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管理論としての経営経済学に関する考究(1 )

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管理論としての経営経済学に関する考究(1 )
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
一一ウェルナー・キルシュの見解を中心に一一
渡辺敏雄
全体目次
I 序
I
I 管理論としての経営経済学の方法論的基礎
I
I
I 管理の学問としての組織的管理システム論(以上本号一 5
9巻 1号一掲載〕
I
V 組織変更をめぐる実証的研究
V 管理のための学問としての組織変更管理論
V
I 管理論としての経営経済学の特質と問題点
羽I 結
I 序
通常ドイツの経営学的研究は主として「経営経済学 J,アメリカの経営学的研
究は主として「管理論」であると位置づけられている。しかしドイツ経営経済
学の歴史のなかにも管理論的研究は存在したし,また現在においても存在する。
経営経済学と管理論との関係について経営経済学を管理論 (
F
u
h
r
u
n
g
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l
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h
r
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)と
して位置づけ,管理論としての経営経済学を展開する現代の経営経済学者に
ウェルナー・キノレシュ
(
W
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r
s
c
h
)がし、る。かれは,管理論としての経営
経済学の方法論的基礎を明らかにするとともに,管理論の内容的枠組を示し
さらに組織変更管理論として自らの枠組を具体化しようとしている。このよう
な積極的努力に基づく独特の構想によってかれは西ドイツ経営経済学界のなか
で
r
管理論的な経営経済学」の代表者となるとともに,かれの構想は様々な反
(1) 例えば
yィ -t?ラー (LJZ
i
e
g
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)はキノレシュを専ら行動科学的基礎に基づく応用管
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-70-
第
5
9巻 第 1号
7
0
響をよぶこととなった。
キルシュは,その著書『管理論としての経営経済学~ (
D
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r Sωndorl-,M
川
町
f
釘
山
臼
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也
悩
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1
沼
出
伽
叫
1
示し,また『組織的管理システム~ (
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eFuhrungssysterne-Bau-
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e
n Bezugsrahrnen一
, Munchen
1
9先 ) に お い て 管 理 論 の 内 容 的 枠 組 を 提 示 し て い る 。 こ れ ら の 研 究 と 並 ん で か
れは他方で門下の研究者と共に組織変更に関する実証的研究を押し進め,部分
的にはその成果をも踏まえIr計画的組織変更の管理~ (
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n Wandel von O
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e
n,Stuttgart 1
9
7
9
)で か れ の 管 理 論 を 組
織変更の管理論として具体化しようと努力している。
われわれは本稿ではキルシュの「管理論」として位置づけられた経営経済学
を内容的に跡づけ,特徴を克明に描き出し,若干の問題点をもあわせて析出す
ることとする。
I
I 管理論としての経営経済学の方法論的基礎
(
1
) 経済科学から管理論へ
Fuhrungslehre,Managementlehre)の方
キルシュは,経営経済学が管理論 (
向に向かっていると考え,管理論として経営経済学を定式化する。キノレシュに
よれば,経営経済学は徴視経済的単位としてあらわれている経営 (
B
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)と
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)ならびに発企者 (
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)であるとする。
理論としての経営経済学の推進者 (
(
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)またシャフィッツェノレ (
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)はキノレシュを全く新しく構想された
1
9
8
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管理志向の経営経済学の最も明確な代表者のひとりであるとする。(w.S
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じh
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t,Munchen1
9
8
2,S
.2
3
7
)
(2) 本稿でこの書物を引用する場合それを F
u
h
r
u
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g
s
l
e
h
r
eと略記する。
(3) 本稿でこの書物を引用する場合それを F
u
h
r
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g
.
s
s
y
s
t
e
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eと略記する。
(4) この書物は,キノレシュ,エッサー(W.-ME
s
s
e
r
),ガーベノレ (
EG
a
b
e
l
e
)の共著となって
いるが,本稿でこの書物を引用する場合キノレシュ以外の著者名を特に記さずまた書名も
.
.K
i
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hu
.a,D
a
sManagementとする。
略記して W
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
7
1
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-71-
家計 (
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l
t
)の特殊経済的側面に考察を集中する経済科学 (Wi
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)の部分学科 (
T
e
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1
i
n
)としてその科学的立場を見いだして
0年来この立場に関する規定はますます疑問視されつつあり,
きたのだが,約 1
英米の管理論への新志向をはっきり見てとることができる。キルシコは,この
方向に沿いながら,経営経済学を管理論として規定する。
かれは経営経済学が管理論の方向にあることを力説するが,その際ドイツ経
営経済学界でもその方向が見いだされることを示し自説の根拠づけを行う。か
れが引き合いに出すのはヴィルト(.J羽T
i
l
d
)とスチベルスキー (
N
.
.S
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y
p
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r
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k
i
)
の学説であり,かれらの学説においては管理論として経営経済学が構想されて
いるというのがキルシュの位置づけである。われわれは,キルシュの考える管
理論としての経営経済学の内容的特質の重要な諸側面をもちろん明確にしなけ
iil
ればならないが,かれがヴィルトやスチベルスキーを引き合いに出して経営経
済学に管理論の特質を見いだそうとする場合の「管理論」とは 2つの重要な特
質をもつことがここで既に指摘されなければならなし、。それらのうちの第 1の
特質は様々な学科への開放性をもつことであって,より具体的にはこの開放性
は管理論の構想、の基礎となる科学は国民経済学では極めて不十分であって行動
科学的組織理論 (
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e
)であるこ
とにあらわれる。「管理論」を固定する第 2の特質は,応用科学の展開を目標と
するということである。すなわちかれの考える管理論としての経営経済学は端
的に次のように規定される。「経営経済学は行動科学的に基礎づけられた応用管
v
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)とな
理論 (
る。」われわれは夙に管理論としての経営経済学のこれらの 2つの特質に注意を
促しておきたい。これらの 2つの特質のうち,様々な学科への開放性の方につ
いてはわれわれは以下でかれの言うところを跡づけ,かれの言う応用科学の特
質については I
I
(
4
)節で触れたい。
(5) Vg
lW.K
i
r
s
c
h,Fuhrungslehre,Vo
r
w
o
r
t
(6) VglW.K
i
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h,a
.a
.0,S
S
.
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2
3
2
6
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.3
6
.
.
(7) W.K
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第
5
9巻 第 l号
7
2
キノレシュによれば,かつて経営経済学が徴視経済学的企業理論 (
mikrooko・
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s
t
h
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o
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i
e
)と密接な関連をもっていたことは,経営経済
学にとって,一方で斯学の承認の過程を促進したという肯定的側面をもっ反面,
実践関連性
(
P
r
a
x
i
s
b
e
z
u
g
)の 貧 弱 化 と い う 否 定 的 側 面 を も ち , か れ は む し ろ こ
の否定的側面の方を議論する。キルショはこの否定的側面の原因を,経営経済
学の国民経済学への密接な依存がもたらしている他の隣接諸学科
(
N
a
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h
b
a
r
-
d
i
s
z
i
p
l
i
n
e
n
)への固定に見いだし,こうした画定への固執を行うことによって,
斯学は経営の管理との関係で実際に生じている問題から需離し,斯学の代表者
が斯学を応用科学であると信じることにもかかわらず,何ら応用科学ではない
の で は な L、かとし、う疑問がますます提示されるに至っているとする。
このように考えるキルシュは,行動科学的組織理論を徴視経済学的企業理論
との対比で次のように論じる。徴視経済学と行動科学的組織理論の聞には需離
があり,徴視経済学のパラダイムはその給付能力
(
L
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e
i
t
)の 最 終
的限度にまできてしまっているという兆しは増えつつある。それ故 r
われわれ
の意見では,組織理論こそが,より多くの成果を約束するパラダイムを展開す
るより適切な基礎である。」このように組織理論特に行動科学的組織理論に大き
(8) VgLw
.
.Kirsch,aa
.0,S
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.
.
1
0
1
2
.Kirsch,aa 0,S
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2
(9) VgLw
(
10
) W
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h,a
.a
.0,S
.
.
8
1 応用科学的な経営経済学を企画しながらも,キノレシュの見
解とは全く逆に,行動科学的組織理論を排斥し徴視経済学を採用し,それに基づいて応用
科学を営もうとする研究者に注(1)でもあげたツィークラーがし、る。行動科学的組織理
論の方が徽視経済学よりも現実的である故に前者を応用科学の基礎科学に据えようとす
るキノレシュに対して, :'/ィークラーは,純粋科学の評価基準は真理性であって応用科学の
評価基準は効率であって両者の評価基準は異なる故に,応用科学の基礎科学の評価に純
粋科学の評価基準を持ち込むのは誤りであると批判する。しかし,キノレシュにせよツィー
クラーにせよ,行動科学的組織理論と徴視経済学の真理性や効率が有意味に比較されう
ると考えこのことを前提として議論しているという面では共通性をもっている。ところ
がわれわれの見解では,行動科学的組織理論と微視経済学のそれぞれの問題領域は相互
に異なり,それらの学問の聞で真理性や効率の比較は有意味には行えないと考えられる。
本稿のこの箇所におけるキノレ、ンュの見解との関連で言えば,かれの見解は,第 lに行動科
学的組織理論と徴視経済学との真理!性が有意味に比較されうると考えている点で,第 2
に真理性で上回る理論がより高い効率を約束すると考えている点で 2つの疑問を抱か
せる説を含んでいる。われわれの見解では,真理性や効率を比較しえない行動科学的組織
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7
3
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
73-
な望みをかけるキルシ a は,行動科学的組織理論に楽観的とも思える期待をょ
せ次のように説く。確かに徴視経済学から行動科学的組織理論へ至ることは特
に市場における経営経済の行動の分析に関して理論的空白 (
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h
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sVaku
・
um)の状態をつくりだしてしまう。それ故,もし行動科学的組織理論に頼りつ
(
つもこうした理論的空白の状態を避けようとするならば,組織理論比徴視経
済学の問題設定に対応する問題設定を取り上げなければならず,組織理論的に
修正された問題設定と暫定的回答が一層追求するに値する程実り多い展望だと
いうことを提示しなければならない。「その際,組織理論は徴視経済学的企業理
論からできる限り多く学ぶことが可能でありまた学ばなければならない。」講離
があるとしながらも,徴視経済学から,市場における経営経済の行動について
の問題設定と解答とを組織理論に修正しつつも取り入れ,組織理論の従来の認
識に接ぎ足して行こうとし,またこのことが可能だというのがキルシュの態度
だと考えられる。この態度はかれの言う次の言葉に最も良く表現されている。
「組織理論的考察様式が微視経済学的考察様式を完全にかつより良い成果を伴
I
d
e
a
l
)であろ
いつつ統合し,結局代替することができるならば,それは理想 (
(
1
3
)
う。」行動科学的組織理論に大きな期待をかけるキルシュは,
さらに次のように
言う。「このような構想(管理論としての経営経済学の構想一渡辺〉は就中,重
要な実践を構成する経験対象,つまり経営経済の管理ないし管理システムに関
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)を必要とする。わ
する経験科学的理論 (
れわれの主張は,このような理論に対しては,管理を結局生産要素の結合に引
きもどす徴視経済学的企業理論よりも行動科学的組織理論の方がはるかに実り
多い構想を生み出す, というものである。」
理論と徴視経済学については,前者に基づく応用科学も後者に基づく応用科学も正当に
その存在を主張しうるのである。なおクィ-!1ラーの見解の紹介と検討については本稿
筆者の次の論文を参照せよ。
渡辺敏雄〔稿),応用経済科学としての経営経済学の成立根拠ー LJ:;ィ-'7ラーの見
解を中心に一,香川大学経済学部研究年報 2
5(
19
8
6年 3月
〉
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13
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14
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8
2
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-74
第5
9巻 第 l号
7
4
キノレシコが経営経済学の隣接諸学科への開放を説く際念頭におく隣接諸学科
のなかでかれがとりわけ重視するのは,行動科学と組織理論である。それ故,
われわれはまず行動科学について,続いて組織理論についてかれの言うところ
を跡づけたし、ー
キルシュは,次のように言う。「経営経済学の管理論への発展は行動科学的基
礎づけのかなりの強化と歩調を合わせている。」キルシュはここにいう行動科学
的基礎づけの「行動科学」を一般に規定して,生命体の行動 (
V
e
r
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a
l
t
e
n von
Lebenswesen)を扱うすべての学科としつつ,行動科学の問題設定を一般的に
規定するのは不可能だとして,むしろ行動科学に特徴的であるのは次のような
若干の科学理論的特徴つまり方法論的特徴であると説く。われわれは,この行
動科学の方法論的特徴は当然キルシュの管理論の方法論的特徴でもあるので,
ここに内容との重要な関連をもっ特徴につき要約して注意をはらっておきた
い。第 1の特徴は,学際的志向 (
i
n
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l
i
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t
u
n
g
)をもっという
ことである。この志向はある問題に関連するすべての学科に関連をもとうとす
る態度である。この志向にしたがうと,特定のひとつの学科に属さないような
理論が発生する。第 2の特徴は,使用されるべき科学的方法に関しては自然科
学との間に原理上の差はないとすることである。ここに言う使用されるべき科
学的方法とは,われわれの解釈によれば,現象の説明や現象に対する介入の根
拠を提示する際に法則ないし仮説をたててそれないしそれらから導出された言
明に基づこうとするやり方のことであり, この立場に呼応するかたちでかれは
理論的枠組をつくりここに盛られた仮説を前提として自説を展開する。第 3の
特徴は,これも自然、科学的方法と一致しつつ,科学的認識の根源 (
Q
u
e
l
1e
)とし
ては結局経験的分析のみが問題となることである。これは言明の経験的テスト
(
e
m
p
i
r
i
s
c
h
eUberprufung)を重視することを意味し,行動科学的仮説の運命を
決定する最後の機関は,仮説に到達するときには発見的機能とし、う役割を果た
WK
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.
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.
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1
4
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.
(
15
)
(
16
)
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
7
5
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-75-
す内省 (
I
n
t
r
o
s
p
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k
t
i
o
n
)ではなく,人間の観察可能な行動に関する問主観的にテ
スト可能な観察言明である。第 4の特徴は,方法論的個人主義 (
m
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h
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i
s
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)
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i
s
m
u
s
)をとることであり,また時として還元主義 (
をとることである。方法論的個人主義とは,社会システムを分析する特定の方
H
o
l
i
s
m
u
s
)とは対立的に,社会システムの要素の特性と
途であって,集団主義 (
は無関係に当の社会システムに与えられる特性としての「創発特性 J(
e
m
e
r
g
e
n
t
p
r
o
p
e
r
t
y
)は存在しないと考え,社会システムに関する言明を定式化するすべ
ての概念は個人と個人間関係に関する言明を定式化する概念に還元することが
できる,つまり,前者の概念が後者の概念によって定義されうる,
と説く立場
である。また還元主義は,社会学的法則 (
s
o
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i
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l
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s
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e
t
z
m
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s
i
g
k
e
i
t
)
(ある
いは一般に言うと,社会システムに関する理論のなかにある法買わが人間行動
に関する法則へ引きもどされることを要求する。還元主義的立場までがとられ
ると生命体の行動の何らかの側面を扱う行動科学は,その側面に関する仮説か
ら社 会の行動や社会システムの行動を説明できるとし、う立場をとっていること
l
となる。
以上で,キルシュの言う「行動科学」の特徴をわれわれは要約してきたので
あるが,キルシュの管理論の「基礎づけ」は既述のように「行動科学的基礎づ
け」のみではなく「組織理論的基礎づけ」をも含んでいる故に,次にわれわれ
はこの基礎づけに関するキルシュの見解を見ておくこととしたい。かれは「行
動科学」の方については一種の方法論的特徴をあげてきたが[""組織理論」の方
については科学目的ととりわけ取り扱われる問題をあげる。
キルシュは,組織理論には様々な構想があることを認め,それらの構想を組
ρ
O
r
培g
明
加
a
n
凶山
M
同
i
s
舘矧
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抗凶
伽
t
i
i
織概念 (
組織概念には 2つがあり,そのうち lつが[""企業は組織である」という言い方
i
n
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f
りであって
にあらわれる制度的組織概念 (
その概念にしたがえば組織はシステム (
S
y
s
t
e
m
)ないし構成体 (
G
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b
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)とし
(
18
)
(
19
)
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.
