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第19号 - 慶應義塾福沢研究センター

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第19号 - 慶應義塾福沢研究センター
慶 應 義 塾
ISSN 1349-6468
Newsletter of Fukuzawa Memorial Center for Modern Japanese Studies, Keio University
第 19号 2013年12月31日
目 次
*クレイグ先生を迎えて…………………………………
*平成 25 年度 中津市アーカイブズ講座………………
*古文書講座報告…………………………………………
*河北先生を偲んで………………………………………
発行
*新収資料紹介…………………………………………… 7
*主な動き………………………………………………… 8
*戦争プロジェクト始動………………………………… 9
*センター諸記録(2013 年 4 月∼ 2013 年 9 月) …… 10
2
4
5
6
①
②
③
④
「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクトの始動
福沢研究 センターでは 篤志家 による 指定寄付 を 受 けて、8 月 より「慶應義塾 と 戦争」アーカイブ・プロジェクトを 始動
した。 このプロジェクトでは、2015 年 に 巡 り 来 る「戦後 70 年」の 節目 を 念頭 に、戦時期 の 慶應義塾及 び 塾生・塾員 に 関
連する資料・証言の収集と、その動態を示すデータベースの作成・公開を目指している。
プロジェクトには、少しずつ当時の歴史を伝える原資料も集まってきている。写真はその例で、左上より ① 昭和 15 年
の 大学予科生宅嶋徳光 の 日記(海軍時代 の 日記 が『 く ち な し の 花』の 題 で 公刊 さ れ た 戦歿塾員。宅嶋徳治氏寄贈)
。
② 海軍 の 特攻 で 戦死 した 塾員片山崇 が 婚約者 に 残 した 写真立 て(髙橋 よし 子氏蔵)。 ③ 人間魚雷回天 の 特攻要員 として
訓練中に終戦を迎え生還した塾生の訓練時の名札(瀬川清氏蔵)。 ④ 戦歿塾生山本義雄の家族に遺品とともに届いた遺品
リスト(山本孝太郎氏寄贈)
。
史上特記 される 著名 な 戦歿塾生・塾員 などの 情報 のみならず、当時 の 塾生・塾員 の 多様 な 動向 を、多角的 な 資料・証
言から記録することを目指している。関係諸氏のご協力をお願いしたい。(都倉)
プロジェクトホームページ http://project.fmc.keio.ac.jp
−1−
(p. 9 に関連記事) クレイグ先生を迎えて
ハーバード 大学名誉教授 でセンターの 客員所員 でもあるアルバート・ クレイグ 氏 が、
本塾訪問教授 として 夫人 とともに 4 月 から 5 月末 までの 2 ヶ 月間、日本 に 滞在 された。
著書『文明 と 啓蒙―初期福沢諭吉 の 思想』に 続 き、福沢 の 後期思想 の 英訳 および 解説 を
出版するための滞在であったが、その間、多くの研究者仲間の来訪があり、旧交を温めた。
帰 国 の 日 が 近 づ く 中、5 月 24 日( 金 )に 講 演 を お 願 い し た。 演 題 は The National
Assembly in Fukuzawa s Later Thought.(後期福沢思想 における 国会論)で、講演 は 英語
アルバート・クレイグ 氏
(ハーバード大学名誉教授)
で行なわれた。会場となった三田演説館には在日の門下生や、同氏がかつて所長を務め
たハーバード燕京研究所に留学経験のある義塾教員の姿も見られた。
慶應義塾大学法学部教授
慶應との架け橋
玉 井 清
筆者は、2000 年から 2 年間、ハーバード大学に留学し、
研究所にお世話になっている。
同大学のエンチン研究所とライシャワー研究所に所属し
エンチン研究所は、東アジアを主専攻にしている研究
たが、そのホスト・プロフェッサーになっていただいた
所 であるが、筆者 が 滞在 していた 10 年前、既 に 中国 の
のがクレイグ先生であった。
パワーは圧倒的で、研究所内は中国研究、というより中
エ ン チ ン 研究所 に は、若手専任研究者 を 対象 と し た
国大陸からの研究者が主流を占め、それ以外の地域、日
Visiting Scholar Program があり、それに応募したのであ
本、台湾、韓国、 ベトナムからも 研究者 は 来 ていたが、
るが、その応募に際しては、ハーバード大学の研究者に
どちらかと言うと少数派になっていた。こうした光景を
よる推薦状が必要であった。しかし、知り合いの研究者
見ていただけに、エンチン研究所が、日本の大学と、し
はおらず 困 っていると、同 じ 学部 の 寺崎修教授(当時)
かも慶應義塾大学と交流協定を結んでいたことは異例に
から、ハーバードには、福沢諭吉研究で有名な、しかも
みえた。
慶應の福沢研究センターとも縁が深いクレイグ先生がお
ク レ イ グ 先生 は、1976 年 か ら 87 年 ま で エ ン チ ン 研究
られるので、お願いしてみたらどうかとの助言をいただ
所の所長を長年に亘り務められていたが、その在任中に
いた。その助言に従い、未だお会いしたことがないにも
慶應との交流協定が締結されていた。その実現に、クレ
かかわらず、クレイグ先生に推薦状をお願いしたところ、
イグ先生の並々ならぬご尽力があったことは言うまでも
快諾するとのご返事を即座にいただいた。そのメールは、
ないであろう。見ず知らずの小生が先生に推薦状を依頼
短いものではあったが、非常に好意的な内容に溢れてい
した際の返答の中に滲み出ていた温かさは、日本に対す
たことを今でも記憶している。
る、
その中でも慶應義塾に対する親愛の発露であったと、
実 は、慶應義塾大学 と エ ン チ ン 研究所 と の 間 に は、
今では確信している。
