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2007 年 10 月 1 日 ロシアの第二の都市サンクト ペテルブルグの空港

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2007 年 10 月 1 日 ロシアの第二の都市サンクト ペテルブルグの空港
2007 年 10 月 1 日
ロシアの第二の都市サンクト
ペテルブルグの空港。
広大な敷地内を、リムジンバス
が搭乗機まで乗客を運ぶ。
アエロフロートの搭乗システ
ムは、ビジネスクラスはタラッ
プも VIP 専用。
操縦席側へのタラップは、ビジ
ネスクラスの乗客のみ昇るこ
とが許される。間違って登ると
VIP 専用タラップ
追い返す厳しさには驚く。
この駐機場はほとんどがロー
カルを結ぶ路線らしく、ロシア製の飛行機ばかりで見たことも無い機体が一杯だ。そして
妙に緊張感が漂っている。
我々もその機体に搭乗して、サンクトペテルブルグ
からモスクワへ飛ぶ。
晩秋の陽は低いので、窓越しの水平線が眩しく望め
る。
飛行時間は 1 時間でモスクワに到着。
空港からモスクワ市内に向かう道は、2 月に来た時
とは違い眩しく外観が望める。
コスモスホテル
あの時は車の窓ガラスが吐く息で凍り、ヒーター音
この最上階に宿泊
以外は静まり返った氷白の世界だった。
映る景色は流石サンクトペテルブルグとは違い、大都市のパワーが漲っている。
それは5車線の道路を 7 車線に車が走り、もの凄い渋滞にも現れている。
この国では車の優先権は早い者勝ちで、ずうずうしい者勝ちである。生まれ育ちの良い気
弱な自分には不向きな街なのは確か。でも同行の吉田さんには向いているかもね。
渋滞も手伝いホテルに到着したのは1時間後。市内の外環にあるホテルだ。
コスモスホテルと言い、宿泊料は 35,000 円程だ。
部屋は最上階の 25 階で、秋の斜陽に煙る市内が遠く
まで望める。
低い陽は真正面から差し込み、温室並みの暖かさだ。
パンツ一丁で PC に向かう。
部屋は広く大きく、ベッドが 2 つある。
一人で寝るのはもったいない。
地下鉄の変なオジサン2人
今夜は、日本を出る前からメールで連絡済みの黒川
さんと会う約束だ。夕刻ロンドンのセブンスシサム
ライのサポートでお馴染みの、黒川さんがホテルまで迎えに来た。
彼は現在、ロシアのレストランチェーンで調理指導をしている頼もしい人。
ホテルを出て、赤の広場までタクシーと値段交渉をする。
日本人なのか法外な値段を吹っかける。止む無く待望の地下鉄に乗ることになった。
しかし怖いもの見たさの好奇心で心が弾む。
地下鉄の切符売り場は大変な人で溢れかえり、自分たちも後に続き切符を買う。
ここは物騒だから現金は見せないようにと、黒川さんから厳しく注意を受ける。
ホームまでは、ワシントンの地下鉄と同じく、大きな洞窟にエスカレーターで急降下。こ
れはまるで防空壕だ。巨大な地下のホールに吸い込まれて行くようだ。
地下鉄は、市内同一料金で乗れて 200 円くらいだ。
知らない街の地理を頭に入れるのには、公共の乗り物に乗るのが懸命だ。
私はタクシーよりも、地下鉄やバスに乗って移動すると、地理が分かり把握しやすい。
しかし日本大使館からは、地下鉄や白タクには乗るなとのおふれ。特に地下鉄は治安が悪
いらしい。
30 分後、遠足気分でモグラは外へ、そこはク
レムリンに近い場所であった。
最初の目的地は、ロシア NO1高級なホテル・
リッツカートンのすしバーだ。
超高級外車の並ぶホテルの入り口は、ガードマ
ンが厳しく警備。それも金縁のサングラス
で・・・。 異様な雰囲気さえ漂う。
入るとレストラン SEIJI に行くエレベーター
夕暮れの赤の広場
はすぐに見つけることが出来た。
金色の縁のシースルーのエレベーターは、各階の超リッチと言う宇宙空間を覗き最上階へ。
そこは白と黒で統一され超豪華で、おしゃれで、紛れも無い VIP のお客様ラウンジだ。
ホテル・リッツカートン
