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悲 と

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悲 と
追手門学院大学文学部紀要31号1995年12月30日
)
(21
悲 と
Mitleid und Liebe
Tohru Sasaki
佐々木
いものなら、誘拐して連れて帰りたいと思ったほどで、私はこの
突然訪れた﹁父性本能﹂に、とまどいがちだった。しかし、考え
泉に舟を浮かべて遊んでいて、通りかかった私に﹁いま何時ご
もって裸足で駈けていった金髪の女の子、インスブルックの黄昏、
ルクのゆるやかな坂道を、ひとりお母さんから離れ、靴を手に
赤い馬の形をした自転車を乗りまわしていた子供たち、ザルツブ
供の姿と結びついていることに、あらためて驚く。パリの公園で、
ヨーロッパの旅を、いま振り返ってみて、その情景の多くが子
いたるところの天使。私か訪ねた数多くの教会のなかに描かれ
存在を結びつけたとも言える。
しかし同時に、その美はいわゆる倫理をも超えて、直接に二つの
前の、対象に深くかかわらないでいい場所から眺められている。
れをもし﹁美﹂というなら、その美は、親子という倫理よりも手
らしさに、ただ打たれただけということになるかもしれない。そ
父親としての責任を回避しているので、実はその子供たちの可愛
いたるところの天使
ときいた男の子。それらの子供たちは、私か見たかぎり、どの国
た天使の姿は、そのまま、あの町角この町角で出会った子供だち
てみれば、﹁このまま大きくならないものなら﹂という前提は、
どの町でも、つねにおとなしく﹁いい子﹂ばかりだった。
−148−
徹
と重なる。
愛
そして、その愛らしく均整のとれた姿。このまま大きくならな
一
なひとりだった。祝祭劇場の紳士淑女と同じく、その子もビロー
ザルッブルクのマリオネット劇場で知りあった男の子も、そん
まなそうに言った。
に差しあげるものを何も持っていないので⋮⋮﹂と、女の人がす
澄んだ青い眼を輝かせ、小さな手で握手を求めてきた。﹁お返し
名前をきくと、まだよくまわらない甘い口調で洗礼名まで添えて
の開幕を待つあいだ、私はその子に話しかけた。年は四つだった。
また、幼くしてこの世を去った者への鎮魂の場合も少なくない。
亡き人の魂が天に召されることを願って作られたのであろうが、
ウィーンの中央墓地には、天使の彫刻をほどこした墓が多い。
-
ドのタキシードに大きな蝶ネクタイといった装いで、民族衣装を
きちんと答え、さらに﹁お父さんの名は⋮⋮、お母さんの名は
ヨーロッパの教会には、子供の墓だけが一画に集められていると
着た女の人に連れられていた。モーツァルト﹃後宮からの逃走﹄
⋮⋮﹂と、たぶん教えられた通りに正確に言った。お父さんとお
な者の死は、いつの時代でも、癒えることのない悲しみを与える
ころもある。黒死病と呼ばれたペストによる大量の死者のなかに
の民族衣装とのちがいも、そんな関係をあらわしているように思
ものだが、とりわけ幼い者の突然の死は、極まりない哀切ととも
母さんは音楽会に出かけ、その子は、親戚のお姉さんと人形劇を
われた。
に、深い謎を突きつける。
は、当然、多くの子供が含まれていたにちがいないし、医療の未
私は、トーマスーマンの﹃ファウストゥス博士﹄︵Doktor
いったい、何のためのいのちであったのか。
見にきているのだった。ザルツブルクの民族衣装を着たその女の
Faustus。 1947︶を思い出す。あの長い物語の終り近くに登場する
わずかな歳月、この世の風に触れただけで、あっという開に走
発達だった時代には、一〇〇人の子供のうち、二十歳を越えて生
エコーと呼ばれる少年に、マンはこの世の子供たちの可愛らしさ
り抜けていった小さないのち。
人も、しとやかで美しい人だったが、少年のもっている生まれつ
のすべてを注ぎこみ、それゆえにこの世ならぬ所へ飛び立ってし
神も仏もあるものか、という慨嘆を真向から否定できる者はい
き延びる者は、その半数にも満たなかったと言われている。身近
まう天使を描いた。それは、時を拒絶した美の当然の帰結である
ないであろう。わが子を亡くした者には、慰められることを拒む
きの優雅さを前に、一歩、退いて見えた。少年の正装と、女の人
が、主人公の作曲家、アドリアンーレーヴ。キューンには、悪魔
権利がある。
マタイ伝によれば、イエスの誕生を聞いたヘロデ王は、ベツレ
の所業としか映らないほどに、苛酷である。
私とその子の別れはそれよりも淡く、人形劇の幕が降りるとと
もに、手を振ってさよならを言った。日本の記念切手をあげると、
147 −
)
(22
徹
木
々
佐
親たちには何も告げなかったのだから、神も不公平である。もし
フの夢にのみあらわれて、イスラエルから去ることを勧め、他の
どに、嘆き悲しんだことであろう。主の使いはイエスの父・ヨセ
た子供の親たちは、﹁慰められることを拒む﹂︵第二章一八節︶ほ
れてエジプトに逃れた結果ではある。何のいわれもなしに殺され
供の犠牲の上に成り立っている。少なくとも、両親がイエスを連
この記述が本当であるなら、幼な子イエスの生命は、大勢の子
ある︵第二章一六節︶。
ヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた、と
悲嘆を、慰められぬままに、生きることである。これは、救い
の悲しみ、その嘆きを生きることである。慰められることのない
では、いったいどうすればいいのか。答えは一つしかない。そ
世もあの世もすべて取りこんでしまうからである。
待によっても充たすことができない。今という空虚な時が、この
だ、むなしく時間だけが過ぎる。空洞と化した生は、彼岸への期
人生を無意味化する。生きていながら、生きる意味をなくし、た
これは嘆きであり、訴えであろう。決定的な喪失の体験は、その
イエスの時代から、いや、もっと昔から、何度も繰り返された、
なら、その神も仏も、たぶん無言であろう。無限の理解は言葉を
の手を差しのべている者にたいして、残酷な言葉かもしれない。
最も古いとされるマルコ伝に、この記述はない。したがってこ
失うからである。
イエスがそのとき逃げ遅れて、他の子供だちと一緒に殺されてい
れは、ヘロデ王のあまたある暴虐行為の一証明だと言えるかもし
墓に刻まれた数多くの天使は、今は亡き魂が天に召されたこと
しかし、それ以外の慰めはみな、悲しみの外から発せられた、み
れない。しかし、その場合でもやはり、大勢の幼いいのちがこの
を祈る、その表現であるが、それは同時に、不条理なこの世の現
