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第一回 アジアのヒューマンネットワークを問う 2006
月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 (財)アジア学生文化協会創立 50 周年記念 第1回シンポジウム アジアのヒューマンネットワークを問う 2006−アジアにおける対話のチャンネルを求めて− 協賛:(財)東芝国際交流財団 (財)アジア学生文化協会(ABK)では、創立 50 周年を記念した第1回のシンポジウムを 2006 年 11 月 17 日、 (財)東芝国際交流財団の協賛を得て東商ホール(東京・丸の内)にて開催いたしました。 当日は日本、韓国、インド、タイ、中国から、協会とのゆかりも深い5人の有識者をお招きし、アジア におけるヒューマンネットワークの重要性を語っていただきました。この模様を一挙掲載いたします。 Coordinator 石井米雄氏 人間文化研究機構機構長、文化功労者 京都大学名誉教授 Speaker プラユーン・シオワタナ氏 タイ国泰日経済技術振興協会会長 崔相龍(チェ・サンヨン)氏 高麗大学校政治外交学科教授 李春 利(リ・チュンリ)氏 愛知大学経済学部教授 雅留宮久麿(ガルグヒサマロ)氏 エーザイ(株)グローバルファーマシュー ティカルズ常勤顧問 2 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 開会の挨拶 (司会) ただいまより財団法人アジア学生文化 協会の創立 50 周年を記念しまして、 「アジアのヒ ューマンネットワークを問う2006 アジアに おける対話のチャンネルを求めて」と題しまし て、第1回目のシンポジウムを開催いたします。 シンポジウムを始めるに先立ちまして、主催 者を代表いたしまして、当協会の理事長 小木曽 友よりご挨拶申し上げます。 そんな期待を持っております。そしてもし何か 具体的なご提案をいただいて、このシンポジウ ジアのヒューマンネットワークを問う2006 ム閉じることができればこれにまさる喜びはご アジアにおける対話のチャンネルを求めて」を ざいません。ご来場の皆様にはどうか最後まで 開催いたしました所ご多忙の中、また平日にも お付き合いくださいますよう、よろしくお願い かかわらずご来聴たまわり誠にありがとうござ 申し上げます。 いました。心から御礼申し上げます。アジア学 生文化協会は来年(2007 年)9月 18 日創立 50 (司会) では、ただいまからシンポジウム「ア 周年を迎えます。これもひとえに内外の関係者 ジアのヒューマンネットワークを問う」に入り の皆様の長年にわたる厚いご支援・ご鞭撻のた たいと存じます。石井先生よろしくお願いいた まものと心から感謝申し上げます。 します。 協会が創立されたのは 1957 年ですが、その間 真の国際化とは 50 年、アジアは大きく発展しました。しかし今 新たな困難に直面しているように見えます。そ れは更なる発展と共通のより大きな利益のため (石井) ご紹介いただきました石井でございま に、 「対話と協力」のネットワークがアジア諸国 す。アジア学生文化協会の方からシンポジウム 間に十分育っているとは言えないということで をやるからコーディネーター役を引き受けろと す。では、そのネットワークの主役は誰が能く 言われた時、最初、私はお断りしたんです。シ これを担うのでしょうか。また、 「対話と協力」 ンポジウムというのは、パネリストが並んで1 が育っていないという点では、日本とアジア諸 人 10 分くらい喋った後、補足を2分位する。そ 国間だけではなく、アジア諸国相互の間でもヒ のあと、ご質問ありませんかと言うと、2∼3 ューマンネットワークが十分に育っているとは 人の人が手を上げて、それに答えておしまいと 言えない現状があると思われます。本日のシン いうのが多いんです。そういうシンポジウムと ポジウムでは、かつて日本に留学した方々と石 いうのは私はあまり好きじゃないから嫌だと言 井米雄先生との間の自由な討論によって様々な ったら、それじゃあ好きにやってくれと言われ 問題点が明らかにされ、アジアにおける「対話 たので、今日はハチャメチャシンポジウムのよ と協力」による、共存共栄社会の形成の方向と うになると思うんですが、みなさんに話をして 実現の可能性がおぼろげながらでも見えてくる、 いただいた後、自由に討論をしたいと思ってお 3 アジアのヒューマンネットワークを問う (小木曽) 本日はアジア学生文化協会主催「ア 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 も密接にしなければならない、とにかく 日本は何とかして世界の人々と関係を持 たなければならないということが声高に 叫ばれています。しかし良く考えてみる と、国際関係というのはいろいろなレベ ルの関係があるわけで、国と国との関係 という二国間の関係もありますし、国連 とかユネスコと言ったような国際機関を 通じての多国間の関係もあるわけです。 この場合、二つの国の関係を結ぶのは外 交官ですが、外交官というのはそれぞれ 国の利害、国の利益というものを代表し て行動するように求められており、当た り前の話ですが、その利害や利益に基づ いた関係になるわけです。 それからまた国際的な関係では、日本 の企業はずいぶんあちこちの国に出てお り、特にアジア地域には数多く出ている 石井米雄(いしいよねお) 人間文化研究機構構長、文化功労者、京都大学名誉教授。外務 省を経て、京都大学東南アジア研究センター(現東南アジア研 究所)教授、同所長などを歴任。1929 年生れ。 タイ大使館勤務をきっかけにタイに魅せられ研究の道へ。アジ アの人々との接触を通したアジア研究を追求する研究者たちの わけでありますが、その国の産業や交易 に従事する場合には、商社やメーカーの 方がその国の会社の方と接触をします。 この場合というのも会社が背後にある。 外交官が国を背負っているように、ビジ リーダーとして、アジア文化会館を利用して研究活動を行って ネスマンには会社がある。そこではなか いたことが縁で、30 年以上にわたるABKとの交流を持つ。 なか個人関係というのが生まれにくいと いうわけですね。 ります。 私はちょっと考えるのですが、そういう意味 実はこれが始まる前に昼食を一緒にしまして、 で日本と外国との関係、特にアジアとの関係が もうファーストラウンドは終わってしまったの いろんな意味で深まっている反面、本当に人間 で、これで失礼しようかと言ったんですけれど 関係というのが深まっているのかと考えると、 (笑) 、そういうわけにもいかないので出てまい どうもそれが無いような気がして仕方がないん りました。これから第2ラウンドでございます。 ですね。 最近グローバル化とか国際化とかいろんなこ 私はタイの専門なのですが、以前日本とタイ とが言われていて、地下鉄に乗っても「国際化 との関係の歴史を調べたところ、ちょうど 1987 のパスポートは英語である」などという広告が 年で日本とタイとの関係が 600 年になるという 目につき、もう誰もが「国際化」 、 「国際化」とい ことがわかったものですから、日タイ交流 600 うことを言うわけですね。また、アジアとの関係 年史という本を書いたんです。ところがそれを 4 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 はよくあります。 な時代にもタイからずいぶんモノが入ってきて 以前ロンドン大学に1年半ほどいたんですが、 いたということがわかりました。年間大変な量、 その時に私の友人が日本人を見て「あ、またミ 100 隻くらいの船が入ってきているわけですか スターゼロックスがやって来たよ」という言い ら、1万トンとか2万トンという物資が入って 方をするんです。つまり、日本人で英国に留学 きていた。だから日本の鹿皮、これは手袋にし してイギリス人と触れ合っている人は非常に少 たり鎧下にしたりするわけですが、そういった ないんだけど、ものすごく真面目なんですね。 ものや、鮫皮や蘇芳という、蘇芳染の蘇芳ですね。 真面目ですから大学へ来て、図書館へ行って一 こういったものもタイから入ってきているわけ 生懸命本を読んで、 そうしてゼロックス(コピー) です。 をたくさんとって帰って行くということなんで ですから貿易関係は鎖国の時代においてすら すね。 あったんですが、果たしてそこに人間が介在し これは笑い話なんですが、あるパブへ行った たかというと、人間はあまり介在していないん 時、私はなるべく日本人とは付き合わないよう ですね。同じことが今でも言えるわけで、日本 に努力をしていたんですが、向うから日本人ら はいろんな意味で外国と関係があり、密になっ しき人がやって来て、 「あなた日本人ですか」と ているんですが、日本のAさんが外国のBさん 言うので「そうです」と答えたら、 「私ここに留 と本当に個人として接触する場というのは実は 学しているんですが、 日本はいいですね」と言う。 思ったほど無い。これでいいんだろうかという 「なぜですか」と聞いたら「日本では英語がわか ことが私はいつも思っていることなんですね。 らない時には人に聞けたけど、ここでは誰も教 今回のシンポジウムはアジアの「ヒューマン えてくれない」と言うんです。 ネットワークを問う」というのが、主題になっ イギリスへ来てロンドンにいて朝から晩まで ているんですが、私は国際関係とかグローバリ イギリス人と触れ合うはずなのに、英語で話を ゼーションと言う時に、人間というものがどこ しようともしない。これで本当の意味での日本 でどういう形で触れ合うのか、そこをやはり考 とイギリスの間の理解ができるのだろうかとい えてみる必要があると思うんです。 うことを私はしみじみ感じさせられたわけです。 日本から観光客が何百万人と外国に行ってい 私は先ほどご紹介いただいたように、28 歳の ます。私は去年パリに行き、たまたまエッフェ 時にタイに留学をしまして、チュラロンコン大 ル塔が見える所に私の知っている研究所がある 学というところに2年いました。その後、大使 のでそこへ行ったら、日本人の観光客が入って 館にいたり、京大に移ってからは研究者として 来て、大きな声を上げて言うんですね。 「あれが タイに行き、合計で8年間タイに住みました。 エッフェル塔か、テレビとおんなじだ」って。 その時ですね、タイ人の家に下宿をさせていた つまりテレビで見たエッフェル塔を今見て確認 だいたのが2年ありますし、その後それと同じ しているわけです。その人はフランスまで高い 敷地の中に家を買いまして、そこで4年間住み お金をかけて来て、テレビが本当であったとい ました。したがって 6 年間、少なくとも朝飯と うことだけを確認して帰って行く。つまり日本 晩飯はタイ人と一緒に食べていたわけです。 人は外国に行く時にみんなカプセルの中に入っ そこで話をしていると、本で読んだこととは ているわけですね。で、フランスの人と話をし 違った形のタイの姿が見えてくる。やっぱりそ ようということはあまりしない。