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2010年ウクライナ大統領選と新政権 - 服部倫卓のロシア・ウクライナ

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2010年ウクライナ大統領選と新政権 - 服部倫卓のロシア・ウクライナ
ロシアNIS経済速報
2010年(平成22年)3月25日
No.1491
毎月5日・15日・25日発行(ただし1月5日、5月5日、8月15日は休刊)
ROTOBO
Connecting Markets
ISSN 1881-4417
ロシアNIS経済速報
社団法人 ロシアNIS貿易会
2010年(平成22年)3月25日号 No.1491
目
次
2010年 ウクライナ大 統 領 選 と新 政 権 ....................................... 服部 倫卓 1
トピックス ............................................................................................................................. 15
住友商事がカザフでレアアース回収合弁/15
住友商事がロシア銀と提携/15
ユニクロのモスクワ第1号店が4月2日開店/15
日立建機、ロシアに販社設立へ/15
秋田県と沿海地方が包括友好協定/15
エトセトラ ............................................................................................................................. 16
『調査月報』2010年4月号のご案内/16
2010年 ウクライナ大 統 領 選 と新 政 権
ロシアNIS経済研究所 次長
服部 倫卓
はじめに
1月17日にウクライナ大統領選挙の第1回投票が行われ、事前の予想どおりヤヌコヴィ
チ地域党党首とティモシェンコ首相が決選投票に進んだ。そして、2月7日に行われた決
選投票の結果、ヤヌコヴィチが48.95%を得票し、45.47%のティモシェンコを僅差で退け、
大統領に当選した。最高会議(議会)では地域党を中心とする新たな多数派が形成され、
3月11日にはアザロフ新内閣が成立している。
今回の速報では、2010年ウクライナ大統領選挙と、その後の連立・組閣の動きを整理し、
分析・論評を試みる1)。
1.大統領選挙の総括
ヤヌコヴィチ大統領誕生まで 今回の大統領選挙を前にしたウクライナの政治・経済情勢に
ついては、昨年暮れに本誌で発表したレポートで解説した2)。同レポートでも述べたよう
に、大統領選挙はティモシェンコ首相とヤヌコヴィチ地域党党首による一騎打ちの様相を
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呈していた。
1月17日に大統領選の第1回投票が実施された。その結果は、表1に見るとおりである。
大方の予想どおり、35.32%を得票したヤヌコヴィチと、25.05%を得票したティモシェンコ
が、決選投票に進むことになった。
この結果を受け、上位2候補による多数派工作が焦点となった。両候補とも、第1回投
票で敗退した政治家との提携を模索し、その支持票を確保しようとした。とくに、13.05%
を得票して3位につけたチヒプコがキャスティングボートを握る存在として脚光を浴び、
ティモシェンコはチヒプコに新政権での首相就任を正式にオファーした。
だが、実際には、第1回投票で敗退した主要候補で、決選投票に向けて旗幟を鮮明にす
る向きはなかった。チヒプコやヤツェニュークやリトヴィンが国民から一定の支持を受け
ているのは、
「ユーシチェンコでもヤヌコヴィチでもティモシェンコでもない、清新な政治
家に出てきてほしい」という国民の願いからであろう。したがって、たとえばチヒプコが
ヤヌコヴィチの秋波を受け止め、自らの支持者に対し「決選ではヤヌコヴィチに入れよう」
と訴えたところで、支持者がそれに付いて来る保証はない。新参者たちがヤヌコヴィチや
ティモシェンコとの提携に応じることは、支持者に「裏切り行為」と受け取られかねず、
今後の政治生命にとって大きなリスクとなる。むしろ、ここは毅然とした態度を貫いた方
が得策だという判断に傾いたということではないだろうか。かくして、合従連衡がまった
く進まないなかで、決選投票を迎えることとなった。
そして、2月7日の決選投票では、ヤヌコヴィチが48.95%、ティモシェンコが45.47%、
「両候補に反対」が4.36%という結果に終わり、ヤヌコヴィチが勝利を収めた。
表1 2010年ウクライナ大統領選挙の投票結果
(投票率と主要候補の得票率、%)
第1回投票(2010年1月17日)
決選投票(2010年2月7日)
投票率
66.76
投票率
69.15
ヤヌコヴィチ
35.32
ヤヌコヴィチ
48.95
ティモシェンコ
25.05
ティモシェンコ
45.47
チヒプコ
13.05
両候補に反対
4.36
ヤツェニューク
6.96
ユーシチェンコ
5.45
シモネンコ
3.54
リトヴィン
2.35
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しばらく公の場から姿を消していたティモシェンコは、2月13日になって国民向けの声
明を発表、今回の選挙結果はヤヌコヴィチ陣営の不正によってもたらされたものであり、
自分はそれを承認せず、裁判所に提訴すると宣言した3)。実際にティモシェンコは2月15
日に最高行政裁判所に提訴し、その審理が2月19日に始まった。ところが、審理が始まっ
てから2日目の2月20日、法廷に姿を現したティモシェンコは、提訴を取り下げる旨を裁
判所に表明した。自らの提出した証拠の一部を裁判所が採用しないなど、真摯な審理が行
われるとは期待できない状況で、このまま法廷闘争を続けても意味がないことから、提訴
を取り下げるという説明であった。
ティモシェンコが決選投票で敗れた場合に、選挙に不正があったとしてその結果に異を
唱え、大衆を街頭に動員したり、法廷闘争に訴えたりするのではないかということは、か
ねてから予想されていた。ティモシェンコとしては、結果を承認しないことで、少しでも
長く首相の座に留まり、影響力を保持しようとすると見られていたからである。しかし、
今回の大統領選挙で中央選挙管理委員会が発表した公式結果は、各機関が実施した出口調
査のそれと完全に合致しており4)、大掛かりな結果の改竄などがなされていないことは明
白であった。OSCEが「民主的選挙のお手本」と評するなど、国際的な選挙監視団による評
価も高かった。こうしたなかでティモシェンコが2004年のオレンジ革命の再現を狙っても、
それには無理があった。ティモシェンコ本人としても、結果を覆すというよりも、裁判所
に提訴して「負けを認めない」姿勢を示しておくことに主眼があったのかもしれない。
ともあれ、ティモシェンコの提訴取り下げにより、ヤヌコヴィチの当選が正式に確定し
た。2月25日にヤヌコヴィチ新大統領の就任式が挙行され、第4代ウクライナ大統領が誕
生した。
地域別の投票分析
ここで改めて、大統領選挙の結果を地域別に分析してみたい。第1
回投票および決選投票の地域別の投票結果を表にまとめたが、紙幅の関係でここには掲載
できないので、別ファイルになっている。こちらからダウンロードしていただきたい。
→http://www.rotobo.or.jp/quick/2010uaelections.pdf
なお、表は筆者がウクライナ中央選挙管理委員会のウェブサイトに掲載されたデータを
もとに作成したものだが、技術的原因により一部不完全な部分があることをお断りしてお
く。西部・中部・南部・東部の地域区分は、現地シンクタンク「ラズムコフ・センター」
が利用している区分に倣った。ただし、地域(州)の並べ方は、筆者独自のものである。
基本的に西から東へという流れで、なおかつメゾエリア的なつながりを加味して配置して
