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http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ Title Author(s) Editor(s
 Title
Author(s)
学報. 号外 平成9年第2号
大阪府立大学
Editor(s)
Citation
Issue Date
URL
1997-04-25
http://hdl.handle.net/10466/9618
Rights
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/
平成9年4月25日
号外第2号 1
大 阪 府 立 大 学
号 外 第 2 号
平成9年4月25日
(g.ss
編 集 発 行
大阪府立大学事務局
目
告
次
示
学位論文内容の要旨及び論文審査結果の要旨公表…・………・……・……・………・…・……1
告
示
移行過程とは、ある一群の経済諸量のもとで活
動している経済が、何らかの原因によってその経
学位論文内容の要旨及び
論文審査結果の要旨公表
済諸量の一部に変化が生じ、その変化に適応しっ
っ、初めとは異なる経済へ移行する過程のことで
ある。変化する経済諸量や適応の仕方、また移行
の過程で生起する事象も様々であるが、常に「如
大阪府立大学告示第9号
何に」「どのようにして」の問いが即せられる。
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
そもそも移行過程(traverse)とはピックスの
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
命名である。ピックスは資本に関して「価値と資
第1項の規定に基づき、平成9年1月30日博士の
本」「資本と成長」「資本と時間」の3部作を残し
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
た。移行過程はその第2作目「資本と成長」にて
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
初めて取り上げられるが、その扱いはまだ成長論
要旨を次のとおり公表する。
の付属にしかすぎない。本格的な考察は、移行過
平成9年4月25日
程の分析を目的とした第3作目「資本と時間」を
待たねばならない。だが、移行過程研究の先駆者
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
はローである。ローはピックスの「資本と成長」
出版の10年以上前にこの問題を取りあげ議論して
たに
ぐち
かず
ひさ
称号及び氏名 博士(経済学) 谷 口 和 久
(学位規程第3条第2項該当者)
(和歌山県 昭和25年12月16日生)
いた。ローの後、ハレビー等の報告はあるが、移
行過程の研究は経済学の主流から依然遠いところ
にある。
さて、この両者による移行過程の研究は成長理
論 文 名
論への疑問から出発した。その問題意識は、経済
移行過程の理論と数値実験
が均斉成長経路から別の均斉成長経路へ如何に移
行するか、過程の分析にある。共通点は資本の何
も
1 論文内容の要旨
等かの調整を含んでいる点である。従って、移行
(27)
2 号外第2号
過程は長期と短期の二分法(dichotom:y)でいえ
ば、どちらにも属さない。資本の調整・変化を伴
平成9年4月25日
すいといえる。
本論文の第1部は資本調整の移行過程である。
うから通常の意味では短期に属さないし、また均
第1章はピックスの「資本と成長」における移行
斉成長経路上にもなく長期には属さない。いわば
過程を取り上げた。「資本と成長」は全4部24章
中期的分析である。これを本論文では第1部「資
の構成であるが、移行過程に関しては1章分(第
本調整の移行過程」とする。第1部は移行過程研
16章)しか当てていない。しかも、その核心的な
究の先人、ピックスとローの表現の異なるモデル
部分は第4節のわずか10行程度の代数である。ピッ
を同じ差分方程式の体系に構成し考察するもので
クスは2期間の資本と労働の成長および資本労働
ある。また、パジネッティの均斉成長経路に移行
比率によって結論を導いた。これを連立定差方程
過程の存在することも併せて示す。
式による時系列モデルに再構成し、ピックスによ
ところで、本論文で考えている移行過程はもう
る移行の条件を検討した。
少し意味が広い。上に述べた均斉成長経路から別
第2章は同じく「資本と時間」の移行過程を取
の均斉成長経路への移行に加えて、均衡産出水準
り上げた。「資本と時間」は移行過程のために書
から別の均衡産出水準への過程も移行して考察す
かれた。全3部構成の第1部「理論模型」は恒常
る。この移行は固定資本設備が一定の状態であり、
状態の分析であるが、分析の道具立てとして「新
調整されるのは生産量である。投資変動を外生的
オーストリアの方法」が準備される。第2部以降、
衝撃とする生産量の調整過程には、既にケインズ
新技術による建設・操業の過程に沿った経路の分
の乗数過程がある。ただ、乗数過程はその生じた
析がなされる。新技術の種類によって、様々な移
変動をマクロ水準でみているために、波及の過程
行過程が出現する。差分方程式でモデルを再構成
を測定できても、如何にその変動過程が波及する
し、移行過程の諸変数の動きを考察した。
かの知見は得られない。個々の企業が如何に投資
第3章はローの核心的部分とされるモデルを取
変動を認識し、かっどのように生産量を調整しっ
り上げた。ピックスの「新オーストリアの方法」
っ経済全体が移行するか、焦点はここにある。こ
に対する批判の一つに、設備建設が労働のみによっ
れを「生産調整の移行過程」とし第2部で考察す
て行われる点があった。歴史的に過去に遡るので
る。第2部は未知の現象領域の解明であり、ささ
なければ、この生産に関する取り扱いは産業社会
やかであるが筆者による発見も含まれる。
のモデルとしては難点がある。ローのモデルの優
本論文は数値実験による成果が大きい。数値実
れた点の一つには、これを「工作機械(mαchine
験の意味は多様であるが、現象の解析に用いただ
tools)1の導入により解決したことである。また、
けではなく、広義の発見的方法としても有用であ
操業率概念を明示的に取り入れた。ローは、労働
る。移行過程の追跡には時間が重要な役割を果た
人口の増大に対して部門間の資本財が調整される
す。ピックスは「7週以前におこったことがすべ
だけではなく、操業率を上げ一時的に最適生産量
て与えられたとき、7週における模型の動きが決
を上回ることで、移行が行われると考えた。これ
定される。T週における動きがきまれば、 T+1
もピックスには見られないものである。我国では
週にすすんで、同じような諸関係式を適用するこ
紹介されることの少ないローの所説を抜粋・要約
とができるが、そのときにはT週におこったこと
し、続いてローの基本モデルと移行過程を紹介し
はすでに過去の一部を形成しているのである。以
モデルの再定式を行った。
下、どこまでも同様である。何週間も続く期間で
第4章は2階級経済モデルにおける移行過程の
あっても、経済の経路はこのようにして決定され
存在を示した。カルドアは、所得に占める利潤の
る.」と述べている。このようにステップ・バイ・
分配率は投資産出比率によって決定されるという
ステップで進む過程は、プログラミングの思考過
「ケインズ派分配論」を示した。パジネッティは
程と類似している。理論はアルゴリズムにのりや
このカルドアの「ケインズ派分配意」に「論理的
(28)
号外第2号 3
平成9年4月25日
な見落とし」があるとして、これを修正しかっ長
企業活動の水準から初あて理論化した塩沢の生産
期のモデルに改めた。だが、そのモデルは資本家
調節過程を取り上げた。これは在庫を緩衝装置に
と労働者という2階級の所有する資本ストックの
持つ生産数量調整の多数企業モデルであるが、そ
比例的成長を前提にしており、経済は均斉成長経
の決定の因果関係が極めて明瞭で多義的な解釈を
路に乗ったものである。パジネッティの議論は均
許さない。モデルは二つの階層の決定構造を持っ
斉成長経済に終始しており、そこから外れた場合
ている。上位の階層には投資決定主体を置き、下
についての言及は殆ど無い。そこで、2階級経済
位には生産量決定の主体を設ける。マクロ水準の
が均斉成長から外れた場合に元の均斉成長経路に
乗数過程は上位階層の働きだけで記述が可能であ
戻るための条件を示し考察した。
る。産出量変動にかかわる主体は下位階層が担う。
以上のモデルを比較検討するために、移行過程
にある経済の動きを賃金利潤平面にプロットした。
ここでは下位階層の働く部分の分析のみを取り上
げた。
通常、技術選択の際に、賃金利潤曲線に関しては
第7章は、生産調整モデルの数値解析による安
曲線上の2点が比較される。あるいは、資本論争
定性分析である。「適応的予想」と「移動平均的
で有名な技術の再切替が行われる際にも、再切替
予想」の2種類を取り上げ、基礎資料には日本の
えは賃金利潤曲線に乗って行われる。だが、比較
昭和60年産業連関表を用いた。その結果、生産調
された2点間をどのようにして移るのか。乗って
整による移行過程が、緩衝在庫と販売期待という
切替わるにしても、どのようにして切替わるのか。
調整パラメータの広い範囲にわたって、安定な構
移行過程はこれらの問題にも解答を与える。本論
造をもっていることが判明した。また、安定では
文では、まず、移行過程にある経済の時間軸に対
あるがその収束速度の遅いことも分かった。
する利潤率と賃金率の動きを求め、時間をパラメー
第8章は、数値実験による事例報告である。生
タとする運動として賃金利潤平面にプロットした。
産調整による移行過程は実行可能性(feαsible)
利潤率や賃金率の時間に関する関数は複雑で、そ
のうえで非線形モデルになり、固有な構造に加え
れを代数的に解析して描くのは困難を極める。そ
て変動の初期値にも依存する(ραth(lependence)。
こで、数値解析によって行った。移行過程の動き
さらに複雑系として、部分的知識の保有、分権的
を賃金利潤平面に描いたのは、おそらく、本研究
意思決定、自立的相互作用、並列的再帰的運動と
が初めてである。
いった性質をもっている。このような性質をもつ
第2部は、生産調整の移行過程である。ケイン
3種類のモデルで数値実験を行った。初めに、生
ズの乗数過程は、国民所得論の45度線分析に教科
産量と在庫が制限される場合の非線形生産調整モ
書的な説明としてよく登場する。政府投資によっ
デルの変動シミュレーションを行った。次に、
て全体の投資量が増加したとき、総需要関数は上
(s,S)法による在庫管理経済のモデル分析を行っ
方にシフトし完全雇用が達成される、という説明
た。(s,S)法とは定量発注方式の一種の変形であ
である。問題の焦点は、その変動過程が産業(企
り、ある一定の需要分布のもとで最適在庫になる
業)の水準にどのように発現するかである。第5
ことが既に知られている。そのように在庫の管理
章では、これをケインズの言説から考察した。個々
される企業に外生的衝撃が加わった際の経済全体
の企業水準で有効需要変動を捉えることば「一般
の振る舞いを調べた。最後に、多数企業の存在す
理論」の任務ではないとケインズは考えたかもし
るモデルにおける経済主体の「数」の違いが及ぼ
れない。だが、ケインズの有効需要概念の枠組み
す影響を調べた。それぞれに興味深い結果が得ら
のなかで、この投資需要の変動を各企業が知覚す
れた。
るとすれば何を指標とするのか。さらに、雇用関
数からもケインズの議論を検討した。
第6章は、投資変動による乗数過程の発現を、
2 学位論文審査結果の要旨
従来の研究は、経済モデルが外部ショックを受
(29)
平成9年4月25日
4 号外第2号
けたときに、均斉成長がどう変化するか、あるい
デルで数値実験を行っている6第一に、生産量と
は均衡水準がどう変わるかという問題を取り扱っ
在庫に制約のあるケースである。結果はカオスで
ているものがほとんどであった。これに対し、本
はなかった。第二に、(s,S)法による在庫管理経
論文では、外部ショックに対して経済変数が適応
済を扱っている。実験では負の在庫が現れて収束
しっっ、初めと異なる経済状態に移行する過程を
しないケースもかなりあった。しかし係数の取り
扱って明らかにしょうとしている。すなわち、い
方により負の在庫が出ない可能性があるのでこの
かに、どのように新しい状態に移行するかという
モデルが脆弱とは言えないとしている。最後に、
問題を扱っている。本論文では、均斉成長経路間
企業の数の影響を調べて、企業数の多いほど収束
の移行だけでなく、均衡生産水準から別の均衡生
する場合の増えることを見つけている。
産水準への移行も考察している。またいくつかの
本論文は、従来あまり行われてこなつかた移行
モデルの移行過程を数値実験を使用して具体的に
過程の分析を、数値実験の手法を駆使して行って
追求している。移行過程の追跡には時間が重要な
いる点でこれまでの研究の空白部分を埋める役割
役割を果たしているので、数値実験の方法は非常
を果たしている。また単に均斉成長における資本
に有用である。従来あまり行われてこなかった移
調整だけでなく生産水準移行における部門別生産
行過程を数値実験で追求しており、この研究は非
調整を扱った点にも意義がある。移行過程を発展
常に貴重なものとなっている。
しっっある複雑系の議論とも絡ませている。
前半は、均斉成長経路から別の均斉成長経路へ
本審査委員会は、本論文の審査ならびに学力確
の移行過程を分析している。調整は資本により行
認試験の結果から、博士(経済学)の学位を授与
われる。扱っているモデルは、ピックスの「資本
することを適当と認める。
と成長」モデル、同じくピックスの「資本と時間
モデル」、ローのモデル、パッシネッティの2階
級経済モデルである。各モデルを差分方程式にし
て、数値実験を行い、移行の過程を賃金利潤平面
審査委員
主査 教 授 駿 河 輝 和
副査教授宮本勝浩
副査 教 授 綿 貫 伸一郎
にプロットして比較している。賃金利潤平面でモ
デル間の移行過程を比較している点にオリジナリ
ティがある。またグラフ化により移行過程の違い
がよく分かるようになっている。
大阪府立大学告示第10号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
後半は生産調整の移行過程を扱っている。投資
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
変動を外性的ショックとして生産量を調整する過
第1項の規定に基づき、平成9年1月30日博士の
程としてケインズの乗数理論がある。しかしこの
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
乗数過程は変動をマクロ水準で見ているために、
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
いかにその変動過程が波及するかについては不明
要旨を次のとおり公表する。
である。この論文では、企業がいかに投資変動を
平成9年4月25日
認識し、どのように生産量を調整しっっ経済全体
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
が移行するかを見ている。まず適応的予想と移動
平均的予想を取り上げ、実際の産業連関表にもと
づいて生産調整モデルの安定性を数値実験により
たけ
たか のり
称号及び氏名 博士(工学) 武
隆 教
調べた。その結果、緩衝在庫と販売期待の調整パ
(学位規程第3条第2項該当者)
ラメータの広い範囲にわたって安定的であること
(鹿児島県 昭和15年5月9日生)
を示した。その収束速度の遅いことも見つけてい
る。次に、複雑系としての性質を持つ3種類のモ
(30)
号外第2号 5
平成9年4月25日
論 文 名
翼状解析とその数値解析に関する研究
という面からも流体工学分野において重要な役割
を果たすものと期待される。
第!章では、非圧縮性流れにおける翼理論の解
1 論文内容の要旨
析的側面と数値手法の側面から、これまでの研究
本研究は、流体工学において重要な翼素理論の
成果を簡潔に要約し、キャビテーションの発生に
基礎の確立を目的としたものである。翼理論は航
伴う空洞翼理論、剥離を伴う高迎角翼素理論や高
空機を対象に1920年代から発達してきたが、定常
揚力装置の流体工学への応用の必要性について、
な非圧縮・非粘性流れ中のだ円形翼の解析など、
通常の飛行機翼とを対比させ、その相違や複雑さ
現在でも引き続き研究が続けられている状況にあ
などについて述べ、本研究の必要性を明らかにし
る。一方、流体工学における翼素理論では、作動
ている。
流体が水などの液体に伴うキャビテーション発生
第2章では、パネル法に対する解析結果につい
や、作動流体が気体の場合でも風車などの剥離を
て述べる。パネル法は、これまで翼理論における
伴う場合など、航空機分野で発達した翼理論がよ
数値解析に多く利用されているが、その精度に関
り複雑な形や条件のもとで適用されている。
して十分に理論的に解明されているとは言えない。
このような背景から、流体工学の分野を視野に
例えば、Jamesが指摘しているように、渦格子法
いれた翼素理論の基礎的な研究が引き続き重要な
(Vortex lattice method)では、解析上必要と
課題であると考えられる。そこで本研究では、主
されるKuttaの条件が不要となるが、一様なある
として非圧縮の定常問題に絞り、剥離やキャビテー
いは線形的な特異点分布に対して同じ結論に達す
ションを対象にした空洞翼と、それらの翼性能の
るかどうかなどは明らかではない。そこで、2次
改善を目的とした高揚力装置の一つであるジェッ
元平板翼を取り上げ、一様および線形的に循環分
トフラップ翼を対象として取り上げ、流体工学に
布されるパネル法を構成し、評点と荷重点との関
おける翼素理論の基礎の充実を目的とする。本研
連を解析的に検討した。ここでは、Jarnesの解析
究は理論解析と数値解析および数値計算による流
手法を応用し、逆行例を解析的に評価し、数値誤
れ解析から構成されている。通常車懸理論の基礎
差が最小になるための評点と荷重点との関係を明
方程式は、積分方程式の形で表される。この積分
らかにし、既存の数値解析の結果と比較し本理論
方程式の導関数は特異性を持っているため、解析
の妥当性を示した。
的にも数値的にも十分な配慮が必要である。本研
また、空洞翼では前縁の特異性の配慮なくして
究で取り上げる空洞翼とジェットフラップ翼の支
は解の唯一性が言えない。この問題を数値計算上
配方程式は、空洞翼では連立の積分方程式となり、
どのように配慮するかについて検討する必要があ
空洞を伴うジェットフラップ翼ではさらに連立の
る。ここでは、2次元平板翼を取り上げ、循環分
微積分方程式となり、通常の航空機翼の貫乳理論
布と吹き出し分布によるパネル法を構成し、連立
より複雑な方程式となる。これらの画素理論では、
の積分方程式を導き解析した。この結果、荷重点
解の一意性にはKuttaの条件だけでは不十分で、
と評点を適切に選べば、これらの条件を自然に満
空洞翼では空洞開始点での条件が必要となる。し
足させることが可能であることを明らかにした。
かし、ジェットフラップ翼では、解の存在や唯一
さらに、近年鈍体周りの数値解析に、パネル法
性は確立されていない。従って、これらの翼素理
を併用した離散渦法が多く利用されている。そこ
論の数値解析を行う場合、解の精度やこれらの付
で、パネル法を渦法に利用する場合の問題点を明
加的な条件について十分に検討する必要がある。
らかにするために、代表的な鈍体として2次元円
このような現状を考えると、本研究で得られた成
柱を取り上げ、循環分布によるパネル法を構成し、
果は五三理論の基礎の拡充をはかるばかりでなく、
基礎積分方程式を離散化し、連立代数方程式を導
これまでの数値解析の結果に対する信頼性の向上
出した。この方程式にVandermonde行列を利用
(31)
平成9年4月25日
6 号外第2号
すれば、逆行列が解析的に求あられることを明ら
たその解は唯一一であることを明らかにした。
かにした。この結果、この手法では、円柱周りの
次に、Mode関数法を適用して、自由表面下の
全循環が零の場合しか解析できないこと、全循環
超空洞を伴うジェットフラップ翼の数値解析を行っ
が零でない場合には、あらかじめそれに対応する
た。ここでは、種々の反りのある蛇形について計
配慮が必要であることを明らかにした。特に、差
算し、翼形特性を明らかにした。この結果、ジェッ
傘周りの流れに離散渦法が多く利用されているが、
トフラップ翼は超空洞翼の非規定特性の劣化を防
この際、計算上の問題から評点の一つを排除する
ぐ一方法として利用できる可能性のあることを明
方法を採用する場合がある。この場合、数値計算
らかにし、自由表面効果に対して静的に安定な翼
誤差が大きくなることを明らかにした。
形の一例を提案した。
これまで、パネル法による空洞翼に関する計算
さらに、自由表面下の可動フラップ付き超空洞
精度の詳細な検討がなされていないので、第3章
ジェットフラップ翼に関して、翼迎え角に関する
では、空洞翼を取り上げ、パネル法を用いて数値
二次のオーダまで有用な基礎式を導き、ジェット
計算し、その計算精度を検討すると共に、空洞翼
運動量係数を微小量とし基礎積分方程式に特異摂
の設計資料を提供することを目的としている。こ
動法を適用して解析した。ここでは、線形理論の
こでは、パネル上の循環と吹き出し分布が一様な
結果を二次のオーダにまで拡張できる簡潔な公式
場合と線形の場合について数値計算し、評点の設
が導出され、大場によって提案された補正公式の
定による誤差について詳細に検討し、最適な評点
正しくないことを理論的に明らかにした。
を決定した。また、計算精度の観点から、線形分
布の方が優れていることを明らかにした。
次に、自由表面下での空洞翼を取り上げ、種々
また、この問題をMode関数法を用いて数値解
析し、ジェット運動量係数の大きい場合について
の設計資料を提供した。翼迎え角を比較的小さく
の空洞後端モデルについて数値計算し、翼特性へ
し、フラップ偏角を適切に活用すれば揚抗力特性
の水面の効果を検討し、これまでの研究と比較し
に優れた性能が得られることを示した。
本研究でのパネル法の妥当性を明らかにした。
次に、Mode関数法とパネル法を比較するため、
さらに、空洞翼の壁面干渉についてパネル法を
パネル法についても数値解析し、その計算精度に
適用し検討した。ここでは、パネル数による計算
ついて検討した。ここでは、部分空洞から超空洞
精度を検討すると共に、部分空洞から超空洞に至
に至る広い範囲のキャビテーション係数による翼
る壁面干渉を数値計算し、キャビテーション係数
形特性を求め、翼形の反りによる影響も検討し、
と翼特性の関係を明らかにし、空洞翼の設計資料
設計資料を提供した。特に、高次項翼はジェット
を提供した。部分空洞では、固定壁面や自由壁面
付加効果が顕著であり、ジェット運動量係数の小
等の壁面の状態により壁面効果が大きく変わるが、
さい場合においてもその効果が著しいことを明ら
超空洞ではこの効果が小さいことを示した。
かにした。
第4章では、高揚力装置の一つであるジェット
第5章では、ジェットフラップ翼の抗力に関し
フラップ翼を取り上げている。この場合、支配方
て重要な推力回復の仮説について、離散渦法によ
程式が、特異核を持つ微積分方程式で表されるの
り数値解析し検討している。ジェットフラップ翼
が特徴である。この問題を数値解析する手法とし
のメリットの一つと言われている推力回復の仮説
てMode関数法が使われているが、この数値結果
は、これまで理論的な考察が十分になされていな
からは解の存在が推定できない。そこでまず、解
い。そこでここでは、翼後縁からの噴流を模擬す
の存在と唯一性について検討した。支配方程式を
るパネル法と離散州法を併用する数値計算手法を
複素フーリエ変換を用いて変形し、特異核をもた
提案し、数値結果をDimmockの実験結果と比較
ないFredholm型積分方程式を導出し、ジェット
検討し、本手法の妥当性を明らかにした。さらに、
運動量係数が小さい場合、解が存在すること、ま
推力回復仮説は粘性流体では成立しないことを明
(32)
号外第2号 7
平成9年4月25日
らかにし、粘性効果を正しく評価する計算手法が
ジェット運動量係数を微小量とした特異摂動法に
必要であることを明らかにした。
より解析し、線形理論の結果を二次のオーダにま
第6章では本研究で得られた結果を総括してい
る。
で拡張できる簡潔な公式を導出し、従来から提案
されている補正公式の正しくないことを明らかに
した。
2 学位論文審査結果の要旨
(4)ジェットフラップ翼の抗力に関して重要な
本論文は、流体工学における翼素理論の基礎の
推力回復の仮説について、離散渦法により数値解
拡充を目的とし、主として非圧縮の定常問題に絞
析し、実験結果と比較検討し本手法の妥当性を明
り、空洞翼とジェットフラップ翼を対象として取
らかにした。
り上げ、理論解析と数値解析および数値計算によ
以上の諸成果は、流体工学分野における翼素理
る流れ解析を行ったもので、次の成果を得ている。
論の基礎を拡充するものであり、流体工学分野に
(1)2次元平板翼に関するパネル法について解
貢献するところ大である。また、申請者が自立し
析し、数値計算:誤差が最小になるための評点と荷
て研究活動を行うに必要な能力と学識を有するこ
重点との関係を明らかにした。また、2次元超空
とを証したものである。
洞翼に関するパネル法についても解析し、荷重点
本委員会は、本論文の審査ならびに学力確認試
と評点を適切に選べば、Kutta条件と翼前縁での
験の結果から、博士(工学)の学位を授与するこ
条件を自然に満足させることが可能であることを
とを適当と認める。
明らかにした。さらに、2次元円柱に対して循環
審査委員
分布によるパネル法について解析し、この手法で
主査 教 授 木 田 輝 彦
は円柱周りの全循環が零の場合しか適用できない
副査教授沼野正博
副査教授谷川義信
こと、全循環が零でない場合には、あらかじめそ
れに対応する配慮が必要であることを明らかにし
た。
(2)空洞翼についてパネル法により数値計算を
大阪府立大学告示第11号
行い、計算精度の詳細な検討と空洞翼の設計資料
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
を提供した。自由表面下や壁面干渉のある場合に
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
ついても数値解析を行い、部分空洞から超空洞に
第1項の規定に基づき、平成9年1月31日博士の
至るキャビテーション係数と翼特性との関係を明
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
らかにした。
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
(3)ジェットフラップ翼に関する基礎式の微積
分方程式を検討し、ジェット運動量係数が小さい
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
場合に対して解の存在と唯一性を明らかにした。
次に、自由表面下の超空洞を伴うジェットフラッ
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
プ翼を数値解析し、ジェットフラップは超空洞翼
の非規定特性の劣化を防ぐ一方法として利用でき
あら
き
つとむ
称号及び氏名 博士(工学) 荒 木
努
る可能性のあることを明らかにした。また、自由
(学位規程第3条第1項該当者)
表面効果に対して静的に安定な翼形の一例を提案
(兵庫県 昭和44年11月27日生)
した。さらに、部分空洞から超空洞に至る広い範
囲のキャビテーション係数による翼形特性を数値
計算し、設計資料を提供した。自由表面下の可動
フラップ付き超空洞ジェットフラップ翼に関して、
論 文 名
Study on Strain−Enhanced Structural
Changes in Semiconductor Epitaxial Films
(33)
平成9年4月25日
8 号外第2号
(半導体エピタキシャル薄膜における
歪誘起構造変化に関する研究)
制御である。例えば、SiGe系歪超格子において
バンド構造を間接遷移型から直接遷移型へ変化で
きる可能性が示唆されている。最近は、様々な半
1 論文内容の要旨
導体薄膜における規則化現象が“バンドエンジニ
単結晶基板上に異種物質を蒸着するとき、下地
アリング”における新技術として注目を集めてい
基板の規則的な原子配列の影響を受けた特定方位
る。これは薄膜成長中に人工的には作り得ない方
を持つ単結晶薄膜を成長させることができる。こ
向に原子レベルで超格子が自然に形成される現象
れをエピタキシャル成長と呼ぶが、半導体デバイ
であり、その形成メカニズムを原子レベルで解明
ス開発に利用される最も重要な技術の一つである。
することが強く期待されている。特に、SiGe薄
近年、結晶成長技術の目覚ましい発達により、様々
膜中では、薄膜中の歪形態によって2種類の規則
な元素、組成、構造からなる良好な半導体エピタ
構造が形成されることが報告されており、規則化
キシャル薄膜を作製することが可能となった。一
のメカニズムに対する歪の役割は重要であると考
方で、新たな問題点が出てきた。その中で、基板
えられる。
上にそれと異なる格子定数を持つ薄膜を成長させ
こうした背景に基づき、薄膜中の歪を利用した
る場合に、格子ミスマッチに伴って生じる歪の問
半導体デバイスの開発には、薄膜中の歪状態をよ
題がきわめて重要である。この歪は薄膜中に様々
り詳細に理解し、その歪によって引き起こされる
な構造変化を引き起こし、薄膜の電気的、光学的
構造変化のメカニズムを解明することが必要であ
特性に大きな影響を与える。
る。本研究では分子線エピタキシー(MBE)成
薄膜の成長が臨界膜厚を越えるまでは、薄膜/
長法を用いて助勢したSiGeエピタキシャル薄膜
基板界面は格子整合を保ち、歪は薄膜内に蓄積さ
中の歪状態と、歪によって誘起される構造変化に
れる。臨界膜厚を越えると、界面の格子整合は崩
対して、実験的、理論的に詳細な検討を行った。
れ、ミスフィット転位が導入されて、歪は緩和さ
本論文は7章からなる。
れる。ミスフィット転位は薄膜デバイス特性を悪
化させる欠陥となるので、この臨界膜厚を予測す
第1章は、本論文の緒言であり、本研究の背景、
目的、内容について述べた。
る理論的検討は数多くなされてきたが、実験的に
第2章では、成膜したままの歪んだSiGe薄膜
求まる臨界膜厚との一致は必ずしもよくない。さ
中における構造の不均一性の存在を薄膜中の応力
らに、様々な半導体元素を用いた複雑な構造の薄
測定により検討した。応力測定は、X線回折を用
膜が作製されるようになり、その予測はさらに困
いて格子定数から求める方法と、基板の曲率半径
難となってきている。
から求める方法の2種類で行った。その結果、曲
また、薄膜中の歪はその後の薄膜の成長形態に
率半径から求めた応力の方が格子定数から求めた
も影響を及ぼす。一般的に、薄膜の成長形態は歪
応力よりも約1.5倍大きく、この応力値の相違か
の存在によって、2次元成長から3次元成長へと
ら構造の不均一性の存在が示唆された。この不均
移行することが知られている。原子レベルで制御
一性の起源は薄膜中の組成分布にあるものと考え、
されたデバイスの作製には、2次元成長を利用し
多層膜モデルを用いた応力シミュレーションによ
た平坦で急峻な界面や平面が必要であり、また量
る解析を試みた。SiGe薄膜を様々な組成を有す
子ドットの作製にこの歪による成長形態の遷移を
る薄層の積み重なった多層膜と仮定して応力計算
有効利用する方法も提案されている。現在、成長
を行い、実験値との比較検討を行った。その結果、
形態の遷移に深く関係する臨界膜厚に関しても数
平均組成が変わらない場合には組成に不均一があっ
多くの系で研究が進められている。
ても応力値の相違が生じないことを明らかにした
歪系エピタキシャル半導体薄膜において最も期
一方で、薄膜中に大きな応力をもつ薄層の存在を
待されている機能発現は、歪によるバンド構造の
仮定することで、測定法による応力値の相違を説
(34)
号外第2号 9
平成9年4月25日
明することができた。
第3章では、成膜したままの歪んだ状態と、焼
鈍によってミスフィット転位を導入して歪緩和し
基板界面で急峻に格子定数が変化していることか
ら、3次元成長した界面でのGeと基板Siとの相
互拡散は生じていないことを確認した。
た状態のSiGe薄膜に対して、歪分布(格子間隔
第5章では、歪によって誘起される構造変化と
の分布)と方位分布(格子面方位の分布)を、X
してSiGe薄膜中の規則化に注目し、 Si(100)基板
線回折を用いた逆格子空間の2次元マッピング測
とGe(100)基板上に成点した種々のGe組成を持つ
定により評価した。このマッピング測定を行うこ
SiGe薄膜について、規則構造の構造解析を行っ
とにより、通常のX線回折法では分離して測定す
た。これまでSi基板上に成無したSiGe薄膜中にお
ることのできない歪分布と方位分布を、お互いに
いてのみ規則構造が観察されていたが、Ge基板
独立して評価できる。まず、ミスフィット転位が
上においても同様に規則構造が形成されることを、
導入されることにより、薄膜中の方位分布が増加
透過電子顕微鏡を用いた制限視野回折により見出
することが分かった。転位周りの戯場の理論計算
した。また、X線回折を用いた非対称反射法によっ
を行った結果、薄膜/基板界面にミスフィット転
て、規則構造に起因する回折ピークを測定するこ
位が存在することによって、薄膜表面に数Aの原
とで、規則度を定量的に評価した。その結果、規
子変位が生じ、方位分布の起源となることが示唆
則度はSi:Ge ・・ 1:1の組成を最大として、組成がず
された。また、ミスフィット転位が導入されたSi
れるにつれて減少することが分かった。しかしな
Ge薄膜のうち、詩藻の小さいSiGe薄膜において
がら、Ge組成が約20%から約75%の広範囲で規
のみ歪分布が増加した。これはミスフィット転位
則構造が形成されることを明らかにした。またこ
の存在によって、薄膜/基板界面近傍にのみ存在
の規則度の組成依存性はSl基板上とGe基板上に
する大きな応力分布が起源であることを、理論計
おいて同様な変化を示し、基板による影響は見出
算により明らかにした。さらに、歪んだSiGe薄
されなかった。また、規則構造が形成される4つ
膜ではGe組成が小さい薄膜において、成豪した
の等価な〈111>方向に対して規則度を評価した
ままの状態で既に大きな歪分布が存在しているこ
ところ、規則構造の形成方向に非対称性が存在す
とを明らかにした。その起源に関して、2次元成
ることを見出した。この非対称性の原因を、ダブ
長と3次元成長の成長モードの違いによって生じ
ルドメイン構造を持つSiGe薄膜成長表面におけ
る薄膜/基板界面でのGeと基板Siとの相互拡散
るステップ構造の違いとドメイン領域の違いをも
の可能性があることを提案した。
とに議論し、成長時の表面構造が成長機構を支配
第4章では、透過電子顕微鏡を用いた収束電子
していることを明らかにした。
線回折により歪んだSiGe薄膜中の成長方向の歪
第6章では、SiGe薄膜中の規則構造の形成メ
変化を評価した。前章のX線回折によるマッピン
カニズムに対する歪の影響を、Keatingポテンシャ
グ測定では、薄膜中の平均的な情報しか得られな
ルを用いた歪エネルギーの理論計算により検討し
い。マッピング測定において歪分布がないと予測
た。SiGe薄膜中の規則構造は、歪んだSiGe薄膜
されたSiGe薄膜に対して評価を行い、マッピン
中でRH 1構造が形成され、歪緩和したSiGe薄膜
グ測定の結果と比較検討した。得られた回折像か
中では成長表面が2×1の再構成表面を形成して
ら格子定数の薄膜内での変化を測定した。基板表
いるときにのみRH2構造が形成されることが報告
面に平行な方向のSiGe薄膜の格子定数は、薄膜
されている。SiGe薄膜中の歪を圧縮から引張ま
内において一定であり、また基板と同じ値を持つ
で変化させて規則構造の安定性を評価した結果、
ことから、薄膜内で均一にシュードモルフィック
RH1構造がいかなる歪状態であっても最も安定な
に成長していることを明らかにした。薄膜成長方
構造となることが分かった。しかしながら、2×
向の格子定数も膜厚方向で一定であり、組成の分
1再構成表面を取り入れた計算においては、逆に
布が生じていないことが判明した。また、薄膜/
RH2構造が最も安定な構造となり、表面再構成が
(35)
平成9年4月25日
10号外第2号
RH2構造の形成に不可欠であるという実験結果を
導入され方位分布が増加するが、薄膜表面に生じ
理論的に証明した。さらに、RH2構造は表面層で
る数Aの変位が方位分布の原因となることを、転
のみ安定となり、薄膜内部ではRH1構造の形成が
位のまわりの応力場の理論計算によって証明した。
優先されることを計算によって予測した。この結
また、膜厚の小さい場合に認められる大きな応力
果をもとにSiGe薄膜において、歪状態の違いに
分布が、ミスフィット転位によることを明らかに
よって2種類の規則構造が形成されるメカニズム
した。さらに、低Ge濃度の歪んだ薄膜に存在す
を以下のように提案した。RH2構造がSiGe薄膜
る大きな歪分布が、薄膜成長モードの相違によっ
内で形成されるには、表面で形成されたRH2構造
て生じる薄膜/基板界面での、Geと基板Siとの
が破壊されずに薄膜内部においても存在し続ける
相互拡散によってもたらされることを提案した。
ことが必要である。しかしながら、歪んだ薄膜中
3)Si(100)基板上のみならず、 Ge(!00)基板
では歪の存在によって原子拡散が起こりやすくなっ
上でも規則構造が存在することを発見し、規則度
ているため、表面で形成されたRH2構造は容易に
を求めた。また、規則構造の形成方向に非対称性
崩れ、エネルギー的に安定なRH1構造に変化する。
が存在することに注目し、成長時の表面構造が薄
一方、歪緩和したSiGe薄膜中では原子拡散が少
膜成長を支配していることを明らかにした。
ないためにRH2構造が内部でも存在することが可
4)SiGe薄膜中の規則構造の形成に対する歪
能となる。この様に歪んだSiGe薄膜中と歪緩和
の影響を明確にするたあ、Keatingポテンシャル
した薄膜中における原子拡散の違いによって、Si
を用いた歪エネルギーの理論計算:を行った。RH1、
Ge薄膜中における2種類の規則構造の形成が起
RH2という2種類の規則構造が存在しRHIがい
こることを理論的に解明した。さらに、RH2構造
かなる歪状態でも安定な構造であるが、2×1再構
の形成に必要な原子の位置交換のプロセスが、
成表面を取り入れた計算では逆にRH2が安定な構
Geの表面偏析と歪エネルギーの緩和のためであ
造となり、表面再構成がRH2の形成に不可欠であ
ることを提案した。
ることを理論的に証明した。さらに、RH2が表面
第7章では、本論文で得られた結論の総括を行っ
層でのみ安定で、薄膜内部ではRH1の形成が優先
た。
することを計算によって予測した。これらの結果
をもとに、歪状態に依存して、SiGe薄膜に2種
2 学位論文審査結果の要旨
本論文は、分子線エピタキシー(MBE)法に
類の規則構造が形成される薄膜成長機構を提案し
た。
よって成恕したSiGeエピタキシャル薄膜中の歪
以上の結果は、半導体デバイス開発における重
状態と、歪によって誘起される構造変化に関して、
要技術である、エピタキシャル成長を中心とする
実験的および理論的に詳細な検討を行った結果を
結晶成長技術の進歩に貢献するところ大である。
まとめたものであり、次のような成果を得ている。
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
1)格子定数の変化から計算する方法と、基板
結果から、博士(工学)の学位を授与することを
Siウエハの曲率半径から計算する方法によって求
適当と認める。
めたSiGe薄膜の応力値が一致せず、薄膜の構造
審査委員
が不均一であることが判明した。多層膜モデルを
主査 教 授 伊 藤 太一郎
用いた計算を行い、薄膜中に大きな応力を有する
薄層の存在を仮定することによって、測定法によ
る応力値の不一致を説明することができた。
2)薄膜中の歪分布と方位分布を、X線回折に
よる逆格子空間の2次元マッピング測定により評
価した。焼鈍によって、界面ミスフィット転位が
(36)
副査教授岡村清人
副査教授川本
副査教授井上直久
信
号外第2号 11
平成9年4月25日
齢までは明らかな水晶体混濁を認あないが、その
大阪府立大学告示第12号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
後急速に白内障を形成し、8週齢頃までに成熟白
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
内障を生じる(遅発型)。UPLラットの白内障発
第1項の規定に基づき、平成9年2月10日博士の
症機序については不明な点が多いが、遺伝様式か
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
ら、関連遺伝子の発現が発端となり、水晶体発生・
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
分化の異常、さらに水晶体の代謝機能の続発的な
要旨を次のとおり公表する。
変化が起きて早発型あるいは遅発型白内障をそれ
ぞれ形成するものと考えられる。本研究は、早発
平成9年4月25日
型および遅発型水晶体について、病理形態学的変
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
化、さらに機能的な面より水晶体タンパク質およ
び成長因子の発現、水晶体水分量、水晶体タンパ
とも
ひろ
まさ
ゆき
称号及び氏名 博士(獣医学) 友 廣 雅 之
ク質のスルフィドリル基(SH)とジスルフィド
(学位規程第3条第2項該当者)
結合(SS)の変動、カルパインの活性化につい
(群馬県 昭和35年3月25日生)
て検討したものである。
第1章 早発型水晶体における形態変化、クリス
論 文 名
UPLラットの遺伝性白内障発症
機序に関する病理学的研究
タリンの局在およびFGFの関与
早発型ラットでは、開眼時にすでに白内障が観
察されたが、水晶体が異常を示す正確な時期は:不
明であった。主要な水晶体タンパク質であるα一
1 論文内容の要旨
およびγ一クリスタリンは、水晶体細胞の分化マー
序 論
カーとしてよく用いられている。一一一一方、FGF
高齢化社会を迎えっっある現代、白内障は高齢
(Fibroblast Growth Factor)は、水晶体細胞
者における失明の主たる原因となっている。ヒト
の分化に重要な役割を果たしていることが知られ
白内障の発症機序には紫外線、高血糖、自己免疫
ている。本章では、胎生期から生後にかけての水
疾患など多様な要因が複雑に関与しており、いま
晶体の経時的な変化について病理組織学的に観察
だに解明されていない。その発症機序を解明し、
し、さらにα一およびγ一クリスタリンの分布と
根本的な治療法あるいは予防法を確立するために
局在性、FGFおよびFGFレセプターの局在と分
は多くの白内障モデルを用いた研究が必要である
化への関与について免疫組織化学的に検討した。
と考えられる。自然発症白内障モデルとしては、
1−1.早発型水晶体における形態変化およびクリ
Nakanoマウス、 Phillyマウス、 Fraserマウス、
Ctsマウスなどが知られているが、ラットでの報
スタリンの分布と局在
胎生12日齢から生後14ヵ月齢の水晶体について、
告はきわめて少ない。UPL(UpjOhn Pharmaceuti−
病理組織学的に検討した。その結果、早発型水晶
cals Limited)ラットは1989年に発見された新し
体における最初の形態学的変化は、胎生13日齢に
い自然発症白内障モデル動物で、クローズドコロ
観察された水晶体線維の伸長異常であった。異常
ニーとして維持されている(1996年12月現在、24
な水晶体線維は砂嚢に到達していなかったが、こ
世代)。交配実験の結果、ホモ型とヘテロ型で発
のことが伸長異常やその後の変化に関与している
現型の異なる常染色体性不完全優性遺伝性を示す
可能性が考えられた。胎生19日齢以降、水晶体上
ことが明らかになっている。ホモ型では、2週齢
皮細胞の重層化が観察された。また、生後3週齢
の開眼時までにすでに白内障を発症(早発型)し
以降では、上皮細胞と水晶体線維の間の連続性が
ており、小眼症、小水晶体症、虹彩後癒着、牛眼
消失し、線維分化の停止が示唆された。
などの眼異常を併発する。ヘテロ型では、約6週
ゲル濾過法で分離した正常ラット水晶体のα一
(37)
平成9年4月25日
12号外回2号
クリスタリン(水晶体上皮細胞と水晶体線維の両
水晶体線維末端部における細胞内小胞形成と水晶
者に含まれる)およびγ一クリスタリン(伸長し
体上皮の重層化であった(ステージ1)。ステー
た水晶体線維にのみ含まれる)をウサギに投与し
ジII(2∼6週齢)では、赤道部上皮の重層化、
て得た抗体を用いて、早発型水晶体におけるこれ
赤道部線維の膨化、細胞外空胞が形成され、肉眼
らのクリスタリンの分布と局在を検討した。その
的には赤道部には赤道部に軽度な混濁が観察され
結果、伸長異常を示した線維あるいは壊死した線
た。ステージIH(4∼7週齢)では、顕著な赤道
維でもγ一クリスタリンが、また重層化した上皮
部混淘が観察され、後極皮質線維に細胞内小胞形
細胞でもα一クリスタリンが観察され、早発型水
成が認められた。約7週齢で水晶体線維の異常は
晶体におけるα一およびγ一クリスタリンの分布
皮質全体に波及し、線維の断裂や液化が観察され、
と局在に大きな差がないことを明らかにした。
肉眼的には成熟白内障を形成した(ステージIV)。
1−2.早発型水晶体におけるFGFの関与
以上の結果、遅発型水晶体の初期変化には水晶体
塩基性FGF(bFGF)、酸性FGF(aFGF)および
FGFレセプター(FGFR−1)に対する抗体を用いて、
線維の伸長異常が関与していることが示唆された。
2−2.遅発型水晶体のラマン分光学的研究
免疫組織化学的に検討した。FGFは、低濃度で
ラマン分光法は、非破壊の水晶体について局所
水晶体上皮細胞の増殖を、また高濃度で水晶体線
のパラメーターを計測できるという特長を有して
維分化を誘発し、水晶体の発育に重要な役割を果
いる。一般的に、水晶体の浸透圧変化による水分
たしていることが知られている。早発型水晶体で
量の増加や2SH→SS変換による水晶体タンパク質
は、異常に伸長した水晶体線維でもbFGF、 aFGF
の会合現象が、白内障形成に関与していることが
およびFGFR−1が発現していた。胎生!9日齢の正
知られている。本節では、3、4および6週齢の
常動物の水晶体上皮ではbFGF陽性細胞は前極部
遅発型水晶体局所のこれらパラメーターを分析し
に局在し、赤道部には見られなかったが、早発型
た。その結果、混濁が形成される以前より水晶体
では水晶体上皮全体にbFGF陽性細胞が均等に発
後極皮質における水分量の増加傾向が認められ、
現していた。これらの結果より、早発型水晶体で
遅発型水晶体における透過性の骨弁が示唆された。
は、上皮細胞の変化にFGFが関与し、水晶体線
しかし、6週齢の水晶体においても、SHおよび
維形成に影響している可能性が示唆された。
SSの変動は観察されなかった。
第2章遅発型水晶体における形態変化およびラ
第3章 早発型および遅発型水晶体におけるカル
マン分光学的研究
パインによるα一クリスタリンの分解
遅発型ラットでは、生後約6週齢では明らかな
近年、白内障形成過程におけるカルシウム依存
水晶体混濁を認めないが、8週齢までに成熟白内
性タンパク質分解酵素、カルパインの作用が注目
障が形成される。本章では、遅発型水晶体を検眼
されている。本章では、カルパインによって分解
鏡的および病理組織学的に観察して、白内障形成
されたαA一およびαB一クリスタリンに特異的
過程を検討した。ついでラマン分光法を用いて水
な抗体を用いて、遅発型および早発型水晶体を免
晶体局所の水分量、スルフィドリル基(SH)、ジ
疫組織化学的に検討した。
スルフィド結合(SS)を定量的に測定した。
2−1.遅発型水晶体の形態変化
遅発型水晶体では、ステージIVで初めてαA一
およびαB一クリスタリンの分解物が観察された
遅発型ラット白内障の形成過程をステージ0∼
が、ステージ皿以前では検出されなかった。また、
IVに分類した。ステージ0では形態学的な変化は
水晶体カルシウムレベルは、ステージIIで軽微に
観察されず、遅発型水晶体の変化は生後に形成さ
増加し、ステージ皿以降顕著に増加した。早発型
れることを明らかにした。遅発型水晶体における
水晶体では、生後!直覧以降に主に水晶体線維に
最初の変化は、2∼4週齢で観察された前極縫合
αA一およびαB一クリスタリンの分解物が認め
部の小胞状混濁で、病理組織学的には縫合周囲の
られたが、胎生期ではα一クリスタリンの分解物
(38)
号外第2号 13
平成9年4月25日
は認められなかった。以上の結果、UPLラット
ともに、白内障形成の最終段階にカルパイン
白内障では遅発型および早発型ともに、白内障形
の活性化の関与が示唆された。
成の最終段階でカルパインの活性化によるα一ク
以上の結果、UPLラットの早発型および遅発
リスタリンの分解が生じたことが示唆された。
型白内障ではいずれも、初期変化として水晶体細
総 括
胞の分化異常が、ついで水晶体における透過性の
UPLラット白内障の発症機序の解明の一端と
並進、最終段階ではカルパインの活性化の関与が
して、水晶体を病理学的に検討した結果、以下の
示唆された。本研究において、UPLラット白内
知見を得た。
障の発症機序の一端を明らかにすることができた。
1)早発型水晶体では、胎生13日齢に水晶体線維
しかし、完全な病理発生の解明には、なお研究の
の伸長異常が観察された。その後、水晶前上
継続が必要である。一方、水晶体における透過性
皮の重層化および線維分化の停止を示唆する
の充進やカルパインの活性化はヒト白内障の発症
知見を得た。早発型水晶体の初期変化に水晶
機序の解明の上で注目されている領域であり、
体線維の分化異常が関与していることが示唆
UPLラットはヒト白内障モデルとして、さらに
された。しかし、α一およびγ一クリスタリ
水晶体細胞分化の研究上、非常に有用なモデルで
ンの分布および局在に著変はなかった。
あると考えられる。
2)早発型水晶体では、異常に伸長した水晶体線
維においてもbFGF、 aFGFおよびFGFR−1
2 学位論文審査結果の要旨
が発現していた。一方、水晶体上皮ではbFGF
失明の主たる原因であるヒトの白内障の発症機
陽性細胞の分布および局在に変化がみられ、
序には紫外線、高血糖、自己免疫疾患などの多様
上皮細胞の異常にFGFが関与している可能
な要因が複雑に関与しており、いまだに解明され
性が示唆された。
ていない。その発症機序を解明し、根本的な治療
3)遅発型水晶体における最初の変化は、2∼4
法あるいは予防法を確立するためには多くの白内
週齢で観察された縫合周囲の水晶体線維末端
障モデルを用いた研究が必要である。UPL(Upjohn
部における細胞内小胞形成と水晶体上皮の重
Pharmaceuticals I.imited)ラットは1989年に
層化であった。遅発型水晶体の初期変化には
発見された新しい自然発症白内障モデル動物で、
水晶体線維の分化異常が関与している可能性
ホモ型とヘテロ型で発現型の異なる常染色体性不
が高いものと考えられた。約7週齢で素水晶
完全優性遺伝性を示す。ホモ型では、小眼症、小
体線維の断裂や液化が皮質全体に観察された。
水晶体症、虹彩後癒着、牛眼などの眼異常を併発
4)肉眼的に混濁が観察される以前より水晶体後
して、2週齢の開眼時までに白内障を発症する
極皮質における水分量の増加傾向が認められ、
(早発型)。ヘテロ型では、約6週齢までは明らか
混濁形成に透過性の充進が関与している可能
な水晶体混濁を認めないが、その後急速に白内障
性が示唆された。しかし、6週齢の水晶体に
を形成し、8週齢頃までに成熟白内障を生じる
おいても、SHおよびSSの変動は観察されな
(遅発型)。
かった。
本論文は、UPLラットの早発型および遅発型
5)遅発型水晶体では、水晶体線維が断裂、液化
水晶体について、病理形態学的変化、さらに機能
した段階で初めてカルパインによるαA一お
的な面より水晶体タンパク質および成長因子の発
よびαB一クリスタリンの分解物が認められ
現、水晶体水分量、水晶体タンパク質のスルフィ
た。水晶体カルシウムレベルも上昇していた。
ドリル基(SH)とジスルフィド結合(SS)の変
早発型水晶体では、生後1週齢以降に主に水
動、カルパインの活性化について検討したもので、
晶体線維にαA一およびαB一クリスタリン
その内容は以下のように要約される。
の分解物が認められた。遅発型および早発型
第一章では、早発型水晶体を病理組織学的に観
(39)
平成9年4月25日
14号外第2号
察し、さらにα一およびγ一クリスタリン、FGF
は後極皮質線維に細胞内小胞が認あられた。約7
およびFGFレセプター(FGFR4)の局在と分化
週齢では皮質全域の水晶体線維の断裂や液化が観
への関与について免疫組織化学的に検討した。
察された(ステージIV、成熟白内障)。以上の結
胎生12日齢から生後!4ヵ月齢の水晶体について
果、遅発型水晶体の初期変化には水晶体線維の伸
検討した結果、早発型水晶体における最初の形態
長異常が関与していることを明らかにした。さら
学的変化は胎生13日半に観察された水晶体線維の
に、混濁が形成される以前より水晶体後極皮質に
伸長異常であり、胎生19日齢以降では水晶体上皮
おける水分量の増加傾向を認め、透過性の三重が
細胞の重層化が観察された。また、生後3週齢以
示唆された。
降では、上皮細胞と水晶体線維の間の連続性が消
失し、線維分化の停止が認められた。
α一クリスタリンおよびγ一クリスタリンに対
する抗体を用いて、早発型水晶体におけるこれら
第三章では、カルパインによって分解されたα
A一およびαB一クリスタリンに特異的な抗体を
用いて、遅発型および早発型水晶体を免疫組織化
学的に検討した。
のクリスタリンの分布と局在を検討した結果、伸
遅発型水晶体では、ステージIVで初めてαA一
長異常を示した線維あるいは壊死した線維にγ一
およびαB一クリスタリンの分解物が観察された。
クリスタリンが、また重層化した上皮細胞にα一
また、水晶体カルシウムレベルは、ステージHで
クリスタリンが観察され、早発型水晶体における
軽微に増加し、ステージ皿以降顕著に増加した。
α一およびγ一クリスタリンの分布と局在に差が
早発型水晶体では、生後1週齢以降に主に水晶体
ないことを明らかにした。
線維にαA一およびαB一クリスタリンの分解物
bFGF、 aFGFおよびFGFR−1に対する抗体を
が認められたが、胎生期ではα一クリスタリンの
用いて、早発型水晶体を免疫組織化学的に検討し
分解物は認められなかった。以上の結果、遅発型
た結果、異常に伸長した水晶体線維ではbFGF、
および早発型ともに、白内障形成の最終段階でカ
aFGFおよびFGFR−1が発現していた。胎生19学
ルパインの活性化によるα一クリスタリンの分解
齢の正常動物の水晶体上皮ではbFGF陽性細胞は
が生じていることを明らかにした。
前極部に局在し、赤道部には見られなかったが、
以上、本研究は、白内障発症過程の初期段階で
早発型では水晶体上皮全体にbFGF陽性細胞が均
FGFの関与する水晶体細胞の分化異常、ついで
等に発現していた。早発型水晶体では、FGFが
透過性累進の関与、さらに最終段階でカルパイン
上皮細胞の変化に関与し、水晶体線維形成に影響
の活性化が作用することを明らかにした。これら
している可能性が示唆された。
の研究成果は、比較病理学、比較眼科学の見地か
第二章では、遅発型水晶体の白内障形成過程を
ら、ヒトおよび動物の白内障病理発生の研究、治
病理組織学的に観察し、ラマン分光法を用いて水
療学および予防学の進歩発展に貢献するものであ
晶体局所の水分量、スルフィドリル基(SH)、ジ
り、学力確認の結果と併せて博士(獣医学)の学
スルフィド結合(SS)を定量的に測定した。
位を授与することを適当と認める。
遅発型ラット白内障の形成過程をステージ0∼
IVに分類した。ステージ0では形態学的な変化は
審査委員
主査 教 授 佐久間 貞 重
観察されず、遅発型水晶体の変化は生後に形成さ
副査教授江崎孝三郎
れることを明らかにした。ステージ1(前極部空
副査教授荒川 皓
胞状混濁、2∼4週齢)では前極縫合周囲の水晶
体線維末端部における細胞内小胞形成が、ステー
ジll(軽微な赤道部混濁、2∼6週齢)では赤道
大阪府立大学告示第13号
部上皮細胞の重層化、赤道部線維の細胞外空胞が
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
ステージ皿(顕著な赤道部混濁、4∼7週齢)で
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
(40)
号外第2号 15
平成9年4月25日
第!項の規定に基づき、平成9年2月28日博士の
テルフェニル分子は常温では粉末状の物質である。
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
この化合物は三つのベンゼン環がパラの位置に一
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
重結合で結ばれており、それらは特定の温度で回
要旨を次のとおり公表する。
転する。即ち相転移を起こす。またアクセプタ物
質をドープすることにより、結合様式が一重結合
平成9年4月25日
から二重結合に変化する。これらの特徴のため機
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
能的素材として期待されている。特に結合様式の
変化による電気的性質の変異は、ポリマー電池と
ひがし
の
かっ
し
称号及び氏名 博士(工学) 東 野 勝 治
(学位規程第3条第2項該当者)
(滋賀県 昭和18年!2月11日生)
して実用化されている。またアゾ化合物(Azo
compounds)は染料として知られ、常温では粉
末状である。この化合物はアゾ基の両端に電子授
与基や電子求引基を結合することにより、光の吸
論 文 名
パラテルフェニル単結晶及びアゾ化合物の
電気的性質に関する研究
収バンド幅や吸収端の波長を容易に変化させるこ
とができる。またレーザー光のような光電場の強
い光を照射すると、光電場の1次のみならず2次、
3次などに比例した高調波が現れる。即ち非線形
1 論文内容の要旨
光学現象が生ずる。さらにアゾ化合物はシスート
産業界、大学はもとより家庭のすみずみまで情
ランス光異性化などにより吸収波長の変異も生ず
報機器が浸透している現在、これらの機器の性能
る。これらのことからアゾ化合物も光応答デバイ
の向上への要求はますます増大している。現在我々
スへの応用が、近年期待されている。
が使用している電子機器は無機材料を基本とした
本研究はこのような機能的性質を持つパラテル
デバイスから成り立っており、その加工法、その
フェニル単結晶の電気的性質を調べ、それらの知
動作においてはいくっかの限界が指摘されている。
見を基にしてアゾ化合物を用いた高効率な光電変
たとえば超しSIの高密度化による電子的雑音、熱
換素材の開発を行うことを目的としている。
発生の問題は、デバイスの速度向上の要求から避
本論文の構成は以下の通りである。
けられない問題となっている。このような状況に
第1章では有機分子デバイス開発に関する基本
おいて、1982年カータ(F.L. Carter)が提案
的考え方を述べ、本研究で扱うパラテルフェニル
した有機分子デバイスは、これらの問題に対する
化合物やアゾ化合物の性質とその特徴からデバイ
解決策の一つとして期待されている。
ス用素材としての可能性について説明した。さら
有機分子デバイスの研究・開発の視点は、材料
に本研究を進めるにあたっての歴史的な背景とそ
から求める場合と、機能から求める場合がある。
の問題点を述べ、それらを明らかにする観点と方
前者の視点、すなわち材料から求める方法は機能
法について各章毎に説明した。
的素材を発見することが主目的で、一つの物質の
第2章では充分精製されたパラテルフェニル単
物性を種々の方法で調べその中から機能的な性質
結晶に含まれる不純物準位とそれらの性質と成因
を発見するものである。一方後者は物質の種類を
について、熱刺激電流スペクトルを測定すること
変えその中から一つの高効率な機能的性質を持つ
によって明らかにした。その結果2つの不純物準
物質を見つけ出す方法である。本研究では前者、
位が観測された。それらは、0.89±0.03eVと0.57
すなわち材料面の視点に立ったデバイス素材の研
±0.02eVであった。不純物準位0.89±0.03eVはベ
究を行った。
ンゼノイド状態とキノイド状態のエネルギー差に
本研究では二種類の有機化合物パラテルフェニ
近いことから、パラテルフェニル分子と酸素分子
ル(p−terpheny1) ‘とアゾ化合物を扱った。パラ
の電荷の混じり合いの小さい酸素パラテルフェニ
(41)
16号外第2号
平成9年4月25日
ル錯体であると帰属した。不純物準位0.57±
的特性に与える気体効果の実験をもとに、大気中
0.02eVは頻度因子がパラテルフェニル単結晶の格
で使用する可視光領域で光電変換機能を持つアゾ
子振動の大きさに相当していることから、自己束
化合物の置換基効果を調べた。その結果、高効率・
縛的な性質を持つ格子欠陥であると帰属した。
高光電気出力を示す2種類の物質を見いだした。
第3章ではパラテルフェニル単結晶に含まれる
これらの化合物の内の一つは、ベンゼン環のパラ
酸素に起因する深い不純物準位とそれらの光電子
の位置に結合した電子供与性の強い置換基
輸送過程における影響について外部光電効果の測
(diethylanino, diethylalcoholamino)と電子求
定によって明らかにした。その結果、酸素一パラ
引性の強いニトロチアゾール(nitrothiazole)
テルフェニル錯体に起因する深い不純物準位
からなり、波長領域300∼400nmで最大の光電気
(2.0±0.06eV)の存在とそれに起因する電子一電
出力と最も高い光電変換効率約5×10”9%と作用
子の散乱、自動イオン化現象が認められた。
因子約0.24を示した。
第4章では結晶表面における酸素一パラテルフェ
ニル錯体の存在とそれらの性質について明らかに
第6章では本論文の結論として各章の内容と成
果を総括した。
した。測定方法は第2章の熱刺激電流法とは異な
り、酸素中でポーリング処理をした試料の熱刺激
2 学位論文審査結果の要旨
電流を測定した。その結果315K(ピークA)と
本論文は、有機分子が将来の電子デバイスの構
260K(ピークB)で二つの幅広い焦電性の性質を
築に重要な要素となるという立場から、有機分子
示す熱刺激電流ピークと194−204Kで二次の相転
としてパラテルフェニルとアゾ化合物を選び、こ
移に起因する鋭い熱刺激電流の変化を見いだした。
れらの電気的性質に関する研究をまとめたもので
焦電性の性質を持つピークはパラテルフェニル単
あり、次のような成果を得ている。
結晶の表面に形成された酸素一パラテルフェニル
!)十分精製したパラテルフェニル単結晶に含ま
錯体であると推定された。さらに197 一 200Kの鋭
れる不純物準位とそれらの性質を熱刺激電流
い熱刺激電流の変化は印加電圧に依存しているこ
スペクトルの測定によって明らかにした。不
とから、二次の構造相転移に起因する誘電率の変
純物準位として0.89eV付近にある電荷の混じ
化であることが分かった。またこの急激な誘電率
り合いの少ない酸素パラテルフェニル錯体に
の変化からパラテルフェニルの相転移は秩序無秩
よるものと、O.57eV付近の自己束縛的な性質
序型の性質を持っていることも分かった。
をもつ格子欠陥を見いだした。
これらのことからパラテルフェニル結晶の暗電
2)パラテルフェニル単結晶に含まれる酸素に起
流の温度特性は、酸素雰囲気中では温度と共に増
因する深い不純物準位とそれらの光電子輸送
加する酸素に起因する自発分極により、多数キャ
過程への影響を、外部光電効果により明らか
リアである正孔が減少すること、また内部光電効
にした。準位として2,0eVを見積もり、これ
果においては、バルク中にある酸素パラテルフェ
による電子一電子散乱および自動イオン化を
ニル錯体に起因する深い5ラップ準位が電子一電
見いだした。
子散乱や自動イオン化などの緩和過程の媒介とな
3)結晶表面の酸素一パラテルフェニル錯体の存
り、その結果、内部光電効果による光電流の増加
在とその性質について、酸素中でポーリング
を招いたと推定した。さらに結晶表面では吸着酸
処理をした試料の熱刺激電流スペクトルから
素に起因する表面近くに形成された電場によって
明らかにした。315Kと260Kに焦電的性質を、
励起子の解離が促進され、このことによっても酸
200K付近に秩序無秩序型の2次の相転移を
素中では内部光電効果による光電流が大きくなる
見出した。また、これらの結果からパラテル
と推定した。
フェニル結晶の①暗電流の温度特性について、
第5章では上述のパラテルフェニル結晶の電気
(42)
温度の上昇によって酸素に起因する自発分極
号外第2号 17
平成9年4月25日
大阪府立大学長平出多賀男
が増大し、多数キャリアの正孔が減少するこ
と、②内部光電効果による光電流については、
あか
し よし あき
電子一電子散乱や自動イオン化による緩和過
称号及び氏名博士(経済学)明石喜彬
程によって増大すること、③吸着酸素による
(学位規程第3画面2項該当者)
表面近くの電場により励起子が解離されるた
(福岡県 昭和18年12月!1日生)
め、酸素中では光電流が大きくなることなど
を推定した。
4)パラテルフェニル結晶の気体、特に酸素によ
る効果を基に、大気中で使用するアゾ化合物
論 文 名
『失業に関する実証及び理論分析』
一オーストラリアの近年の失業動向を対象にして一
の置換基効果を調べ、2種類の優れた置換基
化合物を見いだした。これらを用いて太陽電
1 論文内容の要旨
池を構成しその特性を評価した。変換効率は
OECD諸国の多くは70年代の2度の石油危機iに
300∼400nmの範囲で5×10−4%、作用因子
よって経済構造の変革を迫られ、その調整に長期
は0.24と有機物として高い効率を実現した。
問を要した。その間に各国の経済は経済成長の低
以上の諸成果は、有機分子のパラテルフェニル
下、失業率の上昇、物価上昇率の高騰、経常収支
単結晶およびアゾ化合物の電気的性質、特に吸着
の悪化といったマクロ経済問題が発生したことは
酸素の電子状態への影響に関して新しい有用な知
周知のことである。オーストラリア経済もその例
見を与えるものであり、ここで明らかにされた機
外ではなく、その経済的混乱は他の諸国よりもか
能的性質は将来の有機分子デバイスの構築に貢献
なり長期化することになった。特に、失業問題や
するところ大である。また、申請者が自立して研
経常収支問題は深刻なものとなった。この国は60
究活動を行うに必要な能力と学識を有することを
年代半ばまではむしろ労働力不足の経済であり、
証したものである。
それまで失業問題は顕在化することはなかったの
本委員会は、本論文の審査ならびに学力確認試
である。当研究は70年前以降のこの国の失業現象
験の結果から、博士(工学)の学位を授与するこ
を対象とし、その失業動向と失業発生の理由を明
とを適当と認める。
らかにすることが主題である。
審査委員
主査 教 授 中 山 喜 萬
副査教授山本信行
副査教授村田顕二
副査教授堂丸隆祥
70年以降の失業動向については2つの現象が指
摘される。その一つは1、2年間という短期間に
失業率が階段状で上昇する変化(ステップ現象)
である。オーストラリアはこのステップ現象を’7
5−76年と’82−83年の2度経験した。前者の時期に
は平均失業率を約4%上昇させ、’75−82年の平均
失業率は5.8%となった。後者の時期にはそれを
大阪府立大学告示第14号
約3%上昇させ、’83−93年の平均失業率を8.6%ま
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
で引き上げた。他の一つは失業率の下方硬直性の
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
現象(ラチェット現象)である。ステップ現象の
第1項の規定に基づき、平成9年2月28日博士の
結果の失業率はその比率を高い比率で持続させ、
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
従来の比率に回帰させることが比較的難しいもの
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
となる、いわゆる失業の持続性の現象が発生する
要旨を次のとおり公表する。
ことになった。
平成9年4月25日
失業率に関するステップ現象やラチェット現象
は、長期失業率の動向においても確認される。長
(43)
平成9年4月25日
18号外第2号
期失業率に関するこれらの現象は80年代以降のも
7%前後に上昇する結果となった。この失業率の
のであり、全般的な失業率の動向よりも明確なも
長期的要因が構造的・制度的要因のものであり、
のとなっている。そして、長期失業の増加は労働
その基礎的部分をなすものである。ただ、現実の
市場の単に需給調整のみの問題ではなく、それは
失業の内、どれほどがこの要因に対応するもので
経済の構造要因に大きく依存している。研究対象
あるかの構成比率を特定することは極めて困難な
の期間の失業要因としての構造的・制度的要因が
ものである。
長期失業問題からより明確にされる。
この国の失業率に顕著な影響を与えた主要な構
伝統的な経済理論に従って失業の決定要因を説
造的・制度的要因は、以下の3つをあげることが
明するならば、古典派経済学が指摘する均衡賃金
できる。その第1は労働市場の非効率性である。
率を越える実質賃金率の高さや、ケインズ派経済
この国では永く国内経済の保護主義的傾向を維持
学が指摘する総需要水準の低さなどである。これ
してきたし、労働の超過需要状態が継続されてき
らの要因が失業を決定することは明白である。確
たため、生産技術と労働技能との不均等や雇用の
かに、この国の80年代中葉からの長期にわたる好
地域的アンバランスなどが労働市場で従来表面化
況は、一方では高い経済成長率を実現して総需要
することが少なかった。このため、労働市場にお
を拡大し、他方では高い物価上昇と租税負担の強
ける需給のミス・マッチングを効率的に調整する
化が労働者の税控除後の実質賃金率を約10%引き
機能が低下したものになっていた。現代の失業は
下げた。そのため、この時期に雇用は拡大し、古
利用可能な労働力と必要労働力の差ではない。高
典派的失業やケインズ的失業は減少して短期的に
度な生産技術の導入を可能にする特定の労働技能
失業率は低下することになった。
を保有した労働力を経済社会は必要としている。
けれども、現実の失業現象はいくつかの失業要
このような労働力の育成とその移転を容易にする
因の複合的現象である。特に、70年代以降の失業
労働市場の形成が遅れていたといえる。この労働
率の上昇に関してはより経済構造の変化による影
市場の非効率性の問題は、近年の労働生産性上昇
響が強く働いた。それは70年代の石油危機が国内
率の低下や国際競争力の低水準にも関連している。
の生産構造を大きく変化させるものとなったし、
第2は、就業内容の変化が従来の隠れた失業の
80年代の国際化の現象は国際競争力のある海外生
陽表化や偽装失業を増加させたことである。近年
産物の急速な輸入増加が国内経済の調整を促進さ
の労働力需給の構造的変化として、パート・タイ
せることになった。さらに、この対象期間の経済
ム労働の増加、女性の労働力率の上昇、ホワイト・
的な混乱は労使関係制度を始めとする労働市場の
カラーの増加、脱工業化社会に伴うサービス業の
諸制度を変化させることになった。これらの構造
拡大などが指摘できるが、これらの変化は以前は
変化あるいは制度変化は労働市場の需給調整機能
労働供給に参入しなかった労働力が表面化して、
を非効率的なものとし、失業率を引き上げること
隠れた失業が陽表出されることになった。また、
になった。
就業機会の多様化は現実には何らかの就業を行い
構造的あるいは制度的要因の変化は本来長期的
なから、社会統計上は失業である偽装失業を容易
要因であるが、それらの影響は景気後退期に表面
にすることになった。これらは社会保障制度、特
化する傾向がある。それが需要不足失業と同時に
に失業保険制度の充実によって一層増加させるこ
発生して、失業率を急上昇させたのである。また、
とになった。近年の就業構造の変化と失業保険制
この要因による失業は全失業の基礎的部分を形成
度のミス・マッチが表面化したといえる。
することになった。この要因による失業率の上昇
その第3は、経済の国際化や政府企業の民営化
は失業一欠員分析における均衡失業率や自然失業
などの経済環境の変化にともなう企業の労働節約
率の計量的計測から指摘できる。それは70年代初
的な生産技術の採用をあげることができる。経済
頭に2%程度のものであったが、80年代後半には
の国際化政策の促進は永く厚い保護政策の下にあっ
(44)
号外第2号 19
平成9年4月25日
た国内企業に国際競争力の増強を強いることになっ
要因を認識するために有益であり、そのための用
た。企業は国際競争力を確保するために、労働コ
具である。
ストの削減や生産性上昇の対策として労働節約的
第3は、労働市場分析における労働供給曲線の
な生産を指向するようになった。また、同様のこ
分析用具としての有効性である。労働市場の需給
とは80年代に実施された政府企業の民営化におい
分析において需給両曲線の交点で決定されるもの
ても顕著に行なわれた。これらは労働分配率の上
は観念的な完全雇用水準であり、現実の雇用量は
昇や労働コストの増加を阻止するための景気後退
労働需要曲線上のどこかの点で決定されることに
期における雇用削減が、その後の景気回復期に雇
なる。そして、実質賃金率は労使間の賃金交渉に
用の増加を誘発しなかったことからもみてとれる。
よって決定されるのではなく、経済全般の力関係
当研究では失業現象の分析と平行して失業理論
によって決定されるのであるから、労働者サイド
の問題点を指摘した。その一つは古典派的失業の
からすれば、労働者の期待する水準や要求する水
持続性である。古典派は経済自体がもつ自動調整
準は実現しないことになる。このことは、労働供
機構の存在を想定している。そこでは伸縮的な価
給曲線上において雇用量や実質賃金率が決定され
格と賃金率が労働市場を常に均等化させる市場調
るとは限らないことを意味している。
整メカニズムをもち、完全雇用が達成されるとし
労働市場のより現実的かっ有効な分析は、賃金
ている。しかし、古典派的失業の経済では、家計
設定関数と価格設定関数を分析道具とする新ケイ
はその観念的労働供給を達成できず、このため観
ンズ派のものであろう。そこでの賃金設定関数は
念的生産物需要も変更を迫られるが、他方の企業
企業やインサイダーの雇用量や賃金の決定行動を
は均衡状態にあり、市場の価格調整は自律的に実
陽表的に導入できるものであり、伝統的な労働需
行されない。このことは古典派的失業の自律的解
給関数による分析よりも労働市場をより適切に説
消のメカニズムが不完全なものであることを意味
明するものになっている。
し、その失業の持続性を説明するものとなる。古
典派的失業の解消には実質賃金率の引き下げが必
2 学位論文審査結果の要旨
要であるが、それは価格と貨幣賃金率の変化は密
本論文は、失業、賃金、雇用といった労働市場
接であり、現実的な施策として困難なものなので
に焦点をあてつつマクロ経済学の諸説を整理し、
ある。
マクロ経済学の視点からオーストラリアの失業を
問題点の第2は、フィリップス曲線についてで
分析している。他のOECD諸国同様、オーストラ
ある。フィリップス曲線の理論はケインズ体系
リアも石油危機以降マクロ経済パフォーマンスに
(ピックス流の固定価格法)の価格変数の変化を
複合的問題が生じた。その中でも特に重要なのが
説明する理論用具として利用されることになった。
失業の問題である。70年代初めまでは、オースト
そこでの理論内容は労働の超過需要が貨幣賃金を
ラリアの失業率は2%以下で推移することが一般
変化させるという賃金調整関数である。フィリッ
的であった。しかし、石油危機以降、失業率が短
プス曲線の理論内容がそうであるならば、失業率
期間に10%を越える状態に変化し、その高水準が
と賃金上昇率の双方はトレード・オフの関係では
その後維持されることになった。この論文は、こ
なく、賃金調整過程の双方の一時的な関係を示す
の高失業の要因を単なる需要ショックや供給ショッ
ものである。そして、その調整は安定的な完全雇
クによるものと見なさず、構造的変化や制度的変
用失業率への収束を説明することになる。けれど
化に対して労働市場が効率的に働かなかったため
も、現実の労働市場がそのような適切な賃金調整
と分析している。
能力を具備していると考えることはできないし、
まず70年代以降の失業動向について2つの現象
それがケインズ体系と整合的であるとすることは
を指摘している。一つは短期間に失業率が階段状
難しい。フィリップス曲線は労働市場の非競争的
で上昇するステップ現象である。もう一つは、失
(45)
平成9年4月25日
20号外第2号
業率が下方硬直的になるラチェット現象である。
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
この2つの現象の発生をデータにより確認してい
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
る。また構造的・制度的要因による失業率上昇を、
要旨を次のとおり公表する。
失業一欠員分析における均衡失業率や自然失業率
平成9年4月25日
の計量分析により確かめている。
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
構造と制度に起因する要因として次のようなも
のを指摘している。1、労働市場の非効率性によ
り熟練労働者の育成が十分にできなかった。オー
たに
たた
あき
称号及び氏名 博士(工学) 谷
ストラリアは国内経済は保護され、労働市場は長
忠 明
(学位規程第3条第2項該当者)
(大阪府 昭和30年!0月10日生)
く超過需要状態であり賃金や労働条件の決定は中
央集権的に行われていた。そのため、国際化や自
由化に伴う労働市場のミスマッチに対応すること
ができなかった。2、パート・タイム労働の増加、
論 文 名
格構造解析を用いた文書理解に関する研究
女性の労働力率の上昇、ホワイト・カラーの増加、
第3次産業の拡大といった就業内容の変化が従来
1 論文内容の要旨
隠れていた失業の陽表意や偽装失業を増加させた。
情報化時代と言われる現在、我々は情報の洪水
また失業保険制度の充実がこれに拍車をかけた。
の中で生活していると言っても過言ではない。従
3、経済の国際化や民営化により労働節約的生産
来から情報伝達の主要な手段として文書が用いら
国術が採用された。
れているが、近年のコンピュータの高性能化と低
マクロ経済理論との関係では、オーストラリア
価格化、またインターネットの活用により、従来
の状況を有効に説明する失業理論として新ケイン
の印刷文書に加えて電子化された文書も大きな位
ズ派のものを支持している。
置を占めるようになり、文書の数、量とも爆発的
マクロ的視点からオーストラリアの失業を分析
に増大している。その結果、膨大な数の文書を分
して、その構造的要因や制度的要因と高失業率の
類するとか、必要とする情報に関係する文書を検
定着とを関連づけている。労働市場のマクロ理論
索することは、既に人手には負えなくなりつつあ
を適切に整理するとともに、それをオーストラリ
る。そこで、文書情報の収集、分類、検索を自動
アの失業の分析に応用し、オーストラリアの制度
化するために、計算機を用いて文書の情報を抽出
やデータに丹念に当たった価値の高い作品である。
し、検索や質問応答が可能な文書データベースを
本審査委員会は、本論文の審査ならびに学力確
構築するための文書理解の研究が重要となってき
認試験の結果から、博士(経済学)の学位を授与
することを適当と認ある。
審査委員
ている。
文書において情報伝達の主役を担っているのは
自然言語テキストであるため、文書理解には自然
主査教授駿河輝和
副査教授伊藤正一
言語テキストの理解が不可欠である。従来から、
副査教授綿貫伸一郎
んに行われている。これらの研究の一つとして、
自然言語文の意味解析やテキスト理解の研究が盛
1968年にFillmoreの提唱した「格文法」は、それ
までの統語構造による文の分析に対して意味的な
大阪府立大学告示第15号
関係である格構造による文の分析方法を示し、文
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
の意味を形式的に取り扱う道を拓いた。さらに、
規則第2亜目以下「学位規程」という。)第15条
1972年にはWinogradが、計算機上でシミュレー
第1項の規定に基づき、平成9年3月20日博士の
トした積み木の世界において、ロボットの動作を
(46)
号外第2号 21
平成9年4月25日
人間との対話により行わせる研究を発表し、1977
結果に含まれる曖昧性を考慮しながら統合理解を
年にはSchankが、典型的な出来事の系列を記述
行う方法を提案している。
したスクリプトと呼ばれる知識を用いることによ
第1章では、本研究の背景ならびに本研究の目
り、テキストに明示的に記述されていない内容を
的および意義を述べ、研究内容の概要について述
推定しながらテキストを理解する方法を提案した。
べている。
これらの研究は、自然言語文の理解において、対
第2章では、まず、日本語文の格構造解析方法
象世界に関する知識が重要な役割を果たすこと、
を提案し、続いて、格構造解析により抽出した日
および自然言語文の意味を形式化された表現で抽
本語文の格構造を種々の具体的な処理に応用する
出し、処理対象に応じた表現に変換していくこと
ための表現の変換手法について考察している。
の重要性を示した。
まず、動詞語の後置詞パターンと語句の意味カ
一方、近年のマルチメディア化の進展の下で、
テゴリに基づく格構造パターンを定義し、これを
自然言語テキストに加えて図や画像などのテキス
用いて日本語文の格構造を同定することにより、
ト以外の表現手段を文書に併用することが以前に
多義性を持つ動詞語の意味を決定する方法を明ら
も増して多くなってきている。そのため、テキス
かにしている。さらに、一般的な格構造パターン
ト理解に加えて、図や画像とテキストとの統合理
では文の係り受けの曖昧性が解消されない場合が
解の研究が盛んに行われている。しかし、従来の
多いが、これについては、意味抽出対象のテキス
研究の多くは、機械図面や幾何図形などの特殊な
トを技術論文などに限定し、対象分野の専門知識
図形を対象としており、システム構成図のような
に基づいた詳細な格構造パターンを設定すること
閉図形と線などで構成され概念図と呼ばれる汎用
により、曖昧性を解消する方法を示している。
性の高い図を対象とした研究はほとんど行われて
続いて、第2章3節では、格構造解析と格構造
いないのが現状である。また、従来の研究では、
変換の日英機械翻訳への応用について考察してい
実際の図と文から意味抽出を行うことにあまり重
る。日本語と英語では慣用的に用いられる表現の
点がおかれていないため、図の意味を肉南が解釈
単位が必ずしも同一ではなく、日本語の単語が英
した結果を入力する方法、また文の意味解析結果
語の単語に一対一に対応しない場合がある。これ
が一意に定まることを前提とした方法が多く、図
らを対応する英文に翻訳するために、日本語の格
と文それぞれの意味解析結果に曖昧性が含まれる
構造を部分的に構造変換して英語の格構造を生成
場合を考慮した研究は多くない。
する方法を提案している。第2章4節では、プロ
そこで本論文では、技術文書に現れる日本語文
グラムの自動合成における形式仕様表現と日本語
を対象として、格文法に基づいて文の具体的な意
表現との相互変換について考察している。プログ
味、すなわち格構造を抽出する方法を提案し、さ
ラムの自動合成の研究は1970年代から盛んに行わ
らに、日英機械翻訳において、日本語と英語にお
れているが、それらの多くは、論理式などの形式
ける表現の相違を解消し、対応する英文を生成す
言語により仕様を与え、定理証明の手法を用いて
るために、身構歯間の構造変換を応用する手法、
プログラムを合成するものである。形式言語は、
また、プログラム合成において自然言語による仕
人間にとって習得が難しく可読性に劣るため、仕
様記述を実現するために格構造変換を応用する手
様を誤りなく記述するたあには多くの労力を要す
法、および格構造解析と格構造変換により自然言
る。このため、自然言語たよる仕様記述が望まれ
語テキストを形式表現に変換し、文間の因果関係
ている。本節では、プログラムの仕様に用いられ
を知識ベースに基づき推論することによりテキス
る自然言語表現の分析を行い、その分析結果に基
トを理解する手法を明らかにしている。次に、こ
づいて簡易で標準的な表現による日本語仕様の構
れらの手法を用いて、図とテキストを共通の意味
文規則を定義し、格構造解析と格構造変換の手法
表現に変換することにより、図とテキストの解析
を用いて、日本語仕様からプログラム合成システ
(47)
平成9年4月25日
22号外第2号
ムで用いる形式仕様へ変換する手法、および形式
いる。
仕様から日本語文を生成する手法を提案している。
提案手法を用いて情報処理システムに関する技
第2章5節では、技術文書における、システムや
術報告および教科書の図と説明文を対象として統
デバイスの動作と構成を詳しく説明するテキスト
合実験を行い、図と文の対応付けと同時に曖昧性
について、予め用意した知識ベースを用いて推論
が解消できることを示すとともに、特に本手法は、
し、理解する方法、およびテキストの文を知識ベー
図と文が同程度に詳しく記述されているときに有
スと同様の形式表現に変換する方法について考察
効であることを明らかにしている。
している。
第3章では、技術文書における図と文が表す意
味を、図と文に共通の表現形式に変換し、両者の
第4章では、本研究により得られた成果を統括
すると共に、今後の課題および発展について述べ
ている。
情報を統合する手法を提案している。
まず、図と文の意味表現として、格構造表現に
基づく・‘関係表現を導入している。 ‘関係表現
2 学位論文審査結果の要旨
本論文は、文書からの情報抽出とその応用を目
とは、文書が表す主要な情報を2っの構成要素間
的として、格文法に基づく日本語文の意味解析手
の関係であるととらえ、関係と関係に係わる構成
法と抽出した意味を各種の処理目的に応じた表現
要素をフレームを用いて表現したものである。関
形式に変換する手法を提案しており、次の成果を
係表現を用いることにより、図と文の意味を同一
得ている。
の形式で表現することが可能となり、図と文の対
(1)動詞の後置詞パターンと語の意味カテゴリ
応判定を関係表現同士の語句の対応判定として単
に基づく格構造パターンを定義し、これを用いて
純化できるとともに、両者の情報の統合が容易に
日本語文の格構造を効率よく同定するとともに、
なる。
多義性をもつ動詞の語義を決定する手法を示した。
また、図における関係の表現形態の分析および
② 格構造を中間表現として、これに変換規則
技術文書に現れる動詞語の分析を行い、その分析
を適用することにより、日本語文の意味をこれと
結果に基づいて、図と文から関係表現を構成する
等価な別の表現形式に変換する手法を示し、この
ための変換規則を定義している。そして、図と文
手法を日英機械翻訳、日本語による仕様記述、推
それぞれの解析結果に曖昧性が含まれる場合に、
論によるテキスト理解に応用した。
これを関係表現間の矛盾関係として明示的に表現
日英機械翻訳への応用では、訳語が語ごとに対
する手法を提案している。また、人間は、図と文
応しない場合に、格構造を部分的に変換すること
の対応をとる際に、図と文それぞれの語句の同一
により日本語文の格構造と近似的に等価な英文の
性、類似性を手がかりにしていると考えられるが、
格構造を得る方法を示した。
一般に、図表の語句と文中の語句とは異なる語彙
日本語による仕様記述への応用では、プログラ
や表現が用いられることが多いため、単純なパター
ム自動合成システムに入力する形式仕様を直接記
ンマッチでは対応可能性を判定することが困難な
述する代わりに、日本語表現を用いた仕様記述を
場合が多い。そこで本論文では、文だけではなく
入力し、これを自動的に形式仕様に変換するため、
図中の文字列も格構造に変換し、格構造同士の対
日本語仕様記述の構文規則と形式仕様への変換規
応判定を行っている。これにより、従来の手法に
則を定義した。
比べてより詳細な対応判定が可能となることを示
推論によるテキスト理解への応用では、システ
している。そして、語句の対応判定に基づく対応
ムやデバイスの構成や動作を詳しく説明するテキ
付け候補の集合から、矛盾関係にある関係表現の
ストを対象として、知識ベースを用いた推論を行
対応付けを排除することにより、図と文の対応付
い、省略された事象間の因果関係を補完すること
けと同時に曖昧性を解消する統合手法を提案して
により理解する方法とテキストの文の意味を知識
(48)
号外第2号 23
平成9年4月25日
ベースと同一形式の形式表現に変換する方法を示
大阪府立大学告示第16号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
した。
これらの応用を通して、計算機を用いた知識処
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
理に日本語表現を利用する上で、格構造パターン
第1項の規定に基づき、平成9年3月20日博士の
が中間表現として有効であること、および処理の
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
対象分野に存在する事物やその関係を詳しく分析
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
し、それを変換規則としてまとめることの重要性
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
を示した。
(3)図とテキストの統合理解において、システ
大阪府立大学長着払多賀男
ムの構成要素聞の関係が図と文の対応付けの中心
になることに着目し、図と文に共通の意味表現と
して、格構造に基づく「関係表現」を導入した。
はらしまかつみ
称号及び氏名 博士(工学) 原 嶋 勝 美
そして、図と文における関係の表現形態の分析お
(学位規程第3条第2項該当者)
よび説明文における動詞の分析に基づいて、図と
(大阪府 昭和35年4月13日生)
文から「関係表現」を構成する変換規則を定義し
た。「関係表現」はフレーム構造を用いて記述す
るため、図と文の対応付けをフレームのマッチン
グ処理として簡単化できるとともに、図と文の情
論 文 名
VLSl自動設計におけるスケジューリング
およびアロケーションに関する研究
報の統合が容易になる。
(4)図の意味解析、文の意味解析および図と文
1 論文内容の要旨
の対応における矛盾関係を定義し、図と文の対応
1959年に発明された半導体集積回路(IC:In−
付けの集合から、矛盾を含まず、かっ最:も良く対
tegrated Circuit)は,当初数十トランジスタ程
応付けることができる部分集合を選択することに
度であった集積度が1990年代には数百万トランジ
より、図とテキストの統合と曖昧性の解消を同時
スタを越えるマイクロプロセッサが製造されるま
に行う手法を示した。そして、この提案手法は、
でになった.このように大規模・集積化されたIC
図とテキストが同程度の詳しさで表現されている
はVLSI(Very Large Scale IC)と呼ばれ,様々
場合に有効であることを実験により示した。
な電子機器に使用されている.VLSIの設計は,
以上の諸成果は、情報工学分野における自然言
上位工程から機能設計,論理設計,レイアウト設
語処理技術の基礎と応用を拡充するものであり、
計からなり,この設計の自動化の検討は最下位工
情報工学分野に貢献するところ大である。また、
程であるレイアウト設計から着手された.ICの設
申請者が自立して研究活動を行うに必要な能力と
計は回路基板上に人手で基本論理ゲートを配置し,
学識を有することを証したものである。
それらの間を配線することから始まったが,集積
本委員会は、本論文の審査ならびに学力確認試
度が向上するにしたがって微細加工技術の制約や
験の結果から、博士(工学)の学位を授与するこ
設計そのものが複雑になり,人手では対処するこ
とを適当と認める。
とができなくなってきた.そこで,計算機を用い
審査委員
た設計技術が導入されるようになり,1970年前か
主査 教 授 福 永 邦 雄
らはミニコンピュータの普及によって,対話形式
副査 教 授 柴 田
のCADシステムの利用へと進んだ.これらのCA
浩
副査教授大松 繁
副査 教 授 松 本 啓之亮
Dシステムはプリント基板およびICの配置配線や
作図処理に広く用いられるようになった.この結
果,比較的規模の大きい汎用VLSIが低コストで
(49)
平成9年4月25日
24号外第2号
生産できるようになり,電子機器の低価格化に貢
ルシンセシスはアーキテクチャ分割,スケジュー
献することとなった.
