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米国のエネルギー政策動向と国際エネルギー市場への影響に関する調査

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米国のエネルギー政策動向と国際エネルギー市場への影響に関する調査
IEEJ:2005 年 9 月掲載
米国のエネルギー政策動向と国際エネルギー市場への影響に関する調査∗
第6章
対外エネルギー関係
総合戦略ユニット
総合戦略ユニット
客員研究員
研究員
宮崎
杉野
和作
綾子
本章では、ブッシュ政権第 1 期の石油・エネルギー政策の対外的な側面について、その対
象となる諸国・地域別の分析を試みる。特にここでは、長年にわたり米国の石油・エネルギ
ー分野に係る対外政策の柱とされてきた、石油・エネルギーのグローバルなフローを安定的
に維持することと、米国企業が世界市場において「公正な参加機会」(fair access)を保証さ
れるような枠組み作りに関連し、それらを具現するための鍵となる重要なパートナー、即
ち中東及び主要 OPEC 産油国、ロシア、西半球との関係を中心的に取り上げる。これら諸
国・地域の米国にとっての戦略的重要性はブッシュ政権第 1 期 4 年の間に、9.11 テロ事件、
その他国際環境の変動に影響され変化してきており、また米国社会自体もテロの脅威のみ
ならず、石油供給不安、エネルギー価格の高騰などによってエネルギーセキュリティの考
え方や経済自由主義への信頼感が大きく揺り動かされている。その変化を踏まえて、2 期目
における対外的な取組みへの展望を探ることが狙いである。なお、米国ではエネルギー貿
易・投資は民間の自由な経済活動であり、海外の権益取得等に際しても、政府の関与は目に
見える形では行われない。そのため、本報告書が「政策」の分析を目的としていることから、
個別企業の海外市場における活動は基本的に取り上げていない。
6-1 ブッシュ政権の対外政策と「エネルギー」
2001 年 1 月に発足したブッシュ政権の対外政策方針は「国益を重視した外交1」であり、
圧倒的な軍事力を背景に、米国の国益が脅かされる場面では軍事力の行使も厭わないとい
う姿勢が、早くから単独行動主義的、覇権主義的であるとの懸念を国際社会の一部に抱か
せた。実際、就任後に相次いで包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准凍結やミサイル防衛構
想の推進、京都議定書からの離脱といった単独行動主義的な政策が採られたことも事実で
ある。しかしこの一連の行動は、米国の国益を明確に定義し、国益の増進に寄与しない対
外的関与を撤回したに過ぎず、ブッシュ政権はこれを単独行動主義ではなく「アメリカ流
国際主義」として有権者に提示した。
∗
本報告は、平成 16 年度に経済産業省資源エネルギー庁より受託して実施した受託研究の一部である。こ
の度、経済産業省の許可を得て公表できることとなった。経済産業省関係者のご理解・ご協力に謝意を表
するものである。
1 コンドリーザ・ライス前大統領補佐官(国家安全保障担当)、”Foreign Affairs” Jan/Feb,2000。同論文は
米国が追求すべき国益として、①強力な軍事力の再建、②世界レベルでの経済成長と政治的開放体制、③
同盟重視と負担の分担、④新秩序に向けロシア、中国との包括的関係構築、⑤大量破壊兵器の獲得を目指
し、テロを支援する「ならず者国家」
、敵対政権への断固たる対処、を列記している。
1
IEEJ:2005 年 9 月掲載
また、そもそも、就任当初のブッシュ政権にとっては、対外政策の優先順位は元々高く
なかったといえる。冷戦終結以後、国民世論においても「世界の警察官」の役割よりも米
国経済の繁栄が重視される傾向があり、世界に対しては「人権・民主主義」といった米国的
価値を広めること以上に、市場原理に拠って立つアメリカン・スタンダードを広めることが
優先された。こうした内向きの世論に加えて米国経済は 2000 年に成長が鈍化しはじめたこ
とから、ブッシュ政権の喫緊の課題は米国経済の回復となり、その手段として、共和党の
伝統である経済自由主義を汲んだ大規模減税が掲げられた。また、大統領選挙結果が法廷
闘争にまで発展する過程で深刻化した「国民の分裂」を再び統合させることも焦眉の急で
あった。対外経済政策の基本は自由貿易・投資の推進にあり、保守主義への回帰もみられた。
2001 年の 9.11 テロ事件を経験して米国の国益に対する考えは大きく変化した。政権レベ
ルでも国民の間でも、安全保障への関心が飛躍的に増大した。中東における重要な同盟国
であったサウジアラビアとの関係が冷却化する一方で、従来よりテロの脅威を重視してい
たロシアや欧州諸国との間で国益が一致し、協調関係が成立した。しかし、対テロ戦争を
イラク、イランにまで適用するか否か、また軍事攻撃を行うか外交交渉による解決を目指
すかの路線を巡って米欧協調関係に亀裂が入ったことは周知の通りである。これらブッシ
ュ政権の対外政策上懸案となってきたもののうち、最重要課題のいくつかについては、下
記のように、政権第 1 期末から第 2 期に入って既に修正、改善努力がなされ、あるいは楽
観は許されないにせよ、改善の兆しが見えつつあるといえる。
①
米欧関係については元々双方の側に相互協調への強い意識があり、2005 年に入って
からのブッシュ大統領、ライス国務長官の欧州歴訪もあって、協調関係復活に向かいつ
つある。
②
イラク情勢については現在も混沌が続き未だ予断は許さないものの、曲がりなりに
も選挙が実施され暫定議会が発足したことで、一筋の光が見えてきたとして欧米では殊
の外高く評価されている。アフガニスタン情勢についてもほぼ同様のことが言える。
③
対サウジアラビア関係については、世界のエネルギーセキュリティにおける同国の
際立った重要性から、米国側は両国関係修復に踏み出しつつあり、サウジアラビアもそ
れを必要としている。
④
パレスチナ情勢では、今般の議長選挙を経てパレスチナ側の民意に明らかな変化が
みられ、イスラエル側の政治展開次第によっては対話再開の可能性が出てきている。
これらに対し、イランへの米国の対応は核問題を中心に現在も極めて厳しい。また対ベネ
ズエラ関係については米国側にチャベス大統領への疑念、嫌悪感が今も根強く、今後も紆
余曲折が予想される。さらに、現在米国内に浮上している世界戦略上の懸念、疑念は、最
近の中国の主としてエネルギー資源を巡る行動である。これらについては後に詳述する。
2
IEEJ:2005 年 9 月掲載
ブッシュ政権第 1 期中における国際環境の変化を踏まえ、2003 年 8 月に公表された国務
省の「2004-2009 年度戦略計画2」では、下記を対外政策の優先課題としている。
米国の対外政策の目標を世界の安全と繁栄の推進、民主主義の確立に置くとし、対外政
策遂行上の長期的、戦略的な優先事項として以下を挙げている。
① 世界の平和と安全のため二国間及び多国間の協力関係の維持・構築を図るが、必要とあ
らば単独で脅威に対応する
② 米国、同盟国及び友邦を専制や貧困、災厄に起因する脅威から防衛する
③ 国際テロリズム、国際犯罪、大量破壊兵器の拡散等の今日的な脅威、HIV に代表される
地域不安定化要因、環境破壊のような持続的社会発展への脅威に対処する
④ 言論・信条・宗教の自由が認められ、法の支配や経済的自由が確立された民主国家を育
成する
⑤ 世界経済の統合
また同計画は、このような長期戦略を追求するうえで米国が 2004∼2009 年に直面するで
あろう具体的な課題として、下記を指摘している。
① 中東、北東アジア、南アジアの安定化、非核化
② 民間主導による経済成長の達成、経済安定化
③ 国際的な合意に基づく通商・投資の拡大
④ 金融・エネルギー市場の安定化
⑤ 環境保全とエネルギー有効利用に向けた国際的協力関係の拡大
⑥ 初等教育の普及
⑦ 人工妊娠中絶や、HIV、マラリア等の疫病の撲滅
これらのうち、エネルギーに関係する課題として以下が示されており、レーガン政権以
来歴代共和党が標榜してきた経済自由主義の原則がここにも表れている。
① グローバルなエネルギーセキュリティ確立のため、エネルギー生産国、消費国双方と協
力し再生可能エネルギーを中心とするエネルギー源の多様化に務める
② 市場メカニズムを重視し、エネルギー部門における民間の役割を拡大する
③ エネルギー貿易の拡大を図る
④ 市場統合推進によりエネルギー市場の安定化を図る
⑤ 市民社会、民間経済部門の協力を得て、より効率的なエネルギー利用を推進する
⑥ 最先端技術を駆使し、経済合理性ある気候変動対策を実施する
“Strategic Plan of the Department of State and the United States Agency for International
Development(USAID) for fiscal years 2004 to 2009”
2
3
IEEJ:2005 年 9 月掲載
これに先立ち 2001 年 5 月に公表された「国家エネルギー政策(NEP)」では、エネルギー
分野における対外的取組みについて、より詳細に提言がなされている。提言の主な内容は
下記の通りであり、ここでもやはり、市場メカニズムを重視し、政府は市場制度の整備に
徹する経済自由主義の考え方が明らかである。
全
般
中
東
アフ
リカ
米
州
C
I
S
欧
州
ア
ジ
ア
環
境
セ
キ
ュ
リ
テ
ィ
市
場
「National Energy Policy―Strengthening Global Alliances(提言)」
○エネルギーセキュリティを通商、外交政策の優先課題とする
○エネルギーセキュリティを考慮に含めて経済制裁の再検討
○サウジアラビア、クウェート、アルジェリア、カタール、UAE、その他供給国によるエネルギー
部門の開放を支援する
○米・アフリカ貿易・経済協力フォーラム及びエネルギー閣僚会合の活性化、米国企業による貿易、投
資、操業のための環境整備に向け協力を促進する
○北米エネルギーワーキンググループの枠組みを通じて、加、墨、米のエネルギー市場統合を進める
○アラスカ・ガス P/L の実現に向けカナダ及びアラスカ州に働きかけ、同時に議会に 1976 年アラス
カ天然ガス輸送法の適切な修正を求める
○ベネズエラとの 2 国間投資協定交渉、ブラジルとのエネルギー協議発足を通じ投資環境整備を図る
○米州エネルギーイニシアティブを通じて効率的かつ安定的な規制枠組み作り等、西半球を reliable
なエネルギー供給減として育成する
○カザフスタンで操業する石油会社が BTC P/L 経由の石油輸出が可能になるよう、関係企業、政府
とともに商環境整備にあたる
○トルコ及びグルジアのガス供給源多様化を推進し、同時にアゼルバイジャンの輸出ルート多元化に
も寄与すべく、民間投資家と当該地域の政府による Shah Deniz ガス P/L 建設の試みを支援する
○カザフスタン/アゼルバイジャン/その他カスピ海諸国との間で、エネルギー及び関連インフラプロ
ジェクトについて、透明かつ安定的なビジネス環境を整えるべく対話を強化する
○米企業とロシア政府の間の貿易・投資環境改善、特に PSA 法等の制度に関する協議を支援する
○EU とのエネルギー対話を再活性化、2001 年のエネルギー協議を米国において開催する
○欧州消費国のガス供給源の多様化(カスピ海)に向け、ギリシャ、トルコに P/L の接続を働きかける
○石油市場データの透明性確保及び石油備蓄制度創設に関し、APEC エネルギーワーキンググルー
プを通じた協力を進める
○インド石油/ガス大臣との間で、同国の国内石油/ガス生産拡大に向けて協力する
○環境問題に対する市場メカニズムに基礎を置いた解決を図ること、米国のクリーンエネルギー技術
の輸出促進及び海外での技術支援、代替エネルギーやエネルギー効率に関する技術開発、普及に関す
る国際的協力を推進する
○地球温暖化問題に対応するため、研究開発、市場メカニズムに基礎を置いた環境負荷の小さくかつ
経済的なインセンティブの探求、技術開発を推進し、これら分野において国際的協力を進める
○石油に対する代替エネルギーの開発(特に運輸部門)に向けた国際協力を促進する
○産消対話を強化する
○エネルギーセキュリティに関する協力を促進すべく、G8 エネルギー閣僚会談あるいは相当する会
合を毎年行う
○IEA 加盟国の石油備蓄強化に向けて協力、非加盟の主要石油消費国についても備蓄制度創設を支
援、アジア諸国と緊密に協力する
○米国エネルギー企業の海外市場における活動の支援、また APEC/OECD/WTO/FTAA といった多
国間の枠組みや二国間関係を通じて外国投資に関する公平かつ透明性の高い規則/手続きの実現を図
り、米国企業のために貿易・投資障壁の除去に努める
○エネルギー関連物品及びサービスの貿易/投資を拡大させるようなイニシアティブを推進する
○産油国、消費国、IEA と協力して国際石油需給に関するより精確かつタイムリーな統計システム
を構築する
4
IEEJ:2005 年 9 月掲載
以下では主要な国・地域別に、NEP の提言した取組みがどのように実現が図られたのか、
またブッシュ政権第1期の4年間で米国と当該地域との関係がどのように変化し、その結
果米国のアプローチに今後どのような変化が生じ得るのか、分析を行う。
6-2 対中東・アフリカ政策
第2次世界大戦終結以来、冷戦終結までの間の米国歴代政権において、対中東・アフリカ
政策の中心に位置して来たのは下記の3つのコミットメントであった。
・ 自由世界の重要な石油供給源である湾岸産油国をソ連・共産主義の脅威から防衛
・ イスラエルを支援、安全を保障
・ サウジアラビアを外部の脅威から防衛、安全を保障
1990 年代初頭にソ連が崩壊した後「ソ連・共産主義の脅威」は「グローバルな石油・エネ
ルギーの安定的フローを脅かす存在」に変ったものの、政策理念そのものには変化がない。
加えて、現ブッシュ政権第2期ではエネルギーセキュリティ(“Energy Security”)が外交、
通商政策の優先課題となったことから、以下の2つの具体的施策が採用されている。
・ 主要産油国に石油・天然ガス上流部門の開放を呼びかけ、その推進を支持、支援
・ 産油国・消費国間の対話、協調を推進
以上から、中東・アフリカ諸国の中で、米国にとって政治的に、またエネルギーセキュリ
ティ上からも最も重要な国がイスラエルとサウジアラビアであることは論を俟たない。自
国にとって戦略的同盟国であるイスラエルと世界のエネルギー安定供給に死活的に関わる
サウジアラビアの防衛に、米国は早くから深くコミットして来ており、現ブッシュ政権も
これを明確に継承している。サウジアラビア以外の「湾岸協力機構(Gulf Cooperation
Council -GCC)」諸国も、湾岸地域の地政学的、戦略的重要性と各国が保有する資源のゆえ
に、サウジアラビアに準ずるものとしてよい。
イランの現体制からの解放、民主化は、新生イラクの民主化と安定の達成、中東和平の
実現と並んで米国の対外政策、エネルギーセキュリティ政策上の優先課題に挙げられる。
また、米国市場に適合する低硫黄軽質原油を多く産出する北アフリカ、アフリカ大西洋岸
は、将来に向って成長する対米資源供給地域として年々重要となりつつある。中でもナイ
ジェリアは既に対米原油供給国の5指に入り、その天然ガス供給ポテンシャルとも合せ、
極めて重要である。
以下に、中東および北・西アフリカ主要国に対する米国の取組、政策の方向を概観する。
5
IEEJ:2005 年 9 月掲載
6-2-1.