そういうこと こにタイ人という1人の人間がいて、石井とい 5 アジアのヒューマンネットワークを問う 調べていくうちに、日本が鎖国をしているよう 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 う1人の人間がいて、そこで触れ合うというも たれた4人の元日本留学生の方が、みなさん全 のがある。 部日本語でお話しをしてくださる。本当に目を 「あなた何でタイなんて勉強しているんです つむったら、なに人だかわからない。雅留宮さ か」ということを私は何百回聞かれたかわかり んなどは雅留宮(みやびなとどまるみや)とい ません。なぜ研究したのか、あまり深い理由は うので、宮様かというような名前を持っておら ないんですが、何となくタイの字を見たら、わ れる。どうも宮様ではないらしんですが(笑) 、 けのわからない字なので、これを勉強したらお とにかくみなさん素晴らしい方々です。日本に もしろそうだという、極めて子供じみたことで 住んで日本で勉強して、そして日本とずっと関 始めたんですね。しかしむしろ大事なことであ 係を持ち続けている、こういう方々がですね、 る「なぜタイの勉強を止めないんですか」とい 私は物凄く重要な意味を持つんだと思います。 うことは聞かれたことが無いんです。私はタイ そういう意味でぜひこの 4 人の方々にご自身 研究を始めてちょうど 50 年になりますが、なぜ が日本で感じられたこと、今感じておられるこ 止めないのかというと、私を世話してくれた下 と、それと日本との関係をこれからどうして行 宿のおじさんとかおばさん、私の着物の洗濯を くかということについて、いろいろ話をしてい してくれた女中さんとか、みんな亡くなりまし ただきたいと思います。 たけど、そういう人たちに対する私自身のある まず最初に崔先生は前に駐日韓国大使をして 種の恩義ですね。それを考えると、これでもし おられたわけですが、そこで文化交流のことを タイ研究を止めたら申し訳ないんじゃないかと がんばられて、先頃の日韓共催W杯の時にはず いう気持ちになる。その気持ちが離れないまま、 いぶんご苦労をなすったと思うんですが、そう 気がついたら 50 年経っていたという、そういう いう実践を通じて、問題はどこにあって、どう 感じなんです。 いうところに努力をされたかということからお 話をしていただければありがたいと思います。 国際関係というと聞こえは非常に派手に感じ 大切な文化交流の蓄積 ますが、1人1人の人間と人間との間の触れ合 いがベースにならなければ、今本当の意味で国 (崔) みなさんこんにちは。アジア学生文化協 際化したことにはならないと思うんです。 私は研究者ですから、研究対象は客観的に見 会 50 周年を記念した会にご招待いただきまして なければいけない。のめり込んであまりべた褒 本当にありがとうございます。私と日本との交 めしたら研究者としては落第なんですが、研究 流は 40 年です。その 40 年において、穂積先生 者としての私を支えてくれているのは私がタイ とアジア学生文化協会の存在というのは非常に に対して感じている恩義とか、タイが自分に尽 大きいものです。先生との出会い、先生との会 くしてくれたことに対するお礼なんです。それ 話は今でも忘れることが出来ません。エピキュ が一つのエンジンになっていて自分の研究を支 ロスは「友情は死を越える」という素晴らし言 えてくれていると感じているわけです。 葉を残しました。私が死んでも私の後輩たちが ですからそういう意味で、今日のテーマのヒ みなこのABKに通い、韓国と日本の交流に素 ューマンネットワークというものは物凄く大事 晴らしい貢献をしていくものと思います。 だと私は思います。幸いなことに今回はアジア 与えられた 10 分の時間内で文化の意味を少し 学生文化協会といろいろな形で関わり合いを持 話しなさいということですが、今、国際関係、 6 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 国と国との関係で一番大事なのは、ソ フトパワーですね。これは国と国との 関係だけではないと思います。個人と 個人との間でもソフトパワーの力は非 常に大きいんです。ソフトパワーとい うのはみなさんご存知のように、ハー ドパワー=経済力とか軍事力ではなく て、それ以外の魅力を総じてソフトパ ワーと言います。一言で「文化の力」 と言っていいと思います。 今から8年前の 1998 年に、韓国は日 本の大衆文化を韓国市場に公開しまし た。文化を公開するというのはあたり が、当時は 韓国民 80%以上の世論が日 本の文化を韓国に受容する、公開する ことに対して反対でした。 というのは、文化は単なる文化ではな く、文化産業の問題ですね。金の問題、 競争力の問題です。当時、アニメーシ ョン、漫画の競争力は日本が世界一で 崔 相龍(チェ・サンヨン) 高麗大学校政治外交学科教授、元駐日韓国大使。ソウル大卒後、 東大で国際政治学の博士号取得。韓国政治学会長、韓国平和学会 したから、こういう非対称というか、 長。1942 年生まれ。 不平等な状況で日本の大衆文化を受入 れると大変だと、一部では文化植民地 になるのではないかという懸念もあり 金大中大統領時代に韓国の日本文化開放を推進する対日関係を指 揮する。また駐日韓国大使時代に行われた日韓共催ワールドカッ プ等を通して、日韓の相互交流の発展に尽力する。東大大学院時 代にABKに在館。 ました。 私は一学者として、 「日本文化開放」をはっき その後、中後期を経て、山崎先生は先生なりの りと支持しましたが、私なりの論理は次のよう 主体的な思想を構築しましたが、少なくとも、 であります。 李退溪先生の影響は非常に大きかった。こうい 文化というのはある特定の時点での優劣の問 うふうに文化はお互いに学びあうプロセスであ 題ではない。過去、現在、未来をつなぐ、限り るわけです。もし今、日本の漫画とアニメーシ なき相互学習の過程である。 「mutual learning ョンの質が良ければ学ぼうじゃないかと学生に process」=「お互いに学び合う限りなきプロセ も説得したんです。 ス」であると、そのように定義をしたんです。 その文化開放の決断はもちろん当時の大統領 韓国も一時日本に文化を与えた時期がありま がしたんです。本当に世論に反して政策を決定 した。朝鮮王朝の 代表的な学者である李退溪 したんです。そういう枠組みを作る過程で私は (イ・テゲ)先生の思想を、江戸時代の思想家・ 参加をしました。私は職業外交官ではありませ 山崎闇斎先生(1619-1682)が受け入れたんです。 ん。韓国にとって日本大使は非常に大きなポジ 7 アジアのヒューマンネットワークを問う まえのように聞こえるかもしれません 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 ションです。一介の書生の来るところではない。 教科書問題はお互いに合理的に話し合えば乗 しかし私はその文化開放の理論的枠組を作った り越えられる、という確信を持ちました。これ ということで、民間の最初の大使としてまいり もやはり文化交流のおかげじゃないかと思って ました。おそらく今当時の決定がなかったら韓 おります。そういう共同作業のクライマックス 流などはなかったと思います。たった 8 年間の が、ワールドカップでした。素晴らしかったん 交流です。 です。 日本と韓国は 1500 年近い交流がありますが、 このように、これからも文化を中心に日本と 両国が共同で作業をした経験はあまりないんで 韓国が共同で作業をしていけば、そのシナジー す。私は日本と韓国の共同研究を 10 年間やっ 効果は非常に大きいと思います。 てまいりました。両国からのべ 400 人くらいの 学者が集まって共同研究を行い、その成果が今、 昨年は日本と韓国の国交正常化 40 年でした。 慶応大学の出版会から 20 冊以上出ています。こ 私はその友情年の韓国側の委員長でした。今も の10年間の業績は非常に良かったということが、 その名刺をもっておりますが、友情というのは 今の学会の評価でございます。 2005 年限りではございませんから、その名刺を 現在政府レベルの歴史共同委員会があります 今も使っております。日本の委員長はみなさん が、争点ばかりで何も結果が出ておりません。 ご存知の画家の平山郁夫先生でした。 むしろこういう共同研究は民間の方が有効にで 当時政府レベルの関係は非常に悪かった。日 きるのではないかと思います。歴史認識という 本と韓国の首脳の間の信頼が崩壊してしまった。 のは二つの知的な作用で構成されると思うんで 首脳の間で信頼が崩壊するのは怖いものですね。 す。事実認識とその解釈です。歴史的事実を認 絶対壊してはいけません。 めるべきですが、解釈は多様であると思います。 そういう 2005 年にも日本と韓国の文化行事が 同じ日本人でも同じ韓国人でも男女によって、 750 件くらいありました。1 日に 2 件くらいの文 世代によって、世界観によって違う、解釈の多 化行事が成功裏に行われた。これから日本と韓 様性についての寛容さが必要であるわけです。 国の間に何か争点があっても、こうした文化交 しかし大事な歴史的な fact はお互いに認めるべ 流の蓄積があれば解決できないものはないと私 きである。私はちょうど大使時代教科書問題で は確信しております。 大変でした。苦労しました。その時私は限られ (石井) ありがとうございました。今のお話を た日本語で次のような文章を作りました。 「歴史は砂の上に書いた文字ではない。手で消 聞くと、日本と韓国は国家レベルで考えると行 したり風で消えたりするものではない」 。 き詰まってしまって、もうどうしていいのかわ 今もその講演を聞いた政治家たちは、その文 からない。だけど今のような民間レベル、文化 章を引用しながら私のことを語っているんです。 のレベルにおいては、苦労されてはいるけれど 幸いに例の問題の教科書の採択率は 0.039%で も、しかしそれは非常に長い期間に意味を持っ した。私は数学には非常に弱いんですが、その ていくものだと私は思います。その意味で、文 数字は一生忘れないと思います。0.039%という 化はお互いに学び合うプロセスだと言われたこ のは、先進民主国家の日本の教育委員会が選ん とに私は感銘を受けたわけですが、この文化の だものですね。これは 0%よりもっと説得力があ レベルから例えば経済のレベルに行くと、どう ると思います。 いう問題があるのだろうかと。雅留宮さんはま 8 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 さにビジネスの世界に生きておられる わけで、企業の経済活動などのレベル で考えると、日本とインドとの接触、 あるいはアジアとの接触について、ど ういうふうにお考えになりますか。 5T5D コンセプト・マネー ジメント (雅留宮) 先ほど私の名前の話が石井 先生から出たんですが、この名前と私、 一致しないんですね。私の顔も言葉も ライフスタイルも。この名前は 1971 年、 らいただいた象牙の立派なハンコに彫 ってあったものなのです。インドに帰 国後、大学で教えていたんですが、ハ ンコについてはどういう意味なのかわ からなくて、部屋に飾って持ってたわ けです。2∼3か月経って、日本から友 達が来て、これは飾るものじゃないと言 うんですね。これは象牙で作った大事な ハンコだと。