1981 年 より 最近 まで、両大学 の 研究者交流 のための 協
慶應のキャンパスでお会いしたクレイグ先生は、十年
定が締結されていた。筆者がハーバード滞在中も、その
前と変らぬお姿であった。物静かでスリムな体型、毎日
協定を利用して総合政策学部と商学部の専任教員がエン
港区のスポーツセンターに泳ぎに行かれている、とのこ
チン研究所に来られていた。慶應からは、この協定を利
と。小生も見習わなくてはと思った次第である。
用 して、文系 5 学部 から 合計 15 名 の 研究者 がエンチン
Albert Craig 先生、燿子クレイグ先生との交流
立教大学法学部教授
松 田 宏一郎
福沢諭吉研究 およ び 幕末明治期 の 政治史研究 で 多大
て 福沢 について 意見交換 をするという 大変光栄 な 機会
な 功績 を あ げ ら れ て き た ア ル バ ー ト・ ク レ イ グ 先生
を 与 え ら れ た。 以 前、A. ク レ イ グ 先 生 の Civilization
と、渋沢栄一、平塚雷鳥 ら の 自伝 の 優 れ た 英訳 で 知 ら
and Enlightenment: T he Early T hought of Fukuzawa
れ る 燿子夫人 が、慶應義塾 に 滞在 さ れ た 折、 お 会 い し
Yukichi(邦訳は 足立康、梅津順一訳『文明と啓蒙―初期
−2−
クレイグ先生を迎えて 福沢諭吉 の 思想』慶應義塾大学出版会,2009)の 書評 を
に接してくださった。また福沢の政治思想についての通
Monumenta Nipponica お よ び The Japan Times に 寄稿
説に対する率直な疑念や、それとは違う読解の可能性に
する機会があり、もちろんそれまでもクレイグ先生の福
ついて私が意見を述べた時も、真摯に興味をもって聞い
沢研究から多くを学んできた私にとっては、直接お尋ね
ていただき、また逆に率直な反論をいただくこともあっ
したいことが 多々 あった。 また 現在、燿子夫人 による、
た。日本 の 儒教思想 の 特質、徳川政治体制 の 構造 など、
福沢 の 明治 10 年代、20 年代 は じ め の 政治論 を 英訳 し 出
A. クレイグ 先生 が 前提 とされているイメージと、現在
版する計画があるとのことで、特に私自身が以前詳細な
の思想史学で共有されてる理解とはいくらか異なるとこ
検討 をしたことのある『分権論』ほか 明治 10 年代 の 著作
ろがあるが、その点について、柔軟に理解を示していた
について、その文章の表現一つ一つについて可能性ある
だいた。他方、 たとえば『帝室論』
『尊王論』は、当時 の
解釈の選択肢をいくつか検討し、さらにそれを英語にし
政治状況への判断だけでなく、世論や国民感情の捉え方
た場合、意味が通じるかどうかを考える作業に、ほんの
について福沢が社会科学的な考え方を深化させた面があ
わずかながら加わることができた。
『学問ノスゝメ』、
『文
ることの両方を視野にいれて読解すべきだという点につ
明論之概略』、『福翁自伝』に 比 べ て、福沢 の 明治 10 年
いては、あらためて共有できる見方であると確認できた。
代以降の著作については英語圏ではあまり知られていな
福沢諭吉の政治思想については、英語圏ではまだまだ部
い。英訳の出版が楽しみである。
分的 な 研究 し か な さ れ て い な い。A. ク レ イ グ 先生、燿
英語圏での日本研究の世界で指導的な立場にあるご夫
子先生のお力で、海外における福沢研究がその思想の内
妻は、どちらも大変気さくにフレンドリーに初対面の私
部にまで光をあてるように発展することを期待したい。
首都大学東京都市教養学部准教授
クレイグ先生との昼食
河 野 有 理
残念 な が ら 講演会 には 出席 することはかなわ なか っ
からである。そのことを理解しなければ例えば次のよう
た が、新緑 の ま ぶし い 三田 のキャンパスでクレ イグ 先
な福沢評の理解は困難だろう。
生 と 昼食 を ご 一緒 したのは 光栄 であった。想像 し てい
た よ り 長身 で、 ゆっくりと 丁寧 な 動作 が 印象的 で あっ
彼(福沢)は 社交上 において 階級儀式 の 類 を 排斥 すれど
た。想像 し て い た の と 異 な っ て い た の だ が、外見 だ け
も、旧時の遺物たる封建制には甚だしき反対をなさざり
ではなかった。福沢の参照した西洋書についての詳細な
き。むしろ中央集権の説に隠然反対して早くも地方自治
検討 をもとに、福沢 の 思想 におけるいわゆる「 スコット
の利を信認せり(陸羯南『近時政論考』
)
ランド 学派」の 影響 について 分析 された Civilization and
Enlightenment(『文明 と 啓蒙 初期福沢諭吉 の 思想』)の
「旧時 の 遺物 たる 封建制 には 甚 だしき 反対 をなさざり
著者として、先生の御関心の焦点は、どちらかといえば
き 」とは、一見 すると、福沢 への 評価 としては 異例 なよ
「哲学 より 」に 位置 していると 私 は 思 い 込 んでいた。 と
うである。だが、
陸がここでは「封建」を、
「中央集権の説」
こ ろ が お 話 の 中 で、先生 の 現在 の 御関心 は、
『分権論』
に対する「地方自治の利」を「信認」する立場として用い
から『国会論』にかけての 福沢 の 論説 の 政治的意図 に 向
ている点を理解することが大切である。こうした「封建」
けられていた( ご 講演 の 内容 とも、 あるいは 関係 があっ
の用法は同時代においてごく普通のことであった。そう
たのではなかろうか)
。なかでもとりわけ「封建」という
し てみれ ば 、福沢 の『分権論』は 同時代的 な 文脈 で は 、
言葉の用法について先生はご興味を示された。
「封建論」でもあったのである。
私 の 考 えでは、福沢 は「封建」という 言葉 で、 もっぱ
福沢のみを読んでいては、福沢を理解することはでき