リング,アロケーションの3っの要素技術に大別
汎用VLSIはソフトウェアによって制御を行う
される.アーキテクチャ分割は与えられた機能記
ため柔軟性に富んでいるが,一方では処理性能や
述を制御部や数値演算部等の部分システムに分割
応答速度などの点で限界がある.そこで,従来ソ
する技術である.また,スケジューリングは処理
フトウェアによって行なわれていた処理の多くの
されるデータの演算順序を決定する技術であり,
部分をハードウェアで実行することで,用途に適
アロゲーションはスケジューリング結果に基づい
した性能を発揮する集積回路を構成する方法が採
て演算処理をハードウェアに割り当てる技術であ
られるようになった.このような,用途を特定し
る.特に,スケジューリングおよびアロケーショ
たVLSIのことをASIC(Application Specific IC)
ンはレジスタ転送レベルの構造を決定する重要な
と呼ぶ.ASICは汎用VLSIに比較して小形,軽量,
処理工程である.
低消費電力,高性能,高信頼性,低価格などの利
スケジューリングは従来から多くの手法が提案
点があり,ASICを使用することで高付加価値を
されてきており,特に最近ではディジタル信号処
持った製品を生産することが可能となってきた.
理(DSP:Digital Signal Processing)技術が
1チップ上にシステム全体が実現されるようになっ
多くの分野で利用されるようになり,リアルタイ
た現在,ASICの開発においては,実現するシス
ムで信号を処理することを目指しながらハードウェ
テム全体から半導体の製造プロセスまでの幅広い
アコストの制約を満たすDSPシステムを実現する
知識が必要となる.しかしながら,それまでの
ためのスケジューリング手法が多く提案されるよ
CADシステムではレイアウ5設計および論理設
うになってきた.さらに,携帯機器が普及するに
計の一部分をカバーしているだけであったため、
したがって,小型化および小電力化が一層重要に
システム設計者がASIC全体を設計することは困
なり,スケジューリング結果をハードウェアに割
難であった.そこで,近年では機能設計からレイ
り当てるアロケーション技術の高性能化の要望が
アウト設計までを計算機処理で行うVLSI自動設
強い.
計システムの開発が盛んに行なわれている.特に,
そこで本論文では,初めに,VLSI自動設計の
従来全く計算機が導入さていなかった機能設計に
ハイレベルシンセシスにおけるスケジューリング
おける自動設計技術に対する研究が高位合成ある
問題およびアロケーション問題を定義する,次に,
いはハイレベルシンセシスという名前で活発に行
大規模データに対しても有効に対処できる効率の
われてきている.
よいスケジューリング手法を提案すると共に,ディ
ハイレベルシンセシスはASICの最上位の設計
ジタル信号処理システムへ応用することが可能な
工程であり,システムの機能を表現した機能記述
スケジューリング手法について述べる.さらに,
を,ハードウェアコストあるいは処理性能等の制
の
スケジューリングだけでは不可能な処理効率のよ
約を満たすレジスタ転送レベルの構造記述を,ハー
い演算処理を実現するために,入力データの構造
ドウェアコストあるいは処理性能等の制約を満た
を変換する手法を提案している.最後にスケジュー
すレジスタ転送レベルの構造記述に変換すること
リング結果をハードウェアとして実現するための,
を目的としている.ハイレベルシンセシスによっ
入力データの特徴を考慮したアロケーション手法
て生成される構造記述は大局的なASICの構造を
を提案している.
決定し,下位の設計工程に対する仕様となるため,
その良否が最終的に製造されるチップの生産コス
第1章では,研究の背景および本論文の構成に
ついて述べる.
トおよび性能に大きく影響する.したがって,ハ
第2章では,VLSI自動設計および,その一工
イレベルシンセシスでの設計技術の向上は,ASIC
程であるハイレベルシンセシスを明らかにすると
開発において最重要課題の一つである.ハイレベ
共に,ハイレベルシンセシスで最も重要な設計技
(50)
号外第2号 25
平成9年4月25日
術であるスケジューリング問題およびアロケーショ
ン問題を定義し,各問題に対する従来手法の問題
点を明らかにする.
が可能であることを確認している.
第5章では,スケジューリング手法を単独で用
いた場合の限界を示し,入力となるDFGの構造
第3章では,最適に近いスケジュールを高速に
の変形を併用したスケジューリング手法を提案し
得ることができるスケジューリング手法を提案し
ている.一般にスケジューリングでは与えられた
ている.ハイレベルシンセシスでは,ノードが演
DFGをそのまま入力として処理するが, DFGは
算をエッジがデータの依存関係を示すデータフロー
必ずしも演算処理の並列動作を最大限に発揮でき
グラフ(DFG:Data Flow Graph)を用いてA
る形をしているとは限らない.ここでは,スケジュー
SICの動作を表現する.スケジューリングはDFG
リングの結果をもとにDFGの変形によって演算
の演算の実行順序を決定する問題である.つまり,
処理時間が縮小可能な部分を求め,そこにできる
与えられたハードウェアで並列に実行可能な演算
だけ演算数が増加しないような変形を適用し,再
を考慮して,演算処理の並列性を最適化すること
度スケジューリングを行う手法を述べている.本
がスケジューリングの目的である.本提案手法は,
提案手法では,演算処理時間を縮小するためのD
極めて最適解に近いスケジューリングを得ること
FGの変形によって与えられたハードウェア制約
ができるフォースディレクテッドスケジューリン
を満足しなくなった場合には,再度演算処理時間
グ(FDS:Force−Directed Scheduling)の探索
が増加しないようにDFGを変形することでハー
空間を削減することで計算時間の短縮を図ってい
ドウェア制約を満たしている.実験において,本
る.また,探索空間の削減として,明らかに最適
提案手法は従来手法よりも無演算処理の実行時間
性の低い範囲をスケジューリングの対象から除去
を短縮していることを示している.
することによってスケジューリングの最適性を保っ
第6章では,スケジューリングによって決定し
ている.実験において,本提案手法が従来のFDS
た演算処理をハードウェアとして実現するための
と比較して約1/4の時間で同程度のスケジュール
アロケーション手法を擾締している.アロケーショ
を得ることが可能であることを明らかにしている.
ンは 1)個々の演算の演算器への割当て,2)演算
第4章では,ディジタル信号処理システムに適
データのレジスタへの割当て,3)演算とレジスタ
応可能なスケジューリング手法を提案している.
間の接続の決定 の3つの部分問題に分けられる.
ディジタル信号処理ではサンプリングされたデー
各部分問題はNP完全である上に,部分問題間に
タに一定の処理を施した信号を出力する.したがっ
は強い相互依存関係があるため,一般には最適な
て,リアルタイムに近い時間で処理を行なうため
アロケーション結果を求めることは不可能である.
にはサンプリング間隔を短くする必要がある.こ
本提案手法では,スケジューリングが終了した
れを実現するために,スケジューリングでは前デー
DFG上での演算の接続情報を割り当てハードウェ
タの処理が終了する前に次のデータの処理を開始
アの決定の際の評価に導入し,後続の部分問題に
するような演算順序の決定を行うことが一般的で
対する影響を考慮しながらアロケーションを実行
ある.この場合,単純に演算処理を並列化すると
している.このため,全体のハードウェアコスト
同時に実行される演算数が増加し,ハードウェア
の最小化が期待できる.実験において,本提案手
コストが著しく増大する問題点がある.ここでは,
法がベンチマークデータに対し,最適解と同程度
整数線形計画法を用いてスケジューリングを定式
のアロケーションを効率よく得ることが可能であ
化することにより,ハードウェア数および演算処
ることを明らかにしている.
理時間の制約のもとで最小の演算処理開始間隔の
スケジュールを求める手法を述べている.実験に
第7章では,本研究において得られた結果を総
括している.
おいて,本提案手法がベンチマークデータに対し,
実用的な時間で最適なスケジュールを求めること
(51)
平成9年4月25日
26号外第2号
2 学位論文審査結果の要旨
にしている。
本論文は、VI.SI設計工程の最上位工程である
以上の諸成果は、従来手法に比べて効率的で高
機能設計における演算動個順序を決定するスケジュー
い最適解の探索能力を有しており、一層大規模と
リング問題、および実現するハードウェアを決定
なるVLSIに対する設計自動化に貢献するところ
するアロケーション問題に対する効率的で高性能
大である。また、申請者が自立して研究活動を行
な処理方法を提案し、計算機による設計自動化に
うに必要な能力と学識を有することを証したもの
有効であることを明らかにしており、次の成果を
である。
得ている。
(1)極めて最適解に近いスケジューリングを得
ることができるフォースディレクテッドスケジュー
本委員会は、本論文の審査ならびに学力確認試
験の結果から、博士(工学)の学位を授与するこ
とを適当と認める。
リング(FDS)の前処理として、明らかに最適性
審査委員
の低い範囲を探索し、それを処理の対象から除去
主査 教 授 福 永 邦 雄
することによって、:FDSの最適性を保持した高速
副査 教 授 柴 田
浩
副査教授大松
化を実現するスケジューリング手法を提案し、大
繁
規模データに有効であることを確認している。
(2)ディジタル信号処理システムに適応可能な
スケジューリング手法を提案している。本提案手
大阪府立大学告示第17号
法では、整数線形計画法を用いてスケジューリン
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
グを定式化することにより、ハードウェア数およ
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
び演算処理時間の制約のもとで最小の演算処理開
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
始間隔のスケジュールを求めることが可能である
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
ことを明らかにしている。
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
(3)スケジューリングの結果をもとにデータフ
要旨を次のとおり公表する。
ローグラフ(DFG)の変形によって演算処理時
平成9年4月25日
間が縮小可能な部分を求め、そこにできるだけ演
算数が増加しないような変形を適用し、再度スケ
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
ジューリングを行う手法を提案している。本提案
手法では、演算処理時間を縮小するためDFGの
つか まさ
おお
称号及び氏名 博士(工学) 大 塚 雅 生
変形によって与えられたハードウェア制約を満足
(学位規程第3条第1項該当者)
しなくなった場合には、再度演算処理時間が増加
(大阪府 昭和45年8月4日生)
き
しないようにDFGを変形することでハードウェ
ア制約を満たしたスケジューリングが可能である
ことを明らかにしている。
(4)スケジューリングによって決定した演算処
論 文 名
ファンの性能向上と低騒音化に
関する研究
理をハードウェアとして実現するためのアロケー
ション手法を提案している。本提案手法では、ス
1 論文内容の要旨
ケジューリングが終了したDFG上での演算の接
騒音は「ないほうがよい音」あるいは「好まし
続情報を割り当てハードウェアの決定の際の評価
くない音」と定義されている。聴取妨害、騒音性
に導入し、後続の部分問題に対する影響を考慮し
難聴、一過性聴力損失、学習および作業能率の低
ながらアロケーションを実行することで、ハード
下、睡眠妨害、ストレスによる循環器系、内分泌
ウェアコストの最小化が可能であることを明らか
系、胃腸障害などの人体的影響など、騒音による
(52)
平成9年4月25日
号外第2号27
影響は計り知れない。我々は日常生活において無
こでハニカムを取り外し、空気層域を空洞(キャ
数の騒音源に囲まれているが、その中でもファン
ビティ)にし、伝播する音の流れ方向の高次モー
騒音は我々の生活に深く関わっている。そこで本
ドの存在を許したところ、吸音量波形に「山」と
論文では我々の生活から切り離すことのできない
「谷」が生じ、低周波域でハニカムを超える吸音
「ファン」に着目することにする。
効果が見られた。次に、キャビティを流れ方向に
ファンの歴史は古く、過去の数多くの研究者達
区切ることで流れ方向の音圧モードに影響を与え
が膨大な時間と膨大な労力をかけてありとあらゆ
て吸音量波形をコントロールし吸音量波形の「山」
る研究を行った結果、その集大成として現在の形
を発生する狭帯域騒音に重ね、さらなる吸音効果
状に淘汰された。また近年、ファン内部流動の数
を得ることを考えた。さらにダクトを偏心させ空
値シミュレーションの精度が向上し、流れの挙動
気層を片側に集めたところ、最大空気層厚さが増
が細部にわたるまで解明、改善され、ファンの高
すため低周波域においてさらなる吸音効果が得ら
性能化、高効率化、低騒音化技術が飛躍的に進歩
れた。以上の結果から、低周波域(1kHz付近)
した。そして現在ではファンの研究は行き着くと
に限定した場合、空気層域とキャビティにし、さ
ころまできたと言えよう。しかしながら今なお、
らに偏心させるという方式が重量軽減、直径縮小
さらなる高性能化、高効率化、低騒音化が要求さ
という吸音ダクトの課題に対し有効な1手段であ
れ続けている。
ることを示した。
そこで本研究ではファンに関する従来の知識や
第3章では熱線流速計を用いた、2台のパソコ
技術をさらに拡張し、ファンの研究に全く新しい
ンによる自動制御3次元流れ場計測システムを提
提案を行うことを目的とする。
案した。45。傾余斗熱線を軸中心で回転させ、動翼
本論文は7章および付録より構成されている。
の回転に同期してトリガー信号を出し、同一の翼
第1章では、騒音の定義、騒音の人間への影響、
の周辺の三次元流れ場の流速を繰り返し計測でき
ファン騒音低減の意義、ファンの研究の歴史、ファ
る。これを用いると糖葉の剥離、2次流れ、逆流
ンの研究の現状について述べ、本研究の背景と目
流域、動翼後流などを精度よく計測することがで
的を明確にした。さらに本論文の概要を述べた。
き、ファン性能を向上させるための方針を容易に
第2章では航空機エンジンの吸音ダクトを事例
に取り上げた。来世紀初頭に登場するADP(Adv
たてることが可能となる。
第4章では低速軸流ファンを事例に取り上げた。
anced Ducted Propulsor)は現用のファンエン
今日の低速ファンでは広帯域騒音が支配的である。
ジンに比べバイパス比が大きく枚数の少ない可変
そこで本章では広帯域騒音の低減に大きく寄与す
翼を持つ低回張型のエンジンであるため低周波騒
る新形態軸流ディフユーザを提案した。まず互い
音の発生が大きな問題となってくるであろう。一
に特性の異なる2種のファンの多段化を考えた。
方、産業用ファンにおいても低騒音化が図られ、
軸流ファンの直後に軸流ファンよりも径の小さい
回転数を低くかっ翼枚数も減少させる傾向にあり、
遠心ファンを設置し同一回転で作動させたところ、
そのため低周波域吸音に関心が移行している。過
単に2段にしたときよりも性能、効率、騒音の面
去に実に多くの研究がなされてきた高周波吸音の
で著しい向上が見られた。2種のファンが互いに
手法は低周波吸音にそのまま適用できないであろ
干渉しあったためである。そのメカニズムを以下
う。しかもファン騒音の低周波域吸音については
に示す。軸流ファンから流出した流れは遠心ファ
従来からほとんど検討されていない。そこで小型
ンの円板に挙動を拘束される。そのため軸流ファ
軸流ファンの吸音ダクトを用いて低周波騒音の低
ンのハブ付近の剥離が抑えられる。また、円板に
減法を検討した。一般に航空機エンジンの吸音ダ
沿い流れるうち静圧が遠心力のため上昇する。さ
クトは空気層内にハニカム構造が用いられる。し
らに軸流ファン単体での作動時における旋回失速
かしこれは低周波騒音の吸音には効果が低い。そ
の発生位置付近に遠心翼が設置されてあるため、
(53)
28号外第2号
平成9年4月25日
流れは遠心翼から新たなエネルギーを受け失速を
に近づくにつれ整流され内部で急激に減衰される
起こすことなくファンから排出される。つまり後
ため入口乱れによる剥離などは生じない。そのた
方の遠心ファンが軸流ファンのディフユーザの役
め極めて強い偏流を受けても斜流および遠心ファ
割を果たしているのである。また遠心ファンがファ
ンは性能の劣化がほとんど見られない。さらに遠
ン全体の圧力上昇を40%程度受け持ち軸流ファン
心ファンについて上記の効果を風上差分法とk一ε
単体での作動時に比べ軸流翼を低圧領域で作動さ
乱流モデルに基づく数値解析により確認した。以
せることができるため、軸流ファンの流量を大幅
上の結果、強制空冷方式の熱交換器などに用いら
に増大させることができる。以上より、効率が大
れる極めて強い偏流下におかれるファンには軸流
きく上昇し同時に大幅な騒音低減(10dB以上)
ファンではなく、遠心ファンが有利であることを
が可能となる。またこの新形態ファンはターボファ
明らかにした。
ン等の三次元形状を有するファンに比べ同等もし
第6章ではダクト換気扇の製作コスト削減に着
くはそれ以上の性能が期待でき、かつ製作コスト
目し、パーシャルエミッションの可能性を再検討
を非常に低く抑えることができることを示し、さ
した。ダクト換気扇にはスクロール付きシロッコ
らに本方式は設計点よりも高圧域で作動する低速
ファンを用いるのが通例であるが、シロッコファ
軸流ファンの広帯域騒音の低減に対し極めて有効
ンのスクロールを円型ケーシングに、円弧翼を平
な新手法であることを述べた。しかしながら本方
板翼に、30枚∼40枚の多年ファンを2∼3枚にお
式では設計部よりも低圧大流量域での効果が小さ
きかえ、そのかわり翼1枚のコード長を最大まで
いため、低圧大流量域での広帯域騒音の低減に関
確保した、考え得る最もシンプルなファン(新形
してはさらなる改善が必要であろう。その改善策
態パーシャルエミッション)に置き換えたところ、
を付録の章にて提案した。
性能、騒音をそのままに、コストを大幅に削減す
第5章では擾乱がディストーションインデック
ることに成功した。その理由は、シロッコファン
スにしてO.90にもおよぶ極めて大きい入口乱れを
特有の動翼におけるシュラウド側の逆流を防止す
取り扱った。ファン入口流れの乱れは性能の劣化
ることができるため流量が確保でき、逆流による
および狭帯域騒音増大の直接の原因となる。これ
干渉騒音が発生しないためである。この逆流防止
に関する過去の研究は入口乱れの擾i乱が微小な、
のメカニズムを以下に示す。シロッコファンでは
線形理論の成立する範囲で行われている。しかし
動翼のシュラウド側の流れは静圧の上昇が極めて
近年では強制空冷方式の熱交換器が多く用いられ
小さい。従ってファンの作動圧がその静圧上昇を
るようになり、入口乱れが強い場合について考え
上回ると逆流が生じる。しかし本形式の場合では
る必要が生じてきた。熱交換器に用いられている
動翼のコード長を確保したことにより流れが急激
ファンは軸流ファンが通例であるが、極めて強い
な静圧上昇に耐えられるだけの十分な遠心力を得
偏流下におかれた場合には再検討の必要がある。
るため逆流が極めて起こりにくく、さらに動翼直
そこで、ファン入口に偏流カバーを設置し、ディ
後のケーシングにより流れの挙動が拘束され平板
ストーションインデックスが0.90にも達する最も
翼の剥離が抑えられているたあである。シュラウ
厳しい条件の入口乱れを軸流、斜流、遠心の3っ
ド側で逆流が生じないという事実は動翼スパンを
の形態のファンに与え実験的に性能および騒音特
ケーシング内で最大までとることを可能にするた
性の変化を調べ考察した。その結果を以下に示す。
め、本研究のパーシャルエミッションは排気ダク
まず軸流ファンでは入口乱れにより生じた渦など
トの軸方向位置を選ばない。さらに、単位体積当
が動翼と激しく干渉し、流れが大きく剥離する。
たりの性能比較を可能とする占有体積で評価した
そのため軸流ファンは入口乱れにより著しく性能
場合の流量係数および圧力係数を新しく提案した。
が劣化し騒音が増大する。次に斜流および遠心ファ
以上より、コストの面から有利であるパーシャル
ンでは流れの偏りは斜流および遠心ファンの動翼
エミッションの有効な用い方を提案し、ファンの
(54)
平成9年4月25日
製作コスト削減に対する新しい方向を示した。
最後に第7章で本研究の主要な成果を総括した。
号外第2号 29
帯域騒音の低減に対し極めて有効な新手法である
ことを述べた。
(4)ファン入口に偏流カバーを設置し、ディス
2 学位論文審査結果の要旨
トーションインデックスが0.90にも達する最も厳
本論文はファンの性能向上、騒音低減に関する
しい条件の入口乱れを軸流、斜流、遠心の3つの
新手法の提案およびそのメカニズムについて検討
形態のファンに与え実験的に性能および騒音特性
した結果をまとあたものであり、次のような成果
の変化を調べ考察した結果、斜流および遠心ファ
を得ている。
ンでは流れの偏りは斜流および遠心ファンの動翼
(1)航空機エンジンの吸音ダクトを事例に取り
に近づくにつれ整流され内部で急激に減衰される
上げ、低周波騒音の低減法を検討した。吸音ダク
ため、極めて強い偏流を受けても性能の劣化がほ
トの空気層内のハニカムを取り外し空洞にし、伝
とんど見られないことを明らかにした。さらに遠
播する音の流れ方向の高次モードの存在を許すこ
心ファンについて上記の効果を数値解析により確
とで、低周波域においてハニカムを超える吸音効
認した。以上の結果、強制空冷方式の熱交換器な
果が得られることを明らかにした。次に、キャビ
どに用いられる極めて強い偏流下におかれるファ
ティを流れ方向に区切ることで流れ方向の音圧モー
ンには軸流ファンではなく、遠心ファンが有利で
ドに影響を与えて吸音量波形をコントロールし、
あることを明らかにした。
さらなる吸音効果が得られることを明らかにした。
(5)ダクト換気扇の製作コスト削減に着目し、
さらにダクトを偏心させ空気層を片側に集め最大
パーシャルエミッションの可能性を再検討した。
空気層厚さを増加させることで、低周波域におい
動翼におけるシュラウド側の逆流を防止する手法
てさらなる吸音効果が得られることを明らかにし
としてシロッコファンを新形態パーシャルエミッ
た。以上の結果から、低周波域(lkHz付近)に
ションに置き換えることを提案した。シュラウド
限定した場合、空気層域をキャビティにし、さら
側で逆流が生じないという事実は動翼スパンをケー
に偏心させるという方式が重量軽減、直径縮小と
シング内で最大までとることを可能にするため、
いう吸音ダクトの課題に対し有効な1手段である
本研究のパーシャルエミッションは排気ダクトの
ことを示した。
軸方向位置を選ばない。さらに、単位体積当たり
(2)熱線流速計を用いた、2台のパソコンによ
の性能比較を可能とする占有体積で評価した場合
る自動制御3次元流れ場計測システムを提案した。
の流量係数および圧力係数を新しく提案した。以
45。傾斜熱線を軸中心で回転させ、動翼の回転に
上より、コストの面から有利であるパーシャルエ
同期してトリガー信号を出し、同一の翼の周辺の
三次元流れ場の流速を繰り返し計測できる。
ミッションの有効な用い方を提案し、ファンの製
作コスト削減に対する新しい方向を示した。
(3)広帯域騒音の低減に大きく寄与する新形態
以上の結果は、ファンに関する従来の知識や技
軸流ディフユーザを提案した。軸流ファンの直後
術をさらに発展させたものであり、ファンの研究
に軸流ファンよりも径の小さい遠心ファンを設置
に貢献するところ大である。
し同一回転で作動させ、互いに干渉させることで、
本委員会は、本論文の審査ならびに学力確認試
単に2段にしたときよりも性能、効率、騒音の面
験の結果から、申請者に対して博士(工学)の学
で著しい向上が見られることを明らかにした。ま
位を授与することを適当と認める。
たこの新形態ファンはターボファン等の三次元形
審査委員
状を有するファンに比べ同等もしくはそれ以上の
主査 教 授 藤 井 昭 一
性能が期待でき、かっ製作コストを非常に低く抑
副査 教 授 西 岡 通 男
えることができることを示し、さらに本方式は設
副査教授杉山吉彦
計点よりも高圧域で作動する低速軸流ファンの広
(55)
平成9年4月25日
30号外第2号
分析を行った。また,東アジア地域における酸性
大阪府立大学告示第18号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
物質の輸送モデルの入力データとして利用するた
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
めに,信頼性がありかっ高解像度のグリッド排出
第1項の規定に基づき、平成9年3月3!日博士の
量データを作成した。さらに,硫黄と窒素酸化物
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
の反応を含んだ3次元輸送モデルを開発し,当地
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
域における酸性降下物沈着量とその発生源寄与率
要旨を次のとおり公表する。
の推定を行った。本論文は以下の7章により構成
平成9年4月25日
されている。
第1章は「序論」であり,本研究の背景として,
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
“広域的かっ長期的な大気汚染による環境の酸性
化”と表現できる酸性雨問題の研究活動に関して,
ひがし
の
はる
ゆき
称号及び氏名 博士(工学) 東 野 晴 行
排出量推計と輸送モデル開発の分野を焦点にして
(学位規程第3条第1項該当者)
述べている。また,これらの研究の進んでいる欧
(大阪府 昭和43年9月17日生)
米での歴史と現況についてふれるとともに,東ア
ジア地域における研究例とその問題点などを指摘
論 文 名
東アジア地域における大気汚染物質
の排出と輸送に関する研究
し,それらを踏まえて本研究の目的と意義につい
て述べている。
第2章では,「中国を対象とした大気汚染物質
の排出量推計手法の開発」と題して,東アジア最
1 論文内容の要旨
大の大気汚染物質排出国であり,最近では日本へ
東アジア地域は近年の経済発展が著しく,今後,
の越境汚染がとりざたされている中国を対象に排
地球環境への負荷が増大する地域と懸念されてい
出量推計手法の開発を行っており,その内容を詳
るため,この地域の大気環境問題への取り組みは,
細に述べている。対象物質は酸性雨の先駆物質で
地球環境地域環境保全のいずれの観点からも非
あるSO、とNO。,及び地球温暖化の原因物質であ
常に重要性が高いと考えられる。酸性雨などの広
るCO 2であり,1990年度における排出量を,燃料
域的な大気環境問題を把握し対策を考える上で,
消費部門別,省別,都市別,80×80k㎡正方グリッ
その基礎となる大気汚染物質の排出実態の調査・
ド及び経緯度1。×1。グリッド別に推計を行う
分析や,排出と沈着の関係を明らかにする輸送モ
手法を開発している。本研究の推計手法の特徴と
デルの開発は,共に必要不可欠である。しかしな
しては,SO 2排出量の推計において脱硫による排
がら,これらの研究例が多く見られる欧州や北米
出削減を考慮したこと,NO.排出量の推計におい
と比較すると,当地域に関する研究は,質,量と
て欧州,米国及び日本の設定例から中国での炉形
もに十分とは言えない。とくに,中国は近年の発
式や規模,運用状況などを考慮し,NO、排出係数
展状況やその規模から考えて最も重要性の高い地
を詳細に吟味し決定したことがあげられる。グリッ
域であるが,その汚染状況や排出実態については,
ド排出量は,発電所などの大発生源については点
十分な調査研究がなされていない。輸送現象の解
源,その他の発生源については産業活動(生産量,
析についても,鉛直拡散など汚染物質の3次元的
額)や人口などのデータを用いて都市別排出量を
な挙動や,窒素酸化物の反応を含んだシミュレー
推計し,各都市を「仮想点源」として取り扱うこ
ションはなされていない。
とにより推計している。
そこで本論文では,まず,近年の経済発展によ
第3章では,「中国における大気汚染物質の排
りエネルギー消費とそれに伴う排出量の増加が著
出実態とその構造分析」と題して,第2章の推計
しい中国の大気汚染物質の排出量推計と排出構造
によって得られた結果を示し,その結果をもとに
(56)
平成9年4月25日
号外第2号31
中国における排出実態とその構造についての分析
手可能である台湾と韓国については,政府公表値
を行っている。推計の結果は,中国における1990
からグリッドデータを作成しており,日本につい
年のSO 2, NO。, CO 2の全排出量はそれぞれ,
ては,環境庁の調査結果などをベースとして推計
20951Gg/y,6722 Gg/y,2543 Tg/yであっ
されたデータを引用している。グリッド排出量は,
た。各排出量ともに,燃料別では石炭,燃料消費
第2章で中国について開発した手法を他の東アジ
部門別では発電及び熱電供給部門からの排出が最
ア諸国にも応用し,大発生源や都市を「仮想点源」
も大きかった。とくに,SO2では石炭からの排出
として取り扱うことにより推計している。本研究
が全体の約90%を占めた。地域別には,近年都市
で作成された:SO 2排出量マップでは,中国の沿岸
化,工業化が進んでいる渤海,黄海,東シナ海沿
部や韓国などエネルギー消費量が大きい地域,石
岸部に排出の大きい地域が集中していることがわ
炭中硫黄分の高い四川省など中国南部,火山から
かった。さらにこれらの地域に加えて,使用され
の排出が大きい九州南部において,排出の大きい
ている石炭の硫黄分の高い四川省など南部におい
地域が見られた。NO.では,日本の関東地方や中
て,SO 2排出の大きい地域が見られた。エネルギー
国の沿岸部,韓国,台湾などの都市化,工業化が
多消費産業及び生活における熱消費と大気汚染物
進んでいる地域からの排出が大きく,エネルギー
質の排出について,日本と中国の比較を行ってい
消費量がそのまま反映した分布となった。
る。それによると,エネルギー多消費産業での単
第5章では,「酸性物質の輸送モデルの開発」
位生産量当たりの熱消費は1.4∼1,6倍程度中国の
と題して,東アジア地域を対象とした酸性物質の
方が大きく,それにより単位生産量当たりCO 2排
輸送モデルを開発し,その現況再現性の評価を行っ
出も大きくなっている。SO 2, NO.では,中国で
ている。発生源データは,第4章で作成された80
の燃料の主流が低品質な石炭であることや,脱硫,
×80k㎡正方グリッド排出量データを用いている。
脱硝装置の普及率の差などの要因が加わり,中国
本研究で開発されたモデルは,反応・沈着などに
と日本の差はさらに大きくなり,例えば,中国の
おける複雑な物理・化学過程をパラメータにより
発電量当たりのSO 2排出は日本の31倍にもなるこ
簡潔に表現したオイラー型の3次元グリッドモデ
とがわかった。
ルである。対象物質としては,既存の研究例で多
酸性雨の生成,輸送,変質及び沈着過程を輸送
く行われている硫黄酸化物に加えて窒素酸化物に
モデル等を用いて解析する際,モデルへの入力と
ついての評価も行っている。輸送モデルの信頼性
なるグリッドベースの発生源データの整備は必要
を検証するために,日本全国を5つの領域に分け,
不可欠なものである。そこで,第4章では,「東
各領域でのSO㌃, NOEの長期間平均の湿性沈着
アジア地域におけるグリッド排出量データの作成」
量の観測値と計算値の比較を行った。その結果,
と題して,次章以降の輸送解析で対象とする東ア
両者に高い相関が得られ,湿性沈着の各領域での
ジア全地域について,SO 2とNO。の排出量データ
特徴は再現できていることがわかった。全国16地
を80×80k㎡正方グリッドで作成している。推計対
点を抜き出し,降水中のSO㌃, NO互濃度の観測
象地域は,中国,台湾,韓国,北朝鮮,日本の5
値と計算値の比較を行った結果,極端なピーク値
ケ国(地域)としたが,中国についてはすでに第
を除いて月別変動の傾向は本モデルで十分再現で
2章で作成済みであるので,本章では中国を除く
きることがわかった。大気中の汚染物質濃度につ
他の4力国についての推計手法を述べ,東アジア
いて現況再現性の評価を行った結果,本モデルで
全地域をあわせた排出分布マップを示し,考察を
の計算値は実測値と比較して妥当なレベルであり,
行っている。推計手法は国ごとに異なった手法を
SO2,・NO 2, NO5については月間変動の再現性も
とっている。北朝鮮については,中国で行った手
良好であった。以上の結果から,本モデルは年間
法をもとにして,エネルギー消費量から同様な推
や季節ごとといったような長期間にわたる湿性沈
計を行っている。比較的信頼性の高いデータが入
着の傾向と大気中の汚染物質の動態を十分評価で
(57)
32号外第2号
きることを実証した。
第6章では,「酸性降下物の発生源寄与率の推
平成9年4月25日
中国を対象とした排出量推計手法を開発している。
その手法は、SO 2排出量の推計において脱硫によ
定」と題して,第5章で開発したモデルを用いて,
る排出削減を考慮したこと、NO。排出量の推計に
東アジアの各国における酸性降下物の沈着量とそ
おいて中国の炉形式や規模、運用状況などを考慮
の地域間収支についての評価を行っている。解析
して排出係数を詳細に吟味し決定したことなどの
対象年度を1990年とし,解析領域を国別に大きく
点で、既存の研究例にない特徴を持っている。
6つ領域にわけ,各国の発生源が各地域に及ぼす
(2)中国を対象として排出実態のその構造につ
寄与率と,各領域における沈着量の発生源別寄与
いての分析を行い、中国における産業別及び地域
率を推定し,考察を行っている。さらに,日本列
別の排出構造の特徴を明らかにしている。さらに、
島を5っの領域に細分し,各領域における沈着量
エネルギー多消費産業及び生活消費における熱消
と発生源寄与率について,季節別に考察も行って
費量と大気汚染物質の排出について日本と中国の
いる。以下に本章の主な結果を要約する。領域内
比較を行い、その違いを明らかにしている。
における硫黄換算の年間SO.a排出量10896 Gg.S
(3)東アジア全地域(中国、台湾、韓国、北朝
/yのうち8885Gg.S/y(81.6%)が,窒素換算
鮮及び日本)について、SO2とNO。の排出量デー
のNO.全排出量2886 GgN/yのうち2347 Gg.N
タを80×80k㎡正方グリッドで作成し、その排出分
/y(81.9%)が,当該領域内に沈着した。湿性と
布の詳細を明らかにしている。
乾性沈着の割合はそれぞれ,硫酸イオンで67%と
(4)東アジア地域を対象とした酸性物質の輸送
33%,硝酸イオンで56%と44%であった。総沈着
モデルを開発し、その現況再現性の評価を行った
量がもっとも大きかったのは中国であり,単位面
結果、本モデルは年間や季節ごとといったような
積当たりの沈着量では,韓国と台湾が比較的大き
長期間にわたる湿性沈着の傾向と大気中の汚染物
かった。日本における硫酸イオン沈着量の自国の
質の動態を十分評価できることを実証している。
人為起源からの寄与率は36.6%であり,火山と中
(5>東アジアの各国における酸性降下物の沈着
国の発生源からの寄与がかなり大きかった。日本
量とその地域間収支についての評価を行い、各国
においては,季節別には冬期に海外からの寄与が
の発生源が各地域に及ぼす寄与率と、各領域にお
高く,夏期には海外からの寄与がほとんどみられ
ける沈着量の発生源別寄与率を明らかにしている。
なかった。また,冬期の日本海側において,海外
さらに、日本列島を5つの領域に細分し、各領域
からの寄与率がとくに高い傾向が見られた。
における季節別の沈着量と発生源寄与率について
第7章では,「結論」として,各章での研究成
も明らかにしている。
果をまとめ,東アジア地域における酸性雨問題に
以上の諸成果は、東アジア地域における大気汚
ついて整理するとともに,今後の研究の展望を概
染物質の排出の実態や越境汚染の現況を把握し、
観している。
今後当地域における環境政策を立案、実行するた
めの理論的裏付けとして、十分価値を持つものと
2 学位論文審査結果の要旨
判断される。また、申請者が自立して研究活動を
本論文は、近年注目されている東アジア地域の
行うに必要な能力と学識を有することを証したも
大気環境問題に対して、大気汚染物質の排出量推
のである。
計及びその構造分析と、その結果を用いた酸性物
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
質の輸送シミュレーションの両面から取り組んだ
結果から、博士(経済学)の学位を授与すること
研究結果をまとめたものであり、次のような成果
を適当と認める。
を得ている。
(1)東アジア最大の大気汚染物質排出国であり、
最近では日本への越境汚染がとりざたされている
(58)
審査委員
主査教授池田有光
副査教授伊東弘一
平成9年4月25日
号外第2号33
副査教授木田輝彦
副査教授前田泰昭
続的に照射したときの入射紫外光の透過率、およ
びポリシランからの発光の時間変化、さらに大気
中で紫外光を照射したときの膜の微視構造の変化
について調べた。本論文はその成果をまとめたも
大阪府立大学告示第19号
ので、7章からなる。
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
第1章の緒論では、ポリシランについて概説し、
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
本研究の背景、目的および内容の概略について述
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
べ、本論文の位置づけを明確にした。
学位を授与したので、学位規程第16条第!項の規
第2章では、ポリシランの合成法、基本的な性
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
質について述べた。吸収測定およびフォトルミネ
要旨を次のとおり公表する。
センス測定から、ポリシランはσ、σ’の遷移に
平成9年4月25日
基づいて紫外光の吸収、発光が生じることを示し
た。また、ポリシランが正孔輸送材料であり、導
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
電性がSi主鎖を配向させることで改善させること
を示した。さらに、ポリシランの光劣化について、
はやし
ひて
き
称号及び氏名 博士(工学) 林
秀 樹
紫外光照射による吸収強度が減少すること等、光
(学位規程第3条第1項該当者)
誘起反応についてこれまで得られた結果について
(兵庫県 昭和43年9月21日生)
示した。
第3章では、ポリシランに紫外光を連続照射し
論 文 名
Photoindu’ced Phenomena in Organic
Polysilane Films
(有機ポリシラン膜の光誘起現象に関する研究)
たときに観測される、吸収強度の減少過程(フォ
トブリーチング)について論じた。膜の厚みが入
射紫外光の浸透深さに比べて十分大きいポリシラ
ン膜では、紫外光は初めはポリシラン膜で全て吸
収され、ある時間が経過して、初めて透過光が観
1 論文内容の要旨
測される。この時刻をトランジションタイムと定
ポリシランは、Si原子を主鎖としそれぞれのSi
義するとき、トランジションタイム以後の吸収強
原子に2っの有機置換基を持つ新しい高分子であ
度の減少が時間のべき則に従い、その指数が紫外
る。Si主鎖に非局在化したσ電子に基づくさまざ
光照年時の温度に比例すること、トランジション
まな興味深い物性、すなわち1次元励起子による
タイムが入射光強度に反比例し、温度に関係する
紫外域の光吸収および発光、あるいは非線形光学
指数で膜厚のべき則に従い、さらに温度変化に対
効果、光導電性を有し、光学デバイスや電子デバ
して活性化型の振舞iいを示す興味深い結果が得ら
イスへの応用が注目されている。またポリシラン
れた。すなわちこれはポリシラン膜の光劣化が、
は、紫外光照射によって、先に述べた特性が劣化
単に紫外光のエネルギーによって進行するのでは
する。これはポリシランのSi主線が紫外光のエネ
なく、熱エネルギーの寄与があることが示唆され
ルギーにより光分解を起こすもので、デバイス応
た。この現象を解明するため、本研究では、ポリ
用の観点からは障害となる。一方、ポリシラン光
シランのσ結合の光開裂過程が熱活性化型で活性
分解をレジストへ積極的に応用する試みがなされ
化エネルギーが指数関数分布を持つというモデル
ており、ポリシランの光分解の研究が活発に行わ
を構築した。このモデルの帰結として、ポリシラ
れている。
ン膜は光開裂の進行によりスポンジ構造をとり、
本研究では、ポリシラン膜における光誘起現象
吸収強度が減少する。計算結果は実験結果と一致
の解明を目的として、ポリシラン膜に紫外光を連
し、σ結合が紫外光によって励起されるときの捕
(59)
平成9年4月25日
34号外回2号
獲断面積として1.1×10−16c㎡、活性化エネルギー
減少に伴う変化として説明した。トランジション
の指数幅は28meVと見積もられた。
タイム以前のルミネセンス強度の減衰は、以下に
第4章では、膜の厚みが紫外光の浸透深さに程
述べるモデルにより説明した。ポリシラン膜に紫
度に薄い場合の、紫外光連続照射による吸収強度
外光が照射されると、発光に関与する励起子が生
の時間変化について述べた。膜厚を薄くしていく
成されるが、一部は解離しキャリアとなる。キャ
と、紫外光照射初期から膜中の全てのσ結合が励
リアはオージェ過程による再結合によりその数を
起されるようになるので、第3章で述べたモデル
減少させながら膜表面から内部へ拡散し、また捕
の要請として、トランジションタイムは観測され
獲されて非輻射再結合中心を形成する。また、第
なくなる。しかし実際には、薄い膜でもある時間
3章で述べた光開裂により、紫外光は膜内部に浸
まで吸収強度が一定に保たれる現象を見出した。
透し、発光領域は膜内部へ移動する。したがって、
その後、吸収強度は時間のべき則に従って減少し
ルミネセンス強度は、紫外光が照射された領域の
た。この吸収強度変化からもトランジションタイ
励起子および非輻射再結合中心に関係した時間変
ムが見積もられ、その振舞いは、入射紫外光が初
化を示すという結論を得た。
めから膜を透過する点を除けば、第3章で述べた
第6章では、ポリシラン膜に大気中で紫外光を
フォトブリーチングの振舞いに酷似しており、厚
照射したときの微視構造の変化について述べた。
いポリシラン膜で見えなかった現象が、重厚、入
赤外吸収測定では、大気中での紫外光照射により
射光線度を減少させることで見えるようになった
σ結合が開園し、酸化が起こり、ポリシランの膜
と予想された。そこでポリシラン膜中のσ結合を、
内に酸素が取り込まれたことを示す吸収ピークが
紫外光の吸収に関与するσ共役の発達したセグメ
確認された。一方、X線回折測定では、2θ=9。
ント内のに存在するものと、紫外光の吸収に関与
付近に現れる、S注鎖のパッキングを示す回折ピー
しないセグメント間を結び付ける結合に分け、セ
ク強度が紫外光照射時間の増大とともに減少し、
グメント間のσ結合の方が活性化エネルギーが小
またピークの半値幅が増加した。両者の結果から、
さく、光細裂が先に進行し、トランジションタイ
Si主鎖へ酸素が取り込まれることにより、 Si主導
ム以後セグメント内のσ結合の光開裂が開始し、
のパッキングに揺らぎが生じると結論した。また、
進行するモデルを提案した。計算結果は実験結果
Siネットワークへの異種原子の取り込み効果につ
と一一致し、セグメント間のσ結合が紫外光によっ
いて、水素化非晶質窒化シリコン膜における窒素
て励起されるときの捕獲断面積が1x 10‘isc㎡、セ
含有量変化による構造への影響と対比して議論し
グメント内のそれが1×10”i7c㎡、また両者の活性
た。赤外吸収測定、X線回折測定、 X線小角散乱
化エネルギーの差は75meVであると見積もられ
測定の結果から、3次元のSiネットワークを持つ
た。また、セグメント内のσ結合の光開裂は、第
水素化非晶質窒化シリコン膜では、窒素原子の取
3章で述べた光開裂と等価であり、数値計算の結
り込みは、空隙(ボイド)生成等、構造不均一を
果を見直した結果、σ結合の光励起に関する捕獲
招く。これに対し、1次元のSiネットワークを持
断面積は、1.1×10”i6c㎡ではなく1×10−t7c㎡に置
つポリシランへの酸素の取り込みは、ボイドのよ
き換えるのが妥当であるという結論を得た。
うな構造不均一を招かず、パッキング密度の変化
第5章では、ポリシラン膜に紫外光を照射した
に結びつくという結論を得た。
ときに観測されるフォトルミネセンスが、紫外光
の連続照射によってトランジションタイム以前と
第7章では、本研究で得られた結果を総括して
結論とした。
トランジションタイム以後で指数を変えたべき則
に従うことを見出した。このうち、トランジショ
2 学位論文審査結果の要旨
ンタイム以後のルミネセンス強度の減衰は、第3
本論文は、新規光電子材料として期待される有
章の議論に基づいて、ポリシラン膜の吸収強度の
機ポリシランのデバイス応用において問題となる
(60)
平成9年4月25日
号外第2号 35
紫外光照射による特性劣化の機構を明らかにする
気中の紫外光照射によってSi側鎖の開裂を経
ことを目的として行った研究をまとめたものであ
て酸素が取り込まれ、Si主鎖のパッキング密
り、次のような成果を得ている。
度に揺らぎを生じるが、三次元非晶質材料で
1)ポリシランは紫外光吸収によって主鎖のσ結
ある窒化シリコン膜で見られる構造不均一
合が開裂し吸光度が低下する。紫外光の浸透
(ボイド)は発生しないと結論した。
深さに比べて厚いポリシラン膜に紫外光を長
以上の諸成果は、有機ポリシランを用いた高信
時間照射し、吸光度が低下し始めるのに一定
頼・高機能光電子デバイスを構築する上で必要な
の時間(遷移時間)がかかること、遷移時間
知見を提供したものであって、電気工学、電子材
以降の吸光度の減衰は時聞のべき則に従い、
料工学ならびにポリマー工学の発展に寄与すると
その指数の大きさは温度に比例すること、さ
ころ大である。また、申請者が自立して研究活動
らに遷移時間も温度依存性を示すことを見い
を行うに十分な能力と学識を有することを証した
だした。これらの現象を、ポリシランのσ結
ものである。
合が指数関数状の活性化エネルギー分布を持
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
っ熱活性化支援の光反応というモデルで矛盾
結果から、博士(工学)の学位を授与することを
なく説明した。
適当と認める。
2)厚膜ポリシランにおけるσ結合の光開裂モデ
ルの演繹により、膜厚を薄くしていくと遷移
審査委員
主査 教 授 中 山 喜 萬
時間は無限に小さくなることが予測されるが、
副査教授山本信行
副査教授武田洋次
実験的に有限の値以下には至らないことを見
いだした。この結果から活性化エネルギーの
分布と閾値の異なる2種類のσ結合の存在を
洞察した。一つは紫外光の吸収に関与するσ
大阪府立大学告示第20号
共役の発達したセグメント内に存在する結合
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
で、厚膜における現象はこれによって支配さ
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
れ、薄膜では遷移時間以降の変化に関わる。
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
他の一つは吸収に関与しないセグメント間を
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
結び付ける結合で、その開戸が薄膜にのみ顕
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
著に見られ、薄膜の遷移時間までの反応を支
要旨を次のとおり公表する。
配する。
平成9年4月25日
3)厚膜ポリシランにおけるフォトルミネセンス
強度の紫外光照射による減衰がべき則に従い、
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
その指数が遷移時間を境にして異なる現象に
ついて、膜の吸光度変化に対応する詳細な実
チョウ
ソユ
コク
称号及び氏名 博士(工学) 張
樹 国
験から、遷移時間以降のルミネセンス強度の
(学位規程第3条第1項該当者)
減衰は吸光度の減少に対応すること、遷移時
(中 国 1965年9月19日生)
間以前の減衰は光生成キャリアがオージェ過
程でその数を減じながら膜中に拡散し捕獲さ
論 文 名
れ非輻射再結合中心となるモデルで説明でき
lnv’estigations on the Design of Zeolite
ることを明らかにした。
Catalysts lnvolving Transition Metal
4)赤外吸収スペクトルとX線回折の測定から、
一次元非晶質材料であるポリシランには、大
Oxide Species and Their Photocatalytic
Reactivities
(61)
36号外第2号
(遷移金属酸化物種を組み込んだゼオライト触媒
の設計とその光触媒反応性に関する研究)
平成9年4月25日
オライト骨格内に組み込まれた金属酸化物種と骨
格外の金属酸化物種の反応性の違い、ならびにゼ
オライト骨格に組み込まれた金属酸化物種とバル
1 論文内容の要旨
ク金属酸化物触媒との反応性の相違に関して、活
ゼオライトは構造規定された細孔を有するシリ
性種の局所構造と光触媒活性との関連性に注目し
カ・アルミナ複合酸化物である。骨格は。とSiと
て検討した。本論文は、6章からなる。
A!などによって構成され、高い熱安定性、優れた
吸着能およびイオン交換能を有する利用価値の高
第1章は、本論の緒言であり、論文の概要およ
び本研究の目的と構成内容について述べた。
い優れた無機多孔性物質である。1990年以後、ゼ
第2章では、CVD法や固相反癒法のいわゆる
オライト骨格のSiやAlの代わりに、触媒として高
ポスト合成法を用いて、V含有ゼオライト(V/
い活性を有する各種の遷移金属元素を組み込んだ
ZSM−5ゼオライト)触媒を合成し、 Vイオンを取
メタロシリケートゼオライトの合成とその触媒作
りまく局所構造とその光触媒反応性について検討
用が盛んに研究されている。
した。
最近、これらのメタロシリケートゼオライトが
VOCI3とHZSM−5ゼオライトを出発原料とする
工業的に重要な反応に極めて優れた触媒活性と高
CVD法では、 V種をゼオライト細孔内に固定化し
い選択性を有することが明らかになりっっある。
たV/ZSM−5触媒が合成でき、そこには高分散状
中でも、Tiやv元素をゼオライト骨格に組み込ん
態のV5+種とV4+種が共存することを見いだした。
だTi.シリカライトやV一シリカライトはオレフィ
V5+イオンが形成する酸化物種はオレフィンの異
ンなどの部分酸化反応に特異な触媒活性を有する
性化反応に高い光触媒活性を呈するが、V4’イオ
ことが見いだされ活発な研究が行われている。し
ンが形成する酸化物種はゼオライト内部のサイト
かし、ゼオライト骨格内に組み込まれ格子の酸素
に存在するため光触媒として働かないことを明ら
(02つと結合し高分散な状態にある各種金属イ
かにした。
オンの配位状態や局所構造、さらに、これらの金
V205とHZSM−5を出発原料とする固相反応に
属イオンを中心とする酸化物種の光化学特性およ
より、V/ZSM−5ゼオライト触媒を合成した。こ
び光触媒作用についてはほとんど研究がなされて
の触媒のV5+イオンの形成する酸化物種の存在に
いない。
基づく発光スペクトルやV4+種に基づくESRシグ
本研究の目的は、各種のゼオライト合成法を駆
ナルの測定を行うことにより、V5+種がゼオライ
使して、Ti、 VやMoなどの遷移金属元素をゼオ
ト骨格内に組み込まれていることを明らかにした。
ライト骨格や細孔内に組み込んだゼオライトを合
また、この触媒がブテンの異化性反応に高い光触
成し、ホトルミネッセンス、XAFS(XANESとE
媒活性を呈することを見いだした。
XAFS)、 XRD、 ESR、 IR、 UV−VIS、51V一固体
第3章では、水熱合成法により、ミクロ細孔を
NMRなど各種の分子分光法を用い、ゼオライト
有するV一シリカライトー1と一2およびメソ細孔を有
の格子酸素との結合によりゼオライト中に形成さ
するV−HMSゼオライト触媒を合成し、 XAFS、
れる遷移金属酸化物種の局所構造を原子・分子レ
ESRやホトルミネッセンス測定を行うことにより、
ベルで解明するとともに、これら金属酸化物種を
これら触媒におけるV5+イオンが形成する酸化物
含んだゼオライトが光触媒としてどのような反応
種の局所構造を解明した。また、これら触媒の
性を示すかについての知見を得ることである。こ
NOのN2と02への分解、アルカンの部分的酸化
のため、常温でのNOの窒素と酸素への直接分解、
および2一ブテンの異性化反応に対する光触媒反応
フ.ロバンの02による部分酸化、CO 2の水による
性についても検討した。
還元固定化および2一ブテンの異性化などの光触媒
水酸化テトラブチルアンモニウムをテンプレー
反応に及ぼすゼオライト細孔のサイズの影響、ゼ
トに用いた水熱法により合成したVS−2ゼオライ
(62)
号外第2号 37
平成9年4月25日
ト触媒では、970cm’i付近にシリカライトー2には
含むゼオライトを合成し、これら金属イオンを取
見られないIR吸収が観測できることを見いだし、
りまく局所構造とその光触媒活性について検討し
V5+種がゼオライト骨格内にV−0結合を形成して
た。Tiをゼオライト骨格に導入することにより、
組み込まれていることを明らかにした。VS−2触
高分露な状態のTi4+イオンが形成する四配位状態
媒を280nm付近の波長の光で励起すると、400か
のTi酸化物種が形成でき光照射によりこの酸化物
ら600nm付近に発光スペクトルが観測できること
上で生成する電荷移動励起種(Ti 3+一〇つが高い
を見いだし、この吸収と発光がV5+イオンが形成
光触媒活性を有することを明らかにした。
するC3。対称で四配位構造をとるVO、ユニットの
NOの存在下、室温でTS−2ゼオライト触媒を光
酸化物種のV=○基上での(V5+==02一)⇔(V4㌧
照射するとN2と02およびN20が生成し、これら
0つの電荷移動過程に基づくものと帰属した。
の収量は光照射時間に比例して増加し反応が光触
VS−2ゼオライトの細孔径よりも大きな分子で
媒的に進行することを見いだした。また、CO 2と
ある1,3,5一トリイソプロピルベンゼンを添加して
水蒸気の存在下、メソ細孔を有するTi−MCM−41
も発光スペクトルが消光されないことから、V5+
やTi−MCM−48ゼオライト触媒を光照射すると
イオンが形成する酸化物種がゼオライトの細孔内
CO 2の還元反応が進行するが、この反応における
部に存在することを明らかにした。また、NO存
ゼオライト触媒の光触媒活性は粉末状のバルク酸
在下でVS−2触媒を光照射すると、 NOはN2と02
化チタン光触媒より数十倍も高いことを見いだし
およびN20に分解することを見いだした。光照射
た。さらに、バルク酸化チタン上ではCH,のみが
しないと反応は進行せず、N2の生成量は光照射
生成するのに対し、Ti一・McM−41やTi−McM一一48ゼ
時間に比例して増加し反応が光触媒的に進行して
オライト触媒ではCH、とともにCH,OHも高選択
いることを明らかにした。このように、VS−2ゼ
で生成することを見いだし、これが高分散状態に
オライト触媒にはゼオライト骨格に組み込まれた
あり四配位構造をとるTi酸化物種の電荷移動励起
高分散状態の四配位構造を有するV酸化物種が形
状態(Ti 3+一〇つの高い光触媒反応性に起因する
成されており、この酸化物種上での電荷移動型励
ことを明らかにした。
起種(V4+一〇一)がNOの光触媒分解反応の活性種
第5章では、フラーレンC、。の分散性とC,。中に見
として重要な役割を果たすことを明らかにした。
られるラジカル種の反応性に及ぼすゼオライト担
これまで、ゼオライトの骨格内に組み込まれて
体の担体効果を調べる目的で、C、。をシリカや酸
いる金属酸化物種と骨格外に存在している金属酸
化チタンおよび各種のカチオンでイオン交換した
化物種との区別は困難なことであった。本研究に
Yゼオライトに担持し、C、。の分散性とC、。中のラ
おいて、VS−1ゼオライト触媒の発光スペクトル
ジカル種の0、やNOに対する反応性について検討
の波長域や消光挙動のダイナミックスにおける相
した。
違を検討することにより、骨格内のV酸化物種と
02とNOに対するC6。中のラジカル種の反応性は
骨格外のV酸化物種の区別が可能であることを明
担体の種類に依存して大きく変化した。不活性担
らかにした。
体としてのシリカ上では、反応性は馬脳持の場合
プロパンの酸素による光触媒部分酸化反応にお
のC、。よりもわずかに上回るのに対し、酸化チタ
いて、骨格内のV酸化物種を光触媒反応の活性種
ン上では非常に高い反応性を呈した。一方、各種
とするときには部分酸化反応が、骨格外のV酸化
のカチオンでイオン交換したYゼオライト上に担
物種を活性種とすると主に完全酸化反応が進行し
持したC、。の反応性は、カチオンの種類に依存し
CO 2が生成することを見いだし、骨格内V酸化物
て大きく変化し、H+、 Na+、 Cs+の順に増大する
種と骨格外のV酸化物種の光触媒活性の相違を明
ことを見いだした。また、これら各種の担体上に
らかにした。
分散したC6。中のラジカル種の反応性に及ぼす光
第4章では、TiイオンやMoイオンを骨格内に
照射の効果についても検討し、興味ある結果を見
(63)
平成9年4月25日
38号外第2号
いだした。
第6章では、本論文で得られた結論の総括を行っ
た。
造とその光触媒活性について検討した。CO 2と水
蒸気の存在下、Ti一含有ゼオライト触媒を光照射
するとCO 2の還元反応が進行し、 CH 4とともに
CH 30Hが高選択で生成することを見いだし、こ
2 学位論文審査結果の要旨
れが高分散な四配位構造のTi酸化物種の電荷移動
本研究は各種のゼオライト合成法を駆使して、
励起状態の高い光触媒反応性に起因することを明
Ti、 vやMoなどの遷移金属元素をゼオライト骨
らかにした。
格や細孔内に組み込んだゼオライトを合成し、各
(4)フラーレンC6。中に見られるラジカル種の
種の分子分光法を用い、ゼオライト中に形成され
反応性に及ぼすゼオライト担体の担体効果を調べ
る遷移金属酸化物種の局所構造を原子・分子レベ
る目的で、各種のカチオンでイオン交換したY一
ルで解明するとともに、これらゼオライトが光触
ゼオライトに担持し、C、。の分散性とC、。中のラジ
媒としてどのような反応性を示すかについての知
カル種の02やNOに対する反応性について検討し
見を得ることを目的とし行ったものであり、次の
た。担持したC6。の02とNOに対する反応性は、カ
ような成果を得ている。
チオンの種類に依存して大きく変化し、H\
(1>CVD法や固相反応法により、 V含有ゼオラ
Na+、 Cs+の順に増大することを見いだした。ま
イト触媒を合成し、Vイオンを取りまく局所構造
た、これら各種の担体上に分散したC、。中のラジ
とその光触媒反応性について検討することにより、
カル種の反応性に及ぼす光照射の効果についても
このゼオライト触媒ではV種が高分散状態でV5+
検討し、興味ある結果をみいだした。
とV4+種として共存していることを見いだし、
以上の諸成果は、ゼオライトの化学のみでなく、
V5+イオンが形成する酸化物種はオレフィンの異
光触媒の構築と光触媒反応に関して新たな知見を
性化反応に高い光触媒活性を呈すことを明らかに
与えるもので、これらの分野の発展に寄与すると
した。
ころ大である。また、申請者が自立して研究活動
(2)ミクロ細孔を有するV一シリカライトー1と一2
を行うのに必要な能力と学識を有することを証し
およびメソ細孔を有するV−HMSゼオライト触媒
たものである。
を合成し、これら触媒におけるV5+イオンが形成
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
する酸化物種の局所構造を解明した。特に、VS一.