イスラエル
イスラエルは 1948 年の建国以来、中東においては米国にとって最も重要な戦略的同盟国
であり続けて来た。またそのゆえに、石油・天然ガス資源に乏しいイスラエルのエネルギー
セキュリティには、歴史的に米英両国が深く関わって来た。
同国建国当初、米国企業アラムコが、同社がイスラエルに供給するサウジアラビア原油
を最短ルートで輸送すべく、サウジアラビア東部から地中海岸に至る「トランス・アラビア
ン・パイプライン」
(
“Trans-Arabian Pipeline”‐Tapline)の敷設を計画した。当初、同ラ
インの終点はイスラエルのハイファ港とされたが、ユダヤ国家建設をめぐり周辺アラブ諸
国との間に紛争‐第1次中東戦争、別名「イスラエル独立戦争」‐が起き、計画変更を余
儀なくされた。結果的にタップラインはレバノンのシドン(サイダ)に向けられ、1951 年に
はアラブ諸国の対イスラエル・ボイコットが適用されて、サウジ原油のイスラエル向け供給
そのものも停止に至った。
その後は 1979 年のイラン革命まで、イラクを始め当時のアラブ域内英国植民地国で操業
する米英石油会社、米国の支援を受けた帝政イランの国際コンソーシアム参加企業がイス
ラエル石油需要の大方を充足した。イラン革命の成立直後、新政権がイスラエル向け石油
供給を停止する旨の声明を発した際も、米国政府がイスラエルへの石油供給継続を保証す
ることを表明、実施した。現在も同国は米国から石油供給を受けているが、下表に見られ
る如く量的には総輸入量の3%程度に過ぎず、他にロシアからの原油輸入(同 10%前後)と
ギリシャ、イタリアからのごく少量の石油製品輸入を除けば、イスラエルはその輸入原油・
石油製品の 80%以上について、輸入先名、供給元を公表していない。
表 6-2-1.
イスラエルの供給源別原油・石油製品輸入の推移
(単位: 1,000B/D)
供給国
米国
メキシコ
ロシア
イタリア
ギリシャ
その他
非公表供給元
輸入量計
2001 年
輸入量
シェア(%)
9
3
4
1
33
10
4
1
3
1
3
1
270
83
326
100
2002 年
輸入量
シェア(%)
10
3
33
10
2
0
1
0
6
2
290
85
342
100
2003 年
輸入量
シェア(%)
10
3
3
1
37
10
5
1
3
1
15
3
302
81
375
100
(出所)“World Oil Trade: An Annual Analysis and Statistical Review of International Oil
Movements” 2004 年 9 月
因みに、アラブ諸国による対イスラエル・ボイコットは、1978 年のキャンプ・デービッド
協定調印を境にアラブ側の結束が乱れ始め、なし崩し的に効力を失った。現在はアラブ・ボ
6
IEEJ:2005 年 9 月掲載
イコットは実質上消滅し、イランによる反イスラエル・キャンペーンのみが突出している。
6-2-2.
サウジアラビアおよび GCC 諸国
米国によるサウジアラビアへの政治的コミットメントは、既述のように第2次世界大戦
中にルーズベルト政権が、サウジアラビアおよびアラムコ石油権益の存在が米国の国益に
合致するとの認識から武器貸与法に基づく対サ支援を実施したことに発し、その後サウジ
アラビアを始めとする湾岸諸国に対する新たな脅威が発生する度に歴代政権が同地域への
コミットメントに一歩一歩踏み込んで来た。この経緯の詳細は前掲の表 1-2-1「第2次大戦
以降米国歴代大統領の石油・エネルギー政策と対中東ドクトリン」に示した。
この間サウジアラビアが石油供給をパレスチナ問題とリンクさせる「アラブの大義」論、
「石油武器」論を主導して来たのに対し、米国歴代政権はしばしば、パレスチナ・イスラエ
ル問題の平和的解決なくして湾岸地域の安定はないと反論し、湾岸アラブ産油国の中東和
平への協力を勧奨して来た。この点については、現在では少なくとも GCC 諸国首脳の原則
的理解を得るところに至っている。
しかしながら、現ブッシュ政権の中東和平に対する姿勢が歴代米国政権の中でもとくに
イスラエル寄りに過ぎ公正さを欠くとの非難、批判がアラブ・イスラム世界全般に燻ぶり続
ける一方で、米国内では 2001 年9月の米国中枢同時テロ(いわゆる「9/11」)発生後、テ
ロ実行犯の多くがサウジアラビア国籍者であった上、元々米国社会の底辺に潜在していた
「アラブ嫌い」
(“Arab-phobia”)感情が突出、顕在化したこととも相俟って、
「9/11」以降、
米サ関係は急速に冷え込んだ。
現在も両国社会の相手方に対する空気はまだまだ良好とはいい難いながらも、その後の
サウジアラビア政府による国際テロ撲滅宣言、ベネズエラでのゼネスト発生に基因する米
国内石油供給逼迫に際してサウジアラビアが急遽増産して米国経済を打撃から救ったこと
などが後押しし、両国国民感情は極めて緩やかながら回復に向いつつある。
現に、エネルギー面における米サ関係、米・GCC 関係はほぼ旧に復しており、第1章に既
述の如く 2004 年の米国原油輸入量の 22%がサウジアラビアを始めとする湾岸アラブ諸国
からの輸入で、サウジアラビア1国で全体の約 14%を占め、対米供給国の第3位に位置し
た。対イラク戦争の一時期に米国内でかまびすしかった「中東民主化の次のターゲットは
サウジアラビア」なる説もこのところは殆ど聞かれない。これらから、ブッシュ第2期政
権は、対サウジアラビア関係についてはその修復局面に既に入りつつあるものと見られる。
GCC 加盟の6カ国‐サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦(UAE)、オマー
7
IEEJ:2005 年 9 月掲載
ン、カタール、バーレーン‐には、石油・天然ガス上流部門の開放を以前から夙に実施し、
あるいは着手しつつある国が多い。それでもなお米国は、たとえばサウジアラビアに対し
ては天然ガス部門に加えて石油上流部門開放への決断を求め、またクウェートには石油上
流部門の一部を開放する「プロジェクト・クウェート」の早期実施を迫るなど、今後もさら
に同様の姿勢を取り続けると思われる。
米国のアラビア半島産油7カ国からの原油・石油製品輸入量およびそれぞれの米国石油
総輸入量に占めるシェアの推移(2004 年については原油輸入)を以下の表に示す。
表 6-2-2.
米国のアラビア半島産油国からの原油・石油製品輸入の推移
(単位: 1,000B/D)
2001 年
供給国
2002 年
2003 年
2004 年
輸入計
%
輸入計
%
輸入計
%
原油輸入
%
イラク
クウェート
オマーン
カタール
サウジアラビア
UAE
イエメン
781
251
17
7
1,636
33
23
6
2
0
0
14
0
0
478
234
14
9
1,511
12
25
4
2
0
0
13
0
0
774
380
16
10
1,692
14
28
5
3
0
0
12
0
0
678
211
n.a.
n.a.
1,399
n.a.
n.a.
7
2
米国総輸入量
12,088
100
11,873
100
14,592
100
10,038
14
100
(出所)“World Oil Trade: An Annual Analysis and Statistical Review of International Oil
Movements” 2004 年 9 月 (2004 年については「中東研ニューズリポート」2005 年 2 月 22 日)
6-2-3. イラン
イラン石油資源への米国の最初の関わりは 1953 年、米国中央情報局(CIA)がイラン皇帝
派将校によるクーデターを支援し、2年前に起きたモサデグ政権による石油産業国有化を
転覆した時であった。翌年には「国際石油財団」(イラン・コンソーシアム)が結成され、米
国の5大国際石油会社に加え独立系9社も参加し、米国と帝政イランの政経両面における
蜜月が始まった。それ以来、イランはサウジアラビアとともに米国の中東政策に枢要な機
軸国として組み込まれ、ペルシア/アラビア湾岸地域の安全保障に重要な役割を果たした。
この関係は 1979 年、イラン革命によって帝政が倒れるまで続いた。
徹底して米国に敵対的なイラン革命政権下で在テヘラン米国大使館占拠・館員人質事件
が勃発したのは 1979 年のことで、米国はイランとの外交関係を断絶、イラン石油輸入禁止
措置を発動した。これを契機に米国内の対イラン感情は急速に悪化した。爾来現在に至る
まで極度の緊張が続く両国の関係には依然として回復の兆が見えず、両国間には石油・天然
ガスの直接取引はない。また、米国の「イラン・リビア制裁法」
(“Iran-Libya Sanctions Act”
‐ILSA)に基づく対イラン経済制裁が解除され、イラン石油・天然ガス上流部門が革命前の
ように米国を含む国際社会に広く開放される見通しも立たない。
8
IEEJ:2005 年 9 月掲載
米国側では、ブッシュ大統領の「悪の枢軸」宣言、経済制裁大統領令、議会による経済
制裁が未だ撤回されず、またそのような可能性が見えない中、本年1月、ライス国務長官
がイランを他の5カ国とともに「圧制国家」と非難した。本3月には国際原子力機関(IAEA)
がイラン核開発疑惑に関する非難をまとめた「議長要約」を承認しており、米国はこの件
を国連安保理に付託する選択肢を留保している。ブッシュ大統領はイランの核開発放棄に
向け政治的圧力をかけ続けると表明するとともに、その実現のためにはあらゆる選択肢を
排除せずとし、対イラン武力行使の可能性を否定していない。
一方イランでは、英仏独3ヵ国との間で進めて来ているウラン濃縮関連活動の停止をめ
ぐる実施条件面での交渉を決着させねばならない事実上の期限が本年6月に迫る中、5月
にも予定される大統領選挙ではハタミー現大統領の任期満了とともに保守派大統領の誕生
が予想される。次期大統領がこれまで以上の強硬路線を採ることとなると、交渉の行方は
おろか、米国内の一部で信じられる本年中の核施設軍事攻撃説が俄かに現実味を帯びない
とも限らない。
6-2-4. イラク
サウジアラビアに比肩し得るとされる原油埋蔵保有国のイラクは、米国の強力な支持、
支援の下で新生国家建設の途次にあり、その民主化と安定の達成は現下の米国の対外政策、
エネルギーセキュリティ政策上の最優先課題のひとつである。
わが国の空気とはいささか異なり、米国・欧州社会では、なおテロ攻撃が相次ぐイラクで
本年1月に実施された国民議会選挙に 855 万人の有権者が参加し、アラウィ暫定政府首相
がイラク国民の勝利を宣言したことをイラク民主化への大きな第1歩と位置づけ、また、
先のイラク国民議会の開催を本格政権発足への重要な進展と捉えて前向きに評価し、将来
に向って勇気づけられるものと歓迎している。さらにはイラク国内でも、ある米国 NPO が
最近行った世論調査によれば「国が正しい方向に進んでいる」と回答した人が 61%を超え、
また 56%が国民議会開催に期待を表明したと報じられている。
これらを考え合せれば、第2期ブッシュ政権はこれまでの対イラク政策を大きく変える
ことなく、新政府による国内治安回復、新生イラク国家建設、国内経済再建と国際石油市
場への安定的復帰に向けた極めて息の長いプロセスを、側面から支援し進めて行くことと
なるであろう。
米国のイラク原油輸入状況は前掲の表 6-2-2 に示したとおりである。
9
IEEJ:2005 年 9 月掲載
6-2-5.
