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Ⅰ.序 章
Ⅰ.序 章 勇気とは「それにもかかわらず」自 自身を肯定することである [パウル・ティリッヒ] 1. 精神医学とは 精神医学 psychiatryは,病理法をもちいて人間の精神現象と その病態をとりあつかう医学の一 野である 。病理法とは, 康時には気づかず病気になって初めてわかること,病的現象 を介して正常とは何かを推しはかることである。主に精神障害 の原因,診断,治療,予防を研究するが,今日では脳や体の病 1)ティリッヒ Tillich, P(1886-1965)は ド イ ツのプロテスタント神学 者。アメリカに移住しユ ニオン神学大,ハーヴァ ード大,シカゴ大教授。 『文化と宗教』 (1962) 。 気はもとより,自然科学,心理学,社会,経済,哲学,文化な どと関連して範囲が著しく拡大している。 精神医学では病気の定義や範囲があいまいである。個人が精 神活動をおこなう上で何かしら困難があり,診察して一定の症 状や行動異常が認められる場合に精神障害 mental disorder と 呼んでいる。そのうち医学的な治療対象となるものを精神疾患 mental illness,ある重症度をもつものを精神病 psychosis とい う。WHO ではもろもろの精神的能力が欠落することを機能障 害 impairment,正常範囲内で低下すると能力低下 disability, 社会のなかで役割がはたせないと社会的不利 handicap と区別 している。 精神障害の頻度は一般成人人口のおよそ9∼17%(12か月間 2)精神医学の語は1808 年ドイツの内科医,解剖 学者ライルが初めて用い た。精 神 病 と い う 語 は 1845年ウィーンのフォイ ヒテルスレーベンがつく った。 Ⅰ 序 章 の有病率)とみられている。多いものは不安,うつ,アルコー ル症などである。生涯有病率は18∼36%で,3∼5人にひとり は人生のどこかで何かしらの精神障害になる。 精神医学者,精神科医 psychiatrist の数は世界でおよそ十数 万人といわれている。本当のところがわからないのは,試験で 専門医を選抜する国から,他科とかけもちで自己申告だけでよ い国まで,制度がさまざまに違うからである。経済発展と密接 に関連し,人口100万人あたりの精神科医数は先進工業国ほど 多い。アメリカの130∼140人を筆頭に,イギリス,フランス, わが国などは70∼110人であるが,中国,タイ,インド,アフ 1)100人程度が適 正と いわれている。 リカ諸国は10人以下にすぎず著しい格差がある 。 発展途上国では飲料水の確保,寄生虫や感染対策,乳児死亡 率の改善など,さしせまった優先課題があり,精神障害に目が 向けられるには 衆衛生や身体医学が充 ゆきわたり,国民医 療水準全般の向上を待たねばならない。一方,精神障害者が妊 娠,体の病気,危機的な環境変化などにあうと,もとからある 精神症状は目立ちにくくなる。精神医学や精神障害がおもてむ きは重要といわれながら,他科の医師から余剰医学,世間から なまけ病,ぜいたく病とみなされがちなのには,こうした背景 2) 狂気は個人にあっ ては稀である。しかし集 団,党派,民族,時代に あ っ て は 通 例 で あ る」 『善 悪 の 彼 岸』[ニ ー チ ェ]。 がある 。 精神医学はあつかう領域に応じて生物学的精神医学,心理学 的精神医学,精神病理学,力動精神医学,小児(児童)精神医 学,老年精神医学,心身医学,病院精神医学,司法(犯罪)精 神医学,社会精神医学,家族精神医学,学 精神医学,産業精 神医学,文化精神医学,宗教精神医学,嗜癖精神医学,精神保 ,精神薬理学,病跡学などに かれる。 2. 脳のしくみ 神経系 nervous system とは,内 泌系,免疫系などと同じく Ⅱ.いろいろな症状 1. 症状と症候群 症状(症候)symptom とは病気のしめすあらゆる表現であ る。患者の訴える主観的な自覚症状と,診察した医師の客観的 な所見をあわせて,病気のなりたちを える学問を症候学 semiologie という。 すべての医学の基礎は症候学である。病気の診断は,症状を とらえるところからはじまり,治療と予防へむかう。身体病で は機器をつかった検査技術がすすんだために,画像やデータさ えあれば患者をみないでも診断がつくようになり,症候学がお ろそかになった。まだこの 野がそれほどすすんでいない精神 医学では,今も患者を目でみて診察し,話をきいて症状をとり あげる症候学を大切にする。 病気はたいてい,1つではなく複数の症状からできている。 1)症候群の名の由来は, いくつかの症状の組み合わせを症候群 syndrome という 。