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高松市埋蔵文化財調査報告
第 91集
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例
言
1.本 報告書 は,株 式会社 ビ ッグ・ エスが計画す る電器店建設工事 に伴 う埋蔵文化財発掘調査報告書で
,
高松市多肥上町 に所在する多肥松林遺跡
(た
ひまつばや しいせき)の 報告を収録 した。
2.発 掘調査地な らびに調査期間は次の とお りである。
調 査 地 :高 松市多肥上町 1219番 地他
発掘調査 :平 成 17年 ■ 月 16日 ∼平成 17年 ■ 月 28日
整理作業 :平 成 17年 ■ 月 17日 ∼平成 18年 2月 28日
3.発 掘調査及び整理作業は高松市教育委員会が担当 し,そ の費用 は株式会社 ビッグ・エスが金額負担 した。
4.発 掘調査は高松市教育委員会文化部文化振興課 文化財専門員 大嶋和則が担当 した。
5。
本報告書 は執筆 か ら編集 まで大嶋が行 った。
6.発 掘調査から整理作業 ,報 告書執筆を実施するにあたって,下 記 の関係機関ならびに方 々か ら御教示・
御協力を得た。記 して厚 く謝意を表す ものである。 (五 十音順 ,敬 称略)
香川県教育委員会 ,河 西建設株式会社 ,篠 原事務所 ,片 桐孝浩 ,信 里芳紀
7.挿 図 として,国 土地理院発行 1/25,000地 形図「高松南部」 を一部改変 して使用 した。
8,本 報告 の高度値 は海抜高を表 し,方 位 は磁北 を示す。
9。
本書 で用 いる遺構 の略号は次 の とお りである。
SB:掘 立柱建物跡 SD:溝 SK:土 坑 SP Iピ
ット
10.発 掘調査で得 られたすべ ての資料 は高松市教育委員会で保管 している。
次
目
第 1章
調査 の経緯 と経過
第 1節 調査 の経緯 …………… …… …………………… ………………………………………………………………………
…… ……………
第 2節 発掘調査及び整理作業 の経過・…………………… …… ……………………………………Ⅲ
2
4
第 2章
地理的・ 歴史的環境
第 1節 地理的環境 ……………・……… ………………… … ………… …………………………… ………… ………………
第 2節 歴史的環境 …………………………………………………………………………………………………………………………………
第 3章
5
5
調査 の成果
第 1節
I区 の調査 ………………………………………………………………………………Ⅲ…………… 7
第 2節
Ⅱ区の調査 ……………………………………………………………………………………………………………・………… 13
…………………………………………………………………………………………… 22
まとめ ………Ⅲ
第 4章
観察表 …… …… … … … …… … … …… …… … … … … … … … …… … … … …… …… … … …… … 25
……………………………………………………………・…………………………………………………………………………………・ 27
写真図版 。
報告書抄録
-1-
第 1章
1節
第
調査 の経緯 と経過
調 査 の経 緯
平 成 17年 6月 に 株 式会 社 ビ ッグ・ エ ス が計
画 す る電器店建 設 工 事 に 関 し,予 定地 内にお け
る埋蔵文 化財包蔵 地 の有 無 につ いて 照会 が あ っ
た。高松 市教 育委 員会 で は工 事予定地 が周 知 の
埋蔵 文化財包蔵 地 であ る松林遺跡及 び 多肥松林
遺跡 に 隣接 してお り,当 該地 まで包蔵地 が広が っ
てい る可能 性 が考 え られ たため ,株 式会社 ビ ッ
グ・ エ スに対 し,「 現状 では周知 の埋 蔵文化財包
蔵地 で はないが ,周 知 の埋 蔵 文化財 包蔵地 に 隣
接 してい る こ とか ら,遺 跡 が存 在 す る可能 性 が
第 1図
坤
調査地位置 図 (S=1/25,000)
聖 凹
崇
第 2図
調査地及 び周辺発掘調査地位置 図 (S=1/5,000)
-2-
埋蔵文化財包蔵地 ‖
埋蔵文化財包蔵地
調査地 (H区 )
調査地 (I区 )
0
第 3図
試掘調査地位置図 (S=1/600)
-3-
30m
極 めて高 く,工 事着手後 に遺 跡 が発見 された場合 は工 事 の進 捗 に 多大 な影響 を及 ぼす可能性 もあ るため
,
工事着手前 に確認調査を実施す ることが望 ま しい。
」 と説明を行 い ,任 意協力をお願 い した。
その後 ,8月 25日 に株式会社 ビ ッグ・ エ スか ら高松市教育委 員会 に対 し,確 認調査 の依頼があ った。協
議 の結果 ,工 事予定地 の うち工 事 によ り地下遺構 に影響 の恐 れがあ る建物建設部分約 9,333∬ を試掘調査
対象地 とし,lo月 26・ 27日 に試掘調査を実施 した。
試掘調査 では 22箇 所 の トレンチ調査 を実施 した。調査対象 範 囲 の 中心部分 には南北 に流れ る 旧河道 が
存在 した。 この 旧河道 は,多 肥松林遺跡 (県 道 )か ら,今 回 の調査地 を通 り,松 林遺跡 (通 学路 ),さ ら
に多肥松林遺跡 (高 校 )へ 流れ る流路 であることが予想 され る。 なお ,旧 河道 の埋土 には遺 物が ほ とん ど
包含 されていなか った。 旧河道 の東西両岸 は微高地 となってお り,若 干 の遺 構・ 遺物を検 出 したが希薄 な
状況であった。ただ し,第
このため ,第
9。
9・
12ト レンチ及び第
17・
12ト レンチ周辺 の約 220∬ 及び第
18ト レンチ周辺では部分的に遺構が密集 していた 。
17・
18ト レンチ周辺 の約 400∬ については保護措置
が必 要 と判 断 した。
高松市教育委員会 は ,香 川県教育委員会 に対 して確認調査結果 を報告す る とともに,■ 月 9日 に株式会
社 ビ ッグ・ エ スか ら提 出され た埋蔵文 化財発掘 の届 出 (文 化財保護法第 98条 第 1項 )を 進達 した ところ
,
香川県教育委員会か ら事前に発掘調
査を実施する旨の 回答を得た。 これ
を受け,株 式会社 ビ ッグ・ エ ス と協
議を行 った結果 ,工 事着手前に発掘
調査を行 う ことで合意 し,■ 月 15
2
日に埋蔵文化財調査協定書を締結 し
0
た。高松市教育委員会 は発掘 調査・
10cm
S
(正 三二>
整理作業の実務を行 い,そ の費用負
o
担および契約・ 支払事務 については
株式会社 ビッグ 。エ スが行 うことと
した。
第
5cm
第 4図
試掘調査出土遺物実測図
(ELtt I S=1/4, 石器 :S=1/2)
2節
発 掘 調 査 及 び整 理 作 業 の経 過
工事予定地内における埋蔵文化財の包蔵地は 620Mで あるが,そ の うち工事により遺跡に影響を及ぼす
範囲約 320だ について調査を実施 した。発掘調査は平成 17年 ■ 月 16日 に開始 し,■ 月 28日 に終了 した。
整理作業は ■ 月 17日 か ら開始 し,12月 28日 に終了 した。その後 ,平 成 18年 2月 28日 まで報告書の編
集作業を行 った。工程表は以下の とお りである。
第 1表 作業 工程表
11月
12月
1月
発掘調査
整 理作業
洗
浄
接
合
実
測
トレース
レイアウ ト
執筆・ 編集
-4-
2月
第 2章
第
1節
地理的・ 歴史的環境
地 理 的環境
高松市 は香川県の中央やや東寄 りに位置 し,市 域 の大部分 は讃岐平野 の一部を形成する高松平野が広が っ
ている。南部 に讃岐山脈 の北縁 がかか り,東 部 に屋島,立 石山塊 ,中 央西部 に石清尾山,浄 願寺山,西 部
