇は、私がとり
ます。
だから⋮もう、泣かないで﹂
笑顔を浮かべ、泣きじゃくるリノンをあやすターク。
それは、御伽噺に出てくる、理想の騎士様のようで⋮
マリアは言葉につまった。
﹁⋮すみませんが、マリアさん。真奈を少しだけ頼みます﹂
タークはゆっくりと立ち上がると、マリアに言葉をかける。
﹁た、タークさん⋮?﹂
﹁⋮夜までには戻ります。旅の道中で、なんとか戦えることは分か
りましたし、
あの森の︿鼠人間﹀相手なら、負ける要素も無いですから﹂
言葉につまるマリアに、タークは静かに言う。
﹁で、では、私もついてまいります!私は施療神官です!
従軍司祭の経験もあります!足手まといにはなりません!﹂
考える前に、言葉が出た。
﹁分かりました。施療神官がいれば更に心強い。
では、改めて。私は、ターク。クラスは守護戦士です。
Lvは⋮一応ですが90です﹂
孤児も含め、マリアたち全員が息を呑む音が聞こえた。
2
疑っていたわけではなかったが、Lv90というのは、本当だった。
その鎧と盾は、︿鼠人間﹀の攻撃などまるで寄せ付けなかった。
﹁うわあ!?⋮てい!﹂
タークは技すら使わず、やや腰が引けた様子で汗を流しながら
232
ほぼ機械的にメイスを振る。
一見すると余り戦いなれていない人のそれだが、
それでもレベルの差は大きく︿鼠人間﹀はただ一撃でその命を叩き
潰された。
キィ!キィ!?キィィィィ!
旺盛な戦闘本能を持つ︿鼠人間﹀ですら逃げ出すものが現れるほど
の、
圧倒的な戦闘能力。
少しくすんだ長い金髪を後ろで結び、成熟した女性的な肉体を
従軍司祭時代に使っていた、上質の革鎧で守り、銀のメイスで武装
したマリアは、
ただすることも無くタークを見ているしかなかった。
︵凄い⋮︶
ここの︿鼠人間﹀は、︿鼠人間﹀の特徴である病も持たず力量も
最も弱い部類⋮およそLv20以下と言われている。
マリアとて本気を出せば、数が一度に5匹位ならば倒せるだろう。
だが数が一度に10匹になれば危険。一度に15匹になれば逃げ出
すしかない。
その位の強さはある。
しかし、タークは群れが群れを呼んで膨れ上がった50匹近い︿鼠
人間﹀を、
ただ1人で相手をしていた。
﹁⋮ああ、真奈。目が覚めたのかい?そうだ。パパは少しお仕事を
しているんだ。
夜までには戻るけど、それまでに何かあったら⋮そうだな。
︿ライトニング・バスター﹀は使えるね?あれを使いなさい。
あれならば、攻撃する相手を指定できたはずだ。
233
ただし、本当に危なくなったときか、孤児院のみんなを守るとき
だけだ。分かったね﹂
まるで誰かに話しかけるように何かを言いながらも、手は休めない。
尋常ではない速度で、︿鼠人間﹀が倒されていく。
ガサッ!
新手が現れたのだろう。近くの茂みが揺れる。
今回、マリアにとっての初めての実戦だ。
﹁くっ⋮来なさい!﹂
少し緊張しながら、メイスを構える。
モンスター退治をしていれば後方支援を主とする従軍司祭とて、
騎士の打ち漏らしに襲われるなど、よくあることだ。
だからこそ、そうなっても良いよう、メイスの技を磨いた。
⋮しかし、結果として戦の準備は無駄になった。
﹁︱︱︱︱︱うおおおおおおおおおおおおおおおお!﹂
突然タークが上げた雄たけび。
それは茂みに潜んだ︿鼠人間﹀を怯えさせ、
︿鼠人間﹀を一斉にタークに飛び掛からせる。
﹁す、すみません!油断しました!﹂
︿鼠人間﹀を倒しながら、何故かマリアに謝るターク。
マリアが首をかしげていると、タークは続いて言葉をつむぐ。
﹁施療神官を攻撃させる守護戦士なんて、守護戦士失格ですからね!
もう油断はしません。マリアさんには、指一本触れさせませんよ
!﹂
﹁⋮え!?﹂
戦場であるにも関わらず、頬が熱くなるのを感じる。
守るのが当然と言い切る騎士に対して、胸が高鳴った。
234
⋮そして夕方まで戦い。
﹁⋮流石に、もう出てきませんね﹂
︿鼠人間﹀が死んだ後に残した大量の歯と毛皮⋮
戦いが終わったことを悟った、タークがどっかりと腰を落とし、言
う。
森は、主たる︿鼠人間﹀を失い、かつてない静寂に包まれていた。
﹁いやー、怖かった。幾らLvの差があると言っても、やはり実戦
は違いますね﹂
﹁⋮実戦は⋮?﹂
﹁あ、いえ。なんでもありません。
とにかく、これでしばらくは︿鼠人間﹀は出ないと思います﹂
慌てて何かを誤魔化すように言うターク。
すぐには数え切れないほどの山となった歯と毛皮を見ながら、マリ
アは呟く。
﹁すごいですね⋮﹂
﹁ええ。私も︿鼠人間﹀ばかりこれだけ倒したのは初めてです。
⋮ああ、そうだ﹂
山となっているそれを見て、タークは言った。
﹁これ、売れますかね?﹂
﹁え?ええ⋮多分街場に持っていけばかなりの金額となるかと﹂
︿鼠人間﹀の残す歯や皮はけして高く売れるものというわけではな
いが、
何しろ数が数だ。
恐らく孤児院が数ヶ月は楽に運営できるくらいの金額にはなるだろ
う。
﹁でしたらこれ、すべて孤児院に寄付させて頂けませんか?﹂
それを聞き、頷きながらタークが提案した。
﹁はい?⋮よろしいんですか!?﹂
﹁はい。どうぞ。恥ずかしながら銀行に預けたままで手元に持ち合
235
わせが余り無くて。
真奈がお世話になった、お礼ということで﹂
﹁いや、お礼はむしろ私達が言うべきなのですが⋮﹂
危険な森の︿鼠人間﹀を退治して、さらにその戦利品を寄付する。
並大抵の恩ではなかった。
3
﹁うおおおお、すっげえー!?﹂
﹁嘘、こんなに!?一体何匹倒したの!?﹂
﹁シスター、冒険者様って強かった?﹂
﹁⋮ええ、とても﹂
余りに常識はずれな戦果を上げた2人に対し、
孤児たちが興奮して聞いてくる問いかけに、半ば放心しながら答え
た。
まるで夢でも見ているよう。
そんなことを考えながら、マリアは目をそちらへとやる。
﹁ぼうけんしゃさま!ありがとう。ありがとう!﹂
泣きじゃくりながら、感謝の意を示すリノン。
これできっとシノンの魂も安らかに眠れるだろう。
そして、泣きじゃくるリノンをあやしながら、タークが言う。
娘
﹁いいんだよ。子供を守るのは、大人なら必ずすることなんだから﹂
騎士様に相応しい、言葉を。
﹁パパぁ!﹂
そして、涙目でタークに駆け寄るのは、元気になったタークの
⋮
確か、﹃まな﹄とタークは呼んでいた。
﹁ああ、良かった!元気になったんだね!﹂
236
その姿に心から喜び、まなを軽々と抱き上げるターク。
﹁うん!もう、だいじょうぶだよ!﹂
微笑ましいはずのその光景に。
キシリと。それを見ていたマリアの心がなった。
マリアにも理解できぬ、心の痛みだった。
﹁さて、先ほども言ったとおり、これは孤児院に寄付いたします。
⋮どれくらいになりますかね?﹂
ここまでバッグに入れて持ってきた戦利品を広げながら、
タークの問いかけに答えたのは、孤児院一の秀才である、ジョシュ
アだった。
﹁今、数えたら歯が全部で132本、毛皮が68枚ありました。
歯が1本で金貨7枚、毛皮が金貨16枚で売れたはずです﹂
手早く数え、街場での相場を教える。
﹁なるほど⋮﹂
それに大してタークは頷くと、鞄から紙とペンを取り出した。
そして⋮まなにそれらを渡しながら、尋ねる。
﹁⋮真奈。ちょっとやってみてごらん。歯が132本で1本辺り金
貨7枚、
毛皮が68枚で1枚辺り金貨16枚で売れる。じゃあ、全部で幾
らになる?﹂
﹁﹁え?﹂﹂
マリアとジョシュアは驚いた。
タークがまなにそんな難しいことを聞き出したことに。
しかしまなは頷くと、紙に何かを書き始める。
﹁うん。わかった⋮えっと⋮132かける7が924,68かける
16が988、
じゃないや1088だから⋮ぜんぶで金か2012まい?﹂
﹁はい。良く出来ました﹂
この間、僅か数分。まなは極めて正確に答えを返した。
﹁ちょ、ちょっと待ってください!?なんでそんな簡単に出来るん
237
です!?﹂
ジョシュアが驚きの声を上げ、まなにつめよる。
とてもじゃないが、まなほどの子供が⋮
いや、平民だと大人でも出来る内容とは思えない。
﹁ひう!?ひっさんはさんすうでならった、から⋮?﹂
それに涙目になりながら、まなは答えを返した。
﹁⋮算数?それは一体⋮タークさん、算数とはもしや冒険者の秘術
ですか?﹂
﹁いえ、普通の勉強ですよ⋮いや、こっちだとそうなるのか?
⋮まあ、そんなに難しいものではありません。
ちゃんと勉強すれば誰でも出来ると思いますよ﹂
﹁本当に!?僕でも可能ですか!?﹂
﹁はい。ジョシュア君くらい頭が良ければ、多分始めればすぐに⋮
しかし、そうですね⋮確かに考えていなかったけど、真奈にも必
要か⋮﹂
興奮して尋ねるジョシュアに頷きながら、何かを考え出すターク。
そして、気がついたように、マリアに言う。
﹁とにかく、歯と毛皮は全てお譲りします。孤児院のために役に立
ててください。
その代わりと言ってはなんですが⋮
しばらく、こちらでお世話になっても良いでしょうか?
私に出来る限りのことはしますので﹂
﹁は、はい!よろしくお願いします!﹂
是非も無い。マリアは慌てて頷いた。
孤児院に新たな仲間が加わった瞬間だった。
⋮翌日、タークと共に戦利品を街場の信頼できる店に売りに行った
際、
検分にたっぷり待たされた挙句、支払われた金額がぴったりまなの
答えと
238
一致したことにマリアが戦慄を覚えたのは、余談である。
4
それから、1ヶ月と少し。みんなが寝静まった夜。
﹁︱︱︱タークさん。また、書いているんですか?﹂
ついこの前3冊目となる奥伝を書き終えてなお、執筆を止める気配
の無い
タークに、敬意8割、呆れが2割でマリアは尋ねた。
﹁ええ。作っていたら昔のことを思い出して楽しくなってしまいま
してね。
それに、少しでも覚えているうちに書いておかないと、忘れた時
に困ります。
こちらではすぐに確認する、なんてわけには行きませんから﹂
そんなことを言いながら、今、タークが書いているのは数の秘術。
タークが持つ冒険者の英知の一端、数字に関する様々な知識を、
分かりやすくまとめたという、前代未聞の書である。
︵ちなみに最初は﹁算数の教科書﹂だったのだが、
それでは何を表すのか分かり辛いとのことで、今の名前になった︶
﹁それと、こちらは明日、商人の方に渡す分です﹂
10冊ほどの数の秘術︵初伝︶をマリアに渡す。
﹁何から何まで⋮すみません﹂
タークは、筆写師⋮それも守護戦士と同じLv90という、伝説級
の筆写師である。
︵本人は昔取った杵柄と言っていたが︶
この世界においては、筆写師は既に作られた原本さえあれば、
比較的簡単に本を増やすことができる。
239
数の数え方から始まり、計算や図形など、算数の基礎について書か
れたこの本を、
マリアたちと付き合いの長い、孤児院に様々なものを運んでくれて
いる
マイハマの商人が目をつけて、定期的に買い取るようになってから、
臨時収入
の件もあって少なくとも今孤児院にいる
この孤児院の経営は大分安定した。
先月の
20人ほどの孤児たちはマリアとタークから学問を教わりながら
それなりに豊かに暮らしている。
︵この調子で行けば⋮でも⋮︶
マリアは迷っていた。
マリアの運営するマイハマ第3孤児院には、まだまだ部屋に余裕が
ある。
近年、近くの森に︿鼠人間﹀の群れが住み着いてから、急速に寂れ
た孤児院だが、
元々はかなり大きな孤児院だったのだ。
そして今は︿鼠人間﹀も大幅に数を減らして平和になり、
更にタークの力により、経営状態も良好になっている。
今なら10人やそこらの孤児を新たに受け入れることも可能だろう。
だが。
﹁⋮マリアさん、どうかしましたか?何か、悩んでおいでのようで
すが﹂
マリアの悩みを察して、タークが尋ねる。
﹁⋮えっと、その⋮うちでお世話する孤児を増やしたい、そう、思
うのですが⋮﹂
本当に大事な部分は言い出せなかった。
今、この孤児院の経営のほとんどは、タークの手で成り立っている。
もし、彼がいなくなれば、すぐにでも前に逆戻りするだろう。
それどころか孤児を増やしていれば、前より酷くなるかも知れない。
240
﹁⋮ああ、なるほど。確かに街場には、まだ孤児がいるみたいです
ね﹂
イースタル最大の街、マイハマ。
きらびやかで美しい街ではあるが、決して貧困と無縁の場所ではな
い。
孤児や、孤児になりかけの貧民の子はまだまだいる。
領主たるコーウェン家とて貧困への対策を行い、
街の中心近くにはかなりの規模の孤児院もあるが、
それでも街場で酷い生活を強いられている孤児は、たくさんいた。
﹁⋮はい。貧民の、特に親に捨てられた孤児は本当に酷い生活をし
ているんです。
私も、そうでしたから、良く分かるんですけど﹂
思い出すだけで嫌になるような過去を、そっと振り返る。
自分はまだ、幸運だった。施療神官の才能を見出されて院長に拾っ
てもらえたから。
﹁⋮やはり、そうなのですか⋮﹂
時折、マリアと共に街場へ行くたびに感じては、いた。
街で、時折、汚い服を纏った子供を見かけると。
だが、1人の人間に過ぎぬタークには、それらを救うには力が足り
ない。
⋮そう、1人では。
﹁分かりました。⋮少し援助を頼んで見ようと思います﹂
決意を込めてタークはマリアに言う。
﹁援助、ですか?どなたにですか?﹂
如何にマイハマが豊かといえど、儲けにも、大した名誉にも繋がらぬ
孤児院への援助者など、容易く見つかるものではない。
それを知っているマリアは、誰に頼むのかと首を傾げた。
そして、それにタークは、マリアの予想外の援助者の名を上げる。
﹁私の所属するギルドです⋮今、運営のお手伝いをしていない身と
しては
241
心苦しいのですが、恥を忍んで、頼んでみることにします﹂
大災害直後の、荒れ果てていた時期ならばともかく、今ならばいけ
るかもしれない。
﹁ギルド⋮家門ですか?失礼ですが、タークさんは、そのような家
門の人なのですか?﹂
マリアの問いかけに、タークは深く頷く。
﹁はい⋮私は、一応、海洋機構に所属する、冒険者です。
そこの総支配人ならば、話を聞いてくれると思います﹂
ギルドマスター
念話でアキバに出来た︿円卓会議﹀の詳細を話してくれた、
年下の総支配人。
冒険者だけでなく、大地人とも親しく付き合うことになったと、
面白そうに言う、快男児。
アキバで最も多くの冒険者を束ねるギルドの長である彼ならば。
そして数日後。
﹁まとまりました。月に一度、収支の報告をして、冒険者の連れて
くる孤児は
こちらで引き受けるという条件つきですが、海洋機構が援助を認
めてくれました﹂
﹁本当ですか!?﹂
マリアにとっては寝耳に水の報告だった。
こうも容易く認めてもらえるとは思わなかった。
大地人の孤児が、冒険者の家門に援助者になって貰うなどという夢
にも等しい話が。
﹁はい。私のまとめた報告書⋮マイハマの孤児の現状を綴ったものを
マイハマに来ていた海洋機構の冒険者に託したら、すぐに﹂
勝算はあった。
人柄でみなをまとめる彼ならば、この話にも乗ってくれると、信じ
ていた。
242
そしてそれは正しく、各支配人を集めた定例会議でも満場一致で援
助が決まったという。
﹁夢みたいです⋮﹂
マリアは喜んでいた。
これで、もっともっと救いの手を差し伸べられると。
その様子を嬉しく思いながら、タークは、少しだけ本音を口にする。
﹁それに⋮﹂
﹁それに?﹂
偽らざる本音。
﹁⋮真奈くらいの子供が、酷い暮らしをしてるなんて、父親として
は耐えられませんよ﹂
子供には幸せでいて欲しいという、明快な願いを。
﹁⋮え?﹂
その言葉にキシリと。
また、マリアの心が鳴った。
5
マイハマにいた孤児を拾い、世話をする孤児の数が3倍にも膨れ上
がった、夏の頃。
その男はやってきた。
﹁やあ。こんにちは。綺麗なエルフのお嬢さん。
ここに拓ちゃん⋮タークって人がいると聞いてきたんですが﹂
黒いコートを纏った、人間族の30代半ばくらいの冒険者だった。
山本と名乗る肩に巨大な両手剣を担いだその男は、
隠そうともせず自らを冒険者の⋮﹃暗殺者﹄だと言った。
︵まさか⋮タークさんの命を狙って!?︶
冒険者にして暗殺者だと言う山本はタークと同等の実力を感じさせ
る。
︵どうしよう。タークさんに伝えて︶
243
そう思っていると、慌しくいつもの格好でタークが表に出てくる。
﹁山本⋮?まさか、山ちゃんか!?﹂
暗殺者だと言う山本に親しげに話しかける。
それに山本は頷いて、答えた。
﹁ああ、驚いたよ。拓ちゃんがこっちにいるなんて思わなかった。
メガネども
この前海洋さんとこと俺のいる第8で情報交換して、分かったん
だ。
⋮それに、円卓会議の秀才組が口揃えて出来がいいって認めた、
数の秘術の秘伝を書いたのも拓ちゃんって聞いてね。ピンと来た
んだ。
ああ、こりゃうちの設計部隊のエースの拓ちゃんしかいねえなっ
てね﹂
﹁ああ、僕も驚いたよ。まさか山ちゃんがこっちにいるとは思わな
かった﹂
18の頃からの付き合いになる友人に対して、山本も、頷き返した。
﹁いやーすいませんね。いきなり押しかけちゃって。私、こういう
ものです﹂
朗らかにマリアに改めて挨拶しながら、山本はなれた手つきで紙片
を取り出す。
それには﹃ギルド︿第8商店街﹀所属 薬屋ヤマモトヒロシ代表 山本﹄とだけ
書かれていた。
﹁あの⋮これは?﹂
﹁ああ、自己紹介みたいなもんですよ⋮サラリーマンのね﹂
﹁さ、さらりーまん、ですか?﹂
いきなりの展開に目を白黒させるマリアに、茶目っ気たっぷりに冗
談を返す山本。
﹁相変わらずだなあ山ちゃんは。
マリアさん、この人の言うことは余り気にしないでください﹂
244
﹁ひっでえなあ拓ちゃん。長い付き合いなのに﹂
﹁長い付き合いだから、だろ?﹂
わざわざ筆写師に作らせたのであろうそれを見て苦笑しながら、
相変わらず冗談好きな友人に顔をほころばせ⋮真面目な顔で聞く。
﹁⋮もしかして、僕に何か頼みがあるのかな?山ちゃん﹂
﹁⋮相変わらず察しがいいな。なあ、拓ちゃん。アキバに戻ってき
ちゃくれないか?﹂
タークと自分との間に、無駄な言葉は不要。
そう知っている山本は、真面目な顔で率直に言葉を重ねた。
﹁今のアキバは、いい所だぜ?活気って奴がすげえ。
俺もさ、こっちに来て念願の一国一城の主って奴になった。
元の仕事とは全然関係ない、薬屋だけどな。
ま、俺の営業スキルなら、何扱っても一緒だけどよ﹂
﹁ああ、山ちゃん、昔から言ってたもんな。いつか独立したいって
⋮それで?﹂
タークはあちらでの夢を掴んだという友人の言葉に頷きながら、先
を促す。
﹁ああ⋮俺、頼まれたんだ。拓ちゃん連れ戻してくれって﹂
﹁⋮どういうことだい?﹂
なんとなく理解はしながら、確認を続ける。
﹁実はな、今、アキバじゃあ盛んに古いビル改造したり
新しい建物建ててんだけどさ、設計の人手が足りてないんだ。
なにぶんこっちは建築のことなんざ知りもしねえ素人揃い。
入ったときから営業畑で図面なんざ読めるだけで学生の頃以来引
いても無い俺が
向こうで建築やってた学生どもから先生扱いなんて酷いザマだぜ。
⋮拓ちゃん、アンタが必要なんだ。設計部隊の仏の拓ちゃんなら、
プロ中のプロ。
しかも若い連中に教えられるくらい詳しくて、このご時世に手書
きで
245
完全な図面引ける奴なんて、アキバの連中でも拓ちゃんくらいし
か俺はしらねえ﹂
そう言うと、いつものように拝み倒す。
向こうではいつもやってたように。
﹁頼むよ。戻ってきてくれ。拓ちゃん位の腕を腐らせとくなんて、
惜しい。
孤児院のことなら心配いらねえ。
海洋さんは拓ちゃんがいなくても援助は続けるって言ってる。
なんなら俺ら第8でも援助してもいい。それくらいの腕なんだ。
な?頼むよ﹂
この世界では、ある意味大規模戦闘をこなせる人材以上に貴重な、
仕事のプロ。
おまけに10年以上やってたベテランとなると、数えるくらいしか
いない。
何が何でも、アキバに欲しい人材だった。
﹁⋮悪いけど、その話は、受けられないよ。山ちゃん﹂
だが、タークはその誘いに首を振った。
﹁⋮なんでだよ?何か、ここにはあるのか?﹂
理由
を呼んだ。
﹁ああ、ある。今呼ぶよ⋮ああ、真奈、ちょっと来てくれるかな?﹂
山本の確認に頷いて、念話でその
が入ってくる。
﹁⋮おい。今なんつった?﹂
娘
山本の顔が引きつった。
それは、驚愕だった。
そして扉が開き、その
﹁⋮ねぇ。パパ⋮お話って何?⋮その人、だれ?﹂
まなはおずおずと、かすかに見覚えがある気がする山本を見て、タ
ークに聞く。
﹁おい!?どうなってやがる!?なんでここに真奈ちゃんがいる!
?﹂
もはや余裕は無かった。山本は目の前の光景が信じられず、ターク
246
に詰め寄る。
﹁ひう!?﹂
﹁⋮大丈夫。この人は顔は怖いけど、良い人だから。
⋮山ちゃん、僕たちは巻き込まれたんだよ。︿大災害﹀に2人と
も﹂
それにため息をつきながら、タークは山本にその言葉を返した。
﹁おいおい⋮なんてこった。合点がいったぜ。拓ちゃんがアキバを
離れた理由もな﹂
驚愕が収まり、山本は深く納得した。
同時に、タークが戻るわけには行かない理由も。
﹁⋮しっかし、ついてねえなあ。俺なんか理恵も健太も浩二も来て
ねえから、
気楽なもんだったけど、実際見せられたら肝が冷えたぜ﹂
いるかもしれない。
全部で3万もいるんだし、15に満たない子供なら何人か見た。
しかしそれが寄りによって親友の娘だとは思っても見なかった。
それを自分と置き換えて見たら、背筋がぞっとした。
あのバカ息子たちでも怖いのに女の子だなんて、と。
円卓会議が出来る直前の惨状を知ってるから特に。
﹁とにかく、大変だったな。話は分かった。
連れて行くのは諦めるよ。あそこは子供にゃあ、早すぎる﹂
あの街にだって、まだ闇はある。
そこに、子供連れで行くことなど、仕事人の前に大人としての自分
も認めない。
﹁その代わりさ、時々色々聞くと思うけど、相談に乗ってくれるか
い?
あと、こっちで暇なときでいいから、図面引いてくれ。金は払う
からさ。頼むよ﹂
事前に決めておいた最低限。
それを要求に乗せ、山本は改めて拝み倒した。
247
﹁ああ、分かった。それぐらいなら、いつでも言ってくれ﹂
タークもそれには同意する。
それならば、受け入れられた。
﹁じゃあ、俺は帰るよ。向こうに報告もしておく﹂
そう言うと立ち上がり、マリアにその言葉を告げる。
﹁そいじゃあ、シスターさん。これからも真奈ちゃんを頼みますよ。
この子は良い子だし、なにより⋮拓ちゃんが世界中の誰よりも
可愛がってる大事な娘だからさ﹂
ギシリ。
ああ、まただ。また、心が軋んだ。
﹁は、はい⋮﹂
それをまたどこかで感じながら、マリアは頷いた。
6
季節は進み、夏の盛りの頃。
﹁おい!チビ!お前生意気なんだよ!﹂
﹁はぁ!?うっせえな!だったら力づくで黙らせて見ろよ!﹂
﹁なんだと!?面白え!やってやる!﹂
﹁ああ上等だ!表出ろ!﹂
大人顔負けの体格を持つジャックと、年相応の体格だが、
常に腰から親父から貰ったという刀を下げていて、
戦に慣れた気配を持つ狼牙族の少年、テツ。
この孤児院きっての問題児が2人、喧嘩を始めた。
﹁ジャック、やめておいたほうがいいと思いますよ﹂
﹁⋮がんばれ、テツ兄﹂
﹁だ、だめだよ。テツ、けんかは⋮﹂
ジャックと友人になったジョシュアと、テツの妹のルリ、そしてま
な。
248
3人がそれぞれに2人に言う。
﹁やめなさい!2人とも!﹂
それを慌てて止めるのがマリアの役目だった。
﹁そうですよ。皆さん、勉強の時間です。真奈も、教室に入りなさ
い﹂
そんな2人を微笑ましく思いつつも、タークが教室に促す。
︵⋮いいか、メシ抜きは流石に勘弁だ。後でやるぞ︶
︵⋮分かった。明後日なら俺もお前も仕事はねえ。木刀でやるぞ︶
妙に気が合っている気がする2人に苦笑しながらも、
いつもの﹃授業﹄を始めた。
この孤児院に、急激に人が増えた原因は、現在アキバの円卓会議が
進める、
ザントリーフの戦だった。
主力を蹴散らされ、抵抗は散発的になったものの、あちこちの開拓
村が
︿緑小鬼﹀の群れに襲われ、壊滅した村も幾つか報告されている。
そして、彼ら︿緑小鬼﹀の群れや、他のモンスター⋮
散発的かつ突発的なモンスターの襲撃などで滅びた村。
その村の生き残りの子供を受け入れることになったのが、この孤児
院だった。
冒険者の連れてきた子供は、孤児院で受け入れること。
かつて、出資してもらう際に定めた約定に従い、各地から子供が集
められていた。
︵テツとルリは、どこの出身なのかしら?︶
子供達に文字を教えながら、マリアは考える。
その大半は︿緑小鬼﹀に襲われた、イースタルの開拓村の開拓民の
子供だが、
249
たまにテツとルリのように、今ひとつどこから来たか分からない子
供が混ざる。
︵あんな子供に本物の武器を持たせるなんて⋮︶
おまけにイースタルではあまり見かけない、狼牙族だ。
孤児院に来た時に着ていた服もマリアの良く知らない様式の服だっ
た。
︵⋮多分、モンスターに襲われてご両親を失ったのだと思うんだけ
ど︶
子供達に過去を聞くのは、そのまま辛いことを思い出させることに
直結するのを考えると、興味本位で聞くのははばかられる。
⋮連れてきた冒険者も、口をつぐんでしまったので、
マリアもタークも、2人の出身は聞けないでいた。
︵とはいえ、気にしてもしょうがないか︶
マリアだって過去を聞かれたら、答えたくない気持ちは分かる。
大事なのは、これからだ。
そう考えて⋮
﹁せんせー、よめません﹂
﹁はい!?⋮あ﹂
思ったことをそのまま黒板に書いていたことに気づいて、赤面する。
﹁ご、ごめんなさいね﹂
慌てて書いたものを消し、文字の書き取りを始めさせる。
マリアとターク、2人が勉強を教え、その間に頼んで近くの村から
来て
もらっている家政婦に食事を作ってもらう。
それが最近のこの孤児院のやり方だった。
昔は全部孤児と自分でやっていたのだが、幼い子供を含む孤児が増
えて、
手が回りきらなくなったのと、海洋機構の出資とタークの内職の結
果、
250
そして﹃畑﹄の成果が出たお陰で、人を雇うようになっていた。
昼食後。
﹁相変わらず、育ちがいいですね⋮﹂
﹁ええ。こちらでもうまく行くかは分かりませんでしたが、
充分注意したお陰かうまく行ったようでよかったです﹂
孤児院が持っている畑を訪れた二人は、訪れた客と共に
作物の実りを確認しあい、結果に頷いた。
孤児院の畑は春ごろまで、大地の恵みを使い果たした、痩せた畑だ
った。
それをタークが他の冒険者に聞いてまとめたという英知でもって復
活させた。
ちなみにその方法は⋮
﹁まさか、あんなもので大地の恵みが蘇るとは思いませんでしたけ
ど﹂
畑のそばに掘られた、大きな素焼きの壷が埋められ、屋根がつけら
れた穴。
そこに溜め込まれた、熟成を待っている孤児100人分の⋮汚物。
責任は取るので底の方から取った数年もののそれを畑に蒔かせて欲
しい、
と言われたときは理解できなかったが、
今となってはそれが正解であると認めざるを得なかった。
﹁まあ、あの方法がずっと続いてたらしいですから。昔は﹂
﹁しかし驚きました⋮本当にこの方法を伝授して貰っても?﹂
わざわざ領主のところから査察に来た文官が、タークに尋ねる。
大地の恵みを蘇らせる、奇跡の方法。
モンスターが多く、原野を開拓するのが難しいこの世界では、
痩せた畑を蘇らせる技術は食糧増産に大きな意味を持つ。
ましてやそれが、病の元となる汚物を処理する道にもなると
251
言われては、もはや見過ごすことは出来なかった。
﹁はい⋮これなら、こちらでも問題なく出来るでしょうし﹂
そう言うと、方法をまとめた報告書を渡す。
﹁それにこちらでいきなり冒険者という人口が増えた以上、食糧増
産は急務です。
冒険者の方は農業に踏み込むつもりは無いみたいですし﹂
ミチタカからも聞いている。
食糧をアキバで作るつもりはない、と。
幾ら金があろうとも、そもそも作れなければ、流通も出来ない。
だからこそ、海洋機構は試せるだけの条件を満たしていたタークに、
試してうまく行ったら大地人に広めるように頼んだのだ。
こちらでも出来るであろう古式ゆかしい、この方法を。
﹁はい。セルジアット公爵様も同じお考えです﹂
文官も頷く。
﹁それから⋮﹂
﹁はい。約束どおり、これはマイハマのみで秘匿いたしません。
イースタル中に広めれば、他でも行われるようになりましょう﹂
そしてそうなれば、今以上に人を養えるようになる。
まさに、革命と言ってもいい方法だった。
7
そして、秋、季節と共に変化の時は訪れる。
﹁真奈!?﹂
昼下がり、いつものように部屋でマリアと共に海洋機構の仕事を
こなしていたタークが突然声を上げて立ち上がった。
﹁タークさん!?どうしたんですか!?﹂
突然のタークの行動に、思わずマリアは聞き返す。
タークは慌しく久しく使っていなかった戦装束に身を包みながら、
252
焦って言う。
﹁この孤児院からだとあの森しかない!もう出ないだろうと油断し
ていた!
真奈とテツ君が危ない!すぐに戻ります!
娘
の危機を知ったタークは、
マリアさんは、こちらで待っていてください!﹂
どうやって察したのか
戦装束を纏うと人間離れした速度で窓から飛び出して、そのまま駆
け出す。
﹁は、はい⋮?﹂
突然の行動。それにマリアは目を白黒させながら、呆然とする。
あれほど必死なタークを見るのは、久しぶり⋮
恐らく、まなを連れてやってきたとき以来だ。
それが、ギシリと、マリアに嫌な胸騒ぎを覚えさせる。
⋮まるで、あのとき突然現れたときと同じように。
⋮突然去ってしまうのではないか、そうなる、予感を。
その予感が深まったのは、2時間後のことだった。
﹁テツぅ⋮テツぅ⋮うええええええ﹂
激しく泣きじゃくる、だが無傷のまなを連れてタークが戻ってきた。
無事だ。だが。
﹁⋮なんてことだ⋮なんで、真奈がこんな目にあわなきゃいけない
んだ⋮﹂
タークは憔悴しきっていた。
かつて恐れたものが、よりにもよってまなに降りかかった。
それは⋮
﹁パパ⋮ぼうけんしゃは、いい人じゃなかったの?
テツがいうみたいに⋮ばけもの、なの?﹂
強く、根が深い怒りと殺気⋮
それは余りにも正当で、認めざるを得ない当然の感情だった。
253
ばけもの
それに真正面からさらされたまなは、泣きやめなかった。
余りにテツが可愛そうで。自分が、冒険者になったようで。
﹁違う⋮真奈は化物なんかじゃないよ⋮﹂
まなは化物なんかじゃない。自分も⋮今はまだ違う。
だが、言い切ることは出来なかった。
今の冒険者には、化物と呼ぶしかないものもいる。
そんな、どうしようもない事実があるから。
むしろかつてのアキバでもそれの存在を感じたからこそ、
タークはまなを連れ、アキバから逃げたのだから。
﹁あの、タークさん、一体何が⋮﹂
尋常ではない雰囲気。
それを感じ取り、マリアは尋ねる。
﹁テツが⋮﹂
言いよどむ。容易く認めるには、勇気のいる言葉だったから。
そして言いよどんだがゆえに、言葉にする前にそれが訪れた。
﹁大変だよ!﹂
ばたんと。
扉が開かれ、ジャックが入ってくる。
﹁大変だ!テツの奴が、孤児院から逃げたぞ!冒険者の世話になん
かなれるかって!﹂
﹁今のテツ君は、とてもじゃないが冷静とは言えません!このまま
にしておいたら⋮﹂
﹁⋮マイハマからアキバまで、1人でいくなんて⋮無理。お願い⋮
テツを、助けて﹂
テツと特に親しい孤児たちが、口々にそれを伝える。
次の瞬間だった。まなが飛び出して行ったのは。
﹁真奈っ!?﹂
それを追って、タークも飛び出そうとして⋮立ち止まる。
マリアの方を向いて、言う。
﹁私は⋮これからテツ君を連れ戻しに行きます。真奈と一緒に﹂
254
その顔には、深い決意がこもっていた。
﹁わ、分かりました。その⋮気をつけてください﹂
マリアが怯えつつも、送り出す言葉を口にする。 嫌な予感を感じ取っていたから。
そして、タークは予感どおりのことを言った。
﹁⋮連れ戻すことが出来なければ⋮もうここには戻れません。
ミチタカさん⋮海洋機構の総支配人は、気持ちの良い人です。
例え私がいなくとも、孤児院の援助を打ち切る人ではないでしょ
う。
だから⋮私がいなくなっても、大丈夫ですから﹂
﹁嫌です!﹂
考える前に、言葉が口を出た。
孤児院なんて、どうでもいい。
そんな言葉まで漏れそうになった。
﹁⋮なんでですか!?なんで、テツがいないと、ここには、戻れな
いんですか!?
そんなの、おかしいじゃないですか!?﹂
孤児が家出をして⋮二度と帰らない。
それは悲しいことだが、孤児院ではままあることだった。
だが、それにタークは悲しげに首を振り、答える。
﹁⋮私は、まだいいです。割り切れます。大人ですから。
しかし⋮そうなったらここは、幼い真奈には、辛すぎる﹂
ギシリと。
マリアの心が傾いだ。
ついに穴が開いたように、どす黒いそれが顔を覗かせた。
それを自覚したマリアは動けなくなってしまった。
﹁⋮行ってきます⋮どうか、お元気で﹂
そう言うとタークもまた、まなを追って、孤児院を飛び出した。
255
﹁⋮お願い。テツを、助けて﹂
﹁⋮たく、テツの野郎2人をあんなに心配させやがって!
帰ってきたらぶん殴ってやる!﹂
﹁大丈夫ですか?シスターマリア、顔が真っ青ですよ﹂
残った孤児たちの言葉が耳を通り過ぎる。
マリアはただただ怯えていた。
見えてしまった、自分の﹃底﹄に。
8
数時間後、タークは無事帰ってきた。
テツを連れて。
タークとマリアは、男らしく悪かったと認めるテツを応接間で随分
と叱った。
﹁本当に、無事でよかったです⋮﹂
夜も遅くなり、テツを部屋に返して、マリアはタークの隣でほっと
息を吐いた。
﹁ええ、本当に危ないところでした。もう少し遅かったら、間に合
わなかった﹂
テツは夜の街道で稀に現れる、大型モンスターに襲われていた。
Lvこそ大したことは無いが、それでもテツ1人には、荷が勝ちす
ぎる相手。
遠距離を正確に攻撃できるまなを連れていなかったら⋮そう思うと
背筋が凍った。
その安堵が、タークにその言葉を口にさせた。
﹁真奈が悲しまずに済んで、本当に良かった⋮あの子が私の、全て
ですから﹂
ギシリと音を立ててマリアの心が、どす黒く、染まった。
あのときと同じ。だが、今度は緊急事態ではない。
理性で止めることは、もはや出来なかった。
256
﹁⋮ずるい﹂
娘
は。
マリアが、ポツリと口にする。
まなは、あのタークの
﹁⋮マリアさん?﹂
ずるい。
気づいてしまえば、もはや止まらなかった。
﹁⋮ずるい、ずるいよ!なんで、なんでなの!?何でまなばっかり
!?
だって⋮あの
娘
娘
だって⋮﹂
だけ、タークさん
タークさんは、強くて、賢くて、優しくて⋮本当にいい人なのに⋮
娘
なんで、どうしてなの!?どうしてあの
が、
パパがいるのよ!⋮あの
これ以上はいけない。
そう、大人の頭では分かっていても、止まらない。
タークが誰よりもまなを大切にするたびに傷つき続けた心は、止ま
らなかった。
そして、涙と共に、それが飛び出した。
︱︱︱捨て子の癖に!
皮膚を食い破った膿は、もはや噴出すしかない。
噴出したのは、10年以上かけて降り積もった、どす黒く、汚いも
のだった。
﹁ねえ!?どうして私には、パパがいないの!?どうしてママは、
私を捨てたの!?
どうして私は血が繋がってるはずのパパとママに捨てられたのに、
あの娘だけが、血も繋がってないくせにタークさんに愛されてる
の!?
257
ねえ、どうして!?どうして、どうしてなのよ⋮﹂
それは、子供の頃、毎日のように考えていたことだった。
大人になり忘れた振りをして、見ないようにしまいこんでいたもの
だった。
わけも分からず泣いていた時に院長に拾われ、施療神官の修行を
受けられなかったら、死んでいたかもっと酷い暮らしをしていたは
ず。
それが分かっていたからこそ、許せなかった。
無償の愛を与え続けてくれる、父親。
マリアがどれだけ望んでも手に入れることができなかったものを手
に入れた、
自分と同じはずの﹃捨て子の娘﹄が。
︵ああ⋮終わりだ︶
激しく高ぶりながらもどこか醒めた頭が理解してしまった。
タークは、余りに優しく、賢く、強い人だ。
娘
を侮辱した、
なればこそ、許すことはないだろう。
何よりも大切な
浅はかで、自分勝手で、生まれが悪くて、嫉妬深い修道女など。
この孤児院は⋮自分は、また捨てられる。
﹁ごめんなさい、ごめんなさい⋮許してください⋮﹂
それが怖くて、苦しくて⋮マリアは、俯いて謝りながら、涙をこぼ
した。
﹁⋮マリアさん﹂
ビクリと、俯いたマリアが肩を震わせる。
﹁ごめんなさい。気づいて上げられませんでした。
マリアさんたちに、私と真奈がどう見えているか、に﹂
その光景に心を傷めつつ、真実を告げる。
﹁荒唐無稽な話ですから、信じられないかも知れませんが⋮
258
私と真奈は、血の繋がった、父娘です﹂
いつものように、優しく。
﹁⋮え?﹂
﹁冒険者には⋮種族の壁が無い。
あらゆる別の種族同士で夫婦となり、あらゆる種族の子供を作れ
る。
今でもそうかは分かりませんが、少なくとも︿大災害﹀までは
そういう存在だったんです﹂
﹁う⋮﹂
嘘と言おうとして、言葉につまる。
嘘というには、余りに真剣なタークの顔を見て。
﹁そして、私は⋮良い父親なんかじゃ、無かった﹂
そう呟くタークの顔は、今にも泣きそうだった。
﹁家内が死んでから、家にいるのが辛くて⋮
私は真奈を置いて、仕事に打ち込んでいました。
⋮寂しい思いをしていた真奈が冒険者になるのを、止めようとも
しなかった﹂
それは、懺悔。この世界で、タークが自身に背負わせた、余りにも
重い罪。
﹁子供がやるようなことじゃないことは、充分に知っていたはずな
んです。
私がどうしても処分できずに元の場所に置きっぱなしにしていた、
家内の形見を真奈が時々使っていたことも。
⋮親ならば、どんなことをしても遠ざけねばならなかったもので
あることも。
しかし、私はしなかったんです。
時間を見つけては真奈に見つからないよう密かに見守って⋮むし
ろ喜んですらいた。
私と家内の出会いの場所と言うだけで、ここを、よいものと思い
たがっていました﹂
259
この世界で何度もかみ締めた、苦い記憶。
妻と同じIDで冒険をする少女はほろ苦く、同時に懐かしい甘みを
持っていたがゆえに、
後でとてつもない後悔の味となった。
﹁見守っていた、ちょうどあの時にあの大災害があったのは、幸運
でした。
アキバで、泣きながら私を呼ぶ、真奈を守れた。
けれど同時に分かったんです。私がどれだけの罪をおかしたか。
⋮どれだけ、真奈のことを考えてやれなかったのかを﹂
大災害直後のアキバの惨状が頭をよぎる。
何もすることのない無気力と、半ば自棄となった、むき出しの欲望
が支配する街。
それは、娘と言う守らねばならぬものを持つタークにとってただた
だ恐怖だった。
﹁⋮真奈を守りたい。そう思って私は真奈を連れて逃げ出しました。
いつか、冒険者の悪意が真奈に降りかかるのを防げなくなるのが
怖かったから。
善意を信じて悪意を取り除く、アキバに残った冒険者がしたよう
な努力もせずに﹂
自らはどこまでも幸運だった。温かい大地人たちに出会えたから。
⋮それが、更にさいなんだ。
﹁⋮マリアさん。私はね、逃げてばかりなんですよ。
家内との思い出からも、真奈からも、冒険者の持つ、悪からも。
とんだ臆病者です。冒険者が聞いてあきれる。だから⋮﹂
酷く苦しい告白を終えて、タークはまっすぐにマリアを見る。
﹁⋮良いんですよ。ダメなところを見せても。
私だってもうこの年ですから、人間がいつだって純真無垢だなん
て、信じられない。
私自身が理想の父親の振りをする⋮ナイト気取りの臆病者ですか
ら﹂
260
この10以上離れた、この世界で出会った、
可愛らしい娘さんには、笑っていて欲しかった。
あの日、出会ったときから幾度と無く助けてくれた人だから。
そう思ったら、苦しい後悔をも、口に出来た。
﹁ターク⋮さん﹂
﹁良いんですよ。わがままを言っても。
むしろこんな可愛い女の子に我侭を言われるなんて、男冥利につ
きます﹂
﹁で、でも私はもう大人で⋮女の子だなんて﹂
余りにも優しい言葉にマリアは怯えた。
ここでまた弱いところを見せては、今度こそ捨てられるのではない
かと。
だが、甘えても良いというそれは、同時に抗い難い魅力を感じさせ
た。
﹁子供ですよ。24歳なんてまだまだです⋮もうおじさんの私に取
ってはね﹂
そういうと、静かに、マリアの頭を撫でる。
それが、きっかけだった。
﹁⋮よしよし、本当に、辛かったね。でも、もう、大丈夫だよ。
僕は⋮ずっとここにいるから﹂
そう言ってもらえた瞬間。
﹁⋮うぇぇぇぇ⋮﹂
マリアは、母に捨てられて以来、14年ぶりに声を上げて、泣いた。
子供のように。隣に座るタークに縋りつき、14年分の全部を吐き
出すように。
﹁大丈夫。大丈夫だから⋮﹂
それをただ静かに、タークは受け入れ続けた。
娘をあやすように、頭を撫で続けて。
9
261
﹁初めまして!今日からこちらでお世話になります、
狼牙族のマリカです。みなさん、よろしくお願いします!﹂
ぺこりと頭を下げる,育ちのよさを感じさせる態度と手入れの行き
届いたさらさらの髪,
マイハマ風の清潔で仕立ての良い服を纏った狼牙族の少女に,マリ
アは苦笑した。
最近、この孤児院は人の動きが激しい。
タークの﹃教育﹄を受けた孤児が優秀であるとして商会などで見習
いとして
雇われて孤児院を去る一方︵あのジョシュアの一番上の弟も商会に
雇われて去った。
ジョシュア本人は数の秘術︵秘伝︶を読み終えるまでは孤児院に残
るつもりらしい︶,
この手の明らかに孤児とは言えないような子供が、孤児として来る
様になってもいた。
︵まったく⋮腰に刀を下げた護衛が2人もついた孤児って、なんな
のよ?︶
苦笑する。
傭兵である俺達では,この子を世話することは出来ない⋮くれぐれ
も、頼む。
そんな下手な言い訳と相当な額の寄付を残して去った狼牙族の男た
ちに。
明らかに普通の孤児ではなかった。
︵しょうがないかな。マイハマの賢者様の孤児院、だし⋮︶
マイハマの賢者。
この孤児院で行われている数々のことがマイハマで知られるように
なってから、
いつしかタークはそう呼ばれるようになっていた。
262
孤児がやってくる。
それからは時折、わざわざ孤児院まで足を運んでタークに教えを乞
自称
う若者や、
新たな
﹁すっげえ可愛い﹂
﹁え?あれ本当に狼牙族なの?う○こテツとは大違いじゃねえか﹂
﹁どっかのお姫様だって言われたら、信じるぜ俺﹂
﹁そうですね⋮しかし狼牙族にそんな貴族や商人がいるのか⋮?﹂
﹁ジョシュア兄、なにか考えてる?﹂
﹁⋮いえ、気にしても仕方ありませんね。何か変なことをする様子
もないですし﹂
﹁髪とかさらさらー。うわー、いいなぁ⋮﹂
﹁ルリも可愛いけど⋮いや、あれにはかなわねえな﹂
孤児たちも何かを感じ取っているのか、それぞれに噂しあっている。
﹁ねぇ⋮テツ?﹂
﹁あんだよ?﹂
﹁その⋮テツもやっぱり⋮あの子の方がいい?﹂
﹁はぁ?何言ってんだよ?﹂
﹁だ、だって、可愛いし、テツと同じだし、その⋮﹂
﹁⋮興味ねぇよ﹂
﹁そ、そうなの!?よ、良かった⋮﹂
﹁女のことなんざ、大人になってから考えりゃ良いんだ。
男なら、まずは女子供守れるくらい強くならねえとな﹂
﹁はう⋮そ、そっか⋮うぅ﹂
﹁⋮大丈夫。まなが勝ってる﹂
﹁ルリ!?そ、そう、かな⋮?﹂
﹁うん⋮あの子、テツ兄を別に好きになってない﹂
﹁⋮え?それって⋮その⋮じゃあ、もしあの子がテツのこと好きっ
263
て言ったら?﹂
﹁⋮﹂
﹁⋮﹂
﹁⋮母さん、最後、言ってた。﹃女にもね、勝てないと分かってても
戦わないといけないときもあるのさ﹄って﹂
﹁ううううう⋮﹂
﹁うわ、なんだよ!?いきなり泣き出すなよ!?﹂
前と変わらずじゃれあう仲に戻った2人を微笑ましく思う。
そして⋮
﹁ほらほら。みなさん、静かに。初めましてマリカさん。私は、タ
ークと言います﹂
﹁はい!本当にご迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願い
します!﹂
温厚、理知的、頼りがいのある、そんな孤児院のパパ。
その役を一手に引き受けるタークを見て、マリアは密かに決意を固
める。
︵私、この孤児院のママになります。だから⋮︶
これからどうなるのかは、分からない。
だが、1つだけ分かるのは⋮自分はタークを支えたい。
いつか、本当に愛されるために、それに相応しくあるために。
それが、マリアなりの決意だった。
264
第7話 修道女のマリア︵後書き︶
本日はここまで。
⋮書いて見たら、矛盾が出たので、第4話を一部修正しました。
ちなみに下肥は割りと扱いが難しいみたいです。
ちゃんとやれば延々リサイクルが成り立つようになるみたいですが。
ちなみに、この作品ではエルフは加齢速度と寿命は
人間と同じとして扱っています。
265
特別編 奴隷のシオン︵前書き︶
今回のお話はリクエストに基づいて書かれた、
かなり特殊な物語に付き、特別編とします。
今回は⋮冒険者視点でお送りするお話。
更に、以下の内容を含みます。
・厨二テイスト
・俺TUEEEEEEEE
・性的描写
それでもよいと言う方は、どうぞ。
ちなみに舞台はススキノ。ヤマト随一の危険地帯都市です。
266
特別編 奴隷のシオン
0
10を越える死体が転がるその場で、
斥候部隊でただ1人生き残った少女はぼんやりと座り込んでいた。
酷い戦だった。
帝国の意思統一のため、帝国にまつろわぬ狼どもとその長を討つべ
し。
若き皇帝の命の元、300の正規騎士団の元に700の傭兵が雇い
入れられ、
戦が始まった。
帝国の征伐軍は合計1,000。対する狼の群れの数はおよそ20
0。
狼どもは歴戦の猛者揃いとはいえ、こちらには圧倒的な数の差があ
る。
相手が冒険者だとでも言うのならばともかく、所詮は大地人に過ぎ
ぬ狼ども相手。
大地人同士の戦にはまず介入しない冒険者が出てこなければ負ける
要素は無い。
狼どもとてそれなりに精鋭を揃えたらしいが、
それでも帝国軍の征伐軍と技量はほぼ互角。
後は数で押しつぶし、代替わりしたばかりだという若き狼の長を討
267
てばこちらの勝ち。
そのはずだった。
のろのろと少女は立ち上男がり、最後に倒れた男を見る。
無数の傷を負い、前のめりに倒れた男は⋮笑みを浮かべて、死んで
いた。
︱︱︱女を守り抜いた。悔いは無い。
死ぬ間際、そんなことを言っていたことを思い出した少女は、
そっと首に巻いていたネックレスを外し、墓標のように男の上に置
いて、
その場から離れて二度と征伐軍には戻らなかった。
敵前逃亡。
少女の犯した罪は重かったが、その罪は問われなかった。
⋮3日後、﹃狼王﹄とその側近が直々に率いた2つの百人隊に挟撃
されて
800近い征伐軍の主力を壊滅させられ、それどころではなかった
が故に。
そして2年の月日が流れ⋮
﹃特別編 奴隷のシオン﹄
1
268
ススキノは相変わらず、最高だった。
このヤマトに生まれた、自由と暴力が支配する街。
ここの掟は厳しい。
弱い奴は食い物にされ、強いものが全てを得る。
それがいい。
強者
だからだ。
僕がそう思ったのは実に簡単な理由で、素晴らしいことに
僕が﹁この世界﹂では、圧倒的に
銀髪と赤目が特徴の、元シルバーソード所属盗剣士、
キリヤ。
オーバーキル
惨殺
Lvはこの前さらに上がって92。
愛剣は中国サーバーで大規模戦闘を突破したとき手に入れた、
幻想級武器︿陰陽の夫婦剣﹀
他の装備もスキルも僕が不登校になった中学2年のころから
3年間かけ、考え抜いて揃えた一級品揃い。
恐らく日本サーバー全体でも僕より強い人間なんて100人に満た
ないし、
ソロでの性能、で見たら20人も残らない。
そんな僕だったから大災害にもあっという間に適応した。
食事なんてどうせ栄養補給に仕方なく食べるものだったから不味く
ても平気だったし、
それより何より、本当に強くなったという興奮は、それを補って余
りあった。
ステータスが見えないとか、大き目の仕様変更はあったけど、それ
も1ヶ月で慣れた。
今の僕は大災害前とまったく同じ、或いはそれ以上の強さで戦える。
︵色々試して、昔よりスキル使用の自由度が大きく上がってるのは、
269
確認済みだ︶
キリヤの⋮僕の性能は完全に把握してたしね。
これからは僕は何でも好きなように出来る。
だから、ウィリアムがアキバで権力の座を蹴り飛ばしたときに
僕はあいつらを見限って、こっちに来た。
ここはススキノ。暴力と自由が支配する、弱肉強食の街。
だから、この街で屈指の実力を持つ僕はどんなものでも食い物にで
きるんだ。
そう、今のように。
﹁ひ、ひぃ!?助けてくれ!か、金でも何でもやるから﹂
ススキノから少し離れた、通常のフィールドゾーン。
少し前まで生きていた、妖術師の死体の隣。
両手の2本の剣をもてあそぶ、戦闘状態を維持した僕の目の前で、
情けない声で懇願しているのは、1人の守護戦士だった。
Lvは一応90みたいだけど⋮装備が安っぽい。
クラスティさんとかアイザックさん位強いならともかく、
この程度でススキノで生きてこうなんて、度胸あるなあ。
逆に尊敬するよ。
﹁お金?別にいらないよ。多分君の3倍は持ってるし、
使い道も今は思いつかないから。それに、欲しければ奪えばいい
じゃん?﹂
僕の答えに、守護戦士はますます顔を歪め、さらに懇願する。
﹁じゃ、じゃあ女だ!こいつをやる!見ろよ!綺麗だろ!?
奴隷市場でなら2万はするぜ!?なっ、なっ!?﹂
⋮コイツ馬鹿だ。僕の話聞いてなかったんだな。
ちょっと、いらついた。
﹁だから、欲しければ殺して奪うよ。別にいらないけど。
270
大体なんで死にたくないのさ?デスペナが着くけど、本当に死ぬ
わけでもないのに﹂
殺すのも殺されるのも、ここでは安い。簡単に蘇るから。
まあ、今の仕様だと経験値稼ぐのは結構難しいから、レベル下がる
と大変だけど。
所詮その程度だ。
﹁お、お前だって噂は知ってるだろ!?
死んだら、少しずつ向こうのこと、忘れるんだぞ!?﹂
⋮
⋮⋮
僕は無言で剣を構え、全力で切り刻んだ。
﹁や、やめっ⋮!?﹂
奴が事切れるまで、8秒。︿ストーン・オブ・キャッスル﹀使えば
最低10秒はもつし、
スキル駆使すれば30秒はもったのに、その程度も出来ないなんて
本当に雑魚だ。
惨殺
死体になった、守護戦士だったものに吐き捨て
﹁それこそ、この世界の嬉しい特典じゃないか。ば∼か﹂
もの言わぬ
る。
僕なんてデスペナが無いならむしろ積極的にやっておきたい位なの
に。
﹁さてと⋮﹂
僕は唖然としている女の子に向き直る。
鑑定鑑定っと。
﹁⋮へえ。君、大地人の女の子なのに盗剣士なんだ。
Lvは⋮たったの22。名前は⋮シオンね。
じゃあ、行こうか?﹂
271
﹁⋮え?﹂
僕に思わずシオン⋮僕の
奴隷
僕は丁寧に答えてあげた。
戦利品
トロフィー
が聞き返してくる。
﹁別に見逃してもいいんだけど、一応君は僕の
これからは、僕がご主人様ってことで﹂
だからね。
他の戦利品は⋮まあいいや。こんな雑魚の持ち物漁ってもしょうが
ないし。
﹁ほら、さっさと立ってくれないかな?僕、待つの嫌いなんだ﹂
そう言うと慌ててシオンは立ち上がろうとして、震える。
どうやら立てないらしい。
﹁そ、それが⋮腰が抜けてしまって⋮その﹂
慌てて言い訳をする。その様子が、ちょっと可愛い。
﹁そっかあ。じゃあ⋮﹂
それが良かったので、僕はシオンを背負い上げておんぶする。
﹁ひぇ!?あの⋮﹂
﹁運んであげるよ。僕の家まで、ね﹂
そう言って僕は軽いシオンをおんぶしながら、ススキノの家へと戻
った。
2
ススキノの一番小さいギルドホール。
アキバで借りるより大分安いそれが、僕の城だった。
﹁あ、お帰りなさいませー!ご主人様!ご飯の用意、できてます!
⋮あれ?そちらの方は?﹂
僕がシオンを連れて帰ると、すぐに部屋の一つから、エリーが出て
きた。
﹁ああ、今日からエリーの仲間になる、シオンだよ﹂
﹁はい?﹂
そう、エリーに伝えると、エリーは状況が飲み込めてないのか、首
272
を傾げた。
エリーはここで働かせるために買った
年は13で、レベルは6。
実用品
だ。
値段は6月以降跳ね上がったらしくて金貨6,000枚。まあ、そ
れだけの価値はあった。
﹁まあいいや。ご飯にしよう。今日のメニューは?﹂
﹁あ、はい!今日は挽肉のカレーと、ナンです!美味しく焼けたん
ですよ!﹂
そう、エリーの職業は︿料理人﹀なのだ。
時々失敗して謎のスライムを精製するが、簡単な料理ならまず失敗
せずに作れる。
僕としては不味くても平気だけどどうせなら美味しいものの方が良
い。
アキバと違って、ススキノにはまともな料理店って無いからなあ。
仮に出来ても速攻で奴隷狩りの餌食にされるんだけどね。
︿料理人﹀の奴隷って需要が常にあるし。
エリーは元々はススキノにあったパン屋の下働きの見習いだった。
ちなみにパン屋でまともに手料理を作れるようになったのはエリー
だけで、
エリーを苛めていた店主は不器用すぎて手料理を覚えられず、
奥さんと子供達はそもそも︿料理人﹀スキルを持っていなかった。
⋮苛められてた下働きのエリーは奴隷として生き残り、遊び呆けて
いた
パン屋の家族はまとめて北の大地の肥やしになったと言うから、
世の中分からないものだ。それはさておき。
﹁それはいいね。じゃあ、まずは腹ごしらえかな⋮シオン、君も食
べなよ。
273
それとエリー。タライにお湯を張って、タオルを2枚用意して。
終わったら、食べていいよ﹂
﹁はい!任せてください!﹂
﹁え?﹂
元気に返事をして駆け出すエリーと、状況を掴めていないシオン。
それが面白くて、少し、笑った。
⋮それから2時間。
﹁あの、私、どうすればいいんですか?﹂
料理を食べて︵これだけおいしいものは生まれて初めてですとか言
ってた︶、
身体を綺麗に拭いたシオンを、僕の部屋に呼ぶ。
﹁ああ、うん。まず最初に言うとさ、僕はロリコンじゃないんだ﹂
﹁は?ろりこん?﹂
幾らエリーが実用品だと言っても、そっち方面には使えなかった。
というか、する気にならなかった。ちょっと足りない残念な子だし。
﹁それに対して、君は合格。うん、僕的にアリ﹂
身体を綺麗にして、普通の寝巻きに着替えたシオンは、中々に美少
女だ。
鍛えられたしなやかな身体と、大きめのおっぱい。
いい匂いのする明るいオレンジの髪はまっすぐな長めのストレート
で、
肌はエッゾの大地人によくある、白い肌。
⋮実用一辺倒のズボンとブーツ、長袖のシャツと革鎧の時は
そういう風に使おうと思わなかったが、
改めて見れば、使い道は、1つしかない。
﹁まあ、そういうわけだからさ⋮脱いでよ﹂
他に出来ることもないしね。
たかだかLv22の盗剣士で、サブクラスなしじゃ。
274
﹁⋮いいんですか?私、初めてなのであんまり気持ちよく無いと思
いますよ?﹂
お、意外にあっさりしてる。
うん。言わなくても分かる子ってのは高得点。
経験なしなので更にボーナス。
⋮実のところ、僕も初めてだしね。
3
翌日。結論から言うと⋮最高だった。
特に痛みに耐えて必死に悲鳴噛み殺すところとか、もう。
おっと、詳しくは言わないよ。恥ずかしいから。
まあ、そんなわけで祝・卒業記念でシオンにご褒美をあげつつ、
僕は街を歩いていた。
﹁着心地はどう?それ?﹂
後ろを向いて、ひとしきりシオンを眺めつつ
﹁はい!?いや⋮あの⋮ご、ご主人、様⋮﹂
僕を呼ぶとき顔を真っ赤にしてるのが、可愛い。
まあ装備のせいもあるんだろうけど。
彼女が装備しているのは、僕が昔使っていた製作級防具︿小悪魔の
拘束衣﹀
下位の悪魔系のドロップから作れて装備レベルが20以上という、
今の僕には弱すぎる装備だ。
ちなみにこの装備は、エルダーテイルならではの仕様がある。
男と女で、装備した時にデザインが変わるのだ。
エルダーテイルでは、装備品に男女専用というものは無い。
これは性別は純粋に趣味で選べて実用に関わるべきではないという
思想からだ。
275
というか、そうじゃないと︿外観再決定ポーション﹀がジョークグ
ッズじゃ
なくなるしね。
そして、元僕の装備、今シオンの装備の︿小悪魔の拘束衣﹀に話は
戻ってくる。
僕が、つまり男が装備すると、︿小悪魔の拘束衣﹀のデザインは
ぴったりした漆黒のレザーズボンとブーツ、
素肌の上に袖なしでピッタリと吸い付く、真紅のレザーのベスト、
そして襟と袖と裾に銀色のファーが着いた長袖の黒いレザージャケ
ットとなる。
そして女が装備すると⋮
﹁これ、その⋮は、恥ずかしいです⋮﹂
顔を真っ赤にしながら、シオンが一言、言う。
太ももまで覆うピンヒールのエナメルブーツ。
今にもパンツが見えそうなくらい超ミニでレザーの漆黒のタイトス
カート。
真紅のベストもかなり短くて下はへそが丸出しだし、
上は大きめのおっぱいの谷間がくっきり見える。
各所に銀色のファーがついたジャケットは半そでに変更。
とまあこんな感じになる。
⋮いやあ、物持ちが良いって本当に、いいね。
﹁でも、そこそこいい装備だよ。
少なくとも性能は君の着ていた革鎧とは比べ物にならない﹂
﹁そ、それはそうですが⋮て言うかなんですかこれ!?妙に肌に吸
い付くというか、
着ている感覚が無くて、は、裸みたいというか⋮
276
露出している部分の感覚が鋭くなる感じがするというか⋮﹂
へぇ、装備重量のペナルティなし、命中率と回避率にボーナスって、
今だとそういうことになるのか。
﹁あれぇ?キー君じゃん。元気ぃ∼?﹂
﹁うげっ⋮﹂
そんなことを考えていたとき、いきなり話しかけてきたカオルに、
僕は顔をしかめた。
ある種の男の理想を全部詰め込んだみたいな、
超美形の銀髪ツインテールロリフェイス。
細い首には北欧サーバーのレイドボス︿破滅の神狼﹀の牙で作った
ネックレス。
シオンを更にえげつない感じにした、出るところ出て引っ込むとこ
ろ引っ込んだ
全身を包む毛皮のビキニみたいな、同じく︿破滅の神狼﹀がドロッ
プする幻想級の革鎧。
肩に背負っているのは2mほどの一見地味な槍⋮幻想級武具︿神殺
し﹀
僕がコイツを苦手な理由は、3つある。
1つは、僕がロリコンじゃないこと。
2つめは、コイツの声がどう聞いても潰れたカエルみたいな、男の
声であること。
そして3つめは⋮
﹁あれぇ?ひっど∼い。傷ついちゃうなぁ⋮5回目、殺る?﹂
のカオル。Lvは⋮91。僕より5年ほど長くプレイして
このススキノで、唯一僕をソロで倒しうる冒険者だと言うこと。
必殺
いる、廃人暗殺者だ。
277
コイツの特徴は、二つ名通りの一撃必殺。
メインの暗殺者、サブの狂戦士、世界全土でも最高の攻撃力を持つ、
南欧サーバー産の幻想級の槍、そして攻撃力にボーナスがつく、各
種装備。
必殺
の破壊力。そ
これらを全部揃えたコイツの放つ︿絶命の一閃﹀は、生半可な装備
だと
Lv90の守護戦士でも一撃で沈む。まさに
れがコイツの売りだ。
﹁う∼ん、殺りたいなら付き合うけど⋮結局五分五分だよ?﹂
とりあえず各種回避スキルを使いながら、僕はカオルに話しかける。
必殺
惨殺
の一撃で終わるし、僕
今まで4回やって、戦果は2勝2敗。展開は4回とも同じ。すなわ
ち。
カオルの︿絶命の一閃﹀が当たれば
が回避スキルを
使ってそれをかわしきればカオルが2発目を撃つ前に僕が
する。
ちなみに油断してない僕がかわしきれる確率は丁度50%。
まさに五分五分なのが、僕等の戦いだ。
決着がつくまでに掛かるのは、過去4回とも10秒以内。
街中でやっても衛兵が来るまでに悠々と逃げるくらいの時間はある。
そんなわけで、僕とカオルの殺し合い︵じゃれあい︶は、時と場所
を選ばず開始される。
﹁だよねえ∼。フェヒヒ﹂
しかし、当のカオルは今日は余り乗り気じゃないらしい。
あっさりと矛を収めて下品に笑う。
﹁なんだ。随分あっさりだね﹂
278
﹁まぁね。これから、ギルドのお仕事だからねぇ∼﹂
またか。僕は眉をひそめる。
カオルは、このススキノでとあるギルドのギルドマスターをやって
いる。
犬
を愛する愛犬家たちの同好会だ。
ギルド名は⋮︿愛犬家友の会﹀
ススキノに住む
なんで、ススキノでそんな平和なギルドやってるのかって?
大丈夫。ちゃんとススキノ仕様で狂ってる。だって⋮
のが良くない?﹂
じゃん。どうせ飼うなら
﹁にしてもそれ⋮う∼ん、キー君、二頭目飼うのはいいけど、
雑種
血統書付き
それどう見ても
私達みたいに
犬
とは、ようするに大地人なのだ。
こいつらが言う
ついでに雑種はいわゆる平民とか庶民。
血統書付きはエッゾの貴族。
そういう区分になってるらしい。
ちなみにメンバーはカオルの他に10人ほどいるらしいが、
中で何やってるのかは知らない。知りたくも無い。
﹁別に良いだろ?僕が何を飼っても﹂
﹁まあそうなんだけどさ⋮今度アタシが飼おうとしてるのは、凄い
よお。
ススキノで一番大きい犬小屋から逃げ出した、血統書付きのメス
でさ、
毛並みの良さは折り紙付き、ただ、ちょ∼っと遠くで迷子になっ
てるの。
お迎えに行ってあげなきゃ。友の会のお友達も、総出で、ね?﹂
279
なるほど、それなりにでかいミッションをこなす前だから、
デスペナは喰らいたくないと。コイツらしい。
﹁あ、そ。まあ好きにすりゃいいさ﹂
狩り
の日だしね。
どっちにせよ、やる気が無いなら、別にそれはかまわない。
それに僕も明日は
﹁ぶー。つれな∼い﹂
﹁じゃあ、いこっか?シオン﹂
何事も無かったように、僕はシオンを促す。
﹁⋮はい﹂
僕等のやり取りを見て、何を考えているのか分からないけど、
シオンは静かに返事を返した。
4
翌日。午前中いっぱいをのんびり過ごした後、
へと向かった。
僕はエリーにいつもどおりにギルドホールから出ないように言うと、
狩り
﹁あ、あの!?なんで私まで⋮﹂
︿八脚神馬﹀︵スレイプニル︶の上、僕の後ろで、シオンが僕に聞
く。
そりゃあ、理由を言うならば⋮おっぱい?
通常の馬の3倍くらい速度がでるスレイプニルから振り落とされま
いと
必死にしがみつくシオン。
後ろから当たる感触は、絶品だった。
﹁昨日のカオルの話じゃないけど、少しはお世話もしてみようかな
と思ってね﹂
と言っちゃうのは流石に自分でもどうかと思ったので、
用意しておいた言い訳の方を言う。
ちなみにシオンの装備は昨日の︿小悪魔の拘束衣﹀とそこそこの魔
280
法級の双剣。
まあ、今の狩り場だと完全に飾り物以外の何者でもないんだけどね。
﹁っと、ここだ﹂
たどり着いたのはエッゾに腐るほどある大平原の一角。
︿大災害﹀までは無かった小さな祭壇だ。
﹁あの⋮ここは⋮?﹂
﹁ああ、狩り場の入り口だよ。出るのは簡単だけど入るのは面倒で
ね﹂
5日に1度、昼から夜に変わるまでのごく短い時間しか、入れない。
向こうの時計でわずか5分。こっちでも1時間。
たまたま見つけた祭壇を一通り調べた後、張り込んで答えを見つけ
た。
とりあえず、休憩しながら、開くのを待つ。
エリーに作らせたお弁当を食べて、ゆっくりと。
⋮っと、来た。
夕暮れ、太陽が今にも沈もうとした時に、変化が訪れる。
祭壇に青い光が燈る。
﹁綺麗⋮﹂
シオンが、思わず呟く。僕はその手を取り、引っ張る。
﹁ご主人様?﹂
﹁さあ行こうか、狩りに﹂
﹃カムイの森﹄
エッゾの片隅の祭壇で時間条件までついた、
入るのがかなり面倒くさい追加ダンジョンだ。
知ってる
大地人でもいたのかもしれない。
僕は自力で見つけたけど、もしかしたらエッゾのどこかに
ここのことを
まあ、それはいいや。
281
﹁あの⋮ここは一体?なんだか昼でも夜でもないみたいですし、
それに⋮動物が光ってる?﹂
一見するとなんてことは無い森で、いるのも野生動物ばかり。
とはいえ、ここは追加ダンジョンだ。しかもLv90以上推奨の。
﹁ああ、手を出しちゃダメだよ?あいつら最低でもLv90あるか
ら﹂
﹁きゅうじゅ!?﹂
慌てて僕にしがみつく、おっぱいもといシオン。
まあ無理も無いかな。70もレベル差があったらかすっただけで死
ぬし。
カムイの森、ここに住むモンスターは、青く光る、
一見野生動物にしか見えない精霊系の︿神威﹀シリーズ。
レベルは90代前半に分布してて、最低でも90はある。
﹁そ、そんな危険なところ⋮そ、そりゃあご主人様なら平気かも知
れないですけど!﹂
シオンの震えながらの必死の抗議に僕は笑って言う。
﹁大丈夫だよ。入り口近辺にいる奴らは、全部ノン・アクティブ。
手を出さなければ襲ってこないから。あ、奥に行くと全部襲って
くるけどね﹂
1回それで死んだんだよなあーなどと思いつつ、
僕は手近にいた、︿兎神威﹀に一気に切りかかる。
物理攻撃耐性があるみたいだけど、どんな耐性もちにも
最低100%のダメージを与えられる、
全属性防御無効の特性付の僕の剣には関係ない。
斬った瞬間、ぶわりと光の粒子になって広がって、
ついで真っ赤な光を纏った兎に変わる。
反撃が、来る。弾丸みたいな突撃。
﹁ぐぅ!?﹂
回避失敗。並の守護戦士に匹敵する防御力を持つ僕をして、1割削
282
る大ダメージ。
後衛職ならあっという間に死ぬね、これ。
﹁痛いな!﹂
毒づきながら、再度攻撃。再び光の粒子になって広がる︿兎神威﹀
だが、今度は兎には戻らず、足だけがその場に転がった。
それを拾い上げつつ、僕はシオンを見て、言う。
﹁⋮ちゃららら、らったったー。シオンはレベルが上がった﹂
﹁⋮え!?﹂
流石Lv91の精霊系。貰える経験値が凄い。
パーティー組んでるシオンのレベルが2上がった。
羨ましい。僕もこれぐらいあっさり上がれば楽なのに。
﹁じゃあ、シオンはこの辺で適当に座っててよ。僕は他の狩りに行
くからさ﹂
﹁え、あの⋮﹂
﹁さっきも言ったけど手は出さないように。多分シオンだと一撃で
死ぬから﹂
﹁は、はい!﹂
そう言い残すと、僕は更に奥に行く。
いつもどおり。回復アイテム切れまで、戦う。
せめてシオンが回復職だったら、多少は足しになったんだけどねえ。
それからざっと6時間。
﹁こんなもんかなー﹂
魔法の鞄いっぱいの回復アイテムを大体使いきったので、本日の狩
りは終了。
経験値は⋮レベルアップまであと60%。大分遠い。
﹁さてと⋮帰る⋮!?﹂
僕の、こちらに来て異常に鋭敏になった耳がそれを捉える。
シオンの、悲鳴。
283
僕は一気に駆け出した!
﹁おいおい!?まさか暇すぎて手を出したのか!?﹂
これだから素人は!喧嘩売っていい相手くらい見極めろ!
毒づきながら走りこむ。そして、そこには⋮
﹁い、犬⋮犬が⋮いやぁー!?﹂
︿狼神威﹀と、腰を抜かしてあとずさるシオン⋮あれ?
︿狼神威﹀は襲ってくる気配が無い。青く光ってるだけだ。
﹁え、あれー?﹂
急いで損した。脱力しながら、座り込む。
まあ、考えてみたら本当に手を出したら確実に死んでるから、
どっちにしても急ぐ必要なかったんだけど。
︿狼神威﹀は僕たちが襲ってこないのを見て、
くるりと後ろを向いて、森の奥へと駆けていく。
﹁ご、ご主人様ー!﹂
ずりずりと僕に近づき、抱きついて来るシオン。
物凄く怯えて、震えている。
﹁わ、私⋮ダメなんです!い、犬だけは⋮犬だけは!﹂
なんだ。結構女の子らしいところ、あるじゃん。
そう思ったら、なんだか昨日の3割り増しくらい可愛く見えてきた。
5
﹁というわけで、帰ってきましたー﹂
﹁きましたー﹂
うん。分かってるね。エリーの合いの手もうまくなったもんだ。
あの後僕は朝まで寝たあとシオンを連れて、再びスレイプニルで戻
ってきた。
帰還呪文使うとシオンが置いてきぼりになるのでスレイプニルに乗
ってきたけど⋮
戻る手間と、おっぱいで相殺だな、うん。
284
﹁というわけでお祝いしたいんだけど⋮﹂
﹁お祝い、ですか?﹂
﹁そう、シオンのレベルアップ記念﹂
首を傾げるエリーに僕は答えを教える。
﹁全然実感無いんですけど﹂
そういうシオンのレベルは現在52。
てっきり60越え位は行くかなと思ってたけど、
大地人は貰える経験値が少ないらしい。
レベルの上がりが思ったより遅かった。
﹁まあ、レベリングしたらそんなもんだよ。そのうち慣れる﹂
困ったように言うシオンを見てたら、ちょっと面白いことを思いつ
いた。
﹁じゃあさ、試してみりゃいいんじゃない?﹂
ちょっとした冗談。ただし、かなり悪趣味な部類の。
﹁試す、ですか?﹂
﹁そう、試し切り。武器と実力の再確認ってね⋮ほら、丁度いい相
手もいるし?﹂
不思議そうに聞き返すシオンに僕はそちらを見る。
﹁はえ?﹂
何が起こってるのか、分かってないエリーを。
﹁シオンは、傭兵だったんだろ?ならば、それくらいできるよね?﹂
そう、僕は笑いながら言って。
﹁わかりました﹂
シオンは、顔色一つ変えずに頷いて。
サラッと剣を抜いて。
振り上げて⋮
﹁ばかっ!?﹂
⋮危なかった。
僕がとっさに腕を入れなかったら、エリーの首が落ちていた。
僕の手から、血が零れる。結構、痛い。
285
シオンのレベルが上がっているのもあるし⋮
シオンが︿首狩﹀まで使って、本気でエリーを斬ろうとしたためで
もある。
﹁⋮ご主人様?﹂
不思議そうに僕を見る、シオン。本当に、心底不思議そうに。
﹁じょ、冗談だよ!死んだら、その⋮僕たちのご飯どうするのさ!
?﹂
﹁それこそ、また買ってくればいいのでは?
ご主人様なら、金貨数万位は、簡単に出せるでしょう?﹂
その言葉に、初めて、シオンを怖いと本気で思った。
﹁あの、ご主人、さま?﹂
エリーだけが分かっていなくて、首を傾げていた。
6
それから数週間。
色々ありつつも、僕は楽しくススキノで過ごしていた。
カオルがススキノから出かけてしまって平和になったのもあるし、
シオンが色々と可愛くて、充実していたってのもある。
⋮あの夜のことも大分薄れてきた、そんな頃。
﹁みなさーん!こちらはアキバから派遣された、救助隊でーす!
部隊編成は︿D.D.D.﹀、︿黒剣騎士団﹀、︿ホネスティ﹀、
︿シルバーソード﹀から24人ずつで編成した、レギオンレイド
級の部隊。
みなさんの、安全を保証します!
興味のある方は、明日の昼、こちらに集合してくださーい!﹂
声を張り上げているのは、︿D.D.D.﹀に所属する幹部級メン
286
バー。
気が早い奴は既にあいつらの元に集まっている。
﹁へぇ。シルバーソードまで力貸してるのか。あのウィリアムがね
え﹂
それを聞いたとき、僕の感想はそれだけだった。
⋮だけど。
﹁ご主人様。明日、この街を発ちましょう﹂
﹁は?﹂
夕方。シオンが突然そんなことを言い出した。
﹁でていくですか?ススキノを?﹂
エリーも首を傾げて、聞き返す。
﹁どうして?僕は、この街が気に入ってるんだけど﹂
あいつら、アキバの護衛部隊についていくのは、
この街でやっていけなくなった雑魚と相場が決まってる。
僕みたいに強い奴には、アキバ以上に刺激的で素晴らしい場所だ。
⋮なのに。
﹁⋮ご主人様は、この街に根本的に向いていません。
はっきり言うと、弱いからです﹂
シオンははっきりと、僕を、弱いと言った。
﹁⋮どこがさ?﹂
笑えない冗談だ。ヤマト中見回しても僕より強い人は限られるし、
ススキノでは文字通り1、2を争う、強者。
それが僕だ。
思わず殺気すら感じながら、僕はシオンを見る。
﹁⋮分かりませんか?では⋮﹂
それに臆することもなく、シオンは僕をじっと見つめる。
⋮僕は思わず目をそらした瞬間、シオンが言葉を紡いだ。
﹁⋮私を、斬れますか?﹂
287
﹁⋮は?﹂
余りにも予想外の、言葉を。
﹁⋮シオンと僕の実力差くらい、シオンも分かるだろ?﹂
思わずシオンの方を見て、更に聞く。
Lvは更にレベリングを続けた影響でLv62。
装備はこの前僕がプレゼントした︿小悪魔の拘束衣﹀の性能と露出
度を
パワーアップさせた︿魔王の拘束衣﹀と︿血塗りの魔剣﹀の二刀流。
それと細々したアクセサリ。
奥義書の類は渡して無いからスキルは大半が中伝止まりで、初伝も
ちらほら。
⋮はっきり言って、お話にならない。
﹁⋮実力差。ええそうですね。多分まともに戦えば、
私ではご主人様には勝てないでしょう⋮で、斬れますか?﹂
もう一度、シオンが尋ねる。
﹁斬れるかって、そりゃあ⋮﹂
斬れるさ、と言う前に言葉を重ねられる。
﹁私は大地人だから、死んだら二度と蘇りません。
もう、抱かれてあげられませんし、キスもしません⋮
好きだと言う事すら、出来なくなります。
⋮それでも斬れますか?﹂
その目に浮かんでいるのは、完全な本気。
冗談とか、その類ではなく、本気でシオンは聞いていた。
﹁⋮結局、何が言いたいのか、分からないよ﹂
そのシオンから目をそらし、僕はため息と共に、答えを聞こうとす
る。
288
それに、シオンはため息で返し、重ねて、言う。
﹁それでは1つ、昔話を聞いてもらえますか?⋮私が、犬が苦手に
なった理由を﹂
7
﹁今から2年前、帝国と狼ども⋮狼牙族との間で戦が起こりました。
皇帝は、これからの更なる発展のためには、狼どもに首輪をつけ
る必要がある、
そう考えたらしいです﹂
シオンは昔話を始めた。
本当に、一体なんなんだ?
そう考えながら、僕はシオンの話に耳を傾ける。
﹁エッゾ中から傭兵が集められ、狼どもを討つ軍が作られました。
数は全部で1,000。200しかいない狼どもの群れを討つに
は充分過ぎる数⋮
そう思ってました。だからこそ私も応募して、契約したわけです
し﹂
へぇ。そんなことがあったんだ。知らなかった。
それらしいクエストも出てなかったし。
﹁私は、斥候部隊に配属されました。
もちろん、主力部隊よりは危険でしたが、心配はしてませんでし
た。
騎士と従軍司祭、そして傭兵で構成された小隊2つ分⋮
バランスが取れた12人の部隊です。
おまけにあくまで偵察であって戦うのは仕事じゃないわけですし﹂
確かに、普通ならばまあまあの編成だ。
回復役と騎士⋮多分守護戦士の壁はちゃんといたみたいだし。
数もパーティー2つ分。悪くない。
﹁⋮それ叩き潰した、狼どもの兵、何人だか分かります?
289
⋮たったの2人だったんですよ﹂
2人。そう言った瞬間、僕はシオンが震えるのを、確かに見た。
﹁斥候任務中、狼どものつがいを見つけたんです。そこそこ高位の。
偵察中にそういうのを仕留めれば報奨金がつくという契約でした
から、
私達は即、襲うと決めました。
レベルの差は多分一番強かった隊長より3くらいは上でしたけど⋮
1対1ならともかく、12対2なら簡単に埋められる差です⋮普
通ならば﹂
シオンは怯えていた。それで、なんとなく分かった。
⋮多分、プレイヤースキルの差で数の差をひっくり返されたんだ。
﹁私達に襲われて、狼どもは即座に応戦することを選びました。
男は武士、女は森呪遣い。 厄介な組み合わせですが、数の差で
押しつぶすのは、
時間の問題。そう思ってました。 実際、途中までは楽勝と思っ
てました。
負った傷を森呪使いが回復させるんですけど、
間に合いきってなくて男の負傷がどんどん酷くなってましたし﹂
⋮なるほど。話は読めた。
クラスの編成と、数の差とプレイヤースキルの差。
これを考慮すれば、とりうる戦術はかなり限られる。
﹁本当に、信じられませんでした。途中で動きが変わったんです。
奴の動きがいきなり素早くなって攻撃が半分くらいしか当たらな
くなるし、
290
いつからか奴の刀の切れ味がどんどん鋭さを増していってるんで
す。
怪我を負わせても負わせても一向に倒れないし。
私達の従軍司祭が回復が途切れる瞬間、その瞬間に大技で1人ず
つ斬り殺して
行くんですよ。じっくりと、確実に。
そうして、12人いた私達のうち4人までが奴の刀の餌食になっ
て死にました﹂
やっぱり︿黄泉路の見切り﹀と︿血塗りの凶刃﹀のコンボか。
シオンの話を聞いて、僕は思ったとおりの展開だと確認する。
彼らがやっていたのは生命調整⋮かなり高度なプレイヤースキルだ。
エルダーテイルには幾つか、残りHPの割合によって発動可能かど
うかが決まったり、
威力の変化するスキルがある。
例えば盗剣士の︿赤い靴﹀というスキル。
これは盗剣士の最大の武器である攻撃などの発生動作を爆発的に高
める
強力な自己強化スキルだが、残りHPが最大HP20%以下で無い
と発動できないし、
持続時間が長くてリキャストが短い代わりに残りHPが最大HPの
20%を上回れば
即効果を失う。
その場限りならば一発逆転も可能だが、連戦になれば僅かしか残っ
ていない
HPをすぐに削りきられ死ぬか、回復によって効果を失うことにな
る。そんなスキルだ。
291
とっさの緊急回避技。
ライフコントロール
その前提を覆すのが、回復職のプレイヤースキル、生命調整だ。
維持
する。
継続回復や即時回復、結界を駆使してHPを最大まで回復させるの
ではなく、
一定値以下を
そうすることで残りHPの割合を条件に持つ強力なスキルをMPが
尽きるまで
使い続けさせる。
言うだけならば簡単だが、刻一刻と状況が変わる戦場でそれを続け
るのは
容易ではなく、常に被ダメージ総量を予測して残りHPを把握し、
的確な回復を行わなければ、あっという間に相方が無残な屍を晒す
羽目になるか、
回復しすぎでスキルが使えなくなる。
⋮かつて元︿茶会﹀の盗剣士と森呪遣いがやった、生命調整の動画
を見たことがある。
クエスト﹃百鬼夜行﹄のクリア動画。
次々リスポーンし、次々に襲い掛かってくる、多種多様な90レベ
ルの
ノーマルランクモンスターを100体倒さなくてならない、
本来なら6人のパーティーで挑むのが普通のクエスト。
彼らはそれを、盗剣士が最後まで︿赤い靴﹀を維持し続けて戦うこ
とで、
たった2人でクリアするという、とんでもない戦果を上げていた。
それと比べれば、その2人の狼牙族がやったのは、そこそこやる、
といったところだ。
292
︿黄泉路の見切り﹀の使用条件はHP50%以下と大分ゆるいし、
︿血塗りの凶刃﹀は一定時間内に発生した与ダメージによる補正を
攻撃力に加算するスキルなので、残りHPは関係ない。
はいじん
2人ともまあ一流ってところだが、極まった超人の領域ではない。
⋮そう結論付けたその時点では、僕は気づいていなかった。
彼らと、僕等の最大の違いを。
﹁⋮でも、本当に怖かったのは、その後でした。
私達の隊の4人が死んだ直後に、いきなり女のほうが逃げ出した
んですよ。
魔力が尽きてもう回復できなくなったみたいで。
それで、ああ、これで何とか勝てる、そう思った瞬間⋮
男の方が、本気を出したんです﹂
本気。そう言いきるシオンの目にはありありと恐怖が浮かんでいた。
﹁最初に女の背中を撃とうとした弓手が、斬られながら突進してき
た狼に、
肩から腰まで十字に裂かれて死にました。
それから、今まで使わなかったような隙の大きい大技を
どんどん繰り出して来たんです。
後先まったく考えずに⋮最後、奴が私の部隊の隊長と相討ちにな
って死んだ時には、
既に恐ろしくて斬りかかれなかった私しか生き残ってませんでし
た﹂
それは凄惨な場面だったのだろう。無理も無い。
武士が︿血塗りの凶刃﹀で限界まで攻撃力を強化してから大技を連
発したのなら、
293
同レベル帯ならあっさり死ぬ位の威力はある。それが後衛職ならな
おさらだ。
⋮そして、僕は次の言葉でようやく気づいた。僕と、彼らの最大の
違いを。
﹁あいつ、死ぬときなんて言ったと思います?こう、言ったんです
よ。
﹃ざまあねえな。今からじゃあ、俺の女の自慢の逃げ足に追いつ
けるはずがねえ。
癒し手さえ生き残れば、まだまだ戦は続けられる。まだまだこ
れからだ。
⋮俺の女は俺が死ぬまで守りぬいた。悔いはねえ﹄
⋮7人も斬り殺しといてそれ、ただの時間稼ぎだったんですよ。
癒し手を殺させないためだけの。それ聞いてすぐ、私は逃げまし
た。
死体が消えても残り続ける、名前が刻まれた生死確認用の
魔法のネックレスを捨てて。
死んだことにして敵前逃亡したら傭兵としては終わりですが⋮
これ以上あの狂った狼どもと戦りあうよりはずっとマシ。今でも
そう思ってます﹂
息を、呑んだ。ようやく気づいた。
彼らは、死んだら、終わりだ。
二度と、蘇ることは、無い。
1つきりの命⋮それを文字通り命がけで使いきって戦い抜く。
294
それはかつての⋮否、今でも大神殿で蘇れる僕たちには、決してで
きない。
﹁冒険者がどんなに力が強くても、不死身でも、あいつらに比べれ
ば怖くないです。
だって、死ぬのが怖いって思ってること事態は私達と一緒ですか
ら。
⋮亜人でもないくせに死ぬの怖がらなくて、
文字通り死ぬまで戦い続ける狼どもに比べれば、まだマシです﹂
ようやく分かった。シオンが犬を⋮狼牙族を怖がる理由。
理解できないからだ。
本能だけで動いている亜人でもないのに、死ぬまで戦える本物の戦
士が。
そして、それは僕にとっても一緒だった。
不死身でも何でもない、死んだら終わりの大地人で、
不死身で、死んでも困らない冒険者の一流プレイヤーが
に。
やるような自殺と紙一重の危険行為をやり遂げる。
弱さ
それは、僕の理解も越える存在だ。
僕は震えていた。
気づいてしまったから⋮僕の
﹁ご主人様は⋮キリヤさんは、弱い私を殺せなかった。不死身で、
最強なのに。
二度と蘇らない大地人の私を殺すのが、怖かったんですよね。
⋮モンスターと不死身の冒険者しか殺せなくて、
死んだら終わりの大地人は殺せない。
295
その程度の覚悟しかもてない優しいキリヤさんは、ここで生き抜
くのは無理です﹂
そう、僕は勘違いしていた。
僕は、恐らくこの世界で、大抵のことは出来る⋮ただし、僕がやれ
るのならば。
それは、例えば無抵抗な子ウサギをナイフで切り殺せるかと言うよ
うなもの。
多分、シオンなら簡単に出来る。
殺して、皮をはいで、食べられるように解体する。
そしてそれが必要ならば、シオンはたとえ無抵抗の子供でも簡単に
斬り殺せる。
大地人の傭兵で、Lvが20を越えるほどの経験を積むというのは、
そういうこと。
になれるのだ。
幾つもの命がけの修羅場を越えて、殺すことに慣れて、そして殺さ
その程度
れる覚悟を持って、
ようやく
僕にはそこまでの⋮否、その程度の覚悟すら無い。
さっきの話に出てきた狼牙族どころか、
エリーを顔色一つ変えずに本気で斬ろうとしたシオンにも劣る、覚
悟。
それが⋮僕の弱さだ。
﹁行きましょう。アキバへ。きっとここよりずっと優しい街ですよ。
いい場所じゃないですか。殺すのも、殺されるのも無い街なんて﹂
﹁ご主人様⋮﹂
296
シオンとエリーがじっと僕を見ている。そして僕は⋮
8
ススキノを旅立つ日、その日は、見事な秋晴れだった。
﹁それでは、お昼になりましたので、出発しまーす!
トサミナトまで馬で2日。その後は船で1日のアキバまで計3日
となりまーす!﹂
今回の護衛部隊の隊長が声を張り上げている。
﹁⋮超うぜえ。裏切りやがった、あいつら⋮﹂
広場に集う脱出希望の冒険者と大地人を暗がりから覗いているのは、
カオルだ。
セガー
流石にアキバの戦闘ギルドが全力で編成した、レギオンレイド部隊に
お人よし
手を出したらどうなるかなんて分かりきっているので、
襲うなんてバカなことはしないらしい。
それと、どうやら噂は本当だったようだ。
カオルが格下と見下していた︿H.A.C﹀の
ルに1対1で負けて、
ススキノに強制送還されたっての。そして⋮
﹁その⋮今までごめん。これからは君のこと、犬とかじゃなくて⋮
その、女の子として大事にするから﹂
﹁本当はもっと早くこうするべきだったんだ⋮もっと僕に勇気があ
れば﹂
﹁俺は謝らないからな。お前の親殺したことも、お前を飼ったこと
も。
⋮だからよ、代わりに一生面倒見てやる。お前は一生、俺のもん
だ﹂
﹁すみませんでした。私は今まで、貴女を妻の代わりにしていた。
297
これからは妻ではない1人の女性として、君を大切にします﹂
﹁本当に俺で、よかったのか?
⋮俺、たったレベル70で、友の会の中じゃ一番弱っちいのに⋮﹂
﹁私、初めてだったの⋮女の子なのに女の子が好きだって言う私を、
好きだって言ってくれたの。本当に嬉しかった⋮
だから、これからもずっと一緒にいてくれる?﹂
﹁ボク、大人になるよ。本当の意味で、君を守れる男になる。
だから⋮お姉ちゃんって、呼んでいい?﹂
﹁引篭もりの俺が、父親になるなんてなあ
⋮コイツがやり直す、チャンスって奴なのかな⋮﹂
﹁やれやれだぜ。まさかこんなガキのために、
ススキノを離れることになるなんてな⋮しょうがねえか﹂
﹁アキバに行ったら、君の両親に会いに行こう⋮謝ってみるよ。
許してもらえるか分からないけど﹂
ギルド︿愛犬友の会﹀は崩壊した。
愛犬
の説得に応じてしま
ギルドマスターのカオル以外が全員ギルドを脱退して、
アキバに移住するのを決めたことで。
先に死んで送還されたメンバーが全員
ったという、
何とも身につまされる話だった。
﹁しかし、カオルって人も、その家臣もバカですよね。
貴族の令嬢なんて、男たらしこむのが仕事みたいなもんなのに、
飼ったりしたら、いずれはこうなるの目に見えてるじゃないです
か﹂
僕はすっかり色んな意味で︿小悪魔の拘束衣﹀の上位互換である
︿魔王の拘束衣﹀が似合うようになったシオンに苦笑する。
なんかもう、一生勝てる気がしない。
298
シオンは、ていうか大地人って逞しいなあ。
良く見たら脱出希望の冒険者って半分くらいが大地人らしき人連れ
てるし。
﹁というか、カオルって人も引っかかってますよね⋮あれ﹂
愛犬
が、カオルのそばにひっそり
そう言ってシオンが指差した先には⋮
カオルの一番のお気に入りの
立っていた。
⋮ははは。もう、乾いた笑いしかでないや。
﹁まあ、裏切ったら後が怖すぎるのは分かってるんだし、
冒険者なら財力も容姿も力も申し分無いわけですから、
本当に一生ついて行きますよ。お互い幸せなら、それで良いじゃ
ないですか。
⋮私たちみたいに﹂
う∼ん、まあ、それもそっか。
強引に納得し、頷く。しとかないと僕までダメージ受けそうだし。
﹁ごしゅ⋮じゃなかった、キリヤさ∼ん!出発するそうで∼す!﹂
エリーの声が聞こえてくる。
さあ、これ以上考えても仕方が無い。
﹁じゃあ、いこっか?﹂
﹁ええ﹂﹁はい!﹂
これからのことは、まだ決めていない。
シンジュク辺りでのんびりレベル上げをしても良いし、
アキバで本当に平和に暮らすのもいい。
それか﹃神威の森﹄のことをみんなに教えても面白いかもしれない。
Lv上げに最適なダンジョンとか知ったら︿黒剣騎士団﹀とか
299
古巣の︿シルバーソード﹀辺りがススキノを占拠して拠点にしそう
だし。
まあ、色々あるけど、とりあえずは僕は歩き出す。
シオンとエリーを連れて。
新たな故郷を目指して。
300
特別編 奴隷のシオン︵後書き︶
本日はこれまで。
ちなみにキリヤの名前は適当に決めたら某作品の主人公に
そっくりな名前と言う事態に。
S.A.O,面白いですよね、うん。
⋮すみませんでした。
301
第8話 偽冒険者のサイト︵前書き︶
設定大捏造祭り開催。
今回は、最初から最後まで冒険者出ません︵モブ除く︶
テーマは﹁大地人から見たアキバと冒険者﹂
そして明かされるシスコンの正体。
例によって酷い話ですが、お付き合い願えれば幸いです。
302
第8話 偽冒険者のサイト
0
最初にこの仕事に足を踏み入れた、僕たちの爺ちゃんは、
北にあるエッゾ帝国の生まれだったらしい。
らしい、と言うのは父さん達からのまた聞きだからだ。
﹁いやあ俺も本気を出せば王だって狙えたんだけどよ。
俺、寒いの嫌いだったから、こんなところで一生暮らせるか!
っつってこっち渡ってきたんだよなぁ。死んだ婆さんと一緒に﹂
と豪快に笑い飛ばしたという爺ちゃん。
父さん達と同じ凄腕の武士で、イースタルの傭兵の間では随分有名
だったらしい。
父たちも20年前、もっと南に行って来ると言って旅立った後は、
会ってないらしい。
多分、流石にもう死んでるだろうって、笑いながら言ってた。
ナインテイルの南の端の小さな村で、元気にサトウキビ畑を耕して
いる、
狼牙族の武士だと言うじい様がいるなんてのは、多分悪い冗談だろ
うとも。
⋮遠すぎるのと、怖すぎるので、未だに確認はしていないらしい。
父さんと叔父さんは、爺ちゃんに仕込まれた、武士だった。
兄弟揃ってイースタルではかなり名が売れた武士で、
303
長年旅を続けてあちこちで仕事をしながら結婚して、僕等を作った。
父さんは、イースタルの狼牙族に多い格闘家の娘。
叔父さんは、僕等が生まれる何年か前から急にきな臭い依頼が
増えたのを嫌がって東に流れてきた、ウェストランデの盗剣士の娘。
僕たちは父さん達があちこちで出稼ぎしている間、
森の中に張ったテントで母さんたちから戦い方を教わった。
父さん達が教えなかったのは実に単純な理由で、
武士は装備にやたら金が掛かるから。
貧乏と死が隣り合わせに並んでいるこの仕事では、
いかに金をかけずに強くなれるかは、大事な要素だ。
そして、それぞれ長男と長女だった僕たちはこの春、
2人揃って森のテントを離れてひとり立ちした。
春から夏の間、イースタルのあちこちを
真新しいテントで野宿しながら旅をして、
行商の護衛の仕事とか︿緑小鬼﹀とか倒しながら腕を磨き、
秋からは何度か死に掛ける目にあいながら、ギリギリで生き延びた。
⋮僕が黒髪で格闘家だと聞いた途端に、報酬が良い代わりに
危険な依頼ばっかり持ってくるのは、どうかと思う。
たった3ヶ月で20そこそこだったレベルが30を越えるとか、
ちょっとありえない。良く死ななかったなと、自分でも思う。
そして、もうすぐ冬。
304
僕たちは、普通に旅するだけで危険な冬の間くらいは、
街場で過ごすことにした。
向かう先は、アキバ。
今、ヤマトで最も面白いと、あちこちで噂になっている街。
僕たちは傭兵の変種。
不死身かつ万能の商売仇、冒険者が引き受けなかった、
とか言われることもある大地人でも異端の存在。
モンスター退治の仕事を引き受けて生きる、
偽冒険者
最もモンスターとの戦いに通じた大地人。
それが、魔物狩りと呼ばれてる僕等だ。
﹃第8話 偽冒険者のサイト﹄
1
﹁あ、あれじゃない?﹂
手入れが今ひとつな、金色の長いぼさぼさ髪を揺らしながらアヤメ
はそれを指差した。
﹁おお。あれか∼﹂
それに黒髪のサイトが同じくそれを見て、声を上げる。
遠くかすむアキバの手前にそれはあった。
﹁マジだよ。本当に村が出来てる。うっわ∼﹂
そこにはほんの2ヶ月前まで存在しなかった、村が出来ていた。
遠目に見ても、ポツポツと残った遺跡は全て建物として使えるよう
補修が
始まっており、あちこちに木で作った、移動には向かない定住前提
の小屋が立ち並ぶ。
そこで動き回る、村と呼ぶには些か多すぎる人たちは皆、狼牙族。
305
噂どおりの存在が、2人の眼前に広がっていた。
ヤマトで最も新しく、最もアキバに近い狼牙族の村、アメヤ。
サイトたち狼牙族の間で、急速に広まっている噂だった。
それから10分後。
﹁へぇ⋮随分豊かそうじゃん﹂
青い瞳でくるくるとあちこちを見回す。
作りたての開拓村なんて、普通は何もなくて生きていくのがやっと
位のもんなのだが、
ここの民はみな、飢えも感じていなさそうだし、服の手入れも行き
届いていた。
﹁うん。それにこんだけ狼牙族だらけなのは始めて見た﹂
見渡す限り狼牙族だらけ。
半分以上がエッゾ独特の装束だが、サイトと同じイースタル系らしき
狼牙族も負けずに多いし、アヤメと同じウェストランデ系の狼牙族
もそれなりにいる。
船で渡ってきたのか、どれでもない、恐らくはナインテイル系らしき
茶色い肌の狼牙族まで、ちらほらといた。
﹁さあさあお立会い!アキバから直接仕入れてきたカレー粉とソー
スだよ!
これさえあればどんなメシでも美味しく食べられる!さあ買った
買った!﹂
﹁ちょっと!あれっぽっちしか移動してないのにこれっぽっちで
金貨30枚はぼったくりでしょ!?もっとまけなさいよ!﹂
﹁お∼い。護衛してきた人間族の行商と話まとめて来たぞ!
荷馬車いっぱいの小麦、金貨1500で良いって!誰か金持って
きてくれ!﹂
﹁ほいきた!今もってくよ!﹂
306
クズ
﹁おう!戻ったぞ!途中ウエノの盗賊どもが襲ってきたが、全部斬
った!
報酬にも色つけて貰えたし、戦利品は手に入るしで、笑いがとま
らねえぜ!﹂
﹁お帰り!アンタ!しっかしそいつらもばっかだね∼。
帝国兵でも敵わなかったエッゾ狼牙の護衛に喧嘩売るなんて。
まったく、アタシも身重じゃなかったら一緒に行ったんだけどね
え﹂
﹁いかがですか∼。捌き立ての殺人兎の串焼き、いかがですか∼。
1本で1枚。アキバのショウユで味付けした、逸品ですよ∼﹂
﹁おいしいね!﹂﹁うん、殺人兎って、おいしいね!﹂
﹁で、それ、どうよ?モンスターの骨で出来た刀ってなあ、いいの
かい?﹂
﹁おお!すげえぜ?丈夫で鋼で打った刀より斬れやがる!
ウエノの盗賊ごとき一刀両断よ!冒険者様直伝の魔物武器ってな
あすげえなあ。
こりゃ双頭犬のお嬢ちゃんたちもしばらく色町には落ちそうにね
えやな﹂
村には活気が溢れた言葉が舞い踊っている。
時々物騒な会話が混じるのも、この村らしい。
﹁さ∼てと⋮宿屋は⋮﹂
﹁あんのかな?この村?﹂
2人してこれからを話していると。
﹁おい!そこのタイチ様の孫の2人!﹂
﹁あの∼、サイトさんとアヤメさん⋮ですよね?﹂
﹁﹁はい?﹂﹂
突然声をかけられて、振り向く。
そこには。
﹁間違いないって!匂いが違うもん!腕も立ちそうだし!あ、アタ
307
シはモモね!﹂
﹁だよね∼、えっと、どうも∼ミドリと言います﹂
小柄な狼牙族の少女と、逆に女性らしい立ち姿の狼牙族の少女。
どちらもエッゾ系らしく、エッゾ独特の衣装を身に纏っている。
﹁あの、君たちは⋮?﹂
﹁つーか、誰?﹂
2人とも見覚えがなく、尋ねる。
それに小柄な方の少女⋮モモが元気良く言った。
﹁あたし達は、セン⋮もとい狼王、じゃなかったアメヤの村長の使
いだよ!﹂
﹁村長が、タイチ様のお孫さんである2人のことを聞いてお会いし
たいと言ってます。
これから、少しお付き合い願えますか?﹂
2
﹁アメヤの村長⋮狼王かぁ﹂
﹁やっぱり、伯父さんみたいな感じなのかな?﹂
村長の館⋮3階もの高さを持つ石造りの遺跡の2階に作られた客人
の間。
そこで布張りの座布団に腰掛けながら、2人は訥々と話していた。
﹁こう、筋肉とか傷跡とか物凄くて、腰にでっかい刀2本下げてて、
鎧とかも豪華な感じでさ⋮﹂
﹁父さんを豪華にした感じか。普通にありそうだなあ、それ﹂
狼王。
そう聞いて2人がまっさきに思い浮かべたのは凄腕の武士コンビと
して知られる
2人の兄弟でも特に肉体派だと言われているサイトの父親の姿であ
308
る。
鎧なんぞに凝るのは金がもったいねえ。
その一言で鎧はごく普通の鋼で作った、腕前からすると大分見劣り
する帷子だったが、
一方で武士の命だと言う刀はいつだったか冒険者でもないのに仲間
の魔物狩りを連れて
ダンジョンに飛び込み、奥に居たモンスター斬り殺して奪ってきた
と言う
魔法の宿った逸品と、ドワーフの刀匠に作ってもらった、金貨4,
000枚もする
玉鋼の名刀を使っていた。
Lvが50を越える歴戦の武士は酔っ払って全裸になると、
凄まじい量の筋肉と全身にくまなく刻まれた傷跡があった。
⋮狼王と言えばエッゾの大地人狼牙族の中で最強の存在。
そういう想像になるのも無理は無かった。
よって、彼らの想像は大きく裏切られた。
﹁お待たせ!センカが準備できたって!﹂
その言葉と共に、2人の少女と共にその人が入ってきて。
﹁﹁え⋮?﹂﹂
思わず言葉を重ね合わせた。
﹁良く来てくれた。君たちがタイチの孫⋮サイトとアヤメか。
なるほど、齢16とは思えない実力を感じさせる良い目だ。
血の為せる技、だけでもないな⋮修羅場をくぐってきたか﹂
鋭く、茶色い瞳を向けながら、親しげに声を掛ける狼王は、若かっ
た。
309
﹁うん、どうした⋮?随分と驚いているようだが﹂
纏っているのは複雑な刺繍の施された、豪奢なエッゾ狼牙の伝統衣
装と、
帝国で使われている丈夫な軍靴。鎧はおろか刀の1本も下げていな
かった。
﹁﹁えっと⋮その⋮﹂﹂
実力は確かに2人を遥かに上回るものを感じるが、
筋肉はまるでついていない。
むしろサイトの方が筋肉あるんじゃないかと言うくらい。
そして極めつけは⋮
﹁﹁⋮女の子?﹂﹂
女性的な肢体と、野性味溢れる肩口でばっさり切られた銀色の短め
の髪。
元狼王、センカは整った美貌と容姿を持った⋮女の子だった。
﹁うん?それは違うぞ。私は今年で21になる。女の子は、無いだ
ろう﹂
﹁﹁いやそこじゃなくて!?﹂﹂
微妙にずれた反応を返すセンカに、二人の突込みが入った。
﹁⋮うん?では、どこになるんだ?﹂
﹁⋮ぶはは!違うって!女が狼王なのにびっくりなんだって!﹂
とうとう耐え切れなくなったモモが吹き出した。
その言葉に、2人も思わず頷く。
﹁⋮ふむ?そうなのか?サイト﹂
﹁えっと⋮はい。正直びっくりです。狼王って女の子がなるのはあ
りなんですか?﹂
女が長だと言う話は、普通の開拓村の村長ですらほとんど聞かない。
エッゾ最強にして数千に及ぶエッゾの狼牙族を従える、
狼王に女を据えるのがありと言うのは、不思議に見えた。
﹁うむ。ありだ⋮15年前からな﹂
﹁15年前?﹂
310
エッゾの事情に明るくない2人ならば、知らぬのも無理は無い。
そう思い、センカは簡単に事情を説明する。
﹁うむ、15年ほど前、当時の狼王が南方から来た狐尾の女に1対
1での戦いを挑まれ、
完全武装して受けたにも関わらず敗れて死ぬという醜態を晒して
な。
それから、狼王は男だろうと女だろうと強きものがなれと掟が改
められた﹂
当時、一部からはその狐尾の女、彼らは女帝と呼んでいた彼女を
狼王にしようと言う意見まで飛び出した。
それは狼王を殺した直後に女帝が姿を消してしまったためにお流れ
になったが、
女がなってもよいと言う掟だけは残った。
﹁はぁ⋮けど、正直、狼王⋮﹂
﹁村長だ。呼び方はただのセンカでいい﹂
﹁えっとじゃあセンカは、刀とか使えるようには⋮﹂
見た限り筋肉もないし、掌にタコ一つ無い。
とても武器を使って扱えるようにみえない。
アヤメの疑問も当然だった。
﹁うむ。自慢ではないが、私は力も対して強くないし不器用だ。
刀どころか武器自体ほとんど触ったことも無い﹂
センカもそれに対して本当に自慢にならないことを堂々と言う。
﹁ああ∼、多分アレだよ。エッゾ育ちじゃないから、エッゾの慣わ
し知らないんだよ﹂
アヤメとセンカのやりとりを聞いて、ミドリが真っ先に事情を察す
る。
センカもミドリのその言葉で、2人の疑問の理由に気づく。
﹁ふむ⋮アヤメ、エッゾの狼牙の慣わしは知っているか?﹂
﹁え?え∼と、パパが言ってたんだけど、
﹃男は武士となり命に代えても女子供を守るべし﹄だっけ?﹂
311
その答えにセンカは頷く。
やはり、イースタル育ちの2人は、エッゾの狼牙族の慣わしには詳
しくない。
﹁それでは半分だ。こう続く⋮
﹃女は男を支える術を学び、夫婦で持って完成と為すべし﹄とな﹂
﹁﹁夫婦?﹂﹂
不思議そうな2人に、詳しく説明する。
﹁そうだ。エッゾ狼牙の女はみな、母親から家事と共に代々何かしら
戦に役立つ術を学び、男と共に戦う。夫婦こそ、最も小さき群れ
なのだ。
一番多いのは森呪遣いだが、他にも幾つか、別の術を伝える家も
ある﹂
厳しい北の大地は、種族の半分しか戦う術を持たないと言う贅沢を
許さなかった。
故に、男と女はそれぞれに役割は違えど戦う方法を学び互いを補う
掟ができた。
﹁ちなみに私は神祇官の家系なんだよ∼。センカを矢とか魔法から
守れるし、
傷も治せる役ね。刀は使えなくも無いけど、あんまり得意じゃな
いなあ﹂
﹁あたしん家は吟遊詩人だった!あと、センカと違って武器も一通
り扱えるよ!﹂
それはセンカの側仕えたる2人も同様で、2人とも女ながらかなり
の使い手である。
﹁へぇ⋮じゃあ﹂
そこまで聞いて、サイトはなんとなく理解した。
恐らくセンカの持つ技は、武器を用いず戦え、かつ武士をも上回る
破壊力を誇る職業。
﹁うむ。私の家に伝わっていた技は⋮妖術師の魔法だ﹂
幾多の狼牙武士を打ち破り王の座を力づくで奪った、
312
強力な攻撃魔法の使い手が肯定の頷きを返す。
﹁そうそう、凄かったよ∼。代替わりのときもどうせ焼け石に水だ
からって今と同じ、
魔力を強くするって言うお母さんの形見のぺらっぺらの服だけで
挑んで、
斬られて死に掛けながら魔法で倒しちゃって∼﹂
﹁⋮昔の話だ。だいたい今は、狼王ですらないアメヤの村長だ﹂
ミドリを遮る。
センカとて3年前に王となってから幾多の試練を乗り越えてきた存
在。
故に、悟った。
﹁既に力強きものが群れの長であるべき時代は終わったんだ。
この村が出来たときにな。これからは⋮知恵持つものが群れを率
いる必要がある﹂
﹁へぇ?なんでまた?﹂
サイトが尋ねる。意外だった。
力強きモノの代名詞たる王自ら、自分の時代は終わったと言うこと
に。
﹁簡単な話だ。力では、冒険者という圧倒的過ぎる存在には決して
勝てない﹂
﹁そうなんですか?﹂
その言葉に、サイトは首を傾げる。
もちろんサイトとて冒険者が大地人を遥かに超越する存在であるこ
とは知っていたし、
数万の︿緑小鬼﹀の軍勢を僅か1,000と少しで打ち破ったと言
う噂は聞いているが、
それは知識として持っているものにすぎなかった。
﹁ああ、そうだ。例えば私は、現在Lv57だ。
天賦の才に恵まれ、厳しい修行を重ね、この域に達した⋮
恐らく古来種を除けば大地人としては最高峰の使い手と言っても
313
良いだろう﹂
﹁そうですね。父さんでもLvは50と少しですから⋮それ以上か
⋮﹂
若くして父を越える技量を持つと言う、センカ。
確かに大地人の身としては最高の強さ⋮天才だと言っていいだろう。
﹁それでだ。アキバの冒険者のLvがどれくらいだか知っているか
?﹂
﹁え?⋮もしかして、センカさんより強いんですか?﹂
いかに冒険者が常識外れにしても、同族の頂点、狼王。
かつ天才妖術師であるセンカならば、ある程度並び立つことも可能
なのではないか。
だ﹂
﹁強いどころの話ではない。Lv90。それがアキバの冒険者の
普通
﹁﹁90!?﹂﹂
そう思っていた2人は驚愕した。
具体的に言われると、はっきりと異常な強さだった。
﹁そうだ。あの街には不死身かつLv90の技量を持つ冒険者が
万に届くほどいる⋮力で抗うのは、不可能だ﹂
﹁まぁ、そんだけ差があるとね﹂
アヤメも頷く。戦い方次第である程度までは技量の差は補えるが、
それにも限度と言うものはある。
一番強いセンカでLv57ではLv90の集団には絶対勝てない。
ましてや単純な数でも劣るのでは、どうしようもない。
そして、エッゾで暮らしていたセンカは知っている。
﹁そもそも、冒険者とて一枚岩ではない。
アキバは基本的に自由と平和を尊ぶ善の冒険者の勢力圏だが、
ススキノなどには邪悪な冒険者もいる。
ウェストランデの出のものによればミナミという街には、
アキバと比肩する規模の冒険者の軍勢もいる、らしい。
これからがどうなるかなど、私にも分からん﹂
314
そして、戦おうとすれば、手は冒険者だけと戦えばいいわけではな
いことを
センカは既に知っている⋮冒険者が、自らの力を分け与える秘儀を
持つことを。
センカの脳裏には、1人の大地人の女が頭に浮かんでいた。
稀に、悪魔や死霊に魂を売り、その身をモンスターとすることで、
大地人の限界を越える大地人がいる。
それと同じようにススキノにいたとある冒険者に身と心を売ること
で、
大地人でありながら僅かな期間で凄まじい力を手にした女がいた。
︱︱︱﹃ススキノの女悪魔﹄シオン
主より下賜されたという、悪魔のごとき扇情的な姿の戦装束を身に
纏い、
血のように赤い2本の魔剣の使い手。
元は無名の傭兵だったと言うが、現在ではアキバの勢力圏にいる
大地人の中では、街中の衛兵を除けば五指に入る実力者だ。
基本的には現実主義の傭兵らしく無駄な戦いは一切しないし、
アキバでもシブヤでも問題を起こしたことは一度も無いが、
逆に依頼か必要があればたやすく冷酷に振舞うだろう。
更に彼女は大の狼牙族嫌いでも知られ、アメヤが出来ると
センカたちを嫌って主たる冒険者と共にアキバの勢力圏に位置する
もう1つの冒険者の街、シブヤに移り住んだ。
彼女の技量はセンカをも上回るLv62。
315
もし何かの拍子に牙を剥けば、センカが精鋭を直接率いたとしても、
仕留めるまでに数人は死人を出す覚悟を必要とする。
彼女のような秘儀を授けられた大地人が1000⋮
否、100でも現れれば、大変なことになる。
油断は、出来なかった。
﹁だからこそ私達にこれから求められるのは、知恵による自立と交
渉なんだ。
ここはアキバの街の勢力圏。彼らは豊かで生きる糧を容易く分け
与えてくれるが、
餌を主人からただ与えられるのを待つ犬に、そしてそれを当然と
思う豚に堕すれば、
状況が変わったとき、何も出来ずに私達は滅ぶ。だからこそ、こ
の村を作った。
すべての狼牙が、誇りを持って暮らせる、独立した故郷、私達の
悲願の地をな﹂
狼とて生まれたときは母より乳と餌を貰って生きる子供だ。
今、アメヤがアキバに依存して成り立っているのは仕方が無い。
だが、一刻も早く自ら狩りができる若狼となってそれを脱する必要
がある。
その上で、もはや一つの国と比肩しうる街である、アキバと付き合
っていくのだ。
依存ではなく、出来うる限り、対等に。
それが、かつて王と言われた村長、センカの考えだった。
﹁うっわ⋮﹂
﹁すごい⋮﹂
2人も一歩間違えば誇大妄想に過ぎない、
だが、今現在進行形で行われているそれに、息を呑む。
316
圧倒された、彼女の大きさに。
そしていい話で終わろうとした、その時に。
﹁﹁︱︱︱ぷっー!﹂﹂
モモとミドリが思いっきり吹き出した。
﹁﹁え?﹂﹂
﹁⋮なんだ?﹂
﹁だって、センカがすっごいカッコいい言っててさ!
マリカちゃんのこと、ぜんっぜん言わないんだもん!﹂
マリカ。その名前が出た瞬間、センカはビクリと身体を振るわせた。
﹁マリカちゃん⋮?﹂
訝しげにサイトが尋ねると、笑いながら2人はマリカについて語る。
﹁そうそう。マリカちゃんって言うのはね∼、センカの10歳も年
下の妹で、
センカが目に入れても痛くないってくらい可愛がってるの﹂
﹁ずっこいよねー!次の世代の長は頭で決めるって言いながら、
ちゃっかりマイハマの賢者様の孤児院に留学させてんの!﹂
﹁そ∼そ∼。マイハマに行くって狼牙族がいるたびに
様子見てきてくれって頼むしね∼﹂
﹁順調に勉学に励んでいるって聞いて後ろで尻尾出してブンブン振
りながら
﹃⋮そうか﹄とかカッコつけてんの!﹂
﹁この前なんか、傑作だったよね∼。
同じ孤児院にギン様のご子息がいて仲良くしてるって聞いて、
後で私達に﹃ま、マリカが子供を連れて帰ってきたらどうすれば
いい!?﹄とか
妖術師の女
を守る訓練
泣きそうになってるし。まだ11歳なのに幾らなんでも気が早過
ぎだって﹂
﹁ね!そりゃマイハマの賢者様が直々に
授けてるって
317
噂も聞いてるけどさ!﹂
﹁むしろいいよね∼。ギン様のご子息なら将来絶対強くなりそうだ
し。
タダでさえ妖術師の女って夫婦になる男探すの大変なわけだしね
∼。
お陰で今だにセンカだけどくし⋮﹂
﹁ば、バカ!?それを言うな!﹂
ついに見過ごせなくなったセンカが大声を上げた。
そのまま調子に乗った幼馴染の側仕え2人︵既婚かつ子持ち︶に説
教をしようとして⋮
唖然としている客人に気づいた。
咳払いを一つ。
﹁⋮あ∼、なんだ。違うぞ?マリカは確かに孤児だ。
父上と母上は5年前にお亡くなりになった。
それにアメヤはまだまだ安定したとは言いがたいし⋮
その、マリカが孤児院に入るのもおかしくはないんだぞ?﹂
﹁うわ∼、めっちゃいいわけ臭い﹂
﹁うぐっ!?﹂
アヤメに一刀両断され、センカは固まった。
﹁で、結局センカってあれ?妹が大好きなお姉ちゃんってわけ?﹂
﹁そうそう。冒険者が言う﹃しすこん﹄って奴!﹂
﹁へぇ。そっかあ⋮泣く子も黙る狼王さまがねえ﹂
ニヤニヤと意地悪い笑みでアヤメはセンカを見る。
家族の子供達の中では一番のいじめっ子だと弟妹に恐れられていた
目で。
﹁⋮ま、まあその話はもういいだろう!
それより、今夜とまる宿はもう決めたか!?
決まってないならこの村の﹃淡雪﹄に泊まるといい!
318
あそこはアキバの宿屋で最近まで働いていた狼牙族の一家が
経営しているのだが、贔屓目なしにいい宿だ!﹂
﹁ごまかしに入りましたな∼﹂
﹁ね∼﹂
﹁ぐぅぅ⋮もういい、帰れ!﹂
そう言い残すと、きびすを返して部屋から出て行ってしまう。
いつの間にか尻尾と耳が出てて、しゅんと下がっているのが印象的
だった。
﹁あちゃ∼、やりすぎちゃった?﹂
﹁いいよいいよ。気にしなくて。センカってからかわれるといつも
あんなもんだし。
割り切るのも早いし、次来るまでには機嫌も直ってるから。
それより、また遊びに来てよ!﹂
﹁うん、そのうちね﹂
いつの間にかモモたちとすっかり意気投合したらしいアヤメ。
一連の流れを見ていたサイトは。
︵⋮なんていうか、可愛い人だなあ︶
5歳も年上のセンカに、今まで感じたことのなかった、ときめき的
なものを感じていた。
3
あわゆき
夕暮れ。村長のセンカの薦めに従い、2人は一軒の宿屋を訪れてい
た。
﹁ここが、村長の言ってた淡雪か⋮﹂
﹁なんか、小さくない?﹂
そこに立っているのは、どう見ても小さい掘っ立て小屋だった。
泊まるどころか、一家族暮らすのが精々にしか見えない。
とても村長直々に薦める宿とは思えなかった。
﹁いらっしゃいませ!お客様!淡雪へようこそ!
319
私はここで案内係をしております、エリと言います!
是非、お見知りおきを﹂
イースタル風の服を纏い、長い髪を後ろにしゅるりと尻尾のように
結んだ、
成人するかどうか位の狼牙族の少女が、元気に挨拶をする。
﹁ああ、うん。その⋮村長に薦められてきたんだけど⋮﹂
﹁なんかつうかさー、その⋮本当に、ここ?﹂
その元気さに若干罪悪感を覚えながら、目の前の掘っ立て小屋を指
差す。
それにエリは笑顔で首を振った。
﹁いえいえ。違いますよ。ここは私どもの家族が暮らすための管理
小屋です。
小さな所帯でおまけに突貫で建てた、新しいだけが取り得の掘っ
立て小屋。
とてもとてもお客様をお泊めできるような場所ではございません
!﹂
﹁あ、そうなんだ?﹂
その答えにほっとした様子でアヤメが聞く。
どうやらここに泊まるわけでは無いらしい。
﹁ええ。私ども淡雪が自信を持ってお勧めする、お客様の泊まる場
所は別にあります!
あ、少しだけ歩くんですけど、よろしいでしょうか?﹂
﹁あーうん。案内よろしく﹂
くるくると、流れるように説明をするエリに、道案内を頼む。
﹁はい!こちらです!﹂
そして、2人はエリについて、歩き出した。
そして5分後。
﹁え?⋮え?﹂
案内された場所に、サイトは絶句した。
320
そこは、建物は1つも無い広場だった。
夕暮れに照らされ、従業員らしき何人かの狼牙族が忙しく働き回っ
ているのが見える。
真ん中に大きな焚き火が準備された丸く開かれた広い空き地と。
それを囲むように並ぶのは⋮
﹁て、テント⋮?﹂
サイトの声が引きつる。
サイトには見慣れた、エッゾ伝統の狼牙風テント。
普段サイトとアヤメが使っているテントを小さいものでも5∼6人、
大きいものなら10人くらい入れるように大きくしたものだった。
﹁はい!今まであの寒いエッゾで長年使われてきたものですから、
丈夫さと温かさは保証つき!雨どころか雪が積もったって大丈夫
です!﹂
エリは慣れたものでその反応にもめげずにセールストークを続ける。
エッゾで長年使われてきて年季の入った⋮平たく言うとぼろいテン
ト。
それがアメヤの村の外れの広場に所狭しと並んでいた。
﹁⋮ないわー。流石にこれはないわー﹂
アヤメが首を振る。
何が悲しくて、野営の日々を過ごしながらアキバの街まで来て、
金払ってテントで過ごさにゃならんのか。
いくら町長のお勧めと言っても、限度があった。
﹁え∼と、物凄く安いとか?﹂
﹁いえ、淡雪の泊まり賃はお一人様金貨15枚!少々値は張ります
が、
お二人なら王直々のご推薦ですので、特別にお二人で金貨25枚
でご提供します!﹂
一応の、サイトのフォローにもエリは笑顔で首を振る。
﹁うわ⋮普通の宿の3倍じゃん﹂
びっくりするほど、では無いが、結構する。
321
﹁えーと、その、ここはやっぱりなしで﹂
そして若干引き気味でサイトがそう言うと、エリは首を横に振る。
﹁まあまあ、焦らずに。これからちゃ∼んと説明いたしますから。
ここが金貨15枚の価値がある宿だと!﹂
そして、流れるように淡雪の﹃売り﹄を語り始める。
今のところ、勝率は8割を越える、それを。
﹁まず、ここでは夜と朝の2回、お食事を提供しています!
もちろん味も素っ気も無い作成メニューなんて使ってない、
アキバ仕込みの手料理ですよ!
それが食べ放題!メニューは夜はパンとアメヤ名物の肉団子たっ
ぷりのスープ、
そして更に今日は特別メニューの日なのでアキバの名物宿屋の女
将直伝の
ピザも出します!
朝も、パンと村で育てている鶏から取った新鮮な卵をベーコンと
一緒に焼いたもの、
それに旬の根菜を使ったスープ!
その辺の町の旅人宿ではまずお目にかかれない豪華さですよ!﹂
﹁へぇ⋮手料理でしかも食べ放題かあ⋮それはいいな﹂
﹁確かにそれ聞いたら腹減ってきた⋮﹂
その言葉に2人とも反応する。
普通の料理と区別するために︿手料理﹀と大地人の間で呼ばれ始め
た、
味のある食事は、旅暮らしの魔物狩りでは滅多に口に出来ないご馳
走だ。
サイトもアヤメも料理の技術を持っていない以上、街場に寄ったと
きしか口に出来ず、
後は前よりはマシくらいの味しかしない保存食か生で食べられるも
の、
そして昔ながらの、今のご時世では残念すぎる食糧を齧るしかない。
322
﹁更に、なりはテントでもここは宿屋です!お布団はアキバから特
別に取り寄せた、
おろしたてを使っています!旅暮らし用の寝袋どころかその辺の
宿の
せんべい布団なんて話にならないくらい、いいものです!﹂
﹁あ、それは嬉しいかも﹂
アヤメが同意する。
確かに清潔な布団で寝るのは、宿屋での楽しみの1つだ。
ましてや出来てから3ヶ月も経っていないアメヤの町の宿なら、
新品同様の布団なのも、道理だった。
﹁そしてとどめは、アメヤの村の公衆浴場を、ここのお客様は無料
でご利用できます!
毎日入れる温かい風呂は、明日の活力!どうです?
これだけいい宿は、アキバまで行ったとしても、1泊で金貨50
枚もする、
私が働いていたリバーサイドくらいですよ?﹂
両親と話し合ってパクッた⋮もとい参考にした宿の名を上げる。
汚いとか言ってはいけない。
トッキョもチョサクケンも無いこの世界では、
良いものは真似されるのが世の理である。
とにもかくにも、自信満々にお勧めするエリに、2人は顔を見合わ
せる。
﹁⋮うん。いいんじゃない?話聞いたら、良い宿な気がしてきた﹂
﹁だねえ。それに今からアキバまで行ったら夜になっちゃうしねー﹂
そんな話をしていた2人に、どんと止めが寄せられる。
﹁あ、あの!1回目のご飯の準備、出来ましたー!﹂
気弱そうな長身の狼牙族の少女が、広場の焚き火に大きな鍋を置き、
大声を上げる。
そばには大量のパンが盛られた籠。
323
その途端、テントからゾロゾロと泊まり客⋮
狼牙族だけでなく、人間族の商人や吟遊詩人、果ては冒険者らしき
人までが出てくる。
﹁おお!待ってました!﹂
﹁早くくれ!お腹と背中がくっ付きそうだ!﹂
﹁や∼っぱアメヤっつったらこの宿だよな!﹂
﹁リバーサイドのサービスもいいが、値段まで考えたらここだろ﹂
﹁僕なんかこの前ツクバに言ったときに、ここを讃える歌を謡った
よ。
結構評判良かった﹂
﹁ぴ、ピザは?ピザの食い放題はまだか!?﹂
﹁ばっかピザはあと30分はかかるよ⋮スープもうまいが調子にの
って
腹いっぱいにするなよ?あとで後悔するぜ?﹂
口々にざわめきながら、列をなして鍋の前に並ぶ客たち。
﹁そ、それではごゆっくりお楽しみください!﹂
狼牙族の少女がそう言って鍋を開けた瞬間。
グゥゥゥゥ⋮
立ち込めたいい匂いに2人の腹が同時になった。
﹁うっわ。うっわあ⋮サイト、もういいじゃん。ここにしよ?ね?
ね?﹂
興奮の余り耳と尻尾を丸出しにし⋮尻尾をブンブン振りながら、
アヤメがサイトに同意を求める。
﹁だね。すみません。今日泊めて貰えますか?﹂
サイトの方も即決だった。それほどに、あの匂いには抗い難かった。
﹁はい!よろこんで!それでは金貨25枚となります!﹂
﹁サイト!私の分も出しといて!後から払うから!﹂
324
そう言うとさっさと鍋の前の列に並んでしまうアヤメ。
﹁じゃあこれで!﹂
﹁はい!お預かりします!⋮はい。では、あの右の小さいテントを
お使いください﹂
許可を降りるが早いか、サイトも慌てて駆け出した。
荷物を担いだまま、鍋の前に出来た行列に並ぶ。
﹁だ、大丈夫ですよ∼!次の分もただいま作っている最中です!
それと、ピザはもうしばらくお待ちくださいー!﹂
気の早いものは既に2杯目に突入しているこの状況。
食い意地のはった2人にはそう言われても我慢できる状況ではなか
った。
﹁もう食えない⋮﹂
﹁はぁ∼、こんなに食ったのはマイハマで初めて手料理食ったとき
以来だね﹂
膨れ上がったお腹を押さえながら、布団の中で2人は満足げに息を
吐いていた。
﹁スープも美味しかったけど、あの後のアレは本当に凄かった﹂
﹁だねぇ。あれ、なんだっけ⋮ぴざ?﹂
﹁そうそう。ピザピザ。なんかこう、色んな味が混じっててさ⋮凄
かった﹂
元々食べ放題なので、全員の腹が満たされるまで焼き続けるのだが、
焼きたてが食べたくて出てくるたびに争いになった。
ちなみに余った分は全て従業員一同が夕食として美味しく頂いたと
言う。
とことん無駄の無い構成だった。
﹁風呂も久しぶりに入ったら気持ちよかったし、ほんと良い宿だわ、
ここ﹂
﹁うん、人気あるのも分かる気がする﹂
4,5人用の若い家族用のものを2∼3人で泊まるようにした
325
テントは立ち上がれるくらいの高さがあってゆったりと広く、
ベッドの上の清潔なシーツでくるまれたふかふかの布団は温かい。
部屋には顔を洗うための小さな水がめと丈夫そうなテーブルといす、
それと手入れのしっかりされた火の出ないランプが置かれ、
ランプの柔らかい光で照らしだされるエッゾ風の調度品で
飾られたテントの中は異国情緒を感じさせる。
移民する際に使われ、小屋が揃って盛大に余ったテントを利用して
作った宿屋は、
アキバでも相応に有名となり、物見高い冒険者が時々訪れるほどだ
った。
﹁ふあああ⋮明日、どうする?﹂
﹁そうだなあ、あ、そうだ、食事係の人から聞いたあそこ行きたい
かな?﹂
﹁あそこ?﹂
﹁うん、あの子、昼は肉団子の材料取ってくる仕事してる狩人らし
いんだけど、
アキバで買った新しい弓がかなりいいものなんだってさ。
それ売ってる武器屋を聞いたんだ⋮﹂
﹁へぇ⋮いいかもねぇ⋮﹂
﹁だねぇ⋮ふわあ⋮﹂
生返事をしつつ、夢心地。
2人はランプに覆いをかけると布団に潜り込む。
それからいくばくもしないうちに寝息を立て始める。
明日は、アキバだ。
そう、思いながら。
4 アキバの街は、今日もにぎやかだった。
326
街を行きかう、たくさんの人々と荷馬車。
それらが冒険者と大地人がまるで区別なく交わりあっている。
廃墟は既に原形を辛うじて残す建物へと変貌しており、
その建物から溢れて道端まで無数の掘っ立て商店や露店が立ち並ぶ。
外縁は現在も拡大を続け、ひっきりなしにやってくる移民が、住人
を増やし続ける。
され、3日離れればもう今までとは別の
この街で手に入らないものは無いと言われ、溢れる金が凄まじいま
発明
での豊かさを産む。
日々新たなものが
街に変わっている。
そして、王族、貴族、騎士、商人、傭兵、平民、移民、放浪の民⋮
果てはとうの冒険者までが平等だと言われ、どんなに酷い生まれで
も生きていける。
このヤマトで、いや、もしかしたらこの世界で最も活気のある街。
それが、独立都市にしてイースタル自由都市同盟と肩を並べるヤマ
ト最小の独立国家。
15,000人に及ぶ冒険者が自力で打ち立てた自由と平和を手に
入れた奇跡の街にして国、
冒険者の聖地アキバであった。
﹁すっげ∼⋮こりゃ確かに面白いって言われるわ﹂
おのぼりさん丸出しでキョロキョロと辺りを見回すアヤメ。
目に映るのは見たことも無いものだらけ。
⋮むしろ見たことがあるものの方が少ないと言ってもいいくらいだ。
﹁って言うか人ってこんなにいたんだなあ、マイハマより下手した
ら多いよ、これ﹂
行きかう人々は全ての善の種族が揃っている。
327
それもあらゆるヤマトの民の特徴を揃えた、ヤマト人の見本市と言
ってもいい。
それどころか、明らかにヤマトの生まれですらない人々まで、ちら
ほら見える。
﹁んで、どうすんの?﹂
辺りを一通り見渡した後、アヤメが尋ねる。
それにサイトは頷き、言う。
﹁ああ、昨日言ったところ行こうかなって思う﹂
﹁昨日?なんか言ってたっけ?﹂
﹁あれ?言わなかったっけ?武器屋行くって﹂
昨日はお腹いっぱいで寝ぼけて話していたので、2人ともうろ覚え
だった。
﹁武器屋か⋮確かにあたしのダガーも刃こぼれ酷いんだよね。
この前斬ったモンスターがやたら硬かったせいで。で、どこ?﹂
﹁ああうん⋮確か、生産ギルド街にある﹃双頭犬﹄だって﹂
まずはその生産ギルド街がどこにあるのか、からなのだが。
5
生産ギルド街。
冒険者や大地人が経営する無数の商店が所狭しと並ぶこの一角にそ
れはあった。
﹁うん?ここ?﹂
あちこちを冷やかしながら、3時間かけてたどり着いたそこに、ア
ヤメは首をかしげた。
目の前には一軒の店があった。
看板には双頭犬の文字と、首が2本生えた犬の絵。
それ自体はおかしくは無い。
武器屋の名前に強いモンスターの名を使うのは普通のことだ。
328
だが、店の名前の前についている言葉が、不思議だったのだ。
﹁⋮魔物武器専門店?﹂
通常の武器屋とどう違うのか?サイトも首を傾げる。
中には双子らしい若い狼牙族の少女たちが店番をしていた。
﹁⋮いらっしゃいまし∼。どうぞ見て行ってくださいな﹂
ちらりと外を見て立ち上がった、髪の長い方︵もう1人はかなり短
い︶が
店の前で立ち止まる、武装したサイトたちを客と見たのだろう。
満面の笑顔で声を掛ける。
﹁⋮どうぞ。外からではなく、店の中で、見て行ってください。
当店の魔物武器は、並の武器よりはるかに良いものですよ﹂
こちらは無表情に、髪の短い方。
無愛想だが、自信があるのか、はっきりと言い切っていた。
﹁うん、まあ﹂
﹁いこっか﹂
そして2人は扉を越えて店の中に入った。
﹁へぇ⋮なんか、変わった店だね﹂
店の中を見渡して、店中に置かれた武具を眺める。
﹁うん⋮﹂
違いはすぐに分かった。
鉄や木などごく普通の素材で作った武器がほとんど無い。
あるのは⋮
﹁この辺全部、骨とか牙とか、角で出来てる⋮あれ?これってモン
スターの?﹂
﹁あ、でもこっちの剣は鉄が使われて⋮え?これって⋮︿鉄喰蜻蛉
﹀の羽⋮?﹂
2人は気づいた。それが、ある意味では見慣れたもので作られてい
ることに。
﹁あら。お二人とも見ただけで分かりますのね。本職の魔物狩りの
329
方ですか?﹂
2人してそんなことを話していると、店員が親しげに話しかけてく
る。
﹁お二人とも、その通りです。この店の武具は、全てモンスターを
素材としています﹂
もう1人の方も、肯定の意を表して頷いた。
﹁モンスターを!?うっわ、そんなんあるの?﹂
本職の魔物狩りにとっても予想外の話だった。
魔物を武器に加工すると言う話は。
だが、双子は揃って頷いて、言う。
製作級
と呼んでいますが﹂
﹁はい。冒険者の間ではかなり普及している、一般的なものだそう
です。
もっとも冒険者の方々は
モンスター
﹁それだと私たち大地人には分かりにくいでしょう?
魔物から作る武器だから、魔物武器。
そう、私たちは呼んでおりますわ﹂
双子もザントリーフで武器の行商をやっていた父を失い、
冒険者に助けられた折、冒険者がたまに修理のために持ち込む
異形の武器の正体を聞いたときは随分と驚いた。
そして、その話に手ごたえを感じ、商売の基本を習っていた姉と、
補修のために武器作りの技を習っていた妹の双子の姉妹は父の残し
た遺産を元手に、
アキバで主に大地人でも扱えるような比較的低レベルの魔物武器を
扱う商売を始めた。
より良い性能の装備。ただし自分達が扱える範囲で。
それを求める気持ちは大地人とて同じである。
いやむしろ、装備の善し悪しが文字通り生死を分けることもある
傭兵などにとっては、冒険者よりその気持ちは強いかも知れない。
330
一般に冒険者用の武具の大半は余りに高い技量と金額を要求される
ため、
大地人が実用品として購入することはほとんど無い。
︵以前、美術品として購入した交易商人はいたらしいが︶
だが、需要が無いわけではない。
それを証明するかのように、冒険者の基準では低レベルな魔物武器
を揃えた店、
双頭犬は女2人がアキバで暮らしていける程度の利益を軽々と上げ
ていた。
﹁へぇ∼、それで魔物武器。そんなんあるんだ。知らなかった﹂
ドラゴンの鱗を使った剣だの鎧だのは吟遊詩人の歌の定番だが、
それが普通に売ってるとは夢にも思わなかったアヤメが、感心して
声を上げる。
﹁あ、でも父さんが言ってた気がする。
蟻の殻を使った鎧が街の自警団に支給されてる街があるって﹂
﹁あー、言ってたなあ。革鎧の重さで鉄鎧並に硬いとかどうとか。
てっきりホラだと思ってたんだけど﹂
﹁それは恐らく︿鉄甲蟻﹀の殻を使った︿アントメイル﹀ですね。
うちでは取り扱っていませんが、︿鉄甲蟻﹀は
Lv10程度のモンスターらしいので、その辺りに巣があれば群
れから
はぐれたものを狩ってある程度安定供給も可能かと﹂
どこまでがホラでどこまでが本当かは全然分からない思い出話。
その一つが本当だと分かる。それもまた、旅の醍醐味だった。
﹁へぇ。そうだったのか⋮じゃあここは﹂
改めて見渡す。魔物から作った武器の宝庫を。
﹁ええ。私が︿武器職人﹀なので姉さんが素材を仕入れて来て作っ
たり、
331
冒険者から魔物武器を直接仕入れて売ったりしています﹂
﹁マジで?そんなん成り立つの?﹂
﹁ええ。このアキバでなら。冒険者が毎日のように様々なモンスタ
ーを狩り、
素材を持ち帰ってきますし、武器自体は素材とレシピがあれば簡
単に作れますから。
ちなみに私が知ってるレシピは、︿海洋機構﹀で習いました。冒
険者に混じって﹂
﹁たとえレシピを知っていても私たち大地人だと、まず素材を手に
入れる段階で
ものであり
狩る
と言う行為は
躓きますから、大地人の間では広まっておりませんが、冒険者様
の間では
昔から良く使われているそうですわ﹂
ごく弱い、野生動物のようなモンスターならば、
大地人でも狩る、と言う行為をすることもある。
退治する
だが、Lv10を越えるようなモンスターは、
基本的に命を賭けて
しない。
自警団や傭兵ならばLv30までならば集団で挑めば倒せなくも無
いだろう。
本職の騎士や魔物狩りならば錬度によっては少人数でLv30以上
のモンスターも倒せる。
狩れる
のは、もはや
だが、彼らの手に負えぬようなモンスターなど、このヤマトには腐
るほどいる。
そういうものを倒すどころか素材目当てで
冒険者のみであろう。
冒険者の聖地アキバだからこそ成り立つ商売。それが魔物武器の店
だった。
332
﹁じゃあ見せてもらおっかな。短剣が欲しいんだけど、試し切りは
あり?﹂
﹁ええ、そちらの木の人型に切りつけていただいて結構です﹂
﹁じゃあ、さっそく﹂
そう言うと短剣を1本1本手に取り、重さなどを調べ、
店に置かれた試し切り用の的に斬りつけて見る。
︵見ただけで性能を知るという技術は、一介の戦士には存在しない。
性能とは実際に使ってみて見極めるものだ︶
﹁じゃあ、僕も。僕は格闘武器が欲しいんだけど⋮﹂
﹁ああ、それでしたらこちらに﹂
そう言って指差した一角には、爪や篭手、脚当てなどの格闘武器が
置かれている。
サイトもそれを一つ一つつけてみては、実際に演舞を行って見て、
性能を確かめる。
︵う∼ん⋮これは中々︶
元々格闘家は武器は己の拳と脚なので、装備はさほど重視しないが、
それでも確かに付け心地が段違いで、更に幾つかは魔力らしきもの
まで感じさせる。
幾つか目星をつけようとしていた、そのときだった。
﹁サイト!すっごいよこのダガー!切れ味すっげえ良いのに、滅茶
苦茶軽い!
っていうかこれ、何でできてんだろ?﹂
本当に良いものを見つけたらしいアヤメが、興奮してサイトに言う。
﹁あらお目が高い。そちらはあの恐ろしいメガロドンの牙から出来
ておりますの。
この双頭犬の中でも、屈指の業物。お買い得ですわよ﹂
店にある中では最高級かつ、冒険者にも売れる人気商品である高性
能武器であることに、
アヤメの見る目に関心しながら、店員がお勧めのトークを行う。
333
﹁へぇ∼⋮なるほどね。で、メガロドンって、なに?﹂
かなり大きい、何かの牙で作られていることは分かるが、
メガロド
それがどんなものなのかは、良く分からなかったので、素直に尋ね
る。
ごく、何気なく。
﹁⋮それは﹂
﹁それは?﹂
﹁⋮⋮それ⋮は﹂
そして、辺りに沈黙が舞い降りる。
店員が、笑顔で固まっていた⋮脂汗を流しながら。
﹁⋮どうかしましたか?姉さん﹂
が
﹁ああ、キョウ!大変ですわ!?私、良く考えましたら
ン
何かも知らずに売れ筋と言うだけでダガーを売っておりましたの!
武器屋であるのにその武器の謂れも知らぬなど、所詮小娘のおま
まごとと、
軽蔑されてしまいますわ!そうしたらこの店ももう終わりですわ
!?﹂
妹の言葉に反応して再起動した姉が一気にまくし立てる。
ややネガティブ思考なところがあるのか、変な方向に話が飛ぶ。
﹁大丈夫ですよ姉さん。私が把握していますから﹂
姉を落ち着かせると、こほんと息を吐いて、説明を始める。
﹁失礼しました。お客様。
︿船喰鮫﹀︵メガロドン︶とはウェストランデにあるハツシマ島
の海に生息する、
鮫のモンスターです。
私も本物を見たことはありませんが、とても巨大で船をも食べる
とか。
そしてその牙は軽くて丈夫、かつ鉄よりも硬いことで知られてお
り、
334
船喰鮫の牙で作ったダガー︿シャーク・ファング﹀は上質な鋼の
ダガーに
軽さと切れ味の両方で勝ります。
このアキバでは︿船喰鮫﹀の牙が時々ですがそれなりの数出回る
ので、
お手頃な値段となっているので、かなりお買い得かと﹂
﹁そ、そうですわ!それが言いたかったんですの!﹂
﹁⋮ふ∼ん。ま、いっか。これ頂戴﹂
︵あ、これ、やばいな∼︶
サイトはアヤメを見て思った。いつもの、いじめっ子の目をしてい
る。
﹁はい。金貨1000枚になります。よろしいですか?﹂
それに気づかず、姉の方がとりあえずの価格を口にする。
普通はここから丁々発止の交渉が始まるのが普通だ。しかし。
﹁うん、いいよいいよ。これ2本で1000枚ならかなりお買い得
だし﹂
アヤメはいきなり爆弾発言をかました。
﹁⋮はい?﹂
笑顔のまま硬直する店員に、アヤメは更に言葉をつないだ。
からかい半分で。
﹁あれ?違うの?おっかしいなー。すぐそこの店で、アキバでは1
本買ったら
もう1本タダって聞いたんだけど?ほら、私って盗剣士だからさ
ー、
同じ武器は2本欲しいんだよね。バランス悪くなるから﹂
案の定テンパッた店員が隣の妹の胸倉を掴んでガクガクと振り出し
た。
﹁キョ、キョウ!?どうしましょう!?うちではやっていないサー
ビスですが、
確かに冒険者のやっているヤマモトヒロシではその様なサービス
335
がありますわ!
ここでうちではやっていませんなんて言ってはサービスが悪い店と
悪い噂がたってしまいます!
しかしそんなサービスをやっては双頭犬は金貨200枚の大・赤・
字!
仕入れ値以下で売っていてはあっという間に資金が底をつきます
わ!
そうなれば力無き狼牙族の小娘などこの体を売るくらいしか道が
無く、
私達は殿方の劣情に晒され、その肉壷を⋮﹂
﹁⋮姉さん、一体どこからそんな言葉仕入れてくるんですか?
大丈夫です。すぐそこのヤマモトヒロシは安価な回復薬を扱う薬
屋です。
消耗品と武器で同じサービスをしなくても文句を言われることは
ありえません。
というか、さらっと仕入れ値をばらさないでください。そちらの
方が問題ですよ﹂
相変わらず残念な姉を止めるべく、妹の方は勤めて冷静な態度で姉
を諭した。
﹁そ、そうですわね⋮流石に2本で1000枚は安すぎますわよね﹂
﹁⋮お客様。そういうわけですので、2本ならば倍の金貨2000
枚となります﹂
何とか冷静さを姉が取り戻したところで、妹の方が、交渉を始めた。
﹁う∼ん。2000はちょっとなあ⋮1200で手をうたない?﹂
﹁お客様。ご冗談ですよね?儲け0ではお譲り出来ませんよ⋮18
00ならば﹂
﹁けどさー、これ中々買う人いないでしょ?
使いこなすのに技量がLv30はいりそうだし⋮1300でどう
よ?﹂
336
﹁そんなことはありません。確かに大地人の方が買おうとするのは
珍しいですが、
うちは冒険者のお客様もいます。冒険者ならばLv30なんて本
当にひよっこですよ。
彼らと私達では基準が違うんです⋮1700でどうです?﹂
﹁そっかー。けど、だったら逆に冒険者ならもっと凄い武器を使う
んじゃないの?
