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時差の旅行医学 - 日本旅行医学会

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時差の旅行医学 - 日本旅行医学会
21世紀の
知っておきたい旅行医学
(航空機時代へ向けての対応)
時差の旅行医学
−生物時計を調節する−
リズム、⑤血中や尿中のカリウムやナ
白川修一郎(国立精神・神経センター精神保健研究所老人精神保健研究室長)
駒田 陽子(国立精神・神経センター精神保健研究所老人精神保健研究室)
水野 康(国立精神・神経センター精神保健研究所老人精神保健研究室)
まなサーカディアンリズム現象が知ら
トリウムの濃度変動、⑥表皮細胞や白
れています。これらのサーカディアン
間に同調されています2)。
生物時計には、図1に示すように、
景気の低迷やテロの影響で旅行者が減ったとはいえ、2001年の海外へ
(A)光が同調因子*2 で、メラトニン分
の日本人旅行者は1,700万人に上っています。その多くは、米国やヨーロッ
泌、深部体温、コルチゾール分泌など
パへの旅行者で、日本は極東に位置する関係から、海外旅行のおりに時差の
のリズムを強固に支配し自律性が高
影響を免れることのできない場合が多くなります。さらに、近年では中高年、
く、視床下部の視交叉上核に存在す
高齢の旅行者も増え、時差の影響をより強く受ける人が多くなっています。
ることが確認されている生物時計、
時差による影響は、多くは睡眠障害を主症状として現れることが多く、睡眠
(B)ノンレム睡眠の発現に関わり社会
障害国際分類1)では、概日リズム睡眠障害のなかに時間帯域変化(時差)症
的規制が同調因子となっており、支配
であること、少なくとも2つの時間帯域を通過する航空機旅行後1∼2日以
内に症状が現れるとされています。
(C)臓器内での脂質代謝などの代謝リ
ズムを支配し、食事の規則性が同調因
が報告されています。
睡眠の発現容易性は、サーカディア
ンリズムの影響下にあり、深部体温が
①人間のサーカディアンリズムを示す
生命現象を支配する生体時計が複
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2002年9月号
調節機構
(視床内側部)
出現傾向のリズム
発現のリズム
発現のリズム
(A)サーカディアンリズム
タイプ1発振機構
(視交叉上核)
(B)サーカディアンリズム
タイプ2発振機構
?
皮膚温
同調因子
社会的規制
同調因子
食事習慣
カップリング
(内的同調)
メラトニン分泌リズム
コルチゾール分泌リズム
深部体温リズム
(C)サーカディアンリズム
タイプ3発振機構
?
臓器内の代謝リズム
同調因子
高照度光
運動
図1 睡眠発現のメカニズムとサーカディアンリズム機構との関係
睡眠にはNREM(ノンレム)睡眠とREM(レム)睡眠が存在し、その脳内メカニズムは異なっている。ま
た、睡眠の発現に強く影響するサーカディアンリズムの発振機構(生体時計)も複数存在し、視床下部視
交叉上核に存在し、明暗サイクルや運動サイクルを同調因子とし深部体温やメラトニン分泌リズムを支
配する生体時計、局在部位は同定されていないが睡眠・覚醒サイクルを同調因子としNREM睡眠の発現
を支配する生体時計、肝などの臓器に存在し食事サイクルを同調因子とし、脂質などの代謝リズムを支
配する生体時計が知られている。睡眠は、これらの機構の協同した作用で発現し、その持続や質も左右
される。
下降しメラトニンが分泌される時期
時差のサーカディアン
リズムへの影響
数存在すること、
に、睡眠の出現傾向は高くなります。
また、睡眠の発現容易性には睡眠欲求
の蓄積も関連し、覚醒が続けば睡眠欲
②睡眠の発現様式がサーカディアンリ
本来は約2 5 時間の周期で変動する
求は蓄積し、睡眠が始まれば睡眠欲求
ズムに影響を強く受けていること、
サーカディアンリズムに、人間の生理
は漸減するという砂時計型のプロセス
③サーカディアンリズムを支配する生
現象の大部分は大きく依存していま
も存在します3)。
体時計の周期や位相が、その本来の
す。①睡眠・覚醒リズム、②深部体温
生体現象はサーカディアンリズムに
役割から、高い自律性をもつこと、
リズム、③拍や血圧の変動、④メラト
支配され、種々の現象のピークも時系
ニン*1 や副腎皮質ホルモンなどの分泌
列にそって規則正しく配置され、効率
