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2010 Vol . 612

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2010 Vol . 612
秋季特別企画 1
プリプレス部会第8期第6回研究セミナー
「電子書籍時代の印刷業」
秋季特別企画 2
シリーズ 京の100年企業を訪れる
「株式会社写真化学 石田敬輔代表取締役会長兼社長に聴く」
∼自立性、専門性、特異性を高め、存在感のある企業を目指す∼
京都府印刷工 業 組 合
2010 Vo l
. 612
目次
巻頭言/理事長 瀧本正明 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
秋季特別企画① プリプレス部会第8期第6回研究セミナー
「電子書籍時代の印刷業」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4
秋季特別企画② シリーズ 京の100年企業を訪れる
「株式会社写真化学 石田敬輔代表取締役会長兼社長に聴く」・・・・・・・・・・・・ 14
高度化技術セミナー開催 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22
オフセット印刷学科講習開催 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
MUD推進セミナー開催 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24
技能検定
(オフセット印刷作業)実技試験実施 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26
人材確保推進事業のご案内 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27
高度化技術訓練 7∼9月講座実施 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28
高度化技術訓練 平成22年度実施要領 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30
7月定例理事会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31
9月定例理事会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 38
委員会だより/総務委員会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 44
支部だより/上支部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 45
中支部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 45
下支部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 45
東山支部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 46
会合だより/京都府印刷工業組合・京都府印刷関連団体協議会 ・・・・・・・・・・・・・・・ 46
/プリプレス部会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47
/京都青年印刷人月曜会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 48
/京都印刷協和会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50
統計だより/中小企業景況調査・京都府の概況より ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
ビデオ・DVD貸し出しのご案内 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 53
事務局からのお知らせ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 53
印刷会館利用状況 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 54
組合日誌 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 55
組合員異動 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56
支部役員異動 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56
訃報 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56
編集後記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56
巻頭言
京都府印刷工業組合理事長
瀧本 正明
6月に理事長に就任後、京都府中小企業団体中央会理事、日本フォーム印刷
工業連合会理事、近畿印刷工業厚生年金基金理事長、京都府印刷関連団体協議
会会長などにも就任、理事会、会議で多忙な日々を過ごしており、あっという
間に3カ月が経ちました。この間、業界関連団体代表各位さま、社長さま、皆
さまから多数の温かい励ましのお言葉をいただき、この場を借りて御礼申し上
げます。
9月だと言うのに昼間の気温が毎日35度を超える日々が続き、日本全国では
熱中症で病院へ運ばれる人が絶えない毎日でした。
『京印季報』が発刊されるこ
ろには、かなり過ごしやすい日々になっているのではないかと期待しています。
さて、リーマン・ショック後のグローバル経済の大きなうねりの中では、ま
るで井の中の権力闘争に見えた民主党代表選挙で菅直人首相が圧勝し、財政ば
らまきによる長期金利上昇や日米関係の冷却化という最悪の事態も避けられま
した。しかし、この3カ月の政治空白で菅政権が抱え込んだ課題はあまりにも
重く、たとえば、尖閣諸島沖での中国漁船との衝突と船長の逮捕事件では、中
国政府の反応はこれまでの一線を越えて激しい非難を繰り返しており、中国側
の真意はわかりませんが、日中間の先行きに暗雲が垂れ込めています。
また、円相場も一時82円台に突入し、電機や自動車メーカー(トヨタ)は1
円の円高で300億円の利益が吹き飛ぶ、と警戒感を募らせているようです。し
かし、15年前
(1ドル79円戦後最高値)ほどの悲鳴は聞こえません。それどころ
か、とくに大企業ほど涼しい顔をしているのが本音だという声もあります。そ
れが証拠に、円高を背景に日本企業による海外企業の買収が進められており、
京都では日本電産が9月末に米電機企業大手エマソン・エレクトリックのモー
ター事業部を買収すると発表しました。われわれ印刷業界にはどういう影響が
あるのか、注視していきたいと思います。
先日、佐賀県で全国印刷緑友会佐賀大会があり、OBとして参加を依頼され
て行ってまいりました。その際、個人セミナーに参加し、講師である秋田県印
2
● ●
刷工業組合の大門一平理事長から、農家と組んで、「こだわりのお米」を通信
販売している話を聞きました。印刷会社が多数の優秀な農業青年とコラボレー
ションをして、通販顧客の拡大、宣伝に全面的に協力することで、通販の申込
書、お米の外箱デザイン、パッケージ作成して、売上を年々伸ばしているとい
うことです。地方では、
印刷業界がいろいろな業種とコラボレーションをして、
お互いが繁栄できるウイン・ウインの方法を探り、企画提案をして共に伸びて
いる事実を目のあたりにして、これこそまさしく全日本印刷工業組合連合会が
推し進めている業態変革ではないかと、目からうろこでした。
京都府印刷工業組合では、京都府印刷関連団体協議会
(京都府印刷工業組合・
京都府製本工業組合・京都府紙器段ボール箱工業組合・(社)日本グラフィック
サービス工業会京都府支部・京都紙工協同組合・京都シール印刷工業協同組合・
京都グラフィックコミュニケーションズ協同組合)によるコラボレーションで、
11月13日
(土)
、14日(日)に開催する「京都ものづくりフェア」への出展の準備
を進めています。8月26日には初めて関連団体協議会の役員懇親交流会を多数
の参加をいただいて開催、9月になってだんだん形も出来上がってきました。
今後も組合員の皆さまにとって経営のヒントとなるセミナー、講演会、勉強会
等を開催してまいりますので、ぜひとも多数の参加を期待いたしております。
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2010.10
2010 秋季特別企画①
2010 秋季特別企画①
プリプレス部会第8期第6回研究セミナー
「電子書籍時代の印刷業」
講師/中西 秀彦氏(中西印刷株式会社 専務取締役)
講師を務める中西秀彦氏
(中西印刷㈱ 専務取締役)
セミナー会場
去る7月29日(木)
午後6時30分より京都印刷会館に於いて、プリプレス部会第8期第6回研究セミナー
「電子書籍時代の印刷業」
(共催:京都青年印刷人月曜会、P.E.N.(ペン)
)が開催された。
現在、
「電子書籍」の普及に向けて、官民が一体となって統一規格や流通経路、著作権の取り扱いなど
を整備している。今回のセミナーは、本格的に動き出した「電子書籍」時代の印刷業のあり方をテーマに
企画したもので、講師として、20年前から「電子書籍」の脅威を論じられていた中西印刷株式会社専務取
締役の中西秀彦氏をお招きした。