腕が違うなら当然求める武器の基準も違うでしょ?⋮1400じ
ゃあ?﹂
﹁⋮確かに、これの上位互換である万年牙製のダガーは必要な技量が
Lv70にもなるそうですが、普通に売れたと聞きますね⋮16
00は欲しいですね﹂
﹁へぇ∼。それはすごい。値段もすごいんじゃない?⋮1450!﹂
﹁ええ。アキバでも秋口に何本か出回った後はさっぱりだそうです
からね。
聞くところによると、値段も金貨で最低でも1万枚以上すると⋮
ここは1550でいかがでしょう?﹂
﹁そりゃ凄い。やっぱり冒険者って規格外だね∼⋮間とって150
0!﹂
﹁⋮分かりました。その値段でお譲りします﹂
交渉成立。途中世間話になってた気もするが
とにかく丁度引き分けと言っても良い価格で折り合いがついた。
﹁⋮あ、終わった?﹂
﹁おう。1500でいいってさ﹂
暇そうにしていたサイトの問いかけに、アヤメが頷く。
﹁へぇ、まあまあじゃない?﹂
元の価格と、アヤメが気に入ったことを考えれば、妥当だろう。
そう考えながら頷いた、そのあとだった。
﹁だろ?だからさ、金貸してくれ﹂
337
さらっと、金を無心された。
﹁え?﹂
﹁え?じゃなくて。いや∼、今財布に1100枚分しか入ってなく
てさあ⋮﹂
﹁お前なあ、人の財布当てにして値段交渉始めるなよ⋮﹂
ため息をつきながら、財布を取り出し、聞く。
割といつものことである。
﹁いくら?﹂
﹁100枚金貨で10枚分﹂
﹁分かった⋮ってそれ僕の全財産じゃん!?
っていうか普段儲け折半してるんだから僕の財布の中身も大体は
知ってるだろ!?﹂
ちなみに少し少ないのはアヤメに踏み倒された分である。昨日の宿
代とか。
﹁え∼、ダメ?﹂
﹁ダメ﹂
﹁けち∼﹂
﹁けちじゃないって﹂
﹁出してくれたらハグしてやるから﹂
﹁だからダメだって。僕も篭手を新調したいし、冬用の外套も買う
予定なんだから﹂
流石に全額渡したら今日から野宿である。
⋮ついでに自分の分の財布の中身はちゃっかり残そうとする辺り、
抜け目ない。
﹁ったくしけてんなあ。じゃあ700枚分でいいよ﹂
﹁それでも多いんだけど⋮分かったよ、こりゃ篭手は諦めないとい
けないかなあ﹂
ため息をつきながら、100枚金貨5枚と10枚金貨を20枚ほど
カウンターに置く。
﹁⋮ほい。これ﹂
338
続いてアヤメが残りを置く。
100枚金貨を7枚。10枚金貨を8枚。1枚金貨を20枚。
﹁⋮はい。確かに金貨1500枚分、お預かりしますわ﹂
流石に商売人なのか、姉のほうがすぐさま金貨を数え終え、
代金をカウンターにしまうと、ダガーを2本、カウンターに並べる。
﹁こちらになりますわ。ありがとうございました。
今後とも是非とも双頭犬をお引き立てくださいませ。
次回までにはそちらの殿方にぴったりな、よい篭手を仕入れてお
きますので﹂
﹁⋮あ、そういうのもやってくれるんだ﹂
﹁ええ、今後ともご贔屓に願いますわ﹂
何気に商売上手だなと思いながら、2人は店を後にした。
6
夕刻。
アキバ中を回りすっかり堪能した2人は宿を取り、くつろいでいた。
﹁いやー、やっぱ凄いわこの街。面白いものが、多すぎる﹂
﹁うん。冬の間、楽しく過ごせそう。それに⋮﹂
貰ってきた紙を幾つか見る。
﹁⋮依頼も豊富だしね﹂
そこには、Lv30までの依頼の数々が記されていた。
本来冒険者とは、世界最強のトラブルシューターでもある。
下はちょっとした護衛から、上は世界の危機まで。
冒険者はあらゆる危険な仕事をこなす。
それ故にこの街には様々な依頼が持ち込まれる。
そして大災害以降、新たな冒険者が誕生しなくなってから、
冒険者の平均Lvはあがり続けている。
故に、冒険者のLvに見合わぬ難易度の低い仕事は、
339
彼らのような大地人が受ける機会が増え、
アキバは密かに傭兵や魔物狩りの集う街ともなっていた。
﹁あ?これとかよくね?Lv25以上のラグランダに挑むメンバー
若干名募集、だって。
チョウシまでは蒸気船が使えるってなってるし、丁度あたしらに
向けた感じじゃん?﹂
そのうちの1つを指差して、アヤメが言う。
﹁でもこれ、冒険者向けってなってるよ?﹂
﹁大丈夫大丈夫。死ななきゃ一緒だし﹂
﹁ま、それもそっか。じゃあ、冬支度したら応募してみようか﹂
それをこなしたら、あるいはその前に小さい依頼をこなして金を稼
ぎ、
また、双頭犬で新しい装備を見繕ってみるのもいいかも知れない。
彼女達に聞けば、魔物から作った防具を売ってる店も教えてもらえ
るかも。
どうやら今年の冬は、色々と忙しくなりそうだった。
魔物狩り⋮別名、偽冒険者。
偽物ゆえに、その本能は冒険者に、似る。
340
第8話 偽冒険者のサイト︵後書き︶
なお、魔物狩りの設定は、原作にはありません。
⋮まあ、多分いるんじゃないかな、と。
また、エッゾ狼牙族は、アイヌ民族っぽい格好が
伝統装束としています。
アイヌとバイキング︵ヴィンラント・サガ仕様︶と
薩摩隼人︵ドリフターズ仕様︶が混じった戦闘民族。
そんなイメージです。
:一般人。町で暮らす普通の人々
そして、ヤマトの国の大地人におけるLv基準はこんな感じ。
Lv10未満
Lv10∼19 :訓練を受けた兵士や開拓民の自警団。ある程度
自衛可能
:本職の騎士や一流の傭兵。はっきりと強いと
Lv20∼29 :本職の傭兵や騎士見習い。戦うことが本業の人々
Lv30∼39
される人々
Lv40∼49
:真に才能ある人のみ到達できる領域。
:熟練の騎士や超一流の傭兵。努力の限界。
ちなみにエッゾ狼牙の平均値もここ。
Lv50∼60
:大地人の限界を突破している人々。
精鋭中の精鋭。若手なら天才と呼ばれる。
Lv61∼ ∼∼∼∼∼∼∼∼∼根本的な壁︵約30レベル︶∼∼∼∼∼∼∼∼∼
:古来種専用。
Lv90∼ :冒険者の半数以上がここだという。酷い話だ。
Lv100
341
ただし何年かしたら冒険者も到達するかも。
342
第9話 文官のフィリップ︵前書き︶
今回は、ある意味非常に二次創作らしい話になりました。
過去最多の原作キャラ登場率。
そしてとあるキャラの設定捏造などなど。
テーマは﹃報酬﹄それでは、どうぞ。
343
第9話 文官のフィリップ
0
コーウェン家の入り婿であるフェーネルにとって、
夜、寝る前の義父との問答の時間は、日課であった。
﹁⋮フェーネルよ、お前はどう思う?﹂
昔は水同然の、ただ高いと言うだけの酒だったが、最近は専ら冒険
者から買い求めた、
余り高級ではないウィスキーに、宮廷魔術師に作らせた氷を浮かべ
て飲みながら、
義父はいつもの台詞を口にした。
﹁どう、とは何がですか、義父上?﹂
いつものように言葉を返す。
そして、義父はその言葉を口にする。
﹁いやなに⋮冒険者は、何ゆえ強いのかと思ってな﹂
その言葉に、フェーネルは苦笑する。
いつもの悪い癖だ。
子供でも分かるような問い掛けでありながら、答えはそれ以上を求
める。
﹁何故強いのかと言えば、冒険者は、何もかもが大地人を上回るか
らでしょう﹂
少し捻くれた答えを返した。
それに義父は僅かに眉をひそめ、再度、問う。
﹁何もかも⋮とは、具体的になにを言う?﹂
344
幽かな苛立ち。フェーネルが凡庸な言葉を返したときの兆候だ。
かかった。そう思いながら、フェーネルは言葉をつむいだ。
﹁何もかも、ですよ。レベルも、スキルも、武具も、不死身の肉体
も、そして⋮戦術もね﹂
﹁⋮なるほどな﹂
義父は、笑い出した。正解だ。
フェーネルも微笑みながら、その言葉を口にする。
﹁ザントリーフ近く、チョウシの町で、100にも満たぬ冒険者が
︿緑小鬼﹀と︿水棲緑鬼﹀の群れを1000ほど倒した。そう聞
きました﹂
﹁ほほう?対した戦果だ。だが、驚くことかね?
彼の騎士団︿D.D.D.﹀は百人隊で万に及ぶ︿緑小鬼﹀を倒
したと言うぞ?﹂
既に答えを知っているくせに、義父はあえて聞いた。
﹁ええ、それは凄い戦果ですね⋮流石は、Lv90だ﹂
そう、それはある意味当然。
圧倒的にレベル、技、武具が全て揃った存在ならば、
数の差をひっくり返す英雄となっても理解できる。だが。
﹁チョウシの町にいた冒険者は大半がLv30以下⋮
我ら、マイハマの騎士団の正騎士以下の腕前だったそうです。
特に、あのシロエ殿の弟子である少女の部隊は、
Lv30以下の僅か5人で100を越える戦果を上げたとか﹂
異常さに置いてはこちらの方が遥かに上だ。そして⋮
﹁だが、それは冒険者だからではないか?我らが、大地人が真似で
きると思うか?﹂
あえて聞き返す義父に、フェーネルは唇を歪め、聞き返す。
﹁⋮義父上はお忘れですかな?20年前の﹃狐狩り﹄を﹂
義父の顔が、歪んだ。その苦い顔に、フェーネルは畳み掛ける。
﹁我らマイハマの懐刀、マイハマ近衛騎士団。定員24名。入団条
件はLv50以上。
345
⋮20名失ったのを回復させるのには10年掛かりました﹂
そしてそれを為したのは。
﹁⋮相変わらず痛いところをついてくるな。ああ、そうだ。あれは
私の失策だった。
あれだけの精鋭を揃えれば如何に﹃アイギアの雌狐﹄といえど、
容易く討てると過信し過ぎた﹂
密告により存在を暴かれ、ただ1人森の中に逃げ込んだ密偵は、恐
ろしく強かった。
腕も立ったがそれ以上に頭が、心が強かった。
森の魔物を騎士団のところまでおびき寄せて不意を打ち、森のあち
こちに罠を張り、
寝込みや用足しの瞬間を襲い、森の泉に毒を混ぜる。
卑怯と言う言葉など鼻で笑いながらあらゆる外道の手を駆使して、
精鋭部隊を壊滅に追い込みながら見事に逃げ切って見せた。
﹁他にも北の﹃狼王﹄は2年前に帝国の1000の討伐軍を相手に
200の手勢を率い、
半分を討ち取られながらも討伐軍を壊滅させたと聞きます﹂
そう、大地人と言えど、戦に通じたものたちはいる。だが。
﹁雌狐は決して群れに加わろうとはしなかった。狼王は、遠すぎた。
⋮そして、何より騎士の誇りが、彼らに教えを乞うのを認めさせ
なかった、か⋮﹂
彼らは、ヤマトの闇だ。暗き場所でしか生きられぬが故に技と知恵
を磨いた。
その闇は陽の当たる場所に居続けねばならぬ騎士団とは決して相容
れない。
﹁しかし今ならば、我らも、学べるかも知れませんね﹂
そう、イースタルと、マイハマと同じ側⋮明るい陽の光を浴びる側
にいる彼らならば。
﹁アキバの⋮冒険者の戦術を﹂
騎士団とて、認めざるを得まい。
346
﹁⋮分かっているな?﹂
それにフェーネルは頷きで返す。
﹁はい。クラスティ殿のお力を借りるのは、悪手かと﹂
彼らはただでさえアキバ最大最強の騎士団だ。
娘の借りも降り積もっている。
これ以上借りを作れば、マイハマは彼らの犬とみなされる。
今ですら口さがないものは誇りを捨て、娘を冒険者に売ったと言っ
ているのだ。
これ以上は、毒にしかなるまい。
﹁ならばよし。見つけねばな。出来れば、ごく個人的な願いで済む
範囲で﹂
﹁はい。既に、信用できるものに命令は出しております﹂
冒険者は強い。だが、それに甘えてはならない。
男2人が愛してやまぬ、姫君の言葉だった。
ゆえに、強くなる必要があった。
定命にして脆弱な、大地人の身であっても。
﹃第8話 文官のフィリップ﹄
1
マイハマからアキバに向かう定期連絡船は、
これから向かう街を象徴するかのように、混沌としていた。
俺は最近マイハマ文官の間で流行している本を読みながら、辺りを
観察する。
この船の住人は、実に多彩だった。
まず、最初に目に付くのは、談笑している身なりの良い家族連れ。
マイハマでもそこそこの規模の商家や下級貴族の一族だ。
347
殆どが人間族。次いでエルフ族と少しだけドワーフ族。
これは、最近マイハマで良く聞く、アキバへの旅を楽しむ観光客だ
ろう。
俺も天秤祭の折には、家族を連れて一緒に行った口だ。
楽しそうにしているが、世のお父さんは一体幾ら散財することにな
るのかと、
内心は随分と心配していることだろう⋮気持ちは、分かる。
同じ家族連れでも、もっと貧相で汚い身なりをしているものたちは、
移民。
足の踏み場も無いくらい栄光とチャンスが転がっていると噂される
あの街は、
移民が多い。
あらゆる種族がいるが、見ている限りでは狐尾や狼牙、猫人など、
定住すべき街を持たぬ種族がやや多いように思う。
初めて乗る﹃蒸気船﹄に興奮して探検する子供達を横目にしながら、
彼らの顔には、
一様にこれからの生活に対する不安が強く浮かんでいる。
彼らとて噂を聞き、決断はしたものの半信半疑なのだろう。
世間で鼻つまみ者の自分達が暮らしていけるという街なんてものが
本当にあるのかと。
⋮マイハマから放った貧民上がりの下級密偵の何割がアキバに住み
着いて、
そのまま行方をくらましたかを知る俺としては、苦笑するしかない
のだが。
もちろん、家族連ればかりではない。
1人で乗り込んでいる客も多く見える。
満杯まで詰めれば人が背負えるギリギリの重さになるであろう大き
348
な背嚢を脇に置き、
席を隣り合わせて盛んに情報を交換している若者達は、駆け出しの
行商人。
アキバとマイハマを定期連絡船を使って1日で往復して金を稼ぐ、
マイハマで日帰り商人と呼ばれ始めたものたちだ。
この船には荷馬車を乗せられず、移動だけで金貨200枚掛かるた
め、
一度に多くを稼ぐことこそ出来ないが、勤勉さでもって数千枚程度
の元手を
1ヶ月で3倍にしたなんて話もあるし、なによりそれを補って余り
ある安全がある。
世の行商人のかなりの割合がロクな護衛も雇えない駆け出しのうち
にモンスターに
襲われ命を落とす羽目になることを考えれば、彼らの選択は、正し
いと言えるだろう。
同じ巨大な背嚢を持っているものでも、明らかに若い子供は商会の
見習いだろう。
時折ずっしりと重そうな財布を不安げに覗き込んでいるものや
主人からの書付を熱心に眺めているものもいる。
そんなことをしては、ゴロツキに狙ってくれといってる様なもんだ
が、
船やアキバで下手なことをすれば酷い目にあうことになるので、問
題ない。
彼らは既に商談をまとめている主人から言い含められているのだ、
どこで、何を、幾らで買ってくればいいかを。
冒険者によって12歳以下の子供は、何故か船の利用料が半分と定
められている。
349
利に聡い商人が金貨100枚もの節約の機会を見逃すはずも無く、
幾つかの商会ではこうして、
読み書きと計算が出来る12歳以下の優秀な小僧を仕入れの使いと
して
アキバに送り込んでいる。
最も、読み書き計算が出来る小僧など平民にはそう多くはないはず
だが、世
の中良くしたもので、
冒険者の息がかかった孤児院⋮マイハマの賢者の孤児院では、
大人顔負けなほど読み書きと計算が達者な孤児がゴロゴロいるし、
夏の初めから出回りだした数の秘術︵初伝︶は今では勉学の友として
そこそこ裕福なマイハマの子供や若者達の定番の読み物だ。
最近は賢者の孤児院で学んだ孤児を引き取り、
未来の使用人として鍛えているなんてのも、これまた良く聞く話だ。
そして、最後。明らかに異彩を放つものこそ、冒険者。
談笑してこそいるが、強力な武具を身に纏い、とてつもなく強いこ
とを感じさせる。
一応は冒険者の中でも騎士ではなく商人に属するものたちのはずだ
が、
それでもマイハマの誇る近衛騎士団を容易く制圧するほどの力を秘
めている。
いざこの船が魔物に襲われることにでもなれば、
瞬く間にこの船を守る護衛となる役であり⋮
俺が、これから交渉し、教えを請わねばならないものたちだ。
﹁間もなく、アキバに到着します。皆様、下船の準備をお願いしま
す﹂
350
船に備え付けられた伝声管︵遠くからの声をここまで送るという、
冒険者の発明だ︶から声が響き、辺りが俄かに慌しくなる。
大抵が多くの荷物を抱えているので、準備が大変なのだ。
もっとも、公務で訪れている俺は、身軽なものだ。
灰色の外套を羽織り、同色の帽子を被って、鞄一つ持てばそれで済
む。
素早く身支度を整え、パタンと、今まで読んでいた
﹃数の秘術︵秘伝︶﹄を閉じて、立ち上がる。
中々に読み応えがある本だった。
何しろ2つも位階が低い中伝の時点で完全に理解できれば
文官試験を突破できるほどの内容。
秘伝なんて読んでいるのは、マイハマの文官でも俺とフェーネル様
くらいだろう。
まあ、学問の街であるツクバには賢者様から頂いた写本が運び込ま
れて、
魔術師ギルドでかなり熱心に研究されているらしいが。
﹁さて、仕事の時間か﹂
俺は気合いを入れた。ここからが、俺の腕の見せ所だ。
2
我らが麗しのレイネシア姫の下へ赴き、預かってきた親書⋮
サラリヤ様直筆の手紙をエリッサ嬢へと渡し終えると、
俺は弟が待つ船着場へ向かって歩き出した。
レイネシア様のご都合が悪く、直々に謁見賜ることが出来なかった
のは残念⋮でもない。
イースタル一の美姫と会ったなんてばれたら、後が怖いのだ。
351
︱︱︱いいかい?子供達⋮妻だけは、念入りに選ぶんだよ。じゃな
いと後悔するから。
万年尻に敷かれっぱなしの隠居した父が、まだ子供だった俺達に対
して、
母に隠れて言った言葉だ。もちろんその後すぐにばれて、こっぴど
く叱られていた。
我が愛しの実家、マーロウ家の男は、女運が悪いと評判の家系だ。
兄弟揃って、色んな意味でアレな女を妻にした。
歌と喧嘩をこよなく愛し、頭はからきし。
ここ一番の度胸だけは兄弟一である長男のレイモンドは
母が見つけてきた、さる貴族のご令嬢⋮俺の今の妻を見事に振り倒
した。
18のときにうちで雇っていたメイドのセスと手に手を取って、
マイハマから逃亡したのだ。
普通ならすぐにでも捕まるか、モンスターにでも襲われて野垂れ死
ぬかなのだが、
イースタル1の吟遊詩人の爺さんが手伝ったらしい。色々と。
生きてるらしいことは旅の吟遊詩人から聞いて分かっていたが、
あちこち渡り歩いていてまるで見つからず、結局見つかるまでには
実に3年もかかり⋮
ようやく帰ってきたときには既にセスは既に2人目を孕んでいたと
いう
見事な種馬っぷりだった。
世間の荒波にもみにもまれ、セスともども世間知らずの坊ちゃんから
352
いっぱしの吟遊詩人になっていた兄は言い切った。
アンリエットには悪いが俺は何が何でもセスと添い遂げる。
ダメなら3人⋮否、4人とも2度と戻らない。
脇に身重の妻、背中に次代の当主である男の子を背負いながら
そこまで言い切ったバカ兄に、実家も折れた。
かくして、我がマーロウ家の長男は嫡男の癖に使用人を娶った家と、
嫌な意味で評判になり、実家の宿屋は名誉を手に入れ損ねた。
兄弟一の頭脳派、次男である俺フィリップも、女運で言えばかなり
悪い部類だろう。
といっても俺の場合、ほぼ全部バカ兄レイモンドのせいなのだが。
頭脳のキレで文官になり、栄誉を得る。
名家の出ではあるがしがない文官だったところから次期領主の座を
射止めたフェーネル様がいる我がマイハマでは、割と普通の夢であ
る。
平民ながら頭のキレは図抜けていた俺も例外ではなく、
万が一バカ兄が死んでた時も末っ子に家督を譲ると伝え、
10年前に平民ながら16で文官試験を突破し、文官となった。
身が重くなるので妻を取る気はなかった。
少なくとも、30辺りになるまでは。
しかしそんなささやかな願いは敵わなかった。
20の時に結婚することになったのだ。
お願いだから元兄の婚約者である、アンリエットと結婚してくれ。
貴族様の顔に泥を塗り、挙句に大事な娘を年増になるまで待たせた。
そんな失態をなんとか取り繕うため、俺に下った実家からの懇願。
せめて他に婚約者でもいれば断りようもあったのだが、
353
仕事一筋だった俺にそんなものはなく、受け入れるしかなかった。
アンは、世間一般の基準で言えば、良い妻だろう。
エルダー・メイド
結婚してみれば気は利くし、25を越えた今でも美しい、昼も夜も。
家庭的で、手料理まで作れる。
兄に逃げられてから身に着けた高級家政婦の
Lvが年齢より上という、貴族の娘とは思えない出来た妻だ。
だが、重い。非常に重い。
身が重くなるのを嫌がってた俺には拷問なほど、愛が重い。
どうやら娘だった時代に一途に待ち続けていたレイモンドに
こっぴどく振られたことが、随分と深い心の傷になったらしい。
その分までまとめて俺に愛を注ぐようになった。
家にいる間はぴったりと俺の元を離れず、日に3度はキスを要求し
てくる。
ちなみに断ると、物凄く傷ついた顔をして謝るので、断れない。
毎食毎食、材料選びから自分で行った、やたら凝った料理を俺に食
べさせたがり、
︵例の、アキバの手料理が発明された後はさらに顕著になった︶
少しでも他の女を見ようものなら後で1人になってさめざめと泣く。
せめて、母のように怒ってくれればまだやりやすいのだが、
妻たるもの貞淑でなくてはならないと言う信念で絶対俺を怒らない
のが、さらに重い。
一度など、俺の服から女の香水の匂い︵誓って浮気などじゃない。
帰る途中で商売女に絡まれただけだ︶がしたと言うだけで、半日寝
込んだ。
もし、本気で浮気などしたら、絶望の余り死ぬんじゃなかろうか。
354
⋮否定する材料がさっぱり見つからないのが、困る。
そんな妻である。
かくして上の2人が揃ってアレな女を娶ってしまったので、実家の
ほうも考えた。
末っ子には良い縁談を、と。
貴族は懲りたが、完全な庶民でも困る。
そう考えて方々手を尽くして探し出してきたのが、3年前。
歴史のある有名な宿屋の跡取り娘のところへの入り婿。
家の格もそこそこ。
この際マイハマの家じゃないのは目をつぶろう。
そんな縁談。
とんとん拍子に話は進み、末っ子もとうとう結婚した。
俺も良いんじゃないかと思っていた。
結婚式の時見た成人したての義妹は
若くて綺麗︵とうっかり口にしたらアンに泣かれた︶だったし。
⋮いや、まったく知らなかったんだ。
﹁ねえ。義兄さん。アンタ、今すっごく失礼なこと考えていない?﹂
宿に入った途端、鋭く睨みつけながら俺の心を見通す、我が義妹。
三男にして年の離れた末っ子、アルフレッドの嫁さんがどれだけ規
格外の
14代目女将だったか、なんて。
3
355
﹁で?泊まるのはいいけど仕事ってなんなのよ?﹂
開口一番、これである。
昼下がり。
俺は義妹に会い、仕事で訪れたこと、これからこの宿にしばらく滞
在する旨を伝えた。
滞在費は公費なのでリバーサイドでも良かったのだが、メイドが邪
魔だった。
上級文官としてそこそこ高給取りで下級貴族扱いのはずの我が家に
は、メイドがいない。
レイモンドの一件のせいで、アンが異常なほどのメイド嫌いだから
だ。
この前アキバを訪れたときも、噂のリバーサイドに泊まったがメイ
ドは断った。
我が家の世話をするうら若きメイドのお嬢さんを見て文句こそ言わ
ないが
明らかに落ち込んでるアンに、我が家の空気が重くなりすぎたのだ。
ただでさえしばらく家を空けることになるかもしれないと言っただ
けで気絶しかけた
妻が、俺がリバーサイドに泊まってメイドの世話になったと知った
ら、どうなるか。
︵得てしてそういうのはあっさりばれるものであると父から学んだ︶
⋮嫌な想像しか産まなかった。
そんなわけで、今回は弟の手伝っている宿ではなく、
義妹の宿であるこちらにした。
昔ながらの経営を続けるこの宿は世話係こそつかないが
基本をしっかり押さえているし、義妹は色んな意味で女に見えない。
それはアンも認めている。
356
﹁実はな、かなり上の方から命令が下ったんだ。
戦術の指南役をアキバで探してこいとね﹂
上も上、まさかフェーネル様から直々に命令が下るとは、思っても
みなかった。
どうやら数の秘術︵秘伝︶を読んでいる仲間ということで目をつけ
られたらしい。
世の中、何が幸いするか分からないものである。
﹁戦術の指南役?﹂
﹁ああ、そうだ。イースタルの盟主たるマイハマは、
冒険者におんぶにだっこではいかん。
大地人なりに戦い方を身に着けて、ある程度は自力で街を
守れるようにならねばならないという、お考えだそうだ﹂
考えてみれば無理でもないのだろう。
古い文献によれば、冒険者が現れる前は大地人にも
そこそこ強い戦士はいた。
当然と言えば当然だ。
でなければ亜人の出現から冒険者が現れるまでの100年の間に、
もっと酷いことになっていただろう。
ある意味において代わりに好き好んで戦いに身を投じる冒険者が現
れてから、
自ら剣をとって戦うことを捨ててしまった大半の大地人は弱くなっ
たともいえる。
﹁う∼ん。かなり難しいわね﹂
幸いアキバには冒険者は幾らでもいる。
すぐ見つかると思っていたが、予想に反して義妹は首をかしげた。
﹁うん、そうなのか?﹂
俺は素直に教えを請う。
生まれたときから⋮否、200年を越える間アキバで暮らしてきた
一族の末裔たる義妹だ。
当然冒険者については俺より詳しい。
357
果たして義妹は、俺に新たな情報をもたらした。
﹁そ。冒険者ってね、戦いについては強い人とそうでない人の差が
激しいらしいのよ。
うちを手伝ってもらってるルーシーも、Lvこそ90だけど戦いは
余り得意じゃないらしいし﹂
﹁90なのにか?﹂
驚いて、思わず聞き返す。
50年の歳月をひたすら剣の研鑽だけに捧げたと言われる、
大地人最強と噂される武士、ムサシ卿でLv70程だと言うのに、
Lv90で戦が苦手だと言うのか?
だが、義妹は非情にも頷いた。
﹁90なのによ。あの人たち、基本的に腕前とレベルは別物よ。
まあ、基本的な力がアホみたいに強いから、
大抵のものなら力押しでなんとかできちゃうけど﹂
﹁⋮なるほど、それは厄介なことになった﹂
力押し。それが出来れば苦労は無い。
冒険者と違い根本的に力が足りない大地人では、
その方法は選択できない。
だからこそ、力が足りない分は頭で補わなければならないのだ。
﹁だが、戦術に優れた冒険者もいるのだろう?﹂
これでいなかったらいきなり躓くはめになるし、何よりあの東の討
伐軍の将、
クラスティ殿でも戦術に優れていないと言われたら、どうしろとい
うんだ。
祈るような気持ちで義妹を見ていると、義妹は⋮肯定の頷きを返し
た。
﹁ええ、いるわ。多分、冒険者の﹃ハイジン﹄ならば、教えること
も出来ると思う﹂
聞きなれぬ言葉と共に。
﹁ハイジン?﹂
358
﹁そ。ハイジンってのは、ヤマト屈指の騎士団の団長とか、商人と
か、大魔術師とか⋮
とにかく、冒険者の中の冒険者と言える人たち。
このアキバにもあんまりいないけどね﹂
﹁冒険者の中の冒険者、そんなものがいたのか⋮﹂
例えるならば大地人にとっての古来種だろうか。
冒険者の中にも、伝説的な存在はいるらしい。
そう言えばミラルレイクの賢者様は、伝説の大魔術師シロエ殿と話
せたと喜んでいた。
思えばエターナルアイスの故宮で場を支配し、ザントリーフの戦の
参謀を務めたという
彼も、今思えば﹃ハイジン﹄だったのだろう。
続いて義妹の講釈に耳を傾ける。
﹁義兄さんも分かりそうな人だと⋮一応円卓会議の評議員の半分以
上は、
ハイジンみたい。
特に円卓に名を連ねる戦闘系ギルドならマスター以下の幹部級ま
では
大体ハイジンと聞いたことがあるわ﹂
良かった。
円卓会議の評議員直々にお出ましは流石に色んな意味で無理だが、
アキバに幾つかある騎士団の上級騎士ならば、上も文句は言うまい。
内心ほっと胸を撫で下ろしていると、義妹が鋭く突っ込んでくる。
﹁多分一番いいのは︿D.D.D.﹀だけど、義兄さんが来るって
ことは
︿D.D.D.﹀はダメなんでしょ?
あそこに力借りようって思うならまずはレイネシア姫経由で依頼
を飛ばすだろうし﹂
⋮本当に、惜しい。
多分文官の同僚だったら、実に良い友人兼ライバルになっただろう。
359
妻にするのは、何が何でもごめんこうむりたいが。
﹁⋮義兄さん。アンタ、思ってること意外と顔に出るから、
余計なこと考えないほうが良いわよ?﹂
おおっと。ばれてる。
4
と言うわけで俺は、翌日、俺は︿D.D.D.﹀を訪問していた。
﹁だ∼か∼ら、ルドルフ小父さんの方がすごいんだにゃ!
人間族の街を10年で猫人族と人間族が一緒に暮らせる街にして、
更にあんだけでかくしたのは小父さんの勘と嗅覚があってこそに
ゃ!﹂
﹁⋮それは違う。例え貧しくとも、狼牙の新たな故郷を作る志を
持って、村を作るために街道の魔物を退治している王のほうが凄
い﹂
昼下がり。メイドたちに与えられたつかの間の休憩時間。
アキバ最大の騎士団で、猫人族と狼牙族のメイドが
仲良く互いの種の英雄を誇りあう。
頭の固い貴族文官にでも見せたら目を回しそうな光景が
眼前で繰り広げられている。
流石は、アキバ。常識は通用しない。
そんなことを考えつつも、俺は人間族のメイドに案内され、その部
屋の前に立つ。
﹁どうぞ、こちらです⋮あ、あの、団長、お客様をお連れしました﹂
﹁分かりました。入ってもらってください﹂
﹁⋮ど、どうぞ﹂
その言葉に従い、中に入る。
﹁ふむ⋮てっきりうちには寄らないと思っていたのですが?﹂
360
その部屋で待っていた、眼鏡の美丈夫⋮アキバ最大の騎士団︿D.
D.D.﹀の団長、
クラスティ殿が興味深げに俺を眺める。
﹁いやなに。我がマイハマの誇る冬薔薇が日頃からお世話になって
いますからね。
マイハマの文官としてはアキバに寄ったならば、
一度ご挨拶に上がるのが筋と言うものでしょう。
て
⋮そしてそのついでに、ごく普通に世間話をする。良くある話だ
と思いませんか?﹂
﹁⋮ええ。良くある話ですね﹂
この騎士団から連れて来ては不興を買うが、
非公式に助言を求めるのまでは禁止されていない。
そう考えた俺の一手は、どうやら当たりらしい。
世間話
目が笑っていない微笑みを浮かべて、クラスティ殿が同意する。
それに目が笑っていない微笑みを浮かべ返しながら、俺は
を始める。
あいづち
情報を求める身としては、隠しても仕方が無いので、詳細に。
かくして、話を聞いた後⋮クラスティ殿は僅かに眉をひそめて言っ
た。
﹁ふむ。優れた廃人はどこにいるか⋮ちょっと私の口からは言い出
しかねますね。
廃人は、敬称と取る人と蔑称と取る人がいます。
その呼び名を喜ばない人も多いのですよ。
身内ならばともかく、よそ様をとやかく言っては角が立ちますか
ら﹂
なんと、どうやらハイジンとは冒険者にとっては必ずしも良い言葉
ではないらしい。
となると、これからどうするか。そう考えていたときだった。
﹁⋮失礼いたします。黒葉茶をお持ちしました﹂
その言葉と共に、ポットとカップを載せた盆を持ったメイドが入っ
361
てくる。
今度は金色の髪の狐尾族。つくづく人材の豊富な騎士団だ。
﹁ああ、丁度良かった。アルフェさん、彼の相談に乗ってあげては
貰えませんか?﹂
﹁あら?ご相談ですか?⋮マイハマの文官様に、
私のようなものが物申しても良いのでしょうか?﹂
﹁ええ。構いませんよ。きっと参考になる﹂
正直半信半疑だが、クラスティ殿が振った以上、収穫がある可能性
は高い。
第一、名乗りもしてないのに一発で俺をマイハマの文官と見抜く人
だ、
馬鹿ではあるまい。
﹁では、一応お聞きします﹂
﹁ええ。お願いします⋮実はですね、マイハマで1人、教師を探し
ているのですよ﹂
﹁教師ですか?珍しいですね。マイハマなら優秀な教師もたくさん
いるでしょうに﹂
やはり優秀だ。アンほどではないがよく訓練を受けたエルダー・メ
イドらしく、
受け答えもしっかりしてるし、頭の回転も速い。
﹁ええ、少し、教わることが特殊なもんでしてね⋮実は、戦い方を
教わりたいんですよ﹂
これならば、と確信に触れる部分も語る。
﹁戦い方ですか?﹂
﹁ええ。それも1人や2人ではない。
24人もの騎士に戦の作法を教えられる、素晴らしい腕の講師。
心当たり、ありませんかね?﹂
そう、我らマイハマの生徒は、24人の騎士⋮マイハマの誇る精鋭
中の精鋭。
362
団員全員がLv50以上と言うマイハマ近衛騎士団。
彼らに、5人で同レベル以上の力を持った100の亜人の軍勢を打
ち破ったと言う、
﹃冒険者の戦い方﹄を学ばせたい。
と言うのがフェーネル様⋮引いては公爵様のお考えだった。
﹁そうですね。まず、思い浮かぶのはここなのですが⋮﹂
そりゃそうだ。それが出来たら苦労はしない。
それが分からぬ人には見えない。
果たしてアルフェ嬢は、続きを語る。
﹁⋮私でしたら、黒剣騎士団、あそこを敵に回すのは怖いかしら。
あそこの騎士様は全員が精鋭中の精鋭ですから﹂
⋮なるほど、黒剣騎士団か。
納得する。
相手は円卓会議に席を置き、わずか200人で1500人の
︿D.D.D.﹀に比肩すると言う騎士団だ。
当然量で負けてる分を補うだけの質のよさがあるということか。
﹁なるほど。参考になりました﹂
俺は笑顔でアルフェ嬢に礼を言う。
⋮さらりと、敵に回すと仮定するメイドなんてものに詳しく触れる
のは、
野暮というもの。俺だって命は惜しいのだ。
﹁あら、こんな程度でもお役に立てました?﹂
﹁ええ、本当に。ありがとうございます﹂
アルフェ嬢に礼を返し、立ち上がる。
﹁そろそろ失礼しますよ。色々と、お世話になりました﹂
﹁ええ。また、御用があったら寄ってください。歓迎しますよ﹂
そして、俺は城を出て、その足で次の目的地へと向かった。
5
363
︿D.D.D.﹀の城から少し離れた、やや小さな城。
それが黒剣騎士団の宿舎だった。
﹁で、どうよ?なんか面白いクエストは見つかったか?﹂
﹁いや、ダメだな。あんだけ旅をしてる︿H.A.C﹀ですらまだ
見つけてないらしい﹂
﹁この前、肩慣らしに行った大規模も所詮は肩慣らしだったしな。
やっぱ新規だよ新規﹂
﹁ああ、いいよなあ。新規追加の大規模。
殺して殺されて、あれほど楽しいもんはねえよ﹂
﹁噂じゃあ惨殺の小僧が何か知ってるらしいんだが、今はシブヤに
移っちまったしなあ﹂
﹁ああ、ありゃあダメだ。リアル女なんぞにうつつを抜かした時点
で廃人失格だ。
⋮羨ましくなんかないぞ﹂
﹁アイツが知ってるってことはエッゾだろ?
⋮まずはススキノのゴミ掃除からになっちまうな﹂
﹁連携もロクに取れてないトーシロ200じゃ相手にならねえよ。
全員が必殺とか惨殺並ならともかく﹂
﹁必殺と惨殺か⋮あいつらもソロでは強いんだがなあ﹂
﹁大規模ならやっぱうちのユーミルだよな。アイツはほんと頼りん
なる﹂
﹁ま、それに俺らも今じゃアキバの街を守る仕事もあるからな。
昔みてえに騎士団空にしてレギオン部隊大量に作って突撃とかは、
難しいよな﹂
﹁ああ、ありゃあ楽しかった。大将が黒剣手に入れたときなんて、
ギルメン参加率脅威の9割オーバー、まさに一丸って感じでさ﹂
﹁そういう意味では銀剣が羨ましいぜ。
あいつらダンジョン近くにでけえキャンプ張って交代で攻めてる
364
らしいし﹂
飛び交うのは物騒な会話。
まるで鍛え抜かれた騎士団と言うよりは百戦錬磨の傭兵団といった
風情がただよう。
その会話を耳に入れつつ、俺は彼の男の下へと向かう。
﹁よう。話はクラスティの奴から聞いてるぜ?俺らの力を借りてえ
とかどうとか﹂
凄まじい気配を持つ、漆黒の鎧をまとった巨漢が壮絶な笑みを浮か
べて、言う。
この男こそ、円卓会議の両翼。
あらゆる意味でクラスティ殿と並ぶと言う騎士の中の騎士。
黒剣騎士団 団長アイザック。
アキバ屈指であろうハイジンが俺の眼前に立っていた。
﹁で、だ。一体頼みってのは、なんなんだ?﹂
アイザック殿の言葉は荒い。
そんなところまで、平時は優しげな貴公子と噂されるクラスティ殿
とは、
ちょうど対照的に感じられる。
﹁ええ、実はですね⋮﹂
早速とばかりに依頼の話を切り出す。
ここでダメだと、また騎士団の選定から始めなくてはならない。
俺は丁寧に説明した。
﹁そうさなあ。じゃあ、こうしようぜ?﹂
ひとしきり説明を聞いた後、ニヤニヤと笑みを浮かべながら、アイ
ザック殿は言う。
﹁明日、依頼を持って来い。依頼内容と、報酬を書いた奴をな。
365
そしたら俺が聞いてやるよ。
お前らの中に、この報酬で引き受ける奴はいるか、ってな。
受ける奴がいたら、止めはしねえ。
ただし誰も受けなかったら⋮縁が無かったと、諦めろ﹂
なるほど、つまり⋮
﹁騎士団の皆様方が喜ぶような報酬を、探して来い、と﹂
﹁そういうこった。俺らが、面白いと思うような報酬。用意できた
ら引き受けてやる﹂
なるほど⋮俺の腕の見せ所、と言ったところか。
6
頼れるものには容赦なく頼るのも、文官には必要な技術だ。
夜、宿の仕事がはけて暇が出来た義妹と弟に俺は相談することにし
た。
﹁そういうわけでな、報酬次第ということになった。さて、何を渡
すか、なのだが⋮﹂
義妹の仕事がはけるまで、1人で色々考えてみたが、今ひとつ確信
がもてない。
もちろんこれは公務だ。報酬とて俺が直接出すわけじゃない。
﹁一応報酬の当てはあるんでしょ?
極秘とは言っても、コーウェン家からの正式な依頼なわけだし﹂
﹁ああ、ある。あるにはあるんだが⋮﹂
言いつつ俺は、懐から報酬として払ってもよいというものを
まとめたリストを取り出す。
﹁⋮すごいね。︿鍵の剣﹀って言ったら灰姫城の秘宝じゃないか﹂
その内容にマイハマ育ちの弟、アルフレッドが驚きの声を上げる。
確かに、コーウェン家直々、かつ本気の依頼だけあって、
俺はかなりのものを報酬としてよいと言われている。
マイハマにある宝の中でもかなりの値打ちものがずらりとリストに
366
並んでいる。
普通の傭兵や騎士だったら涎を垂らして頷くであろうもののオンパ
レードなんだが⋮
﹁⋮微妙ね﹂
義妹はそれをお気に召さなかったらしい。
﹁俺もそう思う﹂
同意なので俺も頷く。
﹁ええっ!?⋮そうなの?お金はともかく、剣とか鎧は、喜ぶんじ
ゃない?﹂
﹁アンタね。少しは考えて見なさいよ。
並の冒険者ならともかく、相手はアキバの黒剣騎士団よ?
こう言っちゃなんだけど、大地人が使いこなせる程度のもんなら、
普通に持ってるわ﹂
程度のもん、と言う言い方はともかく同意だ。
相手はLv90が普通と言うアキバ冒険者の中で精鋭中の精鋭だと
言われる黒剣騎士団。
いかにコーウェン家の家宝といっても、代々の近衛騎士団長⋮
たかだかLv50で使いこなせる程度の武具をありがたがる相手と
は思えない。
そして更に義妹の指摘は続く。
﹁⋮う∼ん。 とりあえず﹃グラフェーラ子爵令嬢シルヴィアとの
婚約﹄は
抜いたほうが良いわね﹂
ずらりと並んだリスト⋮その中で、最も勝ち目があると睨んでいた
報酬に線が引かれた。
﹁⋮そうなのか?﹂
思わず聞き返す。
グラフェーラ子爵の娘、シルヴィアと言えば齢17。
まさに花盛りの非常に美しい才媛であり、マイハマ屈指のご令嬢だ。
その価値はレイネシア姫に次ぐと言われ、婚約を希望する若い騎士が
367
列を為していると言われるほど。
彼のザントリーフにてアキバに支払われた報酬が
﹃レイネシア姫の敬意と赴任﹄だったことから、決められた報酬。
フェーネル様も随分苦労して子爵をくどき落とした、本命と聞いて
いたのだが。
しかし、無常にも義妹は首を振る。
﹁円卓会議の法は知ってるでしょ?人身売買はアキバでは最上位の
重罪よ。
⋮そして、当人の意思を無視した結婚は冒険者にとっては人身売
買と同じ。
そう、ルーシーが言ってたわ﹂
⋮つくづく我らの常識が通用しない方々だ。
自由を愛するとは、恋愛の自由も含まれるらしい。
あのバカ兄がどれだけ苦労したかを知る身としては、少し羨ましい。
﹁⋮なるほどな。それでは腹を立てさせるだけか﹂
正直、一番勝ち目のある報酬だったのだが、そうと分かれば諦める
他はない。
﹁そうすると残るのは⋮ないよね?これ﹂
そうなのだ。
話に寄れば、黒剣騎士団の持つ装備は文字通りの意味で伝説級の逸
品揃いだと言う。
多分マイハマの持っている宝物では対した物とは思うまい。
そして金。これも冒険者の収入を考えると余り意味が無い。
ましてや相手は冒険者の中の冒険者、ハイジンだ。
並大抵の金ではひきつけられまい。
﹁とはいえ、出すだけ出して見るしか手はないか⋮﹂
依頼内容、およそ1ヶ月の近衛騎士団の教育係。
そう書いたクエスト契約書を複製し、報酬欄に色々と書き込む。
368
果たして通る依頼はあるのか⋮そう考えていたときだった。
﹁⋮ねぇ、義兄さん﹂
義妹が話しかけてくる。
﹁なんだ?﹂
﹁一つだけ、何とかなりそうな心当たりがあるから、あたしも書い
ていい?﹂
﹁なんだ?マイハマが払える報酬か?﹂
﹁もちろん。と言っても義兄さんくらいね。これを出せるのは﹂
﹁それは何だ一体⋮?﹂
義妹が言ったのは、まるで謎掛けのような答え。
それに首を傾げながら、とりあえず依頼書を渡す。
﹁まあ、こんな感じ?﹂
そう言って義妹はさらさらと報酬欄を埋め⋮
﹁⋮こんなものが?﹂
なるほど、俺しか出せないという意味ではそうだろうが⋮
どうしてこれが報酬になるのか?わけが分からん。
﹁勘だけど、受けてもらえる可能性はあるわ。
ま、うまく行ったらお慰みってとこね﹂
義妹もそこまでは自信が無いらしい。
一応と言った感じだ。
﹁⋮まあ、アイザック殿は冗談の類も好まれるようだからな﹂
一応入れておこう。そう思い、依頼書の束に入れておく。
どの道婚約権がダメならどれも同じ、少しでも確率を上げる必要が
あるしな。
7
翌日。
﹁よぉ。依頼書は見たぜ﹂
午前中に書き上げたクエスト依頼書を持っていったら昼過ぎにはも
369
う返って来た。
普通こういうのは持って回って3日は待たされる覚悟がいるのだが、
流石はアキバ。何でも早い。
﹁正直、つまんねー報酬ばっかだと思っていたが⋮1個だけ、良い
ばか
のがあった。
野郎どもの間で随分話題になってな。
最終的には、ウチの斬り込み隊長が受けるってことになった﹂
そう言って取り出したクエスト依頼書は⋮
﹁ね?あたしの言ったとおりでしょ?﹂
見事勝ち残った義妹が勝ち誇る。
クエスト依頼書、報酬欄に書かれているのは義妹の書いた報酬。
﹃美人人妻の手料理付き、マイハマ下級貴族の生活1ヶ月︵世話役
なし、お風呂あり︶﹄
冗談だとしか思っていなかった報酬が見事に通った。
我が家には、メイドはいない。
家のことは力仕事以外全部アンがこなしている。
確かにアンは人妻⋮俺の妻だし、贔屓目抜きで美人だ。
一流の︿高級家政婦﹀であるアンならば、手料理もお手の物。
マイハマ伝統料理を右から順に作れる程の腕だし、
一日3回の手料理を一切苦にしない。
風呂は下男が毎日沸かしている。
言い渡せば小1時間で入れるようになる。
つまり、義妹の書いた条件は⋮俺の家に黒剣騎士団の上級騎士を泊
める、となる。
﹁⋮ありがとうございます﹂
370
予想外の展開に驚きながらも、礼を言う。
ある意味では破格の報酬だ。
いかに我が家が余り大きくない下級貴族扱いと言えど、客間くらい
は普通にある。
アンも俺が直々に連れて行けば騎士の1人や2人、
世話をするのを嫌がったりはしないだろう。
︵実際懇意にしている騎士を何度か泊めているが、問題なかった︶
あの傭兵のような騎士たちは多少礼儀がなっていないかも知れない
が、
所詮俺とて庶民上がりの文官。
実家の宿屋で応対したことも1度や2度ではないし、
アンもいずれレイモンドに嫁ぐ気でいたから下世話な人間の世話も
できる。
滞在中にかかった費用は全てフェーネル様が出してくれるはずだ。
何しろ相手は近衛騎士団の教官。
すなわちマイハマの賓客になるのだし、
どう考えても報酬として用意していた金に比べれば破格の安さだし
な。
﹁なぁに。気にすんな。やるからにゃあ手は抜かせねえから、
しっかりこき使ってやれ。大丈夫だ。
なりはあんなんだが、ウチでも屈指のやり手だからよ!
⋮つうわけだ、入って来い!ユーミル!﹂
そう考えれば、随分と得な気がする。
そして俺はそちらを見て⋮
﹁⋮は?﹂
顔から血の気が失せる気配を感じつつ、
俺はとっさに引きつった笑顔を浮かべた。
﹁こんにちは!私は黒剣騎士団で斬り込み役を担当している、
盗剣士のユーミルと言います!
今回の依頼のほうは全力で受けさせていただきますので、よろし
371
くお願いします!﹂
俺の目の前には、義妹と同い年くらいに見える、可憐な少女。
黒いリボンでまとめられた、手入れの行き届いた明るい茶色の
綺麗な髪、気品を感じさせる整った顔立ち、
はっきりとよく通る甘い美声と、沸き立つような甘い香りを漂わせ
た、
均整の取れた肢体。
俺は、とてつもない仕事を抱え込んだことを悟った。
これからマイハマへ戻り、フェーネル様と妻を
納得させねばならないのだ。
この少女が黒剣騎士団のハイジンである上級騎士であること⋮
そして、この美しい少女を我が家に1ヶ月ほど滞在させねばならん
と。
﹁んー?受けるとしたら女の人かもとは思ってたけど⋮
黒剣騎士団のユーミルって私が子供の頃見た時は物凄い無口な大
男だったような⋮
2代目?﹂
⋮先に言ってくれ。おい。
どうやら義妹は紹介されるのが女性騎士である可能性も
普通に見切っていたらしい。
﹁な、なるほど。ユーミルど⋮嬢ですね。
私めはマイハマの文官、フィリップと申します。
よろしくお願いしますよ。我が、マイハマの明日のために﹂
﹁はい!⋮あの、顔色悪いですけど、大丈夫ですか?﹂
俺は笑顔で柔らかい手を握りながら、キリキリと胃が痛む気配を
感じていた。ああ、ある意味では。
⋮ここからが、俺の腕の見せ所、なのだろう。
372
第9話 文官のフィリップ︵後書き︶
本日はこれまで。
ちなみに義妹の方は以前別の話でも活躍しました。
冒険者の考えがある程度理解できる大地人は便利ですね。
373
第10話 従軍司祭のクローディア︵前書き︶
俺TUEEE警報発令。
本編は前話﹃文官のフィリップ﹄と地続きの話となります。
故に今回登場の冒険者は、黒剣騎士団の廃人。
当然かなり強いです。
今回のテーマは﹃冒険者の戦術講座﹄
独自解釈だらけのものですが、お楽しみいただけると幸いです。
374
が出てくるのを、待っていた。
第10話 従軍司祭のクローディア
0
彼女
大災害から一夜明けた朝。
アイザックはじっと
﹁⋮遅え﹂
ぼそりと、言葉を漏らす。
︱︱︱ボス、本当に申し訳ないのですが⋮
︿外観再決定ポーション﹀を分けていただけないでしょうか?
ずれ
てちゃあ、
身長2mを越える、岩のような巨漢の姿の彼女から、
綺麗な声で懇願されてはや2時間。
彼女が出てくる気配は、無い。
﹁しょうがないっすよ。あんだけ身体が
慣らしにも時間かかんでしょう﹂
があった団員はそこそこいた。
を選択してたが故に一気に身長が50cm縮ん
ずれ
この集団の中では屈指の常識人であるレザリックがとりなす。
ドワーフ
大災害以後、身体に多少の
中には
だ団員までいる。
彼女にしても身長が40cm伸びたせいで歩くのもままならなくな
っていた。
﹁しっかし⋮女の人だったすね⋮予想通り﹂
﹁まぁな﹂
彼女は隠したがっていたので、あえて言及しなかったが、
375
彼女が女であることは黒剣騎士団では半ば常識と化していた。
﹁そりゃ分かるわな。このご時世でチャットモード一切使わないし﹂
﹁キーボードの発言も全部敬語だしな。
あんな細やかな男が︿D.D.D﹀の眼鏡以外にそう何人もいて
たまるか﹂
﹁まあ、僕も含めて常套手段だよ。
女ってだけでゲーマーとしては不利になることもあるし﹂
﹁姫プレイヤーの類嫌いだもんな俺ら。
所詮中身は三次元の分際で態度でけえんだよなぁ、アイツら﹂
﹁まぁ、たま∼に俺らが物持ってると思って擦り寄る、
勘違いした欲しがり女もいるしなぁ﹂
﹁つーかてめーら。一応女のあたしの前でんなこと言うなよ。同意
すっけど﹂
極まった廃人集団、黒剣騎士団。
彼らは、男、女の前に﹃ゲーマー﹄である。
廃人の名を誇りとしているものたちだ。
今さら、リアルの性別なんぞ気にするバカは入れてない。
それに⋮
上手い
盗剣士は中々いねえ﹂
﹁大体ユーミルなら別にどっちでも大歓迎だよな。
あんだけ
﹁ああ、本当に動きが的確だからな。
ま、うちで斬り込み勤まるくらいだから半端なはずがねえんだけ
ど﹂
﹁でも、みんなのことを第一に考えるあの動きはやっぱり女だよね。
⋮僕だとどうしても僕がぶっ殺す方に流れるんだよなあ﹂
﹁最近は平日プレイ時間が1日に2時間しか取れないからって、か
なり勉強してたしな。
376
俺も見習わないと。ギャルゲもしばらくは出来そうにないし﹂
﹁思い切りもいいし、前衛の援護に徹するのも
ひたすら切り刻むのもこなせるからな⋮姉御も少しは見習え﹂
﹁うっせえ!妖術師に火力と属性攻撃以外のもん求めてんじゃねえ
!﹂
攻撃速度の速さから来る単位時間辺りの火力の高さ、
複数体攻撃とデバフに長けたスキル構成、
回避型ビルドの近接暗殺者と同等の、高い回避性能⋮
上手い
盗剣士は、
これらを併せ持つ盗剣士は、プレイヤースキルの差がかなり出るク
ラスだ。
ソロとしても人気の職だが、本当に
上手い
盗剣士だった。
あらゆる場面に対応できる遊撃手として大規模戦闘において輝く。
そして彼女は黒剣でも屈指の
それ故にこの場にいる彼らは全員が認めている、
彼女は一級品の廃人⋮黒剣騎士団の一員だと。
﹁⋮すみません!お待たせしました!﹂
そして、扉から彼女が出てくる。
﹁なっ!?﹂
その姿に驚いた声を上げたのは、レザリックだけだった。
﹁おう。流石に声が可愛いだけあって、見た目も可愛いな!﹂
﹁装備は全部元のままなんだな。まあ、当たり前っちゃ当たり前だ
けど﹂
﹁まあ、僕はよく分からないけど可愛いんじゃない?﹂
﹁三次元だしな。まあ、こんなもんだろ﹂
377
﹁ま、ユーミルも女同士と判明した以上は、女組だね!
タダでさえ男所帯だからね、うちは。今までどおり仲良くしよう
ぜ!﹂
﹁え?姉御って実質おと⋮うおお!?あっちー!?﹂
若干一名うかつな発言で焼かれつつも、おおむね好意的に彼女は受
け入れられる。
彼女は元の姿からは似ても似つかぬ⋮だが、声には良くあった、美
しい姿だった。
非戦闘時のMP回復を早める、ハゲ頭を覆っていた特殊な墨で染め
られた
魔法のバンダナはリボンに姿を変えて明るい髪色に落ち着きを与え、
筋骨隆々の姿を強調していた、ピッタリとした天女が織ったと言う
秘宝級の布鎧は彼女の均整の取れた肢体を浮き彫りにする。
もとはごつかった手を覆う、絹のように滑らかな手袋は彼女の指の
細さを強調し、
を達成したMVPとして渡された、
両の腰に下がっているのは、かつて大規模戦闘突破時、
百人斬り
今では彼女にしか扱えぬ、相変わらずの幻想級の剣が二本。
昔は大木のようだった、今はほっそりとした足は足音を殺して回避
率を高める、
百人斬り
ユーミル以外の何者でも無いこ
亡霊の村のレアドロップのブーツに覆われている。
それはまさに⋮彼女が
とを示す姿だった。
﹁⋮さてと、ユーミル。てめえに3つ質問がある﹂
重々しい、アイザックの声が響く。これは、儀式だ。
ユーミルがこの先やっていけるかを確認するための。
378
﹁⋮はい﹂
それがユーミルにも分かっているのだろう。
真面目な顔で頷く。
そして⋮確認が始まる。
﹁1つめ⋮性能は、どうだ?﹂
﹁はい!全然変わってません!Lvも90!スキル構成も装備もそ
のままです!﹂
﹁よし。性能ダウンは無し、と。たりめーだな。2つめ。スキルは
使いこなせるか?﹂
﹁はい!2時間かけて確認しました!全部普通に使えます!
それどころか自由度まで上がってます!団員の皆さんが言ってた
通りでした!﹂
﹁よし!じゃあ、最後だ⋮てめえは、この世界でもモンスターをぶ
っ殺せるか!?﹂
﹁当たり前です!私は、黒剣騎士団の百人斬りです!
私が殺らなきゃ誰が斬り込みやるんですか!?﹂
怒涛のような問答。それに全てノータイムで答えきったユーミル。
﹁⋮合格だ!これからも頼むぜ斬り込み担当!﹂
バンバンと肩を叩き黒剣騎士団の幹部の1人を受け入れる。
﹁⋮はい!よろしく、お願いします!﹂
肩に走る痛みと、安堵から涙混じりにユーミルが頭を下げる。
﹁良かった良かった。俺らのログイン率7割っつってもユーミル抜
けたら
戦力がかなりダウンすっからな﹂
﹁だよな。手当たり次第新しく勧誘すんのもウチの柄じゃねえしな﹂
﹁あ、でもセガールとかなら勧誘しても良くない?﹂
﹁ねえよ。アイツ自身はともかく他は素人混じってるもんあのギル
379
ド。
アイツ、ギルメンは絶対見捨てないお人よしだし﹂
﹁まあ、あたしらはあたしらで殺るだけさ!
24時間営業なんて、怖いけどワクワクするしね!﹂
﹁おーい、レザリック∼⋮回復してくれ。つーかいつまで固まって
んだお前?﹂
仲間たちも同意し︿大災害﹀を乗り越えて、黒剣騎士団は新たな時
代を迎えた。
⋮TVなんて年単位で見てない連中揃いだった彼らであったが故に、
気づいたのは、レザリックを含めたごく一部だけだった。
﹁⋮声でもしかしたらと思ってたけど、ユーミルって⋮
マジでアイドルの倉橋ゆみる?﹂
彼女が、幼い頃から活動を続け、そしてついにここ1年で大ブレイ
クしたと言う
人気アイドルであることに。
﹃第10話 従軍司祭のクローディア﹄
1
マイハマ近衛騎士団とはLv50以上の選ばれし精鋭たち24人で
構成された、
マイハマの懐刀である。
彼らの大半は、名だたる武門の貴族の子弟。
構成人員の半分以上は古くから家に伝わる騎士剣と盾、
そして騎士鎧に身を包んだ守護戦士だが、幾ばくかの例外もある。
380
例外の1つ目は、妖術師や付与術士と言った、魔術師。
強力な魔法の使い手である彼らは、マイハマでは騎士に次ぐ地位を
持つ。
灰姫城には常にLv50を越える宮廷妖術師が側に侍ってコーウェ
ン家を守護し、
魔術の都ツクバなどから招かれ、騎士団に参加する魔術師は意外に
多い。
それは近衛騎士団とて例外ではなく、近衛騎士団は現在4名の才に
恵まれた
魔術師を要している。
例外の2つ目は、傭兵。
今から20年ほど前、近衛騎士団にとって悪夢とも言われる﹃狐狩
り﹄の後、
完膚なきまでにへし折れた懐刀を見て臆し、
有力な武門貴族からの入団拒否が続出した。
それにより足りなくなった刃の握り手を補うために、
コーウェン家は極めて優れた技量を持つ傭兵にもその門戸を開いた。
厳しい試験を乗り越え、入団を果たしたものには誰であろうとも
継承権の無い騎士爵と、最上級の武官に相応しい充分な俸給を約束
し、
有力な傭兵達を招いたのだ。
無論、最低でもLv50を要求する騎士団への入団試験を乗り越え
る傭兵など
ほとんどいないが、それだけにそれを乗り越えてまで入ってくる傭
兵は、
才能と経験を併せ持った精鋭ばかり。
381
女性
であることが
彼らの実戦で磨きぬいた技術と知恵は近衛騎士団でも重宝されてい
る。
そして例外の3つ目、従軍司祭。
騎士団の癒しの担い手にして、騎士団で唯一
許される兵種である。
古くより、癒しの技は女性に使い手が多い。
それは癒しを司る神が女神だからであり、
癒しの技に長けた修道院は女性にも平等に開かれているからでもあ
り、
何より貴族の女性が男性の添え物にならずに住む唯一の道だからで
もある。
彼女らの癒しの技︵無論、男性の方が多いが︶はちょっとした傷や
病から、
時に一刻を争う大怪我までをも癒す。
そして戦場に赴いて戦い、傷つくことが仕事であるとも言える騎士
達を支える。
騎士団に加わっている回復職、従軍司祭は伝統と栄光のある役目で
あり、
立派に騎士の一員とされる。
女性だからと言って馬鹿にするものなどいない。
騎士たちは知っているのだ。
彼女らこそ、厳しい戦場を生き残るための文字通りの生命線だと。
第4小隊所属、クローディア=L=アルテリナは、近衛騎士団の従
軍司祭である。
古くから多くの聖職者と癒し手を輩出した、法衣貴族の名門、アル
382
テリナ家の次女。
聖なる魔よけのティアラをつけた、ゆるく波打つ濃い目の茶色の髪
とはしばみ色の瞳、
若々しい鹿のような鍛えられた肢体。
かつて、アルテリナ家の聖女を自らが老いて死するまで守り続け、
死した後もアルテリナ家を守りたいと望んだと言う︿一角馬﹀の革
を使った
家伝の純白の革鎧に、聖別された絹糸で編まれた外套。
左の腰には美しい細工の施された、小ぶりだが強力な魔法の込めら
れた琥珀の戦槌。
魔術の才と肉体能力の両方に恵まれており、齢19にしてLvは5
1にもなる。
2年前、僅か17で近衛騎士団に入団した彼女は今、大きな転機を
迎えていた。
クローディアの白馬と並ぶ、栗毛の美しい戦馬。
乗っているのは、クローディアと同じ年、
騎士団から貸与された、青い魔法銀製の鎧を着込んだ茶色い髪の青
年。
上級騎士ダグラス=エンフィールドは第4小隊所属、
近衛騎士団の同僚にしてクローディアの幼馴染である。
彼は馬を駆りながらクローディアに話しかけた。
﹁なぁ、クローディア。聞いたか?﹂
﹁あら、なにかありましたの?﹂
クローディアが尋ねる。
元々下級貴族に近い騎士爵の家の出である彼は、
平民と貴族、人間族と異種族と言った垣根を気にしない。
それゆえに耳が早く、女性として、名門貴族として敬して遠ざけら
れる
クローディアよりも様々な情報に通じていることが良くある。
383
果たしてダグラスは、近衛騎士団に関する情報をクローディアにも
たらした。
﹁今度、アキバから冒険者が来るらしいぜ⋮近衛の教官として﹂
﹁まぁ⋮﹂
少しだけ驚くが、このマイハマならばありうる。
クローディアはそう考えた。
と呼ばれている。
マイハマの騎士団は、他の領主や騎士団からは恐れと侮蔑を込めて
貪欲なる騎士団
強さ
に対して、である。
と言っても略奪などを積極的に行うわけではない。
彼らが貪欲なのは⋮
20年前、旧態依然としていた古い近衛騎士団が完膚なきまでに
壊滅したとき、それを戦訓として、騎士団は変わった。
より強くあれ。民草を守るために。
その言葉の下、伝統ある装備も予算と性能の両面から見直しが進め
られ、
強力な家伝の装備を持たぬ、傭兵や下級騎士出身のもののために
近衛騎士団にも騎士団共用の魔法銀製の武器防具を揃え、
今まで軽視されていた弓の運用を研究する。
そういう騎士団なのだ。マイハマの騎士団とは。
それ故に騎士達には知っている。
マイハマが、より強くなるためにアキバの様々なものを取り入れよ
うとしていると。
﹁ありうる話、ではありますわね﹂
﹁ああ、この前は下級の兵士の何人かに日帰り商人から買った
384
魔物武器の槍と弓が渡されたと言うしな﹂
輸入品
が並び、
マイハマにおいても5月革命の影響は様々なところに現れていた。
商店にはアキバからもたらされた
貴族の間では食を初めとした冒険者の品が大流行。
庶民の間には冒険者の1人﹃マイハマの賢者﹄がもたらした
様々な知識が野火の如く広まっている。
その波は彼ら騎士団をも例外なく飲み込もうとしていた。
﹁ロクな技術も無いうちは、装備のよさが命を決めますものね。
そして私たちほどの実力があるものなら⋮﹂
冒険者の魔物武具を筆頭とした装備。
それは大地人としては最高位の戦士たる彼らには余り意味が無い。
大抵が武門の名家の出である彼らの家伝の装備は、
どれも彼らが使いこなしうる範囲で最高位のものばかりだ。
故に、真に求められるのは⋮
﹁その実力を使いこなすだけの知恵を鍛えろと言うだな﹂
﹁ですわね﹂
チョウシの町の奇跡。
近衛を含めたマイハマの騎士団の間で囁かれる、
Lv30の冒険者が10倍を越える数の亜人どもを打ち倒し、町を
救ったと言う奇跡。
それを成し遂げるだけの知恵を得られれば、彼らは更なる飛躍を遂
げる。
圧倒的に数で勝る亜人を打ち破り、生存圏を拡大することも可能と
なる。
その自覚を若くして持っているからこそ、彼らも密かに心を決める。
冒険者から、学ぶことを。
⋮彼らはまだ、知らない。やってくる、冒険者の上級騎士がどんな
ものであるかを。
385
2
静寂が、辺りを包んでいた。
みなが理解できなかった。
冒険者の上級騎士を貴君らの戦術の講師として招いた。
全員参集し、冒険者の戦術を学ぶように。
そう聞かされ、やってきた⋮はずだ。
だが、目の前に立っていたのは⋮1人の少女。
﹁みなさん!こんにちは!私は黒剣騎士団のユーミルと言います!
クラスは盗剣士と剣聖。共にLv90です!至らぬ所もあるかと
思いますが、
どうぞよろしくお願いします!﹂
よく通る美しい声で、その少女⋮ユーミルが皆に挨拶をする。
年頃の姫君の⋮否、貴族の作法すら知らぬ庶民の娘のような挨拶。
備品
だ。
身にまとうは高位の防御魔法が施された革鎧と、魔法銀製の剣が2
本。
⋮共に借り出された近衛騎士団の
装備Lv40を要求するそれを纏える以上、相応の技量はあるのだ
ろうが、
とてもアキバの精鋭騎士団の上級騎士には見えなかった。
﹁⋮シグムント様。これは、どういうことですか?﹂
最初に衝撃から抜け、近衛の騎士団長であるシグムント=イルズベ
ルドに
聞いたのは、金髪と眼鏡が印象的なシグムントの従者兼付与術士、
386
スティーブ=アールデイルだった。
百人斬り
ユーミル⋮
﹁⋮私も今朝方聞かされた。間違いなく、このしょ⋮失礼。レディ
こそ、
紛れも無く黒剣騎士団の上級騎士が1人
だそうだ﹂
その問いに苦い顔をしてそろそろ黒髪に白いものが混じり始めた騎
士団長が答える。
信のおける文官が直々にアキバに赴き、スカウトしてきたと言う、
冒険者の中の冒険者たるハイジンでもある上級騎士。
普通なら冗談と思って笑うか怒るべきか迷うところだが、
仰ったのは他ならぬ主君、セルジアット公だ。
主君の言葉に異を唱えることなど出来ない。
そして、全員が困惑して、静寂が続く。
﹁⋮ふむ、ではまず、証明をして頂くのはどうでしょう?﹂
困惑の静寂を打ち破り、一つの声が上がった。その言葉を発したの
は。
﹁⋮ジロ卿。どういうことかな?﹂
総髪にした明るい茶の髪と、すっきりと鍛えられた無駄の無い身体。
筆頭の武士、ジロだった。
この騎士団唯一の狼牙族にして、元、高名な魔物狩り兄弟の弟。
傭兵枠
﹁このままでは、私も含め、近衛騎士団の方々も納得いかないでし
ょう。
幸いLvならばスティーブさんが鑑定できます⋮ユーミルさん、
よろしいですか?﹂
かつて魔物狩りの兄弟として名を馳せ、盗剣士の妻と娘を持つ彼の
勘は言っている。
目の前の盗剣士は、恐ろしく強いと。
だが、彼の予感だけで騎士団の全員を納得させることなど出来ない。
それゆえの提案だった。
﹁分かりました。問題ありません。でも鑑定ってどうするんですか
387
?﹂
ユーミルが首を傾げる。
﹁ええ、シグムント団長の従者であるスティーブさんは︿鑑定官﹀
の技術を
持っています。彼ならば、ユーミルさんのLvなどをこの場で
知ることができます﹂
﹁はい?鑑定官?﹂
﹁⋮ええ、そういう技術があるんですよ。大地人には﹂
騎士団や傭兵にとっての常識をユーミルが知らなかったことに苦笑
しながら、
ジロは言葉を返す。
Lvやアイテムの性能などを見極める鑑定は、
大地人にとっては立派な専門職の技能である。
そして、即座にLvや能力を鑑定する術は戦場でも有効な技術なの
で、
規模の大きい騎士団や傭兵団には大抵︿鑑定官﹀の技術を持つ
団員がいるものなのだ。
﹁⋮そうだな。スティーブ。鑑定を。レディ・ユーミル。よろしい
ですかな?﹂
勝手に鑑定しては失礼に当たる。シグムントは許可を求める。
﹁はい。どうぞ﹂
﹁では⋮失礼して⋮!?﹂
ユーミルの許可を得て、スティーブが鑑定し⋮
その結果に、スティーブは息を呑んだ。
﹁間違いありません!ユーミル様はLv90の盗剣士にして剣聖で
す!﹂
驚きながら結果を報告する。
その言葉に、騎士団がざわめく。
388
︱︱︱なんと。あの少女がLv90だと!?
︱︱︱いや、冒険者なら、あり得るのだろう。
冒険者にとってLv90とは普通だと言うからな。
︱︱︱本当にLv90たる実力があるのか?
︱︱︱チョウシの奇跡を成し遂げたのは、Lv30にも満たぬ冒険
者たちなのだろう?
ならば、戦の強さとLvは必ずしも一致しないのでは?
あちこちから、騎士たちの声が上がる。
半数以上が疑問の声だ。無理も無いが。
﹁ダグラス、貴方はどう見ますの?﹂
﹁⋮わかんねえ。同じLvだからって強さも同じとは限らねえしな﹂
ちらりと、この騒ぎの元凶であり、今は澄ました顔をしているジロ
の方を見る。
ダグラスは一度としてジロに訓練の一騎打ちで勝ったことが無い。
ダグラスとて一般の騎士から2年でこの近衛騎士団に抜擢された才
能の
持ち主であり、厳しい訓練と実戦を重ね、Lvも同じ52にも関わ
らず、だ。
﹁とにかく、Lvが高けりゃ強いってのは違うと思う。だから、わ
かんねえ﹂
それと同じことが目の前の少女に言える。
Lvと戦の技術は別物だ。故にLvがいかに高くとも、
それに相応しい技術を持っているのかは、不明だった。
一方のユーミルはと言えば。
﹁ええ、ですよね。むしろ安心しました。
389
ただLvが高いだけで強いと思う人たちでは、教え甲斐がありま
せんから﹂
笑顔で肯定して頷いていた。
ユーミルは内心喜び、安堵する。
最悪の予想より、大分このギルド⋮騎士団は強いと分かった。
ならば、こちらも本気で応えねばなるまい。
そう思い、ユーミルは兼ねてから準備をしていた提案を行う。
﹁一番強いのは⋮シグムントさん、私と一騎打ちをしませんか?
条件は⋮そうですね、どちらかのHPが20%を切ったら負けで﹂
ユーミルの言葉に、その場にいた全員を衝撃が走った。
﹁い、一騎打ちですと!?しかし⋮﹂
戦闘の技術がどうなのかはともかく、相手はLv90。
Lv差が30以上もあっては、一方的な力押しで終わるだけで
まともな勝負にはならない。
だが、ユーミルは笑顔を崩さずに言う。
﹁もちろん、このままでやったら誰も納得しません。
こっちは師範システムでLvをシグムントさんに合わせます。こ
んな風に﹂
ユーミルが言った途端、気配が弱まった⋮気がする。
﹁⋮スティーブ、Lv鑑定を﹂
シグムントがスティーブに再度鑑定を促す。
﹁了解しました。Lvは⋮!?盗剣士Lv58,剣聖Lv58です
!団長と同じく!﹂
変わらぬはず、そう思い込んでいたスティーブが目を見開いた。
レベル
﹁なるほど、冒険者の秘術にはそのようなものまで存在しているの
ですな﹂
納得する。今、目の前にいるのは自分と同等の技量を持った、
冒険者の剣士。
そして⋮
390
﹁スティーブ、剣を⋮鍵の剣を持ってきてくれ﹂
従者に本当に厳しい任務のときだけ使うようにしている自らの愛剣⋮
近衛騎士団長の証でもある、マイハマの秘宝を持ってくるように伝
える。
微塵の油断も無く、全力で戦うために。
﹁鍵の⋮!?本気ですか!?﹂
スティーブが思わず息を呑んだ。
シグムントの纏う鎧は家伝の魔法の鎧。
盾も、魔法銀に魔よけの宝石をあしらった最高級の特注品。
それにマイハマの秘宝たる鍵の剣をあわせれば、Lv60にも相当
するほどの力となる。
現在のLv58と言う技量から見ても大分劣る、備品の剣と鎧を使
っているユーミルとは、
実際のLv以上の差がつく道理だ。
﹁もちろんだ。女性で、Lvが同じ⋮その程度で舐めて掛かるつも
りは無い﹂
シグムントは感じ取っていた、ユーミルの余裕から、Lvを越えた
強さを。
それが、近衛騎士団に入って25年目を迎えたシグムントにとある
記憶を
思い出させていた。
﹁⋮私の臆病をお笑いください、レディ・ユーミル。本気で行かせ
て頂きます。
以前、女性を侮った結果、仲間を20人失ったことがありますゆ
え﹂
余りに苦すぎる思い出。今でも時々夢に見て、うなされる。
仲間の無残な死に様と、無様に命乞いをして生き延びた時に見た、
美しい金色の髪を持つ、雌狐の顔。それが囁いているのだ。
︱︱︱全力でやれ⋮あの時と同じ想いをしたくなければ、と。
391
﹁はい。もちろんです⋮むしろ、これくらいの条件で私が負けるよ
うなら、
私の教えなんていらないでしょう﹂
技量は同等、装備は劣る。
その状態でなお、ユーミルは焦りを見せない。
彼女もまた、本気で見極めるつもりで居た。この騎士団⋮ギルドの
強さを。
﹁団長⋮お持ちしました。鍵の剣です﹂
﹁うむ﹂
シグムントが巨大な鍵のように見える、マイハマの秘宝たる片手剣
を構える。
左手には盾という、正統派の守護戦士スタイル。そして⋮
﹁行きますぞ!﹂
一気に駆け上り、斬りかかる!
﹁⋮それは減点対象です!﹂
素早くかがみこんで横に飛び、シグムントのクロススラッシュを交
わす!
盗剣士のスキル︿リフレクションブースト﹀
神経を瞬間的に加速することで回避力を爆発的に高めるが、
効果時間が1秒しか無いため、まさに攻撃を喰らうその瞬間に
タイミングを合わせないと意味が無い、
使いどころの難しい技をユーミルは容易く使いこなして見せた。
﹁なに!?﹂
﹁守護戦士なら、後の先を狙うべきです!
どの職業でも相手の攻撃した後の硬直時間中に攻撃すれば
命中率が跳ね上がります!守護戦士の最大の武器はその堅さ!
真っ向からの単純な殴り合いなら、最終的に立ってるのは守護戦
士です!﹂
そう言いながら、クロススラッシュをかわして生んだ隙を狙い、
392
ユーミルは技を放つ!
﹁⋮︿マルチウェイ・ライト﹀!﹂
一息で片手の武器で複数回斬りつける、盗剣士の基本技。
奥伝に達しているその技は4度の斬撃を一瞬で繰り出す。
更にそれに重ねるは。
﹁︿マルチウェイ・レフト﹀!﹂
左の斬撃。同じく4回。計8回。
﹁ぐぅ!?⋮︿シールドウォール﹀!﹂
2撃目でようやく硬直が解けたシグムントが盾を構えてギリギリで
受け止める。
﹁中々やりますね!ならば、これはどうです!?︿ニーブレイク﹀
!﹂
流れるようにシールドの下、足を狙う!
﹁ぐぅ⋮!?﹂
膝に走った鋭い痛みに、シグムントの動きが鈍る。
その瞬間。
﹁おのれ!?逃げるか!?⋮足が!?﹂
バックステップで距離を取ったユーミルを追おうとして足の痛みに
動きが止まる。
﹁︿ニーブレイク﹀は2秒間の移動不可と15秒間の移動力低下の
追加効果があります!
距離をとる時には追えないようにこれをあわせるのが基本!
守護戦士は攻撃をかわさない分、このように追加発生型のデバフ
に弱いの
で注意してください!そして盗剣士が距離を取ったら、この技の
可能性が高い⋮
︿スラッシャーダッシュ﹀!﹂
僅かに稼いだ距離を全力のダッシュで一瞬で詰めながら、剣を交差
させて振りぬく。
﹁くっ⋮︿パワースラッシュ﹀!﹂
393
ユーミルの言葉から動きを予測したシグムントはその瞬間を狙い
とっさに剣で斬りつける。
これは引き分け。互いにある程度のダメージを追った。
﹁っつ⋮!?やはり秘宝級、攻撃力は火力職の私と同等ですか!﹂
﹁たやすくは負けませんぞ!マイハマ近衛騎士団の団長としても!
1人の武人としても!﹂
﹁いい心構えです!でしたら⋮︿ピアッシング・ショルダー﹀!﹂
今度は敵から力を奪う鋭い突きを右肩に向かって放つ!
﹁⋮させるか!︿ストーン・オブ・キャッスル﹀!﹂
攻撃力と言うアドバンテージを失うわけには行かず、
シグムントは切り札を切った!
あらゆるダメージを無効化する、守護戦士の奥義。
それはユーミルの剣を容易く弾き⋮その様子にユーミルは笑みを浮
かべる!
﹁⋮失敗しましたね!﹂
﹁戯言を!?﹂
無敵の10秒間、それを生かすべく全力で攻撃を繰り出す!
ユーミルとてさるもの、防戦一方となり相当数を交わすが、
何発かは当たり、HPを失っていく!
﹁どうやら、私の勝ちのようですな!﹂
このまま押し切れば、HP残り20%⋮シグムンドは勝ちを目指し
攻撃を続ける。
﹁4⋮3⋮2⋮1⋮﹂
徐々に減っていくHPにも焦らず、ユーミルはゆっくりと時を待つ。
⋮そして!
﹁⋮0!︿ダンス・オブ・ブラッディ﹀!﹂
﹁なに⋮!?﹂
先ほどとは比べ物にならないほど重く早い連撃に、盾を弾かれ、体
勢を崩される!
﹁一騎打ちでは︿ストーン・オブ・キャッスル﹀は、
394
確実に相手を倒せるタイミング、最後の詰めで使う切り札です!
アレがもう無いと分かればこちらも切り札の︿ダンス・オブ・ブ
ラッディ﹀を出せます!
それにもし︿ストーン・オブ・キャッスル﹀を使われたら10秒
後まで待てばいい!
特に効果が切れる瞬間は狙い目です!﹂
そのまま体勢を崩した団長に、ユーミルはとどめの一撃を見舞う!
﹁⋮これで﹂
その刃が2度、シグムントの身体を捕らえ⋮
﹁⋮残りHP19.9%。私の勝ちです﹂
剣を収めて、勝ちを宣言した。
﹁⋮お見事。私の、負けです﹂
がっくりと膝を突き、負けを認める。
完全な敗北だった。
﹁まさか⋮団長が負けるなんて⋮﹂
﹁Lvは同等だったのだろう?ならば装備を考えれば団長の方が有
利では⋮なのに﹂
若き騎士たちに動揺が広がる。
ジロを含めて騎士団の中に団長に1人で勝てる剣士などいない。
恐らくは例え同レベルであっても。
それを装備と言うハンデをつけて打ち破ったユーミルに、圧倒され
ていた。
﹁これが冒険者の⋮ハイジンの騎士⋮﹂
ダグラスもまた、圧倒され、思わずその言葉を漏らす。
冒険者の中の冒険者﹃ハイジン﹄
ダグラスも、昔から何かと世話になっているとある文官から
話に聞いていただけの存在だったが、その存在を目の当たりにして
ようやくそう呼ばれる理由を真の意味で理解していた。
395
﹁⋮クローディアさん、私とシグムントさんに︿大回復﹀を﹂
昨日、フィリップに頼んで用意してもらった近衛騎士団全員の
略歴で紹介されていた、天才だと言う施療神官に回復を促す。
﹁わ、分かりましたわ!﹂
クローディアはそれに答え、慌てて回復術を施す。
敗北したのは団長だが、ユーミルとて相当なダメージを負っていた。
互いに真剣で斬りあったのだ、無理は無い。
﹁⋮ありがとうございます。レディ・ユーミル。随分と勉強になり
ました﹂
肩で息をつきながら、シグムントは教授に対して礼を言う。
﹁はい?どういうことですの?団長?﹂
完全な一騎打ちでの敗北。
それに対して礼を言うシグムントに、クローディアは首を傾げる。
﹁先ほどの戦い、レディ・ユーミルは丁寧に教えてくれただろう?
⋮自らの手の内と、冒険者にとっての守護戦士の定石をな﹂
騎士団の騎士たちがユーミルの言葉を思い返してあっと声を上げた。
﹁剣の腕前も見事だが、それ以上に知識と経験が深い。
⋮なるほど、冒険者とは、恐ろしいものですな﹂
シグムントも思い返し、敬服した。
近衛に入る前を含めれば30年以上騎士団にい続けた自分でも
把握しきっていなかった、守護戦士の能力と弱点をどこで学んだのか
ユーミルは完全に把握していた。自らは一切使えぬはずの、その技
を。
余りに深い戦の知識と、それを戦に応用できるだけの経験と知恵。
それはまさに冒険者の恐るべき用兵術の片鱗だった。
﹁レディ・ユーミル。お頼みします。
大地人の我らに戦うための技と知恵をお分けくださいませ﹂
懇願しつつ、彼は極めて冷静に考えていた。
この少女に戦を教われば、どれだけ自らが、団が強くなれるかを。
20年前、生き残るためにそれまで信じていたものを
396
全て捨ててしまったが故の徹底した現実主義。
それがシグムントを精強なる近衛騎士団で団長たらしめている、才
能だった。
廃人
としての私を欲して
﹁任せてください。シグムントさん。報酬も魅力的でしたが、
私がこのクエストを引き受けたのは
くれたからこそ。
ならば全力で応えるのが、礼儀ですから﹂
それにユーミルもまた応え、彼ら近衛騎士団とユーミルの1ヶ月の
訓練が始まった。
3
訓練の最初の1週間は座学であった。
団員全員が会議用の大きな部屋に集められ、騎士たちに1冊ずつ本
が用意される。
500ページにも及ぶ分厚い本。
それが人数分用意され、配られた。
﹁⋮これは?﹂
﹁アキバでホネスティが作成した﹃スキルガイドブック﹄です﹂
シグムントの問いかけに、ユーミルが答える。
スキルガイドブック。
円卓会議成立直後、知識の共有化を理想として掲げるホネスティが
大災害直後から
密かに編纂していたものを公開した、メインクラスのスキルを全て
まとめたものである。
この本にはスキル1つ1つの効果、威力、射程、消費MP、追加効
果とその発生確率、
再使用制限時間、使用後硬直時間、召喚師の高位召喚獣との契約など
特殊なスキルの習得方法などが各取得段階ごとに分けられて記載さ
397
れ、
果てはそれを利用した一般的なプレイヤースキルまで網羅している
と言う、
アキバでは初心者から廃人まで、戦闘系の冒険者必携の書である。
ユーミルも自分用のもの⋮
付箋と書き込みだらけでボロボロになったそれを掲げながら、言う。
﹁いいですか?まず、味方のことを知ってください。
ここに書いてあるのはメインクラス12職の持つスキルです。
自分に関係ないものまで全部覚えろとは言いませんが、
少なくとも自分を含めた団員のスキルは全て把握するようにして
ください。
最初は自分の使用できるスキルと習得度の書き出しを行い、
その上でその本に書かれている自分のスキルの内容を熟読すると
ころから
始めると良いでしょう﹂
﹁⋮待て、何故下賎の暗殺者の技など学ばねばならぬ!?﹂
確認を始めた1人の騎士が、その内容に驚き混じりの不満の声を上
げた。
それにユーミルは表情を動かさず、即答する。
﹁下賎だろうとなんだろうと、使い手がいるからです。
大地人の場合、味方になることは珍しいかも知れませんが、
敵に回すことはあるでしょう?彼らの︿絶命の一閃﹀は強力です
よ。
下手に喰らえば、後衛職なら一撃で死ぬこともあります﹂
﹁まぁ⋮そうなのですか?﹂
その言葉に真っ先に反応したのは従軍司祭の長、ソフィア=セング
ウジだった。
まっすぐな黒髪と涼しげな目元、そして身に纏う巫女服が印象的な
398
彼女は
マイハマをモンスターから守る結界作りを担う神祇官一族の女性当
主。
2年前、跡継ぎを7つまで育て上げ、齢25にして近衛騎士団に参
加した彼女は、
女性らしからぬ知性の輝きと経験を併せ持った従軍司祭の筆頭であ
る。
﹁はい。私も昔、アイギアと言う場所で暗殺者の群れに殺されたこ
とがあります。
2回ほど﹂
﹁アイギア⋮まさか、あの亡霊の村の!?﹂
吟遊詩人の歌の定番となっている舞台の名にソフィアが目を見開く。
その反応に知ってると判断して、ユーミルは続ける。
﹁はい、そこです。あそこの暗殺者⋮︿狐面忍者﹀の火力は狂って
ます。
Lv90の守護戦士でも援護なしだと10秒持ちません。
私たちも2回全滅して、ボスの服部半蔵を倒したのは3回目の
挑戦の時でした。
︿D.D.D.﹀は2回目でヤマト内最速で突破しましたから、
随分と悔しがったものです﹂
あの頃、まだただの廃人だった頃のことを思い出しながら、ユーミ
ルが遠くを見る。
﹁⋮本当に、ユーミル様はハイジンと呼ぶに相応しい冒険者なので
すね﹂
一方のソフィアはなんでもない思い出話のように大地人の間では、
半ば伝説として語られている歌の登場人物であると言うユーミルに
驚く。
半蔵が何度か蘇り、そのたびに冒険者の騎士団に倒されたことは知
っていたが、
それを目の前の騎士は為したという⋮2度の全滅と死を乗り越えて。
399
ダグラスから聞いた、不老不死の存在たる冒険者、
その中でも最高位の強者たるハイジン。
ユーミルはそう呼ぶに相応しい存在であることを改めて思い知らさ
れた。
﹁それでは、始めてください﹂
ユーミルに促され、騎士たちは一斉に自分のスキルの確認から始め
る。
紙に自らの習得したスキルとその習熟を書き上げ、
目次を調べてそこから本を読んでいく。
﹁⋮俺の技は極まるとこれほどになるのか⋮﹂
﹁⋮守りの技が揃った守護戦士の本道は、味方を守る盾。
そうか、だからユーミル嬢は団長の先制攻撃を悪手と言ったのか﹂
﹁⋮なるほど。父の言っていた、黄泉路の見切りの真髄とはこれで
すか⋮﹂
﹁毒薬を煽り、デモンズペインの威力を限界まで引き出す!?
恐ろしい、冒険者とはこのような技まで駆使するのか!?﹂
﹁なるほど、あえて妖術師や暗殺者に結界を張って、一時的な囮に、
ね。
ただ前衛に飛ばせば良いってもんじゃないのね﹂
﹁⋮本当に惜しい。かつて手元にこの本があれば、
あそこまで無様な醜態を晒すことも無かったかもしれないのに﹂
彼らとて高い教育を受けたか命を振り絞って経験を重ねたエリート
中のエリートだ。
皆、一度初めてしまえば一様に引き込まれ、食い入るようにガイド
ブックを読む。
全員が新たな発見があった。それは、クローディアも同様だった。
400
︵凄い⋮施療神官とは、ここまでの力を持つものなのですのね︶
強力な即時回復能力と、比較的重装備も可能な装備制限。
そして、それらを補佐する、守りや攻撃にも使える各種スキル。
施療神官とは、ソロでも小隊でも活躍できる回復職の王道。
ただ、後ろで漫然と回復の術を使っていたのでは分からない世界が
広がっていた。
定石
の説明。
そして、冒険者向けの用語の解説やそれぞれのスキルの解説、
そのスキルを使う
各クラスの詳細な説明と彼らが持つスキルを使った連携の手法、前
衛後衛の概念、
講義
を夜明けから日暮れまでみっちりと行い
何をするか、何をして欲しいかをきちんと声に出すという小隊戦の
基本⋮
多岐に渡る戦闘の
続けて5日目。
用意していた座学を一通り終えた後、昼食を挟んで試験が行われた。
﹁いいですか?今回の試験は各小隊の指揮役を決めるためのもので
す。
私は冒険者ですので、生まれや育ちなどは一切考慮しません。
成績と適正のみで決定します。
特に最終問題は、指揮役を決める上で最も重視します。
しっかりじっくりと考えてください。
指揮役は全員が選ばれる可能性がありますので、手を抜かずに受
けるように﹂
そんな言葉と共に始まった試験。
それは5日間の講義の集大成に相応しい問題が並んでいた。
401
最初の設問は、各スキルの知識。
12クラスの特に重要なスキルに関しての問題が出された。
次の設問は、状況把握。
説明された状況で、各々がどう動くべきかを問う。
小隊
がどう動くべきかを問う。
3番目の設問は、同じく、状況把握。
ただし今度は
そして、指揮担当を決定する上で最も重要視していると説明を受け
た、
最終設問は⋮小論文。
︵⋮現在の小隊6人で︿牛頭鬼﹀︵ミノタウロス︶1体と戦う場合、
出来うる限り死人を出さないように小隊を指揮をせよ、ですか⋮︶
クローディアが見つめている問題文の下には牛頭鬼の詳細なデータ
が記されている。
牛頭鬼。パーティーランクLv50。
牛の頭を持つ高位の亜人で、3mに及ぶ巨体と、それに見合った大
きさの
斧を持っている。
基本的な攻撃手段は物理攻撃のみだが、攻撃力は極めて高く、後衛
職が喰らえば
あっという間に命を落とす上に、巨大な斧の一撃はリーチも広い。
物理的な防御力も高く、魔法にも一定の耐性がある。
また、見た目に反して知能も意外と高く、そちらの方が脅威度が高
いと判断すれば、
目の前の前衛を無視して後衛を襲うこともあるし、その咆哮には一
定確率での
麻痺効果がある。
その状況から、相手の動きを予測して、死人を出さずに
402
撃破するに至るまでの筋道を説明する。
難問であった。
事実、それまで快調に応えていた騎士団の面々が一様に筆を止め、
考え込む。
﹁⋮なるほど、最終問題に相応しい難問だ﹂
﹁そんなこと可能なのか⋮?いや、僕の使える付与術士の魔法を駆
使すれば⋮﹂
﹁⋮5年前の狩りと似た状況ですね。
あの時は2人死にましたから、その反省を生かすと考えると⋮﹂
﹁うっわ。厄介な相手ね⋮でも、神祇官の結界なら⋮﹂
﹁うちの部隊なら⋮要はクローディアだな。あいつの回復が、恐ら
く勝敗を分ける﹂
その中で、手探りながら、何人かの騎士が小論文を書き始める。
︵恐らく、大事なのは動きの予測と対処。牛頭鬼が私たちに都合の
良いように
動くと考えてはダメ⋮むしろ私たちに都合が悪いように動くと考
えるべきですわ⋮︶
戦場では、楽観的に過ぎる予測は自らの首を絞める自殺行為。
ユーミルが言っていたことを思い出しながら、少しずつ書きはじめ
る。
カラーン⋮カラーン⋮
クローディアが書き終えた丁度その頃、試験終了の合図としていた、
夕刻の鐘がなる。
﹁はい。みなさん記入を終了してください。結果は明日、発表しま
403
す﹂
採点
せねばならない。
何枚かの羊皮紙にまとめられた回答を回収する。
これから、これらを
説得
がうまく行ったお陰で彼女はユーミルを歓
フィリップさんと⋮アンリエットさんにも手伝ってもらいながら。
︵フィリップの
迎してくれたが、
フィリップと2人きりになるのだけは絶対に許さなかった︶
そして翌日。
結局徹夜に近い状態で採点を終え、少し眠そうにしながら、
騎士たちに結果を発表する。
﹁各小隊の指揮担当が決まりました。発表します﹂
細かい点数などは後回しにして、一番大事なところ、各小隊の指揮
役の発表から。
﹁第1小隊⋮スティーブさん﹂
﹁第2小隊⋮ジロさん﹂
﹁第3小隊⋮ソフィアさん﹂
﹁第4小隊⋮クローディアさん。以上4名が各小隊の指揮を担当し
てください﹂
結果を受けて、一瞬騎士たちは静まり返り⋮
辺りはいきなり騒がしくなった。
4
﹁お待ちください!?僕が団長を差し置いて指揮官だなんて!?﹂
404
スティーブは狼狽しながらユーミルに尋ねる。
横目で、第1小隊の現指揮役⋮すなわち団長であるシグムントを見
ながら。
﹁⋮いや、レディ・ユーミルの判断は正しい。
指揮を司るのは、これからの時代を担う若者であるべきだ。
⋮最も、私の従者、付与術士が指揮官なるとは思わなかったがな﹂
その結果を半ば予測していたのか、シグムントは落ち着き払って言
う。
⋮他の、第2から第4小隊の元指揮役たちに不満を言わせないため
にも。
﹁はい。筆記の内容で言えばシグムントさんのが多少上でしたが、
今回のお話ならば、こちらがベストかと。
それに付与術士はパーティ行動が前提で最も戦況の把握が求めら
れる職業
といっても過言ではありませんし﹂
ユーミルが解説する。
アキバで最高の軍師⋮指揮役の一角足りうる青年も、ハーフアルヴ
の付与術士だ。
それに第1設問と第2設問で最高得点をマークした、
知識面での理解力の高さは経験を積めばいずれ武器になる。
﹁良いのですか?私は狼牙の武士。
元は一介の魔物狩りに過ぎませんし、年も今年で34になります
が?﹂
まだ30に満たぬ若い元指揮役の騎士から睨まれながら、ジロが涼
やかに尋ねる。
傭兵枠の成り上がりかつ年嵩の自分を抜擢する理由が
純粋によく分からなかったのだ。
それにユーミルは丁寧に説明を返す。
﹁第2小隊の中で成績が図抜けていた⋮
騎士団で最も総合成績が良かったのがジロさんです。
405
若者優先はそうですが、アレだけ差があっては他は選びようがあ
りません。
流石は経験豊富な⋮魔物狩り、でしたっけ?
とにかく、筆記の内容が振るってました﹂
第3,第4の設問、高得点を配分したその問題を、
完璧に答えて見せたのがジロだった。
スキル、能力、連携⋮果ては隊員同士の人間関係まで考慮したと思
しき回答は、
ユーミルすら驚かせるほどの出来ばえ。
偽冒険者
の私が、冒険者に認められ、指揮を任さ
人生経験においてはユーミルにも勝るジロならではの回答だった。
﹁⋮ふふっ。
れるとは。
兄や娘が聞いたら大笑いしそうな話だ﹂
その事実にジロは苦笑する。
かつて、武士兄弟の知性派と呼ばれ、兄を初めとした仲間の魔物狩
りを
指揮していた身としては、やはり嬉しいものだった。
﹁いいのかしら?私、女ですわよ?前線にも立たない神祇官ですし﹂
ジロを指揮役に選べるユーミルならある意味当然と思いつつ、
ソフィアが一応確認する。それにユーミルはソフィアの予想通りの
答えを返した。
﹁冒険者にとっては真に優秀な指揮官であれば、男か女かは重要じ
ゃありません。
実際冒険者には︿D.D.D.﹀の三羽烏や︿西風の旅団﹀のナ
ズナさんのように
女性の優秀な指揮官も多いです。
⋮それに、使う結界のタイミング指定が的確だったのは、高評価
です。
ちゃんと︿牛頭鬼﹀の行動パターンまで読んで考えて書かれてい
ました。
406
上手い神祇官は策を考えて動かれると本当に手ごわいですから﹂
かつて黒剣騎士団として何度か辛酸を舐めさせられた、
1人の女性神祇官指揮官を思い出す。
特にシンジュクで鮮やかに妨害を成功させてユーミル含めた黒剣騎
士団の精鋭を
全滅に追い込み、レッサーベヒモス狩りを失敗させられたときのこ
とは、
今でも時々語り草となっているほどだ。
﹁⋮なるほど。つまり私は、常に策を考えて動くべき、なのですね﹂
﹁はい。ソフィアさんにはそれが向いてるかと思います﹂
スキルブックを読んでいたら湧き上がってきた、作戦の数々。
幾つかは修正がいるだろうし、穴もあるだろうが、
試してみたいと思っていたところだ。それが出来る地位を手に入れ
たことに、
心の中で笑みを浮かべながら、第3小隊の指揮役を拝領する。
そして⋮
﹁納得いかねえ!なんでクローディアなんだよ!?
年齢だって似たようなもんだし、筆記だって俺はちゃんと書いた
ぞ!
他の奴等のことも考えて!﹂
はっきりと不満を口にしたのはダグラスだった。
試験には、自分でもかなり自信を持っていた。
5日間、寝る間も惜しんで勉強を重ねた集大成として。
﹁そ、そうですわ!私なぞより、ダグラスの方がよろしいのでは!
?﹂
クローディアもそれに同意する。
ダグラスがどれだけ努力して今の地位を手にしているかは、幼馴染
として知っている。
407
だからこそ、ダグラスの方が相応しいと考えた。
﹁⋮何故か、ですか。今回は基本に従った結果なのですけどね﹂
2人の言葉に、ユーミルはその言葉を返す。
﹁﹁基本?﹂﹂
その言葉が理解できず、2人が同時に聞く。
ユーミルはそれに丁寧に答える。
﹁はい。正直に言いますと、ダグラスさんとクローディアさんは、
筆記の成績はほぼ同等でした。
どちらを選んでも、良い指揮官になれるでしょう﹂
実は、嘘だ。
純粋な成績なら⋮ダグラスの方が少しだけ上だった。
﹁ならばなんでクローディアなんだよ!?女だからか!?﹂
﹁いいえ。今回は性別は関係ありません。関係あるのは、クラスで
す﹂
しかしクラスを考慮すれば、答えはクローディア。
そう考えてユーミルは第4小隊の指揮役をクローディアとした。
﹁クラス⋮職業ですの?﹂
﹁はい。ダグラスさんは前線に立ってモンスターと対峙する守護戦
士。
クローディアさんはそれを後方でささえる回復役の施療神官。
戦況全体を把握して、指示を出すのはどちらが容易だと思います
か?﹂
クローディアの疑問に、質問で返す。
その質問に、2人は同時にハッと気づく。
﹁ぐっ!?それは⋮﹂
﹁⋮私のほうが、容易かと﹂
そう、それは今までの授業から考えればおのずと分かる。
4人の指揮役のうち、ジロを除く3人までが
後衛職から選ばれていることからもそれは明らかだった。
﹁その通りです。基本的に指揮は戦況を見渡せる後衛が取るのが基
408
本です。
うちのボスやクラスティさんみたいに前線に立ちながら
出来る人は本当に稀ですよ﹂
皆に⋮特に部隊の半数以上を占める守護戦士たちに言い聞かせるよ
うに、
ユーミルが2人を諭す。
﹁もちろん、指揮の授業は皆さんにも受けてもらいます。
時々は他の人に指揮を依頼することもあるかもしれません。
ただし、基本的に各小隊で指揮を取るのは今言った4人です﹂
そして翌週より、実戦訓練が始まった。
5
それから2週間。優秀な指揮官に率いられ、戦いの訓練を受けた騎
士達は変わった。
あれから、ユーミルが知っていた数々のマイハマ近くの魔物の巣窟
を渡り歩き、
彼らはモンスターを相手に戦闘訓練に明け暮れていた。
最初はLv30程の力押しで倒せる相手で戦術を磨き、
挑むモンスターのLvを徐々に上げ⋮
を訪れ、
現在は彼らと同等、Lv50代のモンスターが住まう、
名状しがたき魔海の揺り籠
入り口付近で醜悪な水棲系モンスターや亜人との戦いを繰り広げて
いた。
﹁団長!前に出過ぎないよう注意ください!前衛が離れては後衛に
攻撃が飛びます!
⋮全員、一旦下がって!︿アストラル・スフィア﹀を使用します
!﹂
スティーブの率いる第一小隊は、基本に忠実な、良い部隊となった。
409
堅実で手堅く、被害を減らすことを考え抜いた、守りの部隊。
戦い方としてはごく普通だが、恐らく強大な敵と当たったとき、
最も生き残る可能性が高い部隊はここだろう。
﹁クロード君!右手から魔物が3匹来ています!注意してください!
ギリアム君!正面の堅い魔物にはその巨大な戦斧が有効なはず、
相手を頼みます!
左の魔物は私が⋮︿百間貫き﹀!﹂
フォローが抜群に上手いジロの率いる第二小隊は、
逆に斬り込みを得意とする攻撃部隊となった。
傭兵上がりの盗剣士や騎士団の守護戦士を多く配置し、彼らが一気
呵成に攻め抜く。
守りはジロが一手に引き受ける。
部隊の後衛である従軍司祭と妖術師の側には、第2小隊一の使い手
であり、
指揮役でもあるジロ自身が鎧を着込み、前回の休みの日にアキバに
船で赴いて
手に入れてきた強力な魔物武器の弓を持って、守る役を担っていた。
それはかつて、典型的な狼牙武士だった兄と共に20年間戦ってき
たことで
培ってきたものの発展形。
新たな知識と、戦訓を生かして組み立てられた、熟練の用兵術だっ
た。
﹁3秒後、クリスに︿禊の障壁﹀を使うわ!守りはいらないから魔
物を斬りなさい!
クリス、︿雷神の鎚﹀で頭狙い!アンディはそれにあわせて!
⋮行くわよ!︿禊の障壁﹀!﹂
ソフィアは稀代の策士としての才能を開花させた。
スキルガイドブックで得た知識を近衛騎士団で生かしているのはソ
フィアだ。
蓄えた知識を駆使した的確な指示と援護、それらを併せ持つ彼女こ
410
そ、部隊の女王。
女王に率いられた兵隊は、抜群の統率を見せ、戦況を形作る遊撃隊
として
育ちはじめていた。
⋮そして。
﹁ツヴェルク!一旦お下がりになって!今、回復を⋮﹂
第4小隊はバラバラだった。
クローディアは他の3人と比べてややつたない。
手堅い指揮だが他の小隊にあるような特徴が無い。それに加え。
﹁待て!俺とアインも体力がやばい!
ここはその場にとどまって範囲回復の方が良い!﹂
実戦経験豊富なダグラスから、ダメだしが飛ぶ。
これ以上は危険と判断したダグラスがツヴェルクを庇いながら指示
を出す。
﹁わ、分かりましたわ!︿エリアヒール﹀!﹂
とっさにダグラスの言葉に従い、即時範囲回復の詠唱を行う。
だが、判断の遅れが危険を呼ぶ。
前衛が固まっている間に高位の︿深海蒼鬼﹀︵ディープワン︶の
戦士が1体、前衛を抜けたのだ。
﹁しまった!?﹂
ダグラスが己の失策に焦る。その瞬間だった。
ピキィィィィィ!?
右目を羽のような短剣で貫かれ、深海蒼鬼が悲鳴を上げる。
その次の瞬間には。
﹁⋮︿スラッシャーダッシュ﹀!﹂
411
聖剣と神剣の二刀で三枚に降ろされた深海蒼鬼が絶命する。
﹁⋮これで3回目です。第4小隊。今すぐ撤退してください﹂
本来の装備に身を包み、1人で近衛騎士団の小隊規模⋮
やりようによっては騎士団そのものをも1人で壊滅させられる力で
持って
窮地のときのみ助ける役を担当しているユーミルが、
最初の説明どおり、努めて冷静に第4小隊に撤退命令を出す。
﹁まだ俺達はやれる!頼む⋮﹂
﹁そうですわ!もう少し、戦いを⋮﹂
﹁ダメです。これはLv上げではなく、戦闘訓練です。
私のフォローが3回もいるうちは危なくてまかせられません。
戻って反省点の洗い出しを。明日は休みですから、
疲れも取るようにしてください。お疲れ様でした﹂
一度言った事は曲げない性格のユーミルは
ダグラスとクローディアの必死の懇願にも、耳を貸さない。
﹁分かりました⋮申し訳ありませんでした﹂
﹁⋮クソ!第4小隊、撤退する!﹂
そして戦闘訓練の間は、ユーミルの言うことは絶対。
ダグラスたちは撤退し、いつものようにダンジョンの外で話し合い
を行う。
だが、それにも覇気が無い。
ここ3日、第4小隊は即時撤退命令を受け続けている。
他の小隊が戻ってくるのは、次に早いであろう第3小隊でも2時間
は後。
何より開始から2時間で撤退させられては、話し合うことも余りな
い。
412
ただただ、重苦しい沈黙が続く。
﹁⋮ックソ!なんで俺らだけが⋮﹂
泣きそうな声で言うダグラスの顔が、クローディアの目に焼きつい
ていた。
﹁すみませんの。私がしっかりしていないから⋮﹂
﹁⋮いや、俺も悪いんだ。余計なことを言ってお前の判断を鈍らせ
た。
団長みたいにフォローに徹するのが俺の仕事のはずなのに⋮﹂
お互い何が悪いのかは分かっている。
だが、どうしても克服できていない。
それが、2人を余計に気まずくさせていた。
6
翌日。
クローディアとダグラスの2人は連れ立って馬を並べ、出かけてい
た。
﹁その⋮すまなかったな。折角の非番に﹂
﹁いいえ。ちょうど良かったですわ。1人でいたら1日中悩みっぱ
なしですし、
⋮それにうちにいては、また結婚の話で喧嘩になってしまいます
の﹂
第4小隊全員を集めての、先ほどまでの熱い話し合いを
思い出しながら苦笑して、言う。
クローディア=L=アルテリア。19歳。
413
そろそろ結婚しないと貰い手がいなくなると言われるお年頃。
だが、クローディアにはまだ結婚する気は無かった。
折角従軍司祭の仕事も面白くなってきた頃だし、結婚するならば相
手は⋮
﹁なんだよ。俺の顔になんかついてるか?﹂
﹁⋮なんでもありませんわ﹂
いえのかく
も無く、仲の良いともだちでいられた。
ため息と共に、言葉を飲み込む。
も
子供の頃は良かった。
みぶん
になると言う少女に対し、
になると少年は返した。
せいじょ
きし
いつか、みなのきずをなおす
ならばおれはそれをまもる
ダグラスが必死に努力を重ねて近衛に入ったのは、そのためだと勝
手に思っている。
だからこそ、ダグラスと共に歩むため、この道を選んだ。
たった20年前に、守るべき従軍司祭を全滅させた騎士団など
危険だと反対されながらも。
﹁そっか⋮まあ、いいや。そろそろ見えてくるはずだ﹂
今ならば、近衛騎士となったダグラスならば、家のものも辛うじて
納得させられる。
多分、嫁き遅れと言われる20歳となれば。
だが、今のままでは、ダグラスが納得しないかもしれない。
それが怖い。だから⋮
﹁着いたぞ⋮お∼い?クローディア、帰って来∼い﹂
﹁はいっ!?⋮っと、もう着きましたの!?﹂
思考を中断され、慌てて辺りを見渡す。
﹁お前な、時々考え込んで視野が狭くなるのは悪い癖だぞ?﹂
﹁⋮す、すみませんの﹂
顔を真っ赤にしながら、ダグラスに謝る。
414
そして、そちらを見る。
目の前にあるのは、こじんまりとした屋敷だった。
アルテリア家の豪邸どころか、スチュワート家の屋敷と比べても小
さな屋敷。
部屋数が20にも満たぬこここそが平民の出でありながら
24で上級文官となった天才の家であり。
報酬
として泊まっている家だ。
﹁ここだ。フィリップさんの家﹂
ユーミルが
﹁ここに、ユーミル様が⋮あ﹂
これからを考え、気合を入れたところで。
﹁よ∼っし、今日はアンリエットさんの分まで、私がおつきあ⋮あ﹂
庭で子供と遊ぶユーミルと目が合った。
﹁え⋮えっ!?﹂
予想外の出来事に狼狽するユーミル。
﹁どうされました?ゆーみるさま?﹂
﹁おきゃくさまですか∼?⋮わかいおんなのひとは、ママがいやが
るです﹂
それにフィリップの幼い姉弟は、無邪気にユーミルに尋ねた。
﹁それで、今日はどうしたんだい?ダグラス君﹂
数十分後、当主の書斎として作られた、書類と本だらけの部屋。
些かこけた頬で、痛むのか腰をさすりながらこほんと咳払いをして、
フィリップが尋ねた。
﹁えっと、用事と言うか、ユーミルさんと話がしたくて⋮﹂
ちらちらと、フィリップとその隣を見ながら、ダグラスが要件を口
にする。
﹁あらあらまあまあ。ユーミルさんと。
と言うことは⋮そちらのお美しい方は、従軍司祭様でしょうか?﹂
艶やかな肌に、満ち足りた笑みを浮かべ、フィリップの妻、
アンリエットがクローディアに問いかける。
415
﹁は、はい。私は近衛の従軍司祭で、クローディア=L=アルテリ
ナと申します。
よろしくお願いいたしますの。アンリエット様﹂
その様に、何故か恐ろしいと感じながら、ダグラスから聞いていた
名前を
思い出しつつ、クローディアは挨拶を返す。
とか言って納得してる
﹁ふむ⋮ユーミル君か。彼女なら今はうちの子供たちを相手してい
るはずだ。
⋮正直、助かってるよ﹂
ホームステイ
本気で、これのどこが報酬なんだ義妹よ。
未だにそう思うが、本人は
んだから、
良いのだろう。
たまに仕事を手伝わされるのは、ご愛嬌だ。
ユーミルから複製を依頼されたスキルガイドブックもアレはアレで
面白かった。
﹁ええ、先ほど会いました⋮庭で﹂
武装も何もしていないユーミルは、普通に美しい少女に見えた。
ハイジンの上級騎士だと思えぬほどに。
﹁ああ、ごく普通のお嬢さんだっただろう﹂
なんとなく言いたいことを理解して、フィリップも頷く。
直接戦場に立つことは無く、また、戦場でのユーミルを見たことも
無い彼は、
未だに理解しきっていない。
妻の手料理を誉め、子供達に優しく接し、そして時に仕事を夜通し
やる
真面目な彼女が、アキバでも屈指のハイジンであることを。
﹁ああ、驚いたよ。正直、もっとこう⋮求道的な生活してると思っ
てた﹂
何度か泊まったことがあるから、ダグラスは知っている。
416
ここは、家族がちゃんと通じ合ってる、温かい家だ。
そしてそこで馴染んで穏やかに微笑むユーミルは⋮
まるで普通の少女に見えた。
﹁そんなことは無いさ。彼女とて、色々ある⋮さ、会いに行くとい
い。
彼女の部屋は廊下を出て突き当たりだ。俺は⋮遠慮しとくか﹂
長年の文官生活で磨いた勘で、アンリエットの周りの温度が下がる
のを感じて、
フィリップは辞退する。
﹁一応これから、仕事なんだ。君たちなら、自由に屋敷を歩いても
らって良い﹂
そう、これは大事な仕事だ。円満な家庭を保つための。
﹁ああ、それじゃあ﹂
﹁失礼いたしますわ、ごきげんよう﹂
そして2人は書斎を出て行く。
﹁さてと⋮アン。少し、いいか?﹂
﹁はい⋮﹂
それを見届け、フィリップは頬を染めるアンに言う。
多分、機嫌を直すのは⋮明日の朝くらいまで掛かることを予感しな
がら。
文官、フィリップ。押しが弱い癖に気難しい妻を持った彼は、一流
の苦労人だった。
7
﹁指揮権の移譲⋮ですか?﹂
子供達を家令に任せ、2人の相談を聞いて、ユーミルは再度尋ねる。
それに2人は
﹁はい。実際に戦いを重ねて、分かりました。
指揮はやはりダグラスが取るべきだと思いますの。
417
お願いいたしますわ。ユーミル様﹂
﹁2人だけじゃない。第4小隊で話し合って決めた結果なんだ。頼
む、認めてくれ﹂
2人そろって頭を下げる。
それに対しユーミルは。
﹁分かりました。いいでしょう﹂
至極あっさりとそれを認めた。
﹁⋮よろしいんですの?﹂
正直、公平な人だけに説得は難しいと思っていたが、あっさりと認
められたことに、
思わず疑問を呈する。
﹁⋮ええ。お二人の判断なら、私は尊重します。
それに、あなたたちのことが、少し嬉しいんです﹂
﹁嬉しい?どういうことだ?﹂
本心から嬉しそうにそういうユーミルに、ダグラスが聞く。
﹁ええ。第4小隊は、本当に熱心に考えた上で、私に相談にきまし
た。
それはつまり、自分なりにちゃんと考えて決めたってことですよ
ね?﹂
﹁⋮はい﹂
ダグラスは頷く。
これは6人で本心から話し合った結果だった。
決して身分や性別に基づいたものではない、純粋な結果だ。
﹁ダグラスさんとクローディアさん。お二人が話し合い、
更に第4小隊が全員納得しているなら、問題ありません。
自分で考えて、決めていく。それが冒険者の自由ですから﹂
それが感じ取れたからこそ、ユーミルは2人の提案を認める。
冒険者たるもの自由であれ。
418
冒険者であるユーミルは、個人の意思を尊重する。
それが、凝り固まった考えから出たものでなければ。
﹁冒険者の⋮﹂
﹁自由⋮﹂
その言葉に込められた意思を感じ、2人が反証する。
﹁ええ。そうです。私は、冒険者。ならば冒険者の流儀には、忠実
にいたい。
そう、願っています⋮私は冒険者としての自分に誇りを持ってい
ますから﹂
ユーミルは断言する。
冒険者になる前の、人形のような過去に思いを馳せながら。
レッスン
彼女はかつて⋮無趣味な人間だった。
大人の社会
を知ってい
それは親の管理で幼い頃から厳しい訓練を受けてて周りと
遊ぶ暇が余り無かったせいでもあるし、
る彼女は、
周りの子供から浮いた存在だったからでもある。
だから、3年前⋮14歳の頃、噂を聞いてなんとなく始めた時、
その面白さに魅了された。
周りに知られないように自分からとことんかけ離れた姿を選び、
声でばれるのを恐れて一切喋らない。
と
お仕事関係の人
はいても
友達
はほとんどいな
その手法はまるで自分が別人になったかのような感覚があり、
ファン
かった彼女に、
新しい世界を提供した。
他に楽しみがない分、持てる僅かな暇の全てをつぎ込んだ彼女は、
瞬く間に強くなり、
いつしかアキバでも最強の一角を占める廃人集団の1人に加わって
いた。
冒険者としての充実した日々は、もう1つの生活も充実させたのか、
419
3年前から伸び悩んでいた歌も大いに伸びて⋮今に至っていた。
それがどうしようもなく楽しかった⋮
ただの盗剣士として、ひたすらに楽しむ場であった黒剣騎士団はユ
ーミルにとって、
本当に居やすい場所だったから。だから恐怖した。知られて、それ
を失うことを。
最初の危機、大災害は乗り切った。
と
百人斬り
百人斬り
生え抜きの廃人集団である彼らは、彼女をどこまでも
として扱った。
他の冒険者も顔と声で気づくものもいたが、黒剣の
知れば、
別人だろうと納得してくれた。
だからこそ、油断したのかも知れない。
久しぶりに歌いたくなって、天秤祭の音楽フェスティバルに出てし
まった。
歌うのは、やはり楽しかった。
それはそれで自分の人生をつぎ込んで来たことだったから。
祭りでは大地人の老吟遊詩人と、驚くべき歌い手と共に歌い、
冒険者部門で優勝もした。それから、彼女の周り⋮
百人斬りユーミル
はそれなりに有名だが、
黒剣騎士団から更に外、アキバは彼女にとって少し変わった。
理由は簡単。
黒剣騎士団の
現役人気アイドル倉橋ゆみる
の名を知る冒険者は⋮
それでもその名を知る冒険者はアキバでも1,000人に満たない。
だが、
アキバだけで10,000人を越えた。
420
﹁私は、百人斬りです。お人形でも、歌姫でもない、黒剣騎士団の
盗剣士です﹂
自ら勝ち取ったものでもない、貴重な秘宝級のプレゼントなんてい
らない。
本気で戦う気概も無いくせに彼女目当てで
騎士団に加わりたいなんて奴は願い下げだ。
街中を歩いているだけでサインを求められるのは、もううんざり。
危険な黒剣騎士団御用達の戦場まで着いてきて、勝手に死なれるな
んて、迷惑だ。
正体を知られ、ここに来る前にあった数々の出来事。
それは彼女が自らの軽率さを後悔するには充分な出来事だった。
﹁だから、引き受けたんです。この依頼﹂
この依頼で、たった1つ皆が欲しがった報酬は、
黒剣騎士団でも随分と話題になった。
それは、この冒険に満ちた世界、ましてや廃人と呼ばれるような生
活を
していたものたちが長らく手にしてなかった、貴重で温かいものだ
ったから。
けれど、10人以上の騎士団員が名乗りを上げたなか、彼女が選ば
れたのは⋮
百人斬り
の自分を﹂
﹁⋮アキバから、しばらく離れたかったんです。そして、取り戻し
たかった。
この世界で生きている
余りにも必死の懇願。それが認められたから。そう、彼女は考えて
いる。
だからこそ、この依頼は全力でこなすつもりだった。
大地人に、黒剣の流儀を教え込み、一流の戦士に育てる。
421
それは、真の意味で冒険者らしい依頼だった⋮それ自体が報酬と思
えるほどの。
﹁ですから、私はむしろ嬉しいんです。こうして、私を頼りに来て
くれた、2人が﹂
そう言うと、後ろを向いて窓の方を見ながら、ヒントを口にする。
⋮こちらを見たままだと、流れ出した涙を見られそうで照れ臭かっ
たから。
﹁⋮本来なら、指揮役は、1人がみんなをまとめるほうが効率が良
いんです。
下手に意見が割れたら、戦場では命取りですから。
しかし、もしお互いがお互いを本当に理解しているなら、やりよ
うはあります﹂
ダグラスとクローディアは顔を見合わせる。
﹁お互いが⋮﹂
﹁お互いを⋮﹂
ユーミルの言葉に、一筋の光明を見えた⋮そんな気がする。
そして、それが確信に変わるのには、そう長い時間は掛からなかっ
た。
8
2人を中心に第4小隊の動きは代わった。
﹁ダグラス!右から︿蛸頭魔人﹀が2体、︿深海蒼鬼﹀の戦士が2
体⋮
奥に妖術師もいますわ!﹂
﹁おう!アイン!俺達で深海蒼鬼の戦士を仕留めるぞ!ツヴァルク!
蛸頭魔人を抑えててくれ!ドラクルとフォルスは妖術師を頼む!
お前らの魔法と弓ならいけるはずだ!﹂
クローディアからの情報を元にダグラスが指示を出す。
その分担が出来るようになってから、第4小隊は他の小隊から見ても
422
1歩突き抜けた戦術を見せるようになった。
﹁⋮まさか、本当にできるようになるとは﹂
既に他の小隊は撤退済み。
ただ1部隊残っていた第4小隊を見守りながら、ユーミルも驚いて
いた。
目の前で行われているのは戦闘ギルドでも屈指⋮
観測
役と
判断
役を分けることで、
ライバルである︿D.D.D.﹀が得意とする、戦場哨戒班の原形。
1つのPTの
より多くの情報を処理して的確な指示を出す。
2人の完全な連携が大前提となるそれは、
廃人でもごく限られた人間にしか出来ない、特別な技だ。
﹁これならば⋮﹂
このダンジョンはユーミルも攻略済みだ。
だからこそ、この先にあるものも知っている。
﹁なんだこれは⋮扉?﹂
先に進んだダグラスが、それを発見する。
﹁待ってください!﹂
開けようとした、ダグラスを止める。
﹁な、なんですの⋮﹂
扉の前に立つユーミルに尋ねる。
それにユーミルは真面目な顔で答えを返す。
﹁ここは、このダンジョンの最後の部屋。
すなわち⋮このダンジョンで最強の魔物がいる場所です﹂
小隊が全員、息を呑む気配が聞こえた。
﹁⋮奥にいるのは︿名状しがたき幼子﹀。パーティーランクLv5
5。
本体を仕留めない限り無限に再生する8本の触手と
猛毒の墨ブレスを持つ、強敵です﹂
正直、ユーミルであってもソロでは苦戦は必死⋮勝率2割を切る相
手。
423
平均Lv50代前半の小隊が死人を出さず勝てる確率は⋮通常では
限りなく低い。
﹁挑むのであれば、私も出来る限りの支援はします。触手を4本押
さえましょう。
⋮それでも死人が出る可能性は否定できません。
正直、ここまでたどり着ける小隊がいるとは思いませんでした。
⋮その上でお聞きします。挑みますか?﹂
そして6人はしばし見つめあい⋮心を一つにした。
9
﹁しっかし⋮2人きりってのも、3日も続くと慣れるな﹂
栗毛の愛馬に乗りながら、秘宝級防具︿魔海の鱗鎧﹀を纏ったダグ
ラスが、
クローディアに言う。
﹁⋮でも、いつも一緒で、私は嬉しいですわよ﹂
いつもの装備で白馬にまたがったクローディアが朗らかに言う。
﹁⋮ったく!蒸気船が馬乗せられねえとはな!﹂
顔を背け、耳を赤くしながらダグラスが毒づく。
﹁あら、ダグラスならそのくらい知ってて当然だと思ってましたけ
ど﹂
幼馴染のそんな態度が本当に愛しくて、からかいの言葉を口にする。
﹁⋮まあ、なんだ!もうすぐ着く!今日はゆっくり休めるぞ!﹂
それを誤魔化すように先のことを口にする。
﹁ええ見えてまいりましたわ⋮ユーミルさまのいるアキバが﹂
まだ遠くに霞む、その街を見つつ、クローディアも同意した。
上級騎士ダグラス=スチュワート,従軍司祭クローディア=L=ア
ルテリナ。
424
今回の戦術教練で最も優秀な
下った。
戦果
を挙げた2人に1つの命令が
アキバに赴任されたレイネシア姫を護衛する、最短で1年間の間の
護衛騎士の任を命ずる。
なお、両名はレイネシア姫より命令が下らぬ限りはアキバに滞在し、
研鑽に励むこと。
つまりはアキバへの留学任務。それを受けたのは4日前。
︱︱︱おめでとう!これからはいつも一緒だな、お前ら。
︱︱︱この任務が終わったら、お前ら結婚するんだろ?
︱︱︱バカ!それは言うな!それは不吉を招く言葉だと言うぞ!
︱︱︱うわあ⋮ま、あの化物相手に僕たちを導いて、
死者なしで勝った2人なら、大抵のものは乗り切れるさ。多
分。
第4小隊の面々は、笑顔で2人を送り出した。
︱︱︱2人とも、更に励むがよい。
これからの時代を担う、若き騎士として⋮若き、恋人たちと
してな。
︱︱︱お二人とも、頑張ってください!マイハマの平和は、僕等で
守りますから!
︱︱︱私たちの古い言葉に﹃夫婦こそ最も小さきの群れ﹄と言うも
425
のがあります。
お二人ならさぞかし強い群れとなるのでしょうね。
︱︱︱とりあえず、帰って来る頃には3人になってたりしてね⋮
あら、2人とも顔真っ赤にしちゃって、可愛い。
団長と、2人と同じく指揮役を任された同輩たちは、
からかい混じりで、だが温かく送り出した。
﹁とりあえず、今日はリバーサイドに泊まって、身を清めるか。
ユーミルさんと姫にご挨拶に伺うのは明日だな﹂
﹁ええ。ついでに傭兵組合に行って魔物狩りのお仕事も調べません
と﹂
そう、これは遊びではなく、武者修行。
1年後まで待っている騎士団の皆のために鍛え上げねばならない。
技量と、知識と、戦術を⋮2人で、手を取り合って。
﹁まあ、何はともあれ⋮﹂
﹁向かいましょう。アキバに⋮私たち、2人で﹂
そして2人は休むことなく馬を進める。明日に向かって。
マイハマの未来を背中に背負いながら。
426
第10話 従軍司祭のクローディア︵後書き︶
本日はここまで。
登場人物多すぎワロタ。
427
番外編2 古来種の××××︵前書き︶
伏字番外編シリーズ第2弾。
何しろタイトルの時点で大地人じゃねえと言う無法っぷり。
ある日突然この話だけ欠番してたらお察しください。
と言うわけでお送りするのはとある古来種の物語。
テーマは﹁ある意味ではヤマトならではの出来事﹂
それでは、どうぞ。
428
番外編2 古来種の××××
0
彼女がいつ生まれたのかは、彼女自身にも良く分からなかった。
大地人の両親から生まれたような気もするし、神代の頃から存在し
ていた気もする。
が集う騎士団。
だが、とにかく物心がついたときには、彼女は既に騎士団にいた。
特別な存在
イズモ騎士団。
彼女と同じ、
その中で彼女は育てられ、やがて一員と認められた。
騎士団に所属する騎士はみな、他には無い特別な存在だった。
みなが自分だけのクラスを持ち、みなが一様にあらゆる限界を越え
たLv100。
そしてみなが他には無い特殊な能力を有していた。
それは彼女も例外ではなく、彼女には彼女だけの能力が3つあった。
1つは、加護。
神に愛された彼女の肉体は、あらゆる悪しき力を受けつけず、
疲れも知らず、眠りも食事も必要としなかった。
もう1つは、転移。
彼女はヤマト中のあらゆるところに瞬時に移動できた。
429
そして、最後の1つ。彼女の最大の能力。それは⋮歌。
彼女は神代の昔の歌から、吟遊詩人に伝わる戦歌まで。
あらゆる歌を秘伝の精度で歌う事が出来た。
歌以外の、武器や魔法の扱いは一切身につけることが出来なかった
が、
それを補って余りある力だった。
そして、やがて正式に騎士団の一員となった彼女は、
騎士団の命を受けてヤマトの秩序を維持する旅に出た。
永遠の歌姫
自慢のエメラルド色の髪を二つに結わえ、彼女のためだけに用意さ
れた装束を纏って。
ヤマト中を放浪し、ヤマトを見守る
それが、イズモ騎士団にただ1人の︿電子歌姫﹀であった彼女が
100年前に与えられた任務だった。
﹃番外編2 古来種の××××﹄
1
∼♪
彼女はいつも歌いながら旅をしていた。
放浪しながら目にするヤマトの風景は美しく、
それを見ながら彼女はけして嗄れぬ歌声で歌い続けていた。
供も仲間もいない放浪の旅。
だが、彼女は1人になることはなかった。
430
﹁⋮ほんとだ。まんまだ。まんますぎる﹂
﹁マジでやっちゃったのか⋮フシミェ⋮﹂
﹁世界観とか、なぁ⋮まあ、フシミらしいっちゃらしいけど﹂
﹁最近流行ってたもんなぁ⋮あ、歌姫さん、一曲お願いします﹂
彼女の行く先には、いつも冒険者がいた。
気まぐれに、気の向くままに転移しても、いつも3日もすれば冒険
者に出会った。
そして一度見つかると、すぐにあちこちから冒険者がやってきて、
彼女の歌を聴きたがった。
∼♪
﹁やっぱこの曲だよな﹂
﹁有名だしな﹂
﹁俺も動画サイトで見た﹂
﹁へぇ⋮結構いいじゃん﹂
彼女はいつも、その求めに快く応じ、ヤマトの大地に彼女の歌声が
響き渡った。
2
﹁すみません。貴女様はもしや⋮永遠の歌姫では?﹂
まだ若い旅の吟遊詩人に頷きで答えながら、
珍しいこともあるものだと彼女は思った。
﹁おお!まさか出会える日が来るとは⋮
やはり旅に出て正解だった!﹂
そう、目の前の若い吟遊詩人は大地人なのだ。
431
古来種とは、大地人と生まれを共にしながらも、明らかに異質な存
在だ。
古来種は俗世⋮すなわち大地人の社会のことなど気にしないものだ
し、
大地人の方でも古来種は敬して遠ざけるもの。
両者はある意味では冒険者以上に遠い存在。
故に彼女を大地人が見かけても話しかけてくることは稀で、
大抵は彼女を見かけても話しかけてはこないし、
下手をすれば逃げる。
そういうものなのだ。
だからこそ珍しかった。
こうして大地人が話しかけてくることは。
﹁すみません。永遠の歌姫よ!
是非とも私めに一曲、貴女の歌をお聞かせ願います!﹂
とはいえ、歌を求められたらそれが冒険者でも大地人でも関係ない。
∼♪
﹁おお!これが永遠の歌姫の⋮なんと、素晴らしい⋮﹂
若い吟遊詩人の求めに応じて、彼女の歌声が遠い空まで響き渡った。
3
普段は放浪の旅をしている彼女だが、時折、イズモ騎士団の命を受
けることがあった。
大抵それは年単位の任務で、その間、彼女は旅をせず、一箇所に留
まり、歌を歌った。
432
比較的最近の任務は3年ほど続いた任務で、
イズモにある冥府へと通じる坂を封じる岩の前で歌い続けるものだ
った。
﹁おう、ここだここ!﹂
﹁ようやく辿りついたっすね﹂
﹁亡霊の村でちと手間取ったからな。第3シナリオも嫌がらせみた
いな難易度だったし﹂
﹁やっぱ造詣良いよなあ⋮二次元マジ至高の存在﹂
﹁この場合一応三次元じゃね?﹂
﹁ほら、団長、さっさと行こうぜ!
あたしの炎で︿黄泉醜女﹀ごとき焼き払ってやるぜ!﹂
90人の大所帯を引き連れた大部隊。
その先頭に立つ男が、紋章の刻まれたペンダントを掲げる。
﹁ほらよ!︿冥府探索許可証﹀だ!さっさと通せ!﹂
掲げられた紋章が本物⋮イズモ騎士団が試練を乗り越えた真の強者
にのみ
与えるものであることを確認し、彼女は歌う。
∼♪
歌の魔力により岩が動き、冥府へと繋がる暗い暗い闇に覆われた坂
が広がる。
漏れ出す瘴気は並の大地人ならば即気絶⋮否、死んでもおかしくな
いほど。
ばか
﹁よっしゃ!野郎ども!気合入れろ!
︿D.D.D.﹀なんぞに負けてる場合じゃねえ!﹂
433
その瘴気をものともせず、彼らは冥府の坂を転がり落ちるように駆
け込んでいく。
96人の大軍勢で。
彼らが黄泉の住人⋮Lv90もの力を持つ怪物の群れに襲われるの
を見ながら、
再び冥府への坂を封印する。
こうなると、もはや出る方法はただ一つ。
全ての死者の力を減ずる、冥府の女王の魔除けを盗んでくるだけ。
正直あの冒険者の軍勢であっても8割がた失敗し、全滅するであろ
う絶望的な任務。
だが、そんなこと、彼女はまったく気にしなかった。
なぜなら僅か3日後。
﹁案の定1発目は全滅だったね﹂
﹁まあな。結局1発目で突破したのは最初だけだったな﹂
﹁アイギアで2回,砂漠のピラミッドでも2回⋮まあまあだよな﹂
﹁まあまあじゃダメだろ。凶皇は1回ぽっきりで倒されたら
2度と出ねえって話だからな﹂
﹁つまり1位じゃねえと意味がねえつうわけだ、頼りにしてるぜ百
人斬り!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁へえ。意外だね、あんたもコイツの歌、聞いたことがある⋮って
小学生の頃!?﹂
﹁お前リアル年齢幾つだよって話だな。姉御なんて今年で⋮うおお
!?あっちー!?﹂
﹁レディの年ばらそうとするとか何考えてんだお前﹂
434
そう、彼らは戻ってくる。全滅しても大神殿で復活して。
それから、その黒い鎧の男に率いられた一団は2度やってきて、
3度目で魔除けを手に入れたのか姿を見せなくなった。
﹁ふう、やっとついた。僕らは何番目なんだろうねナズナ?
あ、歌姫さん、通行証です﹂
と言っても別の冒険者の軍勢がすぐに幾らでもやってきたのだが。
結局その任務は3年後、フォーランドに居た凶皇と呼ばれた
アルヴの死霊王が倒されるまで続き、ヤマトに平和が戻るのを確認
して、
彼女は再び旅立った。
4
またあるとき、彼女は気まぐれで一つの場所にとどまった。
それは、大地人どころか冒険者でも入るのが難しい、霊峰の頂だっ
たが、
どんな魔物にも傷つけられることのない彼女には、関係なかった。
その場所は、夜になると満天の星空が広がる場所で、
それを見ていたら1つの歌を思いついたので、それを歌っていた。
∼♪
彼女が生み出した、新たな歌。
古来種たる彼女が産んだそれは吟遊詩人が歌えば極めて強力な戦歌
になった。
無論求められればそれを教えるのを惜しむつもりは無いが、
余りに星空が見事だったので、しばらくはその空を眺めていたい、
435
そう考え、彼女はずっと霊峰の頂にいた。
それに⋮
﹁イエー!踏破成功だぜ!﹂
﹁ったく、幾ら追加の特殊スキルのためとはいえ、ダンジョン突破
して
ここまで来いってのも嫌がらせみたいなもんよね﹂
﹁ま、たまにはこういうのも良いもんさ。
アタシも一応はエアロと同じ音楽系だしね。吟遊じゃなくて施療
神官だけど﹂
﹁すみません。ミフネにベイダー、それにリプリーさんや
ウーピーさんまで付き合って貰っちゃって﹂
﹁気にするなよ、リーダー!世の中ギブアンドテイク。
前に刀買う金稼ぐの手伝ってもらったんだから、これくらい当た
り前だ﹂
﹁うむ。セガールがいなくては私とてあのゴーレムを倒して
フォースの導きを得られなかっただろう。その点では感謝してい
る。
それにエアロも我らの同志。ならば手伝うのが筋だろう﹂
﹁みんな本当にあんがとな。さてと⋮歌姫さん、
俺に︿星雲のガンパレードマーチ﹀を教えてくれ!頼む!﹂
こうして5日に一度位は危険な道を乗り越えて冒険者の吟遊詩人が
歌を習いにやってくる。
もちろん、求められれば断りはしない。
早速新たに作った歌を教えるために、それを歌う。
∼♪
﹁⋮噂には聞いてたけど、まんまアレの歌よね。3分間限定な感じ
436
の﹂
﹁あ、僕も小さい頃見てましたよ。確か⋮タイガーとダイヤ⋮だっ
たかな?﹂
﹁え?今そんな名前なの?アタシが知ってるのと全然違うわ﹂
﹁私も大概だけど、ウーピーも元ネタが古いもんね﹂
﹁ほっとけ!お互い年の話はしたくない年頃でしょ!?この4は認
めない派が!﹂
﹁ステイツでは余り聞かないな。やっぱステイツではマーヴルかレ
ンジャーだよ﹂
﹁私はもちろん宇宙刑事派だ⋮そう言えば随分前に映画にもなった
な﹂
﹁ああ、日本のレンジャーと宇宙刑事が戦う奴だろ?﹂
歌を覚えるために必死となってる吟遊詩人以外は、色々と話しなが
らだったが、
それでも歌を歌うのは楽しく、気にならなかった。
﹁イエー!習得完了!﹂
﹁あ、そうだ。折角だから色んな歌聞かせて貰わない?﹂
﹁え、そんなことできんの?﹂
﹁ああ、できますよ。大抵の歌は歌えるらしいですから﹂
﹁そうか、ではまずは私のテーマを⋮﹂
﹁いや、アレ歌詞無いから﹂
大抵の冒険者は歌を覚えるとさっさと立ち去るのだが、
彼らはそれからもしばらく残り、彼女に色々な歌をせがんだ。
∼♪
その頼みに彼女は快く応じ、星空の下、歌声が響き渡った。
437
5
そんな彼女にも等しくそれは降りかかった。
︱︱︱二度と、イズモ騎士団には戻ってきてはならない。
突如、彼女に伝えられた指令。
その言葉を最後にイズモ騎士団からの連絡が途絶えた。
大災害の、始まりだった。
何かあったのだろうか。
だが、命令を無視するわけにもいかない。
そして彼女は旅を続けた、100年間続けてきたように⋮だが。
∼♪
最初の1ヶ月は何も変わらなかった。
彼女はいつものように歌を歌い、それは誰に聞かれることも無く
空と大地に吸い込まれていった。
⋮♪
2ヶ月目、徐々に変化が現れた。
彼女の歌は途切れ始め、景色を見ようとしなくなっていった。
⋮⋮
そして3ヶ月目。彼女は歌うのを、やめた。
気づいてしまったのだ。100年間気づかなかった真実に、この3
438
ヶ月で。
⋮彼女は、歌うのが好きなのではない。
﹃誰かに、歌を聞いてもらうこと﹄が、好きだったのだ。
そして、冒険者が彼女の前に現れ無くなって3ヶ月。
誰も聞くもののいない歌は、余りにも虚しい。
そう気づいたら、幾らでも歌えたはずの衰えを知らぬ喉が、
さえずるのをやめてしまった。
あれだけ楽しかった放浪の旅が、色あせて見えた。
かくて騎士団にも帰れない彼女は、ただ歩くようになった。
それは旅ではなく、ただの徘徊だった。
6
彼女の徘徊が始まって1ヶ月ほどたった頃。
﹁うわ!?﹂
彼女は、冒険者に出会った。
黒髪の青年で、格闘家。
どこかで昔あったような気もする。
﹁⋮え?もしかして、永遠の歌姫?﹂
じっくりと眺めるまで、青年は気づかなかったらしい。
無理も無い話だった。
歌うのをやめた彼女は、彷徨う亡者に等しい存在だった。
﹁えっと、歌わないんですか?﹂
439
そう、青年に言われ、歌おうとする。
⋮⋮
歌が、出てこなかった。
たった一ヶ月歌わなかっただけで喉が錆付いた。
それに更なる絶望を感じ、彼女は泣き出した。
﹁えうわ!?な、なんで⋮あ、そうか﹂
歌姫さん、一曲お願いします
泣き出した彼女に、青年は思い出した。
彼女に歌を頼むときの作法を。
﹁これ、言わないとですよね⋮
∼♪!
再び、彼女の喉から歌があふれ出した。
久しぶりの、歌⋮誰かに聞いてもらう、歌。
それが嬉しくて、彼女は泣きながら歌った、大きな声で。
泣きながら歌ったのなんて初めてだったせいだろうか。
しばし歌った後⋮
﹂
﹁⋮うわ!?しまった、すみません!歌姫さん、お鍋が焦げちゃう
んでこれで!﹂
青年が立ち去ろうとしたとき、彼女はとっさに青年の服の袖を掴ん
だ。
彼女は恐れた。
もし、このまま去られてしまったら、また⋮
440
⋮⋮
青年と彼女はしばしみつめあう。そして。
﹁⋮そうだ。もしよければ、一緒に来ませんか。
みんな、歌を聞きたがると思うんです﹂
彼女は旅に出て初めて、冒険者の誘いに乗って一緒に向かった。
7
﹁⋮え、永遠の歌姫っすか!?この人が!?﹂
大地人の吟遊詩人が目を見開いて、彼女を指差して、言った。
青年に誘われ、訪れた先にいたのは、6人の冒険者と、1人の大地
人。
彼らは、彼女を温かく迎え入れた。
﹁そうそう、懐かしいなあ。歌習いに行ったんだよな!フジの山頂
まで!﹂
﹁ああ、アレは大変だった⋮結局あのテーマはハミングだったんだ
よなあ﹂
﹁懐かしいわねぇ⋮ちょうど、あのときと同じメンバーの時に会う
なんて﹂
﹁神様の采配ってやつかもね﹂
﹁ヤマト中のどこかにいるとしか分からないから、
攻略サイトも目撃情報もなしで会うのは天文学的な難易度だろう
しな﹂
﹁師匠が大昔に会ったっての嘘じゃなかったんだとか、
つーかフジの山頂踏破とか何やってんだとか、
色々突っ込みたい所はあるけど、もういいっす﹂
441
大地人の吟遊詩人が諦めるように言う。
それから。
彼女は一晩中彼らに付き合い、歌い続けた。
3ヶ月分の孤独を癒すように。
そして翌朝。
﹁僕たちはまた旅立たなきゃ行けないんですけど⋮
もし良かったら、アキバに遊びに来てください。
丁度来月、大きなお祭りがあって、そこでは音楽のお祭りもやる
らしいですから﹂
そんな言葉を残して彼女と彼らは別れた。
∼♪
自然とまた彼女は歌いだしていて、旅を続けられるようになった。
8
1ヵ月後。
彼女は初めて、騎士団の指示でもただの気まぐれでもなく目的地を
定め、
そこへと転移し⋮戸惑った。
立ったのは、煌びやかな精霊が産む光が舞う舞台。
目の前にいるのは数千もの大観衆。
442
そこにはあらゆる種族が、冒険者も大地人も関係なく存在し、
一様に驚いた顔をして彼女を見つめている。
﹁︱︱︱おおっと!天は我らを見放して無かった!﹂
それで生まれた沈黙を大きな声が破った。
金色に輝く怪しい衣装を纏った男が、言葉を紡ぐ。
﹁冒険者部門はゆみるちゃんなのに大地人部門はジジイかよ!?
そんな声に答え、大地人最強の歌姫が大☆乱☆入!
そう、皆様ご存知、永遠の歌姫の登場だ!﹂
その言葉に対する反応は2種類。
冒険者は大いに盛り上がり、大地人は困惑する。
﹁さあ!まずは一曲歌っていただきましょう!
曲はもちろん、彼女の持ち歌No1人気のあの曲!
それでは⋮一曲お願いします!﹂
∼♪!
歌が、飛び出した!
その歌に、皆が大いに湧き、一様に歓声を上げる。
その様子に彼女は思う、今、このときこそ、生まれて一番嬉しいと
きだと。
⋮ほんの数十秒間だけ。
∼♪
∼♪!?
443
音が、重ねられる。
素晴らしいリュートの音色が、歌を彩る。
思わず歌いながら、そちらを見る。
リュートを演奏する、老いた吟遊詩人を。
吟遊詩人は、笑顔で頷きながら、言う。
﹁覚えておいででしょうか。貴女に歌をせがんだ、身の程知らずの
吟遊詩人を。
あれから、またいつお会いできても良いよう、修練を重ねました。
⋮60年も掛かるとは思いませんでしたがの﹂
∼♪
∼♪!!??
∼♪
歌が、重ねられる。
綺麗な歌声が重なり合い、更に美しく響く。
思わず歌いながら、そちらを見る。
きらびやかな衣装に身を包んだ、冒険者の少女を。
少女は、間奏に入ったその隙に、小さな声で彼女に言う。
﹁お久しぶりです⋮って分からないですよね。
子供の頃、貴女の歌はよく聞いていました。
まさかこうして、一緒に歌える日が来るとは思いませんでしたけ
ど﹂
そう、今こそが夢の一夜。
彼女は幸せの絶頂にいた。
444
⋮まるで、とけてしまいそうなほど、素晴らしい時間だった。
9
∼♪
そして彼女は再び旅立った。
音楽フェスティバルの優勝商品の中からただ1つ、
真新しいリボンだけを受け取って。
∼♪
彼女は歌う。あの素晴らしい時間を思い出しながら。
∼♪
来年、またこの音楽フェスティバルで会おう。
そんな、わくわくするような約束を胸に抱えて。
445
番外編2 古来種の××××︵後書き︶
本日はここまで、何故に伏字なのかは、お察しください。
ちなみに大災害の発生は2018年5月であると考えています。
よって彼らの様々な基準もその辺りに焦点があっています。
446
第11話 移民のホーク︵前書き︶
今回はアキバの街が舞台です。
今回のテーマは﹁移民の生活﹂
アキバの新たな住人たちにスポットを当てています。
447
第11話 移民のホーク
0
アキバにはごまんとある、廃墟と化した建物の一室。
そこに置かれた大き目のベッドの上で、くすんだ金色の髪と尻尾を
持つ
狐尾族の青年、ホークが辺りに漂う良い匂いに目を覚ましたのは、
夜明け前のまだ暗い時間だった。
﹁あ、アンちゃん、おはよ﹂
ホークが起き出すと同時に、部屋の隅に置いた料理用のストーブの
前に
陣取った、綺麗な金髪と同色の尻尾をもつ妹、ツバメが笑顔で振り
向き、言う。
﹁おはよう⋮今日は朝の当番か?﹂
確か一昨日も夜明け前に朝メシを食べたことを思い出しながら、ツ
バメにたずねる。
﹁うん。もう少ししたら朝の仕込みに行かなきゃいけないから、そ
の前にね﹂
その言葉にツバメが返事を返しながら、
牛乳と卵で溶いた種を熱したフライパンに流し込む。
じゅう、と音を立てて甘い匂いがあたりに広がった。
﹁そっか⋮今日の朝メシは?﹂
その匂いにおそらくは店で分けてもらった高価な砂糖まで
入れてるなこりゃと思いながら、献立をたずねる。
﹁えっとね。この前アンちゃんがもらってきたカエル肉入れたスー
プと、パンケーキ﹂
そう言いながらストーブから下ろされ、湯気を立てている大なべを
448
指さす。
その献立は去年までだったらとてつもないご馳走だった。
⋮もっとも、その頃だったらそもそも味は変わらないのだが。
﹁お。豪勢だな⋮前は麦粥しか作らなかったのに﹂
﹁だね。麦粥ばっかり食べてたころがちょっと懐かしいよ﹂
ホークの言葉にツバメは遠い眼をする。
あの、塩の味がかすかにするだけの、
手料理と呼ぶにはさびしすぎる味のどろどろの粥。
アキバに着たばかりの頃はその味に一切の疑問を感じなかったが、
アキバに住み着きはや3ヶ月、天秤祭りの一件もあった今となって
は、
その食生活に戻れる気がしない。
﹁さ、できたよ﹂
そう言いながら粗末な木の器にスープを入れ、
何枚かのパンケーキを盛った木の大皿を、
小さなテーブルの上におく。
﹁よし、食うか﹂
テーブルにつき、匙を取ってスープに手をかける。
﹁あ、そうだ。朝になったらお隣りさんに大なべ、届けてくれる?
あと、パンケーキも﹂
ツバメも同じく席につきながら、兄に届け物を頼む。
﹁ああ、わかった。いつものな﹂
妹の頼みに頷く。
住人
ついこの前︿料理人﹀の技量がLv20を越えたツバメの手料理は、
アキバの基準でもかなりうまい。
その腕前を利用して、兄妹は朝メシを多めにつくり、近くの
に売っている。
ちょっとした副業だが、それでも材料を貰ってくることが多くて全
体的に食費が
安く上がる兄妹にとっては、馬鹿にならないほどの収入を生んでい
449
た。
﹁うん⋮あ、それとお昼はサンドイッチをアンちゃんの分も作って
おいたから、
持ってって﹂
﹁おう。ありがとな﹂
そんないつもの会話をしながら、2人は早速食べ始める。
明かりをつけない、真っ暗な中での食事。
幼い頃から訓練を積んでいて、夜闇でも表情を判別できるほど
夜目の利く2人ならでは光景だった。
﹃第11話 移民のホーク﹄
1
妹が出てってからおよそ一刻ほど経った頃。
にわかに隣りが騒がしくなる。
﹁っと。そろそろか﹂
商売道具をメンテナンスしつつ、朝の鍛錬をしていたホークはその
気配に気づき、
冷めてしまったスープが入った、片手にバケツに近い形をした大な
べの取っ手を、
もう片方の手に冷めたパンケーキを入れた籠を抱え、部屋を出る。
﹁すいませーん!リザさん!朝メシもって来ました!﹂
そして歩くこと、10歩。
となりの3部屋を占拠しているドワーフ一家に声をかける。
﹁あら!ホークさん!早速持ってきてくれたのね!﹂
ホークの腰辺りまでしかない、食べ盛りの子供を6人も抱えた大工
の一家の母親が、
助かったとばかりに大なべを受け取る。
﹁いつも助かるわあ。はいこれ、5枚金貨ね!﹂
450
﹁いえ。俺と妹だけだと材料が余ってしまうので、こっちも助かっ
てます。
あ、あとこれ。ツバメが持ってけって。冷めちゃってて悪いんで
すけど﹂
くすんだ5枚金貨を受け取りながら、ホークはパンケーキを入れた
籠を渡す。
﹁あら!?いいの!?ほんと、悪いわねぇ⋮
これ、うちの子たちが大好物なのよねぇ﹂
それをしっかり受け取りながら、リザはホークたちの部屋にあるも
のより
だいぶ背丈の低いストーブの上に鍋を置き、ストーブに火種と薪を
放り込んで
スープを温めなおす。
﹁母ちゃん!腹減った!﹂
﹁メシまだ!?﹂
﹁あ!パンケーキだ!ツバメ姉ちゃんのパンケーキがあるぞ!﹂
﹁やったあ!あたしこれ甘くて大好き!﹂
﹁あたしこのおっきいの!﹂
﹁こらこら。こういうのは父ちゃんがちゃんと公平にだな⋮﹂
﹁あ、ずっけえ!?父ちゃんが一番でっけえの取った!?﹂
リザがスープを温めだすと、その匂いをかぎつけて
ドワーフ一家が食卓に集まってくる。
﹁こら!あんたらメシの前にちゃんと下の井戸まで行って手と顔を
洗ってきな!
