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ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の 政治史

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ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の 政治史
83
ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の
政治史に関する一考察
伊 藤 伸 幸
はじめに
ロス ・ ナランホスはホンジュラス共和国コルテス県にあるヨホア湖の北東湖岸に位置している
(図 1,2)。フランス調査団による考古学調査まで、本格的な発掘調査は行われなかった(Baudez
& Becquelin, 1973, 1976; Stone, 1957; Strong, et al., 1937; Yde, 1936, 1938)。この調査では、ロス
図 1 ロス・ナランホスと関連する遺跡
1.テオティワカン、2.エル・ミラドール、3.コパン、4.ロス・ナランホス、5.イサパ、6.タカリ
ク・アバフ、7.カミナルフユ、8.チャルチュアパ
(1)
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
図 2 ロス・ナランホスとヨホア湖周辺の遺跡
1.ロス・ナランホス生態・考古学公園ビジター・センター、2.ロス・ナランホス主
要建造物群、3.クラーテル、4.ロス・ナランホス5号建造物群、5.同建造物群球
戯場、6.イスラ・デ・ベンタナ、7.バゴペ、8.アシエンダ・ビエハ、9.ボキー
タ、10.ボキータ、11.ラ・ホヤ、12.イスラ・デ・ベナド、13.モントヤ、14.シア
ヌロ、15.サウセ、16.エル・ノビヨ、17.ラス・ベガス、18.プンタ・ゴルダ、19.
イスラ・チキタ、20.スイサ
(2)
ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
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・ ナランホスが紀元前 800 年から紀元後 1250 年まで続き、主要建造物群と 1 〜 8 号建造物群に
分かれることが確認された(図 3)。この調査の結果、遺跡はハラル期(紀元前 800-400 年)、エ
デン期(紀元前 400- 紀元後 550 年)、ヨホア期(紀元後 550-950 年)とリオ・ブランコ期(紀元
後 950-1250 年)の 4 期に分かれることが解明された。エデン期はエデン I 期(紀元前 400-100 年)
とエデン II 期(紀元前 100- 紀元後 550 年)に分かれる。
本論は、名古屋大学によるロス ・ ナランホス考古学調査、フランス調査団の調査とメソアメリ
カ南東部太平洋岸地域の建築史からロス ・ ナランホスの政治史を考察する。
図 3 ロス・ナランホス主要建造物群と 1 ~8号建造物群(Baudez & Bequelin,1973 より転載。)
(3)
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
1.メソアメリカ南東部太平洋側地域における建築史
メソアメリカ南東部太平洋側では、先古典期前期から建造物が造られ始めた。また支配者が交
替したときには、建築様式や建築材が変化した。ここでは、この地域で最大の都市に発展したカ
ミナルフユの事例を検討する(Berlin, 1952; Kidder, et al., 1946; Michels, 1979a, b; Sanders and
Michels, 1969, 1973; Shook and Kidder, 1952)。
カミナルフユは先古典期に発展し、メソアメリカ南東部太平洋側で最大の都市になった。この
遺跡では先古典期中期に建造物の建設が始まった。建築材は土・粘土・砂が中心となっている。
しかし、石製建造物はまったくなかった。ペンシルバニア大学考古学調査によると、古典期中期
にグァテマラ盆地若しくはカミナルフユにテオティワカンという非常に強い政治勢力が入ってき
て、タルー・タブレロという建築様式が導入された。テオティワカンでは、建築材としては石が
使われた。しかし、カミナルフユでは他の地域とは異なる建築材でタルー・タブレロ様式を表現
していた。軽石のブロックで “ タルー ”(斜壁)を造り、平石で “ タブレロ ”(垂直壁)を支えて
いた。そして、モルタルで壁の仕上げがされていた。つまり、政治勢力によって建築様式が変え
られ、前時期に使われていた建築材が他のものに変えられた。古典期後期、再び、建造物を建設
するために土が使われるようになった。そして、タルー・タブレロ様式はみられなくなった。以
上のように、建造物の建築様式と建築材は当時の支配者を代表していた。カミナルフユを例にと
