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生徒指導にとっての 「今日性」の意味に関する一考察 ── 35 年前(3 年間:1978.4‒1981.3)に行った ある生徒への生徒指導の省察を通して── 中 元 順 一 はじめに ── 問題意識の所在 1 生徒指導と「今日性」の意味 小・中学校,高校においては,日々,いじめを始めとする様々な生徒指 導にかかわる事件・事故が発生し, 「淡々とした日常性」を超える「特別 な日常性」が新たに生起し,生徒指導に「新たな意味」が付加されている。 通常,それぞれの事件・事故は,共通する一般性とともに異なった固有 性をもつ。これから本稿で述べる「今日性」とは,それまでに観られなかっ た新たな固有の意味や教訓のことを指し,次に発生する同様のケースにお いて「意味の了解」や「適切な対処・対応策」等が通用するものを指す。 それを前例から的確に抽出できれば次の機会に有効なはずである。 しかし, 「今日性」を一般に「現代に通用するような性質」(『三省堂 大 辞林 第二版』)と捉えると,度々繰り返して起こるいじめ自殺事件には, 個々の事件の教訓が次に通用する「今日性」が存在しないことになる。 そこで,筆者が問題にしたいことは,先発の事件・事故の中に新たな意 味や教訓があっても,当時の関係者に読み解かれないまま放置され,次に 継承され活かされていない点である。それが活かされていれば,同様の事 ─ 65 ─ 件・事故をみすみす発生させることはなかった。それゆえ,もっと前例の もつ「今日性」を的確に引き出し,次に継承することを重視したい。 2 嘗ての自らの生徒指導の記録を読み解く これまでに起きた幾多の生徒指導上の事件・事故には固有の意味が生じ ているにもかかわらず,多くの場合見過ごされて活かされず,過去の事実 が学ばれない結果に終わっている。懲りずに再発する生徒指導上の事件・ 事故を知ると,「又か」と思い,常に地団駄を踏む思いにさせられる。 そこでこの度,光を当てるのは,筆者の若き教員時代に,中学校におい て深刻な問題傾向があった,ある生徒と格闘した渾身の生徒指導の記録で ある。それは「いつの日にか本格的に検討したい」と長年温めていたもの である。35 年前から 3 年間(1978.4‒1981.3),最初に赴任した中学校で最 初に学級担任を受け持った最大級の問題傾向のあるH男に対する生徒指導 の記録である。関係資料も何とか保存できていた。 以下,その記録を入念に復元・検討し,先に述べた「今日性」の問題に ついてエビデンスを基に考察する。 Ⅰ H男の中学校行動記録とその指導についての考察 〔記録時期〕 1978( 昭 53). 4. 6 ― 1981( 昭 56). 3.19 〔概 要〕 筆者が中学校教員 2 年目から 4 年目の 3 年間指導した問題傾向の あるH男との格闘の記録である。日々の生徒の行動とそれに対する教師の指導 に関連する事実,その考察結果を時系列で克明に記録したものである。なお, この度,さらに中学校各学年の指導状況を 35・34・33 年後の現在から観た考察 結果を右端に書き加えた(当時の第一人称を「私」,現在の第一人称を「筆者」 とした)。 ─ 66 ─ 1 H男の 1 年生時 1 年間の行動・指導・考察 月日 H男の行動及び それに対する指導 関連事項及び考察結果 (1978 ─ 1979 年当時) 1978 ○入学式(H男は筆者 ● 作文にはまた「クラ 。最 スの半分は友だち」と 4/ 6 のクラス 1 年 7 組) 初の作文に「生徒にや 書き,小学 校ではクラ さしい先生でいてくだ スで人気者であったこ さいね」とある。 (図 1) とや勝手な性格ではな かったことが窺える。 35・34 年後の考察結果 (2013・現在) ◎友人関係を気に掛け, 教師にも優しさを求め ている。学級担任は学 級集団内の居場所づく りに常に配慮する必要 がある。 4/22 ○班ノートには「中元 ●担任がボクシングを ◎最初の出会いは良好。 先生の小さいころの体 し て い た 話 を す る と, 筆者はアニメ描きが得 つき」とアニメ風の似 興味をもち,歓 心を買 意だったので,それを 顔 絵 が 描 か れ て い た。 おうとし,いろいろと関 活かしてもっと接近す (図 2) わろうとしてきた。 べきだった。 4/30 ○クラス・レクリエー ●前日まで不参加を申 ションのソフトボール し出なかったので,全員 を日曜日に強行したが, 参加と踏んでいた私は クラス 42 名中H男のみ 大いに落胆し,翌日H男 ボーイスカウトの例会 に詰問した。彼の立場よ り私個人の立場を優先 で不参加であった。 していた。 ◎筆者は当時,初の学 級担任で功名心に逸っ ていた。朝礼で全校中 最も早く整列すること を始め,担任の統率力 を見せたかったのであ る。 ○班ノートに「衣 替え で夏服が決められてい るのはなぜ か」に,き まりの意味をある程度 丁寧に回答しておいた。 ●時々,中学校は決ま りがたくさんあるのが 気に掛かると言うこと があった。厳しい校則 に対して神経質なとこ ろを見せ始めていた。 ◎ちょっとした言動に, すでに規範意識に関し て,大人の作った制度 に対する反抗意識が芽 生えていたと思われる。 9/13 ○H男は,A男と二人 で,S男を殴って泣か せたので,放課後強く 説諭した。 ●S男は生真面目で静 かな生徒。H男の命令 をすぐ実行しなかった ので殴られたらしい。 ◎H男とS男は同小出 身で上下関係が形成さ れていたが,それに気 付かなかった。 6/ 1 ─ 67 ─ 図 1 H男の入学時の作文 図 2 H男の班ノート 10/2 ○H男がC男をいじめ ていると聞き,駆け 付 けて 事 情を聞くと,C 男に悪い点はなかった ので,H男を叱責した。 ●C男は内向的で無口。 ◎H男とC男は,中学 放課後学活前,廊下で, 校で同じクラスになっ 理由もなくH男に殴ら て か ら の 関 係 で あ る。 れいじめられたらしい。 一 度,H 男とゆっくり H男は注意しても効果 話す時間を作る必要が が薄い感じだった。 あった。 10/3 ○ 美 術 の 授 業 中, H 男が映画のチラシを見 ていたとの連絡ですぐ 駆け付け,チラシを取 り上げて叱 責し,頭に ゲンコツの体罰指導を 行った。 ●美術の女性教師は生 徒から信頼されていな かった。H男を最初か ら無 視し,これ 以降も 両者間でトラブルが頻 発した。体罰指導は以 後行うようになった。 ◎H男の問題行動―無 視,私 語,立 ち歩き等 ―が力の弱い女性教師 の授業で出始めた。筆 者は大人の教師の方に 責任があると考えてい た。 10/17 ○ H 男は,遠 足 で,B ● 7 組 で は, B 男( H 男とともに多く違反し, 男は子分,徐々に立場 帰校後体罰(平手打ち) が逆転)に問題行動が 指導した。 多く,頭を痛めていた。 ◎B男は初め問題が あったが,後半は収ま る。二人には強烈な体 罰指導を行った。 12/13 ○H男は帰りの学活(前 ● 注 意 や 叱 責 を し な ◎筆者が思う程にはH 半 は 生 徒 主 体 の 活 動 ) がらもH男とのコミュ 男との関係は良好では で 2 日間廊下で遊んで ニケーションは円滑で なかっただろう。H男 いたと聞き,頬に平手 あ っ た と 信 じ て い た。 は徐々に筆者の利己的 打ちの体罰指導を行っ しかし,厳しさに媚び な指導に反感を抱いて た。 を売っていたのであろ いたらしい。 う。 ─ 68 ─ 1979 ○ H 男 は 作 文『 今 年 1 ●この時点では, 「2 年 ◎ 正 直 に 告 白 す れ ば, 3/19 年を振り返って』で各 になったら○○先生の こ の 中 学 1 年 の 1 年 間 教師への不満を縷々述 ク ラ ス は 絶 対 に 嫌 だ 」 は,H男には力で威圧 べていた。 「こんな汚い の「 ○ ○ 」に,私は 絶 する体罰教師であった。 学校は嫌い」 「 ひ い き 対該当しないと信じて 時々,理不尽な指導を する先生が多くて嫌だ」 い た。し かし,ど こ か 行い,全 体として感情 「授業はほぼ退屈」等。 でそうではないのかも, 的な指導が多かった。 と不安は消えなかった。 以上は 1 年生時の記録である。次は 2 年後の卒業時のコメントである。 H男は,(1 年生の)3 学期になってからは,目立った問題行動を起こすこと もなく,平穏な毎日をおくることができた。この 1 年間のH男とのコミュニケー ションは上手く行えていたと信じたい。しかしながら,2 年生・3 年生で問題行 動を多発させる禍根を,この 1 年生の生活が残したと考えざるを得ない。それ は体罰指導によって生じた禍根であったのかもしれない。 (1981. 