冒険者様も言ってるだろ!綺麗にしてないと病気になるって!﹂
がやがやと騒ぎ出す6人の子供と1人の親父にスープをかき混ぜな
がら
一家の肝っ玉母ちゃんが怒鳴る。
451
﹁じゃ、俺はこれで﹂
﹁ああ!あんがとね!鍋は洗って部屋に持って行っておくから!﹂
ここからは家族の団欒の時間。
それを早くに親を亡くしたホークは少しうらやましく思いながら、
挨拶をして部屋に戻る。
部屋を出ると、他の住人たちもそれぞれに起き出したらしく、
あちこちから朝のあわただしい音が聞こえ、
廃墟の窓中からストーブの煙が出て、空に昇っていく。
購入
せずに占拠することでここの住人⋮
比較的良い状態で残った、アキバの廃墟。
そこを
アキバの移民たちは住居としていた。
この廃墟には現在およそ50人ほどの移民が住み着いている。
一番大きいのはリザたちの一家8人家族。
他にも1人暮らしから3世代同居家族まで
様々な移民が部屋を占拠して住み着いている。
種族も狐尾から人間族までが同じ屋根の下で暮らしている、混沌と
した場所だ。
その生活の営みの音に耳を揺らしながら、ホークは出かける準備を
する。
カエル狩り
の依頼が出ているだろうから、
﹁さてと⋮俺も仕事に行くか﹂
今日は多分
それを受けようと思いながら。
2
アキバの外れ。
アメヤ街道のすぐそばにその建物はあった。
452
アキバ傭兵ギルド
冒険者の習慣に習い、ギルドと名乗るこの組合は
アキバの大地人傭兵たちの本拠地である。
﹁おはよう!なんかいい依頼ない?﹂
﹁お前か⋮そうだな。これなんかどうだい?ツクバまでの魔術師の
護衛。
アキバで買った技術書の輸送も兼ねてるし、本人もLv34の妖
術師らしいぜ﹂
﹁念願の、氷蛇の剣を手に入れたぞ!﹂
﹁おま⋮ついに買ったのか。金貨2,000枚もする魔物武器を。
⋮ったく、この前まで剣なんて切れればそれでよしっつってた奴
とは思えんな﹂
オーバーキル
﹁戦いは効率重視ですの!惨殺なんて
ダメージの調整もできない素人の技!
そう、ユーミルさまも仰ってましたもの!﹂
﹁そんなことありません!戦いはスピード重視!
とにかく殺られる前に殺るのが基本です!
その結果多少殺りすぎても問題なし!それが私とキリヤさんのス
タイルです!﹂
﹁お前ら2人とも⋮こんなところで喧嘩するなよ⋮﹂
﹁お願いします!村を⋮救ってください!﹂
﹁まかしときな!うちの傭兵は精鋭揃いだ!
依頼料は高いが、その分の仕事は保障するぜ!﹂
﹁いやー、ラグランダは強敵だったね!﹂
453
﹁だね。またLvも上がったし。今日はカエル狩りかな。実入りが
良いって聞くし﹂
﹁ほっほっほ⋮ムサシ卿。実はひとつ面白い話があるんじゃが、聞
くかの?﹂
﹁面白い話。うむ、聞こう。イースタル1の情報屋と言われた貴殿
ならば、
本当に面白い話であろうしな⋮無論、金になる話であろうな?﹂
﹁それはもう。うまく行けば斬鋼刀をもう1本買ってお釣りが来ま
すわい﹂
冬場、日の上りが遅いせいか、朝だと言うのに既に組合は活気に満
ち溢れていた。
ホークも早速顔見知りの狐尾の移民がやっている受付に行き、尋ね
る。
﹁おい、クレッセ。依頼を受けたいんだが⋮カエル狩りはあるか?﹂
その言葉に黒髪の狐尾族の少女が目を上げ、言う。
﹁カエル狩りね。出てるよ。依頼主はアメヤのミドリ⋮いつもの奴
だね﹂
﹁そうか。じゃあそいつを受ける。処理を頼む﹂
﹁了解﹂
2人⋮妹のツバメも入れれば3人は3ヶ月の付き合いになる顔馴染
みだ。
互いに手馴れたもので依頼を黙々と処理する。
﹁⋮処理は終わったよ。集合は建屋の表に30分後。
狩りの場所はシノバズ沼で報酬はいつも通りね﹂
依頼に登録を終え、クレッセがホークに必要な分だけの依頼の情報
を伝える。
﹁分かった⋮今度の休みにでも遊びに来いよ。ツバメも会いたがっ
454
てた﹂
それに頷きながら、クレッセに言う。
﹁会いたがってたって⋮ああ、傭兵は廃業したんだっけ?
下手したらアンタより強くなりそうだったあの娘がねえ。
人生分からないもんだ⋮ま、考えとくよ﹂
そうなった経緯を思い出し、苦笑しながら、返事を返す。
﹁ああ、頼む﹂
承諾と受け取り、ホークは頷いて依頼の集合場所へと向かう。
カエル狩りはホークにとっては実入りの良い依頼だ。
これが終わったら少し休むのもありかなどと考えながら。
3
ウエノ盗賊城跡に程近い、シノバズ沼。
そこではいつものようにカエル狩りのために集まった一団がいた。
﹁それでは∼、カエル狩りを始めます∼。やることはいつも通り。
森呪遣いの︿泣き茸の絶叫﹀で動けなくなったカエルを∼、
さくっと殺っちゃってください。
元気なのに手を出すと危険だから気をつけて∼、毒はないけど、
蹴られたら骨の1、2本はぽっきり逝っちゃうよ∼。
死んだら一応蘇生は試すけど、駄目だったら恨まないでください
ね∼﹂
今回の狩りの代表である、アメヤ村の狼牙族の女が大きな声でいつ
もの説明をする。
カエル狩り。
1匹辺り金貨20枚が支払われる歩合制であるこの仕事は、
怪我をしたら治してもらえるなど、全体的に待遇が良く、
リスクが少ないため大地人の傭兵や魔物狩りに人気のある依頼であ
る。
455
﹁じゃ、はじめま∼す!みんな、お願いね﹂
﹁﹁﹁﹁﹁はい!﹂﹂﹂﹂﹂
代表の女に頼まれて、若い狼牙族の女たちが一斉に︿泣き茸の絶叫
﹀を展開する。
キャアアアアアアアアアアアア!!!!
早速あちこちで絶叫が響き渡るのを聞きながら、傭兵や魔物狩りが
動き出す。
︵よし⋮まずはコイツだな︶
ホークも早速とばかりに駆け出し、絶叫の効果で
動けなくなっているカエルの前に立つ。
体長1mを越える、大人の豚ほどもある大きなカエル。
それが麻痺状態のためギョロリと目だけ動かしてホークをにらんだ。
ロードフロッグ
︿君主蛙﹀はその巨体を跳び上がらせることができる強靭な足と、
棍棒のように太く、鞭のようにしなる舌、そして伸縮性に富み、
なまくらな剣では傷ひとつつかない丈夫な革を持つ、
文字通りの意味でモンスターである。
LvはおよそLv26∼28。
ともすれば訓練を受けて武装した正騎士ですら屠るそれの前に立ち
ながら、
ホークは手にした商売道具である棒手裏剣を手に精神を集中する。
暗殺者
の
必要なのは急所を見極める観察力と、そこを正確に貫く精密性。
﹁⋮食らえ。︿デッドリーピアス﹀!﹂
厳しい訓練で身に着けたそれを生かしながら、
ホークは装甲の隙間を貫く﹃騎士殺し﹄の異名を持つ
456
技を放つ。
正確無比な投擲。それはカエルの目を貫き、脳に達する。
ゲェェェェェ⋮
呻く様な声を上げて、カエルが絶命する。
﹁⋮よし、まずは一匹⋮いや二匹!﹂
それと同時に素早く元気なカエルの後ろに回りこみ、
暗殺者の最大の大技︿アサシネイト﹀で仕留める。
﹁よし、もって行くか﹂
2匹とも完全に絶命していることを確認し、ホークは合計で50k
gほどある
それを抱えあげた。
狐尾族最大の集落だったアイギアがウェストランデに反乱を起こし、
冒険者の手で滅亡してから20余年。
かつては村全体で教え込んでいた狐尾の﹃忍び﹄の技はホークやツ
バメのように
親から細々と受け継ぐものとなっていた。
それでも元上忍の家系の出である2人の技量は若手ながら間違いな
く一流であり、
彼と妹が生きていくのに必要な糧を得る役に立っていた。
4
﹁おっ、流石はホーク。2匹同時か。やるな。俺の若い頃を思い出
すぜ﹂
カエルを運び出すための荷車の前で、検分役と解体役を任されている
壮年の狼牙族武士、ガイがにやりと笑う。
﹁ほらよ。検分札。無くすなよ﹂
457
後で換金に使う木の札を2枚貰い懐にしまいこむ。
﹁お∼い、おっちゃん。仕留めてきた。検分お願い﹂
﹁っていうか僕だけに運ばせるってどうよ?
⋮あ、こっちが僕で、こっちがアヤメの分です﹂
その直後、狼牙族の若者たちがカエルを二匹、運んでくる。
その様子に、ガイが少しだけ顔をしかめて言う。
﹁おいおい。1匹ずつかよ。お前らあのタロジロどものガキだろ?
情けねえ﹂
﹁え∼、そりゃ気合入れれば5,6匹は狩れるけどさ、
運ぶとなると重いんだもんこいつら﹂
そう言って口を尖らせるのは、アヤメと呼ばれている女のほう。
︵⋮なるほど、言うだけはありそうだ︶
彼らが運んできた死体を見て、この2人が相応の実力者であること
を確認する。
運んできた死体は2つ。
1つは内部から内臓を完全に破壊された死体。
もう1つは恐ろしく鋭い刃物でのど笛を掻っ切られた死体。
どちらの死体にも相応の実力者が戦った痕跡が残っている。
恐らくこの2人は、自分と同等の実力があるだろうと見る。
﹁重いっつっても、これくらい、2人でやりゃあ5匹や6匹は担げ
るだろうよ。
ったく最近の若い奴ぁ⋮﹂
ぶつぶつ言いながら腰の小太刀を抜き、
カエルの革を剥いで、肉のたっぷりとついた腿を切り落とす。
普通にドロップ化するのを待つより、自分から解体した方が多くの
ものを得られる。
冒険者から学んだ、知恵であった。
﹁にしてもさー。カエルの革ばっかこんなに集めてどうすんの?﹂
なんとなく、横目で解体しているのを見ながら、アヤメがたずねる。
458
﹁しらねえのか?この革、アキバじゃあ滅茶苦茶良く使われてんぞ
?﹂
2匹目の解体に取り掛かりながら、ガイがさらりと言う。
﹁え?そうなん?双頭犬の2人が言うには、魔物武器としては
鞭が作れるくらいであまり良いもんじゃないって聞いたけど⋮﹂
﹁ちげえよ。武器に使うってんじゃない﹂
魔物から得られる素材の使い道は武器・防具だけじゃない。
それが分かってねえなと笑いながら、ガイは正解を言う。
﹁こいつはな、車輪に使うんだよ﹂
﹁車輪って、あの馬車とかについてる、車輪?﹂
タイヤ
っつう冒険者の発明品が
その答えに首をかしげながら、アヤメがたずねる。
﹁おうよ。こいつの革からはな
できる。
そいつをはめて作った車輪は木や鉄だけの車輪たあ揺れ方が違う
ってんで、
お貴族様や商人たちから引っ張りだこなんだよ﹂
そして、そのアヤメにガイは簡単に説明をした。
馬車や荷車が陸送の中心であるヤマトでは、
車輪は武器や防具とは比べ物にならないほどの需要がある。
ゆえに、揺れ方が段違いに少なく、さらに丈夫なモンスターの革を
使っているので
耐久性も段違いな﹃タイヤ付の車輪﹄は、多くの商人や貴族、
そして彼らから注文を受けて馬車や荷車を作る職人が求める、
アキバの主要な輸出品の1つとなっていた。
﹁へぇ⋮なるほど、車輪ねえ⋮﹂
﹁本当に色んな使い道があるんだな⋮﹂
﹁おっしゃ、行って来い。まだまだ日が暮れるにははええぞ﹂
冒険者の知恵にしきりと関心する2人に、ガイが促す。
459
︵⋮っと、俺もだな︶
その言葉に思わず話を聞きいってしまったホークもあわてて動き出
す。
今日の目標はとりあえず20匹だな、などと思いながら。
5
日暮れ。
﹁は∼い、今日はここまでにしま∼す﹂
暗くなる前に戻れるであろう時間を見極めて、狼牙の女が終了を告
げる。
﹁じゃあ、運ぶのお願いね∼﹂
用意した荷馬車は2台。
1台にカエルの革、もう1台にカエルの腿肉を満載している。
﹁とりあえず、20匹以上仕留めた人には腿肉を1つずつ進呈で∼﹂
﹁はい!﹂
帰る道すがら、代表の女が近くにいた狼牙の娘に告げる。
少し嬉しい、ボーナス。
無事目標を達成したホークもまた、貰う対象に含まれている。
君主蛙の腿肉は、アキバでは割と一般的な食材であり、
重さ5kgほどあるそれは1本で金貨20枚ほどする。
味は鶏肉に近いが、脂身がなくさっぱりしている。
燻製にすると結構いけるのだが、冒険者にはカエル肉はちょっと⋮
というものが多いため、消費の中心は大地人であり、
カエル狩りで多く手に入ることもあって、
貧しい移民の間では最近は肉と言ったらこれである。
︵それでも肉が食えるだけマシというのが、一般的な移民の意見だ
460
ったりする︶
︵さて⋮また貰ったが⋮︶
ちらりと横目で見れば、あの狼牙族の2人も貰っており、少し困っ
ていた。
それはホークも同じだった。
この前貰った分はツバメの手で燻製にされ、まだ半分以上を残して
台所に吊り下がっている。
︵これ以上はあっても困るな⋮今日は肉屋に売るか⋮︶
廃墟の近くに確か肉屋をやっている人間族の移民一家がいたことを
思い出し、
それに売り渡すことにした。
そして、カエルの腿を1本抱え、肉屋に寄って家路へとつく。
ちなみに途中で寄った肉屋では。
﹁ほう!君主蛙の腿肉⋮へぇ、こりゃあよく締まったいい肉だ!
こいつを燻製にして酒場にでも売れば80枚は行くな!﹂
ホークに渡されたのは特に質の良い肉だったらしく、金貨30枚で
売れた。
計570枚。1日の収入としては破格の稼ぎだった。
6
﹁ただいま∼﹂
夜になり、しばらくすると、妹が帰ってきた。
甘い匂いを漂わせ、手を後ろにまわして。
﹁お帰り。仕事、どうだった?﹂
﹁うん、ばっちりだったよ!一日中お客さんも多かったし!﹂
いつもの質問にいつもの回答。
だが、妹の満面の笑みがついてくるなら、良いのだろう。
﹁それにね⋮今日はねぇ⋮じゃーん!﹂
461
後ろに隠していたものを取り出す。
紙で作った箱。中からは甘い匂いが漂う。
﹁店長がね、今日は頑張ったからアンちゃんと一緒に食べてって、
なまもの
だから早く食べてって言ってたし、早速食べよう!﹂
レアチーズとモンブランを1つずつくれたの!
よく見ると尻尾が狼牙族のごとく上下に揺れていることにホークは
苦笑する。
志望としては問題ないの
﹁おいおい。そんなに楽しみだったのか⋮そのケーキが﹂
ぱてしえ
正直忍びとしては失格だが、妹として、
お菓子専門の料理人だという
だろう。
ツバメは、冒険者の店で、給仕兼作り手をやっている。
店の名は⋮︿ダンステリア﹀
最も難しい手料理と噂される高難易度料理、
ケーキを売ることを専門とした店である。
﹁ああ、早くあたしも作れるようになりたいなあ⋮ケーキ﹂
箱から取り出したモンブラン︵兄に選択権はなかった︶を眺めなが
ら、
うっとりと言う。
それは熱病のごとく彼女の色々を変えていた。
ホークとツバメがこのケーキに出会ったのは、天秤祭のときである。
いや、それまでにも見かけてはいた。
だが、ナインテイル産の砂糖を初めとした数々の高級食材を必要と
する
ケーキは移民の兄妹の手に出る値段ではなく、たまに冒険者や
大地人の貴族が食べているのを見かけるだけだった。
462
だが、天秤祭のとき、ダンステリアはとある企画を行った。
2人で8つ以上食べることと言う条件付だが無料でケーキを振舞っ
たのだ。
冒険者だけでなく、大地人にも同じように。
そのときは、食費を浮かせる一環。
たとえどんな食事でもある程度腹に収められるよう訓練は受けてい
たし、
量もそう多くはない、そう判断した結果だった。
挑戦
が開始された。
恋人同士ではなく兄妹だったが、特に問題なく席に案内され、
早速
それが、妹の、ツバメの運命すら変えた。
それまで、ロクな手料理を口にしたことがなかった兄妹にとって、
ケーキは衝撃だった。
山で取れる果物すら上回る甘み、それにアクセントを加える酸味や
苦味、
そして沸き立つような香り⋮洗練の最先端にいきなり晒されたのだ。
そのときにはホークもずいぶん衝撃を受けたが、
ツバメが受けた衝撃は、文字通り人生をも塗り替えるほどだった。
2人の予選の結果は全部で20⋮うち12個が妹が食べた分。
それからというもの、妹は変わった。
駒を進めた本選では3位だったものの、実にホール2個半⋮
予選の時は2人がかりだった20個ものケーキをツバメは1人で完
食した。
︵その半分しか食べられなかったホークは完全に添え物だった。︶
463
そして天秤祭が終わると同時にそれまで兄と一緒にやっていた
忍びの技を使った魔物狩りの仕事を捨てて︿ダンステリア﹀に弟子
入り⋮
もとい給仕として雇われ、働き出した。
Lvたったの3だった︿料理人﹀技能は厳しい訓練で
あっという間に伸びだし、今ではLv20を越えた。
それもこれも少しでも早くケーキを自分で作れるようになりたいと
いう、
執念の賜物だった。
﹁⋮アンちゃん、食べないの?﹂
たった2ヶ月で変わりすぎだなどと思っていたら、
ツバメに心配そうな声を掛けられた。
﹁いや⋮なんでもないが⋮半分味見するか?﹂
その視線が熱を持って兄に譲ったレアチーズに注がれていることを
見て取って苦笑しながら、ツバメにたずねる。
﹁ええ!?いや⋮そんな⋮悪いよ⋮﹂
そう思うならケーキを切り分ける手を止めろ。
7:3で切り分けるツバメの食い意地に内心突っ込みを入れながら、
ホークは小さいほうをフォークでさす。
﹁いいさ。甘いものは好きだが⋮ツバメほどじゃない﹂
そのまま食べる。酸味がやや強めのケーキだ。
だが、しっかりと甘くて⋮うまい。
﹁ああ、こっちもおいひい⋮﹂
大きいほうをうっとりと食べながら、ツバメがつぶやく。
その様子に、なんとなくホークは思う。
いつかツバメに子供ができたら⋮
464
叩き込まれるのは忍びの技でなく
ぱてしえ
の技なのだろうな。
それは、あまりにも平和すぎるこの街にいるが故の確信。
だが、それもまた、良いかと思い直す。
ここはアキバ。
足の踏み場もないくらいチャンスと栄光が転がる街。
妹はたまたまその1つを踏み抜いただけなのだろう。
︵いつか、俺もそんな栄光を見つけるのだろうか⋮︶
相変わらず幸せそうな妹に少し嫉妬しながら。
ホークはまた、苦笑した。
465
第11話 移民のホーク︵後書き︶
本日はここまで。
タイトルは傭兵でも良かったかも知れない。
466
第12話 料理人のマオ︵前書き︶
今回は、色々設定が捏造されています。
なにぶんテーマがこのログ・ホライズンで最も特徴的と言っても
良い部分、料理に関わる部分。
そしてテーマを更に詳しく言うと⋮﹁ラーメン﹂
舞台は2度目の登場となる猫の街ロングコースト。
料理マンガのノリで、お楽しみ頂けると幸いです。
467
第12話 料理人のマオ
0
5月革命。
冒険者の間では︿大災害﹀と呼ばれている、冒険者に発生した大規
模な変化。
本来の住まいたる天界に帰れなくなった冒険者が、この世界に定住
し、
大地人と肩を並べて暮らすようになり、同時に大地人など気にもか
けなかった
冒険者が様々な形で大地人と関わるようになった事件。
とも呼ばれる、
しかし、もう一つ、その職業の間では、5月革命の後、それ以上の
円卓革命
大事件が発生した。
6月革命。
その職業の間では
大地人社会を揺るがした、まさに革命とでも言うべき出来事。
発明
された︿手料理﹀は、冒険者を通じてヤマト中に
それは︿手料理﹀の出現
アキバで
広まり、
大地人に﹃味﹄の愉悦を知らしめた。
無論、﹃味﹄の愉悦はこれまでまるで無かったわけではない。
468
素材
を口に含み﹃味﹄を
果物や砂糖、蜂蜜の甘みは古くから珍重されていたし、
塩や香辛料、絞りたての乳と言った
作成メニューを使わずに手で料理する
と言う、
楽しむと言う趣向は貴族の間では知られたものだった。
しかし
余りにも常識から外れたその手法によって作られる、
素材とは比べ物にならぬほど完成された味を持った︿手料理﹀の出
現は、
とある職業⋮︿料理人﹀にとってはまさに革命とでもゆうべき事態
をもたらした。
︱︱︱手料理出来ずば料理人にあらず
ウェストランデはキョウの大司祭、テイラー卿が言ったと言う
を表すものにしか過ぎなくなった。
この言葉に代表されるとおり、料理人の技量はもはや手料理を
作れる資格
かつての、きらびやかで美しいが味は無い高位の料理など見向きも
されず、
例え多少見格好が悪くとも味が優れてさえいれば人々はこぞってそ
れを求める。
レベル
レベル
レシピ
高い技量を持っている年老いた料理人が手料理を身につけられずに
貴族の屋敷を追われる一方、大した技量も知識も持たない
農村生まれの若い家政婦が、︵家事を司る職業は料理人ほどでは無
いが
簡単な料理を作る能力を持っている︶手料理がうまいと評判をとり、
名だたる貴族に高給で召抱えられる。
若き料理人にとっては栄光の、古き時代の料理人にとっては悪夢の
時代。
469
無論、料理人とて黙って見ていたばかりではない。
塩を振って焼いただけの肉が、自らの技量を尽くして作った
最高の料理以上に⋮うまい。
その事実は恐怖すら伴い、料理人の間を駆け抜けた。
﹃手料理出来ずば料理人にあらず﹄を最も自覚したのは、他ならぬ
料理人だった。
料理人たちは文字通り生き残りをかけて︿手料理﹀を学び、作成メ
ニューと
作成時に使うと成功率、効果を上げるだけであったアイテム﹃調理
器具﹄、
そして冒険者の行動︵6月以降,アキバに潜む密偵に求められた報
告の8割が
手料理に関するものだったと言う︶という僅かな手がかりから、
手探りで︿手料理﹀を身につけて行った。
レシピ
現在では、料理人はある程度の地位を回復することに成功している。
もはや本来の技量と無関係と言えど、食材を扱う知識は
料理人ならではのもの。
そもそも手料理を作る資格すら持たぬ大地人や、
簡単なレシピしか知らぬ家政婦に負けない条件は整っていた。
故に彼らが恐れる存在はただ1つ⋮冒険者。
手料理を作れる冒険者は、料理人にとって魔物とでも呼ぶべき存在
だった。
そもそもレシピが無い
料理すら容易く生み出
その神の如き技量は、あらゆる料理を可能とし、
その異形の知識は
す。
470
まるで騎士が魔物と戦うように、大地人の料理人たちは店や厨房で
冒険者の料理人とその知識が生み出した料理との戦いを強いられた。
その1つに、ナインテイルで生まれ、大陸にまで
名を轟かせた手料理﹃白いスープ﹄がある。
これは、その﹃白いスープ﹄に挑んだ1人の男の記録である。
﹃第12話 料理人のマオ﹄
1
一頭の殺されたばかりの豚の死骸を前に、黒、茶、白の3色が混ざ
りあった
毛皮を持つ、猫人族の青年が立っていた。
﹁それでは、始めさせていただきますニャ﹂
今回、一番の賓客である、少し年嵩の、ほっそりとした黒い毛皮の
猫人に一礼し、
彼は早速仕事に取り掛かった。
﹁行きますニャ⋮作成コマンド﹃解体﹄!﹂
解体
は
瞬間的に豚の死骸が消滅し、その場にロース、ヒレ、あばら肉、肩
肉、
ばら、ももと言った豚肉の塊が残る。
既に死骸となった動物から肉と言う素材を取り出す技術
本来︿肉屋﹀や︿開拓民﹀、そして︿狩人﹀の技であり、
︿料理人﹀の身でやろうとすればLv30もの技量を必要とする大
技。
それを容易く使いこなしてみせることで彼はまず己れが︿料理人﹀
として、
相応の技量を持つことを示して見せた。
471
家畜の解体、砂糖や塩の精製など、原料から素材を取り出すだけな
らば、
﹃味﹄は残る。ここまでは、今も昔も変わらない。
そして、スーシャンの新たなる当主、猫人料理人のマオの本領はこ
こからだった。
包丁が舞い、様々な材料が音を立てて刻まれ、赤々と燃える炎で熱
せられた
油を引いた鍋の上で手料理へと変貌する。
味付けにはあえて海の水を蒸発させて作ることで作成メニューから
作ったものには
無い、複雑な旨みを持たせた高級な塩や大陸から輸入した香辛料、
ハーブの数々を惜しげもなく使う。
再発見
に成功した
辺りには良い香りが立ち込め、客たちが唾を飲み込む音が聞こえる。
そして、大きな皿や深い鉢に満たされた、
大陸風の手料理の数々が卓いっぱいに並べられ⋮
﹁お待たせしました!我輩ども四海飯店が手料理の数々、ご賞味く
ださいニャ!﹂
その言葉と共に一斉にフォークとスプーンがテーブルの上を踊り、
人々の顔に笑顔が浮かぶ。
ホンタオ
﹁ほう。これは美味だ﹂
﹁流石は香島にスーシャンの一族有り、と謡われた料理人の当主で
すな。
これほどの美味は冒険者とて容易くは作り出せないでしょう﹂
﹁いやまったく。これはうまい﹂
472
﹁とうちゃん!これ、滅茶苦茶うまいにゃ!﹂
﹁ルドルフ大兄。これもどうぞ。この薄い黄色の、酸味ある調味料が
肉厚の海老と合わさってえもいわれぬ美味ですにゃ﹂
﹁先代が手料理を苦手としていたときはどうなるのかにゃと思いま
したが⋮
これなら四海飯店も安心ですにゃ﹂
人間族と猫人族の有力者を招いた新当主のお披露目式。
一度は手料理に押され、消えていく運命にあるとされていた名門、
スーシャンが新たな当主と共に返り咲いたことを示すための式は
大成功の様相をしていた。
﹁どうですかニャ?ルドルフ小父上﹂
マオは黒い毛皮の猫人族⋮街の全ての猫人から﹃小父﹄あるいは﹃
大兄﹄と呼ばれ
尊敬される、現在のロングコーストを生み出した大商人、ルドルフ
に尋ねる。
﹁いやあすごいすごい。若いのにやるね。キミ﹂
長年の苦労の末、完全に猫人訛りを失ってしまった流暢な言葉で、
その男は手を叩いてマオを賞賛する。
﹁ありがたいことですニャ。小父上に認められれば、我輩どもも安
泰ですニャ﹂
それに一礼をしてマオは答える。その言葉には、
若さゆえの自信に満ち溢れていた。
﹁うんうん。いいねいいね。君なら﹃14代目﹄とも張り合えるか
もね﹂
その様に面白そうに目を細め、アキバの大地人料理人、
引いてはヤマトの大地人料理人の最高峰とも噂される、
アキバの天才である若き女将を引き合いにルドルフは、
猫人料理人一族の若き俊英を褒め称える。
473
﹁当然ですニャ。我ら猫人こそ、料理の神に愛された種族。
いつかは﹃始父﹄すら越えて見せますニャ﹂
それに対し、マオは自信と誇りを持って、宣言してみせる。
全ての根源たる料理人﹃始父﹄をも越える料理人になって見せると。
彼の6月革命を引き起こした手料理の発明者⋮始父。
彼のものが猫人族の料理人であり、冒険者の最高峰たる
Lv90の料理人であることは、料理人の間では有名な話だ。
マオにも分かっている。
マオが単純な技量で始父に追いつくことは生涯無いだろう。
Lv90とは、大地人を超越した存在、冒険者にのみ許された領域
だ。
だが、手料理の腕でならば⋮分からない。
手料理が料理人の技量とは関係なく、Lvが30もあれば、
あらゆる美味を生み出すことが料理の神に許される以上、
あとは己の工夫と手料理の腕だけだ。
そのことをマオは身をもって知っていた。
ホンタオ
マオの一族、スーシャン家は元は大陸の勢力圏に属する島、
香島の出である。
彼らは8年ほど前、ナインテイルに現れた﹃猫の街﹄の噂を聞いて
移り住み、
猫人街に華やかさで知られる大陸料理の店﹃四海飯店﹄を構えた、
料理人の名家。
そこで厳しい修行を受けたため、マオは若さに見合わぬ技量を持っ
てはいる。
だが、所詮は上に3人も兄がいる末の息子。
474
本来ならば家督を継ぐ事など絶対に無い。
それを覆したのが、手料理の存在であった。
マオは、手料理の才能を持っていた。
するための想像力、器用な手先の妙技、僅かな失敗も見
味を見極める鋭い舌、豊富な家伝のレシピの数々から手料理を
再発見
逃さぬ嗅覚⋮
それらは全てマオの武器となった。
そしてその手料理で持ってLv60を越える達人であった長老、
Lv50の技量を持つ父である前当主、
そしてマオより長い時間の研鑽によりLv40代に達している兄達⋮
それら全てから認められ、マオは若くしてスーシャンの当主となっ
た。
今の⋮手料理の時代を象徴する出来事である。
﹁うんうん。頼もしいね﹂
スープ
その言葉に頷きながら、わずかにルドルフは笑顔を崩さず、言う。
﹁う∼ん、でもまあ一つだけ﹂
そう言って指差したのは、再発見した白湯の入っていた、器。
﹁これだけは、残念だったかなあ﹂
それを聞きとがめ、マオは思わず聞き返した。
スープ
﹁残念?どういうことですかニャ、小父上?
この海の幸を煮込んだ白湯は我輩の自信作。それが残念とは⋮﹂
﹁うん、こっちのスープもあっさりしてて悪くは無いんだけどさ、
面白みが無い。
あっちの﹃白いスープ﹄はもっと面白かったかな﹂
そう言いながら、今、ロングコーストの中心街で噂になっている存
在を
引き合いに出す。
475
﹁あっちの白いスープ⋮ですニャ?﹂
どうやら猫人街でひたすら研鑽に励んでいたマオは知らないらしい。
それを確認し、ルドルフはマオに教える。
﹁うん。小麦粉で作った細い麺が入った、本当に真っ白で濃厚なス
ープ。
ナカスからロングコーストに流れてきた冒険者が出してるんだけ
ど、知らない?﹂
﹁⋮冒険者の。すみません。我輩には分かりませんニャ﹂
その言葉に含まれた意味に、マオは気づいた。
冒険者。大地人の料理人にとって、最も手ごわい料理の作り手。
ナインテイルに置いてはナカスを本拠地とし、5月革命以降のロン
グコーストでは
余り見かけない存在。それの話をするということは⋮
﹁うん。気にしなくていいよ?さっきも言ったけどこのあっさりと
したスープも
悪くないし、何より他の料理は充分にスーシャンの名に相応しい、
美味しい料理だったから﹂
悪くは無い、その程度の評価。
ルドルフ小父は、マオのスープを誉めようとしない。
﹁⋮分かりましたニャ。小父上﹂
その意味をかみ締めながら、深々と頭を下げる、マオ。
その瞳には、煮えたぎるような炎が宿っていた。
︵白いスープ⋮!︶
彼は決意していた。
我輩こそ料理界の不死鳥の名門、スーシャンが当主。
その名に懸けて、必ず﹃冒険者の白いスープ﹄を越える手料理を編
み出すと。
2
476
中心街から少し外れた場所、朽ちた巨人像の前の広場にそれはいた。
馬が繋がれ、車輪がついた小屋⋮アキバの冒険者の発明だと言う新
型の屋台。
その入り口には﹃とんこつ 昇龍﹄と書かれた布の垂れ幕が引かれ
ている。
白いタオルで頭を覆い、上は薄手の布の服1枚、下はエプロンとズ
ボンと言う
ラフな格好をした髭面の妖術師⋮この店の主である冒険者が魔法の
炎で、
噂の白いスープの入った大鍋を温めつつ、
もう1つの鍋いっぱいにお湯を沸かしている。
その日も、屋台は盛況だった。
その屋台にずらりと並ぶのは、100を越える人間と猫人たち。
彼らは、待っていた。ナカスからやってきた冒険者のもたらした、
それを。
そして、合図代わりの昼の鐘がなる。
それを聞きながら、男が叫んだ。
﹁⋮さあ開店だ!昇龍の塩とんこつ昼の部、始めるぜ!﹂
ナカスからやってきた人間族の料理人、冒険者でもあるリュウイチ
が声を張り上げた。
歓声が上がる。
待ちに待った昼の時間だ。
ずらりと並んだ人々が一斉に注文する。
﹁待ってました!麺フツウで!﹂
﹁ひゃっはあ!我慢できねえ!ハリガネだ!﹂
﹁こんなうまいものが食えるなんて、長生きはするもんだにゃあ。
ヤワメで﹂
477
﹁バリカタで。あと、替え玉をフツウでゆでて置いてくださる?﹂
﹁お嬢様⋮何もこんなところでお食事など⋮あ、私はフツウで﹂
﹁⋮カタメ。替え玉は3つ﹂
﹁はいよ!﹂
小気味良い返事を返し、煮立った湯を入れた大鍋に、
金属製のざるに取っ手をつけたものに入れた、自ら手打ちした生麺
を入れる。
自らの魔法で微妙に火加減を調整しつつ、最後にゆで加減を見極め
るのは長年の勘。
﹁っしゃ!上がったよ!﹂
茹で上げた麺を雇いの若い猫人の娘の手でよそわれたスープに入れ
る。
それに事前に刻んでおいた薬味と味付けした豚肉を乗せて⋮
﹁おまたせ!﹂
次々と客に手渡される。
﹁うめえ!やっぱこれだぜ!﹂
﹁ひゃっはあ!もういっちょハリガネだ!﹂
﹁ほほほ。やっぱりこの味は癖になるにゃあ﹂
﹁ああ、この味!やはりお昼はこれですわ!⋮替え玉を!﹂
﹁ちゃんとお屋敷で食べるべきですのに⋮あ、私もカタメで替え玉
を﹂
﹁⋮おかわり﹂
478
立ったまま、自らの好みでリュウイチの手製である紅色のジンジャ
ーを放り込み、
フォーク、あるいはこの店の標準であるハシ︵これが使いこなせて
こそ、
ツウである︶で麺を手繰り、腹に収めていく。
﹁はいよ!混みあってるから他のお客さんもどんどん注文してくれ!
麺とスープがなくなり次第営業終了だ!﹂
その言葉に我先にと注文が飛び交う。
ロングコーストは古くからユーレッド大陸とヤマトを結ぶ港町であ
り、
海運が盛んな町である。
代々の領主は新し物好きで知られ、その城下に住む民もその気風が
強い。
10年前、領主の姫君の命を救った猫人族の商人ルドルフが繁華街
である
デジマ地区から少し離れたところにある山の近くに店を開き、
そこを皮切りに猫人の居住区を作ったときも、古くからの商人は大
分反発したが、
大半の住人は受け入れて共存に舵を取ったのも、
ルドルフが姫の命の恩人であることもあったが、
それ以上にその変化を愛する気風が為せる技だった。
そして、その好奇心が、彼らにそれを試させた。
冒険者の生み出す白いスープを。
そして彼らがその虜となるのに、そう時間は掛からなかった。
かくて、店は大繁盛し、ヤマト⋮否、セルデシアでも珍しい
﹃行列のできるラーメン屋﹄が、ナインテイルに誕生したのだった。
479
3
﹁くっ⋮確かにこれは⋮﹂
スープ
マオもまた、それを手繰りながら、顔をしかめた。
うまかった⋮悔しいが、海の幸を使った自分の白湯より。
澄んではいない⋮濃厚さ。これは、海の幸では出来なかった味だ。
細い麺にその白いスープが絡み、えもいわれぬ美味となる。
﹁⋮なるほど、恐るべきは冒険者、だニャ﹂
よく見れば、明らかに食べ方がおかしい客が何人もいる。
1本ずつ、麺を取り出して眺めているもの、麺や具、白湯などを一
口食べるたびに
紙に何かを書いているもの、慎重に白湯を飲んで、じっと白湯を覗
き込んでいるもの。
密かに腰に下げた皮袋に白湯を入れているもの。
どうやらスーシャンの跡を継ぐ騒ぎのせいで、マオは出遅れている
らしい。
だが、それだけの料理人の群れを相手にしてなお、
冒険者料理の秘密は保たれていた。その理由は⋮
﹁一体、何を使えば、この味になるニャ?﹂
なるほど、ナカスの出の料理であるだけに魚の類は使っていないよ
うだ。
白湯の基本は材料だ。
内臓を抜いた、丸焼きなどに使う鶏を丸ごと、スーシャン飯店でも
使っている海塩。
ネギを中心とした幾つかの野菜、上に浮いているのは恐らくはにん
にくを炒めた油⋮
そして﹃何か﹄
その﹃何か﹄⋮この白湯の根幹を為している﹃何か﹄が何なのかが、
480
分からない。
﹁恐らくは⋮豚の﹃何か﹄﹂
わずかな匂いと香ばしい風味からそこまでは特定した。
だが、マオの舌の記憶を洗いざらい調べても、豚からこの白湯を取
れる気がしない。
何度か麺をお代わりしながらマオは熱心に味を舌に覚えこませてい
た、
そのときだった。
﹁よう!兄さん!随分熱心だな!同業者かい?﹂
﹃本日、麺とスープが切れましたので、営業を終了します﹄の看板
を担いだ
リュウイチが、マオに声をかける。
﹁ニャ!?﹂
バレた。そのことにマオは動揺し思わず声を上げ、警戒を込めてリ
ュウイチを見る。
そのマオの様子に、リュウイチは肩をすくめて、言う。
﹁はは、驚くなよ。分かるよ。同業者だろ?別に気にするこたあな
い。
俺も昔はあちこち食べ歩いて自分の味を模索したもんさ﹂
笑顔を浮かべながら、リュウイチは目の前の少年⋮であろう猫人の
料理人に言う。
﹁俺はよ、本当なら教えても良いとは思ってる。
だが⋮ただ、簡単に教えるつもりはねえ。
最低限、根本的な部分くらいは解いて貰いたくてな。
でなきゃ⋮俺のコピー止まりで終わっちまう﹂
教えられた通りにやってるだけでは、いずれ朽ちる。
そう考えてリュウイチはあえて秘密を貫いた。
冒険者ならば知っているであろう、秘密。
481
それはロングコーストには未だ冒険者はリュウイチ1人であったが
故に
保たれていた。ここで開業して2週間、果たして何度言ったか。
未だにこの謎を解いた大地人の料理人は、いない。
﹁とりあえず、ヒントだけはやる⋮
ここに来た料理人には全員に教えてるんだけどな﹂
それは仕方が無いことなのかも知れない。
大地人にとって料理とは、数ヶ月前に突然発生したものだ。
ならば、冒険者にとって半ば常識であることも、知らぬのも当然か
もしれない。
﹁このスープは﹃解体﹄が出来ることが必須だ。
もちろん肉屋や狩人にやってもらうのもありだけどな﹂
あえてヒント止まり。そう、大地人にとっての常識を覆えさぬ限り、
昇龍のとんこつには始まりにも立てない。
﹁解体?それは⋮嘘だニャ?解体ではこの白湯の味は出ないニャ﹂
なるほど。若いが優秀な料理人らしい。
教えた大地人の料理人が必ずぶち当たる﹃壁﹄に、
味わった時点でぶつかったらしい。
コイツならば。
そう思い、リュウイチは更に言葉をつむぐ。
﹁⋮ああ、アンタも腕の良い料理人なんだろうがね。勘違いしてる。
解体では作れない。そう思っているうちはとんこつには決してた
どり着けねえ。
てめえも料理人なら、解いて見せろ。とんこつがなんなのかをな﹂
今度こそ、大地人が、先に進めることを祈って。
4
それから1週間。
﹁分からないニャ⋮﹂
482
マオは未だに謎の端っこでくすぶっていた。
﹁あばら肉。これが一番近かったニャ⋮﹂
あらゆる豚の部位の肉を使い、試した結果得た結論が、これだった。
しかし、足りない。あの、白いスープの濃厚さにはまるで届いてい
ない。
あと少し、その予感はあるのだが⋮
そして、いつものように思考の袋小路にはまり込もうとしていた、
そのときだった。
﹁マオ兄。マオ兄。少し休むにゃ﹂
声が掛けられる。鈴を転がすような声。
その声に、マオは振り向く。そこに立つのは。
﹁⋮リン?﹂
艶やかな三毛の毛並みが美しいと猫人の間で評判の娘。
末息子のマオにとってはただ1人の妹。
スーシャン一族の末姫は、愛嬌のある笑顔で、敬愛する兄に言う。
﹁にゃ。あんまし根を詰めると、身体に毒にゃ?﹂
リンは知っている。
この、年の近い兄は⋮料理のことになると、我を忘れると。
﹁⋮いや、料理で挑まれたのならば、我輩は引けない。
受けるのが兄上達を差し置いて選ばれた我輩の務めニャ。
白いスープの秘密、必ず暴いてみせるニャ⋮﹂
果たして兄は、予想通りのことを言った。
だが、その言葉にリンは首を傾げる。
﹁白いスープ?⋮ルドルフ小父上が言った奴かにゃ?﹂
兄らしいと思いながら、リンはマオの話を聞く。
﹁だニャ。あれは⋮豚のスープ。それは間違いないニャ﹂
一方のマオも考えを整理したくて、リンに簡単に話す。
﹁豚の⋮豚から作るにゃ?﹂
詳しい経緯は知らぬリンが、確認する。
﹁あの味は間違いないニャ⋮けど、何から作ったのかはわからない
483
ニャ﹂
そう、豚の何を使ってもあの味には、程遠い。
果たして⋮そして、再び思考に沈もうとしたそのときだった。
﹁マオ兄でも分からないにゃ?
とにかく、白いスープなんだから、白いもので作るんじゃ無いか
にゃ?﹂
リンの、何気ない一言。
それは、料理を学ばず、接客を担当する素人ならではの発言だった。
﹁白いスープなのだから、白いもので作る⋮!?﹂
その言葉がきっかけで様々なものが頭を駆け巡る!
︱︱︱作成コマンド﹃解体﹄!
︱︱︱恐らくは⋮豚の﹃何か﹄
︱︱︱解体では作れない。そう思っているうちはとんこつには決し
てたどり着けねえ。
︱︱︱とにかく、白いスープなんだから、白いもので作るんじゃ無
いかにゃ?
これが、表す意味は⋮
﹁⋮やって、みるニャ!ありがとう、リン!﹂
﹁マオ兄!?いきなりどうしたニャ?﹂
一筋の光明を見たマオはリンに礼を言うと、早速動き出した!
愛用の包丁⋮その中で最も鋭く大きい肉斬り包丁を手にする。
そして、素材にする前の材料がまとめて置かれている倉庫に向かい⋮
484
5
それから、3週間後。
マオは、小さな壷と包みを抱えて、昇龍を訪れていた。
﹁よ、とんこつの謎は解けたか?兄さん﹂
昼の鐘が鳴ってから1刻。
毎日の日課となった﹃本日、麺とスープが切れましたので営業を終
了します﹄の
看板を出しながら、マオに尋ねる。
﹁ああ、ようやく、分かったニャ。貴方の言っていた、その意味が﹂
頷くマオの手は、ボロボロになっていた。
あちこちに切り傷を作り、幾つもの豆が潰れた跡があった。
それを見ただけで、リュウイチはにやりと笑う。
﹁大変だったろう?解体は?﹂
﹁ああ、まさしく難関だったニャ。
骨
ニャ!﹂
専門の︿肉屋﹀や︿狩人﹀ならば,もっと楽にできるのかも知れ
ないけどニャ﹂
そう言いつつ、包みを開く。
スープ
﹁トンコツが何から作られた白湯か⋮答えは、豚の
そこに置かれていたのは⋮
﹁⋮ははっ!やるじゃねえか!ちゃんとげんこつを持ってきやがっ
た!﹂
太い足の付け根の骨。
とんこつ
レシピの存在しない料理を作る
ことをも可能な
恐らく大地人どころか冒険者でも正確に知るものは少ない、
﹁⋮冒険者は
本来食材でないものを料理に使う
豚骨の素だった。
⋮ならば,
のニャ!﹂
そう、それこそがこのスープの最大の特徴。
485
食材じゃねえ
ってことになってる骨は残らねえ。
﹁ああ、作成メニューの﹃解体﹄は便利だが⋮残念ながら
麺の手打ちは最初っから身に着けてた俺の昇龍の開店が
こんだけ遅れたのはそれが原因だったが⋮﹂
リュウイチの言葉に、マオは肩をすくめる。
﹁そうでもないニャ。最初の解体は、本当に酷いもんだったニャ。
我輩も豚も血まみれで、骨どころか肉すらまともに食えたもんじ
ゃ無かったニャ﹂ 結局満足行くところまで自らの手で﹃解体﹄出来るようになるまで
には
1週間掛かった。
それから、様々な骨で湯を作り、煮込み時間と骨の種類と言う
正解に辿りつくまでに更に1週間。
そして残り1週間は⋮
我輩の料理
を作るニャ﹂
﹁リュウイチ。我輩に少しだけ、屋台を貸して欲しいニャ。
白湯は持ってきたから、それで
﹁⋮いいぜ。好きに使いな。火も貸してやらあ⋮︿フレイム・バイ
パー﹀﹂
屋台の中に作った竈に、炎の蛇がとぐろを巻いて、炎が燈る。
かくして料理の準備は整った。
﹁⋮感謝するニャ﹂
一礼し、そしてマオは一気に料理に取り掛かる!
壷に入れてきた白湯を鍋で温めるその間に、持参した麺を茹で、
更に自慢の包丁技で肉と野菜、そして海の幸を切り刻む!
小気味よい音をたてて刻まれたそれらを油を引いた鍋に入れ、
一気に火を通し、炒め上げる!
そして絶妙の温度に仕上げた白湯を丼によそい、リュウイチのもの
より
大分太い麺と、先ほど作った肉と野菜と海の幸の炒め物を乗せ⋮
486
スープ
﹁これが、我輩の白きスープ⋮白き骨の白湯を使った料理ニャ!﹂
そう言ってマオは、リュウイチの前に料理を置く。
それは、確かに白いスープを使いながら、リュウイチのそれとは似
ても似つかぬ料理。
﹁白き骨のスープと、海鮮で取った白きスープ!
それを併せ、上に魚貝と豚、そして野菜の炒め物を乗せたニャ!
麺はリュウイチとは違い太いもの!これにスープを吸わせること
で、
より一掃の一体感を出し、さらに伸びるのを遅くしてじっくり味
わえるニャ!
これが⋮我輩の料理ニャ!﹂
その料理を見て、リュウイチが驚愕する!
﹁驚いた⋮こりゃあ、チャンポンじゃねえか!﹂
まさか、こちらで、自力であちらと同じ結論に達する大地人がいる
とは
思っても見なかったから。
﹁ちゃんぽん?﹂
﹁いや、こっちの話だ。食ってみてもいいか?﹂
不思議そうに首を傾げるマオに、一言断り、リュウイチはハシを一
膳取る。
﹁もちろん。そのために作ったニャ﹂
﹁じゃあ、さっそく⋮﹂
受け取り、深呼吸して匂いを胸いっぱいに吸い込む。
広がる香りを堪能しながらハシをつきたて⋮そのまま一気にすすり
こむ!
ズゾゾゾゾゾ!
食べつくすのに要した時間は、およそ3分。
そしてスープを最後の一滴まで飲み干して、満足げにため息をつい
487
て⋮笑顔になる。
﹁⋮やるねえ!三毛猫の兄さん!ああ、そうさ。
とんこつスープに海鮮と野菜、豚肉使ったちゃ⋮麺料理!
海の幸が豊富なながさ⋮ロングコーストならこいつの方がピッタ
リだ!﹂
口の中に残る余韻が嬉しくて、思わず興奮する。
﹁当然だニャ⋮だが、良かったのかニャ?
正直、解体のヒントが無ければ我輩とてここには辿り付けなかっ
たニャ﹂
嬉しげなリュウイチにマオが尋ねる。
大地人の料理人にとって、レシピは何より大切なもの。
それが彼にのみ分かる貴重なものであれば、なおさらなのではない
か?
﹁別にいいさ。俺はとんこつスープが好きなんだ。
俺だけのもん、なんてケチ臭いこと言わない。
こうして大地人が工夫できるって分かったからにゃあ
むしろじゃんじゃん広めてやる。
ナインテイルを、引いてはヤマトを醤油だのみそだのに負けねえ、
一大とんこつ圏にしてやるぜ!﹂
リュウイチはとんこつベースに魚貝を組み合わせたそれに対し、
むしろ驚きと共に喜びを感じていた。
生まれたときからとんこつスープに親しみ、
とんこつ以外はラーメンと認めずはや30年。
根っからのとんこつ党だった身としては、とんこつ味なら大歓迎。
まして地元のものが作り、自分が作らぬ﹃ご当地﹄ならば、
真に地元に親しまれる原動力となる。
︱︱︱冒険者だけでなく、大地人といえど﹃ご当地﹄を生み出せる。
488
それは、リュウイチの野望にとって大きな前進だった。
﹁しかし、処理がまだまだ甘い。わずかだが豚の臭みが出ちまって
る。
それに野菜もまだまだやりようがある⋮後で俺の厨房に来いよ。
しっかり教えてやる⋮いや、一緒にやろうぜ!よりうまいチャン
ポンをよ!﹂
それが分かれば、もはや出し惜しみなどする気はない。
むしろ積極的に広めて⋮発展させる。
それが、とんこつラーメンに10年以上食わせて貰って来た
自分の使命とすら考えていた。
﹁⋮ならば我輩は、再現した東坡肉の作り方を教えるニャ!
この前小父上が仕入れてきたアキバのショウユを使って
初めて作れるようになったニャ!
濃厚で甘い味のアレはとんこつラーメンにはきっとあうはずニャ
!﹂
一方のマオも、それを出す。
再現料理の中でも特に評判が良い、秘伝の味のものを。
﹁はは!そいつはありがてえ!角煮ラーメンが作れるようになる!
それに噂には聞いてたがアキバの醤油か!
これでチャーシューも煮卵も作れるぜ!﹂
﹁チャーシュー?煮卵?うまいのかニャ?﹂
﹁ああ、うめえぞ﹂
2人の料理人が、互いに言葉を交し合う。
ではなく、作り出せる
味
こそが料理人の価値を決
それは、あらゆるものをのり越えてつむがれた、かけがえの無い友
情。
技量
今は手料理の時代。
作る
める時代。
その味には、技量も、貴賎も、種族も、性別も、年齢も。
489
⋮そして冒険者か大地人かも関係ない。
ただうまいものを作れるものこそが、勝者となる。
だが、それは料理人たちが喧嘩をしなくてはいけないわけではない。
味の探求者として⋮手を取り合っても良い筈だ。
6
かくて、戦いは終わった。
ロングコーストにおいて、マオやマオを初めとした多数の料理人が
﹃白きスープ﹄改め﹃白き骨のスープ﹄の作り方を学び、マオが原
形をつくり、
リュウイチと共に完成させた﹃チャンポン﹄は店ごとに様々な工夫が
こらされるようになり、街の住人と訪れる旅人たちに愛される、
ロングコーストの名物となった。
﹁次は⋮﹃タイピーエン﹄だな﹂
伝授を終えると、リュウイチはその一言を残し、
大いに惜しまれつつもヒゴへと旅立った。
彼もまた、新たな道を決めていた。
自分はこの世界の﹃とんこつ﹄の伝道者となろう。
知り合いの冒険者には作り方を教えたが、大地人にはまだ知られて
いない。
まずはナインテイル。その後はアキバか⋮いっそ大陸でも良いかも
知れない。
そんなことを考えながら。
彼はまだ知らない。
﹃白き骨のスープ﹄の作り方はロングコーストの料理人の手で
アキバやミナミだけでなく、交易を通し、大陸の料理人たちに
490
広まり初めていることを。
本来食べられないものまで料理する、手料理の真髄、秘儀であるが
故に。
うまいものに飢えていた大地人たち、そして冒険者たちは比較的ど
こでも
手に入る塩と家畜の骨、そして野菜から作れるそれを愛し、
その土地ならではの様々な変化を受けながらも
今も西へ西へと伝わり続けていることを。
そして、ユーレッドの西端にある冒険者の街、ヴィア・デ・フルー
ルで、
牛の骨を使った奇跡の料理﹃赤き骨のスープ﹄を完成させた猫人族
の冒険者が
かつて巴里の街で味わった﹃白き骨のスープ﹄を生み出した冒険者
の存在を知り、
どちらがこの世界の手料理の覇者となるか、
雌雄を決するべくヤマトへと旅立つことを。
白き骨のスープ使いリュウイチと、赤き骨のスープ使いティーグル。
この2頭はやがてぶつかり合い、手料理にて戦うこととなるのだが⋮
それはまた、別の話。
491
第12話 料理人のマオ︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに以下は捏造設定
・家事系統職は料理可能
これは、料理人しか料理が出来ないと、田舎の村とかどうすんだ?
と言うことから捏造しました。
基本的に各ご家庭の料理はその家の母親や娘が作るイメージ。
・解体コマンド
にゃん太班長普通に鹿捌いてましたが、
ゲームとして見たら捌くのは自力でやってくださいと言うのも
アレかなと。モンハンの剥ぎ取りナイフ的なスキル扱いです。
獣系のドロップの発生率が大幅に上昇します。
・骨は食材じゃありません
現実だと骨から出汁は割りと基本なんですけどね。
鳥だけは丸ごと使うので骨の出汁も結果的に取れると言う判定で。
︵鶏がらのみにする場合は自力解体が必要です︶
492
海外編1 外人のアルマ︵前書き︶
特別編はいつもと毛色の違うお話。
今回は看板に偽り有りということで、ヤマトの国出身じゃない
大地人が主役です。
あ、ちなみに舞台はバルバトス島です。
493
海外編1 外人のアルマ
0
いつも通り、バルバトスは雲一つ無い快晴。
絶好の海水浴日和だった。
﹁レモン入りの茶、コーラに、ビール、ラム、後はラムコークもあ
るよ!
全部1本金貨5枚!瓶に入れて氷で冷やしてるから、全部冷たい
よ!﹂
ドワーフの女としては大柄な4フィートの体と、編んでアップにした
赤毛を揺らしながら、氷と売り物が入った瓶をつめた箱を抱えて
アルマは大声を上げて海を練り歩く。
﹁よう!チビちゃん!ビールを1杯くれ!﹂
﹁こっちはコーラだ!﹂
﹁俺はラムをくれ!キンキンに冷えた奴をな!﹂
﹁俺はラムコークだ﹂
﹁私はレモンティーを﹂
﹁まいどあり!﹂
その声に集まってきた客の注文に答え、
地元
の冒険者ばかりだ。
5枚金貨と引き換えにコルク栓をした瓶を渡す。
この時間帯はみな
彼らはなれたもので一息に中身を飲み干すとアルマに瓶を返し、
アルマはそれを受け取ると1枚金貨を返す。
494
知り合いのドワーフの中じゃ唯一の妖術師であるゴッツじじいに支
払う
謝礼を考えても結構な金額の飲み物が飛ぶように売れていく。
﹁ふぅ⋮よっし!朝のお仕事終了!﹂
やがて全ての瓶が空になったことを確認し、
アルマは砂浜の端に建てられた小屋へと戻る。
﹁ただいま!母ちゃん!﹂
このクソ暑い中、竈の前に陣取り、カレーを煮ている母親に声を掛
ける。
﹁おう!お帰り!どうだったい?﹂
﹁いつもどおり、全部売れたよ!﹂
﹁そうかい!そりゃよかった!今のうちに飯食っちまいな!
もうすぐ忙しくなっからね!﹂
﹁はーい!﹂
ドワーフの一族の女達が共同で管理する、砂浜の小屋⋮海の家﹃オ
ーシャンブルー﹄
各種飲み物や海の焼き物、カレー、ソースで味付けした焼きそばな
どの手料理や
冷やした果物やアキバ直伝の冷たい氷菓子を売っている。
氷精霊式の﹃冷蔵庫﹄まで完備したこの店を最初に考案したのは冒
険者⋮
それもアキバの冒険者だと言う。
アキバと交易を初めて5ヶ月。
バルバトスは、空前の好景気を迎えていた。
アキバの冒険者がもたらす金と品々は小さな島であるバルバトスを
495
大いに潤し、
逃げてきた時は乗ってきた船以外ロクに何も持ってなかったアルマ
たちですら
商売をして食べていけるだけの余裕を持っていた。
悪しき冒険者
から避難してきた大陸からの移
アルマたちはバルバトスに渡ってきた移民⋮
それも凶行に及ぶ
民である。
ガイジン。
アキバの冒険者の言葉を借りれば、アルマたちはそう呼ばれる存在
だった。
﹃海外編1 外人のアルマ﹄
1
アルマが朝飯を食べ終える頃、砂浜は冒険者で埋め尽くされた。
﹁ふぅー、あっちいなあ!こう暑いと⋮まさに夏!って感じだな﹂
﹁今1月だとは思えんな。流石は常夏の島バルバトスってところか﹂
﹁ちょっと無理して来たかいがあったねー﹂
﹁だねー。⋮とはいえ、もう1週間かー。そろそろ帰る準備もしな
いとねー﹂
バルバトスは、常夏の島である。
1年を通して夏が続き、年間を通して海で泳ぐことが出来る。
バルバトスとアキバの間で交易が始まって5ヶ月。
バルバトスはアキバの冒険者に人気の旅行先となっていた。
496
彼らはアキバでの疲れを癒しにやってくる。
冒険者の拠点から遠く、銀行など無い島だけに、大量の金を持って。
その彼らが気前よく落としていく、大量の金。
それが交易品のやりとりと並ぶバルバトスの貴重な収入源となって
いた。
﹁まいどあり!はい!すいませんね!アタシの分はこれで売り切れ!
悪いけど他の娘探して!たくさんいっから!﹂
最後のレモン茶の瓶を渡しながら、アルマは3回目の補給へと戻る。
﹁ただいま!補給に来た!﹂
﹁ああ、丁度良かった!アルマ、ちょっとお使いに出ておくれ!﹂
海の家は昼前だと言うのに、冒険者や大地人でごった返している。
その中でめまぐるしく動きながら、アルマの母親が
どんと中身が詰まったバスケットをアルマに渡す。
﹁交易所の人らのお昼と、造船所の父ちゃんの昼飯!頼んだよ!﹂
﹁分かった!ちょっくら行ってくる!﹂
働かざるもの食うべからず
アキバに伝わっているらしい格言である。
アルマたちは知らなかった言葉だが、言わんとすることは理解して
いる。
アルマは早速とばかりに駆け出した。
2
街の外れ、バルバトスとアキバの唯一の連絡口に一番近い、古い屋
敷。
497
そこがバルバトスの﹃交易所﹄である。
﹁こんちは!海の家﹃オーシャンブルー﹄のもんです!
お昼お届けにあがりました!﹂
交易所で大きな声で来訪を告げる。
﹁お!今日はオーシャンブルーの担当日か﹂
﹁ってことはジルさんのカレーか!あの人のカレー、うまいんだよ
な﹂
﹁量も多いし、ゴロッとジャガイモが入ってて、
何より米の炊き方がうまいのがポイント高い﹂
﹁まさに母ちゃんのカレーって感じだよな﹂
ぞろぞろと現れるのは、アキバの冒険者たち。
彼らは手に手にアルマが持ってきた箱を受け取り、カパッと空ける。
中から食欲をそそる匂いが漏れ出す。
﹁これこれ。やっぱカレーはこうでなくちゃ﹂
﹁遊びに来てる連中と違ってこっちは忙しいからな。
マジで楽しみは日曜とメシくらいだよ﹂
﹁アエロー2号ももうすぐ完成するしな。出来たらどうするよ?﹂
﹁まずは大陸行って唐辛子。あとトウモロコシも欲しいな。
普通に作れそうなエッゾは今あんなんだし﹂
カレーを掻きこみながら、様々な議論を交わす冒険者商人たち。
全員が﹃生産ギルド﹄の組合に属する、商人たちだ。
彼らは交易日にやってきてから、バルバトスで暮らしている。
主な仕事は、近くの島の連中との交渉や知識の伝授。
アキバの冒険者がもたらす知識も、バルバトスの発展には欠かせぬ
498
ものだった。
﹁しっかし、こっちに来てもう1週間か⋮﹂
﹁やっべえ。俺まだ泳ぎに行ってねえよ﹂
﹁早く行かないと、旅行組帰っちまうなあ。
そしたらナンパもできねえよ﹂
﹁いっそこっちに住み着いちまえば楽かもなあ﹂
訪れることが出来る
彼らは1ヶ月に一度の﹃交易日﹄のみバルバトスを訪れる。
⋮否、正確には交易日のみ
その理由はただ一つ。
アキバと、バルバトスを結んでいるのが﹃妖精の環﹄だからだ。
輸
アルマも良くは知らないが、何でもアキバに近いシブヤという街に
ある
妖精の環が月に1度だけ、バルバトスへと繋がるという。
し、
輸入
その日を狙ってアキバの冒険者はバルバトスでは貴重な品々を
出
代わりに砂糖やラム、そして他の島の特産である香辛料を
する。
そして大量の交易品を魔法の鞄に詰め込むと冒険者の秘術で﹃帰還﹄
する。
その交易で栄えているのがバルバトスという国なのだ。
﹁で、どうよ?アルマちゃんもこっちにゃあ慣れたかい?﹂
一足先にカレーを食べ終えた若い商人が、アルマに尋ねる。
499
﹁はい!アタシらもこっち来て2ヶ月ですからね!﹂
アルマたちが大陸から移り住んだのは、2ヶ月ほど前である。
常夏の島なのは知っていたが、余りの発展振りに驚いたものだ。
⋮そして、それはアルマたちが着てからも相変わらず続いている。
﹁じゃ、そろそろ行きます!父ちゃんのメシも頼まれてるんで!﹂
﹁おう、行って来な。また頼むぜ!﹂
﹁はい!﹂
がそりん
が切れたと騒ぎ出
一休みして、アルマは立ち上がり、冒険者たちに言う。
いつまでも休んでいると親父がまた
すから。
4
造船所。
バルバトスがアキバとの交易の玄関口になってからというもの、
時折漁船を作る程度だった造船所は、俄かに活気づいていた。
そしてそこで、アルマの親父、機工師のエドガーは働いている。
﹁父ちゃん!メシと酒、持って来たよ!﹂
﹁おう!今手ぇ離せねえからちょっくら上がってきてくれや!﹂
アルマが忙しく働く職人達の間をすり抜け、
でかい車輪のついた船の甲板へ上がる。
あちこちでハンマーやノミの音が響き渡る甲板の階段を下りて、
アルマは機関室へと入る。
﹁おう!いつも悪いな!﹂
500
小柄な、されどドワーフ特有の筋骨隆々の男⋮アルマの父、エドガ
ーが、
アルマからバスケットを受け取る。
中に入った、カレーの箱をそっと床に下ろし、
エドガーは早速お目当てのものを取り出す。
昼の弁当分の、瓶に入った強い﹃冒険者のラム﹄を。
﹁っかあー!うめえー!﹂
バスケットに入っていた、瓶から直にラムを飲む。
一息に瓶が空になる。
﹁ふぅ⋮!燃料たっぷり!これで昼からもしっかり働けるぜ!﹂
微妙に酒臭いため息をつきながら、おもむろにカレーに手をかける。
﹁父ちゃんは相変わらずラムが好きだねぇ﹂
その飲みっぷりに、アルマは呆れ顔でエドガーに言う。
それに対し、エドガーはカレーを食う手を止め、アルマに言う。
﹁ったりめえだろ。ガキのおめえにゃあまだ早えが、酒ってのはド
ワーフの命だ。
⋮それにただのラムじゃねえ。バルバトスのラムは﹃冒険者のラ
ム﹄だしな﹂
﹁冒険者のラムねぇ⋮あたしゃあんましうまいとも思わないけど﹂
まだ若いアルマが苦い顔をして言う。
ドワーフの大人たちがうまそうに飲む﹃冒険者のラム﹄を
501
アルマは少しだけ貰って舐めたことがある。
﹁辛いし苦いし⋮同じ冒険者の飲み物ならコーラの方がよっぽどう
まいよ﹂
﹁まぁ、大人になりゃあ分かるさ。ドワーフはみんな酒飲みだから
な﹂
そのときのことを思い出して顔をしかめるアルマに、エドガーは苦
笑して言う。
娘が羨ましい。若い時分から、こんなうまいものにありつけるなん
て、と。
エドガーたちドワーフの一族はみな、ものづくりと酒を愛する。
ちゃんとしたドワーフなら大抵は何かしらのものづくりの技を持っ
てるし、
大人になれば毎日のように酒を飲む。
そんな彼らがバルバトスに移住を決めた決め手が、
バルバトス特産の﹃冒険者のラム﹄だった。
バルバトスは、砂糖が特産の島だ。
当然砂糖の材料となる砂糖キビは島中で育てられている。
黒い砂糖
を得て交易品に
そして、バルバトスでは今、昔ながらの作成メニューを捨てて、
砂糖キビから絞り汁を取り、そこから
している。
理由は簡単、その絞り汁から﹃冒険者のラム﹄が作れるからだ。
冒険者のラム⋮それは砂糖キビと水を使い、作成メニューで作る、
酔っ払うだけの酒とは一線を画する存在である。
砂糖を取った後の絞り汁を、冒険者直伝の製法で﹃蒸留﹄したラム。
502
強いにおいと焼け付くような熱さ。そして何より素晴らしい味。
それらを兼ね備えた﹃冒険者のラム﹄は、今のところ冒険者の手で
設備が整えられたバルバトスでのみ作られている。
他の島で手にするには危険な航海を経る必要があるためか、
他の島々ではバルバトスの5倍、更に遠い大陸でとなると
実に30倍もの値になることもある。
にも関わらず人々がこぞって求める、魔性の酒。それが冒険者のラ
ムである。
エドガーたち、ドワーフの一族がバルバトスに移住を決める
きっかけとなったのも、冒険者のラムだった。
悪しき冒険者から逃れるために故郷の村を捨てる羽目になった後、
ドワーフの一族は、一瓶の酒を手にした。
たまたま村を訪れたドワーフの行商人が自分の寝酒に持っていた、
遠い島で作られたという、魔性の酒。
村を捨てることになったと聞き、哀れんだ行商人から貰った酒を飲
み⋮
ドワーフ一族は希望を見出した。
こんなにうまい酒がある場所が、悪い場所のはずが無い!
それは根も葉も無いものだったかも知れないが、
とにもかくにも目的が必要だった彼らにとっては天啓だった。
彼らは村の蓄え全部吐き出してボロ船を手に入れると、命がけの航
海に出た。
目指すは魔性の酒の故郷バルバトス。
その旅は苦難としか言いようが無かったが、お陰でバルバトスにた
503
どり着けた。
そこはまるで天国だった。
噂を聞きつけた移民や島や大陸の冒険者が集い、新しい居住区が作
られていた。
ここの王は温厚で、異種族であっても気にしなかった。
アキバとの交易のお陰で金が溢れ、貧民や移民であっても食い扶持
が転がっていた。
そして何より、﹃冒険者のラム﹄がこの島では恐ろしく安かったの
だ!
かくてドワーフたちはバルバトスに住み着き、がむしゃらに働き出
した。
それは、かつて失ったものを取り戻すためでもあり⋮
﹃冒険者のラム﹄をたらふく飲めるような生活をするためでもあっ
た。
それから2ヶ月。
アルマたちドワーフの民も含め、多くの移民がバルバトスに住み着
いた。
その数、実に3,000人。かつてのバルバトスの全国民の半分に
当たる数であった。
5
夕刻。
海で泳ぐ冒険者がいなくなった頃を見計らって仕事を終え、
海の家を片付けると、アルマたちは家へと帰る。
﹁ふぅー。今日もがっつり泳いだね﹂
504
﹁泳ぎ収めだしね。明日はシブヤに帰還かぁ⋮﹂
﹁しっかし銀行も大神殿もねえと不便だなあ﹂
﹁まぁな。暮らすにゃあモンスター狩って稼ぐ必要あるしな。
ま、ハバナにいた頃よりはずっとマシだろ。メシもうめえし、何
より平和だ﹂
﹁ちげえねぇ﹂
﹁で、ハバナからのお客さん、なんて?﹂
﹁ええ、向こうが持ってきたのは水棲系のドロップが結構な量と、
金貨が10万らしいです。
んで、欲しいのはアキバ産のケチャップとチーズ買えるだけ。
次の交易日に取引したいって言ってます﹂
﹁ああ、うん。分かった⋮
ってアキバの相場だとそれ、金貨だけで小さな船1隻分くらい
買えるぞ﹂
﹁いや、それが何でもこっちじゃ地球産の調味料ってかなり貴重だ
とかで、
ありったけ仕入れたいらしいです。ハバナもアキバの交易品が
出回るようになってから復興の兆しが見えたとかどうとか﹂
﹁⋮あー。クレセントムーンの奇跡再びって感じか、参ったなあ。
んなこと言われたら足元見たり出来ねえじゃんな﹂
﹁見るつもりもないですけどね。
この辺りも平和になってもらったほうが何かと得ですし﹂
﹁で、船の調子はどう?こっちでも蒸気船使えそう?﹂
﹁大丈夫っす。やべえモンスターが出る場所も大体特定できたっす。
︿カリビアン・ドレッド﹀の人らと一緒なら、
アエロー2号が完成する頃には大陸にも行けますよ﹂
505
﹁よう!景気はどうだい?旦那﹂
﹁ああ、お陰様で好調だ。まったくバルバトスは儲け話が多すぎて
逆に困るよ﹂
﹁お帰りなさい!パパ!﹂
﹁ああ、ただいま。ほーら、今日はお土産もあるぞ。
海の家で買った、アイスクリームだ。溶けないうちに、おあがり﹂
﹁やったあ!﹂
﹁⋮で、あとは蒸らせば⋮美味しいご飯が炊けるってわけ﹂
﹁なるほどね⋮ありがと!早速うちの宿でもやってみるよ!
米がうまく炊ける宿は、アキバの冒険者がよく来るようになるっ
て言うしね!﹂
﹁⋮黄金のラム?﹂
﹁ああ、アキバからの直輸入品で、冒険者のラムよりコクがあって
美味いらしい。
この前完成して、アンドレア様に献上されたんだと⋮﹂
冒険者と大地人が所狭しと入り乱れる、猥雑な街。
それがバルバトスの新たな居住区﹃リトルアキバ﹄である。
主に新たにバルバトスに移り住んだ大地人と冒険者が住むための場
所であり、
アルマたちのようなガイジンが集う街でもあった。
﹁お帰り!メシの準備できてるよ!﹂
アルマの村のドワーフが30人ばかり住んでいる、リトルアキバの
民家で、
仲間のドワーフの奥さんがアルマたちを出迎える。
506
﹁おう!おせーぞ!さっさと卓につけ!﹂
﹁そうだそうだ!﹂
既に帰ってきていたドワーフの男達が口々に言う。
この家の掟で、一族が揃うまでは食事も酒盛りも禁止なので、
アルマたちをさっさと席に着かせて夕食にしたいのだ。
﹁ああもう、ウチの男どもと来たら⋮﹂
﹁だね﹂
その様子にアルマたち﹃オーシャンブルー﹄組も苦笑しながら卓に
つく。
︱︱︱いただきます!
アキバ式冒険者の流儀で食事の祈りをさっさと済ませ、
アルマたちは一斉に食事を開始した。
酒と料理が飛び交う、宴と間違わんばかりの夕食。
それは、彼らがバルバトスでの暮らしに馴染んだ証でもあった。
6
やがて楽しい夕食を終え。
﹁ほれ。さっさと寝ろい。交易日から1週間しか経ってねえから、
明日も忙しいぞ﹂
﹁そうそう。アキバの冒険者は特に羽振りが良いから、
たっぷりお金を落としてもらわないと。
しっかり稼いどかないと、ラムの金も出ないからねえ﹂
一日の終わり、寝る時間が来る。
507
﹁はーい⋮﹂
返事を返し、ベッドに入る。
常夏のバルバトスと言えど、夜は冷える。毛布をしっかりかぶって
まどろむ。
温かい。すぐに眠気が襲ってくる。
﹁いつかウェンもこんな風になると良いなぁ⋮﹂
幸せな一時に懐かしい故郷の夢を⋮
悪しき冒険者の手で荒れ果てる前の﹃ウェンの大地﹄の夢を見なが
ら。
アルマはゆっくりと眠りについた。
508
海外編1 外人のアルマ︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに今回の舞台は、ヤマトの国じゃありません。
バルバトスはカリブ海に浮かぶ島国ですので、ウェンの大地となり
ます。
509
第13話 行商のクラウド︵前書き︶
今回の舞台はウェストランデの外れにある村。
テーマは﹃商人﹄
一応第3話とは内容が被らないようにしております。
510
第13話 行商のクラウド
0
行商人クラウド=ロレンツの幸運は、秋から始まった。
一枚の紹介状。
怪しげなとある商人との情報交換の折、持ちかけられた
詐欺まがいのそれが、運を切り開くきっかけとなった。
クラウドとてナインテイルでそこそこの経験を積んだ、行商人であ
る。
普通ならば間違いなく金を出さない類の代物だった。
ただ、相手が良かった。
ロングコーストの交易商 ルドルフ。
猫人族でありながらナインテイルでも屈指の大商人である彼は、
施しこそしないが、面白いと思えば誰であってもチャンスを与える。
それに近づくチャンスと思えば安いもの。
そう思い、紹介状を手に入れて、ロクに知りもしない
大商人の伝手を辿ってきた間抜けの振りをして、ルドルフと会った。
結果は⋮まあ成功と言ってもいいだろう。
相手も常人離れした嗅覚と幸運を持ち、一代でのし上がった海千山
千の大商人。
どうやらこちらの意図は見透かされはしていたようだが、
度胸を見込まれてアキバへの片道切符を買うことができた。
511
身一つで金貨1,000枚は正直かなりの出費だったが、
ナインテイルからアキバへ行ける船はそう多くない。
チャンスと割り切って長年連れ添った馬と馬車を処分して金を捻出
し,
その金でロングコーストで香辛料を仕入れてルドルフの船に乗った。
アキバは本当に儲け話にあふれた街だった。
天秤祭りで己が身一つで持てる範囲で高価な品だった、
貴重な大陸産の香辛料を商って金を稼ぐと、
それを元手にびっくりするほど揺れが少ない、
タイヤとサスペンダーがついたアキバ製の幌馬車を馬つきで1台買
い、
土地勘をつけるためにあちこちを行商して回った。
クラウドは他の商人には無い武器⋮名前と容姿を持っていた。
クラウド=ロレンツという名前とくすんだ灰色の髪、
それに冒険者に指摘されてから薄く伸ばして整えた顎ひげを加える
と冒険者
⋮特に商人の冒険者に妙にウケが良かったのだ。
冒険者に聞いたところ、どうやらクラウドは冒険者に伝わる物語の
主人公に
名前と容姿が似ているらしい。
英雄でも何でもない一介の行商人の物語なんてものがあるのには随
分驚いたものだ。
聞き出したところに寄れば独特の訛りのある、狐尾族の少女︵話を
聞くに
狼牙族かとも思ったが耳と尻尾が常に出ている善の種族は狐尾だけ
だ︶と
行商の旅をする話らしい。
512
それ以上は良く分からなかったが、とにかく使えるものがあるなら
とことん使うのが商人というもの。
クラウドは自らの容姿と名前を利用し、更に条件を満たしそうな
あやかる
ことで幾つかの冒険者の商店と馴
狐尾の傭兵を探し出して護衛に雇い、
その行商の主人公に
染みとなり、
良い仕入先を手にした。
幌馬車であちこちを巡ること2ヶ月。
辺りの土地勘と商品の知識を手にし、アキバの交易品を積み、
彼はアキバを離れ西へと向かう。
危険な魔物が跋扈するこのヤマトでは、行商は命の危険と引き換え
に金になる。
キギョウ
での戦いを極めし者﹃サラリーマ
そしてアキバのものを売り、その土地のものを仕入れながら旅をし
ていくうちに、
彼は出会った。
1人の冒険者商人⋮
ン﹄の称号を
持つ男に。
﹁第13話 行商のクラウド﹂
1
昼下がり。あと2時間ほどで日も沈みだす時刻。
クラウドは馬車を走らせ、ウェストランデの端にある村を目指して
いた。
﹁ご主人!スリーサンズの村が見えてきたにゃ!
この速さならあと1時間ってとこゃ!﹂
513
大事な商品を積んだ幌馬車の上に軽々と上った護衛兼飯炊きのフィ
ロが、
遥か遠くに見える村並みを捉え、酷い猫人訛りでクラウドに告げる。
﹁よし、今日はとりあえず布団で休めるな⋮フィロ!﹂
﹁分かってるにゃ!﹂
そう言って頷くと、フィロは狐尾族の特徴である焦げ茶の耳と尻尾
を隠して
ぴょんと飛び降りて御者台の隣に座り並ぶ。
腰鎧も兼ねた魔物の革を使ったスカートと汗を良く吸うシャツに
厚手の毛皮のベストを重ね、腰には素早い動きを重視して選んだレ
イピア。
どう見てもただの護衛であり、間違っても一流の暗殺者には見えな
い姿であった。
狐尾族がウェストランデで大規模な反乱を起こしてから、二十余年。
ウェストランデでは狐尾族はお世辞にも好かれているとは言えぬ種
族となった。
それゆえ、必要以上に自らが狐尾族であることを明かさぬことは、
生き残るのに必要な知恵。
それはロングコーストからルドルフの船で移民兼船の護衛としてア
キバに流れてきた、
シノビの一族の娘であるフィロも良く知っており、耳と尻尾を隠し
続けるのも
お手の物だ。
﹁これで大丈夫にゃ!あっちが狐尾だと見抜ける奴なんてまずいな
いにゃ!﹂
⋮代わりにロングコーストで染み付いた酷い猫人訛りだけはどうし
ようもなかったが。
それから1時間後。
514
スリーサンズの村で唯一の宿の部屋を借りたクラウドは、フィロに
馬の世話を任せて
最近この辺りでも作られるようになったエールを飲みながら、
明日からのことを考えていた。
︵とりあえず生活必需品は売れたが⋮︶
宿屋に行く前に寄った町の商店では、持っていった商品を多少の儲
けが出る価格で
売ることに成功した。だが、少し引っかかるのは⋮
︵⋮まさか売れ残りまで欲しがるとはな︶
幌馬車に少しだけ残っていた、アキバの交易品⋮
ウェストランデではまだ馴染みの薄い商品である﹃魔物武具﹄に
商店の主は随分と興味を示した。
︵いや、確かにモノは良いんだが⋮︶
クラウドが持っていた魔物武具は、斧とナイフ、そして弓矢。
どれも装備レベルは10と最下級のものだが、それでも普通の鉄製
のものとは
出来が違うし、仕事用の道具として使っても丈夫で長持ちするので
本職には便利だ。
︵しかし、全部とはな⋮しかもほぼ入れ違いに武装した連中が入っ
てきた︶
恐らくはこの村の自警団なのだろう。彼らは熱心に買いたての武器
を調べていた。
⋮どれくらい、わずかでも優れているのかを、真剣に。
︵武器や鎧はそうそう買い換えるものじゃない。なのに⋮︶
なにやら少し嫌な気配を感じていた、そのときだった。
﹁よう!クラウド!奇遇だな!﹂
どっかりと、遠慮なくクラウドの隣の席に、1人の中年の男が腰を
下ろす。
無精髭によれよれのコート、短く刈りそろえた黒髪に、きらきらし
515
た少年のような眼。
﹁うわ!?山本さん!?﹂
いきなりの知り合い⋮冒険者商人の登場にクラウドは驚いて声を上
げる。
その直後。
﹁ご主人!大変にゃ!馬小屋に黒王号がいたにゃ!多分⋮あ﹂
山本の愛馬⋮恐ろしくでかいがとりあえず普通の馬︵少なくとも脚
が8本あったり
目が3つあったりはしないし、角や翼が生えていたりはしないし、
水の上を走ったりもしない︶を見たフィロが酒場に飛び込んでくる。
﹁よう!フィロちゃんも一緒か!久しぶりだな!儲かってるか?﹂
唖然とする2人に、山本が気さくに声を掛ける。
﹁⋮ええまあ、それなりには﹂
﹁⋮にゃん。商売もうまく行ってるし、あっちも元気にゃ﹂
その山本に仕方なくクラウドとフィロが返答を返す。
﹁そうか!そいつぁ良かった!﹂
1人上機嫌でビールを飲みながら馬鹿笑いする山本。
エイギョウ
を続けているやり手の冒険者商人で
山本はクラウドが知る限りではアキバに薬屋を持っていながら行商⋮
彼に言わせれば
ある。
相棒は黒くてでかい馬だけで、荷馬車は持っていない。
何でも馬につけた鞍鞄が魔女から貰った特別製で、荷馬車一台分く
らい入るらしい。
ついでに恐ろしく腕が立つ⋮Lv90なだけに護衛も不要であり、
彼の行商の移動はクラウドから見るとかなり早い。
そんな山本は何故かクラウドとフィロのコンビを気に入ってるらし
く、
516
時々会うとこうして好意的な様子を見せるし、
手土産代わりに良い儲け話を持ってくることが多い。
にも関わらずクラウドとフィロが彼を苦手にしている理由はただ1
つ。
︵⋮また、厄介ごとに巻き込まれなければ良いが⋮︶
︵いや、多分何かは分からないけど山本が来るならなんかがあるに
ゃ︶
山本が現れた街では、大抵厄介ごとを抱えているのだ。
2
翌日。
一晩ゆっくりと休み、身支度を整えたクラウドはフィロと、
ついでに山本と共に村長の屋敷へと向かっていた。
今朝、山本が言い出したのだ。
﹁お前さん、今回は仕入れだろ?俺もだ。一緒に行かないか?﹂
山本はこのスリーサンズの売りが何かを知っていたらしい。
数日前、近隣の交易都市であるハママツでクラウドはアキバの商品
をあらかた
捌き終え、アキバへ帰るときに積む交易品を調べた結果、スリーサ
ンズに行き着いた。
ミカンと呼ばれる特殊なオレンジを栽培している辺境の村。
普通のオレンジと比べて甘みが強く、アキバではかなりの値段で取
引される。
食糧⋮特に果実などの嗜好品に近い食糧はアキバへの交易品として
ピッタリだ。
517
そう判断し、クラウドは確実に売れるが儲けは薄い生活必需品を仕
入れて
スリーサンズを訪れたのだ。
︵なんか⋮昨日は気づかなかったけど、やばい気配がするにゃ︶
︵⋮ああ︶
山本の後ろを歩きながら、2人はひそひそと小声で会話しながら辺
りを観察する。
村で仕事をする人々が皆、一様に表情が暗い。何かに怯えているよ
うに見える。
︵おまけに山本付きにゃ。あっちたち、やばいタイミングで着ちま
ったみたいにゃ︶
元々の種族特性なのかシノビの習性なのか、はたまたただの性格な
のか、
フィロはこういうときの勘は鋭い。
︵そうだな。最も⋮︶
ちらりと前を歩く山本の背中を見る。
︵こうなると山本さんが居たのは幸運だったか︶
︵だにゃん︶
どうも山本はこの手のトラブルをわざわざ探してやってきてるよう
に見える。
そして、山本が来るとき⋮それは。
︵山本さんなら、何とかするだろうしな︶
その厄介ごとを払い飛ばすときなのだから。
3
﹁なるほど⋮ミカンの買い付けにアキバから﹂
﹁はい。こちらのミカンは随分と評判がよろしいようでしてね。
1つ、儲けさせて頂きたいなと。私は旅の商人でクラウドと申し
518
ます﹂
通された屋敷で客人を出迎える村長にクラウドは丁寧に挨拶をする。
ここでしっかり話を通しておかないと、いつ揉め事に繋がるか分か
ったもんじゃない。
﹁なるほどなるほど。クラウドさんですか。
私はこの村の長をしております、ブライアンと申します。
アンドリューから話は聞いております。
昨日、商店に良い武器を持ち込んで下さったとか﹂
﹁おや、耳が早くていらっしゃる。正直助かりましたよ。
あの手の物は欲しがる人が限られてますからね。
それだけに売れれば結構な儲けになるんですが、少し仕入れを欲
張り過ぎました﹂
苦笑しながら、談笑する。
︵よし。とりあえずはこれで良いだろう︶
その会話に手ごたえを感じながら、一旦会話を打ち切る。あとは。
﹁さて、クラウドさんが買い付けにいらっしゃったと言うことは、
そちらの方も⋮?﹂
クラウドとの会話がひと段落し、ブライアンもう1人の商人らしき
中年の男を見る。
小綺麗にしているクラウドとは対照的に、よれよれのコートを着た、
男。
商人というよりはごろつきや傭兵と言った方がよさそうな感じの男
だ。
﹁はい。私、アキバから参りましたもので、こういうものです﹂
男、山本は落ち着き払って、いつもの動作をする。
一枚の小さな紙を取り出し、そっとテーブルの上におく。
そこに書かれた文字は⋮
519
﹁第8商店街所属、薬屋ヤマモトヒロシ代表、山本⋮?薬屋、です
か?﹂
﹁ええまあ。つっても薬だけじゃなくて色々やってますがね﹂
困惑気味の村長に対して、山本は不敵に笑う。
そして会話を始めようとした、そのときだった。
﹁ご主人!大変にゃ!今村の入り口に亜人どもが来てるにゃ!﹂
ガタリッ
村の様子を調べていたフィロがもたらしたその言葉だけで、
村長は慌てて立ち上がり、家を飛び出す。
﹁クソ!やっぱり山本が着たのはそういうわけか!﹂
それについて行くようにクラウドも屋敷を飛び出す。
﹁ご主人!﹂
それを追って、フィロも屋敷から去る。
﹁⋮やっぱりか。なぁんかキナ臭えもん見ちまったと思ったらな﹂
そして最後。旅の道中で見た胸糞の悪いものを思い出しながら、
山本も立ち上がり村長の後を追った。
4
牛の頭を持つ化物がいた。
ミノタウロス
馬鹿でかい戦斧を持った、牛の頭を持つ亜人⋮︿牛頭亜人﹀。
小型の巨人にも匹敵する大きさを持つ、亜人の中でも高位の戦闘能
力を
持つモンスター。
手斧
であり、
その背丈は大人3人分にもおよび、青い牛の頭からだらだらと涎を
こぼす。
手にした戦斧もクラウドの背丈以上の大きさの
520
片手で振るだけで、人間どころか小屋を吹っ飛ばせそうだ。
ピギュィィィィ!
その足元には、取り巻きなのか豚の頭を持つ亜人⋮醜豚亜人が数匹。
下品な鳴き声を上げながら、辺りを見回している。
徴税
部隊か!﹂
彼らの前には、食糧が積まれた荷馬車。それは村人が用意したもの。
オーク
﹁⋮︿醜豚亜人﹀の
であるが故に。
その姿に、長年ナインテイルで行商をしていたクラウドは、すぐに
天敵
正体を見破った。
それが行商人の
陸の商人にとって最も恐れるべきモンスターは亜人種族である。
本能のままに動く獣系のモンスターは、彼らの縄張りさえ侵さなけ
れば
襲ってくることはないし、行商が旅で出会う彷徨う死者の類は大抵
野生動物以下の
知能しか持たず動きも遅いので、事前に察せれば逃げるのはそう難
しくない。
しかし亜人は違う。亜人は人間並みの知能を持ち、徒党を組んで襲
う。
しかもタチが悪いことに旅する商人が金や食糧、そして各種商品を
持ち運んでいることを知っており、行商や隊商は彼らの格好の的と
なる。
行商や隊商が襲われて死ぬとき、それは大抵亜人による略奪に護衛が
敗北したときなのだ。
そして、その中でも知能が回る︿醜豚亜人﹀はたまにこういう行為
に出る。
521
奴隷化
する、
徴税。このまま略奪に入るまで、村の物資を奪い続ける行為。
酷いものになると、何年も弱い辺境の村人たちを
残虐な︿醜豚亜人﹀独特の方法である。
︵⋮フィロ、お前、何とかできそうか?︶
一応尋ねたクラウドの問いかけに、フィロは顔を真っ青にしてブン
ブンと首を振る。
︵バカ言っちゃいけないにゃ。アレは雌狐様でもなきゃ
手を出したらいけない相手にゃ︶
︵⋮だろうな︶
フィロの言葉にクラウドも頷く。
何しろ相手はクラウドの背丈より大きい巨大戦斧を軽々と振り回す
亜人だ。
あんなものに勝てる大地人などまずいない。
⋮そう、大地人なら。
この危機的状況にあって、クラウドとフィロはこの場でただ2人、
落ち着いていた。
︵仕方ない。山本さんを待つか︶
︵賛成にゃ!この手の事件はほっといても山本がなんとかするにゃ︶
︵だな。何しろ相手は⋮サラリーマン、だ︶
の本領を
とは、恐るべき力を
もう一つの肩書き
サラリーマン
クラウドはかつて2度ほど似たような事態に巻き込まれたことがあ
るため
知っている。山本が自称する
秘めた
冒険者商人の称号であること。
そして、こういうときこそ、山本が
発揮することを。
予想通り、その場に着いた山本が動き出す。
522
﹁おお!なんてこったい!?つくづく化け物に縁があるな、俺﹂
鞄から取り出した、両手剣を入れた鞘を担ぎ、よれよれのコートを
着た山本が、
芝居っ気たっぷりに牛頭亜人の前に躍り出た。
真っ赤に燃える凶眼が、その、自分から見ると随分小さな男を捕ら
える。
取り巻きの醜豚亜人たちが、1人飛び出したバカな男に嘲笑を浴び
せる。
﹁お、おい!?アンタ、逆らうと危ないぞ!?﹂
恐ろしい化物の前に立った山本に、遠巻きに見ていた村人が声をか
ける。
﹁分かってますよ。安心してください。危険に首突っ込むなぁ俺の
仕事ですから﹂
そんな言葉をどこ吹く風で山本は牛頭亜人を見据える。
﹁⋮レベルたったの50。ゴミめ⋮なんてな﹂
そう、呟いた瞬間。
ブモオオオオオ!
牛頭亜人が凄まじい勢いで戦斧を振り下ろす!
﹁うお!?アブね!?﹂
その一撃を⋮あっさり山本はかわした。
周囲が常識外れの動きを見せた山本にみながどよめく。
﹁ふざけてる場合じゃあねえな、うん!﹂
そう言うと背負っていた鞘から愛用の両手剣を抜く。
その様に訪れたのは⋮沈黙。
亜人たちも含めてクラウドとフィロを除く皆が息を呑んだ。山本が
手にした剣に。
523
それは、剣と呼ぶには余りに常識を外れた代物だった。
その美しさは一国の王が持っていてもおかしくない⋮
否、王でも手にできるか怪しいほどの凄烈な美しさを持っていた。
刀身から漏れるのは村で呪い師を営む老婆が腰を抜かすほどの強大
な魔力。
赤竜の鱗と蒼龍の牙、そして雷竜の瞳で作られた、逸品。
一介の行商人風情が持っていてはいけない⋮魔剣。
アキバで金貨15万枚もの値がつく、装備Lv90の高位製作級両
手剣︿三竜殺し﹀
行商を始める直前、山本がヤマモトヒロシでの儲けをつぎ込んだ、
愛剣であった。
﹁いくぜ⋮︿絶命の一閃﹀!﹂
気合と共に一閃⋮そして一撃必殺。
その一撃は受け太刀をしようとした斧ごと牛頭亜人を両断する。
Lv90の暗殺者が、最高の武器で放つ奥伝の一撃。
ただの一撃で牛頭亜人は袈裟懸けに叩き割られてどうと倒れた。
ブヒィィィィ!?
予想外の事態に、醜豚亜人が泡を喰って逃げ出す。
それを見届けて、山本は剣を再び鞘に収めた。
﹁ふぅ⋮皆さん、大丈夫ですか∼!?
牛の化けモンはほれこの通り、片付きましたよ∼!﹂
︿牛頭亜人﹀が絶命し、︿醜豚亜人﹀が逃げ出したのを確認し、
剣を鞘にしまいこんで辺りに無事を知らせる。
辺りは静寂に包まれたままだった。
524
﹁あ、貴方様は一体⋮?﹂
やがて、村長が意を決し、代表して皆の疑問を山本に尋ねる。
山本はそれに飄々と答えた。
﹁一体も何も、さっき名刺をお渡しした通り第8商店街の⋮
あれ?もしかして伝わってませんでした?﹂
ボリボリと頭を掻く。それもまた、演出。
﹁そうだったそうだった。もう1つの名刺、お渡ししてませんでし
たね。
いやすみません﹂
わざとらしく、もう1つの肩書きがついた名刺を取り出す。そこに
書かれているのは。
︱︱︱アキバ円卓会議公認 クエスト斡旋業 山本
﹁このとおり、アキバの冒険者に依頼紹介する仕事を副業でやって
おりまして。
ま、俺自身も一応、冒険者ですがね﹂
﹁ぼ、冒険者⋮!?﹂
受け取った村長がその称号に息を呑む。
村に訪れたことなど数えるほどしかない、異能の超人。
それが目の前に立っているなどにわかに信じられなかったのだ。
︵やれやれ⋮また、始まったな︶
︵だにゃん︶
だけ
鍛えぬいた彼の剣は、
目の前で繰り広げられる光景。それはクライヴには見慣れたものだ
った。
山本。暗殺者として、一撃必殺の技
大抵の魔物を一撃で屠る。
その技で、魔物の脅威に怯える大地人に取り入ると、彼はこう言い
出す。
525
﹁ええ。冒険者です⋮っつっても所詮は商人なんで、大して強くな
いんですがね﹂
﹁あ、あれで強くないと!?﹂
泡を喰って叫ぶ村長に山本はおもむろに頷いて返す。
﹁もちろん。本職の騎士様はもっと凄いですよ。俺はただの斡旋人
ですから。
⋮で、お困りのこと、ありませんか?さっきの豚人間どものこと
とか。
アキバの冒険者が力になりますよ?もちろん相応の対価を頂きま
すがね﹂
その言葉に、村長が頷くのに、そう時間は掛からなかった。
5
﹁なるほど⋮ここから少しはなれたところに、オークの巣が﹂
﹁はい。何日か前に近くにあった村が滅ぼされ、そこに居ついてし
まったのです。
しかもただの豚の亜人だけでは無い、あのような牛の亜人も何匹
かいる、
数百規模の連中です﹂
村長の家に、山本とその従者であろうクラウドを通し、村長は説明
を始めた。
﹁それは、大変でしたね⋮つまりそのオークの巣を潰して欲しいっ
てことで?﹂
﹁⋮お願いできますか?﹂
﹁できますよ。冒険者を何人か派遣すりゃあ何とかなるでしょう⋮
で、報酬ですが﹂
いよいよ本題。村長は身を正す。
亜人の退治は絶対に必要だが、かと言って徴税に晒されてた
村の蓄えの残りはそう多くない。
526
果たして、オークの巣の退治に足るだけの金になるか⋮
﹁ま、村の蓄えで金貨で2万は出せますが、それ以上は⋮﹂
今のところ、金貨で用意できるのは2万ほど。それでも小さな村で
は充分大金だ。
だが、それで果たして領主様ですら騎士団を出すのを躊躇するほどの
強さを持つ亜人を倒す報酬足りえるか⋮
しばし悩み、村長は追加の報酬を思いつく。
﹁⋮代わりに村の若い娘を差し上げます!齢は16で⋮﹂
この前、オークの巣となった村で1人生き残り、天蓋孤独となった
娘。
それで何とか値切ろうと言う村長の意図は、完膚なきまでに破壊さ
れた。
﹁⋮村長さん、一つだけ、言っておきます﹂
山本の、低く座った声で。
﹁は、はい⋮?﹂
戦いなど縁の無い村長だったが、山本が発した殺気を悪寒として感
じ取り、
目を白黒させながら山本に尋ねる。
そして山本は、その言葉を口にする。
﹁アキバじゃあ人身売買は重罪でしてね⋮女子供は、報酬にしちゃ
いけねえんですよ﹂
彼にとって譲れない一線を。
﹁そ、そうなのですか⋮?﹂
﹁ええ。今回は聞かなかったことにしますが⋮次は無いと思ってく
ださい﹂
それを破るのなら⋮自分は仕事をする気は無い。
それは商人として⋮否、人としての最低限守るべきものであると考
えるが故に。
﹁わ、分かりました﹂
その本気を感じ取ったのだろう。村長が慌てて頷く。
527
それを確認すると、山本はまた笑顔になって言う。
﹁それに、報酬なら問題ありません。2万しか出せねえっつうんな
ら仕方ない。
金貨2万で手を打ちましょう﹂
﹁よろしいのですか!?﹂
一転、村長が思わぬ朗報に身を乗り出す。
﹁ええ。と言ってもやるのは俺じゃなくて、別の冒険者ですがね。
3日ほどください。それで片つけますんで﹂
その村長の手をがっしりと取り、山本も笑みを浮かべたまま、言う。
﹁み、3日!?わずかそれだけで!?﹂
﹁ええ、早い、安い、お仕事確実がウチのモットーでしてね﹂
問題ない。今までの自分の武器を使えば充分可能だ。
そう、山本が考えながら、契約を結んだ。
ハママツのオーク退治が正式に円卓会議公認のクエストとなった瞬
間だった。
6
帰り道。
﹁良かったんですか?﹂
2人の間で会話を黙って聞いていたクラウドが、山本に尋ねた。
﹁ああ?報酬か?﹂
﹁ええ。私から見ても随分と安いと思うんですが﹂
オークの巣の退治。冒険者にしかこなせぬ仕事だし、
如何に冒険者と言えど10人程度は必要な仕事だろう。
それで報酬は全部で2万。人数で割れば2,000枚前後。
大地人には大金だが、冒険者にとってはそれなりの値段でしかない。
商品
をお買い上げ頂いた代金だからな﹂
そんなロレンスに自分には無い若さを感じながら、山本は頭をボリ
ボリ掻いて言う。
﹁いいんだよ。差分は
528
なのだ。
山本は知っている。これはサラリーマンにとって、これはある種の
戦争
﹁⋮商品?﹂
﹁ま、終わったら教えてやるよ﹂
そう言ってクラウドとの会話を打ち切ると、山本は右手をそっと耳
に当てる。
左手で喉を揉み、あーあー、と発声を確かめる。
サラリーマン
の秘儀が今、繰り出される。
その様子に、クラウドは黙り込んだ⋮山本が準備に入ったことを悟
ったのだ。
百戦錬磨の
﹁⋮おう!ハナちゃんか?俺だ、山本だ。
実はよ、ひとっ走りクエスト発行所行って依頼出しといて欲しい
んだよ。
クエスト内容はオークの巣の殲滅。推奨はLv60以上の2パー
ティー。
報酬は全員で金貨3万。ドロップその他持ち帰りOK。
興味ある方は生産ギルド街のヤマモトヒロシまで。な?頼むよ。
ハナちゃんの欲しがってたあれ、今度仕入れてきて社員割引で売
るからさ﹂
まず1つ。さらりと報酬を上乗せしながら、部下に依頼を出させる。
それだけならば、肩書きを考えれば普通のこと。だが、山本の本領
はここからだった。
﹁⋮あ、どもども。山本です。鳥丸ちゃん、元気?
いや、実はさ、明日か明後日に、一つ頼まれて欲しいんだよ。
ハママツの近く。スリーサンズって村にさ、冒険者乗せて来て欲
しいんだ。
529
な、頼む⋮OKか。助かる。今度俺の店によってよ鳥丸ちゃん。
婆さん用の軟膏、鳥丸ちゃんには儲け0で譲っちゃうからさ俺﹂
﹁⋮おう。拓ちゃんか?俺だ。実は、頼みたいことがあるんだ。
今、俺静岡にいるんだけどさ⋮知ってた?静岡って茶だけじゃな
くて
蜜柑取れるんだよ。それでさ、蜜柑の良い栽培方法、調べといて
くれないか?
今からやっときゃ来年の秋には実りも良くなりそうだしさ。
⋮いや悪いな。ほんと助かる。あ、迷惑ついでに、もう1つ、
頼まれちゃくれないか?
いや実はさ、アキバで子供服とか作ってるギルドと知り合ったん
だけど、
孤児院の子供らに着て貰いたいんだと。
拓ちゃんとこの孤児院なら色んな人が来るから良い宣伝になるん
だとさ。
⋮え?それは喜んで引き受けるけどそれとは別に大人の女の人向
けの服?
はは、なんだよ拓ちゃん色気づいちゃって。モテる男は憎いね。
分かった分かった。頼んでおく﹂
﹁こんちは。ユリアさんですか?どもども、山本です。
ええ、実は前に頼まれてた子供服のモデル、見つけましたよ。
マイハマの孤児院の子供達なんですが⋮あ、大歓迎。良かった良
かった。
あ、それとちょいと大人向けの服も頼まれちゃくれませんかね?
金髪エルフの20代半ばの女の人だから、ちょっと落ち着いた⋮
あんまり露出が無い、清楚な感じの服で頼みます。
お洒落とかと縁がなさそうな人なんで、見立ては任せます。では
では﹂
530
矢継ぎ早に繰り出される言葉。
山本は冒険者の魔法で遠くに離れた冒険者と言葉を交わし、
次々と約束を取り付けて行く。
サラリーマン
を自称する山本の秘
オークの巣の殲滅と言う一つのクエストだけで幾つもの話を転がし
ていく。
それこそが冒険者でも珍しい
儀だった。
7
5日後。
全てを終え、大量に買い付けた蜜柑を鞍袋に詰め込み、
アキバへと帰る山本の馬に並走しながらクラウドは尋ねた。
﹁しかし、随分と大判振る舞いでしたね﹂
事件の解決までに3日。それから勝利の記念の宴に丸1日。
その間、山本は村の用心棒がてら、蜜柑の栽培について冒険者の手
法を伝授し、
更に持っていた薬品類も安値⋮
アキバのヤマモトヒロシで買うのと同じ値段で売りさばいていた。
そして、宴の翌日、未だ寝ている依頼解決に来た冒険者を置いて
︵後で鳥丸という冒険者商人が回収しに来る手はずになっているら
しい︶
随分と惜しまれながら一足先に村を出た。
﹁報酬も山本さんが上乗せしてましたし、割引された蜜柑の売却益
を考えても、
運が悪ければ赤字では?﹂
山本の売買にちゃっかり相乗りしたクラウドは予想より儲けを出せる
目算が立っているだけに、余計にこの知り合いが損をするのが気に
531
なった。しかし。
﹁いや、しっかり黒字だぜ?俺にとっては﹂
そのクラウドの問いに山本は首を振り、自分の考えを述べる。
﹁こういっちゃなんだがよ。俺はこっちじゃあ金にはそこまで拘っ
てねえんだ。
金稼ぐだけなら、アキバで店の経営に専念してた方がよっぽど儲
かるしな﹂
薄利多売を標榜し、誰に対してもグランデール並みの安さで売る
ヤマモトヒロシの儲けは大きい。
の店なのだ。
長年のサラリーマン生活と独立に向けての研究の成果を駆使した
本気
そう簡単に学生なんぞに負けては居られない。
その理念を持って経営しているヤマモトヒロシの儲けは一介の冒険
者が稼ぐには
些か大きすぎる金を稼ぎ出す。
金は充分。そう判断したからこそ、山本は今の副業を始めた。
﹁俺が欲しいのは⋮信用なんだよ﹂
この世界において、更なる高みを目指すために。
﹁信用?どういうことにゃ?﹂
フィロが山本に尋ねる。
それに山本は教師が生徒に教えるように、答える。
﹁例えばよ、俺はスリーサンズじゃあもうちょっとした顔役だぜ?
俺が頼めばある程度ならしてくれるし⋮冒険者が着ても嫌な顔は
しねえだろ﹂
アキバに篭っていては、決して目指せぬ場所がある。
﹁世の中、嫌われたらおしまいだからな。金があってもてめえにゃ
売らねえって
なったらどうしようもない。奪うのもダメだ。農業は素人の俺ら
じゃあ
最初の1年は良くても後が続かねえ。餅は餅屋。農業は百姓。
532
プロに作ってもらって、ちゃんと金払って円滑に取引。
その方がお互いのためだろ?﹂
それは例えば同じ第8商店街の商人が、ハツシマ島に一番乗りして
手にしたもの。
供給元の確保。それこそが山本がわざわざ営業に出てまで求めたも
のだ。
﹁なるほど。確かに﹂
山本の話にクラウドは納得する。
ナインテイルでの8年の行商生活では、何年かかけて誠実な取引を
して得た信用は
を商品とし、それと交換で信用を買
色々と助けになった。目の前の男が欲しがっているのはそういうも
冒険者の戦闘能力
のなのだろう。
︵つまり
ったというわけか︶
それならば納得できる。自分が誠実であること⋮
利用価値があることを示すために、山本は一見安売りとも見える値
段で
取引をして見せたのだ。そしてそれは⋮
﹁来年以降、実を結ぶと言うわけですか。蜜柑の買い付けにおいて﹂
来年以降、きっとあの村の人間は他の冒険者や貴族の誰よりも山本
を信用する。
それは去年の恩の分があるうちは特に。
そして彼が信用を紡ぐ努力を怠らぬ限りずっと。
﹁ああ、俺がきっちりプロデュースしてやりゃあ、あそこはもっと
もっと伸びるぜ。
蜜柑との産地ってだけじゃねえ⋮ミナミとのシェアの最前線だか
らな﹂
﹁シェア⋮?﹂
聞きなれぬ言葉にクラウドが話の続きを促す。
﹁シェアってのはどこの勢力の息が掛かってるか⋮
533
ま、ようするにどこと仲良くしてっか、だな。
アキバより東の方は、もう完全にアキバが取り込んでる。
夏のアレもあったし、イースタルの英雄様がドサ回りして
恩の大安売りしてっからな。
最近じゃ格闘家ってだけで扱いが良くなるってくらいだ。
こっちはよっぽどヘマしなきゃゆらがねえ﹂
そこで一旦きり、話を続ける。ここからが大事なのを強調するよう
に。
﹁けど西はまだ微妙なんだよ。上の方はミナミが取り込んでっけど、
下はまだどっちの息も掛かってない﹂
﹁なるほど⋮それで、シェア、ですか﹂
アキバでの噂は聞いている。
個々人ではともかく、街全体ではアキバとミナミの仲は余りよろし
くないし、
ナインテイルで、ミナミがナカスを潰してナカスにいた冒険者を取
り込んだ
という話は、噂で聞いて知っている。
ナカスと違い、互いに互角の勢力圏だけに、被害を考えると直接ぶ
つかりあうことは
まずしないだろうが、ちょっとした衝突なら充分に考えられる。
﹁おう。こっから先、何があるかは分からないけどよ、今のうちに
シェア⋮
こっちでの顔をでかくしとくのは、悪い手じゃねえ。
エンタクもそこは分かってるんだろうな。
第8の若旦那通して肩書きだけくれって頼んだらあっさり許可下
りたし﹂
アキバの支配者、円卓会議の公認。それは名前だけでも相当な力と
なる。
肩書きと言うのは馬鹿に出来ないと、長年のサラリーマン生活で山
本は知っている。
534
﹁確かに、ウェストランデにアキバ寄りの村は貴重ですからね。価
値はありそうだ﹂
山本の意見にクラウドも頷く。
スリーサンズと仲良くしておけば、近くの交易都市であるハママツ
にも影響がある。
ハツシマ島に近いアタミの街がアキバとの交流が盛んなのと同じよ
うに。
東と西の合流点をどちらが押さえるか。商売一つとってもそれは重
要なことなのだ。
無論、そんなきな臭い話だけではない。
﹁ま、単純に蜜柑の仕入れ先押さえられたってのも商売としてはで
けえけどな。
熊本はナインテイルで遠いし和歌山はウェストランデのど真ん中。
愛媛に至っては作ってるのかすら怪しい。黒猫のおっさんくらい
だろ。
他の蜜柑仕入れて来んの﹂
あの大地人の交易商人は長年大地人相手の商売やってるだけあって
売れるものの
見極めには強いが、如何せん来るのは月に2度程度⋮
何かに特化して運んで着たのは6月の砂糖キビだけだ。
なればこそ、蜜柑はアキバでは供給不足で、高く売れる。
冬に蜜柑を欲しがる冒険者は多いのだ。
﹁つうわけだからよ。馬車に積んだそいつと俺の鞄の中のもんは、
高く売れるぜ﹂
﹁ええ、でしょうね﹂
商売は情報が命。
アキバが蜜柑を求めていて、持ち帰れば結構な儲けが出るのは、
クラウドとて分かっていた。
だからこそ、ウェストランデの端までこうして馬車で買い付けに来
535
たのだ。
﹁ま、とりあえず今回は⋮﹂
﹁お互いよくやったな﹂
冒険者と大地人。それはある意味別の生き物と言っても良いくらい、
違う。
だが、商人同士ならば、互いにある程度、理解しあえる。
そういうものだと考えながら、クラウドと山本は、それぞれ馬を走
らせる。
それぞれに、明日を夢見て。
536
第13話 行商のクラウド︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに山本さんは前に少しだけ出てきたことがあったり。
537
第14話 呪い憑きのマリアンヌ︵前書き︶
今回は少し、変わった人々のお話となります。
ログ・ホライズン05︵WEB版︶を下敷きにしたお話となってま
す。
書籍版には出てこない話ですので、ご注意。
538
第14話 呪い憑きのマリアンヌ
0
⋮いらっしゃいませ∼。
あら?どうしたの?随分と不思議そうな顔をして?
え?こんな時間に何でこんなに明るくしてお店をやってるのかって?
そりゃあ、それがここの売りだもの。
このお店はね、夜はこうして召喚術師の呼んだ高位精霊で照らして
24時間⋮
朝だろうと夜だろうといつでもやってるのが売りの喫茶店なの。
ここはアキバだもの。
冒険者の中にはこんな真夜中だろうと寝ない人もいるわ。
このお店で言うと⋮アキクロに記事を書いてる、締め切りが近い記
者さんや、
マンガって言う絵物語を専門に書いている画家さん。
夜遅くまで研究や開発をしている生産ギルドの職人の人たち。
夜、狩りに出た戦士の人たち。
こんなところかしらね。
中には昼間に寝て夜はずっとおきてるなんて、私たちみたいな人ま
で居るくらい。
それにね、大地人にしてもこの街の場合はね、起きてる人はいるわ。
たとえ真夜中だろうと供贄の一族には夜通し起きてお仕事をする
お役目の人がいるからね。
そういう人がいるからこそ、このお店だって成り立ってるのよ。
539
昼間はまぁそれなりのお店⋮らしいんだけど、
真夜中でもやってるってだけでお客さんは来るのよね。
今だって結構、お客さん、いるでしょ?
私たちがこの街でそれなりに暮らしていけてるのも、こういうお店
があって、
私たちみたいな人を積極的に雇ってくれるからこそよ。
ここは良い街よ?悪を為さなければ﹃あらゆる種族﹄が
平等に生きる権利を保障されてる。
ヤマト⋮いえ、きっとこの世界でもこの街くらいじゃないかしら?
私や⋮あなたが平和に暮らせる街なんて。
⋮あら、私が気づいて無いとでも思ったの?
ちょっと考えれば分かるじゃない。
供贄の一族でもないのに、真夜中に店に来る大地人。
おまけにあなたみたいな若い娘なんて、正体は限られているでしょ
う?
のお嬢さん。
それ以前に肉体が変質しちゃってるから、見分けるのはそんなに難
呪い憑き
しくないけどね。
⋮でしょ?
しかも成り立てね。
身なりからすると元々はどこか、小さな開拓村の村娘ってところか
しら?
⋮そう、1週間、夜はずっと歩いてここまできたのね。
ほら。泣かないの。しょうがないじゃない。
540
今のところ、1度呪われたら死ぬまで呪われ続けるしかないのだ
もの。
ま、気持ちは分かるんだけどね。
呪い憑き
よ。
え?分からないの?本当に成り立てなのね。
⋮私も
これでも元はウェストランデのそこそこ良い家の貴族⋮
姫様とか呼ばれてたこともある位だったんだけどね。
呪い憑きになって、完全に手遅れって分かったら殺されかけた。
当然と言えば当然のことなのだけれど、死にたくなかったから本気
で逃げたわ。
愛する家族やお父様の配下の騎士団、慕ってくれてた領民たちから
殺すために追われるって言うのは、2度としたくない経験ね。
⋮もう40年も前の話だもの。今さら気にしてないわよ。
3年前、赤子だったはずの娘に孫が生まれたって聞いたときには流
石にへこんだけど。
え?見えない?
⋮あなた、本当にまだ何も知らないのね。
良いわ。教えてあげる。
このお店、お客が来た時にちゃんと注文とれば、意外と自由が利く
のよね。
お客さんも夜だからか呼ぶまで話しかけずにほっといてくれって人
ばかりだし。
あ、そうそう。ちゃんと名乗っとかないとね。
541
私の名はマリアンヌ。
家名は呪い憑きになった時に捨てちゃったから、ただのマリアンヌ
で良いわ。
﹃第14話 呪い憑きのマリアンヌ﹄
1
うん、じゃあまずはあなたがどれくらい今の状態⋮
呪いがどんなものなのか知ってるか、教えてくれる?
あ、その前に一つだけ。
アイツらと同じ名前だけは名乗らないようにね。
そうよ、私たちに呪いを掛けた、あのクソ忌々しい化物どものこと
よ。
あのクソ野郎どもと同じと思われるのだけは、許せない。
⋮あらやだはしたない。ついつい熱が入っちゃったわね。
でも、覚えておいて。私たちは、あいつ等とは違う。
たとえ肉体が呪いで穢れていたとしても、魂までは穢れていない。
魂まで堕ちた時、私たちはあいつ等と同じ⋮モンスターに成り果て
る。
の誇り。
だからこそ、あいつ等と同じ名前は絶対に名乗らないの。それが
呪い憑き
もしもあなたがあいつ等と同じだって言うのなら⋮
⋮分かってくれれば良いの。私もあなたみたいな娘を殺すのなんて
イヤよ。
あなたは今までどおり⋮とは行かないまでも、人として生きて行
ってね。
542
でも、それはそれとして、何が出来るか、出来るようになるかは
ちゃんと把握しておきなさい。
ただでさえ私たちは異端なのだから、最低限身を守れる位には習熟
しないとダメよ。
⋮じゃ、始めましょうか?あなたが知ってることを教えて。
⋮まずは、力が物凄く強くなる?ええ、そうね。確かにそれはある
わ。
けど、それが最初なの?
⋮なるほど、自警団で一番の力自慢だった大男をあっさり投げ飛ば
せちゃった、と。
まあ、それくらいは出来るでしょうね。
私たち呪い憑きの力は最低でもLv30はあるもの。
あら?気づいてなかった?呪われると呪いの力で肉体が強化される
のよ。
たとえ昨日まで剣なんて触ったことが無いような、それこそLv1
とか2とかの人でも
大体Lv30の武装した騎士と対等に戦える位の力にはなるわ。
まあ、元々強い人だと呪い憑きになってもそこまで極端に強くなる
ってことは
無いみたいだけどね。
あなたが自警団の大男をあっさり投げ飛ばせたのもそのお陰。
でも、私よりは大分マシね。私のときは、殺されそうになって
必死に抵抗したら逆にあっさり殺しちゃったわ。素手で。
一応相手はLv30越えてる正騎士だったのだけれど。
貴族生まれで良い暮らしをしていた分、多少はLvが上がってたの
かしらね。
543
ま、それのせいで完全に領内からは逃げ出すことになっちゃったん
だけどね。
吸血
はかなり重要な能力よ。
あとは⋮まぁ、そう来るわよね。
そうよ。私たちにとって
癒しの魔法は傷を治すどころか逆にダメージになるし。
怪我を治す方法は、自然治癒に任せるか、吸血で相手の生命力を
糧にするしかないわ。
まあ自然治癒でも呪われる前とは桁違いのスピードで治癒と言うか
再生するけど、
それでも吸血で治すのには敵わないものね。
⋮けど、できるだけ吸血は使わないで。
やるとしても獣とかモンスターの血でやりなさい。傷の治りは一緒
だから。
人相手にやるのは絶対にダメ。
いい?最初に言っておくけど、私たちにとって人の血⋮
特に若い処女の血は格別の味よ。
それこそどんな手料理でも敵わないほどのね。
けれどね、人相手に吸血をするたびに、相手の穢れも一緒に吸って、
魂まで穢れていく。
それどころか、吸血を繰り返すたびに、相手にも呪いを媒介してい
く。
そして人を餌としてしか見られなくなったとき⋮呪い憑きは化物に
堕ちるの。
⋮昔、私と一緒に呪われた、私の側仕えで幼馴染だったメイドもそ
うだったわ。
544
あれほど呪いを憎んでいたのに、生き血の魅力にとり憑かれてね。
最後はそこら辺の村から若い娘ばかり攫ってきては、吸血してたわ。
そしてどんどん呪い憑きや化物を殖やして⋮最後は冒険者に殺され
た。
冒険者の施療神官が使う、物凄く強力な癒しの魔法で、
あっという間に灰になって死んだわ。
あんなに優しい娘だったのに⋮
だからね、吸血には本当に気をつけなさい。
あんなもん、無きゃ無いで暮らしていけるから。
特に今なら美味しい手料理もあるんだし。
2
じゃ、次はあなたが知らない呪い憑きの力と心得を教えてあげる。
1つ目は⋮戦う力。
あなた、武器の扱いや魔法の扱い、知ってる?
⋮そうよね。そんなもの、普通は扱えないわよね。
けれどね、呪い憑きはそういうのを扱う力があるの。
力も速さも呪いのお陰で強化されてるし、魔法の素養が今まで無か
った人でも、
呪い憑きになれば自然と身につく⋮
そもそも呪い憑き固有の能力が魔法みたいなものだものね。
だから、あなたも今までどういう風に暮らしていたかは知らないけ
れど、
呪い憑きになった今なら武器や魔法を扱う、素養が宿っているはず。
もし、覚えたいと思うなら言ってくれれば、多分仲間内の誰かが教
545
えてくれるわ。
ちなみにレイピアの扱いだったら、私でも教えられるわよ?
⋮実家から逃げ出した後に、身を守るために身に着けたの。
始めた頃は本当に素人だったけど、それから40年間かけて鍛えて
るから、
こう見えても下手な傭兵なんか比べ物にならないくらい強いわよ?
私は。
2つ目はね、変身。
呪い憑きにはね、色々なものに変身する能力があるの。
代表的なのは蝙蝠ね。蝙蝠になって、素早く空を飛べるようになる。
他にも狼とか霧とか、色々あるわ。
と言っても呪い憑きの中でも出来る人は半分くらい。
ちゃんと力の使い方を鍛えないと無理ね。
ただ、できるだけ鍛えて早く身に着けて置いた方が良いと思うわ。
色々と便利な技よ。空が飛べるってだけでも大違いだもの。
まあ、私も含め何人か出来る人はいるから、おいおい教えてあげる
わ。
そして最後は⋮不老。
あなたは今、幾つ?⋮そう、16ね。
そうすると、あなたはこれからずっと⋮
少なくとも呪いが解けるまでは永遠に16歳のその姿のままよ。
それは私も一緒。
さっきも言ったでしょう?私が呪い憑きになったのは40年も前。
だけど、未だに私の身体は18歳のままだし、これからもずっと1
8歳のまま。
今は実感が湧かないでしょうけど、10年もすれば嫌でも分かるわ。
546
自分だけ、取り残されてるってことが。
⋮いや、そうでもないのかしら?
私たちはみんな不老だし、冒険者も不老不死だと言うものね。
さてと。
私が知ってる呪い憑きの話は、こんなところかしら。後は⋮
え?交代?もうそんな時間?
ま、ちょうど良いかしら。
あなた、私と一緒に来なさいな。みんなに紹介してあげるわ。
どうせ行くところも無いのでしょう?
じゃあ早速行きましょうか。
日が昇る前に戻らないと、辛くなるから、急いでね。
3
さてと、ここが私たちの住処よ。
珍しいでしょう?
こうして階段で下った先にある、太陽の光は一切入らない地下室の
みの遺跡。
アキバには結構よくある作りだけれど、
本当に私たちのために作られたような場所よね。
私たちはここをみんなでお金を出し合って買って使ってるの。
多分この時間なら皆大体戻ってきてると思うから、丁度良いわね。
⋮戻ったわ。
﹁おかえりー⋮あれ?﹂
﹁また拾ってきたの?﹂
547
﹁またか⋮マリアンヌの世話好きもここまで来ると一種の病気だな﹂
﹁強さはどれくらいだ?﹂
﹁おいおい。ガズ、どう見たって素人だろ﹂
﹁別に仲良くやれるなら問題ないにゃ﹂
﹁やれやれ。この遺跡にも限りはあるんですがね﹂
﹁お帰りマリアンヌ。それでそっちの子は?見たところお仲間のよ
うだが﹂
ええ。ちょっとお店に迷い込んだ娘なんだけど、
行くところが無いって言うから連れてきたの。
ここで暮らしてもらってもいい?リュウガ。
﹁そうか。じゃあ、世話役はマリアンヌだな﹂
⋮ありがと。
どうも本当に成り立てみたいだし、しばらく私が世話をするわ。
⋮そういうことだけど、いい?うん、よろしい。
ああ、心配しなくてもいいわよ。ここにいるのはみんな呪い憑きだ
から。
え?種族がバラバラ?そりゃそうよ。呪いはあらゆる善なる種族に
掛かるもの。
じゃあ、1人ずつ紹介するわね。
じゃあまず、フィリアとティア、お願い。
﹁うん、分かったよ。あたしはフィリア。元々は狐尾族。で、こっ
ちが⋮﹂
﹁私はティアだよ。あなたと同じ元人間族。私たちは夜のお店で働
いてるんだ。
⋮つってもマリアンヌ姐さんとはまったく違うタイプの、
お酒とか出す方の夜のお店だけどね﹂
この2人は、見目も良いし、話も上手だから、夜のお店で働いてい
548
るわ。
時々お酒臭くなって帰ってくるけど、基本的にはいい子たちよ。
﹁うわ。酷いよ姐さん。そりゃあたしらは姐さんみたいな学が無い
から、
この仕事選んだけどさ﹂
﹁狐尾族ってアキバだと接待役で本当によくいるからね。
あなたも見たところ元村娘でしょ?私もなんだ。1年くらい前に
ね。よろしく!﹂
とりあえずこの子達がウチの中では一番若い子達ね。歳もまだ20
になってないくらい。
あなたとは年も近いから、話も合うかも知れないわね。
で、次は⋮
﹁俺か。俺はガズ。見ての通り、元ドワーフだ。
魔物狩りをやっている。夜の魔物専門だがな﹂
﹁俺も同じく魔物狩りだ。元狼牙族のコーマだ。よろしく頼む﹂
魔物狩りコンビね。基本的に傭兵組合の仕事を受けて魔物を狩る仕
事をしているわ。
こう言っちゃなんだけど、一番私たち向けの仕事をしてるって言っ
てもいいかも。
基本的に呪い憑きの力を存分に発揮できる仕事だし。
この2人はね、元々傭兵をやってたんだけど、あるときあいつ等と
戦って呪われたの。
かれこれ10年前くらいだったかしら?
﹁正確には12年前だな﹂
﹁代わりと言っちゃなんだが、呪った張本人どもはきっちり始末し
たぞ﹂
⋮呪い憑きになる前から腕利きの魔物狩りだったらしくてね。
549
アキバに着てから同じ仕事を始めたわ。うちの一番の稼ぎ頭ね。
んで次は⋮
﹁あっちにゃ。あっちはアニタ。元はナインテイルの猫人族にゃ﹂
この子も夜のお店⋮ああ、私やフィリア、ティアとは全然違う店で
働いてるわ。
こんびに
って言う万屋で働いてる
アニタは頭が良くて文字も計算も出来るから⋮えっと、なんだっけ?
﹁セブンスマート。冒険者の
にゃ﹂
そうそれ。雑貨屋と食べ物屋が組み合わさったような不思議なお店
なんだけど、
そこも一日中やってるのよ。それでそこで働いてるの。
確か呪い憑きになってからは20年くらいだったわよね?
﹁にゃ。旅芸人の一家だったけど、あいつ等に襲われて、
生き残ったのはあっちだけにゃ。
あっちたちが襲われる5年前に家出した兄ちゃんはまだ元気に生
きてるらしいけど﹂
そうね。あなたのお兄さん、よく噂で聞くものね。
そして、最後が⋮
﹁元法儀族のリュウガだ。一応この呪い憑きの長をやっている。
今は冒険者のところで呪い解除の研究をしている﹂
﹁ルイーザです。種族は元ハーフ・アルヴ。リュウガ様の補佐を担
当しております﹂
550
うちの研究者の刺青コンビね。
この2人は凄いわよ。何しろ呪い憑きになったのが150年前だっ
て言うもの。
﹁正確には147年前だ⋮妻の仇は最後まで取れず終いだったがな﹂
﹁私が呪い憑きとなったのは、リュウガ様に3年待っていただいた
ので144年前です。
リュウガ様ご自身の手で呪い憑きとなりました﹂
そうそう。リュウガはね、元々強力な結界を操る神祇官だったんだ
けど、
自ら研究を重ねて、自ら魔術を用いて呪い憑きになったのよ。
確か⋮魔王を倒す力を求めたのよね。
それでルイーザはその頃からずっとリュウガの助手。
﹁ふん⋮魔王は結局冒険者が仕留めたがな。
同じ呪い憑きのクリストファ卿が魔王を倒した英雄の一員だった
と言うのが救いか﹂
そうね。アレには驚いたわ。でも良かったじゃない。
形はどうあれ、奥さんの仇は討たれたのでしょう?
﹁それはそうだが⋮まあいい。
もう、終わってしまった以上はもう1つの研究を完成させるだけ
だ﹂
﹁ロデリック様の協力を得られた以上、研究はいずれ完成するかと
思われます。
長くても10年は掛からないかと﹂
そうそう。この2人は今、ロデリック商会に出入りしてて、研究を
551
しているの。
ある意味、私たちにとって、希望の星よ。何しろ研究してるのは⋮
呪い憑きの、呪いを解く方法ですもの。
⋮え?そんなこと可能なのかって?
私には分からないわ。
少なくともリュウガには確信があるみたいだけど。
﹁可能だ。目の前で事例を見せられたことがあるからな。
あれは何年前だったか⋮100年は経っていなかったと思うが﹂
何でもリュウガが言うにはね、昔、冒険者に呪い憑きの呪いが広ま
ったことが
あったらしいの。あの強靭で、噛まれても呪い憑きになることは無
い冒険者が、
なんで呪い憑きになったのかは分からないけど、
一時期は街中の冒険者が呪い憑きだらけになってたらしいわ。
それでね⋮
﹁それからほんの数年後だ⋮冒険者の呪い憑きが一斉に呪いを解い
た。
あれを見せられた時は、私も思わず目を疑った﹂
﹁冒険者によれば、呪い憑きと言うのは、冒険者にとってはなるの
もやめるのも
可能なものだそうです。事実現在でもアキバの冒険者にはおよそ
100人ほどの
呪い憑きが居ますが、皆が自分で望んで呪い憑きであり続けてい
るだけで、
やめようと思えばいつでも可能だとか﹂
552
⋮本当、冒険者には常識が通用しないわよね。
それで、例の革命の後、リュウガと一緒にアキバに移り住んだのよ。
呪いを解くための方法を探るためにね。
﹁私のように自ら望んだ結果として呪い憑きであるのならばともか
く、
大抵はあの忌々しい連中の被害者だからな。
それを解く方策を求めるのは普通のことだろう﹂
﹁前は我々が独自に行っていましたが、現在は円卓会議11ギルド
の1つ、
ロデリック商会の支援を受けています。リュウガ様の持つ知識と
引き換えにですが﹂
まあ、そういうわけだから、あなたも安心してこの街に住むと良い
わ。
いつか呪いが解けるようになったとき、どちらの道を選ぶかを考え
ながらね。
ただ、働かなきゃダメよ。
最近ちょくちょく、私やあなたみたいな呪い憑きが移民してきてる
から、
漫然と遊ばせておく余裕は無いわ。
一応、この街の呪い憑きの元締めみたいな扱いなのよね。ここって。
⋮うん。分かった。しばらくはレイピアの扱いを勉強しながら、お
仕事ね。
良いわ。文字と計算も教えてあげる。安心なさい。
これでも面倒見は良いってエルフだった頃から言われてるんだから。
⋮本当、夢みたいな話よね。
553
いつ、心臓に杭を刺されて死ぬか、癒しの魔術で焼き殺されて死ぬ
かの
心配もせずに暮らせて、おまけに後ほんの10年も待てば呪いも解
けるかも
知れないなんて。
⋮本当、もう30年早く来てくれればよかった。
そうすればきっと⋮シリアも﹃吸血鬼﹄にはならずにすんだのに⋮
ね。
554
第14話 呪い憑きのマリアンヌ︵後書き︶
本日はここまで。
呪い憑きというのは、本編では出てこない呼び方です。
基本的に﹃クラスとして吸血鬼を持つ大地人﹄がそう名乗ります。
﹃モンスターの吸血鬼﹄とは別物であるという主張から
来ている呼称です。
555
第15話 異邦人のケイン︵前書き︶
本日は、よそから来た人の物語です。
舞台はシブヤ。
テーマは﹁海外ならでは﹂
アメリカからやってきた2人の物語です。
556
第15話 異邦人のケイン
0
俺ことケイン=グリーンヒルズは、自分が幸運な男であることを疑
ったことが無い。
まず、生まれはそこそこ裕福な騎士の家。そこで片手剣と弓の扱い
を身に着けた。
その本格的に身に着けた武芸は旅の間、何度と無く俺の命を救った。
俺を含めたグリーンヒルズ家の子供たちに教養を与えるために呼ば
れた
まだ見ぬもの
への憧れを掻き立て
家庭教師の中に、体力の限界を感じて旅をやめたバードがいたこと
も幸運だった。
彼が語る、様々な見聞は俺に
させ、
彼から教わったギターと歌は路銀を得るための弾き語りを覚えさせ
た。
そして俺が次男であり、兄が無事に育ったこと、それもまた幸運。
いつの世も、兄が健勝な男は己が才覚で身を立てるのが慣わし。
15の成人を迎えると同時に、俺は相応の支度金を親から貰って家
を出た。
俺は家に縛られず、好き勝手にあちこちを回るバードになったのだ。
ウェンの大地は恐ろしく広大で、7年以上放浪した現在でも
行ったことの無い土地が大半。
557
まだ見ぬもの
がこれから幾らでも
恐らく生涯を費やしても全てを見るのは難しいだろう。
しかしそれは同時に
見れるということでもある。
それもまた、幸運だ。だからこそ俺は、いつも楽しんで旅をしてい
る。
⋮1人の冒険者と共に。
確かにあの︿カタストロフ﹀の後、大半の冒険者は恐るべき魔物と
なった。
それまではごく一部の邪悪な冒険者だけがやっていた、
俺たち大地人を襲うような行為。
それをウェンの多数の冒険者が行うようになった。
大抵は食糧と奴隷としての大地人自身を求めて行われる、残酷な略
奪。
ウェンの大地全体で全部で50以上あると言う﹃冒険者の街﹄の近
辺では
日常的に発生しているという。
かつて、正義為すものたちの砦でであったはずの冒険者の街は、
今では邪悪なる冒険者の住まう危険地帯として、大地人に恐れられ
ている。
もっとも、︿カタストロフ﹀以降、話を聞いて近寄らないようにし
ている
俺には関係ない。
それに少なくとも個人単位で付き合うには、非道を嫌う善なる冒険
者もいる。
そして俺の相棒は、そんな善なる冒険者の1人だ。
そう、俺は幸運なことに、冒険者の街を捨てた1人の善なる冒険者と
共に旅をしている。
558
名は、メル。
金髪と、時々少女と見まごう中性的な容姿の持ち主で︵冒険者と明
かさなければ︶
俺に匹敵するくらい女にモテる。
強さも冒険者らしく超一流で、俺より5つも年下の17歳だと言う
のに、
Lv90のアサシン︵他の者にはアーチャーだと言っているが︶だ
と言う、
神の如き力の持ち主だ。
武力に優れ、弓を扱わせたら右に出るものは居ないが
世間知らずの少年であるメルと、世事に長け、口も回るが、
戦いの腕前はまあその辺の騎士には負けない程度である俺。
寒々しい街になっていた腐れ林檎の近くで、
運命的にメルと出会って組んでから4ヶ月。
︵きっかけが俺がメルを男と気づかずナンパしたから、と言うのが
大分アレだけど︶
俺達2人は互いに補いあい、良きパートナーとなった。
俺の知恵とメルの武力。
それらをあわせれば、俺達は様々なことができる。
黒髪のバード・ケインと金髪のアーチャー・メルのコンビと言えば、
ウェンの大地人の間じゃ、正義の味方として結構知られてた。
美しい女性を助けたり、魔物を倒して襲われていた淑女と恋に落ち
たり、
時に街すら救って女の子の嬌声を得たりと、
歌に出てくるような英雄的な行為を成し遂げたことすらある。
⋮生憎と男同士の退廃に走る気は毛頭無いので、
559
メルが時々﹃そういう目﹄で見ていることは華麗に無視しているが。
本当に、これさえなければ完璧なんだがな。
さて、ここまで語ったとおり、俺は幸運な男だ。
それ故に、俺は信じる。
⋮今、この時の魂の危機すら無事に越えられるということを。
﹃第15話 異邦人のケイン﹄
1
走っていた。
月と星の僅かな明かりを頼りに、ひたすらに、走っていた。
命の、魂の危機を目前に、俺は移動速度強化の︿逃げる兎のマーチ
﹀を
歌いながら走り続けていた。
﹁ケイン!もう少しだ!頑張れ!﹂
俺以上の速度で俺の前を走る、メルが言う。
メルは時折立ち止まり後ろに矢を撃ちながらも息一つ切らせていな
い。
これでも並の大地人よりは体力はあるのだが、
どうやら既に体力の限界に近いのは俺だけらしい。
⋮後ろから迫り来る︿ワンダリング・レギオン﹀も、まったく疲れ
を見せない。
もっとも、奴等に疲れなどと言う高尚なものは残っていないのだか
ら当然だが。
560
リビング・デッド
ワンダリング・レギオンとは不死屍と呼ばれる、
アンデッドの群れである。
かつて、邪悪な天才ネクロマンサーが創造したゾンビの変種であり、
が怖い。
普通のゾンビにはない生前並かそれ以上の素早さもさることながら、
呪い
呪い
と称されるその呪いは、大地人にとって、死よりも恐ろし
それ以上に奴等が持つ
感染
い代物だ。
不死屍に直接、或いは不死屍の持つ毒で殺された大地人は
の力により
ほんの数分で蘇ってしまうのだ⋮忌々しい不死屍として。
一度不死屍と化してしまえば、生前がどうだったのかなど関係ない。
生きているものを仲間にせんと襲い掛かる。
大地人を最後の1人まで不死屍化させるまで止まらず、
ひたすら仲間を増やし続ける呪いを持ったアンデッド。
老若男女、ただの農民から町の民、戦士、騎士、貴族、果ては王族⋮
あらゆるものが混じりあった腐臭を放つ死者の群れ。
それが彷徨える死者の群れ︵ワンダリング・レギオン︶なのだ。
かつて、ウェンにおいて、不死屍がここまで増殖したことは無かっ
た。
大抵は街1つが滅んだ辺りで冒険者に依頼が出され、街ごと退治さ
れていた。
だが、あのカタストロフ以降、冒険者はあらゆる冒険を放棄した。
冒険者に感染の呪いは聞かない、よしんば命を落としても不死屍に
なることは無い。
故に、冒険者でなければ、退治は難しい⋮それが、今のこの状況を
招いた。
561
半年の間冒険者に退治されず放って置かれた、元は数百ほどだった
と言う
不死屍は通りすがった村や町に住んでいた大地人たちを飲み込み、
今や万に迫る圧倒的な数の暴力を体現する恐るべき軍勢となった。
ここまで増えては、例え冒険者であっても熟練した
百人隊規模の軍勢で無ければ対抗不可能。
出会えば死は免れぬ脅威として冒険者すらも恐れる存在。
正直、メルが居なければ俺もとうの昔に仲間入りを果たしていただ
ろう。
使った
ことがあるという、神聖な魔力を感じさせる古
⋮そして、更に5分ほど走り、俺達はようやくたどり着く。
メルが昔
木に。
﹁ケイン!飛び込むよ!﹂
はぐれぬようにメルが俺の手をがっしりと握る。
あれだけ弓に熟練しておきながら、まるでフォークより重いものを
知らぬ
姫君のように、滑らかで柔らかな掌。
一瞬、男だと分かっていてもドキリとする。
その思いを振り払い、俺はメルの手を握り返す。
﹁ああ、行こう!何処に出るかは分からないが、ここよりはマシだ
!﹂
そう、あと数十秒で不死屍に追いつかれるこの状況より悪い場所は
そうは無い。
意を決して目前に見えた、巨木の洞に飛び込む。
その瞬間、洞の中、足元に輝く魔法陣⋮妖精の環がひときわ大きく
輝き、
562
to
SIBUYA!﹄
俺達はこの世界のどこかへと転移した。
2
﹃Welcome
光が収まると、目に入ったのは、文字が書かれた垂れ幕だった。
恐らくはセルデシアの各地の言葉なのであろう無数の文字の数々。
俺が読めたのはウェンの大地で使われている文字だけだったが、
正体はなんとなく分かる。大体どれも同じ意味だと。
だが、今はそれどころじゃない。
俺達の行動は、迅速だった。
妖精の環から離れ、俺とメルは弓を構えて矢を番える。
俺が浪々と︿剣速のエチュード﹀と︿弓引きのマズルカ﹀を歌い、
備える。
そして⋮
﹁来るぞ!メル!﹂
妖精の環が再度輝き、奴等がやってくる!
﹁ああ、分かってる!﹂
その言葉と共にメルが番えていた矢を放ち、不死屍のどてっぱらに
大穴が開く!
﹁聞いたことがある!一度に襲ってくる不死屍には限りがある!
僕たちの近くにいた連中分だけ片付ければ、危機からは脱せるは
ずだ!﹂
メルが次の矢を番えている間に再びやってきた不死屍に、俺も矢を
叩き込む!
流石にメルと違い一撃とはいかないが、それでもメルが矢を撃つま
での
時間稼ぎくらいはできる。
563
そして、それから僅か5mしか離れていない、至近距離での弓打ち
はおよそ10分続き、
22体の不死屍を本来の物言わぬ骸に戻したところで、
妖精の環からは何も転送されてこなくなる。
どうやら俺たちは無事、ワンダリング・レギオン相手に生き残るこ
とが出来たらしい。
ようやく人心地ついたところで、俺達はようやく辺りの状況を調べ
だした。
﹁それにしてもシブヤ?ここは⋮街か?﹂
俺たちが出たのは、どこかの街の遺跡の一室だった。
一瞬に思えた移動だったが、移動に随分と時間が掛かったのか、
部屋の中は上りきった太陽の光に照らされて明るい。
﹁ああ。しかも多分⋮﹂
メルが何かを口にしようとした、そのときだった。
﹁何の騒ぎですか!?﹂
﹁うん?君達は⋮まさかそれ、不死屍?﹂
女と男の声が聞こえる。どうやら騒ぎを聞きつけて、入ってきたら
しい。
俺達は弾かれるようにそちらの方を見る。
そこにいたのは、メルより2つ3つ年下であろう男と
メルくらいの歳の女のカップルだった。
男の方はまず間違いなく冒険者。
銀髪と赤い目なんて大地人はまずいないし、
装備も恐ろしく強力な魔法を帯びているのを感じる。
左右の腰に対となる剣を下げていると言うことは、スワッシュバッ
564
クラーだろうか?
メルがじっとそいつを見ている。アイツの好みに触れるなにかがあ
ったのか?
確かに男としてはそこそこ整った、可愛らしい顔立ちだ⋮にしては
メルの表情が硬いが。
女の方は⋮パッと見では分からなった。オレンジの髪と、白い肌。
そこそこ整った顔立ち。
そして⋮娼婦でもまず着ないであろう扇情的なレザーボンテージ。
ただでさえ短いスカートにはスリットが入って白い太ももが丸出し
になっているし、
上はジャケットと胸元だけを隠すレザーで、胸と腹が丸出しだ。
腰には男と同じく剣が2本。こちらもスワッシュバックラーだろう
か。
格好などから判断すると冒険者なのだが、
女の方には冒険者にありがちな油断が見えない。
俺が妙な真似をすれば即抜刀して斬りかかってくる。
そんな感じだ。とはいえここで見詰め合っていても仕方がない。
﹁初めまして。美しいお嬢さん。私は、ケイン=グリーンヒルと言
います。
ウェンの大地から着た、旅のバードです。
こっちはメル。冒険者のアーチャーで、私の友人です﹂
確認のため、自己紹介しながら右手を突き出す。
﹁⋮シオン。シオン=タカハラです﹂
女⋮シオンの方も油断せず、変わった家名がついた名前だけ名乗り、
565
右手を出して握る。
⋮なるほど。大地人で間違いない。現役の傭兵だろう。
俺は、シオンの掌の感触からそう判断した。
手を握る。俺が知る限りでは大地人か冒険者か見分けるのに、一番
有効な方法だ。
冒険者の掌には、マメもタコも出来ないし、アカギレもない。
どれだけ強靭な冒険者であろうと、貴族の姫君並に滑らかで柔らか
い掌をしている。
そして、このシオンの掌は、何度も剣タコが潰れてごわごわになっ
た堅い掌。
大地人で無ければ、ありえない掌だ。
﹁⋮メルだ。よろしく頼む﹂
﹁うん?君、声が⋮なるほど。僕はキリヤだ。よろしく﹂
向こうではメルと男⋮キリヤが握手をしている。
メルが緊張している⋮メルの男の趣味から見ると、少し幼すぎる気
がするが。
﹁さてと⋮自己紹介も済んだところで、ちょっと来てくれるかな?
お茶くらいはご馳走するし、色々そっちも聞きたいこともあるだ
ろ?﹂
﹁一応、この外は戦闘禁止区域です。衛兵も配備されています﹂
その言葉に俺とメルは互いに視線を交わす。
﹁⋮やっぱりここ、プレイヤータウンだ﹂
﹁みたいだな﹂
どうやら俺だけでなく、メルも故郷から切り離されたようだ。
﹁で、どうする?﹂
566
﹁ああ、行こうぜ。どうやらここは、俺達がまるで知らない場所ら
しい。
⋮キリヤさん、アンタに着いてきますよ。案内してください﹂
キリヤの提案を承諾する。
冒険者を簡単に信用するのは非常にリスクが高いが、どの道情報は
必要だ。
﹁じゃ、着いてきてよ。シオンは一応さっきのこと、生産ギルドの
人に報告お願い﹂
﹁分かりました。それでは﹂
そしてキリヤに促され、シオンと別れて俺たちはシブヤの街に出た。
部屋で確認したとおり、外は完全に昼。
そこかしこで人々が様々な話をしている。
﹁すまない。貿易品の売買を行いたいのだが?﹂
﹁ああ、それでしたら、ここまっすぐ行ったところに交易所がある
のでそこで。
丁度バルバトスの品物が2日前に届いたばかりですよ﹂
﹁すみません!ご注文のアキバのタオルとTシャツ、あとコーラを
持ってきました!﹂
﹁おお。倉庫に入れといてくれ。明後日にはベナレスに繋がるから、
お前の分はそれまでに鞄詰めしとけよ?﹂
﹁了解です!﹂
﹁しかし、そんなに味が違いますかね?﹂
﹁違うね。やっぱうちの菓子にはバルバトス産の黒砂糖じゃないと。
ナインテイルの白砂糖も普通の菓子には良いんだけどね﹂
567
かなりの活気だ。会話を聞き取るに商人が多い。
どうやら商業で栄えている街らしい。
︵そう言えば、メル。さっきはどうしたんだ?随分と彼にご執心だ
ったみたいだが︶
歩く道すがら、先を行く2人に聞こえないよう小声で、俺はメルに
話しかける。
その問いかけに、メルはしばらく沈黙し⋮答えを返す。
︵あのキリヤって奴⋮Lvが93だったんだ。冒険者の限界を越え
ている︶
そう呟くメルの顔は、険しい。
どうやら前にメルが言っていた冒険者の限界であるLv90を越え
ているのが
そんなに引っかかるらしい。
俺としてはLv90も93も等しく神の領域だからそう変わらない
気もするんだが。
3
﹁ここが僕らの家だ﹂
キリヤたちに案内され、俺たちはそこで立ち止まった。
2階建ての小さな建物。手入れが行き届いている。
﹁ただいま﹂
キリヤがドアを開けると同時に入り口の扉につけられた鈴が鳴って
俺たちの来訪を告げ、パタパタと奥から誰かが出てくる。
﹁ご主人様!お帰りなさい!﹂
出てきたのはメイド服を着た、ローティーンの少女。
恐らくはこの家のメイドなのだろう。
キリヤは苦笑しながら、言う。
568
﹁だからその呼び方はもういいって言ってるのに⋮まあ、いっか。
エリー、お客さんにお茶とクッキーでも出してあげて欲しいんだ
けど。
ほら、この前エリーが作ってた奴﹂
﹁はい!分かりました!﹂
この家の主であるキリヤの言葉に元気に頷き、エリーは奥に再び引
っ込む。
﹁じゃ、こっちに来てよ。僕も色々聞きたいし、
そっちも色々聞きたいこともあるんだろ?﹂
キリヤはそう言うと俺達を家の中へと誘う。
通されたのは、応接室だろうか?ソファーとテーブルだけが置かれ
た、質素な部屋だ。
どうやらこのキリヤという冒険者は、調度品に金を掛ける趣味は無
いらしい。
﹁じゃあ、まずは⋮君達はどこから来たんだ?﹂
キリヤが俺達に尋ねてくる。
こういうとき、話すのは主に俺だ。
﹁私たちは、ミシガンから着ました。
とか
ユーエスエー
って言うのは
トラバースの街から徒歩で3日くらい離れた辺りです﹂
﹁ミシガン?⋮ああ、アメリカサーバか﹂
アメリカサーバ
キリヤが少し考えて、答えにたどり着く。
確か
冒険者のスラングでウェンの大地を指す言葉だったはず。
どうやら目の前のキリヤはセルデシアの土地に詳しいらしい。
これなら上手くすれば色々な情報が集められるだろう。
﹁はい。アメリカサーバから着ました。このシブヤと言う街は、ど
の辺りなのですか?﹂
569
肯定しつつ、俺はキリヤに質問する。
シブヤと言う街に、俺は聞き覚えが無い。少なくともウェンの大地
でないことは確かだ。
ちらっと見ただけだが、妖精の環を使った交易都市なんてものがあ
ったら、
南海の楽園バルバトス位には噂になっているはずだ。
そしてキリヤが返した答えは。
﹁ああ、ここは日本サーバ⋮こっちの人だとヤマトって言うんだっ
け?﹂
﹁ジャパン!?本当に!?﹂
キリヤの答えに思わずメルが腰を浮かせる。
どうやらメルは知っているようだ。冒険者の間では有名なのだろう
か?
