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本の歴史 - 慶應義塾図書館

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本の歴史 - 慶應義塾図書館
第 309 回展示
本の歴史
-和・漢・洋の貴重書から会期:平成 26 年 3 月 17 日(月)~4 月 30 日(水)
会場:慶應義塾図書館 1 階展示室
主催:慶應義塾大学三田メディアセンター展示委員会
展示にあたって
ラテン語の「本(liber)」とは、もともとは樹木の内皮を表す言葉でした。本といえば「紙
に印刷されたもの」を考えがちですが、紙や印刷技術が発明される以前から本(情報を伝え
るもの)はありました。洋書の歴史を遡ると、古代文明の発祥地メソポタミア地方では粘土
板に文字を刻み、古代エジプト人は、水草パピルスから紙のようなものをつくり書写の材
料としました。ギリシア語の「本(biblion)」の語源は、パピルスを意味する<biblos>であり、
現在、欧米語で用いられている
「聖書(bible)」や「愛書家(bibliophile)」,「図書館(bibliotheca)」
など、多くの言葉がこれに由来しています。
紀元前 2 世紀頃には小アジア(現トルコ)のペルガモンで羊や子牛の皮を使った羊皮紙が発
明されました。パピルスより丈夫で薄く、両面に文字を書くことができ、折ることもでき
たので巻物に代わる冊子が現われ、今日見られるような形の「本」になりました。15 世紀
半ばにグーテンベルクにより活字印刷が発明されるまで、羊皮紙に文字を筆写する本の形
態(写本)が 1 千年以上にわたって続きました。
一方、和書の歴史は、洋書の歴史とは異なり、紙の本から始まります。8 世紀に現存する
ものでは世界最古の印刷物である「百万塔陀羅尼」が作られましたが、平安時代には経文
や文学作品を上質の和紙の上に美しい筆遣いで書き写す手法がとられました。以降 200 年
以上印刷物は作成されず、先鞭をつけたのが春日版(奈良興福寺で印刷され、春日社に奉納
された仏書)の開版でした。その後、鎌倉時代から室町時代末期にかけて各地の寺院におい
て、仏教本の出版事業が盛んに行われました。
今回の展示では、
「紙」以前のさまざまな形態の資料から出発し、慶應義塾図書館の貴重
書を通じて、
「本」の歴史を辿ります。洋書は 1500 年以前に刊行された初期印刷本(インキ
ュナブラ)までを中心とし、あわせて 18 世紀後半に製作されたヘブル語聖書トーラー写本も
出品します。和書・漢籍は江戸時代や中国・清代まで時代を広げ、「本」の歴史という観点
から選りすぐった蔵書を紹介します。これらの展示資料を通じて、「本」が持つ多様性とそ
の長く奥深い歴史を感じていただければ幸いです。
<展示ケース1> 本の起源から活版印刷発明まで
The cone of Gudea, Governor of Lagash. Sumer, ca. 2140 B.C.
(『シュメールの円錐形定礎碑文』)
メソポタミア南部のいわゆるシュメールの地で創造された世界最古の文明のうち、イラ
ク南部のナシリヤの北約 64km にあって紀元前 2200 年頃に栄えた都市国家ラガシュでは、
僧王(エンシ)グデアが実質上の支配者であった。この粘土製の円錐に刻まれた楔形文字は、
グデアが紀元前 2140 年頃、ギルスの植物の生成を司る神ニンギシジダの神殿の建立に奉納
した定礎碑文である。展示品は 1974 年に亡くなった A.N.L.マンビー博士(ケンブリッジ大
学キングス・コレッジ図書館長)が、古書体学の講義に用いる実例集として収集したものの
一部である。
くさび形文字碑文 ca. 1200 B.C.