シリア
シリアは小なりといえども産油・産ガス国で、25 億バーレルの原油埋蔵量と 50 万 B/D を
超える原油生産能力を有し、8兆立方フィート以上の天然ガス埋蔵がある。それに加え、
1975 年に時のイラクのサダーム・フセイン副大統領が主導し、不仲のシリアを迂回しトルコ
に向け「戦略石油パイプライン」を敷設するまではイラク原油輸出パイプラインがシリア
国内を通過し、地中海沿岸のバニアスが同原油の欧州市場向け積出港となっていた。
シリアはアサド前大統領の長期政権を通じアラブ急進派に属し、米国との間で政治的に
相容れるところは少なかったが、石油上流部門においては 1960 年代末頃から米英石油会社、
油田サービス契約業者、油田機器製造業者などとの接触が始まっていた。これは、その頃
に国内で発見された超重質油田の開発に先進石油会社の技術、ノウハウが必要とされ、ま
た米国製油田機器類の使用が不可欠であったためであった。今もこの状況に概ね変化はな
く、米国独立系石油会社2社が R.D.シェル、ペトロ・カナダとともに生産分与契約操業を行
っている。なお、シリア原油・石油製品の輸出についてはそのほぼ全量が欧州市場向けであ
り、米国向け輸出は下表の如く各年1万 B/D 前後、全体の2%に過ぎない。
表 6-2-3. シリアの対米原油・石油製品輸出の推移
(単位:
1,000B/D)
暦年
原油
石油製品
対米輸出計
総輸出量
対米輸出シェア(%)
2001
2002
2003
3
3
7
7
8
7
10
11
444
438
490
2
2
2
(出所) “World Oil Trade: An Annual Analysis and Statistical Review of International Oil
Movements” 2004 年 9 月
現在のシリアは以前より軍事的、政治的に弱体化しており、アラブ世界においても、対
イスラエル・ボイコットの急先鋒であったかつての威光はない。今や、イスラエルに再挑戦
する力もなく、サウジアラビア、エジプト両国首脳には長年にわたるレバノン軍事支配を
批判され、米国には経済制裁か経済援助かの二者択一を迫られてやむなく、米国のイラク
旧体制派幹部のあぶり出し、テロリスト・グループのイラク潜入阻止に協力している。一方、
シリアのバシャール大統領がレバノン駐留シリア軍の全面撤退を決断し、本年4~5月に予
定されるレバノン総選挙前に撤退を完了する方針を表明したことについては、米国は一応
前向きな評価を示している。
米国による ILSA 型経済制裁のシリア向け発動は、シリアにとっては致命的打撃となる。
何故ならば、現下のシリア石油・天然ガス産業は既述のようにその極めて多くを欧米石油会
社の資金力、米国油ガス田技術、米国製の油田機器類に依存しており、仮に経済制裁によ
ってこれらを失うこととなれば、それは即ち、自国石油・天然ガス産業の機能低下と非効率
化を意味するからである。
10
IEEJ:2005 年 9 月掲載
そうとはいえ、直ちに米国の経済援助に飛びつくことはバシャール大統領の権威に傷を
つけ、現状に不満、反発を抱く軍部を同大統領が抑えきれない事態ともなり兼ねない。従
って、ここ当分の間はアメとムチをちらつかせて譲歩を迫る米国と、何とか経済制裁を回
避したいシリアとの間で、イラク国内安定・治安回復への目に見える貢献、両国情報機関の
隠れた協力、シリア軍のレバノンからの速やかな完全撤退、イスラエルとの講和に向けた
対話の開始、等々をめぐる綱引きが続くこととなろう。
6-2-6.
リビア、アルジェリア
リビア、アルジェリア両国石油・天然ガスの主要市場は西ヨーロッパ諸国であるが、将来
にわたっては、米国への軽質原油、LNG の供給国として比較的重要な地位を占めることと
なると見られている。
アルジェリアは下掲の表が示す如く、既に 20∼30 万 B/D レベルの対米石油供給国であ
る。また、アルジェリアは世界 LNG 輸出産業のパイオニアであり、今後米国の LNG 需要
上昇が予想される中で対米 LNG 供給の一端を担うこととなるものと考えられる。
伝統的にアルジェリアは OPEC 内の急進派、強硬派とされて来たが、実際には、たとえ
ば、対イスラエル・ボイコットが実施された時期にあっても、アルジェリアはアラブ連盟の
一員としてボイコットを原則的に受け入れる姿勢を示す一方で自国利益の赴くままにこれ
を無視し、あるいはすべて承知の上で背反することが度々であった程に柔軟思考派、現実
派である。
アルジェリアの旧宗主国フランスとの関係は今も極めて近い。しかしながら、1971 年か
ら 1980 年代初頭にかけ同国石油・天然ガス産業が労働力のアルジェリア人化、政府による
操業会社への 51%事業参加、ひいては国有化を経験する中で、米国人による要員技術教育
訓練、米国型油田管理方式や米国製の油田機器類の導入が進み、米ア間の距離は想像以上
に縮まっている。従って、アルジェリアは米国にとってつき合い難い相手ではなく、近い
将来にはアルジェリア石油・天然ガス産業への米国石油会社参入の可能性も考えられる。当
面の両国関係にもとくに大きな障害要因は見当たらない。
アルジェリアの対米原油・石油製品輸出の推移は下表に示すとおりである。
11
IEEJ:2005 年 9 月掲載
表 6-2-4.
アルジェリアの対米原油・石油製品輸出の推移
(単位:
暦年
2001
2002
2003
原油
69
148
166
石油製品
182
96
108
対米輸出計
251
244
274
総輸出量
1,288
1,237
1,391
対米輸出
シェア(%)
20
20
20
1,000B/D)
米国石油輸入に
占める比率(%)
2
2
2
(出所)“World Oil Trade: An Annual Analysis and Statistical Review of International Oil
Movements” 2004 年 9 月
リビアはイドリス王政下にあった 1960 年に原油生産を開始して以来西ヨーロッパ向けの
輸出を中心に急成長し、1969 年には西ヨーロッパ市場石油需要の4分の1を供給するまで
に至った。リビア原油が軽質で低硫黄の上、欧州市場までの距離が短いことが急成長の理
由であった。1967 年のスエズ運河閉鎖、1970 年のタップライン爆破の後は、西ヨーロッパ
市場にとってますますその重要性を増した。
リビア石油資源に係る同国と米国の最初の接点は 1956 年、米国独立系石油会社3社合弁
のオアシス石油会社による石油開発利権取得であった。これ以降、石油産業国有化に至る
までの間のリビア石油産業を特徴づけたものはオアシス石油に始まる欧米独立系石油会社
の台頭であり、リビア原油生産量の半量を独立系が占めることとなった。
米国独立系石油会社のリビアにおける活動が活発化して、1960∼70 年代にはリビア原油
の米国市場流入が増大した。しかしながら、米国が「イラン・リビア制裁法」(ILSA)に基づ
いて対リビア経済制裁を実施してからは、両国間に石油・天然ガスの直接取引はない。
リビアについてはその油田ポテンシャルもさることながら、米国の経済制裁撤回発効と
ともにいかに早く、いかに多くの米国石油企業が同国の石油上流部門に復帰、参入できる
かが今後の同国石油産業進展の鍵となるであろう。制裁については、旧パンナム航空機ハ
イジャック・撃墜事件の解決を受け、2004 年に米国議会によってその効力の停止が承認され
た。しかし、それ以前にリビア諜報機関がサウジアラビアのアブダッラー皇太子暗殺未遂
に関わったとの疑惑がこの程明るみに出たことから、現在は制裁解除の具体的適用をブッ
シュ大統領、米国議会の双方が留保しているところである。
6-2-7.
ナイジェリア、西アフリカ産油国
アフリカ大西洋岸のセネガルからナイジェリア、エチオピアを東西に結ぶ線をほぼ北辺
とする「サハラ砂漠以南のアフリカ」
(“Sub-Saharan Africa”)には世界石油埋蔵量の7%
が賦存し、世界石油総生産量の 11%を産出している。とくにアフリカ中央部の大西洋岸は
陸上、海上とも産油・産ガス地域として急成長途上にある。この地域では、米国市場の厳格
12
IEEJ:2005 年 9 月掲載
な石油製品規格に対応できる軽質低硫黄原油を多く産出する上、天然ガスのポテンシャル
も大きいとされ、将来の米国への石油・天然ガスの一大供給市場と期待される。
アフリカ全般のエネルギー問題に関わる米国の政策として、米国は「米国・アフリカ貿易
経済協力フォーラム」
(“U.S.-Africa Trade & Economic Cooperation Forum”)の開催、エ
ネルギー担当閣僚定期会合の活性化などを提唱している。現在国連機能の抜本改革を目指
し動き出している第2期ブッシュ政権にとっては、国連内で最大グループを形成するアフ
リカ諸国の支持、協力の獲得が対外政策上の至上命題であり、今後米国・アフリカ諸国間の
対話は一層深まるものと見られる。
ナイジェリアは 1990 年代以降、米国にとってはカナダ、メキシコ、ベネズエラ、サウジ
アラビアとともに対米石油供給国上位5か国の常連である一方、米国はナイジェリアにと
ってその石油生産量の3分の1以上を引き取る大市場でもある。それに加えてナイジェリ
アの LNG 生産能力増強に伴い、米国 LNG スポット市場におけるナイジェリア産 LNG の
存在感が高まって来ており、米国市場向け積出しが増すにつれ長期ベースの供給も増大し
て行くものと考えられる。これまでのナイジェリアの対米原油・石油製品輸出の推移は下の
表に示すとおりである。
表 6-2-5.
ナイジェリアの対米原油・石油製品輸出の推移
(単位:
暦年
2001
2002
2003
2004
原油
853
604
979
938
石油製品
49
38
61
n.a.
対米輸出計
902
642
1,040
n.a.
総輸出量
2,158
1,873
2,139
n.a.
対米輸出
シェア(%)
42
34
49
1,000B/D)
米国石油輸入に占
める比率(%)
7
5
7
(出所)“World Oil Trade: An Annual Analysis and Statistical Review of International Oil
Movements” 2004 年 9 月 (2004 年については「中東研ニューズリポート」2005 年 2 月 22 日)
米国・ナイジェリア関係は概して良好である。2003 年春以来、ニジェール河デルタ周辺の
産油地帯において民族紛争が激化し、シェブロン・テキサコ、シェルなどの石油操業会社が
生産操業を停止し要員を引き揚げる事態となり、治安が極度に悪化、パイプライン中の石
油の違法抜き取りが頻発した。ナイジェリア政府との安全保障協力協定に基づいて米国が
海軍艦船3隻をニジェール・デルタ沖合に派遣し、政府による紛争沈静化と石油抜き取りの
阻止に協力した。連邦政府と各州政府間の協議を通じて現在は紛争が収拾され、石油・ガス
操業は徐々に旧に復しつつある。
米国はナイジェリアの外、西アフリカ産油国の中ではアンゴラ、ガボンから両国合せて
各年 50∼60 万 B/D の石油を輸入しており、両国にとっては、米国はそれぞれの石油輸出
13
IEEJ:2005 年 9 月掲載
量のおよそ半量を常に引き取る大顧客である。アンゴラ、ガボン両国の対米原油・石油製品
輸出の推移は下表に示すとおりである。
表 6-2-6.
アンゴラ、ガボンの対米原油・石油製品輸出の推移
(単位:
暦年
原油
アンゴラ
石油製品
対米輸出計
総輸出量
対米輸出
シェア(%)
1,000B/D)
米国石油輸入に
占める比率(%)
2001
2002
2003
ガボン
336
348
389
11
13
14
347
361
403
678
798
894
52
45
45
3
3
3
2001
2002
2003
182
176
203
-
182
176
203
323
324
337
56
54
60
2
1
1
(出所)“World Oil Trade: An Annual Analysis and Statistical Review of International Oil
Movements” 2004 年 9 月
アンゴラの石油上流部門にはエクソン・モービル、シェブロン・テキサコ、コノコなどの
米国企業が参入し、将来有望とされる海洋大水深域、超大水深海域の開発に取り組んでい
る。これらはいずれも石油の発見のみならず、将来の LNG 生産、対米輸出を見込んだ大型
天然ガス田の開発を視野に入れていると見られる。一方ガボンについては、R.D.シェル、
トタールを中心に油ガス田開発生産が行われており、同国においても今後の海洋大水深域、
超大水深海域の開発推進が見込まれる。
なお、アンゴラ、ガボンなど、ナイジェリア以外の西アフリカ地域からの石油・天然ガス
輸入の増大については、米国にとって新しいソースへの供給源分散という通常の考え方に
加え、エネルギー供給源の非イスラム圏へのシフトという意義もあるとする見方が現在の
米国内には多い。
6-2-8.