たら、キリスト教の歴史、そしてヨーロ。パの歴史はどうなって
世から去ったことに変わりはなく、もしかしたら、そのなかにイ
実に耐えて、生きるためのよすがである。天使を求めているのは、
ずからは悲しむことのない言葉である。神や仏がもしあるとする
エスが含まれていたかもしれないという可能性も皆無ではない。
この世の者であって、亡くなった魂ではない。
いたであろうか、と途方もない想像をしたくなる。
﹁慰められることを拒む﹂というのは、この世の慰めはもとよ
いま、ここに、生きて鼓動するいのちを抱きしめるのでなければ、
ほど深く、天国での再会など、とうてい信じることはできない。
る。わが子を亡くした悲しみは、あの世までつづくかと思われる
なかったが、若いころ連れ添うた相手をいじめ殺したという噂が
ある町にひとりの富裕な工場主がいた。妻もなければ子供もい
てくる︵第三編第三章四節︶。
ドストエフスキーの作品﹃未成年﹄のなかに、こんな挿話が出
り、この世を超えたところでの慰謝をも拒否するということであ
神や仏に何の意味があろう。
146 −
-
と
悲
(23)
ムは情け容赦もなく、借金のかたに取り上げしまった。ささやか
妻は、せめていま住んでいる家だけは、と頼みこんだが、マクシ
男が、妻と幼い五人の子供を残して、突然亡くなった。残された
クシムーイヴァーヌイチに多額の借金をしている男がいた。その
あった。酒癖が悪く、すぐ手が出た。同じ町に、その工場主、マ
て、一枚の絵を注文する。
あるとき、以前の家庭教師に会い、彼が画家でもあることを知っ
が、それも効き目がなく、工場の仕事さえ投げ出すようになった。
みこんで、人の言うことも聞かない。憂さ晴らしに大酒を飲んだ
爾来、この自分勝手な男はすっかり変わってしまう。いつも沈
﹁では、ひとついちばん大きな絵を描いてくれ。そいつへ持って
行って、まず第一に河を描いてくれ。そして、水際へ降りて行く
な雇われ仕事をしながら、かろうじてその日の糧を得ていた女は、
着の身着のままの子供たちを見て、きびしい冬の寒さが訪れる前
坂道も、渡し場も入れるんだ。それから人間も、あのときおった
だけみんな描きこんでもらいたい。また、向こう岸もすっかり描
に、いっそ神様が引き取って下されば、と思うほどだった。その
年、その地方を悪い伝染病が襲った。いちばん下の子供がまずそ
いてくれ。教会も、広場も、店屋も、辻馬車の立っておるところ
﹁これはぜひともの願いだが、その子供の前には、向こう岸の教
れにかかり、やがて死に、順番に、長男ひとりを残して、四人と
た子供は、やがて死んだようにぐったりした。身元を確かめ、送
会の上へ拡がった空を大きく描いてな、その明るい空の上をあ
も、何もかもすっかりその通りに描くんだ﹂
りとどけたが、その子は肺炎になった。うしろめたさを感じたマ
りったけの天使が、子供を迎えに飛んで来るところを描いてもら
も亡くなってしまった。ある日、その男の子が町角で遊んでいて、
クシムは、医者をさし向け、見舞金を送った。冬が過ぎて、なお
いたい﹂
事細かく述べたのち、マクシムーイヴァーヌイチはこう付け加
も心の奥に、そのことがひっかかっていたマクシムは、子供の容
ここでも天使は、生きているマクシムーイヴ″Iヌイチの魂が
馬車から降りてくるマクシムーイヴァーヌイチにぶつかった。マ
体を尋ねさせ、回復していることを知ると、がぜん利他の精神を
要請している。子供を死なせたという後悔の念は、この世に天使
える。
発揮する。子供を引き取り、最高の贅沢をさせ、家庭教師をつけ、
の到来を求める。しかもそれだけでは根本的には癒されぬ彼の魂
クシムは腹を立てて、男の子をはげしく折檻した。泣き叫んでい
財産を相続させてもよいとすら考える。しかし子供の方はいっこ
は、すべてを捨て、放浪の旅に出る決意と結びつくのである。
ユダヤ教、さらにはキリスト教の歴史を見るとき、神の使者で
うになつかず、むしろマキシムを恐れて、そこから逃げ出す結果
となる。しかもマクシムは、逃げた子供を川岸まで追いつめ、つ
いには投身自殺をさせてしまうのである。
−145 −
)
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木
々
佐
悲 と 愛
)
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アーリルケのような詩人の詩作を通して、絶望と表裏一体のかた
低い。しかしながら、近代にいたり、たとえばライナー・マリ
に後退し、プロテスタントの信仰において、天使の占める比重は
有名である。四世紀ごろ盛んだった天使への崇敬も、時代ととも
サタンの龍との戦いを先導するミカエル︵黙示録第二二章七節︶が
は、イエスの降誕を告知するガブリエル︵ルカ伝第一章一九節︶や、
ある天使にもさまざまな階層や役割のあることがわかる。なかで
な子イエスの像ははつねに、その国その時代の幼児の面影を宿し、
そのいずれもが生身の人間を限りなく超えて行くのにたいし、幼
十字架上のイエスは、神の子の栄光と悲惨をあらわしているが、
な曲線の向こうには、平板直截なフレスコ画の傑刑図が見える。
をまとうところから始まった。ラファエロの描く聖母子像の豊か
は、あまりにも超越的でありすぎた中世の宗教が置き忘れた肉体
での救いであり、慰めである。ルネッサンスにおける人間の復権
を要請すると言ったが、求められているのは、あくまでもこの世
二 深き喪失
させる。
それを見る者に、今はもう記憶にない己が幼時の姿を彷彿と想起
ちで天使への希求が復活している。
わが叫ぶとも その声の 天使の列の
誰に聞こえん よし 突如
われを抱きしむる天使ありとも その強烈なる存在のため
われは消えん
三島由紀夫の遺作﹃豊饒の海﹄四部作のうち、第四部は﹁天人
ordnungen ? und gesetzt selbst。 es nahme
Wer。 wenn ich schrie。 h0 rte mich denn aus der Engel
しかしなお、生死の定めを免れることはできず、その死の予兆は
といわれるが、なかでも天人は、天上に住む最も高い存在である。
有情は、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道を輪廻する
︵﹃ドゥイノの悲歌﹄第一、星野慎丁訳︶
einer mich plotzlich ans Herz: ich verginge von seinem
五つの衰亡の相を示す。いわく、﹁衣服垢稿、頭上華萎、身体臭
五衰﹂と題されている。仏教では、周知の通り、いまだ覚らざる
starkeren Dasein.
