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モバイルサウンドエフェクト着メロ
2011 年 2 月 28 日 ビジネスケース クリプトン・フューチャー・メディア(株) 国士舘大学 田中 史人 **************************************************************************** 著作権は、執筆者に帰属します。著作権法上、転載、翻案、翻訳、要約等は、著作権 者の承諾が必要です。各執筆者の承諾がない転載、翻案、翻訳、要約、および法令に 従わない引用等は、違法行為となります。 Copyright © 2011 by Fumito Tanaka. **************************************************************************** I. はじめに クリプトン・フューチャー・メディアは、音を売るビジネスを最初に確立した企業とい っても過言ではないだろう。音楽では無く、音を商品化して、販路を開拓し、ビジネスモ デルを確立する。特に、注目できるのは、このような新市場開拓型の企業が、最新の文化 を創造し発信する東京圏ではなく、札幌という地方の大都市で生まれたということである。 もちろん、新しいビジネスが常に巨大都市から生まれるということはない。しかし、イン ターネット関連ビジネスを中心に、情報システム産業が東京圏に集中する傾向が強まって いる中、最先端のコンテンツ・ビジネスが札幌から発信された意義は大きい。 また、代表取締役の伊藤博之氏は、地域貢献にも積極的に取り組んでいる。北海道情報 大学の客員教授を務めるほか、札幌市内の大学での講演会などの依頼にも進んで対応し、 次世代を担う若年層に自身の経験をメッセージとして伝えている。北海学園大学のニトリ 寄附講座(北海道発の家具チェーンであるニトリの寄附により開催されている講座)での 講演会では、講演会終了後質問に来た学生が、その後企業訪問し、アルバイトで活躍する など、地域内の若手人材の育成、活用に積極的に取り組んでいる。ちなみに、伊藤博之氏 も、ニトリの代表取締役社長である似鳥昭雄氏も北海学園大学の卒業生である。 伊藤氏は、北海道そのものが「有力なコンテンツ」であるとし、積極的な情報発信によ る地域活性化を推進している。インターネットの普及により地域間の情報格差は縮小する と期待されていたが、逆にITベンチャーの出現は東京に偏重するという傾向も強まった。 しかし、クリプトン・フューチャー・メディアの事例は、「音」素材ビジネスという新た な市場を開拓した新事業創造のケースだけでなく、デジタルコンテンツ・ビジネスが地方 で成長するための要因をも示唆してくれるものである。 1 II. 企業と業界の概要 1.企業概要 会 社 名:クリプトン・フューチャー・メディア株式会社 CRYPTON FUTURE MEDIA, INC 代 設 表 者:代表取締役 伊藤 博之 立:平成 7(1995)年 7 月(決算期:6 月) 本社所在地:札幌市中央区大通西 10 丁目ダンロップ SK ビル 8F 事 業 内 容 :サウンド素材の流通・ライセシング、携帯電話向けサウンドコンテンツの 流通・ライセシング、音楽制作ソフトの開発・販売、WEB サービス開発 主要取引先: ※販売先 ◆ 全国主要楽器店、コンピュータショップ、ソフトウエア流通業者 ◆ 携帯電話 キャリア:NTT ドコモ、KDDI、ソフトバンクモバイル 電話機メーカー:三洋電機、シャープ、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニ ケーションズほか ◆ ソフトウエアのライセンス実績 コナミ、セガ、SCE、ナムコ、任天堂ほかゲームメーカー;日本放送協会(NHK) ほか国営・民放放送メディア(TV 局、ラジオ局、ケーブル TV) ;アップルコン ピュータ、DELL、マイクロソフト(株)ほかコンピュータメーカー;ローランド (株)、ヤマハ(株)ほか楽器メーカー;地方自治体、防衛省、文部科学省ほか公的 機関;高校、大学、専門学校など教育機関 ※仕入先 アメリカ、ドイツ、イギリス、カナダ、スウェーデン、フランス、デンマーク、韓 国、スイス、ハンガリー、ロシア、オーストリア、イタリア、南アフリカほか海外 に 50 社以上 2.事業内容と業界 (1)事業の基盤 当社は、海外のソフトウエアを仕入れて日本で販売することが設立の起源であり、その 基盤は流通業(卸売業)といえる。現に産業分類における主要業種名は、 「他に分類されな いその他の卸売業」である。しかし、その扱う商品に大きな特徴がある。それは、 「音」で ある。基本的に「『音』を仕入れて、必要な人に売る」、このことを創業以来 15 年以上続 けてきている。元来、 「音屋」というような商売があったわけでなく、既存市場が無い中で、 市場を創り出したのである。