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東日本大震災調査記録
東日本大震災調査記録 仙台・塩釜・東松島・石巻・女川 記録:中西三和 1.調査概要 調査日程:平成 23 年 4 月 9 日(土) 、10 日(日) 調査団 :畔柳昭雄、増田光一、中西三和、 居駒知樹 同 日本大学理工学部海洋建築工学科教授 准教授 新井洋一、前田久明 日本大学理工学研究科客員教授 調査行程:4 月 9 日(土)羽田(空路)→山形空港(車)→仙台国交省東北地方整備局 →鹿島建設東北支店→包装紙会社工場の被災状況→仙台塩釜港(仙台港区) →七ヶ浜町→仙台塩釜港(塩釜港区)→仙台 4 月 10 日(土)仙台→東松島→石巻→女川→石巻→東松島→仙台→山形→ (空路)羽田 女川 2日目 1日目 図1 4 月 9 日(土) 、10 日(日)調査地域 1 2.調査目的 平成 23 年 3 月 11 日 14 時 46 分に発生した東北地方太平洋沖地震では大津波の発生に より岩手県、宮城県、福島県の東北地方沿岸域に壊滅的な被害をもたらした。また、そ の被害地域は茨城県や千葉県にも及んでいる。今回の調査は、これまでの津波災害とは 異なる規模の被害様相から判断し、単なる調査にとどまらず、建築的な視点から復興街 づくりや津波に強い建築物のあり方等、海洋建築工学科として支援できる研究課題に取 組むための予備調査として位置付ける。 3.調査記録 ◆ 第 1 日目 8:05 4 月 9 日(土) 羽田発山形行 JAL、9:05 山形着 大型タクシーにて仙台へ 10;50 国交省東北地方整備局副局長 宮本卓次郎氏にヒアリング 11:50 鹿島建設東北支店副支店長 13:45 国交省塩釜港湾・空港整備事務所所長 大畑好氏、支店次長 加納実氏にヒアリング 池田秀文氏に仙台・塩釜港周辺の被害 状況ヒアリング後、被害地視察 18:30 仙台 ホテル泊 3,4 図2 第 1 日目調査地域(仙台港、七ヶ浜町、塩釜港) 2 1,2 13,14 5~8 11,12 9,10 図3 仙台港詳細と写真撮影位置 21,22 19,20 18 15~17 図4 七ヶ浜町及び塩釜港撮影位置 3 1)包装紙等製造会社の被害(写真1,2) 仙台港から北に約1kmに位置する鉄骨造2階建てのオフィス棟と鉄骨造の倉庫群 の被害状況である。オフィス棟の1階天井付近まで冠水したということであり、約3m の津波高さである。1階部分の外壁の ALC 版や窓ガラスが破壊され、倉庫棟では鋼製の シャッターが損壊している。躯体の鉄骨は、補修すれば再使用可能であると判断された が、高台の場所に移転することを決めたということで片付け作業が行われていた。また、 敷地内のいたるところに漂流した車が散乱している。 写真1 オフイス棟の被害状況 写真2 倉庫棟の被害状況 2)宮城野区岡田地区の被害(写真3,4) 県道10号線を若林区方面に向かう道路沿いの被害状況である。海岸線から約1km 入った地点であるが、道路の左右の田畑は冠水し、家屋の多くが流失した。残っている 建物についても何らかの損壊を受けており、この方面の被害の大きさを物語っている。 なお、津波の遡上は、さらに内陸にある仙台東部道路の盛土が堤防となって止まったと のことである。 写真3 岡田地区の被害状況 写真4 岡田地区より若林方面の状況 3)仙台港区南側埠頭の被害(写真5~8) ) 大型のガントリークレーンを備えた埠頭の被害である。コンテナヤードのコンテナが 散乱しガントリークレーンが傾斜した。クレーンの走行部分とまわりのヤードとの段差 はもともと平坦であり、ヤードが約70cm沈下したことが分かる。また岸壁一部が側 方流動により損壊していた。