ると、先古典期に “ 土 ” の支配が、古典期中期には “ 軽石 ” の支配が、そして、古典期後期には
“ 土 ” の支配があったといえる。このように考えると、メソアメリカ南東部太平洋側の先スペイ
ン期において、記念碑的な建造物の建築材はその遺跡の支配者層を代表しているという仮説が成
り立つ。本論では、この仮説をロス ・ ナランホスで適用する。
ロス ・ ナランホスの記念碑的建造物で建築材を分析し、先スペイン期都市の支配勢力を考察す
る。最初に、名古屋大学調査団とフランス調査団が行ったロス ・ ナランホス調査結果をまとめる。
次に、ロス ・ ナランホスとメソアメリカ南東部太平洋側の建造物を比較する。この先スペイン期
都市の政治勢力を建築材から分析する。最後に、ロス ・ ナランホスの政治勢力を、記念碑的な建
造物の建築材から考察する。
2.ロス ・ ナランホス発掘調査(2005-2006 年)
2005 年、ロス ・ ナランホスにおいて先スペイン期都市の起源と発展を調査するために、名古屋
大学調査団は考古学調査を開始した。2,3,6 号建造物で発掘を行った(Ito, 2007)。また、古代の生
業、特に農耕を解明するために、沼沢地若しくは低地でも、数箇所で試掘坑を設けた(図 4)。
(1)2 号建造物
2 号建造物は私有地とロス ・ ナランホス生態・考古学公園(以下公園とする)に跨っている。
(4)
ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
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図 4 ロス・ナランホス発掘区位置図
(TR=トレンチ。1 ~ 6 号トレンチ、1,3 ~ 6 号試掘坑を示す。2 号試掘坑は本図の範囲外にある。)
図 5 主要建造物群 2 号建造物 1,3 号トレンチ
a.2 号建造物西壁立面図,b.3-1,6,8 トレンチ北断面,c.3-1 トレンチ東断面,d.3-2, 3トレンチ北断面,
e.3-4,5 北断面,f.1 号トレンチ立面図・東断面
(5)
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
1 号試掘坑、1,3 号トレンチで発掘を実施した。
1 号試掘坑ではロス ・ ナランホスの層序を確認した。最も早い時期の遺物を得るために 5m の
深さ(第 15 層)まで発掘した。第 6 層は非常に固く上面が平らなため、床面を形成していた可
能性が考えられる。第 9 層まで遺物が出土した。
1 号トレンチは建造物の立ち上がり部分から上に向かって設定し、公園の敷地の境界まで拡張
した。床の可能性がある第 6 層上面まで掘り下げたところ、平らで固い面が確認できた。第 5 層
の上に東西方向に石列が検出できた(写真 1 下)。第 5 層の上には第 3 層があり、その上に大小
の石で構成された壁が検出された(図 5.f、写真 1 上)。
3 号トレンチは 2 号建造物の下部に設けられた(図 5.a-e)。1 号トレンチで検出された石列の
広がりを確認する目的を持っていた。第 5 層の上面まで掘り下げ、石列の続きを追いかけた。石
列は壁を形成しており、その南西角は検出できたが、南東角は検出できなかった。この壁は 3 列
の石列から成り、約 45m の長さがあった(写真 2,3)。
(2)3 号建造物
3 号建造物は 2,4 号建造物の間にある。2,4 号トレンチを設けて、建造物の形と構造を調査した
(図 6)。
2 号トレンチは南北方向で 3 号建造物を縦断し、南と北に二分するように設定された。2 号ト
レンチ(南)では、3 号建造物周辺の層序を確認するために、初めに 2 × 2m の試掘坑を設けた。
非常に平らな暗褐色土層(第 5 層)があり、床面と確認できた。床面を追って建造物方向に発掘
すると 2 列の石列がある壁を検出した。更に、上の壁から崩落した石の集中部分を取り除くと石
壁があった。その上には 5 列の石列があり、擁壁と考えられた。また、その上には土の層があり、
擁壁内部の充填材と考えられる(写真 4 下)。2 号トレンチ(北)では崩落した石の集中部分を
取除くと、10 列の石壁を検出した。その上では、崩落した石を取除くと、石壁の痕跡を検出し
た。壁の立ち上がり部分では、部分的に橙色の床面を検出した(写真 5 上、図 6.b)。
4 号トレンチは 3 号建造物を横断し、東西方向に設定した。このトレンチも東西に 2 分し、4
号トレンチ(東)と 4 号トレンチ(西)とした。4 号トレンチ(東)では、橙色の床面とやや小
ぶりの石からなる壁を検出した。その上には数列の石列があったが、擁壁もしくは充填材の可能
性が高い(写真 5 下)。トレンチの北西隅には第 5 層を掘り込んだ穴に香炉が供えられていた(写
真 6 上)。4 号トレンチ(西)は 3 号建造物の立ち上がり辺りから最上部にかけて設定した。床
面は検出できなかったが、固い層が確認できた。また、大きな石で構成される階段部分があった
(写真 4 上)。石段より外側で深掘りしたところ、先古典期の遺物が確認できた(図 6.a)。