もちろん、音をパッケージ化して販売する企業は、世界では 2 何社か存在するが、世界の音を集めて日本で販売する事業は全く新しい試みであり、現在 までの道のりは市場創造の過程であったともいえる。現在、効果音などのサウンド素材に おける当社の市場シェアは 6 割以上となっている。 (2)対象市場 このため、対象市場は「音を必要としている人々」である。それは、放送局、ゲーム会 社、音響・映像制作会社、ミュージシャンなどであり、一般企業のCM(テレビ、ラジオ、 Webなど)や企業紹介ビデオ、自治体の広報活動などにも活用されている。基本的に一 般消費者を対象とせず、企業など組織の業務用用途であるため、市場の規模が小さくニッ チ市場である。市場が限定的であり、収益性の高い分野でも無いため、他からの参入はほ とんど無く、同業者や競合企業も極めて限られている。 また、「音」のデジタルデータの流通という観点から、携帯電話の着メロ配信事業を始 め、現在基幹事業として成長している。この分野は、一般消費者を対象としたマスマーケ ットである。加えて、「音」の流通から「音」の創造に向け、バーチャル・インストゥル メント分野でのプログラムを含めたコンテンツや、パッケージソフトウエアの開発・販売 を積極的に展開している。これらの点については、後ほど詳述する。 III. 成長の軌跡 1.創業の契機 (1)音楽から音へ 創業者であり、現在の代表取締役である伊藤博之氏は、1965 年 3 月北海道川上郡標茶町 に生まれる。標茶町は釧路湿原の北端にあたり、釧路から摩周湖に至る中間の位置にある。 中高生の頃からロックミュージックに惹かれ、エレキギターを弾き始め、ロックバンドを 結成するロック少年であった。その後、公務員試験に合格し、1985 年に北海道大学の職員 に採用される。最初の赴任先は工学部の研究室で、仕事の内容は事務というよりも研究補 助であり、周囲の大学院生などと共に研究活動を行うことが日課であった。ここでの業務 活動が、コンピュータに接する契機となる。 当時は、コンピュータやシンセサイザーなどの電子機器や電子楽器を用いて音楽を創作 するコンピュータ・ミュージックの創成期であり、伊藤氏はギターのみならず、当社の大 ヒット製品である「初音ミク」のキャラクター・デザインにも使われているヤマハの伝説 的なシンセサイザー「DX7」などを使ったり、身の回りの音などをサンプリングして音 楽や音を創作することを趣味としていた。 3 (2)音の個人輸出 そのうち、できれば自分の創った「音楽」や「音」を人に聞かせたいという希望を持つ ようになる。そこで、自分が創造した「音」を家族や友人に聞かせたり、また、札幌近郊 の楽器店やレコードショップなどを通じ同好の人が購入してくれたりと、それなりの評価 を得ることができたが、あくまでも友人・知人の範囲内であり、それ以上の広がりは無か った。ちょうど自分の「音」の世界を伝えるより良い方法が無いかと思案していた時期に、 本屋の雑誌コーナーで、アメリカの音楽専門雑誌の「keyboard(キーボード)」 を偶然手に取る。この雑誌は、鍵盤楽器や機材の情報、そしてプレーヤーの情報などを掲 載している専門誌であり、その後ろのページに classifieds(3 行広告)という短い個人広 告を掲載するスペースがあり、「楽器を売ります」、「楽器を教えます」、「音を売りま す」といった個人広告が掲載されていた。費用は、当時 50 ドル程度で、その金額を支払え ば広告掲載し自分の音を販売することができる。ちょうど 1988 年頃であり、当時円の為替 相場は 1 ドル 130 円程度で推移していたため、日本円にすると 6~7 千円で広告を出稿する ことができた。 この広告欄に興味を持った伊藤氏は、世界に自分の音を広げる格好のチャンスであると 思い、「日本の音を買いませんか?」というような内容で広告を作り掲載したのである。 アメリカの雑誌は世界中に流通している。この広告はある程度の反響を呼び、アメリカだ けでなく、ヨーロッパ、アジアなど多くの国から問い合わせや注文の AirMail が届いた。 問い合わせが来ると、手持ちの音リストを郵送した。届ける音は、シンセサイザーで加工 した効果音、クラシカルな小曲やダンスミュージック的なものであり、1 枚のフロッピー ディスクに音や音楽を保存し、10 ドル程度(1,300 円程度)の値段で販売した。雑誌には 毎月出稿し、1993 年頃まで約 5 年程度継続した結果、注文の AirMail は約 1,000 通、段ボ ール 1 杯にもなったのである。 (3)音を通じたグローバルなネットワーク ここで、その後のビジネスの基盤となる「音」のネットワークが形作られる。すなわち、 世界各地から注文を送ってくる顧客は、同じような趣味、趣向を持った人たちであり、必 然的に音作りについての手紙でのやり取りにより意気投合し、同じように音を作っている 多くの音仲間とのネットワークが形成された。日本から音の販売を雑誌に掲載しているの は、伊藤氏のみであったため、音仲間から日本を代表する存在として信頼を得ていたこと も強みとなった。