﹁うん。アキバは知ってる?﹂
﹁アキバが近いのか!?﹂
﹁ここから4エリア。馬なら数時間ってところかな?
こっちより賑やかだよ。僕はシオンが嫌がるからシブヤに移って
きたけど﹂
メルが食いついてキリヤと話す。
普通冒険者なんてそうそう信用するもんじゃないんだが⋮
このキリヤは大分人が良いらしい。
嫌そうな顔もせずに、快く情報を提供してくれる。
が商売道具の俺の見る限りでは、嘘はついていないように見
変な嘘なんかが混じっていたら危険だが、ある意味において
嘘
える。
とにかく、ここはウェンの大地ではなく、ヤマトと言う場所らしい。
⋮つまりは俺がまったく知らない未知の土地だと言うことが、よく
分かった。
570
そして更に話を続けようとしたところで。
﹁お待たせしました!お茶をお持ちしました!﹂
エリーがお盆を抱えて入ってくる。
﹁どうぞ、お客様!もし、お砂糖とミルクが足りなかったら言って
下さいね﹂
そう言いつつ俺達とキリヤの前に黒い液体⋮多分、コーヒーが置か
れる。
昔の、作成メニューから作ったものとは比べ物にならない、香ばし
い香りがする。
カップを載せた皿の上に置かれた白い砂糖の塊を入れて飲んでみる
⋮悪くない。
甘みと苦味、そして酸味。それが混ざり合った、複雑な味。
俺が知っている、僅かに睡眠耐性を上げるポーションの一種として
飲む
黒い水とは比べ物にならない。
﹁⋮すごいな、これは。生まれて初めて食べたよ、こんな上質で美
味しいクッキーは﹂
コーヒーより先に菓子に手をつけたメルが感嘆の声を上げた。
﹁よかったあ。お口にあいました?﹂
﹁ああ。凄いなこれ。こんなうまいものは、始めてだ﹂
一口食べてみて、俺もそれに同意する。このクッキーは、かなりす
ごい。
実際使われている食材と、作った職人が素晴らしい。
酒精を含んだ干したレーズンと甘いバターのクリーム。
バターをたっぷり使った、サクサクとした食感のクッキー。
材料と求められるリアル・クッキングの技量から考えればウェンで
はよほど強い
571
家門の冒険者か、よほどの大国の貴族でなければ口に出来ないくら
い上質な菓子だ。
﹁前にご主人様が言っていた帝国名物のクッキーなんですよ!
あたしも知りませんでしたけど!﹂
口ぶりからするにどうやら冒険者が考え出したものらしい。
なるほど、冒険者の知識を大地人が命がけで盗み出して利用するのは
カタストロフ以降の定番だが、それをこんな若い料理人が実践して
いる辺り、
ヤマトという国では本当に冒険者と大地人が共存しているらしい。
﹁あ、それとこちらのお客様の分のお料理も用意しておきますね?
シオンさんがたくさん羊のあばら肉を買ってきてくださったので﹂
﹁あ、うん。任せるよ。君たちもそれでいい?﹂
キリヤが俺達に確認してくる。
﹁よろしいんですか?⋮では、お言葉に甘えて﹂
﹁ありがとう。ご馳走になる﹂
俺たちも頷く。
どうやらこのエリーと言う料理人は、かなり腕が良い。
先ほどのクッキーの出来栄えからするに、夕食も期待できそうだ。
4
夜。キリヤたちのホームでリアル・フードをご馳走になり、
更には客間を一部屋用意してもらい、俺達はくつろいでいた。
﹁しかし、色々と驚いたな。この街には﹂
﹁ああ、大地人と冒険者が共存しているプレイヤータウンなんて、
初めて見たよ﹂
あの後、キリヤたちから︵主に俺が︶聞き出した話を総合した結果
572
分かったこと。
それはこのシブヤの街は俺とメルの常識からするとかなり異常な街
だという事だった。
対等に暮らす
街だと言う。
道すがらキリヤたちに聞いた話に寄れば、このシブヤと言う街は、
冒険者と大地人が
街中やその近辺では︿天使の家﹀や︿S.D.F﹀とか言う冒険者
の家門が
弱い冒険者や大地人を守り、幾つかのコミュニティに分かれた大地
人が
それぞれに暮らしている。
帝国人
のコミュニティに一応属している。
キリヤ達はそのうちの一つ、ここからずっと北にある帝国の皇女が
中心になって作った、
何でも、このヤマトの北方、帝国の首都であるススキノは、
冒険者が無法を尽くす街になっていて、
帝国は滅亡したも同然の酷い状態になっているそうだ。
真顔で危険な街だから近づかない方が良いと釘をさされた。
⋮むしろそうじゃない冒険者の拠点の方がウェンでは珍しかったん
だが、
そこは黙っておいた。
近隣にある、アキバほどではないが、このシブヤは交易都市らしい。
俺たちが出てきた妖精の環を使って、幾つかの街と貿易をしている
は多岐に渡り、風の噂で存在だけは俺達も知って
バルバトスや、中央ユーレッドにある香辛料の産地
取引相手
のだ。
その
いた
南海の楽園
ベナレス、
チョコレート︵メルが驚いて聞き返してた︶の原料となるカカオの
573
あるガーナ、
高山山羊の毛を編んだ布を作っているカシミールなど、
この地域では極めて貴重な品が取れる場所を中心にアキバの品々や
適正な金を払って、
交易を行う。
そしてそれらは一度、冒険者独特の魔法で戻ってきた冒険者の商人
の手で
シブヤに集められ、アキバへと運ばれる。
セルデシアとアキバを結ぶ中継点貿易が成立したとき、シブヤは商
売の街となった。
異邦人
や、迷い込むモンスターを待っているの
故にその入り口である妖精の環にはシブヤに住む腕利きの冒険者が
交代で見張り、
俺たちのような
だという。
﹁それで、明日はどうする?俺としては、アキバと言う街に行きた
いんだが﹂
﹁ああ、僕もそれには同じ意見だ﹂
話はすぐにまとまった。
アキバ。それこそがこのヤマトで一番巨大な冒険者の拠点。
ヤマトの冒険者の半分がアキバに住んでおり、更にそのアキバを統
治する
冒険者の自治組織﹃円卓会議﹄が冒険者と大地人の対等な関係を掲
げて法を作り、
実際にそれを実行していると言う、冗談のような街。
アキバの円卓会議の権威が届く地域では、冒険者によって大地人は
保護されている。
574
そのお陰であちこちから移民が集まり、この辺りの大地人の数は、
今も凄い勢いで増えているらしい。
おまけにそれは冒険者だけで完結しておらず、近隣の、比較的大き
な大地人の勢力と
対等な通商条約を結んで盛んに交易や交流が行われているのだと言
う。
腐れ林檎
こと
ロトン・アップル
1,5000人ほど冒険者がいるというアキバと同じか、それ以上
の規模を持ちながら
近隣の国を全部敵に回した
ビックアップルとは大違いだ。
とにかくその恩恵を受けて、アキバという街は凄い発展を遂げた。
恐らくヤマトでも1,2を争う巨大勢力。
影の支配者
とでも言うべき、1人の冒険者がい
それも武力だけではなく、金、知識、技術⋮あらゆるものがだ。
そのアキバには
る。
円卓会議の評議員となるためだけにごく小さな家門を立ち上げたエ
ンチャンター。
彼は俺達のような異邦人が現れると、尋ねるのだと言う。
今、この世界がどうなっているのか、知ってる限りを教えてほしい
と。
その情報に支払われる対価は、最低でも金貨1,000枚⋮かなり
の大金だ。
︵恐らくは、俺達のようなよそ者がしばらくでも暮らせるように
金を渡しておく、と言う意味もあるのだろう︶
575
明日は、彼に会いに行く予定だ。
キリヤが既に冒険者の秘術で連絡を入れてくれている。
そしてメルの方はと言えば⋮
﹁アキバにはバンクがあるらしいんだ。僕が預けておいた金が引き
出せる﹂
驚いたことに、メルはかなりの金持ちだったらしい。
いやまあ確かに装備はどれも凄まじく高価で強力なものを使ってい
たから、
分からなくは無いが。
﹁それに、キリヤがさっき教えてくれたんだ⋮﹂
さっき?⋮ああ、そう言えばキリヤがメルに何かを話していた。
アキバで開発されたポーションがどうとか言っていたような気がす
る。
﹁ケイン。明日はきっと君を驚かせるよ⋮もう、こんな形は、嫌な
んだ﹂
⋮俺は布団を引っかぶって無理やり寝る。
布団越しでも視線を感じる。女から向けられるなら大歓迎な類の視
線。
すまん、メル。
嬉しくないわけじゃないが⋮性別の壁は厚すぎる。
5
翌日。朝早くに俺達は3人に見送られ、アキバへと旅立った。
荷馬車や旅人、そして冒険者が行きかう道を馬でおよそ2時間。
アキバは本当に賑やかな街だった。
俺達は川沿いの清潔なホテルを取り、それぞれの仕事を果たしに行
く。
俺は街の外れへ。そしてメルは街の中央へ。
576
夕刻までにそれぞれ戻ってくる約束をして、別れる。
⋮それが、俺が慣れ親しんだメルを見た、最後の姿だった。
昼下がり。
手にした大量の金貨を手に、俺は悠々とあちこちを見て回った後、
川沿いのホテルへの道を歩いていた。
小さな遺跡を改造した城で話をした少し目つきに険のある眼鏡を掛
けた魔術師⋮
アキバ1の情報屋であり、影の支配者たる円卓会議11ギルドの長
の1人に
俺が知る限りのウェンの大地の現状を伝え、
その報酬として俺は金貨2,500枚を手に入れた。
︵通常より高いのは、放浪の旅暮らしで多くの情報を持つバードだ
からこそ、だ︶
メルもこの街には銀行があると言っていたから、
当座は2人が暮らすには充分な資金がある。
しばらくはこの街で過ごして⋮また旅に出るか。
俺は好奇心を刺激してやまない、冒険者が作った黒い鋼の船を眺め
ながら考える。
平和なプレイヤータウンなんて冗談みたいな代物に出会った以上、
メルが着いてくるかは分からないが、旅こそ俺の本能。
やめるわけにはいかない。場合によってはお別れだ。
そんなことを考えながら、俺はホテルの部屋に戻り、絶句した。
﹁⋮おかえりなさい﹂
部屋に戻った俺を出迎えたのは、メルではなく、すこぶるつきの美
女だった。
577
ゆるくウェーブの掛かった、淡い金色の髪に、スカイブルーの瞳、
血色の良いバラ色の唇、胸元はしっかりと盛り上がり、
透き通った白い肌は血色が良く、健康的な色気をかもし出している。
アキバの、冒険者風の服装⋮
むしゃぶりつきたくなる様な太ももを出した大胆すぎる服装を身に
着け、
辺りには良い香りが漂い、俺を惑わせる。
﹁⋮すみません、美しいお嬢さん。部屋をお間違えでは?﹂
全てを忘れてベッドに押し倒したくなる衝動を抑えながら、
俺は目の前の美女に言った。
これだけの美女をただ逃がすのは惜しいが、如何せんいつメルが戻
ってくるか
分からない状況でよろしくやる気は、流石にない。
﹁間違ってないわ。ここは、ケイン=グリーンヒルが泊まってる部
屋でしょ?﹂
﹁⋮アンタ何者だ?メルに聞いたのか?それならメルはどこにいる
んだ?﹂
状況がつかめない。
普段は俺に女遊びなどやめろと言うメルが、こんな美女を連れ込ん
だってのか?
疑問だらけだ。だが、その疑問は美女のたった一つの言葉で、
更なる混乱と共に砕け散った。
﹁メルならば、あなたの目の前にいるわ。ケイン、あなたの目の前
にね﹂
578
⋮は?
どういうことだ?
﹁飲んだ人の姿を変えることができるポーション。
そんなものがあるなんて、知らなかった。
⋮こちらで、本来の姿に戻れる日が来るなんて、夢にも思わなか
った﹂
ちょっと待ってくれ。つまり⋮
﹁お前⋮まさか、メル、なのか﹂
﹁そう。ケイン⋮私が、メルよ﹂
俺は驚愕しながらその答えにたどり着く。
冒険者に大地人の常識が通用しないことは知っていたが、
まさかメルが女だったとは思わなかった。
﹁正直、こんな日が来るとは思わなかった。
ケインは、あの姿のままでいる限り、絶対に応えてはくれないっ
てわかってたから﹂
⋮メルの言葉に、俺はある事実に思い当たる。
メルが俺を見る目が、時々情熱に塗れていたこと。
男同士の退廃には、決して踏み込むつもりは無い。
俺は、そっちの気はまったく無い。
⋮だが。
﹁メル⋮お前、俺のこと⋮﹂
579
答えは、情熱的なキス。
俺は思わずメルの細い腰を抱いた。
条件反射だ。こんな美女に迫られて断る方が男としてどうかしてい
る。
メルの気性は、これ以上無いくらい知っている。
優しくて、だが女にありがちな弱いところがない、強いやつだ。
⋮もしもメルが女なら、俺が断る理由など、何処にも無い。
俺は抱きしめあい、唇を交し合う。
熱い感触。それは、俺達の相性がばっちりだと示していた。
⋮きっと俺達はこれからもうまくやっていける。
柔らかい身体に反応しながら、俺はそんな気がしていた。
580
第15話 異邦人のケイン︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに不死屍は⋮まんま某有名映画のアレがモチーフです。
通常のゾンビとは一線を画した超凶悪なモンスターです。
繁殖力的に考えて。
581
第16話 本屋のコジロウ︵前書き︶
本日は、アキバの街を舞台にしています。
テーマは﹁本屋﹂
とある老人の話です。
582
第16話 本屋のコジロウ
0
午前5時になると、コジロウは自然に目が覚める。
伸びをして、万年灯の覆いを外して辺りを照らし、
水差しで顔を洗って眼鏡をかけ、着替える。
孫が買ってきた、甘い味がついたパンをもそもそと食べ、
黒葉茶で流し込むと、髪をポマードで整える。
人様の前に出られる格好になったところでギシギシと音を立てる階
段を下りて、
店へと向かう。
それがこの40年間、供贄の一族が運営するマーケットの1つ、
書き物を専門に扱う﹃秋葉書堂﹄の店主として、たゆまず続けてき
た変わらぬ日常。
と、その1冊を手に取り、
⋮もっともそれは、たった半年前とは比べ物にならないくらい変わ
ってしまったが。
店に行ったところで、ため息をつく。
売れ筋
︵そう言えば今日は月曜日だったか⋮︶
店頭に山積みにされた店一番の
熱心に読む、息子夫婦の忘れ形見の孫を見て、コジロウはため息を
つく。
目の前の本を見ると、つくづく時代が変わったことを思わせる。
︵まったく、そんなもんのどこがいいんだか⋮︶
そう思ってしまうのも年寄りになった証。
583
そんな自覚はあるので口には出さず、孫に注意だけすることにする。
﹁⋮お前はまぁた売り物に手を出し取るのか﹂
﹁ひゃ!?じ、爺ちゃん⋮﹂
ビクリと肩を震わせ、振り返る。
良いところだったのか、少しにやけている。
もう結婚してもおかしくない年頃の娘だと言うのにまだまだ幼く感
じるのは、
ついついアキバ一のしっかりものと噂の、幼馴染の孫と比べてしま
うからだろうか。
﹁その、爺ちゃん⋮おはよ﹂
慌てて売り場に本を戻し、孫が愛想笑いを浮かべる。
その笑顔は愛らしく、近所の年頃の男連中やら冒険者の客になら効
果は抜群。
ただし、コジロウには通用しない。
﹁いっつも言うとろうに。それは売り物だから、勝手に読むでない
と﹂
険しい顔で、いつもの説教をかまそうとする。だが。
﹁すいません。アキバください!﹂
説教を始める前に、朝も早くから、早起きの冒険者が早速とばかり
に買いに来る。
まだ若い。恐らくは孫と同じくらい⋮冒険者には比較的多い年代の
少年だ。
﹁ほ、ほら爺ちゃん客だよ!﹂
﹁⋮いらっしゃいませ﹂
584
マーケットを司るものは、決して客を⋮冒険者を待たせてはならな
い。
供贄の一族に古くから伝わる教えに背くわけにも行かず、
笑顔を作って客のほうを向く。
﹁週刊少年アキバですな?金貨200枚となります﹂
コジロウたちマーケットの民には値引きと言うものは存在しない。
最初から決まった値段を告げる。
大地人なら5人家族が1週間は楽に暮らせるくらいの金額。
売ってくれと頼まれた金額そのものだし、店の昔の売り物筆頭だった
技能書の類よりは安いが、何せ技能書と違い使う意味のあるもので
はないので、
やはり高いように思う。
﹁はい!じゃあこれで﹂
だが、冒険者はそれを別段気にすることなく金を置いていく。
普通の大地人では手にすることは滅多に無い、
最高位の100枚金貨を無造作に2枚。
冒険者は基本金持ちであると言うのは知っているが、
やはり100枚金貨をポンと出せる辺り、
冒険者の金に対する意識は大地人とはまるで違うのであろうなと、
コジロウは思う。
﹁⋮はい。ありがとうございます﹂
そんなことを思いつつも、代わりに本を1冊手渡す。
﹁あんがと!じゃあまた来るよ!﹂
それを受け取って嬉しそうに、冒険者が去っていく。
見送って、気を取り直して再び孫の方に振り向いて、コジロウは気
づいた。
﹁何度でも言うがな⋮あ?﹂
接客をしてる間に、孫の姿は消えていた。
パタパタと、階段を上る音。
﹁⋮逃げおった﹂
585
﹁ちぃーっす。アキバ、ある?﹂
普段なら追いかけて説教するくらいの時間はあるのだが、如何せん
月曜日である。
公式発売日は、そんなに暇ではない。
﹁⋮はい。金貨200枚になります﹂
アキバの街には、発売日の朝となると同時に買いに来る客が結構多
いのだ。
﹃第16話 本屋のコジロウ﹄
1
それから3時間ほど、コジロウは本を売るのに追われ続けた。
﹁ふぅ⋮ようやく、少し客が途切れたか﹂
山積みにされていた本も、半分くらいは売れてなくなった。
﹁相変わらず、凄まじい売り上げだの﹂
代わりに残った、100枚金貨の山に思わずため息をつく。
本日の朝の売り上げはざっと200冊⋮実に金貨4万枚。
それが朝だけの売り上げである。夜までには数倍に増えているだろ
う。
勿論、この金の大半は本を持ち込んだ冒険者に渡され、
コジロウたちが得られるのはほんの一部だが、
それでも暮らし向きが変わるくらいには稼ぎをもたらしている。
﹁しっかし⋮これのどこがいいのか﹂
手持ち無沙汰に、朝から大いに売れた本を手に取り、眺める。
滑らかで書き味の良さそうな、冒険者の筆写師が作る紙で出来た本。
裏表両方に絵を描いた、300枚近い紙を閉じこんで作られたその
本の名は⋮
586
﹃週刊少年アキバ﹄
冒険者の小さな家門﹃少年アキバ編集部﹄が作ってコジロウにおろ
している
﹃マンガ﹄書である。
中に書いてある内容は、小さな絵と文字が大量に書かれた、絵物語。
独特の絵柄で物語が描かれている。
内容は、正直コジロウには良く分からない。
冒険者が描く物語は大半が神代の時代の物語だと言う。
パラパラと眺めて見たことがあるが、
全員が冒険者風の装束を纏った﹃コウコウ﹄と言う場所で男に迫る
破廉恥な女を描いたものだったり、
同じくコウコウで男同士がサッカーとか言う球遊びで競い合うもの
だったり、
﹃ジュウ﹄とか言う武器らしきものを使う役人が悪人と戦うものだ
ったり、
冒険者が最近発明した麻雀と言うゲームに興じる話だったり、
神代の時代の街で淡々と大地人が暮らす様を描いたものだったりして
ごく普通の英雄譚⋮冒険者が﹃ファンタジー﹄と称する物語はほと
んど無い。
そんな代物にも関わらず、冒険者の間では大人気で、
アキバでは毎週千冊以上出回る上に、
ウェストランデの交易商人も数百冊ほど買っていく。
︵西の冒険者の街、ミナミでは更に数倍の値が付くらしい︶
最近では一部、孫も含めたアキバに住む大地人にも受けているらし
く、
一つの物語をまとめた初めての単行本︵半分ほどの大きさのくせに
587
金貨500枚もした︶発売の折には、自由都市同盟と冒険者を結ぶ
水楓の館からも注文が入りコジロウも随分と驚いたものだ。
﹁すいやせん。ここぁ冒険者の書を扱う本屋ですかね?﹂
そんなことを考えていると、また1人、客が訪れる。
︵⋮ふむ。大地人︶
入ってきたのが壮年の武士であったことから、コジロウは大地人と
検討をつける。
冒険者に、年かさの男女は極めて少ない。
大抵は実際の年齢に関わらず若い姿をしている。
最も、これは当然なのだろう。
不老不死かつ、自在に姿を変える薬を作れるような存在が、
好き好んで老いた姿をするわけが無い。
壮年の姿をしたものは基本的に大地人。そう考えて間違いない。
﹁⋮いらっしゃいませ。何をお探しですかな?﹂
コジロウが尋ねると、その壮年の武士はキョロキョロと店を見渡し
ながら、答える。
﹁へぇ。地図が欲しいんですがね、飛竜山までの地図ってのは、あ
りますかね?﹂
﹁はい。ございますとも﹂
供贄の一族の掟に、大地人にモノを売ってはならないと言うものは
無い。
きちんと金を払えば大地人に冒険者の品を売っても良いことになっ
ている。
コジロウは束になった地図の山から慣れた手つきで一枚の地図を取
り出し、
男の前に置く。
588
﹁こちらが、アキバから飛竜山の麓の村までの地図です﹂
﹁へぇ⋮こりゃ驚いた。魔物の棲みかまで﹂
地図に、男が驚く。まさかここまで詳しい代物が出てくるとは
思わなかったのだろう。
彼の大災害の後、しばらくたって夏になった頃から、
冒険者は己が知識を本にまとめるようになった。
特に地図はおおよそ方角があってれば上等とされる大地人の作る地
図とは
一線を画し、地形だけでなくその地域の魔物の住む場所と種類、
お勧めのルートなどが記されていて、商人や傭兵、吟遊詩人など旅
をする
大地人にとっては今や無くてはならぬモノとなっている。
﹁お買いになりますか?﹂
﹁もちろんでさあ﹂
どうやら男はアキバ式の地図を一発で気に入ったらしい。
気前よく金を払い、男は地図を手にする。
﹁⋮ちなみにザントリーフの地図ってのも売ってるんですかい?﹂
﹁もちろんありますよ。冒険者の作るイースタルの地図は大体揃っ
てますので﹂
ザントリーフ⋮マイハマにほど近い周辺を気にする辺り、
この男はもしかしたらマイハマの騎士なのかもしれない。
そんなことを考えながら、コジロウは男を見送った。
2
昼時。
普段ならばそろそろ置きだすであろう孫に買いに行かせるか
589
孫に店番を任せて適当に何かを買ってくるのだが、
今日は珍しい差し入れがあったので、それを食べることにする。
胡椒がきいた辛目のスープに、薄切りの肉とチーズ、
レタスを挟んだふんわりとしたパン。
果実を絞って作った甘酸っぱいジュースに、味付けされた生野菜の
サラダ。
本格的な手料理の詰め込まれたバスケットに舌鼓を打つ。
﹁ほお、こりゃ旨い。マリーナ、やっぱりお前さんは凄いな﹂
笑顔で差し入れを持ってきた幼馴染を誉める。
﹁まぁね。いっくら引退したっつっても孫に負けっぱなしじゃあ、
悔しいからね﹂
コジロウの賞賛に﹃マリーナの宿﹄の元女将である12代目マリー
ナは、
相変わらずの歳を感じさせぬ美しい笑顔を見せた。
マリーナが20年勤めた宿屋の女将の座を娘に譲り、街中に住むよ
うになったのは、
今からざっと20年ほど前のことである。
宿屋の方も更に月日が流れ、今では娘の子である孫の時代を迎えて
いる。
娘が宿屋をやっていた頃は隠居の身ながら色々相談にも乗ったもの
だが、
宿のことに口出ししていいのは次の代までという慣わしに従い、
今では宿屋には一切口出しをしていない。その代わり。
﹁それにほら、ウチは食べ盛りを何人か抱えてるからね。
しっかりしたもん食わせてやらないとならない。そりゃ、勉強も
するさ﹂
まだまだ衰えていないマリーナは、円卓会議が出来た頃から
手料理を身に着けて賄いつきの下宿屋を始めた。
590
元々住んでいた街中の屋敷の何部屋かに手を入れて、
それを朝晩手製の料理をつけて月幾らで貸す。
その商売はそこそこ当たり、マリーナは冒険者や大地人の下宿人を
何人か抱えるようになっていた。
﹁なるほどな⋮マリーナの一族の精進好きって奴か﹂
思えばこの幼馴染もその娘も、やたら自分を鍛えるのが好きだった。
色々あって余り面識は無いマリーナの孫も、
宿屋の盛況振りを見る限りではそうなのだろう。
そして、そのことからコジロウは、なんとなくマリーナの要件を察
する。
﹁もしかして、冒険者の料理書の類が欲しいのか?﹂
﹁やっぱり分かるか。伊達に本屋でメシ食っちゃいないね﹂
正解らしい。マリーナがにやりと笑い、注文をつける。
﹁どうせなら、難しい手料理が良いんだけど、そういうのに心当た
りは無いかい?﹂
﹁⋮わざわざ難しいのに手を出すか﹂
簡単に作れて美味しい手料理をまとめた本なら、結構色々出回って
いるのだが、
逆に高度な技術を必要とする手料理となると、確かにほとんど無い。
⋮コジロウにも1冊しか心当たりが無かった。
﹁こいつでどうだね?﹂
その1冊を取り出して、置く。
﹁⋮なるほど。ケーキか。あれはうまいね﹂
マリーナはコジロウの答えに頷く。
ケーキは冒険者の手料理の中でも最も難しいとされる。
弟子入り
し、研鑽しているが、
何人もの貴族抱えの料理人や移民料理人がその秘術を学ぼうと
冒険者に
正確な計量や火加減の調整、盛り付けなどが難しく、
美味しいものを作れる大地人は未だに数えられるほどしかいない。
591
﹁確かに、アタシでも身に着けるのは難しそうだ﹂
精密な画家の絵が大量に使われたその本をざっと見ながら、マリー
ナは笑った。
弟子入りすらせず、本だけの独学で、ケーキ作りを身に着ける。
女将を極めたマリーナであってもかなり難しいだろう。
﹁面白い。この本貰うよ。いくらだい?﹂
財布を取り出して、コジロウに尋ねる。
それはまるで、新しい玩具を手にした子供のような表情。
本を購入し、マリーナは笑顔で言う。
﹁ちょっと待ってな。まともなもん作れるようになったら、差し入
れてやるよ﹂
﹁楽しみにしとるよ﹂
この幼馴染なら割とすぐにものにするのであろうな。
そう考えながら、上機嫌のマリーナを見送った。
3
料理書を手に、マリーナが帰ってしばらくは、いつもどおりの月曜
日だった。
週刊少年アキバを買いに来た客に売り渡したり、冒険者の客に技能
書を売ったりする。
その中で、少し珍しい客がやってきたのは、昼過ぎの鐘がなった頃
だった。
﹁サイトさん、アヤメさん、ここです。ごめんください﹂
﹁ここって⋮供贄の一族がやってる店だよね?﹂
﹁へぇ。ここがねえ。冒険者の作った本を専門で扱う店なんだっけ
?﹂
592
騒々しく会話をしながら入ってくるのは、若い男女。
1人はここ最近よく訪ねてくる短い髪の娘と、その知り合いらしき
男女。
男女の方は傭兵なのか、冒険者が使うような装備で武装をしている。
種族は⋮全員、狼牙族。ここ半年で一気に増えた手合い⋮新たなる
民である。
かつて、アキバの街に住む大地人は、基本的には盟約を持つ、
特殊な一族たちのみだった。
時折、流れの行商が訪れることはあったし、
稀にはよその街から婚姻などでアキバに住みつくものはいたが、
冒険者という特殊な存在が主役の街であり、
他の街とは違う独特の慣わしに縛られたアキバは
普通の大地人にとって住みやすい街とは言い難く、居つくものは殆
どいなかった。
しかし、時代は変わった。あの大災害によって。
円卓会議が出来た辺りから、アキバには異常と言ってもいい勢いで、
大地人の移民が増えた。
世界一の安全と、巨万の富、そして何より弱者にも平等に与えられ
るチャンス。
それは蜜のように甘く、蟻のように移民を引きつけ、アキバは彼等
移民により、
大地人と冒険者が交じり合う混沌の街と化した。
コジロウたち、古くからのアキバの民が密かに﹁新たなる民﹂と呼
んでいる
アキバの住人は、このアキバの古い慣わしを知らない。
この街の外で広がる世界の﹃大地人の常識﹄に従って暮らしており、
新たな商売を平気で始めるし、冒険者に平気で深く関わる。
593
また、多くが元いた場所を捨てようと思うくらいの暮らしをしてい
たこともあって
生きることへの執着の強さは、世界一安全な街に住んでいるために
1度として
危険に晒された経験の無いコジロウたち古くからの民とは比べ物に
ならない。
それは今来た客の少女もそれは例外ではなく、大地人で狼牙族、
そして女でありながら、姉と2人で主に大地人を相手にした武器屋
を経営し、
相応に稼いで暮らしている。
﹁ここです⋮さてと﹂
慣れた足取りで少女はそこに向かい、物色を始める。
﹁⋮攻略本コーナー?﹂
﹁何の本なの?似たような本をまとめてるみたいだけど﹂
﹁この辺りは、冒険者の知識をまとめた本が売っています。
お二人向けの本も幾つか売っていますよ﹂
冒険者の手製の本の中から、目的の本を取り出しながら、少女が2
人に説明する。
﹁すみません。これ、おいくらですか?﹂
多めに金貨を入れてきたのか、重そうな財布を取り出しながら、少
女が尋ねる。
﹁ウェポンカタログの3巻。それでしたら金貨300枚になります﹂
それにコジロウは本を眺め、即座に値段を答える。
﹁あ、これ、傭兵ギルドに置いてある魔物図鑑じゃん。
っていうかこれって売ってたんだね﹂
﹁便利だけど、いっつも誰かが見てて中々使えないんだよね﹂
594
後ろの、傭兵の2人も、本を取り出しては眺めている。
どうやら攻略本が売れそうな気配である。
カタログや辞書、そして地図⋮冒険者の知識をまとめた本は、
冒険者の間では﹃攻略本﹄と称されている。
それをまとめた一角が今丁度少女達がいる辺りである。
これらの本は、基本的には冒険者が冒険者のために作った本だが、
最近は︵冒険者にとっての︶低レベル冒険者向けの幾つかの本は、
他所から流れてきた大地人の傭兵や騎士、魔術師などが買っていく
ことも多い。
﹁すみません。これ、幾らですか?﹂
コジロウは男が手にした本が魔物図鑑の上巻⋮
下位の魔物たちをまとめた本だと見極めコジロウは値を告げる。
﹁魔物図鑑の上巻ですか?それでしたら、金貨80枚ですな﹂
﹁⋮あれ?結構安くない?﹂
初心者支援
とやらの一環でして、
その値段に首を傾げる女に、軽く解説する。
﹁ええ。冒険者の
駆け出しの冒険者向けの本は、安く売るように申し付けられてい
ます。
その分、高レベルの冒険者向けの本は高くなりますがね﹂
﹁へぇ⋮じゃあさ﹂
﹁半分ずつ出して、買うか﹂
即断即決。2人は顔を見合わせると、それぞれに5枚金貨を8枚ず
つ出して、
カウンターに置く。
﹁⋮まいどあり﹂
本を手渡しながら、カウンターの上の金貨を受け取る。
595
﹁あ、これ、パパが言ってた奴だ。分厚いな、やっぱ﹂
﹁スキルガイドブックだっけ?
⋮1冊で金貨1,000枚位するって叔父さんが言ってた奴だよ
ね?﹂
﹁そうそう﹂
﹁⋮アーマーカタログも揃えたほうが良いのでしょうか?
よく防具についても聞かれますし﹂
本を買った後も騒々しく3人は攻略本をネタに会話を続けている。
︵⋮騒々しいな︶
これもまた、昔と違う点。
少しうんざりしながら、コジロウは店番を続けた。
4
夕刻。
︵そろそろ孫と交代の時間か︶
長年の勘を使い、外の暗さで大まかな時間を割り出しながら、
コジロウは店番を変わる準備を始める。
万年灯の覆いを取り、煌々と店を照らす。
日が陰り、暗くなりかけていた店内が橙色に染まり、
本を探すのに苦労しない程度の明るさとなる。
古くから、マーケットを司る民は、昼夜を問わず店を開き続けなく
てはならぬ
決まりがある。
それは、冒険者が疲れも眠りも知らず、昼夜を問わずに尋ねて来た
がためである⋮
のだが。
596
︵もっとも、それも儂の世代で終わりかも知れんな︶
夜は眠る
ようになった。
最近はもう、昼だけで良いような気もしている。
大災害以降、大半の冒険者が
無論、冒険者には今なお夜に活動するものはいるし、
大地人の新たな民にも、夜の商売で生活の糧を得るものはいるので、
まったく客がいないわけではない。
だが、やはりその数は少なく、最近では変わらないのは、衛兵の一
族くらいで、
若いマーケットの民の中には夜は店を閉めてしまうところまである
ほどだ。
︵これも時代か⋮︶
聞けば新たなる民は大災害を﹃革命﹄と称しているという。
なるほど、言いえて妙だと思わなくも無い。
大災害からたった半年で、これだけ様変わりした街を見せられれば、
これは﹃革命﹄だと呼びたくもなる。
﹁すまない。奥伝の技術書を頂きたい﹂
そんなことをつらつらと考えていると、声が掛けられる。
求められたのは、昔ながらの技術書⋮冒険者の技能の奥伝の書。
﹁はい。どのような⋮ムサシ様?﹂
昔ながらの売り物を求められ、客を見て、
コジロウはまたもや時代が変わったことを思い知らされた。
﹁うむ。飯綱斬りの奥伝書が欲しいのだが、扱っているか?﹂
そう尋ねるのは、コジロウより更に老いた、ハゲかけた頭の武士。
⋮完全に大地人。
597
それも、アキバの姫君と並んである意味新たなる民の代表とでも言
うべき人物である。
老人の名はムサシ。大地人最強と称される武士。
若き頃から天才と称された剣の才能を50年かけて磨きぬいた剣豪
で、
極めた
とされる大地人の身であ
円卓会議が出来た頃にナインテイルからこちらに移り住んで来た。
その技量はLv60を越えれば
りながら、
更に一段高い領域であるLv70を越えていると言う
半ば生きる伝説と化した凄まじい存在である。
⋮そして更に恐ろしいことには。
﹁心配するな。金ならばある。迷宮の財宝を手にしたからな﹂
ムサシは未だに更なる研鑽を諦めていない。
その技量を生かして様々な仕事をこなしたり迷宮へと潜ったりして
金を稼ぎ、
それを自らを強くするために惜しげもなく使っているのだ。
﹁飯綱斬りの奥伝書となりますと、その、金貨13,200枚とな
りますが⋮﹂
冒険者の奥伝書。冒険者が自らの持つ技に磨きをかけるのに使う、
昔ながらの本。
その値段は恐ろしく高く、金貨1万枚を越えるものも少なくない。
﹁うむ。貰おう。数えてくれ﹂
そんな高価な書を、ムサシはあっさりと購入する。
100枚金貨が詰められた金袋をドンとカウンターに置き、促す。
﹁は、はい⋮確かに100枚金貨を132枚頂きました。こちらで
す。どうぞ﹂
その袋の中身の半分を取り出し、本と一緒に返す。
598
﹁⋮うむ。よき店だ。またいずれ世話になる﹂
懐に金袋と書をしまい込み、悠々と去っていくムサシを見送る。
﹁⋮やれやれ。この街は一体何処まで変わっていくのか﹂
その後、孫に夜の店番を引き継ぎながら、コジロウはポロリとこぼ
す。
﹁ん?爺ちゃんどったの?しみじみと﹂
﹁なぁに。儂が本当に隠居する頃には、アキバはどうなっとるのか
とおもうてな﹂
孫が婿を取ったら引退するつもりであり、歳を考えればそれはあと
数年以内。
今までだったら、大して変わらなかったであろう。
だが、半年でここまで変わるとなれば、数年立ったらどうなってる
のかなど、
まるで分からない。
﹁アキバが?⋮う∼ん、確かにもっと面白くなってるかも﹂
その、コジロウの考えに、孫はあっけらかんと楽しんで答えを返す。
︵⋮やれやれ︶
その反応に、若さを大いに感じながら、改めて歳をとったと感じ、
コジロウはまた、ため息をついた。
599
第16話 本屋のコジロウ︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに週刊少年アキバの値段は、原稿料と筆写師の技術料、
量産に使う紙代などがかさんでえらい価格になっています。
金稼ぐのが簡単な冒険者向けならではの価格ってことでひとつ。
600
第17話 帝国人のアクセレイ︵前書き︶
本日は、とある方々にスポットを当てていきます。
ある意味ヤマトの国で一番アレなことになっている方々。
と言うわけで今回のテーマは﹁エッゾ帝国の中の人﹂
彼等の物語です。
601
第17話 帝国人のアクセレイ
0
ヒィィァァァァァァァ!
ミスリル
軋む様な悲鳴を上げながら、魔法銀の剣を受けたゴーストが霧散す
る。
﹁よっしゃあああああああああああああああああああ!﹂
兜を脱ぎ捨て、禿頭と髭面を晒したフョードルが勝利の雄たけびを
上げる。
︵これで終わりだな︶
その様を眺めながら、戦う力を持たぬ中年の元徴税官、
グール
アクセレイ=アリエフはほっと息を吐いた。
﹁伝令!村はずれに追い込んだ喰屍鬼の殲滅は無事完了!
こちらの被害は麻痺毒を受けたものが重装歩兵に1名のみ!
それも天使様により治療は完了しました!﹂
きびきびとフョードルの副官である若い騎士がアクセレイに報告を
行う。
そしてその報告が正しいことを示すように、アクセレイの耳にも
騒々しく部隊が戻ってくる音が届く。
﹁そうですか。婿殿に感謝せねばなりませんね⋮﹂
どうやらこの戦も無事に終わった。
そのことに安堵しながら、アクセレイはフョードルに歩み寄る。
狼殺し
の渾名は、伊達ではあ
﹁おう!アクセレイ殿か!見よ!勝ったぞ!﹂
﹁ええ。素晴らしい剣技でした。
りませんね﹂
帝国中を巡る巡回衛視長時代、その剣で持って二刀差しのオスを8
602
頭、
オスに守られたメスを2頭仕留めたことからついたフョードルのあ
だ名で呼ぶ。
任務
に
﹁ああ、確かに狼どもと比べりゃあ、この程度は雑魚だわな﹂
そう言って笑うこの叩き上げの精鋭は、まさに今回の
うってつけの存在だった。
そして、村はずれに展開していた部隊が舞い戻る。
﹁勝ったな﹂
﹁ああ、これで8つ目だ﹂
﹁春までに20の村を奪い返せと言う話だったか。あといくつだ?﹂
﹁12。この調子なら春までにはいけるだろう﹂
﹁後方支援の雑兵、また増えていたな﹂
﹁ああ、何でも戦に参加したものは優先的に良い畑をもらえるって
話だ。
代わりに給金は殆ど支払われないらしいが﹂
﹁いやいや、やはり戦士としては天使様だろう。あの癒しの魔法は
凄すぎる。
従者格だかなんだか知らんが、Lv80だと言うのも頷ける﹂
﹁分かってないな。常日頃から我等の世話をする家事妖精こそ、こ
の部隊の要だ。
あの手料理を食べられると言う理由で志願した雑兵もいると言う
ぞ﹂
戦いが終わり、弛緩した空気を漂わせ、あれこれと雑談している。
﹁ご苦労様でした。ヒロ殿﹂
アクセレイはその中の1人⋮
紆余曲折あって、アリエフ家の婿となった男に頭を下げる。
603
﹁そんな⋮頭を上げてください。元々、アクセレイさんに酷いこと
したわけですし、
それにこれも僕が好きでやってることですから⋮﹂
Lv90⋮無類の強さを誇る冒険者でありながら、ヒロの腰は低い。
どうやらかつて、アクセレイ達が娘を生贄に捧げる羽目に追い込ん
だことを、
今なお悔いているらしい。
︵そこまで気にしなくて良いのですがね︶
確かにまるで恨みが無いわけではない。
あの日、ススキノ郊外にあった屋敷を焼き払われ、
家族と使用人を守るため娘のアリョーシャがその身を差し出したこ
とは
苦い思い出だし、あの後、アキバの善なる冒険者と供に、
囚われたままの娘を置いてススキノを離れた日は、己が不幸に涙を
流したものだ。
しかし、その苦難の時代は終わった。
アリョーシャが生きて⋮
ヒロの嫁として帰ってきた以上、恨み続けても良いことは無い。
今ではアリョーシャとヒロは街にいる間はまるで庶民の恋人達のよ
うに
仲睦まじく過ごしていることを知っているし、帝国男爵としての
全てを奪ったのがあの魔人に従っていたヒロたちであれば、
今の栄光を与えたのも、﹃婿殿の義父﹄という地位をもたらしたヒ
ロなのだから。
だが、ヒロ自身はまだ割り切ってはいないらしい。
少しの間、沈黙が舞い降りる。
604
そして、それはフョードルの演説で途切れた。
﹁諸君!我々は勝利した!勝利したのだ!
彼の地より悪しき冥府の道に堕した魔物を打ち払い!
善なる勢力の手に取り戻した!﹂
大声で宣言したフョードルがぐるりと首を回す。
目に映るのは、泥だらけ、血だらけになりながらも満足げな、騎士
と傭兵、
そして開拓民で構成された部隊の仲間達。
彼等の目は今、喜びに輝いている。これから来る、宣言を待ち受け
て。
その期待を一心に受けて、フョードルが高らかに言う。
﹁諸君等の戦い振り、実に見事!その活躍により彼の地より悪は去
った!
今、この哀れなる村は再び善なる我等の手に戻ってきた!
我等の血と汗を対価に!
同じ善なる勢力として、彼の地で儚く散ったものたちの死は悼も
う!
されど、取り戻したのは我等なればこそ、この地の扱いは我等が
決める権利を持つ!
領土
の確保。
私は宣言しよう。この村を我等がエリザベート皇女殿下の名にお
いて⋮
帝国領とする!﹂
歓声が上がる。新たなる
それは、かつてエッゾ帝国に暮らしていた帝国人にとって、
また一歩刻まれた新たなる希望だった。
605
﹃第17話 帝国人のアクセレイ﹄
1
がやがやと。
戦いを終えた兵たちが各々がすべきことをしている。
キキーモラ
元々は人が住まう村だったこの地は、野営をするには良い場所だ。
村長の家だった場所の大きな暖炉は︿家事妖精﹀の手で
久方ぶりに火が入れられてシチューを煮込み、かつて村の食糧庫だ
った
大きな蔵の中には藁が敷き詰められて一晩の寝床へと変貌していく。
ナイチンゲール
手料理の心得があるものが焚き火で狩りで取ってきた獲物を炙り、
怪我をしたものは︿白衣天使﹀の強力な魔法により
治療を受けている。
騎士や傭兵を支える雑兵⋮帝国で農業を営んでいた屯田兵たちは荒
らされた
畑へと入り、土や水周りを調べて、春になってからのことに思いを
馳せる。
彼等の顔は、一様に明るい。
謁見
を行っていた。
夏の訪れと供に訪れた絶望からかけ離れた希望。
それをかみ締めているが故に。
そんな中、アクセレイとフョードルは
雪虎の毛皮に恭しく包まれていた、通信の宝珠を台の上に置き、3
人は膝を屈する。
宝珠に映し出されているのは、1人の美しい少女。
手入れの行き届いた黄金色の巻き毛と、磨きぬいたアメジストのよ
うな紫の瞳、
目もさめる様な真紅のドレスに身を包み、その上から帝国では最高
606
級の品とされる
白と青の模様が美しい雪虎の毛皮のマントを羽織っている。
﹃⋮フョードルとアクセレイか。首尾はどうか?﹄
美しいが幼く、だが威厳に満ちた声でただ一言、少女は尋ねる。
それにフョードルとアクセレイは立ち上がり、直立不動で答えを返
す。
﹁はっ!報告いたします!本日、我等は村の開放作戦を開始し、
村に巣くっていたアンデッドと交戦してこれを撃破!
当方の被害は軽微!ご命令あらば明日にでも次の村の開放を開始
できます!﹂
﹁開拓民の報告によればこの地の畑は拓かれてから日が浅くて痩せ
ておらず、
帝国の開拓民であれば相当量の収穫が見込めるとのことです。
また、近くの森には︿大牙猪﹀が棲みついており、腕の良い狩人
を用意すれば、
そちらでの収穫も相当量見込める、とのことです﹂
緊張しながら、報告する。
長年、帝国に仕えてきた彼等は知っているのだ。
﹃なるほど。中々に良き村を手にしたか。喜ばしい。
なればしばしゆっくりと休み、準備を整えよ。
兵達に酒を振舞い、宴でもするがよい。
どの道、今の残りの糧秣では些か進軍に無理が出る。2日ほど待
て。
行商に食糧と矢を運ばせている﹄
﹁﹁はっ!﹂﹂
607
この幼き少女が、﹃皇家﹄の血を引くものであり、
並の領主すら上回るほどに為政者の才を持った正当なる﹃皇女﹄で
あることを。
イースタルの更に北に位置する雪と鉄の国、エッゾ帝国。
彼の国には、覇王の血族が存在する。
帝国の始祖、アル=ラーディルの直系の子孫たるラーディル家⋮す
なわち皇家。
歴代皇帝の実子のみが一員であると認められるそれは、
帝国において最も尊き家であるとされ、帝国の一切を取り仕切る。
その権力は絶大であり、帝国において皇家に逆らうことものなど
蛮族の狼どもくらいである。
皇家に生まれたものは、性別に関係なく、皇帝の座の継承権を有す
る。
故にいつ皇帝の座に着くことがあっても良いよう、厳しく鍛えられ
るのだ。
軍事、政治、税制、地理、歴史教養、礼儀作法、
皇帝に相応しい堂に入った立ち振る舞い⋮
皇家の一員であれば皆、学ぶ。その異質さが彼女らを生む。
皇女。
女の身ながら皇家に生まれたがために、
姫
と呼ばれることを何よりも嫌う。
為政者として必要な全てを叩き込まれた女傑。
彼女らは一様に
皇女にとって姫とは男に縋るしか生き方を知らぬ、か弱きものなの
608
だ。
そして、その矜持を示すように皇女は皇帝直属の部下として婿を取
って
帝国の重役を担い、男と同じかそれ以上に勇猛かつ英知に満ちた治
世を担う。
いずれ訪れるやも知れぬ、皇帝の座についた日に困らぬように。
アクセレイの現在の主、シブヤの帝国人を纏め上げるのも、皇女で
ある。
エッゾ帝国第一皇女、エリザベート・L・ラーディル。
先帝を父に、現皇帝を兄に持つこの13歳の少女が、側室であった
母方の縁を頼りに、
帝国の宮殿を離れ、幾多の帝国貴族を襲い子女を攫った恐るべき魔
人、
カオルの手を逃れてカイの国に落ち延びたのは、秋の初めのこと。
それから、母方の祖父の許しを得てシブヤに移り住んだエリザベー
トは、
その幼さからは想像もつかぬほどの政治手腕を見せ、
瞬く間にアキバの善なる冒険者と供にアキバに落ち延びた帝国人た
ちをまとめあげ、
一大勢力とした。
婿殿
を初めとした、帝国人と婚姻を
第二帝国と称しているその勢力に属するもの、実に2,000。
アクセレイやフョードルの
した
冒険者が作る家門﹃帝国の番犬﹄を召抱えた第二帝国はアキバ勢力
圏に住まう、
609
まとまった大地人勢力としてはかなり大規模であり、
帝国人にとって最大のライバルとなる﹃アメヤの村の民﹄をも越え
る。
その彼等第二帝国が行っている作戦が、エリザベートの命令のもと、
長年巡回衛視隊を率いていたフョードルが準備する﹃再入植計画﹄
である。
エリザベートがアキバに落ち延びる前、イースタル南部にあるザン
トリーフで、
大規模な戦があった。相手は緑小鬼の軍勢数万。
それは密かに侵攻を進め、あわやイースタル自由都市同盟を
崩壊させかねない事態に陥らせ、その軍の侵攻の過程で、相当数の
村が滅びた。
隠密裏に行動していた緑小鬼たちに滅ぼされたのは
大半が名も無い小さな開拓村だが、それでも井戸が掘られ、
土地は畑として整備され、大分荒れてはいるものの建物とて残って
いる。
それに加えて開拓村は領主の力が足りず庇護を受けられなかった⋮
誰の支配も受けていない村であり、その住人が死した今、
完全な空白地帯となっている。
エリザベートが目をつけたのは、その元開拓村であった。
落ち延びた帝国人には、冒険者に襲われて土地を捨てざるを得なか
った、
相当数の開拓民が含まれる。
彼等の技術は高く、既に開拓が済んでいる滅びたての廃村ならば、
僅かな援助で村を復興させるだろう。
610
税を払うことを条件に畑を与えると言えば、
村に移り住むことを望む開拓民は、決して少なくない。
無論、そのままでは住めない。
緑小鬼の略奪に晒された村の建物は建て直しが必要だし、
何より亜人に殺された無念を抱えた魂や骸が、
アンデッドと化して廃村を彷徨っていたり、
近隣のモンスターや亜人が住みかとしていたりする。
移り住むにはまず、それ等を叩き潰す武力が必要となる。
⋮落ち延びた帝国人に含まれる騎士や傭兵、
そして兵士はその武力としてうってつけだった。
雪と氷が支配する純白の冬を知る彼等帝国人にとって、
確保
に乗り出したのだ。
雪すら滅多に降らぬイースタル南部の冬は、その行軍を止めるほど
のものではない。
故にこの冬の間、彼等は潰れた開拓村の
﹃わらわからの話は以上だ。お前達が朗報をもたらすこと、期待し
ているぞ﹄
その言葉を最後に、皇女より通信が途絶え、水晶は輝きを失う。
﹁宴か⋮確かにここ1週間で2つの村を連続して落としたからな、
そんな暇は無かった﹂
﹁丁度良い。宴もそうですが、兵を休ませる間、
ここを前線として使えるよう、補修をしますか。
それに、狩りでもして干し肉でも作っておけば、更に行軍できま
しょう﹂
エリザベート直々に選んだ、隊の指揮官2人は優秀である。
彼等は2日後、帝国から依頼で補給物資を運んできた行商に会うま
で、
611
勤勉に活動し、兵たちを慰労した。
2
3日後。
狐尾の護衛を連れた行商から糧秣を受け取り、ついでに村に滞在し
ている間に狩った
猪の牙と毛皮を売り払うと、アクセレイたちは再び行軍を始めた。
﹁ふむ、あれか⋮うん?﹂
山肌から森に囲まれた中にぽっかりと開かれた村を、
アキバで開発された遠眼鏡で覗き込んでいたフョードルが首を傾げ、
アクセレイに遠眼鏡を渡す。
﹁⋮あれは、生きている人間に見えますね﹂
アクセレイも遠眼鏡を覗き、フョードルの言わんとしていることを
知る。
﹁うむ。人型だが、行動が不死の怪物のそれではない⋮﹂
覗いた先に見えたのは⋮良くある村の風景だった。
子供達が遊びに興じ、女たちが雑談しながら炊事や洗濯に精を出す。
若い男達は狩りにでも出ているのか、殆ど見えない。
彼等は帝国や、自由都市同盟で一般に使われているものとは違う、
独特の装束を纏っている。
男も女も皆、頭に布を巻き、ゆったりとした格好をしていた。
﹁もしや、あの村が滅んだと言うのは、間違いだったか?﹂
﹁⋮いえ、少なくとも一度は滅んだようですね﹂
観察を続けていたアクセレイが首を振り、フョードルに返す。
﹁ふむ?どういうことだ?﹂
﹁建物が荒れ果てすぎています。古くから住んでいる民で、
まともな神経なら、補修もせずに使うはずが無い﹂
酷い有様だった。ところどころ、半分が崩れた建物や、穴が空いて
いる。
612
にも拘らず、そこの
住人
はそれを気にしていない。
村の広場にテントを張り、そこで暮らしているらしい。
建物を直すどころか、建物を崩し、残骸を薪代わりにしている様子
すらある。
﹁⋮分からぬな。これは⋮﹂
﹁婿殿の出番ですね﹂
そう判断すると、アクセレイは隊の中に混じっているヒロに声をか
ける。
﹁ヒロ殿。少しよろしいですか?﹂
﹁⋮はい。なんですか?﹂
ヒロが歩み出て、アクセレイの前に立つ。
そのヒロに、アクセレイは一つ依頼をした。
﹁実は、ヒロ殿に、あの村を偵察していただきたいのです﹂
そして、詳しい情報をヒロに言う。
村に、女子供が住み着いていること。
そして、あの村は一度滅んだのは間違いなさそうであることを。
﹁⋮偵察ですね。分かりました﹂
事情を聞いてヒロは頷くと、鞄から一冊の本を取り出す。
﹁⋮︿召喚:偵察魔眼﹀﹂
集中し、一言唱えると、本が勝手にめくれ、とあるページでとまる。
ずるりとその本から黒い触手が這い出す。
ウォッチャーズアイ
そして、触手の先についているのは、大きな眼球。
奇怪な魔法生物の名は︿偵察魔眼﹀
ヒロのような召喚術師が使う魔物の1つである。
その能力は⋮
﹁⋮偵察に行って来てくれ。透明化して、あそこに見える村まで﹂
613
ヒロの言葉を受けて、すぅ⋮と魔眼が透き通る。
偵察
に特化した魔物である。
ふわりと風が動き、魔眼はふわふわと飛んでいった。
偵察魔眼は、その名の通り
攻撃手段こそ貧弱で、眼球を被う触手で攻撃するか、
魔眼による催眠くらいしかないが、浮遊移動、透明化、熱や暗闇、
魔力の流れなど大抵のものは見通せる特殊視覚、
そして術者との視覚の共有能力などを併せ持った偵察魔眼は、
大災害以降、まさに先を見通す目として、
召喚術師に人気のモンスターの1つとなった。
そして、目を閉じて魔眼を通しての偵察を開始する。
透明化して、密かに辺りを見渡す。
程なくして、森の中でヒロはそれを見つける。
﹁⋮男の人たちです。こっちに近づいてきてますね。
うん?あれってターバンか?顔が隠れてて種族はちょっと分かり
ません。
あ、でも、剣を2本下げてますね。もしかして武士か盗剣士かな
?﹂
﹁なんだと!?﹂
その言葉に、思わずフョードルが声を上げた。
情報が揃い過ぎている。その正体は⋮
﹁まさか⋮狼どもなのか!?﹂
﹁狼ども!?それは、本当ですか!?﹂
フョードルの上げた声にアクセレイもぎょっとする。
戦とはついぞ縁の無かったアクセレイとて、知っている。
帝国における狼どもとは、如何に恐ろしい存在かを。
帝国に置いて、狼どもといえば⋮恐るべき蛮族である狼牙族である。
かつて、亜人が現れた後、戦のために作られたとされる狼牙族。
当時、古王朝の崩壊に伴ってエッゾに移り住んできた民が
614
北の大地を戦場としたことで既にエッゾの地に土着していた狼牙族
と戦い、
勝利したことで帝国は始った。
そして、帝国により厳しい環境に追いやられて生き延びてきた狼牙
族は、
帝国をして魔物とすら称されるほどの戦に通じた民となった。
幾多の帝国人が、狼どもの縄張りに入り込んだり、村ごと略奪にあ
って惨殺され、
名だたる将軍の何割かは戦に破れて狼どもに討たれてきた。
2年前の戦では、傭兵を主としたとはいえ5倍の兵力を持った帝国
の征伐軍を下し、
先帝の弟であった皇家の1人も討たれたほどだ。
﹁噂とは違うが、確かに奴等ならば村に住まう
幸運
にも生き延びたフョードルが
魔から奪い取ることも出来るであろう﹂
2年前の戦に参加し、
冷や汗を流しながら、言う。
本来帝国に住む蛮族である狼どもが、イースタル南部にいる理由に
も、
心当たりが無いではない。
今代の狼どもの長⋮﹃狼王﹄がアキバの近くに拠点となるアメヤの
村を作り、
帝国に住む狼どもを呼びよせていることは有名な話だ。
既に第2陣までがアメヤの村に集い、村の民の数は500を越えた。
⋮そして第3陣がアキバに向かっていると言う話もまた、聞いてい
る。
もしそれが、越冬のため、あるいは定住のために滅びた村を手に入
れたのだとしたら。
﹁⋮一旦引いた方が良いですね。帝国の兵もそう多くは無いのです
615
から﹂
﹁うむ﹂
2人の意見はすぐに一致した。
連れている帝国兵で、まともに戦える騎士や傭兵は50ほど。
残りは人足代わりの雑兵に過ぎない。
男女の区別すらない戦人揃いの狼どもと戦える戦力とはとても思え
ない。
向こうの戦力は未知数だが、もし狼どもならば、
多少の数の差では勝つとは保証できないし、
よしんば勝ったとしても得るものは少ない。
引くのが得策である。
そんな話をしていたときだった。
﹁かかれ!帝国より豊穣の地を守るのだ!﹂
リーダー格らしき、二本の剣を下げた男の声が響く。
その声と供に、次々と布で顔を被った男達が帝国兵たちに切りかか
る!
﹁貴様等!何者だ!?﹂
そのリーダー格の男に抜刀し、盾を構えて突進しながら、フョード
ルが叫ぶ。
﹁知れたこと!我等は貴様等帝国に抗うものだ!﹂
それに慌てず、二本の曲がった片刃の剣を振りかざしながら、男が
答える。
そして切りあいが始まる。
﹁やはりか!この忌まわしい狼どもめ!﹂
互いの腕は互角。男の剣は早く、一見フョードルを推しているよう
に見えるが、
守護戦士たるフョードルの守りは熟練しており、その守りを貫きか
ねている。
616
﹁クソッ!邪魔するな!﹂
﹁させないよ!ようやくこの人たちが手に入れた安息の地を、
アンタみたいな冒険者のクズに渡すか!﹂
ヒロもまた黄金のランプを手にした女に推されている。
相手も冒険者の召喚術師なのか、傍らには燃え盛る、
下半身の無い巨人がヒロを襲う!
ヒロも召喚術を使い、戦装束に身を包んだ戦乙女を召喚して応じて
いるが、
劣勢で推されている。
⋮そして。
︵おかしい︶
1人蚊帳の外に立つことになったアクセレイは、違和感を感じてい
た。
何かが掛け違っている。それは。
︵狼どもは⋮こんな格好だったか?︶
アキバに行けばアメヤの村の民⋮引いては狼どもの姿は容易く見れ
る。
⋮正直、襲ってきた民達の着ているものとは似ても似つかない。
︵いや、このような姿の民⋮それ事態に見覚えが無い!︶
アクセレイは、その頭の冴えを見せる。
元より、帝国ではその知力を持って皇帝に代わり税を集める徴税官
を務めた身だ。
とっさの頭の回転は速い。
︵⋮まさか、このものたちは!︶
故に、真実に到達し、その言葉を叫んだ!
﹁フョードル殿!このものたちは⋮恐らく異邦人です!
我等の⋮エッゾ帝国の敵ではない!﹂
617
﹁⋮異邦人!?﹂
﹁⋮エッゾ帝国!?﹂
アクセレイの言葉に、フョードルと男は驚愕し、同時に動きを止め
る。
そして同時に叫ぶ!
﹁馬鹿な!?シブヤ以外にも異邦人がいると言うのか!?﹂
﹁エッゾとはなんだ!?貴様等は、帝国⋮オスマニアの軍ではない
のか!?﹂
隊長格2人の叫び。
それが一瞬両部隊の戦いを止める。
それに重ねるようにアクセレイは叫んだ。
﹁まずは話をしましょう!私たちは、戦をしに着たのではない!﹂
4
﹁先ほどはすまなかった。
侵略者でも、ましてオスマニアでもないのなら、貴君らは客人。
アラルの民の長として、ご無礼は、重ねて謝ろう﹂
顔を被っていた布を外し、浅黒い肌を晒した人間族、
アラルの民の長、アンワールは頭を下げる。
﹁いえ。気になさらないでください。
我等も、最初は貴方がたを狼ども⋮敵だと思っていたわけですか
ら﹂
非は互いにある。故にアクセレイもまた、頭を下げた。
﹁しかし⋮本当なのか?このものたちは、異邦人だと言うのは﹂
事情を軽く聞き、困惑しながら、フョードルが尋ねる。
﹁ええっと⋮多分間違いないと思います。
多分、中東サーバの人たちじゃないかな?格好がそれっぽいし⋮﹂
ちらちらとアンワールとその傍らに立つ、冒険者の女を見ながら、
618
ヒロが答える。
﹁そうよ。この人はアラビカ⋮中東サーバの大地人よ。
あたし達は妖精の環を通ってきたの。
知り合いがいなかったから、あたしが昔いた欧州サーバじゃない
のは
分かってたけど、まさか日本サーバだったなんてね﹂
その視線を感じながら、日焼けした肌と金髪が印象的なLv90の
召喚術師、
コゼットが肩を竦める。
﹁にしても本当なの?アタシとアンワールみたいなのは
特別だと思っていたのだけれど。冒険者と大地人が共存って﹂
にわかに信じがたい話に、コゼットが再度聞き返す。
大地人とごく少数の冒険者が共存している例はそれなりにあるが、
まさかそれが1,5000なんて数⋮国単位で成り立つとは思って
いなかったのだ。
﹁まあ、お互い信じがたい話でしょう。ここは一つ、お互いのこと
を話しましょう﹂
そしてエッゾ帝国のことを話しながら、アンワールから話を聞く。
その話は、こうだった。
ユーレッド大陸の中央付近⋮中東サーバ、アラビカには、1つの帝
国がある。
名をオスマニア。大帝が収める巨大な国である。
オスマニアはアラビカの冒険者が少なかったことに加え、欧州と中
東をまたに駆けて
荒稼ぎをしていた商売を司る巨大ギルドと手を組んだことで、
アラビカにいた冒険者を従え、強大な力を得た。
元々強い軍を束ねた国だったが、それに冒険者という戦力が加わり、
力を更に増したのだ。
619
そして、その武力を背景に、オスマニアはアラビカの統一に乗り出
した。
その過程で、アンワールたちアラルの民は戦に破れて焼け出され、
逃げ出すこととなった。
秘宝たる︿魔神のランプ﹀を手にするためにアラビカを訪れていた
ときに
大災害に巻き込まれ、助けられた縁でアラルの民の下で用心棒をし
ていた冒険者、
コゼットの説得に応じ、家財一切を抱えて、一斉に妖精の環に飛び
込んだのだ。
出た先が、水と木々に満ち溢れた豊穣の大地であったこと、
そしてすぐ近くにうち捨てられた廃村があったのは幸いであった。
アンワールたちは秋の間近くの森から食糧を得て蓄える生活をして
いた。
いつ、ここにオスマニアの手が伸びるか分からないため、
近隣の地との交流は絶っていた。
そして今日、コゼットが帝国の軍を見つけ、戦うこととなったのだ。
﹁なるほど⋮我々エッゾ帝国と似たような状況ですね。
最もそちらにはアキバは無かったようですが﹂
﹁冒険者の取り仕切る、冒険者と大地人が共存する街か⋮俄かには
信じがたいな﹂
アラビカでは大帝直属の冒険者は、大地人に対し威張り散らす存在
であった。
冒険者にとっての主要施設を莫大な財力で押さえ、
支配する大帝にこそ頭が上がらぬものの、
並の大地人に対しては全てを上回る異形の存在として、好き勝手に
やっている。
﹁とにかく、我々は皇女殿下と円卓会議に報告のため、一度戻るつ
620
もりです。
⋮よければ、使者を立て、アキバに一度赴いた方が良いかと。
この地では色々足りぬものもあるでしょう﹂
﹁⋮そうだな。少し時間を頂きたい。考えたい﹂
そう言うと、手を出し、互いに握手を交し合う。
﹁生憎と、生きるために必死でロクなものが無いが、ささやかな宴
を開くとしよう。
貴君等はこの地で初めての友だ。互いの仲を深めておきたく思う﹂
﹁ならば物資については、こちらが出しましょう。
幸い行商から補給を受けたばかり。肉やパン、酒も充分あります
から﹂
フョードルの言葉にアクセレイも頷きでもって答える。
似たような境遇の、されど逞しく生きる、遠き国の民。
このセルデシアの広い大地で彼等に出会えた幸運を喜びたいと考え
たのだ。
かくて、一つの邂逅が平和に成し遂げられる。
それは、ある種の奇跡であった。
621
第17話 帝国人のアクセレイ︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに﹃狼ども﹄ことエッゾの狼牙族については、
別の話で何度かやっていたり。
622
番外編3︵告知編︶ 高級家政婦のエリッサ︵前書き︶
今回、下記の企画に参加させてもらうことになりました。
ままれアンソロ企画
https://sites.google.com/site/
mmranthorogy/
と、言うわけで予告編と言うか、告知に合わせた特別編。
主人公は珍しく原作にいるキャラと言うわけで、
レイネシア姫のお世話役ことエリッサ嬢。
テーマは﹃メイド募集中﹄
それでは、どうぞ。
623
番外編3︵告知編︶ 高級家政婦のエリッサ
0
王侯貴族の世話を司る上位の技術職、エルダー・メイド。
そのエルダー・メイドには2種類のタイプがいる。
1つ目は、貴族の子女の行儀見習い。
彼女たちは将来の嫁ぎ先である貴族や騎士、
商人の妻として必要な技術を身に着けるべく、
領主などの高位貴族や高司祭、そして豪商の邸宅に、行儀見習いと
して上がる。
この場合、大抵は12∼15歳程度から結婚が決まるくらいまで続
けて、
結婚と同時にやめることになる。
エルダー・メイドの大半がこちらのタイプであり、
こちらのタイプは長くても5∼6年の間の手習いと言うこともあっ
て、
高い技量を得ることはまず無い。
2つ目が、メイドマスター候補。
様々な要因から結婚の道を捨て、生涯をメイド道の研鑽に捧げるこ
とを選んだ求道者。
この道を選んだエルダー・メイドは、将来のメイド頭として厳しく
躾けられる。
その技量は同齢の行儀見習いに負けることはまず無く、
更に年齢に比例してとてつもない技量に達する。
624
例えば灰姫城のメイド頭。
年齢と︿高級家政婦﹀の技量が共に60を越えている彼女はかつて、
おしめ
を替えていたこともある女傑。
紅顔の美少年だったセルジアットの身の回りの世話をこなし、
更にはその娘サラリヤの
その手腕は灰姫城に無くてはならぬ存在として、
今もなお灰姫城のメイド達を取り仕切っている。
レイネシアの側仕えであるエルダー・メイド、エリッサはメイドマ
スター候補である。
理由は色々ある。
実家がエルフ系の下級貴族⋮
殆ど庶民と変わらないレベルの零細貴族だったこともあるし、
忌み子のハーフ・アルヴとして生まれたため、
ロクな嫁ぎ先が無いことが生まれた時点で確定していたこともある。
だが、彼女に言わせれば、それは些細な理由である。
彼女がメイドマスターの修羅道に踏み込んだ理由は、ただ一つ。
︱︱︱あたしがやんなきゃ、誰が姫様の世話をできるってんですか。
レイネシアが幼かった頃から世話を続けてきて身に染み付いてしま
った矜持は
彼女に付き従いアキバに着てからも変わることなく、
現在もエリッサはエルダー・メイドのみで構成された水楓の館のメ
イドの中で、
その細腕を振るっている。
さて。
レイネシアの住まう邸宅としてアキバに用意されたコーウェン家の
別宅、水楓の館。
625
そこでは現在およそ30人ほどのメイドが働いている。
その全てがマイハマの灰姫城から派遣された、エルダー・メイド⋮
だった。
9月にアキバに水楓の館が建てられ、レイネシア姫が赴任して3ヶ
月。
マイハマからやってきたエルダー・メイドの何人かが水楓の館より
去っていた。
人一倍色恋沙汰を好んだ彼女は円卓会議11ギルドの1つ、
︿西風の旅団﹀の当主に熱を上げすぎていることが実家にばれて連
れ戻された。
修道院で癒しの術を学んだ貴重な癒し手であった彼女は1ヶ月程前に
マイハマから赴任してきた近衛騎士団の従軍司祭の話に感化され、
マイハマに戻り、従軍司祭見習いとして騎士団入りした。
その他、冒険者の街に置いておくのを嫌がった親に連れ戻されたり、
アキバの持つ魅力に惹かれて仕事が疎かになって暇を出されたり、
色々である。
かくて手が足りなくなった水楓の館。
その補充を願い出たところ、返ってきた返答は。
︱︱︱補充要員はマイハマでは用意せず。アキバにて募集すべし。
⋮かくして水楓の館より一つの依頼が出された。
水楓の館にて働く、エルダー・メイドを若干名募集。
応募資格は即戦力たるLv20を越えるエルダー・メイドであるこ
と。
⋮そして何より、大地人であること。
626
冒険者を同僚に迎えるのは、採用担当を任されたエリッサとしても
勘弁だった。
当初、貴重なエルダー・メイドが集まるかは疑問もあったが、それ
は杞憂に終わった。
あらゆるものが集う街、アキバでは、エルダー・メイドの大地人も
そこそこいたのだ。
そして実際会う段になって問題が発覚した。
応募してきたのは3人⋮
旧き3種族
に属さぬ異種族だった。
かなりの技量を持つ貴重なエルダー・メイドは全員が人間族、エル
フ族、
そしてドワーフ族の
その、異種族メイドの面々が、水楓の館に相応しいか見極めなけれ
ばならない。
それはエリッサが初めて経験する類の試練だった。
﹃番外編3 高級家政婦のエリッサ﹄
1
﹁という次第なんですよ﹂
水楓の館の裏口に程近い使用人用の控え室で、エリッサは事情を説
明し終えた。
﹁⋮それで、私がお手伝い、ですか?﹂
そう聞き返すのは、レイネシアが懇意にしている冒険者の騎士団、
︿D.D.D﹀で働くエルダー・メイド⋮アルフェ。
﹁はい。前にマイハマから来た文官様が言っていたんですよ。
困ったら、あなたに相談してみては、と﹂
マイハマでも屈指の切れ者と噂の文官は、胃の痛みに顔をしかめな
627
がら帰り際、
再度挨拶に来た時に言っていた。
アキバで困ることがあったら、︿D.D.D﹀の狐尾族のエルダー・
メイドに
頼って見ると良いと。
その忠告もあったし、何よりレイネシアと行き来が多い騎士団でも
貴重なエルダー・メイドである彼女のことはエリッサもよく知って
いる。
彼女は自分と同い年だと言う割に、頭の回転と知識の深さが段違い
であり、
何かと相談事に乗ってもらっているのだ。
故に、今回も彼女に頼ることにしたのだった。
﹁それで、どのような方の面談を?﹂
﹁はい。3人ともLv20以上の実力を持つエルダー・メイドです
し、実際の働きぶりも
若い割にそこいらの貴族の娘さんとは比べ物にならないほど優秀
らしいのですが⋮
種族が﹂
﹁ええ、聞いています。狐尾族と狼牙族、それにハーフアルヴでし
たっけ?﹂
﹁はい。そうなんですよ⋮いやね、ハーフアルヴはまあ、分かるん
ですよ。
出はマイハマの名家の三女らしいんですが⋮忌み子ならよくある
ことですから﹂
自らの体験も含めて、実感を込めて言う。
﹁しかし⋮狐尾族と狼牙族と言いますと⋮
どちらもイースタルでは余り見ない種族ですし⋮﹂
﹁⋮貴族様方の作法を知る種族には思えませんものね﹂
628
アルフェの手前、濁した言葉をアルフェは正確に察する。
﹁ええまあ⋮いえ、アルフェさんはそんなこと無いって分かってる
んですがね⋮﹂
狐尾と狼牙、ついでに猫人⋮
善なる獣人種はイースタルでは蛮族の扱いであり、貴族はただの1
人もいない。
それが家事だけで無く貴族の作法を知ることを求められるエルダー・
メイドとは、
にわかに信じがたかった。
﹁なるほど⋮これならありえますね﹂
エリッサの話を聞きつつも、アルフェは事前に出されたメイドの経
歴⋮出身地を見る。
﹁へ?そうなんですか?﹂
アルフェの意外な言葉に、エリッサは聞き返す。
﹁ええ。イースタルの出ならともかく、ウェストランデの狐尾族、
エッゾの狼牙族らしいですから﹂
それにアルフェは頷きを返し、じっと経歴書を見る。
ウェストランデからの移民だと言う狐尾族と、エッゾから来た狼牙
族。
その意味を正確に理解したのだ。
﹁まあ、詳しいことは会って見ないと分かりませんがね⋮﹂
アルフェが20年を越える経験で培った勘が言っている。
しっかりと検分する必要があると。
2
面接開始の1人目。
﹁おはようございます。エリッサ様。本日お招き頂いた、ホタルと
申します﹂
629
入ってきて、かすかに微笑み、優雅に礼をしたのは
自前の冒険者用メイド服を着た少女だった。
経歴書によれば若くして技量が20どころか30を越えていると言
う、
今回応募してきた3人の中では最も技量が高いエルダー・メイド。
流れる長い髪は白雪のような銀、目は空のような蒼。
キメ細やかな肌は透けるように白く、まだ育ちきっていない、
発達途中の肢体はまるで出来の良い人形のよう。
⋮そして、獣の耳も尻尾も見当たらぬ、どうみても人間族の少女だ
った。
﹁あれ?⋮っと本日はようこそ、水楓の館へ。私は姫の側仕えを勤
めているエリッサ。
そしてこちらが一緒に貴女がこちらに勤めるに足るかを見極める
⋮﹂
﹁アルフェです。よろしくお願いします﹂
そのことに違和感を覚えるが、まずは挨拶をすべきだろう。
そう考えてエリッサは名乗り、アルフェを紹介する。
﹁なるほど、よろしくお願いします﹂
少女の方も慣れたもので冷静に言葉を返し、アルフェにも礼をする。
﹁⋮えっと、それで⋮その、狐尾族と聞いていたんですが⋮﹂
少しの間沈黙し、エリッサは言いにくそうに切り出す。
﹁⋮お見苦しいものをお見せするわけにはいかぬと思い隠したので
すが、
出した方がよろしいでしたら﹂
その言葉にほのかに微笑みながらホタルは冷静に返し、
先端だけが黒い銀色の耳と尻尾を出す。
630
﹁⋮え?あれって隠せるんですか?﹂
思わず隣のアルフェを見る。それに対しアルフェは当たり前のよう
に言った。
﹁出来ますよ?ギルドでは隠さなくて良い⋮
むしろ耳と尻尾が良いと言われてますので隠したりはしませんが﹂
そう言うとアルフェはさっと魔法のように
化ける
術を知っています。
金色の毛で覆われた耳と尻尾を消してみせ、また出して言う。
﹁狐尾族は皆、耳と尻尾を隠す⋮
長時間隠したままだと疲れますけどね。
ウェストランデの旧い貴族の家なら、大抵数人はいますよ。
人間族の姿をした、狐尾族の使用人が﹂
すまして言う⋮なんのために、かはあえて言わなかったが。
化ける
技を持っているなら、話は分か
﹁へぇぇ、ウェストランデの、とはそういう意味でしたか。ではホ
タルさんも?﹂
確かに狐尾族が人間族に
る。
思えば古王朝の歴史を受け継ぐウェストランデではイースタル以上
に貴族の力が強く、
それに伴って貴族の礼儀を知るエルダー・メイドも数多い。
彼女もそうやって貴族に仕え、エルダー・メイドの技を身に着けた
のだろう。
﹁はい。以前はウェストランデのさる貴族様のお屋敷で働かせて頂
いておりました。
そちらでお暇を頂き、アキバの噂を聞いて移ってきたところで
折りよく募集がありましたので﹂
﹁なるほど、そういうことでしたか﹂
かくて、エリッサが納得し、合格させようとした、そのときだった。
﹁⋮私から、1つ質問しても?﹂
631
アルフェがポツリと、微笑んで尋ねる。
﹁はい?なんでしょう?﹂
主の名
を、今、ここで言って見て貰えま
相変わらずの微笑みを浮かべながら、ホタルはアルフェに尋ねる。
﹁では⋮貴女が仕える
せんか?﹂
それに頷き⋮ホタルにあわせたような微笑みを崩さず、アルフェは、
その質問をした。
﹁へ?﹂
アルフェの、間の抜けた質問に、エリッサは思わず声を上げた。
主の名。そんなもの、レイネシア姫意外にありえない。だが。
﹁⋮っ!?﹂
ホタルは、言いよどんだ。
微笑みから初めて顔をしかめ、無意識のうちに右手を泳がせる。
﹁⋮言えませんか?となると、色々と困ったことになるんですがね
⋮﹂
ホタルに再度問う⋮笑顔を崩さず、ただ静かに。
﹁や、まあそうですけど⋮﹂
アルフェの様子に、ぞわりと寒気を感じながら、エリッサは事態を
掴みきれずに言う。
エルダー・メイドが、自らの主の名をいえぬなど、ありえぬ失態だ。
その一事で持って不合格となってもおかしくないほどの。
だが、ここの主が誰かなど、アキバでは子供でも知っている。
ホタルが知らぬとも思えない。
そして少しだけ時間が過ぎ⋮
﹁⋮我らの主の名は、レイネシア=エルアルテ=コーウェン。
マイハマ領主、セルジアット公の、孫姫です﹂
ホタルは、その言葉を口にする。
632
﹁⋮本当に?﹂
﹁⋮今、このときより﹂
アルフェの確認に、頷く。その微笑みが消えた顔には、一筋の汗が
流れていた。
﹁⋮良いでしょう。合格で良いと思います﹂
﹁え、ええ。そうですね⋮ホタルさん、貴女を水楓の館のメイドと
認めます﹂
寒気が消えたことに安堵しながら、エリッサはホタルに合格を告げ
る。
﹁ありがとうございます﹂
それに深々と頭を下げ、ホタルは応接間を退出する。
﹁⋮なんてもの飼ってるのよ。アキバの円卓会議は﹂
去り際。その、恐れが篭ったごく小さな呟きは、
アルフェ以外の誰の耳にも入らずに、消えていった。
3
﹁どうも∼、カズラです∼﹂
そこはかとなく間延びした声で、その少女は挨拶をした。
きらきらとしたタレ気味で黒い目と白い紐でくくった
濡れた烏の羽のような色のまっすぐな黒髪。
幾分発達した女性的な体をエッゾの装束らしい変わった服で包んで
いる。
カズラ。事前に出された経歴書に寄れば、元々ははるか北方、エッ
ゾ帝国の生まれ。
1ヶ月ほど前、帝国からアキバのすぐ側に作られたアメヤの村に移
り住んできた。
633
その後、アキバでは有名なホテルであるリバーサイドで働いていた
が、
リバーサイドの支配人から今回の応募を紹介されたのを契機に応募
したと言う。
癒し手
の技を持っていると聞きましたが﹂
挨拶もそこそこに済ませ、エリッサは早速尋ねる。
﹁さて⋮カズラさんは
今回、カズラがエリッサの目に止まったのはそこである。
冒険者が﹃回復職﹄と呼ぶ、癒し手の技術の持ち主。
以前館に勤めていた癒し手がいなくなった今、
女の園であるこの館では早急に用意する必要があった。
理由は簡単。
基本的に貴族の女性は﹃月のもの﹄に耐える生活をしていないのだ。
特に領主の血縁クラスの高貴な女性になると、
兆候が出ればすぐに癒しの魔術で痛みを止める。
先の姫様の﹃月のもの﹄の日にはマイハマから派遣されてきた
従軍司祭を前の癒し手がやめる原因を作ったとして緊急召集したが、
仮にも近衛騎士団に抜擢されるほどの実力者であり、
有力な法衣貴族の娘でもあるエリートを毎月そんなことで
呼び寄せるわけにもいかないのは、エリッサにも分かっていた。
それに、日常のちょっとした怪我や病気などの備えにも、
癒しの魔術の使い手がいるといないとでは大違い。
所詮は﹃ちょっとした怪我や病気﹄が治せれば良いので
余り高い技量はいらないが、やはり1人は欲しいもの。
そんなわけで、紹介状に癒しの魔術の使い手であると書かれていた
634
カズラが応募してきたとき、狼牙族という珍しい種族にも関わらず
すぐに面接することに決めたのだ。
﹁はい∼。持ってますよ∼。ウチは代々側仕えの家系ですので﹂
エリッサの問いに、カズラは先ほどのホタルとは対照的な
ふにゃりとした笑みで答える。
﹁側仕えの家系?誰か、お仕えするものが決まっている一族と言う
ことですか?﹂
その答えに、エリッサは首を傾げる。
帝国の事情には余り詳しく無いが、狼牙族を側仕えにするというの
は、
少なくともイースタルでは聞いたことが無い。
最も逆に言えば、高貴な身分のものの側仕えの一族ならば、
エルダー・メイドであるのも納得だが。
﹁はい∼。ウチの家系は代々お⋮村長様にお仕えする一族でして∼﹂
﹁村長と言うと⋮ああ、あの方ですか﹂
カズラの答えでエリッサは思い出した。
狼牙族の村長ならば一度だけ会ったことがある。
短い銀髪で、女性とは思えぬほど強く堅い意思を秘めた女性。
女の身ながらアメヤの村長をすることになったと、
側仕えを2人連れて姫様の元に挨拶に来た。
そう思いながら見ればあの村長に着いてきた側仕えの片方と、
話し方や見た目がカズラは似ている。
姉妹なのかも知れない。
﹁はい。今はセンカ様ですね。お姉ちゃんがセンカ様の側仕えで、
あたしはセンカ様の妹のマリカちゃ⋮さまにお仕えしてたんです
けど、
色々あってしばらくはお仕えできない状態になっちゃいまして、
暇を出されたんですよ∼。
635
そういうわけすんで∼、ウチの家の女は昔からずっと
神祇官兼エルダー・メイドです﹂
エリッサの思いを裏づけするようにカズラはほわっと答える。
⋮少しだけ、聞き捨てならない言葉と共に。
﹁え?神祇官⋮ですか?﹂
エリッサは思わず聞き返した。意外そうに、かつ少しだけ不満げに。
神祇官は、結界作りの名手であり、街を守る大規模な結界の維持や、
大地人の貴人を戦場での暗殺、流れ弾から守る最後の盾として、
強力な結界術式を操る反面、純粋な癒しの力はやや低い。
技量が同等ならば癒しを得意とする施療神官や森呪遣い程の力は無
い。
そして衛兵と冒険者という二重の防壁を持つアキバの街中において
は、
神祇官の売りである結界の術は余り使いどころが無いのだ。
﹁まあまあ。神祇官と言ってもエッゾの狼牙族ですからね。
⋮癒しの腕前は、どの程度でしょう?﹂
そんなエリッサの考えを読んで、アルフェはカズラに尋ねる。
﹁癒しの腕前ですか⋮う∼ん、確かに癒しはあんまり得意じゃない
かも∼⋮です。
魂返しも5回に1回位しか成功しませんし∼﹂
だが、アルフェの質問に、少し困ったようにカズラは答えた。
カズラの家では戦場での結界の扱いをしっかり教える分、
癒しの術は余り詳しく教えなかった。
純粋な癒しの魔術なら、技量が同等なら森呪遣いの方が
どうやっても上だと分かっていたから。
﹁魂返し?﹂
一方のエリッサは、カズラの言った聞きなれぬ言葉に首を傾げる。
﹁はい∼。あれ?こっちでは言いません?魂返し。
636
うちらでは魂返しで死んだ男を蘇らせるのに成功したら、
癒し手として一人前ってよく言うんですけど∼﹂
その様子を見て、カズラは簡単に説明する。
﹁⋮え?それってまさか⋮蘇生魔法ですか!?﹂
カズラの説明を聞いて、聞きなれぬ言葉の正体を知ったエリッサが
驚いた声を上げる。
蘇生魔法は、大地人にとってはよっぽどの好条件と、
癒し手の高い技量が揃わねば成功しないとされる文字通りの意味で
奇跡の術だ。
マイハマでも戦場で使われて実際に成功した例はほとんど無いし、
成功させた経験を持つのも大抵は近衛騎士団に抜擢される程の技量
を持った
高位の従軍司祭ばかりだ。
だが、そんなエリッサの驚きをよそに、カズラはマイペースに答え
る。
﹁はい∼。私はまだまだ未熟なんであまり上手く行かないんですけ
ど、
お姉ちゃんなら状態がよければ3回に1回は成功させますよ∼。
たま⋮蘇生魔法﹂
﹁いや⋮蘇生魔法って普通成功しないと⋮ちなみにカズラさんの技
量は?﹂
帝国の狼牙族はどうなってるのか。
そう思いながら、とりあえず技量を尋ねる。
もしかして、正規の騎士並の技量であるLv30を越えてるのかも
知れないと思いながら。
﹁神祇官としてのレベルですか?えと、確か⋮この前41になりま
した∼﹂
それだけにそれを更に上回る技量を何でもないことのように答えら
637
れて、
エリッサは思わず声を上げる。
﹁よ、よんじゅういち!?﹂
とてつもない技量。
傭兵でも優れていれば騎士団に入れてしまうマイハマでなら、
即従軍司祭として採用される程の技量だ。
⋮思わず隣のアルフェを見た。
﹁⋮エッゾの狼牙族は、帝国と戦える様、
男女の区別無く戦の技を鍛えると聞きますからね。
カズラさんぐらいの実力者もたまにいるんですよ﹂
アルフェは知ってたらしく、淡々と説明する。
ずいぶん昔、エッゾの狼牙族に危うく殺されかけたことを思い出し
たので、
ちょっとだけ表情がかたい。
﹁な、なるほど⋮﹂
つくづくアキバでは常識が通用しないななどと思いながら、エリッ
サは頷く。
﹁えっと∼、それで⋮?﹂
そして、判定をカズラが尋ねる。
﹁あ、はい。採用で﹂
結果は癒し手としての実力は十二分。断る要素も無いので、採用。
﹁やったあ∼﹂
その結果に、やっぱり気が抜けた言葉で、カズラは喜びをあらわに
した。
4
﹁ほ、本日はお招きいただいて本当にありがとうございます。
私は、ミューゼル=フォルベインと申します﹂
少しおどおどした様子の、仕立ては良いがごく普通のメイド服を着
638
た少女が、
緊張しながら、スカートの裾を持ち上げて礼をする。
濃いダークブラウンの髪と、茶色い瞳、目立つ特徴は無いごく普通
の少女だ。
紋様が刻まれているであろう舌さえ出さなければ完全にただの人間
族にしか見えない。
﹁そんなに緊張なさらないで。ちょっとお話を聞きたいだけですか
ら﹂
﹁は、はい!﹂
返事は返ってきたものの、やっぱり緊張している。
︵初々しいですねぇ⋮と言ってももう大体合格なんですが︶
他の特殊すぎる2人と違い、マイハマの出であるミューゼルについ
ては
大体調べがついている。
ミューゼルはマイハマではそこそこ有力な貴族であるフォルベイン
伯爵家の娘だ。
家の格を考えればエルダー・メイドを使う側だが、嫡男がちゃんと
いる家の三女で
なおかつ忌み子のハーフ・アルヴなら、エルダー・メイドを志すの
もおかしくは無い。
現に前に働いていた貴族の家でも、評判は上々。
元々がかなりの名門貴族の娘だけあって礼儀作法はしっかり身につ
いているし、
真面目な努力家で、Lvもずいぶん早くに20に到達したと言う。
よって、気になる点はただ1つ。
﹁それでは、1つだけ⋮何故、マイハマから移り住んでまで
この水楓の館のエルダー・メイドを?﹂
639
安定しているマイハマの仕事先をやめ、わざわざ蒸気船まで使って
アキバに移って働こうとする動機である。
﹁え、えっとそれは⋮その⋮⋮憧れてる、からです﹂
エリッサの問いかけに、ミューゼルは僅かに言い淀み、その答えを
口にする。
﹁憧れてる⋮ああ、姫様にですか?﹂
その答えにエリッサがまず連想したのは、自分が仕える主人。
あの姫君はエリッサしかいない時はダメダメになるが、
それ以外の人の目があるときの外面は完璧である。
⋮最も最近は、近くにクラスティ殿しかいないときも
普段のダメさとは違う意味でダメダメだが。
それはさておき実態を知らないものにはイースタルの冬薔薇とまで
呼ばれる
その美しい美貌と立ち振る舞いは、同性の︵嫉妬交じりの︶羨望を
欲しいままにしている。
﹁ち、違います!﹂
だが、そのエリッサの答えはあっさりと否定される。
﹁違う?もしかして、誰か冒険者の方に?それはちょっと⋮﹂
その様子に、エリッサはちょっとだけ、心配をする。
アキバは冒険者の街で、冒険者が作る円卓会議が街を取り仕切って
いる。
それ故に、アキバでも有力かつ有名な冒険者ならば、
マイハマに住んでいたミューゼルの耳に入ってもおかしくはない。
そして、その憧れの対象が若い女性に人気のある、
︿D.D.D﹀や︿西風の旅団﹀の騎士団長であったとしたら、ち
ょっと厄介だ。
640
﹁ち、違うんです!﹂
が、それも違うらしい。
顔を真っ赤にしながら、ミューゼルはそれも否定する。
﹁え?じゃあ⋮誰なんですか?﹂
となると⋮思い当たる節が無い。
エリッサが首を傾げていると、ミューゼルがその答えを口にした。
﹁私が憧れてるのは⋮エリッサ様なんです!﹂
﹁へ⋮ええ!?なんでまた!?あたしゃ普通のエルダー・メイドで
すよ!?﹂
エリッサがその答えに、思わず聞き返した。
あのレイネシアの素顔を知ってるというのはそれはそれで特殊かも
知れないが、
エリッサ自身は、自分を普通のエルダー・メイドだと思っている。
メイドとしての技量も﹃年の割りには高い﹄程度で、若くしてLv
47とか、
そういうとてつもない領域に達していると言うわけではないし、
一応最低限の短剣の扱いは貴人である姫様を守るため教えられたが、
所詮は手習い程度でまともに戦えるような技ではない。
﹁そんなことありません!だって、エリッサ様は、その⋮
こうしてアキバに移り住んでまで立派に姫様にお側仕えされてる
ではないですか!﹂
だが、ミューゼルにとってはそうではないらしい。
﹁いやいや、仮にも主君たる姫様が赴かれるのでしたら、
そりゃあついていくのは当然でしょう﹂
エリッサがごく簡単に理由⋮本音の理由を述べたにも関わらず、
緊張を振り切ってミューゼルは首を振る。
﹁そんなことありません!私もマイハマのエルダー・メイドでした
から、
641
噂は知ってます。最初はアキバに向かうエルダー・メイドを探す
のも苦労したって﹂
今でこそアキバの街はヤマトでも屈指の大きな街として有名となり、
マイハマからもひっきりなしに大地人が訪れるようになったが、
レイネシアと共にエリッサたちが水楓の館へと赴任してきたばかり
の頃は、
まだまだ謎に満ちた街であった。
得体の知れぬ冒険者の街に大切な娘をやるわけには行かぬと、
メイドの父親が止めたと言う例も少なくは無い。
屋敷を維持するのに必要な数のエルダー・メイドを揃えるのは、
マイハマの領主であるコーウェン家ですら相応に苦労したようだ。
︵だからこそ、今回はアキバで探す様にと言われたのだ︶
﹁でも、その中でもエリッサ様は姫様がアキバに赴任すると決まっ
たら、
すぐに行くと決めたとも伺いました!
冒険者のことがまだ良く分かってない頃だったのに⋮それは凄い
と思うんです﹂
﹁いや、まあそりゃあそうですが⋮﹂
エリッサは困惑した。
彼女にとって、アキバに来たのはあくまでも﹃レイネシアの世話を
完璧にこなせるのは自分くらい﹄と言う矜持があったためで、
別段勇気があるとかそういうものではなかった。
それに来た当初は、余りに考え方が違う冒険者たちや、
ヤマトのあちこちからアキバに集まってきた、
異種族を含む大地人移民の多さに随分と面食らったりもしたし、
マイハマが恋しく思えることもあった。
最近はこの街との付き合い方も分かってきたのでそうでもないが、
642
来た当初は色々と失敗したこともある。
そんなわけで、エリッサ自身は余り自分が凄いとは思っていない。
だが、ミューゼルにとってはそうではなかったらしい。
﹁お願いします!是非、エリッサ様のお側で働かせてください!
お役に立って見せます!私⋮エリッサ様みたいになりたいんです
!﹂
﹁いや。それは、その、光栄ですが⋮﹂
ミューゼルの熱血ぶりに、困惑しながら答える。
困ってアルフェの方を見てみたが。
﹁⋮ああ、なるほど﹂
何かに納得したように頷いた後は、黙って笑顔でエリッサを見てい
る。
︵判断はまかせる。ってところですか⋮︶
確かに自分では分からぬような特殊な事情を抱え込んでるわけでも
ない、
マイハマの出のエルダー・メイドならばアルフェの判断が必要な場
面ではない。
ようするにエリッサの胸先三寸だ。
仕方なしにエリッサはミューゼルのほうを見て、言う。
﹁分かりました。貴女を水楓の館のメイドと認めます。
これから、よろしくお願いします﹂
﹁は、はい!粉骨砕身の心持ちで頑張ります!本当に、ありがとう
ございます!﹂
緊張したのか場違いに大きな声でミューゼルが返事を返し、
水楓の館には新たに3人のエルダー・メイドが加わることとなった。
5
ようやく終わった。
643
ミューゼルが部屋を退出したのを見届けて、エリッサはどっかりと
腰を下ろした。
﹁ふぅ∼、なんとか、終わりましたか﹂
﹁お疲れ様です﹂
安堵と精神的な疲れからため息をついたエリッサに、
アルフェがそっと黒葉茶を差し出す。
﹁あ、どうもすいません⋮おお﹂
それを何気なく受け取って口に含み⋮その味に、アルフェの隠れた
実力を感じる。
淹れ方の上手さも去ることながら砂糖とミルクの割合が完璧だ。
普段飲んでるよりも少しだけ甘く整えられた味が、疲れを癒す。
﹁ふふっ。お疲れでしょうから、少し甘めにしてみました﹂
﹁やりますね⋮本当に美味しいですよ、これ﹂
エリッサの普段の好みをちゃんと覚えておいて、なおかつ体調に合
わせて調整する。
エリッサが普段レイネシアに対してやっている技だが、
自分がやられるとは思わなかった。
技量だけでは測れぬ、エルダー・メイドとしての技を
垣間見せられて、エリッサは笑う。
やっぱりこの人は、アキバ一の騎士団に居るだけのことはある
優れたエルダー・メイドだと。
﹁それにしても、先ほど、アルフェさんは何に納得していたのです
か?﹂
面接を終え、気楽になった身で、エリッサはふと、疑問に思ったこ
とを尋ねる。
先ほど、ミューゼルとの面談の時、アルフェは何かに納得した様子で
一言呟いただけで殆ど話をしなかった。
何に納得したのか、純粋に気になった。
そんなエリッサの様子に、アルフェは笑顔で言う。
644
﹁ミューゼルさんがエリッサ様に憧れた理由、ですかね﹂
﹁理由?⋮分かるんですか?﹂
アルフェの言った言葉に思わず身を乗り出す。
それにアルフェは笑って答える。
﹁はい。恐らくですが、ミューゼルさんがエリッサさんに憧れた理
由は⋮
種族ではないかと﹂
﹁種族というと⋮ハーフ・アルヴですか?﹂
その答えの意味を考えて、エリッサはアルフェに確認する。
確かに経歴書によればミューゼルはハーフ・アルヴだし、
エリッサ自身もハーフ・アルヴであることは、マイハマでは比較的
知られている。
だが、それがすぐに憧れにつながるものだろうか?
微妙に納得していない様子のエリッサに、アルフェは説明する。
﹁はい。エリッサ様は、レイネシア姫の側仕えのエルダー・メイド
として、
随分とご活躍なさっているでしょう?
それが、同じハーフ・アルヴとして誇らしいのではないでしょう
か?﹂
同じく少数種族である狐尾族のアルフェには、なんとなくわかる気
がした。
彼女は、エリッサが﹃同族﹄であるが故に憧れているのだ。
﹁へ?いやいや。ハーフ・アルヴの凄い人なら他にもいるでしょう。
シロエ様ですとか、大地人でもマリーナ様ですとか﹂
最も、エリッサ本人にはその自覚は無い。
エリッサがアキバでハーフ・アルヴの凄い人と言われて思いついた
2人の名を上げる。
かたや、円卓会議1の頭脳と超一流の冒険者としての名声を併せ持
645
つ評議委員。
かたや、アキバにいる料理人でもトップクラスの腕前の持ち主であ
り、
若くしてメイドとしても超一流である天才女将。
どちらもエリッサにとっては雲の上にも等しいほどの﹃凄い人物﹄
だ。
﹁あら、今までアキバに住んでいないものが、それを知るのは難し
いのでは
ないでしょうか?ただでさえ、ハーフ・アルヴは、
普通に見ただけでは見分けがつきませんもの﹂
エリッサの答えに、アルフェは苦笑する。
ハーフ・アルヴは、異種族の親から生まれてくる種族である。
その特徴は、紋様の刻まれた舌⋮ただそれのみ。
他は親の種族とまったく同じ姿であり、舌さえ見せなければ見分け
るのは難しい。
更にハーフ・アルヴはある種の突然変異であり、種族としての繁殖
力は低い。
例えハーフ・アルヴ同士の子供であっても、
ハーフ・アルヴとなることは滅多に無いのだ。
﹁それに、たとえお二人のことを知っていたとしても、
彼女はきっとエリッサさんを一番尊敬すると思いますよ?
やはりエルダー・メイドとしては、同じエルダー・メイドが
一番目標にしやすいですから﹂
﹁はぁ⋮なるほど﹂
アルフェの説明を聞いて、エリッサも納得する。
なんだかこそばゆい。
今までハーフ・アルヴであることがプラスになった経験が余り無か
ったので余計に。
646
あんまり考えていると、余計にこそばゆくなりそうなので、
エリッサは気を取り直して今回のことを考える。
﹁それにしても⋮随分と変わったエルダー・メイドばかり集まりま
したね﹂
ホタルにカズラ。そしてミューゼル。
全員が、普通のエルダー・メイドからは一味違う変わり者ばかりだ。
﹁まあ、それもアキバらしくて良いんじゃないでしょうか?﹂
エリッサの感想に、アルフェが苦笑して答え。
﹁⋮ですかね﹂
エリッサも苦笑で返した。
647
番外編3︵告知編︶ 高級家政婦のエリッサ︵後書き︶
本日はここまで。
さて、ここでお知らせです。
冒頭で紹介した企画に、今回参加させていただきました。
内容は小説と言うわけで、お話を1つ。
ちなみにそちらも主人公は今回のお話と同じコンビだったり。
あ、勿論内容はまるっきり別物です。
648
特別編2 騎士のソフィア︵前書き︶
本日は、2度目の冒険者視点。
今回もある意味中二テイストなお話。
ワイバーン
テーマは﹃鋼尾飛竜﹄
それでは、どうぞ。
649
特別編2 騎士のソフィア
0
︱︱︱とぎれる。
この感覚には、もう慣れた。
この山だけで3回、今までで10回はくり返した﹃これ﹄
灰色にそまった世界でわたしが見ているのは⋮
目を見開いて、血まみれの、わたし。
着てるのは子供のころ好きだった、ひらひらした正義のヒロインの
服。
それは﹃こっちの世界﹄ではわたしみたいな格とー家が着る布よろ
いで、
せー作級としてはけっこう強い。
Lvも手ごろってこー略本に書いてあったからお祭りのとき、
貯めてたお金と素材で作ってもらった。
思った以上に丈夫で軽くて戦いやすかったから、戦うときはずっと
着てる。
けっこう自信あったのに、また負けたのがくやしい。
と中までは、いー感じだった。
ワイバーンの体力も初めて半分以下までけずれた。
けど、そこでMPがなくなった上に﹃どく﹄を受けて、
それから立て直しきれなくて、おし切られた。
650
まわりに持って来たのに使えなかったポーションが転がってるのが、
さらにくやしい。
また、やり直しかぁ⋮
そう思ったら、げんなりした。
死んだ
ら大神でんでやり直し。
わたしは、1人でいどんでいる。この﹃飛りゅー山﹄に。
だから、こんなふうに
それが﹃こっちの世界﹄での、当たり前。
⋮あれ?空が赤いや?
だから、いいかげんあきらめて目を閉じた後、
また目を開けたら大神でんの天井じゃなくて、
夕方の赤い空が目に入ったとき、なにが起きたのか、分からなかっ
た。
﹁⋮お嬢。いつの間に蘇生術の腕をそこまで上げたんで?﹂
最初に目に入ったのは、ハゲのおじさんときれいなお姉さん。
そのお姉さんが、ハゲのおじさんに言った。
﹁そうだったら嬉しいんだけど、違うわ。
あたしの腕って言うより、この子の資質の問題ね﹂
﹁資質?どういうことですか?﹂
﹁分からない?つまり⋮あら、目を覚ましたみたいね。もう、大丈
夫なの?﹂
﹁⋮はい。えっと。ありがとうございます﹂
お姉さんに話しかけられて、わたしはとりあえずお礼を言う。
立ち上がって、ちょっと動かしてみる。ちょっといたいけど、問題
なし。
うん、ふつーに生き返ってる。
651
そのあと、まわりを見てみて、わたしの命の恩人がどういう人たち
なのか分かった。
6人のパーティーだ。
みんな、ハゲのおじさんほどじゃないけど、あんまり若くない。
学校の先生くらいの人たちだけのパーティーだ。ちょっとめずらし
い。
お姉さんとハゲのおじさん以外はなんかひそひそ話してる。
何話してるのかは気になるけど、後回し。
お姉さんたちは命の恩人なので立ち上がった後、もう1回お礼を言
う。
﹁あのままだったら、また、大神でんからやり直しになるところで
した。
ここまで来るのも大変だから⋮その、本当にありがとうございま
した﹂
ほんとの気持ちだ。
アキバとここは、たとえわたしが本気で走ってもまる1日はかかる
くらいはなれてる。
と中休みながらならば2日は覚ごしないといけない。
だから、それがないのは、ありがたい。
﹁⋮大神殿!?ってこたあもしかしてこの子は⋮﹂
わたしの答えに、なぜかハゲのおじさんがおどろいていた。
⋮なんだろ?そこおどろくところ?
﹁あなた、冒険者よね?﹂
わたしが不思議に思ってると、お姉さんが当たり前のことを聞いて
くる。
﹁はい?そうですけど⋮﹂
当たり前だ。こっちの世界の人たち⋮
えっと、なんたら人は、飛りゅー山になんか入らない。
652
⋮そう、思ってた。
けど、その人たちはそれを聞いたら、なんだかおどろいていた。
なんだろ?
そう思ってると、お姉さんが言った。
﹁あたしたちはマイハマ近衛騎士団の第3小隊⋮ま、ようするに大
地人よ﹂
え?
﹁え?大地人って⋮こっちの世界の人!?﹂
思わず声をあげる。
あ、そうだ、大地人だ。なんてことを頭の片すみで考えながら、お
どろく。
﹁⋮一旦山を降りましょ?もう日も暮れるし﹂
そんなわたしに、お姉さんはにっこり笑って、言ってくれた。
﹃特別編2 騎士のソフィア﹄
1
山をおりて、朝でたホテルにもどって来るころには、
辺りはすっかり暗くなっていた。
﹁よかった。ご無事でしたか!
こんな時間まで戻ってこないので、てっきりまた⋮﹂
村でホテルにとまって、山に行って、
ワイバーンに負けて死んでそのままもどってこない⋮
それをくり返すうちにすっかり顔なじみになった、ホテルの店員さ
653
んのミヤ
︵わたしと同じくらいの年なのに、ちゃんと働いててえらいと思う︶
が出むかえてくれる。
﹁え∼と、うん。だいじょぶだったよ?﹂
うそだ。本当は、お姉さんが助けてくれなかったら
そのまま、また死んでたんだけどそれは言わないことにする。
﹁騎士様方も、ご無事で何よりです!﹂
つぎに店員さんは、お姉さんにあいさつする。
﹁ええまあ。って言うか今日はそもそも本命とは戦ってないしね。
それより、食事はまだ出来るかしら?﹂
﹁あ、はい!大丈夫ですよ!﹂
﹁そう。それじゃあ、6人⋮いえ、8人掛けの席を用意して。
⋮えっと、貴女もそれで良いわよね?﹂
﹁あ、はい。大じょぶです﹂
うなづく。お姉さんたちはわたしをたすけてくれたおん人だ。
しんよーしてもいいと思う。
﹁分かりました!それではこちらへどうぞ!﹂
ミヤにあん内されて、食堂へ行く。
食堂は、いつも通りそこそこ混んでいる。
みんな、ワイバーン目当てで来た人たち。
飛りゅー山がいくらアキバに一番近いワイバーンの生息地と言って
も、
日帰りできるきょりじゃないので、
ワイバーン目当てで来た人たちはみんなこのホテルにとまる。
そのおかげでこの飛りゅー山の村は、ずいぶんにぎやかになったっ
て、
ミヤが前に教えてくれた。
﹁こちらの席をお使いください!注文がお決まりになったら呼んで
くださいね!﹂
654
いつもの2人かけの小さい席じゃなくて、8人用の大きなテーブル
にあん内される。
その席に、どかどかとお姉さんたちとわたしですわる。
それからてきとーに食べ物と飲み物をたのむ。
お姉さんたちはビール、わたしはりんごのジュース。
食べ物の前に飲み物が先にきたので、それをちびちびと飲みながら、
お姉さんたちを改めて、見る。
︵大地人って言ってたけど⋮Lvはふつーだよね?︶
しゅーちゅーすると、お姉さんたちの名前とクラス、あとLvが見
える。
お姉さんはソフィアさんって言うらしい。神なぎで、Lvは54。
ちらっと見た感じ、ソフィアさんと同じLvなのはあのハゲのおじ
さん
︵武士でディアンさんって言うらしい︶くらいで、あとはみんなL
v50ちょい。
ワイバーンにいどむにはちょーど良いくらいのLvみたいだ。
そんなことを考えつつ、ジュースを飲んでいると。
﹁それじゃあ、自己紹介と行きましょうか。私は、ソフィア=セン
グウジ。
第3小隊の指揮役を任されているわ。従軍司祭⋮じゃ、分からな
いのよね。
冒険者風に言えば、ヒーラーをやってるわ﹂
ソフィアさんが自分から名乗る。
そう言えば、わたしはともかく、向こうはわたしのこと、知らない
んだよね。
大地人の人たちはふつーはLvとか名前とか見れないらしいし。
それに気づいて、わたしは自己しょーかいする。
655
﹁えと、ナギです。格とー家です。﹃そろ﹄なんで、仲間はいませ
ん﹂
仲間。そう言ったら、スズの顔が思いうかんで、ちょっといやな気
持ちになった。
わたしがそろ︵わたしみたいに、1人で戦ってる人のこと︶でやっ
てるのは、
スズのことが大きい。
﹁ソロ⋮ってえこたあ何かい!?お嬢ちゃん1人でワイバーンに挑
んでんのかい!?﹂
そう言うとハゲのおじさんが聞きかえしてきた。
﹁うん⋮じゃなくて、はい。
ワイバーンならLv70くらいあれば1人でもたおせるって聞い
たから⋮﹂
ワイバーンはちょっと大きいモンスターで、ふつーはパーティーで
戦うもの、らしい。
ただ、Lvは50くらいだから、慣れた人なら﹃そろ﹄でたおせる
って聞いて、
わたしは1人で戦うことにした。
⋮スズが手伝うって言ったとき、いらないって言っちゃったし。
﹁Lv70くらい⋮ってこたあお嬢ちゃん、まさかLv70越えて
んのかい!?﹂
﹁え?そりゃまあ。今、Lv72だよ⋮です﹂
ハゲのおじさんにきかれたから、答える。別にかくすことじゃない
し。
こっちに来たころはLv40くらいだったから、ずいぶんと強くな
ったと思う。
﹁こんなお嬢ちゃんがあっしどころかムサシ様よか上だなんて⋮
冒険者ってえのはとことん常識が通用しねえぜ⋮﹂
ハゲのおじさんが自分の頭に手をやってしきりになでながら、ため
息をついた。
656
それで気をとりなおして、ハゲのおじさんも自こしょーかいする。
﹁おっと、名乗りがおくれやした。あっしゃあディアン=サキモリ
ってえもんです。
昔っからセングウジ家の護衛役を勤めてる家の生まれの、ケチな
武士でさぁ﹂
なんか、変わったしゃべり方だ。ごえーってことはしつ事さんとか
見たいな感じ?
⋮ダメだ。ぜんぜんに合ってない。ハゲだし、なんかケチらしいし。
気を取り直して、次いこう。
﹁守護戦士のアンディ=クロケットです。よろしくお願いします、
ナギさん﹂
次は、ソフィアさんのパーティーで一番若そうな人。
かみが金色で、目が青い。けっこー格好いいと思う。
なんだか英語の時間に来る、外人の先生みたい。
﹁俺の名はブレーズ=K=トーラム。クラスは守護戦士だ。
よろしく頼むよ、お嬢さん﹂
次は、ソフィアさん以上、ハゲのおじさん以下くらいの年の人。
ちょっとはでな感じの赤いかみで、ひげとかのばしてて、いやらし
ー感じ。
ガーディアンってことはさっきのアンディさんと同じ?
ぜんぜん同じに見えないや。
﹁私はクリス=ジュノアという。ツクバの出の妖術師だ﹂
次は、やせたおじさん。イレズミが顔に入ってるから、法ぎ族かな?
ひょろっとしてる。
すー学の先生みたいな感じ⋮神経質って言うんだっけ?
そんな感じがする。
﹁エイリーク。元傭兵ゆえ、家名は無い。隊の弓手を務めている。
⋮冒険者の流儀に寄れば、暗殺者に分類されるようだがな﹂
最後は、クリスさんいじょーに笑わなないおじさん。
年はハゲのおじさんと同じくらい?でもかみは茶色でふさふさだ。
657
クラスは弓使い︵アーチャー︶ってなってる。
きーたことないけど、大地人専用クラスって奴かな?
とにかく、その6人が、そのマイハマなんとかきし団の人たちみた
い。
それから、わたしたちは色々話した。
お姉さんたちのこととか、この山のこととか、ワイバーンのことと
か、色々。
お姉さんたちは、マイハマのきしさんらしい。
国のえらい人の命令でま法のカバンを作るのにつかう皮を手に入れ
るために
ワイバーンを﹃とーばつ﹄に来たんだって。
わたしと同じだ。
マイハマって言えばたしか、悪いゴブリンと戦ってください!
って言って、今はアキバに住んでるお姫さまの住んでたとこ。
船使えばかん単に行けるけど、とくに行く用事もないので、行った
ことはない。
アキバくらいあるおっきい街だってソフィアさんが言ってた。
代わりにわたしは飛りゅー山のことを教えてあげた。
地図にのってないような道とか、雨がふったとき、雨宿りするのに
いい場所とか、
なによりワイバーンに会いやすい場所とか。
多分アキバでも何回も来てワイバーンと戦ってるわたしより
今の飛りゅー山にくわしい人はいない。
658
ソフィアさんたちはわたしの話をちゃんと聞いてくれた。
エイリークさんが一番熱心だった。
これからワイバーンと戦うために情報はき重だからって。
そのあと、情報のお礼ってことで、ご飯をおごってもらった。
ちょっとうれしい。
2
ソフィアさんたちと色々話をしながら、たっぷり時間をかけて晩ご
飯を食べたあと、
村の温泉であったまったら部屋にもどって、明日の準備をする。
がんばればわたしが3人くらい入れそうな、旅用のでっかいリュッ
クを、開ける。
中にはごっちゃごっちゃに色々つまってる。
夜、外でねるための道具に、銅でできた丈夫なおっきいマグカップと
洗面器がわりのおけ、あと下着のかえ。タオルとせっけん、歯ブラ
シ。
それと夜用の、ずっと光り続けるカンテラ。
5リットルくらい入る、今は空のでっかい水とー。
水を通さない紙に包まれたかたくてボソボソしたパンと、
ビン入りのいちごジャム。
料理人じゃなくてもお湯入れるだけで食べられる、インスタントラ
ーメン。
︵料理人以外が具を入れよーとすると、変なぐちゃどろになっちゃ
うから注意︶
そのお湯をわかすためのやかんに、たき火に火をつけるためのマッ
チ。
アキバからここまでの地図に、今まで買ったこー略本。
それと古い少年アキバが2,3冊。
659
全部入れると、わたしの体重より重い。
ぼーけん者のわたしなら、背負っても走ることくらいはできるが、
戦とーはムリ。
⋮これぜんぶふつーに持ち歩けるっていうま法のカバンがほしいと
思う、
一番の理由だ。
気を取り直して必要なモノを取り出す。
他のとごちゃまぜにならないようにしきられた場所に入れた、戦と
ー用の道具。
ワイバーンと戦ったから、今日使った分をほじゅーする。
わたしみたいな回復ま法が使えない﹃そろ﹄だと、
持って行くアイテムがとっても重要だ。
戦いのじゃまにならない程度のアイテムって持ってけるものがかな
り限られる。
戦いが終わった後の回復と、味がしなくてくさらないから
飲み水代わりに一番よく使う、HPを回復するポーションは
ビンがじゃまなので2リットルくらいの水とーにうつしかえたのを、
さらに持ち歩き用の500ミリリットルくらいの小っちゃい水とー
にうつす。
戦とーのまっただなかのときに使う、きんきゅー用の回復カプセル
︵すぐにたくさん回復するけどふつーのより高い︶は、ベルトポー
チに。
試験管みたいなビンに入った、ダメージどく用のげどく薬も
回復カプセルと同じポーチ。
5分間だけこーげき力を強くする力のひ薬とぼーぎょ力を強くする
守りのひ薬は、別のポーチ。
モンスターが嫌がるにおいつきのけむりが出る、
とーそー用のけむり玉といっしょにしておく。
660
⋮よし、こんなもんかな。
大体、準備ができたので、ねよーとしたら、耳元で音がした。
わたしはとっさに耳に手を当てて、念話のリストを見る。
短いリストなのですぐにだれがかけてきたかは分かる⋮スズだ。
﹁はい﹂
いっしゅん、出ないですませようかとも思ったけど、出る。
⋮さけてるのは、わたしだけだし。
﹁あ、ナギちゃん⋮寝てた?﹂
いつものスズの声が耳に入ってくる。
少しだけ、風の音がする。どーやらスズも旅のと中らしい。
﹁うん、これからねよーと思ってたとこ⋮それで、どーしたの?﹂
分かってる。スズは悪くないし、今でも、これからも親友だ。
けど、やっぱり、少し声がかたくなる。
﹁うん⋮また、ナギが飛竜山に行ったって、ウーピーさんから聞い
たから⋮﹂
スズの声に、ビクッとする。
きっとスズは⋮
﹁⋮だいじょぶだよ。今度は、勝つから﹂
⋮また、わたしが死ぬと思ってる。
﹁⋮本当に気をつけて。鋼尾翼竜は、ナギのLvだと
ソロ討伐はかなり厳しいってセガールさんが⋮﹂
﹁分かってるよ!﹂
﹁ひゃ!?﹂
思わず大きい声を上げたわたしに、スズがびっくりして悲鳴を上げ
る。
﹁⋮ごめん﹂
思わず大きい声を上げてしまったことをあやまる。
﹁⋮本当に気をつけてね﹂
661
そんなこと、知ってる。わたしは1人でいどんで、3回も負けて死
んだんだ。
⋮まだゲームだったころ、ギルドのみんなに助けてもらって、
パーティーでワイバーンをたおしたスズなんかより、ずっと知って
る。
﹁⋮分かった。気をつける﹂
﹁⋮うん、頑張ってね。ナギ﹂
その言葉をさいごに、スズからの念話が切れる。
﹁⋮こんどは、勝つよ﹂
そうだ。勝たなきゃいけない。でないと⋮いつまでもスズに置いて
かれたまんまだ。
3
朝。まだ日がのぼったばかりのころ。
わたしは、いつものように山の周りを走る。
だいたい1じかんで、1周。
向こうでもやってきた日課だし、経験値かせぎも出来るから、
野宿じゃないときは毎朝やってる。
アスリート
わたしのサブクラスは︿体育家﹀と言う、
ちょっと変わったクラスだ。
基本的に能力を使うには軽い装備⋮
ちょーどわたしがつかってる布よろいくらいまでじゃないとダメだ
けど、
Lvが上がるほど、走ったり、飛んだり、投げたり、泳いだりと言
った、
体育でやるよーな能力が上がっていく。
いま、わたしのアスリートのLvは66だけど、
今の時点ですでにこっちの世界の馬より早く走れるし、
662
垂直飛びで3m、水平飛びで10mはかんたんに飛べる。
岩のかべだって楽勝でのぼれる。
Lv90のアスリートは、もっとすごい⋮らしい。
車より早く走れるとか聞いたことがある。
⋮あれ?
走ってると中で、おじさんに会う。
たしか、昨日のきしさんの1人。確か⋮エイリークさんだ。
﹁⋮ナギと言ったか。随分と朝が早いのだな﹂
村から少しはなれた飛りゅー山をじっと見ていたエイリークさんが
わたしに気づいて、声をかける。
﹁あ、はい。わたし、毎朝走らないとおちつかなくて。
それより、こんなとこで何してるんですか?﹂
あいさつして、ついでに何をしてるのか聞いたら、
エイリークさんはうなづいて答えた。
﹁ああ。鋼尾翼竜の調査だ﹂
﹁調査?﹂
﹁ああ、鋼尾翼竜がどの辺りまでを縄張りとしているかをな。
昨日も、鋼尾翼竜の生態を調査していた。
利用する水場、寝所、そしてそれらを利用する時間帯⋮
鋼尾翼竜は仮にも竜種。人の身で勝とうと思えば万全を喫する必
要がある。
⋮我等は死んだら蘇ることなど出来ないからな﹂
⋮そっか。そー言えば大地人は大神でんで生き返れないもんね⋮あ
れ?
﹁あれ?でも、そ生ま法使えば生き返れるんじゃないの?
たしか、ソフィアさんがふつーに使えたとおもったけど﹂
ソフィアさんはそ生ま法が使える。
Lv54だから当然だし、実さいそれでわたしは生き返った。
663
けど、エイリークさんはわたしの言葉に首をふる。
﹁大地人は死んだら、冒険者ほど容易くは蘇れないんだ。
元より蘇生の術は奇跡の技。
隊長ほどの使い手であっても、そうそう成功するものではない。
更に如何に癒し手の腕が良くとも死体の状態が悪ければ復活する
ことは無いし、
時間が経ち過ぎても蘇ることはない。
死人が出て、癒し手に余裕があれば試してみることはあるが、
成功したと言うのはほとんど聞かないな﹂
﹁⋮そっか。それでわたしが生き返ったとき、おどろいてたんだ﹂
そー言えば、わたしがよみがえったとき、ハゲのおじさんがおどろ
いてたけど、
それならわかる。
﹁ああ、既にお前の死体は冷たくなっていた。
普通ならばどう見ても手遅れの状態だった。
⋮正直、あの状態から蘇るとは思わなかった。
改めて冒険者の肉体は強靭だと思い知らされたよ﹂
そう言いながら、エイリークさんは笑う。ちょっとさびしそーに。
﹁⋮さて、そろそろ俺は戻るとしよう。ではな﹂
そう言うと、エイリークさんは村に戻っていく。
わたしはそれを見送った後、また走り出した。
大地人は死んだらぼーけん者みたいにはよみがえれない。
それでも戦う、わたしより弱いきしの人たちは⋮ものすごく強いの
かもしれない。
そう思いながら。
4
664
ギャア!ギャア!
うるさい。
私はようやくどくのいたみを消して、立ち上がった。
4回目のワイバーンとの戦い。
また、負けそーになってる。
⋮まずい。
もう、こーげき力を上げるひ薬とぼーぎょ力を上げるひ薬の効果は
切れてる。
こーげき自体はできるだけかわしてたおかげで、HPはけっこー残
ってる。
だけど⋮MPがもーない。
かくとー家は、HPがものすごく高い代わりに、MPがものすごく
低い。
MPが切れても、ザコなら何とかなる。
ふつーになぐったりけったりすれば、1回や2回ならたおせる。
けど、こいつはワイバーンだ。とーぜん強い。
ワイバーンの残りHPは昨日と同じくらい。
けど、分かる。昨日もこの辺りでMPが切れた。
となれば、ここからたおすのはむずかしい。
無理をすれば⋮また、死ぬ。
⋮にげるしか、ないかな。
そう思って、ポーチのけむり玉を取り出そうとした、そのときだっ
た。
665
﹁︿飯綱切り﹀!﹂
﹁︿雷帝の槍﹀!﹂
﹁⋮︿アサシネイト﹀﹂
頭に雷、羽に真空波。そして胸に矢。
強力なこーげきがとんでくる。
ギャアアアアアアア⋮
ワイバーンが悲鳴を上げて、たおれる。
たおしたのは⋮
﹁良かった。何とか生きてるみたいね﹂
ソフィアさんが、わたしに近よって、回復ま法をかける。
ボロボロだった体の、きずが治ってく。
﹁こいつが鋼尾翼竜か⋮やっぱでけぇやな﹂
﹁うむ。今回は奇襲がうまく行ったから良かったものの、
真っ向から戦えば苦戦は免れぬだろう﹂
﹁これをもう1頭か⋮次は、こう上手くは行かないだろうな﹂
﹁あ、でも今回は、これってナギさんの獲物を奪ったことになりま
すよね?
参ったな。前にお師匠様が言ってたんですよね。
お師匠様も含めて冒険者のなかには横槍を嫌う人もいるって﹂
﹁だが、あの場で助けに行かなければ、ナギはまた、
無残な屍を晒すことになっていたかもしれない。
どう見ても危機的状況であったからな。
となれば、今回のことは間違ってはいないさ。
無論、レディに謝罪を求められれば紳士として謝るがね﹂
ワイバーンの死体のそばで、他のきしの人たちがガヤガヤやってる。
666
エイリークさんがでっかいナイフで、ワイバーンの死体から皮や角、
キバなんかを切り取っている。
﹁ごめんなさいね。どう見ても、貴女が危なそうに見えたから﹂
﹁⋮いえ、いーです﹂
どーせ﹃そろ﹄では、今回も負けてた。
だったら、余計な真似じゃない。
それくらいは分かる。
⋮ほんと、どーやったら﹃そろ﹄であいつをたおせるんだろう?
わたしは、そろでアイツをたおさなきゃならないのに。
5
もう回復アイテムもないので、どのみち今日はもう無理。
そんなわけでわたしは、またふもとの村にもどってきた。
ごはんを食べて、今はおフロ。
この村では温泉があるので、そこに毎日入ってる。
﹁はー⋮﹂
思わず出たため息はお湯が気持ちいーからってだけじゃない。
﹁どーしよう⋮﹂
あのあと、わたしはソフィアさんから、皮を分けてもらった。
ずっとほしかった︿ダネザックのま法のカバン﹀をつくるのにひつ
よーな皮。
これさえ手に入ったら、もうワイバーンと戦う必要はない。
ないんだけど⋮
﹁目標、達成してないんだよね﹂
そう、ワイバーンとそろで戦うのは、わたしなりに決めた目標だっ
た。
というか皮がほしーだけなら、水しょーといっしょに生産ギルドで
667
買ってる。
わたしがワイバーンと戦うのは、スズに追いつくための第一歩⋮の
はずだった。
﹁勝てそーにないしなあ﹂
だけど、今日ので分かった。
ワイバーンにそろで勝とーと思ったら、もっとLvを上げなくちゃ
ならない。
⋮あと、どれだけ強くなったらワイバーンを1人でたおせるんだろ
う?
﹁⋮やっぱそろでたおすまで、がんばったほーがいいのかな⋮﹂
そう、つぶやいたときだった。
﹁あら?ソロで倒すのが目的だったの?﹂
ゆげのむこーから、女の人が来る。
﹁わっ!?ソフィアさん?﹂
あらわれたのは、タオルを体にまいた、ソフィアさん。
﹁こんばんわ。今日は良い夜ね。隣、良いかしら?﹂
﹁ひゃ、ひゃい⋮﹂
返した返事が上ずった。
この人は、たぶん⋮
﹁⋮何故そこまでソロに拘るのかしら?よければ、聞かせてくれな
い?﹂
思った通り、ソフィアさんが何気ない感じでわたしに聞いてくる。
ちょっと考える。言ってもいいか⋮答えは。
﹁⋮わたしは、強くならないといけないんです。
でないと⋮スズに置いてかれたまんまだから﹂
ソフィアさんなら、いい。
そう思って、わたしはポツポツと話し始めた。
昔のことと、スズのこと。わたしなりの、なやみを。
668
スズは、わたしのおさななじみだ。
よーち園で一番仲良くなって、同じ小学校に行って、いつもいっし
ょだった。
6年間ずっと同じクラスってわけじゃなかったけど、
家が近かったから放課後はよく遊んだし、
﹃家族ぐるみのつきあい﹄で、夏休みの旅行とかはいつも同じとこ
に行ってた。
夏休みの絵日記だって、スズのを写せばだいたい同じになるから
よく写させてもらってた。
スズは毎年来年はちゃんとやるんだよって言ってたのも、いー思い
出だ。
それが、ちょっとずつ変わってきたのは、中学に入ってから。
毎年運動会で女子リレーのアンカーをやってたわたしは陸上部。
本が好きなスズは文芸部に入った。
陸上部と文芸部じゃ終わる時間もちがうし、文芸部には朝練も無い
から、
自然と平日は行きも帰りも別々になった。
それに⋮
﹁スズは、わたしよりも1年早くぼーけん者になったんです﹂
そこが、今の、大きなちがい。
スズがエルダー・テイルを始めたのは、中学に入ってすぐ。
入学のお祝いでスズのおばーちゃんからパソコンを買ってもらって
から。
始めてからしばらくは、休みの日とかもやってて、
いつの間にかわたしの知らない人の名前が出てくるよーになって、
さみしかった。
669
そして、わたしが始めたのは、2年になるまえの春休み。
4月のたん生日のお祝いでパソコンを買ってもらってから。
すっかりハマッてたスズと、前々から約束してた。
わたしがパソコン買ってもらったら、いっしょにやろーって。
じっさいに、エルダー・テイルは面白かった。
スズや、スズのギルドの人だって言うこわい顔のおじさん
︵昔の映画に出てくる人の顔だって言ってた︶が色々教えてくれた
し、
それに、ゲームは昔からけっこー好きだったから。
スズといっしょにあちこちのクエストやったり、Lv上げたり、
ゲームの中でスズとだべってたりして、すぐ1ヶ月が過ぎて⋮そし
て。
﹁わたしもぼーけん者になって⋮あれのとき、わたしはまだ、Lv
40でした﹂
大人のぼーけん者が﹃大災害﹄とよんでるあれ。
ゲームのキャラクターまんまで、こっちの世界にとばされたあと、
わたしはきづいた。
当たり前だけど、こっちの世界では、Lvが大きいってことは、強
いってこと。
こっちに来て最初の1ヶ月。
Lvが高い人がLvが低い人にいばったり、ひどいことしたりする
のを、何度も見た。
わたしはLvが高い人ばっかりのスズのギルドで助けてもらえたか
ら、
だいじょぶだったけど、わたしぐらいの子とか、
670
もう少し年上のお兄さんお姉さんが、﹃どれー﹄にされてたのも知
ってる。
もし、わたしもギルドで助けてもらわなかったら、
わたしも﹃どれー﹄になってたかもしれない。
そんなひどいことは、ぼーけん者の、やっぱりLv90の強くてえ
らい人たちが
会ぎするまで、つづいてた。
﹁⋮Lv90のスズに完全にかなわなかったんです﹂
わたしのLv40とスズのLv90。その差は比べ物にならないく
らい、大きい。
それこそ、子供とプロの格とー家以上の差がある。
じっさい、わたしはこっちにきたころ、
うでずもーでまるっきりスズにかなわなかったし、
体力だってスズの方がずっと上だった。
しかも、スズのクラスは森じゅつかい。
ものすごく強いま法が使える。
⋮とてもじゃないけど﹃同じ仲間﹄とか言えるような感じじゃなか
った。
﹁わたしは強くなくちゃならないんです。スズといっしょにいられ
るくらいに﹂
わたしより1年長くぼーけん者をやってたスズが強いのは、
陸上部で1年がんばってきたわたしが、
あっちの世界でスズよりずっと足が速いのと同じだからいい。
けど、それでは﹃仲間﹄じゃない。わたしは⋮足手まといにしかな
れない。
それがいやで、わたしは6月、わたしみたいな中学生でも
671
やってけるよーになってからずっと1人でがんばってきた。
ときどき死ぬくらい危険なとこでLv上げをして、強くなった。
だけど、それでもまだLvは72。スズには及ばない。
だから⋮
﹁だから、ワイバーンくらいは﹃そろ﹄でたおせないとダメなんで
す。
スズのギルドの人たちなら⋮スズも含めてみんな
﹃そろ﹄でたおせるって聞いたから﹂
スズがいるのは、アキバで一番強いギルドの︿D.D.D﹀に
さそわれるくらい、強いギルド。
とーぜん、ギルドの人たちはみんなわたしより強くて、すごい人た
ちだ。
そして、その中の1人としてやっているスズも、
8月のときに後ろの方で荷物運びだったわたしとちがって、
ギルドの人たちといっしょにゴブリンの群れと戦ったらしい。
昔みたいに、いつもいっしょだったころにもどりたいから、
わたしは今は﹃そろ﹄で戦ってるのだ。
﹁なるほどね⋮﹂
わたしの話を最後まで聞いて、ソフィアさんはうなづいて言った。
﹁⋮ねぇ。ナギ、私から1つ提案があるんだけど、聞いてくれる?﹂
そう言うと、ソフィアさんはその﹃てーあん﹄を言う。
﹁あのね、ナギ⋮私たちは、もう1頭、鋼尾翼竜と戦うつもりなん
だけど⋮
そのとき1度だけ、私たちと組んで見ない?﹂
わたしが、予想してなかった﹃てーあん﹄を。
672
6
次の日。
わたしは、ソフィアさんたちといっしょに飛りゅー山をのぼってい
た。
ワイバーンとーばつの協力。
あの﹃条件﹄がなかったら、断ってたと思う。
それを断らなかったのは⋮
﹁あの⋮ほんとーにこれで、﹃わたしに足りないもの﹄が分かるん
ですか?﹂
ソフィアさんは言った。
このじょーたいで戦えば、﹃わたしに足りないもの﹄が分かると。
﹁そうよ。私たちのお師匠様も言ってたわ。
﹃Lvが高いだけで強いと思ったら大間違い﹄って﹂
そう言ってソフィアさんはわらう。
︱︱︱冒険者の秘術を使って、私と同じLvで参加して欲しいの。
それがソフィアさんの条件。ひじゅつってのはよく聞いてみたら
﹃しはんシステム﹄のことで、わたしはソフィアさんと同じ
Lv54でパーティーに加わった。
これで何が分かるんだろう?
ワイバーンたおすだけなら、わたしはLv72のままのが良いと思
うんだけど。
﹁⋮隊長。発見しました。鋼尾翼竜です。
現在、こちらに気づいた様子は無し。奇襲可能です﹂
1人だけ、先に行っていたエイリークさんがもどって来て、ソフィ
アさんに言う。
673
ソフィアさんはうなづいて、てきぱきと指示を出す。
﹁では、大まかな方針としては奇襲から入るパターンで行きましょ
う。
エイリークは弓で奇襲。こっちに引きつけた後は戦線を離脱して
頂戴。
いざってときにはマイハマに報せる役を任せるわ﹂
﹁了解した﹂
﹁ブレーズはいつもどおり。アンディはブレーズの補佐をお願い﹂
﹁任せてくれたまえ﹂
﹁了解しました!﹂
﹁鋼尾飛竜には雷の術が有効らしいから、
クリスは雷の術と足止めに風の術を中心に攻撃。
くれぐれもターゲットを取らないようにヘイトには注意して﹂
﹁分かった。任せてくれ﹂
﹁ディアンは⋮貴方の判断に任せるわ。勝手にやって頂戴。いつも
通りにね﹂
﹁へい﹂
ソフィアさんが一通り指示を出しおえて、わたしの方をみる。
﹁それで、ナギ。貴女は⋮﹂
考えてみたら、だれかをリーダーにして戦うのははじめてだ。
わたしはどんな指示を受けるんだろう?
じっと待つ。そして。
﹁⋮回避スキルは全部禁止。私が合図したらひたすら攻撃に徹して
頂戴﹂
674
⋮え?⋮ええ!?
﹁ちょ、ちょっとタンマ!それって⋮﹂
むちゃくちゃだ。かわさないと、勝てない。
そう言おうとしたわたしにソフィアさんはさらに言う。
﹁大丈夫。私を信じて。必ず、勝たせるから﹂
そう言われたら、もう何も言えない。
﹁それじゃあ始めましょうか﹂
そしてソフィアさんが何でもないことのように言って、ワイバーン
狩りが始まった。
7
﹁命中した!こっちに向かってくる!接敵はおよそ30秒後!武運
を祈る!﹂
ピュンッて音を立ててでっかい弓でワイバーンをうったエイリーク
さんが、
ソフィアさんに言って、急いでワイバーンが入れないような
せまい洞くつにかくれる。
﹁よし!始めるわよ!ブレーズ、お願い!﹂
﹁任せてもらおう!﹂
ソフィアさんのしじにブレーズさんがうなづいて、
たてを構えながら、大きい声を上げる。
﹁遠からんものは音に聞け!近くば寄って目にも見よ!
我が名はブレーズ=K=トーラム!汝、鋼尾翼竜に挑むものなり!
汝、真の強者なれば、まずは我を倒し、その屍を越えてみよ!﹂
なんかむずかしーことを大声で言う。
ワイバーンには意味分からないはずだけど、エイリークさんを追って
行こうとしてたワイバーンがこっちを向いて、ブレーズさんをこー
げきする。
675
Lv50ちょいのブレーズさんだと、まともにくらったらけっこー
いたいはずだけど、
たてを構えてまちかまえてたブレーズさんは、あんましダメージ受
けてない。
ああそうか。たしかあれ、ガーディアンのスキルだ。
ダメージはあたえられないけど、﹃へいと﹄とかゆーのを
ためるって聞いたことがある。
⋮かくとー家にも似たような技があるけど、こーゆー使い方するも
のだったんだ。
﹁ブレーズさん!右からの攻撃は僕が!っく!⋮︿アンカー・ハウ
ル﹀!﹂
アンディさんが右からのしっぽこーげきをたてで受け止めて剣を構
える。
こっちはけっこーダメージが大きい。でも。
﹁2人とも、その場で4秒待機して!︿範囲中回復﹀!﹂
ソフィアさんが2人に回復まほー。
1度に2人に同時にかかるま法できずを治す。
﹁行くぞ!︿疾風刃﹀!﹂
﹁いきやすぜ!︿一の太刀﹀!﹂
ワイバーンのしっぽこーげきが終わってすぐ、クリスとハゲのおじ
さんがこーげき!
クリスさんの風のま法がワイバーンの羽にあたってよろめいたしゅ
んかんに、
ハゲのおじさんの刀がすごい勢いでワイバーンを切りさく!
﹁今だ!はぁ!﹂
そのこーげきでワイバーンがハゲのおじさんの方を向いたしゅん間、
今度はアンディさんがハゲのおじさんに負けないくらいの勢いで
剣をふり下ろして一気にダメージをあたえる!
﹁おっと!まだ俺は倒れていない!余所見はやめてもらおうか!﹂
そしてブレーズさんがまた大きい声でワイバーンの注意を引いて、
676
ワイバーンはブレーズさんにこーげきする。
⋮すごい。
なんていうか、この人たち、ものすごく強い。
体が5つあるけど心はひとつとか、そんな感じだ。
これが⋮パーティーの強さってこと?
﹁よし!ナギ、貴女も攻撃に移って!一気に攻め落とすわよ!﹂
﹁は、はい!﹂
ソフィアさんの指示にしたがって、わたしもこーげきする。
まずはスタンスを不意打ちに強い︿ヴァイパースタンス﹀にして、
足に力をこめて⋮ジャンプ!
﹁ワイバーンキック!﹂
そのまま飛びげり。アスリートの力も加わって一気に3mくらい上
の頭をける!
﹁タイガークロウ!﹂
次は下に向かって、爪でひっかく!
タイガークロウを使った格とー家の爪は、包丁より切れる。
光るわたしの爪がワイバーンのうろこといっしょに、ワイバーンの
皮を切る!
すたっと地面に着地したしゅん間、今度はワイバーンの足の爪がわ
たしにせまる。
わたしはとっさに︿ファントムステップ﹀でよけよーとして⋮
677
﹁おおっと!あぶねえ!﹂
ハゲのおじさんがとっさに間に入って爪を刀で受け止めた。
﹁ナギのお嬢ちゃんは攻撃に専念してくんな!
ナギのお嬢ちゃんへの攻撃はお嬢とあっしが届かせねえからよ!﹂
ダメージを受けて、軽く血を流しながら、ハゲのおじさんが笑う。
その笑顔を見てたら、なんか分かった気がする。
わたしに、足りなかったものは⋮ああ!?
﹁まずい!よけて!﹂
ワイバーンがしっぽをしまいこむ動きをしたのを見て、わたしはあ
わててさけぶ。
何回か戦ったから分かる。あの動きから来るのは!
﹁っく!⋮ぐぅ!?﹂
よけきれず、しっぽのつきさしこーげきをくらったブレーズさんが
その場にうずくまる。
﹁ブレーズ!?﹂
動きをとめたブレーズさんに、ソフィアさんがあわてる。
﹁ソフィアさん!ブレーズさんどくにやられてる!すぐに治して!﹂
あいつのしっぽのどく。あれは⋮ものすごくいたい。
こー略本には大体1秒当たり20点のダメージを受けるって書いて
678
あった。
HPが10,000点をこえてるわたしでも10分もたない。
ぼーけん者じゃない、ふつーの人ならあっという間に死ぬくらい強
いどく。
それは、昔とちがって食らうとまともに動けないくらいいたい。
3回目は、あれのせーで死んだ。
﹁⋮っく!︿大祓えの祝詞﹀!﹂
ソフィアさんが神なぎのま法でブレーズさんのどくを消す。
﹁⋮うぐ!すまない!﹂
どくが消えて動けるようになったブレーズさん。
でも、立て直すまでには時間がひつよーで、それをワイバーンは待
ってくれない。
﹁げ、限界です!これ以上は、持ちません!﹂
動けないブレーズさんの代わりにこーげきを受けつづけたアンディ
さんがやばい。
﹁⋮あっしとしたことが!?﹂
ハゲのおじさんが足をおさえてる⋮どくにやられた!
﹁まずいわ!このままじゃ⋮﹂
そうだ。ワイバーンはソフィアさんたちがたおせるギリギリくらい
の強さ。
679
⋮1回くずれたら、全めつもありうる。
エイリークさんが言ってた。
大地人は⋮そせーまほーはまずきかないし、大神でんで生き返るこ
ともないって。
﹁︱︱︱うおおおおおおおおおおおおおおおお!﹂
それにきづいたら、わたしはとっさにさけんでいた!
たださけんだんじゃない。格とー家の﹃へいと﹄をかせぐ技、
︿ワイルドロアー﹀を使ったのだ。
ワイバーンが、おこった目でわたしを見る。
それをにらみかえしながら、わたしはハゲのおじさんに
こしのポーチのげどく薬を投げる。
﹁それ、使って!ワイバーンは、わたしがひきつけるから!﹂
﹁すまねえ!恩にきりやす!﹂
そしてもう1回︿ワイルドロアー﹀。ワイバーンの目が完全にこっ
ちを見る。
﹁来い!わたしが、あいてだ!﹂
︿バタフライスタンス﹀で構えて、さらに︿ファントムステップ﹀
よける力を上げて、持ちこたえる。
ソフィアさんたちが、また戦えるようになるまで。
8
﹁くぁ⋮っつ!﹂
680
とっさにこしのポーチからげどく薬を取り出して、
回復カプセルといっしょにのみこむ。
一気にHPを回復して、どくを消したしゅん間に、
また体当たりではじき飛ばされる。
﹁ナギ!?﹂
﹁いいから!わたしは、もう少しだけなら持つから、他の人を早く
!﹂
回復ま法をかけようとするソフィアさんに言い返す。
﹁⋮っく、︿快癒祈祷﹀!﹂
そしてソフィアさんがボロボロになってるアンディさんに回復まほ
ーをかける。
⋮そう、それでいい。
わたしは、苦戦していた。
当たり前だ。今、わたしのLvは54になってる。
Lv72でもかなわなかった相手に﹃そろ﹄で勝てるはずがない。
持ってきた回復アイテムを使って、もちこたえるのがやっと。
たぶん、もーすぐ死ぬ。
⋮でも、だいじょぶ。
ソフィアさんに生き返らせてもらうか、さいあく大神でんで生き返
れるから。
なんとなく、分かった。
わたしに足りなかったもの。それは⋮思い切り。
こいつは、けっこー強い。強いから⋮
ダメージで死ぬまえに勝てるよーにせめなきゃだめだった。
﹃そろ﹄のレベル上げと同じよーに、安全に、死なないのをゆー先
して
戦ってたんじゃ、けっきょく勝てない。
681
死ぬかもしれなくても一気にせめて、やられる前にたおすしかない。
それが﹃ソロでワイバーンをたおすのに必要なこと﹄
そして、回復アイテムがつきる。
ぜったいぜつめー⋮じゃ、ない!
﹁きたまえ!私が相手をしてやる!﹂
ワイバーンがわたしから目をそらす!
﹁お待たせ!たて直しは完了!今︿四方拝﹀を使ったわ!一気に仕
留めるわよ!﹂
﹁うん!﹂
ブレーズさんが止めてる間に、わたしは、
いや、わたしたちはいっせーにこーげきする!
﹁喰らえ!︿雷帝の槍﹀!﹂
クリスさんが、こーげきまほーでものすごい雷をおとす!
﹁往生しろや羽トカゲ!︿燕返し﹀!﹂
ハゲのおじさんが、2本の刀をすごい早さでふって、ワイバーンを
きる!
﹁ナギ!﹂
﹁うん!﹂
ソフィアさんの声にあわせて、こーげき力を上げる
︿ライオンスタンス﹀をとって⋮とつげき!
つかうのは⋮わたしの一番のコンボ!
682
﹁︿ワイバーンキック﹀!﹂
後ろを向いたワイバーンのせなかをおもいっきりける!
でも、これでおわりじゃない!
﹁︿ラビットスタンプ﹀!﹂
そのまま、ワイバーンをもう1回、今度は真下をける!
︿ラビットスタンプ﹀もけっこー強いキック技だけど、
これも次の技のためのつなぎ!
﹁︿メテオ⋮﹂
︿ラビットスタンプ﹀のはんどーで高く飛び上がり、
空中でわたしは両手をにぎりこむ!
がっしり組んで、後ろにまわした手が、光りだす。
これは、わたしの使える中で一番強い技!
ギィヤァァァァァァ!
このわざは強いけど、すきが大きい。
よけられない空中でしか使えないし、力をタメなきゃうてない。
そしてワイバーンが思いっきりわたしに向かってかみついてくる⋮
さいしょに、わたしが死んだときと同じように。
けど⋮だいじょぶ!
だってわたしは⋮今日は﹃パーティー﹄だ!
ワイバーンのキバがとどく前に、ソフィアさんのはった
かべがはじけてワイバーンが顔をそらす!
683
わたしは、ノーダメージ!体勢もくずしてない⋮いける!
﹁⋮インパクト﹀!﹂
わたしは、じゅーぶん力がこもった両手を振り下ろす!
前に試した時は、岩でも一発でくだいた両手が
ワイバーンの頭を思いっきりぶったたく!
