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人麻呂歌集七夕歌が初期的性格を有することは、 人麻呂歌集の文学史
憶 良 の 七 夕歌 憶良 創 始 説の再 評 価 浦 誠 士 明歌 に 遥 か に 先 立 つも の で あ る と い う 論 に 賛 成 す る 一 人 で あ る 。 し か し 、 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 の 初 期 的 性 格 が 明 ら か に ︵2︶ ︵ 3︶ さ れ た が た め に か え っ て 、 森 本 治 吉 、 土 井 光 知 等 によ っ て 示 さ れ た 問 題 は ク ロ ー ズア ッ プ さ れ る 形 で 残 さ れ る こ と と 多く あ る こ と 、 類 型 化 の 度 合 い の 低 さ 、 神 話 と の融 合 表 現 と 天 武 朝 の 動 向 な ど から 、 私 も 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 は 出 典 不 るこ と は 、 ほ ぼ明 ち か に さ れ た だ ろ う 。 立 秋以 前 に 逢え ぬ こ と を 嘆 く 歌 へ の 偏 り 、 七 夕 歌 と し て の 自 立 性 の 低 い歌 が 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 が 初 期 的 性 格を 有 す るこ と は 、 人 麻 呂 歌 集 の 文 学 史 的 位 置 付 け と も 絡 み 、 主 に 巻 十 出 典 不 明 七 夕 ︵1︶ 歌 と の比 較 に お いて 確 か め ら れ て き た 。従 来 の 諸 論 に よ っ て 、 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 が出 典 不 明 七 夕 歌 に 先 立 つ も の で あ 大 二五 憶 良 の前 に は 、 人 麻 呂 も 、 赤人 も 、 伝 説 の 好 き な 虫 麻 呂 も 七 夕 の 歌 を 作 ら ず 、 太 宰 府 の帥 旅 人 は 憶 良 を 招 いて 宴 な る。 憶良の七夕歌 二六 を 催 し な がら 、七 夕 の歌 に は 唱 和 し な か っ た 。︵中 略 ︶ こ れ に よ って 考 え る と 、七 夕 祭 り に 歌 を よ む風 流 を 日 本 に 流 行 せ し め ん と し た の は 長 安 の都 か ら 帰 って き た 憶 良 で あ っ て 、 そ の 最 初 の歌 は 、 七 〇 九 年 に 人 麻 呂 が死 ん で か ︵4︶ ら 十 五 年 後 に 初 め て 作 ら れ た ので あ っ た 。︵土 居 光 知 ﹁ 比 較 文 学 と ﹃万 葉 集 ﹄﹂︶ 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 の 最 終 歌 ︵二 〇 三 三 ︶ に 付 さ れ る ﹁ 此 歌 一 首 庚 辰 年 作 之 ﹂ と いう 左 注 の ﹁ 庚 辰 年 ﹂ に 関 し て は 、 粂 ︵5︶ 川 定 一 の 紀 年 記 載 様 式 の観 点 か ら の考 察 に よ って 、天 武 九 年 ︵ 六 八 〇 年 ︶ 説 に 一 応 の決 着 を み た 。 一 方 、 万 葉 集 の 記 載 に従 え ば、 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 を 除 いて 、 作 歌 年 代 の 明 確 な 七 夕 歌 の最 も 早 いも の は 憶 良 の 養 老 八 年 ︵七 二 四 年 ︶ の 妬 人 麻呂歌集 七夕歌の制作 から憶良 七夕歌まで、 よ そ 四 〇 年 間 の 空 白 が 認 め ら れ る こ と に な ︵7 ︶ る 。 七 夕歌 で あ る が、こ れ を 養 老 六 年 、ま た は 七 年 の誤 り で あ る と 考 え て お ︵8︶ 大 久保正は人麻呂 歌集 七夕歌を天 武朝の営為とし つつこ の空白を問題 とし、一応 の解答を出し て いる 。即 ち、まず 天 武朝に七夕歌 が詠まれ得 たかと いう 疑問に対して は、舒 明朝から天 武朝にかけて の星 に関す る関心や知識 の高まり から 、 ﹁七 夕説話 が受容 される のに極めてふ さわし い時 期であ った﹂という。さら に、七夕歌詠出 の場 が半 ば私的な場 で あり、日本固有 の地上的発 想のた めに七夕伝 説に対す る関心 が急 速に薄 れて いったと説明す る。大久保 の見解は主 に 七夕宴と いう ﹁場﹂ の観点から のものであり 、一つの可 能性は示し得 ているも のの、さら に踏み込ん だ説明を要す るで あろう 。持統 紀には 七月七日 の宴の記事 が二 つ載せら れており、ま た﹁懐風藻﹂ が養老四 年︵七二〇 年︶に没し た 藤原 不比等 の七夕詩を載 せて いるこ とからも、 右に いう﹁ 空白期﹂ にも七夕 の詩宴は行わ れて いたも のと思われ る。 従 って七夕歌 詠出の場 が半 ば私的な場 であ った ために、関 心 が急 速に薄 れて いったというだ けでは説得力 に欠ける の で あり、さら に表現に即し て、説明 されなけ ればならな いのである 。 人 麻呂歌集 七夕歌の営 み が偏奇な 、革新的な営 みであ ったことに ついては、 七夕 語彙 が歌言 葉として定 着を見て い な い あ り 方 や 、 あ た か も 寄 せ 木 細 工 のよ う な 非 現 実 表 現 ・ 神 話 的 表 現 と 相 聞 的 表 現 と の 結 合 の あ り 方 な ど の 観 点 か ら ︵9︶ 表 現 論 的 に 論 じ た こ と が あ る 。そ う し た 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 の 特 異 な あ り 方 は 、 七 夕 伝 説 を 初 めて 和 歌 に 詠 む 際 の 試 行 錯 誤 と し て 非 常 に 興 味 深 い の で あ る が 、 歌 の表 現 の 問 題 と し て 見 ると 、 い か に も 不 安 定 な あ り 方 を 示 し て い る の で あ る 。 歌 の 表 現 を 支 え る 様 式 性 が確 立 さ れ て いな い の だ と 言 い 換え て も よ か ろ う 。 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 の 営 み が 後 世 に 受 け 継 が れ て 行 か な いこ と を 表 現 の問 題 と し て 説 明 す れ ばそ のよ う に な る だ ろ う 。 ︵10︶ 大 久 保 は さら に 続 け て 、 しかし 養老年間にはじ まった憶 良の七夕歌 の詠出 が、 単に天武 朝以 来の七夕歌 の単純な持 ち越しであ り、連続で な いこ ともまた以上 の叙述から 明らかであ ろう。憶 良におけ る七夕歌の詠出 は、七夕伝 説の再 発見で あり、そ の 復活であ ったと言 って よ い。 という。人麻呂 歌集七夕歌 から憶 良の七夕歌へ の基本的な 視点を示しえ て いるといえ よう。 憶良の七夕歌以 後、七夕 歌 が和歌 の世界 に定着し て行くこ とは巻十 の出 典不 明七 夕歌の歌 数を見ても、古 今集以後 の王 朝和歌で 七夕歌 が一 つ の伝統とな って ゆく のを 見てもわ かることで あり、憶良 による七夕 伝説の﹁再発 見﹂ 、﹁復活 ﹂ がど のよう なもので あ ったの か、以 後の七夕歌 への 視点 を確保し つつ解明す る必要 があ る。問題は、 憶良以 後、天平 期を中 心として七夕歌 が再 び和歌 の世界に 登場 し、多く の歌を万葉集 に残すこ とにな るのはな ぜな のかというとこ ろに絞ら れてくる。 そう 二 牽牛 歌 から 織 女歌 へ 二 七 し た問題 が、作歌動機 や場に還元 されるこ となく、あく まで和歌 の表現の問題 として問わ れね ばなら ないのであ る。 憶 良 の七 夕 歌 二 八 ま ず 、 こ れま で の 諸 論 に 倣 って 、人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 と 出 典 不 明 七 夕 歌 と の比 較 に よ って 、両 者 の 性 格 を 確 認 す る と こ ろ か ら 始 め た い。 論 を 進 め る に 当 た って 最 初 に 確 認 し て お き た い の は 、 七 夕 歌 の作 者 の 問 題 で あ る 。 そ の大 多 数 は 作 者 名 を 明 ら か に し な い ので あ る が、万 葉 集 中 作 者 が知 ら れ る のは 、 人 麻 呂 、憶 良 、湯 原 王 、市 原 王 、 阿 部 継 麻 呂 ︵ 遣 新 羅 大 使 ︶、 遣 新 羅 使 人 、 家 持 と い ず れ も 男 性 で あ る 。 