そこで、全世界の音仲間から、自分の音を日本で販売して欲しいという 依頼が来ることになる。この時、1992 年より円高が進み、1993 年には 1 ドル 100 円台とな り、自分の音を聞いてもらうために音を輸出するというささやかな商売は採算割れとなり、 その後外国雑誌への出稿による音の輸出を中断することになる。 4 (4)音の個人輸入販売への転換 このような状況の中、円高傾向は逆に輸入差益をもたらす。もともと伊藤氏が海外に音 を届ける契機となったのは、商売というよりも自分の音を聞いてもらいたいという個人的 な欲求であり、海外の仲間の要望は良く理解できるものであった。このため、海外の音仲 間の作品を日本に伝え、日本の顧客に販売することの実現に向け動き始めた。日本には、 海外雑誌のような安価な classified(3 行広告)は無く、楽器メーカーなど他の企業と同 等の純粋な企業広告を掲載することになる。それは『サウンド&レコーディング・マガジ ン』というコンピュータ・ミュージックやレコーディングの専門誌で、1 ページ 20 万円程 度の費用がかかった。 当時は、日本においてもDTM(Desk Top Music)、DAW(Digital Audio Workstation) というパソコンなどの電子機器を用いて音楽を制作するジャンルが、一部の専門家やマニ アを中心に確立されつつあり、「音」という素材に対してのニーズが生まれつつあった時 代である。日本で「音」を売るという商売は今まで無かったため、この「音」の輸入販売 は潜在的な新しいニーズに支えられ、広告費をカバーできるだけの販売量を確保すること ができるようになる。海外のサウンド素材を集めたCDは、通信販売だけでなく、ミュー ジックショップなどの店舗にも卸して流通網を広げていった。評判が評判を生み、海外か らの音の販売依頼も増え、ビジネスとして確立していくようになる。 いよいよクリプトン・フューチャー・メディア設立の時である。伊藤氏は 1991 年に北海 道大学工学部の研究室から教養部の事務部門に異動になっていたが、1995 年に同大学を退 職し、クリプトン・フューチャー・メディアを設立した。折しもインターネット時代の幕 開けとなる windows95 が発売された年である。余談であるが、この社名は適当な乱数をあ てはめたもので、特別な意味は無いとのことである。 2.創成期 (1)「音」素材の輸入販売ビジネスの創成 当社が扱う商品は「音」であり、単純な音と音楽の中間的なものである。サウンド素材 とは、楽器の音、人の叫び声、拳銃の発射音、ビールやシャンパンの栓抜きの音、バイク のエンジン音、台風の風の音など多種多様な「音」そのものである。その中で、ドラムや ギターなどの楽器の短い演奏のパターン(1 小節のフレーズなど)を収録した音の素材集 を「サンプリングCD」といい、生の楽器やバンドに演奏させることなく、この素材の組 合せにより音楽を制作することができる。これをつなげ繰り返し再生することにより、あ たかも演奏しているように聞こえるのである。 これらの音の素材は、日本よりも海外で制作した音の方が良い音がするといわれている。 それは、例えばアメリカの黒人ドラマーが叩いた音の方がファンキーな音がするというよ うに、ロック、ポップス、ジャズなどの洋楽に使われる音の場合、海外で制作した方がよ りリアルでグルーヴ感に富む音が出来上がるということである。サンプリングCDを使い、 5 音の素材から音楽を作ることで、自分が弾けないフレーズ、持っていないテイストの音楽 が再現できる。このような「音」を海外から輸入販売する新しいビジネスは、日本におい て順調に受け入れられ、新市場を開拓することで売上高も右肩上がりに成長していくこと になる。 (2)パソコンの普及による成長 このビジネスは、基本的にコンピュータを利用して音楽を制作する人や組織のためのも のである。前述の通り、当社の設立された 1995 年はマイクロソフトが windows95 を発売し た年であり、これによりパソコン市場が一気に拡大し、一般に普及していくことになる。 それ以前、コンピュータ市場はマニアの世界であり、非常に限られた市場であったが、 windows95 の登場によりパソコンユーザーが増えると潜在顧客が増加し、それに呼応して 当社の売上高も増加する。この正の循環はその後も継続し、パソコンの普及に比例して、 1995 年には 1 億円、2000 年には 2 億円、2002 年には 3 億円と「音」の輸入販売ビジネス は順調に成長していく。現在、パソコンの普及は一段落の状況であり、このビジネスの売 上は大きく伸びる要素はあまり無く安定的に推移している。 3.携帯ビジネスへの進出 (1)携帯電話の飛躍的な普及 「音」素材の輸入販売ビジネスは、パソコンの普及とともに一定の成長を遂げていたが、 あくまでもユーザー層は「音」素材を使って音楽を作るという限定的なプロフェッショナ ル層であり、マーケットが大きく広がる見込みは少なかった。