すしバーに行くと、尾倉君が元気な顔を見せた。彼にロシアを紹介したので、私も気にな
っていた。
海外生活は馴染めるタイプとそうでない
人がいるが、彼はいたって順応性がある
ようだ。 実に楽しそうにしていた。
それもそのはず、現地のガールフレンド
が一杯いて、一人に絞り込めないようで
ある。
実に羨ましい限りである。ここで現地の
寿司職人と、寿司の早にぎりの競争を試
みた。
PIR・SUSHI コンクール会場
一回 1,000 ルーブルで競争だ、最初に吉
田さんが行い大差で勝利。
SUSHI コンクール
次に風戸がチャレンジを受けてこれも余裕で勝利。
驚いた事に彼らが 2,000 ルーブルを持って来たが、これはご愛嬌と言う事で返した。
すしバーのメニューを覗き、ワインリストを見
るとなんと驚くことに300万円のワインがあ
る。
これが売れると言うのだから凄い。お客様に出
した後のワインの瓶の底を舐めたいと思うのは
卑しいかな・・・・・。
次に黒川さんが指導するグループのレストラン
で、2月にも伺った銀の滝を訪問。
レストラン SEIJI
店は19時近くになっていたので、200 席ほどの
店内はすでに満席状態だった。
全てにおいてスケールが大きい。
今度は目的地のレストラン SEIJI に向かう。巨大
な建物の脇に入り口がある。冬に一度訪問させて
いただいた時には無かったが、店の脇の歩道にオ
ープンテラスが作られていた。店に入ると相変わ
らず豪華な設備だ。日本食レストランで、これほ
ど金をかけた店は、どこにも無いと言っても過言
ではない。
SUSHI コンクール審査員席
豪華な二階の小上がりに通され、シャブシャブを
ご馳走になった。
この国で日本の肉が食べられるとは驚
きだ。この店だけはロシアの常識を破る
店だ。
10月2日
10時過ぎホテルの朝食を済ませ、食品
見本市会場 PIR へと向かう。
モスクワの外環にある施設までは、ホテ
ルから40分ほどの道のりだ。
ホテルにトロロ昆布の様な頭の通訳のオバサンが来た。なんか朝から戦力が薄れる。若く
て美人の通訳さんが良いのにな・・・・・
タクシーはハイウエーと一般道を交えながら目的地に着いた。
日本で言えば、幕張メッセや東京ビックサイトのようだ。
開催施設の会場は、1月のフランスのリヨンは 3 ホールだが、ここは 2 ホールだ。
全体的な規模では及ばないが、大変なスケールである。ホールは 15 あり、14 と 15 が PIR
の開催ホールである。
そこで食品見本市が行われ、我々のすしセミナーはホール 15 で1日2回、2日間開催され
る。会場は明日からの開催に向けて、
各ブースの出展企業の設営も急ピッ
チで進められている。
私達が行う寿司セミナーのブースを
見学して、打ち合わせに入る。
PIR の設営係りと、入念な打ち合わせ
をする。
サンクトに来てから急遽セミナーの
スケジュールが変更になったので、食
材と調理機材も追加が必要となって
いる。
お互いに確認をしながら打ち合わせは1時間ほどで終了した。
しかし通訳のトロローさん、本当に私達の言っているのを理解して伝えているのか不安を
感じる。
ロシアの約束は当日になってみないと分からな
イチバンボシの筒井さんと岸本さん
いと言うのでなお不安だ。
夕刻、筒井さんからお誘いを受けていたので、
迎えの車をホテルで待つ。
19時頃ホテルの部屋の電話のベルが鳴り、迎
えを確認してロビーへ。 そこには強面のアゼ
ルバイジャン人の運転手が黒服で待っていた。
私達を乗せた三菱のパジェロは、モスクワ市内
の日本食レストランイチバンボシへ。
冬に来た時と同じく店は大盛況で満席だ。
ここには日本人の岸本店長が居るので、日
本の味が堪能できた。
2月に来た時も、日本大使館の上野さんが
連れてきてくれた店である。
館員にも人気の店ですと言っていた。
サンクトとは味も質も格段の差である。
この店も今後モスクワに、10店舗ほど広
げる企画があると言う。
勢いに乗ったその力は計り知れないものが
ある。
10月3日
ホテルを9時に出る。目的地まで昨日は40分くらいであったが、今日は大変な渋滞で1