ら「封建門閥」という 言葉 に 代表 されるような 職業選択
ない。先生のスコットランド学派研究の中にも、勝手に
の 自由 なき 江戸 の 身分制 を 表現 しようとした。 しかも、
共通する方法的意識を読み込んだ私は、最後にクレイグ
福沢 における「封建」の 語 のそうした 用法 は、極 めて 意
先生に一つ質問した。福沢以外の明治初期の思想家で誰
識的かつ戦略的になされたものだった。というのも、同
を研究したいと考えているか、と。
答えは加藤弘之であっ
時代 の「封建」という 語 は、単 に 身分制 のみにはとどま
た。クレイグ先生の加藤研究も今から楽しみである。
らないふくらみをもったなかなかやっかいな言葉だった
−3−
ア ー カ イ ブ ズ 講 座
平成25年度 中津市 アーカイブズ講座
本年度 の 中津市 との 提携 によるアーカイブズ 講座 は、
15 : 15 講義 ②「襖の下貼り文書」
高校生 と 大学 1 、2 年生を 主 な 対象 とした「初級者の 部」
が 8 月 7 日(水)から 9 日(金)までの 2 泊 3 日、別府大
尾立和則氏(元京都造形芸術大学教授)
21 : 00 勉強会
学 の 学生等 と 合流 した「中級者 の 部」が、8 月 8 日(木)
古文書入門( く ず し 字 で 書 か れ た 食
か ら 12 日( 月 )ま で の 4 泊 5 日 間 の 日 程 で 行 わ れ た。
材 の 一覧 や、現存 する 最 も 古 い 福沢
アーカイブズ講座の開催は、今年で 5 年目になる。
の書簡を読んでみる)
初級者の部では、大阪と中津で、福沢諭吉関係の史跡
8 月 9 日 9 : 00 実習
見学も行った。詳しい内容は以下の通りである。なお宿
1 班 : 1 時限 西沢担当 2 時限 尾立先生担当
泊は、初級者の部が旅館日吉、中級者の部が中津市営の
2 班 : 1 時限 尾立先生担当 2 時限 西沢担当
研修施設八面山荘であった。
実習 は、2 班 に 分 か れ、解読実習(西沢担当)と 襖 の
参加者 は、初級者 の 部 が 高校生 9 名(慶應義塾高 1 、
志木高 2 、女子高 4 、SFC 中高等部 2 )、学部生 3 名(文
木枠や表紙はがし(尾立先生担当)を行った。
13 : 00
学部 1 、経済学部 1 、法学部 1 )、中級者 の 部 は 別府大
【福沢諭吉関係史跡の見学 ③ 】
学 より 21 名、九州大学大学院 より 1 名 が 参加 し、福沢
中津城内独立自尊の碑・本耶馬溪・青の洞門・羅漢寺
研究センターからは調査員 4 名が TA として参加した。
18 : 00 北九州空港発 羽田空港到着後解散
なお、引率人員は以下の通り。
大塚彰(志木高)、末木孝典(慶應義塾高)、都倉武之(福
<中級者の部>
沢研究 センター)
、西沢直子(福沢研究 センター)、馬場
8 月 8 日 初級者の部と共通
国博(SFC )、馬場秀行(女子高)、見滝静香(SFC )、結
8 月 9 日 9 : 00 講義 ③「史料の写真撮影」
城大佑(女子高)
針谷武志教授(別府大学)
10 : 45 福沢記念館見学 都倉武之
<初級者の部>
13 : 30 ∼ 16 : 45 整理・目録作成実習
8 月 7 日 8 : 00 東京駅集合 のぞみ 207 号
8 月 10 日 9 : 00 ∼ 16 : 45 整理・目録作成実習
10 : 33 新大阪駅着
18 : 30 学生親睦会
【福沢諭吉関係史跡の見学 ① 】
於八面山荘バーベキューハウス
適塾・除痘館記念資料室・大阪慶應倶楽部・大阪慶應義
8 月 11 日 9 : 00 ∼ 16 : 45 整理・目録作成実習
塾跡・福沢諭吉生誕地記念碑・慶應大阪シティキャンパス
8 月 12 日 9 : 00 ∼ 12 : 15 整理・目録作成実習
14 : 45 新大阪駅発 のぞみ 31 号、ソニック 39 号
12 : 15 ∼ 12 : 20 閉講式 中津市教育長挨拶
17 : 42 中津駅着
本 年 度 解 体 し た 襖 は、 医 家 で
21 : 00 勉強会
あった 大江家 の 襖 で、 また 目録作
1)福沢諭吉と中津についての基礎知識
成 は 昨年 に 引 き 続 き 小田部家文書
2)古文書 を 読 む た め の 基礎知識(暦
を 扱 った。大江家 は 明治維新後 も
の 読 み 方、干支十二支、江戸時代
中津 の 名望家 で、下張文書 に 含 ま
の貨幣制度、くずし字などの学習)
れていた 帳簿 らしき 断片類 は、今
8 月 8 日 9 : 00 福沢記念館集合
後同定作業 がどの 程度 できるかに
【福沢諭吉関係史跡の見学 ② 】
もよるが、地方企業 に 関 する 新 し
福沢諭吉旧邸および福沢記念館・寺町及び明蓮寺・村上
い情報も得られそうである。また本年度目録採取が進ん
医家資料館
だ分は、切米の支給催促など、
13 : 30 開講式 於中津小幡記念図書館
禄米に関す る も の が多か っ
中津市長・中津市教育長挨拶・参加
た。 おそらく 配給係 が 輪番制
教員紹介
で、小田部武右衛門 が 務 めた
14 : 00 講義 ①「福沢諭吉と中津」西沢直子
時期もあったのであろう。
−4−
古文書講座報告 中津古文書講座を終えて
慶應義塾女子高等学校教諭 馬 場 秀 行
体育館ほども広い講堂の一隅で尾立和則先生は、古い
最新の教育遺産を伝えるだけではなく、学問というもの
ふすまを一枚取り出して、金槌で木枠をたたき壊し始め
がどのように開けて来るのかを教えてあげられるのはど
る。大きな講堂全体に轟音が響きわたる。四角形に並べ
のような活動を通じてであろうか。後期中等教育段階に
られた机に座って西沢先生に古文書の読み方の初歩を学
おいてそれは、その端緒となる機会や活動に生徒たちを
んでいる生徒たちは、コピーされた解読用のテキストと
向かわせてあげられるかどうかにかかっている。子供達
漢字かな交じり文の穴埋めクイズ形式のプリントをじっ
が飛びついてくるほど面白いことを、私達教員は用意し
とにらんでいる。尾立先生は、木枠を外すと平たい鉄の
