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第447号 1969年8月18日発行

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第447号 1969年8月18日発行
第二の安田a広島大に続け
十六校と数えあげ、うち重痙校十
性が現にある大学︵紛争校︶を六
はきわめて鮮明である。
それゆえ、われわれの闘いの這
松尾真君が、﹁京大全共闘は九月
共闘を代表して全学﹄共闘部長の
バjケード死守戦を
集し、バリケード死守闘争を不退
て、あくまで学生大衆の総力を結
第三、第四の
一点の曇りもない。
示す意味は、きわめて鮮明であり
大学決戦を闘いぬき、大学の砦を
大学決戦を先頭に立って闘いぬく
しの二月以来教養部を先頭に無期
安田講堂死守の闘いを/全国全
広島大につづき、第三、第四の
大学治安法施行の十七日、こと
れらの大学で占拠封鎖を闘いぬい
八・三ご
含を政府自E党は発した。闘いの
郡城・多摩への移転を強行する窟
︻三多摩支局]王于野剛にの
日に強行しだ。国会詐一みの強行採
別委鍼会﹂d解散を去る八月十二
焦点だった︷米軍桐胴設置反対特
な拍手孚つけG
る主流眠として圧倒的に登場し、
関西でも中核眠は唯一の責任あ
九月太タ決戦、十一月決戦に不動
恐怖した国東権力は、不当にもマ
の決意を貝めている。このことに
八校と発表している。しかし、こ
した佐藤内閣を実力打倒し、佐藤
防衛し、大学治安立限を強行採決
大学治安居は有名無実と化し、佐
大学にバリケードを拡大し、封鎖
四
は
義
機
、
あ
戦りで
月眼決
一
そ
赤松英一君を忿一期・
の大
丿瓦
副委
同主
ル学
待
主 機り
、特
であ
月法
寸一
そ十
訪米を事前に不可能にすることこ
転の決意をもって闘いぬくならば
占拠を拠大せよ/
=広島大につつけ/第弓第四
ている学生が断固として機動隊導
には、大学のバリケードから数
そして十一月佐廃w米阻止決戦
すなわち、それは﹁第二の安田
康内閣を重大な窮地に追いこむこ
づいて、第三、第四のバリケード
限バリケードストライキを闘い、
のバリケード死守戦を/全国大
死守戦を二日、三日にわたって展
入と対決し、広島大学の闘いにつ
ツ大学本部を初め封鎖、占拠をつづ
けてきた広島大全共闘に対して、
る。
とは火を昆ゐより明らかなのであ
考えてもみたまえ。広島大学解
捷しな。辰逮捕が十一月闘争に大・
きりと確認しておかなければごら騨
バリケードを破壊し、大村収容所に突入した中核派学生
mm1111111mlllllmlllllll
..ili''s''innsll1911111111HllllllilllllnlIIIUUlmml
の代去があいさつに立ち、圧倒的
はっE︼
て、北斑灰戦の秋Jべ反戦高座対する予防貫であることを
﹂
つえた。つづい
た。
と訴
ない
許さ
訴
﹂えと
な﹂い
されれ
許
ある。
大学治安法の施行当日、佐瀬内
て出るのだ。` ・
千、数万の軍団をひきつれてうっ
学にバリケードを拡大せよ/﹂で
に対して暴力的にーいかかった。
動隊を導入したとしても十一月ま
開するならば、たとえ全大学に機
百名の機動隊を導入し、占拠学生
事実をもって教えているではない
放砦死守の闘いは、全国の学生に
広大当局は広島県警をはじめ千二
に繋力で襲いかからざるをえなか
闘いと巡拷し、破防居戻撃萱っち
全国の労働者諸む/広島大の
閣がわが全学連の拠点=広島大学
でにバリケード占拠を解除するこ
学生会館に対して暴力的に機動隊
か。機動隊の暴力は決して強くな
勁 、Si゛゛゜== a… , …、.''i ..,・==E=・. 扇 j=
………蔚顎S゛'゛゜゛'‘誤認.'iii ==CI=`湖;゛'・.・・・ .・・ .・1
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時を同じくして東京では中大の
ったことは、今日の大学闘争と自
でもあるのだ。
とは絶対に不可能なのである。そ
破り、十一月決戦に結集しよう/
が導入され、さらに京大、九大、
文部省は大学治安法治国の可卵
い ことを。断固として闘いを展開
`
すれば必ず逍が開けることを。
れはまた破防法戻撃孚っち破る泣
力的襲撃が断固たる戦闘的学生の
ている構図であり、さらにこの暴
民党政府との関係を象徴的に示し
とする態度に対して、広島大、中
暴力で大宇治安政をおしつけよう
東京ぶ四千二百のデモ
口口広島大の闘いに連帯
委員長︶を予防逮捕
四 赤松返︵マル学同副
関西でも集会
1
北大ではこれらの政府=機動隊の
われの闘いを、九月を待たずして
ことは、十一月決戦に向かうわれ