5 号トレンチはロス ・ ナランホスで最も早期の建築活動を確認するために設けられ、無遺物層
まで掘り下げた(図 4)。5 号トレンチから北に少し離れたところに 5 号トレンチ拡張区として試
掘坑を設け、無遺物層まで掘り下げた。
(6)
ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
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図 6 主要建造物群 3 号建造物 2 号トレンチ(北)と 4 号トレンチ(西)
a.4 号トレンチ(西)階段状遺構平面図,東立面図,南断面
b.2 号トレンチ(北)東断面,南立面図
(3)6 号建造物
6 号建造物は 2,4 号建造物の南東にある。一部盗掘されていた。この盗掘部分を利用して、建
造物の形や構造を調査した。盗掘部分を清掃したところ、マウンドの立ち上がり部分から 6 号建
造物の上部まで褐色粘土のみであった(写真 6 下)。盗掘部分に試掘坑を設け、無遺物層まで掘
り下げた。6 号建造物では多彩文土器がまったく出土しなかった(図 4)。
(4)2 〜 6 号試掘坑(図 4)
2,3 号試掘坑は古代の生業を復元する目的を持って、設定した。両試掘坑とも遺物は何も出土
しなかった。また、生業に関連する資料も出土しなかった。
4,6 号試掘坑はより早期の遺物を得るために、2,6 号建造物の間に設定した。4 号試掘坑は主に
古典期の遺物が出土した。6 号試掘坑では先古典期の遺物が出土した。
5 号試掘坑は早期の遺物を得ることと農耕に関連する資料を得ることを目的とした。表土下に
(7)
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
黒色土層その下には灰色土層が確認できた。灰色土層には薄い黒色土層があったが何も遺物は検
出できなかった。この下には黒色土層があり、その下の 2 層から遺物が出土した。その下には無
遺物層があった。
(5)6 号トレンチ
2 号建造物の南、3 号建造物の東に低い部分がある。また、この低くなった部分の南には低い
マウンドがある。これが建造物であるならば、3 基の建造物に囲まれた中庭があったことになる。
この低い部分の性格を確認するために、この部分を南北方向に横切る 6 号トレンチを設けた。1
〜 7 層まで遺物が出土したが、殆どが多彩文土器であった。
(6)主要建造物群 2,3,6 号建造物の建築史
今回の調査では 6 号建造物の盗掘跡試掘坑と 4 号トレンチの深掘り部分からハラル期の遺物が
出土した。4 号トレンチの遺物はさまざまな時期の遺物が混じっていた。6 号建造物では、盗掘部
分と試掘坑から出土した土器には多彩文土器は混じっておらず、大半がハラル期の遺物であった。
6 号建造物は 2,3 号建造物よりも古いことが確認できた。6 号建造物の下部では、ハラル期の
遺物が出土した。盗掘部分を清掃し層位を確認したところ、褐色粘土で一度に建設したことが確
認できた。6 号建造物近くの 6 号試掘坑では、6 号建造物から出土した遺物と似たものが出土し
た。4 号試掘坑は 2,3 号建造物に近い部分に設定し、6 号建造物と 6 号試掘坑で出土した遺物よ
りもおそい時期の遺物が出土した。これらのことを考慮すると 6 号建造物は 2,3 号建造物よりも
早い時期に建設されたことになる。
2,3 号建造物ではハラル期の遺物は出土しなかった。唯一、4 号トレンチでハラル期の遺物が
より後期の遺物と混じって出土したのみである。6 号トレンチではハラル期の遺物は出土しな
かった。2,3 号建造物の床面からは多彩文土器が出土した。2,3 号建造物は早くてもエデン期にな
らないと、建設が始まらなかったといえる。2 号建造物は低い基壇とその上に 1 段以上の建造物
があることが確認できた。また、検出された 2 号建造物に関連する床面(6 層)より、深い部分
に床面(5 層)があることが確認できた。3-6,8 トレンチでは 2 号建造物より少し外側に石列を確
認した(写真 2 下)。これらの資料を考慮すると、より古い建造物があった可能性がある。しか
し、その時期については不明である。
次に、2,3,6 号建造物の建築史を復元する(図 7)。最初、ハラル期に 6 号建造物が建設された。
次に、エデン期に 2,3 号建造物が建設された。2 号建造物は、より古い建造物を内部に持つ可能
性がある。また、建築材を見てみると、最初に土製建造物(6 号建造物)が建設され、後に石灰
岩の建造物(2,3 号建造物)が建てられた。
3.フランス調査団による考古学調査から復元される建築段階
名古屋大学による調査の前にフランス調査団による調査が 1967 〜 1969 年に行われた(Baudez
(8)
ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
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図 7 2005-2006 調査結果に基づく各時期の建造物