ある。アルファベット順などよりも、この方が分析に適しているという判断だ。西部・中
部・南部・東部の合計数値は、筆者が算出した。西部・中部・南部・東部の投票率は左列
の有権者数と投票数から便宜的に算出したもので、全国や地域(州)の投票率とは若干整
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合しない。第1回投票には18人の候補者が出馬していたが、ここでは第7位のリトヴィン
までを掲載する。
第1回投票の投票率を見ると、西部で高く、中部と東部は普通で、南部で低いという構
図となっている。これは、1999年や2004年の大統領選挙の時にも見られたパターンで、完
全に定着した構図である。ただ、今回は決選投票で東部の投票率がかなり高まっており、
地域党の地盤で多少の動員があったこともうかがわせる。
まず、第1回投票の投票結果を見ていきたい。第1回投票の地域別の投票パターンは、
まったく順当なものとなった。西部と中部ではほぼすべての地域でティモシェンコが、逆
に南部と東部ではすべての地域でヤヌコヴィチが1位となっている(例外はヤヌコヴィチ
が勝った西部のザカルパッチャ州)。他の候補は、誰一人として、地域別の1位を獲得でき
なかった(最もそれに近付いたのはイヴァノフランキウシク州におけるユーシチェンコ)。
第1回投票の得票パターンを見ると、ウクライナ西部を、①ハリチナ(リヴィウ州、イ
ヴァノフランキウシク州、テルノピリ州)、②ポレシエ(ヴォルィニ州、リヴネ州)、③南
西部(ザカルパッチャ州、チェルニウツィ州)という3つのグループ分けることができそ
うである。①では、ティモシェンコがトップではあるが、それに加えユーシチェンコが25%
を上回る大きな得票を収めているのが特徴的で、ウクライナ民族主義の要因がきわめて大
きいエリアだと考えられる。③では、西部にもかかわらずヤヌコヴィチがかなりの得票を
収めており、また投票率が異常に低い点も注目される。複雑なエスニック事情、山岳地の
特殊事情、農村人口の比率の高さなどが要因として考えられる。
中部では、すべての地域でティモシェンコがヤヌコヴィチに勝利を収めている。ただ、
当然地域による状況の違いはあり、ヴィンニツャ州、フメリニツィキー州などはほとんど
西部と言っていい投票パターンだが、ドニエプル左岸の重工業州であるポルタヴァ州あた
りだと東部の色合いが混じってくる。
東部ではどの州でもヤヌコヴィチが首位となったが、圧倒的に強いと言えるのは地元の
ドネツィク州と、同じくドンバス工業地帯に属すルハンシク州だけである。ドニプロペト
ロウシク州、ハルキウ州、ザポリージャ州といった他の重工業州では、独自の利害・派閥
やドネツィク州への対抗意識もあると見られ、ヤヌコヴィチへの支持は絶対的ではない。
とくに、ドニプロペトロウシク州はティモシェンコ、チヒプコの地元でもあることから(チ
ヒプコが最高得票率を挙げたのがこの州)、票は割れている。ヤヌコヴィチの強みは何と言
っても、ドネツィク州(およびルハンシク州)の巨大な票田をほぼ独占していることにあ
る。
ヤヌコヴィチと異なり、ティモシェンコには絶対的に強い地域というものがない。第1
回投票で50%を超えたのは、ヴォルィニ州だけであった。お膝元であるはずのドニプロペ
トロウシク州でも、チヒプコに食われてか、低調な得票率にとどまった。
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3位以下の候補では、チヒプコがすべての地域で善戦していることが、特筆に価する。
27地域のうち、実に21地域で、10%以上得票している。一番悪い数字でも、イヴァノフラ
ンキウシク州の4.36%であり、これはティモシェンコの一番悪い数字(ドネツィク州におけ
る4.32%)よりも上である。つまり、チヒプコの場合、今のところ、どうしようもなく嫌わ
れている地域がなく、これからバランスを逸しなければ、全国的に支持される政治家にな
れる素地を秘めていると考えられる(ヤヌコヴィチやティモシェンコにはそれはもう無理)
。
それに比べると、同じ次世代のリーダー候補でも、ヤツェニュークはやはり西部の政治
家という色彩が濃い。なお、最も得票率が高かったチェルニウツィ州は、同氏の出身地で
ある。
現職のユーシチェンコは、ハリチナ以外では10%に届かず、南部や東部では1%を割り
込んだ地域すらある。現職が地域によっては1%も獲得できないというのは、やはり異常
事態と言わざるをえない。出身地のスムィ州でも6位に沈んだ。
共産党のシモネンコは、ロシア語地域でのみ、一定の存在感を維持した。最も得票率が
高かったセヴァストポリ市は、民族構成でロシア人が71.6%という土地柄(セヴァストポリ
では前回よりも同氏の得票率が高まったほど)
。2強の対決に注目が行きがちだが、考えて
みれば、2004年に3位だった社会党モロズ氏の影響力喪失といい、シモネンコ氏の得票率
縮小といい、左派の退潮という現象はもっと注目されてしかるべきかもしれない。
リトヴィン最高会議議長が3%を超えるようなある程度の得票を収めているのは、基本
的にドニエプル川右岸だけで、左岸では振るわない。ただ、これは地域差というよりも、
(リ
トヴィンが強いと言われる)農村人口の比率に関係しているのかもしれない。
次に、決選投票の結果を改めて地域別に見てみよう。決選投票では、南部・東部ではす
べての地域でヤヌコヴィチが勝利し、西部・中部ではすべての地域でティモシェンコが勝
利するという明快な結果に終わった。そのこと自体はまったく順当なのだが、驚かされる
のは、
「拮抗した地域が1つもない」という事実である。すべての地域で、いずれかの候補
が明確な勝利を収めている。最も得票率の差が小さいザカルパッチャ州でさえ、ティモシ
ェンコ:51.66%、ヤヌコヴィチ:41.55%で、約10ポイントの差がついている。
ヤヌコヴィチ:48.95%、ティモシェンコ:45.47%というのは、あくまでも、このように
バラバラな諸地域の投票結果を、数学的に平均したらこうなったという数字なのである。
2010年大統領選結果の意味するところ 筆者の見るところ、今回の大統領選挙結果が意味
するのは、結局のところ、2004年のオレンジ革命によって成立した体制または政権が否定
されたということであろう。大きな期待を背負って成立したユーシチェンコ大統領とティ
モシェンコ首相による政権だったわけだが、新たに政権に就いた政治家もクチマ前政権に
劣らず問題のある人々だった。しかも、2008年以降の経済危機により、ウクライナは世界
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的に見ても大きな打撃を受け、好景気の果実も失われた。そうしたなかで、政権幹部は、
有効な政策を打ち出せないまま、政争に明け暮れている。これにより、ユーシチェンコ大
統領の支持率が地に堕ちただけでなく、大統領と決別したティモシェンコ首相も、国民の
目からはやはり「同じ穴の狢」と受け取られた。国民は、こうした状況に「ノー」を突き
付けたわけだ5)。
オレンジ体制が否定されたとして、問題は新しい政権の受け皿である。ティモシェンコ
は、ユーシチェンコ大統領と決別していたとはいえ、やはり色褪せたオレンジ革命と分か
ちがたく結び付いている。現職の首相でもあるし、同女史に反感を抱く国民も多いので、
国民が変化を求めているなかで、新しい大統領の候補としてはどうしても弱いところがあ
る。
一方、ヤヌコヴィチも新味はまったくないものの、ドネツィク州を中心とする東・南ウ
クライナに強固な地盤があり、かなり分厚い固定的な支持層を有している。したがって、
オレンジ革命以降の一時代に幕を引く役目の担い手として、最短距離にいるのは、やはり
ヤヌコヴィチだ。このような論理で、2004年に否定されたはずの人物が、2010年に返り咲
いたということではないかと思われる。
本来であれば、チヒプコやヤツェニュークといった次世代の政治家が政権をとればスッ
キリするのだが、彼らは議会にその足場となるべき勢力を有していないし、「大統領候補」