反撃によってその野望が挫かれた
とりわけ広島大では、断固たる
新たな高地にひきあけることがで
拠の拡大が闘いとられた。
きたと断言できるのである。
大につづけ/これが全学巡の九月
1 1
゛i
大の闘いと呼応しつつ、封鎖、占
国会における実質的審議なしの
京駅八重洲□での総括集会でこの
国会、文部省デモを闘い抜き、東
生が解放郷日大学本部を第二の安
会で開始された。全学巡、各大学
決意を固めた約三十名の戦闘的学
多数をたのんでの強行採決自体が
十七日、大学治賢立法励行に抗
ケードをもって、第三、第四の安
の闘争方針である。全国大学バリ
………
…
田講堂として強固に武装占拠し、
一千名の広島人生の大学内外での
示しているとおり、大学治安居は
委員長は﹁別在、広島大では権力
会共闘の発・.回の中で、受山全学巡
決起集会とデモが偏い抜かれた。
日の闘いを終えた。
戦闘的デモによる機動隊との激し
議して、広島大の大嵐防戦のさな
白ヘル部隊が中央を埋めつくすな
集会は、四時から全学辿五百の
との大攻防戦がつづいている。広
か、東京では日比谷野合に全学巡
さらに大学治安居の適用を受ける
て、政府の暴力口口機動隊に対して
全都全共闘四千二百名を結集して
機動隊の暴力を直接的に投入する
ことを避けるということを口実と
もありえないのである。したがっ
ことをぬきにしては、施行も発動
守する闘いをくりひろげ、十七日
撃に対して、解放砦をあくまで死
い闘いと徳男しつつ、機動隊の襲
この広島大の闘いを頂点とする
,。
みごとに挫いたのである。
安法粉砕全関西労学統一行勁﹂は
池﹂を十七日にひかえて﹁大学治
・ ︻京郡支局]大学治安法の﹁苑
手納︷辿突入の闘いと、大村収容
突き進め﹂と語り、また、沖繩嘉
田講堂を実現し、佐藤内閣打倒へ
;呆四阿j
……]│
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。・,、l.ご,・、1
.11` ゛ふ・ ‘藪奏11……゛‘
こS遠s゛既'│`回 にはついに機動隊の野望をものの
か、日大全共闘真武君他,一名の司
する大学当局の機動隊導入に対し
前広岫において開かれた。京大全
且プ
│
・配幽幽訟£ム詣l k 隔・
I
中火、京大、九大、北大の闘いの
白ヘル反戦回八十、反戦高座七十
十五日、京都におて全学巡回五十
を先頭に、八百名の労働者、学生
者から、とりわけ、広大、沖繩の
闘いにどよめきがおこり、全学連
所突入の闘いが報告され、全参加
を結集して闘われた。
集会は午後六時より京都市役所
の八月大進撃に圧倒的拍手で応え
表明の後、中校旗を先頭に戦闘的
ていた。院大全共闘玉田君の決意
詑
が
の
/へ
戻
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白図馴ド望パ鴇.、
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11月決戦へ強い決意
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第447弓
巡
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︲
‘
︲
︲
ニヽ沖蒔奪草闘争の飛躍
−よ﹂に集約
萱眼帯l襄・反スターリン主一
いうまでもなく、それは﹁アジア
のための三つの系列套︶
世界革命にむか
ってのアジアの根
にしてきた。
霧恵のーいであることを明らか
ることである。
基報そのものが大きく郷らいでい
保問蜃と、したがって日帝の部立
参戦国化③本土における米軍諸施
強化素1とする日帝の核武装・
②自覆轍の帝S主輯軍鍬としての
げたかたちでの安保体制の再確立
ターリン主輯の一審刀およぴ官僚
後進国・植民地人民に対するス
く進展していることである。
リン主薬陣営の大櫛一がー屡置し
の特質に僥く攬定されて、スター
質が、スターリン主義輝鱒におけ
﹁世界苧一華略﹂の反労働者的本
スターリン主義者のいうところの
てとらえかえさなくてはならぬ。
凄髪およびその不可避の結束とし
ろのスターリン恚輯の対S政策の
しめているがゆえに、日米帝国主
繩は、極東の葺石としての位置を
における集団営憚体制にとって沖
いうまでもなく、︵4︶アジア
めていることである。
の削鮮半曇禰へのけいれん的波
及に媒介されて、日帝の体制的危
機とアジア危機の直接関篠原立の
のアジア慢賂にむ咳だ反動的`兪
した日米安保同盟の再編・強化の
已て問題化している。だが、Cつ
拡大と強化、などを具体的指標と
化、そして今真にはいってなお激
スターリン主義の更なる制動の強
世認Z一議、チ`コに対するソ悳