ておくよう常に心がけていなければならない。教室の内
包丁のような道具を使って、ふすまの外張りから下張り
外でそのはずである。
へと剝がしにかかる。数枚が重なっている。一枚一枚が
大学受験という足かせが無くても、推薦のための公平
うまく剝がれることもあれば数枚が固まって剝がれるこ
な基準に基づく学習成果を検証することが求められる一
ともある。文字が見えると尾立先生はひときわ大きな声
貫校では、諸学の入門的な活動をすることは出来る。し
を 上 げて、「これは 明治中期 のものやなあ」と、取り囲 ん
かし、それは習慣化された小規模なものにならざるを得
だ 生徒 たちに 視線 を 投 げ か ける。生徒 たちは、目 の 前
ない。定期テストやアチーブメントテストで推薦のため
に 起こっていることが な か な か 飲 み 込 めず、うまく剝 が
の結果を出す勉強を求められるからである。
れた 下張りの 紙 から文章らしきものが 全体として見 えてく
そうした条件の中で、中津古文書講座が果たす意義は
ると、驚嘆 の 声を 上 げ 、
「うわあ、すごい 」とため 息をつく。
まことに大きい。教室の勉強では決して得られることの
これが 帰京後、生徒 たちが 異口同音 に「楽 しかった 」
できない 自己発見 と 自己啓発 への「機会」を 与 えられる
と 感嘆 の 声 を 上 げた 襖 から 古文書 を 取 り 出 す 作業 であ
からである。与えられたその機会に生徒達がどのような
る。参加 した 女子高 1 年生 の 一人 W 君 は 感想 に 次 のよ
契機で自分の中に今までに自覚していなかった好奇心の
うに書いてくれた。
発条を発見できるかはもちろん予見できないが、教室で
「大阪中津 の 研修旅行 で 一番心 に 残 っているこ とは、
黒板とテキストと教師の言葉の日常に、感動を失い、鈍
なんといっても襖を剥がす作業の講座です。明治のこ
感にされてしまった生徒達に、この講座は、真理へと向
ろの 手紙 が 出 てきたときは 本当 に 感動 しました。 1 枚
かってゆく覚醒した精神をかき立てることができるイン
の 襖 が 100 年近 くの 歴史 を 繋 いでいると 思 うと 本当 に
パクトを持っている。
感激 で す!古文書 を 読 む こ と に 対 し て は 始 め 不安 が
生徒たちどうしで、受けた印象や意見の交換をする機
あったのですが、
講座で食べ物の名前を解読してみて、
会を作り、参加者全員の感想文を記録として残すことも
わかりやすかったし興味がわいてきました。まだ学校
このプロジェクトの成熟に意義あることだろう。
で古文書などはやってないですが、これからもっと勉
江戸末期に作られた日吉旅館に泊まり、文久期から営
強したいな、と思いました。重要な古文書を手で触れ
業 している 銭湯「汐湯」
( うしおゆ )に 入 った 体験 もきっ
られたのもうれしかったです。いろんなことをたくさ
と生徒のそうした文章の中に出てくるに違いない。
ん学べる良い機会になりました。ぜひ来年も参加した
この講座に出発する夏前の準備段階から、用意周到な
いです。
」
心配りをされて、宿での女子生徒のお風呂の都合のこと
古文書を解読する初歩をひとつのグループが習い、他
にまで 気 を 遣 って 下 さった 西沢直子先生 にはあらため
方のグループは、実際に襖の下張りから古文書が取り出
て、そのお骨折りには感謝の言葉もありません。また都
されるところを目撃する。写真に撮り、清書し、文書と
倉武之先生には、その後記録的な猛暑となっていったサ
して整理される、と習う。これほど、子供達の感性と知
ウナ風呂状態の大坂と中津の昼間を、電車の乗り継ぎを
性のすべてに訴える学習は他にない。
含め分刻みで予定された福沢諭吉ゆかりの見学地を馳せ
今日慶應義塾が生徒たちにどのような自己発見とより
深い学問へ誘うプログラムを与えられるのか。過去及び
−5−
めぐり、懇切に説明をしていただいたご苦労も忘れられ
ません。厚くお礼申し上げます。
河北先生を偲んで
河北展生先生を偲ぶ
大妻女子大学短期大学部教授 高 木 不 二
福沢研究センター客員所員 2013 年 2 月 23 日文学部名誉教授 で 福沢研究 センター
学校教員や職員、さらには OB をふくめた福沢研究に関
の 所長 も 勤 め ら れた 河北展生先生 は、 ご 自宅 でご 家族
心をもつ有志の研究会を主催されていた。月に一回自発
に 見守 られながら、静 かに 息 を 引 き 取 られた。大正 10
的 に 10 人前後 のメンバーが 集 まり、『福翁自伝』を 読 み
年 のお 生 まれなので、享年 92 ということになる。以下、
すすめながら、詳しい注をつくっていこうという実証的
長年にわたって教えを受けたものとして、いくつか思い
な 会 であった。私 も 途中 から 参加 させていただいたが、
出すことどもを記して、先生を偲ぶよすがとさせていた
慶應らしいフレンドリーな集まりで、福沢研究に関心が
だきたい。
ある方がたがこれほど多く慶應義塾のまわりにおられる
先生はもともと松平春嶽の政治論などを中心とした幕
ということは大きな驚きであった。こうした研究活動の
末政治史 を 研究 されていたが、慶應義塾 100 年史 の 執筆
蓄積 がやがて 先生晩年 の 著作『「福翁自伝」の 研究』
(佐
編集にかかわるなかで、慶應義塾の歴史に強い関心をも
志伝氏 との 共著)に 結実 するのだが、 しかしそうした 福
つ よ う に な られたようである 。 そうした 先生 にとっ て
沢研究も慶應義塾全体との関係を意識したとき、ある種
『慶應義塾 125 年』
(写真集)の 編集 と 記念展覧会 の 開催
の壁にぶつかっていることを先生は当時感じておられた
は、塾での生活の締めくくりとなる大きな意味をもつも
のだろう。中井先生との話し合いは、そうした今後の福
のであった。当時 100 年史 の 編纂拠点 となった 塾史編纂
沢研究 の 方向性 を 模索 するものであったとおもわれる。
所は福沢研究センターに発展的に改組されつつある時期
