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E.フォルストホフ”Daseinsvorsorge”論における「行政」と「指導」 I はじめに

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E.フォルストホフ”Daseinsvorsorge”論における「行政」と「指導」 I はじめに
E.フォルストホフ”Daseinsvorsorge”論における「行政」と「指導」
*松生史(九州大学大学院法学研究院助教授)
本ファイルは、小早川光郎/宇賀克也編『塩野宏先生古稀記念 行政法の発展と変革(上巻)』(有斐
閣、2001.6) 193-216に掲載していただいた拙稿の草稿段階のものです。公表に当たり若干の修正を
加えていますので、本草稿の無断引用はご遠慮下さい。引用される場合は、公表版の方からお願いし
ます(なお、筆者の氏名の「角」は、(http://www.efontshop.com/fontgif100/EFIEXM00EC67.GIF)にあるような字体
ですが、本稿では「*松」としています。)
I はじめに....................................................................................................................................................................................................................1
II 専有配当(Appropriation)...............................................................................................................................................................................2
III 「合法的支配」......................................................................................................................................................................................................3
IV 「行政」と「指導」................................................................................................................................................................................................4
V 技術.........................................................................................................................................................................................................................8
VI むすびにかえて...........................................................................................................................................................................................10
<参考文献>.........................................................................................................................................................................................................11
I はじめに
筆者は先に、*松 2000 において、戦後ドイツおよび日本の行政法学に大きな影響を及ぼしたE・
フォルストホフの「現存在配慮」(Daseinsvorsorge) 1 論を検討した。「給付主体としての行政」
(Forsthoff 1938.以下「給付主体」)の分析を通じて、同概念を構成する二つの単語--「現存在」と「事
前配慮」--に即してこの議論の同時代的文脈を分析し、仮説的に以下のまとめを試みた。
「フォルストホフの『現存在配慮』論は、大衆社会化によりもたらされる不安ないしリスクによる秩序
の動揺可能性を踏まえ、官僚制的な数量的=大量的処理によるその安定化の必要性を重視したも
のであった。しかし、『現存在』という語に表れているように、その安定は即自的な価値を有するもの
としても完結的なものとしても捉えられず、より高次の『何か』が希求され続けていたのではないか」
(*松 2000:283-284)
上の考察を前提とした上で、本稿は、「現存在」の秩序安定化装置としての官僚制に関するフォル
ストホフの議論の考察を課題とする。「政治」と「行政」との関係という古典的課題への対応であると同
時に、同時代的刻印を不可避的に帯びざるを得なかった彼の議論を検討することは、行政の存在
理由や政治との関係が根本から問い直されている現在のわれわれにとっても示唆的なものたりうる
であろう2。
本稿は以下、『給付主体』に即して3、「専有配当」(Appropriation)概念を簡単にみた)II)上で、「合
1
「現存在配慮」論の概略については*松 2000:267-268,この訳語を選択した理由については*松
2000:268 注(1)および掲記の文献参照。
2
但し本稿は、直接的教訓を読み取ることをいかなる意味でも目的とするものではない。むしろ前稿(*松
2000)と同様、同時代的文脈の下に議論を位置づけることが中心課題となる。
本稿の考察対象は Forsthoff1938 を中心とするが、必要に応じて、それに先行するいくつかの論文
(Forsthoff1935;1935a;1935b;1937) に言及する。なお、Forsthoff 1935 及び Forsthoff1935a は、
3
1
法的支配」(III)概念と、「行政」と「指導」の関係(IV)を検討する。これらの議論は、言うまでもなくM.ヴ
ェーバーの密接な影響の上に展開されたものであるが、本稿はフォルストホフに与えた影響と相違
を確認するにとどまり、ヴェーバー自身に関してはいかなる新たな知見を付け加えるものでもない4。
ついで、フォルストホフの技術観について簡単な検討(V)を加え、本稿の考察を閉じる(VI)こととす
る。
II 専有配当(Appropriation)