4) 2 H男の 2 年生時 1 年間の行動・指導・考察 月日 H男の行動及びそれに 対する指導 関連事項及び考察 (1979・1980 年当時) 34・33 年後の考察 (2013・現在) 1979 ○H男はI教諭(女性) ● 私 は 2 年 7 組 担 任 で ◎当時はH男より暴力 4/ 5 の 2 年 5 組 に 所 属 が 決 H男とともに忘れられ 的なT男の方が厄介な まった。 ないT男を受け持った。 存在であった。 5/11 ○ H 男 は,5 月 に な る ● 教 科( 先 生)を選ん と授業エスケープを繰 でエスケープするのであ り返し,中抜けして帰 る。私は驚いたが,まだ 宅し,音楽(矢沢永吉) H男の変貌を一大事だと を聴いて過ごすことを は見ていなかった。確実 覚えた。学年会でその にH男はルール無視をし 対策について協議した。 始め, 「成長」していた。 ◎筆 者は,やはりH男 の担任を外れたことで 楽になったという気持 ち が あった。 一 方,T 男が新たに台頭し,何 かと私に挑戦的で新た な格闘が始まった。 9/26 ○同クラスのD男とこ の日から 3 日間 家 出を した。I教 諭から知ら され,方々を当たった が,行き先が分からな かった。 ◎ H 男 の 問 題 行 動 は, 重度化していた。指導 の不十分さによるもの と,環境条件や悪い人 間関係が原因であった。 ●同学年の,アパート で親とは隣の部屋で暮 らす生徒の家に泊まっ ていた。地域 柄こうい うたまり場になり易い 部屋が多かった。 ─ 69 ─ 10/18 ○H男が上級生男子に ●H男の暴力が表面化 ◎筆者は,H男に限ら 暴力を振るった事件の した初めての大事件で ず,生徒の問題行動に 処理を巡って,学年会 あ る。 私 は,まだ この は理由があると同情す が開かれた。H男には, とき,H男が 暴 力を振 る面があった。日常的 近所に住んで可愛がっ るったのは「弾み」と に生徒を軽視した指導 てくれる 3 年生 番 長M しか思っていなかった。 や指導体制の確立して 男がバックにいた。 前年から番長M男と私 いない点などに不満が は険悪な関係であった。 あった。 11/9 ○ H 男は,A 男・E 男 ●H男が教師に手を上 と共に,I教 諭 から授 げたと聞き,我が 耳を 業中私語を注意された 疑 っ た。 夕 方 か ら の 3 ことに腹を立て,指 導 人への指導の直前,H を受けた際,足を蹴る 男が屈託なく明るい表 対 教 師 暴 力 を 行 っ た。 情をしていたので,思 放課後,学年全教師で 3 わ ず 手 を 上 げ そ う に 人を指導した。①謝罪, なったが,H男と同じだ ②父母への指導,③自 と気付いて思い止まっ 宅謹慎,④反省文提出, た。やはりもっと教 育 が決まった。 相談的な指導が必要で あることを痛感した。 11/10 ○生活指導主任がH男 の親に警察・少年セン ターへ相談に行くこと を勧め,H男も渋々了 解した。 ●生活指導主任は早く ◎全国的に校内暴力が から他機関への協力依 吹き荒れ,警察との連 頼 を 提 案 し て い た が, 携が叫ばれていた。生 ここに至って私を含む 活指導主任は無闇に賛 学年教師は賛成した。 同していた。 11/21 ○学年主任のG教諭が ●H男の家族は留守で 授業中,H男の態度が あった。 「G先生がひど 悪いという理由で,体 い」と泣いて訴えてき 罰(平手打ち)を加え, た。H男はまだまだ弱 正 座 さ せ て 指 導 し た。 い面があった。暫く矢 H男は泣きながら帰宅 沢永吉を一緒に聴いて したという。私はすぐ 過 ごし た。 そし て,来 にその後を追った。 年はH男の担任になる ことを決意した。 11/29 ○H男は家庭で友人に シンナー吸引を勧めた らしい。母親に来校し てもらい,生活指導主 任と担任のI教諭が家 庭での監督を強く要請 した。 ◎この頃は,自分のク ラスのT男への対応に 苦慮していて,他クラ スのH男の問題行動は 守備範囲外のことだと 思うところがあった。他 方で,学年の生活指導 方針に不満があっても, 未だ経験不足で,心情 的な理解中心の発言に 終始していた。 ◎G教諭はいい教員 だったが興奮しやす かった。筆者は心情的 にH男の側に立ち,熱 血教師然とした気分で い た。もちろ ん,H 男 の 1 年後の変貌する姿 など予想だにしなかっ た。 ●H男は到頭シンナー ◎現在のネットやSN に手を出してしまった。 Sの問題と同様,学 校 卒業生や上級生の影響 での時間が面白くない らしい。シンナー吸 引 時は,放 課 後,何 か 危 は様々な指導をしたが, ういことに手を出す可 卒業時まで止めさせる 能性が高い。根本的な ことができなかった。 問題である。 ─ 70 ─ 1980 ○私と,私が担任する ●当時の私はT男と危 ◎ 筆 者 は,H 男に 1 年 2/12 T男が授業中取っ組み 険な状態を続けていた。 の時に体罰を振るった 合いの喧嘩をした。グ 彼らの「対マン」次元 ことがあるが,平手 打 ラウンドの体育教師が に降りた行為はやむを ちは最 小限にし,主と 気 付 い て, 止 め に 来 得 な か っ た。 し か し, してゲンコツであった。 てくれ た。こ の 時,T T男の言葉は衝撃的で 平手打ちの方が心理的 男は吐き捨てるように あった。H男の教師へ な ダ メ ー ジ は 大 き い。 「おめえはオレもH男も の暴力やシンナーを吸 T男の言 葉を聞き,こ 殴って悪くした」と言っ うようになったのも,1 れ以降,体罰指導につ た。T男にも数回体罰 年生時の私の体罰指導 いては慎重になったこ を行っていた。 が原因だという。ショッ とは確かである。 キングであった。 以上は 2 年生時の記録である。次は卒業時のコメントである。 この年度も,H男は,3 学期を平穏に過ごした。しかし,3 月に入って次年度 の担任が誰になるかという話題がよく取り上げられる頃,私が廊下ですれ違っ たH男に, 「来年は私のクラスだな」とある期待を込めて言った時,暗い表情で, 「先生のクラスにだけはなりたくないよ」と答えてきたことは,小さな不安を生 じさせるものであった。H男は,もはや私と気持ちが通じ合った「簡単にいく」 生徒ではなくなっていたのである。 (1981. 4) 3 H男の 3 年生時 1 年間の行動・指導・考察 月日 H男の行動及び それに対する指導 関連事項及び考察 (1980・1981 年当時) 33・32 年後の考察 (2013・現在) 1980 ○私は常に 1 年生時か ●前年度 11 月に決意し ◎この頃の筆者は,こ 4/ 5 ら学 年 7 クラスのしん たことを実 行した。誰 の大規模校の生活指導 がり役の 7 組の担任で もが敬遠する生徒を積 を 一 番 背 負 っ て い た。 あった。H男の卒業の 極的に選んだのである。 先輩教員たちも,生徒 年は,3 年 7 組というク 学年教師たちも,私が の激しい反抗に初めて ラスで私が担任となっ H男の担任になること 遭い,現実に苦悩して た。 を当然と考えていた。 ─ 71 ─ いた。 4/ 7 ○H男は, 3 年 7 組になっ ●H男の怒る姿を職員 ◎生まれて初めて,強 た こ と を 知 っ て 怒 り, 室 の 窓 か ら 見 て い て, 烈な脅しによって恐怖 壁を蹴っていた。夕方, この 1 年間は大 変な年 感を覚えた。全く怯ま 春休みに赤く染めてい になると緊 張した。H なかったと言えば嘘に た髪をパーマ屋さんに 男は春休み中は自堕落 なる。H男の指導は卒 同行して問答無用で黒 な 生 活 を 送 っ て い た。 業生たちへの対応でも く染め直させた。とこ 無理矢理髪を染め直さ あったが,筆者も学校 ろがその後に大変な事 せ,まずは上 手くいっ も体制的な取り組みの 態になった。 たとH男と分かれて学 発想は微塵もなかった。 校へ帰った直後,H男 がニヤニヤしながら「先生, S君(前年度M男に続くNO. 2・ 副番長,無職者)が外で呼んでるよ」と職員室へ私を呼び に来た。不吉な予感が走ったが,何食わぬ顔をして外へ出 てみると,Sと,見知らぬ人相の悪い男が立っていた。そ して,脅す言い方で「H男を可愛がってくれるじゃないか」 とすごんできた。H男が髪を染め直した後,泣きついたの だ。彼らは私の胸倉をつかみ,汚い罵声を浴びせかけてき た。臆する気持ちはあったが, 「悪いことをしなければ叱 ることはしない」と精一杯伝えた。しかし,この現実に大 きなショックを受けた。H男が信頼しているのは,久しぶ りに担任になった私ではなく彼らなのだ。H男は,これま で把握していた情報よりもさらに悪い先輩に大きく影響さ れていた。これからの 1 年間はそれらも含めて孤独の闘い の日々になるだろうと身震いがした。 