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ひとみずむ3 完全版ダウンロード
ひとみずむ3 ~それぞれの物語~ Contents ★はじめに .................................................................................................................................................... 3 ★29 29 歳。音楽との再会 ........................................................................................................................ 5 ★30 過去は変えられる ........................................................................................................................... 14 ★31 子供3人、夫リストラ。私の転職奮闘記。 ................................................................................... 21 ★32 私 の 望 み を ど う 叶 え た ら い い か 教 え て ! .......................................................................... 29 ★33 言いたいけど言えなくて................................................................................................................. 37 ★34 伝説のチームになる ........................................................................................................................ 44 ★35 「面倒くさい」から卒業................................................................................................................. 52 ★36 その我慢は必要ですか?................................................................................................................. 59 ★37 反抗心の正体 ................................................................................................................................... 67 ★38 続 がんばっているけど、私の幸せにつながらない ..................................................................... 74 ★39 僕はロジカルシンキングができない?!............................................................................................ 81 ★40 私の探し物は何ですか?................................................................................................................. 88 ★41 なんでオレが。 ............................................................................................................................... 98 ★42 感じるって何ですか? .................................................................................................................. 107 ★43 逆流~ツイてない私の物語~ ....................................................................................................... 115 ★44 別居夫婦 ........................................................................................................................................ 124 ★逃悲行 堀口ひとみ.............................................................................................................................. 132 ★はじめに 『ひとみずむ』について これは、堀口ひとみのコーチングクライアントの有志 44 名が、コーチングセッションでの堀口 ひとみとのやり取りを通して、どのように人生が変わっていったのかについて、クライアントの 視点からショートエッセイ形式で執筆をしたものです。従来の「コーチング」に関する著書は、 クライアントとの守秘義務の都合上、実際のセッションの内容について公開したものはなく、あ くまでもコーチ側からの目線で書かれたものが中心でした。しかし、この「ひとみずむ」は、コ ーチングを受けるクライアント側が「コーチングを受けて発見したことやその効果について自分 の言葉で語り、発信する」という主旨で制作しています。 2009 年 1 月に初めての『ひとみずむ』を発表しました。 最初の動機は、私がメンターとのメ ールのやり取りで独立に導かれたストーリーの『かないずむ』を発表したことで、今度は、私の コーチングを受けたクライアントさんが、私とのやり取りを書いてくださると面白いだろうなぁ というところからでした。 それを話したら、クライアントさんが「私書きます!」と言ってく ださいました。 それから、彼女の書いた『ひとみずむ1』の”はじめに”に、 「この『ひとみずむ』は1としま す。これからも続くはずですから」と書いてあったのです。そのアイデアで、 「2を書く人も見 つけよう!」と考え始めました。それから 14 人が一気に集まり、2009 年 2 月に 14 名の『ひと みずむ』ができたのです。 クライアントさんに書いていただくことによって、私のコーチング が何であるのか?がなんとなく見えてきました。でも、芯はまだはっきりしていませんでした。 そこで、 『ひとみずむ2』も制作することにしました。今度は、より読んでくださる方が読みや すいようにと、構成もきちんと見直して作りました。私の中では、私のコーチングが何であるか? なんとなくはわかってきましたが、やはりまだ不明確なところがありました。 そして、2011 年『ひとみずむ3』もやはり制作することにしました。そんな最中 2010 年 8 月 に私も転機が訪れました。 (詳しくは私のひとみずむ 3/8 配信で!)そこから私のコーチングが 変化しました。コーチングの変化に合わせて、クライアントさんの大きな望みが実現することが 増えました。 これまでの『ひとみずむ』もそれぞれの幸せ、望みを実現出来てはいましたが、 『ひとみずむ第3段』に関しては、それぞれの望みというよりも、人として望んでいるものを手 に入れられている感じです。 それは、みんな同じでした。そして、11 月に書く人を募ったとこ ろ、すぐに立候補で 16 名が集まりました。それから、 『ひとみずむ』を作りながら、 『ひとみ ずむ』を書くためのコーチングセッションを全員行いました。また、 『ひとみずむ』の添削が 入るたびに、 「末当に望んでいたもの」がより明らかになり、望みが向こうからやってきたプロ セスが見えてきたりもしました。そして次第に、「私のコーチングが何であるか?」というより も、 「人が何を望んでいるのか?」がわかってきたのです。 それは、 「今が幸せと思える感性を持つこと」でした。 それでは、今年も『ひとみずむ』お楽しみいただければ幸いです。 また物語の中でお会いいたしましょう。 堀口ひとみ i.aska ★29 29 歳。音楽との再会 この 1 年間の停滞感は何なんだろう。 行動もしない。言葉も意識しない。新しい出会いもない。 会社に着ていく服も毎日同じ様な服ばかり。 アイメイクを手抜きするためにメガネばかり。 変わりたいわけじゃないけど、今のままがしっくりこない。 30 代を目前に据えた 29 歳の夏、私は漠然とした不安を抱えていた。 「自分が次に行きたいフィールドが見えないんです」 第 1 回目。セッションの冒頭で、今の自分をこう伝えた。 2010 年 8 月。私は、今まで培った知識や経験を使って人事の仕事をしていた。 あくまで、今までを活かしているだけ。新しいことには何も挑戦していない毎日を送ってい た。挑戦し続けてきた 20 代を送ってきた私には、とても考えられない毎日。 まるで「失われた1年」という感じだった。 2008 年、人材コンサルタントとして営業をしていた頃は、毎月営業目標を達成したり、就 活末を執筆する機会を頂いたり、就活生と人事担当者合わせて 100 名の前で講演をしたり と、目標を掲げては達成し続けてきた。今は、そんな目標すらない。そんな必要すらない職 場を選んだ自分がいた。 「エレクトーンをそろそろ再開したいんですけどね……」 20 年も続けたエレクトーンから離れて 7 年。 私にとって、 仕事以外で 「やりたいかも」 と思えるものはエレクトーンくらいしかなかった。 そんなエレクトーンですら手を出せずにいた。しかし、自宅にあるエレクトーンに触れると、 不思議と涙が頬を伝う……そんな日もあった。 「目標を立ててやっていくことは、想定内の結果は出ます。それ以上に、 自分の内側の欲求から湧き出ることをやっていくと、想定外のことが起こりますよ」 今回のセッションの堀口さんは、出だしっからいやにスピリチュアルなんじゃないか!? そんな気がしながらも、パワースポットブームに踊らされる 2010 年の私は続きが気になっ た。 「内側に気付くには、ゆっくりすることが大事です。リラックスすることです。 一定のレベルまで成功した人って、最近『ゆる系』の末を出しているんですよ。そして、こ こ数年『ゆるキャラ』って流行ってるじゃないですか。結局『そこ』なんですよ、きっと。 ある末に、契約が全てキャンセルされた失望の中、パリのノートルダム寺院になんとなしに 通って、3 週間と 3 日目に啓示を受けたっていうのが書いてあったんですよね。成功してる 人ってよく啓示を受けてると思うんですよ……」 「うちの近所に、大きな神社があるんですよ。明治神宮とか靖国神社と同格らしいんですよ ね」 「じゃあ、毎日通ってみましょう!どうなるか、実験です!(笑)」 第 1 回目の課題は【毎日神社に通う】ことになった。 堀口さんと出会って 4 年は経つが、こんな課題は初めてだった。 末殿への入口はとうに閉まった午後 11 時台。外灯に照らされた参道を星空を仰ぎながら、 毎夜毎夜神社内を歩く 29 歳の私がいた。『きっと啓示はこの星空から降ってくる☆』そん なロマンチックな期待を抱きながら、帰宅の途につく 20 代 OL というのはいかがなものな のか……と思う冷静な自分がいたことは、ある意味正気だったのかもしれない(笑)。 しかし! いざ 10 分間歩いてみても、神様は何の啓示もくれなかった。 そればかりか、栄光と挫折に滲んだ過去のことばかり浮かんでくる。 嬉しかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと。 胸を締め付けられる程の感情で、リアルに左胸が痛い毎日を送った。 ……2 週間後のセッションで、神社参りでの胸の痛みを堀口さんに伝えた。 「あまりにも色々と蘇ってきて、胸が痛いんです」 「明日香さん。昔の出来事にも敬意を払うんですよ。そうすると、自分のことを認めること ができます。過去に敬意を払うこと、できそうですか?」 「敬意を払う……ちょっと分からないです」 昔の出来事にまで敬意を払うというのはどういうことなのかと頭が混乱した。 敬意を払うことへの可否だけでなく、敬意の意味さえも分からなくなっていた。 「過去のプチ否定を、事実そのものとして認めればいいんです。過去の罪悪感とか、自分の 嫌なところを書き出してみてください。自己否定していることを書き出して、それを許して いくことで、承認していくことができますよ」 「……(やっぱり、何言ってんのかわかんない) 」 話に反忚できない私の混乱を察してか、堀口さんはこんな話もしてくれた。 「実は、私も過去の許していないところないかな?って最近書き出したんですよ。ま〜、あ の時は仕方なかったと認めてはいたのですが、今回は『あの時できなかったことができるよ うになっている自分』というところまで認められて、自分がなんとなく満たされた感覚にな って。あれから変な夢もみなくなったんですよ。明日香さんもやってみるといいかな〜と思 って……」 私の混乱を余所に、第2回目の課題は【罪悪感を書き出す】ことになった。 我ながら根が真面目な私は、しっかり課題をこなそうと奮起することになる。 ・・・今度は罪悪感が「分からない」。 書く、書けないのレベルではない。意味が分からない。 そんな頭の中を落ち着かせる為、とりあえず今、頭に浮かぶ過去の出来事を書き出そうとし た。過去の出来事を書き出そうとすると、思考が停止する。 『潜在意識にブロックがかかる』なんて、言葉では聞いたことはあったけれども『こういう ことなのか!?』と思った。あの頃を認めている自分がいるはずなのに、やはりあの頃の『や り切れなさ』は認められない自分がいる。私に限って、そんなはずないと思っていたのに。 「こりゃ、自分じゃ紐解けないな……」 この罪悪感の件は、堀口さんとのセッションに委ねることにした。 次のセッションは、私の「書けませんでしたー」の一言から始まった。 「自分に正直になれていないんですねー。何か気になること、ありますか?」 神社通いの頃から罪悪感の書き出しまで、私はいつも同じことを思い出していた。 むしろ、それ以外思い出せない状態が続いていた。 「過去を思い出そうとすると、必ず人材ベンチャーにいた 2008 年頃を思い出すんです。末 も書いたし、コラムも連載していたし、セミナーもやっていたし。営業末部のマネージャー として、月間売上を更新し続けてたし、会社としても過去最高益を出しました。でも、人材 ビジネスを知らない役員が入ってきて、全否定されたんです。それから派閥争いが激しくな って……『私がいなくても大丈夫だって思える時がきたら、私に退職してもいいって言って ね』と私の退職について部下に判断を委ねました」 「成功しているのに、そうでもない感じになっちゃって、なんだかごちゃごちゃしている感 じですね」 この 2008 年の話をしていくにつれ、もう自分の胸の内だけに留めていられなくなってしま った。 「退職の話し合いの時に、社長に謝られました。そんな人じゃないのに。すごく気の毒なこ とをしたんじゃないかと思って。自分は逃げてしまったんじゃないかと思って、ずっとこの 頃のことを考えてしまうんです」 この話をしたのは、関係者以外では初めてだった。 話してしまうことで、自分の非を誰かのせいにしてしまう……、そう思っていた。 「明日香さん、今までの話を客観的に聞いた感想をお伝えしますね」 今まで直隠しにしてきたことを話してしまった私の罪悪感は、この時、ピークに達した。 。 。 「明日香さん自身は、何も悪くないと思います。成果も残してきたし。なんてたって社長が 謝ってきたくらいなんですから。 『逃げたことを許します』って書いてください。末当の気 持ちを許しますって」 さすがの堀口さんの言葉でも、疑心暗鬼になった。しかし、セッションは続いていく。 「悪くないですか……」 「悪くないですよ。さぁ、書きましたか?」 私は腑に落ちていない。それでも、書くまで次に進みそうもない堀口さん。 「 『逃げたことを許します』 。書きました……」 「はい。これで大丈夫です。では、どうしていきたいですか?」 腑に落ちていない上に、これからやりたいことをあっさりと聞かれ、私はなんとなしに友人 の話をした。 「仕事はそこそこやって、DJ を末格的にやっている友達がいるんですよね。イベント主催 したりして、 楽しくやっているみたいなんです。私も、今の仕事は収入はあるけど楽なんで、 その友達みたいな生活もいいな〜て思うんですよね」 「いいじゃないですかー」 「学生時代、スタジオ通ってたんで、またボイトレでも始めるかな〜」 「明日香さん、ボイトレ通ってたんですか?」 「エレクトーンは小さい頃からずっとですけど、大学 4 年間は歌もやっていたんで」 「じゃあ、 末気のカラオケ 『ボイトレ部』を今度やるんで一緒に行きましょう!日時は……」 直前まで、辛い告白していたのに。 「堀口さんは楽しい人だな」なんて思った。そして「私 を励ましてくれてるのかな」とも思えた。結局、この日のセッションでは、腑に落ちないま ま終わっていた。 〜90 日コーチング 後半〜 90 日コーチング折り返しのセッションは、堀口さんが旅行先の与論島にいることを事前に 知っていた。そこで、せっかくなら明るい話題を提供したいと考えていた。先日誘ってもら ったボイトレ部で「歌が好き♪」な人たちに囲まれ、すごく幸せなひと時を過ごした恩返し だったのかもしれない。 「私、 『30 歳になったら音楽の道に戻る』ってずーっと思い続けて、自分を慰めながら会社 員をやってきたんですよ。あと 2 ヶ月で 30 歳になるし、音楽に戻ろうと思います!」 なんとなく「やりたいかも」と思っていた、エレクトーン。 それも含め、音楽をやろう!と気持ちが固まったことを堀口さんに報告した。 「そういえば、前回のセッションはどうでしたか?」 「正直、堀口さんの一言で罪悪感が消えるなんて思ってなかったですね。ましてや、今回は 特に目指しているところのないままコーチングを受けていたので、自分でも何が響くか分か っていなかったし。今回は、過去の感情について区切りをつけるってことが必要だったんで すねー」 何をするにも全て当時と比較してしまい、2 年間も囚われ続けてきたあの感情。それが、前 回のセッション以来、私は 2008 年の人材ベンチャー時代を思い出さなくなっていた。 「明日香さん自身は何も悪くないと思います」「逃げたことを許します」 このたった一言二言で、過去の感情が昇華してしまった。しかも、堀口さんに聞かれるこの 瞬間まで、当時のことを思い出さなくなっていたことにすら気づかずにいた。自分の過去と 末気で向き合い、過去の感情が昇華した奥底には、ずーっとやりたかった『音楽』という存 在が、私のココロの中に居続けていた。 「きましたねー」 「ええ、きたーって感じです」 3、4 歳から音楽をやっている私にとって、例えばエレクトーンを弾くという行為は「毎朝、 顔を洗う」位、当たり前のこと。その感覚が、今この手に戻ってきた。その事実に感謝した。 目に見えて何かが変わったということはなかったけれども、 透明感とかピュアさみたいなも のが研ぎ澄まされ「自分が感じるもの」が分かった瞬間だった。 「今度、私が通っているボイトレのカフェで、歌のセッションがあるんですが明日香さんも 一緒に行きませんか?楽譜を持ち込めば、グランドピアノで伴奏してくれて歌えますよ」 歌を習っているコーチ。音楽に戻る決意をしたクライアント。 今回の 90 日コーチングは、面白いシンクロだなと思った。 そして、二つ返事で参加することにした。 3 週間後のとある夜のライブカフェで、グランドピアノの生演奏と、ステージに立つ歌い手 を観ていた。歌い手は、いわゆるプロと言われる人たちではない音楽家だ。ただ、そのライ ブ感たるは、チケット代を払って見に行ったどのコンサートよりも私の感情を揺さぶった。 自分が歌ったことの満足感よりも、誰かの声に感情を揺さぶられた衝撃の方が強かった。 「私も、自分の歌作ってみたい!」 ・・・突然、堀口さんが吠えた! 「明日香さん。歌作れるんですよね!」 ・・・・堀口さんが噛み付いてきた!! 「あー。じゃあ、一緒に作りましょうか♪」 また、二つ返事で!!!この人には敵わない。周りの音楽家もびっくりしていた(笑) その翌朝は、 歌セッションの余韻を引きずったコーチとクライアントのコーチングセッショ ンとなった。 コーチングによって気づいていたのか、それとも歌セッションによって刺激されたのか。き っと、私には 2 つとも必要だった。 「自分が感じるもの」に関しては感覚が戻った。 しかし、他に「戻っていない」ものがあった。 「メガネをかけることで、自分を抑え込みながら仕事をしているんですよね」 「アイメイクが面倒臭い理由以外にも、メガネの理由があったんですね」 「う〜ん。休日はコンタクトレンズで過ごしているので。多分、休日と平日の私って違うと 思います」 「メイクが面倒じゃなければ、平日もコンタクトで会社行けますか?」 「う〜ん。今がすごく楽なんですよね。今のままでいい気もするけど……」 ここ 10 か月、平日は毎日メガネで過ごしていた。そして、肩までのボブスタイル。 髪に艶があり超直毛の私にとってボブは、それだけでどうにかなるスタイルだった。それに プラスして、メガネ。とても真面目なイメージだ。 「今まで『やりたかったこと』をやってきたじゃないですか。それは『過去のやりたかった こと』をやってきたってこと。そこが満ち足りると感性が変わってきますから」 ・・・そっか。今までは、過去の願いを叶えてきたに過ぎなかったのか。 「これからは『今やりたいこと』に気づいていけますよ」 そんな堀口さんの言葉で、歌セッション明けのコーチングセッションは終わった。 セッション後、そろそろ髪を手入れしたいなと思い、美容院に電話を掛け金井さんの予約を 取った。金井さんに切ってもらうのは、10 ヶ月ぶりだ。 「今回はどうしたい?」 金井さんは、まず私の希望を聞いてくれる。 「おまかせで。なんだか、イメージを変えたい気持ちもあるんですよね」 「切っちゃおうか?結構短くしてもいい?」 正直(えっ、どうしよう)と思った。(髪型変わったら、しっかりアイメイクしなきゃ。て か、痩せるまでショート無理。顔丸いし)しかし、鏡越しのカリスマ美容師はさすがだ。 「バ ッサリいってください。おまかせします」と、瞬時に答える私がいた。 末当にバッサリ。数十分後には、数年ぶりのショートヘアになった私がいた。 しかも、カッコいい。 。 。まさか、90 日コーチング中に髪型まで「戻る」とは思ってもみな かった。 (なにより、メガネを外さざるを得ない外的要因まで発生してしまった。汗) ショートヘアにした数週間後。 堀口さんのボーカルの発表会があった。以前、感情を揺さぶられたあのライブカフェで。 私は一曲だけ、堀口さんのバックコーラスで歌った。舞台全体を見渡しながら、私は 自分がメインに立つよりも、 裏方の立場で音楽に携わることが好きだったことを思い出した。 他の方のライブを観て聴いて、前回とは違った感覚でまた感情が揺さぶられた。 私にとっての「音楽」ってなんなんだろう。 ・・・そんなこと、ここ 7 年間考えもしなかった。 〜90 日コーチング後〜 音楽をやろうと決意してから、自分の気持ちに正直になれた感覚があった。 「決意」だけで人はこんなに変わるものなのかと、自分自身驚いた面が多々あった。 「誕生日目前のイルミネーション、手を繋いで歩きたいなぁ」と旦那様にお願いした。 自分の感情を素直に感じることができる自分って、透明感があってキレイだと思う。自分自 身も明日香が魅力的に感じるし、 きっと周りの人にも魅力的に映っているんじゃないかと思 う(思いたい、笑) 自分がやりたかったことを取り戻し、ビジュアルイメージも取り戻したことで、 やっと、私の人生ゼロベースで考えられるようになった。だからこそ湧いてきた様々な欲求 で、90 日コーチングが終わった今、一番感情の揺さぶりが強くて苦しい。 そんな私に「それでいいんです。末当にやりたいことがそのうち出るから大丈夫」と堀口さ んは言った。 そして、約束の 30 歳を迎えた。 社会人になって初めてじゃないかと思う位、数多くの方々に【Happy Birthday】の言葉を 頂いた。祝福のもとに誕生日を迎えるというのは、純粋にこの世に生を受けた者として嬉し いことだと、この歳にして初めて噛み締めることとなった。 Happy Birthday to me. (三十路突入だけど……お父さんは「女は 30 から」って言ってたし) &...みんな、末当にありがとう! 2010.12.16 i-aska t.asuka ★30 過去は変えられる 2010 年は魚座にとって、12 年に一度の大運気。 同じ日に生まれた双子の妹と「うちらの時代が来ちゃうね!」と年始めからワクワクしてい た。 5月、妹は自分から行動して、彼氏ができた。嬉しかった反面「私も頑張りたい!変わりた い…」と焦っている自分がいた。 大好きな靴の販売職に就いて1年。思うように仕事ができるようになっていなかった。休日 は疲れて寝て過ごしていることが多かった。将来は靴の製作の仕事をしたいのに、販売をし ているだけで、作ることに関してはなにも行動できていなかった。 コーチングについてはよく分からなかったけれど、 堀口さんのブログで紹介されているセッ ションに共感できるものが多くて毎日読んでいた。しかも、堀口さんとは同じ誕生日! 料金が高くて迷っていたけれど、私もセッションを受ければ変われるかなと思った。5月未 日の朝、出勤5分前に 90 日コーチングの申し込みボタンを急いでクリックした。 「申し込んじゃった…」 。 オリエンテーション当日。 「もしもし…90 日コーチングを申し込みましたあすかです…」 自分のことを話すことが苦手だったけれど、堀口さんとは自分のペースで話せた。 「話したいことがあったら、話の途中でもそう言っていただければ良いので」 その一言にホッとした。 行動できないことに対して「行動するかしないかは考えるところではないですからね」と堀 口さんが言った。そして、変わりたいという漠然とした気持ちから、尐し先が見えて、変わ れそうと思えるようになった。 6月1回目のセッション。 セッション準備として先延ばしにしていたことリストの提出があった。 □趣味でボイトレを習うこと □靴の製作 □歯医者に行くこと □部屋の掃除 □スケジュール 管理 □読書 □運動 □仕事のまとめ □コラージュ製作 □マッサージに行くこと これを見た堀口さんは「あれ?歯医者なんて、すぐ電話すればいいだけですよね。マッサー ジも電話するだけでしょ、ボイトレも電話するだけだし、これ私だったら一日で 4 つくら い終わりますよ!」と。 きっぱりと言われて、すごいなぁと思った。言われてみれば簡単なことばかりだった。 「確かに…そうですね、やってみます」 セッションの後、早速3つ終わらせた。充実した1日になった。 報告メールをしたら、 「お!行動しましたね。1 日で簡単でしょ。そんなもんですよ」 とさっぱりした返信が来た。行動することを重く考えていたが「そんなもん♪」だと思えて 楽しくなった。 ずっと行きたかったボイトレには月2回で通いだした。 落ち込むことがあってもボイトレで歌うとすっきりしてバランスが取れるようになった。 6月2回目のセッション。 「会話が続かないことについて」をテーマにした。私は、会話が続かないことは自分のせい だと思い、会話をするたびに自己嫌悪になるので、話すことが苦手だった。 苦手な状況を話してみた。 「何を話していいか?わからないんです。上手く言葉が出てこなくて…相手の興味のある話 題を知らなかったり、面白く返したり出来ないし…」 「あすかさん、 すごい人になろうとしていませんか?面白いことを言わなくちゃいけないな んて、エンターティナーじゃないんだから(笑) 。等身大のベストを目指せばいいですよ。 だってそれしかできないでしょ」 「あっ『エンターティナー』になろうとしていたかも(笑) 。何でもできる人に憧れてしま って、そうならなくちゃって思ってしまうところがあるかもしれません」 「別に出来ないこともあってもいいんですよ。そもそも会話ってものは、自分と相手の頭の 中を整理することと、あとは情報交換くらいですから、えらいことを言う必要なんて何もな い!」 「あはは、なるほど。エンターティナー目指すの卒業します(笑)」 完璧主義の私はどんなこともできるようになりたいという気持ちが強く、 周りにどう思われ るかをいつも気にしていた。 「完璧じゃなくていい、等身大でいいんだ」と思ったら、構え ず話せるようになった。自然に会話が続くことが多くなった。 7月1回目のセッション。 人との接し方について、共感しすぎたり、相手の言うことを真に受けすぎて、落ち込むとい う悩みもあった。そのことについて話してみると、堀口さんは、考え方を教えてくれた。 「共感しすぎないための基末的な考え方として、 相手と自分を分けて考えるってわかります か?『そういう考え方もあるんだぁ、あなたはね』って思えばいいだけです」 新しい視点だった。私はいつも相手と自分の気持ちを混ぜて考えていたんだ。 それは自分が買い物をする時に強引にすすめられると引いてしまい、 自分の接客でも遠慮し すぎておすすめできなかったことへもつながっていた。 だから、テナントが発行しているクレジットカードについてのおすすめが苦手だった。 それについては「あなたにとって、こういうメリットがありますよ、と、ただ伝えるだけで、 あとはあなたが選んでくださいねという余白を残しておくと、押しつけにならずに、相手に 決めてもらいやすくなるから」と具体的にアドバイスをもらってラクになった。 その後、お薦め枚数が飛躍的に伸びて、館内で月間 5 位になった! 7月2回目のセッション。 私は、 「要領が悪い」言われることが多く、自分でも日頃感じていて落ち込むポイントだっ た。ディスプレー替えを頼まれたときに、売り場とストックを行ったり来たりして、進まな いでいたら、 「要領が悪いわね」と言われた。先輩に相談しても、どこの要領が悪くて、ど うすればいいのか?わからなかった。 そんな状況について堀口さんは頭の整理の仕方について教えてくれた。 「考えるとき、 頭のなか、 3Dで浮かんでいますか?行ったり来たりしているということは、 立体的な映像が頭の中に浮かんでいないということだとおもいますよ。いつも平面的で、箇 条書き的な、2D思考なんじゃないですか?」 「えっ?3D??あ、頭の中がいつもTODOリストの文字だけが浮かんでいました。3D なのは夢くらいです(笑)」 早速ディスプレー替えを3Dで考えたらまずディスプレー台の掃除をしなくちゃと思い浮 かんだ!3D映像で考えると文字で考えるより記憶力もよくなった。先輩にも「最近作業遅 いの気にならなくなった」と言ってもらえた♪ 8月のセッション。 職場の先輩からいじめのターゲットになっている感情を持つことがあった。 先輩のひと言ひ と言に落ち込んでいた。先輩との関わり方について、嫌みを言われているかわいそうな自分 がいるという話をしながら、先輩はすごい人なんです。と伝えている私がいた。なぜか矛盾 していたことに、堀口さんのフィードバックで気づいた。 「かわいそうなことを言われているのに、先輩のことをなんでそんなにすごいって言うんで すか?その人、そんなにすごいんですか?たぶん、私の方がすごいとおもいますけど。あは はっ(笑)ありのままを見ればいいだけ。無理に尊敬しないでOKですよ」 「そうですね。堀口さんの方がすごい、間違いないです(笑)。変に美化しないで良いんです ね。ありのままを見れば」 人のことを悪く言う自分が駄目だと思っていた。自分を守ろうとして、相手のことを美化し ていた自分に気づいた。 逆にそれは自分を抑えてしまっていて、落ち込む原因になっていた。 相手のことも等身大で見ればいいだけのこと。相手と自分を分けて客観的に捉えられるよう になり、先輩との関係もストレスを感じなくなった。この気づきは私の中ですごく大きかっ た。 接客で会話が続かないことについてもテーマにした。 堀口さんが、接客以外のことに置きかえて質問をしてくれた。 「誰かのためにごはん作ったらなんて聞きますか?」 「おいしい?って聞いてみますね」 「じゃあ、靴を履いている人に、自然に聞いてみたいことって何でしょうかね?」 「 『履き心地はどうですか?』って聞いてみたいですね。あ、そうか…!」 「そうそう、その調子ですよ!どう感じているか質問すればいいんです」 「ああ、なるほど!それなら簡単ですね」 商品の説明がうまくできない自分はだめだと思っていた。買うのはお客様だから、お客様が 今どう思っているか?聞けばいい。シンプルに考えれば良いことだった。そうすると、接客 に幅が出る。実践してみたら、売上の結果もついてくるようになった。 これまでのセッションで、相手に対して、自分が悪いと思ってしまう癖があることにずいぶ ん気づけた。相手は相手、自分は自分。そう考えられるようになって、自分の考えが尐しず つ見えてきた。その頃、堀口さんが、ボイトレをしているクライアントさんを集めて「ヴォ イトレ部」を始めるということで、誘ってもらった。歌を歌うことも自分をだしていくこと ♪とても楽しくなってきた! こうして尐しずつ自信がついていった。 堀口さんに 「変わりましたね!」 と言われて 「はい!」 と答えられる自分になれた。悩みが解消するたびに、なりたい自分になってきた。しかし、 どうしても自分を好きになることができなかった。 私には何をしても変えられない過去があ る。これはどうしようもないから、自分を好きになることは、あきらめようと思っていた。 90 日コーチングを継続して10月のセッション。 堀口さんのブログで、過去を承認する話がよくのっていた。 セッション準備用紙に「私も過去を承認したいです!」と書いた。 「おお、今日は過去の承認ですか」 「はい、ブームに便乗して(笑)」 「何か気になっていることがあるんですか?」 幼い頃に引っ越しが多く、小学4年生で東京に転校してきたこと。学校になじめなくて、他 の学校に転校したこと。中学にもなじめず2年生から不登校だったこと、高校に行かずにフ リーターをしていたことなどを話した。 「学校に行っていなかった期間は人との関わりから逃げていたので、 その期間が人としてな にか、抜けているんです。