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アジア通貨の過小評価が米貿易赤字の一因
SCB SHINKIN CENTRAL BANK 内外経済・金融動向(月刊) No.18−5 (2006.8.16) 総合研究所 〒104-0031 東京都中央区京橋 3-8-1 TEL.03-3563-7541 FAX.03-3563-7551 URL http://www.scbri.jp アジア通貨の過小評価が米貿易赤字の一因 ∼ドル暴落回避のためには人民元を中心にアジア通貨の調整が必要∼ 視点 米国の経常収支赤字は年々増大し、05 年は対GDP比で 6.4%と史上最悪の水準に達した。 米国の巨額な赤字はアジアや中東産油国などからの対米資金還流によってファイナンスされ ているが、今後、この構図が揺らぐ可能性も否定できない。 何らかの要因でドルへの信頼が揺らぎ始めれば、米国からの資金逃避→ドルの暴落→国際金 融資本市場の混乱→世界経済の停滞、という負の連鎖が発生するリスクは常に存在し、それが 世界経済に大きな悪影響をもたらすことが懸念される。 米国の経常収支赤字問題を軽減するためには、米国が過剰需要を抑制することが最優先課題 であるが、加えて、米国の貿易赤字の4割以上を占めるアジア諸国・地域の対応も必要であろ うと思われる。そこで、本稿では対米貿易黒字是正のためのアジア主要国・地域の通貨調整の 可能性について検討するとともに、アジア経済の構造調整の重要性について言及した。 要旨 米国の経常収支赤字は、米国の貯蓄不足が最大の原因であるが、同時に近年のドル高の進行 もそれを助長している。特に、アジア通貨は 94 年の人民元の大幅切下げ、97 年のアジア金 融危機を契機に対ドルで大幅に減価しており、それが対米貿易黒字拡大の一因となっている。 アジア通貨は、一物一価の購買力平価、相対的購買力平価、ポートフォリオ・バランス・ア プローチなどの尺度からみて、明らかに過小評価の状態にあり、対ドルでの上昇余地は大き いと考えられる。 今後、アジア諸国・地域は、通貨調整や内需拡大を通じて米国を中心とする国際的なインバ ランス解消に貢献すべきであり、中国が主体性を発揮することが1つのカギである。 人民元改革は緩やかに進展しているものの、貿易黒字の拡大や国内の過剰流動性発生による インフレ圧力を考慮すれば、改革テンポを加速すべきである。 キーワード 米国の経常赤字問題、アジアNIES、ASEAN−4、購買力平価、人民元改革 ©信金中央金庫 総合研究所 目次 はじめに 1.米国の経常収支赤字とアジア経済の関わり (1)米国の経常赤字と貯蓄不足 (2)ドル高の進展による貿易赤字の拡大 (3)望まれる米国の自助努力とアジアの責任ある対応 2.アジア通貨切上げの可能性と内需拡大 (1)一物一価による購買力平価 (2)相対的購買力平価による適正レート (3)ポートファリオ・バランス・アプローチによる推計 (4)通貨切上げと内需拡大の実現 3.人民元改革の評価と今後の見通し (1)緩やかに進む人民元改革 (2)内外から高まる人民元高圧力 おわりに はじめに 米国の貿易赤字が拡大を続けている。05 年の貿易赤字(通関ベース)は 7,675 億ドル となり、近年で最も収支が均衡へ近づいた 91 年(670 億ドル)に比べて 11.5 倍も増加 した。06 年1∼6月の米国の貿易赤字も 3,954 億ドル、前年同期比 13.5%増となり、 貿易不均衡に歯止めがかからない状況が続いている。 05 年の国・地域別の赤字額をみると、中国が 2,016 億ドルと最大となったほか、日本 が 827 億ドル、ASEAN−4(マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピン)が 472 億ドル、アジアNIES(韓国、台湾、香港、シンガポール)が 159 億ドルを記録し、 これらのアジア 10 か国・地域だけで米国の貿易赤字の 45.3%を占めている。 貿易赤字を中心とした米国の巨額な経常収支赤字は、アジアや中東産油国など黒字 国・地域を中心とした対米資金還流によってファイナンスされ続けている。実際、05 年 の対米証券投資1は累計で1兆 107 億ドルに達し、同年の貿易赤字の規模を大きく上回っ ている(06 年1∼5月は 4,192 億ドル)。 しかし、米国が巨額の借金をして世界の財・サービスを購入し、世界が米国の借金を 肩代わりするというサイクルの永続性を保証するものは何もない。 基軸通貨としてのドルの信頼性は、米国の経済ファンダメンタルズの良好さ、民主主 義を基盤とした政治・社会の安定性、世界の警察としての国際社会への貢献度・影響力 の高さ、などに裏打ちされているものと思われる。 ただ、一旦、何らかの要因でドルへの信頼が揺らぎ始めれば、米国からの資金逃避→ ドルの暴落→国際金融資本市場の混乱→世界経済の停滞、という負の連鎖が発生するリ スクは常に存在する。負の連鎖は、97 年夏以降のアジア金融危機ですでに経験されたも のだが、米国がその中心になるという点で、世界経済への悪影響の大きさはアジア金融 危機の比ではなくなる。 1 米国の期間1年以上の債券および株式の買越し額(外国人の買い−外国人の売り)。米国の短期債および米国で取引されている外 国の債券、株式を含まないベース 1 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 いまのところ、負の連鎖を回避する明確な処方箋はないが、米国が財政赤字の縮小な どを通じて過剰需要を抑制することが最優先課題であることは論を待たない。それに加 えて、米国の貿易赤字の4割以上を占めるアジア諸国・地域の対応も必要であろうと思 われる。 そこで、本稿では対米貿易黒字是正のためのアジア主要国・地域の通貨調整の可能性 について検討するとともに、アジア経済の構造調整の重要性について言及した。 1.米国の経常赤字とアジア経済の関わり (1)米国の経常赤字と貯蓄不足 米国の経常収支は、82 年以降、赤字を計上するようになったが、91 年にはわずかに 黒字転換した。この背景には、湾岸戦争支援のために各国が拠出金を支払ったために、 移転収支が黒字化したことに加えて、85 年のプラザ合意、87 年のルーブル合意など日 米欧主要国による緊密な政策協調を通じてドル高是正が進んだことがある。 しかし、90 年代半ば以降、米国の経常赤字は再び拡大に歯止めが掛からない状況とな っている。経常収支の対GDP比は、97 年まで▲1.5%前後で推移していたが、その後 は悪化の一途をたどり、05 年には▲6.4%と史上最悪の水準に達した(図表1)。 経常収支赤字の第1の要因は、米 (図表1)米国の双子の赤字と家計貯蓄率、ドル 国の貯蓄不足である。