本 来 中 国 の 伝 説 で あ る 七 夕 伝 説 を 素 材 と し て 和 歌 を 詠 む 営 為 に相 当 な 漢 詩 の 素 養 が必 要 で あ っ た こ と は 想 像 に 難 く な い。 さ ら に 七 夕 歌 詠 作 の具 体 的 な 場 と し て 七 夕 の詩 宴 を 考 え る 場 合 、 七 夕 歌 の 介] ︶ 大 部 分 を 占 め る 作 者 不 明 歌 の作 者 と し て 、 漢 詩 文 の 素 養 を 持 つ男 性 律 令 官 人 を 想 定 し て おく こ と は 許 さ れ る だ ろ う 。 七 夕 歌 に は 第三 者 的 立 場 か ら 二 星 の 逢 仝 を う た う 歌 ︵以 下 第 三 者 歌 ︶と 、二 星 に な り か わ っ て の 歌 ︵以 下 当 事 者 歌 ︶ と があ る こ と は 周 知 のこ と で あ る 。 歌 の 主 体 が いか な る 立 場 を と っ て い る か を 分 類 す る 際 に は 、 こ の二 種 が最 も 基 本 的 で あ り 、 か つ 歌 の質 に 迫 る 鍵 を 握 る と 思 わ れ る ので あ る が、 当 事 者 歌 に 、 牽 牛 の 立 場 で の 歌 ︵以 下 牽 牛 歌 ︶ と 織 女 の 立 場 で の歌 ︵以 下 織 女 歌 ︶ と が あ る こ と は顧 み ら れ ね ば な ら な い 。 先 に 七 夕 歌 の 作 者 に男 性 律 令 官人 を 想 定 す べき レ こ と を 述 べ た こ と と も 絡 ん で 、 注 目 し て み た い ので あ る 。 次 に 示 す の は 、 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 と 巻 十出 典 不 明 七 夕 歌 を 歌 の 主 体 に よ って 分 類 し た 場 合 の 歌 数 で あ る 。 第 三 者 歌 18 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 巻 十 出 典不 明 七 夕 歌 第 三 者 歌 8 織 女 歌 25 牽 牛 歌 17 牽 牛 歌 11 織 女 歌 9 ︵12︶ 当 事 者 歌 3 当 事 者 歌 n乙 ︲ ’ ま ず気付くこ とは、人麻 呂歌集 における牽 牛の立場 への傾斜で ある。難訓歌二 〇三三を 除いた三 七首のうち 、牽牛歌 が 十 七 首 を 数 え る 。 さ ら に 、 出 典 不 明 歌 の 織 女 の 立 場 へ の 傾 斜 も 右 に 見 る如 く で 、 同 様 に 注 目 に 値 す る だ ろ う 。 歌 に 即 し て み よ う 。人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 の 織 女 歌 は 次 の 六 首 で あ る 。 我 が恋 を 夫 は 知 れ る を 行 く 船 の 過 ぎて 来 べし や 言 も 告 げな む ︵ 十 ・ 一 九 九 八 ︶ 白玉の五百 つ集ひを 解きも見 ず我は離 れかてぬ 逢はむ日待 つに︵十・二 〇 コ ー ︶ 昶 が背 子 にう ら 恋 ひ 居 れ ば天 の 川 夜 船 漕 ぐ な る梶 の 音 聞 こ ゆ ︵ 十 ・ 二 〇 一五 ︶ 古 ゆあ げて し 服 も か へ り 見 ず天 の 川 津 に 年 ぞ経 に け る ︵ 十 ・二 〇 一 九 ︶ さ 寝 そ め て い く だ も あ ら ね ば 白 妙 の帯 乞 ふ べし や 恋 も 過 ぎ ね ば ︵ 十 ・ 二 〇二 三 ︶ 君に 逢は ず久しき 時 ゆ織 る服 の白妙衣 垢付くま でに ︵十・二 〇二八 ︶ 七夕 当夜の 逢会 の時点 で歌う のは二 〇一五 、二 〇二三 の二 首 のみであり、 ほかの四首 は離れて 逢え ぬことを 嘆く歌で ︵1 ︶ 3 あ る。稲岡耕二 の指摘 する﹁立秋以 前に 離れてあ る嘆き﹂を歌 うと いう人 麻呂歌集 七夕歌の特色 が想起さ れる。一方 、 ○ 梶音、浪 、霧等によ り牽牛 の渡河を 知る 君 が船 今漕 ぎ来 らし天 の川 霧立ち わたるこ の川 の瀬に ︵十・二〇四五 ︶ 天の川白 波高し 我 が恋ふ る君 が船出 は今しす らしも ︵二 〇六一︶ 他三 例 ○ 牽牛 の渡河 の無事 を祈 る 秋風 に川 浪立ち ぬしまし くは八十 の舟津 にみ 舟留めよ ︵十・二〇四 六︶ 他二 例 二九 出典 不明七夕 歌の織女歌 には、 逢会当夜を うたう歌 、中 でも牽 牛の渡河を 歌う歌 が圧 倒的に 多く なって いる。 憶良の七夕歌 ○牽 牛の着く場 所 がわ からな い 天 の川 去年 の渡り瀬 荒れに けり君 が来ま さむ道 の知ら なく︵十・二 〇八四︶ 他一例 ○牽 牛の船出を 促す 渡り守舟 はや渡せ 一年に二度 通ふ君にあ らなくに ︵二 〇七七︶ 他二例 三〇 織 女 の 、 牽 牛 の渡 河 を 待 つ 待 ち 遠 し さ 、 焦 り 、 渡 河 を 知 っ た 喜 び等 、 様 々 な 心 情 が牽 牛 の 渡 河 を め ぐ って う た わ れ る 。 人 麻 呂 歌 集 七 夕歌 の 織 女 歌 が背 後 に 逢 え ぬ 嘆 き を 背 負 って や や 単 調 な あ り 方 を 示 し て い る の と 比 べた 場 合 、 出 典 不 明 ︵1︶ 4 七 夕 歌 の 織 女 歌 は 歌 数 が 多 いこ と に も 起 因 し て 、 そ の 心 理 描 写 の 点 で 多 彩 さ を 増 し て い る と 言 え よ う 。同 様 の特 徴 は 、 ﹁ 引 き 船 ﹂︵二 〇 五 四 ︶、﹁ 機 の 踏 木 ﹂︵二 〇 六 二 ︶、﹁ 幣 ﹂︵二 〇 六 九 ︶﹁渡 り 守 ﹂︵二 〇 七 二 ・二 〇 七 七 ・二 〇 八 八 ︶な ど 、 歌わ れる素材 の多彩さに も見ら れる。出典不 明七夕歌に おいては、様 々に趣向を凝らし た織女歌 が主流とな るのであ る 。 一方、人麻呂 歌集七 夕歌の牽牛 歌を見 ると、逢えぬこ とを歌う歌 が約半数を占 め、織女歌に 見られた特 徴と共通す る面 を持 つのだ が、 残り半数 は歌 われる時点 にも偏り がなく、 八千矛 の神の御代 よりと もし 妻人知 りにけり継 ぎてし 思へ ば︵十・二 〇〇こ 吾 が待 ちし 秋萩 咲きぬ今 だにもにほ ひに行かな 遠方人に ︵十 ・二 〇一四︶ ま日 長く恋ふ る心 ゆ秋風 に妹 が音聞こ ゆ紐解き行 かな︵十・二 〇 ヱハ︶ Ⅶ 相 見 ら く 飽 き 足 ら ね ど も稲 目 の 明 け さ り に け り 船 出 せ む妻 ︵ 十 ・二 〇 二 三 V 天 の川 夜 船 を 漕 ぎ て 明 け ぬ と も 逢 は む と 思 へ や 袖 交 へ ず あ ら む ︵二 〇 二 〇 ︶ Ⅳ 天 の川 去 年 の渡 り で 移 ろ へ ば 川 瀬 を 踏 む に 夜 そ更 け に け る ︵ 十 ・ 二 〇 一 八 ︶ ・1 11 Ill 逢仝 へ の 意 志 を 歌 う ︰Mm 、 渡 河 の 難 渋 を 織 女 に 訴 え る・w、 別 れ の 船 出 の 決 意 を 歌 う .w な ど、 心 情 面 に お い て も 多様 さ 山上臣 憶良の七夕 の歌十二首 ① 天 の川相向き 立ちて我 が恋ひし君 来ますな り紐解き設けな 右、 養老八年七月 七日、令 に応 ふ。 い も 寝 て し か も ︵一に云ふ﹁ いもさ寝てしか﹂ ︶ 秋 に あ ら ず と も ︵一に云ふ﹁秋待たずとも﹂ ︶︵ 八 ・ 一 五 二 〇 ︶ 一 一 一 一 にも﹂ ︶ い 漕 ぎ 渡 り ひ さ か た の 天 の 川 原 に 天 飛 ぶ や 領 布 か た 敷 き ま 玉 手 の 玉 手 さ し 交 へ あ ま た 夜 も む さ 丹 塗 り の 小 舟 も が も 玉 纏 の ま 擢 も が も ︵一に云ふ﹁小棹もがも﹂ ︶ 朝 凪 に い 掻 き 渡 り 夕 汐 に ︵一に云ふ﹁ 夕べ け な く に 青 波 に 望 は 絶 え ぬ 白 雲 に 涙 は 尽 き ぬ か く の み や 息 っ き を ら む か く の み や 恋 ひ っ つ あ ら ③ 牽牛 は 織 女と 天地 の 別 れし 時 ゆ いな むしろ 川に 向き立 ち 思 ふそら 安け なく に 嘆くそ ら 安 右、 神亀元 年 七月 七日の 夜に、左大臣 の宅にして 。 ② ひさかた の天 の川瀬 に舟浮けて今 夜か君 が我 がり来ま さむ︵八・一五 一九︶ 一云﹁ 川に 向かひ て﹂︵ 八 ・ 一 五 一 八 ︶ 憶良 の七夕歌は、 巻八に 十二 首︵長歌 一首、反歌二 首、短歌 九首 ︶ が一括し て載せら れる。 