くさび形文字は、粘土板に楔に似た形を刻んだ文字で、古代小アジア(現・トルコのアナ
トリア半島)において、アッカド語、ヒッタイト語、古代ペルシャ語などに使用された。一
般に 1 字が 1 音節を表し、表意文字から表音文字に移行する段階の文字であるとされる。
本資料は 100 ㎝×360 ㎝×150 ㎝のれんがに刻まれたエラムのくさび形文字である。紀元
前 1200 年頃、イゲ・ハルキ朝の王、ウンパッシュ・ナパリシャが建立した寺院に奉納され
たものとされている。エラムは古代バビロニア語で東方を意味する言葉で、メソポタミア
の東、現在のイラン高原南西部、ザグロス山脈沿いの地域にあたる。古代オリエント時代
に繁栄し、複数の列強国を出現させた。
甲骨文字 中国, [B.C.1100 頃]
中国古代では、祭祀、軍事、天文、狩猟などを占うため、亀の腹
甲や牛などの獣骨を火にあぶり、その割れ目の形で吉凶を占ってい
た。何を占ったのかを刻んだものが甲骨文字で、現存する漢字では
最も古いものである。
殷王朝は『史記』に成湯天乙が夏王朝の桀王を倒して起こしたと
記載されており、夏王朝の存在は確認されていないが、甲骨文字の
発見によりここに記されている殷王朝の存在が確認された。展示品
は殷代末期のものである。
貝多羅葉本 (ばいたらようほん)
インド周辺や東南アジアの動物を神聖なものとする地域では、動物の皮で書物をつくる
ことはしなかった。代わりに用いられたのが多羅木と呼ばれるシュロ科の植物である。そ
の掌状の葉の裏に竹筆や鉄筆などの先の尖ったもので文字を書くと、その跡が黒く残るの
で古代インドで写経をするのに用いた。貝多羅と
は、梵語(サンスクリット語)pattra の音写で「葉」
の意味である。葉を適当な大きさに切り、その上
に経文などを記して何枚も重ね、上下に丈夫な木
板等をあて両端を紐でとじた書物が作られた。
Tombstone of Sestia Nymphe. Rome, [ca. 100-200].
(『Sestia Nymphe の墓碑』)
ローマ字大文字体で白大理石に刻んだラテン語の墓碑で、Sestia の名前と享年(35 歳)の
み が 刻 ま れて い る 。イギ リ ス 北 部の ウ ェ ストモ ラ ン ド (Westmoreland)の ラ ウ ザ ー 城
(Lowther Castle)からの出土品と言われていたが、その後の研究によって、1732 年ごろロ
ーマの広大な古代墓地の集団墓から発掘されたものと判明した。発掘後、碑文は 18 世紀に
イタリアへのグランド・ツアー(Grand Tour)中のイギリス人によって購入され、イギリス
に渡り、前述のラウザー城の古代コレクションの中に発見されたものと考えられている。
発掘された当時の正確な状況は分かっていないが、墓地が使われなくなった 3 世紀以前の
ものと推定されている。
Roman military diploma. Roman Empire, ca. 160.
(『ローマ帝国軍人の退役証明書』)
ローマ皇帝のアントニウス・ピウスが、紀元 160 年 2 月 7 日付で与えた帝国軍人の退役
証明書である。ラテン語の碑文で、これを携帯していれば市民権や結婚する権利が認めら
れたという、ローマ帝国の ID カードであった。青銅版 2 枚 1 組からなり、板の裏側に正本
が、表側に正本の写しが行書体大文字で刻まれている。本来は中央の穴に金属製の輪を通
して留められ、7 人の証人の印で封がされていた。表側の内容が改竄されるなどで疑いが起
きた場合は、封印を壊して裏側の正本の内容を調べることになっていた。
Greek papyrus letter. [Antinopolis?, ca. 230-280].