に青峰な ど五色台 ,堂 山の山系が連なる。いずれも讃岐山脈 の基盤である洪積台地 と同じ地層か らなるメサ
あるいはビュー ト型 の溶岩台地 で,20∼ 300mの 低 い 山地 である。北方はひらけ,瀬 戸内海 に面 し,備 讃
,
瀬戸を挟んで岡山県 と対峙す る。
高松平野 は,讃 岐山脈 よ り流れ出た諸河川が運んだ土砂 によって形成された沖積平野 である。高松平野
には,西 か ら本津川 ,香 東川 ,御 坊川 ,詰 田川 ,春 日川 ,新 川 といつた河川が北流 しているが ,な かでも
香東川が平野 の形成 に最 も大きな影響を及ば してお り,現 存 の春 日川以西 が香東川による沖積平野 といわ
れている。現在 ,石 清尾山塊 の西側 を直線状に北流する香東川 は 17世 紀初めの河川改修 によるもので,そ
れ以前 には現在 の香川町大野付近 か ら東へ分岐 した後 ,石 清尾山塊 の南側 か ら回 り込んで,平 野中央部 を
東北流する もう一本 の主流路 が存在 していた。 この 旧流路 は,現 在では水田地帯及び市街地 の地下 に埋没
して しまっているが,空 中写真等 か ら,林 か ら木太地区にかけての分 ケ池,下 池 ,長 池 ,大 池を結 ぶ流路
等数本 の 旧河道 が知 られてお り,発 掘調査 でもその痕跡が確認 されている。なお,17世 紀 の廃川直前 の流
路 は,御 坊川 として今でもその名残 りを とどめている。
高松平野 を流れる諸河川 は,南 の讃岐山脈 か ら平野へ の流入口で穏 やかな傾斜を持つ扇状地形 の沖積平
野を形成 し,農 耕 に適 した地味豊かな土壌をもた らしたが,諸 河川 の 中流域 は伏流 し,表 層 は涸れ川にな
前後
ることが多 く,早 くか らため池を築造 して水不足を解消 してきた。 これ らのため池は,年 間 1,000ミ リ
と降水量の乏 しい讃岐平野において農業用水確保 のために不可欠なものである。また,今 回 の調査地 であ
る多】
巴地区周辺は,た め池に加 えて出水 (で すい)と 呼 ばれる自噴地下水脈 の利用 が盛んで,両 者を併用
した特徴的 な配水網 と厳格な水利慣行を伝 えてきた。調査地周辺では,栗 木出水 ,平 井出水 ,鈴 木出水等
が見 られる。しか し,昭 和 50年 の香川用水 の通水によって,一 帯 は三谷町の二郎池 の受益範囲に取 り込まれ
,
農業用水 の確保 の不安 が払拭された反面 ,地 元水源 を核 とした水利慣行 が急速に消滅するとともに,た め
池や出水 の水源 自体 もその役割を失いつつある。
第
2節
歴 史 的環 境
今回の調査地周辺は,香 川県立高松桜井高等学校や都市計画道路 の建設等 に伴 う発掘調査 が行われ,面
的 に遺跡 の広が りや内容が判明 している地域である。高松平野 の歴史的環境 は他 の報告書 に譲 ることとし
,
ここでは周辺 の調査 について述べ る。
旧石器・ 縄文時代 の遺跡は,今 回の調査地周辺 では知 られていない。松林遺跡 や多肥松林遺跡 の 旧河道
中か らわずかに縄文時代晩期 の遺物が出土 している程度である。当該期 の遺跡 は高松平野全体 でもほ とん
ど知 られてお らず,不 明な点 が多い。
弥生時代前期 になると,多 肥松林遺跡 で溝が検 出され ているほか,松 林遺跡 では集石遺構が見 られ る。
中期中葉 になると,香 川県立桜井高等学校 の 中心部 を南か ら北へ流れ る自然河道が埋没を始 めている。 こ
の流路か ら土器 とともに,鳥 形木製品,木 製農具等が出土 している。流路の両岸 には掘立柱建物 や竪穴住
居が営 まれてお り,特 に流路東側 の集落域 は日暮 。松林遺跡 まで広がっている。 この時期 には多肥松林遺
跡 の北西部 において決水砂層 ,松 林遺跡 において地震の液状化現象であ る噴礫が認められ,自 然災害があっ
たことを物語 っている。中期後半∼後期前半 には遺構 。遺物 ともほとん ど見 られない。後期後半 には日暮・
松林遺跡 において竪穴住居跡が多数検出されている。
-5-
弥生後期 中葉以 降 には,幅
5m程 度 の灌漑水路が多数掘 削 されてお り,古 墳時代前期 で埋没す る もの も
あ るが,古 墳時代後期 までの遺 物を含 む溝 も存 在す る。 また , 日暮 。松林遺跡や多肥宮尻遺跡 において は
古墳時代 中期末 ∼ 後期前半の土器や木製 品を包含す る 自然河道 が検 出されて い る。 一 方 ,古 墳時代 の集 落
域や古墳につい ては不 明である。
平安時代 には周辺 の 自然河道の埋 没が ほぼ完 了 してお り,多 月
巴松林遺跡 において掘立柱建物跡 や溝が検
出されてお り,溝 か らは斎 串が多量 に 出土 している。
中・ 近世 においては条里地割 の溝や掘立柱建物跡 が検 出され てい る。特 に松林遺跡 では香 川郡 の一 条 と
二条 の条界溝が検 出されて いる。 また, 日暮・ 松林遺跡 においては多量 の瓦器筑が出土 してい る。
第 2表 周辺 の調査履歴
(∼ 2005.12.31)
誂
ヨ
嘲
間
醸
蜘
醐
1995.5。 19ハ 彰1995,11.8
蜘
∞
2CXD4.41∼ 2004.4.12
勿 酷 旋 勤 修湖
勿 眈 施 勤 好訟 卸
勿 眈 椎 勤 簡嚇 醐
勿 眈 鵜 勤 好訟 湖
刻陥漉 錫 帥
日暮 。
本
財 瞳 跡 衛姉計画自め
日暮・程淋 創 亦 筋 n
日暮 。
木
飾帷跡 僕 迪
日暮・松林追跡 錦藤本―ム)
日暮 。
松林遺跡 (フ ィットネスクラガ
・
日暮 イ
餅撻跡 供 噛
劉 昭 激 錫 臼嚇 闘
1993.4.26-1994.96
∃酬
1,CXXl雷
SXl∬
17,6CXlだ
19%10.1-1995.3.31
5,四 濯
1997.4.1-1997.12.31
猛CXXl雷
2,OCDだ
2∞ 3.12.1ハV2004331
2CX15.11.16ハ
V2005.11.28
1993.11.15-1鍵、
929
2CX12.5.12ハ
Ψ2CX12,7.31
2004.5.12
320笛
11,6CXlピ
2ぅ
200雷
Ю ∬
2004.6.23-2004.8.27
2阻 12.1-2005。 1,7
2004.1211-2004■ 213
1997.4.1-1999,9.30
LGXlだ
800雷
124ポ
12,245ピ
勿巴
E羽万
快
本t毛〉
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董
励
差
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じ
2CX14,7.5-20047■ 6
2∞ 雷
刻 睡 尻 溜跡 ぐ 酢時庭潮辞 紛
∼
2005.11.21-2005,11.25
120∬
高松市教育委員会
高松市教育委員会
似獨 │1蜘 限幻厭 ンター
躙 │1蜘 限幻麟 ンター
儡獨 │1蜘 限凋陛 ンター
キ
躙 キ
県慟説期甑掃踏セ ンター
高松市教育委員会
高松市教育委員会
誡 陣
会
高松市教育委員会
高松市教育委員会
誡 醸
会
誡 瞬
鰍
1
2
3
5
6
構
7
8
9
10
会
12
(財割 │1県埋蔵文化財調麿センター
13ハ ヤ
15
高松市教育委員会
高松市教育委員会
16
17
既存報告書 (報 告書が刊行されているものについては報告書 のみを記載 した)
松林遺跡
1,大 lle和 則 1996『 香川県立高松桜井高校周辺通学路整備に伴 う埋蔵文化財発掘調査報告書 松林遺跡』高松市教育委員会
2,大 嶋和則 2004『 宅地造成工事に伴 う埋蔵文化財発掘調査 松林遺跡 (第 2次 調査)』 高松市教育委員会
多肥 松 林 遺跡
3
山下平重 1999『 高校新設事業に伴 う埋蔵文化財発掘調査報告 第 1冊 多肥松林遺跡』 (財 )香 川県埋蔵文化財調査センター