その時そこに彫られた名前 雅留宮久麿(がるぐひさまろ) エーザイ(株)グローバルファーマシューティカルズ常勤顧問、イ ンド・バナラスヒンドゥ大学理学部博士課程修了。 バナラスヒンドゥ 大学助教授、東京大学・早稲田大学留学。1944 年生れ。 日本留学時代にABKに在館。在館当時は国籍を問わず多くの留学 の意味を教えてもらってびっくりした 生の信頼を集め、学生文化会の委員長にも選出された。 (株)エー んですね。その後、日本国籍をとったと ザイでは一貫して国際部門の責任者を務める。 きも同じ漢字を使っていますが、誰に会 っても名前と一致しないと言われます。 べてひっくるめて、文化としてお互いに理解し その話は別として、文化の話とビジネスの話 ないと、ビジネスというか、人間同士の話も進 をしましょう。私は 2004 年まで日本のエーザイ まないですね。その国の言葉には、いろいろ意 で 30 年働きましたが、外国の仕事が多く、だい 味があります。文化にも意味があります。簡単 たい年間 200 日くらい、トータルで 55 カ国に行 に私の経験、本ではなくて 30 年間の私の経験を っています。特に 15 年前、1991 年に中国がオー 少しみなさんに説明します。 プンしてからは中国、韓国、インドに頻繁に出 まず私がアジア文化会館から学んだのは Trust かけていました。 が一番大事だということです。Trust の意味は ビジネスの上で考えてみると、一番大事なこ 信頼感。お互いに信頼しなければやっていけな とは、やはり先ほど崔先生が言われた文化の理 い。人間対人間、会社対会社、国対国。信頼感 解です。お互いに言葉が違う、価値観も違う、 がないと。先ほど崔先生がおっしゃったように 食べ物も違う、環境も違う。そういうことをす 文化を通して何か信頼するものが一つはなくて 9 アジアのヒューマンネットワークを問う 留学生生活が終わった時に穂積先生か 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 はいけない。 メリカもそうですが、都内ならインフラが整備 その信頼を固めるというか深めるためには透 されていて、30 分もあれば遅くなっても来られ 明性 (Transparency) が必要ですね。ビジネスも ますよね。しかしそうでない国の方が多い。そ 会社対会社もやはり人対人です。そこにはやは れを理解して、なおかつその国の文化を理解し り透明性 (Transparency) が大切です。何を考え て、我々は仕事をやらなくてはいけません。相 ているか、何をやりたいか、それは言わないと 手の国の事情、文化を理解すれば、仕事も会 わからない。お互いに信頼もできない。私は 30 社も人間関係もうまくいく。Trust(信頼性) 、 年間5T5Dコンセプトマネージメントという Transparency(透明性) 、Teamwork(チー ものを実践し、その経験をいろいろな国、いろ ムワーク) 、Time management( 時 間 管 理、 いろな場所で説明してきました。これが正しい 期日厳守) 、Total management(総合的な管 かどうか、それはみなさんに評価してもらえれ 理) 、それを5Tといって私は実践しています。 ばいいのですが、私はこの考え方でやって来ま 今度は5Tだけではなくて、その国にもメリ した。 ットがないといけません。その会社、その国の 信頼関係を築く上で透明性 (Transparency) を 夢 (Dream) をかなえるためには何が大事か。そ 実践して来たわけですが、透明にすれば、仕事 れはビジョンですね。会社のビジョン、国のビ は人と人ですから信頼感 (Trust) が生まれ、チ ジョン、やはり夢 (Dream) を与えないといけな ームワーク (Teamwork) が生まれて来ます。チ いと思います。 ームワーク (Teamwork) が生まれてくれば仕事 夢 (Dream) を与えるために我々は、会社とし もうまくいきます。人生も同じですよね。私 て方向性 (Direction) を示します。例えば日本の の妻は日本人です。最初はいろいろと問題が 会社が東南アジアへ行った時、相手に何をやっ ありましたが、ワイフとの間もやはり透明にし てもらいたいか。1人、2人の日本人では仕事 て、例え文化が違ってもお互い理解して、良 はできませんから、現地の社員との信頼関係を いチームワーク (Teamwork) を組んでやってき 築くために、はっきりとした方向性(Direction) ました。人生、仕事、会社、いずれもチームワ を出していかなくてはいけません。相手が自己 ーク (Teamwork) が大事ですね。国同士もチー 開 発 (Development) す る た め に 夢 (Dream) を ムワーク (Teamwork) ですね。やはりバラバラ 与え、ダイレクション (Direction) を示し、デ ではあまりうまくビジネスはいきません。そし ィスカッション (Discussion) して、ディシジョ て良いチームワーク (Teamwork) でタイムリー ン (Decision) す る。 そ し て、 あ な た は こ う な (Timely) に仕事をすることが大事です。 ります、会社はこうなります、会社のゴール 文化の違いについて、例えば日本の場合、時 はこれですよと。その結果信頼関係が生まれ 間について言うと、電車の時刻は数十秒も違う て、最後に仕事もうまくいく。Dream(夢) 、 ことはありません。タイやインド、中国に行 Direction(方向性) 、 Development(人材育成) 、 けば違います。特にインドは今、ITブーム Discussion(意見交換) 、 Decision(意思決定) 、 で、ミドルクラスの人も多くなりお金も車もあ これが5Dです。 りますが、インフラが非常に悪いですね。その それを私が経験したのがアジア文化会館です 国で仕事をするのならそれを理解してやらない ね。私は科学者ですから、研究しか知らなかっ といけません。日本の会社、日本の人は時間厳 たのですが、アジア文化会館にいて、いろいろ 守で5分違ったら大変なことですね。日本もア な国の方々と交流し、また穂積先生の哲学を学 10 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 びました。やはり人間関係はモチベー ションがあって、お互いに尊敬し、信 頼されるほうがうまくいくと。穂積先 生の哲学に学んだことを今仕事で使っ て、成功かどうかはわかりませんが、 私は、定年退職をしましたが、信頼さ れて、今インドに会社を作りました。 日本の製薬会社であるエーザイが初め てインドに入ったのです。 私は幸せですよね。30 年日本にいて、 これまでインドに対して何もできなか った。しかし今、やっと祖国に貢献す ることが出来ます。こんな幸せな人生 最後にやはり人間対人間、国対国、 穂積先生がおっしゃっておられるよう に、お互い信頼し合い、尊敬し合って、 ヒューマンネットワークがただ単なる 人を結ぶだけではなくて、夢を共有し、 特に日本はリーダーシップをとってア ジアのみなさんと共にその夢を叶えな くてはいけない。そう思って私は仕事 をしています。 李春利(リ・チュンリ) 愛知大学経済学部教授・同大学国際中国学研究センター員、東 京 大 学 で 経 済 学 博 士 号 取 得、 米 国・ ハ ー バ ー ド 大 学 Visiting Scholar。1962 年生れ。 早くから中国自動車産業に着目、国際的な研究を牽引している。 (石井) ありがとうございました。ビ ソフトパワーとしての言語と文化の 価値 ジネスマンからこういうお話が聞けるというの はちょっと驚きなんですが、やはりビジネスの 背景にも、今さっき崔さんが言われたように人 間関係があり、お互いに価値観の違いを学び合 (李) ただいまご紹介にあずかりました愛知大 うことがあり、さらにその違いに対する寛容で 学の李春利と申します。この場にお呼びいただ すね。それを実際にとらえるということをつく いたことに対して深く感謝申し上げます。実は づく感じました。 この中で私がABKから一番遠いのではないか そこで次は、李さんにお願いしたいんですが、 と思いますが、なぜかと言いますと、私はかつ 中国では孔子がもう一度リバイバルされている て日本に留学した最初の頃に新星学寮の入寮を わけで、日本と孔子の関係はずいぶんあるんで 申請したんですが、見事に寮生になりそこねま すが、そういうことを通して民間ベースでのお して、それはむしろお付き合いのきっかけにな 互いの理解というのはどうなのか、ご説明いた ったということです(笑) 。 だければと思います。 さて、先ほど石井先生がおっしゃったように 11 アジアのヒューマンネットワークを問う はないですね。 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 中国に孔子という人がいました。その人の有名 この人たちは本当は学生じゃないんです、全部 な言葉の一つに「三十にして立つ」というもの 社会人なんですね。これくらいの規模になって があります。いまは三十にして立つのは難しく いるのは孔子学院のなかでも最大規模じゃない なりましたが、彼はさらに、 「四十にして不惑」 、 かと言われています。 「五十にして天命を知る」へと続きます。このA 愛知大学では今年 2 月の中国の春節が過ぎた BKは来年 50 周年を迎えるそうですが、私の理 ころ、中国大使の王毅さんをお迎えして孔子学 解では、今回の企画の趣旨はABKにとっての 院の調印式を行ったのですが、その王毅大使が 天命とはなんなのか、これから先の 50 年はどう 調印式の後に「アジアの中における日中関係が すればいいのかということではないかと思われ 果たす役割について」という演題で特別講演を ます。ABKはいろんなイベントをシリーズで 行いました。とりわけ副題は非常に刺激的で、 「21 企画しているようですが、おそらく今日のシン 世紀の新しいアジア主義」 というものでした。 「ア ポジウムもABKの天命とは何かを問う一つの ジア主義」という言葉は日本ではいろんな響き 場ではないかと思うんですね。 がするものと思います。内容について詳しく述 べる時間はありませ その孔子の話なんです んが、彼は独自の解 が、実は中国政府は数年 釈のもと、戦前のア 前に孔子学院(Confucius ジ ア 主 義 と い ま、21 Institute)という国際的 世紀の新しいアジア なプロジェクトを始めま 主義についての比較 した。それは文化交流の をしており、非常に 場、中国語・中国文学の ユニークな視点を出 普及を目指して中国政府 していました。 が各国に設置している教 育機関です。世界で中国 愛知大学孔子学院設立調印式 前列中央が王毅大使 愛知大学の孔子学 院は今後も企業向け 語を学ぶ人はおよそ 2500 万人と言われています の出張講座や中国文化関連の講座など、いろい が、1 億に増やしたいというのが当面中国政府の ろ企画しています。偶然ながら実は先ほど崔先 目標です。現に日本では5ヶ所あり、最初に出 生が指摘されたソフトパワーに、私も注目して 来たのは立命館大学、東京では桜美林大学、金 いるわけです。