ろう.中国九全大会、ソ悳主催の
彼らスターリン主顕者は、かかる
く浮かぴあがったまさにその時、
国主義打倒の革命の現実性が大き
えるべきなのである。つまり、帝
その家家は、日米安保体制そのも
不可避としていること、︵2︶
には沖縄の永久植基地化の攻撃を
鞍はアジZ績からの回送のため
的解決の纏を肺麹珊珊の麗いが秘
第四は、¥癒べた事柄の奪践
日米帝国主楓はこうした危機に
設の自由便用にもとづいて日帝の
的︱一の胤意味化という今日の事
る外交政策と国内過渡期社心一建設
し出しているといえよう。
とはいうまでもない.しかも、ア
対しては、いうまでもなく、SE
側からの制約をとりのぞくこと④
皺は、実は、アジア尨楓の特質の
行きづまりをつくり出しているこ
ジアにおける唯一の帝国主義であ
ATOの事実上の解体の克服も合
自削の核戦力の保有をふくむ政治
とにおいて暴露されたものととら
る日本帝国主薬が、ベトナム尨機
せてアジアにおける集団安保体制
もう一つの廓であるというべきだ
に設定しつつ、必死のまき惹しを
ーなぜ届︰縄奪還らヽなければならないのか
た同大嘩聞時代・″ほ異なり、今日
あるが、それゆえ、七〇年安保同
時体制化として意義をもつもので
には、帝国主義軍事プロックの平
鯛団安保体制なるものは、歴史的
る以上、世界危機の進度と日帝の
の一定の胸算を意味するものであ
戦後二十五年間にわたる存立基盤
試みそれ自体が、日帝にとっては
糎的国内建収の問題点を無難悲に
スターリン主義による一国社公主
ン主義陣営の分裂の一層の激化は
かたちをとって遡行するスターリ
化しつつある申ソ国塊紛争などの
つて中国革命鴎莉にもとつく世界
機はとりわけ撒しい。懲えば、か
スターリン主義において矛盾と危
ているといわねばなるまい。中国
真向うから敵対し逃亡しようとし
国主義打例の永続的闘いの過程に
諸問題の官僚劇的創出をもって帝
咳アジフ常禰匹プロレタ11yア革
撤去を内客とする冲欄琴慧の闘い
久核基地泌宍、本土復附・基地
にむかっ日帝の反動的‘1の突破
︵3︶さらにそれは、アジア慌賂
はそれにま尽ない、すなわち、
輪を与えるものである。だが問題
命的解決にとっての現実的展開一
□である9﹄、を根拠として、永
ののエスカレートを意味すること
後進国・慢掴におけ︷聶鸚がそ
拳き出すものであるJだがむしろ
水 谷
こにおける帝国憲一支配秩序の危
反動化のテンポとの著しい″振と
こうした事態は、ベトナム危機を
保 孝
はかろっとしている。ところで、
器輸出を突破口とする防衛産業の
的臨戦態勢化⑤東南アジアヘ心武
紡以後の日帯の東南アジアヘの経
済進出は、ぎゃくに、アジア危機
かかる譲国における危機が国際帝
の結節県官果同盟の強化と日本
の再輯・強化をもってのぞみ、そ
条件を一廉廣熟させて︰wることは
櫃めて重大である。アメリカ帝国
主薦のベトナムに都ける敗退は、
アジア総体への危機の扁脚をとお
して、国際帝国ま嚢、とりわけア
メリカ帝国主顧自身と日帝との上
に抜きさしならぬ危機をおしよせ
るに至ったのである。日韓条約祁
のうちに日帝をしっかりとらえて
しまっているのである。もともと
Ξ○年代危機の庫成のもとで、国
際帝国ま襄が世榔経済のブロック
化をもヴて危機の全世界的波及を
回瑳せんとした時、その矛盾と顎
牲を一身に受けてきたのは後進贋
集国・植民池に他ならなかった。
国主我の躊吏的動揺にとっての導
檄として発現し、かつ帝国ま楓の
席は防衛問廟との篆なり合いにお
いう現爽的糖関佩に規定されて、
火線的位鷹をしめるに埜らなかっ
内在的銘概へ・″禾則雄的に導なら
日帝としたがってまた日米安保同
帝国主一のアジアにおける統一的
史的産物忿あるという、戦後世界
︵4︶llは恥祥一争の歴
形成上の出発点的曼因に規定され
のであったが、その結果余儀なく
よる複合珀分割支配体制阜ルタ
て、帝国︷霜とスターリン主義に
的繊膳岑日危機にさらされてい
されたアジア集団安保体制の多角
軍事体制確立を不可能ならしめた
支配の物質的条件の変動が、国際
いて現実化せぎ苓えないのであ
決定的導火線として剱尚的贋開を
る。
みせるアジア総休め微動、帝国主
まことに瞎史的であるといーっべき
盟問題そのものとを猷しくふるい
gφをえないという時代的爆郷社
にかけているのである。
糎自体の堅史的危機に対するとこ
日、①アジア軍事支配の同盟国と
第三は、前に述べたアジア危機
すなわち、安保0防衛問題は今
して、日本の地位を相応にひきあ
だろう。
第二は、まさにCつした猷釣ず
一るアジアのM・甲にあって、日米安
写真よは中核旗をもって黙齢耕作地から基地内に突入する中核派の三人。向う側にBgが見える。下は十一言の
