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裁判批判の会
裁判批判25号
GLOBALJUSTICEINFO.
Global Justice World 裁判司法批判の会
裁判批判 25 号
裁判の真相
裁判の真実を知ろう
裁判フォーラム【電子書籍・NET書籍】
森岡生成
目 次
1 裁判幻想を打ち破れ 2
2 裁判堕落の原因はなにか 4
3 こうして裁判幻想は作られる 8
4 上辺だけの民主主義 12
5 馬鹿ばかしい日本の裁判 16
6 裁判妄想を粉砕せよ 19
7 国民は裁判の真相を知らない 21
8 弁護士は法律を知らない 27
9 幻想を捏造する国
32
10 日本司法どこが問題か 34
11 裁判は法律匪賊の為の制度 37
12 裁判幻想との惜別 40
裁判批判 25 号はボストンから、森岡生成氏の「裁判の真相」を掲載する。品格のある
格調高い文章である。文の流れが速射砲のように小気味よいテンポで展開される。40
数ページにわたる力作である。
この企画は、8 月に創刊を予定していた「英語習得雑誌」創刊号先延ばしの、お詫び
の為の掲載である。この余波で北沢氏と絵夢氏による「裁判の闘いかた」は次回掲載
お知らせ: 8 月に予定していた英語習得雑誌の発刊が少し遅れます。ご理解ください。
尚、北沢賢治氏と絵夢氏の共創対談は次回に掲載させていただきます。
裁判司法批判の会編集部
1
裁判批判の会
裁判批判25号
GLOBALJUSTICEINFO.
Global Justice World 裁判司法批判の会
裁判の真相
裁判の真実を知ろう
森岡生成
1 裁判幻想を打ち破れ
ボストン便り アメリカに滞在していると、図書館が充実していることに、深い喜びを感ずる。筆
者は時間的な余裕が出来ると、まず何をおいても、図書館を訪れて、日がな一日を過ごす。本
日は、8月に予定していた英語習得のインターネット雑誌の発刊が遅れるので、本会の秋野先
生から、お詫びの徴に、「裁判批判」の文章を寄稿してほしいという要請があったので、近所の
公共図書館に出かけることにした。
まず最初にお詫びをしておかなければならないことは、Global Justice Infoの北沢先生と共
同で執筆を予定していた、新しい企画が、どうしても数ヶ月先延ばしせざるを得ないことになっ
てしまった。その為、森岡が今号を独占する羽目になったので、北沢先生と絵夢さんの「裁判
の闘い方シリーズ」は次回に掲載することが決まった。くれぐれも不手際、許していただきたい。
美しい景観
ところで、ボストンはアメリカでは珍しく、比較的散策に適している街である。ここ
での、楽しみの一つは、この図書館を訪れる前に、チャールズ川べりやバックベイやビーコンヒ
ルの美麗な景観を堪能することができることである。筆者は、久方ぶりに、暫しの自由な時間
を、近所の公共図書館にでかけて、そこの Bates Hall という巨大なドーム状の読書室で、この
文章を書いている。
電脳 IT 社会の到来、それにしても、なんと便利な世の中になったものだろう。その影響下の、
今、世界を席巻しているカジノ資本主義の妖怪が、我々の生活を根底から破壊していることも、
紛れもない事実であるが、在外研究と、研究者として執務する筆者にとって、このインタ-ネッ
ト上の革命は実に感謝すべき僥倖である。
インターネットの普及が世界を変える。情報が鎖国状態で、マニファクチャー・コンセントとして
管理されている日本にあって、インターネットはこの現実を変えうる唯一の希望だ。この動きは
本物だ。歴史上初めて、草の根の人々が情報発信の最良の武器を獲得した。
ネットは弱者の味方 本来的にインターネットは弱者の味方である。今まさに、権力者がインタ
ーネットや携帯メールなどで情報を共有する草の根の人々の動きを完全に封じ込めることは不
可能な時代が到来した。
インドネシアで腐敗した残忍非道なスハルト長期政権を転覆させたのも、このインターネットが
果たした役割が大きい。IT革命の最中にあっても、残念なことに、我が日本国は、弱者にとっ
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裁判批判の会
裁判批判25号
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て最高の武器が、日本特有の風化現象によって、かなりフラク化されていることもまた事実で
ある。
ところで、筆者が10 数年前に、この国にはじめて留学していたころ、日本の新聞を手に入れる
のが、実に難儀な大仕事であった。日本人にとって、日本と隔絶した社会に暮らすことは、苦
役を甘受することを意味していたからである。海外に出ると多くの人は、祖国と精神的に断絶
しない為に、日本の新聞を手に入れるのに大変な苦労を強いられたものである。
日本を客体として それが今はどうだろう。居ながらにして、日本と隔絶することなく、日本社会
特有の閉塞状態から解放されて、自分の国を客体として観察しながら、つながりをもつことが
できる。この事実は驚くべき僥倖といえる。
さて秋野先生の注文の寄稿文は、何分、筆者の専門外の分野であるが、一応、筆者は「裁判
批判の会」のメンバーなので、以下の見解は秋野氏や北沢先輩の思考や法思想を反映させた
ものにならざるを得ないことをお断りして、拙い文章をしたためる。
幻想の日本裁判に未来はあるか
筆者にとって、アメリカの TV で最も興味を引くのは法廷のドラマである。勿論、フィクションは面
白くはない。息をひそめて一気に見てしまうのは、実際の裁判の中継だ。この生々しい、実際
の裁判は実に興味深い。そこには、我々が司法にイメージしている裁判そのものが厳然として
存在しているからだ。
日本の裁判は下らない 比較して日本の民事裁判を傍聴してみたまえ。そこには、皆さんが裁
判に関して抱いている観念が、壮大な幻想、あるいは筋の悪い妄想に過ぎなかったことがよく
わかる。日本に裁判など存在しない。存在するのは、裁判という名のイカサマ寸劇、その実相
は、司法官僚がお膳立した筋書きの結論を遂行する、茶番劇にすぎないからだ。裁判の結末
は、司法官僚の都合に合わせて、初めから決まっている。
いったい、日本の裁判は、猿芝居なのか、国家的詐術なのかよくわからないものである。しかし
多くの日本の国民は、この日本司法のインチキ・イカサマの実態を少しも知らない。
法曹三者の為の裁判 何故なのか。この問いは、有意義な質問である。その回答は、日本司
法は法曹三者のために存在する、単なる利権行為にすぎないからだ。日本には、真の意味で
の、裁判制度が存在しない。
夏目先生との会偶 筆者が最初に法律に興味を持ったのは、留学中に本会のアーネスト夏目
先生との知己を得たことが発端である。先生からは、今を去る1776年にジェレミー・ベンタムと
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裁判批判25号
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いうイギリスの28才の青年が時の法曹界を批判した一冊の法律書によって、弁護士や裁判官
を痛烈に批判した事を教示され、大いに刺激されたものである。
法律匪賊と闘え
ところで夏目先生のロー・スクールの先生はフレッド・ローデルというイエール大学ロー・スクール
の法律学の教授であった。フレッド・ローデルは古今東西の法律家の中で、最も異端な法学者
の部類に属する。ローデルは法律の批判書としては、不朽の名著 LAWYERS を 1939 年に出
版した。以降、この名著ほど法律学のいかがわしさを赤裸々に批判した書物は出ていない。
ローデルの法律批判 ローデルは、法律は「日常の経済や政治そして生活等のごくありふれた
事件の処理をほとんど独占しているのに、世間で、相当の知識人でも、それを解読する特殊で
役に立つ法律的な訓練が受けてない限り、完全に狼狽し、たちまち、たぶらかされてしまうよう
な難解な隠語で、構成されている」と批判した。
イギリスのベンタムも、上記のローデルも、その法律批判の骨子は、法曹界は普通の人が、そ
の法的権利を理解できるように、明瞭で平易な言葉で制定すべきであること、そして裁判官が
恣意的な解釈を付加することによって、法律を複雑怪奇なものにすべきでないこと、そして法
詐術によって、曖昧で、錯綜された手続きを、もっと簡易化すべきことを主張した。
法律が難解でいかがわしい現実は、ベンタム以降、230年以上たった今日でも、少しも変わっ
ていない。法律家は法律を虚仮威しに、曖昧で複雑怪奇なものに仕立てあげてしまっている
のである。其れは自己の商売を有利に働かせるための一種の便法、苦い煎じ薬のようなもの
である。
我が日本国においても、法律用語が詐術的言辞で充満しており、衒学的に小手先を弄する紛
い物として人々を、煙にまく、専制の道具として使われていることは、英米以上である。しかし
日本の法制度に内在する、諸矛盾は、英米やヨーロッパ諸国のものとは、全く異なっていて、そ
の実際は、開発途上国型の腐敗堕落した法制度が日本司法の基底である。
2 裁判堕落の原因はなにか
第二次世界大戦前の日本ともっとも似ている国を一つだけあげるとすると、其れは現在の北朝
鮮体制である。北朝鮮は名目的に社会主義体制を採用しているが、戦前の日本の超国家主
義体制と実によく似た国である。
官僚は昔臣下今盗賊 周知のように、明治憲法下の日本では、官僚は、天皇の臣下であって、
国民の為に存在するものではなかった。その為、法制度そのものが、国民のためにではなく、
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裁判批判25号
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超国家主義体制を維持するための単なる、方策に過ぎなかった。戦前の日本では司法の統
治は司法省によって行われていた。
そして、絶対的天皇支配の明治憲法下では、裁判所は司法省に直属する、単なる一部門でし
かなかった。裁判所には、検事局が並置され、実質的に司法省に直属していた。敗戦後、占
領軍によって、この制度は廃止され、日本には世界でも、もっとも誇りうる民主的な憲法が交付
され、戦前の封建的位階体制は根底から否定されたはずであった。
脅しと恐怖の位階性 今日の腐食司法の元兇は言わずもがな、最高裁事務総局である。最高
裁事務総局は、本来裁判所の庶務を司る単なる一機関に過ぎなかったのだが、今日では、明
治憲法下の司法省の役割にとって代わって、日本の司法を絶対的に支配統制している。
現在の日本では、司法改革が進行中であり、評判の悪い悪性の裁判員制度もその改革の流
れの中で登場したものであるが、法制度の根本の改革は、司法官僚制度という巨大な怪物の
存在に根本的にメスを入れない限り、すべての試みは改悪の方向に進まざるを得ない運命に
ある。
現在の司法の堪え難い腐敗、腐食は最高裁事務総局という化け物が、鵺のように肥大して、
非公式に司法を戦前の司法官僚独善思想を基底に運営しているからである。
ヒラメ裁判官の誕生 ここで読者がはっきりと認識しておかなければならないことは、日本の裁
判官は法の正義を実現するためにではなく、「上の方」すなわち事務総局の為に裁判をしてい
るという現実である。裁判官同士の隠語では、最高裁事務総局を「上の方」と呼ぶ
必然的に日本の裁判官は「上の方」の勤務評定に怯え、恥も外聞も、裁判官としての尊厳をも
投げ捨て、「上の方」の覚えめでたい裁判だけを行う。その理由は、裁判官の任地、昇給、昇
進等の一切の人事権がこの非公式部門の脅しと統制のもとに掌握されているからである。
脅し威嚇睨みの飼育政策
この技法は、限りなく日本的で、徳川治世を模した、いわゆる、
脅しと威嚇と睨みによる恐怖政策である。裁判官は恐れ戦き、ひたすら、上の意向を先取りし
ようと諂い競走に走る。裁判官がこんな状態では公正な裁判など出来るわけがない。犠牲者
は言わずもがな国民である。
裁判批判の会では、日本司法堕落の原因を、日本人が、古代から持ち続けている、日本型ス
キーマにあると考えている。この問題は、深く構造の問題なのである。脅しと黙示の教唆に拠
る管理体制は、裁判官を極めてタテ型で臆病な種族に隷属せしめる。
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裁判批判25号
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日本の法律家は The Law を知らない (アーネスト夏目)
`The Law と the laws は違う
ところで、筆者の法律に対する信条は、アーネスト夏目先生
より教示された、以下の諸点である。すなわち、英米や欧州の先進民主主義諸国で法律家が
心に描いている、法の概念は普遍の抽象的原則の至高の集成体としての法(The Law)であ
る。
The Law は the laws と異なる。the laws とは、その時々の為政者や、権力者によって、施行さ
れたり、廃止されたりする「法律」(the laws)を意味する。The Law とは、そうした法律をも包含
する抽象的で崇高な原理の総体をさす。
したがって法律家にとって The Law と the laws の違いを認識することは、根源的な意味にお
いて重要である。ところがこの国の法律家―裁判官、弁護士、法学者らは、この The Law の精
神を真の意味で理解していない。日本で意味する「法」とは、治世や法律家の単なる道具、権
威や商売、生活の糧を得る手段にすぎず、単なる付け焼き刃、いわば我が国の法律家は法律
匪賊なのである。
この The Law の精神が理解できないという現実が日本の司法を、見せかけで、まがい物の形
式的制度に零落させてしまう。こういう意味において、この国の司法制度は、開発途上国とし
て知られる、タイ、メキシコ、フィリッピン、中国その他の諸国と、法そのものの存在の意識がた
いして、変わらないのである。
途上国との違いは、日本国民が権力の操作に対して、騙されやすく Gullible, credulous,
fool であり、誰もが、この騙されている現実を知らないという点にある。日本は一応経済的に
は先進国であるが、法制度の実際は、上記に記した開発途上国の範疇に属する。
汚職術に長けているだけ
これらの国々との法制度の違いは汚職腐敗の構造が直裁的、
人々の眼前に直接、露呈されているか、それとも、巧妙に隠蔽されているかの違いだけである。
秋野氏は、こうした日本司法の腐敗の現状を赤裸々に分析するように筆者に強く要請された
が、何分、法律は筆者の専門外の分野なので、このフォーラムでは、単なる素人の感想文とし
て思いつくことだけを散漫に述べさせていただくことにする。
訴訟社会アメリカには法がある
アメリカは訴訟社会