︵Duineser Elegien。 die erste Elegie︶ 穣、液下汗流、不楽本座﹂である︵﹃倶舎論﹄一〇︶。三島由紀夫
は種々の仏典を引き、北野天神縁起絵巻のうちの﹁五衰図﹂に拠
天使の天使たる所以は、最も人間に近く、いわば人身の暖かみ りつつ、その有様を次のように描いている。
を具えていることであろう。先に、この世での絶望や悔いは天使
−144−
息にすら、衰亡の匂ひが織り込まれてしまったのだ。
に、しらぬ間に、透明な願廃があたりを充たし、吸ふ息吐く
元まで上ってきてゐる。美しい人たちのなよやかな共居の裡
頭上華は悉く萎み、内的な空虚が急に水位をまして、咽喉
に犯された宮女たちを見るやうだ。
帯の宮廷の庭で、のがれるひまもなく、突然襲ってきた疫病
何か起ったのか?五衰がはじまったのである。それは熱
たる存在を生き切るか、色即是空を空即是色たらしめるか、であ
問わず、古来、珍しいものではない。問題は、いかにして非存在
存在=非存在、色即是空という、この思想自体は、洋の東西を
真昼にいようとも、その根底はやはり同じ死の深淵である。
てに来る死を免れることはできない。いかに若く輝かしい青春の
支えている深い闇に等しい。天人ですら、五つの衰亡と、その果
らう。﹂天人に突然訪れる衰退は、若く逞しい肉体を、その底で
キリスト教における天使が、神からこの世へ遣わされた者であ
ようとしたかに見える。翰廻転生する主体は阿頼耶識だとされる
かも別の人格のなかに転生させることによって、それを乗り越え
ろう。三島由紀夫は﹃豊饒の海﹄の各主人公を順に夭折させ、し
るのにたいし、天人は衰亡というこの世の法則の網にとらえられ
そのこと自体が病だとすれば、その病は他の人格に生まれ変わっ
が、しかしそれでは一回かぎり、繰り返しのきかない自己という
それぞれが客観的に実在する世界というよりも、むしろそのよう
ても解決しないであろう。六道に輪廻転生する、その迷妄を断ち
ている。永遠にっづくかと思われたその美と悦楽は、突然の衰退
な形で表象された人間の自己理解であろう。したがって、天人五
切って真の自己に目覚めよ、覚者たれというのが、仏教の要諦で
存在が、一種の普遍に解消されたにすぎない。あくまでも、問題
衰といわれるものも、人間存在の根本と結びついているはずであ
ある。
に見舞われる。そこからあの世へ逃れ出る階梯はない。
る。八十歳の齢を数え、みずからの肉体的な衰弱を感じる﹃豊饒
﹃豊饒の海﹄全四巻のそれぞれの主人公、清顕は恋に、勲は義
の要は今ここにある自己という存在である。今ここにあるという、
の海﹄の副主人公・本多繁邦は、﹁衰へるといふことが病であれ
に、ジンージャンは快楽に、そして透は認識に生きたと言えるが、
有情が輪廻転生する六道とは、仏教の世界観であるが、しかし
ば、衰へることの根本原因である肉体こそ病﹂であると考える。
爽やかさに恍惚として、自分のかがやく皮膚の上を、震のやうに
のすみずみにまで三島由紀夫という刻印を捺し、登場人物のひと
う意味で、他者との関係の可能性を閉ざしている。これは、文体
いずれの場合も、自分の関心あるものにしか関心を寄せないとい
たばしる水滴を眺めてゐるとき、その生命の旺盛自体が、烈しい
り歩きを許さない作者自身の姿勢と結びつく。しかし、文学の営
﹁だとへば、若い健やかな運動選手が、運動のあとのシャワーの
苛酷な病いであり、琥珀いろの闇の塊りだとなぜ感じないのであ
−143−
(26)
徹
佐 々 木
同様、作品を書くという営為もまた、自己の手の届かないものに
ていることすべてが、みずからの意識のうちに捉えられないのと
みは、はたして自己意識の働きだけに尽きるのであろうか。生き
飲むということは、われわれの中を水や風が通過しているという
は、身体というものを考えれば直ちにわかる。空気を吸い、水を
自己という存在が自己自身のみで成り立っているのでないこと
はまるのは、第七の自己意識までであろう。第八の阿頼耶識は、
てさらにその根底に阿頼耶識を考える。西洋の意識の概念に当て
その統一された意識を対自化する第七の自己意識︵末那識︶、そし
触覚といった五感の働きのほかに、それらを統一する第六の意識、
意識の場からとらえ直す。すなわち、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・
仏教における唯識説は、人間の意識の働きを、宇宙に普遍的な
も自己のものとして映る。しかも、本能に根ざした深い欲求ほど、
していると言える。ただし、通常の心、自己意識には、あくまで
たものではなく、たとえば古代人が魂と呼んだような形で、遍在
の心、意識といわれるものの働きも、自己ひとりに閉じこめられ
ねく宇宙全体に行きわたっている。それと同じように、われわれ
は、他の人間や動物、さらには植物や鉱物などにも見られ、あま
がら、同時に宇宙へと開かれている。自己の身体を構成する要素
ことである。身体は自己のからだとして閉ざされたものでありな
心理学にいわゆる深層心理、あるいは集合的無意識と比較される
強烈な自己意識と結びつくのである。
支えられているのではないか。
かもしれないが、単に心理的な意味だけでなく、同時に生命の概
念が含んでいるような存在論的な意味をもつ。西谷啓治﹃禅の立
ヘルマンーヘッセの短篇﹃少年の日の思い出﹄︵Das Nachtpfau-
我々の自我も世界から游離してゐるものではなく、その隠れ
も阿頼耶識のうちに保持されるのである。そこから見れば、
しかもその潜勢力を阿頼耶識のうちに持ち、その活動の結果
て末那識に位置する自我には自我の活動として映りながら、
我々の心識の活動は、七識全体の活動でありながら、そし
どい傷を代償として鎮められる。
のは、何としても欲しい。その自己実現の欲求は、おおむね手ひ
もたず、ときとして全面的にのめりこむからであろう。欲しいも
めてゆく自己との関係において、適当な距離を置くという余裕を