那覇市牧志ウガンにおける伸餅委、中核派などの統一集会。中央こちら向きの人が沖筒哭知念襄︷一委員長
る時、中国スターリン主禰がその
体制とける世界支配旗通をその根
革命的打破ではなく別状の固応化
をはからんとしていることはまこ
とに皮阿であるといわざるをえな
のうちに中国スターリン主楓没落
まさに、われわれは、このこと
い。
て底g鰐S盃盃嘉
ま
的に衰堪されている。そして、こ
世界革命の実践的達成にむけた
の闘いの葦間癩に心憂ずるのが︷一︰
四・二八を前後ずる麗いの収攬
具体的贋擾のうちに坤轜専意の闘
拠地化と沖縄奪還
で、そして今次全学瀋芝期金国大
いを改めて設定したことの息輯を
廟一面影爵とそのジグ
い
ー
。E
U
リカ帝畢1のベトナム
の内在的矛盾に転化せl︷`奢えな
させるぱかりではなく、帝国主嶺
ける翻乱と抵抗を一廉激しく進行
軍の敗退は、後進国・植民地にお
ている。従って、ベトナムでの米
ロールバックとしての意義砦もっ
制の桝嘉納動揺それ自体に対する
が、さらにすすんで、戦後世界体
圧を直接の要因とするものであ・や
支配体制の危機に対する畢力的制
おける帝印画の後進国9植民地
ベトナム侵略戦争は、フジアに
理しておこう。
るところでもあるが、要約的に整
戟四竺六号以来度々強調されてい
この問題に開しては、すでに本
じめて可熊であったといえよう。
縄奪遡という路線によってのみは
解康明かずことができたのは、沖
もっているかかる世界史的意輯を
とができる。まさに、坤軸闘争の
われわれははっきりと磯認するこ
会にむけての闘いの幾かな経験に
一
ふまえて、われわれが主要な力を
機的特質の認識と、それを革命的
に突破する戦略の確定にあった。
回翼め霧 目 次 一一ー・ーーき一一●一一一ーーφ●lf・一9sゆsaをsφsssasesesee9ーt
一 十一月決戦の特質と革命
一 一
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のn
Ξl
つd
のn
系r
列gp
一二 沖縄奪混一争の飛躍のた
1沖繩堀端における﹁十
・八﹂の緊迫化
’以上前号︶
2世界革命にむかっての
アジアの根毎端化と沖祠
奪珊
3日米帝国主顧問の堵矛
︵以上4舛︶一
摺の漱化と革命
的敗北ま
g,91j一
rl
撃﹂
かへ
一ー、⋮
Ξ革マル眼﹁帥繩郷
攻
諭
の出生の秘密
1冲繩マル問の畝葬的9
割と革マル眼の廠皿
2安憚艶yと沖瘤闘争の
分離
四沖輯中裸眼の棄鵬と十一
一
注いできたのは、ナジア情勢の危
四
月決戦の新たな展望
ヽ岬−W゛
2
嘉手納基地の三学生
ザグは、国内の政治=経済散策の
沖)
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各既成政党や総評系とか君公労の
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スケジュール闘争でしか行なわれ
゜9りュ`″0コら?0つ剔W肪侃
ていないこと、これでは冲繩の勝
反撃していかなければならない。
gJh4曼︲’一μ?コ訟ふ知μ登
勤も考えなければならないと思い
いう対応は、彼等のゆくすえを暗
地方における出張証人尋問に対す
9¥y偉勾0聊写oa箭ヱベ2
ます。
利は撹得されないでしょう。
る粉砕闘争を断固として展開しよ
JR1
現在行なわれている沖繩の闘い
たちの今度の行動はこうした既成
Cっした闘争の中でおきた学生
監者は九割が保釈拒否の方針を貫
うではないか。
眼回yo附随応9旨コリュリ柔
が本当に沖縄闘争勝利を願ってい
示しているように思えます。本土
徹しているのである。弁護士も彼
二十日から再び分離裁判粉砕闘
一石0り珊りFO11﹁2ぐμ
一〇ュごぶ以1咄Mユりらコ暴
夜をわかたぬB52の爆音その他の
するところだったと思います。昼
予想される。そうした因難性の克
圭一古座能予
JR︷︸9︷mcQul
る人たちを巻きこんだ諮いになっ
意味を付与することもできず、た
ていないこと、毎年八月になると
だヒステリックにケチを﹃つけると
復啼闘争の画期的な前趙であると
東大分離裁判一
同時に、基地そのものに攻撃の目
標が設定されたことは、日米同盟
の最大の実体が、粉砕されずには
沖繩問題が一段居着くことさえも
できないという祀8的事噛を作り
告とー体となってその方針の遂行
今回の行動は、B52が常駐する・
″公害″に悩まされ続けた付近住
社公的人皿
成をしりJ
は組織で︷
.5 m泌い脳乙刄っ儲原戸圖0賢恰遠
よくやった/すでに闘いの橋
に、接見に走り回ったりして全力
争が始まる。この東大裁判が七十
服のためにも当然のことながら、
はうまざ
う答えに︸
ぽくも、一
生の出入一
ーヨー?