さて、アメリカは、まずなんといってもこの強大な帝国は訴訟社会である
ということである。そして、アメリカの訴訟社会の断面を象徴するのは、弁護士の数がやたらに
多いいこと、なんとこの国には百万人近い弁護士が密かに獲物を狙ってひしめいている。
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裁判批判25号
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こうした訴訟社会を日本のメディアや法律家は、往々にして、アメリカの訴訟社会非難の材料
として利用する。そして、アメリカにおける損害賠償請求訴訟の認容額が極めて巨額にのぼる
ことを揶揄する。行き過ぎた訴訟社会の非難にかこつけて、足下の日本司法腐敗腐食現象を
隠蔽する隠れ蓑として巧みに利用する。
確かにアメリカでは、時には数十億ドルの賠償額が認定されることすらある。周知のように、日
本の裁判における損害賠償額は雀の涙程度、さらに賠償額の算定がはなはだ、いい加減で、
根拠が薄弱、官僚のさじ加減、裁判官の単なる恣意次第という違いがある。
法の論理を学びなさい しかしアメリカの訴訟制度の中から、日本人が学ばなければならない
のは、このような興味本位の賠償額の多寡の問題ではなく、なぜアメリカでは、そのような巨額
の損害賠償金額が認容されるのかという法的必然性の論理なのである。
日本とアメリカとでは賠償認容額の格差が著しいのは確かだ。こんな中でも、唖然とさせられた
のは、 フロリダの集団タバコ訴訟の賠償金額は約 16兆円にものぼった。ところで話は逸脱す
るが、こうした巨額賠償裁判の真の勝利者は誰か?いわずもがな、巨額の報酬を得る弁護士
であることに疑問はない。
大岡裁きは糞である
しかし問題の核心は、大仰に、このような人目につくところだけにある
のではない。実は日本において、損害賠償額が極端に少ないといった、お白州裁判のシステ
ム自体に、腐敗した司法の本質を解明する鍵がある。筆者は、この短い論考において、そうし
た本質的な問題についても論究してみたいと思う。
ローデルやベントンを持ち出すまでもなく、法制度はどこの国においても`TheLaw の理想が実
現されているわけではない。アメリカにせよ、ヨーロッパにせよ、どこの国の法律制度も完全に理
想的なものとはいえない。
敵は司法官僚制度
しかし、ここで我々が問題にしようとしている日本の法制度の退廃性と
は、そのような先進諸国の法制度の欠陥と比較されるような安直な代替物ではないということ
である。指摘した いのは、日本の制度は、限りなく形式中心の紛い物、法制度というよりも、虚
構の「法律もどき」の妄想、インチキ・イカサマ司法でしかないという冷厳な現実である。
そしてこの司法腐敗を限りなく肥大化させている、最たるものは、戦前のおぞましき国家主義
的体制の遺物である司法官僚制度の復元である。
裁判の真相 戦前の超国家主義的思想の流れを汲む司法省に取って代わった事務総局の司
法政策は、当然の帰結点として、裁判官を官僚的統制政策の下に収斂する。このため日本の
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裁判批判25号
裁判批判の会
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法制度は建前として、うわべだけ民主主義の衣を装いながら、実際は最高裁判所事務総局の
意向を忠実に実現するロボット的司法でしかない。こうして、現在の日本司法の腐敗堕落ぶり
はとどまるところを知らないのである。
Gullible, credulous, fool
アメリカにいると、今は数少なくなったが、一群の知日家とい
われる人達と話をする機会に恵まれる。彼らは、日本人を大別して、二種類の種族にわける。
その分類によると、日本を実質的に支配している官僚どもはダブルスタンダードの法匪賊、そし
て操作され、支配される国民は権威盲従の Gullible, credulous, fool と、いささか辛口の批
評が忌憚なく披瀝される。この英語の表現は、進化論生物学者リチャード・ドーキンスの言葉で
ある、さて、本フォーラムのお題目は「裁判幻想を打ち砕け」である。
3 こうして裁判幻想は作られる
情報鎖国とマニファクチャー・コンセント
マニファクチャーコンセント
この言葉はウォルター・リップマンという 20 世紀のアメリカのメ
ディアで最も尊敬を受けていた人物の言辞を、ニューヨークタイムズ誌が「現存する最も重要な
知識人」と呼ぶノーム・チョムスキーが批判的に広く普及させた言葉でもある。いうまでもなく、
ニューヨーク・タイムズは、世界で最も重要な新聞の一つである。
捏造された合意 マニファクチャ・コンセントは訳出の難しい言葉である。それは、合意の作
出・合意の捏造などと訳されるが、そのどれもが不本意な訳語である。
この言葉はかって本誌のフォーラムで取り上げられたことがある。時の権力者やマス・メディア
が市民を暴力に取って代わる巧妙な策略として、権力側が望む方向に思想や信条を、操作、
洗脳し、人々をして、自主的にその考え方に到達したという錯覚を起こさせる政策である。
大衆操作社会の到来 チョムスキーは指摘する。20 世紀の初頭、リップマンは巧みな宣伝操
作術によって、大衆の心理や考え方や意見を、操作・支配できる法則を学んだ。「宣伝によっ
て我々は合意を捏造できる」、いわゆるメディアや為政者がいわゆる“合意の巧みな計略”によ
って、人々を思い通りに動かせるというのが、彼らの基本的戦略なのです。ドイツやボルシェビ
キのロシア、南アフリカや他の場所でも、米国をモデルにして、この戦略を大規模に模倣し
た。」
棍棒ではなく思想や心情を チョムスキーによれば、力ずくで人々を支配できる時代は、人
民の思想や感情を支配するのは、それほど大切なことでなく、権力者が、力ずくで人を押さえ
つける力を失った時、今度は人々の考え方や意見を支配することが必要になってくるというの
である。
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裁判批判の会
裁判批判25号
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「無益でつまらぬ考えに人々を誘導して、仕事を離れた時にも、人々をして、全的に支配しろ。
ひたすら無益や流行を追求する消費的人間として、日常の人生の些末な事象に人々の関心
を集中させ、基本的に人々をして無批判で従順な手のかからない対象にせよ。
為政者に、社会の指導者に、人々から妨害を受けることなしに、事を進行させよ。その理由は。
本来、公の職務を遂行するのは民衆の仕事ではないからである。」とチョムスキーは論難す
る。
「そこから膨大な産業が生まれ、範囲は広告業から大学までに及ぶ。民衆は放置しておくと途
轍もなく危険な存在だから、人々の思考や意見を統制しなければならない」こうした方略を、こ
の偉大な知識人はマニファクチャ・コンセントと呼んだのである。
ステレオタイプとスキーマ理論
W.Lippmann は「我々は大抵の場合,見てから定義しないで、
定義してからみる。」 (1987年 ) 大衆は出来事や集団の構成員に直接接触しても、既存の
ステレオタイプの眼鏡に合わせて、現実を認知して、実際とは異なる虚像を頭の中に描いてし
まうこと多いといった。
ステレオタイプ類似の概念としてスキーマ理論がある。スキーマとは、状況や人間に関する体
系化された知識からなる認知構造をさす。為政者は、巧みにこれらの大衆操作技術を利用し
て、人々を洗脳していく。
日本司法の欺罔性をひもとくには、日本型スキーマ構造の解釈概念を導入することが重要な
役割を果たす。これに関連する議論は終章。
最高裁やらせ、サクラ体質先号フォーラム 24 号では、裁判員制度について、最高裁判所が巨
大宣伝会社、電通やマスコミを使って、報酬を支払って、サクラの人員集めをして、裁判員制
度の広報宣伝活動を行ったそうである。
裏金によるこの脱法行為は元裁判官の生田輝雄弁護士によって暴露された。裁判官の報酬を
ピンハネして、密かに貯めた巨額の裏金によって、その費用が捻出され、裁判員制度という虚
妄の制度を宣伝しなければならないほど、最高裁は追い詰められているのである。
司法当局の狙い 日本社会が共有しているステレオタイプの構造を完璧に支配すること。マス
メディアのテレビ・新聞等は、社会的に共有されている神話構造の枠組みを、作出するからで
ある。この操作をメディアは写真、映像、記事などを巧みに使って、民衆を操作する。
情報操作は言語に組み込まれた概念や言葉によって、環境を認知する隠された濾過装置とな
りうる。人々は付与された情報によって、状況を定義し、意味付けを行い、世界を解釈する。日
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本が民主主義国で、公正な裁判制度が存在するという虚妄の幻影をつくりあげることは、司法
当局に取って、至上絶対の価値なのである。
日本裁判は幻想である
マニファクチャーFabrication
チョムスキーによって世界中で有名になったこの言葉は、映
画となって、世界各国で上映され、大変な好評を得た。日本でもシグロという会社によって配
給されたので、御覧になった方もおられるだろう。
この映画は政治的な作品であるが、筆者がこの作品をみて感じたことは、これ以上適切に日
本司法の裁判神話の現実を、赤裸々に表現している言葉はないように思われたのである。
幻想の日本裁判 筆者が日本の司法について、まず指摘したいことは、日本の裁判は虚構で
あり、つまらぬ幻想であるということである。真の意味で日本には裁判制度は存在しない。
日本の司法制度は極度に紛い物である。裁判の結論は、最初から決まっている。このように、
日本国民を馬鹿にした、形式的猿芝居は本来の裁判とはいえない。日本国民は、裁判所から、
Gullible, credulous, fool と舐められているのである。
それは裁判所の機構が、最高裁判所から、簡易裁判所に至るまで、一本の指揮系統でつな
がっており、戦前の暗黒司法の遺産である、脅しの軍隊組織指揮命令系統の位階性を踏襲し
ているからである。このマニファクチャー・コンセントの巧みな大衆洗脳政策に拠って、国民に
この実態が覆い隠されている。要するに国民は完全に騙されている。
裁判官ロボット説
裁判官は、ひたすら事務的、機械的に迅速性のみを優先して、最高裁判
例だけに忠誠を使うから、頭の中は、裁判を拙速、早く片付けることしか考えていない。その真
因は最高裁による、昇級、昇進、転勤の決定は、脅しすかしのノルマ型人事政策として、裁判
官を金縛り状態、ノイローゼに陥れているからである。
裁判官というゴマスリ職業 暗黙の脅しによる上意下達システムのカラクリは、本当に始末が悪
い。それは命令が明示的、直接的ではなく、多くは黙示的であるからである。事務総局の権力
行使に怯える、日本の裁判官ほど、哀れな存在はない。筆者はジャーナリストの大御所、本多
勝一氏が「裁判官という情けない職業」という本を書いたのは、そういう意味だと解釈してい
る。
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ひたすら上に怯え、外に向かって、威張り散らす。この心性は、日本人の一番嫌な性向が顕著
に露出されたものである。裁判官は、自ら率先して、事務総局の意向を先取りしようと、ごます
り判決を乱舞させる。臆病なのですよ。
下卑て野卑 一昨年、情報源秘匿裁判で、およそ正気とは思えない阿り判決をだして、メディ
アから、総スカンを食らった、藤下健東京高裁判事(当時地裁)の例は、その顕著な一例であろう。
怖いのはこのような裁判官の自粛型自主規制による、下卑て、野卑な諂いの病理である。これ
が現在日本の腐敗腐食した司法界の嘘偽りのない描写なのである。
情報鎖国 Gullible, credulous, fool
徳川時代の鎖国令はよく知られている。ところで、今の世界はインターネット全盛の時代、情報
は瞬間の内に、世界を駆けめぐり、国境は最早、有意の概念ではなく、殆ど過去の概念でさえ
ある。
今も昔も鎖国令 だがしかし、日本国は違う。数百年を経ても、日本は厳然たる鎖国大国なの
だ。為政者や商売人にとって、こんなにありがたいことはない。情報が世界の流れの中で、一
国だけ権力者に、都合良く、途絶していれば、国民を自由に操作することが可能である。日本
という国は本質的にマニファクチャ-.コンセントの高度なテクニックすら必要のない国なのであ
る。
国民は形骸好みのブランド志向、世界に名だたる権威盲従主義者、個人として自律した観念
や自分の意見を持たない。この情報革命による波動は、既成の権威や秩序を根底から揺らす
時代だというのに。
メディアは大政翼賛会 日本は違う。テレビや新聞の既成メディアは、今以て強大であり、大衆
を易々と自分たちの意のままに操作している。日本の司法の耐え難い退廃の惨状は、この側
面から捉えなければならない。
秋野氏の主張通り、この国には、市民が存在しない。市民なきところには、デモクラシーは存立
し得ない。だから日本は民主主義国ではないのである。そして結果的に、この現実には、途絶
された言葉の壁が大いに関係する。
日本は明治の寡頭政府以来、欧米の知識を吸収する手段として、英語の学習に一際、力を
入れてきた。しかし、この文部省主導による英語習得の150有余年の歴史は惨憺たる結果を
創出した。
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裁判批判の会
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国家的事業として、これ以上の惨めな失敗は他に考えられない。日本人は世界で最も酷い英
語劣等国民である。何十年英語を勉強しても、夏目先生の言われるとおり、日本人は、読むこ
とも、書くことも、話すことも、聞くこともできない。
情報鎖国の犠牲者 しかし、この事実が権力者達に、途轍もないおいしい社会をつくりあげた。
羊のように、温和しい日本国民は、結果的に世界の波動を的確に読み取ることができず、井の
中の蛙として、情報鎖国のただ中で、ことさらに付和雷同する。マスコミが垂れ流す情報操作
の哀れな犠牲者である。そして国民はメディアが目論む大衆白痴化政策の優等生である。
欺罔司法の劇場国家
FAKE STORY 日本の司法は「捏造された合意」というよりも、虚構の国家的フィクションの
産物である。ようするに fake story ということだ。裁判制度の存在自体が極めて形式的でおざ
なり、欧米の制度とは、名称だけが同一でも、なんら、本質的に共通点がない。
ところが、国民の大部分は、このカラクリをまったく知らない。日本が真っ当な民主主義国で、