程で、人は多く決定的な経験をするものだが、それは次第に目覚
中だったころのことが語られている。幼年期から少年期へ移る過
場﹄によれば、
た奥底に於いては宇宙を場にした生命的・無意識的な深層に
﹁僕は八つか九つのとき、蝶の採集を始めた﹂と、その友人は
enauge。 1911︶には、友人の話として、少年時代、蝶の採集に夢
連なってゐる。
語り始める。﹁最初はとくに熱心でもなかったが、十になった夏
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愛
と
悲
)
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き届いていて、宝石のように見えた。あらゆる点で模範少年であ
という悪徳をもっていた。彼の収集は少なかったが、手入れが行
いる教師の息子に見せる。﹁この少年は、非の打ちどころがない
に見せたくなって、同じ建物の中庭をはさんだ向こう側に住んで
あるとき、彼はその地方では珍しい品種の蝶を捕らえる。誰か
れはどの喜びは感じなかったように思う﹂
るような喜びにみちたあの緊張。その後の人生において、僕はあ
しまわった。美しい蝶をみつけ、そっと忍び寄るときの、息づま
も食事も念頭になく、休暇に入ると、朝から晩まで珍しい蝶を探
には完全にそのとりこになり、蝶を採りに出かけると、もう勉強
してしまったという後悔の念が胸を衝いた。
いた。盗みの罪を犯したということよりも、美しい蝶を台なしに
ケットから出そうとしたとき、蝶は無残にも押されてっぶされて
もう一度階段をかけ上がり、エミールの部屋に入る。だが、ポ
思いに襲われた。みつかりはしないかという恐怖にふるえながら、
このまま蝶を持っていることはできない、返さなければ、という
ら、メイドとすれちがい、おびえながら家に帰ったが、その途端、
隠している手を上着のポケットに入れる。胸をどきどきさせなが
階段を降りようとしたとき、下から誰かが上がってきた。蝶を
の僕は、大きな満足以外の何も感じなかった﹂
なった。針を抜いて、てのひらに乗せて部屋を出た。﹁そのとき
-
り、そのため僕はねたみ、憎んでいた﹂
母は驚き、悲しんだが、やがて﹁エミールのところへ行って、何
中庭に坐り考えこんでいたが、思い切って母にすべてを話した。
ばし方が悪いとか、足が二本欠けているとか批評をした。﹁この
もかも話し、そして許しを乞うのです。お前の持っているもので、
教師の息子・エミールは、その蝶を値踏みし、そして、佃の展
ため、僕の喜びは傷つけられた。それ以来、二度と彼に獲物を見
訪ねてゆくと、エミールは部屋にいて、ばらばらになった蝶を
埋め合わせができるのなら、そう頼んでごらんなさい﹂と言った。
﹁夜の孔雀の眼﹂という名前をもつ珍しい蝶をさなぎから返した
見ていた。犯人は自分だと告白すると、予期に反してエミールは
せることはなかった﹂
という噂が立った。古い本の挿絵でしか知らない、その蝶をむ
低く舌を鳴らしただけで、しばらく僕をみつめていたが、それか
夜になってもぐずぐずしている僕に、母は﹁今日のうちでないと
しょうに見たくなった僕は、ある日の午後、中庭を通って、四階
ら﹁そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだ﹂と言い
二年がたち、少年たちは少しづつ大人への階段を上っていった
のエミールの家へ上がっていった。部屋をノックしたが、返答は
放った。持っているおもちゃを全部やると言っても、エミールは
いけません。さあ、勇気を出して﹂と励ました。
ない。取っ手をまわすと、ドアはおいた。蝶は美しい佃をのばし
受けつけず、冷淡にかまえていた。
が、蝶にたいする情熱は醒めなかった。そのころ、エミールが
て板にとめられていた。見るうちに、どうしてもそれが欲しく
141−
(28)
徹
木
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佐
一度起きたことはもう償いようがない、という深い絶望感をい
して過去の自分から抜け出し、次第に大人へと成長してゆくのだ
心が働いて、もはやがってのような忘我に陥ることはないであろ
が、その後、同じような経験を重ねても、そこにはつねに分別の
う遅いからおやすみ、とだけ言った。﹁ベッドに入る前に僕は、
う。﹁その後の人生において、僕はあれほどの喜びは感じなかっ
だきながら、僕は家に帰った。母はくわしく聞こうとはせず、も
大きな収集箱を持ってきて、そして苦労して集めた蝶を一つずつ
たように思う﹂と語り手の友人はのべている。
三 隠された時間
取り出しては、こなごなに圧し潰してしまった﹂
一度起きてしまったことは、もう永久にもとに帰ることはない。
これは、時間のなかに在るものの必然的な運命である。その意味
時は一方向にしか動かない。起こってしまったことを、もと通
死なせることによって、﹁美しい瞬間﹂を永遠化したかったのか
では、六道ならずとも、すでにこの世で時の流れに転じられてい
足﹂以外の何ものも感じなかった、といわれている。悔いは遅れ
もしれない。さらに言えば、作品の完結とともにみずからも命を
りにすることはできない。時のなかで、最高の充実を経験した者
て訪れる。
断つことにより、天人ですら五衰を免れぬ、この世の定めに一つ
ると言える。幼年期から少年期へ移る過程で、自己に目覚めると
悔いが訪れるのは、少年に他者があらわれたとき、わが家にも
の挑戦を試みたのかもしれない。しかし、自決によって時にピリ
は、ゲーテのファウストにならって﹁時よ、とまれ﹂と叫びたい
どり、エミールのことを思い出したときである。蝶を手に入れた
オドを打つことが、果たして時に対する勝利であるのかどうか。
ともに、ある対象への強烈な執着を覚えるのは、いわば時のなか
瞬間の少年には、自己目蝶しかない。悔いによって、とまってい
もちろん、この決断には大きな勇気を要するけれども、自殺が死