なく、弓
バラや了
第三世μ
民地主惣
抑圧、こ︷
トの抑圧心
生活なら一
全社会に心
力の良心︷
は痛感せJ
ール﹂を七
思われる。
y&dOM4G
そこを足場に前進、前進、前進あ
頭堡はいくつもでてきています。
をあげている。一方八月四日に家
最大の軍事忌地嘉手納忌地も決し
いま一人一
にマルクー
外を取扱・
にエキサ.
しばしばー
たが、︸一
−ゼなど︷
帝国主然
トナム謬
な犯罪曽
黒人に尽
体を中核`
いする悠ぃ
から蝕み、
たかな社八
倍感覚のm
主体解放心
主要なW
たいする作
げ、アナん
主主.心﹂心
が、創立匹
的な﹁コヽヽ一
れなりに︸
JMEE11
学ぶこと。そういうことができる
被告、井曜人のいない法廷をあた
族公の全国大心一が行なわれた。そ
となるのには配りがない。このま
ま分離裁判を進行させ、欠嗜判決
まで出すならばそれは裁判の死を
意味するものであり、裁判所は自
ら権威を落し、裁判に対する幻想
裁判闘争の中心的な担い手である
被告の激しい闘いに連帯し、自ら
yzxy&asZz1111L.44.ZX1&Zs.&j
書について買収したが、そのー
i
人物と団体のみが未来をきりひら
教底的に闘うこと。そして教訓を
一月以来八ヵ月にもわたる長期
被告の闘いに連
しかし確実に沖繩県民の魂をとら
B52の黒い翼をめがけて突入した
こにおいて﹁本人の意志を無視し
のである以上、今後も政治的焦点
る。このように現在、地裁のあが
一方裁判所この間は励岨の分被
告を証人に召換し始めた。これは
﹁われわれは朧でも、毎日、
の人間回復の津を民主的社会主
ベトナム戦争とともに、きわめ
□□ローー
ばなるまい。
ルズ﹄︵一九六六年︶のなかで
インタビューのさい彼らの受読
同例%Fj︷aa&maG
郭で児ていただけでした。米軍痛
出すことによって、位置のペテン
`を根底から暴き出すことでしょ
う。いずれにしろ痛手納]感知突入
のもつ計り知れない影響は徐々に
かも裁判であるかの如くするため
わたしたちが昨年嘉手納の居池
ことを聞いて、私は大変びっくり
て保釈金を納める事はしない﹂と
ねらった草らつなものである。わ
民がただちにかけつけて逮捕に抗
内で座りこみをした時のことが思
しました。この時の行動の目的と
いう確認がなされた。これまで権
れわれはこうした攻撃に徹底的に
議したと聞いていますが当然のこ
い出されます。アメリカのサディ
実情については、現地の状況がは
力が家族を使って種々の闘争を切
ませんが、八月十五日前後の沖繩
の咄争についての私の知りえた情
原水銕大会の前後などからの様子
などとの対比から、この学生の行
ることにのみ生き甲斐を感じか﹂と自問し、アメリカが自殺ゐ友人公
いする物質的な欲望を淘足させ ら脱れる詞的な方法なのだろう人は第コ
においては入閣の深部に横わるにマルクr
木原則な自由への欲求を抑圧す
u&rnszrrnzn
においては人間の深部に横わる
された人間性の回復を高向した
ばごろには、ブルジョア民主主
ラジオを聴き、テレビを見、訣
義のなかに求めたのだった。
やフロムーないし、ここでは
’ところで、布にのべたミルズ
パート・マルクーゼのアメリカ
ほぼ同様な発想にもとづくハー
い良心的な学生たちにたいして
反体制運動の中核をなす﹁民主
の成立にたいして彼らの思想の
る黒人解原理動、キューバ革命
由な時間をもっている。だが、
ウとは、共著﹃ニュー・ラジ力
SDSの男女二人の活動家との
昂昭ユc?︲刀?つ9Å︲石聊ぷロy
手納基地からはいい知れぬ圧力を
佐藤の沖縄政策のペ
テン性を暴き出す
不当勾留にもかかわらず、現任獄
一方分離の被告まで出廷させよう
えることでしょう。沖闘委は、こ
とするのは一度扁服した者を徹底
に形式を整えるも0,でしかない。
として貫いている。七月三十一日
中の学友は保釈拒否の方針を弾固
第二第三の基地突入をもって十一
現在東大闘争の勾留者は三百三十
れを自らの闘いとして引きつき、
新事態に対して、いろいろな声が
月へ回けて全学連と非に辿む決意
a器髪黒島 善坪
中核鼠の現地鼠遣団が、昂手納
上がっている沢ですが、革マル眠
です。
的につぶし戦線復帰させない事を
という最も恐るべき米軍差油に突
のしゅう態が特に象徴的でした。
とだと思います。全沖繩県民によ
ストは銃をかまえて私たちの前に
っきりしませんのでそれに対して
り崩そうとして来た事を考えるな
階で保釈決定は七十五人、うち出
五人、七月下旬から八月半ぱの段
入し、B52の真下まで血出したと
嘉手納辺地突入闘争に対して何の
ことさらのセクト間の対立や行動
って圧倒的な共感でむかえられて
立ちふさがり暴行を加えて逮捕し
私の意見を明確にすることはでき
所に巡行される途中インターを歌
いながら米銭に脱走を呼びかける
は後で知ったことでした。
十四日、中核眠の学生三人が、
ならびにあらゆる都市に大きな
こうした中産階級的生活様式の 率においては、北欧諸国についのテーマ″
r
る虚構の生活であることを指摘
金主我のなか吻疎外され抑圧
輯社会から急速に、いわゆる大
る。しかし、広告を加えてこれ
圃を鑑賞し、新聞をよんでい
り、彼も、大衆社金的疎外から
事業の二〇吻がこれらの大学の
リカ市民の間には抵抗権をもと
衆社会に転化しつつあり、アメ
ふれる余裕がなかったが彼らと
社会にたいする批判と、そうし