公正無私な司法制度が確立していると、本気で信じている。Gullible, credulous, fool、これ
は褒め言葉ではない。
ところが、このフォーラムで多くの寄稿者が度々指摘しているように、日本のあらゆる制度は二
重構造だ。建て前と現実の二律背反の価値基準で成り立っている。だから、この建前基準と実
際基準の本質に焦点を当てなければ、この国の真の姿は何も見えてこない。
日本は過去の存在 この原因が今や日本社会を根底から凋落せしめている。アメリカにいると、
その現実が痛いように判る。アメリカや欧州で、いまや日本は、凋落した過去の存在なのだ。勿
論アジアの国でもその見解は変わらない。今や、大部分の知日派や日本研究者は姿を消しさ
り、日本はあたかも、存在しない国となってしまっている。故森嶋通夫、ロンドン大学教授の予
言は、こんなにも早く適中した。没落する日本である。
4 上辺だけの民主主義
ダブルスタンダード国家 本会の秋野氏や夏木氏はこの現象を「ダブルスタンダード国家」
の宿命と解釈した。法律の世界に目を向けると、日本におけるあらゆる改革は建前の奇麗ごと
の議論に収斂する。
この国ではあらゆる改革は、当初の意図を捻じ曲げ、歪曲化し、骨を抜き、常に惨憺たる結果
を生む。鳴り物入りで登場した司法改革、裁判員制度の惨状は、その事実を露呈する。
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裁判批判25号
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この国は二枚舌国家、うわべだけは民主主義を仮装するが、常に理念と建前だけが先行して、
本音は。戦前の司法省官僚思想の系譜を継承した、疑似法治封建国家である。
二枚舌司法国家 日本の建前二枚舌主義を、見事に象徴しているのは、日本国憲法に対す
る最高裁判所の姿勢である。憲法は国権の最高機関の役割を担い、立憲主義の基本的原理
国民の誰もが等しく尊重しなければならない共通の理念である。
ところが最高裁判所や日本の為政者はこれらの基本的理念が真性の敵であり、この原理に真
っ向から挑戦している。世にある矛盾の中で、これ以上の矛盾は他に考えられない。
日本司法がインチキ・イカサマに零落せざるを得ない論理的必然性は,この憲法に対する姿
勢の中にもハッキリと現れている。
片面強行法規 秋野氏の言われるとおり、この国の法の本質は片面強行法規なのである。国
民も容易にその現状に甘んじている。そして故もなく、この国が歴とした民主主義国家であり、
確固とした法治国家だと、深く信じ込まされている。国民は、ひたすら Gullible, credulous,
fool として飼い慣らされているのである。
裁判員制度は人権の墓堀政策 裁判制度は人権の墓堀政策である。裁判員は裁判所に、人
権の墓堀人として利用されることは、火を見るよりも明らかだ。これから、拙速粗雑、マクドナル
ド式裁判が始まる。国選弁護人の報酬を上げたではないか。それはとりもなおさず、審理を 3 日
間で切り上げるための方便団子(北沢)だ。二枚舌司法の現実は、常に改革を、悪性腫瘍に変
異させる。
有言不実行・名実不一致王国
この国の品格 秋野永時氏によれば、名実不一致はダブルスタンダードと訳せるそうである。
ダブルスタンダードは、西欧の価値基準から判断すると、最も忌み嫌われる概念である。なぜ
なら、それは品性に悖るからである。
しかし日本司法の特色は、常に価値基準が重なり合わない二本の線である。いわゆる建前の
世界と現実の世界との甚だしい乖離相克である。
たとえば最高裁の裁判官に対する任地政策について考えてみよう。裁判官は良心と法律のみ
に拘束され、その独立性を担保するために、本人の意志に反して転勤を強制されることはない
と法律では定められている。
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恐怖の任地政策 しかし実際はどうか。毎年 3 月になると、日本の大部分の裁判官はノイロー
ゼになるそうである。其れは最高裁が法の規定に反して、恐怖の任地政策を、採用して、思い
どおりにならない裁判官を島流しの重い刑罰に科すからである。
それでは、他の先進民主義諸国、たとえばアメリカ、イギリス、フランス、ドイツの場合はどうだろ
うか。これらの国では、法治国家として、少なくとも、卑劣な名実不一致政策をとっていない。
法はあくまで法なのである。これは至極当然の話ではないか。そうでなければ法は単なるお題
目にすぎなく、何ら意味をもたないからである。
だから日本は民主主義国家ではなく、軍事独裁政権国家や共産主義独裁国家と同型の法体
制をとっている国なのである。このように、日本では法の規定はあまり有効な意味を持たない
で、常に片面強行法規的な働きしかしない。建前の言辞だけで良いならば、あの人権抑圧の
代表国、中国ですら、立派な民主主義国家なのだ。
アメリカの法は厳正に施行される
法律は実効性に意義 言論の自由について考えてみよう。言論の自由という制度は、日本国
憲法では、国民普遍の権利として、確固としてその地位が保障されている。
ところが、アメリカではどうか。多くの日本人が信じているように、アメリカの言論の自由は合衆
国憲法やビル・オブ・ライトによって制定されているものではないのである。1950年代のアメリカ
では、いわゆる、マッカーシズムによるアカ狩りの記憶がなまなましい。
アメリカの言論の自由は1960年代になって、合衆国最高裁によって確立されたものである。し
かし、ここで筆者が主張したいのは、アメリカでは、ひとたび言論の自由が許されたら、それを
厳正に、徹底的に守られるということである。
日本のように、法律は常に片面強行法規として、権力者の勝手な恣意にゆだねないことである。
法律は制度として、規定されることが重要か、それとも、実効性をそなえているかということが
問題なのである。
アメリカは恐ろしい国だが、この意味で本当の言論の自由がある。日本のように自主規制や脅
しの前に、実質的に人々を沈黙させるような卑劣な政策はとられない。
アメリカでは法は法 アメリカでは法律で言論の自由を一旦認めたら、日本のように、その本質
を建前の世界に封印してはしまわない。ところが日本は憲法に言論の自由が規定されていると
はいえ、本当の真の意味で、言論の自由が存在している国ではない。
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日本国の本質は何事もダブルスタンダード、あらゆる事象は建前の世界と現実の世界に区分
けされ、本質そのものは、曖昧にぼかされ、骨を抜かれ、わけのわからない状態に凋落させる
品格欠く国家である。
飾り窓の醜い娼婦 法律はその存在そのものに意義があるわけではない。法にとってもっとも
重要な仕事とは、その法の実効性の問題なのである。実態が伴うことに総てがかかっているの
である。
この意味で日本の法は、憲法を始めとして単なるお飾り的な意義しか持っていない。日本の法
は本質において fake story なのである。
カラクリを知ろう 私たちが日本司法の秘密のカラクリを暴露しようと、こんなにも、躍起となっ
ているのは、日本の司法制度ほど、建前と実際に、極端な乖離がある国は少なく、日本人がほ
とんど常に、建前の世界だけをかたり、空虚な言葉遊びに終始する国民だからである。
この原因は、日本人の元来の性向に関係していることは確実であるが、司法における虚構の
幻影を構築しているのは、いわずもがな、巧妙に仕掛けられた国民洗脳術、すなわち為政者
やメディアや巨大宣伝会社によるマニファクチャー・コンセントの影響が極めて大きいのであ
る。
前述のリップマンはステレオタイプの鋳型情報によって、状況の定義付けを行い、人々を操作
することは、極めて経済合理的であると主張している。
情報は操作されている 日本のマス、ミディアの情報管理の特徴は、記者クラブに代表され、画
一的に情報が統制されている。その取材体制は、極めて馴れ合い的で、官庁、警察等を中心
に取材が行われる。
その特色は、取材する側と、される側が、阿吽の呼吸でつながっており、人的関係が村落共同
体の影響を色濃く反映させている。情報のリークは管理されたものであり、各社横並びの金太
郎飴的な報道しかおこなわない。日本の裁判神話も、こうした記者クラブ的な馴れ合い報道に
よるところが大きいのである。
皆、知ってるイカサマ裁判 ここで筆者は、メディア批判が目的ではないので割愛するが、日本
のメディア支配における情報の発出は、為政者側の管理されたマニファクチャー・コンセントに
よるものである。
たとえば司法記者クラブのお歴々で、日本の裁判司法が虚構のイカサマ詐術であることなど、
余程の馬鹿でないかぎり、知らない者はいないと言っても過言ではない。
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しかし御用クラブ的体質の臆病な記者連中は、真実の報道をする気もなければ、権力になび
いた情報しか流さない。報道は真実を歪めないことが重要であるのに、報道に際して、事実と
意見をごった混ぜ、事実の報道の中に、みずからの意見を含める。日本のマスメディアは、自
ら操作したい報道しか絶対に行わない。
「裁判批判の会」の草の根の運動は、内部から、この既存のステレオタイプ鋳型情報を変化さ
せるための微力な試みである。難しい言葉で表現すれば、その試行は、認知過程における既
存の枠組みスキーマ構造を変化させたいという願望なのである。
痴愚ドラマの役割 もう一つ裁判神話の先兵として利用されるのが、アメリカ映画やテレビ・ドラ
マであり、それを安易に模倣した愚劣極まりない、荒唐無稽な和製テレビドラマである。
多くの国民は、アメリカの法廷物語には一定の真実性があるが、日本のドラマには、それに対
応する裁判そのものがなく、小学校の学芸会の域をでていないことを認識していない。多くの
国民は、ドラマ自体が安手の国辱的代物に過ぎないことを知らない。
しかし歪に歪みきった法廷馬鹿物語によって、裁判官や弁護士の虚像がつくられることが問題
なのである。アメリカの法廷ドラマは、ある程度、現実的裏付けを備えている。物語と実際の裁
判には、かなりの近似性があるが、和製ドラマはオタンチンの寝言に過ぎないからである。
5 馬鹿ばかしい日本裁判
裁判は阿呆の儀式お一度でも実際の日本の裁判を経験したものなら、その現実がわかる。一
度でも実際の裁判を傍聴した者になら、その実情がわかる。
日本の裁判はアメリカ映画や日本のテレビ、ドラマとは一切関わりがない fake story にすぎな
い。日本式裁判は、ひたすらの阿呆儀式、イカサマ寸劇に他ならないのである。
日本の裁判には口頭弁論そのものが存在しない。口頭弁論とは厳密に書式が規定されている
文書の穴を形式的に弁護士が埋めて提出するだけの安易な代物だ。そしてその書類を、大
方の弁護士は訴訟当日、原・被告双方間で交換をするだけの、愚蒙でつまらぬ儀式なのであ
る。そして裁判所は書面の証拠を多用に重視するが、調書偽造はお手の物、この重大な犯罪
は裁判所の職務行為ですらある。
陳述イカサマ劇の実相 裁判官はその書類を陳述しますね、と同意を促すだけなのが、日本
の口頭弁論である。民事裁判とはこんな案配だから、ものの10数分で20件もの訴訟案件が処
理できる。日本の弁護士の低級さとは、そんな裁判の現実がまっとうな裁判制度と本気で、信
じ込んで疑いを抱かないことである。
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裁判批判の会
裁判批判25号
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だから日本人は Gullible, credulous, fool と揶揄されても致し方がない。裁判の審議も評判
の悪い大学病院の 3 分診療と何ら変わりがないではないか。
ハンバーガーにも劣る 北沢氏が言ったように、これでは、まるで、マクドナルドのハンバーガー
をつくるよりも実体がない。裁判所は当事者をゴミ焼却場の塵を廃棄するように、流れ処理して
いるだけなのだ。いかに裁判所が格式ばって、いかめしく裁判に権威づけをしても、日本の裁
判の現実はこんな程度のものなのだ。許せないのは国民を舐めきっていることだ。
私たちは、日本の裁判とアメリカや欧州諸国の裁判と比較してみて、その違いの大きさに、愕
然とさせられる。それでいて、日本の裁判所は、瑣末なことに、世界でも最も厳格な国だ。これ
を瑣末厳格主義大国という。日本国民は不幸である。
黙り込む弁護士
r「裁判がこんなにも馬鹿ばかしいものだとは知らなかった。」裁判を経験し
た人は、皆一様にこういう。でも何故この事実は、世間に広く知られないのか。それは、弁護士
が裁判所との共同の謀議者だからだ。
裁判は弁護士の飯の種、彼らに、裁判の真実を語らせることは、スリに財布を擦る手口の秘訣
を公開しろと言うようなものだ。読者の皆さん、日本の裁判の口頭弁論の現実は、こんな程度
に安直で、いい加減な代物、裁判制度そのものが、完全に法曹関係者の金儲けの道具に過ぎ
ないことを認識してください。
東大卒エリート判事の実像
東大神話の崩壊アメリカで長い間、教鞭活動をしている霍見芳浩先生によると、東大は世界
各国の大学でその実力において、100位の順位も占めていないそうである。そして霍見教授
によると、東大は日本の腐敗官僚輩出の総本山でもある。
下山判事を評価する 近来日本でもようやく、この大学の虚構の神話が崩れおちてきた。東
大も日本の他の大学と少しもかわらないヘボ大學に過ぎないことが知られてきたわけだ。
この神話の崩壊は、明治以来長い間、培われてきた官盗国家の無惨な結末なのだ。その意
味で、今回の下山芳晴判事は東大信仰神話の崩壊を促進させた、最大の功労者として高く
評価すべきである。
下山芳晴裁判官と東大神話
産経ニュースより要点を抜粋
ラブホ判事の実像
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裁判批判25号
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《知人の20代の裁判所職員の女性にメールを執拗(しつよう)に送ったとして、ストーカ規制法
違反の罪に問われた宇都宮地裁判事、下山芳晴被告(55)に対する初公判。 《予定より3
分遅れの10時3分、下山被告が早足で法廷に入ってきた。
裁判長「名前は?」
下山被告「下山芳晴です」
裁判長「仕事は何をしていますか」
下山被告「宇都宮地裁判事です」
《裁判長が被害者の個人情報が公判で明らかにならないよう、被害者秘匿の決定がなされ
ていることを説明した後、検察官の起訴状朗読が始まった》
検察官「下山被告は2月19日からの約1カ月間、前後16回にわたり、同女が所持する携帯
電話機に、『こんばんわ! 今何してる? もうお風呂入った?