4.北 山健一郎 1995『 高松土木事務所新設事業に伴 う埋蔵文化財発掘調査概報 多肥松林遺跡』香川県教育委員会
5
6
西村尋文 1998「 多肥松林遺跡」『県道 。河ナ 関係埋蔵文化財発掘調査概報 平成 9年 度』 (財 )香 川県埋蔵文化財調査センター
│「
宮崎哲治 2005「 高松南警察署移転整備に伴 う埋蔵文化財発掘調査報告 多肥松林遺跡」『香川県埋蔵文化財センター年報 平成 15年 度ど香川県埋
蔵文化財センター
日暮 ・ 松 林 遺 跡
7
8
9
中西克也 1997『 都市計画道路福岡多肥上町線建設に伴 う埋蔵文化財調査報告書 日暮 。松林遺跡』高松市教育委員会
大嶋和則 2003『 香川県済生会病院移転新築工事に伴 う埋蔵文化財発掘調査報告書 日暮・ 松林遺跡 (済 生会)』 高松市教育委員会
大嶋和則 2005「 日暮・松林遺跡 (農 道)J『 高松市内遺跡発掘調査概報 ―平成 15年 度国庫補助事業一』高松市教育委員会
10,大 嶋和則 2005『 特別養護老人ホーム
(な
で しこ香川)建 設に伴 う埋蔵文化財発掘調査報告書 日暮 。松林遺跡 (済 生会特養ホーム)』 高松市教育
委員会
■.小 川賢 2005『 フィットネスクラブ建設に伴 う埋蔵文化財発掘調査報告書 日暮・松林遺跡
12.大 嶋和則 2005「 日暮・ 松林遺跡
(共 同住宅)」 『高松市内遺跡発掘調査概報 ―平成
(フ
ィットネスクラブ)』 高松市教育委員会
15年 度国庫補助事業一』高松市教育委員会
多肥 宮 尻 遺 跡
13.松 本和彦ほか 1998「 多肥宮尻遺跡」『県道・ 河川関係埋蔵文化財発掘調査概報 平成 9年 度』 (財 )香 川県埋蔵文化財調査センター
14.植 松邦浩ほか 1999「 多肥宮尻遺跡」『県道関係埋蔵文化財発掘調査概報 平成 10年 度』 (財 )香 川県埋蔵文化財調査センター
15 小野秀幸ほか 2000「 多肥宮尻遺跡」『県道・河川関係埋蔵文化財発掘調査概報 平成 ■ 年度』 (財 )香 川県埋蔵文化財調査センター
16 小ナ│1賢 ほか 2004『 宅地造成工事に伴 う埋蔵文化財発掘調査報告書 多肥宮尻遺跡』高松市教育委員会
17 大嶋和則 2006『 衣料品販売店舗建設に伴 う埋蔵文化財発掘調査報告 多肥宮尻遺跡』高松市教育委員会
-6-
第 3章
第
1節
調 査 の成果
I区
の調 査
(1)調 査地の概要 と基本層序
調査地は,試 掘調査で検出 した旧河道 の西岸微
高地 にあたる。調査区の西側隣接地 には松林遺跡
が所在する。現地表面 の標高は 22.2mを 測 る。周
知 の埋蔵文化財包蔵地 の うち,建 物基礎で影響を
受ける範囲の幅 4m,長 さ 22.5m,面 積約 90M部
分 について調査を実施 した。調査区の北面 と東面
断面を第 6図 に掲載 した。第 1層 は耕作土である。
第 2・ 3層 は 旧耕作土層 で,第 2層 は SDl埋 土 と
同 じである。第 4層 は灰 白色細砂層で,近 世以降
の遺構埋土 と考 えられる。第 5層 はにぶい黄橙色
砂混粘質土である。第 6層 は褐灰色砂混粘質土で
,
調査 区北半 にのみ認め られ る遺物包含層 である。
第 7層 は褐灰色細砂 ∼粗砂層で,洪 水 による堆積
層 と考えられ,調 査区北端部分にのみ認め られる。
第 8∼ 18層 は遺構埋土である。第 19層 は明黄褐
色粘土で地山である。遺構面は第 5層 上面 と第 19
層上面 の 2面 検 出 したが,第 5層 上面 は,近 世以
降の遺構面で,第 19層 上面まで 10cmの 堆積 しか
ない ことか ら,第 19層 上面の 1面 において遺 構
を検出 した。I区 では,溝 ■ 条,土 坑 9基 ,ピ ッ
ト 14基 を検出 した。
なお,遺 構面直上で出土 した土器を第 7図 に掲
載 した。3は 土 師質土器 の鍋 である。4は 須恵器
の邪 である。 5は 京都系 の緑釉陶器 の皿である。
(2)遺構
SDl(第
5・ 6・
8図 )
調査区中央部 で東西方向に流れる溝である。検
出長 4m,幅
60cm,深 さ 25cmを 測る。断面形態
は逆台形を呈 し,埋 土は黒褐色粘土ブ ロ ックを含
むにぶい黄橙色砂混粘質上の単層である。
出土遺物は第 8図 に掲載 した。Kl∼
K4は い
ずれ も鉄釘である。図示 したもの以外 に,肥 前系
陶器片が出土 している。近世以降の遺構面 よ り掘
り込 まれてお り,旧 耕作土 とおな じ埋土であるこ
o
5m
とか ら,近 世以降の遺構 と考えられる。
第 5図
-7-
I区 平面 図
(S=1/100)
│
│
∞
8. 10YR6/2
6. 10YR5/1
7. 10YR6/1
4, 10YR7/1
5。 10YR6/4
3. 7.5YR6/1
10YR5/1
10YR4/1
第 6図
(S=1/40)
砂混粘質土 (SD10埋 土)
砂混粘質土 (SD10埋 土)
砂混粘質土 (SD10埋 土)
砂混粘質土 (5D10埋 上)
(2.5Y7/6明 黄褐粘土ブロック含む)
褐灰 砂混粘質土 (5D9埋 土)
黄灰 砂混粘質土 (SD9埋 土)
(2.5Y7/6明 黄褐粘土ブロック含む)
褐灰
褐灰
黄灰
黄灰
I区 北壁・ 東壁断面図
14. 2.5Y5/1
13. 10YR5/1
11. 2.5Y5/1
12. 2.5Y5/1
9。
砂混粘質土 (10YR3/1黒 褐粘土ブ ロック含む)
砂混粘質土 (旧 耕作土)
細砂
砂混粘質土
砂混粘質土 (遺 物包含層)
細砂∼粗砂
砂混粘質土 (SD10埋 土)
10。
にぶい黄橙
褐灰
灰白
にぶい貴橙
褐灰
褐灰
灰黄褐
1.耕 作土
2. 10YR7/2
L=22.000m
L=22.000m
0
褐灰
砂混粘質土 (SD6埋 土)
黒褐
砂混粘質土 (5D8埋 土)
19.2.5Y7/6 明黄褐 粘土 (地 山)
18. 10YR3/1
16.2.5Y5/2 暗灰黄 砂混粘質土 (5D7埋 土)
17.2.5Y6/1 黄灰
砂混粘質土 (ピ ッ ト埋土)
15. 7.5YR4/1
2m
L=22.000m
L=22,000m
SD2(第
5。
9図 )
調査区南部 で東西方向に流れ る清である。検出長
3.lm,幅 60cm,深 さ 3cmを 測 る。薄い堆積で,埋
土は灰 白色細砂 の単層であ る。遺物は出土 してお ら
ず,詳 細な時期 は不明 であるが,SD3と 埋土が同 じ
X
であることか ら,近 世以降の遺構 と考えられる。
5。
10図 )
第 7図
調査 区 の 中央 で南北 方 向 に流 れ る溝
し,埋 土は灰 白色細砂 の単層 である。
υ
O
K
8は 土 師器 の 必 であ る。■ 世紀 の 遺物
であ るが ,図 示 した もの以外 に備前焼
ら,近 世以 降 の遺 構 と考 え られ る。
SD4(第
5・
第 8図
lm,幅
16cm,深 さ 10cmを 測 る。断面形態 は U字 を呈 し,埋 土 は灰 白色
細砂 の 単層 であ る。遺物 は出土 してお らず ,詳 細 な時期 は不 明 で
あ るが ,SD3と 埋土 が同 じであ る ことか ら,近 世以 降 の遺 構 と考
5。
(S=1/2)
l
L=21,900m
氏鶉鰯堪鰯5
0
1m
灰 白 細砂
SD2断 面図
第 9図
SD5(第
回
SDl出 土遺物実測図
l.10YR7/1
えられ る。
―
5cm
H図 )
調 査 区 中央 で 検 出 した 南 北 方 向 の 小 溝 で あ る。 長 さ
一
K2
o
播鉢や 陶器 片等 が 出土 してい る こ とか
(S=1/4)
K
出土遺物 は第 10図 に掲載 した。 6∼
―
―
一
m郁 y o
3.lm,幅 60cm,深 さ
3cmを 測 る。 断面形態 は浅 い U字 を呈
であ る。検 出長
1区 遺構面直上出土遺物実測図
一
徹湘 即 v O
SD3(第
10cm