セミナーでは、Amazon Kindleが成功した背景、電子書籍に対する日本と米国のこれまでの歩みと今
後の技術動向などを詳しく解説していただくとともに、電子書籍時代に対応するため、実際に中西印刷様
が取り組んでこられた経営手法の一端を紹介していただいた。
秋期特別企画として、当セミナーの講演要旨をご紹介します。情報媒体の電子化にともなう印刷業の進
むべき道筋を模索されている経営者、幹部の方はもちろん、営業職の方にも大いに参考にしていただける
内容ですので、是非ご一読していただき、今後の糧にしていただければ幸いです。
なった。本当になったときには、これはえらいこ
はじめに
とだ、抵抗しないと印刷業界全部ぶっ潰れる、と
いうことで「我、電子書籍の抵抗勢力とならんと
本日は、
「電子書籍時代の印刷業」というテー
欲す」という本を出しました。
マでお話しさせていただきます。
自分で言うのも何なのですが、この本非常に評
私、先日「我、電子書籍の抵抗勢力とならんと
判が良くて、実は7月22日に発売されたのですが、
欲す」という本を出したのですが、実はかなり変
重版がもう決定しました。1週間で売り切れ、今
節ではないかと言われています。
日見たらアマゾンも売り切れでした。まだビーケ
私は、印刷業界で20年前から、「これから電子
ーワンとセブンネットだけは買えましたけど、ほと
書籍時代が来る、だから印刷業はダメになる」と
んど市場にないということで重版がかかりました。
言い続けて、嫌われ続けて幾星霜、ついに本当に
電子書籍を推進する側からも非常に評判が良
4
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プリプレス部会第8期第6回研究セミナー「電子書籍時代の印刷業」
く、反応がいいです。ぜひお買い上げください。
ということで、米国
ではこのキンドルで読
Amazon Kindleの成功
書することが2007年か
ら急速に普及したので
まず、電子書籍が、なぜ今年こんなに大騒ぎに
すね。2007年、2008年、
なったかという理由ですが、はっきりしているの
2009年とべらぼうに普
ですね。アマゾンキンドルの成功です。皆さん、
及しました。現在、米
iPadは最近あちこちでもう既にごらんになってい
国の空港などでは待合
ると思います。何十万台も出ていますのでよくご
室なんかでこれを見な
存じと思います。今年の3月に出ました。それで
がら待っているという
世界中に火がついた。
ような状況になってい
当社の社員がどうしても買え、ということで稟
ます。
議書が上がってきまして、ぜひともこれを買って
で、これを見て、えらいことだと思ったわけで
研究させてくれ、ということでやらせまして、こ
すよ。世界中の人が。
れで既にうちの製品がいくつかiPadバージョンで
実は電子書籍というのは失敗ばかりだったので
動くようになっています。当社は学術書専門です
す。印刷業界はそのたびにほくそ笑んでいたわけ
が、当社でつくった学術書のいくつかがiPadバー
ですね。またあかんわと。こんなもんあかんわと、
ジョンで動くようになっています。
こんなもの本に勝てるわけがない、印刷物に勝て
アマゾンキンドル、これが革命だったのですね。
るわけがないと、思い込んでいたし、思い込もう
2007年に発売されまして、アマゾンキンドルはこ
としていたのです。
「我、電子書籍の抵抗勢力
たらんと欲す」表紙
れ自身が通信端末になっています。ある程度のこ
失敗続きだった電子書籍
の画面の広さと、それまでのあのPDA系のもの
とか、iPhoneとかに比べて非常に画面が広い。だ
いたい1ページくらいの大きさがほぼ入り、それ
有名な実例ですけれども、実は、この手のもの
と通信機能が入っているということで、革命です
は日本製が一番、というか好きでもあるのですね、
ね、これは。ぜひ持ってみて下さい。いかに軽い
日本はこういうものをつくるのが。最初のデジタ
か。恐ろしいのはこれが第1号製品。アマゾンキ
ルブックは1990年ですよ。私はその当時、NECに
ンドルというのはまだできたばかりの商品です。
見せてもらって、おもしろかったのですが、印刷
この前、国際ブックフェアへ行ってきました。
業界人に見せたら笑われましたけどね。こんなも
電子書籍端末の試作品は恐るべきものです。薄く
の本の代わりになるか、という具合で笑われまし
て軽いものがどんどん出てきています。おそらく
た。小さいけど今より分厚くて、重くて、誰もこ
この2∼3年のうちに下敷きの薄さまで確実にな
んなもんで本読めるか、というような代物でした。
ります。
で、その後もいくつもの会社が挑戦しました。有
読み上げ機能もあります。
日本語はまだですが、
名なのは2000年の電子書籍コンソーシアムです。
英語は読んでくれます。英語の場合は単語、単語
今後電子書籍が出てくると言うことで、積極的に
で切れますから、どんな文章でも読み上げてくれ
出版社と書店が電子書籍の研究をやりました。
ます。テープなどで音声情報が入っているのでは
私も覚えていますが、その頃書店へ行って、電
なくて、文書テキストがあるとその文書を読み上
子書籍用のコンテンツを買うのです。書店へ行っ
げてくれます。私も聞きましたが、非常に自然で
て、持参した電子書籍端末にコードを付けると書
す。ものすごく鮮やかに英語で読んでくれます。
店の端末から本が買える、というようなシステム
ですので、読むのがめんどうになったら、耳にイ
です。当時、通信機能があんまりできてなかった
ヤホン突っ込んでオートで読み上げてくれるのを
のと、もう一つは、本屋が大反対したのですね。
聞けばいいのです。
本屋をとばして書籍を売るとは何事か、という話
5
● ●
2010.10
2010 秋季特別企画①
です。本屋に既得権益を守らせろ、というような
逆ですね。まず日本で最初に考えて、それを改良
動きで電子本コンテンツを買うにも本屋に行かな
していい物を出してくるのがアメリカです。
でも、
ければならなくしたのです。結果としてまったく
実際作っているのはたぶん台湾かインドだろうと
普及しなかった。誰もそんなものを買わない。し
思いますが。
かも当時は液晶だから電池の持ちが悪い。とても
もうひとつ、このワーズギア、これもパナソニ
じゃないけど使い物になりませんでした。
ックが大恥をかいた。これ、覚えてらっしゃいま
その後、覚えている方もあるかもしれませんが、
せんか。シグマブックとワーズギアというのは、
ソニーがリブリエというのを出しました。これを
一時パナソニックがものすごい宣伝をかけていま
見ると、今のキンドルとそっくりです。既に電子
した。5年くらい前です。でもほとんど皆さん忘
ペーパーなのです。現在のキンドルに使われてい
れているでしょう。東京の池袋のジュンク堂で、
る電子ペーパーを使って、世界で最初に電子ペー
これからは本を端末で読む時代です、というワー
パーを商品化したことで有名な商品なのです。こ
ズギア大フェアをしていたことを覚えています。
れも私もよっぽど買おうかと思いました。もしか
しかし全く売れなかった。これも、リブリエの失
したら印刷業界の大ライバルになる可能性がある
敗を研究してやりましたが、うまく行きませんで
と思って、買おうかなと思ったのですが、結局買
した。
いませんでした。なぜか。まず高かった。それと
これを見て、5年くらい前は、私も電子的陣営
やっぱり本が買いにくかった。これはパソコンに
の人も、印刷業界の人たちとも話の中では「だめ
いったんダウンロードして、それからこちらのリ
だね」と、
「やはり本だね」と、
「まだこんな物が
ブリエに移すという手法です。しかも、最大の問
商品化されるのには10年、20年かかる、まだ無理
題は、出版社が協力しなかったこと。コンテンツ
だよ。これでは」、という話をしていました。そ
を出さなかった。本をリブリエで売るなんてこと
れが、
そのわずか2年後にキンドルが発売される。
はけしからん、こんなもので売ったら書店が潰れ
で、今年5年経ったらiPadです。そのあたりの進
るやないか、出版社が潰れるやないか、だから有
化がものすごい。
名どころの出版社はリブリエプロジェクトに参加
日本でその間動いていたのは、
既存の端末です。
したのに皆売れ筋のものは出さなかった。もう十
PDAというのは電子手帳ですね。これも今は廃
分に売れて売れて売れまくった昔の本を、10年も
れましたね。一時流行り、電子手帳で有名なのは
前の旧作だけを出すということをやったのです。
シャープのザウルスとか、
あれは私も買いました。
これで売れるわけがない。結果として全然売れま
それと携帯電話です。携帯への配信というのがべ
せんでした。売れて2千台くらいだったのではな
らぼうに増えました。日本では専用端末がない間
いかと思われます。
に、この携帯電話配信がすごい。実は、世界最大
ただ、実はこのリブリエがキンドルを生んでい
の電子書籍消費国は日本です。
アマゾンより多い。
るのです。このリブリエを見て、アマゾンの創業
なぜか、それは携帯配信による書籍です。携帯配
者ジェフ・ベゾスはキンドルをつくった。このリ
信が世界で一番多い。
ですから、
世界で一番成功し
ブリエの欠点を徹底的に研究して、どうすれば電
ている電子書籍は実は日本の携帯電話です。携帯
子書籍が売れるかを考え抜いてできたのがキンド
電話で小説を読むという、
携帯小説と携帯漫画、
こ
ルなのです。
れが現在数百億円市場に。
ものすごい伸び方です。
もう一回言いますが、リブリエとそっくりです。
でも、携帯電話のあのようなサービスは印刷業
で、このリブリエの欠点を徹底的に研究してでき
界の敵にはならないと今も思います。
たのがキンドルであり、これでアメリカにいいと
Amazon Kindleはなぜ成功したか
こ取りされたわけです。そこが現在の日本の経済
の問題ですね。普通こんな物は30年くらい前だっ
たら、まずアメリカでアイデアを考えて、それを
では、なぜあのキンドルが成功したのか、そこ