(『ギリシア語個人書簡』)
[170X@21@1]
パピルスはエジプトのナイル河畔に生育するパピルス草(カヤツリグサ科)と呼ばれる
葦に似た植物の茎の外皮をはぎ、芯(髄)を長い薄片とし、天日乾燥してシート状にしたもの
である。今日の紙に最も近い書写材料で「紙」(英語:Paper,ドイツ語:Papier…など)の語
源となった。古代エジプトで紀元前 3000 年頃から使用され、ギリシア人やローマ人も輸入
して書き物に使用した。ヨーロッパでは 4 世紀後半には獣皮が普及し出し、パピルスは徐々
に使われなくなっていった。このパピルスにギリシア語で書いた書簡は、紀元 3 世紀半ば
にエジプトのアンティノポリスで商売をしていたギリシア人アドラストスなる人物が父親
に宛てた個人的な書簡である。
『百万塔陀羅尼』東京 : 雄松堂書店, 1997.1 塔 1 基 + 陀羅尼経 4 枚
[2BA@15]
奈良時代、天平宝字 8(764)年藤原仲麻呂の乱が平定された後、称徳天皇の勅願により、
小塔を作り陀羅尼経を書写して安置すれば減罪と国家鎮護の功徳が得られるという『無垢
浄光大陀羅尼』の所説に基づき、あわせて乱による戦没者の鎮魂のため、770 年までの間に
百万もの木製の小塔が作られ、その中に印刷した陀羅尼経が各一枚ずつ収められた。
この陀羅尼が現存する世界最古の印刷物の一つと言われている。当時のものが貴重書室
に所蔵されているが、展示品はそのレプリカである。
高さ 21.4cm の塔は、轆轤挽きで作られ全体に厚く白土で塗られている。大安寺・元興寺・
興福寺・薬師寺・東大寺・西大寺・法隆寺・弘福寺・四天王寺・崇福寺の十大寺にそれぞ
れ各十万ずつ分置されたが、その多くはなくなり、現存するものは法隆寺の伝来品である。
また陀羅尼経は、巻首に経典名「無垢浄光経」と陀羅尼名を併出し続いて陀羅尼の呪を
一行五字詰で版行している。印刷方法には諸説あるが、木版説、銅版説があるが決定的な
ものは未だ判明していない。
貴重書室所蔵資料…神護景雲 4 (770) 刊 塔 1 基 + 陀羅尼 1 巻 [132X@120]
Les tres riches heures du duc de Berry Luzern : Faksimile-Verlag, 1984.
(『ベリー公の豪華時祷書』)
[[email protected]@B1@2]
美術収集家として名高いフランスの王族ベリー公ジャン 1 世
が作らせた彩色写本を忠実に再現したファクシミリ版。時祷書
とはキリスト教徒が用いる聖務日課書で、祈祷文、賛歌、暦な
どからなり、私的なものであり、各人が趣向をこらして作成す
ることがあった。本書は 15 世紀初めにベリー公の依頼でラン
ブール兄弟によって制作が始まったが、1416 年にベリー公とラ
ンブール兄弟が死去したため一時中断し、15 世紀終わりになっ
て完成したものである。国際ゴシック様式の傑作でもあり、最
も豪華な装飾写本として評価が高い。展示してあるページは1
月にあたり、新年の祝宴の様子である。右端の金糸の入ったブ
ルーのガウンを身に纏い、毛皮の縁無し帽をかぶっているのがベリー公である。シャンテ
ィイ博物館[旧コンデ公博物館]蔵(仏)。
Chaucer, Geoffrey. The Canterbury tales : the new Ellesmere Chaucer facsimile (of
Huntington Library MS EL 26 C 9). Tokyo : Yushodo, 1995.
(チョーサー『カンタベリー物語』)
[143Y@4@1]
カンタベリー大聖堂に詣でる巡礼たちが、旅の行き帰りに順番に語る話を集めた物語集。
語り手は騎士、粉屋、農場主、僧など身分も階層も様々で、作者のチョーサー(?-1400)自身
も登場する。1387~1400 年頃に執筆されており、未完であるが、ロマンス・説話・聖者伝
など多岐のジャンルにわたり、また、物語と物語をつなぐ巡礼た
ちの生き生きとした会話より、当時の人間社会がよく映し出され
ており、チョーサーの代表作であるとともに中世文学の集大成と
して位置付けられている。
本書は古典資料の収集で有名なハンティントン・ライブラリー
に所蔵されているエルズミア写本の 250 部限定ファクシミリ版
である。装丁も 15 世紀はじめの製本様式にならって綴じられ、
表紙には板(オーク材)が使われている。
Liber precum : Ms. Lat. O.v.I.206 der Russischen Nationalbibliothek in St.