として国民に充分に浸透するには至らなかった。結局、皮肉にも、ユーシチェンコよりも
年長で、今年還暦を迎えるヤヌコヴィチが、選択肢として残ったということであろう。新
しく何かを担うというよりは、とりあえずリセットする役目といったところではないか。
コラム◆フレッシュな政治家を求める国民
本文中にもあるように、今回のウクライナ大統領選挙で最も重要な要因となったのが、国民の
既成政治家に対する「飽き」であったと思われる。それを裏付ける世論調査結果がある。社会工
学センター「ソツィオポリス」という調査機関が2010年3月1~5日にウクライナ全土の中小
規模の都市(人口5万人以上)で成人1,600人を対象に行った電話アンケートの結果だ。出所は、
http://www.unian.net/rus/print/366686
これによれば、回答者の59.7%は、新しい政治家の登場が切実に必要とされていると答えて
いる。18.5%は、新しい政治家の登場は重要だが、今後のウクライナの発展にとって決定的で
はないという回答。8.1%は、その必要性はとくにないという立場。残り13.7%は無回答。
具体的に、次世代の政治家のうち誰を支持するかを尋ねたところ、チヒプコ:24.7%、ヤツ
ェニューク:14.2%、フリツェンコ:8.5%、コロレウシカ:6.3%、チャフニボク:4.0%、
シュフリチ:2.2%、キリレンコ:1.7%、カテリンチューク:1.1%、パバト:0.9%といった
名前が挙がった。他の名前を挙げた回答者が3.6%、
「1人もいない」と答えた者が40.3%、回
答困難が8.7%だった(注:合計すると100%を上回るので、複数回答が可能だったのではない
かと推察される)。
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今回の大統領選挙が、積極的に誰かを支持するというよりは、消去法的な論理にもとづ
いていたことは、投票率の数字からもうかがえる。前回2004年の大統領選の時の投票率は、
第1回投票:74.92%、決選投票:80.85%、やり直し決選投票:77.32%と推移した。それに
対し今回は、第1回投票が66.76%で、決選投票は69.15%だった。実は、筆者自身は、決選
投票は第1回投票よりも投票率が下がるかもしれないと予想していた。チヒプコやヤツェ
ニュークらの支持者の多くが、決選では棄権するのではないかと思われたからである。と
ころが実際には投票率が若干上がったわけで、これは多くの有権者が「Aは嫌いだけど、B
だけは絶対に大統領にしたくないから、Aに入れる」という選択を下したことを意味する。
「ティモシェンコだけは(あるいはヤヌコヴィチだけは)絶対に大統領にしたくない」と
いう反感を、筆者は過小評価していたようである。
2.新政権の布陣とその特徴
大統領府 ヤヌコヴィチ新大統領は、2月25日に就任式を行うと、即日大統領令を出し、
これまであった大統領書記局(Sekretariat)を廃止し、大統領府を創設した。そしてリオー
ヴォチキン氏をその長官に、アキモワを第一副長官に、ヘルマンを副長官に任命した。
また、注目すべき動きとして、ヤヌコヴィチ大統領は就任後すぐの2月26日の大統領令
で、
「経済改革委員会」という諮問機関を設置している。そして、3月17日には同委員会の
規約と顔ぶれを定めた大統領令を追加で公布した。これによれば、ヤヌコヴィチ大統領自
身が同委員会の委員長を務めるとされており、この機関が重要な政策決定の場となる可能
性をうかがわせる。大統領以下、総勢25名もが名を連ね、アキモワ大統領府第一副長官が
事務局を務める。外相や法相までもが加わっていることから、同委員会は狭義の経済問題
だけでなく、より幅広い分野を網羅した政策決定機関になる可能性もあるかもしれない。
新たな多数派連立の形成 ヤヌコヴィチ当選後、焦点となったのは、議会多数派の形成と
内閣樹立である。ウクライナの憲法上、内閣は最高会議に責任を負うので、大統領が代わ
ったからといって、制度上は内閣が総辞職する必要はない。しかし、現実の政治力学にお
いては、ヤヌコヴィチ新大統領にとってティモシェンコ首相は邪魔者以外の何者でもなく、
それを打倒して地域党主導の新内閣成立をめざすことは容易に予想された。
実際、地域党は自前の内閣を樹立すべく、最高会議での多数派工作に乗り出した。その
際に地域党がターゲットにしたのが、リトヴィン議長のリトヴィン・ブロック(20議席)
と、ユーシチェンコ前大統領派の「我らがウクライナ・国民自衛」
(72議席)であった。両
派はこれまでティモシェンコ・ブロックと組んで多数派連立を形成してきたわけだが、議
会での議席やポストを失いたくないので、簡単に地域党政権になびくと見られていた。
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しかし、実際には連立交渉は難航
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図1 ウクライナ最高会議の議席配分(2010年3月現在)
する。とくに、西ウクライナを地盤
としナショナリズム色の強い「我ら
我らがウクライ
ナ・国民自衛
66
がウクライナ・国民自衛」派は、歴
史認識や外交政策などで地域党と
地域党
172
路線を異にするだけに、調整は困難
議席総数:
を極めた。そうしたなかヤヌコヴィ
チは2月21日、首相候補として3人
ティモシェンコ・
ブロック
149
を検討しているとして、チヒプコ、
450議席
ヤツェニューク、アザロフの3名の
共産党
リトヴィン 27
・ブロック
20
名前を挙げた。このうちアザロフは
地域党の幹部だが、チヒプコやヤツ
我らがウクライ
ナ・国民自衛
造反組
6
ェニュークは外部の人材で、西部や
キエフでも受け入れられる人物だ。
ティモシェンコ・
ブロック造反組
6
無所属
4
多数派連立:
235議席
ヤヌコヴィチとしては彼らの名前を出すことで(逆に言えばコレスニコフ氏のような地域
党強硬派の名前を出さないことで)、「我らがウクライナ・国民自衛」派に安心感を与え、
連立工作をスムーズに進めようという思惑があったのかもしれない。
ともあれ、3月3日の最高会議で、286名の出席議員のうち243名が賛成して、ティモシ
ェンコ内閣の不信任案が可決された。243の賛成議員の内訳は、地域党:172、共産党:27、
リトヴィン・ブロック:19、我らがウクライナ・国民自衛:15、ティモシェンコ・ブロッ
ク:7、無所属:3であった。
続いて3月9日に、最高会議規約法の修正が行われた。従来は、議会の多数派は会派の
連立によってのみ形成され、各会派が連立に参加するかどうかは会派内の多数決によって
決められていた。それが、今回の修正により、議員が個別に連立に参加することが可能と
なったわけである。この修正が意味するところは、要するに、地域党が、
「我らがウクライ
ナ・国民自衛」派の過半数の協力を取り付けられず、同派を会派全体として多数派連立に
参加させるのに失敗したということであろう。そこで、法律を変えて、一本釣りに作戦を
切り替えたということに相違あるまい(ただし、この法改正は違憲だとする指摘があり、
今後の政局の火種になるかもしれない)
。
これを受け、計235名の議員からなる新たな多数派連立が成立した(その名称は「安定と
改革」
)
。地域党の全議員(172)
、共産党の全議員(27)、リトヴィン・ブロックの全議員(20)
、
無所属議員が全員(4)、ティモシェンコ・ブロック155人のうち6人、
「我らがウクライナ・
国民自衛」派72人のうち6人がこれに加わった。これをグラフで表すと図1のようになり、
青いところが与党(235)、白いところが野党(215)ということになる。ちなみに、ティモ
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シェンコ・ブロックや「我らがウクライナ・国民自衛」の議員で、造反して連立与党に加
わった議員たちは、会派の籍を残している。したがって、ティモシェンコ・ブロックの総
議席数は155、「我らがウクライナ・国民自衛」のそれは72で、現在のところ以前と変わっ