結果から、申請者に対して博士(工学)の学位を
2ゼオライト触媒では、970cm−1付近にIR吸収が
授与することを適当と認める。
観測できることを見いだし、V5+種がゼオライト
骨格内にV−O結合を形成して組み込まれているこ
とを明らかにした。また、280nm付近の波長の光
で励起すると、400から600nm付近に発光スペク
審査委員
主査教授安保正一
副査教授岩倉千秋
副査教授南 努
トルが観測できることを見いだし、この吸収と発
光がV5+イオンが形成するC3。対称で四配位構造
をとるVO、ユニットの酸化物種の電荷移動過程に
大阪府立大学告示第21号
基づくことを明らかにした。さらに、NO存在下
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
でVS−2触媒を光照射すると、 NOがN、と02に分
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
解することを見いだし、反応が光触媒的に進行す
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
ることを明かし、その反応機構の解明をおこなっ
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
た。
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
(3>TiやMoイオンを骨格内に含むゼオライト
を合成し、これらの金属イオンを取りまく局所構
(64)
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
号外第2号 39
平成9年4月25日
大阪府立大学長平紗多賀男
る。
本論文は、これらの観点に基づき、イオン交換
まつ
おか
まさ
や
称号及び氏名 博士(工学) 松 岡 雅 也
法により種々のゼオライトの細孔内に固定化担持
(学位規程第3条第1項該当者)
した銅(1)イオンおよび銀(1)イオン触媒を設計
(大阪府 昭和44年2月7日生)
し、その局所構造について各種のin−situ分子分光
法により検討するとともに、窒素酸化物(NO。)
論 文 名
lnvestigations on the Local Structures of
Copper(1) and Silver(1)
lon Catalysts and Their Photocatalytic
Reactivities for the Decomposition of NO,
into N2 and 02
の窒素と酸素への直接分解における光触媒として
の反応性と光触媒反応の機構を分子レベルで解明
することを目的とした。本論文は、5章からなる。
第1章は、本論文の緒言であり、論文の概要お
よび本研究の目的と内容について述べた。
第2章では、イオン交換法により各種のゼオラ
(銅(i)および銀(1)イオン触媒の局所構造と
イト担体の細孔内に銅(1)イオン触媒を調製し、
窒素酸化物(NO、)の窒素と酸素への分解に
その局所構造と還元挙動、銅(1)イオンとCOと
おける光触媒反応性に関する研究)
の相互作用およびこれらの挙動に及ぼすゼオライ
ト担体の種類の影響について検討した。
1 論文内容の要旨
二酸化チタンなどの半導体酸化物光触媒では、
イオン交換法で調製した銅(ll)/ゼオライト試
料を高温で真空排気すると銅(ll)が銅(1)に還元
バンドギャップよりも大きいエネルギーをもつ光
された。この銅(1)/ゼオライト触媒のin−situで
の照射により、伝導帯に電子が価電子帯に正孔に
のホトルミネッセンス、EPR、 XAFS(XANES
生成し、これらが種々の光触媒反応を誘起する。
とFT−EXAFS)、 UV測定を行うことにより、ゼ
シリカやアルミナなどの絶縁体酸化物上に高分散
オライト細孔内に銅イオンが銅(1)モノマー種お
状態で担持した銅(1)や銀(1)などの遷移金属イ
よびダイマー種として存在し、ゼオライトの細孔
オン(dlo)は紫外光の照射により(dgs’)電子状
構造が高次元になるほどダイマー種形成の寄与が
態に励起される。このように遷移金属イオンの光
大きくなることを明らかにした。また、CO分子
励起により生じるs電子とd空孔は、半導体光触媒
は銅(1)モノマー種にのみ選択的に1分子で吸着
における電子と正孔が1っの原子上に局在化した
し、(Cu+一CO)種を生成することを見いだした。
モデルとして考えることができる。このため、遷
銅(ll)/Y一ゼオライト試料においても、試料
移金属イオンは、電子と正孔が空間的に離れて別々
を高温で真空排気すると銅(ll)が銅(1)に還元さ
のサイトで作用する半導体光触媒系とは異なり、
れて銅(1)モノマー種およびダイマー種が生成す
内殻電荷移動型励起種による特異な光触媒活性を
る。しかし、Y一ゼオライトを担体に用いた場合
有することが期待される。
には、銅(1)モノマー種はエタンやプロパン分子
一方、結晶性アルミノケイ酸塩の一種であるゼ
が到達できないソーダライトケージ内に、銅(1)
オライトは規制された細孔構造、表面静電場、イ
ダイマー種は02やNOなどの気体分子が容易に到
オン交換能、吸着能、形状選択能および固体酸性
達できるスーパーケージ内に形成されることを明
など、シリカやアルミナには見られない物理化学
らかにした。
特性を有する。このため、ゼオライトは触媒構築
第3章では、ZSM−5ゼオライトおよび各種の酸
の場として特異な反応場を提供することが期待で
化物(・sio 2・A1203複合酸化物、 A1203および
きる。特に、ゼオライトのイオン交換能と規定さ
SiO 2)上にイオン交換法により固定化担持した
れた細孔構造を利用することにより、分子レベル
銅(1)イオン触媒の局所構造と還元特性、銅(1)
で制御された光触媒設計が可能になると考えられ
イオンとNOxとの相互作用および銅(1)イオン
(65)
平成9年4月25日
40号外第2号
触媒のNOxの分解における光触媒としての反応
における光触媒としての活性および反応生成物の
性について検討した。
02/N2比は、担体としてsio 2・A1203を用いた
銅(II)/ZSM−5試料を高温で真空排気すること
場合が最:も高くなり、直線2配位構造をとる銅
により調製した銅(1)/ZSM−5触媒を、300nm付
(1)イオンの光励起状態が特異的に高い光触媒活
近の紫外光で励起すると430nm付近に銅(1)モノ
性を有することを明らかにした。
マー種に基づく発光スペクトルが観測できる。発
第4章では、各種のゼオライト上にイオン交換
光はNO添加圧の増大にともない消光され、銅(1)
法で固定南砂持した銀(1)イオン触媒の局所構造、
イオンが光励起状態でNOと直接相互作用するこ
銀(1)イオンとNOとの相互作用および銀(1)イ
とがわかった。銅(1)/ZSM−5触媒上にNOを導
オン触媒上でのNOの光触媒分解反応について検
入し常温で光照射を行うと、NOの光触媒分解反
討した
応が進行してN2と02が生成することを見いだし
銀(1)/ZSM−5ゼオライト、銀(1)/Y一ゼオ
た。また、光触媒分解反応に有効な光の波長領域
ライトおよび銀(1)/Sio2触媒のin−Sltuでのホ
は銅(1)イオンの光吸収領域と一致し、反応の収
トルミネッセンス、EPR、 XAFS、 UV測定を行
率に及ぼす銅(U)/ZSM−5試料の排気温度依存性
うことにより、銀(1)イオンはZSM−5ゼオライト
が発光収率の排気温度依存性と極めてよい平行関
では孤立状態で、Y一ゼオライトおよびSiO2上で
係にあることを見いだし、NOの光触媒分解に銅
は銀イオンのクラスターや銀メタルのクラスター
(1)イオンの励起状態が重要な役割をなしている
として存在することを明らかにした。銀(1)/Z
ことを明らかにした。EPRおよびFT−IR測定に
SM−5触媒を220nm付近の紫外光で励起すると、
より、暗条件下および光照射下における銅(1)イ
350nm付近に銀(1)モノマー種に基づく発光スペ
オン上へのNOの吸着とそのダイナミックスにつ
クトルが観測できる。発光はNOの添加圧の増加
いて検討し、光励起状態の銅(1)イオンからNO
にともない消光され、銀(1)イオンが光励起状態
の反結合性π軌道への電子移動がNOの光触媒分
でNOと直接相互作用することを見いだした。
解の重要な初期過程であることを明らかにした。
NO存在下で銀(1)/ZSM−5触媒を298Kで光照射
各種酸化物(sio 2・A1203、 Al 203およびsiO、)
(λ>200nm)すると、光照射時間に比例してN2
上の銅(rDイオン試料を高温で真空排気処理する
とN,○およびNO2が生成し、 NOの分解が光触媒
と、SiO2・AI203を担体とした場合には300nm付
反応として進行することがわかった。また、銀
近の光励起により430nm付近に、 Al、O,および
(1)/ZSM−5触媒は銅(1)/ZSM−5触媒の10倍
SiO、を担体とした場合には510nm付近に発光ス
以上という非常に高い光触媒活性を有することを
ペクトルが観測されることを見いだした。触媒の
明らかにした。
in−situ xAFs測定により、 sio、・Al、03の場合に
NOの光触媒分解反応に有効な光の波長領域は
観測される430nm付近の発光とAl 203とSiO2の場
200∼250nmと孤立状態で固定されている銀(1)
合に観測される510nm付近の発光スペクトルは、
イオンの光吸収領域と一致し、銀(1)の光励起状
それぞれ直線2配位の銅(1)および平面3配位構
態(4d95sl)がNOの光触媒分解に重要な役割をな
造をもつ銅(1)イオンの励起状態(3d94s’)からの
すことを明らかにした。また、EPR測定により、
光放射失活過程に帰属できることを明らかにした。
暗条件下および光照射下における銀(1)イオン上
銅(1)イオンの発光はN20の添加圧の増大にと
へのNOの吸着とそのダイナミックスを検討し、
もない消光され、銅(1)イオンが光励起状態で
光励起状態の銀(1)イオンからNOの反結合性π
N20と直接相互作用することを見いだした。さら
軌道への電子移動がNOの光触媒分解の重要な初
に、銅(1)イオン触媒をN20の存在下で光照射す
期過程であることを明らかにした。さらに、銅
ると、N2と02が光照射時間に比例して生成する
(1)/ZSM−5触媒はO、の存在下では光触媒とし
ことを見いだした。銅(1)イオン触媒のN20分解
ての活性を失うのに対し、銀(1)/ZSM−5触媒は
(66)
号外第2号 41
平成9年4月25日
0、や水蒸気の存在下においても光触媒活性を保
て存在することを明らかにした。また、NO存在
持し、大気中の希薄なNOを分解除去する光触媒
下で銀(1)/ZSM−5触媒を298Kで光照射(λ>
として利用できる可能性を見いだした。
200nm)すると、光照射時間に比例してN2と
第5章では、本研究で得られた結果の総括を行っ
た。
N20およびNO2が生成し、 NOの分解が光触媒反
応として進行することを見いだした。また、銀
(1)イオン上へのNOの吸着とそのダイナミック
2 学位論文審査結果の要旨
スの検討によりNOの光触媒分解反応の初期過程
本論文は、イオン交換法とにより種々のゼオラ
を明らかにした。さらに銀(1)/ZSM−5触媒は
イトの細孔内に固定化担持した銅(1)イオンおよ
02や水蒸気の存在下においても光触媒活性を保
び銀(1)イオン触媒を設計し、その局所構造につ
持し、大気中の希薄なNOを分解除去する光触媒
いて各種のin−situ分子分光法により検討するとと
として利用できる可能性を見いだした。
もに、窒素酸化物(NO.)の窒素と酸素への直接
以上の諸成果は、高効率および高選択的に駆動
分解における光触媒としての反応性と光触媒反応
する光触媒の構築および固気相系における光触媒
の機構を分子レベルで解明することを目的として
作用の分子レベルでの解明に貢献すること大であ
おり、次のような成果を得ている。
る。また、申請者が自立して研究活動を行うに必
(1)イオン交換法により調製した銅(1)/ゼオ
要な能力と学識を有することを証したものである。
ライト触媒では、ゼオライト細孔内に銅イオンが
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
銅(1)モノマー種およびダイマー種として存在し、
結果から、申請者に対して博士(工学)の学位を
ゼオライトの細孔構造が高次元になるほどダイマー
授与することを適当と認める。
種形成の寄与が大きくなることを明らかにした。
また、CO分子は銅(1)モノマー種にのみ選択的
に1分子で吸着し、(Cu+一CO)種の!:1 complex
を生成することを見いだした。
審査委員
主査教授安保正一
副査教授岩倉千秋
副査教授中原武利
(2)銅(1)/ZSM−5触媒上にNOを導入し常温
で光照射を行うと、NOの光触媒分解反応が進行
してN、と02が生成することを見いだし、この反
大阪府立大学告示第22号
応に有効な光の波長領域が銅(1)イオンの光吸収
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
領域と一致し、反応の収率と銅(1)イオンからの
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
発光収率がよい平行関係にあることなどから、
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
NOの光触媒分解に銅(1)イオンの励起状態が重
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
要な役割をなしていることを明らかにした。また、
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
銅(1)イオン上へのNOの吸着とそのダイナミッ
要旨を次のとおり公表する。
クスについて検討し、光励起状態の銅(1)イオン
平成9年4月25日
からNOの反結合性π軌道への電子移動がNOの
光触媒分解の重要な初期過程であることを明らか
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
にした。
(3)各種のゼオライト上にイオン交換法で固定
き むら あり とし
称号及び氏名博士(工学)木村有寿
化担持した銀(1)イオン触媒を調製しその局所構
(学位規程第3条第1項該当者)
造を調べ、銀(1)イオンはZSM−5ゼオライトでは
(大阪府 昭和43年12月20日生)
孤立状態で、Y一ゼオライトおよびSio2上では銀
イオンのクラスターや銀メタルのクラスターとし
(67)
平成9年4月25日
42号外回2号
論 文 名
階層型ニューラルネットワークの
誤差逆伝播学習法の改良と
その需要予測への応用に関する研究
ない.このことから,Watanabeらの学習法は拡
張カルマンフィルタの適用により,学習係数を時
変とした点にのみ特徴があるといえる.ところが,
同一ユニットに結合する結合荷重問には本然的に
相関があると考えるべきである.また,拡張カル
1 論文内容の要旨
マンフィルタの適用においてもシステム状態変数
ニューラルネットワークによる情報処理の研究
間の相関を考えることがより一般的である.した
は,脳の情報処理様式を明らかにする研究として
がって,階層型ニューラルネットワークの学習に
始まり,!986年置心理学者Rumelhartを中心と
拡張カルマンフィルタの概念を援用する場合には,
するグループによる研究成果の発表を契機に,活
結合荷重などのシステムの状態変数の更新におい
発に研究が行われるようになった.Rumelhart
て状態変数の推定誤差の分散だけでなく共分散を
らはこの研究の中で,従来の学習方法では考慮さ
同時に考慮すべきであると考えられる.
れていなかった階層型ニューラルネットワークの
さて,生産計画の立案に際して,需要予測は必
中間層ユニットの学習を可能とする誤差逆伝播学
要不可欠である.なかでも,時系列に基づく需要
習法を提案した.この誤差逆伝播学習法を用いる
予測は,過去の時系列のデータを分析し,そこに
ことにより,ニューラルネットワークの学習能力
ある種の規則性を見いだすことによりその規則性
は大きく向上した.ただ,Rumelhartらにより
を将来に延長する方法であり,少なくとも需要予
提案された誤差逆伝播学習は最急降下法に基づく
測の方法論のうちでも最も基本的かっ重要な位置
学習法であり,学習の進度は学習係数と呼ばれる
を占めるものの1っである.通常,時系列予測法
定数に影響される.たとえば学習係数を比較的大
においては需要量の変動をある種の数学モデルで
きな値で与えた場合,学習が振動し収束しなくな
表し,その数学モデルを表現するパラメータの値
る場合がある.逆に学習係数が小さすぎる場合に
を推定するという方法が一般的にとられる.しか
は,学習の進度が遅くなり,収束に多大な時間を
し,この方法を用いると,数学モデルの適切な設
要することがある.
定が難しいうえ,推定されたパラメータにより規
一方,線形システムの状態推定のアルゴリズム
定された数学モデルに将来の予測値が影響を受け
として,カルマンフィルタはよく知られており,
るため,観測データの範囲外のデータに対して予
多くの分野に応用されている.さらに,システム
測が正しく行われるとは限らないとされている.
方程式が非線形で与えられる場合に用いられる状
このため,数学モデルなどに影響を受けない時系
態推定アルゴリズムは,拡張カルマンフィルタと
列予測法の構築が必要とされている.この点にお
呼ばれている.Watanabeらは階層型ニューラル
いて,需要量に関する時系列データを時間軸にお
ネットワークにおけるユニットの入出力変換が定
ける一種の変動パターンとみなせば,パターン認
常非線形システムで与えられる点に着目し,この
識の手段として用いられる階層型ニューラルネッ
拡張カルマンフィルタの概念を適用し,学習係数
トワークを需要予測に適用することが考えられる.
の調整を自律的に行うことのできる誤差逆伝播学
本論文では,以上の諸点を踏まえて,まず,拡
習法を提案した.ここで,Watanabeらは誤差逆
張カルマンフィルタの概念を本然的に利用するこ
伝播学習への拡張カルマンフィルタの適用にあた
とにより,階層型ニューラルネットワークの誤差
り,結合荷重などのシステム状態変数の推定誤差
逆伝播学習法の改良を試みた.さらに,改良され
の分散のみに着目し,同一ユニットに結合する結
た学習法を採用した階層型ニューラルネットワー
合荷重間に相関はないものとして学習を定義して
クによる需要予測システムを提案し,その有効性
いる.もとより,Rumelhartらの誤差逆伝播学
について論述した.本論文の内容は,以下の通り
習法の場合にも結合荷重間の相関は考えられてい
である.
(68)
号外第2号43
平成9年4月25日
第1章「緒論」では,本論文の目的と本論文の
構成について述べた.
要予測について言及した.第3章では現時点から
直後の1期の需要量を予測する需要予測法を提案
第2章「拡張カルマンフィルタを用いた誤差逆
した.ところで需要予測に基づき生産計画をたて
伝播学習法の改良」では,階層型ニューラルネッ
る場合,例えばリードタイムを考慮して設備,資
トワークの学習能力の改良を目的として,拡張カ
材の発注を行うなど,数期先あるいは数期間にわ
ルマンフィルタの概念を援用した誤差逆伝播学習
たる需要量の予測値が必要とされる場合がある.
法を提案した.先にWatanabeらは,拡張カルマ
そこで本章では,第3章における需要予測システ
ンフィルタを用いることにより,従来までは定数
ムにおいて単数であった階層型ニューラルネット
として与えられることの多かった学習係数を時変
ワークの出力層ユニット数を複数としたうえで,
とする学習法を提案している.ただし,Watanabe
複数期の需要量を同時に予測する手法について考
らによる学習法では結合荷重や閾値の推定誤差の
察した.さらに,需要予測シミュレーションによ
分散しか考慮しておらず,結果として,結合荷重
り提案モデルの学習および予測能力を検証した.
や閾値を独立に更新しているため,拡張カルマン
第5章「結論」では,本論文の全般的な総括を
フィルタを本然的に利用しているとは言えない.
行い,得られた結果を要約した.
そこで,結合荷重や閾値の更新時に,その推定誤
差の分散だけでなく共分散も扱うことにより,結
2 学位論文審査結果の要旨
合荷重や閾値間の相関を考慮した本然的な拡張カ
本論文は、階層型ニューラルネットワークの誤
ルマンフィルタによる誤差逆伝播学習法を提案し
差逆伝播学習法の改良と、その改良学習法を利用
た.くわえて,排他的論理和問題と偶奇性判定問
した階層型ニューラルネットワークの需要予測へ
題による数値実験により,提案学習法とWatanabe
の応用について考究したもので、以下の成果を得
らの学習法との学習能力の比較を行い,提案学習
ている。
法の学習能力を検証した.
(1)結合荷重や閾値の状態を独立に更新する
第3章「階層型ニューラルネットワークを用い
Watanabeらの拡張カルマンフィルタによる階層
た1期需要予測」では,階層型二=一ラルネット
型ニューラタネットワークの学習法に対し、同一
ワークを用いた需要予測法について考察した.提
ユニットにつながる結合荷重とそのユニットの閾
案需要予測法では,需要量の変動を時間軸上のパ
値の相関を考慮し、それらの値を最適化する誤差
ターンとしてとらえ,階層型ニューラルネットワー
逆伝播学習法を提案した。排他的論理和問題と偶
クのパターン認識能力を需要予測に援用する方法
奇性判定問題を解くことにより、学習誤差の減少
について言及した.具体的には,過去の需要実績
速度と学習の安定性において、従来までの
に基づき,現時点から直後の1期分の需要量を予
Watanabeらの学習法を上回る能力を持つことを
測することを目的として,階層型ニューラルネッ
検証し、階層型ニューラルネットワークの学習法
トワークによる需要予測システムを構築した.く
として利用できることを示した。
わえて,このシステムの運用法として,学習方式
(2>需要系列の数学モデルの考慮をとくに必要と
ならびに新しい需要データが得られるごとに学習
せず、各種の需要系列のパターンに対して良好な
を追加する適応的な予測方式を提案した.最後に,
予測が可能である、階層型ニューラルネットワー
需要予測シミュレーションを行い,提案需要予測
クを利用した需要予測システムを構築した。また、
システムの有用性を確認した.
最新の需要量の実績値が得られるたびに、そのデー
第4章「階層型ニューラルネットワークを用い
タを含む学習セットに対して学習を行い、需要予
た需要変動量のパターンに基づく複数期需要予測」
測システムの内部状態を逐次更新しながら需要予
では,需要変動量のパターンの変化を階層型二=一
測を行う需要予測システム運用法を提案した。さ
ラルネットワークを用いて認識することによる需
らに需要予測シミュレーションを通して、提案需
(69)
44号外第2号
平成9年4月25日
要予測システムの有効性を示した。
論 文 名
(3)階層型ニューラルネットワークを利用した需
Generation and Transport Processes of
要予測システムを複数期先までの需要量を予測で
Ionic Carriers in Nematic Liquid Crystals
きる需要予測システムに改良するとともに、従来
(ネマティック液晶中のイオン性キャリアの
までの需要量の実績値を直接利用する予測法に代
生成・輸送過程)
わり、需要予測システム内の階層型ニューラルネッ
トワークの学習データに需要量の変動量を与え、
1 論文内容の要旨
需要変動量のパターンをとらえることのできる学
ネマティック液晶を用いた表示素子は、低電圧・
習アルゴリズムを提案した。これにより、提案需
低電流駆動、多色または自然色表示が可能である
要予測システムの学習負荷が低減され、予測精度
ため、情報機器の小型化、軽量化、高性能化に伴っ
の改善も行われた。また、需要予測シミュレーショ
て、急速に需要が高まってきている。特に、液晶
ンにより、複数期までの需要予測が実用的な精度
パネルの各画素ごとに能動素子を付加したアクティ
で可能であることを示した。
ブマトリクスディスプレイは、ブラウン管に優る
以上の諸成果は、階層型ニューラルネットワー
クの学習効率、および需要予測の予測精度の向上
とも劣らない表示品位を達成し、次世代の表示素
子の中核をなしている。
に重要な知見を提供したものである。また、申請
従来の液晶表示素子では、液晶中に含まれる不
者が自立して研究活動を行うのに必要な能力と学
純物イオンによる影響を避けるたあに、駆動源に
識を有することを証したものである。
は交流電圧が用いられていた。ところが、アクティ
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
ブマトリクス駆動方式では駆動源に直流成分が含
結果から、博士(工学)の学位を授与することを
まれるため、液晶中に微量に存在する不純物イオ
適当と認める。
ンにより、画像表示パネルの画質は画像の焼き付
審査委員
け現象やちらつきなどの悪影響を被るようになる。
主査 教 授太 田
宏
副査教授長澤啓行
副査教授市橋秀友
そこで、液晶中に含まれるイオン性キャリアの生
成・輸送過程に関する知見は、アクティブマトリ
クス駆動方式による液晶表示素子などの不純物イ
オンに起因した現象を明らかにする上で重要となっ
てきた。
大阪府立大学告示第23号
液体の電気伝導機構の研究は今世紀の初め頃か
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
ら行われている。食塩水などの強電解質では電気
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
伝導機構は比較的よく理解されているが、実用上
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
重要な電気絶縁性液体の電気伝導現象はまだ解明
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
されていない点が多く残されている。これは、液
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
体の構造が固体と比較して複雑であり、理論的に
要旨を次のとおり公表する。
取り扱いにくいことと、イオン性不純物を取り込
みやすいこと(イオン種を特定できないこと)に
平成9年4月25日
起因する。このたあ、異方性液体である液晶のイ
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
オン伝導現象についてはほとんど理解されていな
いのが現状である。
むら
かみ
しゅう いち
称号及び氏名 博士(工学) 村 上 修 一
(70)
一般に、電気伝導機構を明らかにするには、キャ
(学位規程第3条第1項該当者)
リアの輸送過程と生成過程に関する知見が重要と
(愛媛県 昭和45年7月18日生)
なる。本論文では、ネマティック液晶に4−cyano一
号外第2号45
平成9年4月25日
4’一n−pentylbiphenylを用い、イオン性キャリア
において0.33eVとなった。きらに、4−cyano−4’一n−
の生成・輸送過程を調べた。まず、液晶セルに電
pentylbiphenylの粘性率と、本研究で決定したド
荷発生層を設け、飛行時間測定法により、ネマティッ
リフト移動度との積が温度に依存しないことから、
ク液晶におけるキャリアはイオンであることを確
ワルデン則が成立することが分かった。それゆえ、
かめた後、ドリフト移動度を決定した。また、低
ネマティック液晶中のキャリアはイオンであるこ
周波数歯(10一;一103Hz)、極低周波数域(10−6
とが確認でき、イオン半径は0.32nmと決定でき
−10”’Hz)の誘電特性からイオンの拡散定数、濃
た。
度を決定し、イオンの電極表面への吸着により形
第3章では、ネマティック液晶セルの低周波数
成される電気二重層に関する知見を得た。さらに、
域における誘電特性より得られるイオン性キャリ
キャリアの生成機構について、液晶セルの定常電
アの輸送過程について述べた。今までに、キャリ
流と静電容:量の測定から、液晶セル中の電界分布
アとしてイオンを含む誘電体では、低周波数域に
を明らかにし、電極から液晶層へのキャリア注入
おいて比誘電率、比誘電損率が急増することが報
過程、液晶バルクにおけるイオンの生成過程に関
告されていた。この現象は、イオンが誘電体中を
する知見を得た。これらの研究成果について、以
ドリフトし、電極界面で分極が生じる電極分極に
下の6章にまとめた。
第1章では、本研究の背景と研究目的について
述べた。
起因しているため、イオン性キャリアを含む液晶
においても電極分極が観測されると期待できる。
実際に、誘電特性をネマティック液晶セルについ
第2章では、電荷発生層(非晶質セレン層)を
て測定したところ、電極分極が観察されることが
設けて過渡光電流を測定することにより得られた
分かった。電極分極に基づく誘電特性を解析する
非晶質セレン層からネマティック液晶層への注入
ことにより、イオン性キャリアの輸送過程を明ら
過程および、液晶中のイオン性キャリアの輸送過
かにする上で重要な拡散定数、イオン濃度を、そ
程に関する知見について述べた。観測された過渡
れぞれ、303Kにおいて、1.6×10−7c㎡/s、3.7×
光電流波形から、非晶質セレン層で発生した電子
10’3cm”3と決定できた。
あるいは正孔が非晶質セレン層/液晶界面に吸着
さらに、電極上にポリイミド配向膜を塗布した
している中性分子に捕獲されイオン化することに
ネマティック液晶セルを作製し、低周波数域にお
よる注入電流をレート方程式を解くことにより求
ける誘電特性を測定した。その結果、液晶層とポ
めた。注入電流を境界条件として過渡光電流の数
リイミド配向膜の境界面における界面分極が観測
値計算を行い、実験結果と比較すると良い一致が
された。界面分極における誘電損失ピークより、
見られたことから、液晶層を走行するイオン性キャ
イオン濃度を見積もったところ、ポリイミド配向
リアの走行時間を正確に求めることが可能となっ
膜を塗布したネマティック液晶セルのイオン濃度
た。従来では、イオン性キャリアの走行時間は交
は、ポリイミド配向膜を塗布しないネマティック
番電圧法で測定されていたが、キャリアの極性を
液晶セルのそれと比較すると2桁以上大きくなる
判別できないこと、観測された過渡電流が空間電
ことがわかった。また、ポリイミド配向膜を塗布
荷制限電流であるか否か判定できないためキャリ
したネマティック液晶セルの作製直後からのイオ
アの走行時間が正確に決定できないことの2っの
ン濃度の経時変化を調べたところ、時定数4000時
欠点があった。本研究では電荷発生層を設けるこ
間で増加することが分かった。これらの結果より、
とにより、それらの欠点を解消した。測定結果よ
ポリイミド配向膜が不純物イオンの供給源である
り、ネマティック液晶におけるイオン性キャリア
ことが明らかになった。
は正イオンであり、ドリフト移動度は303Kにお
第4章では、ネマティック液晶セルの定常電流
いて3.5×10”6c㎡/Vsと決定できた。また、ドリ
と静電容量の電圧依存性から得られたネマティッ
フト移動度の活性化エネルギーはネマティック相
ク液晶におけるイオン性キャリアの生成・注入過
(71)
平成9年4月25日
46号外乱2号
程に関する知見について述べた。ネマティック液
性キャリアのイオン半径と近い値を示すことから、
晶セルの定常電流の電圧依存性から、高電圧域
イオンが電極上に特異吸着して形成された電気二
(>1V)、低電圧域(<1V)とも定常電流ムは
重層であることが分かった。また、コールーコー
Inム㏄v「Vで印加電圧Vとともに増加することが
ル・プロットはコールーコールの円弧則に従うこ
観測された。高電圧域では、静電容量の測定から、
とから、緩和時間に分布があることが分かった。
印加電圧は主に液晶バルクにかかること、さらに、
緩和時間の分布は電気二重層の厚みの分布に起因
プール・フレンケル係数の測定値と理論値が一致
することを示し、その分布関数を求めた。また、
したことにより、プール・フレンケル効果により、
電気二重層の厚みの分布は、液晶中に含まれるイ
液晶バルクでイオンが生成されると結論すること
オンのイオン半径の分布に起因すると結論した。
ができた。その際の活性化エネルギーは0.49eVと
第6章では、以上の結果を総括して本研究の結
なり、正・負イオン対間の距離は0.17nmと見積
論をまとめた。
もることができた。一方、低電圧域では、静電容
量の測定から、印加電圧は、主に、電極/液晶界
2 学位論文審査結果の要旨
面に形成された電気二重層にかかることが分かっ
本論文は、液晶表示素子の高品位化を達成する
た。さらに、この時の定常電流は、ポリイミド膜
上で障害となっている液晶中の不純物イオンの生
を電極上に塗布した液晶セルの定常電流と比較し、
成・輸送過程を明らかにすることを目的としてネ
数桁大きいことが分かった。ポリイミド膜は電極
マティック液晶を用いて行った研究をまとめたも
から液晶層へのキャリア注入を阻止するため、ポ
のであり、次のような成果を得ている。
リイミドを電極上に塗布しない場合には電極から
(1)電荷生成層を設けた液晶セルにパルス光を
液晶層へのキャリア注入が起こっていることが分
照射した時の過渡光電流を測定し、その理論的考
かった。この場合も、電極から注入された電子あ
察から、液晶層でのキャリアのドリフト移動度を
るいは正孔により電極上に吸着していた中性分子
決定した。また、その温度依存性よりワルデン則
からイオンが生成されていると考えられ、注入電
が成立したことと、電荷生成層から液晶層へ正キャ
流がショットキー効果に起因するとすれば、電極
リアを注入した時にのみ過渡光電流が観測された
から液晶層へのキャリア注入過程の活性化エネル
ことより、液晶中のキャリアは正イオンであるこ
ギーはイオンの電極からの脱離エネルギーとなる。
とを明らかにした。
実際、定常電流の温度依存性から決定したイオン
(2)液晶セルの低周波数域の誘電特性から電極
の脱離エネルギーは0.69eVとなり、ネマティック
分極を観測し、これの解析により、液晶中のイオ
液晶セルにパルス電圧印加した前後の交流伝導度
ンの拡散定数及び濃度を決定した。また、ポリイ
の過渡変化から求めたイオンの脱離エネルギーと
ミド配向膜を電極上に塗布した液晶セルで、液晶
良い一致を示した。このことより、注入電流はショッ
層とポリイミド膜の境界面において界面分極を観
トキー効果によることが分かった。
測し、さらにポリイミド配向膜の有無によりイオ
第5章では、ネマティック液晶セルの極低周波
ン濃度に大きな違いが生じることから、ポリイミ
数学における誘電特性について述べた。測定結果
ド配向膜はイオンの供給源となることを見い出し
より、緩和時間160sの誘電緩和現象が観察された。
10−3Hz以下の見かけの比誘電率が液晶層の厚みに
た。
(3)液晶セルの定常電流と静電容量の電圧依存
比例することと印加電圧に依存しないことから、
性の測定から、高電圧及び低電圧を印加した時の、
観測された誘電緩和現象は、ヘルムホルッの電気
電極から液晶層へのキャリア注入の機構を明らか
二重層に起因することを示した。比誘電率の液晶
にした。また、ポリイミド配向膜を電極上に塗布
層厚依存性より、ヘルムホルッの電気二重層の厚
した場合、ポリイミド配向膜は電極から液晶層へ
みは0.47日目と求まり’、第2章で決定したイオン
のキャリア注入を阻止することを白い出した。
(72)
号外第2号 47
平成9年4月25日
(4)液晶セルの極低周波数域の誘電特性から、
一人的資本理論を軸として一
電極上に形成されるヘルムホルッの電気二重層に
起因する誘電緩和現象を観測し、電気二重層の厚
1 論文内容の要旨
さの分布に従って緩和時間に分布が生じることを
産業革命以降の資本主義経済社会は、いくつか
無い出し、その分布関数を求めた。さらに、電気
の転換点を経ながら発展を続け、今、20世紀の終
二重層の厚さが液晶中のイオンのイオン半径と近
わりにさしかかっている。その資本主義経済のい
い値を持つことから、電気二重層はイオンが電極
くつかの転換点で、アダム・スミス、マルクス、
上に吸着して形成されたものであることを示した。
ケインズなどの経済学者は時代時代に応じた理論
以上の諸成果は、電子機器に使用される液晶表
的枠組み、ないし処方箋を提示した。彼らの経済
示素子の高信頼化・高性能化に必要な基礎的知見
理論は次の時代には修正され、また部分的には放
を提供したものであって、電子デバイス工学及び
棄され、現代経済社会を説明する重要なフレーム
電子物性工学の発展に寄与するところ大である。
ワークを形成している。しかし、過去の経済学者
また、申請者が自立して研究活動を行うに十分な
の時代にはなかった社会・経済問題が時代が進む
能力と学識を有することを証したものである。
につれて顕在化するのは自然なことである。後に
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
扱う「人的資本理論」はその最たる例である。そ
結果から、博士(工学)の学位を授与することを
れまでの時代は労働者の供給が過剰なため、労働
適当と認める。
者は労働時間や入数でもっぱら量られた。しかし、
審査委員
科学技術が勃興・発展し、義務教育が普及し、大
主査 教 授 村 田 顕 二
副査教授山本信行
副査教授中山喜萬
副査 助教授 内 藤 裕 義
学進学率が高まると労働者は量だけでなく、その
質の面も重要になってくる。そのような時代の要
請が人的資本理論を生んだといえる。経済学は、
その意味で、その時代の社会的・経済的要請を的
確に捉え、精緻な理論を提供し、経済・社会発展
に少なからず寄与してきたと考えられる。
大阪府立大学告示第24号
しかし、これまで本研究の中核となる障害者の
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
問題が経済学の遡上に上ったのは、所得保障の関
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
連における財政学の限られた分野においてのみだっ
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
た。まして障害者の雇用論を彼/彼女らの生産性
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
という観点から分析した研究は、欧米においては
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
ともかく、わが国では皆無に等しい。そのような
要旨を次のとおり公表する。
状況に至った社会的背景はどのようなものだった
平成9年4月25日
のだろうか。
戦後、本格的に進展を始めた障害者に対する国
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
の諸施策は、高度経済成長に支えられた税収の増
加を背景に、所得保障・施設介護を中心とした保
かや
はら
せい
し
称号及び氏名 博士(経済学) 茅 原 聖 治
護的・隔離的性格の強いものであった。しかし、
(学位規程第3条第1項該当者)
それは一部の身体的に恵まれた障害者に対しての
(広島県 昭和39年10月17日遅)
み雇用を認め、他の大多数は受動的生活に甘んじ
なければならなかった。全体的な障害者運動のきっ
論 文 名
障害者の教育と雇用の経済学的研究
かけとなったのは1981(昭和56)年の国際障害者
年である。それ以降、障害者を取り巻く環境は教
(73)
48号外第2号
平成9年4月25日
育・雇用・福祉の3面とも少しずつではあるが改
なものであった。具体的にはく製造業・建設業に
善されてきている。それは国際障害者年の前後に
おいては加工、組立、運搬などの身体的な作業が
わが国に紹介されたノーマライゼーションnorm
alizationの理念の普及・定着による影響演大き
中心であり、身体的な健康が絶対的な条件であっ
いと考えられるが、障害者に対する理解が高まっ
的と見る企業や社会の目というものに、暗黙的で
てきたことがうかがえる。
はあるが、正当性が認められていたと思われる。
そのような状況の下、障害児・障害者教育は19
79(昭和54)年延障害児・者の就学義務化が長年
た。そのような時代においては、障害者が非生産
よって、障害者の生産性を云々することは意図的
に避けられてきたのである。
の関係者の努力で勝ち取られ、障害者の教育権が
また、高度経済成長期にあっては、税収が増加
保証されるに至った。また、ノーマライゼーショ
し、社会福祉に対して拡充策が採られてきた。そ
ンの教育現場における実践である「統合教育」が
の過程で障害者は保護すべき存在であるという当
推進される一方で、普通校に通いたいとする障害
時の一般的通念からいわゆる施設における保護が
者と設備の不備や科目認定の困難さを理由にこれ
障害者福祉施策の中心となり、ますます障害者が
らの障害者の入学を拒否する学校側との対立が顕
生産活動から遠ざけられる事態を助長した。その
在化する事例が2、3存在する二重化現象が見ら
ような福祉思想の下では、障害者を働かせるとい
れる。
うことには一種の罪悪感を生じさせることになっ
さらに障害者の雇用に関しても、法定雇用率制
た。結果として、障害者の雇用は、かなり障害の
度の下、徐々に改善されているにも関わらず、未
程度の軽い障害者を除いて、障害者福祉の中から
だに一般民間企業の法定雇用率1。6%を達成して
抜け落ちた形となったのである。
いない企業が、大企業を中心として5割弱存在し
しかし、障害者を取り巻く現状は徐々にではあ
ているという正負両面の状況が顕在化している。
るが変わりつつある。第1に、先にも述べた1979
これらの現状と経済学は決して無縁ではない。
(昭和54)年の障害者の就学義務化および近年の
これまで経済学は効率を議論の中心に据えてきた。
大学進学者の増加である。これは彼らの身体的・
すなわち、希少な生産資源をできるだけ少ないコ
知的水準の高度化をもたらしている。第2に、産
ストで加工し、最大限の生産物を創り出し、利潤
業構造の第2次産業から第3次産業へのシフトで
を最大にするという企業観がそれである。そのよ
ある。これまで特に身体的能力を必要としていた
うな経済至上主義の風潮の中では、障害者に教育
製造業・建設業から、知的な生産性が要求される
を施し、雇用するということは効率というバラン
サービス業・金融業などの第3次産業への産業構
スを崩すものと考えられていたに違いない。また、
造の転換が進行している。第3に、コンピュータ
障害者の側にも、特に障害の程度が重度になるほ
などのME(Micro Electronic)機器の発展・普及
ど、自分が生産活動にたずさわるという考えが希
と情報ネットワークの拡大である。これは第3次
薄だっただろう。換言すれば、経済学と障害者の
産業化に関連して進展している。また、第2次産
問題とはこれまで接点がなく、さらには倫理的・
業においても作業工程のME化による自動化など
道徳的な観点のために意識的に回避され続けたと
が進展していることも無視できない。そして、近
いっても過言ではない。
年のインターネットの急速な発展は、情報化と地
その原因の一つに「生産性」という経済学の言
域間および国家間のボーダレス化をもたらしっっ
葉がある。従来の「生産性」という言葉には労働
ある。ME機器とネットワークは、オフィスにお
者の物理的な生産性、すなわち、身体的な働き具
ける、あるいは在宅勤務という雇用形態における
合に焦点が当てられていた。それは製造業、建設
障害者の有益なツールとして用いられる可能性を
業などの第2次産業が産業構造の上で主要なセク
秘めている。第4に、科学・技術の進歩・発展に
ターとされていた時期においては、ある程度妥当
よる障害者のもつ障害の軽減が促進されているこ
(74)
号外第2号 49
平成9年4月25日
とである。例えば、電動車椅子、ハイテク義手・
したがって、本論文は、との人的資本概念を分
義足、福祉機器と呼ばれるコンピュータ入力・出
析の核におき、経済学的な思考・アプローチ、経
力支援装置などがそれである。第5に、1981(昭
済学的なツールを用いた障害者教育・雇用論であ
和56)年の国際障害者年を契機にわが国にもたら
る。その内容は、主として現在利用可能なデータ
され、近年の福祉思想の根幹をなすノーマライゼー
に基づいた実証分析、政策提言を導き出すことを
ション理念の定着・普及である。上にも述べたよ
目的どした理論的分析である。
うにそれは保護の対象とされ、社会から隔離され
第1章では、人的資本理論がこれまでミクロ経
ていた障害者が街の中で健常者とともに生き、住
済学、マクロ経済学にどのように利用されてきた
み、経済・社会活動に寄与する一つの契機を与え
かをサーベイし、障害者教育および福祉に対する
るものとなった。
人的資本理論の利用可能性について言及する。
以上のような動的環境の下、経済学がこれまで
第2章では、近年のパーソナル・コンピュータ
堅持してきた「生産性」という概念も変化する必
の利用が障害者雇用にどのように貢献しているか
要があるということはごく自然なことである。い
についてWozniakの「早期採用の理論」に基づ
い換えると、身体的・肉体的労働という意味での
き実証分析を行う。以上の分析から、1.コンピュー
「労働生産性」から、身体的・精神的・知的労働
タ教育の重要性、2.在宅勤務の可能性、3.コ
を総合した意味でのいわば「人間労働性」とでも
ンピュータ全般の価格低下と福祉機器の開発、に
いうべきものへの変化がそれである。そこで、本
ついて述べる。
研究の経済学的な縦糸として、上で述べた「人間
第3章では、わが国の障害者教育の制度につい
労働性」の身体的・肉体的部分を除外した部分を
て言及し、その制度が障害者雇用に結びついてい
「人的資本」概念に与えることにする。つまり、
るかどうかを実証分析で確認し、その結論として
通常経済学で使われる知識・技能に代表される人
これまでの雇用が障害者教育と直接には結びつい
的資本を「教義の」人的資本と呼ぶことができる
ていないことを明らかにする。その処方箋として、
ならば、本論文で用いられる人的資本とは知識・
1.統合教育の推進、2.大学等の高等教育への
技能に加えて創造性・独創性・健常者がもち得な
積極的な進学、3.コンピュータ教育の重要性、
い感性などの属性をも含んだ「広義の」人的資本
などを挙げる。
ということができる。このように経済学でいう人
第4章では、視覚・聴覚障害、肢体不自由、精
的資本により広い意味を与えることによって初あ
神薄弱の各障害者の教育と雇用について、第3章
て障害者の問題を経済学で扱うことができると考
の方法を用いて個別に実証分析を行う。障害の種
えられる。すなわち、障害があって身体が不自由
類の相違は、教育・雇用の形態の相違でもある。
であっても、人的資本を確実に形成・蓄積する場
その点を考慮に入れて、個別に実証分析を行い、
が完備されていれば、その人的資本を装備した障
得られる結果からそれぞれに適した教育および雇
害者は健常者と同じように就業することが可能に
用のあり方を考える。
なるということを示唆している。そして、人的資
第5章は、障害者の賃金、労働時間、勤続年数
本を形成する場が各種の教育機関にあることはい
がどのような現状にあるのかを平成3年度の雇用
うまでもない。しかし、これまでの障害者の多く
実態調査を中心に考察する。労働時間、勤続年数
はそれら教育機関を100%活用することはできな
には健常労働者と大きな相違はないが、賃金に関
かったというのが事実である。そこで、国や地方
しては、障害労働者と健常労働者、男子障害者と
自治体は障害者の教育に関してより公平で効率的
女子障害者、採用前障害者と採用後障害者との間
な体系を構築し、その結果輩出された人的資本を
に格差が存在することを明らかにする。
蓄積した障害者によって雇用のすそ野を広げる、
第6章は、前章の賃金格差の問題を受けて、障
というのが本論文の一貫した視点である。
害者が受け取る賃金と年金についての効用分析を
(75)
平成9年4月25日
50号外第2号
行い、障害者における賃金の重要性とこれからの
や法定雇用率・年金制度などの障害者政策が詳細
年金のあり方について述べる。
にまとめられている。
最後の第7章では、障害者を雇用する側である
2.調査データから多くの事実を見つけている。
民間企業の現状とこれからの障害者雇用を円滑に
そのうち幾つかあげると。(a)障害者の雇用率
進展させるための企業の心構えについて、拡張し
は大企業ほど低い。(b)高等教育への進学率は
た費用一便益分析Cost−Benefit Analysisの枠組
きわめて低い。(c)一見、男性障害者の賃金は
みを用いて言及する。
平均で見ても年齢・賃金プロファイルで見ても、
障害者の雇用問題は、ただ障害者だけの問題で
健常者とあまり大きな差はないように見える。し
はない。彼/彼女らを取り巻く物理的環境、健常
かし採用前障害者と採用後障害者に分けて検討す
者のもつ先入観や偏見および統計的差別、国の福
ると、採用後障害者の賃金プロファイルは健常者
祉政策の不備、など解決しなければならない問題
並に右上がりであるが、採用前障害者の賃金プロ
が山積している。その意味では本研究は障害者問
ファイルはかなりねたものとなっていた。(d)
題全体のうちの僅かな部分を対象としているにす
労働時間は中小企業において障害者の方が健常者
ぎない。しかし、生活の糧を得るという雇用の問
よりむしろ長い。
題を解決するために努力することは、障害者が、
3.人的資本アプローチを障害者問題に応用する
憲法ですべての国民に保障されている諸権利を行
ことを試み実証分析を行っている。専修学校、各
使し、さらに勤労・納税の義務を果たし、周囲の
種学校、職業訓練への進学者の増加が雇用率を上
人々から尊重され、より積極的に社会参加・社会
昇させる、外部市場の状況は雇用率に影響を与え
貢献をするための第1条件である。さらにいえば、
ないという結果を得ている。
20世紀末の現代において、障害者・健常者という
4。視覚障害者、聴覚障害者、肢体不自由者、精
区別のない1個の人間社会全体を描写する新しい
神薄弱者に障害者を分けて、教育制度や雇用状況
概念を形成し、理論化することが今求められてお
を調べ、障害音に大きな差があることを見つけて
り、その意味で経済学が重責を果たすものと考え
いる。
られる。
5.障害者の自立に向けて、数多くの政策提言が
なされている。本人が障害者であることもあって、
2 学位論文審査結果の要旨
奥深い提言となっている。
障害者の教育、雇用、労働条件の問題は重要な
自身が障害者であるため、思い入れが客観性と
問題であるにも関わらず、経済学の側面からの分
分かちがたく入っており、そのことが政策提言に
析はきわめてすくなかった。経済学の側面から障
味わいをもたらす反面、ややもすると客観性を失
害者の問題を扱っている点で、この論文は先駆的
わせるきらいがある。こういつた問題点はあるも
なものとなっている。これまで障害者問題は弱者
のの、経済学の視点から障害者教育や雇用を分析
保護の視点を中心に扱われていた。これに対し、
したパイオニア的論文であり、データ分析から多
この論文は障害者の生産性や人的資本という新し
くの発見をし、また多くの政策提言をしている点
い視点を持ち込んでいる。障害者雇用関連のデー
で、価値の高い論文となっている。一つのテーマ
タは意外に多く、そういったデータを掘り起こし
に長く取り組んで作成したこの論文は、今後独立
て意味のある配列にして分析したことも大きな貢
して研究活動を行うに必要な能力と学識を有する
献である。
ことを証するものである。
本論文は次のような特徴を持ち、また結果を得
ている。
L特殊学級からノーマライゼーション理念下の
統合教育へといった日本の障害者教育制度の変遷
(76)
本審査委員会は、本論文の審査ならびに最終試
験の結果に基づき、申請者に対して博士(経済学)
の学位を授与することを適当と認める。
号外第2号 51
平成9年4月25日
子のエネルギー準位を決定する方法であり、高励
審査委員
主査 教 授 駿 河 輝 和
起状態の遷移や光学的禁制遷移である一重項→三
副査 教 授 津 戸 正 広
重項遷移の測定が可能となる特徴を有している。
副査教授伊藤正一一
禁制遷移が測定される理由は衝突過程においてイ
オンの電子と分子の電子の交換が起こるためであ
る。この特徴を用いたイオン分光法は光吸収法と
同様なスペクトルや光学的禁制遷移のスペクトル
大阪府立大学告示第25号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
が得られるため、分子の禁制遷移状態を含めたエ
ネルギー準位の測定に適している。
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
しかし、イオン分光法による分子の励起状態に
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
おいて遷移確率を含めた研究は二原子分子の振電
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
励起や簡単な構造の多原子分子の振動励起の報告
要旨を次のとおり公表する。
例しかない。又、二原子分子の振電励起の遷移強
度に関する研究において近接したエネルギー状態
平成9年4月25日
をすべて含めた解析を行った報告例は極めて少な
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
い。
イオン分光法における遷移確率の研究を行うた
いわ
もと
けん
いち
称号及び氏名 博士(理学) 岩 本 賢 一
めには実験結果を理論と比較しなければならない。
(学位規程第3条第1項該当者)
分子の蓄電励起の振動準位について相対強度比を
(大阪府 昭和42年3月29日生)
求める理論としてはFranck−Condon Factor
(FCF)がある。 FCF計算には分子のポテンシャ
論 文 名
VIBRATIONAL AND VIBRONIC
ルが必要であるが正確なポテンシャルを求めるこ
とは非常に困難である。そのため、簡単に計算で
EXCITATION STUDIES OF
き実験値を反映するポテンシャルとしてMorseポ
DIATOMIC MOLECULES
テンシャルがよく使用される。このポテンシャル
は解析式の中で最もすぐれた特性をもっているが、
1 論文内容の要旨
FCF計算において厳密な解析解の報告はされてい
分子の励起状態の研究は分子の構造の研究だけ
ない。
でなく化学反応や電子移動といった動的な面を理
本論文ではイオン分光法による二原子分子の遷
解する上でも重要である。分子のエネルギー準位
移強度における理論的および実験的研究について
の研究は従来主に光学的方法により行われてきた
論じる。理論的研究としてはMorseポテンシャル
が、分子の励起には特有の選択則が存在するため、
によるFCF計算と振動遷移に関する電気双極子マ
すべてのエネルギー状態を知ることはできない。
トリックス要素の厳密な解析解について論じる。
又、光学的方法による三重項状態のエネルギー準
実験的研究としては光学的禁制遷移スペクトルの
位の測定は主としてりん光スペクトル法により行
測定を目的としたイオン分光装置の製作および、
われているが、発光過程による三重項状態の情報
二原子分子の振動励起および振動励起における遷
しか得られない。
移強度の測定結果について論じる。遷移強度の解
分子の光学的禁制遷移のエネルギー準位の測定
析は理論的研究で得られた解析解による計算結果
としてはイオン分子衝突によるイオンエネルギー
を用いた。
損失分光法(イオン分光法)がある。イオン分光
1)MorseポテンシャルによるFCFの解析的解
法は非弾性散乱イオンのエネルギー損失量から分
FCF値は、分子のバンド強度を表す因子として
(77)
平成9年4月25日
52号外第2号
使用され、衝突による振電準位の遷移強度の解析
る有機化合物の禁制遷移について報告されている。
に使用される。FCF計算のMorseポテンシャル
しかし、振電励起における遷移強度の解析を行っ
による解析解はFraser−Jarmainにより報告され
た例は非常に少ない。これは、減速レンズの色収
ているが、重なり積分に近似計算を用いているた
差が振電励起スペクトル強度に影響を及ぼすため
め厳密な解析解ではない。本研究においてMorse
である。
ポテンシャルによる振動重なり積分の厳密な解析
本研究では遷移強度の解析が可能となるイオン
解がポリガンマ関数とその導関数の二重級数で表
分光装置の作製を行った。本装置は4段式静電減
された。解析解によるFCF計算をN、(al n、,
速レンズを用いることで色収差の影響が無くなり、
C3H。, blrlg)、CO(AIn)およびN査、 CO+
遷移強度の解析が可能となった。さらに、エネル
(X2Σ÷, A2H,B2Σ+)の遷移について行い、こ
ギー分析器として質量分析に利用されているマツ
の数値解をRKR、 Morseポテンシャルによる数
ダプレート電極を装着した分析器を今回初めて衝
値計算、さらに、電子エネルギー損失スペクトル、
突反応装置のエネルギー分析器に応用した。この
光電子分光スペクトルの実験値と比較した結果、
エネルギー分析器は製作が容易であり、実験的分
良い一致を示した。
解能は理論分解能が最も高い球面電極分析器と同
つぎに、解析解を5次近似まで拡張し、UBASIC
言語を用いて振動準位の適応範囲の拡張を行った。
5次近似によるFCF数値解はN、分子のLyman−
等である。また、エネルギー分解能は50mθVで
あり振動励起を分離する性能が得られた。
Li+一CO、 co 2について振動励起スペクトルの
Birge−Hopfield遷移、02分子のSchumann−Runge
測定を行った。CO分子の結果として、振動励起
遷移およびCO分子の(AIn)遷移における高振
エネルギーは過去の報告と一致し、過去の報告で
動準位間についてNichollsの数値計算結果と良い
は観測されていないv’=3の弱い振動励起が観測
一致を示した。
された。また、v’=!に対するv’ =2,3の遷移強
2)Morse分子の振動遷移の電気双極子マトリッ
クス要素の解析的証
度を光学的振動子強度と比較した結果、実験値が
理論値よりそれぞれ4倍、12倍高くなった。衝突
二原子分子の振動遷移確率は電気双極子マトリッ
反応において一般化された振動子強度は衝突エネ
クス要素より求められる。過去の報告例は、数値
ルギー(V)に依存し、V→0極限において光学
計算やMorse、 Dunhamポテンシャルをもちい
的振動子強度に対応する。しかし、実験結果の解
た場合であり、低振動準位の報告しかない。本研
析値は高い衝突エネルギー範囲からの外挿値であ
究ではMorseポテンシャルによる電気双極子マト
るため、低エネルギーの挙動を十分反映していな
リックス要素の厳密な解析解が得られ、ガンマ関
い可能性がある。衝突反応において光学的振動子
数を含む単純な式で表された。HF、 CO分子につ
強度を得るためには本実験条件よりさらに低い衝
いて<n}rlm>2の数値解を得た。
突エネルギー条件による実験値が必要であること
つぎに、連続状態(n)と離散状態(ε)間に
おけるMorse分子の電気双極子マトリックス要素
が判った。
CO 2分子の結果として、赤外活性およびラマン
〈nlriε〉の正確解を求め、HF、CO分子につ
活性の振動励起が同時に測定され、エネルギー準
いて<n【rIε>2の数値解を得た。
位が過去の結果と一致し、過去の報告では帰属さ
3)イオンエネルギー損失分光装置の作製
れていない弱い振動励起の振動モードも帰属でき
イオンエネルギー損失スペクトルは、1969年J.