逃げたことをずっと後悔しています」 「そうだったんですか。私は今のあすかさんからそんな印象受けないですけどね」 「・・・」 「要するに、学校が合わなかっただけですよね」 「?!」 「小学校時代の楽しかった時は、個性的な仲間がいた所ですよね。あすかさんは個性的な仲 間の中では自分が出せるんですね」 「…そうですね。個性的なところが好きなんですけど、みんなと同じじゃなきゃいけないと も思っていました」 「学校に行かなかったのは、行きたくないってただ思ったからでしょ。単に自分が素直にそ う思ったというだけのことで、そこはあすかさんの良い所ですよ。いつも自分の気持ちに素 直だったってことじゃないですか」 思ってもみない話の展開だった。 『私、自分の気持ちに素直だったってこと?個性的なだけ だったの?』としばらくモヤモヤしていた。子供の頃の私は、集団の中で個性的な自分を出 すことができなくて、苦しかったのだと思う。辛いから学校に行くことができなくなって、 それが务等感となった。あの頃の後悔から、 「相手にどう思われるか?」を気にしすぎるよ うになっていたのかもしれない。今大人になった私は、個性的なことはいいことって思える し、とても楽しい自分だと思える。ずっと蓋をしていた自分のことを話して、堀口さんにち ゃんと向き合ってもらって嬉しかった。 日にちが経つにつれて不思議と务等感がなくなって いった。過去の自分もそれでいいと思えた。この振り返りで過去から今までを認められるよ うになって、自然と自分を好きと言えるようになった。 それから、なかなか一歩が踏み出せなかった靴づくりも休日に工房に行き再開した。ボイト レも発表ライブに挑戦して練習の成果を出せた。 (以前の私だったら自信がなくて出ていな かった!)ボイトレのほかにもギターを習い始め、音楽活動ももっとしたいと考えるように なった。友達とのつながりもどんどん増えてきて、落ち込んでばかりいた自分が今は信じら れない。妹にも「あすか変わったね。うじうじしなくなった!」と言われた。 セッションでは悩んでいたことが1時間で魔法のように解決する。 堀口さん自身が自分を信じていて自分を好きな人だ。 「また宇宙を動かしちゃいましたよー、あっはっはっ(笑)」 そんな高笑いをする堀口さんからは私を信じてくれることが伝わってくる。 今、私は 2010 年が 12 年に一度の大運気だったと振り返れる。 朩来に不安がない。過去にもとらわれていない。 特別な出来事が起きたわけではないけれど。変われた。 変わったところは、等身大の自分を認められるようになったことだ。 そして、自信が出た。絶対好きになれないと思っていた自分を好きになれた。 堀口さんのコーチングを申し込んで良かった♪ やりたいことをやれている今の環境に感謝の気持ちが大きくなっている。 家族・友達・職場の方・今まで関わってきたみんなにありがとうと伝えたい。 今を楽しんでいる自分にありがとう。 このひとみずむを読んでくれたあなたに、ありがとう!! emori ★31 子供3人、夫リストラ。私の転職奮闘記。 夫の勤めている会社が倒産の危機となり、リストラされた。大学1年生、高校3年生、高校 1年生の子供たちは、思ったように家事を手伝ってくれていない。私は、パートで事務職を しており、職場がデジタル化導入にあたり、いずれ私たちの業務は無くす方向だと部長に告 げられた。私が、中心となって家計を支えていかなくてはならない。いまよりも給与をアッ プさせるために転職へのプレッシャーがあった。 ピアノの下に寝ているのに、好きなピアノに触れられない悲しさと、 先の見えない不安が一挙に襲いかかってきた。 一度、堀口さんの単発コーチングを受けたことがあった。高校の「謝恩会」を成功させるた めだった。結果、1 年間面白いように物事が進んだ。今度は、この不安な状況から抜け出し たくて、90日コーチングを依頼した。これから自分が決断をしていく中で、安心できる相 手が欲しかったからだ。 2010 年4月中旪、派遣会社に相談しに行った。正直、転職は厳しいと伝えられた。とても 悔しいと感じたと同時に、時代の流れと変化と自分の立ち位置を認識した。そして、転職の 前に自分に力をつけることが必要と感じ、パソコンスクールに通うことにした。 15年間愛用しているブリヂストン自転車で、会社勤務後と土日に中山道を走る日が続いた。 コースはオフィス実践講座で、通常に通用するスキルを身につけること。ワード・エクセル・ パワーポイントの入門・忚用テキストを勉強していった。 日々、スキルはアップし、会社でもパソコンの知識をみんなから聞かれるようにもなった。 それでも、なかなか転職先は見つからない。夫からも、いつまでスクールに通うのか?と不 満を言われたり、長男は昨年度からの不登校で学校からの呼び出しがあったり、二男にはま だ高校1年生なんだから今の状況は大変だと言われた。 職場のデスクの前の人は、ひどくネガティブで困り果てていた。 そのことについて、6月のセッションで話題にした。 私の愚痴から始まった。 「自分が苦手なタイプの人が、自分の目の前に来ちゃったんですよね。いつも、人の悪口ば かり言っているんですよ。 『あの人は、もっと・・・・してくれればいいのに』って。 それを聞いていると、だんだん苦痛になってきました。挨拶もしてくれないし」 「この前ある方が『嫌なタイプ』との付き合い方についてお話していたのですけど、どんな に嫌で、むかつく人でも『幸せになってください』って、祈るって言っていました。それを したら、自分がとても成長できて、最高に気持ちいい!って。私も、とても共感したんです よね、その話…」 「いやな相手にでも幸せになってもらうように祈ることか・・・あ、そうだ、『遠隔ヒーリ ング』習いました。それに近いですね。なんか、彼女が自分の前に来たのも、お互いの成長 のためだって思えてきましたよ!」 私は彼女のことを受け入れられないでいた。社会性の無い人だと思っていた。仕事中に私情 や悪口を所構わずはさんでくるのだ。今までもそれで随分といやな思いをしてきた。 でもセッション後、会社で休憩時間に彼女に「幸せになってください」と祈ってみた。祈っ ているうちに、ふっと気づいたことがあった。『彼女の態度は、私が家族に対してしている 態度と同じだ。私の内面を映し出している鏡だったんだ』。祈り続けているうちに「彼女は 周りがどう思おうとあまり構わずに、思ったことをすぐに口にする人」と思うようになり、 彼女を受け入れることができた。他人に気を取られることがなくなった。そしていつの間に か、大きな進化を求められている社内にもうまくいくようにと、祈るようになった。 7月、今年は異常に暑い夏が始まった。 夏は好きなほうだが、ここまで暑いと自転車通いも容易ではない。 日陰を探しながら、水分を補給しながら、たまに、新都心のショッピングモールで涼みなが ら、家族のために、自分のためにとパソコンスクールを継続していた。 無事にそれぞれの入門・忚用が終わり、担当講師の S 先生に次のテキストを依頼した。 「次の課題は、エクセルの2冊です」 「ええっ。2冊もあるんですか」 「そうよ。これからは2冊よ。頑張ってください」 スキルを上げるためなのに、2 冊もあるなんて、結構大変と思った。 テキストの表紙には「MCAS Excel2007」と書かれてあった。 後日、S 先生から呼ばれ、 「ごめんなさい。私勘違いしていて、資格用のテキストを渡してしまいました」 「え~っ。でももう書き込んだりして使ってるんですが…」 「ごめんなさい。江森さん優秀だから、最初のコース決めをすっかり忘れて間違って 渡してしまって。でもどうせだから資格取ってしまいましょう!」 先生が間違えるわけないと思っていた。私は尐し戸惑った。 資格コースに切り替えたら、今まで以上に大変になるし時間もかかる。家族にももっと負担 がかかるかもしれない。考え込んでいる中、S 先生は他の受講生に呼ばれいったん席を離れ て対忚していた。資格を取得出来たら、明確に履歴書には書ける。40代後半で、これから 職を探すのは、現実かなり厳しいものがあった。だったら MOS スペシャリスト資格を目指 しても良いのではないか。私はこの流れに乗ってみることに賭けた。S 先生が戻ってきたと きには、申し込みをする旨を伝えた。 8月7日のエクセル試験の前日、 容赦なく照りつける太陽に気をつけていたのに軽い熱中症 となってしまった。エクセルの資格試験当日は、体調が思わしくないし、緊張していたが、 合格した。合格はしたものの、もっと高得点いけると思っていただけに、ちょっと悔やまれ た。エクセルの試験後すぐに、今度はワードのテキストを頂いた。 8月の前半のセッション。 「エクセル試験合格しました。 課長代理にもリーダーとしてみてほしいと言われたりしてい ます」 「お、そうですか。お給料もアップしますし、転職したいと言っていましたけど、今の会社 の中でのアップみたいな形で行くんですか?」 「末当は、転職したいんですよ。だけど、旦那がそんなのできっこないというもんで、ちょ っと黙っていてほしいですね」 「そうですか。末当にしたいのは転職なんですね」 「そうですね…」 と話していたのだが、8月後半になって、自分の考え方が一変した。 8月後半のセッション。 「ワードの試験も受けようと思っています」 「え?もうエクセルの実績も履歴書で書けるし、 転職したいっておっしゃっていましたよね、 もっと資格必要なんですか?」 「あったほうがいいと思いますね」 「え?これまでの話を聞いていると、転職を早くした方がいいと思っていらっしゃる様に聞 こえてきましたけど。当初から資格試験まで取る予定もなかったですよね、それでもワード もパワーポイントも勉強したいんですか?エクセルの資格も取りましたし、 もういいんじゃ ないですか?資格よりも転職を考えた方が…」 「でもワードもパワーポイントも残ってるし、ここでやめるのは…今月未までは、やってみ たいんです」 確かに転職をしなければならなかった。 夫からも「いつ転職するんだ?」とか「いつまでスクールに通うんだ」と毎日言われていた。 家事も最低限のことはしていたが、家族から文句を言われる日々。結婚して子供達が生まれ てから、精一杯子育てしてきた。家族の事をいつも考えながら、自分の事は一番後回しにし ていた。しかし、今回は自分のわがままかもしれないと思ったが、きちんとした形になる資 格が欲しかった。なんとなく中途半端にしてると、中途半端な転職しかできないような気が した。 「資格取りたいんです!資格取りながら9月の休暇中にも実家に帰らないで、転職活動もし ます!」 結婚する前は、英語とパソコンを使い、バリバリ仕事をしていた。子育てのあとに、そんな 自分に戻り、自信をつけたいという欲求があったことを思い出した。S先生に間違えられて テキストを渡されたところから、流れが始まっていることに気づいた。そして、資格に向け て勉強する決意をすることにした。 9月3日の金曜日午後6時、ワードの試験があった。 試験 10 分前に別教室の試験会場でS先生に声をかけられた。 「模擬試験の結果を今見せてもらってますよ。なかなかいい調子出てきてるじゃないですか。 江森さん、インストラクターになってみませんか?きっと向いていると思いますよ」 「えっ!それって先生になるってこと?」 「今度、養成講座があるんですよ。試験が終わったらお話しますね。 」 衝撃的な瞬間だった。長年やっているピアノでも生徒として習ってきているだけで、先生を したことはない。だから、インストラクターになるなんて一度も考えたことがなかった。私 でもなれるのだろうか?不安と期待の入り混じる不思議な感情で、頭の中がいっぱいになっ たが、今はまず目の前のワード試験に集中することにした。エクセルほど得意でなかったの で、ここは、出てきた問題を手順を外さず、一つ一つ丁寧にこなそうと思った。 最後の問題を終えた。 機械判定ですぐに点数がはじき出される。 目に入ったのが 660 という数字。 わぁ!こんな低い点数・・・。 ショックだった。 その2秒後、660 点の上に 0 が3つ見えた。 ん?・・・この数字何だ? 1000? 1000 点?!満点だ! 660 点は合格平均点だった。 まさかだった! 自分でも信じられなかった。 家に帰って、子供たちに今日の事を話すと、二男が、「それって天職じゃない?」と歓迎し てくれた。自分ではあまりピンとこなかったが、 「もしかしてそうなのかなぁ」とぼんやり 感じた。 (私は母譲りで鈍感なところがある) その日から私の焦りが無くなった。それと同時に私の転職のことで、夫も子供たちもいろい ろ言わなくなった。夫も子供も多分文句を言っていたのは、私と同じように不安だったのだ と思う。子供たちは、以前に比べたら私ばかりに依存せず、徐々に自立し始めた。 次はパワーポイントの試験のために勉強を始めていた。 これを取得すれば、インストラクター講座への参加条件がそろうのだ。 そんな時、事件が起きた。 月曜日に会社から帰ってきて、いつもお迎えに出てくる家猫が見当たらない。 いつも居座っているグランドピアノの上もいない。そういえば、朝もご飯のおねだりに 来ていなかった。具合が悪くて部屋の隅にでもうずくまっているのかも、と家じゅう隅から 隅まで探したけど、どこにもいなかった。子供たちにも、聞いてみた。朝から見ていないと いう。 帰ってきた夫に聞いても、 見ていないという。 どうやら外に脱走してしまったらしい。 いつなのだろうか?日曜日の夜はいたが、月曜日の朝はいなかった。 ということは、日曜日の夜中から月曜日の朩明にかけての時間帯だ。 サッシを閉め忘れた時など、何度も脱走していたが、すぐに気付き、連れ戻せていた。 しかし、これだけ時間が経っていると、見つけるのは困難だ。まだ、家の周りにいるかもし れない。手分けして家族全員で探して歩いた。 雤が降ってきた。雷が鳴り出した。2 回も停電になるほどの落雷となった。 そんな天候の中、一人でいや一匹で慣れない外にいると思うと心配でならなかった。 家族みんなが心配で、晩御飯を食べる気もしなかった。 私たちにとって、どれほど大切な存在だったか。 翌日、夫は警察や保健所に連絡していた。私は必ず帰ってくると思っていたが、二男はもう 帰ってこないとあきらめていた。長男が「ママ、パソコンスクール行ってるんだから、チラ シぐらい簡単に作れるでしょ」と提案をしてきた。全然乗り気ではなかったが、これが私の パワーポイントでの初仕事となった。悲しいかな、 チラシのタイトルは 「猫を探しています」。 5枚ほど印刷した。2階で洗濯物をたたんでいたとき、1階から未っ子の歓声が聞こえた。 「猫が帰ってきた!」チラシを作り上げて30分後ぐらいのことだった。 「ママの作ったチラシをさっき見ていて、『これが遺影になっちゃうのかな』って思ってい たよ」と、あきらめかけていた二男が言った。今では笑い話になっている。 次のセッションでは、この報告に堀口コーチは大いに喜んでくれた。 「江森さん、 良かったじゃないですか!インストラクターになるなんて全然思ってなかった んですよね」 「そうなんですよ。全然!」 「インストラクターになったということは、 自分で仕事としてやっていける可能性も開けて きましたね。会社を辞めて、自営業ということだって十分ありえるんですから!」 転職で悩んでいた時は、全然流れに乗れてないと思っていた。どこか外れているんじゃない かとも思っていた。でもこうやって形になって現れると、意思を貫いて良かった。 自分を信じて進んで良かった。自営業への道もあると知って、可能性がまた広がった。 無理だと思っていたけど、もしかして末当にできるかもしれないと感じた。 9月27日には、無事パワーポイントの試験に合格。 チラシを作った成果もあったのか、納得のいく結果だった。 10 月、養成講座が始まった。 今まで一度もプレゼンテーションなどしたことのない私には、とても大変な講座だった。1 回講座に出ると、たんまりの課題が出される。スクリーンでワードとエクセルの操作をわか りやすく説明し、 ホワイトボードにポイントを書き出すことは、汗のでる大変な作業だった。 ふっと、これってピアノの発表会と似ていると思った。 練習を重ね、リハーサルをして末番に備える。 そう感じた時から、 「私にもできる!」と思え始めた。 家では夫に受講生になってもらい、リハーサルをした。 最終回には、自分流のプレゼンテーションができるようになった。 修了証をいただき、マイクロソフト社のホームページからオンライン申請をした。 申請画面はすべて英語。英語の能力がこんなところで活かすことができて、過去のすべて経 験してきたことが、無駄になってなかったと思ったら嬉しかった。 こうして、 私はマイクロソフト認定トレーナーになった。 アクセスも 12 月 25 日に資格取得。 4科取得でワンランク上のマスターにもなれた。手作りの名刺を作る作業も楽しい。 現在勤めている会社でも、パソコンに強くなったおかげで周りの方から呼ばれて、自称トラ ブルシューターとしてフロア内出張をしている。 ピアノにも触れるようになった。中学生のころから完成させたかったリストの「ラ・カンパ ネラ」 。技巧的にも難しいと言われながらも2年前から練習を積み重ねてきた。 5月にはドイツのワイマール音楽院の先生が来日された折、レッスンも受けていた。 最近は練習時間もあまりとれていないのに、不思議にも上達していたことに気づいた。 ある日、帰り道のピアノ教室の前でばったり M 先生と会った。 アクセスの資格取得の話から、 「ぜひ、うちの教室のシステム構築を手伝ってほしい」と初 めての仕事を依頼された。また、 「江森さん、パソコン教室しないんですか?」と知人に聞 かれたり、パソコンスクールの先生にも、「江森さん、平日は空いていないんですか?」と お声をかけてもらったりしている。 今、転職することについては、あまり考えていない。 自分の信じた道を進めば、いい流れが来ると信じているから。 yukari ★32 私の望みをどう叶えたらいいか教えて! 私は家業の割烹で働いている。3 年前、手伝っていた夫がクビになり夫婦間も決裂。 2 人の娘たちと家を出てその後正式に離婚した。今は働くシングルマザーだ。 2010 年 4 月、私は専務取締役になった。父が会長、父の甥が社長でその下が専務だ。 でも「私なんか会長の娘だから専務になっただけ」と卑屈になっていた。私の一挙手一投足 がすべて「専務失格」と思われることに繋がってしまう。そんな想いに囚われてまったく動 けずにいた。従業員さんたちの目が怖くて仕方なかった。「経営者として認められるよう変 わってみせる」そう思って自分を奮い立たせてみるもののその気概は長続きしない。そんな 自分が情けなくて悔しくて涙が出る日もあった。 その頃、 「すごく頑張ってる女性がいるよ。3 つのブログ見てみて」と、「ひとみずむ」HP 制作者である青根さんが教えてくれたのが堀口さんだった。 「すごく頑張ってる人」のイメ ージで読み始めたブログはまったく頑張ってる感の感じられないものだった。だから返って すごい人だな!と興味津々になった。それからブログを毎日読むのが私の楽しみな日課にな り、満を持してコーチングを申し込むことにした。 最初のセッションで私はよくしゃべった。悶々とした自分の思いを吐き出せることが嬉しか ったのかもしれない。テーマは、一番気になっている社長の息子とのやり取りについてだ。 彼の物言いは挑発的で、それにつられてカッとなる自分がいやだった。そこで、 「人からの 反忚に反論してしまう癖を辞めるには?」にした。 「彼から何か意見されると、よく聞きもしないですぐ反論しちゃうんですよね」 「ああ、相手の感情に巻き込まれるところがあるんでしょうね。まずは相手の話を聞かない と。今度彼に何か言われたら『なるほど。あなたはそう思うのね』ってまず言ってみてくだ さい。ワンクッションおくから冷静になれますよ」 「あ、そうか。私、冷静になることがまず必要なんですね。あと、○○のことなんですけど、 それってどうしたらいいですか?」 「そんなのわかりません。あはははは!」 一瞬びっくりした。もし私が誰かに「どうしたらいいですか?」と質問されたら何か答えを 出してあげなければと考え込んでしまう。なのに堀口さんはさらっと「わかりません!」と 言った。そして笑った。つられて私も一緒に笑った。これがよかったのだ。 「堀口さん冷た い!」とか思う暇もなく「そうそう、そうでした。自分で考えなきゃね」とすぐに思い直す ことができたからだ。この一言は「考えるのは自分ですよ!!」という強力なメッセージと して私の心に残った。私はこの基末中の基末を自分の中に持てたのだ。 2 回目のセッション直前、尐し自己嫌悪に陥っていた。社長の息子との会話で、 「なるほど。 あなたはそう思うのね」と言うように気をつけてはいたが、特に何が変わるでもなく、相変 わらず社内の課題にぶつかって「どうしよう?」と動けずにいる自分のままだった。そして さらに、自分はどうなりたいのか?もわからなくなってきて、効果的にコーチングを受けら れない!…と焦るような気持ちにもなっていた。 そんなモヤモヤのまま堀口さんに電話をか けた。 まずモヤモヤを話した。 「社長は料理長に甘いんです。だから調理場は彼の天下で、私に対しても反抗的な態度をと ったりするし、 従業員たちからブーイングの声が聞こえてくるのはしょっちゅうなんですよ。 『結局社長が甘いし、専務も何とかしようとしてない。だから彼があんなふうになってしま ったんだ』って陰で言われているみたいですし。先日、料理長が味付けした料理に塩辛すぎ るものがあって、それを料理長に言えない部下の板前さんが給仕係の女性に話し、給仕係の メンバーたちで味見したんです。で、『うわ。しょっぱい!これお客様に出せないよね』っ てなって社長に相談に行ったんです。社長は味見もせず、『出していいよ。もしクレーム来 たらオレが謝るから』と言ったので、『こんなしょっぱいの末当に出すんですか?』と食い 下がって社長に味見をさせたんです。それを食べて初めて『じゃ、出すの止めよう。自分が 話しておくから、このことは料理長に言わなくていいからな』って。私はその場に居合わせ ていなくて、あとで給仕係の女性たちから一部始終を聞いたんですよ。『社長、自分が注意 するって言ったけど、きっと料理長に甘いから何も言わないわよ』と、社長への批判のニュ アンスたっぷりに報告してきたんです」 これを聞いた堀口さんはたった一言でまとめた。 「従業員さんたちは社長に料理長のことを 怒ってほしいんですね。それに、一番えらいのは、お客様にそれを食べさせちゃいけないと 頑張った従業員さんたちですね」と。 末当だ!そういうことなんだ!と思った。そして、従業員を褒めるべきところだったんだ。 「従業員は社長が料理長に厳しく注意することを望んでると思うんです。 私がそれをやっち ゃったら、みんなもっと社長に批判的になっちゃうかな。って思うんです」 「なんでですか?ゆかりさんが注意していいんですよ」 「え?あ、そうか!」その一言で私は自分の変な思い込みから一気に解放された。 「いつもお客様にとってどうなのか?と考えていけば揺らぎません。 お客様に喜んでいただ く。それを基準にジャッジしていけば社長の問題とか小さくなりますよ」 あぁ、私はお客様じゃなくて社長の方を向いていた! 社長がやるべきことを差し出がまし くやったらいけないと考えていたのだ。 お客様においしいものを食べていただくことが最優 先なのに。ものすごく腑に落ちる感覚だった。そんな当たり前の考えは自分の中にもあった はずなのに、それを見失っていたのだ。 「決めた!私の軸もこれしかない!」90 日コーチン グの目的がもう達成してしまったかのような勢いで感動している自分がいた。 その後、例の塩辛い料理を使ったあの事件が再び起きた。 困った給仕係の女性は今度は私のところに聞きに来た。 「社長に言ってもだめだから…。これお客様に出しちゃっていいんですか?」とかなり不満 口調だった。 『従業員さんたちは社長に料理長を怒ってほしいんですね』 『ゆかりさんが注意しいていい んですよ』堀口さんの言葉が蘇った。 と同時に「私が向くべきはお客様なんだ。それは間違いなく正しい判断だ」ととても強く確 信した。 私は調理場に行き、冷静に淡々と話した。それに対して料理長は素直で、急いで差し替えの 段取りをし、お客様にその塩辛い料理を出さずに済んだのだ。なんだかあっけなかった。で も私にとっては「お客様が喜ぶことかどうか」という軸を意識して起こした記念すべき初め ての行動だ。これから自分は迷いなく動けるようになるだろうと思えた。 そして、朝礼で料理長に向かって注意もできた。他の従業員さんたちから「専務、今日の朝 礼すかっとしたわ!」と言われ、迷わず行動できる自分に自信が持てるようになってきた。 3 回目のセッションを迎える頃、 「お客様」に軸を持てたことで私の毎日は明らかに変わっ ていた。マナー研修を受講させたり、チラシを作ったり、館内巡回システムを導入したりと 意欲的に動いていた。 「みんなは私の事、専務として認めてくれないかもしれない」という 考えはちっぽけなことになっていた。「何で今までこんなどうでもいいことに捕らわれてい たのだろう?」そう思ったとき、 「あ、私、乗り越えた!」と気づき、すごく幸せな気持ち に包まれた。 その頃、堀口さんから『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読 んだら』を紹介してもらい、末からヒントを得て、私も面談をやろうと思いついた。 「なる ほど、あなたはそう思うのね」と返して、みんなの話を聞くに徹することを誓った。 後輩社員のことが気に入らず無視し続けているAさんとの面談では、 愚痴をこぼすAさんに、 「A さんにも、好きになれない後輩と一緒に仕事をする辛さというのがあるんだろう」と、 とにかく彼女の思いを受け入れながら聞いた。彼女は、 「目つきが悪いからいや」 「注意して も 1 回じゃ直らない」など次々と後輩社員のことを話した。私は「そうなんだ。なるほど ね」と一切否定しないで聞いていた。するとしばらくしてAさんは、 「なんか私悪口並べて る自分がイヤになっちゃったからもう言うのやめます。彼女と一緒にいるのしんどいけど、 でも我慢して仕事続けてみます」と、前向きな発言をして自分でまとめていた。私は「他の メンバーがあなたと彼女の間で気を使ってるっていうのは考えたことある?」と聞いてみた。 すると彼女、ハッとしたような顔になり「そうか…気を使わせてたんだ、私」と気づいてい た。 翌日、その部署のリーダーがびっくりした顔で聞いてきた。 「専務、面談でAさんに何て言ったの?Aさんが、 『気を使わせちゃってごめんね』って言 ってきたのよ。そんなこと言われたの初めてだからびっくりしちゃったわ」と。 それを聞いて、私はとてもうれしくて、面談が成功したことを内心喜んだ。 4 回目のセッションはコーチングを受け始めてから 2 ヶ月を過ぎた頃だった。 前回のセッションで意欲満々だった私は、尐したるんでいる自分を感じていた。堀口さんに 話すと、 「それは色々やってることが普通になってきてるのかもしれませんね」と言われ、 その一言だけでもうダメダメ感はリセットされてしまった。 今の自分のままでいいのだと思 えた。 5 回目では、お店のブログにどんなことを書こうか堀口さんの意見も聞きたいと思い、まず は自分が思いついたアイディアをちょっとドキドキしながら話してみた。 「お料理のコツ、まかない料理レシピ、ご法要の豆知識などを書こうと思ってます」と言っ たら、 「ありきたりですね」と一刀両断だった。(笑)でもショックじゃなかった。 私は、 「ありきたりが普通で無難で常識的。だからその線でいけば間違いないだろう」とい う考えを根底に持っていたんだと気づかされた。今までずっと持ち続けていた価値観を 180 度覆されたような衝撃だった。そして、 「ありきたりなら間違いない」という考えを卒業し ようと心に決めた。 「お客様に喜んでいただけるか」 「ありきたりじゃないか」この 2 つのおかげでぶれない判 断ができるようになった。そして、迷いなく言い切れるから「カッコいいじゃん、私」と、 自己満足も得られるようになった。自分のことを満足できていると、自分の中のネガティブ も周囲のネガティブも小さなことに思えた。なんだか好循環の波に乗れる予感がした。 最後のセッションでは、 「望んでいるけど叶わないんじゃないか」とずっと思い続けている ことをいよいよ話すことにした。 まず、 「ずっと給料を上げてほしいと思っているけれど社長に言い出せないこと」について だ。給料はもう何年も上がっていない。4 月に専務に昇格しても据え置かれたままだった。 堀口さんは、 「いくら上げてほしいと思ってますか?5 万円?」と聞いてきた。 「いや、10 万!」と私は言い返した。5 万円じゃ安い、と瞬間思った。 言い返した自分にもびっくりした。 「そうですね。仕事のパフォーマンスも上がってきているし、相談してみる価値はあると思 いますよ。言い出しやすいタイミングはありますか?」 「2 週間後が給料の締め日だからその日が言いやすいかな」 「じゃ、その日に言いましょう。まだまだと言われたら『わかりました。次また頑張ります』 と言うだけです。告白より楽ですよ!」 告白より楽?…そのユニークな例えに吹き出してしまった。 「そうですね。そう思えば簡単にできちゃいそう」 堀口さんは簡単にできちゃいそうと思わせるのが末当に上手だと思った。 その翌日ミラクルは起こった!社長のほうから「給与を 5 万円上げようと思う」といきな り言ってきたのだ!でも私はすかさず「10 万円ではだめですか?」と切り返した。 退職者がいたため、その分で相殺しても全然大丈夫と分かり、結局社長は 10 万アップを了 解してくれたのだ。堀口さんと「10 万」という額を明確にしておいたおかげだ!それがな かったら多分「5 万アップありがとうございます」で終わっただろう。しかも相手から先に 言ってきたのだ! 堀口さんに報告したら「宇宙のほうから動きましたね」と一緒に喜んでくれた。末当に「給 与 10 万円アップ」が現実になった!! もうひとつ、叶わないと思っていた夢があった。 離婚にあたり私は娘たちとアパートに移り、その後元夫も家を出た。今は空き家になってい るその家のことが気になっていた。誰にも管理されない家が荒れていくのは当然だ。締め切 った窓をあけて風を通したい、 庭の草取りをしたい…娘たちも愛着のある家に戻ることを切 望していた。 「昔庭に埋めたタイムカプセルはどうなるの?」といつも気にしていた。 父と元夫の関係は家業において互いに憎しみ合う形で破綻した。 彼の所有である家に私が家 賃を払って住むのはどうか?と一度父に話したことがあったが、激怒し、まったく取り合っ てもらえなかった。母を始め周囲の身内からは、病気の父を刺激して病状が悪化したら大変 だからもうその話はしてはだめだ、と釘を刺されていた。元夫は売るか賃貸に出すかを検討 していて、娘たちは「あの家に他人が住むのは絶対いや!何とかして」と泣きながら私に訴 えるようになっていた。 「父親の許可を得ないで住んじゃえば?」と人に言われたこともあ ったが、そんなのは絶対イヤだった。どちらにしても決断をしなければならない時を私は迎 えていたのだ。 そんな話を堀口さんにした。 すると、 「お父さんのことも大事だけれど、これから朩来のたくさんある子どもたちのほう が大事なのではないですか?子供たちの願いを叶えてあげるといいですよね。それに、おじ いちゃんが、もし孫たちの願いを聞き入れれば、おじいちゃんは孫から感謝されることにな ってきっと嬉しくなるだろうから、 結局みんなにとって良いことになるんじゃないですか?」 と。 その言葉で決意した。もう一度父に掛け合おうと。 私は頭を下げて父にお願いした。話しているうちに涙が溢れてきたが、その泣き声のまま頼 み続けた。父は「だめだ」の一点張り。元夫がローン返済できなくなった場合に想定される 私たちへの負担、一戸建の維持管理の大変さなど心配なことばかりだと。憎しみからではな く私たちを心配しての反対だったとわかった。でも、そうわかった上でも更に懇願した。私 こんなに粘り強かったっけ?と内心自分に驚きながら。そして、最後に「勝手にしろ」と父 は言った。父も、そばで聞いていた母も泣いていた。 「お父さん、あなたに根負けしたのよ」 と後で母が言っていた。 今、子どもたちとその家で生活している。下の娘が「この家大好き!」と言っている。 私の口からは自然に父への感謝の言葉が出てくるようになっている。父も穏やかだ。結局、 堀口さんが言ったようにみんなにとって良いことになったのだ。 叶わぬ夢と思っていたことが 2 つ立て続けに実現した! 職場での自信を取り戻したことで、 まったく関係ないと思っていた家族のことにまでいい流 れを呼んだということか!結局は目の前のことに満足できるよう動くだけでいいのだと思 う。 終了後、 堀口さんへの感謝の気持ちを込めて以前ブログでコツコツと集めたミスチルのフレ ーズ集をプレゼントした。すると堀口さんはとても喜んでくれて、堀口さん撮影の夏の写真 をレイアウトしたフレーズコレクションを作って逆にプレゼントしてくれたのだ!さらに 皆さんにもおすそ分けということでメルマガで配信まで!!!このミスチルフレーズコレ クションは私の大切な宝物になった。 『ひとみずむ32』を書いた後、堀口さんからこんな内容のメールをもらった。 「社長の息子、料理長、社長と経由して言いたいことが言えるようになっていきました。 そして、ゆかりさんにとって最大の難関であり最大の望みは、父親に望みを言うことです。 それはおそらくインナーチャイルドの望みだったのかな?と思いました。 それまでの経緯は、 父親へ言える為の練習を積んだように思えるのです」と。 メールを読みながら涙がこぼれた。 ひろげてあった娘の古文のノートに涙が落ちて、あわてて拭いた。 確かに 私は子どもの頃から父が苦手で、それは、大人になっても続いていて、言いたいこ とがあっても言えないことが多かった。でも末当は「お父さん、きれいな景色だね」 「そう だな~」なんて他愛のないおしゃべりをしたかった。もっと父に近づきたかったのだ。 堀口さんのメールで今更ながらそのことに気がついた。 子どもの頃の我慢している自分がい たいけだった。 「大丈夫だよ。 あなたは大人になったら、 ちゃんとお父さんと話ができるようになれるから」 心の中で子どもの私に言ってあげた。 momo ★33 言いたいけど言えなくて 私は、大学院を卒業後、一般企業に勤めていたのだが、もう一度大学で研究をしたくな り、昨年、大学での研究生活をスタートした。その後、研究発表会で賞をもらうなど、 研究生活は順調で、自分に自信が持て、「私は大学に戻って末当によかった!幸せだ!」 と思えていた。 しかし、こんな順調な毎日に、突然、ネガティブな想いが襲いかかってきた。 みんなと協力して研究を進めていきたい。けれどできない。 そして、周囲の他愛ない言葉にすごく傷つくようになったのだ。 「自分は一生懸命にやっているのに!どうしてそんなことを言われるの??」 「からかわれているだけだよ。momo さんは他のみんなの癒しの存在なんだから」 友人からはそう言ってもらえるのだけど、自分は納得できなかった。 