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ルソン島
マニラ
「婚活」
「離活」は誰がする?
フ ィ リ ピ ン
フィリピン・ムスリム社会の婚姻規範
パラワン島
森 正美
ミンダナオ島
もり まさみ / 京都文教大学、AA 研共同研究員
愛している人とずっと一緒にいたい。恋愛
ラナオの人々はいう。結婚相手の選択には、
親は子ども達が結婚しても、経済的援助を含
と結婚は別。あなたは、どちら派だろうか。
親の意向が強く働く。いわゆる恋愛結婚では
め、物心共に可能な限り援助を惜しまず、口
いずれにせよ、現代の日本では、結婚相手は
なく、親が結婚相手を決めることが一般的で
を出し手を出し、濃い関係が継続する。
たいてい自力で探す。非婚率が高く「婚活」
ある。特にイスラーム以前の階層的な考え方
また、ムスリムには離婚が認められている
という言葉も聞かれる時代であるが、
「婚姻
が残るマラナオ社会では、家同士の釣り合い
が、その際には親戚中を巻き込んで延々と話
は両性の合意のみに基づいて成立」する。
などについての配慮もなされる。
し合いが続く。国家が承認したイスラーム法
私は1990年代初頭、フィリピンに13ある
時代錯誤、と感じるだろうか。結婚式の3
である「フィリピン・ムスリム身分法」に基
とされるムスリムの民族集団の1つであるマ
日前に初めて夫の顔を見た、親に結婚を反対
づき、結婚、離婚、遺産相続などを扱うシャ
ラナオの人々が暮らすミンダナオ島ラナオ湖
されたらどんなに好きでも結婚はあきらめる
リーア裁判所では、女性からも離婚を申し立
畔で、初めてのフィールドワークをした。
しかない。当時は日本の常識に縛られていた
てることができるが、専門的知識の壁や経済
生活に慣れてくると、結婚式等の親戚の集
私もまるで現代版ロミオとジュリエットのよ
的負担を考えると利用するのはそれほど簡単
まりで、ホストファミリーの親戚男性が「結
うだと感じた。だから、学校で好意を持つ人
ではない。
婚相手はどんな人がいい?」と訊いてくる
ができたら、親に絶対見つからないように友
「最近離婚が増えている」と嘆く青年がい
ことがあった。
「こういう時は、どう答えた
達に手紙を交換してもらう苦労や、マニラの
た。彼によると「恋愛結婚が増えているから」
ら……」と戸惑い黙っていると、おばさん達
大学で出会った相手を親が認めてくれ結婚で
ではないかという。彼自身は都市に暮らし、
が「エンジニアか医者って答えておきなさい」
きた話などをきいてホッとしたものだった。
恋愛には憧れるが結婚は親の決めた相手とし
と横から笑顔で助け船を出してくれた。キリ
あれから20年。時代は流れ、最近は都市
たいという。恋は熱しやすく冷めやすい、だ
スト教徒の多いマニラでは、
「結婚してる? 部への人の移動、携帯電話やインターネット
から人生の機微を知る親が決めるべきという
恋人はいる?」と挨拶代わりに訊かれ驚くこ
の普及などにより、男女の出会いもコミュニ
ケーションも多様化し、
「恋愛」も増えている
だった。
という。それでも、結婚相手は親が決める、
安定な生活を支えるセーフティネットになる。
キリスト教徒が大半のフィリピンで、ムス
という原則は変わらないようだ。結婚は、親
ス
ワ
ヒ
リ・
コ
ー
スト
とがあったが、それとは違う適齢期の戸惑い
ことか。婚活は親の役目であり、離活にも親
ビクトリア湖
の意向が色濃く反映され、時には離婚後の不
チモール
さて私自身はこの間、もめごとへの対処や
リムは人口の約5%だ。そしてムスリム女性
イ ン ド
族と親族の関係をつなぐ一大事であり、親族
はムスリム男性としか、なかでもマラナオ女
間に宿怨関係があれば難しいなど、個人の問
じフィリピンのパラワン島に移した。そこで
性はマラナオ男性としか結婚できない、とマ
題ではないと考えられている。その代わり、
ジャワ
は、ジャマ・マプンやモルボグ、タウスグな
しゆく え ん
ネ法文化の研究を継続しながら、調査地を同
シ ア
スラカルタ ど様々な民族集団に属するムスリムの人々、
フィリピン各地から移住してきたキリスト教
徒、パラワン島の先住民などが共住している。
ムスリムの女性と結婚するためのキリスト教
徒の男性の改宗、婚資が払えないことによる駆
け落ち婚、宗教や民族による家族観の違いや誤
解による葛藤の事例にも数多く遭遇した。
多様な価値観や時代の変化の中で、私達に
自由を与えてくれるはずの選択肢の多様性。
しかし、1つの選択が、他の選択肢との葛藤
につながり、親キョウダイなど身近な人とも
める。あるいは現代の日本の若者達のように、
複雑すぎて何も選べなくなる。選択肢が多い
ほど自由でいい、というものでもないようだ。
何が正解か、幸せな結婚か、幸福な人生か
結婚式誓約の場面、右手前から 3 人
目が新郎。
新婦を迎えに来た新郎。
なんて、誰にも分からない。しかし人という
ものは、規範の束に埋め込まれた先人の知恵
に頼りつつ、周囲の人々との関係の面倒さを
感じながらも結局は助けられ支え合い、巡り
積み上げられた結婚準備品。
合わせと選択の振り子のバランスの中で、な
んとか今を生きているのかもしれない。
4
Field+ 2010 07 no.4
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