ソフトパワーとしての言語と文 沢の北陸大学、中部では愛知大学、最近札幌大 化の価値ということについてですが、孔子学院 学にもオープンしましたが、地域分散型の拠点 のような語学文化教育の拠点は、実は中国が初 形成という流れになっています。 めてではないんです。有名なのはドイツのゲー 愛知大学は昔、1901 年に中国の上海で創設さ テ・インスティトゥート、フランスのアリアンス・ れた東亜同文書院大学をルーツに持つ大学で、 フランセーズ、イギリスのよく知られているブ 中国語教育は 100 年以上やってきました。その リティッシュ・カウンシル、またスペインのセ 意味においてパートナーに選ばれたわけです。 ルバンテス協会などで、実はいろんな国がやっ 孔子学院は 2006 年4月に開校しましたが、これ ています。 まではすでに 2 つの校舎で 79 の講座が開講され、 実は中国は韓国のやり方に啓発された側面が 合わせて 1300 名の受講生が受講してきました。 あります。韓国もコリアン・センターやコリアン・ 12 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 ンブリッジ大学で行われた国際会議に行ってき に政府も民間も協力して、交流の場、あるいは ました。その際、仁川空港で飛行機を乗り換え 韓国文化に関心を持ってもらうための場を作っ たんですが、そこで私が感心したのは「韓流コ ており、それがうまく機能しているんですね。 ーナー」というところです。いまアジア各国で 中国の場合も、この孔子学院では『論語』など 大変ヒットしている韓国のトレンディードラマ は教えていないんです。現代中国語、中国文化 や大河ドラマがたくさん放映されており、その を伝えるというところに狙いがあるわけです。 テレビ画面に、英語の字幕があるというのは当 そこでソフトパワーというのは、先ほど崔先 たり前ですが、中国語の字幕も全部出ているん 生も定義づけをされましたが、私もまったく同 ですね。また、飛行機の発着時刻を示すパネル 感でありまして、軍事力・経済力といったハー を見ましたら、ハングルはもちろん、英語、日 ドパワーに代表される国力ではなく、それに代 本語・・、中国語はさらに簡体字と繁体字両方 わる第三の力、世界に自国の文化と価値観を発 が出ている。つまり台湾や香港、海外の華僑は 信する能力ということではないかと思います。 昔の漢字である繁体字を使っており、中国本土 21 世紀においてはとりわけこのソフトパワーと では簡体字が使われてますから、それぞれ分か 情報発信能力が一つ重要なポイントになってい るように配慮されている。丁寧にきめ細かい情 ます。 報発信、サービスをしてるんですね。 また、先ほど韓国コリアン・センターの話に 韓国はそれほど人口が多い国ではありません 関連するのですが、韓国の教育人的資源省の統 が、情報発信能力に優れており、韓流ブームは 計によりますと、2005 年に中国に留学した外国 彼らのきめ細かい配慮が効いているのではない 人留学生の中で、韓国人が一番多いんですね。 かと思います。さらに細かく見たら、仁川空港 韓国人留学生は2年で 55%も増えたそうです。 では中国西部の新疆ウルムチからソウルへの直 私の教え子たち(日本人)も数多く中国に長期 行便や南の広州からの直行便など、中国国内便 留学をしているのですが、行く先々の大学では でさえ不便なところから韓国に直接飛行機が出 やはり韓国人が多いと言ってきています。中国 ているんですね。そこに私はえらく感心したわ で、韓国語を学んで帰ってくる学生もいるんで けです。 すね。じゃあなんで中国に行ったのかと、韓国 ハワイ大学にはセンター・フォー・コリア・ に留学してきたんじゃないのかという錯覚があ スタディーズという韓国の資金で建てられた民 るくらい、韓国の若者が中国に留学するという 族風の建物があり、アメリカにもこんな韓国の ブームが起っているんです。日本とはやや違っ 古典的な建物があるのかと驚きを感じたわけで て、韓国の若い人にとって中国留学は出世コー す。ハーバード大学にもコリアン・インスティ スになるそうで、学生たちが就職に有利になる テュートがあります。そういった国際交流のプ ということで中国に留学するそうです。実は、 ラットフォームを提供することによって、韓国 孔子学院の第一校が開設された場所も、韓国の は文化発信をしてきました。その結果、 潘基文 (ぱ ソウルでした。 んきもん)さんが国連事務総長になったり、韓 流ブームが盛んになったりしていると私は見て 私から見れば「韓流ブーム」も偶然ではない。 ます。 それは韓国の政府と民間が一体になって努力し 最後のメッセージですが、日中関係について た結果であると思います。先月、イギリスのケ 私はもう語りたくないんですが、大変ややこし 13 アジアのヒューマンネットワークを問う インスティテュートといって世界の主要な大学 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 くなっています。ついこないだまではハラハラ 斜めに行くんだよとなる。これは誠心誠意の問 して、どこまで落ちるんだろうと心配していま 題ではないですね。チェスをする時には歩はど した。そんな時に、友人の横井明さん(東海日 う動くのか、将棋の歩は真っ直ぐ行くんだけど 中貿易センター前会長)が言った言葉に強い共 チェスは斜めに行くんだと。ですから日本の将 感を覚えたわけです。彼は、 「日中関係もそうで 棋の名人がチェスの試合をする時には真っ直ぐ すが、アジアの国々の関係が良くなるためには、 行きたいのを我慢して、やはり斜めに行かなけ これから若者のスキンシップ以外はないだろう」 ればならない。 と言い切っているんですね。彼は中国やアジア、 先ほど崔さんがおっしゃったことで非常に大 ヨーロッパなどのビジネスを長く担当してきた 事なのは多様性についてで、つまり「まっすぐ 経験の持ち主ですが、昨年の反日デモの直後に 行かない歩なんか世の中にはないよ」というこ そうおっしゃっていたんです。おそらくそれが とを言ったらおしまいなわけです。それについ 今後の一つの重要なポイントになるのではない て寛容じゃないといけないということです。そ かと思います。ABKはまさに 50 年前からそれ れが重要なポイントだと思うんですが、つまり をやってきており、改めて感激した次第です。 我々は多様というものに堪えないといけない。 私からは以上です。 日本人は物凄く単純化しますね。単純化すると いうことは分からないではないんですが、しか (石井) ありがとうございました。先ほどから し多様性というものには堪えなければいけない。 文化の問題が出ているわけですが、我々が、い 私はそういう意味で、日本人にとって誠心誠 わゆる日本以外の方とお話をする時の基本的姿 意というのは非常に大事なんですが、同時に相 勢というのは、よく穂積先生が強く言われてい 手の価値観というものも学んでその価値観の多 たことなんですが、 学ばなければいけないと。で、 様性というものに堪えなければいけないと思う 何を学ぶのかというと、日本人は人間同士のつ んです。 き合いというのは誠心誠意であればいいと思っ インドでは「イエス」と言う時に首を縦に振 ている。それは確かにそうで、誠心誠意でなか りませんね。斜めに振るわけです。私の友人が ったら具合が悪い。だけど誠心誠意なら全て人 インド人に教えたら、いつも首を振っているの 間の間の交流はできるかと言うと、問題は、誠 で、なんべん言ったらわかるんだと思っていた 心誠意間違いを犯すということがありうるわけ ら、インドでは首を横に振ることがイエスなん で、これは非常に困るんですね。最近のいわゆ だと。そういったことは学ばなければいけない るファンダメンタリストはそうで、それぞれの わけですね。ところが日本に来たんだから、イ 主義主張に極めて忠実であるがゆえに、かえっ ンド人もこうやってやれというのは私はいけな て誠心誠意であることが邪魔になるということ いと思うんです。それはやはり誠心誠意の問題 があるわけです。誠心誠意は大事なことですが、 とは分けて考えないといけないということです。 それだけではダメだということです。その例え その意味で先ほどからお話を聞いて、こうい として、碁の名人とチェスの名人が試合をする う方々ばっかりだったら日本と世界の国は実に とします。そしてこれからやるプレーは将棋な 平和に交流できると思うんですが、残念ながら のかチェスなのか了解がない場合、将棋の名人 極めて例外的な4人がここにお集まりになった が打ち始めると歩は前に行くんですね。そうす という感じはしないでもありません(笑) 。 るとチェスの名人は歩は前に行っちゃいけない、 しかし一方で、非常に派手に行われている国 14 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 家レベルの国際交流以外に、アジア学生 文化協会のような個人の、穂積先生とい う本当に私は尊敬しているんですが、そ ういう方のご努力でやったものがここ にいる方々を生み出しているということ は、私は素晴らしいことだと思うんです。 人間の絆で成しえた技術移転 事業 (石井) 今日はもう一つ、驚くべき話を プラユーンさんにしていただくんです が、その個人の努力が大学を生み出した やるのは日本政府にとっては何でもない ことで、誰かがサインをしたらすぐにで きるかもしれませんが、そうではなくて、 本当の積み上げたヒューマンネットワー クの上から出来上がった具体的な例とし て、ぜひプラユーンさんから新しくタイ プラユーン・シオワタナ でできた、日本との交流の中で生まれた、 タイ国泰日経済技術振興協会(TPA)会長、タイ国立科学技術 しかも民間の交流の中から生まれた大学 についてお話をしていただきたいと思い ます。 開発機構(NSTDA)副所長、大阪大学修士課程修了、オースト ラリア・ニューサウスウェールズ大学修士課程修了。 1973 年、タイの学生革命により軍事政権が崩壊した際、民主 化運動を展開した日本のタイ人留学生会で指導的役割を果たす。 ABK の姉妹団体である TPA 会長として、泰日工業大学の設立 (プラユーン) 先生どうもありがとうご 準備を進めており、07 年6月の開校を目指している。 ざいました。私がこの話をした後、先ほ ど李先生がちょっと話したアジア主義について、 先生は先ほど「個人」とおっしゃいましたが、 もう一度議論したいと思っています。 これは決して個人ではなくて共同のすごい力、 今日、ABKの 50 周年を記念して私を招待 無数の人の力で行ってきたということです。た していただいて本当に光栄に思っております。 だ一つ言えるのは、その大勢の人たちが一つの ABKは私が今会長をしている泰日経済技術 心を持って目標に向かってがんばってきたとい 振 興 協 会(TPA) 、 英 語 で 言 う と Technology ういことです。その協会は今から 33 年前の 1973 Promotion Association(Thailand-Japan) の親なん 年に設立されました。 です。どちらがお父さん、お母さんかわかりま 創設者はソンマイ・フントラクーン氏と穂積 せんが、ABKと海外技術者研修協会(AOTS) 五一先生で、ソンマイ氏は元タイ国の大蔵大臣 という二つの機関が私達の両親です。 