お二人が到達した結論は、研究対象を福沢諭吉個人にと
であったが、先生は毎日のように塾史編纂所のちには福
らわれることなく、その門下生・卒業生にまで広げて考
沢研究 センターに 通 われ、 その 編集作業 に 没頭 された。
えていこうというものであった。
そ の お 姿 は 仕事 を する とい う 感 じとは 無縁 で、楽 し そ
最初に着手したのは、多くの学部の先生方に声をかけ
うにさえ 見受 けられた。100 年史編纂 のときのご 苦労 を
て 共同研究 を 進 めることであった。 テーマは「福沢門下
知っておられたので、現在の態勢では大きな編纂物を作
生 と 日本 の 近代化」というようなものであったと 記憶 す
るのは無理と判断され、写真集の発刊を提案されたのも
るが、慶應義塾から三年間福沢基金をいただいて精力的
先生であったと記憶する。写真集の編集にあたっては福
な 地方調査 をおこなった。 メンバーには 文学部 の 河北・
沢諭吉や塾史研究の第一人者であった富田正文氏のご意
中井両先生はもとより、代表となられた経済学部の島崎
見なども伺いながら、当時日産ビルにあった塾史編纂所
隆夫先生はじめ、法学部の高鳥正夫先生、商学部の石坂
で写真撮影の準備をされていた。また『慶應義塾 125 年』
巌先生など錚々たる方がたが名を連ねた。わたしも会計
の 末尾 に 掲載 された「慶應義塾 125 年 の 歩 み 」と 題 した
事務要員としてその末席をけがしたが、慶應義塾の初期
解説は先生がみずから筆を執られたもので、写真の選定
に入学生が多い和歌山や熊本、長岡などの現地調査を手
にあわせて先生が何度も何度も書き直され、そのたびに
分けしておこなっていった。
そのなかで 125 年記念事業 の 一環 として 塾史編纂所 を
コピー機のまえで新原稿をみずからコピーされていたお
姿が今でも忘れられない。
発展的 に 改組 し、150 年史 を 編纂 する 拠点 として 慶應義
先生 はまた 125 年 の 記念事業 に 関連 して 福沢研究 セン
塾福沢研究センターの設立が図られていく。石坂巌先生
ターの 発足 にも 大 きくかかわっておられた。先生 は 150
を中心に先の共同研究メンバーが挙ってこれを後押しす
年史の編纂態勢を作り上げることを考えておられ、もう
る かたち で、最終的 には 慶應義塾 のみ な らず 日本近代
一方で塾史編纂所の将来も心配されていた。あるとき研
史 の 研究拠点 としてその 実現 をみたことはいうまでも
究室の雑談のなかで、これからの福沢研究のありかたを
ない。
最後になりましたが、河北先生のご冥福を心からお祈
めぐって河北先生が同じ文学部の中井信彦先生に相談を
もちかけておられたのを記憶している。当時先生は「
『福
り申し上げます。
翁自伝』を 読 む 会」という、大学教員 のみならず 広 く 諸
−6−
新 収 資 料 紹 介 平成 25 年 3 月 から 平成 25 年 8 月 までの 間 に、福沢研究 センターに 収蔵 された 主 な 資料 を 紹介 します。多 くの 方々 か
ら貴重な資料をいただきながら、すべての資料をご紹介することができず申し訳ありません。
(物故者敬称略)
福沢諭吉差出書簡
今回 は 多 くの 福沢諭吉差出書簡 が 新 たに 収蔵 された。特 に『福沢諭吉書簡集』
(岩波書店 2001∼2003 年)未収録 の 新
資料として、これまで名宛人として知られていなかった根岸武香に宛てた書簡を収蔵することができた。
■ 根岸武香宛書簡 明治 16(1883)年 12 月 15 日付 1 通
【購入】
日本鉄道会社 の 本庄 までの 第一期工事 が 終 わり、鉄道 の 必要 を 力説 して 会社創設 に 関 わった 福沢 のもとに、 チケッ
トが 送 られてきた。福沢 は 浜野定四郎、岡本貞烋、高島小金治らを 伴 い、12 月 9 日日帰 りで 熊谷 を 訪 れた。熊谷直実の
寺へ参り、熊谷での歓迎午餐会で演説した。演説内容は、翌年 2 月 15 日に発行された『交詢雑誌』に掲載された。根岸
武香はこれまでに名宛人としてだけではなく、書簡には登場したことがない人物で、
『慶應義塾入社帳』にも記載がない。
天保 10(1839)年埼玉県熊谷市(旧大里郡冑山村)に生まれ、剣術を千葉周作、和漢学 を寺門静軒、安藤野雁 に学んだ。
明治 6 年 には 熊谷県学区取締 を 務 め、12 年県会開設 とともに 副議長 を 務 め、翌年議長 となる。27 年 には 貴族院多額納
税議員になった。鉄道事業にも尽力し、明治 36 年の『人事興信録』では、武州鉄道株式会社監査役・合資会社興業貯蓄
銀行監査役となっている。根岸家は、慶長年間以来の旧家で、大地主であった。
■ 長沼村民宛書簡 明治 10(1877)年 11 月 1 日付 1 幅
【購入】
千葉県埴生郡長沼村(現成田市)にあった 300 ヘクタール程の「長沼」の漁業・採藻権、渡船営業権を巡って起こった
争 いに 関 するもの。江戸時代 には 長沼村 のみの 入会地 であったが、明治以降上流 の 村々 からの 要望 があり、周辺村落
15 カ 村 を 含 んだ 入会地 に 変更 されることになった。 また 渡船 の 営業権 の 独占 も 崩 されることになり、「長沼」によって
生計 を 立 てていた 長沼村 は 困窮 した。県庁 に 嘆願 しても 聞 き 入 れてもらえず、手立 てを 失 っていたところ、 たまたま
村民の 1 人が『学問のすすめ』を読んだのをきっかけとして、明治 7 年 12 月村民の小川武平らが助力を求めて、福沢の
もとを 訪 ねてきた。状況 を 知 った 福沢 は、県庁 との 交渉 などに 援助 を 惜 しまず、明治 9 年「長沼」の 5 年間 の 有償貸与
を勝ちとった。
この 書簡 は、 その 翌年 に 対岸 にある 荒海村 が 渡船 の 営業 を 認 められなくなり、長沼村 が 独占 を 回復 したときのもの。
「渡船恢復御祝詞」を 認 めるとともに、慢心 して 船頭 の 午睡 のために 便 を 出 さないといった、人々 の 便利 を 考 えない 行
