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姑と音締究フォ→ム

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姑と音締究フォ→ム
2002年 1月 20日
姑と音締究フォ→ム
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f Women
& Music
会報創刊号
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J
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2
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2
)
会報創刊に寄せて(小林縁)
目次
│
「女性と音楽研究フォーラム j の歩み〔抄〕一一一一一 2
捌 年 度 第 1回例会発表要旨(持屠勉) -4
2
0
0
1年度第 2回例会発表要旨(袴田麻祐子) 一一----- 6
2
0
0
1年度第 3回例会発表要旨(西阪多恵子)
一一一一 8
0
2
0
0
1年度第 3回例会発表要旨(玉川裕子) 一一一一一 1
2
2
0
0
1年度第 4回例会発表要旨(市川啓子) 一一一--- 1
いま、日本語で読める“女性作曲家研究" 関連
文献紹介(市川啓子)
一一一一----_---ー一一一- 14
コンサート情報(回連いと枝〉一一一一一一一一一一一一一一 1
6
一一一一一一一一
17
ニュース e
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c
. 一一一---------一一一一一一一一一一
1
8
女性と音楽研究フォーラム規約
について一言するのが筋で、しょう。しかしこれがなか
なか見えにくし、のです。少し前までなら、女性作曲家
ハ dコ不当な無視や音楽界のさまざまなジェンダ、ーのゆ
がみを「告発jすれば、それなりの効果がありました
ところが、今は世界中、カなりの頻度で女性作曲家の
作品が取り上げられ、 C Dカタログも豊富になってき
ていま T
or
ジェンダー」という言葉も一種知的な流行
とさえなった…けれどもそれが、クラシックの世界に
とりわけ顕著な、権威主義の息苦しさの解消に少しも
つながっていないように思えるのです。ジェンダ、ーや
性 副J
I
が長い歴史のなかで人為的に造り出された権力
構造であり、自然の基塞をまったく持たなし可制生で、あ
ればこそ、それは丈化キ脅岐によって強力同住持され
る必要があった…アフガンの女性そ場者の惨状は、こ
の構図が 2
1尚己の今なお、いささカも揺るがぬこと
を示しているといえないでしょうかも
この世界を少しでも生き易くするためには、名実伴
った男女平等を実現させることが何より必要です二そ
れには女性の過去・歴史・現状を万人が知り、未来に
向けてさらに積み上げてし、かなければなりません。私
たちのフォーラムが音楽を介していささかなりともそ
れに寄与できるよう、会報の重i
伊j
を機に、志を新たに
したいと思います。(代表・国立音楽大学教員)
会報創刊に寄せて
小林緑{こばやしみどり)
d
早いもので、私たちのフォーラムが弧々の声をあげ
て
、 1
0年目を迎えようとしています。その問、おぼつ
かぬ足取りながら、月ごとの伊陰、女性作曲家のコン
サートや事嘩、ジェンダ一理論の寵獄など、なんとか
活動を続けることができまし丸当然、会報ないし機
関誌の発行も当初から目指してはいたのですが、現有
の細々とした{本制ではとても無理、とあきらめかけて
いたところへ、今日の IT
環境の進展一原稿さえ集ま
れば、編集は内輪でとなせる加兄がおとす たのです。
事務万端をとりまとめてくださっている市川啓子さん
に、この度もすっかり頼りきりになってしまいました。
心から御礼を申します。ともあれ、遅まきながらのこ
の意I
J
f
f
J
号が、私たちを支え、励ましてくだ、さった方々
のお心にすこしでも響くものがあるよう、願ってやみ
ません。
倉汗iJ号と銘打つからに民代表の座を汚している私
が、グループ名にも冠した「女性と音楽研究」の現祝
n
1
r
女性と音楽研究フォーラムjの歩み〔抄〕
1
演奏グノレ一フs発足
2
/
5
C大谷嘉代子「ヴィクトリア朝を生きた女性作曲家ーエセ
/レ・スマイス考」
犬神川亜矢「マド、ンナを併敬するーフェミニズム音楽捕手
。会員の発表/.会員の執筆/合千百斤での会員の活動
(
f
乍成:田遁・市)11)
立招待都板敬榊吉川発表
の試みのためにj
1993年
回漣し、と枝の呼びかけにより、 4名で発足
C小林 f19世車己パリの音楽生活と女性J(日仏女性資料セ
3
/
1
1
2
/
2
8
ンター総会にて講槙)
(l1月まで全 1
0回
3
/
2
2 大内藤和美「女性学追認講座J
5
/
9
会の名税九活動方量抑コ決定
3
.+;休「音楽詰吃針生J(
W
音業乃世界.j))
ヲ~ AWAC(
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への参加
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裕f
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近代f
ゆ考察-Ii反神大震災及ひ湯助国品種を
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通して」
第 9回「女性と音楽をめぐる国際会議J(ヴィーン、 /
J嚇・渡
(因遺・小椋)
0市)
1
1
啓子 I
A.コーエン師国際女性作曲家事制の紹
6
/
6
部が参加)
介と湖岸」
1
9齢己フランス社会における女性と音交をめぐ
8
/
1
0 O/jゆ 槻1
6
/
6
.小林「音楽と女性をめぐる国際会議に出席してJ(毎日
6
/
9
*潤夕刊)
女小林「クラシック音楽と女1
"
空ーリリ・ブ.ランジ、ェをめぐっ
るF
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官重点」
O/j嚇「近代ネ士会i
こおける対坐音楽 1
ρ凶s
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5
)
をめぐってj
てJ(京樹韓大学帯別講座)
幸四延一近代との葛藤j
。白崎公子 f
第 3回国際会議「フェミニスト濁命と音楽J(UCリヴアサイド
6
拡大谷・小林・西阪・渡部が参加)
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y著 F
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Sの翻訳を決定(→ 1
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虫7
1
コックの拡張と女性表現一白人女性スターと
7
/
3
0 大神川亜矢 I
年1
0月完時フェミニン・エンデ、イングj])
視覚とのカ功追わりを中J
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A
」
こ
1
0
/
2
4 貧小林「女性作曲家の群像ー西洋音楽史を読み直す試
嚇 k 性日I
J
>く性差>と音殺〉関係J[
世界週制)
8
/
2
2 ./J
みJ(臼本音楽学会大会にて発表)
国際ンンポジウム「オベラにおけるジェンダーとセクシュ
9
1
鈎 4年
アリティ表現J(NY
州立大学ストーニー・ブルック校。渡部
ノj
嚇「西洋音楽史のなかの女出(毎日新聞夕刊)
1
/
1
8 .
が参加)
1
/
23
0玉川│裕子fドイツ市民粧会興隆期における女子教育と音
葬議巴育環U
1
0
/
3 .が休「音楽史研究、いま女性の視点をJ
(
朝日書f
繭夕刊)
3
翻訳グループ発足
1
0
/
2
9
4
/
1
0
0永井優子「音楽l
こおけるフェミニズム」
11
/1
1 *小林「女佳作曲家のオペラJ(東京ウィメンズ・プラザ開
6
/
2
5 制嚇「音楽女性狂気 オペラの<狂乱シーン>をめ
館記念イグェントにて講潰)
く守ってJ(AWACセミナーにて発表)
1
1
/1
7 女遠藤隆子、クララ・シューマン歌曲演奏(第 2回“響一若
食田遺=ワークショップ「女・表現・行政」のパネラ
い演奏家によるコンサート"に出演)
一(日本雄学会)
6
1
1
/
2
5 *iJJl碕「西洋をまとった歌姫たち
女泊崎 I
f
者挺受容史と;女性たち J(国立音楽大学特別教育
7
/
1
0
SP
盤におさめられた
2
0人J(AWAC
セミナーにて発表)
,.
期間にて講演)
9
0西阪「シューベルトのセクシュアリティをめぐる論争か
らj
5
/
1
5 大小西奈雅子f日本女性作曲賓室盟活動の歩みJ
6
-玉J
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女性の線長男性の縛苦J[
現代戸子、ターJ1)
9
1
1
0小賀文主主
- 糊i
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欧米音葉非で主流となったく女性と音楽 >J(
W
女
子教育問題1])
1
2
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た
香J1檀r
W
音楽史の中の女たちJ
から美術までj
j
嚇「一人 4役問スーパーレテ守イ=ルイーズ・フアラン
クの帯暗に向けてJ(
W
現イザターj))
女陀作曲家の存在を知り、聴くコンサートj
の
1
0
/
1 第 I回企画 f
1996年
開催(樹兵女性フォーラムの主低会員としては、福田が
1
/
2
7 女玉J
1i
大正のお稽古ごと一良家の子女のたしなみ:お琴
出演)
WAC
セミナーにて発表)
からヒ7ノへJ(A
I
公開セミナーにて
1
1
/
6 。ノ同本「音楽表現と性差j(AWAC槻 J
2
/
4 女辻本明子ジャズボーカル・コンサート(世田谷女世センタ
講演)
1
1
一主催)
./1件「女↑生作曲家ーその壇〉れた歴史と紹介出 (
W
女子
2
/
1
0 第 2回企画コンサート I
.:::Lイミー・ビーチ個展ーその室内楽
教育問題D
I
作唱集j
開催(津田ホール協賛)
1
1
-田遺「自制本と表現活動u
(W女性教義~)
3
/
1
0
0小林I
R.ソト罫音楽ぎ較差異』の書評と紹介」
1
2
/
1
1
0玉川 I
F.ホフマンの『楽器と身体一市民文化における楽
3
-小林「言語干 :
M
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,
∞logyand 目録~enω. ByRt出Sol
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J
5
/
5
女小林「女性作曲家は何故知られなかったのかJ(大丸文
(
W
音楽学;j])
苦誌を奏でる女凶をめぐって」
1995年
1
/
8
イじコミュニティにて講痴
0玉j
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F
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ホフマンの『締と身体・・.)
j
J
その 2
0湯浅玲子「クララ・シコーマンの演奏活動j
7
/
1
7 州、林 i
1
9i
掛田ーロッパの女性作曲家たちーその歌曲
6
/
1
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.玉)
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f書 評 : HOFF
MAr'剖, F
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中e
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W
音業学JI)
をめぐってJ(第四回<東京の夏>音楽祭の企画の
2
ひとつとしてのレクチャー・コンサート)
1999年
8
/
3 女小林「女性と音楽“女1
生がf
乍るコンサート "
J(国主婦人教
1
1
2
3
レクチャー・コンサート「日本の女性作曲家 明治・大正・
昭和を通して~J(なかのZEROにて。;裁寅:辻措美)
育会館にてのワークショップ)
3
/
2
0
9
/
2
9 穴水垣玲子 i
!f音楽と女性の歴史』の務駅を終えてj
小林・大谷・木下・小中・玉)1
1
-辻・西阪/付録:市)1・
樋
1
0
/
2
7レクチャー・ CD
コンサート「クララ・シューマン没後 1
0
0年一
その実像を採るJ(東京ウィメンズプラザにて。講演:小中慶
口・湯掲
I
!