中東和平
エネルギーと直接の関係にはないが、中東和平に関連するブッシュ政権の政策に簡単に
ふれることとする。何故ならば、今後とも湾岸産油国によるエネルギー供給が米国のみな
らず、世界のエネルギー消費国の国益に関わる存在であり続けると見られる中で、中東和
平の成否が湾岸諸国を始め、アラブ・イスラム世界全体の平和と安定に大きく影響し得るか
らである。
ブッシュ大統領およびその周辺の中東和平に対する考え方の根本には、
「貧困が撲滅され
自由と民主主義が根付けばテロリズムを生む土壌も消え平和と安定が芽生える」との信念
14
IEEJ:2005 年 9 月掲載
があるとされる。このことを背景に、未だブッシュ政権第2期の中東和平に向けての政策
内容が具体的にはよく見えて来ない中で、少なくとも現在知られる範囲において以下のこ
とがいえるであろう。
・ ブッシュ大統領が 2004 年初頭に明らかにした、中東に自由と進歩を広めようとする
「大中東イニシアチブ」
(“Greater Middle East Initiative”)が今後への伏線
・ 中東和平実現はブッシュ政権第2期対外政策の重点項目のひとつ
・ 第2期の4年間にパレスチナ国家を樹立することを目標
・ 現在進行中のイスラエル・パレスチナ対話を支持、支援
・ 中東和平会議の開催を提唱する英国と緊密に連携
・ 現下の対イラク政策を継続、成功させることで中東和平に弾みをつける
ところで、必ずしも中東だけをターゲットとした訳ではないが、米国では本年3月初め、
下記概要による「民主主義促進法案」を一部議員が議会上下両院に提出し、中東問題関係
者の間に波紋が広がっているとされる。
・ 対象国を、(1)完全に民主的、(2)部分的に民主的、(3)非民主的、に三分類した上で「民
主主義報告」を毎年作成し議会に提出するよう国務長官に義務づける
・ 「非民主的」国家について各国別の行動計画を策定する
・ 「非民主的」国家に対しては、当該国内の反体制活動、民主化運動を米国政府が支援
することを許可する
このところ影を潜めていた、「米国型民主主義の中東社会への移植」といった露骨なまで
の「民主化」志向がまた頭をもたげつつあるかのような、国際社会では物議をかもし兼ね
ない内容ともいえるが、今夏までに成立するとの見通しが一部にあるとされる。
6-3 対西半球政策
6-3-1 米州関係概観
米国は西半球、特に中南米地域に対し、伝統的に特殊な利益を認めてきた。1823 年、モ
ンロー大統領は、米州と欧州の諸国間・国内問題に対する相互非干渉主義、非植民地主義を
旨とする「モンロー主義」を宣言し、以降これが米国外交の伝統的政策の一つとされた。
モンロー宣言以後、米国は中南米の植民地独立運動を支持する一方で、1830 年代にテキサ
スを争った米墨戦争や、1900 年代初頭に独立したキューバ、パナマ両国の保護領化など、
領土的拡張を遂げた。また、独立後の中南米諸国は自由主義経済思想に基づき、外国資本
の積極的な導入による近代化、経済建設を追求したため、第 1 次世界大戦までには既にメ
キシコ、カリブ海及び中米諸国に大量の米国資本が流入し、各国の寡頭勢力と結びついて
15
IEEJ:2005 年 9 月掲載
事実上国家を支配していた。米国の政治・経済両面での進出に対し、知識人や中間層、労働
者の間では反米感情が高揚し、1920 年代には各地で反米闘争が拡大する。その最も急進的
な動きとして、メキシコでは 1910 年に米国資本と癒着して腐敗した独裁政権に対する革命
が勃発し、革命後の 1917 年に発布された憲法は土地・地下資源・水の国家所有を宣言、さら
に 1938 年には石油の国有化を行った。
世界恐慌後の 1933 年、米国は米州諸国相互間の「非干渉宣言」を採択し、善隣友好外交
へと政策を転換する。この背景には、米国経済建て直しのために中南米に展開する米軍の
縮小と中南米諸国との貿易拡大に迫られたこと、欧州では全体主義が台頭し、列強による
中南米への干渉の危険が増したことが挙げられる。やがて第二次世界大戦が勃発すると中
南米諸国の多くは連合国側へ参戦し、政治的支持と引き換えに米国は中南米諸国の社会基
盤整備を支援した。第二次世界大戦中には米国や欧州からの工業製品供給減少に伴い、中
南米諸国で輸入代替工業化が図られ、都市人口が増加した。
戦後、対ソ冷戦が深まる中で、キューバ革命(1959 年)までの 10 年余、米国の関心は欧州
やアジアにおける共産主義封じ込めへと移り、中南米諸国の期待とは裏腹にこの地域への
援助は削減された。中南米諸国では不平等な土地所有構造や外国資本による経済支配、貧
富の格差の拡大や人口爆発に伴う都市のスラム化への不満が高まり、1950 年代以降各国で
急進的な社会改革が追求された。大規模農場や鉱山、石油産業が相次いで国有化され、ま
た基礎産業において国営企業が設立され、政治的には、社会主義の波及を恐れた米国の支
援を受けて多くの国で親米軍事政権が誕生した。中東産油国のオイルマネーの米系金融機
関を通じた流入も寄与して、1960∼70 年代には高い経済成長率を達成した。しかし、第 2
次石油危機後の先進国経済の不況、インフレ抑制を目的とした金利の上昇、一次産品価格
暴落等により 1980 年代には累積債務危機に陥り、経済政策の失敗と人権抑圧で正当性を失
った軍事政権は 1979 年以降相次いで民政に移行して行く。経済危機への打開策として受け
入れた IMF・世界銀行の構造調整プログラムの重要な柱の一つが国営企業の民営化であり、
1990 年代以降、多くの中南米諸国で民営化、外国資本への開放を進めてきている。
一方カナダは、中南米諸国のように露骨な内政干渉こそ受けなかったが、貿易・投資面
での米国市場への依存と米国の大衆文化の浸透により、恒常的にナショナル・アイデンテ
ィティを脅かされてきた。カナダの英領自治領としての独立は 1867 年のことであるが、既
にカナダは先住民、フランス系移民、イギリス系移民、1776 年のアメリカ独立に伴いカナ
ダに移住した王党派(独立反対派)のイギリス系アメリカ人、南北戦争前後にアメリカから移
住した黒人奴隷と欧州各国からの移民から成る多民族国家となっていた。これら民族の分
布と、自然環境や保有する資源に起因する経済構造の特徴がカナダを構成する 10 州と 3 つ
の準州を特徴付けており、現在に至るまで州の自律志向の強い政治風土となっている。
16
IEEJ:2005 年 9 月掲載
第二次世界大戦後、米国が超大国として出現すると、カナダは豊富な天然資源を保有す
る中級国家、いわゆる「ミドルパワー」として独自の外交を追求したが、冷戦構造下で軍
事的な貢献をなし得ない以上、米国の戦略に従わざるを得なかった。経済的にも、外貨不
足を補うべく米国からの投資に期待し、また米国もカナダの豊富な天然資源に目をつけ積
極的に投資を行ったため、1960 年代初めにはカナダの鉱業、製造業の 5 割強が米国資本に
支配されるに至った。米国企業の生産拠点として生産規模や雇用、技術開発の決定権を米
国の本社に握られた状況はカナダ政府の憂慮するところとなった。経済的・外交的独自性
を確保するために、カナダ政府は開発公社(1971 年)、外国投資審査庁(1973 年)、石油公
社(1974 年)を設立し、カナダ資本の石油・ガス企業を優遇してエネルギー産業の自国化
を図る「国家エネルギー計画(1980 年)」を導入した。一連の政策によっても米国への貿易・
投資依存度は高まる一方であったが、1980 年代に入り、米国が石油危機後の不況で保護主
義に転じると、米国からの投資、米国市場へのアクセスを維持するため、カナダは一転、
米国との更なる経済統合推進へと政策を転換し、1989 年の米加自由貿易協定締結に至る。
米州では現在、上記米加自由貿易協定にメキシコを加えて 1994 年に締結された北米自由
貿 易 協 定 (NAFTA) を は じ め 、 米 州 機 構 (OAS) 、 リ オ ・ グ ル ー プ 、 南 米 南 部 共 同 市 場
(MERCOSUR)、アンデス・グループ、中米共同市場、カリブ共同体(CARICOM)、グループ
3 などの地域機構が重層的に組織されている。米州における地域統合の試みは、古くは欧州
列強及び米国からの安全を求めて中南米諸国が集ったパナマ会議(1826 年)や米州諸国会議
(1889 年)にまで遡る。現存する地域機構の中でも、NAFTA と、反共軍事同盟として設立さ
れキューバを除く全ての米州諸国が加盟する OAS を除く全ての地域協力枠組みは、中南米
諸国による経済的自立のための試みである。これらの地域機構を包摂する地域協力の枠組
みとして、1998 年には米州自由貿易圏(FTAA)の設立が合意され、2005 年内の完了を目指
して米国主導の下で交渉が行われている。
以上のように、米州諸国は米国にとって最も重要な経済圏であり、それ故に歴史を通じ
て米州諸国政府の経済政策は常に米国の経済、世界戦略の影響を受けてきた。ブッシュ政
権下での米国の対米州政策は、NAFTA の枠組みを拡大して自由な貿易・投資を促進するこ
と、中南米諸国の政治的民主化と経済的自由化(含む民営化)を支援すること、及び麻薬取引
やテロのような犯罪対策で協力を深めることにある。対する米州諸国は、自由貿易・投資や
経済における民間の役割といった米国の唱導する価値を基本的には認めながらも、自国の
経済、資源に対する主権の維持と、各国の発展段階に適した自由化のペースを確保するこ
とが、対米経済政策の重要な柱となっている。
エネルギー分野についてみると、1970 年代以前は、米国を含む全ての国において自国の
エネルギー産業に対する保護政策を採ってきた。1980 年代後半以降自由化が進展してきた
17
IEEJ:2005 年 9 月掲載
ものの、多くの中南米諸国においては依然として石油・ガス・電力産業が基幹産業として国
家の独占の下に置かれている。これに対し米国は、各国のエネルギー開発及び国内供給サ
ービス、貿易への外資を含む民間企業参入の機会を求めてきたが、エネルギー産業におけ
る国家の優先的地位は基本的に尊重する立場を取っている。この背景には、米州諸国が重
要な貿易相手かつエネルギー供給源であり、各国のエネルギー産業が効率的に管理・運営さ
れることは米国自身のエネルギーセキュリティにも資すること、そして開発途上国の場合、
民間部門よりも国家の方が有能な人材を供給し易いことがあると考えられる。
米国にとって、エネルギー面での米州諸国の重要性は今後一層高まるものと考えられる。
それは第 1 に、カナダ、メキシコとのエネルギー市場統合が進み、エネルギー需給および
インフラの安定性を一国のみでは確保し得ないことによる。第 2 に、米国内の石油・ガス生
産が衰退し、中東産油国は政治的安定を欠き、北海油田の生産量も衰退へと向かう中で、
米州諸国は重要な石油・ガス供給源として期待される。第 3 に、近い将来において米国内の
石油精製能力、LNG 受入能力不足と石油製品、ガスの需給逼迫が続くことが予想されるな
か、米国市場に石油製品、ガスを供給する中継基地としての重要性が高まる可能性も考え
られる。こうした米州諸国とのエネルギー関係を考える上で、カナダ、メキシコ、ベネズ
エラは特に重要な国であるため、以下では、これら 3 カ国とのエネルギー関係について述
べる。
6-3-2 カナダ
米加間の石油貿易は、第二次石油危機後の 1981 年を境にカナダから米国向けの原油輸出
が年々増加し、石油製品輸出も 2000 年以降増加傾向にある。米国の総輸入中、カナダは
1995 年以降一貫して原油輸入の約 15%、製品輸入の約 20%を占めている。天然ガスにつ
いても、米国のガス利用の拡大に伴いカナダからの輸入は 1986 年以降飛躍的に拡大してき
た。米加間のガスパイプライン輸送能力の制約に加え、アルジェリアやトリニダード・トバ
ゴ等からのガス輸入が拡大したため、米国の総輸入量に占めるカナダのシェアは近年低下
傾向にあるものの、2003 年時点で依然として 87%を占めている。
これを貿易額の面からみると下表のとおりである。カナダは 2004 年時点で輸出収入の
85%を米国市場に依存しているが、対米輸出の中でも自動車・自動車部品が 20%を構成す
る最重要の輸出財である。原油・石油製品と天然ガスは自動車に次いで各 10%、8%を構成
している。一方、カナダは輸入の面でも米国に 60%を依存しており、原油・石油製品と天
然ガスは上位 25 品目に含まれる。カナダの主力原油・天然ガス生産地域であるアルバータ
州から米国向けに石油、ガスを輸出し、米国北東部からカナダ東部へ再輸入しているため
であり、カナダが国内を横断する石油・ガスパイプラインを持たないので、この貿易構造
は不可避である。
18
IEEJ:2005 年 9 月掲載
米加間のエネルギー貿易としては他に、主に東部地域における電力貿易と、米国からカ
ナダへの石炭輸出、カナダから米国へのウラン輸出が行われている。
図 6-3-1 対カナダ石油・ガス貿易量の推移
(千 B/D)
(bcf/ 年)
1800
4000
1600
3500
1400
3000
原油輸入
1200
天然ガス 輸入
2500
1000
2000
800
1500
600
製品輸入
1000
400
200
500
0
0
天然ガス 輸出
1973
1978
1983
1988
1993
1998
1973
2003
1978
1983
1988
1993
1998
2003
(出所)米 EIA
表 6-3-1 米-カナダ間貿易額の内訳
カナダ,輸出(in current million US dollars)
1995
1998
2001
2002
2003
世界計
191,061 214,727 260,958 252,413 271,748
対米国
151,348 181,999 227,161 219,929 233,100
自動車/部品
34,562
40,528
46,920
48,561
48,666
石油/製品
7,557
6,353
11,567
16,831
21,531
ガス
4,115
6,047
16,529
11,691
18,611
電力
864
1,079
2,724
1,154
1,321
カナダ,輸入(in current million US dollars)
1995
1998
2001
2002
2003
世界計
164,315 201,202 221,581 222,147 239,709