きょうは、お昼も夕方も邪魔が入って会えなくって残念だったよ~明日は会えるかな~ 楽しく
遊ぶのにお互い最高だよね ラブホに○○ちゃんが入るの見いちゃった! ついでに写真撮っ
ちゃった!
この写真、送ってみよーか? でも、困っちゃうかぁ 身体きれいに洗っておいてね~会いに行
くからさぁ 今日、県警本部に何しに行ったのかなぁ、ずいぶんと長い時間いたよね』などの内
容の電子メールを送信し…ストーカー行為をしたものである」
検察官「5。(中略)もうお風呂入った? 今日のお昼は忙しくって出られなくって残念だったよ
ね。昨日は、時間なくってエッチまでできなかったけど、いろいろいろやれて楽しかったよ!
(中略)こんなスリルを楽しめる女の子って初めてだよ! 楽しく遊ぶのにお互い最高だよね で
も、お昼にあんまり独占すると、男が怒っちゃうかなあ…じゃあ オヤスミー」
「6.(中略)もうお風呂入った? 土曜日も仕事するんだっけ?(中略)この前車に乗っけても
らったときは、散髪したてだったから、髪の毛が落ちてたかもしれないね。ほかの男に見つから
ないよーに掃除しておいてくれたよね! なに聞かれてもトボケテおいたらバカな男にはわかん
ないからね。今度ラブホめぐりしようね。じゃあ オヤスミー」
ラブホ判事ストーカー事件 判決懲役6カ月執行猶予2年
下山判事は功労者 (批判の会、記)
朝日新聞から抜粋
2008 年 8 月 8 日
裁判所の20代の女性職員に嫌がらせのメールを繰り返し送りつけたとして、ストーカー規制法
違反の罪に問われた宇都宮地裁判事・下山芳晴被告(55)に対し、甲府地裁は8日、懲役6カ
月執行猶予2年(求刑懲役6カ月)の判決を言い渡した。
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裁判批判の会
裁判批判25号
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判決は、下山被告が甲府地裁都留支部長だった今年2月19日から約1カ月間、恋愛感情を
満たすために、職員の女性に16回にわたって嫌がらせのメールを送りつけ、ストーカー行為を
したと認定。
現職判事が有罪判決を受けたのは、01年の東京高裁判事による少女買春事
件以来。下山被告については、最高裁が国会の裁判官訴追委員会に罷免の訴追をするよう
求めている。訴追されれば、国会の裁判官弾劾裁判所で罷免するかどうかが審理される。
弁護士だって負けてないぞ 公然わいせつ: 下半身露出の弁護士を逮捕--神
奈川県警
神奈川県警川崎署は23日、電車内で下半身を露出したとして、東京都世田
谷区奥沢7の弁護士、角谷裕史容疑者(35)を公然わいせつ容疑で現行犯逮捕した。「仕事
上のストレスがたまっていて、モヤモヤしていた」と容疑を認めているという。 調べでは、角谷
容疑者は同日午前11時25分ごろ、JR東海道線横浜-川崎駅間を走行中の上り普通列車内
で、座っていた女性会社員(27)の前に立ち、ズボンのファスナーを開けて約1分間、下半身を
露出した疑い。角谷容疑者は、横浜弁護士会所属。【中島和哉】毎日新聞 2008 年 7 月 24
日 東京朝刊あるブログより、まさかチンチン電車内の事件ではないでしょうね
6 裁判妄想を粉砕せよ
懐疑精神を培え 「裁判批判の会」の主張は、比較的明確である。それは自分の頭で考える
事と、懐疑主義の精神を培う事である。この二点において、会員各位は、皆共通の価値観をも
っている。
ところが、日本では懐疑的精神を持つことは悪なのである。率直に他人の善意を信じる事、こ
のまやかしの道徳律は、自分を主観的に善人だと信じていて、他人の善意のみを一方的に期
待する日本人には、大変説得力のある言葉なのである。
こうした一群の特性を持った人々を、本当の善人だと信じてはならない。
Gullible, credulous, fool なのである。
裁判妄想を粉砕せよ
法律家としては、異端中の異端の人、前掲のフレッド・ローデルは、
「禍いなるかな、汝法律家よ、」という名著で、普通の人々の頭の中に少しでも、法律界の虚妄、
まやかしの仕組み、そのやり方などに対して、懐疑的な精神を植え付けるために、この本を書
いたといっている。
まやかしの度合いが違う しかしここで注意しなければならないのは、法律そのものの存在に
いささか怪しげな、まやかしがあるというのはアメリカでの話である。
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日本の法制度は、法自体が片面的にしか存在しない国家権力による詐術であるという点に注
目すべきである。日本の法はそんな程度のまやかしではないのである
日本司法には公正と言う文字がない 読者の皆さんが、何を信じるのも自由だが、どうしても懐
疑的精神の所有者にならなければならないことがある。それは、日本が民主主義の国である
ことと、公正な司法制度が存在するという愚直な妄想である。日本には本当の裁判制度は存
在しないのである。
こうして虚妄の神話はつくられる
「そういえば、弁護士モノのドラマって、あまりにも多すぎて最近視たことないです・・・ 笑)」
弁護士の告白 右の文章は、ある弁護士が書いたブログの中の一節である。それもそうだろう。
日本の弁護士の能力が国際水準と比較して、いかに低度であっても、こんなに非現実で痴呆
な番組を真面目に見続けるほどの知能では法律家稼業はつとまらない。
しかしながら、最近の下山裁判官のストーカー事件や、弁護士による電車内の公然猥褻物
陳列の事件などを勘案すると、日本の法廷ドラマの幼稚さは、案外、率直に司法界の現実を
反映しているのかもしれない。
スペクターは語る この道に詳しい放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏は、米国に比べ
ると「日本のドラマは論外であり、演技も稚拙、 ストーリーにも工夫がなく、アクションも白々し
い。」
アクションや演技が空虚で稚拙であるだけではなく、あきれ果てた、まやかしの作り話が、実際
は悪徳な弁護士や検察官を正義の人という神話をでっち上げていることである。
そして話を面白くするために、弁護士や検事が証拠探しに、事件現場を駆け巡る、こんなデタ
ラメがまことしやかに語られる。
警察の調書を書き写す仕事 検事の実際の仕事の大部分は、警察のでっちあげた調書をそ
のまま転写するだけである。
弁護士は諸君から金を取る仕事 そして諸君が一度でも、弁護士に事件を依頼してみたまえ、
証拠集めをしてくれるどころか、弁護士は何かと理屈をつけて、依頼者から金を巻き上げるだ
けの商売、実質的に何の仕事もしてくれないのが現実である。
裁判官も起訴状を書き写す 日本の警察や検察は、被疑者に暴力的に自白を教唆するのが
職務行為だ。自己の成績を上げるために、証拠の捏造は日々の業務ですらある。
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そして刑事事件の裁判官と言えば、その検察の書いた起訴状通りの判決文を、これまた転写
するだけ。これでは、まるで複写機ロボット、おそろしいかな、日本の司法の現実はこんなもの
なのである。
調書捏造業 北沢氏の前掲の批判に詳しいように、日本の民事裁判は調書捏造業である。裁
判官は口頭弁論調書を、上級審からの監視の目をくらますだけのために、書記官をして虚偽
の調書を適当にデッチアゲさせる。
これが民事裁判の真相である。
7 国民は裁判の真相を知らない
口頭弁論は猿芝居
しかし、なんと言っても日本の裁判の最大の欺罔詐術は、民事裁判に
おける口頭弁論の猿芝居儀式である。
日本では、民事裁判制度そのものがインチキ・イカサマの虚構のセレモニーでしかないことは、
フォーラム 24 号で北沢氏によって詳しく描写されているが、口頭弁論と称していても、弁論は
一切存在せず、裁判官は準備書面等の記録は一切読まないで、いい加減に判決書を書くそう
である。この裏の話は、本会のエリザベスも「やめ判」弁護士や書記官が常々言っている。
訴状と答弁書しか読まない 北沢氏のいうように、日本の裁判官は「訴状と答弁書」だけで、適
当に自己の損得計算を勘案して、訴訟の筋を決める。準備書面などは、読む気もなければ、
その時間もない。こんな裏の話は弁護士なら誰でも知っている。日本の裁判は結論の決まった
安手の三文芝居、そして訴訟の結果は、弁護士がつこうがつくまいが、別に何にも変わりはな
い。国を間違えてはならない。
無能弁護士は負ける アメリカの裁判は弁護士が無能だったら、無能な方が絶対に負ける。こ
の一断片をもってしても、腐敗堕落しているのは、日本の司法であって、アメリカの法廷の話で
はないのである。アメリカの裁判は、真性の当事者主義、裁判官はアンパイヤーにすぎない。
事実認定は陪審員がおこなう。
裁判は弁護士の為に それでは、日本では、何のために裁判をするのか。裁判は弁護士と裁
判官の飯の種、単なる田舎儀式に他ならない。何度も繰り返すが、日本の裁判の結論はあら
かじめ決まっている。裁判制度は、筋の悪い学芸会、弁護士はこんな事情を先刻ご承知で商
売をしている。しかし商売だから、この秘密は依頼者には明かさない。
顧客を煙に巻くために この話も北沢先輩の受け売りだが、準備書面は顧客を煙に巻くための
勧進帳のようなものである。弁護士は、誰も記録を読む人がいないことを知っている。
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だから安心して、わけのわからない下手糞な文章を羅列したがる。弁護士の書いた準備書面
を読んでみると、「何々を奇貨として」、あるいは自分のことを「当職」こんな奇妙な表現がめっ
たやたらに目につく。この人たちはマジかね。皆さん、貴重な時間を費消して、訴訟記録の閲
覧を試みてみたまえ。
そう裁判官が好む、「費消」という用語、何のことはない、「消費」という一般的な表現をひっくり
かえしただけなのですよ。ローデルを持ち出すまでもなく、日本の衒学的文章とは、こんな程度
のアホらしいものです。
裁判に弁論は存在せず そして先輩の北沢氏も書いたが、日本の裁判は当事者主義、弁論
主義なのに、実際の裁判には、その弁論がどこにも存在しない。日本の口頭弁論とは、裁判官
が弁護士の書いた「準備書面を陳述しますね」と言うインチキ儀式にすぎない。
ところが、陳述するといっても、書面を丁寧に読み上げるわけではない。裁判官が「陳述しま
す」と宣言する。訴訟指揮という口実に名を借りて、弁護士には陳述の主導権を与えない。弁
護士は阿呆のようにそれに同意して返事をする。こんな方式は完全にインチキだ。だから民事
裁判は、物の10分で、10数件の口頭弁論がかたづく。
この方式はあまりにも姑息で憲法違反の疑いがある。弁護士や当事者が「陳述します」と判事
の許可なく、宣言しても、それでは陳述扱いにはならない。これは明らかに言論の自由の封殺
だ。
裁判の結論は初めから決まってる
裁判官の破廉恥な嘘 日本国最高の法規、憲法によれば、裁判は裁判官が法律と良心に基
づいてのみ行うのであるが、それは全くの建前であり、大ウソである。世の中にこれ以上の破
廉恥な嘘はない。白々しいこんな話は暴力団やヤクザですら赤面する。
餌付けと飼い殺し 実際の日本の裁判は、すべからく最高裁判所事務総局の意向に基づいて
行われる。最高裁は個別的事件についても、人事権と報酬の脅し論理を使って、事務総局意
向どおりの、裁判がなされるようにあらかじめ裁判官を餌付けしている。
検証、法服務の向こうで ところで、毎日新聞社会部が出した [検証:法服の向こうで]は興味のあ
る本である。それによれば、①最高裁判所事務総局がその当時多数提起され、社会的に重要か
つ複雑な事件であると考えるものにつき、②実際に係属中の事件の具体的争点について、協議さ
れ③そこで最高裁判所事務総局が個別的訴訟の具体的論点または訴訟の主要な争点である一
般的論点について、そのまま判決書に引用しうる形で詳細に見解を示している。
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暗黒の恥部 この暗黒の恥部,伏魔殿については、秋野、北沢両先輩が「裁判批判」各号で
詳述しているから、詳しいことはそれを読んでいただきたいが、読者は日本には憲法で保障さ
れた、公正な裁判などは、どこにも存在しないという事実だけは、しっかりと認識していただきた
い。(司法が日本最大の暗黒の恥部と言ったのは、厚生省を辞めて弁護士になった人の言。)
日本の国民はアメリカの訴訟社会の行き過ぎた狂想劇を批判して、勝手に悦に入っているほ
ど悠長な状態ではないことを認識すべきである。アメリカは確実に法律に基づいて裁判が行わ
れている国であり、日本は裁判の制度そのものが虚妄としてしか存在してない国なのである。
裁判官は気楽な稼業
裁判官は出世のため 日本の裁判官は、最高裁事務総局によって統制された指導要綱に基