-湯 掛
子・市J
3
/
泊
予言高木要「修土論文1
19齢砂ら今齢己前半の勝校の女
5
/
3
0
性作曲家一通史的研究1
を終えてJ
0原佳代「ファニー・へンゼ/レー‘もお j出r
"を中心i
」
こ
6
/
2
9
*慶升提子 f
娘義太夫の『近代』一竹本綾之助から艶寸
7
/
7
女市J
1í女性ど音楽~女性作曲家の曲を聴きながら ~J
.部反「聾平: KRAM
四, L
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J(!f音楽学~)
0大谷「アメリカの音楽学界にっし、てJ
1
1 ・市川 I
f
女性と音楽資料案内J(
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LAJN
側 s
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J
)
1
2
/
1
2 女小林「フェミニズム音楽論J(六本木アークヒルズにて音
呂昇へJ
難鰹)
1997年
2
/
1
6
(らぽーる DAYI
刷 IGHTセミナーにて講掛
0木下まゆみ「フアニー・へンゼ/レ研究ー無言歌をめくやっ
8
/
2
9
O森みゆき「女義太夫の帝判厨一明治知東京を中心i
こJ
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1
嚇「歴史;a
里もれた女性作曲窮とちJ(
立)
1
1
市中央公
9
/
8
民館にて連続髄)
1
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0到lIfLei
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3における FannyH
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lの音調舌
動指命)く/レリンの音楽生活における再解釈の試みj
0小林「ブアニー・へンゼノレ・メンデルスゾーンーその生程
O木下「フアニー・へンゼノレのカンタータj
と作品を知ろう J(国分寺市ひかりプラザ、にてレクチャー・ C
]
0
/
6
脅辻「日本の女性作曲家たち その 2J(らぽーる
1
1
/
2
1
テレビ朝日“新・題名のない音楽会"にて「女性作曲家の
Dコンサート)
DAY
,品目HTセミナーにて講演〉
9
/
2
3 女玉)lii
楽器とジェンダ、一 J(イメージ&ジェンダー研究会
にで発表)
系譜j放映 (
3
土、資料協力)
*小林「声と身振り一音楽演奏の歴史にみる身体の扱L、
J
1
2
/
2
6
(向上)
9
/
2
8 0辻浩美「松島泰一人とf
同
女辻「日本の女性作曲家たち その 1J(らぽーる
DAY&NJGHTセミナーにて講溺
5
/
1
1 ")公務鞘屯子「西洋絵画が女性をどう表現してきたかj
7
/
6
0西阪i
A.B
.-:(ルクス:ソナタ形高命のジェンダー性l
こ
ついてJ
てj
3
.小林禰蘇軒女性作曲家抑制平凡干土より出版(本文:
0湯浅i
G.B
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zの音楽活動ーイ乍曲家、そしてヴァイ
オリニストとしてJ
0小中「音楽専門教育の間車点」
j
1
0
/
1
5 刺叫土より、翻訳出板:!fフェミニン・エンディング、一音楽・
2
0
0
0年
ジェンダー・セクシュアリティ』スーザン・マクレアリ著(番鹿足
グ、ループ訳)
2
/
2
9
女辻「日本の女佳作曲家たち J(谷戸基岩氏企画・回無市
3
/
1
4
安西阪「近代アメリカ、イギリスの女性作曲窮とちJ(向上)
制 中i
1
9世錦町ノ(';;の女性作曲勤モちj
(向上)
6
/
1
7
女王)1i
音楽史研究におけるジェンダー論の可能性J
6
/
2
5
0木下「イ底解量告:ファニー・へンゼノレのカンタータj
7
/
8
女小林「フランスの女性と音楽をめぐる動向J(日本音楽
1
1
/
1
6 レクチャー・ C D
コンサ)ト「フアニー・へンゼノレ=メンデノレ
こて講演)
谷戸公民館における芸術史講座i
スゾーン没後 1
5
0年一1
9断己を代議する女佳作曲家の生
(東京ウィメンズプラザにて。講演:玉
き方とその音楽研究J
川木下・西岡
(日本ドイツ学会にて発表)
1998年
1
1
2
5
*井上貴子「ジェンダーと音楽宇一間愚京と可能性:-rフ
1
/
3
1
貧小林「フアニー・へンゼ、/レ=メンデノレスプーン没後 1
田
ェミニン・エンデイング』を中,[,';こ」
学会関東支部定伊府究発表会にて発表)
7
/
2
3
年を記念してJ
(音楽とフェミニズムを奏で、る会主催のレク
固有の受容の諸相J
チャー・ C Dコンサート)
3
/
4
8
/
2
3
第 3回企画「没後 1
5
0年記念コンサート:回顧フアニー・メ
9/2
女小林「メノレ・ボニスってだ、れ?:女性作曲家“発掘"のプ
奏でる会封底府中の森説欄揚ウィーンホールl
こて)
ロセスJ(日本ジェンダー学会にて講演)
女小林「女性作曲家の現在J(日本音楽詩性・東洋音楽学
会合同例会のパネラー)
本ジェンダ一号告にて演奏)
6
/
1
4
OrlJ村知子「中世ヨーロッパのキリスト教音楽と女性J
8
/
2
0
0霜也日佐子「オペラf
カノレメン』にみる愛と自由J
1
1
/
7
*辻「松島委託1
8
仲 1
錦5
)
の生涯と作品J(日本音楽学会
1
1
/
1
5
0玉)lIf<少女とヒ7 ノ>近代日本におけるイメージの
成立」
ンデ/レスゾーン=へンゼルj開催(音楽とフェミニズムを
5
/
9
0高橋美雪「明治期のヴァイオリンーそのイメージと日本
宮島森池「オペラ『カルメン』ージェンダーの視座からJ(
日
1
0
/
2
9
0西}
I
I照香「博論報告:日本西洋音楽史にみる女性の位
置j
大会にて発表)
加 1年
0辻「松島東18
9
C
ト1
9
8
5
)の生涯と作品j
2
/
3
第 4 恒詮酉ロンサート「日本の女性作曲家展一松島葬・
金井喜久子・吉田隆子・渡鏡子j開催(東京文化封印
3
に比べ、う b/
丸、た中味のないものだと馬鹿にされ
2001年度第 2回例会発表要旨
る傾向にあったのである。
しかし昭和6~7年頃には、隊塑型の受容を前提と
∞
1
2
:∞
日時 :2001.7.8 (日) 9
:
会場:中野区女性会館
するような白井レビューが他の演出家の作品を圧
倒する人気を独占するようになった この頃には、
O
それまで送り手側が対象として考えてきた漠然と
した「大衆」ではなく.ある一定の世界を期待して
通ってくるコアな「ファン」が観客の大部分を占め
r
費塚の変質一---1>汝 こよるj歌車ゆら少女「の
ためのj 歌露ト一一
るようになっていたのである。
この観劇スタイルの変質は、むろんすんなりと起
こったわけで、はなかった。機関誌『歌話言語の投書欄
袴田麻祐子(助、またまゆこ)
宝塚執着'
1士、斉摘踊ヲな女性ファンが集まる特殊な
世界であるというイメージが強し、しかしそ6
鴻リ立
では、~~論型と簡輯哩の意見が幾度となく衝突して
当初、大正から昭和初期においては、現在とはその
姿も目的も客層も大きく異なっていたことは、すで
に渡辺裕によって研究されている(注1) r
賓塚少
女歌劇」としづ名称だ、った草草J
I
期は、日本物のお伽
いた。そしてその議論においては、この受容の 2つ
の型があたかも f
甥J
I
によ,ってわけられているかの
ように、男性ファンからは「つまらなし悌酔しかし
なし、女性j カミ批判され、女性ファンからは「難しし、
生加入の必要が説かれ、観
歌劇が演目の中心で、男f
客も男性と女性j
);
8:
2とし、う割合(注2
)であった。
ことばかり論じたがる男性jが非難されたのである
もちろん、この区分にあてはまらない意見、男性か
らの槻射守な投書や、女牲による冷徹な佑lJbo 演技
捕手も、投書欄には寄せられてし、九さらに言えば、
糊樫・評論型とし、う分類は便割台なものでしかな
く、同じ 1人のファンが両方の型の受容を気分冬場
0
O
1.員会音tJ体一三明司矧'-tの
筋立は、この頃の賓塚持1
いわゆる「知識人j たちから、歌舞伎に代わる新時
代の「国民劇」の「未完成j な段階であると位置づ
けられていたことを指摘したので、あった。
国民虜I
j
j 路続は転換したのか。
では、なぜその f
に応じて使~.、分けていたというのが本当であろう。
年に演出家・岸田辰
その主な要因としては、昭和2
輔が発表した日本初のレビュー『モン・パリ』が挙
げられることが常であった。だが『モン・パリ』の
レビューブームは一過性で、しかなく、実際に現在の