欲求に駆られるであろう。時とともに、すべては移ろい、滅びて
た時がふたたび動き始めるが、もはや蝶との関係を修復するすべ
という事実から自由ではないのと同様、死の時を選ぶということ
で時を断ち切る経験、自己忘却による自己充足の体験である。エ
はない。エミールは冷たく突き放す。かろうじて、もう一人の他
もまた、生死という時の流れの外に起こるわけではない。仏教的
ゆく。三島由紀夫は﹃豊饒の海﹄の各主人公を、順に二十歳前に
者である母が、少年に時の向こうを指し示す。
に言えば、なお六道を輪廻しっづけねばならないであろう。
ミールの蝶を取った少年に罪の意識はなく、はじめは﹁大きな満
少年がそれまで集めた蝶の収集をことごとく潰してしまうのは、
自己の全面的な否定であり、少年期との決別である。そのように
−140−
愛
と
悲
)
(29
有島武郎﹃一房の葡萄﹄は、へ。セの﹃少年の日の思い出﹄と
る。
一方向にしか進まないはずの時が、別の動きを見せることがあ
授業はことなく終わったが、そのあとクラスでいちばん勉強の
ケットに突っ込んだ。
つけた。僕はすばやく、その中から藍と紅の二色を取り上げ、ポ
ろまで行き、ふたを開け、雑記帳や筆箱といっしょに絵具箱をみ
-
ほぼ同じテーマを、やはり主人公の独白という形で書いているが、
できる、大きな生徒に﹁ちょっとこっちへおいで﹂と肘をつかま
-
そこにはまた異なった時の地平が開かれている。
れた。胸の動悸を隠しながら、運動場のすみまで行くと、ジムを
はじめ何人かで取り囲み、﹁ジムの絵具を持っているだろう﹂と、
なり、ふるえながら泣き出してしまった。みんなは抵抗する僕
横浜の山の手の学校に通っている﹁僕﹂は、絵を描くのが好き
を持っていて、なかでも藍と紅はとびぬけて美しかった。あの絵
を、二階にある受持ちの女の先生のところまで引きずって行った。
その生徒が言った。持っていない、と答えると、﹁昼休み前には
具さえあれば、もっともっときれいに描けるのだが、と僕はそれ
机に向かっていた先生は、けげんな顔をこちらに向けた。僕がジ
で、学校の行き帰りの海岸通りで眼にする、いろいろな船や海の
を見るたびに羨ましく思った。
ムの絵具を取ったことを、大きな生徒が言いつけた。先生は少し
ちゃんとあった。休み時間がすんだら、二つなくなっていたんだ。
ある秋の日のこと、みんなでお昼の弁当を食べていたが、僕の
顔を曇らせて、﹁それは本当ですか﹂と僕に聞いた。大好きな先
風景を描いていた。しかし、僕の持っている絵具では、どうして
胸は晴れなかった。ジムの持っている絵具にこだわり、どうして
生にそのことを知られるのがつらく、僕は泣きじゃくった。
そのとき教室にいたのは、君だけじゃないか﹂とジムが反論した。
もそれが欲しくてたまらなかった。もともと身体が弱い僕は、休
先生はしばらく僕をみつめてから、やがてみんなに﹁わかりま
も透き通った海の青さと帆前船の船腹の紅色を出すことはできな
憩時間も運動場に出ず、自分の席に坐っていた。ときどきジムの
した。もう皆さんは行ってよろしい﹂と言った。ほかの生徒は少
そのうち、一人が僕のポケットに手を突っ込み、ビー玉やメンコ
机の方に眼をやり、その中にある絵具のことを思った。そこにあ
し物足りない様子で、階下へ降りていった。
かった。
る藍や紅の色を思うと、胸がしめっけられるように苦しくなった。
しばらく先生は考えこんでいたが、やがて静かに立ってきて、
といっしょに、二色の絵具をつかみ出した。僕は眼の前が真暗に
始業を知らせる鐘が鴨った。みんなの賑やかな声が聞こえた。僕
僕の肩を抱くようにして﹁絵具はもう返しましたか﹂と尋ねた。
同じクラスにジムという少年がいた。彼は舶来の十二色の絵具
は、夢遊病者のようにふらふらと立ち上がって、ジムの机のとこ
139
(3い
徹
木
々
佐
二階まで高く延びた葡萄の蔓から、一房つみとって、まだしくし
ろしいから、ここに坐ってらっしゃい﹂と、先生は窓を開けて、
﹁もう泣くのはおやめなさい。次の時間は教室に出なくてもよ
かった。
ますか﹂と静かに言った。僕は流れる涙をとめることができな
僕がうなずくと、﹁自分のしたことは、いやなことだと思ってい
切って、僕とジムに手渡してくれた。白いてのひらの上の紫の葡
り、左手の上にのせた葡萄の房を、銀色の鋏でぶつりと二つに
先生は微笑みながら、また窓から身をのりだして葡萄をもぎと
先生は二人に握手をさせた。
ています。二人はこれからいいお友達になればいいのです﹂と、
ましたね。ジムはもうあなたに謝ってもらわなくてもいいと言っ
﹁ジム、あなたはいい子、先生の言うことをよくわかってくれ
そう言って先生は、鞄の中に葡萄の房を入れてくれた。
すよ﹂
せんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。きっとで
絵具を取ったという事実は、まるでなかったかのように、その間、
その結果は、ジムの方からの積極的な握手であり、仲直りである。
語られていない部分は、﹁僕﹂がまどろんでいる間に起こる。
その具体的な内容は、読者の想像に委ねられている。
-
く泣いている僕の膝の上に置き、そして部屋を出て行った。
萄を、僕は今でもはっきりと憶えている。⋮⋮
あくる日、僕はなかなか学校へ行く気にはなれなかった。病気
時がとまっている。あるいは、﹁僕﹂の知らない時間が教室の中
-
いろんなことを考えているうちに、泣き寝入りに眠りこんでい
たものとみえ、肩を揺する先生の手で眼が覚めた。僕は恥ずかし
にでもなればいいと思ったが、同時に先生の言葉が思い出されて、
を通り過ぎている。ここには﹁一度起きたことはもう償いようが
この物語では、肝心の部分が隠されている。﹁僕﹂が先生の部
いやいやながらも家を出た。そうして学校が見えるところまで来
ない﹂という考えとは別の時間がある。
い思いで、すべり落ちそうになった膝の葡萄をつまみ上げた。