特に、家計の 実効レート (%) (97年=100) 貯蓄率は 92 年の 7.7%から 05 年には 10 140 家計貯蓄率 ドル実効レート(右目盛) 8 ▲0.4%のマイナスへ転落した。家計 120 の貯蓄率が急低下している背景には、 6 100 4 ①高齢化の進展により高齢世代が貯 80 2 蓄を取り崩していること、②経済の 0 60 -2 好調持続で人々が将来の所得増加を 40 -4 楽観視し、消費性向が高まっている 20 -6 経常収支対GDP比 こと、③長期金利の低位安定と住宅 -8 財政収支対GDP比 0 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 価格の上昇から、多くの人が住宅ロ (備考)『OECD Economic Outlook No.79』、FRB 資料により作成 ーンの借換えや住宅価格の上昇分を 担保とした借入れを実行し、金利負担の低下分や新規ローンで得た資金を消費に回して いること、などがあると言われている。 財政収支の赤字拡大も、米国の貯蓄不足、経常赤字拡大に拍車をかけている。米国財 政は、90 年代の長期にわたる好況持続による自然増収や財政再建努力の結果、98∼00 年の3年間、黒字化を達成した。しかし、その後再び赤字へ転落し、05 年は対GDP比 で▲3.8%となった。財政の悪化をもたらした最大の要因は、01∼04 年まで毎年実施さ れたブッシュ減税である。また、03 年3月に始まったイラク戦争などによる軍事費の拡 大も財政悪化を助長した。 (2)ドル高の進展による貿易赤字の拡大 米国の経常収支赤字の第2の要因は、ドル高の進行に伴う米国の輸出競争力の低下で ある。ドルの相対的な価値の変化を示す実効為替レート(97 年=100)は、経常赤字が 2 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 黒字転換した 91 年の 74.3 から 05 年には 110.8 となり、この間の上昇率は 49.1%にも 達した2。 ドル高は、米国景気の長期持続的な好調を反映したものであり、米国における高い投 資収益率が膨大な経常赤字を上回る外国資金を自国へ誘引し続けた結果である。 アジアにおける大幅な通貨調整も、ドルの相対的価値を押し上げた一因になったもの とみられる。実際、91 年以降、日本円を除くアジア主要通貨は対ドルで大きく減価して いる(図表2)。 (図表2)アジア主要通貨の対ドル相場の推移 まず、アジア通貨安の先鞭を (91年1月=100) つけたのは中国の人民元である。 160 日本円 94 年1月、中国政府は為替制度 140 通 改革を断行、公定レートと市場 貨 高 120 114.6 レートに分かれていた二重為替 100 相場を統一すると同時に、人民 91.9 元の対ドル相場を 33.2%切下げ、 通 80 アジアNIES通貨 65.7 1ドル=5.8245 元から 8.7217 貨 安 60 57.9 元とした。また、事実上の対ド 中国人民元 ASEAN-4通貨 40 ル固定レートが採用され、これ 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 は 05 年7月の人民元改革まで継 (備考)1.アジア NIES は、韓国、台湾、香港、シンガポール。ASEAN-4 は、 タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン 続された。 2.アジア NIES 通貨および ASEAN-4 通貨は各国・地域通貨を 05 年の貿 易総額で加重平均して算出 05 年7月の人民元改革では、 3.ブルームバーグにより作成 人民元の対ドルレートを約2% 切り上げると同時に、事実上の対ドル固定相場制を放棄し、通貨バスケットを参考とす る管理フロート制が採用されることとなった。しかし、人民元改革後の 1 年をみても、 人民元の対ドル相場は切上げ直後から1%強しか上昇しておらず、大きな成果があった とは言い難い状況にあり、94 年以降の人民元対ドルレートの大幅安は継続している。 97 年夏場には、アジアNIES、ASEAN−4の通貨が急落した。アジア金融危機 は、97 年7月2日、タイがそれまでの通貨バスケット制から管理フロート制へ為替制度 を変更したことを契機に発生し、同月中にはマレーシア、インドネシア、フィリピンへ 飛び火した。その後、同年 11 月には韓国へも危機が拡大、台湾、香港でも通貨の下落 圧力が強まるなどアジアNIESへも波及した。なかでも、タイ、インドネシア、韓国 の3か国の状況は深刻で、自力での通貨防衛が不可能となったことから、IMFを中心 とした国際金融支援を仰ぐに至っている。 アジア金融危機の原因は、国別要因とアジアに共通な要因の2つに分類することがで きる。前者としては、①タイにおける不動産バブルの崩壊、②インドネシアにおける政 治不安、③韓国における財閥の経営破たん、などが指摘できる。後者としては、①国際 収支の悪化、②巨額な対外短期債務の存在、③国際資本取引の自由化の進展、④金融セ 2 FRB が発表している The Broad Index。米国の主要貿易パートナー26 か国・地域通貨の対ドル相場を 97 年=100 として貿易ウエイ トで指数化し、ドルの相対価値を算出したもの。26 か国・地域のなかには、日本、中国のほか、アジア NIES(韓国、台湾、香港、 シンガポール)、ASEAN-4(マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピン)が含まれる。 3 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 クターの脆弱性と金融機関のモラルハザード、などがある。 アジア金融危機は、これらの要因が複合的に働いて経済に対する信認の喪失をもたら し、資本の流出→通貨下落→為替差損による企業損失の発生→不良債権の増加→金融不 安の高まり→信認の喪失、という悪循環に陥ることによってもたらされたものである。 金融危機後のアジア経済は、国際金融支援を通じた通貨安定、不良債権処理を中心と した金融システム改革の進展、大幅な通貨安をテコとした輸出拡大、などによって次第 に活力を取り戻し、00 年以降、景気は順調な回復軌道をたどっている。 この間のアジア通貨の対ドル相場をみると、アジア金融危機が発生した数か月でアジ アNIES通貨は約2割、ASEAN−4通貨は5割強下落した後、長期にわたって低 位安定状態が継続し、経済ファンダメンタルズの改善が大幅に進んだにもかかわらず、 目立った水準訂正の動きはでていない。 