いい商品にするのが日本だったのですが、現在は
が問題です。これは、なぜ我々印刷業界をここま
6
● ●
プリプレス部会第8期第6回研究セミナー「電子書籍時代の印刷業」
で追い詰めてきたか、今日のように私の話を100
ろありましたが、現在残っているのは「ワード」
名近くの方が聞いて下さる時代となったのか、今
だけ。
「一太郎」も残ってはいますが、データ入
年なぜそうなったのか、なぜアマゾンキンドルは
稿でも「一太郎」はほとんどなくなりました。表
成功したのかという、これがポイントです。
今まで
計算ソフトも「ロータス1-2-3」はなくなりました。
の端末と何が違うのか。何が革命を起こしたのか。
つまり、コンピューターの世界では勝つのは一人
これははっきり、コンテンツの差です。端末の
だけなのです。
能力は、実はリブリエでもう完成していました。
だから、アマゾンが考えたのは、電子書籍を制
キンドルはコンテンツを10万点の単位で集めた。
するのはアマゾンだけでいいと。これはなぜか。
リブリエはせいぜい5千点くらいだったと思いま
iTuneの音楽配信、これはアップルに牛耳られた
す。アマゾンはまず始めるときに10万点集めた。
ので今さらもう手を出せない。今はもう若い人は
コンテンツつまりタイトルですね。電子書籍で売
CDを買わない。全部ダウンロードで買う。
れる書籍の数を10万集めた。現在は数十万です。
アマゾンは普及させることが使命であり、だか
数十万点の本がアマゾンの電子書籍ショップで売
ら損してでもやるわけです。そこのような取引は
れる。ほとんど全部です。
日本では独占禁止法違反になるでしょう。
完全に。
新刊が出たら直ちにアマゾンのキンドルで読め
それでもやる。
るという体制、これができたのは世界最大の書店
アメリカでは、まず安値、安値でやって、相手
となったオンライン書店アマゾンの強みです。ご
をたたきつぶす戦略をとります。
相手が潰れると、
存知のように、アマゾンというのは現在日本でも
それからおもむろに安値でやっていた値段を上げ
最大の書店です。紀伊國屋やジュンク堂、丸善な
る。日本でやったら完全に独禁法違反です。アメ
んか全然目じゃないですね。現在日本最大の書店
リカではこれが合法なのです。アマゾンの論理も
はアマゾンなのです。アマゾンドットコムから大
同様なのですね、
ものすごくえげつない商法です。
量に本が出ています。
実は、この逆ザヤ3ドルの差はあるけれども、
アマゾンが出版社に言うわけです。おたくから
これは目じゃないのですね。キンドルは239ドル
コンテンツを出して欲しい。いやか、じゃアマゾ
ですよ。おそらく原価100ドルを割ると言われて
ンから売るのをやめます。こう言われたら出さざ
います。1台売る毎に彼らは100ドル以上儲かり
るを得ないですよね。だから、
みんな出しました。
ます。だから少々これで損したって今のところ持
出して、しかも、えげつないことをしましたね。
つわけですよ。
日本だったら完全に独占禁止法に違反ですけれど
さすがに、今はちょっとそれが危なくなってき
も、読者に逆ざやで売ったわけです。アマゾンは
ている。iPadが出てきて、その値段の付け方とか
1冊9.9ドルの均一価格です。まあ千円弱です
どう売るかと言うことで、現在アマゾンとアップ
ね。ところが出版社には1冊売れる毎に13ドル払
ルがチャンチャンバラバラです。
いますから、つまり1冊売れる毎にアマゾンは3
今日の新聞を見ましたか?。夕刊に出ていると
ドル損をする。そうまでやってもアマゾンはとに
かく電子書籍を普及させることを優先した。
これがすごい。これはあきらかに、iTuneストア
を意識しています。この世界、電子の世界はプラ
ットフォームを握った者が勝ちであり、売る仕組
みを考えた人間が勝ちなのです。独占した者が勝
ちなのです。残るのは一つしかないという考え方、
コンピューターの世界は残るのは一つなのです。
ワープロソフトにしても我々の時代は「松」と
か「クイーン」とか「一太郎」も当然ありました
し、
「ワード」「ワードパーフェクト」とかいろい
アマゾンキンドル
7
● ●
2010.10
2010 秋季特別企画①
思います。アマゾンキンドル大幅値下げ。129ド
んに使えます。なぜかというと、これアマゾン自
ルまで値下げした。この1年で100ドル近く値下
身にクレジットカードを登録しているから、アマ
げした。今はもう消耗戦。アメリカでは完全にア
ゾンからキンドルを買った時点ですべての登録が
マゾンとアップルが消耗戦に入っています。
済んでいます。ですから、キンドルがもう家に届
電子書籍の市場をどっちがとるか、アマゾンが
いて、パッケージから出してスイッチ入れたとた
取るか、アップルが取るか。アップルが今何をや
んに本が買えるわけです。何にもしない。ジェフ・
っているかというと、著者の一本釣り。著者に70
ベゾスは商売の天才ですよ。要するにややこしい
%払うと言うのです。コンテンツが10ドルで売れ
設定とかそういうことをやらせたら人は物を買わ
たら7ドル著者に払う。普通印税って10%です。
ない。何も言わず、ボタン押したらもう読めてし
70%払うって言われたら著者はうれしい。出版社
まう。読めてしまったら、それはもう買ったのだ
通さなくてもいいわけだから。今、各社がコンテ
から代金はクレジットカードで引き落とされる。
ンツと市場を狙ってむちゃくちゃです。もう消耗
それだけでいい。それ以外のこと一切やらせるこ
戦。どっちかが倒れるまでやる。アメリカではそ
とはない。それをやったから売れたわけです。何
うです。たぶんどっちかが倒れるでしょう。アッ
もしなくても、使っていて、「あ、面白いな」と
プルかアマゾンかどっちが残るかそれはわかりま
思ったら、「買う」というボタンが出てきて、押
せん。それくらいホットな消耗戦ですね。
したらもう読めて、読めているな、と思ったらも
この辺のホットな話が日本へちょろりと入って
うクレジットカードから代金が引き落とされてい
きて、大騒ぎになっているというのが現状です。
る。ものすごく簡単。このシステムはすごいです。
日本では、シャープがXMDF、ザウルスのあの
ということで、アマゾンキンドルは成功しまし
システムでやる。iPadにはみんなどんどん進出し
た。このシステムは日本メーカーにはどこも作れ
ている。中西印刷でも、先ほど言いましたように
なかった。ひとつには、日本はものすごく電子書
iPad用の学術書を考えているくらいで、次々入っ
籍に対して懐疑的だったこと。今でも懐疑的な人
てくる。
は多いですけど、さすがに、急にどの出版社も浮
大凸なんて今すごいですね。大日本印刷、凸版
き足だっている。これから電子書籍に行かなけれ
印刷、もう完全に電子書籍に振っていますね。大
ばもうどうにもならんという事で、皆さん浮き足
日本印刷、何をやったかというと、ジュンク堂と
だって、ばたばたと参入表明をしています。ひど
ブックオフと、丸善とそれから図書館流通センタ
いですね。今さらね。あれだけ反対しておいてね。
ー、全部買収した。全部押さえた。何をやるつも
爆発的人気のiPad
りなのだと、去年あたりみんなに言われていた。
ようやく判ってきたのは、電子書籍市場を日本で
は大日本印刷が取るつもりだということです。大
iPadはパソコンですね。ご存知のように、動画
日本印刷が電子書籍の市場を押さえる。日本のア
表示なども可能と言うことで、これは単なるパソ
マゾンになるのは大日本だと、たぶん彼らは思っ
コンです。ですので、非常にパソコン的な使い方
ているのではないか。
ができる。画面がきれいです。キンドルっていう
それから、買いやすさ、これですよね。クラウ
のは本を読むことに徹しているから白黒です。で
ドコンピューティング、いろいろ言い方がありま
すから余りきれいじゃないです。アマゾンキンド
すが、要するに、何も考えなくても買えるという
ルできらきら輝く雑誌とか読まされたらたまりま
ことですよ。今まで日本で、電子端末から本を買
せんね。
おうとすると結構じゃまくさい。まず登録して、
国際ブックフェアで凸版のブースへ行ったら電
クレジットカードの番号を入れて、IDとパスワー
子雑誌の試みが展示されていました。今、雑誌は
ドを入れてやっと買えて、しかもまずつながない
ほとんどカタログですね。特に女の子向けの雑誌
といけないというように、いろいろめんどうです。
は。いろいろファッションアイテムの記事や写真
キンドルはえげつないですね。送ってきたとた
が書いてあって、そこにどこそこのブランドでい
8
● ●
プリプレス部会第8期第6回研究セミナー「電子書籍時代の印刷業」
くら、とまで書いてある。それをiPadでどうする
例の方正のキンドルそっくりの端末。そっくりで
かというと、iPadで見て、この服いいなと思った
すが、上にアマゾンではなく、ホーセーと書いて
ら、クリックしたらもう買えるというような電子
あって、中国製と書いてあって、漢字が読める。
雑誌です。
たくさん出ていました。
どうするのですか、と聞いたら、いや、まだ、
先ほど言いましたように、キンドル129ドル、
検討中ですとのことでしたけど、こんなものはも
まず薄くて軽くて将来はタダになります。
ういくらでも出てくるでしょう。
今フリーペーパーってあるでしょ。タダで配っ
実はね。私はiPadはこの2、3ヶ月の命だと思
ていますね。あのような感じで。それから携帯電
います。これは作ろうと思ったらどこでも作れる。
話で1円という時代がありましたね。
同じように、
おそらくマイクロソフト、NECとかソニーとか、
こういう電子端末は値段がつかなくなると思いま
この秋から似たようなのが出ます。アンドロイド
す。コンテンツを買っていただけるのでしたらお
あたりででかいのも出ますね。たぶん日本より台
まけで付けますと。そういう時代に多分早晩なる
湾メーカーあたりが安くてきれいなのを出すので
と思います。ですから、コンテンツの時代ではな
はないかと思います。