& Becquelin, 1973)。ロス ・ ナランホスでは、主要建造物群と 1 ~ 8 号建造物群に分かれること
が確認された。また、2 箇所で溝状遺構が確認された(図 4)。この調査結果を簡潔にまとめる。
(1)主要建造物群
1,4,9 号建造物で発掘調査を実施した。
1 号建造物:建造物近くの試掘坑では、エデン期とハラル期の遺物が混じって出土した。この
ため、正確な時期は不明であるが、エデン期までに建てられたと考えられる。また、ヨホア期の
活動もあったと考えられる。
4 号建造物:ハラル期の埋葬が出土した。エデン 1 期には、ハラル期の土製建造物(6m 以上)
を覆って、石の建造物が造られた。4-1, 2, 3, 4, 5 建造物はエデン期とヨホア期に造られ、石の建
造物である。
9 号建造物:ハラル期若しくはヨホア期に相当する。
(2)1 ~ 8 号建造物群
1,5,6 号建造物群において発掘調査が実施された。2 号建造物群ではヨホア期の遺物が出土した
建造物もある。8 号建造物群では、踏査時にヨホア期の土器が出土した。3,4,7 号建造物群の時期
は調査不足のためにわかっていない。4 号建造物群では石灰岩を建築材とした建造物がある。
1 号建造物群
(9)
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
26 基の建造物が確認されている。25,26 号建造物で調査が行われた。ヨホア期の建造物があっ
たことが明らかになった。
25 号建造物:石灰岩のブロックで 2 段の基壇が造られ、西側に階段が付く。
26 号建造物:石灰岩のブロックで造られ、3 段の基壇である。
5 号建造物群
23 基の建造物が確認された。4,5 号建造物と球戯場で調査が行われ、ヨホア期とリオ・ブラン
コ期に属することがわかった。
4 号建造物:建造物の充填材は上部がリオ・ブランコ期で下部がヨホア期であった。
5 号建造物:ヨホア期に、石灰岩のブロックで造られた。
6 号建造物:リオ ・ グランデ期にやや大きめの石灰岩のブロックで造られた。充填材はさまざ
まな大きさの石であった。
9 号建造物:ハラル期からリオ・ブランコ期までの遺物が出土した。石灰岩のブロックで造ら
れた。
球戯場:ヨホア期の層の上に石灰岩のブロックで造られた。リオ ・ ブランコ期である。
6 号建造物群
15 基の建造物が確認されている。球戯場で調査が行われた。
球戯場:リオ・ブランコ期に石灰岩のブロックで建てられた。
(3)溝状遺構
2 箇所で溝状遺構が見つかっている。1 号溝状遺構はハラル期に、2 号溝状遺構はエデン期に
相当する。
(4)ロス ・ ナランホスにおける建築段階(図 8)
ハラル期:主要建造物群では 4,9 号建造物が建てられる。また、1 号溝状遺構がつくられる。
エデン期:主要建造物群では、1 号建造物が建造される。4-5 建造物の建設が始まる。2 号溝状
遺構が掘られる。
ヨホア期:主要建造物群では、4 号建造物を 4 段から 5 段の基壇に改変する。1 号建造物群で
は 25,26 建造物が建設される。
リオ ・ ブランコ期:5,6 号建造物群では球戯場が建てられる。
4.ロス ・ ナランホスにおける都市化
名古屋大学による調査とフランス調査団による調査の結果に基づいて、ロス ・ ナランホスにお
ける都市化を復元する(図 9)。
ロス ・ ナランホスはハラル期に主要建造物群で活動が始まった。4,6,9 号建造物で建設活動が始
まった。この時期、建造物は土製であった。しかし、建造物の様式や形は浸食のためにわからな
(10)
ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
図 8 フランス調査団調査結果に基づくロス・ナランホスの時期変遷
図 9 今までの調査結果に基づく各時期のロス・ナランホス
(11)
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
い。また、1 号溝状遺構が掘られた。
エデン期には主要建造物群で 1 号建造物が造られた。4 号建造物では 4-1,2,3,4 建造物が造られ、
現在見られる形になった。4-5 建造物の建設が始まった。2,3 号建造物が造られた。2 号溝状遺構
が掘られた。
ヨホア期、主要建造物群で 4 号建造物が 5 段の基壇に変化した。1 号建造物群では 25,26 号建
造物が造られた。5 号建造物群では 4,5 号建造物が造られた。2,8 号建造物群ではこの時期の遺物
が出土しており、建築活動が行われた可能性がある。
リオ・ブランコ期:5,6 号建造物群では球戯場が造られた。
5.メソアメリカ南東部太平洋側とロス ・ ナランホスの建造物
ロス ・ ナランホスはメソアメリカの南端にある。マヤもしくは、レンカ文化に属するとされる。
地理的にはメソアメリカ南東部太平洋側地域にも近い。この地域では先古典期前期から記念碑的