三 憶 良の 七 夕歌 牽 牛 歌 と織女 歌 以 下 、 こ の 牽 牛 歌 か ら 織 女 歌 へ と いう 大 き な 流 れ を 念 頭 に 置 き つ つ 、 憶 良 の 七 夕 歌 に つ い て 考 え て い き た い 。 を 見 せ る 。 単 に 歌 数 の 上 だ け で な く 、 歌 わ れ 方 の点 で も 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 は 牽 牛 歌 に 傾 斜 し て いる の で あ る 。 憶 良 の 七 夕歌 牛 反歌 歌 ③ ︵ 長 ︶ ④ ⑤ ︵ 反 ︶ ︵15 ︶ ⑦ 織女歌 ① ② ⑥ ⑨ ⑩ ⑩ 牽 ⑧ 牛 歌と織女 歌に分けて示 すと次 のように牽 牛歌五首、 織女歌六首 に分けられ る。 三二 七夕歌を牽 牛歌と織女 歌に分け たとき、 その両 者 の間 に、大きな 性格の違 いが見られるので ある。憶 良の七夕歌 を牽 摘 できる 。⑩以 外の十 一首はす べて二 星 の立場で歌わ れており、 憶良の七夕歌 の大きな特徴で ある。 さらに、憶 良の 歌 の主 体に注目する とき、憶 良の七夕歌 の特徴 の一 つとして、牽 牛・織女 の立場に立 って の歌 が多 いこ と がま ず 指 ⑩ 天 の川 浮き津 の波 音さわく なり我 が待つ君し舟出 すらしも ︵八・一五二 九︶ ⑩ 霞立 つ天 の川原 に君待 つと い行き反 るに裳の 裾濡 れぬ︵八・ 一五二 八︶ ⑩ 牽牛し妻 迎へ舟漕 ぎ出らし天 の川原 に霧 の立て るは︵八・一五二 七︶ 右 、 天 平 二 年 七 月 八 日 の 夜 に 、 帥 の 家 に 集 会 ふ ○ ” 玉 か ぎ る ほ のか に 見 え て 別 れ な ばも と な や 恋 ひ む 逢 ふ 時 ま で は ︵八 ・ 一五 二 六 ︶ 袖 振 ら ば 見 も 交 し つ べく 近 け ど も 渡 る す べな し 秋 に し あ ら ね ば ︵八 ・ 一五 二 五 ︶ 天 の川 い と 川 波 は 立 た ね ど も さ も ら ひ 難 し 近 き こ の 瀬 を ︵八 ・ 一五 二 四 ︶ 秋 風 の 吹 き に し 日 よ り い つし か と 我 が 待 ち 恋 ひ し 君 そ 来 ま せ る ︵八 ・ 一五 二 三 ︶ 右 天 平 元 年 七 月 七 日 の 夜 に 、 憶 良 、 天 の 河 を 仰 ぎ 見 る 。 一に云はく、帥の家にして作る、といふ 傑 に も 投 げ越 し つ べき 天 の川 隔 て れ ば か も あ ま た す べな き ︵八 ・[ 五 二 二 ] ④ 風 雲 は 二 つ の 岸 に 通 へ ど も 我 が 遠 妻 の︵一に云よ﹁愛し妻の﹂ ︶言 そ 通 は ぬ ︵ 八 ・ 一 五 二 こ ⑤ ⑧ ⑦ ⑥ ⑨ 右 のよ うに牽牛 歌と織女歌 に分けた とき、ま ず、歌われて いる時 の違 い が明確に認 められ る。織女歌はす べて 七月 七日当 夜の時 に立って、二 人の逢仝 にかかわ って歌われ るのに対し、牽 牛歌は③ の﹁秋に あらずと も﹂、⑧ の﹁秋 にし あら ねば﹂に 端的に見ら れるように 、秋なら ざる時に立 って、逢えぬ嘆 き、 逢仝へ の熱望 が歌 われて いるのであ る。 ︵1︶ 6 稲岡 の言う、人麻呂 歌集 七夕歌には立 秋以前 に逢え ぬ嘆きを 歌う歌 が多く 、出典不 明七夕歌 には七月七日 の当夜 の逢 仝や渡河 に かかわって歌わ れる歌 が多いと いう点 から見 ると、憶良 の七夕歌の牽牛歌 は人麻呂歌 集七夕歌 に近く、 織 女歌 は出典不明 七夕歌に近 いと いえ る。憶良 は時代的にも両 者の中間 に位置して いるのだ が、 問題はそ れほど単 純な も のではな いだろう。以下 、憶良 の七夕歌 の牽 牛歌、織女歌 の表現を見て いこう 。 四 憶良 の 織女 歌 憶良の織女 歌につ いて のこれまで の諸論で は、巻十出 典不明七夕歌 との間に 類歌関係にあ る歌 が多く、そ の中 に埋 没し てしま いそうに見え な がら、 織女の 心情表現の面で 出典不明 七夕歌には見 られな い達 成 が見ら れること が指摘さ れて きた 。ま ずその点を 確認して おく。憶 良の織女歌を 巻十出典不 明七夕歌 に見られる類歌 ととも に挙 げると次 のよ ② ひ さかたの天 の川 瀬に 舟浮 けて今 夜か君 が吾 がり来まさ む︵八・一五 一九︶ 三三 天 の川川門 に立ちて吾 が恋ひし 君来ますな り紐解き待 たむ 一云天の川川に向き立ち︵十・二 〇八四︶ ① 天 の川 相向き立 ちて吾 が恋ひし君 来ますなり紐 解き設けな ︵八・一五 一八︶ う にな る。 ︵歌頭 に数字 のある歌 が憶 良の七夕歌 。一段下 がって いる歌 が出典不明 七夕歌であ る。ブ 憶良 の七 夕 歌 ひさ かたの天 の川 津に舟浮 けて君待 つ夜らは明け ずもあらぬ か︵十・二〇 七〇︶ ⑥ 秋風の 吹きにし日よ りいつし かと吾 が待 ち恋ひし君 そ来ませる ︵八 ・一五二三 ︶ 秋風 の吹きにし日よ り天の川瀬 に出で立 ちて待 つと告げこそ ︵十・二 〇八三 ︶ ⑨ 玉 かぎるほ のかに見え て別れな ばもとなや 恋ひむ 逢ふ 時までは ︵八 ・一五二六 ︶ ⑩ 牽 牛し妻迎 舟漕 ぎ出らし 天の河原 に霧 の立て るは ︵十 ・一五 二七︶、、 君 が舟 今 漕 ぎ 来 ら し 天 の 河 霧 立 ち 渡 る こ の河 の 瀬 に ︵ 十 ・二 〇 四 五 ︶ 天 の 川 八 十 瀬 霧 ら へ り 男 星 の時 待 つ 船 は 今し 漕 ぐ ら し ︵ 十 ・ 二 〇 五 三 ︶ 天 の 川 振 り 放 け 見 れ ば天 の 河 霧 立 ち 渡 る君 は 来 ぬ ら し ︵ 十 ・ニ ○ 六 八 ︶ ⑩ 霞 立 つ 天 の川 原 に 君 待 つ と い行 き 還 る に 裳 の 裾 濡 れ ぬ ︵ 八 ・ 一 五 二 八 ︶ ⑩ 天 の 川 浮 き 津 の 波 音 さ わ く な り 吾 が待 つ君 し 船 出 す ら し も ︵ 八 ・ 一 五 二 九 ︶ 天 の 川 川 の 音 清 し 牽 牛 の 秋 漕 ぐ 船 の 波 の 騒 き か ︵十 ・二 〇 四 七 ︶ 天 の 川 白 波 高 し 吾 が 恋 ふ る 君 が 舟 出 は 今 し す ら し も ︵ 十 ・二 〇 六 一 ︶ 三四 ② の ﹁ 今 夜 か 君 が吾 がり 来 ま さ む ﹂ と い う 七 夕 当 夜 の 牽 牛 の渡 河 に 対 し て 発 さ れ る疑 問 あ る い は不 安 は 、 万 葉 七 夕 歌 ︵17︶ で 唯 一 見 ら れ る も の で あ り 、 村 山 出 は そこ に ﹁ 現 実 に 問 いを 発 す る こ と によ っ て 現 実 の 意 味 を 思 索 し よ う と す る 憶 良 独 自 の態 度 ﹂ を 認 め 、 織 女 の﹁ 内 面 の ド ラ マ ﹂ の 表 現 と 捉 え る 。⑥ で は 、﹁ い つし か ﹂﹁ 待 ち ﹂﹁ 恋 ひ し ﹂ と 牽 牛 を 待 ち わ びる 織 女 の 心 情 が 急 速 に 高 め ら れ 、﹁ 君 そ 来 ま せ る ﹂ の 喜 び が一 段 と 強 め ら れ る 。 ま た 、 ⑩ に お いて は 、﹁ 君 待 つ ﹂ 心 情 が ﹁ 行 き 還 る﹂ 行 為 と ﹁ 裳 の 裾 濡 れ ぬ ﹂ と いう 事 象 に よ っ て 形 象 化 さ れ る な ど、 憶 良 の 七 夕 歌 は 織 女 の 心 情 描 写 に お いて 独 自 性 を 見 せ て い る 。 類 歌 と の 関 係 に お いて 見 て み よ う 。 ① に は 双 方 に 異 伝 が記 さ れ て お り 、 編 纂 の 当 時 、 様 々な 類 歌 が存 在し た ら し い こ と が 想 像 さ れ る 。両 者 の 相 違 点 は ﹁ 設 け な ﹂ と ﹁ 待 た む﹂ に あ る の だ が 、 出 典 不 明 歌 の ﹁ 待 た む ﹂ が 一 般 的 、 抽 象 的 に 織 女 の 心 情 を 述 べ る の に 対 し 、 憶 良 の 織 女 歌 は 、よ り 具 象 性 を 持 つ 表 現 と な って い る 。﹁ 紐 解 き 設 け ﹂る の は 共 寝 の 準備 を す る の で あ り 、 牽 牛 と の共 寝 を 心 待 ち に し て 浮 き 立 つ 織 女 の 心 情 が、 よ り 生 々 し く 表 現 さ れ て い る 。 ⑩ は天 の川 の 波 に よ っ て 牽 牛 が 渡河 し て 来 て い る こ と を 知 る 趣 で あ る が、 出 典 不 明 歌 の ﹁ 白 波 高 し ﹂ が 視覚 によ り 、 一 般 的 な 表 現 で あ る の と は 異 な っ て 、 憶 良 の 歌 は ﹁ 波 音 さ わ く な リ ﹂ と 天 の川 の 波 が 聴 覚 的 に 捉 え ら れ て お り 、 織 女 の 感 覚 によ り 即 し た 表 現 と な っ て い る。 