(a) 『給付主体』によれば、被支配空間の狭小により社会的欠乏が生ずる。社会的欠乏とは、「ある
者が、必須の、あるいは必須水準以上に希求されるところの生活財を自らの物の活用によって得る
のではなく、専有配当(Appropriation)をつうじて獲得しなければならない状態にあること」と定義され
る。この「専有配当」概念は「M.ヴェーバーの表現を引き継ぐ」(Forsthoff 1938:5)ものと明言されて
いる。
フォルストホフが引用する箇所において(Weber 1972:23(清水訳 71-72 頁、阿閉/内藤訳 67 ー 68
頁)、ヴェーバーは、社会的関係を「開放的関係」と「閉鎖的関係」に分ける。閉鎖的な社会的関係は、
そのメンバーに独占的シャンスを保障するが、そのやり方には(a)自由に保障 (b)程度と種類に応じ
て規制的(reguliert)にまたは配給によって(rationiert)保障 (c)個人や集団に継続的にかつ多かれ
少なかれ不可奪的に(unentziehbar)専有配当されたものとして保障する場合がある。(c)は、対内的
に閉鎖されていることであり、専有配当された権益は「権利」(Rechte)と呼ばれる。個人に、あるいは
世襲的に共同社会(Gemeinschaft)や利益社会(Gesellschaft)に専有配当された権益は財産権
(Eigentum)と呼ばれる。
(b) 本稿の 苦 し 紛 れ の 訳語 が 示す よ う に 、 外来語起源と 思わ れ る ( 参照 、 Scheidemann
1991:48)"Appropriation"には、大きく分けて(i)(不当に)専有する (ii)充当、割り当てという二種類の
意味がある5。上記ヴェーバーの邦訳はいずれも(i)に重点をおいて訳している6。確かにここでヴェ
ーバーは、「専有配当」((c))と、自由な保障((a))・規制的/配給による保障((b))とを対比的に用いて
おり、「専有配当」の不可奪性・既得性が強調されている。
しかし、フォルストホフのAppropriation概念の場合、(ii)の意味の比重が高い。Appropriationの必
要の組織的現存在配慮による充足、国家ないし共同体による財配分への介入が重視されているの
である7。
また、財産権を「専有配当された権益」の一類型とするヴェーバーに対し、フォルストホフは「自らの
物」だけでは生活財が得られず「専有配当」に頼るようになったと両者の相違をむしろ強調する。さら
に、フォルストホフが引用していない箇所であるが、ヴェーバーはゲノッセンシャフト的独占から私
的所有=「自由財産」への歴史的移行を専有配当の進行過程としてとらえ、またかつては「専有配
当の客体は、今日とことなり、具体的な物財のみならず考えうるあらゆる社会的・経済的権益も等しく
Forsthoff1938 で、現存在配慮論の原型として語られているものである。
前稿と同様の重大な限界(*松 2000:269 注(6))を伴う本稿もまた「将来、より適任者が、より有意義な作
業を行うための叩き台」となることを目指した研究ノート・論点メモに過ぎない。
5
COD(9th.edition 1995)を参照した。
6
清水訳「私有」、阿閉/内藤訳「占有」。箇所は違うが、厚等訳「専有」。
7
塩野1989:301 の「相互充当」は優れた訳であるが、「相互」が特定の社会観を含意するという誤解を招
きかねないことと、動詞 approprieren の目的ではなく客体を表す上での語法的困難さから避けた。
4
2
そうであった」と述べている(Weber 1972:202(厚東訳 534 頁)ことからすると、議論の方向はむしろ
逆転しているといえる。
(c)しかし、上記の相違にもかかわらず、少なくとも二つの点で、ヴェーバーへの引証は興味深い。
第一に、ウェーバーが「専有配当」の不可奪性、既得権的性格を重視していることに、各個の人間
(der Einzelmensch)の配分参加(Teilhabe,村上 1978)の法的安定性を重視するフォルストホフの議
論とのつながりを見出すことができる。フォルストホフによれば、現存在配慮の制度に生活の実存を
委ね、それを無批判に信頼するのが現代の人間の心理であり、「保障されているという感覚」がなけ
ればパニックを引き起こすおそれがある。特に第一次大戦後の「生活リスクの増大」に起因するパニ
ックを防止する必要から、配分参加の確保による一定の法的安定性、民族同胞の法的地位の確立
が必要だと彼は言う(Forsthoff 1938:18-19)。「克服された個人主義や自由主義とは関係がない冷静
で(nüchtern)現実的な配慮である]ことが強調される一方で、「各個の人間」の生活の安定が重視され
ているのである(*松 1999:223)。
第二に、ヴェーバーが、「専有配当」の前提を「閉鎖された社会関係」に見出していることが興味深
い。フォルストホフが、たとえばグローバル市場のような開放系を想定の外に置き、あくまで国家ない
し民族共同体という閉鎖系における財貨配分として問題を捉えていること8とこれはつながるだろう。
現存在配慮を「民族および個別民族同胞の自己主張をめぐる諸民族の闘争」として捉え、その原因
を「大衆的(massentümlich)生活様式及び民族生活圏の狭隘性」(Forsthoff 1938:12)に求める彼の
対外政策構想は、問題のこのようなとらえ方とも関連していると考えられる。
III 「合法的支配」
「近代諸国家のような細分化された組織は、現存在配慮に奉仕する機能にあっては、必然
的に合理化された形象をとる。つまり、合理的規則に従って機能する。人がそれを非難し
ようがどうしようが、不可避的にそういうものなのである。そのような組織を支配することの
必然的前提として、支配者は合理的規範によって証明された命令権力の権限を主張する
ことができなければならない。確固たる審級段階の内部には、カリスマの場所はない。現
存在配慮の組織を手にしようとするものは、彼に命令権力への入場を許すところの法的権
限を示さなければならない。つまり対自的に合法性を有していなければならない」
(Forsthoff 1938:9)
最後のところでフォルストホフが注記するのは、周知の支配の三類型を述べた『経済と社会』の箇
所である。(Weber 1972:549-5509(世良訳 29 頁)簡潔な要約なので、そのまま引用する。
「命令権力の『妥当』は、あるいは[第一に]、制定された(協定された、あるいは指令され
た)合理的規則の体系に表現されることがありうる。これらの規則は、規則によってその「地
位に就いた人」が服従を要求するときは、一般的拘束力を持つ規範として服従される。こ
の場合、命令権力の個々の担い手は、右の合理的規則の体系によって正当性を与えら
れ、また彼の権力は、右の規則にしたがって行使される限り、正当なのである。服従が行
8
太田 1998:82 は、フォルストホフの Teilhabe 概念が「有限の、かつ共通の財を構成する共同体を前提
と」している点においてナチス期から戦後(戦後については他の論者も同様)まで一貫していることを指
摘する。
9
フォルストホフは"S.611f"と指示する。初版/2版の S.611 は右記にあたるが、それに続くのは第五版で
は、Weber 1972:514f.