いかなと思います。
ですから、私はiPadをあまり買ってない。多分、
日本ではケータイ書籍が流行
マイクロソフトからももっと安くて薄くて、良い
のがいくらでも出てくると思います。有望という
レベルかな、ということですね。
ある統計によると、日本では電子書籍が毎年3
現在、電子書籍のフォーマットがいくつかあり
倍以上伸びているが、ほとんど携帯書籍です。電
ますね。epubとかazwとかsmdfとかあります。
子書籍専用のコンテンツが売れたのは2000年度に
その辺の研究は皆さん怠りないようにしていただ
6億円。まだ微々たるものです。現在はほとんど
いた方がいいですね。特にepub。現在まだ日本
が携帯です。携帯が如何にすごいか、如何に携帯
語仕様が決まってないのでやってもしかたない、
で売れているかという話です。
ということを聞くんですが、そういうレベルでは
印刷業界でも以外に知らないのですが、寺島令
ない。直ちにepubの研究はされた方がいいかと
子さんという方は、昔からアスキーの雑誌に描い
思います。epub形式で本が書き出せるか。
ていた漫画家ですけれども、彼女の仕事の発表先
もうpdfは廃れますから。もうpdfなんか誰でも
は紙ではないのです。WEBや携帯。でもやって
が作れる時代になりましたから、pdfはプロの商
いる作業は変わらない。
売にはならない。これからはepubです。やって
急速な電子媒体への移行
いる間に、来年あたりから別の規格が出てくると
思いますけど、とりあえずepubだと思います。
今までの電子書籍の時代、まず紙の本が出て、
Kindle、iPadに続け
何年かしてそれが電子になるというのが多かった
のですが、今は始めからデジタル。ボーンデジタ
ソニーは、リブリエで大失敗しましたけど、ア
ルという、生まれながらにしてデジタルなのです
メリカではソニーリーダーを出して売れていま
ね。まず、携帯用の漫画として発表され、そのま
す。アマゾンの市場をかなり喰っています。ソニ
ま終わってしまう場合もあるし、携帯用の漫画が
ーリーダーで勝負を賭けています。今台風の目に
紙になって雑誌に掲載されるという例もあります
なっているのが、バーンズ&ノーブルのヌックで
けど、だいたいは携帯仕様漫画というのがたくさ
すね。これが今次から次へと安値を出して囲い込
んあって、携帯用に書かれて、携帯用に読まれて
みをやり始めています。アップルはもちろんiPad
そのまま終わるというものが結構増えてきていま
ですね。日本ではKDDI、韓国では去年出ていま
す。アスキーに連載されている漫画を見て、ちょ
す。それ以外に、ブックフェアに出たのが中国製。
っと季節がずれているなと思っていたら、最初携
9
● ●
2010.10
2010 秋季特別企画①
帯漫画に出ているのです。携帯漫画で人気が出た
がどんどん進んでいて、この前の国際ブックフェ
ので、紙版のアスキーに連載しているという、順
ア、デジタルパブリッシングフェアで写真を撮っ
番が逆になりだしている。
てきたのですが、富士通のFLEPia(フレッピア)
ですね。私のブログでも紹介しています。カラー
最終兵器電子ペーパー
電子ペーパーです。まだ非常に色は薄いですし、
書き換えに時間がかかりますが、ただ、とにかく
まだまだこれから恐ろしい話が続きますね。電
薄くて軽くて、ほんとに下敷きくらいでした。
子ペーパーですね。
とにかく薄くて、キンドルだと3ミリくらいあ
紙の利点というのはまず見やすいということで
りますが、1ミリくらいですよ。これが一応参考
すね。
それから薄くて折り曲げられるということ。
出品ということで、売るかどうかはまだちょっと
表示に電気がいらない。わざわざこんな事を利点
苦しいかな、ということでしたね。でも商品化は
に書かなければならない時代が来たのですね。表
早い目にしたい、いうことを言っていました。電
示に電気がいらないというのは非常に利点なので
子ペーパーの勝負は薄くて軽いこと。なぜかとい
すね。
うと、薄くて軽ければ本より便利なのです。本っ
それに対して、ディスプレイの利点は、書き換
て結構重いです。
寝転んで読んでいたら結構疲れ、
え が 可 能。 で す か ら 省 資 源 で す。ISO14000と
ページがぱらぱらっとするが、電子ペーパーだと
KESをされているところがありますが、まず紙を
それがない。
失くしましょうと言われる。余談ですが、いい加
減にしてくれということで、現在、全日本印刷工
業組合連合会で運動している最中です。紙は環境
に優しいことを啓発するらしいです。
それから動画が表示できるということ。紙はど
うしても動画が表示できない。どんなに頑張って
もできない。何とか表示しているようなのは、朝日
新聞が2年くらい前に、朝日新聞の紙面で動画を
表示するというのをやったんですが、目の錯覚を
利用した変なものです。それくらいしかできない。
富士通カラー電子ペーパー試作品
この両方の利点を持ち合わせたものが電子ペー
パーです。
E-ink
見やすさ。まだちょっと見やすいとまでは言え
ませんが、アマゾンキンドルもだんだん良くなる
でしょう。薄い。これはまだ折り曲げられません
これがE-inkの原理(次頁の図参照)です。丸い
が、折り曲げられる電子ペーパーというのがかな
非常に小さなマイクロカプセルというのがあっ
り研究されてきています。特に韓国ですね。
て、白い粒子と黒い粒子がつけてある。黒い粒子
表示に電気がいらない。電子ペーパーの表示に
はマイナスに電気が帯電する。白い粒子はプラス
は電気がいりません。表示されているときは電気
の電気が帯電する。ですから、ここにプラスの電
を使っていません。ですから電池の持ちが非常に
気をかけるとマイナスの黒い粒子がこちらに来
良い。ひと月くらいつけっぱなしでも使えます。
る。プラスやマイナスの電気をかけることによっ
これはE-inkを使っているために電気がいらない
て、表面が白くなったり黒くなったりする。で、
のです。書き換えるときだけ電気が必要で、書き
電気を切ってもこの状態は変わらない。つまり液
換える瞬間だけ電気を使うが、表示そのものには
晶だったら裏からバックライトを常につけないと
電気がいらない。なぜそんなことができるか、そ
画像が出ないけれども、これは電気を切ってもこ
れはこの次にしますが、この電子ペーパーの研究
の状態が保持されるので、表示が消えない。欠点
10●
●
プリプレス部会第8期第6回研究セミナー「電子書籍時代の印刷業」
は、当たり前ですけれども、上に明かりが
ないと見えない。反射しているから。要す
るに紙なのです。電子
「ペーパー」
なのです。
カラー電子ペーパーはどうやっているか
を富士通に聞いたのですが、それは秘密で
す。今世界最大の秘密だそうです。電子ペ
ーパーをカラーでどうやってするのか、そ
れは絶対教えられない、多分似たような原
理だと思います。
この方式で現在のキンドルは作られてい
E-ink方式電子ペーパーの原理 凸版印刷㈱提供
ます。つまり、上の電気を消したら見えま
せん。光がないと見えません。暗闇では見えない
り電子ブックは読めない、という場合にはこれで
と言うこと。本と一緒です。反射なので目に優し
読ませて電子ブックになれてもらう。これもそう
い。白と黒のコントラストがあまいなど、ちょっ
遠くないときに出てくる。
と問題はありますが、そういう物はほとんど解消
壁紙テレビは当然ですね。そしてもっとおもし
されるでしょう。たぶん次々新しい物が出てくる
ろいと思ったのは、壁紙そのものを電子ペーパー
と思います。
で置き換える。その日の気分によって壁紙の模様
が変わる。ここまで行くにはだいぶ時間がかかる
電子ペーパー
と思うんですけど、
そういうことも構想にあります。
こういうデバイスが出たときにどんなビジネス
電子ペーパーの未来で、最初に実用化されるの
があるかを考えるのが若い人の仕事。もっともっ
が電車のつり広告。電子ペーパーにすると、電車
と発想が出ないとこれからの経営者はやっていら
一台分が一斉にざっと変わるわけです、例えば1
れない。私も未来の印刷業ということについて、
分に1枚ずつぱっぱっと変えたら何となく広告を
若いときはずいぶん過激なことを言ってきました
読まされてしまう。もちろん夜中にポスターをい
けれども私もここまで来るとちょっとついて行け
ちいち取り替えなくていい。たぶんこれが最初に
ません。
実用化されるだろうといわれています。というこ
今から20年30年前にインターネットができると
とは、ポスター印刷しているところは全部仕事が
いったときに、インターネットで天気予報ができ
なくなるということですね。
るとか、インターネットで物が買えるとか、それ
それから電子ペーパー新聞。薄い電子ペーパー
くらいは構想したけれど、ツイッターを構想した
で大きく広げられる。表面を触ると電子新聞の内
者もいなければ、SNSを構想した者もいない。そ
容がいろいろ変わる。今の新聞とほとんど形態が
ういうことを考えたのは20代、
30代の若者ですよ。
変わらないで新聞が読める。
我々は遅れてしまったのです。そういうものを構
今のiPadの電子新聞は結構パソコン的なのです
想できないまま馬齢を重ねて、この年に至ってし
が、電子ペーパーだと完全に現在の新聞をそのま
まった。
ま置き換えられる。
だから、ここにいる若い経営者の方々に言って
ラストブックは電子ペーパーを束ねて本にした
おきたい。来るのです。電子ペーパーの時代が。
物です。1冊あればどんな本にでもなる。めくっ
その時に印刷業界はどんなビジネスをできるかと
ていく感じは全然変わらない。コンテンツを買う
いうことを考えておかないといけない。
と電子ペーパーの中身が一斉に変わって、あると
私も会社の若い社員に言われたのです。専務は
きは小説、あるときは科学雑誌というように、中
その年だから紙の世界で全うされたら良いけれど
身の表示が全部変わる。ラストブック、つまり最
も、私らは食えませんから。電子書籍の開発をや
