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6 月 7 日 「祝福を受け継ぐために」 I ペテロ 3:8

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6 月 7 日 「祝福を受け継ぐために」 I ペテロ 3:8
6月7日
「祝福を受け継ぐために」
I ペテロ 3:8-12
武安 宏樹 牧師
8~9節には5プラス1徳目が並べられ、10~12 節は詩篇から引用されて、間の「あなたがたは祝福を受け継ぐた
めに召された」が、重心となっています。召しについては前章で、キリストの苦難の模範となることが語られますが、
苦難に次ぐ苦難ばかりでは倒れてしまうことを、ペテロ自身わかっています。とはいえ最初から最後まで祝福ばか
りでも、苦難を受け止められず倒れます。召しの苦難と祝福は表裏の関係ですが、以上の徳目は両者の橋渡しを
します。
第一に「心を一つにし」とは、主イエスが「わたしと父とは一つ」(ヨハ 10:30)、悪魔も誘惑を断念し抹殺も失敗に終わる
ほど、互いに愛し合う関係でした。第二に「同情し合い」=「喜ぶ者と喜び、泣く者と泣く」(ロマ 12:15)共同体です。第
三に「兄弟愛を示し」教会内で兄弟姉妹と呼び合うのは、同じ父を持つ家族だからです。ヨハネはこの愛こそ弟子
の基準とし、「兄弟を憎む者は人殺し」つまり神を愛することのバロメーターが兄弟愛だと言いました(Ⅰヨハ 3-4:)。
第四に「あわれみ深く」=「心の優しい」(エペ 4:32)御霊の働きは石の心から、温もりのあるあわれみの心へと、私た
ちをきよめられます(エゼ 36:26-27)。第五に「謙遜」。これを自力で行うと自己卑下になりますが、創造主なる神と被
造物な る自分との関係によって初めて成立します。聖なる神の偉大さと、自分のような罪深い者をも見捨てられ
ない憐れみの自覚が、謙虚にさせます。「ああ、私はつまらない者」(ヨブ 40:3)それは神との邂逅を経た者の言葉で
す。
以上の徳目は教会の中にいると当り前に見えますが、逆にしたらどうか。「心はバラバラに」「同情する暇あれば人
を蹴落とせ」「人を見たら敵だと思え」「弱い者は置き去りに」「勝者こそ称賛に値する」「受けた悪や侮辱は 10 倍返
し」これこそ世の中の暗澹たる現状、新自由主義という名の弱肉強食社会です。自分以外の他人を信じられず、競
争で認められることでしか平安を得られず、首切りと悪評に怯え、ついにセルフ コントロールが破綻して発狂する
者続出。そのような金と権力と偽りに満ちた悪魔的社会を推進し、一般恩恵を破壊し、不信感の奴隷にするために
悪霊は働きます。戦争はまさに必然的結末です。そのような時代に主の教会こそ、キリスト者各人こそ、唯一の神
の希望です。
6 月 14 日
「善を行って苦しむ①」
I ペテロ 3:13-14a
武安 宏樹 牧師
「幸福なるかな、義のために責められたる者。」(マタ 5:10)を想い起こします。有名な8つの幸いの第8番目ですが、
「天國はその人のものなり」が続くのと、中間の6つは未来形でありながら両端は現在形が、第1番目と共通します。
御国の祝福は現在も受けていること、義のために苦しむ者こそ受けることが、理解できます。以上の主イエスの言
葉を、ペテロは念頭に置いたのでしょう。
13 節原文は後半「だれがあなたが たに~」が、文頭に来て強調されています。善行に熱心ならば害を加える者な
どいるのか? いやいないという反語です。「熱心」は右翼「熱心党」に通じますが、それくらい強烈に善を愛す意で
しょう。平時の常識で考えるならば、そういう人が迫害されることは通常ありません。けれども 14 節は善い行いでも
迫害を受け、死に至る例外の存在を示します。ヨブは苦難と神との邂逅を経て、「善行=繁栄」という狭い神知識か
ら脱却し、「善行で祝されたら、幸い」→「迫害されるなら、なお幸い」の真実を悟ります。
義のために苦しむとは一体どういうことなのかと、よく考えさせられます。社会的には善を行う者が報われなけれ
ばならない。不公平や搾取が横行する国家が長続きしないのは歴史が証明します。神は今日も御手を動かされま
す。しかし堕落の下にある世界で、善行や平和の実現を阻む者が存在しています。国体という実態のないものの
ため犠牲を強要し、不安と敵意をバラまきつつ、愛国者を騙る売国者が我が物顔で跋扈する。嫌な時代になって
きたものです。この戦いを誰が戦えるのか。世の神に勝利したキリストを信じる者だけです。
宗教は現世利益や終末的恐怖に訴えますが、彼らの多くは世に同調します。私共の先達も戦時下で信仰を貫け
なかったので、大きなことは言えませんが、キリスト者の特権は、苦難や不利益を恐れず死に至るまで戦い抜くこ