アジア通貨の対ドルでの大幅 (図表3)アジア主要国・地域の対米貿易黒字 減価は、アジア諸国・地域の輸 (億ドル) 3,500 中国 出競争力の向上、米国の対アジ ASEAN-4 元 ア アジアNIES ア輸出競争力の低下をもたらし、 3,000 の ジ 日本 大 ア それが貿易収支の不均衡を増幅 2,500 幅 通 切 貨 2,000 下 危 させる結果をもたらしている。 げ 機 1,500 図表3は、アジア主要国・地 域の対米貿易黒字の推移をみた 1,000 500 ものである。90 年以降、日本の 0 対米黒字は、円の対ドル相場が 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 強含みで推移したこともあり、 (備考)1.アジア NIES は、韓国、台湾、香港、シンガポール。ASEAN-4 は、 タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン ほぼ横ばいとなっている。一方、 2.米商務省資料により作成 中国の対米黒字は 94 年の大幅な 元切下げを契機として拡大の一途をたどっており、ASEAN−4も 97 年のアジア通 貨危機による通貨下落を追い風として対米黒字を着実に増加させている。 (3)望まれる米国の自助努力とアジアの責任ある対応 米国の経常収支赤字問題は、米国が世界一の経済大国であり、ドルが世界の基軸通貨 であることから、世界経済に大きな影響をもたらす重大な問題である。そして、この問 題をいかにソフトランディングさせられるかが、今後の世界経済の成長を大きく左右す る。したがって、米国の経常収支赤字問題は、米国一国だけの問題ではない。 また、米国の経常収支のインバランスは、米国以外の国の経常収支の不均衡でもある。 これは、単に国際的な貿易収支のインバランスだけでなく、国際的な資本流出入の不均 衡、国際的な貯蓄投資バランスの不均衡、を意味している。 国際的な経常収支の動向を対世界GDP比でみると、05 年時点で、米国が▲1.8%と なっている一方、日本を除くアジア+0.59%、日本+0.37%、ユーロ圏+0.07%となっ ている(図表4)。米国の赤字、日本とアジアの黒字という図式は長期にわたって継続 しており、景気変動による一過性の問題ではなく、構造的な問題として定着している。 4 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 この点から、米国を中心とする世 (図表4)日米欧および東アジアの経常収支対世界 GDP比 界の経常収支の不均衡問題は、日 1.0 本を含むアジアにも相当の責任が (%) 0.59 0.5 ある問題として理解すべきであろ 0.37 0.07 う。 0.0 国際資本収支の動きをみても、 -0.5 05 年の米国の対外純債務残高は対 東アジア 世界GDP比で▲6.88%まで拡大 -1.0 日本 する一方、日本の対外純資産残高 -1.5 ユーロ圏 米国 -1.80 は+4.37%、日本を除くアジアが -2.0 +2.68%となっている(図表5)。 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 IMFの予測によれば、10 年には (備考)IMF『World Economic Outlook』06 年4月により作成 米国の対外純債務残高の対世界G (図表5)日米欧および東アジアの対外純資産残高 DP比は▲13.39%まで悪化し、ア 対世界GDP比 ジアの対外純資産残高は+4.77% 6 4.77 (%) 4.52 と日本(+4.52%)を上回る規模 2 に達するとみられている。 -1.20 つまり、日本をはじめとするア -2 ジア諸国・地域は、今後も巨額な -6 対米経常収支黒字を積み上げ、そ 東アジア れで得た外貨資金を米国へ一方的 日本 -10 ユーロ圏 に還流し続けることにより、国際 米国 -13.39 -14 収支のバランスが維持されるとの 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 予測である。 (備考)1.06∼10 年は IMF の予測 2.IMF『World Economic Outlook』06 年4月により作成 しかし、国際的なインバランス が拡大すればするほど、米国の経 (図表6)東アジア経済におけるGDP、投資、消 常収支赤字がハードランディング 費、輸出の成長 によって是正されるリスクが高ま (90年=100) 300.0 ることが懸念される。 輸出等 271.0 GDP このため、国際的なインバラン 250.0 個人消費 スはできるだけ早く改善される必 固定資本形成 200.0 要がある。まずは、米国の自助努 力であり、国内の過剰需要を抑制 148.0 150.0 141.5 140.0 して、貯蓄不足を改善することで 100.0 ある。適度な金融引締め政策と同 時に、財政再建の道筋を明確にす 50.0 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 ることも重要である。 (備考)1.数値は 90 年価格のドルベースの実数を指数化 米国は対外債務を通貨の増発に 2.国連「National Accounts Main Aggregates Database」により 作成 よるインフレで解消することも可 5 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 能だが、幸いにして、FRBは通貨の番人としてきめ細かな金利調節によって、総需要 の抑制に乗り出しており、この面ではハードランディングが引き起こされる可能性は低 いと言えよう。 米国の赤字と表裏一体を成す黒字国・地域の不均衡是正も欠かせない。とりわけ、ア ジア諸国・地域における通貨調整は、現行の為替水準が経済ファンダメンタルズを十分 に反映していない可能性が大きい、とみられることから一考に価する。 さらに、アジアにおける内需拡大を通じた過剰貯蓄の改善も国際不均衡の軽減に大き な役割を果たすと予想される。90 年以降、アジア経済は輸出に大きく依存した経済成長 を続けてきており、内需の回復が遅れている(図表6)。今後は、アジア通貨危機の後遺 症から脱却して、内外のバランスを重視した安定成長を目指す必要があろう。 2.アジア通貨切上げの可能性と内需拡大 (1)一物一価による購買力平価 アジア諸国・地域の対米貿易黒字を是正するためには、アジア通貨の対ドル相場を適 度な水準まで切り上げることが考えられる。 現行の為替レートが割安か割高かを判断する代表的指標には、購買力平価アプローチ がある。購買力平価とは、各国通貨の購買力が等しくなるように為替レートが決定され るという考え方である。 