対米国
109,772 137,273 140,972 139,104 145,384
自動車/部品
23,519
29,193
28,464
31,935
33,242
石油/製品
―
―
―
654
838
ガス
33
67
178
420
1,291
電力
55
204
1,167
314
758
2004
316,044
267,512
54,295
27,242
20,780
1,502
2004
272,929
160,477
34,751
1,029
1,965
825
(出所)カナダ産業省 Web
米加間のエネルギー貿易・投資関係は、1989 年の米加自由貿易協定及び同協定を継承し
た 1994 年の北米自由貿易協定(NAFTA)により規定されている。米加自由貿易協定(以下、
協定)では、関税の段階的撤廃や価格決定・税制面での内国民待遇、国内産業保護を目的と
した輸入制限措置の相互適用除外といった一般的規則の他に、エネルギーに関して以下の
19
IEEJ:2005 年 9 月掲載
項目が合意された3。
① エネルギー輸出を抑制する場合の慣習的輸出比率の維持
国内供給不足や資源保護、価格統制、国家安全保障を目的とした輸出制限は GATT(貿
易と関税に関する一般協定)上認められた権利である。しかし協定では、国家安全保障
以外の理由によりエネルギー輸出の制限を行う場合、過去 36 ヶ月の総供給量に占める
相手国への輸出量の比率を維持しなければならない。即ち、相手国への輸出量と同率で
国内消費や第三国への輸出量を削減しなければならない。これは、カナダのエネルギー
セキュリティ政策の放棄であるとしてカナダ国内で反発が強かった項目であるが、カナ
ダが米国市場へのアクセスを確保する代償として米国への供給保証義務を負うもので
ある。
② カナダの外資規制緩和からのエネルギー部門の除外
既述のとおりカナダは 1973 年に外国投資審査法を制定し産業の自国化を図っており、
一定規模以上の外国直接投資に対する審査は外国投資審査法に代わって 1986 年に制定
された投資法の下でも継続された。協定は米国の対カナダ投資に対する審査基準の緩和
を含んだが、エネルギー部門については適用除外とし、「フロンティア地域の開発許可
にはカナダ資本の 50%以上の参加を要する」、といった規制の継続が認められた。
NAFTA を通じて、カナダは米国との間で単一エネルギー市場を作り上げると同時に、エ
ネルギー部門投資については保護主義的措置の継続を認められたわけであるが、背景には、
カナダにおける活発な探鉱開発活動の支援は米国のエネルギーセキュリティ上も関心事で
あり、カナダ企業が巨額の開発投資を行える投資環境を提供するとともに、投資不適格な
企業がカナダのエネルギー部門に参入することを米加協力の下で防ぐ意図が働いている4。
このように米加間では既に枠組みが存在するために、ブッシュ政権下の対カナダエネル
ギー政策として挙げられるものは特段見当たらないが、米国の対外エネルギー関係の中で、
カナダとの間で現時点で関係が生じ、カナダ政府にとっても関心が高い内容としては、以
下の 4 点が挙げられる。
① 電力供給の信頼性確保
2003 年 8 月の北米大停電を受けて、米加は合同委員会を設置して停電の原因調査を実
施し、送電業者の電力信頼度義務に法的拘束力を付与する条項が米国のエネルギー政策
法案に追加された。電力サービスの信頼度の監督に当たる北米電力信頼度協議会
3
カナダでは国家エネルギー計画(1980 年)に基づき、国内供給確保のために石油輸出には輸出許可が必要
とされた。また低い国内石油価格と国際価格の差額が輸出税により調整されていたが、米国が保護主義に
傾く中で米国市場のアクセスを維持するため、米加自由貿易協定に先立つ 1985 年には連邦政府と石油産出
州が輸出税撤廃、輸出許可制度の縮小から成る西部協定を締結し、石油輸出が自由化されていた。
4 例えば中国の石油企業がカナダエネルギー部門への参入を図る場合には、中国側が国営企業であること
から市場を反映した公正な価格形成が阻害される可能性が懸念されている。
20
IEEJ:2005 年 9 月掲載
(NERC)にはカナダの送電業者をも含むため、同法案が成立すればカナダでも法的な対
応を迫られる可能性が生じる5。
② アラスカ・ガスパイプライン計画
アラスカ州 Prudhoe Bay から米本土 48 州への天然ガスパイプラインのルートは、
2004
年 10 月に法人税法、国防予算関連法に盛り込む形で成立したアラスカ・ガスパイプライ
ン法により、ユーコン州を通過するルートがほぼ確実となった模様であるが、このこと
はカナダ、マッケンジーデルタのガス開発計画に対し、競合する供給源の出現を意味す
る。マッケンジーデルタの天然ガスは従来、同州に豊富に賦存するオイルサンドから原
油を抽出する際の動力源として利用される計画であったが、最近の技術開発によりビチ
ュメンや原子力発電を動力源とするオイルサンドの処理が可能になり、マッケンジーデ
ルタの天然ガスの米国向け輸出が構想されている。
③ 米国の LNG 輸入計画
米国では天然ガス供給不足を LNG 輸入によって補うべく、40 件近い LNG 受入基地の
建設が計画されている。米加間の供給と市場アクセスの相互保証により、米国の LNG
輸入の拡大はカナダからの天然ガス供給の重要性を損なうものではないが、LNG 輸入
が急激に拡大すれば米国内のガス需給が緩和し、ガス価格への低下圧力として働く可能
性がある。ただし米国では、受入基地の環境負荷、安全性への懸念から周辺住民の同意
を得られず基地建設が進まないのが実情である。これを奇貨として、カナダでは現在、
東海岸に米国北東部向け供給を目的とした 2 件の LNG 受入基地建設を計画している。
④ 石油・ガス探鉱開発促進
ブッシュ政権はエネルギー政策法案を通じて、アラスカやメキシコ湾、フロリダ沖、カ
リフォルニア沖及びロッキー山脈地域における石油・ガス探鉱開発の促進を図っている。
カナダにとって、米国における探鉱開発活動拡大の成否は、米国の供給源多様化、米国
内石油・ガス価格低下が懸念され、今後の拡大が期待されるカナダのオフショア開発に
も影響を及ぼし得る。
6-3-3 メキシコ
米国にとってメキシコは、カナダに次ぐ第 2 の貿易相手国であり、エネルギー面では原
油輸入の 16%をメキシコが供給している。政治的にも安定し、信頼できる供給源である。
現在、米国向け供給を目的とした LNG 受入基地建設が計画されており、今後は天然ガス輸
入の中継基地としての役割をも担うことが期待されている。後述するようにメキシコは石
油・ガス・電力産業の国家独占体制から、段階的な民営化を行う途上にある。フォックス現
大統領の経済政策は自由化路線であり、ブッシュ政権にとって好ましい政治的環境にある
といえよう。しかしメキシコでは 2006 年に大統領選挙が予定されている。最近行われた議
5
電力信頼度の問題については第 5 章 5-2-5 を参照のこと
21
IEEJ:2005 年 9 月掲載
会選挙では与党国民行動党(PAN)は多数議席を確保できず、野党の制度革命党(PRI)や共産
党系の民主革命党(PRN)が議席数を伸ばした。米国にとって、次期大統領が民主主義強化、
自由主義による安定的成長の路線、を継承するかどうか、去就が注目されるところである。
米墨間のエネルギー貿易の状況は以下の通りである。メキシコ中央銀行によれば、2004
年のメキシコの総輸入 1971.6 億米ドル中 56.2%、総輸出 1886.3 億米ドル中 87.6%が対米
貿易であった。一方米国側の統計によれば、両国間の貿易額は下表のように推移してきた。
表 6-3-2 米-メキシコ間貿易額の内訳
米国,輸出(in current million US dollars)
1995
1998
2001
2002
2003
2004
世界計
583,046 682,138
729,100
693,257
723,743
817,936
対メキシコ
46,311
78,772
101,296
97,531
97,457
110,775
自動車/部品
4,262
7,628
10,534
11,988
12,504
14,304
石油/製品
0
0
0
1,631
1,563
2,128
米国,輸入(in current million US dollars)
1995
1998
2001
2002
2003
2004
世界計
743,543 911,896 1,140,999 1,163,549 1,259,396 1,469,671
対メキシコ
62,101
94,629
131,338
134,732
138,073
155,843
自動車/部品
10,258
15,750
24,962
24,734
23,819
24,389
石油/製品
5,826
4,988
9,445
11,500
14,428
17,999
(出所)カナダ産業省 Web
米墨間の石油貿易を量的な面から見ると、米国の対メキシコ原油輸入は 1980 年代前半の
米国の不況期を除き、一貫して増加してきた。1995 年以降、メキシコは米国の原油総輸入
量の約 16%を供給している。
図 6-3-2 米国の対墨石油輸入量の推移
(千 B/D)
1800
1600
1400
1200
1000
800
原油輸入
600
400
200
製品輸入
0
1973
1977
1981
1985
1989
(出所)米 EIA
22
1993
1997
2001
IEEJ:2005 年 9 月掲載
一方石油製品については、米国の製品輸入量のうち、メキシコは約 2%を供給している。
製品輸入が消費量に占める比率は 7%であり、メキシコからの製品輸入はごく僅かであると
言える。また、米墨間の天然ガス取引は、1995 年にメキシコでガス輸出入が自由化された
ことに伴い近年米国からのガス輸出が急拡大しているものの、輸出入とも依然として少量
に留まっている。この他、米墨間では送電網が接続され、電力取引も行われているが、こ
れも量的にはごく僅かである。
メキシコは 1994 年に米加自由貿易協定を拡大させた北米自由貿易協定(NAFTA)を締結
し、貿易・投資に関して米加自由貿易協定と同等の、関税の段階的撤廃や価格決定・税の面
での内国民待遇、国内産業保護を目的とした輸入制限措置の相互適用除外といった義務を
負っている。しかしエネルギー部門に関しては、NAFTA はメキシコに対し、例外的に以下
のような保護主義的措置を認めている。
① 石油・ガスの探鉱開発、精製、基幹石油製品の生産、石油・ガス・基幹石油製品の輸出、
パイプラインの操業、公共事業としての国内電力供給サービス、及び原子力発電と核廃
棄物の処理等の活動における、国営企業の独占体制の維持を認める
② メキシコから米加両国に対し、エネルギー輸出を抑制する場合の慣習的輸出比率維持の
義務を免ずる
一方で、NAFTA に含まれる政府調達(政府機関による商品・サービスの購入)規則の自由化
により、国営石油会社 PEMEX の調達契約のうち 50%が即時米国企業へ開放され、残りの
政府調達契約も 2002 年までに米加両国企業へ解放されることとなった。この結果、米加両
国企業が PEMEX から石油・ガス探鉱開発のサービス契約を受注できることとなった。石
油・ガスサービス会社が契約上の目標を上回る成果を達成した場合の、ボーナスの支払いも
定められた。さらに天然ガス下流部門が自由化され、ガスの輸送、貯蔵、配送、輸出入に
民間企業が参入できるようになった。これらの措置により、増大するメキシコのエネルギ
ー需要(石油製品、電力及び電源としての天然ガス需要)に対応すると同時に石油輸出拡大を
図るため、外資の協力を得ての石油・ガス生産能力拡大への道が開かれたといえる。
以上のように、条約上はメキシコのエネルギー産業は米加両国から遅れを取りながらも
自由化、市場開放の方向へ向かいつつある。現政権も経済自由化を推進する立場ではある
ものの、メキシコでは地下資源に対する国家主権を防衛しようとする意識が強く、議会の
反発等もあってエネルギー部門改革の進展は一進一退である。米国はメキシコに対して、
将来的には米加自由貿易協定と同等の水準にまで経済自由化を進めることを期待しており、
今後も米墨間では自由化の範囲と速度を巡る議論、対立が生じ得る。そしてまた、メキシ
コにおけるエネルギー産業を含む経済自由化のプロセスは、ブッシュ現政権が米州諸国と
の間で推進している二国間自由貿易協定や米州自由貿易地域構想の先例として、米州の全
23
IEEJ:2005 年 9 月掲載
ての国が注視するところである。
自由化・外資導入の他に、米国の対外エネルギー関係の中でメキシコとの間で現時点で関
係が生じ、メキシコ政府にとっても関心が高い内容としては、以下の 2 点が挙げられる。
① 米国の LNG 輸入計画
現在メキシコでは 4 件の LNG 受入基地建設が計画され、うちバハカリフォルニア州の
太平洋岸に立地する 2 件は米国へのガス供給を目的としている。米国西海岸では環境負
荷、安全性への懸念により住民の同意が得られず基地建設が進まないため、同地が選ば
れたものである。メキシコ政府は産業振興、雇用創出の狙いもあって計画を承認した。
② 電力供給の信頼性確保
カナダの場合と同様、電力サービスの信頼度の監督に当たる北米電力信頼度協議会
(NERC)はメキシコのバハカリフォルニア州の一部地域を対象に含んでいる。このため、
エネルギー政策法案が成立すればメキシコにおいても国内制度の調和を求められる可
能性がある。ただし、メキシコにおいては電力供給サービスはほぼ国営電力会社 CFE
(Comision Federal de Electricidad)の独占となっているため、影響はカナダに対するよ
りも軽微であると考えられる。
6-3-4 ベネズエラ
ベネズエラは、1958 年に大統領選挙が行われ、民主政治の基盤が築かれた後、中南米諸
国には珍しく二大政党の間で選挙による平和的な政権授受が行われる民主制度を維持して
きた。1990 年代には石油産業をも含め、積極的な外資導入政策を採り、原油生産量を増や
した。一方米国では、1990 年代には石油産業の自由化が進み、石油企業は厳しい競争を勝
ち抜くためにリストラの一環として余剰精製・在庫能力を削減してきた。この過程で、米国、
