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只見豪雨マップ裏 - 只見町観光まちづくり協会
意外と 知らない ด✢ߩᱧผ 西暦 和暦 会津線 只見線 1926年 大正15年 「会津線」として、会津線会津若松駅から会津坂 只見線を応援してくださる方々の紹介 只見線を応援する方々に、趣旨をご理解いただき、寄 稿して頂きました。この他にも多数応援してくださる 団体や個人の方がいらっしゃることを申し添えます。 下駅間 (21.6㎞) が開業される。 西若松・会津本郷・会津高田・新鶴・会津坂下の 各駅が新設される。 1928年 昭和 3年 会津坂下駅から会津柳津駅間(11.7㎞) が延伸 開業される。 塔寺・会津坂本・会津柳津の各駅が新設される。 1934年 昭和 9年 11月1日:七日町・根岸・若宮の各駅が新設される。 1941年 昭和16年 10月28日:会津柳津駅から会津宮下駅間 (12.1 ㎞) 延伸開業される。 郷戸・滝谷・会津桧原(仮停車場) ・会津西方・会 津宮下の各駅が新設される。 1942年 昭和17年 鉄道風景画家 松本 忠 奥会津郷土写真家 星 賢孝 さん 只見線の魅力を絵で表現しながら、個展の売上げを元に只見線の切符を買い続け ています。 只見線のある景色が好きだから、 ずっと眺めていられるように切符を買う。 美しい花に水をあげる気持ちと、 どこか似ています。 乗車したり、切符を買いに行けなくて も、 「只見線が好き」 というだけで十分。 ひ 6月1日:会津桧原仮停車場が、会津桧原駅に改 められる。 11月1日: 「只見線」 として新潟県小出駅から大白 川駅間(26.6㎞)開業される。越後広瀬・越後須 原・入広瀬・大白川の各駅が新設される。 とりひとりの想いは、必ず只見線を動か す力になります。 全線復旧によるメリットは数あれど、 デ 1951年 昭和26年 3月1日:藪神・魚沼田中・上条・柿木の各乗降場 が新設される。 10月1日:藪神・魚沼田中・上条が駅に改められる。 メリットはありません。 「これからの鉄道・ 1954年 昭和29年 10月10日:黒又川仮乗降場(入広瀬−柿木間) が新設される。 から楽しみでなりません。 1956年 昭和31年 会津宮下駅から会津川口駅間(15.4㎞)延伸開 業される。 9月20日:早戸・会津水沼・会津中川・会津川口の 各駅が新設される。 1957年 昭和32年 12月:電源開発株式会社、 専用鉄道貨物輸送を 開始。 会津川口から只見間を、 昭和36年12月 実施。 1963年 昭和38年 8月20日:電源開発 (株) より譲渡を受け、 会津川 口駅から只見間 (27.6㎞) 延伸開業される。 会津横田・会津蒲生・只見の各駅が新設される。 1965年 昭和40年 西暦 和暦 1971年 昭和46年 7月15日:黒又川仮乗降場が廃止となる。 只見線 8月29日: 『只見線』 に統合 只見から大白川駅間 (20.8㎞) 延伸開業。 会津若 松駅から只見駅間を会津線から分離し、 『 只見 線』 に統合。 会津若松駅から小出駅間135.2㎞と なる。 田子倉駅が新設される。 11月4日:新潟県側の小出駅から大白川駅間の SLが廃止される。 1974年 昭和49年 11月1日:福島県側のSLが廃止される 1987年 昭和62年 4月1日:国鉄民営化により、 東日本旅客鉄道株式 会社が継承 2001年 平成13年 10月16日:全線開通30周年 記念運行として 「SL&DL会津只見号」 が運行さ れる。 ※会津若松∼会津川口・只見間 (この年から が毎年運行される) 。 「SL会津只見号」 12月1日:田子倉駅が臨時駅に改められる。 2004年 平成16年 10月23日:新潟中越大地震発生 只見∼小出間が不通となる。 11月20日:運転再開される。 2011年 平成23年 3月11日:東日本大震災発生 7月28日∼30日:新潟福島豪雨災害により只見 線に被害 会津川口∼会津大塩間で只見川第 5・6・7橋梁が流失、 また会津坂本∼会津柳津間 で路盤が流出し、 会津坂下∼小出間が不通となる 8月7日:会津坂下∼会津宮下間で運転再開 8月11日:大白川∼小出間で運転再開 12月3日:会津宮下∼会津川口間で運転再開 2012年 平成24年 10月1日:只見∼大白川間で運転再開 これにより、 不通区間は会津川口駅∼只見駅間と なる (代行バス運転あり) 。 ※出典:奥会津五町村活性化協議会 協議会HP 「只見線の歴史」 より 只見線」その線路が再び繋がる日が、今 ▲ 「新緑に誘われて」 只見線 只見-田子倉 さん 「只見線と日本の鉄道」 2011年7月末の只見川豪雨災害で被災した只見線は会津 川口∼只見間は今もって復旧していない。 復旧の条件としてJR東日本が提示した内容は鉄道施設は地 元自治体の所有とし、 尚且つ運行損失2億円 (年間) も自治体で 負担せよとのじつに厳しいものとなっている。 地震や土砂崩れが頻発している日本列島の鉄道はその80% は通常営業だけで巨額の損失を累積させており災 害復旧の莫大な費用負担等できるはずもない。 せめて基本部分となる鉄道施設については国所 有としその責任を国策として負わなければ早晩日 本の鉄道は壊滅の事態となろう。 只見線は、 日本の鉄道を死守できるかどうかの 重大な分岐点なのだ。 ▲只見線に手をふろうポスター写真 ▲要害山から臨む只見駅 だんだんど∼も只見線沿線元気会議 さん 私たちは只見線開通70周年と全線開通40周年を祝い、 只見 線の存続と地域活性化のために、平成23年3月に設立した組織 です。 只見線沿線の各コミュニティ協議会、 自治会、商工会、 NP O法人魚沼交流ネットワーク、 ( 一社)魚沼市観光協会、入広瀬 民宿旅館組合、守門地区観光振興会、 JR東日本新潟支社浦佐 駅、魚沼市六十里越雪割り街道を愛する会、魚沼市まちづくり委 員会、 只見線ファンクラブ、食文化フォーラム、魚沼市、新潟県魚 沼地域振興局、 (一財)魚沼市地域づくり振興公社等によって構 成されています。 只見線沿線には 「四季折々の豊かな自然、 豪雪で培われてきた 文化と歴史、 そこに生活するあったかい人々との触れ合い等」 全国 に発信できる素材がたくさんあります。 私たちは 「只見線応援団」 と して、 次のことを念頭に置いて事業を展開しています。 1、 只見線に乗って魅力を発見しよう! 1、 只見線沿線の魅力を発信しよう! 1、 只見線を通した交流活動を展開しよう! 会津ヨシ! さん JR只見線愛好会 会長 目黒 彰一 「只見線をご存知ですか?」 私共が東京・埼玉で鉄道模型イベント 奥会津地方未曾有の豪雨災害によって、 JR只見線が重大な損 傷を被ったあの時から、 五年が経過しました。 私達 「JR只見線愛好会」 は、 2012年春、 一握りの町内有志が集 まって結成しました。 被災によって不通区間となった 「只見∼会津 川口間」 の完全復旧を願い、 町民が実践出来得る小さな応援活 動、 「乗ろう、 守ろう、 つなごう」 を合言葉に 「只見線に乗って応援す る会を、 毎月一日程度開催しよう」 と活動しています。 会員数は年々 増加し、 現在は百五十名を超える組織となり、 計画的に活動を実 践しております。 只見線完全復旧の為には、 幾多の難題が明らかになっており、 五年の時間の経過の中で、 JRの決断を困難視する空気も流れまし た。 2016年に入り、 関係機関懸命の対策が奏効したのか、 進展が 見えてきました。 「上下分離方式による復旧提案」 との新聞報道で すが、 その提案は現在JR東日本が考え得るギリギリの 身を切る 提案とも考え、 沿線住民としては、 これを真 に受け止めて検討が 進められることを期待したいと思います。 奥会津地方と越後をつなぐ 「只見線敷設」 への先人の情熱と歴 史、 また鉄道が果たしてきた、 今後果たすであろうその役割を想う 時、 必ずやその復旧を実現させなくてはならないと思います。 をする際、 まずお伺いします。 数年前までは、 趣味としての鉄道模型 イベント活動をしておりました。 新潟・福島豪雨災害後、 只見町にお 声掛けをいただき、 以来 「会津ヨシ!」 として鉄道模型を通じ、 只見線 全線復旧応援活動をしております。 微力ながら首都圏で活動してい なぜ只見線を応援するの ることに存在価値があると思っています。 か?その答えは一度只見線に乗ればわかります。 ▼会場ではのぼり旗やチラシ等で只見線をPR さん ▲車内での会長の挨拶 会員同士の親睦を深めている ▲只見線は地域の経済発展と生活に大きな貢献をしてくれた 大切な宝です。 ▲イベント会場の様子 ▲ユネスコエコパークラッピング 車両の模型 ▲会員で企画して行う日帰り旅行の様子