が原因となっています。
REM睡眠
(青斑核複合体)
(延髄網様体諸核)
相互制御
力のやや低い生物時計、
子となっている生物時計
時差による睡眠の障害は、
NREM睡眠
(延髄網様体)
(前脳基底部)
リズム現象は、いくつかの生物時計に
より支配され、外的要因により約24時
候群として示されています。診断基準は、主要な訴えが不眠や過度の眠気
睡 眠
血球の分裂再生など、生体にはさまざ
*1 メラトニン(melatonin)
前駆物質はトリプトファンで、脳の松果体で主に生成される。メラトニンのリズムは、視交叉上核のサ
ーカディアンリズム振動体に強く支配されている。睡眠と覚醒の状態には影響されず、体内時間の夜に
分泌が上昇する。50ルクス以上の光環境下や高体温状態で分泌が抑制される。メラトニンは、1mg程度
の服用で視交叉上核のレセプターを介したサーカディアンリズムの位相調節作用を持つ。また、末梢動
脈を拡張させ深部体温を低下させる働きも知られている。性腺発達抑制ホルモンでもある。
*2 同調因子(synchronizer、zeitgeber、time cue、entraining agent、entrainer)
体内リズムを強制的に同調させる外的要因で、人間のサーカディアンリズムでは明暗サイクル、活動サ
イクル、運動サイクル、食事サイクルが知られている。同調因子の人間のサーカディアンリズムに対す
る作用は、周期を変化させるのではなく、位相の前進あるいは後退により見かけ上のサイクルを調整し
ている。
Mebio Vol.19 No.9
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21世紀の
知っておきたい旅行医学
(航空機時代へ向けての対応)
図2 に、12 時間の時差のあるニュー
睡眠
サーカディアンリズム位相と同調因子
ヨークに航空機で旅行した場合の睡眠
とメラトニン分泌、深部体温リズムと
社会的規制
時差のある外国に旅行する場合に、
深部体温
の関係を模式的に示します。旅行第 1
メラトニン分泌リズム
の作用を示します。
運動
位相前進(ハワイ・アメリカ対策)
国内で旅行前に行っておくと良い事項
体温リズム
日目は、旅行者のサーカディアンリズ
がいくつか存在します。
ムは、日本での社会生活時と同様な位
深部体温リズム
0 : 00
6 : 00
12 : 00
18 : 00
相を示しています。そのため、旅行先
◎旅行前の睡眠が不足している
の日中に、深部体温が低下し、低照度
と、時差症状による睡眠障害が
下ではメラトニンも分泌されます。ま
24 : 00
日本時間
高照度光照射
た、心拍数、血圧も低下します。この
ような状況下では、脳・身体機能も低
下し、眠気が強く現れてきます。一方
睡眠
24
で、旅行先で睡眠をとる場合、現地の
メラトニン分泌リズム
6 : 00
12 : 00
18 : 00
24 : 00
ニューヨークの現地時間
12
生活時刻(時)
行うために、②自己のサーカデ
ィアンリズムの位相を確認して
おく。自己のサーカディアンリ
し、メラトニンも分泌されません。こ
同調因子の曝露により、サーカディアンリズムの位相が変化するが、どの位相でどの同調因子に曝露さ
れるかで、位相変化の反応性は異なる。特に、光曝露とメラトニン投与による位相反応の形態はよく調
べられている。この位相反応の形態を詳細に調べると、その反応性はほ乳類では一定の法則性を示す。
この変化を表示したものは、位相反応曲線(PRC:phase response curve)とよばれている。人の光に対
する位相反応曲線では、深部体温の最低点の2∼3時間後に高照度光を照射した場合、深部体温リズムの
位相が1∼2時間程度前進し、逆に深部体温の最低点の前に高照度光を照射した場合には、位相は後退す
る。メラトニンに関する位相反応曲線は、光とは逆に入眠時刻前の投与がメラトニン分泌リズムの位相
を前進させることが判明している。メラトニンのサーカディアンリズム位相に対する作用は、高照度光
に比べかなり弱い。
ズムの位相は、便宜上、習慣的
のようなサーカディアンリズム位相で
の睡眠の特徴として、入眠困難、持続
醒、深睡眠やレム睡眠の減少、浅睡
12時間の時差のある外国に航空機で旅行した場合の睡眠とメラトニン分泌、深部体温リズムとの関係を
模式的に示す。サーカディアンリズムは自律性が高く、旅行先でも日本での社会生活時と同様な位相を
示す。旅行者が旅行先で眠る場合、身体や脳はサーカディアンリズムの影響で昼の状態になっており、