た。エネルギー準位の測定結果から本装置の分子
H.MooreとJ.P.Doeringにより二原子分子の電子
のエネルギー測定における信頼性が確認された。
励起状態についてはじめて測定された。その後、
He+一COについて振電励起スペクトルの測定
振甫励起の研究はM.Barat等やD.Dhuicq等によ
を行った。その結果、三重項および一重項電子励
る二原子分子の高励起状態、J.H.Moore等によ
起について断熱および垂直遷移が明瞭に分離して
(78)
号外第2号 53
平成9年4月25日
観測された。測定した振電励起の遷移強度につい
へ適応範囲を拡大した。この場合も高振動準
て近接したエネルギー状態を含めたFCF計算によ
位官において数値解法の結果と良い一致を示
る解析を行った結果、一重項遷移状態の中に三重
した。
項遷移が重なっている可能性があることが判った。
以上、本研究における結果をまとめる。
2)モース分子という非線型振動子の離散状態
間の振動遷移モーメントゐ行列要素積分は一
1)FCFについてMorseポテンシャルによる
般化された超幾何級数GF2)で表される。
解析乳下を初めて得た。解析解によるFCF数値解
この級数をザールシュッツの公式をもちいて
はRKR、 Morseポテンシャルの数値計算値と一
ガンマ関数の積に還元して行列要素の厳密解
致した。解析解の近似を5次近似まで拡張するこ
を求め、さらに離散と連続状態間の振動遷移
とで高振動準位までの数値解が可能になった。
モーメントに拡張し、これについても厳密解
2)振動励起の電気双極子マトリックス要素に
を示した。フッ化水素と一酸化炭素の高振動
ついてMorse分子による厳密な解析的解を離散状
間および解離限界付近と連続状態間の振動遷
態と離散状態間および連続状態と離散状態間につ
移モーメントの挙動を調べている。
いて得た。この解析解はガンマ関数を含んだ単純
3)イオン分光装置を自力で制作している。本
な式で表され、振動解離限界付近までの数値解を
装置は4段静電減速レンズをもちいて色収差
得た。
をなくし、スペクトル強度の解析を可能にし
3)マツダプレートを装着したエネルギー分析
ている。この装置に内蔵されているエネルギー
器によるイオン分光装置を作製し、エネルギー準
選別器およびエネルギー分析器は従来の方法
位の性能をCO、 CO 2分子を用いて確認した。
と異なり、円筒電場にマツダプレートを装着
Li+イオンによる振動励起スペクトル測定の結果、
して、電気的操作で球面電場を作り、高エネ
CO分子についてはv’=3の弱い振動遷移が確認
ルギー分解能(50meV)を得ている。この
され、CO,分子については赤外活性、ラマン活性
装置を用いて一酸化炭素と二酸化炭素分子の
振動モードの倍音、結合音が同時に測定された。
振動スペクトルの測定を行い、一酸化炭素で
He+イオンによる振電励起スペクトル測定の結果、
は過去の報告では観測されていないv=3の
CO分子について一重項および三重項電子遷移に
振動励起を見いだしている。特に二酸化炭素
おける断熱および垂直遷移が測定され、遷移強度
については赤外活性とラマン活性のスペクト
の解析より一重項遷移は三重項遷移が重なった
ルを同時に測定できるのが特徴的である。一
FC的遷移であることが判った。
酸化炭素ガス分子の振動励起の一重項一三重
項スペクトルの研究において、振動構造まで
2 学位論文審査結果の要旨
分離でき、実験結果はFCF計算とよい一致を
本論文は、プランターコンドン因子(FCF)と
示している。また断熱遷移と垂直遷移の区別
振動遷移モーメントについての理論的研究とイオ
ン分光装置による分子スペクトルの実験的研究で
あり、下記の成果を得ている。
が明確に示されている。
以上、本論文は非線形振動子における振動回転
遷移の行列要素の厳密解は一つのモデルを提出し
1)モース振動子の振動重なり積分をポリガン
ており、また自作のイオン分光装置の高エネルギー
マ関数とその導関数で級数展開して、FCFの
分解能とスペクトル強度の定量性を確立している。
解析的な解を求め、二原子分子および二原子
今後有機化合物の一重項一三重項遷移スペクトル
分子イオンについて数値解法および電子エネ
の研究に新しい道を開くものである。
ルギー損失分光と光電子分光の実験値と比較
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
し、良い一致を示した。さらに5次まで近似
結果から、申請者にたいして博士(理学)の学位
を上げ、そしてUBASICを用いて高振動準位
を授与することを適当と認める。
(79)
平成9年4月25日
54号外第2号
こういう高分子の実在を主張する高分子論の立
審査委員
主査 教授松 本
晟
副査教授北浦和夫
副査教授中西繁光
副査教授佐藤優子
場と低分子が会合しただけで高分子的像は見せか
けにすぎないとする会合体論の立場からする論争
は1926年から1930年にかけて頂点に達した。
アメリカのデュポン社のウォーレス・ヒューム・
カロザーズ(Wallace Hume Carothers,1896−
1937)は分子蒸留法という独自の方法で分子量を,
10,000ないし25,000にまで向上させ,スーパーポ
大阪府立大学告示第26号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
リマーの合成に成功した。1930年4月16日のこと
規則第2号。以下「学位規程」という。)第!5条
であった。この時点において,高分子が存在する
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
ことは実験的に確証され高分子実在論争に決着が
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
ついたといえよう。さらにカロザーズは1935年2
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
月28日にはナイロン6−6を合成した。
要旨を次のとおり公表する。
本論文の作成にあたっては,デュポン株式会社
の広報部を煩わせてナイロンに関する英文原資料
平成9年4月25日
を見ることができ,その成果を各所にとり入れる
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
ことができた。
デュポン社におけるカロザーズの超人的努力に
いの
うえ
なお
ゆき
称号及び氏名 博士(学術) 井 上 尚 之
より!935年,ナイロンが完成し,分子をつなぐこ
(学位規程第3条第1項該当者)
とによって分子量が1万を超える高分子が存在す
(山口県 昭和29年9月2日生)
ることが合成的アプローチによって証明された。
これによってシュタウディンガーの高分子論が会
論 文 名
合体論を駆逐した。そしてこのナイロンはポリア
カロザーズのナイロン発明が日本社会
ミドであるので,形状・性質が絹に類似していた。
及び高分子化学の発展に与えた影響
戦前絹は日本の輸出の大宗でありその多くがアメ
リカに輸出され,婦人の靴下に利用されていた。
1 論文内容の要旨
デュポン社はナイロンの形状・性質からしてこれ
本論文は,ナイロンの出現が日本へ与えた影響
で絹を駆逐できると考えて,社の総力を上げてナ
を多方面から究明するものである。日本のアカデ
イロンの工業化にとりくみ見事に成功させた。
ミズム,繊維会社,政府,一般大衆等にどのよう
戦前から資源のない我国はパルプから製造でき
な影響を与えたかを閲明し,この科学的異文化を
るレーヨンの製造に力を入れ,1937年にはその生
日本全体がどのように受容し対応していったかを
産量で世界1の座をしめていた。再生繊維である
明らかにする。特に戦後,大発展した日本の高分
レーヨンの技術においては我国はトップレベルに
子学にどのような影響を与えたかをとりわけ詳細
あった。また,レーヨン企業や京大や東大のアカ
に検討する。
デミズムは戦前から化学の先進国であるドイツに
1920年代までは,高分子量の分子の存在そのも
多くの留学生を送りだしており,学問的にも相当
のに否定的な見解がアカデミズムを支配していた。
なレベルにあった。このような状況に置かれてい
1920年ごろから,シュタウディンガー(Staudinger,
た日本にデ=ボン社のナイロン発売の報が素早く
Hermann 1881−1965)はゴムを研究し,ゴムは
伝えられた。
低分子の会合した化合物ではなく,長い鎖状分子
が単位となる高分子であるとの結論に達した。
(80)
特に本論文では,ナイロンの実物を最も早く日
本にもたらしたルートはどこであったかという科
号外第2号 55
平成9年4月25日
学史上の大きな謎に鋭く迫り,一つの解答を得る
究に非常に有用であった。
ことができたのは大きな成果であった。つまり次
第2次世界大戦前夜の騒然たる世相に加えて起
の5っの大きなルートがあり,ほぼ同時期にナイ
こったこのナイロンショックの事態にいかに取り
ロンの見本がもたらされたのであった。
くんだらいいのか? ここに1人の男が登場する。
①東洋レーヨンルート
当時,東大出身で富士紡の若き技師であった荒井
②日東紡績ルート
憂心氏である。1大学や1企業が研究するだけで
③ 鐘淵紡績ルート
は到底ナイロンのような合成繊維は早急に工業化
④農林省ルート
できないことを看破していた荒井氏は産官学一体
⑤商工省ルート
の一大研究機構をつくることを決心した。荒井氏
実物が出回るまでは,多くの憶測やうわさが出
はその人脈を生かして企業,官庁,大学に積極的
た。やがて上記のルートで見本品が伝わるが,わ
にはたらきかけた。ナイロン出現に危機感を抱い
ずか数mgの試料から正確にナイロンの成分分析を
ていた企業,官庁のトップはこの動きを利用した。
行い,分析後すぐにナイロンの合成や紡糸を行っ
また,民間からの資金援助によって財団法人日本
た京大,東京工業大,東洋レーヨン技術陣の技術
繊維化学研究所をつくり意欲的に繊維研究にとり
の高さには驚嘆せざるを得ない。大学人やレーヨ
くんでいた京大の喜多研究室では,桜田一郎教授
ン企業の技術者達はこの全く新しい合成繊維の出
を中心にしてこの動きに全面的に協力をした。そ
現に驚かざるを得なかった。石炭と水と空気から
して2年後の1941年1月ついに財団法人日本合成
うくられたこの繊維はやがては絹をおびやかし,
繊維研究協会が創設されたのである。これは,荒
さらにはレーヨンをも窮地に追いこむであろうと
井氏が初め意図したものよりはゆるやかな産官学
いうのが当時のトップレベルの技術者の共通意見
の共同研究体となったが日本初のものであった。
であった。
5近年にわたり政府は毎年10万円(時価10億円)
ナイロンの入手ルートや分析方法及びナイロン
民間から約30社が総額350万円(時価350億円)を
出現時の反響等については,当時の様子をよく知
出しスタートを切った。現在から考えてもこの額
る大学人や企業人からの聴きとりが不可欠であっ
は相当に大きいものである。東洋レーヨンの研究
たが,存命の人が少なく,研究は難航した。しか
陣も財団法人日本合成繊維研究協会の分科会の会
し懸命の調査の結果,当時東京工業大学でナイロ
合からドイツの1.G社のシュラックのナイロン6
ン分析を担当した星野研究室に在籍し現在東京大
の特許を知り,研究に適量していったのであり,
学名誉教授になられた岩倉義男先生が御健在であ
これがなければナイロン6が工業化できたかどう
ることがわかり,詳しい話が聞けたことは本研究
かは疑問である。倉敷レーヨンのビニロン研究に
の推進に役立った。また,東洋レーヨンの元研究
も,財団法人日本合成繊維研究協会に属するよう
員であった丹沢寒造をはじめとする東洋レーヨン
になった京大喜多研究室や高槻中間試験工場の研
関係者の話が聞けたことも本研究を充実させた。
究が生かされている。
当時の人々のナイロンに対する意識を探るには新
この財団法人日本合成繊維研究協会の設立には
聞や雑誌を調査することが重要な研究手段であり,
荒井氏の人的ネットワークとそのパーソナルコミュ
戦前,戦中の乏しい資料を徹底調査した。その中
ニケーションが不可欠なものであったが,荒井氏
で発見できた稀襯本『ナイロン』(1938年(昭和
の実像を探るのは容易ではなかった。しかし前出
13年)発行,紡織雑誌社)はデュポン社のナイロ
の岩倉氏や丹沢氏が荒井氏をよく知っておられた
ン発表直後の我国各界のナイロンに対する反響や
ことは本研究を掘り下げるのに役立った。
大学及び官立研究所におけるナイロンの検査結果
だがこの財団法人日本合成繊維研究協会の設立
がまとめられており,これを通して当時のナイロ
後,1年もたたないうちに不幸にして日本は太平
ンに対する生々しい意見に触れられたことは本研
洋戦争に突入した。戦争末期の1944年にはこの財
(81)
平成9年4月25日
56号外第2号
団法人は高分子化学協会と名称が変更され,軍需
究組合として他産業にも応用され,日本は世界1,
省化学局の主管に移行し,合成樹脂による軍用資
2位を争う工業国家になりえたのである。
材及び軍用衣料の生産にも協力した。
つまり,カロザーズのナイロン発明とその工業
敗戦3年後の1948年10月に経済復興5力年計画
化こそは,現在の高分子王国日本をつくった源で
が立てられ,この中に合成繊維による再建が組み
あり,さらにひいては現在の技術立国日本の源な
入れられた。さらに翌年には「合成繊維工業急速
のである。そしてその間に財団法人日本合成繊維
確立に関する件」が省議決定され,合成繊維工業
研究協会が存在するのである。
確立のために官民一体で協力しあうことになり,
本論文では,鐘紡,東洋レーヨン,倉敷レーヨ
多額の資金援助が行われることとなった。これは,
ン等の繊維企業の研究員や経営者の論文,寄稿文,
戦前,戦中の財団法人日本合成繊維研究協会,財
社史等を資料として多用したが,各企業の広報部
団法人高分子化学協会の活躍により,ビニロンや
を煩わせそれらの内容の正確さの確認に務めたこ
ナイロン6の大量生産体制の一歩手前まで,倉レ
とを付記しておく。
や東レの技術が完成していたことによるのである。
また,財団法人日本合成繊維研究協会の産官学体
2 学位論文審査結果の要旨
制がうまく成功したので,これを踏襲,拡張した
本審査委員会は予備審査委員会の報告にもとづ
ものとみることもできよう。これらはうまく成就
き、2月17日に慎重審議し、さらに最終公開試験
され,1953年にはさらに合成繊維5力年計画が次
を2月24日に行った。以下にその審査結果を報告
官会議で決定された。これによって戦後10年をま
する。
たずして,1956年(昭和31)日本はイギリスを抜
本論文のねらいは、アメリカのデュポン社が絹
きアメリカに次いで合成繊維生産高世界第2位に
に対抗するために1938年に公表した合成高分子繊
躍進し,高分子大国に成長していくのである。こ
維ナイロンの出現が日本へ与えた影響を多方面か
こで見落としてはならないのは,戦前,戦中の手
ら究明することにある。この科学的異文化が日本
厚い遺産の上に戦後の我国における合成繊維工業
のアカデミズム、企業、政府、一般大衆にどのよ
が開花していくのであって,戦後にわかに技術導
うな影響を与えたかを閲明し、戦後日本の高分子
入によって挿し木されたものではないことである。
産業等に与えた影響を特に詳細に検討している。
財団法人日本合成繊維研究協会のような産官学
論文執筆者(以下単に論者)は全体を8章に分
の研究機関は戦後は,鉱工業技術研究組合と名付
け、まず最初の2章を割いて、いわゆるシュタウ
けられ,1961年(昭和36)鉱工業技術研究組合法
ディンガーの高分子学説が登場して旧来のコロイ
が制定された。この法律のねらいは,ナイロンショッ
ド学派と鋭い論争を展開する前史、およびカロザー
クに端を発した合成繊維の技術開発力の強化と工
ズのナイロン発明の経緯を直接デュポン社等から
業化を目ざした財団法人日本合成繊維研究協会の
資料を得て、十分に書き込んでいる。本論に特徴
目的とまさに軌を一にするものである。
的な部分は、3章以下8章に及ぶ前章にある。す
カロザーズのナイロン発明は日本の輸出の大宗
なわち「ナイロン出現時の日本の生糸産業と繊維
であった絹を壊滅させた。しかし見方を変えれば
工業」「ナイロン出現とその影響」「財団法人日本
この発明は荒井氏をして産官学の共同体である財
合成繊維研究協会設立!「日本における合成繊維
団法人日本繊維研究協会をつくらしめ,これが日
研究 ビニロン」「日本のナイロン研究」「戦後の
本のビニロンとナイロン6を創造したのである。
日本の高分子化学の発展」である。論者はこれら
そして戦後,この共同体が残した遺産を受け継ぐ
の部分の執筆のために、当時の大学や企業の研究
ことによって,これらの大量生産が可能になり,
者で存命の人達を苦心の末探しだし、聞き取りを
日本が合成高分子大国にのしあがったのである。
行った。また、戦前、戦中の乏しい資料の探索に
さらにこの産官学の共同体の形式が鉱工業技術研
努め、満足すべきデータを入手している。
(82)
号外第2号 57
平成9年4月25日
論者は、ナイロンの実物をもっとも早く日本に
本合成繊維研究協会の活躍により、ビニロンやナ
もたらしたルートはどこであったかという科学史
イロン6の大量生産の手前まで、倉レや東レの技
上の謎に鋭く迫り、5つのルートを解明した。す
術が完成していたことによるのであると論者は指
なわち、「三井物産ルート」「日東紡績ルート」
摘する。また、1956年(昭和31)日本はイギリス
「商工省ルート」「鐘紡ルート」「農林省ルート」
を抜きアメリカに次いで合成繊維生産高世界第2
である。そして当時、ドイツ等へ人材を送り込み
位に躍進し、高分子大国に成長していくが、これ
すでに高い水準にあったわが国の化学技術陣が、
は戦中・戦後の手厚い遺産の上に戦後のわが国に
この極少量もたらされたナイロンを直ちに正確に
おける合成繊維工業が開花していくのであって、
分析し、その合成に成功していく様を克明に記述
戦後にわかに技術導入によって挿し木されたもの
している。深刻な生糸関係者の反応も当時の新聞・
ではないとも指摘するが、これらはまことに適切
雑誌等から鮮明に描いている。多くの識者は、ナ
なものである。
イロンによって生糸ばかりかレーヨンまでも大き
な被害を受けることを予測した。
1952年(昭和27)産官学の研究機関は、鉱工業
技術研究組合と名付けられ、税軽減措置がとられ
論者はここにおいて一人のキーパーソンに着目
るようになった。また196!年(昭和36)には、鉱
する。東大出身で富士紡の若き技師荒井漢吉氏で
工業技術研究組合法が制定され多額の補助金が支
ある。一大学や一企業が研究するだけではとうて
給されるようになった。具体的には、カメラ工業
いナイロンのような合成繊維は工業化できないこ
技術研究組合、電子計算機技術研究組合、原子力
とを看破していた荒井氏は、産官学一体の一大研
製鉄技術研究組合、超しSI技術研究組合、第五世
究機構をつくることを決心し、その人脈を生かし
代コンビ=一劃一開発プロジェクト技術研究組合、
て企業、官庁、大学に積極的にはたらきかける。
国際ファジィ工学研究所技術研究組合等多くの鉱
ナイロン出現に危機感を抱いていた企業、官庁の
工業技術研究組合が作られたが、論者は財団法人
トップはこの動きを利用した。また、民閤からの
日本合成繊維研究協会こそがこれらの鉱工業技術
資金援助によって財団法人繊維化学研究所をつく
研究組合構想のモデルになったと多くの証拠をあ
り意欲的に繊維研究にとりくんでいた京大の喜多
げて主張する。このような視点はいままで誰も指
研究室では、桜田一郎教授を中心にしてこの動き
摘しなかったものであり、非常に説得力を持つ斬
に全面的に協力した。そして2年後の1941年1月
新なものである。
に財団法人日本合成繊維研究協会が創設されたの
つまり、カロザーズのナイロン発明とその工業
である。これは、荒井氏が始め意図していたもの
化こそは、現在の高分子王国日本を誕生させた源
よりはゆるやかな産官学の共同研究体となったが、
であり、さらにひいては現在の技術立国日本の源
日本初のものであった。5力年にわたり政府は毎
であり、その間に財団法人日本合成繊維研究協会
年10万円(時価10億円)、民間から約30社が総額
が存在するという見解は十分に通用する。
350万円(時価350億円)を出しスタートを切った。
また最後に論者は、日本が合成繊維立国、高分
論者は、荒井渓吉氏をキーパーソンとするこの
子立国として成功した要因、すなわち ①産業基
協財団法人日本合成繊維研究協会の発足を、多く
盤の充実、②化学技術の水準の高さ、③産官学の
の資料をもとにして克明に追跡している。
先駆的協同体制、④人間・情報ネットワークとキー
敗戦3年後の1948年10月に経済復興5力年計画
パーソン、⑤十分な資金力、⑥財団法人日本合成
が立てられ、この中に合成繊維が組み入れられ、
繊維研究協会の成功と鉱工業技術研究組合の先駆
さらに翌年には「合成繊維工業急速確立に関する
的役割、⑦戦後の輸出政策 を指摘して論文を締
件」が省議決定され、合成繊維工業確立のために
めくくっている。
官民一体で協力しあうことになり、多額の資金援
審査委員会では論者のファクトの積み上げ、新
助が行われることになった。これは、財団法人日
事実の発見等十分評価できると共に結論及びそこ
(83)
平成9年4月25日
58号外第2号
にいたるまでの過程も十分に説得力があると認め
ベースに、オートバイ、自動車メーカーとして世
た。ただし記述形式がそのため時系列になりすぎ
界的に知られた戦後生まれの国際企業の一つであ
て単調になっているきらいもある、という意見も
る。ホンダは町工場から操業15年を経ずに世界最
あった。またナイロンが人工高分子第1号である
大のオートバイ会社になり、それから10年余りで
ならば、今日の環境問題におけるその種の人工物
世界的に知られた自動車会社にもなった。ホンダ
の氾濫がいかなる意味を持つか、そういう視点も
が世界的に認められだしたのは、1960年代に入っ
結論にほしかったという指摘もあった。しかし全
てからであるが、それには本田宗一郎を中心とす
体として本論文の質の高さは承認される点であり、
る技術開発と製品化、藤沢武夫を中心とする経営
本委員会としては学位授与が妥当であると判断す
(販売)と製品戦略があった。この二人の強烈な
るものである。
個性を持った経営者の存在がホンダを動かすベク
審査委員
トルとして作用していた。
主査 教 義金 子
ホンダの企業発展を本田宗一郎のユニークな人
務
副査教授花岡永子
副査教授伊藤嘉啓
副査教授山本浩司
格と言動とにオーバーラップさせた書籍が、1960
(理学系研究科)
でに出版されたホンダ及び本田宗一郎に関する単
年代当初に相次いで刊行され、ホンダイコール本
田宗一郎のイメージが定着した。その後、現在ま
行本は200冊を越えるが、そのほとんどが町工場
副査 助教授 山 口 義 久
を世界的企業に発展させた男のロマンに彩られ、
実態とは関係なしに本田宗一郎に結びつけて語ら
れてる。しかし現実には、ホンダの技術形成を論
大阪府立大学告示第27号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
ぜずして、ホンダの企業発展は語ることができな
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
い。にもかかわらずホンダの技術形成を中心とし
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
た具体的な研究はまだなされていない。
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
本論は、ホンダを世界的企業に発展させた技術
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
形成過程を、エンジンと生産技術に分け、本田・
要旨を次のとおり公表する。
藤沢がトップであった1970年代前半までの時期に
平成9年4月25日
焦点を絞り、調査研究を行ったものである。
本論の第1部はエンジン技術の形成過程を扱う。
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
第1章の2サイクルエンジンは、戦後の物不足
時代に作られた自動車補助エンジンで、浜松にオー
で
みず
つとむ
称号及び氏名 博士(学術) 出 水
力
トバイ産業をもたらした。また、1952年に発売さ
(学位規程第3条第1項該当者)
れたF型補助エンジンは自転車の後輪部に取り付
(大阪府 昭和20年1月1日生)
けられ、デザインを配慮した「白いタンクに赤い
エンジン」のキャッチフレーズとともに、補助エ
論 文 名
日本における自動車技術形成の事例的研究
一町工場から世界のホンダへの
エンジン技術と生産技術の展開一
ンジン付き自転車ブームを招いた。このように創
業期から常に日本のオートバイ業界をリードして
いたことは注目すべきことである。
第2章のE型ドリーム号の4サイクル単気筒エ
ンジンは、10種類もの派生エンジンがあり、作り
1 論文内容の要旨
ホンダといえば高出力ガソリンエンジン技術を
(84)
ながらエンジン技術を学んだ過程を論じている。
バルブ機構はOHV(頭上同型)で、日本におけ
号外第2号 59
平成9年4月25日
るこの方式の先駆でもあった。次に開発されたS
安定した水冷4気筒エンジンで、ホンダは四輪メー
A型エンジンでは早くも高速に達したOHC(頭上
カーとしての地位を築くことができた。
カム型)が採用され、日本におけるOHCエンジ
第7章は低公害エンジンCVCCの開発経緯を取
ンの量産に先鞭をつけた。
りあげ、層状給気方式が実用化されるまでの道筋
第3章は1957∼58年に開発された4サイクルC
を述べた。
型エンジンシリーズを扱った。C型の生産は範と
第8∼9章はエンジンの機能としての燃焼室、
したドイツのオートバイ工業と肩を並べ、また
バルブ系、気化器のエンジン性能に与える役割を、
250cc、125cc 2気筒エンジンでは、吸排気系の
既述してきたエンジン開発に関連づけて説明を加
慣性効果を利用した体積効率の向上手法が確立さ
えた。
れ、世界のエンジン技術をリードする立場に立っ
本論の第2部は生産技術の形成過程を扱う。
た。
ただし工場(製作所)単位で年代ごとの主要生
一方、50cc 4サイクルエンジンは、最小排気量
産技術を取り扱った。
ゆえ量産化が難しく、着手したメーカーはなかっ
第1章の浜松の町工場時代は、戦前の汎用工作
允が、スーパーカブのエンジンは、この壁を破り
機を使いながら、ジグの多用、旋盤を改造した中
4サイクルの高出力、低燃費、静粛なエンジンと
ぐり、座ぐりの専用機化により生産能率を高めて
して、手頃な価格と相まって国内市場を独占した。
いた。
C型シリーズの各オートバイは海外に輸出市場を
第2章の東京工場時代は1951年から始まり、エ
拡げ、国際ブランドとしてホンダが世界に認めら
ンジンが4サイクルと複雑になり、ホンダ独自の
れる端緒を開いた。
専用機が開発され、多方向同時加工により能率を
第4章は1955∼59年にかけて開かれた浅間レー
あげる考えが徹底された。
スの成果について述べた。このレースは国産メー
第3章の埼玉県大和工場(現在の和光)の稼働
カーの技術力、部品工業レベルを飛躍的に高め、
は1953年であるが、多数の輸入工作機械が配備さ
オートバイを輸出産業に育てたといえる。リッター
れ、設備面で最も優れた工場となった。それによ
馬力100を目指して開発されたエンジンは、57年
り高回転エンジンの製品化が可能となった。また、
にこの壁を越え、59年には150にまで近づいた。
創業来のノー加工(最小の加工で製品化)の思想
これらの段階で開発された成果は全て市販車にフィー
が押し進められ、金型鋳造に加え、シェルモード
ドバックされ、オートバイが世界的商品になりえ
技術が自製され、精密鍛造が定着した。溶接もガ
たのである。
ス、アークに代わり抵抗溶接がフレームの接合に
第5章は海外レースにチャレンジしたワークス
導入されている。
マシンの開発過程を、125ccクラスのRC140シリー
第4章は浜松市に点在していた工場を市内の葵
ズを例に取りあげた。1959年にりッター馬力150
町に集結させ、新たに浜松製作所として1953年に
に満たないエンジンは、66年には250を越えた。
発足した。ラインのレイアウトを自由に変更でき
この間に世界のオートバイGPレースをリードす
るよう工作機械を固定しない据えつけが、実施さ
るエンジン技術を形成してきた過程を明らかにし、
れた。特に歯車の騒音対策のため種々の取組が実
まとあとしてRC系レーシングエンジン全般にわ
行され、転位歯車が初めて使われた。
たり議論を試みた。
第5章は、1960年に発足した世界最大のオート
第6章は初期の四輪エンジン開発を紹介した。
バイ工場、鈴鹿製作所におけるスーパーカブ生産
それらのエンジンは全てオートバイエンジンの延
のマスプロ化を扱った。自動車生産を前提に建て
長上に作られていた。四輪乗用車のH1300エンジ
られた工場のため自動車生産技術のオートバイへ
ンは4気筒の本格的なものだったが、二重空冷で
の応用の感じが強い。生産ラインは部門ごとに区
トラブルが多かっだ。次に市販されたシビックは
分され、巡らされたオーバーヘッドコンベアで、
(85)
平成9年4月25日
60号外第2号
定時、定点、定量的に物流が管理された。鋳造工
ば日本一になれない」と標榜していたように、スー
場もオートメ化され、マスプロ技術が確立され、
パーカブ、シビックで代表される世界のどこにで
四輪生産のベースも築かれている。
も通用する製品の創造にあった。独創的な技術開
第6章はホンダあげて四輪生産が始められた時
発は「困難に挑戦し、新しい技術を生み出す意欲」
の様子を取りあげた。エンジンは和光(埼玉)、
で、走る実験室といわれるオートバイの海外レー
ボディと歯車関係のユニットは浜松、シャシーの
スに挑戦し、選手権を獲得した時代の先取り精神
プレス溶接は鈴鹿が分担し、新設された狭山工場
は「時代をリードする需要の創造にあり」、技術
で組み立てられている。
や商品に思想がなければならないことを指摘し、
第7章は、1967年に軽四輪市場に本格的に参入
デザインを含めたトータルな製品の創造を意味し
するため、和光工場を四輪エンジン部品とエンジ
ている。合理性の追求は「既成概念を打破」し、
ン組立工場に変革するまでを扱った。加工も従来
目的達成への最適手段の確立にあった。
の同時多軸加工ではなく、トランスファーマシン
これらの企業行動の思想は、社是の「わが社は、
による加工が主流となり、組立にも自動化が推進
世界的視野に立ち、顧客の要請に応えて、性能の
された。ノー加:工として焼結法、等速ジョイント
優れた廉価な製品を生産する。」という精神に回
の冷間鍛造、アルフィン法によるシリンダーブロッ
帰してくる。
クの生産のほか、摩擦溶接によるクランクシャフ
ト製作が行われ、新しい生産技術に積極的に取り
組まれた。
埼玉の和光、狭山製作所と鈴鹿製作所の間で、
2 学位論文審査結果の要旨
本審査委員会は、予備審査委員会の報告にもと
づいて、平成9年2月17日に審査委員会を開き慎
人員の交流という技術移転の機会がもたれ、N360
重審議し、さらに公示にもとづいて同年2月24円
は両埼玉で、TN360は鈴鹿で製作に入っている。
に公開最終試験を行った。以下、これらにもとづ
第8章は、大衆乗用車市場を目指した四輪生産
き審査結果の要旨を報告する。
を紹介した。鈴鹿におけるH1300の生産立ち上げ
本論文のねらいは、論文執筆者(以下単に論者)
は、乗用車生産の経験不足のため絶え間ないトラ
が序文で述べているように、従来の日本自動車史
ブルに見舞われ、乗用車生産の厳しさを自覚する
に関する研究が、戦前からの自動車許可会社であ
結果となり、商品としてもH1300は失敗作であっ
るトヨタ、日産など先発自動車メーカーを中心に
た。しかし、その経験は次に生かされ、シビック
展開したものに集中しているのを見直し、戦後の
による大衆乗用車市場の開拓に結び付けられた。
急成長企業の典型になったホンダに焦点をあわせ
第9章は、生産思想と生産技術の水平展開を述
て考察することにある。日本自動車史の上では、
べ、年代的にエポックとなった生産技術を取りあ
傍流かっ戦後に設立された浜松の一町工場に過ぎ
げた。ホンダの生産思想は、「資源を使いきるこ
ないホンダが、創業15年を経ずして世界最大のオー
と」「作り方を簡単にすること」「自然を生かすこ
トバイメーカーになり、さらにその数年後には自
と」に尽きる。また、この時代のトヨタとホンダ
動車メーカーになり、世界的にジャパニーズミラ
の生産技術の相違点は、前者のトランスファーマ
クルとさえ評価されている実態を、技術史の側か
シン化に対し、後者は同時多軸加工であった。
ら照明を当てた。
本論の結論では、町工場から世界のホンダへの
経営史的にみればホンダには本田宗一郎を中心
技術形成ダイナミズムを、ホンダを特徴づける企
とする技術開発と製品化、藤沢武夫を中心とする
業行動を例に分析し、世界的視野、独創的な技術
経営(販売)と製品戦略があった。この二人前強
開発、時代の先取り精神、合理性の追求を包含し
烈な個性を持った経営者の存在がホンダを動かす
た技術形成であることを明らかにした。
ベクトルとして作用していた。しかし現実には、
世界的視野は、本田宗一郎が「世界一でなけれ
ホンダの技術形成を論ぜずして、ホンダの企業発
(86)
号外第2号 61
平成9年4月25日
展は語ることができない。町工場から出発した二
極短時間でホンダの高回転、高出力エンジン技術
輪車メーカーのホンダが如何にして、技術力を高
レベルを大幅に向上させたが、この過程もエンジ
め乗用車生産に進出したのかを製品技術と生産技
ン図表を豊富に使いビジブルに提示した例も従来
術の開発過程を解明することは重要な問題である。
の研究では見ることのできない手法である。こう
「エンジンを制する者は車両を制する一」といわ
した事項はエンジン開発者にとっては知りたい事
れているように、とりわけそのエンジン技術開発
実であるが、往々にして工学的視点からは好事家
を第1部に、量産化のための生産技術を第2部に
の仕事としてしか鼻、られないことがある。また、
取り上げることによって、論者は従来の経営史的
随所に関係者からの聞き取り調査や当時の新聞、
視点からする本田宗一郎のカリスマ性の称揚に終
雑誌、ホンダの社報などを利用した資料が引用さ
始しがちであった評価に、技術史的な視点から詳
れていることは評価すべきである。こうした手法
細な裏付けと分析を加えている。機械技術史ある
は、民俗学や社会学などの人文系領域の一部では
いはオートバイ史領域において、往年のホンダの
標準的なものとなっているが、本論のように工学
特定機種に対する回顧趣味的なものやマニアック
知識をベースとした技術史的研究においてはまだ
なものはあっても、論者のように包括的かっ時系
先駆的な試みといえる。
列的にホンダの技術開発過程を追及した研究は極
めて稀である。
また、第2部ではエンジン開発の技術的な問題
の他にその生産設備や工場の機械配置にも触れて、
審査委員会でも指摘されたように、本論は一見
多角的にオートバイ、自動車の生産技術システム
ホンダという特定企業の社史風の体裁を見せる部
の展開を示している。町工場時代から先駆的なダ
分があるが、それは論者が苦労して入手したホン
イキャスト(精密金型鋳造)部品を多用すること
ダの未見資料を豊富に活用していることに起因し
による晶質の安定化、汎用工作機械にジグの活用
ている。トヨタ、日産には詳しい社史もあり、公
の他に、汎用機改造の専用機化など創意工夫の跡
開データも豊富にあるが、ホンダには簡単なホン
をたどることができ、他社を出し抜いたホンダの
ダの歩みをしるした冊子を除いて社史もまだない
創業当時のダイナミズムが理解できる。また、こ
新興企業である。したがって社史に相当する部分
のように技術を作り出す以外に、技術をお金で買
を論者みずから既述する必要に迫られたところが
うこと、すなわち昭和27年に資本金が600万円の
あり、この点は十分に考慮されてよい、というこ
ホンダが、海外から4億5000万円の高精度工作機
とで審査委員の意見も一致した。この問題を抜き
械類を輸入し、生産技術のレベルアップを図った
にして、論文内容は先行研究のいずれにも分類し
ことが、飛躍への大きなバネの作用を果たしたこ
がたい「産業技術史」としての視点を基軸にすえ
とを具体的に明らかにしている。
た極めて独創性に富むものである。論者が本学工
論者は、機械(エンジンを含む)の構造や生産
学研究科修士課程でエンジンを研究していたこと
システムの説明に図面を多用し、そこに付された
が、本論の裏打ちをしているといえよう。研究手
簡単なコメントで複雑な内容を視覚的に説明づけ
法においても、論者は車輌用エンジンの開発とい
ることにも一応成功している。特に複雑な図面類
う視座を明確にしているため、エンジン付き自転
は専門を異にするものにはとりつきにくいが、本
車からオートバイを経て自動車へ 経営主軸を移
論の付図類はそこに付された短い説明が本論の不
行する過程も明確に説明することに成功している。
足をかなりの程度まで補っている。この試みは本
ホンダの技術開発の特徴として、論者はレース
論のような人文・自然科学の境界領域を扱うもの
という目標達成型技術開発の形式に着目している。
としては必要な配慮である。
マン島のTTレースをはじめとするヨーロッパ各
審査過程で論者がしばしば用いている「世界に
地で開かれるオートバイレースの優勝を目指した
通用する」などの世界の概念や、本田宗一郎が最
エンジン開発は「走る実験室」と呼ばれた如く、
後に開発した空冷エンジンを搭載したH1300乗用
(87)
平成9年4月25日
62号外第2号
車の失敗後における水冷エンジンへの移行にとも
一俳句における世界分節一
なうホンダの技術組織のあり方についての記述な
ど、1、2明確さを欠く表現がみうけられるとの
1 論文内容の要旨
指摘もあったが、全体の趣旨を理解するには支障
本論文は、俳句が芸術言語として持つ特性に基
がない。エンジン技術の発展過程の記述も、ホン
づいて、俳句の表現の特徴を記述することを目指
ダに固守した感が強く、世界的なエンジン技術史
した。芸術言語の特徴とは、日常言語の特徴との
を理解できるようなスケルトンを提示することも
比較を伴う。日常言語と芸術言語との区別は、ディ
望まれる。論者の力量からさほど難しい問題では
スクールのシンタム(統合関係)において可能に
なく、上記の点を本論公刊に際し、改めることを
なる。統合関係を成す前の言語は、指示性は弱い。
要望する。なおまた審査委員会としては、ここで
言語そのものは、分節構築によって出来上がった
取り上げたテーマについて海外での事例との比較
ものであるからである。言語は、その分節された
研究を進bることを今後の論者に期待したい。
構造に応じて意識を分節し、世界を分節する。言
論点の着眼点、構成の独創性、調査手法、文章・
語は世界を分節しきれないのである。分節された
図表の的確さを総合的に見て、本論は学位授与に
ものの残りが潜在態として存在する。つまり、分
値するものと判断する。
節構築は部分知でしかありえない。世界は、原カ
審査委員
オスとロゴス=コスモス(分節されたもの)とカ
主査 教 授 金 子
オス(原カオスから分節されたものの残り)の円
務
副査教授田淵晋也
環のなかにある。それについて本論1では、シン
副査教授上田さち子
ボル活動と分節構築との関係、その分節構築によっ
副査教授森田恒之
て形成された芸術言語と言語の秩序との関係、芸
(国立民族学博物館・総合大学院大学)
術言語の形成を支えるシンタム軸とパラダイム軸
副査 助教授 沢 田 善太郎
との関係、そのパラダイムの構成単位(ユニット)
の選択によって、俳句に見られるミクロコスモス
としての芸術言語の特徴を定義してみた。
大阪府立大学告示第28号
この言語の特徴によって、分節構築の再生産過
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
程は、言語の記号表現と記号内容の関係から生じ
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
る意味の多様性を許容する。俳句は他の文学より、
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
その多様性を多く許容する。本論llでは、その面
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
を考察してみた。
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
要旨を次のとおり公表する。
本論■一1では、シンタム(統合関係)におけ
る意味作用を分析した。そのシンタム(統合関係)
平成9年4月25日
の意味単位として名詞は決定的な重要性を担う。
そのたあに、このシンタム(統合関係)の組み合
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
わせに関して、(1)二つ以上の名詞とその結合語
の関係、(2)名詞と叙述語との結合関係、(3》二つ
バク
称号及び氏名 博士(学術) 朴
素 賢
ソ
ヒョン
以上の名詞や叙述語の結合関係、の順序で分類し、
(学位規程第3条第1項該当者)
考察した。その結果、俳句の記号内容は指示する
(大韓民国 1961年10月3日生)
対象に共通の記号内容を用いながらも、記号内容
に曖昧さや難解さが生じてくる。この意味の曖昧
論 文 名
ミクロコスモスとしての芸術言語
(88)
さは、コンテクストから生じ、意味の重層化とし
て機能する。記号表現の量的な制約により、この
号外第2号63
平成9年4月25日
意味の揺れが非日常を生じる。一つ一つの独立し
タム軸とパラダイム軸との関係、そのパラダイム
た意味単位の連関から形成される俳句の表現は、
の構成単位(ユニット)の選択によって、用いら
文脈の統合的・選択的関係からその十全な意味作
れたレトリックを分析してみた。パラダイムの構
用が生じる。惰性的なコードに対するゆさぶりと、
成単位(ユニット)の異質な結合に特徴的な共感
惰性的なコードによる揺り戻しとの緊張関係が俳
覚的表現は、シンタムの揺さぶりやその変化から
句の構造を支えていくのである。俳句の言語は線
見られる記号内容の拡張から生じる。おもに視覚
条性にそいながら展開されると同時に、意味単位
と聴覚を中心にして感覚の転義を生じる共感覚は、
の組み合わせの重層性により、意味作用の多様な
世界の時空を拡張し、新しい感覚を生み出す。一
展開が見られることを論じた。
般に詩的な共感覚表現は、異なる感覚への転換に
その際、記号表現と記号内容との間に生じる微
よって、つまり視覚的表現から聴覚的な表現への
妙な意味作用に注目して、ことばの結合関係によ
転換、聴覚表現から視覚表現へ、嗅覚表現から視
る意味作用の多様性から日常言語と芸術言語との
覚表現への転換となる。それに対して、俳句の共
相違点を探り、言語の創造性という問題について
感覚表現は、視覚+聴覚、聴覚+視覚、嗅覚+視
も考察してみた。
覚という複合名詞や複合動詞のような形をとる。
本論II−2では、ことばの選択によって表れる
さらに、俳句に用いられるレトリックとして、
自己表出言語という個性を指示言語である季語の
比喩とホモロジーの表現について論じる。比喩表
適用様相から探ってみた。多様な意味作用の考察
現として代表的な直喩・隠喩・提喩・換喩をもつ
のために、ことばの記号性に注目し、まずことば
俳句を扱う。そうして、俳句の表現の特徴として
と物と心との相互関係を明確にすることにした。
詩的言語の比喩と、その表現を超えるホモロジー
構築された自己表出言語の多様性は、俳句の構築
を考えてみた。ホモロジーは、世の中にある存在
における言語の選択関係、文の配置における統合
に対する有体感によって、異なる対象のイメージ
関係に左右される。俳句の中心である季語は、時
が重なり同じものになることを言う。物事の差異
代とともに素材を拡張し、ついにはこれを否定す
(difference)を認めっつ、異質の物が瞬時に結
る無季語を生み出すが、それは俳句の時代ととも
び付けられ、僅かな一回分の類似を全体の類似に
に生きる姿の証でもある。
まで持っていく。ミクロ的なシンタムがマクロ的
一般に、ことばと物との関係は一義的に定義さ
な意味の世界に向かうからである。対象に対する
れやすい。したがって指示言語と自己表出言語の
表現主体独自の感覚を再構築し、新たな意味作用
働きが充分考慮さなければならない。そのために、
を作り出そうとする表現欲求の結果がホモロジー
本論皿一1では、ことばと物との関係を知ろうと
(相同論理)を生み出すのである。
すれば、心はいかにして物と関係するかという認
識の問題まで拡張して考察した。
形のコードに絡まれながら、意味のコードを超
えていく俳句は、その内部の構造にミクロコスモ
個人の意識を美的表現に昇華させる過程を考察
スを宿す。俳句の空間は圧縮された力、すなわち
するために、俳句表現における表現主体の位置を
ミクロコスモスの世界から、宇宙のあらゆる現象
把握することが必要になる。対象と心意の関係を
を表すマクロコスモスに至る。その過程において
表現主体の物事に対する認識の問題にまで遡る。
重要な役割を果たすものとしてホモロジーを論じ
独自のシンタム(統合関係)となって表れ、パラ
てみた。
ダイムの構成単位の選択過程に見られる意識は、
自然に対する表現主体の宇宙観を反映する。対象
2 学位論文審査結果の要旨
世界の分節の仕方によって、個々の存在の差異や
一、主題と目的
同質性が形成される過程を見る。
本論皿一2では、’芸術言語の形成を支えるシン
本論文は、日本の短詩形である俳句、五七五と
いう縮約された詩形の中に、ミクロコスモスがあ
(89)
平成9年4月25日
64号外第2号
らわれる独自の芸術言語の世界に注目し、これを、
の句により、とくに俳句の凝縮されたシンタム
言語論の立場から、どのような仕組みで、言語に
におけるパラダイムの構成単位要素(ユニット)
よってこのわずか十七文字のなかに、世界が分節
の選択の独自性が、その緊張関係によって、指
構築されるかを古今の俳句を通じて、探求したも
示性と含意性の秩序の中で豊かな内的イメージ
のである。論者は、作者である詠み手による世界
を創り出すことが指摘され、本論文の目指すと
の分節構築の成果である俳句が、歴史的時間を超
ころが、俳句というディスクールにおけるシン
えた作品として読者である読み手にさまざまな再
タム軸とパラダイム軸の葛藤という構造上の問
分節の可能性を与え、そこに新たな世界の構築の
題の検討を基本とし、その構造軸上にあらわれ
可能性を与えるに至る構造をもつことを、通時的
る顕在態の背後にある潜在態を指示するレトリッ
な文学場を考慮に入れっっも、むしろ記号論の立
ク(メタファーとホモロジー)の解明であるこ
場から共時的に捉えようと試みている。こうした
とが明らかにされる。
試みは、従来の俳論、作家論とは異なる視点をも
1−4 こうした独特の言語表現をともなった短
たらすものであり、本研究科所定の課程における
詩形が、その簡潔さと、扱う主題の多様さによっ
研究の成果として、学位請求論文の審査対象にふ
て、 〈文学場〉の構成層の拡大の可能性と表現
さわしいものと認められる。
上のエネルギーをもたらしたことを、本論文執
二、本論文の概要
筆の契機とし序論を結んでいる。簡潔ではある
1 世界の分節言語としての俳句
が、俳句というジャンルの歴史性にふれた点は
本章は本論文の序論ともいうべきもので、言語
適切な配慮であろう。
による世界の分節構築として俳句を論じる論者の
立場と、本論文において取り扱う主題について、
H ミクロコスモスと意味単位素
本章は、俳句の構造上の特徴を統合関係(シン
その問題点が適切に紹介されている。
タム)と選択関係(パラダイム)において、古今
1−1 言語のシンボル体系としての活動と言語
の俳句の実際にあたって分析、詳述し、論者の俳
による世界の分節構築の関係を論じ、言語が共
句の実作を基盤にした、立論の根拠となるべき章
同的な指示性を論理的に集約させた現実の閉鎖
であり、それぞれ引用された俳句の分析とそれに
的なシステムのなかで、俳句は、言語表現にお
基づく解釈は説得的である。
いて両義感覚とホモロジー(相同感覚)を回復
ll 一1 俳句の凝縮性が、意味の最小単位として
し、言語のシンボル活動を原カオスとの往復運
の「記号素」の継起的結合であるシンタム(統
動に解放することによって、言語空間を再構築
合関係)においてどのような特徴をもって表れ
をめざすことを論証する本論文の主題と目的の
るかを
概略が提示されている。
(1)二つ以上の名詞とその結合語との関係、(2)名
1−2 日常言語としての記号体系にあって言語
詞と叙述語との結合関係、(3>二つ以上の名詞や
のコードは、「記号表現」が「記号内容」を超
叙述語の結合関係、にわたって考察する。その
える反記号性によって、日常言語(既成のコー
結果、共通の記号表現が、統合関係を捉えると
ド)を超える両義性をそなえた芸術言語となる。
きの読み手の分節の多様性を可能にし、芸術言
俳句は短詩形という形式による拘束力が強いだ
語としての多価性の意識/無意識の意味作用の
けに、その「記号内容」は多義性をますが、そ
演出は、シンタムの中でのコンタテキストのゆ
の基本となるレトリックが比喩とホモロジーで
れを生じ、意味の重層化、意味作用の多様な展
あるとの主題が明示される。
開を見せることを指摘し、記号素そのものの統
1−3 本論文のライトモチーフであるホモロジー
合関係における俳句独自の言語の創造性を説い
を例証する句として、
たものである。
ぜんまいののの字ばかりの寂光土(茅舎)
(90)
ll−2 パラダイム(選択関係)に注目したとき、
号外第2号65
平成9年4月25日
表現自体が独自の「言語空間」を構成しようと
視覚零触覚)の表れに見、(2)言語の表象性(指
するときにあらわれる季語について、四季の季
示表出を超える自己表出)が、俳句のレトリッ
語の26例(春8例:行く春、朧月、春の月、桜、
クの中心である①比喩(直喩、隠喩、提喩、換
董、鶯、蛙、猫の恋、夏7例:暑さ、五月雨、
喩)と②ホモロジー(相同論理)によって、凝
蝉、牡丹、蚊、ほととぎす、向日葵、秋6例:
縮された形で発現する諸相のそれぞれについて、
秋風、秋の暮、名月、紅葉、雁、白露、冬5例:
そのメカニズムが検討される。その結果、さま
時雨、冬篭、千鳥、雪、炬燵)にわたり、その
ざまなシンタムのなかで、類似のパラダイム構
独自の記号性に注目し、時代による素材の拡張、
成単位要素を結びつける比喩関係を超え、意想
さらには従来「雑」とされていた句を無季語と
外のパラダイム(選択関係)構成単位要素を結
し、現代の無季語俳句とあわせ分析する。パター
びつけるホモロジーは、最小限に凝縮された言
ン化された季語が、他のユニットとの連関によっ
語空間において、分節の構築関係の局面を一変
て、パラダイム軸における表現の広がりを獲得
させ、観念世界の可視化(=潜在態の発見)を
する可能性が詳細に論じられている。
実現するものであることが示される。すなわち、
■一3 シンタムとパラダイムの関係が、具体的
ホモロジーこそ、俳句をたんなる観照にとどま
には(1)記号形式面において、「切れ字」(「かな」、
らず、宇宙(マクロコスモス)をとらえるミク
「けり」、「や」について)の有無と、その役割、
ロコスモスとしての芸術言語たらしめる重要な
(2)記号内容における実感の伝統と変異が、俳句
レトリックであるとの結論に達する。
という芸術言語の分節構築のなかで、その多義
最後に「結び」において、俳句がシンタムとパ
性をどのように統合し、表象体系をかたちつくっ
ラダイムの選択を通じて、どのように世界を分節
てきたかが具体的に検討されており、示唆に富
し、再構築していくかその過程を詳細に検討した
んだ指摘が見られる。
結果、俳句はホモロジー表現において頂点に達す
皿 ミクロコスモスの創造と美
本章では前章で考察した構造上の特徴に基づき、
る言語表現により、時代とともに表現主体の関心
の拡大に適応し、宇宙の基本原理を形象化するミ
「時間」と「場」において、どのように表現主体
クロコスモスであることを示す。これまでの各章
の意識がミクロコスモスの創出にむけて表象され
において示された分析と考察から、本論文の結論
るかを論じ、序論で提起したレトリックの問題が
は十分に首肯されるところであろう。
論述される。
三、本論文の特色
皿一1 表現主体の意識が美的表現に昇華する課
本論文は、以上概要で述べたとおり、俳句とい
程を、(1)時間的状況における意識の様相、②空
う日本独自の短詩形のもつ意味、その表象する世
間の意識においてどのように展開されるかを具
界を、ソシ=一ル以来の言語論の立場から、シン
体的な句心によって考察し、(3時間的ミクロが
タム軸とパラダイム軸にわたり探求したものであ
空間的マクロを包含する様を、独自のシンタム
り、「記号論」の継起的結合であるシンタム(統
のうちに展開されるパラダイムの構成単位の選
合関係)の特徴、構成単位要素である季語のパラ
択過程に見る。
ダイム(選択関係)に注目し、記号表現の対照性、
皿一2 すでに見た俳句におけるシンタム(統合
記号内容にあらわれる多価性、多様性を生じさせ
関係)とパラダイム(選択関係)の関係の検討
るメタファーとホモロジーこそが、他の日本の伝
に基づいて、(1)パラダイムの選択過程における
統的な短詩形とミクロコスモスとしての俳句を分
構成単位の結合の極端な省略とその異質性に特
かつ重要なレトリックであることを論証したもの
徴的な共感覚表現が、どのような構造で機能し、
である。この芸術言語のもつ表現形式の分析にあ
重層化されるかを五感の照応=共感覚(視覚#
たっては、伝統的な言語空間に十分留意しっっ、
聴覚、視覚2嗅覚、聴覚?嗅覚、聴覚7触覚、
多数の俳句を引き、それぞれに周到な読みを提起
(91)
平成9年4月25日
66号外第2号
しており、達意の日本語はその論述を支え、立論
と異なっていたか、また彼の主張が必ずしも十分
を充分に説得的なものとしている。
に浸透しなかったのはなぜかを考察することであ
また、近来とくに諸外国においてその独自の表
現形式ゆえに注目されている俳句に、開かれた読
る。
本論文は、緒論および第1∼5章の6っの部分
より成る。
みの可能性を提示するものである。
緒論では、先ず重要な用語の定義が示され、続
審査委員
主査教授天羽 均
副査教授三宅雅明
副査教授三輪正胤
いて清家の略歴が説明される。清家は、/914年に
東京高等工業学校機械科を卒業したが、その後し
ばらくは機械製造会社数社を転々とした。1923年
から1935年までは神戸高等工業学校の教授を勤め、
副査 助教授 野 田 尚 史
その間にドイツに留学した。その後1949年まで東
京府立電機工業学校および同府立高等工業学校校
長の地位にあった。そしてその職を退いてからも
大阪府立大学告示第29号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
終生教職にあった。彼が教職の傍らおこなった活
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
動として本研究との関係上特筆すべきは、日本工
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
業規格(JIS)の製図に関する基本規格「製図通
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
則」および「機械製図」の制定に際して主査とし
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
て重要な役割を果たしたことである。著者はこの
要旨を次のとおり公表する。
略歴を説明した後、当時の製図の研究の特殊事情
を述べる。その特殊事情の要点は大要次の通りで
平成9年4月25日
ある。すなわち、その頃機械工学、図学および工
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
業経営の各分野で扱われた対象は現代よりはるか
に狭く限定されたものであり、それらの分野の人
もり
さた
ひこ
称号及び氏名 博士(学術) 森
貞 彦
たちの感覚からすれば製図はマージナルな存在と
(学位規程第3条第1項該当者)
みなされ、このために学問的取扱いに馴染まない
(大阪府 昭和7年1月14日生)
ものとされがちであったということである。清家
の仕事がユニークである所以は、それをものとも
論 文 名
清家
せず正面から製図の研究に取り組んだというとこ
正の製図論と思考様式の研究
ろにある。彼の目は、大企業よりもむしろその周
辺にあって機械製造業における重要な役割を担っ
1 論文内容の要旨
ていたところのいわゆる「鉄工所」に向けられた。
本論文は、大正末期から昭和中期にかけてのわ
緒論ではそのことの意義が詳しく述べられる。そ
が国において機械製図および工業教育に特異な足
の後、論文の目的が明記され、それから製図の歴
跡を残した清家正(1891−1974)の機械製図に
史の研究史が簡単に示される。
関する業績と、それをもたらした清家の思考の様
第1章では、産業革命から20世紀中期までのイ
式を論ずるものである。本論文の目的は、次の事
ギリスおよびアメリカにおける製図の思想の歴史
実を明らかにすることにある。すなわち英米にお
が述べられる。まず注目されるのはワット(James
ける製図の思想の全体的流れを把握してから、清
Watt)で、それまでには例の無い詳細な図面を
家の思考の様式がどのような点で明治から昭和中
発行することによって機械類の設計と製造の機能
期にかけてのわが国の機械工業の実務や教育に携
を分離させた。これによって彼は最初の近代的技
わった工場経営者や専門技術者たちの思考の様式
術者とみなされる。イギリスではその機能の分離
(92)
号外第2号67
平成9年4月25日
がその後塵に進行したが、それと同時に技術者が
けでもないのに、戦線に投入できなくなるという、
職工とも、図工とも異なる一つの、比較的高い、
信じ難いような間違いさえ起こった。
半固定的階級を形作り、製図法の進歩に著しい貢
第3章では、主として清家の著書の分析により、
献をしなくなった。これに対してアメリカでは、
彼が製図および教育に関して基本的にどういう考
1870年代までは図面があまり大きい役割を果たさ
え方を持っていたかが調べられる。それによって、
なかったが、青写真の実用化を契機としてにわか
清家が物事の本質を追求せずには止まない精神の
に製図法に関心が集まり、1880年頃から第!次大
持ち主であったと知られる。この精神によって彼
戦のはじめまで、技術者も、ドラフツマンも、職
は機械工業の分野の多くの日本人には見えないも
工も、そして工場経営者も、大勢で意見を出しあっ
のを見た。その一つの表れが1926年に科学的管理
て製図法を改善した。この章では、その動きがテー
法に関して行なわれたユニークなコメントに見ら
ラー(Frederic W. Taylor)の科学的管理法の
れる。すなわち、経営者、工場首脳者、学者たち
開発に至る経営史と密接な関連を持っていること
がしきりに声高に科学的管理法のことを叫んでい
が明らかにされる。その動きの早期から、機械類
るが「人の塞にも相齢すべき製作上の根原である
の生産における設計と製造の機能の分離は当然の
寄算と云ふ大問題に封して、どれ丈論究されて居
こととされ、人々はそれを徹底させた。イギリス
るであらう」と、上滑りの議論の盲点を鋭く突い
およびアメリカにおけるこの一連の事実の底にあっ
た。そこには彼の批判精神と、製図による設計と
てそれを支えたのは、英米人の旺盛な批判精神で
製造の機能の分離に関する認識が窺われる。また
あった。
そういうコメントは、製図についても、科学的管
第2章では、幕末から第2次大戦後の高度経済
理法についても、本質をしっかり捉えていなけれ
成長が始まるまでの期間における日本の製図の思
ばできない。しかし、清家の非凡な能力の結晶と
想一一ただし、清家と比較されるべきもの一が
も言うべきこのコメントは、人々に理解されなかっ
論じられる。資料としては、製図教科書、雑誌記
た。人々は、盲点を突かれたことにさえ気付かな
事、個人のメモ、そして一部では著者自身の体験
かった。そのコメントを載せた本はよく売れたが、
がとりあげられ、当時の技術者、工場経営者、教
それを読んだのは工学関係の学生、図工、そして
師および現場の作業者の思考と行動が探られる。
せいぜい技術者までであり、清家が狙った工場経
探り出されたものは、英米の資料から抽出される
営者ではなかった。しかも読者は、清家が理解さ
ものとは対照的と言うべき特色を示す。第一に目
せたいと思ったことを読み取らず、彼らの脳裏に
に付くことは、幕末から明治の大部分においてイ
すでに描かれていた製図のイメージ、すなわち19
ギリスから製図の知識が導入されたものの、イギ
世紀のイギリス人に教えられた範囲内に限定され
リス人技術者の階級意識の影響ばかりを強く受け、
た観念に添うものだけを受け入れた。これは清家
彼らの批判精神は看過されたということである。
にとっては誤算であった。鉄工所の経営改善が目
あからさまに言えば、製図にかかわる日本人には、
的なのに、製図上の些末なテクニックだけがもて
平均的傾向として、批判精神が欠けていた。これ
はやされるという、著者として不本意な評価は彼
が最も顕著に現れたのは製図教育においてであり、
を苛立たせた。遂に彼は、読者に対する罵署雑言
1940年代になっても、実際に用いられた教材の中
と受け取られかねない言葉を自著の巻頭に大書す
には1870年代のものと思われるイギリスの図面さ
るということまで敢えてした。しかしそれでも人々
えあった。しかも、その教材に大きい欠陥がある
は黙って本を買った。彼と同じ土俵に上がって勝
ことに誰も注意を払わなかった。第二には、わが
負する敵も居なければ、心から彼の業績を高く評
国の機械類の生産における設計と製造の機能の分
価して支援する味方も居なかった。彼は表面的に
離は不徹底であった。このために、第2次大戦中
は成功者であったが、ほんとうに満ち足りた心を
に約50機の完成されたゼロ戦が、敵弾を受けたわ
持ったかどうかは疑問である。
(93)
平成9年4月25日
68号外第2号
第4章では、清家の製図論における7個の特徴
このような思考の様式の差違が意識されることは
的な概念に注目し、清家がそれらをどう取り扱っ
ほとんど無いが、その差異が存在したために清家
たかが調べられる。そのうち3個(「第三角法」、
は心底からの理解者を得ることができず、清家の
「一品一葉図面」および「図面摘要」)は外国に起
思想も浸透できなかった、と思われる。
源を持つものであり、4個(「主投影」、「主中心
線」、「主断面」および「寸法の指定性」)は彼が
2 学位論文審査結果の要旨
開発したものである。有用な概念を開発したとい
本審査委員会は、予備審査委員会の報告にもと
うことだけでも彼はこの分野における日本人とし
づいて、平成9年2月17日に審査委員会を開き慎
ては異例であった。それに、すでに完成されたか
重審議し、さらに公示にもとづいて同年2月24日
のように見える概念も彼の手に掛かれば一層発展
に公開最終試験を行った。以下、これらにもとづ
させられることがあった。たとえば「第三角法」
き審査結果の要旨を報告する。
であるが、彼はそれを単に形状を表現する一つの
この論文における森氏(以下論者という)の意
方法として活用しただけでなく、形状表現におけ
図は、大正から昭和の前半にかけて活躍した工業
る能率的な方法を導く原則を見いだすための道具
教育家清家正の製図論とその思考様式を究明する
として利用した。これは、平凡な人にはできない
ことである。清家が稀に見る直感力と洞察力によっ
ことであった。新しい概念の開発ということも同
てわが国の機械工業における重要な問題点を看取
様であった。上記の4概念は、萌芽のようなもの
し、慎重かっ周到な研究の上でその問題の解決に
が現れてから30年程度の時間をかけてようやく完
役立っ方策を著書の形で公表し、しかもその著書
成されたものである。しかも清家は、一応の完成
は営業的には大成功と言うに足るほど読者に歓迎
を見ただけでは満足せず、その後10年もかけて更
されたにもかかわらず清家が予期した社会的効果
に改良を施した。概念を作り、育てることをこれ
が十分に現れなかったという現象を追究すること
程熱心に行なった人は、わが国の製図関係者には
によって、清家と平均的日本人の間に存在した思
きわめて稀である。
考の様式の差異を明らかにすることにある。
第5章は、「清家の思考の様式」という題になっ
その意図はこの論文において十分に果たされた。
ているが、事実上の結論である。清家の製図の思
論者は、清家が活躍した頃機械製図にかかわった
考を日本の多くの工業関係者のそれと比較したと
日本人(技術者、図工、現場の作業者ばかりでな
きに明確に認められる違いがある。それは、清家
く、工場経営者や工業教育家も含む)の一般的な
の思考様式が著しく概念に重点を置くものである
考え方を、書籍、雑誌記事、個人の覚え書きおよ
ことである。この点において彼の思考の様式は、
び論者自身の見聞を含む多数の資料の分析によっ
多くの日本人工業関係者のものよりむしろ英米人
て明らかにした。一方、清家の思考様式がそれと
のものに似ている。ここで清家および英米人工業
根本的に違うことが彼の多数の著書を分析するこ
関係者の思考様式を一括し、これと平均的日本人
とによって示された。その差違の根源を、論者は
工業関係者の思考様式との差異を記述するとすれ
一般の日本人の思考が感覚的な「記号」の水準に
ば、レヴィ=ストロースが『野生の思考』で用い
あり、清家のそれが論理的な「概念」の水準にあ
た二分法を援用することができる。前者を科学者
るという点に置いている。その区分は、レヴィ=
的思考、後者を器用人的思考(野生の思考または
ストロースの「野生の思考」における器用人的思
神話的思考)と見るのであるが、前者の特色はい
考(野生の思考または神話的思考)と科学者的思
ろいろな問題の解決のためには新しい材料、道具、
考にもとつくものだが、この見解は今後の日本人
概念等を開発してかかるのが常道であるとすると
論、日本文化論に一石を投じるものである。
ころにあり、後者の特色はすでに存在するものを
論者は、清家の製図論の普及を妨げたものが多
巧みに利用して当面の用を充たすところにある。
くの日本人の記号の水準での思考にあることを主
raA>
号外第2号69
平成9年4月25日
張している。論者は、しかし1994年に発表した自
識化していたたあに改めて活字化されていないこ
身の論文「日本の初等教育と神話的思考」(『年報
とが見抜けなかったという点を指摘した。従来こ
科学・技術・社会』第3巻所載)を引いて、現代
れらの点に注目した技術史家は居なかった。
日本の工業化、産業レベルの向上という観点から
この論文にも問題点がある。それは、製図とい
は、その記号的思考の様式がもたらす利益を軽く
う比較的狭い専門領域に関する研究でありながら、
見ることはできない、と注意している。
文化と20世紀の工業技術とのかかわりあいという
本論文は300ページに近い大部なものである。
大きい問題に関する重要な文献となったにもかか
しかしながら枚数が多いことは必ずしも冗長を意
わらず、論文の題名はそのことを十分に表わして
面しない。この論文では一見主題から遠い事柄す
いないことである。題名が簡潔であるのは悪いこ
なわち産業革命から20世紀中期までのイギリスお
とではないが、副題を添えるというような工夫を
よびアメリカにおける機械製図の思想の歴史を述
して内容のひろがりを訴えることが望ましい。
べるために74ページ(全体の約4分の1)が費や
全体として見るとき、審査委員会としてはこの
されているが、それはたしかに必要があってのこ
論文の価値は高く評価できることで一致した。論
とである。すなわちこれを欠いては当時の日本の
者は、問題の選定においてすでに独自性を発揮し、
製図の一般的な状況および清家が心血を注いだ事
注目する人のほとんど無かった清家正に焦点を合
業の意義を理解することが著しく困難になる。ペー
わせて、その人物の特異性を媒介として日本人工
ジ数が多くなったのは、機械製図の思想史という
業関係者の大多数の思考の様式を明らかにした。
ものがいずれの国でもまだほとんど研究されてお
本論文でも少し触れられているが、レヴィ・=スト
らず、信頼するに足る書籍や論文がきわめて乏し
m一スの観点を押し広げて論者は、実証的研究に
いためである。このため論者は、論文の題名を見
よって、器用人的思考と科学者的思考という、無
ただけではわからない、いわば建築における基礎
文字社会と文明社会の比較に用いられたものを、
工事のような部分にもおおいに手間をかけた。そ
工業化された社会の内部で対立するグループまた
の結果である第1章は、それだけでも製図の歴史
は個人の比較に導入して新しい視点を提出した。
に関する貴重な文献として将来多くの硯究者に有
その視点は、今後十分に文献的な整備をした上で
用な情報を提供するであろう。特に注目すべきは、
論議されるべき問題であろう。
現代の製図に最も大きい影響を及ぼした19世紀末
本論文の形式面でも、すべての資料の出所は明
期のアメリカの機械工業関係者の思想一一一それは20
記されており、文体は平易にして明快であり、挿
世紀におけるその国の繁栄の一つの支えとなった
し図はいずれも適切に選択され、しかも鮮明であ
思想でもあった一を鮮明に描き出したという点で
る。目次や文献リストは整備されており、本文の
ある。しかもその過程において、たとえば次に述
章、節、項等の立て方も、内容に即し、読者の理
べるような数々の歴史的事実が発見された。その
解を促すように工夫されている。
頃彼の地でタウン、テーラーなどという技術者が
x
以上により、本委員会としては学位授与が妥当
活躍して工場制度の改革を行ったことはよく知ら
であると判定される。
れているが、1870年代末期に実用化された青写真
審査委員
が彼らの活動の引金とも言うべき役割を演じたこ
とや、また科学的管理法を世に広ある過程におい
主査教 授金 子
務
てアメリカ人が製図にほとんど言及しなかった理
副査教授三宅雅明
副査教授福島正彦
由等がこの論文で明らかにされている。それらを
副査教授上田さち子
明らかにすることによって、論者は科学的管理法
副査教授寺岡義伸
と製図の関係に関して清家以外の日本人が陥った
(理学系研究科)
重大な誤解、すなわち米国では製図の重要性が常
副査助教授山口義久
(95)
平成9年4月25日
70号外第2号
光でレバーのふれ角を拡大して測定する方法、干
大阪府立大学告示第30号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
渉計を用いる方法などがある。
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
このように、SFMは比較的簡単な装置で高い
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
分解能が得られる反面いくつかの問題点を持って
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
いる。一つは測定範囲が狭いという点である。こ
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
れは走査に用いるピエゾ・エクチュエータの動作
要旨を次のとおり公表する。
範囲によって受ける制約で、最大で100μ㎡程度
の領域の測定しかできない。そのため大きな試料
平成9年4月25日
面から測定領域を任意に選択することは容易では
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
ない。また、力検出用のカンチレバーの変位を高
感度で測定する必要があり、安定した計測を行う
か
とう
のぶ
ひろ
称号及び氏名 博士(工学) 加 藤 暢 宏
(学位規程第3条第1項該当者)
(大阪府 昭和42年12月7日生)
ためには振動などの外乱をかなり抑制する必要が
ある点も装置を扱いにくくしている。
SFMの分解能および測定対象を本質的に決定
しているのは測定モードである。ACモード、 DC
論 文 名
走査型力顕微鏡とその微小力測定に関する研究
モード、タッピング・モード等があるが、最も分
解能の高いDCモードは現状では探針と試料を接
触させた状態でしか運用されていない。接触状態
1 論文内容の要旨
では高い分解能が得られる反面、探針で試料表面
走査耐力顕微鏡(Scanning Force Microscope:
を破壊する恐れがあり、生物体や弾性体などの柔
SFM)は1986年にGBinnigらによって発表され
らかい試料の観察には不適当である。測定対象に
た。以来、現在までに多くの分野で応用され、発
影響を与えずに高分解能な測定を行うためには、
明から10数年という短い期間で飛躍的な発展を遂
非接触なDCモードを実現する必要がある。しか
げている。SFMは微細な探針で試料表面を走査
し、接触状態なみの高分解能を期待できる距離に
し、試料表面各点の高さ情報を蓄積して、計算機
まで試料と探針を接近させると、探針が急激に試
で再構成することで試料の表面形状をAオーダの
料表面に引き込まれ測定ができなくなる。この現
分解能で測定することができる。試料表面網点の
象は、試料探針間の距離を変化させて相互作用力
高さ情報は探針が試料から受ける相互作用力を利
を測定するフォース・カーブ測定でしばしば報告
用して測定する。探針は長さ数100μm程度のカ
さている。以上のような問題に対して本研究では
ンチレバーに取り付けられており、これが探針に
次のようなアプローチをとった。
加わる相互作用力によってたわむ。相互作用力は
表面と探針間の距離に対して急激に変化する。そ
第1章では本研究の背景と位置づけを述べ、そ
の意義を明らかにした。
のため、レバーのたわみが一一定になるようにピエ
2章では走査馬力顕微鏡を光学顕微鏡に組み込
ゾ・アクチュエータで試料と探針の間の距離を制
むことで調整を容易にし、光学像による走査範囲
御すると、探針は常に試料表面から一定の距離だ
の選択を可能にした装置について検討した。この
け離れた位置で試料の表面形状をなぞるように移
装置ではレバーの変位検出にヘテロダイン干渉計
動することになる。この時の制御信号はピエゾ・
を共通光路型にして用いることで、高い安定性と
アクチュエータの移動量すなわち試料面の高さの
測定の線形性を両立させた。従来の同様な装置で
変化に対応し、これを用いると試料表面形状を描
は顕微鏡とレバーの変位測定用の光学系は別個に
き出すことができる。なお、レバーのたわみの測
設けていたために装置の構成が複雑になっていた。
定にはトンネル電流の変化を用いる方法、レーザー
本装置では干渉計を光学顕微鏡の落高高高高の光
(96)
号外第2号 71
平成9年4月25日
路を用いて実装した。これによって装置の構成が
バ端面とレバー背面とを薄くAuでコートするこ
非常に簡単になった。本装置を用いて光磁気ディ
とで、平行平板型の静電アクチュエー一夕を1つ構
スクの表面、オーディオ・テープの表面、ヒトの
成することができる。このような構造の装置を試
乾燥血液の観察を行ない、良好な観察結果を得た。
作し、単独のアクチュエータで双方向の力に対応
3章では非接触DCモードの実現を目指して力
するためにバイアス電圧を印圧した状態で、干渉
平句法を用いた微小力測定機構について検討した。
計および静電アクチュエータが良好に機能するこ
従来の力平衡型の微小力測定機構は、シーソー型
とを確認した。本装置を用いて窒化珪素探針と雲
レバーを用いて引力・斥力の双方向の力をつり合
母試料間のフォース・カーブを測定した。この結
わせる差動型の構造で、レバーと対向電極で構成
果から力平衡の効果による等価バネ定数の増大お
したコンデンサの容量変化を測定することによっ
よび探針の先端径の減少に伴う凝着力の低下を確
てレバーの変位検出を行っていた。このコンデン
認した。本方式はファイバ千渉計を用いたことで
サは容量が小さく、その変化を測定することは容
従来のSFMとの親和性の高い力平衡機構を実現
易ではない。そのうえ測定のためには高周波信号
できた。しかし、本実験装置では測定時間によっ
を印加する必要があり、被測定量との干渉が問題
ては正常な測定が行なえない場合があった。この
であった。本研究ではレバー形状は従来のシーソー
原因を探るために、測定系をモデル化しその動作
型を採用し、変位検出機構には静電容量検出方式
のシミュレーションを行なった。その結果、カン
に代えて光てこ方式を導入した。その際に、光て
チレバーを単独で制御対象と見るのではなく非線
このプローブ光をレバーに到達させるために静電
形性を持った相互作用力の場を含めて制御対象と
アクチュエータの電極には透明導電膜を用いた。
考える必要があることが分かった。4章の後半で
このようにして変位検出機構と力平衡機構を分離
は、力平衡機構を用いる場合に、3章で述べた差
したことで、相互の干渉を排除した。探針には電
動駆動方式と4章の単独駆動方式のいずれが実用
解研磨したタングステンワイヤをレバーに接着し
上有利であるかを検討した。その結果、同等のば
て用いた。本装置を用いてタングステン探針とガ
ね定数を得ようとした場合単独駆動方式の方が良
ラス試料の間のフォース・カーブ測定を行い力平
好な周波数特性が得られること、再現性の高い市
衡機構の動作を確認した。本装置は簡便な構造で
販のレバーを用いることができること、等から単
ありながら最小検出力は10”iONと静電容量測定型
独駆動方式形式の方が有利であると結論した。
と同等の測定結果を得る事ができた。
以上の結果をまとめて5章とすると、光学的な
シーソー型レバーを用いる方式は対称性に優れ
変位測定法を導入し、単独駆動方式の構成をとる
ているという利点がある一方、レバーの構造が複
ことで、実用的なSFMと親和性の高い力平衡機
雑で小型化が困難であり、ドリフトが大きいとい
構を実現できることを示したことが本研究の成果
う欠点があった。そこで4章ではシーソー型レバー
である。
に代えてカンチレバーを用いた力平衡型微小力測
定機構について検討した。周波数特性と再現性に
2 学位論文審査結果の要旨
優れたマイクロ・カンチレバーを用いることで装
本論文は、微細な表面形状を測定する走査型力
置の性能向上を目指した。静電引力による力平衡
顕微鏡に対して、調整が容易で安定な構造を提案
機構を実現するためにはレバー背面の直上に電極
するとともに、力平衡法と光学的変位検出を導入
が必要になる。そこで、本研究では従来から超高
した新しい微小力検出法を提案し、それらの装置
真空のSFMなどに用いられる光ファイバ干渉計
の試作を行なって、その有用性についての詳細な
の構造に着目した。光ファイバ干渉計ではレバー
検討を行なった結果をまとめたものであり、次の
背面の間近にファイバの端面を設置し、これとレ
ような成果を得ている。
バー背面を用いて干渉計を構成する。このファイ
1)走査型力顕微鏡を光学的顕微鏡に組み込むご
(97)
平成9年4月25日
72号外第2号
とで、走査範囲の選択が容易な装置を提案し、
大阪府立大学告示第31号
試作した。この際、片持ち梁の微小変位を安定
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
して測定するため、共通光路型ヘテロダイン干
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
渉計を用いることで高い安定性をも得ている。
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
この装置を用いて、高分解能で光磁気ディスク
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
表面の微細構造、オーディオ・テープの磁性体、
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
ヒトの赤血球の観察に成功した。
要旨を次のとおり公表する。
2)光てこ方式の変位検出機構とシーソー型レ
平成9年4月25日
バーを用いた力平衡型微小力測定機構を提案・
試作した。これにより、簡便な装置構成と、従
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
来と同等の測定精度を両立させている。試作し
た装置を用いて、タングステン探針とガラス試
おく
た
しょう
や
称号及び氏名 博士(工学) 奥 田 昇 也
料間の距離に対する相互作用力の変化を示すフォー
(学位規程第3条第1項該当者)
スカーブを測定し、力平衡方式によってより正
(三重県 昭和29年12月30日生)
確なフォースカーブが得られることを示した。
3)光ファイバと片持ち梁を用いた、安定性の
高い力平衡型微小力検出機構を提案・試作した。
光ファイバ端面を金コートすることで、微小変
論 文 名
シミュレーション法に基づく
構造システムの信頼性評価法の研究
位測定用の干渉計と力制御用の静電アクチュエー
タを一体化した。試作した装置を用いて窒化益
1 論文内容の要旨
素探針と雲母試料間のフォースカーブを測定し
航空機,宇宙機器,船舶,海洋構造物,土木・
た。測定結果から、より正確なフォースカーブ
建築構造物のような大規模なシステムでは,その
が得られること及び力平衡の効果による等価ば
崩壊や故障が膨大な社会的損失となるため,この
ね定数の増大を確認した。
ような工学的システムの設計に際しては信頼性を
以上の諸成果は、表面の微細形状を計測するた
十分考慮:に入れた設計を行う必要がある.長い耐
め及び表面での物質の相互作用を解明するための
用期間をもつ構造システムは,突風異常な負荷,
走査富力顕微鏡の高性能化・高信頼化に必要な基
波浪荷重,地震荷重,風荷重等の外部荷重を受け,
礎的知見を提供しており、この分野の発展に寄与
時には破損する.これらの外部荷重を設計時に十
するところ大である。また、申請者が自立して研
分考慮しているにもかかわらず破損にいたる原因
究活動を行うに十分な能力と学識を有することを
として,構造システムに働く荷重が統計的変動を
証したものである。
もつだけでなく,その作用時刻の時間的変動など
本委員会は、本論文の審査並びに最終試験の結
があり,さらに,構造システムの構成部材の特性
果から、博士(工学)の学位を授与することを適
値の統計的変動や製作精度の変動性などが考えら
当と認める。
れる.このため構造システムの設計においては,
審査委員
主査教授岩田耕一
副査教授小野敏郎
副査教授田中芳雄
外部荷重や構成部材などの不確定要因の統計的な
性質を十分把握したうえで,システムの信頼性を
考慮することが重要な課題となる.従来,構造シ
ステムの信頼性を評価する尺度の一つとして安全
係数が用いられてきたが,もともと外部荷重や部
材強度が統計的変動をもつ以上,安全係数自体も
統計的変動を有する.このため安全係数が合理的
(98)
号外第2号 73
平成9年4月25日
な信頼性の尺度として十分でないことは,A.M.
追求するためには,多くのサンプル数が必要とな
Freudentha1らによって指摘されてきた.一一方,
り計算画道の増加につながるので,できる限り少
信頼度は部材強度や外部荷重の統計的性質によっ
ないサンプル数で推定精度を高めるための分散減
て規定される安全性の指標を満たす確率であるの
少法が必要となる.
で,合理的な信頼性の尺度を与える.
このような状況をふまえて本論文では,構造シ
構造システムの信頼性を評価するには,構造シ
ステムの破損モードの限界状態関数があらかじめ
ステムが安全状態か破損状態かの二つの状態を規
与えられた場合について,信頼性の推定をシミュ
定する限界状態関数を定義することが必要となる.
レーション法や数値積分法により評価する方法を
一般に,破損状態にいたる構造システムのふるま
取り扱う.
いを破損モードといい,各破損モードに対してそ
少ないサンプル数を用いたシミュレーション法
れぞれ構造システムの部材強度や外部荷重などの
で精度良い構造破損確率の推定量を得るためには,
基本確率変数の関数である限界状態関数が定義さ
分散減少法を必要とするが,その実際的な適用方
れる.このため構造システムに想定される重要な
法や,適用条件は現在のところ明らかにされてい
破損モードを限界状態関数として定式化し,この
ない.そこで,本論文では,重点サンプリング法,
限界状態関数が破損状態を与える確率で定義され
領域分割法などの分散減少法に着目し,その効率
る構造システムの破損確率を求め,構造システム
的な適用条件を明らかにする.特に,重点サンプ
の信頼性を定量的に評価する.しかし,限界状態
リング法は,理想的な重点サンプリング密度関数
関数が多変数の非線形関数となると,その評価は
を構成すれば理論的には一個のサンプルで構造破
複雑な多重積分となり解析的に求めることは困難
損確率の厳密解を求めることができる利点をもつ.
である.そこで,構造システムの破損確率を推定
しかし,現在のところ,一変数問題に対しては,
するために近似的方法,数値積分法,シミュレー
カーネル関数を用いて理想的な重点サンプリング
ション法が用いられる.近似的方法としては,基
密度関数の推定法が報告されているが,多変数問
本確率変数の平均値および分散の情報のみを用い
題に対する研究は皆無に等しい.そこで,本論文
て,限界状態関数を基本確率変数の平均値の点ま
では,重点サンプリング密度関数の有効な構成法
わりで線形近似するFOSM(First Order Second
を探るとともに,理想的重点サンプリング密度関
Moment)法や,全ての基本確率変数を標準化し
数の推定に関する理論的研究と,この推定した重
て限界状態関数上の点で線形近似するAFOSM
点サンプリング密度関数に基づくシミュレーショ
(Advanced First Order Second Moment)法
ンアルゴリズムを開発する.また,分散減少法の
などがある.これらの手法は,その取り扱いが容
一つである領域分割法を適用する場合,破損領域
易であるが,限界状態関数が非線形関数の場合,
を含む限定領域のみにサンプルを生成させるため
構造破損確率の評価値に線形近似による誤差を伴
の新たな確率密度関数を構成する必要があるが,
う.数値積分法による構造破損確率の求積法は,
この確率密度関数を解析的に構成するたあの方法
厳密解に近い解が得られる利点があるが,多破損
はいままで研究されていない.そこで,本論文で
モードを有する構造システムの多次元結合確率密
は,極座標系を導入して限定領域のみに定義され
度関数の積分を対象とする場合,解法の適用が困
る確率密度関数の理論的構成法を提案する.さら
難である場合が生じる.このため現在のところ,
に,新たに定式化した極座標系表示の構造破損確
構造信頼性解析に適用できる数値積分法は皆無に
率の評価にシミュレーションを併用した数値積分
ちかい.シミュレーションによって構造破損確率
で行う方法を提案する.また,数値積分法によっ
を推定する方法は,近似的な取り扱いに起因する
て構造破損確率を評価する方法として,標準正規
誤差はなく,複雑な理論的取り扱いなしに厳密解
確率変数空間を解析的に分割し,単位超球の微小
に近い解が得られる利点がある.しかし,精度を
超表面積とこれに対応する法線ベクトルを用いた
(99)
平成9年4月25日
74号外第2号
数値積分法を提案する.最後に,時間依存信頼性
破損領域にのみ定義される重点サンプリング密度
解析に関しては,構造システムのライフサイクル
関数が構成されている.この方法により,多変数
の全時間過程にわたるシミュレーションのための
問題における理想的な重点サンプリング密度関数
新たな時間依存破損確率の定式化を行い,この推
の推定を用いた重点サンプリング・シミュレーショ
定に重点サンプリング法や方向シミュレーション
ンが可能となり,少ないサンプル数で精度良い構
法を適用する方法を提案する.
造破損確率の推定量が算出されることを示してい
本論文の各地の概要は次の通りである.
る.
第1章では,緒論として本研究の意義と,構造
第7章では,方向ベクトルに関する理想的重点
システムの信頼性解析を行う上での重点サンプリ
サンプリング密度関数のシミュレーションによる
ング・シミュレーションに基づく各種手法の研究
推定法を提案している.単位超球上の方向ベクト
状況を概説している.
ルを全方位に試行的に探索させ,方向ベクトルの
第2章では,構造システムの信頼性解析に対す
各方向ごとの重みを決定し,これと各々の微小超
るシミュレーション法の基礎として,基本確率変
表面積を用いて,方向ベクトルに関する重点サン
数の確率密度関数に従うサンプルを生成し,破損
プリング密度関数が構成されている.この方法に
事象を再現して構造破損確率を推定する通常のモ
より,方向ベクトルに基づく理想的な重点サンプ
ンテカルロ・シミュレーションについて述べてい
リング密度関数の推定を用いた重点サンプリング・
る.
シミュレーションが可能となり,少ないサンプル
第3章では,重点サンプリング・シミュレーショ
数で精度良い構造破損確率の推定量が算出される
ンにおける実際的な適用方法や,適用条件を明ら
ことを示している.
かにしている。
第8章では,極座標系での新たな構造破損確率
第4章では,重点サンプリング・シミュレーショ
の定式化を行い,これを単位超球上に一様分布す
ンの効率をさらに向上させるために各種の分散減
る方向ベクトルに関するシミュレーションを併用
少法を複合的に適用した構造システムの信頼性解
した数値積分で評価する方法を提案し,この方法
析を取り扱っている.特に,領域分割法を適用し
に基づく構造システムの信頼性解析の有効性を示
た場合,新たに定義される変形重点サンプリング
している.
密度関数に従うサンプル生成法として振り分け法
第9章では,構造システムの破損確率の計算法
を提案し,この理論的根拠を示している.