4/10 ○遅刻して来たH男を 単に逃げさせないよう にするため,他クラス の私の授業に同行・出 席させた。 ●所属の 7 組生徒と切 り離 し,担 任 1 人 の 力 によってのみ指導して いこうとするムリ,過ち の始まりであった。 ◎意味のない指導であ る。近くに置いて逃が さないという筆者の独 善的,場当たり的な発 想であった。 4/22 ○ 2 度 目 の 無 断 欠 席・ ●卒業生 N 男の所で過 ◎地域には若年無職者 外泊。この朝,シンナー ごしたらしい。H男は が 溢 れ,中 卒 後,何も の 臭 い を さ せ て 帰 宅。 ぐでんぐでんであった。 しないでブラブラして 母親の電話で駆け付け 夕方 N 男の住まいを聞 いる者(プー太郎)が 指導した。シンナー酩 き,注意しに行ったが 多かった。そういう地 酊状態は初めて見た。 留守であった。シンナー 域が存在するのである。 には悩まされ続けた。 ─ 72 ─ 4/23 ○この日の朝から,私 ●H男の夜遊び,外泊, ◎とにかく思い立った は学校の自転車に乗り, 遅刻を止めさせるには朝 ら動いた。周りのこと 学校から 15 分のH男宅 駆けしかないと思い,職 を考えず,効果のみを へ,毎朝H男を起こし 員朝打ち合わせが始まる 考えて行動した。校内 て学校へ来させようと 前に行った。H男は 1 学 の誰にも趣旨を話さず, 通った。夏休みや特別 期中は不承不承起きて登 毎 朝 自 転 車 に 乗 っ て な日を除いて 10/9 まで 校し,母親も喜んでくれ 通ったが,H男本人の 続けた。誰の了解も得 た。しかし,徐々にH男 気持ちは全く考慮して てはいなかった。 は反抗的になってきた。 いなかった。 5/16 ○私は前年担任したT ●教師としてあるまじき ◎ 筆 者 は, 大 学 時 代, 男(この年は他クラス 行為である。生徒を呼び 体育会ボクシング部の 所 属,2 年 生 時 に 私 と 出して対マン。ここまで キャプテンで,腕には 教室で取っ組み合いを に指導の不手際はあるが, 覚えがあった。人に手 した生徒)と屋上で決 この場に至っての自らの を上げることには人一 闘。2 人とも眼帯をする 行動は止めようがなかっ 倍慎重でなければなら 怪我をした。確執がずっ た。H男はこのことをど ないのに,全くその自 と続いていて「因縁の う見ていたか。眼帯姿の 覚がなかった。十分配 対決」であった。校長, 私に, 「その怪我が可哀想 慮したといっても,相 P T A 会 長 が 奔 走 し, だから,暫く真面目にし 手には後に多くの蟠り 収拾してくれた。 てやるよ」と言った。 が残ったに違いない。 5/21 ○学年会で,翌週の修 ●H男の存在はそれほど ◎ 後 年,校 長の時,学 学旅行にH男だけ不参 大きなものになっていた。 年主任から「○○君は 加にすれば,他の追随 修学旅行をぶち壊す恐れ 修学旅行に参加させら する違反者は出ないと がある男と見られたH男 れません」と言われた の結論に至った。放課 は,私にはそう見えない 時, 「担任や学年が最大 後,校長・教頭が同席し, にしても,多くの人に迷 限の努力を払い,前日 H男の母親に,修学旅 惑を掛けそうな不安は拭 に私から本人に直接釘 行に参加させられない えなかった。H男のこと を刺し,その後は信じ 旨を伝えると,申し出 は私に任せて欲しいと自 て連れて行こう」と伝 るつもりであったと言 信をもって言えなかった え,無事修学旅行を終 われた。 自分が情けなかった。 えたことがある。 5/24 ○修学旅行出発日,東 ●これらの言葉は正にそ 京駅の集合場所で,仲 の通りだ。私はH男の担 間のF男が「H男は二 任たり得ていない。H男と 度と先生とは口をきか 距離を置いている他の教 ないと言ってたよ」 「な 師と同じことをしてしまっ ぜH男を連れて行かな た。修学旅行に行けない かったのか,先生がしっ H男を哀れに思い,また か り 言 っ て く れ れ ば 」 同時に,旅行後の硬化す と不満を述べた。 るH男の姿を想像した。 ─ 73 ─ ◎H男の仲間は,H男 が可哀想だと言い,担 任の不甲斐なさを追及 する言葉や視線を送っ てきた。H男の心は冷 え,担任不信に陥るこ と は 目 に 見 え て い た。 旅行中も何の指示もせ ず放任のままであった。 5/30 ○生活指導主任と 2 人 で,P警察少年センター を訪問し,H男の担当 者の人に,現状報告と 今後の指導を打ち合わ せた。 ●H男は週 1 回その少 年センターに通ってい たが,今は休みがちで 母親も最初の期待が薄 れ,あまりH男に積 極 的に勧めていなかった。 ◎当時の外部機関は全 く頼りにならなかった。 その理由は,中学生レ ベルの問題行動を軽視 していたからである。 以下は,生活指導主任が担当者に提出したメモの概要である。 <H男の現状について> 1 遅刻常習……学校に顔を 1 日 1 度出せば卒業できると 先輩の入れ知恵を信じ込んでいる 2 無断外出・早退……どの時間にも仲間を誘って傍若無 人に行動している 3 在校中の様子 (1)服装 ・ 髪型が悪い……赤染,パーマ,暴走族の腕章 等で目立っている (2)落書き行為……到る所に黒スプレー缶で暴走族関係 のものを書く,消す作業には一切耳を貸さない (3)授業中と休み時間の区別なし……エスケープ平然, 一部教師を威嚇,罵声や卑猥な言葉で叫ぶ (4)一般生徒へのいじめ・威嚇を平気で行う (5)教師の注意を一切無視……担任の言うことは大体聞 くが 他の教師には耳を貸さない 4 暴走族や右翼に染まっている……卒業生の多くが加入 5 教育相談よりも力の指導が必要である 6/15 ○H男は,使い走りの ●H男は日増しに凶暴 ◎体罰指導を行った当 子分にしていた 2 人の になっていった。この頃 事者として,体罰事件 生徒にリンチを加えた。 の私は体罰を振るうこ に関して言えることは, それが放課後になって とはしていなかった。そ 体罰は自らが力関係で 大分時間が経ってから の 理 由 は,5/16 の T 男 優位に立っている時に 判明した。その日も夜 との対マン事件の反省, は居丈高に行使するが, 遅くまで探したが,行 そし て,H 男 へ の 1 年 一旦臆したときには急 方が知れず,翌日の指 生時の体罰指導が現在 に行使しなくなるとい 導になった。 の状態にしたと自己批 うものである。 判していたからである。 ─ 74 ─ 6/21 ○H男によれば,数日 ●Q刑事に①親の言う ◎繰り返すが,当時は, 前,P警 察 署に来るよ ことを聞く,②先生の言 現在のように子どもの う に 家 に 連 絡 が あ り, うことを聞く,③パーマ 人権は全くと言ってい この日放課後,警察署 を取る,④暴走族の集 いほど保障されていな へ行ってきた後,生活 会 に 行 か な い,の 4 つ かった。警察署の生活 指導主任のところへ訴 の約束をさせられ,厳 安全課少年係が少年の えてきた。暴走族に関 しい体罰指導を受けた 犯罪や虞犯行為を取り 係しているということ ようである。学 校は一 締まっていたが,力で で詰問され,何回かひ 切知らないと告げたが, 抑える方針で,社会も どい体罰を受けたとい 不信感は残った。他の 学校も了解していると うことであった。 教師はクスリになるだ ころがあった。 ろうと話していた。 7/ 1 ○H男は,6/28-7/2 の 5 ● 7/1 の 夕 方, H 男 宅 ◎生徒の問題行動は背 日間家出をした。行き を訪ねると父親がいた。 景が複雑である。しか 先は分からず,連日探 仕事を早めに切り上げ し,H 男 の 場 合 は,父 し回ったが,見つけら てきたらしい。間もな 親が少し高圧的な人で れなかった(区外の先 く母 親も帰宅し,進め はあったが決して体罰 輩の家にいたという) 。 られるままに夕食とそ を振るうことなく,愛情 母親が警察署に捜索願 の後のお酒もご馳走に 深い家庭であった。や いを出しに行くと取り なった。 両 親 は,H 男 はり地域的環境による 合ってくれなかったら が小さい頃は優しかっ 悪影響が大きな原因で しい。未だ帰らないH たことや今の苦しい気 あったと考えられるが, 男宅を訪問し,深 夜ま 持ちなどを語った。深 H男の寂しさは一体ど で両親と腹を割って話 深と頭を下げ, 「あの子 こから来ていたのだろ し合った。 を見捨てないでくださ うか。 い」と頼んできた。 7/10 ○連日H男を中心とす ●H男は校則に公然と ◎H男は学校全体と筆 るグループの器物損壊, 違反した。彼への有効 者への不信感を募らせ, 授業エスケープ,警報 策は何もなかった。朝 話しかけても無視して 器悪戯などへの指導に も迎 えに 行くと,もぬ 逃げていた。筆者には 明け暮れた。生徒間暴 けの殻だった。しかし, 反抗して来ないといい 力 (リンチ) も多かった。 