ギャァァァァァァァ⋮
そして、わたしのこーげきを受けて、ワイバーンが長い悲鳴を上げ
て⋮
﹁⋮終わった、わね﹂
地面におちたワイバーンを見て、ソフィアさんが笑った。
9
﹁ごめんなさいね。本当はもっと華麗に勝つ予定だったんだけど﹂
帰り道。
わたしがせおってきたカバンをソフィアさんたちの馬車に積んでも
らって、
わたしはソフィアさんの馬に乗せてもらっていた。
これから、わたしは︿ダネザックのま法のカバン﹀を作ってもらい
に行く。
そー言ったら、ソフィアさんたちはいっしょに行かないかと言って
くれた。
もちろんOKした。
﹁いえ。いーです⋮ワイバーンにも勝てたし⋮色々分かったから﹂
684
今回の、ワイバーンたいじは本当に色々勉強になった。
ワイバーンに負けつづけたおかげで﹃そろ﹄での戦い方が分かった
し、
ソフィアさんみたいにパーティーを組むとどーいう戦いが出来るか
も分かった。
そしてなにより⋮
﹁⋮楽しかったですから。ソフィアさんたちといっしょに戦うの﹂
ハゲの⋮ディアンさんにブレーズさん、アンディさんとクリスさん。
エイリークさんに⋮ソフィアさん。
スズたちじゃない。ぼーけん者でもない。
大地人のきしの人たち。この人たちといっしょに、ワイバーンをた
おした。
これはわたしの思い出。わたしが、この世界に着てから初めての、
﹃だれかといっしょにする﹄ぼーけん。
だから⋮
﹁帰ったら、スズに話そうと思います。ワイバーンと戦ったときの
こと。
それから、スズに聞こーと思います。スズがしてきた、ぼーけん
のこと﹂
きのー、山から下りてからいっぱい話した。
スズもきのーから山にのぼってたらしい。
何でもギルドのみんなでま王をたおしたって。
ま法のカバン手に入れて帰ったら、会うやくそくをしてる。
スズのぼーけんの話を聞いて、
わたしのぼーけんの話をしたいって、わたしから言った。
﹁そして、またぼーけんしたいと思います。
685
スズみたいにアキバから出て、色んなぼーけんをしてみたい﹂
わたしには、わたしなりのぼーけんがある。
色んな人と知りあったり、モンスターと戦ったり、色々できる。
わたしがスズがどんなぼーけんをしたか知らないのと同じで、
スズも、わたしがどんなぼーけんをしたのか、知らない。
知りたいのだ。スズがしたぼーけんや、わたしもスズもまだ知らな
いことを。
そうしたいなら、アキバばっかにいちゃダメだ。
﹁⋮そう。だったら、マイハマを訪れることがあったら、
セングウジの屋敷に遊びに来て頂戴。いつでも歓迎するわ﹂
ソフィアさんが笑顔で、わたしに言う。
﹁それでしたら是非サキモリの家にも遊びにきてくだせえ。
お嬢の屋敷たあ比べ物にならねえ小汚ねえあばら家ですが、
精一杯もてなさせてもらいますんで﹂
﹁だったら私の屋敷にも着たまえ。息子達に紹介しよう﹂
﹁うちもよければ⋮まだ、子供も1人しか居なくて恥ずかしいです
けど﹂
﹁生憎と私は宿舎住みで独身だが、歓迎しよう。
騎士団の案内くらいは出来るだろうからな﹂
﹁そのときは、ジロの奴も誘うか。
あいつ、確か甥っ子が格闘家だと言っていたからな﹂
ソフィアさんに続くように、他の人たちもみんなわたしに言う。
﹁はい!必ず!﹂
686
それがうれしくて、わたしは笑う。
もしかしたらよーやく、始まったのかもしれない。
わたしの、わたしだけのお話が。
687
特別編2 騎士のソフィア︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに飛竜山は、埼玉県に実在したりします。
さらに、今回出てきたスズは今までに出てきたとある冒険者だった
り。
最も名前は微妙に違いますが。
688
第18話 神官のアンネローゼ︵前書き︶
俺TUEEEE警報発令。
今回の登場人物には、ヤマトの国の大地人史上最強の大地人⋮
ぶっちゃけ冒険者より強い大地人?が登場します。
テーマは﹁大災害後のクエストの挑み方﹂
舞台は今まで扱っていなかったフォーランド。
そしてメインとなる冒険者は⋮ミナミの方々です。
689
第18話 神官のアンネローゼ
0
暗い闇の奥底で、彼は目を覚ました。
周囲を探る。ここは、かつての王国。
その最深部まで﹃沈めた﹄玉座の上だ。
︱︱︱敗北⋮か
口惜しさも、恨みも無く、ただ正確にその事実のみかみ締める。
実に500年ぶり⋮彼の王国を自ら贄とした後、
イズモの古来種どもに封印されたとき以来の敗北。
そして彼を敗北せしめたのは⋮
︱︱︱冒険者⋮
彼が封じられ、500年近い歳月を経てその封印を打ち破ったとき、
野蛮な人間族の国にはとある異形の存在が蔓延っていた。
彼等の名は冒険者。
アルヴの秘術により、魂を歪め生物としての理を外れた亜人を更に
歪め⋮
ただ戦うためにのみ生まれてきたような異形の超生命体。
彼等には才能と言う言葉は無い。
必ず12ある戦の技のどれかを限界を越えて極められるだけの才能
690
を与えられている。
事実、彼と戦った冒険者は皆、Lv90と言う古来種に迫るだけの
力を持っていた。
彼等には、死と言う言葉は無い。
彼等の精神と肉体は極端に魂魄の劣化に強く、どんな方法で殺して
もいずれ蘇る。
どんなに弱い蘇生の術でも蘇るし、そもそも死しても僅かな劣化の
みで
大神殿の魔法装置で再び蘇ってくるのだ。
そして彼等には、恐怖と言う言葉は無い。
彼等の戦いに、恐怖の表情は一切無い。
例え更に強き力に負けて死するその瞬間であっても、
ときに笑い、ときに観察を続ける。
彼等は例え100度殺そうとも、101回目の挑戦を行うだろう。
それを彼は知っている。
なぜならば他ならぬ彼等冒険者こそが、自らを限界まで歪め、
一介のアルヴの王から死霊の王﹃凶皇﹄となった彼を18年前に倒
した異形だった。
︱︱︱古来種のみどうにかすれば、敗北は無いと思っていたのだがな
封印を破り、ヤマト全土を自らが君臨するに相応しい死の国とせん
としたとき、
彼等は現れた。
彼等は、殺した後に呪法で自らの墓所を守る番人へと作り変えた、
封印の監視を担っていた古来種の騎士をうち破り、
691
戯れに冒険者の偽物へと作り変えてやった獣人どもを殲滅し、
更には冥府へと潜り込んで彼の瘴気に対抗できる冥府の魔除けを
冥府の女王から盗み奪ってきた。
そして、ヤマトにおいて最強であるはずのイズモ騎士団をして手に
負えぬと
判断させたほどの力を持つ彼に微塵の恐怖も無く挑み、
かつての彼の王国の残骸であるこの島で、凄まじい戦を繰り広げた。
純粋な力であれば彼の方が圧倒的に上であった。
このセルデシア全土を見渡しても古来種をも凌駕する彼より強い存
在など
それこそ﹃神﹄くらいしかいない。
凶皇の技量は、古来種に匹敵する。
その魔力は凄まじく、ただ1人で冒険者の百人隊を幾度と無く打ち
破った。
更に島には彼の眷属と化したかつての国民が侵入者を待ちうけ、
彼の居城にたどり着く前に全滅した冒険者の騎士団とて幾つもある。
かくて彼は冒険者に56度勝利し⋮ただ1度敗北した。
︱︱︱思えば奇妙な存在であった。
彼が1つ技を見せるたびに、彼等はその対策を身に着けてきた。
それも、冒険者の騎士たちは反目しあいながらも協力していたよう
で、
1度使った技は、その後にくるほとんどの騎士団が対策を行ってい
た。
更に彼の技だけでなく、癖、弱点⋮あらゆるものが観察され、
692
まるで1つの記憶を何百人で共有でもしているかのように冒険者た
ちは進化していった。
︵そう考えないと説明できない事項が多すぎた︶
そして最終的に凶皇を打ち破った冒険者の騎士団とは実に5度も戦
い⋮
ただの1度だけ、敗れ去ったのだ。
︱︱︱ふむ。やはり器が限界に近いか
過ぎ去りし敗北を越え、自らを冷静に分析し、彼は結論を得た。
1度敗北して壊された肉体は⋮器として用を為さないほどに崩壊し
たままだった。
かつての、冒険者の百人隊の総攻撃にも耐えられた強靭さは失われ、
今では並の竜1頭が屠られる程度で完全に破壊されてしまうほどし
かない。
この、闇の瘴気に満ち満ちた最下層の玉座の間より出れば、
なによりもまず己の強大すぎる魔力に耐え切れず、
彼はこんどこそ魂魄もろとも滅びることになるだろう。
︱︱︱10年と言ったところか
この玉座と言う名の監獄から出られるまでに肉体を修復するには、
10年かかる。
彼はそう見た。
10年。500年以上生きる彼にとっては決して長い時間ではない
が、
その間に冒険者どもに攻め入られれば、少し厄介なことになる。
そう考え、彼は対策を講じることにした。
693
︱︱︱城よ。変われ
人外の⋮神にも匹敵する魔力を使い、最下層へと通じる部分を、迷
宮と化す。
罠を張り、時空を歪め、拡張。
更には6人を越えるもの同士は決して行き会わぬようにする。
たとえ同時に入ろうと違う場所に飛ばされ、
迷宮内に居る限りはけして出会わないようにした。
︱︱︱眷属よ。参れ
全部で9体、Lv91を越える強力な魔物を召喚し、各階層の番人
とする。
次の階層へと通じる部屋に配置し、番人を倒さねば次の階層には決
して至れない。
そして最後に。
︱︱︱受け取るがよい。報いを。
先ほどから彼を監視していた神官に、滅びの呪いを送る。
どうやら古来種ではなく、ただの人間族だったようだ。
神官はあっけなく断末魔の悲鳴を上げて魂ごと滅びた。
それを感じ取り、彼は玉座に身を沈めて、目を閉じる。
︱︱︱さて、始めるとしようか。
彼は﹃凶皇﹄
古来種をも凌駕する、セルデシア史上最強最悪の死霊が一柱。
彼がこの﹃凶皇の呪い穴﹄を離れるだけの力を手にするまで、あと
694
3600日。
﹁第18話 神官のアンネローゼ﹄
1
ばんしょういん
ウェストランデはキョウに麒麟児ありと言われた天才、
アンネローゼ=万象院が死体の前に立つ。
酷い状態であった。
首に深い深い傷跡が刻まれた、死体。
既に漏れ出すものすら尽きるほど時間が経っており、
ご公務
が始まったばかりの頃は戸惑いもしたが、もう慣れ
とうに冷たくなったそれをそっと見下ろす。
この
た。
アンネローゼがバラ色の唇を開き、歌うように口上を紡ぐ。
ソウル・リヴァイヴ
﹁囁き、祈り、詠唱、念じろ⋮︿魂再起﹀
麻呂彦様は元気になりました﹂
いつもの事ながら辺境伯直々の指定であるよく分からない前振りの
口上。
口ずさみ慣れたそれと共に運ばれてきた死体に高位の蘇生魔法︿魂
再起﹀を施す。
それは、普通であれば意味の無い行動。
如何にヤマト全土を見渡しても東のアルテリナと並び称される
ウェストランデ屈指の名家の施療神官であり、
若くしてLv55に達したアンネローゼといえど、
こうも酷い状態の死体が蘇るなど、信じては居なかった。
695
⋮ほんの3ヶ月前までは。
だが、成功する。してしまう。
死体の傷が塞がり、内部で血が沸き起こっているのか、
見る見るうちに血色を取り戻す。
そして、先ほどまで死んでいたはずの男はぱちりと目を開けて体を
起こした。
﹁⋮っつつ、やっちまったなー﹂
﹁確かに最後の一発はきれーに首に入りよったわ。そら死ぬわな﹂
﹁よりにもよって後列からサプライズで回復職ねらい。
おまけに忍者が群れで全力のアサシネイトとか、考えた奴頭悪い
だろ﹂
﹁⋮きたないさすが忍者きたない﹂
﹁なんだそりゃ?﹂
﹁んー、なんか昔流行ったらしーよ?﹂
﹁はあ?﹂
﹁気にすんなや。コイツのノーミソがプリンなんはいつものこっち
ゃ﹂
﹁んだな。さてと、どーする?マロ蘇ったし、また行っとく?﹂
﹁やー。今日はやめとこうぜ。疲れた。マロ運ぶのに﹂
﹁だな。もうすぐ第3層探索も始まるだろうし、今日のところは休
んどこうぜ﹂
ガヤガヤと、この奇跡を当然のように受け止め、
6人の男女⋮冒険者が﹃寺院﹄を離れる。
﹁ふぅ⋮﹂
﹁姫様、お疲れ様で御座いました﹂
蘇生の儀式を無事に終え、精神的な疲れからため息をついた
696
アンネローゼを御付きである老女官が労う。
冒険者の﹃回復職﹄が何らかの要因で仲間を生き返らせることが
出来なくなったとき、その死者を魔法で蘇らせるのが﹃寺院﹄づめの
高司祭であるアンネローゼの公務である。
その補佐を担当する、高位の施療神官でもある老女官は
寺院台帳を確認したのち、言う。
﹁本日、姫様が蘇らせた冒険者の方々は、先ほどで10人目。頃合
かと﹂
太陽はまだまだ高く、公務を終えるには早いこの時間。
アンネローゼが蘇生させた冒険者は先ほどの施療神官で10人目と
なった。
﹁今、代わりの冒険者司祭がこちらに向かっております。
ご公務は彼の方に任せ、姫様はお休みくださいませ﹂
﹁いえ、大丈夫です。まだ魔力には余裕があります﹂
如何に高位の蘇生魔法といえど、
休み休み10回使った程度で尽きるような低い魔力ではない。
そう思い、まだやると伝える。
﹁なりませぬ。姫様のような高貴な方が下賎の輩のために
その御力を使いすぎるなど、雅ではありませぬ故﹂
だが、老女官は真顔で首を振り、アンネローゼに退出を促した。
野蛮な東の国々と正しき歴史を受け継ぐウェストランデは、違う。
この国では高貴な女性⋮姫君を冒険者の元にやったりはしないし、
如何に力に優れていようとも騎士団に入れ、戦場に送り込むような
非道もしない。
若くして高司祭の地位を持つ、万象院の娘であるアンネローゼと言
えど、
697
それは例外ではない。
﹁⋮分かりました。では、本日はお暇させて頂きます﹂
この老女官は、1度言ったことは曲げない。
それを知るアンネローゼはため息と共に寺院を退出する。
馬車を用いず、歩いて帰ることにしたアンネローゼは、空を見る。
﹁まだ日も高い時刻ですのに﹂
空は、ただただ青く晴れ渡っている。
ガヤガヤと、喧騒が耳に入る。
この地に住まう冒険者と、それに数倍する数の大地人たちの声。
その声は華やいで明るい。
穏やかで優美だが何処か潜められているように響くキョウの街の
それとはまるで違う、生きる力に満ちた喧騒。
今、この地の地下に恐るべき死霊の王が居て、
それと冒険者が凄まじい戦を繰り広げているなど、誰が信じようか。
そう思い、アンネローゼは眉を潜める。
思えば今日で丁度3ヶ月となるのでは無かったか。
⋮アンネローゼが父に対するせめてもの手向けに、寺院での公務を
願い出てから。
そしてこの街﹃ライルガミン﹄が開かれてより。
2
ことの発端である大魔縁﹃凶皇﹄の復活。
その出来事は、アンネローゼの父、フリードリヒの死⋮
否、滅びと共にウェストランデに知れた。
698
まがつみ
フリードリヒが執務室でもある儀式の間で1人行っていた、ウェス
トランデに迫る
凶兆を探るお役目である︿凶見﹀の最中に断末魔の悲鳴を上げたの
は、
夏の日の、とある黄昏時のことであった。
アンネローゼも父がついぞ挙げたことの無い絶叫に何事かと思い駆
けつけた。
そして見た。
⋮誰も居ない部屋と、無造作に脱ぎ捨てられた法衣。
そして床を覆う瘴気に満ち満ちた黒い灰を。
それを見て、アンネローゼは思わず絶叫を上げた。
﹁⋮お父様っ!?﹂
彼女が父に負けず劣らず聖職の才に恵まれたアンネローゼであった
からこそ、
常人であれば得ることが出来なかった真実に気づいた⋮気づいてし
まった。
⋮その、黒い灰こそが凄まじい呪いの呪力で
魂すら滅びたフリードリヒの末路であると。
Lv60に達した、稀代の名神官を聖別された部屋で行っていた凶
見の最中に、呪殺する。
そんなことが出来るのは、ただ人の仕業ではない、否⋮魔物ですら
ない。
魔を超越した凶神⋮
アンネローゼが産まれた頃に冒険者の手で討たれたという
﹃大魔縁﹄の仕業でしかありえぬ。
699
アンネローゼの弟である、神殿での修行より戻った万象院家の新当
主は
そう結論付け、斎宮家に万象院の代替わりと共にその凶事を伝えた。
当初、ウェストランデの反応は、鈍かった。
彼等にとって大魔縁⋮凶皇は余りに縁遠い存在であった。
何やら封印を破って復活し、古来種と冒険者の手で
いつの間にか討たれた恐るべき魔物。
その程度の認識しかなく、先ごろ万を越えるミナミの冒険者を臣従
させた
ウェストランデにとって、恐れるに足らずと言う認識だった。
それが一変したのは、その、臣従した冒険者よりもたらされた情報
であった。
ミナミにはかつて、凶皇との戦に参加した冒険者が数多く居た。
それ故に彼等は凶皇の事も知っていた。
実際の戦を通して、また、古来種の口より語られた口伝により。
そしてその中に、ウェストランデの貴族達の心胆寒からしめる情報
が含まれていたのだ。
︱︱︱アイギアの大乱において、首魁たる服部半蔵に秘術を授けた
黒幕こそ凶皇である。
御伽噺の怪物が現実の深く黒い影を纏った瞬間であった。
アイギアの大乱。
ウェストランデの影である狐尾の忍びたちの中でも最も大きく、
最も強かった一族であるアイギアの民がウェストランデに叛旗を翻
した大事件。
700
その力は凄まじく、あの戦の折には歴史と伝統ある領主家が3つも
絶え、
その他多くの貴族が儚くなった。
ウェストランデの持つ騎士団では対抗しきれず、
結局は冒険者に布告を出し、戦わせることで事件はようやく解決を
見た。
凶皇の放置、それすなわちいつまたアイギアの大乱が起こるか分か
らぬ状態。
普段、急ぐことをはしたないとするウェストランデとは思えぬほど、
彼等は出来うる限り迅速に対応した。
凶皇が蘇った場所であるフォーランドにある﹃大魔縁の島﹄に調査
隊を派遣。
呪い穴を調べ⋮精鋭騎士30人が5分と持たず全滅したことで
hwyaden﹀に
大地人が何とかできる場所でないことを確認。
ミナミの冒険者を支配する家門︿Plant
hwyaden﹀もまた迅速に答えた。
凶皇討つべしとの命令を下した。
それに対し、︿Plant
凶皇に対抗しうる、ミナミのハイジン冒険者たち300人を
大魔縁の島に送ることを決定したのだ。
そして、その派遣部隊の隊長には斎宮家直々に辺境伯の地位が授け
られ、
大魔縁の島は冒険者の領地であるとされた。
それから、ウェストランデの各地から事情を伏せて集められた平民
達が、
冒険者たちの街での日々の暮らしを支えるべく入植し⋮
大魔縁の島に実に500年ぶりに善の勢力の街であり、
701
同時に衛兵も銀行も大神殿も無い第6の冒険者の街﹃ライルガミン﹄
が誕生したのだ。
3
古代アルヴ王国王都の面影を強く残した、
現在とは異なる独特の様式で建てられた建物。
斎宮お抱えの宮大工達を動員して復活させたライルガミンの町並み
を、
アンネローゼはゆっくりと眺めつつ、歩く。
子供がはしゃいで走り回り、大人たちは活気に満ちて働く。
物売りが大声を張り上げて手料理や道具を売りさばき、
そこかしこで冒険者のものらしき異様な武器や防具を
ドワーフの名工が手入れをする。
探索前、あるいは探索から帰って来た冒険者が店を冷やかし、
どこからかやってきたのであろう移民がそんなライルガミンが珍し
いのか、
辺りを見回している。
アンネローゼの故郷、キョウの都では考えられぬ光景であった。
ライルガミンは今、急速に育ちつつある。
ライルガミンへと渡ってきた、ウェストランデの民たちは
日に万の金貨を稼ぎ出すと言われるライルガミンの
冒険者相手の商売に励み、短い時間で随分と豊かになっていた。
更には冒険者の故郷であるミナミや東方の魔都アキバ、
南方のナインテイルからも様々な品々を輸入し、
702
代わりに呪い穴からもたらされた﹃戦利品﹄を輸出する。
最近は他方からの冒険者たちもライルガミンを訪れ、
辺境伯の許可を得て呪い穴を探索している。
そしてその彼らがまた稼いだ金を使い⋮
その産業の大半を﹃呪い穴﹄から賄うという歪な構造ではあるが、
今やライルガミンはフォーランド侯爵領で唯一の
安全なる善の勢力圏の都市となった。
その豊かさを聞きつけた、僅かに残った開拓村で暮らす
フォーランドの民のなかにも、いつ魔物に襲われて滅ぶとも知れぬ
危険な魔物が跋扈する故郷を捨て、ライルガミンへと移り住んだも
のも居る。
その繁栄ぶりはほんの半年前、滅びた廃墟しかなかった街とは思え
ぬほどだ。
⋮その繁栄はいつか、冒険者の力が及ばず凶皇が呪い穴より
復活する日がくれば容易く崩壊する危ういものではあったが、
恐らくその日は少なくともこれより何年かは訪れない、
と言うのがウェストランデの魔術院の見解である。
そう、この街には今は異変が見られない。
日を追うごとに代わり行く街ではあるが、危険の匂いは無い。
なれば、ありうるのは⋮
﹁呪い穴に、何か進展がありましたか?クロウ﹂
立ち止まらず、ポツリとアンネローゼが呟く。
その小さな問いかけはすぐに立ち消え。
﹁は。どうやら第2層の﹃ヌシ﹄の部屋が発見されたようです。既
に冒険者が
何度か交戦し、3組の小隊が全滅してミナミにご帰還為されたと
の事﹂
703
イナリ
アンネローゼの影から現れたように、漆黒で統一された服を着た、
狐尾族の女が答えを返す。
彼女の名はクロウ。万象院の家で飼っている稲荷の娘であり、
幼き頃よりアンネローゼの護衛と手足を努める、シノビである。
クロウの答えに、アンネローゼは驚き、聞き返す。
﹁まことですか?確か、第1層のヌシの部屋が見つかったのが
先月のことだと思いましたが?﹂
あのときのことは覚えている。
領主様含め4の小隊が全滅したと言う大事件だったのだから。
呪い穴には、数の暴力は通じない。
恐らくは凶皇が呪い穴全域に張り巡らせた魔術により、
6人の小隊を越える数での探索が出来ないのだ。
呪い穴の入り口は、くぐった者をランダムに転送する。
例え96人で挑んだとしても、入った瞬間に16の小隊に分断され
てしまう。
さらに同時に呪い穴に施された魔術は極めて強力な時空を歪める類
のものらしく、
中に居る間は念話も通じず集合しようとしても決して行き会うこと
が出来ない。
1度入れば、出るのには冒険者の有志の手で描かれた地図を頼りに
自力で出口にたどり着く必要がある。
故に、呪い穴の探索には、辺境伯が音頭を取って
地図の作成を重視して行われている。
皆が探索を行い、記録した地図をつなぎ合わせ、1つの階層を地図
とするのだ。
そのうちの最上層、第1層において、第2層へと繋がる階段と、
それを守るLv91にもなる魔獣が発見されたのが、先月のこと。
704
魔獣は腕利きの冒険者すらも凌駕する力を持ち、
冒険者の小隊をも壊滅させる力を持っていた。
⋮例え全滅し、ミナミの大神殿に送られることになっても恐れず挑
み続け、
発見された3日後にとある小隊が叩き潰して神代の伝説に記される
ような弓を
持ち帰ったときには、冒険者の底知れなさを思い知らされたが。
故に、僅か1ヶ月で次の階層に至る道が見つかったと聞き、アンネ
ローゼは驚いた。
だが、クロウは淡々と答えを返す。
﹁まことです。あれよりアキバやナカスの出の冒険者も何処からか
噂を聞きつけ、
ライルガミンへと集まったことで人が増えたことが幸いしたとの
こと﹂
﹁そう、ですか⋮﹂
そう言えば、最近ライルガミンの冒険者の中に、
hwyaden﹀に属さぬ冒険者
見知らぬ顔が増えたような気がしていた。
どうやらそれが、︿Plant
達らしい。
そう納得するアンネローゼに、クロウは更に報告を続ける。
﹁それよりも、気になる噂を聞きました。
此度のヌシの退治、辺境伯様もお挑みになるつもりだと﹂
﹁まあ!?まことですか!?﹂
その報告に答えるのは、クロウではなく⋮1人の男の声。
﹁ええ、本当ですよ﹂
思わず振り返ったアンネローゼに、その男は、笑顔を返した。
4
705
アンネローゼに笑顔を向ける男の盾と鎧には、
彼の家紋である﹃2つの林檎﹄を模した紋章が刻まれている。
ライルガミン広しと言えど、この紋章を使うものは
両の手で数えられるほどしか居ない。
hwyaden﹀のハ
そう、彼こそが冒険者でありながら斎宮家より直々に高位の貴族位
である
辺境伯の地位を授けられた、︿Plant
イジン冒険者たちの長。
﹃呪い穴の入り口﹄を購入し、呪い穴の管理人も行っている、ライ
ルガミンの主。
﹁辺境伯様!?﹂
ライルガミン領主、ロバート辺境伯である。
﹁ええ。クロウさんの言う通りです。昨日、第2層のボスの玄室が
発見されました。
僕も今日、仲間と一緒に挑むつもりですよ﹂
ロバートは先ほどのアンネローゼの話を頷いて肯定する。
その瞳には、恐怖も迷いも無かった。
先月、第1層のヌシに5人の配下を連れて直々に挑み⋮
全滅して大神殿送りとなったことなど、微塵も感じさせない様子で
ある。
その様子に、アンネローゼは畏怖を覚えた。
︵アキバの冒険者の王も底が知れぬと聞きますが⋮辺境伯様程では
ないでしょう︶
アンネローゼがそう思うほど、この男は常人離れしていた。
706
この街の領主にしてライルガミンの冒険者の長、
ロバート辺境伯は見た目こそ20代半ばだが、
本人によれば本来の年齢は50も半ばであるという。
しかもそれすら正確ではなく、ウェストランデの宮廷歴史学者によ
れば、
203年前にウェストランデの危機を救って当時の斎宮家に謁見し
たと言う記録が
残っている、文字通りの意味で不老不死の冒険者。
その、冒険者歴35年を自称する冒険を愛する心は筋金入りで、
辺境伯の地位を得てなお、自ら最前線部隊の1つを率いて、
3日に2度は呪い穴に挑み続けている。
ライルガミンの冒険者にもまだ数十人しか居ないLv92に達した
ロバートが
直々に率いる小隊の実力は凄まじく、彼が率いる小隊は、
このライルガミンに置いて最強の冒険者の一角に数えられている。
⋮最も、その部隊ですら既に3度の全滅を経験している辺り、
呪い穴の底知れなさも並ではないが。
﹁第2層のボスは、どうやらLv92みたいです。
1層下るごとにボスのLvも1上がっていく仕組みですかね?
Lv的には申し分ないですし、ちょっと倒してきます。
まあ、負けても死体回収もロストも無いんで気楽なものですよ﹂
ロバートは気楽にアンネローゼに言うと、手を振って呪い穴へと向
かう。
そしてそこにはその気楽とも取れる良いように呆然とする主従が2
人。
707
﹁⋮このライルガミンは、凶皇は、きっと彼らの手で討伐されるの
でしょうね⋮﹂
﹁御意⋮﹂
アンネローゼにかすかに燈るは、確信。
きっとこのライルガミンに悲劇は起こらぬ⋮
その前にあの、冒険心旺盛な冒険者が凶皇を打ち倒す。
それはまだ淡いが、確かな予感であった。
そしてアンネローゼのそれは、更に深まることとなる。
翌日、ヌシを打ち倒した証であると言う、真新しいが凄まじい力を
秘めた鎧を着た、
ロバートの姿を見ることによって。
5
︱︱︱討たれたか。
呪い穴の最下層⋮第10層。
凶皇は己が放った眷族がまた1つ滅んだことを悟る。
︱︱︱僅か6人でアレを討つとは⋮やはり昔より、力を増したか?
遥か星辰の彼方より呼び寄せた、異形の超生物。
凶皇の用意した眷属の中では弱い部類に入るが、
それでも冒険者の限界を越える力を持つ魔物であったはず。
それが討たれたことで凶皇は感じ取る。
以前、自らが敗れたときより冒険者は力を増していると。
708
︱︱︱だが、所詮は限界がある
眷属はより深い階層⋮凶皇に近い場所のものほど強力なものを配置
している。
第2層の魔物に梃子摺る程度では、高位の眷属にはまず勝てない。
そして何よりこの最下層にいる凶皇はあらゆる眷属より強い。
僅か6人では冒険者に勝てる道理は無い⋮そのはずだ。
︱︱︱待っているが良い。ヤマトの民ども、我が死の国の再臨を⋮
そして凶皇は再び傷を癒すべく眠りに着く。
自らのうちにうまれた僅かな懸念を打ち払うように。
いずれ来るべき日を待って。
彼は凶皇。このセルデシア史上最強最悪の死霊の一柱。
彼が呪い穴から解き放たれるだけの力を取り戻すまで、あと348
9日。
そして、最下層に達した冒険者が、彼との死闘を開始するまで、あ
と︱︱︱
709
第18話 神官のアンネローゼ︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに現在の凶皇は、Lv100のパーティーランクくらいの強
さです。
710
第19話 赴任役のリカルド︵前書き︶
本日お送りするのは、アキバの街の物語。
今まで余り出てこなかった、騎士ではない貴族のお話。
テーマは﹃サワープラム﹄
それでは、どうぞ。
711
第19話 赴任役のリカルド
0
懐から時計を取り出し、時刻を読む。
私が赴任役となって、真っ先に身に着けた習慣である。
このアキバの主⋮
冒険者にとって、約束の時間を守るということは非常に重要なこと
である。
私の知るとある赴任役など、約束の時刻にわずか半時間遅れたこと
により、
冒険者との交渉を1つふいにしたことがある。
彼等は、礼儀作法には余り拘らないが、時間にはとにかく厳しい。
神経質なものなら5分遅れても不機嫌となることすらある。
そんな街なので、最初、ご領主様より預かった貴重な軍資金を使って
高価な懐中時計を買ったのは、正解だった。
この、ネジ巻き式の機工品は、正確な時刻を知るのに非常に役立ち、
私は﹃約束に遅れない男﹄と言われるようになった。
我がフロントブリッジ侯爵領の財政が近年無いほど潤っているとは
言え、
今のヤマト情勢は複雑怪奇。
北方の帝国人がシブヤを拠点にイースタル南方に進出し、
アキバのすぐ側に狼牙族たちが村を作る。
ウェストランデはミナミを取り込んでなにやら企み、猫人族を中心
とした商人たちが
ナインテイルからの品々をもたらしてアキバの商売で存在感を増す。
712
名実共に冒険者の領土であるシルバーソード領タチカワからは
貴重な魔法金属が運び込まれ、挙句にはウェンの大地とやらにあると
冒険者が言っている謎の国、バルバトスからは酒や砂糖のような交
易品だけが
流れてくる。
そんな事情なので侯爵領のアキバ赴任役である私、リカルド=クレ
メンテも
益々重用され、侯爵領内ではそこそこの家格に過ぎなかったクレメ
ンテの本家も
急速に発言力を伸ばしている、らしい。
無論、油断は禁物。
半ば押し付けられる形でクレメンテの分家筋である私に回ってきた
このお役目がもたらす利益が知られた昨今、この地位を得たがる貴
族は多く、
侯爵様にお仕えする主流派の貴族が私をお役目から引きずり降ろそ
うと
画策していると言う。
政治に強いとは決して言えぬクレメンテ家がそれを奪われずにいる
には、
更に励み、その実力を示していくしかない。
さもなくば、文官上がりの分家筋など早々に没落してしまうだろう。
時刻は夕刻6時の5分前。
アキバで買ったささやかな屋敷へと戻り、くつろいでいた私は、
再び外出の準備をする。
今日の交渉は終えたが、まだ1つ。とても重要な仕事が残っている。
﹁少し出てくる。夕食は私の分はいらぬ﹂
713
﹁はい。お役目、お疲れ様でございます。旦那様﹂
家令にそう伝えると、アキバの街へと徒歩で繰り出す。
そろそろ暗くなり始める時刻だと言うのに、
アキバの冒険者や大地人はまだまだ活発に働いている。
その喧騒を聞きながら、いつもの店⋮
アキバでは高級な部類に入る酒場である﹃黄金の栄光亭﹄へと辿り
つく。
﹁いらっしゃいませ。リカルド様﹂
﹁うむ。今宵の宴に誘われた。案内を頼む﹂
すっかり顔見知りとなった店員に宴に参加する旨を伝える。
﹁分かりました。お2階へどうぞ。案内いたします﹂
店員も慣れたもので、私を2階の宴会場まで案内する。
﹁こちらでございます﹂
﹁うむ。案内ご苦労。取っておいてくれ﹂
﹁ありがとうございます﹂
案内係に20枚金貨を渡し、宴会場に踏み入る。
﹁やあ。クレメンテ卿。いつも通り早いね⋮いや、いつも通りきっ
かりなのかな?﹂
部屋にいる先客はただ1人。今回の宴の主催役であるアルメキア卿
だけ。
﹁ああ⋮相変わらず、時間の守れぬものばかりか﹂
﹁はは、そこまで時間に正確なのはクレメンテ卿、君くらいさ。
⋮なあに、あと30分もすれば皆揃うさ﹂
アルメキア卿は朗らかに笑い、席へと促す。
﹁ようこそ。赴任役の宴へ。今晩も楽しんで行ってくれ﹂
そう、これはある種の仕事。
次々と、アキバに住む貴族たちが集まってくる。
我等﹃アキバ赴任役﹄たちの宴が、始まろうとしていた。
714
﹁第19話 赴任役のリカルド﹂
1
赴任役とは、己が仕える主君の領と、ヤマトの主要な街を結ぶ、連
絡役である。
自らの故郷を離れ、それぞれの街に住まい、
領内の命令を受けて様々な仕事をこなす。
領主様が治める領地出身の貴族を送り込み、交渉や情報収集、領内
の貴族の案内、
物の売買、有力貴族や豪商の接待などを行わせるのだ。
この赴任役の赴任先と言えば自由都市同盟の雄、
マイハマとヤマト一の古都、キョウ。
自由都市同盟の中でも北方の領であればそれに加えてエッゾ帝国の
首都ススキノ。
この辺りが定番であった。
しかし、今年の秋、その赴任先に新たな街が1つ加わった。
アキバ。
冒険者の聖地であり、今や冒険者により選ばれた円卓会議の治める、
もはや1つの国と言っても良い大都市。
あの調印式により、我等大地人と、アキバの善なる冒険者の間には
国交が結ばれた。
互いに領土を不可侵として、交易を行い、互いの発展を約束しあっ
たのだ。
アキバの発展は著しく、冒険者を主としたその武力と財力は
我等イースタル自由同盟にも匹敵する。
715
となればマイハマやキョウの都と同じく赴任役がいるのではないか。
領主様方はこぞってそう考え、新たにアキバへの赴任役を定め、貴
族を送り込んだ。
それが我々、アキバ赴任役である。
﹁シブヤの皇女殿下が降嫁する?まことなのかその噂は?﹂
﹁うむ。今はまだ言っているだけのようだがな。帝国人には公言し
ているらしい。
わらわはいずれ、イースタルの英雄に嫁ぐ。第二帝国の領土は我
が背のものだと﹂
﹁あのプライドの塊と言われる帝国の皇女が降嫁か⋮
確かにイースタルの英雄の武勲は凄まじいが﹂
﹁分からぬ話ではないさ。冬薔薇もいずれはクラスティ殿と結婚な
されるだろうしな﹂
﹁これはこれはヒタチの。調子はどうですかな?﹂
﹁お陰様で好調ですよ。アメヤ筋の街道が随分と安全になりました
ので﹂
﹁ああ、アメヤの狼牙族ですか⋮確かにあの護衛は頼りになります
な﹂
﹁ええ、それに彼ら自身、中々に良い客ですから⋮
ウエノの盗賊から奪った財宝が結構な金額になっているらしいで
すね﹂
﹁ウエノの盗賊については害してもお咎めなしですからな。
少し彼らに同情しますよ﹂
﹁ほう。行かれましたか。四海秋葉に﹂
﹁はい。とても美味でした。あの大陸風手料理は冒険者の料理にも
匹敵しますね﹂
﹁ロングコースト侮りがたしと言うことですな⋮
716
あの目ざといルドルフが資金を出すほどまでに認めたとも聞きま
すし﹂
宴が始まって1時間が過ぎ、あちこちで赴任役たちが会話に花を咲
かせている。
無論、ただの世間話などではない。
この場で行われるのは非公式の交渉であり、情報交換。
赴任役たちはそれぞれに手に入れてきた情報を片鱗だけ見せ合い、
それが如何に自らの仕える主君に利するかを考える。
また、大地人同士でも盛んに交流し、互いに利のある交渉を模索す
る。
そういう場として設けられたのが、この宴である。
アキバと調印を結び、数ヶ月。
まだまだ彼らには謎が多く、危険があるかも知れぬ。
そんな場所に由緒ある大貴族を送り込むことなど出来ない。
そんな無茶苦茶をやったのはよりにもよって領主家の直系の姫君で
ある
レイネシア姫を大使館を建ててアキバに送り込むと言う恐ろしい真
似をした
自由都市同盟の雄、マイハマのコーウェン家くらいだ。
︵そもそも調印の発端とされる無茶を行ったのがそのレイネシア姫
らしいのだが︶
そう言った事情もありアキバ赴任役は、領を持たぬ下級貴族や
家督を継げぬ次男、三男の類ばかりである。
無論、仕事振りや接待の技術、そして己が仕える主君の度量。
それにより、赴任役同士でも力の差と言うものはある。
だが、所詮は皆、故郷では吹けば飛ぶような下級貴族ばかりなので、
それなりに仲良くやっている。
717
⋮隙あらば出し抜いて己の領土に甘い汁を呼ぼうと言うのは、
私も含めてどこも一緒だが。
﹁やあ、一献どうですか?エチゴ酒の良いものを持参したのですが﹂
あちこちで繰り広げられる、赴任役同士の会話。
それを眺めて、その話の輪に加わろうかと考えていると、
面識の無い男が話しかけてきた。
貧相な、どこか猿を思わせる小男。
この場に居られると言うことはどこぞの赴任役なのだろうが、
どこの出のものかは分からない。
﹁頂こう⋮ほう、うまいな﹂
勧められたものを断るのも良くないと思い、口をつけ、舌鼓をうつ。
爽やかだが酒精は弱いビールとも、酒精は強いが辛味と苦味が強い
蒸留酒とも違う味がする。
﹁でしょう?先ごろ完成した﹃セイシュ﹄と言われる酒だそうです﹂
冒険者との契りを結び、今や冒険者風の﹃ワショク﹄の街となった、
エチゴの酒。
エチゴの近辺、北方イースタルの特産である﹃米﹄で作られた酒だ
ろう。
以前アルメキア卿に教わった米を使った﹃ドブロク﹄も美味だったが
こちらは更に味が澄んでいる。
うまい酒はどこでも需要が高いので、きっとエチゴは更に潤うこと
だろう。
﹁うむ。よき物を教えていただいた⋮すまない。卿は、どこの家の
ものか?﹂
酒の味に気を良くしながら、男に尋ねる。
赴任役同士、友好を結ぶに足るものと見た。
﹁おっと申し遅れました。私は、アヅチのオーディア家に仕える、
トウキチ=アンダーウッドというものです﹂
男⋮アンダーウッド卿の答えを聞き、見覚えがないのに合点がいっ
718
た。
アヅチはウェストランデの東方に位置する、
イースタルとウェストランデの境付近の街だ。
天秤祭り以降少しずつ増えてきた、ウェストランデの赴任役という
わけだ。
﹁なるほど。アヅチのアンダーウッド卿か。
私はフロントブリッジ侯爵領の赴任役で、リカルド=クレメンテ
というものだ。
これから、よろしく頼む﹂
アンダーウッド卿と挨拶を交わし、しばし雑談をする。
アンダーウッド卿は、あけすけに事情を語った。
アンダーウッド卿の仕えるオーディア家では、最近赴任役が決まっ
たばかりで
こちらに来て日が浅い。
知り合いの密偵がアキバで長く働いているので情報はそれなりに集
まるのだが、
コネと資金が無い。
ついては、そちらに有用な情報を売るので、よしなに付き合って頂
けないか?
⋮他のものに聞こえぬよう小声でとはいえ、随分とあっさり言うも
のだ。
その度胸に感心しながら、私は尋ねる。
﹁なるほど。事情は分かった⋮さて、アンダーウッド卿、その情報
とは?﹂
これからこの男と親しくするかは情報次第。
私はアンダーウッド卿に尋ねる。
それに対し、アンダーウッド卿は頷き、その言葉を口にする。
﹁ええ、リカルド様にお売りしたいのは⋮
719
サワープラムの新たな料理法について、です﹂
私が求めてやまなかった情報を。
2
﹁サワープラムの料理法をか!?﹂
アンダーウッド卿の言葉に私は思わず声を上げた。
サワープラム。それこそが我がフロントブリッジ侯爵領が大いに潤
った要因であり。
﹁おっと静かに。リカルド様は以前よりお探しと伺いましたので⋮
塩ハーブ漬け以外のサワープラムの使い道を﹂
侯爵様よりアキバにて調べるよう仰せつかっていた仕事のひとつな
のだ。
フロントブリッジ侯爵領のすぐ側にハルナの森と呼ばれる場所があ
る。
そこでは季節になるとサワープラムの花が咲き乱れて非常に美しく、
季節になると旅の吟遊詩人などが見に来るほどだ。
そして、その森で取れるのが、サワープラムである。
サワープラムは一応は果実だが、生で食べることはしない。
その青い実はその名の通り甘みが無くて酸味が強く、おまけに僅か
ながら毒がある。
それ故にサワープラムは街の料理人や醸造職人が塩ハーブ漬けにす
るのが、
古くからの伝統であった。
サワープラムの塩ハーブ漬けは、フロントブリッジの特産品であり、
古くから商人によりイースタル各地に運ばれていた。
その非常に鮮やかな赤い色が食卓を華やかに整えるのに有用だった
のだ。
720
しかし、時代は変わった。
6月革命以降、古くからの作成メニューで作られた味を持たぬ料理
など
見向きもされなくなった。
当然、如何に美しい色をしていようと、味の無いサワープラムの
塩ハーブ漬けでは、誰も買わぬ。
フロントブリッジではそんな結論を出し、サワープラムの塩ハーブ
漬けに
ついても再発見が行われ⋮恐るべき事実が発覚した。
再発見されたサワープラムの塩ハーブ漬けは⋮びっくりするほどま
ずかったのだ。
あの夏の日の惨劇は忘れられない。
再発見されたサワープラムの塩ハーブ漬けが領主様以下貴族たちと、
サワープラムの売買を行っていた商人に振舞われ、
味を確かめるべく一斉に口にして⋮大半が目を白黒させて吐き出し
た。
常軌を逸した強烈な酸味。私も含めとてもではないが飲み込める味
ではなかった。
おまけに伝統料理の大半と相性が悪く、それまでサワープラムの塩
ハーブ漬けを
売り買いしていた商人たちは、その場で取引を断ってきた。
それ以来、数ヶ月の間、サワープラムの塩ハーブ漬けは誰も買わず
食さない代物として、街の倉庫の肥やしとなり、サワープラム売買で
得ていた税が入らなくなってしまった。
それが覆ったのが9月の調印式である。
あのとき、マイハマで行われた各種交渉の際、冒険者に見せる領の
721
特産品の中に
今から考えれば幸運なことに手違いでサワープラムの塩ハーブ漬けが
混じっていたのだが、それに冒険者が食いついた。
一つ手にとって食し、酸味に顔をしかめた後⋮
領内にある分を我等侯爵側の言い値で買い取ると言い出したという。
冒険者にはサワープラムの塩ハーブ漬け⋮
冒険者の言う﹃梅干し﹄は美味に感じられるらしい。
冒険者と我等大地人の感覚の違いと、それにもたらされた幸運に
感謝した瞬間であった。
かくしてフロントブリッジ領内で眠っていたサワープラムの塩ハー
ブ漬けが
アキバに運び込まれ、我が領の財政は大きく潤った。
だが、問題はある。
いくら冒険者には高く売れるとはいえ、サワープラムの塩ハーブ漬
けが
我等大地人の口に合わないのは変わらない。
現状では他領の領主様や貴族をもてなすのに、我が領の特産品が使
えぬ。
手料理の善し悪しが政治にすら影響するこのご時世においては、大
問題である。
そのため、私が赴任役となった際、下った命令の1つに
﹃サワープラムの利用法の模索﹄があった。
無論、塩ハーブ漬けにする以外の方法で、だ。
一応手がかりはあった。
冒険者の中に塩ハーブ漬けにする前の、実の状態での購入を
希望したものがいたらしい。
722
恐らく、自前で塩ハーブ漬けにするか⋮他の方法で利用しているか
だろう。
それを探るのも、私のお役目だった。
﹁ええ。それで、いかがしましょう?お教えしますか?﹂
﹁頼む。もし本当ならば、相応の礼はお約束する﹂
今のところ掴めていない、サワープラムの利用方法。
それを知ることが出来れば、私の名声は更に高まるし、
大切な仕事を果たすこともできる。
私の本気が伝わったのだろう。
そう言うとアンダーウッド卿は咳払いを1つして、その情報を私に
もたらした。
﹁実はですね。冒険者の中に果実酒と呼ばれるものを作る名人がい
るのですが⋮
その店で一番の売りが、サワープラムを使った果実酒らしいので
すよ﹂
私にとって想像の埒外だった情報を。
3
翌日。私はアンダーウッド卿よりの情報を元に生産ギルドの一角に
ある、
その店を訪れていた。
﹁ここか⋮﹂
店の名は、タカコの酒屋。
最近はじめたばかりの店らしく、非常に小さい。
正直、アンダーウッド卿の情報が無ければ見つけられなかっただろ
う。
﹁あら、いらっしゃいませ﹂
私が店に入ると、1人の若いご婦人が笑顔で私に挨拶をする。
723
⋮外見は少し年嵩の女性といったところだが、
目に宿っている光が、熟れた女性のそれだ。
恐らく、冒険者らしく外見以上の年輪は重ねているのだろう。
店には、所狭しとガラスの大瓶が並んでいる。
その瓶には全て、色々な果実と、蒸留酒が満たされている。
︵なるほど、これが﹃果実酒﹄か︶
そう思いながら、礼を持って私は冒険者の店主⋮タカコ嬢に話しか
ける。
﹁私は、フロントブリッジ侯爵領の赴任役、リカルド=クレメンテ
というものです。
本日はアンダーウッド卿にこの店のことを聞きまして﹂
﹁あら。トウキチさんのお知り合い?﹂
私が侯爵家の赴任役と知っても、タカコ嬢の態度は変わらない。
腹を立ててはならない。冒険者とは、そう言うものである。
例えレイネシア姫であっても平民の娘程度の扱いを受けるのが日常
であるこの街で、
そんなことにプライドを傷つけられていては、冒険者との交渉など、
出来たものではないのだ。
﹁はい。実はこの店で扱っていると言う﹃果実酒﹄
⋮特にサワープラムの果実酒に興味が沸きまして。ご挨拶に伺っ
た次第﹂
﹁あらあらまあまあ。果実酒のことを聞いて、来てくださったの?
それはご丁寧に。
私みたいな普通のおばちゃんが趣味で作ったものなのに、なんだ
か悪いわねぇ⋮
それで、サワープラム⋮?もしかして﹃梅酒﹄のことかしら?﹂
﹁はい。恐らくはそれです﹂
724
私が頷くと、タカコ嬢は頷き返し、1つの瓶を手に取る。
中まで酒を満たした瓶の中身を見て⋮私は確信を得た。
﹁間違いない。サワープラムの果実酒とは、それですね﹂
酒に漬けられてしぼんではいるが、間違いない。
中に入っているのはサワープラムの実だ。
﹁あら、やっぱり?じゃあ、味見してみます?﹂
そう言いながら、タカコ嬢はカウンターから一口分の酒が入るくら
いの
小さなガラスの杯︵後日聞いたところによると、瓶での売り買いの
他、
1杯金貨1枚で提供しているらしい︶を手に取り、そこに小さな柄
杓で酒を注ぎ込む。
淡い黄色の酒。サワープラムの香を漂わせている。
なるほど、サワープラムの酒だ。
﹁本当はもっと寝かせた方が美味しいんだけれどね、そろそろ倉庫
も一杯だから。
気に入ったらビンで買って行ってちょうだいね﹂
タカコ嬢の注釈を聞きながら、私はゆっくりと酒を口に運ぶ。
﹁⋮甘い﹂
その味わいに、私は驚いた。
サワープラムの酒というだけあって、酸味があるが、それだけでは
なくかなり甘い。
無論それだけでなく、飲んだ瞬間にサワープラムの爽やかな香が広
がる。
うまかった。少なくとも、サワープラムの塩ハーブ漬けとは比べ物
にならない。
﹁あら、男の人には甘すぎたかしら?それはちょっと砂糖多めで仕
込んだ奴なの。
男の人用にもっと甘くないのもあるし、後は、南の島の⋮バルな
725
んとかの黒砂糖と
ラムを使ったのも作って見たの。良かったら、そっちも味見して
みない?﹂
﹁はい。是非﹂
タカコ嬢から様々な﹃ウメシュ﹄を味見させてもらいながら、私は
確信した。
これだ。我がフロントブリッジの新たなる特産は。
4
2週間後。
﹁本当にいいの?タダでお手伝いしてくれる上に、
こんなにたくさん梅を頂いちゃって﹂
﹁もちろんですよ⋮代わりに﹂
﹁作り方を教えれば良いのね?それくらいならお安い御用だけど﹂
フロントブリッジ領内でも特に若くて技量のある
︿醸造職人﹀と︿料理人﹀を紹介する。
彼らにはこれからフロントブリッジで﹃ウメシュ﹄を作れるように
なるため、
弟子として修行を重ねてもらうことになる。
領主様直々のご決断である。
﹃ウメシュ﹄はフロントブリッジでも高い評価を得た。
領主様の奥方が晩餐ごとに飲むほどにお気に召し︵甘みが強いのが
良かったらしい︶、
折りよくご訪問を受けたカイの国の領主家にお出ししたところ、
その翌日にはカイの国の赴任役からどこで売っているのかを
︵相応の礼と共に︶聞かれるほど気に入られた。
フロントブリッジからは御用商人が数寄者と料理人を連れて駆けつ
726
け、
倉庫に残ったウメシュの大半を買い付けていった。
更には大地人と冒険者を結ぶ大使館﹃水楓の館﹄でも最近招いた客に
振舞っているらしく、果実酒は新たなる冒険者の発明品として
貴族や豪商の間で徐々に噂が広まっている。
冒険者との交渉は、早さが命である。
アンダーウッド卿に礼をした後、私はタカコ嬢の店に日参し、交渉
した。
タカコ嬢のところに手伝いをよこす代わりに作り方の伝授を受ける
若者を紹介し、
更にフロントブリッジで取れたサワープラムを格安で譲る代わりに
仕込んだサワープラム酒の半分をフロントブリッジ領に売ると言う
契約を結んだ。
﹁じゃあ、まずは氷砂糖作りからかしら?
作成メニューには無いのよね。砂糖はあるのに﹂
新たに拡張した酒蔵で、これからの仕込みを考えるタカコ嬢を見な
がら、
私は今回の交渉に満足していた。
今回の交渉を成功させたことで、クレメンテ家の名声は益々高まっ
た。
更に褒美もかねて追加の予算が私に与えられ、より交渉がしやすく
なった。
無論、油断は禁物である。
アキバには私を含めた他の赴任役を出し抜こうとする
海千山千の赴任役が幾らでもいるし、領内でも今回の成功で
赴任役のお役目を乗っ取ろうと言う動きは更に活発になるだろう。
727
この冒険者の聖地で更に成功を重ね、更なる栄光を手にするために。
私は、襟を正し、次の交渉に臨むべく気合を入れた。
728
第19話 赴任役のリカルド︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみにサワープラム=梅です。念のため。
729
第20話 姫君のモニカ︵前書き︶
俺TUEEEEEEEEEE警報発令中
本日お送りするのは、もう1つの子供の物語。
テーマは﹃小学生と特訓と森呪遣い﹄
舞台はナインテイルです。
それでは、どうぞ。
730
第20話 姫君のモニカ
0
時間が過ぎてふっと光が消える。
それによって目の前がいきなり暗くなったことに慌て、
うとうととしていたモニカ=カルファーニャは呪文を唱えた。
﹁ば⋮バグズライト!﹂
モニカが知っている、わずか2つの魔法の1つ。
城で癒し手をしていた婆やに習った魔法により、
光を放つ虫が現れ、辺りがふわりと明るくなる。
﹁危ないところでした⋮﹂
そのことに安堵と疲労を覚えながら、モニカはまたへたり込む。
バグズライトの淡い黄色の他は一切の光が無い、暗い山の中。
光が消えたら、自分の命の灯火も一緒に消える。
そんな予感に怯えながら、モニカは必死に神に祈る。
﹁ユーララ様、どうかご慈悲を⋮﹂
モニカは既に、限界を迎えていた。
綺麗だった絹のドレスは足場の悪い山の中を走り回ったせいで
あちこち破れてボロボロ。
先ほど転んでひねった足は︿小回復﹀で治したものの、
その後に負った小さな傷は治しきれず、ひりひりと痛む。
だが、傷を治すことは出来ない。
既にモニカの魔力は、先ほどのバグズライトで尽きた。
しっかりと休まぬ限り、どんな魔法も使えない。
迫ってくる、濃厚な死の匂い。
それは先ほど見た、恐るべき惨劇をモニカに思い出させる。
731
﹁ユーララ様⋮どうか悪しき吸血鬼より、リメアをお守りください
⋮﹂
婆やの語る御伽噺に出てきた、恐るべき魔の眷属。
祖父母と久しぶりの再会を果たし、チクゴの街からヒゴの城へ戻る
途中、
日暮れまでに宿場町までつけなかったためアソの山中で夜営をして
いた
モニカたちは恐ろしい吸血鬼に襲われた。
いきなり現れた無数の蝙蝠の群れ。
それは護衛の騎士の1人を瞬く間に干からびた死体に変え、人の姿
を取った。
姫として、幼いながら相応の美貌を持つモニカが見ても
美しいと思うエルフの女だった。
だからこそ恐ろしい。
そんな女が、モニカの護衛をしていた騎士たちを殺し、
モニカとリメアを乗せて発進した馬車の御者を殺し、
舌なめずりをしながらモニカに手を伸ばしてきたのだ。
侍女のリメアがとっさにモニカを守るため、吸血鬼に飛び掛かって
吸血鬼もろとも
馬車から落ちなかったらモニカは吸血鬼の毒牙にかかっていたこと
だろう。
そして、馬が力尽きたところで馬車から放り出され、
吸血鬼に見つからぬようアソの山を彷徨うこと数時間。
モニカの体力は尽きようとしていた。
﹁ユーララ様⋮﹂
何度女神に祈ったことだろう。
ついに女神は、その祈りを聞き届けた。
732
モニカの、極限まで追い詰められたことで研ぎ澄まされた耳が、そ
れを捉える。
﹁なあ、ヘータ。別にほっといていーんじゃねーの?
どーせ︿鬼火﹀かなんかだろ?﹂
﹁そ、そうよ!戻りましょうよ⋮こんな夜中なんだし⋮
ね、寝不足になったら大変じゃない!?﹂
子供特有の、高い男の子と女の子の声。
﹁いや、さっきから見えてる光、少し黄色っぽい⋮多分、バグズラ
イトの光だ。
夜中に行動するモンスターなら、絶対に使わない魔法だよ﹂
それにこたえるのは、少しだけ低い⋮だが、やはり子供の声。
上から聞こえる。それを認識した瞬間、モニカは思わず叫んだ。
﹁た、助けて!助けてくださいませ!﹂
少しの間、こわばったように、空気が凍り、俄かにあたりに声が響
く。
﹁い、今女の子の声が!?や、やっぱり幽霊?幽霊なの!?﹂
﹁ふつーに生きてんじゃね?つーかお前ビビリ過ぎ。
この前、おもいっきしゾンビ倒しまくってたじゃん﹂
﹁あ、あれはいいの!臭いけどちゃんと体あるし、
噛まれてもちょびっと痛いだけだから!
けど幽霊はダメ!剣とかきかないもん!TVで見たもん!全部す
り抜けるもん!﹂
﹁いや、歩歌ちゃんの︿大瑠璃蜻蛉の翅剣﹀ならゴースト系にも
普通にダメージ与えられるけどね⋮風属性ついてるし﹂
声が近づいてくる。
﹁さてと⋮おーい、そこの下に誰かいるのか!?いたら返事をして
くれ!﹂
﹁は、はい!﹂
そのまま落ち着いた男の子の声に半ば反射的に叫び返した、その直
733
後。
トサリ
ほとんど音を立てずに、1人の騎士が舞い降りた。
モニカと同じ、エルフ族の騎士。
黒と茶色、そして緑が混ざり合った模様のマントを羽織り、
その下には、金属とは違うどこか暖かい不思議な光沢を持った、緑
の鎧をつけている。
鎧の下には、マントと同じ模様のズボンと、緑の脛当て。
腰に大振りで無骨な片手剣を下げたその騎士は⋮
モニカの知る、どんな騎士より幼い。
恐らくはモニカとそう年は変わらないし、背も同じくらい。
柔らかそうな茶色の髪の下にある顔は、まだまだ子供らしい丸みを
帯びている。
だが、モニカを見つめ返す茶色の瞳は落ち着いていて、
モニカよりずっと大人に見えた。
﹁⋮君だよね?俺たちに助けてって言ってたのは﹂
澄んだ少年の声。その声に顔を赤くしながら、モニカは頷き返す。
﹁は、はひ⋮そう、で⋮﹂
消えるような小さな声で返すが、少年に声が届く前に、それは消え
る。
ドスンッ!
空から重いものが落ちてきて、大きな音を立てる。
落ちてきたのはいかにも重そうな赤い甲冑を纏った、ドワーフ族の
騎士。
140cm近い︵ドワーフとしては︶巨体の背中には、
2m以上ある巨大で重そうな剣を担いでいる。
734
黒髪のその男は、髭が生えていないせいか、
目がくりくりと輝いているせいか、どこか幼さを感じさせた。
﹁うおおおお!?足いてえー!?﹂
﹁アホ?康介の鎧込みの重さで飛び降りたらそうなるに決まってる
じゃない﹂
続いて現れたのは、1人の少女。
ドワーフ族の騎士とは対照的に、ほとんど音を立てない軽やかな着
地。
鮮やかな赤毛を持つその少女には狼牙族なのか狐尾族なのか
耳と尻尾が生えている。
年の頃はやはりモニカと同じくらいの子供。
モニカの着ているものより大分スカートが短いデザインの、
ほっそりとした脚が丸出しの青いドレスを着て、腰には細い剣を吊
っている。
﹁ってーな⋮で、その子か?ヘータが言ってたのって﹂
﹁⋮足ついてるわよね?幽霊じゃないわよね?⋮冒険者?﹂
その2人が最初に現れた、エルフの少年騎士に尋ねる。
それにエルフの少年騎士は被りを振って答える。
﹁いや、違う。少なくとも冒険者じゃない﹂
﹁へ?そうなん?クラスはヘータと同じ森呪遣いになってるぞ? なんかサブの貴族のLvと比べると森呪遣いのLvすっげー低い
けど﹂
﹁だって、冒険者じゃないってことは、大地人でしょ?
⋮私たちと同じクラス持ってる大地人って、あんましいなくない
?﹂
﹁いや、間違いない。冒険者ならチュートリアルが終わった時点で
Lv4まで上がってる⋮Lv2の森呪遣いって言うのは、あり得
ない﹂
そう言うと、エルフの少年騎士はモニカに向き直ってじっとモニカ
を観察する。
735
﹁⋮あ、あの?﹂
﹁⋮よく見たら、結構怪我してるな。HPも半分くらいまで減って
る⋮﹂
困惑するモニカに対し、そう呟くと、エルフの少年騎士は
モニカに近づいて手をかざす。
﹁ちょっとだけ、動かないで⋮︿癒しの聖域﹀﹂
エルフの少年騎士がそう呟いた瞬間、足元から緑の光が漏れ出す。
温かい光。それがモニカを包み⋮
﹁⋮あれ?痛みが⋮え!?﹂
ふっと、痛みが無くなったような気がして、モニカは自分の身体を
調べて気づく。
先ほどまでの傷が全て塞がっていることに。
﹁これは、癒しの魔術ですか!?で、でも⋮﹂
これほど強力な癒しの魔術はモニカは産まれてはじめて見た。
Lvが40を越えていた城の癒し手の老婆でも
ここまで強力なものは使えなかったはずだ。
そして、その強力な魔術で、モニカはようやく目の前の少年達の正
体に気づく。
﹁まさか貴方様は⋮ぼ、冒険者様でしょうか?﹂
冒険部﹄って言うギルドの冒険者
冒険者。婆やの御伽噺では、いつだって最後に強力な悪しき魔物を
討ち倒す役の、
不死身の英雄。
ごとうへいた
﹁そうだよ。俺たちは﹃天神小
なんだ。
俺はギルマスの五島兵太。
あまみこうすけ
クラスはエルフの森呪遣い。よろしく、モニカ﹂
﹁今は3人しかいないけどな!んで、俺は奄美康介
ドワーフで、守護戦士だ。よろしくな!﹂
﹁子供だからって、バカにしないでよね?一応全員Lvは90なん
736
つくしあゆか
だから。
筑紫歩歌よ。狼牙族の暗殺者。よろしくね﹂
目の前の少年たちはモニカの言葉に頷いて口々に答えを返し、笑顔
を向ける。
﹁とりあえず、民間人⋮大地人なら保護しなきゃ。
俺たちと一緒に来てくれるかい?﹂
﹁は、はい⋮よろしくお願いします。
私は、ヒゴの国主、フェルディナンド=カルファーニャの娘、
モニカ=カルファーニャと申します。どうぞ、よしなに﹂
もとより、ここに残っていてはいずれ死ぬしかない。
エルフの少年騎士⋮ヘイタに手を取られてモニカは立ち上がり、
裾を持ち上げて礼をする。
﹁⋮あれ?何かすごくね?なんつーか、お姫様ってかんじ?﹂
﹁国主ってことは王様⋮え?もしかして、モニカって本当にお姫様
?﹂
﹁かもね。そう言えばヒゴの王様ってエルフだった気もするし﹂
その様子に、3人の冒険者は口々に感想を言う。
姫君のモニカ﹄
そして、モニカの不思議な冒険が始まった。
﹃第20話
1
1時間後。
﹁着いたよ﹂
後ろを向いて、ヘイタがモニカに言った。
﹁あ、えっと、その⋮﹂
いきなり向けられた笑顔に、モニカは顔を真っ赤にして、ヘイタの
737
背中に顔を埋める。
モニカは、ヘイタに背負われていた。
最初は普通に歩いていたのだ。
だが、足場の悪い森はやはり歩きづらく、更に冒険者の3人は足も
速かった。
若干11歳のモニカの足では着いていけなくなり⋮現在に至る。
﹁あ、あの⋮﹂
﹁分かってる。今、降ろすね﹂
そう言うとヘイタはそっとモニカを降ろす。
﹁おう。着いたか﹂
﹁兵太君もモニカちゃんも、おかえり﹂
先に行っていた2人も外で待っていたらしく、モニカとヘイタに気
さくに挨拶を返す。
2人、いや、ここまでモニカを背負ってきたヘイタも含めた3人は
疲れどころか汗1つかいていない。
︵やはり冒険者様の御力は私達とは大違いなのですね⋮︶
その差に改めて目の前の存在が冒険者であることを認識する。
﹁2人ともただいま⋮それと、ようこそ。俺たちの家に、モニカ﹂
ヘイタに言われ、モニカは初めてどこに来たのかを確認する。
﹁ここがヘイタ様がたの⋮﹂
目の前にあるのは、大きな木と⋮その樹の上に建てられた、小屋だ
った。
大きな樹の上にまたがるように丈夫そうな木の板でいくつか足場を
作ってあり、
その上に簡素な小屋が立てられている。
入り口には分厚い帆布がドア代わりに下げられ、足場からははしご
が伸びている。
738
﹁どーよ?俺らの秘密基地。俺らだけで作ったんだ。すげーだろ?﹂
その樹上の小屋を前に、コウスケが得意そうにモニカに言う。
﹁何言ってんのよ。俺らって、作ったのはほとんど兵太君じゃない﹂
そんなコウスケに対して、アユカがじっとりと半眼で返す。
どうやら呆れているらしい。
﹁まーな。すげーよなレンジャー。料理できるし、秘密基地作れる
し。
これで変身できたら完璧だったのにな﹂
そんなアユカの視線に気づかず、コウスケはあっさりとヘイタの功
績を認め、
隣のヘイタに話をふる。
レンジャー
﹁だからそっちのレンジャーじゃないってば。
俺のは野外活動する方の野伏だよ﹂
コウスケの言葉に少し照れたように、ヘイタは笑って言った。
︵どう違うのでしょう⋮?︶
そしてモニカはと言えば3人の会話を聞きながら、内心首を傾げて
いた。
レンジャー
野伏ならばモニカも知っている。
エルフの領であるヒゴには何人かいたし、城にはお抱えの野伏もい
た。
野伏は森や山を専門に渡り歩く、森の民だ。
狩人と違い獣を狩るための技術こそ無いが、
その分森や山といった自然の中で暮らす技術に狩人以上に長け、
魔物の徘徊するような危険な森や山からでも様々な恵みを得て運ん
でくる。
ヒゴでは特別な技を持つ民として、尊敬されていた。
しかし、それ以外の野伏と言うものは、モニカの知識には無い。
変身するとかどうとか言っていたが。
739
﹁2人とも。今はそういう話はいいでしょ?先にやることは色々あ
るでしょ?﹂
そんな、男子2人の会話をアユカが遮る。
﹁康介はお湯沸かして!それとタオル!
こんなに可愛いのに泥だらけじゃかわいそう﹂
﹁お、おう!分かった!﹂
ビシリとしたアユカの指示に、コウスケが走り出す。
﹁それで兵太君は⋮﹂
﹁ああうん。モニカのご飯かな﹂
ヘイタは心得たもので、自分のすべきことを把握して頷き返す。
この3人の中では、野外限定とはいえ料理が出来るのは、ヘイタだ
けなのだ。
そして一方モニカはと言えば⋮
キュルルルル⋮
﹁あ、その⋮ありがとう、ございます⋮﹂
ご飯と聞いて現金にもなってしまったお腹に顔を真っ赤にしながら、
礼を言う。
﹁いいよ。気にしないで⋮とはいえすぐに出せるものがいいかな?
明日の⋮
いや、もう今日か、とにかく朝ごはん用に作っておいたスープ温
めてくる﹂
﹁お願いね。私はモニカちゃんの服着替えさせるから﹂
てきぱきと、冒険者の3人はモニカの世話を親切に焼く。
その光景に、モニカはようやく、自分が生き残ったことを実感した。
2
740
夜が明けて、太陽がそろそろ真上に差し掛かる頃。
﹁昨晩は、本当にありがとうございました。
貴方様がたは、命の恩人です﹂
あのあと、アユカの予備の服に着替え、素朴ながら味わい深い食事
を食べ、
寝袋で泥のように眠った。
そして目を覚ましたモニカは、3人に貴族の礼を持って感謝の意を
示した。
﹁気にしなくて良いよ。前に父さんが言ってたんだ。
困った人たちを助けるのはレンジャーの義務だって﹂
﹁そうそう。気にすんな。女の子が困ってたら助けなきゃあ
男がすたるってもんだぜ!﹂
﹁困った時はお互い様ってね﹂
モニカの言葉に、少し照れたように、3人はそれぞれに言葉を返す。
そしてその後、一行のリーダーなのであろうヘイタが尋ねる。
﹁⋮何でモニカはあそこにいたの?
あそこは街道からはちょっと外れた辺りだし、
あの辺りのモンスターはLv2だとかなり危ないと思うんだけど﹂
多分、朝まで放っておけば、衰弱するかモンスターに襲われて
モニカは生きていなかっただろう。
だからこそ、あんな危険な場所に逃げ込む理由が気になった。
﹁それは⋮﹂
それを聞かれ、モニカは青ざめた。
思い出したのだ。何故自分が、ここで冒険者に助けてもらうことに
なったのかを。
﹁あ⋮ごめん。言いたくなかったら言わなくてもいいよ﹂
そんなモニカの様子を見て、ヘイタは察する。
考えてみれば、この世界では姫と呼ばれていてもおかしくないモニ
カが、
夜中のアソの山中に1人でいる理由など、
741
トラウマものの経験をした場合だけだと気づいたのだ。
﹁いえ。大丈夫です。お話します。私のことを﹂
だが、モニカはヘイタが思っているより芯の強い少女だった。
ゆっくりと、モニカは話し出す。昨日の惨劇を、自らもかみ締めな
がら。
零れ落ちる涙をぬぐおうともせず。
モニカの、途切れ途切れに続く話が終わる頃には、太陽は傾きはじ
めていた。
﹁︱︱︱ひどい﹂
モニカの話に、アユカは息をのんで泣きそうになっていた。
﹁マジかよ⋮﹂
コウスケも言葉をなくした。正直信じられなかった。
モニカの身の上に降りかかった不幸が。
﹁だってよ⋮吸血鬼だろ。
ダンジョンにいるようなのはともかく、その辺にいるようなのは
そんなに⋮﹂
﹁強いんだよ。大地人から見れば、吸血鬼は怪物だ﹂
ただ1人、ヘイタだけが冷静に、コウスケを諭す。
﹁とにかく、街道には今、吸血鬼がいるってことかな?﹂
﹁⋮はい﹂
吸血鬼は侍女のリメアによって馬車から突き落とされたが、
その程度で死ぬようなモンスターではないだろう。
相手はモニカの護衛を努めるヒゴの騎士たちを単独で
全滅させるような怪物なのだから。
﹁⋮困ったな﹂
それを聞いて、ヘイタは顔をしかめる。
﹁これじゃあ、モニカをお父さんとお母さんの所に届けるのは難し
いかもしれない﹂
742
﹁どういうことだ?そりゃあモニカを父ちゃんと母ちゃんのところに
連れてくってのは分かるけどよ﹂
ヘイタの発言に、コウスケが聞き返す。
早ければ明日にでも連れて行こう、そう言おうと思っていたから、
余計に気になった。
﹁そうね。それも出来れば早いほうがいいんじゃない?
モニカのパパとママも心配してるだろうし、私たちが守れば、
そんなに危なくないでしょ?﹂
アユカもそれに同意する。
子供の身で両親と切り離される寂しさ、辛さはアユカも、
他の2人も身をもって知っている。
それを味わわずに済むなら、それに越したことは無い。
﹁うん。最初は俺もそう思ってた。街道ゾーンは基本的に
ちょっと亜人系が危ないくらいでそんなに強いモンスターはいな
いし﹂
だが、モニカの話を聞いたことで考えが変わった。
聞いたことがあった。2年間の冒険者の生活の中で。
﹁ナインテイルには﹃街道に潜む闇﹄って言うクエストがある。
街道で殺された恋人の仇を取ってくれって頼まれるクエストなん
だけど、
そこで出るモンスターが﹃街道の貴婦人﹄って言う吸血鬼なんだ。
確かLvは60くらい。しかもパーティーランクだったはず⋮
ごめん、確認は出来ないんだけど﹂
﹁⋮もしかして﹂
その話を聞いて、アユカもその意味に気づいた。
アユカが気づいたそれを肯定するように、ヘイタは頷く。
﹁多分、モニカを襲ったのはそいつだ﹂
﹁⋮マジかよ﹂
コウスケはその言葉にうめいた。
改めて、ここが何処なのかを認識させられて。
743
﹁もちろん、俺たちならば襲われても撃退できると思うけど、
もし襲われたらモニカを死なせないようにするのはかなり難しい
と思う。
吸血鬼には霧とか蝙蝠とかの範囲攻撃が結構あるんだ。
今のモニカのHPだと、それに巻き込まれたらひとたまりもない﹂
ヘイタが努めて冷静に言葉を紡ぐ。
3人の中で最も経験が豊富なのはヘイタである。
だからこそヘイタは常に冷静であることを自分に課していた。
﹁私たちがその﹃街道の貴婦人﹄だっけ?
それを探しに行って、倒してから改めて連れて行くのは?﹂
アユカの提案にも、ヘイタは首を横に振る。
﹁いや、それも危ない。そうするとモニカを1人で留守番させなき
ゃいけないだろ。
見つけて倒すまで何日かかるか分からないし、
モニカ単独だったらこの森にいる、ただのモンスターでも危険だ。
そもそも探してる間に街道の貴婦人にここを襲われたら元も子も
ない﹂
﹁そっか⋮それもそうね。そもそもそいつが、
何処にいるか正確には分からないんだし﹂
そして3人は悩みだす。
﹁あ、あの⋮そんな、私などのために⋮﹂
そんな3人の様子にモニカは慌てる。
如何に貴族とはいえ、冒険者がここまで親身になってくれるとは思
っていなかった。
冒険者と大地人は、契約によってのみ結ばれる存在であると、父親
が言っていたし、
婆やも本当に大地人の手に負えない事態の時のみ助けてくれる存在
だと言っていた。
それが、死に掛けていた自分をここまで連れてきてくれただけでも
744
ありがたいのに、
国元まで連れて行くなど、頼んで良いものではない。
﹁あ、いいのいいの。困った時はお互い様って言うじゃない?﹂
﹁そうそう。女の子には優しくしとけって俺の父ちゃんも言ってた
しな!﹂
﹁気にしなくて良い。これは俺たちが勝手にやってることだから。
それに、もう保護したんだ。ここで見捨てるなんて、できないよ﹂
だが、3人はそんなことなど意に介さず、再びどうするかを考え出
した。
そして、コウスケがポツリと尋ねる。
﹁⋮なあ、ヘータ。確かお前言ってたことってさ、
ようはモニカが弱いのがまずいんだよな?﹂
﹁そうなるかな﹂
ヘイタが頷く。確かにモニカがもう少し⋮
トックン
すりゃあいんじゃね?﹂
範囲攻撃にも耐えられる程度までHPがあれば、話は随分楽になる。
﹁⋮だったらさー
トックン
を手伝ってもらったことを思い出した
そして、ヘイタが頷いたのを見て、コウスケがその提案をした。
前に、ヘイタに
のだ。
﹁あ、それ良いかも。要するにモニカのLvが低すぎるのが問題な
んでしょ?﹂
アユカも同意する。1人だけ弱いのなら、強くしてしまえば良い。
ある意味簡単で、当然の話だ。
﹁⋮それは、そうだけど⋮﹂
妙案が浮かんだと言う顔の2人に対し、ヘイタの顔は険しい。
こっち側
から帰れなくする手で
それが確実な手の一つであることは分かる。
だが⋮それは同時に、モニカを
あることに、
745
ヘイタは思い至っていたのだ。
﹁モニカ。君は⋮強くなりたい?﹂
判断がつかなくて、ヘイタは思わずモニカに聞いてしまう。
﹁強く⋮でございますか?﹂
その言葉に、モニカは困惑する。
意味を取りかねていた。
もしかして、ヘイタがモニカに修行をつけて、
森呪遣いとしての技量を上げようというのだろうか?
だが、それには年単位の時間がかかるはず。
流石に時間が掛かりすぎるのでは?
そう思っていただけに、次のヘイタの言葉に、モニカは更に混乱す
る。
﹁そう。君が望むなら、俺たちは君を強くすることができる⋮
﹃街道の貴婦人﹄相手にある程度戦えるようになるまで多分、
長くても1ヶ月くらいだと思う。
ただし、促成栽培だから戦い方は身につかないし、
冒険者の中ではズルだって言う人もいる。
それに、今の君からは想像もつかないくらい強くするから、
他の人に怖がられることになるかも知れない。
⋮それでも良ければ、つきあうよ﹂
やるとしたら、隠し立てはしたくない。
そう考え、ヘイタは自分が思いつく限りの言葉を並べる。
そして、沈黙。後は、モニカのやる気しだい。
︵力を⋮吸血鬼と戦えるだけの力を、私が⋮?︶
モニカもまた、必死に考える。
恐ろしい話なのかも知れない。
吸血鬼と戦える力⋮それはすなわち吸血鬼と同等の力。
746
大地人から見れば、正当な騎士すらも越えた、怪物の領域に達した
力。
それを僅か一ヶ月でモニカに与えると、ヘイタたちは言った。
俄かには信じがたい話だが、相手は人の身を持ちながら、
神の如き力を有する英雄である、冒険者だ。
そのような奇跡が可能でもおかしくは無い。
何より、3人が嘘をついている様子は無い。
モニカが望めば、ヘイタたちは本当にその力を授けてくれるのだろ
う。
ならば⋮
﹁⋮⋮お、お願いいたします。私に、その御力を分け与えてくださ
いませ。
リメアの仇を討てるだけの力。吸血鬼と戦えるだけの力を﹂
ポツリと、モニカは呟くように懇願する。
﹁分かった。俺は協力する。2人も、いい?﹂
その、懇願を受けてヘイタは最後の確認をする。
﹁当たり前だっつの!﹂
特訓
が始まった。
﹁右に同じ。って言うか、私だけやんない、ってのもね﹂
2人もそれに同意して、モニカの
3
翌日。特訓の初日。
︵すごい⋮︶
モニカはヘイタと共に充分に離れ、呆然とその戦いを見ていた。
インセクトキングダム
今、4人が居るのはアソの森の奥地にある魔境、巨蟲帝国。
恐るべき巨大かつ凶暴な魔虫の宝庫を訪れていた。
747
漆黒の牛ほどもある巨大な一角甲虫がその鋭い角を振りかざして突
撃する。
騎士のランスチャージをも遥かに上回る、とてつもない一撃。
﹁へっ!その程度で俺が倒せるかっての!﹂
だが、それを真正面から受けてなお、コウスケは揺るがない。
盾のように構えた大剣と分厚い鎧で弾き返し、逆に一角甲虫の体勢
を崩す。
﹁っしゃあ!今度はこっちの番だ!必殺!︿クロススラッシュ﹀!﹂
その隙を見逃さず、コウスケは巨大な剣を振り上げ、交差させるよ
うに振りぬく。
縦と横、2重の斬撃を受けた一角甲虫はその一撃により絶命し、崩
れ落ちた。
アユカが対峙しているのは、熊ほどの大きさの巨大なカマキリだっ
た。
カマキリはその巨体からは想像もつかないほど素早く、鋭い鎌を振
り回し、
目の前の小さな餌を絶命させんとする。
その鎌は鋭く、周囲にある樹や岩を容易く切り裂いていた。
﹁ほら、こっちこっち!﹂
だが、ただひとつ、アユカの身体だけは切り裂けない。
狼牙族のアユカは恐ろしく早く、柔軟な動きで、鎌を巧みにかわし
続けていた。
そして逆に幾度と無く、手にした細剣でカマキリの巨体に穴を開け
ていく。
﹁⋮そろそろとどめ!﹂
そう言った次の瞬間、アユカの動きが一瞬止まる。
カマキリはその隙を見逃さず、その鎌で、アユカの細い首を真横に
凪ぐ。
748
そして、クビがポロリと落ちる⋮
カマキリ
﹁残念でした。そっちは︿残像分身﹀だよ﹂
落ちたカマキリの首に、アユカは言う。
斬られた瞬間、消え去る幻。
のクビが。
それを切り裂いた瞬間に生まれた一瞬の隙でアユカはカマキリの真
後ろへと周り、
︿絶命の一閃﹀を繰り出したのだ。
﹁お2人とも凄いです⋮﹂
それを見ていたモニカが呆然と呟く。
冒険者が神の如き英雄であることを、改めて認識した。
﹁康介はLv90の守護戦士、歩歌ちゃんはLv90の暗殺者だか
らね。
どっちも普通とか常識とかは通用しないから⋮一応言っとくけど、
どっちも森呪遣いじゃ真似できないから参考にしない方が良いよ﹂
周囲にこれ以上モンスターが近づいてこないかを警戒しながら、ヘ
イタが答えを返す。
﹁無理です。あのお2人の真似は私には出来ません⋮
ところで、私は戦わなくて良いのでしょうか?﹂
ヘイタの言葉に首を振りながら、先ほどから気になっていたことを
尋ねる。
今日はモニカの特訓のために、この魔境を訪れたと聞いている。
ならば自分も役立たずにせよ、ある程度手伝う必要があるのではな
いのか。
﹁いいんだ。今はとりあえず見てるだけで。
と言うか、モニカはアレ相手に勝てると思う?﹂
﹁すみません。無理です﹂
ヘイタの言葉に再びモニカは申し訳なさそうに認める。
749
ヘイタたちが言うにはLvが90近いあの虫たちは常識を超越する
冒険者が
相手だから余り強く感じないだけで、実際はあのどちらか1匹でも
ヒゴの街に現れたら、街が壊滅しかねないほどの怪物だ。
そんなものとモニカがまともに戦えるはずが無い。
﹁お∼い、ヘータ。傷治してくれ。いてえ﹂
そんなことを話していると、コウスケがヘイタたちに近づいてくる。
どうやら耐えられると言うだけで、無傷と言うわけにはいかなかっ
たらしい。
﹁了解⋮モニカちゃん、康介の傷、治してあげて﹂
ヘイタに促され、モニカが頷く。
つい先ほど
教わった癒
﹁あ、わ、分かりました。えっと⋮︿ハートビートヒーリング﹀﹂
ヘイタに今の君なら覚えられるはず、と
しの魔術を使う。
トックン
の成果が出てるな﹂
コウスケを包む、淡い癒しの光。それは見る見るうちにコウスケの
傷を治した。
﹁おっ。結構効くじゃん。早くも
痛みが消えたのを確かめるように、コウスケが腕を回しながら笑う。
﹁そ、そんな⋮私など⋮﹂
見え透いた世辞に恐縮しながら、モニカはむしろ縮こまる。
﹁ちょっと康介!なにモニカちゃんいじめてんの!?﹂
それを見咎めて、アユカがコウスケに文句を言う。
﹁は!?ちげーよ!いじめてねーし!﹂
コウスケとアユカが言い争いを始める。
﹁あ、あの⋮お2人とも﹂
モニカはそれをおろおろと止めようとする。
﹁ああ、気にしなくて良いよ。あの2人、あれでも仲良いんだ﹂
一方慣れてるヘイタは気にしない。
750
﹁それより、また出てくる前に回収しちゃおう。
さっき教えた魔法を使って見て﹂
﹁あ、はい﹂
ヘイタに促され、モニカは先ほどヘイタに教わった魔術を使う。
﹁︿ネイチャーアナライズ﹀⋮!?﹂
その魔法を使った瞬間、視界が広がる。
先ほどまで、薄暗い森にしか見えていなかったモニカの目が、
吸い寄せられるようにとある木の根元を捉える。
黒っぽい茸が生えており、それがなんであるかをモニカは瞬時に把
握する。
﹁あ、ありました!︿女王蟻茸﹀!﹂
思わず興奮して、ヘイタにそれを伝える。
﹁うん。うまく行ったみたいだね﹂
ヘイタが木の根元に近寄って、持って来たバッグに茸を採取して詰
める。
﹁おーい!モニカ!これはどうだ?﹂
﹁あ、ダメです!それ、︿偽女王蟻茸﹀です!毒があるって!﹂
コウスケが持ち上げた茸に、モニカが思わずダメだしをする。
﹁うお!?マジかよ⋮﹂
それを聞いてコウスケは慌てて茸を投げ捨てた。
ネイチャーアナライズ
︿自然鑑定﹀は魔法の効果が持続する間、
動植物に分類されるアイテムの効果を把握し、
更にフィールドでの採取率を上げる森呪遣いの魔法である。
ヘイタはモニカにこの魔法を教えていた。
こうして少しずつMPの消耗を抑えることで、探索する時間を延ば
す。
それが結果的にモニカの特訓にプラスになると言う寸法だった。
﹁よし、この辺りのはこれで大体全部かな?﹂
751
﹁はい!もうこの辺りには無さそうです﹂
辺りを見渡し、もう女王蟻茸が無いことを確認。
﹁うん。これだけあれば、1ヶ月は困らないかな﹂
魔法のカバンに詰めた茸を確認する。
集める理由はといえば。
﹁うめえもんなあ。それ﹂
﹁ほんとにね。この前ラーメン作ってくれたラーメン屋のおじさん
も驚いてたし﹂
食べるためである。
ちなみに女王蟻茸は本来、高度な薬品や料理に使われる薬草材料の
1つであり、
使い方次第ではかなり強烈なエンチャント効果を生み出せるのだが、
普通に食べる分には煮てよし、焼いてよしな普通に美味しい茸であ
る。
﹁じゃあ、数も集まったし、そろそろ戻ろうか﹂
余り無理してモニカになにかあっては大変だ。
モニカのステータスを確認したあと、ヘイタは戻るように言う。
﹁おう﹂﹁そうね﹂﹁はい﹂
特訓
は終了であった。
3人も頷き、4人は今まで来た道を取って返す。
時間はおよそ3時間。本日の
4
グルカナイフ
秘密基地から少し離れた、剣を振り回すのに適した空き地。
﹁はぁ!﹂
﹁そう。それでいい﹂
そこでヘイタはモニカの手にした山刀を弾き返し、
その重さにモニカが強くなったことを確認していた。
752
モニカを保護してはや1ヶ月。
モニカは、予想より遅いもののかなりの成長を遂げていた。
﹁⋮そろそろ2時間くらいかな。一回休もうか﹂
﹁え、もうですか!?﹂
モニカは思わず声を上げる。
それだけの長時間、訓練とはいえ斬りあったにも関わらず、
ほんのりと激しい運動による疲れを感じるくらいで限界には程遠い。
︵すごい⋮これが冒険者様の御力︶
モニカはヘイタに従って休憩しながら、内心、自らの異常なまでの
成長に驚いていた。
以前は着いていくだけで精一杯だったはずの獣道を、
鼻歌交じりで駆け抜けられるようになった。
覚えた魔法の数も30を越え、更にその魔法を使いこなせるだけの
精神力も身についた。
身に着けている武具も動きやすいよう脚が出る、
ちょっと恥ずかしいデザインのアユカの服に、
昨日、ナカスから出るときに持ち出したという、
ヒゴの城の宝物庫にも無いような美しい七色の軽い甲冑と脚甲のセ
ット
︵ヘイタがかつて使っていたもので、大きな玉虫の殻を使って作っ
た品だという︶を
渡されて身に着け、強くも美しい騎士に相応しい装備となっている。
こちらに着てからはじめた、ヘイタとの剣の訓練も目覚しい成長を
遂げている。
初日は両手で山刀︵薪を割ったり下草を払ったりするのにも使える
というので、
ヘイタが愛用する武器でもある︶を手にしただけで重さによろめい
ていたモニカは、
753
今や数時間の打ち合いを
ている。
ちょっとした運動
と感じるようになっ
技量に関してはヘイタにはまだまだ追いつけないものの、
剣を振る鋭さと重さは、文字通り日を追うごとに成長しているのを
感じる。
最初は重すぎるとしか感じなかった山刀は、
何度かより良いものに持ち替えてはいるもののすっかり手に馴染み、
今では右手と一体化したかの如く振り回すことが出来る。
﹁それにしても、モニカも、随分と強くなったなあ﹂
促成栽培
に相応しい成長を見せているだけなのは分か
ヘイタも、内心では驚いていた。
モニカは
る。
しかしそれを現実に目の当たりにすると、改めてその異常性が分か
った。
﹁強くなっているとしたら、ヘイタ様のお導きが良いからだと思い
ます﹂
モニカは屈託無くヘイタに笑いかける。
思えばこの少年騎士には色々と教わった。
森呪遣いの魔法や剣の扱いだけではなく、戦術も含めて。
モニカが剣を習っているのも、ヘイタの方針である。
﹃森呪遣いは、魔法に頼りきりではいけない﹄
と言うのがヘイタの教えだった。
本来、森呪遣いには回復魔法の他にも、攻撃を含めた各種魔法が揃
っている。
森呪遣いの魔法は基本的に﹃自然の力を借りる﹄ものであるため、
扱える属性は妖術師や召喚術師ほど多彩ではないものの、その効果
は高く、
754
森呪遣いの得意とする木や地、毒を扱う攻撃魔法の中には
妖術師のそれに匹敵する魔法もある。
しかし、それに反して、森呪遣いの魔力はそれほど多くは無い。
あらゆることを魔法で補おうとすれば、早々に魔力が切れる。
それを補うため、森呪遣いには魔法職よりは大分マシな近接戦能力
がある。
革鎧を着込み、剣を持てば高レベル帯の魔物相手に
接近戦を挑めるほどでは無いものの、それなりには戦えるのだ。
﹁いや、きっとモニカが素直だからだと思うよ﹂
ヘイタもつられて、笑って言う。
実際に、モニカは生真面目で、素直で、教えがいがあった。
それに、自分なりの森呪遣いの心得を教えることで、
今まで何となくでやっていたことの意味に改めて気づいたり、色々
と勉強になった。
そして2人はしばらく笑いあい、雑談に興じる。
﹁⋮ヘイタ様たちは、何故アソの山中で暮らしていらっしゃるので
すか?﹂
その中でふと、モニカが尋ねたのは、日々の暮らしの中で生まれた
疑問だった。
冒険者様が、人里離れた森の中であっても十二分に
暮らしていける力を持っているのは、分かる。
だが、なぜそうせねばならないのか。
これまでは、そのお陰で命を拾ったこともあり、言わずにいたが、
日々、疑問は膨らんでいた。
今なら聞ける。そう、思いついての質問だった。
﹁そうだな⋮どこから話せばいいかな⋮?﹂
755
その問いかけに、ヘイタは顔をしかめた後、答えることにする。
モニカになら話しても良いと思った。
﹁最初はさ、俺たちもナカス⋮冒険者の街にいたんだ﹂
今は10月だから、ナカスを離れて4ヶ月にもなる。
﹁けど⋮なんていうのかな。ナカスは⋮子供が暮らすような街じゃ
なかったんだ。
大人の冒険者はずるくて、酷くて、自分勝手だと思った﹂
ナカスで、ヘイタたちは余り扱いが良くなかった。
元より小学生3人だけで構成されたギルドで、
一番の経験者であるヘイタでも冒険者歴は2年ほど。
確かにナカスでも弱小のギルドだったことはヘイタにも分かってい
た。
子供だと侮ってバカにするもの、保護と言いながらギルドごと乗っ
取ろうとするもの、
挙句には子供だと思ってPKを仕掛ける奴までいた。
この異世界に、子供3人だけで放り出されたヘイタたちが、
ナカスで暮らす限界を感じるまで、そう時間はかからなかった。
少しはナカスの冒険者にも良い人は居たが、全体では自分勝手な人
間ばかりだった。
そうして、いつまでもダメなままだったナカスを見限った冒険者は、
結構多い。
彼らはナインテイルの各地に散ったり、他の冒険者の街⋮
ミナミやアキバを目指して旅立っていった。
﹁街で暮らすより、森の中の方が良いと思ったんだ。
俺たちは気の合う友達同士だし、俺はレンジャーの父さんから、
森での暮らし方も教わってたから﹂
秘密基地での、子供達だけでの暮らし。
756
元の世界では早々に限界にぶち当たるであろうそれは、
彼らの冒険者としての異常な能力に支えられ、続けられていた。
彼らには、森から恵みを得て、それを生かして生きていくだけの力
が与えられていた。
幸運なことに、あるいは不幸なことに。
﹁⋮でもさ、この前ラーメン屋のおじさんに会って、思ったんだ。
⋮俺たちのこれ、本当に正しいのかなって﹂
森の近くの街道で、大地人の隊商相手にラーメンを売っていた、ラ
ーメン屋。
余りのおいしさと懐かしさにヘイタたちを3人揃って泣かせた彼は、
冒険者だった。
生きて
ね
この異世界で苦労してラーメンを完成させた男は、とてもカッコい
い大人だった。
︱︱︱大地人ってなあ、すげえぞ。伊達にこの世界で
え。
その冒険者が言った言葉が耳に残っている。
彼は、元は別の大地人の街まで行って、そこでラーメンを売ってい
た。
そしてそこで、自力でラーメンの秘密を見抜いた、
凄い大地人の料理人に会ったとも言っていた。
﹁ラーメン屋のおじさんみたいに、旅して回るのも、
悪くなかったんじゃないかなって思う。
この世界には、たくさん、大地人が暮らしてて⋮モニカみたいな
子だっている。
だから、そういうの全部無視して、森の中で暮らすのってどうな
んだろって、
今は思ってる﹂
今のこの暮らしが楽しくないわけでは無い。
757
気の合う友達同士だけの、秘密基地生活。
けれど、何かが違う⋮これは世界を拒否している暮らしだ。
このまま他の誰とも関わらない生活は、何かがまずい。
ヘイタは、そう感じていた。大地人のモニカと暮らすようになって
から、特に。
﹁⋮ごめん。モニカに話すことじゃなかったよね﹂
2人にも話していない話までしてしまったことに、ヘイタは思わず
わびた。
﹁⋮いいえ。聞けて良かったと、思います﹂
だが、モニカは首を横に振った。
そして、言葉を続ける。
﹁私は、ヘイタ様たちを、完全な勇者様だと思っていました。
強くて、賢くて、逞しくて⋮けど、違うんですね﹂
力が強ければ、それだけで勇者だと言うのなら⋮
今でも臆病な子供である自分はなんなんだ?
最近、そんなことを考えるようになった。
でも、3人には話せなかった。3人は自分と違う。
勇気ある勇者⋮冒険者なのだから、と。
﹁ヘイタ様たちも⋮私と同じ子供なのですね。
そう思うことは、失礼なことなのですが⋮﹂
だが、違った。そう気づいたら、大分楽になった。
良いじゃないか。自分がまだ臆病な子供でも。
冒険者だって⋮力が強いだけの子供なのだから、と。
﹁⋮いや、そんなこと無いよ。むしろ嬉しいかも知れない﹂
民間人
ではなくなっ
モニカのその言葉に、ヘイタは思わず笑みを浮かべる。
もはや、ヘイタに取ってモニカは守るべき
ていた。
﹁ねえモニカ。君は、僕の⋮僕らの友達になってくれるかな?⋮ダ
758
メかな?﹂
﹁はい。喜んで﹂
ヘイタの申し出に、モニカは微笑んで答える。
﹁良かった。じゃあさ、まずは⋮敬語をやめて欲しい。様づけもね。
ずっと照れくさかったんだ。なんだか﹂
﹁⋮はい。分かり⋮分かった。ヘイタ⋮くん﹂
慣れない、親しげな口調に戸惑いながら、モニカは返す。
それがおかしくて、2人して笑う。
それは、2人が友達になった瞬間。
︱︱︱キャアアアアアアアアアアアアアアアアア!
劈くような絶叫が、辺りに響き渡った。
﹁な、なに今の!?﹂
思わずモニカがヘイタに聞く。
それにヘイタは瞬時に真面目な顔に戻り、言った。
﹁僕が仕掛けた、︿泣き茸の絶叫﹀を誰かが発動させたんだ。
⋮もしかしたら、吸血鬼かも知れない﹂
気がつけば、そろそろ日が落ちる時間⋮
そのことが余計に、ヘイタを不安にさせた。
﹁︱︱︱ああ、康介。聞こえた?そうだ。僕の魔法が発動したんだ。
⋮分かった。2人とも、頼む﹂
耳を押さえ、虚空に話しかける。
そしてモニカを見て少しだけ考えたあと⋮言った。
﹁行こう﹂
﹁うん。分かった。私のこと、守ってね。ヘイタくん﹂
まだ1ヶ月も経っていない惨劇の続き、その予感に顔を青くしなが
らも、
モニカは気丈にも頷き返した。
759
5
罠の場所に向かう途中、2人と合流する。
﹁おうヘイタ!﹂
﹁兵太君、今のなに?﹂
2人とも、わけが分からないといった顔をしている。
﹁分からない。この先だ⋮﹂
そんな2人にヘイタも短く返し、その場へ向かう。
そして、彼らは出会う。
﹁あれって⋮﹂
﹁メイドさん⋮よね?﹂
そう、それはメイドだった。
血にまみれた、裾がボロボロのメイド服を着てぼんやりと立ち尽く
す、1人の女性。
若いが、3人から見れば、年上の女性だった。
﹁なんでメイドが⋮モニカ?﹂
メイドがなんでこんな山中にいるのか。
わけが分からず、隣を見たヘイタは気づいた。
隣に立つモニカが穴が開くほど、そのメイドを見ていることに。
﹁な、なんで⋮﹂
驚きで、声が震える。
﹁生きていたのですね!リメア!良かった!私、てっきり⋮﹂
続いての言葉は、歓喜。
喜びと共に、侍女へ駆け寄ろうとする。
﹁⋮⋮姫様なりません!私には、近づかないでください!﹂
﹁モニカ。行っちゃダメだ﹂
それを止めたのは、鋭いリメアの声と、小さいが力強い、ヘイタの
手。
﹁⋮リメア?それに、ヘイタ、くん?﹂
その意味を図りかね、モニカは2人を交互に見た。
760
﹁⋮リメアさん、でしたよね。1つ、聞かせてください﹂
ヘイタの声が、緊張で少しだけ震える。
﹁⋮あなたはまだ、モニカが知っている、リメアさんのままですか
?﹂
肯定して欲しい。ほとんど条件反射で﹃見てしまった﹄ものは何か
の間違いだ。
そうあって欲しかった。
﹁⋮⋮嗚呼、冒険者様、貴方がたにはやはり、分かるのですね﹂
しかし、リメアは無常にもその答えを返した。
それは言外のヘイタの言葉の否定。
﹁リメア、一体どういうことなの!?﹂
﹁飢えるのです。渇くのです。私は、堕ちてしまいました。
⋮もはや自ら求めるまでになってしまった。
村を1つ襲いました。姫様と同じくらいの娘すらも、私は⋮
それでも、妹のように愛しい姫様ならば耐えられる⋮生き血を求
めずに居られる。
⋮逆でした。今、姫様を見て、確信がもてました⋮﹂
問いただすモニカへの言葉。
それは熱に浮かされるように、夢の中のように⋮悪夢の中で彷徨う
ように呟かれる。
リメアは唾を飲み込んだ⋮でないと、我慢できそうになかったのだ。
﹁リメ⋮ア⋮村を襲ったって⋮生き血って⋮なんのことなの?﹂
モニカが震える声で問いただす。
頭ではすでに理解しているが、感情が追いつかない。
認めたくない。
﹁⋮モニカ。リメアさんは⋮﹂
ヘイタですら言いよどむ。
ヘイタたちには既に見えていた。
目の前のリメアの⋮﹃クラスとLv﹄が。
﹁お聞き下さい、姫様。私はもう⋮﹂
761
そして、リメアは自ら最後の引き金を引く。
︱︱︱吸血鬼なのです。
アユカ
に飛び掛り⋮
その瞬間、目が真っ赤に染まり、血にまみれた犬歯⋮牙をむき出し
にする。
そして凄まじい勢いで
﹁きゃあ⋮あ⋮﹂
反射的に剣を抜き打ちしたアユカの一撃に、沈んだ。
技も何もない、だが極まった暗殺者の動きと、その力に相応しい剣
での一撃。
それは成り立ての︿吸血鬼﹀に過ぎぬリメアに
致命傷を負わせるには充分な威力だった。
﹁え⋮ウソ⋮わ、わたし、でも⋮﹂
﹁申し訳⋮ありません。冒険者⋮様。利用⋮させて⋮いただきまし
た。
これは⋮自害⋮で⋮ござい⋮ます﹂
剣で肺腑を貫かれ、血を吐きながら、リメアは混乱するアユカに謝
る。
冒険者ならば、ただの一撃で呪われた自分を倒せる、そう考えたゆ
えの行動だった。
﹁︱︱︱リメア!リメア!﹂
慌ててモニカが駆け寄る。
目からは赤い光が失せ、牙は口から零れた血でもう見えない。
それはただ姉のように慕った侍女にしか見えなかった。
﹁いけません⋮姫様。お離れ⋮くだ⋮さい⋮後生⋮で⋮すから﹂
ぼんやりとした、死が近い目で、リメアは呟く。
その目には、確かにかつての、優しかった侍女の緑の目の光が宿っ
ている。
﹁待ってて。リメア!今、助けるから!﹂
762
その光が、モニカを動かす。
﹁ダメだ!モニカ!やめろ!﹂
ヘイタの言葉は、間に合わない。そして。
︱︱︱ハートビートヒーリング
リメアの身体が、燃え上がる。
﹁︱︱︱え?ウソ⋮どうして!?﹂
抱いたままなのに、不思議と熱くない炎。
だがそれは確実にリメアを燃やしていく。
﹁⋮モニカ。吸血鬼には⋮癒しの魔法は逆効果なんだ⋮倒すときに⋮
攻撃魔法代わりに使われることもあるくらいで⋮﹂
途切れ途切れに言いながら、ヘイタは、泣いた。
なんでよりにもよって、こんなことになるのか。
この世界が呪わしかった。
﹁そんな⋮そんなの、酷いよ!﹂
その言葉に、モニカも泣く。
酷い裏切りだ。
私は⋮リメアのために強くなろうと思ったのに。
﹁泣か⋮ない⋮で。ひ⋮め⋮﹂
燃えながら、リメアは最後の力を振り絞り、右手を上げる。
泣いているのを見るのが、辛かった。
﹁あ⋮り⋮が⋮と﹂
モニカの涙を拭って、力尽きる。
幸せだった。最後の最後を、妹の手の中で迎えられて。
そして微笑んだまま⋮リメアは燃え落ちて灰になった。
ただ1つ、頭から落ちたヘッドドレスだけを残して。
﹁いやあああああああああああああああああ!!!!!!!﹂
モニカは、叫んだ。
763
﹁ウソだろ⋮なんだよこれ⋮﹂
﹁どうして⋮なにこれ⋮ひどいよ⋮﹂
錯乱したモニカを見て、コウスケとアユカも顔を真っ白にして呟く。
理解できない⋮ここはこんなに酷い世界だったのか。
﹁︱︱︱!?みんな、気をつけて!﹂
そんなときでも、最初に気づいたのは、ヘイタだった。
涙を振り切って、全員に警告する。
日が、完全に落ちると同時に、ガシャガシャと音を立てて行進して
くる何か。
それは素早く4人を取り囲み、剣を構える。
﹁クソッ今度は⋮!?﹂
﹁こ、これってまさか⋮﹂
現れたのは、5人ほどの、武装したアンデッド。
鎧を着て、剣と盾を持ったそれは、干からびている。
体液を吸い尽くされ、魂を腐らせてしまったそれは、
レッサー・ヴァンパイア
ただ目だけが爛々と赤く輝き、白い牙をむき出しにしている。
モンスターの名は︿劣等吸血鬼﹀。
Lvは精々30程度の、3人の冒険者が戦うには余りに貧弱なモン
スター。
だが、その姿に3人は恐怖した。
理解したのだ。これは⋮
﹁これってモニカの⋮護衛の人たち!?﹂
﹁おい!?どうすんだよ!?倒して良いのかこいつら!?﹂
2人が混乱して叫ぶ。
分からなかった。これ以上、モニカを悲しませたくない。
それ故に、ただのモンスターとして斬り殺すことができなかった。
﹁⋮いいかどうかじゃない!倒すんだ!でないと⋮モニカを守れな
い!﹂
そんな2人を勇気付けるために、ヘイタは前に飛び出して、手近な
1体に切りかかる。
764
振り下ろされた剣を鎧で弾き返しながら、抜き放った山刀で切る。
例え近接戦に強いとは言えぬ森呪遣いとはいえ、Lv90。
ただの一撃で、劣等吸血鬼を切り倒す。
⋮それは、ヘイタの失策だった。
﹁2人とも⋮しまった!?﹂
ヘイタが離れた隙をつくように、モニカの周りを霧が囲んだ。
霧が寄り集まって⋮人の姿を取ってモニカを抱え上げる。
美しい夜会用のドレスを纏った、エルフの女。
そいつはぞっとするほど美しく⋮血のように赤い瞳を持っていた。
︱︱︱パーティーランクモンスターLv61﹃街道の貴婦人﹄
全ての元凶が、ついに姿を現した。
﹁てめえ!モニカから離れやがれ⋮うお!?﹂
﹁そうよ!あんたのせいで⋮!?﹂
間に割って入った︿劣等吸血鬼﹀たちに、2人は思わず立ち止まっ
てしまう。
﹁︱︱︱貴女は!?﹂
その様子に、ようやく回りを見るだけの余裕を取り戻したモニカが、
自分を抱き上げている女を見て、気づいた。
間違いない。この女は⋮あの夜に見た女だと。
﹁さようなら冒険者様方。良い夜を﹂
あざ笑うようにそんな言葉を残し⋮
吸血鬼は空を翔る。モニカを抱えたまま。
﹁待て!﹂
鋭く叫んだヘイタの言葉は虚空へと消えた。
6
765
﹁きゃあ!?﹂
先ほど3人がいた場所から少しはなれた、森の空き地。
そこで捨てるように投げ落とされ、モニカは悲鳴を上げた。
﹁さあ、食事の時間よ⋮それにしても変な格好ね﹂
その様子に吸血鬼はあざ笑うように、言う。
﹁何それ?騎士気取り?ばっかじゃないの?﹂
﹁あ、貴女は⋮なぜ、こんなことをするのですか?﹂
そんな吸血鬼の顔を見て、恐怖に震えながら、モニカは尋ねる。
吸血鬼の考えなど、理解できないのは分かっていても、
リメアを殺し、モニカを殺そうとする理由を聞かずにはいれなかっ
た。
﹁⋮私がね、冒険者と貴族の娘が大嫌いだからよ﹂
﹁ど、どういう、こと、ですか?﹂
わけの分からぬ理由に、おもわず再び聞き返す。
そんな理由では、納得がいかなかった。
﹁そうね⋮昔話をしてあげる﹂
そんなモニカの目の光に苛立ち、吸血鬼は話してやることにした。
目の前のガキは、あの女を思い出させる、厭な目をしている。
⋮お姉様を死においやった、自分が正しいと信じているあの阿婆擦
れと同じ目だ。
だからこそ、話すのだ。如何に自分が正しいかを。
﹁昔⋮ウェストランデに1人の美しいヴァンパイアが居たわ﹂
それは、吸血鬼にとって、何よりも大切な真実だった。
﹁その人は私に、本当に色々と教えてくれたわ。
あの狭い村で暮らしていたら、絶対にわからなかったこと。
夜の闇の素晴らしさと⋮若い処女の生き血がどれだけ美味か。
幸せだったわ。下等な大地人を襲って、男を殺して、
処女の血を啜るのは、快感だった﹂
766
それは30年前の夢のような時間。
目を閉じれば今でもそれを鮮やかに思い出させる。
﹁⋮けどね。お姉様は⋮シリアお姉様は死んだ。
冒険者の魔法で身を焼かれて灰になったわ。なんでか分かる?﹂
だが、それを思い出せば、同時に思い出す。
未だに忘れられぬ、あの日のことを。
ばけもの
﹁仕えてた貴族の阿婆擦れに裏切られたのよ⋮
アイツが、あの冒険者どもを招きいれた。
アイツ自身、夜の闇と血の味を知っている、高貴な存在となって
いたくせに!﹂
突然の強襲。昼間で、どうしようも無かった。
お姉様と彼女の眷属となった娘達は、彼女を残して焼き殺された。
冒険者の強力な癒しの魔法によって。
﹁悔しいけど、あの時は逃げ出すしかなかった。
霧にも、蝙蝠にもなれないあのときの私では、歯が立たなかった!
冒険者は許せない!いつか絶対復讐してやる!
⋮けど、冒険者に誇りを売るような阿婆擦れはもっと許せない!﹂
吸血鬼が決定的に歪んだのはその日のことだった。
彼女は泥を啜り、ウェストランデの神殿騎士から逃げ、ナインテイ
ルに落ち延びた。
﹁だから襲ったの。貴族の姫⋮おまけにアイツと同じ、エルフの姫。
周りの奴全部ぶち殺して、吸血鬼にして、
吸血鬼としての楽しみを全部教えてから⋮ぶち殺す。
そのために襲ったの。
そうすれば、きっと天国のシリアお姉様も喜んでくださるもの!﹂
護衛を連れて街道を旅する幼いエルフの姫。
それを見つけたとき、吸血鬼はもう決めていた。
決行は帰りにしようと決めた。
楽しい思い出は1つでも多いほうが⋮後の絶望も大きいと思ったか
ら。
767
﹁けどね⋮アンタまで阿婆擦れになるとは思って無かったわ。
あの正義の味方気取りのクズどもに飼われてるなんてね。
⋮許せない!血を一滴残らず吸い尽くして、干からびた干物にし
てやる!
さぞ見ものだろうさ!あいつ等を、どれだけ悲しませられるか!
ハハッ⋮アハハハハハハハ!﹂
無力な姫
を殺してやったらどれだけやつらを悲しませられ
全てを語り、狂ったように吸血鬼は嗤う。
この
るか。
⋮苦しめられるか!それを想像したら、我慢できなかったのだ。
冒険者の弟子
であるモニカの呟きは底なしに冷え切って
﹁貴女は⋮そんなことのためにリメアを⋮﹂
対する
いた。
それは師である森呪遣いの冷静さを見習ったかのように。
震えは、とうに過ぎ去っていた。
﹁はい。お仕舞い。さあ、お休みなさい、永遠に⋮﹂
だが、吸血鬼は気づかない。些細な、だが重大な勘違いに。
吸血鬼はゆっくりとモニカの首元にその牙を寄せていく。
今まで、香水で気づかなかった、生臭い血の匂い。
それを嗅いで⋮
﹁⋮私だって、許せない﹂
モニカは静かに⋮激怒していた。
そんな理由で、リメアは死んだのか。
自分がエルフで、国主の娘だったから⋮私が、悪いのか。
否、違う。
﹁貴女は吸血鬼が優れた存在だなんて勝手な理屈を押し付けて、リ
メアを苦しめた!
リメアは、最後まで私の侍女で居てくれた!抗いがたい血の誘惑
768
に逆らい!
私に殺されたのに、それでも微笑んで⋮私を最後まで案じてくれ
ていた!﹂ 目の前の吸血鬼の答えを認めるのは、リメアを侮辱することだ。
故に、モニカの答えはひとつ。
﹁⋮︿ヒーリング・サンクチュアリ﹀!﹂
モニカの癒しの魔術が発動し、その効果を発揮する。
範囲内の全てに、癒しの力を分け与える、癒しの魔術。
はじめて、冒険者とあった日に見た、森呪遣いの魔法。
﹁きゃあ!?﹂
吸血鬼の身が癒しの魔術の炎に包まれる。
皮膚が焼け爛れて傷となり、吸血鬼は思わずひるむ。
同時に自らの癒しの魔術で体力を回復したモニカは
とっさに転がって吸血鬼から距離を取る。
そして上空に手をかざし⋮
﹁︿バグズライト﹀!﹂
依然とは比べ物にならぬほど強力な光を出す蛍の群れを、大量に生
み出す。
辺りが夜の闇を振り払い、昼の最中のように明るく照らされる。
黄色い︿バグズライト﹀の光に照らされながら、モニカは高らかに
宣言する。
﹁私は、ヒゴ国主、フェルディナンド=カルファーニャが娘⋮モニ
カ!
悪しき毒牙にかかり、儚く命を散らせたリメアの魂を慰めるため、
吸血鬼に挑むものなり!﹂
目の前の、癒しの魔法から逃れ、焼け爛れた皮膚を急速に再生させ
ていく
吸血鬼に、強い敵意を向けながら。
﹁覚悟せよ!吸血鬼!私は貴女を⋮断じて許さない!﹂
モニカは初めて誰かを殺すために、剣を抜いた。
769
﹁調子にのるなよ!阿婆擦れのクソガキが!﹂
それを見て、吸血鬼が吼え、戦いが始まった。
7
﹁ぐぅ⋮!︿ハート・ビート・ヒーリング﹀!﹂
強烈に跳ね飛ばされ、木の幹に打ち付けられる。
1ヶ月前ならば、間違いなく即死していたであろう一撃。
それを受けながら、モニカはとっさに癒しの魔法を自らに施す。
﹁クソガキが!冒険者に魂まで売り渡しやがったな!﹂
そのまま傷を治そうとするモニカに苛立ちながら、吸血鬼が追いす
がる。
﹁させない!︿ルートスピア﹀!﹂
バグズライトの光に照らされ、動きが丸見えな吸血鬼を真っ直ぐに
見据えながら、
攻撃魔法を使う。
森の中の木々の根が地面から突き出して吸血鬼を串刺しにする。
﹁そんなのでアタシを、止められると思うなー!﹂
だが、その程度で恐ろしく強靭な負の生命力を持つ吸血鬼は止まら
ない。
刺さった根をへし折りながらモニカに迫る。
﹁きゃあ!﹂
とっさに横に飛び、吸血鬼の突進をかわす。
そして立ち上がり、山刀を構える。
︵このままじゃ⋮間に合わない!︶
自分に残された最後の切り札は、まだ発動しない。
だが、もう残った精神力が僅かしかない。
果たして間に合うか。それは⋮自分の腕前と、覚悟に掛かっている。
﹁クソが!さっさと死ねよ!﹂
苛立ちを募らせながら、鉄でも引き裂く鋭い爪が、モニカに迫る。
770
﹁⋮はぁ!﹂
早いがでたらめな一撃のうち、頭に迫った一撃を、
モニカは山刀で打って払いのける。
︵これならば⋮ヘイタくんの攻撃のほうが早かった!︶
自らの命の危機に、モニカの精神は研ぎ澄まされていく。
それは、モニカがただの姫君として生きていれば、
生涯芽を出さなかったであろう才能。
困難な状況で、見誤らぬ判断力。
致命傷になりうる攻撃は払い、そうでなければ通す。
どのみちモニカの技量ではノーダメージとは行かないのならば。
﹁⋮︿ヒーリング・サンクチュアリ﹀!﹂
自らのダメージが危険域まで蓄積した瞬間に、癒しの魔法を使う。
﹁ぐわ!?またか、クソが!﹂
忌々しげに吸血鬼が腕や脚を焼かれながら距離をとる。
癒しの陣を設置し、中に入ったものに癒しの力を与えるこの魔法は、
この状況においては攻撃と回復を同時に行える。
癒しの魔法がダメージとなる吸血鬼と戦うためにはうってつけの魔
法だった。
︵⋮あと少し!︶
しかし先ほどの癒しの魔法で、モニカの精神力は尽きた。
森呪遣いにとって、最も危険な状態。
回復はもうできない。後は⋮剣で斬るだけだ。
﹁⋮死ね!﹂
癒しの聖域がその効力を失うのを確認して吸血鬼が再び突撃してく
る。
モニカはそれを恐れない。信じている。最後まであがけば⋮
﹁⋮︿脈動回復﹀!﹂
必ず間に合う、と。
﹁ぎゃああああ!?﹂
吸血鬼が癒しの炎で燃え上がる。
771
モニカのものとは比べ物にならぬほど強力な、癒しの魔法。
それを使いこなすものは、モニカの知る限り1人しか居ない。
﹁無事か!?モニカ!﹂
モニカを守るように立ちはだかるのは、エルフの少年騎士。
変わった柄のマントと、妖精の王より与えられた甲冑をまとうこの
少年こそ。
﹁遅いよ!ヘイタくん!﹂
モニカが待っていた、最後の切り札。
﹁バカな!?どうやってここが⋮!?﹂
強烈な癒しの魔法で身体を焼かれながら、ハッと吸血鬼はそちらを
見る。
煌々と、昼のように辺りを照らす︿バグズライト﹀の光を。
﹁⋮これだけ目立つ目印があれば、すぐに分かるさ﹂
そのまま一気に距離をつめ、ヘイタは素早く山刀で斬る。
重く鋭い一撃。だが、これは牽制に過ぎない。
本命は⋮
﹁へ⋮うぇ!?﹂
胸元から突き出した、細く美しい、針のような剣先に吸血鬼は驚く。
正確に心の臓を貫く一撃。
﹁奇襲成功!⋮康介!あとよろしく!﹂
凄まじい痛みは後から襲ってきた。それほど見事な一撃だった。
吸血鬼にとっても大きなダメージとなる︿絶命の一閃﹀を見事に成
功させ、
アユカはレイピアを引き抜いて距離をとる。
﹁うおおおお!必殺!︿ブレードチャージ﹀!﹂
雄たけびを上げながら、剣をランスのように構え、コウスケが突っ
込んでくる。
猛牛の突進のような一撃を、痛みに震える吸血鬼は、回避できない。
そのまま腹を剣で刺されながら、木の幹に縫い付けられる。
﹁今だ!︿友なる柳﹀よ!﹂
772
それを見届けた瞬間、ヘイタは吸血鬼を動けぬよう縛る。
﹁あ⋮ああああああ⋮﹂
木と腹を大剣で貫かれて固定され、更に柳に身を縛られて吸血鬼は
恐怖した。
もはや逃げることすら出来ない、自らの末路を理解して。
﹁⋮Lv52の森呪遣いにあれだけ苦戦した君が、
Lv90の森呪遣いの︿癒しの神域﹀を受ければどうなると思う
?﹂
近づき、笑みを浮かべながら尋ねるヘイタに、
かいぶつ
吸血鬼の顔にありありと恐怖の色が浮かぶ。
怒っている。この目の前の小さな冒険者は、怒っている。
﹁ヒィ!?や、やめ⋮﹂
﹁嫌だね。僕は、友達を悲しませる奴を許さない⋮︿癒しの、神域
﹀﹂
最後まで言わせず、ヘイタが怒りのままに
森呪遣い最強の回復魔術を発動させると共に。
︱︱︱ギィヤァァァァァ!
凄まじい癒しの光に焼かれながら、吸血鬼は断末魔の悲鳴を上げた。
8
﹁おい!あれか!ヒゴの街って!﹂
馬の上で、見えてきた街にコウスケがはしゃいだ声を上げる。
﹁あれかあ⋮ラーメン屋のおじさん、まだいるかな?﹂
何ヶ月か振りに訪れる街に、アユカの声も華やぐ。
﹁⋮あの、本当に良かったの?ヘイタくん﹂
ようやく見えた故郷にホッとしながら、モニカは自分と共に乗る少
年に尋ねる。
773
﹁うん。もういいんだ﹂
全てが終わり、モニカをヒゴへと送るとなったとき、3人は、言っ
た。
もし良ければ、自分達をヒゴに住まわせて欲しい、と。
﹁それとも、モニカは嫌⋮かな?﹂
﹁ううん。嫌じゃないよ!私もヘイタくんと一緒の方が⋮﹂
困ったように聞くヘイタに、耳まで真っ赤にしながら、モニカは困
る。
嬉しい。ヘイタと離れずにいられる。
だからこそ、何度も確認したくなるのだ。
﹁おっ?なんだよヘータ顔赤いぞ!﹂
そんなやり取りをしていると、コウスケが茶化す。
﹁ば、バカ!ちげーよ!そんなんじゃない!﹂
﹁え∼、なになに?兵太君ってば、そういうお年頃?﹂
いつもは乗ってこないアユカまで乗ってくる。
どうやら久しぶりの街に、テンションがあがっているらしい。
﹁だ∼か∼ら∼﹂
焦って言い訳しようとするヘイタに、モニカはくすりと笑う。
そっと、ポケットの中のものを確認する。
冒険部﹄のギルドタグ。
1つは、リメアの最後まで残った遺品であるヘッドドレス。
そしてもう1つは⋮木で彫られた﹃天神小
︵リメア⋮私、ちゃんと生きてるよ︶
天国に行ったリメアと、これから増えていくであろう楽しい思い出
に思いを馳せて。
モニカはそっと、ヘイタに身をゆだねた。
774
第20話 姫君のモニカ︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに特訓とは、以前どこぞの盗剣士がやらかしてたアレです。
775
番外編4 家事妖精のセリオ︵前書き︶
本日は、主役が人ではないので番外編です。
テーマは﹃妖精の環解明プロジェクト﹄
多分敬語が間違ってるのは、仕様です。
776
番外編4 家事妖精のセリオ
0
私がマスターであるヨウケン様にお仕えし始めたのは、
86年と155日前のことで御座いました。
当時、まだ駆け出しの︿召喚術師﹀で御座いましたマスターが
私を妖精界より召喚したのが縁の始まり。
そして当時、未だ形を得たばかりで充分な自我を持たぬ私に、主は
こう言いました。
﹁よし、召喚成功!名前はどうすっかな⋮?﹂
召喚術師の中には契約を為すとき、召喚生物に
新たな名を与える方がいらっしゃいます。
主より直々に賜る名前は従者とマスターを結ぶ、とても大切な絆。
これを与えられる召喚生物は果報者に御座います。
﹁よし⋮メイドさんだし、なんか雰囲気がアレっぽいから⋮セリオ
だな。
これからよろしくな。セリオ﹂
﹁⋮はい。よろしくお願いいたします。マイマスター﹂
そしてマスターは、契約する召喚生物には必ず名を与える御方。
それは私も例外ではなく、私はマスター直々に﹃セリオ﹄の名を戴
き、
晴れてマスターの従者と相成りました。
それから86年。
マスターは強く御成りになりました。私どもも含めまして。
マスターは己が従者を﹃俺の嫁﹄と呼んで憚らぬほど愛し、
777
それを駆使して調伏したより強き魔物と契約を果たして従者とし、
また、私のように戦働きに優れぬ弱き従者も心血を注いで鍛え上げ、
従者全員にLv90にも及ぶ力を授けてくださいました。
無論、マスターご自身の魔術師としての力量も超一流であり、
マスターはその御力を認められ、
63年と22日前に今は黒剣騎士団と呼ばれる騎士団に加わりまし
た。
彼の大災害以降、その御力は更に増し、今やその技量はLv91。
謙虚なマスターは否定為されますが、ヤマトの地、否、このセルデ
シアの世に居る
召喚術師でマスターより優れたものなど居りません。
成ればこそ、騎士団屈指の精鋭の1人として、
キキーモラ
このお仕事をお引き受けになっていらっしゃるのですから。
嗚呼、申し送れました。
私の名は、セリオ。
マスターにお仕えする16人の従者が1人、家事妖精に御座います。
﹁番外編4 家事妖精のセリオ﹂
1
転送を2時間後に控えた明け方のことに御座いました。
私は、1人騎士様がたの朝餉の準備に勤しんでおりました。
アキバより持参しました卵を茹でて皮を剥き、
マヨネーズソースと和えるために冷やしている間にハムと野菜で汁
物を作る。
この程度であれば、今の私には造作も無いことに御座います。
778
と申しますのも、私ども家事妖精は戦働きに長けては居りませぬが、
家事妖精の名の通り家内全般の技術には通じた種族。
己が技量と同等の︿高級家政婦﹀の技を持つのが常で御座います。
更に冒険者様方が生み出した︿手料理﹀の御技も容易く身に着ける
ことが出来、
家内の事であれば大地人の家政婦など比べ物にならぬほど完璧にこ
なします。
その力を見込まれ、今や冒険者の召喚術師の方々はこぞって
私ども家事妖精と契約をしておられるとのこと。
⋮無論、マスターに86年の間お仕えし続けた私より優れた家事妖
精になど、
ついぞ会ったことなど御座いませんが。
さて、朝餉の手料理の準備が整い、私はマスター方を起こすことと
致しました。
天幕に入りますと、既に隊をまとめる長であるアトラス様は起きて
おりました。
﹁よぅ!セリオ!もう朝メシが出来たのか?﹂
﹁はい。お早う御座います。朝餉の準備が整って御座います。アト
ラス様﹂
女性のように長く、手入れの行き届いた金の御髪と7尺近い体躯。
その勇壮な御姿から﹃黒剣騎士団の二大巨人﹄と呼ばれていたこと
も御座いました。
︵彼の︿大災害﹀によりもう1人の巨人であったユーミル様は
巨人ではなくなって仕舞われ、今では二大巨人の名も廃れました
が︶
アトラス様は、マスターが騎士団に加わる前、
779
黒剣騎士団を黎明の頃より支えてきた、古兵に御座います。
素晴らしい戦槌と鎧、そして盾、その殆どが幾多の冒険を経て手に
してきた幻想の品。
クエスト
職能である施療神官の技量も騎士団随一のLv92。
更にかつてセブンヒルまで赴き、厳しい修行を乗り越えて
叙任されたと言う︿聖騎士﹀の技量もLv91。
マスターの次にこの隊の長を務めるに足る御方に御座います。
﹁じゃあ、メシの前にちょっくら顔でも洗ってくるか。んじゃな﹂
そう言うとアトラス様は颯爽と天幕より出て、天幕には寝息のみが
響く、
静寂が戻りました。
天幕の中で、男女の別無く眠るマスター方⋮
あぐに
まずはその内の、女性の方を起こします。
﹁ユーミルさま、阿国さま、朝に御座います。お目覚め下さいませ﹂
﹁うぅ⋮ん。おはようございます。セリオさん﹂
おおいくさ
私の声に応え、まず目を覚ましますは、ユーミル様。
以前、とある大規模戦闘の折に百の魔物を斬り裂いた事により
百人斬りの異名を得た、黒剣騎士団でも屈指の剣の使い手に御座い
ます。
﹁じゃあ、ちょっと出てきます。寝癖くらいは直しておきたいので﹂
そう言うと、整った笑顔で天幕を離れ、顔を洗いに泉へと向かうユ
ーミル様。
の時点でなあ﹄
彼の︿大災害﹀までは巌のような大男であったとは、
サンジゲン
到底信じられぬ可憐な御姿に御座います。
とは申しましても、我がマスターは
﹃ユーミルはユーミルだし。そもそも
780
などと申しており、ユーミル様の御姿には興味が無いご様子。
⋮まことに、喜ばしいことに御座います。
あぐに
﹁ふぁ⋮っと。なに?もう朝?﹂
続いて目を覚まされますのは、阿国様。
﹁ねっみ⋮ちょっと顔洗ってくるわ﹂
黒剣騎士団では珍しい女性の騎士様で、騎士団の皆様方からは
さっぱりした気風から﹃姉御﹄と呼ばれ親しまれております。
ユーミル様の可憐な姿とは違う、野趣溢れる勇ましさを持った美は、
さながら野生の虎の様。
ユーミル様とはまた違う意味でお美しい方に御座います。
無論、栄えある黒剣騎士団の一員で在らせられる方ですので、
冒険者としての技量も超一流。
Lv92にも成る技量を持つ、火炎の術式を極めた妖術師で御座い
ます。
続きまして、マスター以外の男性のお歴々をおこしにかかります。
﹁⋮おはよ。セリオ﹂
最初に目を覚ましますのはヨシヒロ様。
神代の代の伝説的な武士と、60年ほど前まで﹃剣豪将軍﹄の異名
で有名であった
冒険者の武士にあやかったと言うこのお方もまた、Lv91の武士。
その中性的な美声と顔立ちとは裏腹に、鍛え抜かれた
6尺近い体躯はまさに益荒男と呼ぶに相応しきお方に御座います。
大災害より暫くは酷く動きにくそうにしておりましたが、
今ではそのようなことも無く、アキバでも屈指の武士の1人として
名を馳せておられます。
781
﹁あ、ユーミルと姉御はもう起きてんのか。僕も行こっと﹂
そう言うとヨシヒロ様もまた、外に出て行かれました。
﹁⋮うーす﹂
続きまして目を覚ましましたのが、カルマ様。
騎士団に入る前から阿国様と共に行動しておられるという守護戦士
であり、
その技量はLv91。
阿国様と特に親しき間柄で、よく冗談を口にしては
阿国様から炎の洗礼を受けておられます。
﹁起きてねえのは俺と二次元だけか⋮お∼い、二次元、おき⋮
おう!?せ、セリオさん!?﹂
なりませぬ。
私はじっとカルマ様を見つめながら、ご挨拶をさせて頂きます。
﹁お早う御座います。カルマ様。昨晩はよく眠られたでしょうか?
朝餉の準備が出来ております。良ければ朝の支度等、為されては
如何でしょう?﹂
﹁は、はは⋮了解。出てく。じゃあ⋮ごゆっくりぃ∼!﹂
些か慌てたようにカルマ様も天幕より離れました。
⋮さて。
私はマスターの枕元へと座り、マスターを起こしに掛かります。
とは申しましても、マスターの安眠を妨げるなど、従者にあるまじ
き行為。
故に、マスターが目を自然とお覚ましになるまでじっと待つことと
致します。
マスターの寝顔をじっと見つめ、目をお覚ましになる兆候を
決して見逃さぬ様、見守る。
782
﹁⋮ううん?おはよう。セリオ﹂
﹁はい。お早う御座います。マイマスター﹂
この10分ほどの日課こそ、私の朝のひと時の幸福に御座います。
2
朝餉を終え、夜営の天幕を片付け、冒険者様方の準備が整いました
頃、
丁度刻限となりました。
﹁5⋮4⋮3⋮2⋮1!行き先が変わったぞ!﹂
念入りに調整を施された懐中時計をごらんになりながら、アトラス
様が仰られました。
私どもの目の前にあるのは、アキバから1日ほど離れた、とある妖
精の環。
これこそが、マスターが挑んでおられる
︿妖精の環解明プロジェクト﹀の要に御座います。
﹁それじゃあいつも通り頼むぜ、二次元﹂
アトラス様がマスターに命じられました。
﹁オッケー。セリオ、行くよ?﹂
﹁はい﹂
マスターに見つめられ、期待に若い娘のように心を弾ませながら、
私は返事を返します。
﹁んじゃ⋮︿幻獣憑依﹀﹂
マスターの魔術が発動し、ついに待ち望んでいた時が訪れます!
私の内へと入ってくる⋮マスターの魂!
無論、抵抗など致しません!
マスターに全てを預け、私の肉体はマスターのものとなります。
783
﹃んじゃおやっさん。俺の身体よろしく﹄
魂を失い、倒れそうになるマスターの肉体を私の肉体で支えてアト
ラス様に預け、
私の肉体に宿りましたマスターは妖精の環へと飛び込みます。
足元よりの光が増し、マスターの魂を宿した私は何処かへと転移し
ました。
﹃おっと⋮こっちは夜中か⋮時差からすっと結構遠くに出たな﹄
先ほどまで朝で御座いましたのに、こちらは闇の深い夜の刻限。
不可思議なことに御座いますが、マスターにとっては当然のこと。
気にせずマスターは妖精の環より離れ、辺りを確認しながら歩き出
しました。
﹃祠か⋮どっかのプレイヤータウンでは無いみたいだな﹄
マスターは最低限必要なことを確認為されると、私に仰いました。
﹃ちょっと待ってて。他の連中呼んでくる﹄
すぅ⋮と、私の身体より抜けるマスターの魂。
それを些か惜しく思いながら、私はマスターの到着を待つことと致
しました。
まず、召喚術師の従者を先に送り、もしもプレイヤータウンであっ
たなら、
即刻調査は中止。
妖精の環の向こう側で送還して従者を引き戻すこと。
今回のクエストに置いては、そのような定めがあります。
と、申しますのも、マスターが暮らすアキバの街近辺は、
まさに奇跡のように平和な場所。
妖精の環の向こうに広がる世界には危険な場所が幾らでも存在致し
ます。
784
以前、とある調査隊など、砂漠で﹃オスマニア﹄なる国に組する
冒険者の一団に襲われ、命からがら戻ってきたこともあるとのこと。
調査には、細心の注意が必要なので御座います。
ですが、マスターのお話から察するに、
どうやら今回は無駄足とならずに済みましょう。
すぐに、マスター方全員が妖精の環より現れました。
﹁んじゃ、行くか。近くにプレイヤータウンじゃない街か村が
あればそこで情報を集めるぞ。二次元、調査頼む﹂
アトラス様がてきぱきと指示を出され、マスターも同意を示しまし
た。
スプライト
﹁了解。今思いっきし夜だから鳥目のユキは無理だなー⋮
︿従者召喚:小妖精﹀﹂
状況を的確に把握され、マスターは愛用する魔導書を開き、
新たな従者を召喚します。
﹁やっほー!マスター!きたよー!なになに?どったの?﹂
現れるのは、私どもと同じくマスターに仕える従者の1人、小妖精
のスフィー。
マスターの掌に乗れるほどの小さき姿から分かるとおり、
力による戦いは私以上に苦手ですが、代わりに身を隠す技と雷撃の
魔術に長けており、
ハルピュイア
更にその小ささからは想像もつかぬほど早く飛べる透き通った羽を
持つため、
今回のように広域を偵察する場合には︿誘歌妖鳥﹀のユキと並び
よく呼ばれる従者に御座います。
﹁スフィー。この辺りに町か村が無いかを調べてきて。はいこれい
つもの﹂
785
マスターはスフィーを掌に乗せ、彼女の好物である蜂蜜とバターの
飴を渡しながら、
偵察をお命じになられました。
﹁ひゃっほー!まかせろー!﹂
彼女にとっては大きな飴を両手で掲げて喜びの声を上げながら
スフィーは高く飛び上がり、目にも止まらぬ早さで偵察へ向かいま
した。
﹁よし、二次元の小妖精が戻るまで周辺の探索を⋮⋮おおう!?﹂
そして、スフィーを見送り、アトラス様が指示を出しながら祠から
出たところで、
驚愕の声を上げられました。
3
祠から出たところには、暗い夜中にも関わらず無数の大地人がおり、
じっと不安げにマスター方を見つめて居りました。
格好は皆薄汚れ、中には服が破れたり、怪我をしたりしているもの
もいます。
﹁え?何コレどっきり?僕らそんなに有名人?﹂
﹁いや多分違うと思います﹂
﹁って言うか今こっち完全に夜だろ?何でこんなに集まってんの﹂
﹁⋮何かきな臭い匂いがするね﹂
﹁そう言えば、なんかびびってんな⋮﹂
マスターも含めまして、騎士団の皆さんも困惑のご様子。
無論、私自身も何事か状況が掴めておりませぬ。
やがて、大地人の代表らしき年嵩の男が、マスター方に尋ねられま
した。
﹁妖精の環から人が⋮も、もしや貴方様方は、
786
﹃秋葉の騎士﹄様方でございましょうか!?﹂
異国独特の、口の動きと発せられた言葉が微妙に合わぬ問いかけが
男より為されます。
その問いかけにマスター方は顔を見合わせました。
﹁⋮え?どゆこと?なんで知ってんの?僕らそんなに有名だったっ
け?﹂
﹁いえ、うちのギルドはラダマンテュス征しましたけど、
活動事態は日本ローカルでしたからそれほどは⋮
冒険者ならまだ分かるんですけど﹂
﹁あー、あれじゃね?妖精の環解明プロジェクトの噂聞いたとか。
ほら、調査隊って結構色んなところで色々やってんじゃん﹂
﹁ああ、なるほど。それならアリか。二次元たまには頭まわんな﹂
﹁たまには、はひでーよ姉御!﹂
﹁知らない間に有名になってたんだなあ。俺ら﹂
⋮成る程。マスター方の話を聞き、納得が行きました。
恐らくはこの男は、マスター方の勇名を聞き及んでいたのでしょう。
かつて、妖精の環解明プロジェクトであちこちを訪れた冒険者方の
口から。
﹁⋮うむ。いかにも俺たちはアキバの黒剣騎士団だが﹂
アトラス様が肯定の意を示し、頷きます。
﹁おお⋮おお!秋葉の⋮それも黒騎士様がた!
どうかお助けくだされ!お願いいたします!
どうか、あの黄金の魔竜めを討伐してくだされ!﹂
その言葉を聞き、男が地に頭をこすりつけんばかりの勢いで平伏し、
マスター方に懇願いたしました。
4
787
ようやく、こちら側にも朝の太陽が昇る頃。
交易や交渉のためにアキバより持ってきた様々な食糧とヨシヒロ様
とユーミル様が
仕留めてきた猪の肉を振る舞い︵魔竜に襲われるのを恐れて逃げ出
した村の民は
皆食うや食わずであったため、非常に感謝されました︶その後聞き
だした情報と、
手と口の周りを飴でベトベトにして帰ってきたスフィーの、
森にきんぴかの竜がいたと言う証言をもとに、マスター方は軍儀を
開始されました。
ゴールデンドラゴン
﹁アルスターの︿黄金魔竜﹀か⋮﹂
アトラス様が男⋮近隣の村の村長よりお話を伺い、難しそうな顔を
して呟かれました。
100年以上冒険者としてご活躍為された方ゆえ、
アトラス様は黄金魔竜についてもご存知でいらっしゃいました。
黄金魔竜とは、今より遥か昔にこのセルデシアに現れた、
かなり古い軍勢格の魔物の1つに御座います。
この地⋮ユーレッドの西の果てにある島、
アルスター騎士剣同盟の魔竜として古くから知られ、
幾多の冒険者を葬り去ってきた黄金の竜とのこと。
⋮とは申しましても、長き戦いの末、幾たびもその限界を越えてきた
現代の冒険者にとっては決して強いとは言えぬ存在でもあり、
それが逆に悩ましいそうで御座います。
﹁実際のところ、Lv60のフルレイド級ってのがまた微妙なとこ
ろでな⋮
まあ当然ながらLv90が24人いればよっぽどの素人じゃなけ
788
りゃあ仕留められる。
俺らが24人いりゃあ完全に作業だ⋮が、今回俺らは6人しかい
ねえ﹂
﹁⋮レイドランクのHP補正考えると結構厳しいですね﹂
﹁おう。さすがユーミル。よく勉強してやがんな。その通りだ。
火力もかたさも今の俺らにとっちゃあどうってことねえが、
HPだけはアホみてえにある。火力がドンだけ用意できるかが
肝だ。
とりあえずユーミルと阿国で火力が2枚。
ちなみに炎含めて耐性は全部100%だったはずだ﹂
﹁だったらアタシはいつも通り焼けばいいね。そんなら大分楽に行
けそうだ﹂
﹁だな。あとはヨシ、お前得意の全力攻撃だが⋮今どれくらい持つ
?﹂
﹁⋮回避率考慮しないなら赤靴なしのユーミル並の火力を
400秒くらいは維持できるかな。んで大体630秒くらいで
ガス欠する。
あ、勿論挑発一切しない前提だけど、構わないよね?﹂
﹁おう。武士の攻撃スキル連発してそんだけ持たせられんなら上出
来だ。
ヘイトは気にすんな。ダメージは全部そこのカルマお兄さんが
引き受けてくれるってよ﹂
﹁⋮了解っす。守護戦士はダメージ食らうのが仕事だし。
今回は盾構えて叫ぶだけの簡単なお仕事に徹しますわ﹂
﹁おう。頼んだぜ。心配すんな、俺が責任持って治してやっから﹂
てきぱきと纏められていくマスター方の魔竜への戦術。
私には未だに理解が及びませんが、マスター方の戦術眼は皆、磨き
ぬかれたもの。
間違いはありえません。
789
﹁つうわけでだ二次元。お前に頼みたいのは﹂
そして、アトラス様がマスターに指示を出されます。
﹁了解。火力重視で﹂
﹁おう。頼んだ﹂
その様は以心伝心。マスターは即座に趣旨を掴み、
今回の戦に連れて行く従者を選びます。
さて、誰になりましょうか?
フォックスクイーン
﹁火力重視ならマコトだな。じゃ、とりあえず呼び出しとくか⋮
︿従者召喚:傾国九尾﹀っと﹂
⋮なんですと?
5
嗚呼、なんと言うことで御座いましょう。
マスターは、またもやあの新参の駄狐をお呼びに成られました!
同じ戦働きに長けたものであっても古くからマスターにお仕えする
戦乙女のナナセや般若のチヅルであれば許せるのに!
しかし、現実は無常。
マスターの呼びかけに応じ、駄狐が召喚されます。
金色の耳と銀の毛先を持つ九本の金の尾を揺らす、狐尾の女。
ですが、その魔性の美と強い呪いの力はまさに人外に相応しき力。
かつて、大陸の国をも傾けたと言う故事よりその名を与えられた恐
るべき魔獣。
されど、私は知っております。
あの駄狐が如何に卑しきものか。
790
﹁なんじゃ⋮またわらわの助力を求むるのか、ヌシは﹂
マスターをマスターとも思わぬ無礼な口の利き方!
思わず血潮が怒りに滾ります。
如何に元は黒剣騎士団の中隊と互角に渡り合った軍勢格とは言え、
今の貴女はマスターにお仕えする従者格に過ぎぬでしょうに!
﹁ああ、頼むよ。黄金魔竜相手とはいえ大規模は大規模だからな。
マコトの力を貸して欲しい﹂
ですがマスターは真摯なお方。駄狐風情にも、わざわざ頭を下げ、
願われます。
﹁嫌じゃ。興が乗らぬ。大体、ヌシらなら竜如き、楽に倒すじゃろ
う﹂
だと言うに、駄狐はまたあのような暴言を!
どうせ褒美狙いに違いありません!
﹁ああ、だろうな。多分勝てる⋮けど、万が一負けたら、
ここの人たち、死んじまうんだ。本気で行きたい﹂
嗚呼!なんと慈愛に満ちたお方なのでしょう!
大地人を確実に救うため、駄狐の力すら使う!
真の騎士とは、誇りより大切なものを持つと言うのはまさにこのこ
と!
﹁⋮知らぬ。たかが大地人の村の1つや2つ無くなろうと
わらわの知ったことではない。
わらわは狐神の化身たる︿傾国九尾﹀ぞ。
国をも滅ぼす魔物をその程度のことで遣おうなど、恥を知れ﹂
にも拘らず駄狐は未だに承諾の意を示そうとしません。
本当に何なのでしょう。この駄狐。そして。
﹁⋮四海秋葉の高級黒豚肉まん⋮﹂
マスターがついに切り札をお切りになられました。
﹁なぬ!?ま、まさか⋮﹂
駄狐の顔色が変わります。驚きの表情に。
﹁手伝ってくれたら、奢ってやろう⋮ククク、どうだ?働きたくな
791
ったろう⋮﹂
マスターも自然と笑みを浮かべられました。
英知に満ちた、思慮深い笑みに御座います。
﹁ふ、ふん!わ、わらわがそんなものに釣られると思うたら大間違
いぞ!
如何にあのとろけるような美味の肉まんと言えど、
ひ、1つや2つでこのわらわが⋮﹂
そのようなことを言うのでしたら、まずはその九つの尻尾をお止め
なさい。
バタバタと、見苦しい上に暑苦しい。
﹁だが、3つだと言ったら?﹂
卑しき駄狐に対し、マスターは更に報酬を示します。
﹁なん⋮じゃと⋮﹂
嗚呼、この駄狐は!
零れそうになった唾を音を立てて飲むなど、淑女にあるまじき行為!
︵⋮俺ちょっと召喚術師に転向してくる︶
︵無理です。アトラスさん。メインクラスは変えられません︶
︵だってよー!?ずりぃよずるすぎるよなんだよあの好感度マック
スっぷりは!?
あの二次元マニアめ!もげろ!剣聖とか惨殺ごともげろ!︶
︵いやー愛とか恋とか云々よりは餌見て全力で尻尾振ってる犬じゃ
ね?あれ︶
︵うん。アタシもそう思う。なんていうか⋮バカ犬?︶
︵毎回食べ物で釣れるからね。あの元レイドランク従者︵笑︶は︶
騎士様方もあの駄狐の卑しさに呆れ返っておられる様子。
恥ずかしくは無いのでしょうか。あの駄狐は。
﹁気が変わった。今回は特別に手伝ってやろう。
一応言うておくが、約定を忘れるで無いぞ。
792
⋮別段、あのようなものに興味は無いが、
約定を守らぬ主など、使役されてやる意味も無いだからな﹂
なんと見苦しい言い訳で御座いましょう!
貴女の卑しさなど、貴女を知るものは皆とうに気づいていると言う
のに!
﹁よっしちょっくら行ってくる⋮セリオ﹂
﹁⋮何か御用に御座いましょうか?﹂
内心の滾る心を必死に抑え、私は勤めて冷静に返します。
如何に腸が煮えていようと、それを表に出すなど、
従者の名折れに御座いますれば。
﹁今日はさ、竜退治のお祝いにご馳走がいいな。
夕方までには帰るから、作っといて。
⋮セリオが前に作ってくれたカツカレー。うん、あれが食いたい。
他は任せるけど、それだけは絶対で﹂
⋮
⋮⋮お
﹁お任せ下さいませマイマスター!腕によりをかけ、お帰りをお待
ちしております!﹂
嗚呼、これこそ我が喜び!我が愉悦の瞬間!マスターが、私を、求
めておられる!
︵う∼わ∼。めっちゃ笑顔だ。僕が攻めに回ってるときの顔だ︶
︵本当にセリオさんはヨウケンさんが好きなんですね︶
︵⋮いっそ殺してでも奪い取るべきか?時代はNTRか?︶
︵やめときなって。あいつの道は茨の道だよ。アタシには分かる︶
︵そうそう。姉御も大学の頃乙女ゲーにどハマリしたとうぉぉぉぉ
!?
あっちぃぃぃぃ!?︶
793
︵なんでてめえはそう昔っから口が軽いんだよ!
人の黒歴史ポンポン喋ろうとすんなこんボケが!︶
皆様方がなにやら騒いでいるようですが、今の私には、関係ありま
せん!
今なら、あの駄狐のことも許せそうです!