だがそのような現状は議論の際には全く無視され、
f
男性j も f
女性j も、自分たちの主張針生日J
I
で完
全にくくり、発言するときには同性の代表として異
性を攻撃するといった論調になってしまうのであ
る。敵対する性への非難は激しく唱えられるが、
「女性=槻棋聖J r
男性=梅干型」という自分たち
の性別に割り当てられた受容のステレオタイプを
否定するような意見は出てこなかった。
この「男性j 対「女性Jの対立の構図は、ファン
の間でも 番の議論の種で、あった少女歌劇j
への男
年に
宝塚歌劇に続く方向性を決定したのは、昭和5
1
鋭x
l
・1
錦3
)
パリから帰国した演出家・白井議造 (
がはじめた一貫した物語をもったレビュー(オペレ
ッタに近いもの)だといったほうが正しい。
白井は、レビューに物語性を付加することにより、
岸田のレビューが売りにしていた新奇さの刺激で
はなく、観客の感情移入からうまれる舞台世界への
)。本
隣酔を観劇の価値にすることに成功した(注3
発表では、白井レビューによっておこった作品の変
質により、少女歌劇であることが「未完成j だとさ
れていた賓塚が、少女歌劇I
であること自体に積極句
な意味が見出されていくようになる過程を、主に受
容スタイルと受け手の層の変化から概観し九
白井が可能にしたような深い随酔を伴う受容ス
タイルは、じつはレビューの始まったばかりの墳に
開
は主流で、はなかった。最初に述べたとおり、韓l
性加入論の賛否の対立にもそのまま持ち込まれた。
少女歌療トの男性加入は、賓塚草創期からの小林一
三の希望であり、先の対立でいえば「男性j ファン
の方から支持されているということになっていた。
年、賓塚の生徒と外部の男t
割非優によ
しかし昭和7
って試みられた「賓塚パライェテイ j としづ公演の
失敗により、小林一三自身が「男性加入の必要なし」
の賓塚は「国民虜むへの発展を期待する知識人たち
によって支持されていたのだが、そうした人々から
は、阪官への感情移入をする随弼哩の受容は、醒め
という文を『歌劇辺。喜和7
年4
月)に発表すること
になる。こうして少女歌劇は「国民劇Jとしての発
展よりも、その独特の甘い雰関気を保つことこそを
艶見するべきだというのが共通見解として設定さ
れることとなった。ここにし、たって、「未完成」だ
少女による J歌劇
ったはずの少女だけの歌劇が、 f
た自で全体を見渡し作品を批評する評論型の受容
であることそれ自体に意味があるものとなったの
6
たものでもあるし、ジャーナリズムで普量がれる女優
をめぐるスキャンダソレから賓塚を区別するための
歌劇団側のやむをえない戦略で、もあった。昭和 1
0
である。
少友歌劇i
独特の甘さが賓塚の価値として認めら
れたことで、それに臨酔ずる感情移入型の受容はよ
4
, このような受容をしていたファン
り勢いをもっ t
年5
月、小林一三の
たちの寄せた「二年も三年も後になって舞台を偲び
という記事が『歌顔:lIlに掲載されることにより、賓
ながら歌えるような歌が欲ししリとしづ投書や、
「なつかしの君が歌ひしよき歌を我も歌ひてひと
りほ』えむj としづ短歌などには、彼らにとって舞
台世界がもはや一過性のもので、はなく、自らのなか
塚は少女「によるJ歌劇というだけではなく、純真
な「少女」とし、う固定したファンの「ための」特殊
な団体となったので、ある。
に深く蓄積されていく思い出であることがよくあ
ふれる作品を提供し続けた白井鰭造は、登場人物に
らわれている。こうした過去のレビューの思い出は、
開手した発言を度々残し、死や悪のない美しい夢の
新作レビューに以前との共通点として見出された
ときに、「なつかしさ」とし、うより親しし、感情へと
世界だけを描くことを好んT
二その白井の描く世界
r
乙女ごころ』を尊重したしリ
この賓塚の変質の日新t
をリードする「甘し、夢Jあ
の「甘さ」が、少女「のみによる J歌劇の「甘さ」
と」致し、やがてそのような「甘さ Jが I
少女性」・
昇華される。白井レピ‘ューのおきまりの演出やワン
「少止」的な世界であると読みかえられていくと、
このような白井の人間性も、彼の自発的な個性では
パターンの筋のくり返しが、ファンにとってはマン
ネリとしてではなく、「なつかしさ J として好まし
く受け止められるものとなったのである。こうして
なく、 I
少女性Jまたは「少女Jの気持ちへの深い
白井レビューは「賓塚の正統Jとみなされることに
なり、賓塚の模索期は終わったのだ、った。
理轄として賞讃されるようになってしりた。
「費塚の正統」とされた白井レビューは、西洋で
流行の歌そ噴出を用い、西洋世界を舞台にしたもの
で、あった。しかしだからとしりてファンたちの博輯f
こうして白井の夢の世界と f
少女性j との幸福な
一致により、費塚少女歌劇はマンネリに陥ることの
なし積樹旬な価値をもった「定型j を司式させ、現
在につづ、くことができた。しかしその完成は、宝塚
が西洋文化への撞れだったと解釈してしまうのは
単純にすぎる。白井レビューは、岸田の佑晶と同じ
の干鴇売に功を果たしたと言える一方で、宝塚レビュ
ーの他の可能性や、院酔型のファン以外の意見、そ
ように西洋を描きながらも、その描かれ方はより観
してなにより「少女J以外の観客を封椴し、宝塚が
閉塞していった歴史ともいえるのである。
客が障酔しやすい思想化されたものになってし丸
また同時期に日本物で評価を得た作品は、現実の生
活に近いものではなく源氏物語や忠臣蔵などの古
(非会員・大阪大学大寺主院支持形2
科音楽学博士後期謀鶴
典日本を描いたものであった。これらのことから考
えると、ファンたちが賓塚に求めていたのは、同時
代の暗い現実から逃避して「なつかしく j 陪属寸る
ことのできる「夢」の世界だったのだということが
できる。この「夢」の世界への志向が、やがて「少
注1 ・控室]11裕『宝塚寄繍lの変簿ど日本近代~
(新書館、 1
9
9
9
年)
注2・津金津聡庭「大正・昭和戦前期の総合芸術雑誌、『歌
恵
国 (
1
9
1
8
'
"
'
'1
9
4(){同の執筆者群と読者層JW復~服歌劇
彰嘩者索引・解説編~ (雄松堂出版、 1
9
9
9
年)に掲載のデ
ータを参考にした。
注3・岸田から白井 のレビューの変化、及び白井レピュ
ーに描かれた世界の意味についての具体的考察は拙稿
r
WレビューJ
の変遷一岸田辰爾から白井鑑査へーJ (
W
ユ
リイカJ2 1
年5
月号、 1
8
2
1
9
4頁)を参照されたし L
女性j へと読みかえられていくことになる。
それまで、費塚少女歌劇の方向性を甘く純粋な夢
の世界に限るべきだとしづ主張は、主にその演じ手
である少女の純粋性を護ろうとしづ趣旨でなされ
てき t
4
, しかし女性ファンが急増した昭和8
年頃か
ら、賀塚や松竹のフ、アンの狂態や、女優と「不良マ
∞
ダムj の同性愛などが、ジャーナリズムに取り沙汰
されるようになってくる。こうして「女性」のなか
にもさまざまな層があることが明らかになってく
ると、わけでも一番理相怜観客として I
少女」が
クローズアップされはじめるのである。
少
これはファンである[少女j たち自身からの f
女歌劇と名づけましたからには、私共の幸福な夢で
はないのでせうカサといった投書によって求められ
7
まざまな側面が持つ男性性、演奏家に対する作曲家の
権威、女性の創造性についての偏見などに起因するも
のである。 1
9世紀の科学によって、産む性としての
女性に帰せられたステロタイプは現在も音楽界に生
きている。たとえば、「女性の創造は出産にあり Jに
始まる女性の語i
随力欠如の神話、身体・主観・非論理
性などを女性と結びつけ、またこれらすべてを対応す
る男性性(精神・客観・論瑚主なめに対して価値の
低いものとする発想である。「自分は作曲家で、あって
女性作曲家ではなしリというある友性作曲家の言葉に
代表されるように、女性作曲家のなかには、作曲家と
して認められるために、意I
Jf科こおいて白らが女性であ
ることを否認する傾向もある。女性として例外であろ
うとすることは、女牲の劣場主を認めるとし、う結果を
も招きかねなし、。 [CD鑑賞 フア二一・メンデルスゾー
ン=へンゼル〈ピアノ三重奏曲〉よりにうした性別概念が
明確にされた 1
9世奇ι女性としての規範に従いつつも作曲
2001年度第 3回例会発表要旨
∞ ∞
日時: 2001. 9
. 9 (日) 9
: 1
2
:
会場:中野区女性会館
第1
3回女性学・ジヱンダー研究フォーラム
r
いま、なぜ女性作曲家かj
参力端告:
西阪多恵子(にしざかたえこ)
2
∞ 1年 8月 24日から 26f
lにかけて、ヌエック(国
立対主教育館官・埼玉県嵐山)におして第 1
3回女性
学・ジェンダー湾問フォーラムが開催された。総合テー
マf
2