3
なわれるのは、規則に対してであって、人に対してなのではない。あるいは[第二に]、命
令権力の妥当は人的権威にもとづいている。この権威は、伝統の神聖性の中に、したが
って慣習化したもの・常にかくあったものの神聖性の中に、その基礎を見出すことができ、
この伝統の神聖性が一定の人に対する服従を命ずる。あるいは[第三に]、これとは正反対
に、命令権力の妥当は、非通常的なもの)への帰依、カリスマに対する信仰、すなわち現
実の啓示やある人間の持つ天与の資質に対する信仰、あらゆる種類の救世主・予言者・
英雄に対する信仰、に表現されることがある」(強調原文)
このようにフォルストホフは、ヴェーバーの3類型に依拠し、現存在配慮を担当する組織が合理的
規則に基づいて作動する官僚的形態をとる以上、それを掌握するためには合法的支配が必要だと
する。国民社会主義革命が合法的権力掌握という形をとったのはそのためであり、1918 年革命は
むしろ例外として理解される。ここでは決して合法性に即自的価値が認められているわけではない
10
。それはあくまで「革命の進行過程(Vorgang)における本質的に技術的な徴標に過ぎない……か
かる合法性の意義はそこで尽きるのであり、革命の合法性は、革命前に存した法がひきつづき妥当
することを意味するものではない」とされる(Forsthoff 1938:10)合法性はさしあたり、「進行過程」に
おけるいわば「入場券」として必要とされるに過ぎないのである。
ここでフォルストホフはワイマール末期の「合法性の空虚さ」を批判した師シュミットの「合法性と正
当性」(Schmitt 1932:**)を引用する。にもかかわらず合法性が「非常に実際的な意義」(強調は引用
者)を有していると述べるのが、ここでのコンテクストである(Forsthoff 1938:9)。シュミットは、「正当
性と合法性の両者が、合法性が、まさに正当性の対極を意味するものであるにもかかわらず、正当
性という共通の概念に還元されている」とヴェーバーを批判する(Schmitt 1932:**(邦訳 15 頁))11。フ
ォルストホフもまた、この批判を前提とする。「かつて人格的支配であったものの規範的官僚的執行
の合理性への収縮、内容豊かな(gehalterfüllt)正当性の形式的合法性への空洞化、そしてこれら及
びその他の現象によって形成された合理的国家の形象は、彼(ヴェーバー)にとって社会学的知見
を超えて政治的理想でもあった….このような理想は、合理性(Rationalität)に(それは合事物性
(Sachlichkeit)とは少しく異なる)にパトスを見出す者にしか受け入れられない」。これに対しヘーゲ
リアンたるL.シュタインは、国家機能の細目を国家の全体構想の中に位置づけた者としてより高く評
価できるというのである(Forsthoff 1938:13-14)。
しかし、「国家機能の細目」についてのヴェーバーの理解自体が否定されているわけではない。
フォルストホフは、正当性から切り離されたものとして理解された「合法的支配」を、「実際的意義」か
ら意識的に受容しているのである。だとすればそれは、即自的価値を有するからではなく、逆に価
値から切り離されているだけに、ナチス権力の「入場」後の段階においても、引き続き必要とされる
可能性がある。それを論者がどのように弁証を試みたか、章を改めて見てみよう。
IV 「行政」と「指導」
(a)1935 年
塩野宏は、Forsthoff 1935aとForsthoff 1938とを比較し、「1935年の論文にはナチス的共同体観
10
桑原 1991 も同旨。この点に関する高田 1993:202、原野 1972:242、塩野 1989:323(但し 1989:
303-304 は正確)の叙述は、ややミスリーディングである。
11
シュミットによるこのヴェーバー理解はかなり論争的なものであるが、本稿はそれに立ち入る用意はな
い。さしあたり参照、佐野 1993:81-104(特に 86-87)、モムゼン 1994:793-801
4
ははっきり表明されていなかったのであるが、1938 年の著書に至って、ナチス的共同体観と生活手
段供給(Daseinsvorsorge-引用者注)概念の結合がその主要課題とされている…その際、両者を結
合する重要な媒介的概念として、参加(Teilhabe)が措定される」と分析する(塩野 1962:338 注(5))。
Forsthoff 1935aで提示されているのは、「行政」と「指導」の明確な二元論である。フォルストホフ
によれば、「官僚的行政としての行政は、法律と一般的規則に拘束されている」12が、そのことによっ
てのみ、「執行の精確さ、計算可能性、概観性(Übersehbarkeit)、恒常性」といった「現代大衆国家」
では不可欠な「利点」の実現が図られる(Forsthoff 1935a:399) しかし彼は、「行政」のかかる合理性
に、価値的に高い地位を与えない。「指導」との関係が問題とされる。
同じ年に書かれた小論(Forsthoff 1935b)によれば、「指導者(総統)でありライヒ宰相」というヒトラ
ーの称号は、憲法秩序の異質な二つの構成要素--宰相を長とする「伝統的官僚組織」と、総統の人
格が体現する「動的な指導秩序」--を示す。ここでもヴェーバーの類型が用いられる。「指導秩序は、
優越的な(ヴェーバーはそれを『カリスマ的』と呼んだ)指導意思の活発さ(Lebendigkeit)に基づく