10/22 までは私との対立 ながら,筆者の方が徐々 を避け,面と向かって に腰が引け始めていた。 (図 3 ) の反抗はなかった。 ─ 75 ─ 図 3 3 年・1 学期末の校内の様子(同学年の生徒作文) 9/ 1 ○夏休み明け,朝H男を 迎えに行くと,布団の中 から体調が悪いので休む とだるそうに言った。髪 型や表情は益々暴走族風 になり,より近寄り難く なっていた。 ●母親によると,H男は 夏 休 み 中 に目 立 っ た 悪 い行動をしなかったとい う。父親の現場へ手伝い に行ったが, 3 日坊主だっ た。 親 へ の 反 抗 も 徐 々 に強くなっている様子で あった。 9/16 ○シンナーで酔っている ●他の教師に殴りかかる 状態で登校。強引に小さ 真似をしたり,足を蹴る な一室へ連れて行って指 などをしていた。私は久 導したが,久しぶりの強 しぶりの剣幕で, 「対マ い指導であった。なお,ン張りたきゃ張ろう」と 夏休み前から家庭裁判所 言うと, 臆したように「ボ の調査官が 1 名付けられ クサーと素手でやったら ていて,H男に自制が見 負けるから殴り合うこと られはしたが,シンナー なんかしねえ。シンナー 吸引はこの頃ひどい状態 はもう吸わない」と言っ であった。 た。この私の迫力が卒業 期は萎えていた。 ─ 76 ─ ◎長期休業中の問題生徒 の生活に目立った問題行 動は少なかった。弱いと いっても家庭の教育力の お蔭である。家庭との連 携を普段からもっと図る 必要があった。 ◎H男はシンナーでろれ つが回らない状態であっ た。筆者以外の先生には 威嚇行為を平然と行って いた。筆者が少しはH男 を抑制できた理由は,信 頼感よりも,1 年生時の 体罰による恐怖心だった のだろう。案の定,卒業 期まで威圧感は持続させ られなかった。 9/27 ○Y教諭提案で,H男ら ●これも長続きしなかっ ◎酷く荒れた学校の典型 の要望を取り入れ,H男 た。教師たちを手玉に取 例である。生徒への懐柔 中心の 5 名に特別教室で ろうとする魂胆から出さ 策だが,この状況下では 別カリキュラムの授業を れた要望であった。教師 肌触りの良いカウンセリ 行うことになった。 たちはぶつかることを避 ング的手法は失敗する。 けていた。 10/3 ○前日,H男のシンナー ● 私 は 生 活 指 導 主 任と ◎ 筆 者 とH 男 の 関 係 は 吸引がまたも発覚したの 違って,警察力に頼らず,益々悪い方向に進んだ。 で,朝迎えに行ったとき,学校で何とかギリギリま H男の問題行動と筆者の 母親とH男に対して,家 で指導すべきと考えてき 対 応・ 指 導 の 悪 循 環 が 裁調査官に連絡し,指導 た。しかし, ことシンナー 関係悪化を増幅した。初 をお願いすることを宣告 に関しては専門機関に依 期の頃は,問題が起きれ した。数日後,H男は家 頼すべきであると判断し ば,その解決過程を通し 裁の指導を受け,もう 1 た。家裁の脅しを受けて てコミュニケーションが 回やると鑑別所送致する H男の心は益々冷え,私 深まったが,この時期は と脅された。 はチクり屋(密告者)に 反比例の関係であった。 なった。 10/9 ○家裁で指導を受けた後 ●H男から母親が「迎え ◎ねらいは「逃げない」 のH男は,遅刻もせず授 は近所に恥ずかしい」と 姿勢を示すこと, 「おま 業にも出るようになった 言っていたと聞き,止め えを第一に考えている」 ので,半年間続けた自転 ることにした。半年間意「何か起こすならオレを 車による朝の迎えをこの 地で通い,5/16 のT男と 気にしろ」 「おまえには 日で最後にした。 の喧嘩の後の眼帯の片目 音を上げない」だった。 でも通った。 10/17 ○ 3 年 7 組 4 校時,私の ●「このクラスにもいる ◎この言い方では,明ら 社 会 科 の 授 業を 学 級 指 が,校則違反をする生徒 かに教師の弱い指導体制 導に振り替えて「現在の がいたら,一般の生徒は をカバーする生徒へのヘ 学校生活」をテーマに 1 それを見て見ぬ振りをし ルプ要請という構図にな 時間話した。H男は始め ないこと。先生たちと一 る。荒れの原因は学校・ は冷やかし気味であった 緒にこの学校を善くして 教師不信である。学校率 が,やがて静かに聴いて いこう。先生たちも頑張 先の姿勢をより強く示す いた。 るから,君たちも……」べきである。 (趣旨) ─ 77 ─ 10/22 ○この日は特記すべき日 ●私は,もう逃げられな ◎正に教師失格である。 で あ る。 H 男 が 私 に 初 い,お互いに大怪我をす よくも そ の 後 教 師 を 続 めて牙を剝いて向かって ることは避けられないと け, 教 育 委 員 会 や 学 校 きた。昼前に遅刻してき 観念した。立場や他への に お け る 指 導 的 立 場 に たH男を厳しく叱責する 影響の考慮など一切しな 立ち,さらに現在の大学 と,いつになく反抗的で かった。すべての思考や における仕事をのうのう あった。私がH男の胸倉 感覚などが狂った状態で と引き受けられたもので をつかむとH男は身をか あった。 ある。三十数年前を振り わそうとして,その弾み もしE男の連絡でA教 返って,自らを改めて深 で長らん(学生服)のボ 諭 が 駆 け 付 け てくれ な く恥じ入っている。これ タンがちぎれて飛んだ。か っ た ら, あ の 5/16 の では裏社会の世界の行動 少し揉み合い, H男は「殴 T男との喧嘩以上に今度 と同じである。ただある りたいなら殴れよ」と言 こそ大事に至っていたで のは, 「男の意地」なる い,暫くすると悔しそう あろう。E男とA教諭に 思いだけで,教師の自覚 に教室へ入って行った。助けられた。 などまるでない。敢えて 私も遅 れ た 授 業 へ と 急 暫くすると,H男も私 粉飾して言えば,必死に ぎ,暫く授業をしている も 落 ち 着 い て 話 が で き なって自分の生き方をと と,廊下からエスケープ た。しかし,忌むべきは ことん追求してきたとい 常習のE男が「先生,H 次の私の説諭であった。うところか。しかし,そ 男が金工室裏で呼んでる「おまえは今一番危ない れは相手が判断力の付く よ」と言って来た。異常 立場にいるんだぞ。もし 大人ならいざ知らず,年 な空気を感じたが,平然 鑑別所に送られたらどう 端も行かない中学生に対 と金工室裏へ向かった。するんだ」 。今,思い返 しては笑止千万である。 そこには,H男が逆上し すと教師失格である。こ しかも,警察力や施設送 て涙をボロボロ流しなが の頃,学年会ではH男を りの他力を頼みの綱にし ら,角材と先割れのコー 庇うのは私だけであった た卑怯なやり方を伴い, ラ 瓶 を 片 方 ず つ の 手 に が,もはや建前的になっ 生徒指導上の困難な状況 持って待っていた。 て 本 心 か ら で は な い こ を自らが招いていたとし とを後ろめたく感じてい か思えない。 た。この事件で,私の指 導の不手際で,又もH男 の悪さを目立たせる結果 になった。 11/6 ○文化祭の前日,私はH ●暴走族のスポーツカー ◎ この 対 応 は 葛 藤 が 伴 男のグループに,約束事 プラモデル 20 台。過度 う。問題グループへの迎 も決めてプラモデル展示 に逸脱した装飾もなく,合か,又は彼らにも愛情 を許可した。彼らは喜び,彼らに場を与えるべきだ をかけた扱いが必要か。 7 組の出品作づくりも手 とつくづく感じた。後始 常に前者をしないように 伝ったりした。 末では又も騒動を起こし 気にすることで,後者が 弱かった。 たが……。 ─ 78 ─ 11/14 ○ 7 組 の 社 会 科 授 業 の 後,そのまま給食準備の ため教室にいると,他ク ラスの 3 組でH男が給食 を食べていると聞き,急 いで駆け付けて叱責する と,給食の皿を床にぶち まけて出て行った。その 後片付けを終えて 7 組の 教室へ戻って教卓の上を 見て驚いたことに,H男 が先に 7 組の教室に戻 り,教卓の上にあった私 の大切な社会科教材研究 の大学ノートを真っ二つ に引き裂いて出て行った という。 11/18 ○校舎の 2 階から道路へ とコーラ瓶が投げつけら れた。翌日全校集会が開 かれ,生活指導主任から 全校生徒に連絡され,注 意がなされた。 11/19 ○ 午 後 体 育 館 で 学 年 集 会が開かれる前,彼らは 運動場で野球をし,到頭 1 時間なかへ入らなかっ た。学年教師は誰も私を ヘルプせず,体育館へと 急ぐだけだった。孤独感 を覚えた。 ● こ れ に は 私 は 激 怒 し ◎ この 事 件 は 衝 撃 的 で た。しばらく経ってH男 あった。社会科の授業指 の家に電話をするといた 導を第一に考えて努力し ので, 「謝罪しに来い!」てきた新卒以来 4 年目の と言うと, 「知らねえよ。