たかな社会﹂のもたらす倦怠と
革による人間解放の主張は﹁ゆ
た批判に立脚した社会主一W的変
みを覚えていた、アメリカの若
アパシーのなかで心中に鰐い悩
衝撃的な影響をあたえずにはお
かなかった。アメリカにおける
主.械社会のための学生﹂SDS
及ぼした影響は、この同におけ
れは、新たに獲得した自由な時
それでどうなったのか。われわ
大衆︵マス︶に転化させられて
若い世代の
P・ジァコプスとS・ランダ
反逆の開始
つぶそうとし、一日が終ればは
せっかく節約した時間をむだに
間の使用法を知ってはいない。
のコマーシャルや新聞や雑誌の
しまったのだ。彼らは、ラジオ
によってしめられているーを通
い倦忿怒をもたらし、自殺とア
求を満足させはしても、はけし
−− f
゜長谷励包邨
これを足場に前進あるのみ
猛烈にうけます。
兼田市鸞鸞渡久地政司
米軍M手納空ボ忌地の第二十一
の学生が米軍痛手納基地に突入し
るのみ。
ゲート付近は私も昨年夏に立ちま
たことを知り、その勇気に敬意を
を祷く評便します。この行動は、
くことが可能です。
したが、小高い丘になっており、
よく見える所です。またこのゲー
″黒い殺し屋″B52の垂直尾翼が こういう状況を克服して、三人
トの北側からは滑走路がよく見え
沖祠奪還院争を常に先頭に立って
ます。私は、B52が機内の弾きに 表するとともに、その政治的効宋
闘ってきた全学巡中核派の闘いの
五百t通常爆弾八十四個と国翼の
集積があったので決行することが
下に七百五十?の通常爆弾十二個
づつをぷらさげて、怪音を発して
できたのです。一つ一つの闘いを
美しい東シナ海にベトナムに向っ
て消えていくさまをただ忙然と恐
これまての復帰運動
いうニュースを一種の驚何の念を
面での先陣争いなどがあってはな
いると思います。二十五年間にわ
ました。私は、基地内のAP詰め
監者は二十名前後である。更に在
らないと屡っ。これらのぼ接行動
たって基地に包囲されて生胎して
もって聞きました。しかも二十一
て神聖不可侵な場所ではありえな
を台めて、さまざまな立場からな
いる歴史そのものが、実力をもっ
既成政党の腐敗に
いといーっことを明らかにしたとい
される多様な行動を相互に評価し
て撤去闘争に立ち上が一心ことを阻
性をことごとく破るものである。
ゲトトはB52の駐鴎場や知花弾薬
えるだうっ。最近、これまでの復
あうとともに統一行動の可能性を
きとしてある職権保釈に対する反
われわれはそうなる事を辞さない
の枠をつき破る
帰運動、返琳連動の枠をこえた行
できるかぎり追及しなければなら
報から祭すると、昨年の那覇市で
撃幻態勢は万全である。
畢のあるところで米軍の一番警戒
動がさまざまな立場からおこなわ
ないだうっ。そしてで登っるがぎ
ビラをまきました。基地内での反
の以氷蔵大会のことがまた今年の
やむにやまれぬ行動
れている。日米国国旗の焼きすて
んでいるということがある沢です
米行為は銃殺という受刑があるの
a問晋禁断崎盛障
米民政府への突入などもそうした
り偏在の少ない方法の池沢を、と
が、今度の快挙によって一挙に新
たな展堅が生まれずにはおかない
とほいます。中核鼠の登岫という
影響を及ばすにいたった。われ
年治安弾圧の重要な一環をなすも
意味をもっている。しかし軍事基
いうのが蛇定ながら私のような者
事実をも確認しておく必要があ
われは、この産軍複合体が不当
位、アル中患者の率においま一人︷
れれで第で五
らら
せせ
ささ
没没
埋埋
にに
的的
判判
批批
無無
にに
かか
なな
第五位、アル中患者の率にお
る。たとえぱ、Jリッジウェイ
いい
なな
らら
なな
ぱぱ
れれ
けけ
なな
しし
対対
反反
てて
しし
対対
わわ
、、
てて
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よよ
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重重
のの
体体
合合
複複
のの
ここ
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とと
ここ
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とと
うう
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得得
獲授
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II
MM
、、
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額額
約約
契契
防防
国国
のの
学学
大大
のの
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ここ
、、
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けけ
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にに
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年年
計計
会会
年年
七七
六六
九九
一一
、、
ばば