動 をとることがないよう「勝 てかぶとの 緒 をしめるとハ、今日 ニこそあるべけれ 」と 自重 をも 求 めたもの。『福沢諭吉
書簡集』第 2 巻 27∼28 頁。
■ 阿部泰蔵宛書簡 年未詳 2 月 27 日付・明治 15 年 9 月 28 日付・16 年 2 月 7 日付・同年 2 月 12 日付・同年
2 月 14 日付・同年 2 月 27 日付・同年 3 月 6 日付・21 年 1 月 25 日付・23 年? 12 月 18 日付・
25 年 3 月 19 日付・26 年 11 月 30 日・20 年 6 月 16 日付(貼込順) 12 通 1 巻
【購入】
この巻子に貼り込まれている書簡は、 いずれも内容についてはすでに知られていたもので、 すべて『福沢諭吉書簡集』に
収録されている。ただ、編集時 にはどの 書簡も所蔵者 がわからず、原本との 校訂 ができなかったため、 やむをえず『福沢
諭吉全集』
(岩波書店、再版 1971∼1973)から再録した。この 度 の 校訂結果 は、『近代日本研究』第 30 号(2014 年 3 月発
行予定)に掲載 の 予定である。明治 16 年 2 月と 3 月に頻繁 に出されている書簡 は、福沢諭吉 の 長女里 の 中村貞吉 への 縁
組 に関 するもので、阿部泰蔵 が 仲介を務めた。 2 月 7 日付 の 最初 の 書簡では、両家 の 顔合 わせ 会 について、吉日を選ん
で 先方 が 挨拶 に来るのも、当方 から出向くのも「随分繁忙」なので、日本橋辺りの 茶屋で 略式 にすませたいと述 べ、阿部
に同席を依頼し、また段取りについて自分 の 案を述 べている。しかし福沢といえども、初めて子どもを結婚させることに緊
張したのか、体調を崩して 2 度も延期した。 3 月 6 日付の書簡で、ようやく縁談が 整い、阿部に鮮魚一尾 が送られている。
−7−
新 収 資 料 紹 介/主な 動 き
福沢大四郎家関係資料
【Emi Fukuzawa & Kiyoshi Murata 氏寄贈】
福沢諭吉 の 曾孫 で、四男大四郎 の 孫 にあたられるエミ 氏 がお 亡 くなりになり、夫君
である Kiyoshi Murata 氏 から、大四郎、 その 長男進太郎(慶應義塾大学法学部教授)
、
その子息幸雄、エミが暮らした鎌倉山の住まいに残されていた関係資料 24 点が寄贈さ
れた。主なものは以下の通りである。
1 )福沢諭吉書幅
「所思不可言 所言不可為 人間安心法 唯在無所思」 1 幅
2 )慶應義塾出版社版木ついたて 1 台
3 )福沢進太郎アルバム 1 冊
4 )福沢大四郎写真 1 枚
5 )福沢大四郎と妻まつ写真 1 枚 他 計 24 点
塾員関係資料
1)
■ 本山彦一宛吉川泰二郎書簡 年月未詳 27 日付
【購入】
雑事 のため 約束 していた 訪問 ができなくなったことを 伝 えるもの。本山彦一 は 熊本
の 出身 で、藩校 に 学 び、明治 4 年上京後 は 箕作秋坪 の 元 で 学 んだ。 7 年 ごろから 福沢
に 親炙 し、慶應義塾出版社に 止宿。12 年 に 兵庫県 に 勤務 したのち、箕浦勝人の 後任 と
して 大阪新報社 に 入 り、以後 ジャーナリストの 道 を 歩 む。昭和 5(1930)年貴族院議
員 に 勅選 される。差出人 の 吉川泰二郎 は、奈良 の 神官 の 家 に 生 まれ、明治 3 年 に 慶應
義塾 に 入学。東奥義塾教員 や 愛知県英語学校長 を 務 め、11 年郵便汽船三菱会社 に 入 り
活躍、日本郵船会社の 設立 と 同時 に 移籍 する。 この 書簡 は 封筒 の 宛先 から、本山 が 時
事新報社に勤務している明治 16 年から 19 年の間と思われる。
■ 本山彦一宛箕浦勝人・鹿島秀麿書簡 明治 32 年 11 月 30 日付
【購入】
箕浦勝人 は 臼杵 の 出身 で 明治 7 年 に 慶應義塾 を 卒業後、 ジャーナリストや 政治家 と
して 活躍、衆議院副議長 も 務 めた。鹿島秀麿 は 徳島 の 出身 で、明治 7 年 に 慶應義塾 に
2)
入学、卒業後 は 淡路島 の 洲本中学 などで 校長 を 務 めた。 また 民権家 としても 活動 し、
衆議院議員にも当選している。このとき本山は大阪毎日新聞社相談役。
主な動き
■ センター講演会
■ センター公開講座
9 月 28 日(土)に、日本英学史学会との共催で、5 月のクレ
日吉 キ ャ ン パ ス で 開講 し て い る「近代日本 と 福沢諭吉
イグ 氏 と 同 じく 三田演説館 において 講演会 を 開催、マギル
Ⅰ」では、今年度 もゲストスピーカーをお 招 きして 公開講
大学教授太田雄三氏 をお 招 きして「英学 の 終焉 と 学生 の 英
座 を 開催、慶應義塾大学出版会代表取締役会長 の 坂上弘氏
語力の低下」と題する講演をお願いした。なお、講演録は『近
( 6 月 17 日)、清家塾長( 7 月 1 日)に特別講義をお願いした。
代日本研究』第 30 巻(2014 年 2 月刊行予定)に掲載される。
■ 中津アーカイブズ講座
■ ワークショップの開催
今年 で 5 年目 となる 中津市 アーカイブズ 講座 を 8 月 に 開
9 月 6 日(金)、 ワークショップを 開催 した。内容 は 大妻
催した。 7 日(水)∼ 9 日(木)は「初級者の部」で、慶應義
女子大学 ほかで 非常勤講師 を 務 め、 センター 調査員 でもあ
塾 か ら 高校生 9 名、学部生 3 名 が 参加、8 日(木)∼ 12 日
る 坂井博美君 の 著書、
『「愛 の 争闘」のジェンダー 力学―岩
(月)は「中級者 の 部」で、別府大学 21 名、九州大学大学院
野清 と 泡鳴 の 同棲・訴訟・思想』についての 書評会 で、 コ
1 名、福沢研究 センター調査員 4 名が参加した。「初級者 の
メンテーターとして 尚絅大学准教授宇野文重氏、一橋大学
部」は 未来先導基金 による 公募 プログラムであり、今年 が
大学院社会学研究科特別研究員簑輪明子氏をお招きした。