総 じ て 、 憶 良 の 織 女 歌 は 、 出 典 不 明 歌 に 紛 れ そ う な ほ ど の 類 歌 関 係 を 持 ち つ つ 、 織 ︵18︶ 女 の 心 情 の描 写 に お いて 、 出 典 不 明 歌 と は 一 線 を 画 す る 具 象 性 を 持 っ て い る 。﹁ 艶 情 の 詩 趣 ﹂を た た え た 歌 と いえ よ う 。 人麻呂歌集 七夕歌と の比較に おいて、出典不 明七夕歌 には織女歌 への傾斜 が見られ、織女 の心情表 現、織女 の行為 の 描 写 等 に 多 彩 さ を 加 え る よ う に な っ て い るこ と は 前 に 述 べた が 、 憶 良 の 織 女 歌 は そ の点 で は 天 平 期以 後 の 織 女 歌 の 典 型 で あ っ て 、 憶 良 の 織 女 歌 を 頂 点 と し つ つ 、 そ の 裾 野 に 出 典 不 明 七 夕 歌 の織 女 歌 が広 が っ て い る 観 があ る 。 出 典 不 明七夕歌 の製作時期を およそ天平 期と考え るなら、 憶良の織女歌 は時代的に もその先頭 に位置す ることにな り、憶良 に お け る達 成 か ら 出 典不 明 歌 へ と い う 流 れ で 理 解 で き る か も し れ な い 。 そ れ で は 、 そ のよ う な 特 徴 を 持 つ 憶 良 の 織 女 歌 、 さ ら に 出 典 不 明 歌 の 織 女 歌 と は 、 ど の よ う な 質 の 歌 と 捉 え ら れ る だ ろ う か 。 憶 良 の織 女 歌 を 見 渡 し て 気 付 く こ と は 、﹁ 待 つ ﹂﹁ 恋 ふ ﹂ と いう 語 がキ ー ワ ー ド と な っ て い る こ と で あ る 。 三五 例 み ら れ る も の の 、 牽 牛 が ﹁ 逢 仝 の 時 ﹂﹁ 渡 河 の 時 ﹂﹁ 秋 ﹂ を ﹁ 待 つ ﹂ と 用 い ら れ る も の が三 例 を 占 め 、 織 女 がを 牽 牛 ら れ て い る ︶、人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 以 来 の キ ー ワ ー ド の 一 つ で あ っ た らし い。一 方﹁ 待 つ﹂ は 、人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 に も 四 動 詞 ﹁ 恋 ふ ﹂ は 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 に お い て も 七 例 用 い ら れ て お り ︵ 名 詞 ﹁ 恋 ﹂ も 四 例 、形 容 詞 ﹁ 恋 ひ し ﹂ も 一 例 用 い 憶 良 の 七 夕歌 を ﹁ 待 つ ﹂ と 歌 わ れ る 一 例 も 第三 者 歌 で あ って 、 織 女 の 立 場 か ら 牽 牛 を ﹁ 待 つ 三六 と 歌 わ れ る 歌 は な い ので あ る 。 と こ ろ が、 憶 良 の 七 夕 歌 に お い て は 、﹁ 吾 が待 ち 恋 ひ し 君 ﹂︵⑥ ︶、﹁ 君 待 つと ﹂︵⑥ ︶ ﹁ 吾 が待 つ 君 ﹂︵ ⑩ ︶ と 用 い ら れ る だ | 五 ﹁人 を待 つ﹂ 歌 麻呂歌集 の織女歌 から のこ の変化を どのよう に説明す べき か、 ﹁待 つ﹂ と いう 語に注目し つつ考えてみ たい。 見出すこ と ができ 、やはり 、憶良の織女歌 との類同 性を指摘しう る。 ﹁立 秋以 前 の逢え ぬ嘆き﹂を 歌う歌 の多か った人 など、不 安に思 い、牽牛 の無事を祈 り、牽牛 の船出を促し つつ、牽牛 が渡 って来 るのを 待つ心 情の歌われ る歌を多く 渡 り守船渡せを と呼 ぶ声の至らね ばかも梶 の音のせぬ ︵十・二 〇七二 ︶ 天 の川瀬毎に幣 を奉 る心は君を幸 く来ませと ︵十・二〇 六九︶ 秋風 に川波立ち ぬしまし くは八十 の舟津にみ 舟とどめよ ︵十・二 〇四 六︶ し ばし ばも相見 ぬ君を天 の川舟出 はやせよ 夜の更けぬ間 に︵十・二〇四二 ︶ 恋し けく日長 きものを 逢ふ べか る夕だに君 が来まさ ざるらむ︵十・二 〇三 九︶ か、 出典不 明七夕歌 にお いて も﹁待つ﹂ は九例見ら れ、ナ ち 六例 が織女 の立 場から牽牛を ﹁待 つ﹂ と用 いら れて いるほ の織女歌 は織女 の牽 牛を﹁待 つ﹂心を 描き出すと いえ そうで ある。 現されて おり、②で は牽牛 の渡河に 対する不安、 危倶を歌う点 に待つ女 の心情の機微 が表現さ れており、 総じて憶 良 けでな く、先に見 たように 、③の﹁紐 解き設けな﹂ には牽牛 との共寝を待 ちこ がれ る織女の心情 が具象 性を持って表 ゝ 古今和 歌六帖 の第五 帖に は﹁人 を待 つ﹂ と題して 十九首の歌を 載せてお り、そ のう ち五 首は万 葉集を出典 とし て い る。平 安朝にお いて は和歌 の類題 の一 つとして定着を みる﹁人を 待つ﹂は 、万 葉集以 来の伝統を 持つこと がわかる。 実 際それらの歌 には人 麻呂歌集 略体歌を 出典とす るもの が二首 あり、そ の由来の古 さを 証して いる。しかし 、万 葉集 の﹁人 を待つ﹂歌 を見てみ ると、万 葉集 内部 においては、 ﹁人を待 つ﹂歌は万 葉集 全体 に偏りなくみ られるも のではな い。 次 に示 す の は万 葉 集 の作 者 、 時 代 別 の ﹁︵人 を ︶ 待 つ ﹂ の 用 例 数 で あ る 。 初期万 葉 6 人麻呂歌集 12 人麻呂作歌 1 第二 期 3 山上 憶良 8 第三 ∼四 期 44 大伴家 持 1 作 者不明 84 ここで は、時を待 つ、季節 の到 来を待 つ、花の開花 、鳥の飛来等 を待つ歌 は除外して ある。人以外 のものを待 つ歌で は、相 手の﹁言﹂ を待つ歌 だけ が含ま れて いる。右 の初期万葉 の六例は巻二 巻頭 の磐姫 皇后の歌 に見られ、 一応初期 万 葉 に分類して おいた が、磐 姫皇后 の歌 は第二期以降 の仮託 の歌 である という説 が有力 であり、 初期万 葉 の例からは 除 かれる可能性 が大 き い。 時代 的に見 ると、第三期以 降、特 に作 者不明歌 に集中して見 られ るこ と が見て取 れるであ ろヽ つ。 第三 期以 降に﹁人 を待 つ﹂ 歌 が激増し て来る背景 にはど のよう な要因 があるの か。古今集以降 は恋歌に おいて﹁人 を待 つ﹂のは例外 なく女 性であ って 、男性 が通 って来 るのを待つ 。万 葉集に おいては、大 津皇子 と石 川郎女 の贈答︵二 二 ○七、八︶を はじめ男 性 が女性を﹁ 待つ﹂と歌 われるも の が数首あ り、それ自 体も面白 い問題 である が、他の ほ 三七 れゐ歌 であり、万 葉集の段 階で既に﹁待 つ﹂ のは女 性であ るという観念 が出来始 めて いる。従 って、最も単 純な解答 とん どの歌は、 やはり女 性の立場から男 性を待 つ、 ある いは、 男性の立場 から待 って いるであろう 女性 のこ と が歌わ 憶 良 の七 夕 歌 三八 として女 性作者 の増加を考え ることもあ な がち誤りで はなかろう 。七夕歌 にお いて出典不 明歌 に織女の立場 の歌 が増 ︵19︶ え る点 に つ いて 、服 部 喜 美 子 は 七 夕 伝 説 が次 第 に女 牲 層 に 浸 透 し て 、 七 夕 歌 の 作 者 及 びそ の享 受 層 に 女 性 が 増 加 し た た め で は な い か と 述 べて いる。しかし、 憶良の七夕歌 にお いて も歌数で いえ ば織女歌 の方 が多くよまれて いるのであ り、単 純にこ の現象を女 性作 者の増加 のためと言 いきること は出来な いよう に思わ れる。 ﹁人を 待つ﹂歌 の増加する第三 期から第四 期に、興味深 い歌 が数首 見ら れる。 安倍広 庭卿歌一首 雨 降ら ず殿ぐ もる夜 のぬれぬれと 恋ひっ つ居 りき君待ち がてり︵三・三 七〇︶ 大伴四 綱宴席歌一 首 何すと か使 ひの来っ る君をこそ かにもかくに も待ちかて にすれ︵四・ 六二 九︶ 大伴 宿禰家持与交 遊別歌三首 けだしく も人 の中言 聞かせかもここ だく待て ど君 が来ま さぬ︵四・ 六八〇︶ 十 六年甲申春正 月五 日諸卿大夫 集安倍 虫麻呂朝臣家 宴歌一首 作者未詳 吾 が宿 の君まっ の木 に降る雪 の行 きには行 かじ待ちにし 待たむ ︵六・ 一〇四一︶ 藤原 宇合卿歌一 首 吾 が背子 をいっそ今 かと待っなへ に面や は見え む秋 の風 吹く︵八・ 一五 三五︶ 安倍広 庭卿は神亀元 年に従三位、同四 年中納 言に任 ぜら れており、天平四 年二 月に莞じて い る 。 一 〇 四 一 番 歌 の 十 六年は天平 十六年であ る。藤原宇合 卿は神亀二 年従三 位 、天 平九年に 莞じて いる。 す べて男 性作 者によ る女性 の立場 での﹁人 を待つ﹂歌で あること が注意され る。