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3
5
6u
.SS60-66
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-76ー
第5
9巻 第 1号
7
6
て考えられている。これに対して,組織をシステムの構造 (
S
t
r
u
k
t
u
r
)として把
握する用具的組織概念(in
s
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i
的があり,その概
念は「企業は組織をもっ」という言い方にあらわれている。これら 2つの組織
概念のうち,かれのとる組織理論は制度的組織概念を採用する。次に,第 2の
分類基準である服務規則にも 2つあり,現象の説明をめざすと解される記述的
(
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)な服務規則と,現象の評価を行う規範的 (
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)な服務規則が
存在する。ここに規範的とはし、え,この服務規則は,あるべき価値を超越的に
設定しそこから現象を評価す町るとし、う服務規則をさし示すわけで、はなく,キル
シュの言う応用科学の展開に相当するものだとわれわれは考える。そしてかれ
のとる組織理論はこれら 2つの服務規則のうち記述的な服務規則の方を採用す
る。組織を構成部分の集合体としてのシステムとしでとらえ,かっそうしたシ
ステムの動きを説明していこうとする組織理論こそ行動科学的組織理論なので
あり,その場合もちろん「行動科学」的組織理論故に既述の「行動科学」の方
法論的特徴もそなわっているのは当然である。キルシュはさらに行動科学的組
織理論の取り扱う問題について規定して次のように言う。「この理論(行動科学
的組織理論一渡辺〉は,一極めて簡単に表現すると一社会システムの特殊な類
型としての組織の環境における行動と発展ならびにまたその組織の人々と下位
システムの行動と発展を扱う… 川。」以上より,行動科学的組織理論は
t
r
環境
における組織の行動と発展」ならびに「組織の人々と下位システムの行動と発
展」を説明的に扱うことをわれわれは知る。
ところが,かれは,行動科学的組織理論だけではなく,既述の組織理論の分
類基準を適用して言えば制度的組織概念を採用し服務規則の方は規範的つまり
この場合応用科学的な方を採用する組織理論としての計画的組織変更の理論
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)をも自らの思考に取り入
れょうとする。この理論は,応用行動科学 (
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)であることがキルシュによって確認されているが,かれが計画的組織
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5
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
7
7
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-77ー
変更の理論にも開放的になったことによってかれの管理論につけ加えられたも
のは応用科学の展開という目的をもっということのみならず,以下に述べられ
るような取り扱われる問題の一層の限定である。
かれは,組織の計画的変更の議論に,応用経営経済学の中心的課題をみてい
る。組織の計画的変更の議論における問題をかれは若干限定して,その議論は
組織の変更の意思決定過程 (
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)ないし問題解決過程 (
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)を強調し,すなわち「過程」を強調し,貫徹 (
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の問題ならびに変更につねにつきものの葛藤 (
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)や適応への反発 (
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)の処理の問題を取り上げようとすると説く。われわれの
解釈では,キルシュは計画的組織変更の理論からは,実体的認識を取り入れよ
うとするのではなく,単に応用科学という目的と取り上げるべき問題を導入し
たのであって,その問題を応用科学的に営む際の土台的認識についてはこれを
あくまで行動科学的組織理論から取り入れようとするのである。このことから,
かれは,行動科学的組織理論の取り扱う問題である「環境における組織の行動
と発展」と「組織の人々と下位システムの行動と発展」のうち後者に重点をお
きつつ組織変更に対する構成員の反発の処理過程を理論的に根拠づけつつ応用
科学的に研究しようとすることがわかる。単に技術を提出するだけではなく理
論的な根拠づけをもとうとするのが,行動科学的組織理論を基礎として取り入
れる結果なのであると解されるが,後々跡づけられる組織変更管理論の内容を
先取りすればそのような反発の処理過程論こそかれの管理論の実質的内容をな
すのであり,かれはこうした反発の処理過程論を「促進活動論」として展開す
ることとなるのである。キルシュが取り入れる行動科学と組織理論に関する以
上の議論からわかることは,かれの管理論は学際的志向をもちつつ行動科学的
組織理論に基づ、きつつ,仮説をたてながら,組織変更にまつわる構成員の反発
の処理過程論を応用科学的に営んでいこうとしていることである。
(
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h,ua,DasManagement,S 108
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-78-
第
5
9巻 第 l号
7
8
(
2
) 管理の学問と管理のための学問
われわれは次に管理論としての経営経済学の構成に目を向けたい。管理論と
しての経営経済学という規定は純粋言語上は様々に解釈されえて,キルシュ
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はその規定を経営経済的組織の管理のための学問 (
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)としてとらえ,このとらえ方の背後に
は,経営経済学の産物が応用され肝に命じられることが経営経済の管理の改良
に貢献するという解釈があるとする。この解釈に管理論としての経営経済学が
大幅に実践的な志向をもつことが窺えるわけであるが,経営経済の管理の改良
というとき直ちに問題になるのは,
どのような価値から見て管理の改良を語る
のかということであり,キルシュもまたこの問題を意識し,管理論としての経
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営経済学にとって労働志向的個別経済学 (
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)は対立的構想であるのかということからはじめてその問題の議論をす
る。キルシコによれば
i経営経済に対して,この(経営経済のー渡辺〉組織
の管理を労働者の利益に対してより『敏感』にしていく管理構想と体制設計を
展開していくために『労働志向的個別経済学」を営む者は,最初は二律背反の
ように聞こえるかも知れないが,等しく管理論としての経営経済学を営む。」こ
の引用文で言った内容を一層明確にするためにかれはさらに次のように続け
る。管理論としての経営経済学が経営経済の管理の改良に貢献するべきである
と公準化しても,経営経済学の産物の応用が事実上改良的効果をもつかどうか
という聞いの判断のための基礎としてだれの価値が利用されるべきなのかとい
うことに関する基礎意思決定は何ら行われていない。それ故,任意の価値体系
(
i支配者」の価値体系と他の利害関係者の価値体系)が基礎をかたちづくれる
のである。こうした管理論は例えば「資本志向的」であることもできるし「労
働志向的」であることもできる。こう考えるキルシュは次のように言う。「管理
論は様々な利害立場に対する開放性の故に強制的対立の可能性を解消している
(
2
4
) 管理論としての経営経済学の構成に関するキルシュの見解については次を参照のこ
と
。
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
7
9
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
ーかー
ので,管理論は例えば労働志向的個別経済学のような純粋な『反権力科学』
“
(Gegenmacht-W
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"
)を無用に思わせる。」キルシュはかれ自らの構
想する管理論としての経営経済学は企画上はどのような価値にも対応できると
考えていて,このことはかれの構想のひとつの大きな特徴をなすとともに批判
の対象ともなったのである。一見したところ資本志向的ないし使用者志向的な
科学のように見える管理論を,管理論の他に労働志向的個別経済学を必要とし
ない程「労働志向的」に営むことが可能だというキノレシュの見解にわれわれも
大きな関心を寄せている。それ故,われわれは,かれの構想、において価値がど
のように取り扱われているのか,と L、う問題の追求を本稿の任務のひとつとし
T
こし、。
ところで,以上でわれわれはキルシュの構想ないし企画という言葉を明確に
してこなかったのであるが,ここでかれの管理論としての経営経済学の構成が
どのようになっているのかを明確にしてそれらの言葉の意味を確定しておきた
い。このためには,管理論としての経営経済学の対象をめぐるかれの議論から
明確にする必要がある。かれは,かれ自らの構想の構成を明らかにする際,経
験対象 (
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),認識対象 (
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)に関連づけて次のよ
うに考える。かれは,何らかの選択原理に基づいて構成される認識対象は対象
の一側面ないし一特殊側面のみを重要に見せて,他学科から借りてきた対象に
関する諸知識を先験的に関連無きものとして排除するという悪しき傾向をもっ
とL、う認識に立脚し,認識対象志向 (
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)にかえて
経験対象志向 (
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)を提唱して次のように説く。経
営経済学の経験対象は
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人が経営経済の管理を『改良』しようとすればそこに
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(
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) キノレシュの管理論の構想における価値の問題を批判的に取り上げる研究者にフン「
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)
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oll)がし、る。
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) キノレシュによれば,ラフェー (HR
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)が既に経験対象志向をもっている。キノレシュ
が参照を求めているラフェーの審物は次のものである。
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第5
9巻 第 l号
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)で
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る。しかし,何らかの基準をもってこなければ「そこに知識が存在すべきすべ
てのもの」の「そこ」が「どこ」であるのかが不明であり,
ここにキノレシュが
経験対象志向を語り認識対象的考察を排除しようとはするもののやはり経験対
象から重要な諸部分を選抜する必要から免れえない事情がある。事実キルシュ
も何ら観点なしに経営経済学を構成できるとは考えず,一種の観点に相当する
ものとしての認識観点 (Erkenntnisperspektive)を自らの構想に導入する。そ
してかれは認識観点が管理 (Fuhrung)であるとし,次のように解説を加える。
「認識観点『管理』は経営経済学の重要な実践 (
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ePraxis)を特質づけ,
それによってひとつの特に強調された経験対象を特質づける。」かれのこの引用
文から,われわれは,認識観点が管理であるというかれの言い回しの意味は,
認識観点が管理とは何かをめぐるごく基本的な見方であるということになると
理解できるのである。ただしこの解釈はキルシュの管理論としての経営経済学
の全体を見て確定しうる解釈であり,かれの著書『管理論としての経営経済学』
の当該部分の記述には批判をまねく原因となった次のような混乱が見られる。
その混乱とは,一方で経験対象の平面と他方で思考の平面を区別しているよう
で区別できていないということである。すなわち,一方で「管理」という経験
Fuhrung")とし、う表現をしている反面,他方で上述の
対象 (Erfahrungsobjekt“
ように管理という認識観点という表現をしている。同ーの用語「管理」を一方
で経験対象,他方で認識観点に用いるのであるが,このような事態にかれが行
きついてしまったことにはかれの言う経験対象志向が一役かっているのであ
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)もキノレシュの見解においては経験対象である「管理」と認識観
点、である「管理」の論理の上からは疑わしい名称同一性 (
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
8
1
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-81-
る。つまり,経験対象の一側面だけに思考をしばられまいとする余り,認識観
点が経験対象のあらゆる側面を一挙に特徴づけることができると考えてしまっ
たことによるのではなし、かと考えられる。「偏見なく分析されるべき r管理』と
いう経験対象 J (
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)としづ表現が,かれの見解においては経験対象を見る基本的な見方
はどのような偏見もなくあらゆる面に及ぶ見方となっているということを物
語っている。経験対象である管理と認識観点である管理とは同一用語を用いて
はいるものの,前者の経験対象である管理について後者が管理の基本的な見方
を与えてそこから管理論としての経営経済学の研究が始まると考えるわれわれ
の解釈の方が合理的であろうし,この解釈を前提してかれの一層の議論を位置
づけて何らさしっかえないと解されるのである。かれは,認識観点として基本
的な見方を用意しつつも,これが認識対象とは異なることを特に力説し r
われ
われが管理を経営経済学の認識観点として特徴づける場合,このことは認識対
象とし、う古典的概念とは何ら関係はない」と言うのではあるけれども,基本的
な見方としての認識観点がかれの管理論としての経営経済学に対して現実の経
験対象のどの面に着目して,それにまつわる一層深い認識を得るべきなのかを
規定するという意味ではそれは機能上認識対象に等しいのではないかと考えら
れる。ただし,認識観点と L、う言葉をかれが殊更選び,研究の出発点!で既に対
象を見る見方を狭くとってしまう弊に陥ることを回避しようとしていることは
われわれにも理解できる。それ故,われわれは,かれの言う認識観点としての
管理の内容に関心を寄せざるをえないが,それを明らかにするのはかれの『組
織的管理システム』の内容を取り上げる時にし,管理論としての経営経済学の
構成に関してかれが言うところを一層跡づけておきた L
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認識観点としての管理は,様々な他の学科からの認識を重要なものとして選
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)に
ぶと考え,キルシュはこの事情を警えて,認識観点を投光器 (
見立て,この投光器が他の学科に向けられて重要な関連をもっ認識が照らし出
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-82ー
第
5
9巻 第 l号
8
2
されるのだとしている。すぐ後に触れられるように投光器としての認識観点は
管理に関する理論的枠組でありこれ自体行動科学的認識ないし行動科学的組織
理論的認識の取り入れによってできる産物なのである。そしてかれは,他のい
くつかの学科の認識を利用するという面をとらえて,かれ自らの管理論が多数
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)をプログラ
学科的認識複数主義 (mu
ムにしていると表現している。多数学科的認識複数主義の考え方において利用
される他の学科は理論的研究に属すると考えられる学科と技術論的研究に属す
ると考えられる学科の両方に及んで、いるのである。認識観点は未だ大まかな枠
組的特質をもっ放に, ここからながめて他学科から重要な認識を借りてくる必
要があって,それらの認識によって内容が盛られた全体像こそかれの言うとこ
ろの応用科学的な経営経済的組織の管理のための学問となるわけである。『管理
論としての経営経済学』出版の時期のかれの経営経済学説に対しては,-認識観
点に基づく経営経済的組織の管理のための学問」という規定ができるわけであ
るが, この管理のための学問とし、う表現は特にその時期には十分意識的に使用
されていたわけではなく,後々はじめて意識的に使用されるにいたり,管理論
としての経営経済学に対する基本的考え方は変わらないものの構成についても
その後一段と明確化されることとなった。後日のかれの論文ならびに著書にお
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いて確定的表現として「管理の学聞に基づく管理のための学問 J (
Fuhrunga
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fderGrundlagee
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rLehrevond
e
rFuhrung)が使用されること
になった。この表現こそかれの管理論的な経営経済学説の構成の端的な規定と
なっていると理解される。ここでかれの管理論としての経営経済学の構成の全
貌が明らかになった。管理を対象にする理論的枠組としての認識観点こそ「管
理(の学問」であり,これを基礎にして他の学科の理論的研究と技術論的研究で
肉付けをしていって完成するものこそ応用科学的な「管理のための学問」なの
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) われわれの知る限り r管理の学問に基づく管理のための学問」という表現はキノレシュ
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の次に掲げる論文から使用され始めた。
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
8
3
である。ここに
-83ー
i管理の学問の中心にあるのは,管理実践を対象にもっところ
の理論的枠組 (theoretischerBezugsrahmen)であり,
J
これ自体が行動科学的
諸構想の取り入れで展開されるものである。「……それ(理論的枠組一渡辺〉は,
『管理』とし、ぅ現象を議論する周知の行動科学的諸構想と歩調を合わせるべき
である。」また
i私によって確立された行動科学的基礎づけはまず管理の学問
に関連する」といわれるのである。行動科学的認識を取り入れた理論的枠組に
さらに理論的研究と技術論的研究から認識を借りてつくられるのが管理のため
の学問である。キルシュによる管理論としての経営経済学のこうした構成の理
解を前提すると,われわれにとっての関心は,管理のための学問の基礎となる
管理の学問の内容を明らかにすることに向かわざるをえない。だがわれわれは