れれ
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にに
︶︶
年年
八八
六六
九九
一一
︵︵
た人間的欲求なんかは全く見る
警告を発したが、この警告はす
わゆる大衆社会的人間疎外状況
ことができない。そうした、い
....as aa..sfza.h_rs.UIZ
た人間的欲求なんかは全く見る
四万ドル、スタンフォード大学
でにいささか遅きに失しなっら
ーrl−−ーーーーー
のの
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いい
なな
らら
なな
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せせ
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機機
危危
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義義
主主
主主
民民
とと
由由
自自
のの
れれ
わわ
れれ
が三千六十一万ドル、カリフォ
し、人間主我的な民主主義、社
さきにのべたミルズも同様であ
のである。この点においては、
五五年︶のなかでのべているつ
その主著﹃正気の社会﹄︵一九
について、エリッヒ・フロムが
思われる。
ぎの言葉はまさに適切であると
エリート﹄︵一九大五年︶のな
ミルズが、その主著﹃パワー・
みがある。なぜなら、ライト・
社会はすでに一九五〇年代の半
かで指摘したように、アメリカ
かスタンフォード大学のクラー
内部で行われているのだ。たし
しめ、巡邦政府の軍事技術開発
るときは、連邦予算の約五卯を
他の大学の国防個]]額をふくめ
十一万ドルに及んでおり、その
ル、コロンビア大学が千六百四
ルニア大学が千七百三十三万ド
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日日
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千千
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大大
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界第一位であることを指ルとカミ﹃
ーーいてい世
ジジ
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たた
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うう
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たた
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まま
しし
てて
て世界第一位であることを指
ルとカミー
な生活のなかには真の人間的自摘したのち、アメリカにおけるズをあワ
な生后のなかには真の人間的自
摘したのち、アメリカにおける
ズをあげー
由を求めるバイタリティにみち ﹁ゆたかな社きが、その本質く印象2
由を求めるバイタリティにみち
﹁ゆたかな社会﹂が、その本質
く印象づ一
の近著﹃閉された株式会社﹄
らぱ、この確認は重要な意義があ
辿への直接的挑戦である今回の行
のの考えである。
だから、彼らの密集して居住す
る大都市の黒人ゲットーは、失
れたエアー・ポケットであり、
たかな社心一﹂のなかの見捨てら
業と貧困の堆積するいわば﹁ゆ
祖国のなかの異国、帝国主我国
ーク滞在の後半期にはコロンビ
たのである。ぽくは、ニューヨ
内部の植民地にほかならなかっ
ル・アパートに︸力月余け滞在
ア大学にちかい百五番衡のホテ
らのコミュニケーションの媒体
慶 正
もなう市民的自由の意識は急速
雪 山
ク・力士九学長は、﹁大学は、
も安価な無駄話しや、またあま
は、なんら現実惑のないもっと
な残酷な空恵でひとびとのあた
きしてきて困惑してし巷っよう
り教菱のないひとが時たま見聞
まりミルズの見解によるならば
に喪失しつつあったからだ。つ
産軍複合体を中核とする一握り
大多数のアメリカの市民たちは
とくにアメリカにおいては、ー
ための主要な機関となった﹂と
の﹁パワー・エ目Tト﹂︵国家
まをーぱいにするのである。﹂
に、大学は産以複合体の形成過
ちが夢にも見なかったほどの自
﹁今日ではわれわれは、祖先た
誦ったが、右の¥実が示すよう
その他のマスコミのメディアに
あるラジオ、テレビ、大衆雑誌
完全に操作されて、体制にたい
て著しいものがあったといわね
られ脳性なきステロタイプ的な
する自由な批判精神を喪失させ
大衆操作による
□口口j
だ。
再編成されてしまっているの
みこまれ、いわぱ帝国主我的に
程のなかで完全にその内部にく
独占資本主義者︶の支配の下に
様だがー国家目的を達哉する
ーそして他の諸国においても同
月、
一
巨大独占と産軍体制の
重圧に苦しむ
したが、ここはハーレムにちか
く、都心とハーレムを往復する
中で帽子をさしのべて喜捨を求
地下鉄のなかで、しばしば、車
姿を目撃した。黒人社会の貧困
める身すぱらしい黒人の老人の
さらに、ぼくたちは、MIT