﹁⋮おいメイド。わらわの分も忘れるでないぞ。わらわは大盛りで
3皿は喰らうでな﹂
⋮⋮だまれ駄狐。
6
マスターをお見送りした後、私は早速宴の準備を始めました。
先ほどの方々が逃げ出した村に2人で舞い戻り、
村の集会所のキッチンをお借りしました。
真新しい⋮というよりロクに使われた形跡の無い調理器具が揃った
キッチン。
テーブルの上には先ほどの猪肉の残りと、アキバより持参いたしま
した食糧の残り。
現地の大地人の方々との交渉に使われることを考慮して
魔法の鞄一杯に詰められた分だけあり、先ほど振舞った分減ってい
ることを
考えても宴の準備を整えるには充分な量に御座いましょう。
﹁ず、随分多いんですね⋮これ、なんですか?﹂
手伝いを申し出て戴きました、村では一番の手料理上手であるという
村長の娘御であるイリア様が、立ち並ぶ瓶や缶を見て首を傾げてお
りましたので、
794
説明することと致します。
﹁そちらは、アキバで作られました﹃調味料﹄に御座います。
右より、カレーパウダー、マヨネーズソース、ケチャップ、マス
タード、
セサミドレッシング、ウスターソース、トンカツソース、ショー
ユ⋮
後はお砂糖とお塩、お酢と各種ハーブに御座います﹂
調味料はアキバより持参する食糧でも特に要と重要と言えるものに
御座います。
と、申しますのも、お肉やお野菜、お魚などは現地調達も可能に御
座いますが、
アキバ程﹃調味料﹄が揃った地は未だ発見されたことは御座いませ
ぬ。
多種多様な調味の技。これこそがアキバ料理の要。
これら無くしてはアキバ料理は成り立ちませぬ。
﹁そうなんですか。秋葉の⋮お塩とかお酢以外にも調味料ってある
んですね⋮﹂
珍しいものを見るように、それらを眺めるイリア様。
どうやらアルスター騎士剣同盟とやらでは手料理は余り広まって居
らぬようです。
イリア様に伺ったところ、ある程度凝ったものは何処ぞの村で冒険
者の手で
発明されたと言うミートパイくらいで、後は煮たり、焼いたりなど、
比較的単純な料理しか再発見されて居らず
多種多様なアキバのような料理文化は無いとのこと。
美食の都とも呼ばれるアキバの手料理を身に付けた私の腕の見せ所
に御座います。
795
それよりしばらくは、黙々と下ごしらえを行いました。
イリア様もアキバの冒険者料理人と比べれば些かぎこちないものの、
中々の腕前。
筋は良さそうなので、幾つかアキバ料理をお教えしつつ、
宴の料理を整えて参ります。
﹁あの⋮妖精様、ここは危険じゃないでしょうか?﹂
そうして暫く料理に励んでいたところ、おずおずと、
イリア様が私に尋ねて参りました。
気持ちは分からぬでもありません。
スレイプニル
現在、マスター方はあの駄狐を連れ、
︿八脚神馬﹀で黄金竜の元へと向かいました。
スフィーはここからマスターの馬ならば2時間ほど離れた場所と
申しておりましたので、そろそろ戦いが始まっていてもおかしくは
無いでしょう。
もしマスター方が負ければ、手傷を負いました黄金魔竜がこの村を
襲うやも知れぬ。
そう、考えておられるのでしょう。
﹁問題ありませぬ。マスターが負けることなどありえませぬ故﹂
無論、私の答えは決まって居りますが。
﹁そ、そうなのですか?﹂
﹁左様に御座います。マスター方は、アキバでも最強の騎士団で御
座います故﹂
そう、昨今は︿D.D.D﹀こそアキバ最強の騎士団という風潮が
御座いますが、
私は知って居ります。
マスター方がどれだけの修羅場を潜り抜けてきたか。
796
そして、どれだけの恐るべき魔物を討ち取ってきたか。
マスター方が﹃勝てる﹄と踏んだ戦ならば負けるはずは無いので御
座います。
﹁最強⋮そう⋮ですよね!秋葉の黒騎士様なら、負けたりしません
よね!﹂
私の断言を聞き、イリア様もご安心したご様子。
﹁その通り⋮さて、急ぎませんと。後2時間ほどしか時間は在りま
せぬ故﹂
そう、負けは無い以上、マスターが戻るまで、あと2時間ほど。
悠長にしている時間は在りませぬ。
私たちは再び料理に没頭いたすこととしました。
マスター方の戦勝の宴を整えるため。
797
番外編4 家事妖精のセリオ︵後書き︶
本日はここまで。もしかしたら別の視点から続くかも。
さて今回出てきた﹁従者型の召喚生物のLvアップ﹂は
オリジナルの設定です。
一応設定的には﹁愛着が沸いたものの基本Lvが低すぎて
将来的に実用性が皆無となってしまう召喚生物を長く使いたい﹂
と言う要望から生まれたものです。
と言っても基本的にLvアップに必要な経験値は冒険者以上であり、
さらに同レベルであれば素のLvが高い召喚生物の方が強いです。
︵例えば最初からLv90の従者として契約できる
︿傾国九尾﹀のマコトは総合能力では素のLvからLv90まで
育てた
︿戦乙女﹀のナナセや︿般若﹀のチヅル以上に強いです︶
まさに使うなら愛で。の世界。
ヨウケンは16人の従者全員をLv90まで育て上げた猛者です。
⋮そして契約した従者は全部姿かたちと思考パターンが
女性型と言う徹底ぶり。
また、その命名にはとある法則があったり。
798
海外編2 従者のジョン︵前書き︶
夏休み、更新強化週間。
今回より、新しいシリーズが1つ追加されます。
海外編。
海外⋮すなわちヤマトの外の大地人が主役の物語です。
と言いつつ2本目なのは1本目が﹃外人のアルマ﹄となるため。
今回の舞台は⋮アルスター騎士剣同盟。
番外編4とリンクしている物語です。
テーマは﹃ハイジン﹄
かなり冒険者の方を向いた物語だったり。
799
海外編2 従者のジョン
0
﹁⋮ふむ。黄金の粉事件⋮中々にウィットが効いていると思わない
か?ワトスン君﹂
シャーロック様が、タイムス・オブ・ロンデニウムを読みながら、
僕に言いました。
﹁一体何かありましたか?黄金の粉って確か、
ウェンの大地から持ち帰られた品でしたよね?﹂
以前、シャーロック様が興味深そうに言っていましたし、
ロンデニウムでも随分と話題になったので、覚えています。
何でもセブンヒルの冒険者の家門︿エル・ドラド﹀が幾多の困難を
乗り越え、
西方にあるウェンの大地への船での往復に成功し、貴重な品々を持
ち帰ったそうです。
持ち帰った品々はセブンヒルでオークションに掛けられ売り払われ
たのですが、
それらが揃ってユーレッドでは手に入らぬ貴重な品々で、
冒険者と王様や貴族様がたが争って高い値をつけたので、
ものすごい値段になったと聞いています。
そしてその中に︿黄金の粉﹀と呼ばれる品があったとも。
何でも水にとても美味な味を持つ黄金の水に変える、
香辛料から作り出した﹃真実の食物﹄だそうで、冒険者でもある
宮廷料理長の助言に従ってアルスター王家が競り落としたそうです。
800
﹁そうだ実は数日前から黄金の粉がロンデニウムで売られていたら
しいんだが、
⋮見た目を似せた空き缶一杯に砂金を詰めたものだったらしい﹂
﹁砂金!?﹂
﹁そうだ⋮なるほど、確かに黄金の粉だが⋮生憎と詐欺師扱いにな
ったらしくてね。
追放処分になったそうだ。うちのガラムにまで売りつけたのは運
が無かったな﹂
驚く僕に対してシャーロック様は肩を竦め、言います。
﹁興味深いと思わないか?この世界ではカレーパウダー⋮
黄金の粉は本物の黄金より高いらしい﹂
﹁はい?それがおかしいんですか?﹂
冒険者の方々が言う﹃真実の食物﹄は七女王国では、非常に高価な
ものです。
特に七女王国では東方の大帝国オスマニアを通して手に入れなけれ
ばいけない
昨今では貴重な香辛料を主としたものならなおさら。
それを考えれば黄金より高価なのもさほどおかしくないかと思うの
ですが。
﹁⋮まあ、冒険者と貴君ら大地人の感覚は違うからね。さて⋮﹂
咳払いを1つして、シャーロック様は立ち上がります。
﹁私は私の仕事をするとしよう⋮﹂
そう言うとシャーロック様は立ち上がり、着替えを始めました。
伝説に残りそうなほどの篭手をつけ、チェック柄の外套を着込みま
す。
そして、いつものように帽子を被って愛用のパイプをくわえ、
なんでもないことのように、シャーロック様は言いました。
﹁⋮対して面白みの無い竜退治だがね﹂
僕らから見れば、狂気の沙汰とも言えそうな偉業を。
とはいえ、僕は知っています。
801
シャーロック様が竜を狩れるだけの英雄であること、その正体を。
遥か古代よりこの世界の秩序と平和を守る全界13騎士団に次ぐ、
14番目の騎士団。
幾多の魔物を討伐し、あの大災害の後、アルスター王家と契りを結
んだ、
冒険者の中でも最強と言われる騎士団。
第14騎士団所属モンク﹃バリツマスター﹄シャーロック13。
それに付き従う従者として、王立騎士団の若手よりシャーロック様
直々に
選ばれた従者が僕、ジョン=ワトスンです。
﹁海外編2 従者のジョン﹂
1
シャーロック様と同じ、第14騎士団に所属する騎士様方に
シャーロック様を含めた6人と僕たち従者の一団は、
ロンデニウムから少し北のとある村に向かっていました。
目的は、先ほども言ったとおりのドラゴン退治。
ゴールデンドラゴンが実に150年ぶりに人里に現れ、幾つかの村
を焼き滅ぼしました。
このまま放置すれば、ロンデニウムにも危険が及ぶ可能性があると
いうことで、
王家から第14騎士団に討伐の依頼が為され、第14騎士団団長の
ピップ様の決定で、
6人の騎士様方が派遣されることが決まりました。
そしてその内の1人が僕がお仕えする、シャーロック様だったと言
802
うわけです。
﹁たかが、竜如きで私たちが駆りだされるのか⋮﹂
シャーロック様に討伐の命令が届いたとき、
シャーロック様はため息をついてそう言いました。
そこには恐るべき竜に挑むことに対しての恐怖は微塵も無く、
ただただ飽いた様子でした。
の騎士団だと聞いています。
シャーロック様の所属する第14騎士団は、セルデシアの冒険者の
中でも
最強
騎士団に所属するおよそ400人の騎士様方は全員がセルデシア全
土から
実力を認められて集まった生え抜きの冒険者であり、
騎士団全体でセルデシアの世界中を巡って主要なレギオンレイド
︵冒険者がその全力を尽くしなお敗北することが当たり前なほどに
激しい戦だそうです︶の殆どを制覇したそうです。
﹁今回のアップデートには随分と期待していたんだ⋮
Lv100でなければクリアできないであろう、
世界各地で発生する新たなレギオンレイドをね。
だが、蓋を開けてみれば、どうだ?
私たちはこの監獄に囚われ、Lvは相も変わらず90で打ち止め。
せめて私たちが命を賭けるに足る戦いでもあれば慰めにもなった
が、それも無し。
私たちは生きるために大地人と契約して、中世の騎士の真似事だ。
⋮停滞。倦むべき停滞だよ、これは﹂
いくさびと
以前、刻み煙草を吸いながら、シャーロック様がそんなことを言っ
ていました。
僕達大地人には分からない感覚ですが、生粋の戦人である
803
シャーロック様は、新たな戦いを望んでいるようです。
それも、僕達大地人が生涯関わりあいたくないような、激しい戦を。
﹁なるほど⋮僕も似た様なものさ﹂
僕がそう語ると、賢者の都オックスフォードで学位を修め、
今は僕と同じく第14騎士団の騎士様に仕える朋友、
マーリン︵ソーサラーにはことさらに多い、定番の名前です︶も頷
いて言いました。
﹁トム様も言っていたんだ﹃私がソーサラーをマスターしたのは、
戦うためだ。
ゴールデンドラゴン如きでは相手にならない。
﹃黒騎士﹄でも連れて来い﹄⋮とね﹂
﹁黒騎士?﹂
﹁ああ、最近、辺境の民達の間で噂になってるらしいんだが⋮﹂
そう言うとマーリンは声を潜めて、僕に話してくれました。
何でも最近、同盟や七女王国のあちこちで、
﹃オータム・リーフの騎士﹄と呼ばれる存在が現れているそうです。
その正体は不明ですが、現れる時は必ず︿妖精の環﹀からであるこ
とから、
何処か別の場所からやってきたのでは無いかと言われています。
現れた騎士様は現れた後、近隣の村や町にふらりと現れ、
ここがどんな場所かを聞くと何処かへと去っていくそうです。
その際に、彼らに救われた大地人がいます。基本的に、一切の対価
なしで。
﹁悪しき魔物がいればそいつを倒し、病が流行れば病を癒し、
知恵を求めればそれを授ける。
⋮辺境の民の中には﹃オータム・リーフの騎士﹄は古来種が去り、
804
冒険者が堕落して混沌としたセルデシアの民の嘆きを悲しまれた
神が遣わした、
新たなる神の使徒だ、なんて言うものまでいる⋮﹂
そんな、よくある英雄伝説だそうです。
﹁そして、その中でも黒き剣の騎士団に属する
﹃オータム・リーフの黒騎士﹄と呼ばれる者たちは別格らしい。
⋮噂だと、冒険者よりも強いとか﹂
そんなバカな。
僕は思わず笑いました。
﹁おいおい。冒険者がどれだけ凄まじいか、知らないわけじゃない
だろ?﹂
僕らは第14騎士団の騎士様にお仕えする従者です。
当然、冒険者の力量がどれだけ常識を外れているかを知っています。
﹁知ってるさ。けどね、君だってロンデニウムにいるなら知ってい
るだろう?
冒険者にも、強さの序列がある⋮最上級の強さがあれば、
冒険者以上と呼ばれてもおかしくは無いね﹂
しかし、マーリンは肩をすくめて言いました⋮ふむ、確かに一理あ
ります。
ロンデニウムに、騎士剣同盟中の冒険者が集い、
王家と交流が始まったところで、1つのことが判明しました。
冒険者にも、強さの序列は確かに存在すると言うことです。
と言っても大地人にとっては
﹃竜はレッサー・ドラゴンと普通のドラゴンとエルダー・ドラゴン
で強さが違う﹄
と言うくらい意味が無い序列ですが。
805
まず、下級⋮これは、いわば成長の途中であり、
ともすれば僕やマーリンでも勝てる程度の力しか持たない冒険者。
無論、魔物と戦うことで僕らとは比べ物にならないほど早く鍛錬に
より
力を伸ばしますし、不老不死なのは変わらない辺りは
流石は冒険者と言ったところですが。
次が中級⋮技を極め、Lv90に達した冒険者。
⋮ええ、驚いたことにそれで﹃ようやく一人前程度﹄らしいです。
冒険者にとっては。
実際冒険者の半分は中級以上の力量を持っているそうです。
改めて冒険者の凄さを思い知らされました。
上級⋮この辺りになると、まさに魔人と呼ぶに相応しい冒険者とな
ります。
大抵は冒険者の騎士団に所属する騎士であり、
彼らに掛かれば巨人だろうと竜だろうと敵に在らず。
アルスター王家にも無いくらいの見事な武具をまとって、
アルスター各地の領主と契約してその防備に当たっています。
⋮今回は、王家の直轄領で起きた事件のため、僕ら以外どこも動き
ませんでしたが。
⋮そして、最上級。
上級の冒険者以上の力を持つ存在。
各地に冒険者の騎士団が散った今でもおよそ5,000の冒険者が
いると言う
ロンデニウムでもほんの一握りしかいません。
伝説に出てくるような凄まじい武具を纏い、己が技を知り尽くした、
最強の冒険者。
彼らは僕の知る限り一部の例外を除いて、セルデシア最強の騎士団
806
に属しています。
そう、それこそが第14騎士団。
第14騎士団にいる400人の騎士は皆、他の騎士団の当主一門並⋮
最上級の冒険者しかいない。
そのことが、強力な騎士団を召抱えることに成功した地方領主たち
の増長を防ぎ、
アルスター騎士剣同盟にある程度の安定⋮
シャーロック様に言わせれば停滞をもたらしているのです。
﹁おっと見えてきたな。あれだ﹂
そんな話をしていますと、目的の村が見えてきました。
今回はここを拠点にゴールデンドラゴンを探し出し、討伐するのが
お仕事です。
刻限は昼過ぎ。
僕らはそのまま、村へと入りました。
2
﹁ふむ⋮もぬけの殻か⋮﹂
村の中には人気がありませんでした。
冬と言うことで作物も全て収穫が終わっているだけに、かなり寂し
い光景です。
﹁どうやら既に逃げ出したあとのようだな。誰か、心当たりは?﹂
﹁この村だと確かここから1ゾーンほど離れた村の外れに︿妖精の
環﹀があるな。
避難するとしたらそこだろう。
襲われたとき、飛び込めばとりあえずゴールデンドラゴンからは
逃げられる。
807
⋮その後どんな目にあうかは分からないがね﹂
シャーロック様の問いかけに最初に答えたのは、トム様。
マーリンがお仕えする騎士様で魔術を極めたソーサラーでもあり、
小隊の知恵袋です。
﹁なるほど、最悪の事態に備えてか。
⋮それより、何か匂わないか?そう、酷く懐かしくて、心引かれ
る⋮﹂
シャーロック様の部下であるスワッシュバックラー、
ガラム=マサーラ様がしきりに鼻を動かして辺りの匂いを確認して
います。
﹁いいや?私には特に何も感じられないが⋮
あー、ワトスン君。悪いが少し村の中を調べてきてくれないかね?
私たちは妖精の環の方を調べてくるとする﹂
﹁分かりました。シャーロック様﹂
シャーロック様の求めに、僕は頷きを返しました。
これでも、王立騎士団の若手では一番の実力を持つ騎士でしたので、
適任でしょう。
﹁だったらうちのシャクティも連れて行くといい。シャクティ、行
って来い﹂
とはいえ僕1人でと言うのも心配だと言うことで、
ガラム=マサーラ様が己の従者を共につけてくれることになりまし
た。
﹁はい。ガラム様﹂
名前は、シャクティ。
中央ユーレッド人特有の浅黒い肌を持つ人間族のレディですが、
その実態は元アサシン。
西ユーレッドの何処からかアルスターに流れて来て、
ロンデニウムで﹃仕事﹄をこなしたところを衛兵に捕縛され、
縛り首になるところを、ガラム様がとりなして
ガラム様の従者となることで生き延びた方。
808
それ以来、ガラム様の手足として甲斐甲斐しくお仕えしているよう
です。
﹁⋮行きましょう﹂
言葉少なに、シャクティは僕を促して、歩き出します。
アサシンであると同時にシーカーでもある彼女は、まるで足音を立
てません。
斥候としては適任であるため、この手の仕事をよく任されます。
もっとも、今回はガーディアンである僕もいるので隠密行動はでき
ませんが。
﹁はい。お願いします﹂
僕もガシャガシャと鎧を鳴らしながら、歩き出しました。
3
村の中は、閑散としていました。
人っ子1人いません。
シャーロック様の見立て通り、村人は魔竜を恐れて村を捨てたので
しょう。
﹁やっぱり、誰もいない⋮シャクティ?﹂
﹁⋮静かに、声がするわ﹂
シャクティが僕の口を押さえ、言葉少なに言います。
僕も黙って、耳を済ませます。
︱︱︱あの、こんな感じで良いでしょうか?
︱︱︱はい。中々良い出来に御座います。
では、そろそろカレーパウダーを加えていくと致しましょう。
なるほど。レディの声が2人分。
村の中央付近にある大きな建物から聞こえます。
恐らくは村の集会所でしょう。
809
この建物の裏手⋮台所からのようです。
﹁⋮行きましょう﹂
﹁はい﹂
シャクティの促しに答えて僕たちはそちらへと向かいます。
﹁⋮これは、良い匂いですね﹂
近づいた途端、僕は思わず声を上げました。
辺りには何とも食欲をそそる香りが漂っていて、僕は思わず唾を飲
みました。
﹁これは⋮﹃真実の食物﹄かしら?⋮でも、この香りは何?
ガラム様が気にしてらした香り?﹂
確かに言われて見れば嗅いだことが無い匂いです。
特に強いのは、香ばしさと刺激が交じり合った、香辛料の香り。
﹁⋮待てよ。何でこんなところで、香辛料なんて使ってるんだ?﹂
西ユーレッド⋮特にアルスターでは元々非常に高価なものでした。
高級な料理を作るのに、よく使われているものでしたので。
更に最近では香辛料を使えば﹃料理の味﹄を更に高めることが出来
ると分かり、
冒険者や貴族の間で非常に高値で取引される高級品。
それが何でこんな、間違いなく内証豊かとはいえぬ
田舎の村でその匂いがしているのか。
謎が深まります。
﹁⋮女が2人。1人は村娘。もう1人は⋮メイドかしら?
耳が尖ってるけど、長くは無いわ﹂
さて、そんなことを考えている間に、シャクティがこっそりと中を
覗き、
中にいる人間を確認しました。
﹁⋮ジョン。あなたも確認してちょうだい﹂
810
﹁分かった﹂
僕もこっそり覗きます。
﹁それでは、私はお米を蒸らします故、イリア様はカレーの鍋をお
願い致します。
焦がさぬ様、充分にお気をつけてお願い致します。
それと、ラード作りを。トンカツを揚げるにはそれが一番です故﹂
﹁は、はい!⋮豚の脂がこんなに使い道があるなんて⋮料理って奥
が深い⋮﹂
そこでは、シャクティの言うとおり、2人の女性が料理をしていま
した。
1人は、ごく普通の村娘⋮服の仕立てが庶民より若干良いので、
村長などの有力者の娘でしょうか?
もう1人はメイドですが⋮耳が尖っています。
エルフにしては少し短く、ドワーフにしては背が高すぎる。
⋮そこまで分かったところで、僕は自らの技を用いることにしまし
た。
集中して鑑定。
そう、僕はガーディアンであると同時に、アナライザー︵鑑定官︶
の技術を学んでいます。
集中し、相手を見ることで相手の名前とLv、そしてクラスを知る
ことが出来るのです。
そして僕は、あの2名が何者であるかを知ります。
︱︱︱イリア=ウィッシュバーン。ファーマーLv3。
︱︱︱セリオ。キキーモラLv90。
811
なるほど。メイドの方はキキーモラでしたか。
確かにロンデニウムでもサモナーがたまに連れているのを⋮
あれ!?
僕は慌ててもう一度確認します。
先ほど見たものが夢であることを確認するように。
︱︱︱セリオ。キキーモラLv90。
⋮夢じゃありませんでした。
確かにキキーモラです。ただし常軌を逸したLv90の。
一体彼女は何者なんでしょう?
一応サモナーの従者となったモンスターは、
本来の技量を越えた技量を持つことが出来るとは聞いてます。
ただし、恐ろしく手間が掛かるとも。
キキーモラは普通、Lvは30ほどのモンスターだったはず。
Lv90なんていうのは、明らかにおかしい。
そこまで考えて、気づきました。
Lv90に達したキキーモラが、大地人の娘と一緒にいると言うこ
とは⋮
﹁⋮!ジョン、誰かが近づいてくる!﹂
﹁⋮おい。お前等、誰だ?﹂
少なくともそのマスターが近くにいると言うことです。
812
4
僕らは、囲まれていました。
7フィート近い身体を、聖なる力を帯びたプレートスーツとバック
ラー、
そしてメイスで武装したクレリック。
6フィートほどの、鍛え抜かれた体躯をオリエンタルな鎧で包み、
派手な飾りを施されたサムライ・ソードを2本下げたサムライ。
そして、妖艶なフォックステイルらしき女性を連れたサモナー。
この3人と1匹を見て、僕は思わず相手の技量を鑑定します。
︱︱︱アトラス。クレリックLv92/パラディンLv91
︱︱︱ヨシヒロ。サムライLv91/バーサーカーLv91
︱︱︱ヨウケン。サモナーLv91/テイマーLv90
︱︱︱マコト。フォックスクイーンLv90。
⋮なんと言う絶望的な状態でしょう。
3人とも、シャーロック様に匹敵する凄まじいLvです。
間違いなく冒険者。
それも身に纏う装備と気配からして、全員最上級に違いありません。
﹁⋮じょ、ジョン⋮こ、こいつら⋮﹂
一方、Lvは見えずともシャクティも感じ取ったのでしょう。
その、ドラゴンのように凄まじい力量を。
シャクティの声が震えています。ついでに脚も。
﹁でだ、ガーディアンの坊主にアサシンのお嬢ちゃん。
お前等は何者だ?なんでここにいる?﹂
その中でも最もLvが高いパラディン⋮
一行のリーダーであろう大男に尋ねられ、僕は震えながら答えます。
﹁わ、我々は第14騎士団にお仕えする従者!き、貴公らこそ何者
813
か!
その力量、只者ではあるまい!お答え願おう!﹂
精一杯声を上げ、問いかけます。
と言うか戦いになったら絶対に勝てないのは分かっているので、こ
っちも必死です。
﹁第14騎士団⋮?あ、もしかしてあいつらか!?﹂
﹁なに?知ってんのおやっさん﹂
﹁おう。第14騎士団っていやあイギリスの廃人専用ギルドだ﹂
﹁そうそう。レギオンレイドがあるところには大体顔を出してた連
中で、
俺ら以上のエリート主義で知られたところだな﹂
どうやら彼らは第14騎士団のことを知っているようです。
一体何者なのか?とりあえずいきなり襲ってくる気配は無いけど。
そう考えていると彼らもまた、名乗りました。
﹁っと、そういやこっちは名乗ってなかったな。
俺らは黒剣騎士団のメンバーだ。
俺はアトラス。で、そっちのサムライの兄ちゃんがヨシヒロで、
サモナーが二次元⋮じゃねえやヨウケンだ﹂
黒剣騎士団⋮?どこかで聞いたような⋮
そう思い、首を傾げていると、アトラス卿は更に言葉を重ねます。
﹁あれ?第14騎士団の関係者なのに知らないのか?
オータム
リーフ オータム・リーフ
⋮って大地人か。そりゃそうだ。俺らはアキバって街から来た。
季節の秋に葉っぱの葉で秋葉だ﹂
オータム・リーフ!?
その言葉に僕はようやくその正体に気づきました。
彼らはオータム・リーフの騎士⋮
814
それも、恐らくはオータム・リーフの黒騎士と呼ばれる存在です。
冒険者より強い、新たなる神の使徒。
そんなマーリンの言葉がよぎります。
﹁お、オータム・リーフの黒騎士⋮まさか本当にいるなんて!?﹂
シャクティが思わず声を上げます。
確かにマーリンが言っていたのが本当ならば、彼らは恐るべき魔人。
シャーロック様でも勝てないかも知れない。
そんな想いが頭をよぎります。
﹁お帰りなさいませ!マイマスター!
ゴールデンドラゴン退治、お疲れ様に御座います!
宴の準備は整って御座います!﹂
﹁うん。ただいまセリオ。意外と楽勝だった。それと、準備ありが
と﹂
⋮そして、嬉々として集会所から出てきたキキーモラの言葉が
更に追い討ちを掛けます。
どうやら退治されてたみたいです。ゴールデンドラゴン。
オータム・リーフの黒騎士の手によって。
5
かくして、ほぼ何もしないまま、ゴールデンドラゴン退治は終了し
ました。
僕らのやったことと言えば⋮
ゴールデンドラゴン退治記念の宴に参加したくらいです。
﹁ひゃっほう!これぞ故郷の味⋮とは違うがカリーだ!半年振りの
カリーだ!
815
⋮お代わりをくれ!チャパティも!﹂
﹁おのれそこの冒険者!そんなに喰うで無い!わらわの分がなくな
るであろう!
そこのアサシンの娘も!﹂
﹁⋮⋮⋮おかわり﹂
向こうでは、黒騎士のサモナーが召喚した魔獣と、
ガラム様が争うようにキキーモラが作った﹃カツカレー﹄を食べて
います。
しかもどうやらシャクティもえらく気に入ったらしく、
あの2人ほどでは無いですが、無言でかなりの勢いで食べています。
いや、確かに美味しいんですけどね。
香辛料が利いたソースがかけられたライスも、
一緒に乗せてある豚のフライも美味でしたし。
﹁⋮秘伝が全部炎系のブーストと攻撃魔法!?おいおい素人かよ!?
ソーサラーは満遍なく属性鍛えるのが基本だろう!?﹂
﹁⋮っは!これだからサイトだよりの効率厨は!
いいかい?炎に耐性持ちってのは少ないんだ!
その上で基礎火力が高い!
ついでに炎に特化して装備揃えるんならかなり良いものでも結構
安い!
炎弱点の相手になら理論上単発最大ダメージだって狙えんだよ!﹂
﹁トム様、落ち着いてください!何もこんなときに⋮﹂
﹁そうだよ姉御。やめとこうぜ﹂
向こうではトム様と黒騎士のソーサレスが議論しています。
マーリンとソーサレスの護衛らしきガーディアンが止めようとして
いますが⋮
止まりそうに無いですね。
﹁良いですか?フライを揚げるときには油の使い分けが必要に御座
816
います。
今回で言えば、ポークとポテトを揚げるのには別の鍋に溜めた油
を使う。
それが基本。手料理に置いて、横着は敵と知ることが肝要に御座
います﹂
そのまた向こうでは、キキーモラが料理について説明しながら、
追加の料理を作っています。
村長の娘だと言うイリアさんが必死に内容を書き取り、
村の女が鈴なりに集まって熱心に見て覚えようとしています。
まあこのご時世、料理がうまければ貴族の給仕に取り立てられるこ
とも
可能とあれば熱心にもなるでしょう。
それに、この宴で振舞われている料理の半分くらいは、
ロンデニウムでも見れないような料理ばかり。
しかも美味とくれば、覚えなくては損。
そう考えてもおかしくは無いのかも知れません。
﹁やれやれ。騒がしいことだ﹂
黒騎士のスワッシュバックラーが歌う歌
︵何故かバード並に上手いんですがあの人︶を聞きながら、
シャーロック様がため息をついています。
しかし、その表情は⋮今までのような退屈そうな不機嫌顔ではあり
ません。
まるで、新しい玩具を与えられた子供のような、笑みがありました。
﹁⋮シャーロック様、どうかされましたか?﹂
半年間仕えて来て、初めて見る表情に、
僕は思わずシャーロック様に尋ねます。
﹁いやなに。ようやく見えたものでね﹂
そんな僕にシャーロック様は謎掛けのような言葉を返し、
辺りを⋮宴のあちこちに散っている黒騎士たちを見ます。
817
﹁見えた?何がですか?﹂
再度問う僕に対し。
﹁ああ⋮希望さ﹂
シャーロック様は、短く、その言葉を返しました。
そんなわけで、僕らは一路ロンデニウムに戻ることになり、
黒騎士たちはオータム・リーフの地へと去っていきました。
これで、ドラゴン退治は終わり⋮すなわち僕の冒険も終わり。
そう思ってました。
⋮このときの僕は知らなかったんです。
この後、シャーロック様のお供として船に乗って、
大陸の果てまで行くことになるなんて。
6
︱︱︱アルスター騎士剣同盟首都 ロンデニウム
﹁なるほど⋮日本サーバの︿黒剣騎士団﹀か﹂
﹁はい⋮﹂
ロンデニウムに置いて、難攻不落の城砦であり、最強の存在が住ま
う城⋮
第14騎士団のギルドキャッスルの執務室で、
1人の男がシャーロックの報告を受けていた。
﹁彼らは6人の小隊で、妖精の環を使いアルスターに来たとのこと。
ゴールデンドラゴンは彼らが倒しました﹂
﹁まあ、彼らなら出来るだろうね。それくらいなら、簡単に﹂
王室の血がわずかに混じるほどの毛並みを持ち、
リタイア後の第2の人生として有り余る余暇を冒険に費やした男は、
818
知っている。
﹁運もあるだろうが、僕らより早く、ラダマンテュスを攻略したギ
ルドだ。
質だけで言えば、日本サーバで最強であろう︿D.D.D﹀を凌
最強
ギルドのことならば一通りは。
のギルドの主宰として、このセルデシアにある
ぐ﹂
強豪
﹁⋮で?ジョンブルであることが信条の君がアレだけ慌てて僕に会
いに来たんだ。
まだ、何か言うことがあるんだろ?﹂
そして、再度シャーロックに促す。話の続きを。
﹁はい⋮私がお伝えしなくてはならないことは⋮﹂
Lv91以上
でした﹂
1度言葉を切る。シャーロックにとって、それは思い返すだけで衝
撃であった。
﹁⋮彼らの全員が
この呪われた監獄で、限界を突破した存在。
どれだけのモンスターを殺しても決して達することが出来なかった
高み。
それに至った理由は⋮
﹁⋮なるほど。︿ノウアスフィアの開墾﹀は、
日本サーバに置いては既に適用されている、と?﹂
﹁はい⋮そう考えられるかと。
少なくとも、日本ならばLv90より上に行くことが可能なのは
確かです﹂
シャーロックの声が僅かに震える⋮ついに見えたのだ。希望が。
その瞬間の興奮は、未だに忘れられない。
﹁マスターピップ。私たちは行かねばなりません。
⋮いえ、嫌だと言うなら私だけでも行きます。
第14騎士団を捨ててでも!泳いででも!這ってでも!﹂
それを見てしまった以上、シャーロックはもはや
819
ここで暮らすことは出来ないと考えていた。
彼は誇りを持っていた。
己が人生の大半をこの地で過ごしたものとして、強さを求めるもの
として。
ゲーマー
﹁落ち着きたまえよ。シャーロック君﹂
どこか飄々とした諦めを捨て、廃人としての顔を覗かせた旧友を男
は諭す。
彼自身、密かに決意を固めながら、シャーロックにそれを放る。
﹁⋮これは?﹂
﹁招待状さ⋮エル・ドラドからのね﹂
﹁エル・ドラド⋮まさか!?﹂
その名に込められた意味と今、このタイミング。
それによりシャーロックは、答えを導き出す。
﹁そう、彼らの次の航海の行く先が決まった。
ウェンの大地への往復とは比べ物にならない困難が予測される。
⋮ついては僕達にも参加して欲しい。
既に各国の有力ギルドと王家にも同様の書面を送っているそうだ﹂
それは事実であろう。昨日、アルスター王家から打診があった。
船は用意するので是非とも参加し、黄金の粉などを持ち帰って欲し
いと。
﹁⋮正直、どうでも良いと思ってたんだ。
断る方向で考えてた。交易がしたけりゃ勝手にどうぞ。
僕らは交易ギルドではなく戦争ギルドだからね﹂
アルスター王家が求めるもの。それは彼らには何の価値も無いもの。
そう、彼らが求めるのはただ1つ。
﹁⋮いや参ったね。君の話を聞いたら、参加せざるを得ないじゃな
いか。
最も、彼らに習って1/12に当たるまで妖精の環に飛び込み続
けるのも悪くないけど﹂
新たなる冒険。ただそれこそを求めるのが、彼らの本能。
820
⋮故に、それがあれば例え地の果てまでも行く。
﹁⋮俺も入れろ。でなきゃ⋮﹂
シャーロックもまた、その1人だった。
そのためなら⋮
﹁ああ、この情報は麻薬だ。広まれば第14騎士団は瓦解する。
僕らが僕らであるが故に。それだけの威力がある。
良いだろう﹃バリツマスター﹄シャーロック13。
君たちも一緒に行こう。ただし、他には漏らすなよ?﹂
そして、立ち上がり宣言する。
﹁さあ、早速人選に移るとしよう。参加人数は100人。向かうは
⋮﹂
ロンデニウムの、日が昇り始めた遅い朝の様を見ながら。
﹁黄金の島ジパング!⋮ははっ、まるで大航海時代の再来だな!﹂
﹃第14騎士団﹄ギルドマスター、ピップは大いに笑う。
﹁ああ、ようやく始まる!待たせすぎだぜ!クソ運営ども!﹂
ゲーマー
シャーロックも、紳士の仮面を脱ぎ捨て笑う。
その下にあるのは、廃人の顔。
﹁僕たちは﹃14﹄を恐れない!﹂
ノリにのって、ピップは第14騎士団の教えを叫ぶ。
﹁何度﹃14送り﹄になってもいい!﹂
シャーロックもまた、それに合わせる。
﹁﹁代わりにお前も﹃14送り﹄だ!﹂﹂
そして最後は2人で爆笑する。
このアルスター騎士剣同盟の、西ユーレッドの停滞を吹き飛ばすよ
うに、高らかに。
821
⋮そして、歴史は動き出す。
欧州サーバ史上最大の冒険。
プロジェクト・エル・ドラド
﹃黄金の島の探索﹄
そこへと向かって、転がり落ちるように。
822
海外編2 従者のジョン︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに、﹃黄金の島の探索﹄の顛末は⋮未定。本編次第。
何故﹃黄金の島の探索﹄をやろうと言う話になったかについては、
また、別の話で明かされる日も来るかもしれません。
823
第21話 語り部のモモ︵前書き︶
本日は、ちょっと毛色の違うお話。
アメヤの村の狼牙族のお話。
テーマは﹃戦闘民族の生態﹄
少しアレな話ですが、お付き合い頂けると幸いです。
824
第21話 語り部のモモ
0
⋮あ!アンタでしょ!?傭兵ギルドに依頼出したホネスティのシゲ
ルって!
一体どういうつもり!?
﹃アメヤの村にいる狼牙族について教えてほしい﹄って!
しかも報酬が﹃正宗﹄ってどゆこと!?
⋮は?手に入れた時期が微妙だったから固定化もしないで
倉庫の肥やしになってた武器?
無印は装備Lv50だからあの村の武士には丁度良いと思った?
⋮アンタ、正宗よま・さ・む・ね!
全武士にとって憧れの名刀!
手に入れるためなら何でもするなんて武士、ゴロゴロいんだからね
!?
本当に大変だったんだから!
村の男どもが盛り上がっちゃって、しまいにゃ手加減なしで斬り合
いして
最後に勝った奴が依頼を受けて正宗手に入れるなんて話になりかけ
るし、
それにタロ様とジロ様、おまけに何故かムサシ様まで参加しようと
するし!
結局、センカから言われてあたしが依頼受けて、
825
正宗は村の共有財産にするってことで落ち着いたから良かったもの
の、
下手したら割とマジで殺し合いになってたんだからね!?
そうよ。アメヤの村の狼牙⋮
北方狼牙についてはあたしが教えてあげる!
ただし!隠し財産のありかとか、
非常用の脱出路とか、村の秘密は教えないよ!
ダメなら依頼は受けない!いい!?
⋮え?そういうのには元々興味が無い?
話を聞きたいのは純粋に﹃ジンルイガク的な興味﹄から?
何よ?ジンルイガクって⋮
⋮⋮色々な民族の文化と歴史を調べる、ねえ⋮
んで、あたしらの文化を知りたいと。
なにそれ。
だってアンタってホネスティのシゲルでしょ?
アキバの武士の中でも屈指の実力者って聞いたよ?
なんでそれが分けわかんない学問を修めた元学者様って⋮
冒険者になったのは5年前に定年退官してから?
それまではフィールドワーク主体で色々な場所に話を聞きに行って
た?
⋮⋮冒険者って本当に不老不死なんだね。
たった5年でLv90になってるのもおかしいけど。
まあ、それならいいよ。
826
ようするに、あたしらがエッゾでどういう暮らししてたかを話せば
いいんだよね?
あ、一応名乗っとくとあたしはモモ。
アメヤの村長やってるセンカの側仕えだよ。
言っとくけど、この仕事にあたしより向いてる人なんて、
あたしのお母ちゃんとお婆ちゃんくらいなんだからね?
なんてったって、あたしの家系は代々の﹃語り部﹄なんだから。
﹃第21話 語り部のモモ﹄
1
まずは⋮どうやって暮らしてたか?
うん。分かった。
まず、暮らしてたところは、森とか山が多いかな。
ススキノの貧民街に住んでる﹃街狼﹄の連中もいるけど、
あっちはあたしらは帝国狼牙とか呼んでて、アメヤの連中とはまた
違うから。
ん?エッゾならば平原が沢山あるんじゃないかって?
平原は大体巨人とかでっかいモンスターがいたり帝国人が住んでた
りするから。
森なら獣も豊富だしね。魔物も多いから大変だけどさ。
規模?大体1家族から多くても30人位かな。幾つかの家族の集ま
りだね。
それ以上になるとどうしても所帯が大きくなりすぎるしね。
827
まあ、一応あたしたちが暮らしてたのは代々の狼王が暮らしてた、
狼牙族の集落としては一番大きいところで、
それでも今のアメヤの村の半分くらい⋮300人ってところかな。
帝国人の間では﹃帰れずの森﹄って呼ばれてたよ。
実際入った帝国人は大体殺してたし、強力な森呪遣いの魔術で
要塞みたいになってたしね。
日々の生活の糧は狩りと採取で得てたよ。
普通食べるのは獣の肉とか木の実、川で取れた魚、後は鶏を飼って
卵かな?
たまに鶏狙いで来た獣を森呪遣いの魔法で仕留めてそれを食べたり
もする。
あたしが今着てるような北方狼牙の服なんかも毛皮と樹の皮なんか
で作ってたかな。
⋮へぇ、アイヌってのに似てるんだ。
服もそれに近い⋮ねぇ。まあ、聞いたこと無いけど。
それと⋮帝国人相手の略奪?シブヤの帝国人が随分恐れてたって?
それはこっちの縄張り荒らしたとか、帝国兵に襲われて食糧が尽き
たとか、
そんな場合だけ⋮って言いたいけど、こればっかりはねえ。
やっぱり血の気の多い連中が住んでる集落は略奪も多かったよ。
ま、小麦だのジャガイモなんかは帝国みたいな畑が無いと作れない
から、
手に入れようと思うとどうしても街で暮らしてる街狼と交換するか、
略奪するしか無いからね。
帝国でも更に辺境って言われるようなところだと狼牙ともうまくや
828
ってる
人間族がいて物々交換で手に入れてる集落もあるらしいけど。
⋮あ、言っとくけど、エッゾ離れてからは一切やってないよ?
亜人とかウエノの盗賊どもは護衛仕事の邪魔だから殺して
ついでに戦利品貰ってるけどそれを別にすれば。
センカがね、北方狼牙もこれからは変わらないと行けないって、略
奪は禁止してる。
シブヤの帝国人とだって仲良くやるつもりらしいよ。
向こうが牙剥いたら当然戦うけど。
2
次は⋮アメヤの村に︿武士﹀と︿森呪遣い﹀が多い理由?
んなもん、戦わなきゃ生き残れないからに決まってんじゃん。
元々あたしらが住んでるのってエッゾでも厳しい所ばっかでね。
狼に熊に虎、雪トカゲや亜人や帝国兵、あとは巨人なんかが集落襲
うとか
良くあったのよ。
それ何とかして倒せないと集落丸ごと引っ越すか時期が悪いと最悪
全滅すんの。
そんなところに住んでたから、やっぱ戦いの技を身に着けないとっ
て考えが
北方狼牙の中では強くてね。
男も女も皆子供の頃から鍛えてんのよ。
それで男なら武士、女なら森呪遣いになるのが普通だから、
アメヤの村の男は武士ばっかだし、女はみんな森呪遣い。
829
ま、あたしとかミドリ、あとセンカみたいな家に生まれた場合はま
た事情が違うけど。
とりあえずそれは後回しで、普通の北方狼牙について話すよ。
まず8つまでは何もしない。
子供って病気とか怪我とかでそれまでに死ぬことが多いからね。
その前には特に鍛えない。ま、無理して鍛えても壊れちゃうしね。
精々年の近いガキ同士で木の棒で殴りあったりするくらいかな。遊
びで。
技を教えるのは、8つになったら。
男の子には刀を、女の子には森呪遣いの魔法教えて、戦の訓練を始
めるの。
男の子の場合だと最初はひたすら刀振って、
父親にボッコボコにされながら戦い方を叩き込まれるね、文字通り
の意味で。
後は弓。こっちも指がパンパンになるまで引かせる。
やっぱ数が揃ってる時は遠くから一斉に矢ぶち込んで、
一気に殺すほうが直に斬り合いするよか楽だから。
ただ、弓は北方狼牙ではそんなに⋮って感じ。
やっぱ刀で武士の技使って斬った方が強いからね。
弓で引きつけて、刀で斬り殺すのが一番多いかな。
んで女の子は、訓練でボッコボコにされた男の子とか
訓練始めていない子供の怪我とかを治して、治療術の勘を掴む。
他にも森呪の罠魔法の使い方とか、魔物に近づかれたときのために、
武器使った身の守り方とかも教える。こっちは大体母親の仕事。
んでどっちも10歳くらいになったら両親と一緒に、
830
幼子を他の家の一家とか成人した兄ちゃんや姉ちゃんに預けて狩り
に出る。
そこで父親の戦いの間合いとか、母親の魔法の扱いとかを見て覚え
んの。
まあ、最初は子供の技量に合わせて、弱っちい魔物ばっかりの場所
が多いよ。
ま、運が悪いとそれでも死ぬけど、それくらい生き残れないと一人
前にはなれないね。
そうして、15になったら成人。
男なら力量に見合った刀を2本貰って正式に二本差しになるし、
女なら妖精の加護が宿ったナイフ貰って、森呪遣いとしてひとり立
ちする。
そうなると狩りに行くにしても同じ若手同士でやるようになる。
あとはススキノの街狼のところで﹃修行﹄するやつもいるね。
やっぱり街場でしか手に入らないものってあるから。
あとは当然だけど成人したら結婚も考えるようになるよ!
普通は同じ集落で、子供の頃から結婚約束してる同士か、
よその集落の年頃同士かな。大体親が決める。
あたしとダーリンは昔っから自分等で結婚約束した仲だったけど。
基準?⋮う∼ん、特に気にするのは技量かな。
北方狼牙には﹃強き男に賢き女がつく﹄って言う言葉があって、
男の武士の技量と女の森呪遣いの技量が同じ位なのが大事なの。
まあ、たまに旦那に死なれた技量の高い年増が、
技量の低い若い男を娶ることもあるけど、
その場合も大体は自分の力量に見合うところまで女が男を鍛えるね。
⋮逆?ああ、そりゃないない。
831
病とかならしゃーないかも知んないけど、
戦場で女より遅く死ぬ男なんてみんな嫌がるもん。
結婚の時期?
早けりゃ成人した次の日にも結婚する娘もいるし、
遅くても大体19までには結婚するかな。
ちなみにあたしは15のときにダーリンと結婚したよ。
あたしが成人した次の日にね!
3
次は⋮政治?⋮ああ、まつりごとのことか!
おおはは
それなら戦の仕切りとかの外側は﹃狼王﹄、
北方狼牙の内側については﹃大母﹄がやるね。
ちなみにセンカが今の﹃狼王﹄ね!
センカはよく村長って呼べって言ってるけど!
で、それはどうやって決めるのか、ねぇ⋮
まず﹃狼王﹄は簡単だよ。
先代が死んだり戦えなくなったら狼王になりたい奴等が
ススキノにある地下の決闘場で1対1で戦って、
最後まで勝ち続けた奴が狼王になるって掟だから!
あたしらはそれを﹃代替わり﹄って呼んでるんだけど、すごいよ。
お互い、本気で殺すつもりで戦うし、降参するくらいなら死ぬって
人も多いから。
つっても、意外に平気なんだよね。
代替わりに出る奴等って大体凄腕⋮Lv50越えてるような武士ば
832
っかだし、
その男の妻とか、優秀な女⋮つまり森呪遣いも沢山集まってる。
もちろん、代替わりが決着してすぐなら確実に死にたて!
つまりさ⋮死んでも﹃魂返し﹄が大体上手く行って生き返るんだよ
ね!
4人に1人くらいは、首がもげちゃったとか生き返りようないくらい
酷い損傷でどうしようも無いけど。
センカなんか、わざわざ生き返れるように、最低限の損傷で勝つよ
うにしてたんだよ。
代替わりでセンカは15人殺したけど、全員生き返らせるの成功し
たくらいだもん。
⋮へ?蘇生魔法が存在する世界だと死生観がおかしくなるのかって?
あはは、何言ってんの!
冒険者なんてあたしら以上に無茶してポンポン死んで
それでも生き返ってんじゃん!
おおはは
ま、それはさておき次は﹃大母﹄ね。
これは、いわば女の頂点。長生きした長老が話し合って、
北方狼牙全体の﹃母親﹄を決めるの。
んで﹃母﹄って位だから大母は女しかなれない。
⋮ココだけの話、結構ドロドロしてんのよね。長老同士って。
ここでも重視されるのは技量ね。
仕切りの腕とか信用とか身内に﹃狼王﹄がいるかとかも関係するけ
ど、
なんだかんだ言っても飛びぬけて︿森呪遣い﹀の技量が高い女が
大母になるのが基本。
833
大体長生きしてるから大母は技量だけなら大抵狼王以上⋮Lv60
越えてるよ。
ま、成るまでに歳取っちゃって体力は落ちてるから真っ向から戦っ
たら
狼王のが強いけど。
え?なんで森呪遣い限定なのかって?
かむい
それはね、大母は北方狼牙の母であると同時に﹃神威の巫女﹄でも
あるから。
あ、神威って言うのは動物の魂が寄り集って神に成ったものね。
多分、冒険者より強いよ。
癒しの女神ユーララ様とか刀の神フツマサ様程じゃないにせよ、神
は神だから。
森呪遣いは、北方狼牙を支える長老になると
神威が住んでる森の場所を教えてもらえる。
そして長老たちから選ばれた大母は、年に1回そこに行って、
神威が荒ぶってないかを見る。
神威が荒ぶっていれば、凶兆だから備えろって言われてる。
⋮あたしも森の場所は知らない。
たとえ語り部であっても、﹃神威の森﹄のことは教えてもらえない
んだ。
長老達は神威をほっとけないからってアメヤに来ないで
エッゾの帰らずの森に残ってるから、知ろうと思ったらエッゾまで
行くしかないね。
4
じゃ、次はあたしたち⋮特殊な血縁について教えようかな。
私たちみたいな特殊な血縁を紡いできた家の女はね、他とは違う技
834
を伝えんの。
そういう、他には無い特別な技を扱うものたちだから常に代々の狼
王に仕えてきたし、
他とは違うものとして他の北方狼牙からは特別のものとして扱われ
る。
⋮いわゆる貴族に近いかな。
他より特別だけど、大母にはなれないんだよね。
ほら、チェスってあるじゃない?
あれで言うビショップとかルークとかみたいなもんでさ、
最初から特殊な動きが出来るけど、代わりに絶対に女王にはなれな
いのよ。
さっきも言ったとおり、大母になれるのは︿森呪遣い﹀だけだから。
ま、それはさておいて、大まかに家系の説明するね。
まず、あたしは﹃語り部﹄
北方狼牙におきた沢山の出来事と、歴代の狼王たちと帝国の戦いの
歴史、
今まで狼牙が戦い、倒してきた魔物の知識に北方狼牙の集団戦闘術⋮
そういう知識を覚えて、狼王に教えるのが仕事。
北方狼牙の知識は殆どが本じゃなくて﹃歌﹄にまとめられてるから、
私の家系は歌唄い⋮︿吟遊詩人﹀の技を代々伝えんの。
一応武器の扱いも一通り覚えるよ。
語り部は戦のときも狼王に侍って、狼王やその配下を鼓舞するのも
仕事だからね。
狼王の隣⋮最前線に立てなきゃ役に立てない。
アタシだってこれでも昔っから弓使わせたら男よりうまかったんだ
から。
次は⋮﹃守人﹄かな。
835
狼王とその家族を守る最後の盾。
得意なのは結界術。まあ、つまりは︿神祇官﹀の一族だね。
大体、歴代の狼王と、その血縁に1人ずつつくことが多いかな。
うちだとセンカの側仕えしてるミドリが守人だよ。
後はセンカの妹にもミドリの妹が守人としてついてたんだ。
今はちょ∼っと事情があってそっちはお休みしてるけどね。
ま、そこは村の秘密ってことで!
後は﹃魔術師﹄も特殊な家系になるかな。
刀が効き難い特殊な魔物を殺すにはやっぱり︿妖術師﹀の魔術が頼
りになるし、
︿付与術士﹀の魔術は群れで行う戦では大活躍するからね。
ただ、魔術師は癒しの術が使えないから、結婚がちょっと難しいん
だよね。
やっぱ男は後ろから癒しの術で援護してくれる娘のが好みってのが
多くてさ。
んで、アメヤの村だとセンカが魔術師の家系だよ。
冒険者に言うのもなんだけど、すっごく強い妖術師なんだよ⋮うん
?なに?
なんで女で妖術師のセンカが﹃狼王﹄なのかって?
話を聞く限り男の頂点が狼王になるものではって?
う∼ん、まあ、そうだよね。じゃ、次はセンカについて話そうか。
5
まずさ、センカが狼王になれた理由は、15年前の﹃女帝事件﹄ま
で遡るんだ。
今から15年前、私たちが﹃女帝﹄って呼んでる、
836
南方から流れてきた狐尾族の女⋮⋮
後で調べたところによると﹃アイギアの雌狐﹄って言う、
凄腕の暗殺者だったらしいんだけど、その人が当時の狼王と戦った
の。
なんでも、親を亡くした狼牙の子供を集めて暗殺の技を教えこんで
たのを、
当時の狼王が北方狼牙の恥さらしとして皆殺しにしたせいで、
師匠筋に当たる女帝が仇を討ちに来たんだけど⋮
当時の狼王がよりにもよって女帝との正々堂々の一騎打ちで負けて、
殺されたの。
当時の狼王だって代替わりを征した凄腕の武士だったし、強かった
んだけどね。
女帝が更に上に行った。
んで、そのせいで、本当にもめたんだ。
女帝が狼王を倒した以上、彼女こそ狼王になるべきなんて話も出た
くらい。
結局いつも通り代替わりは行って、狼王を決めたんだけど、
そんときに﹃狼王は男女を問わず強きものがなるべし﹄ってなった。
それまでは一応男限定だったんだけどね。
それで、センカのお母さんが、考えたんだ。
今の掟ならば、自分は無理でもセンカを狼王にすることが出来るか
も知れないって。
それで、ものすごく厳しい訓練を重ねて、センカは強くなった。
⋮幼なじみのあたしから見ても異常だったよ。
837
時々、同い年のセンカが怖かったくらい。
それで、3年前の代替わりの時、センカは妖術師でありながら参加
した。
そして⋮色々あって最後まで勝った。
それでセンカが狼王になったの。
⋮まあ、お陰で﹃大母﹄からは随分と嫌われてたんだけどね。
嫁と姑みたいなもんで、若い女が北方狼牙の頂点に立つのが、
許せなかったんだと思う。
ただまあ、センカは2年前の帝国人との戦に勝ったから発言力が強
かったし、
大母にも好き勝手はさせなかったよ。
⋮ん?帝国人と北方狼牙について詳しい話を聞きたい?
先ほどから端々に対立してるように聞こえるし、
シブヤで聞いた限りでも随分怖がられてた?
ん∼まあ、良いけど。
6
まずさ、あたしたち北方狼牙の祖先は、当時のウェストランデ古王
朝の手で、
北方に送り込まれた兵士の末裔なんだ。
当時のエッゾは、巨人とか魔物が今以上に多くて、どこも厳しくて
ね。
ま、その頃古王朝が本気でボロボロになってたせいで充分な兵站が
無かったってのもあるんだけど。
838
そんな状態でもあたしらは何とか戦に勝って、森を切り開いて、開
拓して暮らしてた。
さっき言ったみたいに、苦しい森や山での暮らしを始めたのはもっ
と後。
⋮あたしらが帝国に負けてから。
帝国はさ、元々は古王朝の人間族と、
更に北方の大陸の人間族が交じり合って出来たんだ。
帝国の初代皇帝アル=ラーディルは大陸の血を引いてる。
奴等は最初アキバみたいな﹃冒険者の遺跡﹄を発見して、
それを起動させて最初の街⋮帝都であり冒険者の街であるススキノ
を作った。
今にして思えば、その時点で北方狼牙に勝ち目は無かったんだよね。
だって、冒険者と衛兵が常にいる時点でススキノはどうやっても
あたしたちには攻略できない。
今から57年前に、巨人の王に率いられた巨人の群れが衛兵を無力
化した上で
ススキノを襲ったときも、結局は冒険者が集まって殲滅したくらい
だもん。
ちょっと強い程度の大地人であるあたしらじゃ絶対勝てない。
⋮まあ、そのせいで今ススキノがあんな酷いことになってるのは、
皮肉だと思うけど。
ま、それで絶対落とせない城があって、更に数に勝る人間族相手じゃ
あたしらも勝てなくてね。
作物育てるのに向いた平地とかは帝国の領土になって、
あたしらは森とか山とか、守りやすいけど暮らすのには向かない場
所で
暮らすようになった。
839
それでも帝国人は満足しなくてね。
あたしらを定期的に襲うようになった。
森を焼いたりして探し出して殺したりね。
そんな状況だから、北方狼牙もどんどん強くなって言ったんだ。
んで、今だと並の帝国の兵士程度なら北方狼牙の子供でも殺せるっ
てくらい
技量に差がついた。
戦術も何回も戦っていくうちにどんどん磨かれてきたんだ。
数で圧倒的に勝るから守りに入られたらどうしようもないけど、
襲い掛かってきたら返り討ちに出来るくらいの力はある。
実際2年前にも5倍の帝国兵相手に戦って、戦術とか駆使して何と
か勝ったからね。
こっちもボロボロだったけどさ。
⋮まあ、最近は帝国人の村襲って略奪する、山賊まがいの北方狼牙
もいるから、
帝国人に恐れられてるのも分かる気はする。
あ、でもさっきも言ったとおり、アメヤとしては帝国人とことを構
えるつもりは無いよ。
そもそも冒険者のお膝元でそんなことするのは愚の骨頂だし、
そもそも略奪なんかしなくても普通に暮らしてけるからね。このア
キバの近くなら。
7
⋮ふぅ。
とりあえずはこんなところでいい?
⋮分かった。正宗はありがたく貰っとくよ。
840
また、聞きたいことがあったら依頼出してくれればいいよ。
ただし!
もう正宗が報酬ってのはナシ!
あ、言っとくけどだからって村正とかでも困るかんね!?
じゃないとまた揉めるから。いい?
⋮ん。よろしい。
841
第21話 語り部のモモ︵後書き︶
本日はここまで。
実は帝国云々は﹃大地人にとっての中心都市=プレイヤータウン﹄
なのがエッゾだけなところから考えた話だったり。
︵イースタルはマイハマ、ウェストランデはキョウが
中心と考えています。ナインテイルは何ともいえませんが︶
以下、正宗の設定。
正宗
装備レベル50の秘宝級太刀。武士専用。
武士が装備できる武器としてはエルダー・テイル
最高の攻撃力を誇り、攻撃速度上昇の特殊能力は
武士に暗殺者や盗剣士に迫る総合火力を与える。
レア度の高さも相まって正宗二本差しは全武士の憧れ。
⋮⋮だったのはおよそ20年前の話。
度重なる追加拡張が行われた現在では、
少なくともLv90の武士が使う武器としては見劣りする。
︵ちなみに現在でもLv50代の武士が使う武器としてならば
最上級の刀ではある︶
が、大地人武士にとっては今なお憧れの1本。
これを巡って殺し合いが起きても決して不思議ではない。
842
ちなみに正宗には﹃正宗改﹄﹃Masamune−Millenn
ium﹄﹃真・正宗﹄
﹃正宗零式﹄﹃正宗︵妹︶﹄など数々のバリエーションが存在する。
そのため通常の正宗はそれらと区別するため﹃無印正宗﹄と
呼ばれることが多い。
843
第22話 菓子職人のハニー︵前書き︶
本日は、とある職人のお話。
テーマは﹃ハチミツ﹄
それでは、どうぞ。
844
第22話 菓子職人のハニー
0
それ
に案内されながら、蜂蜜色の髪と瞳を持つ青
冒険者でも容易くはたどり着けぬ、深い深い森の底。
キラキラ光る
年、
ハニーはただただ歩いていました。
︵何でこんなことになったんだろう?︶
目には見えないけれど、確かにいる、たくさんの気配。
ときどきポスンと背負った大きな背嚢に小さなものが乗り、
すんすんとにおいをかぐ音がします。
それに、嬉しそうにクスクス笑う笑い声も。
彼らは知っているのでしょう。これの中身を。
そして、ハニーはついにそこへとたどり着きます。
﹁良く来てくれた。ハニー。甘き蜜の申し子よ﹂
森の中で唯一開けた広場に待っていたのは、黒衣の姫君でした。
雪のように白い肌を夜のように黒いナイトドレスで包んだ、
漆黒の瞳と髪を持つ少女には、一対の触角と翅が生えています。
漆黒のナイトドレスよりなお黒いその翅には、白い髑髏が二つ。
模様に過ぎないはずの髑髏にはぎょろりとした目があって、ハニー
を睨みつけます。
それだけで戦の心得など毛ほども無いハニーは、心臓が止まるかと
思いました。
そんなハニーを見て、黒衣の姫君は整った、薔薇のような唇の端を
吊り上げ、
845
言いました。
﹁光栄に思え。我等の森の最奥に立ち入った大地人は君が初めてだ﹂
それは、この森の96番目の支配者に相応しい堂々とした態度で、
まるで貴族の姫君のようでした。
彼女の名前は、ノイン=ゼクス。
つい先日、ハニーの元に現れた魔物⋮︿黒死姫﹀です。
ノインはハニー⋮正確にはハニーの背に瞳を向けて言いました。
﹁さて、見せてもらおう⋮その良き香りを漂わせているものの出来
を﹂
﹁は、はい⋮これが、そうです﹂
ノインに促され、ハニーは背中の背嚢を下ろし、中のものを取り出
します。
漆黒のカステラとクッキー、黒水晶のように透き通った黒い飴、そ
してやはり黒い、
広口のビンにたっぷり詰められたジュース。
それらの1つ1つをハニーが取り出すたび、辺りでさざなみのように
はしゃぐ笑い声が起こりました。
︱︱︱ドライ=ズィーベン姉上。あの町の大地人だ。約束の品を持
ってきたようだぞ
その間にノインは、目を閉じ、心で持って自らの姉⋮
この森の現在の支配者に話しかけました。
︱︱︱分かりました。今、参ります。
辺りにいるもの全員の心に声が返り、竜をも屠る恐るべき魔獣が姿
を現しました。
846
ノインと同じ、白い髑髏の模様が浮き出た、黒い翅の蝶⋮ただし全
長50mの。
それは悠々と空を飛び、ハニーたちの前に降り立ちました。
︱︱︱ようこそおいでくださいました。ハニー様。
此度は我々のお願いに応えてくれてありがとうございます。
ブラックエンプレス
その魔獣⋮37番目の︿黒死女王﹀であるドライ=ズィーベンは、
ハニーの持ってきたものを宝石のように輝く複眼と、
巨人の頭ほどもある巨大な翅の髑髏の目で見つめ心に直接響く声で
話しかけます。
︱︱︱ハニー様。貴方が今日作ってきてくださったのは、どのよう
なものですか?
﹁えっとこれは⋮カステラとクッキー、キャンディ、
それとレモンとハチミツのジュース。全部先日頂いたハチミツで
作ったものです﹂
その声に慌てて、ハニーは今日持参したものの説明をしました。
すべて、ハニーの自信作。
元の材料のよさもあり、これ以上は今の自分には作れないと
確信できるほどの出来栄えでした。
︱︱︱なるほど。それでは、味見させていただきます。
ハニーの答えに満足し、ドライ=ズィーベンはしゅるりと黒い口を
伸ばし、
ハニーの自信作を味わいだしました。
カステラをかじりとり、クッキーを吸い込み、キャンディーは撫で
るように掬い上げ、
847
そしてジュースを吸い取ります。
そうして少しずつ全ての菓子を味わい、言いました。
合格
を表す言葉。
︱︱︱これは⋮美味ですね。元の蜜よりも、ずっと。
それは
そしてドライ=ズィーベンは言いました。
︱︱︱良いでしょう。約束いたします。
我等︿黒死姫の森﹀の民は全ての悪しきモノより、カスガの
町を守りましょう。
この素晴らしきハチミツ菓子がいつまでも我等の口に運ばれ
るように。
それは、この世界が始まって以来の快挙でした。
ただの力なき大地人が恐るべき﹃魔物﹄との間に盟約を結んだので
す。
それも魔法に頼ることなく。
︱︱︱さあ、森の子供たち。残りは貴方たちに差し上げましょう⋮
よく味わって食べるのですよ。
その言葉をドライ=ズィーベンが発した瞬間、わっと彼らが現れま
す。
小さな翅を持つ、無数の妖精たちと、ノインとそっくりな美しい黒
死姫たち。
それらが一斉にハニーのハチミツ菓子に群がり、思い思いに食べ始
めます。
848
︱︱︱あまーい!おいしー!
︱︱︱わあ!カステラってこんなにおいしいんだ!
︱︱︱このはちみつバターあめもおいしーよ!
︱︱︱あ、ずるい!わたしもジュースのなかにとびこむー!
︱︱︱なるほど。これは美味だな⋮あ、こらアハト=アイン!それ
は私のものだ!
︱︱︱甘いぞ姉上!この世は弱肉強食!血を分けた姉妹といえど早
いもの勝ちだ!
︱︱︱うぇーん!姉上が私のクッキーとったー!
︱︱︱ほらほら泣かないの。カステラあげるから。ほら、あ∼ん
騒々しくお菓子を食べる、森の住民達。
それはまるで、夏以降にハニーの菓子屋にやってくる、
甘いお菓子を前にした大地人の女子供のようでした。
この中の黒死姫⋮否、ただの妖精ですらハニーよりなお強い
恐るべき魔物だとはとても信じられませんでした。
﹁やれやれ。騒々しいな、まったく。
妖精どもはともかく母上の血を引く黒き姫ともあろうものが⋮﹂
そんな様子を見ながらノインはため息をついていますが、
ハニーは知っています。
この目の前の姫は、数日前からハニーの店をたびたび訪れては
﹃試作品﹄をたっぷりと喰い散らかしていたことを。
︵⋮本当に、なんでこんなことになったんだろう⋮?︶
そんな騒がしい森の民を見ながら、ハニーはもう1度、
ことの起こりを考えて見ることにしました。
﹃第22話 菓子職人のハニー﹄
1
849
イースタルの片隅、カスガという小さな町に、ハニーという若者が
住んでいました
ハニーはその名前の通り、ハチミツにのろ⋮もとい愛されて生まれ
てきた青年でした。
ハニーの両親はカスガの町の生まれではありませんでした。
元々はもっと西の生まれだった両親は自分たちの一人息子に
ハニーなんて名前をつけるほどのハチミツ好きでした。
父親が菓子職人、母親が貴族という明らかに駆け落ちでしかなさそ
うな
組み合わせのカップルは、ハチミツを愛するあまり故郷を捨てて来
たと公言しながら、
ハチミツが特産品であるカスガの町に居着きました。
パテシエ
そして意外なほどに︿菓子職人﹀の技量が高かった
父親はハチの巣からハチミツを精製したり、
それを使って菓子を作っては行商人に売って生計をたてていました。
父親が作るお菓子は食べると攻撃力とHPの自然回復速度に
ボーナスがつくのでそこそこ需要があり、
またハニーの両親はなんとハニー1人しか子供を作らなかったこと
もあって、
ハニーの家はそれなりに豊かに暮らしていました。
とは言うものの、ハニーは父親が作るお菓子をほとんど食べたこと
がありませんでした。
ハニーの両親は赤ん坊だったハニーにハチミツを食べさせて、
危うく死なせかけたこともあるくらいのハチミツ好きでした。
850
だから知っていたのです。
生のハチミツは、どんな高級な菓子よりも甘くて美味しいと。
ハニー一家はその人生のほとんどをハチミツを食べて過ごしてきま
した。
ハチミツは季節が変わるたび、里や野山に咲く花が変わるたびに味
を変え、
冬は父親が長年の研究で自在に作れるようになった、
他のどんな飴より美味しい︵他の飴はどれも作成メニューで作るの
で当然ですが︶
甘い甘いハチミツの結晶がハニー一家を楽しませました。
ハチミツと比べれば他の食べ物、特に調理された料理など食べられ
たものではなく、
ハニー一家は年中ハチミツばかり食べていました。
両親がハニーが成人したばかりのころにあいついで天国に召された
のは、
その片寄りすぎた食生活のせいもあったかもしれません。
さて、両親を失ったハニーは泣いてばかりもいられないので、
二人が残した店を継いで菓子屋を再開しました。
ハニーは父親から菓子職人の手解きを受け、
菓子職人のスキルで蜂の巣からハチミツが精製できるLv30に達
していました。
更に父親から学んだハチミツ菓子のレシピも豊富にあり、
まずい︵と言っても他の料理と同じ味ですが︶けど有用なハチミツ
菓子と、
甘くて美味しいハチミツを商うことでまあそれなりの暮らしをして
いました。
851
そんな彼に転機が訪れたのは、彼が18歳になったばかりの頃、
5月も半ばのことでした。
2
5月も半ばのある日のこと、ハニーの店は珍しいお客さんを迎えま
した。
﹁おいおいマジかよハナちゃん。ハチミツ専門店なんてもんが、
ホントにありやがったよ﹂
﹁だから言ったじゃないですか。前に銀剣にいたころ黒モス狩りの
レイドやったときにハチミツ売ってる店があったって。
信じて無かったんですか、課長﹂
それは大きな剣を担いで黒いコートを着た中年の男と、
巫女装束を着た女の2人組でした。
彼らはハニーの目の前で、まるでハニーなんてここにはいないと言
う様に
話をしだしました。
﹁だってよ。ハチミツだぜ?アキバで絶賛値上がり中の生で喰える
アイテム。
しかもさらに貴重な甘くてうまいハチミツ。
他の連中にも知られてたら速攻売り切れ確実だったぜ﹂
﹃カチョウ﹄と呼ばれていた男の方が興奮隠せずといった様子で、
ハナと呼ばれている女に話しかけます。
どうやら彼らは遠くからハチミツを買いに来た商人のようでした。
﹁まあ、ナスノハイランドじゃカスガの町ってどマイナーですから。
黒モス森からも︿傾国九尾﹀のいる殺傷石の社からもちょっと離
れてますし。
結構便利だったんですけどね。
852
︿狂騒飴﹀とか︿甘癒水﹀とかが普通に売ってましたし﹂
﹁なんだそりゃ?﹂
﹁なんだって⋮エンチャント系の食品アイテムですよ。
攻撃力上昇と、自然回復率アップの﹂
どうやら女は父親の代からこの店のことを知っていたようで、
父親が得意としていた魔法の力を持つ菓子のことを男に説明してい
ました。
﹁ふぅん⋮ま、いいや。それよかハチミツだよハチミツ。
たっぷり仕入れてかなきゃな﹂
﹁約束、忘れないでくださいよ?私のリアル知り合いなんて課長く
らいなんですから﹂
﹁わーってるって。うまくいったらヤマモトヒロシの経営にも一枚
かませてやらあ﹂
そこで話をきり、男はようやくハニーの方に向き直り、言いました。
﹁おう。ハチミツをくれ。数は⋮とりあえず100瓶。
値段は⋮確か1瓶金貨70枚だったよな?﹂
男は商人らしく、相当数のハチミツを要求してきた上に、
割と金にはうるさかったハニーの母親が以前決めた、
超吹っかけの値段を提示しました。
﹁⋮は、はい!?﹂
相場の倍くらいの値段をポンと提示されたことに、ハニーは驚きま
した。
一体どれだけ金満の商人なんでしょう?
⋮と言うか本当に商人なんでしょうかこの男?
そんな表情をしているハニーを見て、何かを感じとったのか、男は
再度言いました。
﹁⋮あれ?もしかして高すぎたりする?値引き交渉とかOK?﹂
﹁なに言ってんですか課長。そもそも課長のサブ、商人系じゃない
853
⋮﹂
﹁で、では1瓶辺り金貨50枚でどうでしょう?﹂
一応商人らしく、値引き交渉が始まったことに安心しながら、
ハニーは値引き︵それでも大分吹っかけた値段ですが︶した価格を
提示しました。
﹁ええっ!?スキル無いのにそんなのありなの!?﹂
何故かそのことに女はのけぞるほど驚いていましたが、
ハニーはとりあえず気にせず、相手の男の反応を待ちます。
﹁う∼む⋮ま、いいや。とりあえず今日のところは顔つなぎだし、
その値段で買うよ。んじゃ、100瓶で金貨5,000枚な﹂
そう言うと男はポケットから無造作に金貨を取り出し、並べていき
ます。
驚いたことに全部貴重な100枚金貨。
ハニーの店でも滅多に見ないそれが栃の樹で出来たテーブルに並べ
られます。
数えやすいよう10枚ずつ5つ。きっかり金貨5,000枚でした。
﹁わ、分かりました。少々お待ち下さい﹂
そう言うとハニーは地下の倉庫へ向かい、ハチミツの瓶を抱えて並
べて行きます。
100瓶だとハニーの体重並の重量となるハチミツを20瓶ずつ箱
に詰めて運ぶこと5回。
カウンターの上にはどっしりとしたハチミツ入りの箱が並べられま
した。
﹁どうぞ。ハチミツ100瓶です。お確かめ下さい﹂
﹁⋮ん?なんだいこりゃ?なんか箱ごとに微妙にハチミツの色が違
うけど?﹂
その中身を確認した男が、瓶を取り出して眺めながら言いました。
854
﹁あ、はい。ハチミツは季節ごと、花の種類ごとに色と味が違うん
ですよ。
まあ、料理に使ってしまえばどれも同じですけど﹂
なんでそんなことを気にするのかと思いながら、
ハニーは両親が長年の生活で見つけた﹃発見﹄のことを説明しまし
た。
﹁マジで?ちょっと味見してみっか⋮ほら、ハナちゃんも﹂
﹁いいんですか!?いただきます!﹂
そう聞いて男は女にも勧めながらさっそくとばかりに
買ったばかりのハチミツを1瓶ずつ開けて、舐めてみます。
﹁ほう⋮!確かに違うな﹂
﹁ほんとですね。こっちのは甘みが強くて、
こっちのはさっぱりしてる感じがします﹂
そんなことを言いながら、男がハニーに向き直って言いました。
﹁あんがとな。いいこと聞いたよ⋮っと、俺は⋮﹂
そう言いながら、男は懐に手をやり⋮顔をしかめました。
﹁⋮参ったな。名刺なんてこっちにゃ無いんだった﹂
﹁何やってるんですか課長?この人、NPCですから名乗っても意
味無いですよ?﹂
そんな男の様子に女が呆れながら言いました。
﹁おう。そういやそっか⋮つーか最近のゲームはすげえな。
俺がガキの頃は何回話かけてもおんなじことしか言わなかったん
だけどな﹂
それで男も納得したのか。
頷きながら、早速とばかりに100瓶近いハチミツを一度に抱え上
げ、言いました。
﹁売り切ったらまた来るよ。んじゃな﹂
﹁はい。お待ちしております。カチョウ様、ハナ様﹂
とりあえず、新しいお得意様になってくれそうな男に、ハニーは丁
寧に礼をしました。
855
﹁いや、俺は山本って言うんだけど⋮﹂
﹁私はローズリーフです⋮ていうか課長、リアル渾名呼ぶのやめま
せん?﹂
⋮どうやらこの2人の先ほどまでの呼び方は、
仲間内でのみ通じる呼び方だったようです。
3
カチョウ改め山本の初めての来店から2ヶ月が過ぎました。
﹁よう!また買いに来たぜ!﹂
今ではすっかり顔なじみになった山本が気さくに挨拶をしてきまし
た。
﹁はいはい。今日はどちらを?﹂
ハニーも慣れたもので、山本に今日の注文を尋ねます。
﹁あーうん。今日は﹃菓子﹄の方をくれ。
黒猫のおっさんが砂糖キビをアホほど持ってきたせいで
生ハチミツはちょい値崩れ中だ。
レモン入りとバター入り、あときなこのとハチミツオンリーの飴
を20瓶ずつ。
あとはクッキーを10缶ってとこだな﹂
山本も慣れたもので、素早く﹃調理済み﹄の方を注文してきました。
山本が、まったくの常識外れである﹃作成メニューを使わない料理
方法﹄を
ハニーに教えたのは、6月のことでした。
驚いたことに、山本と彼の助手であるローズリーフは︿冒険者﹀で
した。
︵今思えば金の使い方と言い、名前が書かれた小さな紙を渡すという
奇妙な習慣と言い、大地人離れしていたのも事実ですが︶
856
その冒険者である山本は、アキバで新たに開発された秘伝の技術を
ハニーに教え、
あちこちから伝手を辿って集めたと言う新たな料理の方法のレシピ
を授けました。
それは今まで新しい料理方法を知らなかったハニーにとって
非常に難しいものでしたし、幾つかのレシピは未だに満足の行く出
来には
なっていませんでしたが、それでも完成された﹃新たな料理﹄である
ハチミツ菓子の数々は生のハチミツより美味しく、
ハニーはその技を身に着けることに夢中になりました。
最近ではその美味しさがカスガの町の民や噂を聞きつけた行商人に
も伝わり、
ハニーの店は今まで以上に繁盛していました。しかし。
﹁⋮う∼ん。それだけの量となると⋮難しいですね﹂
山本の注文に、ハニーは顔を曇らせました。
﹁なんでだい?作るのが大変ってことか?﹂
新しい料理の方法だと、作れる量に限りがあることは山本も承知済
みだったので、
そっちかと思い尋ねます。
しかし、その問いかけにハニーは首を横に振りました。
﹁いえ。それより材料ですね⋮実は、父さんが残したハチミツのス
トックが
少なくなってて。町からも買い上げてはいるんですが、それでも
⋮﹂
ハニーの店には父親の手でものすごい量のハチミツが貯蔵されてい
ました。
毎日自分達が食べるからと言うのもありましたし、辺鄙な町で売っ
ているものなので、
857
そこまで売れるものではなかったというのもあります。
カスガの町はハチミツが特産品、と言っても基本は農業で成り立っ
てる普通の町です。
そんなに沢山は作っていませんでした。
しかし、山本が大量に買い付けていくようになってから貯蔵分は見
る見る減りました。
さらに﹃新たな菓子﹄がとても美味しいことが分かってからは、大
地人の商人⋮
それも普通なら絶対にこんな辺鄙な町には来ないような貴族様御用
達の商人まで
来るようになり、ついに父親が20年かけて貯めたハチミツが尽き
ようとしていました。
﹁なるほどな。生産量が足りないか⋮うん、待てよ?﹂
その話を聞いて、山本は考えて⋮ふと気づきました。
﹁今、ハチミツってどうやって作ってんだ?﹂
﹁ハチミツの作り方ですか?﹂
山本の問いかけにハニーは何でそんなことを聞くのかと考えながら
答えました。
﹁そりゃあ、樹に作られたハチの巣とか、壷とかに作らせたハチの
巣なんかを、
作成コマンドで精製して作るんですが⋮それが何か?﹂
﹁なるほどな﹂
それだけ聞くと、山本はにやりと笑い、言いました。
﹁もしかしたら、今よりハチミツ作れるようになるかも知れねえ⋮
この手のもんなら︿海洋機構﹀だな。まあ、そろそろ繋がっとい
たほうが得か﹂
どうやら山本は何かを考え付いたようで、ハニーに言いました。
﹁わり。今日はハチミツはいいや。ちょっとアキバに戻って、話し
858
てみらあ﹂
そう言うと冒険者の秘術で、一瞬にして消え去りました。
﹁⋮一体、何を思いついたんだろう?﹂
ハニーがポツリと呟いたその疑問が解消されるのは、10日後のこ
と。
﹁おう、ハチミツ作りなんだけど、コイツを使ってみてくれ。
ラングなんたらっつうハチミツ作り用の箱と、遠心分離器。
使い方はこいつに聞いてくれ。実家が養蜂やってたって奴連れて
きたから!﹂
そう言って押し付けられた四角い箱と、手回しのハンドルがついた、
謎の機械。
傍らには、ハニーと同い年くらいに見える、軽装の戦士といった感
やすけ
じの少年。
﹁僕は弥助と言います。よろしくお願いします。
⋮しかしヤマモトヒロシ印のハチミツの秘密は、ここでしたか。
これからは僕ら︿海洋機構﹀も1つかませてもらいますよ﹂
その少年⋮弥助が来てから、カスガの町でのハチミツ作りは大きく
進歩しました。
冒険者の異形の知識で発明された、ハチミツ作りの木箱と手回しの
機械によって、
今までとは比べ物にならないほど大量のハチミツが作れるようにな
ったのです。
最初は半信半疑でしたが、実際に弥助がやってみて、
今までとは比べ物にならないほどの量のハチミツが作られるのを見
て、
町中のハチ飼いの間で新しいハチの飼い方が広まるまでには、
およそ1ヶ月ほどの時間しかかかりませんでした。
859
4
当社比5倍近いハチミツを作る方法が確立し、
カスガの町で大量にハチミツが作れるようになった夏の終わりの頃。
﹁すみません。ハチミツ菓子の買い付けに来ました﹂
山本の助手であるローズリーフが毎日のように訪れるようになりま
した。
﹁やあ、こんにちはローズリーフさん﹂
ハニーも慣れたもので、愛想良くお得意様に応じます。
最近は彼女の雇い主である山本はまた別の仕事⋮
ハチミツで大もうけした金で新しく建てた店の経営に専念している
らしく、
ハニーの店の買い付けにはローズリーフが来るようになりました。
﹁今日はどうしますか?﹂
﹁そうですね⋮とりあえず、アメを1ビンずつ。クッキーを1缶。
それと⋮あ、カステラも作れるようになったんですか?﹂
﹁はい。お陰様で。火加減に苦労しましたがようやくまともに作れ
るようになりました。
今日から売ることにした﹃新発売﹄ですよ﹂
﹁じゃあそれも。1斤くらいでいいです﹂
﹁はい。分かりました﹂
最近のローズリーフは、余り大量に買い込むことをしなくなりまし
た。
︵う∼ん。やっぱりアキバの菓子もおいしいからなあ︶
ハニーは以前山本に貰った、アキバの菓子が進んでいるお陰と考え
ていました。
万能の存在である冒険者の中には菓子作りに長けたものもいて、
﹃甘い氷の菓子﹄や﹃泡立てたクリームで飾られたケーキ﹄など、
ハニーの想像もつかないような菓子が次々と売り出されていると
860
ハニーは知ってました。
﹁こちらになります﹂
﹁ありがとうございます。代金はいつも通りで﹂
﹁はい。毎度ありがとうございます﹂
いつものように一抱え程度のお菓子をローズリーフに渡し、
ハニーは深々と頭を下げます。
﹁じゃあ、また明日来ます。そのときはよろしくお願いしますね﹂
そう言い残すと、ローズリーフは店を出て行きました。
﹁⋮一体、何をやってるんだろう?アキバに持ってくにしては買う
量が少ないし、
わざわざ毎日買いにくるなんて﹂
そんなローズリーフを見て、ふと抱いた疑問。
それが解消されるのは⋮その日の夕方のことでした。
5
夕刻。今日も多かった客の応対を終え、そろそろ店を閉めようかと
していた頃。
﹁た、大変!﹂
泡を食ってローズリーフが店に飛び込んできました。
﹁⋮あの子たちが暴れたらハニーさん死んじゃう!︿祓魔の障壁﹀
!﹂
ハニーを見て聞き捨てならないことを言いながら、
ローズリーフが魔術の障壁をハニーに施しました。
﹁ろ、ローズリーフさん!?一体何事ですか!?﹂
ハニーが慌てて尋ねると、ローズリーフは顔を真っ青にしながら言
いました。
﹁ここにこれから、モンスターの大群が来ます﹂
ものすごく物騒なことを。
﹁はぁ!?なんでうちに!?﹂
861
﹁⋮すみません。バレたんです。
まさか透明化の魔法使ってバックの中に隠れるなんて⋮﹂
ローズリーフが自分の失態に唇を噛んでいると。
バァン!
窓が真横に吹っ飛びました。そして。
﹁あったあああああああああああ!おかし、あったー!﹂
﹁いいにおーい!おいしそー!﹂
﹁あ、ぼーけんしゃのおねーさんがいる!これ、あげる!﹂
﹁たべよたべよ!﹂
﹁りょーきんはここにおいとくね!﹂
ブンブン、パタパタと言う無数の羽音と、子供っぽい声。
それは店中を飛び回り、売れ残りのお菓子を食い荒らして行きまし
た。
まるで蝗のようなその集団⋮それは全て、翅が生えた小さな子供の
ように見えました。
﹁ローズリーフさん、これはうわあ!?﹂
突然ハニーの目の前で雷光が弾けました。
びっくりして見回すと近くにあった椅子が完全に炭化していました。
どうやら小さな子供のようなものがお菓子の取り合いをして放った
魔法のようです。
⋮魔法の障壁が無かったら即死していたことでしょう。
﹁⋮本当に、なんなんですか!?これ﹂
身を潜め、小声になりながらハニーは再度ローズリーフに尋ねまし
た。
﹁⋮ごめんなさい。実は⋮﹂
ローズリーフは本当にすまなそうに、事情を説明しました。
862
カスガの町からちょっと離れた場所に﹃黒死姫の森﹄と呼ばれる森
があります。
そこは、無数の虫や植物、そして妖精系のモンスターが住む森であ
り、
腕利きの冒険者でないと生き残ることは難しい魔境の1つでした。
しかし、ローズリーフは考えました。
︱︱︱大地人がああなったのなら、それはモンスターでも同じかも
知れない。
妖精は召喚術師が契約する魔物の定番であり、温厚なモンスターと
されています。
実際、モンスターでありながら、冒険者に頼みごとをしてくること
も多い。
⋮妖精が好きそうな甘いお菓子ならば貴重な品々と交換できるかも
しれない。
そう、考えたのです。
それにあの地域の妖精種ならばLvは60程度です。
曲がりなりにもLv90であり、こちらの世界の戦闘経験もあるロ
ーズリーフならば、
こじれても逃げるくらいは余裕で出来る。
そう踏んで、ローズリーフは計画を実行に移したのです。
ローズリーフの目論見は、当たりました。
彼らは揃って甘いお菓子に目が無く、甘い飴玉1つ、クッキー1枚、
カステラ一切れを
幸運の四葉のクローバーや銀色甲虫、爆裂団栗と言った貴重なドロ
ップ品と
863
交換するようになったのです。
それらはアキバの街へと持ち帰れば、高位の素材として相当な値段
がつきます。
お互い得する算段⋮の、はずでした。
彼女の誤算は、彼らの貪欲さにありました。
妖精は見た目よりずっと⋮あるいは見た目どおり、小さな子供のよ
うに貪欲でした。
ローズリーフが毎日持ってくる少しだけのお菓子では、満足しなか
ったのです。
そして、ローズリーフの﹃お菓子の隠し場所﹄を探し当てるために、
小妖精がローズリーフの荷物に隠れ、ついにハニーの店が
妖精たちに知られることになったのです。
冒険者であるローズリーフならばともかく、戦いなんて縁の無い大
地人である
ハニーでは、あの妖精一匹にすら勝てないでしょう。
下手をすると、妖精たちに延々お菓子を作り続けさせられる奴隷に
される
可能性もあります。
ハニーの未来は今や風前の灯火でした。
﹁とにかく、こうなったらカスガの町を離れるしかないかも知れま
せん。
⋮アキバでの生活は保障します。課長に掛け合います。私の責任
ですから﹂
大地人と触れ合う機会の多いが故に大地人に詳しいローズリーフが、
決意を込めてそう言った、そのときでした。
︱︱︱静まれ!黒死姫の森の民たちよ!
864
心に、大きな声が響き渡りました。
ハニーとローズリーフがその声にビクリと震え、妖精たちも一斉に
動きを止めました。
いつの間にか店の入り口には、1人の美しい少女が立っていました。
手入れが行き届いた絹糸のような黒髪と、こんな田舎町では見ない
ような
美しい黒いナイトドレスを着た少女。
⋮彼女の額には2本の触角が、背には白い髑髏が浮かんだ黒い羽が
生えていました。
ブラック・プリンセス
これはまさしく⋮
﹁ぶ、黒死姫⋮﹂
ローズリーフが呆然と呟きます。
黒死姫。
それは黒死姫の森に住まう、Lv85を越える妖精種のモンスター
であり⋮
︱︱︱ドライ=ズィーベンの姉上。見つけたぞ。
ここがドライツェーンたちが言っていた
﹃ものすごく美味しいハチミツ菓子﹄の出所だ。
森の支配者の妹の1人でした。
⋮遠くから、大きな翅音が聞こえてきます。
それは音よりも速く飛び、瞬く間に近寄ってきます。
地響きすら立てながら地面に降り立ったそれは、
先ほど妖精たちがあけた穴から、店の中を覗き込みました。
﹁あ、あれはなんですか!?﹂
窓から見えた、異形の存在⋮恐ろしく巨大な複眼に覗き込まれ、
865
ハニーはローズリーフに尋ねます。
しかし、ローズリーフは答えず、震えながら呟きました。
﹁嘘⋮でしょ⋮黒モスが森の奥から出てくるなんて⋮﹂
ローズリーフは知っています。
あの魔物がどれだけ強いかを。
ブラックエンプレス
黒死女王
レイドボス
冒険者の間ではその見た目から﹃黒モス﹄と呼ばれるその魔物は、
適正Lvが87だと言う黒死姫の森の最奥に陣取る森の支配者であ
り、
冒険者が束になってようやく勝てるほどの力を持っています。
⋮ローズリーフ1人、あるいは街でハチミツの作り方を教えている
弥助を含めた
2人で挑んでも、到底勝てる相手ではありませんでした。
︱︱︱怖がらないで下さい。私は、貴方がたに危害を加えるつもり
はありません。
意外なほど落ち着いた声がハニーたちの心に響きました。
﹁こ、怖がるなと言われても⋮﹂
﹁大丈夫だ。我等は本来争いは好まぬ。
冒険者のように土足で森を踏み荒らしたりせねばな﹂
ハニーの震える声に、鈴を転がしたような美しい声が重ねられまし
た。
﹁え?﹂
﹁私はノイン=ゼクス。96番目の姫だ。貴様も名乗れ。そこの冒
険者の女もだ。
⋮私はともかく、37番目の女王であるドライ=ズィーベンの姉
上に
866
勝てないことくらいは分かっているのだろう?﹂
貴族のように尊大な態度を崩さず、黒死姫⋮ノイン=ゼクスが言い
ました。
﹁あ、僕はハニーと言います﹂
﹁わ、私はローズリーフです﹂
その無言の圧力に押され、2人は名を名乗ります。
﹁なるほど、ハニーか。ハチミツ菓子の職人としてはこれ以上無き、
良い名だな﹂
その答えに満足そうに黒水晶のように澄んだ黒い目を細め、
ノインが頷きました。
6
﹁え?ハチミツ菓子を?﹂
﹁そうだ。黒死姫の森ではハチミツは手に入っても
ハチミツ菓子を作れるものはおらぬ。
ハニー、お前のように菓子作りの技を持つものがいないからな﹂
すました顔でハチミツ入りのクッキーを食べ、
ハチミツ入りの黒葉茶を飲みながらノインが言います。
﹁ふむ。うまい。普通のハチミツでここまでのものが作れるのなら、
期待できそうだ﹂
妖精たちや幼い妹たちが魅了されたことに納得しながら、
ノインは持参してきたビンをテーブルに置きました。
それは一切の光を吸い込む漆黒のどろりとした液体で、
かすかに甘い匂いを漂わせていました。
﹁これは⋮ハチミツですか?しかし、こんなに真っ黒なハチミツな
んて見たことが⋮﹂
その正体をあっさり見抜いたのは、長年ハチミツと共に暮らしてきた
867
ハニーだからこそでしょう。
﹁だろうな。これは暗黒の蜜。黒死姫の森の底でしか取れぬ、貴重
なハチミツだ﹂
ハニーの答えに満足しながら、ノインはその正体を明かしました。
﹁暗黒の蜜!?︿天上の雫﹀とかに使うレア素材じゃないですか!
?﹂
スカルホーネット
その答えを聞いて、ローズリーフは驚きました。
﹁確かに黒死姫の森の︿髑髏蜜蜂﹀のレアドロップですけど⋮﹂
﹁うむ。あれらは元々我等が飼っているものだ。
⋮冒険者が狩って行くから迷惑しているのだがな﹂
ノインは冒険者には若干冷たい視線を向けます。
彼女の母親と36番目までの女王となった姉たちは冒険者に殺され
ており、
ノインも含めた姫たちは何度か酷い傷を負わされながら、
死んだフリをして逃げたことがあるので当然と言えば当然ですが。
﹁まあそれは今は良い。ハニーよ。お前にはコレを使い、菓子を作
ってもらいたい﹂
気を取り直し、ノインはハニーに詰め寄ります。
﹁報酬は良いぞ。まず、暗黒の蜜をお前にやろう。菓子の材料とし
てな。
それだけではない。姉上にも認められるほどの菓子が作れれば、
この町は我ら黒死姫の森の姫と民で守ってやる﹂
ノインが森で定められた報酬を提示します。
強力な魔物による、守り。
それは他の大地人たちの町や村と同じく、
モンスターの脅威に怯える町には大きな報酬でした。
⋮無論、妖精が牙をむくと非常に危険でもあるのですが。
868
そして、ノインの問いかけにハニーは⋮
﹁⋮まずは、このハチミツを味見しても?﹂
﹁元々持参した分は受ける受けないに関わらずくれてやるつもりの
ものだ。好きにしろ﹂
ノインの言葉にそっとビンを開け、ハチミツ匙を突っ込みます。
とろりとした黒いハチミツ。それをそっと口に運びます。
﹁⋮おいしい﹂
それは今まで食べたどんなハチミツよりも美味しいハチミツでした。
﹁⋮分かりました。引き受けます﹂
その味にハニーの菓子職人としての好奇心がうずきました。
この世界で手に入る、最上級のハチミツ。
それを使ったハチミツ菓子が、どれだけ素晴らしいのか。
想像するだけで、唾が出てくるほどでした。
﹁よろしい。では、満足行く出来のものが出来たら言ってくれ。
⋮出来次第では暗黒の蜜を追加で持って来てやろう﹂
ハニーの様子にノインも内心喜びながら頷きます。
甘い甘いハチミツ菓子。
それは、妖精種でもあるノインにとっても、大好物なのです。
そして、それからハニーは1週間店を閉めて暗黒の蜜を使ったお菓
子つくりに励み⋮
見事に黒死女王に認められる美味しい菓子を作るのに成功したので
す。
7
カスガの町が妖精たちの守る町となったあと。
869
﹁おい。ハニーよ。またアキバからローズリーフが買い付けに来た
ぞ。
ハチミツバター飴⋮暗黒の蜜を使ったほうを瓶で30個ほど欲し
いそうだ。
明日取りに来るから、作っておいてくれとのことだ﹂
ノインが奥の菓子工房に篭っているハニーに声を掛けました。
ノインは黒死姫の森の名代兼ハニーのお手伝いとして、カスガの町
に住み着きました。
黒死姫の特徴である触角と翅は魔法で隠しているので、
まるで普通の人間族の少女のように見えます。
⋮人間離れした美貌から、貴族から妾になれと命令された時は、
その恐るべき力で半殺しにしていたりもいましたが。
︵彼女曰く﹃あのような無礼な物言い、殺さぬだけ温情だ﹄とのこ
とです︶
﹁代金は1瓶辺り266枚⋮全部で金貨8,000枚でまとめてお
いた。
相場より値切られたが、大口なので許せ﹂
尊大な中にもすまなそうな気配を込めてノインがハニーに言います。
驚いたことにノインは、読み書き計算が全部こなせるようになって
いました。
どうやら︿黒死姫﹀と言うのは高位の魔物だけあって善なる種族よ
りも頭が良いらしく、
ハニーがちょっと手ほどきしただけであっさりと身に着けてしまっ
たのです。
﹁あ、うん分かった。それくらいなら良いよ﹂
ノインの報告に、ハニーは頷きを返し言いました。
ローズリーフ⋮もとい山本には普段から世話になっていますし、
870
ハニーは何よりお金にはほとんど拘っていません。
﹁じゃあ、アメは在庫にあるのを渡すとしてっと⋮そうだ、ノイン。
新しいお菓子、今から試食するんだけど﹂
﹁食べる。すぐにくれ﹂
即答でした。
﹁はいはい。ちょっと待ってて⋮﹂
ビン詰めされたそれを木皿に盛ってノインに渡します。
﹁ぬ。全部でも良い。むしろそっちのが嬉しいのだが﹂
﹁ダメ。僕も食べるし、ローズリーフさんと弥助さんにも味見ても
らうから﹂
相変わらずのノインに苦笑いしながらハニーは自分の分の
桃とイチジクのハチミツ漬けを木皿に盛り合わせました。
春先までは、住むところと食べるものは︵ハチミツが︶あったもの
の、
お金はあんまり持っていなかったハニーは、今や大金持ちとなりま
した。
5月からずっと山本をはじめとした金持ちの冒険者と付き合ってきた
ハニーの店には今、恐らくはマイハマ辺りに移り住んで一生遊んで
暮らせるほどの
お金がありますが、ハニーは今日もカスガの町でお菓子作りを続け
ています。
ハニーにとって、ハチミツを使ったお菓子作りは人生そのものでし
た。
手に入れたお金も高品質のハチミツを作れるようにするための設備を
花が枯れてハチミツも取れない冬の間に町に作るために使う予定で
す。
871
新しく作る施設の予定地もモンスターのいる場所でしたが、
妖精たちがハニーのハチミツ菓子と引き換えに見守ってくれること
になっています。
さらに、カスガの町やよその町︵驚いたことに近隣の城下町からも
何人か来ています︶から、これはと言う才能があるものを集め、
お菓子作りを教えることにしました。
それもこれも。
﹁今回のは、自信作なんだ﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁うん。前にクラウドさんが言ってた、桃とイチジクのハチミツ漬
けを作ってみた。
何でも冒険者だけに伝わる物語に出て来るお菓子らしいんだけど、
ほら、匂いだけでも甘くておいしそうだろ?﹂
﹁なるほど。確かにな。これは期待できそだ﹂
誰よりもハニーが、美味しいハチミツ菓子を食べたいために。
イースタルの片隅、とある大きく発展しようとしている町に、
ハニーと言う若者がいました。
彼は、ハニーと言う名前の通り、ハチミツに愛されて生まれてきた
青年でした。
⋮そして、ハニーもまた、ハチミツを愛して暮らす青年でした。
彼の食卓からは、今もハチミツが絶えた事は無く、
また次々と新しいハチミツ菓子を作っては暮らしていました。
彼にはまた、新しい事件とお話がいつか起きるかも知れませんが⋮
とりあえずこのお話は、ここでおしまい。
872
第22話 菓子職人のハニー︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに黒死女王はLv87のレイド2モンスターです。
以前出た﹃海の死神﹄や﹃傾国九尾︵全力︶﹄と
ガチでタイマンして勝てるクラスの強さを誇ります。
⋮そして元ネタはアレ。
マグロ食ってないほうと対等に渡り合える奴です。
873
第23話 学者のシャーロット︵前書き︶
本日は、とある学者のお話。
テーマは﹃学問﹄
舞台はアキバ。
それでは、どうぞ。
874
第23話 学者のシャーロット
0
﹁ほれ!さっさと起きな!朝だよ!﹂
私の朝は大家のマリーナおばさんに布団を引っぺがされることから
始まる。
﹁ん∼⋮うぅ⋮﹂
寝ぼけ眼をこすり、温かい布団を失った寒さに震えながら、
手探りでアキバで手に入れた愛用のメガネを探す。
﹁ほれ!メガネ!﹂
﹁あ、どうも⋮﹂
マリーナおばさんにメガネを取ってもらい、かける。
一気に視界が明瞭になって、くっきりと見える。
ああ、この瞬間。
ここ10年ほどぼやけた視界で暮らしてきて学問にも随分難儀した
ので、
この瞬間が嬉しい。
それから、学問の邪魔にならないよう短く切った母さん譲りの黒髪
をぼりぼり掻いて、
ボーっとする。
﹁じゃ、ちゃんと顔洗って着替えてくんだよ!﹂
しゃっとカーテンを開けててきぱきと出て行くマリーナおばさんの
後姿を
ぼんやり見送る。
しゃんと伸びた背筋がいつもてきぱきしてた母さんを思い出させて、
875
少し嬉しい。
﹁へくちっ!﹂
そしてくしゃみを1つして、さっと一張羅である︿賢者のローブ﹀
に着替える。
今日は昼から﹃バイト﹄があるから、図書館は早めに切り上げない
と。
そんなことを考えながら手ぬぐいを手にして部屋を後にする。
今までは気にしてなかったけど、ちゃんとしてないとマリーナおば
さんと
クローディアさんがうるさいしね。
﹃第23話 学者のシャーロット﹄
1
内履き用のサンダルをつっかけ、汲み置きの水が置かれた手洗い所
に行く。
寒い。
今すぐ回れ右してあったかい布団に潜りこみたくなる。
けど我慢して手洗い所に行って、手桶に水を汲む。
﹁っくう∼!つめた∼!﹂
マリーナおばさんが汲んできたのであろう、井戸から汲み上げたて
の、冷たい水。
それで顔を洗うと一気に目が覚める。
特に今は油断すると桶に張った水が普通に凍りつく真冬なので効果
もひとしおだ。
﹁あ!おはよーございます!シャーロットさん!﹂
一気に目が覚めたところで声を掛けられる。
見ると、短めの、濃い茶色の髪をした女の子が1人。
876
運動用のピッタリとした短いズボンと、半そでの上着。
いっつも思う。寒くないのかと。
﹁おはよう。それとおかえり。ナギちゃん﹂
﹁はい!ただいま!﹂
元気に答えるナギちゃんの顔はうっすらと上気して赤め。
多分この子はアキバくらいじゃ寒いと思わないんだろうなあ⋮
こういうちょっとしたところでこの子と私たちの身体のつくりの違
いを
思い出させられる。
ナギちゃんはこの下宿で暮らしている︿冒険者﹀だ。
歳は14歳で、この下宿の中じゃ一番若い。けどLvはぶっちぎり
の73。
冒険者、しかも身体能力に特化した格闘家兼体育家だけあって、
やや細めで筋肉もあんまりついてないように見えるナギちゃんの
身体能力はもはや冗談の域に達している。
この前、訓練に付き合ってもらったときに高さ20mはある切り立
った崖を、
獣のように岩のでっぱりを蹴って2本の脚だけで上りきったのを見
た時は
思わずメガネを拭きなおしたものだ。
で、ナギちゃんが帰ってきたってことは⋮
﹁ナギちゃんたちはいつも通りランニング?﹂
﹁はい!多分もー少ししたらみんなもどってくると思います!﹂
はきはきと答えるナギちゃん。
﹁ふぅん⋮そっか。相変わらずよくやるなあ﹂
私には真似できないなと改めて思いながら、私は手ぬぐいで顔を拭
った。
877
今、この﹃下宿屋マリーナ﹄には、私を入れて全部で6人の店子が
暮らしている。
暮らしているのはナギちゃん以外は全員大地人。
⋮で、全員がかなり強い。Lv33の付与術師でもある私も含めて。
この下宿屋、朝晩の賄い︵ちなみに大家のマリーナおばさんの手料
理は
その辺のお店より美味しい︶付きな分、家賃は一ヶ月で金貨500
枚ほどする。
如何にアキバが仕事に溢れた街だと言っても、普通の庶民が払うに
はちと高いのだ。
いきおいここで暮らす住人は命張る分見入りも多いお仕事な傭兵ば
かりになる。
まあ、私の場合は学問を修めなきゃなんないのと、
1人ではへっぽこなので毎日切ったはったしてるわけじゃないけど。
などと考えていると、他の住人たちが朝のランニングから帰ってく
る。
﹁また2番か。相変わらず、ナギには追いつける気がしねえな﹂
いつも通り、ナギちゃんの次に帰ってくるのは、ダグラスさん。
動きやすそうな上着とズボンの上からでも鍛えられているのが分か
る。
ナギちゃんと違って如何にも戦士って感じの身体つきだ。
まあ、実際戦士と言うか騎士なんだけど。
ダグラスさんはバリバリの守護戦士、おまけにLvが50を越えてる
マイハマの近衛騎士様だけあって、身体能力がかなり高い。
︵ナギちゃんとは比べるだけ無駄だけど︶
おまけに頭も良いので、たまにここの住人みんなで冒険に行く時は、
リーダー役をやっている。
878
﹁⋮よし!勝った!﹂
﹁うわ!くそー負けた∼﹂
続いて帰ってくるのは、いつも通りの2人組。
モンスター退治専門の傭兵である魔物狩りをやっている、
狼牙族の格闘家のサイトと同じく狼牙族の盗剣士のアヤメのコンビ
だ。
どうやら本気で走ってきたらしく、2人とも尻尾と耳が出ている。
2人ともアキバで最近人気な﹃ジャージ﹄とか言う冒険者の服を着
てる。
サイトが黒で、アヤメが赤。両方白いラインが入ってる。
あれ、部屋でくつろぐのにも良いけど、運動にも向いてるらしい。
この2人もバリバリの前衛なのでかなり鍛えこまれてる。
ダグラスさんに負けないくらい筋肉がついてるサイトはもちろん、
アヤメも一見出るとこでて引っ込んでるとこ引っ込んでるだけかと
思いきや、
腕とか筋肉でかっちかちだったりする。
それでもナギちゃんやダグラスさんに追いつけないのは、
やっぱりLvの差という奴だろう。この2人、私とLvは同じくら
いだし。
﹁⋮また私が最後ですの﹂
最後にちょっと遅れて戻ってきたのが、クローディアさん。
手入れが行き届いてさらさらな亜麻色の髪を2つに分けてくくって
いる。
こっちもジャージ。けどどピンクは正直どうかと思う。
結構少女趣味だ。もうすぐ20歳だと言う割に。
クローディアさんはダグラスさんと同じくLvが50を越えている、
マイハマの近衛騎士兼従軍司祭だ。
879
どっちかと言うと魔法重視な施療神官だからか、
純粋な体力勝負だとサイトやアヤメにちょっとだけ負けるらしい。
と言ってもその辺の傭兵や騎士くらいなら魔法なしで制圧できるく
らいの
メイス使いでもあるんだけど。
﹁お帰り。朝メシ出来てるよ。全員顔洗って食堂に来な﹂
クローディアさんが帰ってくると、マリーナおばさんが食堂から
ひょいと顔を出してそれだけ行ってまた引っ込む。
食堂からは、バターをしいたフライパンで焼かれはじめた、トース
トの甘い匂い。
それをかいで、お腹を減らした私も含め全員が慌てて身支度を始め
る。
マリーナおばさんの作るごはんは、とても美味しい。
昔はどうせ味同じなのもあって余り食べなかったのだが、
この下宿では毎朝楽しみにしている。
⋮お陰でちょっとだけ太ったのは、ないしょだ。
2
朝食を終え、いつものようにそれぞれに傭兵ギルドや狩り場に行こ
うとする
他の面々を見ながら、マリーナおばさんに特別に頼んで作ってもら
ったお弁当
︵別料金で金貨3枚︶を受け取っていつものように下宿を出る。
向かうのは﹃図書館﹄⋮アキバで学問を修めようとする大地人であ
れば、
誰でも知っている場所だ。
880
﹁やあシャーロット君。今日も朝からか。大地人の研究者は皆、熱
心だな。
うちの学生にも見習わせたいものだ﹂
﹁ええ。今日はバイトがあるので、少しでも早くと思いまして﹂
今日の図書館の番人⋮アキバの4大騎士団の1つ︿ホネスティ﹀の
上級騎士である
シゲル様に挨拶をしながら、奥へとすすむ。
奥にあるのは、無数の本。
全部、アキバの冒険者が遺跡などから持ち帰った貴重な古代の文献
か、
冒険者が己の知識を記した様々な文献だ。
あちこちに置かれた椅子とテーブルにはもう、沢山の大地人⋮
私と同じ魔術師や学者が陣取って、本を読んだり、ノートと呼ばれる
白紙の本に写したりしている。
それが、この図書館のいつもの光景だったりする。
あらゆる本を集め、それを庶民などにも広く開放する施設⋮
私の故郷、ツクバでその話を聞いた時は冗談だと思った。
無論﹃集める﹄までは、はるか古代の頃から行われてきたことだけ
ど、
それを他の人間に容易く分け与えるなど、狂気の沙汰。
研究を奪おうとするものは殺してでも阻止する。
自らの研究を持つ学者としての魔術師にとってはごく普通の感覚だ。
魔術師にしても学者にしても学問を修めるためには、
普通は師匠に弟子入りして長い長い下積みと修行によって学ばねば
ならないし、
弟子入りもよっぽど師匠に見込まれるか、相応の金を積まなければ
ならない。
881
つまり知識を得るためには大抵はよほどの苦労を重ねているものな
のだ。
だからこそ、魔術師は魔術でもって己が身と研究を守る術を身に着
けるし、
容易く読み解けないよう暗号にして記す。
私の場合は母さんがそのまま師匠でもあったから多少はマシだった
けど、
それでも今の知識を身に着けるのは大変だった。
それでも私は恵まれている方であり、私くらいの歳の魔術師、
学者見習いだと未だに普通の読み書きと簡単な魔法が使えるくらい
で、
他は師匠の雑用しかやらせてもらえないなんてのがツクバでは普通
だった。
それに対し、図書館である。
ここには知識が溢れている。
万を越える冒険者が集めた知識は膨大で、
しかもそれが暗号化すらされず貯蔵されている。
それどころかツクバで夏に激震を起こした﹃数の秘術﹄など
﹃子供でも分かるよう書いた知識をまとめた本﹄なんてとんでもな
い代物まである。
それがこの図書館では冒険者、大地人を問わずに﹃公開﹄されてい
るのだ。
そりゃあツクバからの留学生が列をなそうと言うものだ。
ししょう
かく言う私もその1人である。
母さんに死なれた若輩で女の学者魔術師なんて
882
イロモノを受け入れる師匠なんて見つからなかったし、
今さら学問の道を捨ててごく普通の女として生きてくのも辛い。
学問を続けようと思ったら、選択肢はこれしか無かった。
その判断はどうやら間違いではなかったらしく、今でも私は母さん
の残した遺産に
殆ど手をつけず、傭兵仕事の傍らこうして学問を続けられている。
﹁さってと⋮﹂
さっと歩いて本を確認。
いつも通り冒険者の知識を分かりやすくまとめた
﹃良く分かる!受験対策﹄シリーズは全部持ってかれてる。
数の秘術を更に分かりやすくしたと言う数学編は未だに私の中では
幻の本扱いだ。
前に供贄の一族がやってる本屋で売ってるのは見かけたけど、かな
り高いし。
となると読むのは⋮おっ。
運がいい。
前々から読みたかった﹃図解 蒸気船の仕組み﹄がある。
とっさに手を伸ばして確保。
すぐ後ろで舌打ちの音が聞こえたので間一髪だったらしい。
貸し出し決定。
私はほくほくしながら貸し出し手続きをする。
しないと図書館の中でしか読めず、本を持ち出せない。
1日金貨10枚。1週間で7日。合計金貨70枚。
⋮本破いたりなくしたりしなければ全額本を返したときに返してく
れるとか、
ちょっと良心的過ぎだと思う。
何かの罠だろうか?
883
冒険者が言うには﹃図書館とはそういうものだ﹄ってことらしいけ
ど。
とはいえ今日読むべき本は手に入ったので、適当な机を陣取る。
鞄からノートと羽ペンとインクを取り出し、写し取る準備をしなが
ら本を開く。
さて、今日もしっかりと励むとしよう。
3
太陽が丁度真上からちょっと外れた午後2時。
空腹が限界を越えたので飲食禁止の図書館を辞し、ごはんにする。
日当たりの良い、広場のベンチ。
途中にあった屋台で買った、砂糖とミルク入りのあったかい黒葉茶
を脇に置いて、
マリーナおばさんのお弁当を取り出す。
﹁おっ⋮今日はカツサンドかぁ﹂
いそいそと開けた包みの中から出てくるのは、
薄く切った肉を重ねたカツにたっぷりとソースを染み込ませた、カ
ツサンド。
カツサンドのすぐ側には口直しとして小さいビンに入れられたザワ
ークラフト。
多分、昨日の晩ごはんに出たとんかつを作るときに揚げて置いたの
だろう。
揚げたてのとんかつにソースとカラシをつけて真っ白いライスも美
味しいけど、
ソースをたっぷり染み込ませて時間を置いたカツサンドもまた格別
だ。
ちょっと嬉しくなりながら、ほおばる。
じゅわっとした油と、柔らかい肉の旨み。
884
ちょっと厚めの、白いパンの甘みに、甘辛いマスタード入りソース。
一切れ食べた後に口に放り込む、爽やかに酸っぱいザワークラフト。
ああ、また太るかも、と思いながらも食がすすむ。
マリーナおばさんは﹃孫ほどじゃないよ﹄ってよく言ってるけど、
手料理の天才だと思う。
そして10分ほど黙々と食べて。
﹁ご馳走様﹂
マリーナおばさんの流儀で言うようになった、冒険者式の食後の感
謝の祈りを捧げる。
空腹が収まると、先ほどまで読んでいた﹃図解 蒸気船の仕組み﹄
のことが
思い出される。
﹁⋮やっぱり、異質だよね﹂
それが、触りだけとはいえあの本を読んだ感想だ。
私が専門として研究する学問は﹃魔道具学﹄と呼ばれる学問だ。
この学問はその名前の通り、魔法の道具を研究する学問。
⋮古代アルヴ文明が残した魔法の遺産を解き明かすことを専門とす
る学問だ。
下はちょっとしたマジックアイテムの力を引き出すところから、
上は古代の大規模な魔法装置の再起動や修理まで。
古代の魔道具に込められた魔力の解析と操作を専門とする。
私が︿付与術師﹀の魔法に通じているのも、それを軸とした応用だ
ったりする。
だからこそ、分かる。
冒険者の持つ知識と技術は、私の知る古代アルヴ文明のそれとは、
違いすぎる。
885
蒸気船はあの鉄の塊を海に浮かせ、何百もの人間を乗せて、風を使
わずに動く。
そんな桁外れの、奇跡に近い技術。
だが、それに使われる﹃魔法﹄は余りにも単純だ。
極論すれば﹃中心部で燃え続ける炎﹄
ただそれだけの魔法しか使っていない。
かつて、世界の運営が魔法で行われていた時代。
魔道具は複雑な魔法式で構成され、精密な操作により様々な奇跡を
起こしていた。
空を飛ぶ船、山のような大きさのゴーレム、宙に浮く魔法の石床⋮
そう言ったものにより、アルヴは、旧き3種族は今以上に栄えてい
た。
より複雑に、より大規模に魔法が進化していった時代だ。
だが、冒険者のそれはその古代の魔法文明から見て、余りにも異質。
まるで﹃魔法を使わないことを前提とした技術﹄にすら思える。
例えば先ほどの蒸気船にしても﹃燃え続ける炎﹄でありさえすれば
良い。
極端な話、ひっきりなしに薪や炭を投げ込み続ければ魔法なしでも
動く。
そういう構造になっていた。
無論、それが古代の魔法技術と比べて劣るわけでもないのは、本を
読めば分かる。
基礎となる単純な魔法からあの船を動かすために考えられた仕組みが
余りにも精密かつ複雑なのだ。
あれをわずか1ヶ月で完成させたアキバの冒険者は、一体何者なの
886
だろう?
学者の間では﹃冒険者は古代より更に古い神代の知識を持つ﹄
なんて与太話もあるけど、案外本当なのかも知れない。
カラーン⋮カラーン⋮
なんてことを考えていると、3時の鐘がアキバ中に響く。
仕方ない。私は考えるのを中断して、立ち上がる。
﹃バイト﹄の時間だ。
私は気持ちを切り替えて、バイトへと向かった。
4
﹁はい。じゃあ今日は初伝の九九についてやります﹂
数の秘術︵初伝︶の中ごろを開きながら、私は黒い石の板に白墨で
数式を書く。
﹁とりあえず、全部覚えてください。今後のためにも﹂
ずらっと、一桁の掛け算を書く。
一桁の掛け算を瞬時にできるようにする数の秘術に記された基本技
術﹃九九﹄
一応ついこの前秘伝まで進んだ私にはどうと言うことは無いが、
初伝の中では難関の部分なのでみな、顔が険しい。
顔ぶれは、様々。
ドワーフの職人に、エルフ族のメイド。
人間族の主婦。猫人族の丁稚に狐尾族の夜の女。
独特の装束を纏ったアメヤの村の狼牙族に教室にまで剣を持ち込ん
元
を取ろうと一生懸命に勉強しているが、進みは遅い。
でいる傭兵の類。
みな
子供達と違って大人になると新しいことを覚えるのは大変なのだ。
887
この﹃塾﹄と呼ばれる教室は、元々は冒険者が考案したものだ。
学問の知識が無い素人を集めて、基礎的な学問を教える。
噂では冒険者しか入れない、キョウの︿大学寮﹀への入門試験対策
用の
ものすごく高度な塾もあるらしいが、私が教えているのは、
読み書きと簡単な計算が学べればそれでいい大地人向けの簡単なも
の。
冒険者には﹃テラコヤ﹄と呼ばれている。
曲がりなりにも学者である私が選んだバイトがテラコヤの講師だっ
た。
この街では読み書きが出来なくてもそれなりに働き口はあるが、
やはりできると選べる仕事の幅が増える。
そういう分かりやすいメリットがあるので、アキバに住み着いて数
ヶ月もすると、
元々学の無い大地人は何とかして読み書きと計算を学ぼうとするこ
とが多い。
それを見込み、庶民でも出せるような僅かな金で学問を教えるのが
テラコヤである。
噂ではアキバの冒険者を束ねる︿円卓会議﹀がテラコヤの運営を援
助しているらしい。
つくづく学問を志すものには篤い街である。
まあ、文字が読め、中伝、奥伝クラスの数の秘術を身に着けている
のが
当たり前と言う恐ろしく高い冒険者の知識の水準を思えば、
それも当然なのかも知れない。
さて、このテラコヤ、朝と夕方前では学びにくる層が違う。
888
朝は子供が多いが、夕方前の授業になると、一気に大人が増える。
彼らは朝からの仕事を切り上げ、時間を作ってテラコヤで学んでい
るのだ。
大地人には、文字が読めず計算も出来ない大人は決して珍しくない。
最初は小うるさい子供に教えるよりはマシかと思っていたが、
大人の方が静かだけど頭が固くて物覚えが悪いので結局どっちもど
っちだった。
その日の﹃バイト﹄は結局、九九をみんなで覚えるところで終わっ
た。
用意しておいた、九九を全部記した紙を大事そうに持ち帰る生徒が
印象的だった。
多分、後で他のものに教えたりするんだろう。
⋮私が母さんから教わったみたいに。
5
講師のバイトを終えて帰ると、居間に下宿の女たちが集まっていた。
﹁うっわ。ありえね∼。なんだこれ。服って言うか、紐じゃん紐﹂
アヤメが本を開いて見ながら爆笑している。
﹁ななななんて破廉恥な!?こ、こんなものを冒険者は着るんです
の!?﹂
クローディアさんは同じページを見ているはずなのに、怒っている。
顔が真っ赤だ。
ダンサー
﹁いや∼。さすがにそれ着れる人は今はそんなにいないと思います
よ?
いっくらセット効果で︿おどり子﹀のスキルにボーナスって言っ
ても、
ちょっと⋮﹂
889
それを見ながら、ナギちゃんはぽりぽりと困ったように頬をかいて
いる。
私は1人蚊帳の外。
とりあえず、アヤメの持っている本の題名を読む⋮
冒険者の攻略本の1つ、防具について記されたアーマーカタログだ。
ちょっとボロくなってるけど。
﹁あ、お帰りなさい。シャーロットさん﹂
﹁お仕事、ご苦労様ですの﹂
﹁おっ、丁度いいとこに。シャーロットもちょっと見てよ﹂
そこで皆が私に気づいて口々に労をねぎらう。
そしてアヤメがずいっと本を突き出してきた。
私はそれを見て⋮絶句した。
なんだこれ。服って言うか、紐。
アヤメの先ほどの感想まんまの存在が書かれていた。
胸の頂きと女性の大事な部分を申し訳程度に隠す布とそれをつなぐ
紐。
そして派手な七色の羽飾りと、踵のやたら高い靴。
全部揃えると︿踊り子﹀のスキルにボーナスがつくらしい。
︿太陽神の踊り装束﹀と記されている⋮え?防具なの?これ?
﹁マジありえないよね。装備するにはLv60以上とか、鋼の板金
鎧よか硬いとか含めて﹂
⋮え?
思わずアヤメの方を見る。アヤメは驚く私に更に笑みを深めて、言
った。
﹁いやさ、ナギがアーマーカタログもう使わないからくれるっつう
から
890
貰ったんだけどさ、魔物防具って誰が着るんだよこれって感じの
ひっでえデザインの防具がゴロゴロあんの。
もう笑った笑った。サイトとダグラスは照れて部屋に戻っちゃう
しさ﹂
﹁納得いきませんの!ナギさんの︿光の使者のドレス﹀よりありえ
ませんの!﹂
﹁わ。ひどい。あれ、けっこう気に入ってるんですよ。かわいくて
強いから﹂
なるほど、それでみんなで品評会というわけか。
私はようやく事態を飲み込んだ。
アキバでは、傭兵の使う装備は魔物武具⋮
冒険者が言うところの製作級が主流である。
理由は簡単で、冒険者が店売りと呼ぶ一般の装備より、はるかに性
能が良いから。
とはいえその数は膨大なので、自分にあった装備を見極めるために
武器や防具を装備レベル別にまとめたカタログがあるのだ。
3人はそれを仲良く眺めていたらしい。
﹁ほら。クローディア、これとかどうよ?白衣天使の衣。
装備Lv50で、回復魔法の効果が高まるってさ﹂
﹁あ、あああありえませんの!?なんですのこのスカートの短さは
!?
脚が丸見えですの!?一歩間違うと下着まで見えますの!?
わ、私の鎧は家伝の一角馬の鎧以外ありえませんの!﹂
﹁えー?これくらいならいんじゃないですか?さっきのひもよりは﹂
﹁ナギさんまで!?比べる対象がおかしすぎですの!?﹂
アヤメとナギちゃんの言葉に、クローディアさんがものすごく動揺
してる。
うん、まあ気持ちは分かる。
891
アヤメがクローディアに勧めた装備は白いのはともかく⋮スカート
が妙に短い。
半そでだし、寒くないんだろうか?これ。
﹁ほら。シャーロットなら、コレとかどうよ?黒兎のスーツ。
魔法の性能にボーナスだって﹂
そんなことを考えてると、私にお鉢が回ってくる。
どれどれとばかりにアヤメが開いたページを見て⋮
﹁⋮いや、それはなしでしょ﹂
即答する。
そもそもスカートすらついてないし身体のラインが丸見えとか、
ちょっと何考えてんのか分からない装備だ。
もっと普通のローブとかで良い⋮お。
﹁あ、でもそれは良いかな。識者のガウン⋮って結構高いな﹂
学者系の知識を高めるとなってるし、魔法の守りが高いらしい。
普通の服の上から重ねられるのも、高得点だ。
金貨1300枚はかなり高いから、ちょっと手を出すのが怖いけど。
⋮賢者のローブも良い品だけど、装備Lv30代の魔物武具と比べ
ると
ちょっと微妙だしね。
﹁んで、アヤメは何か良さそうなのあった?﹂
気を取り直して、アヤメに尋ねる。
そうするとアヤメは少し困ったような顔をした。何故か。
﹁あーうん。あったと言うか、知ってたと言うか⋮﹂
そう言いながらそのページを開く。
私は釣られるようにそのページを見て⋮うん。これはひどい。
﹁性能は申し分ないんだよねー。炎と冷気に耐性アリで、命中と回
避にボーナス。
私みたいに速さ重視の盗剣士だとこれ以上よさ気な装備が
魔物防具には見当たんない﹂
言い訳するアヤメが開いたページに載っている防具は⋮︿悪魔の拘
892
束具﹀
デザインがかなり⋮アレだ。着てたら間違いなく娼婦と間違われる。
⋮ん?でもこれ、どっかで見たような⋮
﹁⋮ありえませんの。あの悪魔女と同じ装備だなんて﹂
あ、そうか。
クローディアさんの言葉で気づいた。
﹃ススキノの女悪魔﹄が着てる鎧にそっくりなんだ。
なるほど。確かにそれなら分かる。
ススキノの女悪魔は、傭兵ギルドで最強の盗剣士だ。
しかもその装備は仕えている冒険者の、
とてつもなく強い盗剣士から貰ったものと聞いたことがある。
当然、盗剣士としての力を求めれば、自然と似たような装備に行き
着くと言うわけだ。
﹁まあ、どっちにせよ今はサイトの篭手買って金が無いから、保留
だけどね﹂
アヤメが肩を竦めて言う。
どうやら、防具談義は終わりらしい。
まあ、そろそろ夕食の時間だから、丁度良いか。
さて、今日の夕食はなんだろう?
6
美味しい夕飯を食べ終え、湯浴みを済ませたあと、借りてきた本を
読んでいたら、
すっかり遅くなってしまった。
辺りは静かなものだ。恐らく下宿で起きているのは私だけだろう。
⋮私も寝よう。
893
私は万年灯に布の覆いをかける。
今まで辺りを照らしていた光が遮られ、辺りが真っ暗になる。
﹁ふわぁ⋮﹂
あくびをして、布団にもぐりこむ。
今日も夜更かしをしてしまった。
きっと明日も、マリーナおばさんにたたき起こされることになるだ
ろう。
﹁⋮まったく、この街は、学びたい知識が多すぎる﹂
そう、ポツリと一言呟いて、私は目をつぶる。
きっと母さんが生きてたら、知識の宝庫であるこの街をものすごく
喜んだだろうな。
そんな益体も無いことを考えながら。
894
第23話 学者のシャーロット︵後書き︶
本日はここまで。
ちなみに下宿屋マリーナの住人はシャーロット以外は
実は今まで別の話に出てきたキャラだったり。
895
第24話 王子のティーダ︵前書き︶
島の冒険、第2弾。
と言うわけで今回はとある冒険者と大地人のお話。
テーマは﹁辺境の小国﹂
舞台はヤマトの南の果て、リュウキュウ。
それでは、どうぞ。
896
第24話 王子のティーダ
0
5月2日21:28 GW特別企画!目指せ北海道!日本縦断貧乏
旅行4日目!
今日はもういやんなるくらい走った!
めっちゃ疲れたし、雨めっさ降ってる。
てなわけで今日は野宿はやめ!宿に泊まる。
まあ、ホテルとかじゃなくてネカフェなんだけどね︵笑︶
バイクと免許と保険で貯金ほっとんど吹っ飛んで金ないし。
で、問題は⋮ヤバイ。寝れない。
めっちゃ疲れてんのに、久しぶりに野宿じゃないことに
テンション上がりすぎて寝れない。
しょうがないので眠くなるまで暇つぶし。
このネカフェのパソになんか大人気のゲームが入っててタダで遊べ
るらしいから、
それでもやるわ。
897
んじゃ、このブログ応援してくれてるみんな。明日もよろしく!
﹃第24話 王子のティーダ﹄
1
戦いは大詰めを迎えようとしていた。
﹁よし、もう一息です!火矢を撃ちなさい!退路を断つのです!
蜥蜴どもを逃がしてはなりません!﹂
エルフの狩人にして神官の長である女が自らも弓を繰り、
燃える火矢を放ちながら怒声を張り上げる。
﹁縮こまれ!亀のように!じっと耐えろ!おらたちの仕事は耐える
こった!
リザードマン
王子さんがこの蜥蜴をぶっ殺しに来るまでじっと我慢だ!﹂
巨大な亀の甲羅で作った盾で︿蜥蜴亜人﹀の王の
曲剣を受け止めながら、筋肉ではちきれそうな小さな身体を
島では珍しい板金鎧で包んだドワーフが負けじと声を張り上げる。
﹁いいか!最低でも3人で掛かれ!1人で殺ろうなんて横着はすん
なよ!
トンファー
反撃の隙を与えるな!動かなくなるまでしっかりぶん殴れ!﹂
島に伝わる伝統の武器である旋棍を構えた人間族の格闘家が、
蜥蜴亜人の返り血と自らの血で血まみれになりながら声を上げる。
そして。
﹁おう!王子さんよ!雑魚蜥蜴どもはあらかた始末したぜ!﹂
王の周りに侍っていた最後の蜥蜴亜人を殴り殺した男が叫ぶ。
﹁分かった﹂
その報に、じっと力を温存していた、赤銅色の肌と髪の青年。
島では珍しい武者鎧に身を包み、大陸風の意匠を施された派手な鞘
898
を2本下げた、
軍団の長にしてリュウキュウの王子たるティーダが鷹揚に頷き、
鞘から対の太刀を抜く。
そして、戦場の者達全員に聞こえる大声で宣言する。
﹁これより蜥蜴の王を討伐する!供はサイガ、ダイモン、ユリア、
老師
⋮そしてショウイチ!他のものは王より離れよ!﹂
リザードロード
その言葉に、それまで王の攻撃を受け止め続けていたドワーフたち
が離れる。
そしてティーダと︿蜥蜴の王﹀との間に道が出来る!
﹁一気に仕留める!遅れるなよ!﹂
野生の勘で強さを感じ取ったのか、じっと待ち構える体勢を取った
王に向かってティーダは走り出す。
ひた走る王子の下に、名を呼んだものたちが集う。
﹁よっしゃあ!最後のひとふんばりだ!﹂
格闘家の一団から、怒声を上げていた人間族の格闘家、サイガが。
﹁さっさと終わらして、酒をかっくらうぞ!﹂
ドワーフの一団からはひときわ丈夫そうな無骨な板金鎧に身を包んだ
ドワーフのダイモンが。
﹁ティーダ様!無茶をしてはなりませんよ!﹂
後ろからは、弓を抱えた年かさのエルフ族の巫女、ユリアが。
﹁はてさて。ショウイチとティーダ。どっちが止めを持ってくかの
う﹂
同じく後方より指揮を見ていた、着流しの上から鋼糸を縫いこんだ
戦羽織を着込み、
打ち刀を2本抜いた狼牙族の老師がティーダと供に走る。
そして。
﹁っしゃ!行くぜティーダ!﹂
ティーダと同じく、太刀の二刀流に武者鎧を着込んだ武士の若者が
899
ティーダに並ぶ。
﹁馬鹿者!様をつけんか様を!﹂
後ろで叫ぶユリアの言葉も意にかえさず、すらりと太刀を抜く。
﹁よい!今は蜥蜴の王を討つのが先決だ!﹂
ティーダがユリアに怒鳴り返し、ついに蜥蜴王と対峙する。
キシャアアアアアアアアアアア!
咆哮する蜥蜴王に少しだけ気圧されながらも、5人の戦士が並び立
つ。
﹁皆のもの、最後の総仕上げだ!この戦、勝つぞ!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁おうっ!﹂﹂﹂﹂﹂﹂
ティーダの号令の元、5人の戦士が一斉に斬りかかり、
後ろではユリアが援護の体勢を取る。
退路を断ち、供を仕留めた上での6人がかり。
それでもなお5分持ったのは、亜人を束ねる王の、人間の限界を越
えた力ゆえだろう。
2
リュウキュウ王国唯一の都であるシュリは、戦勝に沸きかえってい
た。
﹁勝った!勝ったぞ!我等のティーダ王子が勝った!﹂
﹁ざまあみろ蜥蜴ども!これで安心して野良仕事ができる!﹂
﹁流石は王子!これでリュウキュウは安泰だ!ティーダ王子万歳!﹂
﹁あのぶっとい蜥蜴王の腕がな、王子の一撃でずっぱり落ちた!
やっぱり王子は刀の天才よ!﹂
﹁あのニホン人も侮れんぞ。王子ほどではないにせよ、刀の腕が立
900
つ。
故郷ではさぞ名のある師匠に師事していたのだろう﹂
悠々とシュリの城に戻る馬の上からでも、町人や先に帰還した農民
兵たちの
噂話が聞こえる。
︵うむ。確かに今回は我ながら大勝利だった︶
その噂話に、ティーダはかすかに頷く。
今回の戦果に、ティーダは満足していた。
シュリからそう遠くない場所に出来た、
蜥蜴の王に率いられた50匹ほどの蜥蜴亜人の前線基地。
捨て置けば近隣の村々に被害が出ると判断し、ティーダは兵を挙げ
た。
20人ほどの正規の騎士と、100人ほどの農民兵。
総勢120名での強襲。
上手く不意を打てたのと、新しい丈夫な装備、老師より教わった数
で押しつぶす
﹃帝国式﹄を貫いた各部隊の長の活躍もあり、死人を出すことなく
蜥蜴亜人を殲滅できた。
当面の心配事であった亜人どもの撃破と、王国の剣である騎士団の
実力の再確認。
得られたものは、大きかった。
辺境の島国であるリュウキュウにおいて︿冒険者﹀の影は薄い。
冒険者の都であるナカスやフォルモサとは海に隔てられ、
渡るには凶悪な海の魔物にも負けぬ大きな船がいる。
リュウキュウの島々に幾つか点在する妖精の環を使い、
遥か彼方より訪れる冒険者もいたが、
彼等の大半はティーダ達大地人では捨て置くことしか出来ない
901
凶悪な魔物が住まう迷宮にしか興味を示さず、
ティーダ達大地人と邪悪な亜人との小競り合いになど、関わっては
こない。
そういう島であったからこそ、強力かつ残忍、そして凶暴な亜人た
ちと戦うために、
元は人間族、エルフ族、ドワーフ族の旧き3種族それぞれにあった
国が1つとなり、
人間族の長を王としてリュウキュウ王国となった。
善なる勢力が1つになった国は常に亜人との戦いに備える騎士団と、
臣民の若者を臨時徴用した兵士を使って亜人相手に連綿と勝ち続け、
リュウキュウは辛うじて善なる種族の勢力圏を保っている。
ティーダは、そんなリュウキュウの王族として生まれた。
この地では王族には戦とあらば兵を率い戦う将として、戦士として
の力を求められる。
騎士団長は成人した王子が勤めることになっており、
他の王族も何かしらの戦技を学ぶのだ。
ティーダが自らの戦技として選んだのは、武士の技だった。
10年ほど前、北の国、サツマから開拓民として渡ってきた狼牙族
の武士の、
Lv64にも及ぶ規格外の強さに惚れこみ、口説き落として武士と
して
弟子入りしたのだ。
彼の師匠である﹃老師﹄は島の特産である砂糖キビ畑を耕して暮ら
し、
野良仕事の傍らにティーダに刀の技を教え、
ティーダもまた畑を手伝いながらよく学んだ。
そして10年、今やティーダの技量はLv50に達した。
902
まつりごと
今では老師を除けば島でも屈指の技量を持つ戦士である。
いくさ
︵さて、戦は終わった。後は政の時間だな︶
これから宮廷では戦勝の宴の1つも開かれるだろうが、
いずれリュウキュウを背負って立つティーダの心は次に向かってい
る。
蜥蜴亜人どもが溜め込んでいた財貨はかなりの額に昇る。
これは農民兵たちに幾ばくかを褒美として与えた後は国庫に収めら
れる。
騎士団装備の更新、港の整備、開拓地を切り開くための財源⋮
使い道は、幾らでも思いつくのだから。
3
あにさま
﹁兄様!お帰り為さいませ!﹂
城の入り口の広間で、ティーダは声を掛けられた。
留守と、街の守りを任せていたリュウキュウ王国の姫である妹のユ
エ。
ティーダの大切な家族だ。
﹁ああ、心配を掛けたな。蜥蜴亜人は殲滅した。
怪我人は出たが死人は出ない大勝利だ﹂
﹁そうですか⋮良かった﹂
ティーダの言葉にほっと胸を撫で下ろし、
続いてユエはきっと、ティーダの隣を見る。
﹁ショウイチ!あんた、兄様に迷惑かけてないでしょうね!?﹂
隣に立つのは、一応はティーダの従者ということになっている、
ショウイチであった。
﹁は?んなわけねーじゃん。しっかり戦ったっつの!﹂
﹁どうだか?来たばっかの頃はただのへっぽこ武士だったくせに!﹂
903
﹁んなっ⋮!?れ、レベル低かったのはしゃーねーだろ!?
剣道なんて中学の頃しかやってなかったんだから!﹂
ポンポンと言葉が押収する。
言葉だけ見れば随分と強いし、顔も怒っているようだが、
彼女の兄を17年ほど続けて来たティーダには分かる。
あれは、機嫌が良いけど、それを知られるのが恥ずかしいと思って
いるときの顔だ。
ショウイチはまだ知らないのだろうが、あれでユエはショウイチに
心を許している。
微笑ましい。巫女としての技量を鍛え、今ではLv47のユリアに
匹敵する
結界術と弓の名手となった妹に対し、臆せず、軽口を叩き合える若
者など
そう多くはない。
このリュウキュウ王国では家族であるティーダと弟のシン、
そして父と母を除けばショウイチくらいだろう。
︵いっそユエの婿にでも迎えて、俺の弟にするのも悪くは無いかも
知れん︶
弟や妹とも仲良くやっているようだし、
下手にナインテイルの貴族から婿を取るよりは良いかも知れない。
そんな益体のないことを考えていたときだった。
﹁兄上。少しよろしいですか?﹂
まだ若い、少年の声。
﹁どうかしたか?シン。宴の準備にはまだかかると思ったが﹂
少年の名は、シン。リュウキュウ王国第2王子⋮すなわちティーダ
の弟である。
﹁ええ。ですからその前にと。実は先ほど、黒猫ルドルフが城を訪
れました。
商談を行いたいとのことです。父上は、兄上に任せるようにとの
904
仰せでした﹂
﹁またか⋮﹂
ティーダは思わずため息をついた。
父王タイヤンは、どうやら齢45にして本格的に隠居を考え始めた
らしい。
最近は国の重要ごとをどんどんティーダたちに任せるようになって
いる。
いずれ、本格的に引退した後は政治に口を出さず、
若い頃から鍛えていた格闘術を極めるつもりだと言うのは、本気な
のだろうか。
﹁いかがされます?これから戦勝の宴がありますので、
本日はお引取り願っても良いかと思いますが﹂
﹁いや、構わぬ。会おう。戦勝の宴にも参加して頂くこととする。
此度の勝利、ルドルフの功でもあるからな﹂
今回の戦で、地力に勝る亜人に勝てたのは、6月にルドルフが島では
貴重な鉄製品⋮鋼を使った鎖帷子を始めとした武具を、
交易品として持ち込んできたからと言う面もある。
新興ながら幾つもの大きな船を有する大商人の持ち込んだ武具。
それは騎士団と農民兵に行き渡らせるに充分な量があった。
無論、それだけの武具であれば、代金も相応の額となったが、
リュウキュウはその支払いには困らなかった。
﹁それに、興味もある﹂
﹁興味、ですか?﹂
兄の言葉に、シンは首をかしげて尋ねる。
﹁ああ、前回の取引。如何に大量とはいえ、
砂糖キビで代金をあがなう事を認めた理由がな﹂
武具の対価に島の特産物を船がいっぱいになるほど要求した理由を。
4
905
城の客間でティーダは2人の男と会った。
1人は、美しく、鮮やかな色合いの余所行きを着込んだ黒い毛皮の
猫人族と、
着慣れぬのか執事服を窮屈そうに着込み、緊張した面持ちで直立不
動を保つ、
白と茶、黒の毛が交じり合った毛皮の、少年と言っても良い年頃の
若い猫人族。
﹁光栄です。この忙しい時にまさか王子自らお会いして頂けるとは﹂
ティーダが入ってきたのを見て、猫人訛りの無い流暢な言葉で、
黒い毛皮の猫人族商人、ルドルフが頭を下げる。
﹁よい。どの道宴の準備が整うまでは暇だった。
暇を持て余して城の者どもに質問攻めにされるよりは、
こちらの方が有意義だろう﹂
にこやかに笑いながらも、その瞳からは油断できぬ光を放つ商人を
前に、
ティーダも居住まいを正す。
相手は海千山千、それも小国なれど城に出入りが許されるほどの大
商人だ。
相応の覚悟をもって挑まねば、あっという間に足元を見られてしま
う。
ここもまた、ある意味では戦場であった。
﹁なるほど。それは運が良かった⋮これもまた、商売の神のお導き
でしょうな﹂
﹁よく言う。祈りなどしている時間があれば金勘定をするのが商人
であろう﹂
笑いながらからかう。
ティーダは、ルドルフを嫌ってはいない。
今ひとつ何を考えているか分からないのは油断ならないが、
基本的には商売では相手に損をさせないことを重視する姿勢を、
906
好ましく思ってもいる。
10年前、交易商人になりたての頃から、ルドルフはリュウキュウ
と交易をしていた。
少し割高な大陸の交易品や島の特産品に鉄製品や金を払い、
それをイースタルまで運ぶ。
それは大陸商人との繋がりを古くからの交易商人に独占され、
ロングコーストの主流である大陸との交易が満足に行えぬが故の
苦肉の策だったのかも知れないが、リュウキュウではありがたい存
在だった。
﹁ははは。手厳しい。となれば世間話はこのくらいにして、
商品の説明を致しましょう﹂
ルドルフとてティーダがこれから戦勝の宴を控えているのは知って
いる。
早速とばかりに、アキバで仕入れてきた品々のサンプルをティーダ
に見せる。
﹁ほう。今度は武器か﹂
トンファー
﹁はい。これをおおよそ30ずつ仕入れて参りました﹂
並べられたのは、弓や手槍、旋棍といった武器の数々。
﹁しかし⋮見慣れぬ代物ばかりだな。
武器のようだが、奇怪な材料を使っている。これは何だ?﹂
それらは、慣れ親しんだ鉄や木の気配は無い。
獣の革は使われているものもあるが、それとて牛や豚、
羊とは違う革を使っているようだ。
﹁はい。これは魔物武器です﹂
対するルドルフは落ち着いたもの。
しれっと、今名づけた言葉を口に出す。
﹁魔物武器?﹂
﹁ええ。これらはですね、魔物の血肉や骨を用いて作られた武器で
907
す﹂
タートルキング
まあ、間違ってはいない。
それに。
﹁なんと⋮わが国では︿王様海亀﹀の甲羅で
盾を作ったりはするが⋮﹂
リュウキュウでは重装歩兵の盾に、巨大な亀の魔物の甲羅を使って
いる。
それは鉄が貴重な島であることもあったが、それ以上に軽くて丈夫
である
と言う理由もあった。
﹁ええ、この島では魔物で盾を作りますからね。受け入れられ易い
かと思いまして。
特に今回持ってきたのは私の船の護衛に直々に選ばせた品ばかり。
どれも並の武器より優れたものなのは保証いたします﹂
先日、アキバに送り届けたムサシは、魔物武器を絶賛していた。
曰く、大地人が打った金属の刀など、比べ物にならぬと。
それに船の護衛として乗せてきた傭兵達の間でも、
アキバの武器の良さは噂になっていた。
中にはルドルフが渡した報酬を早速とばかりに
魔物武器の購入につぎ込んだ傭兵までいたし、
ルドルフから見ても慣れ親しんだ鉄の武器よりも
武器としての性能に勝ることは分かる。
材料の問題から冒険者の街でしか手に入らぬが、
きっと大地人の間でも広まるだろう。
そう思える程度には、魔物武器は優れた商品だった。
﹁⋮ふむ、少し試してもよいか?﹂
﹁どうぞ﹂
ティーダもそれを感じ取り、ルドルフが持ち込んだ和弓を手に取る。
軽い。
白い⋮恐らくは魔物の骨を使って作られたのであろうその弓は、意
908
外なほど軽かった。
そして、思い切り弓を引く。
ビィィィィン
跳ね返る反動は、大分大きい。
きちんと矢を番えて打てば、結構な威力となりそうな感がある。
どうやらルドルフが勧めてくるだけあり、中々良い弓のようであっ
た。
﹁⋮ほう、軽いのに存外良い音がする。
俺には軽すぎるが、エルフの弓使いには喜ばれよう﹂
﹁はい。こちらでは弓はエルフ族の巫女の方々が好むと聞きました
ので、
それにあわせました。それで、いかがでしょう?﹂
ティーダの評を聞き、ルドルフも笑みを深める。
どうやら今回の交易品も、正解のようであると確信して。
﹁俺だけではなんともいえぬ。武士の武器にしか俺の目利きは当て
にならんからな。
明日、サイガたちにも見せ、意見を聞く。返答はそれからでも良
いか?﹂
対するティーダは、慎重だ。
如何に﹃臨時収入﹄があったと言っても、国の金だ。
よき物に使わねば、バチが当たる。
リュウキュウは無駄遣いが許されるほど、豊かな国ではないのだ。
﹁もちろんです。私は1週間ほどこちらに留まる予定ですので、
それまでに決めて頂ければ﹂
無論、ルドルフとて今すぐに買い取れと言うつもりは無い。
元々、リュウキュウのあちこちで商談をする予定にしている。
リュウキュウの特産は、砂糖を始めとしてアキバでの交易に向いた
ものが多いのだ。
909
﹁了解した。それにしても、何処から仕入れたのだ。このようなも
の。
前の取引のとき渡した砂糖キビとの交易で手に入れたのであろう
が﹂
﹁実は、アキバの冒険者からです﹂
ティーダに尋ねられ、ルドルフはこともなげに口にした。
﹁冒険者か⋮風の噂ではまるで﹃大地人のようになった﹄とは聞い
ていたが﹂
﹁はい。考え方は大分違いますけどね。彼らの文化は面白いですよ。
それに金も知恵も持ってる。
これからは冒険者との付き合いが重要になっていくでしょうね﹂
ルドルフは本心から口にした。
ルドルフは持ち前の勘で時流が大きく変わったのを感じ取っていた。
今はまだ、街1つに留まっているが、イースタル自由都市同盟が
交流に動き出したとも聞いた。
いずれイースタルなどとも交流が始まれば、商売の常識が覆りかね
ない。
アキバの冒険者はそれだけの金と力と商品を持っていた。
﹁なるほど。肝に銘じて置くとしよう﹂
その言葉に、ティーダも頷く。
リュウキュウは冒険者の街からは遠い辺境だが、
それでもこの世界にある以上、無関係とはいかない。
いずれ、何らかの形で冒険者とは付き合っていくことになるだろう。
直接にせよ、間接的にせよ。
そこまで考えたあと、ティーダは気を取り直してルドルフたちに言
う。
﹁今宵、城で戦勝の宴が行われる。お前たちも出るが良い。
俺が許可しよう。我が島の料理人たちが作る﹃ニホン料理﹄はう
まいぞ﹂
910
﹁それはありがたい。楽しませて戴きます﹂
ティーダの許可に、ルドルフは深々と感謝の意を表する。
戦勝の宴ともなれば、リュウキュウの有力者は大体招かれる。
今のうちに知り合う機会を得られるのは大きいとルドルフは知って
いた。
﹁では、俺は行く。また会おう﹂
そう言うとティーダは部屋をさっさと出て行く。
流石にそろそろ戦勝の宴の準備をせねばなるまい、そう考えながら。
さて。
ティーダが去ったあと、客間に残された2人は、会話をかわしてい
た。
﹁しかし小父上、良かったのですかニャ?﹂
﹁なにがだい?﹂
緊張し、黙りこくっていた少年の問いかけに、
いつもの口調に戻ったルドルフは問い返す。
﹁いえ、小父上ならリュウキュウまで来ずともナインテイル、
いえロングコーストでももっと高く売れるんじゃないかニャと⋮﹂
こういうとき、ルドルフは相手が自分なりに考えた答えを聞きたが
る。
それを知っている少年は正直にルドルフに問いかけた。
﹁まあね﹂
果たしてルドルフは少し嬉しそうに肩をすくめた。
﹁では、なぜ?﹂
﹁冒険者風に言えば先行投資さ﹂
アキバによったとき冒険者の薬屋が言っていた、覚えたての言葉を
口にする。
たぶん、意味はこれであっている。
﹁センコウ⋮?﹂
911
﹁うん。きっとここは伸びるよ。冒険者が来れば﹂
聞きなれぬ言葉に首を傾げる少年に、自分の考えを伝える。
﹁冒険者が⋮来るんですかニャ?﹂
﹁僕の勘通りならね﹂
少年の問いかけに大きく頷き、ルドルフは諭すように説明する。
﹁元々ここはフォルモサって言う大陸の勢力圏にある冒険者の街が
近いんだ。
彼らも冒険者ならお金は充分。後はアキバと交易が始まれば、
冒険者の欲しがる商品があるリュウキュウは一気に大金持ちって
寸法さ﹂
﹁しかしアキバは遠いですニャ?﹂
常識ではあり得ない。
リュウキュウはアキバからは遠すぎる。だが。
﹁多分、そうでも無いよ。アキバの円卓会議の考え通りならね﹂
ルドルフは知っている。
アキバ円卓会議が何をしようとしているか。
﹁考え?﹂
﹁うん。彼らは妖精の環を移動に使うつもりらしい﹂
円卓会議とか言う組織が最初に示した今後の方策の1つにそれは含
まれていた。
瞬時に街へと帰還する秘儀を知る冒険者ならではの発想。
それを聞いたとき、ルドルフはすぐさま次にすべきことを決めた。
﹁この島にいるショウイチって武士は﹃ニホン人﹄だって噂だ。
そして新しい料理⋮﹃ニホン料理﹄を考え出したのも彼だとね﹂
前回⋮砂糖を求めてナインテイルの南の果てにあるこの島を訪れた
とき、
ルドルフはあちこち伝手を辿って情報を集めたことで、真実に気づ
いていた。
ナインテイルやフォルモサからの交易船がたまに訪れる程度である
がゆえに
912
島民が気づいていないこの島の特異性⋮1人の男の存在に。
﹁それは一体どういう⋮?﹂
﹁⋮うーん一応秘密で﹂
だがルドルフといえど確証はもてなかった。
ショウイチは弱すぎた。
無論、アキバにも﹃ショウイチ程度かそれ以下﹄は幾らでもいたが、
同時に彼らの多くは安全なアキバから出ようという発想を持ってい
なかった。
それがこんな辺境の島にいる理由は⋮ルドルフが思いつくのは1つ
しかない。
﹁まあ、外れでも損はしないさ。
リュウキュウに売った額は仕入れ値に輸送費とうすーい儲けくら
いは乗せてる。
負けても損はしない賭けはどんどんしようってのが僕の方針なん
だ﹂
ルドルフは、こういった賭けを好む。と言うか、賭けを行わずには
生きていけない。
ロクに後ろ盾の無い成金商人は、勝負と商売を忘れたら没落するし
かないのだから。
﹁あ、一応言っておくと、先行投資には君も含まれてるから﹂
それに、リュウキュウとてルドルフにとっては数多くの賭けの1つ
に過ぎない。
﹁え?﹂
﹁だって君、君の一族で一番﹃新しい料理﹄が上手くなりそうだも
の﹂
﹁そんな⋮買いかぶりですニャ﹂
ルドルフの誉め言葉に、少年は照れて答える。
自分はただ少しだけ味にうるさくて、手先が器用なだけだと少年は
913
考えていた。
今、まだこのときは。
﹁いやいや、君の一族をうちに呼んでご馳走したとき、
君が真っ先に新しい料理を作ろうって考え出した。
他の一族がその脅威に怯えてる間にね。
だからこそ僕は君をリュウキュウに連れてきて、ニホン料理を食
べさせたんだ﹂
だが、人を長年見てきたルドルフには分かっていた。
この若い三毛猫の少年が、この先、ロングコーストの猫人街に、
なくてはならぬ存在になりうる星であることが。
﹁君ならきっと﹃新しい料理﹄を再現、いや発展させると僕は思っ
てる。
期待してるよ。マオ=スーシャン﹂
無論、これも賭けだったが。
⋮そして、ルドルフの賭けの結果が出るまでには、もう少しだけ、
時間がかかる。
4
夕暮れと共に、かがり火があちこちに掲げられ、宴が始まった。
豪華な卓の上には新鮮な魚の﹃サシミ﹄や魚と野菜をたっぷりと入
れた﹃スープ﹄、
野菜を切って塩と酢で味付けした﹃サラダ﹄、細かく砕いた肉を練
り固めた
﹃ハンバーグ﹄とそれを野菜やチーズと共にパンに挟んだ﹃ハンバ
ーガー﹄、
鶏の肉に衣を着けて揚げた﹃カラアゲ﹄、ジャガイモを揚げた﹃フ
ライドポテト﹄に
914
ゴーヤの実と卵、豚肉を炒め合わせた﹃チャンプルー﹄、
砂糖を加えた小麦粉の生地を揚げた﹃ドーナッツ﹄
果てはごく最近ようやく宮廷の料理人が再現に成功した﹃チラシズ
シ﹄と言った
﹃ニホン料理﹄が並び,今回の戦で戦った戦士たちや招待された客
を楽しませている。
﹁いや、今回ばかりはおらも死ぬかと思ったわ!鋼の鎧の堅さに感
謝せんとな!﹂
強い火酒を浴びるように飲み、すっかり酔っ払った赤い顔で、
ドワーフの兵士長、ダイモンが部下のドワーフたちの今日の戦いを
ねぎらう。
如何に激戦だったかを示すためだろう。
蜥蜴王の剣の傷が生々しく残った甲羅盾を持ち込んでおり、
仲間のドワーフたちに見せびらかしている。
﹁神官長様!どうだったんですか!?やっぱりトカゲの化物は強か
ったですか!?﹂
﹁ええまあ⋮私の生涯でもあれほどの大物と戦ったのは、数えるほ
どしかありません﹂
エルフの一団の方では、ユリアがシュリに残った若い見習い巫女た
ちに囲まれ、
質問攻めにあっていた。
ユリアの方も見習い巫女の若々しい元気に押されながらも、楽しげ
に対応している。
﹁ぐっ⋮まだまだぁ!﹂
﹁ほっほう!甘い甘い!その程度の腕じゃあ儂どころか儂の息子に
も勝てんぞ!﹂
﹁すげえ⋮あの爺さん、酒飲みながら戦ってる⋮﹂
915
向こうではサイガと老師のふざけ半分の決闘が行われていた。
サイガとてLv50を越える格闘家なのだが、老師に掛かれば赤子
のようなもの。
一方的に老師がサイガをもてあそんでいるようだ。
自慢の二刀も1本しか抜かず、片手には酒を注いだカップを持った
ままだ。
そして。
﹁んでよー、ダイモンのおっさんが吹っ飛ばされてやべえってとこ
ろで、
ティーダがトカゲの左腕切り落として、俺が尻尾叩き斬った!