のに対し、官僚制は強固な法則性(Gesetzlichkeit)に服するものである。」官僚制の合理性に対し、
「指導」の非合理性が極端に強調される。「真の指導は、原理(Prinzip)ではなく、現実の生の過程
(Lebensvorgang)であり、それは不断に指導者の人格に結びついている。指導から制度
( Institution ) や 原理を 生ぜ し め る こ と が あ っ て は な ら な い 。 」 両者は 異な っ た 存在法則
(Lebensgesetz)を有する(Forsthoff 1935b:154)。
Forsthoff1935bを所収する資料集の編者の一人マインクは、このようなフォルストホフの議論を、
一方では運動を重視する反国家的傾向(ヘーン)、他方では、伝統的官憲国家的エリート的官僚像
にそのまま「指導」を結びつけている保守的国法学者の多数(フーバー)と対比しながら捉える。
(Hirsch et al 1984:153-154. 参照、Scheidemann 1991:56,154)この二元論の実際的意図は、官
僚制固有の作動様式の強調によって、日常的行政に対する党の「指導」的介入からの一定の自律
性を確保することにあったと推測することができよう。13
「指導」は価値的に優位に立つものとしていわば「祭り上げ」られる。他方で、「低位」たるべき官僚
制固有の作動様式が強調され、結果として党の「指導」的介入からの日常行政の一定の自律性が確
保されることになる14。
「官僚制的行政はまずもって、第一義的に、日常的なるもののため、ドイツ民族の現存在の諸条
件の保証のためのものである。それは形成的な歴史的所業ではなく、歴史的行動のための諸前
12
具体例としてあげられるのは、ライヒ防空法の制定以前にライヒ内務大臣が発したところの布告である。
そこでは、その時点において建築警察官庁が防空に適した建築様式を強制しうる法律上の根拠
(Handhaben)がないこと、従って啓蒙をこそなさねばならないことが述べられているという。「今日の行政
も法律に厳格に拘束されていること」がそこに示されていると彼は言うのである。(Forsthoff 1935a:399)
13
フォルストホフの態度を「猫かぶり的」(heuchlerisch)と評するシュトライス(Stolleis 1990:374)は、「政治
化された行政の観念に対して、法的に形式化された領域が維持されたという利点」を指摘する(Stolleis
1999:344)。
14
文脈上 1935 年頃のことと思われるが、フォルストホフの追悼文においてクヴァーリチュが紹介する逸話
は興味深い。ハンブルグのライヒ法律総督が党綱領に基づいて法律を解釈するよう裁判官に求めた。しか
しフォルストホフはハンブルグ法律家協会での講演において、それに反対する。事後説明を求められた
フォルストホフは、「よき国民社会主義者は、『25 箇条』が修正可能なものとしてライヒ大審院によって拘束
的に解釈されるといったことを許すことはできない」と述べたとされる。(Quartitsch1974.参照、
Scheidemann 1991:154-155)「祭り上げ」をここにも見出せる。
5
提を作り出すのみである。というのは、どんなに遠くを見据えた計画も、言葉の真の意味におけ
る未来へ向けられた政治も、日常的な現存在が秩序を保っていなければ、水泡に帰すことにな
るからである。今日のドイツの対外政策は、ワイマール期が後に残していった社会的混沌の克服
なしには考えられなかったであろう。指導は、日常的なるものの上に立つ。それは、政治活動の
より高い、最高の位階領域において行なわれるものである。すべての規則性をそれは通り過ぎ
て い る 。 そ の 中で 、 歴史的な 作用へ の 政治的天才が 展開す る の で あ る 」 ( Forsthoff
1935b:154-156)。
「国民社会主義国家は、官僚制的行政を廃止したのではなくそれを革新し、指導者原理の導入
によって、この形態の行政の本質がそもそも許容する限りにおいて(強調引用者)官吏の人格性
に真価を発揮せしめたのである。…………これは、全き政治的な意味における指導ではない。この
意味における指導者はただ一人しか存しないのである」(Forsthoff 1935a:399)
「日常的なるものへの事前配慮は、行政の任務である。もちろん行政は指導のために奉仕すべ
きものである。.....全ての官吏は、全体(Ganzen)の成功のために責任をもつ権限と義務を
有し、総統(指導者)の補助者である。しかしそれは、党の下位指導者とは異なったあり方にお
いて補助者なのである。というのは、党は指導の連関における総統の道具である。党の機関が
国家行政機関から分離され、党機構と国家機構が区別され両者は頂点においてのみ出会うとさ
れることによって、党は行政事務の日常性に組み入れられることから守られるのである。」
(Forsthoff 1935a:400)
この二元論は、1933年の『全体国家』においてフォルストホフが展開した二元的支配秩序論の延長
上にある。同書では、「官僚制的支配」と「階層的・命令的・人格的支配」とが対比的にとらえられる
(Forsthoff 1933,37-38)。前者は19世紀に形成されたヴェーバー的目的合理性・計算可能性・精確