一〇四一番 歌は﹁作 者未 詳﹂ とさ れ て い る が、﹁ 諸 卿 大 夫 ﹂ が安 倍 虫 麻 呂 の 家 に 集 っ た 際 の 宴 席 歌 で あ る か ら 、 作 者 は や は り 男 性 で あ ろ う 。﹁ 君 待 ち が て り ﹂﹁ 何 す と か 使 ひ の 来 つ る ﹂﹁ 君 が 来 ま さ ぬ ﹂﹁ 面 や は 見 え む ﹂ な ど 、相 手 の 男 性 に 対 す る反 発 的 な 歌 い方 が 見 ら れ 、 ︵20︶ 広 い意 味 で の﹁ 女 歌 ﹂で あ る 。 六 八 〇 番 の家 持 の 歌 で は 、﹁ 交 遊 ﹂は 朋 友 を 意 味 し 、家 持 が同 性 の友 人 に 冷 や や か な 態 度 を 示 さ れ て 贈 った 歌 と 推 測 さ れ る の だ が、 後 に 続 く 二 首 な か な か に 絶 ゆ と し 言 は ば か く ば か り 息 の 緒 に し て 吾 恋 ひ め や も ︵四 ・ 六 八 一 ︶ 思 ふ ら む 人 に あ ら な く に ね も こ ろ に 心 尽 く し て 恋 ふ る 吾 か も ︵四 ・ 六 八 二 ︶ を 見 て も 、 相 手 を 中 傷 す る よ う な 反 発 的 な 歌 い 方 がさ れ て お り 、 女 歌 的 な 歌 わ れ 方 がな さ れ て い るこ と ほ ま ち が いな い だ ろ う 。同 様 に﹁ 宴 席 歌 ﹂﹁ 宴 歌 ﹂ と題 詞 に 示 さ れ る 歌 も 、 実 際 に は 宴 に 参 列 し て いな い人 を 待 つ歌 、宴 に は 参 列 せ ず 使 いを よ こ し た 人 へ の 恨 み ご と の 歌 で あ っ た の だ ろ う が 、 歌 そ の も の は 女 歌 の 発 想 ・ 表 現 を も って 歌 わ れ て い る 。 女 性 の 立 場 を と る こ と に よ って 、 本 来 女 歌 の 持 つ反 発 的 で あ り つ つ、 ま た 反 発 的 で あ る が た め に 相 手 へ の 思 い が こ め ら れ る と い う 性 格 の た め に 、 一首 が全 く 嫌 味 の な い社 交 の 歌 と な り え て いる の で あ ろ う 。三 七 〇 番 歌 は 宴 席 の歌 と は 記 さ れ な い が、﹃ 全 注 ﹄︵ 西 宮 一民 ︶ が 今 の 歌 は 、 男 を 待 つ 女 の歌 と は 言 いな が ら 、 作 者 が 男 で あ る ば っ か り に 、 女 を 待 た せ る 男 の、 し ょ って る わ ね と 言 わ せ ん ばか り の 、 格 好 の 良 さ があ る とし て 、 そ れ が 老 い ら く の 恋 の 作 者 で あ って み れ ば 、 そ の 宴 席 で の喝 釆 は 目 に 見え る よ う で あ る 。 三九 男 性 作 者 に よ る ﹁待 つ ﹂ 女 の歌 が第 三 期 か ら 第 四 期 に か け て 見 ら れ る こ と は 、 第 三 期 以 降 ﹁ 人 を 待 つ ﹂ 歌 が 急 に 増 の 心 象 が ﹁ 雨 降 ち ず と の 曇 る 夜 の ﹂ と いう 序 に 現 わ れ て お り 、 宴 席 で の 座 興 の 歌 だ った の だ ろ う 。 と 述 べて い る よ う に 、 や は り 宴 席 で の 歌 と 見 る べき で あ る 。 一 首 に は ひ と り 家 で 男 を 待 ち つ つ 悶 々 と 時 を 過 ごす 女 性 憶 良 の七 夕 歌 四〇 加 し て く る こ と と か か わ り があ る と 思 わ れ る 。 巻 十 、 十 一 、 十 二 な ど の 作 者 不 明 歌 に 集 中 し て 見 ら れ る ﹁ 人 を 待 つ ﹂ 女 性 の 立 場 の 歌 の 中 に は 、 右 の よ う な 男 性 作 者 の 歌 が予 想 以 上 に 多 く 含 ま れて いる ので は な い か と 考 え ら れ る の で あ ’ 台。 憶 良 の織 女 歌 は 当 然 、 男 性 作 者 に よ る 女 性 の 立 場 で の 歌 で あ る 。 憶 良 の 織 女 歌 が七 夕 伝 説 そ の も の を 歌 う こ と に 重 点 を 置 か ず 、 七 夕 伝 説 の 枠 の中 で 牽 牛 を 待 つ 女 で あ る 織 女 の 心 情 の 描 写 に お い て 達 成 を 見 せ て い る こ と を さ き に 確 認 し た が、 そ れ は ま さ に 宴 席 で の 男 性 作 者 に よ る 女 性 の 立 場 で の歌 と 重 な り あ う 性 格 な の で あ る 。 憶良 の七夕歌には 、 ﹁ 右 養 老 八 年 七 月 七 日 応 令 ﹂﹁右 神 亀 元 年 七 月 七 日 夜 左 大 臣 宅 ﹂﹁右 天 平 元 年 七 月 七 日 夜 憶 良 仰 観 天 河 T ム帥 家 作 ﹂﹁ 右 天 平 二 年 七 月 八 日 夜 帥 家 集 会 ﹂と 七 月 七 日 ︵八 日 ︶の 七 夕 の宴 で の 作 で あ る こ と を 明 示 す る 左 注 が記 さ れ て い る 。万 葉 集 中 憶 良 の 七 夕 歌 の み が 七 夕 の 宴 と いう 歌 の 場 を 明示 し て い る こ と は 顧 み ら れ て よ い で あ ろ う 。 憶 良 の 七 夕 歌 に お いて 、 七 夕 歌 は 宴 席 歌 と し て の 性 格 を よ り 強 め 、 新 し い七 夕 歌 の 伝 統 を 作 り 出 し た の で は な か ろ う か 。 憶 良 の織 女 歌 に お け る 達 成 は 、 第三 期 以 降 、 宴 席 に お い て 男 性 作 者 に よ る女 性 の 立 場 で の 歌 が好 ん で 詠 ま れ る よ う に な った こ と と 大 き く 関 係 す る も の と 思 わ れ る 。 原 理 的 に 宴 は ﹁ も ど き ﹂ とし て の 性 格 を 持 つ 。 神 祭 り に お け る 、 来 臨 す る 神 と そ れ を 迎 え る側 と の 関 係 を も ど く の が宴 で あ る 。 第 三 期 以 降 の 宴 の 歌 に 、 男 性 作 者 に よ る 女 性 の 立 場 で の 待 つ 歌 が詠 ま れ る こ と の 根 底 に は 、 神 の 来 臨 を ︵2︶ 1 待 つ巫 女 の 発 想 を 見 て お か な け れ ばな ら な い ので あ ろ う 。 七 夕 の 行 事 が 宴 の 形 を と る と き に は 、 そ こ に は 折 口 信 夫 の 言 う 、 来 臨 す る 神 と そ れ を 迎 え る 水 辺 の 女 、 と いう 構 図 を 想 定 す べき も の と 思 わ れ る 。 憶 良 の 織 女 歌 に 見 ら れ る ﹁待 つ ﹂ 女 の 心 情 描 写 に お け る 達 成 は 、 そ の よ う な 宴 の 論 理 の中 で 理 解 し な け れ ばな ら な い。 憶 良 に お いて 織 女 歌 は 、 新 し い形 を も って 再 生 さ れ た の で あ る 。 憶 良 の 織 女 歌 は 、 時 代 的 に は そ う し た 宴 に お け る 女 性 の 立 場 の 歌 の始 発 に 位 置 して いる ので ある が、 それ が憶良 による新し い織女歌 からの一方的 な影 響関係 で説明でき るかどう かは保留せ ざるを 得 な い。 むし ろ宴席歌 の大きな動 向の中で両 者を捉えて おく べき だろう。そうし た大きな 歌の動向 に根 ざした発 想・ 表 現であ ったからこ そ、憶良 の織女 歌は和歌 の形 として の安定を獲 得し 、出典不 明七夕歌へ と継承 されて ゆく のであ る。 六 憶 良の 牽牛 歌 憶良 の織女歌は その心情表現 に特徴 が見 られ、 宴席歌として の七夕歌 の新 たな伝統 の始発であ った が、同様 なこと は憶良 の牽 牛歌にも当 てはま るで あろう か。憶良の牽牛 歌は秋以外 の時に立 って織女に 逢え ぬ嘆 きを歌う。 さきに見 た織女歌 がす べて 七月七日 の逢会 にかか わって歌わ れるのとは 対照 的であ り、そ の点で は出典不 明七夕歌で はなく人 麻呂歌集 七夕歌に近 接する特徴 を示 し、 織女歌と の歌 の質の違 いを予感させ る。 表現 に即して見て いこう。ま ず、憶 良の牽牛歌 のう ち短歌形 式をとるも のは、反歌二 首も含 めて四 首 のう ち三 首 が 第三 句 に逆説 の接 続助詞﹁ ども﹂ を据えて いる。 風雲 は二 つの岸に通へ ども我 が遠妻 の言そ通 はぬ ﹁八・一五二 ﹂︶ 天 の川 いと川波 は立たね ども伺候ひ が難し近 きこ の瀬を ︵八・一五二四 ︶ 袖振ら ば見 も交はし つ べく近け ども渡るす べなし秋にし あらね ば︵八 ・一五二五 ︶ − 四 いず れも第三句ま でに織女 との逢会や﹁ 言﹂ の交 換にと って プラスと見え る要素 が歌 われ、 逆説の﹁ ども ﹂をはさ ん 憶良 の 七 夕 歌 四二 ︵2︶ 2 で 、 第 四 句 と 結 句 に 逢 い 難 さ が歌 わ れ る 構 成 を と って い る 。 