1つの財を対象とする場合、同一の製品には同一の価値がある(一物一価の法則)こ とを前提とすれば、購買力平価は両国の同一財の相対価格となる(A国の価格÷B国の 価格=購買力平価)。 代表的な事例としては、英国エコノミスト誌が公表している「ビッグマック平価」が ある。これは、世界各国・地域のマクドナルドで販売されているビッグマックの価格を 単純比較したものである。ビッグマックが有用なのは、肉、野菜、バンズ、労働力など を組み合わせて世界のどの地域でもほぼ同質の製品が提供されているところにある。 06 年5月の公表データ (図表7)ビッグマックの販売価格による購買力平価 ビッグマックの価格 によると、例えば中国での ビッグマック購 06年7月末の対 通貨単位 (A)/(B) ドル相場(B) 現地通貨建て ドル建て 買力平価(A) ビッグマックの販売価格 米国 ドル 3.10 3.10 日本 円 250.00 2.18 80.65 114.67 -29.7 は1個 10.50 元である(図 ユーロ圏 ユーロ 2.94 3.75 1.28 1.2763 0.0 中国 元 10.50 1.32 3.39 7.9690 -57.5 表7)。一方、米国のビッ 韓国 ウォン 2,500.00 2.62 806.45 955.70 -15.6 台湾 NTドル 75.00 2.29 24.19 32.75 -26.1 グマックの値段は 3.10 ド 香港 香港ドル 12.00 1.54 3.87 7.7711 -50.2 Sドル 3.60 2.28 1.16 1.5791 -26.5 ルである。したがって、米 シンガポール マレーシア リンギ 5.50 1.50 1.77 3.6575 -51.5 タイ バーツ 60.00 1.59 19.35 37.84 -48.9 中のビッグマック平価は インドネシア ルピア 14,600.00 1.61 4,709.68 9070.00 -48.1 ペソ 85.00 1.65 27.42 51.52 -46.8 10.50 元を 3.10 ドルで除 フィリピン (備考)1.米国のビッグマック価格は、ニューヨーク、シカゴ、アトランタ、サンフ ランシスコの平均値。ユーロ圏はユーロ加盟国の加重平均値 した比率の 3.39 元となる。 2.The Economist Newspaper『The Economist』06 年 5 月 25 日号により作成 06 年7月末の為替相場1 ドル=7.9690 元と比較すると、ビッグマック平価に対して実際の人民元相場は 57.5% 過小評価されていることになる。 他の主要国・地域をみると、ユーロはビッグマック平価とほぼ同水準にあるが、日本、 6 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 アジアNIES、ASEAN−4の通貨は、人民元同様、ビッグマック平価に対して実 際の為替相場が大幅な過小評価になっている。 世界銀行が発表している購買力平価は、ビッグマック平価をさらに進化させたもので ある。世銀の購買力平価は、GDPを構成する百数十項目の財・サービス価格を多国間 で比較して算出している。 図表8は、アジア主要国・地域通貨の対ドル相場と世銀の購買力平価の推移をみたも のである。日本円の購買力平価は、04 年で1ドル=132.50 円であり、06 年7月末の実 際の為替相場1ドル=114.67 円は 15.5%の過大評価となっている。しかも、円相場の 過大評価の状況は、86 年以来 20 年間も続いている。これは、日本の輸出製品の価格競 争力が相対的に高い一方で、国内のサービスの価格競争力が低いことに原因があるとみ られる。ちなみに、ドイツの購買力平価は1ユーロ=1.1 ドルとなっており、7月末の 実際の為替相場1ユーロ=1.2763 ドルは購買力平価に比べて過大評価となっている。 一方、アジア通貨は、世銀の購買力平価に対して、すべて過小評価となっている。06 (図表8)アジア主要国・地域通貨の対ドル相場と世界銀行の購買力平価 ①日本円 0 (円/ドル) 100 200 300 400 75 78 81 84 ②韓国ウォン 0 (ウォン/ドル) 87 90 93 96 500 1000 1500 75 78 81 84 87 ③新台湾ドル 10 (NTドル/ドル) 20 30 40 50 75 78 81 84 87 ④香港ドル 2 (香港ドル/ドル) 4 6 8 10 75 78 81 84 87 ⑤シンガポールドル 1.0 90 90 93 96 96 0 6.0000 1.9000 87 90 93 96 99 02 05 1.8000 87 90 93 96 99 02 05 12.90 87 90 93 96 99 02 05 (ルピア/ドル) 2953.70 4000 8000 12000 90 (シンガポールドル/ドル) 1.5 93 ⑥人民元 0 (元/ドル) 2 4 132.50 6 8 10 99 02 05 75 78 81 84 ⑦マレーシアリンギ 0 (リンギ/ドル) 1 780.00 2 3 4 5 75 78 81 84 99 02 05 ⑧タイバーツ 0 (バーツ/ドル) 10 23.112 20 30 40 50 75 78 81 84 99 02 05 ⑨インドネシアルピア 93 96 99 02 75 78 81 ⑩フィリピンペソ 05 0 1.5000 84 87 90 93 96 99 02 05 (ペソ/ドル) 12.8000 20 2.0 40 2.5 60 75 78 81 84 87 90 93 96 99 02 05 75 78 81 84 87 90 93 96 99 02 05 (備考)1.購買力平価(太い折れ線)は、GDPを構成する財・サービスの価格により算出されたもの。細い折れ線は実際の対 ドル相場 2.台湾はペンシルバニア大学が世界銀行と同様の手法で算出した購買力平価 3.IMF『International Financial Statistics』、the World bank『World Development Indicators』、The Center for International Comparisons at the University of Pennsylvania 資料により作成 7 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 年7月末の為替レートと世銀の購買力平価を比較すると、韓国ウォン▲18.4%、新台湾 ドル▲29.4%、香港ドル▲22.8%、シンガポールドル▲5.0%、人民元▲76.2%、マレ ーシアリンギ▲50.8%、タイバーツ▲65.9%、インドネシアルピア▲67.4%、フィリピ ンペソ▲75.2%である。