Petersburg. Graz : Akademische Druck-u. Verlagsanstalt, 2003.
(『祈祷書』)
[BT@196@Li1@1]
本書は、15 世紀後半のケルンで制作された祈祷書写本の 60 部限定ファクシミリである。
祈祷書とは、聖職者ではない平信徒向けに作られたラテン語の祈りの本で、中世のベスト
セラーとも呼ばれる。99 枚もの美しい彩色細密画にはキリストの生涯と受難が描かれ、本
文を理解するための視覚的刺激を与えている。
この変わった製本様式は、
「ガードル・ブッ
ク」と呼ばれるものである。ガードル・ブッ
クとは、小型の本の表紙の革を細長く伸ばし、
端に大きな結び目を作って帯やベルト(ガー
ドル)にたくし込んで持ち歩くことができる
ようにしたものを指す。本は上下逆さ、後ろ
向きの状態で吊るされているので、そのまま
帯から外すことなく読むことができる。13 世紀から 16 世紀のヨーロッパにおいて聖職者・
貴族・貴婦人の間で広まっていた様式である。汚れた指で本に触らずに持ち歩くことがで
き、汚れや盗難、風雨から守るという実用的な機能に加え、社会的地位や富、学識を誇示
する機能も担っていたと考えられる。
ガードル・ブックを描いた絵画・版画・彫刻は多く、800 点ほどが残っているが、実物は
世界に 23 点しか現存していない。本書のオリジナルはそのうちの 1 点で、かつてロシアの
女帝が所有し、現在はロシア国立図書館に所蔵されている彩色写本である。
Pelplińskiego egzemplarza Biblii Gutenberga. Pelplin : Wydawnictwo Diecezji
Pelplińskiej "Bernardinum", 2004.
(グーテンベルク印行『42 行聖書』)
[142X@106@2@2]
グーテンベルク聖書はドイツ・マインツのヨハネス・グーテンベルク(1397?-1468)が活版
印刷技術を用いて印刷した世界初の印刷聖書。1455 年頃に全部で 180 部前後が印刷された
と考えられており、現時点で存在が確認されているのは 48 部。ほとんどのページが 42 行
の行組みであることから『42 行聖
書』とも呼ばれているこの聖書は、
所有者お抱えの装飾師に預けられ、
イニシャル、朱書きや彩飾が施され
たため、それぞれの作品は個性豊か
に出来上がっており、現存する作品
のいずれをとって比較しても一つ
として同じ物がない。ファクシミリ版(写真複製版)は、20 世紀初め頃から、10 回ほど制作
され、慶應義塾図書館は、それらの内、5 種類のファクシミリ版を所蔵している。
今回展示するのは「さまよえるグーテンベルク聖書」として知られるペルプリン本聖書
のファクシミリ。第二次世界大戦時にナチスの手を辛くも逃れ、欧米を転々とした後、1959
年に 20 年ぶりにペルプリン神学校に里帰りした。
浄瑠璃寺摺仏 [平安時代] 1 枚
[133X@92@1]
摺仏とは板や紙に木版で摺った仏像のことで、本資料は浄瑠璃寺(京都府木津川市)の阿弥
陀如来坐像内部に収められていたと伝わる、紙に印刷された摺仏である。浄瑠璃寺は永承 2
年(1047)に創建された真言律宗の寺院で、平安時代に造られた九体の阿弥陀如来像がまつら
れているため、九品寺・九体寺の通称がある。阿弥陀如来の胎内に納入されていた摺仏は
阿弥陀如来の姿を 100 体並べ、1 枚の版木にすべての像を掘って印刷されたため、「百体一
版」とも呼ばれている。平安時代は仏像を多数造ることが善を積むこととされ、またそれ
を仏像に収めることも功徳とされたため、摺物を仏像に納入することによって、死者の供
養や病気の平癒といった祈りを仏に届けようとする信仰が盛んとなった。
<展示ケース2> トーラー
へブル語聖書トーラー写本 [17--]