づいて、自己の出世の道具として、あらかじめ決められた、結論通りの判決を書くか、屁理屈
をつけて適当に強制和解に持ち込むのが唯一の職務なのである。
裁判官に知性は不要 したがって本質的に、裁判官という職務は高度な知性など必要としな
い。裁判所は口頭弁論と口先では言うが、日本の裁判に口頭弁論を期待するのは、男に子供
生ませるような珍事である。
口頭弁論は、日本の裁判には存在しない。口頭弁論の仕組みは、裁判官が当事者に変わっ
て、「陳述します」と言う。当事者代理人弁護士先生は、ただ「はい」と言うか、「陳述します」と
繰り返すだけである。こんな具合では、裁判官のみならず、弁護士だって相当気楽な商売だ。
実に馬鹿ばかしい。
判決文作成の欺網 これもまた北沢氏の指摘であるが、日本の民事裁判の判決文ほど曖昧
で、いい加減な文章はあまり、他ではお目にかかれない。判決文の構成は、まず最初に、当事
者の主張を記載してから、裁判所が認定した事実認定が記載されるのが普通である。
これらの事実認定に基づいて、法的な判断を下すわけだが、この作業において、結論に到達
する肝心の道筋、根拠については一切何も書いていないものである。
事実認定は判事の恣意 もっとも、事実認定の根拠は、判断そのものが、単なる恣意、裁判官
の利得で決められるので、適当に誤魔化して、証拠の標目だけを記載して、一方の当事者の
証言を採択する根拠、また他方当事者の証言を信用できないとする肝心の理由は絶対に明
らかにしない。
馬鹿でも書ける判決文 判決文がこんなに抽象的で、いい加減ならば、馬鹿でも判決文は書
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裁判批判25号
裁判批判の会
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ける。これが日本の裁判の本当の姿だ。裁判が阿呆儀式に低落する必然なのだ。犠牲者は税
金を費消される国民だ。それもそうだろう。まっとうに民事訴訟法通りの裁判を施行すれば、裁
判官が処理できる訴訟件数は、せいぜい年間 30 件か 40 件程度のものだからである。
日本の裁判官は常時 300 もの案件をかかえて四苦八苦している。なんでこれが裁判なのか。
本会の中原忍氏によると、日本の裁判官は、実質的には、職権主義を採択していながら、ドイ
ツの 11 分の1の員数でインチキ・イカサマ裁判に明け暮れている。
弁護士も気楽な稼業
弁護士の本業事件屋 そして弁護士の本当の仕事は事件屋なのだ。「裁判の秘密」という著
書で名をあげた、山口・副島氏が述べているように、弁護士の本業は債権取り立業だそうであ
る。すると、街の暴力団とほとんど同職の仕事ということになる。
大部分の弁護士は売掛金や貸金の回収、企業の倒産処理、不動産取引(借地・借家・売買)
を巡るトラブル、遺産分割や離婚という、家事事件等のいわゆる野暮仕事にあけくれている。
暴力団の使い走り、サラ金業者とつるんで、悪徳商法の片棒担ぐのも結構重要な仕事だ。
弁護士業は、テレビドラマのように、格好のよい仕事ではないのである。現実の弁護士は訴訟
など滅多に行わないものなのである。読者の皆さん、弁護士の真の姿を直視してほしい。安直
なテレビドラマのような勧善懲悪の正義の弁護士などどこにも実在しないのだ。
弁護士という職業が社会から高い評価を受けるのは、金が儲からなくとも、貧乏な被告人の弁
護をするからだ。だが大方の刑事弁護を、日本の弁護士は、実は義務的な仕事以外なんにも
しないのである。
コピー代をケチる 国選弁護人の報酬は一回で結審の場合は 8 万円、2 回の場合は 8 万 8 千
円である。それが、今回の裁判員制度が施行されて拙速裁判が恒常となるため、弁護報酬が
6 千円から 9 千円程度、上がることが決まった。いずれにしても、この報酬は安すぎる。
諸君も裁判所で、記録のコピーを申請してみたまえ。まともに証拠集めや、記録の複写をする
と、すぐ数万円のコピー代がかかる。コピー代は弁護士もちだ。実際の刑事被告人の弁護の大
半は、この 9 万なにがしの報酬稼ぎの為だ。費用をケチって弁護士は何もしない。
刑事被告人の弁護士の実情 1審で死刑判決を受けた被告人が、控訴趣意書の書き方を、
国選弁護人に教えて欲しいと頼んだ。 その願いを、弁護士は、自分が書くと断った。その後1
回の接見すらなく、被告人が知らぬうちに、控訴は棄却されてしまった。
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裁判批判25号
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その後、被告人が自身で裁判記録を取り寄せたところ、弁護人が裁判所に提出した控訴趣意
書には、「被告が死刑に処せられるのはやむを得ない」というとんでもない代物だった。腰を抜
かさんばかりに驚いた被告人は、この弁護士に訴訟をかけて勝訴した。相次ぐ冤罪事件の例
を出すまでもなく、国選弁護人には、この手の手合いが多い。
裁判批判 21 号から転載
富山の冤罪事件 日弁連が報告書「弁護活動にも問題 2008 年 01 月 27 日朝日ドットコム強姦(ご
うかん)など2事件で富山県警に逮捕され、実刑判決を受けた男性が服役後に無実とわかった
冤罪事件について、日本弁護士連合会が調査報告書をまとめた。捜査のあり方だけでなく、有
罪となった裁判を担当した弁護人の活動の問題点も指摘したうえで、「捜査機関の暴走を防ぎ、
弁護活動の万全を担保するシステムとして、取り調べの全過程の録音・録画(可視化)の導入
が不可欠だ」と提言している。
調書偽造、捏造、自白教唆 報告書では、警察・検察の捜査について「(容疑を認める)供述書
が具体的、詳細で迫真性に富んでいる」と指摘。「調書の内容や供述経過を重視して任意性を
判断するという従来の裁判所の手法は、通用しなくなっている」と述べ、可視化の必要性を訴え
ている。
弁護活動は全然行われない 弁護人の活動についても「接見回数も時間も少なかったため、男
性との意思疎通が不十分なままに起訴事実を認めていると判断した」と言及。弁護活動のマニ
ュアルや、容疑者や被告に弁護活動の内容を説明する文書を用意するといった改革の必要性
を説いている。
防御権は存在するか Elizabeth「忍のいうとおり、先進各国では容疑者を日本のように長期間
拘置しません。そして取り調べに対して、その模様を録音、録画したりして弁護士に立ち会い権を
与えるのが常識です。この制度はアジアの諸国でも段々取り入れられています。
容疑者の防御権を尊重するのは、当たり前のことなのです。日本の当局は都合の良いところだけ
を勝手に録画したり、摘み食い的作為によって、逆用する詐術を使います。先日の新聞報道を
見るまでもなく、録音・録画可視化制度は、逆用されて、かえって検察主張の裏付けとして使わ
れることがほぼ決定的になりましたね。」
法律は反律へ転化する Elizabeth「日本司法の詐術手法は、法制度がひとたび法文化されると、
その運営の方向は、国際的良識を志向する民主的な道筋、ようするに、人々の人権を保障した
り、被疑者の権利を保護する方向に運用されるようになっていった事例は、戦前、戦後一貫して
只の一つも見いだすことは出来ないと思います。法律は骨を抜かれ、当初の制度導入目的の正
反対の反律の代物に転化する宿命を常に背負っています。」
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調書偽造がお家芸
Elizabeth「日本の裁判所や検察の伝家の宝刀とは、民事、刑事事件に
関わらず調書を実質的に偽造して、当局の目論み通りの判決を安直に量産することです。そし
て刑事事件の判決は、検察官が作成した起訴状のコピーにすぎないことが大部分なのです。
捜査当局は被疑者を代用監獄に長期間拘留して拷問に近い圧力を加え、自白を教唆します。
そして、有罪か否かを実質的に決定するのは検察官です。裁判官は実質的には無力です。
日本司法の特質は、この精神で充満している。本質や真実はどうでもよいのである。捜査官は
自白を強要し、多くは拷問に近い形で自白を強制する。証拠をねつ造し、取り調べは23日にも
及び異常に長い、精神的苦痛に満ちた取り調べである。そして、自白が得られなければ自白
するまで何日でも拘留する。こうした過酷な状況に耐えきれず自白する。冤罪事件は日常茶
飯なのである。
ミランダ原則で守られる 逮捕された被疑者がミランダ原則によって、黙秘権を告知されるア
メリカとは大違いである。欧米では弁護士の同席は当たり前の事実であるが、日本では弁護
士の同席も許されず、多くの犯罪取り調べにおいて、被疑者は捕まったというだけで、有罪が
決まるのである。
アメリカでは違法に逮捕されれば、連邦憲法修正4条違反で、その間にとられた自白は証拠と
して使えないのである。そして起訴された後の段階では、警察には取り調べの権限がないとさ
れている。
検察官は捜査にはほとんどタッチせず、被疑者の取り調べをほとんど行わない。
日本では、前述したように検察官の調書は証拠として使えるという理由で、検察官の主たる仕
事は警察官が模範例文集としてデッチあげた定型文書をそのまま書き写して、歴とした証拠と
して使用するのである。
起訴状を書き写す 裁判官はと言えば、検察の起訴状どおりの判決をそのまま書く。起訴さ
れた後に無罪になる確率はなんと1000人に一人である。こんなものが何で公正な裁判か
民事裁判も目くそ鼻くそ 民事裁判といえば、日本の裁判は弁論主義や当事者主義を標榜
しているが、何度も批判したように弁護士が書いた定型文書を公判廷で、裁判長がただ「陳述
しますね」と同意をうながすだけのおよそ馬鹿げた儀式にすぎない。
実際的に、そこには弁論も議論も本当の裁判はどこにも存在しない。裁判官は「訴状と答弁書」
だけで、最高裁事務総局の意向どおりの判決を下すか、あるいは適当に強制和解を強要する。
これが日本裁判の嘘いつわりのない現実である。
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法廷ドラマを見ることは不可能 こういう按配が実情であるから、筆者は日本の法廷ドラマを、
最後まで見てみようと何度も試しているが、残念ながら、この苦行は、3 分以上続けることは不
可能である。日本の法廷ドラマは、実際の裁判とは一切関係がなく、甚だしく遊離していて、馬
鹿馬鹿しくて、まともにみることは不可能だからである。
かくして、日本の法廷ドラマは、阿呆の見本市である。稚拙な漫画、実際の裁判とは、いささか
にも関係がなく、荒唐無稽の白痴物語である。しかし、司法の現実を知らない国民が知らず知
らずのうちに、洗脳されていく現実には、背筋が凍るような思いがする。
8 弁護士は法律を知らない
陰謀集団の陰
この策謀術の背後には、巨大宣伝会社電通などの陰がちらつく。そうい
えば、昨年の最高裁の裁判員制度の、アルバイト、サクラ動員問題に、これらの巨大宣伝会社
が絡んでいたことは間違いがない。最高裁からの、巨額の報酬は国民総白痴化現象の功労
賞の意味合いを込めて支払われたのであろう。日本国民は辛いね。
ドラマが無能弁護士を神格化する
話は元に戻るが、アメリカの映画やテレビドラマの筋立て
はかなり現実の話なのである。華麗に展開される法廷ドラマは、荒唐無稽で、完全な馬鹿話だ
けではない。ということは、アメリカでは明らかに、厳密な法の精神に立脚した本当の裁判制度
が存在していることを意味しているのである。
ところが大半の日本の弁護士は、肝心の法律知識の面においても、いささか怪しい。そこで参
考のために、裁判批判誌から北沢氏と絵夢得夢さんの対談の模様を引いておく。絵夢さんは、
自身で訴訟を遂行する前に、約30数名の弁護士の法律相談を受けたことがあるそうである。
(随分阿呆なことをしましたね)森岡
絵夢 「でも、それは程度の問題です。今までに、私の訴訟案件に正確で間違いのない解釈を
してくれた弁護士はたった一人しかいませんでした。相談した弁護士の中には,【ヤメ判】も二人
いました。裁判官を辞めて弁護士になった人ですね。しかし元裁判官でも、誤った解釈を平気
でしていましたからね。本当に日本の弁護士はレベルの低い人が多いですね。」
北沢 「それでは、その法律知識のあった人に、弁護を何故頼まなかったのですか。」
絵夢 「私の事件は、訴額がとても高いので、着手金だけでも相当な金額になります。だから、
金銭面では、どの弁護士さんも、私の事件を引き受けたがったのです。でも、法律論を展開し
て行きますと、弁護士は虚仮威しに威張りますが、まったく知識のない人が多いのです。知ら
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ないことをデタラメな説明で適当にごまかします。乏しい専門知識、日本の弁護士の実力は、
呆れ果てたレベルです。高い相談料を取っていながら、私が 70%も話す羽目になるのです。」