性で特徴付けられる装置的国家機能の担い手(Forsthoff 1933:11)である。「全体国家」においても、
大衆的扶助(Massenfürsorge)や大都市における行政需要等の充足のために官僚制が必要とされ
る。15他方、あらたに全体国家の保護下に入った経済や文化は官僚的嚮導に適さず16全権を与えら
れたコミッサールが必要となる。コミッサールは中立的で既得権を保護される官僚と異なり、政治的
意志の体現者であり政治責任を負う主体である。(Forsthoff 1933:35-37.)この段階ではフォルストホ
フは、この両者を「全体国家」として包括することを試みている。しかし周知のように(Neumann
1984:91(邦訳 59 頁)、Storost1978:56;中富 1983:290-291;桑原 1991)彼の論旨はローゼンベルク
の批判を招く(Rosenberg 1936)17。おそらくはこの批判を受けて、1935 年段階では、両者を包括的
15
歴史時期区分は、やや微妙である。Forsthoff1933 は、「全体国家」においてなお必要とされる官僚制
を「19 世紀的」装置国家の延長上にとらえている。これに対し Forsthoff1938:4 では、ゾンバルトの著作
(Werner Sombart, Der moderne Kapitalismus,3. Bd.1928)からの数字を引きつつ、「1800 年と 1914
年」「19 世紀初と 1910 年」「1871 年と 1910 年」がそれぞれ比較され、それは法治国が「前世紀の中葉」
までしか現実価値を有しないことの例証であるとされる。ここでは明らかに、19 世紀と同時代との間に生
じた変容を強調する視点がとられているのである。なおこの点、*松 1999:280 では第一次大戦期を「決
定的な転換点」と述べていたが、この時期に至るまでの変容過程を無視しているかのように読める表現で、
必ずしも適切ではなかった。
16
中富 1983:293-294 は経済や文化における官僚的嚮導を否定するフォルストホフの意図を「経済の自
由は、国家による方向づけのもとではあれ保障されるべき」と理解し、「私的独占体の『経済的自治』」の正
当化と位置付けるのだが、コミッサールの権限との関係は必ずしも明らかでない
17
批判を受け入れ修正したとされる『全体国家』第二版(参照、中富 1983:291-292)を参照し得なかった。
6
に把握する視点はもはやとられず、二元論それ自体がより強調される(参照、中富 1983:292)。本質
的に異なる「指導」と「行政」に共通の名称を求めることは、行政法学の任務ではないとされる
(Forsthoff 1935a:399)。
(b)1938 年
『給付主体』では、ニュアンスの更なる変化が見られる。同書では、現存在配慮が大衆的生活様式
と民族生存圏の狭隘さの結果であることが強調され、そのためそれは「真正の政治」「第一位階の政
治問題」と化したとされる。規範や料率表等によって展開している場合であっても、現存在配慮は
「官僚的=機械的な衣をまといつつも、力強い政治的ダイナミズムを保持している」のであり、現存
在配慮を機械的・装置的にのみ理解してはならないとするのである。一見死んだようで抽象的な無
数の規範や指示のモザイクから、高権的現存在配慮の全体像が生じ、それは全ての民族同胞の生
存可能性を左右する。「細部へのまなざしは個別的作用のメカニズムをとらえるだけだが、全体への
まなざしに対しては、総体的過程(Gesamtvorgang)の活気と政治的意味性があらわになっている
のである」(Forsthoff 1938:13)
しかし、同書においても、官僚制的作動様式を維持しようとする意図自体は一貫している。確かに
論者は、冬季貧民救済事業(Winterhilfswerk)等の非=官僚的、人格的現存在配慮の登場を指摘し、
「現存在配慮は現代(modern)行政の技術的制度であることをやめた」と述べるが、それは現存在配
慮と「団結の政治意識」を結びつける文脈である(Forsthoff 1938:19)、同書末尾では現存在配慮から
の国家の任務軽減の可能性を検討しつつ、「全ライヒ的計画の利害及び国防経済・国防政策上の要
請」 か ら 当面不可能で あ る し 、 い ず れ に せ よ 完全な 撤退は 不可能だ と さ れ る (Forsthoff
1938:48-49)。
それでは上のニュアンスの変化は何に由来するのか。同論文で引用されているヘーンの所説は、
次のようなものであった。行政とは、民族共同体のための諸任務を遂行するための国家装置
(Apparatur)の利用である。絶対主義的な国家-臣民関係はもはや存せず、それを前提とする「法関
係としての行政」ももはやありえない。人間が管理される(verwaltet)ことはもはやなく、国家機構は具
体的共同体の成員としての人間のために存するのである。「人間は指導されるのであって、管理さ
れるのは機構である」。権利=法主体としての国家ももはや存せず、個人の国家に対する権利もも
はや観念し得ない(Höhn 1936,59.参照、岡田 1987(2):65、山本 2000:169、宮崎 1979:103)
国家機構を民族共同体(=従って党)に従属させようとするかかる議論に対し、35年段階の二元論
では官僚制的作動様式の防衛は難しいと判断し、政治的ダイナミズムを説くややレトリカルな戦術