この時,生徒の意識・心 誰 が 見 た か 名 前 を 言 え 理や生徒指導の在り方等 よ。 そ い つ は た だ じ ゃ の勉強に開眼させられた 置かねえよ」とうそぶい 出来事といっていい。学 た。H男の取り巻き連中 習 指 導 重 視 の 教 職 生 活 は, 7 組の教室へ来て「大 が,生徒指導重視にシフ 変だあ」と茶化しに来た トし,暫くして,学習指 の で, 「うるせ え!H 男 導と生徒指導の相即不離 に謝りに来いと必ず言え の関係を可能にする問題 よ!」と 激 しく言 うと,解 決 学 習 の 存 在 に 気 付 みんな恐れをなして逃げ き,長くその実践研究を た。H男以外は,まだま 続けた。H男がそれに気 だその程度だった。これ 付かせてくれた。 が数か月間で一気に急成 長するのである。 ●グループ内の誰かの仕 ◎ 3 年だけの問題とする 業だが全校生徒に伝えら のではなく,もっと学校 れた。この頃,壁紙を燃 全体にオープンにする必 やす,リンチ,教室やト 要があった。筆者の独断 イレの扉破壊,2 階のひ 的な自力解決主義も大き さしを歩く等,手が付け な間違いであった。 られなかった。 ● 10 人いた学年教師の ◎自転車で毎朝起こしに 誰 も が「 先 生 に お 任 せ 通った行為も教師たちに します」と先を急いでそ は「先生にしかできない」 の場を後にした。私はヒ と 呆 れ ら れ て い た。 筆 ロイズムに酔い,意地に 者は何でも自力で済ませ なって彼らと 1 時間以上 た。やはりもっとチーム 対峙した。見逃がせば次 ワークを大切にすべきで はしなかったかもしれな あった。 いが。 ─ 79 ─ 11/20 ○ 3 年 3 組の私の社会科 の授業に対して,H男を 中心とする数人から最大 の授業妨害を受けた。私 が本気で叱りつけると逃 げて行った。 ●授業妨害の彼らを怒鳴 ◎一般生徒には,教師の るとまだ言うことを聞く 逃げの姿勢が歯がゆかっ ギリギリの頃であった。ただろう。進路決定期の 悔しがっていると,H男 大切な学校生活を翻弄さ と 仲 の い い T 子 が「 先 れるのは真っ平御免だっ 生頑張って」と同情して たはずだ。 言って来た。 11/28 ○他学年のB教諭から,● こ の 頃 の 校 内 体 制 は ◎B教諭は堅物で厳しさ グループ内のJ男と揉み「今の問題グループを育 を前面に出す教師。本校 合いになった,と暫くし ててきた第 3 学年教師だ に転勤してきたばかり。 て学年主任ではなく私に けで解決すべきだ」の考 何 か と 3 年 教 師 に 批 判 指導を要請してきた。か えに満ちていた。これが 的であった。問題グルー つてグループのメンバー 3 学期になると何とか全 プの生徒に対しても冷や か らB 教 諭 の 何 で も 決 校体制で取り組むように やかで歩み寄ろうとしな め付ける姿勢のことを聞 なるが,もはや遅かった。かった。筆者は,先輩を いていたので,B教諭と この日,私がB教諭(先 先輩とも思わない不遜な 少々口論となった。翌日 輩教員)に直言したこと 態度であったが,その不 の朝の打ち合わせで,校 は「よく知らない子ども 満は何も有効なアドバイ 長から生徒指導のことで を平気でバカ呼ばわりす スをくれない先輩教員へ 教員同士が感情的になら るのは止めてください」の不満でもあった。その ないようにとやんわりと であった。しかし結局は,結果,独善的な考え方を 注意を受けた。 助力を断り,自分だけで 押し通そうとした。 解決しようとする偏狭さ があった。 12/1 ○ 3 年 7 組 6 校時社会科 ●H男はどのような気持 ◎この時期でも未だH男 を説教に振り替えた。H ちで聴いていたのか。同 へ の 説 教 は 有 効 で あ っ 男は又も最後まで静かに じクラスの女子が「H男 た。もはや学校内でH男 聴いていた。この後の学 君は先生のお説教を聴き に話ができるのは自分し 年会では, 「彼らを無視 たいのではないかしら」かいないと考えていた。 しないでしつこくやりま と言ったとき,そうかも これもあと 3 か月でこと しょう」と改めて強く提 しれないと思った。学年 ごとく打ち砕かれるので 案した。 会では粘り強さが必要と ある。 考えた。 12/11 ○H男首謀の恐喝事件が ●警察の力を借りるのは ◎弁護のしようのない失 発覚し,学年会で警察に 釈然としなかったが,あ 態である。 「教師は自信 被害者から被害届を出さ まりに悪質で生活指導主 をなくしたとき,やがて せることを決定した。こ 任 の 提 案 を 飲 むし か な その他の指導すべき問題 の恐喝事件は,以前から かった。校内で花札を認 も見て見ぬ振りをしてし 校内で花札遊びを黙認し めてきたことは教師の迎 まう」これは大津いじめ ていたことが発端であっ 合でしかない。被害生徒 自殺事件でも見られたこ た。 の安全を守ることに腐心 とである。 した。 ─ 80 ─ 12/17 ○ H 男 の 母 親 との 面 談 ● 母 親 は 口 達 者 な 人 で ◎母親には感謝に堪えな で,全くわだかまりのな あ っ た が, 投 げ 出 さ ず い。常に筆者に有り難い い話し合いができた。心 にずーっと協力してくれ と言ってくれた。もっと か ら 信 頼 し てくれ て い た。しかし,この関係も 適切にリードすべきだっ る。 2 月には決裂する。 た。 1981 ○H男は登校しなかった ●教師だけが作業をして ◎教師は実に情けない姿 1/12 が,グループの他の生徒 いる。生徒は言われるま であった。交代で廊下を た ち が, 廊 下 の 消 火 栓 で誰も手伝おうとしない。徹底的に見張れば済むこ の水を放出させ,廊下が 手伝えばやられるかもし とだが,その結果,怒号 プールのように水浸しに れない。教師より彼らの が飛び交ったり揉み合っ なった。3 年教師はちり 方が恐い。ズボンの裾を たりして彼らと対立する 取りとほうきで流しに掻 びしょびしょに濡らした 事態を恐れた。学校が荒 い出すのに大わらわ。数 教師の姿は不様であった。れると, 「掃除人」に変 日間廊下の水浸しが続い 怒りを忘れたかのように 身する教師が多くなるの た。 黙々と後片付けをした。 である。 1/16 ○いよいよ他学年の教員 ●私は,個々人の助力を ◎この学校は,町工場の も援助してくれることに 求める気持ちにはなれな 多い雑然とした地域環境 なった。各学年から空き かったが,全校体制とし に囲まれ,親の学校への 時間の教員 1 名ずつ 3 年 ての取り組みは必要だと 関心は低い。学校は,大 の階をパトロールするこ 主張していた。初めは他 規模校ゆえに学年セクト とに決まった。もはや手 学 年の 教 師は 不 承 不 承 発想が強く,協働姿勢が 遅れだが,今よりは酷く だったが,やがて今の 3 弱く,研修意欲が低く, ならないようにと,校内 年の状態は全校で取り組 私も含めて体罰指導が横 パトロールについて決定 むことだと認識し始めた。行し,適切な生徒指導が した。 (図 4) 学校の荒れはいろいろな 行われていなかった。 理由があるはずである。 1/17 ○ H 男 が 私 の目の 前 で ● 悔 し か っ た。 あ の 時 ◎ 教 師 の 面 前 で 喫 煙 す 煙 草 を 吸 って 挑 発 し て 殴っておけば良かったと る挑発行為は最高位の問 き た。 私 は そ れ を ひ っ 後悔している。しかし,題行動だ。H男に肉迫す たくって止めさせたが,その勇気がなかった。そ るには,誤った論理でも 「殴ってみろよ」と言わ の時,H男は確実に私を 体罰を振るうことが必要 れても殴れなかった。 軽蔑する表情を見せた。 だったのではないか。 ─ 81 ─ 図 4 3 年・3 学期の筆者の授業記録簿(週案)の写し 注)……[右上の合計欄]当時は通常 45 分授業で,1981 年 1 月 12 日~ 17 日の週 6 日 4 クラ ス全体の授業時間計 720 分のうち,エスケープ生徒を追い回して約 3 割の 200 分し か実質的な授業ができなかったことを表す。各授業の自身による評価結果は,○(1 時限),△(4 時限)×(11 時限)という惨憺たるものであった。合戦マークは「対 立があった」ことを示す。 ─ 82 ─ 1/23 1/29 2/17 ○H男は休んで不在だっ ● 今 も思 い 浮 か ぶ 光 景 ◎校内で爆竹が何発も炸 たが,グループの他の連 は,先輩教員たちの狼狽 裂すると,いかなる人も 中が休み時間に爆竹を鳴 ぶりである。情けなかっ 冷静さを失うだろう。し らし,昼休みには学校中 た。手前味噌になるが,かも臨時休校になるとは で鳴らせた。校内は騒然 教頭は経験 4 年目の私に 一 大 事 で あ る。 H 男 が となり,職員室の教員た 警察への電話の可否を問 不 在 だ ったのは 不 幸 中 ちは狼狽し,教頭が警察 うてきた。