ると、もう一度先生に会いたいという思いだけで、門をくぐった。
ヘッセの﹃少年の日の思い出﹄では、母は相手に過ちを打ち明
屋にいる間に、先生は教室でみんなにどんな話をしたか、また、
すると、待ち構えていたように、ジムが飛んで来た。そして、僕
け、許しを乞うようにと促す。自分の犯した罪にたいする責任を
﹁もうみんなは帰ってしまいましたから、あなたもお帰りなさ
の手を握りながら、先生の部屋まで連れていった。みんなから冷
説いたのである。それは、人と人とのあるべき形を学ばせるとい
絵具を取られたジムとどんな約束をしたか、語られてはいない。
たい眼で見られるとばかり思っていた僕は、何か何やらわけがわ
う意味で、倫理の立場である。これにたいし、﹃一房の葡萄﹄の
い。そして明日はどんなことがあっても学校に来なければなりま
からなかった。
138
愛
と
悲
)
(31
表している。その他、クラスの者全員の納得を得る形にしなけれ
その正義を﹁クラスでいちばん勉強のできる、大きな生徒﹂が代
ジムを説得することの方がむずかしい。ジムには何の落度もなく、
先生の立場からすれば、盗んだ者を裁くことよりも、盗まれた
らである。
取った﹁僕﹂はすでに、事実によって深く反省を迫られているか
いだのは、ジムを初めとする級友にたいしてであろう。絵具を
の関係を復活させた。その際、先生がより多く心をくばり意を注
先生は、過ちを認めた上で、裁くことなく、ふたたび友達として
るものは真の愛ではなく、偏愛である。それは自発的に生まれる
己﹂にある。友情や恋愛といった対象を限定し、時間的に変化す
なっている。それが本物であるかどうかを判定する基準は﹁自
キェルケゴールは﹃愛のわざ﹄において、愛の厳密な定義を行
を求めない、ということである。
対象が限定されている。隣人愛の教えの要は、対象を選ばず報い
酬の愛のかたちとして直ちに浮かぶのは母性愛であるが、これは
愛することをやめるという、それは取引の関係にすぎない。無報
る者を愛するというのは当り前の行為であり、愛されなくなれば
愛せ﹂という戒めが繰り返しのべられている。自分を愛してくれ
の﹁よきサマリヤ人﹂のたとえにもあるように、みずからが隣人
ば、正しいことと正しくないことの区別そのものがあいまいに
常日頃のいろいろな判断、変わらない態度を通して、培われたも
となることを意味する。しかもその関係は、自分と同じようにと
感情であり、要するに自己愛にほかならない。ところが、隣人愛
のであろう。﹁僕﹂の通う学校の先生は、全員、西洋人であった、
いう重みをもっ。出会う人すべてが隣人であるが、その一人一人
なってしまう。先生の具体的な言葉は記されていないが、その言
といわれているから、通っていた学校はたぶん、ミ。ションース
にたいして自己愛と同じ密度が要求される。かくして、隣人愛の
の教えは、自分と同じように隣人を愛せと説く。隣人とは、単に
クールである。先生が生徒の尊敬を得だのは、先生自身が信仰と
教えは、偏愛の狭き門を開き、同時に博愛の抽象性に内実を与え
葉が生徒たちに真面目に聞かれる素地、つまり、先生にたいする
いう、一つの超越へと開かれていたからだと思われる。てのひら
るのである。
自分の隣りに来た人という意味ではなく、ルカ伝第一〇章三〇節
に載せられた一房の葡萄の感触は、﹁僕﹂とジム、それぞれの少
キェルケゴールにおいて、愛は人間の次元のみに生じるのでは
尊敬の念が前提としてあったにちがいない。その尊敬は、先生の
年のこころに快い重さとして残ったことであろう。
愛が最も緊張を強いられるのは、みすがらを否定する者との関
隣人愛も神との関係において成り立つ。神への愛と人への愛は相
トーイェスを通してあらわれた神の自己否定である。したがって、
ない。むしろ、愛である神がそれを支える。具体的には、キリス
係においてであろう。ルカ伝第六章二七節以下には、﹁汝の敵を
−137−
)
(32
徹
木
佐々
る。
るように、具体的な愛の実践がっねに、その証しとして求められ
もまたわれらに全うせらる﹂︷ヨハネ前書第四章二︸節︶といわれ
し者あらず、我等もし互に相愛せば、神われらにいまし、その愛
即し、その根底は神の愛である。しかしながら、﹁いまだ神を見
とても、地獄は、一定、すみかぞかし﹂という親鸞の言葉は、自
の切実な要求は生まれる。﹁いづれの行もおよびがたき身なれば、
ても我執を離れることのできない煩悩具足の凡夫にこそ、宗教へ
えず自我と自我とのぶつかりあいの只中にある。むしろ、どうし
り立たせない自己否定に極まるとしても、現実の人間関係は、た
する相手にたいしても、みずからが隣人となり、敵を敵として成
は、ああ、私はキリスト者の理想ではない、私はただキリスト教
き人︵法然︶の仰せをかぶりて信ずるほかに、別の子細なきな
におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられ参らすべしと、よ
身の人間を離れては、そもそも宗教ということ自体が無意味であ
この場合の悪人は、この世に善根を積んで往生を期する﹁自力
いはんや、悪人をや﹂とつづく。
-
その実践において、キェルケゴールは厳しい眼を当時のキリス
己の現実を顧みた者の偽らざる心境でもあろう。
四 ユダと提婆達多
ト教界に向け、形骸化したキリスト教を真のキリスト教へと高め
ることを、その短い生涯の課題とした。と同時に、みずからの在
り方にも仮借なき批判の刃を向けて、自分は真のキリスト者から
程遠く、せいぜい宗教的詩人にすぎないとのべている。﹁詩人の
的な詩人にして思想家でしかないというためいきが反響している
り﹂という文章につづき、念仏によって浄土に生まれるか地獄に
親鸞の﹁いづれの行もおよびがたき身なれば、とても、地獄は、
ことだろう﹂︵﹃日記﹄︶
堕ちるかは全くわからない、法然聖人にだまされて地獄に堕ちて
歌のなかには、彼自身の不幸な恋のためいきが縫しているように、
すぐれた詩的資質と冷徹な反省の眼をあわせもったキェルケ