右 の 波 線 部 は 傍 線 部 の ﹁ 嘆 き の反 措 定 ﹂ とし て 提 示 さ れ て お り 、 牽 牛 の 内 面 の葛 藤 、 現 実 を 受 け 入 れ ら れ な い嘆 き がそ の構 成 に よ って 描 き 出 さ れ る 。 同 様 な 構 成 は ﹁ ど も ﹂ を 持 た な い もう 一 首 の反 歌 、 榛にも投 げ越し つべき天の川隔て れ ばかも あまたす べなき︵八・一五二 二︶ に も指摘で きる。天 の川 を石の傑を投 げれ ば投 げ越せそう なほど の小 さな川とし な がら、に もかかわら ず越え るこ と ができな いという嘆き が強調され るのであ る。類似した 構成を持 つ歌 は、 天の川 遠き渡りは なけれども君 が舟出は年 にこそ待て ︵十・二〇五三 ︶ を 見出せ るのみであり 、憶良 の牽牛 歌特有 の構成と言 って よかろう 。ほかの 七夕歌にお いて は同じく 逆説を歌中 に持 ちな がら、 天 の川 波は立つ とも我 が舟 はいざ漕 ぎ出 でむ夜の更 けぬ間に ︵十・二 〇五 九︶ 天 の川 瀬 ゞに白波 高けども ただ渡り来 ぬ待た ば苦し み︵十・二〇 八五 ︶ など、前 半に逢仝に とって マイナ スとな る要 素を歌 いつつ、後半で 渡河 の決意 が歌われて おり、 憶良の牽牛歌 に見ら れた﹁嘆 きの反措定﹂ として の逆接表現 とは正 反対 の構成をと るもの が多く 見られる。 短歌形 式をとる 憶良の牽牛歌 にお いて は、 ﹁ねじ れの構造﹂とも言う べき表現構 造によ って 、牽牛 の心情 が描き出さ れる ので ある。こ れは、同じく 心情表現 に特徴を見せ な がらも、 憶良の織女歌 が織女 の待 つ心を直 截に表現す るのと は異な る方法と言えよ う。前項 までに見 た憶良の織女歌 の、牽牛を 待つ心情 の描写と比 較したと き、憶良 の牽 牛歌は、 同 じく牽 牛の心情 の表出に傾 斜しな がら も、質的相違 を予感させ る。以下 、 憶良の牽牛 歌 がいかなる発想 のもとに 詠 まれ、 その表現 がいかに成り 立って いるのかを考えて行 きた い。 筑 前 守 在 任 時 代 、 天 平 元 年 に 、 憶 良 は 太 宰 帥 大 伴 旅人 の邸 宅 で 、 唯 一 の 七 夕 長 歌 を 詠 ん で い る 。 憶 良 研 究 の 中 で の ︵23︶ ︵ 2 4︶ 七 夕 長 歌 の論 で は 、 中 西 進 が憶 良 帰 化 人 説 と の か か わ り で 論 じ て いる の と 、 稲 岡 耕 二 が 日 本 挽 歌 と のか か わ り で 論 じ て い る も の と が目 を 引 く 。 中 西 は 長 歌 に 見 ら れ る ﹁ 朝 凪 に ⋮ ⋮ 夕 潮 に ⋮ ⋮ ﹂ と いう 表 現 は万 葉 集 の 用 例 に照 ら し て 海 のイ メ ー ジを 持 つ 表 現 で あ り 、 長 歌 のよ ま れ た 太 宰 府 か ら 玄 界 灘 を 隔 て た 彼 岸 の ﹁ 祖国 に あ る は ず の親 し き 人 々 へ の 思 慕 と 、 そ の地 へ の 渡 海 の願 望 ﹂ を 根 源 に 持 つ幻 風 景 が天 の川 の 景 と 重 ね ら れ た と 推 測 す る 。 稲 岡 は 日 本 挽 歌 を 憶 良 白 身 の 亡 妻 の哀 傷 歌 と 見 る 立 場 か ら 、 憶 良 が妻 を な く し た と思 わ れ る 天 平 元 年 の長 歌 に 見 ら れ る 隔 絶 へ の 嘆 き の強 調 を 、 自己 の 内 心 の悲 し み の投 影 と 捉 え て いる 。 い ず れ も 長 歌 に 見 ら れ る 逢え ぬ 嘆 き と 渡 河 の熱 望 か ら の立 論 で あ る が 、 憶 良 七 夕 歌 の詠 出 さ れ た 場 の 半 ば 公 的 な 性 格 を 考 え る と 、 長 歌 の 表 現 を 憶 良 の内 心 の悲 し み や 願 望 か ら の み 説 明 す る こ と に は や や 疑 問 を 感 じ る 。 憶 良 の七 夕 長 反 歌 は 、 主 に 憶 良 の作 家 論 的 研 究 の中 で 論 じ ら れ 、 様 々な 表 現上 の 特 徴 が 指 摘 さ れ て き た の だ が、 そ の 表 現 を 憶 良 と いう 個 人 の 閲 歴 や 体 験 に 追 い 込 む こ と な く 、 歌 の表 現 の質 の問 題 と し て 考 え て み る こ と が 必要 で あ ろ う 。 ま ず 長 歌 に つ い て 考 え た い。 こ の 長歌 は 、 漢 詩 文 の 影 響 、 古 詞 章 の利 用 、 対 句 の問 題 、 人 称 の 転 換 な ど 、 多 く の 問 題 を 持 つ 歌 で あ る 。 冒 頭 の 表 現 か ら 見 て いこ う 。 牽 牛 は 織 女 と 天 地 の 別 れ し 時 ゆ い な む し ろ 川 に 向 き 立 ち 憶 良 の 長 歌 は 一 首 の 内 部 に 人 称 の 転 換 を 有 す る 。 右 の 冒 頭 の 部 分 が 第 三 者 的 立 場 で 歌 わ れ 、 続 く ﹁ 思 ふ そ ら 安 け 四三 そ の 典 型 的 な 例 と し て こ の 憶 良 の長 歌 を あ げて い る 。 伊 藤 がさ ら に 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 と 出 典 不 明 七 夕 歌 を そ の観 点 か い て 主 題 を 提 示 し 、 そ の 後 に 当 事 者 の 立 場 に た って 二 星 の 思 いを 歌 う と いう 一 つ の ﹁社 会 的 様 式 ﹂ が あ った と い い 、 な く に 嘆 く そ ら 安 け な く に ﹂ 以 後 、 牽 牛 の 立 場 で 歌 わ れ る 。 伊 藤 博 は 七 夕 歌 詠 出 の 場 に 、 第 三 者 的 立 場 の 歌 に お 憶良 の七 夕 歌 四四 ら 歌群に分 けること には同 調し かねる が、記 紀の歌謡 の主体の転換を 持つ歌や 序詞から人 事部に転換し て行く歌 謡の 構 成などを見 ると、第三 者的立場で主 題を捉示し 、当事 者的立場へ と転換す ると いう詠法 は認めら れるだろう 。こ の 冒頭 の六句 では、牽牛星 と織女星 が天 地開聞 の昔から天 の川を隔てて 置かれて いると いう 、七夕伝説 の基本的な枠 組 が提示 されて いるので ある。 類似した歌 いだしは 巻十の出典不 明七夕 長歌 の二 首 に。 天 地 の 初めの時 ゆ 天の川 い向ひ居 りて 一年 に 二 度 逢はぬ ⋮⋮ ︵十・二〇八 九︶ 天地 と 別れし時 ゆ ひさ かたの 天 つ印と 定 めてし 天 の川原 に ⋮ ⋮︵十・二 〇九二︶ とも見ら れる。周知 のよ うにこうし た歌 いだし を持 つのは人麻呂 の日並皇子挽 歌であり、 そこでは﹁天 地の 初めの 時ゆ ひ さかたの 天 の川原に﹂ ︵二 二 六七︶と歌いださ れる。中西 進は 憶良の長歌 がこ れら の冒頭 と似通 った歌 い だし を有す ること から 、憶良の七夕歌 にも何ら かの儀礼的 伝統 が影響し ていると考え 、 ﹁古来伝 承として存し た、機を る 。 た だ、こ れら の冒頭の表 現を比 べたと き、憶良の 長歌 には大き な特徴 が見出 せる。そ れは﹁天地 の別 れし時 ゆ﹂ ︵25 ︶ 織る物語 がこ れに付託 され、古物 語として の権威をも って七夕 の夜に宮廷歌風 に歌われ た﹂ので はな いかと推測 して い の置か れる位置であ る。他 の三首 がいず れも冒頭に置く のに対して 、憶良 の長歌では﹁牽 牛は 織女 と﹂と歌 いださ れ、第三・四 句に﹁天 地の 別 れし 時 ゆ﹂ が置かれ ので ある。こ の歌 いたし は儀礼歌的 伝統の影響 という以上 に、憶 良の意図 を感じ るのである。憶 良は﹁天 地の別れし 時ゆ﹂と いう 、宮廷儀礼 歌の荘重な 詞句を利用し つつも、 敢えて 冒頭に置 くことをせ ず、 ﹁ヒ コホ シ﹂ と﹁タナ バタツメ﹂ の提示 を冒頭 に据えた ので ある。 織女星 ・牽牛星 に対する、 タナ バタツメ ーヒコ ホシという呼称 が天 上 の貴人 とそ の来 臨を待 つ高貴な女性を 表現す る和語とし て人麻呂歌 集七夕歌 の営み の中 で獲得さ れた呼称であ ることに ついては、 かつて論じ たこ と があ る。そう して獲 得され た呼 称は、歌 言葉として のイ メー ジの蓄積を 伴いつつ、 奈良朝の七夕歌 に七夕 語彙として受 け継 がれて ︵2︶ 6 行く ので ある。