な建造物が造られた。また、この地域の建築史は他の地域よりも変化に富んでいた。本論では、
ロス ・ ナランホスの建造物をマヤ地域の資料も考慮に入れて、メソアメリカ南東部太平洋側の建
築史と比較する。
最初にメソアメリカ南東部太平洋側の建造物を概観する(伊藤 2000)。メソアメリカ南東部太
平洋側には、カミナルフユ、タカリク・アバフ、イサパ、チャルチュアパなどの先スペイン期
都市があった(図 1)。土製建造物は先古典期前期からメソアメリカ南東部太平洋側で造られた。
先古典期中後期にはさまざまな土製建造物が造られた。ロス ・ ナランホスで造られた土製建造物
もこうした歴史のなかに位置づけられる。先古典期中期、石の建造物が出現した。川原石で壁が
造られた。先古典期後期、石ブロックが建造物に使われた。しかし、ロス ・ ナランホスでは、川
原石で建造物が造られた。ロス ・ ナランホスでは石のブロックを殆ど使っていない。唯一、2 号
建造物の南西隅に石ブロックが 1 個使われているのみである。これ以外、ロス ・ ナランホスでは
石ブロックは使われていない。
一方、ペテンにあるエル ・ ミラドールでは、先古典期中期に巨大な石ブロックで建造物が造ら
れた。マヤでは、先古典期中期から後古典期まで石ブロックで建造物が造られ続けた。石ブロッ
クを作る技術は、石ブロックの建造物が多く造られたコパンやその周辺を経由してロス ・ ナラン
ホスに到達したと考えられる。
このように考えると、ロス ・ ナランホスの建築伝統は、最初にメソアメリカ南東部太平洋側か
ら、その後マヤ中部低地から来たと考えられる。しかし、マヤ低地の影響は少なかったと考えら
れる。
(12)
ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
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6.建造物と建築材から見たロス ・ ナランホスの政治史
ここでは、先に述べた仮設をロス ・ ナランホスに適用し、政治史を分析する。
ロス ・ ナランホスの主要建造物群の建築活動はハラル期に始まる。最初の建造物である土製建
造物(4,6 号建造物)が造られた。この時期は土製建造物だけであった。マヤ中部低地では、先
古典期中期末には大きな石ブロックでアクロポリスを造り、その上に数基の建造物が造られた。
一方、ロス ・ ナランホスでは、エデン期までに石造建造物が造られ始めた。この時期には、“ 土 ”
の支配があった。
エデン期には、主要建造物群で 1,2,3,4 号建造物が石を主たる建築材として造られた。多くは川
原石で、整形された石は少ない。エデン期には 4 号建造物は上部に建造物が造られた大きな基壇
に変化した。主要建造物群のアクロポリスに成長した。ロス ・ ナランホスでは “ 石 ” の支配が現
れた。
ヨホア期には、主要建造物群以外でも、1,5 号建造物群などで建造物が造られた。ロス ・ ナラ
ンホスの広い地域で、建設活動や都市化が進んだ。ヨホア期では、ロス ・ ナランホスの政治的中
心は改変された。また、主要建造物群以外の 1,2,8 号建造物群でも、記念碑的建造物が建設を開
始した。ロス ・ ナランホスでは、政治組織が複数の “ 石 ” の集団に分かれた可能性がある。
リオ ・ ブランコ期には、5,6 号建造物群にそれぞれ球戯場 1 基が造られた。球戯の習慣を持つ
集団が 1 もしくは 2 集団が来た可能性がある。ロス ・ ナランホスでは、政治組織が前時期とは異
なる習慣を持つ組織に変わった。そして、“ 石 ” の政治集団は複数の集団に分かれていた。
ロス ・ ナランホスでは、ハラル期に “ 土 ” の政治集団が出現した。エデン期には “ 石 ” の政治
集団に変化した。ヨホア期には、複数の “ 石 ” の政治集団に分けられた。リオ ・ ブランコ期には、
球戯の習慣を持つ集団がロス ・ ナランホスに到着した。
おわりに
特に主要建造物群の考古学調査によって、ロス ・ ナランホスの古代都市の形成と発展に関する
資料を提示した。都市の発展について研究するためには、主要建造物群以外の建造物群について
も考古学調査を実施することが必要である。また、ロス ・ ナランホスの都市としての文化を理解
するためには、都市としてのロス ・ ナランホスを支えた経済基盤を調査する必要がある。また、
出土土器の分析はまだ終わっておらず、詳細な時期変遷は今後の課題である。
(13)
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
参考文献
(和文)
伊藤伸幸
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(14)
ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
97
謝 辞:
日本学術振興会科学研究費補助金 基盤研究(B)(海外)「メソアメリカに於ける古代都市の
発展に関する研究」(課題番号 16401017)により調査を行ったロス ・ ナランホス遺跡考古学調査