として,数値積分法を提案している.単位超球表
第5章では,領域分割シミュレーション法にお
面を有限個の超面積要素に分割し,この超面積要
いて,極座標系で表示した構造破損確率の表現に
素とその中心を通る法線ベクトルを用いた新たな
変形カイ2乗確率密度関数を導入し,この推定に
構造破損確率の定式化を行い,この解法を数値積
変形カイ2乗確率密度関数に従うサンプルと方向
分により評価している.この方法により,数値積
ベクトルサンプルを用いる方法を提案している.
分によっても一般的な構造システムの信頼性解析
この方法により,構造信頼性解析における領域分
が可能であることを示している.
割法の実際的な適用が可能となり,通常のモンテ
第10章では,時間依存信頼性解析を取り扱って
カルロ法に比べ構造破損確率の推定量の分散が激
いる.外部荷重の載荷がポアソン過程で表示され,
減することを示している.
構造システムの部材の強度が時間の経過とともに
第6章では,理想的な重点サンプリング密度関
比例的に減少する場合の時間依存破損確率を新た
数のシミュレーションによる推定法を提案してい
に定式化している.この推定に際しては,外部荷
る。試行的シミュレーションによって算定される
重の大きさのサンプル生成のみに重点サンプリン
粗い構造破損確率の推定量と,同時に得られる破
グ・シミュレーションや方向シミュレーション法
損領域に落ちるサンプルの分布情報に基づいて,
を適用し,これらの手法の有効性を示している.
( 100 )
号外第2号 75
平成9年4月25日
第11章では,結論として本研究の成果をまとあ
ている.
価する方法を提案し,その有効性を確認した.
以上の諸成果は,構造システムの信頼性評価法
に関して,新たな知見を加えたものであって,設
2 学位論文審査結果の要旨
計工学および構造信頼性工学に寄与するところ大
本論文は,構造システムの信頼性評価に関する
である.また,申請者が自立して研究活動を行う
研究をまとめたものであって,次の成果を得てい
のに必要な能力と学識を有することを証したもの
る.
である.
(1)領域分割法におけるサンプル生成法を工夫し,
本委員会は,本論文の審査および最終試験の結
領域分割法と対照変数法を併用した分散減少
果に基づき,博士(工学)の学位を授与すること
シミュレーション法を提案し,その有効性を
を適当と認める.
確認した.
(2)領域分割シミュレーションを効率化するため
審査委員
主査 教 授 室 津 義 定
副査教授杉山吉彦
副査教授太田裕文
に,変形カイ2乗確率密度関数と方向ベクト
ルを用いたサンプル生成法を提案し,その有
効性を確認した.
(3)重点サンプリングシミュレーションを効率化
するために,領域分割法を用いた少数の予備
大阪府立大学告示第32号
シミュレーションを行った後,そのサンプル
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
の分布情報に基づき構造破損確率を推定する
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
とともに,理想的な重点サンプリング密度関
第1項の規定に基づき、平成9年3月3!日†道士の
数を推定し,それを用いて重点サンプリング
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
を行う方法を提案し,その有効性を確認した.
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
(4)方向重点サンプリングシミュレーションを効
率化するために,単位超球表面上の分割に対
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
応ずる方向ベクトルの少数のサンプルを生成
した後,カイ2乗分布の上側確率値に比例す
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
るように各方向の重みづけを行うことによっ
て,理想的な重点サンプリング密度関数を推
こ ぎ そ
のそむ
称号及び氏名博士(工学)小木曽望
定し,それを用いてシミュレーションを行う
(学位規程第3条第1項該当者)
方法を提案し,その有効性を確認した.
(岐阜県 昭和41年3月29日生)
(5)シミュレーションと数値積分を併用した構造
信頼性評価法として,構造破損確率を極座標
論 文 名
系での確率素分の和として定式化した後,同
Reliability Analysis and Reliability−based
心超球に囲まれた超体積とその内部の破損領
Optimization of Composite Laminated
域の超体積の割合をシミュレーションによっ
て推定し,破損確率を評価する方法を提案し,
その有効性を確認した.
Plate Subject to Buckling
(複合材料積層板の座屈に対する信頼性解析
および信頼性に基づく最適設計)
(6)単位超球表面を有限個の超面積要素に分割し,
超面積要素の中心を通る法線方向の単位ベク
1 論文内容の要旨
トルとこれに対応する超面積を用いて破損確
複合材料は比強度および比剛性が高いことから,
率を定式化し,近似解を数値積分によって評
軽量化が要求される航空宇宙分野で広く用いられ
( 101 )
平成9年4月25日
76号外第2号
ている.また,強化材および母材の性質,繊維配
向角,積層順序などの積層構成の違いによって種々・
の異なった力学特性を表すことから,使用目的に
応じた材料設計が可能である.そこで,断面積や
ることの重要性を示している1
本論文は,6章から構成されており,その概要
は次の通りである.
1章では,複合材料積層板の信頼性解析の位置
板厚といった寸法ばかりでなく,これらの積層構
づけと,研究の意義について述べている.また,
成を設計変数として,種々の構造応答量に対する
複合材料積層板の最適設計,信頼性解析および信
制約下で重量を最小化する問題や構造応答量を最
頼性た基づく最適設計に対する従来の研究を概観
大化あるいは最小化する最適設計問題が数多く研
するとともに,本論文の目的と概要について記述
究されている.
している.
構造重量軽減のたあには,板厚を薄くしなけれ
2章では,各層の材料定数,繊維配向角および
ばならないので,圧縮荷重を受ける平板では座屈
負荷荷重の変動が座屈荷重におよぼす影響を定量
を考慮した設計が必要になる.座屈荷重に対する
的に求めるための感度解析の定式化を行っている.
最適設計は,主として+θ層と一θ層が等量存在
積層構成の平均値が対称積層であっても,各層の
する対称バランスト積層構成の直交異方性平板が
材料定数および繊維配向角が変動する場合には,
対象となっている.そして,最適設計された複合
積層構成が非対称となることから,非対称積層板
材料積層板は一般に極端な力学的異方性を有する
に対する座屈解析が必要となる.非対称積層板は
ものとなる.したがって,荷重条件,材料特性な
面内変形と曲げのカップリングが存在するために
どの設計条件が変動する場合には,その力学的特
支配方程式が複雑になり,座屈荷重を求めること
性が大幅に変化する可能性がある.そこで,これ
が困難になる.本論文では,等価な曲げ剛性を用
らのばらつきを考慮した積層構成の評価および最
いた近似を用いることで,対称積層板の座屈解析
適設計を行うことが必要となる.なお,面内破損
法であるガレルキン法により固有値問題に帰着さ
応力を基準とする場合に対しては,信頼性評価お
せ,座屈荷重を求めている.そして,負荷荷重,
よびそれに基づく最適設計に関する研究はすでに
各層の材料定数および繊維配向角の変動が座屈荷
なされている.その結果,繊維軸数が多くなるほ
重の変動にどのような影響をおよぼすかを明らか
ど信頼性が高くなること,そして,確定的な条件
にしている.さらに,繊維方向のヤング率および
下で強度が最大となる積層構成は合力方向に繊維
繊維配向角に関する座屈荷重の感度が支配的にな
を配向させた一方向材に近づくのに対して,信頼
ることを示している.また,曲げ剛性に支配され
性最大化設計は準等方性積層に近づくことなどが
る座屈荷重は,一般に外側の層の影響が大きいこ
明らかにされている.
とが知られているが,積層構成や荷重条件によっ
本論文では,単純支持された対称積層板におい
て,負荷荷重,各層の材料定数および線維配向角
てはカップリング項の影響のためにそれとは異な
る場合があることを示している.
が確率的変動を有する場合の座屈荷重に対する信
3章では,各層の材料定数,繊維配向角および
頼性解析を複合材料積層理論および構造信頼性理
負荷荷重に変動がある場合に,負荷荷重と座屈荷
論に基づいて定式化するとともに,信頼性を最大
重が一致するときを限界状態として,一次信頼性
化する積層構成を求める最適設計問題に関する研
手法による信頼性解析を行っている.座屈荷重は
究を行っている.そして,数値計算を通して,各
最小固有値から求められる.したがって,各固有
変数の変動が座屈荷重におよぼす影響を明らかに
モードを破損モードとみなせば,積層板の座屈は
するとともに,積層構成の違いによって信頼性が
そのなかの一つの座屈モードで破損が生ずること
どのように変化するかを調べている.また,信頼
と等価である.これより,各固有モードとする直
性最大化設計と確定条件下での座屈荷重最大化設
列システムとして座屈破損をモデル化している。
計との比較を行うことによって,信頼性を考慮す
また,各モードに対する信頼性解析を行うための
( 102 )
号外第2号77
平成9年4月25日
確率変数空間におけるモード探索において,モー
響を考察している.さらに,信頼性最大化設計を
ド交差が起こる可能性を考慮し,固有ベクトルの
行い,各種の変数の相関が信頼性設計におよぼす
正規直交性を応用したモード追跡法を利用してい
影響を明らかにしている.各層の繊維方向のヤン
る.これらのモード信頼性をもとに,直列システ
グ率に相関がある場合あるいは負荷荷重に相関が
ムとしての信頼性をDitlevsenの上下限値を用い
ある場合には,その相関が大きくなると信頼性は
て近似している.ここで定式化した手法によって
低下する.また,負荷荷重間の相関が大きくなる
評価した信頼性をモンテカルロ法で評価した信頼
と,荷重比の変動が小さくなるために,信頼性最
性と比較することで,本手法の妥当性を明らかに
大化設計は確定設計に近づく.しかし,相関が小
している.そして,外側プライの繊維方向のヤン
さい場合は,荷重比の変動のために,信頼性最大
グ率および繊維配向角,そして負荷荷重の変動が
化設計は確定設計とは異なっている.なお,各層
座屈荷重の変動に大きく影響することを明らかに
の繊維配向角間に相関がある場合の信頼性は,荷
している.
重問の相関や材料定数間の相関とは異なり,相関
4章では,各層の繊維配向角の平均値を設計変
係数に対する信頼性の変化は単調な変化とはなら
数として座屈に対する信頼性を最大化する問題を,
ず,ある正の値のところで信頼性が最大となる点
数理計画法により二重最適化問題として定式化し
が現れることを示している.これは,座屈荷重が
ている.8層からなる対称アングルプライ積層板
繊維配向角に対して強い非線形性を有するためで
[十θ1/一θ1/}θ2/十θ2]sに文寸しθ1=θ2
ある.そのため,信頼性最大化設計は相関が大き
とした二軸材を繊維配向角の平均値を設計変数と
くなっても確定設計に近づかない場合もある.こ
した場合と,θ1≠θ,とした四宝材の繊維配向角
れらの結果から,積層板の信頼性設計に対して相
の平均値を設計変数とした場合の信頼性最大化設
関を考慮することの重要性を示している.
計を比較し,繊維軸数が多いほど信頼性が大きく
なることを明らかにしている,また,確定条件下
6章では,本研究によって得られた成果の総括
および今後の展開について述べている.
での座屈荷重最大化設計は信頼性最大化設計とは
ならないことを示し,信頼性を考慮することの重
2 学位論文審査結果の要旨
要性を明らかにしている.特に,確定的な座屈荷
本論文は複合材料積層板の座屈に対する信頼性
重最大化設計が重根固有値で与えられる場合,そ
解析および信頼性に基づく最適設計に関する研究
の重根固有値に対応する二つの破損モードの信頼
をまとめたものであって,次の成果を得ている.
性はそれぞれ異なっている.直列システムの信頼
(1)積層板の材料定数および配向角の変動によっ
性は信頼性の低いモードに支配されるために,確
て生じる積層構成の非対称性を考慮した複合
定設計の信頼性は低くなる.一方,信頼性最大化
材料積層板の近似座屈解析法を提案し,その
設計ではその二つのモードの信頼性がうまくバラ
有効性を確認するとともに,信頼性解析に必
ンスしているために,高い信頼性を実現している
要な限界状態関数の生成法を与えた.
ことを示している.また,座屈荷重最大化設計が
(2)積層板の材料定数,配向角および作用荷重に
単価の固有値で与えられる場合は,信頼性解析に
対する座屈荷重の感度解析法を提案した.提
おいてもそれに対応する破損モードのみが卓越す
案手法を用いた数値計算により繊維方向のヤ
る.そのたあに,平均値においてそのモードに対
ング率,積層板の配向角および作用荷重に対
する限界状態関数が最大値をとる確定設計の信頼
する感度が支配的であることを明らかにした.
性は比較的高いことを明らかにしている.
(3)確定的な座屈解析と信頼性解析とでは,臨界
5章では,信頼性に大きな影響をおよぼす各層
的な座屈モードが必ずしも一致しないことか
の繊維方向のヤング率,繊維配向角および負荷荷
ら,座屈破損を複数の座屈モードの生起を破
重について,変数間の相関が信頼性におよぼす影
損要素とする直列システムとしてモデル化し
( 103 )
平成9年4月25日
78号外第2号
て,1次信頼性手法で信頼性解析を行う方法
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
を提案した.
要旨を次のとおり公表する。
(4)固有値と座屈モードとの順序間に生じるモー
平成9年4月25日
ド交差の検定法として,固有ベクトルの直交
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
性を応用した座屈モード追跡法を提案し,そ
の有効性を示した.
(5)提案した信頼性解析法をモンテカルロ法と比
イ
ジャ
起 子
(学位規程第3条第1項該当者)
較し,その有効性を検証した.
(6)積層板の繊維配向角を設計変数として,座屈
キ
称号及び氏名 博士(工学) 李
(大韓民国 1963年5月13日生)
に対する信頼性を最大にする最適設計問題を
定式化し,2重最適化問題として解く方法を
提案し,その有効性を示した.
論 文 名
精度保証付き数値計算に関する研究
(7>8層からなる対称アングルプライ積層板の最
適信頼性設計に関する種々の数値計算結果か
1 論文内容の要旨
ら,繊維軸数が多いほど信頼性が高くなるな
情報処理技術の急速な発展にともない、処理内
ど,信頼性最大化設計は確定条件下の座屈荷
容は益々高度化、多様化しっっある。その中にお
重最大化設計とは異なる性質を有することを
いて、科学技術計算処理は現在に至るも、情報処
示した.
理の中心的な課題の一つであり、また基本的な課
⑧ 繊維配向角の相関係数の変化は信頼性に対し
題である。
て特異な挙動を与えることから,積層板の信
科学技術計算の基本的な演算は浮動小数点演算
頼性設計においてそれらを考慮することが必
であり、この浮動小数点演算による数値計算を行
要である.
うときには必ず誤差が伴い、電子計算機が誕生し
以上の諸成果は,複合材料積層板の設計に対し
た当初から、得られた結果の精度保証が得られな
て,新たな知見を加えたものであって,設計工学
いことが指摘されていた。しかし、浮動小数点演
および構造信頼性工学に寄与するところ大である.
算を用いて数値計算を行い、解を求めるとき、得
また,申請者が自立して研究活動を行うのに必要
られた結果がどの程度まで厳密に演算されている
な能力と学識を有することを証したものである.
かを保証することは、現在でも非常に難しい。そ
本委員会は,本論文の審査および最終試験の結
の理由の一つは計算機内の演算が有限桁で行われ
果に基づき,博士(工学)の学位を授与すること
るため常に丸め誤差が介在し、それを効率良く把
を適当と認める.
握する方法がなかったためであろう。
審査委員
主査教授室津義定
副査教授杉山吉彦
副査教授太田裕文
そこで、電子計算機を利用したこのような数値
計算の難点を克服するため、誤差評価法の一つと
して区間演算による方法が提案された。区間演算
は解と共に誤差限界が正確に求められるので、精
度保証付き数値計算法あるいは自己検証的算法と
も呼ばれている。しかし、計算機を用いた区間演
大阪府立大学告示第33号
算(このように計算機を用いた区間演算を機械区
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
間演算と呼ぶ)を忠実に実現するためには、ハー
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
ドウェアの支援あるいは、より高精度の浮動小数
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
学位を授与したのでて学位規程第16条第1項の規
( 104 )
点演算を要する。
そこで本論文では、高上げ伝搬なしに加減乗算
号外第2号 79
平成9年4月25日
が行えるという特徴を有するRNS(Residue
が行えることを明らかにするとともに、モジュラ
Number System)を導入し、アルゴリズム上の
スの個数と精度との関係を調べている。
工夫により、通常の計算機を用いて任意の精度で
第3章では、RNSと区間演算を組み合わせた
浮動小数点演算が行える方法を明らかにし、この
新たな精度保証付き数値計算法について述べてい
RNSと区間演算を組み合わせた新しい精度保証
る。数値計算における丸め演算では結合則および
付き数値計算法を提案している。また、従来、未
分配器は必ずしも成り立たない。したがって丸め
報告であった精度を保証した初等関数生成方法を
誤差を理論的に取扱うことは難しく、複雑な計算
示し、これらの方法に基づき、ニュートン型の反
における丸め誤差の影響を数学的に評価すること
復計算問題や連立1次方程式の解を解析的な手法
は難しい。
を借りずに精度保証付きで、しかも任意の精度で
そこで、数学的に取扱うことが難iしい丸め誤差
求めることが可能であることを数値実験により明
の問題を避けるために、誤差評価法の一つに区間
らかにしている。
演算による方法が提案された。この方法では、任
本論文は5章から構成されている。
意の数値をその値を含む区間として表現し、区間
第1章においては、本研究の背景と目的ならび
に対して四則演算を行い、計算結果は計算過程で
に研究内容の概略を述べ、本研究の位置づけを明
生ずる丸め誤差を含んだ区間として得られる。し
確にしている。
かし、機械による区間演算では、区間として得ら
第2章では、与えられたモジュラスにおいて、
れる計算結果の下限、上限は丸め演算によって求
仮数部が各々のモジュラスに対する剰余表示、指
めており、その際丸め誤差は考慮されていないた
数部がモジュラスの積により表される浮動小数点
めに、この方法による誤差評価は過大評価となる。
数(これをRNS浮動小数点数と呼ぶ)をもとに
従って機械区間演算を行うためにはこの丸め演算
新たな除算方法を提案している。従来、RNS浮
を評価するための何らかの方法が必要とされ、こ
動小数点除算方法に関する二つの報告があったが、
のとき機械区間演算を忠実に実現するためには、
これらは有効桁数の長い数値の除算が遂行し難い
ハードウェアの支援あるいは、より高精度の浮動
ものである。これは、RNSでは桁上げ伝搬なし
小数点演算を要する。
に加減乗算が行えることと、また乗算においては
そこで本章では、2章で述べたRNS浮動小数
部分積を作らなくてよいなどの優れた特徴を有し
点表示と区間演算に基づく精度保証付き加・減・
ているにも拘らず、RNSでの浮動ii>数点演算の
乗・除算法を提案している。本方法では、丸あ誤
実用化を遅らせた一因であった。これに対し、本
差を考慮して、近似値と丸め誤差を含む区間(誤
章で提案している除算方法は有効桁数の長い除算
差区間と呼ぶ)とを表記した形で数値を表現する。
が高速に行える利点があり、このことを数値実験
ここで近似値と誤差区間の下限および上限はRN
により明らかにしている。
S浮動小数点数で表されている。そしてRNS浮動
現在、32ビットの計算機では、たとえ倍精度演
小数点数の四則演算の各段階で、演算結果とは別
算を用いても有効桁数が!0進数で約15∼16桁程度
に、その際生じる丸め誤差を求め、この誤差も累
の近似になり、より高精度の数値計算が望まれる
積する。一連の計算が終れば、計算結果とそれに
ときは新たな工夫が必要になる。そこで、RNS
伴う累積誤差から、求める値の存在する範囲を知
浮動小数点における加減乗除算を用いることによ
ることができる。本方法を用いた数値実験を行い、
り、通常の計算機を用いて、有効桁数の長い数値
区間として得られる計算結果に正解が含まれるこ
計算が容易に実現できることを数値実験により明
とを確認し、またモジュラスの個数を増やすこと
らかにしている。本方法を用いれば、計算アルゴ
のみで、精度の良い解、即ち区間の幅が狭い解が
リズムを変えることなく、モジュラスの値と個数
得られることを明らかにしている。
を変えることのみにより、任意の精度で数値計算
第4章では、精度保証付きRNS浮動小数点四
( 105 )
平成9年4月25日
80号外第2号
則演算の応用について述べている。まず精度保証
(2)RNSによる浮動小数点加減乗除算法を用い
付き初等関数発生について論じ、次にニュートン
れば、有効演算ビット数の拡張に頼ることなく、
型の反復計算問題や悪条件の連立!次方程式など
また数値計算のアルゴリズムを変えずに、モジュ
の問題における精度保証付き数値計算を取扱って
ラスの個数を増すことのみで精度の良い解を得る
いる。3章で提案した演算方式が科学技術計算に
ことができることを示し、その有効性を数値実験
応用されるためには、まず平方根、指数関数、対
により明らかにした。
数関数および三角関数など、いわゆる初等関数発
(3)RNSに基づく浮動小数点演算と区間演算を
生の解決が望まれる。通常の浮動小数点数におけ
用いた新たな精度保証付き加算、減算、乗算およ
る初等関数計算問題に関しては広く研究されてい
び除算方法を提案した。この方法により、特別な
るにも拘らず、精度保証付き初等関数計算に関す
ハードウェアを用意することなく、精度保証付き
る研究は殆ど見当たらない。
加減乗除算が実現でき、また任意の精度で数値計
ここでは、3章の結果を用いれば、任意の関数
算を行うことができることを示し、その有効性を
の発生が可能であることを明らかにするとともに、
数値実験により確かめた。
各関数の値を精度保証付きで、しかも任意の精度
(4)精度保証付き関数発生の問題を論じ、関数の
で求められることを数値実験により確認している。
発生のための計算方法を提案するとともに、解析
ニュートン型の反復計算問題においては、あらか
的な手法を借りずに、ニュートン法や連立一次方
じめ通常の浮動小数点演算を用いて近似解を十分
程式の計算における誤差評価が自動的に行えるこ
精度よく求めておき、この近似解を初期値として
とを示した。また、連立一次方程式においては悪
3章の演算方式を用いた若千の追加計算により保
条件の連立一次方程式として係数行列がヒルベル
証区間を有する解を求める方法について述べてい
ト行列で与えられる場合を例に解の検証を行い、
る。連立1次方程式においては、悪条件の連立1
次数の高い悪条件の連立一次方程式においても精
次方程式として係数行列がヒルベルト行列で与え
度の良い解が精度保証付きで求められることを確
られる場合を例に、実際に高精度の解を精度保証
かめた。
付きで求めることができることを数値実験により
(5)RNSを用いた数値演算の基本となる加減乗
確認している。
算においては、桁上げ伝搬なしに演算を実行でき
第5章では、4章までに得られた研究結果を総
括している。
るため、原理的に高速な数値計算手法であること
を明らかにした。
以上の諸成果は、高精度科学技術計算分野にお
2 学位論文審査結果の要旨
ける高速処理手法の基礎と応用を拡充するもので
本論文は、特別な演算処理構造を用意すること
あり、数値計算分野に貢献するところ大である。
なく、通常の計算機を用いて高精度の浮動小数点
また、申請者が自立して研究活動を行うに必要な
演算を行う方法として、RNS(Residue Number
能力と学識を有することを証したものである。
System,剰余数表現系)を用いた精度保証付き
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
加減乗除の4三岳算法を提案するとともに、高精
結果から、博士(工学)の学位を授与することを
度、高速な科学技術計算への応用について検討し、
適当と認める。
次のような成果を得ている。
審査委員
(1)RNSを用いた演算において問題になる除算
主査 教 授 福 永 邦 雄
法として、ニュートン法により除数の逆数を求め、
これに被除数を掛けて商を得る高速な演算法を提
案するとともに、RNSによる浮動小数点の加減
乗除算法を提案した。
( 106 )
副査教授柴田 浩
副査教授大松 繁
副査教授早川款達郎
号外第2号 81
平成9年4月25日
状態となる。この混合状態において各磁束線は磁
大阪府立大学告示第34号
束量子ん。/2eを担い、磁束系は相互のエネルギー
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
を最小化させるため三角格子を形成する。第H種
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
超伝導体は上部臨界磁場までの高い磁場に耐える
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
ことができ、したがって大きな電流を運ぶことが
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
できる。応用上重要な超伝導体はすべてこの第ll
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
種超伝導体である。
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
混合状態において、試料に電流を流すと磁束線
には力が働く。この力は磁束線とも電流とも直角
な方向に磁束線を動かそうとする。磁束線が動く
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
と、流した電流のエネルギーが消費され、電気抵
抗が生じることになる。現実の物質には種々の格
いの
うえ
かず
お
称号及び氏名 博士(工学) 井 上 和 朗
子欠陥が存在しており、これが磁束線をピン止め
(学位規程第3条第1項該当者)
し、力を受けても動かないようにする働きがある。
(大阪府 昭和42年9月8日生)
磁束線はピン止め位置にとどまろうとする。その
方が磁束線のエネルギーを低くすることができる
論 文 名
からである。このピン止め機構が混合状態におい
Study on Magnetic Anisotropy of
て超伝導状態を維持する。しかし、電流密度があ
High−Tc Superconducting Oxides
る臨界値を超えると、磁束線に働く力がピン止め
Bi−Sr−Ca一一Cu−O System
(高温超伝導酸化物Bi−Sr−Ca−Cu−O系の
磁気異方性に関する研究)
力を上回り、電気抵抗が発生する。この臨界値を
臨界電流密度辺という。Jcは局所磁場の勾配に依
存しており、ピン止め力が強く磁場勾配が大きい
ほど高くなる。実際、電力応用の分野ではJcを向
1 論文内容の要旨
上させるためにピン止め力を高める努力がなされ
Kamerlingh Onnesが1911年に最初の超伝導
てきた。
体を発見して以来、今日まで、基礎と応用両面で
1986年にBednorzとMUIIerは、それまでより
精力的な研究が行われてきた。その過程で超伝導
高い超伝導転移温度をもつ新しい第■種超伝導体
体には第1種及び第H種超伝導体の2つのタイプ
を発見した。銅酸化物のセラミックスであるこれ
があることが明らかにされた。これらは磁束の侵
ら高温超伝導体物質の中には、液体窒素の沸点温
入の仕方によって区別され、第1種超伝導体では、
度77Kを超える温度で超伝導になるものもある。
臨界磁場私までは磁場は物質内から完全に排除さ
この発見後、まもなくして、高温超伝導酸化物の
れ(マイスナー状態)、電気抵抗はゼロであるが、
混合状態ではピン止め力が有効に働かず、電気抵
Hcに達すると物質内に磁場が侵入し超伝導状態を
抗が生じる広い温度一磁場領域が存在するという
完全に破壊して常伝導状態になる。第1種超伝導
ことが見出された。この広い領域で電気抵抗が生
体は電気抵抗ゼロという性質が比較的低い磁場で
じる理由は、高温超伝導体では従来型超伝導体よ
失われるので、テクノロジーへの応用の可能性は
りも磁束線が大きな熱的揺らぎを受けることによ
少ない。
る。高温超伝導酸化物は、超伝導層と伝導性の劣
第H種超伝導体では下部臨界磁場Hdで磁束線
る層が交互に積み重なった層状構造をしており、
の侵入が始まり、上部臨界磁場Hc、で常伝導・常
層面に平行な方向に比べて垂直な方向の伝導が非
磁性状態となる。H.iまでマイスナー状態にあり、
常に悪く、大きな異方性を有している。この性質
H,iとHc、の間では磁束線が部分的に侵入した混合
は磁束線を熱的揺らぎによって動きやすくする。
( 107 )
82号外第2号
平成9年4月25日
層間の結合が強いほど電気的および磁気的異方性
て述べた。単結晶を3種類の酸素分圧と温度の下
が小さくなり、熱的揺らぎの効果が小さくなるた
で熱処理した。酸素濃度をヨウ素滴定によって決
めに、ピン止め力が有効に働く温度一磁場領域が
定した。c軸方向の格子定数をX線回折測定によっ
広くなる傾向があるということも見出されてきた。
て決定した。酸素濃度が:増加するにつれて、c軸
ピン止め力が有効に働く温度一磁場領域において、
方向の格子定数が単調に減少するということがわ
磁束格子の次元性が2次元的な領域と3次元的な
かった。超伝導転移温度Tcを交流帯磁率測定によっ
領域があるということが、Bi2Sr 2CaCu 208.δ(Bi−
て決めた。最高のTcを与える酸素濃度の領域を最
2212)などで見出されてきた。また、層状構造自
適ドープ領域、それより少ない酸素濃度の領域を
体が層に平行な磁束線に対して、イントリンシッ
アンダードープ領域、それより多い酸素濃度の領
クなピン止めとして働くということが見出されて
域をオーバードープ領域とそれぞれ定義すると、
おり、外部磁場が層に対して傾いて印加されてい
酸素濃度とTcの関係から熱処理された3つの試料
るとき、磁束線は試料内を階段状に侵入すると考
は、それぞれ、アンダードープ、最適ドープ、オー
えられている。
バードープ領域にあるということを確認した。
高温超伝導酸化物のこれらのピン止あ機構を明
第4章では、亜鉛フタロシアニン(ZnPc)が
らかにすることは、これらの物質が電力応用分野
インターカレートされたBi−2212の結晶構造につ
でより大きな電流を流せる材料として使用される
いて述べた。X線回折測定からインターカレーショ
ために重要である。磁気的異方性やピン止め機構
ン相の。軸方向の格子定数の拡張を確認し、ZnPc
を調べるためには磁気トルク測定は強力な手段と
の濃度を見積もった。試料は非インターカレーショ
なる。
ン相(pure phase)と2種類のインターカレー
本論文では、このような性質を硬濡するために
ション相(#1phaseと#2 phase)の混相であ
適切と思われるBi−2212の単結晶を成長させ、酸
るということがわかった。インターカレーション
素制御やインターカレーションによってその層間
相の配向度は非インターカレーション相の配向度
結合を変化させた試料と、更に、CuO 2一枚層か
より低く、また#1phaseの配向度は#2 phase
らなるBi2Sr2CuO6.δ(Bi−2201)試料を準備し、
の配向度より低いということがわかった。ZnPc
層間結合がどのように磁気的異方性を変化させ、
の濃度と配向度を考慮して2種類のインターカレー
ピン止め機構に影響を与えるのかということを磁
ション相の結晶構造を提案した。ZnPcインター
気トルク測定により究明した。これらの研究成果
カレーションの超伝導特性への効果を交流帯磁率
について、以下の6章にまとめた。
測定によって調べた。ZnPcインタ一襲レーショ
第1章では、高温超伝導酸化物の混合状態につ
ンによるTcの低下はキャリアー濃度の減少と。軸
いてピン止め機構を中心に概説し、本研究の概略
方向の格子定数の拡張によるものであると考えら
について述べた。
れる。また交流損失の3つのピークは非インター
第2章では、traveling solvent floating zone
法によるBi−2212単結晶の成長について述べた。
カレーション相と2種類のインターカレーション
相を反映していると考えられる。
15mm×3mm×0.04mm程度の大きさの単結晶を
第5章では、層間結合がどのように磁気的異方
成長させることに成功した。X線回折測定により
性を変化させ、ピン止め機構に影響を与えるのか
単結晶は良質であり、へき開頭がab面と一致す
ということについて述べた。このことを、酸素制
るということがわかった。交流帯磁率測定からは
御されたBi−2212、亜鉛フタロシアニンー(ZnPc)
as−grown試料の酸素濃度の分布は不均一である
がインタ一律レートされたBi−2212、それにBi−22
が、熱処理後、酸素濃度はより均一に分布すると
01の磁気トルクを測定することによって調べた。
いうことがわかった。
履歴のない磁気トルク曲線に異方的ロンドンモデ
第3章では、Bi−2212単結晶の酸素制御につい
( 108 )
ルを適用することによって異方性パラメーターγ
号外第2号 83
平成9年4月25日
を決定した。酸素制御されたBi−2212では、磁気
次元的な磁束線の領域が比較的狭いということを
的異方性は酸素濃度の増加とともに小さくなると
示している。
いうことがわかった。これは、酸素濃度の増加が
層間結合を強めたということを反映している。2
第6章では、本研究によって得られた結果を総
括し、その成果について述べた。
重BiO層間にZnPcをインターカレートすると、
磁気的異方性は増加する。このことから絶縁性の
2 学位論文審査結果の要旨
ZnPcが層間結合を抑制するという結論を得た。
本論文は、Bi−Sr−Ca−Cu一〇系高温超伝導酸化物
Bi−2201はBi一・2212より磁気的異方性がかなり大き
を取り上げ、酸素量の調節、有機分子のインター
い。すなわち、Bi−2201はBi−2212より層間結合が
カレーション等によって超伝導層間結合を制御し、
非常に弱いということを示している。
超伝導状態における磁束系の実験的検討を行った
履歴のある磁気トルク曲線からピン止あ特性を
ものであり、以下の成果を得ている。
調べた。ピン止め力が有効に働く温度一磁場領域
1)赤外線集中加熱炉を用いた浮遊帯域溶媒移動
と働かない温度一磁場領域とを分ける境界を不可
法により良質の単結晶試料を得ることに成功した。
逆曲線という。酸素制御されたBi一一2212の不可逆
2)この単結晶試料を3種類の酸素分圧と温度の
曲線は、酸素濃度の増加により高温一高磁場側に
下で熱処理を行うことによって、酸素量を制御す
移動する。これは、酸素濃度の増加が層間結合を
ることに成功した。ヨード滴定法によって求あた
強め、ピン止あ力を向上させているためと結論で
酸素量とX線回折法によって得た。軸方向の格子
きる。ZnPcを2重Bio層間にインターカレート
定数は直線関係を満たし、酸素量の増加に伴って
すると、不可逆曲線は低温一低磁場側に移動する。
。軸長の減少することが分かった。
これは、絶縁性のZnPcによる層間結合の抑制が
3)亜鉛フタロシアニンを単結晶試料にインター
ピン止め特性を劣化させているためと結論できる。
カレートし、2種類のインターカレーション相の
Bi−2201はBi−2212より不可逆曲線がかなり低温一
結晶構造を提案した。
低磁場側にある。この結果は、Bi−2212より
4)5種類の試料について磁気トルクの測定を行
Bi−2201こ口うが層間結合が弱いため、ピン止め
い、高温、高磁場で現れる可逆性の磁気トルク曲
力が相対的に弱いということを示している。
線を異方的ロンドンモデルで解析し、各試料につ
磁場が層面に対して平行に近く印加されている
いて超伝導異方性パラメーターを得た。その結果、
ときに、磁気トルク曲線に現れる鋭いカスプC1
酸素量増加に伴って異方性の減少することをつき
は、イントリンシックなピン止め力によるものと
とめた。
結論できる。
5)低温域では履歴を伴った磁気トルクが発生し、
カスプc1の他にカスプ。2と。3がBi−2212の最適
このトルク曲線の不可逆領域端から不可逆磁場を
ドープ試料とオーバードープ試料、それにBi−2201
決定し、その温度依存性の振舞いを把握するとと
で見出され、ピン止め特性に変化が見られる。そ
もに、不可逆磁場が超伝導異方性パラメーターの
れらは層面に垂直な磁場成分に支配される。その
増加に伴って減少していく関係を明らかにした。
特性磁場H,.2とE。3は2次元一3次元クロスオー
これから、異方性を弱めることによって磁束ピニ
バー磁場であると結論できる。Bi−2212のクロス
ングカが増すことを示した。
オーバー磁場値は酸素濃度の増加とともに高くな
6)不可逆領域内において磁気トルクに2種のピー
る。このことから酸素濃度の増加が層間結合を強
クが現れることを発見した。これらを、磁束の層
め、3次元的な磁束線の領域が高磁場側へ拡張さ
間へのイントリンシックピニングと磁束格子の3
れるという結論を得た。Bi−2201はBi−2212よりク
次元から2次元への次元交差モデルから説明した。
ロスオーバー磁場値が低磁場側にある。これは、
以上の結果は、高温超伝導体を電力応用として
Bi−2212よりBi−2201のほうが層間結合が弱く、3
開発する際に重要な基礎資料を提供するもので、
( 109 )
平成9年4月25日
84号外第2号
超伝導物理およびその応用技術の進歩に貢献する
の応用が試みられている。特に新しい機能を有す
ところ大である。また、申請者が自立して研究活
る触媒材料の開発は,解決の急がれている地球規
動を行うに必要な能力と学識を有することを証し
模の環境汚染問題や,工業生産過程のエネルギー
たものである。
低消費化などに直接貢献できる重要な研究課題で
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
ある。本論文では,液体へ超音波を照射したとき
結果から、博士(工学)の学位を授与することを
に瞬間的に数千度,数百気圧の状態が発生するキャ
適当と認める。
ビテ;ション現象を利用した,全く新しい貴金属
超微粒子の調製法の開発と本法で調製した微粒子
審査委員
主査教授奥田喜一
副査教授村田顕二
副査教授柴田 浩
副査 教 授 山 本 信 行
の触媒活性について研究した。
キャビテーション反応場では,溶媒として用い
ている水自身も分解されてOHラジカルおよびH
原子などの活性種が生成することが知られている
が,この反応場を利用した金属材料調製の化学的
なアプローチはこれまでほとんどなされていなかっ
た。本論文では,超音波照射によって容易に作り
大阪府立大学告示第35号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
出せるキャビテーション反応場が,新しい金属材
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
料の創製を可能にする手法となり得ることを提案
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
するものであり,以下の6章から構成されている。
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
第1章では,序論として金属超微粒子から構成
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
される新規材料の開発およびその研究の現状と,
要旨を次のとおり公表する。
超音波を照射した時に発生するキャビテーション
反応場の特徴について述べた。特にキャビテーショ
平成9年4月25日
ン現象の基礎理論を概説し,この現象とこれまで
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
硬究されてきた超音波化学反応との関係を整理す
るとともに,本論文の目的である超音波を利用し
おき
つ
けん
し
称号及び氏名 博士(工学) 興 津 健 二
た貴金属イオンの還元反応およびこの反応を利用
(学位規程第3条第1項該当者)
した貴金属超微粒子の調製の新規性および有用性
(兵庫県 昭和43年7月7日生)
について示した。
第2章では,触媒として特に重要な金属である
論 文 名
パラジウム超微粒子が超音波照射により容易に生
Sonochemical Preparation of Noble
成されることについて述べた。すなわちコロイド
Metal Fine Particles in Aqueous Solution
安定化剤を含む塩化パラジウム塩(Pd(II)水溶
and Their Catalytic ActMties
(超音波の化学作用を利用した水溶液中での
貴金属超微粒子の調製とその触媒作用)
液に,アルゴン雰囲気下で高出力超音波(出力;
6W/c㎡,周波数;200kHz)を照射すると,コロ
イド状態の非常に安定なパラジウム微粒子が生成
した。調製したパラジウム微粒子を動的光散乱法
1 論文内容の要旨
を用いて分析した結果から,平均粒径はnmオー
ナノメートルサイズで構成される金属材料は,
ダーであり,しかもその粒径分布は高い単分散性
その金属塊および金属原子とは全く異なる物質特
を示すことがわかった。例えば,コロイド安定化
性を示すことから,近年,活発に研究されており,
剤として水溶性高分子であるポリビニルピロリド
電子,光,磁気デバイスや,触媒,吸着剤などへ
ンを用いた場合,Pd(9)の初期濃度が0。1mMの
( 110 )
号外第2号85
平成9年4月25日
とき平均粒径6.1nmのものが,0.5mMのとき7.5n
デシル硫酸ナトリウムを安定化剤に用いた場合で
mのものが得られた。さらに界面活性剤を安定化
は,平均粒径はそれぞれパラジウムで7.7nm,白
剤として用いた時もこれと同様にPd(ll)の初期
金で2.Onm,金で9.6nmであった。生成した微粒
濃度が高いものほど,生成する微粒子のサイズが
子はさらに超音波照射を続けても凝集せず,非常
大きくなる傾向を示した。これらの結果から超音
に安定であった。一般に,キャビテーションバブ
波照射条件を選択することによってnmサイズで
ルの崩壊の際に発生する衝撃波やマイクロジェッ
粒径をコントロールできることが示唆された。
ト衝撃によってμmサイズのコロイドの凝集ある
また,パラジウム微粒子の生成機構を考察する
いは分散が促進されることが知られているが,
ために,Pd(ll),パラジウム超微粒子および安
nmサイズの微粒子にはほとんどその現象がみら
定化剤の3者の共存する系において正確にPd(■)
れなかったことから,本法はナノコロイド調製に
濃度を定量する簡易な比色分析法を開発し,この
適していることが示唆された。
分析手法を用いることにより様々な安定化剤を含
さらに,種々の貴金属イオンの放射線還元反応
む系でのPd(■)の超音波還元速度を求めた。安
(水の放射線分解によって生成するOHラジカルを
定化剤を含まない系(純水)でのPd(H)からPd
有機還元性ラジカルに変換させて行う還元反応)
(0)への還元速度は約6.9μM/minであり,水の
について検討した結果から,超音波照射による貴
超音波分解(熱分解)から生成するH原子(生成
金属微粒子の生成は式(1)∼⑤に示す過程を経由す
速度;20μM/min)の約70%が還元に寄与して
るものと考えられる。
いることがわかった。一方,安定化剤が系に存在
するときのPd(ll)の還元速度は87∼400μM/mi
還元剤の生成
H,O 一〉.H十.OH
nと極めて高く,還元が速やかに進行しているこ
RH十・OH (・H)一〉・R 十H,O(H2)
とが明らかとなった。この現象を説明するために,
RH 一一).R’十・R”
以下に示す新しい還元種の生成を提案した。キャ
ビティ界面に集積した有機物質が直接熱分解され
ることにより大量の反応中間体やラジカルが生成
(1)
(2)
(3)
還元反応
Mn++還元剤→M(n−D+ →→MO
(4)
微粒子の生成
し,それらがPd(ll)の還元速度を著しく促進し
mMO 一〉 (MO)m
たものと考えられる。すなわち界面活性剤や水溶
RH: 安定化剤,還元剤:・H,・R,・R’,・R”
性高分子などのコロイド安定化剤は生成するコロ
(5)
など
イド微粒子の安定化に貢献するだけでなく,超音
3つの還元過程が示唆された。第一に水の分解か
波照射下において還元種生成の前駆物質として重
ら生成するH原子による還元(i),第二にOHラ
要な役割を果たすことが示唆された。
ジカル(H原子)による安定化剤からの水素引き
本法で調製したパラジウム微粒子は,水中にお
抜き反応を経由して生成するラジカルによる還元
ける4一ペンテン酸の常温水素化反応に対して市販
(ti),第三に安定化剤の直接熱分解反応を経由し
のパラジウムブラック触媒よりも高い活性を示し
て生成するラジカルによる還元(hi)である。パラ
た。特に,調製したパラジウムの粒径の小さいも
ジウムおよび金微粒子は主に反応(li)によって,
のほど反応は速やかに進行することが明らかとなっ
白金微粒子は主に反応(hi)によって生成している
たQ
ことが示唆された。一方,ロジウムイオンの還元
第3章では,パラジウムと同様に金,白金超微
反応は同じ照射条件においては進行しなかった。
粒子の調製に超音波還元法を適用した結果を中心
しかし,反応系に給血ナトリウムを入れることに
に述べた。生成したこれら微粒子を透過型電子顕
よって,高い還元性を示す炭酸アニオンラジカル
微鏡で観察した結果,いずれもnmサイズで単分
を発生させることに成功し,ロジウム微粒子を調
散性に優れていることが確認された。例えば,ド
製できることがわかった。超音波還元法は,非常
( 111 )
平成9年4月25日
86号外第2号
に効率よく還元性ラジカル種を発生させることが
表面に固定され,その平均粒径はα一アルミナを
可能であり,パラジウム,金,白金およびロジウ
用いたとき約6nm,γ一アルミナおよびチタニア
ムの超微粒子が容易に調製できることを明らかに
では約2nmであった。いずれの山持パラジウム
した。
微粒子も粒径が揃っており,高分散に担体表面に
コロイド安定化剤以外に,アルコールなどの有
機物質の添加によっても還元反応が著しく促進さ
保持されていることが電子顕微鏡観察により明ら
かとなった。
れることがわかった。還元速度は添加剤の疎水性
調製したパラジウム担持シリカの触媒活性は4一
の高いものほど速く,この傾向は,Hengleinら
ペンテン酸および3一ヘキセノールの水溶液中での
が報告したキャビテーション反応場での有機物質
常温水素化反応に対して,市販のパラジウムブラッ
とOHラジカルとの捕捉反応効率の関係と良い一
ク触媒よりも高い活性と選択性を示すことが明ら
致を示した。さらにキャビテーション反応場のこ
かとなった。
の不均一反応特性は,Gibbs−Duhem式の表面過
剰量のパラメーターを用いることによって説明で
第6章においては各章で得られた結果を総括し
た。
きることを示した。種々の有機物質の添加により
自在に超音波還元速度をコントロールできること
2 学位論文審査結果の要旨
を明らかにした。
本論文は、液体へ超音波を照射したときに発生
第4章では,パラジウム微粒子を超音波還元反
するキャビテーション現象を利用して、ナノメー
応により調製する過程に,アルコールなどの有機
トルサイズの貴金属超微粒子を調製し、それらの
物質がある一定量以上存在するとき,炭素侵入型
生成機構、キャラクタリゼーションと触媒活性に
パラジウム固溶体が常温で生成することについて
関して検討したものであり、次のような成果を得
述べた。ラバジウムの炭素含有量は,添加する有
ている。
機物質の種類やその量でコントロールできること
(1)塩化パラジウム(Pd(II))の初期濃度やコ
を明らかにした。この固溶体の生成機構は,パラ
ロイド安定化剤(界面活性剤や水溶性高分子、
ジウム微粒子の生成過程において非常に活性の高
RH)を選択することによって、生成するパラジ
いパラジウムクラスターが生成し,次にこの表面
ウム微粒子の粒径をnmサイズで制御できること
に吸着した有機物質が触媒的に常温分解されるこ
を明らかにした。またPd(ll)、パラジウム微粒
とにより炭素原子が生成し,それがパラジウム格
子およびRHの共存する系で、正確にPd(∬)濃度
子内に拡散したものと考えられる。本実験結果は,
を定量できる簡易な比色分析法を開発した。RH
従来からの代表的なパラジウム超微粒子の調製法
は超音波照射下において還元種生成の前駆物質と
として知られるアルコール中および水/油エマル
なることを明らかにした。本法で調製したパラジ
ジョン中でのパラジウムイオンの還元過程や,ガ
ウム微粒子は、4一ペンテン酸の水素化反応に対し
スエバポレーション法での有機溶媒による微粒子
てパラジウムブラック触媒よりも高い活性を示し
捕捉過程においても,炭素固溶体が高い確率で生
た。特に、粒径の小さいものほど反応は速やかに
成することを示唆した。
進行することがわかった。
第5章では,Pd(ll)の超音波還元反応をアル
(2)超音波照射により、金、白金およびロジ
ミナ,シリカ,チタニアなどの金属酸化物を含む
ウムのナノ粒子を合成した。これらの粒子は超音
不均一水溶液系で行い,担体担持パラジウム微粒
波照射を続けても凝集せず、非常に安定であるこ
子材料の調製を試みた結果について述べた。Pd
とがわかった。速度論による解析から、貴金属微
(n)の還元反応は懸濁水溶液中でも進行するが,
粒子の生成機構を提案した。パラジウムおよび金
共存する担体によってその還元速度は著しく変化
微粒子の生成は主にRHの熱分解によって生成す
することがわかった。’生成するパラジウムは担体
るラジカルによる還元反応、白金微粒子は引き抜
( 112 )
号外第2号 87
平成9年4月25日
きラジカルによる還元反応を経由していることを
見いだした。さらにロジウム微粒子の生成に対し、
大阪府立大学告示第36号
新しい機構を提案した。アルコールなどの有機物
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
質の添加によっても還元速度が大きく変化した。
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
還元は添加剤の疎水性の高いものほど速く、この
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
原理によって還元速度を制御できることを明らか
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
にした。
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
(3)超音波還元反応を応用して、炭素侵入型
パラジウム固溶体を合成した。アルコールなどの
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
有機物質がある一定量以上存在する系で、Pd(ll)
大阪府立大学長平紗多賀男
の還元反応を行うと、炭素侵入型パラジウム固溶
体が生成することがわかった。パラジウムの炭素
侵入量は、添加する有機物質の種類やその量で制
かっだのふゆき
称号及び氏名 博士(工学) 勝 田 修 之
御できることを明らかにした。この固溶体の生成
(学位規程第3条第1項該当者)
機構は、パラジウム微粒子の生成過程において非
(大阪府 昭和39年10月12日生)
常に活性の高いパラジウムクラスターが生成する
ことに起因すると提案した。
(4)Pd(ll)の超音波還元反応を金属酸化物を
論 文 名
PHOTODEGRADATION OF DISPERSE
含む水溶液中で行い、担体担持パラジウム微粒子
DYES BY SPECTROIRRADIATION
の調製を試みた。電子顕微鏡観察により、生成す
(分光照射による分散染料の光分解)
るパラジウム微粒子のサイズはnmオーダーであ
り、それらは担体表面に高分散に担持されている
唾 論文内容の要旨
ことがわかった。調製したパラジウム担持シリカ
近年、自動車内装用織物の素材としてポリエス
の触媒活性は4一ペンテン酸および3一ヘキセノール
テル繊維が常用されている。このような織物はと
の水素化反応に対して、パラジウムブラック触媒
くに夏期には高温と強い太陽光にさらされ、苛酷
よりも高い活性と選択性を示すことを明らかにし
な条件下で使用される。したがって、その染色物
た。
は特に高耐光性が要求される。
以上の諸成果は、超音波化学反応の基礎を拡充
染色物の耐光性は実用上最も重要な性能の一つ
するだけでなく、新規機能性材料の調製に関して
である。染色物の光退色については古くから多く
新たな知見を与えるものであり、これらの分野の
のEJI究があるが、染料の光分解におよぼす多くの
発展に寄与するところ大である。また、申請者が
因子のうちいずれかに注目し、現象論的に展開し
自立して研究活動を行うのに必要な能力と学識を
たものが多く、統一した見解には至っていない。
有することを証したものである。
光分解におよぼす因子のうち、最も重要と考えら
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
れる光源については、カーボンアークランプやキ
結果から、申請者に博士(工学)の学位を授与す
セノンアークランプ、あるいは高圧水銀ランプを
ることを;適当と認める。
使用しており、照射波長による影響についての報
審査委員
主査 教 授 前 田 泰 昭
副査教授安保正一
副査 教 授 辰巳砂 昌 弘
告は見当たらない。
本研究は、自動車内装用ポリエステル織物の染
色に適した超高当盤分散染料を開発するための基
礎的知見を得る目的で、分散染料の光分解におよ
ぼす照射波長の影響について、ポリエステル繊維
( 113 )
88号外第2号
を中心にして、繊維および溶液中で検討した結果
平成9年4月25日
また、酢酸エチルにC.1.Disperse Red 73を
をまとめたものである。本論文は5章から成り立っ
溶解し、さらに可溶性ポリエステルを添加して分
ている。
光照射したところ、ポリエステルを添加した系に
第1章においては、アゾ系分散染料(C.1.
おいては316nmの光で染料の分解が一番速いこと
Disperse Red 73)を用いてポリエステルおよび
が分かった。一方、ポリエステルを添加しない系
ナイロンを、またアゾ系反応染料(C.1.Reactive
においては、短波長の光照射ほど染料の退色が速
Red 195)を用いて木綿も染色した。得られた染
くなった。以上の結果から、染色布の光分解は、
色布を回折格子照射分光器を用いて分光照射し、
染料が染着している繊維基質自身の光分解と密接
染料の光分解挙動を調べた。光源としてはキセノ
に関係していることが明らかになった。
ンアークランプを用いた。この光源は201∼
分散染料で得られた知見を確認するため、アゾ
701nmの波長の光を含んでおり、この光が回折格
系反応染料を木綿布に反応染色し、得られた染色
子によって20の波長領域(201、230、259、288、
布の退色挙動を分光照射によって調べたところ、
316−s 344N 372N 399x 426} 453N 479N 505N 531N
木綿の未染色布は260nrnにおいて最大の黄変を示
556、581、606、630、654、678および701nm)に
し、この波長において染色布も最大の退色するこ
分光され、サンプルホルダーに取り付けた繊維試
とが分かった。以上の結果より、繊維によって特
料に照射される。染色布の光照戸部と未照射部の
異的に吸収された固有の波長の光によって染料自
色差(△E)を測色して光分解挙動を調べた。未
身も分解するか、または繊維の分解生成物によっ
染色布自身の光分解についても、光照射部の黄変
て染料自身が分解するものと推定した。
の程度を未照射部との色差で表した。また、繊維
第2章においては、分光照射における染料構造
中における染料の退色挙動を明らかにする目的で、
の影響を調べるため、分散染料のもう一つの代表
溶液中における染料の退色挙動についても検討し
的な染料骨格であるアントラキノン系分散染料
た。ポリエステルとして分子量10,000の可溶性ポ
(C.1.Disperse Red 60)を用いて検討した。
リエチレンテレフタラートを、溶媒として分散染
繊維基質としてはポリエステル、ジアセテート、
料およびポリエステルを溶解させることができる
トリアセテートを用いた。C.1. Disperse Red
酢酸エチルを用いた。溶液についてもサンプルボ
60の場合には、ポリエステル、ジアセテート、ト
ルダーにセルを取り付けて分光照射し、その溶液
リアセテートに染色した時、それぞれ316、230、
濃度の経時変化を分光光度計によって測定した。
256nmで最大の退色がみられた。これらの繊維基
ポリエステルおよびナイロンをC.1.Disperse
質自身もポリエステルで316nm、ジアセテートで
Red 73を用いて分散染色し、それぞれの染色布
230nm、トリアセテートで259nmにおいて最大の
の光退色の照射波長依存性を調べた。その結果、
黄変を示した。このような結果は、第1章で得ら
この分散染料がポリエステルに染着した場合には
れたアゾ系分散染料の結果と全く同じであり、繊
316nm、ナイロンでは372nmの照射波長で最も強
維基質が分解される波長領域で染料の分解も促進
く退色した。すなわち、同一の染料であっても、
されることが分かった。また、ポリエステルに関
繊維基質によって最大の退色の波長が異なること
しては、アゾ系およびアントラキノン系分散染料
が明らかになった。つぎに、未染色布に分光照射
ともに3!6nmで最大の退色がみられ、退色は染料
し、光分解の程度を黄変の程度から判定した。そ
の骨格による影響を受けず、染料が染着している
の結果、繊維自身が分解する波長も繊維の種類に
繊維基質に依存していることが分かった。C.1.