そしたら動き鈍ったからそっから一気にやった!
最後はじいさんと俺とティーダの︿燕返し﹀12連発!
トカゲの奴ぐぎゃ∼ってなってぶっ倒れた!俺らの勝ち!﹂
﹁すごいですね⋮僕だったら恐ろしくて戦うどころか動けなかった
かもしれません﹂
﹁こら、シン!そこでびびってんじゃないわよ!
兄様が王位についたら、アンタが騎士団長なんだからね!
精々召喚術師の技をしっかり磨いときなさい!
それにショウイチ!アンタも調子のらない!アンタすぐ無茶する
んだから!
どーせアンタのことだから討伐のとき、危うく死に掛けたでしょ
!?﹂
﹁ゲッ⋮なんでわかんだよ﹂
弟、妹の2人と楽しげに喋るショウイチを見る。
リュウキュウに嵐のように現れた、不思議な男のことを。
︵ショウイチ⋮ニホン人か⋮︶
ショウイチは、このリュウキュウの生まれではない。
それどころか本人の弁によればヤマトの、否、セルデシアの生まれ
916
ですらない。
ニホン。
このリュウキュウの遥か彼方⋮異界にあるという、ショウイチの故
郷。
魔法が存在せず、代わりにカガクとやらが発達し、
作成メニューもレベルも存在しないと言う異界。
その異界からショウイチがニホンから迷い込んだのは、
5月になったばかりの頃である。
︵最初は、ただの迷い人だと思っていたのだがな︶
あの日、亜人が現れていないかの偵察も兼ねて遠乗りをしていたテ
ィーダは
妖精の環の近くでいびきをかいて寝ていたショウイチを見つけた。
新品の無銘刀を1本腰に下げ、真新しいが粗末な服を着ただけの青
年。
何故ここにいるのか、何故こんな格好をしているのかさっぱり分か
らぬと
落ち込む彼を哀れに思ったのと、島では珍しい武士らしきショウイ
チに
興味を覚えたティーダは城へと連れ帰り、客人として迎えた。
︵思えば拾い物をしたものだ⋮︶
そのときの判断は間違っていなかったと、ティーダは胸を張ってい
える。
最初の3日でリュウキュウの水に馴染んだショウイチは、
リュウキュウにとって福音だった。
︱︱︱この世界のメシまずすぎ。なんだよあのダンボールモドキ。
917
つーか作成メニューとかおかしいだろ。
と言いながら厨房頭の息子に作らせた、ショウイチが故郷で食べて
いたと言う
﹃ニホン料理﹄はリュウキュウでは庶民にまで広まり、
︵代わりに伝統料理はあっという間に廃れたが︶、
彼の持つ様々な知識は︵うろ覚えであり、島の学者たちによる研究が
必要だったが︶様々な形で島に生かされている。
更に来た当初は素人同然のLv4であった技量も、ティーダたちと
共に
魔物と戦うようになってから瞬く間に上がり、今や一流の武士である
ティーダに追いつこうとしている。
﹁お∼い。ティーダ、何考え込んでんだよ、こっち来て一緒にメシ
くおーぜ!﹂
﹁⋮っと、いかんな。つい考え込んでしまったか。俺の悪い癖だ﹂
ショウイチの声にティーダは我に返った。
そうだ、今は戦勝の宴。
難しい顔をして考え込んでいては民草に余計な不安を与える。
そう思い、ティーダは笑顔を作った。
﹁ほいこれ。すげーぞ、これ。
黒猫のおっさんの連れてきた三毛猫の兄ちゃんが作ったんだと﹂
笑顔に戻ったティーダに笑顔でショウイチが見慣れぬ料理を差し出
す。
﹁ほう⋮ニホン料理か?﹂
﹁いや、どっちかってえと中華っぽい。
なんか︿冒険者﹀の考えた﹃新しい料理﹄だってさ﹂
﹁なるほど。冒険者の考えた料理、か﹂
それを聞き、ティーダはルドルフが言っていたことを思い出す。
︵そう言えば⋮ルドルフは﹃冒険者が大地人のようになった﹄と言
918
っていたな︶
そんな考えがふと頭をよぎったが、それがどういう意味なのか、
ティーダにはまだ実感が無かった。
このリュウキュウに、冒険者はいないのだから。
5
そして、戦いを終え、ルドルフが去って1週間が過ぎた頃、邂逅は
起こった。
﹁あ、兄上!ショウイチさん!大変です!﹂
シーサー
昼下がり、いつものようにショウイチとの真剣稽古をしていたティ
ーダのところに、
シュリの街に出ていたはずのシンが愛騎である︿家守獅子﹀に
乗ったまま、泡を食って飛び込んできた。
﹁シン。どうしたんだ?顔、真っ青だぞ?大丈夫か?﹂
﹁何があった?落ち着いて話せ﹂
その様子と、シンどころか乗っているシーサーまで何かに怯えてい
る様子に
ただならぬものを感じながら、努めて冷静にティーダはシンに事情
を尋ねる。
﹁そ、それが⋮その⋮﹂
だが、まだシンは混乱しているらしく、上手く口が回らない。そし
て。
﹁と、とにかくそこの窓から見ればすぐに分かります!﹂
それだけ言って、再びどこかへ走り去る。
恐らくは、父王やユエにも同じ報をもたらそうと言うのだろう。
﹁⋮一体なんなのだ?﹂
﹁わかんねー。とりあえず窓見りゃ分かるって⋮うお!?﹂
何気なしに窓に近づいて外を見たショウイチが思わずのけぞった。
919
﹁信じらんねー⋮なんだありゃ?宇宙怪獣かなんかか?﹂
その感想に何事かと思い、ティーダも外を見て⋮絶句した。
﹁⋮なんなのだあれは!?﹂
1km離れた街の入り口付近。
そこに、家ほどもある巨大な獅子の怪物がいた。
どこか人を思わせる顔立ちの、赤と青の面と、長い金色の毛に覆わ
れた、
巨大な獅子の怪物。
﹁とにかく、あそこに向かうぞ!あんなものが街で暴れれば、ただ
では済まぬ!﹂
﹁おう!﹂
ティーダの決断は早く、それにショウイチも答える。
そして2人は連れ立ってシュリの街へと繰り出す。
﹁兄様!あれはなんなのですか!?﹂
馬を用意しているところでシンから話を聞いたのか、
巫女装束に着替えて弓を抱えたユエが現れ、ティーダに尋ねる。
﹁分からぬ!お前は⋮﹂
﹁一緒に参ります!癒し手がいなければ危険です!﹂
城で待て、と言う言葉を言う前に言葉を重ねられ、
ユエはさっさと愛馬にまたがって行ってしまう。
﹁⋮仕方ない!﹂
﹁さっさと行こうぜ!ユエが突っ込んだらヤバい!﹂
飛び出した馬を追うようにティーダとショウイチも馬を走らせ出し
た。
6
シュリの街の入り口。
特に何をするでなく立ち止まった獅子の怪物に怯え、
住人は固唾を呑んで見守っていた。
920
﹁ダメじゃん!?めっちゃびびられてんじゃん!?﹂
その様子を、獅子の上に乗ったリーダーの守護戦士、
セシルが内心頭を抱えながら見ていた。
﹁誰だよ?シュリならシーサーは聖獣だから乗ったままでも大丈夫
とか言ったの﹂
﹁まあ、常識で考えたら体長20mのライオンの化物が怖がられな
いわけないよね∼﹂
バロン
﹁お前が言うなよ!?最初に歩くのやだっつったのお前だろうが!?
つーかこれ︿森王獅子﹀だろ!?シーサーとは別物だろ!?﹂
﹁6人乗りできる召喚生物ってこれぐらいしか持ってなかったんだ
よ。
契約すんのもわざわざ東南アジア鯖まで行って大変だったんだぜ
?﹂
﹁まあ、俺らも賛成しちゃったから同罪だな、リーダー﹂
仲間の微妙に無責任な発言に、思わずセシルは本当に頭を抱えた。
﹁どーすんだよ⋮先生からは﹃出来るだけ穏便に接触すること﹄っ
わかもの
て言われてんのに﹂
これだから最近の中高生は、などと思わず考えてしまう。
⋮セシル自身も4月に大学生になったばかりで、充分に若者なのだ
が。
来月から始まる予定の﹃妖精の環解明プロジェクト﹄に先駆け、
リアル︿ゴブリン王の帰還﹀解決に乗り出した︿D.D.D﹀や︿
黒剣騎士団﹀の代わりに
︿ホネスティ﹀に依頼された、﹃シブヤの妖精の環の行き先確認﹄
セシルたちは、その解明チームの1部隊である。
彼らの任務は妖精の環を通って先に何があるのかを確認し、報告す
ること。
921
この時間帯が日本サーバの外れの島、リュウキュウに繋がっている
のは分かった。
ついでにシュリがどうなっているのか見に来て⋮これである。
﹁まずいな⋮うん?﹂
これからどうするか考えていたところで、セシルの常人離れした視
力がそれを捉える。
街の中央にある城から出てきた、3騎の馬がまっすぐにこちらへ向
かってくる。
︵あれはいわゆる⋮大地人のえらい人って奴か?︶
そんなことを思いながら、Lvと名前を確認する。
︱︱︱ティーダ︵武士Lv50︶,ユエ︵神祇官Lv47︶,ショ
ウイチ︵武士Lv48︶
︵なんか大地人にしては大分強い⋮ん?︶
ふと気づいた。
︵ショウイチ?⋮まさかな︶
日本人っぽい名前、ついでに言えば知り合いにいた名前。
⋮何かの偶然だろう。
そう思いながら見てみた。
︵⋮あれ?顔も翔ちゃんそっくり?え?え?︶
春に、九州の大学に進学したはずの友人そっくりな顔が、近づいて
くる。
思わず確認するべく、セシルはバロンから飛び降りる。
そして。
﹁あれ⋮もしかして政やん!?なんでこっちにいんの!?﹂
その、友人そっくりな男が、セシルを見て、本名のあだ名で呼んで
くる。
すごくあっさりと、ごく普通に。
﹁⋮リーダー。知り合いか?﹂
922
﹁ああうん。俺の本名知ってるってことは多分間違い無い。
って言うかマジでなんで翔ちゃんいるんだよ⋮﹂
パソコンは一応持ってはいたが、やってるのはブログくらいで
ゲームなんてやらないバイクマニアだったはず。
そんな戸惑いと共に、セシルは脱力してがっくりと膝をついた。
とにもかくにも、アキバの︿冒険者﹀とリュウキュウの︿大地人﹀
の付き合いは、
こんな感じで始まった。
7
﹁⋮まことか?﹂
城の一室で、獅子の怪物に乗ってやってきた6人の男女の長、
セシルの言葉に、思わずティーダは問い返した。
﹁はい。間違いありません。翔ちゃ⋮翔一くんは︿冒険者﹀です﹂
ティーダの言葉に、セシルは再度頷く。
﹁う、嘘です!だって⋮ショウイチはそれほどまでに強くありませ
んでしたし、
それに⋮自分はニホン人だと言っていました!﹂
﹁それも間違いではありません﹂
同席し、焦ったように口にしたユエの言葉に、セシルは簡単に事情
を説明する。
⋮主に隣で無言で座っている、ショウイチに聞かせるために。
﹁冒険者と言っても、最初は皆Lv4からのスタートです。
Lv90になるまでには多少の時間が掛かりますから、
翔一が今のLvでもおかしいことはありません。
それに今、このヤマトにいる冒険者の大半は日本から来た、日本
人です。
数はおよそ3万人と言われてて、その半分がアキバに住んでいま
923
す﹂
﹁Lv4⋮?﹂
その言葉にティーダはふと思い当たった。
そう、あの日、ショウイチと初めてあったとき、ショウイチのLv
は4だった。
本人は﹃中学の頃の剣道歴2年半でLv4くらいなんだろ﹄と言っ
ていたので
気にしていなかったが、どうやら話を聞く限り、この世界に生を受
けたばかりの
冒険者の技量がLv4らしい。
﹁⋮そういうわけだ。翔ちゃん、君はこの世界では︿冒険者﹀なん
だ﹂
﹁⋮いきなり言われても正直信じらんねーけど、他ならぬ政やんが
言うことだからな﹂
セシルの言葉にじっと耳を傾けていたショウイチが頷く。
﹁信じてくれるのか、翔ちゃん﹂
﹁おう。どうやらマジで政やんみたいだし⋮
政やんが半端なく強いのも間違いないみたいだからな﹂
それだけではない。そのとき、ショウイチは友人の技量を見ていた。
こっちの世界では﹃セシル﹄と言う名前らしい友人の技量はLv9
0の守護戦士。
⋮3ヶ月の間に築いたこの世界の常識を容易く蹴り破れるだけの力を
持っていることを、ショウイチは見抜いていた。
﹁⋮それで、セシル卿。卿は我が国をどうするつもりだ?我が国に
何を望む?﹂
今でも完全に納得したわけではないが、今考えるべきことを考えて
ティーダは
セシルに問う。
あの獅子の怪物を召喚できるほどの技量を持つ召喚術師と
924
それに匹敵する力を持つ冒険者が6人。
恐らくその6人だけでもティーダたち騎士団を壊滅させることは容
易い。
彼らが従属を望めば、恐らく飲まざるを得ない。
︵ルドルフが言っていた、アキバの冒険者ならば、それは望まぬと
信じたいが⋮︶
楽観をしても仕方が無い。
今出来ることをしなくてはならない。
ティーダはじっと冒険者の長の判断を待つ。
﹁何を望むとかは⋮今のところ無いです。俺たちはこれから帰って、
妖精の環がリュウキュウに繋がってるかを報告するだけです。
奴隷とか、略奪とかそういうのは絶対やりません。
⋮もしかしたら来月には生産ギルドが砂糖とかを買いに来るかも
知れませんが、
それだってちゃんとお金なりなんなりを払います﹂
果たして、セシルの言葉は、平和的なものだった。
﹁そうか⋮それくらいならば構わぬ﹂
どうやらショウイチが前に言っていた﹃ニホン人は殺し合いとかし
ないから﹄
と言うのは本当らしい。
セシルの言葉に、ティーダは内心安堵した。
﹁では、セシル卿は⋮﹂
﹁とりあえずは仲間と一緒に帰ります。帰還呪文で⋮それで﹂
最初の失敗あったにせよ、取り合えず平和裏に接触を果たしたこと
に安堵しながら、
セシルはショウイチの方を向いて言う。
﹁翔一。お前も一緒に来ないか?
冒険者なら帰還呪文はみんな使えるんだ。シブヤになら一瞬で戻
れる﹂
925
﹁そうだな⋮行くか﹂
セシルの提案に、ショウイチはあっさりと頷いた。
﹁な!?ショウイチ、アンタ!?﹂
その言葉に、ユエが思わず声を上げた。
﹁待て!ユエ、行かせてやれ﹂
そのまま何かを言おうとするユエを、ティーダは制する。
﹁兄様!?﹂
﹁ショウイチは冒険者で、ニホン人なのだ﹂
ショウイチは、いずれは﹃ニホン﹄に帰りたいと言っていた。
アキバはヤマト随一の冒険者の街、先ほどの話からすればニホン人
の街でもある。
﹁冒険者のいるアキバは、ショウイチにとってのいわば故郷のよう
なもの。
⋮我らにとってのリュウキュウと同じなのだ﹂
﹁それは⋮﹂
その言葉を聞き、ユエは言葉を紡げず黙り込む。
故郷に帰りたがらぬものなどいない。
そういわれてしまえば、二の句は継げなかった。
﹁心配すんなって、ちょっと見てくるだけだよ。すぐ戻るって﹂
﹁⋮ほんと!?嘘だったら、承知しないわよ!?﹂
だからこそ、ショウイチがそう言ったとき、ユエは食って掛かるよ
うに確認した。
﹁おう。大丈夫大丈夫。ぱっと行ってお土産でも買ってきて、
さっと帰ってくっから﹂
そう約束して、セシルに向き直り、言う。
﹁そういうわけだから、やり方教えてくれ﹂
﹁分かった。まずは額に意識を集中させて⋮﹂
セシル詳しいやり方を教わり、納得するとティーダとユエを見て、
言う。
﹁んじゃ、ちょっと行ってくるわ﹂
926
そんな言葉を最後に、ショウイチはその場から消える。
﹁それでは、俺たちもこれで戻ります﹂
それを確認し、セシルたちも戻る準備を始める。
そして6人の冒険者達も全員姿を消し、リュウキュウに平和が戻っ
た。
﹁さっさと帰ってこないと、承知しないんだからね⋮﹂
それを見送って、ユエがポツリと呟いた。
﹁心配ないさ。ショウイチのことだ。ほんの数日で戻るだろう﹂
そう、ティーダが締めくくった。
⋮それから2週間が経ち、3週間待ってもショウイチが戻って来な
いことなど、
まだ知る由もなかったがゆえに。
8
ショウイチがリュウキュウから去り1ヶ月が過ぎた。
﹁はぁ⋮﹂
ユエは、相変わらず覇気が無い。
﹁仕方あるまい⋮ショウイチは冒険者だったのだ。
ならば、冒険者の街で暮らすのが道理と言うものだ﹂
あの冒険者達が着てから、何度も妖精の環を見に行ったが、使われ
た気配は無い。
最近は、ティーダもショウイチは戻ってこないと諦めるようになっ
た。
﹁分かっていますわ。兄様。ショウイチは冒険者だったんですもの。
⋮仲間のいる、故郷の方が良いに決まっています﹂
ユエにも分かっていた。
927
ユエとてこのリュウキュウで暮らし、
国を束ねる王の娘としてリュウキュウを愛してきた。
恐らく、どんな異郷の地にあっても、それがいかなる場所であって
も、
ここより恋しいとは思うまい。
故郷とはそういうものだと理解している。
﹁けれど、薄情です。あれほど、このリュウキュウが好きだと、
第2の故郷だと言っておりましたのに⋮すぐに戻ると、約束しま
したのに⋮﹂
けれど、愚痴は止まらなかった。
いつからだろう。いた頃はどうも思わなかったが、いなくなると寂
しい。
ユエにとってショウイチが、そういう存在になっていたのは。
﹁⋮帰ってきたら、たっぷり文句を言ってやりますわ﹂
﹁⋮ああ、そうだな。仮にも王族たる俺たちを、待たせすぎだ﹂
それを誤魔化すように、ユエが言った言葉に、ティーダも頷く。
そして、午後の政務に戻ろうとした、そのときだった。
﹁うぃーっす!ただいま!ティーダとユエはここでいいんだよな?﹂
バタンとドアが開けられ、明るい声がする。
そこにいたのは⋮
﹁﹁ショウイチ!?﹂﹂
リュウキュウを去ったときより、ほとんど変わらぬショウイチであ
った。
﹁バカ!アンタ遅すぎ!一体どこに寄り道してたのよ!﹂
﹁そうだ!もう帰ってこないのかと思っていたぞ!﹂
思わず抗議の声を上げる2人に、ショウイチはバツが悪そうに頭を
928
掻いて、言った。
﹁いやさ、俺も1日で色々やってさっさと帰ろうと思ったんだけど
さ⋮
なんか、あの妖精の環がリュウキュウに繋がんの、1ヶ月に1回
だけらしいんだわ﹂
帰った後、妖精の環の仕様を聞かされた時に思わず﹃先に言えよ!
?﹄と
セシルに殴りかかり、逆に拳を痛めたりもしたのは、苦い思い出だ。
﹁ごめん!マジ悪かった!代わりと言っちゃなんだが、お土産超豪
華にしたから!
なんか銀行の俺の口座に勝手に変な薬が振り込まれてて
それがすっげえ値段で売れたからさ﹂
何でもその変な薬は平均Lvが上がった今のアキバじゃかなりの貴
重品だとかで、
銀行口座に入っていた50本ほどが全部で金貨数万で売れた。
ショウイチはそれを使い切り、ついでに︿鋼尾飛竜﹀を倒したりし
て、
色々買い込んでいた。
﹁兄上!大変です!アキバから来た冒険者の商人の一団に⋮ショウ
イチさん!?﹂
﹁おう!シンもただいま!本とか買ってきたぞ!お前本とか好きだ
ろ本﹂
真新しいバックを漁りながら、3人に渡す予定にしていたお土産を
取り出す。
﹁んじゃまた後で!騎士団のみんなとかじいさんにもお土産買って
きたから、
ちょっと渡してくる!﹂
そして、呆然とする3人に、新しい刀や綺麗な髪飾り、
そしてアキバで書かれた本などを渡すと、脱兎の如く部屋を出て行
929
く。
⋮何となく、怒られる気配を感じ取ったらしい。
﹁あ、こら!待ちなさいよ!﹂
それに気づき、髪飾りを髪にそっとさして、ユエが追って行く。
﹁⋮兄上﹂
﹁言うな。ちゃんと帰ってきた。それで良しとするしかあるまい﹂
置いてけぼりにされた男2人が顔を見合わせ、ため息をつく。
︵ただいま、か⋮︶
どうやらショウイチにとって、ここは確かに第二の故郷であるらし
い。
それを確認し、少しだけ笑いながら。
﹁さて、シン。ショウイチの件はさておき、アキバから商人が来た
と言っていたな?﹂
﹁は、はい!実は⋮﹂
相も変わらず山積みの問題の1つに手を伸ばし始めた。
930
第24話 王子のティーダ︵後書き︶
本日はここまで。
今回のもう1つのテーマは﹃自覚なき冒険者﹄でした。
流れとしては
ネカフェでエルダーテイルを開始
←
チュートリアルを終えてシブヤの妖精の環の辺りで寝落ち
←
大災害でシブヤへ
←
妖精の環に寝たまま突っ込む
←
そしてリュウキュウへ
と言うかなりレアな体験をして現在に至っています。
931
総集編 天秤祭の夜︵前書き︶
10月です。
10月といえば、原作で言うところの天秤祭の季節。
というわけで今回は総集編。
今まで出てきた大地人の方々の物語。
⋮流石に時期的な問題やらなんやらで全員は出ませんが。
それはさておき、どうぞ。
932
総集編 天秤祭の夜
0
天秤祭最終日の夕刻。
﹁今日で、お祭りも終わりですね⋮﹂
アキバの一角に設けられたオープンテラスでサリアが名残惜しそう
に言った。
﹁だにゃん。明日からはまた仕事にゃ﹂
﹁⋮うん。ちょっと、残念﹂
﹁お祭りはいつかは終わるものですけど⋮終わるとなると寂しいで
すね﹂
ぜいたく品
はついていないが、それでも給金をや
サリアと行動を共にしていた3人も頷く。
レースなどの
りくりして
精一杯お洒落な仕立てのドレスを用意したサリア。
寒いのが苦手なのか、秋も半ばのこの季節でもコートをしっかり着
込んだ
真っ白な毛皮の猫人族のタニア。
薄い桃色の、成人の折に母親にもらったエッゾ風の晴れ着で着飾っ
た狼牙族のクロ。
そしてシャツの上から羽織ったデニムのジャケットに短いデニムの
スカートを履いた、
アキバ風の格好をしたアルフェ。
一見共通点の無い彼女達は、アキバ最大の戦闘ギルド︿D.D.D
﹀で働くメイドである。
933
この天秤祭りの間、彼女達は臨時休暇を貰い、大いにアキバの祭り
を楽しんでいた。
﹁それでこれからどうしましょう?﹂
気を取り直し、サリアは3人に問いかける。だが。
﹁あ∼⋮あっちはちょっと用事があるにゃ。
ルドルフ小父さんが仕事終わったから会いたいって﹂
サリアの問いかけに、タニアは少しだけ申し訳無さそうに、これか
らの予定を告げる。
﹁⋮マイハマから⋮弟と妹⋮来てる。
お世話になってる⋮孤児院の人と一緒だから⋮挨拶する﹂
クロもいつも通り表情こそ変わらないが、心なし申し訳無さそうで
ある。
﹁そうなんですか⋮それじゃあ、仕方ないですね﹂
そんな2人に、サリアは残念そうにため息をつく。
﹁そういうわけだから⋮行く﹂
﹁サリアはサリアで楽しむといいにゃ。後夜祭までには戻るにゃ﹂
そう告げて2人はそれぞれの待ち人がいる場所に向かっていく。
﹁いいなあ⋮﹂
そんな2人を羨ましく思う。
サリアは彼女に会いに来るような親兄弟はいない。
⋮イースタル戦役の折、全員が緑小鬼に襲われ、命を落とした。
その夜の出来事、ガタガタと家の水がめの中に隠れて震えていたと
きのことは
今でも時々夢に見る。
﹁⋮あれ?アルフェ先輩?﹂
そんな、トラウマを慌てて頭を振って振り払ったサリアは周囲を見
回して気づく。
頼りになる先輩は姿を消していた。
﹁⋮何か用事でもあったのかな?﹂
934
そういうときでも普段ならば必ず一言告げて行くのだが。
そう思いながらも、サリアも立ち上がる。
﹁1人でここにいてもしょうがないし⋮行こう﹂
ついでに、今日の警備担当の︿D.D.D﹀の騎士様に会ったら、
先輩を見かけなかったか聞いてみよう。
そう思いながら、サリアはその場を立ち去る。
﹁祭りは終わり⋮潮時か⋮⋮﹂
そんなサリアを見送りながら、気配を周囲に同化させたアルフェは、
ひっそりと呟く。
周りの人々は、アルフェに気づかず、ただ避けて歩いていく⋮
彼女の熟練のほどが伺えた。
﹁もう会うことはねえだろうな⋮⋮あばよ﹂
思えば、久々に楽しい日々だった。この数ヶ月は。
そんなことを考えながら、アルフェは人ごみをかわしながら軽やか
に走り出す。
﹃仕事﹄の、最後の仕上げを行うために。
天秤祭。
冒険者が企画し、多くの冒険者たちが楽しむ、冒険者のための祭り。
だが、この日、同時に多くの大地人たちもそれぞれに過ごしていた。
これは、そんな彼らの物語である。
﹃総集編 天秤祭の夜﹄
1
サリアは迷っていた。
﹁どこに行こうかな⋮﹂
935
1人で行きたい場所がとっさに思いつかない。
先ほど、たまたま出会った︿D.D.D﹀の騎士の1人に、アルフ
ェ先輩を見かけたら
サリアがあとで後夜祭の会場で待ってると言付けしてくれるよう頼
み、
サリアはすることがなくなった。
このままただぶらぶらして、あちこち見て回るだけでもそれなりに
は楽しめる。
が、折角の天秤祭の最終日である。それではちょっと寂しい。
さて、どうしたものか。そう考えていたときだった。
﹁これ。そこの暇そうな娘﹂
﹁は、はい!?わ、私ですか?﹂
いきなり声を掛けられ、後ろを振り向き、サリアは絶句する。
︵うっわあ⋮本物のお姫様みたい⋮︶
そこに立っていたのは、1人の少女だった。
手入れの大変そうな黄金色の巻き毛に、アメジスト色の澄んだ瞳。
肌は雪のように白く、唇はバラのように紅い。
サリアより2つ3つは年下なのか、体つきはまだまだ幼さを残して
いるが、
全身に纏う、威厳に満ち溢れた王者のような気配が、
まるで大人の女性のように見せている。
服装は手入れが行き届いた膝丈までしかないスカートに
レースがついた長袖のブラウス。
宝石や貴金属の類をつけていない、
一見すると平民と間違いそうな冒険者風の装束だが、間違いなく大
地人だろう。
⋮これほどの高貴な気配を纏った冒険者など、
サリアが仕えるギルドのマスターくらいだ。
﹁うむ。おぬしじゃ。おぬし、先ほどから見ていたが、特に用事は
無いと見た。
936
礼はする故、わらわの頼みを聞いては貰えぬか?﹂
少女は命令するのに慣れているのか、単刀直入に尋ねる。
堅苦しい⋮少女らしからぬ言葉つき。
だが、彼女の纏う王者の気配がそれを相応しいものに見せている。
﹁は、はい!⋮あの⋮どちら様ですか?﹂
それに半ば反射的に応じたあと、サリアは少女に尋ねる。
不思議な少女だった。
この天秤祭では貴族の子女も多く見かけたが、
それとは一線を画しているように見える。
と言うか、下手な領主より威厳のある少女なんて存在自体、
サリアにとっては想像の埒外だ。
﹁ふむ。知らぬか。まあ、イースタルの平民であれば当然か﹂
サリアの返答に面白そうに目を細めながら、少女は名乗った。
﹁わらわはエリザベートという。家名はみだりに使うものではない
ゆえ名乗らぬが、
許せ。おぬしは名をなんと言う?﹂
﹁わ、私は⋮その、サリアです。平民なので家名はありません﹂
言外に貴族⋮それもサリアなど及びもつかない大貴族であることを
におわせながら、
少女⋮エリザベートはサリアに名を尋ねる。
﹁そうか。サリアか。では、サリアよ。おぬしには人探しを手伝っ
てもらいたい﹂
﹁人探し⋮ですか?﹂
﹁うむ、実は供に連れてきたリディアという従者とはぐれてしまっ
てな。
財布などもリディアに任せておったゆえ、難儀しておる。
年の頃は22、赤毛で背が高く胸が大きい、
格好は冒険者風のズボンとジャケット⋮スーツとか言う服。
それと⋮赤い手袋をつけた女だ。見覚えは無いか?﹂
サリアに1つ頷き返し、エリザベートはてきぱきと探す人物の特徴
937
を挙げていく。
﹁すみません⋮分かりません﹂
﹁そうか⋮では、分かるものを探すとしよう。おぬしには聞き込み
を頼みたい。
わらわが話かけると、いらぬ緊張を招いてしまうのでな﹂
正直に知らぬというサリアに鷹揚に頷き、エリザベートはサリアを
促す。
﹁はい。分かりました﹂
もはやエリザベートと行動を共にすることを決めていたサリアも頷
き、
2人は祭りに沸く街中を歩き出した。
2
天秤祭りのメインストリートから少し離れた食べ物の屋台が立ち並
ぶ一角。
そこで行列が出来るほど人気が出た、とある屋台の料理にタニアは
舌鼓を打っていた。
白い、海の幸と豚の骨を使ったスープに、
野菜と海鮮の炒め物が乗せられた、麺料理。
手馴れた様子で大柄な茶色の毛皮の猫人族の青年がつくるそれが、
お碗1杯で金貨2枚と屋台の食べ物としては普通だが、
材料と手間を考えれば破格の安値で供されている。
明らかにその辺の屋台とは一線を画した出来栄えの料理に多くの人
間がそれを頼み、
中には再び屋台に並ぶ﹃おかわり﹄をしている客までいる。
﹁これはうまいにゃ!これで金貨2枚ってのがおかしいくらいにゃ!
ルドルフ小父さん、これはなんなのにゃ?﹂
日々新しい料理が誕生しているアキバでも見たことないこの料理が
938
なんなのか、
彼女は小父と呼び尊敬する商人に尋ねる。
﹁今度開く店で出す予定の麺料理さ。ロングコーストで少し前に完
成したんだ﹂
遠い親戚の、正直な反応を快く思いながら、ルドルフはタニアに優
しく話かける。
﹁店?小父さん、今度は料理屋をやるつもりにゃ?﹂
﹁いや、僕は金だけ出して口は出さない。店主は彼に任せるつもり
さ﹂
タニアの言葉に笑顔で首を振り、ルドルフはそちらを指差す。
屋台で凄まじい勢いで麺料理の上にのせる炒め物を作っている、猫
人族の青年を。
﹁彼はラオ=スーシャン。そう言えば君には分かるよね?﹂
﹁ラオ=スーシャンって⋮スーシャン飯店の一族にゃ!?﹂
その名前に、タニアはすぐに思い当たる。
ここ最近、急速にナインテイルで名を上げている、猫人の一族。
色んな意味で別格であるルドルフを除けば、
スーシャンの一族は猫人街では屈指の有名人だ。
﹁うん。あの一族で一番年上の兄にあたる人だ。技量も高いよ﹂
﹁一番年上って⋮それは跡取りじゃないのかにゃ?﹂
ルドルフの説明に、タニアは首をかしげた。
如何に飛ぶ鳥落とす勢いで発展している街とはいえ、
跡取りを拠点であるロングコーストから遠く離れたアキバに送る意
味が分からない。
﹁残念ながら、違う﹂
それにルドルフは再び首を横に振る。
﹁彼は、自分の弟に手料理の勝負で負けたんだ。そして、その弟が
当主になった。
そうなると本店には居づらいだろう?だから、アキバでの仕事を
紹介したんだ﹂
939
スーシャン一族の現当主、マオ=スーシャンはその手のことに無頓
着だが、
他はそうも行かない。
当主の座を追われた元御曹司となればなおさらだった。
﹁それが、アキバで開く料理店にゃ?﹂
﹁そうさ。それに、都合も良い。新しい当主は手料理の腕では天才
だけど、
経営技術は大したことが無いんだ。
僕の目が届く猫人街でならともかく、美味しい料理屋がひしめく
アキバで
生き残るのは難しいんじゃないかな?
その点、ラオ君なら安心だ。手料理も出来て、経営の腕もいい。
こうして屋台を開いて、儲けがまるで出ない値段で店の目玉料理を
振舞うってのも彼の発案だよ。
ヤマモトヒロシがたまにやってる﹃シキョウヒン﹄って奴だね﹂
だからこそ、正式にマオが当主となった後、ルドルフはラオにこの
話を持ちかけた。
料理人がひしめくアキバで修行すれば、マオに匹敵⋮
或いは凌駕する手料理の技を身に着けられるかも知れない。
そう、囁いたら簡単に乗ってきた。
﹁なるほど。確かにスーシャン飯店の支店なら、
アキバでもやっていけると思うにゃ﹂
タニアは以前、ルドルフを頼って猫人街を訪れた時に食べた、
スーシャン飯店の料理を思い出しながら言う。
あの、猫人街1の名店はロングコーストで
最初に手料理を売り出した店でもあり、どれも美味しかった。
猫人街にある店なのに、異種族の客が半分以上⋮
それも金を持っていそうな別の国の豪商や貴族も多くいたのも、
納得と言うものだった。
﹁だろう?僕もそう思ったから、四海秋葉に出資してるわけだしね﹂
940
それで話をしめくくり、ひとしきりいつもの世間話⋮
ルドルフにとっては貴重なアキバの情報交換をする。
﹁なるほど⋮こたつ、ね﹂
﹁にゃ!幾らナインテイルと言っても冬は寒いにゃ!
きっと猫人街のみんななら欲しがると思うにゃ!﹂
その中で、タニアがしきりに勧める﹃こたつ﹄に興味を示しながら、
ルドルフは次を考える。
さて、今度は何を仕入れていこうか⋮
この祭りで見かけた、無数の面白そうなものを思い出しながら。
3
川べりにある、蒸気船の船着場。
﹁いつも⋮弟と妹⋮テツとルリ⋮お世話になってます。ありがとう
⋮﹂
クロはぺこりと、孤児院の責任者であるエルフの夫婦に頭を下げる。
﹁いえいえ。こちらこそ。テツ君とルリちゃんには
いつも真奈がお世話になっていますから﹂
﹁そうですよ。お顔を上げて下さい﹂
そのかしこまった態度に2人は揃って照れたように、クロに顔を上
げるよう促す。
︵良かった⋮良い人そう︶
そんな誠実な態度に、クロは喜ぶ。
クロの弟と妹は今、マイハマの孤児院でお世話になっている。
マイハマ第3孤児院。
冒険者が出資して、大地人が運営する孤児院。
941
その彼らが約100人の孤児を連れて、天秤祭にわくアキバに
蒸気船で来たのが、昨日のこと。
どうやら孤児院に出資している︿海洋機構﹀の計らいらしい。
彼らは大いに天秤祭を楽しみ、アキバで一泊し、今日の夕刻に帰る
予定と聞いて、
クロは久しぶりに弟と妹に会いに行くことにした。
クロが2人と別れ、アキバでメイドの仕事を始めて2ヶ月。
その間、2人がどうしてたかが、気になった。
﹁それで⋮テツとルリは⋮﹂
﹁ええ、こっちです。すみませんが、後1時間したら船が出ますの
で⋮﹂
﹁分かった。それまでに、返す﹂
申し訳無さそうに言うエルフの男に頷きを返し、クロは2人の元へ
向かった。
そしてクロは、久しぶりの邂逅を果たす。
﹁姉貴!なんかすっげえ久しぶりだな!元気にしてたか?﹂
﹁⋮久しぶり、クロ姉﹂
弟と妹との2ヶ月ぶりの再会に、クロの顔も自然にほころぶ。
﹁⋮久しぶり。テツ、ルリ⋮この子は?﹂
ひとしきり抱きしめた後、クロはテツたちの傍らに立つ人間族の少
女に気づく。
手入れの行き届いた黒髪と、赤いリボン。それに可愛らしい服。
少し孤児院にいる娘とは思えない服装だが、誰だろう?
﹁相変わらずだな、姉貴は。コイツは⋮﹂
そんな率直な物言いを懐かしく思いながら、テツは傍らに立つ少女
を指差す。
それを見て少女の方も察したのだろう。自己紹介をする。
﹁あの、はじめまして。クロさん。わ、私⋮真奈って言います!﹂
ぺこりと頭を下げる、人間族の少女。
942
人見知りする性質なのか、少し怯えている。
﹁⋮冒険者?﹂
力量が分からないが、纏っている雰囲気から何となくクロは
その娘が冒険者であることを悟る。
アキバでは珍しい話ではない。
歳若いというよりも幼い冒険者は︿D.D.D﹀にもいる。
その実力は決して大人の冒険者に劣るものではなく、
ころしあい
むしろ子供ならではの適応能力から、
実際の戦では大人以上に強い冒険者もいるくらいだ。
事実ザントリーフ戦役でも最前線部隊に加わって
緑小鬼と戦った子供の冒険者は、何人もいた。
﹁おう!こう見えてもまなはな、すっげえ妖術師の冒険者なんだ!﹂
何故か自分のことのように嬉しそうにまなのことを誇るテツを見て、
クロは一番の心配ごとが解決しているのを見て、内心胸を撫で下ろ
す。
︵良かった。テツの冒険者嫌い⋮治ってる︶
別れる前、弟が酷く冒険者を嫌っていたことを知っているクロは、
そのことが心配だった。
弟は父親に似て直情的だったから、一旦思い込むと中々考えを曲げ
ない。
思い込みが凝り固まってしまい、全ての冒険者を亜人の類だと思い
込んで憎むことは、
これからのことを考えれば決して良いこととは思えなかった。
こう見えて、クロは一応は成人を迎えた大人である。
村の外⋮略奪を嫌っていた﹃ギンの集落﹄以外の北方狼牙のことも
知っている。
だからこそ、分かっていた。
943
あの、弟が冒険者に向けていた恐怖と怒りが交じり合った目は、
自分達北方狼牙が帝国人から向けられていたのと同じものだと。
エッゾには悪しき冒険者がいたが、全部の冒険者が悪しきものでは
ない。
それは自分達が、全ての帝国人にとって悪しきものではないのと一
緒なのだ。
だから。
﹁⋮ありがとう、まな⋮弟のこと⋮よろしく頼む﹂
その場にいる小さな冒険者に礼を言い、後を頼む。
きっと、弟から冒険者への憎悪を取り除いた彼女なら、
自分よりうまくやれると思って。
﹁えうぁ!?あの⋮はい!よろしくたのまれました!﹂
その言葉に何を思ったのか、まなは顔を真っ赤にしてブンブンと頷
く。
﹁⋮どうかした?テツ、分かる?﹂
﹁いや、わかんねー⋮﹂
その様子を、色恋沙汰には疎い姉弟は顔を見合わせて困惑する。
﹁⋮鈍感﹂
そんな2人を、母親譲りの優秀な頭脳を持つ末っ子だけが、呆れた
様子で見ていた。
4
﹁さあいよいよ大食い大会も大詰め!
3位のツバメ選手とそのおまけが記録30ピースで脱落したのが
遠い昔のように思える昨今!両選手は軽快に食べ続けています!﹂
﹁どう見られますか?解説兼店主の加奈子女史!﹂
944
﹁いやーまさか残るのが2人とも大地人⋮と言って良いのか
さておきこの組み合わせは予想外でした。
冒険者と言っても胃袋の限界は人間並みだと言うことでしょうね﹂
﹁そうですね⋮しかしノイン選手には驚かされましたね﹂
﹁はい。山本さんから噂には聞いていましたがまさかはるばるナス
ノハイランドから
駆けつけてくださるとは思いませんでしたし、食べっぷりも予想
以上でしたね﹂
﹁聞いたところによるとノイン選手は予選で﹃腹黒眼鏡セット﹄を
完食されたとか?﹂
﹁はい。ホールケーキ12個、合計96ピースを普通に食べきりま
したね。
ハニー選手も1人でノルマの8ピースと中々の健闘だったのです
が、
やはりノイン選手相手には霞みます﹂
﹁なるほど!甘いものは別腹とはよく言ったものです!
ノイン選手、現在は98ピース目を顔色1つ変えずに食べてます!
手が止まりません!
ケーキバイキングにきたら間違いなく出禁を食らうであろう勢い
です!﹂
﹁消化器官とかどうなってるんでしょう?⋮構造が根本的に違うと
しか思えない﹂
﹁先行するマコト選手も一歩も引きません!
つい先ほど前人未到の100ピース目に突入したとのことです!
どう見られますか!?加奈子女史!﹂
﹁やっぱり規格外ですね。今は従者であの姿と言えど、本来の姿は
アレですからね。
945
⋮来年はモンスターと召喚生物は決勝には出場禁止にしようかし
ら⋮﹂
﹁おおっと爆弾発言!しかし、確かにこれでは他の挑戦者が出る幕
ナッシング!
伺ったところによると﹃従者は全部俺の嫁!﹄と言い切って出場
したアホ⋮
失礼。従者愛に溢れていたのはヨウケン選手だけだったので、
今回は特例参加を認められたとか?﹂
﹁ええ。失態でした。まさかここまで圧倒的とは思ってませんでし
た。
予選時は2人で18ピースと、割とギリギリの突破だったので
大丈夫だと思ったのですが⋮力を見せすぎることで決勝に出れな
くなる
可能性も考慮しておさえたのだとしたら、かなりの策士だと思い
ます﹂
﹁ですねー⋮さて、男どもは共に10ピースで吐きそうになってい
る以上、
まさに女と女の一騎打ち!なわけですが⋮ぶっちゃけどっちが勝
つと思います?﹂
﹁分かりませんね∼⋮本性の大きさから考えるとマコト選手なんで
すが、
ノイン選手は甘いもの大好きな妖精族ですからねぇ⋮私としては
なんとも﹂
﹁と、このように加奈子女史にも予想がつかぬ最終決戦!
果たして勝つのはどちらか!?勝負はまだまだ続行中です!﹂
﹁⋮マジで魔物だったのか、あの2人﹂
風の精霊を使って運ばれてくる、ダンステリア主催の大食い大会決
946
勝の実況に、
ホークは苦笑した。
黒髪にナイトドレス、そして人間離れした美貌の人間族の少女。
そして金髪と金毛の尾が9本も生えたやはり人外の美を誇る狐尾族
の女。
どちらもホークを軽く凌駕する、人ならざる実力を感じさせてはい
たが、
どうやら本気で魔物だったらしい。
つい先ほどまでホークたち兄妹は本気で勝てない相手に
戦いを挑んでいたことに気づき、苦笑する。
﹁ううう⋮あんちゃぁん⋮苦しいよう⋮﹂
妹⋮ツバメの方はお腹を押さえて苦しんでいる。完全に食べすぎで
ある。
﹁もっと食べたかったのにぃ⋮﹂
が、それでもあの﹃けーき﹄に対する食欲を失っていないあたりに、
執念を感じる。
普段はどちらかと言えば食が細い方の妹だが、けーきだけは別格ら
しい。
﹁やれやれ。妹ながらコイツは⋮すまなかったな。
折角の休みなのに、転がり込んで﹂
気を取り直し、この部屋の主に礼を言う。
食べすぎで気分を悪くした妹を休ませる場所。
それも出来るだけあの会場から近い場所。
そう思い、ホークはこの部屋を訪れていた。
ホークの数少ないアキバでの知己の部屋。
﹁ああ、確かに迷惑だ。後で相応の報いは覚悟してもらうよ?﹂
アキバ傭兵ギルドの受付をやっている1人、
947
黒髪の狐尾族であるクレッセは冗談めかしてホークに笑い掛けた。
﹁分かってる。限度はあるけど、何でも言ってくれ﹂
﹁考えておくよ。ほれ、茶だ﹂
軽く流しながら、コトリと入れたての黒葉茶をホークとツバメの前
に置く。
﹁おう。ありがとうよ﹂
一歩外に出れば広がっている、祭りの喧騒。
だが、部屋に戻ってしまえば静かなものだ。
夕暮れに染まったオレンジの部屋で、ホークとクレッセはしばしく
つろぐ。
﹁吸血鬼!?傭兵にか!?﹂
﹁ああ、私も流石に驚いたよ⋮円卓会議から居住許可を貰っていた
のも含めてな﹂
暇つぶしにクレッセが話す、最近驚いた出来事に、ホークは思わず
声を上げた。
﹁一応、吸血による呪いの媒介と殺人を行った者は即刻アキバを追
放。
悪質な場合は討伐するという条件付らしいがね﹂
﹁それは⋮随分と甘いな。行った者ってことはアレだろ?
やった奴だけ追い出して、吸血鬼そのものが暮らすのは認めるっ
てことだろ?﹂
﹁そうなるね⋮この街に住む他の大地人とまったく変わらん扱いだ﹂
﹁⋮つくづく自由な街だな。アキバは﹂
クレッセの語った条件に、ホークは正直な感想を上げる。
吸血鬼は恐るべき呪いにより、怪物と化した大地人である。
通常であれば、変じた時点で神殿騎士や領主の騎士団に追われ殺さ
れるのが常識だ。
それを、居住許可⋮それどころか他の大地人と同じように暮らすこ
948
とが許される。
アキバの円卓会議の考えは、大地人とは大いに違っていた。
﹁奴等、今は夜にしか現れぬ魔物の討伐を主にこなしている。
持っていた金は呪い憑きが暮らすための家を買うので使い切った
らしくてね﹂
﹁呪い憑き?﹂
﹁奴等の自称。肉体が呪われても、魂までは呪われていないという
意味らしい。
奴等と会っても吸血鬼とは呼ぶなよ?侮辱したことになるらしい
からね﹂
﹁そうなのか⋮﹂
アキバの奥深さに思わずため息をつく。
俺たち
が増えているのは﹂
どこの世界に、吸血鬼が住むのを許す街があるのか。
﹁そんな街だからこそか⋮アキバに
﹁だろうね。今、アキバに暮らす忍びは100を越えてるからね﹂
ホークの言葉にクレッセも同意する。
クレッセ自身、仕える家も、暮らすべき里も持たぬ野良の忍びであ
った。
そして、傭兵ギルドの仕事を通じてホークのような忍びが
傭兵や移民として次々と潜り込んでいるのは知っている。
その中には冒険者の秘密を探るべく放たれたウェストランデや
イースタルの密偵もいるが、それ以上にこのアキバを
終の住処にしようとしている密偵崩れや野良の忍びが多い。
このアキバに安息を見出して根を降ろしている彼らは⋮
邪魔をするものあらば全力でそれを排除するだろう。
⋮自分や、ホークがそうであるように。
﹁この前など、傑作だったよ。ナインテイルから流れてきた忍びが
酷い猫人訛りでさ。言葉だけでは猫人と見分けがつかないほどだ
った﹂
﹁ああ、それなら知っている。割合腕が良い、茶色の髪の女だろ?﹂
949
﹁うん。技量はそこそこだし、手料理もできるから、
行商の護衛でもやりたい﹃にゃ﹄と言ってたよ﹂
﹁にゃ、か﹂
﹁にゃ、だ﹂
揃って噴出す。
狐尾の女⋮それも忍びが猫人訛りで喋るのは、
想像すると中々にアンバランスな光景だった。
﹁なるほどな⋮だから、あんな噂もあるのかも知れんな﹂
﹁噂?﹂
勿体つけて喋るホークに、興味を引かれ、クレッセは尋ねる。
﹁ああ、本当に眉唾ものだがな⋮﹂
そんなクレッセに声を潜め、ホークはその名前を口にする。
﹁この街に居るらしいんだ﹃アイギアの雌狐﹄がな﹂
25年もの間、忍びの間で連綿と語り継がれる、伝説的な存在を。
5
アキバの街から少しだけ離れた郊外。
﹁⋮アイギアの雌狐だな?﹂
漆黒の装束に身を包んだ5人の忍びが1人の女を囲み、緊張しなが
ら尋ねた。
﹁ああ、そうだ﹂
その問いかけに、白い太ももを晒した、冒険者風の動きやすい格好
をした
金髪の狐尾の女⋮アイギアの雌狐が頷きを返す。
いなり
︵これが⋮アイギアの雌狐か⋮︶
斎宮家に飼われている稲荷⋮
すなわち現在のウェストランデで最高峰の暗殺者の技量を持つ
5人の忍びで囲んでなお、緊張が拭えない。
無理もなかった。
950
今、目の前に対峙しているのは⋮
﹁おいおい。そんなにびびんじゃねえよ。
取って喰いやしねえよ⋮下手な真似しなけりゃな﹂
伝説に謡われた﹃影の村アイギア﹄の最後の生き残りなのだから。
﹁大体、いっくら俺が腕利きっつっても、
斎宮のお稲荷様5人相手に真っ向から闘りあって勝てるとは思っ
てねえよ﹂
︵⋮よく言う。そもそも貴様が真っ向から戦うなどありえんだろう
に︶
その、ニヤニヤ哂いながらの軽口に、長は反感を覚える。
アイギアの雌狐。彼女は、知略に長けた怪物だ。
その恐るべき知略で20人のマイハマ近衛騎士を殺害したこともあ
るといわれている。
恐らく今、このときも遁術の用意は万全。
うかつな真似をすれば容易く逃げ出し⋮1人ずつ殺す。
それが出来るのが、アイギアの雌狐だと理解していた。
﹁此度の仕事⋮円卓会議の秘密をまとめた密書、渡してもらおう。
褒美は、後で幾らでもくれてやる﹂
だからこそ、長はただ、取引を終えようと努力する。
だが、そんな様子を、アイギアの雌狐は鼻で哂った。
﹁あ?ねえよんなもん﹂
﹁なんだとっ!?貴様⋮﹂
その言葉に若い稲荷が激昂する。
思わず腰元の忍刀に手を掛け⋮
﹁アホかてめえは﹂
アイギアの雌狐の眼光に、死の予感を感じて
付与術師の金縛りの術を受けたように動きを止める。
それを見て、満足そうにアイギアの雌狐は言った。
﹁情報の先渡しなんざ不利な条件、俺が認めるわけねえだろ。
951
心配すんなよ。俺の頭ん中にゃ全部入ってる。
向こうに着いたら幾らでも書いてやるって﹂
﹁⋮分かった。ではついてきて⋮﹂
もらおう。そう口にしようとした瞬間だった。
部下の稲荷が、一斉に吹き飛ぶ。
強力な魔術⋮それが地面に炸裂した。
その余波で死にこそしないものの、吹き飛ばされたのだ。
﹁無事にござるか!?助けにきたでござるよ!﹂
何事かと混乱する長の前に、怪しげな暗殺者が現れる。
技量だけは超一流を越えた怪物の領域。
されど、纏う気配は素人同然。
そんな存在を、長は良く知っていた。
︵こやつらは冒険者⋮︿D.D.D﹀なる騎士団の上級騎士⋮!︶
それを確認すると同時に、長は悟る。
﹁おのれ!裏切ったな!﹂
アイギアの雌狐は、完全にアキバについたことを。
﹁笑止!彼女は拙者たちのもはや仲間!
手を出すのなら拙者たちがいつでも相手になるでござる!﹂
﹁仲間MAJIDE!﹂
﹁⋮相手は西の大国か⋮面白い。我らが獲物には、相応しい﹂
﹁それは流石にどうかと思うけど、全俺会議的にも助けるで全会一
致だこの野郎!﹂
戦闘態勢をとる、4人の冒険者⋮
それも︿D.D.D﹀のハイジン部隊﹃らいとすたっふ﹄の面々。
勝てぬことを悟った長は呟いた。
﹁アイギアの雌狐。貴様の裏切り、斎宮は⋮ウェストランデは決し
て許さぬ。
アキバについたこと⋮後悔するなよ﹂
952
そして⋮全力で逃げる準備をする。
今は生き残り凶報を届けることこそ、最重要と考えて。
ゆえに、生き残ることに全力を傾けることにした長は気づかなかっ
た。
﹁⋮あ?なんだこの展開⋮﹂
アイギアの雌狐が、呆然と呟いたことに。
6
﹁エリザベート様!分かりました!この人、リディアさんを見たっ
て!﹂
売り物がはけて片付けの真っ最中だった、灰色の髪をした20代半
ばの行商人。
ナインテイルから香辛料を持って来て商っていたという青年から
話を聞きだしたサリアは、エリザベートに報告した。
﹁ご苦労。良くやった。詳しく教えてくれ﹂
それを聞き、エリザベートはサリアに続きを促す。
それにサリアは頷いて言葉を続ける。
﹁はい!向こうもエリザベート様を探してるみたいです!
黒髪の冒険者らしき男の人と一緒だって!﹂
﹁なぬっ!?﹂
エリザベートに取って、聞き捨てなら無い言葉と共に。
﹁え?どうかされましたか、エリザベート様?﹂
エリザベートの顔が険しいものとなったことに驚きながら、
サリアはエリザベートにおずおずと聞き返す。
だが、それにエリザベートは答えず独り言を呟いた。
﹁おのれ⋮リディアの奴め⋮このアキバでリディアに手を貸す冒険
者、
まして黒髪の男など⋮﹂
953
条件が揃いすぎている。まず間違いない。
リディアと行動を共にしている冒険者は⋮
﹁エリザベート様!﹂
エリザベートの﹃背﹄以外にありえないと。
﹁あ、あの人ですか⋮あれ?﹂
赤毛に高い背と大きい胸。そして︿D.D.D﹀の騎士様が来てい
る鎧に似た、
スーツとか言う服と真っ赤な手袋。
エリザベートが語ったままの条件に合致する女性がこっちに近づい
てくるのを
見つけたサリアは、傍らに立つ男性に気づいて驚いた。
﹁せ、セガールさん!?﹂
サリアの密かな思い人。かつて、サリアを救った命の恩人がリディ
アと共に居た。
﹁ああ、良かった。エリザ、見つかりましたね⋮って、あれ?サリ
ア?﹂
セガールの方も気づいたのだろう。
サリアに向かって、笑い掛ける。
﹁そっか。サリアも天秤祭に⋮ってあれ?なんでエリザと一緒なの
?﹂
普段はシブヤに住んでいるエリザと、サリアの接点が本気で分から
ず、
セガールは尋ねる。
﹁えっとそれはちょっと色々ありまして⋮
って、セガールさんもエリザベート様と知り合いなんですか?﹂
それに答えながら、サリアはセガールに尋ねる。
﹁うん。前にちょっとね。あれから、妙に気に入られちゃって⋮﹂
そうのほほんと言う。
あのとき、恐ろしく強い暗殺者になっていたカオルを倒したときに、
954
﹃わらわが成人するまで2年待て。
さすればわらわの全てをおぬしにくれてやろう。我が背よ﹄
などと言われたこともあるが、如何せん相手はまだ13歳の子供。
向こうから見れば25歳のおっさん相手に、本気では無いだろう。
そう、セガールは考えていた。
︵気に入られてるって言う段階じゃないと思うんだけど⋮
エリザベート様が愛称で呼ぶのを許している時点で︶
一方のサリアはその意味を正確に察していた。
恋する乙女の直感ゆえに。
﹁リディア⋮貴様、わらわの背に色目を使うなぞ、わらわへの反逆
ぞ!
少しばかり乳がでかいからと言って、調子にのるでないわ!﹂
﹁い、いえ⋮私はそんな⋮ただ、エリザベート様を見失い、
困ったところで通りかかったセガール様にお手伝いを頼んだだけ
で⋮﹂
事実、今現在もエリザベートは絶賛従者を説教中だ。
⋮リディアとか言う従者も、セガールに好意を持ってそうに見える
のは、
気のせいだろうか?
︵ま、負けませんよ!︶
そんなエリザベートを見ながら、サリアは決意する。
﹁大体セガール、おぬしも⋮待て。なぜかようにサリアと親しく話
しておる?
まさか、サリア、おぬしも我が背に⋮?﹂
﹁はい!セガールさんは⋮私の命の恩人ですから!﹂
たとえ相手がどんな大貴族の娘であろうとも、一歩も引かないと。
7
955
天秤祭りの終わりを締めくくる、後夜祭。
それぞれの用事を終えた4人は再び集い、最後の夜を楽しんでいた。
﹁⋮うん。私も、頑張らないと﹂
サリアは﹃ライバル﹄との出会いに奮起していた。
たとえ誰であろうと、セガールは譲れない。
そんな決意に満ちて、明日からの努力に備える。
﹁いやーほんと、楽しかったにゃ!﹂
タニアは大いに酒を飲み、浮かれていた。
明日からは仕事だが、二日酔いなど知ったことか。
祭りの夜くらい、楽しまなくちゃ損だ。
そう割り切っていた。
﹁⋮うん。2人とも、元気そうで良かった⋮﹂
先ほどまでの再会に、クロはかすかに笑っていた。
2人の家族のそれぞれの成長。
弟は更に逞しくなり、妹は更に賢くなっていた。
それをクロは少し寂しく思っていたが、同じくらい嬉しかった。
そして。
﹁⋮あの?アルフェ先輩、どうかされましたか?﹂
﹁⋮いいえ。何でもありません﹂
流石に連日天秤祭りで遊びまわった疲れが出たのか、アルフェは若
干落ち込んでいた。
どうやら、アルフェを探しに行った騎士団の面々と何かあったらし
いのだが、
アルフェも、騎士団の面々も口をつぐんでしまったので、
サリアには何があったのかは分からない。
956
﹁⋮⋮明日からもよろしくお願いしますね。サリアさん﹂
唐突に、アルフェはサリアにそんなことを言い出した。
﹁え?はい、それはもちろんですけど⋮﹂
︵本当にどうしたんだろう?︶
そう思いながらサリアは困惑する。
いつもの尊敬する先輩らしからぬ言葉に。
アルフェの、ついさっき起こった人生の変節点のことなどまるで分
からぬまま。
ひとつの節目を迎えてなお、世界は回る。
大災害を越え、無数の冒険者と⋮それ以上の大地人たちを乗せたま
ま。
回った先には何があるのかは、まだ誰にも分からない。
957
総集編 天秤祭の夜︵後書き︶
本日はここまで。
というわけで今回は1話で出てきた面子をメインにした総集編で
お送りしました。
958
第25話 難民のキョウ︵前書き︶
今回は、夏の終わりの物語。
以前登場したとある2人の物語。
テーマは﹃ザントリーフ戦役﹄
⋮と、言いつつ戦闘シーンは無かったり。
それでは、どうぞ。
959
第25話 難民のキョウ
0
︱︱︱自分の店を持てれば⋮そうしたら、お前達にも、こんな明日
も知れない
旅暮らしじゃない、城壁に守られた安全な暮らしをさせられ
るのに。
父さんは、いつもそう言っていた⋮多分、無理だって父さんにも分
かっていたと思う。
父さんは腕の良い武器職人だったし、傭兵相手の商売でお金も少し
はあったけど⋮
獣人だった。
父さんと、私たちが幼い頃に病気で死んだ母さん。私と双子の姉さ
ん。
私たち家族は、善なる獣人族の1つである︿狼牙族﹀として、この
世界に生まれた。
世間の風は狼牙族を含む善なる獣人族には冷たいものだ。
耳と尻尾を出さぬよう気をつけ、人間族のフリをして街に潜り込む
くらいは出来ても、
ご領主様と職人の組合の許可を得て、店を建てるなど、夢のまた夢。
そんなことは、私も姉さんも、なにより父さんも分かっていた。
その父さんも、もういない⋮ついさっき、死んだ。
960
旅から旅の行商人には付き物の、亜人との戦い。相手は緑小鬼。
普段であれば、護衛に雇っていた傭兵の人たちにかかれば、
簡単に返り討ちに出来る相手。
⋮でも、あんな数で襲ってきたのは、初めてだった。
雇っていた傭兵と父さんは、勝てないと分かると、私と姉さんを逃
がした。
いつか店を起こすための蓄えをわざわざ馬に積んだあと、
私たちを馬に乗せ、逃げるように言って逃がし、
それからすぐ、断末魔と緑小鬼が勝利の雄たけびを上げるのが、耳
に入った。
もう男手1つで私たちを育ててくれた父さんは生きていない。
それだけは確かなのが、分かった。
﹁ああ!キョウ!私たち、もうおしまいですわ!
私達のような小娘2人では、すぐに追いつかれるのがオチですわ!
そうなればあの残虐な小人たちはまず足を潰して逃げられなくし
たあとに
私達を嬲者に⋮ああ!﹂
馬を繰る私に、ぎゅっと抱きつきながら囁かれ続ける、いつもの姉
さんのパニック。
⋮静かにして欲しい。本当になりそうで、怖くてたまらないのに。
﹁大丈夫ですよ。姉さん。もう少しです。ほら、あそこにかがり火
が見えます。
誰かがあそこにいる証拠です﹂
姉さんと、私自身を落ち着かせるために、目の前を見据えて、言う。
目に入るのは、赤々と燃える火。
誰かが、火をたいている。
それも、1人や2人ではない、かなり大規模なかがり火だ。
﹁そ、そうですわよね!あんな、古びた遺跡しか無いような場所で
961
かがり火をたいているんですもの!きっと誰か、たくさんの⋮⋮
緑小鬼?﹂
⋮⋮その可能性があることには、気づいて欲しくなかった。
案の定姉さんは、またパニックを起こしてまくし立てる。
﹁ああ、キョウ!?これはまずいですわ!?
そんなところに突っ込んだら、一環の終わり!
戦う術も持たぬ狼牙族の小娘など、簡単に死にますわ!?慰み者
決定ですわ!?
私達は未だ男を知らぬ未通女い身体を好き勝手もてあそばれた挙
句、
残虐なし、死を⋮﹂
﹁静かにしてください姉さん!大丈夫!大丈夫ですから!﹂
言い聞かせる。姉さんと⋮私に。
どの道、女2人乗せた馬など、早々持つものじゃない。
馬が走れなくなれば、後は緑小鬼からは逃げられない。
⋮わずかであっても生き残れる可能性は、あそこくらいしかないの
だ。
そして、私たちはたどり着く。
ミドラウント馬術庭園。
古代においては馬術を競うための競技場だったと言われている遺跡
に馬で駆け込む。
そして、私たちを待っていたのは⋮
﹃第25話 難民のキョウ﹄
1
962
馬術庭園には、既にたくさんの人が集まっていた。
すでに辺りは完全に夜だと言うのに、かがり火が焚かれているので
辺りは明るい。
私たちは水桶に汲んだ水を馬に飲ませ、へたり込むように座ってい
た。
﹁で、実際どうなん?お前、確か︿D.D.D﹀の前線部隊に知り
合いいただろ?﹂
﹁ああうん、なんかさー⋮楽勝っぽい。
ボスでもLv60ちょいだから相手にならないって﹂
﹁ですよねー⋮俺ももうちょいLv高けりゃ前線行けたのになあ。
それか、ハリアクみたいに偵察とか黒剣の連中みたいに
パーティーで緑小鬼蹴散らす遊撃か﹂
﹁Lv低めの連中は軒並み後方部隊配属だもんなあ⋮あの腹黒眼鏡
め﹂
﹁まあ、いいじゃん。超美少女のお姫様からのお願いでクエストだ
ぜ?
なんつーか⋮冒険者っぽいじゃん?﹂
﹁⋮⋮まぁな﹂
近くで話をしている人たちの声が聞こえる。
その声の主、そしてこの馬術庭園に集っているのは⋮なんと冒険者
だった。
武器職人として、装備を見れば分かる。
材質不明の、だけど恐ろしく強力な装備。
戦士としての強さは私にはよく分からないが、あんな装備をつけて
いるのだ。
噂どおり、大地人の限界を越えた実力を持っているのだろう。
行商でイースタルのあちこちを巡っていたので、見たことはあった。
けれど、今まで見たのは精々が6人程度まで。
963
噂に聞く冒険者の聖地、アキバでも無いのに何百人もの冒険者が
一箇所に集っているのを見たのは、初めてだ。
﹁きょ、キョウ⋮私達、大丈夫なのかしら?冒険者様が負けたりは
⋮﹂
﹁大丈夫ですよ、姉さん。冒険者は、緑小鬼程度ならば6人で
100の軍勢を容易く蹴散らすと聞きます﹂
そう、そんな存在が何百も集まるという異常事態。
そのことが、今回の戦争がどれだけ凄い戦いなのかを私たちに悟ら
せる。
私たちが襲われた、100近い緑小鬼の群れ。
護衛の傭兵を数の暴力で殲滅したあれですら、ほんの一部に過ぎな
い。
その正体は⋮緑小鬼の王が侵略のために用意した軍勢。
その数は実に数万に及ぶ⋮と言うのが、冒険者が話している内容か
ら分かったことだ。
﹁それで、どうにゃ?一座のみんなは、無事なのかにゃ?﹂
﹁はいですにゃ。みな、無事ですにゃ⋮さっきまで死にかけてたア
リサも
冒険者様の癒しの魔法のお陰でピンピンしてますにゃ﹂
﹁旅神エルメアよ。貴方のもたらした幸運に感謝いたします。
我が命をお救いくださり、ありがとうございました﹂
﹁やれやれ⋮運がいいんだか悪いんだか⋮
まさか冒険者様がお助けくださるとは思わなかったぜ﹂
﹁かあちゃん、はらへったよ⋮﹂
﹁我慢おし。食い物はほとんど無いんだから、大事に食べないとい
けないんだよ﹂
﹁⋮で、お前んところはどうだった?﹂
﹁ああ、ダメだダメだ。生きてここにたどり着いたのは俺含めてほ
964
んの一握り。
お前んところと一緒だよ。つーかただの傭兵団如きが
あんなの対抗できるわけねえだろ。餓狼兵団じゃあるまいし﹂
﹁ええい止めるなじい!武者修行中の身でありながら
緑小鬼風情から逃げたままでなぞいられるか!
幸い冒険者の手で傷は癒えたのだ!戦わずしてなんとする!﹂
﹁なりませぬ!耐えてくださいませ坊ちゃま!
今、あれだけの数と戦っても犬死にですぞ!﹂
馬術庭園の片隅には、私たちと同じ、大地人もいた。
緑小鬼の群れに襲われながらも辛うじてここに逃げ込めた旅人たち
と、
冒険者が連れてきた村や町の民たち。
種族も、身分も、立場もバラバラだけど、みな緑小鬼に襲われて
逃げてきたものと言う意味では同じだ。
その顔には、私たちと同じく、強い不安が浮かんでいる。
それは、私たちも一緒だ。
一応は、生きのこれはした。
しかし、今私たちが持っているのは、父さんが残したお金と、丈夫
な馬が1頭。
あとは馬に積んであったほんの僅かな荷物。たったそれだけだ。
これからどうなるのか⋮そんなことを考えていたときだった。
︱︱︱すいませーん!これから後方部隊の指揮官が挨拶しますんで、
皆さん北入り口付近に集まってくださーい!
広い馬術庭園中で1人の男の声がした。
冒険者の召喚術師が召喚した、風の精霊によって運ばれたその声は、
馬術庭園にいる私たち全員に届いた。
その声にまず冒険者が顔を見合わせて歩き出し、
965
続いて他の大地人たちもそれに釣られるように歩き出す。
﹁きょ、キョウ?﹂
﹁⋮私たちも行きましょう﹂
姉さんを促し、私たちも馬から貴重品を外して身体に巻きつけ、
北の入り口に向かった。
2
馬術庭園の北入り口には、いつの間にやら演壇が作られていた。
﹁⋮大体集まったかな﹂
その上で、1人の素晴らしい鎧を纏った守護戦士らしき男が
キョロキョロと確認して、言う。
﹁よし!⋮これから後方部隊指揮官の填島⋮
じゃなかった、たまきちより皆さんにご挨拶させていただきます。
連絡事項もあるんで、つまらないと思ってもちゃんと聞いてくだ
さい。
⋮二尉、よろしくお願いします﹂
どうやら、その男は、後方指揮官の補佐官らしい。
下で待っていたらしき後方指揮官に声をかける。
﹁了解した⋮それとグンソー。階級はいらん。ここは隊じゃないん
だ﹂
男の声。それが聞こえた瞬間、ざわめきが広がる⋮大地人からだけ。
﹁⋮あれって、猫人族?﹂
﹁みたいですね﹂
壇上に上がったのは灰色と白の毛皮を持つ、猫人族だった。
私たちと同じ⋮あるいはそれ以上に野蛮だと言われている、善なる
獣人族の1つ。
それが、今、この場で最も偉い指揮官として壇上に上がったという
ことに、
私たちは困惑する。
966
だが、それは大地人だけらしい。
冒険者は、猫人族が上に立つことに特段の興味を抱いてはいない。
まるで、それが当たり前であるかのように、雑談をしながらも、素
直に従っている。
そして、壇上に上がった後方指揮官が、猫人訛りの無い、流暢な言
葉で話し出す。
﹁私は今回、シロエ参謀よりこのミドラウント防衛の責任者を任さ
れました
たまきちと言います。堅苦しいと思われるかも知れませんが、
ミドラウント防衛の任についた冒険者の皆さんは、私に従ってい
ただきます。
それと大地人の皆さん、思うところもおありでしょうが、
危険ですので今回の作戦が一段落するまでは、このミドラウント
にて待機願います⋮
挨拶は以上です。続いて連絡事項をお伝えします。右手をご覧下
さい﹂
後方指揮官⋮たまきち様が右手を上げる。
みんなが一斉にそちらを見た。
そこには、大量の物資が積まれた天幕が張られていた。
﹁あそこが、皆さんに物資を支給する配給所となります。
必要物資はあちらで申請ください。
食事は1日3回。明日からそれぞれ7時、12時、19時に鐘を
鳴らしますので、
配給所まで取りに来てください。
時間外でも保存食であれば配給できますが、温かいものを用意し
ますので
できるだけその時間にお願いします。
それと、大地人の皆さんも冒険者と同様に利用してください。
金銭等は頂きませんので、お気軽にどうぞ。
967
最後に、大地人の皆さんにはこれから夜営用の支給品をお配りし
ます。
取りに来てください﹂
ざわざわと、大地人の間にどよめきが広がる。無理も無い。
こんな状況なら、食糧や水を始めとして、生きるのに必要なものは
普通の倍の値段でもありがたいくらいだ。
それがタダとは、正直信じられない。
﹁きょ、キョウ⋮私達、騙されているんじゃないかしら?
まさか後で受け取った分だけのお金を要求されて、
払えなければ奴隷として売買された挙句こき使われ、
あまつさえ主人に純潔を散らされてしまうとか!?﹂
﹁⋮姉さん、聞こえてますよ﹂
隣の冒険者らしき人がギョッとして私たちを見ている。
ものすごく、恥ずかしかった。
3
たまきち様のお話を聞いたあと、私たちは配給所へと向かった。
どの道、あの緑小鬼の群れがなんとかならないと、危険で外には出
られない。
配給所には、配給を求めて大地人が長蛇の列を作っていた。
受け取った人は配給所で配給された品なのであろう、
中身が詰まった麻の袋を大事そうに抱えてそれぞれの居場所に戻っ
ていく。
普通、こういう場合だと私たちみたいな獣人系の種族は
後ろに回されたりもらえなかったりするのだが、それもない。
文化のまるで違う冒険者。
おまけに指揮官はどう見ても猫人族のたまきち様とあっては、
身分も種族も無いということだろう。
968
﹁おい!何故僕が並ばねばならない!?僕は貴族だぞ!﹂
﹁はいはい。貴族とかそういうのいいから。
順番はちゃんと守ってください。マナーなので﹂
⋮例外もいるにはいるが、冒険者に簡単にあしらわれている。
そして、順番どおりに私たちの番が来る。
﹁はい次の人、どうぞ⋮お姉さんたち、ふた子?ま、いいや。2つ
ね﹂
私たちより2つ3つ年下に見える、成人前の少女くらいの冒険者か
ら袋を受け取る。
中身がしっかり詰まっているのか、結構重い。
それを抱えて、馬を止めてある、競技場の端っこに戻る。
﹁⋮きょ、キョウ!?﹂
座り込み、中身を見た姉さんが驚いた声を上げる。
よくよく見てみると、辺りの大地人からも同じように驚きの声が上
がっていた。
無理も無い。
﹁⋮随分豪華ですね。これ﹂
中には、そのまま旅にも使えそうなくらい、上等な品々が入ってい
たのだから。
寝心地がよさそうな、軽くて上等な毛布。
木で出来たマグカップとフォーク、スプーン。
食糧なのであろう塊が包まれた包み。
清潔で大き目のシャツが2枚。
手ぬぐいが3枚。
光の魔法がかかっていて、淡く光るカンテラ。
治療用のヒーリングポーション。
私たちが知るものより大分上等な真っ白い石鹸が1つ。
969
食糧は日に3度も配給するらしいし、水は井戸から取れる。
暫くは困らないであろうものが入っていた。
﹁す、凄いですわね冒険者様は⋮とにかく、食糧をありがたくいた
だきましょう﹂
﹁そうですね﹂
姉さんの提案に頷く。
考えてみれば、昼から何も食べていない。
これまでは緊張と不安で気にならなかったが、確かにお腹が空いて
いた。
ガサガサと、姉さんが紙に包まれた食料を開く。
中から出てくるのは、大きめのビスケット。保存食の定番だ。
﹁とりあえず、はんぶんこにしますわね﹂
それを割って、姉さんが私に渡してくる。
﹁あら?中に何か⋮甘い!?﹂
割った時に手についた、ビスケットの中に入っていた何かを舐めて、
姉さんが驚いた声を上げた。
そして確かめるようにビスケットを一口齧り、姉さんが再び驚いた
声を上げた。
﹁キョウ!?こ、これ⋮手料理のお菓子ですわ!?﹂
その言葉を聞いて、姉さんが何に驚いたのか分かった。
手料理は冒険者の秘術により生み出された、新しい料理だ。
ヤマト中にあっという間に広まって、私も姉さんも町によるたびに
楽しみにしていた。
上等なものなら値段は天井知らず、安いものでも
これまでの料理とは比べ物にならないほど美味しい。
幾ら手料理の発明者たるアキバの冒険者が用意したものとはいえ、
そんなものが普通に配給品に入っていれば誰だって驚く。
﹁⋮本当だ。しかもかなり美味しいですよ、これ﹂
歯ざわりがよくて香ばしい味と香りのビスケット事態もさることな
970
がら、
中に入っているものがとても美味しかった。
甘酸っぱくて、少しだけ、苦い。
材料はオレンジだろうか?しかし、それだけにしては甘すぎる気も
する。
﹁うわ!?なにこれ!?﹂
﹁驚いた⋮こんな美味しいものが世にあったなんて⋮﹂
﹁おいおい冒険者ってのは、こんなもん普通に食ってんのかよ⋮﹂
﹁馬鹿な!砂糖を使ったジャムだと!?
僕ですら中々お目にかかれぬほどの品だぞ!?﹂
﹁かあちゃん!これすげーうめーよ!﹂
﹁⋮いやはや。革命が起こってからと言うもの、不思議なことばか
りだにゃあ﹂
私たちと同じく、食糧を食べた他の人たちも驚いた声を上げる。
それだけの品だった。
それから、私たちは私の分のビスケットも食べ、毛布を2枚使って
姉さんと一緒に包まる。
﹁⋮私たち、助かったんですわね⋮﹂
﹁はい⋮﹂
そうしてようやく安心して、私たちは眼をつぶる。
今日は色々あり過ぎて疲れた。
姉さんの寝息を聞きながら、私もゆっくりと眠りについた。
4
私たちが馬術庭園に逃げ込んで、2日後。
私は、困っていた。
971
することが無い。
2日前の出来事から考えれば、随分と贅沢な悩みだが、事実だ。
現在、私たちは完全に﹃お客様﹄状態だ。
周囲の警戒や、緑小鬼との戦い、配給品の運搬やお風呂の用意まで。
そう言ったものはたまきち様の指揮の下、全て冒険者が分担してや
っている。
私たちは1日3回、冒険者の配給でもらえる、北方で取れる米を炊
いて丸めたものや
色々な味付けのスープなどの美味しい手料理を食べて、寝る以外に
することが無い。
それでも昨日は姉さんとこれからのことを話したりして紛らわせた
が、その話も尽きた。
まさか外に出るわけにも行かないので、本当にすることが無い。
それは他の大地人も同じらしく、なんともだらけた空気が漂ってい
た。
冒険者の方々は、ザントリーフから緑小鬼を追い出すべく戦ってい
るのだが、
ただの大地人では、そんなことは出来ない。
そんなわけで、冒険者に﹃保護﹄されて増えてきた大地人を横目で
見ながら、
私はただぼんやりしていた、そんなときだった。
﹁キョウ!ちょっと頼みたいことがありますの!﹂
トイレから戻った姉さんが、嬉しそうに声をかける。
﹁なんですか、姉さん⋮そちらの方は?﹂
972
見れば、姉さんは、年下の女の子を連れていた。
足が丸出しの短いズボンに、背中が開いた上着と、袖なしのジャケ
ットと言う格好。
なにやら、篭手と脚甲を抱えている。
⋮顔に見覚えがあった。確か最初の日、配給所で配給を手伝ってい
た冒険者だ。
﹁あ、えっとわたし、ナギって言います!﹂
﹁キョウ、これからナギ様の武器の修理をお願いしたいのですが、
大丈夫ですか?﹂
冒険者⋮ナギさんの自己紹介を聞き、姉さんが笑顔で言う。
﹁武器の修理?﹂
﹁あっ⋮はい。ちょっと、たいきゅー力が落ちてて。
で、お姉さんなら、なおせるって﹂
そう言いながら、ナギさんは手にしていた篭手と脚甲を私に渡す。
﹁ええまあ。武器の修理ならば可能ですが⋮﹂
それを受け取り、武器職人のスキルで鑑定する。
どうやらこれは獄炎の具足という、格闘家用の格闘武器の一種らし
い。
私が知る限りでは最高級の格闘武器である、
魔法銀製の篭手よりも硬く、強い力を宿していて、炎の魔法まで帯
びている。
⋮そして装備Lvは50。
大地人の格闘家ではまず使いこなせないであろう高Lvの格闘武器
だ。
﹁これを修理すればいいんですね?﹂
﹁はい!おねがいします!﹂
いくら冒険者とはいえ、こんな少女が普通に高Lvの武器を使って
973
いることに
驚きながらも、私は修理の準備をする。
馬の鞍に積んでいた、大切な商売道具⋮
私が成人したときに父さんから貰った、武器職人の七つ道具から
砥石とハンマーを取り出す。
﹁それじゃ行きます⋮﹂
砥石をあてて、作成コマンドから修理を選択して、修理を開始する。
獄炎の具足はかなり使い込まれてて、私ごときの技量では1度で耐
久力を
回復させきることは出来ないが、何度も繰り返せば良いだけだ。
ほんの数分で、耐久力を回復させきり、私はナギさんに具足を返す。
﹁⋮完了しました。どうぞ﹂
﹁ありがとう!﹂
新品同様に戻った獄炎の具足を受け取って、笑顔でお礼を言うナギ
さん。
﹁⋮いえ、そんな⋮当然のことをしたまでです﹂
それに照れて、私は少し俯いてしまう。
そう、これぐらいは当然だ。
あれだけの厚遇を冒険者から貰っておいて、
たかが修理すらしないのでは、申し訳が立たない。
﹁そんなことないよ。助かりました!それじゃ!﹂
そう言って重ねてお礼を言い、去っていくナギさん。
﹁実はね⋮キョウ。
まだ他にも、武器の修理を頼みたいという、冒険者様がいますの
⋮﹂
それを見送った後、姉さんは少し申し訳無さそうに、私に言う。
姉さんはパニックにさえならなければ頭も回るし、
私と違って知らない人と話すことも得意だ。
どうやらトイレに行っているだけじゃなく、
974
冒険者と話して修理の仕事を貰ってきたらしい。
﹁分かりました﹂
私は道具の入ったバッグを肩に掛けて、姉さんに頷きを返して歩き
出す。
冒険者が集まっている、配給所付近の方が仕事がしやすいだろうと
考えて。
姉さんも同じ考えらしい。
交易商人の商売道具である帳簿と羽ペン、算盤が入った
私とおそろいの鞄を取り出して肩にかける。
考えて見れば冒険者は、私たちを守るために戦ってくれているのだ。
それならば、出来ることで手伝うのは当たり前だろう。
他の、ぼんやりしていた大地人たちからの視線を感じる。
中には、私たちと同じように、配給所に向かう姿もある。
⋮どうやら、考えることはみんな一緒らしい。
4
それから、私たちは馬術庭園で働いた。
たまきち様に手伝うと申し出て、許可を貰った。
︵たまきち様は、私たちがダメもとで頼んでみたらあっさりと会っ
てくださった。
私たち大地人が手伝うと言ったことに随分驚いていたが、快く承
諾してくださった︶
それから、姉さんが依頼をまとめて、私が武器を修理する仕事を5
日間続けた。
他の大地人も私たちと同じく、ミドラウントで出来ることを見つけ
975
て、働いていた。
傭兵や騎士様方は、ミドラウントに魔物が近づいていないかの監視。
女達は、逃げ延びてきた大地人の子守りや料理の手伝い。
職人は、それぞれ自分が作れる範囲で、ミドラウント内で使う道具
作り。
旅芸人の一座が、様々な芸を披露してみんなを楽しませたりもした。
それ以外も力仕事や受付、馬の世話など出来ることをやった。
無論、冒険者ほど優れた能力は望むべくも無かったが、
それでも冒険者の方々は随分と感謝してくれて、お礼を言われたり
もした。
そして。
﹁⋮これからどうしましょう?キョウ⋮﹂
冒険者の護衛に囲まれながら、私たちはゆっくりと馬でマイハマへ
向かっていた。
緑小鬼は無事、冒険者の手で討伐された。
緑小鬼は今回の侵攻に割いた軍勢の大半を失い、イースタルに平和
が戻り、
私たちはミドラウントから離れることが許された。
戦いが終わって、ミドラウントに集っていた大地人たちは、それぞ
れに決断を迫られた。
自らの故郷に帰るか、冒険者について行ってマイハマやアキバに住
みつくか。
私たちのような根無し草や、村が滅んでしまった開拓民、
親を亡くした子供はマイハマに向かうことになり、こうして馬や徒
歩ですすんでいる。
﹁そうですね⋮﹂
976
私は、姉さんに相槌をうちながら、考える⋮フリをする。
本当は、もうやりたいことは決まっている。
⋮ただ、不安はある。
いくらアキバであっても若い大地人で狼牙族の女が受け入れられる
のか⋮
ミドラウントでは冒険者は種族を気にしなかったが、アキバでもそ
うなのか。
それが分からなかったから。
﹁⋮ねえ。キョウ。実は、1つやりたいことがありますの﹂
悩んでいると、姉さんは笑って、そんなことを言った。
そして一拍おいて、一言。
﹁⋮ねえ、キョウ。私たち、アキバで武器屋をやりません?﹂
⋮思わず、姉さんの顔を真っ直ぐに見る。
﹁やってけると思いますの⋮
アキバの冒険者が、ミドラウントにいた方々と同じ人たちならば。
私たちは女で、狼牙族ですけれど⋮それでも、きっと﹂
⋮こういうとき、姉さんと私の考えは一緒になる。
双子だからなんだろうか?
﹁⋮問題はありますよ。普通の武器は多分アキバじゃ売れません﹂
そう、あれだけ優れた武器と比べれば、普通の大地人の武器屋が扱
うような品は、
どうしたって見劣りする。値段だって、そんなに変わるものでもな
いし。
﹁そ、それは⋮そうですわね⋮﹂
シュンとする姉さん、それを見ながらコホンと咳を1つして、言う。
﹁だから、まずは学ぶ必要があると思います。︿製作級﹀の武器に
ついて﹂
977
アキバでの主流は、製作級と呼ばれる武器⋮魔物の身体を材料にし
た武器だ。
冒険者の武器を修理をしたとき、そう教わった。
それより優れた武器も存在するが、そういう武器はお金では買えな
いらしい。
﹁そ、そうですわね!じゃあ、ちゃんと勉強しませんと!私も、キ
ョウも!﹂
﹁はい﹂
ぱっと開いた、姉さんの笑顔に私も笑顔で答える。
今はまだ、ほんの思いつきに近い状態。
何をするにも、これからだ。
︱︱︱自分の店を持てれば⋮そうしたら、お前達にも、こんな明日
も知れない
旅暮らしじゃない、城壁に守られた安全な暮らしをさせられ
るのに。
ふと父さんの言葉を思い出した。
そうだ、これは⋮父さんの夢を継ぐことにも繋がるんだ。
﹁⋮キョウ?どうしましたの?﹂
﹁いえ⋮なんでも⋮﹂
それに気づいて、そっと涙を拭う。
悲しそうな顔をしていたら、姉さんに不安を与えてしまうから。
⋮この人、パニックになると大変だから。
﹁とにかく、アキバに行きましょう。そうしないとはじまりません
から﹂
﹁ええ!そうですわね!﹂
気を取り直して、姉さんに言う。
978
父さんがいなくなって、私たちはたった2人、
ヤマトで生きていかなければならなくなった。
それは、きっと大変だろう。
⋮だけど、それでも生きていくと決めたら、前より少しだけ世界が
広がった気がした。
979
第25話 難民のキョウ︵後書き︶
本日はここまで⋮その後彼女たちがどうなったかは⋮別のお話。
980
第26話 女衒のヨシフ︵前書き︶
残酷描写注意!
今回のお話は、かなりの外道が主役のお話。
舞台は無法都市ススキノ。
それでは、どうぞ。
981
第26話 女衒のヨシフ
0
5月に起きたあれは、まさに革命だった。
なにしろ皇帝陛下ですら御しきれぬ化物︿冒険者﹀が帝国に牙を剥
いたのだ。
冒険者はあの狼どもすら鼻で笑えるくらいに強く、
止められるのは魔導鎧を着込んだ衛兵くらい。
そいつ等もあくまで盟約に従って動いてるのであって、
皇帝陛下の命令を聞くわけでもなし。
こんな状態で帝国が維持できるわけも無かった。
かくして、この帝国を支配していた皇帝陛下はススキノを捨てて身
を隠し、
ススキノの支配者は、完全に冒険者に移った。
⋮まあ、俺にとっちゃあ悪い話じゃあなかった。
これは、革命だ。
それに合わせられない奴は滅ぶしかないが⋮
上手く立ち回れば、栄光をつかめる。
そういう時代に、俺は生きている。
朝。
俺は全裸で起き上がり、ベッドを出た。
クソ寒い冬の空気に眠気がすっ飛び、俺はぶるりと震えながら
982
さっさと着替えをはじめる。
﹁ふぁ⋮なんだい朝っぱらから張り切って⋮寒いじゃないのさ﹂
イロ
ベッドから、ナターシャ⋮かれこれ10年以上の付き合いになる、
古馴染みの情婦が声を掛けてくる。
﹁おう。今日は﹃納品﹄だからな⋮しっかり準備しとかねえといけ
ねえんだよ﹂
俺が今日の予定を告げると、ナターシャは不機嫌に顔をしかめる。
﹁準備ねぇ⋮まったく、冒険者どもと来たら女の価値ってのが分か
ってないよ。
この道一筋12年。素人なら5分で天国に連れてってやれるっつう
一流︿娼婦﹀のナターシャさんより、素人のガキ好むなんてさ﹂
﹁よく言うぜ。この大年増が﹂
いつもの愚痴に、いつもの返し。
﹁なんだと?大体てめえが素人娘だったアタシを
この道に仕込んだんだろうが、クソが﹂
のはずなんだが、今日はやけに絡んでくる。
﹁はん。よく言うぜ。そういうお前がそもそも誘ってきたんだろ?
こんなクソ田舎の開拓村で泥にまみれて一生終えたくないの。
何でもするからススキノまで連れてってって。
金も学も腕もねえ若いだけの女がススキノで出来る仕事なんざ限
られてんだよ﹂
いつもなら﹃うっさい﹄の一言でまた不貞寝をはじめるところなの
で、
今日のナターシャの態度が珍しく、俺は会話を続けることにする。
﹁⋮ちぃ。アタシもなんだってこんなタチの悪い男選んじまったん
だか﹂
俺の言葉にはぁぁぁ⋮と息を吐くナターシャ。
﹁そりゃあ見る目が無かったんだろ⋮この俺と違ってな﹂
それを見ながら、俺が続けて軽口を叩くと、ナターシャが怒鳴り散
らした。
983
﹁ああもうけったクソ悪い!行け!さっさと行っちまえ!
節穴冒険者にクソガキ売りつけて金もってこい!﹂
やれやれ、今日は随分気がたってるらしい。
ナターシャに怒鳴り返されて、俺は少しだけ竦んだ。
﹁なんだよ、ずいぶん気が立ってるじゃねえか⋮あの日か?﹂
いつもなら未通娘じゃあるまいし、このくらいの冗談平気で流すは
ずなんだが。
何故だか今日は妙にナターシャの気が荒かった。
﹁うっさい!死ね!冒険者に襲われて死んじまえ!﹂
まったく、女のヒステリーってのは怖くていけねえや。
そもそも俺がこうして囲ってやらなきゃお前だって危なかったって
のによ。
俺はため息をついて、着替えの続きをはじめる。
最近買った、仕立ての良い絹の上下を着て、剣帯を下げる。
右腰には長年の相棒である魔法銀製のサーベル、
左腰には2年前に戦場で拾った氷の魔法が宿ったレイピア。
この二刀流が最近の俺のスタイル。
最後にクソ高い金を払って冷気と刃に対する防御の魔法をたっぷり
と染み込ませた、
下手な板金鎧より硬い愛用のレザーコートを着込んで一丁上がり。
⋮まあ、この程度じゃあ︿冒険者﹀や︿強化人間﹀みてえな
化物相手には気休めだが、無いよりゃいい。
﹁さてと、お仕事しますかね﹂
今日は3人ほど﹃納品﹄があるから、ゆっくりもしてられない。
俺は客室に向かい⋮仕入れてきた﹃商品﹄を連れ出す。
﹁あ、あの⋮私、どうなるんですか?﹂
連れ出した商品⋮3日前奴隷市場で買ってきて今日まで世話してた、
出会った頃のナターシャを思い出させる開拓民の娘が俺に震えなが
ら尋ねる。
984
﹁そりゃあ⋮冒険者に売るに決まってるだろ。
俺はとりあえずナターシャ1人で充分だからな﹂
なんでもないように、いつも通りのことを伝えると、
哀れな娘はぶるぶると震えだした。
﹁そ、そんな⋮冒険者に⋮﹂
そういやコイツは村丸ごと冒険者に焼き払われて連れてこられたん
だったか。
それを思い出し、苦笑しながら言う。
﹁まあ、安心しろや。俺の客筋は⋮冒険者のクズの中じゃ多少はマ
シなクズだからよ﹂
慰めにもならないかもしれない言葉だが、事実だ。
とりあえず、大地人の女でもそれなりの扱いはする奴としか取引し
ていない。
⋮3日に1度は古いのを﹃処分﹄するような本物のゲスは、得てし
て金回りが悪いしな。
女奴隷を市場で仕入れて、金回りの良い⋮この街基準で良心的な冒
険者に売る。
それが今の俺の仕事だ。
﹁第26話 女衒のヨシフ﹂
1
火酒でも飲んで、身体をあっためときゃあよかったなあ。
そう思いながら、俺は冬のススキノを歩く。
ススキノは相変わらず、クソ寒かった。
﹁ほれ、早く歩けや﹂
さっさと納品を終えたくて、俺は犬みたいに女の腰に結んだ革紐を
985
引っ張る。
街中じゃあ剣を抜くと衛兵⋮
魔導鎧着込んだ化物がすっ飛んでくるので、こうした準備が必要に
なる。
仮にもLv47の俺ならばこんな素人娘、素手でも容易く押さえつ
けられるが、
下手に傷をつけたり怪我させたら後がめんどくさいし、最悪買い叩
かれるからな。
﹁⋮どうせ私も終わりだもの﹂
女が自棄になって反抗的な態度を取る。
なるほどな。コイツも色々聞いてたんだろう。
冒険者の奴隷になった大地人がどうなったかを。
多分女の世話してるナターシャ辺りに。
﹁だから言ってんだろ。俺の客筋は多少は﹃マシ﹄な連中だって﹂
俺も気休めにしかならないことは知ってるが、一応娘に教えてやる。
この街で、奴隷になった奴の心得って奴を。
誰に⋮どんな冒険者に飼われるか。
それが、今の帝国の奴隷にとっては非常に重要だ。普通に命にかか
わる。
今、帝国に残っている冒険者は、軒並みヤバいくらい強い。
夏ぐらいまではよわっちい冒険者も居て、
より強い冒険者に大地人みたいに飼われていたが、
そういう奴等はみんな、南から来た別の冒険者についていった。
大地人でも、クソ強い冒険者が後ろについてりゃ、威張り散らせる。
あの冒険者相手に、偉そうにすることすら出来る。
今のススキノは、そういう街だ。
例えば、この街には秋口まで﹃銀の剣士﹄と俺たちの間で呼ばれて
986
いた冒険者がいた。
その名の通り銀の髪と赤い目を持つ若い男で、とてつもない剣の使
い手。
俺と同じ盗剣士だとは思えないほど強かった。
ススキノのいる冒険者の中じゃ、あの化物女と並んで最強の座を争
っていたほどだ。
そんな銀の剣士に飼われていたのが、エリーっつう料理人見習いの
ガキだ。
親に口減らしとしてパン屋に売られた貧民のガキで、冒険者に捕ま
り奴隷にされた。
そして、エリーにとっては幸運なことに、銀の剣士に買われた。
エリー
驚いたことに、銀の剣士は金貨6,000も出して買い取った奴隷を
﹃人間﹄として扱った。
銀の剣士自身の身の回りの世話と言う楽な仕事しかさせないのに、
ベッドとメシを与えた。
それも普通の下働きが食うような粗末な黒パンとか麦粥なんかじゃ
ない。
自分と同じ、エリーが材料をたっぷり使って作った﹃ご馳走﹄をだ。
おまけに作りすぎて余った分を、他の大地人に与えるのすら許して
いた。
⋮明らかに2人分より多い量を毎回作ってやがるのも普通に見逃し
てたほどだ。
あの頃はエリーの作る飯を求めて、エリーが寸胴鍋を抱えて家から
出てくるたびに
負け犬どもが群がっていた。
987
負け犬どもは後ろについてる銀の剣士の影に怯えて丁重に扱いなが
ら、
少しでも多く餌を得ようと尻尾を振っていた。
その後、銀の剣士と銀の剣士を見事にたらしこんだ傭兵女、
そしてエリーがススキノを去ると決まった時は、
相当数の負け犬どもが一緒に南の冒険者の巣であるアキバへ行くこ
とを
決め込んだほどだった。
エリーは、ススキノの大地人の間じゃあ随分と羨まれてた。
まあ、銀の剣士ほどの甘ちゃんは流石に珍しいが、
それでも多少はマシって奴もいるにはいる。
お前を買うのはそういう奴だから、精々捨てられないように励め。
そんな説教をしてたあたりで、目的地につく。
ススキノの街の中心近い高級な宿。
別の冒険者に占拠されてたそれを買い上げた冒険者がやってる酒場
﹃ナイトドリーム﹄
それが今日の俺の最初の客だった。
﹁すいません。お約束差し上げてたヨシフですが﹂
﹁あらぁ。いらっしゃいヨシフさん。新しい娘の紹介よね?ちょっ
と待っててね﹂
見事な内装の店へと入り、昼の店番を任されている受付に来訪を告
げる。
きょうや
すっかり板についてやがる。ほんの数ヶ月前まで山出しの村娘だっ
たくせに。
﹁ちわっす。いらっしゃいヨシフさん﹂
それから程なくして、少し眠そうな店の店主⋮狂夜が現れる。
988
﹁わ⋮﹂
連れてきた娘が思わず生唾を飲む音が聞こえた。いつも通り。
﹁へぇ⋮可愛いじゃん。キミが、今日から俺たちの仲間になる子だ
よね?﹂
目ざとく連れてきた娘を見て、ひゅうと口笛を鳴らす狂夜。
この、顔立ちが整った平民ばかり好んで買う冒険者は⋮恐ろしく美
形だった。
透き通るような金髪に、紅玉の瞳。透き通るような白い肌。
すらりと細身ながら鍛えこまれた、彫刻のような身体を包むのは、
所々に金の装飾品を散らした黒の夜会服。
﹃ナイトドリーム﹄の店主であり、同じ名前の家門の当主でもある
狂夜は
恐ろしくすべてが整っている。
Lv90と言う超一流の格闘家であり、その実力はトラブルを起こ
した客を
あっさりと倒してみせるほど強い。
そして、店で働く冒険者は、狂夜と同じくらいの強さであると同時
に美形揃い。
冒険者や冒険者の威をかる大地人が男も女も大量の金を落として通
う﹃癒し﹄の店。
それがこの﹃ナイトドリーム﹄だ。
なんでも昔﹃ホスト﹄とか言う仕事をしていた冒険者が集まって作
った家門で、
最初はアキバで店をやろうと思っていたのだが、円卓会議の方針と
円卓会議を司る騎士団の1つの当主である武士が気に食わなくて
ススキノに移ってきたという。
989
﹁それで⋮お買い上げ頂けるでしょうか?
お値段は金貨7000枚ほどとなっておりますが﹂
俺の、初対面の子供に見せるとまず泣き出す笑顔を向けて、俺は狂
夜に尋ねる。
﹁う∼ん、それは⋮キミ、どうする?俺の店で働いてくれるかな?﹂
聞くのかよ。毎回そう思う。
そう、この狂夜が奴隷を買い上げるかどうかは、最後は奴隷の意思
次第なのだ。
﹁服とかごはんとかは、俺たちがちゃんと世話するよ。
お給金も少しだけどちゃんとあげる⋮それで、どうかな?やって
くれる?﹂
﹁は、はい!よろしくお願いします!﹂
断られるとこ見たこと無いけどな。
断ったら後が怖いし、それにこんだけの美形から聞かれたら
そりゃ頷くってもんだろう。
﹁オッケー。貰うよ。お金はエレーナさんから受け取って﹂
そう言うとさらりと買ったばかりの奴隷に肩を回し、店の奥に連れ
て行く。
女の方が無意識に狂夜に身を寄せてる辺り、世の中不公平だ⋮
なんてのは今さらだな。
俺は嘆息して、店の金庫番を任されている会計士の女の下に向かう。
ちょっと気がすすまない。
残り2人は⋮どっちも面倒くさい女だからなあ。
2
俺は一旦根城にしている宿屋に戻り、次の商品を連れ出す。
行き先は、ススキノから馬で30分程離れた、森の中にある小屋。
990
途中冒険者の盗賊団に襲われると厄介な場所だが、
その手の連中は今は大分数も減ったし、バックについてる冒険者が
割とヤバい連中が多い俺を襲うほどの馬鹿もそういない。
それに、その辺の大地人の盗賊団程度なら、俺とコイツなら負ける
ことは無いだろう。
﹁それで、本当にヒナがいるんでしょうね?⋮嘘だったら、殺すわ
よ﹂
﹁分かってるよ⋮俺はこれでも嘘をつかない主義でな﹂
俺が連れてるのは、長い黒髪に青い目の女。
纏っているのは、帝国人が忌み嫌う奴等の伝統装束。
俺より20以上も若い癖に、技量は俺とほぼ互角だと言う。
つくづく、こいつ等⋮狼どもって奴は狂ってやがる。
そう、俺が連れているのは泣く子も黙る狼どものメスだった。
それも、ただのメスじゃない。
20年で狼どもの群れを率いて潰した村の数は30以上、
殺した帝国人の数は1000以上、返り討ちにした討伐隊も10を
越えるという、
賞金首にまでなった最悪のメス狼﹃片目のアイラ﹄の娘、リズだと
コイツは名乗った。
多分マジだろう。実力が半端じゃない上に、相当数の場数も踏んで
る動きをしていた。
⋮昨日、どうやって調べたのか、俺が売り払った﹃商品﹄の情報を
掴み、
詳しいことを聞きだすために街のすぐ外で襲ってきた時は、
正直生きた心地がしなかった。
おそらく、本気で戦りあったら経験の差ってのを加味して俺が勝て
る確率は6割程度。
991
4割がた、俺が負けて死ぬ。
それぐらいの実力が、この﹃新しい商品﹄にはあった。
それから程なくして無事に何事もなくそこへたどり着く。
﹁ついたぞ。ここだ⋮﹂
﹁ここ?随分とみすぼらしいけど⋮騙してないでしょうね?﹂
その場所に、リズは首を傾げる。
そこは、小さな小屋だった。
元々は、樵の炭焼き小屋だったものに手を入れたもの。
部屋数は3つしかない平屋の⋮まあみすぼらしい小屋だ。
セキロウ
﹁ちげえよ。ここの主の趣味だ﹂
なんでもここの主である赤狼は、広過ぎる屋敷は落ち着かないらし
い。
屋敷買えるくらいの金はあるが、住むところなどこの程度で充分。
と言うのが、赤狼の弁だ。
﹁ほれ、入るぞ﹂
俺は一応この小屋の出入りを認められている。
何でも赤狼に奴隷を売ったからだと言う。
まあ、別に取られるものも無いしと、赤狼が言っていた。
貴重な品物は全部銀行に預けてあるので問題ないらしい。
﹁⋮あ、ヨシフさん!お久しぶりです!﹂
そんなわけで留守なら戻ってくるまで待たせてもらおうと思いながら
さっさとリズを連れて小屋に入ると、部屋のドアが開いて、俺たち
に声が掛けられた。
出てきたのは、肩口で切りそろえられた手入れの行き届いた
リズと同じ黒い髪と、青い瞳。
胸元を白いスカーフで飾った紺色のシャツと、同じく紺色の脚が見
える
布切れって言っても良いくらい短いスカート。
992
太ももまでを覆うのは白の長い靴下、そして最後に華奢な黒のエナ
メル靴を履いた⋮
狼どものメス。
﹁⋮ヒナ?ヒナなの!?﹂
その姿にリズが驚いた声を上げる。
﹁お姉ちゃん!?﹂
一方の狼どものメス⋮2ヶ月前に俺が赤狼に売ったヒナの奴も驚い
た声を上げる。
﹁よかった!無事だったんだね!﹂
思わず駆け寄り、ヒナを抱きしめるリズ。尻尾が現れてブンブンふ
られている。
感動的な再会って奴なのかね?こういう場合でも。
﹁あー、ヒナちゃんよお。赤狼さんはいないのか?﹂
ヒナが出てきたのに赤狼は出てくる気配が無い。
そのことに、微妙に嫌な予感を覚えながら俺はヒナに尋ねる。
﹁はい。おにいちゃんはちょっとススキノに買出しに行ってます。
私は危ないからお留守番です﹂
どうやら赤狼はいないらしい⋮やばい。
﹁ほう⋮それは好都合だね﹂
⋮あー、やっぱり。
リズが戦闘態勢に入った。
﹁ヒナ⋮さっさとずらかるよ⋮コイツを始末してね﹂
すらりと立ち上がる、リズ。
﹁お、お姉ちゃん?﹂
目を白黒させるヒナを無視しながら、リズは俺の方に向き直る。
﹁⋮ヒナをどうやって逃がそうか色々考えてたけど、必要なかった
みたいね⋮﹂
まあ、そう来るよな。
狼ども⋮それも寄りにもよって片目のアイラの血族が
帝国人始末するのを今さら躊躇するわけが無いし。
993
﹁あー、一応言っとくがな⋮やめといた方がいいぞ?﹂
俺も合わせるように剣を抜きながら一応言う。
コイツは状況が見えていない。長生きは出来ないタイプだなと思い
ながら。
﹁ふん⋮未熟とはいえヒナもいるんだ。アンタ如きに負けるかって
の﹂
それはこっちの台詞だ。
喉元まででかかった言葉を飲み込む。
﹁ちぃ!?いきなりかよ!﹂
リズが懐から取り出した、何かが詰まった袋を放ってきたのだ。
やべえ。
俺は直感的にそれを悟って咄嗟に両手で喉と顔を守る。
その直後、予想通りにリズの魔法が炸裂する!
﹁⋮︿リーフブレイド﹀!﹂
袋が弾け飛び、中のもの⋮袋一杯に詰められた落ち葉が俺に殺到し
てきた。
リズの⋮︿森呪遣い﹀の魔術によって鋼の鋭さを与えられた落ち葉
が、
俺の身体を切り裂いていく。
防御魔法がかけられたレザーコートの上からでも相当な痛みが俺に
伝わる。
レザーコートを着込んでなかったら、今頃もっと酷い怪我を負って
いただろう。
﹁ちっ!流石に一発とはいかないか!﹂
そのまま、リズは再び魔法の詠唱に入ろうとする。
それを俺は⋮止めようともせず、見る。
というか、俺が出るまでも無い。
994
﹁⋮︿リーフブレイド﹀﹂
再び森呪遣いの魔術が発動する。
﹁きゃああああ!?﹂
その魔法に甲高い悲鳴を上げたのは⋮リズの方だ。
俺の足元に落ちた、魔力を失った落ち葉⋮それが再び魔力を帯びて
リズを襲った。
急所を外すためか、全部下半身に集中したせいで、リズの脚はずた
ずたになった。
⋮何発かは骨にまで達したのか、立ってられなくなったリズが転ぶ。
﹁な、なんで⋮﹂
上半身だけで後ろを向き、やった奴⋮ヒナを見る。
色々信じられないのだろう。
ヒナに魔法で攻撃されたこと、しかもそれが自分の魔法を上回るほど
強力なものだったこと。
それに混乱しているのだ。
﹁ダメだよお姉ちゃん。ヨシフさん殺したら⋮おにいちゃんに怒ら
れちゃうでしょ?﹂
対するヒナは涼しい顔だ。
﹁喧嘩はやめてね?⋮︿ハートビートヒーリング﹀﹂
そのまま今度は強力な癒しの術を発動させる。
見る見るうちにリズが負った傷が塞がって行く。
だが、傷が完全に塞がっても立ち上がろうとしない⋮混乱で動けな
いのだ。
﹁だから言っただろ?やめといた方がいいって⋮そいつはな、赤狼
に惚れてるんだよ﹂
そんなリズに、俺はずきずき痛む身体をさすりながら本当のことを
教える。
995
赤狼は⋮狼牙族。それも鬼神の如き力を持った武士。
狼どもが夫とするには理想と言っても良い存在。
⋮今のヒナは、赤狼に完全に懐いた︿強化人間﹀なのだ。
強化人間ってのは、冒険者が言い出した言葉だ。
冒険者の秘術により、大地人とは思えない戦闘能力を持つに至った
大地人。
ちなみに最初に始めたのはあの銀の剣士で、
二流の傭兵だったとある女を1ヶ月でLv60を越える化物に仕立
て上げた。
赤狼も銀の剣士と同じことをして、ヒナに力を与えた。
ちなみに俺がリズとサシで戦って勝つ確率は6割程度だが⋮
ヒナを敵にまわしたら余裕で1割を切る。
それくらいの実力差があった。
﹁助けに来てくれて嬉しかったよ。ありがとう、お姉ちゃん﹂
そう言って笑っているヒナ⋮それだけなのに背筋がぞくりとする。
﹁ひ、ひな⋮?﹂
リズの奴も声が震えてる。多分、ようやく分かったんだろう。
今、この場で一番強い奴が誰なのか。
﹁お姉ちゃんも一緒に住もう?ここは、良いところだよ?
おにいちゃんだって、きっといいって言ってくれる⋮だけどね﹂
この場で最強の存在⋮ヒナがしゃがみ込む。
リズと視線をしっかりあわせるために。
リズに古株として、女としての上下関係って奴を叩き込むために。
﹁⋮おにいちゃんに色目使ったら、お姉ちゃんでもぶっ殺すからね
?﹂
そういわれた瞬間のリズがどんな顔をしていたのかは、俺のほうか
らは見えなかった。
996
だがまあ、何となくどんな顔をしてたのかは分かる。
⋮うつぶせになったリズの尻尾が、形の良い尻の方に
くるりと丸まっていく様子が、丸見えだったからな。
3
新しい商品⋮リズの料金は後払い。
おにいちゃんにちゃんと買ってくれるように頼んでおくから。
そんな言葉を貰って、俺はヒナに傷を治してもらってあの場を退散
した。
単なる口約束だが、まあ大丈夫だろう。
ヒナは赤狼が癒し手兼世話係を欲しがっていると言う話を聞いて
売った奴隷だったが、おにいちゃん⋮もとい赤狼はヒナにはダダ甘
だし、
何より義理堅い。踏み倒される心配はまずしなくていい。
そんなわけで、捨てられた子犬のような目をしたリズを華麗に無視
して
俺はまた根城にしている宿屋に戻り、本日最後の商品を運んでいた。
﹁ああ!なんでわたくしがこんな下賎の輩なぞに!﹂
そりゃあおめえ⋮わがまま言い過ぎて世話役の執事に裏切られたか
らだろ。
俺はげんなりしながら内心で突っ込みを入れる。
そう、コイツは親が死んだことの意味とか、
今の帝国では帝国貴族の血を引いてるなんてクソの役にも立たない
とか、
そんなことが根本的に分かっていない。
うちで世話していたときもやれベッドが硬いだの、食事が貧相だの、
997
ドレスが足りないだのと散々だった。
⋮まあ、そういうわけだからこそ、俺の知ってる中じゃあ
一番ヤバい客に売ることにしたんだが。
どの道コイツが﹃貴族﹄であることに価値を見出す冒険者ってのは、
少ないからな。
といったところで到着。
ススキノの、元々はどこぞの貴族の邸宅だった屋敷。
そこに仕える執事に来訪を告げる。
﹁承りました。商品の件については、カオル様はエカテリーナ様に
ご一任するとのことですので、エカテリーナ様をお呼びしてまい
ります﹂
⋮しょっぱなからついてないなコイツ。
そう思いながら、頷く。
程なくして、ここの主、必殺のカオル1番の﹃愛犬﹄が姿を現す。
﹁まあ。また探してきてくださいましたのね。ヨシフ﹂
ゆるく波打つ金色の髪と、磨きぬいたエメラルドのような翠の瞳。
豪奢な赤のドレスに、帝国では皇家にしか纏うことが許されぬ、
雪虎の毛皮を使ったマント。
そして、腰から下げた、恐ろしく禍々しい気配を纏った、長い鞭。
そう、彼女こそは⋮
﹁エカテリーナ姫様⋮﹂
それまで不機嫌そうにしていた貴族娘が驚いた声を上げる。
⋮今、見事にやばいことを言ったという自覚も無いまま。
案の定、エカテリーナの眉が不機嫌そうに潜められる。そして。
﹁きゃあ!?﹂
エカテリーナの右手が一瞬霞んだかと思うと、貴族娘の肩が砕けた。
一瞬での、鞭による制裁。
本気でやったら砕けるどころかもぎ取れるほどの威力がある。
その痛みにのた打ち回る貴族娘を踏みつけながら、エカテリーナは
998
言った。
﹁皇女を姫と呼ぶのは帝国においては最大の非礼。
その程度のこと、常識ではなくて?﹂
笑顔になり、貴族娘に確認するエカテリーナ。
貴族娘は涙目で必死に頷く。
本能的に悟ったんだろう。逆らったら、死ぬと。
無論俺も帝国において現在皇女と認められているのは、
先帝陛下の御子であるエリザベート皇女殿下だけだなんて野暮は言
わない。
そんなことを言って、首から上がさっぱりするのは、俺だって御免
なのだ。
エカテリーナ・T・アウグスタ。
先帝陛下の弟であり、狼どもすら上回る無類の剣の腕と戦術眼から
皇将軍の
異名を持っていた、帝国軍の最高司令官エドゥアルド・F・ラーデ
ィル閣下の娘。
⋮皇家の血を引いちゃあ居るが、皇家を名乗ることは許されない皇
に連なる姫だ。
2年前の戦で皇家であったエドゥアルド閣下が討ち死にしてからは
母方の家である帝国貴族の重鎮、アウグスタ侯爵家の姫として、
いずれ帝国かイースタルの貴族に嫁ぎ、適当に暮らすはずだった女。
だが、それは夏までの間だった。
アウグスタ家は、滅んだ。
仮にも皇家の1人と正室として婚姻が許されるほどの
帝国貴族の名家とは思えないほど、あっさりと。
滅ぼしたのは、たった11人の冒険者。
999
相手が悪かった。
同じ冒険者からすら恐れられる、最強の一角たる冒険者﹃必殺のカ
オル﹄とその一味。
あの化物女に眼をつけられては、如何に自慢の私兵団と言えど、敵
ではなかった。
むしろ怒らせただけで終わり、アウグスタ家の屋敷は見事に焼き払
われ、
エカテリーナはカオルの﹃愛犬﹄となった。
⋮で、今に至る。
エカテリーナは、あのカオルに忠義を尽くし、邪魔となる他の、
エカテリーナが愛犬となる前からいた冒険者と愛犬どもを追い払い、
最後にカオルに魂まで売り渡すことで、寵愛と凄まじい力を得た。
貴族の権謀術数については詳しくても戦の作法などまるで知らなか
った
エカテリーナが、冒険者によって閣下よりも遥かに強い、
Lv70を越える強化人間の暗殺者と化すなど、
天国の閣下も予想していなかっただろう。
今では帝国の﹃正当なる皇女殿下﹄として、ススキノ近辺の
大地人の一部を支配すらしている。
エカテリーナは、性格が歪んでいる。
元々だったのか、色々ありすぎてぶっ壊れたのかは知らんが、
エカテリーナは殺しを楽しむ。
エカテリーナの鞭で肉の塊に変えられた大地人は、結構な数に昇る。
まあ、カオルは大地人の扱いもそこそこ丁寧なので、
エカテリーナを怒らせさえしなければ、貴族に相応しい待遇は得ら
1000
れる。
⋮エカテリーナを怒らせた場合は最悪命が無いが。
﹁あ、あの⋮それで、ですね。エカテリーナ皇女殿下⋮﹂
﹁分かっていますわ。アラン、ヨシフに褒美を準備して頂戴な。
それと、これの骨を治す癒し手を﹂
﹁かしこまりました。エカテリーナ様﹂
もみ手をしながら下手に出る俺にエカテリーナは頷き、執事に命令
を出す。
程なくして、金貨数万はするであろう見事な宝石細工と、強化人間
の施療神官⋮
確か帝国教会の高司祭の娘が連れてこられて治療をはじめる。
﹁はい。確かに。ありがとうございます。今後ともご贔屓に。ええ﹂
それを受け取り、俺は慌ててエカテリーナの屋敷を辞去する。
⋮自分で売っぱらっといてなんだが、少し悪いことをしたかもな、
などと思いながら。
5
今日は色々あって疲れた。
俺は根城の宿屋に戻り、テーブルに突っ伏していた。
時刻は既に夕刻、今にも沈みそうな太陽が食堂を照らす。
今日はさっさと休もう。そう思ってたときだった。
﹁⋮あのさ、ちょっといいかい?ヨシフ⋮﹂
ナターシャが、思いつめた表情で、俺の元にやってくる。
﹁なんだよ?機嫌は直ったのか?﹂
﹁ああ⋮えっと、その、ごめん。アタシも悪かったよ﹂
ナターシャが素直に謝るなんて、滅多にあることじゃない。
1001
﹁なんでえ⋮随分と殊勝じゃねえか?一体何があったんだよ?﹂
なにか、大変なことがあったのか?
そう思いながら、俺はナターシャに尋ねる。
そして、それにナターシャは思いつめた顔をして⋮
﹁⋮実はさ⋮アタシ、ガキを孕んだみたいなんだ﹂
とんでもないことを言い出した。
﹁⋮なんだって?﹂
思わず聞き返す。
聞き間違いかと思った。
﹁ここ3ヶ月ばかし、月のものが来なくてさ⋮堕ろし屋に見てもら
ったんだ⋮﹂
だが、間違いじゃないらしい。
ナターシャは⋮ガキを孕んだ。
そしてそれが意味するのは⋮
﹁⋮アタシは、ここ半年ばかりは、アンタにしか抱かれてない。
だからさ⋮アンタの子だよ。絶対にね﹂
俺の⋮ガキ?
おいおい待ってくれ。
そんな俺の気持ちをよそにナターシャは言葉を続ける。
﹁そいでさ⋮堕ろし屋が言うには、歳が歳だから今堕ろしたら
多分2度と孕めないって言うんだ。
そりゃあアタシみたいな娼婦にとっちゃあその方がありがたいん
だろうけどさ。
けどさ、やっぱその⋮アタシは⋮﹂
最後の言葉は飲み込む。
だが、ナターシャの奴が言いたいことは分かる。
娼婦は、乳飲み子のガキ抱えて出来るほど甘い仕事じゃない。
ガキを産む。それは娼婦にとって、仕事をやめると言うのに等しい。
コイツはきっと俺に⋮
1002
﹁⋮いいぜ。産めよ﹂
ナターシャがパッと俺を見た。
﹁俺のガキで間違いないんだろ?だったら産んじまえよ⋮﹂
その瞬間、俺は激しく抱きつかれる。
唇には甘い感触と白粉の匂い、そして⋮しょっぱい味。
⋮ナターシャは、泣いていた。嬉し涙だろう。
俺はナターシャの背中を撫でてやりながら、
腹の子にさわりが無いようにそっと抱きしめる。
俺のほうも⋮自然と涙が出てきた。
今は、革命のとき。
時代遅れになった奴等は滅び、時流に乗った奴等は栄光を得る。
だけど、それでも、人間って奴は逞しく生き続ける。
なんとかして幸せになろうともがきながら、必死に。
そういう時代に、俺は生きている。
1003
第26話 女衒のヨシフ︵後書き︶
今日はここまで。
わずか200人ほどの冒険者で大地人を支配しているなら、
間違いなく冒険者にこびて支配する側になる大地人も
いるんだろうなということで、今回のお話となりました。
1004
海外編3 技師のウィレム︵前書き︶
今回は、海外編をお送りします。
テーマは﹁冒険者の街︵ユーレッド編︶﹂
舞台はアムステル。現実で言う、オランダ付近でのお話になります。
1005
海外編3 技師のウィレム
0
後方で弓と支援を担当していた、ギルド唯一の神祇官であるアキコは
その光景にただただ震えていた。
﹁ぎゃああああああああ!﹂
﹁じんじゃう⋮じんじゃうからはやぐはづどうじてぇぇぇぇぇぇ!﹂
﹁いだい、いだいよぉ⋮﹂
﹁た、たす⋮いやあああああ!﹂
﹁い、イヤだ!来る⋮ぎゃあああああああああ!﹂
﹁クソッ!帰還呪文、まにあわ⋮あああああああああ!﹂
﹁逃げろ前田!⋮こいよ犬ころ!俺が相手だ!﹂
死んでいく。
友達が次々と断末魔の悲鳴を上げて、死んでいく。
だが、アキコは動けない。
手にした弓をぎゅっと握り締める。
恐ろしくて、戦うどころではなかった。
﹁あ⋮あ⋮あ⋮﹂
言葉が出てこない。
悲鳴すらあげられない。
あるのは、ただただ後悔。
内容は2つ。
1つは、プロジェクトに参加したこと。
1006
そしてもう1つは⋮当たり前のことを忘れていたこと。
アキコたちのギルド﹃幸運の星﹄は、同じ高校の天文部の部員で
構成されたギルドである。
メンバー8人。馴れ合いと、現実の人間関係の延長で構成された、
気安いギルド。
全員が1年半前の同じ時期に同時に始め、部活の続きでやっていた
ため、
Lvだけは全員が90。
一応はアキコがギルドマスターだが、それだって他のメンバーに頼
み込まれて
断りきれなかったと言うだけの話だ。
5月の大災害時は巨大ギルドが幅を利かせているアキバの零細ギル
ドとして
息苦しい生活をしてもいたが、6月に円卓会議ができてからは、
この﹃異世界﹄を友人達と楽しむ余裕を取り戻した。
海洋機構の募集に応じ、ギルドのみんなで設計を手伝ったオキュペ
テーが
出港したときは感動したし、その後行われたザントリーフ戦役でも
戦闘部隊として緑小鬼達を蹴散らした。
その立場が、彼らに当たり前のことを忘れさせた。
︱︱︱冒険者は、強い。されど﹃無敵﹄ではなく﹃最強﹄ですらな
い。
﹃幸運の星﹄は円卓会議が考えていた範囲では、
最悪から数えて2番目に悪い事態に巻き込まれていた。
北欧サーバダンジョン﹃神狼の森﹄
1007
攻略法が確立された今でも、準備をしっかりした冒険者が96人集
まって
なお3割は森の主である︿破滅の神狼﹀の撃破に失敗して全滅する
と言われていた、
北欧サーバの難関ダンジョンの1つ。
アキコたちは妖精の環により、その入り口にわずか8人で転移して
いた。
最初は仲間の召喚術師が放った︿偵察魔眼﹀が見た光景から
ただの静かな森だと思っていた。
フェンリル
転移した後、ここが極めて危険なダンジョンだと気づいた時には遅
かった。
そのときには密かに忍び寄っていたLv90の魔獣︿神狼﹀の
群れに囲まれていたのだ。
今まで、圧倒的に能力に劣るモンスターとしか戦ったことの無かっ
た彼らに、
自らと対等な力を持つモンスター30頭は、余りに荷が重すぎた。
その結果が、今、アキコの目の前で繰り広げられた一方的な虐殺と
言っても良い光景。
⋮友人達は、いつしか1人を残して完全に沈黙していた。
聞こえるのは、荒い息と、咀嚼音。
︱︱︱喰っている。こいつらは、部のみんなを喰っている。
それに気づいたとき、アキコは⋮失禁した。
﹁あ⋮あ⋮あ⋮﹂
アキコは理解している。
今、自分が生きているのは、後方の弓担当として、後ろにいたから。
1008
⋮すぐにこいつ等は、自分に襲い掛かってくると。
﹁いや、いやあ⋮﹂
知識では知っている。この世界において、冒険者は、死んでも大神
殿で生き返ると。
だが、だからと言って死ぬのはやはり怖い。
⋮化物に腕と脚と内臓を食いちぎられながら死ぬと分かっていては
なおさら。
﹁ばか⋮はやく⋮逃げろ⋮あき⋮こ⋮﹂
そして、最後の1人を屠った神狼たちは一斉にアキコの方を見る。
その真っ赤な瞳を見て、アキコは絶叫した。
﹁いやあああああああああ!﹂
帰還呪文が役に立たないのは、さっき見ていた。
帰還呪文は、戦闘から逃げ出すのに使うには余りに発動が遅い。
使っても、発動する前に、死ぬ。
恐怖に駆られ、アキコは行動する。
自らがここに来るのに使った妖精の環。
そこに逃げ込んだのだ。
妖精の環が光り、再びアキコを転移させ、神狼の森には再び静寂が
戻る。
︱︱︱アォォォォン!
冒険者を撃退した神狼たちが一斉に遠吠えを上げた。
⋮その日、円卓会議に1つの知らせがもたらされた。
重大な事故報告。
1009
それは﹃妖精の環解明プロジェクト﹄による﹃犠牲者﹄の発生。
ギルド﹃幸運の星﹄の全滅。
内訳は⋮死亡による大神殿への強制転移が⋮7
行方不明⋮1
それこそは、円卓会議が想定していた、最悪の事態であった。
﹃海外編3 技師のウィレム﹄
1
ユーレッド大陸西部は現在、繁栄と混沌が入り混じる地である。
今を去ること半年前、彼らは古くからの守護者たる︿古来種﹀を失
った。
彼らは何処へともなく去り、その行方はようとして知れない。
︵あの古来種最強の騎士エリアス=ハックブレードが冒険者の女と
一緒に旅をしているところを見たと言う話もあるが、都市伝説の
類だろう︶
そして、それと同時に冒険者は本来住まうべき天に帰る術を失った。
かくて、ユーレッド大陸には新たなる掟が生まれた。
すなわち⋮﹃冒険者を友とせよ。それに成功したものが繁栄を得る﹄
と。
冒険者自身が王となることで、完全に冒険者の国となった国がある。
1つの家門以外の冒険者を全て追い出すことを条件に、
冒険者の騎士団の庇護を得た国がある。
悪しき冒険者の悪逆非道に手を貸すことで生き延びる道を選んだ国
1010
がある。
真実の食物を求めて集った冒険者を守護者とした国がある。
莫大な財力により、冒険者の聖地を買い上げて冒険者を臣従させた
国がある。
小国ながら、冒険者に何故か気に入られて守られている国がある。
そして、財貨や姫君など、様々なものを与えることで
冒険者と契約を果たした国がいくつもある。
現在の大陸西部においては古き秩序と国力は大した問題とはならな
い。
国の力と覇権は、如何に強大で優れた冒険者を守護者と出来るかに
よって
決まるようになった。
ヘントホラン・ネーデル自治区の交易都市アムステルもまた、
優れた冒険者の手で発展した街である。
この、海に面した北ユーレッド辺境の街は、大陸西部でも急速に力
を伸ばしていた。
アムステルに住まう冒険者の力によって。
アムステルは大神殿とギルド会館を有する冒険者の拠点となりうる
街⋮
冒険者が言うところの﹃プレイヤータウン﹄である。
現在アムステルに住んでいる冒険者の数はおよそ1,200人。
西ユーレッドに数ある冒険者の拠点としては、やや少ない。
冒険者に守られた、秩序と平和を持つ街としてそこそこの繁栄は
享受出来る数ではあるが、逆に言うとその程度で収まる数とも言え
る。
にも関わらず﹃革命﹄後のアムステルはユーレッドでも
1011
有数の繁栄を成し遂げた街である。
冒険者の数が文字通り他の街と比べて桁1つ違う、冒険者の聖地セ
ブンヒル。
ユーレッドでも最強と噂される冒険者騎士団に守られた
アルスター騎士剣同盟の王都ロンデニウム。
豊かな食糧事情と、それに引かれて集まった冒険者により大きく発
展した
ガリア武国の都ヴィア=フルール。
溢れんばかりの帝国の財力と、冒険者の武力の両輪を持つ
東方の大帝国オスマニアの帝都イスタンブル。
これら、大陸屈指の大都市にも負けぬほどの繁栄がアムステルには
ある。
それをもたらしたのは、このアムステルの守護者たる、とある冒険
者の騎士団である。
ギルド
その騎士団の名は⋮︿ユニバーステイト﹀
所属する冒険者の数はおよそ800人。
冒険者としての力量も数もそこそこ程度である彼らの最大の武器は
⋮﹃知識﹄
元は、ユーレッド各地の﹃大学生﹄なる者たちが集い生み出したと
言う
︿ユニバーステイト﹀に属する冒険者は一様に、優れた﹃知識﹄を
有していた。
1012
大地人には理解すら難しい、高度で、優れた数々の知識。
それを使い、彼らは凄まじい勢いで様々なものを﹃発明﹄していっ
た。
彼ら以外の誰が考え付くだろう?
どんな場所であっても方位を知ることが出来る﹃羅針盤﹄
昼間や曇り空など、夜空の星も目印1つ無い海の上であっても
自らの位置を知る方法と、それを助ける発明品﹃経緯儀﹄
どうやって知ったのか、冒険者の知識に基づいて作られた
極めて正確な﹃世界地図﹄と﹃地球儀﹄
特殊な技術で封を行うことで、時が経つと腐ると言う
真実の食物の弱点を克服した﹃瓶詰め﹄
これらを発明することによりアムステルはユーレッド中の船乗りの
聖地として
急速な発展を遂げた。
ユーレッドにて今や生きる伝説と呼ばれるセブンヒルの冒険者組織
︿エル・ドラド﹀とて、このアムステルにて発明された数々の品が
なければ、
西方への遠征を成し遂げ、数々の交易品を持ち帰ることは出来なか
っただろう。
そして、彼らはまた1つ、新しい発明をすすめていた。
完成すれば海に関する様々な常識を覆す発明を。
2
1013
アムステル中央の一等地にある︿ユニバーステイト﹀の城。
︿ユニバーステイト﹀の頂点に立つ﹃学長﹄エルネストに呼び出さ
れた
アムステルの大地人技師、法儀族のウィレムはその問いかけに聞き
返した。
﹁⋮異邦人、ですか?﹂
アムステルには、他に無い特徴として︿妖精の環﹀と呼ばれるもの
が街中に存在する。
これは、セルデシアの世界各地に点在する他の妖精の環と繋がって
おり、
中に入ったものを別の妖精の環へと強制的に運ぶ。
そういう代物だ。
そして、稀にだが別の妖精の環からこのアムステルにある妖精の環
へと
運ばれてくる大地人や冒険者がいる。
クラント
不幸な事故や自棄を起こして妖精の環に飛び込んだものたち。
それを︿ユニバーステイト﹀の者たちは︿異邦人﹀と呼んでいた。
﹁そう。この前転移してきてアムステルで暮らしているアキコとい
う異邦人。
⋮彼女と、話をしてきて欲しい﹂
エスネストはウィレムに頷きを返して、言葉を続ける。
あの、名前と顔立ちからするとアジア系であろうアキコの存在は、
ギルドの中でも最近話題になってきていた。
異邦人の中では⋮否、このアムステルの冒険者としても異端の存在
として。
﹁異邦人の冒険者を、ですか?﹂
エルネストの言葉に、ウィレムが再度尋ね返す。
1014
冒険者⋮特に﹃治安の悪い﹄地域に住んでいた異邦人の冒険者は、
多くが無法者だ。
衛兵の定めた掟を犯さぬ範囲での悪逆非道を平気で行う。
⋮その結果、この街のギルド会館を所有している︿ユニバーステイ
ト﹀より
ギルド会館に立ち入ることを禁ぜられ、アムステルより出て行く羽
目になるのだが。
﹁ああ。今までの強い異邦人冒険者は、大地人はNPC⋮
ある種の人形とみなすものばかりだった。
衛兵のいないアムステルの街を出れば平気で悪しき行為に走るの
もそれが原因だ﹂
﹁そうですね⋮無論エルネスト様は違いますが﹂
エルネストの苦い言葉にウィレムが言葉を重ねる。
ウィレムはエルネストに感謝をしていた。
魔導を繰るのに長けるよう造られた人造人間である法儀族で、
市政の貧乏技師だった自分を、︿ユニバーステイト﹀のお抱えとして
拾い上げてくれた恩人であるが故に。
使える
ことを知って、考えを改めたけど
﹁いや⋮私たちも最初はそうだったさ。
キミ達が予想以上に
ね⋮﹂
一方のエルネストもまたウィレムをはじめとした、
知識ある大地人には一定の敬意を払っていた。
この世界で﹃再現﹄した数々のアイテムは800人ほどの冒険者し
かいない
︿ユニバーステイト﹀の冒険者だけでは作り上げるのは困難だった。
彼らウィレムをはじめとした大地人の協力が無ければ、
未だ完成していなかったアイテムも多数存在しただろう。
﹁さて、話を戻そう⋮どうやらそのアキコと言うカンナギは、違う
みたいなんだ。
キミ達を相応の意思と魂を持つ対等なこの世界の住人として⋮
1015
そう、敬意を払っている。
これは他の地域と比べれば秩序が保たれているらしい
このユーレッドでもかなり珍しいことだ。
大地人とは冒険者に圧倒的に劣るもの、弱者として支配し、
或いは庇護を施してやるべきもの。
⋮そんな考えが蔓延しているからね﹂
自分達ですら大地人に敬意を払うに至ったのは、ほんの数ヶ月前だ。
それをごく普通に受け入れている、冒険者。
彼女がどうやってそうなったのかに、興味があった。
﹁それは、間違いではないのでは?﹂
﹁力ではなく、知恵や考え方、魂のありようから言えば、そう変わ
るもんじゃないさ。
教育を受けて知識を持ってる私たちの方が少しだけ有利と言うだ
けだよ﹂
ウィレムの問いかけに、エルネストは笑って首を振る。
街で大地人と交じり合って暮らして、実感した。
彼らは、泣いて笑って⋮生きている。そういう存在だ。
間違っても血の通わぬ作り物ではない。
﹁⋮それにね、アキコと言う冒険者は、知識も豊富らしい。
ともすると私たち以上。多分それまでいた街が良かったんだろう﹂
気を取り直し、もう1つ。
エルネストがアキコを気にするようになった理由を説明する。
﹁知識ですか?﹂
﹁ああ、私も驚いたよ。彼女﹃教科書﹄を所持してるらしい。
それも自作じゃない、他の誰かが作った奴をだ﹂
教科書。それは、自分達が思っても見なかった方向からの﹃発明品﹄
だった。
他の誰かが作った⋮他の誰かのために使う発明品。
そんなものを所持していた冒険者など、アキコだけだ。
﹁彼女は、彼女のいた街の知識を持っている。
1016
それもこの世界の常識に真っ向から喧嘩を売るような、高度なも
のすらも。
⋮彼女ならば外輪船に関して、何か知っているかもしれない﹂
その事実が、エルネストに1つの期待を抱かせた。
すなわち、新たなる発明のヒントを持っているかも知れないと。
﹁外輪船!?﹂
最後にエルネストが口に出したその言葉に、ウィレムは驚愕した。
外輪船。それこそが今、アムステルですすめられている、新たなる
発明品であり、
アムステルに置いての最重要機密であるが故に。
外輪船とはユーレッドとウェンの往復を達成した︿エル・ドラド﹀
と共に旅をし、
莫大な報酬を得て故郷アムステルに戻ってきた船乗りが見たと言う、
異形の船である。
帆もオールも無く、代わりに巨大な車輪がついたそれは﹃海を走る
船﹄だと言う。
曰く、どの様な風であっても、逆に凪であっても関係なく動き、
その速度はただのガレー船とは比べ物にならぬほど速い。
西方の楽園﹃バルバトス﹄においては彼の国の﹃海軍﹄を名乗る冒
険者が所有する
戦艦であり、もし、100を越える冒険者を満載したあの船が
︿エル・ドラド﹀との戦いを選んでいたら、今頃︿エル・ドラド﹀は
海の藻屑となっていただろうとその船乗りは言っていた。
初めて聞いたとき、ウィレムはそれを船乗りによくあるホラ話の類
だと思った。
だが、冒険者は⋮学長エルネストは違った。
1017
︱︱︱その発想は無かった!なるほど!その手があったか!
話を聞いたとき、そう叫んだ。
その翌日である。
アムステルの新たなる発明品として﹃外輪船﹄の研究が始まったの
は。
﹁そう、外輪船⋮恐らくは蒸気船だろう。事実、蒸気機関の試作に
は成功した。
だが、船に至るまでに必要な課題が山盛りだ。
西の果てに現物が存在する以上、作れはするはずなんだけどね﹂
無論、このまま研究を進めていても1年ほど掛ければ何とか形には
なるだろう。
⋮その1年を短縮できる可能性があるのならば、是非とも話を聞く
べきだともいえる。
﹁アムステルのことならばキミの方が詳しいだろう?
それに街の守護者である私たちが動くと目立って仕方が無い。
キミが適任だと私は思う。頼むよ。くれぐれも丁重にね﹂
そう言って、エルネストはウィレムに頭を下げる。
﹁⋮分かりました。お引き受けしましょう﹂
それにウィレムはそっと頷きを返した。
3
西ユーレッド有数の都市となったアムステル。
その外れにある、新たな民の住まう一帯⋮貧民街。
調査の結果、アキコがそこに住んでいると聞き、
ウィレムは自らの古巣であるその街を歩いていた。
︵⋮やはり空気が変わっているな⋮︶
自らが慣れ親しんだ怠惰の雰囲気とも、ここ最近の発展に伴う
1018
危険の雰囲気とも違う空気に戸惑う。
今の貧民街は⋮活気があった。
このアムステルにおいては弱きものたち⋮
多くが故郷から逃げてきた移民やアムステルを離れるだけの力も、
知識を重んじる︿ユニバーステイト﹀に入れるだけの知識もない
﹃弱き冒険者﹄がへばりつくように暮らす街。
︿ユニバーステイト﹀が如何に高い知識を持ちいて街を発展させた、
アムステルの街の守護者だと言っても、限界はある。
今までこの街で暮らしてきた古き民には栄達したものもいるが、
金も知恵も力も無い、今まで住んでいた街や村に住めなくなって逃
げてきた
難民が豊かに暮らせるほどには、アムステルは発展していない。
そうやって人だけが増えていくうちに拡大した、アムステルの光が
作り出す陰の部分。
それが貧民街だった。
だが、今や貧民街は大きく変わっていた。
辺りを行きかうのは、装備を整えた貧民街に住む冒険者たち。
狩りをしてきたのか、辺りに住む大地人に肉や毛皮を売り渡してい
る。
恐らくはこの一帯に住んでいる魔獣⋮
下手をすれば大地人の兵士にも劣る弱き冒険者では倒せなかったは
ずの魔物を、
彼らは倒してきたらしい。
見れば顔には精気が満ち、装備も真新しくて力を感じさせるものへ
と変わっている。
そしてその冒険者たちが、この貧民街にささやかな繁栄をもたらし
1019
ていた。
簡素ながら、匂いからして︿真実の料理﹀であろう食べ物が屋台に
並び、
大地人の貧しいがために充分な技量を身に着けられなかった
職人が作った粗悪なポーションや道具がしきりに売り買いされてい
る。
時折見られる、質が良いものは貧民街の冒険者が作ったものだろう
か。
大地人の一流の職人が作ったものと同等の品が並んでいた。
そして、それを運ぶ仕事をしているのは、
それまではロクな仕事も無く飢えていた難民たち。
彼らは︿ユニバーステイト﹀の繁栄から見捨てられながらも、逞し
く生きていた。
︵⋮なるほど、アキコなる人物⋮﹃ポラリス﹄の影響か︶
ポラリス
その繁栄に対し、エルネストに頼まれた後、伝手を辿り、
アキコが貧民街で旅人を導く星、︿北極星﹀と
呼ばれていることを調べたウィレムはそう結論づけた。
アキコは今から2ヶ月前、このアムステルに転移してきた異邦人冒
険者である。
種族はエルフ。髪は真っ直ぐで黒く、鼻が低い、この辺りでは珍し
い顔立ち。
エルネストの言うとおりオスマニアよりも更に東方の出の冒険者だ
と言う。
技量は最高位であるLv90。
結界術と癒しの術を繰るカンナギであり、同時に大地人の達人に匹
スクロールメイカー
敵する技量の
︿符術士﹀でもある。
1020
転移し、暫くは街の中心近い宿屋で泣き暮らしていたらしいのだが、
2週間ほどして立ち直った。
それまで住み着いていた宿屋から出て貧民街にくだり、
力も知識も無かったがために打ち捨てられていた弱き冒険者に、
力と知恵を分け与えた。
戦うための知識と知恵を授け、己が技術を用いて作った、様々なス
クロールを
安価で譲り、弱き冒険者が自らの足で立てるようになるまで、修行
の手伝いすらした。
それから1ヶ月半。
アムステルの貧民街は退廃と淀みから脱却した。
今や貧民街を根城にする冒険者たち⋮
ポラリスの下に集った﹃幸運の星﹄の300人に及ぶ騎士たちは、
このアムステルのもう1つの守護騎士団として、多くの大地人に希
望を与えていた。
貧民街でウィレムはまず、馴染みの酒場を尋ねることにした。
貧民街の見覚えのある地域⋮
かつて自分が赤貧にあえぎながら暮らしていたあばら屋に近い、安
酒場。
主に大地人相手の商売で、料理を作る技を知らない独身のウィレム
にとって、
毎日のように訪れていた通いなれた店だ。
︵⋮ここも変わったな︶
扉を開けた瞬間、ここにも変革の波が訪れたのを感じる。
胃袋を刺激される、心地よい匂い。
酒場では、︿真実の食物﹀が出されるようになっていた。
海に近いアムステルならではの魚料理と、
近隣の町や村から持ち込まれた肉類を使った肉料理の香ばしい匂い。
ガリアから作り方が伝わってきてからヘルトホラン・ネーデル自治
1021
区でも
作られるようになった真実のエールのアルコール臭。
それらを飲み、食べて騒ぐ客たち。
そこには大地人も冒険者もなく、ただただ活気だけがあった。
﹁ウィレム?お前、ウィレムじゃないか!?﹂
入ってすぐに声をかけられる。
﹁あ、ああ⋮久しぶり。ガドラン﹂
その声の主⋮この店の店主であるドワーフに挨拶を返す。
少しだけ罪悪感を感じながら。
﹁珍しいなおい!︿ユニバーステイト﹀の雇われ技師になってからは
トンとご無沙汰だったってのに!﹂
4ヶ月前、その知識を認められてこの貧民街を去った友人に対して、
ガドランの目は優しい。
彼は純粋に喜んでいた。この異種族の友人の栄達を。
﹁ああ、ちょっと忙しくてな⋮そっちも景気が良さそうじゃないか
?﹂
これだけの活気だ。当然儲かっているんだろう。
そう思いながら、尋ねる。
﹁おう!最近は貧民街の冒険者も金持ってるからな!まったくポラ
リス様様だぜ!﹂
﹁そうか⋮ポラリスか﹂
破顔して言うガドランに、ウィレムは内心安堵する。
やはり情報は間違っていなかったらしい。
﹁⋮うん?なんだい?もしかしてポラリスに何か用なのか?﹂
﹁ああ。実はな⋮﹂
この辺りの顔役でもあるガドランに事情を説明する。
﹁なるほどな⋮確かにポラリスは頭もいいし、色々知ってる。
︿ユニバーステイト﹀の騎士様方が目をつけてもおかしかないか﹂
大きく頷いた後、ガドランは言う。
﹁そんなら、広場に行ってみるといい。
1022
この時間なら﹃幸運の星﹄の連中の何人かはあそこにいるよ﹂
﹁⋮広場?一体何をやっているんだ?﹂
不思議そうに尋ねるウィレムに、ガドランは言う。
﹁それがよ⋮学問教えてる。他の冒険者と一緒にな﹂
︿ユニバーステイト﹀でもやっていないような、不思議な試みを。
4
雲1つ無い快晴の空の下、それは行われていた。
︵なんと⋮こんなことまでやっていたのか︶
広場に集っているのは、貧民街の冒険者や大地人たち。
子供や若者に混じって、大人もちらほら見える。
彼らは熱心にそれを見て、聞いていた。
己が興味を持つ、様々な学問の講師たる冒険者達を。
﹁⋮つまり、この3つのりんごと4つのりんご。足すと7つのりん
ごになります。
これが足し算。そしてそこから2つ持っていくと、残りは5つの
りんごになります。
これが引き算です。﹂
りんごを台の上に並べ、初等算術を教えるものあり。
﹁この26文字がアルファベット。これを組み合わせれば様々なも
のが書けます。
まずは自分の名前にどんなアルファベットが使われているか、覚
えましょう﹂
紙を渡し、文字の書き方、読み方を教えているものあり。
﹁いいか。戦士職にとって、武器とはさほど重要ではない!
無論よりよい物を手に入れるにこしたことは無いが、
武器に使う金があるなら防具に金を使え!
パーティーを組むのであれば、攻撃はアタッカーに任せても問題
1023
ない!﹂
冒険者や大地人の傭兵に戦術の講義を行うものあり。
﹁んで、最後はしっかりと火が通るまで焼いて⋮できあがり。
ハンバーグなら切れ端とかクズ肉でも美味しく食べられるって
アキコも言ってたよ!﹂
料理人が真実の料理の作り方を教えているところまである。
﹁⋮一体なんなのだこれは?﹂
その様子を、ウィレムは呆然と見ていた。
学問だ。学問だろう⋮なんで学問をやっている?
そんな気持ちが渦巻いていた。
学問の知識とは、秘匿するものである。
それが技術者にとっての常識だ。
それは︿ユニバーステイト﹀でも一緒だった。
他の騎士団の冒険者はおろか、同じ︿ユニバーステイト﹀の騎士同
士であっても
ごく一部のものにしか知識は開放されず、友人ではない、
ただ同じ所属と言うだけの騎士が何を研究しているか知らない。
そんなのは日常茶飯事だ。
だが、ここでは野放図に知識が公開されていた。
それも、明らかに知識の深遠には届かぬであろう、学の無さそうな
貧民にまで。
ウィレムは貧乏こそしていたが、これで師匠から技術を学んだ身で
ある。
ウィレムの技術は師匠について学んだ、長年の雑用と苦労の結晶だ
った。
この技術は雇い主であるエルネストにすら容易く公開することは無
1024
い。
そういう教えを受けてきたウィレムにとって、
この青空教室の様子は衝撃すら持っていた。
﹁と、とにかく会いに行くとしよう⋮﹂
気を取り直し、ウィレムは近くの冒険者に尋ねる。
﹁すまない。ここにアキコという冒険者がいると聞いたのだが?﹂
﹁なんだ?うちのギルドのギルドマスターに大地人が?何の用だ?﹂
冒険者が怪訝そうにウィレムを見ながら、尋ねる。
﹁私は、︿ユニバーステイト﹀の使いだ﹂
その言葉に、冒険者は驚いた顔をする。
彼もまた知っている。
この街の最大勢力⋮支配者たるギルドが誰なのかを。
﹁分かった⋮悪いがタイガーリリーを呼んで来てくれ。
︿ユニバーステイト﹀の使いが来た。そう言えば分かるはずだ﹂
冒険者が幸運の星の幹部の1人を呼びに行くよう頼み、ウィレムに
向き直る。
﹁少し待っててくれ。すぐにアキコの補佐役が来るはずだ﹂
﹁ああ、分かった﹂
ウィレムが頷く。
果たしてすぐに1人の冒険者が来る。
緑色を帯びた黒髪を三つ編みにした、浅黒い肌の女冒険者。
種族はウィレムと同じ、法儀族。
武器の扱いに長けたスワッシュバックラーなのか2本の手斧を腰に
さしている。
﹁⋮私は、アキコの護衛を勤める、タイガーリリーと言う。
アキコが会うそうだ。ギルドキャッスルまで来い﹂
﹁了解した﹂
ウィレムが頷きを返し、2人は歩き出した。
1025
5
⋮これが、噂のポラリスか。
冒険者たちが買い上げた古びた屋敷⋮幸運の星のギルドキャッスルで
ウィレムはようやく目的の人物とであった。
﹁ようこそおいでくださいました。ウィレムさん﹂
静かに微笑む、エルフの女。
真っ直ぐな黒髪をゆったりと結び、鼻は低い。
このアムステルでは珍しい顔立ちの彼女こそ、幸運の星の主。
﹁私はアキコと申します。以後、お見知りおきを﹂
貧民街のヌシとでも言うべき存在が、優雅な仕草でお辞儀をする。
﹁⋮言っておくが、妙な真似はするなよ?