国内のコンピュータ・ミュ ージックやレコーディングの専門誌の発行部数は、多くて 10 万部程度であり専門家向けの ニッチ市場であった。このため、音をたくさんの人に使ってもらうことで収益を向上させ ることを常に考え、「音」マーケットの拡大を指向していた。1990 年代後半は、パソコン だけでなく、携帯電話が急速に普及していく時代であった。世帯普及率は、1995 年には 1 割程度であったものが、2000 年には 8 割を超える勢いで、個人のコミュニケーション・ツ ールとして欠かせないものとなっていた。携帯電話での「音」といえば着メロや操作音で ある。1999 年にサービスが開始されたiモードの普及により、着メロのダウンロードサー ビスが始まり、その認知度が向上していた。 (2)着メロ配信事業への参入 ①着メロ配信ビジネスへの注目 当初は、シンセサイザーで構成した機械的な音しか再生することができなかったが、2000 年にヤマハがPCM音源の再生できるSMAF(スマフ)という音声ファイルフォーマッ トを開発し、この音源チップを搭載した携帯電話が発売されたことで、マーケット拡張の 道が開けた。もちろん、当時の技術水準では、生の音をクリヤーに再生することは困難で 6 あり、鳥の鳴き声や車のイグニッション音などの生音を録音したものを 1~2 秒程度再生す るというレベルであったが、それでも何とか許容できる範囲内で、生の音を着メロで利用 することが可能となった。当時、着メロは音楽を販売するためのビジネスが 100%であり、 「音」素材を扱ったコンテンツは皆無であった。このため。この携帯電話用コンテンツは、 「音」ビジネスを一般ユーザーに広げる機会になると思い、着メロ配信サービスへの参入 を決定した。そこで、この技術を利用して自社で販売している「音」素材を携帯電話用に コンバートして配信するビジネスモデルの企画書を作成し、通信キャリア各社に提案し、 当初 j-Phone(現:ソフトバンクモバイル)、au の公式サイトに採用されることになった。 ②新たな事業展開:音の商社からIT企業へ 当時は、海外の音を輸入販売する業務が中心であり、情報システム業というよりは専門 商社に近い形態であり、独自にサーバを設置して、プログラムを開発し運用するような企 業ではなかった。すなわち、当社にとっては全く新しい事業形態への挑戦であり、それは 既存市場の無い新事業を創造することでもあった。新たにシステムエンジニアを採用し、 効果音配信用の独自プログラムを開発すると同時に、自社サーバによるネットワークと「効 果音」配信サイトを構築するという開発投資・設備投資を実施した。携帯電話のコンテン ツ配信サービスは、月額基本料を徴収するモデルが中心であったが、当社は 1 個 10 円でダ ウンロードできる仕組みを構築し、2001 年 4 月に「効果音」配信サービスを開始した。こ のビジネスモデルは見事に当たり、アルプス地方の歌唱法である「ヨーデル」や「幽霊の 声」などが人気を呼び、最初の 1 か月で 100 万ダウンロードを記録することになる。ここ で、当社は一般ユーザー市場の開拓し新たなステージに立ったのである。 (3)着メロ配信事業の成長 この着メロ配信ビジネスは、とても利益率の高い、俗にいう「おいしいビジネス」であ り、その後の当社の基幹事業ともなり、後述する初音ミクなどの新規事業進出への資金的 な基盤ともなっている。すなわち、いったん音を作ってサーバという入れ物に入れ、週に 2~3回数音の音を追加することで、自動的にどんどんダウンロードされていくため、特 別なメンテナンス作業もあまり必要が無い。ダウンロード料金は、1 割程度の手数料を払 うことで通信キャリアが通信料と共に回収するため、売掛金管理も容易である。通信キャ リアにとっても、通信料収入以外での 1 割の手数料は重要な収益となる。当社はそもそも 「音」素材を扱っている企業であり、音の追加といっても週に2~3回追加するだけで、 たいした労力でもない。ユーザーにとっても、自分のお気に入りの音が 10 円という安価な 料金で手に入り、自分好みで楽しむことができる。支払いも通信料と一緒であり、面倒が ない。一旦立ち上げると運用にそれほどの手間がかからないビジネスであり、まさに、当 社、通信キャリア、ユーザーともに Win-Win のビジネスであるといえる。立ち上げからダ ウンロード数は順調に伸び、初年度の売上は 1 億円以上となり、2009 年には 4 億円を超え 7 る売上高となっている。 4.バーチャル・インストゥルメントへの展開 (1)コンピュータ・ミュージックの進化 「音」を作りそれを世界中の人に伝えるという当社設立以前の活動、世界中の仲間や音 作りネットワークから生まれた「音」を輸入し、「音」を必要するプロフェッショナルに 販売するという当社設立の創成期のビジネス、そして携帯電話への「音」の配信サービス への進出、「音」を売るという観点ではすべて同じであり、当社の取扱商品の基盤は当初 から変わっていない。但し、「誰が音を買うか」、「どういう手段で音を売るか」という 観点では、「音」素材の輸入販売ビジネスと携帯電話の着メロ配信ビジネスは全く異なる ものであり、流通経路や契約業者も違う。