とりわけ、97 年のアジア金融危機以降、アジアNIES、AS EAN−4通貨は購買力平価とのかい離が大きくなっている。 ただ、現在のアジア通貨の対ドル相場が、一物一価の購買力平価に比べて極めて割安 だからと言って、購買力平価の水準まで切り上げるべき、と結論付けるのは早計である。 それは、一般的に、発展途上国の通貨ほど過小評価される傾向があるからである3。 貿易財については、国境を越えて取引されるため国際間の裁定が成り立ち、購買力平 価が成立する。しかし、非貿易財については、国際取引による裁定が成立しない。この ため、実際の為替レートは貿易財の購買力平価に近い水準に収れんすると考えられる。 発展途上国は1人当たり所得水準が低いので、個人向けサービス需要(ほとんどが非貿 易財)も先進国に比べて少ない。その結果、サービス価格は低位に抑えられ、財・サー ビスを総合した物価水準も一般的に低いことになる。したがって、GDPベースの購買 力平価は経済の実力以上に割高水準になる傾向がある。 逆に、先進国では貿易財部門の生産性向上によって輸出が拡大し、国民所得を増加さ せるので、所得効果により非貿易財に対する需要が高まり、非貿易財価格が上昇する。 この結果、GDPベースの購買力平価は実際の為替相場に比べて割安となりがちである。 結論的に言えば、ビッグマック平価も世銀による購買力平価も現在のアジア通貨が過 小評価されていることを示唆しているが、過小評価の程度については中国、アジアNI ES、ASEAN−4が未だ途上国段階にあることを踏まえて、割り引いて考える必要 がある、ということになる。そこで、以下ではアジア通貨について、別の方法を用いて、 適正レートを探ってみた。 (2)相対的購買力平価による適正レート 1つのアプローチとしては、相対的購買力平価がある。相対的購買力平価とは、貿易 収支が均衡していた年の為替レートが望ましい水準にあったと仮定し、その後の両国の 物価変動を踏まえて、年々の適正レートを推計し、実際の為替相場がこのベンチマーク に比べて割安か、割高かを判断するものである。ここで用いられる物価は、貿易財の価 格であり、具体的には生産者物価(卸売物価)や輸出物価である。 上述のような考え方に基づき、米国とアジアの貿易収支が最も均衡に近づいた 91 年 を基準年とし、各国・地域の生産者物価を用いて算出した相対的購買力平価が図表9で ある。中国の人民元、およびアジアNIES、ASEAN−4通貨は、相対的購買力平 価でみた適正水準に比べて、10∼30%程度割安となっている。 相対的購買力平価は、非貿易財価格の影響を排除し、貿易収支の均衡という観点から 適正レートの算出を試みている点で、一物一価の購買力平価よりも優れていると考えら れる。 3 なぜ発展途上国の物価が安いのかについては、貿易財部門と非貿易財部門の生産性の違いに着目したバラッサ=サミュエルソン効 果によって説明されることが多い。 8 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 しかし、相対的購買力 (図表9)生産者物価ベースの相対的購買力平価 平価も絶対的な指標で 生産者物価ベースの相 06年7月末の (A)/(B) 通貨単位 対的購買力平価(A) 対ドル相場(B) (%) はない。いつを基準年と 中国 元 7.0417 7.9690 -11.6 するか、どのような物価 韓国 ウォン 799.27 955.70 -16.4 台湾 NTドル 22.51 32.75 -31.3 指標を用いるかによっ 香港 香港ドル 5.8667 7.7711 -24.5 Sドル 1.4322 1.5791 -9.3 て、結果が大きく変化す シンガポール マレーシア リンギ 3.2694 3.6575 -10.6 るからである。例えば、 タイ バーツ 31.80 37.84 -16.0 ルピア 8225.06 9070.00 -9.3 韓国の生産者物価ベー インドネシア フィリピン ペソ 49.63 51.52 -3.7 スの相対的購買力平価 (備考)1.アジア主要国・地域の対米貿易黒字が最も縮小した 91 年を基準年とし、各国 の生産者物価を用いて算出。中国は資本財を除く生産者物価 は1ドル=799.27 ウォ 2.IMF『International Financial Statistics』により信金中金総合研究所推計 ンであるが、同じ 91 年 を基準年としても輸出物価を用いた場合は1ドル=676.20 ウォンが適正レートとなる。 相対的購買力平価は、1つのベンチマークとなり得るが、これも様々な角度からの分 析が必要である。 (3)ポートファリオ・バランス・アプローチによる推計 ポートフォリオ・バランス・アプローチは、相対的購買力平価を応用したものである。 為替レートは長期的には購買力平価に収れんすると考えられるが、実際の為替レートは その時々の経済ファンダメンタルズなどに応じて購買力平価からかい離して動いてい る。ポートフォリオ・バランス・アプローチは、こうしたかい離をもたらす要因、つま り為替変動リスクを加味したものである。 図表 10 は、ポート (図表 10)ポートフォリオ・バランス・アプローチによるアジア フォリオ・バラン 通貨の推計値 ポートフォリオ・バラ ス・アプローチによ 06年7月末の 推計式の (A)/(B) 通貨単位 ンス・アプローチ 対ドル相場(B) 決定係数 (%) による推計値(A) るアジア通貨の推計 中国 元 7.1351 7.9690 -10.5 0.852 ウォン 675.62 955.70 -29.3 0.614 値である。ここでは、 韓国 台湾 NTドル 21.21 32.75 -35.2 0.858 香港ドル 6.0408 7.7711 -22.3 0.934 生産者物価で算出し 香港 シンガポール Sドル 1.3107 1.5791 -17.0 0.754 リンギ 2.9924 3.6575 -18.2 0.641 た相対的購買力平価 マレーシア タイ バーツ 27.91 37.84 -26.2 0.646 ルピア 7687.01 9070.00 -15.2 0.756 を基準とし、それに インドネシア フィリピン ペソ 44.93 51.52 -12.8 0.591 米国の経常収支の対 (備考)1.LN(アジア通貨対ドル相場)-LN(生産者物価の購買力平価)=a-b(米国の経常収支 /GDP)-c(当該国・地域と米国の実質 GDP 成長率格差)として推計 GDP比、およびア 2.IMF『International Financial Statistics』により信金中金総合研究所推計 ジア各国・地域と米 国の成長率格差という2つの為替変動リスクを加味した場合の適正為替レートを推計 している。 