よって異なり、最大の分解波長はポリエステルで
Disperse Red 60回用いて酢酸エチル溶液中で退
316nmナイロンで372nmであることが分かった。
色挙動を検討した結果、アゾ系のC.1.Disperse
これらの波長はそれぞれの染色布の最大の退色の
Red 73と全く同様の結果が得られた。
波長と完全に一致した。
(114)
第3章においては、繊維基質中での染料の退色
号外第2号 89
平成9年4月25日
挙動をさらに詳細に調べるたあに、色相の異なる
紫外線吸収剤の添加によってそれぞれ230および
3種のアゾ系分散染料(C.1.Disperse Orange
259nmにおける黄変は抑えられず、したがって染
30,Red 73, Blue 165)および1種のアントラキ
色布の光退色も抑制されなかった。用いた紫外線
ノン系分散染料(C.1.Disperse Red 60)を用
吸収剤の吸収波長領域は275nm以上であり、ジア
いて、酢酸エチル中で退色挙動を検討した。可溶
セテートおよびトリアセテートの最大分解波長領
性ポリエステルは第1章で用いたものと同じもの
域(それぞれ230および259nrn)に吸収波長をも
である。光退色におよぼす溶存酸素および紫外線
たないためであると考えられる。以上の結果から、
吸収剤の添加効果について詳細に調べた。紫外線
繊維基質が特異的に分解を受ける波長領域に吸収
吸収剤には、ベンゾトリアゾール系のものを用い
波長をもつ紫外線吸収剤を用いることによって、
た。その結果、ポリエステル自身が最大の分解を
染色布の退色は、顕著に抑えられることが分かっ
受ける316nmにおいて、色相および骨格の異なる
た。
4種の分散染料が最大の分解を受けることが確認
第5章においては、自動車内装用ポリエステル
された。これは第1章および第2章で得られた繊
の染色に適した超高耐光分散染料を設計、開発す
維基質中の染料の退色挙動と全く同じである。さ
る目的で、ポリエステル繊維に染着した分散染料
らに、アゾ系分散染料(C.1.Disperse Orange
の耐光性におよぼす種々の因子について調べた。
30,Red 73, Blue 165)は年魚酸素で退色が抑制
分散染料の基本構造と置換基、光照射時の温度、
されることから、これらの染料は還元反応によっ
紫外線吸収剤と分散染料の組合せ、分散剤の種類
て光退色が進行するのに対して、アントラキノン
などが耐光性に影響をおよぼすが、そのなかでも
系分散染料のC.LDisperse Red 60は酸素が存
特に重要な因子は光源の分光分布と照射エネルギー
在する状態で退色が促進されることから、酸化退
であることが明らかになった。すなわち、ポリエ
色によることが分かった。また、可溶性ポリエス
ステルに染着した分散染料は、いかなる染料構造
テルが共存する場合、紫外線吸収剤の添加によっ
でも316nmの光によって大きな影響を受ける。そ
て316nmにおける染料の退色が顕著に抑えられ、
こで、この波長領域において安定な染料構造を選
紫外線吸収剤の効果が明らかにされた。
び、さらに紫外線吸収剤が効果的に作用するよう
染色布の耐光性を向上させるために、実用的に
に染料の化学構造を修飾するとともに、3原色の
は紫外線吸収剤が常用される。そこで第4章にお
耐光性のレベルを合わせるために3原色のそれぞ
いては、染料の退色におよぼす紫外線吸収剤の添
れの色においても染料を配合し、さらに耐光性に
加効果についてC.1.Disperse Red 73を用いて
影響をおよぼさない分散剤を選定することによっ
詳細に調べた。用いた紫外線吸収剤は2種のベン
て、超光七光分散染料を商品設計した。この染料
ゾトリアゾール系、1種のフェニルサリシレート
は6級以上の耐光堅ろう度をもち、実用化できる
系である、繊維基質としてはポリエステル、ジァ
ことが明らかになった。
セテートおよびトリアセテートを用いた。使用し
た紫外線吸収剤は275∼400nmの波長領域に吸収
2 学位論文審査結果の要旨
をもつ。C.1. Disperse Red 73を用いてポリエ
本論文は、自動車内装用ポリエステル織物の染
ステルを染色する際に紫外線吸収剤を添加すると、
色に用いる高耐光分散染料を開発するための基礎
いずれの紫外線吸収剤においても316nmにおける
的知見を得る目的で、分散染料の光分解におよぼ
顕著な退色抑制効果がみられた。また、紫外線吸
す照射波長の影響について、繊維および溶液中で
収剤のみをポリエステルに吸尽させて繊維基質自
検討した結果をまとめたものであり、次のような
身の黄変を観察したところ、紫外線吸収剤の添加
成果を得ている。
によって316nmにおける黄変は減少した。一方、
ジァセテートおよびトリアセテートの高高高高は
1)色相の異なるアゾおよびアントラキノン系
分散染料で染色したポリエステル、ナイロン、ジ
( 115 )
平成9年4月25日
90号外第2号
アセテート、トリアセテート布を分光照射した結
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
果、それぞれ316、372、230、259nmで最大の退
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
色が観察された。これらの繊維基質自身もそれぞ
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
れ対応する波長で最大の黄変を示した。
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
2)酢酸エチル溶媒に分散染料を溶解し、さら
に可溶性ポリエステルを添加して分光照射したと
ころ、繊維上での退色挙動と全く同様の結果を示
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
すことを明らかにし、繊維によって特異的に吸収
された固有の波長の光によって染料自身も分解す
はたの やす ひろ
称号及び氏名 博士(工学) 波多野 泰 弘
るか、繊維の分解生成物によって染料自身が分解
(学位規程第3条第!項該当者)
するものと推定した。
(岡山県 昭和13年1月1日生)
3)紫外線吸収剤の添加によって、ポリエステ
ル染色布および未染色布の316nmにおける退色は
顕著に抑制され、繊維基質が特異的に分解を受け
る波長領域に吸収をもつ紫外線吸収剤を用いるこ
とによって、染色布の退色は顕著に抑えられるこ
論 文 名
lnvestigations on the Treatment of
Po[lutants in Aqueous and Gas Systems
Using Ozone and Titanium Oxide
Photocatalysts
とが1分かった。
4)アゾ系分散染料は還元反応によって光退色
(オゾンおよび酸化チタン光触媒を用いる水溶液
が進行するのに対して、アントラキノン系分散染
と気相系における汚染物質の処理に関する研究)
料では酸化退色によることを確認した。
5)以上の基礎的研究に基づいて、自動車内装
1 論文内容の要旨
用ポリエステルの染色に適した超高耐光分散染料
21世紀に向けて、地球規模での環境保全が極め
の3原色を商品設計した。この染料は6級以上の
て重要な課題の一つとして、世界的に認識されて
耐光愚ろう度をもち、実用化できることが明らか
いる。特に、川、池、湖、海の水質汚染はひどく、
になった。
中でも、飲料水源としての地下水系の低濃度有機
以上の諸成果は、超高耐光分散染料の開発に一
塩素物質による汚染は、深刻な問題である。我が
つの指針を与えるものであり、染料工業、繊維工
国においては、水道水源の約30%を占める地下水
業、染色工業に寄与するところ大である。また、
について、トリクロロエチレン等の有機塩素化合
申請者が自立して研究活動を行うに十分な能力と
物による汚染は全国的に顕在化している。低濃度
学識を有することを証したものである。
のトリクロロエチレン等の有機塩素化合物の除去
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
に関しては、現在、(1)オゾン分解法と(2>紫外線照
結果から、申請者に対して博士(工学)の学位を
射オゾン分解法が最も有力な方法として、数多く
授与することを適当と認める。
の研究がなされている。これらの方法での、除去
審査委員
主査 教 授 高 岸
効率を高め最適な反応条件を確立するためには、
徹
副査 教 授 角 岡 正 弘
副査教授前田泰昭
反応機構や分解速度式に関する詳細な知見が必要
である。しかし、除去速度が反応物質やオゾン濃
度および温度にどのように依存するか、また、オ
ゾン分解反応の反応機構の詳細についての研究は
ほとんどないQ
大阪府立大学告示第37号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
( 116 )
一方、地球規模での環境保全の最も有力な技術
として、最終的には、太陽光エネルギーを利用す
号外第2号91
平成9年4月25日
る二酸化チタンなどの半導体光触媒の利用が考え
すなわち、水溶液中において、オゾンの分解で
られ、光触媒を用いた汚染水の清浄化や、汚染大
生じたOHラジカルがトリクロロエチレンのπ結
気の浄化などの研究が進められている。しかし、
合に付加して中間体(a)が生成する。この中間
粉末状の二酸化チタン光触媒では適用範囲が限ら
体(a)に溶存酸素が付加し、過酸化物(b)が
れ、このたあ、利用形態に対応できる新しいタイ
生成する。この過酸化物(b)は、容易に分解し、
プの、高活性で高選択な酸化チタン光触媒の開発
生成物(c)と(d)とOHラジカルを生成する。
が期待されている。しかし、水中の低濃度有機化
この反応でOHラジカルは再生され、トリクロロ
合物の分解除去などに適した形態の酸化チタン光
エチレンの分解は連鎖機構で進行することを明ら
触媒の開発と、それによる光触媒反応の詳細につ
かにした。また、オゾンと溶存酸素によるトリク
いての研究はほとんどなされていない。
ロロエチレン分解の速度式は、
本研究の目的は、かかる観点から、オゾンを用
いた水中の低濃度トリクロロエチレンの分解除去
d[CICHCC12]
=k[OH一]1/2[03]1/2[CICHCC12]
dt
における反応機構の解明、および紫外線照射によ
る反応速度の促進とその機構の解明を行うととも
に、透明な多孔質ガラスやゼオライト担体上に高
分散状態で酸化チタン光触媒を設計し、これによ
一(a>
で示され、速度定数kは、
k(乏mol−ls−1)=
1.06×109exp[一34.2(kJmol’1)/RT)〕
ると水中の低濃度有機化合物の分解除去と二酸化
となることを明らかにした。
炭素の水による還元固定化反応を検討し、オゾン
第3章では、オゾンー空気混合気体を注入した
を用いた汚染水の浄化と酸化チタン光触媒利用の
反応系における、低圧水銀灯による紫外光照射の
可能性について、幅広い分子レベルでの知見を得
効果について、反応による水溶液中のオゾンとト
ることである。本論文は、8章よりなる。
リクロロエチレン濃度の時間的変化を測定するこ
第1章は、本論文の緒言であり、論文の概要と
とで検討した。その結果、水溶液中でのオゾンの
本研究の目的と内容について述べた。
第2章では、1000ppb以下の低濃度のトリクロ
光分解の初期過程は、次の機構(反応機構H)で
進行することを明らかにした。
ロエチレン(CICHCCI2)を含む水溶液にオゾンー
03+hレ(254nm)一一→02(1△g)+○(1D2)(1)
空気混合気体を注入し、反応による水溶液中のオ
O(1D2)十H20一一→H202
ゾンとトリクロロエチレン濃度の時間的変化を測
の
0(1D2)十H20一一→OH十〇H
(2)
〈3)
璽
定した。その結果、トリクロロエチレンの分解速
度はオゾン濃度の1/2乗に比例することを見い
また、過酸化水素とOHラジカル生成の量子収
だした。また、トリクロロエチレンの分解は、次
率は、それぞれφ(H,02)=0.62とφ(OH)=
の機構(反応機構1)で進行することを明らかに
2.6×・10“5であることを明らかにした。これらの
した。
結果は、トリクロロエチレンの分解反応において、
OH十CICHCC12一→CHCI(OH)一CCI2
(a)
が“Peyton and Glaze”機構により、過酸化水
CHCI(OH)一CC!2十〇2一一→
(a>
水溶液中でのオゾンは光分解の初期過程で大部分
CHCI(OH)一CC12(02)
(b)
CHCI(OH)一CCI2(02)一一→
(b)
HCOC1十COC12十〇H
(c) (d)
璽
素を生成し、ごく一部が“Prengle”機構により、
わずかながらOHラジカルも生成することを示す
ものである。また、トリクロロエチレンの分解反
応の機構は、反応機構1に示したように、OHラ
ジカルと甘心酸素による連鎖機構で進行し、分解
の速度式は
一d[CICHCCI2]/dt ==k I。9/2[CICHCCI 2]
( 117 )
平成9年4月25日
92号外第2号
で示され、量子収率は
¢ (一CICHCCI 2) =k la−bsi/2 [CICHCCI2]
第6章では、二酸化チタン触媒を用い、二酸化
チタン光触媒の反応性に及ぼす銅イオン添加の効
で与えられることを明らかにした。ここで、1。bS
果について、二酸化炭素の水による光触媒還元固
はオゾンによる254nm光の光吸収速度(Einstein
定反応の生成物、メタンとメタノールの収率と選
4−1s−1)であり、 kは反応速度定数で、 k=121
択性について検討した。光触媒反応の効率と選択
か/2mor1/2S’t/2である。
第4章では、木炭を用いた、染色排水のフロー
性は、触媒の種類および反応物としての水と二酸
化炭素の濃度比に大きく依存することを見いだし、
システム系電解処理の実用化に関しての基礎的な
また、メタンの生成反応にはバンドギャップ値が
知見を得ることを目的として研究を行った。染色
大きくて、数多くの表面OH基をもつアナタース
排水・廃液に食塩1094−1を添加することで、50
型の二酸化チタン触媒が高い光触媒活性をもっこ
Aの定電流と8.7∼16.5Vの電圧(電力0.44∼0,83
とを見いだした。ESRによる反応中間体の測定よ
kW)により、0.3∼3.O E min“iの速度で廃液を処
り、光照笹下、二酸化チタン上では、Ti3+イオン、
理できることを明らかにした。木炭の吸着と濃縮
HおよびCH 3ラジカルが反応中間体として生成し
効果、および木炭表面に生成する強力な酸化剤と
ていることを見いだした。さらに、銅イオンを二
しての次亜鉛素酸の反応により、脱色率および酸
酸化チタン光触媒に微少量添加すると、メタノー
素消費量(COD)低減率ともに90%以上にするこ
ルの生成収量が増加することを見いだし、XPSを
とができ、また、木炭コロイドによる濁り(透視
用いた検討結果から、銅(1)イオンがメタノー
度20∼40cm)も凝集沈降法により改善でき、透視
ル生成に重要な役割をなしていることを明らかに
度60∼80cmにすることが可能であることを明らか
した。
にした。さらに、水質基準にかかわる揮発性有機
第7章では、固定化気持酸化チタン、ゾルーゲ
塩素化合物等の有害物質23成分も、ヘッドスペー
ル法で調製した酸化チタンなど、各種の酸化チタ
ス法GCMS分析により、工場排水の一律排水基準
ンをベースとする触媒を光触媒として、二酸化炭
値を超えるものはないことを見いだした。
素の水による光触媒還元固定化反応について検討
第5章では、イオン注入法により、透明な多孔
した。粉末状の二酸化チタンやゾルーゲル法で調
性シリカガラス担体にTi+イオンを注入し、その
製したTi/Si複合酸化物を光触媒とした場合には、
後の焼成により高分散状態の酸化チタン光触媒
主にメタンが、イオン交換法やCVD法で調製し
(Ti/SiO 2)を調製し、水に溶解した2一プロパ
た固定化担持酸化チタンでは、メタンとメタノー
ノールの分解反応に対する光触媒活性について検
ルおよび一酸化炭素が生成することを見いだした。
討した。高分散Ti/SiO2触媒のuv吸収スペクト
光触媒反応収率は触媒や担体の種類、水/二酸化
ルは、酸化チタンの分散化の程度に応じて、粉末
炭素の濃度比、反応温度などにより著しく変化す
状のバルク半導体二酸化チタン(Tio 2)光触媒よ
ることがわかった。また、光触媒のUV、 XAFS、
りも、短波長側にシフトすることを見いだした。
ESR、 FT−IR、 XPSおよびホトルミネッセンス
触媒のXANESとFT−EXAFSスペクトルの測定か
測定により、酸化チタン触媒の局所構造とその励
ら、注入したTiイオンは、酸素処理後には、4配
起状態について検討した。その結果、高活性な酸
位構造(TiO 4)であり、孤立した状態の酸化チ
化チタン光触媒の活性種は、孤立状態で4配位構
タン種として担体上に存在していることを明らか
造の酸化チタン種の電荷移動型励起種(Ti 3+一
にした。Ti/SiO2触媒を用いた、水に溶解して
〇つ*であることを明らかにした。
いる2一プロパノールの光触媒分解除去反応にお
いて、Tiイオンの注入量が最も少なく、最も高分
第8章は、本論文で得られた結果の総括を行っ
た。
散状態にある酸化チタン光触媒が、最高の光触媒
活性を示すことを見いだした。
(!18)
2 学位論文審査結果の要旨
号外第2号 93
平成9年4月25日
本研究は、オゾンを用いた水中の低濃度トリク
応において、二酸化チタン光触媒の反応性に及ぼ
ロロエチレンの分解除去反応の機構の解明、およ
す銅イオン添加の効果について検討し、銅イオン
び紫外線照射による反応速度の促進とその機構の
を二酸化チタン光触媒に微少量添加するとメタノー
解明を行うとともに、透明な多孔質ガラスやゼオ
ルの生成収量が増加することを見いだし、XPSを
ライト担体上に高分散状態で酸化チタン光触媒を
用いた検討結果から、銅(1)イオンがメタノー
設計し、これによる水中の低濃度有機化合物の分
ル生成た重要な役割をなしていることを明らかに
解除去と二酸化炭素の水による還元固定化反応を
した。
検討し、汚染水の浄化におけるオゾンおよび酸化
(6>ゾルーゲル法で調製した酸化チタンなどを
チタン光触媒利用の可能性について、幅広い分子
光触媒として、二酸化炭素の水による光触媒還元
レベルでの知見を得ることを目的として行ったも
固定化反応について検討し、粉末状の二酸化チタ
のであり、次のような成果を得ている。
ンやゾルーゲル法で調製したTi/Si複合酸化物を
光触媒とした場合には、主にメタンが、イオン交
(1)1000ppb以下の低濃度のトリクロロエチレ
換法やCVD法で調製した固定化担持酸化チタン
ンを含む水溶液にオゾンー空気混合気体を注入し、
では、メタンとメタノールおよび一酸化炭素が生
反応による水溶液中のオゾンとトリクロロエチレ
成することを見いだし、光触媒反応収率は触媒や
ン濃度の時間的変化を測定することにより、トリ
担体の種類、水/二酸化炭素の濃度比、反応温度
クロロエチレンの分解が水溶液中のオゾンの分解
などにより著しく変化することを明らかにした。
で生じたOHラジカルと溶存酸素による反応とし
て進行することを明らかにした。
以上の諸成果は、オゾンと光触媒を用いる汚染
水の浄化についてのみでなく、オゾンの光化学、
(2)オゾンー空気混合気体を注入した反応系に
光触媒の構築と応用に関して新たな知見を与える
おいて、低圧水銀灯による紫外光照射の効果につ
もので、これらの分野の発展に寄与するところ大
いて検討し、水溶液中でのオゾンの光分解の初期
である。また、申請者が自立して研究活動を行う
反応機構を明らかにするとともに、トリクロロエ
のに必要な能力と学識を有することを証したもの
チレンの分解反応の機構がOHラジカルと溶存酸
である。
素による連鎖機構で進行することを明らかにした。
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
(3>木炭を用いた染色排水のフローシステム系
結果から、申請者に対して博士(工学)の学位を
電解処理において、染色排水・廃液に食塩
109e−1を添加することで、50Aの定電流と8.7
∼16.5Vの電圧により、0.3∼3.02min−1の速度
で廃液を処理できることを明らかにし、脱色率お
ひ酸素消費量(COD)低減率ともに90%以上にす
授与することを適当と認める。
審査委員
主査教授安保正一
副査教授中原武利
副査教授前田泰昭
ることができることを明らかにした。
〈4)イオン注入法により透明な多孔性シリカガ
ラス担体にTi+イオンを注入し、その後の焼成に
より調製した酸化チタンは、XANESとFT−EXA
FSスペクトルの測定から四配位構造をとる孤立
状態の酸化チタン種として担体上に存在している
ことを明らかにし、水に溶解している2一プロパノー
ルの光触媒分解除去反応において高い光触媒活性
を示すことを明らかにした。
(5)二酸化炭素の水による光触媒還元固定二二
( 119 )
平成9年4月25日
94号外第2号
第1章においては、ジドデシルジメチルアンモ
大阪府立大学告示第38号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
ニウムプロミド(DDDMAB,2C12 2Ci NBr)を
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
用いて、ナイロン6繊維の分散染色を行った。分
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
散染料としては、1,4一ジアミノアントラキノン
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
(1,4−DAA, C.1. Disperse Violet 1)を用いた◎
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
また比較のために、通常の界面活性剤を用いて1,
要旨を次のとおり公表する。
4−DAAを実用染色用に分散化した、市販染料で
平成9年4月25日
あるMiketon Fast Red Violet Rも用いた。
まず、ナイロン6/1,4−DAA系の染色速度お
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
よび平衡染着量におよぼすDDDMABの効果につ
いて検討した。その結果、Miketon Fast Red
ギム
イキ
ス
称号及び氏名 博士(工学) 金
益 秀
Violet RよりもDDDMABで調製した染浴の方
(学位規程第3条第1項該当者)
が、染色速度が著しく増大した。1,4−DAAと
(大韓民国 1962年1月22日生)
DDDMABのモル比が1:3の場合には約100分
で平衡に達し、染色速度定数はMiketon Fast
論 文 名
Red Violet Rの約2倍になった。またDDDMAB
APPLICATION OF DOUBLE TAILED
SURFACTANTS TO DISPERSE DYEING
900Cの各温度においてほぼ等しくなり、50℃にお
(2本誌界面活性剤の分散染色への応用)
けるナイロン6の低温染色の可能性を示唆した。
を用いた場合、染色速度、飽和染着量は50、70、
DDDMAB存在下における染色開始温度(Td)
1 論文内容の要旨
はMiketon Fast Red Violet RのTdより約10
分散染料を用いる疎水性繊維の分散染色におい
℃低下した。しかしながら、DDDMABで前処理
ては、界面活性剤が使用されている。分散染料の
したナイロン6のガラス転移温度(Tg)はほと
製造段階、染色工程において、添加される分散剤
んど変化せず、DDDMABによってナイロン6の
によって染料微粒子の粒径、結晶形態、分散安定
基質は可塑化されることはない。DDDMAB染加
性、見かけの溶解度などが異なってくる。これま
冠の1,4−DAAの見かけの溶解度は非常に大きく、
での分散染色においては、主として1本の長鎖疎
その吸収スペクトルは有機溶媒に溶解した場合と
水基をもつ界面活性剤が使用されている。このよ
同様のアントラキノン染料特有のスペクトルを示
うな活性剤は水溶液中においてミセルを形成し、
し、1,4−DAAとDDDMABは強い相互作用をして
分散染料を分散、可溶化する。一方、2本の長鎖
いる。また、ナイロン6へのDDDMABの吸着量
疎水基をもつ界面活性剤は、相転移温度以上でメ
は35mmol/(kg繊維)になり、この値は通常の
ソフェーズ液晶の2分子膜を形成して、ベシクル
!本志界面活性剤のそれの約20倍にもなる。以上
とよばれる安定で巨大な分子集合体をつくること
の結果から、単分子状の1,4−DAAを内包した
が知られている。ベシクル内部には疎水性および
DDDMABがナイロン6繊維上に強く吸着され、
親水性物質を内包することができる。
濃厚な単分子状染料層から染色が進ため、染色速
本研究は、ナイロン、ポリエステル、アセテー
度および平衡染着量が顕著に増大するものと推定
ト繊維の分散染色において、分散染料の可溶化剤
した。
および運搬体として、2本鎖界面活性剤であるジ
第2章においては、ナイロン6/1,4−DAAの分
アルキルジメチルアンモニウムプロミド[DADMAB,
散染色におよぼすDADMABのアルキル杭長の効
2Cn2CINBr(N=10∼18)]を用いることを試みた
果について検討した。その結果、染色速度は2C12
ものである。本論文は5章から成り立っている。
2CiNBrが、飽和染着量は2Cio2CiNBrが最:大にな
( 120 )
号外第2号95
平成9年4月25日
ることを明らかにした。また、飽和染着量は50、
は、90℃(ナイロン6)および130℃(ポリエス
70、90℃でほとんど変化しない。2C1。2C1NBrを
テル)で染色した。染色した繊維の断面を光学顕
除くと、Tdはアルキル鎖長が短くなるほど低下
微鏡で観察したところ、DDDMABを用いて低温
することが明らかになった。しかしながら、示差
染色した場合においても、染料はナイロン6、ポ
走査熱量測定(DSC)の結果、 DADMABで前処
リエステル繊維の内部まで拡散し、リング染色に
理してもナイロン6のTgにはほとんど変化はみ
ならず中心部まで均一に染色されていることが確
られなかった。ナイロン6に対するDADMABの
認された。DDDMABを用いた染色布の各種経ろ
吸着量はアルキル鎖長の増大とともに低下した。
う度も、Miketon Fast Red Violet Rを用い
以下の結果から、DADMABと染料および繊維と
て染色した染色布のそれとほとんど変わらないか、
の相互作用はDADMABのアルキル鎖長に依存し、
あるいはそれ以上の薫ろう性を示した。さらに色
DADMABの疎水性が染色性に大きく影響してい
純度はむしろ増大する傾向を示し、DDDMABに
ることが明らかになった。
よる低温染色が実用染色として可能であることが
第3章においては、1,4−DAA/DADMAB分散
分かった。
系においてポリエステル繊維の染色を行った。さ
第5章においては、1,4−DAA/DDDMAB分散
らにアニオン性ヘッドグループをもつジヘキサデ
系でジアセテート繊維の分散染色を試みた。また、
シルポスフェート(DHP)分散系についても検
1,4−DAAを内包したDDDMABのべシクル形成を
討した。また、染料存在下におけるDADMABの
電子顕微鏡観察および動的光散乱測定によって確
ゲル液晶相転移温度を濁度およびDSCによって
認した。1,4−DAAとDDDMABの比が1:3の時、
測定し、1,4−DAAを内包したDADMABは2分子
染色速度および飽和染着量がMiketon Fast Red
膜構造を成形していることを確認した。DADM
Violet Rのそれに比べてはるかに大きな値を示
ABとDHPのイオン性基の違いは染色性にほと
した。染料のジアセテートへの拡散の活性化エネ
んど影響をおよぼさない。1,4−DAA/DADMAB
ルギーはDDDMABでは24.7kJ/mol、 Miketon
分散系においては、110℃でも130℃とほぼ同程度
Fast Red Violet Rでは42.3kJ/molであった。
の染色性が得られ、染色温度依存性は小さい。こ
1,4−DAA/DDDMAB分散系では染色温度が60、
の結果は、ポリエステルの染色温度を通常の染色
70、80℃に変化しても、ジアセテートの飽和染着
温度である130℃から110℃程度まで下げることが
量にほとんど変化がみられず、60℃での低温染色
可能であり、ポリエステルの低温染色の可能性を
が可能である。DDDMABのジアセテートへの吸
示唆する。また、DADMABを用いると、 Tdは
着量は21mmol/(kg繊維)となり、通常の界面
低下するがTgは低下しない。 DADMABのポリ
活性剤のそれに比べてかなり大きいことが分かっ
エステルに対する吸着量は通常の界面活性剤のそ
た。
れよりもかなり大きいが、ナイロン6に対するそ
れよりも小さい。
以上の結果、分散染料は2本鎖界面活性剤が形
成するベシクルの疎水性領域に内包されて可溶化
第4章においては、DDDMABを用いてナイロ
し、染料を内包したべシクルが疎水性繊維である
ン6およびポリエステルを染色し、得られた染色
ナイロン6、ポリエステル、ジアセテート繊維表
布の色相、各種困ろう度(湿摩擦、洗濯、昇華、
面に強く吸着される。その結果、繊維表面に単分
汗、および日光堅ろう度)を測定し、Miketon
子状の染料分子の濃厚層が形成され、その濃厚層
Fast Red Violet Rを用いて染色した染色布の
から染料分子が繊維中に拡散するため、低温の染
それと比較した。その際、吸尽率が同じになるよ
色温度でも染色速度、染着量が大きくなるものと
うに、DDDMABを用いた場合には、ナイロン6
考えられる。また、低温で染色しても染料は繊維
では50℃、ポリエステルでは110℃で染色し、
内部へ十分に拡散しており、染色堅ろう度も通常
Miketon Fast Red Violet Rを用いた場合に
の分散染色と何ら変わるところがなく、2本白白
( 121 )
平成9年4月25日
96号外第2号
面活性剤の実用染色への応用の可能性を示唆する。
とくに実用的には、ポリエステル繊維の場合に非
常に大きなメリットがあるものと思われる。
のである。
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
結果から、申請者に対して博士(工学)の学位を
授与することを適当と認める。
2 学位論文審査結果の要旨
本論文は、ナイロン、ポリエステル、ジアセテー
審査委員
主査 教 授 高 岸
徹
副査教授角岡正弘
副査教授前田泰昭
ト繊維の分散染色への2本鎖界面活性剤の応用を
試みた結果をまとめたものであり、次のような成
果を得ている。
1)分散染料である1,4一ジアミノアントラキノ
ンの存在下における、2連鎖界面活性剤であるジ
大阪府立大学告示第39号
アルキルジメチルアンモニウムプロミドのゲル液
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
晶相移転温度を濁度および示差走査熱量測定によっ
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
て検討し、2分子膜模造の形成を確認するととも
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
に、ベシクル形成を電子顕微鏡観察および動的光
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
散乱測定によって明らかにした。
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
2)2本鎖界面活性剤を用いてナイロン、ポリ
エステル、ジアセテート繊維の分散色を行った結
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
果、染色速度および飽和染着量は低温においても
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
著しく大きくなり、ナイロンでは50℃、ポリエス
テルでは110℃、ジアセテートでは60℃で染色可
能であるを明らかにした。
かわ
むら
よし
ひで
称号及び氏名 博士(工学) 川 村 佳 秀
3)2本義界面活性剤はナイロン、ポリエステ
(学位規程第3条第1項該当者)
ル、ジアセテート繊維に強く吸着するが、繊維基
(滋賀県 昭和31年8月23日生)
質を可塑化することはない。また、2本鎖界面活
性剤と分散染料の相互作用は非常に大きい。
4)以上の結果より、分散染料は2本意界面活
性剤が形成するベシクルの疎水性領域に内包され
て可溶化し、そのべシクルが疎水性繊維の表面に
強く吸着することによって、繊維表面に単分子状
論 文 名
Adsorption of Mercury(11)on Polyaminated
Highly Porous Chitosan Beads
(ポリアミノ化超多孔性キトサンビーズへの
水銀(11)の吸着に関する研究)
の染料分子の濃厚層が形成され、その濃厚層から
染料分子が繊維中に拡散するため、低い染色温度
1 論文内容の要旨
でも染色性が増大するものと結論した。
水銀および水銀化合物は、水俣病を引き起こし
5)2本鎖界面活性剤を用いて染色してもリン
た事例からも明らかな通り、強い毒性のため厳し
グ染色にならず、各種揺ろう度も通常の染色布の
い排出基準によって厳重に管理されている。しか
それとほとんど変わらない。
し乾電池、蛍光灯、水銀灯、温度計等、大量消費
以上の諸成果は、2本鎖界面活性剤を用いた分
される工業製品に水銀化合物が用いられており、
散染色において、低温染色が可能であることを明
今なお大量の水銀が環境に放出されているのが現
らかにしたものであり、染色工業に寄与するとこ
状である。このような水銀を含有する製品が他の
ろ大である。また、申請者が自立して研究活動を
廃棄物と共にゴミ処理場で焼却されると、水銀蒸
行うに十分な能力と学識を有することを証したも
気となり、さらにプラスチック等の燃焼によって
( 122 )
号外第2号 9糊
平成9年4月25日
同時に発生する塩酸ガスと反応して塩化第二水銀
する既往の研究をまとめ、本論文の目的と構成に
となる。この塩化第二水銀はスクラバーにより回
ついて述べた。
収され、硫化水銀のかたちで粗取りした後、キレー
第H章では、水銀吸着樹脂の母体となる超多孔
ト樹脂カラムを通して排出基準まで除去される。
性キトサンビーズの物理的性質が、成形条件で制
硫化水銀は廃棄物処理場に埋め立てられる。一方、
御できることを明らかにし、成形条件と物理的性
水銀を吸着した使用済みのキレート樹脂は、水銀
質の関係を示す実験式を提案した。キトサンビー
(ll)と樹脂との吸着の強さから通常の酸では脱
ズは、酢酸水溶液に溶解したキトサン溶液をノズ
着再生できないため、樹脂を乾留して水銀を回収
ルから水酸化ナトリウム水溶液中に滴下、凝固す
した後、樹脂は高価であるにもかかわらず廃棄さ
ることにより得られる。この際のキトサン溶液濃
れる。回収された水銀は硫化水銀として沈殿後、
度と凝固液のアルカリ濃度の組合せによって、所
同じく埋め立て処分される。この一般的な方法は
望の物理的性質(見掛け密度、アミノ基濃度、細
コストが高くっくこと、硫化水銀というかたちで
孔分布、平均細孔径、空隙率、比表面積)を有す
水銀化合物を環境に放出していること等、問題が
る超多孔性キトサンビーズが得られた。本キトサ
多い。このためより経済的かっ安全な水銀処理プ
ンビーズは真球状でカラム充填に適し、細孔径が
ロセスが検討されてきたが実用には至っていない。
200nm以上、空隙率が0.85以上の超多孔質構造を
そこで本研究では、水銀の吸着容量が大きくま
た吸着した水銀を容易に脱着し濃縮回収できる水
有していた。
eg m章では、 PEI−CSの調製方法を明らかにす
銀吸着樹脂の開発を試みるとともに、それに用い
るとともに、各種金属イオンの吸着特性を実験的
た水銀の吸脱着プロセスに対して詳細な検討を加
に調べた。またHgC12吸着平衡関係を測定しPEI−
えた。
CSへのHg(ll)の吸着メカニズムを明らかにし
水銀吸着樹脂の母体として、天然高分子キチン
た。
の脱アセチル化物であるキトサンに着目した。キ
第ll章で示した超多孔性キトサンビーズは大き
チン、キトサンはβ一1,4結合よりなる直鎖の多
なボアと大きな空隙率をもち物質拡散に優れてい
糖類であり、甲殻類や昆虫、糸状菌によって大量
ると考えられるが、金属配位基となる樹脂内のア
に合成される未利用のバイオマスである。キトサ
ミノ基濃度が低い。一方、ポリエチレンイミンを
ンは一級アミンを配位基とする優れた金属吸着剤
導入したPEI−CSのアミノ基濃度は市販キレート
であることが古くから知られていたが、ほとんど
樹脂の2倍近い高さであった。PEI−CSにおける
の研究が単にキトサンを破砕したり粉体にして使
金属イオンの吸着能はpHに依存し、吸着量はpH
用しているため、その本来の機能を十分に利用で
が低下するに伴い減少した。このpH依存性は金
きず、金属吸着剤として工業的に広く応用された
属の種類によって異なり、親和性はHg(ll)>
例は、未だ報告されていない。
Cu(ll)>UO2(H)>Ni(E)>Cd(H)>Zn(H)の
本研究では、キトサンを超多孔性のビーズに成
順であった。
形した後、ポリエチレンイミンを導入し、ポリア
HgC12の吸着平衡関係はラングミュア式で相関
ミノ化超多孔性キトサンビーズ(以下PEI−CSと
できた。Hg(ll)の飽和吸着量とPEI−CSのアミ
略す)を作製した。次いで本樹脂の水銀(ll)に
ノ基濃度がほぼ一致したため、Hg(il)は(1)式で
対する吸着等温線、破過曲線、脱着曲線を測定し
表される配位結合で吸着したものと考えられた。
Bi
吸脱着挙動を解析するとともに、水銀を環境に放
出しないゼロエミッションプ新酒スへの応用の可
能性について検討を加えた。各章の概要は以下の
通りである。
第1章では、本研究の背景および本研究に関連
Bi
R−N十HgC12」‘一一R−N−HgC正2
l
R,
i
(1)
R2
NaClがHg(ll)水溶液中に共存した場合、
Hg(ll)の吸着量は減少した。これは、樹脂中の
( 123 )
平成9年4月25日
98号外第2号
アミノ基はNaClによってイオン化しないが、
またベッド高さが0.2mのとき、流速が4≦Re’≦
液相では(2)次の反応によってHgCl 2の濃度が減少
7で、粒子内有効拡散係数はほぼ一定(3.86×1
したため、(1)式によるHg(H)の吸着が減少した
0−12m2/s)となった。粒子内有効拡散係数はカラ
ものと考えられる。
ム入り口のHg(H)の濃度増加に伴い増加した。
HgC12+Cl一 t HgC15 (2)
そこで表面拡散とボア拡散の並列拡散モデルに基
HCIがHg(ll)水溶液中に共存した場合も、
づいて粒子内有効拡散係数をボア拡散係数と表面
HgCl 2は(2)式に従ってイオン化しHgC15を生成す
拡散係数に分離した。その結果、PEI−CS粒子内
る。樹脂中のアミノ基はHCIを吸着し(3)式左辺第
ではボア拡散と表面拡散の両者がほぼ同等に寄与
1項のようにイオン化するためPEI−CSは(3)式の
していることが判明した。
イオン交換反応によってHg(ll)を吸着したと考
国内で最も優れた市販の水銀キレート樹脂と考
えられるユニセレックスUR−120Hを用いて破過
えられる。
R,
1’ R,
I
R, R,(3)
R−N−H+Cr十HgC1ゼコ己画一N−H+HgCl百十CIM
l
V
i
曲線の比較を行った。PEI−CSにおけるHg(ll)
の粒子内有効拡散係数はUR−120Hの約2倍で、
吸着量の点でもPEI−CSの方が大きい事が明らか
となった。
H2SO、をHg(ll)水溶液中に共存させた時、
第V章では、Hg(ll)の破過曲線に及ぼす原液
PEI−CSはHg(ll)を全く吸着しなかった。これ
中の酸および塩の影響について検討を加えた。前
は①樹脂のアミノ基は(4)式の酸/塩基中和反応に
述したようにゴミ焼却場の洗煙廃水にはHg(皿)
よってH2SO、と強く結合したため(1>式の配位結
に加えて通常HCIもしくはNaClが共存する。従っ
合が起こらない、②HgC12はH2SO、によってイオ
てPEI一一CSのHg(ll)吸着樹脂としての適用の可
ン化されないため、イオン交換反応も起こらない、
能性を評価する上で酸、塩の影響の評価は重要で
等の理由によると考えられる。
ある。
(R勧一驚一
(4)
HCI共存下ではHg(E)のベッド吸着容量はH
CI濃度の増加に伴って減少したがHCI濃度が500
mol/㎡以上では一定となり、 HCI非共存の場合
の約40%となった。一方、HCI共存下の粒子内有
第IV章では、 PEI−CSに吸着したHg(li)の粒
効拡散係数は非共存の場合の約8倍大きな値を示
子内濃度分布をX線マイクロアナライザーで測定
し、Hg(■)水溶液中のHCI濃度が100∼
した。またPEI−CS充填カラムによるHg(ll)の
2501nol/㎡のとき破過時間はHCIが共存しないと
吸着過程の破過曲線を測定した。
きよりも長くなった。HCI共存下ではHg(ll)は
シャローベッド法によりHg(ll)の吸着過程に
上述の(3)式によってPEI−CSに吸着されると考え
おける粒子内濃度分布の経時変化を測定した。粒
られる。そこでCl一とHgClgのイオン交換反応に
子の中心部分まで速やかに拡散が進行し、最終的
おける電場の影響を考慮したが、上述の粒子内有
にHg(ll)は粒子内で均一分布をしていた。また
効拡散係数の大きな変化を説明するには至らなかっ
吸着の過程で未反応シェルと反応コアが明瞭でな
た。NaClがHg(∬)水溶液中に共存するとき、
く、収縮核モデルよりはむしろ通常のフィックの
破過曲線の形は共存の場合と変わらなかった。粒
拡散モデルを適用する方が好ましいことが明らか
子内有効拡散係数はNaCl濃度が0∼1000mo1/㎡
になった。
の範囲で一定であった。これはNaCl共存、非共
粒子内有効拡散係数を、測定した破過曲線との
存いずれの場合もHg(ll)の吸着は(1)の式の配位
カーブフィッテッングから求めた。粒子内有効拡
結合で進むたあと考えられる。
散係数はベッド高さが0.2m以上で一定となった。
( 124 )
第VI章では、 PEI−CSに吸着したHg(ll)の脱
号外第2号 99
平成9年4月25日
着について検討した。H2SO、水溶液によるPEI−C
(2)ポリアミノ化超多孔性キトサンビーズの調
S充填カラムからのHg(H)の脱着実験を酸濃度
製方法を提案している。次に、作成したポリアミ
と温度を変えて行った。H、SO、水溶液の濃度が1
ノ化超多孔性キトサンビーズを用いて各種金属イ
000mol/㎡、温度が298 KのときPEI−CSの脱着
オンの吸着特性を調べるとともに、Hg(∬)の吸
曲線のピークが250mol/㎡となり、 UR−120Hの
着メカニズムを明らかにしている。
約8倍大きな値を示し、効率よくHg(■)を脱着
(3>ポリアミノ化超多孔性キトサンビーズに吸
できることが判明した。脱着曲線のピーク値は
着したHg(K)の粒子内濃度分布をX線マイクロ
H、SO、水溶液中のHgCl、の溶解度付近の値以上に
アナライザーで測定した結果と、Hg(ll)の吸着
はならなかった。脱着操作の温度を298Kから308
過程の破鐘曲線の測定結果の両面から、Hg(1[)
Kにすると脱着曲線のピーク値は約1.2倍になり、
の粒子内拡散機構の検討を行い、ボア拡散と表面
HgCl 2の溶解度の増加率とほぼ一致した。さらに、
拡散の両者がぼぼ同等に寄与していることを明ら
PEI−CSについて吸着、脱着、洗浄実験を4回繰
かにしている。
り返し、Hg(ll)吸着に対する吸着等温線および
(4)国内で最も優れた市販の水銀キレート樹脂
出過曲線を測定したが、両者とも繰り返し回数の
との比較を行い、粒子内拡散係数は約2倍、吸着
影響を全く受けなかった。
容量は約1.5倍大きいことを明らかにしている。
(5)◎ゴミ焼却場の模擬洗煙廃水を作成し、Hg
2 学位論文審査結果の要旨
(il)の破過曲線に及ぼす原液中の酸および無機
現在、ゴミ焼却場において発生する水銀(II)
塩の影響について詳細な検討を加えている。
は、最終的にキレート樹脂により排出基準まで除
去されているが、水銀を吸着した使用済みのキレー
(6)ポリアミノ化超多孔性キトサンビーズに吸
着したHg(ll)の脱着について検討し、 Hg(ll)
ト樹脂は、脱着再生できないたあ、樹脂を乾留し
の粒子内有効拡散係数は市販最良の水銀キレート
て水銀を回収した後干棄されている。高価なキレー
樹脂の約8倍大きな値を示し、効率よくHg(U)
ト樹脂を使い捨てにせざるを得ない点が、ゴミ焼
を脱着できること、また、吸着→脱着→洗浄の繰
却場における現在の水銀処理プロセスの最大の欠
り返し実験を行った結果、性能の劣化は全く認め
点となっている。本論文は、脱着再生により繰り
られないことを明らかにしている。
返し使用が可能なキレート樹脂の開発と、それを
以上の諸成果は、環境化学工学、分離工学、高
用いたゴミ焼却場からの水銀(ll)のゼロエミッ
分子化学の分野に貢献するところ大である。また、
ションプロセスの構築を目的に行われた基礎研究
申請者が自立して研究活動を行うのに必要な能力
の成果をまとめたものである。
と学識を有することを証したものである。
キレート樹脂としては、カニやエビの甲羅に含
本委員会は、本論文の審査および最終試験の結
まれる天然高分子キトサンを素材にして、超多孔
果に基づき、博士(工学)の学位を授与すること
性のキトサンビーズを作製し、さらに得られたキ
を適当と認める。
トサンビーズにポリエチレイミンを導入し、水銀
審査委員
の吸脱着に優れた新規なポリアミノ化超多孔性キ
主査 教 授 浅 井
トサンビーズを開発した。この新しいキレート樹
脂を用いて水銀(ll)の吸脱着挙動を詳細に調べ、
悟
副査教授吉田弘之
副査教授石川治男
次のような成果を得ている。
(1)水銀吸着樹脂の母体となる超多孔性キトサ
ンビーズの物理的性質が、成形条件で制御できる
ことを明らかにし、成形条件と物理的性質の関係
を表す実験式を示している。
( 125 )
平成9年4月25日
100号外第2号
でき、甲板上コンテナ17例で船幅43mに対応可能
大阪府立大学告示第40号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
なクレーンも世界各地のハブポートを中心として
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
設置されっっある。しかしながら、コンテナ輸送
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
の基盤となる既存の荷役設備の能力による船幅制
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
限や、航路とくにパナマ運河を航行する船舶(パ
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
ナマックス・コンテナ船)に対する船幅制限のた
要旨を次のとおり公表する。
め、TKMを増大するには船幅以外の部分の幅を
増し船首尾部での水線面積を必要がある。このた
平成9年4月25日
め、多くの船がトランサム船尾を採用し必要な復
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
原性能を有するための水線面積を船尾部で確保し
ている。しかし、トランサム船尾は船速または船
いわ
さき
やす
のり
称号及び氏名 博士(工学) 岩 崎 泰 典
尾形状により船尾端後方の水面を乱し抵抗増加の
(学位規程第3条第1項該当者)
原因となるので、船型設計上の大きな問題となる。
(兵庫県 昭和23年11月2日生)
また、コンテナ積載個数を増やすため船体が大
型化し排水量が増加しており、航海速力を維持す
論 文 名
コンテナ船の新形式船尾形状の開発
るための推進馬力も増大している。主機出力の増
大は推進器起振力の増大をもたらすため、船体と
推進器との間隙を十分に確保する必要がある。こ
1 論文内容の要旨
れは、港湾の喫水制限と共に推進器直径増大によ
加工貿易立国として輸出中心型の経済大国から
る推進性能の向上を阻む要因になっている。
輸入大国へと変わりつつある我が国では、輸出入
このように、コンテナ輸送の基盤となる既存の
貨物の99%以上を会場輸送に依存している。海上
航路、港湾、荷役設備などの制限のためコンテナ
定期航路で輸送される貨物で、鉄鉱石、原油、液
船の諸性能を同時に満足させ更なる性能向上を実
化ガス、穀物など専用船で運ばれるものを除いた
現することは難しくなりっっある。しかしながら、
一般乾貨物のうち、コンテナ貨物の割合は1970年
世界経済を発展させ社会を発展させ続けるために
の13.1%から1995年には88.1%と急速に増加して
は、コンテナ貨物の海上輸送の寄与は不可欠であ
いる。1966年4月の北米大西洋一欧州間の定期コ
る。また、最大主機出力が約50,000ps弱の最近の
ンテナ航路開設以来、コンテナ貨物の国際輸送は、
コンテナ船の燃料消費量は、年間約44,000tonsで
世界の分業制が進む中で大量輸送と高速荷役およ
年間燃料費は約5億円にも上る。したがって地球
び定時輸送などのメリットを活かしっっ、海上輸
のエネルギー資源の維持からも、また輸送物資を
送の重要な位置を占めるに至っている。
廉価で供給し経済を発展させるためからもコンテ
コンテナ貨物の海上輸送を担っているのがコン
ナ貨物の海上輸送効率の向上は必要である。この
テナ専用運搬船(コンテナ船)である。コンテナ
ためには、コンテナ船の諸機能を満たしかっ推進
船は出現以来、国際貨物輸送の活発化の要求に合
性能の大幅な向上を実現できるコンテナ船型の開
致した船型に変化してきた。船1隻当たりの積載
発が不可欠である。
コンテナ個数、特に甲板上のコンテナ積載個数は
本論文は6章で構成され、コンテナ船の推進性
輸送効率向上の目的から年々増加しており、最近
能の向上によるコンテナ貨物の輸送効率の向上を
のコンテナ船では所要の復原性能を確保するため
目的として、抵抗増加の原因となるトランサム船
の横メタセンター高さ(TKM)の要求値が大き
尾後方の水面の乱れの発生原因を明らかにすると
くなっている。排水量一定の条件下で考えると、
共に、これらの研究成果を基に船尾形状による抵
TKMは船幅の増大により効果的に増やすことが
抗増加量を最小限に押え、かつ推進器起振力を増
( 126 )
平成9年4月25日
号外第2号 101
大させることなく大直径推進器の装備が可能な、
(C)船尾端後方水面に波崩れが生じない状態の
推進性能の大幅な向上を実現できるコンテナ船の
3っの状態に分類できることを示した。つぎに船
新形式船尾形状の開発について述べたものである。
尾船底の圧力計測結果から、静止状態の船尾端没
まず、第1章では本研究の背景をまとめ、本論
水量が一定の場合には船室が速い程、船速が一定
文の目的と構成について述べた。
の場合には静止状態の船尾端没水量が少ない程、
第2章では、最近のコンテナ船に要求される機
あるいは静止状態の船尾端没水量および船速が一
能の分析とそれに基づく船型設計上の課題を取り
定の場合には船尾端の水平に対する角度が小さい
上げた。まず、大きなTKMを確保するために水
程、船尾端圧力は低くなり船尾端流速が速くなる
線面積を増加させると推進性能が低下するが、そ
ことも示した。さらにこれらの結果に基づいて、
の増加は船首部より船尾部で行う方が推進性能上
船尾端後方の水面状態を船尾端の流速と静止状態
有利であることを明らかにした。また、船尾部で
の船尾端没水量とから判定できる図表を得た。
大きな水線面積を確保するためにはトランサム船
第4章では、船尾形状と理論計算による船尾近
尾が推進性能上有利であるが、最近のコンテナ船
傍流場および船体抵抗との関係を述べた。まず2
の航海速力領域であるFn≦0.25では、トランサム
次元のレイノルズ平均ナビエ・ストークス(Ra
船尾端の幅が広くなる程また没水量が大きくなる
NS)方程式に基づく数値計算結果を調べた。状
程船体抵抗が増大することを示した。つぎに、コ
態(A)の死水領域と状態(B)の波崩れによる
ンテナ船などの痩型船型の推進器直径増大による
流場は完全には表せないものの、波崩れ位置と船
推進性能の改善効果を明らかにした。しかし、従
尾体量水量や船速変化に伴う波崩れ位置変化およ
来型船尾形状を使う限り船体振動軽減などの諸制
び波崩れ後方水面の計算結果は船尾水位計測結果
約条件のため、現状では推進器直径の上限は8m
と良く一致し、状態(C)の船尾水位計測結果と
前後になることも示した。さらに、最近のコンテ
も良く一致することを示した。つぎに、静止状態
ナ船に対する理想的な船型は、積付性能上は所要
の船尾前審水量が増えるに従い摩擦抵抗係数およ
の復原性能を有し、居住性能上は防振対策のたあ
び圧力抵抗係数が増えること、速度が増えるに従
に船体と推進器との十分な間隙の確保ができ、か
い摩擦抵抗係数は減少し状態(B)の速度範囲で
っ推進性能上は船尾形状による抵抗増加量を最小
は速度増加に伴い圧力抵抗係数は増すが、速度が
限にできると共に大直径推進器の装備が可能なこ
増し状態(C)に変化すると圧力抵抗係数が減少
とを同時に満足できる船型であり、従来型船尾形
することを計算により明らかにした。また、状態
状を用いる限りこれらを同時に満足することは不
(B)における波崩れ位置近傍の流場に逆流現象
可能であることを示した。
と渦度の生成および水頭損失があること、逆流現
第3章では、船体抵抗増加の原因となるトラン
象は船尾端近傍の流場の圧力勾配が大きくなると
サム船尾端後方の水面状態を詳細に観察して以下
生じることも明らかにした。さらに、船尾端直後
の点を明らかにした。まず、船尾水位計測と観測
流場の圧力勾配を表わす船尾端直後の水面斜角の
により最近のコンテナ船の船尾端後方水面は、ト
計算値を用いた状態(A)(B)(C)の判定法を
ランサム船尾端の幅が広いため船幅方向への変化
導いた。これらの結果を用いて、船尾形状設計の
が少ない2次元的形状であり、船尾端後方の水位
初期段階で、大きな船体抵抗増加を招かない静止
は船体中心線上で最も高くなり水面の乱れや波崩
状態の船尾端正水量を2次元RaNS方程式を用い
れが船体中心船上から起こることを明らかにした。
た計算から判定できる図表を得た。
また、船尾端後方の船体中心線上の水位計測から
第5章では、推進性能を大幅に向上するコンテ
船尾端後方の水面状態は(A)船尾端が死水領域
ナ船の船尾形状を提案した。まず前章までの研究
となる状態と(B)船尾端直後の水面は平滑であ
成果に基づいて、船尾端後方水面の乱れが少なく
るがその後方水面に波崩れが見られる状態および
船体抵抗の小さくできる共に推進器起振力を増大
( 127 )
平成9年4月25日
102号外第2号
させずに大直径推進器を装備できる推進器直上の
尾形状によっては船尾端に死水領域や波崩れが形
肋骨形状が凹型の新形式船尾形状を考案し設計し
成されることを見出し、また流体工学的考察から
た。この新形式船尾形状が優れていることを従来
これらが船尾端での流速分布や静止時の船尾端水
船尾形状との性能比較を行うことにより検証した。
位、船尾端形状等に起因し、さらに抵抗増加の要
まず、復原性能は従来型船尾形状と同等ないし大
因となることを示した。
傾斜角では優れていること、推進器起振力は従来
3)ナビエ・ストークス方程式に基づく流場計
型船尾形状と同等になることを示した。つぎに水
算を実施し、船尾端水面での波崩れの発生と船尾
槽試験により、船体抵抗が従来型船尾形状より小
形状の相関性から、上記の実験結果を説明できる
さくおお直径推進器の採用により推進効率が従来
ことを示した。
型船尾形状より高く、新形式船尾形状が設計通り
4)これらの検討結果を踏まえ、推進性能を大
推進馬力を6∼11%低減できる船型であることを
幅に向上する新形式の船尾形状を創出した。そし
明らかにした。さらに波浪中の運動性能および波
て模型船により水槽試験および理論計算により、
浪中抵抗増加量は、波長と船長比(λ/L)=1
本船型が従来型船型に比較して、運動性能と操縦
付近での僅かな差異を除いて従来型船尾形状と同
性能に関しては同程度であるものの、復原性能お
等であることを示した。また、大型コンテナ船が
よび推進性能で極めて優れていることを検証した。
実海域航行中にλ/L=1の波に遭遇する機会は
以上の諸成果は流体工学的観点から、新しいコ
稀であり、平水中推進性能が従来型船尾形状より
ンセプトに基づくコンテナ船の船尾形状の開発と
優れているため実海域推進性能も優れれているこ
その妥当性の検証を行ったものであり、船舶流体
とを示した。最後に、停泊時追い波により生じる
工学および海洋輸送工学の分野に貢献するところ
波浪衝撃は従来型船尾形状のものより小さく、操
大である。また、申請者が自立して研究活動を行
縦性能は従来型船尾形状のものと実用上皇がない
うのに必要な能力と学識を有することを証したも
ことも示した。最近のコンテナ船に要求される諸
のである。
性能を満たしかつ大幅な推進性能の向上が実現で
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
きる新形式船尾形状を開発し、模型試験によりそ
結果から、博士(工学)の学位を授与することを
の妥当性を検証した。
適当と認める。
第6章では本研究で得られた結果を総括した。
審…査委員
主査 教 授 姫 野 洋 司
2 学位論文審査結果の要旨
本論文は、コンテナ船の積載能力増大の要求に
応え、かっ復原性能と推進性能を維持するべく新
形式の船尾形状の開発を行い、併せて水槽実験と
理論・数値解析によりその流体工学的特性を明ら
かにしたもので、次のような成果を得ている。
1)最近のコンテナ船に要求される諸機能の分
析と線型設計上の要件の検討を行い、パナマ運河
の船幅制限を満たした上で、所要の復原性の確保
と、防振対策や推進性能確保のための大直径推進
器の装備を同時に満足することは、従来型の線型
と手法ではもはや限界に近いことを示した。
2)模型船を用いた水槽実験を行い、船尾後方
の水位および水面形状を詳細に計測した結果、船
( 128 )
教授細田龍介
教 授 奥 野 武 俊
教 授 李
貞 黙
韓国浦項科学技術大学
号外第2号 103
平成9年4月25日
困難な方法であったが、フーリエ変換法を採用す
大阪府立大学告示第41号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
ることによりその感度が飛躍的に増大した。コン
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
ピューターの発展とその高速化、低価格化にささ
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
えられたこの評価法の発展にはめざましいものが
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
ある。
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
一方、ラマン分光法はレーザー光源と高感度の
光電子増倍管の利用によってその地位を確立し、
要旨を次のとおり公表する。
赤外分光法を補完する評価法として近年ますます
:平成9年4月25日
その利用範囲が拡大されている。現在、標準的に
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
利用されているラマン分光装置の構成は、大出力
のアルゴン・レーザーと大型のダブルまたはトリ
コウ
ブン セイ
称号及び氏名 博士(工学) 黄
文 征
(学位規程第3条第1項該当者)
(中華人民共和国 1967年1月25日生)
論 文 名
Easy Raman Spectrometer Equipped with
プル分光器を組合せフォトン・カウンティング方
式の光電子増倍管を検出器としたものである。こ
の構成は、しかし、大型で高価であり広い作業空
間を必要とし、誰もが手軽に利用できるものとは
なっていない。
Crystal Filter and its ApPlication to
ラマン分光器の小型化と低価格化の実現は、強
Resonant Raman Spectroscopy of
いレイレイ散乱光を効率良く減衰除去させラマン
Chalcopyrite Compounds
散乱光のみを減衰させずに透過させるような狭帯
(結晶フィルターを用いた簡易ラマン分光器の試
域の除去フィルターの開発にかかっている。良い
作とカルコパイライト化合物の共鳴ラマン分光)
フィルターが開発されれば、小型で低価格のシン
グル分光器を利用できるので装置を著しくコンパ
1 論文内容の要旨
クトにできることになる。
一般に物質の評価の方法は大きく2種類にわけ
このようなフィルターの候補として、これまで
られる。その1っは、物質を構成する成分元素の
に提案されてきたものには、ヨー素の鋭い吸収帯
量または性質を測定する評価法であり、この方法
を利用したヨー素フィルター、直径のそろったポ
では試料物質を構成する元素成分がどのような様
リエチレン球のコロイド体での光回折を利用した
式で結合していてその結果として試料物質自身が
コロイド・フィルター、色素の会合体の吸収を利
どのような性質をもっかを評価することはできな
用した会合体フィルターなどがあるが、いずれも
い。原子吸光分析や蛍光X線分析などがその代表
波長が限定されたり動作が不安定であったりして
的なものである。
実用に耐えうるものとはならなかった。
もう1っの評価法は、物質の化学結合の様式や
本論文は、カルコパイライト化合物結晶の光学
原子や分子の相互の秩序的な配列などのその物質
的異方性を巧みに利用した結晶フィルターをラマ
固有の性質を測定できる方法であり、一般に、前
ン分光のためのフィルターとして用いることを提
述の元素に還元する評価法によって同じ結果が得
案し、これを小型の分光器と組合せてコンパクト
られる場合でもこの方法ではその試料物質の完全
な簡易ラマン分光装置を構成し、その動作特性を
性の程度を反映するさまざまな結果を導くことに
評価すること、およびこの装置を用いてカルコパ
なる。
イライト化合物のラマン散乱分光の測定を行うこ
純光学的な評価法として後者に属する方法には、
とを目的とするものであり、(1)結晶フィルター
赤外分光法とラマン分光法がある。赤外分光法は
を用いた簡易ラマン分光装置の構成、(2)結晶
光検出器の多くは赤外波長域で感度が低いために
フィルターの動作原理とその帯域幅の改善、(3)
( 129 )
平成9年4月25日
104 号外第2号
カルコパイライト化合物の結晶面を切り出すため
をもつX線回折装置よっても10時間程度を要する
の純光学的格子面決定法の提案、(4)簡易ラマ
結晶面の決定をX線を用いない純光学的な方法で
ン分光装置を用いたカルコパイライト化合物の共
切断と測定を手順に従って行うだけで数時間以内
鳴ラマン散乱の測定、の各研究段階をそれぞれ、
に(001)面の切り出しを完了できることを確認し
第2章から第5章にとりまとめ、これに序章と結
た。この方法は、結晶フィルターを作製するため
論を加えた構成としてまとめたものである。以下
にも、カルコパイライト化合物結晶の吸収・発光
に章章の概要と結果を述べる。
およびラマン散乱分光を偏光を用いて行う場合に
第1章は本論文の緒言であり、本研究の背景、
目的、内容について述べている。
第2章では、AgGaS2結晶フィルターと小型の
も必要となる結晶面を切り出すのに簡便な方法を
与えるものであり、カルコパイライト化合物以外
の異方性結晶にも応用可能である。
アルゴン・レーザーまたは色素レーザーとの組合
第5章では、第2章で構成した簡易ラマン分光
せによる簡易ラマンが分光器、および、AgGaSe
装置を用いて、第4章の方法をも取り入れて結晶
結晶フィルターとレーザー・ダイオードを励起光
面を切り出したCuGaS2およびAgGaSe、の2種
源とする簡易ラマン分光器を構成し、それぞれの
類のカルコパイライト化合物結晶での低温におい
結晶フィルターの動作特性を評価するとともに、
ての共鳴ラマン散乱の測定を行った。この測定は、
標準的な試料のラマン散乱測定を行って装置の性
簡易ラマン分光装置の性能を標準的な試料ではな
能評価を行った。それぞれの結晶フィルターの単
く研究現場の試料について応用したものである。
独での除去率、帯域幅に加えて、これらをカスケー
結晶性物質での共鳴ラマン散乱は、格子系と電子
ド接続した2段のフィルターの構成結果をも検討
系の相互作用を直接的に観察できる手法であり、
した。レーザー・ダイオードをラマン散乱の励起
通常のラマン散乱よりも多くの情報が得られる。
光源として利用できることも確認した。この結果、
また、共鳴ラマン散乱の信号強度は通常のラマン
装置全体の容積を1㎡以下にまとめた小型のラマ
散乱の信号強度よりも3桁程度増強されることが
ン分光装置によって、従来の大型の装置に匹敵す
わかった。励起光源の波長を変えて共鳴ラマン散
る性能を確かめた。
乱を測定することにより、ルミネセンスとラマン
第3章では、第2章で用いた結晶フィルターの
散乱との相互関係を実験的に検証することができ、
原理をより詳しく述べ、カルコパイライト化合物
A1モードといくつかのE(L)モードが通常のラ
特有の光学的異方性、すなわち、複屈折が縮退し
マン・テンソルによる選択則を破って、猛烈に励
て光学的に等方性を示す特定の波長が存在するこ
起されることも判明し、これらのモードの組み合
と、この波長において旋光性が消失しないこと、
わせによる多モード・フォノンのピークをはじめ
の2点にもとずいた解析を行った。この解析にも
て多数観測することができた。
とづいて、AgGaS 2結晶フィルターにおいて、結
晶方位とその厚さを適当に調整することにより、
第6章では、本論文で得られた成果を簡単に列
挙してまとめとした。
0.3nmというこれまでに最も狭い帯域幅をもつフィ
ルターを実現した。この結果は現在市販されてい
2 学位論文審査結果の要旨
るホログラフィック・フィルターの帯域幅の30分
本論文は、すぐれた物性評価の方法として近年
の!であり、その除去率も同程度の10−4を示した。
多くの分野に利用されつつあるラマン分光装置の
第4章では、異方性をもつカルコパイライト化
簡易化、小型化、低価格化を目的として行った研
合物結晶などの単結晶の特定の面方位を決定し切
究をまとめたものであり、カルコパイライト化合
り出す純光学的な新しい方法を提案し、実際に
物の複屈折の縮退と旋光性を巧みに利用した結晶
AgGaS2単結晶の(001)を切り出した結果を示し
フィルターを組み込んだ簡易ラマン分光装置を提
た。コンピューターを搭載した4軸ゴニオメーター
案試作しカルコパイライト化合物の共鳴ラマン分
( 130 )
号外第2号105
平成9年4月25日
光を測定することによりその実用的な性能を評価
ン分光装置を誰もが手軽に利用できる小型かつ低
したものである。この研究により次のような成果
価格にするための技術的ブレークスルーを与える
が得られている。
ものであり、電子物理工学および光物理工学の発
(1)AgGaS2およびAgGaSe2結晶フィルター
展に寄与するところ大である。また、申請者が自
の中心波長は室温でそれぞれ497nmおよび811nm
立して研究活動を行うに十分な能力と学識を有す
にある。前者と496.5nmのアルゴンレーザーおよ
ることを証したものである。
び色素レーザーとの組み合わせ、後者と810nm発
本委員会は、本論文の審査および最終試験の結
振波長域のダイオードレーザーとの組み合わせに
果から、博士(工学)の学位を授与することを適
よって簡易ラマン分光装置を試作し、その性能試
当と認める。
験を標準的な試料を用いて行っている。実用的な
審査委員
フィルターのレイレイ散乱光の除去率、10−4およ
主査 教 授 山 本 信 行
び帯域輻、3nmを実現し、総容積、1㎡程度の
教 授 奥 田 喜 一
小型のラマン分光装置を実現している。
教 授 村 田 顕 二
(2)複屈折と旋光性の結晶方位依存性を解析す
ることにより、除去率を低下させることなしに
AgGaS2結晶フィルターにおいてO.3nmの超狭帯
大阪府立大学告示第42号
域を実現している。これにより、市販のホログラ
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
フィック・フィルターの7nm程度の帯域幅を著
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
しく超越し、原理上、15cm−i程度のラマンシフト
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
のスペクトルまで測定が可能となった。
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
(3)異方性のある結晶での光学遷移の測定やラ
マン散乱の測定では面方位を正確に切り出した単
結晶を試料として偏光を用いた測定を行う必要が
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
ある。このための単結晶の面方位の決定はもっぱ
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
らX線回折法によってきたが、カルコパイライト
化合物の吸収端に見られる二色性を利用すること
により、X線を使わせない純光学的な方法を新し
むら
た たた ひご
称号及び氏名博士(工学)村田忠彦
く提案し、実際にAgGaS、についてこの方法で迅
(学位規程第3条第1項該当者)
速かっ簡単にその(00!)面を切り出してその有
(大阪府 昭和46年7月21日生)
用性を証明している。
(4)前述の簡易ラマン分光装置を用い、
CuGaS2とAgGaSe2の2種のカルコパイライト
論 文 名
GENETIC ALGORITHMS FOR
化合物について、共鳴ラマン散乱とミルネセンス
MULTI−OBJECTIVE OPTIMIZATION
を測定している。自由励起子を中間状態とする出
(多目的最適化のための遺伝的アルゴリズム)
射光共鳴や不純物準位を中間状態とする入射光共
鳴が顕著に観察され、極性のないAlフォノンモー
1 論文内容の要旨
ドと極性のあるE(L)モードすなわち縦型光学フォ
工学、経済学、社会学など様々な分野の研究者
ノンモードのすべてを観測し、さらに、これらの
が、それぞれの最適化問題を解くために効果的な
組み合わせによる4フォノンまでのマルチフォノ
解法を必要としている。対象となる問題の現実的
ンを初めて同定している。
な状況を考慮するほど、取り扱う最適化問題のモ
以上の諸結果は、現在、大型かっ高価格なラマ
デル化は困難になり、計算量の複雑さは増すこと
( 131 )
平成9年4月25日
106号外第2号
になる。そのような問題の複雑化には、目的の複
張を検討した。多目的化問題への拡張を行う場合、
数化やデータの高次元などが考えられる。多目的
スケジューリング問題に対しては、総処理時間最
問題や高次元の最適化問題を解くために、数多く
小化、総滞留時間最小化および納期遅れ最小化を
の探索手法や最適化手法が提案されている。その
目的関数として用いた。また、識別システム構築
ような探索手法の一つに、遺伝的アルゴリズムが
問題に対しては、識別システムを構成するルール
挙げられる。遺伝的アルゴリズムは、自然界での
数最小化と学習用データの正答数最大化という2
遺伝情報の伝播・継承の現象を模倣するアルゴリ
っの目的を考慮した。このとき、学習用データか
ズムとして!970年掛に提案されて以来、数多くの
ら意思決定者が言語的な知識を獲得するために、
最適化問題への適用が試みられている。数学的な
言語的識別ルールを用いた識別システムの構築を
解析が困難な最適化問題に対しても、遺伝的アル
行った。提案した多目的最:適化問題のための遺伝
ゴリズムにより優れた結果が得られることが報告
的アルゴリズムにより、スケジューリング問題お
されている。探索手法としての遺伝的アルゴリズ
よび識別システム構築問題に対して非劣解集合を
ムは、(1確率探索法、(2)多点探索法、(3)直接探索
生成した。
法、(4)並列探索法という特徴を持っている。遺伝
本論文は、7章から構成され、各藩の概要をま
的アルゴリズムの拡張や高速化が、このような特
とめると以下のようになる。
徴を考慮して、様々な方向から行われている。
第1章では、序論として、本研究の意義および
本論文では、遺伝的アルゴリズムの探索能力を
目的を明らかにした。
改善するために、他の手法とのハイブリッド化を
第2章では、遺伝的アルゴリズムを構成するた
試みている。単純な遺伝的アルゴリズムの性能は
あの様々な遺伝的操作について詳述し、多目的最
他の探索手法と比較して、やや劣っていることが
適化問題への遺伝的アルゴリズムの拡張を提案し
しばしば指摘されている。これは遺伝的アルゴリ
た。まず、0と1で構成される2値の文字列が遺
ズムの局所探索能力が十分でないことに原因があ
伝的アルゴリズムの個体として取り扱われる場合
ると考えられる。局所探索法やシミュレーティッ
と複数の要素からなる文字順列が個体として取り
ド・アニーリング法と遺伝的アルゴリズムとのハ
扱われる場合とで、遺伝的操作が異なることを説
イブリッド化を行うことにより、遺伝的アルゴリ
明した。次に、多目的最適化問題に遺伝的アルゴ
ズムのもつ大域探索の能力に局所探索の能力を加
リズムを適用するための遺伝的操作の拡張を提案
えることができる。また、本論文では、遺伝的ア
した。具体的には、様々な目的関数を重視した探
ルゴリズムを多目的最適化問題に適用するために、
索を可能にする選択操作とアルゴリズム実行中に
遺伝的操作の拡張を試みている。遺伝的アルゴリ
得られた非劣解集合を保存するエリート保存戦略
ズムのもつ多点探索の特徴を活用することにより、
を提案した。さらに、2目的最適化問題を数値例
多目的最適化問題に対して非劣解集合を探索する
を用いて、提案手法により毎次の非劣解集合を探
遺伝的アルゴリズムを構築することができる。さ
索できることを示した。
らに、単一目的の場合と同様に、局所探索の能力
第3章では、単一目的のフローショップ・スケ
を高めるために、局所探索法を導入したハイブリッ
ジューリング問題を取り扱っている。単純な遺伝
ド・アルゴリズムを構築することができる。この
的アルゴリズムの性能が他の探索手法と比較して
アルゴリズムによって、多目的最適化問題の優れ
やや劣っていることが多いため、遺伝的アルゴリ
た非劣解集合を探索できる。
ズムの性能を向上させることが必要となっている。
上記のような方向で、スケジューリング問題と
本章では、遺伝的アルゴリズムのハイブリッド化
識別システム構築問題に対して遺伝的アルゴリズ
を試み、探索性能を向上させた。まず、遺伝的ア
ムの適用を行い、局所探索能力を補うハイブリッ
ルゴリズムを構成するための交叉操作や突然変異
ド化および多目的最適化問題への遺伝的操作の拡
操作を調べた。数値実験により、それぞれの操作
( 132 )
号外第2号107
平成9年4月25日
を単独に用いた場合に高性能な操作を組み合わせ
第5章では、識別システム構築問題に対して、
ても、必ずしも高性能な遺伝的アルゴリズムが構
遺伝的アルゴリズムを適用する方法を提案した。
成されないことを示した。次に、遺伝的アルゴリ
まず、ルール数最小化と正答数最大化の2つの目
ズムを局所探索法、シミュレーティッド・アニー
的関数をスカラー化し、単一目的の遺伝的アルゴ
リング法、タブーサーチ法と比較した。数値実験
リズムを適用した。少数のルールで構成される高
により、遺伝的アルゴリズムが他に探索手法より、
性能な識別システムを構築することにより、意思
わずかに劣っていることが示された。これは、遺
決定者は学習用パターンから知識を獲得すること
伝的アルゴリズムにおいて局所探索が十分になさ
ができる。さらに、識別システムは言語的識別ルー
れていないことが原因であると考えられる。した
ルにより構成されているので、意思決定者が理解
がって、遺伝的アルゴリズムの探索能力を向上さ
しやすい識別システムを構築することが可能であ
せるため、2っのハイブリッド・アルゴリズムを
る。次に、識別システムの性能を向上させるため、
提案した。一つは、単純な局所探索法を遺伝的ア
言語的識別ルールの学習アルゴリズムを遺伝的ア
ルゴリズムに組み込んだ遺伝的局所探索法であり、
ルゴリズムに組み込み、ハイブリッド・アルゴリ
もう一つは、シミュレーティッド・アニーリング
ズムを構成した。さらに、数値実験により、提案
法を組み込んだ遺伝的シミュレーティッド・アニー
したハイブリッド・アルゴリズムの有効性を示し
リング法である。これらのハイブリッド化により
た。
遺伝的アルゴリズムの探索性能を向上させること
第6章では、多目的最適化の観点から識別シス
ができた。さらに、ハイブリッド・アルゴリズム
テム構築問題を取り扱った。すなわち、ルール数
の性能を向上させるため、局所探索法やシミュレー
最小化と正答数最大化の2っの目的の最適化の観
ティッド・アニーリング法の改良を行った。遺伝
点から識別システム構築問題を取り扱った。まず、
的アルゴリズムの性能は、一般に交叉確率などの
提案した多目的最適化のための遺伝的アルゴリズ
パラメータ設定に大きく依存するが、提案したハ
ムを適用し、複数の識別システムを非劣解として
イブリッド・アルゴリズムの性能は、パラメータ
生成した。ルール数の少ない識別システムは、正
設定にほとんど依存しないことを数値実験により
答数最大化の点でルール数の多い識別システムに
示した。
は劣るが、意思決定者が学習用パターンからの知
第4章では、複数の目的をもつフローショップ・
識を獲得することが容易である。一方、ルール数
スケジューリング問題に、遺伝的アルゴリズムを
の多い識別システムは、意思決定者が知識を獲得
適用した。一般に多目的フローショップ・スケジュー
することは困難になるが、より多くの学習用パター
リング問題は非凸の非劣解集合をもっことが知ら
ンを正しく識別することができる。構築された複
れている。そのような問題に対しても、提案され
数の識別システムから、意思決定者は、一つの識
た多目的最適化問題のための遺伝的アルゴリズム
別システムを選択することができる。第5章と同
により非劣解集合が探索できることを示した。提
様に、言語的識別ルールの学習アルゴリズムを遺
案された遺伝的操作を用いる場合と用いない場合
伝的アルゴリズムに組み込み、多目的最適化問題
とで、得られる非劣解集合がどのように異なるか
のためのハイブリッド・アルゴリズムを構成した。
を示すことにより、提案手法の有効性を明らかに
このようなハイブリッド・アルゴリズムにより非
した。次に、第3章と同様に、遺伝的アルゴリズ
劣解集合を構成する識別システムの性能を向上で
ムの局所探索能力を改善するためのハイブリッド
きることを示した。さらに、高次元の識別問題に
化を試みた。複数の目的関数を考慮に入れた局所
遺伝的アルゴリズムを適用する方法を提案し、13
探索法を遺伝的アルゴリズムに組み込んだ遺伝的
次元パターン識別問題に適用した。提案手法を用
局所探索法を提案し、有効性を数値実験により示
いることにより、高次元の学習用データに対して
した。
も、遺伝的アルゴリズムが適用可能になり、複数
( 133 )
平成9年4月25日
108号外第2号
の識別システムを非劣解として得ることができた。
ゴリズムにより、非劣解集合を構成する識別シス
第7章では、本研究の全般的な総括を行い、得
テムの性能を向上できることを示している。さら
られた成果を要約した。
に、高次元のパターン識別問題を扱う方法につい
ても提案し、その有効性を明らかにしている。
2 学位論文審査結果の要旨
以上の成果は、提案されたアルゴリズムが複数
本論文は、遺伝的アルゴリズムの局所探索能力
の目的を考慮する必要のある組合せ最適化問題に
を補うハイブリッド化および多目的最適化問題へ
適用司能なアルゴリズムとして有効であることを
の遺伝的操作の拡張による遺伝的アルゴリズムを
示唆したものであり、経営工学分野に貢献すると
提案し、この手法をスケジューリング問題と識別
ころ大である。また、申請者が自立して研究活動
システム構築問題に適用し、その適応性と有効性
を行うに必要な能力と学識を有することを証した
とを検証した結果をまとめたものであり、次のよ
ものである。
うな成果を得ている。
1)遺伝的アルゴリズムの局所探索能力を補う
ハイブリッド・アルゴリズムをスケジューリング
問題に適用することにより、探索性能を向上でき
本委員会は、本論文の審査ならびに最終試験の
結果から、博士(工学)の学位を授与することを
適当と認める。
審査委員
主査教授田中英夫
たことを示している。また、ハイブリッド・アル
ゴリズムにおいて、局所探索と大域探索のバラン
副査 教 授 長 澤 啓 行
副査教授市橋秀友
スを取るための改善を行い、その有効性を示して
いる。提案されたハイブリッド化により、遺伝的
アルゴリズムの性能のパラメータ設定への依存が
軽減されることについても示している。
2) 拡張された遺伝的操作を用いた遺伝的ア
大阪府立大学告示第43号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
ルゴリズムを多目的スケジューリング問題に適用
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
することにより、優れた非劣解集合を探索できる
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
ことを示している。また、多目的最適化問題のた
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
めの遺伝的アルゴリズムの局所探索能力を改善す
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
るためのハイブリッド化手法を提案し、その有効
要旨を次のとおり公表する。
性を明らかにしている。
平成9年4月25日
3)ルール数最小化と学習用データの正答数最
大化の2っの目的をもつ識別システム構築問題に
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
対して、ルールの学習アルゴリズムを組み込んだ
ハイブリッド・アルゴリズムを提案し、その有効
ふし
た
なお
こ
称号及び氏名 博士(農学) 藤 田 直 子
性を示している。少数の言語的識別ルールで構成
(学位規程第3条第1項該当者)
される高性能な識別システムを構築することによ
(滋賀県 昭和44年3月9日生)
り、意思決定者が理解しやすい知識を学習用パター
ンから獲得できることを示している。
4)多目的最適化問題のための遺伝的アルゴリ
ズムを2目的の識別システム構築問題に適用する
論 文 名
コムギ属植物における結合型デンプン
合成酵素の遺伝学的研究
ことにより、複数の識別システムを非劣解として
生成できることを示している。また、ルールの学
習アルゴリズムを組み込んだハイブリッド・アル
( 134 )
1 論文内容の要旨
デンプンは、植物が生産する貯蔵多糖であり、
号外第2号109
平成9年4月25日
アミロースとアミロペクチンで構成されている。
られる。
貯蔵デンプンの合成には多くの酵素が関与してお
本研究の目的は、Wx遺伝子の一次構造および
り、大別すると可溶型とデンプン粒結合型に分け
機能を指標にすることによって、コムギ属植物に
られる。その中で遺伝学的な研究が比較的進んで
おける倍数性の特性を解析すること、および二倍
いるのは、胚乳で産生される結合型デンプン合成
体コムギにおけるアミロース合成に関与する酵素
酵素(Wxタンパク)についてであり、 Wxタン
を解析することである。そこで、第!章では、こ
パクは、ゲノム当り1遺伝子座のwαx:y(Wx)
れらの基礎的な研究を進めるにあたって必要不可
遺伝子にコードされていることが明らかになって
欠であるにもかかわらず、これまで存在しなかっ
いる。この遺伝子が劣勢ホモであるトウモロコシ
た二倍体コムギのωκ突然変異体の作出を行い、
やイネのωx突然変異体には、胚乳デンプンにア
その変異体のWx遺伝子の性質を明らかにした。
ミロースを含まないモチ性を示し、分子量約
第2章では、イネ科植物におけるWx遺伝子の一
60kDaのWxタンパクを欠失している。従って、
次構造の保存性を明らかにし、コムギ属植物にお
Wxタンパクは胚乳におけるアミロース合成酵素
ける倍数体の系統発生を新たな方法で解析するた
であると考えられている。(Tsai 1973, Sano
め、Wooタンパクの一次構造の比較から倍数性コ
1984)。一方、トウモロコシのwx突然変異体は、
ムギの祖先種の同定を試みた。第3章では、倍数
種子の発達過程において果皮や胚には一時的にア
性の生理的特性を調べるため、Wx遺伝子の発現
ミロースを含むデンプンを貯蔵する。これはWx
産物であるWxタンパクの量、その酵素活性およ
タンパクとは別のアミn一ス合成に関与する酵素
びアミロース含量を指標として、コムギの倍数化