[140X@48@1]
紀元 18 世紀後半ブハラ(ウズベキスタン)由来の、ヘブル語聖書トーラー(旧約聖書の最初の
五つの書)の写本及びそのケース一式である。写本は鹿皮の羊皮紙に記されている。ケース
は銀メッキされた真鍮製でトルコ石やルビーなどの貴石が配され、メノラー(七枝の燭台)
やブドウなどの宗教図像がデザインされている。ケースの両端には、トーラーを説明する
言葉がヘブル語で記され、ケースの上部につけられるリモニーム(ざくろ)と呼ばれる鈴や写
本を読む時に用いられる指示具ヤドも完備している。シナゴグ礼拝では、本資料のような
トーラーの巻物を聖櫃から取り出し、提示し、会衆が朗読することが中心行事となってい
る。
「書物の宗教」として知られるユダヤ教では、書かれていることを誤りなく守り行うた
めに聖書研究が発達し、膨大な戒律が形成されてきた。トーラー写本はその基礎となるも
のとして神聖視され、特別な資格を持った書字生(ソーフェリーム)が厳格な規則に従って書
き写すことが決められており、さらにその写本の真正性を保つためマソラと呼ばれる学者
集団が形成された。
<展示ケース3> 写本とインキュナブラ
[Latin Psalter for Sarum use], [ca. 1440].
(『ラテン語祈祷書』)
[120X@582@1]
ラテン語の祈祷書で、聖人名列、交唱聖歌つき詩篇、雅歌、ソー
ルズベリ典礼に従った死者聖務によって構成されている。聖人名列
に、ロンドンの修道院長ヨハン・アスピロンと推察される死亡日が
記載され、また、装飾文字に用いられた光沢のある金色にハアザミ
模様を配した意匠はロンドンで流行していたことから、15 世紀中
頃にロンドンで制作されたと考えられる。書体の違いにより、3 人
のよって写本制作が分担されたことが分かる。主な本文は、アング
リカーナ・フォルマータ書体で書かれており、おそらくロンドンの
書籍工房で職業的な訓練をつんだ写字生の仕事であろう。
Cicero, Marcus Tullius. De finibus bonorum et malorum. [Florence, 14--].
(キケロ『善と悪の究極について』)
[120X@1149@2]
古代ローマ最大の文人、キケロ(106 B.C.-43 B.C.)の哲学的著
作である。政治家、弁論家として名高いが、数多くの哲学的著
作も残しており、本編は倫理学を扱った前 45 年頃の著作で、当
時を代表する哲学各派の倫理思想を論じた三つの対話編で構成
されている。
15 世紀イタリアにおけるルネサンス期を代表する古典ラテン
語の写本であり、第一頁にはキケロの肖像を含む見事な装飾が
施されており、15 世紀後半にフィレンツェで活躍した装飾画家
ケリコによる装飾が美しく、作品の価値を高めている。当時の
高名な古典学者ヴェスプッチの蔵書であり、自身の手による注
記が施された貴重な資料である。
[Cutting from an Antiphonal] [Germany or Bavaria, 14--]
(『交唱聖歌集装飾部断片』)
[170X@ 9/36]
ラテン語の一節を含む写本の、欄外装飾部の美しい断片である。ゴシックテクストゥラ
体の文字は 1 インチ、装飾部はその 3 倍程で、断片といえども見ごたえがある。ラテン語
の一節から、降誕礼拝の交唱聖歌集の欄外部分と推測される。
このガーランド(花冠)装飾の輪の 1 つ
には、花の替わりに鳥と蛙が描かれてい
る。小枝に見立てた不安定な葉先に止ま
った鳥は、片足でしっかり枝をつかみ、
もう一方の足でもがく蛙をしっかりと
捕まえている。イソップ寓話の蛙とネズ
ミの諍いの逸話をモチーフにしているとも考えられる。
Vitae illustrium. Venice (Venetiis) : Nicolaus Jenson, 1478.