そして, 「ま の幸いだったが,T男が に連絡をしそうになった だ そ の 時 で は な い で す NO.2 気 取 り で「 躍 動 」 が私が制止した。すぐに よ」と強く反対した。2 していた。5/16 の時の悪 3 年の階へ上がると,T 階では,T男がライター 夢が再びという時に,あ 男が扇動していたので危 で 爆 竹 に 火 を 付 け て い の 時 もい ろ い ろと 奔 走 うく殴り合いになりそう た。すぐ身体にぶつかっ し,事件が明るみに出る になったが,PTA会長 て止めたが,胸倉をつか ことを防いでくれたPT が巡回していて止めてく ん できて 一 触 即 発 状 態 A会長が奇しくも廊下を れ,事なきを得た。午後 だった。午後,グループ 歩いていて仲裁してくれ は臨時休校となった。 に教頭 ・3 年教師が指導 た。この日の行動も無鉄 したが効果はなかった。砲な肉弾戦であった。 こ の 後, 警 察 へ の パ ト ロール依頼が決まった。 ○毎日,刑事が 1 ~ 2 名 ●最も話が通じるF男が ◎溌溂とした言葉ではな 来校して校内で何時間か 来て,警察に頼むのは卑 く,言い訳がましく同情 過ごした。時には廊下を 怯ではないかと抗議して を求める言葉を遣う教師 歩くこともあり,グルー きた。私は「君らがワル は,問題生徒への指導を プはすぐに察知した。 さをしなければ止める」上手くは行えない。 と答えた。 ○ 家 庭 裁 判 所 で H 男 の ●H男を庇って放し飼い ◎修学旅行の時は,母親 審判が下された。私とH にしてもらうか,突き放 は納得してよく事態を理 男の母親が同席し,H男 して何かの処分をお願い 解してくれた。しかし, へ の 処 分 を 決 定 す る際 するか。校長の「泣き」今度は明らかに何の処分 に意見を求められ,前日 と「貴方が責任を取れる も下されないことを願っ 校長に強く要請されてい か」の恫喝を思い出して ている。なのに,今まで た「卒業までの足枷手枷」いた。母親は明らかに失 信 用していた 担 任 が 我 が必要であると発言し,望していた。H男への処 が子を貶めている。母親 結局,その要請通り保護 分要請は修学旅行不参加 とはその日以来,一度も 観察処分が決定した。 の二の舞だった。H男の 会っていない。 表情は冷え切っていた。 ─ 83 ─ 3/ 5 ○ 3 組の最後の社会科の 授業で書かせた 1 年間の 感想で,社会科を教えた だけの成績の良いI子か らの手紙に泣いた。 ● 授 業 そ っち の け で グ ループを追い回して後ろ めたかった姿勢が肯定的 に書かれていた。卒業式 まで気を緩めずに頑張ろ うと決意した。 ◎ 1 週間 3 時間の授業の みで,担任になったこと もなかった生徒。もっと このような一般の生徒の 声を聞くべきであった。 〔 3 組のI子の社会科最後の授業の感想〕 「先生,1 年間楽しかったよ。授業内容が今までの社会の先生と比 べて断然いい。前の○○先生は黒板に書いてばかりで,ちっとも おもしろくなかった。先生は進め方がうまいと思います。 でも,例の連中のおかげで授業がつぶれがちだったのはとても 残念だった……。先生が彼らを追ってる姿,とても素敵でしたよ! 私たちが卒業したら,先生気が抜けるって言ってたよネ。それほ ど今一生懸命教師をやってるってことじゃん。自分で自分のことを 大した教師じゃないだなんて言わないで!先生はいつだって,ひた むきだよ。見ているこっちがつらいときだってあったもん。早く高 校生になりたいけど先生と別れたくないなア……。すんごくさみし いです。何回も繰り返すけど, 先生の授業絶対にいいからネ。先生, 自信もってこれからも突っ走ってがんばって下さい!先生に会いに 来るからネ! from MI」 3/10 ○この頃,給食時に投げ つけられた牛乳パックが 破 裂し て 廊 下 が 牛 乳 で 真っ白に染まった。 ●翌日の河川敷レクで配 られる昼食を踏みつけに されても,卒業式前はも はや防御態勢で強く指導 できなかった。 ◎人はやられっぱなしに なると,無気力・無抵抗 状態になることは多くの 監禁事件などが示してい る。 3/12 ○卒業遠足は,他校と接 触 機 会 のな い 東 京 湾 内 をクルーズで一周する遠 足で消極的な内容であっ た。上陸時,些細なこと で私とH男は揉み合いの 喧嘩になった。 ●H男との最後の諍いで ある。故意にぶつかって きたH男に謝罪しろと詰 め寄った。今日は引き下 が れ な いと 気 色 ば ん だ が, 他 の 教 師 が 割 っ て 入った。この関係で卒業 式を迎える。 ◎卒業式まで 1 週間。多 くの者が早くその日が来 ることを待ち望んだ。筆 者もだった。H男はもう 一切筆者を拒絶した。最 後の一踏ん張りを見せる べきだったが…。 ─ 84 ─ 3/18 ○翌日の卒業式に向けて いろいろと怪情報が飛ん でいたため,校長・生活 指導主任は警察署に厳重 なパトロール依頼を行っ た。私は不安顔の学年主 任に「大丈夫です」と予 言した。 ● 卒 業 生 の 暴 走 族 が 来 ◎ 厳 戒 態 勢の卒 業 式 準 る,3 年生が混乱させる 備。 し か し, 卒 業 式 独 などの情報が飛んだ。こ 特のあの雰囲気は,いい の日H男に通知表を手渡 人ばかりになる特別の舞 し た。 所 見 欄 の「 君 に 台だ。H男やその仲間も は泣かされた…」を読ん きっと嘗てのような屈託 で「何が泣かされた,だ」のない生徒に戻るだろう と言ったが,微妙にいつ と信じていた。 もとは違っていた。 3/19 ○そして,卒業式は予想 通り厳粛に行われ,終了 した。その後,H男と話 すことはなかった。 ●式後,H男が破り捨て ◎ 式 後,学 級 指 導 や 在 た卒業証書の紙片が校門 校生の見送りが予定され で風に舞っていた。H男 ていたが,H男とそのグ の最後の抵抗であった。ループは黙って学校を出 結局,式の直前に白い上 た。彼らの照れ隠しだっ 履きを履かせる指導時の たのだろう。 「引き際を 気 忙し い 会 話 が 最 後 に きれいにすること」を実 なった。式の最中,証書 行するかのように,その を受け取るH男の態度は 後, 姿 を 現 す こ と は な 凜々しく立派であった。 かった。 以上は 3 年生時の記録である。次は卒業後 2 年経ってのコメントである。 卒業して 2 年。H男を見たのは数回。噂では,建築現場で働く生活を送って いるとのことだ。他の仲間とはよく地域の道路などで会うが,皆感じが良く, 嘗てのわだかまりは全くない。あのT男でさえ,目の上の傷跡を撫でて笑いか けてくる。あの時期,彼らは病気にでも罹っていたのだろうか。 (1983. 6) 同時にまとめとして,自らのこれからの決意を以下のように述べている。 私は,「校内暴力及び問題生徒は教師に対してフィルター作用を成す」と言い たい。それは有能な教師とそうでない教師を,熱意のある教師とそうでない教 師を振り分けるのである。H男は,時代の諸々の問題を一身に背負っていた「時 代の寵児」ではあるまいか。彼のフィルター作用を経た私は,石教師なのか玉 教師なのか。その回答はこれから何年かの後に出てくるものと思う。 私は謙虚な姿勢として反省する教師であり続けたい。そして,魅力的な教師 になりたい。具体的な実行力を伴った理想主義者であり続けたい。問題傾向の ある生徒が,私の嘆き悲しむ姿を想像して,暴走することを思い止まってもら ─ 85 ─ えるような,それほどの影響力をもちたい。その影響力は「教師の権威」から 発するものに違いない。生徒が,教師のもつ精神的・道徳的な卓越さに対して, 畏敬や尊敬の念を抱くとき,真に内面的な強制力たり得る「教師の権威」が生 まれる。生徒は「教師の権威」に進んで従ってくる。そして,それを喜びと感 ずる。その教師に,自信をもって正しいことを教えられ,厳しく悪いことを叱っ てもらいたいと思う。教師も期待に背かない。教師も生徒も充実した生活を送 ることができるだろう。私はそれを夢見る。そして,それは実現不可能なこと ではない。私のこれからの精進は,それを目指して積み上げて行こう。いつの 日にか, 「教師の権威」を獲得した時,私はH男のフィルターをものともせず, 「玉 教師」になっているに違いない。 (1983. 6) 3 年間の指導を振り返ってみると,視野狭窄,省察欠如,不遜,独善, 子ども軽視,社会関係無視等,その頃の我が身の稚拙さ,愚鈍さがよく分 かる。しかし,そうであっても,積み上げられた多くの思いがある。 次に,それらを研究素材にし,「今日性」について論考してみたい。 Ⅱ 「H男の指導記録とその考察」に関する研究 1 なぜ校内があのように荒廃した状態になるに至ったか (1) 学級担任としての自己批判 ①一人でH男のみに対する指導に奔走したこと 「一人で指導」では,他の学年教師を無視し,H男を立ち直らせること ができるのは自分一人しかいないと過剰な責任感を燃やし,過信していた。 