ていない。円グラフに示した白い部分の議席数は、あくまでも連立の枠外にとどまってい
る議員たちの人数である。
235名というのは、最高会議の過半数を少し超えただけである。図1を見ると、まさに与
野党伯仲で、ヤヌコヴィチ=アザロフ政権の議会運営は楽ではなさそうにも思える。しか
し、現地の論調を見ると、必ずしもそういう雰囲気でもない。ティモシェンコ・ブロック
や「我らがウクライナ・国民自衛」の造反組は、次の選挙では党の名簿に載せてもらえそ
うもなく、少しでも長く議員の座に留まるためには、地域党政権を支えて解散を回避する
しかないということが、しばしば指摘される。
アザロフ内閣 3月11日の最高会議で、新たな多数派連立にもとづくアザロフ内閣が成立
した。出席議員343名のうち242名が賛成票を投じてアザロフが首相に承認され、さらに240
名の賛成によりアザロフの提案した閣僚名簿が承認されたものである。
内閣の顔ぶれは、表2に見るとおりである。チヒプコ副首相の抜擢以外は、ほぼ地域党
の人脈で埋め尽くされている(実は、チヒプコも元々は地域党の関係者で、2004年の大統
領選時にはヤヌコヴィチの選対本部長を務めている)。「我らがウクライナ・国民自衛」派
との連立交渉が失敗した分、地域党の単独政権という色彩が濃くなった。地域党以外の各
派は閣僚を出しておらず(共産党のカレトニク議員が関税庁の長官に就任したといった事
例はあるが)
、数合わせのためだけに寄せ集められた存在という感が否めない。
アザロフ内閣は、7名の副首相を含む、総勢29名の大所帯である。気になるのは、機能
的に重複する閣僚が見られることだ。農業政策相とは別に農業担当の副首相がおり、地域
発展・建設相とは別に地域政策担当の副首相がいるという具合である。論功行賞で、閣僚
の数が膨らんでしまったのだろうが、政策決定・執行への悪影響が懸念される。
閣僚の出身地を地域別に見ると、ドネツィク州:8、キエフ市・州:5、ドニプロペト
ロウシク州:3、リヴィウ州:2、ジトーミル州:2人等となっている。南部出身者はオ
デッサ州の1人だけだ。実はロシア生まれが3人おり、リヴィウ州出身者よりも多い。
首相に起用されたアザロフ氏のプロフィールは、コラムに見るとおり。ロシアのカルー
ガ生まれであり、民族的にもロシア人。地質学を専攻し、石炭の仕事をするようになって、
石炭産地であるウクライナに赴任したところでソ連が崩壊、その結果としてウクライナ国
民になったという経緯である。ただ、その後、政治家に転身してからは財政や税務分野で
の仕事がメインになっており、石炭と税金という、かなり色合いの違う2つの専門分野を
もっているということになる。
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表2 アザロフ内閣の閣僚名簿
役 職
首相
第一副首相
副首相(安全保障担当)
副首相(経済担当)
副首相(農業担当)
副首相(地域政策担当)
副首相(人道問題担当)
副首相(2012年サッカー
欧州選手権開催担当)
外相
内相
国防相
非常事態相
法相
蔵相
経済相
産業政策相
燃料・エネルギー相
石炭産業相
農業政策相
運輸・通信相
地域発展・建設相
住宅・公営事業相
環境保護相
文化・観光相
教育・科学相
家族・青年・スポーツ相
労働・社会政策相
保健相
官房長官
名 前
ワンポイント
1947年ロシア・カルーガ生まれ。民族的にはロシア人。もともとは炭坑の技
M.アザロフ
術者で、ウクライナに移ってから政治家および財政・税制の専門家となっ
AZAROV, Mykola Yanovych
た。
A.クリュエフ
1964年ドネツィク生まれ。石炭の専門家から成り上がり、弟セルヒーととも
KLYUEV, Andriy Petrovych
に財閥「ウクルポドシプニク」を築き上げた。
V.シウコヴィチ
1960年キエフ州生まれ。防衛学校を卒業しKGBなどで働いた安全保障の
SIVKOVYCH, Volodymyr Leonidovych
プロで、内閣でも国防省、内務省等を指揮する。
S.チヒプコ
1960年モルドバ生まれ。今回の大統領選で第3位につけ、キャスティング
TIHIPKO, Serhiy Leonidovych
ボートを握る存在として一躍脚光を浴びた。
V.スラウタ
1952年ドネツィク州生まれ。ソフホーズからたたき上げ、ヤヌコヴィチがドネ
SLAUTA, Viktor Andriyovych
ツィク州知事だった時に副知事を、同じく首相だった時に農相を務めた。
1949年ルハンシク州生まれ。民族的にはロシア人。ルハンシク州知事を経
V.ティホノフ
て2006年から地域党所属の最高会議議員、地域党会派の副会長を務め
TYKHONOV, Viktor Mykolayovych
た。
V.セミノジェンコ
1950年キエフ生まれ。もともとはハイテク分野の研究者だが、クチマ時代に
SEMYNOZHENKO, Volodymyr Petrovich
副首相に起用されて政治の世界に足を踏み入れた。
B.コレスニコフ
1962年ドネツィク州マリウポリ生まれ。当国を代表する大富豪アフメトフ氏
KOLESNIKOV, Borys Viktorovych
の盟友で、サッカークラブ「シャフタール」副社長。
K.フリシチェンコ
1953年キエフ生まれ。職業外交官だが、駐ロシア大使時代には存外にウ
HRYSHCHENKO, Kostyantyn Ivanovych
クライナ国家主義者の一面を見せ、ロシアの対ウ政策を批判する場面も。
A.モヒリオーフ
1955年ロシア・カムチャッカ生まれ。最初は体育教師だったが、その後内
MOHYL'OV, Anatoliy Volodymyrovych
務官僚に転身してドネツィク州、クリミア自治共和国などで働く。
M.エジェリ
1952年ヴィンニツャ州生まれ。元海軍総司令官で、ヤヌコヴィチ首相の顧
YEZHEL' Mikhayko Bronislavovych
問を経て、最近は国防省主任監査官を務めていた。
1966年ウシホロド生まれ。石油・ガスで財をなし社会民主党の幹部に就
N.シュフリチ
任、のちに地域党に加わったが、物議を醸す言動が多く「ウクライナのジリ
SHUFRYCH, Nestor Ivanovych
ノフスキー」の評も。
O.ラヴリノヴィチ
1956年ジトーミル州生まれ。地域党幹部ながら、往時には民族主義組織
LAVRYNOVICH, Oleksandr Volodymyrovych 「ルフ」の活動家だったという異色の経歴の持ち主。
1949年ドネツィク州生まれ。アザロフの側近で、アザロフが国税庁長官
F.ヤロシェンコ
だった時に第一副長官、アザロフが蔵相だった時にその次官。その後、国
YAROSHENKO, Fedir Oleksiyovych
税庁長官、副長官を務めた。同氏の蔵相起用は、アザロフの財務省掌
握、財務省と国税庁の協力関係にとり有益。
V.ツシコ
1963年オデッサ州生まれ。民族的にはモルドバ人。元オデッサ州知事、元
TSUSHKO, Vasyl' Petrovych
内相であり、経済相起用を疑問視する向きも。
1972年ドニプロペトロウシク州クリヴィーリフ生まれ。クリヴォリシスターリ勤
D.コレスニコフ
務を経て、中央採鉱・選鉱コンビナート幹部。産業政策第一省次官、地域
KOLESNIKOV, Dmitro Valeriyovych
党所属の最高会議議員を歴任。
1958年ドネツィク州生まれ。これまでもウクライナのエネルギー分野に隠然
Yu.ボイコ
たる影響力を発揮してきた。ロスウクルエネルゴのフィルタシ氏に近いとさ
BOYKO, Yuriy Anatoliyovych
れる。
Yu.ヤシチェンコ
1953年ドネツィク州生まれ。マキイウカの炭坑を振り出しに石炭およびエネ
YASHCHENKO, Yuriy Petrovych
ルギー産業管理の畑を一貫して歩んできた。
M.プリシャジニューク
1960年ジトーミル州生まれ。ジトーミル州副知事、食肉・肉製品生産者協
PRYSYAZHNYUK, Mykola Volodymyrovych 会会長などを経て、地域党所属の最高会議議員。