に転換したという説明がひとまず可能だろう。直接フォルストホフに触れたものではないが、シュトラ
イスの次のような叙述は示唆的である。「自覚的な行政機関であって、ナチス国家の作動能力にとっ
ての自らの意義を確信しているものは、次のような議論を利用することすらできた。即ち、わが機関
は既に自らのうちに『運動』を摂取したのであり、従ってもはや党による後見と浸透を要しないという
議論である」(Stolleis 1999:353)
なお、戦後フォルストホフは、「全体国家」への批判に対して、「私は、全体国家を喧伝することによって、
全体主義的党(die totale Partei)に対する警告を発しようとしたのだ」と主張していたという。("Gefahr fu^r
Alle", Der Spiegel 1960, Nr.41, S.74-76(76))
7
V 技術
(a)エンジニア的合理性
『給付主体』における、上記の「現存在配慮の政治性」という議論は、その前年に書かれた
Forsthoff 1937 に直接の起源を見出せる。フォスルトホフはここで計画(Planung)とプログラムを区
別する。プログラムは一般的な目標指示であり、精神的領域・芸術を含む人間の意志の投入が可能
な全ての領域で可能であるが、計画は「特定の目標へ向けての発展過程を構成的・予測的に形成
すること」と定義される18。つまり後者は、目標のみならずそれへ導く作動の詳細も、「エンジニア的計
算」によって規定するのである。そのため計画は、経済や技術のようなエンジニア的計算が可能な領
域においてのみ可能である。市民的法治国は、人間の替わりに規範を支配させ(国家の非人格化)、
経済と技術に対して中立的であったため、計画をなしえない国家であった。計画は、政治の経済に
対する優位を特徴とする指導者国家に特有の行動形式に他ならない。そしてそれは、「合理性とエ
ートスの調和」によって規定される。計画にはエンジニア的合理性が必要とされる一方で、総統と結
びついた政治的エートスによって受け入れられ、担われなければならない。「自らのエートスと世界
観を 、 冷静な 合理性へ と 転移で き る タ イ プ の 人間に こ そ 、 計画は 属す る も の で あ る 」
(Forsthoff1937:48-49)
(b)中立化過程と「道具としての技術」
前述のようにフォルストホフは、「合法的支配」と官僚制を、あくまで「技術的合理性」に着目しつつ
受容した。そこで、論者の「技術」観の検討が必要となってくる。
Forsthoff 1935 は、ラジオを例に挙げて、「現代技術」の行政現実への影響を語る。この技術的手
段の特性は、平等の機会という自由主義的要請をもはや不可能にする。検閲は自明の理であり、意
見表明の自由は 19 世紀の通信手段についてしか認められない。「技術的空間における行政」は、も
はや国家の中立性と価値への無頓着を許さず、国家が精神的政治的実体を有することを要求する
のである。防御的な従来の検閲のみならず、積極的形成的な行政が必要である。例えば高権的文
化政策と経済とが結びつく映画産業はその典型領域とされる (Forsthoff1935:332-333)
用語法、そしてラジオ・映画という例示だけからみても、この叙述はシュミットの「中立化と脱政治化
の時代」(Schmitt1932a)の影響下にある(参照、Scheidemann 1991:41-42)。20世紀における「技術
信仰」を、シュミットは、ヨーロッパにおける17世紀以来の人間的現存在の「中心領域」の転移、17
世紀以来のその中立化傾向の上に位置付ける。神学、形而上学、道徳、経済と中心領域を転移させ
てきたが、それは従来の中心領域が、それが係争領域(Streitgebiet)であるがゆえに放棄され、中立
的な新たな中心領域が求められる過程である。従来の中心領域もまた、中心領域でなくなったことに
よって中性化される。しかし、当初中立的と考えられた新たな中心領域は、人間と諸利害の激しい対
立により、闘争領域(Kampfgebiet)と化す。このような弁証法の上に「技術信仰」を位置付ける以上、
技術が恒久的に中立と平和をもたらすものではなく、闘争領域と化すことが予期される。さらにシュミ
ットによれば、技術の中立性はこれまでの領域の中立性とは異なったものである。それはいかなるも
のにも奉仕する点で一見中立的に見える。しかし、技術に内在するところのものからは、中立性へ
の決断はおろか、いかなる人間的決断を引き出すこともできない。道具・武器としての技術は、いか
18
Forsthoff 1933 では計算可能な官僚制と政治責任を負うコミッサールという二元論の上で(前述**
頁)、新しく全体国家の支配領域に入った経済・文化を後者に委ねるという構想が示されていた。本文で
見た「計画--プログラム二元論と、主体・対象の両面でズレを見出すことができる。
8
なるものにも奉仕するからこそ、それは中立的ではないのである((Schmitt1932a:74-77)。
さて、中立化過程による「文化的死滅」を語るシュミットは、ヴェーバーも含む19「先行世代」の「文
明没落の気分」を「あたっていた」と評価する(Schmitt1932a:78)。ここで重視されているのは、もち
ろん「精神のない専門人、心情のない享楽人」という周知の言辞に代表される、西洋近代に対する
ヴェーバーのペシミスティックな側面である。シュミットはヴェーバーのこの側面を共有する(佐野