症 人名(カプグラ症候群) , 候群は病気そのものではなく,原因や本質を論じるのでもない 文学(ミュンヒハウゼン 症候群) ,病因(離 断症 実用的な概念である。複数の病気がかさなることを併発(コ・ 候群) ,部位(前頭 葉症 モビディティ co-morbidity)という。別々の病気とみるか,1 候群) ,印象(悪性 症候 群)など。 つの病気のちがう表現をみているのか議論がたえない。 1. 症状と症候群 1)主症状と基本症状 症状には量的なものと,質的なものがある。量的なものは正 常からの偏りであるが,質的なものはつながりを絶たれた異質 なものである。気が滅入る抑うつ気 は量的な感情症状である が,感情そのものが湧かない感情鈍麻は質がちがう。 症状の枠組みを形式,中身を内容という。妄想という症状の うち,妄想知覚は形式であり,被害妄想は内容である。一般に 記述現象学は形式を,力動精神医学は内容のほうを重視する。 病気の特徴をよくあらわした,診断の役にたつ症状を主症状 primary symptom,必須症状という。いつもみるとは限らない, ほかの病気にもある症状は副症状 secondary symptom,偶発症 状などという。器質性・症候性精神障害では,急性期の主症状 は意識混濁,慢性期は認知症である。 病気の根底にある,本質を表す症状を基本症状(基本障害) basic symptom という。病像のすべてをここから説明するが, 理念なので目に見えるかたちで実証できるとは限らない。ビル 1)ビルンバウム Birnbaum, K(1878-1960) ものに けた。前者は必然の基本症状であり,後者は年齢,性, はドイツの精神科医。ベ ルリン大教授。 『精神病 環境,体験などから修飾される。 の構成』(1923) 。 ンバウム は1919年に症状を病像成因的なものと病像形成的な シュナイダーの一級症状 first rank symptoms は統合失調症 の基本症状ではなく主症状のことであり,退行期うつ病の症状 2)一級症状はシュナイ ダーが1938年ころ統合失 が青年期と異なるのは加齢による病像形成とみる。DSM -Ⅳ調症の診断にもちいた。 TR の統合失調症は主症状と副症状からなる症候群の名で本質 3形式の幻聴( 想化声, 問いかけと応答,行為批 が何かは問わない。 評) ,身体的被影響体験, 想奪取, 想吹入, 想 伝 播,妄 想 知 覚,感 2)経 過 情・欲動・意志領域の被 病気の時間的な展開を経過 course という。経過は急にはじ 影響の9ないし11項目か まることも緩慢なことも,進行することも勢いが止まることも, らなる。統合失調症の30 ∼70%とくに急性期にみ 回復することも悪化することも,一時でおわることもくりかえ られ今日の操作的診断基 準にも採られた。 すこともある。 月の満ち欠けのように現れては消え,一定の長さで反復する 病期を病相 phase という。間欠期 intermission をはさんで規則 Ⅲ.いろいろな病気 1. 病気の 類 たくさんある病気を 類するためには何かしらの基準がいる。 類とは病気に対する えであり,精神障害をどう理解するか の立場をしめすものである。原因別の 類がもっともわかりや すい。 1.体因(身体因)性 somatogenic 2.心因性 psychogenic 3.内因性 endogenic 体因性は,脳や身体に一次性の原因があるという意味で,器 質性,症候性,中毒性精神障害を指している。心因性は,スト レス,悩み, 藤など心理的要因から生じるもので,一般に神 経症と呼ばれる精神障害である。適応障害や PTSD などのよ うに因果関係がはっきりわかる場合と,ヒステリーの解離症状 などのように患者自身も理由に気づかず,幼少時の体験や無意 識のレベルまで探って解釈が必要な場合がある。精神病に似た 症状を出すものを,心因反応,反応性精神病などと呼んでいる。 内因性は,内部からひとりでに起きてくるようにみえる,体因 と心因の双方がかかわる精神障害であるが,あいまいなのであ Ⅲ いろいろな病気 まり われなくなった。 1)歴 的な 類 ピネルの 類(1798) 近代精神医学の黎明期における 類である。スコットランド 1)リ ン ネ Linne, C (1707-78)はスウェーデ ンの医師,博物学者。ウ プサラ大解剖学,植物学 教 授。 類 学 の 権 威 で 『自然の体系』 (1735)の 初版に「新しい種は生じ ない」と記されていたが 後の版では削除された。 のカレンの影響をうけ,スウェーデンのリンネ による植物 類をもとにしたもので,客観的に観察し目に見える特徴をとり あげようとする実証的な姿勢がみえる。 