で、日本の慶応大学を卒業した方です。この協 この協会をが今まで何をやって来たか、石井 会の核となるものが何かというと、私が思うに 15 アジアのヒューマンネットワークを問う という話です。大学を、例えば ODA で 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 そして協会の活動に共鳴して入会した個人会員 が 5000 人くらい。最後に企業などの法人会員が 合わせて 3000 くらいです。 この 30 年間やってきた数字を合わせますと、 語学だけでコースは 7000 コース、卒業生はもう 14 万人くらいです。ですからタイの現場で活躍 する日本語ができる人たちというのは、この学 校で学んだ人が多いわけです。研修セミナーも 15000 コースで受講者は 80 万人、技術書はおよ 泰日経済技術振興協会創設者の穂積五一氏と そ 650 タイトルで出版部数は 350 万部です。さ ソンマイフントラクーン氏(右) らに測定器のカリブレーションを行っています が、これはタイ国では最大規模です。これまで は穂積先生が 34 年前に喋ったある言葉だと思い にもう 18 万校正を協会を通して行いました。こ ます。この言葉が 34 年前から今日まで、この協 れらがだいたいの協会の活動です。 会を引っ張ってきたものと思います。 次に、先ほど少し話しましたが、なぜ語学学 「この仕事は、タイと日本の深い人間のきづな 校があるのかというと、最初の協会を設立した の上に成り立っているもので、当初の約束にの 段階の考えは技術を移転するだけではダメだと っとり、タイの自立と繁栄をめざして 進められ いうことですね。その基礎、その礎、その技術 てこそ、生命があり、発展性があるものと言え が生まれ育った文化や環境を人に説明してわか ましょう」 という、 もう 30 年以上前の言葉ですが、 ってもらえないと、技術そのものを完全に吸収 本当に今日聞いたようにいつも感じています。 できない。それが協会の考え方であるわけです。 協会の事業は主に技術移転ですね。日本のす ですから技術者に技術移転をしながら、日本 ぐれた技術をタイ国内に移転しています。例え 語を学んでもらう。日本の人に通じるような、 ば経営事業、QCC、省エネルギー、工業計測関 まあ上手いというところまではいかなくても、 係、コンピューター技術などです。ほかに設備 使える日本語を教えておきたいというのがこの 保全、通信教育、エネルギー、省エネ関係、診 語学学校ですね。 断といった日本の優れた技術をタイ国の日本企 語学だけではなく、文化の本とか、出版事業 業、現地企業、欧米企業の人材に移転してきた も徐々に拡張していっています。毎年 10 冊く わけです。 らい日本の本を翻訳してタイで出版しています TPA には語学学校もありまして、技術移転を が非常に好評を得ています。印象に残っている する組織がなぜ語学学校を持っているのかとい 名前では、 「五体不満足」があます。 「五体不満足」 う疑問もあるかと思いますが、それは後ほどま はベストセラーで、もうすでに数万部売れてい た説明いたします。 ます。タイ人がこれを読んで、なるほど、日本 語学学校では昨年 900 コースが開かれて学生 の人はこういう人なんだと感心しているわけで は 12000 人くらいでした。研修セミナーは 1500 す。 コースで、参加者が 5 万人くらいというのが具 私も石井先生と崔先生の話に同感なのです 体的な数字です。会員は正会員が 1500 人くらい。 が、結局文化を学ぶということは何を意味する 正会員というのは元留学生、元研修生ですね。 かというと、相手を知りたい、相手を尊重して 16 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 相手の姿勢を理解したいとい うこと、それがないと人間と 人間との付き合いの第一歩は 踏み出せないというのが私の 考えです。お互いの文化を学 ぼうとする姿勢がはじめから なければ、第一歩の付き合い も始まらないと思います。そ こでこの泰日経済技術振興協 会では語学と文化の授業を行 泰日工業大学(完成予想図) い、出版物を発行してきたわ たばかりのタイの若者たちに完全に事業を任せ ここまでは 1973 年から 2005 年までのだいた て、 「お金は出すが口は出さない」という大原 いの総合的な活動を説明しました。 則を打ち出したわけです。そしてそれを 30 年間 次に、今回の議題である「ヒューマンネット ずっと守ってきたわけですね。そういう関係が ワーク」とこの話がどういう関係を持つかとい どうやって作られたかというのが、これからの、 うことを私なりに説明いたします。 ヒューマンネットワークとか人的資本といった 先ほどもご紹介しましたが、TPA の仕事は 30 話に繋がると私は思うわけです。 年前に穂積先生がおっしゃった、 「タイと日本 TPA 発会式当日の先生の言葉です。 の深い人間の絆のもとに成り立っている」わけ 「貴協会は、タイ国の方々の善意によって誕 です。深い絆というと、ちょっとみなさん想像 生することができました。今後、貴協会がみな してみてください。昔、33 年前の 1973 年、そ さまの努力によって順調な発展を遂げ、貴国と の時タイでは学生革命が起って軍事政権から民 貴国の人々のために貢献されることを衷心より 主主義の第一歩を踏み出した頃です。そんなタ 期待申し上げます。世界のすべての民族とすべ イはどんな国なのか、大阪大の日本人の友人が ての個人は、自主平等であるという原則にもと 「あなたの国では食べる時、手を使いますか? づいて、私たちアジア人は、互いに力をあわせ、 ハシを使いますか? 本当にタイに車はあるん 平和な国づくりのために前進したいと強く念願 ですか?」と質問してくるくらい、日本の人は しております。 」 タイを知らなかったわけです。そんな状況の中 協会を作った時は予算の 100%を通産省(現 で佐藤さんと柳瀬さんという2人の日本人が 経済産業省)から補助金としていただきました。 AOTS と ABK からの出向者として、タイでの 当初事務所は借りていたんですが、1975 年には 事業を手伝うため日本からやってきました。彼 日本から資金をいただいて新しい建物を造った らは東大を卒業したばかりの将来が約束されて んですね。 いるような若者がなぜそんな不安な国に出向し そしてその後別館を建てたわけですが、これ たのか。どんな力がその人たちを動かしたので は十数年間活動して貯金をしたお金で土地を買 しょう。 い、借金をして建物を建てたわけです。現在は 当時穂積先生は社会的立場は完全に確保され 技術セミナーのほとんどがこの別館で行われて ていました。それなのに、日本の大学を卒業し います。 17 アジアのヒューマンネットワークを問う けです。 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 最後に、34 年前、穂積先生との約束で大学を ABKはかなりの人的資本を作ってきたわけで 造るという話があったわけです。先輩たちの中 す。ABKを通ってきた学生の数は数百か千を にもあと何年生きていけるかという話が出始め 越すかもしれません。今 50 年経ち、その人た て、この大学建設に踏み切ったわけです。この ちはそれぞれの国でかなりの地位を持っている 資金も協会がずっと貯めてきたお金で建物を造 人たちだと思います。ですからもうちょっと思 り、来年の6月に開校する予定です。 想的に洗い直して、概念を建ててみる。これか この大学設立の案件が始まってから、 「10 年若 らのアジアをどうやって平和で繁栄した地域に 返ろう。10 年先まで誰も死なない」というのが、 するか、団結して何かできないかということの 関係者の間では合言葉になっています。 アジア主義精神ということを提案したいと思っ ております。 (石井) つまりですね、完全に民間ベースでの 人間交流から大学まで出来上がったということ (石井) 今日非常に良かったのは、李さんも崔 で私はびっくりしたんですが、そういう状況が さんもいわゆる日本と同じ漢字文化圏、儒教文 あるわけです。 化圏の方で何となく理解できるような気がする。 だけど今日はプラユーンさんというタイの方が 多様かつ一つのアジアへ いて、インドの方もおいでになるということで、 それを含めて、やはりアジア人同士がこれだけ (石井) 準備していただいたお話はこれくらい 違う、同じだけども違うという中で、どうして にしまして、この後はまさにトークショーとい いいかという問題はずいぶんいろんなことを考 うことで、勝手なことを言ってハチャメチャに えないといけないと思うんです。崔さんどうで なるとコーディネーターが弾圧をするという、 しょう。 そういうしかけにしたいと思います。 (崔) 李教授の孔子学院の問題について私なり 先ほど、プラユーンさんは何か言いかけてや めましたね。 に意見を申し上げます。孔子の教え、 孔子の思想、 何を我々が共有できるかということですね。孔 (プラユーン) アジア主義のことですね。今ま 子といっても非常に幅が広いですから。私はそ でアジアというと、戦争の地域、という感じが こで中庸思想に着目したいと思うんです。中庸 しますよね。アジア人同士の戦争もあり、一部 というのは相手の立場でものを考えるんですね。 は外国の軍隊がやって来てアジア地域を戦場と 相手への配慮なしには始まらないんです。孔子 してしまうということもありました。だからこ の思想の核心は仁ですけれど、仁の具体的な現 れからの 21 世紀はアジア主義だということに私 れが私は中庸だと思います。中庸は外交に必要 は非常に興味を持っているわけです。 であり、国と国との関係にも、個人と個人の友情、 日本、中国、韓国、インドがまず仲良くして、 夫婦関係にも必要であると。要するに極端主義 平和でケンカをすることなく互いに助け合う。 を排除するということです。 これは結局東洋精神ですね。西洋は技術はいい そういう意味で、中国政府がいろんな国で、 んですが、欠けている部分がある。 文化の発信をするんですが、その発信の中身か そこで今のヒューマンネットワークという議 ら我々違った国の人間が共有できる思想が見え 題にもつながっていきますが、この 50 年間、 る、これは重要だと思いますね。私は中国は中 18 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 (石井) 李さん、それについてどうですか? 庸の国であると思います。我々は中庸への教養 を共有できるんではないかと。いままで日本と (李) 非常に難しいところがあります。先ほど 韓国は教養と言えばイコール西洋についての教 プラユーンさんは王毅中国大使の「アジア主義」 は知らないと教養はない。でありながら、孔子 という言葉を取り上げたのですが、実は戦前日 を知らないのは当然視される。 本のアジア主義が2つあったんです。まず、岡 私は学校では西洋政治哲学が専門で 40 年間プ 倉天心の「アジアは一つ」ですが、この言葉は ラトンを読んでいる。西洋思想史の出発といえ 変に戦前日本の軍部や政府に利用された側面が るのはソクラテスですね。これは冗談ですけれ あった。