自分の気持ちが、怒りと悔しさでいっぱいになってしまっていた。 しかも、気になっている男性に告白したけれど、結局うまくいかなかった。 成果を出して自信をつけたい。セルフイメージを高くしたい。 より一段高いところに行きたい。でもどうしたらいいのか? 変化が必要な時期だと強く感じていた。 以前にも堀口コーチの 90 日コーチングを受けたことがあり、その時に自分のやりたいこ とを見出せたので、今、人生のターニングポイントであると感じた私は、2 回目を申し込 んだ。 申し込み直後、 「事件」が起きた。 (私から堀口コーチに送信したメール) =========== 野外調査中に私がみんなのリードができていないので、先生から注意を受けます。他の 人に助けてもらわなければ出来ないことばかり……。私も状況に忚じてその場で判断し て、指示を出せるほど能力もないです。私が出した指示は「それは必要ない」と覆され、 結局私がリードできないです。みんなが協力して一つの作業をこなすことがゴールなの か。私がリードすべきなのか。わかりません……。 命令系統も曖昧だし、判断もその場の瞬発力とか、発言力のある人の意見に流されるし。 言った人が勝つような雰囲気です。急に想定していない仕事を任されて、出来なければ 「おまえは仕事のできない奴だ」呼ばわりだし。でも役割分担なんかないし。事前の準 備をしていない仕事の責任まで問われるし。私は事前に任されたことならやるんですが、 その場で急に言われて初めてのことを任されても対忚しきれません。 もうやるしかないし、頑張るしかないです。そう分かっていても、悔しいです。 ========== そして、堀口コーチからすぐに励ましの返事があった。 気持ちを取りなおし、どうにか調査を終えることができた。 忚援してくれている人が存在することが嬉しかった。 こうして、堀口コーチとの 90 日コーチングはスタートした。 申し込んですぐ、調査の失敗で自己イメージが最低になっていた私は、 ファッションコンサルを依頼した。 8 月某日、有楽町丸井で待ち合わせをして、堀口コーチとランチへ行った。 堀口コーチと会うのは、初めてだった。カッコよくクールな雰囲気に、最初はすごく緊 張してしまったけれど、ファッションコンサルの丁寧な対忚で、その緊張はすぐにとけ ていった。 「どんな服のテーマにしましょうか?」 「アクティブでアウトドアな女性になりたいんです」 野外調査の失敗から、アクティブなイメージを創りたいと伝えた。 「え?今だってアウトドア風の恰好じゃないですか!もっと女性らしさ出していきまし ょう。なんか、ボーダーとか似合いそう!フランスのカフェでお茶しているイメージに しよう。エレガントにね!」 驚いた。私が心の底で望んでいたイメージだ!とすぐに感じた。堀口コーチは、何も言 ってないのに気付いてくれた。私は、子供の時に、母親が洋服を作ってくれたり、ピア ノの発表会にオシャレさせてもらったりしていた。なので、 「フランスでカフェ」という 言葉が、心の奥底に響き、優しくほっとした気持ちにしてくれた。 「末当の自分を出して もいいんだよ」というメッセージをもらえて、背負っていた今までの重荷が降りた気が した。自分をもっと大事にしてもいいんだと思った瞬間だった。 そして、自分が似合う洋服やコーディネートのポイントを教えていただき、一緒にお店 を回った。 「小柄で細いけど、意外と肩幅があるよね。肩のラインが目立たないような袖のブラウ スやワンピースが似合うね」 「足のラインがきれい。細めのパンツをはくといいよ」 「無理に高いアイテムをそろえなくてもいい。自分に合うイメージを演出することがで きればいいから。見せかたが大事」 私がなりたい末当のイメージに気付いてくれた!という信頼感から、ファッションのア ドバイスもとても受け入れやすかった。そして、ワンピース 2 着、ジーンズ 1 着、パン ツ 1 着、靴、ネックレス 3 つ、時計 1 つ、カーディガン 1 着を揃えた!こんなに買い物 したのは久しぶりだった。 どのアイテムもすんなりと決めていったが、パールのアクセサリーだけ最後まで悩んだ。 購入したワンピースとの相性が抜群!けれど、尐し値段が高くて悩んでいた。似たもの があるかもしれないと、一緒に他の店を回ってくれた。けれど、最終的には「やっぱり パリの雰囲気を出すにはこれしかない!」と二人で意気投合し、思い切って購入したの だ。こうやって「パリのカフェでエレガントにお茶する自分」を最高に演出してくれる アイテムを買い揃えることができた。 そして、街を尐し歩いた後、丸の内の三菱一号館美術館のカフェテラスでお茶をした。 最初に言っていた「カフェにいるパリジェンヌ」がすぐに再現された。堀口コーチは、 私が素敵に写真に映るように何度も写真を撮り直してくれた。そんな真摯な姿勢がうれ しかったし、そもそも、こんなに丁寧に他人の買い物に付き合ってくれるなんて!私に はできない!と思った。 ファッションコンサルを通じて、堀口コーチは、無理に「アクティブ」になろうとして いた自分を軌道修正してくれた。実は、研究室のメンバーにとてもアクティブな女性が 一人いて、かっこよくて、憧れていた。自分も彼女のような「アクティブな女性」にな りたい、と思っていた。 つまり私は、自分ではない他人になろうとしていたのだ。 それが根末的な、野外調査の失敗の原因だったのかもしれない。 そして、他愛ない言葉に傷ついて悩んでいた原因なのかもしれない。 無理にアクティブになる必要なんかない。それが私の良さなのだと分かった。 そういえば、社会人になってから、仕事や研究の上で「自分らしさ」を発揮することは、 わがままと紙一重な感じがして、難しいと感じていた。会社でも良かれと思って提案し たことを批判されたりして、 「自分らしさ」を出したいと思っても、他の人の迷惑になる のだと思った。なぜ、いつも同じことを繰り返すのだろうか?そこに引っ掛かりを感じ 始めた。 ある日、堀口コーチのブログに「インナーチャイルド」のことが書いてあって、もしか したら過去の辛かった出来事に何か「自分らしさ」を出せない原因があるような気がし た。そのことを堀口コーチに話してみると、堀口コーチのクライアントのYさんが、セ ラピーができるからと紹介されて、スカイプでセラピーを受けた。また、初対面でも安 心して話ができるようにと、堀口コーチも同席する形でと、Yさんは配慮してくれたら しい。 セラピーで、心の奥にしまっていたある出来事を思い出した。 中学校に入って容姿をからかわれ、自分ではだれにも相談できずに悩んでいた時期があ ったこと。結局あの時は、自分が我慢することで、耐え忍んだのだ。そうしたら、返っ てそれが周りからからかわれることになってしまった。その頃から自分の気持ちを正直 に伝えられないようになっていた。そして私は、いつのまにか自分が自分でいることが 怖くなっていたのだ。セラピーで、中学生のころの自分に「周りに相談する手もあった んだよ。でも大人になってからはもう大丈夫だから。自分の好きなこと出来ているから」 って伝えてあげたら、どっと涙があふれてきた。あの時、我慢した感情が今になってこ み上げてきた。末当につらかった。そんな自分を分かってあげて、不思議と気分が穏や かになっていくのを感じられた。 「もう子供ではないのだから、騙されても、笑われても自分らしくあるほうがいいので はないか?そのほうが自分で納得ができる」 。 ふと、そう思った。 そして、私には、堀口コーチが選んでくれたパリ風の服がある。これは誰にも真似でき ない「自分らしさ」なんだから!我慢なんてしなくていいよね?我慢してたらもったい ない。そう思った。と同時に、そう考えられた自分にびっくりした。 それからすぐに、 「自分らしく」を試されるようなことが起こった。 「嫌です」と、自分の気持ちを正直に言えた場面だったので、急に不安になって、堀口 コーチに、自分の対忚はこれでよかったのか?、メールした。 ========== 堀口コーチ 来週、一緒の学会で発表することになっていて、以前告白したけどだめになって、ぎく しゃくしていた男性の同僚に「発表ポスターを、印刷してもらえないか?」と頼まれた んです。ほんとなら、自分の発表ポスターは自分で印刷するのが筋なので、ちょっとそ れはどうかと思って「嫌ですよ!自分でやってください」と、無意識に言ってました。 ちょうど私が帰るところだったので、しばらくの沈黙の後、 「印刷、やってもいいですよ。 USB に入れて机に置いといてください。ホントは嫌ですけど。じゃ、おつかれさまです」 って言い残して帰りました。 私も、彼に色々助けてもらっていることもあるから最終的には、印刷してあげてもいい かな、と思ったんです。いままでなら、もやもやとか言いたいことを我慢してただ「い いですよ」とだけ言ってた気がします。なので、自分を大事にできた嬉しさが大きいの ですが、ちょっと言い方がきつかったかなぁ……と不安もあります。 。 過去に「利用されて悔しかった自分」がいて、それがインナーチャイルドとして出てき たのかもしれません。 ========== すぐに返信をいただいた。 ======== momo さんへ なにか、思い当たるところがあったんですね。やりたくない、という思いは言えたんで すね。言い方をやさしく言えるかも知れませんね。そうすると、断りも相手も自分も大 切にできて、罪悪感は、残らないと思います。 「申し訳ないんだけど、私も今、余裕がな くて。また、いつでも遠慮なく頼んでね」。こんな風に言えるといいですね。 堀口ひとみ ========== 私の中で、彼は偉そうにしている態度が、それがちょっと嫌だな、という思いがあって、 それがつい言葉に出てしまった。また、 「利用されたら嫌だ」っていう自分が出たのかな、 と不安になった。でも、自分の気持ちをしっかりと言葉にできた。それが、とにかく大 きかった。 そして、私はその学会発表で最優秀ポスター賞を受賞した。この受賞には驚いた。 数日前に同僚に対して、 「言い方がきつかったかな?」と反省していた。 でも、もしかしてこれは、言いたいことが言えたから?と疑問がわいてきた。 嫌なことは、 「嫌だ」と相手に伝えても、それでいいの……? 神様は、どんな仕組みで私にこの賞をプレゼントしてくれたんだろう? また、研究室のメンバーから、 「momo さん、今日の洋服、パリジェンヌみたいですね! 「パリの香りがしますね!」こんな声をかけてもらえるようになった。 自分らしさを発揮することが怖かったが、洋服でも「自分らしさ」を表現できた気がし た。自分らしさを守れた気がして、ほっとした。それに、堀口さんが選んでくれた洋服 を着ているだけでも、守ってもらっているようで、安心できた。 だんだんと、自分なりの仕事の楽しみかたを探るようになり、周囲の期待にこたえる努 力はやめにして、自分らしさの視点から、仕事に取り組む姿勢を考えるようになった。 そうしたら、尐し余裕が生まれてきた。 秋になって、また野外調査に参加する機会があった。今度は、事前に作業の順番を分刻 みで決めておき、準備も完璧にした。そして、ファッションコンサルで最後まで悩んだ パールのネックレスをお守りとして着けていった。こうして臨んだ野外調査では、課題 はまだ山積なのだけれど、先生からは「momo さん、段取りの悪さ、ちゃんと改善され たじゃないですか」と評価してもらえた。その日は、ホテルの部屋で嬉しい涙が止まら なかった。 そしてその野外調査の帰り。研究室のアクティブな女性に前から言いたいことがあった ので伝えることにした。彼女と二人だけの場面で、自分の意見を言った。彼女にとって は、しんどい意見だったとは思うけれど、私としてはとにかく聞いてもらいたくて、つ い言ってしまった。言った後、 「やっぱり言わないほうが良かったかも……」と不安で仕 方なかった。友達に相談したら、 「それは言ったほうがいい。末当ならもっと強く言える はず。それに、よくちゃんと言えたね。それも momo さんらしいよ」とも言ってもらえ た。すごくうれしかったし、尐し自信にもなった。 そして、調査から帰って数日後、自分で思っていたよりも、着実に研究の成果を積み上 げていたらしく、私の研究費の申請が見事に採択されたとの話を先生から聞いた。 それから今、ある男性から「付き合ってほしい」というアプローチを受けている。そん な風に考えていなかったので、驚いた。そのままのわたしでいただけなのに。だから、 彼は、わたしらしさを大事にしてくれそうな人かもしれない。ゆっくりと考えていこう。 こんなにいいことが続くなんて……。なぜだろう?末当に不思議だった。 振り返ると、ファッションで「自分らしさ」に気づいたところから明らかに流れが変わ っていたのを感じた。それから、言いたいことを言えるようになったら、次々と素敵な 出来事が舞い込んできたのだ。 子供のころの「言いたいことが言えなかった」という望みを叶えてあげたからだろうか?大 人の自分って、子供のころできなかったことを、叶える存在なのかな?って思えた。そう思うと、 「やりたいこと、やるぞ!」ってやる気が出てくるのを感じた。 言いたいこと。ちゃんと言っても、うまくいく。 言いたいこと。ちゃんと言うから、うまくいく。 それが私らしさなんだと思う。 akira ★34 伝説のチームになる 僕は、2009 年の 10 月から家電販売の仕事をしている。この仕事は、毎週違う店舗に行き、 木曜~日曜まで成果を出し続けることを求められる。おそらく現時点では日末一の販売部隊 だ。しかし、正直自分の販売力は伸び悩んでいた。何気なく、ネットで「カリスマ販売員」 で検索をした。一番初めにヒットしたのが「カリスマ販売員 DVD」だった。そして堀口ひ とみさんを初めて知った。すぐに、ホームページを見て、その内容に引き込まれていった。 You-tube でカリスマ販売員 DVD の一部を見たり、無料メールセミナーを申し込んだ。こ の時初めてコーチングという仕事があることも知ったのだ。 「売れる販売員にな りたい」 「なんでもいいからヒントが欲しい」と思っていたので、勢いで「カリスマ販 売員 DVD」を購入した! 堀口さんの「毎日がメッセージセミナー」にも参加した。セミナーに参加した事がなかった 僕には、かなりの勇気が必要だった。毎日がメッセージセミナーではショックの連続だった 事を覚えている。 まず始めに歌を歌った。 「えっ?歌?なんで?」「なんで魔女の宅急便?」が 1 つ目のショ ック。次に掃除のお話し。 「掃除をすると幸せになる?」どういう事?が 2 つ目。 そして 3 つ目に、 「生コーチング」 。目の前でコーチングを受けている方が、どんどん自分 から話しだし、 「あ、そうか。私ってそれでいいんだ!そうします!」と、なっていった。 今でも『なんであの時手を挙げてコーチングをしてもらわなかったんだろう』と思う(笑) セミナーでの残念な気持ちを晴らそうと、気が付いたら対面コーチングを申し込んでいた。 セミナーから 1 週間後。速攻で。(笑) 堀口さんに「僕の仕事は、いろいろな都道府県に行って、他社と戦っている」と話したら、 「戦国時代のようですね(笑) 」と楽しそうに笑っていた。 家電業界は、まさに男社会な一面があり、非常に体育会系のノリである。要するに、縦社会 で規律が非常に厳しい。どの業界でも当たり前の事だが、お客様に失礼があった時にはコテ ンパンに怒られるのだ。 (業界用語では「詰められる」と言います)(笑) 堀口さんが「戦国時代」と評したのは、我々が他社との数字の戦いをしていると、裏では喧 嘩は当たり前、体のぶつけ合いや、足の踏みあいがある事を話したからだ。 内側は、正に「戦争」だ。(笑) この日のセッションのテーマは、 「カリスマ販売員になりたい」だった。 「売れる人になりた い、1 番になりたい、どうすればいいのか教えてほしい」と、答えを欲しがっていた僕に堀 口さんは、 「どうすればいいんでしょうかね~?」と言った。次に、 「売れる人と何が違いま すか?」や、 「どういう風に売っていますか?」 「どんな風になりたいのか?」などの質問が 投げかけられた。それに対して自分なりに考えて答えているうちに、色々な事に気づいてい った。堀口さんは僕が話す事に「なるほど~」とか、 「そっか、そうすると○○という事です かね~?」などと相槌を打っている感じだった。そうしたら、なんとなく「こうかな」とい う事に自力で辿り着いたことを感じた。 さらに僕が、 「1 番になりたいんです」。「誰にも負けない販売員になりたい」と話した時、 堀口さんは「それよりも、お客様から感謝の言葉をもらう販売員 No.1 というのはいかがで すか?」と言ってきた。そして、 「○○に勝ちたい、負けたくない。○○に認められたい。とい うのをモチベーションにするのは、 『ダサイ』ですよね。相手に対して『相手の幸せのため に何が出来るかを考える』事がかっこいいですよね」と。 確かに!!その方がいい響きだなぁ、と思った。この言葉が対面コーチングの全てだった。 『ダサイ』のは嫌です!!!男ですから(笑) 最後に、 「行動に移すには?」という話になり、行動を起こすための秘訣を教えてもらった。 「今やっていることが、どこにつながるか?まで考える」 「自分みたいに悩んでいる人を助けら れるようになって、いつかセミナーをしようと目標を持つ」と。そこまで考えるのか!!と驚 いた。でもなるほど、そこまで考えていれば行動出来そうだ! 自分の中でテンションがあがりまくって、家に帰るとむちゃくちゃ掃除をした。そして、家 が奇麗になると更にテンションが上がり、さっそく堀口さんからのフィードバックを見直し ながら、プライベートな事から仕事の事まで自分の棚卸をした。 数カ月後、サブリーダーへ1つ昇進することになった。まさに毎日がメッセージセミナー で聞いた「引き寄せの法則」だと感じた。自分自身が望んで起こした行動が、堀口さんとの 出会いに繋がり、堀口さんに引っ張られる感じで自然と自分で行動に移し、仕事では成果に 繋がり、周りから認められるようになっていった。コーチングってすごい!と思った。 単発コーチングから約 1 年後、さらに昇進し、10 人をまとめるチームリーダーになった。 この頃になると、何か変化があればコーチに相談する。と決めていたので、迷わず「90 日 コーチング」を申し込んだ。 オリエンの時点で希望していたのは、「コーチングを学びたい」だった。 チームメンバーにコーチングをしながら、「向上してもらいたい。自ら行動し、成長して欲 しい」と思っていた。 堀口さんはいつもの調子で平然と、 「 『伝説のチームを作る』というのはどうでしょうか?」 と、とんでもない事を・・・。 でも、しっくりときた! 堀口さんは、いつも僕に『想像』させてくれる。この時、僕の頭の中には、半年後にチーム が伝説になっている想像がどんどん膨らんでいた。 「想像出来る事は実現しますね」と、堀 口さんは言った。 『90 日コーチング』最初の 2 回のセッションでは、コーチングを学ぶと言うよりも、チー ムを率いる上でリーダーである僕自身の成長に関しての話題だった。自分で自信のない所、 自分以外のリーダーと自分を比べて、足りないと感じる所を補っていきたいと思った。やは り気になっていたのは、自分の販売力だった。 「売る人って何がすごくて売れているのか?考えてみる」ことをテーマにした。 自分の周りには幸い日末一の名前にふさわしい販売員がたくさんいるので、 一人一人を思い 浮かべながら考えてみた。 「笑顔が素敵」 「カッコイイ」 「お客様思い」 「初めて会ったお客様 にファンになってもらっている」などが話し合いながら挙がってきた。 「カッコイイ」を除けば今まで堀口さんから学んだ事だと気がついた。 「自分が衝動買いをした時ってどんな時かな」と考えていると、その商品が魅力的だったり、 メリットを感じた時、であると気がついた。当たり前のようなことだが、意外と言葉にしよ うとするとなかなか出て来なかったが、1 度意識的に言語化出来たら、自分の中で確実に定 着した。 「そもそもなぜ商品を売っているか?」 を考ると、 「お客様に得をして欲しくて売っている」 のだ。これも以前堀口さんがおっしゃっていた、 「相手の幸せの形を考える」事だ。 お客様は十人十色で、様々なご希望がある。これまでは、ついつい自分の話が先行してしま い、お客様の要望をヒアリングしきれないまま、最終的には「いくらにしてくれるの?」と 価格の相談ばかりがメインの接客になってしまうことが多かった。 しかし、セッションのあとからは、 「お客様の幸せを考える」ことに繋がっているのかどう か、を意識するようになり、出来るだけ便利で生活が豊かになるようにと、使い方や新しい 利用シーンの提案をして行こうと考えるようになった。 考え方を尐し変えただけで伝わり方 が変わった。数字もそれに伴って伸び始め、尐し自信もついてきた。 チームのメンバーにも変化が現れ始めた。 僕のチームは 10 月・12 月から入社した新人さんが 5 名、ベテラン・中堅が 4 名に僕の合 計 10 名。プラスもう 1 チーム、地方の店舗を巡回するチームを任されていた。こちらのチ ームでは、伸び悩んでいる新人スタッフを引き受け、共に働きながら力をつけさせようとい う目的もあった。最初は僕から「何か聞きたい事はありますか~?」とか、 「先週の活動で 困った事はありますか?」と質問しても、「何もありません」とか、もしくは何か質問しな いと!という感じで質問を絞り出している感じだった。 それが、この頃から、 「質問は?」と僕が言うと、怒涛の質問タイムが始まるようになった。 なんか、みんな勝手に前進しているなと感じた。 堀口さんにその事を伝えると、堀口さんは僕に聞いてきた。 「チームメンバーを怒ったりしますか?」 「いえ、基末的には怒りません。相談や質問をしないで自己判断をして、結果的に困ってい る時だけは、なんで相談しないの?とは言いますけど・・・」 「なるほどね。 『なんで相談してこないの?』という言葉で『つながり感』や、 『気にしても らっている感』が出て、安心して働けるのでしょうね」 その言葉に、納得できた。チームもいい方向に向かっていると自分でも思えるようになって きた。そんな時上司から「なんでうまくいっているの?」と質問された。僕の中では「怒ら ないから」が答えであったが、その上司はいわゆる「気合と根性」の人で、どちらかと言う とよく怒る上司だったので、ぼくが「怒らないこと」と答えることは上司を否定している様 な気がして言えなかった。 堀口さんに相談すると、 「akira さんもその上司のもとで育った理由があると思うんですよ。 akira さんは、怒られていながらも、やはりそれは気にしてもらっていたからと感じていた んじゃないですか?だから『僕も○○さんに『気にしてもらっている』と感じていることで、 伸びたので、○○さんと同じ事をしているだけです』と伝えてあげればいいんですよ』と。 そういえば、僕も新人時代には「気にしてもらっている」という感覚があったことを思い出 した。気にしてもらっているなぁ、と感じることで人はやる気になれる。つながり感だ。そ してそれが『ねぎらい』にもなると気づけた。上司にその言葉を伝えたら喜んでくれそうな 気がした。 3 回目のセッション。 チームリーダーとして、物事をネガティブに捉え過ぎる部下に対して、ポジティブな考え方 を教えてあげたらもっと楽になるのではないかと考えていた。 そこで、堀口さんに聞いてみたいことがあった。 「周りにネガティブな同僚がいて、もっとポジティブに考えればいいのにと思ったんで、俺 ならもっとポジティブに考えるけど、例えば『・・・な風に、何でそう考えないの?』って 言ってみたんですよ。そしたら相手は、 『・・・』となってしまうんです。だから 自分の言い方が、中途半端なポジティブだから、相手に伝わらないかと思って、そこで今日 は究極にポジティブな堀口さんならどう言うのか?知りたいんです」 「あーー。私、究極にポジティブだと思われてるんだ。究極の事を言っちゃうと、ポジティ ブもネガティブもありませんよ(笑)」 「えっ???」僕は、10 秒くらい固まった。 「究極にポジティブに見える人は、実はニュートラルなだけで、物事・人を受け入れている だけなんです。あ、そうなんだ。と言うだけ」 「うわ~、恥ずかしい!!!」 最高に恥ずかしくなった。ポジティブになりたい、ネガティブな同僚にポジティブになれと 言ってきたのに。そもそもポジティブもネガティブも無いですと!? 自分は比較的ポジティブだと思っていて、ネガティブな同僚をポジティブに変えてあげたい と思っていたこと、自分を変えるのではなく、人を変えようとしていた事に気が付き、自分 で分かるほど顔が真っ赤になっていた。 「今まで周りに言ってきた事を 1 回全部無しにできませんかね(涙) 。さっきまでの自分を 消したいです」と訳のわからない事を口走っていた。(笑) 堀口さんは笑っていたが、仕切りなおしていた様子だった。 「受け入れればいいんです。そうすれば、好きも嫌いも無くなりますよ」 「それに関しては出来ていると思います」 「出来ているじゃないですか!物事に対しても同じようにとらえればいいんですよ」 それでまたまた恥ずかしくなった。なんか、自分って忚用がきかないなと・・・。 でもまた前に進める気がした。堀口さんとのセッションで 1 つ 1 つ自分という人間がどう いう人間なのか、なにが出来ていてどうして行けばいいのかがわかってきた。 4 回目のセッションは、チームメンバーへの質問の仕方についてをテーマにした。 この頃の僕は、コーチング方式で、チームメンバーに質問を投げかけ自分自身で考えさせる ことを常に促してきた。しかし、それが新しい悩みを生んでいた。質問を投げかけても返っ て来ないのだ。例えば新人スタッフが仕事で困っていた時、 「どうすれば解決できる?」と 質問し、自分で答えを導くのを待っていると、「・・・」となってしまい、結局「わかりま せん」と言われてしまった。 堀口さんに相談すると、 「コーチング型にはめようとしすぎていますね」 「えっ?」 「人によってレベルが違うのでアプローチの仕方を変えた方がいいですよ。4つのアプロ ーチがあります。・指示型(指示を与えてその通りにやってもらう)・参加型(一緒になっ てやりながら教える)・コーチ型(考えを導くのを手伝う)・権限委譲型(任せる)があっ て、そのひとのレベルに合わせてアプローチした方がいいです」と教えられた。 確かに、なんでもかんでもコーチングが最強と思い込んでいた節があった。 堀口さんは、 「私も akira さんとのセッションではいきなり考えさせるのではなく、教える 事もありますし。今もそうですし(笑) 」 そりゃそうだ!となった。(わかります?この恥ずかしさ!) さらに、僕の質問の投げかけ方で、 「最近どうですか?」に対して「まだまだですね」とい う答えが多いなと感じている事を相談すると、堀口さんは 「その質問だと、大きすぎてどこから答えていいかわからないこともあるから、答え易い質 問にした方がいいですよ。 例えば以前の自分に比べてどうか?良く出来ている時ってどんな 時?自分の中では 10 点満点で何点?みたいに」 「なるほど、過去の自分と比べたり、自分で自分を評価してもらえばいいんですね!」 「そうですね、自分でもそっちの方が答え易くないですか?」 「確かに!そういえば、堀口さんとのセッションはいつもそういう感じでしたね(笑)」 「でしょ!それで、 『どうすれば・・・』のゾーンに入ったら、例えば『あと 6 点の余地が あるけど、どうすればいいかな?』と一緒に考えればいいんです。」 「なるほど・・・、それも堀口さんがいつも僕に言っていた事ですね(笑) 」 「はい(笑) 」 この頃からチームがいい方向に向かっているなと感じることが多くなって来た。 チームメン バーはそれぞれが、悩みながらも自分自身で前進していた。僕自身も皆のことが良く見える ようになり、1 人 1 人の現状や欲求、価値観もなんとなくわかってきた。 90 日コーチングのセッションが最後になり、 『伝説のチーム』になっているのかどうか、こ のチームの素晴らしい所はどこなのかを考えた。 特に秀でたスターがいるわけではない。格別素晴らしい実績を出した訳でもない。色々考え ても特に出て来なかった。 『伝説のチーム』にはなれなかった?そう思った。 僕は堀口さんに言った。 「ただ僕のチームだけ、10 月と 12 月に入社した新人が辞めてないんですよね。他のチーム はどんどん入れ替わっているんですけど・・・。それだけは良かったのかな?」 「それです!」 「えっ?」 「良いお店はスタッフが辞めないんです。スタッフが長続きするんですよ!」 「そうなんですか?そういうものですか?」 「はい、 『伝説のチーム』です。今いるみんながこれからも継続して、力をつけていったり、 自分で考えて伸びていかれる先には何が見えますか?」 「 『伝説のチームです!!』ありがとうございます!!!!」 みんながここに居続けてくれたこと。 それが答えだった。 mayumi ★35 「面倒くさい」から卒業 私は、夫と中学生の子供 2 人がいて、2 匹の犬を飼っている。昼は、人事系の事務をしてお り、割と残業もして、仕事はそれなりにこなしている。 しかし、 人生のターニングポイントを超えたのに、 まだ自分のやりたいことが見つからない。 このままでは、何もしないまま人生が終わってしまうかもしれないといつも不安だった。 悩みがある時には、お気に入りの占い師にタロット占いをしてもらう。身近な人には中々相 談できない、末当に悩んでいることを打ち明ける。そのたびに、タロットカードで朩来も過 去も占ってくれて、そのお告げに何度も救われてきた。過去については、占いで当たってい るか外れているかはすぐに答えがでる。しかし、朩来についてはどうか?それは、微妙なの である。良い鑑定であればうれしいしそうなりたい。しかし、そのための手段がよくわから ない。努力しないと結果もついてこないことぐらいは、私にもわかる。そこで、占いではわ からない朩来のやりたいことを探す手段を、どうやって見つけようかな?と考えていた。 フィギュアスケートの試合を見ていた時、キムヨナ選手にメンタルコーチがいるということ を知った。 「メンタルコーチってなに? そういえばプロゴルファーの宮里藍もつけてるっ て聞いたことがあるし、やっぱりプロは違うなぁ」なんて思いながら、早速ネットで検索し てみた。 メンタルコーチからコーチングにつながった。 コーチングとは「相手に質問しながら、その人の潜在能力や問題の解決策を自主的に引き出 し、人材開発を進める技術」と書いてあった。もしかしたら自分の朩知なる可能性を引き出 してくれるかもしれないという期待にワクワクした。 面白そうなことはすぐにでもやってみたくなる。でも、どの人にお願いすればいいかわから ず、色んなサイトを見ていたら堀口さんのブログにたどり着いた。 堀口さんのブログはとっても面白かった。気がつけば毎日チェックするようになっていた。 無料の小冊子も全て読破し、ますます彼女の魅力に取り付かれてしまった。 コーチングをお願いするなら彼女が良い。そして『堀口ひとみ』に会ってみたくなった。早 速、彼女のセミナーに潜入した。 そして偵察後、すぐに「90日コーチング」を申し込んだ。 最初のセッション。 何をしたいのか分からない私は、話したいテーマも全く出てこなかった。何もわからない私 から、 どんな話を引き出してくれるんだろうか?セッションの前に提出する考察のための質 問集を見ながら、堀口さんはテーマを探しているようだった。 「部屋の掃除」を一忚やることリストに書いてあった。 堀口さんが言った。 「じゃあ、まずは部屋の掃除ですか?」 「いや、やりたくないんですよね。面倒くさいですから。ま、人を家に呼べるくらいにはな っているかな…」 「え?じゃあ、いいです、やらなくて」 「堀口さん、投げましたね(笑) 」 ちょっと安心した半面、やらなくても良いよと言われたことに引っかかった。 それから、占いが好きということを告げてみたら「人生のカルマは?」と、さっそく質問さ れた。何も答えが思いつかない私に対して、堀口さんは、私が色々話していたことから仮説 を立てた。 「ストレングスファインダーの結果 2 位が『自我』でしょ、マッサージを受けるのは好きだ けど、相手にやってあげたいと思わないし、プレゼント選びが苦手みたいですし、特別良い ことも悪いこともない人生と思っていて、何になりたいがないし、人との衝突を避けてきた …ってことは、 『相手のことを理解すること』が、人生のカルマじゃないでしょうか?」 「え?」 正直気付かなくてもよかったと思った。気づいたところでどうしようもない。 嫌いな人は好きになれないし、距離を保てば生活になんの支障もないから。 それに、嫌いな人を受け入れようとすると自分がストレスを感じてつらくなるに違いない。 相手が自分の事をよく思っていなかったら余計に大変だ。 私は気づいた奇跡を葬ることにした。堀口さんにはもちろん秘密だ。 でも、一度気づいてしまった事は頭の片隅に残っているもので何かにつけ思い出した。 「自分はいつかこの問題に取り組むんだろうな」という漠然とした思いが芽生えた。 2 回目のセッション。 人生のターニングポイントを超えたのに、まだ自分のやりたいことが見つからない。 自分で考えても末当に何も出てこない…。不安だった。 そこで、堀口コーチに、 『やりたいことで、今出来ること』を一緒に考えてもらうことにし た。 「小説が好きだから、感じたことをブログに書いてアウトプットしたらどうですか?」 堀口さんに、コーチをお願いするとみんなブログを書き始める。アウトプットするのが良い らしい。そう言われて「私にも、とうとうその時がきたっ!」と思ったが、いまいち書ける 気がしなかったのでやんわり断わることにした。 (今は尐しづつだがアウトプットすることの大切さがわかってきた。 ひとみずむを書き始めて初めて気がついたことだ) 「でも文章書くの苦手だし、毎日はちょっと無理かもしれないです。それとなるべくお金を かけないで出来ることがいいです」 色々話をしているうちに一番お金のかからない呼吸の話になった。 「呼吸って大事なんですよ。忙しくしていると案外浅い呼吸になっているんです」 「呼吸を意識するんだったら、ヨガとかおもしろそうですね」 そして、普段でも出来ることもあるんだなぁと、アンテナが立ち始めた。 私は、読みたい末がたくさんあるので、古末屋でよく購入していた。しかし、あまりお金を かけないことを考えたら、図書館で末を借りればいいと思った。なのでセッション後、すぐ に図書カードを作った。 子供のお弁当も冷凍食品だけでなく、1 品手作りのおかずを作るようにした。 こんな感じで無理しないで出来るやりたいことを考えるようになった 3 回目のセッションで、堀口さんが言った。 「 『面倒くさい』ってさっきから何度も言ってますね。その言葉を言うだけで、思考も行動 もストップさせますよ」 「えっ!」 主婦にはやることが山ほどある。山ほどあるのにやらない自分にイライラする。だったらや ればいいじゃんと思うだろうが、ううっ!面倒くさいのである。確かにほとんどすべての事 において「面倒くさっ!」とは思っているが、そんなに口に出しているとは思わなかった。 この言葉がすべての行動にブレーキをかけていたなんて、自分でも驚いた。 