1世記に向けての男女平等・開発・平和ー働いて生
きる」のもとに、全国から 1
4
∞人余りが参加、 1
0
6も
のワークショップが行われたこのフォーラムで私は
市川啓子さんの協力を得て「いま、なぜ女性作曲家か」
と題する自由ワークショップを行った。
9月例会においては、私が参加したワークショップ
についての感想と自分自身の企画・実施について報告
し九以下はその後半部分、「し、ま、なぜ対空作曲家かJ
の概要である。
演奏活動を続けた作曲家の例) 1
2
. 女性作曲家研究のいま
こうした背景にもかかわらず、女性作曲家は歴史上
白数多く活躍しており、欧米においてはこれに関する研
知 q 鮒年{切降急速に進んだ。それには 1
9
関年
代後半以降のフェミエズムの影響も大きい。だが、今
日の日本の音素掃慨は、フェミニズムを経ずしてすで
にポスト・フェミニズム朕猷況といえるた、ろう。ジエ
ンダーが言及されるのはまれであり、その際もジェン
ダ一概念は中立的な知的探求の道具となりがちであ
る。ジェンダー砂移E
が現状変革をめざすフェミニズム
から生まれたこと、苦楽のフェミニズ‘ムが歴史上の女
性音楽家の発見なしにありえなかったこと比忘れら
れているかにみえる。西洋芸術音楽史に関して、女性
の視点が問われることはほとんどなく、音楽史上の女
性やその音楽に対する音楽研究者の関心は乏しい。音
楽界の非社会性の表れでもあろうが、またそのなかに
ある女姓たちが 7
0年代のフェミニズムを一般女性と
して共有しえなかったことも関連しているかもしれ
ない。国のため、子供のために連帯することはあって
も、女性として自分たちのために連帯するという組験
がなく、そうした発想、も日本には育っていないように
思われる。
I企画の趣冨:クラシック音楽界の女性蔑視、とくに
女性の創溜主に対する偏見と、女性が実社会で直面す
る諸問題との共通の根について参加渚と共に考え、社
会的な連帯を培うためのステップとすること。
E方法:以下の内容を CDとビデオを交えて発表し、
その後、自由討議を行った。レジメにくどう思います
か>と題して次の三つの聞いを載せたが、これらにつ
いては劫暗に直革調いかけるのではなく、討議の際
の論点にもなるよう、発表の中で間接的に創設Lた
。
①クララ・シューマンのーファンの言葉[クララ・シ
ューマンは女性作曲家ではなく、作曲家で、ある j とは
)
>
0<i漏近知られるようになった 1
9世
どうしヴ意味1
紀の女性作曲家たちは生前は評価されていなかった
のれ③女佳作曲家の作品と男性作曲家の作品に違い
はないの n~
また同様の意図で、レジメに、女性と作曲に関する
1
9世紀から現代までのコメントを八つ挙げ、その発
言者を当てるクイズも掲載した。なお、参考資料とし
て、「し、ま、日本語で読める“女性作曲家研究"関連
文献紹介J( 械 ・ 静 静 子 → p.14・
1
5
)を西部しt
4
,
3
. 連帯:1
9世紀末の女性運動と女性作曲家
9世誕沫の女也軍動と当時の
連帯の力の先達は、 1
英米女性作曲家の活動や昔有面との密接な関わりにみ
られる。主に中産階級の女性に限られた状況ではある
が、興味深いことに、女性の美徳としサ規範は、女性
を単に抑圧したのではなく、誇りや自信を培い、女性
の4
土会進出を促す力にもなったので、ある。社会に対す
題発表向容:
1
.r
作曲家は男性」という通念
「作曲家は男性」という逸念は、作曲家の多くが男
性としづ数だけの問題ではなく、クラシック音楽のさ
8
を節約するためもあって単刀直入、自分の個人的背景
について一切触れなかったのだが、それも、こうした
場にはなじまなかったと思われる また、討議につい
ての準備が足りなかった。形式としては、私カ可也に参
加した四つのワークショップのいずれもほぼ同様に
ど、デオを交えた講義中心の形であったが、「女性作曲
家」は多くの参加者にとってなじみの薄し、テーマであ
るだけに、参加者が自分の問題として感じ、参加した
克惑がもてるような工夫が必要で、あった。
それでも、フロアからの小桝示氏による補足説明に
より、し、くぶん友女子自告な雰囲気になり、終了後は何人
かの参加者から、「考えさせられたJ i
来る人も学ぶ
姿勢がなくてはJ等の声が寄せられた。少なくとも、
甥1
'
非対称とし、う問題があると
クラシック音楽にも4
いうことは参加者に伝えられたと思う。社会と音楽研
究との接点について改めて考えさせられた次第であ
る。最後に、応援に駆けつけて下さった女性と音楽研
究フォーラムの方々に感謝したし L
る女性ならではの貢献をめざすことにより、女性運動
甥I
股割分担を拒否するのではなく、むしろ社会
は
、 f
的にまっとうするための参政権運動としづ色彩を強
めてし、く。桂会のための連帯が女性たち自身に実りを
もたらす。とくに政治的とし、うわけではない多くの女
性作曲家が参政権運動の募金コンサートなどに参加
した。そうした行動が連帯感を育み、女性の作品の演
奏や出版を促進する。当時め音楽:書そ音楽雑誌には女
性作曲家に関する議命も多い。そこに女性蔑視もみら
れるとはいえ、少なくとも女性は目に見える存在だっ
たのである。これに比すれば、平等幻想のもとで事実
上女性樹敵している今日の音楽書の方が、「作曲家
は男性J.
!
:1t、う通念を無話劇こ強化するとし、う点でし、
G
っそう問題かもしれなしも一方で、 1
9世紀に女性に
J
I
役
ふさわしし、とされたパーラー歌曲は、音楽上の性l:l
割分担ともいえるもので、単純、容易、感鱗セであり、
芸僻守な価値は低し、とされてしも。この男性による価
値基準は、1.で述べたことに対応する。だが、それ
らの歌曲を書いて演奏した女性の状況と視巨を想像
するならば、そうした価値基摺こ対する疑問も生じよ
う
。 [CD鑑賞:メアリ・ナイトウッド〈蓄額の茨>(典型的な
パーラー歌曲の例)]
(国立音楽大明E
付属図書館勤務)
付記:
私が参加したワークショップはし、ずれも学ぶとこ
ろが多かったが、その一つで遭遇した印象深い一件に
ついて記しておきたい。女性の働き方をめぐる自由討
議のなかで、ある参加者が自分の出身地のすさまじい
I
のある参加者が
女性離島こついて語ったところ、百J
「なぜここで、訴えるのか、立ち上がって闘わないの
かj と怒ったのである さらに「モノもいえない制兄
7
むという答えに対し「だから世の中が変わらなし切
だJ と激しく非難した。そのとき司会者(ワークショ
ッブロ主宰者)は、この非難に対しては何の見解も示さ
ず、最初の発言者に対し、「大変で、しょうが、がんば
ってくださし、Jと励ましてその場をおさめにこうし
て、主宰者も自分も含めて参力附すべてが、弱し、者の
声に耳を傾けようとしないもう」方の者の態度を黙
認してしまった。残念でならなし、極論すれば、これ
はレイプの被害者に対して「なぜ抵抗しなかったか」
と持監するのを認めたようなものだろう。女性の品購
を考え、世の中を変えようとするならば、何よりも弱
し者の声、さらには声なき声に耳をすまし、他者の痛
みを分かち合おう、珊干しようとすべきではなし、だろ
4. パフ才一マンス・アーテイストの創造
現代のパフォーマンス・アーテイスト、ダイアマン
ダ・ギャラスは、演奏と作曲、芸術制嗣直と担会糊面
値といった区別を無化し、他者との関わりによって生
きる音楽を創り出す。それは、既存のクラシック音楽
の概念に反する一方で、歴史的な女性の音楽の営みに
通じる。音楽史における女性作曲家のそうした側面に
光をあてるところから、クラシック音楽への見方を新
たにする可能性もあるだろう。[ビデオ鑑賞・疫病ミサ]。
O
N感想・反省
当初の予想は、参力暗に音楽史や女性作曲家l
こつい
ての予備失識がなくとも、音楽と社会が共有する問題
から話し合いが可能であり、そとから音楽界の内外で
の連帯を培うきっかけが得られるだ、ろう、というもの
だったが、いささカ楽観的すぎた。討議の際、 2
0名
余りの参加者の多くは、発表内容に関車した発言では
なく、やり方に対する批判(参加者の反応を鮒見した
講義調、話が難しい、議論の時間が少ないなど)に終
始し、私もこれに引きずられて、話合いを展開させる
余裕を失った。
発表では、上記Eの 1で問題の基本条(牛、 2で音楽
学界という社会の現実について語り、 3で樫史の先達
から励ましを得、 4で現代の音楽から音楽史に希望の
光を照らし出す左いう構成を図ったのだが、与えられ
た開閉(
2時蹄に対して内容が多すぎた。さらに時間
う iJ ~o 怒りの矛先を誤つてはならない。男女平等と平
和を願うフォーラムでとのような発言がまかりとお
る現状に、道程の遠さを痛感せずにはしもれなかった。
9
ったc その際、商業資本がモデルを提供したが、そ
2001年度第 3回例会発表要旨
∞
.
.
.
.
.