憶良は、七夕伝 説を長歌 に仕立て るに当 た って、人麻呂歌集 七夕歌 の獲 得した 七夕語彙を冒頭 に据え た のであ ろう。そこ には、伝 統を利用し つつ七夕 伝説に長歌 とし ての形を与え ようとす る憶良 の並々なら ぬ意識 が読み 取れ ると同 時に、 そうした 伝統の蓄積を 根底に 持つことによ ってこそ可能 となると いう 、和歌 の基本構 造を 垣間見 る こと がで きる。 続 いて ﹁思ふそ ら 安け なくに 嘆く そら 安けなくに﹂以下 、第七句 から二 六句ま では、五 つの対句 が重ねら れ る。そ れらの対句 のうち、 ﹁青波 に⋮ ⋮白雲 に⋮ ⋮﹂につ いて は漢詩文 の影 響を受 けた色対で あると いわれる が、そ の 他はす べて繰返し に近 いも のである 。ま た、そ れらの対句に ついては、古 詞章の利用 が多く指 摘されて いる。 思ふ そら 安けなく に 嘆くそら 安けなく に さ丹 塗の 小舟も がも 玉纏 きの ま梶 も がも につ いて は、巻十三 の泊瀬歌 謡圏に伝 承された と思われ る川 を隔てての 恋の伝承歌や 、同 じく 巻十三 の挽歌 、 見渡し に 妹 らは立たし この方 に 我は立 ちて 思ふ そら 安けなく に 嘆く そら 安 けなくに さ 丹塗 の 小 舟も がも 玉 纏き の ま梶も がも 漕 ぎ渡 りつつも 語らふ妻を ︵十三 ・二二 九九︶ ・ ・ ・1 さ丹塗 の 小舟 を設け 玉 纏きの 小 梶もしじ貫 き ⋮⋮ ︵九 ・一七八〇 ︶ 四五 投ぐ るさの 遠ざかり居 て 思ふ そら 安 けなくに 嘆く そら 安けな くに ⋮⋮ ︵十三 ・三三 三〇︶ 参 が挙 げられ、さら に、巻九 の高橋虫麻呂 の﹁ 鹿島郡苅野橋別大 伴卿歌﹂ の ・ にお いて は古事記﹁ 神語り﹂ の神謡、 天飛 ぶや 領 巾かた敷 き ま玉手 の 玉手 さし 交へ と の類 句関係も 指摘されて いる。 憶 良 の 七 夕歌 ⋮⋮沫 雪の 若や る胸を 拷綱の 白 き腕 素手 抱き し寝せ 豊御酒献 らせ ︵記5 ︶ た だ まな 手 抱 き 抜 か り ま 玉 手 の 玉 手さし枕 き 四六 も もな が 股 長 寝を れ で あ る 。 領 巾﹂に ついては、例え ば﹁女子 が頚から 肩にかけて垂 れる布﹂︵大系頭 注︶と実体 的な説明 がされるこ 憶良 が七夕長歌を 伝説歌風 に仕立てよう としたと 思われ る徴証 は他にも見 出せる。 ﹁天 飛ぶや 領巾 かた敷き﹂がそ て いるか否 かは別とし て︶憶 良の方法 とし て見直さ れなけれ ばな らな い。 ために、伝承歌 の詞章を利 用した のであろう 。一見独 自性を欠く かに見え る古詞章の利用 は、 ︵それ が歌とし て成功し かったも のと思われ るのであ る。憶良は 漢土伝来 の伝 説に長歌 とし ての形を 与え、そこ にイ メ ー ジの厚みを 持たせる はす べて 短歌形式を とって おり、長歌 は一首も見ら れない。従 って、憶良以 前には、七 夕伝説を 長歌に詠 む伝統はな ならな いのは、憶良 の七夕長歌 は、七夕 伝説を長歌 という形式で歌 った最 初だと いうこ とであ る。人 麻呂歌集 七夕歌 ものによ って、憶良 の七夕長歌 はイ メ ージの厚みを持 たされて いるかのよう に見える。ここ で注意し てお かな けれ ば おいて伝 承されて いた と思わ れる伝承歌、 伝説歌の類で あり、 それらの詞章 の背負う﹁伝 承の記憶﹂ とでも言 う べき 見られ、 憶良の七夕長 歌詠出 の方 法 が現 われて いる 。憶良の利用し て いる詞 章はいずれも おそらく当 時の貴 族社会に 単 なる模 倣として見過 ごして はならな いだろう。憶良 の七夕長歌 に見られ る古詞章の利用 の仕方 には一定 の方 向性 が との類似 性 が指摘さ れて いる。一 見、独 自性 が見ら れないかと も思 われる ほどの古詞章 の利 用な のである が、こ れを に 万 葉集中 で の﹁領 巾﹂ の用 法を見 ると 、特徴的な用 いられ方を して いる。当 該歌以外 の﹁領巾 ﹂の用例 五 の松 浦 佐 用 姫 を 歌 っ た 歌 に 集 中 し て い る 。 巻 五 の佐 用 姫 の歌 は 大 納 言 とし て 帰 郷 す る 旅 人 の 送 別 の 宴 に お い て 憶 良 一 例 ︶ と いう 連 語 も 含 め て 十 一 例 見 ら れ る の だ が、 そ の 内 、 佐 用 姫 伝 説 と か か わ って 歌 わ れ る も の が六 例 を 占 め 、 巻 は 、枕 詞 の 例 五 例 ︵ タ ク ヒ レノ 四 例 、ホ ソ ヒ レ ノ ー例 ︶ を 除 いて 、﹁ ア キ ヅヒ レ ﹂﹁ア マ ツ ヒ レ﹂﹁ ア マヒ レ ガ クリ ﹂︵各 と が多 い が ゝ ¬ が献 呈した という作歌 事情 が推定 されて いる︵全注︶。そ の作 者につ いて は、用 字法から の考察で前三 首は憶 良の作で という語 が佐用姫伝 説を連想 させる はなく、後二 首 が憶良 の作であろう と考え られて いるのである が、 その献呈 は七夕長歌 の詠まれた一 年後の天平二 年 で あり、七夕 長歌詠出 の時点に おいても、 おそらく憶 良周辺にお いて は﹁領巾 一 ・ ● ・ 佐用姫伝 説のイメ ージを引き込 んで ひな 離る 国 を治むと あしひ きの 山河隔て 風雲に 言は通へ ど 直に 逢はず 日 の重なれ ば ⋮⋮ ︵十 九 ・ 四 二I 四 ︶ Ie 伴家 持の挽歌、 明 はなされて いないよう である。万 葉集中﹁風 ﹂ ﹁雲 ﹂を歌 った例は多数見 られる が、﹁風雲 ﹂と連語で 用 いる例 は大 構 成を持 って いるのだ が、 ﹁風雲 ﹂が通 うこ と が妻と言葉 を交わすこ とのできな い嘆き の反 措定とな ぜなり得 るかの説 を石埋 でも投 げ越せそう な極めて狭小 な川 とすることで 、にもか かわらず逢えな いと いう 嘆きを強調す るのと同 様な ﹁風雲﹂が織女の いる彼岸と自 分の いる此 岸とを 往来する が、織女星 は通 って 来な い、と歌 われ る。第二 首目 が天 の川 風雲 は二 つの岸に通 へども我 が遠妻 の言 そ通はぬ︵ 八・一五二 こ 反 歌に目を 移そう。反 歌第一首で は きて いるので あり、中西 が長歌に 指摘する海 のイ メー ジも、そのこ とと無関係 ではな いのだろう。 語で あ った ものと思わ れる。憶良 は牽牛と 織女の隔絶を形 象化す るにあた って | ゝ 浦 嶋子伝説 の用例 嶋子、問ひけら く、 ﹁人宅 遥遠にして 、海 庭に人 乏し 。い づれ の人 か忽に 来つる﹂と ば 、 を と め ほ ほ ゑ こ た 女 娘 、 微 咲 み て 対 へ 四七 けらく、﹁風流之 士、 独 蒼海に汎 べり 。近し く談ら はむおもひ に勝へず、風雲 の就来 つ﹂と いひき。嶋子 、復問 い へ に 見 ら れ 、﹁ 風 雲 ﹂ が言 を 通 わ せ る媒 体 と し て 歌 わ れ て いる。万 葉集以外 の﹁風雲﹂の用例で は、丹 後国 風土記 逸文の 憶 良 の七 夕 歌 四八 ひ けらく、﹁風雲は何 の処より か来 つる﹂と いへ ば、女娘答へ けらく、﹁天上 の仙 の家の人な り。請ふ らくは、君 な疑 ひそ。相 談らひて愛し みたま へ﹂と いひ き。 が注意 される。右 の浦嶋子 の例は、古 典大系 ﹃風 土記﹄ の頭 注に 神仙 境を風雲 の彼方とし 、神仙は風雲 に乗 って 飛行す るというによ る詞。 とある のが正 し いのであろう 。また、 浦嶋伝説 の最 後に付 された五首 の歌 謡の第一首、 常世 べに 雲立 ちわた る 水の江 の 浦嶋 の子 が 言 持ちわたる にお いて も、雲 が﹁常 世﹂と言葉を通 わせ る手段 として歌わ れて いるのを見 る。すな わち、 ﹁風雲 ﹂は異 境との交通 ・ 通信 の手段と考え られて いたのであ る。家持 の挽 歌にお いて も、都と越中 とを異界 とし て歌うこ とで隔 絶を強調す る ため に﹁あしひき の 山河隔 て 風雲 に 言は通 へど 直 に逢はず﹂と歌 われて いるのだと考え られ る。従って 憶良 の七夕 長歌の反歌 にお いて も、天 の川 に隔てら れた二 つ の岸 が異界として 歌われて いるのであ る。 反歌二 首目では天 の川を石 傑でも投 げ越せ そう な極めて 狭小 な川とす ることで、 それな のに 逢えな い と い う 嘆 き が 強 く 歌 わ れ る 。﹁ た ぶ て ﹂と いう 具 象 的 な 素 材 を 用 い て い る た め に 、そ の距 離 の近 さ は 実 感 を 伴 って 迫 っ て く る の だ が、 そ のよ う な 狭 小 な 川 を 隔 て て 逢 え な い 恋 と は 、 現 実 の 恋 で は あ り え な い で あ ろ う 。 