特にメキシコ湾岸の製油所は、輸送距離が短く、安定的に供給されるベネズエラ原油への
依存を高め、重質のベネズエラ原油に対応して設備高度化を進めてきた。しかし、後述す
るように 1999 年に就任したチャベス大統領の下でベネズエラからの原油供給の安定性が失
われており、ブッシュ政権にとって、自己の権限強化を図るチャベス大統領の行動と国内
反体制派の対応、2007 年 1 月に任期が満了するチャベス大統領の後継問題はエネルギーセ
キュリティ上重要な懸案である。
米国の対ベネズエラ貿易は一貫して米国の入超であり、輸入額に占める石油・石油製品の
比率は 2004 年には 90%にも達した。米国のベネズエラからの原油輸入量は 1980 年代半ば
以降増大し、1997 年にはピークとなる 139 万 B/D に達し、米国の原油総輸入量のうち 17%
を占めるに至った。しかし 1999 年に政権に就いたチャベス現大統領は、それまでの OPEC
生産枠を大幅に超過した原油生産・輸出拡大、市場シェア確保政策から生産枠遵守、価格防
衛へと方針を転換した。その結果、米国の輸入量も 1999 年には前年比 16%減少し、以後
OPEC 増減産に従って変動しつつ、米国の総輸入量のうち 14%程度を供給している。石油
24
IEEJ:2005 年 9 月掲載
製品についても、2000 年以降減少し、米国の石油製品輸入増とあいまって総輸入量に占め
るベネズエラの比率は 1999 年の 16%から 2002∼2004 年には 8%へと低下している。
図 6-3-3 米国の対ベネズエラ石油輸入量の推移
1600
(千 B/D)
1400
1200
原油輸入
1000
800
600
製品輸入
400
200
0
1973
1977
1981
1985
1989
1993
1997
2001
(出所)米 EIA
表 6-3-3 米-ベネズエラ間貿易額の内訳
米国,輸出(in current million US dollars)
1995
1998
2001
2002
2003
2004
世界計
583,046 682,138
729,100
693,257
723,743
817,936
対ベネズエラ
4641
7,628
5,642
4,447
2,840
4,782
米国,輸入(in current million US dollars)
1995
1998
2001
2002
2003
2004
世界計
743,543 911,896 1,140,999 1,163,549 1,259,396 1,469,671
対ベネズエラ
9,764
9,181
15,250
15,108
17,144
24,962
石油/製品
6,049
8,328
10,508
13,370
15,342
22,514
(出所)カナダ産業省 Web
このようにベネズエラからの原油・石油製品輸入が減少した要因として、OPEC 生産枠の
遵守と並んで重要なのが、チャベス現政権下での政情不安である。
チャベス大統領は、資源に対する国家主権と基幹産業に対する政府の統制を重視する民
族主義者である。また、支持基盤が国民の約 3 割を占める最貧層、未組織労働者であり、
社会保障の充実、富の公平な分配を強調するポピュリストでもある。この結果、チャベス
政権の政策は特権的な利益・保護を受けている国内大企業や労働組合を冷遇する傾向があ
るが、外国資本に対しては国内資源の経済の効率的な開発・利用に必要な場合、かつ主権を
侵されない限りにおいて重視している。チャベス大統領は就任後、従来高度な専門性を備
えた人材を擁し、政治からは距離を置いて自律的な経営を認められてきた国営石油会社
25
IEEJ:2005 年 9 月掲載
PDVSA の人事に介入し、より自らの影響力行使が可能な総裁、役員を任命した。また、炭
化水素法を改正し、超重質油を除く石油探鉱開発プロジェクトの契約条件を外資を含む民
間企業にとって著しく不利な方向に改定した6。このような政策に反発して 2002 年 4 月に
は PDVSA がストライキを行い、チャベス大統領の退任、暫定政権成立とチャベス大統領
の復権という政変にまで発展した。また、2002 年 12 月にはチャベス大統領の信任を問う
国民投票実施要求運動が高じてゼネストに突入した。石油産業も例外ではなく、原油生産、
精製、輸出が 2 ヶ月間に亘ってほぼ停止した7。この結果 2002 年のベネズエラの原油・石油
製品輸出は前年比 1 割近くも減少したが、チャベス政権はゼネストに参加した PDVSA 職
員の解雇で応じたため、熟練労働者や経営に関する高い専門性を有する人材が大量に失わ
れ、PDVSA の原油生産能力は 2002 年 3 月現在に至るまで 2002 年 4 月の 7 割程度の水準
にある。
一連の政治的混乱の間、米国は 2002 年 4 月に成立した暫定政権に対しては承認を与えな
い、2002 年 12 月のゼネストに際しては中南米諸国とともに早期解決を呼びかけるなど、
努めて干渉を避けてきた。しかしながら、2003 年 8 月に遂に反対派の要求どおり国民投票
が実施され、チャベス大統領が信任された後も大統領と米国との関係は改善せず、次に述
べるように反米的な外交姿勢を継続している。
チャベス大統領は、政権についた 1999 年にはイラク、リビアを訪問し、翌 2000 年には
キューバとの間で石油供給協定を締結する等、米国が「ならず者国家」として敵視する国
との間で活発な外交を展開した。また、原油輸出の 9 割、製品輸出の 4 割が米国向けとい
う、米国への極端な依存から脱するため、カリブ海島嶼国との原油・石油製品の値引き販売
に関する予備協定締結(2004 年 7 月)、イランとの経済協力協定締結(2004 年 8 月)、ブラジ
ルとのエネルギー開発を巡るアライアンス締結(2005 年 2 月)、インドとの石油・ガス協定締
結(2005 年 3 月)など、石油輸出先の多角化及び資源開発面での協力関係の構築を活発化さ
せている。
こうした一連の米国離れを示唆する石油外交の中でも特に米国政府の懸念を煽ったのが、
2004 年 12 月に中国との間で締結したエネルギー協力協定である。同協定は、中国企業の
ベネズエラ国内の油田開発への参入と、中国によるベネズエラ国内への製油所建設を認め
ると同時に、12 万 B/D の中国向け石油輸出を含むものであった。また、チャベス大統領は、
太平洋市場へのアクセス確保のため、パナマを横断するパイプラインを建設する計画を明
6
この他に広大な土地を所有する富裕層をターゲットにした土地法の改定、中央銀行の独立性を減じる中
央銀行法改定などを実施した。
7 PDVSA は当初ストライキには慎重であったが、
港湾労働者のストライキにより原油・製品輸出が停止し、
貯蔵能力の不足により原油生産、精製に支障が出るに至って PDVSA もゼネスト参加に踏み切った模様で
ある。
26
IEEJ:2005 年 9 月掲載
らかにした。ベネズエラと中国の接近は、近年の原油輸入急増を背景に中東、アフリカ等
で次々と油田開発プロジェクトに参入している中国が、伝統的に米国の勢力範囲とみなし
てきた中南米についに進出してきた、という意味でも米国にとって衝撃的な出来事であり、
2005 年に入って米上院エネルギー委員会が、ベネズエラからの石油供給が途絶した場合の
影響に関するスタディを実施するに至った8。
以上のように、1998 年以前は米国にとってカナダ、メキシコと並んで安定的な石油供給
源であったベネズエラは、チャベス政権の登場とともに供給安定性が低下し、特に 2002 年
12 月以降は米国の石油供給上最大の不安定要因の一つとなっている。なお米国は、2003 年
2∼3 月にはブッシュ大統領とパウエル前国務長官が、石油供給の確保を目的の一つとして
相次いで西アフリカを歴訪するなど、石油供給源の多角化に努めている。しかしながらベ
ネズエラからの石油供給途絶を緊急増産によって補填したのはサウジアラビアであり、結
局のところ中東湾岸産油国との関係の重要性が強調される結果となった。
6-4 対ロシア・CIS 政策
1991 年のソビエト連邦崩壊に伴い新たに誕生した 12 の共和国に対する米国の政策は、
主に、共産党による一党独裁に代わる民主的な政治制度の導入を支援すること、市場経済
メカニズムの導入により経済安定化、自立した国民経済の建設を助けること、旧ソ連が保
有した核の拡散を防止すること、及びユダヤ人のイスラエル移住や旧ソ連時代に強制移住
させられた人々の帰還問題といった民族問題の解決であった。そして、石油・ガス資源を有
する共和国においては資源開発が唯一の経済建設の手段として期待された。
エネルギー面では、旧ソ連は既に冷戦期に欧州諸国へ原油、天然ガスを供給していたが、
米国との間では石油・ガス貿易、投資、関連機器の貿易を含め、直接の関係はなかった。し
かし冷戦の終焉に伴い、米国は豊富な石油・ガス資源を有する旧ソ連地域を国際石油市場に
おける潜在的に重要なプレーヤーとして認識するとともに、当該地域における石油・ガス開
発に米国企業が公平な参入機会(fair access)を得ることが対外政策の重要課題のひとつとし
て浮上した。このため 1990 年代以降、国際市場への石油供給の安定性確保を目的としたパ
イプラインルート決定過程への干渉と、旧ソ連諸国における投資環境整備の要求という 2
つの面で、米国は積極的な関与を行った。ブッシュ現政権の下では、既に旧ソ連諸国の石
油・ガスパイプライン計画は建設中もしくは完成しており、政府の役割はより開放的で透明
8
本報告書作成のために実施したヒアリング調査においても、PDVSA が米国に保有する精製・販売子会
社 Citgo の売却計画を発表した直後であったこともあって、ベネズエラ-中国関係に対する米国側の関心は
高かった。ただし、エネルギー問題を専門とする研究機関では、ベネズエラが中国向けにコミットする原
油供給の規模が 100 万 B/D 程度に達しなければ米国のエネルギーセキュリティ上具体的な脅威とはならな
い、ベネズエラからの原油輸入は中国にとって経済性がないので必然的にスワップ契約を通じてベネズエ
ラ原油は米国市場に向かうだろう、といった冷静な意見が聞かれた。
27
IEEJ:2005 年 9 月掲載
な投資環境への要求という限定的な分野に留まっている。以下では、旧ソ連諸国の中でも
豊富な石油・ガス資源を保有するロシア、カザフスタン、アゼルバイジャンの 3 共和国を中
心にブッシュ政権のエネルギー面での係りについて述べる。
6-4-1 ロシア
米露間のエネルギー分野に属するイシューとしては、ロシアの原子炉の安全性向上、核
物質の管理強化(核拡散防止)と石油・ガス開発に大別される。このうち原子力に関しては、
1993 年以降数々の共同声明や共同研究が打ち出され、条約が締結されてきた。ブッシュ現
政権にとって核不拡散は対外政策上の最重要課題であるので、引き続きこの分野での対露
協力の拡大・深化を図っていくものと考えられる。
一方石油・ガス分野では、冷戦後も米露の関係は希薄であった。というのも、ソ連崩壊に
伴う政治・経済両面での混乱によりロシアの原油生産量は 1990 年代半ばにかけて大幅に減
少し、その後も 1999 年まで 1990 年比約 60%の水準で停滞した。1993 年以降は原油生産・
精製・製品販売企業を統括する垂直統合石油企業の設立とその民営化が進展、その過程にお
いて米国石油企業がロシアの小規模な石油開発プロジェクトに参加する例が見られたもの
の、多くの企業はロシア経済及び石油産業体制の行方が不透明な中で対ロシア投資に慎重
な姿勢をとっていた。さらに 1998 年にはロシア通貨危機が発生し、石油・ガス産業への外
資参入機会の拡大は、政府間の交渉マターとして優先度の低い問題であった。
石油・ガス分野における米露の関係緊密化のひとつの契機としては、1998 年以降ロシアの
垂直統合石油会社が既存油田の原油生産能力増強のために外資企業による石油・ガスサー
ビスを導入したことが挙げられる9。1999 年以降の原油価格上昇やルーブルの減価などの影
響に加え、外資企業とのサービス契約に基づく油田再開発の結果、ロシアの原油生産量は
2000 年には増加に転じ、2000∼2002 年には年率 7.6%のペースで増加した。このような高
い生産の伸びと、石油産業の民営化が完了したこと、1999 年にはルーブル危機を脱して経
済がプラス成長に転じたことを受けて、米国企業の対ロシア石油・ガス開発投資への関心が
高まった。さらに、1999 年以降の国際石油価格上昇によりブッシュ政権のエネルギーセキ
ュリティへの関心が増大したこと、2001 年の 9.11 テロを機にブッシュ、プーチン両政権が
対テロで協調し、両国関係が著しく改善したこと、同じく 9.11 テロの余波で中東からの石
油供給の安定性に対する懸念が高まったこと等が追い風となって、2002 年 5 月にはブッシ
ュ、プーチン両大統領が「米露エネルギー協力宣言」を発表するに至った。
9 1998 年、垂直統合石油会社の Yukos 社が技術サービス会社 Schlumberger と提携を行い、西側の油田
操業技術の導入を図った。また、Sibneft 社も Schlumberger、Halliburton の両社と技術提携契約を結ん
で技術移転を進めた。
28
IEEJ:2005 年 9 月掲載
「米露エネルギー協力宣言」は、以下の分野での政府間・民間協力の促進を謳っていた。
① エネルギー市場、エネルギー供給の安定性の強化
② 第三国における開発を含め、両国のエネルギー企業の協力促進
③ 投資拡大を通じたロシアのエネルギー産業の発展(ロシア側の投資環境の整備を含む)
④ ロシアの石油輸出推進(港湾、輸送インフラや精製能力の近代化を含む)
⑤ 非在来型エネルギー利用など、科学技術面での協力促進
⑥ 安全かつ環境負荷の少ない原子力発電技術の開発
上記エネルギー協力には具体的に、米国向け原油輸出を目的とした産油地域とムルマン
スク港を結ぶパイプラインの建設、外国企業がロシアにおける石油・ガス探鉱開発に参入す
る場合に適用される生産分与契約の条件改善(契約の安定性確保や有利な税制の提供)が含
まれた。また、2002 年 10 月には米国ヒューストンにて、2003 年 9 月にはロシアのサンク
トペテルブルグにおいて米露両国政府と民間企業の参加のもと、エネルギーサミットが開
催され、第 2 回サミットの場ではロシアから米国向けの LNG 輸出計画も提案された。