K.エフィメンコ
1975年キエフ州生まれ。専門は会計で、直近ではウクルトランスハスの幹
YEFIMENKO, Kostyantyn Oleksiyovych
部だったが、ほぼ無名の存在。
V.ヤツバ
1947年ドニプロペトロウシク生まれ。地域党幹部ながら、ドネツィク州では
YATSUBA, Volodymyr Hryhorovych
なくドニプロペトロウシク州が地盤(かつて同州の知事を務めた)。
O.ポポフ
1960年ドニプロペトロウシク州クリヴィーリフ生まれ。ポルタヴァ州コムソモリ
POPOV, Oleksandr Pavlovych
シク市の市長として行政改革の実績を挙げ、中央の大臣に抜擢された。
V.ボイコ
1961年キロヴォフラード州生まれ。農業機械およびそのリースの分野で
BOYKO, Viktor Oleksiyovych
キャリアを積んできた人物で、直近では農業政策省次官だった。
M.クリニャク
1969年リヴィウ州生まれ。本職はバイオリニストで、文化・観光省次官を務
KULYNYAK, Mykhaylo Andriyovych
めていたこともあったが、最近は国家行政アカデミーで学んでいた。
D.タバチニク
1963年キエフ生まれ。歴史家だが、ウクライナの国民理念を否定するよう
TABACHNIK, Dmytro Volodymyrovych
な言動で物議をかもしてきた人物で、野党が辞任を要求している。
1955年ドネツィク州生まれ。もともとは医者だが、サッカークラブ「シャフ
R.サフィウリン
タール」の第一副社長を経て、ウクライナプロサッカーリーグ会長、その後
SAFIULLIN, Ravil' Safovych
は地域党所属の最高会議議員。
1958年ロシア・ブリヤート共和国生まれ。民族的にはロシア人。ルハンシク
V.ナドラハ
州副知事、年金基金ルハンシク州支部長、最高会議議員などを経て、ウク
NADRAHA, Vasyl' Ivanovych
ライナ雇用者連盟会長。
Z.ミトニク
1954年リヴィウ州生まれ。医者であるが、行政に転じてイヴァノフランキウシ
MYTNYK, Zinoviy Mykolayovych
ク州第一副知事、保健省次官を歴任。
A.トルストウホフ
1956年ドネツィク州生まれ。かつてのプストヴォイテンコ内閣、ヤヌコヴィチ
TOLSTOUKHOV, Anatoliy Volodymyrovych 内閣でも官房長官を務めたことのある経験豊富な行政官。
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ロシアNIS経済速報
2010年(平成22年)3月25日
No.1491
コラム◆新首相アザロフのプロフィール
バックグラウンド 1947年12月17日、ロシア共和国のカルーガ市生まれ。1971年モスクワ国
立大卒、専門は地質学・地球物理学。
キャリア モスクワ国立大学卒業後、1971年から1976年にかけてトゥーラウーゴリ・コンビナ
ートで働く(ロシア共和国トゥーラの石炭企業)。1976年~1984年、モスクワ郊外石炭研究設計
所で研究職。1984年から1995年にかけて、ウクライナ石炭省鉱山地質・地質機械・鉱坑測量研究
所の副所長、所長を務める。1994~1998年、ウクライナ最高会議議員、予算委員会委員長。1996
年から2002年にかけて、国税庁長官を務め、その関連の各種の役職もこなした。2002年11月か
ら2005年の2月まで、アザロフは第一次ヤヌコヴィチ内閣で、第一副首相・蔵相を務める。政府の
多くの委員会、調整会議の議長役も務めた。2006年春に議会選挙で当選すると、予算委員会の委員
長に就任。2006年8月4日、第二次ヤヌコヴィチ内閣で再び入閣し、第一副首相・蔵相となった。
2007年11月からは、地域党所属の議員であり、地域党の影の内閣の蔵相。
政見 2005~2006年のティモシェンコおよびエハヌロフのオレンジ内閣を、体系性がなく無能
だとして厳しく批判、第二次ヤヌコヴィチ内閣はその誤りを正さなければならないから大変な仕事に
なると発言していた。ただし、自らが内閣に復帰してからは、政敵や多くの評論家から激しい批判を
浴びることになる。
地域党での地歩 アザロフは、いわゆる「古参ドネツィク派」に属する。2003年4月から、地
域党の政治評議会の議長を務めている。最近まで、地域党で最も影響力のある人物と考えられていた。
2006年夏の連立交渉や、2007年の政治危機収拾の際に、アザロフが地域党を代表して交渉に当た
った一人であったことも偶然ではない。2008年春の地域党の大会で、多くの若手に副党首のポスト
が与えられたのに対し、アザロフには与えられなかった。アザロフは政治評議会幹部会、中央統制委
員会委員長のポストを得たものの、最近では地域党での影響力が低下しているとの指摘もある。
学者として 地質・鉱物学博士(1986年)、教授(1991年)、ウクライナ共和国科学アカデミー
準会員(1997年)。著作は112以上に上り、
『ウクライナ楯状地およびドンバスの金鉱床の地質モデ
ル』『税金のすべて』などの共著がある。
プライベート 妻と、息子1人。趣味は絵画、読書。
(出所は基本的に、http://file.liga.net/person/6.html)
アザロフ内閣に関する評価
ウクライナの常として、アザロフ内閣についても評価が大き
く分かれている。
ロシア系証券会社のルネサンス・キャピタル社が3月12日に発表した「Ukraine: Political
stability gets a fighting chance」というレポートでは、新首相の手腕や、安定の見通しについ
て、好意的な評価が示されている。これによれば、235名の議員から成る新たな多数派連立
は、政党間の内部対立が目立ったこれまでの連立よりも、より安定して見える。アザロフ
内閣の副首相および大臣の大多数は、地域党の所属で、長年一緒に働いてきた人たちなの
で、過去数年の内閣よりもチームワークが良いと期待できる。アザロフの国税庁長官在任
中、ウクライナの徴税政策は非常に厳格で、闇経済は大幅に縮小した。アザロフはクチマ
元大統領にきわめて近かった人物。ヤヌコヴィチ首相の下で2002~2004年と2006~2007年
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ロシアNIS経済速報
2010年(平成22年)3月25日
No.1491
に第一副首相・蔵相を務め、財政、税制、年金、規制などにわたる経済改革を実施した。
アザロフはウクライナで最も経験豊かな財政管理者の一人で、現在ウクライナが置かれて
いる経済状況を考えれば、このことは大変重要。アザロフは地域党の幹部の一人ではある
が、産業ロビイストとはある程度距離を置いていると見られる。彼は有能な危機管理者に
なると期待していい。彼の意思決定は明快で落ち着いている。首相就任後最初の発言でア
ザロフは、ウクライナがIMFに対する約束をすべて守ると述べた。これには現実的な2010
年予算を編成することも含まれ、予算は1ヵ月以内に採択される見通し。アザロフは、財
政赤字に対処するためにまずやるべきことは歳出の修正・最適化であると述べている。こ
の姿勢は、IMFからも評価されることとなろう。以上が、ルネサンス・キャピタルのレポ
ートの要旨である。
これに対し、ホルベンコというジャーナリストは、アザロフは税金の専門家として褒め
られたものではなく、強権的な手法や身びいきで税制を取り仕切ってきたと、手厳しく批
判している6)。
フェセンコという評論家は、ヤヌコヴィチの名代としてアザロフが内閣を指揮するので
あり、これはアザロフではなくヤヌコヴィチの内閣であって、一連の人事からもそのこと
がうかがえると指摘している。また、これは確かに「連立内閣」だが、会派間の連立とい
うよりは、地域党内部および関係派閥の連立内閣と言った方がいいとも述べている7)。
アザロフ自身は首相就任直後の発言で、現実的な予算と、税負担の軽減を通じた企業活
動の活発化を、新内閣の2つの優先的経済課題と述べている。アザロフいわく、
「現実的な、