2 回めの実施であった。詳細は p. 4
−8−
5 を参照されたい。
戦 争プロジェクト始 動 「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクト始動
本年 8 月、
「慶應義塾と戦争」をテーマとするプロジェ
クトが 始動 した。 このプロジェクトは 戦後 70 年 を 迎 え
■ 主なオリジナル資料寄贈
宅嶋徳光関係資料(弟・宅嶋徳治氏寄贈)
る 2015 年 を 目処 に、① オリジナル 資料 の 収集、② 聞 き
宅 嶋 徳 光 は 昭 和 13 年 に 法 学 部 政 治 学 科 入 学、18 年
取 りや 回想記 の 収集、③ 基礎的 なデータの 整備、④ 展
9 月繰上卒業。海軍第 13 期飛行専修予備学生。昭和 20 年
覧会やインターネットでの成果公開を目指している。
4 月、松島沖での訓練中に殉職。資料には日記、家族に
先 の 大戦 では 義塾関係者 から 2200 人 を 超 す 戦歿者 を
あてた手紙、学生時代に使用した英英辞典、アルバムな
出し、全国最大の空襲被害をうけた大学とされ、塾史編
どが含まれる。日記は『くちなしの花』の題で公刊され、
纂上、極めて重要な時代である。またこの時代の義塾を
広く知られている。
見つめ直すことは、日本が戦争といかに向き合ったのか
を考える一つの切り口としても意義あることであろう。
この分野では、経済学部白井厚ゼミによる調査が重要
な研究成果となっているが、大学としての徹底調査は十
分なされておらず、他大学の遅れを取っているのが実情
である。今後義塾においても多様な議論が、事実に即し
て健全に、活発になされていくためには、十分に基礎資
料を収集・検討する必要がある。そのための最後の機会
が今ではないか。その問題意識に基づくのが、このプロ
ジ ェ ク ト で ある。現時点 の 活動 の 概要 は 以下 の 通 りで
ある。
笹山基関係資料(弟・笹山堅氏寄贈)
笹山基 は 昭和 17 年 に 大学予科 に 入学、20 年 1 月応召、
陸軍入営。終戦後ソ 連 に 抑留 され、10 月 イリチョフカに
て死去。出征の際の記念写真、家族宛の手紙、死亡通知
書などが含まれる。
山本義雄関係資料(弟・山本孝太郎氏寄贈)
山 本 義 雄 は 昭 和 15 年 経 済 学 部 予 科 入 学、18 年 学 部
1 年時 に 学徒出陣 で 陸軍入営。20 年 8 月 10 日、本土決
戦に向けた作業中に病死した。資料には学生服、陸軍軍
服、家族宛の手紙、アルバムなどが含まれている。
■ 聞き取り調査
陸海軍 で 戦争 を 経験 し た OB(中退者 を 含 む )、戦歿
した塾生・塾員の遺族・関係者を中心に聞き取り調査を
行っている。現時点では東京近郊のほか長野・京都・福
岡 なども 合 わせて 計 23 人 に 体験談 をうかがった。目標
は 100 人 である。現在、海軍関係証言 にやや 偏 している
■ 基礎データの整備
学籍簿及び戦友会関係名簿の調査を進めている。学徒
出陣期を中心に、在学者一人一人の動向をできるだけ詳
細に追えるデータベースの作成を計画している。
■ 展覧会開催
が、軍関係のみならず、キャンパス周辺の空襲や、疎開・
11 月末 から 12 月 にかけて、三田 メディアセンター 内
勤労動員など多様な内容、日系 2 世や台湾・朝鮮籍など
展示室(第 1 会場)、南別館アート・スペース(第 2 会場)
多様な属性の体験を収集したいと考えている。
にて、
「慶應義塾 の 昭和十八年」と 題 する 展覧会 を 開催
し た。第 1 会場 に は お よ そ 4000 人、第 2 会場 に は お よ
そ 800 人 の 来場 があった。今後 2 年間 で 2 回 の 展示 を 予
定している。
■ 資料調査
回天記念館、大刀洗平和記念館、水交会、佃島住吉神
社、わだつみのこえ記念館にて資料調査を行った。
−9−
福沢研究センター諸記録
(2013年 4 月~ 2013年 9月) ■ 諸会議
*平成25年度第 1 回執行委員会( 5 月22日)
*平成25年度第 2 回執行委員会( 6 月19日)
*平成25年度第 1 回福沢研究センター会議( 5 月30日)
*平成25年度第 1 回運営委員会( 6 月27日)
*小泉基金運営委員会( 7 月17日)
*『近代日本研究』第30巻第 2 回編集委員会( 8 月22日)
*『近代日本研究』第30巻第 3 回編集委員会( 9 月26日)
■ 人事
〈所 員〉 退任 斉藤暁子(女子高等学校) ∼ 3 月31日
新任 結城大佑(女子高等学校) 4 月 1 日∼
〈客員所員〉 新任 田中康雄(研究嘱託 から客員へ) 4 月 1 日∼
〈事 務 局〉 新任 石崎亜美(非常勤嘱託) 4 月 1 日∼
退職 高嶋朱里(事務嘱託) ∼ 7 月21日
■ 主な来往
*中津旧邸保存会事務局長松下太氏、中津教育委員会学芸員吉
川和彦氏来訪( 4 月17∼18日)
*石垣貴千代氏、塾員玉川博己氏、戦没塾員資料 の 件 で 来訪
( 5 月14日)
*金沢大学名誉教授丸山珪一氏、
資料閲覧のため来訪( 5 月15日)
* NHK 報道局安部康之氏ほか 1 名来訪( 5 月21日)
*法政大学笹川ゼミ来訪、施設の見学( 5 月24日)
*常盤大学名誉教授坂田仁氏来訪( 6 月 4 日)
*中国からの留学生劉利陽氏来訪( 7 月12日)
*上原家調査に関する NHK の取材対応( 7 月22日、31日)
* ICU 客員所員飛田良文氏、
資料閲覧のため来訪( 8 月20 、29日、
9 月 2 、3 日)
*金明洙氏、羅蕙錫( ナ・ ヘソク )学会会員 が 来訪、資料調査
および施設を見学( 8 月22日)
*名誉教授桑野博氏ほか、資料閲覧のため来訪( 9 月 4 日)
*韓国テレビ局の取材対応( 9 月19日)
*塾員髙梨義郎氏来訪、合わせて NHK の取材対応( 9 月20日)
■ 出張・見学
*都 倉 准 教 授、メディアコム の 葉 山 で の オリエン 合 宿 に 参 加