キロの道のりを30分以上もかかり動かない。
車は小さくトロローさんは体格が良いので助手席。
我々は 3 人で後ろの席で苦痛を味わう。
すしコンクールが11時に開催されるので気が気ではない。しかし車は進まない。
途中10時30分頃、黒川さんから携帯に電話があり、私達の所在を確認して来た。
フレンチの大会が終了してから、寿司のコンテストだが、大会途中で会場の電気が止まり
現在中断との知らせ。
まだ復旧の見込みは分からないので、大丈夫だと言う。変なところで安堵する。
私達の到着は11時15分を過ぎていた。
会場に息を切らして駆け付けたが、コンテスト会場は証明も点かず中断したままだった。
結局寿司コンクールが行われたのは12時を過ぎていた。
PIR 側の出展社の推薦で、ロシア全土から集まった寿司職人によるコンクールである。
10名の選手がそれぞれ考案した寿司を作り、それ
を10人の審査員が試食。
選手は各店の代表で、2月の日本大使館主催のコン
クールに挑戦した者が2人含まれていた。審査の発
表は明日だ。
会場には日本から出展した企業もあり、三重県から
参加のお伊勢参り本舗の堤社長さんも出展してい
る。
お伊勢参り本舗の堤社長さん
日本ブースの上には、富士山を描いた大きな垂れ幕がその場所を示していた。
日本からの食材や、調理機材を販売しているブースである。ロシアの飲食関係者や、バイ
ヤーから熱い目が注がれている。
馴染みの金印わさびのブースもあり気軽に寄れた。
14時30分過ぎ、日本大使館一等書記官の上野宏之さんが、次のスケジュールの為迎え
に来られた。
会場の外には大使館の車が待機し、大使公邸までは時間的にさほどの渋滞も無く、1時間
ほどであった。
2月の訪問の時は大使館も同じ場所であったが、今は大使公邸のみとなっていた。
上野さんの案内で、寿司イベントとなる場所の下見と打ち合わせである。
このイベントには、お伊勢参り本舗の堤社長さんも協力をして頂く。
お茶の場所を伺うと寿司カウンターと違う場所である。
お客様には見えない所と言うので、チームで来ているので、一緒の場所になるようにお願
いをする。
上野さんに大使にご理解をしていただく様に重ねてお願いした。
会場の下見の後、赤の広場に隣接するモールに行く。
この場所は2月の訪問時に、−20℃の寒さを逃れて暖を取った建物だ。
中にはブランドの店舗が、これでもかと並んでいる。
この施設に隣接する場所に、目的
の訪問先の日本食レストラン
YAPONSKI DORABA があった。
店の一階は回転すしになってお
り、テーブル席にはウエイトレス
がメニューをサーブしている。
2階は半分が客席で、吹き抜けに
なった半分は階下の客席が広く
望める。
店長の藤原嘉洋さん、現地の日本
人シェフ、シベリアの店長さんな
セミナー会場
渋滞はまだ続いている。
どと楽しく歓談をし
た。
話の中で、セミナー
の食材不足を嘆くと、
この店で明日の食材
を分けて頂いた。
やはり現地のヘルプ
は心強い。
5日の大使館主催の
すしパーティーの相
談をしながらの会食
を終えたのは22時
過ぎ。
しかしホテルまでの
明日からメインイベントが目白押しだ。
10月4日
渋滞を恐れて朝7時30分にホテルを出る。車はまだ渋滞の無い街を抜け、9時前に PIR
会場に到着。
早速セミナーの会場に向かうが、鍵がかけられて入る事が出来ない。
待つ事30分、鍵を開けてもらい食材や調理機材の到着を待つ。
10時過ぎセミナーの会場の外には、ガ
ラス越しに中を覗く人が多くなって来た。
ようやく食材と調理機材が届くが、これ
がまた問題を投げかけた。
鯛を3匹と言ってあったのに淡水魚のテ
ラピアがフィレになっている。
これでは鯛の湯引きや兜煮なども出来な
い。全てがこの調子で先が思いやられる。
何もかも日本の常識では想像出来ないも
のばかりである。
すでに教室の外には黒山の人だかりであ
る。
セミナーのスケジュールも、日本での打ち合わせとは違い、すでにパンフレットにその案
内が誇らしげに印字されていた。
なんて事だ・・・・