第Ⅳ綱:神経症 第2目:脳神経症 亜目2:ウェザニア 属:心気症,夢遊症,狂水病,心神狂(マニー,メランコ 2)マ ニ ー manie は こ ころの全般精神病,メラ ン コ リ ー melancolie は 部 精 神 病,痴 呆 demence と 白 痴 idiotisme は知的衰退程度の差 である。 リー,痴呆,白痴) マニャンの 類(1882) 19世紀末のフランスを代表する 類で,経過と変質理論によ る二 法である。 A.遺伝素質のあるものにおこる精神病 1.変質のないもの:マニー,メランコリー,慢性妄想 3)加害的被害者 persecute -persecuteur は 自 が被害者だと言いなが ら,加害的な行動に終始 する妄想患者。好訴妄想 に相当するパラノイアの こと。 4)急 性 錯 乱 bouffee delirante は急 性に 発 病 して変化しやすい幻覚妄 想と情動があり転帰のよ い一過性精神病。非定型 精神病に近い。 病,間欠精神病 2.変質状態:不 衡者,理性的マニー,加害的被害 者 ,急性錯乱 B.正常者におこる精神病 てんかん,ヒステリー,認知症,中毒,急性デリール クレペリンの 類(1909-15) 生前最後の教科書8版の 類である。疾患単位の理念をもと に,状態像の展開と終末像を根拠に,外因性から体質性まで3 群に大別されつつ切れ目なく連続した近代的 類に近くなって いる。 5)フランス語のデリー ル delire は,妄 想,精 神病のいずれもさす。 1.外因性のもの:外傷による精神病,脳病による精神病, 中毒精神病,感染精神病,梅毒性精神病,進行麻痺,老 Ⅳ.診察と検査 1. 面 接 interview 面接とは精神科医(治療者)と患者との出会いの場である。 信頼関係を築く第一歩であるとともに,精神医学診療の基本で ある。患者や家族から話を聞くことで,病気の情報を得て症状 をとりだし,病像をくみたて診断する diagnostic formulation ためにおこなうが,すでに治療にも踏み込んでいる。 1)場所と話しかた 患者が内面をのびのびと話してくれることが必要であり,そ のための環境を整える。飾りすぎず殺風景でもなく,暗すぎず まぶしすぎず,ほどよい広さの静かな個室が望ましい。くつろ いで,しかも適切な距離がとれるように,治療者は患者の直角 あるいは斜めに座り,同じ目線の高さで,目をきちんと見て (アイコンタクト) ,思いやりと関心をもって耳をかたむける。 治療者はもっぱら聞き役にまわるが,聞きながら面接全体を リードする。まず患者がもっとも悩んでいること,いま一番気 になることを聞き,次いでこれまでの経緯,生活,仕事,家族 のことなどへ広げる。これらをきまった順序ではなく,行きつ Ⅳ 診察と検査 戻りつしながら話を進めていく。専門用語をつかわず,できる だけ患者自身の言葉が多くなるように質問(開かれた質問 open question)して,流れを途中でさえぎらず,あいまいなところ は別の表現をうながす。患者が途中で黙ったり,話そうか話す まいか迷ったりするときは,そのペースに合わせて待ち,自 から話しにくいこと(性的虐待,自己臭,自殺企図など)につい ては, 「はい・いいえ」で答えられる質問(閉じた質問 closed question)にかえてみる。 聞きながら治療者は,いくつかの病気を え,1つの症状を 捉えると次の症状を予測し,誘導するのではなく患者がうまく 表現できない部 を補い,枝葉末節を落としつつ,ともに病像 をくみたてる。治療者に患者の病気全体が見えていないと,面 接は核心にとどかず,クリアな病像を結ばない。根掘り葉掘り こまかい情報を収集するのではなく,患者の内面に生じている 1)「おしなべて物を思 はぬ人にさへ心をつくる 秋のはつ風」 [西行] 。 大きな流れをつかむことをこころがける 。 患者と家族の望み,言い がくいちがっていたり,秘密があ ったり,利害が対立することがある。まず同席で両方の話を聞 き,ついで別々に聞き,最後に再び一緒に聞くなどの工夫をす る。患者の拒否的な態度は,症状(緊張病の拒絶症,緘黙など) のことも,反応(無理やり連れてこられて不満など)のこともあ る。興奮している患者にも,危険がないかぎり,強い制止をさ けて本人を尊重する。患者のために何かしてあげたいという気 持ちが伝わると,少しずつ話してくれたり,当座は黙ったまま に終わっても,そのことを覚えていて後になってほぐれること が少なくない。 自由連想法はフロイトがつくった精神 析の面接である。椅 子に横たわる患者の頭に浮かぶことがらをそのまま語らせ,治 療者は背後で聴き取る。1回40∼50 ,週に4,5回おこなう。 一方,聞きもらしをなくし情報を 等にするために,質問項目 や順序がきまっている構造化面接 structured interview がつく られ,DSM に対応した構造化臨床面接(SCID),ICD むけの 現在症診察表(PSE),境界性パーソナリティ障害用のボーダ