米露エネルギー協力は、当初はロシアへの参入機会の拡大を期待する米国企業からの関
心が高く、ロシア政府も米国からの投資拡大とそれに伴う技術移転を期待して積極的に臨
んだ。また、米国には国際石油市場へのロシア原油の供給拡大を支援することで、OPEC
の市場支配力を抑制し、OPEC 依存、中東依存の上昇を抑制するという意図があったため、
OPEC や中東産油国もその進展に高い関心を示した。しかし、2003 年春以降のロシア石油
産業における出来事は、生産分与契約の適用範囲の縮小と税制優遇措置の一部撤廃(2003 年
3 月政府案提出、5月法案成立)や、外資をより排除する方向での地下資源法の改定(2005
年 3 月)、大手石油会社ユコス社の税未納問題に端を発する石油産業への政府統制強化(2003
年 7 月以降)、ムルマンスク・パイプライン計画の頓挫など、米露間のエネルギー協力強化と
は逆の方向に動いているといえよう。この背景には、最近の原油価格上昇によりロシアの
石油企業が潤沢な資金を得て外資不要論が台頭したことが影響した。またロシア政府とし
ても、国際石油価格が前年のベネズエラのゼネストやイラク情勢、サウジアラビアにおけ
るテロ事件といった地政学リスクにより高騰する中で、自国の石油・ガス資源の国際的地位
向上の手段としての利用価値を改めて認識し、基幹産業として政府の影響力保持を図った
ものと考えられる。加えて、米国がロシア等の反対にも拘らず対イラク軍事攻撃を強行し
たことがロシア国民の反米感情を高め、外資に対する議会の態度を硬化させる要因となっ
た可能性も考えられる。
ロシア政府が米露エネルギー協力に逆行して石油・ガス産業に対する統制を強化するの
に呼応するように、米国の対露観も悪化してきた。ユコス社を破産にまで追い込んだプー
チン政権の干渉や、2004 年 3 月に行われた大統領選挙の際のメディア統制、最近では 2004
29
IEEJ:2005 年 9 月掲載
年 10 月に行われたウクライナの総選挙への介入に対し、米国政府は、非民主的であるとの
非難を強めている。また、外資もユコス事件における政府の産業への介入を契機に対ロ投
資により慎重な姿勢を採るようになっている。米露は依然として対テロ戦争の遂行上重要
なパートナーであるが、2002 年当時のような友好ムードは既になく、対イラン政策など外
交面でも国益の違いが明らかであり、今後は現実主義的に、石油消費国と輸出国としての
それぞれの国益が合致する分野においてのみ協力を図っていくものと考えられる。
6-4-2 カザフスタン
1991 年の独立時点で、カザフスタン政府にとっての最重要課題は経済的自立を果たし、
ロシアの政治的影響から脱することであった。この目的のため、カザフスタンは親欧米的
な外交政策を展開した。一方米国にとっては、カザフスタンが旧ソ連の核兵器の一部を継
承したため、その拡散の防止が最優先課題であった。このため、米国はいち早くカザフス
タンに国家承認を与えるとともに、大規模な非核化支援を提供して核兵器のロシアへの移
管を促した。エネルギー面では米カ間では 1994 年 2 月の「民主主義パートナーシップ」、
1997 年 11 月の「経済パートナーシップ」、2001 年 12 月の「ヒューストン・イニシアティブ」
といった経済協力協定を結び、カスピ海カザフスタン領における石油開発やカスピ海パイ
プライン等、米国企業が積極的に投資を行ってきた。
このように米カ関係は概ね良好であるが、現在のところ以下の 2 点が懸案となっている。
① カザフスタン-トルクメニスタン経由-イラン向け石油パイプライン構想
カザフスタンは、イランとの間に既に存在するパイプラインを逆送利用して、カスピ海
原油をトルクメニスタン経由でイランへ輸送し、イラン北部の国内需要とスワップさせ
てペルシャ湾から輸出する計画を構想している。既存パイプラインを利用するために相
対的に低コストでの輸出が可能になる。しかしこの計画は、米国がテロ支援国家と認定
し封じ込め・経済制裁の対象としているイランに経済的便益を与える計画であること、
及び、元来カスピ海の石油開発は中東原油への代替供給源として重視しており、ペルシ
ャ湾からの輸出では供給源の多角化の意味を成さないことを理由に、米国が反対してい
る。
② 米軍の中央アジア駐留
2001 年の 9.11 テロを受けて米軍はアフガニスタンのタリバン勢力に対する軍事攻撃を
行った。攻撃に際し、ロシア、中国の同意を得たうえで、カザフスタンを含む中央アジ
ア諸国への米軍の駐留と軍事基地の使用が認められた。以後、タリバン勢力が敗退した
後も米軍の駐留は継続されており、人口のうえでイスラム教スンニ派が多数を占めるカ
ザフスタンにおいて、駐留が長期化し、イラクにまで戦線が拡大したことは、今後カザ
フスタンの対米感情に影響を及ぼす可能性を含んでいる。
30
IEEJ:2005 年 9 月掲載
6-4-3 アゼルバイジャン
1991 年の独立時点で、アゼルバイジャンにとっての最優先課題はカザフスタンの場合と
同様、西側諸国の協力を得ての自立的な経済建設と、ロシアの政治的影響からの脱却であ
った。また、アゼルバイジャンは隣国アルメニアとの間で、アゼルバイジャン領内の飛び
地であるナゴルノ=カラバフ自治州の独立問題を抱えていた。一方米国にとって、豊富な石
油・ガス資源を有するアゼルバイジャンへの米国民間企業の関心が高く、また国内のアルメ
ニア系移民がナゴルノ=カラバフ紛争の調停を求めて活発なロビー活動を展開したため、政
治・経済両面で関係を深めていった。
エネルギー面では、2000 年 5 月には両国間で「経済開発に関するタスクフォース」を立ち
上げ、アゼルバイジャンの市場改革、投資環境整備を協議した。これに先立つ 1994 年には
既に米国企業 4 社が Azeri-Chirag-Gunashli 油田開発プロジェクトにおいて合計 26%超の
権益を獲得するなど、米国企業の進出が進んだ。
米-アゼルバイジャン間で米国政府の関与が特に目立ったのは、BTC(バクー-トビリシ-ジ
ェイハン)パイプラインのルート選定の過程である。アゼルバイジャンの原油を輸送するパ
イプラインルートとして、Azeri-Chirag-Gunashli 油田開発にあたる国際石油コンソーシア
ム(AIOC)参加企業は当初、ロシアを通過するルートを計画していた。しかし米国政府はパ
イプラインに対しロシアの影響力が及ぶことを嫌い、ロシアを通過しないルートを AIOC
が選定するよう、様々な外交努力を展開した。具体的には、AIOC を構成する民間企業への
影響力行使は困難であることから、アゼルバイジャン政府に対して外交的接触や防衛協力
の強化、対アゼルバイジャン投資の促進などの働きかけを行った。さらにロシアとイランに
対し、カスピ海地域の石油資源獲得への野心を抱かないよう牽制した。1997 年 8 月にはア
リエフ大統領が訪米し、米国による経済支援パッケージが発表された。このような外交的
圧力にもかかわらず、1997 年末の時点で AIOC の参加企業はパイプラインの距離が短く、
低コストで建設が可能であり、従ってパイプライン通行料も安価であるという純経済的判
断に基づき、ロシアを通過するルートを推していた。そこで 1998 年以降、米国は交渉相手
をトルコに切り替え、パイプライン通行料の引き下げを条件とした建設費用の調達支援や
対トルコ経済援助の供与を行った。トルコの建設費用負担により経済性の問題が解決した
ため、1999 年 11 月にはバクー-トビリシ-ジェイハンのルートが確定した。
以上のように、米国は豊富な資源が賦存し、ロシアとイランに挟まれ、かつイスラム教
徒が数多く居住して民族・宗教間対立が今なお未解決の中央アジア地域に戦略的な重要性
を認め、積極的に関与した。しかし、1999 年にパイプラインルートが正式に決定した後は
米国政府の関与の必要は低下し、現在ではこの地域の重要性は主に、国際石油市場におけ
る供給分散化のソースとしての可能性にある。加えて、2001 年に就任したブッシュ政権は
31
IEEJ:2005 年 9 月掲載
当初、国益の増進に寄与しない対外関与の縮小を対外政策の基本方針としていた。その後、
アフガニスタン攻撃に伴い中央アジアへの軍事プレゼンスは増大したものの、あくまでも
当該地域諸国の内政、経済運営に干渉することは目的ではなく、各国政府に政治的民主化・
経済的自由化と外資を含む民間企業の石油・ガス産業への参入機会拡大を求めるメッセー
ジを送り続けるだけで、基本的には民間企業の活動に不介入の姿勢を採っている。
6-5 対アジア政策
アジア地域に賦存する原油埋蔵量は世界全体の5%に満たないにも拘らず、アジアは世界
原油生産の 10%、石油消費の 30%をそれぞれ占める。アジアの環太平洋発展途上国の石油
輸入は 2020 年には対 1997 年比で 43%増大すると予想され、それらの多くを中東産油国に
依存することとなると見られる。天然ガスに関しては、世界埋蔵量の 7%がアジアに賦存す
るのに対し、アジアの天然ガス生産は世界の 11%、天然ガス消費は世界需要の3%以下と
なっている。
米国のアジア地域とのエネルギー貿易は、相対的には限られたレベルにとどまっている。
その意味で、エネルギー面における米国対外政策上のアジアの位置づけ、あるいは重要関
心事は、以下の2点に集約されると考えられる。
・ 世界の主要エネルギー消費地域として成長しつつあるアジアにおけるエネルギー需
要、輸入の増大が、国際エネルギー市場の需給安定にどのような影響を及ぼし得るか。
・ エネルギー輸入依存の上昇に直面するアジア諸国が自国・自地域のエネルギーセキュ
リティ強化のために展開しようとする政策、戦略が、国際社会、国際エネルギー市場、
ひいては米国にどのような影響を及ぼし得るか。
上記2点の関心事の正に中心にあるのが中国の動向であろう。また、アジアの中で関心
が高まりつつある地域エネルギーセキュリティ強化へのアプローチとして用いられる地域
協力についても、その自国にとっての意義、利害得失に米国は関心を寄せつつあると見ら
れる。
以下では、まず中国およびインドについて、台頭しつつあるアジアの巨大エネルギー資
源輸入国に対し米国がどのような見方、対応を取ろうとしているかを概観し、次いでアジ
アのエネルギー協力についての見方を考察する。
6-5-1. 中国
国際エネルギー機関(IEA)は、2003 年における世界石油需要の伸びの 35%、2004 年の同
30%がそれぞれ中国石油需要の増大によってもたらされたものとし、また米国エネルギー省
エネルギー情報局(EIA)は、2025 年における中国の石油需要を 1,090 万 B/D、石油純輸入
32
IEEJ:2005 年 9 月掲載
量を 750 万 B/D と見込んでおり、ともに中国の動向が今後世界石油市場の主要因のひとつ
となることは間違いないとしている。同様に、天然ガス需要についても、2003 年には総エ
ネルギー消費の3%に過ぎなかった天然ガス消費は、2010 年までには倍以上に増大すると
見込まれ、今後とも国内天然ガス資源の生産増強に加えてパイプラインによるガス輸入、
LNG 輸入が増大すると見られる。
国内石油需要の増大に備えるとともに世界貿易機関(WTO)要綱に対応するため、中国は
2004 年に末端石油市場を外国資本に開放することを決定した。これまでのところエクソン・
モービル/サウジ・アラムコ共同体、BP、R.D.シェルなどが中国側国営企業との合弁で市場
に参入することを計画しているとされる。
エネルギー需要面での中国の存在感の高まりに加え、政治面では、ブッシュ政権は、中
国を「戦略的パートナー」としたクリントン前政権の政策を転換し、中国を「戦略的ライ
バル」と位置づけて、最近の中国の覇権主義的な動きへの警戒感をより表面に出しつつあ
る。
中国についての米国の関心は目下3つに分れる。第 1 は、アジア域内における政治的、
軍事的スーパー・パワーとしての中国であり、第2は大エネルギー消費国としての中国、そ
して第3には、地球的規模でエネルギー資源外交を繰り拡げる中国である。
第1点については、ブッシュ政権は「ひとつの中国」への支持を繰り返し表明し、中国
の戦略的重要性を認めつつも、一方では中国の軍事力増強や「反国家分裂法」制定、欧州
連合による対中武器禁輸の解除などには極めて強い懸念を抱いている。この点については、
ライス国務長官が本年3月の中国訪問の際、同国首脳に向って軍備拡張政策に対する懸念
を表明している。その他、米国内でも、中国の人権問題をターゲットのひとつとしたかに
見られる前述の「民主主義促進法」案、「反国家分裂法」を非難し政府に適切な手段を求め
る議会下院決議が出るなど、現下の米中関係にはさまざまな潜在的緊張関係が存在する。
第2には、中国の石油需要急増に伴う輸入の増大が国際市場の需給バランス圧迫要因と
なりつつあることに鑑み、米国は、国際市場裡における中国の石油調達行動が今後過度に
排他的となるようなことがあった場合にはそれが今後のアジア市場、ひいては世界のエネ
ルギー市場秩序にとって波乱要因となり兼ねないことに、危惧を抱いている。そのため、
今後の米国およびその同盟国にとっての対中政策上の重要な課題として、中国が市場の不
安定要因とならないよう需給安定化への協力や、国際的エネルギー協力枠組への取り込み
を図ることが必要となりつつある。その意味で、今後、中国のエネルギー転換への技術協
力と支援、環境対策技術の提供などが浮上して来るものと考えられる。
33
IEEJ:2005 年 9 月掲載
第3に、中国の資源外交がこのところ加速し多極化を深めていることについては、米国
は、現時点では比較的冷静なスタンスを崩していない。中国が中東、アフリカなどで国際
石油会社には到底競合できないような好条件を提示して次々と石油・天然ガス開発権益を
取得していることについても、米国は静観の姿勢を崩していないといえる。しかしながら、
中国の進出先が米国の利害に直接関わる相手先である場合には、米国の対応、見方は全く
異なって来ると考えられる。その意味で、最近の中国のイラン、ベネズエラのエネルギー
資源への接近に関しては、米国政府は警戒感、不快感を隠していない。
中国は基本的に石油輸入国ではあるが、ごく少量ながら原油・石油製品を米国、その他に
輸出している。中国の対米石油輸出の推移については下表に示すとおりである。
表 6-5-1.