有能でも悪徳は困る 「しかし、そんな中でもかなり正しい知識をもっている人も、二、三はい
ました。当該判例の知識のある人もいました。そして、その中で、たった一人だけは、驚くほど
有能な弁護士のようでした。その弁護士も、私の事件を積極的に受任したいと熱望していまし
た。でも私が断ったのです。
弁護士との闘争も困る 理由は、明らかにその人は悪徳弁護士だということがわかるのです。
こんな人に弁護を依頼したら、例え勝訴しても、後はこの弁護士との壮絶な闘争が予見出来ま
した。だから私は断ったのです。」
良い弁護士は 1500 人に 1 人
北沢 「このフォーラムにでも、前に誰かが取り上げたことがありますが、【懲戒除名】という内田
雅俊という社会派弁護士が書いた本に、日本にまともな弁護士は 1500 人に一人の割合だと解
釈できるとの記載がありました。
僕は弁護士の家庭で育ったものですから、それは、そんなに大げさな話ではないと思っていま
す。弁護士は着手金が 100 万円以下の場合、普通、何もしない人が大部分です。勿論刑事事
件の弁護を赤字覚悟の信念で引き受けている立派な弁護士さんもいることはいるのですが。
弁護士は裁判所とグル 「大部分の弁護士は裁判所とグルです。いい加減な弁護しかしませ
ん。さらに、乏しい法律専門知識、道徳意識の欠如、稚拙な弁護ミス、弁護士は裁判所の悪徳
ぶりを知っていますから、本来、着手金しか当てにしていません。
訴訟の勝ち負けは裁判官の出世基準しか関係がないのです。だから着手金泥棒と揶揄される
のです。注意が必要な`のは、依頼人の金を着服することなんて、ごく日常的なことなのです。
被害者は、弁護士の権威に恐れをなして、黙って諦めさせられる例が多いのです。
馬鹿物語の勝者は弁護士 先にコメントを引用した弁護士ですら、日本の弁護士ドラマを見な
いそうだが、これは御同慶の至りである。こうしたドラマの受益者は、なんと言っても弁護士と法
曹関係者なのである。日本司法のこれほど見事なマニファクチャー・コンセントは他に存在しな
いのだ。夏目漱石ではないが、日本は確実に滅びます。
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Rainmaker というアメリカ映画をご存じであろうか。Rainmaker の文字通りの意味は、魔術で雨
を降らせる人である。フランシス・フォード・コッポラは、1997 年に、魔術で雨を降らせる人、と
いう見事なメタファーに基づく映画をつくった。
弁護士―アメリカは魔術で雨を降らせる人。日本は何もしないで金だけを巻き上げる人
弁護士が過剰で、弱肉強食のアメリカでは、この職業は手段を選ばない悪徳な金権亡
者にならざるを得ない。この映画は理想に燃える弁護士が大手保険会社相手に死闘を演ずる
物語である。確かに、アメリカでは、1950年代に20万人だった弁護士はいまや100万人に迫ろ
うとしている。結果、弁護士の品格や倫理観の著しい低下がもたらされたと喧伝されている。こ
れは事実か。たぶん事実であろう。
裁判 Fabrication
法による正義の実現を志向する国アメリカ、だが、正義の徒であるべき
弁護士の実態はあまりにも理想とはかけ離れすぎている。「金権信仰の亡者」に成り下がった
弁護士が、魑魅魍魎と跋扈する巨大帝国アメリカ、しかし筆者の視点は、読者の予想に反して、
この巨大資本主義帝国を揶揄するために、この文章をしたためているわけではない。
大げさに言い古されたアメリカの法制度を云々することは、筆者の本義ではない。筆者が主張
したいことは、アメリカの法制度が根本的に如何ほどに悪徳な金権亡者に支配されていようとも、
日本人である筆者には、いささかも関係がない。
問題はあくまで、日本の法制度、日本人はアメリカの法制度の行き過ぎた訴訟社会を非難す
るが、足下の日本の法制度の限りない腐敗の現実を誰も直視しようとしない。この卑劣な逃避
的自慰行為の側面に視点を集めたいと思っている。
Rainmaker で知られるように、アメリカでは訴訟自体を単なるビジネスチャンスとしてしか捉えら
れていないと、日本の弁護士はアメリカの訴訟社会のモラルの低さをなげく。確かにアメリカで
は弁護士は一般の人々に、酷く嫌われた職業である。
非難の資格があるか 非難されることは事実なのだ。しかし日本の法曹関係者に、果たしてア
メリカの弁護士を非難する資格があるかどうかだ。ひどく嫌われるという事実は、多くの人がそ
の事実を知っているということである。日本の問題は、日本人は司法腐敗の現実を少しも知ら
ず、だれもその現実を直視しようとしないで、果てしない駄法螺の夢を貪っているのである。
日本裁判の幻想 日本とアメリカにおける損害賠償額の著しい相違、この問題は、アメリカの
訴訟社会の弊害を象徴する話題として、日本でも大きくとりあげられる。アメリカは、極限の訴
訟社会、確かに、この現実は真実なのだ。アメリカの訴訟社会の実相はまさに狂気そのものと
さえいえる。
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しかしながら、前述したように、筆者の視点は、ひたすらに人を驚かすアメリカの損害賠償額の
多寡を云々する為にこの文章をしたためているのではない。日本がアメリカの訴訟社会を揶揄
するのが急務で、他国の訴訟社会批判にかこつけて、世界の先進国では、唯一とも喧伝され
る日本腐敗司法の現実から目をそむけていることが問題だということなのである。
虚偽虚構の日本司法 日本の司法は、戦前は大陸系、戦後はアメリカの法体系を取り入れた
と喧伝されているが、この言説は、一面の真実を伝えているが、本質においてインチキ・イカサ
マ裁判の本質を隠蔽するための欺罔の論理である。日本の司法は、ヨーロッパにせよ、アメリ
カの制度にせよ、その本来の精神を歪曲化し、基底の精神を根底から捨象して、形骸、紛い
物の司法制度をつくりあげた。150 年の歴史は、その事実を確実に物語っている。
通常私たちは、アメリカの行き過ぎた訴訟社会を、日本の法制度の反面教師として、日本の法
制度を肯定する道具として使用する。この技法は官製の国民策謀術である。
半分貰えれば頑張ります その象徴的事例として、しばしば、アメリカの損害賠償額が巨額さ
に視点を集中する。アメリカには弁護士の数が極めて多く、民事訴訟の費用の全てを弁護士
が負担し、勝ち取った額の3割から5割を弁護士が徴収するという弱肉強食の資本主義の象徴
のような完全成功報酬制度を採用していると説明される。
実質的賠償制度は嘘 さらにアメリカでは民事訴訟も、陪審制に立脚しており、損害賠償事件
には「懲罰的賠償制度」に依拠、すぐれた日本の制度では、被害そのものを金銭的評価すると
い「実質的賠償制度」にもとづくので、アメリカのような弊害が少ないという、偽りの宣伝がなさ
れる。
我が日本国の賠償認容額が極端に少ないのは、実質的賠償額に基づくというのは、例によっ
て、日本の手前味噌的自己賛美、真っ赤な偽りの説明である。
金儲け中心のアメリカ弁護士
病院に待機して、救急車で運ばれてきた交通事故の被害者
から、無理矢理に、訴訟の弁護権を勝ち取る。こんな話はあながち大げさな作り話ではない。
実話なのだ。だからアメリカでは、弁護士の評判がすこぶる悪い、不仲の夫婦が、弁護士に相
談をすると、必ず離婚の泥沼においこまれる。弁護士の金儲けの為に離婚訴訟が歓迎される
からである。
さらに訴訟狂想曲の一断面を象徴する話として、有名なマクドナルド訴訟がある。1杯のコーヒ
に対して、1994年9月,裁判所はなんと64万ドルの賠償額を認めた。
企業の立場から見るな 日本人の抜きがたい欠陥は、自分の立場を忘れて、安易に企業の宣
伝活動にのせられてしまうことである。企業の立場、すなわち普通の人々の立場とは相克する
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ものだ。マクドナルドから 64 万ドルを勝ち取った米国の老婦人は実際に訴訟費用を一銭も負
担してはいない。
だからそれがいかに馬鹿馬鹿しい訴訟で、弁護士がその半分の報酬を持っていこうとも、庶民
であるおばあさんの利得は大変なものである。法の国アメリカの企業に対する損害賠償請求
訴訟は、皆が皆こんなアホらしいものばかりではないが、その理念は企業側に厳しく、日本とち
がって、法の理念は失われてはいないものなのだ。
日本裁判は常に企業側 ところが日本の損害賠償事件を検討してみよう。バブルに踊った一
般民事事件における銀行や金融機関との裁判で、裁判所はほとんど全部といってよいほど、
金融機関寄りの判断を示す。
その理由は、最高裁が金融機関とつるんでいて、そこが裁判官の有力な天下り候補になって
いるからだ。皆さん、この構造は、オブラートで包んだ、巧緻に長けた収賄事件なのですよ。形
こそ違っているが、開発途上国と同型の汚職の構造なのです。
こういう次第だから、日本の金融機関は安心して詐欺紛い商法に精を出す。庶民は適当にだ
まされて、巨額の財産、時として、命まで奪われてしまうような詐欺紛い商法にあっても、銀行
を相手にした訴訟では、庶民の勝訴率はほんの3%にも満たない確率である。
イカサマ裁判総本舗 日本の裁判の実態は法制度の理念そのものを捨象し、国民の目から詐
術的に巧妙に隠蔽して、法そのものが、最高裁による詐術的統制により、腐敗不正の温床にな
っていると言っても過言ではない。
ことばを変えて表現すれば、最高裁がインチキ・イカサマの総本舗である。だから、庶民が企
業と戦った場合、どんなに正当な権利があっても、伏魔殿裁判所によって、庶民は殆ど常に敗
北させられる。
ところで裁判所や弁護士は、アメリカを引き合いにだすことによって、自己の無能悪徳ぶりを、
ずうずうしくも善人・正義面の鎧をまとって、隠れ蓑に転嫁する。こんな見え透いた策謀術にひ
っかかってはならない。日本もアメリカも弁護士が悪徳であることに代わりがないである。
アメリカと日本の違いは、かの国が完全に出来高制による成功報酬制度だから、勢い、弁護士
が訴訟自体を発掘し訴訟そのものを創造する。その仕組みは、法律の素人の陪審員を相手に
言説巧みに、極限までに弁論術を駆使し、陪審員の感情面に訴求し,賠償額をつり上げて獲
得するのが弁護士業の奥義だということである。
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従ってアメリカの弁護士には、本当の能力が要求される。ところが日本の弁護士はどうか。何も
しないで、裁判所とつるんで金儲けをしているだけだから、かえって始末がわるい。
日本の弁護士は品行方正か 多くの日本の法曹関係者や為政者は、闇雲にアメリカの訴訟社
会を非難することによって、それを、日本の腐敗腐食した法制度の欠陥を秘匿するための一
種の隠れ蓑として巧みに利用している。この問題、マニファクチャー・コンセントの`策謀術の一
貫である。行き過ぎたアメリカの訴訟制度を非難することによって、劣悪な無能な日本の弁護
士連中を理想化してしまう。このすり替欺網術である。
9 裁判幻想捏造の国
プロボノの存在 だだが、しかし、アメリカには Pro Bono(プロボノ)とよばれる、弁護士費用を
払えない移民や貧しい人のために、無料、あるいは限りなく無料に近い金額で働く一群の弁護
士たちが存在する多様な国であることも忘れてはならない。
対立をおそれない国、物事の解決をすぐ訴訟に持ち込み、裁判に巨額の費用がかかる国、こ
の国で弁護士を雇用すると、新人でも、時間あたり 100 ドル、そして平均 250 ドル、辣腕弁護
士ともなれば、500 ドルもの巨額の金がふんだくられる。確かにアメリカは金権亡者の王国であ
る。地獄の沙汰も金次第、常に金持ちが得をする国であることも間違いない。
だが筆者が懸念を覚えるのは、このように矛盾を含んだ訴訟王国アメリカについてではなく、司
法に対して、深い絶望と憂慮を感ずるのは、我が愛すべき日本国の司法制度についてなので
ある。
日本人の多くは、アメリカ司法の行き過ぎを批判はするが、だがよく考えてみれば、アメリカは
民事裁判も陪審制に委ねているから、弁護士が、素人の陪審員を説得することによって、訴訟
を制することができる。この現実は、喜ばしいことであって、非難されることではない。
何もしないで、こけおどしの空威張りで、金銭だけを巻き上げ、依頼人の財産を着服する弁護
士よりもましなのである。訴訟がいかほどに矛盾を含んでいようとも、実際のアメリカの裁判制
度は、少なくとも、インチキ・イカサマではない。なにはともあれ、公正な裁判制度が存在すると
言うことは、近代国家の市民にとって、絶対的な救済なのである。
官僚の匙加減王国 それに反して、我が日本国には、真の裁判制度が存在しない。日本とい
う国は、法律も超越した官僚の匙加減が何よりも優先する二枚舌国家である。多くの、本裁判
批判のフォーラムに寄稿する書き手が主張するように、日本には形式・形骸のインチキ、イカサ