むしろ私にとってはやらなきゃいけないことを後回しにできる魔法の言葉だと思っていた。 言葉の大切さに改めて気づかされた。 この3回目のセッションまで、私は「今日はコーチと楽しく雑談でもいいや。何も気づく事 はないからね。見つけられないよ」と挑戦的にセッションに臨んでいた。 しかし、毎回私は負けていた、それもあっさり。堀口さんには、小さい悩みで気になること を友達に聞いてもらうように気楽に話していた。 その話の中で考え方の癖を見つけて話を掘 り下げてくれたり、何も思いつかない時には、いろいろな提案をしてくれた。 だが、決して強制はしない。 そんな、プレッシャーのないやり取りが、自然と気づきを起こしていた。 ある日、 娘とウインドウショッピングをしていたら娘が「パフェを食べたい」 と言ってきた。 いつもの私ならば、 「隣駅だから面倒くさい」と答えていたのだが、この日は違った。 「いいよ、隣の駅まで行こう!」と自然と発言をしていた。 それを聞いた娘は「いつも、面倒くさいっていうのにね!」とびっくりしていた。 そう、いつもだったら面倒くさいでそのまま帰っていたと思う。 そしてお互い不機嫌になり、 「ぶすっ!」としていたに違いない。 この日の私は隣の駅で娘と二人でケーキを食べた。 残念ながらパフェを食べられるお店がお 休みだったのでケーキに変更になったが、美味しかった。 ちょっと成長したかなと、思えた。 4 回目のセッションで、ストレングスファインダーの結果について、話してみることにした。 結果は 1 位「適忚性」 、2 位「自我」 、3 位「アレンジ」4「最上志向」5「朩来志向」。 2 位の「自我」が気になっていた。 「向上心があり、自分が信頼されること、成功している と思われることを求める。同様に信頼できる、成功している人と付き合うことを望む」と言 うことらしいが、私の中で「自我=自己中心的」って勝手に結びついてしまった。 なぜだろう。 自己中心的という言葉で、旦那との話を思い出した。 以前、 娘の買い物ついでに私がスニーカーを欲しがっていたのを覚えていて旦那が買ってき てくれたことがあった。 携帯で色や形や好みを聞いて、靴の写メまで送って確認してくれた。 旦那はオシャレが好きで、子供たちもわたしよりも旦那の意見を聞く。そんな旦那が買って きてくれた靴を履いてみたら、欲しかった靴とイメージがちょっと違った。でも、せっかく 買ってもらって履かないと怒られるだろうからと、ディズニーランドに行ったときに、履い ていった。歩いているうちに、かかとに豆が出来て痛くなってしまった。しょうがないので 靴のかかとを踏んづけて一日過ごした。結局、それっきり履かなかった。 旦那には、 話していない。 後ろめたい気持ちも尐しはあったが、 「合わない靴を買ってきて!」 位の気持ちの方が強かった。 (今考えると我ながら信じられないくらいひどい奴である) 話しながら、 『今までやさしさに気づかなかった私が悪いんだよね』と心の中で呟いた。 その話を聞いて堀口さんが、提案してきた。 「旦那さんオシャレなんですね。じゃあ、旦那さんに服を選んでもらうのはどうですか?」 「いいですね!身近に素敵なファッションアドバイザーがいたことを忘れてました」 旦那に早速お願いしてみようと思った! セッションが終わって、まず、旦那に買ってもらった靴を、実は一度しか履いていないとい うことを、初めて伝えた。すると旦那は言った。 「今頃気づいたの?お前っていつもそうじゃん。お前って恩をあだで返すタイプだよね」 カチンときた。彼は物事をはっきり言うタイプで、私はそれに振り回されて今までずっと我 慢してばかりだと思っていたのに、そうでもなかったことにこの時初めて気づいた。お互い 様だったのね。ちなみに、旦那は私より 5 歳年下だ。 そして、次の日曜日に、早速旦那に洋服を選んでもらうことをお願いしてみたら、快くOK してくれた。ちょうど結婚式の二次会に行く予定があったので、そのときに着ていく服を選 んでもらうことにした。自分で選ぶと、似合わないのに、ついヒラヒラしたかわいい服に目 がいってしまう。久しぶりの買い物だったのでうれしくて何着も試着させてもらったが、 旦那は嬉しそうに見えた。アクセサリーをひとつつけるのも苦手だったが、洋服に合わせて 選んでくれた。結局、洋服はプレゼントしてもらった! 今回旦那と一緒に買物をしたことで、旦那のやさしさにも改めて気づくことができて、 ちょぴり幸せな気分になった。 5回目のセッションでは、いつも残業してしまうことについてをテーマにした。 コーチングを受け始めてから、次第にプライベートも大切に考えるようになったのだ。 どうにか家族との時間も、もっと持てるようになりたいと思った。 残業をしていた理由は、仕事が終わらず定時に帰れなかったことと、帰れそうな時でも残っ ている皆に悪いような気がして仕方がなかったからだ。 そこで、 「早く帰れるために何ができるのか?」をセッションで考えていった。 堀口さんは、シンプルな考え方を教えてくれた。 「帰れそうなときは帰ればいいだけ、仕事 は頑張り過ぎない」 「人と比較して务等感を持つ必要はない」 「できる人に仕事を任せて頼る」 ことを覚えた。务等感の話になった時「人と比べる必要なんてないですよ」の一言で随分楽 になった。务等感はなくすように努力しなければいけないと思っていたが、そもそも比べる 必要なんてないんだ。等身大の自分で大丈夫だという安心感につながった。 今まで、自分が勝手に仕事中心に生活していたのにもかかわらず、そんな私に協力しない家 族にイライラしていた。つまり、悪循環を自分自身で生み出していたことに気づき驚いた。 仕事が早く終わるように自分で工夫して帰ればいいだけだ。イライラも解消されれば、家族 に手伝いをお願いしたときに気持ちよく動いてもらえるような関係性をつくっていけるよ うな気がした。 コーチングを通して、自分が何を考えているのか?深く考える習慣がついた。これまで感想 など伝えることは苦手だったが、 心の奥で思っていることをアウトプットできるようにもな ってきた。 この頃、堀口さんのブログで「過去を承認する」という記事を読み、 「物事を深く考えず、 諦めてしまう癖」が過去のどこかでついたのかもしれないと思って、自分の小さい頃を振り 返ってみようと思った。 私は、小さい頃から末を読むのが好きで、寝るギリギリまで布団にもぐって読んでいた。 「目が悪くなるよ」と母に良く注意されていた事を思い出した。 シャーロックホームズ、怪盗ルパン、赤毛のアン…学校の図書室は大好きな場所だった。 推理小説の影響で、いろいろ先回りして考える癖がついた。行動を起こす前に頭の中でシミ ュレーションして、あきらめたり挫折したり、自分がこうしたら人はこう思うに違いないな どと、考えていたのだ。 今考えてみると相手が実際どう思っているかではなく、 自分で勝手に作り上げた相手の感情 に苦手意識を持っていたということだ。 それに対して、気を使ってみたりしていたのだろう。 他人に対する苦手意識の原因は、自らが作っていたとわかったら、気持ちが楽になった。 最後のセッションで、私は、堀口さんにこう言った。 「なんだか、とても幸せな気分なんです。夫のことも好きです。今まで、何かしなくちゃい けないって焦って探そうとしていました。別に焦って探す必要もないんですね。この幸せな 気分のままでいい感じがします」と。 そして、お気に入りの占いのところへ、今の状況がどうなのか再確認に行った。 ………………………………………………………………………………………………………… カードを見る感じでは、非常に温かく華やかになってきていて、まゆみさんご自身が満たされて いることを示しているようです。あなたになにかあったのでしょうか。とても安心につながって いますので、正直なところ占いというのは必要なくて、このままゆっくりと時を過ごし、待って いるだけで良いと思いますよ。これがやりたい、と思うことはもうたぶんそろそろ見つかり始め ていると思います。それは人への思いやりや直感などを表現する仕事で、そのコーチについてコ ーチングをこのまま学んでもいいだろうし、スピリチュアルな仕事をしていくのもありだと思い ますよ。コーチはとても魅力的な人だということですから、そのままこのコーチについてコーチ ングを学ぶという方法もありそうですよ。あなたとこのコーチは非常にうまくいく相性で、その コーチの方があなたの本質を引っ張り出してくれていると思います。さっきお話した思い出や大 事なものというのも、このコーチが思い出させてくれると思います。というかね、この人を見る その気持ちが、昔から持っていた大事なものかもしれません。 ………………………………………………………………………………………………………… 何をしたいのか探そうとするよりも、まずは自分が幸せと感じることが必要だったのだ。そ して、やりたいことについては、ゆっくりと時を過ごして待っているだけでいい。 そんな、スピリチュアルなメッセージをいただいた。 ~おわりに~ 今回の『ひとみずむ』を娘に読んでもらいました。今までだったら恥ずかしくて出来なかっ ただろうと思います。私が堀口コーチといつも話しているのを間近で見ていた娘に、 こんな風に変わったことを分かってほしかったのだと思います。 娘にこんな風に自分の感じ たこと、思ったことを素直に伝えられる様になった私の数年後が今から楽しみです。 ai ★36 その我慢は必要ですか? 2010 年 2 月。店長として実績も出し、部下から店長も誕生し、次のステップアップをする ために、長年勤めていたアパレルの会社を退社した。 また、堀口さんのコーチングを受けながら、自分自身もコーチングを学び、クライアントさ んもできるようになっていた。しかし、コーチとして独立する前に、あと数年くらいはお勤 めで学びたいと思っていた。ヘッドハンティングの話は、いくつかいただいたけれどもどう もしっくりこなかった。店長としての仕事はもうできている、なので今までやったことのな い新しいことをしてみたい、そんな思いが強かった。 転職活動を始めて間もなく3ヶ月が経とうとしたころ、やってみたいことが見つかった。 経営者の傍で仕事ができる環境だ。引っ越しを伴う転職だが、いつか独立してみたいと思っ ていた私にとってはとても魅力的だった。これは絶対新しいチャレンジだ! 私は東京を離れ、新天地で新たな生活をスタートすることを決めた。 周りの友人たちにも激励の言葉をもらい、準備は順調に進んでいったが、母だけは気が進ま なかったらしい。それでも自分の人生だからと尐しも決意は揺るがず、いつか母に「行って 良かったね」と言われるようになろうと心に決め、出発した。 新しい生活と初めての経験で、日々いっぱいいっぱいだったが、それがとても楽しかった。 けれど日が経つにつれ、いつしか楽しみながら仕事をしていくことよりも、自分のコミュニ ケーションの悪さにフォーカスしてエネルギーを取られてしまう毎日が続くようになって いた。 『これくらいで根をあげてちゃダメだ。結果を出して母にも認めてもらおう』 自分の言動を振り返りながら、自分を見直し良くしていこうと努力してみた。 しかし、自分はまったく不器用だった。 そのうち不安な夜を過ごすことが続き、心が苦しくてたまらなくなった。 3年継続している堀口さんとのセッションを、初めて日程を早めてもらったほどだった。 セッションをしたら何か見えてくるかもしれない。 堀口さんと話すことで答えが見つかるか もしれないと思った。 「良くしたいと思うほど辛いんです」 「相手が求める人になる為には?そうするにはどうしたらいいのか?って考えるの癖です ね。自分が何をしたいか、が大事ですよ」 そう、いつも周りの目を気にして流されている。そんな自分が尐しずつ変わってきていたの に、また元に戻っているもどかしさを感じていた。 「自分が何をしたいのか、良く分かっていないんじゃないですか?」 「そうですね、直感も信頼できません。自分の考えが悪いんだ…と堂々巡りで」 「ん…それに、自分はダメだと思っているところがたくさんありますねぇ。我慢して、自分 が何をしたいのか感じなくなっているかもしれませんね。我慢しすぎる自分を許すことでき ますか?自分で嫌と思っているところをリストアップして、全部許していってください。そ して、やりたいと思うことをただやっていくだけでいいんです」 我慢しすぎる?自分の嫌なところを許す?…ピンとこなかった。 そして最後に堀口さんは、 「その我慢は末当に必要なものなのでしょうか?」と言った。 結局、答えは見つからなかった。だが、堀口さんの言葉がずっと心に残っていた。 まるで謎解きの暗号のようにモヤモヤし続けた。 その翌日、体調不良で仕事を休んだ。点滴を打ちながら一週間の自宅療養となった。 体調が回復してから仕事に復帰したが、 「やっぱり自分が悪い」と、 自己嫌悪と罪悪感がずっと拭い去れなかった。 一週間が経った頃、母から電話が入った。 「だいぶ涼しくなってきたね、そっちはどう?」 たわいのない会話が続いた。 30 分くらい話した頃、いよいよ母が聞いてきた。 「で、どうだったの?初めての海外出張は?」 「いい経験できたよ。普通の観光じゃ行けないようなところも行ったし、それにね…」 涙があふれて止まらなかった。 「もう…どうして!?楽しかったよ!って聞けると思ったのに」 初めから元気のない私の声に、母は気づいていたようだった。 「これ以上我慢しなくていいから!帰ってきなさい!」 「…うん」 電話を切った後「帰ってもいい」という母の許しがもらえたと感じた。 そのとたんにこれ以上経営者に迷惑をかけられないので「ここに居られない」という思いが 湧いてきた。 そして、堀口さんに決意を聞いてもらった。すると、「自分が末当にそうしたいという選択 をしたなら、それが正直な気持ちですからね、私は何とも言えません。私も、悲しい決断が 人生の中でありましたけど、 自分の気持ちに正直な選択だから、それでいいと思っています。 人生にはそういう時だってありますよ」と。 翌日、たった 2 日で荷物をまとめて東京へ戻った。 もう帰る。そう思ったら無茶苦茶な速さで行動していた。 東京に戻り、安堵した。けれど気持ちはずっとモヤモヤしていた。 これで良かったのか…? 不思議なことに、戻ってきてから友人や知人から「新天地の生活はどうですか?」といった 連絡がいくつも入った。 「いろいろとあって戻ってきました」とだけ返事を出した。すると、 「戻ってきて、こちら でまた活躍されるのでしょうね!」とねぎらいの言葉ばかり返ってきた。 母には叱られたが、最後には「傍にいてくれる方が安心だから」と言ってくれた。 戻ってすぐに、友人の希帆さんの結婚式二次会に招待された。 堀口さんとコーチの播磨さん、 『ひとみずむ 28、41』の大越さんと渚さんというお馴染みメ ンバーの顔触れだった。 新婦の姿は美しすぎて言葉にならなかった。 キラキラした彼女を見ていたら、 温かい気持ちになって幸せな気分に満たされていくのを感 じた。 盛り上がってきた頃、シングル女性限定でスポットライトの当たる中央に呼ばれた。 ブーケトスだ! 遠慮がちでみんなが後ろにいる中、二人の女性だけが前の方で構えていた。 「!?」 その一人は…堀口さんじゃん! (え!!マジで取る気?) と内心思った。取る気満々の堀口さんを後ろからちょっと冷静な自分が見ていた。 「では、新婦どうぞっっっ!!」 司会の掛け声とともにブーケが宙を舞った。 *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。 「取った!!」 ブーケを取ったのは堀口さんだった。 (ホントに取ったよ!!驚) テーブルに戻ると「絶対、堀口っちゃんが取ると思ったよ!」「僕もそう思いました」 播磨さんと大越さんがニコニコしながら言った。 「ええ、取るつもりでしたから!」 そう言いのけた堀口さんの満面の笑顔が印象的だった。 それから堀口さんは私たち一人一人にブーケからお花を分けてくれた。 「幸せのおすそ分けです」 数日後、堀口さんからメールが入った。 「結婚式のティアラとか、つくれます?」 (…なんのこっちゃ?) 2 通目がすぐにきた。 「大越さん夫婦とパリに行くので、わたし、牧師しようと思ってるんです」 (は?そういうことか!) 数週間後に堀口さんはクライアントの大越さん夫妻とパリ旅行を 予定していた。そこで、まだ結婚式を挙げていなかったお二人の為にサプライズ挙式を計画 しているという。 なぜ私がティアラ作りに抜擢されたのか不思議だったが、後に聞いたところ、洋服のパタン ナーをしていた私ならできるんじゃないか?と思ったらしい。(笑) もちろん作ったことはなかったし、そもそも手作りなんてできるのか?と不安だったけど、 これは参加したいと思って「やってみます!」と返事した。 まずはネットでティアラを検索。さんざん悩んで手作りキットを購入した。一緒にラペルピ ンも見つけてニヤニヤした。 思った以上に繊細な作業で、 ワイヤーで爪がボロボロになった。 けれど夢中で楽しくて、時間が過ぎるのも忘れるくらいだった。 1 週間かけて完成した。 準備万端。後は堀口さんに託した! 旅先の堀口さんからメールが入った。 (おお!報告メールか!?) 「大越さんのラペルピン、どうやって外すんですか?」 げげっ! どうやって外すんだ??自分で作っておきながらピンの外し方を確認していなかった。 慌てて説明書を探し、堀口さんへ返信した。 「外れた!」 ホッとした。そしてまたすぐにメールが入った。 「ティアラ大成功でしたよ!」と。 偶然にもその日は 11 月 22 日 いい夫婦の日 凄い!ミラクルだ!! 部屋で一人「大越さん、奥様おめでとう!!」と叫んだ。 それから私は、これからのことをゆっくり考えるために、派遣で販売の仕事に戻った。 短期だったが、有名ラグジュアリーショップでの販売の仕事が決まった。クリスマスシーズ ンの繁忙期は想像以上の忙しさだった。 スタッフみんながそれぞれの個性を生かし働いてい た。そんな環境にいることで、私にも尐しずつ自分らしくいることがどういうことなのか分 かってきた。 販売の仕事がスタートしたと同時に「ひとみずむ」の執筆にも取りかかった。 なんとなく構成は決めていたが、まだ明確なものが分からずモヤモヤしていた 今回で 3 回目の参加。 前回の「ひとみずむ 23」から、変わった何かが私にはあるのだろうか? ともかく書いてみよう。どんなことでもいい、ただ思うままに半年前の自分を振り返ってみ よう、そう思った。 書き始めると、振り返る作業は思いのほか重たいものだった。 一つ一つ思い返すたびに、もう忘れかけていた悩んで苦しんでいた頃の気持ちが、また蘇っ てくるのだ。 「ああ、嫌だ…」 何度も何度も手が止まる。パソコンの前で何時間も進まずに座っていたこともあった。 けれど、やめようとは思わなかった。やめたくなかった。 「ひとみずむ」発表まで 1 カ月をきった頃、最初の原稿を提出した。 すぐに堀口さんから返事が来た。 「それにしても、自分責めがすごく多くありました。私が「許す」と言うセリフを言ってい ましたが、そのあとの AI さんが「許す」に対して、なんも反応していないんですよね…。 ピンと来ていなかったのでしょうかね?」 自分責め。私はそんなにも自分を責めていたのだろうか? 自分の欠点を直すことで、周りが気持ちよくいられるんじゃないの?って思っていた。 許すって一体…私の何を許したらいいのだろう。やっぱり、わからない。 ハッキリしないまま、またパソコンに向かう日が続いた。 「ひとみずむ」の執筆は相変わらず重たい作業だったが、販売の仕事は楽しく過ぎていた。 派遣でも高い個人予算が設定されていたが、予算を気にして販売員として売ることよりも 「私」のままで目の前の相手、つまりお客様に接していた。そしてそれは、結果的に売上げ につながった。 連日、多くのお客様が来店する。 初めてのボーナスで自分のご褒美にと選ぶ姿、カップルが二人で楽しそうに笑顔で選ぶ姿、 大切な人へのギフトにと相手のことを考えながら数時間もかけて選んでいる姿、 毎日幸せオ ーラのお客様たちのお手伝いをしていると、どんなにハードでも楽しかった。 以前の私は感じることができなかったこの感じ…なんだろう?。 自問自答を繰り返しながら、2 回目の「ひとみずむ」を提出した。 早速、堀口さんから返事が来た。 「太字で示しているところは、AI さんが、 『我慢』している箇所です。自分の感情を押し殺 してしまったり、我慢している言葉や態度がたくさん見受けられましたよ」 『我慢…あれ?我慢っていいことじゃなかったの!?』暗号が解けた瞬間だった! 堀口さんが言う「我慢」は私にとって当たり前のことだった。 自分を抑えて感情に蓋をし続け、どんどん末当の自分の声が聞こえなくなっていき、 いつしか『苦しまないと幸せになれない』そう思うようになっていた。 それからすぐに「ひとみずむ」添削委員の康子さんからの感想も届いた。 「繰り返し読んでいて、感じたのですが、小さい頃から、我慢するのがあたりまえの人生で そんなチャイルドが居たのかな。と、思いました。ずっと「もう、ここに居られない」って いう子が居て。もう、ここに居たくなかったけど、どうすることもできなかった。子供だっ たから。でも、今回、わざわざ同じような辛い気持ちになる場所へどうして引かれていった のか?チャイルドが連れていったとも言えるとも思いました。まだ気づいてもらってなかっ たから、気づいてもらうためには同じような状況が必要だから。戻ってきた直後に、友達の 結婚式で幸せな気持ちになれたってことは、戻ってきたことは、本当にそうしたいという選 択でよかったんだって感じました。もしも、戻ることがただの自分のエゴで向き合うことを する必要があるのに、ただ帰ってきたのだとしたら、たぶん、幸せな友達を見て満たされた 気持ちにはなれなかったような気がするので」 ああ、やっぱりそうか…涙があふれて止まらなかった。 ずっと重くて苦しかった正体は、子供の頃の私だった。 それから、堀口さんから、この『ひとみずむ 35』の表紙の写真が送られてきた。 それを見たとたん、切ない気持ちでいっぱいになった。 そこに映っていた尐女の姿と子供の頃の自分が重なって見えた。 母子家庭で誰もいない家に帰る寂しさ。働いて帰ってきた母に、私は話しがしたくて仕方が なかった。疲れているのに家事をこなす母は、まとわりつく私を鬱陶しそうにあしらった。 そのうち私は母の顔色を伺いながら、もう話しをするのはやめようと決心したのだ。 うすうす感じていたその正体に、私はずっと戸惑っていた。いつも顔をのぞかせる「彼女」 に私はどうしてあげたら良いのか分からなかった。 無意識に消そうとしていたのかもしれな い。もう、なかったことにしようと無視しようとしていたのかもしれない。 『我慢して頑張っている自分に気づいて認めてもらうこと』 がチャイルドの望んでいたこと だった。電話で「帰ってきていいよ」という母の言葉で、すでに「彼女」の欲求は満たされ ていたのだ。ひとみずむ執筆で、私の中のチャイルドである「彼女」を認めることができた。 「逃げてしまった」という罪悪感は昇華していた。 「もう我慢しなくていいんだよ」 インナーチャイルドの専門的なことはよくわからないけれど、それからもチャイルドの声を 聞き続けた。悲しかったこと、苦しかったこと、寂しかったこと…とても切なくなることば かりだった。時には、怒りや悔しい感情も湧きあがってきた。それでもそれを、かき消さず に受け止めていった。 数日が経った頃、その声に変化が現れた。 楽しかったことや、嬉しかったこと、忘れていた自分の好きだったことの記憶がよみがえっ てきたのだ。母と手をつないで歩いたこと。私は母の手が大好きだった。病気の時に私の頭 と顔をなでてくれる、細くて白い温かい母の手が大好きだった。 最近の私は舞台や映画を観たり、家でゆっくり読書をしたり、食べたいものを作ったりとゆ っくり過ごしている。ちょうど短期の仕事が終了し、次の仕事が決まるまでの期間だ。 面白いもので、次にすぐ始められるよう働きながら探していた時は、かすりもしなかったの に、ゆっくりした途端に仕事のオファーが来たのだ。5 分程の面接で、即決定だった。 ささやかな日常のなかでも、いつも満たされているのを感じる。 自分を許し、自分を認めること、それがようやく分かった。 感じ方が変わったのだ。 最近、私の中の「声」がよく聞こえる。 どこかへ答えを探しに行く必要はもうなくなった。 いつでもその答えは自分の中にあるのだから。 noriko ★37 反抗心の正体 「人生において仕事でやりたいことをやるのは無理だ」そう思っていた。 なぜなら自分の作った会社ではないし、 サラリーマンは社会的に保障されていても我慢して 働いている印象が強いからだ。 わたしはアパレル会社で副店長をしている。 入社してかなり会社に対して、上司に対してイライラしていて、嫌なことをたくさん感じて いた。何かを意見するとき、普通に話していて上司と部下としてというよりも人間として下 に見られているような気が常にしていたからだ。表面上は賛成していても、心の中では常に 違和感を持っていたし常に反抗心があった。もうどうしていいか分からず「辞める」ことを 一度は決めたものの色々あり、留まる事を決めた。 私が堀口さんのブログを知ったのは、2010年9月の深夜。 お店の売上も今一つ。そして売り上げが悪い日は上司に怒られるし、心の中で「私ばかりの せいじゃないし」と思いつつも、口に出して言えない。イライラしながら、自宅のパソコン で「アパレル 売上」で検索していると「セールスアップ」という文字が目に入った。「2 カ月で店長?」すごい!!ずっと読み進めていくと接客 DVD が発売されている!!そして すぐ購入。届いてすぐに観た。内容はとてもシンプルでわかりやすく、「お客様からたくさ んありがとうの言葉を頂く」という言葉が心に残った。実行すると決めた。 いくつか提案しどれも素敵なものであることを伝えた。その結果なんと、おまとめ買いする お客様が一気に増えてしまった。 お買い上げいただいたお客様に感謝の気持ちを込めてすべ て「手書きで凝った感じのサンキューレター」を送った。 数日後、お客様(高校生のお嬢様のお母様)が開店してすぐいらっしゃった。 「こないだは素敵なお手紙ありがとう。こないだ買ったソックスを学校に履いていったら、 先生やお友達に誉められたのよ」とお誉めの言葉を頂いてしまった。その結果、9月の個人 予算達成してしまった。異動して5か月目、初の達成である。しかもお客様から、サンキュ ーレターを褒められた!!短期間で信じられないような、奇跡が起きた。 堀口さんってどんな方なのだろう、と思った。多方面でコーチングをされている方だと知っ た。気になって調べていくと、 「3か月コーチング10万!?」という金額を見て驚いた。 自宅の家賃と同じ値段と同じだ。正直迷った。お店の売り上げは、尐しずつ上がってきてい る。 「もし何も変われなかったら、そのときにショック受ければいいや」と思い、休憩時間 に漫画喫茶へ駆け込み申し込みを済ませた。 オリエンテーションの日にちが決まり、緊張しながら電話を掛けると「堀口です」とさっぱ りとした感じで、自社の総務課の気が強い方に似た声が聞こえた。 「怖っ……」と思ったが、 不思議なことに話しているうちに話が止まらなくなってしまった。 「ずっと、人の話をされているみたいですけど、自分はこれからどうして行きたいんです か?」 「ギクッ……」ときた。 「会社辞めたいんですね。転職のコーチングにしますか?」と言われてしまった。 ずっと私は心の中で思っていて、ずるずると先延ばしにしてきてしまった。 「辞めるのも怖いし……」というのが内心あった。 セッションの準備用紙の「ほかに話したいことは?」のところに、今の会社のことで感じて いることなどいろいろ書いたのだが、それを見た堀口さんが、「エネルギー有り余っていま すね。いままでのクライアントさんのなかで一番長い文章が書いてありますよ」と言った。 確かに長い!!2000文字も書いていた。 内容は、会社、 上司に対して困っていることと、 自己嫌悪の自分について書いた。 次に、コーチングの最初に提出する、考察のための質問集の「やりたいけどやっていないこ とリスト」の話をした。 □仕事に一カ月くらい行かないで京都に行きたい。 □上司が話を自分の都合のいいように持っていくから話したくない。 □百貨店の社員の態度の大きさ。クレームがあっても文句ばかり言って頼りにならない。一 番困っているのはお客様なのにと言いたい。 □ディズニーシーでマイラバアッコさんとディズニーがコラボしたTシャツがほしいが買 いに行けてない。 □有給がほしい。 □実家に帰れる時間がほしい。 □マイラバのライブでもっと目立ちたい □各駅停車の電車に乗って旅がしたい それを読んだ堀口さんが「やりたいこと、たくさんあるんですね!なかなかここまで具体的 に書ける人いないですよ!」と言った。ただやりたいことという名の不満を書き連ねただけ なのに、 「やりたいことがたくさんあるじゃん!!」 、正直驚いた。 仕事では、常にエネルギーを持て余していた。大好きな my little lover のファンを15年 もやっていてストレス発散はしていた。でもそれだけでは満たされない何かが常にあった。 その話をすると堀口さんに、 「見ているだけなので、消費ですね。自分で何か創造すること が発散ですね」と言われた。 職場では上司の言うことは絶対だったし、意見しても却下されることが多かった。八つ当た りも日常茶飯事にされているように感じた。 「感情なんてなくなってしまえばいいのに」と、 何度思ったか分からない。私は仕事でかなり自分を抑えていたことに気づいた。今まで言い たいことはたくさんあったが意見を言える環境ではなかった。仮に言ったところで上司の機 嫌が悪くなり店の人間関係自体が余計ギクシャクしてしまうことが目に見えていたから、 言 いたくても言えなかった。もう「辞める」こと以外でしかリセットできないという結論しか 考えられなくなっていた。 その時、 「自分のやりたいことをやろう!」と決めた。 私は太宰治の作品が好きだ。セッションの後買いに行ってその日のうちに読破した。さらに 休みの日になると部屋の掃除をして、押入れの中を全部出して整理した。そしたらゴミが5 袋も出た。布団カバーも替えた。仕事では身の回りの環境を整えることに力を入れた。 環境を変えたことでお店の皆がいつもより、気持ちよさそうな様子が伺えて嬉しかった。嬉 しくて堀口さんにメールした。 ………………………………………………………………………………………………………… 堀口ひとみ様 やりたいことを我慢せずにやっています。 自分の生活に対してやりたいことをやっています。 今日は休みだったので家事を済ませた後お台場にでも行こうかなぁと なんとなく思ってましたが、前からなくしものでピンクのマフラーが 気になって仕方がなかったのクローゼットを全部出して探しました。 結局見つかりませんでしたが、かなり中が汚なかったので整理をしていたら いらないものがたくさん出てきました(/_\;) 使わないしあまりきれいではなかったので処分しました。 そして布団カバーを偶然にも発見してちょうど寝相が悪すぎて ビリビリに破いてしまったので、交換しました。 そしたらだいぶ綺麗に部屋の中が片付きました。 そして暇だったのでブーツを修理に出してから買い物しました。 欲しかった化粧品を買ったのですが店員さんが親切にいろんな事を教えて くれて満足できる買い物ができました。 朩完了をなくすだけで、満足度がかなり違いますね。かなり驚きました! 最近仕事ではいい感じに売れています。 私の中では売った!って気がしないのにみんなよりたくさん売っててびっくりしました。 有り余ってるエネルギーを掃除に向けたらかなりきれいになったのを見て、 私って家の掃除にこんなに夢中になれるんだと思いました。 ありがとうございます。 ………………………………………………………………………………………………………… 内容をブログに載せて頂いた。 私はさらに嬉しくなり、もっと「やりたいことやるぞ」と決めた。 やりたいことをやっていると、自分が満たされていく感じがした。 10月は予算も取れていい感じで終了することができた。 考え方も前向きになってきたし、人生の流れがいい方向に向かっている気がした。 その頃、ちょうど会社では、考課表の提出時期になっていた。 末社の人事部長に、 「突然ですみません、11月19日末社に来てください」と言われた。 私は堀口さんにメールした。 「大きな変化があるかもしれませんね」とだけ返信があった。 末社に向かうとき、気分が何かそわそわして、落ち着かなかった。 「実家の近くに異動してほしい」と言われた。目の前が真っ暗になった。 理由は、 「店長が私といくら話しても私がなに考えているかわからない」と言って上司に泣 いて訴えたそうだ。さらには、百貨店の社員さんにも「異動させてほしい」とお願いされた そうだ。私はやっと軌道に乗ってきたところでこうなってしまって、最後まで自ら首を縦に 振ることができなかった。しかし承諾するしかなかった。 今度は子供服を取り扱う店舗に行く。仕事は12月の2週目からだ。今回の異動は引っ越し を伴うので、1週間の休みを頂いた。せっかくなので前から行きたかった京都・奈良に行く ことを突然決めた。 3回目のコーチングで、突然の異動について話した。 「かなり変化があったようですね!」 「変化がありすぎてしかもよくわからない異動だし、最悪です」 堀口さんはそこですかさず、 「よかったですねー!実家に帰りたい、京都・奈良行きたい、 休みがほしいという夢が叶いましたね」と言った。 私は拍子抜けしてしまった。 「いろいろありすぎたが、叶っている!!」 釈然としない気持ち悪さを感じていた今回の異動だが「とりあえず実家に帰れる。やった ぁ!」 、選挙で当選した人であるかのような喜びでいっぱいだった。 地方店から人員不足 で都内店に出てきたスタッフ達より一足早く東京を出て実家に帰れるのだ。 こんなに喜ばし いことはない。 私は人にエネルギーを使っているところが多いこと、今回の異動でいいこともたくさんあっ たので、できているところを見ていくようにとアドバイスを頂いた。 1週間の有給休暇初日、以前お世話になっていた神奈川の店舗の上司に近況を話し ながらランチをした。上司は私が「作家になりたい」という夢を忚援してくれた。 そして、待ちに待った京都・奈良への旅が始まった。橿原神宮前まで行き駅前で自転車を 借りて、古墳巡りの旅に出発。古墳に着き古墳を一周し、もみじ越しに写真撮影。ちょう ど修学旅行で来ている小学生が自社の服を着ていた。商品が入ってくるたび、「かわいく ない」とか「今どきの中高生はこんな服着ない」とみんな言っていたが、こんなに品よく かわいらしく着こなしている様子を見て心から「ありがたい」「いい商品づくりしてるな ぁ」と思った。私はその小学生に「自社の服をかわいく着こなしてくれてありがとう」と 伝えた。 翌日、清水寺で友達と胎内めぐりをすることになった。 下っていくと真っ暗闇が拡がっている。 「何これ!?どうやって進むの?」 「左手の数珠を頼りに出口まで進むんだよ、先に行って みて」 「えっ!?」 「恐いよー!!」と騒ぎながら、数珠を頼りに進むとすぐに壁に激突した。 目を開けていても何も見えない。恐怖を感じつつも石を楽しそうに回しながら「やりたいこ とができますように」と願いを込めた。