天心は天心の世界があって、彼の中に ど、ソクラテスの本は難しいと言う人がいます。 ある教養や包容力と、戦前の日本軍がやったこ それは嘘です。ソクラテスは本を書いておりま ととはずいぶん違うんです。彼の言った「アジ せん。孔子は『論語』で自分の思想をのこして アは一つ」は、本当に文化は一つ、あるいは多 おりますが、その孔子は西洋哲学の出発点であ 様性を認めた一つという意味だったんです。 るソクラテスが生まれる 81 年前に生まれていま また、福沢諭吉は「アジアは二つ」と言ってい す。こうなると、今 21 るんですね。進んだ 世紀の教養というのは アジア(=日本)と イコール西洋について その悪しき隣人との の教養じゃないと思い 関係を断ち切るべき ます。中国、韓国、日 だと主張したんです 本、この 3 カ国の GDP ね。それは日本の近 は世界の GDP の 20% 代化の始まりだった に達しています。イン ん で す ね。 い ま は、 ドも入れればもっと大 明 治 か ら 100 年 以 上 きくなるでしょう。こ 経ち、21 世紀になっ ういう国の文化や歴史的な根源を知らないとい て、アジアは一つなのか二つなのか、ということ うのは、まず教養がたりないと思います。 を問い直す一つの良いきっかけになっています。 そうすると私は大使時代にも訴えてまいりま それはそれとして、王毅大使の主張だけを簡 したが、東洋と西洋についてのバランスのとれ 単に説明いたします。彼の主張は要するに、戦 た知識こそが教養だと。教養という意味では日 前のアジアは貧しくて弱かったこと、経済的な 本の平均的な国民の教養は非常に高いと思いま 基盤も制度的な基盤もなかったということ。と す。韓国も似たようなものですが、韓国は幼稚 りわけアジアの大半の国々は西洋の植民地だっ 園から大学院まで西洋を習っているんです。カ たわけですね。韓国や中国も植民地にされたり、 ントの名前を知らない中学生はほとんどいませ 半植民地にされたりしたその時代に、一部の政 ん。それなのに西洋の先進国の教科書で、孔子 治家と思想家だけががんばっても、広範な民衆 のことはほとんど言っておりません。平均的な の関心を喚起することはできなかった。また一 西洋の知識人の東洋への無視というのは怖いも 部のアジアの国がミスリードをした。特に当時 のです。この無視はまったく “ 無知 ” の結果だ の日本は誤った選択をし、アジア主義と反対の と思います。 方向へ走り、ひいては軍国主義へと突っ走って 19 アジアのヒューマンネットワークを問う 養でした。ベートーベンとモーツアルトくらい 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 にあるわけで、政府がとって代わる ことはできないわけです。 日中関係がここまで落ちたのは中 国政府の愛国教育とか日本のマスコ ミの問題とか書かれていますが、そ れだけじゃないんです。それまでの 日中関係には、まさにマルチの対話 チャンネルがあったんですね。私は 私費留学生だったのですが、昔、故 岡崎嘉平太先生にはずいぶん心配し ていただきました。そのような方が おられて、何かあると中国の指導部 しまったわけです。だから、戦前の初期のアジ に電話をかけて、この問題の落としどころはど ア主義は頓挫してしまいました。 こなのだと話し合う。そういうブレーカー機能 私が思うには、日本のアジア派たちがやって というか、安全装置があったから日中両国はこ きたことについて、実は 100 年前から問い直し の 30 年間なんとか乗り越えてきたんです。いま たほうがいいかもしれない。そこから、何が足 はその世代がいなくなったことで、その機能も りなかったのか、何を克服すべきなのか、それ 無くなったんですね。だから小さな火花でも火 を通じて、これから向う先の 50 年に何をやるべ 事になる。それは靖国問題だったり、歴史認識 きかということを考え直す手がかりが掴めるか だったりするわけです。 もしれません。 まさに人間ベースの基礎がないから日中関係 一つだけ強調したいことがあります。日中関 はこんなに脆弱になってしまったというのが私 係はついこないだまでどん底に陥っていたんで の認識です。 すね。なぜかというと、私から見れば、真の和 解は民間ベースの和解でないといけないからで (石井) ありがとうございました。今、孔子か す。これは中国でも議論されていることですが、 ら始まって中庸の話になったんですが、雅留宮 政府間ではコミュニケを出すけれども、いくら さん、インドでも例えば中道、MiddleWay とい 共同宣言を出しても政府同士だけじゃ物足りな う言葉がありますね。中道ということは非常に いんですね。民間人が、 例えば韓国人や中国人が、 重要ですけれど、今のお話について何かコメン いまの日本人は違うんだと、彼らと和解しても トはありませんか。 良いという共通の認識を持ってくれないと本当 の和解が難しいんです。穂積五一先生はもちろ (雅留宮) 今まではエコノミックパワーの時代 ん違う、石井先生も違う。こういう人たちがい ですね。日本を含めたアメリカ、ヨーロッパの るからこそ、日本人はもう軍国主義じゃないと 西洋地域はそのパワーを持ち、韓国、中国を含 納得するんですね。イメージが浮かびやすいか めたアジアはそうではなかった。しかし、アジ らです。 アが徐々に経済力をつけ、21 世紀は同じレベル だから、民間ベースの和解というのは本当に での考え方ができるようになってきたんですね。 個人対個人の、人間ベースの積み重ねの延長線 ですからさっき言ったアジアの時代はこれから 20 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 ですね。このアジアの時代のために我々は民間 いう、多様な世界観を持っている我々は十分友 として何をしなくてはいけないか。アジア文化 人になれると思います。 会館で培ってきたヒューマンネットワーク、そ 我々が属している国の政策は、そういう哲学 れを通じて何か考えることができるかもしれな に基づいてこれから努力していけば、地域統合、 い。例えばプラユーンさんの大学の話もそうで 地域協力体への希望もあるのではないかと思っ すし、もう少し深く言うと、中国、インド、タイ、 ております。 それぞれの元留学生は今、皆さん頑張って地位 を築いておられますから、その人たちのネット (石井) ありがとうございました。非常に勇気 ワークをもう一度結集すれば何か 21 世紀に貢献 づけられるコメントでした。最近文明の衝突と できるかもしれない。経済的にも文化的にも何 よく言われるわけで、今の場合は先ほどEUの か考えることはできるかもしれないということ お話があったけれど、EUはトルコが入るか入 です。 らないかでもめてますね。私がなかなか入れな いんじゃないかと思うのは、今崔さんがおっし ゃったように、やはりEUはキリスト教ですね。 しょう。 EUがもしもトルコを受入れたら、先ほどの話 ではありませんが、もっと多様なものになりう (崔) 雅留宮さんとプラユーンさん、李さんに ると。私はその意味でトルコが入るか入らない お会いするのは今日が初めてなんですが、我々 か非常に注目しているわけなんですね。 には二つの共通点があるように見えます。一つ ところで、今の崔先生のまとめで私が非常に はやはり穂積精神の共有です。穂積精神は一言 いいと思うのは、アジアは一つというと誤解を で言えば友愛でしょうね。それを半世紀の間共 招くわけで、これはそうではない一つができる 有してきたんだと思います。二つ目は、融和と だろうかということです。つまり矛盾なんです いうのでしょうか、我々4人、個人ベースです が、多様性の中の一つみたいなものです。いさ けれど、融和することは十分可能だと思います。 さかプラトン哲学みたいになってくるんですね。 というのは、李さんの儒教にしても、プラユー 「一にして多、多にして一」みたいな、そういっ ンさんの仏教にしても、雅留宮さんはヒンドゥ た世界があると、私は韓国と中国とタイとイン ーかどうかまだ聞いていませんが、儒教的な思 ドと日本がいて話が通じるなんてことはおかし 想があれば仏教的な文化もあるという混在した いと思うくらいに奇跡的な状態だと思うんです。 中で、共通点はファンダメンタリズムがないと 例えばノンファンダメンタリズム。今やはり いうことなんです。これは希望です。どうも宗 世の中を悪くしているのは誠心誠意間違いを犯 教とイデオロギーはファンダメンタリズムに走 す人がいるからなんですね。これがずっこけて る傾向が強いんですね。そのファンダメンタリ 間違いを犯すなら真面目になれと言えるんです ズムでどのくらいの人間が殺されたんでしょう が、誠心誠意やるブッシュファンダメンタリズ か。我々は幸にもそういうファンダメンタリズ ムとかイスラムファンダメンタリズムというの ム、原理主義から離れている。距離を置いて観 は、両方とも一生懸命間違いを犯してくれるか 察できるというのが我々が共有している面では ら一番困ると。したがって「一にして多、多に ないでしょうか。そういう意味で、穂積先生の して一」という、多様でありかつ一つであると 友愛とファンダメンタリズムから離れていると いうものの可能性が今日ここで出てきたと思う 21 アジアのヒューマンネットワークを問う (石井) ありがとうございます。崔さんどうで 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 わけで、いい意味でのアジア主義の誕生日にし い頃実績を上げた人がいつまでも組織の中で、 たいと強く思います。 もうほとんど価値がなくなっても、いばってい て、若い人がいい実績を上げようとしてもそれ 質疑応答 を阻害するような、そういう面も儒教の影響で はないかと思うわけです。私はお話を聞いて、 (石井) まだ時間がありますので、今度はフロ 儒教だからいいという印象があったものですか アの方から何か質問をいただいて、こちらから ら、必ずしもいい面だけではなく悪い面もある お答えするということにしたいんですが、どな んじゃないかというふうに思った次第です。 たかご質問なりコメントはありませんか。ご遠 (石井) 李さんどうですか。儒教がだいぶ分が 慮なくおっしゃってください。 私はまずこの 4 人の方のお名前を見た時にこ 悪くなってきましたが。 れは全然話が合わないぞと思ったんです。とこ ろが先ほど食事をして第一部が終わった時には (李) その前に一つ日本の儒教と私が感じた儒 これはいけるぞと思ったんです。なぜいけるの 教の違いを少し説明したいと思います。日本で かということの結論を崔さんが出してくれたよ は仁義とか長幼の序とか、要するに年功制度を うに思います。一つはファンダメンタリズムで 儒教の主な側面として捉えているという傾向が はないということ。もう一つは多様性を認める あるんですね。それはそれで重要な一面です。 ということ。それはいうなれば寛容なんですね。 もう一つは「恕」という言葉があります。 「恕」 それで、一つであって多様である。そんなのあ というのは許すという意味ですが、これはまさ りかって、一で無限であるなどということはあ に孔子の精神の根幹的な部分だと思います。許 り得ないんだけど、それができるのが新しいア すあるいは許容する精神がなければ多様性はあ ジア主義なら、こんな素晴らしいことはないん り得ないわけです。