(S=1/40)
12図 )
調 査 区南 部 で,検 出 した 南 北
my丁
型∞
テ
w
方 向 の 小 溝 で あ る。 長 さ 2.2m,
32cm,深 さ 2cmを 測 る。 薄
い 堆積 で ,埋 土 は 灰 白色 細 砂 の
幅
0
`
\
1m
単層 で あ る。 遺 物 は 出土 して お
l.10YR7/1
らず,詳 細 な時期 は不 明であ る
が,SD3と 埋土 が 同 じである こ
第 10図
とか ら,近 世以 降 の遺構 と考 え
_主 ユ _
7
l i嘉
0
灰白
10cm
細砂
SD3断 面 図
(S=1/40) 及び出土遺物実測 図 (S=1/4)
られる。
SD6(第
5・
13図 )
誦
調 査 区 の 北 端 で検 出
した溝 で あ る。 検 出長
6.2m, 幅 1.45m,深 さ
20cmを 測 る。断面形態
L=21,900m
1
0
灰 白 細砂
SD4断 面図
-9-
焉霞
霊::坐
雷
轟
冨
冨
騒
露
営
0
1m
l.10YR7/1
第 11図
E
姐繭
(S=1/40)
1m
l,10YR7/1
第 12図
m
つ
∞
灰白
細砂
SD5断 面図
(S=1/40)
は浅 い U字 を呈 し,埋 土 は褐灰色砂混粘質土 の単層 である。
出土遺物 は第 13図 に掲載 した。 9∼ ■ は須恵器 の郷 である。 9は 7∼ 8世 紀 の ものであるが,10・ ■
は 10世 紀前半頃の遺物であ り,10世 紀前半頃 の遺構 と考 え られる。
一 N
L=21,900m
戸 7ア
0
第 13図
l
SD6断 面 図
L=21,900m
14図
L=%
0
10cm
(S=1/40)及 び 出土遺物実測 図 (S=1/4)
SD7(第
5。
14図 )
調査 区 の北半 で検 出 した 溝 であ る。検 出長
硫 %戸
8.2m,幅 60cm,
深 さ 10cmを 測 る。断面 形態 は浅い U字 を呈 し,埋 土は 暗灰黄
1m
l.25Y5/2
-10
1,7 5YR4/1 褐灰 砂混粘質土
1m
0
ゝ
―
色砂混粘質土の単層 である。遺物 は出土 してお らず ,詳 細 な時
期 は不 明であ るが ,9∼ lo世 紀頃 の遺 物 を含 む SK4に 切 られ
暗灰黄
砂混粘質土
SD7断 面 図
てお り,そ れ以前 の 遺 構 と考 え られ る。 SK4か ら 7∼
(S=1/40)
8世 紀
の遺物が出土 してお り,当 該期 の遺 構 の可能性が考 えられ る。
SD8(第 5・ 15図 )
調査 区 の 中央 で検 出 した 溝 で あ
L=21900m
5.5m,幅 2.3m,深 さ
42cmを 測 る。断面形態は U字 を呈
し,埋 土 は 黒褐色 砂混粘質 土 の 単
る。 検 出長
S
0
l.10YR3/1
第 15図
層 であ る。 須恵器 の 小片 しか 出土
1m
黒褐
してお らず,詳 細な時期 は不 明で
あるが,9∼ lo世 紀頃の遺物を含
砂混粘質土
SD8断 面図
む SK4に 切 られてお り,そ れ以前
の遺構 と考えられる。
(S=1/40)
SD9(第
5・
6図 )
調 査 区 の 中央 で検 出 した 清 で あ る。 検 出 長
4m,幅 1.2m,深 さ 22cmを 測 る。断面形態 は U
字を呈 し,埋 土 は 2層 に分層 できる。上層 は褐灰
色砂混粘質土 ,下 層 は明黄褐色粘土 ブ ロ ックを含
む黄灰色 砂混粘質土 である。土師器及び須恵器 の
1
1
!
10cm
小片 しか 出土 してお らず ,詳 細 な時期 は不 明であ
るが ,
第 16図
SD10出 土遺物実測図
SD10に 切 られてお り,7世 紀以前 の遺構
と考 え られ る。
(S=1/4)
-10-
SD10(第
5・ 6・
16図 )
調査 区 の南部 で検 出 した溝である。検 出長 4m,幅 8.5m,深 さ 30cmを 測 る。断面形態 は浅い U字 を呈 し
,
埋土 は 5層 に分層 できる。第 1層 は灰黄褐色砂混粘質土 ,第
2・
3層 は褐灰色砂混粘質土 ,第
4・
5層 は黄
灰色砂混粘質上である。
出土遺物 は第 16図 12の 須恵器 の壷 がある。 図示 した もの以外に も須恵器 の小片が見 られ ,出 土遺物か
ら 7世 紀頃 の遺 構 と考 えられ る。
SDll(第
5・
1
17図 )
調査 区の 中央で検 出 した小清 である。長 さ 1.5m,幅 15cm,
生21.900m
N‰
深 さ 5cmを 測 る。断面形態 は U字 を呈 し,埋 土 は灰黄褐色砂
S
lm
O
混粘質土 の 単層 であ る。遺物 は出土 してお らず ,詳 細 な時期
は不 明であ るが ,7∼ 8世 紀 の遺 構 と考 え られ る SD7に 切 ら
れてお り,そ れ以前の遺構 と考 え られ る。
l.10YR4/2 灰黄褐 砂混粘質土
SD■
第 17図
断面 図 (S=1/40)
SKl(第 18図 )
調査 区 の 中央 で検 出 した土坑 であ る。西側 は調査 区外 に延
びてい るが ,隅 丸長方形 の平面形態 を呈 す る と考 え られ ,長
辺
70cm以 上 ,短 辺 48cm,深 さ 4cmを 測 る。 断面形態 は浅
い レンズ 状 を呈 し,埋 土 は黄灰色砂 混粘 質土 の 単層 であ る。
遺物 は 出土 してお らず ,詳 細 な時期 は不 明であ るが ,上 層遺
構面か らの掘 り込みである ことを調査 区西壁 で確認 してお り
,
L=21900m
近世以降の遺構 と考 え られ る。
SK2(第 19図 )
0
1m
調査 区北部 で検 出 した土坑 であ る。平面形態 は長 方形 を呈
し,長 辺
1.lm,短 辺 80cm,深 さ 3cmを 測 る。浅 い堆積 で
l.2.5Y6/1 黄灰 砂混粘質土
,
埋土 は黄灰色砂混粘質上 の単層 である。
出土遺 物 は 第 19図 に 掲載 した。 13は 土 師器 の 郷 であ る。
14は 須恵器 の 邪 である。 出土遺物 か ら 9世 紀末 ∼ 10世 紀 頃
第 18図
SKl平 ・ 断面 図
(S=1/40)
の遺 構 と考 え られ る。
SK3(第 20図 )
フニ
調 査 区北 部 で 検 出 した土
3
坑 で あ る。 平 面 形 態 は長 方
形 を 呈 し,長 辺
1.18m,短
辺 60cm,深 さ 3cmを 測 る。
k_」
浅 い 堆 積 で,埋 土 は黄 灰 色
L=21900m
0
与 呵 ′ 14
10Cm
砂 混 粘 質 上 の 単 層 で あ る。
遺 物 は 出土 して お らず ,詳
0
細 な時期 は不 明である。
第 19図
1m
SK2平 ・ 断面 図
-11-
1.25Y5/1
黄灰 砂混粘質土
(S=1/40)及 び出土遺物実測図 (S=1/4)
SK4(第 21図 )
調査 区北部で検 出 した土坑 である。側溝 によ り遺構 が切
られているが,調 査 区東壁 において遺構埋土が検 出されて
いない ことか ら,溝 状 の平面形態 を呈す る。長辺 4.56m,
短辺 1.lm以 上 ,深 さ 3cmを 測 る。浅い堆積で,埋 土 は褐
灰色砂混粘質上の単層である。
出土遺物 は第 21図 に掲載 した。 15・ 16は 須恵器 の甕 で
ある。 15の 外面 には波状文が施されている。 17は 土師質土
L=21,900m
器 の鍋である。 18は 須恵器 の蓋である。 19・ 20は 須恵器 の
郷である。7∼ 8世 紀 の遺物を多 く含むが,SD7を 切 って
0
お り,こ れ らの遺物 は SD7か らの混入の可能性がある。17
1m
の上 師質土器 の鍋 は 10世 紀,19の 須恵器邦 は 9世 紀 の も
ので,9∼ 10世 紀 の遺構 と考 えられる。
l.2.5Y5/1 黄灰 砂混粘質土
SK3平・ 断面 図
(S=1/40)
E006.