とです。今こそ苦難を通して主の栄光が顕され、偽りの神々の無能が明らかになり、サタンの面目丸つぶれになる
時近し。苦しみを避ける世の価値観から脱して、特権を行使して、「苦難=恵み」との御国の価値観に立とうではあ
りませんか。 「しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハ 16:33)
6 月 21 日
「恐れないで、語り続けなさい」
使徒 18:1-11
布施 恒夫 師
I パウロのコリントでの伝道(第 2 次伝道旅行)
1) コリントは2つの港を持ち、ヨーロッパとアジアを結ぶ中継地点。経済的には栄えていたが乱れた町。
2) ここでアクラ夫妻と出会い、住まいと仕事をいっしょにしながら伝道する協力者を得た。
3) その後、「シラスとテモテがマケドニヤから下ってくると、パウロは御言葉を語ることに専念し、イエスがキリスト
であることを、ユダヤ人たちにはっきり宣言した。」パウロのコリントでのメッセージの中心はキリストの十字架。「あ
なたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからで
す。」(I コリ 2:3)
Ⅱ コリントの人々の反応
パウロがイエスがキリストであることを語ると、反抗して暴言を吐く反応。一方「また、多くのコリント人も聞いて信じ、
バプテスマを受けた。」という、新しい信者の誕生もありました。
Ⅲ 主のことば
「ある夜、主は幻によってパウロに、『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。』」(9節)
1) 恐れていたのでしょうか?「弱く、恐れおののいていました」(I コリ 2:3)
2) 「語り続けなさい」神のことばを語り続けるように励まされます。語り続けるとは具体的には、①証しする、すな
わち御言葉の種を蒔き続ける、②集会出席に励む、③祈り求め続ける、ことです。
3) 『わたしがあなたとともにいるのだ。この町には、わたしの民がたくさんいるから』と言われた(10 節)。日本にお
けるキリスト者の存在と影響力。
4) 「そこでパウロは、1 年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」(11 節)
Ⅳ 結び
語り続けること、証し続けることの応答が求められている。「wたしがあなたとともにいるのだ」「この町には、わたし
の民がたくさんいるから」の、聖霊の言葉に励まされて進みましょう。
6 月 28 日
「善を行って苦しむ②」
I ペテロ 3:14b-15a
武安 宏樹 牧師
① ダビデ~御手の介在
サウルとダビデの関係は、表向きは追う側と追われる側とに思えますが、実際はサウルは追えば追うほど、皮肉
にも彼の方が追い詰められていました。不従順の罪責感から逃げ回るばかり、保身のためにダビデを脅かしたの
です。一方ダビデは身に覚えのない追われ方でしたが、絶えず主に従っていたので、地上の権力では圧倒的にサ
ウルですが、ダビデは万軍の主に依り頼みました。主が敵よりも強いことを知り、追 われても御手が共にあるので
平安でした。
② エリヤ~直接的対決
北イスラエル最悪の王アハブ&妃イゼベルに、預言者エリヤはどのように立ち向かったか。目先の政治的利益を
追求するアハブを動かしていたのは、頭の先から爪先まで偶像礼拝者の妻で、彼女に夫は頭が上がりませんでし
た。そんな王にエリヤはききんを宣告し、バアル信仰へ大胆に挑戦状を叩きつけ、450 人のバアル預言者と背後
の悪魔を前にして、主の御名を呼び求めました。何の反応もない「神々」に対し、主の火は天から下り、いけにえを
焼き尽くし、『主こそ神』と民はひれ伏し、直接的な霊的戦いは主の一方的勝利でした。
③ 神殿再建~妨害に屈しない
ペルシャ王クロスの勅令により、バビロン捕囚から帰還を許された民は、神殿再建の命を受けま す。敵は甘言で
近づくも、拒まれると妨害に転じます。けれども祭司エズラ&ヨシュア、預言者ハガイ&ゼカリヤ、総督ネヘミヤ&
ゼルバベルは『私たちの神が私たちのために戦ってくださる』と民を鼓舞し、どんな困難があっても、再建事業は御
心ゆえに完遂すると信仰に立ちました。完成の暁には捧げられた最高の礼拝に、民は感動し、罪を告白し、再献
身を誓いました。女も子供も全員参加の祝宴は喜びに満ち、歓声が響きました。
御手を忘れて無謀な戦いをしたり、対決を恐れて敵と妥協してしまったり、妨害に屈して喜びのない奉仕をしては
いないでしょうか。ペテロの強調点は、主が聖なるお方だと知ること。キリストは三点全てを経験&勝利されまし
た。
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