ポートフォリオ・バランス・アプローチによる推計結果も、現行のアジア通貨が過小 評価されていることを示唆している。中国の人民元は1割強、アジアNIESは2∼3 割、ASEAN−4通貨は1∼2割程度割安であり、中長期的にみれば、アジア通貨の 対ドルレートが大幅に上昇する可能性があることを示唆していると考えられる。 9 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 (4)通貨切上げと内需拡大の実現 上述のような様々なアプローチの結果から、現在のアジア通貨の対ドル相場は割安に 放置されている、と考えるのが妥当であろう。今後、アジア通貨の切上げを通じて、ア ジア9か国・地域だけで米国の貿易赤字の3割以上を占めている現状を是正し、米国を 中心とする国際的なインバランスを軽減することは、アジア経済、ひいては世界経済の 中長期的な安定成長にとって非常に重要なことである。 この数年、欧米諸国による人民元切上げ圧力が高まっているが、アジアの特定通貨だ けが大幅に上昇しても、米国の経常収支赤字の大幅な削減にはなかなか結びつかない。 図表 11 は、各国・地域の実質成長率と為替レートの変化が米国の貿易収支に与える影 響を国連貿易開発会議(UNCTAD)が試算したものである。例えば、人民元の対ド ルレートが 10%上昇しても、米国の貿易赤字は対GDP比で 0.1 ポイント低下するにす ぎない。円の 10%上昇も、人民元と同等の効果しかない。 また、米国の貿易赤字の対GDP比が 1.0 ポイント低下するまで、人民元の対ドルレ ートを調整するとすれば、短期間に 96.3%もの切上げを実施しなければならない。これ は、中国経済に大打撃を与えることになり、現実的ではない。しかし、ドルの実効レー トを 8.0%切り下げることができれば、人民元を 96.3%切り上げるのと同等の効果が得 られる。さらに、世界経済の実質成長率を引き上げることによっても、米国の貿易赤字 が削減できる。 (図表 11)実質成長率と為替レートの変化が米国の貿易収支に この試算が示唆する 与える影響(単位:%) のは、国際的なインバ 米国の貿易赤字対G 項 目 DP比の変化幅 ランス解消には、先進 1.米国を除く世界の実質成長率が1%上昇した場合の効果 -0.2 国だけではなく、途上 2.主要国の為替レートが10%変動した場合の効果 ユーロの対ドル相場が上昇 -0.2 カナダドルの対ドル相場が上昇 -0.3 国も含めた世界的な政 人民元の対ドル相場が上昇 -0.1 -0.1 策協調が欠かせないと 日本円の対ドル相場が上昇 メキシコペソの対ドル相場が上昇 -0.2 -1.2 いうことである。アジ ドルの実効レートが下落 3.米国の貿易赤字を対GDP比で1.0ポイント低下させるために必要な為替レートの調整幅 53.1 アの対米貿易不均衡問 ユーロの対ドル相場上昇率 カナダドルの対ドル相場上昇率 37.9 題を緩和するためには、 人民元の対ドル相場上昇率 96.3 日本円の対ドル相場上昇率 105.9 圧力を受けている中国 メキシコペソの対ドル相場上昇率 64.1 ドルの実効レートの下落率 8.0 のみならず、アジアN (備考)UNCTAD『Trade and Development Report 2005』により作成 IES、ASEAN− 4の政策協調が必要である。 アジア金融危機を契機として、東アジア地域ではASEAN+3(日中韓)による2 国間通貨スワップ協定やアジア債券市場イニシアチブ4が推進されている。また、アジア 域内における自由貿易地域協定(FTA)の締結も進展している。今後は、こうした枠 組みのなかで、通貨・金融協調を一段と進化させ、アジア地域に係わるグローバルな問 題を解決していくことが望まれる。最終的には、「アジア通貨単位(ACU)」の創設 も考えられよう。 4 アジア債券市場の発展・育成のための技術支援、人材育成プロジェクト 10 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 ︵ ただ、通貨問題は総論賛成、各論反対に陥り易い問題である。当面、アジア地域にお ける明確な政策協調がむずかしいなかでは、地域への影響力の大きい中国がより大胆な 通貨改革を通じて為替変動を拡大させることが他のアジア諸国・地域の政策決定を促す 唯一の方法であろう、と思われる。 同時に、アジア諸国・地域が内需拡大を通じて実質成長率を高め、輸出に過度に依存 した経済体質から脱却することも重要である。これは、米国との貿易摩擦を回避すると いう意味だけでなく、アジア経済の安定成長に資するものである。 ちなみに、景気変動と輸出変動 (図表 12)景気変動と輸出動向の関係 にはかなりの相関関係が認めら 50 45 れ、経済の輸出依存度が高い国・ 実 40 地域ほど大きな景気変動に見舞 質 輸 35 出 われることになる(図表 12)。 伸 30 特に、アジア金融危機以降、ア び 25 率 ジアの投資比率は明らかに低下 の 20 標 し、生産性の向上よりも通貨安に 準 15 偏 10 y = 2.0738x + 4.805 依存した国際競争力によって輸 差 5 R2 = 0.4664 出を拡大している傾向がみられ 0 0 5 10 15 20 る(図表 13)。長期にわたって、 (実質GDP成長率の標準偏差) このような状況を放置すること (備考)1.実質GDP成長率および実質輸出伸び率の標準偏差の対象期間 は 91∼04 年 はアジア経済の高度化をかえっ 2.サンプル数は世界 199 か国・地域 3.国連「National Accounts Main Aggregates Database」により て阻害する懸念がある。 作成 投資の停滞は、アジア金融危機 による企業債務の増大や金融機 (図表 13)アジアの投資比率と実質GDP成長率 関の不良債権処理に伴う貸出姿 32.0 勢の慎重化に起因する部分が大 固 31.5 91 90 定 きいとみられる。 アジア通貨危機前 96 資 31.0 本 ただ、この数年でアジア金融危 形 92 97 機の後遺症は払拭されつつあり、 成 95 93 / 30.5 94 G 今後は、アジア各国・地域の政府 98 アジア通貨危機後 D 30.0 03 P が主導して投資を喚起し、経済構 00 01 99 % 29.5 造の高度化を促進する方策を検 02 討すべき時期にきている。 29.0 0 1 2 3 4 5 6 個人消費に関しても、アジア地 実質GDP成長率(%) 域の拡大余地は大きいとみられ (備考)国連「National Accounts Main Aggregates Database」により作成 る。