r
N=コ
第 20図
旧
旧
旧
刊
旧
旧
旧
J
寺∝>P .一
引駅契嶼命 К鯉 r
¶
E 一 o
/
嘩―――引
フ
17
二
′
!16
_.■ 2_
_
0
10Cm
18
第 21図
SK4平・ 断面図
(S=1/40)及 び出土遺物実測図 (S=1/4)
SK5(第 22図 )
調査区中央部で検出 した土坑 である。西半が調査区外であるが,平 面形態は隅丸長方形を呈すると考 え
られ,長 辺 2.42m以 上 ,短 辺 1.67m,深 さ 6cmを 測る。浅 い堆積で,埋 土は黄灰色砂混粘質土 の単層 である。
遺物は出土 しておらず ,詳 細な時期は不明であるが,7∼ 8世 紀 と考 えられる SD7に 切 られてお り,そ れ
以前 の遺構 と考えられる。
-12-
第
2節
Ⅱ区 の 調 査
(1)調査地 の概要 と基本層序
調査地 は,試 掘調査 で検 出 した
旧河道 の東岸微高地 にあた る。調
査 区 の東側 隣接地 には多肥松林遺
跡 (高 松土木 )が 所在 す る。現地
表 面 の 標 高 は 22.2mを 測 る。 周
知 の埋 蔵文化財包蔵地 の うち ,建
物 基 礎 で 影 響 を 受 け る範 囲 の 約
230∬ 部分 につい て調査 を実施 し
と=21900m
た。調査 区 の 西面 と北面 断面 を第
24図 に掲 載 した。 第 1層 は 耕 作
0
土 である。第 2層 は褐灰色砂混粘
質上 で ,旧 耕作土 であ る。第 3層
l.2.5Y5/1
はにぶい 黄橙色砂混粘質 土 で ,床
第 22図
土 であ る。第 4層 は黄灰色砂混粘
1m
黄灰
SK5平
砂混粘質土
。断面 図 (S=1/40)
質 土 で ,遺 物包含 層 であ る。第 5
∼ 12層 は遺構埋土 であ る。第 13
層 は浅黄色 シル ト∼ 粘土 で地 山である。遺構面 は地 山 の第 13層 上面 の 1面 のみ で検 出 した。古墳 時代 ∼
6条 ,土 坑 6基 ,掘 立柱建物跡 2棟 ,ピ ッ ト多数 を検 出 した。
なお ,遺 構面直上 で出土 した土 器 を第 25図 に掲載 した。 21は 弥生土器 の 甕 である。 口縁都 に 凹線 3条
と円形浮文 が施 されてい る。 22は 肥前系陶器 の鉢 である。 23は 土師質土器 の播鉢 であ る。 24・ 25は 土師
近世 までの清
質土器 の鍋脚部 であ る。 S2は 削器 である。
(2)遺構
SDl(第
23・
26図 )
調査 区中央 で 検 出 した清 であ る。長 さ 3m,幅
46cm,深 さ 8cmを 測 る。 断面形態 は浅 い U字 を呈 し
,
埋土 は灰 白色細砂 の単層 であ る。
出土遺物 は第 26図 26の 上 師器 の皿 のみであ る。 ■ 世紀 の ものであ るが ,埋 土 が他 の 近世遺構 と同 じ
である ことか ら,近 世 の遺 構 と考 え られ る。
SD2(第
23・
27図 )
調査 区南端 で検 出 した溝 である。検 出長 2.8m,幅 96cm,深 さ 5cmを 測 る。断面形態 は浅 い U字 を呈 し
,
埋土 は灰 白色細砂 の単層 であ る。
出土遺物 の うち図示 できた ものは第 27図 27の 土 師器 の郷 のみであ る。 図示 した もの以外 に ,陶 器片 が
出土 してお り,近 世 の遺 構 と考 え られ る。
SD3('窮 23・ 24・ 28Eコ )
調査 区 の北半で検 出 した遺構 である。ほぼ現地割 と同 じ方位 で掘削 されてお り,検 出長 13m,幅 5∼ 7.5m,
深 さ 40cmを 測 る。 断面形態 は浅い U字 を呈 し,西 側 ほ ど深 くな ってい る。埋土 は検 出部分 中央部 では 3
層 であ るが ,調 査 区西壁 で は 5層 に分層 で きた。第
1・
-13-
2層 は黒褐色砂混粘質土 ,第 3層 は褐灰色砂混粘
°⑥
急壇沙
0
o
。
/D
o
。
23図
O
ぎ6。 ∵尾
ぜ
第
S
Ⅱ区平 面 図 (S=1/100)
-14-
I
S
I
7. 10YR3/1
6. 10YR3/2
4. 2.5Y5/1
5. 2.5Y3/1
3. 10YR6/4
1.耕 作土
2. 10YR6/1
褐灰
にぶい黄橙
黄灰
灰白
黒褐
黒褐
砂混粘質土
砂混粘質土
砂混粘質上 (遺 物包含層)
細砂 (近 世以降の遺構埋土)
砂混粘質土 (SD3埋 土)
砂混粘質土 (SD3埋 土)
第 24図
(2.5Y7/6明 黄褐粘土ブ ロック含む)
黒
粘土 (SD3埋 土)
暗灰黄 砂混粘質土 (遺 構埋土)
砂混粘質土 (SD4埋 土)
黒
ンル ト∼粘土 (地 山)
浅黄
砂混粘質土 (SD3埋 土)
(25Y7/6明 黄褐粘土ブ ロック含む)
黄灰
細砂∼粗砂 (SD3埋 土)
褐灰
L=22.000m
Ⅱ区西壁・ 北壁 断面 図 (S=1/40)
11. 2.5Y4/2
12. 2.5Y2/1
13. 2.5Y7/4
10. 10YR2/1
9. 2.5Y6/1
8. 10YR4/1
L=22000m
o
2m
L=22.000m
L=22.000m
0
第 25図
こ
≧
こ
ミ
こ
ξ
ヨ
ヨ詈
ユ
毒
ξ
: E
:こ
0
―
第 26図
1m
24
Ⅱ区遺構面直上 出土遺物実測 図
L=21.900m
1
VV
O
10cm
_l y
0
(■ 装器 :S=1/4,
て帯器 :S=1/2)
質 土 ,第
26
2
S
]
︼
ぃ
蛉
︺
い
m
い
い
c
琳
5
添
礁
方
日日 H ︱ 伊
︲
5
祠M M 0 2
21
4層 は黄 灰 色 細 砂 ∼ 粗 砂
,
第 5層 は黒色粘土 であ る。遺 構 の西
側 には試掘調査 で検 出 した 旧河道 が
10cm
存 在す る ことか ら,旧 河道 か ら引 き
J
込 ん だ溝 と考 え られ る。 なお ,北 側
1.2.5Y8/1 灰白 細砂
に は SD4,南 側 に は SD5が 直 交 し
SDl断 面 図
(S=1/40)及 び出土遺物実測 図 (S=1/4)
て接続 してお り,こ れ ら清 の取水 ま
たは排 水池 としての機能 が考 え られ
る。
28図 に 掲 載 した。
S3は 石 鍬 で あ る。 28∼ 30は 弥 生
出土 遺 物 は 第
5
0
27
o
locm
土器 の 甕 の口縁部 であ る。 い ずれ も
1m
口縁 部 に 凹線 が 施 さ れ て い る。31
l.2.5Y8/1 灰 白 細砂
第 27図
SD2断 面図
は 弥 生 土 器 の 底 部 で あ る。 32は 弥
生土器 の高杯 の 脚部 であ る。 裾部 に
(S=1/40)及 び出土遺物実測図
(S=1′ 4)
刺 突 文 が 施 され て い る。 33は 土 師
器 の 甕 であ る。 34は 須恵器 の邪 であ る。 35は 須恵器 の 高杯 であ る。 弥生時代 の 遺物 も含 まれ るが ,須 恵
器や土師器 の 出土量が多 い。 また ,7世 紀後半 の遺 物 も多 く見 られ るが ,34の 須恵器 か ら 9世 紀 の埋 没が
考 え られ る。
SD4(第 23・ 24図 )
SD3の 北側 で検 出 した溝である。検 出長 2.2m,幅 70cm,深 さ 18cmを 測 る。 断面形態 は逆台 形を呈 し
埋土 は黒色砂混粘質上 の単層 である。遺物 は須恵器 の小片 しか 出土 してお らず ,詳 細 な時期 は不 明であ る
が ,SD3と の切 り合い関係 は判然 とせず ,直 交 して接続 してお り,同 時期 の遺構 と考 え られ る。
,
SD5(第 23・ 29図 )
SD3の 南側で検出 した清である。検出長 6.2m,幅 70cm,深 さ 24cmを 測る。断面形態は逆台形を呈
し,埋 土は黒色砂混粘質土の単層である。遺物は出土 しておらず,詳 細な時期は不明であるが,SD4同 様
SD3と 直交 して接続 してお り,同 時期の遺構 と考 えられる。
,
-16-
3
褐灰灰
黒褐黄
2
︲
/
6
咄
嘲
Y
5
,
1
0
一
31
ぃ
.