まず,管理の学問の内容そのものよりも,管理論としての経営経済学の方法論
的議論を先に跡づけておきたし、。こうした方法論的議論は,第 1に理論的枠組
をめぐる方法論的議論であり,第 2に技術論的言明の獲得方法と応用科学の意
味内容の規定をめぐる方法論的議論なのであり,第 3に目標ないし価値をめぐ
3
)節
, (
4
)節
, (
5
)節において
る方法論的議論であり,この順序でわれわれは以下 (
これらに触れたい。
(
3
) 管理論における理論的枠組
キノレシュの管理論としての経営経済学は,管理の学問に基づく管理のための
学問であることをわれわれは前節で窺い知った。かれは,管理に関して理論的
研究を営み,それに基づきつつ管理のための学聞を展開しようと試みるのであ
る。その際,企画上は管理の学聞が理論的研究であって,これに基づき管理の
ための学聞が理論的研究と技術論的研究から認識を借りてつくられると解され
るのであった。このうち管理の学聞が認識観点として管理のための学問に対し
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-84-
第5
9巻
第 1号
8
4
て基礎的部分となるのであるが, かれは管理の学聞が基礎的部分であることの
意味をある理論観をもって説明していこうとする。 この説明をわれわれは跡づ
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)と理論的枠組 (
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けるべきであるが, この課題をわれわれは「理論 (
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r Bezugsrahmen)J についてかれが言うところを跡づけつつ果たすこ
ととしたし、。 なぜなら, そこにかれの理論観があらわれ, 理論に関する方法論
があらわれているからである。
キノレシバ土,管理論としての経営経済学のひとつの課題として理論と理論的
枠組の展開をあげている。 ここに理論と理論的枠組と表現しているが, かれの
意図をくめば, かれはこれらの両方を展開するということを意味しようとした
ヵ
わけではなく, むしろ理論的枠組の展開を意図しているのである。かれは, 、
れの理論観を次のように提示している。理論は認識過程を最初から最後まで支
配する。理論は,科学的認識の主たる情報の担い手である。かれはこのように
見て,理論ないし理論的枠組こそ,科学的営為にとって必要不可欠とみなし,
特に,技術論的言明の展開に対しては必要であるとみなしている。いずれにせ
よ
, かれは管理論としての経営経済学を理論的枠組に基づき展開しようとして
いる。かれが理論ではなく理論的枠組の形成に向かうのは次の事情がある。理
論は一般的言明と特殊的言明の演鐸的に整理された集合でありまた公式化され
た公理演縛的体系 (
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saxiomatisch-deduktivesSystem)とも言わ
れ
, その認知的内容に従うと,情報提供的で,法則言明によって支配され,原
理的に真たる能力がある現実的妥当要求を伴う仮説的性格をもっ言明体系と言
われる。こうして理論は, その中心に若干のごく基本的な法則言明をもち, そ
こから演揮された仮説群を含む体系的に整理された集合だと解されうるが, キ
ルシコはこの意味での理論を自然科学の影響の下に科学理論において特質づけ
(
4
2
) 理論的枠組に関するキノレシュの見解については次を参照のこと。
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理論の特徴に関してはキノレシュはシュピナーの次の審物に依拠している。
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
8
5
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-85-
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)における理論と言う。自
られた理論ないし成熟した科学 (
然科学に範をとる成熟した科学に対して r
経営経済学における理論形成は殆ど
いわゆる理論的枠組の展開を超えていない。」そこでかれは,理論的枠組の形成
にまず努力を傾注しようとする。ここに理論的枠組とは,正確な理論の構成部
分になりうると仮定される一連の理論的概念 (
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i丘)を含み,
また,しばしば単に傾向的関連のみを示唆するだけの若干の極めて一般的な法
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),さらに傾向的関連すら示さず諸変数聞に
則仮説 (
関係のあることのみを示す言明を含む認識の集まりである。こうした理論的枠
組は単に正確な理論の定式化の前段階 (
V
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)であるとキノレシュは位置づ
け,いずれ理論に発展解消されるように位置づけているものの,他方,多くの
理論的枠組は実際に公式化された理論の基盤になるほどに展開されてはいな
bliii
い。そしてかれは続けて次のように言う。「行動科学的に重要な関連をもっ現実
の大多数の部分は今日では,正確な理論の展開と分析をなすためには決して成
熟していない。」この現状把握に基づくと
r
理論的枠組の展開と議論はここで
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は暫定的に理論的分析の唯一の可能性 (
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)である。」こうしてかれは,かれの管理論としての経営経済学
の理論的分析として理論的枠組を据えることとなる。
キノレシュによると,理論にはそのいわば中心部分に若干の法則言明があり,
それらが当該の理論を当該の理論たらしめる特徴を与えるのだと解されるので
あるが,当該の理論にその特徴を与える中心的部分は理論のみならず,理論的
枠組にもそれに相当する部分がある。理論にもありまた理論的枠組にも存在す
る中心的部分をキルシュはコンテクスト (
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)と称し, コンテクストはそ
れぞれの言明体系に統合 (
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)つまり内的整序 (
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e Ordnung)と構造
(
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)を与えるとする。つまり,コンテクストとは,それなしには当該の理
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
86-
第5
9巻 第 1号
8
6
論的枠組の特質を語ることのできない中心的部分であって,コンテグストに
従って理論的枠組の他の言明がつくられ盛り込まれていることとなる。このコ
LLakatos)
ンテクストとし、う概念をかれが重視することになるのはラカトス (
の科学方法論にかれの考え方が強く影響されていることに原因がある。キル
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e
rKern)とし、う部分が
シュは次のように説く。理論には,確固たる中核 (
あって,これが理論内の言明に統合と構造を与える。この確固たる中核は,クー
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ンの言う通常科学の営為のなかでは変えられず,科学革命(
Revolution)によって別の確固たる中核によって取って替わられるのである。
ラカトスの言う確固たる中核は,単に理論にのみあるものではなく理論的枠組
にもあり, これこそキノレシュがコンテクストと呼ぼうとしている概念に他なら
ないのである。ラカトスによると,理論は経験的言明との突き合わせで反証さ
れたと言うべきものではなく,理論の批判には,別の理論もまた入ってくるべ
きなのである。この考え方の背後には,経験との突き合わせで仮説が反証され
たことから,その当該の仮説が導き出された確固たる中核へその反証が及ぶこ
とを禁じると L、う規則がある。つまり理論は確固たる中核とそれをとりまく保
護帯たる補助仮説群 (
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)から成り立っているのであって,個々の
反証行為は確固たる中核に向けられず,補助仮説の方に向けられる。そして,
全く別の,かつより説明能力のあるような確固たる中核を携えた理論が出てき
てはじめて,前の確固たる中核をもっ理論は代替されていき認識進歩が達成さ
れてし、く。このような理論交替の見方をキルシュは基礎にしようとしているの
であって,かれは, コンテクストが外部からの反証から免れるべき中心的部分
であると考えている。理論的枠組としての管理の学聞はこうした確固としたコ
ンテクストをもつのであって, この意味で管理のための学問の基礎になってい
るということがキルシュの理論観から見た管理の学問の基礎たることの説明で
(
4
9
) キノレシュが参照、を求めているラカトスの論文は次のものである。
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管理論としての経営経済学に関する考究(1)
7
8
7
あると解される。もちろんそれ程重要なコンデクストを描き出すことによって
当該の理論的枠組の特質を描くことができるのであって,われわれはかれの管
理の学問の何がコンテクストなのかを探ることを課題として意識しておきた
い。その際,理論的枠組の場合コンテグストは,理論の場合のように明示的に
開陳されることなく置かれていると解されるので,コンテクストを描く場合,
理論的枠組の言明を全体にわたってつなぎ合わすことのできるようなかたちに
余すことなく基本的な仮説を探り出しておくことが必要とされるであろう。
かれの価値 (
W
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)に対する態度もこうした理論観と深く結びつきあってい
るのである。つまり, コンテクストが経験との関係ではそこから切り離され,
またさらにコンテクストは研究者の価値の表明であるというのがキノレシコの説
なのである。コンテクストは,意識的と無意識的とを問わず,研究者の価値の表
明であり,研究者の価値の表明としてのコンテグストは研究の対象を決定する
のみならず
Iそのときそのときの経験対象がどのように考察されるべきか」を
規定する。このことに関してかれはさらに次のように言う。「研究者の様々な価
値は, (基礎領域における評価の結果として〉研究対象ならびに言明受け入れの
ための競技規則の様々な選択に導くのみではなく, この研究対象自身に関する
様々な言明体系に導くのである。」ここに基礎領域 (
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)における価値
判断とは,問題の選択 (
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),科学的研究方法の選択 (
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),競技規則 (
る意思決定そのものであって,これはあらゆる研究活動にとって不可避の価値
判断である。それ故,われわれがキノレシュの論述における理論的研究における
価値の問題への取り組み方を整理するならば,次のようになるであろう。コン
テクストは基礎領域における価値判断を含みこれを担 L、つつ研究対象に対する
大まかな見方を展開していて,こうしたコンテクスト全体も研究者の価値の表
れである。コンテクストは,研究者があるべき価値を直裁的に表明したもので
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-88-
第
5
9巻 第 1号
8
8
はないものの,価値を体現しているのであって,かれは,特にコンテクストが
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この意味で価値を体現していることをとらえて言葉を選び「価値内蔵的 J(
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)と表現することとなるのである。
われわれはここでさらに注意しなければならないことがある。上述の「価値
内蔵的」とし、う事態は未だ研究者の価値を直裁的に示すものではなかったが,
I
Iの部分で明確にするように,単に研究対象に関する大まかな見方という
本稿 I
以上にかれはかれ自らの価値を積極的に開陳しているのであって,かれの価値
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)の開陳というかたちをとるのである。そし
はかれの言葉では理想郷 (
て
,
こうした理想郷の内容もコンテクストとは別個のものとして把握するので
はなくそのー構成部分として位置づけるのが妥当であろう。われわれは,管理
論としての経営経済学の基礎部分に相当し,理論的枠組を開陳していると考え
られる管理の学聞を跡づける場合には,
コンテクストならびにそこに含められ
た理想郷の意味の内容の画定に十分意を注ぎたい。
(
4
) 管理論における技術論的言明の展開と応用科学の意味
われわれは既にキルシュによる管理論としての経営経済学が,管理の学問に
基づく管理のための学問であることを窺い知った。その場合,管理の学聞が理
論的研究であり,管理のための学聞がそれに基づきつつ行われる応用科学的研
究ないし技術論的研究なのであった。それ故,われわれは,技術論的研究に対
するキルシュの態度をここで跡づけかれの言う応用科学の意味をも明確にして
おく必要がある。
キルシュによると管理論としての経営経済学の一つの課題に技術論的言明
(
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eAussage)の展開がある。かれは技術論的研究をも管理論とし
ての経営経済学の課題に含み,技術論的言明の展開にかかわる問題を論じるこ
ととなる。こうした問題をかれが論じる出発点は,かれの次のような認識であ
(
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3
) VgLW.K
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(
5
4
) 技術論的研究ないし技術論的言明に関するキノレシュの見解については次を参照のこ
と
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2
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
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管理論としての経営経済学に関する考究(1)
QJ
8
9
る。適切な技術論的言明の展開 (
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)あるいは発見 (
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)は
,
「一つの独立の創造的営為」である,
独立の研究課題を示す,
J
と。また,-技術論的言明体系の展開は,
と。かれのこうした認識をもってすれば,もとより,
技術論的言明研究の現状に対しては次のような判断が行われている。「独立の
『技術論的研究の論理~
“
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)が事実上否
定されてし、る。 J ,-技術論的研究は,理論的研究のいわば添えものとみなされて
(
5
8
)
いる。 J ,-われわれの見解によると,科学理論自体においても相応の経営経済学
的議論においても,技術論的言明体系の展開を,理論的研究に対する古典的な
密接な関連から解放する独立の技術論的研究の論理の彫琢が欠落している。」以
上のことから,キルシュは技術論的言明の展開るるいは発見は独立の創造的営
為であるとしていることがわかり,かれは独立の技術論的研究の論理を「再構
成」しようとするのである。それ故,われわれの課題は,かれの考える技術論
的研究の論理を描き出すことである。
キルシュは,理論的研究と技術論的研究との関係についての次のような立場
を示して,それを否定することによってかれの考察を押し進めているのである。
この立場とは既述の箇所にもあらわれた,技術論的研究が理論的研究の添えも
のでるると見なす立場である。かれによると,
この立場は専ら理論的研究を営
む純粋経営経済学 (
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)と 応 用 経 営 経 済 学 (
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-
gewandte B
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)と の 違 い を 問 う 問 題 を 見 か け の 問 題
(
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)だとする。
見かけの問題の主張は,次のとおりである。「ある一つの純粋科学の経験的に
維持されたそれぞれの因果的法則言明は,同義反復的転形 (
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90ー
第5
9巻 第 1号
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)によって,技術論的言明に,したがってまた行為命令に再定
式化される。」こうした主張こそ,技術論的研究を理論的研究の添えものないし
「一種の「付録 ~J
(
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Appendix")だとするものに他ならない。そして
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この主張はまた理論的研究の論理の優先 (
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)の表現に他ならず,理論的研究の論理の優先を基礎に置く見
かけの問題の主張は,説明 (
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)と予測 (
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g
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)と技術論の三者が同
ーの論理的構造に基づきうる, というかたちで表現される。キルシュは, この
(
6
3
)
同ーの論理構造を次のように説く。経験的に維持された法則仮説を知ってい
る者は,観察可能な事象を説明しうる。法則仮説と,その条件部分 (Wenn-Kom-
p
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)に対応する初期条件 (
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g
)から,観察可能な事象を
記述した言明が導出されるかたちでこのような説明が行われる。次に,このか
たちで説明をなしうる者は,将来におこる事象を予測しうる。この場合,法則
仮説と初期条件が既知のものであって,これら両者から論理的に演鐸されるか
たちで将来の事象が予測されうるのである。最後に,予測することができる者
比技術論的雷明を展開できる。将来の望ましい事象と法則仮説から,前者を
実現しうる初期条件が導かれるかたちで技術論的言明が展開されるのである。
そうだとすると見かけの問題の主張には,成立要件として第 1に法則仮説が既
存であること,第 2に技術論的言明は法則仮説の条件部分と帰結部分の順序を
入れ替えるだけで得られることが合意されている。このことをわれわれは夙に
注意しておくこととする。ここには,法則仮説を得てこれを経験的に維持する
試みをなし,維持された法則仮説から事象の説明の試みをなす研究がおよそ第
一義的に営まれればよい, とする立場があらわれるのであり,理論的研究の論
理の優先ということの意味もまたこの処置にあらわれているのである。要する
に,理論的研究の論理の優先を説く見かけの問題の主張においては,技術論的
言明は,理論的研究のなかで獲得されている「既存の」法則仮説の意味内容を
(
61
) W 川町r
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.2