バランスのとれた予算を編成する必要がある。社会的弱者にかかわるものを除いて、歳出
を削減しなければならない。我々は、税金を低減し、技術革新と経済活動を奨励すること
が、歳入の増大につながると考える。増税政策、とくに物品税率の引き上げは、危機の局
面においては破滅的だ」8)。いわばウクライナ版「上げ潮派」といったところだろうか。
コラム◆男尊女卑内閣?
アザロフ内閣には、29人の大所帯ということに加え、もう一つ際立った特徴がある。それは、女
性閣僚が1人もいないという点だ。これに関しアザロフ本人は、次のように直截に語っている。
「我々の内閣は大きすぎると言う人もいるし、女性がいないから閣議の時に眺める相手がいないと
言う人もいる。私は女性には大いに敬意を払っているが、改革を実施することは女性の仕事ではな
い。新内閣には、1日16時間、休日もとらずに働ける人間、上層部にも「ノー」と言えるような
人間を揃えた。」(http://www.unian.net/rus/print/368345)
これを読んでいて思ったのだが、あるいは地域党の幹部たちには、ティモシェンコ首相時代に、
「女
風情が、生意気な!」という鬱屈した感情が募っていたのかもしれない。その反動で、「男組」たる
アザロフ内閣が出来上がったと考えるのは、うがちすぎだろうか。
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ロシアNIS経済速報
2010年(平成22年)3月25日
No.1491
州知事の入れ替え ウクライナは27の地域(主に州)から成る国で、州知事は住民による
公選ではなく大統領による任命制となっている。したがって、政権が代われば、知事もす
げ替えられるというのが、自然な流れである。実際、ヤヌコヴィチ大統領はすでに多くの
旧知事を解任しており、3月18日には14人という大量の新知事を任命している9)。
現在のところ、すべての州で知事が入れ替わっているわけではない。傾向としては、地
域党の強い東部・南部で、知事の入れ替えが先行している感がある。おそらく、旧知事が
まだ残っている地域についても、これから入れ替えがあるのではないか。東部・南部では、
地域党の人材が豊富なので、後釜を見付けやすかったのであろう。また、経済・産業的に
重要なエリアでもあるので、ヤヌコヴィチ政権がそこでの権力固めを急いだという側面も
あったかもしれない。それに対し、西部や中部は地域党にとってデリケートなエリアで、
遅かれ早かれ自派の知事を据える意向ではあるが、適任者を慎重に人選しているというこ
とではないかと思われる。
新しい知事の顔ぶれを見ると、当然のことながら地域党の議員や支部長などが目立ち、
やはりヤヌコヴィチ政権が自派の人間で地方行政をがっちりと掌握しようとしていること
が見て取れる。ただ、新しい知事たちを比較的好意的に評価する専門家もいるようで、ホ
ルシェニン記念マネジメント問題研究所のボンダレンコ所長などは、新しい知事たちは経
済的合理性を重んじて選ばれた、ヤヌコヴィチは政治的忠誠心よりも手腕を重視して人選
したと指摘している10)。
おわりに
「今回の大統領選挙結果が意味するのは、結局のところ、2004年のオレンジ革命によっ
て成立した体制または政権が否定されたということ」と上述した。しかし、それはオレン
ジ革命後に政権を担ってきた政治家や彼らの振る舞いが否定されたということであって、
オレンジ革命の理念そのものが否定されたわけではない。オレンジ革命によって守られた
価値、すなわち公正な選挙や言論の自由といったことは、ウクライナで完全に定着し、も
はや誰もそのことを気にかけなくなったほどである。
クシニルークという評論家も、肝心なのは、今回の大統領選が成立し、民主的に行われ、
違反も少なかったことだと指摘している。両陣営とも確かに行政的資源を用いたが、選挙
が行われるたび、我々は欧州のスタンダードに近付いている。地域党は、2004年のような
あからさまな不正選挙から、民主主義の通常の方法による勝利へとシフトしたというのが、
キシニルーク氏の評価である11)。そうした観点からすれば、今回民主主義のルールから逸
脱しかけたのは、明らかな敗北にもかかわらずその結果を潔く認めようとしなかったティ
モシェンコだったかもしれない。
大統領選挙の結果とともに、焦点となっていたのが、新大統領の下でどのような連立体
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ロシアNIS経済速報
2010年(平成22年)3月25日
No.1491
制が築かれるかということである。事前には、地域党と「我らがウクライナ・国民自衛」
派との提携が、かなり信憑性が高いシナリオとして語られていた。しかし、さすがに基礎
政策の隔たりが大きすぎたのか、一部の造反議員こそ取り込んだものの、
「我らがウクライ
ナ・国民自衛」派が全体として地域党政権に参加することはなかった。その結果成立した
のが、地域党の単独政権色がかなり濃い政権である。このことは、与党体制の安定という
観点からは、プラスであろう。ヤヌコヴィチ大統領とアザロフ首相の組み合わせであれば、
ウクライナ政治のお決まりのパターンである大統領と首相の対立という事態は避けられそ
うである。その反面、新政権の支持基盤は限定されることになり、与野党の対立は激化す
ることが考えられる。
本稿では、今回の政権交代が個々の政策に帯びてくる含意について、ほとんど言及する
ことができなかった。経済だけをとっても、IMFとの交渉、2010年予算の編成および財政
再建、経済危機対策、ロシアとの天然ガス交渉など、難問が山積である。これらについて
は、引き続き情報の収集と分析に努めたい。
【注】
1)筆者は、自らのホームページに「2010年ウクライナ大統領選特報」と題する特設コーナーを設け、
今回のウクライナ大統領選挙に関連する情報を発信してきた
(http://www.hattorimichitaka.com/2010uaelections.htm)。本稿は、その集大成を試みるものでもある。
なお、筆者は昨年までは、ウクライナの地名・人名等の固有名詞を日本語で表記するにあたってロ
シア語にもとづいていたが、本年からはウクライナ語にもとづくことにした。
2)服部倫卓「大統領選前夜のキエフを訪問して」
『ロシアNIS経済速報』2009年12月25日号(No.1483)
。
3)声明のロシア語テキストは、http://www.unian.net/rus/print/362693 その要訳は、
http://www.hattorimichitaka.com/2010uaelections.htm#056
4)http://www.hattorimichitaka.com/2010uaelections.htm#047
5)ユーシチェンコ前大統領の権威の失墜振りについては、http://www.unian.net/rus/print/366624 その
要約は、http://www.hattorimichitaka.com/2010uaelections.htm#084 これによれば、過去3代の大統領
のうち、最良の政治家だったのは誰かを世論調査で問うたところ、クチマ:32.6%、クラフチュー
ク:12.6%、ユーシチェンコ:10.6%という結果となったという(誰も挙げなかった回答者が44.1%)
。
6)http://www.unian.net/rus/print/367164;その要訳は、
http://www.hattorimichitaka.com/2010uaelections.htm#082
7)http://www.unian.net/rus/print/366988;http://volia.interfax.com.ua/rus/press-conference/34056/
8)http://www.unian.net/rus/print/367174
9)その動きは、http://www.hattorimichitaka.com/2010uaelections.htm#096 でまとめた。
10)http://www.unian.net/rus/print/368350