SD6(第
1m
5cm
く
第 28図
0
砂混粘質土
砂混粘質土 (2.5Y7/6明 黄褐粘土ブロック含む)
細砂∼粗砂 (2.5Y7/6明 黄褐粘土ブロック含む)
SD3断 面 図
0
10cm
(S=1/40) 及び出土遺物実測 図 (土 器 :S=1/4,石 器 IS=1/2)
30図 )
調査 区北東端 で SD3に 切 られて検 出 した清 であ る。検
出長 2.2m,幅 85cm,深 さ 38cmを 測 る。 断面形 態 は U
字 を呈 し,埋 土 は 2層 に分層 でき る。上層 はにぶ い 黄 色
砂混粘質土 ,下 層 はオ リー ブ褐色砂混粘質上である。遺物
は出土 してお らず ,詳 細 な時期 は不 明であ るが ,SD3に
L=21.900m
23・
W
E
0
1m
│
l.2.5Y2/1
黒
切 られてお り,9世 紀以前 の遺 構 と考 え られ る。
第 29図
砂混粘質土
SD5断 面 図
(S=1/40)
SKl(第 31図 )
L=21.900m
調査 区中央東端 で検 出 した土 坑である。東半 は調査 区外
に延 び るため平 面形 態 は不 明 であ るが ,長 径
径
1.03m,短
S
76cm以 上 ,深 さ 6cmを 測 る。 断面形態 は浅 い逆台 形
を呈 し,埋 土 は灰 白色細砂 の単層である。遺物 は 出土 して
0
おらず,詳 細な時期は不明であるが,埋 土が他の近世の遺
構と同じであることから,近 世の遺構 と考えられる。
呵.2.5Y6/4 にぶい黄
オ リー ブ褐
2.2.5Y4/3
第
-17-
1m
30図 SD6断
面 図
砂混粘質土
砂混粘質土
(S=1/40)
SK2(第 32図 )
調査 区南端 で検 出 した土 坑 である。北東部 の一 部 しか検 出 してお らず ,調 査 区外 に延びるため平面形態
は不 明であ るが ,長 辺 1.08m以 上 ,短 辺
90cm以 上 ,深 さ 10cmを 測 る。断面形態 は浅 い逆台形 を呈 し
,
埋土は灰白色細砂の単層である。遺物は出土 しておらず,詳 細な時期は不明であるが,埋 土が他の近世の
遺構 と同じであることから,近 世の遺構と考えられる。
1
0
饉
L=21.900m
1m
0
SKl平 ・ 断面 図
第 32図
(S=1/40)
900m
1m
l.25Y8/1
l.2.5Y8/1 灰 白 細砂
第 31図
霧轟轟議
里
・
灰 白 細砂
SK2平 ・ 断面 図
(S=1/40)
SK3(第 33図 )
調査 区中央で検 出 した土 坑 である。平面形態 は半 円形 を呈 し,長 径 1,7m,短 径 1.2m,深 さ 4cmを 測 る。
浅 い堆積で ,埋 土 は灰黄褐色砂混粘質土の単層 である。遺物 は 出土 してお らず ,詳細 な時期は不明であ るが
,
近世の遺構 である SBlに 切 られてお り,そ れ以前の遺構 と考 え られ る。
SK4(第 34図 )
調査 区中央で検 出 した土 坑 である。不整形 な平面形態を呈 し,長 辺 1.3m,短 辺 1.lm,深 さ 10cmを 測 る。
断面形態 は浅い逆 台形 を呈 し,埋 土 は灰黄褐色砂混粘質土の単層 であ る。弥生土 器 または土 師器 の小片 し
か出土 してお らず ,詳 細 な時期 は不 明である。
_
塑 ・
隠
応
0
1.
10YR4/2 灰黄褐 砂混粘質土
第 33 図
SK3平 ・ 断面 図
l.10YR4/2
第 34図
(S=1/40)
-18-
麹
1m
灰黄褐 砂混粘質土
SK4平・ 断面図
(S=1/40)
SK5(第 35図 )
調査 区中央 で 検 出 した土坑 であ る。西半 は調
査 区外 に延 び る た め平 面 形 態 は不 明 であ るが
長径
,
90cm以 上 ,短 径 40cm以 上 ,深 さ 12cmを
測 る。 断面形態 は逆 台形 を呈 し,埋 土 は黒色 粘
L=21900m
土 の 単 層 であ る。 遺物 は 出土 してお らず ,詳 細
な時期 は不明である。
0
SK6(第 36図 )
調 査 区南端 で検 出 した土坑 であ る。不整形 な
平面 形 態 を呈 し,長 辺
1m
l.10YR2/1
2.18m,短 辺 1,34m,深
粘土
SK5平・ 断面図
第 35図
さ 38cmを 測 る。 断面形態 は U字 を呈 し,埋 土
黒
(S=1/40)
は黒色粘土 の 単層 であ る。遺物 は 出土 してお ら
ず ,詳 細 な時期 は不 明 で あ るが ,近 世 の 遺構 で
あ る SD2に 切 られ てお り,そ れ以前の遺構 と考
えられ る。
SBl('密 37・ 38[コ )
調査 区 の西部 で検 出 した掘立柱建物跡 であ る。
東西 2間 (3.5m)× 南北 2問 (3.65m),床 面積
12.8∬ を測 り,主 軸方位 は N-27° 一 Wで あ る。
建物 は 2間 取 りで ,南 側 がや や広 い。掘立柱 建
物跡 を構成す る柱穴 は楕 円形 を呈 し,直 径 20∼
35cm,深
さ 10∼
50cmを 測 り,埋 土 は灰 白色
シル ト∼ 細砂 の 単 層 であ る。 間仕切 り部分 は 柱
穴が再掘削されてお り,建 て替 えが考 えられ る。
0
出土遺 物 は 第 37図 に掲 載 した。 36は 土 師器
の郭 である。 37は 須恵器 の郷 であ る。 10世 紀前
1m
l.2.5Y2/1 黒 粘土
半 の遺 物 を含 ん でい るが ,埋 土 が他 の 近世 の遺
SK6平・ 断面図
第 36図
構 と同 じであ る こ とか ら,近 世 の遺構 と考 え ら
(S=1/40)
れる。
SB2 (鋳 手39[コ )
_ュ
み
調査 区 の北部 で検 出 した掘立柱建物跡 であ る。
37
東 西 2間 (2.8m)× 南 北 1間 (2.4m),床 面 積
o
10cm
6.72だ を測 り,主 軸 方位 は N-20° 一 Wで あ
る。掘立柱建物 跡 を構 成す る柱穴 は楕 円形 を呈
し,直 径 30∼
第 37図
50cm,深 さ 20∼ 50cmを 測 り
,
埋土 は灰 白色細 砂 の 単層 であ る。遺物 は出土 し
てお らず ,詳 細 な時期 は不 明 であ るが,埋 土 が
他 の 近世 の遺 構 と同 じであ る こ とか ら,近 世 の
遺構 と考 えられ る。
-19-
SBl出 土遺物実測図
(S=1/4)
=ヨ
Iτ
Щ006・
lJ
〇 ユヨ
r= ∬ ト ー
ー =﹂
│
∪
£翠 皿К おム .