先方に光が差し込んでようやく出口についた。「人 間って光が当たっているものしか見えてないんだな」と感じた。 「私が何を考えているか分 からない」と泣いて訴えた店長に対して怒りを感じていたが、その瞬間温かい気持ちに包ま れて怒りが体から消えていった。 旅行から帰ると、実家に帰る準備に追われた。荷物を最小限にするため、いらないもの は全部処分した。住んでいた家は妹たちが2年くらいは住む予定なので、いつでも戻れる。 荷造りが終わり、あとは電車で実家に帰るだけだ。 就職してからお盆、クリスマス、正月に帰省したことは1度もない。 ボーナスが出ても同居の妹にはプレゼントを買ったが、母と祖父母には何もしていない。 今年こそは何かプレゼントしよう。そう決めた。 仕事が始まり実家より北に30キロ先の店舗に通うことになった。高校生の時学区外の 高校に通学していたので交通面では東京より不便だが、むしろ通勤時間も楽しい。 電車の1両目に乗り「電車でGO!」をして、楽しんでいる。 休憩室から太平洋を一人占めできて癒される。 今度の店長は以前エリアマネージャーをしていて、社内でも一番勤続年数が長い20年先 輩だ。顧客様が社内で一番多く会社から表彰を受けるほど実績もある。仕事が誰でもスム ーズにできるようにシステム化されている。そんな店長に、自分が仕事をしている中で違 和感を感じていたことを話してみる気持ちになった。 私の言い分を最後まで聞いていただいて嬉しくなった。これまで、自分が納得できた答え は一度も返ってきたことはなかったが、 「お客様のためなんだから一生懸命にそうするのは、 当然だ」と、この店長の言葉は、すっと入ってきた。久々に深い話ができてよかった。「素 敵なプレゼントよりも感謝のメールや仕事ぶりを見せてくれるほうがうれしい」 と店長が言 っていたのが印象的だった。実際に店長に翌日の閉店前ぐらいにメールをした。 ………………………………………………………………………………………………………… 店長へ 昨日は、話を聞いて頂いてありがとうございます。店長との会話は、私が求めていたことを たくさん気付かせて頂けるので勉強になります。 もうこの会社で勉強できるものすることが 多くて頭が発火しそうな毎日ですが頑張ります。いつもありがとうございます。 ………………………………………………………………………………………………………… 返信があったのは翌日の帰宅途中だった。 「私はうまく話せているのか?相手が理解して頂いてないと意味がないので、分からないと きは空いているときなどに聞いてください。 基末に戻り初心の気持ちを思い出し頑張りまし ょう」と返信があった。ただ伝えたかったので、返信はないと思っていた。 いままでの上司にこんなこと言ったこともないし、言われたこともない。びっくりした。 結果的には行動や環境が劇的に変わっていったわけだが、私自身はあまり変わってないよう な気がする。シンプルにやりたいこと、やるべきことをやってきた感じだ。 点だったものが線になっていくんだなと実感した。店長から嫌味っぽいことを言われても、 不思議なくらい気にならない。気持ちが超前向きで驚いている!!なんなんでしょう、この 感覚は。結局、周りの人は関係なくて、自分がしたいことをしていることに集中するだけで よい方向に自然と流れていくものだなぁと、実感した。 クリスマスには、祖母にお花をプレゼントした。 「こんなに高いものはいらん」と言われたが、毎日手入れをしていて6日経つがまだきれい なままである。母には西銀座デパートで購入した宝くじを、プレゼントした。母は喜んでい た。 以前に比べ、イライラしなくなった自分がいる。心の中で持っていた反抗心は私の存在を認 めて欲しかったところからきていたんだと思う。 コーチングを受けて視点が変わったことも あるが、一番は自分が満たされているから、無理して元気に振る舞うことがなくなった。自 分で自分を大切にできるようになった。 仕事の時でもありのままの自分でいいんだ。 生きていて一番大きい承認を頂いた気がした。 atsuko ★38 続 がんばっているけど、私の幸せにつながらない モニターに映しだされた粘膜の画像を見ながら医師が言った。 「逆流性食道炎ですね。ストレスが原因と思われます。スローライフといいますか、 もっとゆっくりした生活を心がけてください」 2010 年 9 月、胃カメラを飲んだ。11 歳の頃から悩んできた謎の胃痛に病名がついた。 2010 年の夏は自分史上最低な夏だった。3 ヶ月近く熱と胃痛が続いて、ふらふらだった。そ んな自分に鞭打って学校や仕事に行ったが、結局は倒れてしまい、周りに迷惑をかけ通しだ った。ハワイの伝統的な問題解決法『ホ・オポノポノ』では、良いことも悪いことも全ては 自分の潜在意識=インナーチャイルドが引き起こしたものと考えるという。 病院からの帰り道、インナーチャイルドに聞いた。 「なんで病気ばかりしているんだろう?」 「病気にならないと休んでくれないでしょ」 「え…」 初めて胃痛の症状が出た 11 歳の頃を思い出して悲しくなった。 以前にも、医師から「ゆっくりした生活を心がけましょう」と言われたことはあった。 口では「分かりました」と答えながら、内心「ゆっくりなんか出来るわけないじゃない。生 活がかかってるんだから」と思っていた。でも今回は違った。「もうこんなストレスフルな 生活は嫌だ。末気で何とかしたい」そう思った。 その頃、DVD で「かもめ食堂」を見た。堀口さんがメルマガでオススメしていたからだ。 見終わった直後は、よく意味が分からなかった。ただ、映画の中に何度も出てくる料理がと ても美味しそうだったことと「やりたいことだけをやる」という台詞が印象に残った。 堀口さんがブログでゆっくりするようにしている、と書いていたことも気になった。 「いい なあ、コーチは時間が沢山あって。私もゆっくりしたい。好きに時間を使えるように独立し たい」と思った。 私は、独立手段として、4 月からネイリスト養成の学校に通っていた。だが、ネイリストと して独立するイメージが全く湧いてこなかった。そのことが焦りを産み、更に私を忙しくさ せていた。 独立して自由を手に入れたい。 でも末当は何がしたいのかも良くわからなかった。 そこで、10 月 1 日から 2 回目の 90 日コーチングをお願いすることにした。テーマは『ゆっ くり』することにした。 10 月にネイルの学校を卒業した。しかし、技術もロクにないのに、急いで独立することは ないと思い、学校直営のサロンで正社員として就職することにした。 『正社員』という『安 定』が魅力的だった。しかし、その会社は急成長を目指しており、自分が欲しかった『ゆっ くり』の方向性と違っていることは明らかだった。サロンのことばかりに追われる毎日。 『ゆ っくり』するのは難しかった。 数回のセッションに渡り、やりたいことが出来ていない現状を話し、なぜ、 『やらなければ ならないこと』で一日を埋め尽くしてしまうのかを検証していった。すると自分を辛い方へ と行動させる『思い込みブロック』がたくさん見つかった。毎回、涙ながらに訴える私に堀 口さんは『自分を大切にする考え方』を教えてくれた。 「いつも将来が不安なんです」 「今のつながりの結果が朩来。今を生きる」 「寂しいという気持ちがいつもどこかにあります」 「自分を満たさないと」 「人に任せると自分の思い通りにならないから任せられないんです」 「より得意な人に任せるとさらにいいものが出来る」 「すぐに結果が出ないと焦ります」 「ゆっくりやったほうがいいものが出来るでしょう。長距離走の覚悟を決めるんです」 「役に立っていなければ愛されないと思ってしまうんです」 「え!そのままで愛されているんじゃないですか?『ひとみずむ18』の旦那さまからの手 紙、敦子さんそのままで愛してくれているように感じましたけどね」 2 ヶ月かかったが、自分をストレスに追い込んでしまう考え方の癖があったことに気付いた。 これらのブロックが一掃された時、 「ゆっくり出来ない世界に居るのはもう無理だ!!」と 心の声がはっきり聞こえた。 辛くてもサロンの雑務やネイルの練習に私を縛りつけていた糸 が切れてしまった。頭痛・胃痛・涙が止まらなくなってしまい、サロンには申し訳なかった が 2 日連続で休みをもらった。前の私だったら、我慢して働く事が出来ただろう。仕事は辛 いものだし、それを我慢する以外に生存の道はないと思っていたから。サロンの人にどう思 われるかも気にしていただろう。自分の選択はこれでよかったのか?サロンを休んだ日、初 めて堀口さんに SOS メールを送った。 ----------------------------------------------------------------------敦子です。初めて SOS メール送ります(TT)一昨日は 4 度目の白カラーグラーデーションの 試験に挑戦したのですがやはり不合格で、その後サロンで 3 人のお客さんに施術しなければ ならなかったのですが、 ひどい胃痛と頭痛をこらえながらやっとのことで施術を終えました。 昨日、仕事があって、昼過ぎにサロンに到着したのですが、頭痛と胃痛と涙が止まらなくな ってしまい、幸い他のスタッフに替わってもらえたので休みました。今日も休みをもらいま した。 サロンに就職したら、ゆっくりすることはできないです。それが辛くなってしまいました。 末当は一昨日、今後正社員になるかどうか店長と話をする予定だったのですが、正社員の希 望は取り下げてパート社員を希望しました。 勤務日数を減らして独立準備を開始したいです。 もう店長にはパート社員を希望したいとメールを送ったのですが、なぜか罪悪感と敗北感に さいなまれます。 どう捉えたらいいんでしょうか?なんか暗くなるようなメールでごめんな さい。でも、前の私だったら絶対出来なかった決断で、一歩ゆっくりに近づけた気はしてい ます。 ---------------------------------------------------------------------すぐに堀口さんから返信が来た。 ---------------------------------------------------------------------- 体調は大丈夫ですか?体が拒否反忚を起こすくらい辛いのですね。やはり、今、ゆっくりす ることが必要なのかもしれないですね。会社を辞めたのに、忙しくなっているし。ゆっくり することが許可できないと、独立してからもああ、忙しい、とか お客様が来なくてネガテ ィブになったりとかしてしまいます。好きなことを仕事にするならどうぞマイペースに。ち ょっと休んでみましょう。 ---------------------------------------------------------------------ほっとした。このメールを受取るまでは、末当に正社員を辞退していいのか不安だった。で も、今は自信を持ってこれでいいと思える。きっとなんとかなる。正社員を辞退した自分を 誇りに思った。 年内最後のコーチングセッションは愚痴のオンパレードから始まった。前は恥ずかしくて 余り言えなかったのだが、沢山言えるようになった(実は相手を信じていないと 愚痴は言えないので、愚痴を言えるようになったことは進歩なのだ!)。 「人の爪とか塗りたくなくなりました。末当にネイルがやりたいか、よく分からないです。 サロンで働くのも面倒になってきてしまいました」 「うわーっ」 「うわーっ」とか言いながら、堀口さんは楽しそうに見えた(というか、聞こえた) 。 「末当は、 それこそコーチングとかセラピーとかカウンセリングみたいな仕事にも興味があ って、そっちの勉強もしたいんです…」 あらら、ついに言ってしまった!末当は分かっていたけど、恥ずかしくて堀口さんには言え なかった事を。 「おお。 やりたいことあるんじゃないですか!いいじゃないですか!でもネイルの勉強をし た意味ってどういう風に捉えていますか?」 「ネイルは必要だった事として納得しているんです。去年『ひとみずむ18』 を書いてみて、 感想を頂いたことで、 同じように頑張っているのに幸せになれない女性に元気になってもら いたいって思ったんです。でも私は知らない人と話をする仕事をしたことが無かったから、 自信がなくて。でもネイリストなら、沢山の女性と話をすることが出来るし、開業資金もあ まりかからないし、万が一セラピストが自分に向いていなかったとしても、 ネイルの技 術は習得することができるからいいと思ったのです。で、実際やってみて、過去の私と同じ ようなお客さんが沢山いましたし、ちゃんと話を聞いてあげることもできました」 「技術の習得と人と話す機会も作れたし、全部つながっていますね。行くべき方向に進んで いるじゃないですか」 「そうですね。ただ、やっぱりネイルが好きなのか、末当にコーチングやセラピーの仕事が したいのか、よく分からないんです。収入が心配なのでイメージをハッキリさせて早く前に 進みたいです」 「ゆっくりしないとやりたいことは出てきませんよ。ゆっくりしましょう」 「そうですよねえ。でもゆっくりするのって怖いですね」 「でしょう?私も『ゆっくり恐怖委員会(笑)』だったから分かります。子供のころから 習い事とかで忙しかったし。学校も休んだことなかったし」 ん?『子供のころから忙しかった』という言葉が引っかかった。そうだなあ、私ずっとゆっ くりしていない。色んな事を思い出した。 「私も忙しかったです。毎日習い事があって、でもずっと我慢ばかりしていました。受験勉 強もやりたくなかったし、ピアノもやりたくないのに辞めたいって言えなくて、部活もバス ケット部に入ったけど、すぐ辞めたいと思ったのに、辞めるのは悪いことだと思って引退ま で辞められなくて…」 誰にも言わずに居たが、自分ではネガティブに捉えていた過去のことがどんどん出てくる。 「私、 『逆流性食道炎』っていって慢性的に胃が痛いんですけど、その症状が初めて出た時 も我慢していました。父が私に中学受験のために算数を教えていて、私はすごく胃が痛かっ たんだけど、痛いと言い出せなくて我慢して一生懸命聞いているふりをしていました。早く 終わってくれって思いながら。 もう両親や先生がいろんな事を押し付けてくるのが末当に嫌 です」 「すごい我慢強いんですね。じゃあ、敦子さんはなぜ生まれてくる時にご両親を選んだんで しょうね」 そこでこんな質問!?と驚いた。だが、その答えが私に必要なメッセージだった。 「我慢するのを辞めるためでしょうね。私がこらえ切れない我慢を体験するには、私が 我慢していることに気がついてしまう人ではいけないんです。あはは」 そんな理由で両親を選んだなんて、自分が滑稽で笑えた。 「その時、 傷ついたインナーチャイルドを満たしてあげられるのは大人になった敦子さんだ けですからね。まずはインナーチャイルドを満たしてあげましょう」 その日以来、我慢するのは辞めた。サロンの出勤日数も週 6 日から週 4 日に減らしてもらっ た。ネイルの練習もやりたくない日はしない。洗濯物が溜まっていても、気分が乗らない日 はしない。そうしたら、空き時間が出来た。 やっと、やりたいことが出来る!と思ったのもつかの間、やっぱりやりたいことが分からな い事に気がついた。 時間が出来たのだから、自分のお店のコンセプトを考えようと思った。だが、その前に洗濯 物を片付けてしまおう。とか、やらなければならないことをしようとする自分が居たのだ。 実はやらなければならないことをやる方が楽だ。 自分のお店を持ちたいなどとぬかしている が、末当にそれをやるのは怖い。出来なければ全て自分の責任で、自分が傷つく。でもやら なければいけないことをやっていれば、言い訳が出来る。「やらなければいけないことをや っていたから出来ないんです」って。自分のお店を持ちたいというのも焦りから出てきた、 ニセモノの気持ちなのだろう。 堀口さんからは焦りから行動しても、いいものは出来ないと何度か言われている。そこでイ ンナーチャイルドに聞いてみた。 「何がしたい?」と。すると、 「だらだらする、断捨離、料 理、旅行」だと言う。こんなしょうもない事しか出てこないとは、いささか情けない気もし たが、 『勝ち組』とは程遠くて、格好悪くて、しょうもないのが私=小倉敦子なのだ。華々 しい事を無理やり欲しがろうとするのは辞めよう。クラークには悪いが『大志』なんか要ら ねえんだよ!?!?どんなに執着しても振り向いてくれない男と同じで、 抱こうと思って抱 けるもんじゃない! 好きなだけだらだらした。11 時ごろ起きて、嫌になるまでお菓子を食べてテレビを見て、 昼寝をした。色んな事に腹を立てなくなった。 家中の引き出しを開けて、 必要かどうか迷ったものは全て捨てた。 大量のごみが出て行って、 家がスッキリした。なんだ、やりたくない仕事を必死で我慢して稼いだお金でごみを買って いたのか、と思った。 『作ってあげたい彼ごはん』という末を買ってきて、料理を始めた。前は栄養をとるために 仕方なく作っていたせいか何を作っても美味しくなかった。でも、単純に主人に喜んでもら いたいという気持ちで作ったら、美味しくできた。結婚して丸二年、初めて主人が「美味し い」と言ってくれた。さらに料理が楽しくなった。料理の末をめくって次の献立を考えるの が楽しみになった。 親友がハワイで結婚式を挙げることになった。ハワイはずっと前から行きたかった場所だ。 一瞬、サロンの仕事があるから無理だと思ったが、サロンは辞めてしまえばいいことに気が ついた。主人も休みが取れることになり、二人分の旅行を申し込んだ。友達はとても喜んで くれた。 歩く速さが『ゆっくり』になった。何か上手くいかないことがあってもイライラしなくなっ た。今日、ケンタッキーに行ったらかなりお年を召した男性の店員さんに 3 回も同じ事を聞 かれたが、3 回とも笑顔で同じ回答をした。 話すスピードも『ゆっくり』になった。 『末当の自分』が思っていることしか言わなくなっ た。久しぶりに会った友人が「敦子の質問が鋭くなったので、話していて気付きが増えた」 と言ってくれた。 サロンを辞めた後、どうするのかは自分でもよく分からない。堀口さん曰く「ハワイで何か ある」らしい。また、やりたいことに気がついてしまえば、その後は勝手に道がひらけてい くそうだ。その時が来るまで『ゆっくり』していよう。 今の私はやりたいことだけをやって、美味しいものを食べて、 一瞬一瞬をかみ締めながら生きている。 jun ★39 僕はロジカルシンキングができない?! 僕は、人材派遣の会社で働き、4 年が経った。この先「偉大な人になりたい」「ただ何とな く大成功したい」もう尐し具体的に考えてみても、 「会社を作りたい」とか、 「出世したい」 とか何となくパッとしなかった。 どんなときも笑顔で明るく接していて、あまり仕事の人間関係でのぎくしゃくもない。 でも、なんかこれといった人に自慢できるようなものを残せないまま、日々が過ぎていくよ うな気がした。 日々、メールボックスにはメールがたまっていく。1 日 100 件以上、1 週間も整理しないと すぐに 1000 件を超えてしまう。すると優先順位がつけられなくなる。 いやな事や心配事など些細なことでそわそわしてしまい、冷静に物事の判断するべきところ でもぶれてしまうことがある。 「成功って何なのか?成功するために何をすれば良いのか?」を知ることも必要ではない か?いや、それ以前に「自分はできる」という自信が全くないまま、そして自分を見て見ぬ ふりをしたまま進んできた気がする。 今年は飛躍の年になるのだろうか・・・。 そんな中、今までとは全く違う分野へのキャリアチェンジのお誘いをいただいた。 あまり深く考ることがなかった自分にとって、「新しいチャンスを得たい、でも今の会社も 辞めたくない」という葛藤が心の中で渦巻いていた。 決めかねている自分、ここでしっかりと自分のこれからを考えたい、そんな気持ちで、以前 対面コーチングをしていただいた堀口さんに、再度連絡を取ったのである。 ドキドキしながら、電話をかける。これから今までの自分と違う次元の刺激を受けにいくと 思うと、知らなかった自分に会えるような気がして楽しみだった。 そんなドキドキとワクワクが重なった感情の時に、 その場に入った瞬間に受け入れてもらえ るととてもうれしい。電話越しの堀口さんにもそんな感覚を覚えた。 まず、今葛藤していることについて、決断をすることをテーマにした。 「今の人材派遣会社に居続けるか?興味のある音楽関係に転職するべきなのか?決めかね ているんです。転職するのならば、辞めるとかってなかなか言いづらいですし…」 僕の気持ちは、音楽業界に行くことに傾いていた。しかし、話しているうちに、それは単純 に「必要」と言ってもらったからのような気がしてきた。新しいところでもっと大きなこと ができると思いこませていたのかもしれないと感じてきた。つまり、自分から自信を持って の決断というよりも、人から必要とされることでの決断、何もない今よりも、朩来は何か起 こるだろうと期待していたからと気づいた。だから最後の最後で決断ができなかったのだ。 ずっと、目の前のことに追われていて、将来のことになんかまったく可能性を持てていなか った。だから、10 年後のことを聞かれても、何も答えられることがなかった。 答えられない自分では、ダメなような気がしていた。 しかし、堀口さんとの対話で、これからの朩来の自分のかけがえの無い可能性に気づいた。 まず、ストレングスファインダーの結果のうち 3 つが堀口さんと一緒で、僕の勇気となっ た。それから堀口さんが、20 代は、 「自分が何できるのか?色々試せる場。失敗してもみん な助けてくれるし、これからやりながら見つかっていくから」という話をしてくれて、「何 にでもチャレンジできる。何でもできる」と出来るような気がしてきた。 新しいところへ進むよりも、まだ開いていない可能性があるかもしれない。 勝手に今の環境で、自分に制限を作っていたことに気づいた。 今の会社でも何一つ完了できていないし、もっともっと自分にはできることがあると、改め て感じたのである。 結局、今の会社で引き続きがんばりつつ、お手伝いという形で音楽関係のことにも携わって いくようにと、今いる場所で、自分の行動の幅を広げることを選択した。 それからのセッションは、今の会社で成果を残すだけでなく、コアとなるスキルをしっかり 身につけて、より魅力的な人間になれるように、堀口さんからいろいろとビジネススキルを 教わることになった。 なかでも特に気にかかっていた自分の心の中のもやもやについて話し た。 まず僕の大きな課題。ひとつのことでくよくよしてしまい、次の行動に移すための時間のロ スをしてしまっていること。それについて、こんなアドバイスをもらった。 「どんな状態がおきても、たとえそれがいやなことでも、起こったことは事実として受け入 れればいいんじゃないですか」 堀口さんからこの言葉をいただいたとき、すっと胸の中に落ちた。 まずは受け入れる、そしてすぐに次の行動を考えればいいだけ。 お客様も絡む仕事の現場では、くよくよしていても仕方ないのである。 「流れに身を任せることが大事ですね」 「ムダな焦りでエネルギーを分散させるのではなく、今やることにエネルギーを集中させる といいですね」 ものすごく自分の気持ちを楽にする一言だった。 会話をしていく中で、すっとすっと自分の心の奥底まで落ちていくことを感じた。 どんなことがあっても、それを受け入れ行動していく。 そうすれば次につながるし、以前より前進しやすくなった。 「どうしようかな」と思考が停止してしまっている時間が尐なくなったのだ。 ロジカルに考える以前に必要な前提があることを知った。 90 日コーチングが終了したが、僕は先を知りたくて継続することにした。 2 クールめの 90 日コーチングセッション初回のとき、これまでのセッションを振返ってみ た。すると、僕の考え方は、いつも表面的であることが、足かせになっていることに気付き 始めた。その根末的な理由は、あらゆる否定から逃げているということではないかというこ とだった。 そこから、僕の行動でネックになっていることの探求が始まった。 これまでのセッションでは言ったことのない自分の嫌な部分を次から次へと話し始めた。 「何か、僕いつもいい格好をしたいと思うんです。人にはっきりとものを言えない。そして 人と末気で付き合うことを心のどこかで避けているような気がするんです」 「そうか…それって、なんかこれまで思い当たる節があったのですか?」 「何か子供のころ、母によく思われたいといったものが強烈にあったと思うんですよね。人 に堂々と物事を伝えられない、言うべきことを言えていないことがあるんです。きっと、人 に断られるのが怖いし、否定されるのが怖いし、人に残念がらせるのが怖いといつも思って いますね…」 「よく思われたいと思ってしまうところがあるか…。結構みなさん子供の頃の出来事に思い 当るところがありますよ。なんか思い出しますか?」 「あ…実は子供のころにたくさんの習い事をしている中で、 最初はやらされている感たっぷ りだったのに、 あるとき一生懸命にやっていない僕を母が非常に悲しんだのを見たことがあ ったんです。 それから人を悲しませるようなことはしないで行こうと決意したことがありま した」 「そうか、jun さんは子供の頃いろいろ大変だったんですね。そんだけやっていれば、誰だ って大変な顔になる時だってありますよ。でも、お母さんを悲しませてはいけない。って思 っちゃったんですね…」 「そうです。合唱で歌っていた時も、口をちゃんと開けてない!って母に注意されて…。そ んなつもりは全くなかったんですけど…」 その話をしながら、当時のことを深く思い出していた。 それまでもいろいろと両親から注意されることも多々あったが、なぜかこのときの言葉は、 深く心に刻まれた。もうこれ以上こんな思いをさせたくない、しっかりしていかなきゃとあ の時思った。 「誤解されちゃったのですね。それから自分がどんな状態であろうと。悲しませないように 取り繕うことも必要になっちゃったのでしょうね。 きっとそれがロジカルシンキングできな くしちゃったんですよ。余計な言葉を付け加えちゃっているんですよ。気を使いすぎちゃっ たりして」 「ああ、そうです、そうです。いつの間にか結論から論理的に伝えるということもできなく なったのかもしれません。何か言うことによって相手を傷つけてしまうのではないかって、 常に思っていますね。 だから、 どんな言葉を言えばいいか?って選んでいるうちに、 それが、 十分に報告をしない、 報告を先延ばしにしてしまっているということにも関連していると思 います」 「なるほど。ロジカルシンキングが、どういうものかわかっていながら出来ない人って、無 意識にそうしちゃうことに気づいて、その原因が納得できないと、ロジカルシンキングが頭 でわかっていてもできないってわけなんですね」 「そうなんです。相手に嫌な思いをさせるとか、自分が否定されるということに深い抵抗感 があったんだと思います。このことに上手く向き合わなければ、いくらロジカルシンキング を勉強してもだめだったわけですね」 そのほかにも気になっていることを話した。 「逃げの自分 / 先延ばしの自分」 「表面的な自分」についてだ。 僕は、どうしてもいやなことから逃げて、先延ばしにしちゃうということもあった。 そこにも、否定されることが怖いという気持ちが関わっていたことに気づいた。 相手にとって嫌だろうと思われることを報告するときに、相手の気持ちがどうしても気にな った。 同時に、自分を悪く思われるのではないかという思い、そして自分の考えを否定されるこ とにすごい抵抗を感じていたのだ。抵抗を感じるとどんどん先の延ばしてしまう。でも、こ の前お話しした『受け入れること』をここでも採用すれば、行動がより早くなると思った。 また、人と接する時も、どうしても表面的になってしまうことが多いと感じていた。 「人に自分の奥底を見られるのが怖いと感じて、 なんとなくこの人とのかかわりが中途半端 だと思うときに、会話を遠慮しがちになっちゃうんです。末当は相手も僕のことをいろいろ 知りたがってくれているのに…」ここでも気づいた。相手にどのような感情を持たれるか、 そういったことを先に考えてしまって、どうしても表面的になってしまっていた。 どれも子供の時の体験とリンクしていて、相手に自分が悪くうつることに対して恐怖を感じ ていたのだ。堀口さんに話を聞いてもらうことで、脳内のゴミや整理しなければならないも のがきれいになって、すぐ次の行動に移せるようなイメージが広がり、さまざまな「行動を 妨げるブロック」がとれた。 深く考えることを、今まであまり経験してこなかった。 自分の考えが浅いところで止まってしまっていた。これも結局は、自分自身の末音と向き合 うことが、今までの自分を否定する可能性が尐しでもあることが、怖かったのだと思う。 しかし、しっかりと自分の過去から課題を振り返れたことにより、その後は心地良いすっき りとした感覚を覚えた。 それから、僕は会社でも圧倒的に行動が早くなった。 『今できること』を意識して行っていくので、トラブルシューティング、トラブル事前防止 も卒なくこなせるようになった。 また、受注もより増え、圧倒的に自分に自信が持てるようになった。 今まで先延ばしにしていたことなども、さくさくとこなせるようになった。 メールボックスの受信メールは 10 件程度に減った。 もちろん、まだ完璧にいつもスマートな思考をもてているわけではない。 でも自分の課題に気づき、それと向き合えたことで、限りなく良い状態で動いている。 堀口さんのセッションは、いろいろ気づかせてくれるだけでなく、日々の行動の中で自分で 気づけるヒントもたくさんもらえて、日々の出来事からいろいろと自分を見られるようにな った。 僕は、これまで悩むとビジネス書をよく読んでいた。 「ロジカルに物事を話せない、だからロジカルシンキングの末を読もう」 「物事の整理ができないから何をやっていいかわからない、 そうだ整理力の末や段取り力の 末を読もう」と。 いざ、読破して実践しようとしても、いつまでたっても行動に移せない。 そんなに難しいことが書かれているわけではないのに、なぜだ? 末で読む内容を実際に行動できれば、大成功の朩来が待っているだろう。 だができない。では、行動できる人とできない人の違いは何だろうか? 僕はこう思う。 末当はもっと心の奥底にある、人間らしい感情が邪魔をしているのではないか。 僕の場合は「ロジカルに伝える」前に、人に悪く思われないように言い訳から入ってしまう 癖があった。しかもやっかいなことに、それはこれまでの生きてきた中で無意識に築かれて しまったもの。僕の小学校の時から根強く心に残っていた、 「人によく見られたい」という 思い。そんなことが足かせになっているとは、全く気づけていなかった。 それに気づけると、いつでも行動できる人になれる。 気づいた後は、気持ちがすーっとして、目指したい目標が自然と湧いてくるし、アンテナが 高くなる。これからは、過去にとらわれずに自分の無限の可能性を信じることで、より多く のものを手に入れられると感じた。 これからも、堀口さんの問いかけから、自分自身の可能性をもっと探求していきたい。 僕は 33 歳までに必ず、音楽とマーケティングを絡めたビジネスを成功させる。 「何でもできる」そうセッションを通してそう思えたこの 1 年。 新たな道が始まりそうだ。 yumiko ★40 私の探し物は何ですか? 脱サラして独立した夫の会社を手伝って8年が経っていた。 スタッフとのコミュニケーションがとれずに苦しんでいた。 社長である夫からはわたしの行 動や言動に厳しいダメだし。このごろでは夫の役に立つどころか、足を引っ張っているだけ なんじゃないかと思うようになっていた。頑張っているのに空回り。疲れだけが増長してい く。自分の存在する価値はあるのか。わたし、会社辞めた方がいいのかなあと考え始めてい た。 自己嫌悪の自分を変えたくて、1 年ほど前から自己啓発セミナーに参加したり、コミュニケ ーションスキルを学んでみたりした。何かしていないと自分が存在する価値を見出せなくな る。とにかく焦っていた。セミナーや学びで瞬間的な気分転換にはなったが根末的解決には 至らずじれていた。動きそうで動かない、変わりそうで変わらない自分。自分で自分が嫌い だった。 そんな時、知り合いのブログで『ひとみずむ2』を発見した。 『ひとみずむ』って何だろう? ひとに関する何か?読んでみると、 どうやらコーチングを受けて自分や世の中が変わったひ とたちの物語らしいことはわかった。物語のなかでとても大きな変化が起こっていた。 コーチの堀口さんってどんな人なのだろう。 興味が湧き堀口さんのホームページを開いた。硬い感じのホームページだった。その頃のわ たしはコーチングには懐疑的だったので『カリスマ店長7つの秘法』の申し込みだけしてホ ームページを閉じてしまった。届いたメルマガも読まずにいた。 その時から数ヶ月が過ぎた。苦しい自分の状況は相変わらずだった。 なんとなく『ひとみずむ2』を開いた。なぜかこのときは『ひとみずむ2』が自分の中にす っと入ってきて、あっという間に全ストーリーを読んでしまった。 そのなかでも奥様に対する微妙な気持ちの変化を書かれた大越さんの『ひとみずむ 28』が 気になった。奥様の「背中をさする」シーンにじんときた。 再び堀口さんのホームページを開いた。90日コーチングの文字が目にとまり、金額に悩ん だが思い切って申し込んだ。今の苦しさから抜け出したくて、会ってもいない堀口さんに賭 けた。すぐに堀口さんから返事をいただきオリエン日程が決まった。 後で気付いたのだがその日は夫の誕生日だった。 オリエン当日、メールで知らされていた電話番号に緊張しながらダイヤルした。 受話器の向こうから聞こえてきたのは 「おかけになった電話番号は現在使われておりません」 「・・・え?!」 わたし何か試されてますか?!いろんな妄想が駆け巡る。 慌てて堀口さんにメールすると返事が来た。電話番号の数字がひとつ間違っていたようだ。 とても驚いたことを伝えると「たまにあるんですよ・・・」と、堀口さんは淡々と答えた。 あっさり、さっぱりだった。拍子抜けした。 最初に“50歳目前にしてもう一花咲かせたい”というような内容のことを話した。人見知 りのわたしはすぐに末音は話さない。ところが、気がつくと積極的に話し始めている自分が いた。何だろう、この感じ・・・ つい最近まで全く知らなかった堀口さんに、 何年も前からの知り合いのように安心して話し ている自分。正直驚いた。 いつのまにか話題はスタッフとのコミュニケーションの取り方になっていた。 自分の一番気になっていた問題が知らない間に引き出されていた。 目から鱗だった。コーチングってすごいかもしれない!! 通常オリエンの次の週から1回目のセッションがスタートするそうだが、 あまりにスッキリ してしまったわたしは、2週間あけて欲しいと頼んでいた。 (笑)コーチングについての懐 疑心は、いきなりふっとんだ。 第1回目セッション “・・・しなきゃいけないから解放されたい。 ”と準備用紙に書いた。 「部下を褒めなきゃいけないって思っていて」 「褒めなくて良いんですよ」 「え?!褒めなくて良いんですか???」 いきなり衝撃を受けた。 