従 来 第 四 句 の ﹁ か も ﹂ は ﹁ そ れ が 間 を 隔 て て い る か ら か 、 何 と も 渡 る 術 の な いこ と よ 。﹂︵古 典 体 系 ︶、﹁ そ の 天 の 川 が距 た つ て ゐ る か ら こ ん な に ひ ど く せ ん す べの 無 い 事 で あ ら う か 。﹂︵ 滓浪 注 釈 ︶ な ど 、 疑 問 と 解 し て 解 釈 さ れ る こ と が 多 か った が 、 反 歌 一 首 目 に お い て 天 の 川 の 両 岸 が 通 行 の許 さ れ な い 異 界 と し て 設 定 さ れ て い る こ と を 考え 合 わ せ る と 、 こ の ﹁ か も ﹂ は反 語 と 考 え 、距 離 に 関 係 な く 運 命 的 に 妻 に 逢 う こ と の で き な い 牽 牛 の 嘆 き が歌 わ れ て い る と 考 え る べき で あ ろ う 。 こ の よ う に 見 て く る と 、 憶 良 の 七 夕 長 反 歌 が、 様 々な 伝 説 歌 、 伝 承 歌 な ど の表 現 を 取 り 込 む こ と によ っ て 伝 説 歌 と し て仕立て られて いること がわか ってこ よう。憶 良の織女歌 が逢仝 当夜に かかわって歌わ れ、宴席 の興趣の歌 とし て の性格を 強く持 って いた のに 対し 、憶 良の牽牛歌 は、織女歌同様 宴席で披露 されな がら も、 長歌を典 型として 、一年 を通じて天 の川を隔て て逢え ない牽牛・ 織女の﹁伝 説﹂を歌う という、伝 説歌として の性 格をより 強く持 って いるの で ある。 七 む す び 憶良 は七夕歌詠作 に当 たり 、人 麻呂歌集 七夕歌 の伝統に依 りな がらも、 それとは異な る方 法によ って 漢土伝 来の伝 説を和歌 に詠むことを 可能にして いる のである。 その方法とは 、周辺に普遍 的に存在したと 思われ る伝説歌、伝 承歌 の利用で あり、また 、当 時 の宴席にお いて流行して いたと思 われる男性によ る女性の立場で の歌 の方 法であ った。憶 良の方法 は、和歌世界 の伝統 と普遍性に支え られて いるのであ る。憶良以後 、和歌世界に 七夕歌 が強固 な伝統と なっ て 根付 いて 行く のは 、そうし た憶良 の方 法の性質 によ るも のと考え られ る。人 麻呂歌集七 夕歌の方 法 が、和歌世 界に おいては ある種特異な 性格を 持つ方法で あったことを 考え ると 、憶良の七夕 歌以 降、七夕歌 が和歌世界 に根付 いて行 四九 くこと は納 得でき るこ とであ ろう。冒頭 に触れた﹁ 七夕歌憶 良創始説﹂は、 純粋に編年的 には認めら れな いので ある が、七夕 歌の和歌世界 への定 着と いう観 点から見 れば、再 評価 される べきで あると考え る。 憶 良 の 七夕 歌 − 朝 の作 とし て お く べき も のと 考え る 。 ︵8 ︶ 大 久 保 前 掲︵ 注1 ︶論 文 。 てある。 ・8 ︶。 五〇 ・5 ︶、b同﹁ 人 麻 呂 歌 集 七 ︵12︶ 極 力 牽 牛 の 立 場 と 織 女 の 立 場 と を 区 別 す る よ う に 努 め た が 、現 在 の と こ ろ 明 確 に 示 し え な い も の に つ い て は﹁ 当 事 者 ﹂と し て 記 し に も あ ら ぬ か ﹂は﹁ 一 年 中 ず っ と で あ っ て 欲 し い も の だ ﹂ ︵ 全 注 ︶と 解 釈 せ ざ る を 得 ず 、七 夕 歌 の﹁ 年 ﹂と は 同 一 に 扱 え な い 。 を 小 島 憲 之﹁ 万 葉 集 七 夕 歌 の 世 界 ﹂ ︵﹃ 万 葉 集 大 成 ﹄巻 九 ︶の い う 漢 語﹁ 一 年 ﹂の 翻 訳 語﹁ 年 ﹂か ら 七 夕 を 思 い 浮 か べ て の 作 に 挙 げ る が 、 ﹁年 佐 保 川 の 小 石 ふ み 渡 り ぬ ば た ま の 黒 馬 の 来 夜 は 年 に も あ ら ぬ か︵四 ・ 五 二 五 ︶ 石 ︶ 大 久 保 前 掲︵ 注1 ︶論 文 は 坂 上 郎 女 の ︵10 ︶ 大 久 保 前 掲︵ 注1 ︶論 文 。 夕 歌 考 卜 非 現 実 表 現 と ひ と り の 抒 情− ﹂ ︵﹃国 語 と 国 文 学 ﹄第 七 三 巻 八 号 H8 ︵∼ ︶ a 大 浦 誠 士﹁ 七 夕 歌 と 七 夕 語 彙 タ ナ バ タ ツ メ ーヒ コ ホ シ の 形 成 と 定 着− ﹂ ︵﹃上 代 文 学 ﹄七 三 号 H6 あ る か ら に は そ れ ら の 歌 が こ こ で い う 空 白 の 時 期 に 作 ら れ な か っ た と い う 保 証 は な い 。だ が 、通 説 に 従 っ て 天 平 期 を 中 心 と し た 奈 良 ︵7 ︶ 当 然 こ こ で 、人 麻 呂 歌 集 以 外 の 七 夕 歌 の 大 部 分 を 占 め る 巻 十 の 出 典 不 明 の 七 夕 歌 の 作 歌 時 期 の 問 題 が 生 じ る 。作 者 、出 典 が 不 明 で の 東 宮 時 代 、養 老 六 年 か 七 年 に そ の 令 旨 に 応 じ て 作 ら れ た 歌 か と 思 わ れ る 。 と か ら 、代 匠 記 で は 六 年 の 誤 り か と さ れ 、 ﹃万 葉 考 ﹄で は 七 年 と 改 め ら れ て い る 。ま た 、左 注 に﹁ 応 令 ﹂と 記 さ れ て い る こ と か ら も 、聖 武 ︵6 ︶ 養 老 八 年 は 二 月 に 聖 武 天 皇 の 即 位 に よ っ て 神 亀 元 年 と 改 め ら れ て お り 、こ の あ と に 神 亀 元 年 七 月 七 日 の 七 夕 歌 が 記 さ れ て い る こ ︵5 ︶ 粂 川 定 一﹁ 人 麿 歌 集 庚 辰 年 考 ﹂ ︵﹃ 国 語 国 文 ﹄第 三 五 巻 一 〇 号 S41 ・10︶。 ︵4 ︶ 土 居 前 掲︵ 注3 ︶論 文 。 ︵3 ︶ 土 居 光 知﹁ 比 較 文 学 と﹃ 万 葉 集 ﹄﹂ ︵﹃ 古 代 伝 説 と 文 学 ﹄ 所 収 ︶。 ︵2 ︶ 森 本 治 吉﹁万 葉 集 、、成 立 ﹂ ︵ 久 松 潜 一 編﹃ 日 本 文 学 史 上 代 ﹄︶。 ﹁人 麻 呂歌 集 七 夕歌 の性 格 ﹂ ︵﹃万 葉 集 研 究 ﹄第 八 集 ︶な ど 。 ︵1 ︶ 大 久 保 正﹁ 人 麻 呂 歌 集 七 夕 歌 の 位 相 ﹂ ︵﹃万 葉 集 研 究 ﹄第 四 集 ︶、中 西 進﹁ 七 夕 歌 群 の 形 成 ﹂ ︵﹃万 葉 集 の 比 較 文 学 的 考 察 ﹄所 収 ︶、稲 岡 耕 二 注 憶 良 の七 夕 歌 13︶ 稲岡 前 掲︵注1 ︶論 文 。 へ 19 心 18 べ 17 心 16 心 心 W W W 中 西前 掲︵注22 ︶論 文 。 中西 進 ﹁ 風 土 のな い詩 人 ﹂︵﹃世 界 ﹄ S51 ・5 ︶。 折 口信 夫﹁ 水 の女 ﹂ ︵﹃折 口 信夫 全 集﹄第 二 巻 ︶。 鈴 木日 出 男﹁女 歌 論 ﹂ ︵﹃日 本 の文 学﹄第 五 集 ︶。 服部 前 掲 注15 論文 。 村 山前 掲 注18 論文 。 村 山出﹁ 七 夕歌 と憶 良 ﹂︵﹃国 語 国 文 研 究﹄五 十 号 S47 ・10 ︶な ど 。 稲岡 前 掲︵ 注1 ︶論 文 。 い、 牽 牛 の 立 場 と考 え る 。 へ 20 W ︵24 ︶ 稲 岡 耕 二﹁ 憶 良 の 梅 花 歌 と 七 夕 歌 の 背 後 ﹂ ︵﹃ 武 蔵 野 文 学 ﹄一 七 号 ︶。 へ 21 W ︵25 ︶ 中 西 前 掲︵ 注22︶論 文 。 ∼ 一 心 22 W ︵26 ︶ 大 浦 前 掲︵ 注9a ︶論 文 。 五 ﹁ さ も ら ふ ﹂を 、同 じ く 七 夕 歌 の﹁妹 に 逢 ふ 時 さ もら ふ と 立ち 待 つ に﹂に よ って 、様 子 を見 守 っ て時 を 待 つ 意 に解 釈 し て いる の に 従 ︶ ⑦ は﹁代 匠 記 ﹂に﹁何 時来 ム ヤ来 ジ ヤノ 伺 得 ガ タキ ナ リ ﹂と 言 い 、﹁ 古義 ﹂も﹁ 牽牛 のも と に 侍従 ひ がた し ﹂と い って 、織 女 の立 場 と し 、 15 略 解 に は﹁ 川 瀬 を う か ゞ ひ 渡 がた き と い ふ也 ﹂と あ り、牽 牛 の 立場 の 歌 とし た 。﹁ さも ら ひ 難し ﹂の 解 釈は 難 し い が、滓 浪 氏 が﹁注 釈 ﹂に 、 場 に 拡大 し た こ とに よ る とす るこ と に は賛 同 し 難 い。 ︶ 出 典 不 明 七 夕 歌 の織 女 歌 へ の 偏 り は 既 に 服 部 喜 美 子﹁万 葉 集 七夕 歌 小 考 、、特 に七 夕 の月 の歌 、 懐 風 藻 七 夕 詩と の接 点、渡 来 人 と の 14 か か わ り な ど 、、﹂ ︵﹃万 葉 集 研 究﹄第 十 集︶によ って も指 摘 さ れて いる の だ が、そ の原 因 を 七夕 伝 説 と 七夕 歌 の 享受 層 が女 性を も 含 め た へ 八 へ へ 23