[.
榊
,征>? .r
命筆t 上ミふ 皿К 一
ド
-OZ―
88髪
図
TIS
里鞠・ 士
(0レ /1=S)図
trl
l
一
L=21,900m
Γ=Ц もooヨ
︲ ∪一
AI
tu006 L乙 =¬
貶
=¬
一
F=︺一もooヨ
L=21900m
1.2.5Y8/1 灰白 細砂
第 39図
ピット (第 23・
Eoo6.
銀Hコ
中
00σ
一
ド
SB2平・ 断面図
0
1m
(S=1/40)
40図 )
SB2の 南側か ら東側にかけて多数の ピッ トを検 出 した。
直径 10∼ 30cm程 度 の 円形を呈 し,深 さは 2∼ 60cmを
測 る。一 部暗灰黄色砂混粘質 土の もの もあるが,埋 土 は
こ
Jυ
:8
灰 白色細砂 の ものが多い。特 に,SB2の 南側 において
,
上
縄
SB2の 主軸方位 とほぼ同方位 で ピッ トが並んでお り,塀
l
υ
r
39
状 の施設 が想定できる。
ピ ッ ト出土遺物 は第 40図 に掲載 した。38・ 39は 土師
器 の郷で ■ 世紀 のものである。40は 産地不明陶器 の碗 で
近世 の ものである。埋土が他の近世 の遺構 と同 じである
0
ことか ら,近 世 の遺構 と考 えられる。
第 40図
-21-
10Cm
ピッ ト出土遺物実測図 (S=1/4)
第
4章 まとめ
今 回 の調査 では試掘調査
におい て南 北 に流 れ る旧河
道 を検 出 した。 この 旧河道
は,多 肥 松 林 遺 跡 (県 道 )
か ら,今 回 の調査地を通 り
,
松林遺跡 (通 学路 ),さ らに
多肥松林遺跡 (高 校 )へ 流
れ る流路 であ る こ とが予想
され る。 この 旧河道 の 西側
微高地上 には松林遺跡 (宅
地造 成 )が 所在 し,そ の集
落域 の東 限が今 回 の調査地
の I区 にあ たる と考 え られ
る。 また,旧 河道 の 東側微
高地上 には,多 肥松林遺跡
(高 松土木 )が 所在 し,こ ち
らもその 西 限が Ⅱ区 にあた
ると考 えられる。
今 回 の調 査 で は概 ね 7世
紀 ∼ ■ 世紀 と近世 の遺構・
遺物 を検 出 してい る。 その
変遷 を紹 介 し,ま とめ にか
えたい。
7世 紀 ∼ ■ 世 紀 で は I・
Ⅱ区 とも溝を多数検 出 した。
I区 の溝 が 多数掘 削 され て
い る状況 は隣接 す る松林遺
跡 (宅 地造成)と 同様である。
一 方 , Ⅱ区で は 旧河道 か ら
SD3を 引 き込 み,取 水 また
は排水施設 としての 利用 が
考 えられる。
近世 では I区 では溝 しか
検 出 してい ない が, Ⅱ区で
は掘立柱建物跡 を 2棟 検 出
してお り,居 住域 であ った
と考えられる。
7∼ 11世 紀
0
第
41図
-22-
5m
I区 遺構変遷 図 (S=1/1oO)
7∼ 11世 紀
第 42図
Ⅱ区遺構変遷図①
-23-
(dと 1/100)
。 。 0てD
0 ◎︶ 。
も
0
つ
e08
0◎
O
。
0
o
0
0
Oo
0
第 43図
Ⅱ区遺構変遷 図② (S=1/100)
-24-
土 器観 察表
E
F.
番
器種
2
狼思 講
杯
3
上 RRl賃 上 希
腑
4
褒思希
界
5
6
縁細 阿 諾
7
7
外
度 編
試掘
4
7
なヨ
自(cm,
口得
試掘
I区
内
面
E
訂可
=外 面 下 =内
5P86/1 青灰
5PB6/1音 反
上
遣構面直上
7
遺構面直上
(23)
胎土
面
ナデ
ナデ
ナデ
5PB7/1明 膏 灰
ナデ
ナデ
25Y7/2灰 黄
10YR6/4 にらミ
い責橙
やや 粗
″
mmじ 1下 の 石 車・ 尋
」騒ナテ・ヘラ切り
,セ 想
コ転 ナ デ
5B6/1膏 灰
密
586/1 青反
lmmじ 1下 の万
回転ナデ
回転ナデ
青灰
焼成
密
ナテ
5PB7/1明
I区 遺構面直上
I区
面
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
やや密
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
=・
密
7T合 す、
尋石含よ、
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
経 輸
経 軸
土師 希
SD3
ナデ
ナデ
5YR6/8 橙
5YR6/8 橙
やや密
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
SD3
ナデ
ナデ
5YR7/6
5YR7/6
密
回転 ナデ
回転 ナ デ
2 5YR6/6 橙
回転 ナ デ
10YR6/2 灰責褐
可
6/0 万〔
7
土師 器
外
8
土師 器
杯
須恵器
抹
須恵器
杯
買恵 器
不
貫恵器
電
土師 器
tTN
獲恵 器
不
質恵 器
窪
須恵器
蓄
須恵器
善
須恵器
不
弥生 土 器
磨
把前 系 陶 器
沐
土師質土器
糧鉄
■印 負 工 喬
脚部
工帥 負 工 誘
脚部
」二H中 瑕属
皿
」二HIPttF
杯
弥生 土 器
塞
弥生 土 器
甕
胚生 土 器
疼
I区
I区
回転 ナデ
回転 ナ デ
Ч
7/0灰 白
¶
7/0灰 自
寸
7/0五 民白
I区
回転 ナ デ
回転 ナ デ
Ч′
/υ
ユニH印 名属
至地 不 明 阿 器
南
ヽ7/0五 民白
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
10YR3/2 灰 自
10YR3/2 万R白
やや 密
Imm Ы 下 ハ 石
SK2
回転 ナ デ
回転 ナ デ
灰自
'5Y8/1
iY8/1辰 白
隔良
SK4
回転 ナ デ
皮状 文・凹 線 1条
回転 ナデ
,Y7/1 灰 自
密
immけ
SK4
回転 ナ デ
回転 ナ デ
N6/0 房【
マメツ
マメツ
10YR6/6 明貢褐
I区
回転 ナ デ
回転 ナ デ
I区
回転 ナ デ
回転 ナ デ
I区
回転 ナ デ
回転 ナ デ
I区 遺構面直上
ナア
Ⅵ線3条・円形浮文3個 1対
ナテ
回転 ナ デ
回転 ナ デ
マメツ
マメツ
I区
I区
I区
I区
I区
SD10
SK2
SK4
(17
,Y7/1 阪 白
N7/6辰 白
lnv「 IA/^
日日喜子想
N8/0灰 日
u8/0灰 白
密
lmm以 下の石英 。
長石含む
Imm U下 お
=・
石 五
阜石合か
.阜 石 全 か
,ボ お 石 五 .阜 石 合 オⅢ
良好
良好
良
良好
良好
良好
良好
良
良好
良好
良好
良好
良好
良好
良好
密
Immじ !下 ゐ 石 五
.三 声 全 お
良好
甲や 租
Immじ !下 ゐ 石 童
.三 石 合 か
良好
隋
Imm Ы 下 お 石 童
.二 石 合 お
良好
.尋 石 合 計、
良好
奮
mm U下
お 声 五
笛
lmm以 下 の 石 室・星 石 合 す
良好
:
Ⅱ区
17
遺構面直上
I区 遺構面直上
Ⅱ区
Ⅱ区
工区
23C
(20)
(19)
2mm以 下 の 石
10YR6/8
やや粗
明買 褐
4・
星 石 含 お
lmm以 下 の 石 真・長 石 含 tl
やや粗
密
ナデ
ナデ
7 5YR7/3 1こ ぶい橙
7 5YR7/3 1こ Åミ
ぃ精
やや粗
lmm以 下の石奏・長石含 t
ナデ
ナデ
7 5YR5/4 にぶ い褐
やや 粗
Imm以 下 の 石 真・長 石 含 む
岡 類
ナデ
,冬
ナデ
聞 畑
1峯
SP86
(09
明褐
精
