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リーフレット裏面 - 大町山岳博物館
れき 1 山の子村の大きな礫は、 3 鷹狩山や南鷹狩山は、 5 大峰山に残る民話は、意外と 山の成り立ちの歴史を物語る? 7 大峰山中に残る遺跡と 街道の不思議! いったい誰が運んだの? どんな岩石でできているの? 旧八坂村の西部を画する山地が、 北から霊松 大町山岳博物館の北側の谷沿いには、 「樋沢 こ の 山 を つ く っ て い る 地 層 や 岩 石 が 、 コ ー ス 寺山、 鷹狩山、 南鷹狩山、 そして池田町へと 越え」 と呼ばれる街道が通っていました。 八日 「花こう岩」、 別名 「みかげ石」 という名の岩石 途中に顔を出しています。 「大峰帯」 を特徴づけ 続く大峰 (1016m) と標高 1100m級の山が連な 町-樋沢谷-樋沢峠 (ノッコシ)-美麻メエヌッ です。 角がとれて少し丸みを帯びているので、 る岩石です。 写真はここから少し南の山の中でみ ります。 もともと大峰山地と名付けられていたこ 原-八坂曽山-上水内郡信州新町日名-更埴 どこかほかの場所から運ばれてきたもの? られる大峰帯の地層のようすです。 の山地に、 故 ・ 平林照雄博士は 「仁科三山」 稲荷山-北国西街道に合流する街道は、 江戸 それとも誰かが運んできたもの? どんな特徴の岩石 (地層) でしょうか? と命名しました。 この山地周辺には 「鷹狩山の 時代には善光寺街道とも呼ばれていました。 れき と て も 大 き な 礫 で す 。 近 づ い て 触 れ て み て く こうぶつ ださい。 たくさんの鉱物が集まった少し白っぽい か がん 「大峰帯」、それは何? てるお うばいけ かなくま この花こう岩はどこに分布するもの? 場所によって違いはあるのでしょうか? 別れた話」、 「姥池」、 「月の輪の宮」、 「金熊 実は、 この街道周辺には縄文時代から蟹ヶ沢 などなど、 いろいろな疑問がわいてきますね。 少し考えながら歩くのも楽しいものです。 村と大町の境界」 など民話が多く残されています。 遺跡やメエヌ原遺跡など古くから人が山中で暮ら 鷹狩山が二つに分かれたという民話は、 実は、 してきた歴史が隠されています。 現在の地質の研究からも実証可能か ?! メイヌ原遺跡 池田町堀の内で見られる大峰帯の地層 旧山の子村の巨礫 2 山の子村の神秘な池。 4 大峰山地の火山灰 ( 大町ローム層 ) なぜこんな池がここに? を洗ってみて何が分かるの? 鷹狩山への斜面の途中に、 小さいけれど林に これは、 旧大町スキー場の近くで見られる大町 囲まれた静かな池がポツンとひとつ。 水をたくさ ろとう 大峰山地(常盤方面より) 6 大峰山に残る歴史遺産とは? 鷹狩山山頂に東面して鎮座している金刀比羅 たてまつ 宮は、 八坂切久保集落によって祀られている神 メイヌ原遺跡 出土品 8 かつて大峰山は まる坊主だった!? 現在は大峰山地一帯は、 カラマツやアカマツ へ ローム層と呼ばれる地層の露頭写真です。 社です。 神社の創建は不明であり、 近世末期の ん供給している河川もないのに、 枯れもせずな ローム層というのは何でしょうか? 記録には単に 「先年讃岐国象頭山より勧請」 と から 70 年ほど前の戦中から戦後の時期には、 ぜここにあるのでしょうね? コ ー ス 途 中 で も 少 し 見 ら れ ま す の で 、 観 察 し て だけあり、 現在の香川県金刀比羅宮より祀られ 一帯はほとんどの木が切り倒され、 はげ山が広 みてください。 たものであることはわかりますが、 本来航海の安 がっていました。 よく観察すればところどころに畑 標本を採取することにしましょう。 それで何をす 全を司る神をこのような山中に奉祀した理由はな も広がっていたことがわかります。 どうして当時は るのかって? お楽しみに。 ぜだったのでしょう。 木がなく、 そして半世紀たって現在のような森へ か や様々な広葉樹などに覆われていますが、 いま と変化してきたのでしょうか。 であ 旧山の子村の神秘的な池(蟹ヶ池) 大町スキー場付近の大町ローム層 金毘羅宮の神場 南鷹狩山と風穴