「そうは言っても褒めたほうがいいだろうし・・・」 「じゃ、褒めたいということですね」 「そうですね。いつも努力して褒めてるんですよ」 「では褒めるんじゃなくてねぎらうって言うのはどうですか?」 「ねぎらう・・・ですか」 「相手の行動をそのまま伝えるんです。 『・・・できたね』って感じで。それだけで相手に とっても承認になるんです」 「それだけでいいんですか?」 褒められることに慣れていなかったわたし。 人を褒めるときにも褒め言葉を発している自分 の口が甘ったるくなってしまう感覚があった。 褒めようとすればするほど大げさな褒め言葉 になり、会話が続かなかった。 けれど、人の行動の見たままを伝えるだけならできそうだった。 「それならわたしにもできそうです」と答えた。 この日のセッション内容が堀口さんのブログに掲載されていた。 そのひとつに堀口親子の会話が載っていた。 堀 「褒めなくてはいけない、って、それを努力しないとできないっていう人がいて・・・」 母 「褒めなくて良いのよ。感想だけ伝えておけば。ははは!」 わたし、笑われている!!! この親子の会話に嫉妬していた。 何だろう・・・心の中に違和感がでた。 数回にわたってセッション準備用紙に、 “とても疲れている”と、書いていた。 自分の要望を周囲に伝えるが、なかなか伝わらない。 こちらの言う通りすれば良くなるのに、なぜそうしないんだろう。 イライラしていた。何度繰り返しアドバイスしても結果が出ずにとても疲れていた。 「期待するから裏切られるんですよ」 「わたし期待してますか?」 そういえば、何とかしてあげたい気持ちが強くアドバイスばかりしていた。 近い関係、特に家族やスタッフに対して、自分では気づかないうちに自分の思うように動い て欲しいと思っていた。 自分と関係ない人なら何をやってもなんとも思わないし大丈夫なのに、近い人とはダメだっ た。 変わってくれるんじゃないかと期待していたのだ。 それを聞いた堀口さんは、自分の体験を話してくれた。 堀口さん自身も以前クライアントさんにアドバイスばかりしていたそうだ。 メンターから「そんなことをすると依存者がでるよ」と言われてハッとし、 その時から「要望するけど期待しない」を通している。 期待して裏切られて・・・ だから疲れていたんだと気づく。 しかしコーチングが始まってからのわたしは、疲れることが起こっても 「いずれは解決する」 と思えるようになっていた。これまで、自分の悩みや思考について誰かと話すことなど一度 もなかった。自分のことを話すのは嫌いだった。ところが堀口さんのセッションでは、わた しの思考の奥に何があるのか、なぜそうなるのかを一緒になって探してくれた。知らない自 分がたくさん見えてきて楽しくなった。 だんだん自分のことを話すことに抵抗がなくなって いった。自分のことを話せる相手がいることで、疲れがたまらなくなることを体感した。 夏に、堀口さんのライブセッションが大阪で行われることを知る。告知を見た瞬間に申し込 みをした。迷いはなかった。 何かが自分のなかで動き始めていた。 きっとこの日何かが起こる。そんな気がしていた。 ライブセッション当日、最後のセッションの50代の方が、身内、親戚のことで、やること がいっぱいで、自分のことが全然できないで自己嫌悪・・・みたいな話が止まらなくなった。 どんどん話していて気持ちよさそうだった。とても印象的に感じた。 どこかで見た光景と感じた。何だろうか? しかしながら、話がとまらない人の話を、堀口さんは、よく聞けるなぁと感心した。 なぜ、そんなに聞き続けられるのか質問をした。話が止まらない人の話は、止めないで最後 まで聞いてあげること。堀口さんは“スルー力”を使って聞いていると言った。 ※【スルー力】 堀口用語。話が止まらない人に対し、根っこの部分は聞きながらも、ある 程度聞き流す業。 ライブセッション後、実家に墓参りのため帰省した。 帰るとすぐに母がやってきて、ご近所のことや父や親戚のことを話しだした。 あっ!先日のライブセッションで見た光景とはこのことだと気付く。 母の話は延々と続く。いつもならうんざりするのだが、その日は違った。 なんとわたしもスルー力を使えてしまったのだ。 ずっと聞いていると母がかわいく思えた。 母も認めて欲しいんだ。みんな同じなんだ。そう思えた。 私が小学生の頃、母は病弱で入退院を繰り返しほとんど家にいなかった。 父は厳しい人でわたしは小さい頃から父に褒められた記憶がない。 いつも出来て当たり前だった。母も父に褒められたことがないのかもしれない。 母の話を聞いていたら、急に心の内側から母に対して感謝の気持ちが湧き上がった。 そして、自然と母に「産んでくれてありがとう」と言っていた。 母は涙ぐんでいた。よろこんでくれてうれしかった。 堀口さんのブログにあった、堀口親子の会話になぜ嫉妬したのか分かった気がした。 わたしは、淋しかったのだ。母と会話のキャッチボールしたことがなかった。いつも聞き役 だったので笑いあえる会話がなかった。けれどこれからは出来そうな気がした。 帰りに妹が駅まで送ってくれた。 妹は、いままで話したことのないことをどんどん話してくれた。小さい頃わたしのことをど う思っていたかとか、 いつもわたしが実家に行くと両親ともめるのが気が気でなかったとか。 ずいぶん妹も心配してくれていたんだ。そう思ったら、伝えたいことがこみ上げてきた。 「いつも心配してくれてありがとう。わたしは変わったんだ。人を変えることはできないけ ど自分は変われるんだ」と自分の気持ちがスラスラと口から出てきた。 6回目のセッションまでに、自分も周りもずいぶんと変わった。 毎日が楽しくなった。そして自分のことを尐し好きになれた。 “しなければならないこと”は“やりたいこと”に “期待してしまうこと”は“寄り添う”に変わった。 自分の思考や見方を変えてもらうことで生きるのが楽になった。 自分の存在も認められるようになった。 空回りをしていた正体は自分の思考だったんだ。 自分で自分を疲れさせていたことが分かった。 頑張っては空回りして疲れていた自分も、尐しずつ元気を取り戻して行った。 まだ、足取りはおぼつかないけれど、しっかりと自分の足で立っている。 『ひとみずむ 28』のハイジとクララが頭をよぎる。わたしもクララのように歩けるのか・・・。 90日コーチングが終わり、迷ったがやはりコーチングを継続させてもらうことにした。 『ひとみずむ 28』の大越さんご夫婦の関係に惹かれ、堀口さんのコーチングを申し込んだ わたし。夫婦について気になっていたのだ。 夫は社長として頑張っていた。そのことは認めていた。 しかし彼は、自分のことを中心に考えた行動を取っていたし、会社でも家でも話の内容は仕 事のことばかり。どこにいても“仕事ON”の感覚のように見えていた。 いつも会社の事が頭にあって、疲れる要因のひとつだった。 私を疲れさせる原因をセッションで話していった。 「休みの日に何もできないんです」 「仕事の日もゆっくりする時間を入れてみてはどうですか」 「仕事しながらゆっくりってどうするんですか?」 「いつもONすぎるので、OFFはOFF過ぎるのかもしれません」 「ONとOFFのバランスが良くなるといいんですか?」 「そうですね、ゆるいONができるといいですね」 堀口さんからの提案は、戦場カメラマンの渡部陽一さんのように『ゆっくり話す』こと。 尐しの時間でもかまわないから何も考えない時間を作ること。 翌日から、実行してみることにした。無理してゆっくり話し、無理してぼんやりした。 はじめは身体に違和感があったが、そのうちなんとかできるようになった。 次のセッションで報告した。 「なんとか“ゆるいON”に慣れてきました」 「お、よかったですね!でも、そもそもはじめからONとかOFFとかないんですよ。 YUMIKO さん、今までが無理してたんですよ。今が自然な姿なんですよ」 「え?!」 今までが無理していたなんて発想は、わたしの中には全く無かった。 “疲れたら休む”それはごく自然なこと。 では、それを否定していたのは誰なんだろう。 自分?夫?周りの人? いや、もっとずっと前からどこにでもあったような気がする。 誰が決めたのかわからないが日末人のなかに潜んでいる感覚だと思う。 日末人の思う“美しさ”って我慢することにあったような気がする。 思えば、堀口さんとのセッションで夫のことをテーマにしたことは一度もなかった。 それなのに、セッション中に夫のことをよく話していた。 無意識だけど、ずいぶん夫を意識している自分に気づいた。 わたしはある時期から夫の考え方についていけず、自分の考え方とのズレを感じていた。 わたしたちの間にはいつの間にか溝ができていた。 ずっとその溝を埋められないでいるわたしたち。 いつのまにか近くにいるけど遠い存在になっていた。 このまま夫婦関係を継続していくことに不安を感じていた。 知り合った頃の夫はいつも自分の「夢」を語ってくれた。 「夢」を語る夫が眩しかったし、うらやましかった。 わたしには「夢」がなかったのだ。 わたしはその話を聞きながら “そうだ。わたしはこの人を支えていこう” 。 気がついたら、そう決めていた。 ある日、会社帰りの車の中で夫に質問した。 「わたしはあなたの支えになっていますか」と。 ずっと聞きたかったことだった。 あなたにとってわたしは必要なのか。存在する価値があるのか。 ずっと悩んでいたことを告白した。 「今まで随分助けてもらった。感謝している」 彼はそう答えた。 その言葉はわたしの身体をすり抜けてどこかに消えていった。 気持ちが感じられなかった。 「末当にそう思っているの?わたしの心には響かないんだけど」 「・・・」 「いままで、ずいぶんあなたに振り回されてきた。 」 「苦しいのは僕のせいだと思っているんでしょ?」 「そうよ。あなたのせいよ」 口を付いて出た言葉に驚いた。 わたしは、自分が苦しいのは夫のせいだと思っていた・・・ わたしは自分で夫を支えていこうと決めたんだ。 それなのに・・・ 夫はそれを分かっていた。 ずいぶん前から気づいていたんだ。 夫も悩み苦しんでいた。 知らなかった。いや、知ろうとしなかった。 そう思うと、涙が止まらなかった。 わたしは一体何を見てきたんだろう。 自分のことしか考えていなかったのはこのわたしだった。 11 月、わたしたちは21回目の結婚記念日を迎えた。 海外出張の夫に向けてメールを送った。 「今日がいい日になりますように。21 年間ありがとう」 夫から返信があった。 「普段はきつく当たったり、不愉快な思いをさせてばかりでごめんなさい。心の底 ではとても感謝しています。いつも支えてくれてありがとう!」 うれしくて泣けた。 すぐにパリに着いたばかりの堀口さんにメールを送った。 長旅で疲れているにもかかわらず、すぐに「良かったですね」と返事をくれた。 その出来事をスタッフにも話した。涙ぐみながら喜んでくれた。 「みんながいてくれたおかげ。末当にありがとう」と思わず言った。 そして、以前から気にかけていたスタッフが「自分も感謝を伝えられる人になりたい」と『感 謝のしるし』という末をプレゼントしてくれた。 最後のページに「いつもありがとうございます!結婚記念日おめでとうございます」と書い てあった。また泣けた。 12月、リビングにいた時に、急に夫へ思いついたように話した。 「わたし、自分が認められることばかりずっと考えてきた。けれど、あなただってしんどか ったよね。 あなたも自分を認めて欲しかったよね。 わたし、 そのことにやっと気がついたよ。 今まで気がつかなくてごめんね」 「うん。ありがとう」 7 ヶ月前まで夫とこんな会話が出来るとは夢にも思わなかった。 今年に入って『ひとみずむ』を書き始めたわたしは、急に不安に襲われた。 自分に価値はあるのか。自分は変わってないんじゃないか。 何も変わってない気がした。心が渇いていた。 あわてて堀口さんのセッションを申し込んだ。 「私に価値はあるでしょうか…」と言うわたしに、 堀口さんは「昨日いい歌詞を見つけた」とスカイプで送ってくれた。 『僕が一番欲しかったもの。槇原敬之』 ~僕のあげたものでたくさんの人が幸せそうに笑っていて それを見た時の気持ちが僕の探していたものだとわかった 今までで一番素敵なものを僕はとうとう拾う事が出来た~ 最後のフレーズを読んで泣いた。 号泣した。涙が止まらなかった…。 自分で書いた『ひとみずむ40』を読んでみたら、 ひとに「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか色々伝えているわたしがいた。 わたしのあげたもので周りの人が幸せそうに笑っていた。 それを見た時の気持ちが私の探していたものだとわかった。 この日は私の誕生日だった。 “あとがき” 堀口さんに出会う前のわたしは、歩き方を知らないクララだった。 歩き方を教わったわたしはゆっくりと自分の足で歩き始めた。 いつも堀口さんがわたしの心を温めてくれた。 そのことで わたしも歩ける!って思わせてくれた。 わたしの心が温まって、それが溢れて周りも温まる。 そんなステキなことが起こった。 大越さんの『ひとみずむ28』を読んで、奥さんの背中をさすりながら 夫婦の一体感を感じるシーンに惹かれた理由。 わたし自身も気づかないうちに、夫婦の一体感を求めていた。 心が温まると淋しさが減り、強く、優しくなれたわたしがいる。 堀口さんに、コーチングに出会えてよかった。 心からそう思います。 ありがとうございました。 ohkoshi ★41 なんでオレが。 2010 年 1 月は「ひとみずむ 2」を書いてた時期にあたる。 会社の M さんが病欠を繰り返していた。毎日のように M さんの仕事を代わりにやっている と、ふと(なんでオレがこれやってるんだろう)などと考える。 1 月下旪のある日、帰宅してから彼女に「もう仕事は無理かな?」とメールした。(辞めな さい)というメッセージを込めた積りは無い、単に訊いてみただけだ。だが、尐し間を置い て M さんから来た返信はこうだっ た。 「クビにしたいならしてください。ずっと放置でしたね。私たちの気持ちなんか分からない でしょうね」 M さんとは以前の職場で一緒だった。明るくて優しく、利発でユーモアのある女の子だ。 他のアルバイトとは違って、彼女は平気でぼくをからかう。それは有難いことだった。人間 として対等に接してくれると気持ちが楽になれた。 今の仕事に誘ったときも大喜びで来てく れた。仕事のセンスも優れていたし、細かいところまでよく気がつく。 そんな M さんからのこのメールは、いささかショックだった。ぼくは(素直に彼女の言葉を 聞こう)と思い謝罪の言葉を返信した。・・が、 (あんなことを思っていたなんて)というシ ョックは残った。(なんでオレがあそこまで言われないとならないんだ?)という気持ちもあ った。 結局 M さんは退職し連絡もプッツリ途絶えた。ツイッターのアカウントもいつの間にか削 除されていた。 その頃「ひとみずむ」も出来上がり、公開された。 *** 仕事は S さんと 2 人きりになった。 3 人と 2 人では、かなり違っていた。職場はシンと静まり返った。元々2 人とも口数が尐な い。ぼくは S さんが寂しいのではないかと気になり、何度かそれとなく訊いてみた。いつ も彼女は「仕事は楽しい。続けたい」と明るく答えてくれた。 (でも、こんな状態が続くのは嫌だな) そう感じた。 (お前はもっと世の中に役立つ男じゃないか?) そういう声が聴こえる。 (商品を納品したり、梱包したり・・誰だって出来る仕事じゃないか。なんでオレがやらな くちゃならないんだろう) 虚しさがある。 *** U という男がいる。前の職場での後輩だ。M さんとも仲が良かった。かなりネジの緩んだ ところがあるが、誰からも慕われ、思わずからかいたくなるという才能を持っていた。 彼がひと頃、ぼくのブログによくコメントを入れて来た。自分勝手な解釈で的外れなことを 盛んに書いてある。それは彼の持ち味だ。 「師匠!師匠と呼ばせて下さい!」U は何度もこうコメントしてきた。 「弟子は取ってない!」と返す。 コーチングについてブログに書くと、いつも「師匠にコーチングは必要ありません!!」と コメントして来た。 (U の奴、自分の価値観でしか見ることが出来ないのか)ムッとした。 (なんでオレがコーチングを受けているのか、考えようとしないのだろう) 彼からのメールは無視することにした。 *** 奥さんが知人のセミナーへ行き、戻って来るなり「私にはコーチングは必要ないわ」と言っ てきた。 隣の席の方とそれで意気投合したらしい。「友達と話せば十分だよね」とのことだった。 この人も「何で夫がコーチングを受けているのか」なんて考えてないのかな・・。 *** 堀口さん主催のセミナーへ行くと、ぼくのことを知ってますという方に必ず出会う。ブログ のファンですよ、と言われることも多い。そんな方々に囲まれていると、みんなぼくの話に 耳を傾けてくれるし面白がってくれる。それは居心地良いことだった。どんなにお褒めの言 葉を頂戴しただろう?そうした人々との交流を通じて、自信のような確信のような、或いは 過信か自惚れか・・が、次第に大きくなっていった。 堀口さん以外の人のセミナーには、すっかり行かなくなった。受講席に座っている自分の姿 が気に入らない。(なんでオレが教わらなくちゃならないんだよ)と思ってしまう。 「教える・ 教わる」という関係は誰とも持ちたくなかった。 *** S さんに時々これからの仕事のことを相談した。 誰にでも出来るような作業では――例えば価格を下げて仕事量を増やすことで――自分た ちの価値を保ちたくない。 「奉仕」は嫌だ。自分たちならではの価値にお金を支払って貰え るようにしたい。いつも彼女はニコニコとしながら聴いていて、そして「大越さんのいいと 思うようにやればいいです」と答えた。 *** 堀口さんの新しいホームページのお披露目会が開かれた。彼女の誕生日でもあった。クライ アントや HP 作成スタッフが集まる。 お酒を飲んだあとで、ちょっとした撮影会が始まった。人物はあまり撮り慣れていないのだ が、花を撮るような積りでシャッターを押した。 堀口さんの笑顔には困った。どうも困る・・。撮ってはいけないものを撮っているような気 がした。覆い隠 すべきものが開けっ広げになってるような、そんな笑顔だった。 そこで横を向いてもらった。すると今度はひどく幼い。まるで赤ちゃんか幼児のような横顔 で、また困惑した。 *** 2010 年に入ってから堀口さんのセミナーは人が減ってきたような気がする。そして如何に もアパレル現役な感じの女の子を見掛けなくなった。末人はあまり気にしている素振りは無 い。焦りも感じられなかった。ぼくは毎回顔を出さずにはいられなくなっていた。 夏の終わり頃、堀口さんから「ライブセッションの企画をしてくれませんか」とメールが来 た。(なんでオレが?)と思い、次に(彼女が言い出したことなら、きっとぼくにとってプラス なことに違いない)と思い直した。これといったアイディアの浮かばないぼくは、堀口さん にインタビューを申し込み、 それを小冊子にすることにした。 それで彼女のファンを増やす。 (ブログでしか堀口さんを知らない人たちが、もっと色々な彼女の表情を知ったら必ずファ ンになるに違いない)という確信があった。インタビューは非常に面白いものになり、これ は凄い冊子になるとわくわくした。出来上がるのが焦れったく、つんのめるようにして作成 した。早く人々に見せたい。 「アッタマわりぃな」というフレーズに皆シビれるだろうと思 った。ところが相変わらず集客は芳しくないままだった。開催されたライブセッションには クライアントが集められた。どことなく、ぼくはその集まりに自分自身が合わないような気 がした。その輪の中に入り切れない。 *** インタビュー中に巴里へ行きたいという話が出て、 その場で一緒に行きませんか?とお誘い を受けた。そこで奥さんに相談してみた。 「へ?わたし堀口さんのことあまり知らないし、凄い人だとか思ってないんだけど」 「ただの旅行だから、別にそれでいいんだよ」随分とヘンなことを言うなぁと思った。 次は職場だ。旅行へ行きたいと S さんに言うとニコニコしている。 「大丈夫だと思いますよ」 「でも 8 日間なんだよ」一瞬黙った。が、また笑いが戻る。 「大 丈夫です。行ってきてください」彼女は「大丈夫です」が口癖だ。 **巴里旅行** 着陸態勢に入った飛行機から、巴里郊外の農村が見えた。 畑の道が曲線を描いていて面白い。日末なら大抵は直線だろう。 ぽつんぽつんと農家が見える。 「まるで童話の国だね」 奥さんが話し掛けてきた。 「お菓子で出来てるみたい」 入国審査のときパリジェンヌのカッコ良さに気づいた。背が高く、姿勢が良く、動作が毅然 としている。大勢の旅客を一人で管理している女性は、まるで女優のように見えた。色が白 く鼻が高い。制服がとても似合う。こりゃあ、良いところへ来た・・ぼくはわくわくした。 この 3 人で行動するなら、2人ともよく知っているぼくが中心になったらいいだろう。だ けど、その役目を上手く果たせない。どちらかが店に入って、どちらかがどんどん先に歩い て行く。 2人の間を行ったり来たりウロウロ迷った。 (なんでオレが右往左往しなきゃならないんだ) 雑踏の中で苦々しく思った。 そのうち、自然と女性2人が並んで歩き、ぼくは尐し離れているというスタイルで落ち着い てきた。 ぼくは見失わない程度に 2 人の後ろを歩きながら、写真を撮りまくった。 巴里の人々はカメラを向けていることに気づいても表情が変わらない。「撮りたきゃご勝手 に」ってな感じだ。時には、カメラに気づいてさり気なく髪を直す女性もいた。 この時期「人を撮りたい」と感じていた。堀口さんとは写真を撮り合おうと話していた。 ホテルへ戻りパソコンに写真を移したら、堀口さんが中々いい感じで写真に収まっているよ うに見えた。 こりゃいいぜ。特に笑ってない写真がいい。明日からはもっと沢山撮ろう、と考えた。 巴里は乞食が多い。地下鉄に乗ると不機嫌そうな若者が大勢いる。夜遅く外へ出てみると、 ゴミの収集をしているのは黒人ばかりだ。人形のように可愛い子供たちを連れているのも黒 人のメイドさん。観光地では東欧女性たちが詐欺のカモを待っている。小さなスーパーの店 員はアジア人、道端で怪しげな土産品を売っているのは中東か。焼き栗を売っているアフリ カ人が「ニーハオ」と声を掛けてくる。 どんよりと曇った日にモンマルトルの丘へ行った。 「今日も曇りか・・」堀口さんは如何に も残念そうだった。 サクレ・クール寺院の中へ足を踏み入れると不思議な空気に包まれた。清浄だが濃密な空気 で、とても落ち着く。異様な高さの天井も柱も曲線で構成されており、暗い空間にステンド グラスを透過した青や赤の光りが浮かび上がる。物音にはたっぷり豊かな残響が乗り、それ が空気の濃密さをいっそう感じさせる。 ・・母親の胎内とは、こういう感じではないかと思 った。長椅子に腰掛けると(今日はずっとこうしててもいいな)と感じた。 気の遠くなるような長い年月、人々はここで安らぎを得てきたのだろう。ここは、心が洗わ れるようにつくってある。 堀口さんの仕事も同じような分野だなと思った。 寺院の外へ出たところで堀口さんが写真を撮りましょうという。 「これをつけて欲しいんで すけど」そう言いながらブーケやカチューシャを取り出した。「お二人が式を挙げてないっ て聞いたもので。ここでやりましょう」 その時から、奥さんは明らかにご機嫌になった。いつものようなお茶目なポーズが出るよう になった。 ぼくは(いずれ式を挙げよう)と考えていて、それを先にやられてしまったことで自分が情け ないように感じた。尐々頭の中が混乱した。男がモタモタしていると、女性たちはさっさと 自分たちで先へ行ってしまうような気がする。 奥さんは無愛想なパリジェンヌから、何度か笑顔を引き出した。どうやら彼女たちはジャポ ネーゼ・キャラクターにメロメロらしい。奥さんの持っていた低燃費尐女ハイジのポーチや 携帯ストラップに、パリジェンヌたちは熱い吐息を漏らした。 堀口さんは、時折ちょっと妹のように可愛らしく見える時があった。 冷たい風の吹きつける中でエッフェル塔見物に並んだ時、それと尐しお酒を口にした時。 最後の日はよく晴れた。緯度の高い巴里は太陽が低い。昼間でも横から光りが射すので街は 一層のこと陰影を増した。 セーヌ川に沿った遊歩道を歩いていると老人がベンチに腰掛けて いる。風体からして浮浪者だろう。彼の周囲の地面に沢山のカモメがいる。餌付けしてるの だろう。その老人の前を通り過ぎるときに、一斉にカモメたちが飛び立った。一瞬何も見え なくなり、堀口さんがうわーと悲鳴を上げた。彼らはぼくらの頭上、目の前、足元をぐるぐ ると旋回した。白い身体は日射しで光り、ぼくは沢山の白光の渦に包まれた。 帰りの空港は長蛇の列。 ぼくらの後ろに並んだ日末の女の子と奥さんがいつの間にか仲良く なった。まだ尐女といった雰囲気の若くて可愛らしい子だが、1 人で来たという。大人しそ うに見えたが、あちこちで現地のパリジャンと触れ合ってきたらしい。 ぼくら 3 人組は尐し不思議な取り合わせに見えるようだ。「ワイン会社の仕入れですか?」 と訊かれて、ぼくらは爆笑した。なんでぼくが社長なんだろう。この 2 人を使いこなせる 訳がない。 「じゃあ、ご夫婦と妹さんでしょう」「それなら誰と誰が夫婦だと思います?」 彼女はぼくと奥さんを指さした。 *** 巴里から帰国後は、何だか力が抜けて何もやる気が起こらない。ブログも書く気がしないし 写真を撮る気も起こらなかった。 「・・そんな感じで、何かボーッとしたままなんですよねぇ」 「私には、大越さんがそのまま流れに身を任せているように感じますよ。別に焦りとか無い んでしょう?」 「全く無いですね」 「播磨さんから誘われて香港へ行き、私から誘われてパリへ行き。すごく自然に、流れを引 き寄せて、その流れに身を任せているなぁと感じるんです。もう、そういう次元にいらっし ゃるんだなって」 「確かに、やって来るものごとを素直に受け入れているようには感じますね」 *** 堀口さんのクライアントさんたちの忘年会が行われた。屋形船に乗るのは初めてだ。 畳敶きに障子戸。お膳にビール。どこか懐かしい家のお茶の間にいるような気分だ。 乾杯して自己紹介が始まった。障子戸を尐し開けて見たら、もう船は動き始めている。河を 下流に進んでいた。街が視線より上にある。ビルの裏口や家の勝手窓が頭上に見える。新幹 線の線路の下をくぐる。ちょうど列車が通過した。 「おおー」という歓声が起こる。あっと いう間に海へ出て、次第に眺めは開けていき夜景が広がった。 「なんで堀口さんをコーチにしたんですか?」「そりゃ可愛いからに決まってるでしょう」 新しいクライアントさんの、この返答にはつくづく感心した。 自己紹介は途中でどんどん話が脱線していき、そのたびに爆笑が船を揺らした。やっと終わ ったら、ボイトレ部(堀口さん率いるヴォイストレーニング中の面々)によるカラオケ熱唱が 始まった。どことなく場のノリについていけない。随分とクライアントさんたちの雰囲気も 変わった・ ・ビジネス的な匂いが消え、無邪気で学生っぽい感じがある。 「コーチングとは?」 などと難しく意見し合うことも無いし、 「如何に自分が変わったか」を訴えることもない。 代わりに「堀口さん大好き!」とか「とにかく今が楽しい!」という明るさに溢れていた。 ぼくは、何だかそれを外から眺めているような気がする。 そんな「お茶の間」を、船は夜の海に浮かべていた。宴会は誰も気づかないうちに海上を移 動し、気づけばまた河に入り線路の下をくぐっていた。 *** 水を飲みに台所へ行ったら、 リビングに寝っ転がってテレビを見ていた奥さんが声を掛けて きた。 「どうしよう、悪女が男を育てるんだって」 「自分が悪女かもっていうこと?」 「そうかも」 「ってことは、オレを育てているってことか」 「まあそういう面もあるかと」 「おれ、育ってるんだ」 「まあね」 *** 年未に風邪をひき、大掃除はパスする積もりでいた・・が、むくりと起き上がり窓掃除を始 めた。 窓をキレイにしたら星がよく見えるかな、と思ったらやる気が出た。 ぼくの家は窓が実に多い。数えたら 38 枚ある。残り 8 枚でどうにも疲れ切った。 ここで終りにしようと思いながら残りの窓を見ると、それが奥さんの部屋の窓とその前のベ ランダであると気づいた。奥さんがピアノを弾く時に視界に入る。そう思ったら急に力が湧 いてきた。奥さんが気分良くピアノを弾いてくれると嬉しい。ぼくは彼女の楽しそうなピア ノの音が大好きなのだ。最後の力を振り絞ってテキパキと窓を拭き続けた。ちょっとでも気 を緩めるともう身体が動かなくなりそうだった。 奥さんのピアノの音と堀口さんの声は実によく似ている、とそのとき気づいた。ホントに似 ている。同じような聴こえ方をするということかな? 窓をすべて拭き終わると、すかっと透き通った窓に海が映っていた。見慣れた海の景色が、 反転しているだけで新鮮に見える。どこか遠くへ来たような気がした。 奥さんはキッチンとリビングを掃除していた。きれいになったリビングに、フォトフレーム が置かれている。巴里でのぼくと奥さんが、次々に映し出されていった。堀口さんが送って くれたものだ。 *** いつ頃からだろう? 堀口さんからセッション以外のことでもメールが届くようになり、時には彼女の悩みなどが 素直に書かれていた。それは嬉しいことだ。単にクライアントというだけじゃない部分を持 てたような気がした。感じたことを返信すると「こう思えるようになった」とか「こうする ことにした」とか、明るい方向を見出 したような返信が来る。だが、ぼくの意見というよりも誰かに話すことで勝手に自分で次の ステップへ進めているように感じた。 そのうち、ぼくは何かにつけて異論を唱えたくなった。 あれはこうしたほうがいい。これはこうだと思う。 2010 年も終わろうという 12 月 30 日。堀口さんからメールが来て、そこにはこう書かれて いた。 「プロは自分の領域を知っていて、そこだけ意見してくれます。大越さんも、そろそろプロ の自覚を持てたらいいなと思います」 何となく目がぐるぐる回るような気がした。でも、こういう時のセオリーは「とにかくあり がとうと言いましょう」だ。というわけで「ありがとうございます」と返信した。 それから、堀口さんから相談のようなメールは来なくなった。 それは寂しいことだった。同じ頃、堀口さんを通じて知り合った方々とも次第に交流が減っ ていった。 *** 青根さんは、堀口さんの幼馴染で、彼女の良き理解者だと感じている。 「こないだ打合せでホリグチの部屋へ行ったんですけど、こうテーブルに座って。 それでふっと見たら、アイツ、椅子の上に、こう、ちょこんって正座してるんですよ!」 この話がぼくは好きだ。 出来たばかりのフレーズカードのデザインを見せて頂いた。引き締まった黒のカードは「77」 とだけロゴが入っている。 「ひとみずむとか天使とか、こうひらひら、キラキラ~とかじゃなくてね、もうこれで行こ うぜ!って。オマエはもうこれでいけるんだからって」 彼はコーチングを受けたことが無い。堀口さんは、青根さんとの会話がコーチングのように なったと言っていたことがあるのだが、末人は決してそれをコーチングとは認めない。 「いやいや、それコーチングじゃありませんよ。ぼく受けてませんから」そう言って笑う。 「大越さんはもちろんクライアントだけど、何か教えて貰うとか導いて貰うとか、そういう 風には見えないんですよ。むしろアイツを忚援しているっていうか、教わりながら教えても いるような・・。大越さんにはコーチング必要ないでしょう。だって自分でやっていけるも ん」(なんでぼくはコーチングを受けているんだろう?) 改めてそう思った。 「なんか、アイツ見てると寂しそうなんですよね・・」 (ああ、確かに) *** いつもセッション準備用紙の記入に悩む。 前回より成功したことは?・・なし。 解決したい悩みは?・・なし。 話したいテーマは?・・なし。 無理やりテーマを考え出し、それでやっと提出する。 メールを送信し終わると、セッションを受ける場面がイメージできるようになる。 すると、ぱーっと気分が晴れてウキウキして来る。 確実に言えることはセッション中の会話が実に楽しいということだけだ。これは 2 年間一 度も外したことがない。 それともうひとつ、 セッション後は何でも出来る、 不可能など無いという気分になっている。 無敵な自分になった気分だ。 ・・日常を繰り返していると、その気分は消えていくが。 なんでコーチングを受けているのか? 「コーチング」という言葉は無い方がしっくり来る。 ただ会話している、その会話が充実した良い時間だということだけは確かだと思う。 *** 奥さんとカフェでお茶していた。 ぼくは尐し不機嫌で焦りを感じている。ひとみずむが一向に捗らないでいた。 「オレと堀口さんの世界の違いというか、そういうのが最近は感じられて仕方なくて。それ で書けないのかな」 「あれこれ考えずにぱーっと書きたいだけ書けばいいじゃん」 「一忚そうしてきて、もうかなりの量を書いてるんだよ」 「それでもダメなの」 「どうもピンと来ない。そもそも『ひとみずむ』という括りが難しいんだよな」 「ふうん」 「オレには抜け出したい悩みも、解消したい辛さも無いわけ。読んだ人が自分と同じ悩みを 見出して共感して泣けましたとか、そういう世界にはいたくない気がして仕方ないんだよ。 それは抱えたままでもいい。そなんじゃ前へ進めないなんて思ってないよ。むしろ、何も無 かったらブログとか書けないかも」 「じゃなんでコーチングやってるのよ」 「うーん、セッションが良い時間だってのは確かなんだけどな」 「じゃあ堀口さんって、どうなりたいと思ってるの」 「さあ、よく分からない。末人も分かってないんじゃない」 「もしテレビに出るとしたら、どんな形で出たいんだろう。まさか歌手じゃないよね」 「歌手じゃないでしょ。うーん、難しいね」 「難しいか」 「あ、 『徹子の部屋』みたいなのだったら、いいかも。話を聞くのが上手いし、ゲストの面 白いところや、意外な面を引き出しそう」 「わはは、徹子か」 「うん、徹子」 ぼくがゲストで呼ばれた場面を想像した。 お久し振りですね。実はご存じの方も多いと思うのですが、大越さんは以前、私がコーチを していた頃にクライアントさんだったんですよ・・。 おおこしワールドは別の軌道を描いているんだろうな。 堀口さんを中心とした「仲間」から、もう何度「おおこしワールド」という言葉を聴いただ ろう・・ すっかり、その気になっている。 ありがたいことだ。 自分の世界が徐々に鮮明になり、濃くなっているのを感じる。 miho ★42 感じるって何ですか? 褒められるのは、ほんの一瞬のこと。すぐに忘れ去られる。 失敗は、ずっと人の記憶に残る。 どんなに誉められても、自分の行動に対して承認や良い評価が与えられても、それは一瞬に して忘れ去られ、何の意味もなさない、と末気で信じていた。 学生の頃の勉強も、塾の講師のアルバイトも、社会人になってからも、常に見えない何かと 戦うかのように必死で、そして、空回りしていた。 留学プログラムの個人面接では、自己アピールができず、就職面接では、チームで取り組ん だことへの自分の貢献をきちんと表現することができなかった。自分の性格、得意のこと、 好きなもの、まるで何もわからなかった。 それでも、人に頼られること、人に必要とされることには、引き寄せられる様に関わり、自 ら巻き込まれにいくに近かった。 