中国は日本に比べていろん じゃないかと私は思うんです。 な民族があり、特に少数民族に長く悩まされて きた歴史があります。なんとかここまで維持し (質問者1) 私は企業のコンサルティングとか てきたのは恕の精神のお蔭ですね。これからど 組織コンサルティングを行っており、国内では うなるかは分かりませんが、要するに儒教の精 事業再生などもやっておりますが、全ての様々 神が 2000 年以上生き続けてきたところには、西 な組織が、内向きにどんどんなっていくという 洋哲学ではないんですが、それなりの合理性が 問題があります。お話にありましたが、儒教の あったということなんですね。 影響が日本の場合は非常にあって、中庸である 実は孔子の時代は一番大変だったようです。 とか、思いやり、仁とかですね、非常にいい面 春秋時代にはいろんな思想があって、孔子の故 があるんですが、どうも日本の組織の特徴とし 郷である「魯」という国は小国だったんですが、 て、敬老といいますか、頭が古くなって全然役 文化的な伝統が残っており、特に古代の礼の精 立たない人でもいつまでも敬せられて組織に残 神が重視されていたそうです。儒教はそのよう って、やがて破綻してしまうというようなこと な土壌で誕生したそうです。儒教はのちに海外 を見てきているんですね。日本というのは人間 にも伝播していったが、その伝播のプロセスの にラベルを貼るんですね。いったんいい学校を なかで、受け入れ側はそれぞれ自分に都合のい 出ると、一生いいポジションにおれるとか、若 いところをとって受け入れていったわけです。 22 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 それはそれでいいと思います。これは許す精神 の根本ですからね。私が見るには「恕」の精神 が登場しないと、ただ仁義だけでは、特に義理 とか義だけでは、物足りないような気がします ね。その恕と仁義のバランスこそ儒教の肝心な 部分ですね。 ただ儒教といっても、いまや中国では儒教の 精神が希薄になって日本にも及ばないし、韓国 にも及ばないような気がします。儒教も現代の 各種の主義主張に翻弄された側面があります。 うものを求めていこうという、それはよくわか 時代に合わせて取捨選択されるのはやむをえな るのですが、一方で世界の現実というのはアメ いと思いますが、あれだけ生命力があるという リカを中心にした西洋の合理主義が世界を律し ことは、やっぱりそれなりに合理性があったと ているわけですね。特に経済面においてはまさ いうことの印なんですね。だから、この部分は にグローバリズムという愚名で、いわばアメリ すでに現代社会に合わないとその国で判断され カ的資本主義が世界を制してきていると。その れば、その部分を変えればいいわけで、儒教は 中で、私も企業出身なんですが、企業の中では 普遍ではないと思います。 まさにアメリカ的なことしか価値が見いだせな 最後に、小泉前首相が 2001 年に北京を訪問し いということになっているわけです。その一方 た際に、盧溝橋にある「抗日戦争記念館」を訪 でアジアが台頭し、アジアとしての意識がだん れたんです。彼がそこで書いた文字はこの「恕」 だん出てきていると。そうするとある意味矛盾 でした。僕はこの言葉に対して複雑な思いがし が出てくるわけですね。アメリカ的なものとア たんですね。ちょうど靖国問題であんなにもめ ジア的なものとのある意味では文明の衝突のよ ていたなかで、日本の首相として彼だけが「抗 うなものが出てくるかもしれない。そういうも 日戦争記念館」に行った。日本の中でこれを理 のにどう対応していけばいいのかという話が今 解する人もいましたね。 日は無かったので、実はちょっと不満なんです が、私としてはアジアにおける対話ということ ではなくて、世界の対話をどうするんだと。そ (石井) ありがとうございました。ほかにござ れを考えないと、アジアだけで何かを考えても、 いませんか。 結局アジアと西洋が対話をすればぶつかるのか、 もう少しそういう話を聞きたいなと思っており (質問者2) 外国人留学生の奨学団体をしてい ます。 る者です。アジアの多様化というテーマで、ア ジアは一つでかつ多様という、非常に難しい問 題にどう対応をしていくか、そういうテーマか (石井) 非常に大事なポイントで、今おっしゃ と聞かせていただきました。そのなかで私が一 る状況が起ってくるのは 19 世紀にですね。キリ 番感じましたのは、アジアの文化的なレベルが スト教を中心として科学技術文明とキリスト教 上がるにつれて、まあ経済的なレベルが上がる がいっしょになってアジアに入ってくる訳です。 につれて文化的な共通性といいますか、そうい それがつまり普遍的な価値という形になって現 23 アジアのヒューマンネットワークを問う どれを残すかどれを残さないか、その国、その 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 代までずっときているわけで、我々が大学で勉 めにはこちらから別の価値観を出さないといけ 強をするときもまず西洋の方法論を学ぶ訳です。 ないということです。そういう意味で今日のシ で、今アジアではまさにその学んだ西洋方法論 ンポジウムは意味があると思っているので、今 をもう一度アジアにアプライして、果たしてそ すぐこれでアメリカ人と対話をしてもダメでし れでものが切れるのかという、そのレベルまで ょう。おっしゃることはよくわかるんですが、 アジアの知識人はきているわけです。 まずアジアの中での多様性を認めて、それをだ で、今の問題はおっしゃる通りなんですが、 んだん拡張していこうというのが私はこの会の つまりそれで完全に文明の喪失感がおこってい 趣旨だと理解しているので、もうちょっと数十 るのがアメリカのデモクラシーでクリスチャン・ 年お待ちいただきたいと私は思いますが。 ファンダメンダリズムとイスラム・ファンダメ (崔) 先ほど儒教には良い点と否定的な面があ ンタリズムにぶつかってくるわけですね。これ は非常に不幸でもっとも対話がないわけです。 るというお話がありましたが、これは当然です。 で、さっきから申し上げているのは、我々はま 全て良い思想という主張そのものがある種のフ ったくカルチュラル・バックグラウンドは違う ァンダメンタリズムだと思います。ですから、 わけですね。同じ仏教徒といってもプラユーン 2500 年以来の儒教のメッセージの中で、今の時 さんの仏教、崔さんの仏教、李さんの仏教は全 代に何が意味があるのか。それを生かしていく 然違うわけですね。だけどその中でまず違いを ということなんです。そういう意味でも中庸の 求めてどうやっていくか。インドはむしろ西洋 核心的内容である時中は貴重な価値である。中 の、言葉はインド・ヨーロッパ語ですからギリ 庸思想の適用はその国によって、人間によって、 シア語なんかとおんなじなわけで、それの伝統 誰が何のためにということによって違ってくる の上に立っているけど地域的にはアジアである。 わけで、それは当然だと思います。我々が言っ その中でまず対話をしようということが今日の ているのは決して狭い意味でのアジア主義では 一つの目的なわけですね。 なく、グローバリゼーションと儒教的な合理主 だから今おっしゃってもらったことはまった 義との間には共通分母があるということです。 く同感なんですが、ヨーロッパ的な価値観、キ 要するに多様な思想に内在している共通分母を リスト教的な価値観と今ここで議論しているよ 自分のプログラムに生かしていく、ということ うな価値観がどういう形で対話ができるかとい が今日のテーマじゃないかなと思います。 うのは、次の段階だと思っています。さっきE (石井) ほかにどなたか。 Uの場合を言いましたが、EUもやはり非常に 排他的ですね。ところが我々はまずアジアから ある種の模範を示そうじゃないかというのが、 (李) 今日の副題はアジアにおける対話のチャ 今回の趣旨であって、今おっしゃるのはその通 ンネルですね。対話というところは先ほど石井 りですが、それは 21 世紀の後半になるのかもし 先生が何度も強調されたんですが、対話こそ意 れませんし、22 世紀になるのかしりません。歴 味があると思うんですね。いまの質問は、アジ 史の中では、我々がこういうことから始めるこ ア的な価値観とグローバリゼーションとの衝突 とで、今までユニバーサルだ、不変だと思われ の部分をどうとらえるのかということですよね。 た価値観が実はそうじゃないんだよと。つまり 私が思うには、人間というものはそんなに違う 彼らの価値観の相対観をこちらが迫って行くた んですかね。毎日3食食べて寝ないといけない。 24 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 それから頭のなかの部分は一部違 っていても、首から下の部分は大 体同じではないか。肌色は多少違 いますが、話せば分かるところは いっぱいあるはずです。問題は、 この対話のチャンネルをどこまで 求めるかによるんです。 たとえば、中国とアメリカは北 朝鮮を巡ってずいぶん対立してい たんです。ブッシュの北朝鮮政策 の一つの失敗は、むしろ対話のチ ャンネルを閉じたからです。中国 に育ったわけですね。それぞれが全く異なっ 対話の継続は非常に大事なことで、それは個人 たカルチャーをバックグラウンドにしている 同士でも国同士でも同じです。だから、ケンカを のに、大変立派に共通点を見つけ出してきた しても対話を続けるべきだ。いま、日中関係で んじゃないですか。対話の場を提供すること 僕が怖いと思ったのは対話のチャンネルが、こ の重要さは、これまで以上に大事になってき ないだの靖国問題で無くなったことです。だか たので、おそらくABKを含めた日本の国際 ら対話の継続が大事なんですね。これは日本で 化、あるいはアジア化の一つの大きな課題じ 覚えたことですが、夫婦ゲンカもコミュニケー ゃないかと思うわけです。 ションのうちというんですね。夫婦同士でもケ (石井) プラユーンさん何かありますか。 ンカをしなければもうおしまいですね。ケンカ する気もなくなれば、これはもう破局の一歩手 (プラユーン) 私も李さんのお話に賛成したい 前ですよね。 あともう一つ、日本に来てから最初分からな と思います。結局先ほど言ったようにABKは かったのは、日本の先生がえらく怒るというこ もう 50 年ですよね。共同で生活をした友人がア とです。まあ石井先生は優しいんですが、学生 ジアだったらほとんど、どこの国にも数十人か に対してかんかんとなって怒る先生が結構いる いるわけですね。で、こういうネットワークを んですね。学生は怒られても平気な顔をする。 どうやって生かして、今の対話のチャンネルを 逆に怒られなくなることを真剣に心配するわけ 作っていくかというのがこれから 50 年先のAB です。先生に怒られなくなったらもう諦められ Kの使命だと思います。 たということになるので、むしろ怒られたほう さきほどの泰日経済技術振興協会の話です がまだ責任感の一つの表示だと考えているよう が、核となっているのはこういう人間関係です です。 ね。最近の留学生は違ってきましたが、元日本 そういうことからすれば、ケンカは全然恐 留学生はみな最低 2 年か 3 年ずっと一緒に寮生 れなくていいと思います。