(プルタルコス『英雄伝』)
[142X@51@2@1]
歴史家プルタルコス(46-120)は一生を通して、11 人のローマ皇帝の栄枯盛衰を見た。こ
の体験によって彼は、古代ギリシアとローマの 46 名の政治家や哲学者などの偉人を取り上
げ、その業績や足跡に類似点のある一組(例えばギリシアのアレクサンダー大王とローマの
カエサル)を対比して論じる方法を思いついたのであろう。こうした文学形式の特徴から、
近世になると本書の題名は『対比列伝』とされた。ヴェネチアの著名な印刷者イェンセン
の手になる本書は、19 世紀のタイポグラフィーの改良に当たったウィリアム・モリスの活
字設計に影響を与えたほど、美しい仕上がりを見せている。ここに採用された肉太のロー
マン活字は印刷史上でも白眉といわれる。潤沢な余白には、16 世紀の美しいイタリック体
の書き込みが随所に見られる。
Missale ad vsum Lugdunen[se], Lyons : Petrus Ungraus, 1500.
(『リヨン式ミサ典書』)
[141X@128@1]
本書を印行したのはペテルス・ウンガルスで、ハンガリー出身と思われるこの人物は、
1482 年からリヨンで活躍していたことが知られている。本書は暦、祝日と週日の固有文な
どの通常のミサ典礼書の内容に加えて、楽譜も 9 ページ含んだ、いわゆる「典譜付きミサ
典書」である。ルブリカ(指示書き)は赤で印字され、大半のページには罫線あるいは欄の枠
が、赤で手書きで引かれている。慶應本には巻末に十数葉の白紙があるが、それらは、16
世紀の筆跡で書かれた祈祷文や賛美歌のほか、法王レオ十世の教皇教書で埋められている。
タイトルページに 'Pro Sacello B. Magdalence Ecclesiae Lugd.' という、リヨン大聖堂の
マグダラのマリア礼拝堂に関係する 17 世紀の筆跡による書き込みがあることから、本書が
出版地のリヨンで実際に使用されていたと推測される。しかし装丁は 17 世紀のイギリスの
スタイルなので、早い時期にイギリスに持ち込まれたのであろう。ISTC(インターネット版)
によると、本書はリヨンの大聖堂図書館に 4 部(内完本は 2 部)、ヨークの大聖堂図書館に 1
部現存するのみで、極めて希少である。
<展示ケース4>
和書(写本)
『古今和歌集』 伝 勾当内侍基綱女 [姉小路済子] 筆 [室町後期] 写 1 帖
(永禄 5 年三条西公条奥書)
[132X@183@1]
古今和歌集は日本最古の勅撰和歌集で、醍醐天皇の勅命によ
り、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑によって編まれた。
成立は平安初期の延喜 5 年(905)頃とされている。優美で繊細、
かつ理知的な歌風は、後世へ大きな影響を与えた。本書は室町
時代後期の写本で、袖珍本(しゅうちんぼん)である。袖珍本と
は袖の中に入れて持ち歩きできるほどの小さい本のことをい
う。縦 10cm、横 7.9cm の本書は、桑茶地金襴の表紙で、松に
尾長鳥の金銀蒔絵をほどこした黒漆塗箱におさめられている。
その美しさから公家や大名の所蔵であったものと推察される。
『源氏物語』
『古今集』などを講釈した古典学者、三条西公条(1487-1563)の奥書があり、能
筆で知られる後奈良天皇の女房、勾当内侍こと姉小路済子による写本であることが分かる。
『虫物語』 [江戸前期] 写 1 軸
[132X@76]
室町時代に作られた御伽草子で別名『虫妹背
物語』。タイトルから伺えるように蝉や玉虫、
こおろぎ等の擬人化した虫が登場する異類の
恋愛物語である。手書きで彩色された絵入りの
御伽草子を奈良絵本と呼び、当館所蔵本も奈良
絵本の一つである。虫たちが集まり玉虫姫に思
いをはせるという物語の冒頭部分を欠いてい