すでに、アジアNIESの1 人当たりGDPは先進国レベルに達し、ASEAN−4諸国の所得水準も着実に高まっ ている(図表 14)。中国においても、東部沿海地域を中心として中間所得者層が形成され つつある。 ︶ ︵ ︶ 11 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 今後、クレジット・カードの利 (図表 14)アジア諸国・地域の1人当たりGDP 用促進や住宅ローンの拡充など (単位:ドル) 00 01 02 03 04 消費関連の金融システム整備が 中国 847 928 1,009 1,129 1,261 進めば、個人の潜在消費需要を一 韓国 10,884 10,176 11,487 12,710 14,136 台湾 13,800 12,474 12,513 12,655 13,451 段と掘り起こすことが可能であ 香港 24,907 24,227 23,529 22,537 23,414 23,082 20,953 21,270 21,916 25,020 ろう。加えて、自国通貨の上昇は シンガポール マレーシア 3,927 3,746 3,970 4,245 4,732 1,998 1,863 2,025 2,264 2,567 消費者にとっては購買力を高め タイ インドネシア 789 775 932 1,097 1,171 ることにつながり、それだけ消費 フィリピン 1,002 922 956 969 1,036 の拡大余地が広がることになる。 (備考)内閣府編『月刊 海外経済データ』平成 18 年6月号により作成 3.人民元改革の評価と今後の見通し (1)緩やかに進む人民元改革 05 年7月 21 日、中国人民銀行(中央銀行)は人民元改革に踏み切った。人民元の対 ドル相場は1ドル=8.2765 元から 8.11 元へ 2.05%切り上げられ、同時に、事実上の対 ドル固定相場制は放棄された。人民元の対ドルレートは、通貨バスケットを参考とする 管理フロート制(人民銀行が公表する中心相場を基準に日々上下 0.3%の範囲内での変 動を許容)の下、より柔軟に変動することになった。 しかし、人民銀行は「実際の変動幅は、ドル、ユーロ、円などの主要通貨で構成され る通貨バスケットの動きと市場の需給動向によって決定される」としている。つまり、 通貨バスケットはあくまでも参考指標であり、人民銀行が恣意的にコントロールする余 地が残された。 (図表 15)人民元相場とボラティリティー 人民元改革から1年、人民元 (元/ドル) (年率:%) 7.96 1.2 の対ドル相場は極めて緩やかな テ ン ポ で の 上 昇 を 続 け て い る 7.98 1.0 (図表 15)。06 年7月 20 日の 8.00 0.8 終値は1ドル=7.992 元となり、 8.02 人民元対ドル相場 (左目盛) 切上げ前の1ドル=8.2765 元に 8.04 0.6 比べて 3.56%上昇、切上げ後の 8.06 0.4 水準1ドル=8.11 元との比較で 8.08 ボラティリティー は 1.48%の上昇にとどまり、米 0.2 (右目盛) 8.10 国など主要貿易パートナーにと 8.12 0.0 っては期待はずれの結果となっ 05/7 05/9 05/11 06/1 06/3 06/5 06/7 ている。 (備考)1.ボラティリティーは当日を含む過去 20 営業日の人民元 対ドル相場変化率の標準偏差を年率換算 ただ、改革に進展がないわけ 2.ブルームバーグにより作成 ではない。実際、人民元相場の ボラティリティーは 06 年に入って高まりをみせており、対ドル相場の変動幅は徐々に ではあるが拡大されてきている。 また、市場環境整備も進展している。05 年8月9日、中国人民銀行は為替先物取引の 認可銀行数を増やし、従来の国内銀行7行に加えて、一定の条件に適合する外資銀行に 12 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 も開放した。同時に、通貨スワップ取引も解禁した。続く8月 23 日には、ドル以外の 通貨に対する変動幅を従来の上下 1.5%から 3.0%へ拡大した。これは、当時のユーロ 相場の大幅変動に対応した措置である。 このほか、対外資本取引の自由化では①海外適格機関投資家(QFII)による対内 証券投資枠の拡大、②中国適格機関投資家(QDII)による対外証券投資の一部解禁 (06 年4月 14 日)、などが実施された。 (2)内外から高まる人民元高圧力 今後の人民元相場に関して、温家宝首相は「05 年7月のような政策当局による一足飛 びの切上げはない」と再三表明している。したがって、今後採り得る政策は人民元相場 の変動幅拡大を通じて、市場実勢をより反映させること以外にない。 現在、市場筋は年間の人民元対ドルレートの上昇幅を3%前後と予想している。必ず しも大幅な切上げが期待されているわけではないが、切上げ後1年間の上昇率 1.48%に 比べれば2倍のペースであり、より一層、目に見える変化が求められていることは確か である。 (図表 16)中国の輸出入(前年比)と貿易収支の動向 中国の貿易黒字が拡大テンポ (%) (億ドル) 160 80 を速めていることから、今後、 140 70 欧米諸国からの元高圧力が一段 120 60 100 50 と高まる可能性もある。 80 40 中国の貿易黒字(通関ベース) 60 30 40 20 は、05 年に 1,018.8 億ドルと初 20 10 めて大台を突破したが、06 年1 0 0 ∼6月も 614.5 億ドルと半期ベ -20 -10 貿易収支(右目盛) -40 -20 ースでは史上最高を記録した 輸出(左目盛) -60 -30 輸入(左目盛) (図表 16)。 -80 -40 04/1 04/4 04/7 04/10 05/1 05/4 05/7 05/10 06/1 06/4 同期の輸出は前年比 25.2%増 となり、05 年の同 28.4%増から (備考)商務部資料により作成 若干鈍化した。IT関連を中心 とするハイテク製品輸出が徐々に減速していることがその背景である。一方、通関輸入 も原油、石油製品、鉄鉱石などの資源輸入が鈍化したことを主因として同 21.3%増にと どまり、黒字が拡大する結果となった。 06 年後半以降、米国景気の減速などから輸出はスローダウンすると見込まれるが、中 国の場合、加工輸出が伸び悩めば、それに必要な部品・原材料の輸入の伸びも鈍化する ので、貿易黒字の拡大基調に大きな変化は期待できない。06 年の貿易黒字は 1,200 億ド ルを超え、05 年の 1,019 億ドルを大幅に上回ると予想される。 