1
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(
6
2
) W K
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7
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(
6
3
) VglW K
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.a
.0,S
S172-174
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
9
1
-91
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
追加しない単なる転形で獲得される,と考えられているのである。
(
6
4
)
キノレシュは,最近の科学理論的に根拠づけられた経営経済学的文献にあらわ
れたいくつかの指摘を参照して議論するが,そのうちでも理論的研究の論理の
優先からの技術論的言明の発見関連の議離を示すのは次の議論である。
第 1に,就中社会科学の領域においては,多くの現存する理論は,極めて一
t
u
r
)をもっ。このことに関連してキルシュは次
般的な特質 (sehrallgemeineNa
のように言う。「それ故,これらの一般理論から具体的水準の理論的言明がまず
導出されなければならない。なぜ、なら,具体的水準の理論的言明のみが,具体
的でかつ直接に行動上重要な事態に関連しうるからである。 J rそれ故,既存理
論が技術論的転形に対して利用される前に,まずしばしば広範な理論的研究と
経験的研究を必要とするのである。」既存の理論は直接応用可能ではないので,
理論から技術論、への道のりは,極めて苦労の多い道のりなのである。われわれ
は,キルシュのこの論述を,かれが「技術論的言明が既存の法則仮説の同義反
復的転形によっては獲得されない」という事態の第 1の意味をなす, と理解す
る
。
第 2に,ほどほどに彫啄された理論さえない領域に対して技術論的言明が形
成されるべき事態が考えうる。この場合には,オベレーションズ・リサーチの
意味での技術論的計算模型が技術論的研究者の助けとなり,欠落した理論的知
識が技術論者 (Technologe)の日常の実践的経験に対応する仮定によってでき
るだけよくうめられる。われわれはこの第 2点の指摘を,キノレシュの言う
r
技
術論的言明が既存の法則仮説の同義反復的転形によっては獲得されない」とい
う事態の第 2の意味をなすと解する。なぜ、なら,当の第 2点の指摘はそもそも
(
6
4
) キノレシュがあげている経営経済学的文献とは次のものである。
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
92-
第5
9巻 第 1号
9
2
既存の法則仮説がない事態を想定しているのであり,存在しない法則仮説に同
義反復的転形を施すことは不可能だからである。
われわれは,キルシコが最近の科学理論的に根拠づけられた経営経済学的文
献を参照しつつなした上述の議論から,かれの言う「独立の技術論的研究の論
理」の方向づけを知ることができたのである。われわれは上述で,見かけの問
題の主張の成立要件には 2つがあり,第
uこ法則仮説が既存であること,第 2
に技術論的言明は法則仮説の条件部分と帰結部分の順序を入れ替えるだけで得
られることがそれらの成立要件であることを知った。キルシュが「技術論的言
明が既存の法則仮説の同義反復的転形によっては得られなし、」とする意味はそ
れらの成立要件のうち専ら法則仮説が既存であることにかかわり,さらにこの
成立要件の否定には 2つがあるのである。その第 1の意味は,既存の法則仮説
が過度に一般的であってそこから技術論的言明に導くまでに長い道のりがあ
る,という意味であり,第 2の意味は,ほどほどに彫琢された理論さえない領
域,つまり既存の法則仮説が全くない領域にて技術論的研究が営まれるべき事
態がある, という意味なのである。第 lの意味と第 2の意味を合わせて,既存
の法則仮説が存在しない場合とそうした法則仮説が存在しても一般的にすぎ技
術論的言明に転形するための法則仮説が既存であるとは言い難い場合には新た
に技術論的言明の発見が行われなければならないという事態が生まれ,まさに
キルシュはこの事態をもって理論的研究の論理の優先の否定と技術論的言明の
発見の理論的研究からの独立性としているのだ, とわれわれは解することがで
きる。
既存の法則仮説の欠如あるいはそのような法則仮説が一般的にすぎるという
事態と関連して,かれは,技術論的言明の発見に対する理論的研究の役割につ
いて次のように述べる。「理論的基礎研究は,そのような方法 (
Methode,技術論
的言明のこと一渡辺)の展開に対しては単に発見的機能 (
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)を果たす。」キルシュはここで,技術論的言明の展開に関する「理論」の発
(
6
8
)
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.1
7
8
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
3
9
-93-
きは「理
見的機能を語るが,かれ自身も言うとおり,経営経済学の当面めざすべ
理論」の発見的機能は「理論的枠組」の発
論的枠組」の獲得なのであるから r
欠如する
見的機能をさし示すと考えて大過なし、。そもそも既知の理論的認識が
発見的機 能に頼
のでまず 理論的枠 組を形成 し,これ が一般的 に過ぎる のでこの
キルシュ の態度
りつつ具 体的仮説 を展開し ,技術論 的言明を 得ょうと するのが
であると解されるのである。
ものの範 囲に
ところで ,今まで 技術論的 言明のな かの技術 として展 開される
術の範囲 につい
ついては ,われわ れは十分 注意を向 けなかっ た。この 箇所で技
m
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t
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S
)とシステ ム構想 (
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M
てわれわれは触れておこれかれは方法 (
という言葉を用いる。このうち方法の方は,具体的行為設計の展開
)
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k
定がな されて い
の際に 実践の 問題解 決過程 の支援 をする ものと いう一 般的規
を一般的
る。方法とは, 目的手段関係の表現をとる技術論的言明のなかの手段
視してい るもの
にさし示 している と考えら れる。こ の方法の なかでも かれが重
反発の処 理政策
は,既述 の箇所に おいても 触れられ た組織変 更の際の 構成員の
て意思決 定過程
論ないし 「促進活 動論」で あって, この技術 は人聞を 対象にし
対人的技 術」な
自体の促 進と意思 決定結果 の受入れ の促進の 政策を展 開する「
あり,
のである。さらにわれわれがここで注意したいのはシステム構想の方で
ムの設計 に関す
かれがシ ステム構 想と呼ぶ ものは, 方法のな かで,特 にシステ
), 経 営 情 報 シ ス テ ム
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る構想 であっ て,情 報シス テム (
), 経 営 意 思 決 定 シ ス テ ム (Management
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(Management-I
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),計算機 支援的計 画システ ム (
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),なら びにま た情報 計画シ ステム (
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)等がそれ に相当す ると考え られてい る。後の 書物との 関連で言
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)をもたらしたものがシ
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えば,徹底的な組織変更 (
ステム構想であり
)
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)の比較的 多くの特 徴
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叶・"全体組織 (
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LW.K
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-94-
第5
9巻 第 1号
9
4
が,比較的強烈にかつ組織内外に多くの帰結変更を伴いつつ変更され,その際
多数の内外の組織参加者ないし利害関係者が高度にかれらの利害において影響
があると感じい帥川行為者の多くの集団から出て来た多くのそれらの利害関係
者の積極的参加と影響のもとに変更が実現される場合,疑いなく徹底的変更が
存在する。」キルシュがわけでも注目し,かれを含む研究者らの実証的研究でも
重要な関連があったシステム構想は,事業部制組織 (
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),計画システム,情報システムの 3つなのである。ここでは技術としての
方法のなかでキルシュが特にシステム構想を取り出し強調していることを確認
しておきたし、。結果として,キノレシュが「方法」のなかで重視するのは,組織
変更の実体的内容としてのシステム構想ならびにそうした組織変更につきもの
の反発の処理政策としての「対人的技術」の 2つである。
キルシュは,技術論的言明について以上のように論じるが, ここまでではキ
ノレシュの構想による管理論としての経営経済学における応用科学の特質づけを
決して十分紹介したことにはならない。なぜならかれは,応用科学の意味に,
技術論的言明を形成するということのみならずできた技術としての方法やシス
テム構想を実際に現実の組織に定着させるという意味をも込めているからであ
る。かれによると,方法やシステム構想は現実に動いている組織に受入れ
(
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)られ使用 (anwenden)される際には困難が生まれる。かれは組織
への技術の定着の過程を人工物 (
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)がシステムの自然な構成部分にな
る過程であると考えているが,かれは技術のこうした実際上の使用面を重視し
つつ応用科学の意味について次のように説く。応用科学には 3つの意味がある。
その第 1は,経営経済学が技術論的言明体系を定式化するならば斯学は応用科
学だとする解釈である。第 2は,経営経済学の理論的認識関心と技術論的認識
関心が実践の問題によって発企されるならば斯学は応用科学だとする解釈であ
(
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1
) W
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沼t
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8 傍点は原文ではイタリック。
(
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) VgLW K
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(
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4
) VglW K
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.a,DasManagement,SS..123-124
川
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
9
5
管理論としての経営経済学に関する考究(
1
)
-95ー
る。第 3は,経営経済学の生み出したものがそのときそのときの重要な実践に
おいて実際にも使用されてはじめて斯学は応用科学だとする解釈であり,かれ
はこの第 3の解釈を採用するのである。このことに関してかれは次のように言
う。「実践のために実践において知識を形成するのが応用科学である。応用科学
は知識の生産 (
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)と配給(Dis
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)に携わる。」かれはこのこと
を換言するとしたうえですぐに続けて次のように説く。「応用科学は,生み出さ
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ef
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rdenT
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)なしには
れた知識の実践への移転のための戦略 (
営まれえない。」技術を実践へ定着させていくためには,実践の現実に見合った
ように技術に調整的修正を加えつつ技術を実践の自然な一部にしていく必要が
あるのだが,実践の現実とはかれの見解では個々の経営経済の実践の現実であ
り,これを知り技術をそこに定着させるためには研究者が進んで個々の経営経
済へ入り込みそこでの現実的要求を把握し,このことに基づきつつ経営経済学
が生み出したある程度普遍的な技術に調整的修正を加える必要がある。それ故,
キノレシュが考える技術とはかれの言う応用科学の意味どおりには「個別的企業
の条件に見合った個別的技術」ということができる。また,この「個別的企業
の条件に見合った個別的技術」の展開のための一大前提たる実際の企業の場、へ
の入り込みをなす研究がアクション・リサーチ (
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)という「研
究者が行為 (
A
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n
)の統制に含み込まれる比較的極端な形態の応用研究」に
相当することから,かれはアクション・リサーチの意義を力説し,またこの形
態の研究の特質を議論しようとする。アグション・リサーチは実践に深くかか
わる研究なのであって,アクション・リサーチ的研究者は,単に傍観的観察者
(
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)ではなく実際の変更担当者,管理者,政策者として働く。
この場合変更担当者,管理者,政策者としてアクション・リサーチ的研究者は
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rAktionzumE
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)のであっ
行為を成功に導く手助けをなす (
(
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5
) W.K
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,Fuhrungslehre,S
.314 傍点、は原文では下線。
(
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) VgLW
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
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第
5
9巻 第 l号
9
6
て,その過程のなかでかれは個別企業の実践の要求を知り,その要求に見合う
ように技術を定着させようとする。ここで,われわれはキルシュが方法の範閤
として一方で組織変更の実質的内容をなすシステム構想、と,他方で組織変更に
つきものの反発の処理政策論ないし同ーの意味での意思決定の促進活動論を重
視していることを想起すると,こうした定着のさせ方には,一方で技術そのも
のに調整的修正を加えて L、く側面があり,他方で反発の処理政策ないし受け入
れの促進活動に調整的修正を加えてし、く側面がある。このうち後者の方をとら
え強調するとアクション・リサーチ的研究者は,実践では合意形成 (Konsensb
i
l
d
u
n
g
)や貫徹 (Durchsetzung)の行為にも関係するといわれることとなる。
それ故,キルシュの考える方法の主たる領域が 2つあることに応じてアクショ
ン・リサーチ的研究者が実践で展開する技術論は,定着させようとするシステ
ム構想の修正結果としての個別企業的技術ならびにシステム構想の受入れ促進
策の修正結果としての個別企業的技術の 2つとなる。
キルシュが個別企業の個別的条件に見合った技術論を展開しようとする態度
は既に早くから見られた。かれはかつて次のように言っていた。「意思決定志向
的経営経済学ならびにシステム志向的経営経済学の課題は,個別の経営経済
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)の情報意思決定システムの記述,説明ならびに
形成である。」
ところで,かれは個別的条件に見合った技術論の展開をも応用科学の課題に
含み込んでいて,
このような技術論の展開は実践の要求を察知し理解する機会
を聞いたアクション・リサーチによって可能となると考えているのだが,われ
われが考えるにアクション・リサーチによって研究者は実践の価値を受け取ら
ざるをえず実践の価値に左右される故に,ある意味での実践への批判能力が奪
われてしまうという問題が生じるのではないで、あろうか。キノレシュ自身もアク
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6 ただし傍点は渡辺のもの。
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
9
7
-97-
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
ション・リサーチ的研究者の実践の価値に対する迎合につし、て認め
r
実際上の
適用の要求と価値自由への古典的要求の聞にはアグション・リサーチ的研究者
の見解からすると葛藤が生じる。アクション・リサーチ的研究者は適用 (An
町
wendung)の方を優先し,かれの科学的努力の価値関連性 (
W
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)
を意識的に背負い込む。」理論的枠組のコンテクスト段階で価値内蔵性ならびに
後に見るように理想郷の展開というかたちで価値との関連があったが,
さらに
コンテクストをもっ管理の学問に基づく管理のための学問で形成された技術論
的言明を適用するとし、う場面で価備との関係が生まれ,アクション・リサーチ
的研究は実践の支配的価値の導入に至る契機を苧んでいる。ここではこのよう
に指摘しておいて,管理論としての経営経済学の特に価値との関連をめぐる議
論についてはわれわれは本稿V
Iにゆだねたい。
(
5
) 組織目標の特質と問題の批判的明確化
われわれは,管理論としての経営経済学が応用科学的であることを既に窺い
知ったわけであるが,応用科学的な課題を果たしていこうとすると直ちに問題
となるのは何をめざして技術論的言明が形成されるのかという問題である。わ
れわれはこのことに関するキルシュの見解を跡づけなければならないが,その
際,技術論的言明がめざす価値として考えられるのはまずは組織目標であると
考えられるのでわれわれはこのことに関するかれの見解を跡づけたい。
キルシュの経営経済的目標研究は,
目標の形成過程に関する研究として提示
されていて,また特に考察対象が組織をなすという面を強調してなされた研究
なのである。つまり,かれは組織目標は決して所与なのではなく,
目標の形成
過程のなかでつくられるのだと考えている。かれは組織目標の形成過程につい
て,まず,個々の人間こそが目標についての観念をもっているのであって,人
間との類推で組織が目標という「精神的」な観念をもっということは組織を人
格化する (
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n
)ことでかれにとっては許されない行為である,
と説
く。かれは,行動科学の諸特質のうちのひとつとして既にあげられた方法論的
(