1
2
:∞
の代表である三越百貨屈は、自らの社会制吏命を、
新しい都市生活者にふさわしい、ワンランク上の新
日時: 2001. 9
. 9 (日) 9
:
しい生活スタイルを提示することにあるとした。基
会場ー中野区女性会館
本理念は和を排さなし、形で生活を洋風化してし、くこ
とであり、提供される具体的な商品はその実現手段
とみなされた。三越の提案する新しし、生活スタイル
第 3[e]アジア太平洋音楽教育シンポジウム報告
玉川 裕子(たまがわゅうこ)
の中には西洋音楽も含まれていたが、当時間崖され
た子ども博覧会や PR誌においてピアノが取り kげ
2001年 8月 23日から 26日にかけて、愛知
県玄術文化センターにおし、て「第 3回アジア太平洋
られるとき、多くは少女と結び付けられていた。
音楽教育シンポジウム&国際シンポジウム『裏声』
女たちに広く読まれていた『少女の瓦』のさまざま
二このシンポジウムは、
とジェンダー」が開催され7
な記事やイラスト、写真の中にもみてとれる。注目
この「少女とピアノ」としづ結びつきは、当時少
アジア太平洋地域の人々が自らの地域の問題につい
されるのは、ここではさらに「慈愛に満ち溢れた母J
て編命するために組織されたもので、韓国、中国、
のイメージが、ピアノを弾く少女の憧れの対象とな
インド、オ大ーストラリア、アメリカ、日本、それに
るよう行組まれていることである。当日主女子の中
フィンランドとイギリスからの参力i
晴が一堂に会し
等教育の必要性が国家によって諒哉されつつあった
f
こc最初の三日間は、さまざまなテーマに関する個
が、その目的は、国家の基盤としての家庭の強化に
人発表およびシンポジウムが行われ、最終日のみ
貢献寸る良妻賢母の育成で、あった。慈母に憧れるピ
r
w
裏声』とジェンダ、-Jという統一テーマカ濃けら
アノを弾く少女のイメージは、こうした期待される
女性像に見事にマッチするもので、あったまたピア
れた。
ノは、ど、こにで、も持って歩けるヴァイオリンと異な
本報告では、私自身の発表と、最終日の個人発表
り、東主もしくは女学校に固定されざるを得ず、女
およびシンポジウムについて紹介したい。
性の領域を家庭に限定するためにも恰好の道具であ
I 報告者自身の発表: ADa
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児島t
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った。
以上のような私の発表に対して 3つの質慣がなさ
れた。
本発表では、近代市民祉会における仁少女とピア
1.なぜこのような研究を行ったのか。
ノ」というイメージの結びつきが、近代ヨーロッパ
のみならず、近代日本においても観察されることを
私自身、高度経済成長のH
割t
に幼少期を過ごし、
指摘し、ピアノとしづ楽器がどのように期待される
保護者の意向によってピアノ教育を受けたことの社
女性像と結びついていったかを、歴史的・担会的文
会的背景を間いたかっ t
c
.
"
2
. 現在ヒ アノ教育の普及率は下がってきており、
脈の中に探った。
o
第一章では、ドイツの場合を例として、近代ヨー
状祝が変化しているのではなし治、
ロッパにおいてピアノが良家の子女の必担利回とな
私も同じ議哉を持っている。
3
. m
i
d
d
l
eC1assの定義の間態
ってし、く過程が、近代家族の成立に伴う女性の宗庭
内への囲し込みと軌をーにしていたことを指摘した。
歴史学の分野においてドイツ市民階級の概念を
第二章以下では日本の場合について検討し、戦変の
めぐって長い議論がある。日本に関しては、本発表
高度経済成長期にみられるピアノの急速な普及の原
に如、てはとりあえず、「高等教育を受け、対語およ
型が大正E
軒t
にみられるとし、う報告者の見解に基づ
び子どもを基本単位とする翻案を俸給によって扶養
き、おもに 1910年から 20年代にかけての時期
する、都市の住国と定義する。
に急速口勤。してきた都市中間層の生活様市乃形成
過程に、ピアノの普及の要因を探った。
E 国際シンポジウム
この時代、高等教育を受け、夫婦および子どもを
基本単位とする家族を俸給によって扶養する、東京
a 個人発表
キ大阪等の大都市の住氏一いわゆる新中間層ーは、
紅会的上鼻を夢見て、自らの生活様式を形成してい
:
r
裏声Jとジェンダ-
私のテーマと重なる発表が二つあった。ひとつは、
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丑田
韓国の S
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説rument
で不可避的に生じた、欧米からもたらされた新しい
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eと題された共同研究で、韓国の芸術
風俗・習慣と、人々がこれまでに慣れ親しんだそれ
高等学校の生徒が主専攻とする楽器を選択するにあ
との出会いがどのように経験され、また、もしこれ
たって、ジェンダー・ステレオタイプがどのような影
まで、の異文化接触が非対税論旬なもので、あったとした
響を与えているかに関するアンケート調査カ瀬介さ
ら、今後どのように生産的なものにしていく可能性
れた。調査結果自体は興味深し、もので、あったが、楽
があるのか、とし、う非歌米諸国の停車重意識が、欧米
2
前
コi
望者百こあたっては、ジェンダ、ー・ステレオタイプ
文化圏からの参加者に共有されにくかったことであ
よりも保護者の意向の方が強く働く等の熊釈に関し
る。両者の関心のずれが、結果的民議命の深まりを
て、樹験者の偏りや摩史白悦昆点の導入の必要性など、
妨げていたようじ臣、われた。
もう一つは、言語の問題である。英語が共通言苦
課題も多いように思われた。
nder
もう一つの個人発表は、杉江淑子さんのGe
とされ、最終日のシンポジウムは公式に通訳がつい
D:i品問n田 s i
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伺 1
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町 田 町g o
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たが(但し日仲英のみ)、他の場合も必要に応じて通
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yClimateであ
訳を頼むことは可能で、あった私は、発表後の質疑
る。とれもアンケート調査に基づくが、データ処理
応答の際に通訳を依頼し九しかし、私の知る限り、
等の方法が興味深く、いずれ論文としてまとめられ
他に通訳を使った参加者はし、なかった。それは、他
ることを腕寺したしも
の参力暗が充分な英語力を有していたためとし、うよ
b
. シンポジウム:r
裏声jとジェンダー
英語能力をもっ非英雫圏からの勤時も数多くし、た
りはーもちろん、日本からの参加者も含め、充分な
近年、日本の歌謡曲において、男性の声が高くな
ことはし、うまでもなし、一、はるかに「開諸として
り、また女性が表声(地声)を張り上げるようにな
英語能力は必須条件」という、「英語帝国主義jの無
り、声の男女差が小さくなってきているように思わ
言の圧力によるもので、あったよう
れるが、ジェンダーとユニセックス社会の視京から
ュニケーションの道具としてある言語が共通言語と
男女の声の変化を間い度すことが奇瑞E
ではないか、
されることに異存はないし、私自身の英語力の欠如
とし、う問題意識に基づいて企画されたテーマで、ある。
が私の怠楕と能力不足の結果であることを否定はし
ι思われる。コミ
各パネリストの発表は、声を社会学的観点のみなら
ない。しかし、英語運用能力の有無が、個人の努力
ず、生理判ヲ観点からも衡正し、部分的には興味深
の結果であるのみならず、また受けた教育やその後
い点もあったが、企画の趣旨が必ずしも理解されて
の研:究環境等によって大きく左右される現状におい
いたとは言いがたく、個々の視点が関連付けられな
て、その能力があたかも研究者の能力全体に関わる
かった。
かのような集団意識が働くとしたら、そこに発動し
また、企画者の「歌は世につれ、世は歌につれJ
ている権力を問うべきではないだろうか。何よりも、
白台解釈の妥当性もさることながら、言説そのものに
英語運用能力の不足が肝心の議論の深まりを阻害し
大きな間魁夜、を感じた。「男は低い声、女は高い声J
ていただけに、なおさらである。
とし、うジェンダP
一規範から働率放i
s
一方で、主張され
(桐朋学園大学・高校教員)
ながら、たとえば、男性の声が高くなったことを「男
声の女声守生)イむと名づけたり、男性の声の高音
<参考文獄>
化を、車享長大から軽薄短小としづ価値観の変化と
大会醐7
資料:
結びつけて解釈することは、むしろ「郎、一女性
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軽い・短し V というステレオタイプを強化するので
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はないだろうカも
E その他
「裏声とジェンダーの国際、ンンポジワムプログラムと
この学会に参加するのは初めてで、あったが、テー
マとは別に、強く印象に残ったことが 2つほどあっ
第 3回アジア・太再羊音楽教育シンポジ
抄録・杉叡Jf
た。一つは、 G
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出 n庄ρ回且z
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nをテーマと
ウム』および『裏声とジェンダーの国際シンポジウム』
したパネルヂ、イスカッションで、もっとも強く感じた
実行委員会編
ことであるが、非歌米系諸国における近代化の過程
2
∞
1
.8.26)
1
1
(愛知教育大学・音楽教育講座
2001年度第 4回 例 会 発 表 要 旨
∞
.
.
.
.
1
2
:∞
日時 :2001.11.11(
日) 9
:
会場:中野区勤労梧祉会館
ガントレット恒の生涯から見えてくるもの
市川 啓子(いちかわけいこ)
はじめに
ガントレット恒は、ご存知の方も多いと思うが、作
曲家山田耕搾の長姉である。この人の生涯に興味を抱
却 e
1
いたきっかけは、あるキリスト教の菊澗 σheCh
T
i
m
e
s
) で「良き母親は良き母を生むー音楽家山田耕
停の母久子、恒子、エイミーが受け継いで‘きた信仰と
知恵」と題する記事を目にしたこともあるが、その後、
『朝日人物事剰での紹介に「一太平洋戦争に反対し
なかった非力を反省している jとの一文を見出したこ
とである。どのような時代に生き、どんな生涯を送っ
た女性なのだろう…と興味を持って調べていくうち
に、彼女への尊敬の念が深まる一方、自分としては直
視したくない重大な事実に突き当たることとなった。
音楽家研究ではないが、今後の私たちの進む道への課
題提供の意味もこめて、諦くた範囲で感じたことをご
報告したいと思う。
1
.