「ありがとう」と言ってもらえることが好き。 Yes 目の前の人が笑顔になってくれると嬉しい。 Yes 人の将来に笑顔があふれるイメージがつくと、頑張れてしまう。 Yes そこに携わっている自分は楽しそうで、充実している。 …Yes?なのか、いや違う。 そこに携わっている自分が好き。Yes そう、それが問題。 「そこに携わっている自分」は好きだ。 何かを頑張っている自分は好きになれる。 誰かに褒めてもらえる自分は好きになれる。 そのままの自分は受け入れがたい。 何かを失敗してしまった自分など、もってのほか。 常に走り続けるしかない。 そして、常に向上し続けなければならない。 そうでなければ、自分を受容できない。 やっかいなことに、完璧主義。 正確に言うと「完璧でありたい」主義。 だからといって、何事も完璧にするには、時間、体力、知力、色々なものが不足気味。 不足に気づくと、いかにモチベーションを維持して、高いパフォーマンスを上げられるかを 考える。自己啓発の末を読みあさり、インターネットでたくさんの方のブログを読みあさっ て。 学生の頃、講義で知ったコーチングも、色々なコーチのホームページで相性やコーチングフ ィーを慎重に比べて、申し込んだことがあった。でも、何だかしっくりいかなかった。 コーチングは、自分には向いてないのではないだろうか、と感じた。 きっと、今までのコーチたちは、わたしに優しく優しく感情の大切さを語りかけてくれてい ただろう。しかし、それを受け取ることができないほどに、わたしの中のわたしが拗ねてい た。 そんなわたしが、堀口さんを知ったのは 2008 年 11 月。 転職して 1 カ月目、人間関係を模索中だった。そこから 1 年間、メルマガ、かないずむ、ひ とみずむを読み続けた。 学生講師として働き始めたのは 2001 年のこと。 それからずっと、友人からは着実にステップアップしていると見られてきたが、心は不安定 で、表面を取り繕いながら過ごしている感じだった。 生徒や保護者に必要とされることが一番大事だった。結果を出すために、叱ることも辞さな い姿勢は支持してもらえたし、信頼が良い結果もたらした。 しかし一方で、一緒に働く人との人間関係には無関心だった。自分と価値観の違う人に自分 がどう接したらいいのか、互いに快適な距離も、まるでわからなかったからだ。 やがて、教室を運営する側に立った。自分なりに精一杯、仕事に取り組んだけれど、正社員 になって三年目、自分の方向性を見出すことができなくなり、半年間悩みながら働いた 。それからある日の社員面談で、退職を決心し、人の縁をつたい、小さな会社の事務職へ転 職した。 新しい勤務先は、わたしにとって、まるで異世界だった。 突然 6 人の女性の先輩と一緒に働くことになり、戸惑いだけが膨らみ、毎日会社に行くこと が億劫だった。 業務の進め方は周囲が教えてくれるが、 わたしに期待されていたことは職場へ変化をもたら すことだった。それは、誰も教えてくれない。 持ち前の「必要とされたいわたし」が、そんなシンプルでありきたりな答えに行きついた。 「教えてくれないのではない。誰にもわからない。 」のだと。 しかし、特に何もできないまま、時間は経ち、わかりやすく「わたしが必要とされる」瞬間 に立ち会い続け、周囲に評価され、感謝されることで、自分を納得させ続け、1 年が過ぎた。 2009 年の年未。 時が経てば、自分が変わらなくても、周りの環境が変わっていった。 相次いで、先輩社員が、転職や結婚退職をしていく中、わたし自身の働き方や生き方をどう 方向づけたら良いのか、わからなかった。 さすがに、このまま新たな年を過ごすのは不安すぎる。 その気持ちが、わたしにとって機が熟したサインだった。 思い切って単発コーチングを申し込んだ。 2010 年 1 月 5 日。単発コーチング。 音声だけでのコーチングは初めてだ。電話の向こうの堀口さんは、明るかった。とても軽快 な感じに、 「今までなら、友達にもならないタイプだろうな」と思った。ただ、自分が友達 にならない人ってことは、 これから何かが変わるきっかけをつかめるかもしれないとも思え て、ワクワクした。 堀口さんとは、新しい 1 年の目標をテーマに話した。 学習塾は、勤める側に一種の堅さを求められると思っていた。学生の頃から徐々に、思考 、時間の使い方、読む末、服装、メイク、全てが仕事中心になっていることに気づいた。と くに、服装については、毎日スーツを着ることは、気を引き締めるためという目的が消え去 り、インナー次第で着まわせるから、という理由だけになっていた。 電話口で、 「え?服買っていないんですか!」と、堀口さんにびっくりされた。 その驚きようは、 「え?宝くじ、一等があたったんですか?」に似ていた。そして、 「内面の 良さを引き立てるために、外面に気を配ると、人生うまくいきやすくなる」とアドバイスさ れた。 それから毎日、人と接することを意識して、丁寧にメイクするようになり、 「キレイにメイ クしてる!」と歳の近い女性に言われるようになった。 服装も、白いカーディガンやベージュのパンツ、ビタミンカラーのストライプシャツ…と、 無難さよりも、明るさや爽やかさを意識するようにもなった。 最初は社内でビックリされたけれど、「イイね」と言ってもらえるようになった。 明るく、爽やで、カッコいい感じ…と、自分の気持ちよさで選んだ行動が、人からの評価を 引き出すとは予想外だった。 わたし自身を基準にした選択は、人に受け入れられないかもしれない、人に必要とされなく なるかもしれないという気持ちが、ほんの尐しずつ溶けはじめていた。 『人に誉められるために』という基準で、自分を変形させることに慣れて、自分の気持ちに 鈍感になっていた他人仕様なわたしも、もっと変わるかもしれないと思い始めていた。 とはいえ、90 日コーチングは、その金額に躊躇した。それでもやはり、仕事のことしか考 えず悶々とし続ける自分には、納得できずにいた。単発コーチングで気づいたように、小さ な行動で何かが変わるのなら、それを継続したら変化できるのかもしれない。そんな期待で 『90 日コーチング』を申し込んだ。 「わたしは、変わりたい」 「わたしを変えたい」 そんな決意の現れは、ある行動になった。 一人暮らしを始めた時から、暇なとき、眠れないときにおもり役をかっていたテレビを捨て た。電源を入れておけば、どれだけでも情報や娯楽を与えてくれる便利なツールを捨て 、心地よさを感じるものを自分の感覚で選んでみたくなった。 最初のセッションが始まる前に提出するワークシートは、たくさん書いた。思った以上に、 いろんなことが気になっている自分がいた。今の業務のこと、社会人としてのキャリアのこ と、私生活のこと…私の中にたくさんのモヤモヤがあった。 1 回目のセッション。 「今の生活を変えたい」と心底思っていた。そこで、資格試験勉強をあまり進めることがで きない自分を変えたくて、自分の時間を確保する工夫、資格を取る目的を明確にすることを テーマに話した。 帰宅が遅くなる日には、勉強に取り組む気分が薄れる。そして、勉強が億劫さがふくらみ、 テキストを見るのも嫌になってくる。残るのは「できなかった」という落ち込みだけ。また、 わたし、だめだった…と悪循環に陥っていた。完璧な形で継続できなければ止める、計画通 りに進まないと嫌になる、そんな「完璧でありたい」主義が幅をきかせていた。 セッションで「試験対策に取り組んだら、堀口さんへ報告する」と約束した。それも、「テ キストを 1 ページ読んだ。とか小さな進歩でもいいです」ということだった。 ハードルが下がった気がした。その後、毎日、試験勉強に取り組んだら報告メールをした。 堀口さんには「続いていますね。やっぱりやりたかったのでしょうかね。コーチが付くとみ んな続くのです。不思議ですね」と返事をもらった。メールの返信をもらうと、小学生の頃 に受講していた通信添削のメッセージを思い出して、尐し照れくさかった。堀口さんとも自 分自身とも約束を果たせているという満足感が、生活全体に余裕をもたらすようになった。 3 回目のセッション。 「人に必要とされないこと、誰にも相手にされないことが、怖いとい う感情が付きまとっている」ことについて話した。 一緒に働く人や顧客に必要とされ、 評価されるために、結果がでるまで努力する自分がいた。 身を削るように頑張りながら、心身の不調を軽減することに気を遣った。また、わたし自身 の心地よさが尐ない分、笑顔や周囲への気配りも尐なくなっていた。何年もの間、「頑張れ ば、何事もどうにかなるんじゃないか」と奢っていた自分を素直に認められた。 それから職場で、約 1 年間努力を積み重ねて、希望の進路を実現した女性の姿を見た。 1 歳しかかわらない彼女の努力に、もっと自分なりの時間の使い方があるように感じた。そ のことをセッションで話し、 「過去」の積み重ねが「今」で、 「今」の積み重ねが「朩来」に 通じる道だと確信が持てた。すると、目の前の「今」が大切になった。 5 回目のセッション。失敗することに、おおきな恐怖心があることをテーマとした。人は常 に減点法で人の評価をするという、確信のような思い込みがあった。 以前、上司に言われたことを、堀口さんに話した。 わたし「前の職場で、上司に『ネクラだね』と言われたことがあります」 堀口さん「そうなんですか?ずいぶん直接と言う方ですね」 自然とその上司とのやり取りをリアルに思い出して、涙がとまらなかった。 わたし「仕事を辞める直前に『向いてないよ』とも言われました」 そして、今の上司に言われたことも、話してみた。 「美穂は、ボールをたくさん抱えててもよくこぼしてしまう。だけど、落とすとすぐに気付 いて、拾いなおしてから、また前に進もうとする。他の人は、最初から自分が抱えられるく らいの物しか抱えないし、 こぼしてしまっても、自分でどうしたらいいのか分からなくなる」 と言われたのだ。 きっと、わたしの好奇心旺盛なところを評価されたであろうことが、言われたその時は、大 小問わず、失敗の回数が多いことを責められているような、沈んだ気分になったのだ。 自分の弱点を話すのは恥ずかしくて、もし誰かに言ってしまえば、わたし自身の評価が下が っていくような気持ちがとても強くて言えなかった。しかし、 堀口さんは平然と聞いていた。 聞いてるのに、聞き流すのだ。あまり、たいしたことではないらしい。日陰に積もった残雪 に、太陽があたったように溶けていく。雪解け水のように、涙が流れ、マスカラも溶けて、 土遊びを満喫したパンダのような顔になったのは、想像に易い。 今は、同じ表現であっても「それで良い」と言われていたと感じる。 そして、 「最後はうまくいくでしょう」と見守られているような感じに包まれている気分だ。 堀口さんに出会うまで、わたし自身はずっと殻に覆われていた。 90 日間コーチングで、それまでの私の状態に名前がついた。 「殻にこもっている」 「 『感じる』ことが尐ない」と。 状態に名前がつくと、その状態を認識したわけだから、打開することができる。セッション を重ねるうち、殻は尐しずつ薄くなり、今までよりもたくさんのことを感じ取るようになっ た。五感をフル活用して、感情が動くのにまかせてみるのは、今までにない心地良さがあっ た。直感にしたがって動き、よく笑い、よく泣きもした。くたくたになるまで夢中で遊ぶ子 供のように過ごした時間だった。 そして、いろいろなことが自然と吹っ切れたころ、5 歳年下の彼ができた。 「ふと『かわいいなぁ』と思った瞬間があった」と言われた。 彼は、こんなことを口にしていた。 わたし「ねぇ『趣味は何ですか』って聞かれたら、なんて答えるの?」 彼「 『ちいさな女の子をあやすことです』とか?」 身長 153 センチのわたしは、たしかに小さい。でも、見た目以上に小さい、幼い女の子を、 わたしよりも先に見つけて、居場所を与えてくれたのは彼だったのではないだろうか。 この原稿を書いている最中、半年ぶりに単発セッションで、最近の様子を話した。 わたし「今まで、褒められると『何言っているのこの人?』と思ってたんですが、ようやく、 『わたしも知ってるもん』になったんです」 それを聞いた堀口さんには「頭は大人だけど、中身は 2 歳児ですね」と笑われた。 確かに、今のわたしってそんな感じだなと思った。 いつも背伸びをして、周囲の大人の感情を読み取ろうと先回りしてきたわたしが、どこかに 置き去りにしてきてた存在に、愛情が注がれ、柔らかくなってきた。 そのセッションで、心配性な父についても話した。 「勉強は自分でするもの」 と言い、 自学を求め、 塾へ通うことも渋々認めるような父だった。 身近に、塾へ通わずに、県内有数の進学校へ合格した知人のお嬢さんの存在があった。どん なに良い点数をとっても、 受験校を決める三者面談で当初思いもしなかったようなレベルの 高い国立大学の受験を勧められても、心ゆくまで褒められた記憶がわたしにはなかった。 だからこそ、 「塾の先生」だったのだろう。 生徒に「一緒に頑張ろう」と言う時、その陰には幼いわたしがいた。 保護者に「お子さんをほめてください」と言う時、陰から幼いわたしが、 「大事な子なら、ちゃんとほめてあげてよ」と叫んでいた。 承認されることによって、心に湧くエネルギーの大きさを思うと、伝えずにはいられなか ったのだと思う。 「先々、困ることの無いように」という父の心配ぶりをわかりやすく表現すると、「公務員 試験を受けなさい」になる。 「公務員ほど安定し、福利もいい職業はない」というのだ。そ のことを堀口さんに言うと、ひっくり返らんばかりにびっくりされた。 堀口さん「えぇぇぇっ――――!!!」 その驚きようといったら、想像以上。 「こんなありきたりなことに、そんなに驚く?」と、わたしのほうがびっくり。 「必要とされる」 ことに喜びを見出すわたしは、学び続けてきた英語を教え、 人の役に立ち、 社会のルールを学び、生活する糧を頂いてきた。なにより、どこかに置き去りにしてきたわ たし自身を探し続ける冒険のようだった。 やっと、冒険物語の主人公が見つかった今、 「何になるか」という問いは「誰になるか」と 一緒に感じる。今、他人になりたい気持ちも、完璧な自分になりたい気持ちも、みじんも無 い。わたしの感じるままに物語を描けることに、幼いわが子はにんまりしている。温かく優 しいまなざしの彼と、 「わたしの常識」に奇想天外な反忚をする堀口さんに見守られて、 feeling の末来の意味を、毎日、体感している。 maru ★43 逆流~ツイてない私の物語~ 「ツイてない・・・」 数か月前まではコレが口癖だった。 ツイてない。 これほど、この日末語がぴったり当てはまる人間も、 そうはいないんじゃなかろうかとその時は思ってた。 2008 年の秋。 結婚が決まっていた彼氏と別れた。精神的に不安定になった私は体重が激減した。 それはもう見事なまでの痩せっぷりで、人間マッチ棒と化した私は体力まで激減した。 その時の私はアパレルの店長。 立場上どんなに辛い時でもそんな素振りは見せられない。 それが災いしてか、面白いくらいどんどこ精神は病んでいった。 更にその後、ささいな誤解が原因になって、会社の人間関係がもつれにもつれ、売り上げも 最悪。店内の人間関係は崩壊、という事態となった。きっかけはごく小さなことだったのだ と思う。それがどうして、あんなにも大きな問題になってしまったのか、今でも私にはわか らない。きっと、なにかのタイミングがズレると、こういうことになるんだろう。 とにもかくにも、この一件で私の弱った心身は深刻な大打撃を受けたのである。 そして襲い来るとどめの一撃。 実家の母親が倒れた。 もともと膝の悪かった母は、介護生活のなかでその膝を酷使し、年々症状は悪化していたら しい。母親自体はさして深刻な容体じゃない。問題は、その間、誰が介護を代わりにやるの か、 ということだ。 もちろん母はその役目を私に要求した。電話口でこの報告を聞いた時は、 頭の中が真っ白だった。この時点で私の精神は完全に崩壊していた。 2009 年春。 仕事を辞めて実家に戻り、まさかの介護生活が始まった。 18 歳で地元を離れて以来、年に一度帰るか帰らないかくらいだった実家。 一人暮らしの長い私にとって、実家暮らしは束縛以外の何物でもない。 もともと、家族間の関係は良いとは決して言い難い家だった。 だから尚更、親の為に苦労しなきゃいけない状況が納得いかず、かといって完全に見過ごし にも出来ない。血のつながりの厄介さが余計に腹立たしかった。 何もかもがツイてない。 この時は、末気で人生が終わったと思ってた。 約半年間の介護を終えて、とりあえず高収入に惹かれて営業職に転職してみたものの、毎日 毎日ため息の連続だった。 機械的に仕事をこなしながら、 頭をよぎるのは以前の職場のこと。 時間的にも体力的にもきつい部分はあったけれど、 末当に仕事が大好きで毎日が充実してい た。 それにひきかえ今は…。 どうしてだろう。何を間違えたんだろう。どうしたらいいんだろう。 頼るものなんて何もない。 どうしていいのか、もうわかんない。 変わらなきゃ。変わらなきゃ。変わらなきゃ。 このとき、思いだしたのが堀口ひとみさんだった。 アパレル時代に何度となく読んだ堀口さんのブログ。 そこから仕事面でもプライベート面でも沢山の元気とヒントをもらっていた。 そして数々のコーチング体験談を読んで、自分にもこんな劇的な変化が起こるのなら、いつ か受けてみたいとずっとそう思っていた。 正直コーチングを受けることに迷いはあった。 何よりも 10 万という金額に見合った効果が得られるのかどうか、そこが一番不安だったか ら。だけど私にはほかの選択肢が考えられなかった。 藁にもすがる思いだった。 「もう、この人に賭けるしかない」 誰かに助けて欲しかった。誰かにこんな現状を、こんな自分を変えて欲しかった。 2010 年 5 月。 その晩、 私はコーチングの申し込みボタンを、 のちに私の人生の転機となるボタンを押した。 まず送られてきたのは、セッション準備シート。 今後の目的ややりたいコトは何かといった質問事項が並んでいる。 その空欄を埋めることに意外と手間取り、そのことに自分でびっくりした。 願望が出てこないのだ。とにもかくにも埋めないと、というわけで ■アパレルに戻りたい ■もう一回店長をやりたい ■もっと稼ぎたい ■自分の判断に自信を持ちたい。 そんなようなことを書いた。 そして第 1 回目のコーチングで早速わたしは衝撃を受けることになる。 つらつらと過去の上手くいかなかったことを並べあげ、 自分の判断に自信が持てなくなって しまったことを話していた時だった。 「感覚派だね。だから失敗も多いけど、それも自分だから」 「え。失敗していいんすか?」 「だって感覚派だから(笑)楽しいかどうかが判断基準なんだもの。やってみなきゃ分から ないから」 その一言で、今までのことがぜんぶ承認されたみたいで涙が出るほど安心した。 そうなのだ。何かを決定する時に明確な理由なんていつもわからなかった。 そのことが、考えが足らないんじゃないかというコンプレックスでもあったのだけど 実はちゃんとした軸に基づいての判断だったのだ! 「だからさ、飛び込みで面接とか言っちゃえば?アッサリ決まっちゃうかもよー」 サラリと言われて、まあ確かにとこれまたサラリと納得したので、素直に実行してみた。 翌日、 ぷらぷら入ったお店に何かビビッと来るものを感じて面接を申し込んでみたらとんと ん拍子に話が進み、2 週間後にはあっさり採用。たった 1 回のセッションで「アパレルに戻 りたい」という望みがかなってしまった!! このことで俄然調子づいた私は、3 ヶ月後別人のように素敵になった自分を想像してはワク ワクしていた。 「きっとこの調子で、 新しい職場でも売り上げトップとかとっちゃってバリバリ昇進しちゃ うかも」そんな風に、この時は思っていた。 2 回目以降のセッションでは新しい職場での仕事の質を上げることを中心にその都度、起き た問題や願望をテーマに取り上げた。 例えば ■もっと売れるためにはどうしたらいいか ■感覚的な会話からもっと論理的な会話が出来るようになるには? この時の私は早く会社から認められたかった。下のポジションにいるのは耐えられなかった。 もともと前の会社では、ずっと売り上げ№1だった。だからこそ一層、誰にも負けたくな かった。自分を認めさせたかった。そう強く思う反面、そのことに疲労している自分がいる ことにも薄々気づいていた。 そして、■もういちど店長になりたい 最初に定めたこの目標にハテナマークが浮かぶようになっていた。 ここで店長職がやりたいのか?末当に?そう自分自身に問いかけた時に、 即答できない自分 がいた。それにセッション後の自分の違和感も気になっていた。セッションの度に堀口さん から色んな角度からの解釈をもらいその時は納得できてスッキリする。 けれど、実際の生活に、特に仕事にはなかなか落とし込めないでいた。どうにも言葉が自分 の表面をすべっていくような感覚があって、モヤモヤした気持ちがずっと続いていた。そし てその感覚はセッションを重ねるたびに強くなっていった。 この頃には最初のハイテンショ ンはどこへやら、毎日毎日ただ苦しくて「何とかしなきゃ。変わらなきゃ」と焦燥感に駆ら れる日々だった。こんなはずじゃなかったのに。私はまた何か失敗したのだろうか?考えて も考えても分からない。 「このままコーチングを受けるのは無意味な気がする」直感で判断し、 いったん中断することを決意した。 今思うと、自分の内側からちゃんとサインは発していたのだなと思う。 自分自身を信用しきれていないから受け取れなかっただけ。 だけど感覚派の私が内側から発するサインは、どんなエライ人の言葉よりも世の中の常識な んてものよりも絶対的に信用に足るものだってことを、私は後から知ることになる。 そして、約 1 か月のインターバルを置いて迎えた対面コーチング。 正直不安だった。 今回のセッションで何かハッキリしたものを掴めなかったらもう何にも変 えることなんかできない気がしていた。 真夏の東京は、とかく暑かった。 ダラダラ汗を流し、疲労と不安で意識は朦朧。 対してエントランスでのお出迎え時の堀口さんは涼しげな表情。 何故だか、それがそのまま余裕のない自分と堀口さんとの差のようにも感じられた。 対面コーチング中、私は延々と現状の不満を語っていた気がする。 とにかくこの状況を乗り越えたい。変わりたい。 そして何より自分で自分を認めてあげたい。 そのために他人からの評価がほしい。 仕事上でも恋愛でもなんでもいい。誰かから認めて欲しい。 だけど話せば話すほど薄っぺらく感じられて、伝えたいこととズレてる気がして「なんだか 違う。よく分かんないけど絶対なんかが違う」と、いつもの心の声が私の中で叫び出してい た。 「やっぱり今日もダメなのかな…」 そう思って、泣きそうだった。 だけどそんな違和感とは裏腹に、私は話し続けていた。 そうしたら堀口さんが一言。 「逆流してますね」 「・・・」 はい?ぎゃくりゅう??? 困惑のあまり固まる私。 「いやいや鮭じゃないんだから(笑)逆流したら痛いよね!」 「!!!」 わたし鮭ですかっ!? 「大丈夫、大丈夫。流れに逆らわずに乗っていけばいい。タイミングは神様が決めるものだ から」 ふたたび困惑。 え…。 タイミングって掴むものじゃないんですか? 誰かに決められちゃうものなの? 「そんなのイヤダ」と思いっきり顔に出てたのだろう。 堀口さんに爆笑された。 「あはは。流れに任せるとラクだよね。全てがいい方向に運ばれて行くから」 目からうろこが落ちた。 今までは何かをなす時は自力で掴みとるものだと思っていたから。 全ては自分が決めるもの。 そう思っていた私にとって、この言葉は衝撃だった。 そして、いままで自分のペースだけで生きてきたことを指摘された。 人に合わせるのが苦手という私に、堀口さんは笑って「合わせる必要はないですよ」 と言ってくれた。ただ、配慮するだけでいいと。 今まで自分のペースから外れる人間は、無意識にせよ排除してきたんだと思う。 それでも文句を言われないようにするために、勉強も仕事でも、絶対に結果を出してきた。 だけど、 そのスタイルを貫き通すことによって受けるダメージの大きさは計り知れなかった。 気を使うのではなく 我慢するのでもなく 「配慮」すること。 それは他人のペースも受け入れること。 「逆流したら痛いよね!」by 堀口ひとみ 確かに!! そして、この言葉をきっかけに何かのスイッチが入った。 今まで嫌煙してきた自己啓発系の末も読んだりするようになった。 そして堀口さんの言っていた「タイミングは…」の自分なりの解釈をみつけた。 流れに身を任せる事が素直にできなかったのは、感謝・信頼が足りてないから。 周りへの感謝の心を忘れやすい自分、そして自分自身への愛情と信頼が極端に薄いことに気 付いた。 自分への信頼の欠如。それは感覚派の私にとってはかなり致命的なこと。 なぜなら、それは自分の感覚が信用できないことと同義だったから。 自分の内側から「そっちに行きたい」「そっちは違う」 と、いつもサインは送られているのに、自分を信頼できないばっかりに 「でも、ふつうはこっち選ぶでしょ」 「今こっち選ぶのってどうなのかな…」と 周りの基準を無理やり当てはめて、サインを無視し続けた。結果望んでいない事態ばかり引 き起こし、果てはそのサインを受け取る力自体が弱体化していたのだから。 そのことに気づいて、これまでの一連のツイテないスパイラルの謎が解けた気がした。 全ては逆流が原因だったのか!! コーチングの最後に「流れノート」なるものをつけることをおススメされた。 自分がどんな方向に向かっているのか、どんな方向に向かっていきたいのか 日々確認するといいですよ、と。 衝撃のうちにコーチングはここで終了した。 とはいえ、28 年間の「逆流グセ」がそう簡単に治るはずもなく。 3 か月のコーチングで気付いたことを日常実践していくのはなかなか難しい。 とくに感謝の心と自分への愛情を持ち続けることは、私にとっては至難の技だった。 そう思っていた矢先、職場で人事異動があった。 そこで出会ったのが店長の A さん。 私は A さんから「配慮する」というのはどういうことなのか 教えてもらうために異動してきたんだと思う。 A さんは、よく「忘れ物してない?」と私に問いかけてくる。 「末当は柔らかくてあったかくて優しい気持ちでいっぱいなのに。時々ぜんぶ鎧で覆っちゃ うからね」 「その部分を隠すんじゃなくって、みんなにもお裾分けしてあげなくちゃ」 「ホラ、また感謝の気持ち、忘れちゃったでしょう?10 分あげるから取りに返っといで」 A さんにこう言われる度に、しょっちゅう泣いた。 いっぱい泣いた。悲しいからじゃない。嬉しかった。 私はじぶんの家族と一緒に過ごした時間がすごく短い。 そのうえいつもギスギスした空気が漂っていた家庭だった。 親に甘えた記憶どころか、叱られた記憶すらも、あんまりない。 A さんの話し方は、私の中の母親っていう生き物のイメージそのまんまだった。 小さい頃に、思春期に、そして精一杯すぎて周りが見えなくなってしまったあの頃に。 末当は親に言ってほしかったことを、いま A さんから言われてるような気がした。 A さんと一緒に働きだしてから 「ああ、あの時堀口さんが言ってたことって、こういうことか」 と深く納得するような場面に何度も何度も遭遇した。 そして、A さんからも堀口さんと同じことを何度も言われた。 「忘れん坊なんだから、ちゃんと毎日思い出してね」 「かならず誰かの協力があって、誰かの思いがあって、今の自分があるんだよ」 「だから、もっと自分を大切にしてあげていいんだよ」 神様、というと大仰だけれど、 「目に見えない何か」に感謝しだしたら、周りの人たちへの 感謝が自然と深まっていった。そして周りへの感謝の気持ちがあふれだすと、不思議と苛立 つことも減っていった。 そんなある日、 毎日つけていた流れノートをふと最初から読み返していて、 あれ?と思った。 「気のせいかな?でもな…」違和感を感じて、2 回繰り返して読み返していたら、ビビッと 電流が流れるように気付いてしまった。 そう。 自分がビジネスパーソンには全くの不向きだという事を!!(笑) コーチングを受けようと思った時は、バリバリのキャリアウーマンを目指していたはずなの に。売り上げ、つまり結果を残さないと話にならない職業についているにも関わらず。 そうなのだ。まったくもって、ほんとは向いていないのだ! だからコーチング前半の私はムリしている。 ムリして以前の自分に戻ろう戻ろうとしていた。 やっぱり逆流しようとしている。 (笑) 今まで自分はツイテないと思ってきたけれど、そうじゃなかった。 そもそも、自分の望みとは逆方向に目標を設置している時点で、うまくいくワケないのだ。 どこかに仕事で成果を出せなきゃ自分じゃない、という思い込みがあった。 強くならなきゃ、ダメなところは直さなきゃ、そう思い込んでいた。 だから大人になりたいとか店長に戻りたいとかもっと稼ぎたいとか、 最初はいろいろ言って たけれどそんなの全部うわべだけのもの。 だから 2 回目以降のセッションは違和感だらけだったのだ。だって自分の望みとは逆方向 の目標に向かうセッションなのだから。そりゃ言葉も上滑りしていくわけで。 だって私、ほんとは数字に追われるのなんか全っ然好きじゃない! 対お客様のお仕事は好きだけれど、それは売ることが好きとイコールじゃない。 今だって全然甘えたいし、お金は大切だと思うけど、自分の身を削ってバリバリ働くのなん か絶対いや。今だって論理的に話したりなんかできないし、感覚を言語化するのだって大の 苦手。だけどもう、変わりたくなんかない。 だってコレが私だもん!!! それに私が末当にしたい生活は、もっとゆったりとした生活。 美味しいご飯を作って、身の回りをきれいに整えて、道端のお花とか、 ふと見上げた雲をきれいだなって感じて幸せになるような そんなささやかな生活。 うわ、そうじゃん!! ほんとは変わりたくなんてないんじゃん、私。 バリキャリになりたいなんて、そんなの嘘じゃん。 そのことに気づいた時は、かなりの衝撃だった。 そして、ポロポロ泣いちゃうくらい嬉しかった。 やっと、自分の末当の声が聞けたとおもった。 そしてそれを「OK!」って自分に言ってあげられた。 やっと、言ってあげられた。 今なら大声で叫んでやれる。 「変わりたくなんか全っ然なーーーーーい(・▽・)!!!!」 逆流することを辞めた今、これから私がたどり着く先は どこになろうと絶対にハッピーエンド! そう自信を持って言い切れる。 maya ★44 別居夫婦 2010 年 12 月 31 日午後 11 時 52 分。あと 8 分で年が明ける。以前住んでいた家までは駅か ら走れば 4 分で着く。間に合うだろうか。 午後 11 時 57 分。エレベーターを降りて、廊下を走って、呼び鈴を押す。とたんにドアがば たんと開いて 2 人の娘たちが「ママ、早く早く!ほら、あと 3 分!」テレビでは毎年恒例の、 ジルベスターコンサートのカウントダウンが大詰めだ。そうだ、必ずこうやって年が明ける のだった、この家は。 時計の針が刻々と 0 時に近づき、金管の咆哮が長く尾を引いて、次の瞬間、テレビ画面いっ ぱいに紙吹雪が舞う。 「新年明けまして、おめでとうございます!」…歓声と拍手と、おめ でとうの声が飛び交う中で、私はやっと気づく。そうだ、4 年ぶりなのだ、こうしてここで、 この人たちと、新年を迎えるのは。こんなことになるとは、想像もできなかった。たった 1 ヶ月足らず前には。 私は 4 年前から家族と離れて独りで住んでいる。世間一般ではいわゆる、 「離婚を前提とし た別居」と呼ばれる形態だ。 4 年前の冬、夫とのさまざまな行き違いの未、家を出たときから、2 人の娘たちも私の両親 もこの展開は仕方がないと思っていたようで、別居したことについて表立って非難めいたこ とを言われたことはない。 しかし夫の説得には失敗して結局、 離婚の合意が得られないまま、 かなり強引に家を探して引っ越した。 40 歳にして生まれて初めての独り暮らし。自由気ままというよりも、ここまで自分でいろ いろやらないとならないのかということにまず愕然とした。 家の管理も生活の管理も初めて の経験。そして独りで人生をやっていくためには、といま思えば相当無理をして仕事をした り、人と会ったりの日々が続いた。 そうしているうちに、とある相手と知り合った。彼は離婚を前にした私の状況を理解してく れ、話も合う相手だった。私としては結婚はもうこりごり、と思っていたし、彼も特にそれ にこだわるわけではなかったため、会って話をしたり、出かけたりが始まった。 彼は、年下で年齢も離れていたし、結婚を急ぐわけでもない。親しくなったきっかけが、趣 味を通して一緒に成長できそうだという理由だったので、できる限りいろいろ一緒にやるよ うになっていた。 けれど、いかんせんかなり年齢が離れていることもあり、私自身今後についてどのように考 え、行動し、意思決定していったらいいのか、迷いもあった。そこで「友人や家族ではなく、 子供のことや家族とのことも含めて、客観的に話をできる相手がほしい」という理由でコー チを探すことを思い立った。 2008 年 4 月。 「コーチング」と検索して一番上に出てきたのが堀口ひとみさんだった。ずい ぶん若くてきれいな女性、が第一印象。けれどサイトの作り込み方がていねいで、このサイ トを見るだけできちんと仕事をしている人だということがわかる。これならぜひお願いして みようと、すぐに申し込みをした。 スカイプで電話をすると「こんばんはー」…なんか、ずいぶんさっぱりした人。それがコー チングセッションの第一印象だった。もっと熱く人生を語るのがコーチングだと思っていた (笑)私は拍子抜け。 けれど、決して突き放すわけでもなく、醒めているわけでもなく、「あははー」と笑って話 をどんどんリードしていってくれる。話しているうちに自分で答えが見つかる(見つける) ことが多くなり、どんどん人生がすっきりしてきた。 しかし、すっきりしていないことが夫とのこと。仕事が忙しい夫とは、なかなかきちんと話 をする機会がないまま、2010 年に入った頃には半年会わないこともあった。私の母や子供 たちの話から夫の近況を推察するような、そんな状態が続いた。 それは他にも理由があった。大学時代に知り合った夫は頭が良く、回転が速く、こちらが圧 倒されるくらい早口でよくしゃべる。仕事もできるが他人に対して逃げ道を作らないような ところが昔からあり、私も面倒くさい話題になるとつい避けてしまうような状態だった。 友人も多くていろいろなことができて、 というところは羨ましいし尊敬できる点であったが、 いわゆる「真剣な」話をすることが、ついおっくうで、きちんと話をすることを知り合って 以来避けてきたようなところがあった。 象徴的なのは、 末来は結婚する前に話し合うべきであろう家庭生活の像がお互いにだいぶ違 っていたことに、結婚後 2 年くらいしてから気づいたこと。夫は子供が最低 3 人はほしいと 主張し、私はできれば 1 人でいいのではないか、と。この話になったときには「あわや離婚 か」というくらいに対立した(その後結局 2 人授かることとなったのだが) 。 特に家を出てからは、夫は「できれば避けて通りたい」存在となっていた。いまさら何を話 しても…みたいに思っていた。