結果の一部である。また、測量調査に関してはテクノシステム㈱の協力を得て行っている。ここ
に感謝の意を示すものである。
(15)
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
Abstract
EL SISTEMA POLÍTICO EN LOS NARANJOS, HONDURAS
NOBUYUKI ITO
Se analiza el sistema político a través de las investigaciones arqueológicas de Los Naranjos y de la
historia arquitectónica de Costa Sur de Mesoamérica.
En la Costa Sur de Mesoamérica se encuentra la estructura desde el periodo preclásico temprano. Los
materiales arquitectónicos y su estilo representan el poder político contemporáneo. En Kaminaljuyu, se
presenta una hipótesis de que el material constructivo de la estructura monumental presenta el poder
del sitio o de la ciudad prehispánica.
Primero se explican los datos de las investigaciones arqueológicas. Se analiza el material constructivo
o arquitectónico. Segundo se comparan las estructuras de Los Naranjos y las de la Costa Sur de
Mesoamérica. Finalmente, según la hipótesis, se presenta el sistema político de Los Naranjos.
En Los Naranjos se apareció un grupo político de “barro” durante la fase de Jaral. En la fase Edén se
cambió el sistema político por el grupo político de “piedras”. Durante la fase Yojoa, el grupo político se
dividió en varios grupos de “piedras”. En la fase Río Blanco se entró la costumbre de jugar a la pelota
por otro grupo de “piedras”.
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ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
写真 1 主要建造物群 2 号建造物(1)
上:大小の石で構成される石壁、下:第 5 層の上で検出された石列
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
写真 2 主要建造物群 2 号建造物(2)
上:TR 3- 8で検出された石壁西側、下:TR3-1,6,8 で検出された石壁南側、
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ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
写真 3 主要建造物群2号建造物(3)
上:TR3-2,3 で検出された石壁南側、下:TR3-4,5,7 で検出された石壁南側
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
写真 4 主要建造物群3号建造物(1)
上:TR4(西)で検出された階段状遺構、下:TR2(南)で検出された石壁
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ロス ・ ナランホスからみた先スペイン期都市の政治史に関する一考察
写真 5 主要建造物群3号建造物(2)
上:TR2(北)で検出された石壁、下:TR4(東)で検出された石壁
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名古屋大学文学部研究論集(史学)
写真 6 主要建造物群 3,6 号建造物
上:3 号建造物東側出土香炉、下:6 号建造物完掘状況
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