ガントレット恒の生涯とその生きた時代
1
8
7
3 (明治 6
)年、愛知県三河の国で生を受けた恒
は、最初は猪九子という奇体な名を授かった。(改名の
時期は不明)父山田謙三は板倉藩御殿医の息子、母久
は同藩の馬術指有役の肱世は明櫛鶴椴の騒然士る
頃である。母が恒を身ごもった頃、父は突如丁醤を切
り、単身東京に行ってしまった。 2等殺に戻ってきた
尉毎しぼりの反物で商売をしようと
父は、三河名産のH
再び上京、牛込に居を構えて仕事を始めtc.
o 母は意を
決して夫の後を追い、幼い恒を伴って上京。その際、
駕龍にも乗らず、赤ん訪を負って歩き続けたという。
恒は幼少の 3
'
"
'
'
4年間、叔父叔母に当たる大塚正
心・かね夫妻に養女として育てられるが、この二人は
彼女の生涯に大きな影響を与えた。かねは母久の妹で、
立した女子神学校の
明治親闘にミス・ヤングマン広場j
第 1田卒業生 j
場正心は、静岡の医者の家に生まれ、
自身も医者として修業の後、原捕胞と同時代i
こ受払
乙慰廃園を創立して、一生涯を擁(ハンセン氏
東京目黒l
病)患者の救済(医師としての手当てと魂の慰め)事業
に捧げた。この大塚夫妻にことのほカぜ愛された恒は、
無言のうちに、キリスト教の信仰と奉仕の精神とを植
えつけられ、彼女の一生の働きを支える力となった。
まさに「三つ子の魂Jである。
一方、戻ってきた生家で、は、商売が順調に進展する
につれ、父の放蕩、言L
f
r
、妻への暴討が激しくなり、
時には妾が 1
3人もいたとし寸。おどおどと家の空気
を見守った幼い日の悲しみが、後に婦人解放の働きに
身を投じさせる原動力となる。こんな夫に精神的苦悩
を深くしていった母は、妹かねの勧めで信仰に導かれ、
自害さえ加えていた父謙三
受洗。久の信仰には冷淡で1
で、あったが、ある H、「ヤソ教には、素人でも行けるの
か ?J と開き、「みんなで行こう!Jと!苫の番頭から家
族全部、人力車を連ねて礼拝に出席 謙三の生活は変
わって行った。ついに信仰を得た彼は、 転して幻灯
機を持って各地を謝寅、伝道師叫動きをするようにな
る。その頃生まれたのが、三男悪酔である。その父も、
簡素、財産、家族を次々に奪われるという、この世的
な試練を受けながらも、感謝の内に 4
9年の短い生涯
を閉じる。↑亘 1
9歳のときで、あった。
大塚夫妻の配慮で、恒は 5歳のときから当時麹町番
町にできた桜井女学校の寄昔舎に入」れられ、新教育を
受けた。その後、生涯の臥矢島梶子の新栄女学校を
経て女子学卒完に学び、前橋の上毛共愛女学校の英語教
師となった。このときの同僚ミス・パミリーとの出会
いが、また、彼女の一生を支配することとなる。この
宣郡市は、ーに矯風会精神を、二に健康を、さらには、
夫となるガントレットとの出会いをも導いたのた
エドワード・ガントレットは、イギリス人で、英国
教会の榔市の次男。渡米した後来日して、東洋英和学
校の英語教師をしていたが、パイプオルガンを本郷の
中央教会に据え付け、音楽会を催して有名になってい
た。恒はこのガントレットと、軽井沢で、出会ってから
4年後の 1
8
9
8(明治 3
1
)年に、 2
5歳で日本最初の国
際結婚をする。日本の役所では結婚届が認められず、
英国国籍を得てからの結婚となった特筆すべきは、
このときの条件である。婦人解放のために一生働くこ
とを許すよう、また、それに対する費用は自分で働き
出すが、時間は与えてくれることを申し出た。夫は受
諾し、生援それを貫いた。そして、言語・溜貫の違い
を乗り越え、ユーモア同高ちた明るい家庭を築いた。
9
0
1 (明治 3
4
) 年より岡山に滞
夫の赴任に伴い、 1
5歳の耕停を預y
ρ る。耕俸は、義兄ガ
在、その地で 1
ントレットからオルガン、ヴァイオリン等音楽全般を
吸い取り紙のように吸収し、音来志望の道を得T
こ。音
楽学校へ{の入学も義兄に支えられるのである。
その後、金沢、山口での生活を経た後、 1
9
1
6(大正
5
)年、帰京。夫は東京商ヰ大学(現一橋大学)教抵
恒は、梯十英語専門判受や東京女子大学に教鞭をとり
ながら、日本キリスト教婦人矯風釘コ活動を通しての
全七会運動に、本格的に打ち込み始める。それは、一男
0歳の生涯を全うするまで続けられたが、
五女を育て、 8
.
c
太平洋戦争をはさんだ、極めて厳しい道のりで、あっ t
o
1
2
3
2
日本キリスト教婦人矯風会
ガントレット恒の生涯を語るには、日本キリスト教
婦人矯風会について説明せねばならなし L その源は、
米国オハイオ州に端を発する菊酉運動で、ある。桓の生
8
7
3年、南北戦争によってもたらされた飲酒の害
年 1
がアメリカ社会を蝕み、オノイオ洲のJ
t
都市ヒルスボ
ローで¥教会婦人たちが立ち上がる。市内の酒屋に祈
りつ寸酉の販売中止を切鳳十数新酒屋が間百し、
この運動は、予期せぬ勢いで各地に燃え盛っていっアこ。
ついに、 1
8
7
4年米国キリスト教婦人矯風会、 1
8
8
3年
には阿片の現実にも目を向け、世界キリスト教婦人矯
風会が誕生しt~ 1
8
8
6年に特派員ミセス・レピットの
来日により、日本にも婦人矯風会が設立されるが、日
本に上陸してからは、菊酉逼動にとどまらず、平和・
純潔・封肘酉を三大目標にし、一夫一婦制、公娼廃止と
いう人権闘争を主体とした女性解放運動を繰り広げる
こととなる。日本の風土がそれを要求したこともある
が、初代会頭矢島梶子の功績が大きい。 1
0
0年後の
1
9
8
6年には『百年史J
J1
(
②)を編纂し、アジア女性の
緊急避難斉「女性の家 H
ELPJを設立現在は会員数
2
5
∞名で全国に 9
0の支部をもち、活動を続けている。
謝七で 1
9裁から入会した恒は、
ミス・パミリーのJ
帰京後の 1
9
1
7年青年部長を皮切りに、得意な英語力
で国騨切こ活躍した。 1
9
2
0年にはロンドンの第 1
0回
世界大会、 1
9
2
8年にゆホノルルで、の第 1回汎太平洋
9
3
0年にはワシントンでの戦争原因及防止
婦人会議、 1
法研究会に日本を代表して出席。次にロンドン軍縮会
議委員に f
軍縮請願書J (
1
8万人の日本女性署名)を
9
3
7年には、第 1
6回世界大会の平和大会に
手複す。 1
て「平和広域百来」と題する演説を英語で行い、参会の
人々同誌銘を与えたという。同年、パンクーパーにて
聞かれた第 4回汎太平洋婦人会議では、会長としての
重責を果たす。しかし、その最中に日中戦争が勃兎
次第に太平洋戦争に巻き込まれていくこととなる。
くことなく侵略戦争に積極的に加担したのだろうれ
9
3
1年満州事変(相操湖事件)のときの
ひとつには、 1
情報の不足による判断の5
王し、があるが、廃娼運動にお
ける[醜業婦」観に表れているように、底辺の女性、
またアジアの女性への差別意識がなかっただろうカも
現在では、上記の点i
こついて、田代美江子(③ p
.
1l5~148) 、片野真佐子(④
p
. 235~254) 、鈴木
裕子(⑤ p. 6~31) 等により、さまざまに批判さ
れている。また、婦人運動と太平詳戦争と戦争責任に
ついては、鈴木裕子、大越愛子、上野千鶴子等による
意欲的な研究がなされている(⑥,⑦,⑧,⑤,⑮z⑪
)
。
矯風会の偉いところは、反省、働毎に基づいて次な
9
4
7年に内閣総理大臣片
る運動を再開した点である。 1
山哲に宛てた決議文に「一世界平和を含瀬し其確保を
目指して来た本会は大東亜戦争に際しJ如何なる理由の
存したにもせよ能く之をF
白土し得なかった怠りと無力
を酸悔し、新たなる覚悟を以て恒久平杭確立のための
最善を尽くさんことを期し、…J (
② p
.6
9
7
) とあ
る
。 1
9
4
6年に会頭に就任した恒は、焦土からの再建に
始まり、 1
9
5
3年に 80歳で亡くなるその日まで、文字
通り新たな平和運動に身を掛ずた。「一粒の麦J
を思わ
せる頭の下がる人生行路で、あった。
J
4
. 歴史を見る視点
昨今、日本の近代史を見直す機運が高まってはいる
が、正視したくなし事実にはとかく目をそむけたくな
る。例えば、女性は差別される側だけにあったのか、
私たち自身の視長はどこにあるの均等々。音楽を研究
する者も、歴史の事実に目をそむけではならないだろ
う。ガントレット桓の生涯を知ることにより、私自身
の生き方に、大きな課題を投げかけられた気がする。
(国立音楽大学附属図暫鵠蕗)
<参考文献>
3
. 婦人運動と太平洋戦争
恒の自伝『七十七年の想ひ出J] ~①)には、次のよう
な悔恨の一文がある。 f
…戦争はこのやうにして私達
に形容しがたい不快、不安、困難を余儀なくさせたが、
その問、私の胸中を去来し的高根の感情は言ふまでも
なく、約二十五年近く世界平和を叫んできた自分が、
つひに一言も戦争反対の声を挙げ得なかったその事
である。秘土ただただ自分の非力を父なる神にお菰F
するばかりである。 j
恒だけでなく、矯風会全体、また、日本の婦人運動
の旗頭たちがこぞ、って国策に協力し、国民精絹聡動員
こ。主観
運動の一翼を担い、慢略戦争に加担してし、っ7
的には、女性の人権をふみにじる公娼制度の鹿止と世
界平和を切望してきた矯風会が、なぜその矛盾に気づ
〈む『七十七年の想ひ出』ガント (
.