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マ裁判制度、すなわち「裁判もどき」制度だけが儀式として存在する国だからである。
従って筆者の論点は、どんなに矛盾を孕んでいても、裁判制度はないより、有った方がましな
のである。くり返すが、日本の法制度は、限りなく腐敗している。この国には、他の先進諸国の
ように、法が法として機能していない。日本国では、法そのものが法曹関係者、裁判官や弁護
士連中の単なる利権行為にまで堕落している。
メキシコフィリピンタイランド これら汚職大国との類型比較は、日本人の誇りを大変傷つけ
ることになるだろう。しかし日本国の司法は、見せかけ部分は別として、その本質は、メキシコ、
フィリピン、タイ国などと大して変わりがない。ただ違いは日本の官僚は体裁を繕うことにかけて
天才的な狡さと複雑な悪の技法に習熟しているだけなのだ。
現在の裁判所には法の正義が期待できない
朝日新聞【バンコク=柴田直治】汚職防止法違反などの公判中に、最高裁の許可を得て
出国していたタイのタクシン元首相は 11 日、
「現在の裁判所には法の正義が期待できな
い」とする声明を出し、英国にとどまることを表明した。事実上の亡命とみられる。
タクシン、ロンドンに亡命 ここまでこの文章を書き連ねてきたときに、タイ国の辣腕元首相タク
シンが家族共々ロンドンに亡命することを決めたニュースが飛び込んできた。タクシンは日本
で言えば田中角栄元首相を彷彿とさせる人物だそうだ。
この辣腕元首相が語ったことが奮っている。「現在の裁判所には法の正義が期待できない」
よく言うぜ!何だ!これはどこの国の話だ。表層に現れた形の違いこそあれ、日本と構造は酷
似しているではないのか。
大義名分美辞麗句 法曹関係人の特色は、大義名分、美辞麗句の名人である。曰く日本の
裁判官に課せられた使命とは、いかなる意味においても、国民の自由と権利を守護することで
あり、そして弁護士が求められている役割は、高度な倫理性と独立性である。
弁護士業は特殊な職業人として、単なる経済的合理性のみを追求するものではなく、その使
命は「自由と人権」、「正義と衡平」或いは「公開と透明」が高度に要求される。白々しくもこんな
具合である。
こんな言葉に誑かされて、弁護士や裁判官を尊敬する日本人は Gullible, credulous, fool
である。
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10 日本司法どこが問題か
実態は開発途上国
日本司法の実相は、前述したように、タイ、メキシコ、フィリピン等の現状
とさして変わりがない。ただ、日本の場合は、現象として表出する、表層の形態が著しく巧妙だ
というにすぎない。開発途上国は汚職や腐敗は構造が極めて直截的である。
これと比較すると、日本の司法腐敗はオブラートで包み込まれている。国民はよほど特殊な観
察眼に秀でていない限り、そのイカサマ構造の秘密を解くことができないだけなのである。
全員が騙されている 問題はこれらの開発途上国の人々は、司法の現状がインチキ、イカサマ
であることを知っている。だからまともに自分の国が民主主義国とは信じていないのである。と
ころが、日本の疑似法治国家の特質は、国民のほとんどが騙されて、裁判所や為政者の策謀
術に、すっかり乗せられて、Gullible, credulous, fool なのである。
建前としての法だけ 日本の裁判司法は本当の意味で、民主主義国家のものではない。限り
なく中国やロシアの腐敗した国家の法制度に酷似している。知識人も含めて、一般の国民は
その真相を少しも知らないことが重要な問題なのである。
その理由は、為政者や裁判所の FAKE
STORY の技術が優れているからである。日本では
憲法が標榜する民主主義の仮面、建前だけが先行して、裁判の実態は明治憲法下の戦前の
暗黒裁判よりも、却って退行しているのが真実である。
日本のマスメディアは、事大主義、本質的に大政翼賛会的であるのに、国民は、この官盗国家
の腐敗した体質にすっかり丸め込まれて、アメリカやヨーロッパのような先進主義諸国と同じよう
な、民主的な法制度が存在すると信じ込まされている事が根源の問題なのである。
市民不在の虚構民主主義
戦後の日本は、アメリカ追随の代表格国家であるが、アメリカの
行き過ぎた訴訟社会を引き合いにだすことによって、自らのインチキ司法の転嫁作業を行って
いる。訴訟大国の行き過ぎた陰の部分だけを強調して、その制度の中から、
勝れた断面を捨象して、負の部分だけを大げさに強調する。
こうして人々は、いつの間にか、腐食した日本司法を、恰も理想の制度であるかのような幻
影を植え付けられるのである。
多民族国家、人種のるつぼと言われ、モザイクのように入り組んだ人種構成によって組成され
ているアメリカでは、夫々の民族の慣習・道徳律を超越した法秩序という普遍的原理の導入が
必要とされる国なのである。
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裁判批判の会
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懲罰的賠償制度は、こうした多民族国家の必然として説明され、和を尊重する日本人の権利
意識の優位性を強調する。いつも決まって非難されることは、アメリカには、弁護士が 100 万人
近くもおり、しかも、陪審制度によって、弁護士が訴訟そのものを創造し、陪審員を言葉巧みな
弁論術によって、ひたすら賠償額をつり上げ、行き過ぎた訴訟社会だと論難するのである。
確かに、アメリカの法制度は、民事も刑事も、陪審制度を採用しているから、公判において弁
護士の果たす役割は決定的に重要である。この国では、本当に当事者主義、弁論主義に基
づく論戦が展開される。
こんな現状が裁判か
裁判批判 24 号 北沢賢治氏より
「刑事訴訟法の権威、佐伯千ひろ弁護士によると、明治 41 年から大正 12 年までの 16 年間の地
裁事件の無罪率は最高6.9% 平均6.1%であった。陪審裁判における無罪率はなんと16.
9%であった。
無罪率0.1%、(現在の刑事裁判の無罪率)この理由は刑事裁判の現場において、事実認定を
する裁判官の自由心証主義の頽廃、一旦検察官が起訴したら、裁判官は判決書を起訴状どおり
に丸写しにする非道な形式主義の制度にある。
一方、民事裁判の現場は最高裁事務総局にゴマをすったヒラメ判決ばかりである。裁判官は江
戸時代さながらの細分化されたアメと鞭、或いは極端な人事及び報酬差別政策により、インチキ
欺罔判決を出し続けている。」
日本の刑事裁判の現状は、狂気じみた職権主義的な糾明活動が裁判の本質である。暗黒裁判
と言われた戦前においてすら、予審判事による予審という制度があったのだが、今日では検察官
と捜査官がそれらの肩代わりをして一種の司法官として、でっち上げ的な取り調べを強行してい
る。このため、冤罪事件が後を絶たない。
裁判官の役割といえば、これまた形式的単なる裁判セレモニーの遂行に終始する。日本の裁判
官の役割は、検察官が書いた作文の起訴状通りの文章をそのまま複写機よろしく書き写して判決
するだけなのである。
怯えてヒラメの裁判官 一方民事裁判はどうかというと、裁判官は官僚的統制下にあって、厳格
な勤務評定に縛られている。このフォーラムで何人もの寄稿者が書いたように、裁判官は給与政
策、服務規律、任地政策、思想統制などによって、最高裁事務総局の統制のもとにヒラメ型裁判
官を輩出させている。
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裁判官は最高裁判所の判決を先取りし、ひたすら胡麻をすり、判決ロボットに堕落するのである。
世情言われるように、裁判は始めに結論ありき、裁判官の行っているのは単なるセレモニーにす
ぎない。こういう状況において、民事も刑事もいわゆる先進民主主義諸国のような、裁判制度はど
こにも存在しないのである。
このように日本とアメリカでは訴訟における弁護士の役割が全く異なる。日本の弁護士は、ペ
ーパテストの単なる勝利者。弁護士とは、法律実務の遂行者ではなく、単なる形式的セレモニ
ーの添え物的存在なのである。この国の裁判制度では、弁護士が果たしている役割は、単な
る裁判に付属する鏡餅のような幻の存在に過ぎないのである。
弁護士の役割はゼロ 刑事事件にせよ、民事事件にせよ、弁護士はただ飾り物としてしか役割
を果たしていない。裁判の存在そのものが、あらかじめ結論が決まっており、裁判官といえども、
決められた儀式の遂認者にすぎないから、北沢氏が言われるとおり、弁護士の訴訟に果たし
ている役割は、ほとんどゼロである。
弁護士業は虚業
日本の弁護士は腐敗、堕落した裁判所の使い走り、官僚のさじ加減が優
先する欺罔の儀式の添え物、単なる書類の穴埋的儀式を遂行しているだけなのである。その
職業の本質が幻想によって成立していると言う意味において、弁護士業は虚業なのである。
さじ加減は法律に優先 日本人はアメリカの行き過ぎた懲罰的損害賠償額の功罪は別として、
アメリカには、法律が確実に機能しているという事実にこそ着目すべきだと主張する。法理論を
極限にまで、追求すると、必然的にアメリカのような結末を生むのである。それはとりもなおさず、
法律が法の論理に忠実に従っているという証左なのである。
アメリカ以外でも、先進民主主義諸国は、どこでも法律が市民社会の礎として、確実に機能して
いる。一方、我が日本は法律は、夏目氏のいわれたとおり単なる「飾り窓の娼婦」的存在に過ぎ
ない。それは、官僚のさじ加減がすべてに優先するからである。法律は日本が先進国の仲間
入りをしているという単なる方便的見せかけ、美しくはないが飾り窓の娼婦なのである。
訴訟を思い留まらせる為 日本の損害賠償額が笑止に値するほど少ないのは、単純な理由に
基づく。要するに人々に、訴訟は割りが悪いことをとくと認識させて、訴訟提起を思いとどまら
せる方便なのである。
その事実は裁判制度そのものが、法曹界の単なる利権行為の悪あがきにすぎないことを表徴
しているのである。かくして日本における法律の役割は、政治家、官僚、裁判官、弁護士らの
利権獲得手段の草刈り場の一手段なのである。嘘だと思ったら、裁判批判の各フォーラムを読
んでみたまえ。
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法の論理を貫徹すると 指摘されるように、なぜアメリカの損害賠償事件における賠償額が、
高すぎるかは、懲罰的賠償制度をとっていることによる。日本の損害賠償額が極端に少ないの
は、日本の役人は、そもそも国民に裁判を提訴する権利を放棄させるためである。法がお白州
の江戸の奉行所のような大岡裁きが本質だからである。
企業の権益を守護して、そこから何らかの賄賂をうけとる。贈収賄の形は、東南アジアのよう
に、直裁的ではないが、いずれにしても、組織的な不正活動の一貫のシステムであることには
違いがない。役人は天下りやいろいろな便法によって甘い汁をすう。
ここで私たちがアメリカの法制度から学習しなければならないことは、このような興味本位な日
本との制度上の相違点に焦点があてられるべきではない。ことの善悪はともあれ、法の論理を
真摯に追求すればアメリカのような極端な結果が生じることも仕方がないことなのである。
お白州裁判でない証 アメリカの司法当局にとっても、たばこ訴訟の賠償額が約16兆円に上っ
た事実を苦々しく思っているに違いない。あまりにも馬鹿馬鹿しい金額だからである。一国の
国家予算にも匹敵する呆れ果てた巨額な賠償金、しかし法の論理を厳密に貫徹すれば、その
ような結末もやむを得ない。法律は大岡裁きであってはならないからである。
重要なことは The Law 法本来の理念が実現されているどうかと言うことなのである。The Law
の概念はいやしくも、官僚のさじ加減に拠って左右されるようでは、最早やそれは「法治国家」
ではない。残念ながら、日本の法律は、為政者が西洋の法律を猿真似的に模倣して統治の方
便として導入した紛い物にすぎないことを繰り言として述べる。
事実認定権を奪え 何度も書いているように、アメリカでは、民事訴訟も陪審制度という大変、
手間暇かかる制度に立脚しているから、映画で散見されるように、裁判の勝敗の帰趨を決める
のは、裁判における弁護士の弁論の巧緻さや、弁護士の能力がすべてを決定する。
したがって、アメリカの裁判は虚構の儀式ではなく、本物の裁判なのである。日本の裁判のよう
に、あらかじめ司法官僚が決めた路線の追認儀式とは全く異なるのである。
11 裁判は法律匪賊の為の制度
法律匪賊のため 確かに、職権主義そのものがイカサマ詐術の権化というわけではないが、
日本の裁判制度は、極端な欺罔詐術に基づく、八百長儀式であることに着目すべきである。
この壮大な国家的儀式によって禄をはぐくんでいるのが、裁判官、検察官、弁護士、書記官等