後の本ですね。本をずっと読んでいた人がいきな
りますし、金を出して下さいと。
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2010.10
2010 秋季特別企画①
このままではあきません。どうせ潰れるのだっ
ターがない場合は区役所に行けばプリントアウト
たら思い切ってやりましょう。それくらいのこと
してくれるのです。これで大幅な経費削減がされ
を言わないとだめです。
た。5、
6年前にすでにそうなりました。当時は、
きれいな公報のホームページを作っていました。
普及するデジタルサイネージ
そのホームページを作るのが印刷業界のビジネス
かなと私は思いました。
ところがだめなのですね。
有名な品川駅のデジタルサイネージ。現在は電
現在はワードかpdfが貼り付けてあるだけなので
子ペーパーではなくて液晶画面ですけど。液晶画
すね。
経費節減のため。それで十分に役割が達せる
面がポスター変わりにずらっと並んでいるので
のでそれでいいという発想です。
現在進行中です。
す。昔だったらポスターが並んでいて取り替えて
広告系は次に消滅すると思われます。ポスター
いたのですが、現在の品川駅はデジタルサイネー
類はデジタルサイネージにかなり置き換わってく
ジに全部変わっています。まだデジタルサイネー
るだろう。まだまだすぐには消えないと思います
ジの実用化実験らしいですけどね。
が、かなり減ってくるだろうと思われます。
東京駅もデジタルサイネージがすごいですね。
包装紙とかパッケージ、これは残るだろうとい
柱を全部デジタルサイネージで包んで、そのたび
う風には思いますね。
に広告が変わるとかやっています。そうか、ここ
紙印刷としては、私としてはオンデマンド印刷
にポスターが貼ってあったのか、と思いながら通
が好きで、なかなかいいと思うのですよ。200部、
るんですが。
300部くらいの印刷には向いているし、非常にき
是非東京へ行ってください。新しい物がたくさ
れいです。今のオンデマンド印刷、特にXeroxの
んありますから。
Color1000Pressとか使っていますが、あれなんか
オフセット印刷と比べてもわからないくらいのレ
ベルに来ています。
メーカーさんに非常に悪いですが、最近の展示
会などに行くとUVとかLEDとか300線の超高精
細印刷とか、高付加価値ということでやってらっ
しゃるんですが、
高精細印刷は蛸壺だと思います。
どこまで行ってもきりがない。人間の認知限界超
えたら見えないです。高精細印刷っていうのはな
かなか難しい。差別化するのは難しい、と私は思
います。
先ほど言いましたように、大凸は急速に電子化
デジタルサイネージ
右は普通のポスター
にシフトしています。
電子書籍時代の印刷業
印刷技術の浸透と拡散
本題です。減少はもう避けられないです。本は
それでどうするかという話ですが、一つはワン
残るでしょう。ただ減ります。今まで1万部だっ
ストップサービスだろうということです。中西印
たのが5千部になります。5千部だったのが2千
刷はワンストップでやろうという方向性を推進し
部になる。2千部だったのが千部に。たぶん3百
ています。が、これもなかなか大変なのですけど
部以下だったものはなくなります。雑誌書籍、現
ね。要するに、顧客は同じ。顧客のニーズを全部
在進行中になくなっています。
細かく吸い上げていけば需要はあるのではないか
京都市の公報、あれがインターネットになった
と。
必ずしも印刷領域だけではないかもしれない。
ので、発行されなくなりました。今、コンピュー
顧客ニーズからビジネス展開をしていく、という
12●
●
プリプレス部会第8期第6回研究セミナー「電子書籍時代の印刷業」
やりかたです。私どもでは、学術書などが多かっ
れでも会社は続いた。なぜか、お客さんは一緒な
たので、学会の雑用全部よろず引き受け業みたい
のですよ。お客さんのニーズは一緒なのです。紙
な、今は学会を社団法人にする書類作成代行まで
がなくなったら紙がなくなったことで別のニーズ
やろうかなという、そういうことも考えています。
を掘り起こすことができるわけです。必ず。そう
そうするとね、やはりお客さんは離れないです、
いうことなのです。
絶対に。雑用はやって欲しいが、印刷だけは安い
私が言いたいのは、いつでもどんな産業でも、
のでよそでやらせたいけど、ということになって
転換期で曲がり角なのです。私も異業種交流でい
も、それはできませんと。それだったらよそ行っ
ろんなところに行きましたけど、どこでもそう言
てください。お客さんは依存度合いが強いからそ
っています。
「今は転換期で、曲がり角で、えら
う簡単には離れられない。経営用語で言うと、ス
い時に経営者をやらされた、えらいことだ、大変
イッチングコストの高い状況を作れるのです。
だ」とばかり言っている、でも、今だけが転換期
とはいっても、実は私は全印工連の2010計画を
で曲がり角じゃありません。
いつだってそうです。
批判しています。業界こぞってワンストップサー
今は大変ですよ。この電子の波のすごさはちょ
ビスをしましょうというテーマだけれども、それ
っとやそっとの波ではないと思います。正直いっ
を言ったら印刷業界はないだろうと思います。
てかなり振り落とされるところも出てくると思い
個々の会社がやろうというのは良いと思いますけ
ます。でもそれは多かれ少なかれどの時代もそう
れど、業界全体でワンストップサービスをやろう
だという覚悟が必要です。それをのりきる意志が
というのはおかしいのではと思います。
大事でしょう。
印刷技術からの展開ですが、周辺技術を開拓し
もうひとつ言いたいのは、業界がおとなしすぎ
ていく。非紙印刷とか、電子デバイス傾向のビジ
る。「電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す」に何が
ネス展開。そういうのがあるのかなと考えていま
書いてあるかというと、もうちょっと業界もはっ
す。これらはどちらかというと大手の選択で、中
きり物を言わないとということです。電子書籍の
小は何をすべきなのかということになりますが、そ
版面権など印刷業界にあるものはあるものでちゃ
れがわかったら私がやりますから、何をやるか、こ
んと主張しろ、ということです。出版社に対して
ういう時代に、これはもう考えるしかないのです。
も今までの付き合いとかそういうことを主張し
私は30歳くらいの頃に印刷工業組合に関わりま
て、電子書籍には協力できません、と言うくらい
して、当時一番年下でした。組合の会合は50歳、
のことを言って欲しい。電子書籍のノウハウを出
60歳の年配の方ばかりでね。ところが、工業組合
版社は何も持っていません。一部の出版社を除け
に来ても活版の頃は儲かったのだけれど、今は儲
ば本当に電子書籍のノウハウを持っているのは
からへんな、という話だけで2時間会議が終わる。
我々です。iPadのデータひとつうまく作れない出
「なんやねん。これは」と私は思いましてね。だ
版社もあります。結局握っているのはこっちなの
から東京の会合ばかり行っていました。電子化の
です。
それをうまく利用しなければいけないのに、
話とかオンデマンド印刷の話とかやりにね。京都
言っていることというと、もうだめや、どうにも
ではやらないんだもの。しかたがない。
ならん、もう潰れるしかない…。そんな話を言っ
昔は儲かって良かったな、と言うくらいは誰で
ていたってしかたないでしょう。
もできる。経営者であればそれは違うと思います。
しかし、やらないと進みません。どんな産業で
何か考えて、プラスアルファ、やって、やって、
も常に転換期なのですから、やるしかないです。
やるから経営者なのと違いますか。
ご清聴ありがとうございました。
(文責・編集委員会)
何か考えていかないといけない。だからといっ
て印刷はあきらめましょうと言うことでは、これ
※当 セ ミ ナ ー の 模 様 を ビ デ オ 収 録(DVD又 は
は自己否定になります。私たちがやってきて、活
VHS)していますので、貸し出しを希望される
版から電算になったとき、やっぱり根本的に違う
方は組合事務局までお申し出下さい。
(事務局TEL 075-312-0020)
ことをやったのです。全然違うことをやった。そ
13●
●
2010.10
2010 秋季特別企画②
2010 秋季特別企画②
シリーズ 京の100年企業を訪れる
「株式会社写真化学 石田敬輔代表取締役会長兼社長に聴く」
∼自立性、専門性、特異性を高め、存在感のある企業を目指す∼
100年を超えて経営を続けておられる企業様を訪問し、その歴史と魅力をシリーズで紹介する企画の第
5回目として、今回は、印刷を核にしながらも、長年培った画像処理技術を基幹に先端のエレクトロニク
スを応用した多角的な事業を展開されている、株式会社写真化学様を取材させていただきました。
地下鉄烏丸御池駅近くに本社・京都営業所を構える株式会社写真化学は、明治初年に銅版彫刻印刷技術
をもとに創業。以来140年を越える歴史の中で、
「現状に満足することなく、新しい技術を追求する」とい
うパイオニア精神のもと、個性ある「写真化学グループ」という事業体を構築されました。
特性の異なった技術、事業の融合・分離を繰り返しながらも、昨今の激化する市場競争に対応するため、
各々の得意分野を見極め、
経営資源を集中させ「自立した個性ある事業体」を再構築するその経営手法は、
業態変革に取り組んでおられる多くの組合員の皆様にも参考になるのではないでしょうか。是非ご一読く
ださい。
中で進めています。
まず、写真化学様の現在の事業につい
て教えて下さい。
そして、もうひとつの柱が「プロダクトイノベ
㈱写真化学 代表取締役会長兼
田敬輔氏
社長 石
ーションカンパニー」です。公自転方式撹拌脱泡
装置を中心とした自社製品の企画、開発からマー
ケティング、設計、販売までを行っています。
様々な事業を進める中で、それぞれの事業の競