.
r
;
l
ト橿著(植村書信昭和 2
4
)
②『日本キリスド教婦人矯嵐会百年史』財団法人 B本キリスト教婦人
矯風会鎮集(ドメス出版 1
鎚6
)
③『差別と戦争一人顔形成史の競葬』勧背勉・渡辺かよ子編(明右
書
'
1
619鈎)
④『女性と文化富家・家族・家庭』人1"
.
"1文化研涜会編 (JCA
出版
1
9
8
4
)
⑤『女性・戦争・人権』創柏j
号 f
女性・戦争・人権J
学会学会誌緬集
9
9
8
)
委員会編(三一書房 1
⑥『フェミニズムと戦争ー婦人運動家の戦争協力』鈴木裕子著(マ
9
8
8
)
ルジュ社 1
⑦『フェミニズムと朝鮮』鈴木裕子著(明右寄窟 1
鈎4
)
⑧『戦争責任どジヱンダー~r 自由主義史観j と日本軍「慰安婦j問題1
鈴木裕子著(未来社 1
9
97
)
⑨『十ンヨナリズムとジ乙ノダー』上野千鶴子著(青土社 1
鈎8
)
⑮「書評・上野千鶴子fナショナリズムとジヱンダ-~J (前掲⑤ p
.
⑪『近代日本のジエンダーー蔚t臼本の思想的課題を問う』大越愛
9
9
7
)
子著(三一書房 1
⑫『日本近代史の虚像と実像 3 満州事変 敗削藤原彰・今井清
9
鈎)
一宇野俊一粟屋憲太皇噸(大月書庖 1
⑬『楽聖山田耕符を囲む人びと』淵民吉著(赤とんぼの会平成
1
3
*第 2回 Av
'
VAC特別セミナー (
1
9
9
4.
1
1
.6
)での講演記誌I.
いま、日本語で読める
男女作曲家の同一ジャンル作品聴き比べ/II.E
. スマイスの
オベラ「葉儲合略奪者jをめぐって。
“女性作曲家研究"関連文献紹介
判国人夜間は省く/出版年l
煩
(
8
)
[性別」と「性差Jと音楽の関係
小林鰻著 INi世界週報 J
.
1
7
6,N
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.
31
,1
回5
.
8
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2
2
9,p
.
5
2
一回
Vo
市)
1
1啓子
*音楽i
こ「↑甥 I
J
J射 性 差jはあるだろうか。筆者の行ったブラ
ヌエックでのワークショップ(.2∞1.8
.25)
の配布物より転載
インド・フォールド・テスト(男女の楽曲を作曲者名を明かさずに
聴かせ、作曲者の性別を当てさせる)の結果や反応をもとに、興
(1)~音楽史の中の女たちーなぜ女涜作曲家は生まれなかったの
か』ヱヴァ .
1
)ーガー著石井栄子ほか訳(思索社 1
錦町
味深く言語。
キ著者はドイツの指導的フェミニスト音楽学者。女性視点によっ
(紛『女流音楽家の龍生』
て音楽史を見直そうとする初めての本で、女性と音楽に関する
臼本語文献では最も基本的なもの。(原書:F
r
a
u,M
u
s
i
ku
n
d
)
:
工・ピヱイヱ著金子美津子、川
エヴ 1
9
9
5
)
竹英克訳(春私性 1
M泊me
巾e
r
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!
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加 a
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u
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n
*主に 1
7也転おも 1
9世紀に至る「女性と音楽jについての
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, Von
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o
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k,M
棺関関係を物語る書。ただし、網羅的な通史ではないっ類まれ
g
e
r
)
Eva悶e
な女たちが困難旨状況をし、かにはねのけてし、ったカを活写し、
書長の主体であった女性が、なぜ忘れ去られてしまったのかを
(
2
)
W臼本・ドイツ女性の新しいうねりーその思想と行制
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芭 M
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回, P
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独特な文体で閉し、かけるもの。(原書:M
東京ド
E
:
¥
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l
l
e
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)
イツ文化センター編(河合出版 1
鈎0
)
キ1
9
剖年前半期に東京ドイツ文化センターが「芸術と社会の中
の女排出とし、うテーマで行った講演会、言4
論会等の記録集音楽
音楽史研究、いま女性の視点をー歌米で進む女性作曲家の再
(
1
0
)
.
2
1
0
2
8
1。
については、 p
評価
1
1
'
*
橋著 I
N
i
朝日新聞J 1
9
9
5
.
1
0
.3タ
*欧米で盛り上;がりを見せてしも「女性と音楽jへの取り組み
(
3
)特集・女性作曲家たちのあゆみ別「音楽の世界J
3
1巻 6号
について、その二つの課題一女性作曲家の再評価、ジェンダ
(
1
9
9
2
.
6
),p
.2
1
6
ー視点による音楽研究や社協の再構築ーを明快に提示。
*ヨーロッパとアメリカの女性作曲窮とち(ナンシー・ファン・
デ・ヴェイト著)/日本女性作曲賓室盟の歩み(小西奈雅子著)
(
l
l
)
i女性に作曲はできない Jは少なくとも歴史上の事実ではなか
/十九猷己に生まれた女性作曲家たち(森潤子署等。
った!一男社会に挑戦して成功しながら音楽受から抹殺された
女性作曲家たち
(
4
)
f
国際女性作曲家事典jをめぐって小林緑著別「女性学J
谷戸基岩著
剥『クラシックディスク・ファイ
ル~ (ONTOMOMOOK)(音楽之部土 1
9
部
)
, p
.1
7
8・1
7
9
Vo
.
l2
.(
1
9
9
4
),p
.
1
91
19
5
*主としてフランスのオーギュスタ・オルメスとイギリスのエセ
*世界約 7
5カ国より、 B
.C
.2
7
2
7年から現代にいたるまでの
ノレ・スマイスの果耕民音謝舌動を紹介。
女性作曲家 6,
1
9
5人を収録して言摘を呼んだ「国際女性作曲家
事 典 J(
J
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n
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le
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c
y
c
l
o
p
e
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fwomen ∞
mpos
的, B
y
(
1
2
)
W
音楽と女性の歴史』ソフィー・ドリンカー箸水垣玲子(肇
A
a
r
o
n.
1C
o
h
e
n
)の紹介を中心にしながら、女性と音楽に関する
喜書林 1
9
鮪)
現在の研究動向を明らかにする。
*アメリカのソフィー・ドリンカーによって、早くも 1
9
4
8年に箸さ
9
6
7年に『音楽にみ
れた音楽との関連における女性議コ訳者は 1
(
5
)
女性作曲家ーその埋もれた歴史と紹介法
小林緑著 I
N
f
女子
る女性史ーその社会開考察』とのタイトルで、ドイツ語抄訳か
教育もんだいJ6
1号 (
1
9
9
4
.
1
ω,p
綿一5
3
らの翻訳書を出版したが、そちらは絶版。こちらは原書からの全
*女性作曲家についての歴史とそれそ学協の授業の中で
翻訳。前半は原始民族や紀元前の社会の、特に宗蜘j
f
:
義式に
どのように紹介してしてかについて、アメリカの事例を紹介。
おける女性の音楽家としての優位性l
こついての実耐ヲ論述。後
半に、文明化が進むにつれ、し、かにして女性の創造的才能が
(
6
)
音楽学と女性一女性学に立つ新たな音楽研究の可能性を求め
て
音楽の控界J
3
4巻 3号(
1
9
9
5
.
3
)
,
小林緯著[Nf
抑圧されたか、また今、復活しつつあるかにつし吋述べている。
p
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0
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dwomen:
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凶o
nt
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(原書:M1凶i
m
u
s
i
c,
ByS
o
p
r
r
i
eDr旭町)
*女性学令踏まえた新しい音楽学としてのフェミニズ、ム音楽
研究の尉兄について、まず欧米の研究成呆を紹介し、次に自ら
の取り組みを語る。
(
1
3
)
第1
2回<東京の夏>音楽祭 '
9
6
f
共創のコスモロジー:創造す
1卸 6
.
6
)
る女性j く東京の夏>音楽祭実行委員会編 (
(
7
)
音楽表現と性差一女性の作品を聴きながら
小林緑著
*第 1
2回のく東京の夏>音楽祭は、「書(値する女性1とのテーマ
I
N
f
V
I
S
I
O
N
S:
AWACニュース・レターJ4号(
1
9
9
5
η,p
.
1D
-1
1
のもとに音楽、舞踊、映画の公演やシンポジウム、レクチャー・コ
14
アップして紹介。入手のための CD
発売番号付き。
ンサート等が開催された。このプログ、ラムには次のようなエッセイ
も掲載されている。近代日本の作曲の歩みのなかで(小宮多美
(
21
)
W
フェミニン・エンディング』あれこれ西阪多恵子著 I
N
f
アゴラ
l
9
9
7
(
1
9
9
8
.
3
),p
.1
4・
却
ー圏立音楽大学硝属図書館年報J
*
上
言
r
:
:
(
1
9
)ij'フェミニン・エンディング』の翻草取ンノくーの一一人
江著)/女性作曲家の現在(船山信子著)等。
(
1
4
)
特集 nf
創造する女性一第 1
2固く東京の夏>音楽祭‘00を
訴にーj 別「音楽芸術j日 巻 7号(
1的 6
.
7
),p
.3
6・
4
7
による本書の紹介。また、フェミニズ.ム音楽#白羽こついて、アメリ
カの場合と日本の場合に分けて考察が加えられてし、る3
*創造する女性の息吹(青木やよし、著)/女性作曲家たちの
さ
f
たな方向(楢崎洋子著)等。
(
2
2
湾寺集・ジェンダーと音楽
別「音楽芸術J
5
6巻 1
2号 (
1
9
9
8
.
1
2
),
p
.1
8・田
(
1
5
)当世女性作曲家事情ーシャーマンと中島みゆきとfお嬢さんj
片山素秀著到「音楽現代J
2
6巻 7号(
1
9
9
6
.