81
) W.K
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h,Fuhrungslehre,S315
(
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2
) Vg
lW.K
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S158-159
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-98-
第5
9巻 第 1号
9
8
個人主義に忠実に論じようとするならば,組織をめぐる目標を 3つに分けて,
I
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),それら個々の組織参加者のもつ
個々の組織参加者の個人目標 (
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),組織目標 (
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)
組織に対する目標 (
とすることが合目的なのだと論じる。どの組織参加者も,かれらが組織へ参加
することによって実現しようとしている個人的な目標観念をもっていて,この
個人的な目標観念こそここでいう個人目標である。個人目標は,個人が外部に
向かつて要求事項として出されるとき再定式化され,この再定式化された個人
目標がここで言う組織に対する目標である。こうして個人目標に基づきながら
それを再定式化するかたちでかたちづくられた組織に対する目標は,組織目標
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)られなければならない。この権威づけ
になるためには,権威づけ (
が行われる場が政治システム (
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e
sSystem)なのである。すなわち組織
内外の諸要素が表明し提出してきた諸々の要求としての組織に対する目標を権
威づけ組織目標とするのが政治システムである。こうして政治システムは,多
数の相互に競合する要求に直面し,-政治システムはつねにまた葛藤処理のシス
テムなのである。」
ところでこうして形成された組織目標は一体どのような特質をもつのか。こ
のことについてキルシコは次のように説く。第 1に,ある目標定式化が権威づ
けられたものとして妥当するのか否かが往々にして不明確であり,またより以
前の権威づけが未だ妥当しているのか否かが不明確である。このことは何が組
織目標に属するのかが不明確であることをさし示す。第 2に,個々の組織目標
自体については,それが不完全で漠然としているのである。第 3に,同じく個々
P
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t
)ないし緊急性 (
D
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k
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)が
の組織目標自体について,優先順位 (
不明確なままになっている。これらの 3つの理由から,キルシュは組織の目標
システムを「高度に不明確に画定されて,漠然と定義され,殆ど順位づけられ
加c
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ていないところの不完全に定式化された諸目標 J (
vaged
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) W.K
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g
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e,S
.1
6
1
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
9
9
-99ー
として特徴づけている。こうした特徴づけが行われると,下位目標が達成する
べき事実上の上位目標は,権威づけられた目標の領域の外に存在することとな
り,結局キルシュは次のように言うこととなる。「故に,われわれは,経営的意
思決定へ価値前提として入ってし、く程十分具体的で操作的な組織の明確な目標
を現実においてはまれにしか見出さないということから出発しなければならな
い。」さらにかれは次のように言う。「目標計画問題のなかの明確化は,伺らか
の既に存在する目標から出発することはできないことは明らかである。」
キルシュは管理の学問としての理論的枠組のなかで経験的世界を超越すると
思しき「理想郷」の展開をするということは既述のいくつかの箇所にて触れら
れたが,かれがこうした態度に出るのはもちろん以下に述べるような理由があ
るのだが,上述のように事実として存在する紹織目標に経験的把握から研究を
それさせる特徴を見いだしていることも「理想郷」の展開につながるひとつの
淵源ではないかと考えられる。
キルシュがこうした理想的状態を考察に含むような事態にいたるのはそれ相
応の理由があり,われわれはこの理由を描き出しておく必要がある。キルシュ
は,かれ自らの構想する管理論としての経営経済学が伺に役立つのかをめぐっ
て次のように議論をすすめるのである。
管理論の認識関心 (
E
r
k
e
n
n
t
n
i
s
i
n
t
e
r
e
s
s
e
)は,経営経済的組織の
キルシュは r
G
e
s
t
a
l
t
u
n
gd
e
rFuhrung)と密接な関係があるとし、う命題は,この
管理の形成 (
認識関心の実質的規定を明確にするには十分で はなし、」としてこの命題にあら
h
r
r
s
c
h
a
f
t
)を行使
われた簡単な定式化は,管理論が,結局組織において支配 (He
E
l
i
t
e
)に奉仕するのだとし寸非難をまきおこしたとする。極
しているエリート (
端な場合には,経営経済学は「ドイツ独占資本の直接的援助科学」だと中傷さ
れてしまうのであるが,これらの非難や中傷は r,い…経営経済学は過去におい
(
8
5
)
(
8
6
)
(
8
7
)
(
8
8
)
(
8
9
)
W K
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r
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W K
Vg
.
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.
, S,
2
8
6
,
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-100-
第
5
9巻 第 1号
1
0
0
て批判的課題 (
k
r
i
t
i
s
c
h
eAufgabe)を無視して来た」ということとかかわって
いる。このように見るかれは,経営経済学の批判的課題を重視し,それ故,管
理論としての経営経済学のなかに批判的課題を取り込もうとするのであり,か
れがここに批判的課題と呼ぶもののうちにこそ,かれの論述に理想的状態の導
入を動機づけた要素がみられるのである。批判的課題とは次のようなことをさ
し示す。応用管理論としての経営経済学は,実践の問題から出発する。そして
この問題を明確化し,この明確化された問題の解決を目指して,管理論として
の経営経済学は技術論的言明を展開する。かれは,
この方途こそ実践の「情報
需要」に奉仕することにつながると考えるのであり,この場合,認識関心は外
部的に規定されているとかれは考える。つまりキルシュの見解では認識関心の
e
x
t
e
r
n
eBestimmung)とは,実践で追求されている目標を前提と
外部的規定 (
する場合に存在する。かれは,認識関心の外部的規定を決して望ましいものと
考えていないのみならず,支配的エリートに対する奉仕学の前提とさえも考え
ているものだと解釈され,それ故にかれは,認識関心の外部的規定を打破しよ
うと試みる。この外部的規定の打破は「認識関心の規定の過程経過」の逆転に
よって生じ,それは,実践に既に存在する問題から出発するのではなく,研究
者が,管理哲学の新規構成と管理システムの分析と構成の相応じたコンテグス
k
o
n
t
r
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a
k
t
i
s
c
h
eNa
t
u
r
)をもっ管理模
トに基づきながら,事実に反する性質 (
F
u
h
r
u
n
g
s
m
o
d
e
l
l
)を展開することから出発することによってなされる。キ
型(
ルシュがここに言う管理模型こそかれの管理論としての経営経済学のなかの理
想的状態に相当するものなのであり,かれは,ここに言う理想的状態を「進歩
K
o
n
z
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nO
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g
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n
i
s
a
t
i
o
n
)と
能力のある組織の構想 J (
して展開することになるのである。
(
9
0
)
)
(
91
(
9
2
)
(
9
3
)
W K
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, S.286
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8
9
.
VgLW.K
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
1
0
1
管理論としての経営経済学に関する考究(])
-101ー
I
I
I 管理の学問としての組織的管理システム論
われわれは,既にキノレシュが,管理論としての経営経済学を,管理の学問に
基づく管理のための学問として構想しようとしていることを示した。その際,
管理の学問が管理の分析を行い,管理のための学問に対して認識観点を提供す
るのだ,
ということをつきとめた。それ故,管理論としての経営経済学にとっ
て管理の学聞は根幹をなすとも考えられるので,われわれは,管理の学問に関
する内容を跡づける必要がある。その際,われわれはキノレシュの『組織的管理
システム』を取り上げることとしたし、。また,理論的枠組としての管理の学問
には中心的部分としてコンテクストがあり,このコンテクストを描くことに
よって理論的枠組の特質を描き出すことができると解されたので,われわれは
コンテクストを構成すると思しき中心的言明を順次析出しそれらに二重かぎ括
弧(Ir ,~ )を施して注意、をはらうこととする。
(
1
) 統御上位主体としての管理システム
キルシュは
r
管理」とし、う概念をはっきりさせるために,統制 (
S
t
e
u
e
r
u
n
g
)
と制御 (
R
e
g
e
l
u
n
g
)の考え方に基づく。これらの考え方は,サイバネティッグス
的見方 (
k
y
b
e
r
n
e
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i
s
c
h
eS
i
c
h
t
w
e
i
s
e
)といわれていて,キノレシュの管理論として
の経営経済学の一つの特徴的見方で、あると解されうるのである。
S
y
s
t
e
m
)とは,相互に関係のある諸要素の集合
キルシュによると,システム (
(
M
e
n
g
e
)であって,かれにとって関心のあるのは,システムのうちでも,物質,
燃料,情報を受入れ処理し,相互に,物質的な連結 (
K
o
p
p
l
u
n
g
),燃料的な連結,
情報的な連結を示す活動要素 (
a
k
t
i
v
e
sE
l
e
m
e
n
t
)の集合からなる行動システム
(
V
e
r
h
a
l
t
e
n
s
s
y
s
t
e
m
)である。この場合のひとつの活動要素の行動とは物質,燃
料,情報といった投入 (
I
n
p
u
t
)を産出 (
O
u
t
p
u
t
)へと変換することである。こうし
(
9
4
) 管理に関するサイバネティックス的見方についてのキノレシュの見解については次を参
照のこと。
W K
i
r
s
c
h,Fuhrungssysteme,SS 1-20
i
r
s
c
h,a
"a 0,S 3
(
9
5
) Vg
lW K
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h,aa0,S 3
(
9
6
) VglW K
,
,
,
,
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
第5
9巻 第 1号
-102-
1
0
2
た活動要素から成り立っている行動システムは,孤立して存在するのではなく,
環境 (
Umwelt)のなかにおいて存在する。システム内部の要素がシステムに
とって環境の要素と連結しているという意味で,行動システムは開放システム
(
0
任e
n
e
sS
y
s
t
e
m
)である。この開放性は,行動システムにとって,それに必要
な物質,燃料,情報を得るためにはなくてはならないという意味ではシステム
の存続の前提 (Vo
r
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u
s
s
e
t
z
u
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gd
e
sU
b
e
r
l
e
b
e
n
s
)である反面,環境の変化がシス
G
e
f
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h
r
d
u
n
gd
e
s
テムに対して妨害的に作用する故,システムの存続の危険因子 (
U
b
e
r
l
e
b
e
n
s
)でもある。この危険因子である環境からくる妨害を何らかの形で
処理することが開放システムにとってのひとつの重大問題をなすのである。す
なわち
r開放システムは,環境の妨害を補償できなければならない。」ここま
でのところでわれわれが窺い知ったのは,キルシュが組織を開放システムとし
て把握していることである。
「組織は,行動システムであってかつ開放システムであり,環境からの妨害を
補償できなければ,存続できなくなる。』
開放システムとしてシステムは,外部の環境とつながっていること故に環境
から入ってくる妨害を補償できなければならないが,妨害の補償を行うために
は,システム内部の統御機構 (
S
t
e
u
e
r
u
n
g
s
u
n
dRegelungsmechanismus)が前
R
e
提とされる。統御機構とは次のような機構を表究環境から情報が受容器 (
R
e
g
l
e
r
)に入ってくる。制御器の機能は次の通りであ
z
e
p
t
o
r
)を通じて制御器 (
る。制御器は,入ってきたこの情報と実現するべき管理目的変数 (
F
u
h
r
u
n
g
s
-
g
r
o
β
e
)を比較し両者に語離のある場合には,ある特定の反応、を規定したプログ
E
任e
k
t
o
r
)~こ伝えて,作用器がその施策をもっ
ラムにしたがって施策を作用器 (
て制御範囲 (
R
e
g
e
l
s
t
r
e
c
k
e
)に介入する。管理目的変数はこの場合,制御器に
とっていわば外部のどこかから外在的に与えられているかの如く扱われてい
る。管理目的変数は,キルシュの言葉によると「管理目的変数という当為値」
(
97
)
(
9
8
)
(
9
9
)
W.K
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.
.
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Vg
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.
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1
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Vg
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.8
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1
0
3
-103-
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
(
S
ol
1d
e
rFuhrungsgrδse)とも言い表されていることによって理解されるよう
に,維持するべき価値がそれによって表現されていると解され,われわれは管
理目的変数を維持することを以下では必要な場合便宜上管理目的と呼びたい。
制御範囲への介入が行われなければならない理由は,環境から制御範囲に妨害
が入ってくるからであるが,この制御範囲が果たして制御器の思いどおりのも
のを生み出したかどうかをまた受容器が制御器に伝える。ここで, _.l!命令が
出てから成果に関する情報がもどってくるまでの環は閉じる。さらに,一旦出
された命令によっては制御範囲から管理目的変数に十分そった形の成果が出て
こない場合は,再度制御器は作用器を通じて,制御範囲に介入す る。管理目的
u
変数が実現されるまで,制御器は作用器を通じて制御範囲に介入するのである。
ただし, このような介入はプログラムに基づく常軌的反応として行われるのみ
ではなく,常軌的反応の考えられていない場合にももちろん介入は行われる。
この場合,管理目的変数を実現する施策が予め考えられておらず,制御器は妨
害を補償しつつ管理目的変数の実現に向けた新規の施策を決定するために制御
M
o
d
e
1
1
)を作る。この模型の分析に基づいて,ある施策をと
範囲に関する模型 (
ればどのような帰結が出てくるかが明らかとなり,それ故, とるべき施策が決
まってくるのである。
常軌的反応がある場合にもそうした反応がなく模型分析が行われ反応が決め
られる場合にも,統御の最も重要なる事項は,管理目的変数の実現に向けて,
フィードパック情報に基づき何度も介入を行うということであると解される。
『管理とは,管理目的変数の実現に向かつてシステムの構成要素特に個人に介
入を行うこととしての統御の実施である。~
(管理の意味の確定〉
こうした統御行為の意味をもっ管理は管理される側にはある意味でより上方
に位置するという事態に対して言葉を選んでキルシュは統御上位主体 (
c
o
n
-
t
r
o
l
l
i
n
go
v
e
r
l
a
y
e
r
)と表現し,管理システムを統御上位主体として把握するこ
ととなるのである。ここで急いで解説しておかねばならないことは,システム
の管理それ自体も複数の人々が給付するという事態を考慮して管理「システム」
(
10
0
) VgLW.K
i
r
s
c
h
.a
.a
.O.S.l
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-104-
第5
9巻 第 1号
1
0
4
とし、う表現がとられていることである。
統御上位主体の統御という機能からシステムの行動を把握しようとする点
に,キルシュの言うサイバネティックス的見方が最も明確にあらわれていると
解され,かれの管理論の出発点的発想がそれによって与えられる。かれは,サ
イバネティッグス的見方に拡大修正を行うかたちでかれの構想する管理システ
ムに関する枠組を得ょうとする。既述のサイパネティックス的見方では管理目
的が外部のどこかから外在的に与えられているかの如く扱われ,管理日的から
出発し個人に介入が行われることが管理の意味となっている。個人へのこの介
入は一方的影響において行われると考えられている。つまり与えられた管理目
的を実現させるための手段の決定を行いこれを命令として一方的に伝達するの
は管理者側である。キルシュは,
このサイバネティックス的見方の管理の考え
,
方を,行動科学的認識をもって拡大修正してし、く。主要な拡大修正は,第 lに
管理目的を与えられたものとしてではなく,システム内部における意思決定過
程を経て生み出されるものとして扱うとしヴ態度にあらわれる。拡大修正のこ
の態度に基づきかれは一層論を進め管理目的の形成したがってまたその内容に
は管理者のみではなくその他の人々の影響の可能性もあるということを示そう
とし,このことを,かれ自らの管理論の構想には任意の価値体系をおくことが
できるとしていた主張に対応させようとする。さらに,主要な拡大修正は,第
2に,管理目的が決定される過程とそれが命令として伝達される過程の両方の
過程について,形づくられ伝達されて L、く管理目的の流れと並行してこれらの
過程を立ち消えないよう確保して L、く活動についての認識を取り入れるという
態度にあらわれる。
(
2
) 管理システムに関する行動科学的構想
キノレシュは,管理システムの分析のために行動科学的構想を参照しようと
すな:かれは,一連の行動科学的構想から管理システムの分析に対するサイパ
(
10
1
) 管理についての行動科学的構想の導入に関するキノレシュの見解については次を参照
のこと。
WK
i
r
s
c
h,aa0
.,S
S
.
