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2011.10.08「トルコ・ドイツ ブルーノ・タウトと外断熱の旅」

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2011.10.08「トルコ・ドイツ ブルーノ・タウトと外断熱の旅」
2010年10月8日~18日実施
トルコ・ドイツ ブルーノ・タウトと
外断熱の旅
NPO法人外断熱推進会議講演会
平成23年7月15日
田 中 辰 明
イスタンブール
• ブルーノ・タウトは期待して来日したが、日本
では建築家としての仕事を殆どすることがで
きなかった。「建築家の休日」と自嘲し桂離宮、
伊勢神宮など日本建築・文化を世界に紹介
する著述に尽力した。1936年7月2日ドイツ表
現派を代表する建築家ハンス・ペルチッヒ
(Hans Poerzig)の後任としてイスタンブール芸
術アカデミーの教授ト、トルコ政府の建築顧
問的立場の役職でトルコ政府から招聘がか
かる。
イスタンブール
• 1936年10月8日高崎の少林山を伴侶エリカ
と共に出て、10月15日に下関から関釜連絡
船に乗船し離日した。イスタンブールには11
月11日に到着している。トルコ共和国建国の
父と言われるアタチュルク大統領(1881~1
938)の信任を得、アンカラ大学はじめ多くの
建築を実施。しかし大統領の急死(1938年11
月10日)後大統領の葬祭場の設計を担当。
本人も過労で同年12月24日死去。
イスタンブール
エディルネ門外のエディルネ墓地の墓
イスタンブール芸術アカデミー
現在はトルコの大建築家の名前を取りミマール・シナン大学と称してい
る。
ミマール・シナン大学
この教室でブルーノ・タウトが講義を行った。
ミマール・シナン
ミマール・シナン(1490~1558)
• ミマール・シナンはトルコが最強の大帝国であっ
た16世紀に活躍した宮廷建築家。モスクをはじ
め多くの建築を残した。イスタンブールのスレイ
マニエ・モスク、セプザーデ・モスク、ルステム
パッシャ・モスク等の回教寺院の名作がある。
• ブルーノ・タウトはシナンを尊敬し、トルコでは
Mimar Bruno Tautと称したほどであった。タウト
のことば「建築はプロポーションの芸術である」
はシナンの建築による。
ミマール・シナンの廟
ミマール・シナンの廟
ミマール、シナンが設計したスレイマニエ・モスクの近くにある
スレイマニエモスク
建築は釣り合いの芸術である
ガラスのパビリオン
ミマール・シナンの出身地・カッパドキア
カッパドキア
ミマール・シナン大学
学生が設計課題の発表をしていました。
エミン・ヴァーフィーの森の家
1938年のタウトの遺作・オルタキョイ地区にある。ボスフォラス海峡
を望む。八角形で、法隆寺夢殿がヒントとなったという説もある。
ビザンチンのモスクをイスラムへ改修
トプカブ宮殿
トプカブ宮殿・オスマントルコの日の出
ドイツの無機塗料
• ブルーノ・タウトが使用した塗料は殆どがドイツ製の無機塗
料であった。わが国では無機塗料も存在はしたがそれ程好
まれて使用はされなかった。これは塗装後、塗膜ができるま
でに時間がかかり、塗装屋さんがコントロールにてこずった
事が一番大きな理由であった。ドイツ製の無機塗料は塗膜
形成まで12時間で塗装屋さんのコントロールには極めて適し
た時間に収められているのが特徴である。この時間が短す
ぎると、乾燥が早いという事になり、これも塗装屋さんにとっ
て厄介な問題になる。ブルーノ・タウトが何故無機塗料を好
んで使用したか、またタウトの建築の保存に忠実であったベ
ルリンの建築家ヴィンフリード・ブレンネ(Winfried Brenne)氏
がやはりこの無機塗料を好んで使用したかという事は筆者
にとって興味あることであった
Falkenbergの集合住宅
Einsteinturm(Potzdam)
Schönlakerstr.
Dahlewitz, Taut 旧宅
Dahlewitz,Taut旧宅
Rathaus, München
Oktoberfest, München
IBP; Holzkirchen
IBP, Holzkirchen
IBP, Holzkirchen
IBP, Holzkirchen
IBP,Holzkirchen
Schloß, Wartburg
Johann Sebestian Bach(Eisenach)
Kachelofen im Lutherkammer
Bibel
Lutherhaus(Eisenach)
Bachhaus(Eisenach)
Martin Luther(1483-1546)
• ドイツの宗教改革者。ローマに使して教皇制
度の不合理を知り、1517年免罪符乱売を
憤ってこれに対する抗議書95ケ条を公表、
教皇の破門を受け、宗教改革の端を開いた。
救いは行いによらず信仰のみによると説いた。
1522年、聖書のドイツ語訳を行い、自ら幾
多の賛美歌を作った。
Lutherの十戒
• 第1戒:われは主たるなんじの神なり。なんじ、われ
のほか、何ものも神とすべからず。
• 第2戒:主たるなんじの神の名を、みだりに口にあぐ
べからず。神はおのれの名をみだりに口にあぐる者
を、罰せではおかざるべし。
• 第3戒:安息日をおぼえて、これをきよくすべし。
• 第4戒:なんじの父母を敬え、これはなんじの神エホ
バの、なんじにたもう所の地に、なんじの生命の長
からんためなり。
Lutherの十戒
• 第5戒:なんじ殺すなかれ。
• 第6戒:なんじかんいんするなかれ。
• 第7戒:なんじ盗むなかれ。
• 第8戒:なんじその隣人に対して、いつわりのあかし
を立つなかれ。
• 第9戒:なんじその隣の家をむさぼるなかれ。
• 第10戒:なんじの隣人の妻、およびそのしもべ、しも
め、牛、ろ馬、ならびに、すべてなんじの隣人のもち
ものをむさぼるなかれ。
主の祈り
• 天にましますわれらの父よ。願わくは、み名を
あがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。
みこころの天なるごとく、地にもなさせたまえ。
われらの日ごとのかてを、きょうも与えたまえ。
われらに罪を犯す者をわれらが許すごとく、
われらの罪をゆるしたまえ。われらを試みに
会わせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄
えとは、限りなくなんじのものなればなり。
• アーメン
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