11)http://www.unian.net/rus/print/361790 その要訳は、
http://www.hattorimichitaka.com/2010uaelections.htm#058
14
2010年ウクライナ大統領選挙第1回投票の結果(2010年1月17日投票)
有権者数
(概数)
ウクライナ全体
西 部
投票数
投票率
ヤヌコヴィチ
ティモシェンコ
チヒプコ
ヤツェニューク
ユーシチェンコ
得票数
得票率
得票数
得票率
得票数
得票率
得票数
得票率
得票数
得票率
36,576,763 24,588,268 66.76% 8,686,656 35.32% 6,159,809 25.05% 3,211,197 13.05% 1,711,735 6.96% 1,341,533 5.45%
7,210,600 5,080,933 70.46%
リヴィウ州
1,964,100 1,475,124 73.69%
イヴァノフランキウシク州
564,438 11.11% 1,915,603 37.70%
83,746
5.67%
511,979 34.70%
得票数
得票率
578,883 2.35%
6.97%
548,279 10.79%
957,536 18.85%
54,922
1.08%
126,337
2.49%
70,455
4.77%
162,885 11.04%
453,880 30.76%
9,983
0.67%
11,028
0.74%
106,892 13.80%
1,083,800
774,146 70.71%
39,596
5.11%
301,820 38.98%
33,769
4.36%
868,700
646,679 73.11%
63,534
9.82%
230,697 35.67%
31,070
4.80%
64,132
9.91%
ヴォルィニ州
780,800
586,568 74.09%
56,320
9.60%
315,505 53.78%
59,547 10.15%
31,742
5.41%
26,481
リヴネ州
861,100
623,112 71.25%
77,807 12.48%
273,286 43.85%
66,583 10.68%
43,839
7.03%
45,403
ザカルパッチャ州
954,600
540,736 56.74%
160,337 29.65%
141,887 26.23%
54,087 10.00%
55,042 10.17%
チェルニウツィ州
697,500
434,568 59.61%
83,098 19.12%
140,429 32.31%
38,487
83,747 19.27%
11,841,500 7,937,826 67.03%
得票数
得票率
872,878 3.54%
リトヴィン
353,998
テルノピリ州
中 部
シモネンコ
8.85%
1,482,666 18.68% 3,060,876 38.56% 1,140,404 14.37%
194,269 25.09%
4,539
0.58%
8,252
1.06%
170,977 26.43%
3,544
0.54%
10,132
1.56%
4.51%
13,712
2.33%
25,086
4.27%
7.28%
10,984
1.76%
44,052
7.06%
32,110
5.93%
5,866
1.08%
17,627
3.25%
34,416
7.91%
6,294
1.44%
10,160
2.33%
8.37%
248,491
3.13%
277,750
3.50%
296,481
3.74%
85,936 11.48%
24,494
3.27%
20,748
2.77%
33,602
4.49%
664,516
フメリニツィキー州
1,058,700
748,056 69.37%
113,932 15.23%
299,723 40.06%
98,903 13.22%
ヴィンニツャ州
1,304,100
899,734 68.06%
135,108 15.01%
422,056 46.90%
100,832 11.20%
85,358
9.48%
25,693
2.85%
28,144
3.12%
23,435
2.60%
ジトーミル州
1,007,700
691,123 64.53%
167,757 24.27%
225,598 32.64%
93,204 13.48%
57,796
8.36%
19,372
2.80%
24,493
3.54%
48,289
6.98%
キエフ市
2,117,800 1,430,356 65.99%
227,639 15.91%
511,317 35.74%
271,085 18.95%
124,591
8.71%
54,134
3.78%
35,791
2.50%
35,969
2.51%
キエフ州
1,442,000
944,893 64.80%
146,025 15.45%
399,681 42.29%
145,059 15.35%
82,881
8.77%
28,553
3.02%
19,112
2.02%
33,779
3.57%
チェルカスィ州
1,060,400
681,265 63.97%
118,271 17.36%
280,790 41.21%
87,774 12.88%
47,438
6.96%
23,284
3.41%
23,468
3.44%
25,390
3.72%
キロヴォフラード州
793,900
508,754 63.26%
136,088 26.74%
175,932 34.58%
73,815 14.50%
29,703
5.83%
8,085
1.58%
22,795
4.48%
22,581
4.43%
チェルニヒウ州
903,500
602,599 66.13%
117,601 19.51%
257,579 42.74%
80,451 13.35%
33,412
5.54%
12,866
2.13%
26,623
4.41%
18,960
3.14%
スムィ州
946,500
627,338 64.92%
117,121 18.66%
230,779 36.78%
90,792 14.47%
44,273
7.05%
27,288
4.34%
37,578
5.99%
24,566
3.91%
1,206,900
803,708 65.98%
203,124 25.27%
257,421 32.02%
98,489 12.25%
73,128
9.09%
24,722
3.07%
38,998
4.85%
29,910
3.72%
5,456,600 3,485,750 63.88%
1,833,549 52.60%
434,359 12.46%
548,094 15.72%
139,985
4.02%
50,224
1.44%
168,346
4.83%
74,691
2.14%
1,815,000 1,160,126 62.97%
593,084 51.12%
118,110 10.18%
245,231 21.13%
45,929
3.95%
17,442
1.50%
30,489
2.62%
30,134
2.59%
ポルタヴァ州
南 部
オデッサ州
ミコライウ州
936,900
601,126 63.84%
308,240 51.27%
81,367 13.53%
80,709 13.42%
32,986
5.48%
8,748
1.45%
32,265
5.36%
17,140
2.85%
ヘルソン州
880,300
538,431 60.47%
217,371 40.37%
104,079 19.33%
83,478 15.50%
31,923
5.92%
10,082
1.87%
41,337
7.67%
12,263
2.27%
1,520,900
981,922 63.10%
600,331 61.13%
117,483 11.96%
107,792 10.97%
25,149
2.56%
12,422
1.26%
44,206
4.50%
12,128
1.23%
303,500