1993:216)。しかしシュミットは、結局、「一方に精神と生命を、他方に死と機械を対置させる分類の
意味するところは、闘争の放棄にほかならず、ロマン主義的慨嘆以上の意味をもたない」と上の「先
行世代」を切り捨てる。彼らの不安は「新しい技術の巨大な装置を使いこなすべき自分の能力につ
いての疑念」にほかならない。技術そのものも、ロマン主義の見方のような「魂のない死物」ではな
いし、それと区別される「技術精神」は、「人間の自然に対する無限の力と支配への信仰」を有する
行動的形而上学であって、断じて没精神の機械ではない。むしろシュミットは、「新技術をわがもの
にすることができるほど十分に強い」政治を待望する(Schmitt1932a:79-80)ここでは「政治的刷新に
奉仕する侍女」(ハーフ1991:209.ただし参照、和仁1990:143注(47))としての役割が技術に期待さ
れることになる(参照、レヴィット 1971:177-180)。
現存在配慮の技術的合理性を強調する一方でその機械的・装置的理解を否定し、そこに「政治的
ダイナミズム」が存することを強調する『給付主体』や「指導と計画」の論旨は、上記の Schmitt1932a
に淵源を見出すことができよう。Forsthoff 1935 で語られる、技術発展による行政の変容の指摘とも、
かなり整合的に理解することができる。だとすれば、フォルストホフの議論に「産業的技術的発展へ
の潜在的な反感」(Scheidemann1991:42)のみを見出すことは—「潜在的」とされる以上そもそも反
証不能なことを別にしても--、やや一面的な理解に思える。シュミットやフォルストホフは、技術化と大
衆社会化への反感を同時代の多くの論者と共有する一方で、同時に技術を道具や武器として使い
こなしうる強力な政治に期待していたのではなかろうか。ただし技術は、自律的発展傾向を有する
点で単純な道具・武器ではないし、上記小論が指摘するように、「行政現実」(Forsthoff1935:332)に
も反作用を与えるものと理解されていることにも注意する必要がある。
但し、フォルストホフとシュミットには看過しがたい相違もある。「すべての新たな大進撃、あらゆる
革命、改革、すべての新たな選良は、禁欲から、また自発的もしくは非自発的な窮乏から生じる」こ
とを強調するシュミットは、「現状の安定の放棄」を重視する。「既存の現状のもたらす安楽を文化的・
社会的虚無とみなす」運動が注目される(Schmitt1932a:80)のである。しかし「冷静な」考察を旨とす
るフォルストホフにとっては、配分参加の安定による生活リスクの減少こそが、譲れない理論的前提
であった(前述**頁)。
大衆社会化を正面から見つめ、「伝統的なドイツ保守主義者とは異なり、伝統的・有機的・前資本
主義的な生の形態が持つ好ましさについて、いかなる幻想をも抱いてはいなかった」(ウォーリン
1999:47-48)「保守革命」派(参照、Storost1978:52-53)としての特徴は、フォルストホフに確かにあて
はまる。なるほど被支配空間と有効空間をめぐる「給付主体」の生活空間分析にある種の「郷愁」を読
み取ることも不可能ではない。しかし、論者は時計の針を逆に戻すことができるとはおよそ思っては
いないのではないか。官僚制を伝統的権威的に正当化するのではなく、大衆社会化との関連で技
術的合理性的に肯定しようとする上述の志向も同一線上にある。
(c)反動的モダニズム?
19
他にシュペングラー、トレルチ、ラーテナウなどが名指しされている。参照、和仁 1990:142-143
9
「給付主体」でフォルストホフは、「共同体思考」と「自然科学・自然法則的思考」を対比する。後者が
社会事象に適用することが「法律=法則(Gesetz)思考の凱旋行進」を招き、一歩一歩「人間が事物
に降伏」していった。君主ではなく憲法に、命令でなく規範に、人間ではなく事物(=立憲国家)に
服従しようとする努力が、法治国的自由のパトスに他ならない。これに対し指導者主義は政治の領
域で、共同体思考は学問の領域で,人間の事物に対する優位を回復するものと論じられるのである
(Forsthoff1938:16-17)。
かつて『全体国家』の第一版で、「国家は伝統、法則=法律、秩序に拘束されている」と論じ、運動
指導者としてのヒトラーは、ライヒの指導者として国家権力を掌握したことにより「新たな法則の下に
踏み入る」と主張した(Forsthoff 1933:31)フォルストホフすら、跡形もない。官僚的作動様式の防衛
という意図があったとしても、そこでは本質的なものもまた変容している。こここには外的状況に対応
したレトリカルな戦術に還元し得ないものがあろう。
1933 年から 1938 年にかけての彼の理論展開は、官僚制的技術的合理性としての合法性という発
想を一貫して前提とした上で、その中における主意主義的な契機が強まっていった過程と総括する
ことができるであろう。合法的支配は「技術」として、政治的意思にとっての「道具」としてとらえられ、
目的合理性的側面が極限まで強調されることになるのである。
以上からすれば、ジェフリー・ハーフの定式化した「反動的モダニズム」=「ドイツ・ナショナリズム
の中に存在している反近代主義、ロマン主義、非合理主義の思想と、手段--目的合理性の最も明白
な現れである近代テクノロジーとの和解」という理念型が、フォルストホフに当てはまるところ多いよう
に思われる。