があるだうっ。
については、のちにふれる機会
︵マサチュウセッツエ科大学︶
ジョン・ホプキンス大学、スタ
ア大学︵ストーフイキで有名なバ
ンフォード大学、カリフォルニ
批判精神の喪失
そして、フロムは、﹁中産随
っとする。﹂
ところで、一九六一年一
バカに多いがその大部分はぶ告
広告1アメリカの新聞は頁数は
じて、独占体によって意識的に
級のゆたかな生活は、物質的欲
って、アイゼンハワー元大統領
ホワイト・ハウスを去るにあた
は、﹁巨大な軍部と大軍需産莱
動車や新型の台所用品などにた
つくりだされた、ステレオや自
ルコール中毒は、この倦忿怨か
あらゆる巡邦政府機関、州機関
治的にも、また精神的にさえも
との結合体は、経済的にも、政
叛
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動を?めて、これらの思想的、象
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徴的行動が政治的、物理的力に発
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ポーイング、ロッキード、ア
ク、ゼネラル・ダイナミックス
なかった。だが、ぼくたちは、
1
展する過程にはさまざまな障害が
−ー
源浪にふ
貧困が世界のいたるところにみ
リカン、などの諸公社にたいし
メリカ電信電話、ノース・アメ
ズーゼネラル・エレクトリッ
られても、われわれが貧困でな
非常な裕福さが存在している。
アメリカを旅行し、各地で労働
月まで約半年間、東欧、西欧、
交辿、水逼やガスなど、一世紀
いことは明かだ。食事、娯楽、
て発注されるICBM、その他
鰐発注ならびに、ン巡ないし、
の近代兵器にたいする巨額の軍
ために、原子力委員会や航空宇
そなえ宇宙開発鯛争に勝利する
中国に対する核ミサイル戦争に
た楽しみや便宜を晋通の人でも
意味を失ってし巷つ。﹂
兵器やロケットなどにたいする
宙局などを運じて発注される核
占体が授得した史上空前の利潤
巨額の軍事発注によって巨大独
たかな社会﹄
年︶の冒頭で
こうした事実をハッキリと見き
ることについては全くふれてい
わめておかねばならない。つま
の院及効果にもとづくものであ
そうした﹁ゆ
だが、彼は、
ゆたかな社公﹂の成立過程は、
り、ガルブレイスのいわゆる﹁
も右のように
基本的な原因
同時に巨大な産軍複合体形成の
をもたらした
が、朝鮮戦争
事実である。いいかえるならば
過程にほかならなかったという
火□上の舞踏にほかならないの
会﹂のゆたかな生活はいわば噴
ガルブレースの﹁ゆたかな社
ならびにベト
する帝国主義
いまひとつ、ガルブレイスに
である。
の職場以外には就業の機会今っ
サービス労働ないし非熟練労働
人種差別の慎行にもとづいて、・
よって無視されている事実は、
との冷戦にそなえるために、直
接ペンタゴンから巨大独占体i
的侵略を遂行し、あわせてソ巡
Ξ世界にたい
じめとする第
ナム戦争をは
たかな社会﹂
のべている。
︵一九五八
ス教授は﹃ゆ
ハーバード大学のガルプレイ
界では急務とされていたことは
えられるところでは、貧困の世
前には金持でも享受できなかっ
解放運動の実情を実地に見聞す
る機会にめぐまれた。もっとも
欧︵西独、イギリス、フラン
上フンド、チェコ︶は半月、西
東欧︵ユーゴ、ハンガリー、ポ
ス︶はニカ月半、アメリカは三
自由だったので、その成果は炭
だったし、なによりも言葉が不
ヵ月といったあわただした日程
放運動についての理解をふかめ
それでも、ある程残欧米の解
して十分なものではなかったが
ることができたのではないかと
し、これを各地の運動家から入
って旅行中にえた印象を中心に
思っている。今後、数回にわた
手した資料で捕いながら、欧米
の解放運動−とくにいわゆる
新左翼の動向を、想いおこすま
的永く滞在したアメリカについ
ず、旅行の日程とは逆に、比較
まに書綴ってみようと思う。ま
たい。
ての報告からはじめることにし
□口口j
巨大な産軍複
合体の重圧
たとえば、ゼネラル・モーター
コロンビア大学などの有名大学
ークレーはこの分校にあたる︶
究所を過じて︶間接にペンタゴ
が、直接あるいは︵防衛分析研
ンをはじめ京子力委員会や航空
の開発に積極的に努力してきた
らと国防契約を結んで軍事技術
宇宙局などの委託労っけ、それ
|
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ぽくは、昨年九月から今年三
t¬ ロ ≡ 1 ゛
﹁アメリカでは、かつてない
複合体の支配下にある軍詞工場
ぱわれていた黒人たちが、反軍
に職場から追放されて街頭にな
ョン化が進行するにつれて急速
において機械化とオートメーシ
許されなかったということだ。
ー
-一一
一一
-
ぶ、 重力
お。
げだされ、こうした﹁ゆたかな
ー
運;
f∽
b社会﹂の恩忘にあずかることを
・
メリ豪︷
l ・ l-.I
運動、学生一週動、黒人運動など
スラム街の子供
(4)
第44ブ号・
遮
(昭和35年4月20日第Ξ種郵便物認可)
(月曜日)
(7%9年)8月18日
吟
`'・−9
|
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