例えていうなら、「音」素材は産業財であり着 メロ配信は消費財といえる。そして、この消費財分野に進出したことが、当社の事業基盤 を大きく広げるものとなった。 さて、「音」素材の販売ビジネスは、必然的に実際に演奏している生の音に近い音楽制 作の提供に結びついていく。電子機器を使った音楽の制作は、MIDI という電子楽器の 演奏データを各電子機器間でデジタル転送するための世界共通規格(プロトコル)に基づ いて行われる。電子機器を使った音楽は、MIDI規格で作成されたデータ(MIDIデ ータ)が音源に音の出力を命令し、スピーカーから音楽を奏でるというプロセスをとる。 MIDIデータは、楽曲の情報を音色、音の長さ、強さ、特殊効果などの組み合わせとし て保持するもので、このデータの作成、編集、再生を行うものをシーケンサという。シー ケンサに楽曲の情報を入力する機器は、MIDIコントローラと呼ばれ、パソコンでいえ ばキーボードの役割をするもので、通常は鍵盤タイプである。そして、MIDI データを 実際の音としてスピーカーから出力するものがMIDI 音源である。 今まで、シーケンサ、MIDI コントローラ、MIDI 音源ともに、それぞれ別のハード ウエアであり、電子機器で音楽を制作するためには、基本的にこれらの機器を導入する必 要があった。特に、従来のハードウエアのMIDI音源は、ROMチップ(読み込みだけ の記憶媒体;主にシリコンチップ)を使用し、記憶容量がせいぜい 512MB 程度であり、音 を記憶するための保存容量は限定的で、その中に色々な楽器の音が入っていたため、高品 質な生の音を再現することは困難であった。 (2)バーチャル・インストゥルメントの確立 それが、パソコンのハードウエアとソフトウエアの飛躍的な進歩により、1 台のパソコ ンですべてのことができるようになった。特に、パソコンの大容量ハードディスクを使う ことで膨大な音源データを保存することができるようになったのである。この技術革新に より、今までは実現することができなかった微妙な音の表現や、実際の楽器と同じ音質の さまざまな音の保存が可能になり、生の演奏に迫る音楽を創り出すことができるようにな 8 った。これがバーチャル・インストゥルメントである。すなわち、今までシンセサイザー などの音源はハードウエアであったが、それをソフトウエアにして、パソコンにインスト ールすることで、パソコンで実際の楽器に近い音楽の作成・編集・再生を行うことができ るようになったのである。まさに、100 人近いオーケストラがそのままパソコンの中に入 っているイメージであり、当然パソコンの重さは変わらない。質量ゼロの生の楽器の集合 体、まさに仮想楽器(バーチャル・インストゥルメント)である。 前述の通り、これはパソコンのハードディスク記憶容量の飛躍的な増加と、そこに保存 されたデータをリアルに再生するソフトウエア技術の確立により達成された。例えば、ピ アノであれば、強く弾く、弱く弾く、ペダルを踏むといったピアノの演奏技術、録音の場 所、環境の変化など、そのすべての音を録音し保存することで、ニュアンスに応じたリア ルな音を再現することができる。実際に購入すれば 1 千万円以上もするベーゼンドルファ ーやスタインウェイといったピアノの名器でも、その音色を忠実に再現することができる。 すなわち、ソロ、少人数編成のバンド、大編成のオーケストラまで、自分好みの楽器で生 の演奏に近いクオリティを実現することができるのである。 この技術は 2000 年頃に確立され、現在、プロのミュージシャンを含め、非常に多くのユ ーザーが利用しており、当社の主力事業ともなっている。当社は、このバーチャル・イン ストゥルメントを輸入したり、自社開発して販売しているが、当時はまだ実現できない楽 器が存在していた。それが歌手であった。 5.バーチャル歌手の誕生 (1)歌声合成技術「VOCALOID」 ①歌うコンピュータへの挑戦 プロのミュージシャンの中には、バーチャル・インストゥルメントを所詮は偽物であり、 生の演奏に勝るものは無いと敬遠する人もいる。しかし、音質の向上は日進月歩であり、 現在はかなり忠実に再現することができ、素人では聞き分けができないような生の演奏と ほとんど変わらない音楽を創り出ことが可能となっている。ただ、人間の歌声だけは別で、 歌を忠実に再現することは不可能であった。 コンピュータに歌を歌わせるという技術は、すでに 50 年近く前から試みられていたが、 それは如何にも機械的な歌であり、生の人間が歌っている歌声とは程遠いものであった。 また、人間の実際の歌声を集めたサンプリングCDもあったが、その中に収められている ものは叫び声やコーラスなどであり、単音で人間の声を再現することはできても、歌詞を 歌わせることはできなかった。しかし、当社が販売していた音源やサンプリングCDの中 でも、特に売れていたのは人間の声であり、黒人がシャウトする声などが人気を集めてい た。