しかし今回は、次のロンドンのワークショップ資料も、同じ PC で作成していたので、デ
ーターが役立つことになった。
急遽それらの写真をコピー、貼り付けで作成した映像も心強いものとなった。
10時45分セミナー会場は受講者で立ち見も出ている。
しかしセミナー開始の時間になったが、パワーポイントの接続ケーブルが届かない。
止む無くパワーポイントなしで授業を開始。こんな事もあろうかと、事前に組み立てたカ
リキュラムを進める。海外でのセミナーを 50 回以上こなしている強みだ。
(海外でのセミナーは幾ら事前に講義資料と連絡確認を取って、現地で打ち合わせをしても
絶対は無い。食材が無くても、調理器具が無くても、とにかくセミナーを進めるだけの、
データーや、不足の事態に備えいくつかの進行案を作成しておかなければならない)
セミナー1は、寿司の歴史と基本知識で、衛生からすしシャリと魚の仕込みまでを行う。
映像が無い時は通訳の力量が頼りだが、このトロローさん他の商社の通訳さんに助けられ
るところが何度もあった。
20分ほどしてやっとパワーポイント
が使用可能になる。
その後は、順調にセミナーは進んだ。1
2時40分に1時間半のセミナーが終
了すると、次のセミナーまでお菓子のセ
ミナーが使用と言うので、急遽後片付け
をする。これは大変な労力である。
私には助手が、吉田さんには介護師がほ
在露日本大使公邸
しい、それも超美人の・・・
次のセミナーは2時15分からなので、
その間に昨日の寿司コンクールの表彰式がある。
見本市会場入り口のステージで、その表
彰式は行われた。
優勝者には黒川さん率いるベスタのシ
ェフが栄誉に輝いた。
この会場は大変広く、幾重もの通路があ
るが、次第にその通路も絞られてきた。
それは当然美人のコンパニオンのブー
スが集中している通路である。
モーターショーと同じで、ロシア美人の
コンパニオンがこれでもかと居る会場
斎藤大使ご夫婦
はまさに天国です。
午後のセミナーは定刻14時15分
開始。会場の受講席はひな壇になっ
ており、受講者でその全てが埋め尽
くされている。調理台の前にも急遽
20名の椅子の追加となった。
セミナー2は寿司を作る工程を1時
間半で行う。
受講者は全て調理師で、その眼差し
は真剣そのものである。
特に寿司を作る上での寿司シャリの
ロマネンコ露日協会会長
作り方では、シャリ研ぎ、炊き、酢合わせなどに関心が高い。魚のおろし方、包丁の研ぎ
方なども気が許せないセミナーとして、デジカメのフラッシュの嵐である。
すしを握る段階になると、そのボルテージは頂点になった。彼らはキャリアアップの為の
受講なので、給料を上げる勉強だから真剣だ。
15時45分セミナー2が終了、急いで後片付けをして日本出展ブースに向かう。
お伊勢参り本舗の堤さんと一緒に、3人で上野一等書記官の迎えで日本大使公邸へ向かう。
時間的に渋滞を逃れての到着で17時に到着。
本日は日本大使館で史上初の「日本の食文化すしのイベント」である。
斉藤大使とは2月に訪問した折、このイベントの希望がありそれが実現した。
調理場で日本からの食材を仕込んでいると、大使が顔をのぞかせた。
大使はかなり力が入っており、陣頭指揮を
取っているとの事。
次に奥様も調理場に顔を覗かせ、今日のこ
のイベントに、大きな期待をしているのが
伝わる。
寿司カウンターが設営された部屋は、公邸
の一番奥の落ち着いた大きな部屋で、もち
ろんお茶のテーブルも設営されている。
午後 7 時準備万端でお客様を迎える。
雨の中公邸には超 VIP が続々と集まった。
式典は斎藤泰雄大使が挨拶、日本から来た
風戸、吉田、堤を紹介して始まった。
お客様は、マルティン・ヴコヴイチ駐露オーストリア大使、ヴインセント・メルテンス・デ・
ヴィリマス駐露ベルギー大使、ラルフ・リシシン駐露カナダ大使、ヴィターリー・イグナ
チェンコ・イタル・タス通信社長夫婦、ナターリヤ・チマコーヴァ大統領府報道局長、コ
ンスタンチン・レムチユコフ新聞編集長兼社長夫婦、他の超 VIP ばかりである。
勿論露日協会のロマネンコ会長の顔も見える。