争力と経営効率を高めないといけません。そして
次につながる事業基盤を構築するため、各部門の
自立性と専門性を高めるとともに、それぞれが経
営判断できるように分社化をどんどん進めてきま
した。
「あかんかったら自分たちで考えろ」という方
針です。人を減らさなければならないかもしれな
いし、今までやってきたことを変えなければなら
ないかもしれない。経営者としてどう舵取りする
のか、
それぞれの社長が考えるようにしています。
現在、写真化学は2つの事業体と6つの子会社
で展開しています。本体はカンパニー制を導入し
昨年創業140年を迎えられましたが、創
業の頃はどんな状況だったのでしょう
か。
(初代旭山才次郎)
ていて、当社の柱となるのが「メディアカンパニ
ー」
です。ソリューションサービス事業といって、
印刷をベースにマルチメディアの企画制作や展示
会の企画などを行っています。このメディアカン
明治元年、私の曾祖父、石田才次郎が石田旭山
パニーは、ワンストップでお客さんのニーズに応
印刷所という会社を作って印刷業を始めました。
えるために、グループ子会社と連携してメディア
それが当社の創業です。東京で明治政府の藩札の
コミュニケーショングループ(MCG)という枠の
お手伝いを行なった後、京都へ戻り、自分の彫っ
14●
●
シリーズ 京の100年企業を訪れる「株式会社写真化学 石田敬輔代表取締役会長兼社長に聴く」∼自立性、専門性、特異性を高め、存在感のある企業を目指す∼
た銅板を版にして印刷業を始めたのです。
私の曾祖父には兄がいるのですが、兄弟そろっ
て芸術肌だったようです。銅板の先生に師事して
指導を仰いでいたようで、かなりの腕を持ってい
ました。絵画の素養があったのかもしれません。
曾祖父の兄は芸術家として銅版彫刻師の道に進み
ました。
明治の頃の京都は、どんどん欧米の科学技術を
松原時代の石田旭山印刷
(昭和9年∼18年頃撮影)
吸収して、それを独自の技術として育てるという
気風がありました。才次郎も銅板彫刻の技術を確
ました。今のように飛行機がたくさん飛んでいる
立して、数多くの優れた印刷物を残しました。
時代ではないので、納期も1年∼1年半かかりま
した。しかも、
ガラスですから非常に壊れやすく、
高価なものでした。何としても国産化を成し遂げ
なければならないという思いから、印刷業を営む
傍らガラススクリーンの開発に力を注ぎ、10年近
くかけてようやく完成させました。
銅版印刷用原版
明治の中頃になると、欧米で石版印刷(今のオ
フセット印刷の源流といわれるものです)が使わ
れるようになり、才次郎もいち早く石版印刷を取
り入れました。明治の時から常に欧米の技術に注
目していたようです。
角形ガラススクリーン
(大日本スクリーン製造株式会社所蔵)
今も当時の印刷物がたくさん残っています。多
くの印刷物を手がけ、京都だけでなく、日本の印
ガラススクリーンを完成させた後は、当然それ
刷技術の発展に貢献できたと思っています。
を販売することになるのですが、主な販売先は印
刷会社さん、製版会社さんなど同業の競争相手で
会社として創立されたのが75年前とい
うことですね。
(二代目旭山敬三)
す。従って、ガラススクリーン製造部門は分離独
立させた方がいいと考え、戦争の真っ只中であっ
才次郎の後を継いだのは、私の祖父の二代目旭
た昭和18年、大日本スクリーン製造株式会社を設
山敬三です。印刷製版の技術と機器の開発に力を
立しました。これが今の大日本スクリーンです。
注いで、転写紙、石版用転写透明膜凸版、写真製
写真化学は大日本スクリーンの子会社と思ってい
版用網目スクリーンの食刻法
(エッチング)
など、
る方も多いのですが、歴史的に見ると、写真化学
当時は画期的だった特許を取得しています。
が親会社ということになります。今は資本的な関
昭和9年、石田旭山印刷所は株式会社として新
係はほとんどなく、それぞれ独立独歩の立場を取
たなスタートを切りました。
創業者と同様、
祖父も
っています。
じっとしているのが嫌いで、いわゆる印刷技術に
敬三は、フィルムやガラススクリーンが日本の
まつわる様々なことにチャレンジしていました。
印刷業界に絶対必要であると考えていました。も
大正から昭和にかけて、どんどん印刷物に写真
ちろん事業意欲もあったのでしょうが、それ以上
が掲載されるようになりましたが、当時はガラス
に使命感が強かったようです。業界団体を設立さ
スクリーンをドイツと米国からの輸入に頼ってい
せるなど、業界の中できちっとしたものを確立し
15●
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2010.10
2010 秋季特別企画②
親心だったのでしょう。
ていこうという気持ちが強かったと思います。
この明も、
またじっとしているのが嫌いな男で、
その後も製版・印刷技術の応用展開で
新事業分野へ進出されたのですね。
(三代目旭山德次郎)
印刷以外の色々な事業にチャレンジしました。印
刷技術を展開して、
例えばステンレス、
アルミ、銅
板などに絵柄を付け、エッチングをして更に絵柄
に深みを付ける、
即ち建装材の事業を始めました。
私の父である三代目旭山德次郎は、石田旭山印
刷と大日本スクリーンの経営の近代化と安定化を
実現させました。新事業分野へ進出する足がかり
を作りました。
先ほど述べたように、大日本スクリーンは祖父
の敬三が独立させたのですが、戦後すぐに父の德
次郎が社長に就任しました。50年近く経営のトッ
プとして君臨し、今日の大日本スクリーンのベー
スを築き上げました。ガラススクリーンの製造販
売だけではビジネスとして難しくなると、その周
ステンレス浴槽のエプロン材(エッチング)
辺機器である製版用カメラ等を作るようになり、
ステンレスの浴槽の横に絵柄を付けたりエッチ
大日本スクリーンを印刷製版機器の総合メーカー
ングすることが一時期ブームになっていました
に発展させて上場させました。さらに、その後は
が、多いときには市場の7割近くのシェアを当社
カラーテレビのシャドーマスクなどの電子業界の
が得ていました。やがて不燃建材として建築業界
仕事にまで事業領域を増やしています。
から注目されるようになり、ステンレス浴槽の他
にもウォールや壁、エレベーターのドアなどにそ
うした技術が使われるようになりました。
また、電気配線がプリント基板に代わりはじめ
たときは、電気配線技術の知識を持った人を外部
から迎え入れて、いわゆるプリント基板の設計ア
ートワークの事業にも進出しました。プリント基
板を手がけるには、印刷技術とともにフィルムの
扱いに慣れていなければなりませんが、当社はど
石田旭山印刷株式会社堀川新工場
ちらのノウハウも持っていました。
また、大日本スクリーンとの関係もあったから
大日本スクリーン製造株式会社様を分
離独立させた後の写真化学様はどのよ
うに進まれたのですか。
(四代目旭山明)
でしょう、精密機器の開発にも取り組み始めまし
た。最初は簡単な製版機器の設計・製造でしたが、
スクリーンブランドの製品を作るため、新たに写
私の祖父、敬三が亡くなったのは、東京オリン
真工業という会社を設立しました。
ピックの年の昭和39年です。その後しばらくは、
紙の印刷以外の分野へ事業展開したことについ
戦前より勤務していた岩吹留次郎氏によって細々
ては、大きな理由がありました。それは、当時の
と経営を続けていたのですが、
昭和43年に私の兄、
大日本スクリーンの製版機器の売上が、全事業の
四代目旭山明が実質的な経営に携わるようになり
80%近くを占めていたからです。大日本スクリー
ました。彼は大学を出て、初めは大日本スクリー
ンの1番のお得意先が印刷業界だったので、販売
ンに2年ほど在籍していました。当時、大日本ス
先の印刷会社から「おまえのところの子会社(当
クリーンの主要なお客様は印刷会社さんや製版会
時は石田旭山印刷が子会社だと思う人が多かっ
社さんなので、三代目旭山德次郎の気持ちとして
た)がうちの印刷事業の邪魔をしている」という
は「1度印刷会社の経営を勉強してこい」という
クレームをよく受けたようです。そのため、
「こ
16●
●
シリーズ 京の100年企業を訪れる「株式会社写真化学 石田敬輔代表取締役会長兼社長に聴く」∼自立性、専門性、特異性を高め、存在感のある企業を目指す∼
のまま紙の印刷で拡大していくには限度があるの
ではないか」という気持ちが明に生じたようです。
明が石田旭山印刷へやってきたとき、当時の従
業員は10名、
年商は7000万円程度でした。それを、
約10年間で従業員100名、年商13億円の規模へと
急成長させました。また、100年続いた社名・石
田旭山印刷を写真化学に社名変更したのも、明の
時代の昭和45年でした。明は現在、大日本スクリ
フォトマスク
ーンの会長職に就いています。
その次の一歩が思うように進めない時期もありま
現会長様が5代目旭山ということです
が、社長に就任後、どのように事業展開
されてきたのですか。
(五代目旭山敬輔)
した。32歳から18年間突っ走ってきて、自分では
もう100億が限界かなと思い始めた50歳の時に、
1度社長を辞め、会長職に就きました。自分自身
昭和43年、兄の明が大日本スクリーンから石田
を見つめ直し、今後の写真化学の方向について、
旭山印刷に転籍したとき、入れ代わるように私が
経営者の立場を離れて考えてみたかったのです。
大日本スクリーンに入社しました。大日本スクリ
社外から来てくれていた当時の伊東靖人専務に無
ーンには10年在籍して様々なセクションを経験し
理やり社長を引き受けてもらいました。
ましたが、最後の3年間はアメリカ現地法人の責
会長として会社を見つめていた4年間は、私に
任者でした。そして昭和53年に写真化学へ転籍す
とって非常に貴重な時間でした。それまでと景色
ると、明も再び大日本スクリーンに戻っていきま
が違って見えました。
した。
当時も紙の印刷以外に様々な事業に取り組んで