また,「H男のみに対する指導」では,H男の担任を志願した時点から, 学級のその他の 42 名は眼中になかったと言っても過言ではない。 教師集団にも学級集団にも頼ろうとせず,最初から余裕が全くなかった。 ②外面的行為のみ指導し,内面的なものへの指導が欠如していたこと H男の様々な問題行動に対して,彼の心情を思い遣ることなく,体罰に よって抑えようとし,それが困難になると,警察や家庭裁判所の抑止力を 頼みとする手段を用いた。 ─ 86 ─ H男と対話し不満や悩みの真意を捉えようとする努力と,その内面を捉 えるための心理学を始めとする生徒指導全般の認識が不足していた。 ③生徒の価値観に合わせ,同レベルまで下りて暴力的に指導したこと T男と違って,H男とは,一度も直接的な暴力対決はなかったが,幾度 も「対マン張ってもいいぞ」とこちらが煽っていた。中学生の突っ張りた ちには,力信仰,暴力礼讃の考え方がある。それは筆者自身のコンプレッ クスの裏返し=大学時代のボクシング選手とも重なる。結局は,T男との 2 度の喧嘩・対決は,それを知ったH男の暴力性をも高めた。 ④H男の反抗的態度に劣らず,筆者自ら反骨精神が旺盛なこと 新卒数年の教員に成り立ての筆者は,全校指導体制の不統一,管理職の 指導性の欠如,生活指導主任の警察依存の姿勢,その他の教員の地域や生 徒への軽視 ・ 蔑視する姿勢を感じた時は,教育の論理や生徒の側に立って 自分なりに主張した。組合加入率 80%の学校であったが加入せず,職員 会議では国旗・国歌の論議にも精一杯抵抗し,筋を通そうと努めた。 次は,教師 2 年目の感想を教育誌に投稿し,掲載された内容である。 〔教育される存在としての教師〕 この記事によって,ある経験豊富な女教師を 誹謗することになりはしないかと危惧するが,敢えて書いてみようと思う。 教師は,自らが子どもたちに教えてもらっていることを意識しながら子ども たちに接しているとき,その時は本当に子どもたちを教えていることになる。 そのことを考えさせてくれたある事例を書き記す。 ある教師が私の担任クラスの授業を一人では統制しきれないと訴えてきた。 授業後半の喧噪の中で,機器による怪我人まで出てしまった。そのことがその 教師の我がクラスに対する警戒心を強めたのである。今後は特別教室ではなく, 担任教師のすぐ呼べる普通教室で授業をすることになり,我がクラスの子ども たちは特別教室が使用禁止となった。私は最初は軽く考えて了解した。 しかし,暫くして気付いた。果たして本当に子どもたちばかりが責められな ければならないことであろうか。そこで,子どもたちにその授業について感じ ることを聞いてみた。それはその教師の指導に対する冒とくになるとは思わな ─ 87 ─ い。子どもたちは,授業が単調で同じことばかりやらせ,できる子ばかりをひ いきすると不満を述べた。子どもたちにそのように感じさせることは,やはり 教師の反省すべき材料となるはずである。失礼になるかとも思ったが,その教 師にこのことを告げた。するとその教師は激怒して,子どもの言うことを聞く のは自分に対して批判的な気持ちがあるからだ,子どもの言うことを聞く必要 はない,とまくし立てた。 <中略> 私の持論として次のようなものがある。それは,教師に子どもを蔑視する気 持ちがある限り,子どもは決して教師を信頼せず,ついて来ないというもので ある。あの教師は,時々「この地域の子どもはいつも……。こんな学校早く出 たいわ」を口にし,地域や子どもに対する蔑視が感じられる。それが子どもた ちを授業でうるさくさせる理由の 1 つであると断言できる。しかし,私も私の 学級経営や子どもたちを正確に把握しているかどうかを再点検してみよう。あ の教師にばかり責任を被せることがあってはならない。そう思う謙虚な気持ち こそ,我々は絶えず振り返る人間,[ 教育される存在としての教師 ] の条件を備 えていることになるのではないか。 (1979. 3) しかし,時に感情的になり,視野が狭くなったことは確かである。 ⑤生徒指導に関する研修を全く怠っていたこと 教師 1 年目から社会科の教科指導の研修は人一倍行った。2 年目(H男 の 1 年担任の年)には,校内における教科指導の研究授業を筆者が何年か ぶりで行った。片や,学級経営や生徒指導の知見は経験のみがもたらすも のと誤って捉え,それらに関する蔵書は 1 冊もなかった。H男に社会科の 教材研究ノートを引き裂かれたことは,画期的な事件であった。教師にとっ て,学習指導と生徒指導の両方の研鑽は表裏一体を成すものである。 以上の「学級担任としての自己批判」は,次の 5 点にまとめられる。 ①独断・不遜,②生徒の内面無視,③生徒のレベルに合わせる無分別さ, ④視野の狭い反骨精神,⑤生徒指導の研修意欲欠如 現在,全国に多くいる「熱心な教員」──体罰教師を筆頭に―の内実は, これら 5 点すべての内容と酷似しているはずである。 ─ 88 ─ (2) 全校的視野からみた 8 つの問題点 ①管理職の生徒指導に対する積極的な姿勢や指導性がなかったこと 今なら管理職の生徒指導への関与は当然であるが,当時の校長は筆者に 全く有効なアドバイスを与えなかった。H男の修学旅行不参加も保護観察 処分も判断を担任任せにし,自らの責任を回避した。後年,私自身が校長 になった時は,決して逃げないリーダーとなることを心掛けた。 ②良好な人間関係を基盤にした協働体制が成立していなかったこと 当時の生徒観に,かけがえのない存在,独立した主体的な存在,共に生 きる存在,発達の可能性をもった存在等のポジティブな見方が欠如してい た。したがって,人間関係の構築が弱かった。また,教師間には,協働意 識が弱く,体罰指導──それは教師間にも力関係を確実に持ち込んだ── が横行していた。当時の筆者は,先輩教員の指導の無さに不満が強かった。 ③教育相談的な個別指導が適切に行われていなかったこと 中学生の時期は,自我意識が強く,悩みなどを仲間や担任教師に隠そう とする。しかし,担任は,本人が集団や個人でいる際の行動観察や,個別 の 1 対 1 の働きかけを通して的確にそれを見抜く必要がある。H男にも, 常に心の有り様を捉え,問題行動に走らない手立てが取れたはずである。 ④生徒の問題行動に対して早期発見・早期指導が行われていなかったこと 同様に,問題行動に早期に対処するためには,生徒との円滑な人間(信 頼)関係を基盤にして,生徒の内面的な変化の兆候──情緒不安,緊張, 葛藤状態等──をいち早く発見する必要がある。もう 1 つは,学年教師の円 滑な協力を得て,必要な時にはいつでもチーム力で早期指導が可能になる。 ⑤生徒を温かく包み込む学級集団づくりが適切に行われていなかったこと 最初は,とにかく担任と生徒との円滑な人間関係さえ構築できれば,一 切の問題行動は抑止できると信じて疑わなかった。そこでは,生徒を集団 の中に位置付ける見方は全く欠如していた。しかし,H男が文化祭で見せ ─ 89 ─ た学級内での素直さは,学級集団内の居場所づくりの大切さを示していた。 ⑥生徒指導との関連で,教科指導の重要性が認識されていなかったこと 生徒の学校における不適応感の最大の要因は,授業が分からないことで ある。特に本校のような研修意欲の低い学校では,教員の工夫も少なく, 生徒は授業が分からずにストレスを増大させ,授業外の部活動や学校外の 生活で発散するしかない。教科指導と生徒指導が関連しないのである。 ⑦問題行動の原因を家庭・出身小学校・地域等に責任転嫁していたこと 子どもへの基本的生活様式や規範意識にかかわる指導は,その家庭 ・ 地 域・部署担当すべての責任であるが,学校内のことは学校・教師の責任で ある。その意味で,小から中へ,中から高への引き継ぎは入念に行うべき である。徒に家庭 ・ 地域や外部機関との連携ばかりに頼ってはならない。 ⑧教師としての使命感及び熱意が弱く,研究意欲が低かったこと 今及びこれからの生徒指導の方向を打ち出した『生徒指導提要』 (文科省, 2010)は,「生徒指導の意義」として次の 4 点を挙げている。 ア 生徒指導とは,一人一人の児童生徒の人格を尊重し,個性の伸長を図りな がら,社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動である。 イ 学習指導と並んで学校教育において重要な意義を持つ。 ウ 生徒自ら現在及び将来の自己実現を図っていくための自己指導能力の育成 を目指す。 エ 自己実現の基礎として,日常の学校生活で様々な自己選択や自己決定の場 を設定する必要がある。 全校での年度始めの話し合いも日常の情報交換もなく,筆者の生徒指導 は,ルール違反取り締まりに奔走する古いものに終始していた。