この中にロシア一の金持ちも居るらしい。
集まった皆さんは、日本茶を楽しみ寿司を堪能した。
ロシアに居ても、ここに集まった皆さんは親日家が多く、日本語も会話の中に良く出てく
る。
やはり寿司が好きなようで、女
性でも 20 個は軽く行けている。
前駐日ロシア大使も、大のすし
好きで何度もお代わりをしてい
た。
10 月 5 日
朝 7 時半にホテルで車を待つ、
タクシーが遅く PIR 行きのバス
が来たので、それに我々も乗り
込む。後ろの席には富山でフレ
ンチレストランをされている小
西さんも同乗。小西さんはフレンチの日本代表
ジャッジで、この様な世界大会に良く出張され
る業界の重鎮だ。
バスは 9 時に PIR の会場に到着。
昨日と同じ会場でのセミナーなので、控え室で
着替えをして、早々にセミナー会場に向う。今
日のセミナーは、細工や盛り込み寿司を作り、
国際ジャッジの小西さん
刺身等の盛り方も行う。
10 時 45 分セミナー3がスタート。今日は昨日と違い会場の設備なども不都合が無いので
多少は気も楽だ。
パワーポイントで盛り込み寿司の映像を映し、その中の細工寿司を実際に作って見せる。
参加者はビデオとデジカメをフルに活用して
いる。
パワーポイントの映像から実技までをほぼ全
員が記録に納めている。時代は変わったとつ
くづく思う。
しかし実技と言っても、魚が少ないので奇麗
な寿司の盛り合わせなどは苦労する。
日本からの出展社や、会場の魚屋さんや食品
展示ブースに行き、食材をもらってきて作品
を作る。
ロシア人で三重県の鈴鹿市に居たという親切な魚屋さんのシェフには随分助けられた。
セミナー3は寿司の盛り合わせや細工なの
で、受講者の関心度はかなり高い。
午後のセミナー4はいろいろな寿司を作る。
先ずはちらし寿司、茶巾寿司2種類、いなり
寿司様々、手綱寿司、蒸し寿し、棒寿司、大
皿の盛り込み寿司などを作る。
終了時に受講参加者に終了書を全員に手渡
す。参加者にとってはこの修了書が、大切な
受講認定書となる。
草野さんと藤原さんの奥さん
PIR のセミナーで、一番人気の授業だったの
で、やりがいのあるセミナーであった。
述べ 500 人以上の受講者が参加したのには驚いた。今日も日本大使館のイベントがあるの
レクチャー打ち合わせ
で、迎えの車に吉田さんと堤さんと一緒に乗る。
今日のイベントは、ヤキトリヤグループのフードコートで寿司レクチャーである。
黒川さんが設営に忙しく動き回っていた。
客席は 200 名ほどであろうか、客席の正面に寿司を握るメインカウンターが作られてあっ
た。
他にも 3 か所のカウンターが作られ、すしシェフ 8 名で寿司を握る。
お客様はすしレクチャーと実技を、テレビの映像を見ながら楽しむようになっている。
良く見るとお茶のブースが見えない。
探すと人里離れた様な寂しい場所に設営されていたので、強くお願いして寿司カウンター
の隣にして頂いた。
ロシアの人は時間に
ルーズと言うので、夕
方の 7 時開演に余裕を
見ていたが、ほぼ全員
が時間に到着。
今日の通訳は村上春
樹の小説を翻訳する
実力者で、なかなか馴
れた感じで心強い。
PIR の設営と違い、会
場は準備万端と言っ
たところだ。
VIP のお客様
今日も台本に無い事
が多く起こりそうだ。
会場には日本大使館から秋本公使と上野一等
書記官はじめ、大使館スタッフの皆さんが列席
し、お客様を迎えている。
19 時 15 分にイベントは開始された。
秋本公使の挨拶で始まり、イベントの関係者が
紹介された。
日本からの風戸、吉田、堤さんが紹介され、現
地の日本人調理師会の皆さんの紹介へと進ん
だ。
会場のカメラはその全てを、余すところ無くテ
レビに映し出している。
映像の効果は大変心強い。
すしのイベントは先ず、お伊勢まいり本舗の、
堤さんのお茶からスタートした。
お祝いの席として、最初に桜茶が振舞われた。
すしは最初に吉田さんと、現地のロシア人すし
職人との早握り競争。
吉田さんが養老院から小遣い稼ぎにロシアに来
たので、賞金で奥さんにお土産を買うと言う設