( 4 月 5 ∼ 7 日)
*西沢教授、北鎌倉の福沢大四郎氏ご子孫宅を訪問( 5 月15日)
*岩谷所長、大阪シティキャンパス開所式に出席( 5 月20日)
*西沢、小倉庭園博物館 を 訪問、 その 後中津旧邸保存会評議会
( 5 月21日)
*都倉、福沢大四郎関連資料の引き取り( 5 月21日)
*清野主務、全国大学史資料協議会東日本部会総会(中央大学)
に出席( 5 月29日)
*都倉、福岡在住の宅嶋徳治氏、井上徳世氏宅を訪問( 6 月12日)
*都倉、横浜初等部 で「福沢先生 ミュージアム 」展示作業( 6 月
20日)
*都倉、馬喰町の三上旗店を訪問( 6 月27日)
*都倉、横山調査員、亀岡敦子氏、上原家調査 のため 安曇野市
( 7 月 6 日∼ 7 日)
*都倉、聞 き 取 り 調査 の た め 塾員佐々木栄一郎氏宅 を 訪問
( 7 月12日)
*西沢、中津市役所にて古文書講座の打合せ( 7 月26日)
*西沢、皇太子行啓 に 伴 い、中津 の 福沢旧邸、記念館 を 案内
( 7 月27日)
*西沢、川越在住の岩 昭九郎氏を訪問( 7 月31日)
*都倉、横山、資料調査及 び NHK の 取材対応 のため 上原家 を
訪問(松本市、安曇野市)
( 8 月 1 ∼ 2 日)
*都倉、横山ほか、水交会にて調査( 8 月28日)
*都倉ほか、聞き 取り 調査 のため久喜市在住 の 髙橋よし子氏を
訪問( 8 月30日)
*都倉ほか、佃島住吉神社にて資料調査( 9 月 7 日)
*都倉 ほ か、聞 き 取 り 調査 の た め 塾員土井庄一郎氏 を 訪問
( 9 月 7 日)
*都倉ほか、わだつみのこえ記念館にて資料調査( 9 月 9 日)
*都倉、横山、周防市の回天記念館にて資料調査( 9 月12日)
*都倉、横山、聞 き 取 り 調査 のため 北九州市 の 古賀三千人氏、
長谷川博氏宅を訪問( 9 月13日)
*都倉、横山、福岡県 の 大刀洗平和記念館 にて 資料調査( 9 月
14日)
*都倉、横山、聞 き 取 り 調査 のため 福岡市 の 宅嶋徳治氏、井上
徳世氏宅を訪問( 9 月15日)
*都倉、メディアコムの湯河原合宿に参加( 9 月28日)
■ 講師派遣
*西沢、信濃町新任職員 オリエンで 講義:「福沢諭吉 と 北里柴
三郎−慶應義塾の医学」
( 4 月 1 日)
*都倉、信濃町研修医・専修医 の 新任者 オリエンで 講義:「慶
應義塾と福沢諭吉、北里柴三郎」
( 4 月 1 日)
*西沢、中等部新入生向 け 特別授業 で 講義:「一身独立 とはな
にか?」
( 4 月10日)
*都倉、SDM の 合宿 で 講義:「福沢諭吉 の 服装 から 日本 の 近代
を考える」
( 4 月14日)
*都倉、福沢諭吉記念文明塾で講義:
「福沢諭吉の思想・理想・
服装」
( 5 月11日)
*都倉、SFC 中等部で 講義:
「慶應義塾で 学 ぶということ」
(5月
16日)
*都倉、寮和会主催日吉寄宿舎新入生歓迎会 で 講演:「慶應義
塾史上の日吉寄宿舎」
( 5 月18日)
*西沢、西川ゼミ OB 会で講演:「福沢諭吉と女性」
( 6 月 1 日)
*都倉、SFC「慶應義塾入門」で 講義:「濃尾地震、三陸大津波
と福沢先生」
( 6 月 7 日)
*西 沢、 上 智 大 学 比 較 文 化 研 究 所 "Women and Networks in
Nineteenth Century Japan" で 発表:「福沢家女性 た ち の ネ ッ
トワーク」
( 6 月 8 日)
*都倉、所沢三田会 で 講演:「福沢諭吉 と「慶應 ボーイ 」」
(6月
9 日)
*都倉、相模原三田会で講演:「素顔の福沢諭吉」
( 6 月15日)
*西沢、福沢諭吉記念文明塾 で 講義:「文明 と 品格−福沢諭吉
の男女論」
( 6 月15日)
*岩谷、福沢諭吉記念文明塾 で 講義:「文明 の 作法−智徳 と 情
理の交錯点」
( 6 月22日)
*都倉、町田三田会で講演:「最後の早慶戦70年」
( 6 月23日)
*西沢、 すみだ 女性 センターすずかけ 講座 で 講義:「福沢諭吉
と女性」
( 7 月 4 日)
*西沢、善行雑学大学で講演:
「福沢諭吉の家族論」
( 8 月18日)
*西沢、学生部部門別研修 で 講義:「慶應義塾 における 制度的
変遷(大学令まで)」
( 9 月 3 日)
*都倉、学生部部門別研修で講義:
「旧制大学認可後の慶應義塾」
( 9 月 3 日)
*西沢、韓国女性史学会月例会(淑明女子大学)で 発表:「女性
たちのネットワーク 形成 と 階層化−福沢家 を 事例 に 」
(9月
13日)
*都倉、港区立生涯学習 センターで 講義:「福沢諭吉 のイメー
ジと実像」
( 9 月25日)
■ 訃報
*名誉教授中村勝己君(センター顧問)逝去( 7 月26日)
■ その他
*平成25年度福沢研究センター設置講座ガイダンス
三田( 4 月 1 日)、日吉( 4 月 5 日)
*服部家から寄贈資料(ダンボール281箱)を搬入( 6 月11日)
*河北先生を偲ぶ会( 6 月21日)
*未来先導基金 に よ る 中津古文書講座( 8 月 7 ∼ 9 日)・ ア ー
カイブズ講座( 8 月 8 ∼12日)
*図書・資料の燻蒸( 8 月11∼14日)
*服部家からの寄贈資料をリスト化( 9 月 2 日∼10月 2 日)
慶 應 義 塾 福 沢 研 究 センター 通 信 第 1 9 号
Newsletter of
Fukuzawa Memorial Center for
Modern Japanese Studies,
Keio University
− 10 −
発行日 2013年12月31日 (年 2 回刊)
編 集
慶應義塾福沢研究センター
発 行 〒108-8345 東京都港区三田 2−15−45
電 話 03−5427−1603
http://www.fmc.keio.ac.jp/
印 刷 (有)梅沢印刷所
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