深部体温は高く、メラトニンも分泌されない。そのため、入眠困難、持続性の悪化による分断、短時間
での覚醒、深睡眠やレム睡眠の減少、浅睡眠や中途覚醒の増加が生じる。
眠や中途覚醒の増加が報告されていま
よく生命現象の営みを支えています。
◎旅行先で適切な時差への対処を
図3 サーカディアンリズムと同調因子の働き
性の悪化による分断、短時間での覚
2002年9月号
24
分に睡眠を確保しておく。
アンリズムの影響で深部体温は上昇
図2 時差とサーカディアンリズムとの関係
156
12
位相後退
(ヨーロッパ対策)
夜は日本では昼にあたり、サーカディ
深部体温リズム
0 : 00
で、①海外に旅行する前に、十
高照度光照射
メラトニン投与
12
より強く出現する場合が多いの
食事
(代謝系リズム)
位相前進
(ハワイ・アメリカ対策)
な就寝時刻をcircadian time 0
(CT0)とする場合が多い。
◎③海外の生活リズムに合わせ
て、自己のサーカディアンリズ
ムを少々調整しておく。
す5)。この原因は、サーカディアンリ
ズム現象の種々の生体時計間のカップ
リングがはずれ、内的脱同調*3 が生じ
より後退させる方向(西行)の旅行の
調させることが、その対処法の主幹と
るためです。
ほうが、時差の症状の軽いことが知ら
なります。サーカディアンリズムを同
れています。
調させることの可能な外的要因を同調
生体時計の位相が1 2 時間の時差の
*3 内的脱同調
(internal desynchronization)
主振動体の支配下において、他の振動
あるニューヨーク時間に再同調するの
因子とよび、人間では、①2,500 ルク
体がカップリングして動作すること
に要する期間は、若年者では自律神経
ス以上の光、②社会的規制、③食事、
原則的に、体内のリズム現象は一定の規則の
で、睡眠や他の生命現象は、時系列
系、睡眠ともほぼ 1 週間で、高齢者で
④運動の4同調因子が知られています。
もとに同調して動作しているが、外環境サイ
的に同調し効率的に機能します。数
は自律神経系の再同調は1 週間、睡眠
個の生物時計間のカップリング機能
は10日と報告されています。また、人
時差によって生じる症状は、その主
作用は、リズム位相のどの時点で曝露
は、加齢とともに低下することが知ら
間の生体時計の周期が約2 5 時間のた
たるものが睡眠障害です。また、サー
するかにより異なるので、注意を要し
れています4)。
め、前進させる方向への旅行(東行)
カディアンリズムを現地時間に早く同
ます2)。図3 に、深部体温を例にとり、
日本を発つ前の時差対策
同調因子のサーカディアンリズムへの
クルの変化や体内の何らかの変化で、複数の
体内リズム間の同調関係が崩れることがある。
体内リズム間の同調が崩れる場合を内的脱同
調とよび、体内リズ ムと外環境のサイクルと
の脱同調を外的脱同調とよぶ。心身の不全は
内的脱同調の場合に生じる。
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21世紀の
知っておきたい旅行医学
(航空機時代へ向けての対応)
調整には、数日は必要で、アメリカ
日本でのサーカディアンリズム位相を
ち越し効果に対する注意も必要です。
方向への旅行の場合は、前進させま
確認しておくことが重要です。自己の
また、機中での服薬は避けること、服
という“薬”はありません。しかし、時
す。前進させるための方法は、起床直
リズム位相のCT0前後で高照度光を受
薬後速やかに就床すること、アルコー
差障害のメカニズムを理解することに
後から30 分程度外光を浴びることで、
光 するとリズム位 相 は後 退 します。
ルとの併用を避けることなどの服薬指
より、ひとりひとりが時差対策を意識
1 ∼ 2 時間の位相の前進が可能です。
CT0 から5 ∼9 時間後の時間帯で受光
導も必要とされます。
し、工夫することが可能です。そうす
午前と午後に30分∼1時間運動するこ
するとリズム位相は前進します。位相
自己のサーカディアンリズム位相の
とで、1 時間程度位相を前進させるこ
の移動量は、前進方向のほうが大きい
確認が困難な場合には、現地で夜の就
海外でのビジネスや会議の効率が上が
とが報告されています。昼食、夕食の
のですが、受光時間帯のリズム位相の
床1 ∼2 時間前にメラトニン1mg を服
り、スポーツ選手が十分に実力を発揮
時刻を前進させることで、代謝のリズ