私が引き継いだとき、写真化学と写真工業を合
いましたが、その中のどこかの事業が利益を生み
わせた年商が約13億円、従業員はおよそ100人で
出していたらいい、会社としてバランスがとれて
した。私の代では、新しい事業を生み出すのでは
いたらいいと誰もが考えていました。全部の事業
なく、今ある1つ1つの事業を大きく発展させる
が全ていいときなどほとんど無いからです。しか
ことを心がけました。その結果、15∼6年間で年
し、それではこれからのグローバルな競争社会の
商100億円の規模にまで成長することができまし
中で勝ち残れないとの結論をだしました。
た。一方で、好調だった建装材事業を廃液問題の
平成13年3月期決算の売上は100億円でしたが、
ため廃止しています。
その内訳は、液晶部門とプリント基板部門が50億
写真工業とも合併し、一番ピーク時の従業員は
円、その他の印刷部門とシステム機器部門が50億
約430名でした。今から18∼19年前、大きな投資
円でした。しかし、液晶部門関係の事業が12億円
をして滋賀県草津市に新しい印刷工場を作ったも
の経常利益であったのに対して、その他の印刷部
のの、完成直後にバブルがはじけるという大変な
門等の事業は6億円の赤字でした。両部門を合わ
時期もありましたが、振り返ってみると、これま
せると売上100億円、利益6億円なので、会社全
で順調に成長を重ねることができたと思います。
体として見ればそれほど悪い数字ではないのです
当時の年商100億円の内、印刷事業は約30億円
が、事業別に細かく分析すると、赤字の事業が相
です。時間が経つにつれて印刷以外の事業が大き
当ありました。
くなり、最も大きくなったのが、液晶のフォトマ
液晶部門等の事業は、これから益々設備投資が
スク(半導体集積回路の製造過程で用いる焼付け
必要になります。銀行も中々お金を貸してくれな
用原板)という事業でした。電子事業部のプリン
い時代なので、上場してでもお金を集めて次の投
ト基板の技術がどんどん進歩し、年商約50億円ま
資に備えなければなりません。これまでも2回ほ
で成長しました。
ど上場を検討したことがあったのですが、どうに
年商100億円という1つの壁は越えたものの、
もタイミングが合わなかった。足を引っ張る赤字
17●
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2010.10
2010 秋季特別企画②
の部門があると、それが企業価値を押し下げ、株
う方向で話を進めました。しかし、担当する社員
価に反映するからです。
達は続けたいというのです。採算が取れない、会
4年間、経営の中心から離れて導き出した結論
社の足を引っ張っていると説明しても、「どうし
は、激しい競争社会で生き抜き、勝ち残るために
てもやりたい」と必死でした。その時、
「自分達
は、全ての事業を独り立ちさせなければならない
でお金を出すことになってもいいのか?」と聞い
という強い思いでした。そして、
会長兼社長職に戻
たところ、「出してもいい、それでもやりたい」
って最初に取り組み始めたのが事業の分社化です。
と答が返ってきました。予想外の返答に正直言っ
せっかく分社化するなら、思い切ってやろうと
て驚きました。
思いました。そこで、今から9年前の平成13年10
そこで、存続のための方法を考え抜いた結果、
月1日、液晶フォトマスク事業を大きく発展させ
分社化することにしました。彼らは自分たちで一
るという考えのもと、液晶部門とプリント基板部
生懸命ビジネスプランをつくって、4名で430万
門を株式会社エスケーエレクトロニクスという会
円出資することに同意しました。そこに私の70万
社に移行して独立させました。昭和18年に私の祖
円、写真化学の1000万円を加え、資本金1500万の
父が大日本スクリーンを設立した当時と同じよう
新会社をスタートさせたところ、初年度から黒字
な状況です。
転換できました。
液晶のフォトマスクとは、半導体集積回路の製
その他の採算の悪い部門も、事業縮小・撤退の
造過程で用いる焼付け用原盤であり、印刷でいう
話をすると、
皆同じようにやりたいといいました。
とフィルムのネガのようなものです。非常に高価
誰もが自分のやってきた仕事は続けたいのです。
な石英を素材としたガラスで細かいパターンを描
写真化学にいたときより給料も少ないし、色々な
きます。主な販売先は液晶テレビのパネルメーカ
ことで切り詰めたりすることが必要ですが、前述
ーさんです。
のケースと同様に別会社を作り、駄目なら自分た
エスケーエレクトロニクスは1年半でジャスダ
ちで責任をとるという体制を作った結果、どの会
ックに上場することができました。今年9月の売
社も黒字に転換できました。あらためて人間とは
上は約200億円です。写真化学の子会社という位
すごいものだと思いました。皆潜在的な能力を秘
置なので、私も会長を兼務していますが、あえて
めているのです。
株式は20%以下にとどめ、独立独歩で運営してい
今振り返ると、私自身にも反省すべきところが
ます。
多々あります。これまで社員に必死になるチャン
スを与えてこなかった。そういう環境を作ってや
いろいろな事業を立ち上げられては独
立採算化あるいは分社化という経営を
展開されてきたのですね。
れなかった。それから甘えというのも確かにあり
ます。自分の部門は赤字でも、他が利益を出して
いれば給料を貰えるからです。分社すれば、赤字
エスケーエレクトロニクスを分社したときに、
の時はボーナスなんて出せないし、給料も上がり
当社は売上50億、赤字6億の会社になりました。
ません。
これを黒字転換させなければなりません。
そこで、
分社した会社が1年目から黒字なので、「すご
エスケーエレクトロニクスは同社の社長に任せ
いな、
給料を上げたらどうだ」と言ったのですが、
て、私は本体である写真化学の立て直しのため非
社長達は自らの給料を上げません。現場にいたと
採算部門の見直しに取り組み始めました。明治初
きは、給料が少ないとか賞与が少ないとか文句を
年から続いている印刷技術を核に、何としても赤
言っていた人も、自分達の会社に利益が出たら、
字から脱却させようという決意がありました。
社員には還元するけれども自分の給料、役員の賞
各部門を見直しているとき、印刷部門の中の衛
与は上げません。来年以降のことを考え、資金を
星画像のアプリケーションを制作している部門が
内部留保するのです。
儲かっていないとわかりました。その当時で既に
こんなことを言うとしかられますが、分社した
10数年の事業実績があるのですが、縮小撤退とい
会社のリーダー全てが社長になる器の人ではあり
18●
●
シリーズ 京の100年企業を訪れる「株式会社写真化学 石田敬輔代表取締役会長兼社長に聴く」∼自立性、専門性、特異性を高め、存在感のある企業を目指す∼
ません。しかし、皆一生懸命勉強するので、1年
いますが、本当に独立したいのであれば反対はし
でその器はどんどん大きくなりました。雇用や増
ません。
資など、会社の未来を考えるようになりました。
会社の中から事業の芽が産み出されることもあ
赤字部門から作った会社はどれも小さな会社で
ります。人間は、自分のやりたいことをやらせて
す。リーマンショックなどもあり、今は経済が非
もらうとすごく力を発揮するのです。一つ完成さ
常に落ち込んでいるため、今年は4社が赤字にな
せたらそこで満足感を得て、また次のことに挑戦
り、黒字は2社だけでした。本体の写真化学も赤
する気持ちが生じます。その繰り返しです。社員
字になるくらいの厳しい時代ですが、色々なこと
から、
自然に「あれをやりたい」
「これをやりたい」
を乗り越えて企業は成長するし、人間も成長する
などの提案が出てくるのが一番いいと思います。
ので、あまり慌てるな、持ちこたえるように頑張
そういう自発的な提案がどんどん出てくる社風に
ろうと励ましています。
していきたいと思っています。
私が写真化学の社長に就いたとき、プリント基
写真化学様の企業理念や、会長様が大
切にされているものを教えて下さい。
板の事業が大赤字でした。そのため、一度事業を
縮小することになり、そこにいた従業員を全員他
当社は、
「ふれあいを大切に」という言葉を企
の事業部に分散させることになったのですが、従
業理念に掲げています。私は、
「ふれあい」とい
業員の中に「プリント基板の技術を使った精密マ
う言葉が好きです。ビジネス社会でも友人関係で
スクの事業に取り組みたい」と涙ながらに訴える
も、心と心のふれあい、人と人とのふれあいを大
男がいました。その熱意にほだされて、最小限の
事にしていきたいと思っています。
資金で精密マスクの部門をもう一度やってみるこ
とになりました。それが後の液晶のフォトマスク
事業に繋がったのです。その時の彼の涙のおかげ
で、エスケーエレクトロニクスの今日があるのだ
と思います。彼は今、エスケーエレクトロニクス
の社長に就いています。
これからの写真化学様について教えて
下さい。
経営理念を記した石版盾
私が現役でいる限り、当社の核である印刷を大
私の父は、社員の人たちと積極的にコミュニケ
切にします。先祖から預かってきた技術を継承し
ーションをとっていました。大日本スクリーンを
て、次の世代に引き継ぎたいという思いが強いか
創業したとき、うちの自宅が本社と一緒だったの
らです。ただ、印刷の業界自体が大きく変化して
で、小さいときからその理念を父の背中越しに見
いるので、これから先どうなっていくのか不透明
てきました。私達兄弟も何らかの形でそれを引き
なところもあります。
継いでいると思います。
当社の場合、紙の印刷だけを見ると、25年前と
会社が残っていくために最も大切なものは、や
今の売上高がほぼ同じです。一方で、設備におい
はり「後継者」でしょう。子供であるかもしれな
ては、草津工場ができた当時、輪転機1台、5色
いし、子供でなくても、そういう思いを引き継い
機2台、4色機2台、両面2色機2台の計7台の