いまのところ、米国政府はイランの核開発問題、イスラエル・レバノン問題、北朝鮮 問題など国際政治で重要な懸案を抱えており、この問題を有利に解決へ導くため、国連 安全保障理事会の常任理事国である中国の協力をできるだけ引き出したいと考えてい る。このため、経済的課題である人民元問題については一時休戦の構えだが、国際政治 13 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 問題が一段落すれば、再び人民元切上げ圧力を強めてくる可能性は大きい。中国政府と しても、人民元問題が棚上げにされている間に、着々と対応策を準備しておく必要があ ろう。 国内的には、過剰流動性の増大によるインフレ懸念が潜在的な元高圧力となってきて いる。06 年4∼6月の実質GDP成長率が前年比 11.3%と予想を上回る伸びを記録し た結果を受けて、7月 21 日、中国人民銀行は商業銀行の預金準備率を 8.0%から 8.5% へ 0.5 ポイント引き上げると発表した(8月 15 日から実施)。7月5日の 0.5%引上げ に続き、2か月連続となった。今回の預金準備率引上げによる資金吸収効果は、1,500 億元、前回分を合わせると、3,000 億元とされているが、これらによるマネーサプライ 抑制効果は限定的とみられている。 この数年、人民銀行は為替介入によって生じる国内の過剰流動性を公開市場操作や預 金準備率の引上げによって吸収しているが、その効果は十分とは言えない。実際、06 年 1∼5月をみると、外貨準備の増加に伴う市中への資金供給量は 8,091 億元だったのに 対して、人民銀行による資金吸収額は 4,716 億元にとどまっている(図表 17)。 続く6月の外貨準備(人民元 (図表 17)中国の外貨準備の拡大と中央銀行による資 建てベース)も貿易黒字の急増 金吸収(03 年1月以降の累計額) を背景として前年比 28.0%の大 (億元) 60,000 人民銀行による資金吸収額 幅増を記録しており、年後半も 外貨準備の増加額 この勢いは継続するものと予想 50,000 40,000 される。 このため、人民銀行は必要に 30,000 応じて一段の金融引締め政策を 20,000 実施してくるとみられる。しか 10,000 し、これ以上の預金準備率引上 0 げは商業銀行の収益を圧迫しか -10,000 03/01 03/07 04/01 04/07 05/01 05/07 06/01 ねないことに加え、金利政策に (備考)1.資金吸収額のマイナスは資金供給を示す。 関しても①海外からの投機資金 2.中国人民銀行資料より作成 の流入を助長しかねない、②中 小企業育成という国家方針から低金利維持が求められている、などから大幅な引上げに 消極的と言われる。人民銀行による金融政策の余地は、次第に限られたものになってき ている。こうした状況下、一部の中国エコノミストは、積極的な元高誘導による過剰流 動性の抑制を提唱し始めている。 最近の人民元対ドル相場の動きは、人民銀行も為替政策をより有効に利用する方向を 目指していることを示唆しているとも考えられる。 図表 18 は、人民元の対ドル相場と通貨バスケットの動きをみたものである。ここで、 通貨バスケットは、日本円、ユーロ、英国ポンド、オーストラリアドル、カナダドル、 韓国ウォン、シンガポールドル、マレーシアリンギ、タイバーツ、ロシアルーブルの 10 通貨の対ドルレートから推計したものである。人民銀行が参考としている通貨バスケッ トとは同様ではなかろうが、過去の人民元の動きをある程度フォローできていることか 14 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16 ©信金中央金庫 総合研究所 ら、代替指標としては有効であ (図表 18)人民元相場の対ドル相場と通貨バスケット の動き ろう。 (元/ドル) 実際の人民元相場と推計され 7.96 人民元対ドル相場 7.98 た通貨バスケットの動きを比較 通貨バスケット(推計値) 8.00 8.02 すると、05 年7月の人民元改革 8.04 8.06 以降、人民元の対ドル相場はほ 8.08 8.10 ぼ通貨バスケットをトレースす 8.12 る動きを続けてきたが、06 年6 (%) 0.60 月以降は人民元相場の通貨バス かい離率 0.40 0.20 ケットに対する上方かい離が目 0.00 立つようになってきている。こ -0.20 れは、人民銀行が従来よりも通 -0.40 05/7 05/9 05/11 06/1 06/3 06/5 06/7 貨バスケットが示す中心レート (備考)1.通貨バスケットは、日本円、ユーロ、英国ポンド、オーストラリア ドル、カナダドル、韓国ウォン、シンガポールドル、マレーシアリ から人民元相場がやや上方にか ンギ、タイバーツ、ロシアルーブルの 10 通貨の対ドルレートによ り推計 い離することを容認し始めてい 2.信金中金総合研究所推計 る証左と考えられる。 上述のように、金融政策が手詰まりとなってきた状況下、人民銀行が人民元の上昇テ ンポを加速させてくる可能性は高まっている。 おわりに 前述のように、米国を中心とする国際的なインバランスを軽減するためには、アジア 主要国・地域間の政策協調が欠かせない。そのなかで、中国は主導的役割を果たすこと が期待され、緩やかな元高誘導を継続する必要がある。しかし、中国当局が通貨バスケ ットの動きを引き続き重視した場合、元高にも限界が生じる。したがって、近い将来、 中国政府は通貨バスケットを参考とする管理フロートから、為替需給に基づく管理フロ ートへ移行せざるを得なくなる可能性が大きい。最終的には完全フロート制への道を歩 むことになろう。 以 上 (黒岩 達也) 本レポートは、標記時点における情報提供を目的としています。したがって投資等についてはご自身の判断に よってください。また、本レポート掲載資料は、当研究所が信頼できると考える各種データに基づき作成して いますが、当研究所が正確性および完全性を保証するものではありません。 なお、記述されている予測または執筆者の見解は、予告なしに変更することがありますのでご注意ください。 <参考文献> 1.OECD「Economic Outlook No.79」06年5月 2.IMF「World Economic Outlook」06年4月 3.IMF「International Financial Statistics」 4.The Economist Newspaper「The Economist」06年5月25日号 5.UNCTAD『Trade and Development Report 2005』05年9月 6.ADB『Asian Development Outlook 2006』06年6月 15 内外経済・金融動向(No.18−5) 2006.8.16