如何にこの街の支配者の使者とはいえ、アキコを傷つけることは
私が許さん﹂
横にはぴったりと護衛としてタイガーリリーが侍っている。
この街の支配者⋮
ある意味で生殺与奪権を握る相手との交渉に緊張しているのか、敵
意を放っている。
﹁分かっております。今回の話し合いは、ごく平和的なものです﹂
その威圧感に震えながら、ウィレムは用件を口に出す。
﹁なるほど⋮エルネストさんがそんなことを⋮﹂
︿ユニバーステイト﹀からの協力依頼。
それを予測していたとでも言うようにアキコは頷きを返した。
﹁ええ。︿ユニバーステイト﹀でも貴女の持つ知識には注目してお
ります。
是非とも力をお貸し願いたいと﹂
丁重にと言われているウィレムも出来る限り丁寧に応対する。
﹁そうですね⋮まずは、お話をするところから始めたいと思ってお
ります。
私が、貴方たちに技術を提供するのは、やぶさかではありません。
1026
ですが、ただでと言うわけにも行きません。でしょう?﹂
﹁それは勿論⋮﹂
ウィレムも同意する。
今や幸運の星は︿ユニバーステイト﹀に次ぐアムステル第2のギル
ド。
力を持つものとしてそれなりの要求は当然だろう。
それに、既に幸運の星は幾つかの街から﹃街の守護者﹄となって欲
しいという
打診を受けているという情報もある。
最悪、アムステルから出て行くと言う選択肢を持つ相手だ。
慎重な対応が必要となる。
︵どうやら、一筋縄では行きそうに無いな⋮︶
それを覚悟し、ウィレムは具体的な話を始める。
エルネストから託された仕事を、無事果たすために。
6
︱︱︱来た。
予想通りの展開になった。
この街を守るギルド︿ユニバーステイト﹀の使者だというウィレム
さんと対峙し、
ウィレムさんににこやかに応対しながら一歩すすんだことに私は安
堵する。
ここまで来るのは大変だった。
Lv90と言うだけで、それ以外は﹃ただの冒険者﹄だった私が、
アムステルの大規模ギルドと交渉できるだけの立場にようやく立て
た。
1027
今やギルド﹃幸運の星﹄はギルドメンバー300人⋮
この世界では充分な戦力と言ってもいい規模に達した。
もう1人じゃない。
ウェンで地獄を見たというタイガーリリーさんをはじめとして、
いざと言うとき助けてくれると確信できるくらいにはギルドのメン
バーは
私を慕ってくれてるし、アムステルの大地人からの人気では、
︿ユニバーステイト﹀とそんなに変わらないくらいにはなってる。
︿ユニバーステイト﹀の方もただの女だと思って侮れる相手じゃな
いことくらいは
分かっているはず。
今ならば、当初危惧していた一方的な搾取ではなく、まともな交渉
が成り立つ。
この世界は﹃ただの人﹄には厳しい世界だ。
特にユーレッドは弱い冒険者は奴隷にでもなるか、放り捨てられる
か。
⋮あの︿ハーメルン﹀みたいなことをしたって誰も止めてくれない。
そういう世界だ。
だからこそ、私は、この街の﹃弱かった冒険者﹄を纏め上げた。
アキバで知らず知らずのうちに培った色々なものを惜しみなく分け
与えて、
代わりに大切な仲間を得た。
それもこれも、私の目的を果たすため。
アキバに帰還する。
そのために私は戦ってきた。このアムステルで。
1ヵ月半と言う期間は短いのかもしれないが、私にとっては長い時
1028
間だった。
あのときから⋮
したときから。
元
幸運の星になってしまった達也と、念話で話
思えばアムステルに1人飛ばされ、孤独と不安で泣いていた私がそ
れに気づいたのは、
2週間ほど経ったとある夜のことだった。
﹁達也!?﹂
ずっと灰色に染まっていたリストが白く染まった。
それを見たとき、私は反射的に達也をコールしていた。
﹃⋮前田!?お前、北欧にいたのか!?﹄
入ってきたのは、聞きなれた、達也の声。
⋮2週間も会っていなかった、大切な仲間の声。
﹁うん!今、アムステルって街ににいるの!﹂
そう言ったとき、私は泣いていたと思う。
助けに来てくれた。その安堵で。
﹃そっか⋮無事だったんだな⋮﹄
だから、気づくのが遅れた。
達也が酷く⋮困っていたことに。
﹁うん、うん!達也がいるってことはまっちゃんとかのっことか
シンさんとかも一緒なんだよね?⋮え?﹂
それに気づいたのは、他の友達と話そうと、念話リストを確認した
ときだった。
﹁来たの⋮達也だけ?﹂
大切な友達がずらりと上に並んだリスト⋮
だが、念話可能になっているのは、達也だけだった。
﹃⋮いや、それは⋮そうか⋮分かるんだよな﹄
私の困惑に、酷く答えにくそうにしながら⋮それでも達也は答えて
くれた。
1029
﹃ごめん⋮もう、無いんだ⋮幸運の星﹄
﹁どういう⋮こと?﹂
最初にそう聞かされたとき、達也が何を言っているか理解できなか
った。
﹃幸運の星はあの日で終わったんだ⋮狼に襲われて、全滅した日に。
全員が殺されて⋮前田が帰ってこなかった。
それで、みんなで喧嘩して⋮そのままギルマスのお前以外は全員
ギルドを抜けた。
幸運の星は⋮お前しか残ってない﹄
でも、達也は辛そうにしながら、本当のことを教えてくれた。
﹁そ、そんな⋮じゃ、じゃあなんで達也は!?﹂
﹃⋮⋮俺は︿D.D.D﹀に入ったんだ⋮お前を探すために。
⋮1人で行って、またあんな目にあったらって思ったら⋮
妖精の環に飛び込む勇気が出なかった。ごめんな⋮明子。無事で
よかった。
明子はアムステルにいるって、アキバに戻ったらみんなに伝える﹄
ごめんな。
その言葉に、震える。私は⋮見捨てられたのだ。
﹁達也⋮﹂
﹃いつかまた⋮向こうに、日本に戻れたら、また会おうぜ。
大丈夫だ。きっと誰か⋮そう円卓会議とかが何とかしてくれる。
⋮はい、分かりました⋮⋮悪い。呼ばれてる。切るな﹄
その言葉を最後に、達也からの念話は途切れた。
再び達也の文字が灰色に戻る⋮帰還呪文で、アキバへと戻ったのだ。
そしてまた私はただ1人取り残された。
私は泣いた。
自分も他のみんなと同じく喰い殺されていれば、こんなことになら
1030
なかった。
きっと怖かったねと笑いあい、弱小ギルドの幸運の星として、幸せ
に暮らせたはずだ。
もう妖精の環解明プロジェクトには関わらなかったかも知れないが、
それでも、ここよりはずっと楽しく暮らせていたはずだ。
けれど、私は逃げてしまった。その結果が、これだ。
私は1人ぼっちで、見知らぬ土地で暮らさなきゃいけなくならなく
なった。
いつか日本に帰還できる日まで⋮たった1人で。
天文部のみんなとの思い出がつまった﹃幸運の星﹄ももうない。
残ったのはギルドマスターの私だけが残った、残骸だ。
多分、私がいなくても世界は何も変わらない。
世界を動かすのは、この世界に愛された、物語の主人公みたいな凄
い人たち。
そういう人たちが、達也が言っていたようにきっと何とかする。
円卓会議が、アキバを平和にしたみたいに。
私は、それをただ待っていればいい⋮いつか、良いことがあるのを、
じっと。
︱︱︱そんなのは、イヤだ!
そう考えたら思わず声が出た。心のそこからそう思って。
ただただじっと待つだけの、いつまで続くかも分からない生活。
誰かに生きるのをゆだねるなんて、イヤだ。
いつの間にか、涙は止まっていた。
そして夜の闇の中、私は決意した。
1031
アキバに帰る。持ってるものを、全部使ってでも。
帰ってからのことは後回しだ。
今は、ただ帰ることを目指そう。
そう考えて、私は、私なりの戦いを始めた。
この街で燻っていた低レベルの冒険者⋮彼らの力を借りるために。
私以上に何も与えられずに困っていた冒険者を、持てる限りの全て
を使って、
この世界の︿冒険者﹀として生きていけるよう鍛え上げた。
今ではアムステルで暮らす分には困らない程度の実力がついた。
その気になれば、別の街に移動することすら可能だ。
そして、そんな私を新しい﹃幸運の星﹄のみんなも慕ってくれてい
る。
それは打算なのかも知れないが、大切な絆だ。
もう大丈夫だろう。
いつか、私がいなくなっても幸運の星はちゃんとやっていける。
ギルドのみんなには、もう伝えてある。
私はいつか、この街を出て故郷に戻るために戦っていると。
みんなも最初は驚いていたが、納得してくれている。
これから、私は︿ユニバーステイト﹀の人たちと一緒に蒸気船を作
る。
7月に作るのを手伝ったから、基本的な構造は知っている。
難しいところは、︿ユニバーステイト﹀の人たちに任せても大丈夫
なはずだ。
そしていつか蒸気船が完成したら⋮
1032
そのときこそ、私はそれに乗ってアキバへと帰るのだ。
1033
海外編3 技師のウィレム︵後書き︶
今日はここまで。
基本的にユーレッドの場合、契約した大規模ギルドを優遇し、
場合により他の冒険者の排除すら行います。
その結果、アキバやミナミほど発展した街は無い。
と言う設定で考えています。
1034
第27話 代筆屋のケヴィン︵前書き︶
今回は、ちょっと変わったお仕事にスポットを当てています。
代筆。ある意味こちらの世界ならではのお仕事。
舞台はアキバ。
それでは、どうぞ。
1035
第27話 代筆屋のケヴィン
0
朝。
﹁起きてください。朝の支度が出来てます﹂
この家のハウスメイドであるセラに揺すられてエルフの魔術師、
ケヴィンは目を覚ました。
﹁ん⋮ああ。おはよう﹂
昨日は飲みすぎた。酒がまだ残っているのか、ぼんやりする。
﹁しっかりしてください。今日はお仕事が詰まってるらしいですか
ら﹂
そんなケヴィンに苦笑しながらセラが朗らかに言う。
﹁そうだったか?﹂
確かナナオが主に原稿を納めている﹃アキバクロニクル﹄の締め切
りは5日後だった
から、まだまだ余裕があったはずだがと思いながら、ケヴィンが聞
き返す。
﹁はい。ナナオ様がそう言ってました。
とりあえず、いつもの分の原稿は早めに上げて別の取材をすると。
あと、それとは別にシーナ様のグルメレポートの起こしを請け負
って欲しいそうです。
お昼にマリーナの宿で元原稿受け取って、明後日の昼までに納め
てくれと
言っていました﹂
﹁⋮そうか。シーナの原稿か﹂
その言葉で合点がいく。
シーナ⋮通称﹃巨人の胃袋を持つ男﹄はアキバのあちこちの店の手
1036
料理を食べては
味を評する﹃週刊お料理速報﹄に連載を持つ記者だが、字が汚い。
そのため、もっと上手い字を書く代筆屋に︵汚い字の︶原稿を渡し
て、
清書してもらうようにしている。
﹁確かにお料理速報の締め切りは2日後だったな⋮分かった。引き
受けるよ﹂
大方、いつものように食道楽に走りすぎて、海洋機構のやってる
﹃印刷所﹄の締め切りをぶっちぎってしまったんだろう。
そんなことを考えながら承諾する。
大地人や冒険者の字が上手い代筆屋をそろえている海洋機構の印刷
所は、
汚い字の原稿を綺麗に仕上げてくれるが、出来上がりまでに3日は
かかる。
今からでは締め切りに間に合わないということだろう。
﹁やれやれ⋮うちがまだ余裕があるからって、気軽に引き受けて貰
っても
困るんだがな⋮まあ、金にはなるからいいか﹂
ケヴィンのような、個人の代筆屋は、割と高い。
筆写師のスキルである﹃複製﹄で作るのではなく、
1文字1文字手で写すのだから当然だが。
相場は原稿1ページにつき、金貨10枚。
10ページもあればそれだけで金貨100枚。
一週間は暮らせる金になる。
﹁それで、今日は俺はそれだけでいいのか?﹂
﹁いえ、後はインタビューのお仕事があるみたいです。
その後の取材は付き合わなくて良いって言ってましたけど﹂
﹁まだ懲りてないのかあの人は。前に、黒剣騎士団の女剣士に
取材をしようとして魔物に殺されたこともあるというのに﹂
セラの言葉に頭を抱える。
1037
あの時、ケヴィンの雇い主でもあるナナオはあっけらかんと﹃死ん
だ﹄と言っていた。
何でも取材対象の黒剣騎士団が向かったのがLv90以上推奨の恐
ろしい魔物が
住む迷宮で、Lv60程のナナオでは手も足も出なかったらしい。
⋮大神殿に転移されて1時間後には気を取り直して別の取材に行っ
ていた辺りは
流石といったところだが。
﹁第27話 代筆屋のケヴィン﹂
1
アキバの朝。
メイドのセラからコーヒーを受け取り、啜りこむ。
他は、昨日のうちに買っておいた、出来合いの黒パンとチーズ。
一応セラはそこそこ腕の良いハウスメイドであり、手料理もできる
のだが、
朝はここの主人であるナナオがコーヒーしか飲まないので質素なも
のだ。
⋮もっともコーヒー事態がナインテイルやシブヤからの輸入品なので
相当に高価な品なのだが。
﹁うぃーす。セラ、コーヒーくれ﹂
そうしてもそもそと食事をしていると、ナナオが食堂に出てきて
セラにコーヒーを要求する。
﹁はい。分かりました﹂
セラが頷いてコーヒーを準備する。
砂糖もミルクも入れないのが好きというナナオの好みを知っている
ので、
ブラックでたっぷりと出す。
1038
﹁⋮やっぱり朝は煙草ふかしながら濃い目のブラックに限るな﹂
それを飲み、愛用のパイプをくゆらせながら楽しむナナオは、
相変わらずなんとも胡散臭い気配を漂わせていた。
ナナオは冒険者が言うところの﹃記者﹄である。
アキバで毎日のように﹃出版﹄される様々な本。
それに載せる原稿を書いて売る仕事だ。
その中でもナナオはその辺の冒険者とは比べ物にならない本職だと
自称している。
ネタ
その自称は伊達ではなく、彼は多くの冒険者や大地人の密偵とも繋
がっており、
様々な情報をかき集めている。
というより、冒険者になったのも、情報を得るためだったらしい。
︱︱︱くそっ、せっかく倉橋ゆみるゲーマー疑惑の真相を突き止め
たってのに⋮
前にポロリとそうこぼしていた。
なんでもあの黒剣騎士団の切り込み隊長として知られる女盗剣士、
﹃百人斬り﹄ユーミルが、冒険者の盗剣士だったのが、非常に重要
だったらしい。
わざわざそれを突き止めるために冒険者になって
﹃大災害﹄に巻き込まれたとも言っていた。
﹁おう、ケヴィン。後で原稿渡すから清書頼む。今日のインタビュ
ーの起こしもな﹂
そしてそんなナナオがパートナーとして、
ギルドハウスで暮らすことを許している大地人。
それがケヴィンである。
﹁分かりました。あと、シーナさんの原稿の分もあると聞いたんで
すが?﹂
1039
﹁おう。悪いな。例によって報酬はお前さんにやるから、しっかり
代筆頼むぜ﹂
ケヴィンはナナオに雇われている代筆屋である。
元々はツクバの出の魔術師なのだが、そこで師匠についたとき、
文書の清書を任されていた。
師匠が書いた読みづらく汚い文字を少しでも読めるようにと
工夫して写しているうちに字が上手くなった。
⋮書いている内容は完全に暗号化されており、結局師匠の研究を継
いだ
兄弟子に追い出されたときまで、まったく読み解けなかったが。
そして、仕事を求めてなけなしの金を集めてアキバに渡り⋮ナナオ
に拾われた。
ナナオは恐ろしく字が汚なかった。
ナナオが書く、のたくった挙句に干からびたみみずのような字。
1度図書館にたむろしている普通の個人代筆屋に頼んだら断られた
こともあるという。
⋮汚すぎて、汚い字に慣れているはずの代筆屋にも読めなかったら
しい。
そんなわけで、ケヴィンはどんな汚い字も読み解け、
美しい字に清書できることからナナオに雇われている。
給金は1ヶ月に金貨300枚。
それだけだと大分安いが、それはあくまでも
﹃ナナオを経由しない仕事を引き受けない専属料﹄で、
それとは別にナナオやナナオが紹介する仕事をこなせば、
1枚につき金貨10枚が入ってくる。
1ヶ月だと給金は金貨2000枚を越えることもある。
ついでに待遇は賃金とはまた別に高待遇で、
ナナオの持つギルドハウスの1室を与えられ、
1040
ハウスメイドのセラの世話を受けながら、ケヴィンは暮らしている。
代筆の仕事は締め切り間際は地獄だがそれ以外は割りと暇な仕事な
のである。
﹁それじゃあ朝食終えたら記事を下さい。昼までに終えたいので﹂
﹁おうよ。あと15時からインタビューに行くからそのつもりでな﹂
いつも通りのやりとり。お互いなれたもので最低限の言葉で通じ合
う。
﹁了解しましたボス﹂
こうしてケヴィンの1日が始まる。
2
朝食のあと、ナナオから原稿を受け取り、写し始めて2時間。
﹁⋮よし、完了﹂
昼前に無事終わった、綺麗に清書された文章を眺め、満足げに頷く。
﹁やれやれ。弟子だった頃は師匠の悪筆には随分悩まされたものだ
が⋮
世の中何が幸いするか分からないな﹂
何度目になるかに分からない、愚痴。
将来が見えない下級貴族の4男坊だったケヴィンは
少しでも出世したくて魔術師の弟子となった。
そこで、基本的な知識と幾つかの魔術は教えてもらった。
肝心の魔法の研究は師匠が特に可愛がっていた兄弟子にしか教えな
かったので、
自分は雑用要員だったというのは分かっていた。
だからこそ、字も綺麗だった兄弟子には字が上手いだけの
弟弟子など必要ないとばかりに、追い出されたのだ。
ケヴィンは戦闘用の魔術こそ学んだが、戦いは苦手だった。
自分が魔物相手に斬ったはったする生活など、考えられなかった。
1041
だからこそ、どんな人間にも仕事があるといわれるアキバに移り住
み⋮
現在に至るのだ。
﹁⋮っと。行くか。マリーナの宿だったな﹂
嫌な記憶を振り払うように気を取り直し、出かける準備をする。
セラにナナオが帰ってきたら渡すように頼んで原稿を渡し、外に出
る。
﹁ううっ⋮少し寒いな﹂
そろそろ冬が近い。
そんなことを感じながらマリーナの宿へ向かう。
﹁⋮すまない。シーナさんは⋮いたな﹂
お昼の喧騒に包まれるマリーナの宿で、目的の人物を見つけ席に座
る。
﹁やは。ほんにちはけひん﹂
目的の人物⋮シーナは口いっぱいに鶏の丸焼きをほおばりながら言
う。
﹁⋮全部食べてからで結構ですんで、ゆっくり食べてください⋮
すいません!こっち、揚げジャガイモと魚フライの盛り合わせと
シチューで!﹂
﹁ふん。わはった﹂
ケヴィンも自分の昼を注文し、しばし食べ続ける。
ケヴィンは魚のフライと揚げジャガイモにシチュー。
一方のシーナは⋮鶏の丸焼きを1人で。
﹁ふぅ⋮ご馳走様でしたっと﹂
﹁相変わらず⋮良く食べますね、シーナさん﹂
先に食べ終えたケヴィンがテーブルの皿に積み上げられた鶏の骨を
見ながら、言う。
﹁まあね。これぐらいは食べないと躰が持たないよ﹂
鶏の丸焼きを丸ごと食べたにも関わらず、シーナは苦しそうな様子
1042
も無い。
アキバきっての大食い美食家の異名は伊達ではなかった。
﹃巨人の胃袋を持つ男﹄シーナ。
一見するとそこそこ整った顔立ちの金髪の少年である彼は、
毎日凄まじい量の食物を納められる胃袋を持った少年である。
主に肉料理を好んでおり、甘いものは余り好きでは無かったため、
天秤祭りのケーキの大食い大会には出場しなかったが、
出場すれば3位は確実だったといわれている。
︵1位と2位はある意味文字通りの意味で化物並の胃袋を持つ相手
だったので
太刀打ちできたかは微妙だが︶
﹁さて、気を取り直してお仕事の話をしようか﹂
鶏の油を持っていたハンカチで綺麗に拭い取ると、
シーナは鞄からどさりと原稿の束を取り出した。
﹁⋮多くありません?﹂
相変わらず汚い字で書かれているのはともかく、その分量にケヴィ
ンは少し驚く。
いつものお料理速報の連載なら精々5ページと言ったところなのだ
が、
これはどう見ても200ページはある。
﹁今月の連載分は、普通に印刷所に出したよ⋮これは﹃単行本﹄の
分さ﹂
﹁単行本?﹂
聞きなれぬ言葉を聞き、ケヴィンは思わず聞き返す。
﹁うん、何でも僕の連載は結構評判が良いらしくてね。
今度、アキバの名店100ってタイトルで本を出すことになった
んだ﹂
そう言うシーナは少し誇らしげだ。
﹁本って⋮わざわざ食べ物の⋮いや、ありうるのか⋮﹂
1043
少し考えてみて、理解する。
思えば手料理の作り方の本は、冒険者の趣味人が作ったものが何冊
かある。
﹃最初の一冊﹄さえ出来てしまえばあとは筆写師が複製できるので、
同じ本が出回ることはアキバでは珍しくない。
この味にうるさい美食家が選んだ名店をまとめた本と言うのは、
それなりに需要があるのだろう。
﹁そういうわけでさ、急だけど、頼む。
締め切りもきついし、量も多いからお礼はいつもの倍払うよ﹂
﹁はぁ⋮そういうことでしたら﹂
確かに量は多いが、手間賃が倍なら悪くない。
﹁そっか。良かった。僕は暫く旅に出るから、急いでたんだ﹂
﹁旅?﹂
その言葉に、思わずケヴィンは怪訝そうに聞き返す。
﹁うん。3日後にシブヤからリュウキュウに行って⋮
ナインテイル味めぐりの旅に出ようと思うんだ﹂
そういってシーナは舌なめずりをする。
ニホン料理の本場リュウキュウと、アキバにも輸入されている
サツマの黒い豚を使った料理。
ナインテイルを彷徨うとんこつラーメンの屋台。
そして100の名店でもトップクラスに数えている四海秋葉の本店。
ナインテイルもまた、アキバとは違う名店が目白押しらしい。
それを聞き、シーナは決意した。
1ヶ月ほどかけて、ナインテイルを味わい尽くそうと。
﹁まあ、間に合わなかったら編集に届けといてくれればそれでいい
よ。
⋮あ、そうなるとしばらくアキバ料理とはお別れか⋮
すいません女将さん、鶏の丸焼き、もう1つ下さい﹂
﹁はーい!ただいま!﹂
そのことに気づき、シーナは再び決意する。
1044
この3日は、とりあえずアキバを味わい尽くそうと。
﹁⋮分かりました。では、出来上がったら持ってきます﹂
﹁うん、頼むよ⋮まだかなー⋮僕の丸焼き⋮﹂
嬉しそうにしているシーナを見ていたらなにやら胸やけがしてきた
ので、
ケヴィンは店を出る。
︵⋮本当に、シーナさんは何者なんだろう?︶
鶏の丸焼きを待ちわびるシーナが、本当に人間なのかと思いながら。
3
アキバにある﹃ペット持込OK﹄のとある喫茶店。
﹁なるほど⋮では、シブヤの前まではアフリカ⋮暗黒大陸にいたん
ですね﹂
﹁そうだ。吾輩は彼の地では最強の存在であったからな。実に愉快
な日々であった﹂
﹁なるほど、そして⋮﹂
﹁うむ、下等なニンゲン種より遥かに優れた知性を持つ吾輩は好奇
心を重んずる。
故に妖精の環の先を知ろうと考え、この地に来た﹂
﹁そして、今はシブヤを経て、河合にゃんこさんと
アキバで暮らしているというわけですね﹂
﹁⋮うむ、吾輩の手にかかれば冒険者の10や20、勝てないわけ
では無かったの
だがな⋮その、なんだ。そう⋮慈悲だ。
下等な冒険者如きに﹃黒の破壊者﹄と恐れられた吾輩が本気を出
すのは
些かやりすぎであろう?
だからな、奴等が吾輩に恐れをなして停戦を希望してきたので、
仕方なく受け入れてやったのだ﹂
1045
﹁なるほどなるほど。確かにそうですね。いえね、私も冒険者なん
ですが、
とてもとてもウィートさんには叶いそうにありませんわ﹂
﹁であろう?なに、そう嘆くことは無い。
Lv90の吾輩より強い存在など、そう多くは無いのだからな﹂
相変わらず、ナナオはどうやってこんな取材相手を見つけてくるの
だろう。
ケヴィンは首を傾げながら、ナナオと自称﹃ウィート・ザ・サマー
アイズJr﹄の
言葉を書き連ねていく。
︵ナナオは怖くないんだろうか?︶
そうも思うが、ナナオは特に気にした様子は無い。
ナナオが言うには、今回のインタビュー相手であるウィートはかな
り臆病で、
アキバで問題を起こすことは無いので心配いらないらしい。
取材を申し込んだときも、密かに調べてナナオがLv60程度でウ
ィートには
逆立ちしても勝てないことが分かってから、︵大分もったいつけて︶
取材に応じたほどだとも。
︵しかしナナオさんもよくやるな⋮魔物相手に取材とは︶
そう、今ナナオと話をしているのは、豹のような魔獣だった。
クァール
全身真っ黒の毛皮と、長い前足。器用に動き回る長い髭。
魔獣系では神狼と並ぶ最強の一角である
Lv90のノーマルランクモンスター︿宇宙豹﹀
それが、ウィート・ザ・サマーアイズJr︵自称︶という存在だっ
た。
﹁それでは、にゃんこさんが書いた﹃ウィート・ザ・サマーアイズ
1046
Jrの冒険﹄も
全て事実、と。流石ですね。いやはや凄い﹂
﹁うむ。その通りだ。吾輩にとっても彼の恐るべき魔竜との戦いは
困難であった。
出来栄えもまあ、ニャンコにしては上出来であろう。
あの本に描かれた吾輩は些か吾輩の威厳を損なう似姿ではあるが
な﹂
今から2ヶ月ほど前、シブヤに転移してきたウィートは、
妖精の環を警護していた冒険者に囲まれ、捕まった。
︵本人⋮もとい本豹は否定しているが、完全に戦うことを放棄した、
見事な降伏っぷりであったという︶
アキバに連れて来られ⋮対話が可能であるくらいの知性を持ってい
ることを認められ、
人を襲ったりしないという条件で、アキバに住むことが許可された。
そして現在はアキバの猫人族の冒険者、河合にゃんこと同棲してい
る。
︵断じて飼われているのではないと言うのがウィートの主張である︶
そんな彼がことさらに有名になったのは、2週間前に発売された、
とある本である。
題名は﹃ウィート・ザ・サマーアイズJrの冒険 ∼対決!レッド
ドラゴン!∼﹄
本職の﹃マンガ家﹄であるにゃんこが可愛らしい絵をつけた絵物語
で、
ウィートがシブヤに来る前に行ってきた数々の冒険のうちの1つを
描いた、らしい。
その本は﹃子供向けの本﹄と言う新しい概念と、可愛らしい絵が受
けた。
マイハマなどでは貴族の子供に随分と人気で、
1047
入荷するたびにあっという間に売り切れるほどだという。
そして、その売れ行きから一気にアキバの有名豹となったウィート
の素顔に迫る、
と言うのが今回の趣旨らしい。
﹁いやはや、貴重なお話、ありがとうございました。
出来上がったら持っていきますんで﹂
﹁うむ。楽しみにしているぞ﹂
そうして話続けること2時間。
満足げなウィートに見送られながら、2人は喫茶店を出てアキバの
街へと戻る。
﹁⋮あのモンスターの話、本当なんですかね?﹂
歩きながらふと、ケヴィンはナナオに尋ねる。
自分が書いたとは思えない、荒唐無稽なインタビューの内容を読み
ながら。
﹁まあ、半分くらいは盛っているだろうな。あれの性格からすると﹂
ケヴィンの問いかけに、あっけらかんとナナオが答える。
﹁そ、そうですよね!うん、これはありえないですよね!﹂
そのナナオの答えに深く納得しながら、ケヴィンは更にインタビュ
ーの原稿をめくる。
﹁砂だらけの場所の余りの暑さに妖精の環に飛び込んだら、
今度は真っ白な氷の上に出たとか、
朝日を背に妖精の環に飛び込んだら目の前に夕日が広がってたと
か、
他にも一週間も昼が続く場所があったとか、ありえませんよね!﹂
ウィートが旅をしたときに見たと言う、様々な奇怪な現象。
それはケヴィンにとって信じられない話ばかりだった。
﹁⋮あ∼、多分そっちは本当だと思うぞ?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
1048
だからこそそれを肯定するナナオの言葉にケヴィンが思わず呆けた
声を上げた。
ケヴィン、常識崩壊の瞬間であった。
4
気を取り直して、夜。
﹁さてと⋮今日は徹夜だな﹂
夕食を終え、いつもならさっさと寝るところだが、
シーナから任された原稿が大量にある。
流石にこれを日中だけで終わらせるのは難しいので、徹夜をするこ
とに決める。
﹁セラ。﹃蛍の光﹄に行ってくる。多分朝まで戻らないと思う﹂
いつものことながら、徹夜仕事で﹃蛍の光﹄に行くのは、少し嬉し
い。
﹁はい。分かりました。お気をつけて﹂
セラに一言告げて、お目当ての店へ。
夜の、近所迷惑にならない様、静かに開く扉を開ける。
﹁あら。いらっしゃい、ケヴィンさん﹂
そっと店に入ってくるケヴィンに声を掛けてくるのは、
店番をしているエルフの女性。
日に焼けたことが一度も無いような透き通るように白い肌と、
少し珍しいルビー色の瞳。
月の光のような蒼白い光沢を持った銀の髪。
下級ながら貴族であったケヴィンから見ても洗練された、美しい動
作。
まるで月の女神の化身のようだと、ケヴィンは思う。
﹁こ、こんばんわ。月も綺麗で良い夜ですね⋮
その、マリアンヌさんほどじゃないけど⋮﹂
長年朴念仁で通してきたケヴィンの下手な世辞。
1049
﹁ふふっ⋮ありがとう。嬉しいわ⋮それで、ご注文は?﹂
それに整いすぎた美貌からするとマイナスの⋮
だがそれがかえって魅力になっている八重歯を見せる、
とろける様な笑みを浮かべながら店員⋮
マリアンヌはさらりと世辞を流してケヴィンに注文を尋ねる。
﹁あ⋮っと、とりあえず黒葉茶をミルク入り、ポットでお願いしま
す﹂
相変わらずのつれない態度を寂しく思うのと、
それがまた余計に身持ちの堅い高嶺の花を伺わせて、
好感を覚えるのが入り混じり、複雑な気持ちとなりつつも、
ケヴィンはいつも通りの注文をする。
﹁は∼い。それじゃあ、すぐお持ちするわね﹂
そう言うと、マリアンヌはゆったりと優雅に店の奥へ引っ込む。
︵ああ⋮マリアンヌさん⋮今日も綺麗だなあ︶
その仕草に、ケヴィンはうっとりと見惚れていた。
昼間は蛍のように地味で目立たない店だが、
夜は真っ暗なアキバで輝く蛍のように目立つ店。
ケヴィンのような、徹夜仕事をする者にとっての憩いの場であり、
ケヴィンが密かに憧れる麗しい貴婦人のような美人店員、マリアン
ヌが勤める店。
バグズライト
それがアキバで24時間営業をモットーとしている喫茶店
﹃蛍の光﹄である。
﹁⋮仕事に取り掛かるか﹂
マリアンヌの姿が完全に見えなくなるのを確認し、ケヴィンは仕事
の準備に入る。
何しろ相手は大増218ページの原稿だ。
ちょっとやそっとの気合では出来ない。
ケヴィンはいつもの席に陣取り、綺麗な白紙の束と、インク壷を取
り出す。
1050
先を尖らせた羽ペンは、5本。本気の度合いが伺える。
﹁黒葉茶とミルクをお持ちしました⋮お仕事、頑張ってね﹂
準備を万端終えたところ、絶妙のタイミングでお茶が出てくる。
ざっと5杯分のお茶が入ったポットと、ミルクを入れた小さい壷。
これを飲みながら仕事をすすめるのが、ケヴィンのスタイルである。
﹁それじゃあ、何か追加で注文があるときは、呼んでね﹂
﹁はい⋮その、マリアンヌさんもお仕事頑張ってください﹂
﹁ふふっ。ありがと﹂
そう言うと、マリアンヌは再び店番へと戻る。
この店では給仕は入店時以外殆ど話しかけない決まりになっている。
それもまた、自分のペースで静かに仕事を進めたい人間たちに人気
がある理由だ。
そして、ケヴィンは早速とばかりに仕事を始める。
大量の原稿と、短い締め切り。
ある程度急ぐ必要はあるが、急いで字が汚くなっては代筆の意味が
ないので、慎重に。
そして店にカリカリという筆の音が響き渡り、夜が静かにふけてい
く⋮
1051
第27話 代筆屋のケヴィン︵後書き︶
本日はここまで。
と、言うわけで綺麗な字を書ける代筆屋のお話。
アキバではそれなりに需要があります。
1052
第28話 羊飼いのアーニャ︵前書き︶
本日は、第17話﹃帝国人のアクセレイ﹄に微妙に続くお話。
テーマは﹃羊と異文化交流﹄
それでは、どうぞ。
1053
第28話 羊飼いのアーニャ
0
シブヤにある、とある屋敷。
シブヤに住む一部の住人に﹃城﹄と呼ばれている豪華な屋敷へと呼
び出され、
帝国人の羊飼い、アーニャはカタカタと震えていた。
﹁そう震えるでないわ。かつてはともかく今のわらわはお前たちを
守れなんだ
一族の小娘ぞ﹂
外からの見た目とは裏腹に、実用一点張りの質実剛健な内装の広間
で、
アーニャを前にそう言いきるのは、若いと言うよりも幼く、
少女と言うよりも童女と言った方が良さそうな少女。
だが、かつて帝国で羊を飼って暮らしていたアーニャは知っている。
豪奢なドレスを纏い、隣に赤い手袋をつけたメイド⋮
あの狼どもですら屠る実力を持つ帝国最強の護衛と謳われた格闘家
部隊
﹃ブラッドハンド﹄の1人を侍らせた少女が何者なのかを。
﹁そ、そんなことは⋮その⋮こ、皇女殿下⋮﹂
一介の平民に過ぎぬアーニャにとっては、雲の上の存在。
震えやまぬアーニャを見て、エッゾ帝国第1皇女エリザベート・L・
ラーディルは
ふぅ、とため息をつき、気を取り直して話を進めることにする。
﹁まあよい。そのまま聞け。貴族風の回りくどい言い回しをわらわ
は好まぬ。
1054
単刀直入に言おう。羊飼いのアーニャよ。おぬしに頼みがある⋮
おぬし、羊を飼ってみぬか?﹂
表情を正し、エリザベートはアーニャに言う。
﹁ひ、羊!飼えるんですか!?﹂
その言葉に思わず震えを忘れ、アーニャは声を上げた。
傍らに侍ったメイドが思わず動きかけるのを目で制止し、エリザベ
ートは言葉を重ねる。
﹁そうだ。おぬしは羊飼いなのだろう?⋮そして今は羊は持ってい
ない﹂
﹁⋮はい﹂
エリザベートの確認にアーニャは悲しそうに答える。
アーニャたちが家族みんなであちこちを歩き回り、
草をはませて大事に飼っていた羊は、全滅した。
⋮冒険者に襲われて全て奪われたのだ。
アーニャと、アーニャが10歳の頃からの相棒である牧羊犬のボリ
スだけでも
両親と兄が冒険者の気を引いている間に衛兵のいるススキノに
逃げ込めただけでも運が良かったと言うべきだろう。
家族もおらず、羊を持っていない羊飼いなど、何の意味がある?
1人になってしまったこともあり、半ば自棄になって
ススキノに来ていたアキバの冒険者の一団について行くことにして⋮
アーニャはこうしてシブヤの第二帝国の帝国人として暮らしている。
字もロクに読めない女の身なので仕事の選択肢は少なかったが、
それでもシブヤ⋮正確にはシブヤに程近い大都市アキバの恩恵もあ
り、
帝国にいた頃よりもむしろ楽に暮らしてはいる。
﹁それで⋮羊を飼えるって本当なのでしょうか?﹂
1055
だが、アーニャの本質はやはり羊飼い。
それは自分でも分かっていた。
まだまだLvは16と未熟だが、生まれたときから羊飼いになるべ
く、
羊飼いの両親に育てられたのだ。
帝国では、羊がよく飼われている。
寒い帝国の冬を越えるのに、羊の毛や毛皮で作った暖かい服は
必要不可欠であり、需要も高い。
また、羊の肉や乳も帝国人にとっては慣れ親しんだ食物
︵料理してしまうとロクに味がしなかったが︶だ。
そう言った事情もあり、帝国にはアーニャのような羊飼いは多い。
エリザベートはそこに目をつけた。
つい先月の﹃幸運な出会い﹄を生かすことを考えたのだ。
﹁うむ。実はな、先日、わらわたちの新たな﹃友人﹄となった者た
ちが羊を飼っている。
かの者たちは帝国の保有する馬鈴薯の種芋と交換でならば
何頭か融通しても良いと言っている﹂
周囲の探索と、領土の拡大を命じたフョードルとアクセレイが見つ
けてきた
異邦の民は、本来住んでいた草原から森の中へと居を移したのを機に
己が民族の長年の生活様式を改める決意をした。
1箇所に定住せず、牧草を求めて旅から旅で暮らす遊牧の暮らしから
1箇所に腰を据えた農作と放牧主体の暮らしへと。
そうした流れの中で、彼らは帝国に彼らが長年親しんできた家畜と、
農作物の交換を申し出てきた。
逃げ延びた第二帝国の民にはアーニャのような羊を持たない羊飼い
1056
も何人かいる。
イースタルでは殆ど飼育されておらず、生肉すら余り出回らない羊
を手に入れれば、
彼らの技術も生かせるようになる。
﹁そういうわけでな、羊を受け取りに行く羊飼いがいるのだ。
それも春に、馬鈴薯の植え付けが始まるまでの間彼らの村に留ま
り、
飼い方を習うものが﹂
フョードルが連れていた羊飼いの雑兵によれば、彼らの飼っている
羊は尻尾が太く、
帝国で一般的に飼われていた羊とは色々と性質も違うという。
彼らから育て方を学び、伝えるものが必要だ。
それには羊飼い⋮それもシブヤに家族がおらず、頭がやわらかい若
い羊飼いが良い。
また、羊飼いにとって必要不可欠な牧羊犬⋮羊の群れと羊飼いを守
り、
命令1つで亜人や魔物とすら戦い、時にそれを屠る護衛も
シブヤまで連れて来れたものは少ない。
彼らは今、冬の間に近隣の街や村から貰ってきた子犬を
一人前の牧羊犬にするべく育てている最中だ。
⋮そうして若く、運良く熟練の牧羊犬をシブヤまで連れてこれた
アーニャに白羽の矢が立ったのだ。
﹁春まで彼らアラルの民の村で暮らし彼らの羊の飼い方を習う役目、
お前に頼みたい。
無論、アラルの民と取引した羊の何頭かはお前に譲ろう。
引き受けてはくれまいか?アーニャよ﹂
﹁はい!お引き受けいたします!﹂
エリザベートの求めを、アーニャは快諾する。
羊さえ飼えるのならば彼女にとって断る理由は無かった。
1057
﹁そうか⋮では、頼むぞ﹂
エリザベートが満足げに頷き、アーニャのアラルの民の村の暮らし
が決まった。
﹃第28話 羊飼いのアーニャ﹄
1
1年前に15歳で成人したときに両親から贈られた鐘を括りつけた
杖を持ち、
愛犬のボリスを連れ、アラルの村に持っていく交易品を積んだ
帝国人の中年行商人と共に旅をして1週間。
アーニャは持ち前の健脚で歩き続け、幸い魔物らしい魔物にも会わ
ずに
ようやくそこへとたどり着いた。
﹁あ、あれがアラルの人たちの村ですか!?﹂
話には聞いていたが、見るのは始めてである彼らの村、アラル。
家の代わりにテントが立ち並ぶ光景が、アーニャの目に飛び込む。
﹁ああ、そうだよ。変わった格好だが、気のいい人たちだ﹂
﹁そっかあ⋮ボリス。ほら、あれが私たちの新しい羊をくれる人た
ちの村だよ﹂
クゥ∼ン⋮
主人のはしゃぐ気持ちが分かるのか隣を歩いていたボリスも甘える
ような声を上げる。
﹁はっはっは⋮元気があって良いことだ⋮おっと﹂
そんな1人と1頭を微笑ましく思いながら、更に馬を進めると、馬
が駆け寄ってくる。
南方のナインテイル以外では余り見かけない、浅黒い肌の大地人の
男。
まだ少年と青年の間にある、髭の無い若い男で、腰にはこの辺りで
1058
シャムシール
は余り見ない
半月刀を2本下げ、弓と矢筒を背負っている。
私はアラルの民、サイ
男は2人と1頭の前で馬を止めると、浪々と声を上げる。
﹁貴殿らはエッゾの民とお見受けする!
ードの息子
バドゥルである!遠いところをよくぞ参った!歓迎する!﹂
﹁うむ、いかにも!私は第二帝国の商人ルスラン!
貴殿らに約束の品と人を運んできた!
すまないがアラルの長、アンワール様のところまで案内頂きたい
!﹂
その声に応え、商人もまた声を上げる。
﹁ほう。ではそちらの女が⋮了解した。ついて来てくれ﹂
頷きを返し、馬をゆっくりと歩かせる。
﹁⋮よし、行くぞ﹂
﹁はい﹂
その男、バドゥルについて行き、2人はアラルの村に向かった。
アラルの村。
元々はザントリーフ戦役の折に滅んだ廃村だったが、
今はこうしてアラルの民が占拠し、暮らす村。
﹁ほえ∼⋮﹂
その村の様子をキョロキョロと見回しながら、アーニャは驚きの声
を上げた。
アーニャの知る、街や村とは随分と違う。
古びてはいるが丈夫そうな布と、木で作ったと思しき枠組みで組み
立てられた、
円形のテントが立ち並び、村の規模を考えると異常なほどの数の馬
が繋がれている。
元々の家々⋮木と石で出来た小屋は、村の蓄えを入れておくための
倉庫以外は
1059
潰されて手料理に使う石竈や焚き付けに使われているようだ。
﹁あれって⋮もしかして羊の皮ですか!?﹂
物心つく前から羊に慣れ親しんできたアーニャはそのテントに驚く。
羊の皮を野営用の天幕に使うのは帝国でもやっていたが、
それを住むための家に使うことは無かった。
だが、彼らはそれを完全に﹃家﹄として使っていた。
﹁そうだ。馬と羊は我等アラルの民にとって無くてはならぬもの。
我等は馬と羊を飼い、暮らしてきたのだ﹂
アーニャの反応に、機嫌よくバトゥルは答える。
﹁こっちだ。アンワール様の所に案内する。あそこだ。2人とも、
ついて来てくれ﹂
そして気を取り直し、岡の上に建てられたこの村で最も豪華なテン
ト⋮
族長と﹃勇者﹄の住まうテントを指差し、客人の2人に言う。
﹁はい⋮よかった⋮本当に、羊、飼えるんだ⋮やったよボリス。羊、
飼えるよ﹂
その途中、帝国のものとは少し違う羊を大量に率いた羊飼いを見て、
アーニャは自然とほころび、ぴったりと寄り添うように歩くボリス
に話しかける。
羊が飼える。
そのために旅をしてきたことが無駄では無かったことが、無性に嬉
しかった。
2
骨組みのしっかりした村で一番豪華なテントの前に立ったとき、バ
トゥルは言った。
﹁ここだ⋮悪いが10歩ほど下がっていてくれないか?﹂
﹁はい?﹂
﹁え?﹂
1060
その言葉に2人は困惑しながらも従い、下がる。
そして。
﹁⋮よし、開けるぞ﹂
ばさりと、入り口の天幕を上げる。
その瞬間だった。
﹃いいいいいるあっしゃいませええええええええええ!!!!!!
!!!!!﹄
﹁うお!?﹂
﹁ひゃっ!?﹂
︱︱︱キャンッ!?
大地を揺るがすような大声と共に現れるのは、青い肌を持つ巨人。
濃い髭とは対照的に髪は頭の頂点以外をそり上げ、
残った僅かな黒髪を三つ編みにした、不可思議な髪型をしている。
上半身はこの寒空の下全裸であり、金の腕輪を除けば筋骨隆々の裸
体を晒している。
下半身にはゆったりとしたズボンらしきもの⋮
ただし腰から下は煙のようになっており、良く分からない。
その巨人は機嫌良さそうに笑いながらバトゥルを見て、首をかしげ
た。
﹃ほっほっほ。驚かれましたかな⋮おや?﹄
﹁アズラクカマル殿⋮そのような悪ふざけはおやめ下さいといつも
言っているでしょう﹂
慣れているのか、バトゥルはうんざりしたように言う。
﹃はて?今日は他所から客人があると主人より聞いておったので、
こうして出迎えたのですが、何故にバトゥル殿が?﹄
﹁客人はこちらです⋮と言うかそれを知ってるなら驚かせようとす
るのは
やめてください﹂
1061
﹃むう⋮なるほどなるほど。そちらのお嬢さんと紳士の方が
お客人と言うわけですな?﹄
くりくりとした目を向けられ、驚き固まっていた2人と1匹はじわ
りとあとずさる。
それを見て、バトゥルはため息をついて言った。
﹁大丈夫だ。こちらは召喚術師であるコゼット様にお仕えする従者
だ﹂
﹁じゅ、従者⋮?﹂
その言葉にアーニャは思わず青い巨人の顔を見る。
その反応に、巨人はにっこりと笑い、答えた。
ジン
アズラクカマル
﹃おお、申し遅れました。私はコゼット様にお仕えする従者。
魔神の︿青き月﹀と申します。以後お見知りおきを﹄
﹁悪い方ではないのだが⋮如何せん悪ふざけが好きでな。
時折こういう行動を取るのだ﹂
バトゥルが先ほどの行動に対して説明をする。
一体何人のアラルの民がアズラクカマルの﹃いたずら﹄にやられた
かを思えば、
頭が痛くなる。
⋮帝国との戦いの折には獅子奮迅の活躍を見せたのでむげに扱うこ
とも出来無いが。
﹃ほっほっほ⋮それは酷いですな。紳士たるもの、ウィットを⋮ぐ
わば!?﹄
更に言葉を紡ごうとしたアズラクカマルが、前にかがみこむ。
後頭部にささるのは、長い杖。
﹃ご、ご主人様!?﹄
その衝撃にすぐさま正体を悟ったアズラクカマルが杖の主⋮
自らの主人に驚きの声をかける。
﹁⋮迎えに出てから戻ってこないと思って見にきてみれば、
何やってんのよアンタは!?﹂
﹃あ、いえ、その⋮なんと申しますか⋮歓迎の心を込めて、ですな
1062
⋮﹄
怒りに満ちた主人に、アズラクカマルは必死に言い訳をする。
﹁つまり、ま∼た驚かそうとしたってわけね?﹂
⋮通じなかったが。
﹃ぬう!?バレバレですと!?﹄
﹁アンタの考えそうなことくらいいい加減見当つくっての!ったく
!﹂
ふんと鼻息を1つ吐いて、アズラクカマルの主人⋮1人の女が向き
直る。
﹁こんにちは。アタシはコゼット。この村で暮らしてる冒険者よ﹂
褐色の肌と、男のように短く刈り込んだ金髪を持つ妙齢の女性⋮
召喚術師コゼットがアーニャたちに笑いかける。
﹁ようこそ。アラルの村へ。アンワールが待ってるわ﹂
3
質の良い調度品が置かれた、大きなテントの中でアーニャとルスラ
ンを迎え、
アラルの民の長、アンワールは歓迎の意を示した。
﹁遠いところを良く来てくれた。エッゾの民よ。私はアンワール。
アラルの民を束ねるものだ﹂
アンワールはバトゥルより10歳ほど年上の引き締まった戦士の身
体を持つ男であった。
アラルの民らしい黒髪と小麦色の肌、毛皮をあしらった、
ゆったりとしたデザインの独特の服。
顎には綺麗に手入れされた髭が蓄えられており、威厳を感じさせる。
﹁これはこれは、丁寧なご挨拶、痛み入ります。
私はエリザベート皇女殿下に仕える商人で、ルスランと申します。
此度はお約束の品と、羊飼いを連れてまいりました。
まだ若い娘ですが、腕は確かなので⋮﹂
1063
最初に商人ルスランが形式どおりの挨拶を交わす。
そしてちらりとアーニャの方を見て、挨拶を促す。
﹁⋮あ、その⋮アーニャと申します。このたびはありがとうござい
ます。
こちらは牧羊犬のボリスです。その⋮よろしくお願いします﹂
﹁ふむ。そんなに緊張しなくても良い。貴殿らは我がアラルの客人。
我が家のようにくつろいで貰いたい﹂
慣れていないためか緊張した様子のアーニャに、アンワールは楽に
するように伝える。
﹁へぇ⋮その犬。ボリスって言うんだ。可愛いわね。貴女が育てた
の?﹂
コゼットも身をかがめ、ボリスの目を見ながら頭を撫でる。
﹁あっと⋮そうです。その私の大事な友達で⋮﹂
その様子に少し戸惑いながらも、アーニャはコゼットと話始める。
それを横目に見ながら、アンワールとルスランは自分達の話を始め
た。
﹁それでルスラン殿。貴殿は、シブヤなる街の商品を持って来てく
れた、
ということで良いのか?﹂
﹁はい。塩と、いくらかの香辛料にコーヒー豆。ハチミツを少々に
鉄の釘と麻の縄。
それと小麦粉とイースタル風の服。
あとはお約束していた馬鈴薯を持ってまいりました。
以前皇女殿下とアンワール様との間で交わされた約束どおりの品
と聞いております﹂
﹁そうか。ご苦労だった。持ってきた品については、広場で商って
くれ。
2歳以下の若い羊の毛皮と肉。それにチーズで支払うつもりだが、
問題ないな?﹂
﹁はい。若い羊の肉はシブヤでは結構な値段で売れますので、歓迎
1064
いたしますとも﹂
昔ながら
の料理に使う分にはどちらでも一緒なのだが、
ルスランはアンワールの言葉に頷く。
羊の肉は
手料理にしたときの味は、若い羊と老いた羊では雲泥の差がある。
そのため、羊の肉は若い羊のものの方が高く売れるのだ。
﹁そうか。それは助かる﹂
﹁では、早速ですが、私は広場へ向かいます。
アラルの村で手に入らぬ物は必要でしょうから﹂
﹁そうだな⋮任せよう﹂
﹁はい。では﹂
商談を手早くまとめ、ルスランは早速商売のためにテントを出て行
く。
それを見送り、アンワールはコゼットと戯れる羊飼いに目を向ける。
﹁さてそちらの⋮アーニャと言ったか。貴女にも説明せねばならぬ
ことがある﹂
﹁はい⋮﹂
アンワールの関心がこちらに向いたことに気づき、アーニャは居住
まいを正す。
﹁まず帝国に渡す羊についてだが⋮バトゥル﹂
﹁はっ﹂
今までじっと沈黙を保っていたバトゥルが答える。
﹁このバトゥルの一族が飼っていた羊を全て与える﹂
﹁全て⋮ですか!?﹂
その言葉にアーニャは驚く。
それに頷きながらアンワールは言葉を続ける。
﹁問題ない。バトゥルからの提案だ。
バトゥルの家の男は帝国との戦のせいでバトゥルしか残っていな
くてな。
飼っている羊も男が1人だけでは世話出来る数でもないのだ。 それにバトゥルは元々アラルでも有力な一族の戦士。
1065
故にバトゥルは私に羊を売り渡した金を母に渡し、自分は傭兵に
なる。
ベドウィン
そうだったな?﹂
﹁はい。私は遊牧民である前に、戦士です。
これからはこの弓と剣を使い生きていこうと思います﹂
アンワールの確認に、バトゥルは首肯を返す。
﹁そういうわけだ。羊を売るにしても、それなりに世話ができるも
のに売りたい。
故にエッゾの民と契りを結んだのだ。頼むぞ、エッゾの羊飼いよ﹂
そしてアーニャの目を真っ直ぐ見て、言う。
あの日切り結んだ後友人となったフョードルが宴の席で当然のよう
に言っていた、
﹃馬を使わぬ羊の飼い方﹄を知る、エッゾの羊飼い。
その技を学ばねば、広い草原の無いこの地で羊を飼うのは難しい。
アンワールはエッゾの羊飼いよりその知識を学ぶつもりでいた。
4
アーニャは、バトゥルの家で世話になることになった。
何でも、バトゥルの家族は年老いた母が1人居るだけで、広さには
余裕があるらしい。
﹁真っ直ぐに家に向かっても良いのだが、まだ日が暮れるには早い。
先に羊を見せてやろう﹂
﹁はい!﹂
その言葉にアーニャは1も2も無く頷き、アーニャはバトゥルにつ
いていく。
村から少し離れた、少し開けた広場。
﹁わあ!ボリス、羊だ、羊だよ!﹂
そこにいたのは、50頭以上の羊。
バトゥルが飼っている羊が草原に広がり、草を食んでいた。
1066
﹁わぁ⋮こっちの羊は、顔が黒いんですね﹂
羊達を見ながら、感想を漏らす。
エッゾで一般に飼われていた羊は顔も毛皮も白かったが、
こちらの羊は顔が黒く、毛皮も少し茶色っぽかった。
﹁そうなのか?俺たちにとって羊と言えばこの羊だがな⋮さて﹂
そんなことを言いながら、バトゥルは広場に繋いでおいた馬に乗る。
﹁暗くなる前に羊を幕屋に戻さねばならんのだが、アーニャよ。
⋮お前、馬は持っていないのか?﹂
いつものように馬で羊を追おうとしたところで、バトゥルは気づい
た。
この娘は、この村に来るときも徒歩だった。
確かにバトゥルよりも若いが、流石に馬が与えられ無い年には見え
なかった。
﹁え?⋮ああ、アラルの人たちは羊を飼うのに馬を使うんですね﹂
﹁ああ。我等アラルにとっては馬は生涯の友。1人につき最低でも
1頭は飼うものだ。
⋮その口ぶりだと、エッゾでは羊を飼うのに馬は使わないのか?﹂
そのことに驚く。
以前村を訪れたエッゾの﹃軍﹄は大半が徒歩だったが、
まさか羊飼いまで馬を使わないとは思っていなかったのだ。
﹁はい。馬は高いですし、乗るのも難しいですから。
帝国では羊飼いは牧羊犬を飼うんです﹂
牧羊犬は子犬の頃から育て上げた牧羊犬は羊飼いの大切な友であり、
財産。
当然のことのようにそう考えるアーニャは言う。
﹁牧羊犬?⋮お前が連れている犬か。
確かに夜の間の見張りには我等も犬を使うが⋮それでできるもの
なのか?﹂
﹁え?そりゃあ出来ますよ。ボリスは目も耳も頭もいいですし、脚
も早いですから﹂
1067
︱︱︱バウッ!
バトゥルの問いかけに、アーニャは自慢の息子を紹介するようにボ
リスの背を撫でる。
それに応える様にボリスは一声だけ鳴いた。
﹁そうか⋮すまないが、見せてもらえないだろうか?牧羊犬の技に、
興味がある﹂
﹁分かりました﹂
バトゥルの頼みに1つ頷き、アーニャは杖を振り上げる。
﹁ボリス、行くよ?﹂
その言葉と共に、アーニャは杖を地面についた。
ガランガラン
杖に括りつけられた鐘の音⋮アーニャの﹃指示﹄を受けて、ボリス
が走り出す。
︱︱︱バウッ!
慌てず騒がず一声だけ鳴き、羊を誘導していく。
﹁ボリス、そこ!﹂
アーニャはゆっくりと羊の群れを見ながら歩き回り、
群れから幼い子羊がはぐれそうになっているのを見つけて杖を振り、
鐘を鳴らす。
その音に反応してボリスはちらりとアーニャを見た後、
アーニャの指先を見てはぐれかけた子羊に気づく。
︱︱︱バウッ!
すぐさま反応し、ボリスは群れを誘導して子羊がはぐれないように
する。
瞬く間に羊達は夜を過ごすための幕屋に入り終え、全てを終えたボ
リスが一声鳴いた。
﹁よしっ!戻ってきて、ボリス!﹂
杖を鳴らし、戻ってきたボリスをアーニャは撫でてやる。
1068
この4ヶ月ほど羊を追っていなかったことを感じさせない、
見事に息のあった作業であった。
﹁ほう⋮中々やるな。エッゾの民も﹂
自分達遊牧民に勝るとも劣らぬ羊の扱いにバトゥルは感心する。
馬も持っていないような若い娘に羊飼いが勤まるか疑問であったが、
どうやら杞憂のようだ。
﹁終わりました!基本的なことはアラルの人たちの羊も同じみたい
ですね﹂
やがてしっかりと全ての羊が幕屋に戻ったのを確認して、
アーニャがバトゥルのところへと戻ってくる。
﹁ふむ。どうやらそうらしいな⋮では、これから家に案内しよう。
何、今我が家には俺と母しか居らぬ。形式ばったことは言わぬさ﹂
そう言うと馬の上から手を差し出す。
﹁へ?﹂
﹁村まで乗せていく。乗ってくれ﹂
不思議そうな顔をしているアーニャに、バトゥルはむっつりとした
顔で言う。
﹁いいんですか!?﹂
﹁構わんさ。見知らぬ男の馬に乗るなどイヤだと言うならば仕方な
いが﹂
﹁いえ、そんなこと無いです!⋮では﹂
頬を赤くしながら、そっとアーニャは手を差し出す。
﹁ふむ⋮良い手だ﹂
その、皮が厚くなった手の感触に、バトゥルは素直な感想を漏らす。
﹁へう!?そ、そんなこと無いです⋮その、アカ切れとか、豆とか
もありますし⋮﹂
﹁それは当たり前であろう?﹂
バトゥルは不思議そうに言う。
アラルでは帝国のような﹃貴族﹄などというものは居ない。
子供と老人以外はアンワールも含めて皆、生きていくために働くも
1069
のだ。
﹁お前の手は働き者の良い手だと、俺は思うぞ﹂
﹁え⋮あ⋮ありがとう、ございます⋮﹂
バトゥルのはっきりとした物言いに、アーニャは俯いてしまう。
照れくさいのと⋮また別の感情を感じながら。
︵うむ?どうかしたのだろうか?︶
戦士として鍛えられたがゆえに色恋沙汰には疎い本人には、
何を言っているのか自覚は無いのだが。
5
バトゥルの家である幕屋。
﹁あらあら。エッゾから来たって言う羊飼いさんは、
随分と可愛らしいお嬢さんなのね﹂
歓迎の宴のために整えた、アラル風の豪華な手料理を並べながら
バトゥルの年老いた母、ラナーは微笑みながら言った。
﹁はい!これから、よろしくお願いします!﹂
﹁はい。任せてちょうだいな。ご自分の家だと思ってくつろいでち
ょうだいね﹂
元気よく挨拶をするアーニャに、ラナーは笑みを深める。
﹁さて、食べてちょうだいな。コゼット様直伝の手料理をたっぷり
用意したから﹂
﹁はい!頂きます!﹂
床に広げられた、数々の料理。
小麦粉に塩と水を加えて焼いた、無発酵パン。
羊の乳で作ったチーズとヨーグルト。
まだ若くて柔らかい子羊の肉を焼いたもの。
オスマニアの更に東から伝わってきたと言う、羊の骨を煮込んだス
ープ。
秋の間に集めて干した山葡萄のレーズン。
1070
アラルの流儀で濃く入れられた、アラビカ風のコーヒー。
﹁どう?おいしいかしら?﹂
﹁はい!﹂
アーニャは本心からそう答える。
シブヤで出回る﹃帝国料理﹄とはまた違う趣だが、これはこれで美
味だった。
﹁良かった⋮どんどん食べてちょうだいね。まだまだお代わりはあ
るから。
ほらほら。バトゥルも食べて﹂
﹁ああ⋮うん。うまいよ母さん﹂
母の手作り⋮まして味までついた手料理に、バトゥルも頬を緩ませ
る。
﹁そう⋮良かった﹂
その様子に昔、男の子ばかり5人も育てていた頃のことを思い出し
てラナーも笑う。
年老いた母1人と、2人だけとはいえ食べ盛りの若い子供達。
昔が戻ってきたように思えた。
﹁ねぇ⋮アーニャさん、うちの子にならない?﹂
そんな雰囲気にラナーは思わず口にする。
﹁はい!?うちの子って⋮ええっ!?﹂
﹁母さん!やめてくれよ!﹂
その言葉の意味に、アーニャとバトゥルは思わず同時に声を上げる。
﹁あらあら。意外と良いかも知れないわよ?なんてね﹂
そんな2人に面白等にラナーは笑った。
こうして、エッゾ帝国の羊飼いアーニャはアラビカの遊牧民、
アラルの村で暮らし始めた。
朝はラナーの家事を手伝い、昼から夕刻まではバトゥルと共に羊の
世話をする。
その中でアーニャはアラル羊の気性を学び、バトゥルやアラルの村
1071
の民たちは、
ヤマトにおける羊の飼い方を学ぶ。
そうして、しばしの間は、穏やかな時間が流れ⋮彼らがやってきた。
6
アーニャがアラルの村にやってきて、2週間ほど経った頃。
アンワールがコゼットを伴って南にある冒険者の街、
アキバに出かけている最中にその事件は起こった。
﹁おい、バトゥル。ちょっと良いか?﹂
夕刻、幕屋に戻ってきたところで、バトゥルの友人の1人が幕屋に
来ていた。
﹁なんだ、アリー。随分と慌てているようだが﹂
﹁ああ、実はな⋮村の外れの森に怪しげな連中が陣取っている﹂
先ほど、アリーと共に狩りに出た若い連中が見つけてきた連中のこ
とを、
アンワールを除けば村でも屈指の実力を持つバトゥルに話す。
﹁怪しげな連中?﹂
その言葉にただならぬものを感じたバトゥルは先を促す。
﹁ああ、この辺じゃ見ないような格好してた。
多分帝国ではないと思うが⋮かなり強いと思う﹂
その連中は、この辺りでは最も強い熊の怪物を解体して料理してい
た。
それはつまり、熊を狩るほどの実力者であることを表す。
油断して良い相手とは、思えなかった。
﹁分かった⋮アーニャ﹂
﹁いえ、私も行きます!﹂
ここで待っててくれ、と言う前にアーニャが言葉を遮る。
﹁大丈夫。ボリスもついてますから﹂
1072
強い決意を込めて、頷く。
アーニャがこの村で暮らして2週間。
この村は、アーニャにとって第2の故郷と言って良い場所になって
いた。
﹁⋮分かった。危ないと思ったらすぐに逃げろよ﹂
その決意を見て、バトゥルもまた、頷く。
ボリスの賢さと、ボリスを操るアーニャの腕前はバトゥルも知って
いる。
居れば役にたつはず。
そう考え、バトゥルはついてくる事を許可する。
﹁まったく、族長が居ない時に限ってこのようなことになるとは﹂
こういうとき頼りになるアラルの族長アンワールは、
アキバの﹃円卓会議﹄なる場所に出かけている。
こういう場合は、皆で考えて動かねばならない。
﹁行こう。放って置けばどうなるかわからない﹂
﹁ああ﹂﹁はい﹂
アリーに促され、アラルの男達は村はずれの森へと向かった。
村はずれの森。
普段から、バトゥルたちアラルの民が狩りや薪集めをしている森に、
彼らはいた。
見慣れぬ格好をした、老若男女入り混じった数百人規模のキャンプ。
森の、少し開けた場所では焚き火が焚かれ、
男達が周囲を警戒し、女達が手料理に精を出している。
﹁あれか⋮盗賊の類には見えないが⋮﹂
﹁ああ、そうだな⋮女子供まで連れ歩く盗賊など、幾らヤマトでも
おるまい﹂
バトゥルたちは気づかれぬよう、離れたところから様子を伺う。
アラルの民は危険な荒野を渡る一族。
故に下手な騎士より戦に長ける。
1073
気づかれることは⋮
﹁⋮!おい!誰かいるぞ!?全員、戦に備えろ!﹂
⋮ないはずが、怪しげな集団の見張りがバトゥルたちに気づき、大
声を張り上げる。
辺りはにわかに喧騒に包まれた。
﹁⋮なんだと!?﹂
その戦の備え⋮
男どころか女まで思い思いの武器を手に立ち上がったのを見て、バ
トゥルは息を飲む。
﹁おいそこの連中!亜人の類じゃねえなら出てこい!でなきゃ敵と
見なすぞ!﹂
集団の見張りがバトゥルの方を見据えながら、言う。
誤魔化せない。
そう判断し、バトゥルが代表して立ち上がり、その集団に声をかけ
た。
﹁貴殿らは何者か?見たところ、このイースタルの民ではない、ウ
ルフヘアのようだが﹂
集団のものが皆、髪の量が多いこと、集団の若いものたちが警戒し、
ウルフヘア
耳と尻尾を出していることから、目の前の集団が全員
︿狼牙族﹀だと判断し、バドゥルは何者かを問う。
この辺り⋮﹃イースタル﹄の民が纏う服とは違う、
変わった装束を纏った集団であった。
老若男女を問わず頭には独特の紋様が刺繍された布を巻き、
袖と裾に似たような刺繍を施した毛皮で出来た、ガウンのような服
を着ている。
成人した男の中には何人か服の上から鋼を寄り合わせた帷子を着て
1074
いるものもいる。
動物の皮で作った革の靴は相当に長い距離を歩いてきたのか随分と
くたびれている。
そして男は2本の刀と弓を、女は杖や槍、戦槌や斧と言った様々な
武器を持っている。
⋮子供を除いた全員が武装した、異様なウルフヘアの群れ。
彼らは油断せず黙ったままでバトゥルたちを見つめ⋮
群れから1人の男が代表して前に出る。
恐らくはこの集団の長なのだろう。
髭と髪の濃い、狼と言うよりは熊のような大男で、
毛皮の服の上から板金の胴丸を着込んでいる。
下げた2本の刀も他の男達のそれより大柄な拵えになっており、
見た目にあった怪力と、バトゥルをも越える実力を感じさせる。
男は、バトゥルに問うた。
﹁お前たちこそ、なんだ?この近くは滅びた村のはず。
見慣れぬ格好だが、何故こんなところにいる?
1人や2人ではないということは、ただの猟師ではあるまい﹂
互いに答えず、そのままにらみ合いになる。
互いに正体が掴めず、困惑する。
⋮やがて互いに同じ結論に至ったのだろう。
互いに己が氏族の素性を述べる。
﹁⋮我等はアラルの民。故あってアラビカよりこのヤマトに移り住
んだ異邦の一族。
彼の地は、魔物の襲撃に会い滅んだらしいのでな、我等が住まう
ことにした。
もう2ヶ月は前のことになる﹂
﹁⋮俺たちはエッゾの狼牙族だ。故あってアキバと言う街を目指し
1075
旅をしている。
ここは元々我等の王が途中の休息地として目星をつけていた村。
魔物さえ倒せば野営に丁度いい場所だと聞いていたので、立ち寄
った﹂
﹁⋮エッゾ?﹂
それは、アーニャの故郷ではなかったか?
そう思い、アーニャの方を見た、そのときだった。
﹁お、狼ども!なんでぇ⋮﹂
アーニャがぺたりと腰を抜かし、その体勢のまま必死にあとずさる。
タダでさえ色白な肌は血の気が失せて更に白くなり、全身がカタカ
タと震えていた。
傍らに侍るボリスも唸り声を上げて威嚇しているが⋮腰が引けてい
た。
﹁あ、あぶ!すぐ逃げないと、こ、ころさ⋮いや、助けて⋮﹂
尋常な怯えようではない。
﹁おのれ!賊か!?﹂
その様子にバトゥルは両腰に下げた2本の半月刀に手を掛ける。
一方のウルフヘアの群れもその様子を見て、臨戦態勢に入る。
﹁⋮一応言っておくが、抜いたならば、容赦はせんぞ。
略奪は王に厳に禁じられているが、そちらが戦う気ならば
戦わずして引くは北方狼牙の名折れだ。
⋮帝国人の味方ならば、俺らにとっちゃ敵だってことだろうから
な﹂
その首魁たる熊のような大男が、両の手を2本の刀に掛け⋮獰猛な
笑みを浮かべる。
︵⋮この男、俺よりも強い!︶
その、堂に入った立ち姿に、半月刀を抜くに抜けずバトゥルは震え
た。
バトゥルは同世代の中では一番、一回り年長な、
1076
経験の多い族長の世代に混じっても見劣りはしない剣の腕を持って
いる。
バトゥルは、自分のことをそう考えているし、
他のものの話を聞くにそれは恐らくそう間違っていない。
故に、分かる。
この熊のような狼牙族の男は⋮バトゥルより遥かに高い、
ともすればアンワール以上の技量の持ち主だ。
更に後ろに控える男たちや、静かに魔力を高めている女たち。
その中にすらもバトゥル並の技量の持ち主が何人もいる。
普段はどれほど熱くとも殆ど汗をかかぬバトゥルの背中に冷たい汗
が流れる。
敗北の予感を振り払うように、バトゥルが剣を抜こうとした、その
ときだった。
﹃ほっほっほ。無益な争いはよろしくありませんぞ。双方、剣を引
きなされ﹄
腰から下が煙となっている、裸の青い巨人が、
にらみ合いを続けるバトゥルと大男の間に下りて壁となる。
﹁なに!?こんな場所に巨人だと!?﹂
その姿に大男は一瞬怯む。
巨人は北方狼牙の力を持ってしても早々倒せるものではない。
数十人の優秀な戦士を用意し、相当な犠牲を払ってようやく倒せる
ような代物。
⋮巨人の技量次第では、全滅もありえる相手だ。
﹁おお、アズラクカマル殿!﹂
一方のバトゥルは知り合いの魔神の顔を見て思わず安堵の息を漏ら
す。
冒険者コゼットの従える魔神、それが居るということは。
空から、2人の男女が降りてくる。
1077
﹁アラルの民たちよ!戦うな!かの者達は敵ではない!﹂
﹁ハチさん!戦っちゃダメ!センカの⋮狼王の命令だよ!﹂
辺りに響き渡るは、空から降り立った、アンワールと小柄な女の声。
﹁おお!戻られたか族長!﹂
﹁も、モモっ!?王直属の語り部が何故ここにいる!?﹂
その言葉に、今にも戦いを始めようとしていた双方の動きが止まる。
﹁その辺も含めてちゃんと説明するから、まずは全員剣を納めて﹂
小柄な女⋮アメヤの村において村長の補佐を努める語り部モモが、
にらみ合いを続ける同胞に促した。
7
それから1時間の間、アラルの村で説明が行われた。
アラルの民に対してはアンワールとコゼットが。
一方の北方狼牙に対しては、モモが。
﹁では⋮﹂
そうして事情を飲み込んだ北方狼牙の移民団の第3陣を束ねる狼牙
族の武士、
ハチが改めてモモに確認をする。
﹁うん。ハチさんたちが連れてる鶏を雄が5羽に牝が15羽。
これを雄の羊2頭と牝の羊8頭で交換する。
その上で飼い方を互いに教えあうこと。
それがウチとこのアラルの人たちの間で交わされた約束なんだ﹂
その約束をハチに伝えるために、冒険者の持っている魔法の絨毯に
乗せて貰い、
ごく短い時間でここまで来れたのは幸いだった。
もし到着が遅れれば、アラルの民が酷い目にあうことになっていた
はずだ。
1078
﹁そうか⋮しかし羊は⋮﹂
ようやく納得したハチが、羊と聞き、帝国人とおもしき娘を見る。
﹁ひぃ!?﹂
その視線だけで怯え、アーニャは人見知りの子供のようにバトゥル
の後ろに隠れた。
帝国人、特に正規の騎士でもない平民にとって、狼ども⋮
北方狼牙は恐怖の対象でしかなかった。
﹁あ∼、そんなに怯えなくていいから!
確かにハチさん顔怖いけど、悪い人じゃないから!⋮多分﹂
その事情を察し、モモは無理に笑顔を作り、アーニャにいう。
﹁多分、じゃねーよ!﹂
ハチの抗議もなんのそのだ。
⋮そうせねばならない理由が、モモにはあった。
﹁あはは⋮あとは、もう1つ。アーニャさん⋮でいいんだよね?
伝えなきゃいけないことがあるんだ﹂
そう、今や⋮
﹁第二帝国とアメヤの村に、互いを不可侵として通商を行う条約が
結ばれました。
第二帝国エリザベート皇女殿下とアメヤ村長センカとで結ばれた
正式なものです﹂
⋮第二帝国とアメヤは、同盟を結んだ仲なのだから。
﹁ええっ!?﹂
その言葉に、アーニャは驚いた声を上げる。
﹁まあ、そういうわけだからさ。そんなに怯えないでよ。
アタシらは帝国人には手を出さないから﹂
第二帝国皇女、エリザベート・L・ラーディルは勇敢だった。
供のメイド1人だけを連れてアメヤの村を現れ⋮互いの安全の保証
を迫ったのだ。
1079
︱︱︱帝国と北方狼牙は相容れぬであろう。余りに互いの血を流し
すぎた。
されど、第二帝国とアメヤの民ならば、まだ友人と成り得る
余地はある。
わらわはそう考えているが、ヌシはどう考える?狼の王よ。
その言葉にセンカが頷き、丁度村を訪れ、交渉をしていた
異邦人の長を立会人に条約が結ばれた。
細かいところはセンカとミドリがつめてくれているはずだ。
﹁本当だ。条約の締結には私が立ち会った。私が証人だ﹂
モモの言葉に、アンワールも頷く。
﹁まあ、そんなわけだから⋮ハチさん。帝国人だからって襲っちゃ
ダメだからね?
殺していいのはモンスターとウエノにいる盗賊だけ。分かった?﹂
﹁お、おう。分かった。それと、羊と鶏の交換、だったか?﹂
今のモモの言葉はかつて代替わりにてハチを殺し、
見事に王と呼ぶに相応しい力を証明した狼王の言葉でもある。
故にハチは素直にそれに従うことにした。
﹁うん。アメヤからここまで、生きたまま鶏運ぶとなると結構な人
手がいるからね。
第3陣でも何羽か鶏は持ってたと思うんだけど⋮﹂
﹁おう、そんなら⋮おい!カシワ、タマコ!悪いがお前の鶏を分け
てやってくれ!
なぁに、暫くはこの村に残って、飼い方教えるついでに
数を増やしてそいつを渡してやりゃあいい!
羊の飼い方を習うのも任せるぜ!﹂
モモの確認に1つ頷いてハチが2人の名前を呼ぶ。
﹁﹁はいっ!﹂﹂
1080
返事と共に、群れの中から2人の男女が姿を現す。
北方狼牙には珍しい小太刀を下げた若い男と、
それより少し年上で顔色が悪く⋮腹が膨らんだ女。
その2人を見て、北方狼牙の内部にも詳しいモモが感嘆した声を上
げる。
﹁お∼、確かカシワって言ったら北方狼牙でも屈指の鶏飼いの名人
の一族じゃん。
張りこんだね?﹂
﹁まあ、最初だからな。ちゃんとしたもん渡さなきゃ王の面子潰し
ちまうだろ?
⋮それに、カシワの嫁さんのタマコは今、見ての通りの身重でな。
長旅が堪えている。ここでガキを生むまで住まわせてもらえるな
ら、ありがたい﹂
ハチの提案には、そういう意味も含まれていた。
﹁そっか。なら頼むよ。お2人さん。
今、アメヤでは新しい子供は大歓迎だからさ。楽しみにしてるよ﹂
﹁あっと⋮はい、お任せ下さい﹂
﹁きっと丈夫な子供を生んで見せます。
カシワくんの子供だから可愛いのは当然ですけど﹂
モモの言葉に少し頬を赤らめながら2人は頷く。
﹁うん。頼むね⋮それじゃアンワール様。くれぐれもよろしくお願
いします﹂
﹁ああ、分かった。彼らもまた、このアラルの客人。丁重に扱うこ
とを約束しよう﹂
﹁はい。お願いしますね!﹂
2人の間で握手が交わされる。
それが、アラルの村に新たな客人が迎え入れられた、瞬間であった。
8
1081
そして、季節は巡り、春。
イースタルの街道⋮シブヤへと続くその道を羊の群れが歩いていた。
冬の間に生まれた子羊を含んだ、60頭近い羊の群れ。
﹁よし!こっちだ!﹂
羊の群れ先導するのは、冬の間に色々と商人を通じて運んできてく
れた
第二帝国に渡す贈り物を積んだ立派な戦馬をゆっくりと歩かせる褐
色の肌の青年。
﹁ボリス!行って!﹂
時折はぐれそうになる羊を牧羊犬を巧みに操って群れに引き戻すの
は白い肌の少女。
彼らはどちらも熟練の技で羊を先導し、確実に歩を進めていた。
﹁ふむ。この調子ならばあと2日と行ったところか?﹂
﹁はい!多分それくらいだと思います!﹂
バトゥルとアーニャの2人が会話を交わす。
﹁そうか。いよいよか⋮﹂
その言葉に、バトゥルが緊張する。
﹁もう。大丈夫ですよ。皇女殿下に羊を渡して⋮結婚の報告をする
だけなんですから﹂
そんなバトゥル⋮つい先日、アーニャの﹃夫﹄となった男にアーニ
ャは微笑みかけた。
﹁うむ、そうは言うが⋮異邦の民と結婚したアラルの民は俺がはじ
めてなのだぞ?
お互いの風習も良くは知らないんだ。不安にもなる﹂
その微笑みに気圧されるように、バトゥルは少し眉を潜める。
﹁大丈夫です!私、信じてますから。あなたのことを⋮﹂
そう答えるアーニャの赤い頬が、色白の肌に映え、非常に美しかっ
た。
バトゥルがアーニャと結婚することになったきっかけは、
1082
あのウルフヘアとの出会いの日だった。
あの日、狼牙族を見た恐怖に震えるアーニャを落ち着かせるために、
色々と手を尽くしているうちに感情が盛り上がり、情が移った。
アラルに滞在することになったウルフヘアの夫婦が、非常に仲睦ま
じく、
︵アキバの冒険者の言葉を借りれば﹃バカップル﹄と言う奴らしい︶
時と場所を選ばず行われる愛の言葉のぶつけ合いに当てられて
そういう雰囲気になったこともある。
バトゥルの母、ラナーもバトゥルとアーニャの結婚に非常に乗り気
で、
いつの間にやら﹃結婚する﹄ことが噂となっていたのもある。
⋮そして何より、当のアーニャが非常に乗り気だったのが、とどめ
だった。
かくて、バトゥルは村を出ることをやめ、羊を飼うことになった。
妻となったアーニャと共に。
﹁今日は途中に街がありますから、そこに泊まりましょう!
野宿では⋮ゆっくりできませんから﹂
﹁そうだな⋮﹂
多分それだけではないのだろう。
そう考えながらも、バトゥルの表情は明るい。
異邦の地で、異邦人の妻を迎え、羊を飼う。
そんな暮らしも悪くない。
そう、バトゥルは考えるようになっていた。
1083
第28話 羊飼いのアーニャ︵後書き︶
今日はここまで。
ちなみに羊飼いの能力は基本となる羊を扱う能力の他に
﹃犬を含む中型獣系モンスターのテイム﹄が入ってると言う設定。
ごく普通の大地人の羊飼いの場合基本は普通の犬ですが、
冒険者の場合、洒落にならない高レベルまで育てた犬や、
神狼などの超高レベル獣系モンスターをテイムしていたりします。
⋮扱いは完璧に戦闘用ではなくペットと言うパターンも多いですが。
1084
番外編5 魔物のウィート・ザ・サマーアイズJr︵前書き︶
今回はまたもや番外編。大地人ではないので。
テーマは﹃モンスターとアキバ﹄
主人公は以前登場したあの人。
それでは、どうぞ。
1085
番外編5 魔物のウィート・ザ・サマーアイズJr
0
クアール
吾輩は猫ではない。宇宙豹である。
名前はある。ウィート・ザ・サマーアイズJrと言う立派な名前が
ある。
冒険者に聞かれた時は、そう答えることにしている。
吾輩が妖精の環をくぐり、シブヤなる街に転移し、紆余曲折を経て
この地⋮
冒険者の聖地アキバで暮らし始めて3ヶ月が経ち、
吾輩の名もアキバにて暮らす魔物の1体としてアキバでは随分と有
名となった。
利用
し、それぞれに繁栄を得ようとする魔
この世の魔物の大半はニンゲン種を敵と見なし襲うが、
中にはニンゲン種を
物もいる。
魔物のウィート・ザ・サマーアイズJr﹄
かくゆう吾輩も、そのうちの1体である。
﹃番外編5
1
朝。
規則正しい生活を心がける吾輩は定刻どおりに目を覚ます。
大きく伸びをして、あくびを1つ。
1086
厳しい野生の世界で暮らしてきた吾輩はそれだけで充分動くことが
出来るのである。
﹁うぃ∼とぉ∼⋮﹂
吾輩が起き出すとほぼ同時に、吾輩の同居人であるニャンコが吾輩
に擦り寄ってくる。
﹁ううう∼⋮げんこ∼⋮できた∼⋮ねむい∼⋮あさのしたく⋮
おねこさまのせわを∼おねがいします∼⋮zzz﹂
締め切りが近いとかで、ここ最近は昼も夜も寝ていなかったせいか、
折角の毛並みが乱れたまま、ニャンコは夢の世界へと旅立つ。
吾輩を見習いしっかりと手入れをすれば、
中々に艶やかで美しい毛皮だと言うのに勿体無い。
ニャンコは吾輩の同居人である。
正式な名は﹃河合にゃんこ﹄。
吾輩ほどではないが黒と白の入り混じった毛皮と青みがかった瞳が
中々に美しい猫人族である。
職業は、本人が言うには﹃マンガ家﹄とか言う特殊な画家で、
吾輩と猫を題材にした絵を得意としている。
また、冒険者の例に漏れず吾輩に匹敵するだけの技量を持つ格闘家
であり、
素早さと体力においては他の追随を許さない。
が、流石に5日間一睡もしなければ無尽蔵の体力も限界を迎えるら
しい。
﹁仕方ないか⋮﹂
吾輩はため息をつき、ニンゲン種の手と同じくらい器用に動かせる
髭を遣い、
寝息を上げるニャンコを持ち上げる。
そのまま背中に背負い、ベッドに運んでそっと乗せ、毛布を掛けて
やると、
吾輩は猫の世話に赴く。
1087
この家ではニャンコの方針で﹃猫のみ出入り自由﹄になっている。
そのため、餌の時間になると何処からともなく野良猫や
一部冒険者や大地人の飼い猫が集まるのだ。
アキバの外れにある、2階建ての家の1階の一番陽辺りの良い一室、
猫部屋とニャンコが呼んでいる一室でくつろいでいた猫どもが、
吾輩を見て早速とばかりににゃあにゃあと餌をねだる。
﹁分かっている。そう騒ぐな﹂
来た当初はもっと大人しいのだが、慣れが出るとあっという間に厚
かましくなる
猫どもをしかりつけながら、餌を用意する。
干した魚や、年老いた家畜の干し肉、ハーブなどを混ぜた
﹃キャットフード﹄を大きな皿に盛り付けて出す。
途端に猫どもがぎゃあぎゃあ騒ぎながらそれを貪る。
野良猫などの場合は日に2度のこれが唯一の安定した食糧源と言う
こともあるのか、
必死である。
﹁やれやれ、騒がしいことだ﹂
生憎とキャットフードとやらは吾輩の口には合わぬので、
吾輩は吾輩の用意しておいた朝餉を食す。
若くて柔らかい猪の肉を干した、滋味に溢れる干し肉や、
氷の魔法の込められた冷蔵庫に入れておいた新鮮な生の魚。
ニンゲン種のやっている店で買ってきた、冷めても美味な様々な手
料理。
そう言ったものが、吾輩の食事である。
ニャンコに言わせれば﹃味の濃いものは猫の身体に悪い﹄との事だ
が、
そもそも吾輩は猫ではないので、問題ない。
1088
うむ。美味である。
吾輩自身が選んだ食事を堪能し終えた後、吾輩は猫どもの世話をす
る。
部屋の隅に設けられた、猫用のトイレ。
必ずそこにするようにしつけたお陰で激臭を放っているそれを処理
する。
と言ってもすることは簡単だ。
トイレを丸ごと持ち上げ、部屋の片隅に置かれた鉄の箱に中身を放
り込むだけである。
鉄の蓋を持ち上げ、トイレの中身をぶちまける。
すぐに鉄の箱の底に詰められた黒い粘体が蠢きだし、
箱の中に入れられたそれを﹃喰っていく﹄
その様子に満足し、吾輩はパタリと蓋を閉じる。
あとは新しい砂を入れてやれば処理は完了である。
鉄の箱⋮これの中に詰まっているのは︿塵喰らい︵ガベッジイータ
ー︶﹀と呼ばれる、
スライムの亜種である。
このアキバの地下に広がる下水道を住処とする魔物で、技量はおよ
そ20ほど。
下水道で飢餓状態に陥っているものはあらゆるものを餌として喰ら
うために
エサ
見境無く襲ってくるので脆弱なニンゲン種の大地人には危険だが、
こうして定期的に塵を食わせてやればロクに動きもしない。
つまりは獣以下の知恵しか持たぬ下等な存在なのだが、
その貪欲な食欲にアキバの冒険者が目をつけ、
アキバの下水道で生け捕りにした塵喰らいを詰めた鉄の箱を売り出
した。
1度放り込んでしまえばあとは放って置くだけで勝手に﹃処理﹄し
1089
てくれる
理想的なゴミ箱として。
売り出されたのは冒険者どもの祭りの頃。
祭りで出た大量のゴミの片付けに大いに貢献することで、その存在
を示した。
無論、塵喰らいはエサとなる塵が﹃生きているか否か﹄など微塵も
考えないので
1週間ほど塵を入れずにいれば飢餓状態に陥って襲って来るらしい
が、
どの道吾輩や冒険者ほどの技量があればよしんば暴れても
片手間で仕留められる程度の強さしかない。
今では大量の塵を毎日生み出す商店や冒険者の住む屋敷などでは普
通に見られる、
一般的なものなのである。
﹁さて、出かけるとするか﹂
朝の世話を終え、吾輩は﹃仕事﹄に向かうこととする。
以前、冒険者に依頼して特注した︿ダネザックの魔法の鞄﹀を
改造して作ったポーチを首に下げ、出かける用意をする。
﹁吾輩は出かけてくる。余り騒ぐなよ﹂
猫どもに一応一言。
猫どもは分かっているのかいないのか、にゃあにゃあと鳴いて返し
た。
2
さて、朝餉を終えれば、吾輩の仕事の時間である。
アキバは何かと金のかかる街なのである。
野獣の生肉を喰らうのであれば力さえあれば金はいらぬが、
1090
冒険者と大地人にしか作れぬ﹃手料理﹄を食すにはその辺の野良の
ように
施しをねだるか、相応のリスクを負って盗み出すか、正式に金を出
して買うしかない。
無論誇り高き吾輩が乞食や盗人の真似事など出来ないので、
吾輩はこうして仕事をこなし、普段の暮らしに困らぬ程度の金を稼
ぐこととしている。
吾輩の仕事は、狩りである。
﹃黒の破壊者﹄と恐れられる宇宙豹一族であり、
偉大なるサマーアイズの息子である吾輩には似合いの仕事である。
アキバから出て、ニンゲン種の村から北に歩くこと、しばし。
アキバで﹃狩り場﹄と呼ばれている場所に着く。
この地は以前は生まれたての冒険者の訓練場のようなものであった
らしく、
住まう魔物も弱きものばかりだ。
⋮以前はもっと近くに﹃アメヤ街道﹄と言う更に弱き魔物が住まう
地があったのだが、
そこは北から来たニンゲン種が村を切り開くために魔物を狩りつく
したため、
現在はこの辺りまでくる必要がある。
身を潜め、気配を殺し、忍び寄り、仕留める。
それを繰り返すだけの仕事である。
この森に住まうただの獣に毛が生えた程度の技量しか持たぬ魔物な
らば、
吾輩の敵ではない。
たちまちのうちに仕留められた獲物が吾輩の前に並べられる。
﹁ふむ。こんなところか﹂
1091
1時間の狩りで得たものは、大角鹿が3頭に、大牙猪が1頭。
放っておくとそろそろ最初に狩った大角鹿が角か毛皮を残して消滅
しそうに感じたので、
解体を頼みに行くとする。
空を見上げ、風の匂いを嗅ぐ。
⋮やはりいつも通り、あの娘が来ているようだ。
匂いで大体のあたりをつけると、吾輩は仕留めた獲物を背負い、娘
の元へ行く。
⋮いた。
吾輩が到着したとき、娘は繁みに潜み、一頭の大角鹿に狙いを定めて
弓を引き絞っているところだった。
大した力を持たぬ大地人らしい拙い気配消しだが、
この森の魔物風情ならばそれでも充分騙せる。
果たしてその哀れな大角鹿は、首に矢を受けて命を落とすその瞬間
まで
娘の存在に気づかず、悲鳴を1つ残して果てた。
﹁ふぅ⋮﹂
﹁お早う。マキよ﹂
無事に獲物をしとめ、ため息をついたところで吾輩は声をかける。
﹁あ⋮どうも、おはようございます。ウィートさん﹂
対する娘は慣れたもので、怯えは無く、少し困ったように吾輩に頭
を下げる、
ニンゲン種に言わせれば狼牙族とやららしいが、吾輩には見分けは
つかない。
ニンゲン種の顔は、吾輩にはほぼ同じに見える。
吾輩のような高貴さを持つ猫人族や獣の耳と尾を持つ狐尾族は見分
けがつくが、
他は吾輩にとってはすべてひとくくりに﹃ニンゲン種﹄である。
街に住む冒険者どもはアキバには8つの種族が主に住んでいるとは
1092
言うが、
鱗もなく、毛もロクに生えて居らぬ奇妙な肌を持ち尻尾も無いのは
全て同じで、
耳が尖っているとか顔に模様があるとかそんな些細な差で種が違う
と言われても、
吾輩には見分けがつかぬのである。
無論、親しくなるかよくよく注意しておれば匂いなどでそいつを見
分けることも
可能ではあるが、普段はそこまで気に掛けたりしないので、
吾輩が判別できるニンゲン種はごく限られている。
﹁ウィートさん⋮また随分と捕まえてきたんですね⋮﹂
その意味では、このマキも、親しいが故に見分けられる特別な存在
だ。
マキは、南に新しくできた村の住人であり、この辺りを縄張りとし
ている狩人である。
極めて脆弱な大地人のニンゲン種にしては珍しく戦う力を持つ娘で、
猪や鹿程度なら一撃で仕留める弓の使い手である。
利用できる力を持つのならばそれを利用するのが、賢さと言うもの
である。
吾輩はいつも通りに取引を持ちかける。
﹁これの﹃解体﹄を頼みたい。報酬はいつも通り、肉をくれてやる﹂
﹁分かりました。それじゃあ⋮﹂
マキが手馴れた様子で頷き、腰から大振りなナイフを抜く。
このナイフはアキバで解体用として売られている特殊なものである。
効果は⋮
﹁作成コマンド⋮解体っと﹂
作成コマンドによる﹃解体﹄により、たちまちのうちに吾輩が仕留
めた鹿が角と毛皮、
そして肉の塊へと変ずる。
1093
﹁いつ見ても便利なものだな。狩人の技は﹂
その様子にいつものことながら関心する。
流石にこればかりは牙と爪と髭で行うか、
素直に毛皮や肉になるのを待つしかない吾輩では敵わぬ。
そうして吾輩が見ている前でマキは黙々と解体を続ける。
やがてその場には大量の肉と毛皮、角と牙が残るのみとなった。
﹁終わりました﹂
﹁ご苦労。いつも通り、肉はくれてやろう﹂
そう伝え、吾輩は角と牙、毛皮を首もとの魔法の鞄に詰め込んでい
く。
これを生産ギルドに売り払って得た金が吾輩の日々の生活を支えて
いる。
肉は売値が安いので吾輩には不要。
だがマキの場合、狩りで得た肉を南の村の宿屋に売って生計を立て
ているので
肉には相応の価値を見出す。
吾輩とマキの取り引きは、そんな理由から始まった。
﹁⋮いいなあ﹂
明らかに入る量には見えぬ大量の獲物を軽々と納める魔法の鞄を見
て、
獣臭が染み付いた巨大な背嚢に肉を詰めていたポツリとマキが言葉
を漏らす。
﹁うん?そう言えばお前は魔法の鞄を使わぬのか?﹂
魔法の鞄は現在、魔法の鞄作成の秘儀を伝える大地人の工房と、
アキバの冒険者の間で取引が為され、研究が進められているらしい。
吾輩のような﹃特注品﹄も相応の金を積めば作れるようになったの
も、
その成果だという。
﹁ええ。私じゃレベル足りませんので⋮﹂
1094
﹁おお、なるほど﹂
吾輩はその言葉を聞き、理解した。
元よりLv90である吾輩の場合はまったく問題にならぬので気に
したことが無かったが、
様々な道具には使いこなすために必要な技量があるとは聞いたこと
がある。
確か、魔法の鞄の場合はLv45の技量が必要だと、注文するとき
に言われた気もする。
﹁村でも魔法の鞄を扱えるだけのレベルを持つ人はほんの一握りで
すから。
⋮私も、いつかは使えるようになりたいんですけどね﹂
そう言って、マキは笑う。
﹁そうか。精々精進することだ﹂
吾輩はそんなマキに優しい言葉を掛けてやるのであった。
3
生産ギルドの買取所に赴いて本日の獲物を売り払い、
︵毎度毎度、裏口から売りに行かねばならぬのが面倒である︶
相応の金を手にした吾輩は昼餉を買いに向かっていた。
吾輩の場合、朝と夕だけでは足りぬので、昼も外で昼餉を取ること
にしている。
同居人であるニャンコは吸血鬼の如き夜行性で、昼餉時は寝ている
ので屋敷には戻らず、
吾輩は行きつけの店に行く。
吾輩の行きつけはアキバの片隅、街の入り口に当たる屋台でやって
いる
カラアゲの店である。
1095
店の名前は特に無いが、吾輩などの常連は﹃狐の屋台﹄と呼んでい
る。
店主の方針でザッシとやらには紹介されたことは無いが、
吾輩が常連となるほどの店なので、当然名店である。
狐の屋台は狐尾族の店主自ら仕入れた、アメヤの若い鶏を捌いて
カラアゲにしているという店で、非常に美味い。
何しろ美味な手料理で知られたあのマリーナをして
﹃カラアゲだけはアタシより美味しい﹄と言わしめたほどだ。
吾輩はこんな町外れで隠れた名店なんて言っておらずに
街の中心近くでやれば良いのではと思うのだが、以前そう言ったら
店主答えて曰く
﹃1人で出来る量はこれが限界だからね。そんなに儲けるつもりも
無いし﹄
と言うことで、今の場所でやっている。
さて、吾輩が買いに行ったところで、珍しく先客がいた。
﹁店主さん。これで買えるだけ、カラアゲをくださいな。
一見すると
ニンゲン種の女。
半分はモモ肉、残りはバクダンで﹂
若い
女から漂う匂いでその正体を察した吾輩は﹃エイギョウボウガイ﹄
にならぬよう、
隠れて様子を伺うことにする。
女が丁寧な口調とは裏腹に、バラバラと無造作に金をばら撒く。
キラキラと輝く5枚金貨。それが10枚ほど無造作に投げ出されて
いた。
﹁はいよ﹂
店主はなれたもので、金貨50枚分にも及ぶ大量のカラアゲを揚げ
ていく。
じゅうじゅうという音と、肉と油の香り。
1096
この店に置ける基本であり、一番の売れ筋であるモモ肉と、
鶏のたまごを鶏の挽肉で包み、パンくずの衣をつけて揚げた、
この店オリジナルのバクダン。
吾輩が好んで食べている組み合わせに吾輩も思わずぴくぴくと髭を
動かし、
匂いを楽しむ。
⋮女も同じく、目を吊り上げ、隠していた髭を出してぴくぴくと動
かしながら、
胸いっぱいに匂いを吸っている。
いつのまにか生えていた尾にはぼんやりと蒼い炎が宿っていた。
近くからは、きゅうきゅうと鳴く声。
尾の先にぼんやりと燃える蒼い火を宿した子狐が5頭、
物陰からじっと店の方を伺っている。
あれで隠れたつもりなのだろうが、吾輩の目は誤魔化せぬ。
というより、涎をだらだらと流しながらあれだけ前に乗り出しては
吾輩でなくともバレバレだ。
﹁出来たよ。熱いから気をつけてな﹂
取っ手をつけた2つの紙袋いっぱいのカラアゲを女に渡す。
﹁ありがとう⋮また来ますね﹂
そう言うと、袋を抱えてたっと女は街の外へ駆け出す。
女が大地人離れした脚の速さで魔物が多数住み着いている、
吾輩が普段狩り場としている森とは別の森のほうへと消えて行く。
駆けて行く女を追って、子狐たちが走っていくのを見送りながら。
﹁⋮別にそのままの姿で来てくれてもいいんだけどねえ﹂
店主が呟いた。
ここの店主は、客には寛容だ。
﹁おっと、いらっしゃい。クアールの旦那﹂
例え魔物であろうとも、店主を襲ったりしなければ普通に客として
1097
扱う。
﹁うむ⋮いつものをくれ﹂
吾輩も慣れたもので注文をして、首元にくくった鞄から
20枚金貨を取り出して机の上におく。
﹁はいよ⋮と、これ、片付けないとな﹂
そう言って店主は机の上に置かれたものを金箱に突っ込む。
屋台の机の上に置かれていた金貨は、いつしか落ち葉に姿を変えて
いた。
シェイプ・フォックス
︿化狐﹀と言う魔物がいる。
化ける
力を持つ狐の魔物で、
先ほどの女の正体である。
ニンゲン種に
普段は森で暮らしているが時折人里に現れる。
魔術の中でも特に幻術を得意とし、悪知恵も働くので先ほどのように
落ち葉に魔力を込めて金貨に見せかけて商品を騙し取るくらいは日
常茶飯事だ。
先ほどの女もまんまと金に見せかけた落ち葉で、カラアゲをせしめ
た。
⋮そう、あの化狐自身は思っているだろう。
だが、アキバと言う街は、色々な意味で常識が通用しない街である。
あの化狐は想像もしていないはずだ。
化狐の幻術が込められた落ち葉はアキバの生産ギルドに持ち込めば
1枚あたり金貨20枚ほどで売れることなど。
そう、この街では化狐の落ち葉は5枚金貨よりよっぽど価値がある
のだ。
冒険者の言う﹃ドロップアイテム﹄と言う代物の値段は複雑怪奇。
一見ゴミにしか見えぬような代物が、法外な値段で売れることもあ
1098
る。
なにしろ飴玉1つで妖精たちからせしめたと言うクローバーの葉が
金貨50枚以上したりするのだ。
つまり10枚の葉っぱの対価に金貨50枚分のカラアゲを渡した店
主は
損をしていないどころか大もうけしたことになるのである。
﹁さてと⋮ちょいと待っててくれ﹂
気を取り直し、店主が吾輩の注文を揚げ始める。
粛々と下味がつけられた鶏肉の塊が油に放り込まれ、カラカラと音
を立てる。
肉汁をたっぷりと含んだモモ肉に、こりこりとした食感が美味なナ
ンコツ。
骨からこそげとるのがまた乙なものであるテバモト。
そして化狐と吾輩に大人気のバクダン。
吾輩お気に入りの組み合わせが出来上がるのをじっと待つ。
﹁はいよ。いつもの﹂
そう言って渡されるカラアゲ。
﹁うむ、確かに。また来るぞ、店主﹂
それを髭でしっかりと持ち、吾輩は街を駆ける。
吾輩の鼻腔をくすぐる、油の香り。
恐らくあの化狐たちもこの香りにやられたのであろうなと思わせる
芳しさであった。
4
アキバに点在する、高い石の塔の遺跡の1つ。
瓦礫が上手い具合に風除けになる平らな屋上。
晴れた日、この刻限頃は南からの温かい陽の光に満ちるその広場こ
そ、
1099
吾輩の昼寝スポットである。
﹁うむ。美味なり﹂
陽の光で程よく熱せられた石の上に寝そべり、髭で巻き取ったカラ
アゲを口に運ぶ。
じゅわりと広がる熱い肉汁が心地よい。
冬の時期と言えども晴れた日のこの場所は暖かい。
吾輩はカラアゲをつまみながらまどろみ⋮うん?
カラアゲを入れた袋に伸ばしたはずの髭が空をきり、吾輩はそちら
を確認する。
そこには吾輩のカラアゲを運び出そうとする、尻尾が2本生えた猫
が6匹ほどいた。
﹁にゃっ!?﹂
﹁や、やばいにゃ!ばれたにゃ!﹂
﹁バカ!もともとここはわがはいらのなわばりにゃ!
かってに入ってきたコイツがわるいのにゃ!﹂
﹁にゃ∼⋮おもいにゃ∼⋮はこぶのてつだえにゃ∼﹂
﹁にゃ∼、あっついけどうまいにゃ!﹂
﹁食ってるんじゃねえにゃ!﹂
そいつ等は猫人訛りの酷いニンゲン語で言葉を交わしている。
吾輩は取りあえずその猫の魔物どもに声をかける。
﹁おい、お前等⋮吾輩の昼餉を奪うということは、
命の覚悟は出来ていると言うことで良いのか?﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁にゃっ!?﹂﹂﹂﹂﹂﹂
吾輩の問いかけに猫どもが固まる。
そのまま硬直することしばし。
﹁で、でもここはわがはいらが見つけたなわばりで⋮﹂
1100
猫の中の1匹がしどろもどろになりながら吾輩に言う。
﹁つまり縄張りはお前達を蹴散らして奪い取れと言いたいのか?﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁にゃにゃにゃ!?﹂﹂﹂﹂﹂﹂
吾輩の答えに猫どもが再び固まる。
それから互いに顔を見合わせ、目だけで会話を終えると⋮
﹁﹁﹁﹁﹁﹁ごめんなさいにゃ。命ばかりはおたすけを、にゃ﹂﹂﹂
﹂﹂﹂
全員で床に伏せて頭を下げ、吾輩に言う。
﹁ふむ。まずは事情を聞かせてみろ。それから判断する﹂
吾輩が知る限り、ほんの数日前までこんな連中は居なかったはずだ。
吾輩はその事実に好奇心を覚え、猫どもに尋ねる。
﹁その、実はですにゃ⋮﹂
猫どもは再び顔を見あわせ、代表が1匹前に出て事情を話し出した。
ネコマタ
なんでもこいつらは︿猫又﹀と言う猫の魔物らしい。
言われて見ればニャンコのところにこそ居なかったが
冒険者の飼う猫のなかには尻尾が2本ある猫もいたような気もする。
こいつらが言うには猫又とは長生きをした猫が体内の魔力を
変異させることで誕生する下級の魔物で、
こいつらの母親がそれに変じたお陰で子供のこいつらは
生まれたときから猫又だったと言う。
元々はマイハマの貧民街で暮らしていたのだが、
寄る年並みには勝てずこいつらの母親は寿命で死んだ。
もっとも、母親の庇護を失ったといってもこいつらは下級とはいえ
魔物。
並の大地人よりは強かったので貧民街でそれなりの暮らしをしてい
1101
たのだが、
最近マイハマの大地人の警備兵が怪しげな武器や防具を使うように
なってから
いきなり強くなり、魔物であるこいつらは治安維持のためにつけ狙
われて
暮らしが立ち行かなくなった。
それで心機一転、魔物が跳梁跋扈すると言う噂の都、
アキバに冒険者の馬鹿でかい船に潜り込んで渡ってきた。
ジャイアント・ラットブラックローチ
吾輩は屋上にしか興味が無かったが、この遺跡の地下には
︿大鼠﹀や︿黒蟲﹀が
大量に住み着いており、餌にも困らぬと言う。
﹁それで、こんなよいなわばりはなかなかみつからにゃいので⋮﹂
吾輩が入ってきたことに警戒し、偵察に出たところで、
カラアゲの匂いに惹かれ、あのような事態となったらしい。
﹁おねがいしますにゃ!ここにすまわせてくださいにゃ!
そのためならわがはいらはあなたさまのけらいになりますにゃ!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁けらいになりますにゃ!﹂﹂﹂﹂﹂
そこまで言い、再び猫どもは頭を下げる。
﹁ふむ⋮﹂
吾輩は考える。
実のところ、ここは吾輩の所有物ではない。
ただ、だれも所有者が決っていないだけの場所だ。
︵恐らくだが冒険者はあれほどの強さにも関わらず黒蟲を極端に恐
れるので、
地下に住み着いているという黒蟲のせいで誰も手を出さないので
あろう︶
﹁⋮よかろう。吾輩に敬意を表し、誠心誠意仕えると言うならば、
吾輩の家来としてやろう﹂
1102
もっとも、そんなことをわざわざ話してやる義理も無い。
吾輩は猫又どもの提案を快諾する。
﹁﹁﹁﹁﹁﹁ありがとうございますにゃ!﹂﹂﹂﹂﹂﹂
﹁うむ。今日は機嫌が良い。そのカラアゲはお前達にやろう﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁にゃにゃにゃ!!!﹂﹂﹂﹂﹂﹂
吾輩の言葉に猫又どもはたちまちのうちにカラアゲを貪りだす。
猫にはやってはダメとニャンコにいわれているが、
腐っても魔物である猫又どもなら問題なかろう。
﹁しっかり働け。働きがよければまたカラアゲを持って来てやって
もよい﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁分かりましたにゃ!ごしゅじんさま!!!﹂﹂﹂﹂﹂﹂
こうして吾輩はそのカリスマにより新たなる家来を得た。
⋮後日、こいつらがカラアゲ欲しさに五月蝿いほど
付きまとってくるようになったのは、余談である。
それから、吾輩は日が暮れるまでの時間をゆっくりと過ごし、屋敷
に戻る。
﹁お帰り∼⋮ウィート∼﹂
﹁うむ。今戻った﹂
起きだして猫どもに夕刻の餌をやりながら吾輩を出迎えるニャンコ
に帰りを告げる。
夕餉を食していつものように眠りにつき⋮吾輩は、悪夢を見た。
6
ぼうけんしゃ
﹁いいか。ウィート。偉大なるサマーアイズの血脈を引く愛しき息
子よ。
1度しか言わぬぞ﹂
今なお一族をぎゃく殺し続ける外道どもを見下ろしながら、
1103
父さまが言った。
﹁お前は逃げろ。ここでサマーアイズの血脈を絶たれるわけにはい
かぬ﹂
﹁父さま!父さまも逃げましょう!いくら父さまでもあいつらには
⋮﹂
口惜しいが、あの外道どもは強い。
わがはいたち宇宙豹の群れを、ほぼ一方的にじゅうりんする、化物
だ。
いかに宇宙豹一の勇者である父さまといえども⋮
だが、父さまは首を横に振った。
﹁出来ぬ。吾輩は、サマーアイズの血脈を率いる王なのだ。
不埒な輩には死の制裁を与えねばならぬ⋮命を賭してもな﹂
その言葉を最後に、父さまはかけだす。
その姿は風をこえ、黒きいかづちのごとく。
またたくまに外道に迫り、後方にいた外道の1人に死のせいさいを
加える。
いきなり仲間の1人をうしなった外道どもは、それをなした父さま
を見て⋮
うれしそうに、言った。
クァールキング
﹁来たぜ来たぜ!︿宇宙豹王﹀だ!﹂
﹁まったく面倒くせえな。宇宙豹を連続で100頭仕留めないと出
てこねえってのも﹂
﹁おいおい、いつまで死んでんの。さっさと起きろっつの⋮︿魂再
臨﹀﹂
﹁クソが!妖術師相手に︿絶命の一閃﹀だと!?
デスペナついたじゃねえか!ちきしょうめ!﹂
﹁ここからが本番ですね。あと一息です!頑張りましょう!﹂
1104
﹁みんな。ありがとね。あとはこいつの髭をそろえれば私の新しい
弓も完成するから﹂
外道どもは、己よりはるかに強い父さまを見てもまるでこわがらな
い。
むしろどこか楽しそうに武器をかまえ、父さまにせまる。
そして父さまもそれにおくすることなく大きくほえて⋮
目の前が暗くなる。
気がつけば吾輩は、それを見下ろしていた。
傷だらけになり、宇宙豹の証である髭を切り取られた父さまの死体
と、
それに縋りつく、幼き日の吾輩。
目を背けたいが、それも出来ない。
思い出は、目を背けたくらいでは、消えない。
吾輩が、ただ1人であちこちを彷徨うことが決まった日。
もう何度見返したか分からぬ悪夢。
⋮なのに、何度見ても、慣れぬ。
そして吾輩は幼き日の吾輩に合わせるように咆哮し⋮
7
吾輩は飛び起きる。
刻限は⋮真夜中だろう。
万年灯に照らされた、ニャンコの仕事部屋でもある吾輩の寝室なので
詳しい刻限は分からぬが、辺りは静かなものだ。
﹁⋮ウィート大丈夫?うなされてたよ?﹂
﹁問題ない﹂
1105
吾輩に背を向けたまま、絵を描き続けるニャンコに、吾輩は答えを
返す。
﹁少し出てくる﹂
知らず知らずのうちに荒くなっていた息を落ち着け、吾輩はニャン
コに一言告げる。
﹁あ、コンビニ行くならおにぎりとお茶お願い﹂
同居を始めた当初は色々と声を掛けてきたニャンコも今では手馴れ
たもので、
その一言だけ。
﹁分かった﹂
正直、今の吾輩にはありがたい。
吾輩にも、触れられたくないものはあるのである。
﹁ぬう⋮少し冷えるな﹂
如何にアキバといえども真夜中は静かなものだ。
寝静まった静かな夜の道を吾輩は歩く。
目指す先は、セブンスマート。
夜中でも開いている、コンビニと呼ばれる店である。
﹁少し邪魔をするぞ﹂
扉を開け、吾輩は漆黒の毛皮が美しい店の店員、アニタに一言告げ
る。
﹁⋮いらっしゃいだにゃ﹂
アニタも慣れたもので、その辺の店の売り子のように騒がず、
ただ一言言うだけである。
﹁ふむ⋮確か、オニギリと茶だったな⋮﹂
ニャンコが好む、シーチキン入りと梅干入りのオニギリと、瓶詰め
の黒葉茶を取る。
ついでに吾輩の楽しみ用に牛肉の干し肉と、チーズを混ぜたカマボ
1106
コも。
﹁すまない。勘定をしてくれ﹂
﹁はいですにゃ⋮全部で金貨14枚になりますにゃ﹂
手馴れた様子で品物を見ただけで、値段を告げる。
素早い計算。アニタは真夜中の店を1人で任されるだけあって、頭
の回転が速い。
真夜中だが、眠そうな様子は無い。
ヴァンパイア
当然である。アニタは夜行性の魔物である呪い憑き⋮
所謂︿吸血鬼﹀なのだから。
吸血鬼はある意味においてこのアキバを象徴する魔物である。
呪いを受け、魔物と化した元大地人。
彼らは吾輩よりも早くアキバの円卓会議に接触し、共存に乗り出し
た。
アキバの遺跡に密かに巣を作り、アキバで暮らす住人となったのだ。
大地人の多くはアキバに吸血鬼の巣があることを知らない。
それはアキバの吸血鬼が円卓会議との約定に従い、
呪いの媒介を行っていないためである。
もしも、呪いの媒介を行う大地人の吸血鬼が現れた場合、
真っ先に他ならぬ吸血鬼が犯人の吸血鬼を殺す。
彼らの王と円卓会議の間ではそういう約定が結ばれているらしい。
そして、彼らはこうして様々な﹃夜の仕事﹄にかかわり生活してい
る。
夜の間も完全には歩みを止めぬこの街では、相応に暮らせるだけの
需要があるという。
吾輩は値段を聞き、5枚金貨を3枚机の上に置く。
﹁うむ。受け取ってくれ⋮残りはチップだ﹂
1107
﹁はい、確かに⋮またお越しくださいませにゃ﹂
勘定をすませ、取っ手のついた紙袋に買ったものを入れて吾輩は店
の外へ出る。
暖かな店内とは違う、寒空の下。
吾輩は空を見上げる。
空に瞬く星模様は、吾輩の故郷とは違う。
大きな十字に並んだ星が輝くことは無い空。
﹁思えば遠くに来たものだ﹂
そんな空の様子に、吾輩はふと、呟く。
この10年、あちこちを彷徨い、たどり着いたアキバの街。
この街がこれからどうなるのか、そして吾輩はこれからどうするの
か。
それはまだ、分かっていない。
1108
番外編5 魔物のウィート・ザ・サマーアイズJr︵後書き︶
今日はここまで。
ちなみに黒蟲はアレです。体長が30cmほどある特大の。
1109
第29話 稲荷のサブロウタ︵前書き︶
新年一発目の今回は、かなり色んな意味で反則気味なお話をお送り
します。
テーマは﹃願い﹄
ミナミの冒険者と、大地人の物語でもあります。
舞台はフォーランド。
第18話﹃神官のアンネローゼ﹄とリンクした内容となっています。
それでは、どうぞ。
1110
第29話 稲荷のサブロウタ
0
キョウの都の法衣貴族の名門、万象院家。
父フリードリヒに代わり、齢16にして万象院の新たなる当主とな
った
ゲルハルトはじっと考え込んでいた。
﹁さて⋮どうするか﹂
此度の不幸によって予定より随分と早く代が変わってしまった。
当主となれば考えねばならないことは幾らでもある。
だが、何より優先し、決定しなければならないことがあった。
﹁ハチロウタ。お前はサブロウタについて、どうすれば良いと思う
?﹂
てふだ
父、フリードリヒを守るお役目を任されていた、
万象院が持つ戦力の中では最強の稲荷。
その処遇である。
﹁慣例通りであれば、主君を守れなんだ稲荷は冥府までお供をし、
冥府にて主君の安寧を守るが筋。
⋮⋮サブロウタもそれを望んでおります﹂
主君と仰ぐ少年に尋ねられ、8つの頃から16年の間ゲルハルトに
仕え続けた、
黒い狐尾族の青年が恭しく言葉を返す。
サブロウタのことを父とは呼ばない。
稲荷⋮貴族の影の腕として己を殺し奉公することを旨とする忍びの
一族にとっては、
血の繋がりなど意味はない。
1111
主君を守れなかった稲荷は咎人として惨たらしく処刑するのが慣例
である。
そしてそれは、誰よりも稲荷らしい稲荷であったサブロウタも同じ
考えを持っている。
⋮あの日、恐るべき大魔縁の呪術により先代が落命して後、
サブロウタはただじっとお咎めを待ち続けていた。
今、生きているのは﹃稲荷の命は全てお家のためにあり。
故に勝手な自害など許されぬ﹄からに過ぎない。
﹁⋮ああ、だがそれは勿体無かろう﹂
だが、若く⋮それ故に世俗に通じた当主は別の見方をする。
﹁勿体無い⋮ですか?﹂
﹁ああそうだ⋮サブロウタは我が万象院家の持つ最強の札。
それをただ殺して仕舞いにするなど、無駄が過ぎる﹂
同情などではない。
同情するには、ゲルハルトは余りにもサブロウタのことを知らない。
⋮それ故に、憎みもしない。
﹃古来種すら上回ると目される文字通りの意味での怪物﹄による、
万象院の当主をも容易く呪殺した呪術に対し、
たかが﹃大地人としては完成された忍び﹄に過ぎぬサブロウタに
﹃守れ﹄という方が無理なのだ。
そんな、ある意味では当たり前の考えに至ったゲルハルトは、
これからのことを考えていた。
﹁⋮ですが、サブロウタは﹂
﹁おい﹂
更に抗弁しようとする己が稲荷に対し、ゲルハルトは不機嫌そうに
言葉を荒げる。
﹁ここは万象院で、僕が万象院の当主だ。
サブロウタの考えなんて、僕が知ったことじゃない。違うか?﹂
不機嫌さに歪めた顔に、16歳の少年が漏れる。
1112
若く、キョウの貴公子らしく頭も回るが、
ゲルハルトは未だ成人したばかりの少年であった。
﹁⋮いいえ。全てはご当主様の御心のままに﹂
主君を怒らせたことを察し、ハチロウタは黙り込む。
主君を黙って守り支えるが稲荷の仕事であるという父の⋮
稲荷の教えを思い出したのだ。
﹁⋮すまなかった。癇癪を起こすな。言葉を荒げるなと、
父にはよく言われていたのにな﹂
己の短気を戒めた口うるさい父はもういない。
そのことに空しさを感じながら、ゲルハルトは気を取り直し、言う。
﹁とりあえず僕は、万象院を元の一枚岩に戻すことが最重要と考え
ている﹂
余りに急すぎる先代の死と名門の法衣貴族を継いだ成人したばかり
の若すぎる当主。
陰謀渦巻くウェストランデでは、非常に危険な状態であった。
﹁一枚岩⋮アルフォンス様とキヨムル様のことでございますか﹂
﹁ああ、父上がお亡くなりになってからこっち、色々言われている
のだよ。
叔父上はまだ10にもならぬ娘を僕に娶らないかと言ってきたし、
テイラーのハゲは姉上を孫の嫁に迎えたいなどと寝言を抜かして
いるらしい﹂
現役の中ではマイハマ最高の従軍司祭である﹃巫女騎士﹄の血を引
く千宮司
︵セングウジ︶の娘と、神殿騎士を率いるキョウ随一の法衣貴族の
御曹司への嫁入り。
どちらも、下手に受け入れれば万象院を割ることになりかねぬ厄介
な代物だ。
先代が身罷った今、無駄にできるものなど何も無い。
1113
それが、ゲルハルトにサブロウタを﹃有効に使う﹄と考えさせた要
因でもあった。
﹁僕は⋮万象院はミナミに取り入ろうと考えている﹂
そして、ゲルハルトは自らの考えを述べる。
﹁ミナミ⋮ということは、冒険者に﹂
﹁その通り。他の貴族の力を借りて万象院を立て直せば、
それ自体が揺らぎとなるからな﹂
その意味を正確に察したハチロウタの確認に頷く。
冒険者は、基本的に大地人の政治⋮
貴族同士の足の引っ張り合いには興味も示さない。
根本的に考え方が違いすぎるが故に、その発想すら無い様に見える。
そこを利用するのが、ゲルハルトの考えであった。
﹁では⋮﹂
﹁ああ、今、ミナミの冒険者たちはフォーランドを取り込もうとし
ているらしい。
それに姉上とサブロウタを使う﹂
自らの考えを整理するように、ゲルハルトは己の考えをハチロウタ
に聞かせる。
﹁フォーランドの動きと言うと⋮ライルガミンと遍路の儀でござい
ますか﹂
ハチロウタとて、今や当主に仕える万象院の筆頭稲荷である。
ミナミでの動きはしっかりと押さえている。
﹁ああ。それに参加する、大地人の高位司祭と斥候。
それに姉上とサブロウタをねじ込む﹂
麒麟児と称された施療神官でもある姉と、
50年に渡ってウェストランデの闇に生きた歴戦の稲荷。
その2つを、冒険者に取り入る足がかりとする。
﹁しかし、サブロウタはともかく、アンネローゼ様を斯様な危険な
場所に
1114
追いやってもよろしいのですか?﹂
その考えに対し、ハチロウタは確認する。
﹁問題なかろう。姉上は神に愛されている﹂
それに対しても、ゲルハルトは悩むことなく返した。
ゲルハルトの姉、アンネローゼはゲルハルトより遥かな高みにいる
天才であった。
ゲルハルトより2つばかり年長であることなど、問題ではない。
ともすれば今まさに天に召されようとしている老齢の高司祭。
それを上回るだけの技量を齢18にして持っている。
﹁僕が知る限り、姉上ならば彼のシスティーナ姫にも匹敵するやも
知れんぞ﹂
100年ほど前、万象院にて天才の名を欲しいままにしながら
若くして病に倒れたと言う祖先の姫君の名を出し、ゲルハルトは笑
う。
ゲルハルトとて万象院の血を引くものとして、相応の神職の才能を
持っている。
かいぶつ
だが、それはあくまで﹃相応の﹄でありキョウにいる法衣貴族全体
で見れば
中の上といったところ。
間違っても齢18にしてLv55の高みに達するような天才ではな
い。
﹁まあ、それも善し悪しだろうな。姉上は些か浮世離れし過ぎてい
る﹂
神職として高過ぎる才を持つゆえだろうか。
弟の目から見ても姉は浮世離れしていた。
たおやかで物静かな物腰を持ち、礼儀作法も貴族の嗜みも完璧では
あるが
どこか女らしさに欠けている。
1115
世俗に通じ齢16にしてキョウの華やかな遊びも随分と経験したゲ
ルハルトは
そう感じていた。
姉は世俗の楽しみ⋮華々しい社交や色恋沙汰にはほとんど興味を示
さなかった。
舞踏会で見事なダンスを披露するよりも、
清められた修練場で1人瞑想にふけるのを好んでいた。
﹁それも世俗を絶ったただの聖職であれば素晴らしいことなのだろ
うが⋮﹂
清廉にして求道的。
聖職としては理想的かも知れないが、貴族の姫の性格としては問題
だ。
その貴族らしからぬ振る舞いは、既にキョウの社交界でも噂になっ
ている。
曰く、穢れを知らぬ天女のような娘だと。
一見すると良い噂ではあるが、その噂がキョウのやんごとなき姫君
たちに疎まれ、
有形無形の邪魔を受けて更にアンネローゼが外に出なくなる悪循環
を招いていた。
﹁もし、あの姉上をハゲの元になどやってみろ。
あっという間に取り込まれるに決まってる﹂
万象院より力が強いテイラー家の嫁となった、
ゲルハルトより年長で聖職の才に恵まれた姉。
そんな厄介なものを抱え込める余裕など、ゲルハルトには無い。
﹁⋮だからこそ、ライルガミンの司祭職は丁度良い。
ハゲの求婚もかわせるし、我が家ならば大義名分も立つ﹂
1116
そう、今や先代当主を呪殺したライルガミンの大魔縁は万象院にと
っても
因縁浅からぬ仇敵である。
それを倒す戦いに、今の万象院における最高の施療神官を協力させ
ると言うのは、
充分に筋が通る。
﹁恐らく、彼の大魔縁を討つなんて大仕事、1年や2年で終わるも
のではなかろう。
⋮その間に僕は万象院を確かなものとする﹂
ゲルハルトは少なくとも己が基盤を確立するまでは、
他家の血を入れるつもりは毛頭無い。
まずはウェストランデの貴族として充分に地歩を固めるまでは、
ゲルハルトは身軽でいるつもりだった。
﹁⋮承知、いたしました﹂
主君と仰ぐ少年の言葉を聞き、ハチロウタは深く頭をたれる。
﹁うむ。すぐに動いてくれ。頼むぞ﹂
その指示を受け、主の意向をかなえるべく、ハチロウタが動き出す。
﹁⋮父上。万象院は僕が守りますので⋮安らかにお休み下さい﹂
ただ1人暗い執務室に残ったゲルハルトがポツリと、呟く。
それは僅か16にして貴族の当主となった少年が、
けして他者には見せぬようにしている顔だった。
﹃第29話 稲荷のサブロウタ﹄
1
秋。
漆黒の、文字通りの意味で影のような狐尾の男が
完全に獣道と化した道をじっと観察していた。
1117
それは、ある種完成された存在であった。
ひょろりとした、一件細い身体には鍛え上げられたしなやかな筋肉
がつき、
しわが見える茶色い肌と漆黒に染め上げた髪、そして黒で統一され
た服装は、
昼の最中であるにも関わらず、僅かな木陰に身を置いた男を溶け込
ませる。
じっと静寂を保つその瞳は無機質な蟲のように、ただただ正確に状
況を捉える。
そして、観察を終え、影のような男⋮元稲荷のサブロウタはそっと
その場を離れた。
道の上に陣取った、厄介な魔物。
大地人の中にあれば達人と称されるサブロウタを持ってしても、
決して勝てぬと思わせる存在を今の主に知らせるために。
﹁おかえりサブちゃん。どうだった?﹂
道の先にある43番目の聖域で待っていた一団。
その中の奇しくも若⋮現当主であるゲルハルトと同い年であり、
冒険者の中でも屈指の実力を持つ少女。
ドラゴンゾンビ
この一団の長に促され、サブロウタは、偵察の結果を報告する。
﹁⋮︿屍竜﹀が2頭。技量は目算ですが恐らくは小隊格でLvは8
0程度。
こちらには気づいていないようにございますが、街道から動く気
配もありませぬ﹂
偵察の結果は、芳しくなかった。
44番目の聖域に至る道は侯爵領が滅んだ後、
魔物が跳梁跋扈する魔の島と化したフォーランドに相応しい、危険
な道であった。
気づかれれば命が無い危険な斥候を終え、
1118
情報を持ち帰ったサブロウタの言葉に辺りがざわめく。
聞いているのは、サブロウタが仕える6人の冒険者と⋮100人近
い大地人。
聖者に付き従うフォーランドの民は、サブロウタの報告に死の匂い
を嗅ぎ取っていた。
正式な戦の作法を教える師も、充分な武具も無いこの島で、
自衛のため多少剣や槍を齧った程度が精々であるフォーランドの民
と言えども、
Lvの意味くらいは分かる。
Lv80。それは大地人ではけして歯が立たず、
聖者たる冒険者様がたにしか討伐出来ぬであろう怪物であると。
大地人たちは息を飲み、聖者様がたの決定を待つ。
アバタール
そして、一行のまとめ役であり、かつて試練を越えて
︿聖者﹀の称号を得た少女が気負いなく言葉を返す。
﹁あー。ドラゾン2体かあ⋮歩くのめっちゃ遅いし飛べない奴だから
私等だけだったら戦わないで突っ切る一択だけど⋮ヤマさん、ど
うよ?﹂
﹁行けるだろう。脚が遅いアンデッドなら相模さんとセドリックさ
んに削って
貰ってから、ミサキのヒール砲と影女の魔法で1体ずつ仕留めれ
ばいい。
なぁに、屍竜の攻撃は拙僧が引き受けようぞ﹂
少女の問いかけに答えるのは、墨染めの僧衣を着込んだ、
人間種と並んでも見劣りしない巨体の格闘家。
身の丈6尺を越える異形のドワーフ、ヤマさんが答える。
﹁分かった。他ならぬミサキちゃんのお願いだからね。任せて﹂
ドワーフの武士の言葉に頷くのは、落ち着いた気配を持つ女騎士。
ボサボサの髪を持つ狼牙族の守護戦士セドリックはいつものように
頷く。
1119
さがみ
﹁⋮了解。相模さん。しくじらないでくださいね⋮
かげおんな
私の知ってる﹃殺神﹄なら容易くやってのけたはずですから﹂
神経質そうな線の細いエルフの妖術師、影女が
頬に﹃死﹄を表す文字に似た紋様を持つ法儀族の青年に言う。
その瞳に宿るのは、不信感と敵意。
旅をはじめて随分と立つが、それは未だ殺神を見る影女の目に燻っ
ている。
﹁分かりました。善処いたします﹂
それを感じながら若々しい見た目とは裏腹に落ち着いた⋮悲しみを
さがみ
宿した瞳を持つ男。
法儀族の暗殺者、殺神が老人かと思うような、
しわがれかけた声で女に頷き返す。
﹁はい。きまりっすね。
︿キーンエッジ﹀と︿ウィンドブーツ﹀掛けますで、集まってく
ださいっす﹂
2人の間に流れる険悪な空気を消そうとするように、
hwyaden﹀に属す
丸々と太った猫人族の付与術師さぬきが、ポンポンと手を叩いて先
を促す。
かくて聖者とその仲間達⋮︿Plant
る6人の冒険者が動き出す。
﹁では、1体は拙者がひきつけておきまする﹂
その様を見て、サブロウタはいつも通り、一歩間違えば死に直結す
る提案をする。
﹁うん⋮無茶はしないでね。先輩から聞いた話だと大地人の蘇生は
上手く行かないことも多いらしいから。
んじゃ、私からは︿聖なる護り﹀をば。
これでサブちゃんでもドラゾンの攻撃一発なら瀕死で済むと思う﹂
当然のように死地へと向かうというサブロウタに対し、
ミサキは慣れたもので施療神官の覚える、
悪しき存在からの攻撃の威力を軽減する魔法を掛ける。
1120
当初はこの大地人の案内人がまるで死にに行くように己が身を危険
に晒すことを
反対もしたが、サブロウタが己が力量を弁えた上で臨んでいること
を知ってからは、
止めなくなった。
﹁じゃあ、おいらからは︿ウィンドブーツ﹀を⋮
くれぐれも殴り合いには持ち込まんでくださいっす。
Lv61のサブロウタさんが屍竜にソロで挑むのは、
ただでさえ正気の沙汰じゃないんっすから。
最初の1発だけ。後はひたすら逃げて回避専念で﹂
それに習い、猫人の魔術師もまた、サブロウタに強化の魔法を掛け
る。
足元を覆う、渦巻く風の靴。
それは熟練の付与術師にしか作りえぬ、
風のような移動と回避を可能にする﹃魔法の靴﹄であった。
﹁存じております﹂
今の主たちの命令に、サブロウタは黙って頷く。
無論、サブロウタとて新たなる主君より受けた命令を終える日まで、
命を無駄にするつもりは無い。
⋮死んでも構わぬと思っているだけだ。
そして、魔法の加護を受けたサブロウタが動き出した。
2
文字通り風のように駆けぬけ、虚ろに立ち尽くす竜の屍の1頭に近
づく。
熟練した︿追跡者﹀の気配消しにより、屍竜に気づかれずに背を取
る。
そして、フリードリヒに授けられてより愛用し続ける魔法の脇差を
1121
構え、
戦いのはじまりを告げる一撃を加える。
︱︱︱絶命の一閃
気負いなく、流れるようにサブロウタの無慈悲な刃が首の付け根⋮
およそまともな生物であれば共通して急所たる場所を正確に貫く。
それは、生物であれば致命傷になったかも知れぬが、とうの昔に死
に囚われた、
まともな生き物ではない魔竜には大したダメージとはならない。
山を揺るがすような咆哮が辺りに轟き、2頭の屍竜が爛々と目を光
らせて
サブロウタを捕らえる。
そこに宿るは、明確な殺意。己が身に2度目の滅びを降りかからせ
ようとした
愚者を叩き潰すべく、のっそりと動き出す。
﹁⋮追って来るが良い﹂
むせ返るような死の予感を感じながら、サブロウタは屍竜に背を向
け、走る。
一拍遅れてサブロウタがいた場所を強烈な死の瘴気を孕んだ毒のブ
レスが襲う。
触れれば肉を腐らせ、僅かでも吸い込めば即命に関わる屍竜必殺の
吐息だが、
その死はサブロウタを間一髪捕らえ損ねる。
それを外したのを見届け、首を刺された屍竜はただただ盲目的にサ
ブロウタを追う。
⋮同じように追おうとしていた無傷の屍竜が別方向から飛んできた
矢により
標的を変えたことになど、気づかぬままに。
1122
戦いはそれから10分続き⋮
﹁⋮また、死にそびれたか﹂
サブロウタは無事、生き延びた。
そのことに安堵と⋮哀しみを覚える。
旅がはじまり、2ヶ月になる。
今なお、サブロウタは生き恥を晒し続けている。
この、半ば冗談のような旅路の中で。
この旅の目的は﹃神頼み﹄である。
フォーランドには、遍路の儀と呼ばれる儀式が存在する。
フォーランドに存在する88の聖域。
それらを1度もフォーランドより出ることなく、定められた順番ど
おり、
乗り物にも妖精の環にも頼ることなく回って祈る事が出来たとき、
祈りを司る神が現れるという。
祈りの神は偉業を達成した勇者を称え﹃あらゆる願いを聞き届ける﹄
と言われている。
余りにも荒唐無稽な話であった。
大地人にとっては、古い時代にそのような伝説があった、そんな御
伽噺の類である。
だが、冒険者にとって、それは紛れも無い﹃事実﹄であった。
クエスト
大地人にとっては限りなく不可能に近い遍路の儀も、
冒険者にとっては難易度の高い偉業に過ぎない。
大災害前、この儀を無事に終え、祈りの神に対面した冒険者はミナ
ミにも、
そしてアキバにも何人も居たという。
1123
その時は幾つかの決まりきった願い⋮
サブクラス
秘宝と呼ぶに相応しい武具や︿聖者﹀の称号、
失われた古の魔術の知識、強力な神の眷族の召喚契約といったもの
を願った。
だが大災害後、この儀を達成した冒険者は居ない。
この儀は、挑んでいる間フォーランドを出ることを許されない。
⋮すなわち命を落として蘇生が為されなかった場合、
大神殿に引き戻された時点で失敗となるのだ。
順調に行っても数ヶ月はかかる、徒歩でのフォーランド一周の旅。
それは今やミサキたちのようにミナミからの様々な形での支援無く
しては
成り立たないものであった。
果たして大災害を経た今、この儀を成し遂げたとき祈りの神は現れ
るのか、
そして﹃あらゆる願いを聞き届ける﹄というのは真実であるか。
それを知りたいと願う冒険者たちが選ばれ、
この儀を終えることを目的とした小隊が作られた。
その小隊こそ、目的をそのまま名前とした部隊⋮﹃神の存在証明﹄
サブロウタが、現当主に自害の代わりに下された命令に従い、
大地人の風習に不慣れな冒険者を案内し、斥候を務めることとなっ
た部隊であった。
3
本日は厄介な敵との戦いがあったことを考え、
フォーランド44番目の聖地で本日の旅は終わることとなった。
1124
魔物が立ち入ることが出来ない聖地は、寝泊りに非常に都合の良い
場所でもある。
故に彼らは遍路の旅の一夜の宿には基本的に聖地での野宿を基本と
していた。
﹁ようやく半分かぁ⋮昔ソロクリしたときは1日で10箇所くらい
回れたのになあ﹂
ミナミを離れて2ヶ月。
この旅が予定以上に長引いていることにいつものようにミサキが言
葉を不満を漏らす。
﹁そりゃあ昔のようには行かないさ。
アタシ達は自分達の足で旅をしているんだからね﹂
それをなだめるのは、ミサキと付き合いが長いという守護戦士、セ
ドリック。
ミサキが幼い頃から見てもらっていた医者であるというセドリック
は、
まるで母娘のように長い付合いがある。
この2人の付き会いは、種族の壁を越えて気心が知れたものだった。
﹁うむ。それに庇護を求め、必死に旅してきたものたちを無下に追
い返すは
拙僧たちとしても寝覚めが悪いからな﹂
ミサキに比較的年が近い男であり、寺院を任された聖職の家の出で
あるという
ヤマさんもミサキを諭す。
この旅が予想以上に遅れている原因は、
実際に自らの脚で踏みしめねばならぬという理由だけではない。
そろそろ100に届こうかと言う数の、大地人の従者たちのことも
ある。
フォーランドを治める侯爵家が滅んでより、フォーランドは主無き
地である。
1125
島の大半に高位の魔物が跳梁跋扈善するこの地で生きることの難し
さは、
曲がりなりにも領主を持ち、騎士団の庇護があるウェストランデや
ナインテイルとは
比べ物にならない。
この地に住む大地人はひっそりと隠れるように作られた貧しい村に
住み着く
古くからの民か、ウェストランデやイースタル、ナインテイルに居
られなくなった
罪人の類である。
そんな彼らは、強きものの庇護を求めていた。
守られず、ただただ一方的に魔物に蹂躙される日々に嫌気がさして
いたのだ。
それ故に、フォーランドの大地人は冒険者の一行⋮
恐るべき魔物相手に真っ向から戦い、調伏する異形の戦士に憧れた。
ましてそれが、︿聖者﹀に率いられ、フォーランドに伝わる
﹃伝説の偉業﹄を為そうというものならばなおさら。
かくてミサキたちと出会うことが出来た少なくない数のフォーラン
ドの大地人が、
幸運なる出会いを無駄にしないために、彼らの従者となる道を選ん
だ。
中には捨て身の旅を経て、冒険者一行に追いついたものすらいる。
フォーランドを旅する聖者と、フォーランドの片隅の島に作られた
冒険者の街。
この2つは、フォーランドの民がようやく手にした安全と繁栄の象
徴である。
﹁よし。こんなもんすかね。醤油様は偉大っす﹂
冒険者の中では唯一の料理人であるさぬきが、ミナミから運ばれて
1126
きた
﹃補給物資﹄を煮込み作り上げた汁の味ににんまりと笑う。
手料理の心得がある大地人の従者に手伝わせ、
ミナミから持ち込んだ大鍋に一杯に作った夕食。
100人分の腹を満たすために作られたそれが、おいしそうな湯気
を漂わせる。
﹁またうどん?たぬきも好きだね。さすがうどん県民﹂
そんなさぬきを火や水を生み出すことで料理を手伝っていた、影女
がからかう。
﹁⋮いいじゃないっすか。うどんは万能食っすよ。
それに﹃たぬき﹄やのうて﹃さぬき﹄っす﹂
それに口を尖らせてさぬきが反論する。
茶色に黒の模様が散った毛皮を持ち、太めの身体を持つさぬきを
﹃たぬき﹄とからかうのは、よくあることだった。
そんな、この旅に置いては見慣れた光景に、夕食を心待ちにしてい
る大地人たちも
朗らかに笑う。
このフォーランドには珍しい、平和な情景と共に穏やかな時間が流
れる。
⋮その情景から外れ、サブロウタは1人じっと、聖域の入り口を見
張っていた。
食事は一粒食せば丸一日一切の食物を必要としなくなる忍びの丸薬
と、少量の水。
忍びとして厳しい訓練を重ねたサブロウタにとってはそれで充分で
ある。
時折視界の端を通る魔物を見送りながら、サブロウタはただじっと
見張りを続ける。
無心になり、カラクリ仕掛けの人形の如く任務に従事する。
1127
⋮そうしていれば、何も考えずに済む。
あの人生最悪の日に主君を守れなかった後悔。
己が命が尽きるまでお仕えすることを誓っていた主君を失った虚無
感。
そして、それを死で贖うことすら認められなかったことへの憤り。
そのようなものを全て忘れるために、サブロウタは無心に任務を⋮
見張りを続ける。
⋮そんなときだった。
﹁⋮少し、話をしませんか?サブロウタ殿﹂
6人の冒険者の1人⋮法儀族の暗殺者、殺神が話しかけてきたのは。
4
サブロウタの許可を取り、殺神はサブロウタの隣に腰を下ろした。
﹁やあ、すみませんね。どうにも若い人ばかりというのは苦手なも
のでして﹂
そう言って殺神は笑う。
緩んだ⋮どこか寂しげな笑み。
その微笑みは冒険者の中でも随一の切れ者であり、
ひとたび戦となれば幻想に数えられし魔弓を繰り、
無慈悲に魔物に死の一撃を浴びせる暗殺者の笑みとは思えぬほど
穏やかな笑みだった。
それからしばし、殺神はサブロウタと共に黙って見張りを続ける。
﹁⋮サブロウタさん。貴方は、何を願うおつもりですか?﹂
唐突に、殺神はサブロウタに尋ねた。
﹁⋮なにを?でございますか?﹂
意味を図りかね、サブロウタは思わず聞き返す。
そんなサブロウタに噛んで含めるように殺神は言葉を重ねた。
1128
﹁はい。貴方はこの島に来る前からずっと私たちと一緒に旅をして
きた。
⋮つまりお遍路の条件を満たしていますから﹂
その言葉に、サブロウタは虚をつかれた。
確かに、筋は通る。
サブロウタとて、仮にも聖職を司る万象院家に仕え続けた稲荷であ
る。
聖域においては常に聖域を守護する聖なるものに敬意を払い、
新たな聖域に着くたびに祈りもしてきた。
⋮しかし。
﹁拙者は、大地人の下賎なる忍び⋮果たして神は祈りを聞き届けま
しょうか?﹂
サブロウタは正直に心情を吐露する。
神は寛大であるといわれるが、それが主君のような高貴な聖職なら
ばともかく、
己にまで及ぶとは俄かには信じがたかったのだ。
﹁⋮私にもそれは分かりません。ですが、可能性はあると思います
よ﹂
一方の殺神もまた、正直に言う。
遍路の儀はかつて⋮冒険者のために﹃用意﹄されたものだ。
大地人が成し遂げた例など、それこそ何百年も前に行われたという
﹃設定の中﹄にしか存在しない。
⋮だからこそ、可能性はあると殺神は考えていた。
設定の中。
それはヘイアンの呪禁京で行われた﹃戦争﹄の発端となったものだ
からだ。
1129
﹁⋮しかしこの老骨、今さら望むものなど思いつきませぬ﹂
殺神の出した考えを受けてサブロウタもまた考え⋮結論を出す。
莫大な財宝、強力な武具、未知の秘術、神の眷属の使役⋮
どれもサブロウタには無用のものだった。
あえて言うならば﹃自害の許可﹄なのだろうが、
そんなものは神に祈って手にするものではない。
いっそ、冒険者を通して国元に尋ね、万象院が望む品を手にするべ
きだろうか⋮
そう、サブロウタが考えていたときだった。
﹁そうなのですか?てっきり貴方は⋮死んだ人間の復活を望むと思
ったのですが﹂
サブロウタが固まる。
思っても見なかった方向からの祈りの道を示されて。
﹁⋮完全なる死を迎えた死者の復活は禁忌ですぞ﹂
殺神の言葉を否定するサブロウタの言葉は、弱々しかった。
死に僅かに踏み込んだ死者を聖なる魔法で蘇らせるならばともかく、
完全なる死を迎えた死者の復活を望むのはウェストランデ⋮
ネクロマンシー
否、ヤマトのどこであっても禁忌とされる。
﹁はい。でもそれは死霊術を使った復活の場合、でしょう?﹂
殺神もまた、この旅に出る前に調べた事実をつきつける。
アンデッド
完全なる死を迎えた存在の復活を為す魔術は、死霊術と呼ばれる。
それは、死した存在を変質させることで怪物として蘇らせる術大系。
ネクロマンサー
それは大地人の間では触れてはならぬ、忌むべき禁忌の術である。
死霊術を会得し、死霊術師の称号を得た大地人は、
如何なる事情があれども死罪とする。
ウェストランデの法でもそう定められているほどだ。
﹁⋮この世界の﹃神﹄がどれだけの力を持ち、
どれだけのことができるのかは分かりません。
果たして死んだ人間を、元のままに蘇らせられるのかも。
1130
ですが、可能性があるならば、私はそれに賭けたいんです⋮﹂
殺神が自らの心情を吐露する。
彼もまたサブロウタと同じ﹃咎人﹄であるがゆえに、それを望んで
いた。
﹁⋮サガミ殿。貴方は⋮﹂
その匂いを感じ取り、サブロウタは思わず尋ねる。
﹁⋮息子をね、取り戻したいんですよ。それだけです﹂
その問いかけに、かつて﹃禁忌﹄を犯したが故にこの場に居る
﹃相模﹄は、1つ頷いた。
﹁よければ、聞いていただけますか?私が犯した罪を﹂
この大地人ならば、聞かせても良い。
そう思い、尋ねる。
そして、黙ったままのサブロウタに、相模はこの世界に着てから
誰にも語らなかった心情を語りはじめた。
5
相模は、かつて冒険のことなど何も知らぬ、1人の商人であった。
﹁私はね⋮自分で言うのもなんですが⋮
エリートと言っても良いくらいの地位にはいました。
良い大学を出て、良い就職をして、結婚して、子供を作って⋮
そんな暮らしをしていました﹂
そんな彼の唯一の誤算、それこそが大事な1人息子の存在であった。
﹁しかし私の息子は⋮引きこもりと言う奴でした。
部屋に閉じこもって、そこから一歩も出ないんです。
⋮息子が何を考えているのか私には分からなかった。正直、恐ろ
しくもあった。
⋮理解してやれなかったんです。だからでしょうか﹂
相模の息子は、死んだ。
淀み、停滞した部屋の中で、ひっそりと首をくくって。
1131
﹁ダメだった。そんな言葉を残して、息子は逝きました。
私には、息子のことが最後まで理解できなかった﹂
そんな息子がただ1つだけ、相模に残したヒント。
それが、何年もかけて行ってきた﹃冒険﹄の証であった。
秘密が漏れることを恐れるが故にメモ用紙に手書きで記された、名
前と合言葉。
それに気づき、それがなんであるかを調べ上げた相模は⋮﹃禁忌﹄
を犯した。
からだ
﹁バチが当たったのでしょうか。私は、この世界に閉じ込められま
した⋮
息子の肉体で﹂
はいじん
老境に差し掛かり、自らの衰えを自覚していた相模に与えられたの
は、
さがみ
ヤマトでも滅多にいないほどの超人の技を持つ法儀族の死神、
殺神の肉体。
その肉体を得た相模を、ウェストランデの⋮
1ヶ月もの間会っていなかった殺神の知り合いは揃って嫌悪した。
ゲーマー
相模がやったことは、許されざる行為であるというのが
冒険者にとっての常識であった。
﹁⋮閉じ込められたこと、それ事態は後悔していません。
お陰で、息子のことが少しは分かりました。
この世界を通じて、どんな風に生きていたのかを﹂
部屋を遠巻きに眺めていては決して分からなかったことも、
この世界にいる100人を越える殺神の知り合いを通して知った。
息子が、何とかして復帰を試みていたこと、そのために引退を決意
していたこと。
⋮その結果追い詰められ、命を絶ったことなども。
﹁相談に乗ってやれればよかった。
1132
仕事が忙しいなどと言わず、顔をあわせればよかった。
⋮もっと、アイツのことを理解してやろうと、努力すればよかっ
た﹂
全ては後の祭りだった。
長すぎる断絶の果て、ようやく相模が息子が得体の知れぬ怪物では
なく、
1人の若者であることを知ったとき、息子は既にこの世の住人では
なかった。
﹁ただの自己満足かも知れません。多分、上手く行かない。
そんなことも分かっているつもりです⋮でも、それでも縋らずに
はいられなかった﹂
相模はもう、やらなかったことを後悔したくは無かった。
それが、いずれ絶望に繋がる道だとしても。
﹁⋮これが私の罪です。すみません、長々とつまらぬ話につき合わ
せて﹂
全てを語り終え、相模はサブロウタに謝る。
そして、サブロウタは⋮嘆息する。
﹁既に死の眠りに落ちた死者を⋮不死の怪物とせずに蘇らせまする
か﹂
それは如何に神の御力に縋るといえども、やはり外道の邪法であろ
う。
大地人にとっても⋮恐らくは冒険者にとっても。
第一万が一蘇ったとしても、過ぎた時の針が戻らぬ以上は居場所が
無いでは無いか。
だが、同時に思う。
既に禁忌の邪法に手を染めたこの男であれば、
その邪法を犯すことを今さら恐れたりもしないだろう。
すなわち、この男は心より息子の復活を望み、旅をしている。
︵主上⋮貴方様は、冥府よりの帰還を望みましょうか?︶
サブロウタは思わず、真の意味で敬う主に伺いを立てる。
1133
死者は語らず、答えは返らない。
ただ、思い出す。
︱︱︱いつか、この子が大きくなって家督を譲ったら、旅に出たい
な。
そのときは、ついて着てくれるか?わが友よ。
幼子であった当主様を隣に座らせた酒の席で交わされた、他愛なき
言葉。
長年仕えてきたサブロウタをただ1度﹃友﹄と呼んだ日のことを。
︵そうですな⋮或いはそれも良いかも知れませぬ︶
かくて、サブロウタの心は決まる。
誰にも気づかれぬまま、サブロウタは変わった。
目的を得ることで、少しだけ、前を向くようになったのだ。
かくて旅は続く。多くの人間を飲み込みながら、7つの願いを運び
続ける。
その終わりがどのような形となるか⋮未だ誰にも分からぬままに。
1134
第29話 稲荷のサブロウタ︵後書き︶
今日はここまで。
フォーランドにも一応大地人はいるらしいので、
今回のお話となっています。
1135
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n1619bb/
ヤマトの国の大地人
2016年7月18日16時40分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
1136
Fly UP