るが、蝉の衛門督がこおろぎの局の助けを得て玉虫姫と手紙を交わす様子や、ナメクジに
ひかれた牛車に乗り、脇差をさして歩く蝉や蛙の馬に乗った蝉などのたくさんの御供を引
き連れた玉虫姫の嫁入りの様子、無事可愛い男の子を生んだ玉虫姫とそれを喜ぶ蝉の衛門
督の様子などが全十一図に渡り生き生きと、かつコミカルに描かれている。また、登場人
物の台詞が画中詞として虫たちのすぐ脇に書かれているため、絵とともに臨場感あふれる
描写となっている。
『四十二の物あらそひ』 [室町末江戸初期] 写 1 冊
[110X@446@1]
歌合、香合、絵合といった左右に分かれて物事を比べて優劣を争う「物合せ」と、春と
秋の優劣を論ずる「春秋の争い」という日本古来の遊戯や論議を背景に成立した作品。物
語の舞台は平城の帝の時代、帝が春宮の御所へ赴いたところ、春と秋の争いから四十二の
物争いをすることになり、月の夜と春の朝といったさまざまな題で和歌が詠まれ、競い合
いとなる。本物語は、室町末期の奈良絵本から江戸中後期の写本まで、伝本が非常に多い
ことで知られる。内容もさまざまであり、諸本は和
歌の内容等が少しずつ異なっている。古奈良絵本と
して最も美しく仕立てられたものといえる本書は、
文学部出身の国文学者・横山重の旧蔵書である。
<展示ケース5>
和書(古活字・嵯峨本)
『つれつれ草』 2 巻 存巻上 吉田兼好 [慶長元和] 刊 1 冊
[1002@9@1]
古活字本とは、桃山時代の文禄年間(1592-1596)から江戸初期の慶安年間(1624-1644)にか
けて、木活字または銅活字を使って印刷刊行された書物をいう。日本での活字印刷の技術
は、キリスト教に伴って西欧から伝来したキリシタン版と、秀吉の朝鮮出兵により朝鮮よ
り伝来した銅活字版にみられるように、二方面から伝来し発展した。
当初、仏書・漢籍、医学書などが多く出版されたが、その後、物語、歌書などが出版さ
れると、平仮名を活字化するため、それまでの一字ではなく連続活字が用いられた。
『徒然草』は『太平記』や『平家物語』等と並んで人気のあった作品で、豪華な嵯峨本
も含めて度々刊行されている。
本書にある「江風山/月荘」の印は古版本の収集で知られた稲田福堂のもの。本書は東洋
学者で慶應義塾大学教授であった田中萃一郎の旧蔵書からなる「田中文庫」のうちのひと
つである。
嵯峨本観世流謡本『大會』 本阿弥光悦 [慶長] 刊 1 帖
[110X@10@1]
嵯峨本観世流謡本『俊寛』 本阿弥光悦 [慶長] 刊 1 帖
[110X@10@2]
嵯峨本は、慶長から元和にかけて、寛永の三筆の一人と称された本阿弥光悦(1558-1637)
の協力のもと、京都嵯峨の豪商である角倉素庵が出版した古活字本の総称。嵯峨本には『伊
勢物語』や『方丈記』
『徒然草』などの他に、通称「光悦謡本」と称される観世流謡曲本が
存在し、当時、能楽を趣味とする身分の高い人や上流武家、富裕商人に向けて作られたと
考えられる。光悦自ら版下を書き、草木花鳥の文様を雲母の粉を使って刷り込んだ雲母刷
りの厚手特漉き斐紙を用いた装丁が多く、2~3 文字の連続木活字の美しい字配りによる印
刷が特徴で、嵯峨本の中でも美術的価値の高い書物とされる。中には、色替本とよばれる
いくつもの色の入った紙を使うなど、豪華な装丁が施された。展示資料のうち、
『俊寛』が
色替本にあたる。
本文の右側の符号は、能の節の音階を表すためにつけられている。
<展示ケース6>
漢籍(版木)
董文敏公畫禪随筆 4 巻 版木(揃) 35 枚
[133X@126@1]
本書は明代後半を代表する書画家・董其昌(1555-1636)の著作で「画禅室随筆」とも呼ば
れ、書の筆法と作品を論じたものである。日本では天保 11 年(1840)に江戸の須原茂兵衛等