204,145 65.77%
114,523 56.09%
13,320
30,884 15.12%
3,998
1.95%
1,530
0.74%
20,049
9.82%
3,026
1.48%
11,675,100 8,051,744 68.97%
4,796,535 59.57%
741,528
9.21% 1,165,127 14.47%
356,556
4.43%
80,238
1.00%
371,563
4.61%
80,970
1.01%
ドニプロペトロフシク州
2,697,200 1,833,458 66.18%
764,127 41.67%
271,134 14.78%
412,271 22.48%
119,827
6.53%
22,638
1.23%
85,270
4.65%
26,057
1.42%
ハルキウ州
2,204,200 1,455,120 64.93%
730,218 50.18%
155,489 10.68%
273,811 18.81%
86,199
5.92%
21,291
1.46%
69,151
4.75%
19,847
1.36%
ザポリージャ州
1,468,800 1,010,500 67.90%
513,641 50.83%
123,946 12.26%
178,692 17.68%
51,748
5.12%
10,807
1.06%
50,921
5.03%
12,693
1.25%
ドネツィク州
3,467,800 2,439,002 69.66%
1,854,825 76.04%
105,369
4.32%
176,049
7.21%
67,431
2.76%
16,489
0.67%
99,513
4.08%
14,080
0.57%
ルハンシク州
1,837,100 1,313,664 71.00%
933,724 71.07%
85,590
6.51%
124,304
9.46%
31,351
2.38%
9,013
0.68%
66,708
5.07%
8,293
0.63%
7,443
23.24%
3,574
11.16%
2,399
7.49%
5,044
15.75%
297
0.92%
404
1.26%
クリミア自治共和国
セヴァストポリ市
東 部
在外投票
415,035
32,015
7.71%
9,468
29.57%
6.52%
2010年ウクライナ大統領選挙決選投票の結果(2010年2月7日投票)
有権者数
(概数)
ウクライナ全体
西 部
投票数
36,576,763 25,493,529
投票率
ヤヌコヴィチ
ティモシェンコ
両候補に反対
得票数
得票率
得票数
得票率
得票数
得票率
69.15% 12,481,266 48.95% 11,593,357 45.47% 1,113,055
4.36%
7,210,600
5,249,269 72.80%
794,714
15.14% 4,198,467
79.98%
…
…
リヴィウ州
1,964,100
1,524,246 75.32%
131,136
8.60% 1,313,904
86.20%
…
4.16%
イヴァノフランキウシク州
1,083,800
823,292 75.41%
57,849
7.02%
731,858
88.89%
…
2.84%
テルノピリ州
868,700
678,403 77.78%
53,773
7.92%
599,697
88.39%
…
2.83%
ヴォルィニ州
780,800
600,853 75.52%
84,212
14.01%
491,854
81.85%
…
3.11%
リヴネ州
861,100
642,081 73.76%
121,446
18.91%
489,579
76.24%
…
3.65%
ザカルパッチャ州
954,600
541,245 56.37%
224,917
41.55%
279,631
51.66%
…
4.46%
27.64%
4.11%
チェルニウツィ州
697,500
439,149 61.58%
121,381
11,841,500
8,146,695 68.80%
2,397,362
フメリニツィキー州
1,058,700
767,646 71.66%
ヴィンニツャ州
1,304,100
938,232 70.89%
ジトーミル州
1,007,700
704,776 66.90%
258,695
36.70%
405,289
57.50%
…
4.53%
キエフ市
2,117,800
1,462,070 67.17%
376,099
25.72%
955,406
65.34%
…
8.05%
キエフ州
1,442,000
973,261 66.38%
229,858
23.61%
678,533
69.71%
…
5.10%
チェルカスィ州
1,060,400
702,144 66.10%
202,512
28.84%
459,041
65.37%
…
4.48%
キロヴォフラード州
793,900
514,946 63.27%
203,999
39.61%
281,509
54.66%
…
4.46%
チェルニヒウ州
903,500
626,985 68.81%
194,069
30.95%
398,953
63.63%
…
4.22%
スムィ州
946,500
640,101 66.72%
194,608
30.40%
402,591
62.89%
…
5.33%
1,206,900
816,534 66.79%
318,405
38.99%
442,583
54.20%
…
5.75%
中 部
ポルタヴァ州
南 部
291,944
66.47%
…
29.43% 5,226,377
64.15%
…
…
191,484
24.94%
535,371
69.74%
…
3.84%
227,633
24.26%
667,101
71.10%
…
3.32%
5,456,600
3,594,567 65.88%
2,637,229
73.37%
757,301
21.07%
…
…
オデッサ州
1,815,000
1,171,349 63.39%
868,533
74.14%
228,757
19.52%
…
4.61%
ミコライウ州
936,900
623,570 66.23%
446,050
71.53%
143,135
22.95%
…
4.30%
ヘルソン州
880,300
538,799 60.29%
323,201
59.98%
181,754
33.73%
…
5.04%
1,520,900
1,049,591 67.10%
821,244
78.24%
181,715
17.31%
…
3.23%
303,500
211,258 67.48%
178,201
84.35%
21,940
10.38%
…
4.35%
11,675,100
8,457,805 72.44%
6,636,612
78.47% 1,383,838
16.36%
…
…
ドニプロペトロフシク州
2,697,200
1,840,682 66.78%
1,154,274
62.70%
536,321
29.13%
…
6.75%
ハルキウ州
2,204,200
1,509,246 67.19%
1,076,962
71.35%
338,643
22.43%
…
5.12%
ザポリージャ州
1,468,800
1,023,624 68.88%
731,932
71.50%
227,531
22.22%
…
5.07%
ドネツィク州
3,467,800
2,692,815 76.98%
2,435,522
90.44%
173,820
6.45%
…
2.26%
ルハンシク州
1,837,100
1,391,438 74.42%
1,237,922
88.96%
107,523
7.72%
…
2.34%
15,349
33.96%
27,374
60.57%
…
4.54%
クリミア自治共和国
セヴァストポリ市
東 部
在外投票
415,035
45,193
10.89%
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