コンテナヤードには約4000個のコンテナが積まれてい 4 たが、このうち約1000個が流失した。 写真5 ガントリークレーンと 写真6 傾斜したガントリークレーン 写真8 岸壁の側方流動による亀裂 コンテナの散乱状況 写真7 周辺ヤードの沈下(-70cm) 4)向洋海浜公園見晴台からの遠望(写真9,10) 見晴台から遠望した世界的にも有名な蒲生干潟の被災後の様子である。干潟の半分近 くが消失していることがわかる。また、仙台港側の海岸には流失したコンテナが散乱し ている。 写真9 見晴台より仙台港を望む 写真10 蒲生干潟の遠望 5)仙台港中央公園展望台(写真11,12) 仙台港の一番奥懐に位置する中央公園である。中央公園から右側が4)のコンテナヤ ード、左側がフェリー埠頭、高松埠頭方面である。展望台へ上る芝生の部分には津波遡 上の痕跡が残されており、石積みのスロープが損壊しているが一時的な避難場所として 5 は充分に機能している。 写真11 写真12 中央公園より仙台港を見る 展望台の芝生に見る津波 遡上の痕跡 6)高松埠頭の被害(写真13,14) 仙台港北側岸壁の突端の埠頭である。耐震岸壁であったことから岸壁には被害はない。 埠頭に鉄骨造の倉庫は津波によりシャッターは破壊され、一部鉄骨柱のアンカーボルト が引き抜かれ部分的に大きく建物が傾斜している。一方、海前面のヤードに野積みされ た砂利や砂が流失せずに残っているのが対照的である。 写真13 高松埠頭の倉庫の被害状況 写真14 アンカーボルトが引き抜かれた柱脚 7)七ヶ浜町の被害(写真15~18) 七ヶ浜町は、北と東側が松島湾、南側が太平洋に面した自然が残された風光明媚な街 である。日本における3大外国人避暑地の一つであったといわれている。菖蒲田海岸で は防波堤が損壊し周辺の家屋の多くが流失した。流失を免れた家屋が点在するが、軽量 鉄骨系の住宅であり外壁のサイディングが破壊されている。一方、流失した家屋の多く は基礎と土台部のアンカー部分から根こそぎ運ばれていた。2×4形式のパネル構造は、 壁パネルが耐震要素となるが津波荷重に対しては大きな水圧を受け抵抗力があるだけ に冠水高さが増すほど浮力の影響も大きくなったことが流失の原因の一つとなったと 考えられる。この後、吉田浜、代ヶ崎を経由して塩釜港へ向かう。 6 写真15 破壊された防波堤の補修 写真17 2×4構造の住宅被害 写真16 写真18 軽量鉄骨の住宅被害 吉田浜:屋根に上がった漁船 8)塩釜港の被害状況(写真19~22) 貞山埠頭は塩釜港の入り口部分に当たる位置にある。岸壁が全体的に沈下し側方流動 によるアスファルトの亀裂も見られた。 マリンゲートは松島巡り観光の拠点ともなっている埠頭である。防波堤沿いの敷石が 剥がれ観光船が打ち上げられている。港の最も奥まった位置は先細りの形状をしている ことから津波が高架橋の先深くまで入りこんでいる。 一日目の予定の調査を終了し、仙台市内のホテルに向かう。 写真19 貞山埠頭岸壁の沈下と亀裂 写真20 7 同左ヤードの亀裂 写真21 塩釜港マリンゲート 写真22 防波堤に打ち上げられた 遊覧船 8 ◆ 第2日目 7:50 4 月 10 日(日) 仙台出発 高速道路にて鳴瀬奥松島 IC 経由で東松島方面へ 8:50 陸前小野駅周辺 9:30 石巻港大曲地区(ビデオ撮影)と港西端の防波堤付近 9:45 石巻港中島埠頭 10:40 女川町海岸 11:15 女川町立病院 12:05 石巻日和山公園 13:40 東松島市鳴瀬地区の被害調査後仙台経由で山形空港へ 16:00 山形空港 40 26 37~39 24 27,28 25 23 図5 第 2 日目調査地域:石巻港と写真撮影地点 31,32 33~36 29,30 41,42 43,44 図6 第 2 日目調査地域:東松島成瀬地区と 写真撮影地点 図7 第 2 日目調査地域:女川港と 写真撮影地点 9 9)陸前小野駅周辺(写真23,24) 鳴瀬奥松島 IC をでて国道 45 号線を吉田川沿いに下る。