7
),p
.1
3
81
3
9
*幸信志「音楽卦│むが休刊に入る直前の号に「ジェンダーと奇
向
*パハオーフェンの『母権制を元に、女性作曲家の系譜を3つ
楽j品、う特集が組まれ、以下の論考が寄せられた。ジェンダー
に分類し、その可能性を探る。
とし、う観点・鳴り響くテクスト(井上貴子)/ジェンダー論が西洋
音楽研究に間し、かけるもの(渡辺裕)/ジェンダーとの遭遇(宮
(
1
6
)
第1
2囲<東京の夏>音楽祭 '
O
O
f
共創のコスモロジー創造す
本直美)/十九猷己のソナタとジェンダー(西阪多恵子ー)等。
と女性音楽家再評価の動き竹内智子著制「東横学富女
品る女性J
(
2
3
)ij'女性作曲家列倒小林緑編著(平凡社 1
9
9
9
)
1
9
9
7
.
3
),p
.1
2
5・1
3
3
子短期大学女性文化研究所紀要J6号 (
*第 1
2回く東京の夏>音楽祭の詳しし、内容紹介に加え、内外
*日本人による初めての女性作曲家研売の入門書。編著者を
0人の執筆者によって著わされた。 1
7世元2.生まれのパ
はじめ 1
の女性音楽家再評価の動きを報告。
9齢己末生封1で女性初のローマ大賞
ルパラ・ストロッツイから 1
受賞者のリリ・ブ、ランジェまでの欧米の 1
5人と日本人 6人の評イえ
(17)女性と名前と音楽と一女性作曲家のアイデンティティ小林緑
4
6
7号。 9
9
7
.
7
),p
.5
7・
6
3
著別「まなぷJ
それぞれの社会状況を背景に、音楽活動を中心として生涯を論
∞o人とも 7∞o人左も言われる歴史上の女性作曲家の群像
*6
述っ現在活躍中の作曲家、藤家渓子氏と編著者との対談もあり、
の中から、作曲や出版に際してペンネームを用いた女性の例を
主要作品表、ディスコグ、ラフィ一等巻末の付録も充完
拾い出し、名前に絡んで彼女たちが抱えた問題から、音楽史に
(
2
5
)臼本においてジヰノダーとポピュラー音楽と1
ま小沼純一著
I
N
f
図書新聞J
2
0
0
0年 2月 1
2日(土)
おける女性一ジェンダー問題へと展開する。
(
1
8
)
ジェンダーと音楽学一問題点と可能f
会一井上貴子著別f
東
洋音楽研究J
6
2号 (
1
9
9
7
.
8
),p
.2
1
3
8
*直樹包には、~tJ ll純子編 W~駒響く倒(ジェンダー視点でポ
ピュラー音楽を扱った論文集)の書評であるが、 (
2
3
)
W女性作曲
*ジェンダ一概念を音楽事に適用する道を採るべく、フェミニズ‘
1
9
1
フェミニン・エンデ、イング』についても雌特行
家列倒や、 (
ムt
l
t
評とジェンダーの歴史化弘、う 2
側面から、最近の研究にお
っている。
ける理論と方法を考察し、ジェンダ一概念適用の意義と展望を
(
2
6
)
小林緑編著『女性作曲家列伝』
4
6巻 1号
(
2
,α氾
,
)
, p
.7
4・7
6
述べる。
宮本直美著
I
N
f
音楽学J
*上認2
3
]
'女性作曲家安l
}
(
iJの書託「女性作曲家への入門
(
1
9
)
W
フェミニン・エンディングー音楽・ジヰノダー・セクシュアリティ』
)著女性と音楽研究フォーラム訳(新水社
スーザン・マクレア 1
書jとしての窟:義は評価しつつ、こうした書は従来の価値基準を
1
9
9
7
)
あると
見直さない限江主流に対する「補完史」に終わる危蜘1
*フェミニズム王子謝比評品、う音楽学の新たな地平を提示し、北
の持論を展開。
刈米の音楽学界にセンセーションを巻き起こした書の初めての翻
訳書。モンテヴエノレデ、イから、ピ、ゼーのカルメン、チャイコブスキ
(
2
7
)
創学ι3
ェンダー
たかの舞嗣著
別「構期学園大学短期大
学部紀要J
第1
8号(笈間), p
.1
4
9 ※未見
,一、そして、ローリー・アンダーソン、マドンナに至る幅広いジャ
ンルの音楽を取り上げ、哲学、組会学、文化人類学等広能止知
*ファニー・へンゼノレ、クララ・シューマン、ク守パイドゥリーナ、ノレ
9
9
6年書き下ろし「日本語
識を駆使して主将里論を展開。著者の 1
ース・クロフォード・シーガーのイ名品に論及。
版への序jも付けられている。(原書:Femininee
n
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i
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u
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y,ByS
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a
nMc
C
l
a
r
γ
) ※書評、多数あり(掲載
は省略)
〈却)刻主作曲家概観
谷戸基岩著
(
2
8
)
音楽学と女性学 玉川裕子著 I
N
f
構照学園大学研究紀要J
2
6集
記2
)
αお)
1
,p
.
訂イ氾
*桐朋学園大学 1
9
9
9年度音楽学合同ゼミナールの言直紋)一
別「レコード芸術J
4
6巻 4号
0 i
私はなぜピ
つ。統一テーマは i<音楽学〉のポストモダ、ンJ
(
1
9
9
7
.
4
)
,p
.
1
9
6-1
9
7
アノをやってし、るのか」との個人史に由来する輿駒hら出発し、
*十九也紀生まれの女性作曲家の優れた作品のCD
を
ヒ
。
ツ
ク
・
音楽史にジェンダ一概念を適用することの意義につし、て考案
1
5
寸
ー
ー
.
.
・
E函函函副温 園町,
.
_
,
函
戸
中
」
.~
輔
〆
試みた宮欲的な本ですc ~女性作曲家列伝』でお世
a
-.r;逼過.~過
話になった萩ようとさんが編集協力された由c
新しい本のうれしいニュース: ~.ちょっと辛口~
タイユフェール回想創刊行!
- 言ト報:千野香織さん、ご逝去
学習院大学文学部教授、千野香織さんには、 2
001
ちょうど本日 (
1月 20日!)、朝火出も発売されるこ
の本は、フランスの女性作曲家ジェルメーヌ・タイユ
年1
2月 31日、心不全のため逝去されました。当会
フェール自身が書いた自伝の翻訳本です。代表小
会員ではありませんが、日本美術史研究の分野でで、の
林緑の国立音楽大学での受け持ちの授業「音楽学
ジエンダダ、一研究の第
演習J(フランス語楽書講読)の受講者たちによる三
4
却9 歳と
Uし、づう若さでの突然のお別れに、言葉もありま
年越しの成果で、春秋社の男性編集者が熱く取り組
せん 心よりご冥福をお祈り申し上げます。素晴らし
んで、くださった優れもの。今年は、タイユフェーノレの
い先達として、残された文章を拝読し、少しでも志を
コンサートもあり、代表は舞い上がっていますc
継いで七、きたしせ思います。ジェンダ一関連文献は
O
『美術とジェンダー~(共編著ブ、ソュッケ;星雲社)
『女?・日本?・美?~(共編慶謄義塾た学出坂会)
圃『モーツァJ
レティアーナ:海老薄敏先生古希記
に、小林禄「モーツアルト時代のジェンダ、一:マツダ
1745-1818)
レーナ・ロンパルデ‘ィーニ=シルメン (
- スーザン・マクレアリさんに会いました
正月にロサンゼルスを訪れた際、『フェミニン・エン
の事例を通してJ
が掲載されています。
の著者、スーザン・マクレアリさんとお会い
デ、イング、J
︹
「日本指lfのジェンダー J~美術史j] 136 ほか多数
する機会を得ました。スターノ〈ックで、小一時間、いま
- 関連する本のお知らせ
会員の執筆ではないのですが、最近出された本を 2
だに「女性作曲家」と聞いて驚く学生がいるほど、音
楽における女性の認知はアメリカでも不十分なことな
点ほどご紹介します。
ど、気さくに話してくださいました。『フェミニン・・・』は
『ドイツ女性の歩み』河合節子・野口薫・山下公子
現在まで日本一掃板が唯一の翻訳だそうです。「日本
編(三修社 2
0
01
.6
.
1
5
)
での売れ行きは ?Jと聞かれて答えに窮してしまっ
ゲ、/レマン神話の時代から現代まで、悩み、苦しみな
た私。皆さん、今後も折に触れて宣伝のほど、どうぞ
がら生きてきたドイツk性たちを紹介。音楽では、松
よろしく。(西阪多恵子記)
永美穂「作曲v
s“女らしさ"の足者舟ー十九世記の女性
作曲家たち j
-名簿訂正追加
『受容史ではない近現代日本の音楽史: 1
9
0
0
'
"
'
'
小林のメール・アド、レス:@の次はabeam
で、した。
1
9
6
0年代へ』小宮多美江著(音楽の世界社
2
0
01
.1
1
.
15
) (現代日本の作曲家・別冊)
編著書『吉田隆子』でおなじみ、クリティーク80
の小
たびたび、ごめんなさい。
宮多美江氏が、日本の近・現代の音楽史を、日本の
やっと創刊号が出せると思うと感無量で、す。息長く続
作曲家たちが丑ミんできた歴史として捉えなおそうと
けていけることを願ってします。(市)
J
l啓子記)
<編集後記>
女性と音楽研究フォーラム会報創刊号
B
u
l
l
e
t
i
no
fWomenandMusicStudyForumVol
.
1
編集・発行
発行日
11 l
t
「ミュージアム展示のジェンダ、一 J
W
現代忠君U!
2
7
1
念論文集](東京書籍)の中に小林論文
2001年 1
1月 2
2日に海老津先生の古希を詑念して
653頁からなる分厚い本が刊行されました。この中
女性と音楽研究フォーラム事務局(市)1啓子)
2002年 1月 20日
18
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