このため、人間の生の歌声が忠実に再現できるバーチャル・インストゥルメントを出 せば、必ず新しい市場を開拓できると考えていた。この時、ヤマハが自然な歌声を作るこ とを目標に歌声合成技術を開発していることを知ることになる。これが、後に初音ミクと 9 いう大ヒット商品を生み出す「VOCALOID(ボーカロイド)」という歌声合成技術 である。 ②歌うソフト開発への道 もともと当社が携帯の着メロ配信事業に参入したのは、ヤマハがSMAF(スマフ)と いう音声ファイルフォーマットを開発し、この音源チップを搭載した携帯電話が発売され たことで、生音の着メロが実現できたことが契機となっている。当社には、この技術に対 応して音をマニュピレート(コンピュータで音を操作して音色を作成すること)する高い 技術力を持った技術者が在籍しており、ヤマハの技術陣が驚くような高いクオリティの音 を配信していた。このため、ヤマハがこの音源チップを世界中に販売する時のセールス用 サンプル音源などに採用され、ヤマハの半導体部門の研究室とは深い関係を維持していた。 この研究室で歌声合成技術を開発中であるとの情報を得て、自然な歌声を発することので きるバーチャル・インストゥルメント実現への道が開かれた。 2004 年 3 月に、世界で初めてVOCALOID技術を使用した、英語で歌うパソコン向 けパッケージ製品である『LEON』(男声)と『LOLA』(女声)が英ZERO-G社 から発売されたが、期待に反し全く売れなかった。この要因としては、コンピュータを使 って音楽制作をするDTMの専門家であるコア・ユーザーを対象とし、パッケージに“唇” の写真を用いたことなどがあげられる。人間である歌手が歌う歌は、それ自身が個性であ り、人格を表すものである。自然な歌声を実現した技術であっても、個性そのものを表現 することはできず、当然機械的で不自然な部分もある。この点がプロのDTMユーザーに は受け入れられなかった。 (2)歌うソフト『MEIKO』誕生 この教訓を生かし、当社は、2004 年 11 月に日本語で歌う初めてのソフト『MEIKO』 (女声)を発売した。声の素材は、実際の歌手を起用し、パッケージには、マイクを握っ て踊る、はつらつとした女の子のアニメ風の絵を描き、個性的な「歌うソフト」というイ メージを訴求した。このソフトは、1,000 本売れれば成功といわれるDTMソフト業界で、 発売初年度 3,000 本を売り上げるヒット商品となった。それに続き、2006 年には男声のソ フトである『KAITO』を発売するが、これはほとんど売れなかった。このことで、D TM市場は専門家やオタクである男性の比率が多く、女性ボーカルが支持されるという教 訓を得る。 2007 年 1 月、ヤマハは歌に含まれる息の音成分を取り入れ、より人間に近い自然で滑ら かな歌声を再現することができる「VOCALOID2」を発表する。当社は、早速この 新しい技術を使った製品の開発に取り掛かる。この時特に意識したことは、製品を訴求す るターゲットである。プロであるDTMのコア・ユーザーは本物志向で、『MEIKO』 の評判もそれほど高いものではなかった。一方で、『MEIKO』のキャラクターは、後 10 に『初音ミク』の爆発的ヒットの起爆剤となる「ニコニコ動画」などにも投稿されており、 その影響で『MEIKO』の売上が伸びるという状況が見受けられた。このため、新しい 製品の主なターゲットは、コアなDTMユーザーという音楽の専門家だけではなく、アニ メや動画など、いわゆるアキバ系ユーザーを中心としたより広い層を対象とすることにし た。 そして、単なる「歌うソフト」という位置付けではなく、それぞれのパッケージ製品が 個性的なバーチャル歌手のキャラクターを演じる「キャラクター・ボーカル・シリーズ」 としてシリーズ化することを計画した。このような観点から、16 歳のバーチャル・アイド ル『初音ミク』が誕生し、それに続き若さ溢れる思春期(14 歳)のキャラクター・ボイス の女の子(リン)と男の子(レン)のペアの『鏡音リン・レン』、クールでちょっぴりミ ステリアスなキャラクター・ボイス『巡音ルカ』(20 歳)というバーチャル・シンガーが 創り出された。ちなみに当社は、このようなバーチャル・シンガーのシリーズ化に伴い、 ヤマハの歌声合成技術VOCALOIDをボーカル・アンドロイド(直訳すれば歌声人造 人間)と位置付けている。 6.バーチャル・アイドル『初音ミク』 (1)『初音ミク』による新市場創造 『初音ミク』はDTMソフトであるとともに、人格、個性のあるバーチャル・アイドル の側面を持つ製品である。つまり、単なるコンピュータが歌を歌うソフトという位置付け ではなく、あくまでも、初音ミクというバーチャル・シンガーの個性を前面に押し出して いる。また、アキバ系ユーザーに向け、「萌え」の要素を取り入れたキャラクター作りを している。このため、声の素材にはかわいい声の女性アニメ声優を起用し、パッケージは アキバ系アイドル的イメージのイラストを専門のイラストレーターに依頼した。