.4
3
8
8
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
1
0
5
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-105-
ネティッグス的見方の拡大修正を期待しているのみならず,管理システムの分
析に対する考えうる基本問題設定への示唆をも期待している。かれが,管理シ
ステム分析の枠組の拡大修正ならびに基本問題設定を受け取ろうとする行動科
学的構想は,社会心理学的構想 (
s
o
z
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l
p
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y
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g
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s
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),政治学的構想、
(
p
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o
n
),巨視社会学的構想 (
m
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k
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i
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l
o
g
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s
c
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eK
o
n
z
e
p
t
i
o
n
)の 3つであるが,われわれはこれらの構想のうちでも「….."社会システ
ムの統御上位主体としての管理のわれわれの考え方にきわめて直接的に対応す
る……」構想であるとキノレシュが位置づけ取り入れる政治学的構想と巨視社会
学的構想に関して跡づけたい。既述のように,かれの見解では組織目標を外部
から把握することには困難があり,またこの事情とならんでかれは斯学が認識
関心を外部から規定されることを意識的に回避しこのことによって経営経済学
が組織において支配を行使しているエリートに対する奉仕の学問だという非難
をかわそうとしていた。こうした事情に基づきつつ,かれは独特の組織の理想
的状態なる特質を示し, これをかれの管理論としての経営経済学のなかに導入
しようとする。この組織の理想的状態はキルシュの見解のなかでは組織能力論
として展開されているのであり,われわれは組織能力論の内容を跡づける必要
があるが,キルシュはかれが管理!の行動科学的構想として社会心理学的構想に
ひき続いて導入する政治学的構想ならびに巨視社会学的構想の認識を得て段階
的に組織能力論に到達することとなるので,われわれもやはり, この順序に沿
いながらかれの見解を跡づけるのが妥当である。それ故,われわれは政治学的
構想のキノレシュによる導入から始めたいのである。
政治学的構想を取り入れつつかれは,主として「行為能力」と「感度」とい
う2つのことがらを論じようとするが,かれ自らの言う統御上位主体としての
管理システムが組織のどの部分に相当するのかを明確にさせるということをも
行っている。
a
s
t
o
n
)の政治学的研究を念頭におきつ
キルシュは主としてイーストン (DE
(
10
2
)
w
.
.Kirsch,a
.a
.0,S
.57
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-106-
第
5
9巻 第 1号
1
0
6
つ次のように考える。組織目標は政治システムとその環境の両方の要素が個人
目標に基づく組織に対する目標を要求として表明し,政治システムがこれらの
要求を全面的にか部分的にか権威づけるかたちで形成されるのであった。イー
ストンにとっての基本問題設定は, こうした機能を果たす開放システムとして
の政治システムが常に変転する環境 (
s
i
c
hs
t
a
n
d
i
gwanderndeUmwelt)におい
ていかに存続する (
u
b
e
r
d
a
u
e
r
n
)かである。この場合の環境とは,組織にとって
の外部環境をさし示し,政治システムの存続はこの外部環境との相互作用に基
づし、て生まれた妨害の補償によってなされて L、く。政治システムは,許容範囲
におさめなければならない一連の重要な変数をもっていて,環境の変化はそれ
らの一連の重要な変数を許された範囲外へ押し出してしまい,そうした組織に
対する妨害に政治システムはどのように対処するのかが問題となるのである。
その場合政治システムにとって重要な変数は何かが明らかにされねばならない
Po1
i
t
i
k
)の概念を
のであるが,イーストンは政治システムが展開する「政策 J (
もって重要な変数を明らかにしようとする。かれは政策を「社会における価値
の権限的分配」と定義し,この定義から 2つの重要な変数を含む次の言明が言
えるとする。第 lに,価値の分配に関する意思決定が生み出されない場合,あ
るいは第 2に,下された意思決定がもはや「権限的」ないし「拘束的」なもの
として受け入れられなくなった場合のいずれかであるとき,政治システムは存
続しなくなる。それ故,政治システムにとっての重要な変数はここにあらわれ
た 2つの変数つまり意思決定を行う能力 (
F
a
h
i
g
k
e
i
tz
u
rE
n
t
s
c
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)と当該者
r
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l
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t
i
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eH
a
u
f
i
g
k
e
i
tderAnnahme)
による意思決定の受け入れの相対的頻度 (
なのである。キルシュはこの 2つの変数に対応するかたちで,政治システムが
(
10
3
)
Vg
.
lW K
i
r
s
c
h,a
.a
.0,S
S
.58-73
キノレシュが参照を求めているイーストンの書物は次のものである。
D
.
.E
a
s
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o
n,A $
y
s
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e
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sA 加か~sis o
jP
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, NewY
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.
L
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d
o
n
.
S
y
d
n
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y1
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6
5
(
1
0
4
) 政治システムにおいて組織目標が形成される過程ならびに組織目標の特性について
は本稿 I
I
(
5
)r組織田標の特質と問題の批判的明確イじ」を参照のこと。
(
10
5
) キノレシュは「存続する」ということを意味するために b
e
s
t
e
h
e
nという言葉をも使用
し,また「存続」という名詞形の言葉として U
b
e
r
l
e
b
e
nをも使用している。
(
10
6
) VgLW K
i
r
s
c
h,a
.a
.0,S
.
7
2
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
す,A
ク''
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
ハU
1
0
7
第 Iにそもそも意思決定を行い,第 2に行われた意思決定を当該者に受け入れ
させるないし貫徹する場合,それは行為能力がある (
h
a
n
d
l
u
n
g
s
f
a
h
i
g
)といわれ
るとする。
キノレシュによるとこの構想を管理システムへ適用することには何ら困難性が
ない。ここでわれわれは,キルシュの見解を紹介してくる過程では十分その範
囲を画定してこなかった統御上位主体について触れておきたい。管理システム
とは統御上位主体であるとし、う以上に具体的規定はないのであるから,統御上
位主体としての管理システムは,組織のうちで主として目標と戦略といった最
重要意思決定を行う政治システム,政治システムが決めた制約をより具体的に
して行動指針の形成を行う管理システム (
a
d
m
i
n
i
s
t
r
a
t
i
v
e
sSystem),具体的な
行動指針に基づきつつ生産と配給の実行的過程を常軌的に統御する作業監督シ
ステム (
o
p
e
r
a
t
i
v
e
sSystem)の三者を含んだし、わゆる管理組織の全体にも使え
る言葉であるし,またそれらのうちひとつのシステムにも使える言葉であるし,
統御と L、う機能を果たしている限りさらにその中の部分にも個人にも使える言
葉なのである。ところが,ここでキルシュがイーストンの政治システムの構想、
を出して統御上位主体ないし管理システムとして考え, したがってかれ自らの
構想の適用対象と考えているのは組織の中の管理組織のうちの「政治システム」
であると考えられ,この固定はかれの管理論全体に通用すると考えられるので
ここで特別に記して注意を払いたいのである。後に見るように組織変更を行う
組織において変更の発企や実行でつねにイニシアチブをとる統御上位主体とし
ての管理システムとしてキルシュが注目するのは,最重要な意思決定を行う政
治システム的部分なのである。それ故,政治システムの行為能力についての論
述は管理システムの行為能力についての論述であると言える。かれは 2つの行
為能力をあげるのみではなく,行為能力特に行われた意思決定の貫徹能力を確
(
1
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gないし Ha
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tとし、う言葉は例えば次の箇所にみられ
る
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.,S 7
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h,Entscheidungstrozesse,BdI
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S
.
.
5
1
5
2
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-108ー
第5
9巻 第 1号
1
0
8
保する施策について次のように論じる。
政治システムは,その環境からの要求を権威づけて組織目標にしていくこと
を主たる任務とするという限りで,政治システムへの投入物は環境からの要求
だということになるのであるが,投入物は単にそれだけではなく環境からの支
U
n
t
e
r
s
t
u
t
z
u
n
g
)もまた政治システムに入ってくる投入物なのである。この
持(
場合の環境とは単に組織の外部環境のみではなく紹織の内部ではあるが政治シ
ステム以外の組織の内部環境をも含んでいる。支持の意味を規定してかれは次
のように言う。「何らかの対象 X を支持するとは, Xの有利なように行為するこ
とないしそういう行為をなす心構えがあることである。」次に支持の種類には 2
つあって特殊的支持 (
s
p
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)と分散的支持付近 u
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eU
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-
s
t
u
t
z
u
n
g
)とがある。このうち特殊的支持とは,個々の意思決定に向けられて行
われる支持であって政治システムは意思決定によって失望しない者からだけ特
殊的支持を得られる。分散的支持の方は特殊的支持とは対照的に個々の意思決
定に向けて行われるのでは決してなく,政治的意思決定者の正当性 (
L
e
g
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t
i
-
m
i
t
a
t
)への信仰,政治的システムの意思決定がそれに向かつて役立っている一
般的な共通の利益 (
a
l
l
g
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n
e
sgemeinsamesI
n
t
e
r
e
s
s
e
)、への信仰,政治的共同
体への多分に情緒的な一体化 (
mehre
m
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t
i
o
n
a
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eB
i
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d
u
n
g
)にあらわれるのであ
る。通常,分散的支持を行っている者は,政治システムの個々の意思決定によっ
て失望しても直ちに分散的支持を取り消したり控えたりせず,長期的に失望さ
せられた場合にだけ分散的支持を取り消したり控えたりする。こうした分散的
支持をめぐる事情から,キルシュは「政治システムは分散的支持を得れば得る
u
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p
u
l
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t
s
c
h
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i
d
u
n
g
)を行いかっ貫徹する余地を
程,不人気な意思決定 (
ますます多くもつことになる」と言う。特殊的支持と分散的支持のこの論述に
基づくと,これらの支持を獲得してし、く施策がありうることになり,かれは行
われた意思決定の受け入れ促進 (
P
r
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i
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nd
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rg
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..
61
.