ポイントや照度、受光時間に左右され
用し、朝に外光を3 0 分以上浴び、昼
でき、注意力の低下によるトラブルが
ムを前進させ、時差症状が軽減すると
ます。外光では30分∼1時間程度、人
に仮眠をとり、夕方に軽運動を行うと
減少するでしょう。
いう報告があります。
工の高照度光では、1 ∼2 時間程度を
いう、現地時間へのリズム位相の再同
ヨーロッパへの旅行の場合は、位相
目安とします6)。メラトニンの作用は、
調促進方策も用いられています。
を後退させます。その方法としては、
光とは逆で、C T 0 の1 ∼ 2 時間前の
就寝時刻と起床時刻を後退させること
1mgの服用では位相前進を、CT0から
で可能となりますが、数時間が限度で
5 ∼9 時間後の時間帯での服用では位
す。就寝前に2,500 ルクス以上の高照
相後退を引き起こします7)。超短時間
度光を浴びると位相が後退しますが、
作用型睡眠薬は、現地での就寝直前
特殊な証明器具を必要とし、入眠を阻
の服用を指導します。睡眠相の現地時
害する場合があります。
間への強制的な移行により、サーカデ
この薬を飲めば時差障害は解消する
ることによって旅行がより快適になり、
ィアンリズム位相の同調を促進する効
果をもちます。睡眠相の強制的移行を
旅先での時差対策
選択する場合には、旅行スケジュール
に余裕をもたせ、耐え難い眠気がおそ
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時差への対処法は、東行の場合(ア
う前に予防的な短時間仮眠をとるよう
文献
メリカ方向)には自己のサーカディア
指導します。超短時間作用型睡眠薬
1) Diagnostic Classification Steering Committee
ンリズム位相の前進を補助する方策
は、筋弛緩作用、記憶障害、奇異反
(Chairman: Thorpy MJ): International classifi-
を、西行の場合(ヨーロッパ方向)には
応などの副作用の少ないZolpidem(若
リズム位相の後退を補助する方策を講
年者では5mg、高齢者では2.5mg)な
5) Arendt J, Stone B, Skene D: Jet lag and sleep
ing manual. American Sleep Disorders Asso-
disruption. In: Principles and practice of sleep
ciation, Rochester, Minnesota, 1990.
medicine: Third edition.(Kryger MH, Roth T,
2) 千葉喜彦, 高橋清久編: 時間生物学ハンドブッ
どがよく用いられています。Zolpidem
後退させるための方策として、高照度
の血中半減期は若年者で2 時間程度、
3) Dijk DJ, Edger DM: Circadian and homeostat-
光、メラトニン、超短時間作用型睡眠
健 康 高 齢 者 で 4 . 5 時 間 程 度 ですが、
ic control of wakefulness and sleep. In: Regu-
肝・腎機能低下のある高齢者では、血
ラトニンを位相変移に用いるためには、
中半減期も延長しますので翌日への持
1674, 2002.
cation of sleep disorders: Diagnostic and cod-
じます。一般に、位相を前進あるいは
薬が多く用いられます。高照度光、メ
4) 白川修一郎: 睡眠のメカニズム. 薬局 53: 1667-
ク. 朝倉書店, 東京, 1991.
Dement WC eds.), WB Saunders Co, Philaderphia pp.591-599, 2000.
6) 白川修一郎: 人間の睡眠・覚醒リズムと光. 照
明学会誌 84: 354-361, 2000.
lation of sleep and circadian rhythms.(Turek
7) 三島和夫, 大川匡子: メラトニンの生体リズ
FW, Zee PC eds.), Marcel Dekker Inc, New
ム調節作用. 日本臨床 56: 302-307, 1998.
York, pp.111-147, 1999.
Mebio Vol.19 No.9
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