中国の対米原油・石油製品輸出の推移
(単位:
暦年
2001
2002
2003
原油
13
20
22
石油製品
10
4
4
対米輸出計
23
24
26
総輸出量
299
372
417
対米輸出
シェア(%)
8
6
6
1,000B/D)
米国石油輸入に
占める比率(%)
0.2
0.3
0.3
(出所)“World Oil Trade: An Annual Analysis and Statistical Review of International Oil
Movements” 2004 年 9 月
6-5-2.
インド、パキスタン
インドとパキスタンはともに、現下の米国が関心と警戒を持って注目する南アジアの重
要国である。即ち、インドはその急増するエネルギー需要の国際市場への影響性において、
またパキスタンは国内アル・カーイダ勢力の掃討とアフガニスタンの安定に係るその協力
度において、米国にとって重要である。さらに両国は、米国が敵対するイランとの間でエ
ネルギー授受関係を推進しようとすることで、ともに米国の利益と相容れず、米国はその
推移を強い懸念を持って注視している。
インドの国営「石油・天然ガス公社」(ONGC)は 2007 年までに国内石油・石油換算天然ガ
ス埋蔵量を現在の 423 億バーレルから 880 億バーレルに増大することを目標とする一方で、
原油輸入の3分の2を湾岸地域からの供給に依存する体質を変えるため輸入ソースの多角
化を図ろうとしている。また、インドでは、既存陸海油ガス田に加え、アラビア海、ベン
ガル湾の双方の大水深域、超大水深海域の天然ガス資源が将来有望とされる。現在のとこ
ろ、インドの石油・天然ガス上流部門に直接関わっている外国石油会社は極めて数少ない。
米国はインドのエネルギー需要の急増に大きな関心と警戒心を抱いている。即ち、中国
34
IEEJ:2005 年 9 月掲載
に対すると同様、米国はインドの国際石油市場における行動が世界のエネルギー市場秩序
を混乱させることとならないよう、また自国の国益と相容れぬことのないよう、注目して
いるところである。そのため、現政権のチェイニー副大統領率いる「国家エネルギー政策
策定グループ」(NEPD-G)は、インドのエネルギー自給率を高める狙いから、同国政府に対
し、その国内石油・天然ガス開発促進に米国が協力し、支援する用意があることを表明する
よう、ブッシュ大統領に対し提言している。
一方、本年3月のインド訪問でライス国務長官は、インドがイランとの間で進める天然
ガス・パイプラインの建設計画に反対する考えを強調した。これは、イランを核開発断念に
追い込むため、インドを巻き込んで国際的イラン包囲網を形成しイランに圧力をかけよう
としたものであるが、インド側は、エネルギー供給確保という喫緊のニーズを楯に計画を
撤回しない旨を回答している。
インドは基本的に原油・石油製品輸入国であるが、少量ながら石油製品を輸出しており、
その主な輸出先は韓国、ブラジル、米国などである。その内、米国向け石油輸出の推移は
下の表に示すとおりである。
表 6-5-2.
インドの対米石油輸出の推移
(単位:
暦年
2001
2002
2003
原油
-
石油製品
17
19
31
対米輸出計
17
19
31
総輸出量
158
144
167
対米輸出
シェア(%)
11
13
19
1,000B/D)
米国石油輸入に
占める比率(%)
0.1
0.2
0.2
(出所)“World Oil Trade: An Annual Analysis and Statistical Review of International Oil
Movements” 2004 年 9 月
インドの原油・石油製品輸入量は合計して各年 150 万 B/D 前後で、2003 年のそれは原油
が 108.9 万 B/D、石油製品が 51.0 万 B/D、合計 159.9 万 B/D であった。原油、石油製品輸
入の供給元はいずれも明らかにされていない。
パキスタンは目下、石油産業民営化と石油部門の外資への開放の途次にある。同国政府
は国営石油上流部門会社「石油・ガス開発公社」(OGDC)の 51%を売却すべく手続を進めて
いるところであり、国内末端市場の 70%を支配する石油販売会社「パキスタン国営石油」
(PSO)の 51%シェアは既に入札に付されている。2004 年央には石油上流部門への初めての
外資導入プロジェクトとして、海上石油・ガス探鉱権がフランスのトタールに付与され、ロ
35
IEEJ:2005 年 9 月掲載
シアのガスプロムが続いた。
インドと同様にパキスタンは基本的に原油・石油製品輸入国で、その石油需要の約6分の
5を輸入に依存している。原油・石油製品輸入量は合計して各年 40 万 B/D 前後で、2003 年
のそれは原油が 16.8 万 B/D、石油製品が 27.0 万 B/D、合計 43.8 万 B/D であった。原油、
石油製品の主要な供給元はいずれも公表されていない。
本年3月にライス米国務長官はパキスタンをも訪問し、インドとともに南アジア安定の
鍵を握る同国に対して、イラン、北朝鮮などに核兵器製造技術を提供したとされるカーン
博士の米国への引渡し、直接事情聴取を求めたが、パキスタン側の同意を取りつけられな
かったと報じられた。同博士はパキスタン国民の間では極めて人気が高いとされ、米国が
その引渡しを強く要求し過ぎると、パキスタン・アフガニスタン国境地帯のアル・カーイダ
掃討に重要不可欠なムシャラフ大統領の政権基盤を結果的に揺るがすこととなり兼ねず、
米国としては、中東・西アジア全体の安定追求のためにカーン博士の身柄拘束については当
面断念せざるを得ないと見られる。
6-5-3.
アジアのエネルギー協力について
米国は、国際エネルギー市場が「ひとつの市場」として連動性が高まっているとする、
「国
際エネルギー市場のグローバル化」を十分認識しているため、世界エネルギー市場の需要
増の中心であるアジア地域においてエネルギーセキュリティを強化するための地域協力が
進展することを、国際エネルギー市場全体の安定化にプラスに作用し得ると評価している。
ブッシュ政権の「国家エネルギー政策」(NEP)が明確に示すように、米国は、エネルギー
需要増大が著しいアジア発展途上国において自らのエネルギーセキュリティ上の脆弱性を
克服するための政策や石油備蓄などを含む協力が展開されることは、国際エネルギー市場
の安定にとって好ましいことと見るとしている。従って、米国としては、このような地域
協力への動きに対し、「アジア太平洋経済協力」
(“Asia-Pacific Economic Cooperation”‐
APEC)なども含めたさまざまな枠組を通じて支援、協力して行くことを謳っている。
しかし、米国は同時に、アジアにおける急激かつ予想を超える需要の増大が市場の不安
定化要因となり兼ねず、またアジアが自らのエネルギーセキュリティ強化を目的に推進し
ようとする地域協力が米国自身の望まぬ方向に進んで行くのではないかと、懸念するかの
ようにも見受けられる。最近になって、アジアの地域協力が地域としての一体性を重要視
するあまり米国抜き、あるいは対米配慮を欠いた形で進んで行く兆に対し、米国が敏感に
なりつつあるかに見えるのが、その一例である。さらには、いわゆる「東アジア共同体」
構想をめぐる動きや、本年1月にインドのニューデリーで開催されたアジア主要消費国と
36
IEEJ:2005 年 9 月掲載
中東主要産油国の間の対話などに対しても、米国は関心を高めつつあると考えられる。
6-6. 国際機関等に関する政策
6-6-1. 石油輸出国機構(OPEC)
1960 年の「石油輸出国機構」(“Organization of Petroleum Exporting Countries”
-OPEC)創設以来、米国歴代政権は OPEC との協調、産油国・消費国間の対話を否定、む
しろ消費国間の協調を重要視し、対立軸を取って来た。これはとくに歴代共和党政権にお
いて顕著であった。その典型的な例が 1974 年、石油禁輸を武器に先進消費国に圧力をかけ
つ つ あ っ た OPEC に 対 抗 し 消 費 国 の 利 益 を 守 る た め 、「 国 際 エ ネ ル ギ ー 機 関 」
(“International Energy Agency”- IEA)の創設をニクソン政権が主導したことであろう。
それ以来、米国政府と OPEC との間に直接対話は行われて来ていない。
現ブッシュ政権のエネルギー政策の柱として「国家エネルギー政策策定グループ」は産
油国・消費国間の対話、協調の推進を提言したが、それは必ずしも OPEC との直接対話を
意味した訳ではない。これまで歴代政権がサウジアラビアの安全保障に深くコミットし、
同国との連携を維持して来たことや、帝政時代のイランを米国が強く支えたこと、大産油
国として国際市場に登場して来たロシアと現ブッシュ政権との戦略対話、西アフリカ産油
諸国との閣僚協議推進など、個々の産油国との2国間関係の構築、対話の維持には意義を
見出し、実行もして来た。しかしながら、とくに原油価格決定権を OPEC から自由市場の
手に取り戻した今となっては、現政権が OPEC との直接対話を追求する必然性は見出し得
ないものと考えられる。
その一方で、ブッシュ大統領はこれまで原油価格高騰に当って OPEC 諸国に原油増産を
呼びかけるなどを行って来ており、この3月中旬にニューヨーク商品取引所原油先物市場
が新高値を更新した際にも、米国経済成長と中小企業への悪影響を懸念して OPEC に対し
増産を迫っている。ブッシュ大統領は今後とも、OPEC と直接の対話を行うというよりは、
このように必要ある場合にのみ OPEC に呼びかけ、圧力をかける姿勢を維持するにとどめ
るものと想像される。
6-6-2. エネルギー消費国間協力と国際エネルギー機関(IEA)
ブッシュ大統領は産油国・消費国間対話の重要性は認識しつつも、ニクソン大統領以来の
歴代共和党大統領のように、まずその前に消費国側の利害調整、団結が不可欠とおそらく
考えているのではないか。それは、政権第2期の政策にエネルギーセキュリティに関する
先進国間協力を謳い、G8エネルギー閣僚対話を毎年定期的に開催することを提唱しようと
していることからも推測される。
先述のように、国際エネルギー機関(IEA)は元々、OPEC に対抗し消費国の利益を守るた
37
IEEJ:2005 年 9 月掲載
めの機関として創設されたものである。従って、米国が IEA を、加盟国間の石油備蓄協力
を強化し、また最近では非加盟の主要消費国における石油備蓄制度創設を含む協力枠組の
構築を支援するためのツールと考えることにはそれなりの蓋然性がある。国際石油市場デ
ータの統一基準作成と透明性の確立を目指す「統合月次石油データ整備」
(“Joint Oil Data
Initiative”‐JODI)に IEA が関わるのも同じ伝といえる。
また、ブッシュ政権は、エネルギーを含むあらゆる分野における米国企業の海外活動に
ついて、自国が所属する下記のような多国間枠組や個別の2国間関係を通じ、外国投資、
通商に係る公正かつ透明性の高いルール、手続の実現を図り、米国企業進出を阻む貿易・
投資障壁の除去に努めることを政策目標のひとつに掲げている。
・ 「アジア太平洋経済協力」(“Asia-Pacific Economic Cooperation”‐APEC)
・ 「経済協力開発機構」(
“Organization for Economic Cooperation & Development”
‐OECD)
・ 「世界貿易機構」(“World Trade Organization”‐WTO)
・ 「米州自由貿易圏」(“Free Trade Area of the Americas”‐FTAA)
6-6-3.
国際連合
国連との関係においては、米国には、1990 年のイラクによるクウェート侵攻、1991 年の
クウェート解放から 2003 年の対イラク戦争開戦に至る 13 年間にわたり、イラクが数々の
国連安保理決議‐「湾岸戦争停戦決議」およびその後の関連決議、大量破壊兵器の査察に
関する決議、等々‐の殆どすべてを無視し続け、国連査察への妨害を繰り返したことに対
する国連の無策、査察の実効性への強い疑義がある。それらに加え、「石油・食糧交換プロ
グラム」に関わる欺瞞、不正やコフィ・アナン国連事務総長自身の親族が関わった腐敗など、
国連の管理能力と幹部の倫理観に対し米国政府、議会に共通する根強い不信感がある。
ブッシュ大統領がこの程、ボルトン国務次官を国連大使に、ウォルフォウィッツ国防副
長官を世界銀行総裁にそれぞれ送り込むことを決めたのも、国連運営、開発途上国支援へ
の米国の影響力を強め、自らが最善と考える枠組を構築して行こうとする米国の強い意志
がその背景にあるものと考えられる。
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