も後悔はない、としてのべられている。それは、阿弥陀如来から
一定、すみかぞかし﹂という﹃歎異抄﹄のなかの言葉は、﹁親鸞
ゴールは、いわばその葛藤から数々の著作を書いたと言える。し
釈尊、善導、法然と伝えられた﹁まこと﹂をIすじに信じる
キリスト者たることの理想に関する私の熱狂的な講話のすべてに
かしながら、信仰の現実の問題はつねに、ロマ書第七章に見られ
ろう。天使には救いの必要はなく、たとえ五衰はあろうとも、天
作善﹂の人に対応し、必ずしも悪逆非道を行なったと人いう意味
﹁信﹂の上にある。このあと、有名な﹁善人なほもて往生を遂ぐ。
人もまた自我の葛藤とは無縁である。
ではない。しかし、煩悩具足の凡夫は、ともすれば五戒を破り、
るように、霊と肉の相克と深く結びついている。この世にある生
真の愛が﹁汝の敵を愛せ﹂という戒めに集約され、敵たらんと
136
愛
と
悲
(33)
いて親鸞は、﹁ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度
の恵みを受けなければならないであろう。﹃教行信証﹄の序にお
なら、そのような縁なき者、はむかう者こそ第一に﹁摂取不捨﹂
しかし、もし仏の慈悲があまねく衆生をすくい上げるものである
念頭になく、ひたすらこの世の快を追い求めたわけではない。
﹁行﹂に努めた結果の覚悟である。もともと、いかなる﹁行﹂も
ついには十指の爪に猛毒を塗り、悔い改めを装って釈尊に接近、
が失敗、さらには釈尊をあやめんとして、さまざまな策を弄する。
団粛正を唱え、比丘五〇〇人を率いて別に教団を立てようとする
王位を奪うよう勧め、みずからも釈尊の地位に立とうとした。教
次第に釈尊を羨み妬むようになる。阿閣世に出生の秘密をあかし、
の弟子となり、十二年間、修行を重ねたけれども、成果がなく、
提婆達多は釈尊のいとこに当たるといわれている。はじめ釈尊
く、ついには父を幽閉、獄死させる。父王を殺し、王位に就くよ
する大船、無磯の光明は無明の闇を破する慧日なり。しかればす
殺害しようとするが、その刹那、指先はことごとく破損し、毒は
悪の道へと傾斜しがちである。親鸞の﹁地獄﹂は﹁いづれの行も
なはち浄邦、縁熟して調達闇世をして逆害を興ぜしむ﹂として、
己が身中をかけめぐり、生身のまま無間地獄に堕ちたという。
う教唆したのが、提婆達多である。
調達すなわち提婆達多と阿闇世の極悪人二人の名を挙げている。
﹃教行信証﹄信巻は﹃大般涅槃経﹄によりつつ、阿閣世の所業
およびがたき身﹂の当然の住みかとしていわれている。地獄は
さらに、﹁世雄の悲、まさしく逆膀閑提をめぐまんとおぼす﹂と
秘密があった。王子の生まれないのを憂えた王は、占い師にたず
阿闇世は古代インドーマガダ国の王子だったが、その出生には
者にすら及ぶことを強調するのである。
はためらい、決断することができない。ときに先王の声が中空に
ところに赴くことを進言する。しかし、己が罪深きを知る阿闇世
さまざまな精神的療法も効果がない。最後に名医・香婆が釈尊の
じた病いの治癒を、阿閣世は絶望的に求める。薬の効めはなく、
と悔悟、そしてその救済を詳しくのべている。罪の報いで身に生
ねたところ、いま山中で修行中の仙人が亡くなれば、王子として
とどろき、釈尊のもとに行くことを命じる。それを聞いて阿闇世
のべて、釈尊の大悲が、父親を殺害し仏法を誇った、罪悪深重の
生まれ変わるだろうという結果が出た。王は待ち切れず、その仙
は気絶し、病いはますます重くなる。釈尊は遠くこれを見て、
はひとり阿闇世のためだけではなく、五逆の罪を犯した一切衆生
人を殺害させた。まもなく王妃は懐妊したが、生まれくる王子は
運命を逃れるべく、生まれたばかりのわが子を高殿から落として
のためであるといわれる。
﹁われ阿闇世のために、無量億劫に涅槃にいらず﹂と語る。それ
殺そうとしたが、王子は小指にけがをしただけで、一命は取りと
五逆とは、殺父・殺母・殺阿羅漢︵聖者を殺す︶・出仏身血︵仏
やがて王を弑するであろうという予言が出た。王と王妃は、その
めた。その生誕を呪われた王子・阿闇世は、父との折り合いが悪
-
135
-
)
(34
徹
佐々木
れるべきであろう。
をや﹂という言葉は、最も救いから遠い提婆達多にこそ、向けら
釈尊の血縁である。﹁善人なほもて往生を遂ぐ。いはんや、悪人
世を罪へと駆り立てたのも提婆達多である。しかも、提婆達多は
したが、その他はむしろ提婆達多に当てはまる。もともと、阿闇
このうち、確かに阿闇世は父を殺害し、母にも危害を加えようと
身を傷つける︶ ・破和合僧︵教団を破壊させる︶の五つの罪をいう。
運命すべてを予知していたとのべられている︵ヨハネ伝第一三章二
しかし同時に、イエスの方は、ユダの裏切りを含めて、自己の
た復活もない。
ユダの裏切りがなければ、イエスの十字架はなく、したがってま
イエスを通して神の愛か成就するための契機だったとも言える。
れ、人間の罪をあがない、やがて復活する奇蹟の物語。ユダは、
される。神の子でありながら、無実の罪によって十字架にかけら
一節以下︶。﹁まことに誠に汝らに告ぐ、汝らの中のI人われを売
タイーマルコールカ︶すべてに書かれているが、最後の晩餐のイエ
イエスがユダの裏切りを予知していたことは、共観福音書︵マ
らん。﹂弟子たちは互いに顔を見合わせ、誰のことだろうかとい
証しともいうべきくちづけによって、師を裏切る。提婆達多が釈
スの言葉は、いま挙げたヨハネ伝とは異なっている。マタイ伝と
キリスト教において、最も救いから遠い者は、いうまでもなく
尊の弟子であり、かつ、いとこであったように、ユダもまたイエ
マルコ伝には﹁その人は生まれざりし方よかりしものを﹂とあり、
ぶかる。教えて下さいという弟子たちに、イエスはいま自分がパ
スの弟子であり、くちづけを許されるほどの近い関係にあった。
ルカ伝には類似の記述はない。生まれなかった方がよかったとい