が版元になって翻刻された。ここに展示するのは、その刊本の版木がほぼ完全に残ってい
る珍しい例で、江戸後期の町版の例として重要である。1つの板は高さ 23cm、幅 77cm 、
厚さ 2cm で、表裏に各 2 丁、計 4 丁が彫られている。版木の材質は桜で、左右両端には「端
喰み」と呼ばれる取っ手がつけられている。この形は平安鎌倉時代の春日版や、奈良諸大
寺版以来の様式を引き継ぎ、装丁と書型の変化に合わせ、工夫を加えてきたものである。
版木は両面彫で、隣り合う丁は天地逆に彫り、一丁ごとに板を回転させながら刷る手順を
前提としている。
<展示ケース7>
漢籍
『妙法蓮華経』 8 巻 存巻 1 序品 姚秦 釈鳩摩羅什訳 [鎌倉] 刊 1 軸
[132X@16@1]
古代インドで作られた『法華経』は何度も漢訳
された。なかでも姚秦の弘始 8 年(406)鳩摩羅什(イ
ンド人を父に持ち、中国西域の国・クチャ(亀玆)
の王族に生まれ、出家して各地に仏教を説いた人
物)によって訳されたものは「妙法蓮華」と称され
る。飛鳥時代から『法華経』が学ばれた日本では、
平安初期に伝教大師最澄が天台宗を伝えて以降
『法華経』の研究とともに経典そのものへの信仰
が強まった。平安中期には経典を印刷する習慣も
伝えられ、経典を複製することの功徳が後世を益するという信仰に結びついて、写経に代
わる「刷り経供養」が流行した。本資料は文字の様式から奈良興福寺の出版物である「春
日版」と見られ、濃墨の印色などが特徴的であることから刊行は鎌倉時代と推定される。
欽定四庫全書 経部 『周易函書別集』 16 巻 欠巻 15, 16 胡煦撰
[清乾隆 47-52 (1782-1787) 間] 写 7 冊
[110X@504@7]
中国清朝の乾隆帝(1711-1799)の命により、あらゆる図書を宮廷に集め精選し、中国の主
要な文献 3,457 部、79,582 巻の原本を筆写させたのが「四庫全書」である。乾隆 37-47 年
(1772-1782)にかけて編纂された中国最大の叢書で、乾隆帝自らの蔵書とされた。漢籍を経
(儒教の経典、文字学等)・史(歴史)・子(諸子百家)・集(文学)の4つに分ける伝統的な分類法
に従ってそれぞれに書庫を設けて保管されたことから、四庫の名がつけられた。乾隆 47 年
に第 1 部が完成、経史子集ごとに緑紅藍灰の 4 色の絹表紙を付けて保存された。全書が完
成したとき乾隆帝が 72 歳だったため、巻頭の大朱印には「古稀天子之宝」という文字が刻
まれている。本書は儒教の経典の筆頭に挙げられる『周易』の注書で、四庫全書に収めた
際の正式な写本である。
『論語』 10 巻 泉南 阿佐井野 天文 2 (1533) 跋刊 1 冊
(集解本 楠正種移点 永禄 9 年(1566)清原枝賢加証 釈日奥旧蔵)
[132X@160@1]
『論語』は、孔子(551 B.C.-479 B.C.)の言行を記した儒教の経典であり、西暦 3 世紀に日本
に伝わったとされる。平安時代には儒教文化の経典を専門に解釈する宮中の博士が『論語』
を伝えたが、一般にはまだ普及していなかった。鎌倉・室町時代になると、学問を身につ
けた僧侶が仏典だけではなく儒教の経典や中国文学に深く通じ、その風習が次第に武士の
間にも浸透して多くの人々が読むべき経典になった。それまで写本で伝えられていた『論
語』は南北朝の正平 19 年(1364)に初めて印刷され、室町時代には博士家の中興の祖、清原
宣賢の監修により天文 2 年(1533)第 2 回目の出版が行われた。この2つは日本における『論
語』出版物の双璧であり、前者を正平版、後者を天文版と呼ぶ。展示資料は天文版の『論
語』の初印本であり、国民に広く親しまれる契機となった重要な出版物である。
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