吉田川の堤防には津波の遡上 の痕跡が明瞭に残されている。鳴瀬大橋を渡り仙石線の陸前高田駅から周辺の被害状況 を視察する。海岸線より約 1.5km 地点であるが、駅のホーム下に漂流物が堆積させ海水 は駅舎を超えて国道の先にまで達している。 写真23 写真24 吉田川堤防の痕跡 陸前小野駅 10)石巻港の西端防波堤付近(25,26) 航空自衛隊松島基地近くの県道 247 号を通り石巻大曲地区と石巻港西端の防波堤の 補強現場を視察した。松島基地も冠水し飛行場としての機能を一時的に停止した。秘境 工事中の防波堤は、越波した津波の引き波で防波堤底部が洗屈されている。また、大曲 地区では、田畑に漂流した車や流失した家屋が散乱し津波の被害が甚大であったことを うかがわせる。 写真25 石巻港西端の防波堤 写真26 石巻大曲地区の被害 11)石巻港中島埠頭(写真27,28) 埠頭岸壁が一部地盤沈下しヤードのアスファルトが陥没している。また、そのヤード 内には近くの工場から排出された廃棄物のガラが堆積されている。同じ東側岸壁には日 本にも数隻しかないクレーン船(150t)が係留されており、港に沈む船舶や車両などの 除去に使用される。この後、海岸通りを東に移動日和大橋を渡り石巻市内の被害状況を ビデオ撮影しながら女川街道にて女川町へ向かう。 10 写真27 石巻港中島埠頭 写真28 中島埠頭に係留され たクレーン船(150tf) 12)女川町の被害状況(写真29~36) 石巻港側の入江である万石浦の穏やかな海を過ぎて反対側の女川港側へ入ると様相 が急変する。津波被害により壊滅的な状態になった街の様子が明らかになる。海岸近く の市街地では、ベタ基礎の RC 低層建物が数棟横倒しになっていたり、杭が引き抜かれ 転倒しになった建物まで見られた。一方、RC4階建の女川町立病院は約15mの高台に 位置する。病院の駐車場から町全体の様子が一望できる。病院の高台にいた人からヒア リングしたところ病院の1階部分まで津波が遡上しており、津波の来襲を見ていた多く の人たちが反対側の斜路から押し寄せてきた波に、駐車中の車とともに押し流された。 津波の遡上高さは約20mで女川町では局所的に30m近い高さまで遡上している。 写真29 女川市街地の被害状 写真30 況 女川市街地の被害状 況 写真31 津波で被災した RC 建 写真32 物と転倒した RC 建物 11 高台にある町立病院 写真33 病院の駐車場にある 写真34 看板の変形 写真35 駐車場から見た海側 の状況 駐車場から見た市街 写真36 駐車場から見た山側 地 の状況 13)再び石巻市内の被災状況を日和山公園から一望する 女川街道を石巻方面に戻り、石巻市内を一望できる日和山公園から被害状況を一望す る。市内全域が壊滅的な被害を被ったことがわかる。 写真37 石巻市街地:日和大橋 写真38 方面 写真39 石巻市街地:石巻港方 面 石巻市中洲 写真40 記念館 12 中洲の石ノ森章太郎 14)東松島市鳴瀬地区の被害状況(写真41~44) 東松島市においてもっとも被害の大きかった地域である。松島湾と鳴瀬川を結ぶ東名 運河沿いに被害が広がっている。仙石線の鉄道が枕木ごとめくれ上がった被害がみられ た。この被災地を最後に松島を経由して仙台から山形空港へ向かい空路帰京した。 写真41 東松島鳴瀬地区の被 写真42 害 写真43 東松島市鳴瀬地区の 被害 東名運河周辺の被害 写真44 13 東名駅周辺の被害