が果皮などの組織に局在することを示唆している。
に伴うWx遺伝子の量的効果について検討した。
(Nelson and Tsai 1964)o
第4章では、wx突然変異体を用い、二倍体コム
栽培コムギは異種ゲノムから構成される倍数性
ギにおける胚乳以外の組織、即ち、未熟種子の果
の植物であり、そのなかに異質四倍体のマカロニ
皮、糊粉層および胚に局在する第二のアミロース
コムギと異質六倍体のパンコムギがある。異質四
合成酵素について解析した。
倍体(AABBゲノム)は、祖先種となる二倍体
第1章二倍体コムギにおけるWx遺伝子の遺伝
が自然交雑して成立し、異質六倍体(AABBD
学的性質
Dゲノム)は、異質四倍体にDゲノムをもつ祖先
二倍体コムギTriticunz monococcumの種子を
種の二倍体が自然交雑して成立したと考えられて
1%EMSで処理し、ωκ突然変異体を作出した。
いる(Kimber 1973)。倍数体コムギの各ゲノム
検定交雑の結果、この変異体はWx形質に関して
の祖先種を同定する研究が細胞遺伝学、生化学お
1遺伝子の支配を受けており、また、植物体およ
よび分子生物学的手法によって行われており、そ
び種子の形態は正常個体とほぼ同一であった。イ
の結果、パンコムギを構成するDゲノムの祖先種
ソアミラーゼを用いたデンプンの枝切り法によっ
は同定されたが、AゲノムおよびBゲノムに関し
て測定した胚乳デンプンのアミロース含量は0%
ては、いくつかの祖先種(二倍体種)が候補とし
であり、結合型デンプン合成酵素の活性を示さな
て挙げられているが、まだ決定されてはいない
かった。デンプンに結合したタンパクのSDS−PA
(Kurdy and Kuspira 1987)。倍数体である栽
GEから、変異体は分子量59.5kDaのタンパクを
培コムギは、二倍体に比べて生理的機能の向上お
持出していた。これらの結果から、二倍体コムギ
よび収量の増大などの特性を発現する。その特性
のωx突然変異体は、トウモロコシやイネのωx突
を解析するためには、.遺伝学的背景が明確で、保
然変異体と同様の特性を示しており、Wxタンパ
存性の高い特定の遺伝子、即ち、Wx遺伝子など
クである分子量59.5kDaのタンパクが、胚乳にお
を指標にして、倍数化による遺伝子数の増加とそ
けるアミロース合成酵素であることが証明された。
の生理学高機能の変化を調べることが有効と考え
第2章Wxタンパクの一次構造を指標とした倍
( 135 )
平成9年4月25日
110号外第2号
数体コムギの系統発生学的研究
Wx遺伝子数に比例していることが明らかになっ
二倍体コムギがもつWxタンパクの抗体を用い、
た。一方、酵素活性およびアミロース含量は、
トウモロコシ、イネ、オオムギ、ライムギおよび
Wx遺伝子の増加に伴って増加したが、比例関係
Aegilops(栽培コムギの二倍体祖先種)のWxタ
にはなく、翻訳後の要因などが関与していると推
ンパクを同定した。WxタンパクのN末端から17
定される。
残基目までのアミノ酸配列に基づく二倍体コムギ
次に、倍数化に伴うWx遺伝子のWxタンパク
とそれらの植物間の相同性は、トウモロコシでは
量、結合型デンプン合成酵素の活性およびアミロー
71%、イネでは82%、オオムギでは94%、ライム
ス含量に対する量的効果を調べた。Aegilopsお
ギとAegilopsでは100%であり、イネ科のWx遺
よびライムギの同質四倍体においては、Wx遺伝
伝子は保存性が高いことを示した。また、アミノ
子数の増加によって細胞あたりのWxタンパク量
酸配列および二倍体コムギの抗体反応の強弱の結
および酵素活性は、やや抑制されていた。一方、
果から、イネ科のWxタンパクはトウモロコシ、
異種ゲノムが共存した異質四倍体および異質六倍
イネグループとオオムギ、ライムギ、Aegilops
体コムギでは、細胞あたりのWxタンパク量およ
および二倍体コムギのムギ類グループの2つに区
び酵素活性は、ともに相乗効果を示した。また、
分され、植物形態やrRNAの塩基配列を基準にし
アミロース含量においては、倍数性によるWx遺
て行われたイネ科の区分と一致した。
伝子数の増加に伴う量的効果はみられなかった。
異質四倍体と異質六倍体コムギのSDS−PAGE
デンプンの中のアミロース含量は、アミロース合
によるWxタンパクは、それぞれ分子量が異なる
成とアミロペクチン合成とのバランスで決定され
2本および3本のバンドを示し、染色体置換系統
ると考えられるため、二倍体でWx遺伝子数のみ
用いて各ゲノムのWり。タンパクを同定することが
を増加させた場合とは異なり、他の遺伝子の数も
できた。分子量の差を利用して、倍数体コムギの
増加する倍数体においてはWり。遺伝子数の増加が
各ゲノムのWxタンパクを精製し、 N末端領域お
アミロース含量の増加を決定するものではないと
よびV8プロテアーゼによる部分分解断片のアミ
推察される。
ノ酸配列(Wxタンパク全体の約10%)を決定し
第4章第二のアミロース合成酵素である
た。倍数体を祖先種族候補の二倍体種と比較した
56kDaタンパク
ところ、それらの間に5ケ所のアミノ酸残基の置
未熟種子において一時的にデンプンが貯蔵され
換がみられ、倍数体のAゲノムと同一の配列を示
る組織には、Wooタンパク以外のアミロース合成
した種は、AゲノムではT. rnonococcum, Bゲ
酵素の存在が示唆されていたことから、二倍体コ
ノムではAegilops属のAegilops seαrsii, Dゲノ
ムギのωx突然変異体の未熟種子を果皮、講談層、
ムでlaAe. squαrrosαであった。
胚乳、胚に分割し、各組織に局在するデンプンの
解析を行った。胚乳以外の果皮、四国層、胚のデ
第3章 Wx遺伝子のWxタンパク量、結合型
ンプンにはアミロースの存在が確認された。開花
デンプン合成酵素の活性およびアミロー
後5日目、10日目の果皮と糊粉層、また、開花後
ス含量に対する量的効果
25日目の胚から精製したデンプンの結合型デンプ
二倍体におけるWx遺伝子数の生理的な効果を
ン合成酵素の活性は高く、また、SDS−PAGEに
調べるため、二倍体コムギとそのωり。突然変異体
よって、分子量56kDaのタンパクが検出された。
およびそれらの交雑によって、胚乳において優性
この56kDaのタンパクはWxタンパクに対する抗
のWx遺伝子数が0、1、2、3をもつ植物を作
体に反応し、56kDaタンパクのN末端から18残基
出し、そのWxタンパク量、結合型デンプン合成
までのアミノ酸配列はWxタンパクと44%の相同
酸素の活性およびアミロース含量を測定した。二
性を示した。これらの結果は、Wxタンパク(分
倍体コムギでは、細胞あたりのWxタンパク量は
子量59.5kDa)とは異なるタンパク (分子量
( 136 )
平成9年4月25日
号外第2号 111
56.OkDa)が果皮、糊粉層および胚に局在し、ア
ら、倍数性に関わる研究は遺伝・育種学分野にお
ミロース合成を触媒する酵素であることを強く示
いて重要な位置を占めてきた。中でもゲノム説が
唆する。
初めて導入されたコムギ属植物について倍数性遺
まとめ
伝や育種の研究は多い。しかし、異質四倍体マカ
本研究で作出したwx突然変異体は、二倍体コ
ロニコムギや異質六倍体パンコムギの祖先種の同
ムギにおいては世界初のものであり、貯蔵器官で
定は未だ仮設の段階にあり、また、コムギ育種に
ある胚乳のデンプンにおけるアミロース合成はコ
おけるゲノム倍加効果の検証にも乏しい。
ムギ属植物においてもWxタンパクが行っている
コムギ育種の効率化を図る上で、倍数体コムギ
ことが明らかになった。またωx突然変異体の解
の祖先種を同定し、ゲノム倍加に対する遺伝子の
析によって未熟種子の果皮、糊粉層および胚に一
効果を調査する等はきわめて重要であることから、
時的に貯蔵されるデンプンのアミロース合成は、
本論文は課題解決に必須の遺伝資源として二倍体
56kDaタンパクが行っていることが強く示唆され
コムギのWaxy突然変異体を作出し、そのWaxy
たQ56kDaタンパクはその一次構造がWxタンパ
遺伝子の特性を調査した。また、Waxy遺伝子の
クと類似しており、両酵素が組織特異性をもって
一次構造等の調査と利用により倍数体コムギの祖
アミロース合成を行っていると考えられる。今後、
先種の同定を試みるとともに、コムギの倍数化に
56kDaタンパクをコードする遺伝子を同定し、各
伴うWaxy遺伝子の量的効果について検討した。
器官、組織での発現制御に関する解析が重要であ
さらに、作出Waxy変異体のデンプンの調査から
ると考察される。
胚乳以外の組織、未熟種子の果皮等に局在する第
Wx遺伝子はイネ科植物において保存性が高い
二のアミロース合成酵素を解析したものである。
ことが本研究からも明らかとなり、倍数体コムギ
得られた成果を要約すると次のとおりである。
の各ゲノムと祖先種候補である二倍体種のWxタ
第1章では、二倍体コムギの種子のEMS処理
ンパクのアミノ酸配列を比較することによって、
によってWaxy突然変異体を世界で初めて作出し、
各ゲノムの祖先種を暫定的に同定することができ
その解析を行った。その結果、得られたWaxy突
た。これらの結果は、 Wx遺伝子の一次構造の
然変異体は、1遺伝子のWaxy遺伝子に支配され
比較がコムギの系統発生に有効な方法を与えるこ
ており、胚乳デンプンは結合型デンプン合成酵素
とを示唆し、同時に保存性の高い遺伝子あるいは
の活性、Waxyタンパクおよびアミロースを欠失
タンパクの一次構造の比較が、今後行われるであ
していた。このことから、コムギ属植物において
ろう祖先種の同定に有効なモデルとなることを示
も、すでに知られているトウモロコシやイネと同
唆する。
様、Waxyタンパクが、胚乳におけるアミロース
倍数体コムギでは、各ゲノムのWx遺伝子は相
合成酵素であることが証明された。
加的に発現し、それぞれ分子量およびアミノ酸配
第2章では、Waxyタンパクの一次構造を指標
列の異なるWxタンパクを産生していた。また、
とした倍数体コムギの系統発生学研究を行った。
異種ゲノムをもつ異質倍数体では、倍数化による
禾穀類のWaxyタンパクのアミノ酸配列の解析を
Wx遺伝子数の増加、 Wxタンパク量に対して相
行ったところ、トウモロコシ、イネ、オオムギ、
乗効果を示した。このことは、異種ゲノムの共存
ライムギ、Aegilopsおよび二倍体コムギのWaxy
による制御効果は生じず、むしろWり。遺伝子の発
タンパクには適度な変異が存在し、かつ、保存性
現が促進されるようなトランス効果を含めた特異
が高いことから、コムギの系統発生の分子マーカー
的な機構を獲得したことを示唆する。
に適していることを明らかにした。次に、倍数体
コムギのWaxyタンパクの一次構造を祖先種候補
2 学位論文審査結果の要旨
栽培作物には倍数性植物が多く含まれることか
のものと比較することで、祖先種の同定を試みた。
異質四倍体と異質六倍体コムギのSDS−PAGEに
( 137 )
112号外第2号
平成9年4月25日
よるWaxyタンパクは、それぞれ分子サイズが異
このように、本論文は、ゴムギ倍数体育種に必
なる2本および3本のバンドを示し、染色体置換
要な倍数体コムギ祖先種の同定、ゲノム倍加に対
系統を用いて各ゲノムのWaxyタンパクを同定し
する遺伝子効果、第二のアミロース合成酵素の特
た。また、Waxyタンパク全体の約10%のアミノ
定等の知見を提供するものである。また、本研究
酸配列を決定し、この範囲内で検出できた5ケ所
の祖先種同定手法は同種の課題をもつ倍数体作物
のアミノ酸の置換によって、倍数体の祖先種はA
の研究モデルになるものであり、さらに、第二の
ゲノムがT. monocoocunz, BゲノムがAegi!ops
アミロース合成酵素の特定は他植物種を含めて世
属のAe. searsii, DゲノムがAe. squarrosaと暫
界初の発見であり、高く評価される。
定的に決定した。
以上、本研究で得られた知見は遺伝・育種学分
第3章では、倍数化に伴うWaxy遺伝子数の
野の発展に大きく貢献するものであり、最終試験
Waxyタンパク量、結合型デンプン合成酵素の活
の結果と併せて博士(農学)の学位を授与するこ
性およびアミロース含量に対する量的効果を調べ
とを適当と認める。
た。同質四倍体においては、Waxy遺伝子数の増
審査委員
主査教授樽本 勲
副査教授原田二郎
副査教授高橋正昭
加によって細胞あたりのWaxyタンパク量および
酵素活性はやや抑制されていたが、異質四倍体で
は抑制はみられなかった。異質倍数体の中で、
DDRRゲノムを持つ異質四倍体では相加効果を
副査 助教授 平
知 明
示し、AABBおよびAABBDDゲノムをもつ異質
倍数体は相乗効果を示した。このことから、異質
倍数体では、ゲムノの組み合わせがWaxy遺伝子
大阪府立大学告示第44号
の発現に影響を与えていることが示唆された。一
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
方、アミノロース含量においては、倍数性による
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
Waxy遺伝子数の増加に伴う量的効果はみられず、
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
他の遺伝子数も増加する倍数体においてはWaxy
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
遺伝子数が増加してもそれだけでアミロース含量
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
の増加が決定されるものではないと推察された。
要旨を次のとおり公表する。
第4章では、トウモロコシやイネで胚乳以外の
平成9年4月25日
組織においてWaxyタンパク以外のアミロース合
成酵素の存在が示唆されていたことから、二倍体
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
コムギのWaxy突然変異体の未熟種子を果皮、糊
粉層、胚乳、胚に分離し、各組織に局在するデン
ワノ
ショウ
チン
称号及び氏名 博士(学術) 王
秀 琴
プンの解析を行った。その結果、胚乳以外の果皮、
(学位規程第3条第1項該当者)
糊粉層、胚のデンプンにはアミロースが存在し、
(台 湾
1952年1月2日生)
結合型デンプン合成酵素の活性がみられた。また、
これらの組織から分子サイズ56kDaのタンパク質
が検出され、このタンパク質の一次構造はこれま
論 文 名
淡路島の観光開発に関する研究
で唯一のアミロース合成酵素であったWaxyタン
パクと類似していた。これらの結果から、56kDa
1 論文内容の要旨
タンパクが果皮、金粉層および胚に局在する,第
近年、所得の増加による生活水準の向上や労働
二のアミロース合成酵素であることが強く示唆さ
時間の短縮による余暇時間の増大、あるいは、価
れた。
値観の多様化などに伴って、多様な観光活動への
( 138 )
号外第2号113
平成9年4月25日
欲求が増大しつつあり、これまでの観光地域は、
このような課題に答えるためには、観光地域と
増大する多様な観光活動に対応して複合的な観光
しての淡路島のこれまでの開発動向を的確に把握
活動を保証することが強く求められている。この
し現状の観光開発ポテンシャルを評価することが
ような課題に答えるためには、観光地域のこれま
必要不可欠となる。これらの課題に関連する既往
での開発動向を的確に把握し、現状の観光開発ポ
研究としては、観光開発の動向と現状の観光ポテ
テンシャルを評価することが必要不可欠となるが、
ンシャルとの関係の定量的評価に係わる研究、観
観光開発ポテンシャルを総合的に評価するといっ
光地域の評価特性から捉えた観光資源の立地条件
た研究事例は乏しいのが現状である。
と利用パターンとの関係分析、観光動向から捉え
本研究では、大阪大都市圏内に位置し、複合的
た観光地域の開発整備に係わる研究、大都市近郊
な観光地域としての発展が大いに期待されている
部における観光地域の構造と観光動態の解明など
淡路島を対象に、観光資源の分布パターンと観光
の成果が得られている。しかし観光動向に関して
動態との関連および観光客の利用実態の調査を通
総合的にアプローチし、今後の観光開発のあり方
じて、淡路島における観光特性を把握するととも
を探るため観光開発ポテンシャルを総合的に評価
に淡路島の観光開発ポテンシャルを総合的に評価
した研究例がほとんど見られない現状にある。
する手法の開発を試み、観光開発ポテンシャルか
従って本研究では、以上の観光の歴史的展開と
ら見た今後の観光開発の課題と方向性を探求する
既往研究の整理を通じて、観光の基本形態を観賞
ことを目的とした。
型、健康型、教育型、行楽型の4タイプとして捉
なお、本研究は4章から構成し、各章ごとの要
え、淡路島の1市10町を解析単位とした観光動態
旨を以下に述べる。
と観光資源の分布パターンとの関連性、並びにア
第1章研究の背景および目的
ンケート調査を通じた観光客の利用実態の評価を
本章では、欧米、日本および淡路島での観光の
通じて、観光資源の多様性、交通の利便性、宿泊
歴史的展開と観光を扱った既往研究の整理を通じ
施設の収容性、開発の余地性の観点から淡路島の
て、本研究の位置づけと目的を明確にし、研究目
観光開発ポテンシャルを総合的に評価する手法の
的に整合した研究方法を明確にした。
開発を試み、観光開発ポテンシャルから見た今後
淡路島は、大阪大都市圏内に位置し、古事記の
「おのころ島」の伝説で知られてきた由緒ある観
光地域で、淡路島観光の原点は神社参りと鳴門の
うずしお観潮である。第2次大戦後の動向を見る
の淡路島の観光開発の課題と方向性を探求するこ
とを目的とした。
第2章観光資源の分布パターンと観光動態と
の関連性
と、昭和30年代∼昭和40年代にかけて交通機関の
本章では、淡路島の1市10町を対象に、観光資
高速化とフェリーボートの開設に伴って淡路島へ
源の分布パターンと観光動態との関連性について
のアクセス性が大幅に進展し、関西で有数の規模
分析し淡路島の観光特性を明らかにするとともに
をもつ健康型観光としての海水浴場が整備され、
観光開発ポテンシャルを評価するための指標とし
海岸沿いには宿泊施設も活発に整備された。昭和
て観光資源の多様性の重要性を明らかにした。
50年代∼昭和60年代にかけて、観光が大衆化する
解析結果を見ると、昭和30年時点での観光資源
とともに観光に対する指向は「観る観光」から
は洲本市と南淡町に集積し、自然環境や歴史環境
「する観光」へと転換し、行楽型観光や教育型観
を背景とした観賞型、行楽型資源が重きを占めて
光の開発整備が重視されるようになった。昭和60
いる。観光動態を見ると洲本市が大幅な伸び型、
年代以降も淡路島に対する複合的な観光地域とし
南淡町が若干の伸び型を示し、観光資源の集積が
ての発展が大いに期待されており、この増大しっ
入り込み数の伸びに大きく寄与していることを明
っある多様な観光活動に対応した今後の淡路島で
らかにした。中でも、南淡町は観賞目的の入り込
の観光開発のあり方を探ることが急務である。
み数だけが大幅に伸びているのに対し、洲本市は
( 139 )
平成9年4月25日
114号外第2号
観賞型、行楽型ともに伸びていることが明らかと
明らかとなり、地域レベルの解析に加え地点や施
なったが、行楽型の観光がまだ低調な年代であっ
設レベルの解析といった課題が残されているもの
たと判断された。昭和40年時点では、観光資源が
と考えられる。
洲本市と南淡町へ集積する構造に変化はないもの
第3章観光客の利用実態から捉えた淡路島の
観光特性
の、洲本市の複合観光地化が進んだことが明らか
となり、洲本市における複合観光地化が入り込み
本章では、淡路島の観光客に対するアンケート
数の伸びに大きく影響したものと判断できる。昭
調査を通じて得たデータを用いて、観光行動パター
和50年時点になると、洲本市に加え他の地域での
ンの特性、宿泊施設の利用特性、観光地域として
新たな施設立地が活性化し洲本市への一極集中型
の魅力性の評価特性を解析し、淡路島の観光特性
の構造が崩壊しつつあることを明らかにした。こ
を明らかにするとともに、観光開発ポテンシャル
の構造的変化が洲本市への入り込み数の低下傾向
を評価するための指標を探った。
に影響したものと理解できる。また、この年代で
観光行動パターンの特性では、まず、淡路島の
は教育型施設が観光資源の一形態として確立する
観光形態は宿泊型観光が中心であることを明らか
ものの、観光動態には大きく影響していないもの
にした。その観光目的は行楽型と健康型が優先さ
と判断される。さらに、津名町や南淡町では巨大
れることと多様な観光施設を持つ複合観光地化が
イベントが観光動態に大きく寄与することが明ら
進んでいる洲本市と南淡町に多数の観光客が来訪
かとなったが、これは短期的な影響に留まるもの
していることが明らかとなり、地域内の観光資源
と考えられる。昭和60年時点では、淡路島の観光
が多様性が入り込み数に大きく影響することを明
拠点の多極化が進行していることを明らかにした。
らかにした。観光の発地別の入り込み状況を見る
このような中で、洲本市では新たな施設整備がな
と、兵庫県と大阪府が全体の80%を占め、淡路島
く、このことが入り込み数の急激な低下に強く影
の観光は近傍都市に依存していることが明らかと
響したことや、南淡町や西淡町も洲本市と同じ傾
なった。また、淡路島観光の交通手段は自動車に
向を示すことが明らかとなった。一方、淡路町と
よるものが8割近くを占め、自動車利用を前提と
北淡町、一宮町、東浦町の4町では、徐々に複合
した交通の利便性が今後重要な指標となるものと
観光地化が進行し入り込み数を伸ばす傾向を示す
考えられる。さらに一回の観光で1地点が最も多
ことが明らかとなった。また、津名町や三原町の
いものの2∼3ケ所の割合も高く平均2.6ケ所の
ように乳化型の行楽型施設の整備は、入り込み数
観光施設が利用されている点と、2∼3ケ所利用
を大きく伸ばすことを明らかにした。また、昭和
するケースの観光目的はともに健康型と行楽型の
50年時点では観光形態として確立されていなかっ
セット型であることを明らかにした。
た教育型観光が観光の重要な一形態として確立す
宿泊施設の利用特性では、まず、選択理由は経
ることを明らかにした。
済的要因や施設レベルの問題を除くと交通の利便
以上の解析結果から観光資源の分布パターンと
性や宿泊施設の収容性が重要な指標であることを
観光動態との関連性を見ると、各年代の観光資源
明らかにした。また、宿泊施設の集積している洲
の集積が入り込み数の伸びに強く影響することを
本市と南淡町に利用者の集中が見られ、宿泊施設
明らかにした。特に、昭和50年代以降、価値観の
の収容性が重要な指標であることを裏付けている。
多様化、自動車社会の進展などを背景として複合
魅力性の評価特性では、淡路島全体の観光の魅力
観光地化が進展し、それが入り込み数の伸びに大
性は、自然環境に依存する傾向が強いことが明ら
きく影響することが明らかとなり、観光資源の多
かとなり、自然環境の保全を前提とした観光開発
様性が重要な指標となることを明らかにした。一
のあり方を探ることの重要性が示唆された。また、
方、巨大イベントの影響や施設の老朽化、特定施
再利用希望では淡路島観光への期待の大きさが伺
設の整備の影響などが観光動態に影響することも
えた。
( 140 )
号外第2号 115
平成9年4月25日
以上の解析結果から、自動車利用を前提とした
クに分類して相対的な評価を捉えるものとした。
近傍都市からの交通の利便性が最も重要な指標で
観光客の収容性は、昭和23年の旅館法によって
あり、宿泊型観光を前提とした宿泊施設そのもの
分類される旅館、ホテル、簡易宿所、季節宿所の
の魅力性と収容性が重要な指標であることを明ら
4分類で捉え、観光客の収容数によって定量化し、
かにした。また、周遊型観光を背景とした複合観
収容女心を4ランクに分類して相対的な評価を捉
光地化への指向が明らかとなり観光資源の多様性
えるものとした。
は重要な指標になるものと考えられる。さらに、
観光開発のための未利用地の存在量は、地形傾
自然環境が淡路島観光のベースである点や自動車
斜、土地利用と道路条件の視点から定量化するも
利用が前提となる点を考えあわせると観光開発適
のとし、地形傾斜では傾斜度80∼20。の台地を
地の選択が重要な課題であると考えられる。一方、
開発適地、土地利用では用地の確保と土地利用転
観光動態そのものについては観光地域側の問題に
換の可能性が高い林野を開発適地、道路条件では、
加えて利用者側の経済的要因も重要な視点である
主要幹線道路の沿道300m以内の地帯を開発適地
ことが明らかとなった。
として抽出し、以上の3っの開発適地の条件を全
第4章観光開発ポテンシャルの総合評価と今
後の課題
本章では、既往研究からの成果に加えて第2章、
第3章の考察結果から、「観光資源の多様性」、
て備えている空間の面積で定量化し、3ランクで
相対的な評価を捉えるものとした。さらに観光開
発ポテンシャルの総合評価は各指標のランクを集
計することによって求めた。
「交通の利便性」、「観光客の収容性」、「観光開発
以上の4指標を用いて1市10町の観光開発ポテ
のための未利用地の存在量」の4指標から、観光
ンシャルを捉えた結果、淡路島の唯一の市である
開発ポテンシャルの総合的な評価手法の提案を試
洲本市が昭和40年代から昭和50年代にかけて飛躍
みるとともに、ポテンシャル評価から捉えられる
的な伸びを示し、現状の観光開発ポテンシャルも
今後の淡路島の観光開発の課題を探った。
依然高い水準で維持されていることが明らかとな
4指標の定量化は1市10町を解析単位として行
り、今後も淡路島観光の中心として発展するもの
うものとし、観光資源の多様性では資源の類型化
と判断される。ここでの課題は開発年代が古いこ
別(観賞型、健康型、教育型、行楽型)の出現箇
とからそれらの観光資源の再生が重要な視点であ
所数を基礎データとして、以下に示すSimpsonの
ることを明らかにした。昭和50年代で洲本市に次
多様度指数を用いて定量化するものとした。
いで高いポテンシャルを保有していた北淡町と西
1/e−1/2Pi2
淡町はその後も順調な伸びを示し昭和60年代では
(pi:各タイプの相対優占度=各タイプの箇所
ポテンシャル評価がさらに向上していることが明
数/総箇所数、1/4:多様度指数)
らかとなった。特に、両町では観光資源の多様性
なお、多様度指数が高いほど観光資源の多様性
が最も高いランクにあり、これは旧来の観光資源
が高いことを示すが、本論では多様度指数を3ラ
に加えて新たな資源開発が順調に進んでいること
ンクに分類して1市10町の相対的な評価を捉える
を示すものであり、これまでの発展軸上での開発
ものとした。
が進むものと予測される。五色町と南淡町も上記
交通の利便性は次式によって定量化した6
の両町と同様の傾向を示すものの従来の海水浴型
Ai=Z {dij× (kj/L)}/n
観光とうず潮観光に依存している部分が多く観光
(Ai=各市町の交通の利便性、dij=各市
資源の多様性を高めることが重要な課題であるこ
町iと近隣都市jとの最短時間距離、kj==近隣
とを明らかにした。一方、内陸型の三原町と緑町
都市jの人口、L ==各近隣都市の人口総数、 n;
はポテンシャルが非常に低いことが明らかとなっ
各近隣都市の数)
た。これは観光資源の多様性の低さが大きな原因
なお、式により得た平均最短時間距離を4ラン
であり、多様性の向上を図る新たな資源開発が重
( 141 )
平成9年4月25日
116号外第2号
要な課題となるが、観光開発のたあの商利用地の
光開発ポテンシャルから見た今後の観光開発の課
存在量が低い三原町では特化型観光資源の開発と
題と方向性を探求している。本研究によって得ら
ともに他地域との連携策が重要な課題であること
れた主要な知見は以下の通りである。
を明らかにした。
・淡路島の1市10町を対象に、観光資源の分布パ
結 語
ターンと観光動態との関連性を分析することによっ
本論では、淡路島を対象に観光資源の分布パター
て以下の2点を明らかにしている。
ンと観光動態との関連性、観光客の利用実態調査
(1)昭和30年、40年時点では洲本市への一極集中
並びに既往研究の整理を通じて、観光資源の多様
型の構造が、昭和50年時点になると一極集中
性、交通の利便性、観光客の収容性、観光開発の
型の構造が崩壊しはじめ、昭和60年時点では
ための未利用地の存在量の4指標から1市10町を
観光拠点の多極化が進行し、淡路島の複合観
単位とする観光開発ポテンシャルを総合的に評価
光地化が促進されるという淡路島の観光特性
する手法を提案した。この手法は、これまでの観
を明らかにしている。
光開発の動向から現状の観光開発ポテンシャルを
② 以上のような複合観光地化が進展する中で、
評価する手法である。この評価手法はこれまでの
各年代の多様な観光資源の集積が観光客の入
発展軸上での観光開発の可能性と限界性を評価で
り込み数の伸びに強く影響することが明らか
きるものであり、1市10町を単位とするような地
となり、観光資源の多様性が観光開発ポテン
域レベルでの今後の観光開発のあり方を探る有効
シャルを評価する重要な指標となることを明
な手法と考えられる。一方、本論でも明らかなよ
らかにした。
うに個々の観光資源の魅力性といったような資源
・淡路島の観光客を対象とした観光行動パターン、
レベルでの評価手法は残された重要な課題である。
宿泊施設の利用評価、観光地域としての魅力性
また、観光動態は、観光資源や観光地域といった
の評価に関するアンケート調査を通じて以下の
着地側の問題とともに観光客の可処分時間や所得
3点を明らかにしている。
といった発地側の問題も大きな要因であり、これ
も残された重要な課題である。
(3>淡路島観光は、近隣都市からの自動車を利用
した宿泊型観光が中心であり、観光客は一回
の観光で平均2.6ケ所の観光施設を利用する
2 学位論文審査結果の要旨
ことを明らかにしている。
これまでの観光地域は増大する多様な観光活動
(4)淡路島観光の魅力は自然環境に依存している
に対応して複合的観光活動を保障することが強く
ことや淡路島観光への期待が大きいこと、淡
求められている。この命題に答えるためには、観
路島観光の利点は経済的要因を除くと交通の
光地域の開発動向を的確に把握し、現状の観光開
利便性や宿泊施設の収容性が中心となること
発ポテンシャルを定量的に評価することが必要不
を明らかにしている。
可欠となるが、観光開発ポテンシャルを定量的に
(5>以上の観光特性から、近隣都市からの交通の
評価するといった研究事例は乏しいのが現状であ
利便性と宿泊施設の収容性、観光資源の多様
る。
性がポテンシャルを評価する重要な指標とな
申請者は、大阪大都市圏内に位置し、複合的な
るとともに自然環境の活用と自動車利用を前
観光地域としての発展が期待されている淡路島を
提とした観光開発適地の選定が重要な課題で
対象に、観光の基本形態を観賞型、健康型、教育
あることを明らかにした。
型、行楽型の4タイプとして捉え、観光資源の分
・以上の研究成果に加えて既往研究を参考に、以
布パターンと観光動態との関連および観光客の利
下に示す観光開発ポテンシャルの定量的な評価
用実態の調査を通じて、淡路島の観光開発ポテン
手法の提案を試み、ポテンシャル評価から捉え
シャルを定量的に評価する手法の開発を試み、観
られる今後の淡路島の観光開発の課題を明らか
( 142 )
号外第2号117
平成9年4月25日
審査委員
にしている。
主査 教 授 安 部 大 就
(6)観光開発ポテンシャルは、観光資源の多様性、
副査教授桑原孝雄
副査教授荻野芳彦
交通の利便性、観光客の収容性、観光開発の
ための由利用地の存在量の4指標から評価す
ることを提案し、観光資源の多様性は資源の
副査 教 授 森 本 幸 裕
類型化別(観賞型、健康面、教育型、行楽型)
副査 助教授 増 田
昇
の出現箇所数を基礎データとして、Simpson
の多様度指数を用いて1/4=1/Σpi 2(pi:
各タイプの相対優占度=各タイプの箇所数/
大阪府立大学告示第45号
総箇所数、1/4:多様度指数)の式による
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
定量化の手法を示した。交通の利便性はA1一
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
Σ[dij×(kJ/L)]/n(Ai=各市町の交通の利
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
便性、dij一各市町iと近隣都市」との最短
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
時間距離、kj一近隣都市jの人口、 L=各近
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
隣都市の人口総:数、n=各近隣都市の数)の
要旨を次のとおり公表する。
式、観光客の収容性は昭和23年の旅館法によっ
平成9年4月25日
て分類される旅館、ホテル、簡易宿所、季節
宿所の各観光客の収容数の合計、観光開発の
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
ための未利用地の存在量は傾余斗度8。∼20。
の台地でかっ土地利用種別は林野であり主要
幹線道路の沿道3001n以内の地帯を開発適地
として定量化する手法を示した。
シャ
ブン
トウ
称号及び氏名博士(学術)車 文輻
(学位規程第3条第1項該当者)
(中華人民共和国 1964年1月11日生)
(7)今後の観光開発の課題では、洲本市は今後も
淡路島観光の中心として発展すると予測され
論 文 名
るものの観光資源の再生が課題であること、
GISを用いた大阪府南部地域の土地利用変化に
北淡町と西淡町、五色町、南淡町はこれまで
関する研究
の発展軸上での開発が進むものと予測される
ものの五色町と南淡町は観光資源の多様性を
1 論文内容の要旨
高めることが課題であること、内陸型の三原
第1章研究の背景および目的
町と緑町は磁化型観光資源の開発とともに他
土地利用とは地表に投影された人間活動の様態
地域との連携策が重要な課題であることを明
であり、その存在形態は立地場所によって多種多
らかにした。
様である。特に大都市近郊の土地利用構造は、益々
以上記述した一連の研究成果は、これまでの発
高度化、拡大化する人間活動によって複雑化して
展軸上での観光開発の可能性と限界性を定量的に
きている。このような土地利用研究においては、
評価する手法を示したものであり今後の観光研究
土地利用の重要な構成要素である空間、位置、他
の発展に大きく寄与するとともに、複合的な観光
要素との距離を解析・評価することが重要な命題
地域への展開が求められているこれまでの観光地
である。
域の発展に重要な示唆を与えるものである。
従って、最終試験の結果と併せて、博士(学術)
の学位を授与することを適当と認める。
土地利用を形成あるいは決定する要因としては、
自然、経済、社会、歴史などが重要であると認識
されているが、これらの諸要素がどの程度地域の
土地利用に影響を与えているのかということを定
( 143 )
平成9年4月25日
118号外第2号
量的に解析・評価した研究事例は少ない状況にあ
30mであった。入力したデータと大阪府の統計資
る。このような背景の中でコンビ=一タ技術の飛
料との誤差は1973年では一〇.18%、1990年では
躍的向上、特に地理情報システム(GIS)の出現
0.85%であり、両年次ともに非常に高い精度のデー
によって、益々複雑化してきている土地利用の地
タ入力値を得たものと考えられる。このことは、
理的空間次元上での研究が可能となってきている。
面積0.01ha以上のデータが非常に誤差の少ない精
本研究の対象地域である大阪府南部の泉佐野市、
度で読み取れることを示すものであり、土地利用
熊取町、田尻町、泉南市、阪南市、岬町の3市3
研究に有効な細密数値情報に匹敵するものと判断
町は、関西国際空港の建設に伴う都市基盤施設の
できる。
整備に伴って土地利用が大きく変化しつつある地
当該地域の土地利用の概略を数値統計的に述べ
域であり、今後の適性な土地利用を誘導するため
ると、1973年では土地利用分類の15種目のうち山
には、土地利用の実態と変化を地理的空間次元上
林地の割合が最も多く56.53%、次いで田が18.39
で解析・評価しておくことが不可欠な地域である。
%、一般市街地が8.15%であった。1990年では、
しかし、この地域は3大都市圏の近畿圏に属して
山林地の割合は3.91%減少し52.62%、田は5.05%
いるものの、国土地理院の提供している細密数値
減少し13.40%、一般市街地は3.42%増加し全域の
情報が整備されていなこともあって、これまでの
1割を超えて11.57%になり、都市的土地利用が
本地域の土地利用に関する基礎的研究が十分と言
進行していることが明らかとなった。また、関西
えない状況にある。
国際空港の建設に伴って、その他用地が6.06%増
本研究では、土地利用形成の重要な要因である
加している。
とされながら、これまで土地利用研究において研
以上の土地利用変化は統計分析によって、2っ
究ツールの制約もあってあまり進展していない土
のパターンに特徴づけられることを明らかにした。
地利用の3次元分布と時間変化を、GISでは地理
一つは拡大・増加型であり、特徴は1ケ所当たり
的空間次元上で定量的に捉えられるという特性に
の平均面積が増加するとともに、最大面積が顕著
着目して、位置、地形(標高、傾斜)、交通施設
に増加し標準偏差が大きくなる点であり、一般市
が土地利用に及ぼす影響を解析・評価することを
街地に代表される。もう一つは縮小・減少型であ
目的とした。
り、特徴は1ケ所あたりの平均面積の減少ととも
なお、本研究では、空間、位置、距離に関する
解析を自動的に実行でき、優れた空間分析機能を
持つGISの代表的なソフトウェアであるARC/
INFOを用いて研究を進めた。
第2章地域の土地利用に影響を与える要因の
抽出
に、最大面積も顕著に減少し標準偏差が小さくな
る点であり、田、畑に代表される。
一方、当該地域は南北に細長い形状で山と海に
挟まれるという地形条件とその地形条件に制約さ
れて交通幹線がほぼ海岸線に平行して発達してい
る。従って、交通施設と地形はこの地域の土地利
本章では、GISを用いた土地利用研究のための
用の分布パターンに対して、大きな影響を与えて
基礎データの作成とその精度の検証、ならびに地
いるものと推察されることから、地形および交通
域の土地利用に影響を与える要因の抽出を試みた。
施設と土地利用との関係を地理的空間次元で解析、
本研究では、大阪府が作成した3万分の1の土
評価することを試みた。地形が土地利用に与える
地利用現況図の中から、1973年と1990年を基礎i資
影響を解明するために、国土地理院が提供してい
料とし、GISを用いてデジタイザーでベクタデ一
る50mメッシュ(標高)データを用いて土地利用
華として入力し、経緯度座標系をUTM座標系に
カバレッジにオーバレイ解析することによって、
変換して土地利用カバレッジを作成した。データ
地形(標高)の土地利用への影響を確認した。ま
入力のウィード許容範囲を0.5mm(極距離約15m)
た、鉄道駅と道路がどの程度土地利用に影響を与
に設定した。座標変換のRMSエラーは実距離約
えるかを解明するために、都市的土地利用を代表
( 144 )
平成9年4月25日
号外第2号 119
する住居系(土地利用分類の一般市街地と集落地
果、土地利用が緩傾斜、急傾斜、中傾斜の分布型
を含む)、商業系(土地利用分類の商業業務地)、
に特徴づけられた。土地利用全種目である15種類
工業系(土地利用分類の工業地)用地に着目し、
の内11種目が緩傾斜分布型に属し、その全面積の
駅の点バッファと道路の線バッファを発生させ、
95%以上が傾斜度15度以下の地域に分布する。特
鉄道駅と道路の土地利用への影響も確認した。
に5度以下の地域では!1種目の各面積のほぼ80%
以上の解析から当該地域の土地利用は基本的に
以上が集中している。また、傾斜度が翻るくなる
地形の条件に制約されながら、地域内に走ってい
ほどその面積分布の増大と変化が激しくなる傾向
る鉄道と道路にも大きく影響されていることを明
があることを明らかにした。急傾斜度分布型は山
らかにした。その詳細の解析結果は次章以降で述
林地の1種類だけが含まれるが、その山林地の面
べる。
積減少は5−15度の地域で顕著である。中傾斜度
第3章地形の土地利用への影響分析
分布型の3種目は標高の中間型の特徴と同様の傾
本章では、地形という3次元空間に着目し、標
向を示す。当該地域では、傾斜度5度と15度は標
高と傾斜度の両側面と土地利用の静態分布と動態
高50mと150mに匹敵し、土地利用の分布と変化
変化との関係を解析・評価した。
を制約する境界領域であることを明らかにした。
標高は100m以下の地域では10m間隔、100mか
第4章 交通条件の土地利用への影響分析
ら200mでは50m間隔、200 rn以上では100m間隔
本章では、都市的土地利用が著しく進行してい
に分けて14区分で解析した。その結果、15種目の
る低地部を走る南海線とJR阪和線の鉄道駅およ
土地利用は両年次ともに低標高分布型、高標高分
び新・旧国道26号が周辺土地利用に与える影響を
布型と中間型の3種類に特徴づけられた。一般市
都市的土地利用を代表する住居系、商業系、工業
街地に代表される低標高分布型は、土地利用の8
系用地に着目して解析・評価した。
種目が含まれ、標高50m以下の地域に集中的に分
JR阪和線8駅の地域内の全体配置による影響
布し、分布の上限は100mあるいは150mにあるこ
範囲は、1973年と1990年ともに周辺の住居系用地
とを明らかにした。また、両年次の面積変化も標
と工業系用地に対しては1100mであり、商業系用
高が低いほど激しいことが明らかとなった。高標
地に対しては300mであることを明らかにした。
高分布型は山林地の1種類だけであり、その分布
中でも住居系用地の増加比率は駅の中心からの距
の傾向は低標高分布型と逆傾向を示し、50m以下
離の順で全体的に減少していくものの、900∼1100
の地域での分布が極端に少なく、100m以上の地
mの圏域では再び増加し近隣早薬より顕著に高く
域に全面積の8割以上が占められている。また、
なることが明らかとなった。これは駅の配置によっ
面積の変化は標高100−150mの地域で顕著である
て形成された共通圏域の相互の影響によるものと
ことを明らかにした。中間型に属する土地利用は
考えられる。一方、各駅の住居系用地への影響範
6種目があり、各標高に散在的に分布するものの
囲と面積の増加は駅の種別と都d・部への距離によっ
ある特定の標高に比較的高い比率で分布し面積の
て異なり、快速停車駅とともに都心部に近い駅で
増減もその標高で起こっている。当該地域では、
は増加率が高くなり、その影響範囲も広がり400−
標高50mは主たる土地利用が田から山林地に転換
1400mとなることを明らかにした。
する境界領域であり、都市的土地利用から農村的
南海線16駅の全体配置による影響範囲は、1973
土地利用に変化する境界領域であることを明らか
年と1990年ともに周辺の住居系用地に対しては800
にした。また、標高100m以上は農村的土地利用
m、商業系用地に対しては300m、工業系用地に
から山林地に転換する境界領域であることも明ら
対しでは700mであることを明らかにした。中で
かとなった。
も住居系用地の増加率は駅の中心から300mまで
傾斜度はO−1、1−2、2−3、3−5、5−8、8−15、15−
増加しそこから順次減少する傾向にあることが明
20、20−30、30−40度の9区分で解析した。その結
らかとなった。一方、各駅の住居系用地への影響
( 145 )
平成9年4月25日
120号外第2号
範囲はJR阪和線と同様の傾向を示し200−1500m
地域では山林地の減少が著し巳く自然環境の保全が
であることが明らかとなった。
重要であることを明らかにした。
また、JR阪和線と南海線との比較では、南海
さらに、当該地域の低地部の都市的土地利用は
線沿線では住居系市街地の熟度が高く商業施設の
交通施設に大きく依存しその平均的な影響範囲は、
立地が活性化しているのに対し、JR阪和線沿線
JR阪和線では1100m、南海線では800rn、新・
では住居系用地の増加が著しく商業系用地の進展
旧国道26号では500mであることを明らかにした。
には至っていないことが明らかとなった。
しかし、その影響は交通施設の発展史によって異
新・旧国道26号の影響範囲は、1973年と1990年
なり、南海線および旧国道26号沿線では市街地の
ともに沿線の住居系用地に対しては500m、商業
熟度が高く今後は商業系用地が中心課題となると
系用地に対しては100mであることを明らかにし
ともに、JR阪和線および新国道26号沿線では市
た。また、新国道26号の開通後は、沿線の住居系
街地の熟度が低く今後は住居系用地が中心課題と
用地の増加は旧国道26号より顕著であることが明
なることが予測されることを示した。特に、
らかとなった。一方、工業系用地に対しては特定
JR阪和線では駅の配置位置によって発生する共
の影響範囲は存在しないものと判断できた。これ
通圏域の900−11001nの地域における市街地の進行
は工業系用地が臨海部に立地する傾向によるもの
が予測され、そこでのスプロール現象の抑制が重
であり、陸上の交通施設より、海上交通が影響し
要な課題であることを明らかにした。
ていることによるものと考えられる。
第5章 結 論
2 学位論文審査結果の要旨
GISを用いた地域の土地利用研究において、土
益々高度化、拡大化する人間活動によって複雑
地利用とそれを規定する諸要因の地理的空間次元
化してきている土地利用の研究においては、重要
上の数値情報を獲得することが基本である。数値
な構成要素である空間、位置、他要素との距離を
情報の獲得に関しては国土地理院が各種の数値地
解析・評価することが重要な命題であるが、これ
図や土地利用の細密地図などを提供しているが、
らの命題に対して、定量的に解析・評価した研究
それは限られた時点と地域でしかないことが、土
事例は少ない現状にある。このような背景の中で、
地利用研究の進展を妨げていると言えよう。そこ
地理情報システム(GIS)の出現によって、土地
で、本研究では、まず、通常どの自治体でも作成
利用の地理的空間次元上での研究が可能となって
している土地利用現況図から細密数値情報に匹敵
きているが、現段階ではデータなどの多くの制約
するベクタデータを作成し、GISを用いて大都市
も認められる。
近郊の土地利用の静態分布と動態変化を地理的空
間次元上で定量的に捉えることを試みた。
申請者は、空間、位置、距離に関する解析を自
動的に実行でき優れた空間分析機能を持つGISを
その結果、GISの保有する統計解析機能、点、
用いて、これまで土地利用研究においてあまり進
線のバッファー解析機能や土地利用データと地形
展していなかった土地利用の3次元分布と時間変
データとのオーバレイ解析機能を用いることによっ
化を、大阪府南部地域の1973年と1990年を対象と
て、当該地域の土地利用は基本的に地形の制約を
して、地形(標高、傾斜)と交通施設との距離の
受け、標高50m以下(傾斜度5度以下)の地域は
視点から解析・評価しようとしている。なお、大
都市的土地利用、標高50−150m(傾斜度5−15度)
阪府南部地域は、関西国際空港の建設に伴う都市
の地域は農村的土地利用、標高150m以上(傾斜
基盤施設の整備に伴って土地利用が大きく変化し
度15度)の地域は山林地と位置づけられることを
っっあるものの、国土地理院の提供している細密
明らかにし、都市的土地利用地域、特にその縁辺
数値情報が提供されていなこともあって、土地利
部では田畑の蚕食によるスプロール現象の抑制、
用に関する基礎的研究が不十分な地域である。
農村的土地利用地域の縁辺部である100−150mの
( 146 )
本研究によって得られた知見は以下の通りであ
平成9年4月25日
る。
号外第2号 121
では300m、工業系用地では1100mと700mで
・GISを用いた土地利用研究のための基礎データ
あることを明らかにするとともに駅周辺の土
の作成とその精度の検証ならびに地域の土地利
地利用分布と各駅の種類とは緊密に関係して
用に影響を与える要因の抽出では、以下の3点
いることを明らかにし、鉄軌道と駅という線
を明らかにしている。
と点の配置とその相互位置が周辺土地利用に
(1)GISを用いて、通常どの自治体でも作成して
いる土地利用現況図(1/30,000)から、国
面的な影響を及ぼしていることを明らかにし
た。
土地理院が提供している細密数値情報に匹敵
(7)新・旧国道26号の住居系、商業系、工業系用
する面積0.01ha以上のベクタデータを両年度
地の発展に与える影響範囲は、1973年と1990
とも非常に誤差の少ない精度で作成できるこ
年ともに、住居系用地では500m、商業系用
とをまず明らかにした。
地では100mであり、工業系用地では明確な
(2)以上のベクタデータを用いた統計解析により、
影響範囲がないことを明らかにしている。
本地域における土地利用変化は一般市街地に
以上記述した一連の研究成果は、データが未整
代表される拡大・増加型と農地に代表される
備の地域での土地利用研究の進展に大きく寄与す
縮小・減少型に特徴づけられることを明らか
るとともに、大都市近郊での将来の土地利用を計
にした。
画・検討する際に基本となる土地利用の分布と変
(3)本地域の土地利用の分布と変化には、大阪都
化特性に関する時間軸、空間軸からの考え方を示
心部との距離、鉄道駅、道路施設との距離、
したものであり、今後の土地利用研究の発展に寄
さらに標高、傾斜で構成される地形が強く影
与するところが極めて多大である。
響していることを明らかにした。
・GISを用いて、国土地理院が提供している標高
データを以上の土地利用データにオーバレイし、
標高、傾斜で構成される本地域の地形と土地利
用の静態分布と動態変化との関係について以下
の2点を明らかにしている。
(4)本地域での標高50mは、都市的土地利用から
従って、最終試験との結果と併せて、博士(学
術)の学位を授与することを適当と認める。
審査委員
主査教授安部大就
副査教授荻野芳彦
副査教授森本幸裕
副査 助教授 増 田
昇
農村的土地利用に変化する境界領域、標高100
mは農村的土地利用から山林地に転換する境
界領域であることを明らかにしている。
(5)本地域では、傾斜度5度と15度は標高50mと
150mに匹敵し、土地利用の分布と変化を制
約する境界領域であることを明らかにした。
・都市的土地利用が著しく進行している低地部を
走る南海線とJR阪和線の鉄道駅および新・旧
国道26号の点および線バッファ解析により、住
居系、商業系、工業系用地の発展に与える影響
について以下の2点を明らかにしている。
(6) JR阪和線の8駅全体と南海線の16駅全体と
しての住居系、商業系、工業系用地の発展に
与える影響範囲は、1973年と1990年ともに、
住居系用地では1100mと800m、商業系用地
( 147 )
平成9年4月25日
122号外第2号
第1章 マスト細胞増殖・分化誘導活性
大阪府立大学告示第46号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
マスト細胞は、造血幹細胞に由来し、未分化な
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
状態で造血組織を離れ、血流を介して局所に侵入
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
し、そこで分化を完了する。マスト細胞の増殖・
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
分化におけるNGFの関与を半固形培地によるin
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
vitroコロニー形成法を用いて検討した。マウス
要旨を次のとおり公表する。
の造血組織である骨髄および脾臓の細胞をNGF
50ng/mlで培養し、20日後のマスト細胞のコロ
平成9年4月25日
ニー 狽
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
算定した。NGF単独ではコロニーの形
成は認められなかったが、2.5%のpokeweed
mitogen−stimulated spleen cell−conditioned
かわ
もと
けい
こ
称号及び氏名博士(獣医学)川本恵子
(学位規程第3条第1項該当者)
(大韓民国 昭和39年12月27日生)
medium(PWM−SCM)の共存下では、同量の
PWM−SCMのみで培養した群に比べ、有意なマ
スト細胞コロニー数の増加が認められた。次に、
2.5%のPWM−SCMの存在下で、 NGFの濃度を変
論 文 名
マスト細胞の増殖・分化、生存、機能発現に
おける神経成長因子の役割に関する研究
化させた場合のマスト細胞コロニー形成を検討し
たところ、添加したNGFの濃度に依存したコロ
ニー 狽フ増加が認められた。PWM−SCM中には
マスト細胞の増殖・分化因子として知られるIL−3
1 論文内容の要旨
が含まれている。そこで、一定濃度のIL−3存在下
緒 言
での、NGFによるマスト細胞コロニーの形成を
神経成長因子(NGF)は、末梢の交感神経およ
調べたところ、PWM−SCMでの実験結果と同様
び感覚神経系、さらに一部の中枢神経系の生存・
に、II」一3とNGFの共存下では、コロニー数は有
分化・機能発現に必須のポリペプチドである。神
意に増加した。これに対し、NGFと等しい分子
経栄養因子として重点的に研究されてきたNGF
量を持つチトクロームCは単独のみならずIL一一3と
だが、創傷治癒促進や好中球の活性化等の効果を
の共存下においても、造血誘導活性を示さなかっ
も有し、かつ、神経系以外の様々な組織や細胞に
た。さらに、50倍あるいは500倍希釈した抗NGF
おいてもNGFレセプターが発現していることが
抗体をIL−3とNGF共存群に加えたところ、 IL・・3
明らかにされるにつれ、この因子の非神経系細胞
に対するNGFのコロニー形成助長作用は完全に
に対する多彩な生理機能に関心が寄せられつつあ
中和された。以上の結果より、NGFはIL−3や
る。慢性関節リューマチや創傷モデルなどの炎症
PWM−SCMに含まれる造血因子によるマスト細
部位におけるNGFの産正元進は、この因子が炎
胞のコロニー形成を助長し、またこの作用はNGF
症・免疫担当細胞に働きかけ、炎症状態を修飾し
に特異的であることが明らかとなった。
ている可能性を示唆するものの、詳細については
第2章マスト細胞アポトーシス抑制作用
不明である。そこで、本研究では、即時型アレル
新生仔ラットにNGFを連続注射すると皮膚の
ギー、寄生虫排除、組織修復などの炎症過程にお
マスト細胞数が増加する。一方、ラットに抗NG
いて重要な機能を担っているマスト細胞の増殖・
F抗体を投与すると腹腔マスト細胞(PMC)の形
分化、生存、および機能発現においてNGFがど
態変化が起こり、細胞数は著明に減少する。これ
のような作用を有するのかを検討し、生体内での
らの事実は、生体内でNGFがマスト細胞の生存
この細胞に対するNGFの役割について考察した。
に深く関与していることを示唆する。そこで、
NGFのマスト細胞の生存に関する効果をアポトー
( 148 )
平成9年4月25日
号外第2号 123
シスを指標に検討した。ラットから単離したPM
けるエフェクター細胞として機能する。NGFは
Cを10%のウシ胎仔血清を含む培地で培養すると
in vitroにおいて、フォスファチジルセリン(PS)
細胞の生存率は経時的に減少し、電顕所見および
の存在下でマスト細胞の脱穎粒を誘導することが
DNAのアガロースゲル電気泳動像から、アポトー
古くから知られているが、PSの存在意義につい
シスにより死滅することを確認した。アポトーシ
ては不明なままである。PSが膜リン脂質の一種
ス状態の細胞を定量化するため、核DNAをヨウ
であることから、in vivoにおけるPSの供給源と
化プロビジウムで染色し、フローサイトメーター
して炎症部位に最も早く集積する血小板を想定し、
で解析した。コントロールでは培養72時間目でア
血小板存在下でのNGFのマスト細胞脱穎粒に及
ポトーシスを示す細胞は約65%に達したのに対し、
ぼす効果を調べた。血小板はラット頚静脈から採
NGF添加群ではほとんどの細胞がG。/G,期に留
取し、カルシウムイオノフォアA23187で活性化
まり、アポトーシスは著しく抑制されていた。マ
した。NGF存在下でラットのPMCと血小板とを
スト細胞分化・増殖因子として知られるstem cell
同時にインキュベートしたところ。マスト細胞か
facror(SCF)もNGFと同様にPMCのアポトー
らのセロトニンの放出を著しく促した。この作用
シスを抑制したが、SCFでPMCを刺激した場合、
は血小板単独、あるいはNGF単独では認められ
SおよびG2/M期の細胞が著増しており、 NGFに
ず、活性化状態にある血小板は静止状態のものと
はこのような増殖活性は認められなかった。腹腔
比べ、強い共同作用を示した。また、この効果は
内からの単離直後のPMCの細胞周期をフローサ
血小板数、およびNGFの濃度に依存し、抗体NGF
イトメーターで調べると、ほとんどの細胞が休止
抗体の添加により完全に中和された。フm一サイ
期にあることから、in vivoにおいてNGFが恒常
トメーターによりラットの血小板上のNGFレセ
的にマスト細胞の生存を維持している可能性が高
プターの発現を調べたところ、PMCと同様に、 p
いと思われた。NGFの生物活性は細胞膜上の特
140のみ発現していた。これは、この実験的にお
異的レセプターの媒介によるが、親和性の異なる
いてNGFの標的細胞となりうる細胞が2種存在
2種のNGFレセプター(p75,p140)が同定され
することを示唆していた。そこで、以下に示す実
ており、高親和性レセプターであるp140は細胞内
験を行い、この実験系におけるNGFの標的細胞
領域にチロシンリン酸化部位を持つことが知られ
の同定を試みた。PMCあるいは血小板を別々の
ている。そこで、ラットPMCにおけるNGFレセ
試験管内でNGFと5分間、インキュベートした
プターの発現を免疫組織染色及びフローサイトメ
後、細胞に結合していない過剰なNGFを洗浄に
トリー解析により調べたところ、ラットPMCに
よって取り除いた。このようにして得られたNGF
はp140のみが発現しており、 NGFによりこのレ
前処理、あるいは未処理のPMCと血小板を組合
セプターのチロシンリン酸化が認められた。さら
わせ、NGF非存在下で各々30分間反応させ、各
に、NGFのアポトーシス抑制効果ならびにp!40
実験群におけるPMCからのセロトニン放出を測
のチロシン残基のリン酸化は、チロシンキナーゼ
定した。その結果PMCのみ、あるいは血小板の
阻害剤で前処理することにより完全に消失した。
みをNGFで前処理した両群において、陰性対照
以上の結果から、NGFはPMCに発現しているp!
に比べ、強いセロトニンの放出が認められた。し
40のチロシンリン酸化を介してアポトーシズを抑
かし、血小板のみを前処理した群では、PMCの
制することが明らかとなった。
みを前処理した群に比べて強い作用を示し、これ
第3章マスト細胞の機能発現におけるNGFの
はPMCと血小板とNGFを同時に反応させた場合
作用
にほぼ匹敵するものであった。さらに、活性化血
マスト細胞は刺激に応じて凶暴組し、ヒスタミ
小板膜をグルタルアルデヒドで固定し、NGF存
ン、セロトニンなどの伝達物質や様々なサイトカ
在下でのマスト細胞からのセロトニン放出を調べ
インを産生、放出することで炎症・免疫状態にお
たところ、陽性対照に比べ、やや減少するにとど
( 149 )
平成9年4月25日
124号外第2号
まった。これは、活性化血小板膜表面に存在する
寄生虫排除、組織修復反応において重要な機能を
分子がこの反応に介在している可能性を示してい
担っており炎症・免疫担当細胞であるマスト細胞
る。
に対するNGFの作用については、不明の点が多
結 論
本研究では、マスト細胞の増殖・分化・生存・
機能発現に及ぼすNGFの効果を調べ、以下の結
果を得た。
く残されている。本研究では、マスト細胞の増殖・
分化、生存および機能発現についてNGFの作用
を検討した。
第1章 マスト細胞増殖・分化誘導活性
(1)NGFはIL−3等の造血因子と共同的に作用
マスト細胞は、造血幹細胞に由来し、血流を介
し、マスト細胞の増殖・分化を促した。
して局所に侵入し、そこで分化を完了する。マス
(2)NGFはラット腹腔マスト細胞のアポトー
ト細胞の増殖・分化におけるNGFの関与を半固
シスを濃度依存的に抑制し、その生存率を著しく
形培地によるin vitroで検討した。マウスの造血
高めた。同時に行ったマスト細胞上のNGFレセ
組織である骨髄および脾臓の細胞をNGFの存在
プターの発現解析から、ラット腹腔マスト細胞上
下で培養し、マスト細胞のコロニー数を算定した。
には2種のNGFレセプターのうち、 p140のみが
NGF単独ではコロニーは形成されなかったが、
発現しており、NGFによるアポトーシス抑制作
pokeweed mitogen−stimulated spleen cell−
用は、このレセプターのチロシンリン酸化を介す
conditioned medium(PWM−SCM)の共存下で
るものであった。
は、マスト細胞コロニー数の増加が認められ、
(3)NGFは活性化血小板の共存下で、 in vitro
PWM−SCMの存在下で、添加したNGFの濃度に
でのラット腹腔マスト細胞からのセロトニン放出
依存してコロニー数の更なる増加が認められた。
を著しく促進し、活性化血小板膜表面に発現する
PWM−SCM中にはIL−3が含まれている。一定濃
分子がこの反応に関与することが示唆された。ま
度のIL−3存在下でNGFによるマスト細胞コロニー
た、血小板膜上におけるNGFレセブ。ターの有無
の形成を調べたところ、有意に増加した。
を調べたところ、p140のみが発現していた。
第2章マスト細胞アポトーシス抑制作用
NGF線維芽細胞などの微小環境を構成する細
NGFのマスト細胞の生存に関する効果をアポ
胞から分泌され、損傷部位ではNGFの産生が増
トーシスを指標に検討した。ラットから単離した
加することが知られている。一方、炎症およびア
腹腔マスト細胞(PMC)を牛胎仔血清を含む培地
レルギーの場では、局所にマスト細胞の集積が観
で培養すると細胞の生存率は経時的に減少し、ア
察される。
ポトーシスにより死滅した。アポトーシスをおこ
以上の結果および知見から、NGFはマスト細
した細胞を定量するため、核DNAをヨウ化プロ
胞の増殖・分化の誘導、生存の支持、脱藩粒の促
ピジムウで染色し、フローサイトメーターで解析
進といった多彩な生物活性を有することで、この
した。NGF添加群ではアポトーシスは著しく抑
細胞の関与する炎症・免疫応答を修飾することが
制された。NGFの生物活性は細胞膜上の特異的
示唆された。
レセプターの媒介によるが、親和性の異なる2種
のNGFレセプター(p75,p140)がある。ラット
2 学位論文審査結果の要旨
PMCにおけるNGFレセプターの発現を免疫組織
神経成長因子(NGF)は、末梢の交感神経およ
染色及びフローサイトメトリー解析により調べた
び感覚神経系、さらに一部の中枢神経系の生存・
ところp140のみが発現しており、 NGFはp140の
分化・機能発現に必須のポリペプチドである。
レセプターのチロシンリン酸化を引き起こすので、
NGFは創傷治癒促進や好中球の活性化等の効果
アポトーシスの抑制はp140のリン酸化を介するシ
を有し、かつ、非神経系細胞に対する多彩な生理
グナルの伝達により誘導されると考えられる。
機能に関心が寄せられている。即時型アレルギー、
第3章 マスト細胞の機関発現におけるNGF
( 150 )
号外第2号125
平成9年4月25日
大阪府立大学告示第47号
の作用
マスト細胞は刺激に応じて脱穎粒し、ヒスタミ
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
ン、セロトニンなどの伝達物質や様々なサイトカ
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
インを産生、放出することで炎症・免疫システム
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
におけるエフェクター細胞として機能する。NG
学位を授与したので、学位規程第16条第1項目規
Fはin vitroにおいて、フォスファチジルセリン
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
(PS)の存在下でマスト細胞の脱穎粒を誘導する
要旨を次のとおり公表する。
ことが知られている。PSは膜リン脂質の一種で
平成9年4月25日
あり、in vivoにおけるPSの供給源として炎症部
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
位に早期に集積するものは血小板であることから、
血小板存在感でのNGFのマスト細胞脱穎粒に及
ぼす効果をセロトニンの放出を指標にして調べた。
おか
もと
のり
あき
称号及び氏名 博士(獣医学)岡 本 憲 明
NGF存在下でラットのPMCと血小板とを同時に
(学位規程第3条第1項該当者)
インキュベートしたところ、マスト細胞からのセ
(京都府 昭和40年11月30日生)
ロトニンの放出が著しく促進された。この効果は
血小板数、およびNGFの濃度に依存した。セロ
トニン放出作用はNGFまたは血小板単独では認
論 文 名
P450の基質識別に関わる領域と構造の研究
められなかった。フローサイトメーターによりラッ
トの血小板上のNGFレセプターの発現を調べた
1 論文内容の要旨
ところ、PMCと同様に、 p140のみが発現してい
序 章
た。
疎水性低分子化合物の酸化的代謝には、P450
NGFは線維芽細胞などの微小環境を構成する
と呼ばれる一群のヘム酵素が関わっている。P450
細胞から分泌され、損傷部位ではNGFの産生が
が基質とする化合物の種類は多いが、その触媒反
増加することが知られており、炎症およびアレル
応は主に一原子酸素添加反応であり、P450の機
ギーの場では、局所にマスト細胞の集積が観察さ
能上の差異は基質特異性の差異に基づく。一般に、
れる。以上、NGFはマスト細胞の増殖・分化の
酵素の機能は、その一次構造にコードされ立体構
誘導、生存の支持、脱穎粒の促進といった多彩な
造を通じて現れる。従って、この基質特異性の差
生物活性を有することで、この細胞の関与する炎
異は、(1)基質識別部位のアミノ酸配列の相違、
症・免疫応答を修飾することが示され、これらの
(2)酵素の活性化中心であるヘム鉄とヘム遠位
知見は、獣医分野における炎症・アレルギー疾患
に位置するヘリックスとの相対的配置および環境
の治療に貢献するものである。よって、最終試験
の相違によると考えられる。この相対的配置およ
の結果とあわせて博士(獣医学)の学位を授与す
び環境の相違は、P450が一つのgene familyを構
ることを適当と認める。
成し、その立体構造の骨組みが全分子種で基本的
に保存されているといった共通部分の中にも個別
審査委員
主査 教 授 荒 川
皓
副査教授菅野 司
副査教授高森康彦
副査教授児玉 洋
性があることを示唆する。P450の一次構造を比
べると、大部分で保存されているThr(保存性Thr)
がある。このThrは、ヘム遠位にあるヘリックス
にあってヘムに最も接近した位置にあるので、一
酸素原子添加酵素の機能に関わると考えられてい
る。このThrのヘム鉄に対する立体的配置は、基
本的には保存されているが、基質特異性と反応性
( 151 )
平成9年4月25日
126 号外第2号
を反映して分子種による違いも含まれると考えら
果、2C2がラウリン酸を結合するのに必要な領域
れ、このThrとヘム鉄との相対的配置を分子種間
は、第98∼110残基、第228∼262残基と示唆され
で比べることは個々のP450の基質特異性を知る
た。
上で重要である。本研究では、アミノ酸配列の相
同性は高いが構造が非常に異なるラウリン酸とテ
第ll章 カルボキシル末端領域に位置する連続
したProの役割
ストステロンを基質とする薬物代謝型P4502C2
カルボキシル末端領域の連続したProは、 P450
とP4502C14(以下2C2、2C14)を材料に選んで
2ファミリーでよく保存され、2C2の連続したPro
キメラを作成し、その解析から2C2の基質結合領
をAla−Thrに置換するとべンッフェタミンN一脱
域を限定し、基質識別に関わると示唆されている
メチル化活性は著しく減少し、ラウリン酸水酸化
カルボキシル末端領域に存在し2Cサブファミリー
活性は消失した。2C14の場合にも、同様な結果
を通じて保存性の強い連続したProの役割につい
を得た。2C2の連続したProの一方のみを置換し
て検討した。また、結晶構造が最も調べられてい
た場合には、両方を置換した場合のような活性へ
るP450camで、保存性ThrをLys置換した変異体
の影響はなかった。また、連続したProの両方を
を作成し、基質や基質類縁化合物の結合がLys変
置換すると、還元型の安定性は低下した。従って、
異体のヘムポケットの状態に及ぼす影響を調べた。
少なくとも連続したProの一方が、2C2や2C14の
更に、機能上ユニークな分子種であるP450norで
構造の保持とともに触媒活性に必要な部分構造の
保存性Thrを種々のアミノ酸に置換した変異体を
形成に必須であることが示唆された。
作成し、その特性を調べ、他のP450の場合と比
較し、ヘムポケットの構造にについて検討した。
第皿章 基質の結合が活性中心の構造に与える
影響
以上から、ヘムポケットの環境やそれを構成する
P450camの保存性Thr(第252残基)をLysに
骨組みの相対的配置に分子種間で差異があり、そ
置換した変異体(T252K)は、酸化型で窒素性配
の差異はP450が基質を識別するのに基質結合部
位型に特徴的な吸収スペクトルを示した。還元型
位などとともに必要であるという構造的根拠を分
では、五配位型(λmax;411nm)と二種の窒素
子レベルで明らかにした。
性六配位型(λmax;445nm,422nm)の混合物と
第1章 基質結合領域の限定
なり、その相対量は、基質の存否などに依存した。
2C2の第90∼125残基と第210∼262残基が基質
基質が存在しない場合、T252Kは、 pH7以下では
結合に必要であり、この範囲を更に限定するため、
主に五配位型で、高いpHではこれと445nm型と
2C2と2C14の間で5種類のキメラを作成した。す
が共存した。基質や類縁化合物が存在する場合、
なわち、BH/3E2(第1∼89残基、第126∼209
五配位型は検出されず、二種の六配位型の相対量
残基が2C14に対応するアミノ酸配列で、他は2C2
がpHばかりでなく基質や類縁化合物の構造に依
の配列を持…っcDNA)の第90∼95残基に2C14のア
存して変化した。この結果は、T252KのLysのε一
ミノ酸配列を持つcDNA(AcH/3E2)、 BH/3E2
アミノ窒素がヘム鉄に配位可能な位置にあるが、
の第96∼125残基に2C14のアミノ酸配列を持つ
このアミノ窒素と還元型ヘム鉄との相対的配置が、
cDNA(BAc/3E2)、BH/3E2の第121、123残
pHおよび基質や類縁化合物との結合により影響
基を2C14のアミノ酸残基に置換したcDNA(BH/
されることを示唆する。活性中心の微妙な構造が、
3E2(T121K,T1231))、BH/3E2の第104残基を
基質や類縁化合物の結合により変化するものと思
2C14のアミノ酸残基に置換したcDNA(BH/3E2
われる。
(A104K))、およびBH/3E2の第228∼262残基
に2C14アミノ酸配列を持つcDNA(BH/ESm/
第IV章 活性中心を構成するヘム鉄と保存性
Thrとの相対的配置
t
3A2)である。これらを酵母で発現させ、精製キ
Fusαriurn ox:ysporum由来P450norを、
メラのラウリン酸水酸化活性を比較した。その結
Escherichiαcoliの可溶性画分に発現させること
( 152 )
号外第2号 127
平成9年4月25日
に成功した。精製したP450norは、カビから精製
た。Proは、αヘリックスやβシートの形成を妨
した野生型とスペクトル的、酵素的性質は一致し
害することから両Proの置換は、おそらくカルボ
た。部位特異的変異により11種類の変異体
キシル末端周辺の構造に変化を起こし、活性を消
(P450norの第239∼247残基をそれぞれLysに置
失させると推測され、この領域は触媒活性に必須
換し、第243残基についてはHisとArgにも置換)
な構造も形成すると考えられる。
を作成した。この内、第243残基をLysに置換し
P450の機能を立体構造と結びつけて理解する
た変異体のみが、酸化型で、pH 8のときに窒素
上でヘム遠位の保存性Thrは、酸素の活性化とい
性配位型に特徴的な吸収スペクトルを示し、この
う各分子種に共通な機能と基質特異性の決定とい
Lysのε一アミノ窒素はヘム鉄に配位できる位置
う個別な機能の双方に重要と思われ、その個別的
にあることが判った。しかし、pHを低下させる
側面を検討した。T252Kに、基質や基質類縁化合
と窒素性配位型のスペクトル的特徴が失われ、
物の結合により現れる変化から、基質結合ポケッ
pH 5では、野生型P450norのスペクトルと区別
トにはまる分子の大きさなどが保存性Thrの位置
できなかった。
に導入されたLysのε一アミノ窒素の配位に影響
第V章 ヘム鉄に近接する位置にあるアミノ酸
の置換が活性に与える影響
することが明らかになった。また、有機化合物で
はなく一酸化窒素を基質とし、これを還元する機
保存性Thrとヘム鉄の相対的配置が触媒活性に
能を持つP450norでも、保存性Thrがヘム遠位で
与える影響を明らかにするため、P450norの保存
は最もヘム鉄に接近した位置にあると推定すべき
性Thrを18種類のアミノ酸で置換し、得られた変
結果を得たが、他分子種と比べるとその相対的配
異体の性質を調べた。酸化型のスピン状態は、ヘ
置に違いのあることが判った。P450norやP450eryF
ムポケット(遠位側)の親水性と疎水性とバラン
では,保存性Thrの置換は立体構造全体には影響
スを反映する。2C2の場合にはこの位置のアミノ
しないことが結晶構造解析から判っている。
酸側鎖の性質がスピン状態に敏感に反映されるが、
P450の基質識別には、基質結合部位、カルボ
P450norの場合にはあまり影響しなかった。一方、
キシル末端領域やヘム鉄と保存性Thrとの相対的
酵素活性に対しては影響が現れ、その様子はアミ
配置が関与するとともに、その相対的配置を、基
ノ酸側鎖の性質と関連があり、親水性である電荷
質が修正すると考えられる。また、P450norの保
がなく小さい側鎖の場合は、野生型に近い活性を
存性Thrを他のアミノ酸に置換した変異体につい
示した。反応機構の上で、変異が影響を与える段
て、一酸化窒素還元反応の素過程に与える影響を
階を調べるため、一酸化窒素結合速度、中間体生
調べたところ、中間体生成速度が、オーバーオー
成速度などを測定した。一酸化窒素結合速度は、
ルの活性に対する影響とよく一致した。従って、
どの変異体でもあまり影響を受けず、中間体生成
保存性Thr周辺の立体構造が、中間体の生成速度
速度は、オーバーオールの活性に対する影響とよ
に影響すると考えられる。P450norと薬物代謝型
く一致した。なお、中間体の分解速度に対する影
P450との反応機構は似ており、薬物代謝型P450
響は様々であった。
にもP450norの反応機構が適用できると考えたい。
考 察
P450の基質認識に関わる部位は、一次構造の
2 学位論文審査結果の要旨
全域に点在し、その領域の特定が進められてきた。
P450は、500種類以上についてアミノ酸配列が
本研究では、2C2の基質結合領域を、第98∼110
決定、比較され、巨大なgene superfamilyを形
残基と第228∼262残基にまで限定できた。一方、
成していることが明らかにされている。それらは、
これとは意義が異なる基質認識がカルボキシル末
微生物から高等動植物まで広く分布し、多様な代
端付近にあり、連続したProの両方を置換すると、
謝機能に関わり、特に動植物では、その生物種を
2C2および2C14で触媒活性が消失することが判っ
特徴付ける疎水性の生理活性物質の合成と不活性
( 153 )
平成9年4月25日
128 号外第2号
化の双方に関与している。基質となる化合物の種
より部分的変化することを示した。ヘム鉄はP450
類は、superfamily酵素として見ると、20万以上
の普遍的活性中心であり、その近接位置に高度に
に上ると推定されており、diversozymeという新
保存された残基(Thr)がある。これをLysに置換
しい概念が最近提唱されている。この様な多彩な
すると、そのεアミノ窒素がヘム鉄に配位し、還
機能は、superfamilyを通じて立体構造の骨組み
元型では配位招待が異なる二種類の混合物となる
が基本的な点で共通でありながらも詳細な点では
が、配位状態の違いは蛋白質のconformationの
それぞれに相違があること、および、基質認識部
違いを反映したものと考えられる。Lys置換体に
位の構造に個別の特徴があることにより成り立っ
基質を結合させると両状態の平衡位置が変化し、
ていると考えられている。従って、共通の構造部
変化の仕方は基質の構造に依存して異なっていた。
分の中に見られる個別の相違点と個々のP450に
第四章、第五章ではP450norを材料とした。
特有な基質認識部位の構造的特徴を明らかにする
P450norは一般のP450と異なり有機化合物を基質
ことはP450の構造機能相関を理解し、さらに、
としないが、触媒反応に還元酵素が介在せず、
応用科学分野への活用をより有効にする上でも重
NADHから直接電子が導入されるので、 NADH
要な課題である。
と相互作用することが予測される。大腸菌内で高
本研究は、4種類のP450を目的に応じて使い
効率に発現する系を確立し、前章と同様、Lys置
分け、蛋白工学的手法を利用して、基質認識部位
換体を作成したところ、酸化型の弱塩基性pHで
の範囲を限定してその役割を推測し、また、共通
のみヘム鉄に窒素性配位し、これまでに調べた一
的機能を担う構造部分にみられる個別の相違を機
般のP450とは異なっていた。さらに、18種類の
能とも関連付けながら明らかにしたものである。
アミノ酸で置換し、ヘム遠位域への水の入り込み
第一章では、薬物代謝型P450に属する2C2(ラ
易さの変化を調べたところ、薬物代謝型P450と
ウリン酸水酸化酵素)の基質結合に関わる既知領
異なり、この位置のアミノ酸の性質は水の入り込
域二箇所について必須範囲を更に限定した。その
み易さに余り影響を与えなかった。また、基質
際、キメラを構築し、また点変異も併用して変異
NOのヘム鉄への結合速度にも影響しなかった。
体を作成して、それらの性質を調べた。キメラ作
これらの結果は、P450norのヘム遠位域が広いこ
成の相手には2C2とアミノ酸配列の相同性が82%
とを示唆し、本研究と同時に進行した理研グルー
である2C14(テストステロン水酸化酵素)を用
プによる結晶構造解析結果と一致する。一方、酵
いた。なお、範囲を限定した二箇所の内、一方は
素活性とその部分反応の速度は置換により導入し
他のP450でも一般的に基質結合部位として働く
た残基の性質と相関して鋭敏に影響を受けた。無
領域に一致し、他方は他のP450ではまだ検討さ
電荷の親水性残基のときに強い活性が認められ、
れていない領域である。
その点では一般のP450の場合と概ね共通してい
第二章ではP450 family 2のカルボキシル末
た。
端近くにある保存度の高いPro−Proの機能的有意
ここでは数種類のP450を対照にしたが、 DNA
性を明らかにした。ここは、基質が分子内部の結
操作により変異酵素を作成して分光学的および酵
合領域に至る通路を構成する場所と推定されてお
素的性質を調べる方法は結晶化が全く成功してい
り、基質認識部位の一つとされている。両Proの
ない多種類の薬物代謝型やステロイドホルモン合
人ロ的置換は活性の消失を来し、解析の結果、
成系P450の高次構造推定や構造機能相関の解明
Proは活性の保持に必要な部分的な構造形成に働
に広く適用できる。また、野生型P450の機能改
いていると推測された。
変にもつながり、将来の応用面への活用の基礎と
第三章では 結晶構造解析により立体構造が解
なることが期待される。
明されているP450camを材料に用い、全ての
以上の通り、本研究の成果は、生化学、獣医学
P450を通じて最も普遍的な構造が基質の結合に
の基礎分野における学術的な貢献に加えて、申請
( 154 )
号外第2号 129
平成9年4月25日
者が自立した研究者としての能力を有することを
に分類される。原発性高脂血症はほとんどが遺伝
示すものであり、審査委員会は本論文の審査およ
性の疾患であり、家族性高コレステロール血症は
び最終試験の結果に基づき、申請者に博士(獣医
その一例である。続発性高脂血症とは、糖尿病、
学)の学位を授与することを適当と認める。
甲状腺機能低下症、Cushing症候群等に続発する
審査委員
高脂血症である。肥満は脂肪の過剰な蓄積である
主査 教 授 今 井 嘉 郎
副査教授菅野 司
副査教授畑 文明
副査 助教授 小 崎 俊 司
と定義され、ヒトの肥満は高脂血症の頻度が高い
とされている。また、高脂血症(高TG血症)が
ヒトの急性膵炎の原因となる危険性が指摘されて
いる。
近年、肥満の犬が増加してきており、肥満に伴
う疾患の増加は臨床獣医学上においても問題とな
大阪府立大学告示第48号
りつつあるにもかかわらず、正常時や高脂血症に
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
おけるリボ蛋白質の特性については不明な点が多
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
い。また犬の膵炎と高脂血症の関係については明
第1項の規定に基づき、平成9年3月31日博士の
確ではなく、その高脂血症におけるリボ蛋白質と
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
アポ蛋白質の両面にわたる分析は行われていない。
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
そこで本研究では、まず犬のリボ蛋白質の特性
要旨を次のとおり公表する。
平成9年4月25日
を明らかにするため、健常犬のリボ蛋白質の分析
を行い、次に犬で高脂血症を併発する可能性が示
唆されている肥満症および急性膵炎に着目し、そ
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
のリポ蛋白質を中心に高脂血症の病態を分析した。
さらに膵炎と高脂血症の関連性を明らかにするた
ちか
むね
とし
や
称号及び氏名 博士(獣医学)近 棟 稔 哉
め、オレイン酸注入による実験的急性膵炎を作出
(学位規程第3条第1項該当者)
し、その高脂血症の病態と発生機序をリボ蛋白質
(京都府 昭和39年11月7日生)
とアポ蛋白質の両面から解析を試みた。
第1章健常犬のリボ蛋白質の特性
論 文 名
第1節 健常ビーグル成犬のリボ蛋白質とアポ
犬の肥満および膵炎に伴う高脂血症に
関する研究
蛋白質
健常成犬のリボ蛋白質の特性を明らかにするた
め、ビーグル成犬(2歳以上)の血清脂質濃度と
1 論文内容の要旨
血清リボ蛋白質の脂質濃度を測定し、さらに別の
緒 言
ビーグル成犬(1.5歳以上)では各リボ蛋白質分
高脂血症とは血中脂質である中性脂肪(TG)
画中のアポ蛋白質の組成ならびに総アポ蛋白質濃
やコレステロール(TC)、リン脂質(PL)、遊離
度を測定した。
脂肪酸(NEFA)のうち一種またはそれ以上のも
血清リボ蛋白質の組成と脂質濃度はアガロース
のが増加した状態をいう。脂質は疎水性であるた
電気泳動法を用いた脂質分別染色法により測定し
め血中ではNEFAがアルブミンと結合して存在す
た。リボ蛋白質はその電気的移動度によりorigin、
る以外、アポ蛋白質との複合体であるリボ蛋白質
pre一β、β、及びα1リボ蛋白質に分類されるが、
を形成して存在する。したがって、高脂血症は脂
分離超遠心法では、それぞれカイロミクロン
質およびリボ蛋白質の異常に起因する。ヒトの高
(CM)、超低密度リボ蛋白質(VLDL)、低密度
脂血症は、原発性高脂血症および続発性高脂血症
リボ蛋白質(LDL)、高密度リボ蛋白質(HDL)
( 155 )
平成9年4月25日
130号外第2号
および超高密度リボ蛋白質(VHDL)に対応して
られた。以上の結果より、犬の肥満にみられる高
いるため、ここでは各リボ蛋白質を分離超遠心法
脂血症は高TGの増加によること、また、 VI.DI.