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
A
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管理論としての経営経済学に関する考究(1)
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ム
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,
1
0
9
のための活動と施策ならびに支持の創造ないし維持 (
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rU
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u
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z
u
n
g
)のための活動と施策をあげる。このう
ち前者の施策が特殊的支持の獲得をめざした施策であり後者の施策が分散的支
持の獲得をめざした施策のことをさし示していると解される。政治システムは
これらの支持獲得のための活動をもなすのであり,政治システムへの投入物に
は諸々の要求のみではなく支持もあることに対応して,政治システムの産出物
にも意思決定のみならず支持獲得施策もまたあることになり,投入物としての
支持と産出物としての支持獲得施策が考察につけ加えられたことになる。そし
てこの支持獲得施策は政治システムの重要な変数の第 2として言われた意思決
定の受け入れの頻度を高める活動なのである。われわれはここで付言しておき
たいことは,組織が開放システムであり外部からの妨害を補償する必要がある
からこそ行為能力の確保が問題になるといういわば「存続の論理」にのっとっ
てこうした支持獲得施策が発生してくるのだということである。
以上は行為能力についてであるが,次に感度 (
S
e
n
s
i
t
i
v
i
t
a
t
)についてキルシュ
はイーストンの構想から次のような認識を受け取る。上述のように政治システ
ムが環境からの要求を取り上げて,また環境からの支持に依存しているという
事態は,政、冶システムが環境の欲求 (
Wunschend
e
rUmwelt)に対して反応的
(
r
e
s
p
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n
s
i
v
e
)であることに導く。反応的であることを感度をもっという言葉に
言い換えてかれは次のように言う。「しかし様々な環境要素ないし環境部分の欲
求に対する政治システムの感度の高さは同じではありえない。」政治システムが
高い感度をもって応じる環境部分もあれば相対的に低い感度をもって応じる環
境部分もある。このようなことが起こる理由は,重要な環境部分により高い感
度をもたねば政治システムひいてはシステム全体が存続を停止するからであ
る。感度をもっということの意味は,政治システムが政治システムから見て重
要であると判定している環境部分の欲求ないし欲求に基づいて定式化された要
求を意思決定に取り入れていくことであると考えられるが,感度をもっという
(
1
1
3
) W.K
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c
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.0,S 6
2
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-110-
第5
9巻 第 l号
1
1
0
ことと支持獲得施策との関連をつけておくと,政治システムがこの意味で感度
をもっ意思決定をなしたとしても,支持獲得施策はそのことによって無用にな
るわけで、はないのである。なぜなら,政治システムの感度はすべての環境部分
に対して閉じ高さではないという政治学的構想の言明を前提すると,十分な感
度をもって遇されなかった環境部分に対しては政治システムは個々の意思決定
に関して特殊的支持の獲得施策を展開する必要があるし,
また普段からそれぞ
れの環境部分に向かつて分散的支持の獲得施策を展開し個々の意思決定の貫徹
を容易にする土壌をつくっておく必要があるからである。政治学的構想は,こ
うして感度を語りながらも様々な環境部分に対して感度の高さが異なるという
事実認識を取り入れている故にこそ,支持獲得施策という行為能力の確保策が
必要となってくるのであり,そこには,欲求を対象とする意思決定過程を結論
にまで持ち込む方を容易にして,その結論を支持獲得施策によって何とか当該
者に貫徹していこうとする構図がみられ,こうした事態は後に見るエツィオー
ニの構想との鋭い相違点である。
キノレシュは, こうしてイーストンの政治学的構想を取り上げつつサイバネ
ティックス的な管理の見方に対して,管理目的が形づくられ伝達されていく過
程特に伝達されて L、く過程の方を立ち消えないよう確保していく活動について
の認識をつけ加えたので、あって,このことは,われわれが先に述べた行動科学
的認識によるサイパネティッグス的見方の拡大修正の第 2点にかかわる。行為
能力確保のための活動論をめぐるこの拡大修正に政治学的構想、の導入の主目的
はあったが,政治学的構想のなした拡大修正は決してこれに尽きない。政治学
的構想から管理目的が与えられたものとしてではなく,システム内部における
政治システムの意思決定過程を経て生み出されるものだという認識が受け取ら
れた。この認識はわれわれが先に述べた行動科学的認識によるサイバネティッ
クス的見方の拡大修正の第 l点にかかわるわけであるが,イーストンの政治学
的構想では重要な環境部分の価値のみが重視されていくと L、う事実認識によっ
て政治システムの構成員以外のその他の人々の影響の可能性には事実上の限定
があることが意識されている。政治学的構想における管理目的のシステム内的
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
1
1
1
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-111-
決定とし、う認識に基づきつつも,管理論としての経営経済学の基礎には任意の
価値体系を置くことができるとするキルシュとしては政治システムの構成員の
みではなく他の当該者による影響の可能性を聞く必要がある。キルシコが政治
学的構想に引き続いてかれ自らの管理論に取り入れようとするのは,エツィ
t
z
i∞i
)の巨視社会学的詳述であり,こちらの構想によってわれわ
オーニ (AE
れがサイパネティックス的見方への第 lの拡大修正と見た政治システムの構成
員以外の者の価値の管理目的への取り上げの提唱が大幅に進められるとともに
キルシュの管理論に意識的に理想的要素がつけ加えられることとなる。
a
k
t
i
v
)
エツィオーニの構想にとっては,どのような条件の下で社会は積極的 (
なのかが関心の的となるのである。キルシュはエツィオーニの構想から,社会
が積極的であるということは,当該社会の価値がより良く満たされていくよう
4
抗
宝
弘
2
討
ω
s
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詑e
l
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凶
b
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銑twa
耐
n
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白
l
l
叫
n
1
)ことカが:で、き 1
に自らを変更する (
み,このことを 3つの能力に分解して論じようとする。
k
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g
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),相
それらの能力は,サイバネティックス的能力 (
r
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i
v
e Macht),合意を動員する能力 (
F
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t,Konsensus zu
対的権力 (
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)で、ある。まず,サイバネティッグス的能元宅とりわけ問題となる
g
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eFuhrung)の場合における知識 (
W
i
s
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e
n
)の
のは,社会的管理 (
役割であり,エツィオーニの出発点は,社会的行為単位は情報を集め,評価し,
適用する能力で区別されるというものである。この知識の役割を積極的社会
(
a
k
t
i
v
eGesel
1
s
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h
a
f
t
)つまり自己変更能力をもっ社会の条件と関連せしめて,
かれは次のように説く。合意の得られている基本原理を疑問視し古いコンテク
ストを新しいコンテクストに代替する科学革命に対比せられる革新的情報の生
F
u
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e
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t
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k
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i
t
i
k
)こそ,積極的社会の一条件であ
産を促進する根本的批判 (
(
1
1
4
)
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.0 ,SS..73-88
キノレシュが参照を求めているエツィオーエの審物は次のものである。
AE
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7
8
8
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(
11
5
)
(
11
6
)
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-112-
第
5
9巻 第 1号
1
1
2
る。この知識の役割の強調はイーストンの政治学的構想には見られなかったこ
とであり,巨視社会学的構想、の独特の提唱であり,キノレシュはこれをかれの組
織能力のひとつに取り込んでいるのである。
エツィオーニは,サイバネティッグス的能力に続き,管理の実行要素(lm-
p
l
e
m
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t
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e
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u
n
g
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k
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o
r
)を論じ,そこで問題となるものが権力である,と説く。
Machtanwendung)は定義的には抵抗の克服 (
U
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e
r
かれによると,権力使用 (
windungvonW
i
d
e
r
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t
a
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)であるが,権力使用それ自体がまたそれ固有の抵抗
を生む。複数の権力使用は,抵抗の基礎となる疎外 (
E
n
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r
e
m
d
u
n
g
)につながる
程度が異なり,権力を持つ者は,最も少ない疎外しか生まない形での権力使用
を望む。しかし,権力をもっ者はこの意味での適切な権力使用をなす可能性を
限定されていたり,そもそもある権力使用がどのような量の疎外につながるか,
ということに関する知識にも限定があり,最も少ない疎外を生み出す権力使用
の可能性は限られている。この意味での適切な権力使用を行うということが問
題となると解されるが,いずれにせよ,権力使用の目的は,一旦行われた意思
決定を受け入れさせることにあると解され,エツィオーニの構想における権力
使用はイーストンの構想では特殊的支持を得ることに相当すると考えられる。
合意を動員する能力における合意とは
2人以上の人々の聞における展望
(
P
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k
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i
v
e
)の一致をさし示す。ここに展望とは価値 (
W
e
r
t
)ないし選好 (
P
r
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e
r
e
n
z
)のことをさし示す。つまり 2人以上の人々の聞で価値の一致がみられる
場合,この事態を合意、というのである。エツィオーニは合意、を 2つに分類して,
g
r
u
n
d
l
e
g
e
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u
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s
)と一致している
決定が社会の構成員の基本的欲求 (
場合の真の合意 (
a
u
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i
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c
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rK
o
n
s
e
n
s
)と,社会の構成員の価値の上での一致
は見られるのであるが社会の構成員は操作されているという感情をもっという
場合の表面的合意 (
i
n
a
u
t
h
e
n
t
i
s
c
h
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rK
o
n
s
e
n
s
)が存在するとして,問題はどのよ
うな条件下で真の合意が完成するかであるとする。われわれはここで特殊的支
持獲得活動と分散的支持獲得活動を想起せざるをえない。なぜ、ならこうした支
(
1
1
7
) Vg
lW.K
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c
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1
1
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.Kirsch,a
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.0,SS.83-84
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3
管理論としての経営経済学に関する考究 (
1
)
-113ー
持獲得活動によっても一応は合意は形成されうるからである。しかし,これら
の支持獲得活動によって獲得されるのは真の合意ではなくやはり表面的な合意
であるということができる。このことは特に特殊的支持獲得活動の場合にそう
言えるが,多かれ少なかれ分散的支持獲得活動も長期的効果をねらう一種の「操
作的色合」をもっ以上こちらにも言えることなのである。エツィオーニが真の
合意、という言葉を出して言及しようとした事態は,そうした支持獲得活動ぬき
で社会に存在する多数の当該者の価値を考慮に入れてこそ真の合意が成立する
ということなのだと解される。なぜなら,この意味での真の合意だけが「当該
社会の価値がより良く満たされていくように自らを変更する」ことが出来ると
いう積極的社会の意味に合致するからなのである。複数の当該者の価値あるい
はより明確に言えばより多くの当該者の価値の考麗がなされる社会こそエツィ
オーニの言う積極的社会に匹敵するものと解される。その際,真の合意、が達成
された社会で、はもはや支持獲得施策としての権力使用が必要でなくなってしま
うことにわれわれは注意したし、。権力使用が必要でなくなるかわり,欲求を対
象とした意思決定過程を結論にもちこむことが著しく困難になるのである。
イーストンの政治学的構想における感度という能力はエツィオーニの言う当該
者の価値の考慮に相当し,等しく感度を問題にしつつも感度に関する両者の問
題のしかたには相違があり,イーストンの方は管理システムはすべての価値に
は平等に考慮、を及ぼすことができないという事実的な指摘を行うのに対して,
エツィオーニのいう真の合意を獲得する社会ないしより多くの当該者の価値を
考慮する社会ということには理想像的要素があらわれているのである。キノレ
シュもエツィオーニの積極的社会の理想像的要素を認め,そのような社会が理
想郷 (
U
t
o
p
i
e
)であると表現する。キノレシュは,基本的にはエツィオーニの理想
像の方を自らの考察に取り入れ,そこにイーストンから得た行為能力に関する
認識を接合させながら進歩能力のある組織の概念を展開するが,この概念につ
いてはわれわれは節を改めて触れたい。かれが政治学的構想と巨視社会学的構
(
1
1
9
) Vg.
lW.K
i
r
s
c
h,a
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.0,S 8
5
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-114ー
第
5
9巻 第 1号
1
1
4
想を取り入れることによって,最終的に展開しようとするのがまさにこの進歩
能力のある組織をめぐる議論なのである。
(
3
) 進歩能力のある組織
かれは,管理システムの能力として,行為能力 (
H
a
n
d
l
u
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g
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i
t
),認識進
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t
t
),感度能力 (
E
m
p
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a
n
g
l
i
c
h
k
e
i
t
)の
歩能力 (
3つをあげている。
まず,管理システムの行為能力について,キノレシュは,管理システムの行為
能力の 5つの要素を挙げているのだが,かれは行為能力の個別要素が多様に分
類しうることを意識した上で,行為能力の 2つの主要要素を強調することが合
目的であるとする。この 2つの主要要素のうち, まず第 1の主要要素は,意思
決定を行うことができるという要素である。次に第 2の主要要素は,下された
意思決定を環境に対して貫徹することができるとし、ぅ要素である。かれは,行
為能力は,管理システムに本来そなわっていて管理システムの努力とは関係な
く決まってくる変数ではなく,適切な施策によって確保することのできるもの
であると考え r行為能力の関心において管理システムによって実行されるすべ
ての施策」を促進活動 (
P
r
o
m
o
t
i
o
n
)として把握し,促進活動には,行為能力の
2つの主要要素に対応して 2つの活動があるとする。そのうちのひとつは,第
lの主要要素に対応する過程促進活動 (
P
r
o
z
e
s
p
r
o
m
o
t
i
o
n
)であって,これは管
理システムにおける過程を押し進め (
v
o
r
a
n
t
r
e
i
b
e
n
),過程の消え去ってしまう
こと (
V
e
r
s
a
n
d
e
n
)を防ぐ。次に第 2の主要要素に対応するもうひとつの促進活
動は成果促進活動 (
E
r
g
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b
n
i
s
p
r
o
m
o
t
i
o
n
)であって,これは環境に向けられ,管理
b
e
t
r
o
百e
n
eUmwelt)に対
システムの問題解決努力の成果を影響を受ける環境 (
(
12
0
) 管理システムの能力に関するキノレシュの見解については次を参照のこと。
w
.
.Kirsch,a
.a 0,33.172-200
(
121
) Vg
LW.K
i
r
s
c
h,aa
.0 ,3
3
.
.1
7
5
1
7
6
キノレシュはその箇所で行為能力の 5つの要素を次のとおりにあげている。(1)行為の環
(
H
a
n
d
l
u
n
g
s
z
y
k
l
u
s
)を発企すること。 (2)諸々の行為を記号にすることつまり問題解決な
いし計画を獲得すること。 (
3
)
記号にされた諸々の行為のうちひとつを決定すること。 (
4
)
環
境に実際に作用すること。 (
5
)当該者に問題解決と実施された施策を受け入れさせること。
(
12
2
) Vg
lW K
i
r
s
c
h,aa 0,3
3
.
.1
7
6
1
7
7
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
1
1
5
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-115-
して貫徹することに向かれこの場合の成果促進活動は,われわれの理解によ
ると,特殊的支持の獲得の活動であると解される。明白であるが,行為能力を
めぐる以上の議論は大幅にイーストンの議論に依拠している。イーストンの議
論では,管理システムは事実上そこから見て重要な欲求に重点的に注目するの
みである故,過程促進がそれ程問題とならず,成果促進による行為能力の確保
が考えられていた。しかし,可能性としては,数多くの欲求を考慮しようとし
過程促進が難しくなってもこれを処理し,成果促進の方には大きな問題を残さ
ない行為能力の確保もありうる。
第 2に,管理システムの認識進歩能力についてキルシュは次のように考える。
かれが認識進歩能力を強調する理由は,この世界が神話 (Mythe),作り話 (
Mar-
c
h
e
n
),独断 (Dogma)に満ちていて,これらが社会システムと個々の人聞の行為
lll
に絶大な影響を与えるからであり,キノレシェはそれらの不確かな知識から客観
的知識 (
o
b
j
e
k
t
i
v
e
sWissen)を区別し,客観的知識に基づいて行動が行われるこ
とを要請しているのである。かれによるならば,管理システムが常に客観的認
識に到達することができる場合,管理システムは認識進歩能力をもっ。さらに
かれは管理システムが認識進歩能力をもつことの重要な条件のひとつをあげ,
それは批判 (
K
r
i
t
i
k
)の存在であるという。どのような批判もまた確実だなどと
いうことは決してなく, さらに一層の批判を必要とするわけであり,こうした
意味において批判こそ認識進歩の原動力 (
Motor)である。明白であるが,認識
進歩能力とその確保策としての批判活動の位置づけについての以上の議論はエ
ツィオーニの構想に基づいている。かれによれば,こうした考え方を組織に関
する考察にも使用すると,組織における批判が抑制されればされる程,管理シ
ステムの認識進歩能力はなくなっていくのである。このように見るキルシュ
は,さらに認識進歩能力を同じく組織の能力のひとつである既述の行為能力と
の関連で次のように論じる。無制限な批判 (
ungeschrankteK
r
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k
)を行える可
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8
5
川
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-116-
第
5
9巻 第 1号
1
1
6
能性がより広範に存在する程,管理システムの行為能力はおびやかされる。そ
S
t
o
p
p
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g
e
l
)が必要
れ故,行為能力を確保するためには批判に対する停止規則 (
となる。ここに認識進歩能力の確保のための「批判」的活動に行為能力の確保
の観点からの制約が意識されている。
第 3に,管理システムの感度能力についてキルシュは次のように論じる。感
度能力にいう感度の対象は心理的現象のうちの重要な心理的性向としての欲求
(
B
e
d
u
r
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n
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)であり
r
特定の欲求の存在が管理システムの行動の一部の変動を
『説明する』つまり規定しているならば,管理システムはその欲求に対して感
度能力をもっ。」キルシュのこの引用文から,単に様々な欲求の存在を事実的に
知るというだけではなく,実際にある欲求を反映した意思決定を行ってこそそ
こに感度能力があるといえることが分かる。単に様々な欲求の存在を事実的に
知ることは既に認識進歩能力の対象であったのである。次に,イーストンの政
治学的構想の箇所でもキルシュが言っていたように,管理システムの感度能力
の高さは欲求の担い手に対して平等に高いわけではなく
rかくて,営利経済的
企業 (
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-
mer)に対してよりも自己資本供与者 (
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r
)に対してより高い感
度能力をもっとしばしば主張される」のであるが,キルシュが感度能力をもち
出してなそうとしたことはすぐ後に触れられるようにむしろ特定の誰かではな
く数多くの当該者の欲求に対して感度能力が高いという理想像を示すことにあ
るのである。その限りで,キルシュは感度という言葉をイーストンから受け取
りつつも,イーストンのなした事実認識を捨て,実質的にはエツィオーニの真
の合意を得ることのできる社会とし、う理想像を取り入れたのである。そしてこ
こに,サイバネティッグス的見方の管理目的により多くの人々の価値を盛り込
もうとするキノレシュの方途が看取されるのである。ここまでで価値としての管
(
1
2
6
)
(
12
7
)
(
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12
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.