「個性を 伸ばす」「自己指導力を育成する」などの意図は皆無であった。そのため には,常に学ぶ体制としての「学習する組織」づくりが重要である。 以上,「全校的視野からみた問題点」を列挙すれば,次のようになる。 ─ 90 ─ ①管理職の指導性,②協働体制の確立,③教育相談的な個別指導,④早期 発見・早期指導,⑤学級集団づくり,⑥生徒指導と教科指導の統一的な指導, ⑦学校 ・ 教師の責任感,⑧「学習する組織」づくり この中から,重要な指摘をすれば,②協働体制の確立,⑥生徒指導と教 科指導の統一的な指導,⑧「学習する組織」づくり,の 3 点は,極めて今 日的な学校改革の要と言っていい。 さて以上で,H男の記録の分析・考察は一段落した。いよいよ「今日性」 の問題に論及する。 2 この記録の考察からいかに「今日性」の意味を引き出せるか (1) 生徒指導の真の扱われ方 本来,生徒指導は,生徒を自己実現させるための意図的な働きかけであ る。しかし,現実に行われている生徒指導の多くは,生徒の自己実現や主 体性を育成するといいながら,生活上の問題となる事件・事故が起きない ように汲々とする,もしくは起きた場合の後追いの問題解決行動ばかりを 重視する。すなわち,今もって生徒指導は,授業や教科外の活動等と区別 する領域概念で捉えられ,全領域に必須の教育機能であるとの認識が弱い。 このような生徒指導への正当でない扱いは,当然のごとく事件・事故の 前例の大切な教訓が継承されない事態,すなわち「今日性」への配慮など はなく,「今日性」が通用しない事態となっている。上記の全校的視野か らみた「極めて今日的な学校改革の 3 つの要」は,どれも生徒指導の機能 をより重視すべきことを指摘したものである。 (2) 「今日性」の意味に関する一考察 生徒指導,特に体罰指導にかかわって,強く注意を喚起したいことは, 体罰の「暴力性」がもつ威嚇・脅威・強迫等の観念が,人間関係や信頼関 係を破壊し,人が人から学ぶことや,個人も集団も組織も向上させようと ─ 91 ─ する体制の構築を阻害することである。その結果,新たな可能性をもつ「今 日性」の有用性が成立し得なくなるのである。 何度も言うが,生徒指導にかかわる以前起こった事件・事故の教訓が, 次に起こる同様の事件・事故の際に引き継がれないなら, 「今日性」は体 を成さない。しかし,教師個人や 1 つの学校のレベルでそうであっても, 他方,他の立場の教師や広い見地に立つ教育委員会や民間団体等の外部機 関が客観的に把握している教訓や配慮事項等を指摘・指導する役割を積極 的に果たすべきであろう。残念ながら結局は,学校・教師は他律的な力に 頼るしかないということである。 しかし,それでは学校における生徒指導上の深刻な事件はいとも簡単に 再発してしまう。 (3) 「今日性」を有効ならしめる方策 ならばどうするか。それへの回答こそ,本稿の述べたい結論である。す なわち,次のようなステップで「今日性」を通用させることである。 ① 教師は各自の「これはと思う」実践を克明に記録しておく。[ 記録 ] ② 適当な期間を経て,その実践記録を分析し考察する。[ 考察 ] ③ 考察結果から「今日性」に相当する教訓等を明確化する。[ 明確化 ] ④ 様々な機会を活かして,その「今日性」を声高に主張する。[ 主張 ] ⑤ 「今日性」の通用した場面のデータを収集する。[ データ収集 ] ⑥ フィードバックして,次のアクションに繫げる。[ フィードバック ] 問題意識が弱いと,このステップの実際の通用性は低いであろう。しか し,本稿は,筆者には大いなる契機となった。今後は,H男への指導の経 験を支柱とし,生徒指導に関する話題提供を積極的に行っていきたい。 おわりに ── ノスタルジア 2 題 (1) 小説に描かれた筆者とH男 1 つめ。筆者とH男のことがある退職教員が書いた小説に描かれていた。 ─ 92 ─ あの 3 年の時の学年主任が退職後 10 年ほど経って,H男の不参加を決め た時の修学旅行全般を題材にして『当世修学旅行異聞』なる小説を発刊し 4 4 たのである。一部を引用してみる(小山定規が筆者,花村 猛がH男)。 <前略> 小山定規は,直線的に動いた。宿題は家に帰る前に片付けておく 主義だった。学年会が終わると,その足で花村 猛を訪ねた。 <中略> 花村は,担任が何のことでここへ来たのか分かっていた。小山は,頻繁にこ の部屋を訪れている。花村はそれをうるさがりながら,実際,そう不愉快では なかった。小山は,花村に特別の配慮をしていることを隠さなかった。番長に 対する至極当然の処遇だと,花村は受け取っていた。小山は,花村に対して特 別の待遇を与えているようだったが,彼を恐れてはいなかったし,その場凌ぎ の空約束もしなかった。西中の番長花村 猛にとって,担任の小山定規は,最 も手強い相手だった。なぜなら,小山担任が花村のことを本当に親身になって 心配し,考えていることがよく伝わってくる上に,公正,誠実,その上度胸も ある。あいつにはかなわねえ。花村は,時に小山先生に対して素直になろうと いう欲望に駆られることがある。小山は,修学旅行の件で来たと言い,金色に 染められた花村の頭髪を見ながら,……。 <中略> 小山定規は,花村を修学旅行不参加に追い込んだのは,自分だという意識が 心の底に蟠って,旅行が終わって責任から解放されても,愉快になれなかった。 花村が参加しなかったからこそ,校長が, 「無事」を冠した旅行報告をすること が出来たのだと考えても,一向慰めにはならなかった。一方,思い切った行動 をする花村が,番長として 1 枚噛んだ旅行中の御一統様のことを想像すると, 行かせないのが正解だったという思いも正直なところだった。 <後略> 筆者とH男のことを客観的にこのように捉えていてくれた人がいたわけ である。その後,これにどれくらい勇気付けられ,新たな意欲を喚起され たことか。何度も読み,H男に筆者の教職生活を元気付けてもらった。 (2) あの街,あの学校を 30 年ぶりに訪ねてみた 最後にもう 1 つ。私は今回この長大な記録をまとめるうちに,限りなく H男を愛おしく思えた。彼は今どうしているのであろうか。古い卒業アル バムから住所等を確認用にコピーし,あの学校周辺を歩いて,H男やグルー プの面々の消息を,粗くでいい,辿ってみようと思い立った。 ─ 93 ─ そして,暑い夏の日の昼下がり,30 年ぶりにその学校への通勤経路を辿っ た。しかし,当時のバス路線は既に廃止になり,以前とは違うバスに乗っ て近い場所で降りた。30 年経っているが,街の空気が鮮明に思い出された。 自転車で毎朝H男の自宅へと通った道路はそのままで,家並みも昔のまま であった。ただ,多くの家屋,商店,町工場が老朽化し,シャッターが降 りていて,人通りも少なく,全体的に寂れていた。 目指すH男の自宅は区営アパートの 5 階。建物の外装は塗り直されてい たが,階段や廊下の床はひび割れがひどかった。1 階の郵便受けには違う 世帯名が書かれてあった。5 階のその部屋の前へ行くと,若い母娘がドア を開け放して廊下で遊んでいた。一瞬ドアの前を通るとあの頃の記憶が 甦って懐かしい気持ちになったが,H男の家族のことは尋ねなかった。 そこから学校へと向かうと,運動会の全体練習中で,1,000 名に近い生徒 が狭い校庭いっぱいに広がって指導されていた。嘗てH男やグループの連 中と険悪なムードで向き合った場所はそのままであった。もはやこの学校 の教員たちも通りですれ違う人たちもみな,私の顔を知らない。当然のこ とだろう。誰一人知り合いに会うこともなく,私鉄の駅へと向かった。 以上,筆者の身の上に起こった物語の一例であり,教職を生きる者はそ のような濃密な人生を生き,妙味を味わうことができることを,同時にそ の教訓を,教職課程の学生たちに熱意を込めて伝えていきたいと考える。 参 考 文 献 文部省(1981.9)『生徒指導の手引(改訂版)』大蔵省印刷局 文部科学省(2010.3)『生徒指導提要』教育図書 住田正樹,岡崎友典(2011)『児童・生徒指導の理論と実践』放送大学教育振興会 国立教育政策研究所(2011.6)『生徒指導支援資料 3・校区ではぐくむ子どもの力─ いじめ・不登校を減らすヒント』 大津市立中学校におけるいじめに関する第三者調査委員会(2013.1)『調査報告書』 ─ 94 ─ 東京都教育委員会 (2013.9)『体罰根絶に向けた総合的な対策─部活動指導等の在り 方検討委員会報告書─』 堀 裕嗣(2011)『学級経営 10 の原理・100 の原則』学事出版 堀 裕嗣(2011)『生徒指導 10 の原理・100 の原則』学事出版 向山洋一(2012)『教育要諦集 1 ~ 5』東京教育技術研究所 中元順一(1979)「教育される存在としての教師」『月刊中学教育 5 月号』小学館 日吉平弐(1995)『当世修学旅行異聞―世はすべてこともなし』近代文藝社 ─ 95 ─