による名称で呼ぶことにする。アポ蛋白質の分析
およびLDLの脂質の増加、 H:Dしの脂質の減少と
には分離超遠心法によるリボ蛋白質の分離を行い、
ういリボ蛋白質の変化が認められた。
各リボ蛋白質中のアポ蛋白質の総濃度を測定し、
第2節 自然発生膵炎犬における高脂血症の病態
さらにアポ蛋白質の組成をSDS一ポリアクリルア
本学家畜病院に来院し、急性膵炎と診断された
ミドゲル電気泳動法を用いて分析した。
成犬3頭の血清脂質検査とリボ蛋白質の脂質定量
その結果、HDLにはTしの大半が含まれ、さら
を行った。
にTC,Pしの大半もHDLに含まれていた。また、
その結果、自然発生膵炎における高脂血症は高
LDLにはTGの大半が含まれていた。したがって、
TG血症であり、リボ蛋白質においてVLDLとLDL
犬のHDLは脂質の主要な運搬体であり、 LDLは
の脂質の上昇とHDLの脂質の減少がみられ、こ
TG−rich lipoproteinであることが明らかとなっ
れは肥満犬にみられる変化と類似した。
た。さらに犬のアポ蛋白質は主に5っのアポ蛋白
第3章 実験的急性膵炎に伴う高脂血症の病態と
質(apo B100,apo B48,apo A−IV, apo E, apo
A−1)より構成されており、VLDLにはapo
B48が、 LDLにはapo A−1が存在し、 HDLには
発生機序
第1節 オレイン酸による急性膵炎犬の作製
犬の膵炎と高脂血症の関連性を明らかにするた
apo A−IVが多量に存在していた。
め、高脂血症を再現する一つの方法として脂肪酸
第2節 健常ビーグル幼若犬のリボ蛋白質
の一種であるオレイン酸(0.5ml/kg)を副膵管
成長期に血清脂質やリボ蛋白質濃度が変化する
ことがヒトで知られている。そこで犬でも成長期
より膵臓内に注入して実験的急性膵炎の作製を試
みた。
に変化が生じるかを検討するため,7ヵ月齢の健
オレイン酸の投与により嘔吐や下痢、発熱、心
常ビーグル幼若犬の血清脂質ならびに血清リボ蛋
悸充進、血液濃縮がみられた。また、血液生化学
白質の脂質濃度を測定し、成犬との比較を行った。
検査では、血清アミラーゼ値が実験期間中を通し
その結果、幼若犬の脂質ではTC、 PL、 Tしが
て高値を示し、炎症の指標であるC−reactive
低額を、NEFAが高値を示した。また、リボ蛋白
proteinも常に高値を示した。144時間後の剖検所
質ではHDLのTC、 PL、 Tしが三値を示し,健常
見では、膵臓の膨張と出血がみられ、組織学的に
犬の成長期における血清脂質リボ蛋白質の脂質組
は膵臓房細胞の壊死や結合組織の増生、出血が認
成は成犬のそれと異なっていた。
められた。以上の結果より、オレイン酸の膵臓内
第2章肥満犬と自然発生膵炎犬における高脂血
投与は急性膵炎を発症させ、その病態は実験期間
症の病態
第1節 肥満犬における高脂血症の病態
本学家畜病院に来院した成犬(2歳以上)で、
肥満以外に異常の認められない単純性肥満の成犬
中を通して持続されることが明らかとなった。
第2節急性膵炎におけるリボ蛋白質
実験的急性膵炎における脂質ならびにリボ蛋白
質の脂質の変動を調査した。
10頭を対象として、血清脂質検査および血清リボ
その結果、オレイン酸投与証約32時間で高脂血
蛋白質の脂質定量を行い、肥満における高脂血症
症(高TG血症)が現れ、リボ蛋白質レベルでは
の実態を調査した。
VLDLとLDLの脂質の増加とHDLの脂質の減少
脂質検査で肥満犬のTGは対照群に比べ有意に
がみられ、さらにリボ蛋白質の変化は自然発生膵
高値を示した。また、リボ蛋白質検査ではLDL
炎のそれと非常に類似していた。
のTG、 Pしの有意な増加とTC、 Tしの増加傾向が
第3節 急性膵炎におけるアポ蛋白質
みられ、VLDLのPしの増加とTC、 Tしの増加傾
向、HDLのPしの減少とTC、 Tしの減少傾向がみ
( 156 )
実験的急性膵炎モデルにおけるアポ蛋白質の濃
度と組成を検討した。
号外第2号 131
平成9年4月25日
その結果、急性膵炎ではVLDLのアポ蛋白質濃
代謝に関する知見はない。そこで本研究では健常
度は測定限界以下であったがその組成に変化はみ
の犬のリボ蛋白質の分析を行い、次いで肥満症お
られなかったのに対して、LDLのアポ蛋白質濃
よび急性膵炎における高脂血症の病態をリボ蛋白
度が上昇し、その組成ではapo BlOOの比率が増
質を中心に分析を行い、さらに実験的急性膵炎に
加すること、H:Dしのアポ蛋白質濃度が減少し、
おける高脂血症とその発生機序をリボ蛋白質とア
その組成ではapo A−1の比率の減少やA−IVの
ポ蛋白質の両面から解析を行った。
比率の増加、serum amy!oid A proeinの出現
第1章健常犬のリボ蛋白質の特性
が生じていることが明らかとなった。したがって、
健常なビーグル成犬の血清およびリボ蛋白質の
急性膵炎によって生じるリボ蛋白質の変化はその
脂質濃度を測定し、さらにリボ蛋白質分画中のア
絶対量の変化であり、これにはアポ蛋白質の組成
ポ蛋白質の組成ならびに総アポ蛋白質濃度を測定
の変化が関与している可能性が示唆された。
した。リボ蛋白質の組成と脂質濃度はアガロース
結 論
電気泳動法により測定し、移動度によりorigin、
本研究では犬の血清リボ蛋白質、特に肥満や急
pre一β、β、およびα1リボ蛋白質に分類された。
性膵炎における高脂血症の病態について検討を行
それらは、分離超遠心法分類では、それぞれカイ
い、以下の結果を得た。
ロミクロン(CM)、超低密度リボ蛋白質(VLDL)、
(1)リボ蛋白質は、その大半がHDLであり、
低密度リボ蛋白質(LDL)、高密度リボ蛋白質
LDLはTG−rich lipoproteinであることが判明し、
(HDL)および超高密度リボ蛋白質(VHDL)で、
VLDLにはapo B48がLDLにはapo A−1が存
ヒトの場合と対応していた。アポ蛋白質の分析は
在し、HDLにはapo A−IVが多量に存在してい
分離超遠心法によるリボ蛋白質の分離を行い、各
た。また、幼若犬のリボ蛋白質は、成犬に比べ
リボ蛋白質中のアポ蛋白質の総濃度を測定し、さ
HDLの脂質量が少なく、NEFA濃度が高いとい
らにアポ蛋白質の組成を電気泳動法により分析し
う特徴がみられた。
(2)肥満および急性膵炎にみられる高脂血症は
た。
その結果、HDLにはTL,TCおよびPしの大半が
高TG血症で、リボ蛋白質レベルでは、 VLDLと
含まれ、HDLは脂質の主要な運搬体であり、
LDLの脂質の増加及びHDLの脂質の減少が生じ
LDLはTG−rich lipoproteinであった。アポ蛋白
ていることが明らかとなった。
質は主に5っのアポ蛋白質(apo B100,apo
(3)急性膵炎におけるリボ蛋白質の変化はその
B48,apo A−IV, apo A−1)より構成され、
絶対量の変化によるものであり、その一因として
VHDLにはapo B48が、 LDLにはapo A−1が
アポ蛋白質組成の変化が関与する可能性が示唆さ
存在し、HLDにはapo A−IVが多量に存在して
れた。
いた。7ヵ月齢の健常ビーグル幼若犬の脂質では
TC、 PL、 Tしが低値を、 NEFAが高値を示し、
2 学位論文審査結果の要旨
リボ蛋白質ではHDLのTC、 PL、 Tしが低山を示
高脂血症とは血中脂質である中性脂肪(TG)
し、成犬のそれと異なっていた。
やコレステv一ル(TC)、リン脂質(PL)、遊離
脂肪酸(NEFA)の1つまたはそれ以上のものが
第2章 肥満犬と自然発生膵炎犬における高脂血
症の病態
増加した状態をいい、脂質はNEFAがアルブミン
本学家畜病院に来院した単純性肥満の成犬の血
と結合して存在する以外、アポ蛋白質との複合体
清およびリボ蛋白質の脂質定量を行い、高脂血症
であるリボ蛋白質を形成しており、高脂血症は脂
の実態を調べた。その結果、肥満犬のTGは対照
質およびリボ蛋白質の異常に起因する。近年、肥
群に比べ有意に高値を示し、リボ蛋白質では
満の犬が増加し、それに伴う疾患の増加は臨床獣
LDLのTG、 Pしの有意な増加とTC、 Tしの増加傾
医学上問題となりづっあるにかかわらず犬の脂質
向がみられ、VLDLのPしの増加とTC、 Tしの増
(157)
平成9年4月25日
132号外第2号
加傾向、HDLのPしの減少とTC、 Tしの減少傾向
大阪府立大学告示第49号、『
が見られた。また、本学家畜病院にて、急性膵炎
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
と診断された成犬の血清およびリボ蛋白質の脂質
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
定量を行った結果、高脂血症は高TG血症であり、
第1項の規定に基づき、平成9年3月20日博士の
リボ蛋白質においてVLDLとLDLの脂質の上昇
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
とHDLの脂質の減少がみられ、肥満犬にみられ
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
る変化と類似した。
要旨を次のとおり公表する。
第3章 実験的急性膵炎に伴う高脂血症の病態と
平成9年4月25日
発生機序
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
犬の膵炎と高脂血症の関連性を明らかにするた
め、オレイン酸(OA)を副膵管より膵臓内に注
入し実験的急性膵炎の作製を試みた。OAの投与
いけ た ゆき ひろ
称号及び氏名博士(農学)池田幸弘
直後、嘔吐や下痢、発熱、心悸充進、血液濃縮、
(学位規程第3条第2項該当者)
高アミラーゼ血症がみられ、炎症の指標であるC−
(兵庫県 昭和12年11月30日生)
reactive proteinも高値であった。剖検所見では、
膵臓の膨張と出血、組織学的には膵臓房細胞の壊
死や結合組織の増生、出血がみられた。また、急
性膵炎の発症後、脂質ならびにリボ蛋白質の脂質
論 文 名
ヒメサユリの新潟県における自生分布と
変異およびその園芸化に関する研究
の変動を調べた結果、OA投与後釜32時間で高脂
血症(高TG血症)が現れ、リボ蛋白質レベルで
1 論文内容の要旨
はVLDLとLDLの脂質の増加とHDLの脂質の減
ヒメサユリ (LilLum rubellum Baker)は、
少がみられ、リボ蛋白質の変化は自然発生膵炎の
新潟、山形、福島および宮城の4県の限られた地
それと非常に類似していた。次いで、アポ蛋白質
域に自生する固有種であり、古くから知られてい
の濃度と組成を検討した。その結果LDLのアポ
るが、自生地の山掘り球根が利用されているにす
蛋白質濃度が上昇し、その組成ではapo B100の
ぎない。忘種はユリ属の中では最も早咲きの種で
比率の増加、HDLのアポ蛋白質濃度の減少、
あるうえに、花色がめずらしい桃色で観賞価値に
apo A−1の比率の減少、 apo A−W比率の増
優れ、園芸的価値は高い。しかし、自生地は開発
加、serun amyloid A proteinの出現があった。
や森林化また乱獲によって消滅寸前にある。この
したがって、急性膵炎によって生じるリボ蛋白質
ような現状から、自生地を保護するとともに、山
の変化はその絶対量の変化によるものであった。
掘りにかわる球根生産を開始し、本種の園芸化を
以上、本研究では犬の肥満および急性膵炎にお
はかることが急務であると考えられる。
ける高脂血症の病態の研究に1つの方向を示した
そこで本研究では、まず自生系統の中から優れ
ものであり、これらの成果は獣医臨床分野の発展
た育種素材を見出すため、本種の分布や自生地に
に貢献するものである。よって、最終試験の結果
おける形態、生態などの踏査を進め、次に自生種
とあわせて博士(獣医学)の学位を授与すること
の圃場あるいは温室栽培下における形態変異と生
を適当と認める。
態的特性から栽培適応性を明らかにし、さらに優
良系統の増殖法、周年開花技術の開発および交雑
審査委員
主査教授荒川
副査教授菅野
副査 教 授 今 井 嘉 郎
皓
による新品種の育成など園芸化をはかるための方
司
法について検討した。
第1章 自生分布域と自生地の状況
本章では、園芸化にあたってヒメサユリの特性
( !58 )
号外第2号133
平成9年4月25日
を知り、優れた育種素材を見出すため、自生地の
栽培条件下でみられる形態変異および栽培適応性
分布および自生状況を踏査した。
について比較するとともに、増殖法についても検
新潟県におけるヒメサユリの分布は、山形と福
討した。りん茎は毎年11月の地上部面死後に掘り
島の両県を背にした山岳地帯とこれに続く丘陵地
上げ、ただちに消毒して植え付け、ウイルスの感
にみられ、自生地の北端は岩船郡山北村の沿岸部
染防止のため防虫網ハウス内で栽培を継続した。
の海岸風心地に、西端は信濃川の東岸で長岡市の
開花可能な大きさのりん茎を構成しているりん
東山地域にあることを見出した。東南面での分布
片の寿命は4年から6年で、毎年りん片は更新さ
幅は、越後山脈に属すいわゆる朝日飯豊:山地と越
れていた。新生長点の形成は茎葉伸長期の5月上
後山地の分水嶺を中心に、山形と福島両県の自生
旬にりん心内で始まり、およそ4か月後の9月上
地へと広がっていた。自生地の垂直分布は海抜30
旬に花芽が分化を始め、枯葉期の11月に花の各器
m付近の丘陵地や低山地から海抜1,900mの高山
官が完成し、年内に次年度の葉数や虚数が決定さ
地までであった。本盗は丘陵地や低山地では疎林、
れていた。開花は5月下旬前後で、萌芽から開花
草地、岩場などに、高山地では低木帯から尾根の
までわずか30日前後と短く、他のユリには例のな
高山草原の陽光地にのみ生育していた。
い早咲き性を示した。開花率は高山地のものを除
第2章 自生地における形態変異
いていずれも高く、花数は1∼3花のものが多かっ
丘陵地、低山地および高山地の代表地点を選び、
た。移植栽培による影響を受けて茎や葉は短小化
生育地における形態特性を調査し、同時にりん茎
し、多用個体の生存割合が高くなる傾向が認めら
の採集を行った。
れた。りん茎は採集の時の大きさより肥大したが、
開花期は自生地の標高により差がみられ、5月
個体差が大きかった。継続して圃場で栽培すると、
中旬から8月上旬であった。着花数は1∼6花の
高山地のものは、丘陵地や低山地のものに比べ、
範囲で変異し、花色には桃色の濃、中間、淡色系
毎年花芽の形成が阻害されて不開花となる株が多
の他に白色系があった。花被の斑点は有るものと
発し、小さくなった茎葉の回復力が弱く、枯死率
無いものとがほぼ同率で存在し、花被片長には4
が高かった。したがって、園芸化をはかるために
∼!0cmの幅があった。茎長は平均すると50cmで、
は、高山地面は適さず、丘陵地や低山地型の中か
20cm程度の極雨性系統から100cmを越す高性系統
ら適応性のある系統を選抜することが必要である
まであった。葉数は平均21枚で6枚の極少から65
と推察された。
枚の古曲まであり、葉長や葉幅の個体差も大きかっ
自生種の増殖法としては、実生繁殖では、種子
た。葉形は楕円形から狭被針形までさまざまであ
を冷暗所に1年貯蔵し、翌年の10月に休眠が破れ
り、自生地による特徴が認められた。採集時のり
一斉に地下発芽した種子を降雪前に播く方法によ
ん茎には、109に満たない小球から1509の白球
り、圃場で3∼4作後には、開花可能なりん茎を
まであったが、りん茎は分球せず木子の着生もな
得ることができた。また、実用性の高い形質をも
く、形や色には変異がみられなかった。根は底主
つ個体間の交配では、稔実率が低かったため、こ
根のみが発達し、茎直根はみられなかった。朔果
れらの個体の花粉を混合して受粉する方法により
当たりの種子数は平均1!5粒で、出炭率は丘陵地
直面率を高めることができた。栄養繁殖ではりん
や低山地のものでは40%と低く、高山地のもので
片繁殖が可能で、その適期は8月中旬から9月上
は89%と高かった。以上のように、形態変異には
旬にあり、外部りん片ほど雨冠形成率は高かった。
自生地による違いも見られたが、個体差が著しく
第4章 促成栽培における諸形質の特性
大きかった。
各自生地から採集後3∼6年間圃場栽培して生
第3章移植栽培下における栽培適応性
き残ったりん茎を箱植えにし、自然低温に遭遇さ
園芸化をはかるための第一歩として、採集した
せた後、温室に移して促成栽培を行い、諸形質の
各地のりん茎を圃場で3∼4年間継続して栽培し、
特性について自生地別に比較検討した。
( 159 )
平成9年4月25日
134号外第2号
開花率は丘陵地や低山地のもので高く、高山地
第6章 種間雑種の育成とその特性
のものでは低かった。序数は平均2花で4花以上
ヒメサユリを花粉親として、わが国に自生する
のものが10%あった。茎長は平均35cmで、50cm以
ヤマユリ、カノコユリ、タモトユリとの種間雑種
上になったものが11%あったが、高山地のもので
およびシンテッポウユリ、 ‘ゆきのひかり’との
は短小化したものが多かった。葉数は平均29枚、
雑種を胚培養法によって養成し、その特性を検討
りん茎重は平均389で、いずれも自生地による差
した。
よりも個体差の方が大きかった。これら諸形質の
雑種の花芽分化期は、萌芽後に分化する種子親
変異は移植栽培から温室促成栽培を通じて維持さ
とは異なり、いずれも花粉親と同様に開花前年に
れたことから、系統の遺伝的差異によりもたらさ
りん茎内で分化するヒメサユリ型であった。また
れていると考えられた。以上の結果、里数が多く、
開花期もヒメサユリに近い早咲きとなった。形態
茎の伸長性に優れ、多葉でりん茎の肥大がよい系
は平均して両親の中間的となり、小型化した。花
統を選抜して増殖すれば、園芸化をはかれること
色は桃色となるものが多く、白花のタモトユリな
が確認できた。
どを有色花にすることができた。なお、本意とカ
第5章 周年栽培のための開花調節法
ノコユリとの雑種は、 ‘スイートメモリー’と命
園芸化を進めていくためには、自然開花の期間
名し、農林水産省に種苗登録した。
がわずか1か月と限定されるので、営利生産性を
総 括
高めるため周年開花法について検討した。
本研究により、ヒメサユリの新潟県における自
丘陵地産の圃場1作りん茎を用いた新津市での
生分布が明らかになった。海岸丘陵地から高山地
休眠覚醒期は1月下旬から2月上旬であり、この
まで続く生育地の垂直分布と生育状況を踏査した
期間から温室に搬入すると3月中旬から4月上旬
結果、自生群落の発達は陽光地に限られ、王種は
に開花させることができた。次に、開花促進のた
陽地毛原型植物であることが判明した。自生地に
めりん茎に対する低温処理による開始時期と期間
おける形態変異を調査したうえで、自生地から株
について検討した結果、13℃2週間の予冷開始可
を採集して比較栽培試験を行った結果、丘陵山地
能時期は花芽形成初期にあたる8月下旬であり、
型と高山地平の異なる気候的生態型を見出し、丘
開花にはこれに続いて0℃で80∼90日の本冷を必
陵山地型の中には毎年優れた生育を示す栽培適応
要とすることが明らかとなった。
個体が存在しており、これらから優良系統を選抜
暖地における周年栽培の方法について検討した
していくことにより、自生個体の栽培化がはかれ
結果、9月中旬に暖地!作りん茎を早掘りし、13
ることを確認した。さらに増殖法や周年開花技術
℃2週間の予冷後、0℃12週間の本冷を組み合わ
を開発し、優良系統と他種との交雑による種間雑
せて行う早期促成栽培では、2月上旬から開花さ
種の育成を行うことにより、園芸化の方策が確立
せることができた。本冷開始可能な花芽分化段階
された。本研究の成果を踏まえて、すでにヒメサ
は内花被形成期であり、予冷によって花芽分化が
ユリの球根栽培が開始され、同時に自生地の保護・
促進された。りん茎を自然低温に遭遇させた後温
育成が進められ、中山間地域の活性化や観光資源
室へ搬入する後期促成栽培では、2月下旬以降搬
としても活用されるようになった。
入日を順次遅らせることにより、4月上旬から自
然開花期まで連続的に開花させることができた。
2 学位論文審査結果の要旨
また12月下旬からりん茎を0℃で長期貯蔵し、6
花卉園芸では、観賞価値のある野生植物がその
月下旬から順次搬出して植え付ける抑制栽培によ
まま栽培されることが多い。ヒメサユリもその例
り、7月中旬から12月下旬まで開花させることが
であり、江戸時代に刊行された園芸書に記載があ
できた。これらの栽培法の組合せにより暖地にお
ることから、古くから観賞対象とされていたよう
いて周年開花が可能であることが実証された。
で、観賞価値の高い野生植物が自生地から掘り出
( 160 )
号外第2号135
平成9年4月25日
されて栽培されてきた。また、本直はユリ属の中
した。
では最も早咲きであり、花色も桃色を中心に変異
4)露地栽培で生き残ったりん茎を自然低温に
に富んでおり、育種の素材としても有用である。
遭遇させた後、昼夜温16℃の温室に移して促成栽
しかしながら、自生地の中心に位置する新潟県で
培したところ、露地での栽培と同様に、高山地の
は、丘陵山地の自生地の多くは開発によって破壊
もので開花率が低く、茎葉が短小化するものが多
され、残った自生地も森林化により消滅の危機に
かったことを認め、丘陵山地型と高山地位の異な
さらされていた。本々の消滅を防止するには、自
る気候生態型が存在することを指摘するとともに、
生地の保護を図る一方で、自生種の中から実際栽
丘陵LI」地型の中に存在する毎年優れた生育を示す
培に適した優良系統を選抜して増殖するとともに、
栽培適応個体を選抜していけば、自生種の栽培化
周年開花のための技術を開発して用途を拡大し、
が図れることを確認した。
園芸化を進めることが必要と考えられる。
5)増殖法としては、種子を冷暗所に1年間貯
本論文は、このような観点から、新潟県におけ
蔵して休眠が破れるのを待ち、翌秋、圃場に播種
るヒメサユリの自生状況を調べ、代表的な自生地
すれば栽培が省力化され、3∼4作で開花球に達
から球根を採集して栽培を続け、その栽培適応性
すること、優れた形質を持つ個体の花粉を混合し
を明らかにするとともに、増殖法や周年開花技術
て受粉することにより稔実率を高め、採種量を増
を開発し、さらに他事との交雑による種間雑種の
すことが可能であることを明らかにし、実生繁殖
育成を行い、本種の園芸的利用価値を高めること
の実用性が高いことを示した。また8月中旬から
を目指して行われた研究の成果をまとめたもので
9月上旬にりん片繁殖を行い、形成された子壷を
ある。得られた成果を要約すると次のとおりであ
2作すれば開花球が得られることも見出し、優良
る。
系統の維持が可能であることも示した。
1)新潟県における自生地を踏査し、分布域は
6)圃場栽培における開花期は5月中旬から6
越後山脈に属す山地とそれに続く丘陵地の陽光地
月上旬の1か月に限られるため、周年開花法につ
に限られ、海岸寄りの丘陵地から山地へ広がって
いて検討した結果、低温処理により早期開花をめ
高山地に上り、垂直分布は海抜30m付近から
ざす促成栽培では、りん茎を花芽形成の初期段階
1,900mまで及ぶことを明らかにした。
で早掘りし、13℃2週間の予冷により花芽の発達
2)自生地の中から代表的な地点を選び、形態
を内花被形成期まで促した後、0℃で80∼90日の
的特性を調査した結果、開花期は自生地の標高に
五畜を施す必要があることを明らかにした。自然
左右され約11週間にわたること、草姿、茎葉、地
低温を利用した後期促成栽培の場合は、寒冷地で
下部、花の諸形質については、自生地による特徴
は1月下旬、暖地では2月下旬以降、加温室への
が認められる場合もあったが、個体差の方がより
入室が可能であることを示した。さらに、りん茎
大きいことを示した。
の長期低温貯蔵による抑制栽培を組み合わせるこ
3)代表的な自生地からりん茎を採集し、露地
の防虫網ハウス内で3∼4年継続して栽培したと
とにより周年開花が可能となり、営利生産性が高
まることを実証した。
ころ、丘陵低山地のものに比べ、高山地のもので
7)本塗を花粉親として、種間雑種の育成を胚
は毎年多く不開花株が発生し、茎葉が短小化する
培養法により試みた結果、得られた雑種は、いず
程度も大きいことを見出した。また、りん茎の解
れも前年の秋にりん茎内で花芽を分化して早咲き
剖調査の結果、りん茎は4∼6年生のりん片で構
となり、小型化し、花色は桃色となるものが多く
成されていること、新生長点の形成は5月上旬に
なることを見出した。また、農林水産省種苗登録
始まり、花芽は9月上旬には分化を始め11月の枯
品種等の育成にもつながり、本種の育種素材とし
葉期には完成している.こと、翌春は萌芽から30日
ての優秀性が実証された。
前後と極めて短期間で開花に至ることも明らかに
このように、本論文は、消滅の危機にあったヒ
( 161 )
平成9年4月25日
136号外第2号
メサユリの栽培適応性を明らかにし、実生栽培に
越に低下することが知られている。しかし、収穫
よる球根養成法および養成球を利用した周年開花
後の貯蔵温度と味に関する成分変化との関係、糖
法を確立して園芸化への方策を示したものである。
質の動態、調理・加工方法などについては十分な
その成果は、自生地において保護・育成が進めら
調査はされていない。本研究においては、生育中
れ、観光資源として活用されるとともに、球根養
および異なる温度における貯蔵中のエダマメと実
成から切花出荷までが行われるようになり、中山
エンドウの品質に関するアスコルビン酸、遊離ア
間地域の活性化に役立っている。
ミノ酸および糖質などの成分変化、さらに食品の
以上、本研究で得られた知見は花卉園芸学分野
機能性成分として評価されているオリゴ糖の生成
の発展に大きく貢献するものであり、学力確認の
について追究した。調理・加工の場面では、最近
結果と併せて、博士(農学)の学位を授与するこ
注目されている真空調理法を未熟豆の調理に適用
とを適当と認める。
し、その品質改善効果について検討した。
審査委員
主査教授今西英雄
副査教授堀内昭作
副査教授樽本 勲
第1章 未熟豆類の生育ならびに貯蔵中の成分変
化
1.エダマメの生育および貯蔵中の成分変化
エダマメの収穫適期は、生育中のアスコルビン
酸、遊離アミノ酸および糖などの消長と種々の充
大阪府立大学告示第50号
実度から、開花後30∼36日と判断された。適期に
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
収穫したエダマメを20℃に貯蔵したところ、アス
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
コルビン酸含量は収穫後3日から4日にかけて急
第1項の規定に基づき、平成9年3月20日博士の
減し、食味に大きく関与する遊離アミノ酸と糖含
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
量は収穫後1日で顕著に減少した。1℃貯蔵では
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
これらの変化はかなり抑制された。開花後33日に
要旨を次のとおり公表する。
収穫したものについて一時的冷水冷却による品質
平成9年4月25日
保持効果を調べたところ、処理効果はほとんどみ
られなかった。
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
2.実エンドウの生育ならびに貯蔵中の成分変
化
しょうの よほこ
称号及び氏名 博士(農学) 生 野 世方子
実エンドウの収穫適期は、生育中のアスコルビ
(学位規程第3条第2項該当者)
ン酸、遊離アミノ酸および糖含量などの消長と種
(大分県 昭和25年11月20日生)
実の充実度から、開花後19∼24日と判断された。
食味の指標となる遊離アミノ酸と糖含量は1℃
貯蔵ではよく保持されていたが、20℃貯蔵では急
論 文 名
未熟豆類の品質ならびにオリゴ糖生成に
関する研究
速に低下した。 ‘白竜’、 ‘アルダーマン’、
‘うすい’について、一時的冷却の処理効果を調
べたところ、 ‘アルダーマソと‘うすい’では
1 論文内容の要旨
緒 言
クロースの減少が抑制された。
ハウス栽培における栽培時期(12月、2月、4
野菜として取り扱われるエダマメ、実エンドウ
月)の違いによる実エンドウの品質変化と貯蔵性
などの未熟豆類は収穫後も登熟する方向での物質
を検討した。実エンドウの栄養成分として、デン
代謝活性を強く有し、未熟豆の甘味やうま味が急
プン、遊離アミノ酸および糖含量を測定した。栽
( 162 )
号外第2号137
平成9年4月25日
培時期により含:量に差が認められ、12月の試料で
フィノースが存在したが、スタキオースとベルバ
は、各成分とも含量が高く商品性の限界に達する
スコースは検出されなかった。
までの期間が一番長かった。貯蔵温度別にみると、
種実の貯蔵におけるスクロース代謝関連の酵素
1℃貯蔵ではクロロフィルおよびアスコルビン酸
活性の変化をみると、スクロースilン酸合成酵素
は長期にわたって貯蔵当日の値を保持し、糖含量
活性は、20QC貯蔵ではいったん増加しその後実験
は貯蔵初期に増加しその後の変化は少なかった。
開始時のレベルまで減少し、1℃貯蔵では4日間
8℃貯蔵ではアスコルビン酸は長期にわたって貯
は実験開始時のレベルを維持しその後減少した。
蔵当日の値を保持したが、クロロフィルおよび糖
スクロース合成酵素活性は、200C貯蔵中には低下
含量は減少傾向にあった。20℃貯蔵ではクロロフィ
し、1℃では比較的高い活性を維持した。
ル、アスコルビン酸および糖含量は日数の経過に
2.スクロースからのオリゴ糖生成
伴い減少し、デンプン含量は増加傾向にあった。
前項で示したラフィノースおよびスタキオース
サヤの有無が貯蔵性に与える影響を検討したと
に加え、実エンドウにベルバスコースが存在する
ころ、サヤをはずして貯蔵すると品質低下が速い
ことを認め、これらオリゴ糖の貯蔵中の変化を調
ことがわかった。また、種実ならびにサヤの糖含
べたところ、ラフィノース含量は20℃サヤ付き貯
量の変化から貯蔵中にサヤから種実へ糖が転流す
蔵ではほとんど変化しなかったが、サヤ無しでは
ること、および種実内では転嫁した糖がデンプン
減少し、1℃ではサヤ付き、サヤ無しとも、いっ
合成に利用されることが推察された。
たん減少した後増加した。スタキオースおよびベ
ルバスコース含量は20℃ではサヤ付き、サヤ無し
第2章実エンドウ貯蔵中のスクロース代謝およ
びオリゴ糖の生合成
1.スクロース代謝
とも程度は異なるが増加し、1℃ではサヤ付き、
サヤ無しとも変化は少なかった。
さらに、スクロースからのオリゴ糖生成につい
前章で実エンドウの貯蔵中に糖含量の急減が認
て’4C(U)一sucroseを用いて調べたところ、子葉
められたので、実エンドウの糖組成、貯蔵中の各
に吸収されだ℃(U)一sucroseの放射能は、室温
自成分の含量の変化を調べるとともに、スクロー
下で反応開始後2日にはアルコール不溶性の画分
ス代謝にかかわる酵素の活性を測定した。
に約61%検出され、70%エタノール可溶性画分に
種実ではグルコースならびにフルクトース含量
も約35%が検出された。標識されたオリゴ糖をH
は少なく、貯蔵中も含量の変化はみられなかった。
PLCで分離したところ、スタキオースとベルバス
スクロースは含量が多く、サヤ無し貯蔵とサヤ付
コースの面分により強く放射能が検出された。
き貯蔵とも1℃貯蔵下では増加し、貯蔵開始後2
以上の結果から、スクロースはデンプンと同様
日にピークを示した。その後サヤ無し貯蔵では減
にオリゴ糖生成にも使われていることが確認され
少したのに対し、サヤ付き貯蔵では高いレベルを
た。ちなみに登熟豆の糖質含量を測定したところ、
維持した。一方、20℃では貯蔵に伴い急減し、こ
エンドウ種実はスタキオースとベルバスコースを
の減少はサヤなし貯蔵で顕著であった。実エンド
多く含んでいることが認められた。
ウにはスクロースにガラクチノールからガラクトー
3.オリゴ糖生成に関係する酵素活性
ス部分が移転して生成されるラフィノース、ラフィ
前項で放射性同位元素を用いてオリゴ糖が生成
ノースにガラクトース部分が転移されて生成され
されることを確認した。ここでは酵素活性の面か
るスタキオースが主に検出され、スクロースとオ
らオリゴ糖生成について検討した。ガラクチノー
リゴ糖生成との関係が示された。
ル合成酵素活性は20℃貯蔵中、サヤ無しの試料で
サヤの糖は主としてグルコースとスクロースで
は貯蔵開始後1日、サヤ付きの試料では貯蔵開始
あり、フルクトース含量は非常に少なかった。収
後2日にピークを示し、その後減少した。サヤ付
穫時点および貯蔵中にもオリゴ糖として少量のラ
きで貯蔵した1℃の実エンドウでは、貯蔵期間中
( 163 )
平成9年4月25日
138号外第2号
活性は高かった。スタキオース合成酵素活性はい
の食生活において重要な青果物の一つであるが、
ずれの温度でも貯蔵中に減少した。
その品質低下は極めて速い。
第3章未熟豆類の真空調理と品質
本論文は、未熟豆類が収穫後も登熟する方向で
水溶性成分はゆでる操作により加熱液へ溶出し
の物質代謝活性を強く有することに着目し、この
て、食品中では減少する。食材料を真空包装して
ような代謝活性と品質との関係を明らかにするた
加熱する真空調理法は、糖やアスコルビン酸を種
めに、エダマメと実エンドウの品質に関するアス
実の組織中によく保持し、水溶性成分の減少を抑
コルビン酸、遊離アミノ酸、糖質などの成分変化
えた。官能検査によっても真空調理の種実のほう
ならびに食品の機能性成分として評価されるオリ
が甘く、おいしいと評価された。エダマメでは真
ゴ糖の生成について追究するとともに、調理・加
空調理の加熱過程においてβ一アミラーゼが作用
工の場面で最近注目されている真空調理法を未熟
し、糖含量が増加した。また、実エンドウを品質
豆の調理に適用し、その品質改善効果について検
よく調理するための真空調理の条件は30Torr程
討したものである。得られた成果を要約すると次
度の高い真空度で、90℃で15分加熱、!00℃で8
のようである。
分加熱の条件であった。真空調理後5℃で保存す
第1章において、エダマメや実エンドウの未熟
れば、約10日間は一般細菌および嫌気性細菌の生
豆の生育および貯蔵中のアスコルビン酸、遊離ア
育がほとんどなく、実エンドウの品質もよいこと
ミノ酸、糖などの量的変化と収穫時期および品質
が認められた。
との関係を調査した。その結果、うま味に関連す
まとめ
る遊離アミノ酸、甘味成分の糖含量および種実の
未熟豆類の収穫適期を判定するとともに、その
充実度に加え、アスコルビン酸(ビタミンC)含
後の貯蔵ならびに調理加工の段階におけるアスコ
量を考慮して収穫時期を判定するとよいことを示
ルビン酸、遊離アミノ酸、糖などの成分変化と品
した。また、収穫後の品質保持のためには厳密な
質の関係を検討した。収穫後の物質代謝は登熟方
低温管理が必要であること、冷水による一時的冷
向で急速に進行するため、このような生理活性を
却はエダマメの品質保持に影響しなかったが、実
抑制し、品質を保持するためには低温貯蔵が必須
エンドウでは‘アルダーマン’、 ‘うすい’でス
であることを示した。糖質の動態に関しては、デ
クロースの減少を抑制することを認めた。一方、
ンフ.ンの合成とともにスクロースを基にオリゴ糖
実エンドウについて、ハウス栽培における栽培時
が生成され、特にスタキオースの蓄積が多いこと
期と収穫後の貯蔵性との関連を示した。さらにサ
を認めた。また、ガラクチノール合成酵素や活性
ヤの有無が種実の貯蔵性に影響し、サヤをはずし
は貯蔵初期には高く、ガラクチノールが供給され、
て貯蔵すると品質低下が速く、この現象にはサヤ
スタキオースやベルバスコースの生成を支持する
から種実への糖の転流が関係することを認めた。
のに十分と考えられた。調理・加工には真空調理
第2章においては、実エンドウの貯蔵中のスク
の活用が水溶性成分および風味の保持の上から有
ロース代謝およびオリゴ糖の生合成について詳細
効であることを示した。
に調べた。如実ではグルコースとフルクトース含
量が少なくスクロース含量が多く、スクロースの
2 学位論文審査結果の要旨
減少を抑制するにはサヤ付き貯蔵が効果的である
果実・野菜などの青果物は、一般に収穫後の代
ことを認めた。また、収雨後のラフィノース、ス
謝活性が高く、品質が速く低下するという生理的
タキオース、ベルバスコースなどの蓄積ならびに
特性を有する。野菜として取り扱われているエダ
オリゴ糖の生成とスクロースとの関係を示した。
マメ、実エンドウなどの未熟豆類は、生産量が少
一方、サヤの糖は主にグルコースとスクロースで
ないが、その特有の色調、栄養成分テクスチャー、
あり、収穫時点および貯蔵中にもオリゴ糖として
あるいは季節感を与える風味などから、われわれ
少量のラフィノースが存在したが、スタキオース
( 164 )
号外第2号139
平成9年4月25日
とベルバスコースは検出されず、種実とサヤにお
法の改善に資するものであり、よって、学力の認
ける糖組成の違いを明らかにした。
定の結果と併せて、博士(農学)の学位を授与す
このような糖質の量的ならびに質的変化を、酵
ることを適当と認ある。
素活性との関連から、また14C化合物を用いて追
審査委員
究し、低温下における如実のスクロース含量の保
主査 教 授 茶 珍 和 雄
副査教授今西英雄
副査教授池田英男
持には、スクロースリン酸合成酵素およびスクロー
ス合成酵素の比較的高いレベルの活性が対応して
いることを明らかにするとともに、スクロースか
らのオリゴ糖生成については子葉に吸収され
だ4C(U)一スクロースの放射能が、室温下での反
大阪府立大学告示第51号
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
応開始後2日にはデンプン以外にHPLCで分離さ
も
れたスタキオースとベルバスコースの画分に強く
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
分布していることを認め、また貯蔵中のガラクチ
第1項の規定に基づき、平成9年3月20日博士の
ノール合成酵素およびスタキオース合成酵素の活
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
性はいずれもオリゴ糖生成を支持することを示し、
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
収穫後の実エンドウにおけるオリゴ糖生成を実証
要旨を次のとおり公表する。
した。
平成9年4月25日
第3章では、未熟豆類の調理に関して真空包装
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
して加熱する真空調理の効果を調べ、真空調理法
が糖やアスコルビン酸を油墨の組織中によく保持
し、水溶性成分の減少を抑えること、官能検査に
にし もと ひろ ゆき
称号及び氏名博士(農学)西本浩之
よっても真空調理の種実が甘く、おいしいことを
(学位規程第3条第2項該当者)
認めた。また、実エンドウを品質よく調理するた
(愛知県 昭和36年12月26日生)
めの真空調理の条件は30Torr程度の高い真空度
で、90℃で15分、あるいは100℃で8分加熱の条
論 文 名
件であること、真空調理後5℃で保管すれば、約
A Systematic Study on the Family
10日間は一般細菌および嫌気生細菌の生育もなく、
Apataniidae(Trichoptera) of Japan
実エンドウの品質も保持できることを示した。
(日本産コエグリトビケラ科(毛翅目)の
このように、本論文は、未熟豆類のアスコルビ
分類学的研究)
ン酸、遊離アミノ酸、糖質などの成分変化を基に
収穫適期を判定するとともに、収穫後の未熟豆類
1 論文内容の要旨
の物質代謝が急速に進行するため、このような生
コエグリトビケラ科は毛翅目のエグリトビケラ
理活性を抑制し、品質を保持するためには低温貯
上科(Trichoptera, Limnophiloidea)に属す比
蔵が必須であることを示した。糖質の動態に関し
較的小型のトビケラである。本科は数属を含み、
ては、スクロースからのデンプンの合成と食品の
約150種が知られている。日本産コエグリトビケ
機能成分として注目されるスタキオース、ベルバ
ラ科は4属から構成され、それらは北半球に広く
スコースなどのオリゴ糖の生成を実証した。また
分布するが、日本を含めた東アジアでは、総合的
調理・加工には真空調理の活用が水溶性成分およ
な分類学的研究が行われていなかった。日本産の
び風味の保持の上から有効であることを示した。
種を明らかにすることは、本科の系統分類学的お
本研究で得られた知見は収穫後生理学の発展なら
よび生物地理学的な研究を行う上でも重要である。
びに輸送、貯蔵、調理・加工における品質管理方
日本産コエグリトビケラ科の分類学的研究は、
( 165 )
平成9年4月25日
140 号外第2号
Banks(1906)、 Martynov(1933)、津田(1939)、
加えた4属を日本産コエグリドビケラ科として扱っ
Schmid(1953、1954、1964)、小林(1971、1973、
た。
1983)、西本(1987、1994、1997)、Levanidova
各属の系統関係ならびに単系統性
et aL(1995)らによって行われ、これまで4属17
本研究では幼虫ならびに成虫の形質にもとづい
種が分布することが明らかにされている。しかし、
て、日本産コエグリトビケラ科に属する4属の系
多くの種が未記載のまま残されており、また既知
統関係ならびに単系統性について考察した。その
種についても雌成虫および幼虫の大部分が未確認
結果、Apatαniα属とMorops:yche属は単系統群
で、現状では種の同定さえ困難な状況であった。
を構成し、両属には成虫後翅の前縁基部に3本の
本研究では、日本産コエグリトビケラ科4属に
剛毛を有する、後翅にdiscoldal ce11が無い、幼
ついて分類学的検討を行った。属については成虫・
虫の頭部背面はsecondary setaeを有する、後胸
幼虫の詳細な再記載を行い、各論の単系統性につ
背面のsa!はキチン板を欠き、毛が連続して横に
いて考察した。また、Apatαniα属とMorOPSblche
並ぶ、尾肢鈎爪はaccesory hookを欠くという
属については、新たな種群を設立した。種につい
共有派生形質が認められた。Aραtαniα属は成虫
ては詳細な記載あるいは再記載を行い、種への検
において前翅のSc脈が鉱脈。−rによって止められ
索表を付し、各種の分布や生態に関する知見をと
るという派生形質で、MorOPS:yche属は幼虫にお
りまとめた。
いて上唇の第2、第4刺毛が先端で枝分かれする
コエグリトビケラ科の系統分類
ことと、塩類上皮が第皿∼船腹節立面に加えて第
毛翅目の系統解析は成虫の形質によってのみ行
W∼立腹節背面にも有するという派生形質によっ
われ、Apatαntα属はエグリトビケラ科コエグリ
て、それぞれの単系統性が示された。MorOPS:yche
トビケラ亜科コエグリトビケラ族(Limnephili−
属は成虫の後翅のR2脈とR3脈が完全に融合して
dae, Apataniinae, Apataniini)に、 Morops)ノche
一本の脈となることと、雄交尾器のinferior
属は同科同亜科のクロバネエグリトビケラ族
appendageのterminal segmentの先端に鋭い爪
(Moropsychini)に含められていた。 Wiggins
を有するという派生形質によって単系統性が示さ
(1973c)は初めて幼虫の形質を用いて高次分類群
れた。また、AllomPtα属は幼虫の頭部曲面の咽
の系統解析を行い、コエグリトビケラ亜科の幼虫
頭板がT字状になる、成虫の後翅においてCula
は多くの派生的な形質を有することを明らかにし
脈を欠く、雄成虫の第5腹節腹面に短い剛毛で覆
た。同時に、北米に生息するエグリトビケラ科の
われた小キチン板を有する、雄交尾器においてin−
中で亜科の所属が曖昧になっていたManoph:ylαx,
ferior appendageのbasal segmentの内縁は広
Allorn:yiα、 Mosel:yα几αの3属についても、同様
く膜状になる、terminal segmentは前縁に沿っ
に幼虫の形質に基づく系統解析を行い、特に
て歯列を有するという派生形質によって単系統性
Mαnoph:ylαXとAllom.:yiαがコエグリトビケラ亜
が示された。
科といくつかの派生的な形質を共有することを示
Genus Apatania KolenatiN 1848
した。その後Wiggins(1996)は、 Mαnoph:ylαoo、
全北区および東洋区に広く分布し、約80種が記
.4110m:yiα、 Mosel:yαnαをエコグリトビケラ科に
載されている。日本では、北海道、本州、九州に
含めるべきであるとし、本科幼虫の特徴として、
分布し、四国および南西諸島からは見つかってい
大顎は歯列を欠くこと、肢の鉤爪基部の毛は鉤爪
ない。幼虫の巣は石粒からなり、開口部がやや広
の先端近くに達すること、気管鯉は単一鯛か完全
くなった扇形で、:動体に弱いアーチ状をなし、下
に消失すること、巣は砂粒から作られることなど
面はやや平坦になる。幼虫は、清洌な水質で浅い
を挙げている。
緩やかな流水部に生息する。例外として、
本研究ではWigginsに従い、 Apatαniα、
Ap. biωαensisは琵琶湖の岸部に生息し、その他、
.Morops:yche属にMαnoph:ylαx、 Aglom:yiα属を
河川に生息する種の一部も十和田湖、支笏湖など
( 166 )
平成9年4月25日
号外第2号 14願
高緯度の比較的大きな湖で採集されることがある。
えた計8種を確認した。これまで、本属の種油の
年一化性であると考えられており、多くの種の成
分割は検討されていなかったが、本研究において
虫は秋に出現する。日本から12種が記録されてい
pαrvulaとspiniferαの2種群を設立した。
たが、そのうちAp. fuscostigmαMatsumura
Genus Manophylax Wiggins, 1973
とAp. kolzumii lwataは、油壷のシノニムであ
北米から2種、日本から2種が記載されている。
ることが判明した。新たに、サハリンおよび千島
北米の2種の幼虫は、流露数十cmの小流の浅い部
から記載されたAp. insulαris Levanidova、サ
分に生息し、蠣は岸部の小岩の下面で見られる。
ハリンから記載されたAp. sαehαltnensis
一方、日本産の2種は川から離れた、地衣類が生
Martynov、千島から記載されたAp.一ραrvu/α
え表面がやや湿った巨石や垂直に切り立った壁面
Martynovの3種が北海道に分布することが明ら
に生息する。幼虫の巣は細かい砂粒からなり、し
かとなり、Ap. kobα:yαshii、 Ap. hokんaiderzsis、
ばしば背面に植物片を付着させる。北米の少なく
Ap. arnigera. Ap. kuharai. Ap. clivergens.
とも1種は年一化と考えられているが、日本産の
Ap. contraricb. Ap. comiventris, Ap. roste/lata,
種は卵から成虫まで3年以上かかると推測されて
Ap. setifera、 Ap. g:yotokuiの10新種を加えた
いる。成虫は春に出現する。
計23種が日本から確認された。さらに本研究にお
いては、種の同定ができなかった5種の雌成虫に
ついても記載を行った。
日本から既知種2種と、未同定の!種(幼虫)
を加えた計3種を認めた。
Genus A/lomyia Banks, 1916
本属における種群の分割はschmid(1953、1954)
北米と旧北区の東部に分布し、16種が記載され
によってなされ、αberrαns、 crαssα、 tsudai、
ている。日本では北海道にのみ分布する。幼虫の
fimbriata種群に整理されたが、その後に記載さ
巣の形状はApatαniα属に似るが、やや粗い砂粒
れた日本産の種について種群の検討はなされてい
からなる。幼虫は湧水など水温の低い小流に生息
なかった。本研究ではSchmidの体系に従い、新
し、分布は局所的である。春に成虫が羽化し、一
たにdivergens、 shirαんαtait rostellatα、 setifera.
世代を終了するのに少なくとも2年が必要である
ishileαωai、 momayαensis種群を設立し、さら
と考えられる。
にdive㎎gens種壷をdivergens亜種群とcorniventris
日本から2種が記録されていたが、本研究にお
亜種群に分割した。また、Schmid(1953)が
いて新たにAl. denticulαtα、 Al. pumilα、 Al.
αberrαns種群に含めたAp. sαchαlinensis
acerosa. Al. aciculatax Al. gracillirrLa. Al.
Martynovをωαllengreni虚血のsubtilis亜種群に
dilαtαtα、 A9. bifo liolαtαの7種を加え、計9種
移した。
が確認された。
Genus Moropsovche Banks, 1906
東洋区から旧北区にかけて分布し、21種が知ら
Allom:yia属における種群の分割はRoss(1950)
によってなされ、tripuncutαtα、 bifOSα、 picoides.
れている。日本では、本州と九州から記録されて
αcαnthisの4種群に分けられている。日本産の種
いる。幼虫の巣は砂粒からなり、形状はコエグリ
はすべて加p召πc孟砒α盆暗に属し、雄交尾器の細
トビケラ属に似るがやや細い。垂直に切り立った
長いvetral stylesで特徴づけられる。
岩盤から水が滴り落ちるような水域を好む。一化
以上のように、本研究によって日本竜コエグリ
性であると考えられ、成虫は春に出現するが、生
トビケラ科に20新種、3日本新記録種を含む4属
活史は不明な点が多い。
日本から6種が記録されていたが、本研究にお
48種が認められ本科の大要が初めて明らかにされ
た。日本eeApatαntα属には他地域では見られな
いてMo. ai)icαlis KobayashiはMo. pαrvulα
い多くの種群が見られ、南北に長い日本の各地で
Banksのシノニムとして取り扱い、新たにMo.
多くの種が独自に分化したと考えられる。Apαtaniα
itoαe、 Mo. minor、 Mo. moritαiの3新種を加
属に非常に近縁なMorOPS:yche属は温帯地域に分
( 167 )
平成9年4月25日
142号外第2号
布し、日本の西南部で固有の種群を形成すること
23種が日本から確認された。さらに本研究におい
が示された。北米以外でB本にのみ生息する
ては、種の同定ができなかった5種の雌成虫が記
Mαnophylαx属は、その分布様式とともに幼虫の
載された。本属における種群の分割はSchmid
生態は非常に特異的であり、第三紀以前に北米か
(1953、!954)によってなされたが、その後に記
ら東アジアに広く分布したものの分布域が分断さ
載された日本産の種について種群の検討はなされ
れることによって、遺存的な分布パターンが成立
ていなかった。本研究ではSchmidの体系に従い、
した可能性がある。冷涼な気候帯に見られる
新たに6種群を設立した。
Allomyiα属は日本では北海道にのみ分布し、今
Morops:yche属は、東洋区から旧北区にかけて
回多くの種が確認された。このように、日本産コ
分布し、これまでに21種が知られていた。日本か
エグリトビケラ科は特徴のある4属を含み、日本
ら6種が記録されていたが、本研究において1種
で独自の分化を遂げていることが示唆された。
をシノ=ムとして取り扱い、新たな3新種を加え
た計8種が確認された。これまで、本属の種群の
2 学位論文審査結果の要旨
分割は検討されていなかったが、本研究において
コエグリトビケラ科は毛翅目のエグリトビケラ
2種群が設立された。
上科に属す比較的小型のトビケラである。本科は
1レfαnoph:ylαsc属は、これまでに北米から2種、
北半球を中心に広く分布し、世界から約150種が
日本から2種が記載されていた。日本産の2種は、
知られるが、日本を含あた東アジアでは総合的な
申請者が発見・記載したもので、本属の特異な分
分類学的研究が行われていなかった。日本産の種
布パターンは北米とユーラシア大陸東部の生物相
を明らかにすることは、本科の系統分類学的研究
の成り立ちを考察する上で、生物地理学的に重要
だけでなく、生物地理学的ならびに保全生態学的
な資料を提供するものと思われる。本研究におい
な研究を行う上でも重要である。日本産コエグリ
トビケラ科はこれまで4属19種が分布することが
て日本から既知種2種と、未同定の1種(幼虫)
g
を加えた3種が認められた。
知られていたが、多くの種が未記載のまま残され
Allom:yia属は、北米と旧北区の東部に分布し、
ており、また既知種についても雌成虫および幼虫
これまでに16種が記載されていた。日本から2種
の大部分が未確認で、現状では種の同定さえ困難
が記録されていたが、本研究において新たに7新
な状況であった。
種を加え、計9種が確認された。
本研究では、日本産エコグリトビケラ科4属に
以上のように、本研究によって日本産コエグリ
ついて分類学的再検討が行われた。属については
トビケラ科に20新種、3日本新記録種を含む4属
成虫・幼虫の詳細な形態にもとづいて属間の系統
48種が認められ、本科の大要が初めて明らかにさ
関係ならびに各属の単系統性が考察された。その
れた。日本reApαtaniα属には他地域では見られ
結果、Apatαniα属とMorops:yche属は単系統群
ない多くの藤豆が見られ、南北に長い日本の各地
を構成すること、今回扱った4属はそれぞれ単系
で多くの種が独自に分化したと考えられた。
統性が高いことが示された。種については詳細な
Apatαniα属に非常に近縁なMoropsyche属は温
記載あるいは再記載を行い、種への検索表を付し、
帯地域に分布し、日本の西南部で固有の種群を形
各種の分布や生態に関する知見をとりまとめた。
成することが示された。北米以外では日本にのみ
Apαtαniα属は、全北区および東洋区に広く分
生息するMαnophylαx属は、その分布様式ととも
布し、これまでに約80種が記載されていた。日本
に幼虫の生態は非常に特異的であり、北米から東
から12種が記録されていたが、そのうちの2種は、
アジアに広く分布したものの分布域が分断される
本研究により別属のシノニムであることが判明し
ことによって、遺存的な分布パターンが成立した
た。また、3未記録種が北海道に分布することが
可能性があることを示した。冷涼な気候帯に見ら
明らかとなり、今回発見された10新種を加えた計
れるAllonz:yia属は日本では北海道にのみ分布し、
(168)
平成9年4月25日
号外第2号143
今回多くの種が確認された。
気候の温暖化が予測され、地球上の多様な生態系
このように、本研究では、これまで着目されて
におけるCO 2等の動態を定量的に把握することが
いなかった成虫の形態形質などにもとづいて日本
求められている。北極域生態系は、全陸地面積の
産コエグリトビケラ科に含まれる4属の系統関係、
!3%を占め、ここに陸上生態系の全有機物量の22
ならびに各論の単系統性を明らかにするとともに、
%が保有されている。近年の北極域ツンドラの温
20新種を含む本科の種多様性を明らかにした。ま
暖化は、凍土の融解を加速させ、蓄積されている
た、これまで未知であった多くの種の生活史を解
膨大な量の有機炭素をCO 2やCH、として大気中へ
明した。これらの成果は、系統分類学にとどまら
放出させる可能性があり、これが大気中の温暖化
ず、生物地理学、保全生態学などの基礎資料とし
ガス濃度をさらに上昇させることにより、全球的
て貢献するところが大きい。よって、学力確認の
な温暖化を加速すると予測されている。しかし、
結果と併せて博士(農学)の学位を授与すること
北極域ツンドラにおける微気象やCO 2収支の実態
を適当と認める。
を把握する観測研究は少ない。本研究では、1993
審査委員
年から1995年の夏季にアラスカ州の北極域ツンド
主査 教 授石 井
実
副査教授尾崎武司
副査教授森本幸裕
副査 助教授 広 渡 俊 南
ラにおいて連続観測を行い、ツンドラ生態系にお
ける微気象とCO 2収支との関係を解析した。この
成果に基づき、温暖化に伴う北極域ツンドラの
CO、収支変化について考察した。
本論文は、最終章を含む9章からなる。第1章
の序論では研究の背景、第2章では既往の研究に
大阪府立大学告示第52号
ついて述べ、第3章以下第8章において、観測結
大阪府立大学学位規程(昭和50年大阪府立大学
果の解析と地球温暖化が及ぼすツンドラ生態系の
規則第2号。以下「学位規程」という。)第15条
応答等の検討を行った。以下第2章から順次要約
第1項の規定に基づき、平成9年3月20日博士の
を示す。
学位を授与したので、学位規程第16条第1項の規
既往の研究のレビュー(第2章)
定により、論文内容の要旨及び論文審査の結果の
1970年代、US−IBP総合研究の一環として、ア
要旨を次のとおり公表する。
ラスカ州の北極域ツンドラにおいて微気象やCO、
平成9年4月25日
フラックスの総合観測が行われ、多くの報文が発
表された。そして1970年春の北極域ツンドラは大
大阪府立大学長 平 紗 多賀男
気中のCO、の吸収源であったことが報告されてい
る。北極域では近年、気温の上昇が観測され、こ
よし
もと
ま ゆ み
称号及び氏名 博士(学術) 吉 本 真由美
れに伴い1990年頃の海岸性ツンドラはCO2の弱い
(学位規程第3条第2項該当者)
放出源となっていることが報告された。この現象
(香川県 昭和41年11月28日生)
は地球温暖化を加速するとの予測から、ツンドラ
生態系におけるCO2収支が重要視され、その解明
論 文 名
北極域ツンドラにおける微気象と
CO2フラックスに関する研究
のために多くのプロジェクト研究が実施されてい
る。
現地観測の状況(第3章)
!993年から1995年の夏季に、アラスカ州のタイ
1 論文内容の要旨
はじめに
大気中の温暖化ガス濃度の上昇に伴う全高的な
プを異にするツンドラ(海岸性湿潤・湿地状ツン
ドラ、内陸性湿潤・湛水ツンドラ)において微気
象及びCO 2フラックス観測を行った。湿潤ッンド
( 169 )
平成9年4月25日
144号外第2号
うは、地表面が植物や地衣類からなるスポンジ状
について解析した結果、湛水ツンドラでは、日平
の有機物層で覆われ、水面は地表面よりやや低かっ
均気温の上昇に伴い、ボーエン比の減少、地表面
た。湿地状ツンドラは地表面と水面がほぼ同じ高
での地中熱流量の増大傾向が認められた。地中熱
さにあり、地表面はほぼ飽和水分状態の非常に湿
流量の増大は凍土の融解を加速することから、地
潤なツンドラであった。湛水ツンドラは水深10∼
球温暖化がツンドラ生態系の熱収支構造を変化さ
25cm程度の湛水状態である。
せ、温暖化や乾燥化を助長する可能性が示唆され
各観測地点において、全天日射量、正味放射量、
た。
地中熱流量等の熱収支要素、風向や数高度におけ
活動層の熱・水収支構造(第5章)
る風速、温湿度等の一般微気象要素の測定の他、
凍土面の低下速度の比較から、凍土の土壌組成
超音波風速計と開光路型CO 2/H、0変動計を用い
の違いによる氷の含有率や熱伝導率の差は、凍土
て老心関南により庶出・潜熱とCO 2フラックスの
の融解速度を決定する重要な要素であることがわ
連続測定を行った。器差補正後の15分平均の物理
かった。
量により解析した。
凍土の融解に伴う融解層の土壌水分状態の解析
微気象及び熱収支特性(第4章)
から、湿潤,ツンドラでは、降水量を上回る蒸発
北極海からの距離や、地表面の水分状態の違い
散量が、凍土の融解で供給される水分で補われて
等による、ツンドラの微気象及び熱収支構造の差
異について解析した。
いることがわかった。
融解層への貯熱量は小さく、地中熱流量の約80
北極海沿岸の海岸性湿潤ツンドラでは、風向
%が凍土への熱伝導量として消費される熱収支構
(流入する気団の性質)によって熱収支が変化し
造であることがわかった。本解析による予測では、
た。風向が北極海側である場合には低温湿潤な気
温暖化に伴い活動層下層の凍土の氷の含有率が低
団に支配され、正味放射量の大部分が顕熱フラッ
下するが、これは凍土への熱伝導の減少・凍土の
クスとして分配された。(ボーエン比は2∼数10
融解速度の増加をもたらし、凍土面を深化させる
以上)が、風向が内陸側の場合には空気が高温で
可能性が示唆された。
乾燥した状態となり、蒸発散量が増大しボーエン
CO 2収支に及ぼす微気象の影響(第6章)
比は1以下に低下した。北極海からの気団の影響
日射量・温湿度・風速等の微気象要素とCO、収
は30km内陸でも明確に観測され、影響範囲が広い
支との関係について、群落抵抗モデルを適用し、
ことがわかった。北極海から140km内陸の内陸性
ツンドラ埴生の最大光合成量、生態系全体の呼吸
ツンドラでも、風向の変化と共に熱収支が変化し
量、微気象条件による光合成の抑制量を評価する
たが、風速が比較的低いことから、内陸性湿潤ツ
モデルを作り、実測データからパラメータを決め
ンドラでのボーエン比は0.4∼2.5となった。
た。
湿潤ツンドラ及び湿地状ツンドラでは、枯死し
盛夏期の海岸性ツンドラでは、生態系呼吸量は
た植物や地衣類からなるスポンジ状の有機物層の
水温の上昇に伴い増大し、その増加率は風速の増
存在により、土壌水分の蒸発面が顕熱の能動面よ
大と共に増加する傾向を示した。微気象条件によ
り低くなっており、これが熱収支に影響した。植
る光合成抑制関数は、飽差の増大に伴って対数的
物や地衣類からなるスポンジ状の有機物層は、融
に減衰する傾向を示し、その減衰率は風速が大き
解層土壌から大気への水蒸気拡散に対して大きい
いほど大きかった。生態系呼吸量と光合成抑制量
抵抗を持つことがわかった。
は、各々ツンドラ埴生の最大光合成量の約1/2に
湛水ツンドラでは、面体が日中は蓄熱、夜間は
達することもあり、ツンドラの微気象の変化が群
放熱する貯右体として機能し、1日を通して上向
落のCO、収支に重大な影響を及ぼすことが明らか
きの顕熱・潜熱フラックス、下向きの地中熱流量
となった。
が観測された。日平均気温と熱収支構造との関係
( 170 )
号外第2号 145
平成9年4月25日
CO,収支の季節的変化(第7章)
と微気象要素との関係を把握し、表面植生が融解
凍土の融解期全体にわたる内陸性湛水ツンドラ
層土壌から大気への物質拡散に対して大きい抵抗
でCO 2収支について、前章のツンドラCO 2収支モ
として機能することを明らかにした。また、温暖
デルを適用し、各季節毎の微気象とCO,収支との
化に伴って活動層下層の乾燥化が進行し、凍土面
関係を解析した。
の低下が加速される可能性が示された。CO、収支
越鳥をパラメータとして光合成抑制関数を定式
については、観測データに基づく群落抵抗モデル
化した結果、各時期毎に群落光合成の最適温度が
を定式化して解析した。これらの結果、地球温暖
あり、それより高温あるいは低温となるにつれて、
化が、北極域ツンドラの接地境界層及び活動層の
群落光合成速度が低下する傾向が認められた。生
熱・水収支構造の変化を誘起し、植生の環境適応
態系呼吸量は水温の上昇に対して指数関数的に増
速度によって、凍土の融解期におけるCO、収支が
加した。
大きく変化する可能性が明らかとなった。
植物や光合成活動が盛んな時期には、微気象条
件による光合成抑制量や生態系呼吸量により、正
2 学位論文審査結果の要旨
味の群落CO、吸収量が最大光合成量の4割程度ま
今後予測されている地球温暖化は北極域にもお
でに低下することがわかった。植物活性が未熟な
よび、凍土の融解を促進させ、蓄積されている膨
時期には、生態系呼吸量と光合成によるCO 2吸収
大な量の有機炭素をCO、やCH 4として大気中へ放
量とがほぼ平衡し、正味の群落CO 2吸収量が非常
出させる可能性があり、全球的な温暖化をさらに
に小さくなった。
加速することが指摘されている。しかし、北極域
温度条件の変化は、葉書・水温の変化に伴う光
ツンドラにおける微気象やCO、収支の実態は未解
合成速度や生態系の呼吸速度の変化を通じて、ツ
明である。本論文は、ツンドラ生態系における微
ンドラ植生の各生育期間におけるCO 2収支に重大
気象とCO 2収支との関係を解明するためアラスカ
な影響を及ぼすことが定量的に明らかとなった。
の北極域ツンドラにおいて観測を行い、CO 2の動
温暖化が北極域ツンドラのCO2収支に及ぼす影
態を定量的に把握し、ツンドラのCO 2収支モデル
響(第8章)
を作成した。これをもとに地球温暖化に伴うCO 2
内陸性湛水ツンドラのCO 2収支モデルを用いて、
収支変化について検討したものである。
2℃の温度上昇が各期間のCO 2収支に及ぼす影響
研究の中心である現地観測は、アラスカの異な
を検討した。生態系呼吸量は全期間を通じて増加
るツンドラ(海岸性湿潤・湿地状ツンドラ、内陸
し、特に水温が高く凍土の融解が進行している時
性湿潤・湛水ツンドラ)において1993年から1995
期には顕著に増加した。
年の夏季に行われた。各観測地点において、全天
上記モデルに2℃の温度上昇シナリオを適用し、
日射量、正味放射量、地中熱流量等の熱収支要素、
凍土の融解期全体のCO2収支の変化を推定した。
風向や数高度における風速、温湿度等の一般微気
急な温度上昇で植生の環境適応が遅れる場合には、
象要素の測定に加え、超音波風速計、CO 2/H、0
生態系呼吸量が顕著に増大し、凍土の融解期全体
変動計を用いて渦相関法を適用して乱流輸送量の
の正味の群落CO 2吸収量は、現在と比べて39%程
測定が行われた。得られたデータは貴重なもので
度減少するが、植生が環境適応する場合、温度上
あり、これをもとに次のような結果が得られた。
昇により生態系呼吸量の増加量と生育期間の延伸
まず、ツンドラ域の熱収支の特性について述べ
による植物の光合成量の増大とが拮抗し、全体の
られ、北極海岸の海岸性湿潤ツンドラでは、流入
正味の群落CO、吸収量は、現在の89∼114%程度
する気団の性質によって熱収支が変化すること、
となる可能性が示唆された。
風向が北極海側で低温湿潤な気団に支配される場
おわりに
合は正味放射量の大部分が顕熱フラックスとして
本研究では、大気一ツンドラ間の物質交換過程
分配され、逆に風向が内陸側の場合には空気が高
( 171 )
平成9年4月25日
146号外第2号
温で乾燥した状態となり、蒸発散量が増大するこ
最後に、作成したCO 2収支モデルを用いて温暖
とが示された。北極海からの気団の影響は100km
化が北極域ツンドラCO2収支に及ぼす影響予測が
以上内陸でも明確に観測され、影響範囲が広いこ
行われた。モデルに温度上昇シナリオを適用し、
とがわかった。また、植物や地衣類からなるスポ
凍土の融解期全体のCO 2収支の変化を推定した結
ンジ状の有機物層は、融解層土壌から大気への水
果、急な温度上昇で植生の環境適応が遅れる場合
蒸気拡散に対して大きい抵抗を持つことが明らか
には、生態系呼吸量が顕著に増大し、凍土の融解
にされた。
期全体の正味の群落CO 2吸収量は現在と比べて大
一方、湛水ツンドラでは、日平均気温の上昇に
幅に減少する可能性が示唆された。
伴い、ボーエン比の減少、地表面での地中熱流量
以上のように、本論文では、大気とツンドラ間
の増大傾向が認められた。地中熱流量の増大は凍
の物質交換過程と微気象要素との関係を観測とそ
土の融解を加速することから、地球温暖化がツン
れに基づくモデル化によって把握した結果が示さ
ドラ生態系の熱収支構造を変化させ、温暖化や乾
れた。その成果を地球温暖化に伴う気象条件の変
燥化を助長する可能性が示唆された。さらに、温
化に適用した結果、北極域ツンドラの接地境界層
暖化に伴う活動層下層の凍土の氷の含有率が低下
及び活動層の熱・水収支構造の変化が誘起され、
は凍土への熱伝導量の減少・凍土の融解速度の増
植生の環境適応速度によって、凍土の融解期にお
加をもたらし、凍土面を深化させる可能性が示唆
けるCO 2収支が大きく変化し、 CO、の放出が促進
された。
される可能性を初めて定量的に示した。これは、
次に、ツンドラ植生のCO 2収支と微気象の関係
ツンドラ環境の研究に多大な貢献をしたことに加
についてのモデル化が行われた。日射量・温湿度・
え、今後地球環境変化の予測を行う上での重要な
風速等の気象要素とCO 2収支との関係について、
寄与である。
群落抵抗モデルを適用し、ツンドラ植生の最大光
合成量、生態系全体の呼吸量、微気象条件による
光合成の抑制量を評価するモデルを作り、実測デー
タからパラメータを決めた。生態系呼吸量は水温
の上昇に伴い増大することや、微気象条件による
光合成抑制関数は、輪差の増大に伴って対数的に
減衰する傾向を示したが、その減衰率は風速が大
きいほど大きいこと、生態系呼吸量と光合成抑制
量:は、各々ツンドラ植生の最大光合成量の約1/2
に達することもあり、ツンドラの微気象の変化が
群落のCO 2収支に重大な影響を及ぼすことが示さ
れた。
このモデルを用い、凍土の融解期全体にわたる
内陸性湛水ツンドラについて季節毎の微気象とC
O2収支との関係の解析が行われた。堂島をパラ
メータとして光合成抑制関数を定式化した結果、
各時期毎に群落光合成の最適温度があり、それよ
り高温あるいは低温となるにつれて、群落光合成
速度が低下する傾向が認められた。生態系呼吸量
は水温の上昇に対して指数関数的に増加すること
が示された。
( 172 )
よって、学力確認の結果と合わせて、博士(学
術)の学位を授与することを適当と認める。
審査委員
主査 教 授 文 字 信 貴
副査教授穂波信雄
副査教授清田
信
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