1
9
0
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
1
1
7
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
117-
理目的の方へのより多くの当該者の影響の可能性への道が開かれたのだが,一
旦決定せられた価値を実現する重要な手段的意思決定の権限が排他的に管理す
る側の手中にあっては,折角様々な当該者の欲求ないし価値の反映された価値
意思決定がなされたとしても重要な手段意思決定がそれを実現する方向に向か
わないことも考えられ,このような可能性があると,より多くの当該者の影響
の道をつけるということも空文化するであろう。ところが,認識進歩能力の箇
所でキルシュが言う認識進歩のための「批判」を行う主体を狭い範囲に限定し
て解釈する必然性はなく,認識進歩能力で言っていることはより広範な集団か
らの事実的情報の取り入れの可能性を聞いているとしづ解釈もありうる。そう
だとすると,価値意思決定のみではなく重要な手段意思決定の場面をも含めて
より多くの当該者の価値の実現の方向に向かう理想像が開陳されたことにな
る。本稿 Vで紹介される計画的組織変更管理論の内容を若干ここに先取りして
ここで言われたことと関連づけておくと,重要な手段意思決定とは,組織変更
の種類(例えば,事業部制組織導入,計画システム導入,情報システム導入〉
の決定をさし示すと解され,価値のみではなくどの組織変更によって当該者の
価値がより良く満たされるのかに関する意見をも管理に反映させると L、う認識
進歩能力を含んだ意味での感度能力についての理想像がここで展開されたこと
になるわけで司ある。
さて,認識進歩能力の箇所でもその能力の確保の前提たる批判と「行為能力」
との競合関係が考えられていたが,感度能力の箇所でもキルシュは感度能力と
「行為能力」との競合を指摘し,要求投入過剰
(
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)は解決
されるべき問題をより複雑にし管理システムの意思決定の過程促進に処理すべ
き問題をもち込むこととなり,過程促進を容易にしつつ成果促進の方に処理す
べき問題をみるイーストン的な行為能力を妨げるとする。
しかし,既述のように,過程促進が難しくなってもこれを処理し,成果促進
の方には大きな問題を残さない行為能力の確保もありえ,感度能力はこちらの
意味での行為能力とは整合的である。そうだとすると,われわれにとって検討
するべき問題は,キルシュがどこまで感度能力を真に高めようとするか,換言
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-118--
すれば,
第5
9巻 第 1号
1
1
8
どこまで「過程促進」の方による行為能力の確保を考えているかであ
る
。
キルシュはこのように 3つの組織能力をとらえ,管理システムがこれら 3つ
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xd
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)組織は「革新的 J(
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の能力をもち合わせているとき,定義的に (
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)である,あるいは進歩能力がある (
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)とし、う。かれは,
3つの組織能力を結合して次のように言う。「…,.."当該者の欲求と価値から見て
『望ましい~
(wertvol
l
) (このことは欲求考慮能力の問題である〉新しい構想
(
I
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e
e
)と解決構想 (Losungskonzept) (このことは認識能力の問題である〉が実
際に実行に移され現実を変更せしめる(このことは行為能力の問題である)場
合,革新が存在する。」この文章中欲求考慮能力はもちろん感度能力のことをさ
し示すが,この能力については,管理が「できる限り多くの当該者の欲求と利害」
(
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)を考慮する能力である
と表現されている。あるいはまた「管理が同時に行為能力があり,認識能力が
あり,かっすべての当該者に対して (
gegenubera
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nBetro任e
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n
) W感度をも
っ』完全に展開された革新的組織」とも表現されている。ここで,われわれは,
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)がキルシュの論述にお
進歩能力のある組織 (
いて「理想像」としてはっきり位置づけられていることを見逃してはならない。
組織能力論を含む管理の学問は,応用科学的な管理のための学問の土台として
役立ち,特に応用科学にとって問題となる技術論的言明の判断基準を与えてい
く必要があるのであるが,組織能力の 3つの特性を高い程度に維持する組織す
なわち進歩能力のある組織こそこの判断基準を与えるものである。このことに
ついてキルシュは次のように明言する。「応用経営経済学のひとつの問題設定
(
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3
3 同様の表現はキノレシュの次の論文の次の箇所にも
みられる。
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1
8 ただし傍点は渡辺のもの。
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
7A
7i
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
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1
1
9
は,組織が例えば新しい方法とシステム構想,新しい管理模型によって進歩能
力のある組織とし、う理想像にどれ程近づけるか,である。」かれの管理論として
の経営経済学は「管理の学聞に基づく管理のための学問」であったのだが,管
理のための学聞は管理の学聞のなかのこの進歩能力のある組織の 3つの能力に
対する政策論になるはずなのである。
われわれは進歩能力のある組織の内容を知った。
『組織変更の手段についてより良く知りつつ,できる限り多くの当該者の価値
を満たすように,実際に組織変更のできる組織が進歩能力のある組織であり,
これが組織の理想像である。』
この表現からも窺えるように,進歩能力のある組織の概念は,できる限り多
くの当該者のために変更手段を模索して実現していける組織なのであって,極
めて形式的で抽象的な概念である。組織能力のうちの 3つの能力はし、ずれも形
式的で抽象的であるが,特に感度能力とのかかわりで,具体的に価値が措定さ
れているわけではないことにわれわれは注意しておきたい。われわれの見解で、
は,こうして組織変更の目ざす価値を明確にせず
Iできる限り多くの当該者の
価値を満たすように」といった表現になるのは,かれの構想する管理論として
の経営経済学が数多くの利害的立場に対して解放性をもち,反権力科学として
の労働志向的個別経済学を無用なものにすると言われていたことに呼応してい
る。かれの管理のための学問の土台をなす管理の学問において展開された進歩
能力のある組織はできる限り多くの当該者の価値の導入を唱えこの意味で非常
に民主的な響きをもつのである。こうして名は民主的な響きをもつかれの管理
論の実は一体どのような価値に呼応しているのかを見きわめることがわれわれ
の関心事のひとつとならざるをえないのである。
(
4
) 管理システムにおける活動と意思決定過程
キルシュは,組織の管理システムには通常複数の人々が存在して,それ'故,
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sPhanomen)である,と考える。管理システムに
管理は集団的現象 (
(
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3
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.
.,Das Managemenf,S
.
.1
3
3 傍点は原文ではイタりック。
(
13
4
) 本稿I!(
2
)r
管理の学問と管理のための学問」を参照のこと。
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
9巻
第 5
-120-
第 1号
0
2
1
けられる ことと
おける現 象は,多 数の参加 者の活動 と相互作 用によっ て特質づ
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),権力行使 (
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なり,参加者の活動と相互作用の種類は,啓蒙 (
)で、あな?こ
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a叫 bung),合意形成 (
示す。
のうち啓蒙とは,問主観的に批判可能な認識の生産,分配,媒介をさし
ろう事を他
権力行使とは,権力基盤に基づきつつ, さもなくばしなかったであ
て,事
者にさせていく影響過程をさし示す。合意形成とは, 当該の事 項に関し
をかたち づくっ
実的意味 のみなら ず,評価 的次元に までも当 事者らの 聞に一致
)さ
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約(
ていくことをさし示す。意思決定とは,実現に向けて資源が確
はキノレ
れる追求努力に値するものを決めることをさし示す。ここで、われわれ
とを想起 する
シュの考 える管理 システム が組織の 政治シス テムに相 当するこ
ステ
と,啓蒙,権力行使, 合意、形成,意思決定は政治システムとしての管理シ
,権力行 使,合
ムのなか の構成員 相互の聞 で行われ るのみで はなく, 特に啓蒙
位の部分 にも及
意形成の 「対象」 はもちろ ん組織の 政治シス テム以外 のより下
組織のなかで、
んでいるとする解釈が妥当で、あろう。 なぜなら,政治システムは
。
は決して自己完結的に孤立して存在しているわけではなし、からである
と意思決 定
認識(啓蒙),権力(権力行使), 合意(合意形成〕の 3つの活動
この関係につ
との関係について, キルシュは次のように考えている。かれは,
t
n
E
)と意思決 定するこ と (
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)ないし 管理す ること (
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いて管 理 (
)との関係を問うことをもって次のように論じる。「個々の意思決定過
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s
)として見られ,また,管理シス
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程が組織 の管理シ ステムの なかで挿 話 (
作用もま た存在
テムにお いては, 個々の意 思決定挿 話に属し えない活 動と相互
すること とを早
するとい うことが 考慮され るならば ,管理す ることと 意思決定
管理シス
計に等値することは, 驚くべきことである。」この文章から, かれは,
したもの
テムのなかで行われる活動が意思決定で尽くされるとし、う立場を放棄
の重なり 合
と解される。意思決定は,啓蒙,権力行使,合意形成の 3つの要素
.
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OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
1
2
1
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-121-
う部分である。個別の意思決定は,その意味で組織内の活動の全体ではなくそ
の重要な一部としての挿話 (Episode)である。こうして意思決定が一挿話部分
であることを強調してかれが論じたかった事は上記引用文中にあらわれたよう
に意思決定が行われる環境ないしキノレシュの用語では周辺場面 (Umfeld)の意
味の強調であり, 上記引用文中の個別の意思決定に属さない活動と相互作用も
g
e
この周辺場面に含められる。個別の意思決定に属さない活動とは, 一般的 (
な啓蒙,一般的な権力行使,一般的な合意形成であって,キルシュは
即 日1
1
)
i具
体的な意思決定挿話の外部にあって殆どそれとは関係のないこのような一般的
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)されうる潜在的
な活動は, 具体的な意思決定挿話のなかで活発化 (
(39)
事象 (
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)の確立,確保さらにまた『否定』に役立つ。」ここに潜在的事象
とは, 一般的な活動の「対象」となるものであり, そこには一般的な知識,権
力基盤, 一般的合意が含まれ, これらは具体的な意思決定を容易にする可能性
をもっている。上述のことを参照すると, このような潜在的事象の存在する範
囲は組織のなかで政治システム以外のより下位の部分にももちろん及んで い
h
る。「管理はこのような潜在的事象に大いに関係をもっ」のであって,組織のな
かの潜在的事象の望ましい方向への育成は管理者の意識的な任務をなすことと
なる。 ここに成立するのが促進活動のひとつの種類としての一般的促進活動
(
g
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e
r
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1
1
e Promotion)であり,これがつけ加わることによって促進活動には
(
1
3
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)
(
1
3
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)
(
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)
(
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)
Vglw
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別の著書でキノレシュは促進活動の種類 (
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)を示す図であるとして次の
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n,Munchen
図を揚げる。 (WK
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)
ンステム関連的
(
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)
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i話 関 述 自 力
(
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)
一 般 的
(
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)
過4
1
1促 進 活 動
以上見関連的
(
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)
成果促進活動
一般的促進活動
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-122-
第
5
9巻 第 1号
1
2
2
結局,既述の過程促進活動,成果促進活動,一般的促進活動の 3つが含まれる
こととなる。組織の管理システムには,意思決定のみならず一般的活動も含ま
れる,というのがここでわれわれの知った認識であり,この認識は管理の学問
の一部となる。
『組織には,挿話としての意思決定のみではなく,潜在的事象の望ましい方向
への育成をめざした一般的活動が存在する。」
(
5
) 管理の学聞におけるコンテクストの固定と管理の学問の特質
キルシュは,管理論としての経営経済学を「管理の学聞に基づく管理のため
の学問」として想定していて,このうち管理の学聞は理論的枠組を展開するも
ので,これに基づいて管理のための学問は展開されることになるのであった。
その理論的枠組には,他の言明を結びつける役目をなす中心的な言明としての
コンテグストがあって,このコンテクストは経験との突き合わせによっては反
証されないと L、う約束をされた部分で、あっていわば理論的枠組の確固たる中核
的部分であった。またキノレシュによれば,経験的テストから免れた価値内蔵的
特性を付与するコンテクストには本来の価値を示す理想像も含まれる。以下で
理論的枠組と目される管理の学問のコンテクストに相当する言明を再掲しょ
う
。
『組織は,行動システムであってかつ開放システムであり,環境からの妨害を
補償できなければ,存続できなくなる。』
『管理とは,管理目的変数の実現に向かつてシステムの構成要素特に個人に介
入を行うこととしての統御の実施である。』
この言明は,経験的言明ではなく,意味内容の固定をした定義文の特性をも
コ
。
f
『組織変更の手段についてより良く知りつつ,できる限り多くの当該者の価値
を満たすように,実際に組織変更のできる組織が進歩能力のある組織であり,
これが組織の理想像である。』
この言明は,経験的言明ではなく,理想像の開陳をした言明である。
『組織には,挿話としての意思決定のみではなく,潜在的事象の望ましい方向
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
1
2
3
管理論としての経営経済学に関する考究(1)
-123ー
への育成をめざした一般的活動が存在する。』
これは経験的言明であり,この言明に基づいて次の言明がある。
『行為能力の確保のための活動には過程促進活動と成果促進活動さらに一般
的促進活動がある。』
われわれはこれらの中核的言明にこの場で注意を促しておくこととする。
こうして管理の学問のコンテクストを描き出した後にわれわれはここで,本
稿I
Ir
管理論としての経営経済学の方法論的基礎」で述べられたこととの関連
で管理の学問の内容について次のことがらを指摘しておきたい。第 1に,一応
は管理の意味の固定から出発しつつもこれに大きな拡大修正を施しつつ徐々に
注目する側面を広げてさらに拡大修正された側面について基本的仮説を形成す
るという態度は研究の出発点でひとつの画定された特殊側面のみに思考をしば
られまいとするかれの経験対象志向的態度のあらわれとみなされよう。
第
H,こ,それでもやはりかれの管理の学問もひとつの見方を与える投光器だ
とL、う機能を果たす以上注目する側面には当然限界があり, とりわけこのこと
との関連では,組織理論は,徴視経済学から市場における経営経済の行動につ
いて問題設定と解答とを修正しつつも取り入れ,組織理論の従来の認識に接ぎ
足して行こうとし,またこのことが可能だというキルシュの指摘が想起される。
管理の学問においては徴視経済学から問題設定と解答とを修正的に取り入れる
ことについての可能性をめぐる議論はもとより,そのような取り入れの意欲の
方は決して見られず,経済学的認識からの「学び方」は片鱗すら見られないこ
ととなっている。
第 3に,さらにかれは,技術の種類に対人的技術としての促進活動論と組織
変更の実質的内容としてのシステム構想という 2つをあげていたが,かれの管
理の学問は前者の技術に対応する理論的枠組づくりしか進めていない。
第 4に,キノレシュによるとコンテクストは研究者の価値の表明であったが,
管理の学問のコンテクストにおいては,組織が開放的であることから出てくる
組織の「存続の論理」とも呼べる機能上の要請から提示されたと考えられる行
為能力という側面ならびにこれを達成する促進活動論が一方であり,他方で幅
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-124ー
第
5
9巻 第 1号
1
2
4
広く当該者の価値にも応じようとする態度がみられる。この段階で速断は危険
ではあるが,しかし,後者の態度は意識的にか無意識的にか前者の現状維持的
イデオロギーを背後にもつ論理に制約を課されつつ提示されているという装い
をもつようにみえる。特にこの第 4点は,
さらに管理のための学問の内容を見
てからも注目したい問題点なのである。
われわれは,次に管理の学問に基づく「管理のための学問」の内容を知る必
要があるが,それに先立って,そこに内容を盛るに際してひとつの影響を与え
たと解される組織変更に関する実証的研究を紹介しておくこととする。(続〉
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