でもらえる人です。
印刷機がありましたが、今は8色機と4色機と5
分社した会社については結構割り切っていて、
色機がそれぞれ1台ずつ、計3台になりました。
独立志向のある人には、写真化学グループから離
それで十分なのです。印刷技術のデジタル化によ
れて行ってもいいと思っています。グループで固
る影響が大きいと思います。
めるつもりは決してありません。今は少し厳しい
これまで順調に売上を伸ばしてきましたが、デ
時代なので、グループ力を生かそうと呼びかけて
ジタル化やシステム化が進んで、最近は受注が大
19●
●
2010.10
2010 秋季特別企画②
イン会社も作りました。これからはこの方面の人
間をもっと養成していきたい。印刷の営業も頭を
切り換えないといけません。印刷技術面での差別
化が難しい時代において、大事なのはその表現の
内容です。
当社は展示会の企画の仕事なども手がけている
のですが、展示場のコマのデザインを行なうと、
必ずそこのカタログなどの印刷物も受注できま
す。従って、最近はこの分野から攻めるよう指示
ハイデルベルグ社製8色両面印刷機
しています。競争して、値切られて赤字を出して
幅に減りました。元来、大量に刷って1枚あたり
まで印刷物を受注しなくてもいいという気持ちに
の価格を安くするというのが印刷の基本でした
なってきています。
が、今はオンデマンド印刷が主流で、必要なとき
私は大日本スクリーンに勤めていたことがあり
に必要なだけでいいという需要が多くなりまし
ますし、父親は経営していました。上場企業で、
た。以前は2万部∼3万部の受注が多かったので
一番大きい時は4000人の社員がいました。企業規
すが、最近は千部単位です。
模が大きくなると経営基盤が安定し、競争力も上
しかし、印刷業界は、それに対応していかなけ
がります。
ればならない業界になってしまいました。正直に
しかし、私は写真化学を大きくする必要はない
申し上げて、いつまで印刷部門を続けられるのか
と考えています。これだけ世の中の変化が激しい
わかりません。
私の時代は、しがみついてでも続け
ときなので、不測の事態のときは、必要なところ
たいと思っていますが、他の事業に力を入れた方
だけ修正したらいいと思っています。小さな組織
がいいという事態がいつかくるかもしれません。
のままでいた方が方向転換しやすいし、後継者も
その理由は、国内はもちろん、中国をはじめと
やりやすいでしょう。エスケーエレクトロニクス
する海外との価格競争が激しいからです。少し前
がジャスダックに上場したのは、広く資金を集め
までは「中国の印刷はまだまだレベルが低い」と
る必要があったからです。上場しなくて済むなら
思っていたのですが、今は全く違います。最近、
しない方がいいと思っています。
中国の印刷工場を見学させてもらったのですが、
代々の経営者様が引き継いでこられた
ものは何でしょうか。
工場管理と品質管理が徹底されているうえ、現場
の社員教育も行き届いていました。近代的な印刷
機が約50台整備されていました。紙も当社の3年
歴史ある代々創業家が継いでいる企業の社長に
分くらいの量が積んでありました。これは負けた
対して、一般的な評論家の方達から「あなたは創
なと思いました。印刷業はもとより、日本の製造
業者を超えたか?」とか「親父を超えたか?」と
業全体がどうやって生き残っていくかを真剣に考
言うことを面白おかしく尋ねられることがありま
えないといけない時代になりました。
す。私共の場合で考えて見ますと、140年前と現
私が写真化学に入った年の秋に「フリーダム」
在では時代背景も違うのに、どうやって比較する
というデザイン会社を作ったのですが、その時社
のでしょうか。
もちろん創業者や歴代社長の祖父・
員に「これからはデザインと企画が重要だ」と言
親父を尊敬もし、見習うべき所は見習っています
いました。これまでの御用聞きのような印刷営業
が、私は最近よく他人に「創業者は二代目・三代
は無くなると思ったからです。刷るだけならどこ
目の苦労は知らない」
「後を引継ぐのも大変なこ
ででも刷れる時代です。価格競争より企画やデザ
となんですよ」と言っています。
インでビジネスチャンスをつくらなければ企業は
よい時には「祖先や親父が残してくれた財産」
成長できません。
「親の七光り」と言われ、事業を縮小する時や
また、
「ユニクリエイツ」という映像系のデザ
撤退する時は「お前の代で終わりか?」と…
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●
シリーズ 京の100年企業を訪れる「株式会社写真化学 石田敬輔代表取締役会長兼社長に聴く」∼自立性、専門性、特異性を高め、存在感のある企業を目指す∼
これは我々の運命かも知れませんが、私共の場
沿 革
合、創業者は曽祖父・石田才次郎ではありますが、
明治初年
(1868)
二代目旭山敬三が株式会社として新たにスタート
明治20年 「京都名所案内図絵」など銅板出版物各種印行。石版印刷
(1887) 機を設置。
させて、大日本スクリーンを独立させました。大
石田才次郎(初代旭山)銅版彫刻印刷を開始。
明治23年
(1890)
村井兄弟商会のタバコのデザイン、銅刻印刷に従事。
日本スクリーンの今日の基礎を築いたのは三代目
旭山德次郎であります。また石田旭山印刷から写
大正3年
(1914)
石田式フィルム版の国産化に着手。
大正7年
(1918)
石版転写用透明膜凸版の特許認定。
このようにそれぞれがいつの時代でも創業者的
昭和9年
(1934)
石田旭山印刷株式会社設立。「写真製版用網目スクリーン
蝕刻法」の特許が認定。
なマインドを持って新たな事業展開をしてきたこ
昭和12年
(1937)
写真製版用スクリーンの工業化のためガラススクリーン
研究部門を独立させ大日本スクリーン製造所を創設。
昭和18年
(1943)
大日本スクリーン製造所を分離、法人化して、大日本ス
クリーン製造株式会社を設立。
昭和39年
(1964)
京都市下京区松原通高倉東入から上京区東堀川通一条上
るへ工場を移転。
りでは何も出来ない、社員を含めた周りの人たち
昭和44年
(1969)
京都府知事より「京都府老舗100年記念表彰」を受賞。
の協力と助けが必要であると言う…そのような
昭和45年
(1970)
日本アール・アンド・デイ株式会社を合併後、CIにより
株式会社写真化学に社名を変更。
昭和46年
(1971)
電子部門新設(後のエスケーエレクトロニクス)
関連会社、株式会社写真工業設立。後のシステム機器カ
ンパニー。
昭和49年
(1974)
グラフィックデザインの企画・制作会社として、株式会
社フリーダム設立。
昭和51年
(1976)
淀工場完成。建装材部門、ホリカラー・ステンレス浴槽
製造開始。
融合・分離を繰り返しながら経営資源を集中させ、
昭和54年
(1979)
株式会社サンエージェンシー設立。
各々に得意分野を極めさせるなど個性ある事業体
昭和56年
(1981)
久御山事業所を設立。印刷部門を統合。
昭和57年
(1982)
建装材部門、メタルサイン・硫化緑青加工を開発。
門に専門性、独自性があります。
当社が代々受け継いでいるのは、単なる技術的
昭和61年
(1986)
株式会社写真工業と合併により、製版機器等の開発・製
造部門を設置。
なDNAだけでなく、常に新しい事業展開で世の
平成3年
(1991)
草津事業所を開設。
平成6年
(1994)
企画デザイン部発足。(後のユニクリエイツ)
り方そのものです。それぞれの事業に自立心を持
たせて、独立させて、それぞれの市場で競争して
平成8年
(1996)
開発部として衛星画像処理部設置。
「ランドサット」衛星
画像のパッケージ販売開始。後のジオサイエンス。
平成10年
(1998)
株式会社フリーダム、株式会社サンエージェンシーを子
会社化。
ネスチャンスを探し
平成11年
(1999)
システム機器カンパニー「ISO9001」を取得。
ジオサイエンス部発足。
出す。これが創業時か
平成12年
(2000)
メディアカンパニー「ISO9001」を取得。
平成13年
(2001)
ファインテクノロジー事業部およびサーキットボード事
業部を分割して、株式会社エスケーエレクトロニクスを
設立。
平成14年
(2002)
衛生画像処理部門を株式会社ジオサイエンスとして子会
社化(リサーチパーク)。
平成15年
(2003)
メディアカンパニー企画デザイン部門を株式会社ユニク
リエイツとして子会社化(中京区四条)。
平成16年
(2004)
本社、子会社4社とともに京都市中京区烏丸に移転。
平成18年
(2006)
システム機器カンパニーFA事業部門を株式会社セプトと
して子会社化。
平成22年
(2010)
システム機器カンパニー精密機器部門を株式会社セザッ
クとして子会社化。
システム機器カンパニーをプロダクトイノベーションカ
ンパニーに名称を変更。
真化学と社名を変え、新たなスタートをさせたの
は四代目旭山明です。
とが140年に繋がったと思います。ただ共通して
言えることは常に新しい発想とそれを事業化する
事が大好きである…と言うことに加えて自分ひと
DNAは間違いなく引継いでいると思っています。
そして私も液晶フォトマスクの製造販売の会社エ
スケーエレクトロニクスの創業者であると思って
います。
昭和53年に写真化学を引き継いで以来、企業の
を構築できたと自負しています。当社の全ての部
中に貢献したいと思う「写真化学グループ」のあ
いく。そして、そこか
らもっと新しいビジ
ら続く、まさに写真化
学のDNAなのです。
(文責・編集委員会)
本社のある前田エスエヌビル
21●
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2010.10
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