イスカリオテのユダである。ユダは銀貨三十枚を代償に、イエス
いずれの場合も、信頼の輪の中から反逆と裏切りの行為が出たの
うのは、決定的な言葉である。存在そのものの否定である。神の
ンを分け与える者だと言って、ユダに与える。ユダがそれを受け
である。
子であり愛の具現者でもあるイエスがなぜこのような言葉を発し
を祭司長・長老らに引き渡したといわれている︵マタイ伝第二六章
ユダはイエスが十字架にかけられるのを知り、みずからの罪を
たか。﹁汝が為すべきことをすみやかに為せ﹂も突き放した言い
取るやいなや、悪魔がユダのなかに入る。イェスいわく﹁汝が為
悔い、﹁その銀貨を聖所に投げすてて﹂首をくくって自殺する。
方である。しかし、ユダという一人の人格の自由を、たとえそれ
一四節︶。その際、ユダはイエスにくちづけをして、それと示す
この成り行きは、ある意味で単純である。提婆達多が何度も釈尊
すべきことをすみやかに為せ﹂
殺害を試み、そのあげく生きながら無間地獄に堕ちた凄惨さはな
が自分にたいする裏切りであろうとも、認めるという意味では、
約束であった。十二人の弟子のひとりであるユダが、師弟の愛の
い。これより福音書の記述は、イエスの十字架を中心として展開
−134−
愛
と
悲
)
(35
も、無限の愛であり慈悲である神の子や仏の手から遠ざかり、逆
は、本来、敵を作らない人という意味をもつ。釈尊に帰依する下
部として鳴りつづけていたであろう。しかも、阿闇世という名前
る前からその存在を祝福されなかった怨みは、その後の生の低音
その出生を呪われた阿闇世は、別の名を未生怨という。生まれ
れている。自己のみと過信し、あらゆる他者、ひいては神や仏と
罪の死、永劫の罰は、今ここに生きている一人一人の足下に開か
ユダは自殺し、提婆達多は地獄に堕ちたとされるけれども、その
を拒否する者へと注がれて初めて、愛や慈悲の本来が全うされる。
ことはできなかった。むしろ、みずからはそれに値しないと救い
そうでなれば、愛という名による自己満足、自己愛にほかならな
といわれる己れは、この無我としての自己でなければならない。
うことも、この無我にして初めて可能となる。﹁己れのごとく﹂
いうのは、何もないということではない。先にのべた隣人愛とい
べきはずの自我がじつは無我であったと覚ることである。無我と
敵にならないことである。敵にならないということは、敵となる
絶しなければならない。敵を作らないということは、みずからが
唯識説にしたがえば、末那識︵自己意識︶を阿頼耶識ともども根
これ天にいます汝らの父の子とならんためなり。天の父は、その
は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。
ることが多い。たとえば、マタイ伝第五章四四節以下には﹁われ
神や仏の全き恵みは、期せずして同じような表現であらわされ
いる。
聞かないが、﹃法華経﹄提婆達多品では、その成仏が約束されて
解の内にあることを示す。のちにユダが聖者にされたという話は
とをすみやかに為せ﹂という言葉は、いかなる行為もイエスの理
の二人ですら、大いなる愛と慈悲は包みこむ。﹁汝が為すべきこ
-
全面否定ではない。その人の欲するところへ放つ、寛恕のこころ
地は、阿闇世その人のうちにあったとも解される。未生怨といわ
いった超越への道をも閉ざすとき、人は自己が自己を食む無間地
にその存在を否定しようとするが、ともにその手のうちから出る
れる以上、その怨みは本人の自由にならないところから来ている。
獄に陥る。具体的に言えば、金や地位、名誉といったこの世のも
の表現だとも取れる。
それが阿闇世を駆り立て、父親殺害にまで至らせるのだが、その
のにすべてをかけ、その欲望の権化となるとき、人は自己以外の
何者も存在しない闇中の亡者となっている。ユダの死、提婆達多
結果は癒えることのない病いの苦しみであった。その病いは四大
︵身体︶からではなく、心から生じるといわれている。心を治す
いであろう。仏教では﹁三輪清浄﹂が説かれ、愛を施す本人、施
日を悪しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者
の地獄は、遠い過去に起こった無縁の事柄ではない。しかも、そ
される相手、施す具体的な手段の三つのうち、いずれにこだわっ
にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり﹂とあり、﹃法華経﹄薬草
には、生まれる以前からの怨みを断たねばならない。先に挙げた
ても真の布施行、愛の行為ではないといわれる。ユダも提婆達多
133−
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徹
佐々木
悲 と 愛
)
(37
違もあるが、見逃してならないのは、あくまでもその根本であろ
ている。もちろん、両者には微妙な、解釈によっては決定的な相
世間に充足すること、雨のあまねくうるおすが如し﹂とのべられ
を演説して、かつて他事なく、去来坐立にも、ついに疲厭せず、
一人のためにする如く、衆多のためにもまた然るなり。つねに法
てさまたげることもなく、つねに一切のために、平等に法を説く。
れこれ愛憎の心あることなし。われ貪著することなく、またへだ
喩品には﹁われ一切を観ずること、あまねくみな平等にして、か
一九九五年九月二七日 受理
の姿である。
説いたと伝えられる。本来無一物のありのままへ帰る、激しい信
は、みずからの肉を析いて母に還し、骨を析いて父に還して法を
物を脱ぎ、素裸になって負い目を返したといわれ、また那咤太子
られる。アシジの聖フランシスは、回心の際、父親の目の前で着
いったものではない。ときに厳しい修行、この世との截断が求め
しかし、その絶対平等は、ただ安閑と甘受しておればよいと
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