そして、 2007 年 8 月末、DTMの新しい市場を切り拓いた『初音ミク』が発売される。初音ミクの ミクは未来で、「未来からきた初めての音」という意味があり、ここにも当社が『初音ミ ク』という新たなバーチャル・インストゥルメントに賭ける意気込みが感じられる。 初音ミクは、年齢 16 歳、身長 158cm、体重 42kg で、ポップでキュートなキャラクター・ ボイスのバーチャル・シンガーであり、得意ジャンルはアイドルポップス、ダンス系ポッ プス、得意な曲のテンポや音域も設定されている。プロ志向の強いDTM業界からは、当 初このソフトに対して批判的な意見が多く受け入れられなかったが、当社の狙い通りパソ コン・オタクでもあるアキバ系のアニメや動画ユーザーがこのソフトに飛びついた。 「2007 年内に 1,000 本」という当初の目標は発売数日で達成し、発売 5 カ月程度で 3 万本、2010 年末までの 3 年あまりで 6 万本強という、DTM業界では空前の大ヒット商品となった。 これは、DTMというコンピュータ使った音楽ビジネスというよりも、バーチャル・アイ ドルという新しいビジネスを創造したといえる。 11 (2)CGMによるバーチャル・アイドル『初音ミク』の進化 ヒットの原動力となったのはニワンゴが運営する動画共有サイトであるニコニコ動画の 存在である。ニコニコ動画は、動画の画面上にコメントが書き込める点に特徴があり、発 売当初より初音ミクを用いた動画やCGイラストなどが盛んに投稿された。作品の中には、 累計 10 万アクセス以上を誇る人気作が次々に生み出され、ニコニコ動画における初音ミク の人気は不動のものとなっていく。それが、YouTube など他の動画サイトにも波及し、口 コミを通じて多くのユーザーが初音ミクというバーチャル・アイドルの存在を認知するよ うになる。このように、初音ミクの人気は、ある面ユーザー自身が創り出したものであり、 CGM(Consumer Generated Media:消費者生成メディア)の産物であるといえる。CG Mとは、ユーザーが参加し、ユーザー自身が創り上げていくインターネット上のメディア のことであり、現在ネット文化の主流となりつつある。例えば、Facebook などのSNS(ソ ーシャル・ネットワーキング・サービス)は、既存の社会システムの基盤を揺らがせるよ うな影響力を持ちつつあるともいえる。 初音ミクは、ニコニコ動画を舞台にしたCGMの活性化に大きな役割を果たしたといえ るが、ユーザーが自発的に創り出すコンテンツは、投稿作品の 2 次使用などを巡る著作権 問題などのやっかいな課題も浮き彫りにしている。初音ミクは、本来の用途であるDTM ソフトとしての音楽の制作のみならず、キャラクターを使ったイラスト、動画、フィギュ アなど、いわゆるキャラクター・ビジネスの分野にも広がり、多様なジャンルの創作が行 われ作品として投稿される状況に発展している。このようなカオス(混沌)的な状態は、 自由なバーチャル空間であるネット文化が生んだ産物であるが、企業としてのビジネスを 考えた場合、ある面で交通整理も必要になってきているのかもしれない。 IV. 業績と組織形態 1.業績と競争環境 (1)業績の推移 当社の売上高の推移はグラフの通りである。創業期から当社は、2 回の転換点を経験し ている。創業時点の音素材の輸入販売ビジネスで1億円程度であった売上高は、順調に増 加傾向にあったが、2001 年に携帯電話の着メロ配信事業に進出したことにより一段の躍進 を遂げる。そして、2007 年の初音ミクの販売により、2008 年度の売上高は前年度比 233% という飛躍的な成長を達成したのである。このように当社は、現在新たなステージに立っ ているといえるであろう。2010 年の売上構成は、音楽ソフトウエア 63%、携帯電話サービ ス 24%、効果音・BGM・サンプリング 11%、その他 2%となっている。 12 売上高の推移 (単位:百万円) 1,600 1,400 1,200 1,000 800 600 400 200 0 売上高 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 324 366 433 463 533 1,244 1,170 1,366 (2)業界と競争環境 業界としては、生成期から成長期へ移行している段階である。同業者という意味での競 争業者は少なく、業界内での競争は激しくない。これは、当社が常に「音」にこだわり続 け、今までにない新しい市場を開拓してきたという事実を裏付けるものであろう。もちろ ん、「音」を扱うビジネスは、あくまでも趣味や余暇の世界であり、可処分所得の競争と いう面では、バーチャル・イントゥツルメントで音楽を作るか、フラッシュを使ってムー ビーを作る、あるいはカラオケで歌を歌うなど、さまざまな業態が入り組んでおり、趣味 や余暇で自己実現するという意味での競争相手は多いといえる。 2.組織形態と業務内容 組織は、事業区分ごとにグループ化している。