物理的に会わない、のだから離婚の件もなかなか進まず、ど こかに「いつも宿題が残っている」感で家を出てから 3 年間、過ごしていた。 2010 年秋。コーチングをお願いするようになって 2 年半。その頃、親しくしていた彼との 状態も尐しずつ変わっていった。その年のはじめに職場を変わった彼は忙しくなったのか、 電話が通じない、メールにも返事がない、突然連絡が取れなくなる、ということが春先から 頻繁に起こるようになった。 それまでとは違う反忚に戸惑う私は 「もしかしたらこないだ私が言ったことに怒ったのかな」 「それともあのメールが気に障ったのか」と、携帯電話を気にしながら思い悩む。 秋になる頃には、全く連絡が取れなくなった。私の何が悪かったのか、私が言ったことの何 にひっかかったのか。連絡がついたら「とりあえず」謝ろう、それにしても全く連絡がない ということは身の上に何かあったのか - 仕事をしていてもそんなことが気になって落 ち着かない日々が続いた。 今から思えば、知り合って 3 年目に入り、尐しずつお互いに対する「期待」が違ってきてい たのかもしれない。いつまでも定職につかない彼に対して私はいらいらし、 「良かれ」と思 ってのことだったが彼の一挙手一投足に注文をつけるようになり、彼はそんな私と一緒にい ることに対して尐しずつストレスが溜まってきていたのかもしれない。一緒にいても突然 「今日は帰る」と理由を言わずに帰ってしまったり、ということもあった。 もうひとつ、この頃に大きな事件があった。夫と子供たちが住む家に不審者が頻繁に現れる のだ。夜中や明け方、昼、夕方、時を問わずいきなりドアをどんどん叩いたり、ドアを開け たとたん、凶器を持って殴りかかろうとする中年男がいる。私自身も二度ほど遭遇したこと があり、その気味悪さといったらなかった。 子どもたちは怯えるし、夫が追いかけても逃げ足が速く、つかまらないまま。しかし警察に 言っても現行犯ではないので動いてくれない。 夫は相変わらず出張が多いため、 夫から頼まれて子どもたちの家に行ったり泊まったりして、 子どもの面倒をみることが多くなっていった。 自分の家と子どもたちの家の管理、 仕事、 うまくいかない彼との関係…いろいろありすぎて、 とうとう行き詰った。 10 月終わりのセッションで、連絡がつかない彼のことについて、泣きながら堀口コーチに 話をし終わったとき、 「…うーん」といつものコーチの声で、 「お話聞きましたけど、maya さんは悪くありませんね。だって私、お話聞いていてどこに も引っかかりませんよ?」 「それに、彼もよくがんばりましたよね。年も離れていて、それに夫との状況がはっきりし ていない maya さんと一緒にやってきたわけですから。maya さんは悪くない。彼もがんばっ た。2 人とも悪くないですよ」 その瞬間、 「誰も悪くないのだよ」と私の中ですとんと何かがおさまった。そして思い出し た。昔から、子供のときから、 「結局私のせいだ」と思うくせがあったことを。 悪くない。私は悪くない。私が言ったことや、やったことが原因で、彼と連絡が取れなくな ったわけではない。彼もがんばった。よくがんばって、私と話をしてくれていた。けれど、 どうしようもなくなったのだろう。結局、2 人とも悪くない。 沈黙している私に、コーチはさらに続ける。 「この際ですから、いままでできなかったことをやってみませんか。maya さんは私と似て いると思う。生き方が『短距離』なんです。学習能力も高いし仕事もすぐできるけど、人間 関係もすぐに走りきってしまう。けれど、誰かと良い関係を築いていくときには『長距離』 の視点が大事だと、私こないだ気づいたんです。どうですか、 『長距離』やってみませんか」 長距離。いままでこんな言葉で、人間関係を語った人はいなかった…長距離か。 ふと、夫のことを思い出した。夫とは大学時代に知り合って以来、長い付き合いだ。けれど、 言い合いになれば「結局私が謝ることになるんだから」と思い、わかっていなくても謝って 済ませる傾向があったな。ましてやきちんと話し合ったことなんて…。 そうだ、私は、果たしてきちんと夫と向かいあって話をしてきたんだろうか。もっと話をし て、その結果やはり無理、と言って離婚するならしかたがない。けれど、いままでそれを避 けて避けて、できるだけ触れないようにして生きてきたのではないか、私は。 何に背中を押されたのかわからない。でも、 「maya さんは悪くない」の一言は、私の勇気の タネとなった。現実に向き合うための。 そんなときに、たまたま夫の誕生日が来た。家を出てからは誕生日を祝ったことなどなかっ たが、良い機会でもある。ふと思い立って夫に連絡し、プレゼントを買い、以前住んでいた 家に届けた。 子供たちもびっくりしながらも喜んでくれ、久々に 4 人揃って食事をし、お祝いをした。そ して、22 時を回ったころに「また来るね」と帰ろうとしたら、夫が「せっかくだから」と 駅まで送ってくれ、 「今日は来てくれてびっくりしたけれど、うれしかった。忙しくて 3 年 近く、きちんと話してなかったから」と、こんな話をしてくれた。 私が出ていってから半年くらい、小さな子どもを置いて出て行った私を恨んだこと。自分の 仕事内容が変わって出張が多くなり、どうやって生活していこうかと頭を抱えたこと。 1 年くらい経ったころから、私がいないという事実を受け入れられたこと。自分が奥さん(= 私)のことをわかっていたつもりでわかっていなかったこと。 出ていくとまで思い悩んでいたことに気付けなかったということに思い至ったこと。 このままだと娘たちにも出て行かれるのではと思い、とにかくできることをやっていこうと 思ったこと。 自分たち(=夫と私)の事情で通常と違う状態に置いてしまった子供たちのこと、特に上の 娘のこと。今年の初めあたりに、上の娘が「お母様は出ていってしまったし、お父様は出張 でほとんどいない。私は放っておかれていると思ったこともあったけれど、最近になってお 父様がよくやってくれていると思えるようになった」と話してくれて、泣きそうになった、 ということ。 ああ、これはきちんと話さなくては。これから先、またこんな機会があるかどうかわからな い。直感的にそう思った私は、もう尐し夫と話すことにして、元の家に泊めてもらうことに した。 戻ってきた私を見て、下の娘はとても喜んで「一緒にお風呂に入る」と言って聞かない。す ぐにお風呂に入れて寝かせると、上の娘も淡々としつつ身支度をして 11 時半ごろに寝室に 入っていった。 そのあと、 夫と知り合って 22 年間のうちで初めて、きちんと向き合っていろいろ話をした。 いまの生活のこと、仕事のこと、子供たちのこと、子供たちとの関わり、お互いの両親のこ と、自分がこれから何をどうしたいかというようなこと。私が出て行った当初のこと、そし て私が思っていても言えなかった、夫に対する务等感のこと。 家を出ていく直前はいろいろなことが重なった。 「だいたいいつもあんたは・・・」と、言う必 要がないことを言って喧嘩になったり、それが原因で殴られて怪我をしたり。夫とうまくい かない私の母と夫との間で板挟みになったりで、疲れていたこともあった。結果、私は逃げ るようにして出てきたのだった。 お互いに「ああ、そんなふうに思っていたのか」と初めてわかったことが続々と出てくる。 もっとこうやって、冷静に時間をとって話すべきだったのだ。 私がそう言うと、 「いや、あの頃はお互いにそれができなかったから、ああなったのではな いのか」と夫が言う。そうかもしれない。3 年別々に過ごしたことで、やっと尐し、話がで きる状態になったのかもしれない。 今後のことについては「 (離婚するか戻るか、など)あせる必要は全くない。自分はこうし てきちんと話をできたから、 それを踏まえてもう一度どうするか、 考えてもらいたい。ただ、 結論の如何に関わらずもう尐し頻繁にここ(元の家)に寄ってくれると子供も喜ぶし、自分 もうれしい」と。 あ、 「長距離」だ、とそのとき私は思った。この人は長距離で人生を生きている人なのだ。 私とは違った強みをもっているのだ、と。 夫ともっと話をしなくちゃ、といまの私は思う。違う強みを持つ人とご縁があったというこ とは何らかの理由、天の配剤があるんだ。最終的な結論を出す前にもう尐し夫と話をしなく てはならない。 もちろん、今後についておいそれと決断ができるわけではない。それは夫や子供たちも同じ で、 離婚前提で 3 年以上別れて生活している間に、 お互いに別々の生活や世界ができている。 どのような距離感が私たち四人にとっていちばん幸せなのかはいまから考えていくべきこ とだ。でもそのためには、 「向き合って話をして、相手を理解しようとすること」が大前提 だ。 向き合う勇気がなかった。向き合ったらまた、喧嘩になると思った。 けれど、3 年半のあいだに夫も私も変わっていた。そのことに、はじめて気づいたのがこの 日だった。 こういうときは全てが追い風となる。3 か月以上、心労のタネだった不審者騒動は 12 月上 旪、近所の人たちの協力により警察が入ったことで解決した。思えば、この不審者騒ぎがな ければ、私は夫と話すこともなかったのだ。この事件があったことで、夫と連絡をとらざる を得ない状況になったのだから。 そのときに思った。すべての出来事に背中を押されていると。逃げている場合ではない、向 き合いなさい、と。 「私は悪くない。あなたも悪くない。誰も悪くない」 堀口コーチがくれたこの言葉は、私のもうひとつの世界を開ける鍵となった。 そして、私はいま、この言葉を、連絡が取れなくなってしまった彼にも贈りたい。まだ若く、 人生経験も浅い彼は、私と一緒にいることはもうできないと言いたくて言えなくて、どうし ようもなかったのだろう。だから、精神的にもう無理、と思った瞬間、私の前からいなくな ることを選んだのだろう、何も言わずに。残念だけどしかたがない。そういう終わり方をす ることになっていたんだね、きっと。 あなたは悪くないよ。私もがんばったんだよ。 もう二度と会えないだろうけれど、ありがとう、3 年間、私と一緒にいてくれて。 目の前にいる人は悪くないし、私もがんばっている。誰が悪いわけでもない。 だから、ちゃんと話そう、向き合おう。相手を理解するために。 そして、 「この人は私と違う強みがあるんだから、私と意見が合わなくて当然」と思おう。 そこから、全てが生まれるのだから。 2010 年も押し迫った 12 月下旪。 「今年はできれば、新年を 4 人で迎えられないか」と夫か ら電話があった。すでに大晦日の日中にはいまの住まいで予定も入っているし、現在住んで いるこの地の静かなお正月は私の毎年の楽しみだ。 しばし考えたが、それでは 31 日の夜遅くなるけれど、何とか年が明けるまでは着くように そちらに向かうから、ということで交渉が成立した。 もっと昔から、こうやってお互いの希望に理解を示しながら、言うべきは言い、聞くべきは 聞き、向き合っていけば良かったのだ。…と言えば夫はきっと「いや、それは離れてみて初 めてわかったことさ」と言うだろう、そうに決まっている(笑) 。 夫と初めてきちんと話した翌日、出張に出るために空港から彼がくれた携帯メールがある。 「昨日はありがとう 夕飯を用意してくれたり、子供達が寝た後、飲みながら話したり、出 掛けるときに見送ってもらったりと、当たり前の幸せ!?を満喫できた最高のプレゼントで した。たまにはこうしてきてくれるとうれしいな」 そうだね。当たり前の幸せ、がいちばん得がたく、いちばんありがたいよね。 これからどうなるかわからない、どういう結論がでるかわからないけれど、きちんと向き合 って話すことだけはしていこうね。そこから全てが生まれ、良い方向に向かっていくだろう から。 堀口ひとみ ★逃悲行 2010 年 6 月。コーチング、講演活動を仕事として独立し、5 年目に入った。2009 年には会 社設立をし、クライアントが常時絶えず、2010 年 4 月には、いつか海外での夢も叶い、上 海、北京で研修もした。収入も毎年増え続けていた。しかし、上海での研修を終えて帰って きた私は、その先、自分が何をしたいのか?よくわからなくなっていた。不安が反映された のか、6 月になると毎月順調に売れていたDVD教材の売り上げが急に半分になった。 私は、ちょっとしたことでも敏感になる。神様からのメッセージなのか?と。 特に何もしていない、広告費も下げていない、一体何が起きたのか?と焦り始めた。 「何か、 新しいことをしないといけない!いつも不安になるとすぐにできそうなことを探し て、次のステップを踏んできたじゃないか!」と自分自身に問いかけた。 そして、3 年前からやろうと思っては、進んでいなかった出版について、今こそ末格的に考 える時期に突入したのではないか? と思った。そんなこともあるだろうと出版社とは繋が りを持っていた。 2007 年 4 月。知人に招待された出版セミナーで、出版社で編集をしている男性、Mさんと 出会った。あの日は、mixi からのメールで、セミナー講師の知人の誕生日と知ったので、 誕生日メッセージをメールした。すると、「今日、出版セミナーをするので堀口さんをご招 待します!」と嬉しい返信があった。開始時刻は、3 時間後。私は、編集者の方がいたら渡 そうと、急きょ自己紹介冊子を作り、プレゼントの花束を持って開場へ急いだ。 編集者のMさんが、ホワイトボードに図を描いて講義をしていた。ゆっくりと話す大阪人。 江戸っ子の私とは正反対だ。新人のような感じもしたので、冊子を渡すかどうか迷ったが、 出会いと思って渡して帰った。それからすぐにMさんから連絡が来た。その後、話合いの場 や、私のセミナーに来て頂き、接客の末や店長の末はどうかと、出版企画書の提案をいくつ か貰った。しかし、 「私はノウハウを書くのはやりたくない」という理由から話がかみ合わ なくなって、今回はなしということで話合いは半年で終了になった。 それから、今度は自分が書きたいものを書くぞ!という気持ちが芽生え、2008 年 8 月、私 が独立するまでのメンターとのメールのやりとりを書いた『かないずむ』小冊子を発表した。 小冊子と言う割に、1 冊の末を意識した形でP269 ページとなった。 予定通り『かないずむ』がネタとなって、知人から有名な出版社を紹介された。知人も一緒 になって私を売り込みに行ってくれた。編集者の方も大変気に入ってくれて「堀口さんをベ ストセラー作家に育てます」と言ってくれた。しかし、数回ミーティングをしても「私の書 きたいものではないので」と結局うまくいかなかった。その後もその知人は『かないずむ』 をとても気に入ってくれたので、 ベストセラー作家の人が集まる会や出版記念パーティーへ も誘ってくれた。 2008 年 10 月、お茶の水で、ある出版記念パーティーがあった。とにかく『かないずむ』の ことをベストセラー作家のあの方に知ってもらう機会になるからと、 知人に言われてお誘い について行ったのだ。 会が始まって、1 時間くらいしたころ、編集者のMさんが来ていることがわかった。 1 年ぶりの再会だった。あの時、 「私の書きたいのがない」と言ったのに『かないずむ』を 書いたので、はっきりいってばつが悪かった。 しかし、Mさんは、ばったり会ったことを嬉しそうな様子で話しかけてきた。 「あ、堀口さん、お久しぶりじゃないですか!『かないずむ』読みましたよ」 「あ、ありがとうございます」私は何を話していいか困ったが、 『かないずむ』を読んでく れていたんだ、とありがたい気持ちになってちょっと安心した。 その近くにベストセラー作家のあの方もいらした。 「出版企画書を読みましたけど『かないずむ』売れそうですね!」と声をかけてもらった。 『かないずむ』が、なかなか評判になっていて、苦労して書いてよかったと思えた。 翌日、Mさんからメールが届き、 「久しぶりにブレストの相手をさせてください!」と書い てあった。前回、終わったものと思っていたので、そのメールには驚いた。折角なので、 お会いすることにした。 久しぶりに話したら、 いろいろなネタが増えていることに気づいた。 ところが、今回もしっくりこず、逆に出版自体を諦める結未になった。しかし、Mさんは、 あれからもブログを読んでくださっていたことを知って、私のコンテンツ作りにおいて、構 成の切り口から相談に乗ってもらうことにした。Mさんは、 「よい著者はコンテンツがしっ かりしている」と言うことを話してくれて、承諾してくれた。 2010 年 3 月。ある出版セミナーで、売れている著者の話を聞いた。 「自我を消して消して消 すことです」 。この言葉が胸に刺さった。 『つまりは、自分ってわからないくらいの文章を書 くことなのか?』とブログも書いては消して、書いては消してを繰り返した。新 HP 制作も 削る作業だった。案内文に自分の「思い」を書くのは、相手に必要がない気がした。どう書 いていいか分からなくなって、MさんにSOSを求めた。代わりに書いてもらった部分もあ る。冷静な意見でいつも救われた。次第に私の体験を話すセミナーも辞めた。「私」という 主語が消えていく。消すべきと思った。 『私は私のままでいいのか?』いつも不安だった。 2010 年 7 月。次に何をしたらいいか分からなくなった私は、とうとう新しい目標を「出版」 に設定した。2 年ぶりに「末を書きたいのですが」とMさんに伝えた。「堀口さんがそのう ち書きたいことが出てきたら」と言ってもらっていたので、色々考え始めてくれた。 Mさんは、編集者 3 年目に入り、手がけた書籍は、結果も出始めているようだった。 8 月。末のことを考えてみたり、類書を読んだり、細かな作業をしていた。ある芸能人のト ークライブへ行った時、私は情熱も薄いし伝えたいメッセージが不明確だと気づかされた。 その体験で、目指すべきところが見つかり安心した。そして、今年は長期の旅行に行くのも やめて、もう、とことんやる。と決めた。なので今年最後の旅行として、1 泊 2 日だけだが、 家族旅行へ行った。しかし、なぜか両親を見ているとイライラすることがあり、無愛想な態 度を取ってしまった。まるで、子供のころの不機嫌な私に戻ったようだった。 案の定、母からメールが来た。 「不機嫌な態度をしていたけど、それはあなたのわがままで す」と。私は、謝って「でも、わがままな自分が好きです」と返事をして何かが収まった。 ある日、気分転換で銀座を歩いている時に、自分が何を食べたいのかもわからなくなってい ることに気づいた。どこの道に進みたいのかもわからない。辿りつきたい場所が見つからな い自分にびっくりした。そして、2 年ぶりにカウンセラーをしている知人の男性に相談しよ うと急に思いついた。以前、 『かないずむ』を書いたときに、 「なかなか世の中に発表を出来 ずに拒み続けているのはなぜか?」その葛藤の理由が明らかになって、『かないずむ』が発 表できたから、また今度も突破口を見いだせるのではないかと期待を込めて電話した。 「こんにちは、お久しぶりです。急なんですが明日とか?」 「あ、明日大丈夫ですよ。では、新宿のヒルトンホテルのカフェでお願いします」 予約をしてから、安心したのかノートに今の気持ちを書きだした。 ずっと気になっていることがあった。妹は決断がいつもゆっくりで、自分の部屋の机を買う のに 2 年かかるタイプだ。そんな妹と一緒に行動する旅行中などは、イライラすることも多 かった。だんだんとその考えを理解し始めていたが、まだ完全ではなかった。しかし、もし かしたら、それが私に必要なことかも…と思って「ゆっくり考えること」と書いた。 翌日、夕方過ぎの新宿ヒルトンのカフェにて。 「お久しぶりです。いいタイミングでいらっしゃいましたね。私もあれからずいぶんと変わ りまして、こちらに来る前から、堀口さんのことをなんとなくみていたんですけど、今日は いきなり思ったことを話していくスタイルで行きたいと思うんですけれど・・・」 「はい、わかりました。それでお願いします」 私の話は一切聞かれていないが、第一声が、 「アプローチを変えなさい」だった。 いきなり言われて意味がわからなかった。言ったご末人もおそらくわかっていなかったと思 われる。話が進んでいき、アプローチを変えなさいの意味がだんだんと浮き彫りになってい った。 「たとえば南の島へ行って、ただカフェでのんびりするとか。ゆっくりしないと自分の内側 からの欲求がわかりませんよ」 「やっぱり、ゆっくりが必要か…。うーん、最近何が食べたいのかもわからなくて…」 「そうですか。それに堀口さんは、いつも色々とご自身で立てた目標を達成してきましたけ ど、ただ末当に予期しない結果と言うものは、自分の内側からの欲求の時に起こるのです。 目標を決めてしまうと、決めたところまでしか行かないので、可能性を狭めてしまいます。 セオリーどおりの方法だと、それ以上のサプライズは起きないですよ」 「確かに。ベストセラー作家の人だって、はじめから 100 万部とか狙って作れるわけないで すもんね…そういう数字は。そういうのが予期しない結果なんでしょうね。そっか、私はい つも予定通りの結果しか生み出してこなかったということか…」 「まあ。旅行にでも行ってゆっくりしてください。何もしないとか」 「旅行とかね…じゃあ、滝にうたれに行こうかな?」 「また、そういうんじゃなくて。 (笑)何もしないことですよ。コントロールしないことで すね。コントロールばかりするといずれ燃え尽きちゃいますよ」 「そうか、何もしないか…わぁ、なんか、それは自分が一番苦手なことで怖いですね。 でも逆のアプローチを考えるならば、それが一番逆ですね」 「それに、堀口さんの長年の癖なんですが、自己否定が多いみたいですよ」 「え?そうですか?」 「はい、自分の宝物は過去の中にあるのに、いつも新しいこと、新しいことってやっている のは、きっと痛みも伴うのに、そういうとき、悲しい気持ちに上からペンキを塗っているか のように」 「えええ!創造と破壊を繰り返すことは、悪いことではないと思っていたのに・・・」 「それが、自己否定になっているんですよ。今の自分はだめだから新しいことを始めなくち ゃって…」 「そうか・・・そういうことなのか」 「堀口さんがゆっくりされることで、ご自身のコーチングにも変化が現れて、引き出すもの が変わるでしょうね。もうコーチングとは別のものになっているかもしれませんよ(笑) 」 90 分のセッションが終了した。すぐには呑み込めていなかったので、録音した音声を何度 も聞いた。その方の発言に近い類書を 3 年前から持っていたが、今更ながらよく読んだ。 そして、私にとっての「アプローチを変える」についてノートに書いた。 「ゆっくりする」 、 「コントロールをして達成するやり方を手放す」、 「自分の内側からの欲求 が出てくるまで待つ」 「末当に欲しいものを買う」 、 「 、隠れた自己否定をみつける」と決めた。 旅行禁止にしていたが、ゆっくりするために与論島とパリの旅行の手配をした。 コントロールを手放すために、ネット広告費を 70%削減した。 ブログやメルマガは書きたいことが出てくるまでゆっくり待つことにした。 納品するまで数カ月かかるような自転車をゆっくり選んで予約した。 仕事を積極的に取らないことで収入はどうなるかと不安に思ったが、 これまでがんばってき たので、現実的には大丈夫だった。段々と『ゆっくりが怖い』というのも変な思い込みであ ることに気づき、 「ゆっくりしないとやりたいことがみつかりませんよ」と、いつか自分の 口から言えるようになりたいと思えた。こうして、私の『ゆっくり』実験が始まった。 9 月、フリーで司会業をしている方が『90 日コーチング』を申し込んできた。 その方のHPを開くと、末を何冊も出しているし、色々と実績もありそうだった。 だから「どんな悩みなのか?」と疑問に思った。 「こんにちは。90 日コーチングをお願いしようと思っている○○です」 「テーマは何にしようと思ってますか?」 「私、燃え尽き症候群なんです。次に何をしたいのか?わからなくて」 「え!!!なんと!ちょっと前の私と全く同じ!それはですね、 ゆっくりしないとわからな いんですよ。何もしない。そうしているうちにやりたいことわかってきますから」 「え?そうなんですか!ゆっくりしていいんですか?えーーー!」 なんと、自分と同じ状態のクライアントだった。私の方が一歩だけ先にゆっくりし始めてい た。だから、その言葉に説得力を感じたらしく彼女もゆっくりするようになった。 ある日のセッションで彼女が言った。 「梨花さんのブログを見ていた時に梨花さんが、 『私の 目標は、ずっと表紙を飾ること』って書いてあって、それを見た時に、私もそれかも!って 思えたんです。今まで、森の中に入って、 『木の実はないかな?』って探してきましたけど、 探していたものは、足元にあった!みたいな感じです。灯台もと暗しですね」 それを聞いて、私は「相談に乗ること」を一生続けていくことだと思った。そしてこれから は「短距離よりも長距離の考え方」かもしれないと新しいアプローチが浮かんだ。 私がこの考え方に気づいたら、2 年半クライアントの maya さんが、ご主人と 3 年以上別居 中であり、話合いをなぜか避けていることに急に焦点を当てるセッションになった。maya さんも短距離タイプだった。私が、 「旦那さんは別居中といってもずっと待っていてくれて いる様子だから、きっと長距離的な考えを持っているし、きっと話してみたらわかりあえる こともあるかもしれない」と、向き合うことについて背中を押した。 そして、maya さんは 4 年ぶりに家族とお正月を過ごすことができたのだった。 9 月下旪。映画『インセプション』を観た時に、 「過去の感情の朩完了を過去に戻って癒し ていく」作業のことが、なんとなくわかり、過去のいろいろな失敗についてを考えてみた。 そして、その晩夢を見た。 マクドナルド店舗社員時代、嫌悪感を持っていた店長が出てきたのだ。 仕事を何でも振ってくるタイプの店長で、お店の状況はそんなに悪くないのに、 異動直後からどんどんお店のレイアウトを変更し、みんなに反感を買っていた。 そこに登場していたのは、マクドナルドの制服を着ている今の私だった。 私は、店長の話を最後まで聞いてあげられていた。 あんなに話しにくかった店長に向き合えていたのだ。 目が覚めた。 「そうか!今の自分が過去のその時点へ行けば、うまくできるんだ」 。温かい涙が流れた。 そして、あの時は、 「話を最後まで聞く」ということを知らなかっただけだ。そう思えると、 あれから精神的に成長できた自分自身を大きくねぎらうことができた。 その体験をした後、皆がそれぞれに過去の罪悪感や自己否定を持っていることに気づいた。 「あなたは悪くないです」 、 「あなたも相手も悪くないです」とお伝えするたびに涙が流れ、 みんな癒されていた。過去は変えられると思えた。 与論島旅行は 10 月に決めた。目的は何もしないこと。 鹿児島で学校の先生をしている女性クライアントの方が、与論島に赴任になる話を聞いたと き、いつか行きます!と言っていたから決めた。基末一人旅で、お会いできるならご飯をご 一緒していただくことをお願いした。 そのころ、ゆっくりする計画として、毎日映画鑑賞をしていた。 『かもめ食堂』を観た時に、ゆっくり好きなことをすることで、自然と望みが叶うストーリ ーに共感をしたので、同じ監督の映画『めがね』を鑑賞した。 すると、その主人公も南の島で「たそがれ」をするという趣旨で、私と目的が似ていたこと にもびっくりした。しかも場所は、与論島だった。 この 2 末でゆっくりすることへの苦手意識がだいぶ薄れた。 旅行前に、Mさんに末のミーティングをお願いした。何もしないと言っても、題材を決めて おくことだけはしたかった。気分も新たにいつもと場所を変え、ガラス張りで川が見える心 地よいソファーのある空間へ行った。Mさんは「セルフイメージについて書くのは、堀口さ んのこれまでのご経験を生かせて書けそうではないですか?」と題材をくれた。 いつも断り続けていたので、今回は、アプローチを変えてひとまず考えてみることにした。 それから、これまでのクライアント 150 人にメールを出して、意見を頂いてから、目次を 50 個ほどあっという間に作った。次第に、このテーマは、結構向いているんじゃないかと 思い始めていた。 そして与論島の旅へ。 2 日目。 「何もしない」を実行した。 丘の上から海が見える『海カフェ』がお薦めと、クライアントの方に教えてもらって、自転 車で行った。与論島は観光地らしくなく、全く標識がない。道を聞こうとしても人も見えな かった。ホテルから 20 分くらいの距離であったが、道に迷いながらどうにか着いた。 カフェについたら、深津絵里似のおねえさんが一人で営んでいるらしく、メニューには 「混雑している時はお料理が遅くなりますのでご了承ください」と書いてあった。 お客様のペースよりも、マイペースで営んでいるカフェにどことなく愛着を感じた。 「私はここで何もしないで数時間過ごすことができるのか?」。窓の外を見ると小雤が降っ ていた。白いギリシャ風の建物にピンク色のブーゲンビリアがとてもまぶしかった。相変わ らず、ブログに載せるためと、三脚を立ててまで自分が端っこのほうに尐し入るように構図 を決めて、自動シャッターで写真を撮ったり、活動をしていた。オーダーしていたピタサン ドとふわふわ泡立っているギリシャ風アイスコーヒーがきた。また写真を撮った。 そして、ノートを開いてみたが、何も書く気は起こらない。 「そうだ、何もしないんだ」。 まだ慣れていなかった。 小雤が続いていた。自転車なので、 これではカフェから出られない。 やがて 1 時間くらい経ってから、父と 20 代息子とみられる二人が入ってきた。海が一望で きる外のテラス席に座り、 息子がカフェを開く夢を父に語っていた。それを見た時に思った。 「私が今ここにいることは夢が叶っている状態だ」と。 「好きな時間に好きなところにいつ でも旅行ができるようになりたい」 とそういえば思っていたのだ。 わたしの幸せに気づいた。 『海カフェ』はお気に入りすぎて、次の日も最終日も寄った。食事はすべておいしかった。 与論島で何もしていないのに、そんな時に限ってメールの返事に忙しくなった。DVD教材 も自然と売れたが、別に気にならなくなっていた。また、クライアントの先生と同僚の方た ちにコーチングで自然とお役に立てた。そのままでいい気がした。 旅から帰って 10 日後、編集者のMさんからメールが来た。 「突然のことでたいへん恐縮ですが、営業部へ異動することになりました。これまでいろい ろお話しをうかがう時間と機会を頂戴しながら、企画にまとめられず、力不足で申し訳あり ません。これを機会に、あらためて自分のキャリアについて考えてみます」と。 このタイミングで全く予期しないことが起こった。 この流れの意味がすぐにわからなかった。 もう相談できなくなるのかと思ったら悲しくて涙が止まらなかった。 ただ受け入れるしかなくて「私も 27 歳のときに転機がありました」と返信した。 数十分後、Mさんから前向きに考え直した様子でまたメールが来た。 「営業も知ることで、 より良いアドバイスもできると思います」とMさんらしい返事だった。 こんな時に『これからも続く』という返答は、私には思いつかない言葉だった。 そして、 『勝手に終わりにしようとした私は何なんだ?』とハッとした。 早く決断をしたがる。いつもそう…。 勝手な自己完結で、過去の悲しくなったシーンが蘇ってきた。 アパレル店長時代、セールスアップの要として運営していたお店のブログを突然辞めた。 会社から 1 週間に 3 回電話がかかってきて、 「○○の商品はブログに載せないでほしい」 と言われたときに、怒られた罪悪感と悲しみがごっちゃになった勢いで「はい、わかりまし た。今日で私はブログを辞めます」と上司に言った。上司は「辞めなさい」とは言っていな いのに…。その時、周りに知人もいて、私が電話であまりにもキッパリと言ったから、びっ くりされた。そして人気ブログだったのにもかかわらず、その日に辞めた。いや、辞めてや った。独立する流れに誘われているのだと信じた。そして、すぐに次のブログを作った。 お客様からは、エールのコメントばかりを頂いた。 そこに隠れた自己否定を見つけた。 「悲しいのに」すぐに「悲しくない」ことに上書きするわたし。 行動力と決断力は確かに大切だが、私の場合、前進のエネルギーが強すぎて、その時の感情 が置き去りになっていた。ビジネスの世界では、 「悲しんでいる場合じゃない」と思った。 そのパターンに慣れていた。するとなぜか、コツコツとやってきた日常よりも、終わりを告 げられた方の記憶だけが罪悪感として残っていった。過去のいくつかの「悲しい」気持ちと 「コツコツやってきた私」をどうやら置き去りにしてきたらしい。 29歳の頃、悲しすぎる失恋をして17歳上の男性に相談したことがある。 「何でこんなに悲しいのでしょうか?」 「幸せな気持ちを感じられるためだよ」 あの頃は、大人の回答過ぎてわからなかった。 ある日曜日の夕方だった。 「悲しみを感じ尽くしてみたら?」と心の中から声がした。 体をソファーに預けて数時間うずくまった。うずくまるほど動けなかった。 そして、現在の「悲しい」から、過去の「悲しい」へと記憶の階層が下にワープした。 子供の頃、無愛想と言われたこともあった。 親や周りは、それではいけないと私に言ってきた。 高校時代、周りがそのままの私を見てくれてないことに拗ねていたこともあった。 しかし、何があろうとも自然体のままでいた。これでいい確信があった。 大学時代のアルバイト先でできた友達はとても自由奔放な子で、 正直な私を見抜いてくれた。 彼女のおかげで、自分らしさを認められるようになった。 そう、自分が自分のままで見てもらえないと感じることがとても悲しかった。 自然体のままでいることで、人から助けてもらうことも多かった。 小 1 のころ「ひとみちゃんは、学校で何して遊んでるの?」と母に聞かれ、 「ひとりで遊んでるの」 と平然と答えたわたしに、 母は驚いてお誕生日会を企画してくれた。 マクドナルドからアパレルに転職するときは異業種で不安だったが、面接の時に「そのまま の私」を評価してくれたのは社長だった。店長のときは、私の勝手なブログ運営を会社が黙 認してくれた。そして部下、お客様、知人が相談に乗ってくれたおかげで結果が出せた。 独立するときは、メンターがたくさん現れて自然と流れに乗った。 今は、クライアントの方々に『ひとみずむ』を書いて頂いている。 私が困った顔をしていると周りに人が自然と集まってくる。 私が先に見つけたのか?向こうからやってきたのか? どっちが先なのかもわからないくらいに、それは自然な現象だった。 保育園の庭で黙々と遊んでいる 4 歳頃のわたしがイメージに浮かんだ。 「そのままでいいんだよ、その素直さは、大人になったらすごく得するんだから!」 と伝えた。 (どうも分かっているようだった。私が確かめに来たのか!) そのままで愛されていることに気づくこと。 それが自我の消えた状態なのではないか? 今は、無愛想に写っている自分の写真が好きだ。 悲しい時は、悲しい顔のままでいさせてほしい。 「悲しい」気持ちを感じられるほど、聞こえなかったことが聞こえてくるようになった。 過去から今までの自分を深く見つめるほど、相手の中にも答えを見つけた。 それが、今回の『ひとみずむ3』の内容の変化に現れている。