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の一群の法律匪賊達である。そして裁判実務の現状は裁判官は拙速、粗雑に事件を処理す
るノルマ主義に終始する。大部分の民事訴訟は強制和解で終了する。和解とは裁判官が判決
書を省略する為の、脅し、揺すりの範疇に属する行為である。
正義の勝訴率は3% 初めから結論が決まっている裁判は裁判ではない。弁護士は金儲けし
か頭になく、裁判官は立身出世と退官後の自分の行く末の配慮しか念頭にない。この理由に
よって、銀行等の金融機関と一般の草の根の人が戦った場合、常に企業側が有利な和解案
が強制される。
そして、判決が出る場合は、常に企業側が勝つ。被害者側の勝訴率はわずか3%にも満たな
い。これが日本の裁判、イカサマ欺罔劇の真相なのである。
一方アメリカでは、裁判に勝つためには弁護士は、素人の陪審員を説得すればよいから、勢い、
弁護士が訴訟自体を発掘し、法律の素人の陪審員を相手に、言葉巧みに、縦横に弁論術を
駆使し、陪審員の感情面にまで訴求し、陪審員を納得させる必要があるのだ。
こんな能力は、なかなか頭のいる仕事だ。馬鹿にはできない。この能力主義を日本の弁護士は
非難する。しかし、本当の弁護活動とは、法律匪賊養成の登竜門、司法試験に合格したぐらい
では勤まらないものなのである。
ダブルスタンダード司法の実相
リサ・エリザベス法律家
本名をあえて曖昧にぼかすために私達は、この美貌の法律家をリ
サ・エリザベスと呼んでいる。この才媛は日本語をアメリカ・カナダ十二大学連合・日本語研修
センターで習得した。この日本語研修所は、数々の日本語の達人を輩出した。
政治学のジェラルド・カーチス、コロンビア大学教授は、見事で難解な日本語を自由に駆使す
ることで有名である。
この研修所で学んだ知人のうち、アーネスト夏目を初めとして、五名もの人がアメリカの大学で
教授として働いている。だがしかし、筆者が得意としている外国語習得に関する論議は、北沢
先生と共同で執筆する GJI の新しい企画に譲ることにする。
というわけで、エリザベスは日本語を駆使する能力をもっているのだが、この国での筆者の楽
しみは、リサの美しい英語を聞かせてもらうことである。英語は何分筆者の母国語ではないの
で、その美しさを客体として、音楽を聴くように、堪能することができるからである。
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リサの教授による ところで、「裁判批判の会」のメンバーは、日本の裁判所の裏面の事情に比
較的通じている方である。これらの裏話の知識は秋野・北沢両先輩、そして、アーネスト夏目
先生をはじめとして、すべて会員達がリサを通して教授されたものである。
リサは日本にいたとき日本の裁判所の裏面に接触する立場にあった。以下の論究はリサ・エリ
ザベスのご教授によるものである。
二枚舌司法の構造
もう幾度となく、この欄の多くの寄稿者によって唱えられているが、刑事裁判は、ごく大雑把に
いえば、大陸型と英米型の二つの方法がある。言わずもがな、大陸型のヨーロッパの方式は職
権主義に基づくものである。
英米は当事者主義 ここれに対して、英米型の手続き、は当事者主義、アメリカやイギリスの
刑事裁判の手続きは民事裁判によく似ている。だからアメリカ映画でみられるような、刑事事件
の弁論が絵になるのである。当事者同士の攻防という形が中心になるからである。
さてお膝元の日本では戦前は大陸型、戦後は英米型を採択しているといわれているが、これ
が真っ赤な嘘偽り、欺罔の説明である。その理由、日本は刑事裁判も、民事裁判も、英米型に
せよ、弁論主義や当事者主義という制度の中から、本質を捨象し、限りなく、形骸化した紛い物
に整形して、いわば幻想としてのインチキ儀式の裁判制度を作り上げたのである。
インチキ・イカサマ司法 日本の法制度は、単に法律匪賊群の商売の為にだけ存在する。い
わゆる2枚舌司法、欺罔詐術司法として存在するだけである。日本の司法は建前だけは、どこ
の国よりも、美しく、立派で、豊壌であるが、実際はもぬけの殻、インチキ・イカサマ司法がその
本質である。
弁論主義といっても、その弁論そのものを捨象し、当事者主義といってもお仕着せの権力の強
圧手段を強制する愚妹な猿芝居に零落している。日本の二枚舌司法の実際をアメリカの司法
の仕組みと比較しながら虚実の実相に迫ってみたい。
アメリカの刑事裁判の警察官による取り調べは、捜査における単なる一方式にすぎない。当然
こととして、裁判であるから、自白が公判廷において有力な証拠であることは間違いがない。
しかし、アメリカの裁判と日本の裁判との決定的な違いは、アメリカでは、自白は相当ほかの証
拠が提出された後でなければ、提出が不可能なのである。ここに権力による強制した自白教
唆の歯止めがかかる仕組みが予め導入されているのである。
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繰り返すが、自白はアメリカの裁判でも重要な証拠のひとつであるが、有罪、無罪の核心的部
分を構成している中心事項ではないことに視点を向けることが、まず第一に重要である。
調書は皆同じ 日本での、取り調べは捜査官があらかじめ警察に配られた模範解答例文集の
ような形式文書に被疑者の容疑を押し込めて定型文書をでっち上げるのが普通である。
犯罪の調書を調べてみるとよくわかるが、捜査官の調書は、そのどれもが、驚くほど形式的で、
どの犯罪も類似の定型文書によって出来上がっている。いわば模範文例集の雛形を ただ丸
写しにしただけの形式的文書なのである。
このフォーラムに中原忍氏が書いていたように、日本司法の特質はどこまでいっても、プロクル
ステスの寝台司法である。靴の大きさに合わせ、生身の足をけずれというような乱暴な話であ
る。
ギリシャ神話の逸話のように、プロクルステスは旅人の足が長すぎるなら、その足を切り、身体
が小さすぎれば、無理矢理に引き延ばす。どこまでいっても物事の本質は形式形骸の枠組み
が最初に存在して、そこに事実を無理矢理押し込む。
裁判批判の合法性・正当性・必要性
国民の裁判批判の権利は、表現の自由、裁判の公開、国民の裁判官関与権の三点に直接の
根拠をもつ。日本国憲法の条文によれば、第21条・第82条(および第34条・第37条1項)・
第79条第2項および第3項がこれに該当するが、他方、裁判官の良心義務、すなわち第76条第3
項の規定もまた、裁判批判の合法性を、裁判官の職務上の地位から基礎づける。これらの規
定を総合して考察するときに、裁判批判の合憲性が立証されるのである。家永三郎 「裁判批判」より。
12 裁判幻想との惜別
本多勝一氏の裁判批判 ニューヨークタイムズ誌に現存する知識人の中でもっとも興味をひく
人物と称された、ノーム・チョムスキーは、日本のジャーナリスト、本多勝一氏の著書『戦場の
村』の英語版の翻訳出版のために、労を惜しまず奔走したそうである。その本多勝一氏の文
章は、すでに本誌の各号で引用されているが、筆者もその轍を踏みたい。
絶対確実明快歴然判然として、世界に冠たる反民主の野蛮な前近代的世界
「裁判などというものは、自分が直接関わらぬ限り、ほとんどの人たちは(他人ごと)と
思っているのではないでしょうか、けれども実は、まさに法律こそが全日本人の生活を
支配する究極点であって、日常の空間から一挙手一投足にいたるまでが法律の下に
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あると考えてもいいくらいです。(中略)日本の司法はそんな仮定の話ではなく絶対確
実明快歴然判然として、世界に冠たる反民主の野蛮な前近代的世界であることを、
実際に体験して理解することができました。訴訟などというものはやるだけ損、カネと
時間の損になるだけ、実行は「目には目を」、しかないのが、古代と同じ日本社会の
現実だとおもいます。これには市民社会も市民革命もなくて民衆が国家権力を倒した
歴史がない、という世界でも珍しい国であることも関係するのでしょう」『裁判官という
情けない職業』
しかしながら、筆者は日本司法の途方もない腐敗腐食の現状を司法界の珍現象として捉えて
おくだけでは、不十分であると考える。たとえば、司法改革で当初の意図は、日本司法の暗部
にメスを入れる為のものであった。しかし現実の結果はどうだろう。改革は常に骨を抜かれ、退
行する運命にある。司法改革にせよ、裁判員制度にせよ、なぜいつも決まって悲惨な結末、劣
悪な状況においこまれるのか。
日本式スキーマ構造の問題
絶対確実明快歴然判然として官盗国家ここまで書いてきた時、唐突にこの国の本質が見えて
きた。この国の本当の姿は、官盗国家なのだ。本会のアーネスト夏目先生は常々「英国の慣習
法は凡そ1200年の伝統をもつ膨大な判例の集積によって作られている。一方日本では法体
制の整備は、不平等条約を廃止させるための便法であり、単に見せかけの、建前的存在でし
かなかった。そこには真の意味で必然性も、またそれを生み出す背景も下地も存在していなか
った」と言っている。
さらに夏目先生は、日本が西洋法典の翻訳借用作業に、明治の天才的翻訳者、箕作麟祥(み
つくりりんしょう)がシビル・ドロワと言うフランス語の翻訳に苦悶して中国の訳語を参照にして民
権と訳したエピソードについて語っている。そして官盗国家の役人どもは、民権と言う訳語が気
に入らず、そもそも民に権利があるかということで大騒ぎになったそうである。
このように日本の不幸は外国語の観念をその本質を理解せず、ただ横の文字を縦の文字にし
たにすぎなかったところにあり、言葉がパッケージだけの存在として、コンテンツをはじめから
欠いていたところにあると喝破した。
フランス語のシビル・ドロワは民主主義の根幹をなす重要な概念であるが、主権在民という概
念が発達してきたのは、法は神の摂理であり、至高の立法者である神の普遍的な意思を表象
する不可侵の原理であるから、為政者といえども、この絶対的な倫理に従属しなければならな
いと言う考えが、段々と主権在民という概念に発展していったと考えられていると説明された。
もとより夏目氏はキリスト者ではない。
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市民は幻の存在 したがって、それを生んだ宗教や豊穣な哲学や市民概念不在の状況下で、
単に外国語を日本語に置き換えただけでは本質的なコンテントを理解することはできない。日
本の法体系が空疎な言葉の羅列として、司法官僚の為の方便としての機能しか果たしていな
いのは、この点に起源を持つものと考えられる。日本司法はインチキ・イカサマ司法である。
現在の日本国は、格差社会の到来、社会保険庁の不祥事、ずさんな年金記録、エイズや肝炎
など薬害問題の対応の遅れ、後期高齢者医療の混乱、医療過誤、談合問題、政財官の癒着、
そして昨年来、数々の偽装事件がようやく暴かれるようになった。日本社会には嘘偽りが充満
していて、社会そのものがインチキ・イカサマのような呈を託している。
不正慣行、贈収賄、天下り、日本社会は、こうした悪の構図に完全に汚染されている。ここにき
てメディアは今まで隠し通してきた偽物社会の一面の化けの皮を少しづつ引きはがし始めた。
為政者の自己防衛である。このような名実不一致の本質は、国民は馬鹿でない限り、先刻ご
承知だったのである。こうした退廃の制度は一度つくられると、改廃はほとんど不可能である。
いまの日本はバブル経済の崩壊、労働や会社に対する擬制としての忠誠心の崩落、若者意
識の変化、若者の無気力、少子高齢化の進行、国・自治体の財政破たんなどさまざまな動乱
の要因がひしめいているが、その本質は官盗国家、官が企業と結託して、国民から身ぐるみ剥
ぐ機構そのものが関係しているのである。
その結果、閉塞し行き詰まった社会構造の変化があまりに急激で、制度がそれに順応できなく
て、構造疲労を起こしている。国民は Gullible, credulous, fool
ひたぶるに事大主義、権威
主義、権力盲従志向の人々で充満している。
この現象は、官盗国家の成れの果てなのだ。この国の特色は、言説だけの美辞麗句で飾り立
て、中身は劣悪な粗悪品、一部の高度技術の分野をのぞくと、実に名実不一致の国である。
そして、日本司法は壮大なイカサマ、虚構の裁判詐術である。我々が出来事を理解するのは、
その出来事を活性化するスキーマ構造を通してである。この内的関係を組成する枠組すなわ
ち、この日本を支配する腐敗のスキーマ構造にメスを入れない限り、何事も本当の解決はな
い。
一筋の光を大切にしよう しかしこのように、閉塞した状況の中でも、一筋の光が見える。それ
は、現在が人類の長い歴史の中で、初めて、普通の人々が、権力の意向に、従うことを拒否し、
違った生き方を指し示すことが可能な機運が生まれてきつつあることである。我々は、この動
きを大切に保持しよう。
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