イスラムを含めて、 活をするわけです。その2、3年の生活で私に 立場が違うとしてもです。ABKはそのよう とっては非常に大切な関係が作れたわけです。 な対話の場を提供して、ここのお三方は立派 特に夏休み、昼は野球をやって、夜はどこかの 25 アジアのヒューマンネットワークを問う はずっと対話しろしろと言い続けてきたんです。 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 のか、インドとアメリカの関係を例に簡単にお 話します。インドは今経済力がだんだん付いて きています。アメリカはインドの核に大反対し ていたんですが、昨年ブッシュ大統領は招待さ れなくてもインドに行きたいと。それはインド のエコノミックパワーがだんだん伸びてきたか らですね。アメリカのIT産業の約8割が、今 インドのバンガロールでソフトウェアを作って いるんです。 誰かの部屋に立籠っていろいろ議論するわけで 言いたいことは、今はまず我々はアジアのロ す。議論しながら相手の性格を知り、ケンカし ーカライゼーションを強くして次にグローバラ ながらも悪くならない関係を作り上げた。そう イゼーションをしようと。穂積先生のフィロソ いう関係が今の泰日経済技術振興協会の力、原 フィーは良い先例です。アメリカもインド向き 動力になっていると私は思います。いろんなこ に今なっています。ブッシュ大統領は明日のA とをやっていく上で、雅留宮さんがおっしゃっ PECにも出ることになっていますし、まあこ たように Trust がないとやりにくいわけですね。 れは経済の議論になりますから、そのうちどこ 相手の言うことをそのまま信じられる、そうい かチャンスがあればお話ししましょう。 う関係がないと発展性は非常に難しいわけです。 だからABKがずっと作ってきたネットワーク (石井) ありがとうございました。他に何かあ を、そういう人間関係をもう一度考え直して、 りますか。 そのネットワークをどうやって生かすか。多様 でありながら一つである新しいアジアのための (質問者3) 国と国の衝突で先ほどから宗教の チャンネルを作っていくということを私のテー ことが出ているんですが、もう一つ経済という マにしたいと思います。 のはどうしても衝突の原因になりますよね。最 近の中国と日本との関係を見ても、中国が急速 (石井) ありがとうございました。雅留宮さん に経済力をつけてきたというのが緊張関係の元 何かありますか。 だと思うのですが、その経済活動の中の産業で 代表的なものに自動車産業があります。日本の (雅留宮) 先ほどヨーロッパ、アメリカの話が 産業の代表は自動車産業ですが、中国もすごく 出ていますが、今日は我々はまず地域のことを 台頭してきていますし、韓国やインド、タイ、 考えましょうと。ローカルのことを考えないと ヨーロッパ、アメリカなどを含めて、自動車産 グローバルのことを考えるのは難しいですか 業というものがどのように発展するかというこ ら。ですから今日のテーマ、アジアの、特にア とが国の関係を判断する一つの材料になると思 ジア文化会館にいた経験、穂積先生のフィロソ います。李先生は東大経済学部で自動車産業を フィーのもとで、どうやってこれからの 50 年 グローバルに研究しておられるスタッフの一員 を迎えるか。まあグローバルの話をしてもいい で、早くから中国の自動車産業を中心に研究し んですが、はっきり言うとこれからはニューア てこられてますが、今の自動車産業からみて、 ジアの時代ですよね。なぜニューアジアという 日本と中国が将来どうなるのか、衝突の原因に 26 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 11 月 25 日第三種郵便物許可 なるのか、それとも競争的協力関係で、他の国 びたから、日本はまだ心理的なバランスがと も含めてうまくいくのか、そこのところお聞か れていないところがある。日清戦争以降、日 せいただければと思うのですが。 本の中国に対する見方、アジアに対する見方 が変わってきたわけですが、「アジアは二つ」 というのは典型的な思想だったんですね。そ たんですが、実は先週土曜日に、早稲田大学の こから 100 年経って、いまはちょうど新しい 木下俊彦教授主催の「早大中国塾」でその話を 曲がり角にさしかかっているところです。ア してきました。2006 年現在、国内販売台数が日 ジアは昔ほど貧乏ではなくなった。じゃあ日 中逆転になることは間違いないと思います。中 本人の心構えはどうなのか。 国は今年でおそらく 700 万台前後に行くのでは 一方、日本だけの責任を咎めても仕方がない。 ないかとの予測もあります。日本はおそらく 600 中国側はおそらく、日本はなぜ戦争責任を認め 万台前後で推移し、飽和状態が続く見込みです。 ないのか、日本人がA級戦犯も認めないならば、 そこで海外市場を求めて日本の自動車メーカー いったい誰が戦争責任をとるんだと思っている が世界中に展開していることはご存知のとおり と思う。天皇は戦争責任をとらなかった。だか で、ここでは繰り返し申しません。要するに日 ら責任の構造というか、日本国内の論理と、そ 中間の経済関係は中国の台頭に伴い、知財訴訟 ういう責任の捉え方は外から見て極めて不透明 などの摩擦がある一方で、日本には経済的な利 なんですね。分かりづらい構造があるわけです。 益ももたらしているわけです。実際日本経済の 昔、 『失敗の本質』という有名な本があって、一 復活は、一部では中国の市場がひっぱっている 橋大学の野中郁次郎先生等が書いたんですが、 という側面があります。つまりメリットとデメ 要するに日本の陸軍がなぜ戦争に負けたのかに リット両方が存在しているのはいまの日中経済 ついての原因を組織論的に掘り下げていったん 関係の姿です。また、中国はすでに日本の最大 です。失敗に対して、誰も責任をとらなくなる。 の貿易パートナーになったわけです。 だから失敗が繰り返される。そこで組織存続の しかし、ここで私はおかしいと思うのは、通 論理が優先される。組織のために犠牲になった 常経済利益がある国との関係を強化させていく 人はヒーローだと。ヒーローでなくても、みん のが政治の姿であって、例えば日本とアメリカ なのために、と言われて責任は問われなくなる の間では、あれだけ激しい貿易摩擦をやってき んですね。 たなかで、同盟関係はさらに強化されてきたわ だからいま、日本対アジアの関係は、まさに けです。ところが日中は逆の方向に走っている。 日本の責任の取り方の非国際的な部分のアカウ 「政冷経熱」という言葉が生まれたくらい、政 ンタビリティー(説明責任)を果たしていない 治と経済の間にアンバランスがあったわけです。 ことによるところが大きい。首相が先頭を切っ 逆に企業の論理はそんなことを無視してしまい て説明すべきところを小泉さんはしなかった。 ますから、最適な立地を求めてどんどんグロー 「恕」という言葉を書きながら説明しなかった。 バル展開をしていくわけです。 僕が日中関係で一番心配しているのは、反日の いずれにしても私が見たなかで、中国の台 急先鋒をしているのが、20 代から 30 代の人た 頭に対して日本は、個別の事例は別として、 ちということです。戦争を知らない世代、日本 総体として心の準備がまだ不十分ではなかっ の戦後の発展をあまり知らない世代です。知ら たかと思われます。中国があまりに急速に伸 ない人ほど怖いんです。 27 アジアのヒューマンネットワークを問う (李) 今日は専門的な話をする用意はしなかっ 月刊 アジアの友 第 451 号 2006 年 12 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物許可 それをどうやって解消するのか。先ほど言っ ぶん問題が提起されたということで、結論はみ た対話の場を進んで提供していくことです。A なさんにいろいろお考えいただきたいと思いま BKが過去 50 年間やってきたことはただ単に過 すが、とにかく対話のチャンネルを作る、個人 去のことではなく、実は現在からみても非常に レベルで作っていくことが非常に大事だと思い 先端的なことなんです。なぜかというと信頼関 ますので、今日はヒューマンネットワークとい 係、このお三方が何回もおっしゃったんですが、 うことが非常に大事なんだということを具体的 信頼関係に裏付けられたアジアンヒューマンネ な例で教えていただいたと思います。どうもコ ットワークがあるからです。だからこういうプ ーディネーターがあまりうまくいかなくて、ま ラットフォームができてこういう対話ができる とめが悪くて申し訳ありませんが、本当にどう わけですね。そのことは信頼醸成にずいぶん貢 もありがとうございました。それではこれで終 献しているわけです。ABKにはこれからの 50 わらせていただきます。 年間、もっと組織的にこのヒューマンネットワ アジアのヒューマンネットワークを問う ークの信頼醸成に向けてがんばってほしいと思 (司会) おいでになったみなさま本当にありが います。それは日中関係にとっても日本・アジ とうございました。さきほどのお話の中でアジ アの関係にとっても非常に大事なことだと思い ア文化会館創設者の穂積先生という名前が何度 ます。 も出ました。実は穂積先生のところには最も正 確な情報が入るんです。というのは、誠実に受 (石井) ありがとうございました。時間が余る け止めて、なんとかこれを解決しないと、とい かと思いましたが、もうすでに予定の時間がき う人のところにでないと本当の話というのはこ てしまいまして、何か最後に一言だけおっしゃ ないんです。つまりのれんに腕押し、何を言っ ことありますか。 てもそんなものは半分に割ればいいんだと、あ れもこれも同じだみたいな受け止め方とか、あ (崔) 従来日本での議論の中でアジアというの まり重い話だと、ドブ板の板がはずれてしまっ は明治以来の日本の進路としての脱亜入欧、脱 ておっこちるからそんなものは持ってこないで 亜入米、それから実際政策としてのアジア主義、 くれみたいな限界のある人のところには本当の 大東亜共栄圏といった負のイメージから自由で 話は来ない。 はなかった。いまのアジア諸国の間にこれだけ 本日の話というのは日本にとってはもっとも 経済的相互依存関係の濃度が高いのに、ここで 厳しい批判なんです。それに対して穂積先生は 脱亜というのはもはや不可能だと思いますね。 誠実に答えようと苦闘されたと思います。そう しかし、いまだに日本の政治外交の基点には脱 いうことがベースにあって私達の関係が出来て 亜というか「アジア音痴」という表現も使う人 いるということをご理解いただければと思いま もいますが、そういう可能性も見えるんですね。 す。対話ということですが、その前提には真実 いまこそ我々が若いときアジア学生文化協会で に対して誠実でないといけない。事実に対して みにつけた、穂積先生の友愛精神が日本、アジ 誠実でなければならない。それがなければ対話 ア諸国、そして世界に伝わって欲しいなという と協力の発展はないものと思います。今日はみ のが私の希望なんです。 なさま、大変ありがとうございました。 (石井) 予定の時間がきてしまいました。ずい (終) 28