それは、①メディアファージ事業部:D TM関係のパッケージソフトを扱う部門で、DTMソフトに精通しているエキスパートが 所属、②CSP推進室:携帯用コンテンツを扱う部門、③音効映像事業部:音や映像の加 工を行う部門で、DTMソフトに精通した人材やデザイナー、企画担当者などが所属、④ システム開発:情報システム全体を開発・管理する部門で、SE(システムエンジニア) 中心、⑤総務関係である。人員配置は、①メディアファージ事業部、②CSP推進室、③ 音効映像事業部ともに社員の 25%程度が所属し、④システム開発が 20%、⑤総務関係が 5% という構成になっている。社員数(2010 年 9 月現在)は、男子 32 名(平均年齢 30 歳)、 女子 13 名(平均年齢 25 歳)である。 学歴、文系・理系の区分は、採用時には全く気にしていないが、採用後は全員がパソコ ンを使って業務を推進することになる。現在、大卒は 6~7 割で、文系人材が 8 割程度で主 流となっている。基本的にネット(Web Site)中心の販売活動を行っているため、営業担 当者はいない。広告は主にネット広告で、Google への出稿が中心となっている。 13 V. 経営理念と立地環境 1.経営理念と事業ミッション 基本的に、「普通の会社がやらないことをやる」という企業姿勢を心がけている。経営 理念としては、ホームページのトップにスローガンを掲げているが、それは“「音」で発 想するチーム。”である。当社のコア・コンピタンス(他社に真似できない核となる能力) は「音」であり、その「音」を使ってさまざまな顧客の悩みや欲求を解決することである。 音を売るという商売において、ただ単に音を選んで納品するだけでは何も広がらない。そ の「音」に付加価値を付けることが当社の得意分野であり、それは、音を売るのではなく、 「音で発想する」ことにつながる。例えば、音をベースに、音で音楽を歌わせるソフトを 創り、バーチャル・アイドルに見立てて商品化するといったことである。すなわち、企画 担当者は、音で発想した仕掛けを顧客に事業提案をすることが業務の中心となっている。 事業ミッションは、「メタクリエーター」である。クリエーターとは、音楽や映像、ゲ ームなどを作る製品・サービスの提供者であり、当社にとってはクリエーターが主の顧客 である。『初音ミク』の主要顧客は個人であるが、それを使って音楽や動画を創りニコニ コ動画に投稿する、「自分の創ったものを人に見てもらいたい」という欲求はまさにクリ エーターといえる。それが、CGM文化を醸成しているのである。そして当社は、クリエ ーターが便利な製品・サービスを作るためのものを提供するクリエーターであり、まさに クリエーターのためのクリエーター(=メタクリエーター)と位置付け、常にクリエータ ーを支援していきたいと考えている。 2.立地環境 現在札幌市に本社を構える当社であるが、北海道企業という存在を変える理由も予定も ないという。営業所などの展開は将来的に検討しているが、今のところ現状で十分である と考えている。もちろん、営業面で札幌にいる不便さも感じることはある。社員が全員揃 うことはなく、いつも 3~4 人程度は東京などに出張している。行ったり来たりであるが、 営業所を固定的に持つことと、出張旅費とのコスト差はほとんど無い。 インターネットで地域差は解決できると考えており、地方にいる利点を最大限に活かし た事業展開を進めていきたいと考えている。北海道は、落ち着いて仕事ができる「場」で あり、東京などの大都市にはないコンテンツとしても魅力もある。地域を基盤とすること で、東京を中心とした首都圏の文化を、新たな視点で創造することができるとも考えてい る。 14 VI. 今後の事業展開 「音」を扱う会社であり、「音」がコア・コンピタンスであるという軸をぶれさせるこ とは無い。このため、音が利用できるシーンを増やすということが当面の目標となってい る。例えば、音は録音して残すことはできるが、印刷して残すということはできない。も ちろん、楽譜などの手段はあるが、これは音を奏でる手続きを記述したものであり、音そ のものではない。であれば、「音が印刷できないか」という発想が重要である。これが「音 で発想する」ということであり、当社の経営理念に通じるものである。「音で発想できる」 製品・サービスを創り出すことが当社の本業であり、事業ドメインと呼べるものである。 数年前に携帯電話のQRコードに着目し、音をQRコード化して、それを印刷できる技 術を開発した。それを企画書としてまとめ、FM局や印刷会社に提案して事業化する。こ れが、当社の事業化のパターンである。この方向性は、今後も継続していく。しかし、音 だけでは限界もあるため、クリエーターが望んでいること、困っていることのニーズを満 たす「メタクリエーター」という観点からは、色々と出来ることがあると考えている。初 音ミクから派生したキャラクター・ビジネスなどのように、「音で発想した」製品・サー ビから関連ビジネスが次々と生み出される好循環を創り出していくことが、今後の長期的 な目標となっている。 以上 15