7 5YR6/6 橙
7 5YR5/6 明掲
7 5YR6/4 にぶい橙
マメツ
7 5YR5/4 1こ Åく
い褐
ヨコヘラケズリ 5YR5/6明 赤褐
5YR5/6明 赤福
10YR8/4浅 責橙
マメツ
10YR3/4 浅貴構
N7/0
回転 ナ デ
N7/0
lmm以 下 の 石 薬・長 石 含 お
やや粗
,mmじ !下 め石
やや粗
=・
良
良好
良好
良
良
良
良好
良
尋府・三舟全よ、 良
夕mmじ ,下 お 石 五 ・ 三 奉
.三 舟 合 よ│
良
やや密
良好
lmm以 下の石英・長石含む
やや密
良好
lmm以 下の石蔓・長石・雲母含む
晉
Ы下 お 希
―
=・
尋 石 合 す│
m‐
lmm以 下 の 石 奏・長 石 含 む
回転 ナ デ
5Y6/1
5Y6/1
回転 ナ テ
回転ナデ
10YR7/2 にぶ い責 橙 露
10YR7/2 にらくい言こ構 lmm以 下 の 石 真・長 石 含 む
回転 ナ デ
回転ナデ
ナデ
ナデ
回転 ナ デ
回転ナデ
回転 ナ デ
団転ナデ
回転 ナ テ
圧区
7 5YR5/6
7 5YR6/6
ナデ
回転 ナ デ
I区
25Y5/2陪 灰 責
,峯
ナデ
マメツ
[区
やや粗
3mm以 下 の 石 葵・長 石 含 t,
25Y7/2灰 黄
25Y7/2灰 責
ヌア ハ グ
前I空 寸
SP70
7 5YR5/4 にÅミ
い4暑
回転ナデ
マメツ
工区
Il区
の 石 革・星 石 含 と
回転 ナ テ
岡 類
SP69
硲
10YR6/6明 責 褐
悟頭 ナ テ
工区
Ⅱ区
lmm以 下
7 5YR6/3 1こ ふい褐
2mm以 下 の 石 真・星 石 壇 母 含 お
I区
圧区
7 5YR5/6閉 褐
7 5YR5/6 明褐
旧頭 ナ デ
遺構画直上
工区
や や 和
10YR6/8明 昔 褐
遺構面直上
工区
7 5YR5/6 fIB褐
密
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
硲
mmじ !下 め 石
=・
三肩合か
25Y8/2灰 白
25Y8/2灰 白
25Y8/1灰 白
やや密
25Y8/1 灰白
lmmじ ,下 お 奉 五 ・ 三 示 合 お
10YR2/1
10YR2/1
情良
黒 黒
外
密
灰 灰
イ
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
力K日
白 白
灰 灰
灰 灰
ユニ呂印ヨ属
密
マメツ
I区
イ
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
マメッ
1区
上師器
篤
娯思 喬
密
と5Y7/1灰 自
と5Y7/1 灰 白
Ⅱ区
不
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
やや密
lmm以 下 の 石 英・長 石 含 む
回 転 ナ デ・回 転 ヘ ラケ ズ リ 回 転 ナ デ
I区
工 悟叩喬
(09)
回転 ナデ
杯生 土 器
葺林
頁思器
雪杯
SD3
I区
杯生 土 器
主部
買思 器
不
(07)
灰 灰
須恵器
外
I区
灰 反
上師 質 土 器
渦
I区
橙橙
IIll
LTh
9
4
遺構名
灰 反
1
戻思 結
不
図 師 調査区
密
'mmじ
!下 め 石
=・
尋 7T合 か
良
良好
良好
良好
良
良好
良
良好
石器観察表
番号
線
国版
1調 査区
遺構名
法 量 (cm
長
幅
厚
試綴
石槍
重量ilgD
42.6
S2
削器
工区
遺構画直圭
S3
翻
H区
SD3
1調 査 屋
遺構名
5,
5B
41,7
石材
特
サヌカイト
部 と先 帷
欠(
サヌカイト
』 部の―部のみ残る
サヌカイト 基部のみ残る
鉄製品観察表
需
駆
図版
澤鵡 Ж C■ )
長
幅
特
厚
釘
8
I区
SDI
α7
K2
釘
13
I区
α0
K3
K4
釘
8
と区
SDl
SDl
α5
鞘白 万 形
gr
E
I区
SDll
d3
新両方形
新面 方 形
α4
新画 万 形
-26-
徴
徴
写真
1 1区 機械掘削状況
(北 か ら)
写真 3
1 tt SD6完 掘状況
(南 西か ら)
写真 2
写真 4
1 tt SD8完 掘状況
(北 か ら)
(南 西か ら)
1 tt SD10土 器 出土状況
-27-
1区 完掘状況
(南 か ら)
“ 中
一
︺
一
一
“ 一猫
写真 8
(北 か ら)
一
一
“ 一
﹁
I区 完掘状況
一 一 一恥
鳴
一
一
一
前 一叩
写真 ア
(西 か ら)
一
h
一
一
命
写真 6
写真 5 1 tt SD9。 10完 掘状況 (南 西か ら)
1区 遺構検 出状況
写真 9
Ⅲ区遺構検 出状況 (西 か ら)
写真
10
一
・
一一一一
一
.
―
r手
―
電日い
,・こ
写真
11
.
一
一
一・
・
一
ド 一
■―
1
荘
守111■
Π区北壁土層断面 (南 西か ら)
す■│IⅢl:r拳
懇再 離軍
│
Π tt SBl完 掘状況 (西 か ら)
写真
12
Ⅱ区 SB4完 掘状況 (北 か ら)
・II,常勒 ,1デ
瞳
● 一 エ
「│
レ
│1滋
SB2完 掘状況
写真 13
層
写真
I一
一
掛A
げ匪
心 一一
一
抄 一 、
・
rヽ 一 一
!
一
,
・
争
・
一
オ〓﹁
一
一一
. 一一
(
45
│:
Ⅱ区 5D3断 面 (北 東か ら)
写真
-28-
16
Ш区完掘状況 (北 東か ら)
│
告
報
ふ り が な
圭日
副
書
巻
たひまつばや しいせき
録
(で んきてん)
名
多肥松林遺跡 (電 判 吉)
名
電器店建設 に伴 う埋 蔵文化財発掘調 査報告書
次
第 1巻
シ リー ズ 名
高松市埋蔵文化財調査報告
シ リー ズ番 号
第 91集
編 著 者 名
)く
編 集 機 関
高松市教育委員会
地
在
所
抄
書
発行年月 日
山
島 不日貝J
〒760-8571 香川県高松市番 町 一 丁 目 8番 15号
西暦
2006年 2月 28日
所収遺跡名
所在地
市町村
東経
遺跡番号
37201
たひまつばやしいせき
高松市
ぽばぜ
4 7 0
3 1 4
香サ│1県
コー ド
Lrし ′
しょざいち
緯″
ふ りが な
多肥松林遺跡
TEL087-839-2636
調査期 間
調査面積
調査原 因
2005,11.16
320∬
電器 店建
設
2005.11.28
多肥 上町
所収遺跡名
壼
禾
ウ
主な時代
多肥松林遺跡
集落
弥生
要
約
:I」
主な遺物
主 な遺 構
特記事項
弥生土器 i石器
古墳
溝
須恵器 ,土 師器
古代
溝
土坑
須恵器 ,土 師器
緑釉陶器
近世
据 立柱建物跡
溝
土坑
陶朧
,
多肥松林遺跡 は高松平野 の 中央部 に所在す る弥生時代 ∼平安時代 の集落遺跡 であ
る。試掘調査 の結果 ,工 事予定地内の 中央部 に南か ら北へ流れ る旧河道 の存在 が判
明 した。今 回の調査地 はそ の両岸 にあた り,検 出 された遺構 は,概 ね古墳時代後期
∼平安時代 の もので ある。なお ,調 査で検出 した 7世 紀後半∼9世 紀 の遺物 を含 む Ⅱ
区 SD3は 旧河道か ら取水または排水用 の施設 と考 えられ る。また,近 世 の掘 立柱建
物跡 も検 出 した。
電器層建設層伴う
醐
平成 18年 ョ撮 28ロ
編 発 部
集
行
EIJI
会
一
蘭問罐紺 丁ヨ3賽 15号
灘麟農蝶議娯会
株式会社ビング
・ エスー
若限会社 ■奥フアイジ,デ
Fly UP