露・日 SUSHI 早握り対決
定だ。
20 個のすしを合図と共に両者競うが、吉田さんが 20 個握った時に、ロシア人のシェフは
10 個がやっとである。
この差を会場の皆さんに、すしは生ものを握るので、速さも美味しさと衛生の上で絶対的
なものであることを
説明。
次々と握られるすし
を堪能するお客様に、
すしのレクチャーを、
パワーポイントで説
明。
お茶も緑茶に移り日
本の食を味わう。その
レクチャーの時、大半
のロシア人のお客様
が、テレビの映像に釘
付けになっている。
いかに SUSHI に関心
を持っているかが分かる。
レクチャーが終了しても、質問が後を絶たない。
その質問に答え、実演をする一挙一同も、テレビカメラは映し出している。
会場のお客様は大変な盛り上がりようだ。日本大使館のイベントとして、これほど盛り上
がったものは無いと、関係者の声を聞く。
約 2 時間のイベントは終了し、日本人シェフの皆さんと、市内のうどんやで打ち上げをし
うどんやさんで打ち上げ
た。現地のサポートほど心強いものはない。
そして現地のシェフの人達にも喜んで頂いた事が何よりも嬉しい。
今回は堤さんの心意気とお茶の助けもあって、日本の食文化をロシアに正しく伝えると言
う事に成功したと信じる。
後日、斎藤泰雄大使より、現地の新聞のコピーと、感謝の書面を頂いた。
その新聞は、日本大使館は日本の食文化を正しく現地に伝えたと報じていた。
PIR のセミナーも大使館のイベントも、大変有意義で楽しく充実していた。
今度また PIR の様な会場でセミナーをさせて頂く機会があれば、更にバージョンアップを
して望みたいところだ。
10 月 6 日
午前中は市内観光をする。スーパーなど
に寄り現地の食材などを視察。
やはり露天のお店は安く気軽に買える。
露天は100の民族大国ロシアの、地方
色溢れる食品なども売られていて面白
い。
郷土色溢れた様々なお菓子や、フルーツ、
乳製品、蜂蜜、衣類など何でもある。
帰りの便も、重量制限に恐れることは無
いのだが、お土産はあまり買う気になら
ない。
愛妻には自分が帰宅するのがお土産だ
と自負している。
これだから怒られるのかな。
昼過ぎより小雨が街路を濡らし、吐息も
白く身を刺すように寒くなって来た。
昼食は懐かしさでラーメンを食べ、モス
クワの交通事情は先が分からないので、
3 時半に空港に向かう。
ハイウエーから望む景色は、枯れた白樺
林も雨に打たれ冬の装いだ。
霙混じりの氷雨が車を刺す。
露天市場
車内は一段と寒くなり、我慢できなくな
って、車のヒーターを入れてもらう。
この 2 週間快適な、そして時には暑いロ
シアをすごしていたが、急激に冬に向か
うロシアを最後に体験させてもらう事
になった。
渋滞も無く思ったよりも早く空港着く。
雨の中、車から荷物を降ろし、ターミナ
ルに逃げ込む。
離陸までは 3 時間もある。搭乗手続きを
済ませ免税店でウオッカを買い、アエロ
フロートのビジネスラウンジへ向かう。
場所は搭乗口から遠く反対側で、レストランや売店を横目で見ながら2階の通路を歩く。
途中売店をつなぐ間の通路に、新聞紙や寝袋で仮眠している人が何人も居る。
乗り継ぎの便待ちの人達であろう。2 月と同じ光景に、眠らない大空港を見た。
ラウンジに入り、いつもの様にお互いのカメラのデーターを PC で交換。
人のカメラで写真を撮るのは難しいので、互いのカメラで相手を撮り合う。
何人でカメラを持っても、同じようにしているので、自分が撮れない時など妙案だと我な
がら思っている。
定刻の19時30分成田行きに搭乗。
外はすでに暮れ、建物からの証明が濡れた帰りの飛行機を照らしている。
機内では食事を済ませ、目が覚めたのはいつものように日本海上空だった。
10月7日
午前10時30分無事に成田空港に到着。
大変素晴らしい体験をさせていただいた。
一週間後の火曜日は、この航路をその先のロンドンに向けて ANA でフライトだ。
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