「反動的モダニストというのは、ドイツの右翼のロマン主義的な反資本主義の態度を、後ろ
向きの牧歌的生活への憧れから切り離し、別の方向に向かわせたナショナリストなのであ
る。彼らが牧歌的生活のかわりに指し示したのは、資本主義によって引き起こされる、形態
を欠いた混沌に取って代わって、統一され、技術的に進歩を遂げた国民の中に出現する
はずの美しい新秩序の概観であった。そうすることによって彼らは、ヒトラーの体制が存続
していた間ずっと、ナチスのイデオロギーが持ち堪えることに手を貸したのである。彼らは、
右からの革命を要求していたが、この革命は、経済と市場に対する政治と国家の優位を回
復し、そのことによって、ロマン主義とドイツの再武装とのあいだの結びつきを回復しようと
するものだったのである」(ハーフ 1991:2-4)
ハーバマスは、フォルストホフを含む戦後ドイツの新保守主義的論者について、「文化的近代への
『肯定』を除外するという条件でのみ社会的近代を受け入れた」「近代との中途半端な和解」を語る
(Habermas 1985:39-42(邦訳 52-56)のだが、フォルストホフの場合、その「和解」の本質的部分は既
に戦前に行なわれていたのかもしれない。
VI むすびにかえて
以上述べてきたところに照らせば、フォルストホフの官僚制についての把握は、国家秩序の中でそ
の占めるべき地位、担当すべき領域、その存在理由などについて揺れを示しながら、その技術的合
理性を評価し、固有の作動様式に何らかの重要性を見出していく志向においては一貫していた。合
理性に「パトス」を見出していたのは、彼が批判したヴェーバー(前述**頁)よりもむしろ、フォルス
トホフ自身だったのかもしれない。「冷静な」(nüchtern)(Forsthoff 1938:19;1937:49.参照、Stolleis
1999:367)「実際的」(Forsthoff 1938:9)「現実的」(Forsthoff 1938:19)な考察法においても、--pretext
10
的な側面を差し引いても--彼の論旨は一貫している。
しかしシュトライスは、フォルストホフの官僚制擁護論がその「利点」に依拠しているため、政治に
対する「弱い防波堤」にしかならないことを指摘する(Stolleis 1999:362-363)。同時代の亡命者の見
方は、当然ながら、さらに厳しい。
「分業に基づく社会はすべて、必然的にさまざまな権限の範囲や、裁判権や、規則正しさ
を生みだし、そしてこれらは、機能している法体系という外観をよびおこす。交通は右側通
行か左側通行かでなければならない。家屋は緑色ないし白色にぬられなければならな
い。....これら問題とその他数千もの他の問題が合理的(rationell)に処理されるのであって、
いわゆる SS、SA、ゲシュタポの大権国家においてすらそうである。しかしそれらは、……
もっぱら技術的な性格を持つ『文化に無関係な諸規則』である。……………ドイツには計
算可能な技術的規則は数千もあるけれども、法と法律のライヒは全く存在していない」
(Neumann 1984:509,541(邦訳 375,400)、参照、Luthardt1983:204-206(訳 298-302)
官僚制的技術的合理性の「利点」を説くことは、「体制」が有する非合理的な側面に対する批判の
論理たりうるだろう。しかしその「批判」は、状況によって、抵抗の論理になることもあれば、根本的に
不法な体制の円滑な作動と安定化を保障するための補完的役割を果たすこともあるだろう。ややど
ぎつい言い方が許されるならば、アウシュビッツの「運営」のためには鉄道交通の「合理的」運行が
不可欠だった20のである。その意味で、かかる論理自体は価値中立的でなものしかない。価値中立
的であるが故に時代を超えて生き延びることができるが、特定の状況においてその論理が果たす実
践的機能は、あくまで状況被規定的なのである。
もしフォルストホフの行動を価値的評価の観点から論じようとするのであれば、歴史的文脈を踏ま
えた上で、具体的・実践的局面で彼の言説が果たした/果たさなかった機能を一つ一つ慎重に検証
することが必要である。この論者についてかかる作業を行う意図は、当面、筆者にはない。
*塩野宏先生は、「学術論文的なものとしては、私の最初の作品」とされる塩野 1960 および塩野
1962:333-339 において、フォルストホフの Daseinsvorsorge 論の詳細な分析をいちはやく試みて
おられる。本稿はごくわずかの新たな論点をメモ的に提示しえたに止まり、その大部分は先生の分
析のできの悪い注釈に過ぎない。このようなものしか献呈できないことの不明に、塩野先生のご寛恕
を願うばかりである。
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20
参照、広渡 2000:5-6;文脈はやや異なるが、Stolleis 1999:404-405。その意味で、フォルストホフに限
らず、この時期の論者の議論における「ナチス・イデオロギー」(塩野 1962:335)の有無や「没価値性」(塩
野 1989:322-323)を語るには、周到な前提を要する。技術的合理性が「没価値的」なものでありうるかどう
かは、まさに我々自身の問題であろう。
11
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